自然の中へ、そして心の中へ!



自然との共生とは何か、真の教育とは何か

鳴けない山鳥の詩

山に祈り、神々と暮らす
信州・黒姫郷「山窩民族」哀話より抜粋させて頂きました

東京帝国大学を卒業したばかりで、山の筆小屋に自ら志願して赴任してきたヒコサの教え

神々の生まれる峰
ヒコサは山棲みでもないのに、あらゆることを知っていた。よく本も読んでいたが、その知識をどのようにして教育の場にすり合わせるかを考える。教えようとするから、子供は嫌がる。彼は逆に「教えてもらおう」と考える。子どもの向学心を引き出すことが「教育」なんだと確信しているのである。「今日は、また雨だから、少し在所の話をしようか。そして先生に山のことを教えてくれないか」ヒコサは、みんなを小屋に集めて話し出した。「ホラ、在所にある家の造り方を聞いただろう。家の屋根は、草やワラで造られているし、畳みも草だ。戸は紙でできている。雨が斜に降ることもあるから、軒をかけて縁側を造る。ここが人や動物たちとの、交流の場となる。そこには虫も鳥も飛んで来る。庭の景色も見えるし、月見も酒のみもできる。ときには蛇までも昼寝に来る。縁側には暖かい太陽が射し込み、豆や大根などの農作物や、着物の乾かし場所になったり、年寄りたちの物作りの場にもなる。誰が考えたのかねー。素晴らしい話し合いの場所だね。しかし、西洋にはなぜか、それがないのだ。家は厚い石やレンガで囲まれ、入り口の戸は重い。だから虫も光も通 わないし、風景も見えないから季節が分からない。西洋の家は、「自然と戦う場所」として造られたもので、力で自然に勝つことによって、芸術や文化が生まれるという考えが元になっている。それが西洋の文化というものなんだ。石やレンガは腐らないが、木は腐ると彼らは言う。だが、温もりもあり対話もしてくれる。石やレンガには壊れるということがある。木は愛情込めて大切にすると、何百年、何千年も腐らない。また、腐っても必ず母なる大地に戻り、次の世代のために豊かな土地をつくる。生き物だからなんだね。都の寺は、何千年も生きている。元はただの木石でも、人間の感情という祈りが通 じれば、それに応えて石でも木でも、神さまが自然に宿ってくるんだ。祈れば祈るほど、それが自然に神さまの形になるんだ。お守り札や仏像、地蔵さんなんかがそれだね。こんどは山の家と比べてみるといい。山の家は丸太でできていて、在所の板で造った家より強い。腐りにくいし火にも強い。手で触ると昔の話もしてくれる。また不思議なことに自然界の中には、四角や三角のように真っすぐでつくられたものがないんだね。不思議だねぇ、どうしてだろう?樹でも草花でも種でも、決して真っすぐな、直線というものがないんだねぇ。この自然界にある直線は、太陽の光だけなんだね。樹は自由に伸び伸びと、好きな方向に曲がりくねり、それぞれ成長する。幹も太くて丸い。それは人間と同じで、自然は「母」だからなんだね、丸く、大きくなれと母は教えているんだね。丸いのは強い人だ。優しいということは丸いんだね。それは自然が愚かな人間に教える哲学というもので、自然界の決まりというものなんだよ。自然の中にはもう一つ、枠という堅苦しいものがない。枠をつくるとそれを破ろうとする。不良な農作物というのも変だね。曲がった大根やキュウリも自然にそうなったので、中身は少しも変ではないものだ。不良な人種というのも変なもんだね。どこが不良なのか、人間が人間をどうして決めるのかもおかしい。里人と山窩を枠をつくって決めてるのは、もともとあってはならないことなんだね」

ヒコサの教えを受けたサチの子どもたちへの教え

森は海の恋人
この、一連の学習の中に、樹を育てる学習があった。山の樹を在所で育ててみようという試みであった。山登りをした時拾って来たトチ、ナラ、ブナの実など、亜高山性の何種類かを里の畑地に植え、育ててみようというのである。方丈さんはサチが何を考えているのか、まだよく分からなかった。おそらく、他を育てることによって自己の姿を気付かせようとしているのだろう。また、人間の環境変化や個性教育の中で、誰にとって何が適性であるかを見つけてやろうということだろう。その素材は何であるのかという、大きな試みのようだった。樹を育てる場合、答えがすぐに出ないのがもどかしい。肥料をやったもの、自然のもの、日陰をつくってやったり、日を当てたもの。腐葉土と砂の上、乾いた土、水も多い方と少ない方など、同じ種でそれをやってみた。ブナの実の場合、すぐ答えが出た。陰樹性だったのである。日を嫌うため、芽が出て十日目くらいで葉が黄色になって枯れ始めた。火傷現象だった。日陰をつくってやった芽は青々としている。人間の幼児教育と同じなのだ。また、いつまでも日陰では育たないようだ。人も成長するにしたがって銭や地位 ・名誉が欲しくなる。人間と同じようだねと子どもたちに教えた。土も替えてみた。転地教育である。そのため近くの農家の人に預かってもらった子もいた。松林から持って来た土では、山の種が育たないことも分かった。カラマツやスギ林の土でも同じだった。この土は虫もカビも生えないので、ほかの植物も育たないことは最初から分かっていた。この針葉樹のマツ、カラマツ、ヒノキなどの山から出る水が、小魚や川虫を絶滅させたのも、近年になって人が人工林にしてしまったからだ。植物にとっては毒性の強い水なのである。またこれらの樹は他より貪欲に光を欲しがり、早く背伸びをする習性も分かった。人間はこの競合性を逆に人工林として利用したのである。昔、秋田で、このことで大失敗があった。冷害のときの生活手段として天然林を伐り、早育ちのスギを植えた。ところがこのため、河川には鮭が遡上してこなくなってしまった。森は海の恋人であり、川はその仲人役だったのである。森からの自然水と違って、スギ林などの水には鉱物分(ミネラル)がない。この水が海に流れると、海草は育たない。樹はその種類によって、自ら土を選ぶことも分かった(忌地現象)。クルミや里ザクラ、クリなどは、自分の仲間を増やすために他の植物を寄せ付けない。みんな人間社会と似ているのだなと、サチは改めて大自然の英知に驚いた。この植物育成を子どもたちに自習させ、自己反省や優しさ苦しさを知るための教育材料としたのである。

とっても大切なことが沢山書いてありますので、是非買って読んでみて下さい→ 鳴けない山鳥の詩icon




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