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風の王国 掲示板

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三大稲荷の豊川稲荷  
  2003/1/7 (火) 21:10:58 - GAINA -
(添付1) 1041941464.1.JPG
インドでダキーニと呼ばれ、人の心臓や肝を食べる夜叉鬼でしたが、
仏によって善化し、自在の神通力をもった豊叱枳真天を祀る仏教系稲荷。
大岡越前がこの豊川稲荷を信仰し
下級武士から大名に出世したとして名を高めたといわれます。
伏見、最上稲荷に並ぶ日本三大稲荷の一つですが、
ここでは、各宗派の拝み方、お経が許されている稲荷だそうです。

お正月の、お御霊(みだま)様  
  2003/1/6 (月) 23:44:24 - 東沢美史 -
(添付1) 1041862864.1.jpg
宮城県北や岩手県南の民家で新しい仏があるときには、はじめて向かえるお正月に箕に餅を乗せ
御霊様を祭るという風習が今現在も続いています。
仏教や神道などの宗派に全く関係ない昔ながらのしきたりです。

兼好法師が「徒然草」の中で、東国では冬至に死んだ人の御霊を祭ることがいまだにあるが京の
都ではとうの昔に廃れた行事だ、と書いていたそうです。
徒然草は、いつの時代の書物だったでしょうか。

竹細工の門付けで廻ってると「あそこの家で箕欲しがってだっけ」と教えてくれる人がいて、教
えられた初御霊様がある家を訪ねてみると大正生まれと思われる婦人が「あー、いがったいがっ
た」と喜んで私から箕を買ってくれたりします。ここ数年の風景です。去年は戦後生まれの50
代、40代のお客さんも珍しくありませんでした。

箕に御霊様の餅を祭る風習の根強さを感じた年末でした。

 返信-2
 2003/1/6 (月) 23:26:38 - 東沢美史 -
(添付1) 1041862864.2.1.jpg
仙台平野、北上山地などで見られるお正月に祭る御霊様用の餅の配置の一例です。年末に2臼搗
いたので再現してみました。
これを基本に地域、部落によっていろんなバリエーションが存在してます。
中の赤茶色のは干し柿なんですが、栗や海のウニ(?)などいろんなモノが乗っかるところもあ
るようです。
また餅の代わりにおにぎりを用いるところもあったはずなんですが、詳しく解かりませんので引
き続きこれからも御霊様
用の箕を買ってくださるお客さんに聞いて調べてみます。

今年は一年に12回の月があるので12個の月の餅を日(?)の餅の周りに配置します。閏月の
ある年は13個を並べます。
この配置をするところでは神棚に向けて祭るようです。


 返信-1
 2003/1/6 (月) 23:33:34 - 東沢美史 -
(添付1) 1041862864.1.1.1.jpg
三陸など海沿いの農漁村での、お御霊様用の餅の配置の一例です。
浜によって習慣が様々ですが、家族が亡くなった翌年はお正月をしないというところと、百ヶ日
過ぎれば「新し箕に新し御霊様まつる」というところと場所によって違います。

また、月の12個の餅を2重に重ねて合計24個にする集落もあります。
中の大きな日(?)の餅の上に置いてあるのは、干し柿です。
仏教の影響か線香立て、鉦などを一緒に置くところもあります。

主に仏間や仏壇に向けて祭るのが特長です。

十日えびす  
  2003/1/6 (月) 19:06:41 - ヤゾ− -
(添付1) 1041847606.1.jpg
今日 山小屋に戻る途中の国道に
十日えびすを宣伝するクルマが走っていました。
クルマの後ろに付けられた
箕の中の恵比寿大黒さまが笑っていました。
十日えびす 久しぶりに行こうと思います。

川のなぞなぞシリーズ  
  2002/12/29 (日) 00:19:05 - バリ師 -
(添付1) 1041088588.1.JPG
今年最後の「なぞなぞ」ぞなもし。

先日、兵庫県の岸田川でこんなもんと出くわしました。これはいったい何でしょうか?

東沢さんの地元では珍しくないのでしょうが、この辺では「えっ何これ?」と少しビッ
クリいたしました。

みなさま来年も良い釣りを!

 返信-4
 2003/1/6 (月) 19:05:46 - ヤゾ− - No.1041088588.4
う〜ん 年をまたいで考えていましたが
魚を捕るものとしか思えませんでした。
まさか兵庫県にサケが遡上したりするのかな?

 返信-3
 2003/1/1 (水) 23:04:26 - 東沢美史 -
(少年達に)・・・おーーーぃッ。

 返信-2
 2002/12/30 (月) 01:05:49 - やなぎむし -
んんんん・・なんや・・大きな仕掛けですねぇ
  子供たちげんきーーーぃ!!

  ヤナさんは、んんんどうもクマでなく・・鮭なんやないのんかいねえ・・なんて思
います・・・

   んんんんそこにやってきたのは・・やっやややっや

  やっぱりクマやんか!!

         

 返信-1
 2002/12/29 (日) 02:25:00 - △うぶ -
バリ師さん、お久ぶりです。
左の子供が「危ないから来るな!」ゆうてます、右の子供は鉄オリを体重で押さえてま
すね。きっと水中に熊でも隠れているんでしょ。
{上流から泳いでくる熊を生け捕るオリ}、、、、、どうです?ズボシでしょ。

サンカの起源  
  2002/12/15 (日) 03:11:22 - 蜜柑 -
 サンカの起源について悩んでいます。
沖浦さんの説は、彼の思い込みだけのように思います。
三角の説も荒唐無稽っぽい。
みんなどう思っているのでしょうか?

 返信-2
 2002/12/17 (火) 23:38:25 - GAINA -
かねてから、稲作文化の到来が大きな分岐点であったような気がします。
神武東征が日本の夜明けように語られていますが、
稲作文化の本格的な流入でなかったか?とも思っています。
稲作文化の流入を洗い直し、
源日本文化にとっての功罪を検証することも起源に遡れるのでは!

 返信-1
 2002/12/17 (火) 19:36:00 - ヤゾ− -
蜜柑さん サンカの系譜にも色々とあるのかも知れませんが
弥生の生き方(力に)を選ばなかった(従わなかった) 縄文系の人々や
大和朝廷にまつろわなかった縄文系と融合した渡来系(出雲族等)の人たちが起源のよ
うな気がしています。
山口県の彦島で見付かったペトログラフ(古代岩刻文字)が
当初 サンカ文字を使った解読コードで読むことができたという話しは 真実のような
気がしてなりません。

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