山の神さま |
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2002/8/26
(月) 12:38:19 - くるぶし -
どうも…。自分とこの先祖を調べている最中のくるぶしです…
"東沢さんの奥羽山脈の山窩とウメアイについてのレポート≠フ 山の神さまを見て…山の神さまって、天神信仰の天神さま に似てると思ったんで、画像をのせてみました。
こっち右手に持っているはシャクですけど…
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2002/9/16 (月) 01:28:55 - 東沢美史 -
東北の場合、宣教師が金属に関係してるらしいです。私はズバリ金山が目的だとおもいます。 キリシタンと言うことは日本人。東北で妙見様の信仰が強くて有名なのは平将門を先祖に持つ千 葉氏の末裔にあたる氏族ですが、相馬氏、国分氏、鹿島信仰の東氏などたくさんいますが誰でし ょう。歴史好きの松村邦弘が大内氏の配下の子孫とよくTVで話してるの見るけどこの山口やキ リシタン大名がいた九州あたりではないでしょうか。
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2002/9/3 (火) 17:07:57 - ヤゾ−
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東沢さん とても良いお話しを聞かせて頂きました。 ところで どこかで?なにかで? キリシタンが妙見さんを信仰していたと読んだ気がするのです。
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2002/9/3 (火) 02:21:04 - 東沢美史 -
宮城、岩手の例ですが隠れキリシタンの山里と鉄とか鍛冶を結びつける話はあります。でも布教 者であるヨーロッパ人の本来の目的は黄金ではないかとの歴史家もいます。・・・だから東北に は白人のような顔の人とかグリーンやブルーの目の人がいるのかな。
私は竹細工売りでキリシタンの山里を毎年訪れますが、かつては一軒残らず寄るようにしてまし た。貧しい家の人でもせっかく来たからといって無理してでもなにか買ってくれるし、何より静 かで温和でありながら人懐っこく、または好奇心の強い人が多いのがキリシタンの里の特長のよ うで、訪問するのがかなり楽しいです。雰囲気が他の東北の農村、漁村とは明らかに違います。 表現するのが難しいんですが、なんか表情の明るさも違うんです。・・・たとえれば、大雨がや っと上がった夕方の西空のような明るさとでも言うんでしょうか、思い出す何人かはそんな感じ です。
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2002/9/3 (火) 01:20:35 - 東沢美史
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金の神様と鉄の神様は違うと思ってましたが、 そういえば妙見様は両方に関係してます。 地域によっても違うし。金に関する神は多義性に富んでるし。
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2002/8/31 (土) 14:49:45 - くるぶし
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うぶさん、くるぶしのことはあまり気にしないでください。 元々…日本人のルーツにも興味なく、歴史の勉強もしてないし…。 なので、他のひとの話を"おお〜そうなのか〜≠ニ勉強させてもらってます。 今回は、うちの先祖からのメッセージみたいなものを感じてるので、自分ちを調べてるのです が、実はだんだん凹んできちゃって…。 この写真の天神像も、実は隠れキリシタン用で裏面にはマリア像が彫刻してあるそうです。 そんなことも踏まえて…、神社やお祭りや、その時代の政治的なもの、当時の人々の生き方、ま あいろんなものを考えていくうちに、現代人の私には到底計り知れぬ想いなんかを感じてきて、 精神世界モードに突入しつつあり…、という感じ。 でも、おかげさまで神社を調べていくうちに、今まで毛嫌いしていたご利益信仰などについても 考えを改めることができたりしたので感謝です。 うーん。思ってることはこんなもんじゃないはずなのに…あー字にするのって苦手。とりあえ ず…わけわからない内容でごめんなさいね。
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2002/8/30 (金) 23:25:28 - △うぶ -
くるぶしさんと東沢さんの話中に割り込んでしまったみたいなので簡単にしときます。
ヤゾーさん、鳥居、そう云われれば中国圏にも見られました、殆ど同じですが角(つ の)が二本出ていました、(これかな?)。 「たじひ」の后、本妻でしょうか?それとも第X号妻?。もう少し勉強してみます。
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2002/8/28 (水) 05:05:15 - ヤゾ−
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南九州出身の祖母が 僕が小さいころに 田の神さあ(たのかんさあ)の話しをよくし てくれました。 なんでも手にシャモジのようなものを持っているとか言ってました。
梅鉢の紋は 契丹系と関係があるようなことを八切氏の本に書いてあったように思いま す。
倭人のルーツは中国東南部だと言いますが 神社の鳥居のルーツも中国東南部からの倭人がもたらしたものだと何かに書いてありま した。
山の民と海の民は同根 もしくは近い関係にあったように思います。
折口信夫の研究によると古代 天皇の后は二つの家系にかぎられていたといいます。 それは天皇家出身と丹波地方に勢力を占めていた丹比氏(たじひ)出身であったとのこ とです。 天皇家出身の后をヒルメ 火の女 丹比氏(たじひ)出身の后を水の女と呼んでいたと もいいます。 そうなると水の民は原住民系のような気がします。
