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鬼の里・京都府加佐郡大江町と天橋立のある宮津へ行ってきました。大江駅・鬼瓦公園→元伊勢外宮→内宮→天岩戸神社→鬼の交流博物館→大江山・鬼嶽稲荷神社→京都府宮津市籠神社・真名井神社の順に巡ってきました。
左の写真は大江駅の前にある鬼瓦公園で、全国の鬼師(鬼瓦製作者)さんが作られた鬼瓦が展示してありました。また壁面
には子供等が粘土で作った鬼の面がたくさんはめ込まれていて、鬼の里へ来たのだという思いが湧いてきました。
右の写真は鬼の交流博物館の入り口にそびえる高さ5メートル重さ10トンの「大江山平成の大鬼」と呼ばれる巨大な鬼瓦です。鬼の交流博物館では、鬼とはなにものかをテーマにした展示物や、大江山に伝わる三つの鬼伝説を紹介していました。一番古いのは陸耳御笠(くがみみのみかさ)という土蜘蛛が日子坐王(ひこいますのみこ)という嵩神天皇の弟に退治された話しで、二つ目は聖徳太子の弟の麻呂子親王が三上ヶ嶽(大江山の古名)で英胡・軽足・土熊という鬼を退治した話しで、三つ目は有名な酒呑童子が源頼光に退治されたという、三つの鬼退治伝説を紹介していました。
“まつろわぬもの”退治される鬼という酒呑童子について書かれたものがありましたが、酒呑童子が毒の酒を飲まされて討たれたときに、「鬼に横道なきものを(鬼は人をだましたりしないぞ)」という叫びをあげたそうです。鬼とはほんとうはお人好しだったのかも知れません。鬼の交流博物館のある大江山南麓の辺りには、昭和40年ころまで河守鉱山という大きな銅山があったそうで、鬼の里に大きな銅山があったということは興味深い話しだと思いました。
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大江駅から二キロほどクルマで走ったところに元伊勢外宮は鎮座しておりました。神社の駐車場には他府県ナンバーのクルマばかりが数台駐車しており、随分みんな遠方からお参りに来ているのだなと感心しましたが、なんのことはない、自分が一番遠方から来ていたのでした。観光というよりも熱心にお参りに訪れたといった感じの方々が二組ほど先に参拝していましたが、その中の一組とは内宮・天岩戸神社と行く先々で出くわすことになりました。駐車場から社務所の前を通
り、石段を上ってゆくと樹皮の付いままの丸太で造られた鳥居が見えてきました。樹皮の付いた丸太で造られた鳥居は始めて見ましたが、古い形態を残しているようにも思いました。境内の中に入ると社殿などの建物は所々が傷んでおり、寂れた感じもしましたが、なにか凛とした空気がはりつめているようで、間違いなく神域であるという思いがしてきました。ここ元伊勢外宮は伊勢神社外宮と同じように豊受大神を祭神としており、内宮は天照大神を祭神とし、ここから内宮へ向かう途中には猿田彦神社もありました。
また近くを流れる川は宮川となっていましたが、五十鈴川とも呼ばれているそうです。
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元伊勢外宮から大江山の方へ続く道を三キロほど進んだところに元伊勢内宮は鎮座しておりました。元伊勢内宮・皇大神社と彫られた石碑があり、そこから石段を上ってゆくと参道の真ん中に“癌封じ瘤木”という大楠がありました。幹に大きな瘤が飛び出すように出来ており、何か痛々しさを感じさせる大楠でした。この大楠に両方の掌を当てたらビリビリとしたものを感じると共に、人の悪いものを吸い取って自らに瘤を作ったんだという思いがして、この大楠の優しさを感じたような気がして静に手を合わせました。
この元伊勢内宮も外宮と同じように樹皮の付いた丸太の鳥居でしたが、寂れた感じのした外宮とは違い、明るい柔らかな空気を感じました。外宮よりはお参りに訪れる人が多いのか、境内にある建物では巫女さんが座り御札などを売っていました。外宮と内宮とでは感じるものが違いましたが、どちらも神聖なものを強く感じさせるものがありました。祭神は天照大神で、倭姫が四年間、ここで天照大神を祀ったともいわれています。
