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2007年08月31日(金)23時55分までのKumanolifeGuestbookへの書き込みです。




 No.:721   ヤゾー  - 2007/08/29(水) 19:56
自虐インコ
youtubeで動物ものを見て和むことがある。
自らとり臭いと喋るインコはとてもかわいい。
知らず知らず自分もインコの喋りを真似て、
あ〜せ臭い、あ〜せ臭い、汗臭いよ!と独り言を言う。
くっくっく、インコに影響されてしまっている。

http://www.youtube.com/watch?v=nN8B9O3a4fg&mode=related&search=

 No.:720   ヤゾー  - 2007/08/27(月) 22:53
<朝青龍> モンゴル利権
皇太子のモンゴル訪問で、朝青龍の両親の姿と共に国際親善を伝えるニュース映像を見たばかりと思ったら、
ここのところの朝青龍に対しての、街宣車右翼による「朝青龍はたたき出せ!」という騒ぎや、
ワイドショーなどマスコミによる連日の報道のあり方には合点がいかない。

朝青龍の存在を知ったときの第一印象は、好き嫌いは別として、
チンギスハーンの生まれ変わりか?と思うほど強いものを感じたし、
まだ大関になったばかりの朝青龍が、
パソコンが好きで巡業中もノートパソコンを使いこなしているという記事を読んで、
身体能力の高さや勝負勘の良さだけでなく、文武両道か?とも思った。

そんな朝青龍だが、モンゴル国内では銀行を含めた企業グループのオーナーでもあり、
朝青龍の一族というのは、モンゴルの秘密警察というか、情報部員の一族でもあるという。
また豊富な埋蔵量が期待されているレアメタルなどの利権にも深く関わっているとのことであるが、
その利権を中国や韓国が虎視眈々と狙っているようだ。

いずれ朝青龍一族がモンゴル国内において、
政治的経済的に大きな力を持つことは容易に想像できることだろうし、
そのモンゴルと日本を結ぶ大きなパイプ役を、角界の規範を犯したことは悪いにせよ、
ヒステリックなまでの叩きかたには、なにか意図があるのではないかと勘ぐりたくなる。
絶対に国益に反している、と素直に真剣に思った。

 No.:719   ヤゾー  - 2007/08/25(土) 20:39
朝日新聞社説
>安倍首相は価値観外交を考え直せ。
>日本にとって中国の重要性は、インドの比ではない

ある方から国際政治の摩訶不思議について教えていただいたことがあった。
日本からODAとして中国へいったお金の一部が、
再び日本に戻ってきたときには、
摩訶不思議な魔法にかけられたような作用をもたらすようだ。
そういうお金が随分と入っているのだろうか?と疑いたくなるような社説である。

ちなみに安部首相がインド訪問中におこなった演説が中国で波紋を広げているらしい。
日本、米国、インド、オーストラリアの連携強化を呼びかけ、拡大アジアを強調した首相の言葉を、
中国のメディアは中国を孤立させるメッセージだと決めつけ、
時代遅れ、支持を得られないなどと猛反発している。

散々日本を孤立させようとあれこれと工作してきたくせに、
ちょっと牽制したくらいで、
どの口で言うかとひとこと言ってやりたい気分である。

>裏社会の日本史 抜群に面白いです。
>私にとってはもっとも貴重な本です。

さすがは読書家です。
今日やっと届いたのをパラパラと飛ばして読んでみましたが、
抜群に面白いです。

この本に関した門外不出の特別資料あります。
送りますからメール下さい。

 No.:718   とんちんかん小僧  - 2007/08/25(土) 11:24
悲しい記憶
日航機墜落事故があった同時期、僕は家族で千葉の親戚の家に行ってました。
最初、その飛行機に乗る予定でしたが弟が怖いと言ったのであきらめて電車で
行くことになりました。
偶然助かる運命にあったんでしょうね。
僕も10歳で死なずに済んで良かった。でもその夜の墜落した飛行機のテレビニュース
のテレビ画面一杯に死者の名前が並んでるのを見た悲しい記憶は一生忘れられそうに
無いです。

おりょうさん、こんにちわ。
裏社会の日本史は外国の方が書いているので、かなり突っ込んだことも書いてそうなので
僕もおりょうさん同様に興味津々ですよ(笑)
ルイス・フロイスの書いた日本史と同じぐらいに期待が持てますね。



 No.:717   おりょう  - 2007/08/18(土) 11:49
無題
裏社会の日本史 抜群に面白いです。
私にとってはもっとも貴重な本です。

 No.:716   ヤゾー  - 2007/08/15(水) 13:40
裏社会の日本史  フィリップ・ポンス(著) 筑摩書房
中世における賎民から現代の都市にとり残された経済的弱者まで、
また、江戸の博徒や義賊から近代以降のやくざまで―
「ル・モンド」の日本特派員を務めるフランス知識人が、
社会の周縁に生きる人々の営みの変遷をたどる意欲作。

¥ 4,515 (税込)

http://www.pm-forum.org/100satsu/archives/2007/02/post_656.html

ちと高いけど 読む価値あるみたいです。

 No.:715   ヤゾー  - 2007/08/13(月) 10:06
日航ジャンボ機墜落
いまだに事件だったのか事故だったのかよくわかりませんが
乗客乗員520人が犠牲となった日本航空123便の墜落から22年も経ったんですね。
墜落するまでのコックピットと管制官とのやり取りを聞いていると胸が痛みます。

http://mito.cool.ne.jp/detestation/123.html

 No.:714   ya(・ε^)na  - 2007/07/17(火) 22:47
カンラカラカラ・・
サンカファンさんこんばんわ・・
  すばらしい!!・・最高ですねぇ
 でも!!・・
  本当はそんな人が・・んんん・・一握りなんよねぇ・・
   だってそおやないですか!!・・
  こんな文を読んでみて・・
    拍手を送りながらほとんどの皆さんが・・んんんんんんんって
      悩んでるやおませんか!!
  悩まない・・人ってだれなん??

   でも・んんん
  おもしろいなぁ・・
     言いたい事・・ほんま、まだ誰も言われんでいてるんとちゃいますやろか・・

  ちょうど。。参院選挙近し!!
      くだらん演説してたら・・一言聞いたろかいねぇ

     国家公務員責任法・・誰か作ってください!!って
     ほんなら・・んんん
      少しくらいこの日本住みやすくなったりして・・へへへ

   

 No.:713   サンカファン  - 2007/07/17(火) 19:36
東北の医師が現在っ子を詠んだ詩だそうです


 雨ニモアテズ 風ニモアテズ

 雪ニモ 夏ノ暑サニモアテズ

 ブヨブヨノ体ニ タクサン着コミ

 意欲モナク 体力モナク

 イツモブツブツ 不満ヲイッテイル

 毎日塾ニ追ワレ テレビニ吸イツイテ 遊バズ

 朝カラ アクビヲシ  集会ガアレバ 貧血ヲオコシ

 アラユルコトヲ 自分ノタメダケ考エテカエリミズ

 作業ハグズグズ 注意散漫スグニアキ ソシテスグ忘レ

 リッパナ家ノ 自分ノ部屋ニトジコモッテイテ

 東ニ病人アレバ 医者ガ悪イトイイ

 西ニ疲レタ母アレバ 養老院ニ行ケトイイ

 南ニ死ニソウナ人アレバ 寿命ダトイイ

 北ニケンカヤ訴訟(裁判)ガアレバ ナガメテカカワラズ

 日照リノトキハ 冷房ヲツケ

 ミンナニ 勉強勉強トイワレ

 叱ラレモセズ コワイモノモシラズ

 コンナ現代ッ子ニ ダレガシタ


自分たちがしたんでしょうな。

 No.:712   おりょう  - 2007/07/16(月) 14:41
新刊のご紹介
皆様ご無沙汰しています。
やなさん台風の中大変でしたね。

新刊「箕作り弥平商伝記」熊谷達也 講談社
関東から西においてはサンカといわれ低くみられる秋田の誇り高い箕作り職人の物語だそうです。

本屋さんでパラパラめくってみようかな。

 No.:711   ya(・ε^)na  - 2007/07/14(土) 22:45
沖浦先生の講演・・
今日・・台風予報の中
 またまた行ってきました・・
「歴史の闇に埋められたサンカ残像」・・
 どちらかといえば・・香具師や遊芸人のお話のほうが多かったみたい・・
  でもおもしろかったなぁ・・
   じかに話を聞くこと・
  やっぱりこれやねぇ・・

 No.:710   こうへい  - 2007/07/12(木) 18:39
初セミ
もう、クマゼミですか、早いなあ。

最近、仕事で腰を痛めたと思ったら、今度は首を痛めました。

出勤日数も減って、先月は10万円しかなかった。

年のせいか・・年をとるに従って、仕事が過酷に・・・・

ピクピクッ・・そのクマゼミ・・ボクに似てるなあ。

なんとかせにゃあ!!

 No.:709   ya(・ε^)na  - 2007/07/11(水) 23:31
初の蝉・・
昨日、10日クマゼミを初捕獲!!
  オス!!・・まだ鳴くことも出来ず・・
   マンションの片隅でひっくり返っていた・・
まだ・第一声も聞いていない!!
   ひっくりかえって手足をうごめかせて・・・・
   ほんま!!
       

   悲しいなぁ・・・・

     ほれ・・思いっきり鳴いてみろ!!

         思いっきり樹液も飲んでみろ!!

             

  こんちきしょぅ!!・・
   
    こんちきしょぅ!!・・

       ワシはいったい・・何をおもてるんやろか??


    ええええぃ!!・・こんちきしょぅ!!

          

 No.:708   ya(・ε^)na  - 2007/07/08(日) 01:51
行ってきましたよぅ・・
みなさんこんばんわ・・
 今日七夕のお昼・・へへ
 行ってきました沖浦先生の講演会・・
  話しがお上手であっという間の2時間!!
    今度、飛田のあの、百番につれってってくれるそうですよぅ
      よせてもらいましょうかいねぇ
    熊野の誰かは参加されてるんやろか??

     次回はサンカやそうです・・

 もちろん次も行かせてもらいますよぅ

 No.:707   ヤゾー  - 2007/07/07(土) 00:22
中国のピラミッド群
みなさん ご無沙汰しております

最近 ある方から面白い話があるよと教えていただきました。
なんでも中国で エジプトの三大ピラミッドをはるかに超える大きさのピラミッドが
数多く衛星写真などから確認されているそうです。

そのピラミッド群に対し 中国政府はなぜか調査には消去的で
調査研究はほとんど行なわれておらず 現在も謎のままのようです。

また それらのピラミッドは古代中国人によって建造されたものではなく
火を吹く籠に乗って地球にやってきた天の子たちが この地にピラミッドを建造したとの
現地住民から奇怪な伝承を聞いた海外の研究家もいるようです。

Google Earthをインストールしている人は
34°21'42.91,108°38'06.66  で検索して
是非 見てみて下さい。

 No.:706   やなぎむし  - 2007/07/05(木) 23:56
七夕の日に
http://www.asahi-culture.co.jp/www/osaka-c.html

 朝日カルチャーで沖浦先生の講演があります
  忘れてました
 まだ間に合うやろか??

 No.:705   世間師  - 2007/06/14(木) 11:15
谷川健一の対談
>PIKKIさん

これは新刊でなく、別冊旅の手帳「サンカ」ってやつですよね?
面白かったですね。古い資料も発掘しているし。

 No.:704   PIKKI  - 2007/06/13(水) 11:40
「サンカ」(河出書房新社)の谷川健一の対談は必読!
まだ半分しか読んでいないのですがー
拝聴できる意見が多いです。
サンカの源流は「坂の者」(13世紀の清水坂と奈良坂に非人が多かった)だという説や・・
クグツの語源はクグというイグサであるとか・・
谷川氏はサンカの起源を、古代の百済・新羅・高句麗時代まで想定してようです。
その他にサンカの出自として同じように箕を作る朝鮮半島の白丁(ペクチョン)との関係が想定される・・
と発言してるのですが。
僕の考えでは、この二種類の仕事に従事していたというペクチョンこそ山東半島や朝鮮半島にも
多数いたというかっての倭人の末裔たちであり・・
日本のサンカは、ペクチョンが列島に渡った末裔だという韓国での説はその身近さの記憶ゆえではないのか?
それと、僕としては当然唐は日本列島を攻撃して支配した・・というのが
大化の改新や壬申の乱や記紀による歴史の改ざんではないのかと思うのですが・・

 No.:703   ヨーカン  - 2007/06/12(火) 15:43
和坂の カニさんは
風の大国の、こうさんのサワガニの写真をみながら 
和坂の伝承に出てくる蟹さんて・・、なんやろか?と いろんな所を彷徨いました

桜井市のホームページに蟹さんがいました
・・・・・・
柿本人麻呂と乞食者
 万葉集巻16−3886に、乞食者(ほかいびと)が詠んだ歌がある。乞食者とは、家々をまわって歩き、寿歌(ホギウタ)を歌って食を乞うた芸人であると思われる。ホカイはホク(寿)からきたことばなので、ホギウタを歌う人とでも翻訳すればよいだろうか。
 …歌人と 我を召すらめや 笛吹きと 我を召すらめや 琴弾きと 我を召すらめや…
 おしてるや 難波の小江に 廬作り 隠りて居る
 芦蟹を 大君召すと 何せむに 我を召すらめや…
 かもかくも 命(みこと)受けむと 今日今日と 明日香に至り
 置くとも 置勿(おきな)に至り つかねども 都久怒(つくぬ)に至り
 東の 中の御門ゆ 参り来て…(巻16−3886)

これは大君(天皇)に召された芦蟹が難波から大和へやってきた道中を歌ったものだ。
難波から峠を越えて大和入りした旅芸人たちは、葛城の山麓笛吹(御所市笛吹)あたりから琴引原(御所市富田)のある国見山山麓など、村々家々を門付けしながら、築坂を越え、飛鳥の都、あるいは藤原の都へと流し歩いていったのではないだろうか。
・・・・・・

 このカニさんじゃろか?
 ほたら キツネさんは だれじゃろう?

 No.:702   PIKKI  - 2007/06/10(日) 03:56
こんばんはみなさん
URLhttp://members.goo.ne.jp/home/pikkibikki
昨日・一昨日と古代史のサイトを漂流してるのですが・・

そこで最も気になったのがー
サンカが最も多かったのは、愛知県の海部郡から諏訪にかけての天竜川沿いという内容と
邪馬台国は出雲であり・・唐からの軍勢(藤原氏主体)に占領された後、出雲から逃げ出した大国主命(=スサノオ、物部守屋)の末裔たちが行き着いた先が諏訪や津軽だったという説です。

邪馬台国が出雲から畿内へと遷都した・・という意味では「畿内説」みたいですが。
詳しくは僕の今日と昨日の日記にリンクが。

 No.:701   とんちんかん小僧  - 2007/06/09(土) 02:12
停電
ヨーカンさん、僕は別に気にしないですよ。
傀儡の話、とても興味深いので読ませてもらってます。
僕も司馬遼太郎さんの本で読んだ事がありました。
あと忍者関連の本でもかなり読んだりしてるので好きな話題ですね。

今こちら和歌山では2時間ぐらい前から雷の影響で何度か一時的に停電したりしてます。
今晩寝ようかどうかを迷っています( ̄□ ̄;)

 No.:700   ヨーカン  - 2007/06/08(金) 12:47
傀儡子で関連
明石の 「和坂」 これをカニガサカと読める人は おらへんじゃろうね?
りんごさんに触発されて傀儡子を調べてみたら、「播磨鑑」の記に播磨の国に六箇所の傀儡子が座本が在ったと。。その一つが 和坂なり
「法」にではなく 「掟」に生きた人達が ここにも居ました
 
 説話では、
悪いキツネが棲んでいて、この坂を越える人を 蟹に化けて誑かした
話を聞いた池の蟹が怒ってキツネを退治した
ところが、この蟹がまた増長して人間を襲うようになっちまっただがや
 
 このキツネ?? この蟹 ??
 なんとも意味深なお話でありますが・・

この話には、取って付けたようなオチがありまして

そこを通りかかったのが誰あろう ご存知・! 弘法大師様であります
猛狂うカニさんを教え諭し、和し、池に追い返しました
そして此の地を「蟹和坂」と呼ぶようになりました

蟹坂ー蟹和坂ー和坂と字は変遷しても 呼び名は(かにがさか)

おいらは 知りたい
こんな話を作り出したのは  ダーレ?
こんな話を披露目歩いたのは ダーレ?

とんちゃん 世間師さん 話とばしてしまって ごめん(^^)

 No.:699   とんちんかん小僧  - 2007/06/07(木) 01:55
お久しぶりです
かなり久々の投稿なんで少々緊張気味です。
最近youtubeで映像を見る事が多いです。
もう8年ぐらい前になりますが蜜柑さんから貸してもらった音楽CDに「PUHDYS」というドイツの
バンドがありました。
「国内で探しても手に入らないよ」って念押されてたから諦めてましたが、もうすぐ手に入りそう
です。
まさかyoutubeに音源があると思っていなかったのでビックリしました。
かなりお薦めなので聞いてみて下さいネ♪

PUHDYS《Scheidung》
ttp://www.youtube.com/watch?v=AicLHyyeXj4

《Teddybaer 2002》
ttp://www.youtube.com/watch?v=QZz9jay3l8g

《He_John_》
ttp://www.youtube.com/watch?v=fzrPWshkC_0

 No.:698   世間師  - 2007/06/03(日) 00:45
ふりかかり
『江戸の性愛学』福田和彦に拠ると、17世紀の藤本箕山の書いた『色道大鏡』に
遊女達が性交体位を【ふりかかり】と称して、二十二の体位名を「古今伝授口伝」で伝えてたとあります。

なんとも難しく奥ゆかしいですね。

気になったのは、【ふりかかり】の名称が、18世紀の富士講の一派「不二道」の【ふりかえ】の思想と
音の響きが似ていること。
不二道が教団独自に女性上位を推奨していたとなると、さらに類似性を感じる所です。

 No.:697   PIKKI  - 2007/05/29(火) 01:52
風がまだ風だった頃の思い出
URLhttp://members.goo.ne.jp/home/pikkibikki
故郷北海道では、最後まで走ってたSLに乗って通学していたので・・ほんとうにつらい記事だった。
こんな仕事を愛する職人たちを抹殺していった結果が、JRでの事故の多発や、車内での強姦事件の原因なのではと思う。

組み合いつぶしと国民共有財産(国鉄の土地と新幹線システムだけでも優に数十兆円だったろう)の強奪と、汐留跡地を大マスコミにばら撒いての翼賛的マスコミの出発点だったと思う。

その中曽根方式を真似たのが小泉純一郎の・・最後国民共有財産強奪のための「郵政民営化」だった。
さらにまた、それを受け継いだのが安倍ファシズムへ驀進政権だと思う。

日本人とはー
歴史から何も学ぼうとしない・・なんと愚かな民族であることか!情けないのひと言に尽きる。

詳しくはー
<a href=http://www.labornetjp.org/news/2007/1180183342784zad25714>『鉄道雑誌に国鉄「改革」痛烈批判記事』</a>

 No.:696   りんご  - 2007/05/23(水) 13:53
クグ(莎草)
ヨーカンさん、こちらこそいつもお返事をありがとうございます。
“クグツ”で検索してみて、クグツコという籠、クグ(莎草)というカヤツリグサの古名など知ることが出来ました。
カヤツリグサの写真を見たら、知っている草だったので、ちょっと嬉しかったです。
(水辺に生えているのも、畔に生えているのも、同じでしょうか?)

-引用-
クグツの「クグ」とは水辺に生える雑草で、古代の水辺の民、海人族の女たちは、この茎で「クグツコ」と呼ばれる籠を編んでは、魚や貝を容れていた。
しかし、クグツコは単なる籠ではなかった。海人族にとって神聖なる藻「稚海藻」を容れる器でもあった。
http://64.233.167.104/search?q=cache:a28o2w3QxC0J:www.atkyushu.com/InfoApp%3FLISTID%3D202%26SCD%3Dm200112+%E3%82%AF%E3%82%B0%E3%83%84%E3%82%B3&hl=ja&ct=clnk&cd=1&gl=jp

カヤツリグサ
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/sanyaso/san123.html

 No.:695   ヨーカン  - 2007/05/22(火) 09:32
クグツ傀儡子
りんごさん こんにちは
教えて頂くサイトは何時も参考になります
最近漢和辞典にこってます
傀儡子
傀  人偏に鬼    読みはカイ  災い・もののけ・あやしいもの
儡  人偏に田が三つ 読みはライ  やぶれる・すたれる・おちぶれる  

二つあわせると 読みは カイライと変わり
子がついたら      クグ ツと変わり

だれがこんな漢字を充てたんやろ? 漢字持ってきた人かな
漢字が入ってくる前は やっぱりクグツと呼んでいたんかな?

ついでに田を見たら区画された狩場の意味もあると・・

漢字の  闇は   ふかい・・

 No.:694   りんご  - 2007/05/11(金) 10:27
アヤタチ
下記、視聴して、タンバノアヤタチ - 丹波の乱裁 と書くと知り、
なぜかなと思いました。
藤原道隆についても調べてみようと思いました。

伯壬旭(はくじんきょく)談話録 -第十六回 傀儡子(クグツ)の系譜-
〜法に従う常民、掟に従う傀儡子−〜
http://dragon-cross.jugem.jp/?eid=139

 No.:693   世間師  - 2007/04/26(木) 19:55
テンジン?
網野善彦「日本の歴史をよみなおす」を読んだら、面白い記述をみつけました。

***************************


もうひとつの非人、犬神人の職能として芸能をあげることができます。
犬神人は祇園祭のときに鉾をもって先頭に立っています。
祇園祭の鉾は、今は山鉾といわれて、高い山車になっていますが、
古くさかのぼると神の依代としての長い棒だったようです。
蔓が撒きついたような大変形の変わった長い棒を、放免がかついでいる絵がありますが、
これが鉾だったのだと思います。

**********************************

網野氏は山梨生まれなので、ネンスクを知らなかったようですね。


「魔子恐るべし」のネタで蜜柑さんが反応してくれたのは嬉しいんですけど、
レコーダー持っていないので、どうすれば良いかわかりません。

 No.:692   蜜柑  - 2007/04/25(水) 18:26
魔子恐るべし
ケーブルTVで「魔子恐るべし」をHDDに録画したんですが、
CPRM対応のDVDにダビングしようとしたところ、
「容量不足」なんですよ。
どうすればいいのでしょうか?

 No.:691   ヤゾー  - 2007/04/24(火) 01:17
戦争
みなさん PIKKI さん こんばんわ

日本は戦争でアジア諸国に酷いことをしたことは間違いないことだと思っています。
また都合の悪い証拠や書類などを隠蔽破棄したこともあったことだと思います。
そのことについて 日本は大いに反省し 償いをしてゆくべきだと思います。
では米国が原子爆弾によって多くの民間人を虐殺したことや
ベトナム戦争で犯した韓国の残虐行為については 
どうして大きな声で語られることがないのでしょう。
中国だって 他の国々だって 同じようなことはあったと思います。
どうして日本だけが悪者のように いつまでも戦争責任を追及されなければならないのか
自分なりに 調べ考えてみたことがありました。
アメリカは 建前としても正義の国でなければならず 国として機能しずらいという側面があり
原子爆弾を使用してまで 焼け野原にしてしまった日本が悪者でなければ都合が悪く
そして 欧米諸国にとって 日本 中国 韓国が固く結ばれることが
都合の悪いことなんだと思うようになりました。

ネット上では 日本では韓国や中国に対しての差別発言というのを通り越して
ネガティブキャンペーンともいえるブログや掲示板が数多く存在します。
日本では マスコミや国とネット上では 温度差があるというか むしろ正反対なところもあったりしますが
韓国や中国では国を挙げて反日をしています。
最近になって中国は表面上だけ日本に対して微笑外交に変化したようですが
それでも中身は強烈な反日のままです。
情けないのは バージニア事件後に アメリカの掲示板に出向いてまでの
日本人韓国人中国人の罵り合いです。
そういう声が大きくなると やがて大きな戦争とまではゆかなくても
ちょっとした衝突は近いのかも知れません。

困難な道だとは思うのですが それぞれの国から良識や度量のあるマトモな人たちが集い
アジアの未来のための友好を築いて欲しいものだと心底思います。

決して戦争を美化する積もりも
二度と日本が戦争に加わることがあってはならないと思っていますが
自分は東京へ行くたび ひっそりと靖国神社へ手を合わせに行きます。

偏っているかも知れませんが
日本が起こした戦争による一面でもあると思います。

http://www.geocities.jp/baud_2005/japan.html

 No.:690   PIKKI  - 2007/04/23(月) 22:43
ヤゾーさん皆さんこんばんは
URLhttp://members.goo.ne.jp/home/pikkibikki
ついさっき日記にアップした従軍慰安婦の記事には、ついつい涙が。
従軍慰安婦でも、強制連行でも・・
戦後すぐに、やばい証拠はすべて廃棄処分にするように・・という命令があったので
証拠があるはずがないのです。
以前僕の家の唯一の家訓「正月を祝わず、餅も食べず、火も炊かない」について
詳しい本はー「イモと日本人」(坪井洋文)です。


  「いのち」

それはいつも
航海のようであれと思う

なんら
海図や羅針盤のない航海

生まれ落ちるのも羊水なら
死んでゆくのも
見たことのない
未知の水域

「モモ」でのエンデの
蝋燭という命の譬えは
たしかに美しいのだが・・

もって生まれた運命とか
遺伝子とかいうよりも
はるかに
いのちの頼りなさに
相応しいとは思うのだが・・

ぼくは
いのちの軌跡を
いつだって
未知の海への航海だと思いつづける

 No.:689   ヤゾー  - 2007/04/19(木) 22:41
地震
みなさん こんばんわ

あおきさん お久しぶりです。
三重での地震は夜ニュースを見るまで気づきませんでした。
いつ起こっても不思議ではないと言われている東南海地震ですが
知人が家が古くて新築したいけど 
地震で裏山が心配だから建てる決心がつかんと
よくぼやいています。
今後30年以内に東南海・南海地震の発生確率が64%にアップしたそうです。

 No.:688   世間師  - 2007/04/17(火) 17:17
魔子恐るべし
スカパーで幻のサンカ映画?「魔子恐るべし」が放送されていました。

魔子は八ヶ岳から都会に出てきた自然児で、魔子に群がるデレ助達との人間像がメインで、
劇中、ウメガイを取り出して踊るシーン以外は、あんまりサンカ色は無かったですね。

魔子の着物は、膝丈より上のものだから、今ではミニ丈は普通の高校生だけど、
あの当時は膝が見える丈なんて扇情的な衣装だったでしょうね〜

劇中、オカマ言葉を操るヤクザの山カンのモデルは、上垣和三郎なのかなと思ってしまいました。
(昭和29年に上垣が知られていたか疑問がありますが)

サイトで見つけた見た人の感想
http://www.eiga-kawaraban.com/97/97041601.html

スカパーでは、あと24日にも放送があります。
見れる環境の方はどうぞ。

 No.:687   PIKKI  - 2007/04/17(火) 02:21
こんばんは皆さん。ネットは楽しんで、嘘を書かずがモットーの僕です
URLhttp://members.goo.ne.jp/home/pikkibikki
「誰かを殺したかったんだろうか?」


北海道の子供の頃は
転校が多かったせいか
転校というと
いじめの洗礼を真っ先に思い出す

不器用で話すことの苦手なぼくには
友達なんかなかなかできなかったし
嘘や私利私欲やゴマすりばっかの人間なんか
大嫌いだったので
もっぱら自然の中を歩き回ったり
本を読むだけだった

いまでも続いている
誰にも言えないぼくの趣味は
蝿を殺すことだ

子供の頃は
壜の水に蝿をつけて
何秒で死ぬのかを記録していたが・・
最近は団扇をあちこちに置いては
日々の戦獲を記録している

自然が皆無の都会だったら・・
ぼくもまた
酒鬼薔薇クンみたいに
犯罪者の仲間入りをしていたかもしれない

人間なんか
良くも 悪しくも
どうにでも変化するもんだ
だから
人間は面白いともいえる
素晴らしいとも思える

 No.:686   あおき  - 2007/04/15(日) 22:41
辛い話ですね
ごぶさたしてます なんか凄い地震が近畿近辺にあったそうですね
近畿のみなさん ヤゾーさん大丈夫でしょうか
関東もそろそろでしょうか

 No.:685   こうへい  - 2007/04/15(日) 07:41
電話・・


   つらいっすねえ・・・・




 No.:684   やなぎむし  - 2007/04/15(日) 03:08
電話・・・
一昨日・・もう10年ぶりくらいやろか・・
  学生時代の友人から電話があった・・・


 そいつとは・・・んんん十年以上も会っていなかった・・
   うちのと結婚した時、下北沢のあいつの家に泊めてもらった・・
  そいつの嫁さんとは・・そのときが何度目かの出会いやった・・
 丸顔で大きな目が印象的でスリムな美人やった・・
     そいつとは本当に不釣合いな・・もったいない人と思った・・
 少し硬派のおれからは・・そいつはへらへらした男だった・・
     
   何年かして年賀状が届いた・・静岡に居るって
    子供が出来たって・・
    そしてまた何年かして今度は神奈川やてぇ・・・・・・
       そして何年かして・・今度はお好みや初めたんやてぇ・・・


  その後・・年賀状もとだえた・・
   こちらから送る賀状も帰ってくるようになった・・


      ほんとに・・ほんとに・久しぶりに電話があった
        
  久しぶりやなぁ・・・・突然にどないしたぁって話したら・・

             ポツリと・・

       先月・・・・・・・

          彼女・・奥さん・・・

         亡くなったって・・・

             言葉がなかった・・・

           





       何か・・何かを・・・・求めていた・・

         わたしは・・それに答えられたんやろか??


          






       










           

 No.:683   ヤゾー  - 2007/04/11(水) 21:36
21世紀の中ごろには
みなさん こんばんわ

中国の首相とオーストラリアの首相との会談で
オーストラリアの首相の わが国は日本が最大の貿易相手国であり
大変親密な関係だという発言に対し中国の首相が
21世紀の中ごろには日本という国は地球上から消滅しているだろうと語ったそうです。
このままでは ほんとうにそうなりそうな気がする今日この頃です。


>生き抜くための知恵ー「魔鏡」 (2)砂糖・塩・調味料の代わりにレモン・酢が多かった病院食を見習って、
レモンを多用してる。

そういうおこないこそが もっとも大切であり重要な意味のあることかと
ある方から切々と教えていただいたことがあります。
砂糖と科学調味料が いかに心身をむしばんでいることかと思います。
まず自分にできること 食べるものを選ぶとか パチンコをしないとか
そういうことからはじめないといけないのかもしれません。

 No.:682   PIKKI  - 2007/04/11(水) 02:42
体調不良&時間無いので日記のコピーで申し訳ありません!
生き抜くための知恵ー「魔鏡」 (2)砂糖・塩・調味料の代わりにレモン・酢が多かった病院食を見習って、レモンを多用してる。

愛知県産のひいかの煮物にレモンを垂らしたら・・なんともいえない深い味わいだ。

フライパン一つがあれば、燻製でもピザでも簡単に作れる。
納豆・キムチチャーハンと粕汁(味噌汁に酒粕をいれるだけでも美味い!)ときた日には・・
超安価な完全栄養食だ。

日本は、一万数千年前の氷河期・縄文時代以来ー四方の交易路のターミナル的な世界一豊かな列島だったと思う。

大陸北方からは、現在の日本文化の基礎になったヨーロッパ先住民のケルトや新大陸先住民やシベリア先住民とも共通項の多いアイヌ民族に代表される縄文文明・文化直系の古モンゴロイドの文明・文化。
そして、その後日本文化の母体となった高句麗・渤海等の騎馬民族の文明・文化。
それらと、東南アジアとも共通項の多い大陸からの呉・越の文明・文化が出会ったのが日本海の中心だった出雲ーその鉄器文明だったのかもしれない。

それ以前に、華南から東南アジア、そして太平洋へと押し出されたポリネシアの文明・文化はそれ以前の日本列島や太平洋全域や南アメリカとも共通するものに違いない。
それ以前の氷河期の一大文明圏ー「ムー大陸」とも呼ぶべき「スンダ大陸」とも。

世界最古の青銅器は東南アジアとシベリアだったのでは?
その中間の日本列島でも、世界最古の土器ばかりではなくて・・青銅器文明も古いのでは?

「魔鏡」という小説が谷崎潤一郎だかにあったが・・水銀で磨いた銅鏡は、今日の鏡とほとんどかわらない輝きだという。
銅も水銀も豊富だった日本列島だったが・・
銅の鉱脈は、夜になると光輝くのだとか・・

 No.:681   こうへい  - 2007/04/10(火) 18:12
3人よれば・・
仕事の帰り、ラジオで・・

一人はさみしい。
2人はうれしい。
3人はもっとうれしい。

小学生の言葉だけど・・

いま、ボクの職場では3人寄れば人の悪口かバクチの話。

バクチは良いとして、いい年して人の悪口しかないの?

ゴミを扱ってても、ゴミみたいな人にならないようにしたい今日この頃でありるれろ・・

 No.:680   PIKKI  - 2007/04/10(火) 01:59
牡蠣はこれからが美味いのだとか・・
「まるで日本人みたいな蝿が」


冬眠から目覚めたばかりの
ギョロ眼で 物憂げな
まるで日本人みたいな蝿が
ぼくの一番お気にいりの
コーヒーカップの縁から
ポトリと身投げした

自殺者は
もう十年近く3万人以上
ほとんど毎日日本のどこかで
電車は飛び込み自殺者で遅れ・・

この世での
最後との一杯と決めていた
キリマンジャロの水面に
諦めの紫煙

世界で唯一
安楽死と麻薬が公認の国
オランダについて考えるのももう
すっかり
馬鹿らしくなってしまった

その蝿は
あいかわらず
コヒーとミルクとを引き連れて
ぼくが一番お気に入りのカップの中で
ぐるぐると回り続けている
まるで
家畜よりも元気のない
日本人みたいに

 No.:679   ya(・ε^)na  - 2007/04/06(金) 21:44
あちゃぱ・・
ひと月位前から、なんやテレビの調子が・・
  色が極端に流れたり、画面がたまにウインクしたりしてくれてたんですけれど・・
  今朝・・ついにストライキおこしよりました・・
 嫁さんが側面をバチンとたたきよりました・・げげ、なんやこれ

  これって40数年前、私がご幼少の頃のあの光景!!
     やおませんか!!(真空管つこてた頃のテレビ)
    つきが遅くて、ぼわーーーんって画像が出て・・そんでから白黒で・・フンフン

 IT社会の今でもバチンかい!!・・おいおい・へへ

  しかしスイッチを何度入れてもだめみたい・・どうもお釈迦みたい・・おろくです
    とほほほ・・
      

 No.:678   ヤゾー  - 2007/04/06(金) 19:02
日本アニメおそるべし
みなさん こんばんわ

日本のアニメがキッカケで
独学で日本語を学んで海外から
日本語ビデオブログに投稿する人が増えているみたいです。
一度も来日したこともない二十歳くらいのお姉ちゃんが
独学で日本語をペラペラ喋っているのを見ると
英語が殆ど いやまったく喋れない自分が恥ずかしく思えます。
それにしても日本アニメの影響力って凄いんですね。

http://www.youtube.com/watch?v=kp6dDKqNclo&mode=related&search=

http://www.youtube.com/watch?v=FCJsZiKhJxA

 No.:677   世間師  - 2007/04/05(木) 21:13
レインボーマンのモグラ抜け
幼稚園の頃にテレビで見ていた「レインボーマン」月の化身になり狭いところから、
ニョロニョロ脱出するシーンを強烈に覚えていますが、映像を見る機会があり
あのシーンを再び見ました。

やはり記憶どおり、ちゃちい特撮ですが、サンカのモグラ抜けそのままです。
名づけてレインボーマン「蛇変化の術」!頭の入る大きさの穴なら全身の関節を外して脱出可能!

レインボーマンの原作者は「おふくろさん」騒動で有名になった川内 康範(かわうち こうはん)氏なんですね。 ビックリ!

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E3%81%AE%E6%88%A6%E5%A3%AB%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3

 No.:676   こうへい  - 2007/04/05(木) 18:11
むむ!!Dr,すらんぷ
ぼくも、ややスランプ・・お疲れ気味でもあります。

テレビの壊れたの電気屋に持っていったら、5000円とられた・・これ言ったっけ?
2000円は運搬賃だったけ。
雨降りのなか、店内に持ち込んでたので「やーめた」も出来ず。
知ってたら、紀ノ川にでも蹴り込んでたのに!!・・冗談ですよう^_^;

 No.:675   とんちんかん小僧  - 2007/04/05(木) 17:53
無題
前回、僕の投稿がきっかけでいろんな方に迷惑かけてしまってすみませんでした。

待望の春がやってきたのに変に朝晩が肌寒く気候が変!
ここ数日の掲示板の様子を読んでみると自然に触れた話が多い。
これからも、この変な状態が活発化していくのかな。
いい加減、地球の環境保護に人類が力を注がないとダメになりそうに思った。
何故なら自然が好きで花が好きで花見に毎年行きたいから。
花が咲かなくなる時代もそう遠い未来とは思えないから余計そう感じます。

 No.:674   ya(・ε^)na  - 2007/04/04(水) 23:25
えらいこっちゃ!
このところ、なんやスランプのやなでおます・・・

 昨日、業務用の冷蔵庫処分しました
  処分の時、フロンを処理しましたやく1KGの処分をお願いしましたところ
  な・な・なんと処理費用、32000円・内・廃棄証明書が3500円要求されました
   チョットまってえなぁ!!
 何ぼなんでも、それって、高すぎるんとちゃいますのん?!!
   報道の皆さん、適正価格はおいくらなんでしょうか??
 少しネットで調べましたら
  50g35円・・1kgで700円
   廃棄証明書が1500円っていうのがおました・・

 もしこんなに高かったら・・んんんん
   誰もフロンの適正処理せえへんのんと違いますやろか!!
 報道でフロン処理の適正価格の発表お願いします・・


  フロンのオゾン層破壊でいったい何が起こるのか!!
       
 私がいつも話すことがあります
  それは、・・直径1Mの地球やったら・・・・
   空気の層はどれくらいなんやろかってことなんです・・
 5cm・10cm・もっとそれ以上なん??・・・
     地球の直径は赤道部分で約12500km位やそうです
 そして、登山家の野口さんがヒマラヤ山頂が8848mやったかいねぇ??
    その彼が山頂で日の丸掲げた時・・空気ボンベで酸素すうたはりましたねぇ・・
  って言うことは・・
    空気の層って約1250分の1Mってことなんとちゃいますのん??
  それって・・
  空気があることって・・んんんん
    ほんまの偶然なんとちゃいますのん!!

  密室のおなら!!・・
    密室でおならしたら・・最初誰かが言います・・クサーーぁ!!
  そのうち鼻がなれてわからなくなります・・・

大気圏は密室と同じ・・核実験・排気ガス・フロンガス・・・・人間のおならetc

     アマゾン川の一部の河が去年干上がったそうです・・


  せやのに・・私たちは・・明日の生活の為のお金の事しか考えてませんよぅ

    

    きっと明日も、不適正なフロンガス処理費用の額聞いて・・
         内緒でガスの栓プシューーゥって開くお人がでてくるんやろねぇ・・


       マスコミの仕事ってたいへんですよね
         よろしくお願いします!!
                            

                          ほな
  
   
  

 No.:673   ヤゾー  - 2007/04/03(火) 20:37
新一年生トイレ事情
みなさん こんばんわ

昨日の黄砂は凄かったですが
今日はスッキリ快晴でした。
日が永くなりました。

新年度といえば どこかの小学校で
和式を知らない子供が増え 洋式トイレでしか用を足せなくて
数少ない洋式トイレに列をつくるので 
授業に支障をきたしているという記事がどこかに書いてありました。
そういう子供たちには 強烈なおつりが返ってくるボットン便所か
野グソしかできないようなところで
しばらく生活させてあげるのが 
教育というか愛情だと思う今日この頃です。

 No.:672   やなぎむし  - 2007/04/02(月) 22:53
四月の風・・
         春・・
   新年度入りですね・・
     
     先ほど春之助とお散歩・・
   桜が5分咲きになってます・・
      やっぱり・・桜花好きやなぁ♪・・
     近くの公園には葉っぱが先の山桜と淡いピンクのソメイヨシノが咲いてます
         そして今日はお隣の国からの要らない便り・・
        すんごい黄砂・・少しライトに斜が入ってます・・
 
     去年植えたチューリップが咲きました
         3週前に撒いた白爪草が芽吹いています・・

       そろそろ・・・そろそろやねぇ・・

 No.:671   こうへい  - 2007/03/27(火) 18:02
ヨーカンさん
グーグル・アース やってみてください。
面白いです。
地図と記憶と写真で、場所を確認してゆくのも楽しいです(^○^)

 No.:670   ヨーカン  - 2007/03/27(火) 10:35
雲にのりたい〜♪♯
こうへいさん 雲に乗り 遥かなる時空の旅に(^!^)
 
 風の王国の写真 ごっつい 刺激的です

私のルーツ地にも裏の山を越えて来たとの伝承があります
初めて行った時は資料も地図もないまま得意のイキアタリバッタリ
「こっちのほうじゃろか?」といってみたらスゴイ山道に入ってしまいました
夕暮れの霧雨の中をポンコツエブリーが喘ぎながら峠をなんとか登り切った時です
 なんとも不思議なホワワ〜ンとした感覚になりました

  ずーっと前に来たような?
   この山脈を歩いたような・・

北面の辛夷の花を見ながら降りはじめたら直ぐにポツンと民家がありました
エエッー こんなトコに住んでる? と・・フッと表札見たら私と同じ姓の家でした

夜の帳の下り始めた八幡神社の境内で最近判明した曾爺さまの名前をみつけました
 ”引っ張ってくれた” と 思いました

  DNAは・・・すごいもんじゃわ!

「なんで この辺鄙な地に?」
「なんで 裏から越えて来た?」
解明しようと思いながらホッタラカシておりました
           ヘヘッ・・やらなくっちゃぁ・・

別件 
 縄文の削除に政治的意図を感じます
 縄文から弥生期に変わる時、隠しておきたい事があるんやろが
 まさか、万世一系なんぞと教え始めるのではなかろうな!

 No.:669   こうへい  - 2007/03/26(月) 21:52
通りすがりさん
失礼しました。
自分で考えてみます。
ありがとうございました。

 No.:668   ヤゾー  - 2007/03/26(月) 21:12
和を以って貴しと為す
みなさん こんばんわ

>それがために日本列島は、
>世界中のあらゆる文明・文化との共通性をもつという稀有の普遍性を持ち続けてきたのではないかと思う。

PIKKI さん この日本という国が 東洋でも西洋でもないといわれる所以ですね。

>小学校6年生の教科書から、旧石器時代と縄文時代が消えたのでしょう

大本のベースである 縄文を否定し消し去ろうとすることは
国そのものを否定することに繋がるのかもしれません。


親しくさせていただいている方に帰化したもと在日韓国朝鮮人のご婦人がいます。
とてもこの日本という国を愛している方で 朝鮮人としての血も強く意識していらっしゃいます。
いまでは日本という意識を超えた境地にいるみたいですが
それでも なんだかんだといっても 光はこの日本からなのよっておっしゃっています。
実際に接してきたなかで 天才とはこういう人を言うのではと思った中のひとりでもあります。
ご本人は自分には何の能力もないと言うし また本当にそう思っているようなところがありますが
周りがほっとかないというか 話をしていて驚くような人脈や人生経験をお持ちのようです。
女の手ひとつで子供を三人育ててゆかなければならない境遇にあったことから
ビジネスを通して成功されたこともあったようですし いまでも相当豊かな生活が可能のようです。
それらや子供たちを捨てて禅の修業に走られたこともあったみたいで
また世の中に影響力のある方から 直接片腕になって欲しいというお誘いを受けたこともあったみたいです。
この方のことで関心することのひとつに 動植物に対するずば抜けた愛があります。
その方を連れて来られた方と三人で玉置神社へ向かう途中で
よれよれの野良犬がクルマの前にとぼとぼと出てきたことがありました。
その方がクルマを止めてというので どうするのかと思ったら
おりて地面に座ってその野良犬を抱きしめ 自分たちの弁当を与え あげくの果てには家に連れて帰ると言うのです。
一緒に来られた方が 僕に迷惑になるし 飛行機に乗せるのは大変だからと説得し
僕も今まで野良で生きてきたものだから そのままにしておいた方がよいと思うと説得しました。
動物にもわかるのか 病気になった野良ネコや犬が そのご婦人の家に現れることがあるそうですが
その度に 病院に連れてゆき 死ぬまで面倒をみるのだそうです。
また 山小屋の裏山に僕が大切にしていた大きなシイの木があるのですが
それが台風で45度に傾いて それでもなんとか生きている状態を見て
その木に抱きついて号泣するんです。それ以来 そのシイの木が元気を取り戻しているようの思えて仕方がありません。
また山小屋の裏山から20分くらい歩いたところに不思議な池があるのですが
そこでその方が 何故か祝詞を唱え始めたところ 急に竜巻が起こって
祝詞が止むと 竜巻が嘘のように収まったこともありました。
玉置神社へ向かう途中 小さな亀がいっぱい迎えにきているわと無邪気に言うと
たまたまクルマを止めて一休みしたところに亀岩という大岩が祀られていたり
この世のものとは思えないくらい美しい旋律の歌を美しい声で歌いだし
歌が終わってから それはネパールかチベットへ行ったときに覚えた歌ですかと訊ねたら
知らないのよ 自然に口から出てきたのよと言うのです。
そして玉置神社へ着いて 神社の中を案内されたときに
部屋の奥にあった厨子に入った弁財天を見て さっきの歌はこの人から出てのですと言うのです。
いまでもあのときの歌をもう一度聴いてみたいと強く思うことがあります。
こう書いてしまうと とても胡散臭く 霊能力者的に思われるかも知れませんが
ご本人は霊能力者的なことは とても嫌っていて 祭り上げられたりすることも
そういう能力で表に出ることをとても嫌がっています。
僕はそういう能力のことを 霊能力を超えた超感性だと呼んでいます。
ちょっと書いていて長くなりましたが そのご婦人が聖徳太子の十七条憲法の第一番目に
「和を以って貴しと為す」という言葉を謳っていることの真意を知ることが大切だということをおっしゃったことがあります。
そのことについて 自分なりにずっと考えてみたことがありましたが
和とは 強く目立つ色に合わせ 色をひそめて交じり合うことではなく
それぞれの色を以って調和した状態なのだと理解しました。
日本は多民族国家であり またいかなる国より それぞれが調和することのできる
稀有な土壌を持った国というか国体なのかもしれません。
またそうであることが ほんとうの日本のあり方のような気がします。
そのご婦人ですが 北海道に旅行へ行ったときに
ふとショーウインドウを覗くと 心惹かれるフクロウの彫刻があって
眺めていると 中で彫刻していた人が 手招きするので入って話しをしようとしたら
ろう者で 奥さんが仲介してやり取りしたことがあったそうです。
フクロウも気に入っていたし なんか通じるものを感じたみたいで
フクロウをふたつ買ってきたそうです。
あの人たちは きっとアイヌの心を受け継いだ人ねっとおっしゃってました。

 No.:667   こうへい  - 2007/03/26(月) 20:56
値しない?
一万年以上続いた縄文時代。
値しないという根拠はなんでしょう?

 No.:666   通りすがり  - 2007/03/26(月) 20:16
無題
縄文時代が勉強するにあたいしないからでは?

 No.:665   こうへい  - 2007/03/26(月) 18:12
関連・・なぜ?
小学校6年生の教科書から、旧石器時代と縄文時代が消えたのでしょう。
なぜ、弥生時代から始まる理由は?

 No.:664   メール故障中PIKKI  - 2007/03/26(月) 00:53
「健茶王」を買ったら万歩計がオマケだった!
URLhttp://members.goo.ne.jp/home/pikkibikki
ヤゾーさん皆さんこんばんは。日本人の最大の欠点は、好奇心の欠如と伝統文化への無関心ではないかと思う。特に最近残念なのはー世界最古の文明・文化の発信源というべき一万数千年間!の縄文時代や・・その直系というべき日本列島の約半分の北海道・本州北部・樺太・千島列島の先住民族だったアイヌ民族への無関心さです。

今日の日記では、「アイヌの世界観」という本を読んで、ムー大陸の所在位置予測に熱中し・・日本列島の約半分(北海道・北日本)と樺太・千島列島の先住民族だったアイヌ民族の来歴と行く末にため息だった。
日本人は、自分達のよって来たる二つのウルムマイハート(故郷)ともいうべきアイヌ民族と朝鮮半島に対してあまりにもむごい仕打ちばかりをやってきたのではないのかと思う。情けなく、哀しい限りだ!

この本では、アイヌ民族についての歴史以外のあらゆる分野が過不足無く言及されている。
とりわけその宗教観・世界観は懇切丁寧だ。
特に僕が興味深かったのは、ニブヒという北樺太や黒龍江流域に住む古アジア諸語形民族との世界観や熊祭等の類似点の存在だ。
アイヌの伝承にもーアイヌはもともとはカムチャカ半島に住んでたのが、北海道へと南下してきて、そこで日本人と混血したのだという伝承が残っている。
これは、日本人の共通の先祖&共通の文化・文明というべき縄文人の成立過程とも同一なのではと思う。

そして、一万数千年間の縄文時代にも存在し続けた中部地方を境界とする東西差の理由としてはー
「ムー大陸」とでも呼ぶべきスンダ大陸(氷河時代に大陸状態だった東南アジアから華南にかけての氷河時代の最先端文明地帯)からの文明・文化と・・
後に、蝦夷やアイヌ民族として・・世界最古の土器と日本海交易圏(南島の貝と黒曜石主体の)とを2本の柱とする縄文文明・文化を今日まで伝えてきた・・新大陸やシベリア・ヨーロッパ先住民(ケルト等)とも共通する北方古モンゴロイドとの文明・文化とが、日本列島で出会って数千年間かけて熟成されてきたのが縄文文明・文化だったのではないかと思う。
それがために日本列島は、世界中のあらゆる文明・文化との共通性をもつという稀有の普遍性を持ち続けてきたのではないかと思う。

 No.:663   ヤゾー  - 2007/03/23(金) 19:33
宇宙の仲間を求めて と ハチドリのひとしずく
みなさん こんばんわ

昨夜、事情ががあって小学五年のお孫さんと二人で暮らすご婦人から電話がありました。
子供がインフルエンザで休んでいた間の宿題プリントを見ていたら
宇宙の仲間を求めてというタイトルの文章が目に入ったそうです。
それで読んでみると とても素晴らしい文章で 
それを書いた平林久という人はどういう人が調べて欲しいと頼まれました。
調べてみると 教科書に使われている文章のようで
宇宙航空研究開発機構 宇宙科学研究本部の教授であることがわかりました。

どういう文章なのかネットで知らべても出てきませんでしたが
その方からの話では 宇宙人を受け入れる広い心を持つことや
民族や国を超えた地球人意識に目覚めることなどが書かれているみたいでした。
また絵本になっているハチドリのひとしずくも教材として取り上げられているようで
なにげに読んで号泣してしまったそうです。
なんでも学校の所為にする親が多いけれど 学校ではちゃんとしたことも教えているし
親の方がはるかに問題なのではとおっしゃっていました。
そのお孫さん インディゴチルドレンみたいですが
世話はしていても まったく対等な関係で生活しているみたいです。

 No.:662   yoshiko  - 2007/03/21(水) 21:35
無題
蜜柑さんって素敵な方なんですね^^

『サンカの末裔を訪ねて』を読んだ友人のひとりが
「この本の作者はサンカが本当に好きで、彼らに対して愛情があるから
読み手も引き込まれてしまうんやね、面白かった!」っと感想を述べていました。
私も同じことを感じました。
ヤゾーさんの書込みで蜜柑さんの人柄に触れることが出来てよかったです^^
ますます蜜柑さんの次回作が楽しみになりました!

「性根の問題」とは、なかなか手厳しいですね^^;
根性なしの私はドキっとしてしまいました。
でも、その通りですね。
能力の問題とかいうのではなく
自分がどう生きたいのか、自分の命の方向性の問題だと思います。

とんちんかん小僧さん、お互いあんまりリキまずに
ぼちぼち頑張りましょう〜^^



 No.:661   ヤゾー  - 2007/03/20(火) 21:57
いきざま(性根)
みなさん こんばんわ

特にとんちんかん小僧くんに宛てて書いた訳ではないのですが
本人がそう思うのは仕方がないことだと思います。
能力があるなしという問題なのではなくて
いきざまというか性根の問題のように思います。

yoshikoさん 蜜柑さんに成り代わって書きますが
資格マニアとはちょっと違うような気がします。
でも大変な仕事の合間に司法書士の資格を取得したみたいですから
あたらずとも遠からずで 能力を持て余しているというところがあるのかも知れません。
通算一月以上居候させてもらったことがあるので褒める訳ではありませんが
言動で損しているところが多々あるような気もしています。
実際には動物に対してとても優しかったり
お母さんのお見舞いに同行したこともありますが
親孝行でとても優しい人だったりします。
また行きつけの小さな居酒屋のために
ヤフオフで安い備品を見付けて買ってあげたりと
情の深いところもあったりします。
一緒に学者の家を訪ねたときに そこの上品な奥さんに夕食をご馳走していただき
しばらく歓談したことがありましたが
どちらかというと蜜柑さんの方が山男みたいねと言われたりするくらいワイルドなところもあったりします。
去年だったか 取材で蜜柑さんの部下で若い女性ディレクターが熊野に来たことがありました。
そのときに一日一緒に過ごし 蜜柑さんのことを褒めたりしたのですが
最後の方で 船釣りに連れて行ってもらったときの話をしてしまいました。
アオイソメ(ミミズに足が一杯付いているようなもの)を指で半分にちぎって針に刺すのですが
そのときに指に血やら内臓やら砂やらが結構付いたりします。
その手を拭きもしないで平気でオニギリ食べるほどワイルドだと褒めた積もりだったのですが
その女性ディレクターから どんびきだわ と返され
散々褒めたのに 最後の話でマイナスにしてどうするのじゃと
この話 友達にすると受けます。

 No.:660   yoshiko  - 2007/03/20(火) 01:07
とんちんかん小僧さん・・・
私もその世代ですよ〜
社会的にはなんとかフツーを装ってますけど(ホンマかいな!?)
私も似たようなもんです^^;
毎日「ダーイエットは明日から♪」だし・・・

蜜柑さん、なんか資格マニアの人みたいですね・・・
熱中してる最中が楽しいなら、充分幸せなんじゃないかと思います。
蜜柑さんのお仕事は『サンカ応援団』って私は勝手に思ってます^^

 No.:659   蜜柑  - 2007/03/19(月) 23:33
どっちが幸せなのか?
とんちんかんと正反対で、
僕の場合、ひとつのことを始めると、何年かかっても頂点(近く)まで行かないと、気がすまない性格です。
で、その頂点(近く)まで到達すると、飽きてしまいます。一生の生業にしようとは思わなくなっちゃうんですよ。これで、どれほどの時間を無駄にしたことか。まぁ、熱中しているときは楽しいんですが、人並みの青春は送れませんでした。
ひとつの場所に長く留まれないんですね。
と、無理やりサンカに結び付けました。

 No.:658   とんちんかん小僧  - 2007/03/19(月) 18:33
正念場
今、ヤゾーさんの投稿を読んで自分のことを指して書かれてる事に気付き、
非常に恥ずかしい気持ちで一杯だ。
その世代の人間であるからだ。
否定しないよ。そう思われていることに。事実だから。
けど劣等感はまるでないから救いだと思っている。

>自分の立ち位置を見定め 足元を固め 一歩一歩積み重ねてゆく
>そういうおこないで未来をかえることができる

まさにその通りです。
僕の場合判っていながら行動出来てない。
今年は生きるか死ぬか勝負の年‥死なない道を歩みたいので、
幸せな道を歩めるように努力します。

 No.:657   ヤゾー  - 2007/03/18(日) 23:43
正念場
みなさん こんばんわ

世代や立場を超え いま共通してゆえることは
いろんな意味で いまが正念場ではないかと感じています。
自分の立ち位置を見定め 足元を固め 一歩一歩積み重ねてゆく
そういうおこないで未来をかえることができる
いまが最後のチャンスというか分岐点のような気がします。

主に就職氷河期世代に多く見られるパターンですが
30歳を過ぎてまともな職歴もスキルもなく
ニートとフリーターをいったりきたりの生活で
都市部では家賃も払えず ネットカフェやファミレスを宿かわりに過ごし
地方では親と同居でなければ生活はままならず
社会的な人間関係は殆どなく そういう疎外感や孤独から
ネットに人間関係や癒しを求める人も多いという話です。

彼らに共通してゆえることは
目標を定めて一歩づつ積み重ねてゆくということが苦手のようです。
また最初からチャレンジしようとする精神がかけているのかもしれませんし
壁にぶつかったり 嫌なことがあるとすぐにあきらめてしまうところもあるのかもしれません。
そのままの状態ならば 将来はとても暗いものとなるでしょう。
自分自身もニートやフリーターに近いものがあるので人事ではありません。
しかし 彼らとは若干違うところもあります。
最近 十何年かぶりにギターの弦を張替え 日課として一日一時間ほど練習しています。
二日目で指が切れて血がでました。
でも そういう経験はギターを始めた中学のころに経験していたので
あまり気にすることなく痛くても弾き続けました。
練習しだして一月近くなりますが えらいもので指にタコができました。
そうなると弾くのが楽しくて すぐに一時間経ってしまいます。
ギターに限らず なんだって最初は登れそうにない高い山に見えてしまいます。
本当に到達できるのだろうとかと疑ってしまいます。
それでもほんの一歩づつでも積み重ねてゆくことを続けてゆくことで
ふと振り返ってみたときに 案外自分が高い位置にきていることを知り嬉しく思うことがあります。
その喜びを一度でも味わうことができたなら
やってやれないことはないという気持ちになってくるものだと思います。
こう書くことで 自分自身に対して叱咤激励しているところが多々ありますが
人間 楽な方へ流されやすいから難儀です。

 No.:656   とんちんかん小僧  - 2007/03/15(木) 13:43
懐かしい友人との再会
ここ数日前からインターネットの某サイトの仮想世界を通して
高校時代の友人と卒業以来13年振りに再会しました。
世の中何がきっかけで繋がりが甦るか、ホント検討が尽きません。
同じ近畿地方にいるので実際の再会も夢で終わらないから
その世界に導いてくれた人には感謝の気持ちで一杯です。

お雛さんの日から掲示板もまともに見てなかったら‥
なんて興味深い内容の話をしてるんだろうか!!

世間師さんのフィールドワークによる手記や資料収集で
得た情報も僕にとっては新鮮な事柄なので良い勉強になります。

それからPIKKIさんとヤゾーさんのやりとりにも
しっかりと着目し吸収していく事が、これから
先を生きる為に必要なことだと思いました。

 No.:655   ヤゾー  - 2007/03/14(水) 23:55
よく見聞きし考える
みなさん こんばんわ

PIKKIさん 現実から目を背けて自分自身が思考停止しないためにも
そういう投稿はありがたいと思っています。

ピラミッド型のヒエラルキーについて
いろいろと考えてみたことがありました。
現在の世界の支配者が変わったとしたら
はたして世の中がよくなるのか?
少しはよくなるかもしれない いやもっと酷くなることだってあるだろう
もしかしたら あまり変わらないのではないかと
結局は 個々の意識が変わらない限りは何も変わらないという結論に達しました。
そのためには よく見聞きし考えるということが必要なのかもしれません。

ヒトラーの予言というのに
21世紀は超人とロボット人間(家畜化)の二極化がはじまるというのがありますが
格差社会が世界的に広がっているのを考えるとリアリティがあります。
超人というものが 権力や財力によるものではなく
高い意識によるものであってほしいという儚い希望を抱いていますが
まずは自分自身が思考停止しないようにしたいと思います。

ヒトラーの予言
ヒトラーは身近にチベットのラマ僧を置いたりしていたそうですが


http://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hss/b1fha400.html

天皇制についての話がありましたので
最近読んだ昭和天皇の蓄財についての話です。
どこまで真実なのかは難しいところですが
読み物として かなり面白いと思います。

天皇の蓄財

http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060825#1156452744

 No.:654   PIKKI  - 2007/03/14(水) 01:58
ヤゾーさん皆さんこんばんは
以下はヤゾーさんの題名に触発されて書いた日記のコピーです。
内容が毎度この掲示板には相応しくなくて申し訳ありません。
谷川健一「日本の神々」を読むとー伊勢神宮などももともとは、宮司一族の葬儀の場所だったようです。
柳田國男のなんとかという本にも、神道の堕落は神道が葬儀を仏教にまかせて、葬儀を穢れたものとして排除したことが原因・・と書いてあった記憶が。

「天皇制」もそうだったと思うのだが・・
身分制度や官僚制度や宗教等いうあらゆるピラミッド型のシステムは、差別によって成立しているのではないかと思う。
影や下層や差別される側の存在が、いよいよ悲惨で貧困であるほど、ピラミッド上の存在が光り輝いてくるのだろうと思う。

最近特に顕著なー安倍内閣による地方行革による清掃・給食員等が高給すぎるのではという地方行革等の地方叩きや弱者・下層叩きが意図するものもまたそれではないかと思う。
地方公共団自治体での談合・汚職等はむしろ、中央政府からの補助金・天下り等でそのような体質にさせられた被害者と言うべきではないかと思う。

そんな事よりも大問題なのはーそのようなシステムの元凶の、税金の半分以上が闇へと消えてゆく・・現在の官僚支配と天下り・談合による政官財の癒着した構造と、地方切捨てによる地方のより一層の衰退の方ではないかと思う。

国会議員なども諸経費を含めると一議員あたり年間二億円という税金が必要なのだという。
国民に手本を示すべき彼らのうちの何人が、それに見合った働きをし、我々国民からの血税からの援助に感謝しているのだろうか?

地方自治体の経費削減や現業労働者の給料が高すぎるので民間委託しろ・・等という前に、中央での高給官僚の天下りや利権の巣窟と化し税金の大半が霧散している○○法人というのをなんとしろ!
税金泥棒政治家どもよ・・と言いたい!

 No.:653   ヤゾー  - 2007/03/12(月) 20:30
河原の源助
みなさん こんばんわ

NHKローカル番組を見ていたら
熊野の勇壮な火祭り お燈祭りを取材したものがありました。
自然石を積んだ急峻な石段を 松明を持って駆け下りてくるという祭りなのですが
一番目に駆け下りてきた人は その年よいことがあるといわれ
むかしは米俵が送られたこともあったそうです。
その一番目を獲得するために 今年こそはと熱く燃えた男たちがしのぎを削るという話でした。
自分も何度かその石段を歩いたり 駆け下りてみようと試みたことがありますが
いくら祭りでハイになっているとはいえ もしこけたら大怪我か 下手すると死ぬなと思いました。
そんな男たちのなかで 明治時代に長い間一番目に駆け下りた伝説の男がいたそうです。
その名を河原の源助といい 熊野川の河原で生活していた男だそうです。

 No.:652   ヤゾー  - 2007/03/08(木) 18:02
清浄と不浄 聖と賤
みなさん こんばんわ

明治の大水害で流される以前に熊野本宮大社があった
熊野川の中州にある大斎原(おおゆのはら)は
上流の十津川あたりに水葬の風習があったのか
それとも大水で墓が流されたりしたのか
屍が多く集まった場所だという話をなにかで読んだ記憶があります。
そこが熊野信仰の中心地であり もっとも清浄なところとされているわけですから
世間師さんのおっしゃっていることはよくわかります。

映画ではないコミックの方の宮崎駿原作 風の谷のナウシカのなかで
化外の民と蔑まれたものたちに対して
物語のなかでもっとも聖なる存在とされるものが
彼らを嫌わないで下さい 彼等は私達のかげなのです いや私達が彼等のかげかも知れない
実は共通の祖先をもつ同族なのですというセリフがありましたが
清浄と不浄 聖と賤を超越したところに なにかが生まれるのかもしれません。

 No.:651   世間師  - 2007/03/07(水) 18:43
神社と馬捨て場
最近、近くの初めて行く神社で、そこでも馬頭観音碑があるのを発見しました。
古くから街道と河岸沿いで、神社と寺院が隣接するこの土地に、馬捨て場もあったのでしょうか。

現地は見ておらず、図書館の郷土資料のみですが、鹿島の物忌館の数百mの所にも馬頭観音碑がありました。

清浄と不浄が入り混じっているような気がします。

アジールとは、浄と不浄が入り混じったものなのでしょうか。

死体が黄金になる民話や花咲爺さんの世界に、浄と不浄の超越を感じさせます。

 No.:650   世間師  - 2007/03/07(水) 18:37
サンカの賭場
>ヤゾーさん
久地神社の池島一家が賭場を開いていた証言は、多分初めての聞いた話でした。
闘鶏や花札の賭場に集まったのは、サンカ達や素人も居たそうです。

久地神社や久地不動尊のお膝元だから、それなりに大人しくやっていたそうで、
ヤクザ見たいのは、いなかったそうです。(石○さん)

昔は娯楽が無かったですから、成田あたりでも昭和五十年代まで闘鶏をやっていたと聞きました。

 No.:649   ヤゾー  - 2007/03/06(火) 00:10
近所の景色
みなさん こんばんわ

世間師さん よいフィールドワークをなさっていますね。
思わず つげ義春さんの近所の風景という話が浮かんできました。
多摩川沿いの朝鮮部落に暮らす李さんというお年寄りとの交流を描いたマンガなんですが
水害で暮らせなくなり出て行ってしまい 
憩いの場所がなくなって寂しいという話だったと思います。

不法占拠?された土地 よくゼロ番地 イチ番地といわれる土地ですが
考えてみると不思議です。
戦前からベースとなるものがあったのかもしれませんが
戦後どっと人が流れてきて ちょっとした町を形成したところも多いかもしれません。
立ち退きになったところもあるようですが 今でもそのままのところがあるようです。
そこから実力者が何人も出たりして
公共事業で良い道ができ 立派な家も立ち並び 
それでもゼロ番地 イチ番地のままで
正式な土地の権利書はないようですが 
売買はおこなわれているという話を聞いたことがあります。

 No.:648   世間師  - 2007/03/04(日) 01:05
久地神社
三角寛のサンカ・フィールドの原点というべき場所、久地神社に行ってきました。 
久地地区は多摩川と平瀬川に接し、府中街道に面したところでした。 前に書いたように大山街道も近くに走っています。 昔は交通の要所だったのでしょう。
現地に行って見ると、平瀬川の向かいに二十階建て高層マンションが立ち並び、神社の上の台地はニュータウンに変貌していました。
神社横の久地公民館の二階も、何故かコーポになっています。 
久地神社は権現作りで、元は御堂だったのでは思わせますが、皇大神宮を祀っているそうです。

余りに変貌振りに落胆しましたが、気を取り直し「マージナル」でも取材されていた久地不動尊に行って話を聞きました。
お相手してくれた久地不動尊ご主人は、「マージナル」に取材された方の息子さんでしょうか。 ご主人はサンカ小説を全く知りませんでした。
始めは「久地神社に住み着いていた一家」に覚えがないようでしたが、「火事を出した池島さん」というフレーズで思い出されました。
ご主人の記憶では、竹細工をしていた時代は知らないそうです。 今でも神社の脇に竹薮がありましたが、昔は周辺がもっと竹薮で、池島さんは藤づるを取っていたそうです。
4人子供が居たこと(亀吉・雪夫婦の子か孫に当たるか不明)所謂「親分」で当時、軍鶏を何羽か飼い、人が集まり闘鶏をやっていたこと。
亀吉さん?は、お酒が好きだったこと。
地元民と近所付き合いをするのを避けていたこと。
久地神社の横の土地に、勝手に自分たちで家を建て、増改築を繰り返したこと。
元々この辺りは、不法占拠(?)から勝手に家を建てた人が多かった。 多摩川の向こう側には同じような経緯で出来た朝鮮部落が多い。
(多摩川を境に、朝鮮人と漂泊民で住み分けがあったのが興味深い)
久地神社の横や下には防空壕が残っていたが、そこに住み着いた人達が居た。 今でもホームレスが住み着くので、防空壕を壊している。(残っているのもある)
子供がシンナー遊びをしているうちに火事を起こしたと噂があったこと。今から三十一年前に火事があった。 
不法占拠で建てた家は、増改築は出来ても建て替えは出来ないので、他所に移るしかなかった。 付き合いが無かったから、何所に行ったか全くわからない。
池島さんの家の跡は、久地神社脇の空き地になっている所でした。

続いて、不動尊のご主人に紹介され、古くから住んでいる石○さんのお宅を訪ねました。
ここのご主人は、池島一家が箕作りをしていたことを覚えていました。
花札が好きで、素人を集めて賭場を開いていたこと。 軍鶏を飼っていた。
箕作りを止めた後は、県の仕事で道路の草取り等を夫婦でしていたそうです。
息子が横浜の方で、交通事故で亡くなったが、後から聞いたこと。
付き合いが無いので、何所に移ったか知らないとのことでした。

 No.:647   ヤゾー  - 2007/03/03(土) 18:43
言論の自由
花粉症で鼻水流れてますが
みなさん こんばんわ

PIKKIさんの投稿を読んで
最近読んだり見たりしたものをリンクしました。

これだけ言論の自由が保たれている日本というのは
なんらかの役割を担っているのではと感じたりします。

甘いと言われそうですが
単に敵視することからではなく
違ったスタンスからはじまる可能性を感じています。


このビデオを見た方は多いかもしれません。
スタンスは少し違うような気もしているのですが、
言っていることには真実の部分が多いような気もします。

ttp://video.google.com/videoplay?docid=3665838519268605080


日本人が知らない 恐るべき真実。
語り口調が柔らかいので読みやすいです。

ttp://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20070302#1172808217

 No.:646   とんちんかん小僧  - 2007/03/03(土) 08:32
皆さん、おはようございます。
朝早く目覚めるって気持ちが良いですね。
頭の回転も速くなった気でいます(笑)
これで鼻のムズムズ感がなければ、どんなに幸せなことか。。
今日誕生日を迎えるクマノライフの住人の皆様おめでとうございます!!
鼻水を垂らしながら祝福しています。

 No.:645   PIKKI  - 2007/03/03(土) 04:44
↓の日記の補足ーリンク集にもある田中宇氏の2月13日の記事抜粋
日本とアメリカの亡国は間近ではないのかというテーマの日記の後半的部分です。詳しくは僕の日記をご覧ください。
なお「俳句ダービーU」という詩人サイトにさっき、縄文&アイヌ民族&沖縄について書き込んだところです。

《常識的に考えて、人間は、一度やってばれた不正行為を再びやろうとするときには、不正の手口を変えるなどして、ばれないように工夫する。だがブッシュ政権は、前回と同じ手口を繰り返し、ばれてもかまわないという感じで、イランに侵攻する口実を作っている。やり方ががさつだとか、無能とか稚拙という範囲を超え、意識的に同じ手口を繰り返している印象を受ける。私は以前から「ブッシュ政権は、軍事・外交・財政という全ての面で、意図的に失敗し、アメリカを自滅させようとしているのではないか」と感じているが、そのパターンがまた現れている。(関連記事その1、その2)

 世の中には「アメリカは昔から、でっち上げの理由を使って戦争してきた。イラク侵攻とイラン侵攻の理由の作り方が似ていても、別に驚くことはない。きみはアメリカを知らないね」と、したり顔で言う専門家もいるが、私が気にしているのはその点ではない。アメリカが毎回、でっち上げの理由で戦争をやっても、その理由がうまく人々に信用されて「アメリカは常に正義で、常に勝つ」という神話が世界的に信じられている間は、アメリカの世界支配はうまく機能する。

 しかし、ここ数年間のように、開戦の理由がでっち上げだとばれてしまうのと並行して、戦争も失敗して泥沼に陥り、アメリカの軍事力が浪費される事態が、イラクの次にイランでも繰り返されるのだとしたら、世界支配力(覇権)の裏づけとなっている「軍事力」と「信頼性」が失われ、アメリカは世界を支配できなくなる。アメリカの信頼性は、ドルの強さと表裏一体なので、今の状況が続くと、いずれどこかの時点でドルも大幅下落する。

 ブッシュ政権の危険さは、ウソをついていることではない。ばれるようなウソをつき、ばれたのにまだ同じウソを繰り返して、アメリカの信頼性を急速に浪費しているところにある。米国民は、ブッシュ政権の危険さに早く気づき、弾劾などでブッシュとチェイニーを早く失脚させないと、アメリカを壊され、アメリカ中心の世界体制や日米同盟も崩壊する(今から弾劾しても、たぶんもう遅すぎるだろうが)。

 親米の人ほど、ブッシュを危険視すべきなのに、実際には逆に、親米を看板にしている人ほど、ブッシュは危険だと指摘する人を「反米論者」「左翼」として攻撃する。間抜けである。》

 No.:644   とんちんかん小僧  - 2007/03/02(金) 15:29
ちなみに鼻の広がりもカッパ似です
yoshikoさん、その写真はまだデジカメを買って間もない頃の撮影だったので取り方が
マズかったために現像出来ないんでパソコンごと移動しなければならないのです(苦笑)
yoshikoさんは、どちらにお住みの方ですか?
移動可能の距離でしたら持って行きますよ。

とんちんかん走りは‥お見せするのはとても恥ずかしいのでご勘弁を!!
5月に関空でマラソン大会が開催されるそうで何人かの友達から誘われたんですが
曖昧なことを言って誤摩化してます。正直出たくないので。

 No.:643   yoshiko  - 2007/03/02(金) 01:14
不思議な写真
とんちんかん小僧さん、こうへいさん
私もその写真見てみたいです〜!

とんちんかん走りのカッパさん・・・
キュートでチャーミングですね^^
こちらも見てみたいかも^^;

 No.:642   とんちんかん小僧  - 2007/02/28(水) 22:39
補足
陸上の末續(すえつぐ)選手はナンバ走りを取り上げて自分の走りに生かしてるようです。
ただし、通常のナンバ走りは皆さんが指摘通り右手右足を一緒にだし、また2歩目には
左手左足を動かすようですが、末續選手はそれを交互にした走りだそうですよ。

うーん走り方を学ぶのは難しいものですね。

 No.:641   とんちんかん小僧  - 2007/02/28(水) 22:24
ヨーカンさん こうへいさん 皆さん こんばんわ!
ヨーカンさん、僕はタダのカッパに似た小僧ですから「様」を付けられると気が動転しますから
「君」で良いですよー(笑)
僕は一般の人が走る走り方が判らないので、いつもスポーツジムでは早歩きしかしないです。
でもプログラムによっては走る事もあります。その時は周りの人の足や手の振りを真似て
「走るフリ」をしています。歩き方も半年前にやっと一般的な歩き方をマスター(実話)
しました。ナンバ走り(上半身(胴や肩)をあまり動かさないようです)にしろ、サンカ走り
(←あるのかな!?)にしろ本質はどうなのか判らないですが僕のとんちんかん走りだけは
一番真似てはダメな走りだと思います。

こうへいさん、その鑑定して下さった方の話では平安時代に不動明王さんの傍らに飾られてて
今は下の土や石の間に流されてしまっているとのこと。
たまたま「私はここに居るんだよ!」と出て来たものだから悪いモノじゃないと言われました。
まあ見せますから、こうへいさんの目で確認して下さい(笑)

 No.:640   こうへい  - 2007/02/27(火) 18:06
トンちゃん それは
ごっつい不思議な話ですね。
それだけ鏡がはっきり写ってたんですか?
鏡が滝壺に沈んでるんでしょうか・・それとも、昔、そこに祀られてたんでしょうか。

 No.:639   こうへい  - 2007/02/27(火) 17:49
確かに
両手を上げて走ってますね。
特に逃げる場合は・・
娘が言うには、お手上げで、逃げると言う雰囲気を表しやすいだそうで。

>頭の中に江戸時代の富士山噴火に逃げ惑う人たちの姿が浮かんできました。
山の動物が逃げ出した後、ひとつ目とか妖怪がどっさり逃げてきたと古文書にかいてあるらしいですね(^○^)

 No.:638   ヨーカン  - 2007/02/27(火) 12:41
右手と右足を??
ナンバ走り ?

その昔、こんなことを言ったのが居りました

「こんな風に 腕を振って走る近代走法は西洋から明治以降に入ってきた
 それまでは手を上げて阿波踊りのような走り方だった」

何を突然馬鹿なことを!

「昔の絵には火事や地震で逃げる人間がそんなふうに描いてある・・!」

なるほどそう言われれば・・

頭の中に江戸時代の富士山噴火に逃げ惑う人たちの姿が浮かんできました
そんなふうに走れるのかいな?と頭の中で描いてみたり手をあげてみたり・・
  ほんまやろか?

実はこの時はレースの大詰めで、ライバルの策略に見事にヒッカカッタ私は
スパートについていけず、賭けていたあとの食事会の払いをするハメに・・
    応援者も入れて6人分も  随分とタカかったのであります”

 この難問は未だに解明できず、散歩中にも時々両手を挙げてみますが
 連れ合いは「はずかしい”」と離れていってしまいます

とんちんかん小僧様や皆さんは どないに思われますか?

