鬼首の神馬と伊豆沼の越夏冬鳥 |
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2003/9/12
(金) 05:17:02 - 東沢美史 -
柳田國男の「遠野物語」によってひろく知られるようになった少女と馬頭で一対の「オシラサ マ」。
宮城では「オシンメイサマ」と云われて各家、各部落にひそかにしまわれています。 日清・日露戦争の時分は安倍貞任の話しでこの鬼首(おにこうべ)地区が特に有名になり今に語 り継がれてます。
高橋克彦氏は、この鬼首の馬を外国産としています。 そうすると蝦夷が育ててきたかもしれないアラブの馬を明治大帝に献上したことになります。
10日の夕方、鬼首に行ってみたときの写真です。 遠くに見える山のふもとの草原を、いにしえには馬が自由に駆けていたのか。
ちょうど御神体(明治大帝に献上された金華山号)が納まってる主馬神社の境内では、旧式内社 荒雄川神社の例大祭が催されてるところでした。 でも、安いデジカメのせいか本殿内が暗いせいか神馬が写りませんでした。
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2003/9/22 (月) 19:04:11 - 東沢美史
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教科書にも載った70万年前の高森旧石器遺跡が発見者に捏造されたということが一昨年に発覚 しましたので、山形の旧石器遺跡も存在が危ぶまれますから旧石器時代はおいておくとしても、 縄文時代以降ですと、重層的にいくつかの時代の遺跡が発見される例がやはり地元にもあるん で、おそらく そこは水はけの良い人間が暮らしやすい安定した自然条件の土地だったのでは と、私も考えたことがあります。
酒田平野からはよく見える出羽三山ですが、宮城からは奥羽山脈が高くて見えません。しかし宮 城では修験が政府により廃止された明治以後も出羽三山への信仰は根強く続いていました。
こうへいさんのお話はどこか私のココロにひっかかることが多いです。古墳時代と修験の中世が 重なるか確証はないけど、さっき私が撮ってきた宮城県古川市日光山古墳群のそばの薬王神社境 内にある出羽三山の石碑を載せます。 講中の人々によって建てられた「羽黒山」、「月山」、「湯殿山」の石碑が地元では各地に数え きれないほど多く建てられています。これは一つの碑に出羽三山をまとめて祀った明治期の石 碑。
私はこの三山が「北極星」、「太陽」、「月」、あるいは神話などに出てくる3姫や3女神,さ らにオンリオン座の「三ツ星」、北斗七星の柄の3星にそれぞれ当てはまらないか想像を掻き立 てています(無茶なのはわかってるけど(。・・。))。
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2003/9/13 (土) 09:57:16 - こうへい
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東北でも、山形県にトモダチが居るので、遊びに行ったことがあります。 こっちに負けないほど、夏は暑かった。 出羽三山ってありました。 温泉の傍か、水汲み場の傍に八幡遺跡?ってあって、地中50センチ以内に旧石器から 平安までの異物が出てました。珍しいです。ちょっと、関係ないけど。
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2003/9/13 (土) 00:00:03 - ヤゾー -
東沢さん ありがとうございます。 東北の奇麗な空気が充分に伝わりました。 こちらでは スサノオを祭る神社に 神馬である白馬を祭っていることが多いです。 白鳥を見に 東北へ行ってみたいです。
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2003/9/12 (金) 06:01:15 - 東沢美史 -
安倍貞任が篭もったという巨大な砦の洞窟を探しに行こうとしましたが、 雨が降ってきたし暗くなってきたので今回はやめました。
その途中で撮った、雲とススキのある鬼首の風景。
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2003/9/12 (金) 05:56:37 - 東沢美史 -
東北のキレイな風景をヤゾーさん&皆さんにお届したいといつもおもってはいるのですが、なか なか良い風景ってないんですね。
近場では、鬼首と伊豆沼しか想い浮かばなかったので、この2日間夕方でしたが出かけてみまし た。
11日の夕方は、夕日に照り返す水面を撮りたいと思って伊豆沼に行ってみました。
でも、シベリアに帰らなかったなかった白鳥4羽とガンのツガイに、おもわず出会いました。 冷夏とはいえ、一夏を耐えてきたんですね。
冬には「白鳥列車」の臨時便まで運行されて全国からの観光客で賑わうのに、夏は、シーズ ンでないんだ。
誰もいない。 しばらくいたけど、この日の夕方は私以外にはだれも来ませんでした。
エサを持ってないのに、東沢に近寄っては離れるということをチョコマカ繰り返しエサを頂こう と私の様子を伺うペアーのガンが可愛かった。
どうして、シベリアに帰らないで暑い日本に残ったのか。 ケガか病気でもしたのでしょうね。
毎回ですが、ピントがわるくてスミマセン。
でも、ホントはボケてても、こんなサイケでシュールな夕闇が好きなんです。
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