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内宮から一キロほど山道を歩いたところ、日室ヶ嶽の麓に天岩戸神社は鎮座していました。途中の参道からは、今回一番見たかった日室ヶ嶽が見えてきますが、それは後ほど書くことに致します。日室ヶ嶽を拝するところからしばらく下ったところに天岩戸神社の鳥居が見えてきました。天岩戸神社は全国に何ヶ所かあり、宮崎県高千穂の天岩戸神社が有名ですが、ここ元伊勢にある天岩戸神社も、かなり古くから知られたところだそうです。この天岩戸神社周辺の岩戸山はカシやシイを中心とした原生林で、天岩戸神社のある一帯が原始の風景を残し、聖域という感じがひしひしと伝わってきました。鳥居をくぐり不規則に並んだ急な石段を下りたところに宮川(五十鈴川)が流れる渓流があり、その渓流にある巨岩の上に天岩戸神社は鎮座していました。拝殿に上るためには巨岩にあるクサリを頼りに上らなければなりませんでした。拝殿のある巨岩からから少し歩いたところには宮川を塞き止めるようにして巨岩が川の中に現れ、不思議な風景でもあり、神秘的な雰囲気を漂わせていました。神社が出来る以前から、この辺り一帯が聖域として神聖視されていたことを強く感じさせるところでした。
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今回、大江町へ行った一番の目的は、元伊勢の神体山である日室ヶ嶽を見ることにあったと言っても過言ではありません。カーナビや地図では城山(日室ヶ嶽)としか表記されず、目的の日室ヶ嶽がどこなのか分らず少し焦りましたが、外宮から内宮へと向かう途中で奇麗な三角形をした山が見えてきたので、あの山が日室ヶ嶽に違いないと安堵しました。
左の写真が外宮から内宮に向かう途中の道から写したものです。カーナビや地図では城山としか表記されていない日室ヶ嶽は高さ427メートルで、他に岩戸山・日室岳・日うらが嶽と、いろんな呼び名があるようです。上の写
真は元伊勢内宮から天岩戸神社へ続く参道の途中にある日室ヶ嶽を拝する遥拝所から写
したもので、ここから日室ヶ嶽にお願いすると、願いが一つだけ叶うといわれているそうで、一願さんとも呼ばれているそうです。夏至の日には遥拝所から日室ヶ嶽の山頂に太陽が沈むのが見れるそうで、原始の信仰を感じさせるところです。日室ヶ嶽はカシやシイ中心とした原生林で貴重な植物の宝庫になっており、堅く入山を禁止された禁足地になっています。神社に置いてあった案内書では、この日室ヶ嶽のことを「ピラミッド型の山」「日うらが嶽」と記載されていましが、“日うら”という呼び方に何か深い意味があるような気もしました。
右の写真は大江山から日本海に抜ける峠から写したもので、神々しい山であることを強く感じさせる景色でした。言葉として上手く表現できませんが、この山にはとても神聖なものが秘められているような気がしました。神社が出来る遥か以前から、この山を信仰する人たちが居て、その人たちが後に鬼と呼ばれるようになったという気がしました。
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大江山の八合目くらいにある鬼嶽稲荷神社(おにたけいなりじんじゃ)です。鬼嶽稲荷神社のあるところで自動車道は行き止まりになっており、そこから大江山山頂に続く登山道がありました。大勢の人たちが大江山の登山に来ており、鬼嶽稲荷神社までの道沿いにはクルマがたくさん駐車していたのには驚きました。