 No.:637   とんちんかん小僧  - 2007/02/27(火) 01:43
花粉にはパブロン様がお薦めです。
そうですねえ。
釜中の小滝の不動明王を場所柄暗かったのでフラッシュを炊いて三枚
連続シャッターを押したら2枚目に不動明王がなく‥そこには古代の
鏡がありました。知り合いの人に鑑定してもらったら平安期の鏡だそうな。
様々な獣の絵があって、今まで撮った写真の中で一番不思議な感じの写真
(未現像のまま)です。現像しようと何度か試みたんですがことごとく失敗
で終わりましたのでパソコンごと持ってこうへいさんちへお邪魔します(笑)

 No.:636   こうへい  - 2007/02/26(月) 18:48
トンちゃん すいません 寝てました
年をとると、寝るのが早い(^○^)
は〜い。ありがとうございます。
ついでに・釜中の滝の写真もお願いしますm(__)m

 No.:635   とんちんかん小僧  - 2007/02/25(日) 23:39
こうへいさん、寝てたらすみません。
ついさっきまで外出してまして今風呂から出たばかりです。
何となくレスがありそうな気がしてました。
こちらこそレスありがとうございます。
また遊びに行った時にでも現像していますのでお見せしますよ。
本当は風の王国掲示板に載せれたら良いんでしょうけど少し大きめ
のホクロぐらいにしかならないので、とりあえず目で見て判断して
下さい。

 No.:634   こうへい  - 2007/02/25(日) 18:22
トンちゃん こんばんわ
ありがとうござります。
以前、撮ったという不思議な写真、差し支えなかったら見せてくだされ(^^)

 No.:633   とんちんかん小僧  - 2007/02/25(日) 16:58
皆さん、こんにちわ!
最近、ユーチューブの便利さにハマってしまっています。
それでも中々見る事が出来ないミュージシャンの映像の数の方が多いですね。
昨日、エヴァ キャシンディの「オーバー ザ レインボー」を見て一人感動してました。
あとドイツのアーティストで読み方が判らないですけど牧歌的な音楽をしてるGEYERSの
ライヴが1つあって吃驚しました。
今度、プロコル ハルムのバージョンの「青い影」を探してみようと思います。サラ ブライトマン
のバージョンが一番お気に入りですけどね。

僕は何か研究してるわけではないので普通のありきたりの投稿ばかりですが許して下さい。
こうへいさん、僕も楽しみにしてるんで釜中の調査頑張って下さいね。

 No.:632   とんちんかん小僧  - 2007/02/24(土) 16:51
目が痛いし鼻水が止まらない‥
気持ちが沈んでいた時期もあって音信不通になってしまって*(@..@)*ngly先生すみませんでした。
1/21にレスを下さった196さんもすみませんでした。またいろいろと教えて下さい。


>明治維新までは日本人はナンバ走りという左足が出れば、同時に左手を振る歩き方でした。


ハハハ結構面白い実話ですね。実は僕自身走り方がかなり変らしく人前で走るのが苦手です。
なんでも「欽ちゃん走り」に似てるようです。幼い頃から歩く事を大変怖がっていたと両親
から聞いた事がありました。前世で何かあったんでしょうかね。
今年は短いと噂の花粉シーズン早く終わってほしいものです。鼻の穴が広がるので余計人間
ばなれした顔になってしまうので。


さえらさん初めまして。二上山良いっすね。まだ登った事がないですねえ。
僕も皆さんの投稿を読んでるうちに久々に風の王国読んでみたいと思いました。
またいろんなお話教えて下さいね。

 No.:631   こうへい  - 2007/02/22(木) 20:38
釜中調査隊 質屋と庄屋 その2
質屋さんが、釜中道場の檀家であることが、電話でわかりました。
ところが、明治15年 佐平次さんの亡くなった年齢が過去帳に記されていない。

釜中の、「むしろび」や「萩の戸」の土地売買の書類に質屋さんの現在の姓と名前が記されている。
質屋さんがなぜ?・・と思いましたが、元、庄屋さんなら納得できます。

で、質屋さんが庄屋だった確率が高い。

 No.:630   こうへい  - 2007/02/22(木) 19:25
釜中調査隊 質屋と庄屋
世間師さん、そのへんになりますと、ボクにはわかりません。

釜中村の質屋さんの過去帳に
1743年 質屋半兵衛 没・・が一番古いらしい。
寛保元年が(1741年)だから、江戸時代の寛保年間。
20代続いたという根拠はこれらしい。

殿さんは別にして、一般の人が遡れるはこれくらいだそうです。

で、明治十何年かに亡くなった左平次という人が居るそうですが、
古文書では、元治2年 釜中村庄屋 佐平次・・となっている。
釜中道場の檀家の中に、佐平次 58才 と言う人が居る。
そのほかの人を見ましたが、佐平次はこの人だけ。
もし、質屋さんが、釜中道場の檀家なら、庄屋だったことになる。
ところが、戸主の名前しか載っていない。
質屋さんは、昭和では質屋をやっていない。
村の人が、質屋と呼んでるだけで、質屋を実際やってたかは知らない。
屋号のようなものか。
慶応4年・明治元年(1869)年。
元治2年は1865年だから、
仮に明治15年まで生きたとすると、77才?
それと、過去帳の年齢があえば、庄屋佐平次は、質屋だったことになる・・か?


 No.:629   世間師  - 2007/02/20(火) 22:03
牛蒡・葱
>こうへいさん

私の住んでいる方の、小字に牛蒡・葱の地名があり、
御坊・禰宜の意味でないかということでした。


 No.:628   こうへい  - 2007/02/20(火) 19:20
釜中調査隊
世間師さん  御坊の市名は、浄土真宗本願寺(現在では西本願寺)の日高御坊(現日高別院)が約400年前に建立され、地元民がそれを御坊様と呼び親しんだに由来する。・・と、一般的に言われてるそうです。

ヨーカンさん
石垣の水平な土地は、田んぼか家、建物の可能性が高いですねえ。
質屋のオッサンにゆっくり話を聞く必要がある気がします。


 No.:627   ヨーカン  - 2007/02/20(火) 11:15
釜中調査隊
釜中調査隊の文面を読んで、地図を見て思い出しました
まだ昭和の時代にチャリでウロツイたあたりではありませんかいな!
淡路ー和歌山と来て竜神温泉めざし近道山越えを狙い、迷い込んだあたりですわ
相棒も私もエエカゲンな地図とオテントさんが頼りのデタラメサイクリングで
自分が何処に居るのか?? わからへんように・・
 この歳になっても、いまだに同じでイキアタリバッタリです

こうへいさん 「山の中の田圃でない平地」は想像をかきたてられます
石垣を積んで平にしてある所は今はたいがい杉が植えられていますが
ずっと登っていくと寺跡があったり、地名が鉱山関係であったり
そこに暮らしていた人達はどないな人生をすごしたのか・・
いつごろ、なんで、そこに来たのか  どんな暮らしをしたのか

但馬の蘇武岳登山道の途中に金山廃村がありまして、そこで息子位の年頃の青年にあいました
彼のお母さんは此処で生まれ、育ち、廃村で山を降り 今は明石でお暮らしと聞きました
少しですが昔の言い伝えを聞かせてくれました
   (景色を見ながら語る彼の姿に連れ合いは「 ・・おとこまえや・・」)
                          このミーハーめが!
私は〔語り継ぐことの大切さ〕をヒシヒシと感じました
この地には人が生きてきた 働き 食って 子供を育てて 生き抜いて そして今、彼がいる

生身の人間の生きてきた歴史の語るものは
強盗集団の武士やら寄生虫の貴族やらの粉飾された大河ドラマよりはるかに重い

 な〜んぞといってる私の人生の軽薄さに 笑ってしまうのでありました
 
こうさん 続編期待していますよ〜

 No.:626   世間師  - 2007/02/20(火) 09:15
御坊
>こうへいさん

御坊の地名は、お寺があった地名と考えるのが普通ですが、
御坊=護法で、護法龍神を祀った場所の可能性もあります。
大峰山の手前に、大蛇なんとかという山がありましたが、
これなんか、護法龍神を祀った跡です。

地方では、御坊が牛蒡に訛り残る地名がありました。

 No.:625   ヤゾー  - 2007/02/19(月) 18:06
フィールドワーク
みなさん こんばんわ
とうとう花粉症の季節になってしまいました。
朝起きてクシャミ連続10回はしました。

こうへいさん よい時間を過ごしていますね。
昨日 出先にいたら蜜柑さんから
ネットで調べて欲しいことがあると携帯に電話がありました。
なんでもサンカの聞き取り調査で フラッと九州に来ているとのことでした。
フラッと飛行機に乗って九州ですかい!偉いと思いました。

 No.:624   こうへい  - 2007/02/18(日) 16:11
あっさりと
で、質屋のおっさんに電話したら、鷺森御坊は、御坊にあるそうで、石垣大乗寺は、有田川の南にあるそうで、もっと古い話やなあ・・って言われてしまった(^○^)

質屋の上のほうに、寺屋敷っていう地名がある、今は、ミカン畑・・。
山の中に、田んぼ跡でない水平の土地がある・・とか、いっぱい聞かされた・・覚えてないけど(^○^)

 No.:623   こうへい  - 2007/02/18(日) 15:29
久々の「釜中調査隊」 寺の巻
以前投稿しました古文書

幕末の元治(げんじ)2年(1865年)
切支丹 宗門 御改め 家並印形帳
(釜中村の切支丹の有無の調査報告?)

どの家も、3つの寺の檀家である・・と書かれています。

浄土宗 石垣大乗寺  17軒
浄土真宗 鷺森御坊  17軒
浄土真宗 釜中道場   9軒

で、現在、釜中村にあるのを確認してるのは、釜中道場。
じゃあ、天日神社を降りたあたりに在ったという寺は、石垣大乗寺なのか。
田殿丹生神社の前にあったという大きな寺最勝寺の釜中にあったという別院とは、大乗寺のことなのか。
鷺森御坊・・とは?

釜中の質屋のおっさんに、この報告をしようとコピーして、書き写してるうちに、気が付きました。

 No.:622   こうへい  - 2007/02/15(木) 17:52
凶作
野菜のとれすぎの次は、凶作ですか。

戦争中、人肉を食った人は、顔が艶々になり、誰が見てもそうと判ったそうです。
こわいですねえ・・

 No.:621   ヨーカン  - 2007/02/15(木) 12:46
凶作・・
ヤナさん まさに凶作の前触れですね
「飢餓日本史」なる本が手元にあります
人間の歴史はまさに飢餓との闘いの歴史なんですね
古来から天候不順に、あるいは人災(戦争や収奪)で餓死した数は数知れず
それがつい最近まで繰り返されておりました

天候不良での凶作も短い間隔で繰り返しやってきたようです
冬が暖かい・夏が涼しいは 凶作の前触れでありましょう
商人にとっては絶好の投機チャンスですが、農奴とされてい一般民衆には地獄が待っていました
口に入る物はなんでも食し、鼠・蛇は勿論で木の皮・根・まで食べつくし 
やがては食ってはいけないとされたものまで・・

たくさんの記録が書いてあります
 旅人が回る村々は傾いた民家に白骨があるのみ・・
 大金を懐に餓死した旅の者
 泣く泣く我が子を生き埋めにし、篤志家が救った子が2,3歳になった時に耳から土がでてきた
  (かれの名を「土ノ助」と命名)
 隣の家で子供の泣き叫ぶ声が聞こえ、入って見れば親が子の腿に咬み付いていた
 行き倒れを食べるのに慣れた野犬が人間を襲うようになった
 弱ってきた息子を「半分ヤルカラ・」と隣に頼みヤッタ瞬間に後から「息子の仇」と・二人分調達
 体裁を重んじる下級武士は俸禄の遅れに耐え切れず娘を売りとばし・・

    「もう ええから・・」の声が聞こえましたので・・

こんな時に凌いだのは支配者と  被差別層の人々
坊主に不許と教えられた肉・ネギ・ニラ・ニンニクを食す術を持ち
山や海での採取と食可不可の知識をもっていた人々であったでしょう

なんせ御エライ人の言うままに生きてたらロクナ事ありません

つい最近まで娘達は遊郭に売られ、親は泣くが本人は「綺麗なベベ着て美味しいものがたんと食べられる」
食い扶持のない次男三男は列車に乗って上野駅に・・

国外では未だに古代国家が存在しており、支配者の贅沢のためには人攫いや贋金作り強盗恐喝までやっておりますが人民は餓えています
アミンなる大統領は人肉の焼肉が大好きで、バーベキューをよくやっていたようですが
繰り返される戦争と内紛で餓死者は巷にあふれていたようです

食料の自給率にあわせて 小子化を進め面積に似合う人口になるまで辛抱せなあかんと思います
 ゴルフ場は皆で お芋でも植えましょう
 魚や貝が沢山育つように 埋め立てはやめよう
 飛行機や大型車はやめて みんなカブに乗りましょう

 No.:620   ya(・ε^)na  - 2007/02/14(水) 22:17
米どころ新潟では・・
あのカメムシなどの害虫が大量発生の恐れ有り・・
  なんやそうです・・
 今年は凶作の可ありなんやそうですよぅ・・
  雪の少ない都市は水不足の年でもあります
  すでに四国ではしすい制限も始まったとか・・・
      
     今年は琵琶湖の水質も心配ですねぇ

 No.:619   ヤゾー  - 2007/02/14(水) 18:31
イノシシのバカタレが!
春一番が吹き荒れてますが
みなさん こんばんわ

鳥インフルエンザも新インフルエンザも怖いですが
勢いあまったイノシシも怖いです。
ここのところ 寝付きが悪くて なかなかすんなりと眠ることができません。
昨夜も三時過ぎにやっとウトウトしたと思ったら
いきなりドーンという大きな音と振動がして飛び起きました。
一瞬何が起こったか分かりませんでした。
なんだったのか恐る恐る懐中電灯を手に外に出て確かめたら
音がしたあたりの地面にイノシシの大きな足跡と ズッズと滑ったような跡がありました。
おそらく裏山の急斜面からイノシシが下りてきて 勢いが止まらなくて山小屋の壁に激突したのでしょう。
お陰で明け方まで寝付かれませんでした。イノシシのバカタレがと言いたい気分でした。

ネットサーフィンしていて気になった話です。
米どころで豪雪地帯と言われるところが
異常なまでの暖冬の影響で積雪が殆どない状態だそうです。
積雪というのは重要なダムのような役割もはたしているので
農作物等への深刻な影響が懸念されるという話でした。

 No.:618   こうへい  - 2007/02/14(水) 18:09
よくわかりませんが
人間が発病するウイルスに変異したら、大流行でごっつう恐いみたいですねえ。

 No.:617   ya(・ε^)na  - 2007/02/13(火) 22:29
こうへいさんおおきに・・
でもまだなんやわかりませんねぇ・・

 No.:616   こうへい  - 2007/02/11(日) 09:03
鳥インフルエンザ
の、説明があります。

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2662042.html

 No.:615   GAiNA  - 2007/02/10(土) 21:46
Re誰か・・教てくらはい・・
こんばんは。

七草粥の七草を刻むときの囃子があります。
各地によって多少の違いがあるようですが・・・。
私の故郷でも6日の夕方、
神棚の前で囃子を唄いつつ七草を刻んでいました。

これは京都に伝わる七草囃子だそうです。
「唐土の鳥が 日本の土地へ渡らぬ先に 七草ナズナ 七草ナズナ〜 
尊き神の 教えのかいは 災い避けて 幸受けよ とみたみとみよ とみたみとみよ〜」

七草が伝わった頃から、鳥インフルエンザを知っていたか・・・と
昔も今も、唐の国から鳥によって悪病が持ち込まれ・・・て。
それは大間違いだ・・・だ・・・だ    といわれそうですが。

野鳥には免疫があって・・・
人間に飼われ抵抗力の無いニワトリだけが犠牲になっているんですかねえ。

 No.:614   ya(・ε^)na  - 2007/02/09(金) 22:53
誰か・・教てくらはい・・
鳥インフルエンザでよおさん死ぬのは何故か?にわとり・・
 なんでカラスは死なへんのん??
  なんでスズメや野鳥は大量に死なへんのんやろか??
 なんや不思議やねぇ??
  もし大量に野鳥が死んだらどないするのんやろか??
 日本中に石灰まくのんかねぇ??

 No.:613   GAiNA  - 2007/02/09(金) 22:39
今冬のインフルエンザは・・・
みなさん、こんばんは。

今冬は、いつもの年よりも2ケ月ほど遅く、
B型インフルエンザが流行しているようです。
例年のパターンは感染力の強いA型が先行して流行、
その後、3月にB型に移行して終息するようです。
幸いにも新インフルエンザの発生は無いようですが、
特効薬といわれているタミフルも
発症して48時間以内でないと効果ないと・・・。
さらに、今のインフルエンザにも効きにくくなってきているようです。
お気をつけてください。

この冬は、ノロウイルスによるウイルス性胃腸炎で各県に警報まででたり・・・
どこかでウイルスも変化をしているようで・・・不気味です。

以前に「原子爆弾により降雨」をというような実験が行われたり、
話題にもなりましたが・・・どうなっているのか?  
最近聞かれなくなりました。

原子レベルで考えたら・・・原子爆弾もなくなるのかも知れません。
それとも思考そのものが出来なくなるかも。

 No.:612   ヤゾー  - 2007/02/09(金) 21:40
原子レベルの意識って
みなさん こんばんわ
新インフルエンザのことをニュースでやってましたが
ちょっと怖いですね。

今朝 面白い夢を見ました。
今まさに原子爆弾が頭上で爆発しようとしていて
これはもう どうしたって どうにもならないという諦めのなかで
どこからともなく 原子レベルで意識を変化させることができたなら
原子爆弾を乗り越えることができるという声が聴こえてきて
どっちにしても原子かい というボヤキで起きてしまいました。

 No.:611   こうへい  - 2007/02/09(金) 18:24
受胎告知
笑われそうですが、昔、キリスト宇宙人説ってありました。
で、キリストは、人間と同じ姿をした宇宙人との体外受精で生まれた・・そう、信じておりました。
だから、処女懐胎なんですよ(^ニ^)

 No.:610   ヨーカン  - 2007/02/09(金) 12:31
処女懐胎
なんで「処女懐胎」なんだろう?

お前さん達とは違う そもそも出来方からして尊いのじゃ!
    と
こう言いたいのやろね

けんども おいらは「そんなもんのどこがとうといのんじゃい!」と思う

そも、そげな訳の判らん物や人を持ち出してコケオドシの飾り立ての狙いは な〜に?
「尊いお方の教えに習い、従順な庶民になって しっかり税を納めるがよい」
「神の名の下に 立派に 戦いなさい」
「教えをよく行うから我等は指導者となっておる 言うことを聞きなさい」

 と まあ こんなところでしょうか
権力者が作りあげ利用した、造られた歴史の見本みたいなのが「処女懐胎」だと思う
ほんでからに、ほんまのことは、闇に・・藪のなかに・・

天明の飢饉の時には日本の人口が半分以下に減ったとの記録あり
神や仏は なにしてたんかいな?

山のもの 海のものも無くなってしまい
口に入るものは なんでも なんでも・・
餓死したら肉が無いので 弱ってきたら早い目に  親を食い 子供を食い

だれが餓死して だれが残ったの?

 神さん・仏さん こんなときこそ そのお力を・・

 No.:609   詩人PIKKI  - 2007/02/08(木) 13:15
ヤゾーさんみなさんこんにちは
URLhttp://members.goo.ne.jp/home/pikkibikki
「日本の神々」谷川健一(岩波新書)という本を読みながらふと思ったのですが・・

天照大神という神道や天皇制の中心の神もまた・・
日本列島先住民のシャーマン的な巫女の伝統を受け継ぎ、換骨奪胎・変質させながらも
キリスト教におけるマリアの処女懐胎とも共通しているのではないのでしょうか?

詳しくは次の日記で考えてみたいと思うのですが・・
「日本書紀」の伊勢神宮の起源のヤマトヒメの部分はー
神を背負って歩く東北の「あるきみこ」や、南島の巫女がシャーマンの修行中で
ツヅの神(カン)を過程と全く同じです。
「照る」という字のつく巫女や神女の命名が多いのも、古代日本と沖縄に共通です。

処女懐胎についてはーもともとが日の妻・太陽の妻であったらしい天照大神や
鹿児島の大隈正八幡や、古事記のアメノヒボコの話や・・
(天皇制の儀式と沖縄の祭りでのノロ等の儀式ともほとんど同じだけど)
特に多いのが南島の奄美の島々というのは何故なんだろか?

 No.:608   参加者  - 2007/02/08(木) 10:59
宮本常一勉強会
宮本常一の本の勉強会で面白い発言がありました。一部を紹介します。

「学校で習ったことを調べたら実際は嘘があり異なることがあった」
「本も読まなければならないが宮本常一のように自分で調べて歩く必要がある」
「年寄りが少なくなるからなおさらである」
「実際は女の夜這いやクグツは最近まであった」

「宮本には芸能がないのが大きな弱点」
「柳田國男や宮本常一は部落や社会的地位の低い人の扱いが不足している」
「民衆の対象から部落を排除してるから差別してるようにみえる」

 No.:607   世間師  - 2007/02/06(火) 01:43
葛城山周辺
葛城山と御所市の柏原地区は東西関係ですね。 このラインの中間に秋津島の語源かもしれない秋津地区がある。

一言主神社の方が、少し南西にずれる位置にあるのはどうしたことでしょう?

高天原伝承にかかわる高間彦神社のそばに土蜘蛛塚という古墳がありました。

 No.:606   釣 楽  - 2007/02/05(月) 23:03
さえらさん、始めまして。
私は「ヘロヘロ会」の会員ではありますが、岩魚釣で山へ出掛ける以外に登山もしています。
↑我が県の最高峰は二上山より200メートルも低いので、平地を毎日10kmは歩いています
山は良いです、自然は良いです、そんな中に身を置くだけでも癒されます。
HPで検索した二上山の写真を見ると、方向によっては筑波山にも似ているようですね。
中部以西の山は全く存じませんが、二上山から竹内峠を通り葛城山へ至るルートは、その景色を含めて古の人々の思いを重ねながら歩けそうですね。しかし、私の所からは何分にも遠すぎるのが難点です。

 No.:605   ヤゾー  - 2007/02/03(土) 17:57
宮本常一教授
みなさん こんばんわ

ヤナさん それはよいことを教えていただきました。
今から見るのが楽しみです。

友人の画家が武蔵美の学生だったころに
宮本常一さんの講義を受けてたそうです。
とても情と味のある方だったそうです。
そういえば ヤナさんがこうへいさんの個展を見に海南に来たときに
その画家のアトリエに案内したことがありましたね。
その画家と知り合ってもう十年以上になりますが
よい絵を描くことしか頭にないような まったく邪念のない人で
自分はまだまだヒヨコで 70歳くらいで一人前になればよいと口癖のように言ってます。
50CCのカブに乗って ふらっと山小屋を訪ねてきては 数時間話をして帰ってゆくのですが
この間会ったときに話たら もう還暦になったとおっしゃってました。
ひとつのことをコツコツと積み上げてゆく姿に頭が下がる思いがします。
最近 海外から評価されるようになったみたいで 自分のことのように嬉しい思いがします。

http://www.nihonbijutsu-club.com/AZUMA/

 No.:604   ya(.・ε^)na  - 2007/02/03(土) 16:33
関西地区だけかなぁ
夜10時・NHK教育
 ETV特集 宮本常一生誕百年
  地方を見つめた民俗学者ってのがおますよぅ

 No.:603   さえら  - 2007/02/02(金) 11:44
読み終えました。
世間師さん、はじめまして。
いつも、博学な世間師さんの書き込みから、様々知識を吸収させてもらってます。
今後も色々ご教授ください。
ランドマークとしての二上山、たしかに昔遠足に行った時を思い返しても、
近鉄線の車内からでも奈良県に入ればずっと見えていたような気がします。
新装版「風の王国」の重厚感のなさを嘆いておりましたが、ひとつだけ素晴らしいのは表紙の写真です。
ランドマークとしての二上山という存在がうなずけるものでした。うつくし、あやしフタカミヤマも
よく表現されていると思います。

何度目かの「風の王国」を読み終えて(じっくり読もうとしていたのに、結局一晩でよんでしまいました)
ますます、登りたくなってきました。
その時は、ぜひここを訪れるみなさんと登りたいものです。

釣楽さん、はじめまして。
釣りの好きな皆様にとって川のない二上山はあまり魅力のないものかもしれませんが、
ぜひ、ご一緒したいものです。今後ともよろしくお願いします。

言い出しっぺの僕が、登山のプランを具体化しなければいけません。
今度、母校小学校に当時の「二上山耐寒訓練」の栞が残っていないか訪ねてみるつもりです。
あるかなー?

ヤゾーさん、
そうです。さえらはサエラからです。どっちかって言うと「哀」より「サエラ」です!
僕の場合は。。。

 No.:602   世間師  - 2007/02/02(金) 01:27
二上山
二神山は、登ったことないけど葛城山系ですね。
一言主神社は、十数年前に参拝しました。

御所市には柏原(かしはら)や秋津(あきつ)の地名があり、
日本の国の始まりにも重要な場所だと思います。

柏原の神武天皇社には一度行って見たいと思います。

二上山や筑波山は、綺麗なシルエットから信仰の霊山とされますが、
二こぶの山の形から、自分が何所いるかわかるランドマークでした。

先にあげた河野氏歴史を記した「予章記」には、河野氏の太祖が
オキツ島(現在の興居島)で産まれたとされますが、興居島も二上山の島です。

曇って星が見えない夜も、島影の形で場所がわかった筈です。

 No.:601   世間師  - 2007/01/30(火) 23:06
ナンバ歩き
>釣 楽さん
ナンバ歩きは山人の特殊走行法でなく、明治政府が西洋式体操を取り入れるまで日本人全体がナンバ歩きだったそうです。
ナンバ歩きで足半草鞋を履いていても、踵を地につけなかった訳でなく、母指球に重心を掛けた歩き方で、草鞋の部分が地面にエッジ機能を持っていたのでしょう。

宮本常一の本を読んだら、大正期辺りまでは地方は裸足が多かったそうです。

話は変わりますが、昭和28年の「ゴジラ」では、伊豆の島民がまだ草鞋履きだったのに驚きました。

対極的なのがヨーロッパ民族の軍隊行進のような膝を伸ばしたままの歩き方です。
真似するとわかりますが、相当に踵に負荷が掛かります。足半草鞋だったら出来ません。


旧水戸街道の神社探訪おつかれ様です。
神社と湧水 生活環境と神社が密接な関係があった中世以降の環境が残されているのですね。

 No.:600   ヤゾー  - 2007/01/30(火) 00:50
サエラ
みなさん こんばんわ

PIKKIさん こちらにいらしたときには是非ご一報下さい。
お体 ご自愛下さいね。

>明確な結びつきは?何なのでしょうか?

GAiNAさん 小説の中では サンカの人たちにとって忌わしい事件の舞台だったということでしたが
そこに仁徳天皇陵をもってきたあたりが 作品に深みを与えているのかも知れません。

さえらさん 新装版の風の王国は なんでも数巻に別れているそうですね。
ぼくももう一度 読み直そうかと思ったりしています。

サエラって 風の王国の中にでてきた歌手でしたね。
主人公の兄の真一との関係はとても素敵でした。
最後に読んでからもう随分となりますが
思い出すと 今でも登場人物の何人かは実際に存在していたかのように
錯覚するほどに心の中に蘇ります。
人物描写が サンカの末裔というものを見事に表現しているのかも知れません。

 No.:599   GAiNA  - 2007/01/29(月) 23:55
二上山風景
さえらさん、こんばんは。
KUMANO LIFEの常連でもない私にまで、
ご挨拶いただき恐縮です。

年に数回、五条から「風の森」を越え、
水越峠、竹内街道の入り口近くを通り帰路に着くのですが、
「風の王国」を思い出す度に、二上山近郊の風景が甦ります。

今後も、よろしくお願いいたします。

 No.:598   こうへい  - 2007/01/29(月) 23:30
二上山
さえらさん、はじめまして
これからもよろしくお願いします。
ボクも読み直して、同じコースを歩いてみたい。
足腰が痛くて、自信がないですが。
さえら・・さん・・って、どっかで聞いたような
たしか、女性・・
「戒厳令の夜」・・?


 No.:597   さえら  - 2007/01/29(月) 19:53
そういえば。。。
Mailmostro@maia.eonet.ne.jp
こうへいさん、GAiNAさんはじめまして。管理人ヤゾーさんも書き込み復活ありがとうございました。

GAiNAさんに言われて、僕も風の王国を読み直してみようと思い、
せっかくなんで、新装版を今日、買ってきました!
アメーバ ブックスというところからの出版ですが、なんと、横書きです。
重厚感のかけらもありません。ま、大事な初版本はしまっておいて、
せんべいでもかじりながら読むのには、ちょうどよいです。
さてこれから、読む事とします!

では、また。

 No.:596   GAiNA  - 2007/01/28(日) 21:46
風の王国と二上山
今ひとつ、この小説での設定が理解できていないのです。
流れの上では・・・へんろう会、ボストン美術館、などなど解るのですが。
それは、「仁徳天皇陵」なのです。
二上講と仁徳陵の関連は?
二上山を模したのが仁徳陵だからなのか?
明確な結びつきは?何なのでしょうか?
この「風の王国」に出会ってから、
随分と時間が経っているので、記憶も薄れているのですが・・・。

 No.:595   こうへい  - 2007/01/28(日) 20:52
二上山
ぼくも石(サヌカイト)を採りにゆくときは、二上山のそばを通ります。
「風の王国」を読んだ時は懐かしい山が出てきたと思いました。
でも、登ったことはありません。
翔ぶ女と出会いそうで、いつか登りたいと思っています(^^)

 No.:594   さえら  - 2007/01/28(日) 18:51
ありがとうございます。
消えた書き込みを復活させていただき、感激です。
これからは、さっさと書く事とします!

とはいえ、復活していただいたものの、皆様の格調高い文章と
並べられると。。。恥ずかしいです。

では、また。

 No.:593   道産子詩人PIKKI  - 2007/01/28(日) 02:27
ヤゾーさん皆さんおばんです
昨年は色々とお世話になりました。
皆様は、お変わりないでしょうか。
昨年末に訪れた尾鷲や大台ケ原はカモメや山菜を満喫でした。
ほんとは熊野まで行きたかったのですが・・

パソコンが壊れてしまい・・一ヶ月ぶりくらいに復帰したばかりです。
買ったばかりのバイオはまだ修理中です。
僕自身が来月から検査入院です。
今年もよろしくお願いします。

 No.:592   ヤゾー  - 2007/01/27(土) 19:28
フタカミヤマ
みなさん こんばんわ
用事でしばらく山小屋を留守にしていました。

さえらさん はじめまして
投稿できなかった文章をこちらで復活させていただきました。
掲示板の管理ページをチェックしたところ
どうやら投稿までの時間が長くて弾かれたようです。
スパム投稿防止のために いろいろとフィルターを設けております。
誠に申し訳ありませんでした。
一度 メモ帳などに文章を書いて それを貼り付けることで
長文の投稿も大丈夫だと思います。

五木寛之さんの確か「風にふかれて」というエッセイの中に
クルマについて書かれたものがあったように記憶しています。
なんでもクルマの免許を取得するまでに ハイヤーをチャーターして助手席に座り
用もないのに高速を走ったり クルマの歴史や構造を何年か研究してからやっと免許を取り
いきなりポルシェを買って 夜中から明け方にかけて日課のように首都高速を走り回ったみたいなことが書かれていました。
最近 新しいかたちで 風の王国が出版されているのは聞いていました。
二上山 ずっと前にクルマで近くまで行ってみたのですが
駐車するところがなく 登らずじまいで帰ってきました。
いつか登ってみたいですね。

良介さん 風の王国掲示板へのオリオン大星雲の写真投稿 ありがとうございました。
あんなのを肉眼で見たら さぞ感動することでしょうね。

 No.:591   さえら  - 2007/01/27(土) 10:44
二上山に登りませんか?
初めて書き込みします。
皆さんはじめまして。サンカを検索してここにたどりつきました。
さえらと名乗っても、男子であります。以後お見知りおきの程、よろしくお願いします。

僕は、二上山を学生時代、初版の「風の王国」にて追体験(?)した者です。
追体験という言葉が正しくない気がしますが、以下のような事情です。

もう二十年程前のある日のことです。
僕はクルマが好きで、自動車レースにも参加していて、当時同じレースに参加していた
自動車雑誌編集者が、作家の五木氏をチームの顧問?スポンサー?としている事を知りました。
五木氏の作品といえば、親が見ていたテレビシリーズの「青春の門」くらいしか知らなかった僕は、
「五木寛之ってクルマ好きなんだ。ちょっと意外。」と思っていた訳です。
そう、そこで、「二十年程前のある日」は、五木氏のクルマ好きな一面が見えるような本はあるかな?と
本屋に行ったんです。なにげなく新刊のコーナーを見ているとちょうど五木氏の新刊が平積みにされてました。
「風の王国」というタイトルからは、僕の期待するクルマに関する記述なんかはなさそうだなと思いながらも
手に取って開いてみました。すると、本の奥付けと言うんですか、とにかく表紙の裏に何とも懐かしく、見覚えの
ある地名の載った地図がありました。ぱっと見は、ハードカバー新刊本の豪華な装飾デザインにしか見えないのですが、
僕は釘付けになりました。その地図にある二上山は、僕にとっては子供の頃何度も登って馴染みのある山でしたが、
なんでこんな全国的にはたぶん、かなりマイナーな低い山がこの本の奥付けになってるんだ? という興味。
そして、当時東京で学生生活をしていた僕の、故郷、関西へのノスタルジー。
で、ご購入という訳です。

僕の通っていた小学校では、「耐寒訓練」と称して、毎冬二上山に登る行事がありました。
コースは、二上山だけではなく、近隣の石舞台や当麻寺などを廻りますが、毎年いっしょ。
ただし、遠足ではなく「耐寒訓練」と名がついてるくらいですから、一年でも一番寒い時期に
いまでも、高学年はともかく、一年生にはちょっとキツイんではないかい?と思うようなペースで
竹内街道を、二上山を、疾走するがごとく歩き、登るのです。そう、「風の王国」の登場人物のようにです。

「風の王国」を読了後まず感じたのは、この小説の読み物としての面白さもさることながら、
当時の小学生の自分たちが「訓練」していたのと、ほぼ同じコースを登場人物がたどる、その不思議さでした。
その不思議さは、ただ単に「ご当地小説」なんかで感じるノスタルジーではなく、確信する既視感というか。。。
うまく、表現できません。

長々と述べて、やっとタイトルの「二上山に登りませんか?」の件ですが、
そうなのです。小説の中で追体験してしまってから、さらに二十年あまり経ってしまった今、
もう一度二上山に登りたいのです。
ひとりで勝手に行きなさいってなもんですが、なにぶん、40をまわってしばらくたちますので
ちょっと不安で。小学校の同窓生も誘ってみたこともあるんですが、ノスタルジーのみでつきあってみよう
となるには、皆なかなか腰が重くて。。。

ここを訪れる方々なら、僕のわがままにつきあっていただけそうな気がしまして、このような書き込みを
させていただきました。
いかがでしょう?あんまり期待せずに待ってます。

では、また。


 No.:590   釣 楽  - 2007/01/27(土) 12:35
ナンバ歩き(走り)
こんにちは。
少し前までの成田線の始発電車は、銚子から乗ったおばちゃんと途中から乗った農家のおばちゃんの商品交換場でもありました。
このおばちゃん達、60kgもの荷を担いで歩くのですから、草履を引きずるようにべた足で歩いていました。
つま先で蹴る事を押さえて重心の移動(重心は足底全体)だけで身体を運び、手はぶら下げた状態で殆ど振りませんでした。
よほど速く歩く(強く蹴ること無くて速く歩けない)必要の無い限り、山人の歩きもおばちゃん達と同じ歩き方(重心の移動)が基本で、筋力を成るべく使わず(疲れず)に長距離を歩く方法でもあります。
そして、長距離を踵を踏まずして歩いたり走ったりすることは、如何に訓練された人とて難儀なことです。
↑試しにやってみたら、私の筋力では長距離は無理です
ナンバ歩き(走り)を良く存じませんが、足と手が同時に出る以上(腰を捻って推進力にしない省エネ歩き)は必然的に手の重心は下がり、手を前に大きく振り出すのは理屈に合いません。
どのような歩き(走り)方にせよ、人は足の構造上「拇指球で蹴る」ことによって前進しますので、この言葉で足中草履を肯定するのは疑問です。
しかし、接地面性が少ないほど滑り難いのは確かですから、身体の重心をつま先で捉える訓練が出来ていれば、海の滑る岩場などでは足中草鞋も有効ですね。
「ナンバ歩き(走り)=山人の大きく手を振る特殊な歩き方や足中草鞋」とは成らないように思えるのですが?

世間師様
風早神社の崖下には今もコンコンと湧水(宮の下湧水)が出ていました。
鮮魚街道(旧水戸街道)竹ノ花・雷電神社(別雷命・近くに金山神社が在り)は鍛冶屋の神様と書かれており、北関東から移ったタタラの方だったのかも知れませんが、雷電神社がタタラの神様とは驚きました。・・・此処の神社崖下にも僅かな湧水が出ています。

 No.:589   さえら  - 2007/01/27(土) 11:15
あららー。。。
やっぱり、失敗していたようです。

皆様、初めまして。さえらと名乗っても男子であります。
以後お見知りおきの程、よろしくお願いいたします。

長文の書き込みが自分のミスで消えてしまって、かなり凹んでおります。。。
今日はもう、再度文章を構成する元気がありませんので、失礼していきなり言いますっ!

「いっしょに二上山に登りませんか?」

です。
僕の二上山への思いをしたためた長文を用意していたのですが、そう、要点はこれだけなんです。
枝葉末節はまた、日を改めまして書き込みします。(だんだんヤケになってきてますが)
でも、くやしい。とほほ。。。

 No.:588   良介  - 2007/01/27(土) 10:57
準速報
ヤゾーさん
皆さんおはようございます。

2日前のニュースで、マイクロソフト社が「XPホームエディション」のサポートを先2年間で打ち切ると昨年から言っておりましたが、なんと〜☆ 嬉しいことにサポートが【7年間延長】なりました ネットファンのユーザーにとって現在の経済状況かでのやりくり大変です これで、PCの買い替えもしなくて済むのでホットしている方も多いかも ちなみに日本のPCファンからの要望・苦情が多かったので延期実施したとのことです物は言ってみるものだなっと感心しました。

ヤナさん
本日は・・快晴になり 
グレ釣りは明日なんですね
もしかしたら・・期待できそうな予感してます
熊野の神さんに、お願いしときますわ
楽しんできてね ほぃじゃまたね〜(^_-)-☆

 No.:587   さえら  - 2007/01/27(土) 10:51
あれ?
さっき、長文の書き込みをしたつもりなんですが、upされてないようです。
ちょっと、テスト書き込みさせてください。

 No.:586   世間師  - 2007/01/26(金) 01:35
瀬戸内世界
>*(●。。●)*nglyさん
こんばんは

「海士・宿海」は「予章記」の記述のままですが、海士はアマでしょう。
宿海は見たことない言葉ですが、宿=夙ではないでしょうか。海と関わる夙の意?
「=」と書いたのは、河野氏と被差別部落の関係を説かれたことに、驚きと疑問を感じたからです。
(この辺りは、被差別部落の成立に対する疑問があるので、別に書きます)
「予章記」は沖浦氏の「瀬戸内の民俗誌」にも紹介されています。

瀬戸内の世界は思ったより狭いのは、幕末の第二次長州戦争の時に、松山藩は松平家なので勢いよく長州に攻め入ったが、奇兵隊の新式銃の前にあっという間に全滅。
船を出した船子達も拘束されたが、藩兵でなく下級の身分通しでは婚姻関係もあったらしく、その為に船子は許されて帰還しました。
松山藩は長州と戦っても勝てないのが身に染みて、戊辰戦争の時は抵抗しなかったそうです。

>ya(・ε^)na さん
本住吉神社の辺りですよね。 摂津ですね。 
弾左衛門の本にあったと思いますが、「由来」に出る猪名川の近くの皮細工の古い集落が、
あそこが播磨と摂津の境辺りなんでしょうか。

 No.:585   ya(・ε^)na  - 2007/01/25(木) 23:58
せやせや・・
弾直樹は、住吉村生まれやってなんかの本で読みましたよぅ
  神戸の住吉は摂津なんやろか??播磨なんやろか??

 No.:584   ya(・ε^)na  - 2007/01/25(木) 23:52
へへへ・・あのねぇ・
通りすがりさん・・こんばんわ
 これは・・んんんんんん
 これも進化なんやろかぁ??・・ねぇ・・へへ

 あのねぇ・・聞いてくれますかぁ・・
   この日曜・・田辺なんよね・・
  40クラスのグレが釣れてるんやてぇ・・・
      さっきまで仕掛け、こっさえてたんよね・
  ハリスは1半・・にしとこか2号にしよか♪・・
   ヤッパ2半にせなあかんやろかぁ♪・・・
   もうほんまにワクワク♪しますねぇ・・わくわく・・へへへへへ



  んんんんんんん・・なんやてぇ
      日曜雨みたいやてかぁ・・・
         雨が降ったらエエねん!・・やてかぁ
     
       だれや・・根性悪いのんわ!!
                           

                   ぷんぷん!!

    

 No.:583   通りすがり  - 2007/01/25(木) 23:09
何か・・
最近ちょっと普通の人は掲示板の書き込みがしづらくなったような。。。
昔はもっと心温まるものが多かったんだけどなー

 No.:582   *(●。。●)*ngly  - 2007/01/25(木) 10:59
ながくてすみません
世間師さん

議論が熱を帯びるは自然です。なぜなら真剣な心が入っているからです。
酷い喧嘩で無い限りまた失礼がない限り、冬でも暑くなりましょう。
真実のためにはそれが重要です。些細な誤解や事実誤認はやめましょう。

>この時、降参した鉄人の配下は足の筋を切って須磨・垂水に追放された。
子孫は海士・宿海として相続した。
Q.この海士・宿海と何ですか?海士とはアマでしょうか?
>石手寺は参拝。裏に白山神社の碑とは。
C.神社で参拝しないとて年配の方から叱咤を受けました。でも自分との
関係が不明なのに参拝なんてしません。「まあまあ」「なな」で根拠や理由
なきことを私はしません。石手寺にある白山権現の石碑は神主の夢に出て
きて戦後に作られたようです。それにしても夢見とはね?
>被差別部落系の方にも河野姓を名乗られるのは、全く不思議でないと思
います。ただ【=】とされると「えっ」と思うばかりです。N.578
Q.「えっ」と思うばかり。は否定、疑問、驚き、肯定ですか?
Q.=はどの部分を指しているのか。私の表現が不十分なのでしょうか。
「と思います」とお言葉ですから議論の対象にはなり難いです。根拠ある
事実(本の引用でよい)ならありがたいし、その事実が変なら議論します。
>意外と四国と中国地方は、近いのだなと。N.578
スーパージェットで1時時間、フェリーで3時間。橋を使う車で1時間。旅人
には短時間かも。生活者には長時間です。時代を遡ると大変不便な間柄です
が、フェリーの運航は過去の交流の軌跡のようです。歴史は時代と主体を
どこに置くかで評価が変ります。現在の常識で過去の事項を推測すると狂い
がきます。島への出入の舟を「まるで奴隷船」という年代も減りました。
>愛媛……年頃に猫を被る。A.化粧事態が詐欺行為です。我家では詐欺を認
めません。愛媛では常に猫を被り、…「坊ちゃん」虐めする。

たちどまりさん こんにちは。
>最後の弾左衛門、弾直樹は河野ではなく矢野姓、播磨ではなく摂津。N.577
Q.安芸、摂津、播磨どこなのでしょうか。諸説あるようですね。
A.矢野姓は、団左衛門配下を【矢の者】といいまから、これに由来する
という説があった。配下幹部を【行司】といいます。団も弾も同じです。
これに東北の【団三】は由来か。また福島「団七踊り」もか。

GAiNA さん いつもお世話になっています。
>五木寛之「日本人のこころ・4」N.581
五木寛之の本読んだことはありません。小説は面白いのですが、小説家は
根拠を示さないからです。三角寛も新聞記者で小説家であったことが後の
サンカの研究に致命的欠陥の影を落とすようです。記者の取材、物書の
調査、研究調査には区別があるようで、法的には前者と後者には区別が
あります。もう一つ、ある社会学者「社会的に認められたサンカの定義が
無い」と言います。

 No.:581   GAiNA  - 2007/01/24(水) 23:53
浅草弾左衛門
弾左衛門と車善七について
五木寛之「日本人のこころ・4」の
「浅草弾左衛門」と呼ばれた賤民の王 で述べられています。

 No.:580   世間師  - 2007/01/24(水) 23:09
遅れましたが
>たちどまりさん
ご教授ありがとうございます。

是非、色々教えて下さい。

 No.:579   世間師  - 2007/01/24(水) 21:00
気質
愛媛でも瀬戸内の島の方は、海の生活の要素が強いのか、言われるように気性が荒い。
女の子も気が強い。
親類の女の子も、小学生位は気性が剥き出しだったけど・・
年頃になると、猫を被る・・怖いですね。

親類で、松山市街地で育った人に聞くと、内陸は「皆おっとりしてます」とのこと。
やはり違うんですね。

関東の方も某祭りで、地元じゃない海の方の地区からきた人が暴れるのだそうです。
そんな話を聞いて、「ナルホド」と思いました。

海人の末裔なのに殆ど泳げませんが、気の強い女の子がやはり好きです。

 No.:578   世間師  - 2007/01/24(水) 20:53
伝承について
>*(@..@)*ngly さん

レスが遅れて済みません。
以前に松山の高縄城跡(河野氏の城)から瀬戸内海を眺めたら、芸予諸島や中国地方の広島や山口もよく眺められました。
意外と四国と中国地方は、近いのだなと思いました。
河野氏が中世に瀬戸内に覇を称え、海人を掌握していたのなら、どの階層といわず周辺に河野姓を名乗る方は多いと思います。
その名残と言うか、被差別部落系の方にも河野姓を名乗られるのは、全く不思議でないと思います。
ただ【=】とされると「えっ」と思うばかりです。


わたしは足半草鞋は履いたことはありませんが、前に武道をやっていたので、民俗的な説明文を読むと、特に機能性について思い当たります。
機能性にすぐれた足半履物が賎民の履物とされるのは、雪駄等の履物作りが被差別民の生業と定められた背景と、短寸が貧困のイメージに関連付けられただけだと思います。


伝承を考える上で重要だと考えるのは、

A 純粋な伝承

B 認識不足や偏見などの過ちから上積みされた伝承。(俗説)

研究者は俗説を排除して、純粋な伝承を復元すべきものと思います。

私も過去、陰陽師村で考えさせられる出来事がありました。


 No.:577   たちどまり  - 2007/01/23(火) 19:08
最後の弾左衛門
重箱の隅をつつくような事で申し訳ございません。
最後の弾左衛門、弾直樹は河野ではなく矢野姓、播磨ではなく摂津(神戸市)出身です。 
旧姓は寺田、墓は今もそこにあります。地元では隠れた英雄になっています。
ちなみに、自分もそこ出身です。

 No.:576   yoshiko  - 2007/01/23(火) 01:25
やなさん、うらやましい・・・
やなさん、また磯釣りに行かれるんですね!
よかったですね^^
うらやましいです〜〜

一瞬、自分も船に乗っているような気がしました。
やなさんの文章って魅力的です☆

私もその土地の気を感じることが大好きです!
そして、日々の忙しさで自分が誤作動しそうなときに
目を閉じて、沖縄の海っぺりや美濃の山奥に
立ってる自分を想像して、そのときに感じた土地の気を思い出し
自分を取り戻したりなんかして・・・

いろんなスタンスの方が居ていいと思います。
ただ、インターネットってお互いの顔も見えないし
文字だけの表現ですから、言葉や表現には少し想像力を働かせた
方が良いような気がします。

そんなつもりはなくても、意外ときつく響くことって
ネット上ではよくありますよね!?
いらぬ誤解を招くことは百害あって一利なしなの
ではないでしょうか?
きつい言葉を言い放たなくても
普通の表現で充分相手に真実を伝えることはできると思います。

なんか、余計なこと言っちゃったかも、ごめんなさい。。。





 No.:575   *(@..@)*ngly  - 2007/01/23(火) 00:39
意見だけでなく事実を
世間師さん
ありがとうございます。
>部落民がKを名乗っても、全てのK姓が別所とはならないと思います。
○主張には根拠か理由が欲しい。背景となる事実があれば説得力あります!
○最後の団左衛門(広島出の説も)、全財産投入の広島の河野氏の話は事実です。
○全てのK姓を調べたのではありません。古い同和部落は別所に由来する
ことが多いようです。
 
>足半草鞋と差別は関係ないと思います。
○山である名前不明の山登人から「足半は賎民和などが履く定め」と聞きま
したが、古文書にはまだ見ません。中世頃から兵士は足半ですから矢切が示
すように、菱実や栗イガが徒歩(歩兵)対策としては有効でしょう。

 No.:574   世間師  - 2007/01/23(火) 00:24
鉄人伝承は興味深い
*(-..-)*nglyさんと、論争したいわけではないので・・すみません。

書き漏らしましたが、石手寺は参拝しました。 裏に白山神社の碑があったなんて知りませんでした。

「予章記」は面白い書物です。
伊豆の役の行者と河野氏が関係があると伝承されていますね。

 No.:573   ya(・ε^)na  - 2007/01/22(月) 23:40
熱いなぁ・・
次の日曜・・
  また出かける事ができるんですよぅ・・磯釣り田辺です

 まだ暗いうちに、渡る小磯・・
  この時期、外気温がおもくそ下がるとき
  海面が霧に包まれその霧をぬけるように船は進みます・・
       その後・・水平線から日が昇ります・
   嫌な事も悲しいこともなんやみんな忘れることができます・・
           
    グレのサイズも一回り大きくなってるそうですので・・
      楽しみですよぅ・・・・・・

  そんな私の大好きな磯釣りですが、お人によっては、なんじゃそんなもん・・
    くそ寒いのにようやる!!なんて思われるお人も居られますよね・
      山登りや渓流釣りもそんな感じですよね・・
 
   でもその場所に身を置いた時・・感じるんですよね
    その土地の霊気なんでしょうかねぇ
      感じ方は人それぞれ違うかもしれませんが・・

  感じれることって大切です・・
     それぞれのお人の感じ方違ってるけれど・・必ずしも皆が皆、同じやなんて思いませんし・
    そこに長い時間の経過があるなら・・意見も考えも同じでなくてもそれはそれ・・
          やったりして・・
  大勢のいや・・自分以外の意見がすべてでもなければ自分が間違いでもない・・
     ガリレオやったか・コペちゃんやったか忘れたけど
       それでも地球は回ってたりして・・

  どなたとお付き合いしても・・疲れるときも疲れを忘れるときもおますよねぇ

   風の流れるところで、うーーーんと遠くを眺めてみてください
    風を感じてください・・
    

  熊野の住人のおはなしは、楽しいし、勉強になりますよぅ
    熱くならず気長に教えてくらはいませ・・
   お願いします

     
       そないおもいませんかぁ・・
      ねぇ・・・爺さん・お姉さん方・・へへへへ

 No.:572   世間師  - 2007/01/22(月) 23:23
河野 足半草鞋
>*(-..-)*nglyさん 
>最後の江戸総長吏(部落の大親分)は河野姓です。

最期の弾左衛門の弾直樹のことですか? 彼は播磨の出身で、弾左衛門の養子に入った人物ですね。
河野姓が登場することについては、心当たりがあります。

河野家の歴史をまとめた「予章記」に登場する、小千益躬(おちのますみ)が朝鮮から来た鉄人を退治した伝承があります。

[要約]
全身を鉄に包まれた鉄人が、朝鮮から攻めてきた。
小千益躬が、鉄人に投降した振りをして、播磨で鉄人を退治して仲間も殺した。 
この時、降参した鉄人の配下は足の筋を切って須磨・垂水に追放された。
子孫は海士・宿海として相続した。 「河野の下人なりとぞ言ひ伝えへけれ」
播磨の被差別部落の由来に、この時の鉄人の配下の末裔とする説があるのを、読んだことがあります。

一部、部落民が河野姓を名乗っても、全ての河野姓が別所とはならないと思います。
瀬戸内の方は、河野氏の流れが多いけど、部落の話ははじめて聞きました。
安倍姓を名乗ると、すべて蝦夷であると判断するのと同じで、短絡的だと思います。


>草履までも半分に強制された庶民史を知らぬ民俗学なんて。

これは誰か(八切止夫)の説なんでしょうか

前に書いたように、日本人の生活(起伏のある山道が多い)に即した歩き方が、足先(拇指球)に重心を掛けた歩き方で、踵には体重は掛からないのです。
足中草鞋(足半)は、生活の機能美から生まれた履物だと思います。
漁民に愛好されたのは、岩場では草鞋が一番滑らないからです。裸足でも岩場で滑ります。

以前、滝行をする時はサンダル脱ぎ、草鞋を履くように勧められました。 履いてみたら本当に滑りませんでした。

足半草鞋は、(一本歯)高下駄みたいに足のポイントで重心をとって歩く履物だと思います。

足半草鞋と差別は関係ないと思います。

 No.:571   とおりすがり  - 2007/01/22(月) 22:55
河野?
NO567のかたが「最後の江戸総長吏は河野姓です」と書いていますが
最後の長吏頭13代目浅草弾左衛門は「矢野」です。

 No.:570   *(-..-)*ngly  - 2007/01/22(月) 21:39
排外主義を排す
196さん 貴方とお付き合いすると疲れます。

 よそ者に対する予断と偏見は東京や松山などでも強烈ですが、他所から来た人
を嫌がり・排斥する地は多いです。余所国という地名すらあります。最近は在日だ
けでなく遠来の外国人への風当たりは強い。国際化の時代といっても民衆の心構え
を指導する人はいません。
 サンカは同町村でも荒廃地や村境に居住します。古文書では藩は民衆に非人を排斥
する指示を各地で出しています。この掲示板に参加する方はこのような予断や
偏見と戦うことが求められてると思いませんか。それが無知からとしても差別され
た人を高みから見て弄ぶことはすべきで無いと思います。

>そんな物騒だったなんて信じられません。
 信じる云々は考古学でよく使います。時代と場所を特定すれば物騒な事実があり
ます。昭和40年以前の町史や民俗学の本を読むと確認できます。貴方の祖先が当事者
の可能性はあるかもね。

>住友銅山とか。銅山があった割りに原生林とか、生き残ってそうですよね。
自然保護の思想があったのでなく、鉱石を掘るのに忙しく放置したからで、
鉱山は、公害が酷かったことは生野、昔は死野地名でも分かります『生野町史』。
今でも廃坑後も水銀(三重など)や砒素(兵庫など)が流出して重病人や死者
を出している地もあります。これはマスコミに報道されません。

>島だったら食料に困らない。⇒事実かどうかお調べ下さい。

想像だけでは話が進みません。事実確認が前提です。本に罹れた事も自分で確認しましょう。

 No.:569   196  - 2007/01/21(日) 21:06
たびたび失礼します。
ご存知かも知れませんが、
えみし学会http://www.jomon.com/~emisi/semi/10semi/nagasima.htm
というのがあるそうです。

 No.:568   196  - 2007/01/21(日) 20:40
ただの感想だったんですけど…
*(-..-)*ngly さん今晩は。*(-..-)*ngly さんがなぜそんなに怒っているのかわからないんですが、
よそ者という言葉ですか?そんなにひっかかる言葉だと思わなかったのですごく説明不足と思いますが、
新浜祭りが勇壮なのは、工業地帯への働き手としてたくさん増えた若者の出会いの場にもなり、見物の女は振袖で着飾り、男も祭りが男を魅せる場でもあったことからどんどん派手になったのではないか?と聞いたことがあったので、もとからそうだったかどうかはわからないという点を説明したくて“例外的に”とか“よそ者”とかいう言葉を使ったのですが、“よそ者”が犯罪者扱い云々という行がそのことに対する批判なら全くの言葉足らずでしたすみません。
歴史が奇麗事とは思っていません。祖父の写真に何戦争だかわかりませんが、勲章?(のように見えますが故人だし実際のところはわかりません。)をつけた写真があり、勲章をつけているということは、祖父の手であるいは命令でなくなった命があるんだろうな?などと、多感な時期に想像したりもしました。でも祖父に限らず殺さなかったら殺されていたんでしょう。そういう弱肉強食のようなものに生き残ったご先祖様がいるから私は生きているんだと思います。感謝するしないではなくて。
瀬戸内の特に島だったら、食べ物に困るとは思えないので、強盗はともかく(ある島全体の人々がということですか?)殺人を生業に…というのがどうもピンとこなく、その感想を述べたまでなんですが、のんびりしているからといって犯罪者が皆無とはもちろん思っていません。

 No.:567   *(-..-)*ngly  - 2007/01/21(日) 17:29
河野も日野も別所
世間師さん >大陸民族は歩く時に、かかとに重心を置く歩き方だそうです。
 有難う御座います。足中は足半と書きます。足半、今健康ダイエットの決め手。
 足半を自分達の名称にする民俗学もいます*(W..W)*。自分を分ってんの君?
 草履までも半分に強制された庶民史を知らぬ民俗学なんて。

 >時宗の開祖の一遍も河野家出身。
  松山の別所寺安養寺を石手寺に改名。改名する辺り安養寺名を嫌がったのか。
  マントルの裏に白山権現碑あり。最後の江戸総長吏(部落の大親分)は河野姓です。
  広島三良坂河野家は全財産を投じて部落解放のために尽くして今は墓石だけです。
  今は仲間を食い物にして政治家・官僚・資本家になる奴多し。先輩を見習え。
名前頭文字がA、I、Sならハンドル名サンカさん別所末裔サンカ系かもね。

(196さん >瀬戸内海の島々について、強盗、殺人と物騒な文字が。
 お上品な196様すみません。舟を襲い皆殺しが仕事は明治の愛媛の事件。事実に
 眼を背けるのはどうか。きれいごとの偽りの歴史・癒しの方がお好き?山出しは
「よそ者」の東京人の言葉。職を探して上京する者を犯罪者扱いはひどいです。
>「ひの」駅近くには別所が、隣の「あきひの」駅近くには鋳物師。
 欠陥車「四」菱は有名ですが日野ディーゼルは大丈夫か。ひの地名は別所多し。

 No.:566   196  - 2007/01/21(日) 15:56
強盗、殺人
*(@..@)*ngly さん皆さんこんにちわ。
瀬戸内海の島々について、強盗、殺人と物騒な文字が躍っていたので気になるのですが、
瀬戸内の島々のそれは一部かもしれませんが、島なみ街道ができるまで鍵もかけていなかったそうですよ。
島なみ街道が(本州と?)島を結んだせいで強盗が多くなり鍵をやむなく取り付けたそうです。衣食足りて礼節を知るとはいいますがそんな物騒だったなんて信じられません。瀬戸内でも愛媛や大分は私の知る限りとてものんびりした雰囲気ですが、例外的に愛媛の新居浜は勇壮な男祭りの太鼓祭りがあります。ただどこの工業地帯もそうであるように、よそ者がすごく流入していると思います。住友銅山とか。銅山があった割りに原生林とか、生き残ってそうですよね。鈴鹿山脈などはお姫様の化粧料として?発達した鉱業のおかげで、一時ははげ山だったそうです。所謂サンカの暮らしをしたいサンカの方たちは避難せざるを得なかったでしょうね。
ついでに鉱業関係ですが、近江近鉄本線の「ひの」駅近くには別所が、隣の「あきひの」駅近くには鋳物師という地名があります。知ってたらごめんなさい。
サンカや縄文人についてところどころ知るうちに、鬼や妖怪が弥生人にとっての異人のことだとしたら、御伽噺ってなんだかなぁって感じです。前から日本人は、琉球人やアイヌ人から日本をとったんだよなぁ?と思っていたので…

とんちんかん小僧さんはじめまして。よろしくお願いします。わたしも何箇所か吹いてしまいました!

 No.:565   世間師  - 2007/01/21(日) 15:13
歩き方
>*(@..@)*ngly さん
ナンバ足は、「南蛮」が起源という説がありますが、歩き方をナンバという意義が見出せません。謎です。
ナンバ歩きは日本人の歩く時に、足の先(拇指球)に重心が掛かる歩き方をする。
これは日本列島の地形に即した歩き方なんだそうです。

大陸民族は歩く時に、かかとに重心を置く歩き方だそうです。(軍隊歩行に受け継がれています)
日本人の歩き方と違うのです。

足中は知りませんでした。

足中草鞋
ttp://www.totsukawa-nara.ed.jp/bridge/guide/customs/ct_61.htm

なるほど、足先に重心があるとわかる履物ですね。

瀬戸内海の島の住民は、河野・村上の系統が多いみたいです。
大三島の河野家は、時宗の開祖の一遍も出身ですよね。 
一度で参拝しました。

 No.:564   *(@..@)*ngly    - 2007/01/21(日) 00:44
水軍はエミシ、サンカは足中
世間師さん
>母方は……水軍の流れ、……祖父母の代までは大きな貨物船を所持。
 瀬戸内海や日本海には金持ちの回舟問屋があり、その1つで名門か。
 水軍といえば東北から流されたで別所の者でしょう。佐渡でも瀬戸内
でも非漁業はエミシ・エビス。これを確認するために3月大三島行
です。東北から流刑の俘囚上陸地とみられる宮床近くに宿を取ります。
ばりばり研究して日本人の歴史を明らかにしたいもの。

 ナンバ走りは勉強してません。ナンバは新羅の意味?足元に
注意すると、カカトを付けず走るとか。ならばサンカなど賎民が足中
を履きでもよい(私説)。で足中は雑兵、飛脚や賎民のシンボル。
最近まで家も普通の半分の家が賎民の家です。空襲で百軒の人が焼け
出されたが五十軒分の広さだった地あり。

 No.:563   世間師  - 2007/01/19(金) 01:46
ナンバ走り
ナンバ走りについて、私が初めて知ったのは武智鉄二の本でした。(ずっと名前が思い出せなかった)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%90%E8%B5%B0%E3%82%8A

江戸時代の「ぼてふり」もナンバで走った筈だし、サンカの箕の運搬もぼてふりみたいに、棹の両側に重ねて担いだようです。
充分に考察するべきフォークロアだと思います。

 No.:562   世間師  - 2007/01/18(木) 23:24
れす
>ヤゾーさん
>半身にして 腕を大きく前に振る不思議な走り方でした。

ナンバの歩き方だと、マラソンのような真っ向向いて走ると、身体が揺れてしまうそうです。
戊辰戦争の時、身体が揺れながら移動して銃撃するから命中率が悪かったので、
明治になると西洋体操を取り入れて、日本人の体質改善を政府が図ったのです。

多分、ですが説教強盗も逃走時はナンバ走りだったのでは?
彼は「逃走時、棒を持ち障害物を避けながら走った」そうですが、ナンバで夜道を走る折に、
手を振りながら障害物を避ける話に通じるものがあります。

演劇もナンバは嫌われるので注意されますが、武道は今もナンバの足運びですね。


>*(●。。●)*ngly さん

うちの母方の先祖は、村上と河野水軍の流れですが、曽祖父の代まで大きな貨物船も持っていました。
たしかに漁業をやった話は聞きませんね。

 No.:561   *(●。。●)*ngly  - 2007/01/18(木) 18:58
漁民ならずとも舟
URLhttp://www5.ocn.ne.jp/~iyasi
あ さん 今晩は。>水軍の末裔は漁業やってるし、農業もやってるよ。

 水軍の末裔ではなく、漁民の末裔を水軍末裔と錯覚してるようですね。
 島の舟を漁舟とするはミス。多くは、運搬舟・石舟・竹舟・芋舟、石炭舟・蜜柑舟。
 島で漁船と見れる船の多くは関西や都会人の釣船です。漁船は一部の島に集中です。

1)瀬戸内海の蒲刈島では明治までは漁業せず、周辺漁師が地引網の時だけ手伝い鰯が
賃金です。牡蠣、ヒジキ・若女を食用にしたのです。で「広島の三かき」とされます。
現在でも島のスーパーでは雑魚か魚の切身を販売です。昔、船の所有を禁止された所も
あり、仕方なく強盗・殺人で暮らした地もあります。漁業でも近年まで一本釣です。
 確かに芋作りも今や立派な農業ですが、昔は米作りが農業です。

2)農村では一般に農業禁止か農業をせずです。米を主食にしない人種かもしれません。
昔農繁期には狩り出され田植・稲刈労働の主力です。実は非農民が農業の主力です。
水の管理すらサンカなどが賎民が主力。他日は魚業・杜氏・行商・物運などの雑業です。
昔の水呑ら非農民も狭田を所有するが農協の幹部になれない地もありです。が「茶筅暮し」
は体質ですから抜け出るのは難しいかも。戦後の農地改革で農村での部落差別が強まった
の主張の背景をよ〜〜く考えてください。

  この2つが別所の地の末裔の状況のようです。海賊も別所の流れと見ています。

   少し要約したので難しかったら御免なさい。
 

 No.:560   ヤゾー  - 2007/01/18(木) 18:46
ナンバ走り夜の山道バージョン
みなさん こんばんわ

武術家の甲野善紀氏の本やNHKの出演などで知られることになったナンバ走りですが
二十年近く前に 海外向けの体術(忍術)教本ビデオを観たときにも
同じような走り方がありました。
また熊野で祖父の代から炭焼きをしていたという80歳を超えた爺さんから聞いた話の中に
その爺さんが小さな頃に 祖父から夜の山道の走り方を教えてもらったというのがありましが
それがナンバ走りというか 体術の走り方によく似た走り方で
半身にして 腕を大きく前に振る不思議な走り方でした。
山の中の夜道ですから 足元が悪いうえに 暗くて障害物があっても判りづらい
しかし その走り方だと 腕がセンサーの役目をするようで 体より手が先に障害物を感知するし
転んでも対処しやすいみたいなことを仰ってました。
その走り方を見ると 思わず笑ってしまいそうな走り方でしたが
明かりとなるものが乏しかった永い時代が生んだ知恵というか
縄文時代から育まれた利に適った走り方なのかも知れません。

 No.:559   世間師  - 2007/01/18(木) 15:41
カタカムナ
1ヶ月ほど前に、相似象の宇野多美恵さんが亡くなったと聞いたんですが、本当かいなと思っていたら
他のサイトでも死亡告知があったので本当なんですね。

神泉のご自宅前までは行った事があるのですが(会社の直ぐ近くだったので)、お会いする機会はありませんでした。
カタカムナは表面だけ引用する手合いは多いけど、真髄を掴むのは難しいですね。

 No.:558   世間師  - 2007/01/18(木) 00:07
今のうちに知りたいこと
サンカ漂泊生活の体験者の方が、存命のうちに聞いておきたいことがあるのです。


一つは【走り方】  

明治維新までは日本人はナンバ走りという左足が出れば、同時に左手を振る歩き方でした。
明治以降は、政府が西洋の体操を取り入れて、意図的に日本人の歩き方は改造されました。
(ラジオ体操とか一生懸命やっているのは日本人だけでしょう)

ナンバ走りだと、真っ直ぐ走れないらしく・・戦前の時代劇の「韋駄天走り」みたいに身体を半身にして走ったようです。
参加生活者が、政府が導入した体操と無縁の生活をしていたなら、「ナンバ走り」の伝統が残っていたのでないでしょうか。


もう一つは【仁義の切り方】

仲間内では、ウメガイを手前に置いて仁義切るような報告もありますが、手の置き方や足の組み方等、
今のうちにはっきり作法を記録しておけば、日本人の礼法の資料としても非常に貴重だと思います。
「忘れられた日本人」に、挨拶するのに手を軽く握り手のひら内側に持ってくる挨拶を、
渋沢敬三が古風だと指摘するシーンがありますが(文庫版276P)、サンカの仁義にも似たのがありましたね。
(マージナル3号の久地神社にセブッていた池島某の話)

「もののけ姫」なんかも、よく見ると作法は古風でしっかり考証されていますね。

今のうちでですよね。 こんなことを調べられるのは。

 No.:557   *(@..@)*ngly  - 2007/01/16(火) 01:24
さらに磨いて
こうへいさん 更なる磨きを期待しています。
 他のBBSにもアピールしました。
 山口県の椹野=俘囚由来説を追いかけ現地調査した論考があります。
 よろしければ参考にどうぞ。
  http://homepage3.nifty.com/paper-tiger/kodaizakki4-fushino2.htm

 野史研究会今年1回は大坂で実施しました。2回目は3月大三島です。
1回は淡輪別所の見物。2回目は百済と高句麗の競合の痕跡と村上水軍=
別所を感じる見物会です。ここ数年は時間の制約もあり極少人数ですが
心意気と水準は高まる一方です。私も退職して少しは時間的には動き
易くなり、経済的には動けぬようになりました。
こうへいさんの意気と執念なら野史ができます。

 No.:556   こうへい  - 2007/01/15(月) 19:44
忘れかけてた釜中調査隊
うわ〜、マジっすかあ。
ノートを取ることをしないので、クマノライフのカキコミが総てですが、振り返ってみますと・・

別所の願成寺。別所から、俘囚が山を越えて釜中に移動して、そこに、たたら場を作った(作らされた)という仮説は、その証拠は結局何も見つかりませんでした。

あまりにも昔なので、記憶が全く消えてるのか、もともと仮説がまちがってたか、それもよくわかりません。

 No.:555    - 2007/01/15(月) 14:39
無題
水軍の末裔は漁業やってるし、農業もやってるよ。

 No.:554   *(@..@)*ngly  - 2007/01/15(月) 00:57
すばらしい!!釜中調査隊
 最近他人の投稿を見る時間が少しできました。
熊野ライフ最大の成果は、釜中調査隊です。これだけの調査ができる
民俗学者は居ないのではないか。他人の説や本を寄せ集た文の多くが本質を
欠いており評判はよくないと聞きます。調査隊は調査を多面的に実行している
ので素晴らしい。聞き取りもかなりいい線をいってるようだ。古文書が入る
となおよいのでは。サンカ調査でもこれ位はして欲しいが、できそうなのは
釜中調査隊です。後は別所地域史としてまとめて下さい。お願いします。
勝手に評価して御免なさい。ありがとうございます。

 No.:553   ヤゾー  - 2007/01/14(日) 18:50
崩壊の次は
みなさん こんばんわ

年金制度に限らず いろんなものの崩壊が顕著に現実化するであろうといわれる今年ですが
崩壊したら新たにもっとよいものを創りだせばよいだけではと思ったりもします。

新年早々からバラバラ殺人に鳥インフルエンザと物騒なニュースの中に
29歳の会社員が武闘派ヤクザ三人を刺殺というニュースがありました。
その会社員が腹の据わった男だということは間違いないとして
なにが会社員をそこまで突き動かしたのか あれこれと想像してしまいます。
いずれにせよ格差社会が広がり 夢も失うものもない人間が増えれるのは社会の混乱を生みそうです。 

東沢さん ぼくも「五木寛之 21世紀・仏教への旅」見ました。

ヤナさん 酒販年金問題でお金を使い込んだ奴から できるだけ取り戻して下さい。


外国特派員協会にて元公安部長の日本の裏社会についてのインタビュー
闇の部分だけでなく 寅さんはじめ日本の文化にまで話が及んでいるところがグッドかも知れません。

http://www.youtube.com/watch?v=oBkjwmK6F6E&mode=related&search=

 No.:552   とんちんかん小僧  - 2007/01/14(日) 04:17
突起物には注意して下さい‥。
三日前のことですが久々に落ち込みました。
髪型が落ち武者ヘアになりかけていたので美容室でバッサリと断髪してサッパリして
気持ち良く帰ってる途中、セルフのガソリンスタンドの機械で洗車しようとして車を停車
位置に止めて、いつもならエンジンを切るはずなのに、その間ヒマなので音楽を聴いてようと
思い機械のアナウンスが何度も『突起物には注意して下さい!』と耳に聞こえていたのにも
関わらずノンキに音楽を聴いていました。あまりしつこいので、ふと斜め後ろを何気なく振り返って
アンテナが延びっぱなしになっていることに初めて気付きました。急いでエンジンを切りましたが
時すでに遅しでした。iPodで聴くときFMの周波数に合わせて聴いていたのをすっかり忘れていました。
アンテナが目の前でグシャリと嫌な音を立てて無様にも中折れして先の細い部分が吹き飛んでしまって
ありませんでした。ホンマ帰り家まで恥ずかしかったです。

 No.:551   夜更かし小僧  - 2007/01/14(日) 03:47
年金制度の根本的な見直しを求む!!
やなさん、めっちゃ大変ですが頑張って下さい!!
僕は一応、年金をかけてますが老後にそれを国から貰えると思ってません。
たぶん日本という国家が今よりずっと衰退してて末期の国家になってると思えて仕方ないから。
自分が老後の事を今から考えたくないけど夢も希望も持てないと思う気持ちが何処かにあります。
東沢さんの唱える、「全国サンカ年金組合」の組織化で危機感が地方や都市、また国全体の底上げになり、
いろんな意味でプラスに運ぶのではないかと誠勝手な想像ですけど明るい見通しのある未来が見えて
きそうに思いました。

 No.:550   東沢美史  - 2007/01/13(土) 22:14
サンカ年金組合と輪廻転生
やなさん、そのニュースは以前、テレビでみました。
ちゃんとお金が戻ってくればいいのですが。

KUMANO LIFEをご覧のみなさんは、年金をかけていらっしゃるのでしょうか?
福祉政策のなかった戦前までの東北では恵比寿大黒さんのような
門付けするひとがお米で助けたり助けられたり。
鉱山では働けなくなった老齢の鉱夫を他の鉱夫みんなで死ぬまで面倒をみたといいます。

年金がかけられない職業や、そもそも年金制度がない職業や立場にある皆さん、
年金の払い込み受け取りが出来るような組織を作れたらなーっていつも思っておりました。
厚生・労働省なんかに頼らない自立した互助組合みたいなのだと良いです。
もちろんクリーンな運営、事務処理ができることが絶対の基本条件ですけど。
全国、サンカ年金友の会、なーんて名乗ったりして(´ー`)ノ。

今週は連日NHKの「五木寛之 21世紀・仏教への旅」 を見てました。
番組の中で、日本で親子の間での殺人が多くなってることをブータンの僧侶に五木さんが相談したら
「人を殺せば再び人間に生まれ変われるまでには、500回も生まれ変わらなければならなない」と明確な答えが返ってきました。

輪廻転生の教えが基本にある仏教の国ブータン。
たいする信仰心が消えそうな日本人。考えさせられました。


 No.:549   やなぎむし  - 2007/01/13(土) 19:21
提訴!!
もう忘れられようとしてます酒販年金問題!
   町の酒屋さんの年金をどぶに捨てた者の責任追求・・
 月曜日1月15日1時から2時説明会の後、大阪地方裁判所に
  提訴致します
   マスコミの方見てたら取材してください!!
 

 No.:548   とんちんかん小僧  - 2007/01/12(金) 01:27
吃驚しました!!
*(@..@)*nglyさん、ありがとうございます。
流石サンカ博士と言うたらふざけているように思われそうですが的確に
解答して下さり嬉しいです。うーん、また僕も野史呼び名辞典で確認して
脳みそに記憶しておきますから。

196さん、初めまして。早速トリ●アの泉 歴史編見ました。
森鴎外の孫がマックスだったって話に吃驚しました!!
今は珍しい名前の子供も少なくないけど、あの時代にあの名前は‥!?
食べてる途中に見てたら吹いてしまうところでしたよ(笑)
まだネットで捜したら面白い話が沢山見つかるかもしれないですね。

 No.:547   196  - 2007/01/11(木) 12:26
トリビア
おもしろいこといっぱい載ってますよ。
http://homepage2.nifty.com/iitoma/shiryoushitu/toribia.html
例えば、神様を数える単位は「柱」とか、
源頼光は妖怪退治屋だったとか。

 No.:546   *(@..@)*ngly  - 2007/01/10(水) 22:41
四天者
とんちんかん小僧さん
ご存知の通り、大坂四天王寺付近は中世期非人集落。
四天とは@明治期のサンカ語で天幕.Aサンカの小屋.とあり
セブリやサブリを指すようです。もちろん竹小屋はサンカ以外も
利用したとか。
四天者は堂や祠に住む乞食・ルンペンとあります『野史呼び名辞典』。
 すると四天者には乞食やルンペンの形でサンカが混在したと
みてよいのでは?

 No.:545   とんちんかん小僧  - 2007/01/10(水) 13:32
いえいえ(笑)
世間師さん、気に掛けさせてしまってすみません。

>歌舞伎の世界では四天を「してん」

大学時代の友人は四天王寺の事を略して「よんてん」と言ってました。
それと四天を「してん」と読むのが同じか判らないですけどね。


 No.:544   世間師  - 2007/01/10(水) 13:06
女性上位
「民俗学への招待」宮田登 ちくま新書を読んでいたら、興味深い記述がありました。

近江の山の神の祭儀で、松の二股木で男女二神をかたどり、男を下、女を上にして何度も上下させ豊作を祈るのだそうです。

これは女性上位だ!

三角寛のサンカの女性上位を連想させる祭りです。 サンカに色んな体位があったことは、既に鷹野弥三郎が暗示していることから、根拠のないことではないと思います。

女性上位といっても、歓喜天尊像などに見られる座位が元なのでしょうが、民俗的な神道の流れだけでなく、インド由来の密教の影響もあったと思われます。

 No.:543   世間師  - 2007/01/10(水) 01:57
してん
正月は図書館が空いていないので、資料が見られなくて困りました。
サンカ小説の「宿蟹飛天子」に、仲間に【してん】とルビを振っていますが、
面白い隠語ですね。

「してん」は四天の意味かしら? 元は、結界や縄張りの意味でしょう。

これは三角寛の創作隠語じゃない気がします。

歌舞伎の世界では四天を「してん」と読むのは、忌み言葉で「よてん」と読むそうです。
何か関連があるのでしょうか。


>とんちんかん小僧さん
次のネタが遅くて済みません。
そろそろまとめます。

 No.:542   とんちんかん小僧  - 2007/01/09(火) 01:56
下の寒い投稿を見て貪引きですか?
やっぱり笑えなかったみたいですね。
正月から三連発で書かせて頂く事が出来て誠にラッキーです。
昨年とうとう年賀はがきを一枚も書かずじまいでした。
年賀頂いた方にだけ年賀状を書いて後はメールか会った時に挨拶をしています。
Donglyさん すみませんが少し待って下さい。きっと届くはずですから。




 No.:541   とんちんかん小僧  - 2007/01/07(日) 22:11
皆さん、こんばんわ。
今朝から和歌山県北部の僕の住処付近も突風が酷かったです。
こちらの常連さん方も皆何処か遠くに飛ばされてしまったのかなあ。
新たな書き込みがなくて少し心配しています。
今日一日一歩も外出することなく、ノホホンと音楽を聴きながら過ごしていました。
あの風は何だったんでしょうねぇ。春一番だったら最高に嬉しいんですが。

 No.:540   とんちんかん小僧  - 2007/01/06(土) 14:41
申し訳ないです
世間師さん おりょうさん
レス頂いたのにまたネットから離れてて今日まで知りませんでした。
すみませんでした。
世間師さんのお話は難しいけどサンカ史を学ぶ上で良い授業だと思っています。
ここには沢山のサンカ史をタダで教えて下さる先生が多くて僕は助かってますから。
僕も弱音を吐かずについて行きますのでどんどんご教授お願いします。
おりょうさんメチャメチャ久しぶりですね。
またいろんなお話教えて下さいね。僕もまた少し書き込み頑張ってみようと思います。


ヤゾーさんに皆々さま
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。


 No.:539   世間師  - 2007/01/06(土) 14:10
テンジンとフクロアライ
正月を利用して、サンカ選集を読んでみましたが、やはりサンカ小説にはテンジンが登場しない。

サンカ小説では、サンカの自在駒は二本立てで、乞食は三本と違うのだと件が何箇所かありましたが、
これは鷹野弥三郎の「山窩の生活」の受け売りでしょう。

戦後の「サンカの社会」や「山窩物語」では一本釣りの自在駒になっているのは、あまりにもオカシイです。
テンジンは「上記」と一緒で、戦後にどこからか持ってきたネタなのでは?