東沢さん 昨日買い物へ行ったついでに本屋へ寄ったら 文藝別冊 没後10年 中上健次特集 というのが置いてあったので買ってきました。
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2002/8/27 (火) 23:58:18 - △うぶ
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こんにちわ。 神について云えるかどうかは判りませんが、水の民と山の民は同祖です。 わが国にたどり着いた海人族、一部は海辺の民として居つき、残りは山へ入りました。 元々火明命を崇拝したので同祖(火の民族)、砂鉄採取と製鉄、同じく漁労民も "すなどり"と云います、焼畑農業や狩猟生活、つまり「倭人」がこれです。 それぞれが崇拝する神を持ったと思いますが、所詮同祖です。 それに対して平野部で水稲耕作をした民は その後に渡来した民族で天孫系などです(=水の民)、ゆえに天孫系神社には 鏡(=水の象徴)が備えてあります。 「梅」については推測ですが、大陸沿岸部の民族に関係深そうでして(やはり中国 系)、福建広東省に「梅花」崇拝がみられ、中華民国の国花は梅の花です、 中華民国の民族は、わが国の倭人と同じ大陸沿海海人族です。 *{文章にもし間違い有ったら、どなたかフォローお願いします。}
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2002/8/27 (火) 13:31:20 - くるぶし
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まちがった…金鉱山でしたね。砂金となるとまた別ですか。
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2002/8/27 (火) 13:29:11 - くるぶし
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砂金といえば…北海道のゴールドラッシュ…、確か、徳川が天下をとった直後に 何万人もの砂金を採る人々が北海道にやってきて、アイヌとちょくちょく争っていた ような……。あら……?砂金ねらいはコシャマインの戦い以前からでしたか…。 すると奥羽の山窩の方々が北海道にきてたのでしょうか?
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2002/8/27 (火) 12:51:31 - くるぶし -
東沢さん、山の神さまですが…、金の神さまと鉄の神さまは違うのでせうか……?
嗚呼…さらにわからなくなってきた…。
うちは…鉄の神さまに関係してたんです…。でも、鉄なのになぜか水神なんです…。
でもって家紋は丸に剣梅鉢なんです…。それで、調べていくうちに、海人族にぶつかったんで す…。非弥生人だけど、農耕やら産鉄やらの技術を持った人々で航海術にも優れてて…てことは 星なんかにも詳しい…つまり陰陽道……安陪清明は海人族だとか…?梅鉢の家紋のルーツは天神 信仰か、海人族の末裔のどっちかのパターンらしく、梅鉢は星をあらわしてるなんてどっかのHP で見たし、そういえば、梅鉢の梅の形は陰陽道の五行に似てるな〜なんて…思ってたんですよね 〜。そのうちに…、だんだん頭がぐちゃぐちゃになってきて…、ま、古代までいっちゃうと部族 なんてごちゃごちゃなんで、古代人は全員先祖か?なんて思いはじめ…、とりあえず、海人族の 末裔で海の神さまのひとつと関係のある家、ってことにしようかな、って思ったけど…やっぱし 鉄も山の神さまになるのかな……。金は山だけど、鉄は海なのかな…どっちかっていうと逆なら まだわかるんだけどな〜…海と山が合体した部族がいたのかな〜…。
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2002/8/27 (火) 01:36:36 - 東沢美史
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深夜ですが、コンニチワ、くるぶしさん。 画像は道真公でしょうか。確かにポーズが似てます。
表の掲示板でヤゾーさんが、菅原道真と縄文との関連をうかがわせるレスされていました。私は それとはちょっと違うけど、蝦夷をキーワードに浅い知識での推測ながら天神、山の神両方に共 通しそうなこと書かせていただきます。
戦後しばらくまで奥羽の山窩、あるいはその末裔の方々の仕事として金鉱山での労働があった可 能性が考えられます。またかつては金銀財宝を都に納めない、服さないという理由だけで朝廷か ら鬼神として敵にされた蝦夷の頭領安部貞任・宗任がいましたが、この安部家を慕う領民の仕事 に当時世界有数の量を産した金の採取、精製の労働がやはりあったと私は考えています。泥田の 泥金の場合は田の神、金鉱山の場合は山の神を拝むと推測しますが、金の精製(あるいは奉納か ?)を前にしては口寄せ巫女による祭祀が執り行なわれた可能性があり、その場合、一番最初に 祈祷しなければならない神様が(高)天神といわれています。
まもなく前九年の役で敗退した安部宗任は京の都へ連行されます。そのとき都の貴族が当時、京 ではまだ珍しかった梅の花を見せ、鬼の国の者がこの花の名など知らないだろうと軽蔑し質問し たところ彼は 『わが国の 梅の花とは 見たけれども 大宮人は 何といふらむ』と歌でこたえたそうです。 箕作り山窩はバラ科の白い花をつける「ヤマズミ」や桜を材料に使い愛でますが、蝦夷の民にと っては同じバラ科の梅も同じようにとっくに馴染みの花木であったようです。
それから間もなく安部宗任は罪人として伊予へ流されますが逃亡の嫌疑をかけられナゼかやがて 道真と同じ大宰府へ行かされます。「東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花・・・」の東風も気に なりますが5弁の花をつける梅には、もっと深い暗号のような意味が隠されてるような気がしま す。 で結局、その答えを知ってるのは・・・山の神様と道真が祭られるずっと以前からの天神様だけ ってことかもしれないけど。
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