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風の王国 掲示板

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原生林の森  
  2002/11/19 (火) 20:30:55 - ヤゾ− -
(添付1) 1037705455.1.jpg
仕事の準備として
身近にある環境を調べるために山歩きしてきました。
ここは その中でも一番気になっていたところでした。
沢には瀧もあり 標高によって木の種類も景色も変わってゆき
歩いていて退屈しませんでした。
森林公園となっているところの標高は
約450メートルから1000メートル余りだそうです。
写真は 尾根に近い緩やかな斜面のところでが
谷沿いの道は かなり急峻でした。

 返信-3
 2002/12/10 (火) 01:19:21 - △うぶ -
やっぱり潮岬ですか。私のところからだと海外行った方が楽です。
青春18切符で一日で紀伊半島一周する計画も3年来頓挫してます。
日置川町海沿いでは真冬の深夜でも10度以下にならないらしいので、
(この事実は貴重です、九州以上、奄美並みですね)
野宿出来そう。サンカ魂をくすぐられます。にわかサンカしてみるかな?。

 返信-2
 2002/12/5 (木) 20:11:27 - ヤゾ− -
△うぶさん こんばんわ
都会から田舎暮しをするのに
熊野で土地を探していた人が言うのには
交通の便さえ考えなければ
潮岬が一番理想的なところなのだそうです。
本州最南端でありながら
海に突き出した岬なので
夏は30度を超えることは少なく
冬は暖かいと言います。

 返信-1
 2002/12/5 (木) 00:15:11 - △うぶ -
原生林の単語は良い響きですね、写真やビデオみるだけでも、菜食して体の中が
浄化されたような気持ちがします。最近思うのですが、かえって田舎育ちの方が
自然を欲するように思います、最初から都会育ちの人は身をもって実感してない
からかも?。
私、欲張りなもんですから、海も山も同時に味わいたいので、
外海に面した半島や岬を探しています。   潮騒を聞きながら
岬の温暖性照葉樹林の林の小道を木漏れ日と野鳥のサエズリの中、
散策したいんです。
本州で一番暖かい地、周参見町から潮の岬あたりに良いところ有りませんか?
でも家からだと、かなり金と暇が必要な遠方になりますが。

小さな箕  
  2002/10/28 (月) 20:03:06 - ヤゾ− -
(添付1) 1035802989.1.jpg


蜜柑さんから小さな箕の写真を送っていただきました。

千葉県の外房を走行中(もちろん、釣に行く途中)に
「竹細工」の看板を見つけ、急停車してゲットした物です。
全部「藤つる」で作られているようで、700円でした。
用途は「飾り」でしょう。その店に本格的な箕はありませんでした。
観光客用の店のようでした。

ということでした。
700円は安い!と思います。

 返信-1
 2002/11/4 (月) 18:05:04 - 東沢美史 -
(添付1) 1035802989.1.1.jpg
宮城や岩手の箕作り人は余技、遊びで小さな箕を作ることがあります。壁飾りの民芸品として、
またオツマミや果物入れに売れることもあります。こういった民芸品であっても本来の大きな箕
と同じ材料の竹、木の皮、蔦蔓を使いだいたい同じ工法で作ります。

写真の箕は岩手北上山地で作られた小さな箕です。弓の部分は鈴竹を曲げ、全体はにぎょうの
木の皮で編んでいます。懐にはもちろん桜の皮(樺)がしっかり編み込まれています。でも値段
が2300円と高価なためか2枚のうち一枚しか売れず、売れ残ったもう一枚が写真の箕です。
納屋の箱のスミでイジけていたところをさっき引っ張り出して撮影してあげました。

みなさんも、土産品店や工芸品店などでモシ出会いましたならばお店の方に産地を聞いて竹、木
の蔦蔓の採れた山や部落をしのんでココロの中でそっと箕に語り掛けてください。

鬼首村  
  2002/10/14 (月) 19:08:23 - 写楽保介 -
鬼首村というのが宮城県にあってそのなのとおり鬼と関係があるかと思います。
だまして首をはねられたアテルイの首がここまで飛んできたのでしょうか?
大和朝廷のやりかたはエミシ征伐のころから現天皇アキヒトにいたるまでその薄汚さは変わらな
いですね。きっと彼らに神罰が落ちるでしょう。
この鬼首村を舞台とした作品が横溝正史にあったと思います。

 返信-3
 2002/11/3 (日) 00:03:06 - ヤゾ− -
東沢さん 風邪で臥せっているときに
優しいお言葉をかけて下さり ありがとうございました。
北斗七星信仰は奥が深そうですね。
鬼首の巖窟の写真 楽しみにしております。
無理して風邪ひかないで下さいね。