同じく「マージナル」を読み返していて、NHKの探訪記事の再録したものに、
辰三郎発言に、

「物忌みとかね、なんとか済ましたあとは、フクロアライとか何とかいって昔は言ったんですがね、今はそんなことねえです」

かってサンカ集団に「物忌(ものいみ)」の習慣があったいうことです。
何気に凄いじゃないですか。 物忌の言葉自体が死語でしょう。

平安期は、貴族から庶民まで何か良くないことがあると、物忌してやり過ごす風習がありましたが、
サンカのフクロアライが物忌みとセットになった行事だったとしたなら、民俗行事としても大変興味深い。

物忌とフクロアライの関係は、イスラムの断食と明けの宴会の行事を似ているかもしれません。

日本の風習では、新嘗祭の忌篭りが一番相応しかったでしょうか。

フクロアライという言葉の直の意味は、洗濯や禊を思わせます。
本来の意味は、物忌=フクロアライだったかも知れません。
社会の変化から、サンカ社会の崩壊に伴い、厳粛な物忌行事が廃れて、その後の宴会が残ったと考えられないでしょうか。


ところで「サンカの社会」にはサンカの物忌の習慣は書いてなかったと思います。
三角寛が、物忌の重要性に気付いてさえいれば、もっと豊富な民俗採集が出来たかも知れないのに残念です。

 No.:538   PIKKI  - 2007/01/04(木) 00:19
ヤゾーさんみなさん、あけましておめでとうございます
URLhttp://members.goo.ne.jp/home/pikkibikki
昨年は色々ありがとうございました。
昨年は何度も熊野と伊勢神宮へ行こうとしたのですが・・
どうもいつも尾鷲から先へ進めないみたいです。

先日、お城みたいな飯田の元善光寺に行ってきたのですが・・善光寺が四つもあるとか。
牛が関係あるので、スサノオ関係なんでしょうか?
何故お遍路さんが終わったり、四国の人々に善光寺参りという慣習があるんでしょうか?

ことしはデジカメ画像を充実予定なので、よろしくお願いします。

 No.:537   ヤゾー  - 2007/01/03(水) 22:18
日本ミステリー
みなさん こんばんわ
今年もよろしくお願いいたします

去年の12月にテレビ東京で放送された
みのもんたの日本ミステリーというスペシャル番組の中で
日本のルーツは古代イスラエルだという特集があり
そのなかで 今年の2月にイスラエルから調査団が来日するという話があったみたいです。
どういった内容の番組だったのか ちょっと興味があります。
その番組がテレビ和歌山で明日4日夜9時から放送されるようですが
残念ながら見ることができません。

http://www.tv-tokyo.co.jp/nihonmystery/

 No.:536   196  - 2007/01/03(水) 17:51
あけましておめでとうございます。
*(@..@)*nglyさんこんばんは。
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-23.html
こういうの見つけたんですが、「散所」の勘違いだったかもしれません。ほんとにすみません…。
藤原純友ですが、北方譲三さんのハードボイルド小説、「絶海がなんとか…」とかいう小説の主人公にになっていました。彼は肉食好きだったという設定でした。当然ですが瀬戸内海が舞台です。それとは関係ありませんが、瀬戸内海には「多々羅大橋」という橋もあります。
藤原家ですが、「鷹司」という姓?家名?もあるようです。そういう役職があったんでしょうか?

縄文人とサンカが同じなら、山においやられたのではなく、むしろ山が住みよかったんですね。
昔は平野がそれほど住みよかったのかな?というのもあります。例えば伊豆の蛭ヶ小島などは、源頼朝が流刑されていたころは湿地でした。日本もいろいろと形を変えています(海岸線など)。

ところで時代小説を読んでいると、忍者は他人の子をさらってきて訓練して忍者にしたようなんですが、サンカには他人の子を育てる文化があるんでしょうか?伊勢志摩の島には、中学生になると島中の男の子がある一軒の家で集団生活をする慣わしがあるみたいです。


 No.:535   世間師  - 2007/01/02(火) 22:44
サンカ小説と時代劇
皆様、新年明けましておめでとうございます。

『三角寛サンカ選集』第五巻のに収録されている「山窩の恋」を読んでいたら、そっくりな時代劇がありました。

必殺シーリズ 暗闇仕留人 第二十二話 「怖れて候」
ttp://homepage1.nifty.com/edonokuroneko/story04/22.htm

笑っちゃうほどそっくりなエピソードです。
紹介文には書いていませんが、秩父山中に夫婦で買い付けに行き夫を殺されたチヨは、夫の子を身ごもっていて、
拉致された最中に産んだ子供の名が三吉でした。

映像を見返したら、悪役の熊蔵は秩父山中で砂金取りをやっていた設定ですが、
子分を殺めるシーンでは、諸刃のウメガイ(ちょっと尖がり過ぎ!)で刺し殺していました。

熊蔵は初期の必殺の悪役の中で異彩を放っていましたが、サンカ小説から取ったキャラだったんですね。

 No.:534   こうへい  - 2007/01/01(月) 12:04
明けまして
おめでとうございます。
気持ちのよい良い天気で明けました。

今年もよろしくお願い致します。

 No.:533   *(@..@)*ngly  - 2007/01/01(月) 09:44
今年熊野ベッチョで会いましょう
謹賀新年 196さん 福井にも鷹巣温泉がありますか。鷹巣調査は続けます。ヒスイ・
メノウなどの装飾用にもなる石は特定人種専用らしく、例えば瑪瑙は出雲系、水晶は新
羅系使用と聞きます。既出ですが温石(おんじゃく)は土産物屋では花瓶/硯で売ります
が、サンカは「なで石」「さすり石」懐炉として使いました。でサンカ=温石=こじき
=サンガ? なのでしょう。平安時代から貴族達は医用として使ったとあります。
 別所は関連した事が多いですが、@ごく一部が本所に対する別所(柳田説?)で殆どは
A流刑になった東北エミシの囲い地(菊池山哉はエミシの地獄)です。賎民の地・被差別
部落として痕跡を残します。したがって、<目をかけていた'ごぜ'のことを「この別所者
が!」と罵倒する>ことも当然です。民衆史を尋ねるとき米の歴史からはこれらの人々は
排除されます。非農業・非漁労で、山村や工村にあって商工業・運搬業・芸能・宗教が主
体の就労です。藤原純友は家舟は操船に利用し、エミシを武装兵として天皇軍と戦っよう
です。農業者は奴隷ですから逆に束ね難いので、非農がヤクザのように親分子分を作りや
すく組織を固めやすいようです。縦社会は原則は合理的でなくてもOKです。例は警察に
は上下関係=支配・被支配関係が重要で、警察幹部にとり労働組合は邪魔なのでしょう。
 日本の企業や行政にも学歴でなく、学歴社会が封建原則として悪用されているのです。
 安東水軍も、九鬼・村上水軍、根来・雑賀、山伏・熊野修験はすべて別所(エミシ末裔)
と見ます。熊野川中州の熊野大社大斎原は修験・貧民=流刑エミシの本拠・べっちょです。

 No.:532   196  - 2006/12/31(日) 16:32
たびたび失礼します。
どなたかお遍路さんに興味お持ちでしたが、
坂東真砂子さんの「死国」に詳しく、私も逆うち(88番札所から回ること)などの意味も初めて知りました。
ただタイトルの通りちょっと怖い系の話です。映画にもなっています。

 No.:531   196  - 2006/12/31(日) 16:23
*(@..@):ngly さん こんにちわ 
URL、まだちらっとですが読んでみました。
興味深かったです。
なるほど福井には鷹巣温泉もあります。温泉ネタで恐縮です。
少し北の糸魚川ですが、昔は世界最大級の翡翠産出地だった(今もかな?)そうなんですが、
時代が弥生に変わると急に翡翠が珍重されなくなり翡翠が忘れ去られ、貴重さがわからないまま、
地元の奥様方が漬物石として(!)原石を使っていた時代もあるそうです。
縄文時代にあった翡翠を珍重する文化ですが、そういう別所の方々にも受け継がれているんでしょうか?
別所という言い方は京風で言う本所に対することばだそうですが(テレビでチラッと聞きました)、
昔は本所ではないということのみの意味だったそうですね。
でもドラマで、目をかけていた'ごぜ'さんのことを「この別所もんが!」と罵倒しているシーンがありました…。
漁業を営んでいる人々にも海賊(海軍)がいますよね。農業をしている人々は束ねやすい(サラリーマンのように、絞りやすい?)のでわかりますが、海賊の人々は別所じゃないんですね?
九鬼(海賊)のやたがらす、雑賀(忍)のやたがらす、熊野大社(修験道)のやたがらす…なんかわかんなくなってきました…。

 No.:530   *(@..@):ngly  - 2006/12/31(日) 00:21
佐分利川温泉
URLhttp://www5.ocn.ne.jp/~iyasi
196さん今晩は
大飯町の地図には、川上、三森、久保、石山、鹿野、笹谷、福谷、下、中、父子、持田の地名があり、
別所やサンカの地名がありそうです。万願寺・意足寺に平安期の十一面観音・千手観音があり、近く
に熊野神社があり、元エミシや修験の幹部がいたのでしょう。佐分利地名からはエミシや修験が
サンカに変化したのでしょう。詳細に調査で分かるかもしれません。
 薬売り・的屋・旅芸人などは非農業・非漁業ですから元々別所の者だったのでしょう。中にサンカ
がいたとしても不思議はないでしょう。【七変化】と言われるように彼らは職業を変えたようです。
昔は庄屋・武士・箕売・笊売・漁師・芸人・祈祷師・鍛冶屋・大工・&#31529;師、最近は芸人スポーツ選手、
大臣、学者、警察幹部や町長をしてる場合もあります。何でもありでなかなか隅に置けませんね。

 No.:529   196  - 2006/12/30(土) 14:27
こんにちは
福井県に、さぶり川温泉というのがあるそうです。
ただのご報告でした。
移動しながら生活する人って、たくさんいましたが、皆さんサンカなんですか?
富山の薬売り,ごぜ,テキ屋,旅芸人,あと托鉢のお坊さん。
托鉢のお坊さんは子供の頃怖くて怖くて、玄関先に佇まれると泣き叫んでいました…。

よいお年を!

 No.:528   釣 楽  - 2006/12/28(木) 11:25
視点・観察、勉強に成りました
世間師様
感心するほどよく歩かれ、調べられているのですね。

私の知る限りでも船橋(海神)・谷津・津田沼・稲毛の海岸は、干潮時には果てしなく潮が遠のく豊かな海でした。
現在の国道から北へは概ね坂に成っていて、此処が海岸線の時代があったに違いなく、稲毛の浅間神社の鳥居も国道の直ぐ近くに建っていました。・房総の漁師言葉と言うのか、船橋からは「ダッペ」言葉に変わります。
タタラの燃料は陶器と同じで松を使っていたのですか。
火力というよりも、何か違う理由があるのでしょうね。
北総は陶器に適する赤松ではありませんが、現在でも菅野・八幡の京成沿線には太い松が残されています。・・海岸線が時代と共に後退して行った証なのかも。
餓鬼の頃に鎌ヶ谷の田圃でアイススケート遊びをやった記憶がありますので、言われるように北総の内陸部は瀬振りには厳しかったと思います。・・・秩父地方はもっと厳しいですが。

全国ワースト1を続けるほど汚染された手賀沼も、鮭が遡上するくらい回復してきていますので、うなぎも利根川経由で幾らか遡上しているのではないでしょうか。
でも、天然物を出す店は全国でも皆無に近いと思いますので・・・
ダイダラボッチにとって、手賀沼なら指を着いた程度でしょうか。・・・筑波山と関係しているのかしらん?
それにしても、江戸城築城時から行われた関東の治水事業は、東京オリンピック以来の公共事業どころではないですね。
私の住む町はニュー渡来者の教会が林立し、和菓子屋の1軒も無い所ですが、世間師様のような見方で歩くと、沼南・白井・鎌ヶ谷といった内陸部には隠された楽しみが有りますね。

昨日、世間師様の話で思い出し、歩きの途中で久し振りに豊四季の諏訪神社へ寄って来ました。
拝殿への通り道に大きな輪(材料は縄だったのか?葦だったのか?)が設置されておりました。
大晦日にこの輪をくぐる祭事があるようで、「罪穢れを清めてすがすがしい新年を迎えましょう」と言ったことが書かれていました。

世間師様、
色々と教えて頂きまして、ありがとうございました。
此れを機会に、名前の出てきた所を少し歩こうと思います。

管理人様、皆様、
ローカルな話題に掲示板を独占し、誠に申し訳ありませんでした。
また暫く、掲示板を楽しく拝読いたします。
すがすがしい、新年をお迎え下さい。

 No.:527   世間師  - 2006/12/28(木) 10:23
間違えてました
前に中野区野方の乞丐(きっかい)山は和田掘りじゃないかと書きましたが、中野区野方は妙正寺川沿いなので間違えていました。 
野方にめぼしい寺院がないので、どこなのかハッキリわかりません。
妙正寺川沿いのハケは湧水が多く、川沿いに下った江古田辺りも、戦後までは湧水が多かったそうです。


和田堀は杉並区になってしまうので、中野区とは言えませんでした。 
こちらは善福寺川沿いです。 サンカ小説に登場する「堀の内の御祖師さん」妙法寺の方が近いです。

 No.:526   世間師  - 2006/12/27(水) 22:22
手賀沼・印旛沼
>釣楽さん

手賀沼は戦前の文人の別荘が多く建てられ、宮崎竜介・柳原白蓮夫婦の別荘もありました。
手賀沼は、昔はウナギが沢山捕れたそうですが、今はどうなのでしょう? ウナギ料理屋は利根川沿いにかけて多いですね。(天然ウナギが食べたい〜)
藤ヶ谷のタタラ遺跡は分業体制だったようで、藤ヶ谷で生産された玉鋼は、大井(手賀沼南)の鍛冶工房で製品化されたようです。
検索してみると、手賀沼もダイダラボッチが造ったという伝承があったみたいです。

>私が小学校で習った印旛沼は「つの字」で大きかったので、「つの字」の終わりが白井近くだったのかも知れませんし、沼の南側は湧き水の多い所のようですね。

ご明察!白井市清戸(きよと)の青龍山薬王院の縁起に、当地は古の印旛沼の入り江であったこと。 
雨乞いの祈願中に龍神が裂けて落ちてきた事。 薬王院の北、船橋カントリー内の清戸の泉に弁財天が祭られています。
薬王院の東には沢山の泉という谷津が、天然のまま残っていました。
清戸は平安期の集落跡が発掘されているので、印旛沼方面(弥生から古墳期にかけて遺跡多し)から本当に移住してきたのではないかと思います。
印西の和泉と柏(旧沼南)泉の地名は、清戸から枝分かれしたのではないでしょうか。

(長々脱線して済みません。 名内のセブリ場に行く背景の話しです)

 No.:525   世間師  - 2006/12/27(水) 12:59
北総一帯
釣 楽さん

>陸の孤島
そんな言い方ありましたね。 鹿島もそんな風に言われていました。
船橋の辺りは、海神が一番古いと思います。 
浅間神社のある岡が、ビックリするほど小高くて、昔は灯台の役目だったのではと思いました。

手賀沼も昔は綺麗な水だったと思います。 印旛沼も干拓事業前は、透き通るような泉だったそうですから。
水が汚くなったのは、干拓事業で水の代謝が阻害されたのと、ポンプで水田の水を引き揚げるので本来の水脈が弱くなったせいです。

木下街道のルートも昔見た資料と、最近見た資料ではルートが少し変わっていました。
前は鮮魚街道と、混同されていた部分もあったようですね。

図書館で調べたら、藤ヶ谷のタタラ遺跡は奈良時代からの大規模なものだそうです。
何時まで稼動したかは不明。(資料に書いてなかった)
タタラ製鉄には、松の木炭が一番良いそうです。 北総一帯は昭和30年代までは松の木が沢山生えていたので、タタラの燃料にはもってこいだったでしょう。


千葉県でも房総の方は海流があるから、冬もそんなに寒くありませんが、内陸の北総から常陸は放射冷却で冬場は寒くて仕方ない。
藤ヶ谷のセブリ場が冬になると、数が少なくなったのは当たり前で、冬場は寒くてセブリ(テント)じゃ耐えられなかったでしょうね(笑)

冬場は風が凄い。 なるほど風早村とは言ったものですね。

サンカの人達は、多分、冬場は東京に移動したのでは?

 No.:524   釣 楽  - 2006/12/27(水) 12:20
此方はいつも拝見しているもので
失礼いたしました。
世間師様、始めまして軟弱テンカラ師の釣楽と申します。

鮮魚道は産業道路的な位置づけで、香取神宮参拝等の往来は木下道(船橋に寄り易い)を使ったのでしょうか。
今でこそ汚れた手賀沼ですが、沼北に集まった白樺派の作家(名前は忘れました)も「シジミを採った」と書かれていますので、水も食料も豊富だったと思います。

豊四季は明治期に開拓農民が入植した所ですから、駅近くの諏訪神社を見ると、江戸時代に衰退した地だったのかも知れませんね。
千葉と沖縄の2県には渓流魚(アブラ鰭魚)が生息しておりませんが、豊四季から手賀沼に流れる大堀川があって、何とこの秋に鮭が遡上して来ました。・・・手賀沼の流末は利根川。
大堀川と手賀沼の浄化のため、利根川の水をポンプアップして豊四季の大堀川に流出しており、群馬県の利根川上流で放流した鮭が微かな匂い?を求めて遡上したらしく、鮭は大間違いに困惑したのでしょうが、アブラ鰭好きの私としては感動しました。・・・まだ汚い川ですが、此処ではカワセミも見掛けます。

院内=陰陽師
そう言う意味だったのですか。
法華経寺は中山競馬場のオケラ街道に面していましたので、私の若い頃は境内でデンスケ賭博も行われていました。

歩くには、国府台・真間山近辺も良い所です。

 No.:523   世間師  - 2006/12/27(水) 00:18
街道
釣 楽さん。はじめまして。


木下街道はそこそこ知名度がありますが、鮮魚(なま)街道は私も最近まで存在を知りませんでした。
銚子沖から江戸に鮮魚を送るルートとして、木下と鮮魚で河岸の間に相当熾烈な競争があったようです。
鮮魚運搬は、時代と共に松戸に抜ける鮮魚街道の方に、郡配が上がったようです。
鮮魚街道の本来の道は、下総基地で寸断されています。
筒井さんの本には、現在の下総基地の辺りにもセブリがあったと記述がありますが、多分、鮮魚街道辺り(佐津間?)なのでしょう。

>ご存知だと思いますが、一茶も利用したと言われる日光東往還(看板は旧日光街道入口とある)が南柏附近の水戸街道を基点とし、千葉県内の豊四季・川間・関宿を抜け、栃木県の雀宮で日光街道に合流するそうです。

豊四季の諏訪神社は鎌倉期に勧請された御宮です。 あの辺りも歴史は古そうですね。

中山法華経寺の近くには、「印内(いんない)」の地名があり、千葉県では、千葉市内の千葉神社のある辺りに「院内(いんない)」の地名があるだけです。

「院内」は関西では陰陽師の事を指します。(関東では呼びません)
 
中山法華経寺の辺りは、前から何か謂れのあった土地かもしれません。

 No.:522   釣 楽  - 2006/12/26(火) 07:45
準地元で興味
管理人様、皆様、おはようございます。

皆様の書き込みは難解で、無教養の私には殆ど理解できませんが、分からないながらも楽しく読ませていただいております。
満員電車でゴホンゴホンはお互い様でも、ノロちゃんに掛かると2週間の自宅隔離でしょうか。
見て、見ぬ振りしたり、一寸だけよ〜と言うものアウトなんでしょうね。

世間師様
私は下総の国府近くの生まれですが、木下道の他に松戸を通る鮮魚道があったとは驚きでした。
浅草の市場へ運搬する最短距離として造られた道なのでしょうか?
ご存知だと思いますが、一茶も利用したと言われる日光東往還(看板は旧日光街道入口とある)が南柏附近の水戸街道を基点とし、千葉県内の豊四季・川間・関宿を抜け、栃木県の雀宮で日光街道に合流するそうです。
川間から江戸川を渡れば春日部ですから、荒川水系へ行くのも近いですし、関宿からは利根川水系・渡良瀬川水系・思川水系・鬼怒川水系とほぼ直結しておりますので、過ってサンカ達も(私的には山河かな)もこの街道を利用したのかな〜と想像しております。
私は日常的に川・水辺歩き(時に渓流釣りと登山)をやっており、川の土手は街道を歩くより早い場合が多いのを実感しておりますので、歩きの専門家であったサンカは街道と川道を熟知していたに違いありません。
山間部の峠越えの街道や杣道・ゼンマイ道の殆どは沢筋に沿って造られておりますが、それは成るべく等高線に沿って歩く方が楽なので、必然的に沢筋に道が造られるように思います。
川の都市部(江戸川でも松戸以北は在りません)には多くのブルーシート小屋を見掛けます。
「テンバの管理形態・飲料水・食料調達・何がしかの現金収入+人脈?」によるものだと思いますが、サンカのセブリ場もこの条件を満たす必要があったのでしょう。
私が小学校で習った印旛沼は「つの字」で大きかったので、「つの字」の終わりが白井近くだったのかも知れませんし、沼の南側は湧き水の多い所のようですね。・・陸の孤島だった藤ヶ谷・白井は行った事が有りません。
現在は紫陽花寺として有名な本土寺にも池が在りますが、寺の庭園と言う感じで宿泊は無理な印象です(寺から少し北へ行くと富士川が在ります)・・雰囲気としては、中山の法華経寺の方が許されそうな感じです。
取り留めの無いことを書きましたが、また北総のことを教えて下さい。

 No.:521   ヤゾー  - 2006/12/26(火) 00:27
ノロわれた友人
みなさん こんばんわ

汚い話で また話の腰を折ってすみません。

都内に住む友人の話です。
一週間程前に歩いていてゲロリンコを二回見たそうです。
そして次に日には駅のホームでゲロリストに遭遇したそうです。
それから3.4日後の夜に電車内で胃がムカムカしだして 
ゲロリストにだけはなりたくないと我慢して 次の駅で飛び降りてトイレに駆け込み吐いたそうです。
それでも吐き気は治まらず 何度か嘔吐して なんとか死ぬ思いで家まで戻ってきたら
今度は激しい下痢で 水分を補給しようと水を飲むとすぐに嘔吐 そして激しい下痢
二日間 そういう状態が続いて 散々なクルシミマスイブだったと電話がありました。
どうやら巷で猛威をふるっているノロウイルスにやられたみたいだとのことでした。

それでノロウイルスのことを検索して調べていたら
厚労省が新型インフルエンザ対策として 国民に食料2週間分確保を求める方針で
来年1月にもガイドラインをまとめるという話がありました。
みなさんもお気を付け下さい。
食料二週間分確保って なにげに怖い話なんですが。

http://health.nikkei.co.jp/news/top/index.cfm?i=2006122205155h1

 No.:520   世間師  - 2006/12/24(日) 15:06
ツルミのハタムラ
三角寛は犯罪集団と思われていた山窩が、厳格な一夫一婦制の「ツルミのハタムラ」の掟を持っていることに、
関心を抱いたのが、山窩研究を始めたきっかけだったと何度も書いています。
三角寛に先行する「大地に生きる」など、一夫一婦制を暗示させる記述もありますが、実際のサンカ集団は、離別しても再婚を繰り返したようですね。

三角寛が一夫一婦制にこだわったのは、自分が「後家さんの産んだ子」であるという負い目があったのではないか。
昔は「後家が子を産む」なんて珍しくなく、うちの祖母もその例に漏れません。一人姓の違う叔父がいます。

三角寛が、夫婦関係を基盤にした「ひとのみち」教団に入信したのも、そんな背景かもしれません。

 No.:519   世間師  - 2006/12/24(日) 14:55
さんか山
>東沢美史さん
佐々木喜善についてご教授ありがとうございます。

「さんか山」についてですが、この地名の「さんか」は三光の旧仮名表記の、三光(さんかう)からきているのでないでしょうか。
三光とは月・星・日の三つの光をあらわします。 さんか山は月や星の名の女性や、父親の日の名が出てきます。 
バリエーションでは、三人の親子が月星日になる縁起を含んでいるので、三光(さんかう)山の方が、相応しいかと思います。

旧仮名表記では、山窩(さんくゎ)・山家(さんか)・三家(さんか)になります。

三光というと、三光稲荷があります。
ttp://www.kakegawa-net.jp/cntr/cntr010/user7/C3_1.htm#1
伏見稲荷・後醍醐天皇・南朝・・・

稲荷が三光と結びついたのは、食物神である受持の神をあらわす「三狐(みけつ)」が、「三狐(さんこ)」と読まれるようになり、
「三光(さんかう=さんこう)」と解釈されたからといわれます。
三光稲荷の本尊は、一説には玉置山の三柱神社(伏見稲荷の元宮と言われます)と言われています。
ttp://www6.ocn.ne.jp/~kanpanda/omine.html

池上のとうかん(稲荷)の森や日蓮宗が接収した稲荷信仰など、
サンカと三光信仰は、つながりがあるのでないかと最近考えていたので、その背景は又書きます。

 No.:518   東沢美史  - 2006/12/24(日) 00:27
訂正
NO:513の「2羽のホトトギス」→訂正→「2羽のウグイス」

 No.:517   東沢美史  - 2006/12/24(日) 00:12
NO514への返答と、筒井氏の本について
世間師さん

>話の舞台になった場所が「さんか山」とされていると、考えて良いのでしょうか。

継母に殺された先妻の娘が埋められ、しばらく後に掘り返され生き返った場所が「さんかの山」です。

>この民話の結末は、月や星の名がついた娘が、日の名の父と天上に上がって、月・星・日になるという話なのでしょうか?

結論は何パターンかありますがその一つです。
多くはウグイスだったはずで代わりにホトトギスだった例が1例あったと記憶してます。静岡など暖かい地方に住んでるという三光鳥は読んだ限りでは出てきませんでした。

>法華経に結び付けられて考えられるのは、「法華経」の地湧思想と関係があるのでしょうか。

地湧思想というのを初めて聴きました。六部(六十六部)の辞書での意味、やまき、ウグイスの鳴き声(ホケキョウ)だけからです。

母娘の巡礼というのもあったとおもいます。
ことしの文芸誌「新潮」1月号に載ってた津島佑子作の「おおかみ石」は岩手県和賀地方の伝説を元に書かれていましたが、この六部と同じ系統の伝説だとおもいました。

>佐々木喜善が大本信徒だったんですか?その話は、はじめて知りました。 どこかの資料に書いているのでしょうか?

大本教については岩手の市町村図書館の郷土史棚にある喜善の研究書に載ってますが著者は覚えていません。地元の出版社かもしれません。
私が参考にしたのは宮沢賢治の棚にあった門屋光昭氏の「鬼と鹿と宮沢賢治」(集英社新書)で、これに詳しく載ってました。
最近出た五木寛之氏と鎌田東ニ氏の対談本「霊の発見」でも一言述べられてます。

ここにアクセスするようになってしばらくしてから三角の山窩研究の本をはじめて見たとき、嘘っぽい部分があるなと最初おもいましたが、なぜか無視できなくて時間を置いて何度も見て何度も読み直してるうちにそれらより真実っぽいことのほうが多いような気がしてきて、現在は民俗学的に非常に重要な情報が含まれているのではないか、魅力的な内容だしおおいに検討する価値があるとおもってました。みなさんの三角の研究もこれからいろいろ出てくるだろうとも期待していました。

しかし春頃に筒井功氏の「漂泊の民サンカを追って」を読ませていただき、いろいろ学なばさせてはいただき、最近また「サンカの真実三角寛の虚構」(文春新書)を読ませていただきましたが、鬼気せまるような凄まじい検証には、とてもおどろかされました。
でも、痛快さを期待して読んでたためか、なんとなく気分が晴れませんでした。

「資料編」や「研究」の有名な写真群の一部はおっしゃるとおり三角の演出はあったでしょうけど、他で研究したり、推理したことを再現してもらうためにそうしたのかもしれないと読者側が勝手に理解する自由があってもいいわけだし、三角の研究はやはりはじまったばかりで、上紀やサンカ文字は進んできましたが多くはこれからだとおもいます。
もし全て彼の推理であっても国民の民俗学とは言えなくなりますが三角や三角ファンの民俗学であるし、仮にすべて創作であったとしてもやはり一流の流行作家ということになるでしょう。

先週またまた筒井氏の新著「サンカ社会の深層をさぐる」を新刊コーナーで見つけパラパラ読ませていただきましたが面喰ってしまいました。文春新書であれほど三角をこき下ろし批判してたのに現代書館からまた新著が出版されるとは。
言論の自由を実践する出版人の心いきであるから戸惑う読者の私のほうがどうかしてるとはおもいます・・・・・が、負けました(〜o〜)。

 No.:516   ya(・ε^)na  - 2006/12/23(土) 00:33
なんでやねん??
きょうのテレビ大阪・・逃亡者おりんの番組の中で
旅籠を占領する盗賊の武器が火縄銃となんで!!なんで!ウメガイやねん!!
  これは誰かの意図的な・・んんん何かをかんじますよぅ

  おりんさん・・おせーとくなはれ!!
  逃亡者おりんって言うだけでもなんや・・んんん
  においますねぇ・・くんくん

 No.:515   世間師  - 2006/12/22(金) 17:27
サンカ小説とテンジン
>とんちんかん小僧さん

はじめまして。
話を難しくして済みません・・・


ところで、皆さんに質問したいんですが・・
「サンカ小説」にテンジンって出てくるのでしょうか???
「三角寛サンカ選集」を3冊読んだ時点で、テンジンの言及がありません。
ウメガイは、劇中よく使用されますが、テンジンの言及がないもので、

 No.:514   世間師  - 2006/12/22(金) 17:06
月・星・・
>東沢美史さん
大変興味深い、民話の内容を読ませていただきました。
話の舞台になった場所が「さんか山」とされていると、考えて良いのでしょうか。

>なかには、桶の箍掛(たがかけ)に長い期間出かけていた父(後にお日様になる)が帰ったら娘たちがいないので六部になり各地を「お月や〜お星や〜」と捜しながら叫んでたら梅の木に止まってた2羽のホトトギスが「おとうさん、お月お星はここにいます」と声を張り上げて鳴くのですがお日様の父は「ホーホケキョ」としか聞こえなかった。
それとは別の地方の民話では、娘二人と父が井戸に入り死んで継母が覗いたら井戸の中に月と星とお日様があり空を見上げたら継母は土竜(もぐら)になってたなんてのもありました。

この民話の結末は、月や星の名がついた娘が、日の名の父と天上に上がって、月・星・日になるという話なのでしょうか?
この話を読んで、まず頭に浮かんだのは、「三光鳥」と「星の井戸」です。

「三光鳥」
ttp://www.01sjk.co.jp/birds/00.05bird.html
「星の井戸」
ttp://www.kcn-net.org/10ido/hosizuki.htm

全国の上人塚の中には、異人殺しと関係のある場所も多いようですね。
「六十六部塚」の起源は、経塚だと思いますが、主に経塚が各地に造られたのは平安期から鎌倉期辺りのようです。
法華経に結び付けられて考えられるのは、「法華経」の地湧思想と関係があるのでしょうか。


佐々木喜善が大本信徒だったんですか?その話は、はじめて知りました。 どこかの資料に書いているのでしょうか?
最近、出口王仁三郎の談話の中に、柳田国男や喜田貞吉の説を述べている所見つけて驚いていました。

 No.:513   東沢美史  - 2006/12/22(金) 00:22
「さんかのやま」の民話と日蓮宗、法華経、やまき
解かり易く短く書いたつもりなのはどうも本人だけのようで申し訳ないです。
Donglyさんの話しやサンカ達のほうが理解が難しく馴染み薄い職種が多いかなとおもってました。鉢叩きとか。でも前に網野善彦氏や今夜、八切止夫氏の本を読んでたらなんとなく解かってきました。
世間師さん、絡んでいただきありがとうございます。でも批判は良い実りがあるよう考えてから書かせていただきます。

「さんかのやま」が出てくる民話の六部と法華経や「やまき」の関係について。

これらについては、それまであまり注意しなかっただけで、さんかみやまと唄う(秋田民謡)や話しをお祭りのスピーカーや農家の人々の口から聞くことがあり、もしかしたら山窩の解明に役立つし源流を学ぶほうが大事とおもい1980年代あたりに出版された民話の本やテープを聞き始めたのが深く関心を持つきっかけでした。
最初はおもに明治後期から大正生まれ世代の話す民話を採集した本を調べていったのですが、さんか山の出てくる「お月お星」、最近になり「なら梨とり」に出会い、その話のより古い採話記録、古い採集者をと捜していったら佐々木喜善の「聴耳草紙、筑摩書房」に辿り付いたのですが、喜善とは灯台もと暗し、あんまりに意外で自分がびっくりしてしまった次第でした。彼が1、2番目に古い採集者でしょう。

ところで柳田國男は宮崎の椎葉村を訪れたのをきっかけに「山人研究」に手をつけていったとかよく言われます。しかし遠野の伝説なども影響を与えたことはとうぜんだと思います。「山窩」について喜善は直接には語ってはいなかったはずとおもっていました。そしてちょっとここが重要なのですが筑摩書房のこの本の「お月お星」には「さんか山」は出てきません。ところが一部の話者ですが戦後昭和後期や現代の花巻や遠野の話し手は「さんかの山」か「さんかみやま」などとはっきり付けて話してるのです。

断片も多かったですがたくさん読んだのを要約して「お月お星」の後半を要約して記します。
先に「さんか山」のときにも書いたのですが後妻である継母に殺されて「さんか山」に埋められた「お月」という先妻の娘をこの後妻の「お星」という娘が犂(からすき)で掘り返したら生き返ったという類の民話が各地にありました。
なかには、桶の箍掛(たがかけ)に長い期間出かけていた父(後にお日様になる)が帰ったら娘たちがいないので六部になり各地を「お月や〜お星や〜」と捜しながら叫んでたら梅の木に止まってた2羽のホトトギスが「おとうさん、お月お星はここにいます」と声を張り上げて鳴くのですがお日様の父は「ホーホケキョ」としか聞こえなかった。
それとは別の地方の民話では、娘二人と父が井戸に入り死んで継母が覗いたら井戸の中に月と星とお日様があり空を見上げたら継母は土竜(もぐら)になってたなんてのもありました。

さらにサンカ山と一緒に語られてなく、地元郷土史誌で読んだ六部だけの伝説ですが、例えば昨日家業の門付けで廻ってた南三陸の入谷という山村では親子の六部が宿を求めて民家に泊まったらその家族を皆殺しにしたとか、泊めるのを断ったら隣村へ山越えする途中の峠の小屋で死んでたというのがあります。ここの場合、母親と娘のようです。
しかしこれに類似した民話、伝説は今まで私の地方だけかとおもってましたが、全国の民話全集などをパラパラめくるとどうも各地で語られてた昔話のようでして、これらが明治・大正期の山窩のイメージ形成に影響を及ぼしたのではないかとかんがえたわけでした。

伝説、民話では「六部」でしたが標準語でいう「六十六部」のことでこれはどの国語辞書にも載ってますが日本の六十六ヶ国に法華経を埋納する人というような意味になってるみたいです。
檀家ではないのですが毎年何度か拝んでいただいてる近くの住職さんが小さな太鼓をおもいっきり叩く法華経の方なのですが宗派がわからないのでいつだったか不躾にも軽い気持ちで「法華経は何宗ですか」と訊いたら「日蓮宗」だと教えてくださったことがあり一昨日「日蓮宗」と書きました。
法華経を重んずる宗派と書いたほうが良かったかもしれません。

喜善の本が図書館にないので宮澤賢治全集でみたのですが二人が亡くなる1、2年前頃の賢治に宛てた手紙のなかで体の具合が悪いので仙台の「法華行者」に占ってもらったというようなことを書いています。
大本教の布教活動のためのエスペラント語普及だったのに賢治に大本教を批判されたのを気にしてたからかもしれないけど、山窩や「さんかのやま」や六部を意識した可能性もあったのではと希望を持つのですが無理でしょうか。

「やまき」は仙台で学んだ大槻文彦によって「八巻の法華経」の意味で辞書に載ったのが日本で最初かもしれません。言海の系列以外の最近の国語辞典には載ってないようなので西日本の皆さんにはなじみがないかもしれませんね。
歴史民俗学に最後の山窩と紹介されてた静岡県の加藤今朝松さんへ
利田敏氏がインタビューしてたとき確か「山窩」でなく「やまき」と答えていたような記憶があります。間違ってたらごめんなさい。

岩手県の図書館には死後有名になったから宮澤賢治より「遠野物語」の話者・佐々木喜善こそ最大の悲劇の人である、柳田國男は恩知らずの悪い人というような本も並んでます。
柳田はなぜ彼の功績をもっと評価してあげなかったのか。大本教だからだったのか。

 No.:512   *(@..@)*ngly  - 2006/12/21(木) 18:14
別の見方
「温故知新」と「現在から過去を照射する」方法もあります。普通は前者ですが
古い文献がないと皆目分からないとなります。まして文献が信用できない場合ど
うしようもありませんし、ある人の目を通して文書にしたのが文献です。野史は
後者も使います。そのため見方と共にさまざまな知識と訓練が必要です。サンカと
木地師の区別はどう見分けるかなど。調査では目的に対して、さまざまな角度から
質問をして回答を得ます。
 例えば、現在の日蓮宗教団は「南無妙法連げきょう」と唱えますが、その幹部に
旧被差別部落やサンカ系が加入しています。これらの組織では徹底した縦社会なの
です。また昔から下層民でも金のある者は仏教教団に加入できるが、貧民は無視さ
れます。現在の青テントの人を既成教団が救済した話を聞きません。
 調査中の地では寺はなく、荒神信仰でかつ出雲教会信徒であるケースがあります
(経緯不明)。豊かでなかったので寺は相手にしなかったといわれます。金の有無が
寺に庇護される条件です。寺による庇護といっても実際は何なのかを考えたいです。


 No.:511   おりょう  - 2006/12/21(木) 14:10
無題
とんちんかん小僧さんしばらくです。
世間師さんもDonglyさんも親切で、何質問しても調べてまでしてよく教えてくれて感謝しています。
普通は「そんなこと自分で調べろよ!」で終りですから。
私も難しくてどう質問していいのかわからないときもありますよー。


世間師さん黒装束五人組「山窩物語」開いてみました。なるほど池上本門寺とありました。
山窩も各地にセブリを移動しているようですね。

 No.:510   とんちんかん小僧  - 2006/12/21(木) 00:17
最近の掲示板の内容が難しいです。
僕は今、一人の読者としてここを見ています。
サンカの歴史が世間師さんやDonglyさん等によって、新たな転機を迎えようとしている気がしますので。
一回読んだだけでは判らないから何回も読んでます。まあそれでも判らない事が多くあります。
例えば、すぐ下の書き込みされて宗教との関わりを考えると日蓮宗だけとは言い切れない気がします。
一向宗と言われた浄土宗に庇護された山の民も居たのではと思うからです。
失礼ですけど僕は何かを調べた訳ではないので憶測で言ってます。
世間師さん、Donglyさん、おりょうさんや他の皆様方、これからも沢山のことを教えて下さい。

おりょうさん、粒数えババアのお話、思わず吹き出してしまいました。
そんなキャラ中々いないですよ。
でも僕は、そのキャラに最も近い存在かもしれません。

今日は電車男の最終回を見て泣いてました。
あまのじゃくなんで敬遠して見なかったのですが、まるで自分を見てるような感じに
とらわれて、とても勇気の出るドラマだった。
もっと早く見ときゃ良かったです。

 No.:509   世間師  - 2006/12/20(水) 16:10
セブリ文化の宗教背景
>おりょうさん
「関東撲殺団探検」に登場する黒装束五人組関連の都内のセブリ場は、大久保付近と池上東関(とうかん)森辺りの二カ所なので、久地は「マージナル」の連載では、溝亀・お雪夫婦のセブリ場を探しに行った話だと思います。

ところで、自分は小説を読まない人間なので、三角寛の「山窩小説」も読んだ事なかったのですが、最近読み始めて「山窩の諜者」は、ルポでは隠していた久地の地名がはっきり書いていたのは、少々驚きました。

稲荷(とうか)で検索すると、図らずや日蓮宗寺院の稲荷が出てきます。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A8%E3%81%86%E3%81%8B%E3%81%95%E3%82%93

和尚の読みも昔は宗派によって「おしょう」「わしょう」「かしょう」と違ったそうです。
稲荷を「とうか」と読むのも、宗派による違いがあったかもしれませんね。

>東沢美史さん

ついとは言わず、ジャンジャンご批判お願いします。 

山梨県内のセブリ場や、池上本門寺裏がセブリ場だったの事から日蓮宗とのサンカと関連を考えていましたが、関東サンカのセブリ場の回遊性を考えに入れますと、関東の他地域(例えば千葉県)の場合は、どうも日蓮宗と関連が見られないように思えました。

「山窩は果たして現存するか」の斉田直吉の本籍地、(現)千葉県白井市名内は、(現)柏市藤ヶ谷や金山は、ほんの目と鼻の先ですが・・前に書きましたようにタタラ場(と鍛冶場?)を起源としたセブリ場のように思われます。
じつは、そこから直線で15キロ位でしょうか、松戸市平賀に本土寺という日蓮宗の古刹があるのですが、どうもそちらとの関連が見えませんでした。

白井市名内には和歌山の淡島神社が勧請されています。 江戸時代には淡島勧進という回遊宗教者がいたようですが、名内の淡島神社はそれより縁起が古いのです。
それ以外にも回遊宗教者の痕跡が考えられますが、ただ今調査中です。

セブリ場が日蓮宗と関連があるなら、本土寺こそセブリ場としてふさわしかったのではいでしょうか。 
ただ、この辺りの問題は、単なる調査不足だったかもしれません。
サンカの一部でも日蓮宗の信徒だったとすると、他宗に不寛容な日蓮宗の信徒が、他宗の宗教者の痕跡が色濃く見られる地域を、セブリ場にするかという疑問がありました。


前にテンジンの起源でないかと提唱したネンスクですが、東京の知人宅玄関脇に、長さ六尺ほどの立派なものが立てていました。
聞けば「魔よけ」とのこと。 持ってきたのは土佐の方なので、四国にもあるのですね。

三角寛がテンジンとして紹介している場合は、立派なネンスクを写真に使っていますが、それ以外の背景の脇役の場合、細い棒切れが使われている。
「サンカ社会の研究」でも、テンジンの説明は思ったほどあっさりしている。
やはりテンジンは、三角寛が九州の民俗から取り入れたような気がしてまいりました。

あとネンスクの信仰の起源は、マムシの交尾する姿を表しているかもしれません。

 No.:508   東沢美史  - 2006/12/20(水) 01:03
日蓮宗と山窩の関係について
世間師さま

上紀と「サンカ社会の研究」との比較ごくろうさまでした。
たしかに、ついうなづきたくなる解説でした。

ただし、いままでお書きになった文章はところどころ疑問を持ちながら読ませていただくことがあったのですが、さきほどのところは今までもっとも抵抗を感じますので引用させていただきます。

>サンカが団扇太鼓叩いていたとか、お題目唱えていたとか、目撃例はないようなので、日蓮宗を信仰していた訳ではないでしょう。

おっしゃるとうりなのかもしれませんが、伝説や民話があるので考察が必要だとおもいます。
山窩がもし仏教と関わりがあるとすればと最近考え始めたばかりですが
義経と弁慶の一行は追われて熊野修験の装束で逃げやがて陸奥平泉を目指し、
笈を置いた宿(寺)が「やまき」なら、漂白するサンカの原像を思わせるし、
花巻の町を太鼓叩きながら廻ってた宮澤賢治が幼少のころ、笈を背負い山々を越えて漂泊する六部(サンカとすれば)の民話を聞きながら育ったことが、埋経や登山を含め後の彼の信仰に影響を与えただろうことを考慮すると、ご指摘とは逆で私は宗派でいえば日蓮宗が一番影を落としてるような気がします。

ヤゾーさんの藤(葛)ツルの巻いた木は何回巻きだったのか。
また巻き藤の杖の意味に「お経」ということはないか?、もし8回巻きだったら?。
三角寛は仏教宗派ではどの宗派に詳しかったのか?などと考え中です。

 No.:507   おりょう  - 2006/12/20(水) 00:10
稲荷の森
世間師さん御苦労様でした。写真も拝見させていただきました。

マージナルbPの「われら等閑の森の幻住民」では中野を探検していたようですが等閑の森がどこかはっきりしないようですが道灌の杜が等閑の森に変化したのではないかとしています。稲荷説も面白いですね。

私の勘違いだったらごめんなさい。黒装束五人組が根拠地にしていたセブリ場は神奈川県橘樹郡高津村字久地だったと
おもいます。久地に大きな池があったみたいです。宇奈根河原もサンカ小説によくでてきます。
池上本門寺もサンカの親分がせぶっていたところだそうですね。

以下はりつけ
[編集] 周辺
久地
多摩区堰

[編集] 歴史
かつて多摩川は頻繁に洪水を起こし、流路も度々変わっていたため、村が多摩川で分断されることが度々あった。ここ宇奈根も多摩川により分断されており、かつては左岸地域は「本村」、右岸地域は「宇奈根山野(山谷)」と呼ばれる地域であり、明治時代までは渡船「宇奈根の渡し」(うなねのわたし)が両岸をつないでいた。

かつては全域が武蔵国多摩郡(後に北多摩郡)に属していたが、明治45年に郡境が多摩川上に設定され、以降右岸地域は橘樹郡(後に川崎市)に属すこととなり、以降現在まで両岸に地名が残っている。

[編集] 氷川神社
橘樹郡への編入にあたり本村から分祀された「氷川神社」は、今も住民により守られている。(2006年 6月14日撮影)多摩川で分断された山野地区が明治45年に橘樹郡へ編入されるにあたり、両岸の共存共栄を願って本村の村社である氷川神社を分祀し、山野地区にも「氷川神社」が建てられた。 それから 100年近く経つ今もなお、ここ宇奈根山野地区の住民により右岸の氷川神社は守られており、また「宇奈根字山野」の地名も併合等されることなく残り、昭和52年にはその経緯を残すための碑も設けられ、当時の連帯を今に伝えている。

                             以上

身延山もいってこられたんですね。興味深く読ませていただきました。

こうへいさん
薬粒数えばばあ は長谷川町子の「いじわるばーさん」と重なりました。
デパートとかいろいろなお客さんがいてお惣菜に髪の毛一本入っていて百万円とられた話ききました。これ事実です。


 No.:506   世間師  - 2006/12/19(火) 21:58
池上の等閑(とうかん)森
黒装束五人組が根拠地にしていたセブリ場として、有名な池上の等閑(とうかん)森に行ってきました。

等閑(とうかん)森の名は何種類か当て字で、「とうかん」の意味がわからないようでした。
三角寛も「腕切りお小夜」で日暮里のセブリを道灌山に設定していますが、等閑(とうかん)森を太田道灌と関連づけ設定したのではないでしょうか。
「とうかん」は太田道灌に由来するのでないかと、大田区と太田道灌の関係も調べてみましたが、太田道灌に付会する説は都内に多いので、あまり当てにならない印象でした。

どうにもわからないので、たまたまネットで「とうかん森」と検索すると、あっさり何件かヒット。
日野市の土方歳三生家近くに「とうかん森」があり、稲荷を音読みで「とうか」と読んだことに由来するとのこと。
なるほど江戸時代は天照大神もテンショウダイジンと読まれていました。
このような読み方は、国学の知識が入った明治の学校教育からは忘れられ、大正期の記者達には「とうかん」の意味が、もはや判りかねたのです。

「山窩は果たして現存するか」では、サンカの斉田直吉は大田区新井宿の在とあるので、新井宿周辺の稲荷神社といえば、なるほど「黒鶴稲荷神社」でした。

日蓮宗の池上本門寺近くの稲荷神社がセブリ場だった。

日蓮宗と稲荷の関係は前から注目していました。 静岡県の清水に行った折、帰り道に身延山に参拝しました。
地図で見ると本堂裏手に七面天女降臨の岩や、その奥に願満稲荷が祭られていました。
何故かそこに行ってみたいと思う。
近くまで車で上がりましたが、あまりに道が狭くて急な登り道なので、車で上がるのを断念し徒歩で歩いたけど、余りに急で疲れてリタイヤ。 その時、タクシーがお婆さん乗せて通り過ぎていった。 なんだ・・車で行けるんだ・・
帰り腹が空き、門前町でホウトウを食べようと食堂に入ったら、店内に狐の姿が浮いた霊石を祀っていました。
何か気味が悪いと思いながら見ていると、店主が「ここは狐と縁があり、狐町というのです」とのこと。
帰宅して願満稲荷を調べると、日蓮が宗派興隆の為に祀った稲荷で、十一面観音であるとあった。
これってダキニ天じゃないか。 日蓮は法華経の法統を本尊に祭っていたと思ったが、ダキニ天と結縁していたのだ。
池上本門寺も、日蓮が佐渡流配された時に、翁として出現した「大威徳天」を長英稲荷として境内に祭っていた。

黒鶴稲荷神社は、本門寺のある台地の東の縁にあたります。 この立地からみて、黒鶴稲荷神社は、本来は本門寺の鎮守だった可能性が高い。
現在神社の維持は、自治会に委ねられているようですが、神仏分離前は本門寺が別当として管理したのでないか。
黒鶴稲荷神社は、本門寺の東の結界に鎮座したのではないかと考えました。
しかし本門寺東側が、なぜ「裏」とされているのでしょう。 普通裏は、建物の表向きからみての方向になるでしょう。 
本門寺は南向きなので、普通なら裏は北の方角のはず。

釈迦が入滅にあたり、釈迦が艮のクシナーラの地で入滅した故事に基づき、日蓮は身延山から艮の方向の常陸に移動しようとした岐路の途中、池上で亡くなった。
身延山を中心に見立てれば、本門寺裏は東側になる原理なのでしょう。

本尊の裏側に守護神を祭るのは、「後戸の神」として天台宗の常行堂の摩多羅神が有名です。
身延山の願満稲荷の位置関係も、位置関係から見て「後戸の神」になるでしょう。
池上本門寺の「後戸の神」は、黒鶴稲荷神社だったのではないでしょうか。


サンカのセブリ場に、日蓮宗の寺院が出てくるのが不思議でした。 
サンカが団扇太鼓叩いていたとか、お題目唱えていたとか、目撃例はないようなので、日蓮宗を信仰していた訳ではないでしょう。
サンカの人達が、シンパシーを感じていたのは日蓮宗ではなく、稲荷=ダキニ天信仰だったのでしょう。



「帝都に於ける乞食の研究」には、大田区雷谷に乞食が数軒で生活しているとあり、調べてみましたが「雪谷」の誤植で、今の「雪谷大塚」の周辺のようです。こちらは多摩川河川敷近くです。 大塚の地名は、この辺りある古墳群に由来するそうです。

 No.:505   こうへい  - 2006/12/19(火) 17:30
薬粒数えばばあ
砂かけババアより、根性ありそうですね。
大したひとなのか、判断が難しい・・(^○^)

 No.:504   おりょう  - 2006/12/18(月) 23:04
2粒たりないです。
薬粒数えばばあ

むかーしむかし、おりょうさんが健康食品のビタミン剤のデモンストレータのアルバイトをやっていたことが
ありました。それはデパートやスーパーの薬局で、あるメーカーの新薬を宣伝しながら販売する仕事でした。
ある日の事、埼玉のスーパーで朝の閑散とした時間帯一番に100錠入り3500円の薬がすんなり売れたん
です。今日は朝から幸先がいいと仕事にも励みがついて上機嫌でありました。
ところが1時間後その薬が戻ってきたんです。朝から買っていったのは小柄なおばーさんでした。そのおばー
さん家に帰って早速ビンから薬を出して粒数を数えたらしい。そしてその薬を店長のところもっていき2粒た
りないと苦情をいって帰ったという。
粒数本当にたらなかったのかどうかわかりませんが、薬買っていちいち粒数を数える行為というのは普通の事
なんだろうか。薬粒数たりないことも粒数数える人がいることも私には吃驚仰天だったのです。

結局その日は薬はひっこめられるしさんざんな1日でありました。

 No.:503   こうへい  - 2006/12/18(月) 11:36
砂かけばばあ
今でも出れば面白いですねえ。
娘が昔見たのは、座敷ワラシか(^^)

 No.:502   ya(・ε^)na  - 2006/12/18(月) 02:01
墓参り
オヤジの墓は伊丹でも有名な巨大な楠木のあるお寺に眠っています
お寺の奥さんと少しおはなし・・

ここの楠木は樹齢500年以上仏像は快慶の作?とか
  むかしこの楠木の周りはうっそうとした森で
夕刻、その下を通る人にさらさらと砂がかかったそうです・・
   人は、砂かけばばあだと恐怖を感じたんやそうな
  深く茂る楠の葉が風の為にザワザワとざわめき・・
    サラサラと楠の実かなにかが人の上に降った為なのか?と
       おくさんははなしおられました
   思わぬところで砂かけばばあの伝説を聞き・・
    思わぬ収穫です・・

  雨上がりの街・・
  お寺を一歩外に出れば・・別世界・・
     大きなホテルやパチンコ屋のネオンが輝き、車は行きかいます

    昔の面影もなくなった酒蔵の町並みを眺める私たちのそばを・・
 携帯片手に自転車の若者が今にもぶつかりそうに何台もすり抜けます
    道行く若者は携帯ばかり覗き込む・・??

     何故かため息がでました

 振り返ったとき大きな楠木が黒々見えました・・


        砂かけばばあ・か・・・・へへへ
     

 No.:501   世間師  - 2006/12/16(土) 20:44
富士八湖
地図上で、山梨の豊富のセブリ場の周りを見ていたら、四尾連(しびれ)湖という湖がありました。 
龍神が棲んでいるという伝説がある、山の中の綺麗な湖だそうです。

そういえば・・富士宮の上条の近くには田貫(たぬき)湖があったっけな。

四尾連湖も田貫湖も富士八湖と言われる富士講の霊場でした。 富士講の人達は富士八湖を巡礼していたそうです。
(富士八湖の比定には諸説あり、田貫湖が入らない例のある)

また富士講・・

富士八湖は、仏典の須弥山世界を現す「九山八海」の世界観を、江戸期の富士講が富士山と周辺の八つの湖に当てたのです。

地質学的には富士八湖は古くまで遡りません。 富士五湖の形成は奈良時代ですから。
ちなみに「秀真伝」が富士八湖を主張していますが、上記のように富士講の影響です。

 No.:500   世間師  - 2006/12/16(土) 02:16
中道往還
最近、宮本常一が人気あるんですね。 関連本が次々と出版されている。
「日本人を考える」という題の対談集を読んだら、サンカの記述が凄く多かったのにビックリしました。
前はサンカの歩く道は、きっと山の民の専用道を、人知れず移動したのだろうと思い込んでいたら、実際は主に旧街道を移動していたようです。
すると江戸時代には、関所はどうやって通ったんだろうか? 秘密の抜け道があったのかと思いきや、
上記の本で、所によるが夜(明け六つから暮れ六つ以外)は、関所の脇の木戸が空いていたとあり、あっけなく疑問が晴れました。


三角寛の2番目の探訪地、富士宮の北山(上条)の国見のタッペエのセブリのあったらしい地は、
地図で見たら、自分も2度ほど近くに行った事があります。 あの辺りは戦後も行場で色んな行者が入っている所です。
(元をただせば富士講の時代から行場みたいです)

「関東撲殺団探検」の大石寺の境内にセブリ場があった記述を考えると、上条より大石寺の方がセブリ場としては、メインだったのではないでしょうか。
そういえば、三角寛の記述に身延をサンカの根拠地とする件があり、大森のセブリ場のあった本門寺も日蓮宗です。 
サンカと日蓮宗は何かつながりがあるんでしょうか。 

中道往還は日蓮宗だけでなく、甲府の武田氏も時宗の一蓮寺に帰依しており、中道往還は時宗も関連深いとされます。
踊念仏の時宗の方が、漂泊民には馴染みがありますね。


書いていて、取り留めなくて済みません。

 No.:499   世間師  - 2006/12/16(土) 01:45
豊富の地名
>*(@@..@)*onglyさん

山梨の豊富ですが、図書館の地名辞典で調べましたが、由来がはっきり書いていませんでした。
あの一帯は、甲斐武田氏の発祥地でもあるようです。

千葉の豊富もセブリ場でしたね。 豊富で地名検索しても、北海道・兵庫・福知山と
そんなに数はヒットしない地名に関わらず、二カ所もセブリ場があったことは、何気に驚きです。

豊富の意味も、良く解りませんが【お宝や豊饒】といった意味でしょう。
山梨はわからないけど、千葉の方は米や五穀が豊富に採れる場所ではない。 
隣が金掘だから砂鉄が取れたということになります。

案外、豊臣家の由来こそ豊富にあるのかもしれません。

 No.:498   *(@@..@)*ongly  - 2006/12/15(金) 00:00
とよとみ
世間師さん いろいろ有難うございます。
笛吹川沿いの「豊富」は豊臣と同じですか?
豊富は徳川に負けてかかる扱いを受けている
なら、サンカ地名でしょうか。
ならば鹿児島方面の園や薗地名と同じでしょう。
 乞丐山は沖縄北にある喜界島と同じですね。
 昔は鬼界島と書きました。因縁ある島です。
こちらでも雲通地名に諏訪神社がありましたが、
信州諏訪には全く関係ないようです。
 地名を追求すれば本当にリアルになりますね。
 グドウ=道具? 乞丐=こつじき=乞食?

 No.:497   世間師  - 2006/12/14(木) 09:05
甲府のセブリ場と河原者
 「関東撲殺団探検」の竹の鼻に続くセブリ場として、笛吹川沿いの「豊富」という地名が出てきますが、現在の中央市浅利に辺りのようです。
ttp://map.yahoo.co.jp/pl?lat=35%2F35%2F4.669&lon=138%2F32%2F49.337&layer=1&ac=19214&p=%CB%AD%C9%D9&mode=map&size=s&pointer=on&sc=4
竹の鼻から2キロほど下流の笛吹川対岸です。

地図で見ていたら、ここから2キロほど西に、歌舞伎公園があり市川団十郎発祥の地だそうです。
市河団十郎の名は、隣の市川大門(市河庄)に由来するようです。
ttp://homer.pro.tok2.com/sub7-1-1-7(ichikawadannzyuurou).htm

ここは河原者の伝統が色濃い土地なんですね。

 No.:496   世間師  - 2006/12/13(水) 21:51
丹波とサンカ
サンカの「丹波戻り」の習慣について、これは三角寛でなく大正期の江口治 「探偵学体系」がネタなんですね。
三角寛が元でなければ、丹波戻りが実際にあったのか調べてみる価値はあるかもしれない。
筒井さんに拠れば、関東と関西ではそもそも箕が藤箕と竹箕と様式が違うからありえないとのこと。
江口治に拠れば、グドウの使い方(盗みのテクニック)との事なので、箕作りの修行ではないようです。
サンカにとっての丹波とはどんな意味があったのでしょう。

丹波の竹細工の伝統は、今の所私個人では亀岡と篠山にあったのがわかっています。
亀岡の場合、戦前の時点で自前分としての箕作りだったようで、他所に売りに行ったり、売りに来たりする話はないようです。(未だ独りの聞き取りなので、確定できません)

人々が長距離移動するには、一つは講のようなものを考えてみましたが、丹波には項を造り集まるような霊地はありません。 西国三十三観音霊場は丹波も通過していますが、時宗や念仏系の宗教者の回遊した形跡はありますが、これとは違うでしょうね。

一つヒントになるのは、甲府のセブリにサンカが集まった事情かもしれない。
黒装束五人組が甲府に滞在したのは、やはり東京(江戸)との位置関係だったと思います。 甲府からは東京の情報を拾いやすいだろうし、もしもの場合は逃亡もしやすいだろう。
甲府は江戸時代から幕府直轄領で、江戸文化流入していた。 
海が無いのに江戸前の嗜好から、中道往還を馬でマグロを運んだそうですから。

近代の思想史を調べていると、しばしば都内や他の場所でも、甲府の特高警察が登場するのに疑問を抱いていた所、
或る戦前の社会主義関係の人と話していて、甲府の特高の話をしたら「天皇を爆弾で殺そうとした人間が、甲府に逃げていた事件があり、
それ以来甲府の特高は思想犯検挙に躍起になった」のだそうです。

すると老いの坂を越えた丹波も京都との距離関係がヒントかもしれません。 
京の都が日本の中心であった応仁の乱以前の地政学的状況が、サンカの伝承に残っていたのではと考えています。

 No.:495   世間師  - 2006/12/13(水) 20:28
都内のセブリ場
都内にも過去セブリ場があったようです。

大久保や高田馬場のセブリ場と言われる場所。  「関東撲殺団探検」「山窩物語』

現在の高田馬場の諏訪神社周辺のようです。
ttp://map.yahoo.co.jp/pl?lat=35%2F42%2F20.66&lon=139%2F42%2F20.792&layer=1&sc=2&mode=map&size=s&pointer=on&p=%B9%E2%C5%C4%C7%CF%BE%EC&MR.x=8&MR.y=10
向かいの戸山公園は、戦前は陸軍施設で江戸時代は尾張藩下屋敷跡で、一般人は立ち入れなかったので、
この辺りより北側でしょうか。
高田馬場駅から南側は坂になり諏訪通りは高台になっています。
この地形なら、昔は台地のハケに泉が湧いていたでしょう。

この一帯は、今のホームレスが多数居ます。諏訪公園では、猫飼いながら悠々自適らしい。
諏訪神社は江戸時代の旗本が守護神として勧請した由来ですが、夕刻には門を閉めてしまいます。ホームレス除けだそうです。


中野、野方の乞丐(きっかい)山   「帝都に於ける乞食の研究」「浮浪者、乞丐の取締りに就て」 『浮浪と乞食の民俗学』

「又セブリ(俗に小屋モノ)としては、近在の特異の存在である野方の通称乞丐山の如く寺院の境内に小屋を建て或は穴を掘って居住し、相当財を持ち子女を小学校に通学せしめつつある者等もある」 「浮浪者、乞丐の取締りに就て」より

野方にあった乞食小屋は、セブリだったようです。 
野方は東京メトロ地下鉄の操車場のある場所です。資料では野方としか出てきませんが、明らかに、これは和田掘の辺りでしょう。 
現在の和田堀公園周辺と考えられます。
ttp://map.yahoo.co.jp/pl?lat=35%2F40%2F51.971&lon=139%2F38%2F40.787&layer=1&ac=13115&p=%CF%C2%C5%C4&mode=map&size=s&sc=3
善通寺川の浸食で台地がえぐれたような地形をしています。 通称を乞丐山と言ったとありますが、台地の縁でしょう。
引用の寺院とは、大宮八幡社の事と思われます(周辺にめぼしい寺院はありません)
神社の裏には弥生時代の方形墳墓があり、集落遺跡も見つかっています。 
八幡信仰以前に相当古くから信仰されていた土地であるのは明白です。

「東京・和田大宮の研究」に拠ると、大宮八幡周辺には鎌倉街道が集まり、人見街道は直線で府中の大国魂神社につながったそうです。

野方が住宅地化したのは、昭和初期辺りからのようです。
サンカ小説に登場する、中野の等閑の森のモデルかもしれませんね。

 No.:494   *(@..@)*ngly  - 2006/12/13(水) 15:30
四国と信州
URLhttp://www5.ocn.ne.jp/~iyasi
PIKKIさん
>どなたかーお遍路さんや四国と、何故信州の善光寺が関係が深いのかご存知ないでしょうか?
善光寺との関連の有無は不明ですが、近年は高知の四万十川上流では雪降る時期は信州に樵夫
として長期出張。信州の女性を嫁にして高知に帰る方が結構いたそうです。
話題は変ります。
 夜這いが無い地はサンカの地の可能性大なのです。タコウ地名は別所ですが、タコウの重箱と
いう言葉があります。女の夜這いを示すとか。なぜでしょうか?
野史呼び名辞典では提重(さげじゅう)は現在のお馴染みデリ・ヘルですが。

 No.:493   世間師  - 2006/12/11(月) 08:41
Re進男命
おはようございます。

>匿名希望さん
情報ありがとうございます。

進男命の表記は、「上記鈔訳」とは別個に実在するみたいですね。
日本中の神社に、所々あるということは何かネタになった資料がある筈。

進男命って変な表記なんで、古典では無い筈。
想像するに中世から近世にかけての文献と思います。
先代旧事本記「大成経」かなと、見てみましたが違いました。
(「大成経」も変な当て字でオオヤマツミノミコトでした)

 No.:492   匿名希望  - 2006/12/11(月) 00:04
進男命を祭神とする神社
世間師さん、皆さま、こんばんは。
“進男(スサノオ)”という書き方は、以前 神社の祭神名で目にした時、変わってる字だなぁと思い、検索したことがありました。(と、そこまでで、それっきりになっているんですが。(~_~;))

・多久神社(の末社の八重垣神社)
http://www.kamimoude.org/jinjya/kyotango-city/mineyama-cho/my-taku/index.html

・八阪神社 
www.7kamado.net/kitayasaka.html

・天照皇太神宮(の左側に鎮座の八阪神社)
www.7kamado.net/amate-oyodo.html

・天照皇大神社(の摂社の八阪神社)
www5.ocn.ne.jp/~miyosino/yosinoji3_001.htm

・進男神社  
所在地  香川県仁尾町大字仁尾乙二四五番地(草木)
祭 神  進男命
合祀祭神 大国魂神 天照大神 大己貴命 少彦名神 宇気毛智神 埴安姫神
由緒   賀茂神社の境外摂社で、南草木の柴坂一族の者が滝宮の牛頭天王の御分霊を祀ったのがはじまりと伝えられている。
kagawa.bine.jp/jinnjya/nio/nio.html

「健速(たけはや)神社(祭神 須佐男命)」というのも、ありますね。


 No.:491   こうへい  - 2006/12/09(土) 18:47
八重垣
トモダチの琴の演奏会に行きました。
曲の中に「八重垣」ってありました。
説明の中に「八雲立つ・・・」セブリ物語の婚礼で使われた言葉がありました。

八重垣?イノシシ用?  検索しました。

素盞嗚尊が出雲の斐の川上にこられた時、稲田姫を中に老夫婦(脚摩乳・手摩乳)が泣いておられる様をご覧になって、その理由をお聞きになり、悪者、八岐大蛇を退治して稲田姫をお救いなされたのであります。この時素盞嗚尊は、稲田姫を斐の川上から、七里を去った佐草の郷、佐久佐女の森(境内)の大杉を中心に八重垣を造って姫をお隠しなされ、八岐大蛇を御退治になってから、ご両親の脚摩乳・手摩乳のお許しを得て、佐草の地に宮造りされて、「八雲立つ出雲八重垣妻込めに、八重垣作る、その八重垣を」という妻を娶った喜びの歌をうたわれてご夫婦の宮居とされ、縁結びの道をおひらきになった。すなわち、二方が両親の承諾を得られた正式結婚の初めの大神であります。


                 八重垣神社の由来より

 No.:490   世間師  - 2006/12/08(金) 22:59
追記
韓国の『東国與地勝覧』(地理誌)の中に、

天神 夷比詞(イピサ)が登場しますが、
井氷鹿と名前が似ています。 何か関係あるのでしょうか。

 No.:489   世間師  - 2006/12/08(金) 22:53
いひか
>ヤゾーさん

こんばんわ。

「上記」関連はネタ切れですが、他に考えている事を書きますね。
井氷鹿は、吉野首の先祖でしたか。
尻尾とは、毛皮の事でないかといわれていますが、
井氷鹿の末裔は、井角乗だそうでその子孫は井頭家で、天河の社家ですね。

井氷鹿を祀った井光(いかり)神社も十数年前に行きました。
あそこにある伊藤家も子孫で、南朝の系統でもあるとか。

 No.:488   ヤゾー  - 2006/12/08(金) 21:30
イヒカ
みなさん こんばんわ

ヤタガラスのお話で なぜかイヒカって頭に浮かんだのですが
尾のある国津神という変な表現をされたイヒカって なんなんでしょうね。

世間師さん 遠慮することなく 思う存分に書いて下さいね。

 No.:487   太田たね子  - 2006/12/08(金) 04:05
無題
世間師さん: 同感です。 「上記」は読んでいませんが、最近少し「豊」について齧り駈けで、
指摘されている矛盾には同感出来ます。
「上記鈔訳」を記した、吉良何某とやら、豊国系人物の筈なのに、イザ神を日向系天皇としたり、
スサノオの字に「速」を使用したり、「津」の字を抜いたり、と、、全く故意陰謀と思われても仕方が無い
行動ですね。
「豊」には「イザ(伊雑)」や「素」や「津」や「宗像」が絶対にセットなのですから。

おりょうさん: 八咫烏は原住民系で有りながら、一番に日向系に寝返った部族であると聞きました、
だから、カラスツタエ神道を初めとして、異質な存在とされた由縁かも知れません。

 No.:486   世間師  - 2006/12/08(金) 00:21
雑集
「上記」ネタは今回で終了です。 長々とありがとうございました。
調べたところ「上記」には、カゲヒネリウタを思わせるカゲヒ・カケヒの単語は、ありませんでした。
陰陽の訓は、おんみょう・めお・ですから、カゲヒという読みは、ひとのみち教団の発案ではないでしょうか。

家に一冊あった「ひとのみち教団」に関連した資料を読むと、ひとのみちに於ける天理教の「諭し」に該当するのは、
「神宣」というものであったと、わかりました。

 No.:485   世間師  - 2006/12/07(木) 22:07
カゲヒネリウタの背景 二
カゲヒネリウタの発生の起源を考えると、日本の民俗や神道の背景より、中国の房中術の伝統のように考えられます。 
日本で房中術の伝統を資料で遡れば、自然と対象は限られてきます。
現存する古代医学書に、丹波康頼『医心方』があります。
『医心方』には、隋以前に遡る中国本土では散逸した「玉房秘訣」等の、房中術書を含んでいます。
『医心方』に引用された「玉房秘訣」の中に、カゲヒネリウタの原型と思われるものを発見しました。
(引用は「道教の房中術」土屋英明 文春新書より 翻案)

『医心方』巻 第二十八 房内 施写第十九
「玉房秘訣に云ふ」として、
男十五歳、盛んな者は一日二回、痩せた者は一日一回
二十代は同じ
三十代、盛んな者一日一回、劣れる者二日に一回
四十代、盛んな三日に一回、弱い者四日に一回
五十代、盛んな五日に一回、弱い者十日に1回
六十代、盛んな者十日に一回、弱い者二十日に一回
七十代、盛んな者三十日に一回、弱い者は射精しないこと

この後、年齢別の射精回数の指示
養生要集を引用し、季節別の房事回数
千金方を引用した別の房事度数の説明と続きます。

「上記」の房事度数表は、養生思想として『医心方』から引用されたのは間違いないでしょう。
問題は「上記」の成立年代の考証になりますが、はっきりした見解を未だ持っていません。
細かい考証は控えますが諸事情を考えると、上記の「まえがき」が語るような、鎌倉期の大友能直の編集したものとは考えません。
江戸後期(十九世紀中盤)に成立かと考えます。

医心方は長い間秘書として伝わった写本は、御所(宮内庁所蔵)本で、江戸時代に版木に起こされています。
上記と医心方は直接の引用でなく、江戸期に持てはやされた養生思想の書籍を介して影響と思われます。
江戸期の養生思想を追うと、より細かい影響関係に迫れる筈と思います。


 No.:484   世間師  - 2006/12/07(木) 20:28
カゲヒネリウタの背景 一
「サンカ社会の研究」のカゲヒネリウタは、サンカの性風俗を伝えるとされます。 「上記」にも同じような記述があり、その背景の分析が待たれました。

ここで「上記」「上記鈔訳」「サンカ社会の研究」の3パターンを分析してみます。


「上記」
(サイト上より仮名にして表記)

またマグアイは
イカシヲメは まぐあいあらじ
ハヤリヲメは 一日さかりに
マスラヲメは 三日さかりに
スケヲメは  五日さかりに
マスケヲメは 七日さかりに
チヌヲメは  八日さかりに(異本は九日)
マチヌヲメは 心のまま
サキヲメも然々に


「上記鈔訳」
(原文ママ)

房事ノ度数
イカシ 房事ナスへカラス
ハヤリ 一日下り
マスラ 二日下り
スケ  四日下り
マスケ 六日下り
チヌ  九日下り
マチヌ 随意


「サンカ社会の研究」

カゲヒネリウタ

まぐひのり
いかし ゆるさず
はや  ひとひ
ますら ふたひめ
すけ  よつひ
ますけ むつひの
ちぬ  きはひ
まちぬは いまま
ゐやまひて

並べてみると一目瞭然ですが、「上記」と「上記鈔訳」は房事の数字が違いがあります。
「上記」は三五七調で展開されるのに、一方「上記鈔訳」は二の倍数で展開しています。
「上記」にも写本の異同はあると思いますが、一目して「サンカ社会の研究」の数字は
「上記鈔訳」の数字に依存しているのがわかるはずです。
「上記」原文のマチヌ「心のまま」は、「サンカ社会の研究」のマチヌ「いまま」に&#32363;がりません。
「上記鈔訳」の「随意」を翻案したものでしょう。

「サンカ社会の研究」の記述は、一見大和言葉の和歌調ですが、「上記」の大和言葉を元にしたものでなく、「上記鈔訳」の文語調を大和言葉調に戻したものです。


 No.:483   世間師  - 2006/12/07(木) 13:22
古史古伝の皇統譜について
構想数年・資料調べ数日・1時間で書きましたが、三角寛を否定する内容はやはり食いつきが悪い。

>匿名希望さん
竹内文献・九鬼文献・富士文献の皇統譜に天之御中主天皇や伊弉諾天皇が出現しますが、
全て「上記鈔訳」を基に書かれているからです。

竹内文献には「進男尊」の表記も出現するし。

竹内文献・富士文献にも房事度数表が出てきます。


より深く知りたい方は、「歴史読本」に2000年に連載された中村和裕氏の論考を参照してください。

 No.:482   匿名希望  - 2006/12/07(木) 10:02
“伊弉諾天皇”に関連して
(ふと、竹内文書に「イザナギ・・・スミラミコト」という名前が出て来たなぁと、思い出しただけで、ほかは何もわからないので、匿名で失礼します。)

〜上古王朝・二十五代神皇(竹内文書)〜

21  伊邪那岐身光天津日嗣天日天皇 イザナギミヒカリアマツヒツギアメヒノスミラミコト
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/kaisetsu/dynasty/takeuchi_johko.html

 No.:481   世間師  - 2006/12/06(水) 12:51
「サンカ社会の研究」と「上記鈔訳」
三角寛「サンカ社会の研究」のサンカの伝承や風俗に、九州に伝わる「上記」と関連があることは、既に田中勝也氏により報告されています。

両者の関係に、今一つはっきりしない部分があったのですが、再刊された「サンカ社会の研究」を読み、三角寛が「上記鈔訳」(明治十年刊行)から剽窃した証拠を見つけました。

「上記(うえつふみ)」は、幕末期に九州で発見された神代文字(豊国文字)で書かれた神話所です。
「上記鈔訳」は、明治十年に吉良義風が当時の文語体に改めて、「上記」に関する初めて刊行された書籍です。
鈔訳の仕方が余りに杜撰だったので、「上記」自体が世間から偽物と見なされる結果を招いた。
「上記鈔訳」は本来の天地創造の件をさらりと流して、イザナギの命をのエピソードから始まる。(この点からして、相当疑問がある)

「上記」原文は、「イザナギノミコト」とあるのを、「上記鈔訳」は伊弉諾天皇とする。
ミコトを天皇と翻訳するのは、「超訳」もいい所で、吉良は狂人とまで批判されましたが、精神を疑われても仕方ないでしょう。
伊弉諾天皇なるタームは、吉良義風の脳内にのみ存在するもので古代伝承ではない。
吉良義風の現代語訳(文語訳)は、御伽草子を現代語訳しようとして、桃太郎にロケット背負わせるようなものだ。それぐらい「上記鈔訳」は無茶苦茶なのです。

しかるに「サンカ社会の研究」では、サンカの伝承の初代天皇は伊弉諾天皇とした。
ヒムカタ天皇や天照天皇もそう。

山の神である大山祇命(おおやまつみのみこと)「上記」の原文では「オオヤマツミノミコト」を、「上記鈔訳」は大山見命(ルビが「オホヤマミノ」)になっていて、原文の津(ツ)が抜けている。
かくて「上記」には、大山見命なる神格は本来存在しない。吉良義風の国学の素養も疑いたくなります。
「サンカ社会の研究」には、大山見命(ルビが「おおやまみのみこと」)や、大山見一が登場します。

「上記鈔訳」では「スサノオノミコト」を速進男尊と漢字を当てています。
進男の訓ではスサノヲとは読めないし、吉良という人物は昔よくいた、活字が勿体ないと何でも略したがるタイプだったのでしょう。
「サンカ社会の研究」では神楽の解説に、速進男尊と書いています。
また出雲のタタラを解説した79Pでは、素戔嗚尊になっているのは、ネタ資料が違うのでしょう。

ムクラヰも「上記」用語。
カゲヒネリ歌も「上記鈔訳」がネタです。
「サンカ社会の研究」の○○法(こり)という伝承名も、全て「上記鈔訳」から取られています。

サンカの古伝承が、「上記」にまぎれた可能性及び、逆の可能性など全く存在しないのです。

サンカが符丁を使用していたのは、鷹野弥三郎が報告しているように事実でしょう。 
三角寛はエキゾチックさを求めたか、「上記」の神代文字(豊国文字)をサンカ文字として紹介した。
サンカ研究書の意匠に(豊国文字)サンカ文字を使ったのは、不用意だったと言わざるを得ません。

「上記」宗像家写本は昭和十年に原文の神代文字の活字を作り、「神代文化研究所」から小数部刊行されています。(戦後復刻されている)
三角寛の「上記」をネタにした記述も、調べればあまりに杜撰なので「上記」の原文も見ていないのは明らかでしょう。
三角寛がネタにした「上記鈔訳」は、昭和十年代に一度(活字組み)再販されています。 それを参考にしたのでしょう。

「上記」の原文は下記サイトで確認できます。
ttp://cgi.coara.or.jp/~fukura/uetufumi/index.html



 No.:480   世間師  - 2006/12/06(水) 01:21
扶箕
>おりょうさん
来年、甲府に行く機会があれば、是非覗いてきてみたいです。
近くの小瀬には傀儡系の「天津司舞」も伝承されていますし、あの一帯は漂白民のアジールだった筈。


前に読んだ資料に、箕の風俗で面白いのがありました。
中国の話で、日本には無いみたいですが・・・
「扶箕」というのがあり、神前で箕に筆をつけたものを持ち、神が降りると字を書く。

いわゆるコックリさん・自動書記現象なのです。

一般には扶鸞とかフーチと呼び、棒を持つと神霊が降り、砂盤や書画を描く等の現象。
箕を使って神霊が降りるのは、空ろに神霊が籠もると考えられた、竹の霊性なんでしょうか。

 No.:479   おりょう  - 2006/12/05(火) 23:47
みなさまこんばんわ
世間師さん竹ノ花現地へいかれるのですか?
写真アップ楽しみにしています。


坂東千年王国 烏伝説より ほんの一部抜粋させていただきました。
熊野の八咫烏、実は賀茂神社の始祖鳥であったことは始めに触れました。賀茂社では八咫烏を取りたてて活用しなかったのですが、社家の系図からも抹殺された梅辻飛騨守規清こと賀茂規清は、幕末に烏伝カラスツタエ神道なるものを提唱し、幕府から八丈島へ流されています。それがどういうものか分からないのですが、賀茂の八咫烏を持ち出したとき、規清の死の時でした。


 No.:478   世間師  - 2006/12/05(火) 22:24
竹の鼻
竹の鼻、自分で調べました。

甲府市大津町の小字「竹の花」でした。
南側を笛吹川が東西に流れ、富士宮から甲府につながる中道往還から西に2キロ位の場所。
三角寛の初めのてのセブリ探訪時、富士宮市の大宮から中道往還を上がっていますが、このまま北上すれば
甲府市内だったわけだ。
中道往還がサンカの移動ルートだったわけです。

甲府市大津町は、現在工業団地のようで昔の面影が残っているか、ちょっと不安です。

 No.:477   PIKKI  - 2006/12/04(月) 05:34
ヤゾーさん皆さんこんばんは
URLhttp://02.members.goo.ne.jp/www/goo/p/k/pikkibikki/frame.html
おりょうさん、ヨーカンさん、貴重な情報をどうもありがとうございました。
それにしてもこの国の闇はいよいよ深まるばかりですね。
じっくりと読んでる暇がないので、こんどじっくり読んでから感想を書きたいなと思ってるとこです。
それでも人間の残した文章や行為は・・
どれも疑ってかかるべきかもしれないですね。

カラスについてはー
アイヌ民族では、狩の獲物の在り処をおしえてくれたり・・
カラスが色々な情報を教えてくれると信じられてるみたいです。
内地ではむしろ、船から放って土地へと進路をとるという
海洋民の文化の名残ではないのでしょうか?