左の写真は鬼嶽稲荷神社から日室ヶ嶽の方向を写したもので、ここから見る雲海の眺めは素晴らしいそうです。雲海に日室ヶ嶽の上の部分が浮び上がる姿を想像したら、雲海の見える季節にまた見にきたいと思いました。ここ大江山を歌った唱歌がありますので紹介します。『むかし丹波の大江山 鬼ども多く籠りいて 都に出ては人を食い かねや宝を盗みゆく 源氏の大将頼光は ときの帝のみことのり お受け申して鬼退治 勢いよくも出掛けたり 家来は名高き四天王
山伏すがたに身をやつし 険しき山や深き谷 道なき道を切り開き 大江の山に来てみれば 酒顛童子が頭にて 青鬼赤鬼集って 舞えよ歌えの大さわぎ かねて用意の毒の酒 勧めて鬼をよいつぶし 笈のなかより取り出だす 鎧かぶとに身をかため 驚きまどう鬼どもを ひとり残さず斬りころし 酒顛童子の首をとり めでたく都に帰りけり』 ううう うるうる 卑怯で残酷で理不尽な歌です。
何の弁解も許させず、まつろわぬ為に追いやられ討たれた鬼たちは、かくも悲しくせつないものです。
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大江山から日本海に抜ける山道を走り、途中で大江山スキー場を見て、しばらく走ると日本海が見えてきました。ずっと山道ばかり走っていたので、ちょっと感動しました。宮津に着いてからは天橋立を見ながら天橋立の向かい側にある籠神社を目指しました。籠神社は天橋立を前に望む景勝地に鎮座しており、思っていたより立派な神社で大勢の人で賑わっていました。
どちらかというとお参りに来た人たちというより、鳥居をくぐったところから少し歩いたところに山頂へ向うケーブル乗り場があり、その山頂には有名な天橋立の股のぞきがあるので、そこへ行く人たちで賑わっていたようでした。境内にある建物や社殿は比較的に新しいもので、シンセサイザーの音楽が流れ、あまり神聖な雰囲気は感じませんでした。ここ丹後一ノ宮とも呼ばれる籠神社が注目されるようになったのは最近になってからのことだそうで、それは代々宮司をしている海部家に秘蔵されていた日本最古の系図(国宝に指定)や、全漢時代・後漢時代の神鏡が公開されてからだそうです。
祭神は火明命・海神・天照大神・豊受大神など諸説あるそうです。海を渡ってきた海人系の集団が、始めて天橋立を目にしたときにはさぞかし感動したことだと想像し、この地を聖地と定め信仰したのかもしれないと、古代に思いを馳せたりしました。太陽信仰は、もともと海人系の信仰だという話しもあるようです。
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籠神社から歩いて10分くらいのところに籠神社の奥宮である真名井神社は鎮座していました。籠神社はここ真名井神社を始まりとし、吉佐宮とも呼ばれているそうです。豊受大神がまずこの地に鎮座し、天照大神と共に四年間お祀りし、伊勢へ遷宮されたとのことです。大勢の人たちで賑わっていた籠神社から民家が並ぶ道を通
り、畑に沿った道を歩いていると、奇麗に整えられた畑が見えてきて、その美しさに関心してしまいました。畑から後光が射しているかのようで、心を込めて作られていることが強く伝わってきて、畑をこれほどまでに美しいと感じたことはなかったなんて妙なことに関心しながら歩いたりしました。真名井神社に着くと、そこは華美で賑やかな籠神社とは違い、お参りしている人もなく、シーンと静寂に包まれたところでした。左の写
真にある背の低い方の石碑には、かつてカゴメ紋が彫られていたそうですが、今は三巴紋が代わりにはめ込まれていました。境内に入ると清浄な空気が漂っているような感じで、奥宮と呼ぶに相応しい神聖な雰囲気のところでした。
今回、大江町と宮津の元伊勢といわれる神社を巡ってみて、神域としてどちらも大変重要なところであるように感じました。古代史については詳しく知りませんが、古代史をひも解くには丹波地方は重要なところのようにも感じました。個人的には日室ヶ嶽が一番印象に残りました。ほんとうに奇麗な山でした。
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