 返信-2
 2002/10/31 (木) 23:52:27 - 鬼ッ子童子(東沢美史) -
小学校4年の修学旅行のとき先生達が「今度の行き先は鬼首ロッヂでーす」って言ったとき、「
ワーッ」って皆で大喜びしたことがありました。このとき鬼首へ初めていきました。でも
高原ですから春でも寒かったです。霧が東へ西へ疾走し、温泉の煙りがあちこちで昇ってるとう
いうシュールな風景がとても懐かしく思い起こせます。

サンカに結びつきそうなことと言えば、ここには鬼首の巖窟という、おかみさま(口寄せ巫女)
が安部貞任を神(鬼神)として自らに憑依させる神聖な岩谷堂があります。まったく平泉の達谷
岩谷堂を連想させます。奥行き3間ないし5間、間口15間くらいで大正時代の郡史によると地
元には朝廷軍に破れた安部貞任が潜伏してたが、やがて南部(現在の岩手県北・青森県)に逃
れて行ったとの言伝えが残っています。

掲示板に参加されてる方の中では私が一番近いわけですから写真をと思ったのですが、いまだに
行ってなくて申し訳無い、m(__)m。
和歌山県ではヤゾーさん、とんちんかん小僧君が実際に川でユサバリ組んで瀬降りをされたとの
こと。東北宮城の竹細工サンカとしては真冬吹雪の中ココの巖窟で実生活をするくらいでなけれ
ば近畿チームの「オタカラシュウ」に対抗できないだろうな。

でも、いつか近いうちに行っったら写真だけでもご報告いたしますね。以上!。
「風の王国」宮城県支部通信員、東沢美史

 返信-1
 2002/10/17 (木) 01:54:25 - とんちんかん小僧 -
RE鬼首村

写楽保介さん、初めまして。
へえー、そうなんですか!
鬼首村伝説・・字を見ただけでも、ゾワっと恐ろしさが沸きますね。
横溝作品にもありましたか、僕は「犬神家の一族」(あれ、あってます〜?)を持っています。
また横溝氏原作で漫画家つのだじろう氏作の同題の漫画も持っています。
やはり、どっちも気持ち悪いっす。本の方は想像力が豊かすぎる人にとっては心臓に悪いように
思います。(私はそうなんですよ)

掲示板「鬼−ONI−(1)、(2)」の参考写真  
  2002/10/12 (土) 01:07:41 - 東沢美史  -
(添付1) 1034352461.1.jpg
Kumanolife掲示板で、とんちんかん小僧君 が
2002/10/10(木) 01:33に鬼−ONI(1)−
及び2002/10/11(金) 02:09に鬼−ONI(2)−と題して
鬼について書かれています。
そのうち岩手県の一関市、平泉町の関係個所を昨日、
カメラに収めてきましたので
掲示板を読むときの参考にしていただければとおもいます。
>は掲示板から引用させていただきました。

>岩手県一関真紫には、田村麻呂が埋めたという墓がある
(大武丸の背骨石)

何箇所か考えられますが、
一枚目の写真の場所を私は候補に上げています。
背骨石と私が思ってるこの石の向こうに
微かですが鹿島神社の赤い鳥居が住宅の左側に見えます。
鹿島神社は御神木で見えませんが、そこの高い所にあります。

 返信-3
 2002/11/2 (土) 00:01:47 - 東沢美史 -
(添付1) 1034352461.3.1.jpg
(添付2) 1034352461.3.2.jpg
このお堂は達谷窟の鳥居手前右側にあります。




この場所を参詣者は「古峰山」とも言ったようです。

またココは現在の宮城県から北斗七星の形に神社が7つ配置されてるうち
の柄杓の柄先(破軍星、龍口、剣先などとも言う)に位置するる社で私等
ウズメの信仰者は鳥居手前にある不動明王を拝みます。

このお不動様のお堂の木壁に両側に刃のついた剣がたくさん奉納されてい
ました。

私の父などもそうでしたが生涯一度の大願を賭ける人もいて、
なんかお伊勢参りにも似てます。

 返信-2
 2002/10/13 (日) 11:56:29 - とんちんかん小僧 -
東北地方にある闇に埋もれた時代・場所が、今生きる私達がスポットを当て
光をあてることによって迷える悲しみ深い魂の浄化に繋がればという思い
もありましたから・・。
今回、鬼―ONI―シリーズを書くにあたり、ただ単に教科書のような書き方
でなくて、思慮深くことに当たらせてもらってます。
う〜ん、メールして頂いた写真もこの大武丸の背骨石も・・やはり本物は違い
ますね。僕なんかより東沢さんの方が何においても、素晴らしい行為です。
僕も何時か、近い将来その場所に行かないといけない気持ちが沸沸と沸いて
きました。ご紹介ありがとうございました。

 返信-1
 2002/10/12 (土) 01:16:37 - 東沢美史  -
(添付1) 1034352461.1.1.jpg
平泉町の達谷窟です。

ご覧のように基礎の太い柱の木組みは
京都清水寺を思い起こさせます。
しかし建物の北側は巨大な洞窟と磐壁になっています。


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