そしてこの海洋民とは、タタラとかの金属加工&交易の氏族だったのではと思う。
夜の海から眺めると、銅や銀等の鉱脈が輝いて見えて多くの鉱山が発見されたそうです。

墓場でよく飛んでる火の玉の原因の燐もー
切った樹などからも発するらしくて・・
夜の橋が輝いていたりしていたらしいです。ddddd


どなたか、古代史や歴史のサイトのご紹介をお願いします。
どうも最近時間がなくて以前は沢山リンクしてた面白いサイトに遭遇できん状態なのです。

 No.:476   世間師  - 2006/12/03(日) 12:13
セブリ場の背景
>*(@..@)*nglyさん
レスありがとうございます。

三角寛の本を読むと、セブリ場を探して川沿いに移動したと記述がありますが、多摩川とか長柄川みたいな大きな河川敷は川沿いの移動も楽でしょうが、山間部の川筋に沿っての移動は、歩くの大変かなと。

川筋沿いの移動には、川魚漁師の移動ルートを想定している気がします。

千葉県の北総地帯の記録に残るセブリ場は、高低地の入り組んだ縄文海進期には入り江だったような場所で、
地図で見る限り川もありますが、川筋というには無理のある場所です。  

タタラ師・木地師・竹細工師(いわゆるサンカ)を、全く別物として考えてしまうのは、我々の判断ミスだったかもしれません。
筒井さんの報告にある木地師から竹細工師(サンカ)への転職例もありますね。


 No.:475   *(@..@)*ngly  - 2006/12/03(日) 00:04
すみません
世間師はミスです⇒世間師さん へ訂正します。

 No.:474   *(@..@)*ngly  - 2006/12/03(日) 00:03
サンカもいろいろ
世間師
 千葉にはサンカ地名が多いですね。幕張、花見川、三角など。
>セブリ場は、水辺(川縁)の生活の便だけの場所かと思いきや、タタラ場跡や
>街道沿いに意図的に集まった
 そう思われますか。それらの地にサンカの故地ではないでしょうか。
サンカをどう考えるかです。三角小説のセブリつき竹細工師に限定するのか、
鍛冶屋、万屋、物運、飛脚、川魚漁師の職のサンカを外すのかです。
竹細工に限定するなら茶筅(ちゃせん)はサンカか。簾作り、簀作りはどうか。
八切も三角もサンカに入れてます。
ロマンがないという理由で竹細工以外を非サンカとするのは歴史の偽造です。
 私の母方祖父は黄幡様を祭りますが百済系野鍛冶の流れです。
 先日サンカ住地に行きましたが江戸〜明治・大正時代でも炭焼稼業でした。

 No.:473   世間師  - 2006/12/01(金) 23:56
セブリ場の意味
自分は蜜柑さんの本も、筒井さんの本も読ませてもらいました。
蜜柑さんの本も読まして頂きましたが、ロマン主義の風を感じました。
筒井さんの本を読んで、よく自分の足で調べているのに感心しました。 
人それぞれアプローチの仕方は違うので、筒井さんの方針は「被差別部落史」の一環としたものでしょう。
三角・筒井氏の本が仮名が多くなるのも仕方ないところです。

アプローチの仕方で、引き出される対象も違ってきます。 ここに「聞き取り」の難しさがあるのですが・・


筒井さんのルポした千葉県柏市(旧沼南町)藤ヶ谷にセブリがあった件ですが、隣の地名は金山と言い、台地は「金山落とし」と呼ばれます。
藤ヶ谷には近世タタラの遺跡が見つかった所で、藤ヶ谷の地名自体がタタラにちなんだ名前でしょう。
(タタラの守護神である金屋子神は藤を好む)
周辺セブリのあった白井市の名内を含めて、江戸期に布佐から松戸にかけて鮮魚を運んだ鮮魚(なま)街道沿いに当たります。 
街道沿いには阿不利神社が鎮座しました。
どうもサンカと言わず回遊民は、街道を通り道として移動したのでないかと。

もっと痕跡はないか、鷹野弥三郎の「山窩の生活」で調べると、セブリのあったとされる船橋市の「豊富」の隣に、やはり「金堀」の地名。
セブリのあったとされる四街道市「鹿渡」は、隣の「山梨」は古代の東海道の通った場所で、地名辞書で見ると山梨地区と共に、東金と船橋を結ぶ街道沿いだったそうです。

セブリ場は、水辺(川縁)の生活の便だけの場所かと思いきや、タタラ場跡や街道沿いに意図的に集まったように思えます。


こんど調べてみたいのは・・
よく本に出てくる甲府の竹の鼻は、正確にはどこの辺りだったのでしょう。
筒井さん本には甲府駅から南8キロ辺りとの場所とありましたが、笛吹川の辺りでしょうか?
今年、小瀬に富士塚を探しに行ってきたのですが、いわくありげな場所でした。もしかしてあの近く?

 No.:472   世間師  - 2006/12/01(金) 23:16
いえいえ、こちらこそ勉強させてもらいました。
おりょうさんの問題提起がなければ、全く気がつきませんでした。
ひとのみち教団は、初期は扶桑教傘下にあったようです。扶桑教も富士講から発展した教団です。

ひとのみちの振替思想は、不二道の陰陽転換より贖罪信仰に移行していますが、三角寛の「サンカの社会」には、
ひとのみち系の贖罪信仰的な「振替」思想は見られないと思います。

これは、実は重要な要素ではないでしょうか。

賀茂規清は下賀茂神社の社家、梅辻家出身です。
著作を読むと、理知的な発想の人物ですが、火水と書いて「カミ」と読ませる、その思想背景が良くわかりませんでしたが、
富士講の思想に非常に近いものを感じました。
彼の門人の顔ぶれを見ると、幕末期には幕府の身分制度が、大きく揺らいでいたのが理解できます。

 No.:471   おりょう  - 2006/12/01(金) 18:17
うわー世間師さんレス感謝。
世間師さん、ご親切にいっぱい調べていただいて有り難うございます。
宗教とは縁のない生活しているもんですから、なかなか宗教は難解です。
「ひとのみち」朧気ながらですが少しですけどわかりました。
世間師さんはなんでも良く研究していらっしゃるんですね。

「烏伝神道」カラスなんですね。ヤタガラスのカラスと関係あるんですかね。

>賀茂規清の「烏伝神道」は、新義異説が幕府のふこうを買い、三宅島に島流しされ彼の地でなくなりました。
日本は昔から「出る杭は打たれる」それが現在でも続いていますね。「民衆は愚かのままでいさせよ」ということですね。

 No.:470   世間師  - 2006/12/01(金) 15:49
Re「ひとのみち」
>おりょうさん
「人の道教団」では、おふりかわり思想を教祖への贖罪信仰「振替」として捉えていたようです。

人の道教団の概要を、アップしてくれた御仁が居たので、以下コピペ。


***********************************

新宗教事典(弘文堂) 井上 順孝編
P95-98分派と影響関係【徳光教―ひとのみち系】
■金田徳光と御木徳一
 大正元年(1912)、大阪に御嶽教徳光(とくみつ)大教会という団体が誕生した。それは金田徳光という真言宗の修験行者を宗教的リーダーとし、日本国教大道社という国家主義的思想団体の幹部であった山内良千らを教義上、組織上の中核幹部として、徳光の霊威に基づく現世利益の約束と、天皇中心の家族主義的国家観をベースにしながら、民衆の日常的修養を説く実践的な教えによって、主として都市の中間層の間に支持をひろげていった。日本における都市型新宗教の源流の一つに位置づけられる団体である。
 徳光教会じたいは、大正8年に金田徳光がこの世を去ったこともあり、大きな発展をとげることはできなかった、そこで生み出された教えやその表現のスタイル、独得の救済方法(に関する思想)など、直接間接にその系譜をひく諸教団、修養団体によって少なからず引き継がれている。そうした要素としては生活上、修養上の心得を短い箇条書きにまとめた人生訓、処世訓として教えを表現すること(徳光教会ではこれを神訓一八箇条とよんでいた)、教主が信徒の苦痛を身代りして引き受け、信徒を救うとする考え(徳光教会では御振替(おふりかえ)とよばれた)、不幸や災厄を神が人に生活態度や性格の歪みを教える警告として積極的に受けとめる考え方(徳光教会では御導示(おしらせ)と呼ばれた)、教主が信徒の悩みや苦難に対し神的直観によって直接診断、指導を与えること(徳光教会では御理解とよばれた)などをあげることができる。
 徳光教会からの最初の教団分立といえる事態は教祖徳光の死去後の教団運営のあり方や後継者の選定の問題を主要なきっかけにしている。徳光教会は、すでに述べたように、当初より金田徳光という霊能にすぐれたカリスマと、それをリーダーとして立てながら思想運動を展開しようとするインテリの幹部という二つの中心をもつ運動であったが、教祖の死去は後継者問題ともからんで、これら二勢力、派閥の緊張を顕在化させることになったのである。そうした対立のなか教祖派の有力幹部の一人御木徳一(みきとくはる)がプラベートな問題によって徳光教会を追放されるといった事件が生じる。しかし彼は、自分の死去後、ひもろぎを植えて祀っていれば新たに三ヵ条の神訓をあらわす人があらわれ、それによって徳光教の教えは完成するという徳光の言葉を頼りに、自分でひもろぎを祀ることを始めた。やがて大正12年から15年にかけて彼自身に次々と三つの天啓が下る。御木徳一はこれを契機に自分を金田徳光の教えの正当な後継者かつ完成者と位置づけ、新たな教団の組織化へと乗り出すことになるのである。
 この集団はこうした結成の経緯やその当初の名称(御嶽教徳光大教会本部)からもうかがえるように、あくまで徳光の教えを継承、発展させることを設立の根拠にしており、教えの中核である箇条書きの訓誠が一八ヵ条から二一ヵ条に増えたほかは、教えや儀礼は基本的には徳光教会のそれを受け継ぐものであった。そして、本家の徳光大教会の教勢の停滞を尻目に、徳一の教会のほうは、彼のカリスマ的リーダーシップや巧みな布教戦略によって、扶桑教人道(じんどう)徳光教会、扶桑教ひとのみち教団と名称を変えながら、教勢を著しく伸張させていった。とりわけ、早朝に各教会に詣で信徒集会を行う朝詣りの慣行は無料の朝食が提供されたこともあって、信徒獲得の有効な手段となったとされている。そして昭和10年前後には公称信者100万を数える当時の「類似宗教」団体中最大の勢力となっていった。

 No.:469   世間師  - 2006/11/30(木) 22:40
烏伝神道
「不二道」の教理を読んでいると、世界を陰陽二元で説明する教理体系が、幕末期の神道家 賀茂規清の「烏伝神道」の教理とよく似ています。

前から、陰陽転換して世界の五大陸が入れ替わるとか、凄い発想に注目していましたが、江戸期に世直し信仰に近いものがありました。

賀茂規清は日本各地を遍歴し勉学したというのですが、その間「上は一品親王から、下は非人乞食まで付き合った」と、回想しています。
烏伝神道の方が、三十年ばかり成立が遅いので、不二道の教理取り入れたのかなと思います。
上野下谷の忍ばず池に「瑞烏園」という学問所を開き、門弟は上は大名から士農工商、下は落語家や俳(正確には行人偏です)遊者に到るまでいたそうです。
とこれで俳遊者とはいかなる存在でしょうか?

賀茂規清の「烏伝神道」は、新義異説が幕府のふこうを買い、三宅島に島流しされ彼の地でなくなりました。

賀茂規清も忘れられた思想家で、近年「続・神道体系」に著述が活字化されています。 国会図書館のデジタル・アーカイブに一部入っています。

 No.:468   おりょう  - 2006/11/30(木) 14:33
「ひとのみち」
やぞーさん、とんちかん小僧さん 皆様こんにちわ
沖雅也は大分県別府市の生まれなんですね。旧姓は楠城児だそうです。
実家はお金持ちのようですが家出なのか、東京で苦労している時に日景さんに拾われたみたいなことが書かれていました。遺書を読むと深い闇に入り込んだような虚無を感じました。
自殺した時八切さんの本が残っていたと八切さんの本に書いてありました。

世間師さんわかりやすく説明して頂いてありがとうございます。
「ふりかわり」の思想は「ひとのみち」に受け継がれていたんですね。
三角寛も「ひとのみち」に係わりがありましたし「ひとのみち」の幹部に元サンカがいたとしてもおかしくないですね。
日本修験道の思想がそれぞれの宗教団体にも受け継がれているんだということがわかりました。

芹沢さんの「人間の運命」これは天理教批判をされているのですが、中山みきが「私にはオヤサマから授かった力がある」といって家の柱を押したら家がグラグラ動いた・・・・と。
はっきり憶えていませんが、その出来事の不思議さが書かれていたような。

PIKKIさんヨーカンさん、私が1日1回クリックする応援ページですが、司馬遼太郎さんについて下記の日記面白いです。
文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ 『毒蛇山荘日記』
今月は埼玉大学講師山崎行太郎先生をお招きし司馬遼太郎の歴史小説が戦後社会に如何なる悪影響を与えて来たかについてご講演を頂きます。 ... 山崎行太郎。 文藝評論家(or哲学者)。 慶応大大学院(哲学専攻)修了。 ...
d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki &#8211;
11月24日の日記に司馬遼太郎のことが書いてあります。

蜜柑さんがいつもズバっとおっしゃるので、胸がスッキリして小気味いいです。
蜜柑さんもっといっぱい投稿してください。

東沢さん 太田たね子さん
「赤」は、太陽・日・血の色で人間がはじめて手にした色で、氷河期には、既に、死体を赤土の中に埋めたり、骨を赤く塗ったりすることが行われており、赤い血が流れると死ぬことから「赤」そのものに生命を与える力があると信じられていたそうです。 
塚田敢「色彩の美学」
昔、小学前の頃、目が赤くなった時、祖母が赤い布目に当てていれば治ると着物の絹の切れ端出してくれ、それを目にあて眼科にいったら医者がジロッとみて恐かった「赤」の思い出があります。呪術的な意味があったんですね。

 No.:467   ヨーカン  - 2006/11/30(木) 11:20
空海と蝦夷
PIKKIさん こんにちわ
 司馬遼太郎の「空海の風景」の記述から、空海は蝦夷の裔とは私もこないだまでは思っていました
その流れで佐伯=蝦夷とも・・
 ちがいますね
空海の書き言い残したものを集めた「遍照発揮性霊集」には奥州遠征(侵略)に発つ友人にあてての書簡が残っていて
「蝦夷は 顔は人間でもその心は獣である・・」と
自分の先祖に対して こんなことは言いませんやろね
「佐伯」が俘囚を監視監督する人であれば納得できます

なんせ 世間で「なんか知れんが・・エライ・アリガタイ」なる物・人は ウサンクサイのでは?
小説はフィクションの世界ですから 喩え天下の司馬さんでも、真実ばかりではないと気付きました
 NHKの大河ドラマも怪しげです

 


 No.:466   蜜柑  - 2006/11/30(木) 00:44
筒井功 「サンカの真実」
 著者の性格悪いね。徹底的なあら捜しに終始。コレまでいわれてきた三角寛のいい加減さを、コレデモカというほど糾弾してる。三角に盗癖があったとか。なんか恨みがあるのかな?

 No.:465   PIKKI  - 2006/11/29(水) 01:02
ヤゾーさん皆さんこんばんは
URLhttp://02.members.goo.ne.jp/www/goo/p/k/pikkibikki/frame.html
おりょうさん、いつも貴重なアドバイスありがとうございます。
最近、寝る前はいつも僕の日記でリンクした若いお遍路さん体験日記「放浪野宿日記」を読んでから寝る毎日です。
お遍路さんとサンカにも共通項が多いような気がするのですが。
野宿が多いとか・・世捨て人的とか・・
ぐるぐると同じルートを回るとかばかりではなくてー
四国は、僕の先祖の蝦夷が数多く連れて行かれた土地で、空海の先祖の佐伯氏もそんな蝦夷が先祖だったと記憶してるのですが・・
空海の真言宗は立川流や修験道とも関係が深いと記憶してるのですが。

いまひとつわからないのが、四国の地元の人々で善光寺へお参りに行きたい・・
というシーンが何度かでてくるのですが・・
サンカとは関係ないとは思うのですが、
どなたかーお遍路さんや四国と、何故信州の善光寺が関係が深いのかご存知ないでしょうか?
北海道の僕の故郷の近くにも善光寺があって円空仏もあったのですが・・

 No.:464   ヤゾー  - 2006/11/28(火) 19:33
沖雅也の美的感覚
みなさん こんばんわ

>沖雅也演じる市松は、竹細工師の設定で裏家業が殺し屋。

>亡くなられた時にいたホテルの部屋に八切さんの本が数冊残っていたそうですから。

そんなことがあったんですね。
沖雅也が自殺して数年後くらいに 
美術品商から沖雅也の話を聞いたことがありました。
亡くなったのが31歳ですから まだそんな年齢なのに
ルノアールの小品やガレやラリックの良いのを持っていたりしたそうです。
かなり美的感覚が鋭い人だと関心したように話ていました。

 No.:463   とんちんかん小僧  - 2006/11/28(火) 18:30
お久しぶりです。
しばらく一度書かなくなったら中々書くのが億劫になってしまって。
随分前になりますがDonglyさんレスありがとうございました。
最近やっと三ヶ月ちょいでクロールで25m泳げるようになりました。
カッパに似てる割りにカナヅチでしたから。
仕掛人の話良いですね。好きです。
沖雅也の竹職人芸はサンカが関係してたんですか。初耳でした。
三味線屋も芸能民だから関係あったりしてね。
では、またぼちぼち書いて行こうと思います。

 No.:462   世間師  - 2006/11/28(火) 18:14
諭し
天理教祖、中山ミキは十九歳の時に、浄土宗の五重相伝を受戒するなど、単なる農家の女性でなく
相当教養があったように思います。

天理教にはズバリ「おふりかわり」の思想は無いと思います。 
信仰経験として身代わりになるとかは、中山ミキの伝記に散見されますが、
「おふりかわり」という言い方は無いと思います。

ただ天理教の教理・布教テクニックに、「諭し」というがあります。
「諭し」とは、相手の何気ない仕草から、隠された因縁を読み取っていく手法です。
心理学的な技法に通じます。

戦前まで天理教が、爆発的に広がったのは、一つには病気治し(おたすけ)と、この「諭し」がありました。

青森の松緑神道大和山にも、同じような「悟り」というのがあります。(両者の直接関係は不明)

「諭し」の話をしていた時に、PL教団も同じ「諭し」があると聞いた事があります。
「ひとのみち→PL教団」については、あまり教義は知らないのですが・・
私の関わりのあった、戦前ひとのみちの信徒だった人の教えに、「サトシ」があったので、可能性は高いと思います。

 No.:461   世間師  - 2006/11/28(火) 14:32
不二道
富士講と不二道の違いが良くわかりませんでしたが、富士講の分派が不二道で現在の「実行教」とのこと。
実行教は、明治に成立した神道十三派の一つです。

不二道
ttp://www.palette532.com/~inui/folklore/j-maturi16.html

ttp://www.city.hatogaya.saitama.jp/section/kyouiku/kyoudo/kotanisanshi.htm

「ふりかわり」の思想は、そのまま戦前の「ひとのみち」からPL教団に受け継がれています。
失念しましたが、他の教団も「ふりかわり」思想を受け継いだ教団があったはずです。

女性が成仏するための変性女子の思想は、鎌倉仏教からありますが、男女が入れ替わる陰陽のバランスが変わる思想は、
富士講(不二道)が日本の思想史上初めてでないでしょうか。

こちらは変性男子・変性女子の思想として大本教に受け継がれています。
ただ大本の発祥した丹波地方には、富士講の教勢は伸びていなかった。
どうやら、養蚕関係者に広まった富士講の信仰思想が、丹波に伝播した可能性がある。
綾部といえば郡是産業です。


 No.:460   おりょう  - 2006/11/27(月) 21:24
話があちこち飛んですみませんです。
室町時代の修験道というのは、穢れを持つ女性は山入禁止としてきましたが、江戸時代にいち早く女性の登拜を許したのは富士修験道で、それは六十年に一度だけであり、富士山麓の村々残っている文書の中には細かく登拜する女性の出自を尋ねたり、どこの村から来たのかとか、その鑑札をいちいち点検して、一応身分が保証されている女性以外、遊女、芸者などは山が荒れるといって登らせなかったといいます。
そんな時代に富士講の「ふりかわり」という考え方で、これは富士山岳信仰の中で出来た不二道が、ふりかわりという考えを出して、男と女の立場を逆転させるという教えを説いた。これは天保年間に御詠歌として歌われた例で説かれているものです。男と女が本当に正しい性として結び合うためには、男は女にならなくちゃいけないし、女は男にならなくちゃいけない、それは、身振りや手振りの衣裳のうえでまずそういう形になってくる。それから、男と女がセックスする立場を、男が上であるという形を逆にするというような、男と女を逆転させることによって初めて男と女のそれぞれの立場がよくわかる。その結果むつび合うと弥勒の子供が生まれてくる。これは理想的な子供が生まれてくるという教理で、江戸近郊の農村にかなり受け入れられた。(宮田登)
この不二道の教えで説いている「ふりかわり」、これ世間師さんが以前お書きになった中山みきさんの教えと関係あるでしょうか?
サンカの女性上位と富士講の不二道の「ふりかわり」どこかつながりあるような気がします。

 No.:459   世間師  - 2006/11/26(日) 14:23
アフリヤ
三角寛のフィールドワーク。溝亀ことサンカの池島某が住んでいた久地神社は近くに大山街道が通っていたのですね。
ttp://www.kantosanpo.com/mizonokuchi.html

大島太郎こと大山藤松がアフリヤと称していた由。江戸期に隆盛した大山信仰と関係に関心を持ち、
何とか背景が知りたい所です。

大山は修験霊場として有名だったのですが、調べてみたら木地師が住み着いていたんですね。
ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~ooyama/roomindex.htm

>太田たね子さん
三隅研次は大映出身の「座頭市」や市川雷蔵主演のシリーズを撮った監督です。殺陣にこだわっていた。
最近は、タランティー世代のハリウッド監督に影響を与えているようです。


 No.:458   太田たね子  - 2006/11/26(日) 05:14
無題
>*(@..@)*ngly  さん
昔の絵画に、現場の柱に舎利頭が飾られてあるのを見ましたので、これが理由かと思った訳です。
加賀の前田の寄進と聞けば、富山県某所の○○堂とやらを思い出しますが、その中の像の
座り方が独特とか。又、加賀前田と樹下神社の関係も興味有ります、木下藤吉郎秀吉、らしいです。
>おりょうさん、世間師さん
必殺仕置人は私も知りませんが、沖雅也の話は以外な展開でした、更に八切さんの本も。
彼の養父は台大の秀才だったとも聞いていますし、、、何だか判らなくなって来ます。
沖縄と言うが、容貌が客家系みたいな気もするし。
八切さんとの討論の後、自分の作家活動に強い矛盾を覚え自害された超有名作家も居られる模様
です。(これ以上は2ch的になりますので止めておきます)
仕置屋総決算の頁に出ている、四谷ラウンド刊「剣 三隅研次の妖艶なる映像美」(野沢一馬著)の
三隅研次と言う監督、日本刀の妖艶美とか、、、、少し興味が。

 No.:457   世間師  - 2006/11/26(日) 02:43
市松
>おりょうさん
>亡くなられた時にいたホテルの部屋に八切さんの本が数冊残っていたそうですから。

その話は、始めて知りました!

松田優作が凄いというファンも多いですが、沖雅也の全盛期もそれに負けない位凄い。
劇中、市松は自分のことをヤクザと呼び、ファンはビックリするのですけど、
本当は世間師というべき台詞だったのでしょう。
放送では竹細工のシーンが無かったのも、関西系列のABD放送だったからかもしれません。
作品概要は下記サイトでわかるでしょう。

ttp://www9.big.or.jp/~rokugen/ingen/kessann.html

 No.:456   おりょう  - 2006/11/25(土) 22:55
必殺仕置人
必殺仕置人のドラマはわかりませんが、沖雅也はサンカを演じていたんですね。

サンカを理解して演じていたが故にいい演技ができたのですね。

亡くなられた時にいたホテルの部屋に八切さんの本が数冊残っていたそうですから。

 No.:455   ヤゾー  - 2006/11/25(土) 18:54
豊かさと貧しさ
みなさん こんばんわ

一年が経つのが早いというか
あっというまにもうすぐ師走ですね。
ここのところ少し忙しくて ロムってばかりでいます。


>昭和年代まで農村ではイロリの傍らに茣蓙を敷いてそので寝た人も多かった。

廃村になった僻地のお年寄りや 隠れ里のような部落のお年寄りから
むかしの生活を何度となく聞いてきました。
電灯が灯ったのが昭和30年代という僻村も珍しくない地方のことですから
戦前の話ともなると それはそれは驚くことばかりでした。
まずガラスなんてものはなかったと言います。
それに布団なんかも珍しかったようです。
そんな生活でも 川にはウナギやアマゴもいっぱい居たし
山にも食べるものが結構あったので食うには困らなかったそうです。
戦前の生活を知る80歳以上の僻村のお年寄りにとって
クルマを普通に所有し 携帯電話やデジタル家電に囲まれた生活は
想像もできなかったと言います。
一番時代の変化を経験したのは 戦前に生きた僻村のお年寄りなのかも知れません。
そんなお年寄りの話を聞いていると 現在ってほんとうに豊かなんだろうかと考えてしまいます。

東沢さん ワンコが無事に保護されて良かったですね。
少年の頃に クルマに轢かれて死んでいる野良犬の傍から
いつまでも離れない別の野良犬の姿を見て
なんともいえないくらい切なくなったことがあります。
ホームレスのお婆さんを撲殺してお金を盗む少年の方が
いぬちきしょうと呼ばれるのに相応しいです。

 No.:454   世間師  - 2006/11/24(金) 23:39
沖雅也
「必殺仕置屋家業」は事実上の主演、沖雅也の最高傑作と評されますが、
沖雅也演じる市松は、竹細工師の設定で裏家業が殺し屋。
死んだ父親も竹細工師で殺し屋という設定でした。

父親を罠にはめて殺したのが、おじと呼ばれる鳶辰(津川雅彦)で、
口入屋家業を営みながら、裏では殺し屋の本締めだったという設定。

父を殺された市松は、諸国を放浪していたエピソードもありました。
三島の宿に逗留した時、他の客が泥棒や殺し屋達だったりとか、
今思うと、随分考証されていますね。

今から考えると、犯罪系サンカっぽい設定でした。

残念なのは劇中、竹かごを編むようなシーンが無かった事。


 No.:453   *(@..@)*ngly  - 2006/11/24(金) 20:15
教えない・・・貧しい日本人
URLhttp://www5.ocn.ne.jp/~iyasi
大田たね子さん
○カマド屋が別棟>タタラか鍛冶の伝統?、ならば寝間と居間は別にするでしょう。
●東京上野の下町資料館をご覧下さい。下町では表長屋と裏長屋の模型があります。
その傍らに裏長屋に住む鍛冶屋の家がありイロリがあり一間です。寝間居間兼用では?
今の若人は内風呂、便所付住居ですが、この長屋は火鉢、台所無し、共同便所、共同
洗濯場(共同井戸)です。
 昭和年代まで農村ではイロリの傍らに茣蓙を敷いてそので寝た人も多かった。
 四国南では土間に茣蓙を敷いてた家が多かった・宮本常一『忘れられた日本人』。
 豊かな人は寝室や納戸があったでしょうが、山稼ぎは山小屋でイロリの傍で寝食。
サンカやコジキの中には冬場に穴に枯葉を積み上げ、その中に潜って寝たという話です。
 戦前までは庶民がいかに貧しかったは、学校で教えないのですね。
○ハチヤは秀吉の刀狩と関係有ったと記憶ですが。
●小名・蜂屋某は全国にいた配下を使い検地実施。彼は非農・ハチヤの出身でしょう。
世間師さん
 ●ウメガイの本物はどこに?石川県鶴来町白山神社の宝物殿にある、長さ40cm位の
両刃の剣が50本位あります。20本位は加賀藩主前田が寄付したようですが、家紋の梅鉢
模様(前田の家紋)が彫られており、これが「うめがいだ」というような感じですが。
どうでしょうか。展示の剣がウメガイなら前田侯はサンカの八切止夫説は妥当でしょう。
 ●TV必殺稼業は実話だった痕跡があります。20年位前東京でもあったようです。

 No.:452   太田たね子  - 2006/11/24(金) 05:38
無題
>世間師さん
その世界は作る人も含めて、ある種の関わりも多そうです。中華圏も構造が同じ?。
>東沢美史さん
湯立神事釜の方が話の筋から言って正しそうですね。魂の憑依の非日常性(ハレ)でしょうか?
ハレ=晴れ=屋外=別棟、の理屈になりそうです。
古墳の埋葬者もベンガラ塗ってあり再生を願ったのが理由と聞いた事有ります。化学的には腐食防止
ですが、血の色からの経験則とも言えそうです。赤土に埋める風俗はどの地方に残存していますか?。

 No.:451   東沢美史  - 2006/11/24(金) 00:10
崖っぷちワンちゃんの遠吠え
徳島市の眉山という場所の高さ70メートルの崖っぷちで6日ほど動けず窮地にあった犬がレスキュー隊の網ですくわれるというニュースが今日、TVで放映された。

たしか昨日朝のニュースの段階では、救助隊が差し伸べる長手網に噛み付き、遠くから聞こえる仲間らしき犬の声に耳をピンとそば立て、やがて仲間の犬に遠吠えで応答するシーンが生中継で放映されてた。

それが夜のニュースになると消防局のレスキュー隊2名ほどと崖ップチの上から下を心配そうに覗く野良犬3匹が同じカメラから放映されてた。

弱りながらも仲間の犬に遠吠えしてた声があまりに必死だったからか、ちゃんと仲間が3匹も来てくれた光景には感激させられた。犬は犬の仲間同士でちゃんと助け合って生きてる。消防救助隊がせっかく助けたって、もし貰い手がなければアウシュビッツのユダヤ人と同じく保健所から毒ガス室へ送られ殺される運命にある。
コメンテーターの眞鍋かおりが愛媛から上京したとき野良犬が街にいないことに気がついたことを話してた。少なくとも四国の山だけはワンちゃんにとって自由な天地だったのに。

山の赤土粘土で作る陸奥の竃(かまど)について少し。
父の仲間と商売敵というか仲間でない産地の箕作りや、たも網、さで網作りの弓木(わぎ)について今月のはじめ数人から話しをきく機会がありました。
ふつう箕や魚篭や竹で編んだ「たも、さで、すいのう」の曲げ木(竹)部分が標準語でいうガマズミ、榧(カヤ)、エゴの木、梓、丸竹、マタタビの場合は生木を手及び腕や腹、背中などまでつかって曲げていきます。
しかし漆の木を曲げて使う産地では竃(かまど)を使うらしいということは知っていたので
そこをしつこく┌(・。・)┘聞き説明していただきました。
98才になる宮城のおばあさんと耳が遠いための通訳の70代の男性、それと別の産地の岩手の70代男性です。

話の途中で、昔ながらの方法で「たも」を作ってくれないかとお願いしたのですが需要のこともありますが竃作りのこともあってなかなか首をタテに振ってくれません。屋内の台所の竃に筵(むしろ)を乗っけて漆の木を蒸せばいいのではと訊いたら、それは違うと一斉に否定されてしまいました。

竃は湯立て行事と同じなのかその都度、屋外に山の赤土、粘土で作るものだという。その天井のない竃で鉄釜に湯を沸かし筵に漆の木を挿んで蒸し皮を剥がし曲げ終えたら、もったいなくとも取り壊わすものとされてる。
来年はまた新しく山の赤土で竃をこしらえるのが本当、本来のやり方とのこと。
前から疑問に思ってた所作についても聞きましたが私の地元の口寄せ巫女の湯立てと同じ意味合いが込められてることも自分なりに確認できました。

御霊を象るという源流が同じで現在も残ってたとは意義深い。
また俗に人を赤土に埋めるというのは永遠の死ではなく生まれ変わりを願ったものかなとも考えました


 No.:450   世間師  - 2006/11/23(木) 22:25
時代劇
>太田たね子さん

そういえば・・・
必殺シリーズの「必殺仕置屋家業」最終回で、殺し屋が、刃物出して凄むシーンに
よく見ると諸刃の短刀でした・・これってウメガイ!?

「必殺仕業人」では、登場人物の赤井剣之助が住んでいたのが、河原のセブリのようなテントでした。
故郷を追われて、旅芸人の妻と逃げている設定です。

時代劇の設定を考える人は、サンカの知識があったのでしょうか。

 No.:449   太田たね子  - 2006/11/23(木) 04:27
推測です
○香港映画の時代劇物を見ていて、ウメガイと全く同じものが出て来てびっくりしました。
野宿の旅人を夜襲する賊が持っていました。武器犯罪性が優勢か?、、、とも思いました。
写真撮りそこねました、残念です。
○カマド屋が別棟>タタラか鍛冶の伝統からでしょうか?、ならば寝間居間とは別にするでしょう、
それは単に煙がどうこう以上の理由になりますが。
○ハチヤは秀吉の刀狩と関係有ったと記憶ですが、検索すれば出るはずです。当てる漢字にも拠り
、結構全国に分布の地名です。

 No.:448   *(@..@)*ugly  - 2006/11/22(水) 01:26
修験にもサンカ
URLhttp://www5.ocn.ne.jp/~iyasi
ツトッコさん
 釜や作りに興味あります。なぜ発生したのでしょう?私なら使い方から発生原理を
 推測します。曲屋作り(東北エミシに関連と見ます)と関連ありそうですか。
 建築学図鑑を見ても不明なことは、聴き取り調査ですね。
世間師さん
  ハチヤ、茶筅、八筋、サンカ、農民と竹細工をする人は多かったようです。
特に戦争中は政府は現金収入源として農民に竹細工を推奨し技術指導しました。
 大分・宮崎・鹿児島の修験にはイボロがいて、野研では渤海サンカと言います。
サンカも多人種です。同じサンカとしてもイボロは斥候・ゲリラ・テロ部隊です。
朝鮮侵略や大友に対して島津の戦闘部隊でした。塚教育委員会はサンカいない、
現地研究の民俗学者はサンカという言葉は使わないそうで、現地ではサンカを
○○といいます。その他のサンカは少し外れた所にいたようです。
 現地で調べたことですが、地図を使った地名研究が出発点でした。
おりょうさん
 上述のように、サンカチーズというよりはハチヤチーズが正しいです。
 ゲリラ・テロ部隊のハチヤだからこそ携帯用の戦闘食が必要です。
 山中鹿之助は修験者でサンカしのがら。
 八切止夫は理由を示しません。しかし地名研究から鹿之助は間違いなく
サンカです。またヒントには鹿之助が月を信仰してた事、秀吉に見殺しに
された理由を明らかにする事でしょう。富田城奪還のために八チヤの
ゲリラを使った尼子もにおいますね。
 しのがらは住宅地図を見ると、岐路や間道口近くの商店が多いようです。

 

 No.:447   世間師  - 2006/11/21(火) 19:09
ウメガイの原型
直刀諸刃のウメガイの原型について、考えてみるとルーツが良くわかりません。

日本刀は直刀の突き刺す剣法から、騎馬戦上の撫で切る剣法の移行形態として、
湾曲していった(時代的には十世紀半ば平将門の頃)という説が一般ですが、
ウメガイの形は、刀剣としては化石のような・・時代性に合わない気がしました。

宗教的には、不動明王の持つ利剣のような直刀の形は、具象としては残っています。

戦国時代、一騎打ちの戦いで、組討で決着をつけるのに、「鎧通し」という短刀で止めを刺しました。
(柔道でも、一本の型はあのあと、鎧通しで止めを刺される状態を想定して、一本になる。
竹内流柔術では、片手に鎧通しを持つ型で演舞します。)

「鎧通し」は渦中の隙間に突き刺して、止めを刺す武器なので、直刀・切っ先諸刃の物があったと知りました。

太刀は神社に奉納されたもの他、美術品として伝世するものが多いですが、「鎧通し」は伝世品に中々お目にかかりません。

サイトで、現代の物を見つけました。
tp://www.yamashita.org/wt/yoroto/yoroto_top.html

話に聞く、黒装束五人組のウメガイに、心なしか似ていませんか。

 No.:446   おりょう  - 2006/11/20(月) 23:19
サンカの講
サンカが講のようなものをやっていた話はないですね。
サンカの講から大きくなり○○銀行の話は過去に出ましたが、へんろう会とかフタカミ講のようなものは
小説の世界だけなんでしょうかね。


身延修験者いんなーとりっぷの○○会は元サンカという噂。
山中鹿之助は修験者でサンカしのがら。法螺貝を輸入していた云々。
いづれも八切さんの説です。



 No.:445   世間師  - 2006/11/17(金) 01:19
山岳信仰
>ツトッコさん

マージナルvol.4を持っていなかったので、話が良く見えなかったのですが、大山藤松=大島太郎なのですね。
大島さんがアフリアと自称していたと。
サンカと修験の関係?ですか。
でも、この人は、生粋のサンカでなく埼玉の農家の出だったとか・・彼のグループ(一家)全体が、
アフリアと自称していたなら話は、又ややこしくなりそうです。

大山詣では、江戸期に庶民の人気の的で、富士講と並び大山講が盛んだった。
富士の木花咲耶姫に対し、一夫の石尊大山と呼ばれた大山には、姉の岩長姫が当て嵌められたそうです。
(これは何時まで遡るか不明です。近世の国学の知識かもしれない)

銚子の方も、大山講や大山信仰は伝播していたので、埼玉に大山講が来ていたか、郷土史で調べないとわかりません。
また関東のサンカや山の民も、富士信仰や大山信仰の影響を受けた可能性も、決して低くないと思います。

以前に天河で、大峰修験に挑む方から話を聞きましたが、古来から山に入る時は小刀をもっていくのだ。 
行に失敗した時は、その場で自決する為だったそうです。

 No.:444   おりょう  - 2006/11/16(木) 22:48
サンカ本
詩人PIKKI さん お久し振りです。
ページ訪問させていただきました。きっ子の日記なんかありました。

下記のページ個人的に応援しています。神州の泉さんです。もしよかったら読んでみてください。
   shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi

佐分利さんとは北海道の方ですか?

ツトッコさん、いろいろなサンカ本よくお持ちでいらっしゃいますね。
どうしてさがすんですか。
サンカにほんとくわしいですもんね。多分その本のことだと思います。
内容面白いですか?


 No.:443   ツトッコ  - 2006/11/16(木) 21:43
茅葺ユサバリ
Donglyさん
宮本常一『山に生きる人々』にサンカの持家茅葺家(居付き)は三角寛写真の居付きの庵に比べてかなり立派な造りですね。この地域のサンカのことは森田誠一さんや井上精一さん等も書かれていますが、住居の造りは母屋と竃屋とを別にする造りみたいですね。私の住む愛知県の三河地域の豊川流域から静岡県の天竜川流域にもかつて釜屋造りという住居が沢山ありました。大林卯一良という方がガリ版刷りの本「東三河の釜屋造り民家」で家の概観と間取りを書かれていて興味深いです。

世間師さん
写真の茅葺ユサバリはまさに天幕から茅葺に変わっただけの感じですね。修験者とサンカは何らかの関係があったのでしょうか?

おりょうさん
以前に書き込みされた『鳥飼孝好の自費出版「陽は西に」』にと違うかもしれませんけど、岩藤みのるという方が自費出版で書かれた「陽は西に 三弥長者異聞」という本は持ってますよ。
豊後府内の大名竹中采女正重義とその御用商人三弥之助とサンカとの関わりを書いた本ですよ。 

 No.:442   詩人PIKKI  - 2006/11/16(木) 21:04
僕の一番好きだった道産子俳優ー佐分利信
URLhttp://02.members.goo.ne.jp/www/goo/p/k/pikkibikki/frame.html
みなさんお変わりないでしょうか?
ついさっき「暖流」や「阿修羅のごとく」で忘れられない同郷の佐分利信についての日記を書いたのですが・・
結構佐分利という有名人が多いのにびっくりです。
もっと詳しい情報をどうかよろしく!
詳しくはー
<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E5%88%86%E5%88%A9%E4%BF%A1">「佐分利信 - Wikipedia」</a>
<a href="http://www11.ocn.ne.jp/~kiduya/saburi.html">「俳優・映画監督/佐分利 信
」</a>

 No.:441   竹の家  - 2006/11/16(木) 08:53
世間師
>ヤゾーさん
>竹の骨組みに茅などで屋根を葺いたユサバリに暮らしていたそうです。

この一節を読み、思い出した事があります。
関西の行者さんで、昭和30年代から50年代にかけて活動されていた方の、
拠点の造り方にそっくりです。

その方のお弟子さんから託された写真があるので、風の王国掲示板に上げておきます。

 No.:440   おりょう  - 2006/11/15(水) 13:02
サブリ どの世界にも位があるんですね。
わっ!大変 *(@..@)*ngly さんが目まわしています。

ツトッコさんお返事ありがとうございます。
山本素石さんは確かサンカと遭遇されたこと書かれていましたよね。
ツチノコさがして読んでみます。おもしろそうだから。

>マージナルの記事の元になった昭和36年の「歴史読本」
お餅になっているんですね。羨ましい。
ツトッコさん真のサンカ中毒者。
 

 No.:439   *(@..@)*ngly  - 2006/11/15(水) 00:51
サンカの茅葺農家とこじき小屋
宮本常一『山に生きる人々』にサンカの持家茅葺家(居付き)が写真があります。
 熊本県蘇陽町馬見原か三ヶ川流域にあった模様。この南に五木(居付)があり
ます。写真は竹細工サンカも小ぶりながらも定住の家をもった証拠でしょう。
 下はサブリ関連の20002年11月Dongly投稿の再現です。ただし俳優名は佐分利信です。
 1930年代の東京における細民の一つで、小屋住まいの乞食総称して【かまもの】の
部類に入ります。住居形態を下からみれば、【るんぺん】>【おかん】>【さぶり】>
【部屋者】>【どや者】とあり、サブリは下位からは三位です。野史呼び名辞典続巻に
記載予定ですがサンカは樹木間に紐でテントを吊るすので【せぶり】よりも上位です。
その他東京では「蒲鉾小屋」「ミノ小屋」「掘立小屋」に住んだそうです。野史呼び名
辞典p.421.より引用。【】は人の呼び名です。
 高度成長に乗り遅れた都市には残ってるかも?。”巾半間”の民家。
 昭和20年代前愛媛県長浜市の被差別集落は大規模な巾半間の家ばかりだったとか。
当地方では昭和30〜40年代にも下人小屋や貧民の家は巾半間だったそうです。
少し前に田舎で【通い下人】の家は消防ポンプ小屋として残っていました。
 江戸時代は被差別部落やサンカの履物が「あしなか」なのと同じ、半分の思想です。

 No.:438   ヤゾー  - 2006/11/14(火) 21:31
茅葺式瀬降物語
みなさん こんばんわ

>天幕を使ったセブリだけでなく茅葺の居付きまたは移動式のセブリが昔からあったにではないでしょうか。

サンカを取り上げたテレビ取材で下北山村へ同行したときに
沖浦教授と一緒に地元のお年寄りから当時のサンカの様子を伺いました。
ツトッコさんご指摘のように 天幕式のユサバリと同じような竹の骨組みに
茅などで屋根を葺いたユサバリに暮らしていたそうです。
昭和9年頃の話ですが サンカの子供と親しくしていたというお年寄りは
何度もそのユサバリに遊びに行ったとのことでしたので かなり正確な記憶だと思いました。 
サンカの家族は約一年ほど河原で竹細工やウナギ川魚を捕って生活していたようですが
村人からの差別はなく サンカの子供も一緒に学校へ通っていたそうです。
沖浦教授に何故差別がなかったのでしょうかと訊ねたら
近辺に被差別部落がないことと 村人の暮らしぶりも
似たようなものだったからではないかとのことでした。

 No.:437   ツトッコ  - 2006/11/14(火) 20:50
ツチノコ
ツチノコは残念ながら見たことがありません。おりょうさんなら読んだことがあるかもしれませんが、機会がありましたら山本素石さんの「逃げろツチノコ」を読んでみて下さい。きっとツチノコのことが大好きになりますよ。ツチノコは地域によっては神聖視されていて、語ることもタブーだったみたいです。

世間師さん、アフリヤは屋号ではなく、サンカの自称のひとつで、大山さんの仲間にはアフリヤのヒョウなんて呼ばれていた人がいたみたいです。またアフリツキとも言ったみたいです。

マージナルの記事の元になった昭和36年の「歴史読本」書かれてましたが、サンカに伝わる歌として「竹の柱に茅の屋根 寝てて月星おがむよな」というのがあるみたいです。この歌から考えるのに、天幕を使ったセブリだけでなく茅葺の居付きまたは移動式のセブリが昔からあったにではないでしょうか。

「歴史読本」の出版が昭和36年の2月号で、「サンカ社会の研究」の東洋大学の調査が昭和37年3月5日ですから筒井さんが書かれたように大山さんがクボタツさんのグループからその時期には離れて暮らしていたのは間違いないのでしょうね。

 No.:436   おりょう  - 2006/11/14(火) 14:29
大山さんとアフリヤ
ツトッコさんのお名前ツチノコだったんですか、ツトッコってどういう意味なんだろうとかおもっていました。
ツチノコは幻の蛇とか。ビールビンみたいな体形しているんでしょ。
ツトッコさん見たことありますか? なんか面白い話ありそう。

マージナル開きました。
大山さんという名、雨降山と関係ありそうな気がしてきました。

サンカの大山さんも箕直しのかたわら修験者として雨乞いの呪術・祈祷を行っていたのかもしれません。
私は「アフリヤ」は「雨乞い屋」という意味に思うのですが。

八菅山の修験者も1年に2回の峰入り以外は、わずかばかりのの田畑による農耕を主体としていた。
『秩父風物記』に「お水借り」を行っても雨の降らない時は、神社の境内、又は「雨乞い山」に登って、「雨乞い」の行事を行う。草木などを燃やして煙をあげ、その周囲を「おん幣(べえ)と呼ぶ大幣を先頭に振りながら、音頭とりが「向うの山の黒雲!あれをこっちに引き寄せて!雨を降らせてたまわれ!」と称え、一同「雨だんべー竜宮なァー」と和し、太鼓と鉦を打ちながら輪になって廻る。別の町では日照続きには竹で竜をつくり、トラックの上に飾り、町内を引き廻して雨乞い祈願を行う。
また各地に大山阿夫利神社の講中があって、毎年夏代参の御社に参詣して帰り「大山精進」などといって御日待などを行い「阿夫利」とは「雨降り」の意とかご祭神も雨に係わる神を祭るので農民が夏の旱魃に世々雨を乞うてお祭をしてきたことがわかる。
 埼玉県の越生線の一本松駅東方にある雷電池(かんだちがいけ)でおこなわれる雨乞い行事・龍神祭りがあり白髭神社で作られた竹と藁でつくられた大蛇は長さ3メートル、重さ約2トンの物を約300人もの男が法螺貝を鳴らし、掛け声高らかに雷電池まで運び大蛇はこの池で龍神となり泳ぎまわり男たちは「雨降れたんじゃく、ここえかかれ黒雲!」と絶叫して降雨を祈りながら、池内で大蛇をズタズタに壊していく奇祭がある。昔は必要とする水は天まかせであり雨乞いに山岳修験者はかかせなかったのでしょう。


田村栄太郎「忍者物語」江戸時代重税で食べれなくなった農民や職のあぶれた者が修験の仕事に流れた修験者の実態が描かれています。「大法螺吹き」の語源とか考えますと世間からはあまりいいようには見られていなかったみたいです。
水野越前の弾圧で神職・修験・行人・行者は、江戸市中に居住してはならない。百姓・町人の出身者は元職に立ち戻り、目印の看板・梵天は出してはならない。移転先は浅草の新堀・麻布広尾村・雑司ヶ谷鼡山であって引越し料を与えられたそうです。

ながながと書き込んですみません。





 No.:435   世間師  - 2006/11/14(火) 13:22
アフリヤ
>ツトッコさん

アフリヤって、屋号だったんですかね?
サンカの人達って、屋号とか名乗っていたのかな?


 No.:434   ツトッコ  - 2006/11/13(月) 22:03
アフリヤ
マージナルvol.4で武蔵サンカの大山藤松さんが自分たちのことをアフリヤと呼ぶのを好んだと書いてありますので、苗字といい呼びなといい、サンカと修験を関連づけるものかもしれませんね。

Donglyさん間引き地名なんてものもあるんですね。
佐々木喜善の「遠野のザシキワラシとオシラサマ」に間引いた子供は決して屋内より出さず、必ず土間の踏み台の下か、あるいは石臼場のような、繁く人に踏みつけられる場所に埋めたものであるとの記述があり、八切止夫のネブタの話を連想します。

おりょうさん、ツトッコは三河ではツチノコの意味です。明治30年代の生まれであった祖父にツチノコを知ってるか聞いても知らないと答えましたが、ツトッコとかツトヘビてを知ってるか聞いたらすぐさまあれは恐ろしい蛇で猛毒だか見つけても決して近づいてはいけないと言われました。大正のころ一度死体が出たことがあるとも言ってました。




 No.:433   おりょう  - 2006/11/13(月) 16:57
あふり屋

大山は別名雨降山また阿部利山との名があります。
相模湾からの海陸風により山頂にしばしば雨雲を生ずるため、雨降山(通常は「あふりさん」。「阿夫利山」「雨部利山」とも表記され、あめふりやま/あふりやま/あふりさん/あぶりさん等さまざまに呼ばれた)の名もある。雨降山にかかる雲の形は観天望気の手掛りとされた。
アフリ屋とは雨乞いする修験者のことかもしれません。ちがったらすみません。
『山と神と人』に「先達切紙」等に拠ればここで「越」(加賀)の白山、白山妙理権現への
祈祷がなされ、この頂上には、日照でも涸れないという池があって雨乞いの祈祷が行われ、役小角の石像もあったと伝えられている。
八菅修験は、行所第一番禅定宿で白山権現への祈祷を行い、最終行所三十番は大山寺白山不動とされていた。大山の石尊社(本宮)の本地は白山妙理権現の本地と同じ十一面観音であった。白山信仰の内容の詳細は不明だが、特に飯山や大山(雨降山)にみられるように雨乞いの対象とされ、豊かな水の恵みをもたらす神としてまつられていたとみられる。八菅・飯山・日向・大山を含む丹沢山塊は、山麓の相模平野に流れ出す河川の水源地帯であり、相模平野平野自体は、「農業生産の条件、なかんずく、土質や水利上からは劣悪不安定地区、雨も多いが一歩違えば大洪水で被害も多く、そんなことから山々に対する信仰を強めたと考えられる。
大山は雨降山の別名をもつ雨乞いと蛇とも関連がある。
 また、円錐形の山容は蛇のとぐろを連想させるため、蛇神信仰と結びつく。たとえば大山と同じく円錐形の山容を持つ三輪山などその例で、阿夫利神社と同じく「酒造の神様」として知られる松尾神社がある。
役行者は日本三大薬師の一つとされる日向薬師(伊勢原市坊中)宝城坊や八菅神社(江戸時代は七社権現といった。所在地は厚木市八菅)などにその像が祀られている。
 八菅神社のある八菅山は天台修験の道場であり、真言修験の道場である大山と並んで相模の修験道場の双璧である。ともに丹沢山地を中心にして廻峯行が行われていた。
 『新版 圓生古典落語2』の『唐茄子屋』の解説によれば「江戸時代中期・後期は白衣(びゃくえ)振鈴(しんれい)(註)という巡礼姿で詣でた」ということであるが、一般に半被に鉢巻、先頭に何々講と大書した幟と梵天・納太刀を立てて練りこんできたらしい。なお、江戸時代に書かれた『金草履』二編に描かれているところによれば講の幟に普通の旅姿であり、他の史料には巡礼姿の参拝者と普通の旅姿の参拝者の両方が一枚の絵に納まっているものもあるところから、おそらくは巡礼姿の参詣者は富士詣り・道了尊詣りを経て大山に詣でた後であると思われる。(大山辞典より)
 
八菅山と富士講の関係については、役小角が文武天皇三年葛城神の讒(ざん)にあって伊豆大島に三年移住し、「昼守 禁、夜通 天木、走湯、箱根、雨降、日向、八菅、江ノ島、日金、富士山」とあり、八菅、日向、雨降(大山)とともに室町末期には修験者との関係があったことが推定される。

昭和四十七年に発掘調査により平安時代末期と推定される瓶と和鏡数点並びに木製合子型念持仏が出土しているそうです。

丹沢うんちく
homepage3.nifty.com/yamaasobi/sonota/kiroku/history.htm



 No.:432   Dongly  - 2006/11/13(月) 15:19
あふりや
 太田たね子さん初めまして
 雨降も阿夫利も同一のようです。漢字が違うと全く違うと
いうのは学校国語や漢字検定業者ですが、大正頃までは当字
も誤字も無く、すべて当字だったようです。
 雨降は「無理に」アモリとは読めないでしょうか?
渡辺、浜田と書いて生徒から文句が来ました。辺は邊か渡、邉
浜は濱が正しいと。確かに浜=&#27701;+兵です。兵は戦場で真先に
死にますが、将軍・長官・国防大臣の類は絶対戦死しません。
 煽る⇒火元に風を送る⇒火力を増して仕事する=鍛冶屋と
語呂合せか付会か不明ですが、鍛冶屋という説もあるようです。
 もちろんサンカにも鍛冶屋、鞴屋がいる事は周知です。
いつも気になりますが、太田と大田は同じですか?

 No.:431   太田たね子  - 2006/11/13(月) 03:09
無題
八菅山には雨降と書いて、アフリと読ませている峰が有りますね。29番。
江戸の街には富士山のミニチュアが有ったそうで、これも富士講とされたと書いてありました。
アフリ屋とは修験の奇術:炙り出しと何か関係あるのでしょうか。

 No.:430   Dongly  - 2006/11/12(日) 11:06
黄色いチラシ感謝
URLhttp://www5.ocn.ne.jp/~iyasi
おりょうさん
 八菅関連のURLありがとうございます。
 別所が中心にあり、昔エミシや俘囚を封じこめたような地形
ですね。白山、白山神社、鳶尾山、高取山地名も見えます。
黄色いチラシからは「見捨て地」である事が理解できます。
とにかく八菅修験のアジールに違いないでしょう。何か鉱石が
採掘されたのでは?秩父はサンカ関連の石灰採掘だそうです。
八菅修験は富士講との関連もあるのでしょうか。
 間引き地名からは民衆に食込んだ修験の仕事内容が推測されます。
 開発=破壊の前に古い歴史を確認して欲しいですね。
 現地の精査をすればいいのですが、私は西の胡で残念です。
七沢温泉への慰安旅行で猪肉を戴いた覚えがあります。

 No.:429   おりょう  - 2006/11/11(土) 23:06
八菅山再び
 黄色いチラシ
 www.geocities.jp/kiiroichirashi/kiiro131.htm
八菅山の地図、宗教色の濃い地名が多い。赤子の間引きを想わせる地名、口減らしのための嬰児を捨てたと伝えられる地名もあり。

 八菅修験峰入道
 www.tanzawa.or.jp/~takakura/hasuge.htm
写真満載 雰囲気のあるところです。

鈴木正嵩『山と神と人』―山岳信仰と修験道の世界― 淡交社 1500円
八菅山は丹沢山塊の東端に位置する中津川右岸の狭い河岸段丘上に形成された集落で、いろいろ抱合されて今は愛甲郡愛川町大字八菅山だそうです。もともとは見捨て地だったようです。
集落の西方に八菅神社があり、修験道廃絶以前は、八菅山七社権現と称し山下に別当寺光勝寺の伽藍を擁していた。八菅山七社権現は八端や白山の祭神である。
集落は明治十八年の大火で焼けて今はない。
八菅の由来は、以前この地方では毎年八十八夜の前後の旬日間に山菅の新葉を抜き、簾状に編んで陰乾、縄、草履、草鞋を作ったり収穫物を束ねる結束材料として用いたりしたが、
これを葉菅(はすげ)と呼び、洪積台地で水田の少ないこの地では水種藁として調法がっていた。ここから八菅山の名がついたという。
また別の由来は日本武尊の東征の砌にこの山を「蛇形山」と名付け、その後役小角が秘法を修し、不動・薬師・地蔵の三体の像を刻んだ時に、池の中に白菅八莖が生じたことが「八菅」の謂だという。
八菅山は山全体蛇になぞらえて、山上の社殿と山下の鳥居を結ぶ石段を中心線して、左目池、右目池、鼻池、口池、舌畠といった地名が残り、西北を尾、東南を頭にして蟠る形成をとっている。八菅山七権現の社殿や明治の大火で焼けた別当院光勝寺の伽藍は、この蛇の頭の部分に位置し、これは蛇と水とのつながりから水分信仰との関連が示されるし、蛇自体が在地の神霊で山全体を神聖視したとみることもできる。
八菅山は「自然界」と「人間界」の境界に立ち相合の世界を媒介する立場にいた。八菅山周辺は、往古の相州道が通っており、この道は「多摩の横山道」とも呼ばれ、三ノ宮(大山下)―日向―飯山―六倉―大戸(高尾山)に至る。この他足柄街道、中世の鎌倉街道、近世の大山道に至るまで常に要衝に位置付けられ、八菅修験に宗教活動に大きくひろがっていった。
田村栄太郎『忍者物語』に焼けた光勝寺は高座郡八菅村となっています。
光勝寺の本尊は無量寿仏で、本坊脇坊併せて五十二坊あったそうです。山中の修験は山中及び近郷の三十箇所に入峰修業する特別な修業寺である。

そういえば富士山登った時、富士講の文字の入った法被着た男の人たち10人くらい「ザンゲザンゲ 六根ざいしょう」と唱えながら登っていました。
ツトッコさんの名前ツトコ→藁苞のことなんですか?
本みていてツトコという文字が目に入ってきたもんで、突然ですみません。

 No.:428   世間師  - 2006/11/11(土) 01:43
血の穢れの克服
最近出た「民俗誌・女の一生」野本寛一を読んでいたら、女性が生理期間中、篭もっていた月小屋の話があり
静岡の例で、昭和十年代丸山教の布教師がやってきて、「女の月の役は、花だから家族と一緒に食事してよい」と説き、それから地方の月小屋の風習が廃れていったとあります。

この話を聞いて、どこかで覚えがあるなと思ったら、天理教の中山ミキも同じ諭しをしていました。
「天理教教祖伝 逸話編」に「月のものはな花やで」と言っていたとあります。

この教えは、中山ミキのオリジナルでなく、富士講起源なんですね。

これだけ開明的な教えが広まる素地が、江戸期から有ったというのに驚きです。

 No.:427   Dongly  - 2006/11/10(金) 23:09
修験、天狗、鬼、俘囚
Maillst99@wine.ocn.ne.jp
URLhttp://www5.ocn.ne.jp/~iyasi
おりょうさん今晩は
 八菅山は現在名も同じでしょうか。別所の流れを汲む修験の意味があり
そうですね。山麓にある集落なら急坂や登山時の荷物運びに従事した修験
配下でしょう。元サンガか、サンカに入る者がいたかも。
 男・女、白・黒、朝・夕の両方に参詣して始めてご利益とか、商売上手
な神仏人ですね。関東も興味深い地が多いですね。
ツトッコさん
 人間不信を払拭するには教団もご苦労ですね。カリスマ・女・性が欲しい
ですね。後は麻薬(昔は大麻)でしょう。本来薬師堂には鳥居がないそうで
す。実際は寺支配ですが、神と仏の混合が必要だったのでしょうか。
 兵庫の瑠璃寺縁起を見ると、鎮圧する天狗は修験のようですから、反乱を
起こす俘囚を鬼とすれば合点がいきます。昔の天皇側か反天皇側かですが、
共に俘囚なのに、「夷をもって夷を制す」。
 阿部支族?が、安藤と安東に分かれた理由も同じと聞きます。

 No.:426   ツトッコ  - 2006/11/10(金) 19:49
修験
今年の夏は静岡の秋葉山、奈良の三輪山、大峯、東北の羽黒山、月山、湯殿山、木曾の御嶽山と修験に関する山に登りました。それらの山には多くの白衣を着た人の姿が見られ今でも多くの信仰を持った人がいるのがわかりました。特に出羽三山では宿坊に泊まったのですが、自分たち以外は皆さんいずれかの講に属した方ばかりでかなり浮いていましたし、宿の人も帰り際に「実は、いったいどんな人たちが来るのか分からないので少し心配していた。」と本音を語ってくれました。

その宿坊の近くには薬師神社がありましたが鳥居がなければ薬師堂にしか見えません。明治の修験道廃止令以前の修験の姿はどんなものだったのでしょうか。湯殿山の注連寺では神仏分離令後に仏教を選んだため、多くの迫害を受けた話を聞きました。

修験に関係の深い天川弁才天は、祝詞のあとに弁天や役の行者の真言、般若心経をあげたりで、かなり神仏混交が残っていますね。

 No.:425   おりょう  - 2006/11/09(木) 22:24
八菅山
神奈川県の西北部にある八菅山(はすげ山)は「相模国八菅山略縁起」には天明六年の日付けで記載があるそ
うですが古くから修験者の集落があったところだそうです。

大山信仰と富士信仰や江ノ島信仰とは結びついているんですね。
大山の山体は男根(陽)、富士山の噴火口を女陰(陰)に見立てて、一方だけ御参りしてもご利益ないんだそ
うな。
富士山が遠い場合、江ノ島弁財天が女神であることから大山と江ノ島と両方御参りしてご利益をいただくそう
です。

八菅山と大山も結び付きがあり、江ノ島とも水脈が通じているとか。
修験者の世界、ちよっと興味深いですね。



 No.:424   りんご  - 2006/11/09(木) 09:10
「日本史」と「世界史」
皆様、おはようございます。

“何ゆえに歴史を、「日本史」と「世界史」とに分けて教育しているのか”
・・・考えさせられますわー。。
ほんとに、よく歴史を知って、“根”を知ることが大事なんだなぁと思いました。

北斗景さんのサイト
http://www.kitanet.ne.jp/~aash/ziritsu.html#1-32

 No.:423   おりょう  - 2006/11/08(水) 23:31
無題
草場伸伍なんて方もいらしたんですね。
読んでみたいです。
こちらも鳥飼孝好の自費出版「陽は西に」「奪われし言葉」
サンカ生活が描かれたものらしいですが、これなんかも読ん
でみたいです。

 No.:422   Dongly  - 2006/11/08(水) 23:10
間違い訂正します
URLhttp://www5.ocn.ne.jp/~iyasi
ヤゾーさん 埼玉の剣神社を調べると何か分かるかも。
富士道者と阿夫利屋は山岳修験の流れですが少し違うようです。
1)富士の宮を拠点にした富士登山を特徴とする富士道者
2)相模の大山頂上の阿夫利神社に参詣するアフリ屋
3)秩父三峰山のお犬様信仰
 八切止夫や『マージナル×号』では共にサンカと関係あるとか。
 修験とサンカの接点を調べるにはよい材料でしょう。
 江戸時代、富士山や大山への登山は神社への参詣を口実とした
一般庶民の遊山も増えたとか。関東べいの四国・金比羅参詣、伊勢
参詣と同じです。
 富士道、アフリ屋、お犬様のことご存知ならご教示下さい。

 No.:421   ツトッコ  - 2006/11/08(水) 21:58
草場伸伍
昭和一桁代の頃だと思うのですが、どなたか「草場伸伍」という人が書いたサンカ小説のことをご存知ないでしょうか?





 No.:420   ヤゾー  - 2006/11/06(月) 18:11
富士塚
みなさん こんばんわ

>富士詣・富士行(ふじぎょう)はサンカと関係ありそうです

そういえば ハジメさんの案内で埼玉の剣神社へ行ったときに
辰三郎さん一家が寄り添うようにセブリしていた場所が浅間宮の塚でした。
その浅間宮の塚は もともとあちこちにあった富士塚を一つに集めたものではないかと地元の方が仰っていました。

 No.:419   世間師  - 2006/11/06(月) 00:28
一夫一婦制を主張する教団
『はやり神と民衆宗教』宮田登という本を読んでいたら、興味深い記述がありました。

御岳教の系統で「神徳教団」という団体が、一夫一婦制による地上楽園に従うと教義があるようです。
教祖は、昭和8年に御岳教に入信して、神示を得たとあるので、「ひとのみち」と同時代のものでしょう。

 No.:418   196  - 2006/11/04(土) 18:10
ハロウィン
「トリックオアトリート!(お菓子くれないといたずらするぞ)!」
終わってしまいましたね。
日本にも「お月見泥棒」や「ちょうちん行列」など(私の知ってる範囲での名称ですが)、
子供が(あるいは子供をつかって大人が?)おかし等をもらって歩く行事ありますね。
不思議ですね。国が違うのに。
ここでも度々話題にのぼる、ユダヤつながりでしょうか?

 No.:417   ヨーカン  - 2006/11/03(金) 12:38
異常は 正常
話が下に降りてくると しゃしゃり出てくる私を ヱヘヘッ お笑いくだされ(^^)
そもそも私の未熟な体験からでも ウエンなったりシタンなったりが楽しゅうございます
どないでもエエコトまでガンジガラメに管理しょうとするお上に対し反抗したくなる・・
 この雁字搦めを考え出したのは 誰なんやろ?
お寺の門前に「不許薫酒肉」なる石塔がありますが 入ったらあかんのやね
 昨日、焼肉食ってビール飲みまして  ニラ、ニンニク、ネギも入ってました
涅槃経の戒律には したらあかんこと ギョウサンあります
殺生、養羊猪鶏犬、捕魚鳥狩猟捕蛇、呪術、盗賊捕手、獄史、淫売、酒売、染色、油搾・・
その他の経文も似たり寄ったりみたいです
 おまけに 女とゆうものは
優填王経 女は悪難なす第一、人を縛りつけ罪門に引っ張り込む
智度論  敵には剣で対抗できるが、女の損人には手段がない
涅槃経  女人は大魔王、一切の人を喰らう
宝積経  一度女を見れば眼の功徳を失う 例え大蛇をみても女人は見るべからず
唯識論  女人は地獄の使い・・外面は菩薩に似て内面は夜叉の如し
        (連れ合い見たら、なんぼかあたってる思いますが・・それはおいといて)
なんせ ちかずいたら あかんのです
 
お釈迦さんの教えをキッチリ守ったら日本は人間消滅・滅亡してたやろね
御釈迦さんも、キリストも、アラーも 自分らは好きにしたらエエけど
お上にその時々に都合のええもんだけ押し付けられてきたら、「ナンドイ!」となるわなぁ
             (ここまでは 高本 力氏からのパクリ)

播州の行者岳の中腹に大きな修行堂がありまして、そこに真言立川流なる書き込みが有りました
てっきり、その宗派だと思い込んでおりましたが、聞けば・落書きと判明しました
 古本屋に関連本があったので購入しましたが
 〉ひっくり返り ました
なんせ 挿絵だけ見ても ・・ムフフツ・・
   (夜叉に 頭張り倒されんように 隠しときます)
                             こーさん 安くしとくけど(^^)






 No.:416   Dongly  - 2006/11/02(木) 00:37
正常は異常、富士道
URLhttp://www5.ocn.ne.jp/~iyasi
正常位なる名前をつけたのは偏見の強い医者でしょう。
正常位こそ異常でしょう。すべて正常位と言って良いでしょう。
東雲遊郭のストライキでサンカ遊女が勝利したのは客の強い支持が
あったと八切止夫はいってます。サンカの性生活からすればあり
うるでしょう。正常位こそ正常と考えた学者が、偏狭な宗教の影響
としたのでは?特定宗派の中で実行されたとしても、指示する民衆の
本能によるのでは?
 富士詣・富士行(ふじぎょう)はサンカと関係ありそうです。
理由は以下のようです。
1)大山の頂上広場の管理はヤゾー達が関係とか。『マージナル』
2)東京には富士道関係の胎内信仰の遺跡が残っており、東京目黒の
 屋敷跡については『野史研究×号』にあります。
3)大山へ向う富士道者は別名、アフリ屋と呼ばれた。
 詳細は調べてみてください。
東雲(しののめ)は太陽の意味だそうですが、サンカ語では?

 No.:415   世間師  - 2006/11/01(水) 19:47
系譜
ところで三角寛の報告した、サンカの女性上位って本当だったんでしょうか。

或る時本を読んでいたら、江戸期爆発的に広まっていた富士講の記述に、
富士講では女性上位を推奨していたとありました。
『歴史の中で語られてこなかったこと』網野善彦・宮田登
江戸期の世直し信仰の中で、男女の位置がひっくり返る陰陽がひっくり返る中で、
性交体位も男女ひっくり返るのだそうです。

ここまで来ると、絶滅したはずの真言立川流の影響なんかあったのかなと、
いぶかりますが真相は闇の中でしょう。

富士講――扶桑教――徳光教――ひとのみち――三角寛

こんな系譜も考えられますが、

江戸期、山岳修験の富士講の教えに、山の民が接触したのか。

色々考えられるでしょうね。

 No.:414   太田たね子  - 2006/11/01(水) 05:57
無題
桐油を携帯している事が、サンカの十分条件、見分けポイント、との記載が存在します、近世の
話ですので、かなり最近までの事実の模様です、油の容器が何だったのか知りたいですね。
又、中国地方西部では竹筒に入れた粥、の記載も有り、これは日帰りサンカの昼食弁当で、
固定住居所有の証拠かも知れません。

朝鮮半島との関係概念は、始めは分けて考えないと、頭がオーバーヒート、しかしある程度進歩
したら少しずつ導入するべきだと思います、弥生時代に日本の土台が形成され始めていて、
その土台の上に日本固有との誤解(確信犯でもあります)の基に飛鳥平城平安と続いて来て、
敢えて蓋をして進めて来た先祖ですが、原因は族間闘争ゆえでしょうか?、しかし半島は渡り廊下
でもあるので彼等すら原籍は中国、ユーラシア大陸でしょうから、楽天的に考えたいですね、我々、
所謂、半島の植民地の被搾取民では無いですから。天日槍は大陸江南の人との学説も有力ですし、
安曇は百済系海部、宗像は新羅系海部、らいしですが、いずれにせよ海洋関連で、矢張り
大陸(沿海)民の流れとするのが妥当かと、、、、。但し、高句麗は内陸民色強ですが、これも
現在の中朝国境などは関係無く超越し、満州渤海全域徘徊です。

 No.:413   ヤゾー  - 2006/10/31(火) 21:16
円月島サスペンス
みなさん こんばんわ

ツトッコさん 実はぼくもサンカ研究者が何を書こうが ハジメさんたちから感じ取ったものや
辰三郎さんたちを知る人からの話で 満足というか 自分の中で納得してしまっているところがあります。
小説ですから ロマンの部分を誇張し過ぎているとは思いますが
あらためて小説「風の王国」に描かれたサンカの末裔の人間性というか 魂とでもいうのか
それが あまりにもうまく描かれていることに関心したりしています。

PIKKIさん ぼくも朝鮮半島の白丁と呼ばれた被差別民と 日本のサンカや部落はリンクしているような気がしています。
もしかしたらベースになったものが同じ縄文系なのか それともインドまたは中東辺りから渡ってきてきた血流でも共通するのかも知れません。
日本と朝鮮半島について『ふたつでひとつ』『ふたありなり』の秘術がかけられているという話をある方から教えていただいたことがあります。
それが何を意味するのか さっぱりなんのこっちゃわかりませんが 日本と朝鮮半島は
最下層とされた人たちだけでなく 上層も含めてもの凄い複雑なリンクの仕方をしているのかも知れません。

196さん 地元の南紀白浜にも 秋分春分の日に島に開いた穴から夕日が沈むのが見れる観光名所があります。
五年程前に これはきっと太陽信仰のための遺跡に違いないと思い 
地図を見たら丁度 円月島に太陽が沈むのが見える辺りに神社があったので行ってみることにしました。
神社の名前は籐九郎神社といい 検索などで調べてみると祭神や云われが謎のようで 資料となるものは殆どありませんでした。
ただ地元の古い新聞の資料で 昭和20年代に神社付近の林から 顔色の悪い女性がフラフラと出てきて
再び林の中に消えたので行ってみると 服毒自殺した男性の死体が発見されたとありました。
日が暮れる頃にクルマを止めて神社へ歩きだしたのが悪かったのか 途中でその新聞の記事が脳裏に浮かび
女性はどうなったか書かれてなかったことを思い出し その顔色の悪い女性ってどうなったのだろうかと思い出したら
急に気持ちが悪くなってきて 途中で引き返してきたことがありました。
山の中の神社は日の明るいうちに行かないとサスペンスになりそうで怖いです。

 No.:412   Dongly  - 2006/10/31(火) 00:37
三角・柳田にかけるもの
URLhttp://www5.ocn.ne.jp/~iyasi
セブリの材料は江戸時代、布でなく和紙に桐油を塗った桐油です。今の路上生活者
テントはダンボールとビニールシートが材料ですがサブリは材料が違うだけです。
サブリという俳優がいた位ですから実在した家でしょう。江戸時代一般農民でも
綿製の古着を使い、補修用の古布は古着屋から購入です。なければコーヒー豆袋(
ドンゴロス)に似た麻製の衣料です。今でもパッチワークは女性の上品な趣味です。
桐油作りのために紙漉き、蕨根堀や桐油絞り?がサンカ仲間にいた筈です。
賎民のくせに鉄鍋を持ってけしからん!と権力者はいってますが、仲間にタタラや
鍋作りが必要です。三角寛はサンカ刀作り用の鉄の産地を列挙しています。だから
埼玉県には桶川、鳩ヶ谷、川越、蕨などの町があります。
 このようにサンカ研究には流通を中心にすえる必要があります。
 人の研究は下記のURLです。
 
 

 No.:411   世間師  - 2006/10/30(月) 11:03
セブリ
ツトッコさんこんにちわ。

三角寛の広めた?サンカのイメージがテント張りのセブリの印象が強くて、それに引きずられた感があったかもしれません。
布は古来から大事なもので、律令時代は調庸は布で納めた地方もある位だし。
ボロ布も、現在までしっかりとリサイクルされています。 実際のセブリの布は、沢山の切れ端を縫ってつないだようですが、布類の貴重性からいい、天幕の起源はどこまで遡れるのか?

