土佐丹吉鉤 |
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2002/3/27
(水) 01:12:25 - バリ師
■中には油紙に包まれたチヌ鉤6号ぐらいのが入っております。確かに手打ちのせいか、チモ トが撞木になっております。針先は少し甘いですが、研ぎがきく鉤のようです。よっしゃ、いっ ぺんこれで毛鉤巻いたろ。
■土佐丹吉鉤で検索しますと『天明元(1781)年、初代が釣針や漁具などの製造をはじめた。龍 馬は武市瑞山の道場からの帰り、この店に着物を預けて堀川で泳いだことや、「おんちゃん寝 さしとうせ」とことわって昼寝をしたことなどの伝承がある。』という文章にあたりました。 1781年ちゅうたらフランス革命より前でっせ。
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2002/4/12 (金) 22:39:00 -
あかね
あ!左から読んでええんやったら、「焼刀土」なんかもしれん。 焼刀土っつうのは、土と炭の粉、粗研の粉をこねたもんで、刀身の上に移してヘラで伸ばし、 刃文付けをするもんやそうです。う〜ん、刃文つけるやなんて、難しそうな技やわ。
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2002/4/12 (金) 22:08:50 - あかね
きっと、油壷ちゃうかな、という気がしとります。 油は不可欠なもんやさかいに、同感ですんやわ〜。 そいで、鼎の部分が魚の尾びれみたいに見えるんは、釣針メーカーの象徴やったりするんかも。 ほんで、蓋の文字はなんちゅうふうに読んだらよろしいんですやろ? 刀土ですやろか?ほんでも、土ちゅうたら、鋳物土や青銅の剣みたいやなぁ。 それとも、丹、酸化鉄を多く含む赤土を表してるんやろか…。千種鉄の刀かいなぁ。 ようわからんけど、色々考え始めたら、おもしろなってきます。
小寺ちゅうたら、赤松やったんやろうな。 そやそや、土佐からなんやね。ありがとさんです。 そういうたら、がまかつの毛鉤も京都からですわ。 「彦衛兵鉤」もやっぱ、千種のたたら由来なんやないかと、私も思おてます。
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2002/3/28 (木) 00:57:02 - バリ師
確かに言われてみれば、この壷みたいなのは何を意匠したものでしょうか?鼎の部分が魚の尾 びれみたいにも見えるし、鉤を焼きなましたり、焼入れする秘伝の油壷かしらん?
全国の90%を産する播州の釣り鉤も、元々は幕末の頃、土佐から小寺彦衛兵ちゅう庄屋が習 った技術やとか(毛鉤は京都から)。小学生の頃、「彦衛兵鉤」ちゅうメーカーもありました。
これもやっぱその土台は千種のたたらかも知れませんなあ。
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2002/3/27 (水) 23:06:47 - ヤゾ−
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2002/3/27 (水) 17:09:54 -
あかね
バリ師さん 有難うございます。カッコイイ袋と、見るからに頑丈そうな名品のハリですね!! しっかり造られているのが写真からも解ります。丹吉の中心商品は釣バリだったのでしょうね。 それにしても、丹吉の文字を囲んでいる壷のようなものは何を表すのでしょうね。不思議。 丹と吉だなんて、金売り吉次とか丹治・丹生を連想してしまします。
因みに私、釣は全然出来ませんが、釣バリにテグスを巻くのは結構、上手いかも。 あ、以前に書いたかな。何せ、がまかつ本社近くの出身ですので(^^)v
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2002/3/27 (水) 13:03:31 - にっちょ
バリ師様。 このモノは希少価値の年代物でヨ。 お父様のカタミであると同時に釣り師の宝物です。 大事に保管してくださいね。
ワタシはここ二年ほど釣りから遠ざかって居まして現存メーカーなのか分かりません。 この鉤はとにかく頑丈ですね。 ワタシバカの一つ覚えで シマアジのヘチ釣りだけを探求してます。 他メーカーのハリはかなりの確率で折れたりしました。(石鯛針の14号)
捕れないサカナを追い求め三十年、あーつかれた・・・ 最近歳と共に足腰が弱ってきまして、伊豆七島の磯で渡船からの荷の上げ下げが困難に なってきました、磯も急斜面で危険ですのでそろそろ引退かな。
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