小屋掛けの方が、身近な山の木切れを集めて造るから、材料にこと欠かさなかったのでないか。

小屋掛けの家屋の系譜を考えると、神事で即席で造られる青節垣なんてどうだろう。
奥三河の花祭りで造られた白山や、静岡地方の杉の葉で葺いたホコラ。
秋田の男鹿にも神事のために室内に青節垣を造る神事があります。(これに付随してクモ舞いがある)

昔の人には青節垣の方が、天幕より身近だったんじゃないのかなと思いました。

 No.:410   196  - 2006/10/30(月) 10:54
ヤゾーさん
ありがとうございました。
私が訪れた時は、ものすごく記憶があいまいですが、草ボーボー荒れ荒れで、あれが公園だったとは知りませんでした。
足摺巨石群というなぞの巨石群なんですね。
白山同門も知らなかったので調べてみたのですが、
以下のようなページに出くわしました。
太陽の信仰のための遺跡?
足摺トオルマ同門について。
http://www21.0038.net/~gaia-as1/AshizuriTorumaj.html

 No.:409   Dongly  - 2006/10/28(土) 00:34
セブリ、柴と紫波
三角寛はサンカの家といえばセブリと限定してるからでしょうか、セブリを
張らないとサンカでないとする説がありますが、サンカの実際を伏せる手段です。
 菊池山哉がいうように本貫地のない者はいません。サンカだけの集落もありま
すが被差別部落に同居してる例が多いように感じます。漂泊・渡り・非定住者も
一般にコジキ地名に居住のようです。柳田國男が示すように洞穴や神社の床下や
セブリを使うのは長期出張で宿賃が高いからでしょう。また魚捕、竹刈の仕事柄
どうしても川沿いになります。警察が煩いので金があればサンカ宿や木賃宿に
泊まったようとか(赤松など)。川のない都会ではやむを得ずサブリです。
セブリを張る場合もヌレワラジ的存在(これは親分?)があったようです。
 サンガを加えると、八切が言うにサンカ系はすごく多いようです。
 柴でも芝でも燃料ですが、地名の芝浦は芝を下ろした地です。羽芝の由来が
端柴ならば彼は芝族でない事になります。
 志和や紫波は地名としてはエミシの故地岩手県紫波郡由来の可能性大です。
 

 No.:408   PIKKI  - 2006/10/28(土) 00:21
想像だけで言うのですが・・
URLhttp://02.members.goo.ne.jp/www/goo/p/k/pikkibikki/diary.html
皆さんこんばんは。
なかなか暇がない毎日なのですが・・

今日やっと「チャングムの誓い」(竹書房)や「チャングム」(早川文庫)を読了したところです。
朝鮮半島の最下層の白丁・・という倭人の末裔といわれている人々がサンカと同じような仕事内容のように思えたのですが・・はたして偶然の一致なのでしょうか?
僕としては、同じような歴史だったように思うのですが。

その仕事内容は、蓑細工や金属加工や動物屠殺やその加工らしいです。
もともとは金属加工だったのが・・だんだんとそれを奪われていって・・
という風には考えられないのでしょうか?
その方が合理的なような気がするのですが・・

 No.:407   ツトッコ  - 2006/10/27(金) 22:20
竹筒の生け花
世間師さんはじめまして。

昭和37年3月5日の東洋大学調査団の写真で三角寛は、千木の風笛の下に花筒を吊るのがクズコ、棟木の下に吊るのがそれ以外の者と書いてます。
このことなんかも本当のことか三角の創造か真実は今となってはわからないですね。
筒井功さんが目撃したウメガイの話でも真実が語られないように、本当のことは今でも語られないのではないでしょうか。

お亡くなりになられたのは残念ですが、自分としてはヤゾーさんがハジメさんの人物像として「国宝級にすばらし人だ。」と語り、そのハジメさんが三角寛の本の中の写真に写っていた本物のサンカであるということだけで、いちサンカ中毒者としては充分満足です。


 No.:406   世間師  - 2006/10/27(金) 18:18
過去ログにコメント
おりょうさんの書き込みに、テンジンについて過去ログに書いているとあったので、読んでみました。
膨大ですね〜

ところで・・皆神龍太郎さんが書いていた「アインシュタインの予言」と称する物のネタについてですが、
一般に、「広まったのは最古の用例は河内正臣『天皇と世界平和』(たま出版)1976年 です。」

そうみたいですね。 菅田正昭氏がたま出版で、「古神道は蘇る」を出版した時、同じたま出版だったので調べたそうです。

その先は大本でなくて、天行居です。 友清全集に例のアインシュタインの予言が出てきます。
友清がアインシュタインと勘違いしているのです。(乃至は友清のところに記事を持ってきた人物が間違えている)

河内氏は神道天行居の道士です。
天行居の人間は、大本を嫌っているから本は読みません。

アインシュタインの予言の出所は、友清歓真の天行居です。

前回訂正 相続→想像


 No.:405   yoshiko  - 2006/10/27(金) 17:08
竹筒の生け花
竹筒の生け花ってそんな意味があったんですか・・・!

川西の多田銀山に、いかにも古そうな趣のあるおうちが
何件か残っているのですが、そのうちの数件は
玄関の外に竹筒に活けた花が飾ってあったりします。
とても素敵なので、印象に残っているのですが
もしかしたら、あれはタダの飾りじゃなくて信仰の名残なのかも
しれないのですね〜

 No.:404   世間師  - 2006/10/27(金) 15:55
セブリに掛けた生け花
前に自分で、セブリに掛けた竹筒に挿した生け花は、本当だったのかと疑問を書きましたが、
(「サンカ社会の研究」の写真に強烈なワビサビを感じました)
久々に「又鬼と山窩」を読み返したら、答えが書いていました。

11Pのサンカの小屋掛け(ぼうろく)造りの解説で、材料の生木に花が咲くと出世する前兆とて喜んだと。
これはまさしく生命力に対する信仰です。

「古事記」応神天皇記「春山の霞荘夫」の説話で、藤ツルから織った着物から藤の花が咲いた話と通じると思います。

三角のかいた小説の相続力レベルを超えていると思います。セブリに掛けた生け花は、生命力の信仰の名残りで、或る時代にはきっとみられた民俗なのでしょう。


 No.:403   おりょう  - 2006/10/27(金) 14:58
山村の仕事着
トクメイさん
大原女の頭に乗せているのは「柴」なんですね。ご指摘ありがとうございます。
平家の下女の末裔で、白い帯、白いお腰、白い脚半(ドングリさん辞典)なんだそうです。
これからもよろしくお願いします。

管野新一「山村に生きる人々」見てみましたら、山の仕事着の図とサンカの衣装スタイル
同じですね。前合わせの腰までの着物にお腰、袖は筒袖または袖なしで、明治二十年頃ま
では麻布で作られていたようです。冬季はその上に胴着という綿入羽織に真直なササを入
れて背中の保護の役割をし、手足の活動をさまたげないとても便利な冬の仕事着だそうで
す。
三角寛さんが演出したあのサンカスタイルは昔の山村の仕事着と同じですね。昔の山村の
人達はみんなこのようなスタイルだったのでしょうか。
サンカの袖無しスタイルの写真、冬季は皆普通の服装で写っていますね。


 No.:402   トクメイ  - 2006/10/27(金) 04:28
無題
(個人的理由で、暫らく匿名で投稿します、お許し下さい)

テンジンの語源については、私個人では解析済みなのですが、真偽がはっきりしてから御伝えする
積りです。先輩諸氏に添削して頂く必要も有ります故。

大原女の頭に有るのは、薪と言うより、柴でしょう。その「柴」が重要で、かの秀吉も「羽柴」=「端柴」、
です。濃尾平野では上流から小船に満載して河口海沿いまで柴売りが来たらしいです。
波打ち際に打ち上げられる小枝類は渡り鳥が咥えていたものと聞いたことが有ります、
集めて売っていた輩がいたのでしょうか?
シバ、シワに斯波、志波、司馬、志和、紫波、、、、、で、考えさせられます。

なぜ、三角寛が誇大に特殊に表現したかの意味を考える必要があります、
思慮遠謀の上での人生だった様な気がしてなりません。

 No.:401   おりょう  - 2006/10/26(木) 19:48
サンカの服装
皆神龍太郎さん
本の名前がわからないのですが、私の印象に残った記憶で書かせていただきましたが、
探してみます。
宮本常一さんは三角寛さんのこと否定的だったような気がします。
過去のクマノライフ2005年の2月11日頃にテンジンの話がありました。御参考になるかど
うかわかりませんが。

現在の大原女の衣装、観光用に着ているのかどうかわかりませんが、古来からの大原女は
あの民俗衣装で頭に薪を乗せて京都まで売りに若狭街道を往復していたようです。
八瀬童子など鬼の子孫とか比叡山延暦寺の散所民の子孫などの説もあり八瀬は特殊な土地
柄で風俗も異なります。
ここに、昭和3年のボロボロの京都の本がありますが、韓国の方も韓国衣装で暮らしていた
ようです。
ちなみに宮本常一「山に生きる人々」に大阪のミカン山のサンカたちは、昭和10年頃です
が、近代化した服装で男はシャツに半ズボン、女はアッパッパを着ていたそうです。

やぞーさんと蜜柑さんのお気持ちを無にして自分を責めている間にハジメさんは旅だっ
ていかれました。
私はハジメさんに熊野にいかせてあがたかったです。残念ですね。

 No.:400   世間師  - 2006/10/26(木) 13:16
サンカもろもろ
本物のサンカの衣装を考えて見ると・・・
一般社会でも、地方差はあっても昭和初期には生活着は、和服から洋服にシフトしていました。
サンカの人に、昔の格好してくれというのも酷かなと(笑)
写真の時代装束は、歴史的な根拠があったのか如何かが問題になると思います。

大原女が装束着ているのも、観光の為ですね。 八瀬に行っても、今どき駕籠担ぎの格好なんてしてないし。


三角寛の本は、復刻されるまで古書価格が高値で、神保町のウインドー越しに眺めていました。
ある時、「山窩物語」が安かったんで(それでも五千円)買って読みましたが、面白かったけど・・・
熨斗袋にサンカ文字が書いている写真を見て、あまりの嘘臭さに呆れ果てました・・・

いろんな方の研究を読んで、三角寛の背景がわかるようになったのは興味深いです。

三角寛のサンカ情報(インスピレーション?)源は、

1、警察関係
2、フィールドワーク
3、ひとのみち教団
4、ウエツフミ

こんなところでしょうか。

3、4の情報があるので項を改めて、後で書きます。

 No.:399   ヤゾー  - 2006/10/26(木) 11:58
藤(葛)ツルの巻いた木
>藤(葛)ツルの巻いた木は霊力が宿るそうで、

そういう意味があったんですね。
祖母が九州の山奥からこちらへ嫁ぐときに
父親から藤ズルが巻いた木を貰ってきたそうです。
長さが六尺程あって 仙人の杖のような形だったみたいです。
それを大切に持っているように言われたみたいですが
長くて邪魔になるということで 爺さんが何度か切って二つになって 
結局片割れの一本が僕の手元にあります。
両端が切られていますので 今となっては元々の格好がわかりません。
祖母は女工でこちらに来て爺さんと知り合い
嫁いだのが今から70年程前のことでした。
藤ズルが巻いた木の写真を 
風の王国掲示板にアップしましたので見てみて下さい。

ハジメさんが生きているうちに おりょうさんに会わせたかった。

 No.:398   皆神龍太郎  - 2006/10/26(木) 07:27
無題
>テンジンなど宮本常一さんはサンカか乞食か区別するには
>テンジンの掛け方、二本使用か三本使用かで見分けると書
>いておられましたが、これは三角寛さんからの知識なんで
>しょうか?

あ、失礼。
これは、読み落としてました。

宮本常一は山窩になんどかあっているようなので、これはもしかしたら本当かもしれません。
その記述、彼のどの本に出てきていますか?

あと三角のサンカ話しは、根も葉もない作り話というより、ちょっとした事実の上に、大風呂敷を広げているという場合が多いようなんです。

「衣装はデタラメでも、写真に写っている方々は本当に山窩」といったように、全部が全部完全に嘘でもない、という当たりに、またなんとも三角寛の懐の深さを感じたりもするわけです。

困った人です♪

 No.:397   世間師  - 2006/10/26(木) 00:06
テンジンとウメガイ
ある研究者はあるといい、ある研究者はないという。

三角の本のテンジン写真中、藤ツルの巻いた跡のある木をテンジンにした物がありましたね。
あれをみて福士幸次郎の『原日本考 続編』口絵の神に捧げる「ネンスク」写真とそっくりだなと思いました。
藤(葛)ツルの巻いた木は霊力が宿るそうで、その写真が撮られたのが筑後だそうです。
山ノ神に捧げた木の枝は、生駒山中のイワクラに、沢山供えられているのを見ました。
テンジンの原型は、「自在駒があり、それが神聖視された」というより、念仏踊りの六尺棒や、鬼に金棒以前の伝承の杖や山ノ神に供える木の棒に&#32363;がるのじゃないかと考えました。
三角のいう「テンジン祓い」でしたっけ。
あんな描写を読むと、自在駒というより、御杖代かなと・・・

ウメガイも箕作りの道具から、聖化したとは考えられません。 筒井さんの仰るとおり箕作り道具なら、両刃より片刃の方が、使いが良いに決まっています。
ウメガイが元からあり、実用品として箕作り道具としても使われたと思います。 
幅が広いウメガイは、黒装束五人組みたいにダンピラ潰して作るのかもしれませんね。
中世の日本人宗教者が独鈷に寄せた思いは、サンカのウメガイに寄せた思いに合い通じる気がしました。

自分は、ちょっと飛躍した説と思われるかもしれませんが、テンジンもウメガイも同じ精神性(というと上手く表現出来ませんが)、縄文時代の石棒信仰に&#32363;がるモノを表しているのでないかと、今考えています。


 No.:396   おりょう  - 2006/10/25(水) 20:13
三角寛
ハツコさんモデルの笄巻きのカンザシつれなく持って帰ってしまったんですねー。
きっと借り物だったんですね、着物と同じく。

初めてサンカ小説「山窩奇談」手に入れて読んだ頃はすべて真実だと思っていましたが、
何冊か読むうち、事件物などをアレンジしてサンカ風にして書いてあったりしています
ので、真実と嘘をミキサーで攪拌した手法だと思うようになりました。
「サンカ研究」の方はどこからどこまでがというのはよくわからないですが、全部嘘と
も思えないですね。
テンジンなど宮本常一さんはサンカか乞食か区別するにはテンジンの掛け方、二本使用
か三本使用かで見分けると書いておられましたが、これは三角寛さんからの知識なんで
しょうか?

出鱈目なサンカ研究本といわれながらも、復刻版が出るまで古書価格五万も六万もして
いたんですよね。
三角寛さんはユニークというか不思議な人でもありますね。



 No.:395   ヤゾー  - 2006/10/25(水) 12:07
サンカの実像と三角寛
みなさん こんにちわ

世間師さん こちらこそ宜しくお願いいたします。


>撮影用のかんざしくらい、あげればいいのにね〜〜

>三角センセのケチ!!

アハハ 思わず爆笑してしまいました。

ぼくも衣装のことなどは聞いています。
テンジンに関しても ハジメさんたち
また10年以上前に 主に熊野地方で聞き取りした際にも
テンジンのことを知っている人はいませんでした。
ウメガイは時代の経った本物を一度だけ見たことがあります。

サンカに夢中になった頃 古本屋で何万もする三角寛の本を手に入れて読んだときには感動しました。
それから他のサンカに関した本を読み 自分の足で聞き取りするようになってからは
創作っぽいのではと思うようになってきました。
どちらかというと とても本気で書いているとは思えない サンカ幕末起原説を除いた
沖浦さんの書いたサンカ像の方が 近いように思っていました。
サンカに対する周囲の受け取り方には 地域差がありますからね。

しかし 蜜柑さんとハジメさんたちに会い 
また辰三郎さんや三角寛氏に会ったことのある人の家を訪ね
いろいろと聞き取りをしているうちに 創作も多いけれど
ほんとうのところを書いた部分もあるのではないかと思うようになってきました。
あくまでも自分の感覚的なことなので 実証はできそうにありませんが。

馬小屋を改造したキチン宿のようなところで 辰三郎さんと寝食を共にした人が居て
その人の家を探し出して訪ねていったことがありました。
二時間くらい その爺さんと奥さんから昔の話し聞きましたが
占い師や俵ころばしをする人も居たようで 当時の光景が目に浮かぶような話でした。
三角寛氏が そのキチン宿を訪ねてきたときには みんなにタオルを配ったそうです。

ぼくはハジメさんが さりげなく発した 「この風は どこどこの山を通り抜けてきた風だか判る」
といった言葉の中に とてつもない深みのある感性を感じたことがありました。

 No.:394   皆神龍太郎  - 2006/10/25(水) 07:47
テンジンについて
テンジンは、三角の創作である可能性が高いと思っています。

というのは、三角が記述しているサンカ学と、後藤興善など他のサンカの記述を比べてみておかしいと思ったことってありませんか?

ウメガイ(ウメアイ)は出てくるのに、テンジンに関しては三角の記述以外に、どこにも出てこないんですヨ。

それで不思議に思ってハジメさんらに聞いてみたんですが、ウメガイについてはかなりはっきりした意識を持っているのに、テンジンについてはほとんどなんだかよく分からない様子でした。

筒井さんにお会いしたときにも、そこらを直接聞いてみたのですが、筒井さんのあわれた範囲のサンカでは、テンジンを知っているという人はいなかったようです。

諏訪の御柱にみられるように、ミハシラに関する信仰というのは、日本はおろか世界中に普遍的にあるものです。

ただそれをサンカが強く信仰していたかどうか、ということになると実証をまたねばならず、まったく別途の話しかと思います。

 No.:393   皆神龍太郎  - 2006/10/25(水) 07:04
山窩の衣装の真実
三角寛の写真に出てくる山窩の袖無し半纏などの衣装が、三角寛が撮影用に用意したもの、というのは間違いないです。
だって、その写真に写っている当の山窩のご本人たちが、お会いしたときに「三角センセが持ってきて着せられた」と証言されてましたから。

たとえば三角が東洋大の佐久間学長に向かって「山窩の生娘が頭を飾る竹のコウガイ」について説明しているという有名な写真がありますが、これも、そこにモデルとして映っているハツコさんご本人が、「三角センセが持ってきたのに、また持って帰っちゃったのよ」と言われてました。

撮影用のかんざしくらい、あげればいいのにね〜〜

三角センセのケチ!!

 No.:392   ya(・ε^)na  - 2006/10/24(火) 22:42
サンカの衣装2
せやねんねぇ・・
  みいんな・・嘘とも・・んんん・・おもてませんよぅ
   初めて見つけたサンカの印・・
 永いこと、いろんなお話や検証してたら・・・・・・・んんんん
  なんて言うんやろかぁ・・

     それがどないしたん!!
   ほら吹き爺さんのお話はすべてが嘘やおませんよう・・
      どこかに現実があってそれに尾鰭が付いてます
    だから楽しくて、・・・・・んんんんんん
  検証に作り話はいりませんが・・・・
        爺さんの話に・・少しの法螺は・・ええスパイスですよねぇ・・

  ええなんです??・・スパイスが強すぎて味がわからへんてかぁ!!
       
         へへっへへ・・そんなんも・・あり!ですよぅ

                                  ほな

 No.:391   おりょう  - 2006/10/24(火) 21:19
サンカの衣装
世間師さんはじめまして。

「サンカの真実 三角寛の虚構」まだ読んでいませんが、「サンカの社会」の写真の衣装は
「折り目もついていたりして貸衣装だね」とツトッコさんも書いておられましたが、私もそ
うだろうと思っています。
あのサンカの赤いはばきにツツッポスタイルは三角寛の脳内で創られたものなのか、それと
も昔の山の民サンカの衣装を、写真撮影のため再現してみせたものなのかわかりませんが、
九州熊本の乙益重隆さんが「昔のヤマンモンは筒袖の裾の短い着物に赤のはばき」スタイル
だったと書いておられますね。
京都八瀬の大原女の優雅な白いはばきスタイルや、昔の毒消し売り、旅の三味線引きとか古
代風俗を簡素化した衣装があのサンカのスタイルなんですかね。これも虚構なんでしょうか?
でも、三角寛の大雑把さや偏屈さ、頑固さ、今でもやっぱりファンであり、古本漁ってサン
カを探す相変らずのサンカ中毒は治らないようです。

 No.:389   ヤゾー  - 2006/10/22(日) 18:34
中国軍がチベットの巡礼者を無差別に撃ち殺す映像
みなさん こんばんわ

20代の頃に 都内で行われた
チベットのお坊さんたちの儀式に誘われて参加したことがありました。
その頃 精神世界に憧れがあって 特別にチベットという存在が気になっていました。
10人くらいの坊さんがチベットから来日されていたと思いますが
その中の 同じくらいの年頃のお坊さんと 
会話のない不思議な交流のようなものを感じたことがありました。
そのときの 若い坊さんのキラキラと輝く 曇りのない瞳が今でも印象に残っています。
お昼に その坊さんたちが中華ソバを美味しそうにすすっているのを見て
チベットの坊さんたちも チャーシュウやシナチクを食べるんかと驚いたものでした。
後で 知人から僕が何気なく会話していたのが 中沢新一さんだと聞かされましたが
そのときには 若手の新進宗教学者だということも知りませんでした。
中国政府にとっては 武力でも経済力でもない 霊性や精神性の高い文化や
ダライラマのような存在が なによりも怖い存在なのかも知れません。

http://www.youtube.com/watch?v=o1-y6-Rxyvc


世間師さん はじめまして
サンカとタタラ(鍛冶師)との関係については
無視できない深いものがあるのかも知れませんね。


196さん 足摺巨石群のなかに白山洞門というのがありますね。

 No.:388   196  - 2006/10/21(土) 15:31
でっかい石
こんにちわ。
皆さんのお話を読んでて思い出したんですが、
@岡山県の王子ヶ岳
A高知県の足摺岬(どちらも海にひらけている)
に、遥拝所のような巨石群があります。
遺跡とかまったく興味のないころに行ったので、自然の地形だかなんだかの遺跡だか、説明も読見ませんでした。
Aの方は観光地ですらもないかもしれない雰囲気だったので、そんなものはなかったかもしれません。見た目では太平洋から来る何かを意識してる作りのように感じました。
…ただの、でっかい石つながりの話でした。
墓石に石を使うように、石を使う遺跡って、永遠を意識しているんでしょうね。

 No.:387   皆神龍太郎  - 2006/10/20(金) 21:53
サンカの真実 三角寛の虚構
筒井巧さんの新書です。筒井さん、最近ノリノリであります。

ほぼ一冊まるまるかけて、三角寛のサンカ話しが、どれだけ虚構の固まりの創作話なのかということを実証しようと試みた野心作です。

いままでたくさんの感情的な三角批判はあっても、実証的な三角批判は、ほとんどなかったので、私も一回、ちゃんとまとめなくてはならないと思っていたのですが、筒井さんがこの本でやってくださったので、私の手間が省けました。

ありがたいことに、『歴史民俗学』に私が以前書いた駄文も、何カ所かで引用してくださっております。

本書で非難されているような三角寛の記述を、本気にして引用をしてしまわないためにも、サンカファンにとっては、必読の一冊といえましょう。
新書で安いので大変にお勧めです。

>それより大阪に居る間に 一度は山小屋の方へ遊びに来て下さい。

ぜひうかがいたいですね〜〜
また、温泉にでも入って、ゆっくりお話をしたいものです。

 No.:386   やなぎむし  - 2006/10/20(金) 01:43
老犬の旅
強い風を受けながら、キラキラ輝く海を見ていた・・
 広い海を見ているだけで・・・
   思いをはせる事ができる・・・
 ワクワクする思いで、昔は駆り立てられるように・・
     知らない土地を歩いた・
 きっと、帰る家があったから・・・
   裏の木戸を開くことが出来たのかも知れない・・・
  今は・・・
    大きくもない責任・・そんな足枷が、足を重くする・・
  でも・・・
   広い海を見てると少し・・・・・・・



       センチメンタルになる、老犬である

 No.:385   世間師  - 2006/10/20(金) 01:42
はじめまして
最近「サンカと三角寛」や「サンカの末裔を訪ねて」を大変興味深く読ませて頂きました。
以前からサンカには興味があったのですが・・「マージナル」1号読んで、ちょっと関心が薄れていまして。

最近、思ったのですが、サンカの生業が「箕作り」になったのは、そんなに時代が遡るか?
日本の稲作技術は、江戸中期頃に飛躍して生産量が三倍位に向上したという話があります。
長州藩などは実質で百万石の生産高があり、倒幕の原動力になったとすると、米の生産力向上に伴い、箕の需要も江戸中期頃に一気に増えたのでないか。
それまで時代、サンカは箕作りメインでメンメシノギが成り立ったのか。

サンカの生業として、竹細工や遊芸以外に何が考えられうるか。
「サンカ社会の研究」に目を通しても、鍛冶師の側面も考えられるかなと思いました。

 No.:384   おりょう  - 2006/10/19(木) 20:28
石宝殿の謎

石宝殿の謎とは・・・。
石宝殿一帯は竜山と呼ばれ、流紋岩室凝岩の石材産地で、昔は姫路城の石垣や石塔類など
が造られていたそうです。また、1500年もの前から日本の大前方後円墳墓や豪族の遺
体を葬る棺の材料として竜山石が利用されていたようです。兵庫県では最大級の姫路市御
国町壇場山古墳、その近くの大杉方墳山ノ越古墳、加西市の前方後円墳玉丘古墳、その他
関西地方一円の大きな古墳はこの竜山石がつかわれているそうである。また豪族の棺も多
く造られていた。
7世紀頃の棺は長方形から棺の蓋が屋根形の家形石棺に変っていったようである。この家
形石棺は兵庫県はもちろん奈良、京都、大阪、遠くには岡山、広島、山口まで船で運ばれ
たのではないかといわれています。
竜山の石宝殿ですが、これは家形石棺が横になったまま起こせず夜が明けてしまったと伝
説にはありますが、なんらかのアクシデントがあって中段されてしまったのですね。
奈良明日香の越にある牽午子(けごし)塚古墳が、石宝殿に匹敵するような大石に横から
穴を掘って棺を入れるための部屋がある。石宝殿も木が生えているところが部屋になると
ころで引き起こすと牽午子塚と同じ形になるそうで未完成になっています。ところが、こ
の巨大石棺の未完成品がもう一つあり、奈良県橿原市の益田の岩船が同じような形で横た
わっており、それを引き起こすと牽午子塚や石宝殿と同じ形になる(△の出っ張っている
ところが屋根になる)。
『播磨国風土記』に石宝殿は弓削の大連(おおむらじ)がつくったとされるが、家形石棺
が最も盛んにつくられた時代から考えると、物部守屋をうち滅ぼした蘇我氏がこのような
巨大な石棺をつくったのではないかとしている。(間壁忠 巨大な石造物石の宝殿の謎)

竜野市は「夕焼け小焼けの赤蜻蛉」の故郷でもあり、いいところですね。

Dongly さん、またいろいろ探してみます。 





 No.:383   ヤゾー  - 2006/10/18(水) 17:45
光と影または現実とロマン
みなさん こんばんわ

皆神さん ものごとを正確に捉えるのに
データに基づいた実証的な側面はなによりも大切なことだと思いますが
反社会的といわれる宗教団体やヤクザ組織でさえ
影の部分 負の部分だけでは本質は捉えられないように
光や聖 またロマンの部分をも含めた検証が必要のように思います。
いろんな人たちがサンカに惹かれるということは 
どこか本質的なところにロマンや聖の部分があるからではないかという気がしています。
それより大阪に居る間に 一度は山小屋の方へ遊びに来て下さい。

ヨーカンさん 風の王国掲示板もここの掲示板も スパム投稿防止のために
何種類かのフィルターをかけています。
クッキーをオンの状態で プロキシ投稿でなかったら閲覧と投稿はできると思います。
英文だけの投稿やリンクが二つ以上の場合 または投稿までの時間が長かったりすると弾かれることがあります。
ご迷惑をおかけしますが 何度かトライしてみて下さい。

 No.:382   ヨーカン  - 2006/10/18(水) 12:43
生石神社に無理やり関連
神社の裏山に登りますと、開ける播磨灘の真正面に上島(神島・ホーラク島)がポッカ〜ンと浮いてます
饅頭が浮いてるみたい なんぞといってはなりません
 なんせ 聖地なんだそうです   オーモトさまの!
 王仁三郎さんが電車に乗って通りがかった時に窓から見えた島に思わず立ち上がり「コッ・コォー・・ココォー!・・」と仰られたそうであります
 (yoshikoさん 例の穴太の王仁三郎さんですよ〜)
その昔春もたけなわの頃、島の近くで友人と密漁中(時効です・ジコー!)高砂港から船団がマッシグラに私等に向かって来まして・慌てやがて観念しましたらば、信者さんたちが上陸です・・ヤレヤレ・
 こないな蛇ばっかりの島の何処が?と思いましたが 北を見れば生石神社、その向うには御神体を掘った屑石を捨てたと言う高御位山があり、愚民には判らぬアリガタイものがあるんでしょうか
 矢切説には大本は表の天皇に対する裏の対抗・・でサンカの本山?スイスの銀行での残高は天皇・岸・と三大資産とありますね
 戦前はムチャクチャに痛められてますが、転ばないで頑張ってる点はスゴイわ
私は神仏には終ぞ手を合せたことは有りませんが、表にでている宗教の裏にある動かしている力に興味をそそられます
 うまいこと煙幕張って人間を食物にしてきた連中の化けの皮はがしてみたい
       ああ〜〜また  脱線してしもた!

「風の・・」に 不正アクセスと言われてしまって(ーー) イジケてますが なんでやろ?  


 No.:381   東沢美史  - 2006/10/18(水) 00:23
生石神社の浮石と甑岩と青麻三光宮
みなさん生石神社のお話、情報ありがとうございます。
生石神社が散歩のコースだなんて、環境のたいへん良い所にお住いのようですね。瀬戸内海付近の兵庫県は都会とか重工業地帯という印象があったけど山には巨石がたくさんゴロゴロ立ってるのですね。
だからといって播磨のみなさん石頭では決して無い。
ヨーカンさんのようにお考えには柔軟性がある(^_^)v。

先日とても便利になったKUMANO LIFEの過去ログ検索で「生石」を引くと一番最初に
とんちんかん小僧君の投稿が出てきました。
和歌山県の生石高原からは六甲の山並みが見えるととあるサイトの紹介なんですが関係ありかな。
UFO(ホント?)。画像のアップ、楽しみにしてます。

生石神社の御神体である浮石の良いところは弥生人も現在の参拝客も同じ石を見てるということ。弥生人と現代人では世界観や価値観が違うとおもうけど共通する感性や感激もあるはず。
また太古の人々はその石を見て神が居る、または降りる場所と考えたろうし、現代の無宗教の無信仰の人だってこの大石を前にすればきっと神秘的な気分にはなるはず。実際に生でなくテレビ画像でもすっごいんですから。

私のところでは高鴨神社とか鴨の漢字の神社は見たことないけど賀茂とか加茂神社はあるから創建年代を神職さんに訊いてみます。

関西と東北の神社の違いってなにがあるだろうって考えてみました。
東北は関東の神社によく似てて影響をうけてる気がしますから関西・西国と関東・東国との違いはあるのかと考えてたほうがいいかもしれませんが。関西では神社の脇などに村人や講中で立てる石碑ってあるのだろうか。庚申講の石は全国的かと思いますがこちらでは出羽三山の「月山」、「湯殿山」、「羽黒山」などの石が村の人口より多い集落もあります。大きさは高くても4bくらい。
ただし、これを急峻な山に見立てたらしく、見事な形のも多く古くはないけど考えは古代を踏襲してるかもしれない。

それからほとんどのお寺がそうだけど神社、伊勢神明、稲荷、住吉神社、岩清水八幡、天満宮・・・・熊野信仰も、これらって本元は全部、関西じゃないですか。
柳田に東北の謎の神とされた雲南神や法領神は熊野系と今の私は考えてるので・・・東北のオリジナルな神社は・・・ううっ、無い。えらいことです。
と、ここまできてうっかりしてました。東北本線のJR岩切駅から歩いて参ることのできる青麻三光神社がもしかしたら東北っぽい&らしい石の多い神社かもしれません。

青麻(おうま、あおそ、あおま・・・etc)三光神の三光は「さんこ」と云い「さんか」に発音が似てるのですが、以前ここで書いたとうり武蔵の古文書からも「さんか」と意味が同じと私は考えています。
山窩の源流らしきものを書物から捜索する場合「さんか山」の伝説と、これまでの山窩研究者の目の死角にいたとおもわれる「佐々木喜善」と三光神で図書館何館分か読まなければと努力してはいますが、はかどってません。
しかし日曜日にちょうど郷土資料館の脇で販売してたので10分ほど資料室に入ってパラパラしてたら良いページ箇所を見つけました。
奥州の青麻三光神の「青麻神賛歌」が記録されていましたのでここに引用します。

青麻宮、御簾の光りは新たなる

山より高き岩となるらん

ひとすじに願いを掛けん さんこ宮

この「青麻神賛歌」は聞き書きのようですから「賛歌」は「三光・さんこ」か「山窩・さんか」のことかも知れないともおもうのですが、それより重要なのは「山より高き岩」かもしれません。もともと山より岩が高かったのかもしれませんが、津波で石、岩が山に上がる自然の力に御神意を感じたり、往古、人々が山の上へ巨石を運び上げるという行ないには深い意味、例えば津波が王宮を破壊したから王朝や権力の交替は神の意思だとかというふうにいろいろ想像して考えて見るべきかなとおもいました。
ヤゾーさんが紹介くださった宮島巨石群にはとうていかなわないけど石碑が多く陸奥で一番有名な青麻三光神社は仙台の東、岩切(いわきり)村にあります。

生石神社のご神体である浮石や甑岩の意味あいはどういうものだっただろうか。

 No.:380   Dongly  - 2006/10/17(火) 22:08
神楽と世鬼党
URLhttp://www5.ocn.ne.jp/~iyasi
とんちんかん小僧さん
 古い話ですがせき党の関連文ありがとうございました。
 『殺された天皇』では世鬼党は長州藩の忍びの中核だったようですが、
神社の宮司としてネットワークを張り、長州藩の通信網の要だったと推測
します。なぜなら神楽六神祇で「世鬼の舞」を舞う集落が複数残っています。
 神楽を演じるのは本来の農民ではなく、非農耕民のようですね。
また旧サンカ集落近くで、間道沿いに石垣を山頂まで積み上げて伏兵をおく?
待伏集落に世木があります。尼子と毛利の時代に使われたと言います。
 インターネットで何でも分かる?底の浅い文化の反映でしょうか、おめでた
い意見ですね。インターネットに真に重要な、価値ある情報は少ないようですが。
おりょうさん
 石の宝殿は別所地帯にありますが、どうも出雲勢力との交差する地のようですね。
 

 No.:379   おりょう  - 2006/10/17(火) 20:12
いろいろ
年ばかり重ねても世の中知らない事ばかりです。

筒井さんの「サンカ社会の深層をさぐる」読みまして、著者が精力的に現地取材されておられ、
箕直し、箕作りの方々のおかれていた状況など大変興味深く読ませていただきました。
サンカと箕直し、箕作りなどについて未だによくわからなかったりしますが、後半の箕について
の話は引き込まれました。「役者村と箕作り村」など興味深かったです。

ハジメさん入院期間1ヶ月で逝ってしまわれたようで・・・。

石の宝殿 遠くから見ると神殿を倒した形だそうで一夜で起こせないまま世が明けてしまったと
いう伝承があるらしいですが、岩の形そのものに何か意味があるのかも知れません。

yoshikoさんかヨーカンが、そのうち播磨の写真載せてくれるかも知れないから楽しみにしてよ
っと。
播磨の役者村だったところは、もうなんの痕跡もないのでしょうね。

 No.:378   とんちんかん小僧  - 2006/10/17(火) 18:40
知ってる
今日の昼過ぎに天王寺Mioにある旭書店で二人の大学生が話していた話。

「‥今の若い人って何でもかんでも知ってるっていうけど本当は何も判ってない。インターネットで検索して、その時々に知りたい情報を知りうる事が出来るから。」

僕はそれをドキドキしながら聞いていた。途中心臓が飛び出しそうになりました。それを話していた二人も自分達も判ったふりして親や友達に「うん、わかった!わかった!」「うん、知ってる!知ってる!」と話を終わらせていて嫌気がさしてきているようだった。聞いてた僕は、その場限りの知識にすることなく実践出来る事は行動に移して行けばいいんじゃないか!と今答えが出ましたが‥難しい事も多いでしょうね。

Donglyさん、大変お忙しい様子ですね。投稿を久しぶりに読む事が出来てとても嬉しかったです。また野史研に参加させて下さい(笑)

まだ言うだけ言ってアップしてませんが(すみません)今日、生石高原での沈みゆく夕日にシルクハット風のUFOが写ってる写真を眺めていました。アップのやり方どうやったら良いんやろか。。

 No.:377   皆神龍太郎  - 2006/10/16(月) 22:03
ハジメさんの最期
最後の平成サンカとなってしまった松島ハジメさんですが、今年の3月27日未明、肝臓ガンで、東松山市民病院で亡くなったそうです。享年66でした。

このことは、筒井功さんの2冊目の山窩本『サンカ社会の深層をさぐる』(現代書館)のあとがきに出てきます。

この本は、筒井さんの前著と同様に、サンカはこうあって欲しいと自らの願望を被せて絵空のサンカを語るようなことなしに、データに基づき、実証的に真実のサンカを語る場合には、これから必見の本になると思われます。

 No.:376   皆神龍太郎  - 2006/10/16(月) 21:53
石の宝殿
偶然ですが、レンタカーを借りて昨日、石の宝殿に行ってきました。
水の上に浮いているような演出を取っている巨石ということで、非常に興味深かったです。

あとあの石、単純な直方体ではなく、後ろに出っ張りがある、いわばブラウン管のような格好をしているんですね。
何かの意図で、ああいう形にしたのだと思いますが、なんであんな奇妙な形にしたのか、うまい説明は思いつきませんでした。

ただあれは「巨石」というよりも、周囲の山全体が大きな岩石質からできており、岩の形に周囲の石をくり抜きだしたもんですね。

 No.:375   ヤゾー  - 2006/10/15(日) 11:33
巨石文明
みんさん こんにちわ

生石神社の話 面白いですね。

話半分としても 巨石文明について書かれてあるページって面白いです。

宮島巨石群―弥山周辺の遺跡

http://www21.0038.net/~gaia-as1/MiyajimaMegalithsj.html

 No.:374   おりょう  - 2006/10/14(土) 21:17
石工人
yoshiko さんはなんでもよくご存知で足で歩いて確かめて研究するといった姿勢に脱帽です。
今更ながらに兵庫県の歴史の古さに驚いています。地元に住んでいた頃は歴史などなんの興味
もなかったんです。
明和壬辰春新刊の「播磨巡覧記」の石宝殿のところに「五十餘丈の岩を切りぬき一夜の間に、
二丈六尺の宝殿を造りたまふ」と、また「今に此御社より牛馬の守り札出る也」とあります。
御影石、立山石などの石にたずさわっていた石工人のルーツ興味あります。
どこだったか忘れましたが、その村の石屋さん全部同じ苗字だったそうです。

昔、北方の山を望むと、真っ黒な山腹にポツンとひとつの灯火、保久良神社の石鳥居の灯ろう
の灯りで、夜間の船乗りの目印とされ、「灘の一つ火」とよばれていたんだそうです。
昔は町の灯りもなく真っ暗だったんですね。

六甲山、保久良神社にある巨石も見てみたいです。

いのししもエサがなくて可哀想ですね。


 No.:373   yoshiko  - 2006/10/14(土) 10:49
生石神社
東北にお住まいの東沢さんから
宝殿の生石神社のお話が出てくるなんて、面白いです^^

石切衆の村だったんですか!?
私の知人の産土さんが、この石の宝殿
生石神社なのですが、この知人
大の石好きで、勾玉屋さんを営んでいます。
それで足繁くお参りに行っているのかな???

そういえば、少し前に画像掲示板に投稿させてもらった
足助も御影石の産地です。
同じ三河の岡崎は石の産地として超メジャーで石屋密集地帯です。

六甲山といえば、越木岩神社の甑岩もすごいですよね!
最初みたとき、「なんぢゃ、こりゃ!?」と思いました。
同じ甲山界隈に夫婦岩という有名な巨石もあります。
県道大沢西宮線のど真ん中にあります。
祟りがあるから排除できないそうです。
地元ではマ○コ岩なんて、口にすることを憚られるような
エグイ名前で呼ばれてます^^;(有名な心霊スポットです)
甲山とか有馬とか、六甲山界隈ってものすごく古い
流れがあるような気がします。

あと、保久良神社の磐座なんかも、思い浮かびました。
保久良神社に行く度にイノシシくんに遭遇します^^;
イノシシ注意の看板がいっぱいあるので心の準備は
出来ているのですが、ボーっと黄昏てる最中に
突然、出てこられるとかなりビックリします^^;

東北には古い由緒の神社がないのですか?
知りませんでした。(知ってることの方が少ないですが^^;)
たまに神事に参加させてもらう
奈良県御所市にある高鴨神社は宮司さん曰く
「鎮座三千年」とのことなので、私の知ってる中では一番の古社かも・・・
もっと、古いところあるんでしょうか?

 No.:372   おりょう  - 2006/10/13(金) 22:20
生石神社の
U字形にくりぬいた巨石はすごいですね。

神戸六甲山の剣岩は表面に星座の軌道が刻まれていて、その北極星のズレから
約一万三千年前の築造物らしいです。



 No.:371   こうへい  - 2006/10/13(金) 20:37
生石神社
こちらにも生石神社があります。
生石高原(生石山)の麓。
大きな岩が御神体やったみたいな。
でも、こちらは、「おいしじんじゃ」と呼びます。
いわれも違うんやろね。

 No.:370   ヨーカン  - 2006/10/13(金) 13:08
生石神社
しばらくはオトナシクと思ってましたが・すんません東沢さんにお尻コソバされた感じがします
わが郷土高砂はハンカチ王子のおかげでテレビに出まくりました(^^)
 その生石神社は散歩コースの一つで、もうすぐ櫨が紅葉して綺麗に化粧します
子供の頃はカスミ網でメジロを獲って小使い稼ぎました
21・22がお祭りです 浜手のギンギラと違い素朴な感じがします
物部系統の神社です 
「物部」は『野史呼び名辞典』では刑罰担当・刑罰執行担当の下級役人とあります
いずれ詳しく調べてみたいと思っていますが、氏子には安部清明に負かされた芦屋道満が送り返された地もふくまれています(こないだ夜の地蔵盆で紹介しました)
 おりょうさんも一度ふれておられましたが、このあたりは石切衆の村だったようで、今も石屋さんが沢山営業しています
讃岐や御影から指導者が来たようですが 私はその3Kの仕事に従事した人たちの事を知りたいです

もう一つ 狛犬ですが
 変り種の狛犬・丹波の山犬、播州の18K(また近くでもう一つありました)、加賀で子犬が甘えているもの、  みんな八幡神社です!
 矢切説では八幡神社・バハン・隠されて八幡の藪知らず・・
先輩が 原住民系の持つ拘りのない明るさのなせる業と解説してくれましたが その通りだとおもいます
 上記2件を含めてのモロモロ調査事項は 
まもなくやって来る定年後の自発的貧困生活(今も充分貧しい)にジックリ調べるのを楽しみにしています



 
 


 No.:369   東沢美史  - 2006/10/13(金) 01:56
「生石神社」と夢のこと
こうへいさんはお幸せな方なんですね。やなさんも、ヨーカンさんも。
プロフィールや家族のことを伏せた上で投稿される方が多い中、それぞれ奥さんのことをしっかりと紹介することができるなんてとても素敵です。

最近、気になった神社について。
ハンカチ王子と呼ばれた早実の斎藤佑樹投手が兵庫国体でも優勝した。しかし、あいにく満席で球場に入れなかった人でも近くの小高い神社からはグラウンドが見下ろせ観戦できると連日、テレビ局の案内放映があった・・・高砂市の生石神社。
神職さんが説明してたけど創建が今から2000年前だという。
なっ、弥生時代!(~o~)。
前に風の王国画像掲示板に載せられていた猪名川町の八坂神社や春日神社のように建築物の下をくぐるタイプの参道を通り、昇り抜けると巨大な石が御神体として祭られている。
東北ではそんな古い由緒の神社なんて聞いたことがないし、もし言ったら嘘つきって言われてしまう。いくら古い神社でも近畿より700年は遅れてる。
でも、小高いところにある巨大な石は一般に津波石とか船石とかドルメンなどと云われることがあるから、12年前の阪神淡路大震災のときはあまり聞かなかったけど太古には大津波が押し寄せ石を動かしたことがあったのかも。
生石神社の生石は「おうしこ」と発音するらしいけど、大潮に発音が近い。
相撲の「四股を踏む」の「しこ」とも関係があるかな。
津波や地震でご神体の巨石が浮き四股を踏んだりしたのだろうか。

いつも寝るまえは布団のなかでKUMANO LIFE見てるんですが、知らずに半寝することがあります。でも、あっやばい、PCのスィッチ切ってなかったって目が覚めるんですが、それまでの数十分くらいってすんごく気持ち良いんです。
そのときだったかはもう定かでないんですが、この前、夢の中で野道というか山道を歩いてたら狛犬に出会いました。おそらくそれはヨーカンさんが風の王国掲示板に載せた個性の強い顔の狛犬さんそっくりでそのせいだとおもいます。そのまま今度は夢の中のゆるい山道を昇っていったら脇を黙って通り抜けただけだったけどイノシシにも出会いました。

その数日前の現実の昼間にキノコ取りで山に入ってたのですが、森の木々の葉の下をキノコ探してあっち行ったりそっち行ったりしてるうちに葉を透き通ってくる光が妙に明るいせいか、なんか非現実的な気分になって来て、睡眠で夢見てるときの気分ってそういえばこういう感じだよなって思いましたが、夢の中と森の中ってけっこう似ています。紅葉してくるとよけいに。
その日は山に人の気配がなく私だけみたいでしたが、いつ熊が出るかというスリルがありドキドキしながら探してたのがイノシシの夢につながったのかもしれません。

太古の村には拝殿や本殿など建物としての神社や狛犬、獅子もなかった。
里山の高い所には山の神様がいて、神様の使いとして山を神聖に守ってる動物達が時折訪れる里人を出迎える。イノシシや鹿、山犬、山猫。
これらの動物がのちのち狛犬・獅子に置き替えられたのかも。

ヤゾーさんとこを訪れたお猿さんやタヌキさんや夜鳴きするシカさんだって昔の人だったら神の使いと考えたかもしれない。ならばこそ、なにか食べ物でも上げたいと思うのが人情だったろう。
まだ子供のお猿さんは好奇心で覗いたかもしれないけど、山に戻って山の神様に山小屋のことを報告したかもしれないですね。

格差社会がさらに強まり惨めな生活が続けば続くほど、ささいなことに真の幸福感を得たり未知の素晴らしい感覚が自分の身に付くのではないかと「カラ元気」ながら期待に胸ふくらます東沢でした。



 No.:368   こうへい  - 2006/10/10(火) 22:22
かかあ天下
給料をもらってきて、かかあに渡す。
その中から、小遣いを頂く。
こういう形態が日本で一般的な気がしますが、面倒なのでその方がいいって気もします。
女性は、脳幹の神経が太くて、右脳、左脳の連絡が早くて、一度にいろんな事が出来るらしい。
たしかに、いろんな事をてきぱきやるのは感心しますね。
いろんな、日もよく知ってますね。
こちらが知らな過ぎるのかもしれないけど。
6っつくらい年下なんですが、とても年下とは思えない。

 No.:367   おりょう  - 2006/10/10(火) 19:43
母系社会
>結婚形態も多人種だからなれば
そうですね、菊地山哉の本にも出てくるように実に様々な風習がみられますが、
日本列島吹き溜まりであればこそですね。いろいろな結婚形態やお葬式があって
も、それは当然のことですね。

母系社会というのか、いわゆるかかぁー天下のほうが家の中うまく治まりそうな
気がしますがどうなんでしょうか。





 No.:366   ヨーカン  - 2006/10/10(火) 16:15
よばい2
 すんません!”しつこい奴”の誹りは甘んじて受けることにして(^^)
なんでと言われても 
そんな事を思いつきもせず過した我が儚くも虚しい青春への鎮魂歌です
目を閉じて、過ぎ去ったあの頃に思いを寄せた相手を思い浮かべていると
 それ洗濯物をタタメとか、風呂の水がどうのと・・
もしも相手があの娘なら やっぱりオンナジこと言われてますのでしょうか
 
但馬も丹波も播州も やっぱり ありました
丹波の私のルーツの地では めったに結婚までに至らなかったようです
当然の事に お茶の木の下には・・あるいは炭焼きの窯のなか??
今の世でも、インドネシア地震のあと沢山の子供が攫われ売られユニセスが警報出してました
うわさですが その後に臓器移植が増えたとか・・
人権とか正義とかなんぞは ついこの間からの話で、ここら辺を知らずに大河ドラマだけみてたら
またダマサレテ、、鉄砲持って行くはめになるんでしょう 
古来民衆は戦の道具、その生み育ての道具でしたから・・余れば売ればヨカッタ??

さて各地とも 逆這いも結構あったようで いわく
「山の石を落とすのと同じで、始のうちはなかなか動かんが 動き出せばコロガルごとく うんぬん・・」
なにを・かんたんに・・と思いましたが 
振り返ってみれば私は石を押し上げるしか思いつかぬデクのボーだったようです  
(おまけに 転がり落されたような記憶が ございます)
宮本常一著には、盆踊りの一夜亭主とか一夜官女、等々の記述も見受けます
姫路別所では弁慶が土地の主の娘と一夜を過したお堂がのこっています
 今の父系婚姻制度も税金の取りやすい徴兵しやすい制度の名残?
なんせ男は 澱みに浮かぶウタカタみたいな存在ですよってに、母系社会が本質に合っているとおもいますが
最近身近な家を見てますと 嫁を貰ったつもりが息子を取られたと泣く御仁が随分とおられます








 No.:365   Dongly  - 2006/10/09(月) 22:57
結婚形態も多人種だからなれば
URLhttp://www5.ocn.ne.jp/~iyasi
結婚形態はさまざまな形があり、先住民系は女系が強く、渡来系は種々
とか。日本の民俗学では日本が多人種であるという事実を受け入れま
せん。相続方式もそうですが人種が違えば、色んな方式があるのが当然
なのですが。天皇制という民主制と全く対立する制度は日本が多人種な
ればこそだと思います。多人種ゆえに文化や標準が多様で曖昧なのでは
ないか。前首相は無能と無策を隠すために「いろいろありますから」。
 ただ夜這の原因を「男女が助平だから」と民俗学は深く追求しません。
江戸時代は大平な不倫は処刑、吉原への永代奉公、被差別部落への奴隷と
なる定めなどがあった事を忘れています。



 

 No.:364   ya(・ε^)na  - 2006/10/09(月) 00:40
行ってきました・・
御堂筋パレード・・
 MBSのプイプイカーが見たかったので覗いてみた
  まだ始まってないぞう・・
 ああああ・・居てる居てる・・
 スタート地点は満員御礼・・満員電車並みの人出!
  すんげーーぇ・・
   花火がなって風船が飛んでパレードの始まり始まり
 あはーーぁ・・見えてきたぞう・・
    しかしえらい人出やなぁ・人の頭しか見えへんがな!
  ピョンピョン飛び跳ねてみてました・・
   やっとすぐそばまで来たのに・・
おいおい・・・演奏止めて歩き去ってしもたがな・・・
  なんちゅうんんかなぁ・・ついてないなぁ

    ああしんど・・
  もう帰ろうっと・・・
 淀屋橋から地下鉄に乗ろうっと・・

 あははっは・・アホが反対方向の本町方面行きに乗ってしもたがな
  ついてないなぁ
   なんや疲れる一日でしたよぅ

     ああしんどかった・・・



 No.:363   ya(・ε^)na  - 2006/10/08(日) 17:42
言葉足らず・・
ヤゾーはセブリ物語のヤゾーのことばでした
  言葉足らずですんません

 No.:362   ya(・ε^)na  - 2006/10/08(日) 00:45
やなぎむし・・
婚姻の証拠を確かめること・・・
  ヤゾーがいいましたよね・・・・
        やなぎむし・やなぎむしと・・・

 No.:361   おりょう  - 2006/10/07(土) 23:24
結婚形態
古代の結婚形態というのは、婿入り婚、足入れ婚とかいわれて男が女の家に通い、
朝になったら帰るというのが古代の形だそうで、夜這いを受け入れるかどうか考慮
し相手に伝えるといった夜這いこそが正当な求婚手段だったそうです。それが時代
とともに不道徳な行為になってきたんだそうです。
今はどうかわかりませんが飛騨の高山など男の方が通う通い婚だったようです。
ちょっと信じられないんですが、婚礼の夜、花嫁が婿となる男性の父親と同衾し、
試みが済んだ後で祝言の盃を取り交わすという奇習があったという明治時代宮城
県のある村の話しですが、このような変った結婚形態というのもあるんですね。
このような変った結婚形態は日本各地にもあるんでしょうか?




 No.:360   Dongly  - 2006/10/06(金) 20:58
夜這いとその行方
ヨーカンさん
 面白い本をお読みですね。できたらヨーカンさんに夜這いを調べて
頂くと、綿密な様子が手に取るように表現されますね。
 10年前に四国のクグツ地名を調査で、夜這の話になった時に
相手は「私やりました」。70年闘争の時代です。私より4〜5才年
下の方です。
 夜這が止んだのは電灯が付いた時とかテレビが普及してからという
俗説がありますが、電灯やテレビは人間の性欲を制御できません。
 生まれた子可哀想です。多くは「赤子堀」「××落し」行きでしょう。
 福岡のある市のサンカ地名の隣に赤子堀があります。
 生体ビジネスで児干(こぼし)に成らないだけましとしましょうか。
 クグツも江戸時代の初めには消えたと学者達は言いますが、四国では
今から15年位前まではいたのです。クグツから操りを習ったそうです。
 

 No.:359   こうへい  - 2006/10/06(金) 20:19
ヨーカン さん
もっと早くに教えてくれていたら、お金もお払いしたと思いますが・・
何十年も前に・・
そしたらボクもバイクばっかり乗ってんと・・(^○^)

 No.:358   yoshiko  - 2006/10/06(金) 19:50
うちもまだ古米
実家に「新米おくれコール」したら
「アンタ、玄米党なんだから古米も新米も一緒でしょ!」
と言われてしまいました^^;
そんなことないですよね!?
ホカホカの新米におかずはいらないかもしれないけど
私は秋刀魚の塩焼き欲しいです〜

ヨーカンさん、エグイものって
殿方より女性の方が見慣れてるような気がします・・・

 No.:357   ヨーカン  - 2006/10/06(金) 19:22
うちはまだ古米
はよ買いにいこーっと
 ほんでも また 体重が増えそうで心配です


「貴重な生き証人がご健在のうちに・・」の思いはゴタゴタの生活に掻き消されそうになります

私も微力ながら・・と思いますが ついつい 軟らかいほうに行ってまいます
 今回も一分は谷垣桂蔵校長先生の著書からのパクリです
  
本日のテーマ「 夜這い 」・・(強引に忍び込み を奪うこと)
さる爺様のおはなしで 
 昔は年頃の若い衆は皆「わかいもん宿」に夜毎集い 知恵と力そして掟を身につけました
18・9になれば おまえもそろそろ・と声がかかります
         そんでも、修行の道は厳しいのでございます
第一段階 見習い
 夕闇がスッポリと村を覆い、狼の遠吠えが遥かに聞こえてくる頃になると、先輩が竹筒を渡して
「水を汲んで付いて来い、こぼすんじゃねえぞ!」
とある民家の前まで来ると竹筒を取り  「そこで まってろ」
長い間 柿ノ木の下でジッと待ちます 蚊に咬まれても 足が冷え切っても・・
彼の役割は 家の中で異変があれば 家人の注意を自分に向けさせることです
(ヨーカンは酔って家を間違えたふり位しかおもいつきませんが)
              ・・おわりまして
意気揚々と(あるいはふらついて)帰る先輩の後を黙ってついて帰ります
この屈辱的期間にいろんな事を教わります 

第二段階 修行 
名付けて『色道忍法帳』 音も無く戸障子を開け床板を歩き、相手に風を当てず・・うんぬん・
詳しいものが手元にありますが こーさん 安くしとくけど(^^)
なんかしら ドロボー辞典みたいやね
これを先輩からジックリと仕込まれます

第三段階 準備(下こしらえ)
 @めざす相手に それとなく「’わしゃあ・・ もうすぐ・・」
これがムツカシイ! けどもこのジサマはこういいます
「栗のイガは、ほっといてもはじけよる 」
 A有りもしない用を創り、下見をせねばなりませぬ 
間取りやらドノアタリやとか・トッツァマと,オッカーの位置とか

第三段階 いよいよ・・
 ここから先は秘伝書に・・ 
               略
まあ一般的には 寝入りばながエエとか どこら辺からとか、どれくらいでとか・・
「なんも案じることはない 相手も心待ちして・・」だそうですが
                           ほんでもねぇ・・
   NんんんN   ・・ 略 以下有料”

 羨望してまいますが そないに甘いもんではありません
 厳しい掟もあります
 
隣村の娘が相手なら、そこの若い衆組の了解を得なければなりません
そうすれば、親が反対で略奪になっても守ってくれる
そうでないと 半殺しはましなほうで 川に放り込まれあの世へ 
 浮かんだ淵に「ヨーカンヶ淵」なんぞの名がつきます

     ここまで真剣に苦労して 望みをかなえることに私は拍手したい
     近頃のわかいもんは ほんまに 

もう一つ 「浮世の子」
 茶株の下には神様が居られない
 茶株の下は耕してはならん

生まれてきては困る子 ・あるいは貧困ゆえに・あるいは不義のゆえ
取り上げ婆さんの始末やら、母親の股で窒息した亡骸がボロに包まれて

男は 女の辛さ悲しさを知らねばならんと思います
女人禁制なんぞと えらそうにしては いけません
(もっとも 女には見せられないエグイものがあるから禁制にしたかも)


 No.:356   ya(.・ε^)na  - 2006/10/06(金) 18:10
食欲の秋である・・
秋の風が吹く・・
  めっきりしのぎやすくなった・・
   新米が届いた・・
    新潟のこしひかり・
     炊飯器の蓋を開けた時の炊きたてご飯のその香り・・
       そのつやたるや・・んんんん
                       最高!!

   軽くよそって一口・・うんめーーーぇ!!
     餅もちしたこの食感・この甘みなんとも言えませんねぇ
      一粒一粒確かめるように噛み心地を堪能・・・んんんんうめぇ

       二膳目は、生みたての有精卵で卵かけご飯・・
        こりゃまた最高!!
   
      一膳36円の最高の贅沢!!
         おかずは、いりませんねぇ
          
         へへへ・・もう一膳!!・・

           「 あんたもういい加減にしてやめときや!!」・・・

         「はーーーぃ」・・・・やっぱりあかんかぁ・・
            
                せやろねぇ・・

      

                あと半分!!・・だめ?

     
     

 No.:355   Dongly  - 2006/10/05(木) 00:39
行くな秋、じっとしてて
URLhttp://www5.ocn.ne.jp/~iyasi
ya(・ε^)naさん、こうへいさん、おりょうさん、ヨーカンさん、ヤゾーさん
お元気で何よりです。
当方、草刈、伐木、ゴミの発表会まで少しだけ時間があるので、投稿させて
頂いています。早く仕事に区切りをつけて調査に行きます。田舎の先輩達が首を
長くして待っています。
 調査では、カワウソと呼ばれた川漁名人の町長サンカや酒作り親分の土地に寄
留したサンカ山の人達など、自然に耳に入ってきます。
 別所は学者の対象でないため郷土史家も無関心や無知です。いわく別所って何?
若い人がサンカって何というの同じです。疲れます。サンカは、木地師、別所、茶筅
、夙や部落との歴史をネグレクトすると民俗現象か文学になりますね。
 秋の芋焚きは東北固有の文化ですが、俘囚の流刑地四国では芋煮になります。
  野史通信3号は別所地域史「千日風呂跡と鍛冶子姫の伝承」を発行しました。

 No.:354   ヤゾー  - 2006/10/04(水) 20:23
時間的余裕があったら
みなさん こんばんわ

時間的余裕ができたら
なんでも好きなことを投稿できる
会員制のコミュニティサイトを構築しようかと思ってます。
何年か前にDonglyさんと話たときにも
会員制のような形にした方が良いかもとおっしゃっていましたし。

黒塗りあふぅさん
縁あって 日本人で始めての33階位になる方の儀式のようなものがあって
東京タワーの近くのフリーメーソンビル内での儀式を見学したことがあります。
世界各国から 映画の世界でも見るかのような人相の人たちが集まってました。
蕎麦屋のオヤジでもある程度の階位にまでなれると言ってましたが
一等地にありながら あの背の低いビルといい 近くの大きなビルといい
フリーメーソンの持ち物のようですが 現実に存在する不思議な人たちです。
ぼくはなんの関係もありませんが。

>被差別部落は、南北イスラエル人以外の民族が敗北し、
奴隷化されたという可能性もあります。

ぼくもむかしそれに近いことを考えたことがあります。
エタ頭の世襲名である弾左衛門の弾と
古代イスラエルの失われた十部族のダン族との関係を
まことしやかに書いた本もあったような気がします。
ダン族は朝鮮半島を経由して 日本に渡ったようですが
一部は朝鮮半島に残ったという説もあったように思います。
戦後 GHQのマイノリティー政策により
同和と在日の力を高めて この国をコントロールしやすくした勢力を考えると
なんだか繋がっているような気もすることがあります。
ぼくは 闇の歴史から光へと 動くように願っています。

 No.:353   黒塗りあふぅ  - 2006/10/04(水) 19:55
トランシルバニア、マーリブ
Mailterotaisaku@hotmail.co.jp
熊野ライフで見かけるtomboさんの研究で驚いたのは、
紀元前何千年前のトランシルバニアの文字が、
サンカ文字と同じだった、という事実。

ユーラシア、ツラン民族の繋がりなのか?
古代南方中国民族、越人、楚人とトランシルバニアの繋がりは、
極めて興味深いです。

もう一つ、驚いたことに、
「平十字」(ひらとうじ)と名のる力タカムナ神社の、
カタカムナがイエメンのマーリブダムの古代文字と同じ可能性がある、
とtomboさんが出没する俳句ダービーで推定されました。
イエメン人は海洋民族、倭人として、
現在の日本列島にも流れ着いたそうです。

カタカムナがシュメールなのか?
平という苗字から考えて、ユダヤなのか?
今のところ私にはわからないのですが、
サンカ文字と同様に、カタカムナが極めて興味深い。

あと、サンカの小刀の出自などが、
イエメンのジャンビーアの風習から流れ着いていないか、
楚人、越人、ジャワ、タミル人の風習の比較は、
サンカ研究に何か寄与するかもしれません。
余力のあるかた、
情報をお持ちのかた、おられましたら、
ぜひ何かよろしくお願いします。

それでは、お邪魔しました。

 No.:352   黒塗りあふぅ  - 2006/10/04(水) 19:41
サンカ文字の出自は?
Mailterotaisaku@hotmail.co.jp
神体文字の出自は、
シュメール、南北イスラエル、
どこの流れか、私にはわかりません。
いろいろな出自があるのだろうと想います。

http://www.page.sannet.ne.jp/tsuzuki/sinmoji.htm
出雲石窟文字・トヨノ文字書嶋字
阿比留草文字 日文草書 薩人書(さつひとのふみ)

「対馬 阿比留家に伝来。また主に法隆寺、三輪神社、鹿島神宮に秘蔵され、
現在確確認されているだけでも13種類の書体が存在する。
また、出雲大社にも“出雲文字”と呼ばれる書体がある。
藤原不比等や平将門、源頼朝らがアヒル草文字で書かれた奉納文を伊勢神宮へ献文している。」

ことから、阿比留文字は伊勢信仰につながり、
南北イスラエルの出自(ハングル文字はイスラエルの流れのようです。)と推定。
ヘブライ語と似ているんじゃないですか?

熊野ライフで、問題のサンカ文字ですが、
楚人と近く、北陸に流れ着いていたであろう越人の越文字と似ていて、
(越人が奴隷にされてエタの語源になった可能性もあるらしい。)
古代中国南方の呉楚越の文字と、
(漢字は秦の始皇帝により普及したので、それ以前の南方中国古代文字)
越文字、サンカ文字を比較した研究があると面白そうです。

 No.:351   黒塗りあふぅ  - 2006/10/04(水) 19:24
熊野
Mailterotaisaku@hotmail.co.jp
京都、奈良(南北イスラエルの末裔の首都)の周囲には、
現在の東日本と比べて、被差別部落が多い。
被差別部落は、
南北イスラエル人以外の民族が敗北し、
奴隷化されたという可能性もあります。

熊襲は、熊をトーテムとする楚人であり(熊+楚)、
(南九州と熊野は同地名が多く、阿蘇は阿楚、熊襲が住んでいた、
という論文を読みました。)
熊野の隣の伊勢は、楚人から、やや遅れて流れ着いた、
秦の始皇帝の泰山信仰を祭るものと推定しています。

京都、伊勢というイスラエルの中心に挟まれ、
熊野の熊襲の大部分は屈服し、被差別部落化されたが、
熊野の山中に隠れ逃げた楚人が、
皆様の歴史的な興味を書き立てているのかもしれません。

 No.:350   黒塗りあふぅ  - 2006/10/04(水) 19:05
東沢さんの竹細工とフリーメーソン
Mailterotaisaku@hotmail.co.jp
フランス革命や明治維新に強く関与したらしい、フリーメーソンとは
北イスラエルの流れの、
プロテスタント、救世主、聖母信仰、
を特色とする集団ではないか、と調べていて考えるのですが、
それにあわせて、東沢さんの書き込みが興味深くて、
以前、検索して読んでいて考えたことを書き込んでみます。

以前、熊野ライフに書き込まれている平御幸氏の論文によると、
日本の神社は、伊勢、出雲とも、
南北イスラエルの信仰らしい。

明治政府に祭る対象を変更することを迫られて、
かつ明治政府の祭る神と軍事演習で闘ったという、
東沢さんの神社は、南北イスラエル12氏族の、
かつ明治政府の祭る主と敵対関係にあった、
いずれかの部族の末裔を祭っていた可能性もあります。

東沢さんは、
5角形の竹細工を救世主信仰と絡めて推論されていて、
興味深かったのですが、
北イスラエル出身であろう、
プロテスタント、救世主信仰のフリーメーソンのシンボルと、形が似ています。

http://unkokuse.hp.infoseek.co.jp/shinpi/meison.html
「上向き三角形(コンパス)と下向き三角形(直角定規)の結合はダビデの星を形成」

救世主はダビデの子。
北イスラエルのいずれかの部族に、
東沢さんやフリーメーソンのシンボルを特徴とする部族が特定できれば、
東沢さんの神社や、謎めいたフリーメーソンの出自、明治政府の祭る主が、
より少しでも理解できるかもしれないので、書き込んでみました。

 No.:349   Dongly  - 2006/10/03(火) 20:59
神字(神代文字)は実存した
URLhttp://www5.ocn.ne.jp/~iyasi
 神代文字はありえない、とか偽りだとか説があるようですが
その根拠はあの有名な本居宣長が「神代文字はありえない」とか
聞いたことがあります。しかし本居の弟子が芸州藩に仕えた後
「神字箋」を持ち歩いて研究を続けていたようです。
 この中に諺文(韓国文字)の元になったアヒル文字など4種の
文字一覧表がついています。芸州藩の割庄屋にあった写しです。
 神代文字(神字)を否定する者達はどのように反論するか、
 見ものです。本居宣長といえども当時の政治に逆らえなかった
ことを専門家達は無視しています。
「神字」の画像をホームページに掲示しています。

 No.:348   yoshiko  - 2006/10/03(火) 18:15
あらら、ごめんなさい!
Donglyさん、ごめんなさい!
タイトルのお名前、「さん」が抜けておりました^^;
失礼しました〜!!

 No.:347   yoshiko  - 2006/10/03(火) 13:54
Dongly、はじめまして^^
Donglyさん、HP読ませて頂きました。
とても興味深く、面白かったです。
思わす近隣の地図、1時間近く眺めてしまいました。
いろんなお話聞かせて頂けるのを楽しみにしています。
よろしくお願いします^^

埼玉苗字辞典も面白そうですね〜

とんちんかん小僧さんやこうへいさんの近所は
海も山も楽しめて、羨ましい限りです。

鹿ってどんな鳴き声なんでしょう?
姿はたまに見かけますが鳴き声って聞いた事ないような気がします・・・
そういえば、タヌキの鳴き声も知らないです^^;

 No.:346   おりょう  - 2006/10/03(火) 12:48
Donglyさんお久し振りです。
Dongly さん しばらくぶりですね。
お元気そうでなによりです。
三角寛のサンカブームも沈静化してしまったのでしょうか。
最近、このページも静かになってしまいました。
Donglyさんの貴重なお話読み応えありました。
またいろいろお書きいただけるのを楽しみにしています。

とんちんかん小僧 さん、景色の良い所で御住まい羨ましいです。
お写真投稿楽しみにしています。

苗字でルーツがわかる。
八切さんの本を思い出します。 



 No.:345   ヨーカン  - 2006/10/03(火) 12:22
(埼玉苗字辞典)
りんごさん 感謝です こりゃあ すごい参考になります
何がとゆうて 私の血の何分の一かは あの辺からと睨んでましたがな!
 荒吐さんが棲んでましたか(^^)

出来の悪い脳が連想してます
 荒吐 アテルイ ジェロニモ 鬼神 
  −蝦夷 俘囚 別所 
       −サンカ 
 そんでも、ネットに出てるだけでも すんごい分量で・・
 年末ぐらいまでに ちゃんと読めますやろか?
          もうちょい 賢く生まれたかった
ドングリさん 「野史呼び名辞典」片手に 読み込んでみます

 No.:344   ya(・ε^)na  - 2006/10/02(月) 23:56
どんぐりさんやがな・・
どんぐりさんこんばんわ・・お久です
  ドングリさんおお話はいつも楽しみにしてました
   おかえりやす・・
    またおもしろいお話聞かせてください・・

 No.:343   りんご  - 2006/10/02(月) 21:19
埼玉苗字辞典
皆様、こんばんは。
ここのところ、埼玉苗字辞典http://homepage1.nifty.com/joichi/ を
読みふけっております。
【阿 ア】の条の百済に関する解説文中、
“阿(あ、お)はクマと読まれて、熊ノ国とも称し、熊野、熊谷等を名乗った。”と
あるのが、とっても印象に残り、投稿させていただきました。
クマって、色々な意味がこめられ大事な言葉なのですね。
【熊】の条も、読んでみたいですー。

 No.:342   ヤゾー  - 2006/10/02(月) 18:32
お久しぶりです
Donglyさん お久しぶりです。
お元気でそうで なによりです。
また色々と ご教授下さい。

GAiNAさん そういえば夜になると
シカの鳴き声がよくします。
食べ物がなくて 里の近くに降りてきているのかも知れませんね。

 No.:341   こうへい  - 2006/10/02(月) 17:59
これはDongly さん
お久しぶりです。
お元気でなによりです。
ウーム、そうですか。

 No.:340   Dongly  - 2006/10/01(日) 23:17
皆さん 調べていますか
URLhttp://www5.ocn.ne.jp/~iyasi
調子を落としたり、多忙だったりして投稿はできませんでした。
 本にない事実を求めて相変わらず別所調査と研究しています。
皆さんにも部屋から抜け出して秋のさわやかな空気の元で
発見をしましょう。読書ばかりでは頭と体を壊しますよ。
@信仰から見るとやはりサンカのルーツは別所にありそうです。
Aサンカとエタは同じ集落に居住してたようです。当地方の
中央部でも西部でも北部でも同居しています。郷土史家達も同じ
意見です。別居説は差別感の強い三角寛の偽言です。
Bサンカは太陽信仰というのは疑問で、様々な信仰を持ってい
ます。サンカも人種別に分かれおり、唐系、百済系、新羅系、
渤海系、高句麗系など多人種です。
ホームページをようやく更新しました。よろしく。

 No.:339   こうへい  - 2006/10/01(日) 16:41
不思議な写真
ぜひ、投稿して見せてください。
ボクも、雨の森は、散歩の休憩所です。

 No.:338   とんちんかん小僧  - 2006/10/01(日) 11:51
新しい月の始まりですから
皆さんの投稿をお待ちしています!!
掲示板寂しいことになっていますねぇ。
夏の終わりとともに体調崩されているのかなあ。
今年は思ったより暑くなかったのでクーラー無しで過ごしました。
この前、和歌山県海南市(地元です)にある「雨の森公園」の頂上から一望出来る景色を
ボーッと見ていたら流れ星が流れました。今年初だったので嬉しかったです。
あと過去のデジカメで撮った写真を整理していたら生石(おいし)山で太陽が沈むところを
撮った写真にUFOらしきものがあったり紀三井寺の境内で撮ったものの中に「オーブ」と巷で
呼ばれてるものがあったりと不思議写真が数少ないけどありました。
またいつか風の王国掲示板にアップせねばと思いました。

 No.:337   GAiNA  - 2006/09/29(金) 23:06
将来、田舎は生き残れる?
こんばんは。
ヤゾーさん、サルにおいしい栗を持っていかれましたか。
サルと真っ向から勝負しないのが、熊野の気質ですかねえ。

こちらでは、毎日のように熊の出没ニュースが流れます。
やっぱり今年は、例年に較べて多いようです。
奥山にエサとなる木の実などが少ないようですが、
その他の原因の一つに里山の荒廃があるようです。
手入れのされなくなった里山には、木の実や果物が多く残っているのだそうです。
それを狙って里に下りて来る構図のようです。
里山の利用が疎かになっていのは、過疎化や高齢化による田舎の衰退にあるのでしょうね。

 No.:336   ヤゾー  - 2006/09/29(金) 18:47
栗拾われて
みなさん こんばんわ

ほんと朝晩 肌寒くなってきました。
ここの掲示板も閑散として寒くなってきましたので
なんでも書いて下さい。

そろそろ栗が落ちる頃なのですが
僕が拾うまえに サルが拾ってしまいます。
それも人のまえで 堂々と拾ってます。
サルはお金持って スーパーに買い物へ行けないので
まあ仕方がないかと諦めてます。

 No.:335   とんちんかん小僧  - 2006/09/23(土) 23:22
朝晩冷え込んできましたね。
最近、誕生日(本当の誕生日は半年前です)プレゼントにキャノンの複合機を買ってもらいました。
それで、今まで溜まりに溜まった画像の写真にする作業を一昨日から始めました。
3年分あるから大変だー(++)!!
僕は最近マイアミバイスを見に行きましたよ。
80年代にドラマでやっていたそうですね。
機会があれば「博士の愛した数式」見たいです。

‥遅れて知った訃報。本物のサンカに生で会いたかったです。大変残念な気持ちで一杯です。

 No.:334   こうへい  - 2006/09/21(木) 23:07
「博士の愛した数式」
を、観ました。
吉岡君のような先生に教えてもらってたら、ボクも、ちょっとは数学が好きになってたような気がする。
実に良い映画でした。

 No.:333   ya(.・ε^)na  - 2006/09/21(木) 18:45
余裕・・
このところの不景気??(世間では好景気っていうてます)で生まれたのが余裕!!
 金銭的な余裕でなく、時間的な余裕ですねんけれど・・
   こいつが曲者で・・んんん
  なんて言うんやろかいねぇ・・
 しょうもない事考えて、落ち込むこともあったりしますねんけれども・・


   今日、新潟からの荷物が午前に届く予定でしてんけれども、到着したのが午後の3時でした
 昨日出た荷物が、翌日には大阪に届く!!・・
     20年前には考えられへんことでして、ほんまに」ありがたいことです
 しかし人間って勝手なもので、それになれてしまうと当たり前になってしまいますねんねぇ・・・
  そして時間どうりに品物が届かないと、なんでやねん!!てことになります
それが二度三度・・・度々になってきますと・・んんん
  文句の一つもでてきますねんねぇ
   苦情言いました・・・・

企業努力・他社との競合!!んんんん
  企業戦士は大変や・・しかし
  そないになりますと・・余裕がみんなにのおなってしまいますねんねぇ
そしてからそれらは・・
 みんな、従業員に責任がかかってきます
  一分一秒はそれほどまでに・・・ケツ叩かんでもええのに・・
   あわてて運転したら事故になりますよぅ
     無理な約束はせんことですねぇ・・
       でけへん時は電話一本ですみますのに
    すんませんって言うてくださいねぇ
 変なプライドもたんと余裕のある接客してもろた方がうれしいのになぁ・・・
      無理な約束してそれが実行でけへん時のほうが・・さみしおますねぇ

  余裕・・
   時間にも心にも必要や!!と・・感じましたよぅ

                   しょうもない事を・・へへへ  ほな

 No.:332   ヤゾー  - 2006/09/21(木) 17:58
サイギョウの歌
みなさん こんばんわ
今年は山に食べ物が少ないのか
イノシシによる農作物の被害が多いようです。
捕獲ワナがあちこちに仕掛けられていますが
今年もまた誰かにイノシシの肉を貰えそうです。
嬉しいような 可愛そうなような 複雑な気分です。

伊勢神宮の清清しさと サイギョウということで
西行法師が伊勢神宮に詣でたときに詠んだ歌でも。

なにごとの おはしますかは しらねども 

かたじけなさに なみだこぼるる

 No.:331   やなぎむし  - 2006/09/19(火) 22:46
サイギョウ
デンシンのサイギョウがおました・・
 初めて聞く・・・穏やかな話口・・
  文字はいろんなことを自分で感じたり思いを入れ込んだりしますよね・・
    でも・・・

  直接の言葉やったら・・・へへへ

    やっぱり思いいれはおんなじやったりして・
            おおきに!!・・感謝です!



   この連休にお伊勢さんに行ってました
      さすがに玉砂利を車椅子では行けませんでしたが・・
  なんや・・すがすがしい思いだけは感じれました
         大王崎の灯台からの太平洋は水平線まで見せてもろて・・んんん最高!!
    台風の残りの波は激しく最高ですねぇ
      なんや心が・・スッキリしました・・
       
      

     

   

 No.:330   yoshiko  - 2006/09/16(土) 10:39
そういえば・・・
もう、夏も終わりですが・・・
実家においてあった『週間文春』に
「この夏、オススメの三冊」っとかいう記事が
載っていて、その中で五木寛之さんが
沖浦先生の『幻の漂泊民・サンカ』を推薦してました。
以下、五木さんの推薦文です。


「読書の秋というが、本当だろうか。私は夏こそ活字に
触れる最良の季節だろうと思っている。しかし、本にも季節感が
あったほうがいい。重厚な本は秋にとっておいて、
旅先に気軽にもっていける新書や文庫から選んでみよう。
まず、文春文庫だ。
沖浦和光さんの『幻の漂泊民・サンカ』。
「積年の虚構を解体し、日本民衆史の地下水脈を
たどる」というのが惹句である。私たちはサンカという言葉に
、ある種の幻想を托して、遠まきにして眺めてきた。
そろそろ三角寛の呪縛からはなれて、ユニークな移動漂泊民の
生活と歴史を直視する時期にさしかかったのではあるまいか。
第三次サンカブームが噂されるいま、噂の真相を鮮やかに解き明かす沖浦さんの
積年の力作を文庫で読むことができるのがうれしい。
酷暑を吹きとばす一冊である。同じ著者による『「悪所」の民俗誌』もおすすめ。」

 No.:329   196  - 2006/09/15(金) 19:12
おまじない
海女さんのお守りだそうです。
http://pws.prserv.net/hosaka/mutsumi/religion/seman.htm

■セーマン・ドーマン
陰陽道における代表的呪術図形で「セーマン」は安倍晴明から、「ドーマン」は芦屋道満からきているとされています。

セーマンは正式名称を「晴明桔梗印」といい、陰陽道でいうところの相生や相剋の理を表すもので図形による陰陽道の象徴ということができます。

一方、ドーマンは「九字」と呼ばれることが一般的です。横5本、縦4本の線により構成されるのが一般的ですが他の形もあります。切り方もいろいろなバリエーションがあります。もとは中国の仙道書にあり、「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・前・行」の九文字を唱えて魔を避けることに由来していますが日本では「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」と唱え、修験道や密教の呪法としても有名です。


 No.:328   ヤゾー  - 2006/09/14(木) 18:00
サルにビビった
みなさん こんばんわ
日が暮れるのが早くなりましたね。

半時間ほど前に 変な物音がするので窓に目をやると
窓にへばりつくようにしてサルがこっちを覗いていました。
一瞬目があって 意味がわからず ウォ〜と声をあげてしまいました。
僕もビビッたけど サルもビックリして逃げてゆきました。
まだ子供っぽかったです。
少し前にまた出てきたので 今度は写真に撮ってやりました。
風の王国へアップします。

皆神さんがおっしゃるように 蜜柑さんがハジメさんを見つけ
その存在を残せたことが せめてもの手向けだったのかも知れません。

 No.:327   おりょう  - 2006/09/11(月) 17:43
ハジメさん
あらー、ハジメさんが亡くなられたんですか?
もっと、お元気で長生きしてほしかったです。
ハツ子さんもお気をおとされたことでしょう。
残念です。

 No.:326   皆神龍太郎  - 2006/09/11(月) 07:33
ハジメさん・・・
えええ!!!
ハジメさん、亡くなられていたんですか。
知りませんでした。
まだそんなにお年でもなかったのに。

蜜柑さんと大雨の中、初めてハジメさんに会いに行ったときのことが思い出されます。

お亡くなりになる前に、こんなサンカの方が平成まで生き抜いてきていた、ということを後世に記録としてでも残せたことが、せめての手向けにできたような気がします。

ハジメさんの最後とか、ご両親と同じお墓に葬られたとか、詳しいことが分かったら、ご報告ください。

 No.:325   ともみ  - 2006/09/10(日) 14:30
神話と考古学
 考古学と神話を結びつけるの考古学の始祖シュリーマンの精神を受け継ぐもので別におかしくないが、一部の知ったかぶりがシニカルに批判するのは良くないですねえ。
 どこの神話でも世界的共通性があると同時に、その国や地域特有の問題も含んでいるからその土地々々に出向いて痕跡を探り、その文明の形成の共通基盤を探ろうという動機には不純なものはないでしょう。
 日本神話に出雲は大きな地位を占めており出雲で発掘調査をするのが悪いのだろうか?
出雲では古墳時代全にすでに古墳があった。
それを、事情があって四隅突出墳丘墓と呼んでいるがこれは重要な地域的特徴と思います。

 No.:324   GAiNA  - 2006/09/10(日) 00:34
訃報
残念です。
サンカ文化の伝承者の一人として、
今後の展開を期待していました。
今後は、ヤゾーさん、蜜柑さん、あおきさん、
どうか一緒の時を過ごされたみなさん、
ハジメさんに代って、貴重な文化を伝承していってください。

ご冥福をお祈りいたします。

 No.:323   水俣のカゴ屋  - 2006/09/09(土) 23:15
訃報
私も実際にお会いしたことはなく写真のみでしたが、お亡くなりになったんですね、、、とても寂しいです。
私が竹細工の道に入ったのは、サンカのことを知ったのがきっかけでした。一人の人生の重たさを、自分なりに感じています。

ご冥福を心からお祈りいたします。

 No.:322   バリ師  - 2006/09/09(土) 22:20
訃報
本でしか知りませんが、ハジメさん、人生、振り返られますと、子どものころ、お父さんとのセブリ暮らし、魚捕ったりして、毎日いろんなことがあって、楽しかったんやないでしょうか。

明日、子どもら連れて雑魚捕りに行きたなってたな・・・。

静かにご冥福をお祈りいたします。合掌。




 No.:321   あおき  - 2006/09/09(土) 20:08
訃報
 そうですか 残念です でも本当に私はラッキーでした
存在すら確信できなかったサンカに会え しかも一緒にバーベキューまでしたし
ヤゾーさん楽しかったですねー 狭いはじめさんの部屋だけど酒も上手かったし
感謝してます ご冥福をお祈り致します

 No.:320   こうへい  - 2006/09/09(土) 07:20
訃報
ボクもハジメさんの話を聞ける日を楽しみにしていました。
残念です。
ご冥福をお祈り致します。

 No.:319   やなぎむし  - 2006/09/09(土) 00:39
訃報・・

 私も熊野でハジメさんやみんなとのフクロアライ楽しみにしておりました
  あの箕を担いだ少年の写真を思いだすと・・・
      本当に残念です・・
 ご冥福をお祈りします

 No.:318   ヤゾー  - 2006/09/08(金) 22:59
訃報
みなさん こんばんわ

先程 蜜柑さんから電話があり
サンカのハジメさんが亡くなられていたことを教えられました。
一緒に熊野の渓流でキャンプしたかったのに・・・
あの無邪気な笑顔を思い出すと 悲しさが込み上げてきます。
心からご冥福をお祈りします。

あおきさん GAiNAさん yoshikoさん ありがとうございます。
少々の雨では 多分大丈夫だと思います。

PIKKI さん 概ねそんな感じがしますね。

 No.:317   yoshiko  - 2006/09/08(金) 18:37
大変な雨でしたね
ヤゾーさん、ご無事で何よりです^^



 No.:316   PIKKI  - 2006/09/08(金) 02:34
みなさん今晩は
URLhttp://members.goo.ne.jp/home/pikkibikki
雷については、宮沢賢治がその授業で説明していた記憶が。
注連縄から下がってるものが雷の象徴で・・確か肥料の三要素の窒素を生成するだった・・

昨日の僕の日記にリンクした「北東北の歴史散歩」等を読むと・・
東北の蝦夷が日本列島のあちこちの捕虜収容所(別所という地名!)みたいな場所に連れて行かれた人々が(まるでソ連スターリン時代の住民入れ替えみたい!)被差別部落やサンカや木地師の起源のような気がするのですが。

そして、東北や北海道という地域全体が捕虜収容所みたいな場所でサンカのように山奥へと逃げ延びた人々がマタギのようになったのではと思うのですが・・
いずれも農耕への適応を拒否したこの列島の先住民がルーツにあると思うのですが。




 No.:315   GAiNA  - 2006/09/07(木) 23:22
雨は?大丈夫でしたか?
昨日、日高で記録的豪雨があったとのNEWS。
山小屋は、大丈夫でしたか?
雷が近くに落ちると、
吸い込まれる感じがすると聞いたことがあります。

昔、田舎で田んぼの中に雷が落ちました。
稲穂の出る前の田んぼが直径10mくらいに、
丸く焦げていたのを記憶しています。

田んぼに雷が落ちると、その近辺の田んぼが豊作になると・・・。
イオンか何かの関係だそうですが、
どなたか、そのメカニズムをご存知ないでしょうか?

 No.:314   あおき  - 2006/09/07(木) 22:21
すごいですね
 今ニュースで見たんですが ニンジン雲という奴が和歌山に大雨を降らせてるみたいですね
山小屋は流されてませんか?
 雷は近くに落ちるとパーンとでかい爆竹が爆発したような音がしますね
今夏東京でもうちのすぐ目の前に落ちて ピカパーンと光と音がほとんど同時でしたね
ビビりました

 No.:313   ヤゾー  - 2006/09/07(木) 18:22
かみなり
みなさん こんばんわ

昨夜から未明にかけてのカミナリは ちょっと凄かったです。
停電しそうだったので 早めに寝たのですが
明け方4時頃に 近くにカミナリが落ちたようで
轟音と地響きで目を覚ましてしまいました。
ミサイルでも飛んできたのかと思うほどでした。
外を見ると 稲光があちらこちに突き刺さるよう光っていました。

かみなりや なににしるしを つけている

そんな俳句があったような なかったような そんな感じでした。

 No.:312   こうへい  - 2006/09/07(木) 16:48
利き手
映画など観てると、スラスラと左で英語の文章書いてますね。
外人は、左利きが多いんでしょうか?

 No.:311   yoshiko  - 2006/09/06(水) 09:51
利き手
背中に「へんこ」って板貼った人がおったら
ヨーカンさんやと思っときます^^
勝手にヨーカンさんご夫妻に
『美女と野獣』ってイメージ持ってますが
本当はどうなんだろう・・・^^;

最近通ってる整骨院の先生が言ってましたが
左利きだからと無理から利き手を
矯正すると言語中枢に異常が出るそうです。
ドモリの人は利き手の矯正をさせられた人が多いらしいです。
それで今は利き手の矯正やらないのだそうですよ〜

 No.:310   ヨーカン  - 2006/09/05(火) 16:58
餓えと貧困
人間は持てば持つほど欲しくなる  「モット」の生き物でしょか
神戸空港が出来てから、頭の上が忙しない感じがしてますです
 そないにヒコーキ飛ばさんとあきませんか?
 そないにゴッツイ自動車要りますか?
 なんかしら、絶対必要とは思わんことで大事なもの壊してるような気がしまんねん
ムツカシイコトはわかりませんが、なんせ「カゲン」ゆうもんが大事やとおもいます
衣食住の豊かになるためなら そないに石油やらウランを燃さんでも・・
 ほいでから 仕事はなんぼでもありまっせ
 リサイクルやら環境保全やら 大事な事がなんでボランテェア頼みなんですかね

私は失業したら、破産したゴルフ場に芋や茗荷を植えたいけど 残留農薬まみれかなぁ・・
 
 茗荷の話したら かーちゃんが背中の板に 「へんこ」と書いたろと ゆうてくれました(^^)

 No.:309   こうへい  - 2006/09/04(月) 18:40
・・・
環境を護り、整備して、自然との触れあいを大事にする社会が、
成長した社会ではないでせうか?
金にものをいわせて、環境を破壊しまくってる愚か者は、目を覚ますべきだと、日々思いつつ・・
そもそも、地球を私物化するのはおかしい。
ネイテイブアメリカの人々に、そんな考えはなかった。
アメリカにわたったヨーロッパ人が、自分が作った柵の中が自分の土地だと、我先に囲いを作った。
今ある自然を、なるべくそのままにしたい・・

 No.:308   yoshiko  - 2006/09/04(月) 14:24
ミヒャエル・エンデ
昨夜、NHKの環境アーカイブスで
生前のミヒャエル・エンデ(『モモ』の作者)
本人が語っていたお話がとても印象に残りました。


「今の経済は、成長し続けることを前提としている。
何百年も前からお金というものの考え方は
多少複雑にはなったが、ほとんど変わっていない。
昔はそれでよかったが、社会は変わり続けている。

環境保護を訴える人は、人間が質素に暮らし、消費を抑えることで
環境への負担を減らそうとしている。
しかし、それを本当に実行したら、あっという間に
失業者が町にあふれる。
それでは現代の社会は成り立たない。

現在の経済の形を続ける限り、社会は成長し続けることを強制される。
そして環境を破壊し続ける。
環境を守ろうとするなら今の生活を捨て、貧しさに耐えなくてはならない。
「環境破壊の末の破滅」か「餓えと貧困」
このままではそのどちらかしか選択肢がない。

だから、人間は根本的に考え方を変えなくてはならない。」

というような内容でした。
本当に難しい問題ですね・・・。

ヤゾーさん、ありがとうございます^^
今日、ヨガ教師の友人宅の夕食にお呼ばれしているので
龍神村でのホピ族の儀式のお話、前記のエンデのお話と共に
食卓にのっけてみます^^


とんちんかん小僧さん、
夏をめいっぱい、満喫されたようですね^^
楽しそうな雰囲気が伝わってきました〜
うらやましい!

 No.:307   とんちんかん小僧  - 2006/09/04(月) 01:32
涼しい時間になりました。
今晩見た「情熱大陸」で沖縄を舞台にある親子が時計もなく冷蔵庫やお風呂といった僕らが日常的に
使っているものを使わずして自然とともに生活している姿を見て最近山小屋に足を伸ばしてなかった
からヤゾーさんの顔が浮かんできました。あとサンカと呼ばれた自給自足の人たちを。
何かと自信が持てずにズルズルと年だけを経てきたので何も無いところから生活の知恵を生み出す
人たちを見ていると、すごく努力していると感じます。
僕ももう少し人間らしい生き方をして行きたいです。

一昨日からこの新しい掲示板になってからの投稿を読んでました。
おりょうさん!呼びかけありがとうございました。
僕も実話ナックルズが終わってしまってメチャメチャ残念でした。
次からは不思議ナックルズでも読もうかなっと思っています。
掲示板の話題がてんこ盛りで久しぶりに読んでいて楽しかったです。
あとひと月分か‥一気に読んだら肩が狐狸そう。
ではゆっくり、じっくり、ワクワクとしながら読ませてもらいますので。

 No.:306   とんちんかん小僧  - 2006/09/02(土) 20:26
まだまだ日中は暑いですね。。
レス頂いたのにお礼を言うのが遅くなってごめんなさい。
こうへいさん、yoshikoさんレスありがとうございました。
またプールに潜っていて掲示板チェックしていませんでした。
今日も実は大阪の岬町にある、岬公園内のプールに行ってました。
初めてのことでしたが水着のままでイルカショーを見物したり、観覧車や
船でダイブする(名称ど忘れしました)乗り物に乗りました。
移動するときに大地を踏みしめる感触が気持ち良くって裸足でした。
今年は小学生の時以上に夏を満喫しました。
これから秋も深まるだろうから今度は体のケアをやらないとヤバそうです。

 No.:305   ヤゾー  - 2006/09/02(土) 18:37
秋の虫
みなさん こんばんわ
随分と日が暮れるのが早くなりました。
秋の虫が鳴き始め 八月の暑さが嘘のように涼しくなってきました。

yoshikoさん ホピインディアンですが
1988年8月8日に八ヶ岳山麓で「いのちの祭り」というのに招かれて来日したようです。
そのときに日本各地に足跡を残したようですが
どうして龍神村で儀式のようなことをしたのか分かりません。
偶然にその場に居合わしたのは幸運だったのかもしれません。

 No.:304   yoshiko  - 2006/08/30(水) 15:43
こんにちわ
ミョウガのお好焼、美味しかったです♪
ヨーカンさん、最後の1行の自己申告が
ヨーカンさんらしくて、いいカンジです^^

ミョウガの物忘れの由来は、前にどっかで読んだのですが
お釈迦様の十代弟子の一人にめっちゃ記憶力の悪い人がいたそうです。
(名前忘れました〜^^;)
自分の名前すら忘れてしまう程のおバカちゃんで
釈迦は彼に名前を書いた板を背負わせたそうです。
その弟子が亡くなった後、彼の墓にミョウガが生えたところから
名前を背負う ⇒ 茗荷 という名前になったのだとかなんとか・・・

生前、あまりの記憶力の悪さにお経を覚えられなかった
彼に釈迦は1本のホウキを渡したそうです。
それを受け取った彼は一心不乱に掃除をし
掃除から大悟に至ったそうです。
やっぱり、頭の良し悪しでなく素直さや謙虚さの方が人間を
伸ばすのねーなんて、ちょっと考えさせられるエピソードです。
私も部屋の掃除しなきゃあ^^;

自分の名前を忘れたヨーカンさんが
でっかい名札をぶら下げて歩いている図を想像してしまいました。
わー、ごめんなさい^^;

とんちんかん小僧さんも純粋で気持ちの優しい人なんですね^^

ホピの人達、龍神村で何の儀式をしていたのでしょうか?
とても気になります!

 No.:303   ヨーカン  - 2006/08/30(水) 10:39
ミョウガ 2
 香り、味とも 爽やかな恵みですね
但馬ではミョウガは木地師が持ってきたとの伝承があります
山から山にと渡り住んだ木地師の住居跡や草むらになっている無縁仏の側には まず間違いなくあります
 ミョウガは宿根性で土の特性を選ばない日陰にも強い植物ですから、一度植えたら何年もシッカリと生えてきます
乏しい山の生活の糧としてお腹と口と心に、うってつけのスパイスだったのでしょう
 ところでミョウガは木地師の間では「物忘れの妙薬」とされています
大屋町の方のお話がありまして
「わしら今は苦労の絶えぬ生活じゃが、もとを辿れば公家の出じゃ・・
コレタカ親王が弟に天皇の座をお譲りになり小椋の里に落ちのびし時、お供をした藤原図書久長と実秀の二人がご先祖さまじゃ
親王様に・どこの山の木を切っても良い・との免状をもらっておる
うちは下々には無かった苗字がある・小椋藤内藤原光吉とはご先祖様の御名じゃ
同じ木地師でも うちゃ挽木地師で ちっと格が上なんじゃ

 ちょっと偉そうにしすぎの感はありますが(^^)
 山暮らしの侘しさ厳しさやら 「ほんまはウチャァ・・」のストレスをミョウガで忘れたらしい

*このごろ私物忘れがハゲしく 冷や汗もんの日々ですが ミョウガの食べすぎでしょうか?

このジサマの話では 地下の家とは嫁はやっても嫁とらんそうです

*バリ師さん ツクヨネ手前に青い屋根ばっかりの村で茗荷谷なる地がおますな
       あれは 木地師の村でっしゃろか?
 
 「よーしっとると」思わせましたが 谷垣圭蔵さんとゆう校長先生のお調べからのパクリでした 

 

 No.:302   こうへい  - 2006/08/28(月) 19:24
トンちゃん、お久しぶりです!!
夏を満喫してるようで、めでたし、めでたし。。
大変な食事でしたね・・目に浮かぶようです・・くっくっく・・

 No.:301   とんちんかん小僧  - 2006/08/28(月) 18:21
まだまだ残暑厳しいですねー。
随分ご無沙汰しております。
今年は例年になく夏を満喫しております。
海に行ったり、祭りに行ったり、花火を見に行ったり、二日通しでロックライブに行ったりと。
昨日は片男波に海水浴兼昼寝に行ってました。
何故かその日、お昼頃風がきつくてビニールシートやゴムボート等を飛ばされている人が多く
いて「風ちょっときついねー」って話をしていました。
僕らもお腹が減ってきたし食べようかと思って海の家に買い出しにいきました。
その間も突風は止む事なく吹き荒れていた。
買物も終わったし帰ろうとした時ふとよく似たパラソルが店の外に立て掛けてあった。
連れが「今日持ってきたのとよく似てるね」と言い切るか切らないうちにふと自分達の
いた場所を見たらパラソルが無かった。。
急いで場所を変えてパラソルを開かないでシートを敷いてパラソルの土台にゴムボートを重しに
し買ってきた食べ物をボートの上に開いて食べる準備が完了。いざ頂きまーす!!と言う瞬間、
神の悪戯か突風が吹き荒れゴムボートがひっくり返り食べ物が全て飛び、砂まじりになってしまった。
もう笑うしかなかった。でもすべて食べきりました。
アフリカの子の気持ちを思ったら捨てられない思いになったから。
自分達でも笑ける忘れられない夏の思い出になりました。

 No.:300   ヤゾー  - 2006/08/27(日) 18:55
ホピインディアン
みなさん こんばんわ
こちらは夏休み最後の日曜日ということもあってか
大勢の人たちが泳ぎやキャンプやバーベキューに押し寄せ
いつも人気の居ない河原が人でごったがえしていました。
ゴミは持ち帰って欲しいです。

風の王国 フィクションだとは分かっていても
どこかリアリティを強く感じてしまうところがあります。
サイトを始めた頃 ある方からのメールに
作者の五木寛之氏には サンカ筋からのアドバイスもあったのでは?
との情報を頂いたこともありました。

yoshikoさん ありがとうございます。
そういえば首も肩も随分と凝ってます。
龍神村で廃屋を借りて住んでいたときに
どういう訳か知りませんが
ホピインディアンの人たちが来て
龍神の河原にティピーを張って儀式のようなことをしたことがありました。

PIKKIさん 仕事中に怪我をされてようで
お大事にして下さい。

 No.:299   PIKKI  - 2006/08/26(土) 01:41
やっと頭の傷の抜糸完了
みなさんこんばんは。残暑お見舞い申し上げます。
抜糸はうれしかったのですが・・でもまだ4日は洗髪してはだめだそうで、残暑が厳しい上に、日本一暑がりの僕にはまだまだ地獄の日々です。
ミョウガは切り刻んで、ナスや大葉やちりめんじゃこと一緒に、醤油で一夜漬けにしてご飯にかけて食べると美味しいですよ。いろんな野菜とのかき揚も美味しいとか。
目の方はもっぱらハブ茶を飲んでるのですが・・昔はお茶代わりに貧乏人が飲んでたとか。
ヤツメウナギはー日本一の清流という北海道の尻別川という僕の故郷でたくさん採れて燻製にしていたのですが・・とてもまずかったです。

 No.:298   おりょう  - 2006/08/25(金) 14:18
あれもひとりの同胞
『風の王国』の後の参考資料の膨大さを見ても著者の力が入った本だと思いました。
この本に出てくる「サンカ狩り」など本当の話ではないかと思っています。ちよっと重苦しい話になりますが、歴史や民俗学になんの興味なかったころに年配の人から聞いたのですが、「昔、高田の馬場のところで、○○人狩りとかで両手を縛って棒に通し、ぶらぶらさげられてつれていかれた人を見た」という話を聞いて、その時は「そんな事が本当にあるのかなー」と思って印象に残っていたのですが、その話から何年か後、板橋の小さな古本屋さんで「ある写真集」を見て、まさにその話の通りの写真見て衝撃を受けたことがあります。残念ながらこの本あまりにも汚れていたので買わなかったのですが、こんなことからも「風の王国」に出てくる「サンカ狩り」とかの話なども私は事実じゃないかと思っています。まさに日本の社会の闇の部分ですね。
高田の馬場といえば、三角寛も書いておられるのですがサンカの瀬降りなんかがあったところです。

私もミョウガ大好きです。
わーハモ食べたい。




 No.:297   yoshiko  - 2006/08/25(金) 11:28
ミョウガ
毎日、ミョウガをきざみすぎて
ミョウガの色がまな板に染み付いてしまいました^^;
ミョウガって酢と相性がいいですよね〜!
我が家でも必ず浅漬けにはミョウガを混ぜます。

お好み焼、超美味しそう!
やっぱり、関西人には粉物ですよね^^
たまにフライパンで明石焼きモドキを作りますが
明石焼きの漬け出汁にミョウガを入れても美味しいです。

先日、ハモの湯びきが安かったのでハモに片栗粉をはたいて
たっぶりの油で焼き、前日の残り物の椎茸のお吸い物に
片栗粉の溶き汁でとろみをつけて、あんを作りハモにかけ
それにあさつきとみょうがをたっぷり入れて、頂いてみたところ
なかなか美味しかったです^^
今晩はミョウガ入りのお好み焼に決まりです!

『風の王国』、もう一度読み直します!
最近、周辺の身近な人達が『風の王国』を読んで
いたことが判明して、驚いてます。
灯台元暗しってヤツですね。
一番びっくりしたのは、ヨガを教えてもらっていた
友人夫婦が愛読者だったことで、毎週のように
自宅に通い、晩御飯までご馳走になって帰るほど
親しくしてたのに、ぜーんぜん気がつきませんでした^^;
このヨガ教師の友人曰く
「サンカにホピと同じような精神性を感じる」とのこと。
同感!

ヤゾーさん、霞み眼は整骨院で首の凝りをほぐしてもらうと
かなり解消されますよ。
眼精疲労、極まる前に解消してね^^

 No.:296   こんばんわ  - 2006/08/25(金) 01:11
こんばんわ
何方か水軍直次という方をご存知ないでしょうか?

 No.:295   こうへい  - 2006/08/24(木) 18:29
風の王国
にしても。「戒厳令の夜」にしても、どこまでが本当で、どこがフィクションなのか分からないところが、すごいと思います。

 No.:294   ヤゾー  - 2006/08/24(木) 18:23
まだまだ暑いですね
みなさん こんばんわ

暑い日が続くので すこしバテてます。
最近 目を酷使しすぎて 霞み目になりました。

東沢さん ぼくはニンニクをすりおろして
和風醤油ドレッシングに入れて
トマトやレタスにかけて食べてます。
辛くて涙がでることもありますが
体には良いみたいです。

風の王国は資料的なものもしっかりしていて
サンカ文学の傑作ですね。
また読みたくなってきました。

 No.:293   こうへい  - 2006/08/24(木) 15:38
古文書
を、すらすらと読める人って、すごいです。
超能力に近いです(^-^)

ナミダが出ないと、目の表面に傷が付きやすいんだそうです。
ナミダは目の表面を保護してるんですね。

 No.:292   東沢美史  - 2006/08/24(木) 00:27
古都の夕空、ピンク色に染まる
こうへいさん、古文書の正しい意味がわかってホントよかったですね。
TVで見たけど韓国の若い人はPCキーボード脇のガラス器に生ニンニクのスライスを重ね、それつまみながら画面見てました。涙が出やすくなることが目に良いんでしょうね。

「川流し」、初耳です。川に流したお供えを泳いで追い着きいただいたという
ヨーカンさんの少年時代。見たわけでもないのに、あれから日中に突然なんどもその光景がココロに浮んできてしまいます。何気に印象深い一文でした。

もう深夜だというのに、お好み焼きのレシピみて食欲が強く湧いてしまって困ってます。身体に脂肪がつくから朝ごはんまでは我慢するけど♪夜は冷たく長〜い、黙って 夜明まで〜って急に懐メロまで思い出してしまった。1960年代の愛をなくした寂しがり屋の若者達はギターを弾いてまぎらわしてたという歌詞の文句。現代はそれがネットの掲示板や携帯メールのやりとりに変わっただけで、寂しがり屋さんはおそらく減っていない。
guest bookの書き込みが多い日はいいけど、全く無い日はとても不安になる(~o~)。
みなさん、これからもどうぞよろしくです!。

ウチではキュウリの新漬けにも古漬けにもミョウガを刻んで混ぜてます。
それともう一つ、私が大好きなのはラッキョウ酢か酢漬けにするとミョウガの部分がピンク色に染まることなんです。どこか古代の都の夕空みたいな、ほんわりとしたピンク色が漬けると夢でも見てるように出て来ます。

ヤゾーさん
盆踊りで不思議な気持ちになられたのは、あの世から帰って来たご先祖様たちも踊りを見たり加わったせいなのかもしれないと考えました。


 No.:291   おりょう  - 2006/08/23(水) 19:04
小松菜もいいみたいです。
 小松菜や春菊などの緑黄色野菜は、ベータカロテンが豊富に含まれています。このベータカロテンは、体の中でビタミンAに変わり、ウナギなどの動物性食品に含まれるビタミンAと同じ働きをするのです。ビタミンAは、油と一緒に摂ると吸収力がアップ。さらに小松菜にはビタミンCも豊富に含まれており、これも粘膜を保護したり、毛細血管を強化して、目を守ってくれます。

私関西人だからお好み焼きすきなんですけどこんなのいかが?
<主材料(6人分)>
小麦粉 … 200g
みょうが … 8個
卵 … 2個
エノキダケ … 1/2袋
玉ねぎ … 1/2個
ニンジン … 1/2本
豚肉・桜エビ・キャベツ … 合わせて250g
ソース・マヨネーズ・
青のり・かつお節 … 適宜

<作り方>
1. 卵をほぐして、粉と混ぜておく。
2. ニンジン・玉ねぎはすりおろす。
3. みょうがとキャベツは千切りにし、エノキダケと豚肉は食べやすい大きさに切る。
4. 上記の「1」に「2」と「3」、桜エビを混ぜ合わす。
5. フライパンに油を薄くひいて、両面に軽く焦げ目がつくまで焼く。
6. お好み焼きソースやしょうゆ、青のり、かつお節、マヨネーズ等をお好みでつけて召し上がってください。
(提供:須崎農業改良普及センター)

 No.:290   yoshiko  - 2006/08/23(水) 16:49
いい天気です
おりょうさんとこうへいさんのやりとり
小学校の先生と生徒みたいで笑えました^^

八目うなぎのサプリ、せっかく購入したのに
続けて飲まなきゃもったいないですよー!

そのネギ味噌のレシピ、ネギを玉ねぎに変えて
納豆をプラスするとダイエットスープに変身します。
これも玉ねぎが煮えてないことがミソ。
そんなに不味くなかったですよ(効果アリでした)

ネギから話が反れますが
ミョウガのシーズンですね。
ミョウガが大・大好きで、今、冷蔵庫の
野菜室にはミョウガとスイカしか入ってません^^;
味噌汁・吸い物・もずく酢・パスタ・素麺・冷麦etc
などに入れて楽しんでいますが、ミョウガ単品で
ミョウガを楽しめるレシピがあれば
どなたか教えてください〜!!

 No.:289   こうへい  - 2006/08/22(火) 21:09
おりょうさん!
はい、結果報告いたします。
めんどくさがりですね。凝り性、移り気・・あっはっは・・B型

 No.:288   おりょう  - 2006/08/22(火) 19:35
ネギ
こうへいさんネギで改善したら教えてくださいね。友達がドライアイで眼科にいっても治らないとぶつぶついってましたので。
八ッ目飲まないでさぼっていたんですね。いくらなんでも八目うなぎの油はいっているでしょ。
こうへいさんはめんどくさがり屋さんですかー。漢方は最低1ヶ月は飲まないと効いているかどうかわからないとおもいますですよ。
でも、まぁ自分の身体にあった療法がいちばんですね。


 No.:287   こうへい  - 2006/08/22(火) 18:56
yoshiko  さん
じゃあ、みそ汁と一緒みたいですねえ。
ネギはどっさりいれます。
細いのは良いですけど、ゴツい東京ネギは生のタマネギくらい食い辛いです。

おりょうさん
ヤツメウナギキモの油、飲んでましたが忘れてました。
カプセル、ホントにキモ油入ってんのかなあ?
ネギ味噌湯で、4日ほどで、改善されるそうです。
あと、2日!!

 No.:286   おりょう  - 2006/08/22(火) 17:53
ネギ
お奨めの文庫本は「風の王国」です。今更奨められてもね。とっくに読んでますなんていわれますね。
「墓盗人・・・・」は炭鉱本です。

ネギって民間療法で風邪の時、みかんの皮とネギ刻んで、しょうがをおろし味噌を加えて湯をそそい
で飲んですぐ寝る。発汗してすぐ治るそうです。
ネギはドライアイにも効果あるんですか。
こうへいさんドライアイまだ改善されていないんですね。私も目が疲れるので八ッ目買ってきて今飲
んでいます。



 No.:285   yoshiko  - 2006/08/22(火) 17:12
そうなんですか
生じゃないとだめなんですね!
でも味噌汁ってお椀によそってからネギを入れますよね?
煮ると風味が飛んでしまうから。
それぞれのおうちによって違うとは思いますが。
味噌も酵素が死なないように火を止めてから入れるように
って小学生の頃、家庭科で習った記憶があります^^
どうでもいいことですけど^^;




 No.:284   こうへい  - 2006/08/22(火) 15:07
ネギ味噌湯、味噌汁にごま油入れたらOK?
いやいや、コップとか、お椀に、先ず味噌を入れて、熱湯を注いで溶かし、その中にネギの刻んだのをドサッと入れる。
で、ごま油を、2〜3滴落として、かき回す。
ネギを、煮たらダメなんですよ。

 No.:283   yoshiko  - 2006/08/22(火) 12:10
こんにちわ
税所篤の説明、有難うございます^^
そういえば、『風の王国』にそんなお話ありましたね。
日頃、いかにいい加減に本を読んでいるかが、バレバレ^^;
噛み砕いて説明して頂いて、やっとわかりました〜
『風の王国』もう一度読み直します〜!
「墓盗人と贋物づくり」 著者:玉利勲 ← 文庫本なんですか?
税所篤ってとんでもないヤツですね!!

ネギ味噌湯、味噌汁にごま油入れたらOK?
そういえば、八目うなぎのサプリの効果はいかがですか??
先日、本屋さんで『八目うなぎが世界の目を救う』
(たしかこんなタイトルだったハズ^^;)
なんて本がありました。

休日は実家に帰省して、祖母の入っているケアハウスの
夏祭りに行ってきました。
室内でしたが、盆踊りもありました。
私が知ってるのは炭鉱節だけ・・・
それも「掘って、掘ってまた掘って〜」っと
言いもってじゃないと踊れません^^;
ケアハウスの若い職員さんがみごとに津島音頭を
踊ってらっしゃるのを羨ましく眺めてました。

 No.:282   こうへい  - 2006/08/20(日) 09:08
ドライアイにはネギ味噌湯
えー、タマネギだとばかり思ってました。
ゆうべ、百物語の録画ビデオみたら、そのあとにテレビの録画入ってました・・随分捜したつもりでしたが・・
ネギでしたね。
コップに味噌を入れ、熱湯をいっぱい注ぎ、ネギを刻んだのをイッパイ入れる。
ちょっと、ごま油をたらす。
ネギの白いところをいっぱい入れると、風邪に効き、青いところいっぱい入れるとドライアイに良いそうです。
メグスリノキより安いし・・

 No.:281   おりょう  - 2006/08/18(金) 18:42
税所篤
税所篤は『風の王国』に斎所厚として出てきます。
鹿児島藩士の家に生れ。明治新政府樹立の功労者として出世街道を歩んできた人で、いろいろな知事職から堺県令(県知事の旧称)にのぼりつめ後に子爵を授けられた人だそうです。黒い噂の絶えなかった人で西南の役が起きると、毎日県庁から汐見山の私邸へ、金銀をつめた袋を持ち帰り、それを私邸の庭の池に投げ込んでいた。そのため県庁の金庫が
空になっていたという。軍資金をもって西郷軍に投ずる約束であったのであろうか。西郷が戦死したあとその金銀貨を
引き上げて、のうのうと地方高官をやっていたという。またこの税所篤は美術愛好家といわれ、県令時代に大和和泉と堺県令下を巡狩りして、神社仏閣に詣でて、ご神体であろうと何であろうと美術的に価値があると思えば遠慮なく家に
持ちかえったという。
昭和二年に次のような対談話があります。「風の王国」より
柳田 それから一番ひどいのは○○子爵ですね。
尾佐竹 堺の県令をしている自分に奈良のたいていの社寺も古物などもって帰るのですね。あれなんか県令の勢いで強奪したり、またはすりかえるのですからね。
後略
また仁徳から出た品物なども海外に流出したのではないか。こういった噂が次から次へとでてくるというような人らしく、そんなことから「墓盗人と贋物づくり」 著者:玉利勲 読んでみたくなった次第です。
それがなんでサンカに関係あるの?と聞かれそうですね。
『風の王国』に出てくる斎所厚は、開鑿工事などに「サンカ」を利用しようとサンカ狩りなども行われたというような
ことが、この小説のテーマになっていますので、文庫本お奨めします。






 No.:280   こうへい  - 2006/08/18(金) 10:16
古文書の内容
一枚目は、その通りで、
2枚目は、村人代表が「わたしも、妻も、キリシタンにうつつをぬかしてはおりません。もし、そうでなかったら、目かんで死にまする」のようなことが・・

そのほか、寺の名前があり、各家の戸主がどの寺の檀家なのかがかかれています。
浄土真宗の寺が2つ。浄土宗の寺が一つ。

で、祭りでいくら使ったかとかの、お金の出入り。
誰が死んで、誰が嫁に行って、現在、むらの人数は、女何人、男何人の計何人ですと、人の出入り。
のようなことがかかれてます。


 No.:279   こうへい  - 2006/08/18(金) 09:37
ハッハー
それは、お疲れさまでござりましたm(__)m

 No.:278   yoshiko  - 2006/08/18(金) 00:35
元治二年
『就切支丹宗門御改家並印形帳』 丑 正月 釜中村

が、正解です。
神戸大学の先生が読んで下さいました。
こんな美人が?っと思ってしまうような綺麗な方で
おまけに気さくで親切な先生でした。
専門は日本近世史だそうです。
サンカやクマノライフにも興味を持たれたようでした^^

最初に訪ねた、遺物資料館のスタッフの方もそうでしたが
文化財資料館の方たちも、みなさん、とても親切で
丁寧に対応して下さって、本当に有難かったです。

文章の内容より、美人の先生が気になっている、こうへいさん!
解説付のコピーを送るのであとはよろしく^^
やっとお盆休みです♪

 No.:277   ya(・ε^)na  - 2006/08/17(木) 23:24
質屋の古文書
ほんでから・・んんん
 その解読の内容はどないですのん??
  それが肝心やがなぁ・・
 もったいぶらんと・・
   おせーておくれやす

 No.:276   こうへい  - 2006/08/17(木) 21:20
質屋の古文書
の解読のニュースがyoshiko嬢から入ってきました。
解読したのは、神戸の大学のすごいべっぴんさんの教授だそうです。
当て字が多くて苦労したそうですが、道分けの石に書かれた文字にしても、昔の人は当て字が多いです。
読むことに、重きを置いてるようです。
ロゼッタストーンから、エジプトの象形文字を解読した人と同じくらい偉い人だと思いました(^○^)

太陽系に惑星が12個あるって、1950年頃アダムスキーが言ってましたね(^-^)


 No.:275   ヤゾー  - 2006/08/17(木) 20:14
送り盆
みなさん こんばんわ

送り盆の日に祖母の家に行き仏壇を見たら
果物等のお供え物をどけてトーストとコーヒーを供えていました。
なんでと訊ねたら 死んだ爺さんが明け方枕元に立って
朝ご飯用意してくれと言ったそうです。
晩年 朝は必ずトーストとコーヒーだったので供えたそうです。
僕の朝食は白ご飯なのに・・・

もう何年も前に 山奥の村で偶然に見た盆踊り
音頭も地味で 踊っているのは婆さんばかり
なんと陰気なことかと思いましたが
見ているうちに なんとも不思議な気持ちになり
しみじみしてきました。
盆踊りの原点を垣間見た気がしました。

 No.:274   ya(.・ε^)na  - 2006/08/17(木) 17:51
フクロアライ無事終了
お疲れさんでした・・
 お盆フクロアライ終了です
 
 次は各地でのお盆のお話お聞かせください
   いろんな風習の違いが見れるかもしれません

 休み中にケーブルTVばかりみてました
   戦争特集や懐かしいドラマやってました
 図々しい奴・・ての毎日やってますが
  私が小学生のころのドラマですが・・
  よおこんなん小学生が観てたなぁって感じ!!
     えへへへ
    ピーピング トム・・ハニーボトル
   なんのこっちゃ??
     当時の子供にはなんのこっちゃ?ですよね
  

 No.:273   yoshiko  - 2006/08/16(水) 12:55
今日も暑いです
おりょうさん、税所篤とサンカの繋がり
教えてくださいm(__)m

「川流し」って見たことないです。
悪がき連中が追いかけてきて、お供え物を
食べてる光景、故人たちは笑ってみてたんじゃないでしょうか。
なんか、そんな気がしました^^

 No.:272   ヨーカン  - 2006/08/15(火) 21:35
お盆の送り 2
なんぞ書かんと・とおもいましたが、また話ずらしてしまいそうで
 「川流しを」河口で悪がき連中で泳いで追いかけてたべました
当時からバチアタリでしたなぁ・・ブドウが美味かったねぇ

先日妹がビデオ録ってくれまして「泥の川」見ました
たいがいの映画は原作に劣りますが これはエエのんです 負けてません
黒澤明の「生きる」もドンと胸押されます
 人生残り少なくなってきましたんで ・真面目にやろう!と思ったんですが・・

 No.:271   こうへい  - 2006/08/15(火) 19:38
お盆の送り
川が埋められたので、みんな、うちの前まで送りに来ます。
遅れて行くと、石を乗せた線香の束が並んでいます。
サツマイモなどの野菜を川に流します・・は、昔のお話で、いまは、拝んだ後、側の大きなゴミ収集箱に入れます。
だから、線香の束だけが並んでいます。

墓盗人は大昔から絶えませんね。
でも、この本、面白そう。

 No.:270   おりょう  - 2006/08/15(火) 18:41
税所篤
「墓盗人と贋物づくり」 著者:玉利勲
古代からつづく遺跡の破壊、古墳の盗掘、そして贋物づくりなど、日本考古学の歴史に埋もれたさまざまな事件の顛末を、丹念な取材をもとに紹介。
【目次】
ある鏡の運命/最古の古墳発掘記/石舞台が壊した古墳群/宮都造営で消えた古墳/定家を歎かせた天皇陵盗掘/墓盗びとの群れ/堺県令税所篤の発掘/盗掘裁判と考古学者/横行する遺物の贋作/有銘銅鐸事件の顛末/浜田耕作と戯刻壁画

こんな本見つけましたけど、この税所篤にピンときた人はサンカ通です。

浅草で本を求めたのは、買物のついでにスーパー覗いたらあったんです。
マイナーな本が好きで困るんです。その辺にはおいていなくて。




 No.:269   yoshiko  - 2006/08/15(火) 15:31
終戦記念日ですねえ
今日も暑いですね!

私もサンカ初心者なので蜜柑さんの
『サンカの末裔を訪ねて』の影響、大きいです。

五木寛之氏の日本人のこころでサンカを知り
次にネット検索でクマノライフさんを知り
『風の王国』を読んで、次に読んだのが
蜜柑さんの『サンカの末裔を訪ねて』でした。

今、思えば理想的な順番だったかも^^
サンカに対して尊敬と愛情を持った方たちの文章から
サンカを知ることが出来て本当にラッキーだったと思います。

いろいろとストレスの溜まることも
多いと思いますが、蜜柑さんの活躍を心待ちにしてます^^

おりょうさん、暑いのにマメですね〜!
アマゾンとかネットで購入する方が断然便利なんだけど
やっぱり、本は本屋さんで探して購入することに
醍醐味を感じてしまいます。

 No.:268   おりょう  - 2006/08/14(月) 18:08
サンカマニア
蜜柑さんお久し振りです。サンカマニアの蜜柑さんの書き込みがないとみんな淋
しいとおもいます。

批評社さんも、手のかかる突然変異のような書き手が迷い込んできたりして大変だ
とおもいます。
出版業も好きでないと出来ないお仕事ですね。

Niche bQ0 批評社 に蜜柑さんの本の批評が出ていたので無断転載しま
すね。蜜柑さんの本評判よくて下記のような葉書いっぱいきているそうです。
ほんの一部です。

『サンカの末裔を訪ねて』利田敏著を読んで
「山窩」か「サンカ」か、どちらでもよいが、今も研究、検証している人々がいると
は驚きと安心。
三角寛の『山窩物語』を読んでショックを受けた時と同じようなショツク。小学生の
頃、おふくろに
「山から来た人」と説明されたのを憶えて居いる。箕を肩にかけて歩いている光景が
今も頭の中
にある。興味があるし。もっと知りたいと思う心もある。

利田氏の著書には「先人たちの言動に惑わされずに・・・・・・」とありましたが、
書かれた側の思い
を自分の立場に置き換えるとどうでしょうか。それでも利田氏の著書は「サンカ」と
呼ばれた方々へ
の敬意も感じられました。
                       以上
次は「三角寛の晩年」をお願します。晩年をともに過ごされた女性はサンカだったの
か?ちよっと興味もっています。

「ナックルズ」(ザ・ハードコア)折角面白い本見つけたと思ったら最終号になって
しまいました。残念。
「怪奇ナックルズ」「実話ナックルズ」は家の近くにはおいてなくてサンカが載って
いるとかで五軒まわって、とうとう浅草で見つけました。
最近、蜜柑さんなにか書いて載せておられますか?

こんなご時世だから停電なんてあるとドキッとしますね。




 No.:267   yoshiko  - 2006/08/14(月) 14:15
おっかないですねえ
不意の停電、困りますよね!
そいうえば、温暖化で爆発的に増加している
クマゼミが光ケーブルに産卵して、ケーブルを傷つけてしまう
被害が深刻化していると、TVで言ってました。
確かに最近、街中でお目にかかるのは
クマゼミばっかり・・・


 No.:266   ya(・ε^)na  - 2006/08/14(月) 08:57
首都・大停電!!


都会の停電ってこわいことですよね
 お盆でエンジニアさんも少ないやろし・・
  この暑さの中・・クーラーもききませんよね
 PCも効きませんから目隠しされてるみたい
    どないなってるんやろかぁ??
 エレベーターの閉じ込めも相次いでるみたいやし
 送電線トラブル・・
  テロ・・んんんん
         血を流さずに、大きな打撃をあたえる・・
                ひょっとしたら・・・
    

 No.:265   ya(・ε^)na  - 2006/08/13(日) 00:29
さあて・・始まり始まり・・
みなさんこんばんわ・・
 お盆のHPフクロアライ始まりですよ・・
  早くも蜜柑さんのおいでです・・
 △うぶさん・seburiさんもんむーさん・まあさん・tuyaさん・Rainyさん紋次郎さん
にっちょさん・・ツルコットさんにまれびとさん・・
 それにどんぐり先生・・他にも素敵な住人の皆さん・・
   もし今も熊野ライフ大切に思われる方・・んんんんんん
 カキコお願いしますね
    
      ほんじゃ・・勝手ですが
          皆さんの笑顔と明るい明日に!!
                 乾杯!!

 No.:264   蜜柑  - 2006/08/12(土) 22:28
近況報告
批評社から出版予定の「あらすじで読むサンカ小説」首を長くして待っているんですが、
あそこは、全然スケジュールを守らないことで有名です。
皆で催促しましょう。

その点、辻村君(サンカマニア)がやっているミリオン出版の「怪奇ナックルズ」「実話ナックルズ」は
原稿料もいいし、原稿あげると、サッサト出版してくれるのでストレスがたまらないです。




 No.:263   ya(・ε^)na  - 2006/08/11(金) 23:29
ほなわたしも・・
混浴の話・・
 白馬から・蓮華温泉へ・・
   菖蒲の湯やったかいねぇ・・
 登山道のきわにありました・・
   だあれも来ませんよってに・・
 プクーーゥ・・潜水艦!・
    潜望鏡上げーーーぇ!!
           ははは・・しょおもないことを・・
     その上の露天風呂は泥泥のやばい温泉!!

  若いお兄ちゃん・・タオル一枚のその場所・
        若いお姉ちゃんが通り過ぎます・・・

     撃沈・・プクプク・・
        潜望鏡下げーーーぇ・・

                             へへっへ

 No.:262   おりょう  - 2006/08/11(金) 18:20
フクロアライ
利き手と脳の関係、検索すると結構ヒットしますね。
遺伝はないみたいです。
従妹も左利きで、小学校入学時の先生が無理に矯正しないほうがいいとアドバイスがあって
今は、ツトッコさんのようにハサミは右で、字を書く時は右で、あれは左これは右と両手使
いのようです。今は矯正しないから結構左利き多いそうですよ。

社員旅行などで、男の人が「女風呂みえるよ!」と騒いだりしています。女性陣は「ふん、
いやらしわね」なんて冷ややかな目で「ツン!」としていたり、そんな社員旅行2回経験し
ています。旅館によって故意でサービスしているのかわかりませんが、「旅の恥はかきすて」
みたいなおおらかさがあったんでしょうか。
天保五年、秋の旅行の思い出です。

HPフクロアライですか、楽しそうですね。
このぺーじ立ち上げの頃から蜜柑さんのおっかけだったのですが、最近お見えにならないで
すね。
とんちんかん小僧さんとか△うぶさんとか風さんとかいらっしゃいませんね。

 No.:261   こうへい  - 2006/08/11(金) 15:21
せっかくの混浴露天風呂
谷川岳の麓に、宝川温泉ってありました。
混浴の露天風呂って聞いてたので、
肩に手ぬぐい姿で歩いてゆくと、10人くらいのオバチャンが、
「にいちゃん、ここ、ここ」って、風呂の中から大声で手招きする。
さすがに、入れず、大回りして、日の暮れるのを旅館で待ちましたが。
落ち葉が、底にいっぱい沈んでる露天風呂でした。
文久2年、23才くらいのときですねえ。

 No.:260   yoshiko  - 2006/08/11(金) 13:40
楽しそう!
HP・フクロアライ、楽しそうです^^
ヤナさんは楽しそうなこと考えるの上手ですね!

左利きの人って、私の周りにはあんまりいません。
熊野ライフさんには沢山いらっしゃるようなので驚いてます。
昔、学研の付録でよくついてきてた
ビニールの小袋に入った粉を水に入れるのって
たしかミジンコでしたよね?
鮎の生には寄生虫がいるんですか?
勉強になりました^^(でも美味しそう!)

飛騨の電車の話は笑ってしまいました^^
温泉等で「これって丸見えやん?」っていう
造りはわざとなんですか!?
10年位前に新潟の赤倉で泊まった宿は
女湯の露天風呂が客室から見下ろせる造りになっていて
そこで偶然、窓から女湯を覗いている男性と
目が合ってしまったことがありました^^;
相手は慌てた様子で引っ込んじゃいました。
照れて慌てたのか、「眼が腐れる〜」と思って慌てたのか
定かではありませんが・・・

 No.:259   こうへい  - 2006/08/11(金) 10:39
いいですねえ!!
みなさん、なんでも書いて下さいね(^^)

 No.:258   ya(・ε^)na  - 2006/08/10(木) 23:15
こんなん・・どないですかぁ・・
みなさん、HP・フクロアライしませんかぁ・
 ちょうどお盆も近いことやから・・
  どないです・・

クマノライフもけっこう長い間にいろんなお人が通過して行きはりました
 ただ見てるだけ!のお人や・・んんん
 なんや書き込みしたいんやけれど・・・んん・・きっかけがない、お人さんも!!
  気楽なフクロアライしまひょ・・
 時間は13日から16日まで・・
  なんでもええから・・カキコしてください
    読んだら・・なんでもエエからカキコしてください
 写真ありは風の王国へ・・

    単なる提案ですよってに・・

              どないですやろか?

             ご意見くらはい・・ほな

                                  へへへ

 No.:257   ツトッコ  - 2006/08/10(木) 22:08
私も半分左利き
左利きの方多いんですね。
自分の場合は小学校の高学年になってから左利きだということに気づきました。
親が物心がつくころ矯正して右利きにしたそうです。
その結果、字を書くのは右(極端に下手で自分で書いた字が読めない。)左投げ右打ち。はさみは右、包丁は左とわけのわからない状態です。

熊野古座川の鮎おいしそうでしたね。鮎の刺身はたまに食べますけど、塩焼きやから揚げ味噌田楽など火を通したもののほうが自分はおいしく感じます。鮎は生でたべると横川住血吸虫に感染することがあるみたいですね。ヨーカンさんの話の説だと自分はミジンコ並ですかね。

 No.:256   NON  - 2006/08/10(木) 13:51
暑いですね。私も左利き。
 熊野のみなさんお久しぶりです。時々現れて読ませてもらっております。
 毎日毎日田畑の草取りをしています。すでに3週間以上一日最低でも4時間草をとっています。無農薬なので果てしなく時間がかかります。長時間外にいるわけですが,村人はサッとやってきて短時間で農薬や除草剤を振って帰っていきます。事前のあいさつは何もありません。こちらは環境に気づかって生きているのに汚染をを受けるのは私たちの方です。野焼きも当たり前のようにほとんどの家で行われており,プラスチックの灰が畑にまかれています。田舎暮らしといっても心中はのどかなことばかりではありません。
 
 私は矯正された右利きで元々左利きです。とっさの時や大切な動きや教えられないことは(トイレで紙を拭く手 ←失礼)左手が出ています。田舎暮らしをするようになって髪を自分で切っていますが,左横は右手用はさみで,右横は左手用はさみ(小学生用の工作ばさみに左手用があり購入)で器用に切れるようになりました。利き手によって脳がちょっと違っている感じは主にコンプレックスとしてですが,どこかにあります。この件で色々わかっていることがあるのならもっと知りたいですね。

 

 No.:255   おりょう  - 2006/08/10(木) 13:27
下町
それぞれが子供の時から訓練して鍛えているんでしょうけど天性から
そなわっているものがあるんでしょうね。

>スペイン革命を題材にした「誰がために鐘がなる」
見ましたよ― ザンバラ頭も似合っていて、欠点のない顔立ちですね。
なんといっても身もこなしが優雅です。

この辺は下町ですけん風呂屋にいってもばっちゃんばかりです。
温泉街で、わざわざ女風呂が見える構造になっている旅館ありますよ。
あと、飛騨の有名な温泉、列車の窓から女風呂が見えて、列車がそこを
通過するとき、列車内の客が「見えるぞー!みえるぞー!」「どこやー、
どこやー」と一方によっていってしまうので列車が斜めに傾いてしまい
列車通過危険地帯になっております。(いまはどうかわかりません)

 No.:254   yoshiko  - 2006/08/10(木) 10:36
にっぽん夏紀行見逃した!
残念、見たかったです!
再放送やらないかなあ〜
鮎の生ってちょっと生臭そうですね。
だから梅肉塗るのでしょうか、でも美味しそう^^

ヨーカンさんの左利きを無理から矯正されて
違和感を感じるようになったというお話、印象的でした。
以前、歩き方を矯正しようと思って、膝を2ヶ所
腰紐で縛って寝ていたことがありますが
いやーな夢ばかり見て、ちっとも疲れがとれず
ストレスが溜まりまくりました。
それから考えると利き手の矯正なんて拷問!

友達が右脳開発のトレーナーをしているので
たまにジムに遊びに行きますが
右脳と左脳のバランスを整える為の訓練って
動体視力を鍛えるもぐら叩きみたいなものとか
玉乗りのようなバランス感覚の訓練なんかが
結構あって、小学生の体育の授業みたいです。
運動は身体と一緒に脳味噌まで鍛えてくれるみたいです。
イチロー選手は道路を走る自動車のナンバーを
読むのが子供の頃から習慣になっているそうです。
利き手から話が反れちゃいました(汗)

おりょうさん、映画の紹介有難うございます^^
名前の挙がった女優さん、それぞれタイプが違うけど
みんな魅力的で美しいですよね。
ビビアン・リーは子供から理想の顔です!
片方の眉毛をキリキリ引き絞る表情に憧れました。
お風呂屋さんでは首から下しか見てません(笑)

私の前の書き込みで誤字発見。
ご埋法 ⇒ 墓埋法 






 No.:253   GAiNA  - 2006/08/09(水) 23:36
利き手、利き足と脳
こんばんは。
こちらでは先程、雷雨となりましたが・・・蒸し暑くて、蒸し暑くて。

運動選手は、同じことを繰り返し、繰り返し練習しますが、
その練習は、脳からの伝達神経も同時に磨がいているのでしょうね。

このところ、左利き用のハサミ、ナイフ、などたくさんの商品がありますよ。
PCのマウスも設定すると、左、右用と変えられますから・・・。
野良猫の面倒をみていますが、やっぱり右利き、左利きがあります。
とっさの時には、利き手(足?)を出します。

イングリッド・バーグマン。
スペイン革命を題材にした「誰がために鐘がなる」の
どうしてkissするときに鼻が邪魔に・・・・を思い出します。
ショートカット姿、綺麗でした。

 No.:252   おりょう  - 2006/08/09(水) 22:17
利き手、利き足
サッカー選手なども左右両足瞬時に動かせるよう脳からの伝達神経の猛特訓しているんでしょうか。

左利き用のハサミとか左利き専門道具とかデパートなんかに設けるといいですね。あるのかな?

ゾウリムシの利き腕ですか?

>お風呂屋さんでナイスバディのお姉さんをみかけると
私も洋画なんかで綺麗な女優さん出ていると釘付けになりますよ。
旧い映画のイングリド・バーグマン
そうだ映画のご紹介
イングリッド主演「カサブランカ」「ガス燈」アカデミー賞作品
ビビアン・リー「哀愁」
ヒッチコック全作品どれも面白い。きれいな女優さんばかり出ます。
来週からBS2でヘップパーン特集
ふるいのばかりでがざいます。


 No.:251   東沢美史  - 2006/08/09(水) 21:49
熊野古座川の鮎釣り
NHK総合にっぽん夏紀行「和歌山・清流にアユを追う」見たよ。

古座川の滝でアユ釣りしてた86歳のおじいさん。
黒曜石?なんでしょうか手の平サイズくらいの石を岩にぶつけると
一瞬のうちにスルドイ石包丁が3丁、魔法のように現れ、
それで釣ったばかりのアユの腹を裂いて開きにする。

そしたら開いたアユの内側に持参した梅肉を塗り、俵型の握り飯を中に挿んで丸めカジる。
好い顔されてたけど、アユの生身、そんなに美味いんだろか。


 No.:250   ヤゾー  - 2006/08/09(水) 19:21
にっぽん夏紀行
みなさん こんばんわ
台風は雨が少し降っただけでした。
ご心配 ありがとうございました。

今夜NHK8時30分から 
熊野の古座川を取材した放送があるみたいです。
なかなか綺麗な川です。

 No.:249   ヨーカン  - 2006/08/09(水) 15:36
利き手
世間ではサウスポーは いろいろ不便になってます
昔は矯正をされましたね 書道・剣道なんぞの型を重要視される世界は特に
矯正された子供は なんとも表現しようのない違和感をもって生きていきます
潜在意識に(へんこ)の要素をもちます   (そう、・私のように・・)
世に(へんこ)な人物は大勢いますが、この中の何割かは此処に原因をもつとにらんでいますが?
 

両手が利くのは便利なようでいて、実は不便です
ちなみに生物の左右の比率は知能程度に従って半分に近付くと共に両利きが増えますが
ゾウリムシでも「利き腕?」を持つ者ががあるとの記事を読んだことがあります

あたしゃ〜 どのあたりのクラスなんじゃろう




 No.:248   yoshiko  - 2006/08/09(水) 13:12
右利きですが・・・
3年間も左手で食事の訓練をしたなんて
GAiNAさんって根性の人なんですね〜

私の利き手は右ですが、たぶん利き足も右です。
右足の方が力持ちでおりこうさんです。
手を組んだときは右が上になります。

でばかめこの趣味はないつもりですが
お風呂屋さんでナイスバディのお姉さんをみかけると
つい、目が釘付けになってしまいます(汗)
前世は男だったのかも・・・

 No.:247   GAiNA  - 2006/08/08(火) 23:28
利き足、利き手は脳にも関連
こんばんは。
こちらは、台風の直撃を避けられました。雨も降っていません。
熊野はいかがですか?

おりょうさんの仰るとおりです。
普通は利き手と逆が利き足になります。
学生時代から、バスケをやっていましたが、
背が低いために右手も左手も同じように使えるようにと、3年間左手で食事をしました。
左手を使うときには、当然右足が利き足になりますが、
元来の利き足の左足に比べ、筋力などがかなり弱かった記憶があります。
バランスを崩すことも、しばしば。

それに指と指を交互に挟んで手を組んだ時に、
上になった親指が左の場合には、左利きの要素を、右の場合は右利きの要素を持っているといわれます。
これは右脳思考か、左脳思考か、にも互いに影響を及ぼしているらしいです。

 No.:246   おりょう  - 2006/08/08(火) 21:36
台風シーズンですね。
でばかめこの趣味はないんですけど、血液型は関係ありませんでした。お・ま・け
手に利き手があるように足にも利き足があるそうです。とっさの時、利き足ぱっと出るんだそうです。
左右がわからない人とかいるらしいですよ。混同してこんがらがってけつまづいている人よくみかけます。
お風呂など片足時のバランスが取り易い足に関係するとおもわれます。

 No.:245   こうへい  - 2006/08/07(月) 23:06
なんです・・
ありゃー、B型にも、お声かかりましたか(^○^)

風呂は左足から入ります。

最初に洗うのんは、頭でっせ!!

大雨はヤバイねえ・・

 No.:244   yoshiko  - 2006/08/07(月) 22:02
台風
また、紀州の方は沢山雨が降るようですね。
今回の台風は複雑な動きをするとのことなので
どうぞお気をつけくださいね!

 No.:243   yoshiko  - 2006/08/07(月) 21:54
どうして???
おりょうさん、どうしてわかっちゃうんですか??
まさか、やなさんとヤゾーさんの入浴を覗き見したとも思えないし(笑)
タネ明かし楽しみー!!

A型の私は右足からです。
最初に洗うのは足です。
B型のこうへいさんはどうですかあ??

 No.:242   ヤゾー  - 2006/08/07(月) 16:53
どうしてでしょう
みなさん こんばんわ
台風三つきてますね。
ちと心配してます。

ほんとだ風呂に入るとき左足から入ります。
ちなみに体を洗うときは首から洗います。
なんとか占いによるとロマンチストだそうです。
今日も暑くて汗でベトベトなので
これからシャワー浴びます。

 No.:241   ya(・ε^)na  - 2006/08/07(月) 00:53
あ・・ほんまや
おりょうさん、ほんまですねぇ
 確かに左足から入りますねぇ・・
   なんで知ってますのん??

 No.:240   おりょう  - 2006/08/07(月) 00:40
左右
パンフ見ていて面白い本みつけました。
礫川さんの「左右の民俗」批評社
死んだ人の着物を左前にするのはなぜか?
神主が常に左足から踏み出すのはなぜか?
O型のクマノライフの住人が常に左足から風呂に入るのはなぜか?

 No.:239   ヤゾー  - 2006/08/04(金) 18:36
串本沖海底遺跡
みなさん こんばんわ
お骨とお墓の話 面白くて勉強になりました。
それにしても 今日は暑かったです。

話は変わりますが 釣り好きでスキューバダイビングもする知人と話をしていたら
串本沖に海底遺跡があるらしいという話を聞きました。
そんなん聞いたことないと言うと
何年か前に仲間の間で話題になったそうで
うそ臭い気もするけど 知らなんだんかと言われました。
そういえば昔なにかの本に 紀伊半島沖に沈んだ大きな島があったと書いていたような記憶があり
海底遺跡があるといわれる沖縄にはニライカナイ伝説があり
串本近くの勝浦には南方海上にあるという浄土を目指して船出する補陀洛渡海というのがあるから
もしかしたら本当かも知れないと話ました。
う〜ん なんでもいいから無性に綺麗な海で泳ぎたくなりました。
そういえば三重県の方にも沈んだ島の伝説があるみたいですね。

 No.:238   yoshiko  - 2006/08/04(金) 17:41
PIKKIさんへ^^
たぶん、沖縄も死は再生・循環の意味合いが濃いと思います。
沖縄の墓が巨大なことは有名ですがその形も独特です。
亀甲墓・門柱墓という名前で
文字通り、亀甲墓は亀の甲羅の形です
門柱墓は、分娩台に乗ってる妊婦さんを正面から見たような
カタチをしてます(汗)
子宮に戻ることを意味してます。

琉球は中国の属国だったため
中国文化の影響が強く、毎年旧暦の3月に
シーミー(清明祭)を行ないます。
お墓に一族が集まって、ドンチャン騒ぎをします。

沖縄では旧暦の閏月をユンジチといいます。
ユンジチは特別な年らしく
私の勤務する会社は沖縄系の企業なのですが
このユンジチのシーミーには沖縄人の社員は
みんな里帰りしてますね。
沖縄ではお墓を建てるのは七夕かユンジチががよいとされています。

沖縄は同じ日本とは思えないほど
内地とはまったく違う文化を持ってます。

東西の差は逆ですね。
東側は骨壷ごと、墓地に納骨するので納骨スペースに
限界がありますが、西側は白い綿の納骨袋に骨を
移してから納骨をします。
白い綿袋に移した骨は通常8年ほどで土に還るので
一つの墓にいくらでも納骨ができます。
焼骨はもろいので結構簡単に土になります。
西の方が合理的かな!?

余談ですが、墓石の納骨スペースを「カロート」といいます。
このカロートは一番小さな墓地も一番大きなデラックスな墓地も
サイズは同じです。
小さなお墓だからって狭いわけではありません。
逆に大きなお墓だからって広いわけではありません。
なんか、いい話やなって思うのは私だけ!?

 No.:237   PIKKI  - 2006/08/03(木) 23:16
みなさんこんばんはO型ピッキです
URLhttp://members.goo.ne.jp/home/pikkibikki
yoshikoさん貴重な話をどうもありがとうございました。
火葬や、葬式を穢れたものという考え方は仏教からきてるように思うのですが・・どうなんでしょうか?
北海道・樺太・千島列島・本州北部の先住民アイヌ民族の考えでは、この世とあの世を循環する魂をあの世に送るという考え(すべての命や物も)だったような気が。
沖縄ではいったいどうなんでしょうか?
それと、東西の差は、西の方ではお墓が骨で一杯のせいではないでしょうか?
北海道の墓地の周囲の、アサツキ等の山菜が他の場所の倍以上大きかったのを懐かしく思い出すナー

 No.:236   yoshiko  - 2006/08/03(木) 15:25
正解者は
遺骨の行方の正解者はおりょうさんですね^^

GAiNAさん、私の知ってる話はあくまでも
一般的な話なので、GAiNAさんのいらっしゃる
地域では、実際に肥料になってるのかもしれません。

おりょうさん、そのお話、以前に本でみたことあります。
番町・播州の「バン」は番太などの処刑に関わる人々を
指していて、処刑に関わる人々は白山を信仰しているので
お菊さんは「(縄で)括られたお菊さん」=「菊里媛」
ということなのでは?
みたいなお話だったような記憶があります。

お菊さんのお話はどこの地域にも必ず一つはあるらしいですね。
わざわざ改名させたりするなんて知りませんでした。
よっぽど縁起の悪い名前とされていたんでしょうね〜!

たしかに井戸に出る幽霊といえば「お菊さん」が
代表格でしたが、最近は「貞子」に押され気味ですね。

熊野ライフさんには0型の人が多いみたいですね!
うれしいなあ^^
0型さんが多いから熊野ライフさんが好きになったのかもしれません(笑)

 No.:235   GAiNA  - 2006/08/03(木) 00:03
補足、ありがとうございます。
yoshikoさん、ありがとうございます。
よく判りました。

東海地方では、多くの人?が
肥料になって、土に帰ると思っています。
そういう業者のある地名まで、噂されています。

親父が逝ったときに、市の職員(火葬場に詳しい)から聞いた話だったのと
火葬場での会話だったのでショックだったのだと思います。

私の田舎は、熊野でも東の地方ですが、
葬儀のときのお供え物を墓の前とは別の場所に置いて
鳥獣に功徳をという、風葬の名残りと思われる風習や
鬼門に入る四十九日までは、毎日、墓にお参りする地域です。

お骨については、こんな田舎で交わされたお粗末な話です。

 No.:234   こうへい  - 2006/08/02(水) 23:37
yoshiko さん
いやー、よくわかりました・・パチパチパチ!!

 No.:233   yoshiko  - 2006/08/02(水) 22:02
お骨の話
GAiNAさんのお骨の話、勝手に補足しちゃいます(汗)
じつはお弔い業界の会社に勤務しているのですが
たまにお客様から、この質問を受けることがあったりします。

地方によって違うのは
大きくは東と西に分かれるのですが
(糸魚川静岡構造線を境にして東西に分かれます)
東側は拾骨の際にほとんどの遺骨を骨壷に収めてしまいます。
ですからほとんど遺骨・灰が火葬場に残りません。
なので火葬場の敷地内の供養塔に収められるパターンがほとんどです。

それに対して西側は「喉仏」と言われる第二頚椎とその他ほんのちょっぴり
しか拾骨しません。
西側の骨壷ってお湯のみ位の大きさしかありません。
それに対して東側は30cm位の大きさがあります。
ごくわずかしか拾骨されない、ということは
言い方を変えれば、ほとんど一体分の遺骨・灰が
火葬場に残されることになります。

こうなると供養塔程度ではとても対応できません。
ほとんどの場合は、こういう骨灰を扱う
特定業者に引き取ってもらうことになります。
産業廃棄物みたいなもんですね。

引き取られた骨灰は未燃物を完全に焼きつくすまで
再び焼却され、金属片やガラス(棺おけに入れた副葬品
が主です)を取り除いたあと粉砕機にかけられます。

粉砕機も2種類あって、回転体の中に金属球をいれて
粉砕するもの(ミキサー車みたいなイメージです)と
櫛の歯のような金属の噛み合わせで粉砕する
ハンマミルというものがあります。
骨灰はこういった粉砕機で顆粒状に加工されます。

顆粒状になった骨灰は丁重に祭祀が行われた後
大きな穴に埋められることになります。
その場所にはゆたかな草花や木が茂るそうで
不思議な静寂に包まれている・・・のだそうです。
(カルシウムとリンですもんね、栄養たっぷり!)

というのが拾骨後の骨灰の処理の流れですが
引取り業者が途中で肥料の業者に渡したりすることも
考えられるし、なんともいえませんよね。

あと、ご埋法もこれといって罰則はなく
生活習慣が優先されてしまうので、イレギュラーも
いっぱいあると思います。

GAiNAさん、勝手に補足してごめんなさい(涙)
一般的な拾骨後の骨灰の行方を知ってもらいたかったので
つい、長々と余計なカキコしてしまいました。








 No.:232   GAiNA  - 2006/08/02(水) 19:20
ショック受けた、お骨のはなし。
そうですか。
蚊に攻撃されやすいのはO型とは、
道理で、よく刺されるな と思っていました。

北陸地方との記憶がありますが、
ある家の家族だけが、蚊に刺されないらしいのです。
これには、弘法大師が関っていると。
蚊に刺されないことまで、弘法大師が登場するとは
弘法大師は凄いです。驚きです。

残ったお骨は、地方によって違うようですが・・・。
草木類の混合肥料にするため、業者が引き取りに来るところもあります。
何処とは言えませんが、
親父が逝ったときに、その話を聞いてショックを受けたことがありました。

 No.:231   おりょう  - 2006/08/02(水) 19:02
残りは・・・・
枯れ木に花を咲かせるみたいな、何かにまぜて肥料にするんじゃないでしょうか。(^_^;)

友達の旦那さんが借金して自己破産してブラックリストにのったものだから、就職出来なくてやっと見つけて
きたのが葬儀屋さんでした。夜中、車で死体一人で運ばされて恐いとかいってました。

「雲州皿屋敷」「番町皿屋敷」「播州皿屋敷」などの怪談の話は全国共通したものがあって、だいたい、お菊
という女性が井に身投げするんですけれども、井戸というのは、この世とあの世の出入り口で幽霊が出てくる
ことが多という民間伝承みたいなものがあるらしい。
皿というのはサラ地という空き地のことで、そこに屋敷を建てると長続きしないそうです。
皿屋敷の話は、空き地で土地柄の悪い場所に屋敷を建てると祟りや怨霊が出てよからぬ事がおこることが多い。
お菊が皿の数をかぞえるのですが、これはあとからつけくわえられたものだそうです。
この皿屋敷という土地は全国に多いそうです。
お菊という名も、だいたい不幸の代表的な名で、お菊という名の女性が嫁に来ると、名前を変更させるといっ
たところもあるんだそうです。

 No.:230   ヤゾー  - 2006/08/02(水) 17:43
ううう蚊が憎い
みなさん こんばんわ

死体を扱うバイトの話って
世代を超えて広い範囲で存在するんですね。

さっき山小屋の周りを少し草刈したら
五箇所以上蚊に噛まれました。
なんか腹がたちます。
なんでもO型が一番蚊に噛まれやすいとかで
原因はまだはっきりとはわかってないと聞きます。
O型は大らかなので 蚊が留まっても気が付かないとかも言われているみたいですが
それじゃまるで鈍感みたいな
そんなん嬉しないわいと言いたいです。

つい最近 中国で狂犬病予防のために
犬を五万匹殺したとどこかで読みました。
散歩中に飼い主が家族同然だからと懇願しても
目の前で殴り殺されたりもしたそうです。
恐ろしいというか腹立たしいです。

残ったお骨は 多くの場合はまとめて埋葬するみたいですが
どこまでちゃんとしているのか疑わしいかも知れませんね。
熊野地方の一部では 一日かけて火葬したお骨は
すべて持ち帰ると聞いたことがあります。
どうするのでしょうね。

 No.:229   yoshiko  - 2006/08/02(水) 17:19
残りは・・・
産業廃棄物でしたっけ?
虎の方が立派ですね(笑)
動物は燃えるゴミだったような・・・

おりょうさん、井戸のお話って面白そう〜
もし、ご存知なら是非、お聞かせください^^

じげもんさん、ランチタイム直前に
ご紹介のブログ、読みました!
豚の生姜焼き定食、食べちゃいました^^

孔子さまの一番の大好物は人肉の塩漬けだったそうです。



 No.:228   GAiNA  - 2006/08/02(水) 16:42
この世は、いろいろあります。
私も若い頃に、
知り合いがいた関東のある大学病院から声を掛けられました。
じげもんさんの書き込みにもあるように、
解剖実習に使用するのが、主な目的ということでした。
毎日というわけでなく、1週間に1日くらいで、
今で言うと、一日10万円を切るくらいの報酬だった記憶があります。
断りましたけど・・・。

ところで、火葬しますね。
お骨の拾い上げは、一部だけですね。
残りのお骨と灰は、どうなると思いますか?
虎は死して皮残すと言いますが、さて人間は?

 No.:227   じげもん  - 2006/08/02(水) 10:24
死体沈め
「死体沈めのアルバイト」は私も都市伝説かと思っていたら、
最近、実際にやったことのある人の話しを聞きました。
一晩中、浮いてくる遺体を沈めるというわけではなく、
翌日の解剖実習に使う遺体の用意とかもあったそうです。
ただ、ときおり人魂が飛ぶのは不気味だったとか。

下記ブログ、強烈です。
http://blog.goo.ne.jp/clean110/

 No.:226   こうへい  - 2006/08/01(火) 20:02
都市伝説
って、とても面白いですね。
中には、恐いのもありますね(◎-◎;)
気を付けようっと・・

 No.:225   おりょう  - 2006/08/01(火) 19:17
霊界
ゴミ捨て場に調理したあとの子供の骨が捨てられていたと、つい最近の中国のニュース読みましたよ。

日本でも、都合の悪い歴史は封印してしまいますが、貝塚から人間の骨がいっぱいでてきたらしいです。
明治の頃には野口男三郎の人肉事件とかありましたが、人肉は薬だったようで、首切り朝右衛門は「あ
さうぇむ丸」という薬を死刑人の肝臓などからつくっていたといいます。
持っていないんですが、礫川全次「人食いの民俗学」という本があります。6650円

都市伝説面白いページですね。

ここは霊界につながっている人多いですね。
井戸なんかも霊界の入口らしいですよ。



 No.:224   PIKKI  - 2006/08/01(火) 13:27
そういえば僕の学生時代にー
URLhttp://members.goo.ne.jp/home/pikkibikki
大学のアルバイト掲示板でホルマリン漬けの死体を扱うバイト募集をみた記憶が。
バイト料は高かったし、一度やってみたかったのですが・・短期だったので断念。

葬儀社の知人の話では、遺体の死化粧や拭いてあげたり・・が大変らしいです。
ここいら辺では土葬以外にも、まだまだ野焼きが盛んなそうです。
土葬等は地方毎の法律次第らしいです。

それと最近驚きなのはーペットの葬儀・集骨等の方が人間様のよりも、高くて豪勢らしいことです。
開高健の「最後の晩餐」を読んでいたら・・「飛ぶものは飛行機以外、地上のものは机以外、人間は両親以外を食べる」と言われてきた食の本場広州あたりではペットは皆無だそうです。
唐時代以来、人間も堂々と市場で四足の羊としてぶら下げられて売られていたとか。
現在の国が成立するまでは、中華料理のメニューにもあったと聞いた覚えが・・
ナチスの生体実験や髪の毛さえも織物等への利用・・とても興味深い本です。

 No.:223   yoshiko  - 2006/08/01(火) 11:54
都市伝説
こうへいさんもツトッコさんもいろんなネタ持ってますねえ〜!
今なら、ツトッコさんが墓石入りのお守りを買ったの
わかるような気がします^^

死体沈めのアルバイトって
大江健三郎の小説がモチーフになった都市伝説だという
話を聞いた事があります。
↓の「死体洗い」の所にその話が出てます
http://www5d.biglobe.ne.jp/~DD2/Rumor/ito.htm#13

都市伝説、怪しげで大好きです♪
いかにも嘘ってものから
みんなが真実だと何の疑いもなく信じていることまで
なんでもアリで面白い!

新薬の実験はよく募集してますよ。
チラシ入ってきます。
高血圧、花粉症の人を対象にした簡単なモノですが。
(それでも謝礼5万〜7万円!)

あと、薬屋の友人が製薬会社から頼まれたからと
よく人を募ってました(最近言ってこないけど)
高額なものは30万くらい。
私も頼まれてごく簡単なヤツ、引き受けたことあります。
謝礼4000円でした^^




 No.:222   こうへい  - 2006/08/01(火) 09:21
玄関で呼ぶ声
去年の話ですが、
玄関で、こんにちはって声がする。
出てみると誰も居ない。
玄関の戸を開ける音がして、こんにちはって声がする。
表に出て追っかけましたが、人影が見えない。
毎日、多いときは一日に3回くらいの時がありました。
戸が開いたら音が鳴るやつをホームセンターで買って付けたほどです。
この声は、母親も聞いてます。
でも、良くわからないのは、声の中に、隣のおばさんの「○○さ〜ん、おはようさん」がいくつかあったことです。
はっきりと、そのおばさんの声なんですが、出てみるとやっぱり居ませんでした。
声がして、すぐ飛び出したこともあるんですが。

 No.:221   こうへい  - 2006/08/01(火) 09:08
恐いアルバイト
おりょうさん
本当にあった話なんですね。
全国的にあるうわさ話ってことで片づけてました。ありがとうございます。
薬の実験台の話もありましたねえ。

事務所の一階のコンピューター室で、パソコンの修理なんかしてたときなんですが、
コンピュータ室の自動ドアを背中にして、日誌を書いてたときです。
自動ドアあたりからスリッパの足音がして、ボクの横でとまりました。
「残業かい?」って言おうとしたら誰も居ない。
あれ、気のせいか?
で、また日誌に目を落としたら、ボクの横から出口のドアまでスリッパの足音だけが歩いて行きました。

 No.:220   おりょう  - 2006/07/31(月) 22:32
足音
御父さん、息子さんが心残りだったんでしょうね。
病院のスリッパの音パタパタってわかるような気がします。
ツトッコさんも霊感強いですね。


こうへいさん
恐いアルバイト、友達の話によると大阪出身のある女優さんが、このアルバイトをしてそのお金で海外旅行した
んだそうです。勇気あるねぇーなんていって笑いましたけど。テレビでしゃべっていたんじゃないでしょうか。
今、あるかどうかわかりませんが、新薬の実験台、熱海なんかのホテルで泊まりがけで、これもいいバイトとか。



 No.:219   ツトッコ  - 2006/07/31(月) 21:48
足音
今から20年ほど前の学生時代、京都太秦の映画村の近くの友人のアパートでの話しです。

その友人の部屋は4階の13号室で部屋番号も413号室のいう正に縁起の悪そうな部屋でした。
その部屋に泊まると、いつも悪夢にうなされてたんですが、夜遊びに行くと帰るのが面倒くさくなって結局いつも泊まっていきました。そんなある夜、1時を過ぎたあたりでそろそろ寝るかとゆうことになり、入り口のドアの横に私がその奥に友人の順番で横になりました。友人はしばらくするとすぐに寝入ってしまったんですが私は寝るとまた悪夢にうなされるのかと思うとなかなか寝付けませんでした。時計を見ると夜中の2時ぐらいだったとおもうですが、一階から階段をスリッパで「パタパタパタ」と走って上がってから廊下を友人の部屋の前まで走ってくる音が聞こえます。ドアの前には誰かが立っている気配があるんですが、たぶん前の部屋の人が帰ってきたんだなと思いこむことにしました。
それから5分位してからまた、「パタパタパタ」と駆け上がって来る音が聞こえドアの前で止まりました。それからは5分か10分おきに駆け上がってくるスリッパの音が聞こえてドアの前で音が止まります。ドアの向こうには心なしか息ずかいが聞こえ、誰かが立っている気配があります。
手を伸ばせばドアに触れることができる距離で横になっていたんすが、ドアの外にいるのは絶対に人ではないと思ったので怖くでドアをあけることはできませんでした。なぜなら、階段を上がってくる音はするのに、下るときの音は一切しないのです。そんなことが朝の四時くらいまで続いてその後その足音はしなくなったので、朝の五時ころには寝ている友人には黙って下宿に帰りました。

それから、しばらくの間その友人とは学校でも顔を合わせなくなり、3週間ぐらいして久しぶりに顔を合わせたときに、その時の恐怖体験を友人に語りました。友人は私の話を聞いたあと「しばらく学校に来なかったのは、父親が亡くなって実家に帰っていた。」と言いました。亡くなったのは正にその足音を聞いた朝の4時頃でその前2時間位危篤状態が続いたみたいです。

今から考えると、亡くなった親父さんは息子に知らせにアパート着たけれど、ドアの横に寝ているのは見知らぬ男だから何度も部屋を確かめるために上ってきたんだと思います。そう思うと今でも親父さんにはとても申し訳ないきがします。それと普通は土足で歩く階段と廊下でスリッパの音がしたのは病院のスリッパの音なんじゃないかと思っています。

 No.:218   こうへい  - 2006/07/31(月) 21:39
恐いアルバイト
みなさんこんばんわ

恐いアルバイトの話、ボクの高校の時にもありましたよ。
やっぱり医大で、浮いてくる死体を沈める仕事。
アルバイト料、半分で良いから2人でやろうよ・・って言ったら、いや、一人でないとダメらしいよとのこと。
九州、四国の人に聞いたけど、結構全国的にあるみたいですよ、この話。
でも、実際にやった人は、いないとか?

 No.:217   おりょう  - 2006/07/31(月) 20:06
無題
yoshiko さんの「恐い話」から盛り上がって、それぞれの体験話面白いです。

PIKKI さんしばらくです。
カラスは霊鳥とか凶鳥とかいわれていますが、過去に、ある家の屋根にカラスが多数とまっていて騒いでいたので、今日は嫌にカラスが多く騒いでどうしたんだろうと思っていますと、翌日その家からお葬式を出している、こうした光景三回目撃しています。カラスの死人に対する嗅覚には驚きですが、どうしてカラスにわかるんだろうと不思議です。そんなもの俗信だという人もおりますが。

お葬式にもいろいろ儀式があったりしますね。茶碗に盛り上げたご飯に箸一本立てたり、地方によっては家族の人数分の箸を立てるところもあるらしいですが、なぜそうするのかわかりません。水を供えることなども魂に関係することなんでしょうね。

夢というのは不思議ですね。人間が眠っているときは、現在、過去、未来にまで意識のわくが広がり、目がさめているときは現在だけであるが、眠りに落ちると自分という意識を失い、EPS(テレパシー、透視、念力、予知)能力が働き出し四次元の世界が見られるようになるんだそうです。

恐いアルバイト
ある大学病院で解剖用の死体を大風呂のようなところにホルマリンづけにしてあるそうです。で、そのホルマリンづけの死体浮きますので、長〜い竿でときにはつついて沈めなければならないそうです、夜中、その竿をもって死体の番を
するアルバイト高額なんだそうです。やりたいですか?なんちゃって友達から聞いた話です。

棺桶の中の人の話ですが、焼き場に出るところで蘇生したんです。あんまり恐くなかったですね。すみません、おどかそうとおもいまして。




 

 No.:216   ヤゾー  - 2006/07/31(月) 19:17
蘇り
みなさん こんばんわ

田舎では 死人が蘇ったという話はわりと多いみたいです。
亡くなった祖父から 火葬にされている最中に
熱いと言って棺おけから飛び出してきた人の話を
小さいころに何度も聞かされました。
田舎では数十年前まで 三昧という場所で
自分たち隣組で 火葬することも多かったみたいですが
なかには名人と呼ばれる人もいて
酒とツマミを持たせておけば 一人で一晩中上手に焼いてくれたそうです。
熊野地方の一部では 今でも一日かけて火葬するところがあるみたいです。


ツトッコさんの夢の話は 深く美しいものを感じさせてくれますね。
むかし見た アウトオンアリムだったかな?
幽体離脱して青く美しい地球を眺めるシーンを思い出してしまいました。

宮崎の山奥出身の祖母の一族は なぜか0型しかいません。

少し前に偶然NHKで菅野茂さんのドキュメンタリーを見ました。
よかったです。

 No.:215   yoshiko  - 2006/07/31(月) 11:44
おはようございます
おりょうさん、胸にしまって置いたら身体に悪いと私も思います(笑)
続き、聞きたいです!

血液型の話、興味深いですね〜。
0型はどんな血液型の人にでも輸血できるっていいますよね。
原型だからなのでしょうか?

どうでもいい話ですが
私が「素敵やな〜」と思う人は何故か殆どが0型です。
かなりの確率で0型なんですよ、不思議!
私はA型です(エーかげんのAです^^)

そういえば、お化け(もののけ?)に遭遇してる人
0型に多いかもしれません。
ツアコンの友人も0型です。

血液型といい、古い言伝えや風習といい
何か深い意味がありそう!

ツトッコさん、不思議な夢ですね!
たんに「故人が夢に現れた」というだけで
片付けるには、あまりにも意味深な・・・
膝、お大事になさってくださいね^^

「ふわふわのくに」、泣かされてしまったので
悔しくて、同僚にURLを送りつけました。
しばらくして、横向いたら同僚も泣いてました。
その姿をみて、彼女がこの春に愛犬を亡くしたことを
思い出しました。
悪い事しちゃいました(涙)


 No.:214   PIKKI  - 2006/07/31(月) 01:25
みなさんこんばんは
URLhttp://members.goo.ne.jp/home/pikkibikki
O型からA型が生まれ、そしてB型、最後にAB型が生まれたらしいです。
同様に女性から男性が分化してきたらしいので、女性の方が超能力があるような気がするのですが・・
僕の母親の場合は、臨死体験の後に火の玉や死者が見えたり・・
カラスが「お姉さんが亡くなった」よと言っていたら・・死の知らせが届いたりしたのですが。
アイヌ民族では別に珍しいことではなく、昔の人々はほとんどがカラス等の言葉を理解できたみたいです。
藤村さんという北海道教育大学のアイヌ研究の第一人者の本を読むと。

ここいら辺ではまだ土葬も多いのですが・・
僕は、日本の火葬は仏陀の最初の弟子が拝火京都集団だったところからきてると思うのですが・・
日本のお通夜や葬儀や告別式は、色んなものがごっちゃになってるのではと思う。
守り刀や剃刀を棺に入れるというのは、この世への未練を断ち切るためとか言われてるけど・・
もっと違う意味があるんではないかなと思う。

 No.:213   こうへい  - 2006/07/30(日) 13:43
お通夜

生きかえったら悪いので、一晩置いておくのがお通夜って聞いたことがありますが・・

おりょうさん、胸にしまって置いたら身体に悪いです(^-^)

話してくだされ・・・

 No.:212   おりょう  - 2006/07/30(日) 02:51
O型
ツトッコさんの夢は青い地球でした。ごめんなさい。

O型は感性鋭いのでしょうか。

寝そびれてしまいましたのでもうひとつ恐い話
医学が発達していない昔は仮死状態で葬式されてしまい、棺桶のなかで息を吹き返したというような話が
実際にあるんです。この話の続きは恐いのでやめます。

 No.:211   ya(・ε^)na  - 2006/07/30(日) 00:24
美しい青空・・
おりょうさん・・おおきに・
  へへ・・あほですよって・・
  長生きさせてもらいますよぅ・・

 今日何年ぶりで広島のいとこにあいました・・
   そのいとこも神がかった奴で・何度も金縛りに合うそうで
    掲示板の話しますとえらく・・盛り上がりました・・
   彼女自身、私と同じような経験があったそうで・人に信じてもらえずに悩んでいたそうです
     家族の中でそんな経験するのは彼女だけ・・家族の中で血液型0型は彼女だけ・・
  ほんでから・・私の家族でお0型は私だけ・・そいで持ってそんな経験の多いのも私だけなんよね
   なぜか血液型の0型にポイントがあるみたい・・・へへへ
 

 No.:210   おりょう  - 2006/07/29(土) 23:17
美しい青い空
ほんと、いろいろ不思議な話多いですね。
ウオノメで知らせるなんて初めて知りました。

ツトッコさん膝がお惡かったんですね。お大事に。
亡くなられた人が夢にあらわれるって不思議ですね。
柳田國男さんの「廣遠野談」に似たような話載っています。
遠野物語の佐々木さんの娘さんが21歳で亡くなられたそうですが、もう末期も近く始終手をすって、なに
か尊いまぼろしでもみているような状態であった。そんな折、弟さんが、昨晩姉さんがモダンななりをして
歩いているところを夢に見たといった。すなわち解脱の時であったそうです。ご臨終の後先にもいろいろ不
思議なことがあったといいます。
その後父親の方が三つの夢を見たそうです。その三つの夢とは、三十日の祭の前夜には、磐石の聳え立つ山
の中腹を、この少女が行き巡って、路をもとめるらしき姿を見た。四十日の前夜には、青空が照り輝いて、
なんともいえぬほど朗らかな中を、ただ一人宙を踏んで行くのを見た。その時どこからともなく追分節の、
長々とした歌の声が聞こえて、その歌に合わせて歩んでいたそうです。五十日に近い頃は、もう一度同じよ
うな美しい青空の下に、長い橋の上で亡き娘に行き逢うた。「今、おまえは何処にいるんだ」と声かけたら
「早池峰の山の上にいます」と答えを聞いたあと夢が醒めたそうです。
その後、この追分節の不思議についていろいろ書いておられます。
この夢のお話とツトッコさんのお話、美しい青空が一致していて不思議ですね。

ふわふわ可愛かったです。

やなさんも長生きしますね。

 No.:209   GAiNA  - 2006/07/29(土) 01:09
無題
みなさん、こんばんは。
みなさんは、いろいろな体験をされているんですね。

人は亡くなって、その魂は四十九日間、自宅の天井の隅にいると言います。
その間に、いろいろな体験をすることが多いと・・・。

ムシの知らせというのがありますが、
私が小学校の3年生の時に、足の内側・踵に近いところに
突然、直径3cm程のウオノメが出ました。
痛くも痒くもなく、全く気がつきませんでしたが、
母親がそれを見つけ、顔色を変えました。
「おじいちゃんが、危ない」そう言って、次の朝に実家(志摩)に向いました。
そして、臨終に間に合ったことを鮮明に覚えています。
以前から、体が弱っていることは耳に入っていたようですが・・・。

後になって、母親から聞かされました。
親族の足の内側に、ウオノメなどが出ると肉親に不幸があると・・・。
ある一部の地方だけの言い伝えかも知れません。

 No.:208   ya(・ε^)na  - 2006/07/28(金) 23:42
かえりなさい・・
みなさんこんばんわ・・
 私もそんな経験がありますよぅ・・
もうずいぶんと昔・・・
  まだコタツに練炭つこてました・・
 そのコタツの中に頭まですっぽりかぶって眠ってしまいました・・
その時に見た夢・・
  死んだばあちゃん(母方)が出てきて・・「お前まだこっちにきたらあかん・・」
 「なんでやねん!!・・」・って言いましたら
 「何でもええからこっちにきたらあかん」って・・
    大きな門の前で言われたことはっきり覚えてました
  目が覚めたとき・・頭がガンガンしてました・・
   一酸化炭素中毒なんて事知らない頃の話・・

それから十数年たってから・・
 今度は父方の祖母が・・
     それと同じ夢またみました・・

  その話をみんなにしたとき・・「お前は守られてるんや!」「よかったなぁ」
     て・・
 わたしは天邪鬼やから・・そんなことも思わず自分の思うままにきたけど・・
  このごろ
  私もなんとなくそおなんやないやろか?・って思えてきました


  

 No.:207   ツトッコ  - 2006/07/28(金) 22:38
死後の世界
長らく調子の悪かった膝も大分よくなったので、7月中はリハビリを兼ねて山登りに行ってました。

桜井市の三輪山を初めに、大峯の山上ケ岳、山形の羽黒山、月山から湯殿山と霊山といわれる山ばかりの登山となりました。大峯の西の覗や湯殿山では死と再生を強く意識し、あることを思い出しました。

昔、高校卒業間近に心筋梗塞で突然亡くなった恩師が死後数日してから夢に出てきて、自分が死んでからのことを語りました。自分が死んでベットの上の自分の死体を病室の上から見ていたこと。自分の葬式を祭壇の横から見ていて、誰々が葬式に来ていて、周りの人に話しかけても誰も気づいてくれないこと。最後には一緒に連れられて黒いトンネルのようなものを抜けた時には足元には真っ青な地球が見え、周りには曼荼羅のように透明な円形のカプセルのような物に入った仏が沢山宙を漂っていました。それから「自分はこれから先に進むが、お前はこれより先には進めないから戻りなさい。」と言われたところで目が覚めました。目が覚めた時には死者のように手を胸の上で組んでいました。夢にしては記憶がはっきりと残っているしあの時の地球の青さだけは今でも忘れられません。

 No.:206   ヤゾー  - 2006/07/28(金) 22:17
死後の世界
みなさん こんばんわ
昨日から用事で山小屋を留守にしてます。

yoshikoさん ありがとうございます。
天気は良くなりましたが
いきなり暑くて 少し参ってます。

死後の世界をFLASHで表現したページですが
これなかなかじ〜んとくるものがあります。
にゃんこがかわいいです。

ふわふわのくに
http://www.geocities.jp/urya_com/fwafwa.html

 No.:205   こうへい  - 2006/07/28(金) 21:13
そういえば・・
オジサンが(オヤジの弟)病院で危篤になって、親戚が病室に集まりました。
で、亡くなりました。
で、生きかえりました。

長くて赤い欄干があってなあ、そこを渡って行くんやけど、向こうに寺みたいなのが見えてくるんや。
その、門みたいな建物は金色でな、柱も屋根も金色や。
近づいていくと、人が門の前に立ってる。
近づいていくとな、戦争で死んだ兄貴や。
何にも言わんとこっち見てる。
顔ははっきり見えた。
それだけ憶えてるなあ・・

 って、オジサンが後日話してくれました。

 No.:204   おりょう  - 2006/07/28(金) 18:34
死後の世界はあるか?
やなさんは山男だけあって、山での体験多いですね。
霊界と波長があうんですね。
恐山の山守の話も「幽霊が出るのはウソだというども、オレは現に何回も見ているんだからナァ。絶対あるも
んだと思っている。
目とか、頬のあたりから口へかけて気味悪いもんだナァ。人さ向って絶対正面むいて立つもんでないナァ、ハ
ッとおもって見れば、顔だけサッと下げて反対側をみるんだ。オレの目をそらすんだナァ。オヤッと思って見
直せば、さっき話たように上と下から消えて玉になって見えなくなるんだ。玉の大きさも両手で包むくらいの
玉に見えるナァ」
よく「追分」のような節まわしの唄がきこえるんだそうです。これは柳田國男さんも書いておられました。


死後の世界は存在するのか?
近似死体験した多くの人が死ぬ瞬間、自分が白いもやの中をどんどん上昇し、暗いトンネルのようなところを
通り抜ると、映画「フランダースの犬」の最後のシーンのような、あの輝くような柔らかい光につつまれる。
それは絶対的な愛情と安らぎに満ち溢れた至福感だそうです。
その柔らかい光の先の入口で現実の生活の気がかりな事が頭をよぎり蘇生するようです。また、光の入口では
先に死んだ人に出会い「帰りなさい!」と追い帰された近似死体験者もいるといいます。
このような死後の世界をかいま見たと信じている人が結構多いようですね。
上記の山守の人も「やっぱり怨霊というか人魂というか、出るのは本当だナァ。数年前交通事故にあって人事
不省であったときに、大男がいて「来るな来るな戻れ戻れ」と大きい声でどなるんだォナ。「わかった」と言
おうとして声がでないんだ。そして気づいだら病院にいたんだォナー。院長にあんた長生きしますョ」と言わ
れたんぞな」

蒸し暑いですね。こんな夜はきっと・・・・。牛三つ時に・・・・。

 No.:203   yoshiko  - 2006/07/28(金) 12:01
晴天ですね!
雨、上がりましたね^^
ヤゾーさん、何事もなくてよかったです!

ヤナさん、回答ありがとうございます^^
学生の頃、何かの授業で「神とは?」みたいな講義があって
「神」の種類を幾つかに分類して話が進められたのですが
その時に「自然」というのと「人格神」のがありました。
「自然」は自然=神
「人格神」はよくある白いひげを生やしたりした
人間のカタチをした人格を持っている神様です。
ヤナさんのカキコを読んでいて何故か思い出してしまいました。

これは私のイメージですが
「想いの物質」のような物があって
これをキャッチすると「もののけ」や「幽霊」に遭遇した
ということになるような気がします。
「物質」というより「電波」という方がぴったりかなあ〜
「念」っていうのかもしれませんが・・・
「電波」って見えなくてもちゃんと存在してますよね^^

なんとなく相手の思惑がわかるときってありますよね。
それまでの経験で推測することもできますが
そうじゃない、勘のようなものでピンと来る事・・・
それって相手から「想いの物質」が発生しているから
じゃないかなって思ってしまいます。

人間も自然の一部だと考えると
もののけも幽霊もどちらも同じ自然現象なのかも^^

おりょうさんのおっしゃるように
「幽霊=怖い」というのは作られてたイメージで
本当はそんなに怖いものではないのかもしれませんね。
怖いか怖くないかは、受け手側の問題ですかね。

まあ、本当はこんなにも単純なことではないと思いますが
私の中ではこんなイメージです^^

脈絡もなくヘンなこと書いちゃったかも。
ごめんなさーい(汗)

 No.:202   ya(・ε^)na  - 2006/07/27(木) 00:00
もののけ・・
何やわから変書き込みですんません・・
  幽霊って言うのんは・・人間の精神的なもので
   もののけは自然界の変異てきなんとちゃいますやろかぁ・・
受ける自分にとってはおんなじでおますねんけれどもね・・

   以前槍沢を下った時のことです・・
 その年も今年みたいに、梅雨が明けるのが遅かったそんな年でした
    坊主の岩小屋を過ぎてだらだらと下っていました
 下の方に赤い屋根の小屋が見えてきました・・
槍沢の小屋やなぁって思いその足を速めた・・・・
    遠く男女がボール遊びでもしてるのであろうか・・
  楽しげな声が聞こえる・・
    なんて楽しげなのだろう・・さらにその声は大きく聞こえた・・
     小屋まであと数十メートル・・その茂みを回れば小屋だ!!
 その茂みを回った・・
  確かに回った・・
    なのに・・・・
 何もない!!・・・
    あの楽しげな声はなんだったのか・・・・
  そこには・・小屋の基礎だけしかない・・・
     悪寒がはしる・・・・・・
         ・・・・・・・・・・
                     ・・・・
                           ・・・・・・・
  言葉は・・なかった・・
  まただぁ・・・・・・・
        そこからしばらくしたところに新しい小屋があった・・
       こんなことがあったと話すと・・
              よくあることだと言われた・・

 以前になだれでその小屋は流されて多くの人が亡くなられたとのことだった・・

      そのことを思うとき・・
           そのときの声が思い起こされる・・
           その声が決まって・・男の人の声だ・・
    楽しそうな・・そんな声なんよね

 No.:201   おりょう  - 2006/07/26(水) 19:11
あれは幽霊だったんだ!
GAiNA さんのお話は、「後になって思うにあれは幽霊だったんだ」と思えるような出来事に遭遇したと
いうことでしょうか。きっと身体から魂が離れたばかりの状態だったんですね。
遠方から友人が尋ねてきてくれたんだけど、なにか淋しげで友人が帰ってからも、後ろ髪引かれるおもいで
気になって先方に電話を入れたら、丁度その時刻に亡くなっていたというようなことをよく聞きます。これ
も、「あれは幽霊だったんだ」と後で気がついたりすることが多いみたいです。
怨霊とかトリツクとか、お芝居の世界から幽霊を誤解していて、本当はそれほど恐くないのかもしれない。

yoshikoさん
職場の人、沖縄の人がいますが「僕ら、子供のころ髑髏とか人間の骨ごろごろころがっていて、髑髏なんか
ボール代わりにして蹴って遊んでいたよ」とききました。骨がごろごろしているのが見慣れた風景、これが
沖縄 だったそうです。
第3次が始まったといわれていますが、イスラエルも早く終息してくれるよう祈りたいです。 

 No.:200   yoshiko  - 2006/07/26(水) 11:30
観光地
何回もスミマセン

以前、怖い話を教えてくれたツアコンの友人に
「観光地でここはヤバイってとこある〜?」
と質問したところ
「日本国内なら沖縄の旧海軍司令部壕」という回答が
返ってきました。

戦跡を観光地と言うとちょっと不謹慎ですね。
沖縄の戦跡といえば、糸満のひめゆりの塔などの
南部戦跡が有名どころですが
豊見城市の旧海軍司令部壕は南部戦跡とはまた違った
雰囲気で、足を踏み入れたとき一瞬
血とアンモニアと硝煙が混ざったような臭いが
したような気がしました。

南部戦跡周辺も今では普通の住宅が
建ち並んでいますが、所々、住宅が歯抜けで
空き地になっている場所があったりします。
そういう土地は戦争で全滅してしまった家の
土地なのだそうです。
戦争は怖ろしいですね・・・




 No.:199   yoshiko  - 2006/07/26(水) 09:56
いろいろですね・・・!
金縛りの経験のある方、多いんですね〜!
ヤナさんの金縛りのお話、江戸川乱歩の小説みたいで
なんか不思議な雰囲気のお話ですね。
ヤゾーさんの金縛り、どうしてお友達に伝染したんでしょうか?
面白いです。
「エクソシスト」って後味の悪い映画ですよね!

おりょうさんの職場はユーレイが出没するんですね。
うちの職場もなんですよ!
高層ビルの20階で、あまりユーレイがでそうな
雰囲気じゃあないのに。
そういえば、歯の抜ける夢ってストレスがMaxのときにも
見るらしいです。

GAINAさんの体験、怖いですね!
死亡事故の現場に居合わせただけでも
おっかないのに、そこでユーレイらしきものを
目撃してしまったら・・・
想像しただけで、ゾゾーっとしてしまいました(涙)
それ以来、影がみえるようになったっていうのも
現在進行形で怖いです。

みなさんの怖い話、本当に面白いです^^
怖いくせに聞きたがりなんです(汗)
でも、誰かさんと違って寝る時は真っ暗にしてますよお
ねぇ、こうへいさん(笑)

ヤナさん、「幽霊」と「もののけ」の違いってなんですか〜?

 No.:198   GAiNA  - 2006/07/26(水) 00:48
もう一つ
ご無沙汰しています。

霊が見えるとか言いますが、私は見えない方です。
この見えない私が・・・・・

いまから、5・6年前の秋・夜12時頃のことです。
国道19号の岐阜県でも愛知県に近い、
土岐市と多治見市の境を名古屋方面に向って走っていたときのこと。
歩道を黒い影(実際の人より一回り大きい)が歩道をふざけながら若い二人が歩いているのです。
ちょうど高架の部分で、商店も家も無く、昼間でも歩いている人を見かけない箇所です。
そこを、ふざけながら・・・。おかしいなあと思ったのですが・・・
そのまま、2分くらい走り続けました。
多治見市に入る手前の峠を越え、下り道に・・・。
その向こうに、黒い車体のシルビアが横転して、白い蒸気を上げていました。
中に若い男性二人が取り残されて・・・。
通りかかった車の人と助けるにも酷い壊れ方でどうしようもありませんでした。
他の車から110番、パトカー、救急車が駆けつけたましたが、
すでに息絶えていました。
手前で見た黒い影と同じ髪型、体型なのです。

あの影は何だったのだろうか?
事故現場から、その箇所まで歩いて行く時間と事故の時間が符号するのです。
いまも思うのですが・・・不思議な感覚でした。

それ以来、ときどき黒い影を見ます。
ところが、改めて見てみると誰もいません。

 No.:197   こうへい  - 2006/07/25(火) 19:59
ん?
 
 だれのことかな?

 No.:196   ヤゾー  - 2006/07/25(火) 19:50
金縛り
みなさん こんばんわ

13〜14歳ころに よく金縛りに襲われました。
自分の場合は 目も開かず 勿論体も動かすこともできず
夜寝るのが恐くて ノイローゼ状態にまでなったことがあります。
強烈なのは エクソシストの映画のように
天井の近くまで体が浮いて くるくる回されているような感覚に襲われたこともありました。
当時仲良しだった友達二人に相談すると またまた嘘ついてと信じてもらえませんでしたが
不思議なことに 金縛りが伝染するのか それぞれ現象が違うものの
ひとりは目を開いたままの状態で金縛りに襲われ 体が浮いたような感覚がしたと思ったら
部屋の電灯の小さな赤い電球が目の前に迫ってきたり
もうひとりは金縛り状態で コタツの上で小さな女の子が踊っているのを見たそうです。
エクソシストの映画の影響か 当時はキリストに頼るしかないと考え
離れた町にあった教会で聖書と十字架を手に入れ なんとなく収まったような気がします。
あれは単に思春期の不安定な精神が起こしたものなのか 
それとも他に何か原因があったのか今でもよくわかりません。
20歳頃までは たまに金縛りに襲われましたが 殆どが精神的なものだったように思います。
しかし なかには足元から重みがかかり 胸の上に何かが乗っているような感覚があるものもあって
恐くて気が狂いそうになったこともありました。
今思い出しても 金縛りは嫌なものです。
小さな頃から 特別 霊とかに興味があったわけではありませんが
不可解なことって体験すると そういうこともあるだろうなって自然に思ってしまいます。

よい歳をしたおっさんが山小屋に泊まりにきたとき 少し恐い話をしてから そろそろ寝ましょうかと
電灯を消して真っ暗にすると 泣きそうな声で 真っ暗にせんといてくでぇと言われました。

 No.:195   おりょう  - 2006/07/25(火) 18:16
コンニャク
やなさん、金縛りと、二本の足は恐いわねー。
幽霊かどうかわかりませんが、私も親が亡くなった時、気配感じましたよ。
その夜は朝まで重苦しい空気につつまれ、なんとなく次の部屋に誰かが佇んでいるような気配があって恐くて、
とうとう朝まで電気つけて起きていました。訃報がはいったのは、そんな日の朝でした。

お化け屋敷入ったことありますが真っ暗な中、進んでいたら途中から床を踏んだ時の感触がプヨンプヨンして、
気持ち悪くて前に進めないでいたら、誰かが笑いながらコンニャクだよーと教えてくれたんで、ひぇーコンニャ
クー?なんだぁー!なんて、それから、すいすい通って外にでましたが、他に何が恐いか忘れてしまいました。
このお化け屋敷、群馬だったです。さすがコンニャクの産地と感心しました。

 No.:194   ya(・ε^)na  - 2006/07/24(月) 23:04
幽霊はいるわね・・??
幽霊はどうか知りませんが・・
  もののけはあるとおもいますよぅ・・
 あの日・・知り合いが亡くなったと聞いた前の日・・
    深夜・・やって来ました・・
     何も言わずにじっと私をみつめていました・・
   私が声を掛けると何も言わずに・・・消えていました
  あくる日・・時計が止まっていました
    ちょうどその時間に・・その人は亡くなっていました・・

  友人が亡くなった日・・枕元に二本の足があった・・
      思わず掴もうとしてめがさめた・・
           そのころ・・
             ・・・・・・・・・・・
                ・・・・・・・・・・・・・
      なぜかみんな・・別れにやってくるみたい・・


               へっへへ

 No.:193   ya(・ε^)na  - 2006/07/24(月) 22:51
こんなんは・・どないです
もう20年位前の話です・・そのころ住んでいた家の話です
 深夜・・昔で言う丑三つ時なんやろねぇ・・
その日は眠れずぼんやり天井をながめていた・・
  突然悪寒が走り・・動けなくなった・・
  かなしばりっていうんやろか・・・・
 この金縛りには何度か合ったことがある・・が
  この日の金縛りはきつかった・・・
    めは大きく見開いたまま・・耳もはっきりきこえた・・
 天井裏を人の歩く幅で一歩一歩私のほうに歩いてくる・・そしてわたしの真上で止まった
  小さな節穴があり・・そこから何かが覗いている・・
   目は見開いたままでその目と目がはっきりと合った・・・
          ・・・・・・・・・・・
           ・・・・・・・・・・
                ・・・・・・
  沈黙はつづいた・・
 突然力が抜けるように・・
    元にもどった・・・・
  やけにのどがかわいた・・

   トイレに行こうとすると・・
  何故か隣の部屋に何かの気配・・
          足が止まって動けない!
              本当に動けない!!
             この気配はただ事でない!!
       何か隣の部屋に居る!!!
     ・・・・・
            ・・・・
                 ・・・
           しばらく経って自由が利くようになった

                        

 No.:192   こうへい  - 2006/07/24(月) 21:37
サービス
3人で、京都タワーに登った。
お化け屋敷があった。
「大人3人」ってお金を差し出すと、毛むくじゃらのクマみたいな手が出てきた。
うわっ・・さっそくおどかされた。
入り口で、荷物預かりましょうっていうので、差し出したら、クマの手が出てきて・・うわっ(^0^;)
あっはっはと笑いながら、一歩踏み出したら、上から髪の毛の束が降りてきた・・うわっ

まだ、中に入っていない・・

オッサンを見ると、「サービス、サービス」と笑いながら言った。

こんな、活き活きした職場は珍しいなあ。

しっかし、恐いというスイッチは、入ろうと思った瞬間から、入ってるんだなあって思った。

 No.:191   おりょう  - 2006/07/24(月) 18:14
幽霊はいるわね。
黒猫大和は友達の受け売りでした。シリーズだったのね。聞いた時は笑っちゃった。

職場では結構幽霊が出るらしいです。4階で働いている人が、窓の外の足場もない所に女の人がいて、いつもこちらをじぃーとみつめているそうです。全然恐くないといっていました。あと夜中にエレベータが人もいないの動いていたとかあるそうです。
私は空き部屋などでドアが少し開いていたりすると、その部屋に誰かがぼーとたたずんでいるようで非常に恐いというのがあります。
今は、もう亡くなられた方ですが、江戸時代から抜けてこられたような美人の杉浦日向子さん、もとガロにおられた方
ですが、『百物語』に「訪(おとな)う気配」というのがあって、玄関先に人の気配があって出ていくとだーれもいない事がある。しかし、確かに今し方去った跡のようで、そのあたりが非常に淋しい空気がただよっている。ふと上がりくちの板を見るととりすがるような指の跡が4本づつついていることもあるそうです。これは「訪ないさん」といって
隙間の向こうにじっと佇んでいるだけで悪さはしないそうで、何でもいいから話しかけてあげるといいそうです。
『百物語』の「手の怪」は恐い。「飛騨のとある山寺の話、本堂と庫裏をつなぐ長い廊下に、夜中、赤子の手が降るという。ぽとり、と微かな音がして、睡蓮のような小さな掌がおちている。知らずにぷにゃと、しんこ餅のようなそれをふむこともあるらしい」しかし、朝には消えているそうです。

朝方に健康な奥歯がポロリと抜けた夢見て、非常に不安な気持悪い思いをしていたら、その日、親戚の人の訃報がとどきました。その後何回か奥歯の抜けた夢みましたが、何事もなかったです。でも、この奥歯が抜ける夢みると警戒します。

この「恐い話」シリーズ面白いわね(^。^)

 No.:190   こうへい  - 2006/07/24(月) 13:07
築港
 10年ほど前になりますか、夜、いつものバイク屋で3人ほどで雑談してたときです。

「まいど!!」24〜5才の女の子が入ってきました。
「ねえ、ちょっと聞いてくれるゥ?」
 で、ちょっと聞いた話です・・

 女友達と車で走ってて、暴走族に追っかけられて築港のフェリー乗り場まで逃げたんよ。
 もう大丈夫かなって思いながら堤防沿いをゆっくり走ってると、女の子が一人堤防に座ってるんやンかァ。
 ヘッドライトで見えたんやけど、こっち見てるけど乗せてくれでもなさそうなんよ。

 で、その先でUターンして戻ってきたら、もうその子が居てへん。
 フェリー乗り場から、しばらく行ったところで、
「窓のそと見たらあかんで」運転してるトモダチが突然言うんやんか。
 パッと見たら、さっきの女の子が窓にへばりついてるんやんかあ。
 うわ〜
 窓ガラス隔てて、まあはたで見た。

 逃げて、逃げて・・家まで送ってもろたけど、家の近くまでへばりついとったそうや。
 私、よう見んかったけど。

 それからすぐやったなあ、築港で女の子の水死体あがったって新聞に載ったん。
 写真、載ったけど、その子やった。
 そしたら、その近くで、白い車沈んでるン見つかって、引き上げたら、男の子が中で死んでた。
 
 車、引き上げてくれって、女の子が言いたかったんかなあ。

 で、
 
 

 No.:189   yoshiko  - 2006/07/24(月) 11:54
怖いよー
おりょうさん、それって・・・
生まれたばかりの弟にヤキモチ焼いた男の子が
お母さんのお乳に毒塗ったら、翌朝、お父さんが死んでいた・・・
という一連のあのシリーズですか?(汗)
ああ、こわー(笑)

ヤナさんのお話、どっちも怖い〜
山のお話は本当にゾッとします!
きっとヤナさん達以外にもその場所で
怖い体験してる人いるんでしょうね。
猫屋敷も面白かったです。
横溝正史の初期の怪奇耽美小説の短編で
『丹夫人の化粧台』っていうのが
あるのですが、その話を思い出しました・・・

こうへいさんの鏡の話も不気味です〜
きっと、今晩、怖い話思い出して
一人、部屋で震えてると思います(汗)
言い出しっぺのくせに、自分が怖くなるなんて
マネキンにメーキャップした人のこと笑えませんね〜

怖い話、もっと聞きたいです!

 No.:188   ya(・ε^)na  - 2006/07/23(日) 18:25
猫屋敷つづき・・です
思い出すだけでゾッッとしますがお話しますね・・
 ある時そのお姉ちゃんになぜ毎晩毎晩そんなにキツイ酒(ジン)ばかり飲むのん?って聞きました・・
そうすると実は、これを呑まないと眠れないとのことでした
 キツイ酒そんなに呑んだら身体悪くするで、やめとき!!と言いましたら
怖くて眠れない!っていうんですよ・・
  毎晩・夜中になると窓から黒い物が入ってくるんです
 そして布団の上にのっかってはがいじめにされるんですって
  そのとき、もがいてさけぶんやけど・・声にならなくて
  大声で叫んだつもりなのに・・
   もう一人は、それを見てるだけで身動きでけへんのんやそうです
 ここ以外に泊まるとこもないのでどうしようもない・・と
  その声がヨガリ声に聞こえたのでしょう

   紋付の兄ちゃんはそんな話嘘やろうとわらっ笑ってましたが・・
 何日か後に、体験したそうです・
   開いた窓から、黒い何かが入ってきて布団の上に乗ったんやてぇ
 それが大きな猫のような人間くらいの大きさやったんやそうです
  その顔は猫そのものやったんやそうです
   おもわず大声を出したのですが・声にならずうめいてるばかりなんやそうです
 初めは夢やとおもてたんやけれど・・
    それが度々ありまして・・もう我慢でけへん・・と

  その話を私達にした後・・・そのアパートから住人がいなくなりました
 阪神震災の後アパートは取り壊されましたその後
   二本立っていた木が枯れもしないのに突然倒れました
 それ以後そんな話、聞かなくなりました
    
   

 No.:187   ヤゾー  - 2006/07/23(日) 15:33
生首と過ごした男
みなさん こんにちわ
恐い話も色々あって面白いですね。

東京でアパート暮らしをしていた頃に
友達で面白い男が居ました。
粗大ゴミでマネキンが捨ててあったのを見て
これで誰かを驚かしてやろうと首だけを持ってきて
それに恐いメーキャップをしようとしていました。
数日後 どうなったのか部屋を訪ねたら
マネキンの首はありませんでした。
どうしたのか訊ねたら 友達曰く
自分でも驚くほど 恐い顔に仕上がったみたいで
夜にふとそのマネキンの首に目がいくと
なんか本物みたいで 背筋がぞーとして怖いんだよねって言うのです。
そしてずっと見つめられているような気がして どうしても見てしまうのだそうです。
結局 朝まで気になって眠れず メーキャップも元に戻して捨ててきたそうです。
人を驚かせるつもりが 自分で恐くなってアホかと笑ってやりました。
そのときに 才能って怖いよねって言った友達は 
今頃なにをしているのだろうと思ったりします。

猫屋敷の話 続きが気になります。

 No.:186   こうへい  - 2006/07/23(日) 14:52
猫屋敷?
途中で止めるのんは身体に悪いですう(^_^;

 No.:185   ya(・ε^)na  - 2006/07/23(日) 01:08
これもしたかもしれません・・猫屋敷
私のうちの前に公園があります
 以前そこには二本の大きな銀杏の木と古い家がありました
その家は・・んんんんんんんんん
 なんちゅうかねぇ・・昔のアパートでした
とても古く戦後すぐに建てたようなそんなアパートでした
  そこの住人は2・3室だけでした
その一室にはレズの女の人と・・別の部屋には紋付のヤーサンとドカチンのアンちゃんでした
その頃毎晩・・レズの部屋からなんともいえないヨガリゴエ?がきこえるとモンモンの兄ちゃんが
 話します・・
そして毎晩・・そのレズのお姉ちゃんはキツイ焼酎を買って帰っていました・・
  やっぱり止めにします
   この話は・・
なんや・・思い出すだけで・・怖くなってしまいました・・

 No.:184   ya(・ε^)na  - 2006/07/23(日) 00:42
怖い話・・
なんぼでもおますよぅ・・
 怖い話ですかぁ・・
もうしたことがあるかもしれませんが・・
  再度の場合は無視してくらはいませ・・

それは・・・ちょうど今頃、梅雨も終わる頃・・
  蝶が岳から長塀を下って徳沢の小屋に下る時でした・・
友人と二人、昼ご飯の準備にかかるころでした・・
  コンロに火をおこしていた時の事でした・・
そこは谷間で、右も左もどちらも崖でした・
  しばらくすると・・右の崖の上のほうから女5・6人のパーティーがざわざわ喋りながら降りてきます
 数十メートル上のような響きです・・
  彼女達はそれぞれ会話をかわしながら降りてきます・・
 友人と二人・・そんな声を聞きながら弁当を開きました
  それからほんの数分後・・私達はその右の絶壁を見上げました
   その声はどんどん降りてきます・・・
  二人は沈黙しました・・
   声はどんどん降りてきます・・
  ・・・・・・・・・・・
  いったい彼女達はこの絶壁のどこを・・降りてきてるのでしょう・・
  突然友人は言いました・・やばい!!!
    右から降りてきたその声がやみました・・
  しばらくの静寂の後・・今度は左の崖の上から男達の声が降りてきました

  背筋に悪寒が走りました・・
  
  二人は感じました・・やばい!!
    同時に荷物をリュックに放り込むと・・
   二人駆け出しました・・

    そうすると・・二人も後を追うように・・
 ザクザクと大勢の足音が後から追ってきました・・

  二人とも必死で歩きました・・
     途中・・・私は力尽き、膝を付きました・・すると足音はザクザクと止まりました
 友人はすでに遠くまで走り去っていました
    怖くて後ろも見れずしばらくその場にしゃがんでいました・・
 気が付くとそこは、川原でした・・
   そこに数本の立て札が立っていました・・
     そこにはずるけた写真と書き込みがありました
  「以前この近くでパーティーが遭難しました、どなたかその遺留品見つけられた方ご連絡ください」・と

     あの恐ろしさはこれまでの一番の恐怖でした・・
 友人は徳沢小屋近くまで逃げていました
   そのときに取った写真・・
       友人には足が写っていませんでした

   いかがですか・・
        これは・・嘘やおませんよ
       


 No.:183   こうへい  - 2006/07/23(日) 00:19
鏡の中
夜中に鏡の前に立つ。
で、ちょっと笑ってみる。
何回か笑ってみる。

ごくたまに、こっちが笑うの止めても、鏡の顔が笑ってることがある。
そういうときは、気を付けた方がいいよ。

トモダチはそういって帰っていった。

一度やってみたけど、それからは出来ない。

 No.:182   こうへい  - 2006/07/23(日) 00:02
恐い話?
3人で茶店に入ったら、水が4っつ来た。
なんで?って聞くと、赤いジャンパーの女の子が一緒だったでしょう?
弟から聞いた話。

4人で茶店に入ったら、水が3っつしか来なかった。
本当は、こっちの方が恐いらしいよ(^○^)

 No.:181   おりょう  - 2006/07/22(土) 18:28
恐い話あります
つい最近友達4人連れで千葉にドライブにいき楽しく遊んだ帰りのこと、私たちはすっかり遊び疲れて
おしゃべりもとぎれがちになっていました。
自動車道路は雨に濡れ、あたりの田園風景は黒々とした闇につつまれ、自動車も時折通り過ぎるだけで、
なんとなく淋しいような雰囲気でありました。そんな時に、しきりに後方の車外をみていた友達の一人
が「さっきから黒い猫がずーとついてきて離れないのよ、なんだろう?恐い!」といいます。私たちも
振返ってみて「ギョッ!」としました。しとしと雨の降るなかしきりに黒い猫がついてくるんです。背
筋が凍るような思いで目が黒猫にすいついてはなれないんです、その黒い猫の行方をおっていると、そ
の黒い猫はスーと私たちの車の前方に出てきたんです。そして走り去っていってしまったんです。
その黒い猫の正体は黒猫やまとのたっきゅうびんだんたんです。ああこわー。

 No.:180   yoshiko  - 2006/07/22(土) 14:14
納涼
こんにちわ!
蒸し蒸しベトベト不快な日が続いているので
納涼おバケ話をカキコさせてもらいます^^

ツアコンの友人が教えてくれたお話です。

添乗員は立場上、曰くつきの部屋を
あてがわれることが多いそうです。
ちょっとカンの強い人なら多少の怖い体験は当たり前で
清めの塩を持ち歩いたり、それぞれに工夫をしているのだとか。

宿屋の都合で、曰くつき(おバケ付き?)の
部屋をあてがわれることの多い添乗員ですが
一般のお客さん同様、部屋の中で「魔除けのおふだ」を
発見した時だけは部屋を替えてもらうことができるそうです。

「魔除けのおふだ」、yoshikoもいっぺんだけ
ホテルの部屋で発見したことがあります。
絵の額の裏に貼ってありました。
額の裏とか掛け軸の裏に貼ってあることが多いそうです。

前置きが長くなりましたが
友人が某温泉地で宿泊した旅館での出来事。

何故か添乗員宿泊部屋は洋室で
薄暗くて少しカビ臭く、いかにも「何か居そう!」という
ムード満点の部屋だったそうです。
その夜、イヤーな感じだけど昼間の忙しさで疲れ果ててた
友人は、「そんなこと気にしてられへん!」っと
さっさと入浴を済ませ、ベットに潜り込んだそうです。

ウトウトしかけると突然、誰かに左足をぐっと
引っ張られ、驚いた友人は飛び起きて、電気を点け
辺りを見回したそうですが部屋には自分ひとりしか居らず
不審な人影も見当たらない。
気味が悪かったけど、明日の起床時間を思って
気を取り直し、再度ベットに潜り込んだそうです。
ところが、ウトウトしかけるとまたもや誰かに左足をひっぱられ
飛び起きる羽目になってしまった。

しばらくは「無視して寝たる!」と頑張ったらしいのですが
あまりの執拗さにどうしても寝入ることができず
得体の知れないものに対する恐怖より、睡眠時間が削られることに
恐れを感じた友人は、部屋をチェンジしてもらうべく
「魔除けのおふだ」を探す事にしたそうです。

ところが・・・
どこを探しても見つからない!
額の裏、テレビ、チェストの抽斗、テーブルの下、クローゼットの中
カーペットまでめくったけど見つからない。
見つからないから部屋を替えてもらうことができない(涙)

「おかしい!私の気のせい!?」時計を見ると深夜3時を回ってる。
仕方なく、再びベットに横になったがやっぱり、誰かが左足をひっぱる!
そこで彼女、ハッと閃いたそうです。
ひとつだけ探し忘れてる場所がある!!!
飛び起きて、布団はがしてマットレスを持ち上げると・・・

「魔除けのおふだ」貼ってあったそうです!
ベットの下、一面にびっしりと・・・


うーん、あんまり怖くないですね(汗)
どなたかもっと涼しくなるようなのありませんか??


 No.:179   ヤゾー  - 2006/07/17(月) 16:39
那智の滝
みなさん こんにちわ
今日は曇りで 若干過ごしやすいです。

yoshikoさん なかなか思うようには
時間は過ぎてゆかないのでしょうね。
15年前の出来事を見ていると
年々時が経つのを早く感じていますが
世の移り変わりも早くなっているのを感じました。

昨日 用事で那智山の近くへ行ったついでに
久しぶりに那智の滝にお参りしてきました。
参道まで結構歩きましたが
あまりの暑さに汗だくになってしまいました。
山小屋日記に写真アップしています。

 No.:178   こうへい  - 2006/07/15(土) 22:43
15年前
http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1991.html

って、どんな年だったか見てみました。

 No.:177   yoshiko  - 2006/07/13(木) 15:10
15年って・・・
15年って言葉にしちゃうと一瞬だけど
15年の歳月の重みってスゴイものがあります。

ヤゾーさんのカキコをみて、15年の前の自分を振りかえったら・・・
椅子から落っこちそうになりました(笑)

15年前のプランとはかけ離れた自分の現在の姿!
良いのだか、悪いのか、なんとも複雑です〜(汗)
う〜ん、アノ頃は想像もできませんでした^^

みなさんはいかがですか?

 No.:176   ヤゾー  - 2006/07/13(木) 14:28
15年前のレシート
みなさん こんにちわ
いよいよ夏本番といった暑さになってきました。

詩人PIKKIさん ご丁寧にありがとうございます。
こちらこそ よろしくお願いしますね。

じげもんさん 沖縄奄美の方言では太陽のことを 
よく似た発音のティダというようですが
中にムという言葉が入っている辺りに なにか深みを感じたりもします。

持ち物を整理していたら むかし夢中で読んでいた紀和鏡さんの小説が出てきました。
パラパラと中を捲ってみると もう字が薄れてしまった古いレシートが落ちてきて
しげしげと眺めてみたら 丁度15年前の7月に新宮のスーパーで買い物をしたときのレシートでした。
サンマ寿司やら菓子パンやら飲み物などを買ったことが薄れた文字から見て取れました。
記憶を辿ると その小説の舞台となった天川から熊野の山々を巡る旅をしたときのもので
当時まだ山小屋もなく 高野山経由で天川に入り 
クルマで何泊かしながら辺鄙なところを廻ったことを思い出しました。
15年前は まだ道も悪く 小説にあるような サンカの末裔らしき人たちが住んでいる隠れ里のようなものが
ほんとうにありそうな雰囲気が漂うところがいくつかありました。
古いレシートも 旅の貴重なお土産なのかも知れません。

 No.:175   じげもん  - 2006/07/12(水) 09:52
求菩提山の神代文字
URLhttp://homepage2.nifty.com/deestyle/
先日、福岡県豊前市にある修験の山、「求菩提山」(くぼてやま)に登って磐座を見てきました。
神代文字も2つゲット。
一つはシュメール系の文字で「ディンギル」というそうです。意味は「聖なる者」「天空の王者」。
もう一つはサンカ文字で「テムダ」といい、「日の神」「日御子」「天皇」などをあらわすそうです。
こちらは国内で2例目の発見だとか。
もうひとつは求菩提山からそう遠くない国東半島。
九州は熱いです。

 No.:174   詩人PIKKI  - 2006/07/11(火) 21:42
いつも楽しませてもらって・・感謝の気持ちを一杯です。
URLhttp://members.goo.ne.jp/home/pikkibikki
  こころにも海にも銀河さんざめき

暑中お見舞い申し上げます。
暑中お見舞い葉書を50枚も買ったので・・いま大忙しです。
海にも、銀河にもとんとご無沙汰ですが・・
こんど2連休があったら・・日本海を行ける所まで北上してみたいナーと思ってるところです。
これからもどうかよろしく!
(コピーで申し訳ありません)

 No.:173   ヤゾー  - 2006/07/10(月) 23:41
見入ってしまった映像
みなさん こんばんわ
今夜はえらく蒸せます。

YouTubeで検索して リンクを辿っていくと
思わず面白い映像に巡り合えたりしますよ。

青影のだいじょうぶは 真似しましたね。
実写板「ワタリ」 う〜んマニアック!

偶然見付けたこの映像 バイク乗りだったこともあってか
思わず最後まで見入ってしまいました。
手に汗握ってしまいました。

http://www.youtube.com/watch?v=TAVVBjrTu0w&search=japan%20highway

 No.:172   東沢美史   - 2006/07/09(日) 00:23
だいじょうぶ!
もうある年代以上しかわからないのかもしれないけど、右手を鼻のところに持ってきて「パー」に広げた実写板「ワタリ」の主人公役もしてた青影。
この頃は白黒テレビで見てたので赤影の色は想像して見てたよ。

でも、あこがれはなんといっても大凧に乗って青空に舞い上がってた白影。
大凧に乗りテポドン2号にも「手裏剣シュシュ、シュシュシュ」!!。

 No.:171   ya(・ε^)na  - 2006/07/07(金) 23:01
ヘーーーーーーッ
こんばんわ・・やなどすぇ
 しかしなんですねぇ・・ヤゾー
これおもしろおますねぇ・・・以前バリ師さんからJAZZのyoutubeおくってもろたんですが・・
  どこから捜したんやろかっておもてましたら・・
なんと今度はヤゾーから・・・んんんん
  こりゃ・んん・・遅れとってますねぇ
 ちょっと練習して昔の画像探って見ましょかいねぇ
  白土三平の死神少年キムもあるやろかぁ??
  「今に見ておれ」なんかもあるかしらねぇ・・
 マタギやキジ師の映像なんかもみれるんやろかぁ??

 No.:170   ヤゾー  - 2006/07/07(金) 20:26
ほのぼの動物系
食事中の人はごめんなさい!
ネコがトイレで・・・

http://www.youtube.com/watch?v=_ug7WEUxH68

人間は動物と話せるか?

http://www.youtube.com/watch?v=_BOLAh9mLao&mode=related&search=

 No.:169   ヤゾー  - 2006/07/06(木) 23:16
YouTube
みなさん こんばんわ

確か昨日の朝一番のニュースでは
テポドン?の着弾は稚内のすぐ近くになっていたのに
いつのまにやら 違う場所になっています。
単なる情報の錯綜だったのか それとも自分の勘違いだったのか?
それで 最近なにかと利用することの多いYouTubeで検索してみたら
http://www.youtube.com/watch?v=fv99VcwP7vM&mode=related&search=%E3%83%86%E3%83%9D%E3%83%89%E3%83%B3
やはり稚内の近くに着弾というニュースがありました。

懐かしい仮面の忍者赤影のオープニングなんかもあったして
見出すと一時間くらい見てしまいます。
http://www.youtube.com/watch?v=PU3S38NcRlk&search=%E6%87%90%E3%81%8B%E3%81%97%E3%81%84


 No.:168   こうへい  - 2006/07/05(水) 17:41
ありがとう!
ありがとうござります。
こちらは、大丈夫です(^-^)
問題は、山小屋ですねえ。

 No.:167   yoshiko  - 2006/07/05(水) 16:53
雨ですね
和歌山のみなさん、お気をつけください。
雨は仕方ないけど、テポドンが降ってきたら怖いですね(汗)

 No.:166   ya(.・ε^)na  - 2006/07/05(水) 12:17
大雨・・
なんやえらい大雨が田辺・南部あたりで降ってるそうですが
 ヤゾー・こうへいさん・とんちゃん大丈夫ですかぁ
  小屋流されてないか心配です

 No.:165   ヤゾー  - 2006/07/04(火) 18:37
オオスズメバチ酒
みなさん こんばんわ

趣味で日本蜜蜂を飼育していて
オオスズメバチ酒を造っているという人に造り方を訊ねてみました。
確かに体には良いみたいなのですが
マムシ酒と同じで 活きた奴を焼酎に浸けないと良いのが出来んと言ってました。
それとペットボトルくらいの大きさだと 最低10匹くらいは入れないと効かんとも言ってました。
それでどうやって捕るのかと訊ねたら 玉網で捕るのだそうです。
できましぇん 僕にはできましぇん。
ちなみに罠で捕まえるのは 日本酒と酢と砂糖を混ぜたものが一番だそうです。

yoshikoさん ゆったりとしたテンポで穏やかな時間の流れを感じさせてくれるドラマでしたね。
樋口可南子さんの演技もワンコも自然でよかったです。

 No.:164   yoshiko  - 2006/07/03(月) 11:21
おはようございます
やなさん、ごめんなさーい!
とんちんかんでスミマセン〜(汗)
でも、ちゃんと三角寛も感じましたよ〜

ヤゾーさんもあのドラマご覧になってたんですね^^
私もあの詩が心に残ったので、改めて、もう一度
読むことができて嬉しいです。有難うございます^^
とても優しい感じのドラマでしたね。
終っちゃって寂しいです。

 No.:163   ヤゾー  - 2006/07/02(日) 18:46
虹の橋
みなさん こんばんわ
昨夜 ワンコのドラマを見ていたら
虹の橋という詩が出てきました。
心に残ったので調べてみたら
誰も作者を知らず 欧米のサイトを通じて広まっていった話だということでした。


天国のほんの少し手前に「虹の橋」と呼ばれるところがあります。
この地上にいる誰かと愛しあっていた動物は 死ぬとそこへ行きます。

そこには草地や丘があり 彼らはみんなで走り回って遊びます。
食べ物も水もたっぷりあって お日さまはふりそそぎ みんな暖かくて幸せです。
病気だった子も年老いていた子も みんな元気を取り戻し
傷ついていたり不自由なからだになっていた子も 元のからだを取り戻します。
まるで過ぎた日の夢のように。

みんな幸せで満ち足りているけれど ひとつだけ不満があります。
それは自分にとっての特別な誰か 残してきてしまった誰かが
ここにいない寂しさ。

動物たちはみんな一緒に走り回って遊んでいます。

でもある日 その中の1匹が突然立ち止まり 遠くを見つめます。
その瞳はきらきら輝き からだは喜びに震えはじめます。
突然その子はみんなから離れ 緑の草の上を走りはじめます。
速く それは速く 飛ぶように。

あなたを見つけたのです。

あなたとあなたの友は 再会の喜びに固く抱きあいます。
そしてもう二度と離れたりはしないのです。
幸福のキスがあなたの顔に降りそそぎ
あなたの両手は愛する友を優しく愛撫します。

そしてあなたは 信頼にあふれる友の瞳をもう一度のぞき込むのです。
あなたの人生から長い間失われていたけれど
その心からは一日も消えたことのなかったその瞳を。

それからあなたたちは 一緒に「虹の橋」を渡っていくのです。


けれど 動物たちの中には 様子の違う子もいます。
打ちのめされ 飢え 苦しみ
誰にも愛されることのなかった子たちです。

仲間たちが1匹また1匹と それぞれの特別な誰かと再会し
橋を渡っていくのを うらやましげに眺めています。
この子たちには 特別な誰かなどいないのです。
地上にある間 そんな人は現れなかったのです。

でもある日 彼らが遊んでいると 橋へと続く道の傍らに、
誰かが立っているのに気づきます。
その人は そこに繰り広げられる再会を
うらやましげに眺めているのです。
生きている間 彼は動物と暮したことがありませんでした。
そして彼は 打ちのめされ 飢え 苦しみ
誰にも愛されなかったのです。

ぽつんとたたずむ彼に 愛されたことのない動物が近づいていきます。
どうして彼はひとりぼっちなんだろうと 不思議に思って。
そうして 愛されたことのない者同士が近づくと
そこに奇跡が生まれるのです。

そう 彼らは一緒になるべくして生まれたのでした。
地上では巡りあうことができなかった
特別な誰かと その愛する友として。

今ついに この「虹の橋」のたもとで ふたつの魂は出会い
苦痛も悲しみも消えて 友は一緒になるのです。

彼らは共に「虹の橋」を渡って行き 二度と別れることはないのです。

 No.:162   ya(・ε^)na  - 2006/07/01(土) 23:07
ちゃうねんなぁ・・
映画館やのうて・・
 三角寛をかんじてほしかったんですよね

 No.:161   yoshiko  - 2006/07/01(土) 15:48
こんにちわ
おりょうさん、こうへいさん、映画の紹介有難うございます
今度、TUTAYAで探してみます^^

ぢつは私の財布も黄色です。
でも、エピみたいな真黄色にする勇気がなくて
銀杏色ぐらいの黄色なのですが
中途半端さが災いしてか、いっこうにお金が貯まりません。
友人に「気合が足らんからじゃー」と言われました。
その通りだと思います(涙)
おりょうさんはどうですか?

インテリアを黄色にするのはちょっとツライですね。
黄色って神経にさわるような気がします。
元気がないときは疲れそう。
美輪明宏さん(大ファンです^^)の髪って
鮮やかな黄色ですけど、アレも風水で決めた色なのだそうです。


 No.:160   こうへい  - 2006/06/30(金) 11:45
ニューシネマパラダイス
http://www.h2.dion.ne.jp/~mine/movie-0347.htm

ボクは、この映画、ビデオを借りて既に見たと思ってました。
でも、解説を読むと、見ていないですねえ。
見てみようと思います。

良い映画のようですね(^-^)

 No.:159   おりょう  - 2006/06/29(木) 19:18
金運は黄色のサイフ
私のお守りは、黄色のお財布です。宝くじ何億円も当てた人が風水の黄色にこって、カーテンからテーブルセンターからみんな黄色づくしにして運がむいてきたんだそうです。
黄色の財布は裏が黄色なら表は茶色でも黒でもいいそうです。だから私も黄色にしました。

森の石松で思い出しましたが、清水次郎長とか国定忠次、それぞれ”なんとか組”という名前で、いまだに顕在なんだそうですよ。

銭湯私も好きでたまに行ます。朝から入れるとこがいいですね。ほんと気持ちいいですよ。どんどん少なくなってきてなくなると困りますよね。

映画館は最近いったことないですね。昔は旧い映画やっている文芸坐とか並木座とか好きだったのですが、なくなってしまいました。
好きな映画、ニューシネマワールド(?)ちょっと題名忘れましたけど。トトという映画好きの少年が有名な映画監督になって少年時代を懐古していく映画で音楽も好きですし心に残る映画かな。








 No.:158   yoshiko  - 2006/06/29(木) 18:25
勉強になります^^
最近、おりょうさんが掲示板にカキコをされる
ようになってから、いろんな方々から面白い
お話を聞かせて頂く機会が増えて楽しいです〜^^


やなさん、私もページみせてもらいました。
映画館って大変なんですね。
三浦さんのお話を読んで、名画座をもっと利用しようと思いました。
(十三のナナゲイってどうなってるんでしょうか?)

映画館とは関係ないのですが、身近なレトロな銭湯も
どんどん店じまいしていっています。
スーパー銭湯も好きですが、昔ながらの番台のある普通の銭湯も大好きです。
旧き良きものがどんどん消えていってしまうのは寂しいです。


田舎小僧には新助ってちゃんとした名前があったんですね。
なんで盗賊は○○小僧なんでしょうか?
○○童子っていうのは髪型のせいだって言いますよね。
小僧はなんなんでしょうか? 謎です??
34歳で獄門なんて可哀相。
オススメ映画、タイトルが浮かんだら教えてください♪
白土三平さん、ずっと気になっていたのにまだ「カムイ伝」も
読んだことがないので読んでみます^^


石松の墓石入りのお守り、販売もとはお寺だったんですか!
さすが、坊主丸儲け!
ストラップ、1000円って高ーい!
鈴虫寺のお守りといい、お寺って商売上手ですね〜
たしかにツトッコさんがお守りを買いに行った
というのが何やら微笑ましいというか笑ってしまいます〜^^

家の近くに瀧安寺っていう富くじ発祥のお寺があります。
ここのご朱印が宝くじにご利益があるとかいう話を聞いたことがあります。
このお寺は役行者が開祖で日本最古の弁財天もあります。

ツトッコさんは豊橋なんですね^^
私は生まれは小牧で実家は日進です。
南朝のお話、面白そう!
あまり詳しくないのですが興味があるのでいろんな
お話聞かせてください^^
串呂学ってどんな占いなんでしょうか?

 No.:157   ツトッコ  - 2006/06/28(水) 21:33
お守り
調べてみたら、石松の墓石入りのお守り、遠州森町の大洞院というお寺にまだありますよ。今では墓石入り携帯ストラップなんかもあるみたいです。
墓石入りのお守りは小さな欠片がお守り袋の中に入っているのは手触りで解りますが、中身は見てはいません。

yoshikoさん
木原敏江さんの『夢の碑』面白そうですね。
自分の住む愛知県の豊橋市にも南朝の長慶天皇の御所があったという伝説がありますし、長慶天皇の護衛をして加賀の白山から来たと伝えられる南朝の武者の子孫という方にもお会いしたことがありますよ。
隣の豊川市からは三浦天皇も出ていますし、南朝秘伝の占いで串呂学なんていうのもあるみたいです。
南朝と別所、修験なんかの関係も興味深々です。

 No.:156   こうへい  - 2006/06/28(水) 20:38
ヤナさん
ページ、見せてもらいました。

映画館って、ほんと難しいんですね。
それだけに、愛着も、ほんと大きいんでしょうね。
和歌山も、シネマコンプレックスって、一つの建物に、劇場が数カ所あるってスタイルができてます。

この作品は、ビデオで良いけど、こいつは、劇場で見なきゃァって、劇場映画の魅力もまだまだ捨てがたいですね。

勉強になりました(^○^)

おりょうさん、yoshikoさんのおかげで、ほんと花がありますねえ(^-^)

 No.:155   おりょう  - 2006/06/28(水) 19:56
森の石松の墓石のかけら
あっ、やなさんしばらくです。よろしくです。(^。^)
ここはゆったりしていていいですね。

yoshiko さん 田舎小僧は名前が新助で東京の足立区新井戸村の百姓市右衛門のこどもだそうです。三十四歳で獄門になったようですよ。足立区は田舎だったからの命名なんでしょうか。変な名前ですね。
みんななんとか小僧とかいいますが、なんで小僧なんですかね。

本のご紹介ありがとうございます。こんど本屋さんでさがしてみます。
映画はBSでコピーして暇な時みています。
おすすめ映画題名うかんでこないのでじょじょに。

ツトッコさん、私も、森の石松の墓石のかけら売っているというの笑えましたがツトッコさんが買いに行ったというのも笑ってしまいました。石松の本当のお墓のかけらなんですか?それらしい字が入っているかけらならマニヤが喜びそう。

サンカ小説じゃなかったんですね。宗教の本だから、”ひとのみち”を教育する内容だったりしそうですね。

 No.:154   やなぎむし  - 2006/06/28(水) 18:30
こんなんおます
    
 ゼノンさん始めまして
    以前こんなページがおましたよぅ
         http://www.siff.jp/siff99/dis-meiga01.html


 へへ・・おりょうさんお久でおます
    やっぱり、おっさんばかりやと花がおませんわなぁ
       またカキコしとくんなはれ・
          楽しみにしとりますよぅ
                  ほな
     


 No.:153   yoshiko  - 2006/06/28(水) 15:35
田舎小僧ってヘンな名前!
そんなこと言ったら失礼ですね(汗)
いろんな怪盗がいるんですね〜!

稲葉小僧は寺の床下に3年潜んで死んだと
ありましたが疫病だったんですか・・・
貧農の出じゃなくて藩士の子だったんですねえ。
捕まらなかったとはいえ気の毒な最期!!

おりょうさんは旧いものがお好きなんですね^^
私も旧いものに言葉では言いあらわせない
ロマンと郷愁を感じます。
旧い建物も和・洋問わず好きです。

小津安二郎作品、あまり知りませんが
木下恵介監督の「二十四の瞳」大好きです。
最近、旧い洋画のDVDが500円で売ってますよね。
あれ、結構お気に入りです^^
私はそんなに詳しい方ではないのですが
旧い洋画でオススメがあったら教えてください!

漫画はあまりお読みにならないようですが
ひとつだけどうしてもオススメしたい漫画あります^^
木原敏江さんという少女漫画界の大御所の
『夢の碑』というオムニバス形式の作品です。
内容は古今東西の幻想譚ですがテーマは
歴史の敗者(異形のものまつろわぬもの)への鎮魂歌です。

小学館文庫全13巻(今はやりの小説サイズのヤツです)
で出ていて、簡単にそのへんの本屋さんで入手できます^^
でも、13巻は長いので、もし読まれるなら
6巻の「雪紅の皇子」というのがオススメです^^
一冊でお話が完結するし、内容も南朝の滅びがテーマで
作者本人がシリーズ中で一番気に入っている作品なのだそうです。

木原敏江さんって紀和鏡さんと
「イラストで読む 雨月物語」なんて共著もあるんですよ。


ツトッコさん、「二度目の新婚」ってサンカ小説ではないんですね、残念!
ちょっとアブナイお話っぽくないですか?(汗)

森の石松の墓石のかけら入りお守りって、
墓石のかけらが商品化されてるんですか!?
スゴイですね〜(汗)
そのお守りっていくら位でどんなところで売られているのでしょうか?
興味あります^^
宝くじは残念でしたね(笑)


ぜのんさん、はじめまして!
いろいろ教えてください^^
よろしくお願いします。







 No.:152   ツトッコ  - 2006/06/27(火) 22:29
森の石松
おりょうさん、yoshikoさん こんばんわ

「二度目の新婚」はサンカ小説ではないですよ。地下鉄の赤楚という男が金持ちで我儘な令嬢を誘拐して山中で令嬢を召使い扱いにして令嬢に復讐しようとしているのか、教育しようとしているのか、その理由は解りませんが一緒に生活をする話ですが、その先はどうなるのやら?雑誌「ひとのみち」はそこまでしか持ってないのでその続きが読みたいです。

15年ほど昔、遠州森町に森の石松の墓石のかけら入りのお守りを買いに行き、その足でジャンボ宝くじを買いましたけどみごとにはずれました。

 No.:151   おりょう  - 2006/06/27(火) 21:37
稲葉小僧アンド田舎小僧
旧いものなんでも好きです。旧い洋画とか、日本映画では小津安次郎の世界、旧い街並み、旧い写真、旧い話、旧い本など、あとは、やっぱり白土三平さん、つげ義春さんかなぁー、このお二人以外しらないのです。

稲葉小僧は藩士の子供で小さい時から盗癖があり勘当され、大名屋敷専門にあらしまわって谷中あたりでつかまりそうになって上州まで逃げ延びて疫病にかかって死んだだそうで一度もつかまらなかったそうですね。
浅草で獄門にされた田舎小僧というのもいたらしいです。

ぜのんさん始めまして。アエラ思い出しました。ここのやぞーさんの写真載ってました。
30〜40万云々は載ってなかったですが三角寛はサンカ研究者じゃなくてサンカ小説家だったとありました。
02.8.12−19 34号です。

三角寛については飯尾さんの三角寛の研究本まちどおしいです。


 No.:150   ぜのん  - 2006/06/27(火) 13:40
はじめまして
Mailponta61256125@yahoo.co.jp
突然の書き込みで失礼します。
僕はものすごくサンカに詳しいという人間ではないのですが、
何気なく手に取った三角寛という方の本を読んでから軽くはまってしまい、
そのあと、礫川氏の「サンカと三角寛」や利田氏の「サンカの末裔を訪ねて」なんかを読んで
一人で妄想にふける日々です。

娘婿の大四郎さんがアエラか何かのインタビューで、三角の学士論文は30〜40万で買ったものだという
証言をしてるそうですね。そのアエラの記事を読んでみたいです。何年何月号なんだろ。

また遊びにきます。

 No.:149   yoshiko  - 2006/06/27(火) 13:34
時代劇好きです
子供の頃から時代劇大好きでした^^
最近はあんまり観てません(涙)
私もあまり(ほとんど?)テレビ観ません。


時代劇は映画に限らずTV・映画・漫画・小説何でも好きです〜
漫画の「影狩り」とか「片恋さぶろう」なんかは
しょっちゅう読み返してます^^
小説は柴錬の美剣士ものなんかが好きでした。


古い映画、いつ位のどんな映画がお好きなんですか?
古い映画がお好きということはもしかして
24年組の漫画もお好きなのでは?(だったら嬉しいなあ^^)


鼡小僧って、自分でお金使ってて義賊でもなんでもないって
言われてますよね。
稲葉小僧っていうのが貧しい人たちに施しをしていたのが
鼡小僧と合体して、鼡小僧は義賊ってことになったらしい
というような話をどこかでみたことがあります。


鼡小僧の墓石は知りませんでした。
清水次郎長とか森の石松とか博徒の墓石は
勝負運を上げるとかで削られるという話は聞いたことがあります^^
そいうえばお岩さんの墓石もそんな話ありませんでしたっけ?

 No.:148   おりょう  - 2006/06/26(月) 18:19
無題
yoshiko さんは時代劇がお好きなんですか?
私は古い映画好きですが、時代劇は観ないですね。

鼡小僧も義賊だとか、いやそうじゃない、盗んだお金全部博打につかっていたとか、いろいろありますがどっちなんでしょうね。
お墓の墓石を削ってもっておくと博打に勝つんだとかいって墓石削り盗られて小さくなってしまったとか聞いたことあります。

 No.:147   yoshiko  - 2006/06/24(土) 16:42
ありがとうございます^^
おりょうさん、伊佐さんの足と同じ位速いお返事ありがとうございます!

やっぱり泥棒は逃げ足が速くないと務まらいのでしょうか?
俊足だから泥棒になったのか、泥棒だから俊足になったのか(命がけですもんね!)
どっちもですかね(笑)
私の場合は走るより転がる方が速いです(涙)

「山村に生きる人々」、面白そうです。
さっきネットで検索したら入手できそうな本だったので探して読んでみます。
菅野新一さん、他の著作も面白そうなのがありました^^

今日はいい天気ですねー
会社で机に縛られてるのがくやしー!

 No.:146   おりょう  - 2006/06/24(土) 15:17
実在した俊足の怪盗
長手の伊佐さんは多分お百姓でしょう。
傘を胸に当てて走っても傘が落ちないほど足が速かったそうで、そんな話職場でしたら「そんなばかなー」とかいってみんな面白がっていました。
金持ちばかりねらい、盗み取ったお金と品物は困っている人にわけあたえていたそうです。
あるとき、長手の地主が、「伊佐よ、お前は名のある盗人だそうだが、田圃はぬすまれるか」とひやかしたそうです。伊佐はムッ!としました。それから春になって地主の田圃を伊佐が先々やってしまい、とうとう田圃を盗ってしまったそうです。長手というのは山形の米沢の近くだそうです。この話は管野新一「山村に生きる人びと」に載っています。
大菩薩峠の本には七兵衛という足の早い怪盗が登場します。
次に埼玉の善兵衛という実在した人ですが、この人は頭にさらしを巻いて後ろになびかせて走っても、さらしが地につかないほど足の早い人がいたそうです。この人は怪盗ではないそうです。

 No.:145   yoshiko  - 2006/06/24(土) 11:16
こんにちわ

確かに三角寛さんと信心ってあんまり繋がりませんよね〜
でも、意外と破天荒っぽい人って自分の意思で
宗教に入信する人が多いような気がします。
(有名人なんかを見てもそんな気がします)

イチかバチかみたいな人生を通して
神の存在を感じることがあったのか
日頃、強気に生きてる裏返しで何か寄りかかるものが
欲しくなるのか、よくわかりませんが^^

「二度目の新婚」ってもしサンカ小説なら
すごいタイトルですね(汗)
もしそうなら是非、読んでみたいです!

おりょうさん、3号ですか(笑)
さっそく面白いお話有難うございます^^
長手の伊佐さんって普段はお百姓さんなんですか?
伊佐さんの面白いエピソードがあったら
ぜひ、聞かせて下さい!
義賊譚大好きなんです^^
雷蔵の弁天小僧も橋蔵の不知火小僧も大好きで・・・
ってこれはただの娯楽時代劇か(笑)

 No.:144   おりょう  - 2006/06/23(金) 22:45
こんばんわ
ツトッコさんお返事ありがとうございます。

私も無知3号なんで、宗教はよくわかりません。「ひとのみち」って昭和の六年頃からあったんですね。
三角寛さんって宗教信心するようなイメージなかったですが、若い時から入っていたんですね。
実家の宗教も「ひとのみち」なんでしょうか。
「二度目の新婚」という連載小説ってサンカ小説なんですか?
昭和10年とは貴重な本ですね。


テレビほとんど観てないですけど
   「・・・本物は松之草村の小八兵衛という盗賊の
   頭領がいてこれが弥七のモデルであるという。
おもしろそう。

長手の伊佐さんだったか、朝一番に韋駄天走りで仕事(盗み}してきて、何食わぬ顔で、田圃にはいるんだそうですが、はは〜ん、朝から一仕事してきたなってすぐわかったという。足が熱でほてり、足についた田圃の泥がバリバリに乾くからだそうです。伊佐様とよばれていた義賊(?)だったそうです。
風車の弥七で、そんな話思いだしちゃった。




 No.:143   yoshiko  - 2006/06/23(金) 12:22
風車の弥七
1日に何回もスミマセン(汗)
超有名時代劇「水戸黄門」に登場する
風車の弥七って実在のモデルがいたんですね〜!
知らなかった〜〜(私だけ!?)

さっき、社内回覧で回ってきた業界誌を読んで
初めて知りました。

「・・・本物は松之草村の小八兵衛という盗賊の
頭領がいてこれが弥七のモデルであるという。
一昼夜に三十里(120km)を往来してたってんだから
今ならオリンピック代表で金メダル間違いなし。

この泥チャンついに捕らえられ打首!という所を
人殺しせず、むしろ貧乏な人に施しをしたり
老人の世話したりのボランティア精神旺盛なのを
知ったご老公が罪を許し、その上、もう悪いことを
するなよと食うい困らないだけの給料をあげたの
だから小八兵衛は大感激。

私の目の黒いうちは御領内に盗賊は入れさせませんと
誓い、実際その通りになったし、その健脚を生かして
領内はもとより、その近隣諸国にお動静を探って
逐一ご老公にご報告。」

っということです。
ドラマの通りですね!



 No.:142   yoshiko  - 2006/06/23(金) 09:54
おりょうさん、お久しぶりです!
また掲示板でお会いできてうれしいです^^
こちらこそ、おりょうさんのカキコ楽しみにしてます。
これからもいろんなお話を聞かせてください!!
よろしくお願いします^^

ツトッコさんっていろんなことご存知なんですね!
こうへいさん、私も無知2号です(汗)
PL教ってもっと最近の宗教だと思ってました〜
Permanentなんですね。
Perfectだと思ってたし(汗)
花火大会と野球くらいしか知りませんでした!

 No.:141   こうへい  - 2006/06/22(木) 23:17
無知・・
「ひとのみち教団」(昭和6年〜)が、「PL教団」の前身であり、

PLとは、恒久的な(Permanent)自由(Liberty)を探求する思想運動である。

・・・って、初めて知りました(^ニ^)

 No.:140   ツトッコ  - 2006/06/22(木) 22:49
三角寛とひとのみち
おりょうさん こんばんわ

三角寛さんが何時頃ひとのみちに入信したかは礫川さんの「サンカと三角寛」には書いてないみたいです。

わたしの持っている一番古いひとのみち教団が各月出版していた雑誌「ひとのみち」は昭和10年2月1日発行で、その中に三角は「二度目の新婚」という連載小説を書いてますが、その号が何回目の連載か解らないんですよ。「二度目の新婚」は連載途中から「心の故郷」と改題されています。

以上のことから、少なくとも昭和10年以前に三角はひとのみちに入信していたと思われますが、詳しく解りません。お役にたてなくてすいません。

 No.:139   おりょう  - 2006/06/22(木) 12:05
みなさまおはようございます。
あんなこんなで目をまわしていてご無沙汰しています。

yoshiko さんマタギの話おもしろかったです。
書きこみ楽しみにしています。

ツトッコさんみなさん教えてください。
三角寛さんがひとのみち入信したのは何月何日かご存知ないですか?
「三角寛とサンカ」読みたいんだけど売ってないんです。
ネット購入は広告が入ってくるのでいやだなぁとおもって躊躇してたりして。
よろしくおねがいします。 

 No.:138   こうへい  - 2006/06/21(水) 12:03
マタギ
の、語源、初めて知りました。

ありがとうございます(^^)

ブナ林が、開発を逃れ、残ったことは素晴らしいことでしたね。

その、白神山地が世界遺産になって、その中で生活してるマタギのひとが制約を受けるっていうのも、

皮肉なことですが、折り合いをつけるということで、伝統を守っていく。

大事なことだと思います。

 No.:137   yoshiko  - 2006/06/20(火) 11:51
最後の目屋マタギ
先日の日曜日の深夜2:40〜朝日TVで
テレメンタリー2006
「白神が遠のく〜“最後の目屋マタギ”の想い〜」
という番組が放送されていました。
とても勉強になりました。

世界自然遺産に登録されたことで
活動に制限がかかってしまい深刻な状況に
なっているそうです。

“最後の目屋(めや)マタギ”と言われる工藤光治さん
「動物を憎くて殺生するのではないのです。
山で生活していくために命を奪うのです。そのためには
鬼の心にならなければなりません。
殺すたびにまた鬼になる、だから叉鬼」

工藤さんが15歳の時に
目屋マタギの『シカリ(統率者)』であった
お父さんからそう教わったそうです。

このままでは目屋マタギは消滅してしまうという
危機感から工藤さんは、マタギ文化と伝統を後世に伝える
為に『白神マタギ舎』を設立したそうです。

いつか白神マタギ舎のエコツアーで
山の生活を体験してみたいと真剣に思いました^^

工藤さんのインタビュー
http://www.thr.mlit.go.jp/honkyoku/jouhou/kouhou/t-com_vol9/pic%20up1.html

白神マタギ舎HP
http://www.geocities.jp/matagisha/


こうへいさん、なんでも作るのは大変だけど
壊すのはホンマに一瞬ですよね〜!
うーん、墓無い

 No.:136   こうへい  - 2006/06/19(月) 22:44
生活の痕跡
北海道の東大雪の大きな湖の中に、めがね橋っていうのがあります。

木材の産業が盛んな頃、その運搬用の汽車が走っていて、鉄橋のコンクリートの橋桁だけが残っています。

アーチ型の橋桁が長く続いていて、湖に映ると、いくつものメガネが続いてるように見えます。

昔在ったという木材の大きな町も、山の中で今はどこにあったかも判らない状態です。

痕跡が消えてしまうのは、早いですね。そんなに昔の話じゃないのに。


ある村で、寺を捜していたら、五輪塔の頭が石垣に使われていて、ここにあったのかなあと思う位で、村人の記憶にもない。

生活の痕跡って、捜すのは難しいですね。

まあ、それが面白くもあるんですが。

 No.:135   yoshiko  - 2006/06/19(月) 14:40
ありがとうございます
こうへいさん、ツトッコさん、やなさん
どうもありがとうございます^^


こうへいさん、多田銀山周辺には大きな町はあったそうです。
遊郭まであったらしいです。
が、猪名川町周辺は住宅開発が進んでいて
手掛かりになりそうなものは見事にぜーんぶ
ぶっ壊されています(涙)


ツトッコさん、似たもの情報ありがとうございまーす!
ネットで調べてみましたが猪名川町界隈のボロい神社とは大違い(汗)
熊野市の神社は立派ですね〜
入り口が狭くて、潜ってでてきたら別世界
(実際に建物の下を潜るとそんなカンジなんです)
子宮をイメージしてしまいました。
きっとツトッコさんがおっしゃるように
生と死のような意味があるのだと私も思います^^


やなさん、あの辺りって本当に三角の山が多いです!
あの建物はいつ頃に建てられてものなのか今のところ
全然、わかりません(涙)

猪名川町槻並に素蓋鳴命神社があるのですが
この神社にもやっぱり舞台があってそれを
通って本殿に行く形態になっています。
でも、潜るカタチにはなっていません。
この神社は山王山という山の下にあるのですが
神社から歩いて10分も山を上がると柿ノ木鉱山という
鉱山跡があります。
やなさんのご指摘を受けて、あの周辺の鉱山を
調べてみたらあの辺りは鉱山だらけでした(汗)
箕面市・池田市・川西市・猪名川町・宝塚市(北部)
豊能町は鉱山の密集地帯なのだそうです。
槻並の素蓋鳴命神社の写真は画像掲示板にのっけます^^


みなさん、アドバイスありがとうございました。
自分ひとりだと気がつかないようなポイントを
指摘して頂いてとても助かります。
掲示板の存在、有り難いです^^


引き続き、何かお気づきになったことがあれば
なんでも書込みよろしくお願い致します!
掲示板、私物化してスミマセン(汗)


196さん、はじめまして^^
琵琶湖で釣ったバスはバター焼きにして食べたことはあります。
美味しくなかったです。
お刺身はちょっとイヤかも・・・
以前、生活に貧窮した友人が晩御飯のおかずにと
淀川で採ったザリガニを塩茹でにして食べていましたが
やっぱり鉛を含んでいたんでしょうか〜?




 No.:134   196  - 2006/06/18(日) 14:08
雷魚
こんにちは。
雷魚ですけど、お刺身は厳禁と思います。
戦時中に戦地だか国外でどうしても刺身を食べたくなり、雷魚を刺身で食べてひどい目にあった話しを聞いたことがあります。ぞっとする話でした…。
バスもどうでしょうね。
琵琶湖の白鷺(?)の体内には鉛がかなり蓄積されているような事をテレビで言ってました。
白鷺(?)をバスが食べるのかどうかも解りませんし、鉛を含んだバスを食べてそうなったのではないかもしれませんが…。
…そっか。琵琶湖で獲れる、他の魚は食べますもんね。


 No.:133   ツトッコ  - 2006/06/17(土) 22:09
似たもの
yoshikoさん こんばんわ

三重県の熊野市の花の窟神社や産田神社、那智の補陀洛山寺の隣の熊野三所大神社も似たような造りの建物をくぐりますよ。
花の窟神社、産田神社の祭神がイザナミとカグツチなので、その建物から出産と死をイメージしていましたが実際の意味は解りません。

 No.:132   こうへい  - 2006/06/17(土) 20:21
知らないんですけど・・
銀山があるとすれば、大きな町があったのでしょうか?

なぜか、先ず、質屋さん、役所、労働者の宿舎、療養所、米、塩、味噌等の商い、旅籠、風呂屋、わらじ屋・・と素人のボクが思いつくのはこんなもんですが。

いまでは、考えられないほど賑わっていたのでしょうか。

山奥だと、交通、流通は舟かも知れないし、川の側は玄関口だったのでしょうか。

新鮮な魚は、川魚で、ウナギ、鮎、鯉、フナ・・・サンカの人の活躍の場だったのでしょうか。

神社の舞台が芸能だとすれば、サンカの人たちが、スサノオの舞などやっていたのでしょうか?

一帯がそんななんて、不思議な神社ですね。

お年寄りにお聞きすれば、なにか判るかも知れませんね。

思いつくままに・・ご存知の方でなくて、すんまそん・・


 No.:131   yoshiko  - 2006/06/17(土) 12:48
教えてください!
最近、よく猪名川町の辺りをウロウロしてます。
そのときにたまたま気がついて気になっていることがあります。

猪名川町って有名な多田銀山があるとこなんですけど
山奥なのでスサノオさんの神社がすごく多いのです。
面白いのでふるーい傾きかかった神社を手当たり次第に
訪ねてみました。

この辺りの神社って入り口が変わってるんです。
鳥居をくぐると建物があって、その地下を潜るように
なっているんですよ。
「胎内くぐり」みたいなもんだと思うのですけが・・・。

最初は建物がなんなのかよくわからなかったんですが
幾つかの神社を見ているうちに、その建物が
「舞台」であることがわかりました。
中には地下には潜らないけど舞台の真ん中を通る神社
なんかもありました。

不思議に思ったのでネットで少し調べてみたのですが
「この辺りの神社はこういう形態になっている」くらいの
ことしか書かれていませんでした。
(私の調べ方が浅い可能性は大ですけど)

なんでこんなカタチなんでしょうか?

猪名川町の神社が全てこう、というわけではありません。
こういう形態の神社の共通点を挙げると

・やたら古い(でも猪名川町最古の神社肝川の戸隠神社は違います)
・特徴のある山の真下に建っている。
・水の側(この辺りは猪名川とその支流があってどの場所も
     水の近くですが、その中でも水に近いのです)

どの神社もご由緒もなんにもないし、祭神すらまともに
書かれていないような状態です。
(そして神社の敷地内は虫虫パラダイスです、げー)


なにかご存知の方、教えてください!
よろしくお願いします〜〜
(画像掲示板の方に写真のせときます)


最近お見かけしませんが
おりょうさん、元気にされているのでしょうか?
こちらにお邪魔するようになった当初
タメになる&楽しくて優しいおりょうさんの
カキコが楽しみでした^^

 No.:130   あおき  - 2006/06/13(火) 19:30
いやーすごい
 なんかもっと細かくなりましたねー 府中競馬場なんか雪の日に撮ったみたいで真っ白ですよ
思わず実家に帰りました これで日本のどこかにまだユサバリを発見できるかも
 川原をよーくチェックしなくては 新たなサンカ発見か!

 No.:129   ヤゾー  - 2006/06/10(土) 19:01
Google Earth
みなさん こんばんわ

ここのところ少し忙しくて
どこか旅行へでも行きたいなと思っていたのですが
金銭的にも時間的にも余裕がないので諦めていました。
そんなときに知人から 世界中の衛星写真と地図が閲覧できるサービスの
Google Earthなるものを教えてもらいました。
なんでも今日 世界各国のかなりの数の高解像度エリアが追加されたとのことで
場所によっては自宅の屋根が見えるくらいの衛星写真が見られるようです。
早速 フリーのソフトをダウンロードして試したみたら
二時間ほど バーチャル世界旅行を楽しんでしまいました。

A 3D interface to the planet

http://earth.google.com/

フリー版ソフトのダウンロードリンク

http://dl.google.com/earth/GoogleEarth.exe

>子連れイノシシ
 
ウリ坊だけでも助かっていて欲しいですね。

 No.:128   こうへい  - 2006/06/06(火) 23:36
子供イノシシ
のことは、聞いておりませんm(__)m

 No.:127   yoshiko  - 2006/06/06(火) 15:32
殉職した紀州犬
亡くなった紀州犬、残念でしたね(合掌)
子連れイノシシは親子共々打たれて
しまったんでしょうか?
イノシシ親子のことも気になります。

 No.:126   こうへい  - 2006/06/05(月) 23:05
紀州犬
繋がれていました。
牙でやられたようです。
壮絶な最期だったのでしょう。
子連れの大きい奴だったそうです。
仇は討ったと、おじさんは言ってました。

 No.:125   ヤゾー  - 2006/06/05(月) 18:45
オオカミ伝説
みなさん こんばんわ

最近知ったオオカミ伝説について
お年寄りから戦後しばらくまでオオカミが出没し
だんなと呼んで畏敬の念を持っていたことは聞いていました。
最近聞いた話では オオカミは熊野詣でや山伏を護る
玉置神社の遣いであるという伝説もあるようです。
オオカミを山の神として神聖視していたみたいです。
その話を聞いて ハジメさんたちが瀬降りしていたという神社の境内で
大切にし信仰していたという祠に祭ってあった
熊野神社と大口真神(オオカミ)の石碑のことが浮かんできました。

http://www.kumanolife.com/Topics/3._28.html

紀州犬は鎖に繋がれていたのでしょうか?
そうだとしたら気の毒でしたね。
三匹くらいあれば
紀州犬だけでイノシシを狩ることができるみたいですが
一匹だけで戦ったなんて 見事な討ち死にでした。

 No.:124   こうへい  - 2006/06/04(日) 21:14
紀州犬の死
村の随分上の方で、イノシシ除けに飼われていた白い紀州犬。

一年ほど前、イノシシと闘って死んだと、今日、聞いた。

恐くて、とうとう側を通れなかったけれど、居なくなった山道はちょっと淋しい。

 No.:123   こうへい  - 2006/06/03(土) 15:44
ホタルの季節
わずかに残った家の前の小川。

ホタルが飛んでるのかなあ。

去年、3匹見たけど。

帰ってくる一時半だと、ホタルも寝てる(^○^)

 No.:122   ヤゾー  - 2006/06/02(金) 18:48
ホタルの季節
みなさん こんばんわ
昨日は真夏日だったのに 今日の日暮れは肌寒いです。
小川ではホタルが飛びはじめましたが
なにやら 動悸というか胸騒ぎのを覚えるような
自然の感じも いつもとは違うような気がする今日この頃であります。

はなさん はじめまして
自分も三、四年前に大江町の元伊勢神社へお参りに行ったことがあります。
丹波地方はサンカにとっても重要な土地とされているようですし
ユダヤというか 隠された歴史を強く感じさせるようなところだったように思います。
また なんでも感じられたことなど ご自由にお書き下さいね。
 
http://www.kumanolife.com/Topics/9.15.html

yoshikoさん 客観的に自分の顔を判断するのって難しいですね。
オリジンヤマタイみたいな気もしますが
どちらかというと タヌキオリジンかも知れません。

 No.:121   はな  - 2006/06/02(金) 09:46
無題
Mailhana..5868.rry@w7.dion.ne.jp
投稿が、重複してしまい、また間違いもありごめんなさい(>_<)  
プレビューのつもりだったのです。これから注意しますね。

 No.:120   はな  - 2006/06/02(金) 09:39
はじめまして。
Mailhana..5868.rry@w7.dion.ne.jp
はじめまして。 昔からユダヤ、サンカ、忍者〜 などに強く惹きつけられているひとりです。
以前は、本を読んだり〜(私は、どちらかというと巫女体質で、自分はユダヤの方ではないか、とほぼ
確信しています)〜かなり掘り下げてマイペースに研究していましたが、この数年は、日々に追われ
このことは、意識の下にしまって、日常生活をしていました。  しかしながら、この所、やはり
血がさわぐ〜というのでしょうか。 いろんなことが重なり、(現)京都府大江町にある、元伊勢神社へ
突き動かされるように行ってきました。 原生林に近い山々から、あなたたちの、そして私の〜 はるか昔の仲間たちから、色々なメッセージが聞こえてくるようでした。 もともと、先祖が秦の川勝(丹波部族)に由来しているのでより強く、感じられたのかもしれません。 私は先ほども、申し上げた通り、古代ユダヤの系列に大変、近しいインスピレーションを持っていますが、サンカにも強く、強く惹かれ、風の王国にあったような山を走りぬけて、サンカの方に助けられた記憶が、どこか深いところに確かにあります。
あなたと違い、勉強で、というより感覚的な記述に山を走りぬけて、サンカの方に助けられた記憶が、どこか深いところに確かにあります。なってしまいますが、研究されていることは、すばらしく
感動したので、書き込みさせていただきました。またこれから、ちょくちょく遊びにこさせていただいて
よろしいですか?

 No.:119   はな  - 2006/06/02(金) 09:35
はじめまして。
Mailhana..5868.rry@w7.dion.ne.jp
はじめまして。 昔からユダヤ、サンカ、忍者〜 などに強く惹きつけられているひとりです。
以前は、本を読んだり〜(私は、どちらかというと巫女体質で、自分はユダヤの方ではないか、とほぼ
確信しています)〜かなり掘り下げてマイペースに研究していましたが、この数年は、日々に追われ
このことは、意識の下にしまって、日常生活をしていました。  しかしながら、この所、やはり
血がさわぐ〜というのでしょうか。 いろんなことが重なり、(現)京都府大江町にある、元伊勢神社へ
突き動かされるように行ってきました。 原生林に近い山々から、あなたたちの、そして私の〜 はるか昔の仲間たちから、色々なメッセージが聞こえてくるようでした。 もともと、先祖が秦の川勝(丹波部族)に由来しているのでより強く、感じられたのかもしれません。 私は先ほども、申し上げた通り、古代ユダヤの系列に大変、近しいインスピレーションを持っていますが、サンカにも強く、強く惹かれ、風の王国にあった
山を走りぬけて、サンカの方に助けられた記憶が、どこか深いところに確かにあります。
あなたと違い、勉強で、というより感覚的な記述になってしまいますが、研究されていることは、すばらしく
感動したので、書き込みさせていただきました。またこれから、ちょくちょく遊びにこさせていただいて
よろしいですか?

 No.:118   こうへい  - 2006/05/28(日) 23:32
水俣のカゴ屋さん
こんばんは
ご無沙汰です。

刑務所に何回も入れられながらもみんなの為に闘う人。強力な嫌がらせを受ける協力者。
金なんか要らない、病気が消えて欲しいと話すひと。
子供たちに伝える語り部となった「闘士」のおくさん。
胸を打たれました。

国の冷たい対応に、怒りを覚えました。

これからも、問い続ける問題ですね。

海が綺麗になったのは、嬉しいことですね。

でも、苦しみを訴える人、やり場のない人々の顔が、焼き付いて離れません。


 No.:117   水俣のカゴ屋  - 2006/05/28(日) 22:44
こうへいさんへ
いつか、しょけづくりどんの名前で投稿したカゴ屋です。
ご無沙汰してます。

水俣病は、決してもう終わったものではなく、今も、そしてこれからも、
私達にどう生きていくかを問い続けているものだと思います。

今月1日の慰霊式では、環境大臣が出席してコメントもありましたが、しかし、
私は、患者ご自身の悲痛な訴え、朗読が、一番心に染み入りました。

水俣の海は、今、サンゴの生息が確認されるほどにきれいな海に回復しています。

 No.:116   こうへい  - 2006/05/28(日) 12:44
水俣病
テレビでみました。
病気の苦しみと差別と貧困の中に生きてきた、水俣病の人たち。
差別に耐えて、戦ってきた援護する人たち。
国の責任が認められても、新しい認定はしないという国。
差別を恐れて、患者だと言えなかった人。
医者にかかるる事さえ出来なかったひと。
そういう現実をどう考えているのか。

苦しみのうちに死んでいった人たち。
今も苦しんでいる人たち。
水俣は、終わらない・・

慰霊の日に、小泉さんは出席しないという・・

美しい山河、ふるさと、愛する人たち、素晴らしい先人たち・・

そんなものに触れながら、そんな中から、国を愛する心が育っていくと思う。

愛国心を教育指導せよ・・とは、

もっと、するべき事があるのでは・・

かつて通ってきた道を、再び通らせる意図ががあるなら、とんでもない話だと思う。

 No.:115   こうへい  - 2006/05/27(土) 20:43
カオロジイ
ネオオリジン・・って出ました・・が、
著名人とは、似てないなあ(^ニ^)

 No.:114   yoshiko  - 2006/05/25(木) 13:16
こんにちわ
水俣のカゴ屋さん、はじめまして
どうも有難うございます!

やなさんのおっしゃる
「遠慮しないで言いたいことを言える関係」も
同じくらい大切なことだと思っています^^

やぞーさん、「カオロジィ」面白いです!
でも、自分の顔のタイプが上手く見つけられません(涙)
何故でしょう?
やぞーさん、一回で確定できましたか?


 No.:113   ヤゾー  - 2006/05/23(火) 23:13
呉善花&カオロジィ
みなさん こんばんわ
ほんとに雨の多い五月です。

ヨーカンさん yoshikoさん とてもよいお話を聞かせていただきました。
お互いにおもいやるという一言に尽きますね。
また ヤナさんのいうところの 争うのではなく 
遠慮なく言うべきことは言える関係というのも大切だと思います。
しかし どこの国にもワカランチンというのは居ますから
良識のある人の声が大きくなることを願うばかりです。

在日作家の呉善花さんを紹介したページ 

http://kamomiya.ddo.jp/%5CInfo%5CZenka.htm

前歯が上顎の裏にあります。
しかし縄文系の粘性耳垢で体毛は濃い方です。
どちらの血の方が濃いのかなと思い
日本人の顔を独自の手法で7つの系統に分ける
カオロジィってのをやってみました。
みなさんも面白いから やってみて下さい。

http://www.gakusei.ne.jp/kaology/

 No.:112   196  - 2006/05/23(火) 14:59
みなさんこんにちは
縄文人と弥生人の決定的違い!
縄文人は前歯もかみ合っているが、
弥生人は下顎の前歯が上顎の前歯の裏にあり、しかも当たっていない。

昔話の鬼って、縄文人なんでしょうか?先日テレビでそんなような説を知りました。

読みに無理やり漢字をあてたような地名の所って、縄文人が住んでいた所なんでしょうか???


 No.:111   やなぎむし  - 2006/05/23(火) 00:26
思いやりと・・仲間意識・・
くまののおじさんたちといっしょやたら・・
 15人はその後にはいれますよぅ・・
      遠慮だけがお付き合いやおませんよぅ!!

  ヨーカンさん・・言いたい事も言われへんかったら・・んんん
 なんや上面だけのお付き合いなんとちゃいますやろかぁ・・
   まあなんですねぇ・・
     ええのんとちゃいますやろかぁ
   言いたいこということ・・
    何年もやってるうちに・・んんん
   そのうちに・・なんぞみえてきますわなぁ・・


   雨降って・痔が痛い!!・・
   そんなことわざ・・・・・・・・おまへんかぁ??

  

 No.:110   水俣のカゴ屋  - 2006/05/23(火) 00:09
下のyoshikoさんの話
電話BOXの話、私は初めて聞きました。
なんかあまりにもいい話で、思わず、ホント久しぶりに書き込みさせていただきました。

 No.:109   yoshiko  - 2006/05/22(月) 14:44
ヨーカンさん
ヨーカンさんの解決策大賛成でーす!

ヨーカンさんのカキコで昔聞いたお話を思い出しました。
有名な話なのでご存知の方も多いと思いますが・・・

最近、少なくなった電話BOXですが
あの中に無理から人を押し込むと10名以上の
人間が収納できるそうです。
実験で見ず知らずのいろいろな人を集めて
電話BOXにギューギューに押込んだところ
(人数うろ覚えですスミマセン)
13名の人が中に納まったそうです。

で、いったん13名を外にだして
しばらくの間、談笑する時間を作り
その後、もう一度13名を電話BOXに詰め込もうとしたところ
どう頑張っても再び13名を押込むことは
できなかったそうです。

わずかでも個々に交流を持ったことによって
お互いに思いやりの心が芽生えたんですね。

争うことも人間の本質の一部なのでしょうけど
他者を思いやる優しさも人間の本質には
含まれているように思います。

とは言っても、現実はやぞーさんのおっしゃるように
いろいろと難しそう!

あー、なんか何が言いたいのかよくわからない
文章になってしまいました。
失礼しました〜!

 No.:108   ヨーカン  - 2006/05/21(日) 21:02
蕗とり
ちょっと話しがずれるかもしれませんが まあ少しきいてください
 昨年の今頃 里山で蕗を採っておりました
 林道にそって夢中になって採取しておりましたら声がきこえました
「そこの蕗はおいといてくれんかいなあ〜」
 きがつくと川向こうに民家がありそこから声が聞こえてきます
「年寄りが楽しみにしておるさかいにのう・・」
 
 しばらくして私と連れ合いは言葉の意味合いがやっと理解できました
 はるか向うのオジサンに頭をさげて なんとも複雑な気分でそこをはなれました
 後悔先にたたずを 絵に描いたようなもんです

通り過ぎるもの あるいは新しくきたものは 気が付かずに其処にある文化をふんずけてしまうことがあるんではありますまいか・
 田舎暮らしに憧れる昨今ではありますが 心しなくてはならぬことと自戒しています
 民族間の問題はさらに互いに心せねばならんとおもいます
古来よりの歴史はそんな悠長なことではありませんが 渡来人の連れ合いとは 相手の気持ちを理解しあえれば うまくいってますよ(いまんとこは・・??)
 新潟の民団があえて総連との和解を見送った記事があります
 時流に流されず独自の方針をとった事に注目しています
 争うのではなくて ええええ〜と・・
   みんなでいっしょに 山にのぼって 魚釣りして 解決せんじゃろか
    あかんかな??
 
 

 No.:107   ヤゾー  - 2006/05/17(水) 21:50
雨の多い五月です
みなさん こんばんわ
またまた冷たい雨が降ってます。

東沢さん そうですね。まっとうに暮らしている在日の人たちとは
わだかまりのない良い関係を保てるようにしたいですね。
親しくさせていただいている在日の人たちは どの方も情が深くて魅力的な人たちです。
某匿名巨大掲示板等を読んでいると嫌中韓の意見が目立ちます。
一部の人たちの組織的な投稿もあるのかも知れませんが
ネットとは無関係な人の中にも 同じような意見が増えてきたように思います。
たかじんの何でも言って委員会とう番組の中で
宮崎哲弥氏が若い世代のなかで嫌中韓の人が増えてきているという発言を何度もしていますが
現状では それも仕方がないのかも知れません。
もちろん どちら側にも問題があると思います。
お互いの悪いことも良いことも 白日のもとにさらし その上で良識のる人たちが友好を築くようにしないと
いずれ 数年のうちに南北が統一して 日本とはかなり不穏な関係に発展しそうな気配です。

隣国と険悪な関係になるのは お互い損だとは思うのですが
漁夫の利を得るのは誰なんでしょうね。

日本って 色んな意味でなかなかよい国だとは思うのですが
政治家が なんていうか情けないですねぇ。国民の意識が低すぎたからなのでしょうね。
幕末頃 熊野の鄙びた温泉宿で 籠に入れられた捨子として生まれた山本玄峰という坊さんがいます。
その弟子ともいえる人に元日本共産党書記長にして 国士の中の国士といわれた田中清玄の
この程度の人間が日本を動かしているのか 情けなや という言葉が浮かんできます。

竹島問題についてですが 心情的には紛争(戦争ではなくあくまでも紛争)もやむなしという思いもありますが
不法占拠を許した日本側にも問題がありすぎるので 現状のままでも仕方がないと思ったりします。
しかし 韓国議員の対馬領土紛争化発言等については 国家として毅然とした態度で対処してもらいたいものです。
過激な反日も嫌韓も 一部の人たちだけであって欲しいものです。

 No.:106   東沢美史  - 2006/05/16(火) 07:49
ツラン民族の神話と「さんかの山」の伝説は同じルーツかも
ヤゾーさん

亡くなる前、必死に伝えようとした言葉の記録、読ませていただきました。来月に起こるとした関東や宮城の巨大地震、現実に起きることは有り得ないとおもいますが、妙に気になる予言でした。
竹島問題や愛国心のことから基本的なお考え、お気持ちが聞けて良かったです。朝鮮や在日朝鮮の人達とわだかまり無い気持ちの良い関係を築くため、あえて厳しく書かれたと理解しました。

サンカ山の調査、研究は夕方の短い時間にですが歴史資料室に通って資料を少しづつ収集してだいぶ貯まってきました。
山窩研究者に山窩がいないとされてきた東北ですが、柳田國男や三角寛はもちろん記紀も読んだことのない明治生まれの農村の人々によってサンカ山信仰が語り伝えられていました。
その調べものの最中に公立図書館で本棚の太田龍氏(名前の漢字が違いますが新左翼運動に詳しい人なら皆知ってるはずのかつての太田竜氏)の本『古代シュメールは日本に封印された 日本文芸社』をパラッと見て驚いたのですが、彼が言うツラン神話と宮城、岩手に伝わる「さんか山」が出てくる継子殺しの語り「ウグイスになった娘」などに出てくる伝説は似てます。正義、悪の立場は変わるとも、ツランでは太陽の御子、月の子が、陸奥では、お天道(日)様、お月、お星が登場人物名として出てきます。この話しは「お月お星」という題名で多く出版されているようです。

シュメールの研究者達ってなぜ、古代の全てを説明しつくし、何でも知ってるのか。不思議というか不気味というか、空恐ろしいです (~o~)。

昔の東北の農村の人たちの話の内容からは、家が無く漂流してたサンカと解釈できてしまう側面(泊まりの箍掛け、六十六部)もあることはありますが、それよりも「さんかの山」が人の運命や来年の命の保証を行なう年徳神(大歳神)や山の神や鬼の性格を持ってると多くの伝説の断片から感じました。

岩波書店や角川書店の文庫でも読めるとおもいますが、そうすると陸奥の「サンカ山」の概念は柳田國男の『海上の道』(私は島尾敏雄が解説した筑摩叢書のを読みました)で示されたサンカの姿にかなり近いと言えるようです。名著と言われるわりに正確に読解するにはかなり難儀するように書かれてるこの本の、奄美や沖縄など南西諸島の民俗風習をたくさん描いた中に、若き日に強く憧れたサンカの真の姿を極端に短い行でこっそり書き挟んでいたのですね。

資料の確認は膨大ですのでまだまだ遅れますが必ずお伝えしますし、テープや資料を、お送りいたしますね。さんか山の画像は奥山に入ってしまったら山がたくさんあって、どの山なのか解からなくなってしまったし、また今日はタラの芽があってそれを取ってるうちに暗くなったのでもう少しお待ちください。

(おととい投稿したのを書き直し再投稿させていただきました)

 No.:105   黒塗りあふぅ  - 2006/05/14(日) 20:15
ツランに惹かれつつも
フィリピンが大航海時代の影響を受けたのも、
長いとはいえ500年ほど、
国家の利害関係など2,30年の視野の話です。

歴史は素人なのですが、
1万年前の海面上昇までは南アジアとのつながりが強くて、
それが南方モンゴロイドとの接点ですか?

血や民族に拘泥しすぎるのは、
それ以上に大切な何かが人間にあるとすれば、つまらぬこと。
しかし歴史は人間の思考に影響を持つから、
歴史の流れを明確にするのは、
歪みのない人間、共同体同士の関係にとって必須。
歴史の研究対象から比、印を排除する理由はない(苦笑)
日本支部を大切にしない理由もない。

サンカが負け組で歴史から消えかかっているからこそ(失礼)、
言語、生活、思考、サンカの歴史を無理やりにでも注意し続けることが、
思考につながると思っています。
このホームページで「現代日本語、ひらがな、カタカナ」を用い、
神体文字やシュメル語で書けないのも歴史の流れ。

シュメール、サンカ、熊野の視点からの歴史研究楽しみにしています。

 No.:104   tombo  - 2006/05/14(日) 11:38
返信!
わたしは誰→黒塗りアフ
と、ハンドルネームで連歌を楽しんでいるようですね。^^;



南方モンゴロイド系(古マレー族)は、
比国来島が30,000年前頃、
沖縄には20,000年以前、九州・東北には12,000年以前には到達していたでしょう。

シュメールの痕跡は紀元前9,000年頃にメソポタミアにある。
シュメールの粘土カウンター(トウケン)が出土しています。
この粘土カウンターが、紀元前8,000年頃には現在のパキスタンから出土しています。
この時間軸でシュメールは最初のミッシングとなった。

比国とインドの最初の交流時間軸はわかりませんが、
http://6556.teacup.com/shugyo/bbs 、
5月12日の投稿画像から、紀元前2,500年には比国との関係が明らかです。

紀元前2500年頃は、世界に類例を見ない火焔冠土器が列島から出土しています。

古事記のイザナギ・イサナキの国生み神話は此の時間軸に嵌めて善しとしたいところです。

サンカはインド経由のシュメールと深く係わっていると考えています。
只、サンカは負け組でしょう。

神武から推古までは、インド経由のシュメールの色は濃厚でしょう。

これが、tombo の本線です。

聖徳太子と深く係わっている、四天王寺は4、法隆寺はは8です。
沖縄の4本柱・8本柱の神アシャギ、田和山遺跡の4本・8本の柱跡と同じ。

織田信長の安土城は天守閣は不定形な8角形、4階には、6畳・8畳・12畳の部屋を作っていた。 正8角形の部屋もある。4階の4・・・・・

比国のチョコレート・ヒルスの山の数は、1268個です。
インドの8は この8です。

 No.:103   管理人ヤゾー  - 2006/05/13(土) 19:07
私は誰さんへ
悪質アダルト業者の投稿を弾くように
URLを二つ以上書き込むと管理用ページの方へ書き出されるようになっています。
先程 管理用ページを見て 私は誰さんの投稿を復活しました。

 No.:102   黒塗りアフー  - 2006/05/13(土) 00:39
ツラン、サンカ、シュメール
私は誰でございます。tomboさんに引き続き教えて頂きます。
荒川静香に啓発されたのですが(苦笑)、

http://6556.teacup.com/shugyo/bbs?OF=230&BD=10&CH=5
「トランシルヴァニアから出土した紀元前4000年頃の文字は、
サンカ文字と同じ方法で読まなければならない。」

http://blogs.dion.ne.jp/enoch365mokurai/archives/1697998.html
「ツラン平原のツランとはスメル語で、天子、天の保持者、天の帯などを意味する。
BC8000年頃、スメル帝国の最初の中心地はメソポタミアにあった。
BC3000年頃、アフリカからきたセム族に追い出されて、
「アラル海」周辺の平原へ移動した、爾来、ツラン平原と称されようになった。」

http://blog.goo.ne.jp/north_eurasia/e/2ffb90126ce018b9e1f891b780f62827
「ツラン民族の分布域は…
北ユーラシアと中央ユーラシアを合わせたものとほぼ重なってしまう。」

トランシルヴァニアはインド・ヨーロッパ語系のダキア人が住んでいた。
トランシルヴァニアの「トラン」が「ツラン」で、
サンカの文字と同系だとすれば、
シュメール、ツラン、サンカは強い関係を持っているのですかね?
それで古代文字にシュメールが強い影響を持っているのでございましょうか?

 No.:101   ヤゾー  - 2006/05/13(土) 13:50
激動の時代
みなさん こんにちわ
今日は冷たい雨です。
ここのところ ようさん雨が降ります。

今現在 世界的にみても 日本にとっても 大きな変革期であることは
何年も前から強く感じてはきましたが
そのことを実感させるニュースが増えてきました。

竹島問題があってから ネット上の情報をくまなく見てまわりましたが
中国や韓国の歴史を捏造してまでの反日政策に対して
強行な意見いう人が増えてきているようです。

勝谷雅彦氏の竹島潜入レポートや対馬レポートを見ると
対馬に大挙して押し寄せる韓国人観光客の中には
対馬は本来韓国の領土であるといきまいている人もいて
問題の難しさを強く感じさせます。
理想は国境なんてないにこしたことはないと思いますし
平和が一番よいにきまってますが
国と国との関係は そんな理想ではなかなか解決できないものがあるようです。

元社会党委員長について 
ネットでは帰化した朝鮮人だとう情報がありましたが
月刊WILL5月号には そのことを事実として書いているようです。
そういったことは一例に過ぎず そういう勢力の影響で
日本の政治が動いてきたのは疑いようのない事実だったと思います。
いままでは そういうこともありだったのかなとも思いますし
戦後 日本において 力道山をはじめとして
半島系の人が夢を与えたということもあったと思います。
しかし 今の流れを見ていると
反日という姿勢であれば それなりの処遇は必然だと思いますし
この国で立派に生きている在日の人たちには 
胸をはって半島系日本人として生きられる国であって欲しいと思います。
そういうことを考えているときに見つけた
とても勉強になるページです。

http://teri.2ch.net/korea/kako/997/997088334.html

一部の政治家たちが愛国心を憲法で強制しようとしているようですが
どこまでアホかと言いたい気分です。
そういう政治家たちがいうところの愛国心には嫌なものを感じますし断固否定したい思いです。
またそういう政治家に限って 本来 愛国心の基本である風土 
美しい海岸線や川を利権によって破壊してきたように思います。
自分としては もともと思想的というより 感性というか感覚的に右寄りなので
左巻き売国姿勢より 右傾化愛国することには否定的ではないのですが
あまり極端に右傾化されると 再び大きな過ちを犯しそうなので
そうならないように 冷静さと賢さが必要だと思ったりします。

ある方の意見ですが 地政学的にみて
大陸国家と日本のような海洋国家は
軍事的には多少の緊張をはらみつつも
経済的には相互に依存しつつ
文化的には競争しあったり認めあったりするのが
いちばんバランスがよく嘘いつわりのない関係が築けるものなのだそうです。

石油や食料についての書き込みがありましたので、
予言めいたことは話100分の一程度に心の留めておくものだとは思いますが
信頼できる人の中にも似たようなビジョンを持つ人が居たりするので
少し気になったページをリンクしておきます。

http://www.unity-design.jp/unity_slowlifecafe/slc06_saigai/slc0605_vision/slc060%82T_vision.html

 No.:100   こうへい  - 2006/05/13(土) 10:27
石器時代
縄文人は、火を使ってました。
土器で煮炊きもするし、ドングリのアクヌキまで。
栗の栽培もしてたようです。
自然に手を加えることで、単なる開発でなく、整備されていたんでしょう。
肉は、焼き肉もしたでしょうし、薫製を作った跡も残っています。
米も水耕でない栽培してたようですね。
魚捕りの網も、今の編む道具が、同じ形で既にあったようです。

縄文時代の一万年の間に、現在ある道具の殆どは、既にあったのではないでしょうか。

石器にしても、金属が手に入らない地方では、ずっと使われて居たでしょう。

もののけ姫の、アシタカが石のヤジリを使ってたように、いつ頃まで使われていたか、わかりませんね。

ボクも、石器は作っても、実際使ったことがないでは、役に立ちませんね(^○^)

 No.:99   やなぎむし  - 2006/05/13(土) 02:50
捨てた物やおませんよぅ
わたしんとことお取引のある新潟の農家の方は、まあなんやねぇ
 日本の人口の4000万人はなんとか食えるやろうと言うたはります
  ただし、インドの断食並み生活でやそうです
    嬉しいようなかなしいような・・・・

先ほどまで、ミャンマーの山岳民族のビデオ見てました
  とおにのおなってしまいました・・人とのかかわりの大切さと森の精霊への感謝の念
      また思い起こすことができました・・
 素朴に生きる民族との決定的な違いは・・
    金銭で物事判断することとちゃいますやろかぁ・・
 こんなんしたら損やとか・・
    相手のことも考えず・・得したや・・損したやしか考えてへんのんとちゃいますやろか

 もし原油や輸入が途絶えたら・・・・
   すぐに大都市は機能麻痺でしょうねぇ・・
  ごみの回収もおませんよってに、ごみだらけ!!
  あれが嫌いやこれが嫌いやなんていうてられませんよぅ
      金のおかげで、大都市は成り立ってます

   デフレも怖いけどインフレもほんまに怖いですよぅ・・
    少しのインフレは国のためにはええのんやけれど・・
     アホほどのインフレは、考えただけでもぞっとしますねぇ・・

でも日本の国って結構オタクのかたいてはりますねぇ・・
    オタク・オタクでもいろんな面においてのオタクですよぅ
 特に省エネおたくの研究は世界に誇れるものがおますねぇ・・すばらしい
     まだまだ捨てたモンやおません・・・・・が!!

  世界とお付き合いがもしとつ上手やない政治家さんには・・・んんんん
  もっと、もっと・もっと、もっと、もっと・もっと・勉強してもろてすこしでも
    私らを飢えから守ってほしいモンですねぇ・・

        飢えた大人を見たくない!!
     そんな言葉を読んだ覚えがあります・・
      飢えた大人は子供より醜く残酷で恐ろしいってことなんやろねぇ・

   しかしなんですねぇ・・仕事が暇でブクブク肥えてる自分って情けなぁって思いますわ
          
  おおおおおぃ・・KOIZUMIワシらに仕事回してくデーーぇ
                  たのむわ・・・ほな

 

 No.:98   東沢美史  - 2006/05/13(土) 00:23
もし戦争で原油輸入が途絶えたら
>No.:97
お知らせありがとうございます。
石器時代と青銅器や鉄器の時代との違いは何なのだろうか。鉄を溶かさなければ鉄器は作れないのだから火が起せたということか。石器時代にも火をおこしたかもしれないが、火が無くとも石器は作れる。でも火を知らなかった石器時代は生肉ばかりで焼肉の美味しさは知る由も無かった。あーあ、かわいそうに。
カゴを編むのに石器があれば草や木の皮や蔓(つる)などで作れるが、竹は硬いので難しそう。よって比較すれば草木のカゴが古く竹カゴはそれより新しいと言える。

こちらでは実験考古学の先生がたまにテレビに出ます。発掘現場や博物館で展示物を見るだけでなく実際に太古の人達と同じ道具を使って当時の生活を再現してみる。とっても大事なことですね。めんどうくさいけど。火を熾(おこ)すのなんか特に。

話しはちょっと変わりますが原油高のせいでガソリン代が高くなってこの頃は経済的にきつくブルーな気分です。同業者の廃業も相次ぎ、岩手ではほぼ全滅したようです。だけど関東や中部地方からやって来るカゴ屋さん達は偉いです。元気に今年も宮城に売りにやって来ました。コストをかけず自動車じゃなく徒歩で民家を廻ってることが長続きの秘訣なのかもしれません。

しかし、もしなんですが、中東か南アジア(スリランカが現在政情不安)で戦争でも起きて原油輸入がストップしたら1億2千万人の日本人の全員が飢え死せず輸入再開するまで無事に生き残れるだろうかと考えることがあります。
火力発電がダメでも水力や原子力発電があるから少しは電気が使えるだろうが、稲作や畑作や漁業はどうなるのだろう。自動車はもちろんトラクターや漁船もみんなストップしてしまう。そうしたら昭和30年代みたいに牛馬の鼻緒を取って田畑を耕し、船を漕いで漁をし、米野菜・魚を国内自給しなければならなくなる。
今の若い人ばかりか中年の世代だって昔の農漁業の方法を知らない。そうなったら大正や昭和一桁生まれのご年配の世代に教えを請うて一から学んで実践していくしかないだろう。

ただし原油がストップするということは河川に流される化学製品や農薬、除草剤も減り、水は清くきれいになりオカズになる魚貝類が自然と増えるということにもなる。
KUMANO LIFE常連の釣り師の皆さんが、食べられないとばかり思ってたブラックバスが元々本来は食用だと教えてくれた。アメリカザリガニやライギョも同じく食用。それもなかなか美味らしいということは意外にもラッキーなことでした。
また、もし牛馬を使って田畑を耕すのが解からないときはおそらく、
こうへいさんが全国に向けて「風の王国」で画像入りで教えてくれるでしょうから、
KUMANO LIFE仲間はまずもって安泰・・・ですね、(^_^)v 。
しばらくぶりの絵文字、気恥かしいです、(^^ゞ 。

まあ、私としては欧陽菲菲(オーヤンフィフィー)さんのように「♪指をからめて」戦争が起こらないように祈るしかないけど、1970年代ころは石油資源が枯渇する21世紀までに石油に代わる代替エネルギーが天才的な科学者達によって開発されてるだろうとの予測もあったけど、受験競争があんなに過熱してた日本列島なのになぜか天才、とうとう出なかったようですね。



 No.:97   こうへい  - 2006/05/12(金) 13:31
仙台市にフランスから石器作り名人が
やってくる。
お近くの人は、ぜひ(^-^)

http://www.city.sendai.jp/kyouiku/chiteinomori/event/event200606/index.html

 No.:95   tombo  - 2006/05/09(火) 11:44
神武
古事記は1・4・8の流れの神武東征。
日本書紀は、3・5・10の流れの神武東征。

特に、日本書紀は、シュメール文字の構造を基としなければ理解が難しい。


古事記も日本書紀もフィクションでしょう。

 No.:94   私は誰?  - 2006/05/03(水) 17:30
サンカ語や豊国文字は
Mailterotaisaku@hotmail.co.jp
始めまして、サンカに興味を持ち始めたのですが、
わからないことだらけで、
熊野ライフさんに教えて頂けると助かります。

http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/html/history/honbun/kojiki.html
こちらを読むと、古事記にはシュメールの流れが残っているが、
そのころ政治的には百済、新羅の影響が強い。

http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/4/index_2.htm
このサイトを読んでいると、
邪馬台国、熊野朝廷も中国の覇権争いに絡んで、
呉、楚、越、魏などの影響が強そうなのですが、
朝廷の公用語は日本書紀にかけてシュメールから新羅、唐の言語へ近づいたが、
古事記の時期までは、言語的には渡来系の言語を、
シュメール、サンカ、豊国文字の読みに同化していた、
ということなんでしょうか?

私は文学好きで中上健二、坂口安吾などからサンカに興味を持ったのですが、
「こじき」より「ふることふみ」と読む言語のほうが、
文章の音が好きで文学の可能性を感じます。

 No.:93   良介  - 2006/05/03(水) 10:59
あせりましたよ!
ヤゾーさん皆さん
御無沙汰してしまいました。
セキュリティー強化のため、此方も調整が手間取り
やっと、ONできるようになりました。
過去記事を拝見させていただき。納得しました訳でして。

ナポレオンですか
いい連休になりそうですね
たまには「東の夜空」を見てね
「シュワスマン・ワハマン彗星」が見れるかも知れません

でわまた〜〜((((BOM




 No.:92   tombo  - 2006/05/02(火) 23:14
若宮線刻絵画石
http://homepage2.nifty.com/deestyle/mysteri/wakamiya/wakamiya.htm
には、

夫婦の雀と熊と山猫+α が居るようですね。

文字は、
mas ga-mas kana と云う文字が確認出来そうです。

mas(シュメール語) は境界、 ga mas で初期の境界。
境界が二度に渡って引かれた事になる。

最初は神武、二度目は雀の仁徳か?

下段に、 ka-na (Brahmi文字)とある。
kana については、三種のkana の書込みが過去ログにあります。

↓画像
http://homepage2.nifty.com/deestyle/mysteri/kuroiwa/kuroiwa.htm
に、
半円に置かれた立ち石もあるようですね、仁徳の印の。

 No.:91   じげもん  - 2006/05/02(火) 18:04
tomboさん
キリマンジャロですか。
いや、ほんとソックリで驚きました。

邪馬台国に関する伝説はこの地にはないのですが、
海からの侵入者を見張るのには最適な場所です。
尖った岩の先端部にあるのですが、
その下部が、過去に剥離した形跡があるので、もしかしたら他にも文字があったのかもしれません。

↓画像
http://homepage2.nifty.com/deestyle/mysteri/kuroiwa/kuroiwa.htm

 No.:90   tombo  - 2006/05/02(火) 17:29
ソックリ賞!
下の画像ならじげもんさんの拓本はそっくりさんですね。。

http://adam.olug.gr.jp/~nesu/img-box//img20060502162503.jpg



1・4・8の流れの根源!


大分は、縄文早期土器からは、3・5・10の流れなのに、
何故、1・4・8のキリマンジャロが大分にあるのであろうか?

鹿児島の1・4・8の流れが大分に入らないとキリマンジャロがあるはずがないにだが。

紀元前660年の神武東征と係わっているのであろうか?

 No.:89   tombo  - 2006/05/02(火) 16:15
無題
じげもんさんの拓本は、邪馬台国のジャ、japan の ja で、
下の画像に似ていますね。

http://images.search.yahoo.co.jp/bin/query?p=%A5%AD%A5%EA%A5%DE%A5%F3%A5%B8%A5%E3%A5%ED&n=5&b=127&c=image&rh=20&d=1&to=129


http://images.search.yahoo.co.jp/bin/query?p=%A5%AD%A5%EA%A5%DE%A5%F3%A5%B8%A5%E3%A5%ED&n=5&b=1&c=image&rh=20&d=1&to=3

 No.:88   じげもん  - 2006/05/01(月) 23:52
神代文字?
大分県日出町豊岡にある黒岩で採集したペトログラフです。
別府湾を一望できる場所にあります。
神代文字でしょうか?
どなたか解説お願いします。

http://deesstyle.cocolog-nifty.com/

 No.:87   ヤゾー  - 2006/04/29(土) 19:39
山小屋に戻ってきました
みなさん こんばんわ
木曜の夜に山小屋に戻りました。

あおきさん 今回はお会いすることができませんでしたが
是非に山小屋の方へ 遊びに来て下さい。

こうへいさんがナポレオンを持って遊びに来て下さいましたが
さて グラスを用意して飲もうと蓋を開けようとしたら・・・
風の王国掲示板に続きは・・・

 No.:86   とんちんかん小僧  - 2006/04/29(土) 01:29
20へえ〜!!
少し前に職場で2009年度の年間台帳を作成中、同僚の女性が素っ頓狂な声を
いきなり張り上げたため思わずビクッと身構えてしまった話です。
僕だけじゃなく他の職場の人も知らなくて(当然ですよね)。
なんと九月に毎年五月にある大型連休と同じくらい長い休みが連なっていたのでした。
20日(日)、21日(敬老の日)、22日(国民の休日)、23日(秋分の日)。
土曜日から休みのところもあるでしょうから5連休ですね。
これ携帯電話のカレンダーを使って作成していたので忘れられない体験になりました。
気になったのでネットで調べたら以前「トリビアの泉」で紹介済みでした。
僕は、それを見て「へえ〜世の中ヒマな人もいるんだなー」と感じずにはいられませんでした。

 No.:85   あおき  - 2006/04/26(水) 13:24
そーなんですか
 ヤゾーさん東京ですか 暇があったら蜜柑さんと飲みましょう
連絡してください

 No.:84   PIKKI  - 2006/04/24(月) 00:44
初歩的なミスお許しを!
URLhttp://www.frpac.or.jp/rst/sem/index.html
「アイヌ文化普及啓発セミナー報告」への直接のアドレスをURLに書き込んでおきます。
あらゆる分野からアイヌについて語られている素晴らしい内容のサイトです。 

 No.:83   こうへい  - 2006/04/24(月) 00:31
追伸
人は、何枚も着込んで、断熱しないと生きられない。・・は、昼間のことです。

 No.:82   こうへい  - 2006/04/23(日) 21:09
ボーンバスティ その2
この村は、3000〜4000メートルの高地で、夜はマイナス20度、昼は50度になるそうです。
人は、何枚も着込んで、断熱しないと生きられない。
森に居る鳥が、獣に襲われて仕方なく飛ぶと、途中であまりの暑さで、落ちるそうです。
それを、人と獣が必死で捕りに行くため、両方命がけだそうです。

今日、ネパールで水晶を採ってるという美人から聞きました・・もう、いいってか(^○^)


 No.:81   こうへい  - 2006/04/23(日) 20:59
ネパールの石器人
何とかいう町から、バイクの後ろに幌をはった乗り物で、8時間走った、ボーンバスティというところ。
森の近くの草原の村だそうですが・・
サイやイノシシを罠で捕らえて、石器を付けた槍でトドメを刺すそうです。
電気がないが、金属は使ってるそうですが、石器も使ってるそうです。
大工も居るそうで、石器屋も居るのかも知れません。

今日、ネパールで水晶を採ってるという美人から聞きました・・(^○^)

 No.:80   ヤゾー  - 2006/04/23(日) 20:22
足が痛い
みなさん こんばんわ

今 東京に居ます。
昨日は蜜柑さんちでお世話になりました。
半日 新しい靴で歩いたら 靴擦れで足が痛くなり
その足を庇って歩いていたら 今度は膝が痛くて歩くのが困難な状態になってしまいました。
普段どこへ行くにもクルマを使うから足が弱っているみたいです。情けない話です。
飛行機から見た富士山の写真を風の王国にアップしました。

PIKKIさん こんばんわ
リンクがどこか間違っているみたいですよ。

 No.:79   こうへい  - 2006/04/22(土) 13:32
あっはっは・・
腹が・・痛い・・笑いすぎ・・・あーっはっは・・大笑い・・・あ〜あ

 No.:78   おりょう  - 2006/04/22(土) 12:40
サンカんざぶろうでござんす
あっしやチーズと思い失敬しゃしたが、石鹸でございましたか。
それではカラスの行水でつかわしていただきますぜ。
へい、ごめんなすって。

 No.:77   yoshiko  - 2006/04/22(土) 11:22
無題
以前、石鹸を食べたら舌が痺れました。
カラスは平気なんでしょうか?
アレッポとかならまだわかるけど「バスボン」とか「Lux」
なんかでもお召し上がりになるのでしょうか?
美白説には思わず笑ってしまいました!

 No.:76   通りすがり@時々  - 2006/04/22(土) 10:06
無題
カラスは石鹸を食べるみたいですよ。
以前、テレビでやってました。

 No.:75   やなぎむし  - 2006/04/22(土) 07:28
美白・・
カラスが石鹸もって行く理由ですかぁ
 そら、きまってますがな
  顔が真っ黒やさかいに洗いますねんがな・・
 ちゃいますやろかぁ??
       ほな

 No.:74   PIKKI  - 2006/04/21(金) 11:54
散花 讃歌 サンカ
URLhttp://http://members.goo.ne.jp/home/pikkibikki
ヤゾーさんみなさんこんにちは
ついさっき、サンカとも何か重大な関係があるかもしれないアイヌ民族の・・
とても貴重な報告集と
戦後ドキメンタリー映画集のリンクを日記に貼ったところです。
この列島の農耕民以外が差別されるようになってしまって・・
特に僕が関心があるのが、それまでは支配的力を持っていた金属加工者や列島先住民文化が濃厚に残ったアイヌ・沖縄です。
彼らとの比較で何か新しい発見が・・と思ってるのですが。




 No.:73   yoshiko  - 2006/04/21(金) 11:40
いたずらカラス
困った悪戯者のカラスです!
私たちにはわからない何かがカラスくんのツボにはまったのでしょうか?
確かにかわいいヒナ達と触れ合う時間はお金では買えない貴重なものですよね^^

 No.:72   ヤゾー  - 2006/04/20(木) 22:06
石鹸泥棒
みなさん こんばんわ

ここのところ 外に置いてある石鹸がなくなるということが何度もありました。
それも新しい石鹸ばかりで そんなもの盗む人はいないと思うし
風で飛んでいったとも思えないし 雨で流れたとも思えないし
不思議だなぁと思っていました。
犯人が判りました。ここのところ朝早くにカラスが鳴くと思ったら
カラスが盗んでいたんです。
あんなもの どうするのでしょう?

yoshikoさん 毎年かわいいヒナの鳴き声が聞けるだけで
充分に恩返ししてくれているような気がします。

こうへいさん 自然に親しんでいますね。
ウグイスの鳴き声って 風情がありますよね。

とんちんかん小僧くん 『バッチギ』は少々偏ったところもあるかも知れませんが
在日の人たちの心情や 当時の熱い人たちを知る上では面白い映画だと思います。
フォークルの歌も良いですね。
それはそれとして 竹島問題と東シナ海問題
そろそろ日本も腹据えて 
冷静に毅然とした対応をするころあいかも知れません。

 No.:71   とんちんかん小僧  - 2006/04/20(木) 16:49
ある日のメール
3時間前に井筒監督の映画『バッチギ』を見て感動して泣いてたよ。
激動の1960年代を知る事も出来て勉強になって良かった。
「フォーク・クルセダーズ」っていうフォークバンドの『イムジン河』という曲を聴いて
自然に涙で目がウルウルになって鼻水をすすってた。
歌詞は朝鮮が南北に別れ、親兄弟も離れ離れになった事を歌ってるんよ。すぐに放送禁止歌
になったけどね。その激動の時代を描いた映画だった。在日の人を中心にしてストーリーが
作られていたので在日の人の内面も知るきっかけを持つ重要な映画だった。

やぞーさん、あの日は忙しい最中、急にお邪魔してすみませんでした。
それでも良いDVD見せてくれてありがとうございました。
東沢さんが掲示板でフォークルについて書いていた時の文章は映画を見た後で読み返して
みてやっと理解しました。今では毎日懐メロを聴かない日はありませんよ。
フォークル最高!!


 No.:70   こうへい  - 2006/04/17(月) 17:09
ウグイス
久しぶりに、山を散歩してきました。
すみれの花が、あちこちに咲いてますねえ。

ウグイスが鳴いてるので、耳を澄ませながら歩いてると・・いろんなヤツが・・

 ホーホケホケキョ・・自信たっぷり

 ホーホケキョ ・・・きっぱりと

 ホーホケキョウ・・・丁寧

ヤゾーさんいましたよ・・ちょっと、自信なげに

 ホ〜ホペチョ ・・

あっはっは、もっと気合い入れて鳴け・・・思わずツッコミ入れてしまいました。

 No.:69   yoshiko  - 2006/04/17(月) 14:49
いい天気ですね!
蜜柑さん、そういう意味だったんですね^^
私がサンカを知ったくらいだから以前よりは
認知度が上がったのかも知れないけど
それでもまだまだ一般的に認知度低いですものね。

やぞーパパ(ママ?)お疲れ様でした!
無事、蛇から守りきりましたね^^
みんな無事に大人になれるといいですね!
そのうち、「ヤマガラの恩返し」があったりして・・・
春のタヌキくん達は元気ですか〜?

 No.:68   ヤゾー  - 2006/04/17(月) 12:11
巣立ち
みなさん こんにちわ
先程 ヤマガラの雛たちは巣立ってゆきました。
親鳥に先導されながら 頼りなさげに木立の方へ消えてゆきました。
今年は少し巣立つのが早い気もしますが これで安心して外出できます。
でも なんかちょっと寂しい気分です。

田殿丹生神社から少し有田川を下ったところに
伏見稲荷より古く 最古ともいわれる糸我稲荷があります。
そこからまた下ったところに 最古級の須佐神社があり
近くには国常立命を祭った立神社というのもあったりします。
その辺りから銅鐸やがいくつか出てきたという話もあり
田殿丹生神社の近くの古墳の調査に携わった人から聞いた話では
縄文時代からの複合遺跡ではないかとのことでした。

田殿丹生神社の写真

http://www.kumanolife.com/Topics/8.31.html

 No.:67   こうへい  - 2006/04/16(日) 17:34
おりょうさん ありがとう
捜して、読んでみます。
うーん、日本一ですか。
役行者や、空海、丹生津姫・・の足跡がいっぱいの、吉野、天川のようです。
銅、鉄、水銀・・鉱脈は豊富みたいです。

鬼も、銅や鉄ばかりでなく、水銀もなんですね。

貴重な情報、ありがとうございます(^○^)

 No.:66   おりょう  - 2006/04/16(日) 16:00
こうへいさん
沢史生「鬼の日本史」下に、吉野に、丹生川上神社下、中、上社や水銀、丹生津姫などについて相当詳しく書いてありますよー。日本一大きな水銀工場もあったらしいです。
市毛勲「朱の考古学」雄山角 昭和50年
松田寿男「古代の朱」学生社 昭和50年

最近、アサヒ屋書店民俗学コーナ縮小してしまいました。

 No.:65   蜜柑  - 2006/04/16(日) 12:11
”よく”って言われてもね
一般向けの本で
「よく山窩がもっている」と言われても、
(理解できる人がどれほどいるのか)
という点に驚いたんです。

 No.:64   こうへい  - 2006/04/16(日) 02:53
ツトッコさん こんばんわ
ありがとうございます。
そうですか、行かれたのですね。
雰囲気の良い神社のようですね。
神社の前の川、見てみます。
辰砂?なのかな、硫化水銀なのかな?
そうですね、神社の赤い丹塗りは、水銀だったそうですね。
古墳の石棺にも、防腐剤として、赤い液体にして、遺体を浸けていたそうですね。
赤チンは、水銀が入っていたので、乾くと銀色に光ってましたね。
水銀の入ってたころの赤チンの方が、良く効いた気がします(^^)
ありがとうございました。

 No.:63   ツトッコ  - 2006/04/15(土) 21:32
丹生川上神社下社
こうへいさん、こんばんは。
丹生川上神社下社は吉野、天川方面に訪れた時に何度か参拝したことがあります。確か拝殿の裏がすぐ山になっていて拝殿から屋根付の階段で本殿に繋がっている不思議なつくりの神社だった記憶があります。階段は結構長かったきがします。拝殿で参拝している時に本殿のほうから風が吹き下ろしてきてとてもさわやか所です。宮司さんに聞いた話だと神社の前の川には今でも水銀を掘った横穴が沢山残っているみたいです。水銀は多くの社寺で木材の防腐剤として使われたみたいですね。

 No.:62   tomb  - 2006/04/15(土) 14:17
蜜柑さん


tomboの解釈に誤りが有りますか?

「しころ」を取り合えず簡略して書きましたが、ウメガイは直刀なので、
直接、sikru (アッカド語)と言う言葉は使えない(イスラムの蛇型刀なら使える)、
直刀は、直棒のsikkuru から sikru(曲棒) と二者の本質を統合し、広義解釈可能な
gam (シュメール語)の義を借用して初めて、牧杖へと昇華できる。

gamにシュメール組織要素であったビールのkas を接着させる。
kas と言う文字はBI と言う文字を書きます。 

gam + BI → gambi   gambi と言うシュメール語は鶴です。

gambi の mb子音脱落で gai 。 gai と言うシュメル語も鶴です。

これが、 ウメガイのgai ですね。

 No.:61   こうへい  - 2006/04/15(土) 12:29
丹生と三角山
前にもかきましたが・・
有田川流域に田殿丹生神社って、あります。
水銀文化の発祥の地と説明書きにあります。
丹生という地名は、朝鮮半島から渡ってきた水銀の技術者集団の住んだところ、通ったところについてるそうですが。
神社の背後に、ピラミッド型をした三角山があります。
白山という神体山です。しらやま信仰?

吉野に、丹生川上神社下社があります。
上社、中社、下社ってあって、どっちが本物かわからないそうですが。
「神社裏手の道を行くと川越しに六角岩があって古代日本の巨大土木文明を想起するピラミッド(三角山)とかもあります。」という記事を見付けました。
山の名前は不明ですが。

丹生神社と、三角山は、ニコイチなんでしょうか。

水銀技術者集団・・丹生氏の中で、丹生津姫ってどんな存在だったのでしょう?

どなたか、教えてくださいm(__)m

 No.:60   yoshiko  - 2006/04/15(土) 11:24
蜜柑さん
蜜柑さん、初めまして。
それはサンカの認知度が一般的に低いから驚かれたのですか?
それとも、もっと違う理由でびっくりされたのですか?

「サンカの末裔を訪ねて」すごく面白かったです^^
サンカ初心者なのでとても勉強になりました!

 No.:59   tombo  - 2006/04/15(土) 01:46
「しころ」

司教杖(しきょうじょう)は牧杖、あるいはバクルスとも言う、羊飼いの杖に似た形をした、カトリック教会の司教が祭式の時に手に持つ杖。司教の権能と司牧者としてのしるしで、その教区の信徒を牧することを表す。
東方正教会ではジェーズル或いは権杖といい、聖公会では牧杖、及びパストラルスタッフと言う。・・・『ウィキペディア(Wikipedia)』

「しころ」はアッカド語です。
このアッカド語の「しころ」を牧杖に転ずる為には、「しころ」に対比できるシュメール語の持つ力を借りなければ成らないでしょう。
sikru (アッカド語) → gam (シュメール語)として解釈するなら、牧杖とすることができる。
此処に至って初めて、ウメガイに神聖なる兵器の力が与えられる事になる。
が、
その為には、サンカがアッカドとシュメールの混血という条件が満たされなければならない。
と、解釈してみましたがいかがでしょうか?



 No.:58   蜜柑  - 2006/04/14(金) 21:27
いきなり
平成2年発行の
「超能力現象のカラクリ」って言う本を
読んでいたら
「しころ」というのは、よく山窩が持っている両刃の刀である。云々
という記述にビックリ。
いったい読者の何割がこの記述を理解できることやら・・・・

 No.:57   おりょう  - 2006/04/14(金) 20:29
こんばんわ
梅干の種から女郎さんまでいってしまいましたね。
通天閣た〜かいた〜かいは二階の乗りでいくと、梅干のた〜ねは天神さん天神さんは菅原道真道真は怨霊神怨霊神はたたるたたるは恐い恐いは注連縄で閉じこめる閉じこめて天神祭り祭りは命日の二十五日二十五日は女郎さんの二十五匁
つづく。(^_^;)




 No.:56   tombo  - 2006/04/14(金) 11:42
シノガラのシノとは夫婦の事か?
シノガラの妻が死んで、男寡婦になったシノガラは、シノガラではなくなるのではないだろうか。此れがザボオチの本質ではないだろうか。
(夫婦双方にいえることであるが)

zabbu の『人+自身+取り換える(場所)+名声・高名』

「取り換える(場所)」はシノガラという呼ばれ名の交換を意味するととれるからです。

「日本原住民は庶民と純民に分けられシノガラは何世紀の純ヤマト民族」・・・
「シノガラの純日本人は死別するまでは連れ添い、子供を作るため死ねば探してきてツナガリが再婚させる。」・・・・

を読み込んで、シノガラをアッカド語の、sinnu gala+α、sinnu gara+αを検討するとその様に云えそうなのです。

シノガラをアッカド語に置き換えると
sinnu は「歯」ということですが、この sinnu を一重深くすると、nisik ・ kalb と言う言葉がある、此れは「ひと齧りにする歯、つまり犬歯」のことになる。
建速須佐之男(たけはやすさのお)の「建」は主として南方(海路から列島に渡った人)ルートで犬と係わっていると思われる。「速」は主として陸路(大陸)からの渡来で鳥と係わっている。
いま一つ、sinnu と言う言葉がある。
この sinnu は、二つの物が1セットになっている状態の事です。
つまり、夫婦関係のような状態を「 sinnu 」と呼ぶわけです。
ですから、
離婚や夫婦の一方が逝った場合は、シノガラのシノが脱落する事になる。
gara・gara は今回は割愛します。

 No.:55   こうへい  - 2006/04/14(金) 11:15
話を途切れさせたようで・・
失礼しました。

 No.:54   こうへい  - 2006/04/13(木) 11:15
色気のない話で失礼します(-_-メ)
PL法

民法では製品が原因で事故が発生した場合、
メーカーの不法行為責任を問う場合が多いが被害者の訴える側が立証する負担が非常に重く、
従来からメーカーの過失を立証することは難しいと言われて、
現代ではそれが殆ど不可能になってきているためです。

そこで「PL法」では、「過失」を「欠陥」に置き換えることにより立証負担の軽減をされました。


「PL法」の責任主体と責任期間

基本的には製造業者が負う損害賠償責任を規定。その責任期間は事故が発生してから3年間。又、製造業者が出荷してから10年間を超えないこととなっている。
但し、製品自体の欠陥でなく、施工やメンテナンス等サービス行為による場合は従来の「民法」により責任追及がされ、責任期間は20年となっている。

で、ボクのバイク、 1995.7〜販売  2005.8・17事故

 10年と一ヶ月過ぎています。

 あっりゃー、PL法は適用外なのね(◎-◎;)

 わたくしごとで、失礼しました。

 

 No.:53   yoshiko  - 2006/04/13(木) 10:58
訂正!
あらら、何を思ったのかツトッコさんのお名前を
tomboさんと打ち間違えちゃった!
ツトッコさん、tomboさん失礼しました〜(汗)

 No.:52   yoshiko  - 2006/04/13(木) 10:29
無題
小さな梅干の種からこんなに話が
広がるなんて面白いです!
いろいろ勉強になりました^^

ひえー、弁舌さわやかなおりょうさんが
ドモリになってる〜 エ、エライことじゃあ!

tomboさん、尾張と三河ってやっぱり違うんですね!
私は大阪育ちのなんちゃって名古屋人ですが
まだ、ほんの小さかった頃に「お月見泥棒」とか
お祝い事の「餅投げ」に参加させてもらって
楽しかったことを覚えてます。
三河でも「お月見泥棒」とか「餅投げ」のような
風習はあるのでしょうか?

yanaさん、喘息は随分終息してきたようですね!
よかったです^^
遊郭に明るいyanaさんに質問です!
以前から疑問に思っていたのですが
飛田新地のような女郎屋街と福原や雄琴のような
ソープランド街って同じ春を売る商売なのに
形態が違うのがすごく不思議だったんです。
もしかしたら私が違うと思ってるだけで
蓋を開ければ同じなのかもしれませんが。

ずっと前のことですが飛田新地を初めて見た時は
(車の後部座席からですが)本当に驚きました。
平屋の玄関先に下着姿のおねーさんがズラッと
並んで座っている光景はカルチャーショックでした。
町を一段低くして逃げられないようにしていた
造りはそのまま残っているし
時間や花代も30分16000円って・・・うーん
ソープランドより陰惨なカンジがします。


 No.:50   やなぎむし  - 2006/04/12(水) 23:44
天神さん
おこんばんわ・・やなどすぇ
 この二・三日少し調子がよろしおますから・・
 けけっけけ・・お酒よばれましたよぅ
 少しのつもりが・・一杯が二杯・二杯が三杯になりまして
  気が付きましたら・・へへへへ
 れろれろになってしまいましたよう・・けけっけ
     
 おりょうさん、天神祭りは7月の25日菅原道真の縁日やそうですよぅ

  遊郭・岡場所の料金・・太夫・花魁には手が出ないお客さん・・
      25文の遊女を道真の縁日にかけて
           天神て言うたんやそうですよぅ
  そんなお金もない人は・・・
       その次それもだめなら・・
   またその次のお女郎さん・・・
    それがだめな人は端女郎まだその次もあったそうですよう
 そして最後は・・・
   川の柳の下で・・・
  セルフサービスやったりして・・
   えらいすんません・・お下品でした・・

 十手持ちの事をメアカシとか岡引とか言いますよね
  岡場所のめあかしのことを、確か岡引って言うたんとちゃいましたかいねぇ

   へへへへへへへ
  せや・・梅の種の中の天神さん!!
      生のものには青酸の成分があるとかなんとか・・
   聞いた気がしますよぅ・・
      生は止めたほうがよろしおますよぅ・生は危ない!!
   
    へへ酒飲みのたわごとでした・・

                      ほな

 No.:49   おりょう  - 2006/04/12(水) 20:07
天神
tombo さん解り易く解説していただいてありがとうございます。

「座」で思い出しましたけど、義経ジンギスカン説で、義経が蝦夷経由で大陸に渡り、蒙古を支配した証拠に、蒙古には、なんとか座という地名が多くあるんだそうです。地図で確かめたことがないのでわかりませが。
この義経ジンギスカン説、明治18年に「義経再興記」が出版されて大反響だったそうです。

梅干の種割ったのを食べてみましたよー、びみょーな味がしました。
そ、それで、ど、ど、どもってしまいました。

 No.:48   ツトッコ  - 2006/04/12(水) 19:16
梅干の種の中身
やなさん、生まれ育った実家の近くに遊郭の跡がありまして、今では民家になってますけど、独特の町割りと建物が残っています。遊郭の天神は菅原道真の月命日の25日に関係があるみたいですね。
yoshikoさん、梅干の種の中身は食べると頭が良くなると子供の頃に母親に言われました。天神を食べるからなんでしょうね。同じ愛知県でも尾張と三河はやはり違いますね。

 No.:47   こうへい  - 2006/04/12(水) 02:24
yoshikoさん
そうですか。
ありがとうございました(^-^)

 No.:46   ヤゾー  - 2006/04/12(水) 01:38
梅干の種の中身
みなさん こんばんわ
こちらでは大雨が降って
外の作業場が雨漏りで大変でした。

梅干の種の中身は小さな頃からよく食べていました。
物心ついたときから 種の中身のことを天神さんとも呼んでいました。
一時薬草に凝ったことがありましたが
ビワの種を食べて癌が治ったという話があり
その成分としてアミグダリンというのを覚えていました。
梅干の種の中身にもアミグダリンが豊富に含まれるそうです。
ちなみに青梅の状態では種の中身はかなりの毒みたいです。

 No.:45   yoshiko  - 2006/04/11(火) 22:22
ひどい話〜!
こうへいさん
PL法についてのHPでこんなん↓書いてましたよ〜!
ここに書いてるのがホンマやったら消費者センターが
知らないっていうのはオカシイですよね(怒)

問6 製品関連事故による被害の救済について,どこに相談すればよいですか。

------------------------------------------------------------------------
答え 企業の消費者相談窓口や民間に設けられている各種の相談窓口のほか
国,地方公共団体の窓口及び国民生活センター,製品安全協会
各地の消費生活センターなどで相談を受け付けております。
また,この他に被害者救済の充実を図るため,裁判外紛争処理機関として
各地の苦情処理委員会の製品紛争処理機能の充実や
民間における製品分野別の紛争処理体制の整備が進められることになっています。


梅干の種の中身は名古屋の方では「ほとけさん」と
呼ばれてました。
子供の頃この「ほとけさん」を食べると
「どもりになる!」って怒られました。
最近、みのもんたの某健康番組で健康に良いと
紹介されて、うちの祖母がせっせと食べてます。

じげもんさん、祖母はペンチか何かで種を割って取り出して
いるらしいです^^

 No.:44   じげもん  - 2006/04/11(火) 20:59
天神
梅干の種の中身を「天神」というのは、
菅原道真公を祀った「大宰府天満宮」の飛び梅伝説に由来するのかも。
梅干の種を割って中身を食べるのは普通だと思ってました。
味は表現の仕様がありませんが、美味です。
最近はあごも歯も弱ってきましたので無理はしませんが、
皆様も小梅などでご賞味ください。

 No.:43   tombo  - 2006/04/11(火) 20:59
座と坐!
同じ意味の言葉mahhuがあります。
muhhu は『マホ-ロバ』とヤマトタケルの歌にありますね。

muhhu を mahhu に訂正。

おりょうさん
ザボオチは zabbu の『人+自身+取り換える(場所)+名声・高名』に嵌るようです。
『自身』言う文字は、NIの2がつかわれていますが、このNI の2は、『恐怖』と言う言葉でもあるのです。
ザボが恐怖に襲われて落ちて行ったのを、ザボオチというねではないでしょうか?

音韻変化だけで、日本語の祖語は何処だとやっていますが、これだけで正しい祖語を見つけることは難しいと思われます。
それは、祖語音節の子音・母音一音節等の脱落して使われたり、二語が合わさった造語もあると思われるからです。

座という言葉は、シュメール語から来ていると思われます。
ZAと言うシュメール語は『ボートの様な物』ということですが、人を収納する器であり、人が乗り込む(すわる)器であると捉えることができます。

三角氏が座という文字を使わずに坐を使ったのは、アッカド語のzakuを用いていると思われる。zaku のku の脱落です。Kuと言う音は、yuku → yuke の様に、 siroi → siroku の様に変化します。
だから、zaku の本質もzaにあるのでkuを脱落さている。

zakuとは箕の事です。

アッカド語のzaruが箕でしたが、これは一般的な『選別、より分ける』ということばで、
zaku と言う言葉は、精度的・純度的に『選別、より分ける』という言葉になります。

人正坐・坐分けの意味がより明確になったと思われますがいかがでしょうか?

 No.:42   おりょう  - 2006/04/11(火) 19:55
ザボ
あらら!ツトッコさんすみません、坐坊ってザボオチのザボのことだったんですね。見当違いのこと書いてしまって
すみませんでした。
今、「サンカの社会」の本開けて読みましたけど、なんかよくわかりません。一般人がサンカの部内に転入した者を
ザボというとありますね。このザボが三大つづくとハラコになると書いてありますが ザボオチとは一般落ち・・・
三代になるまで「客人」ということなんでしょうか。

やなさん大阪の天神祭りっていつでしょうか?天神祭りにはハモに梅肉酢つけてたべるんでしょ?
遊郭で天神って位があるんですね。




 No.:41   tombo  - 2006/04/11(火) 16:28
復讐と柳と牛
アッカド語に zabbu と言う言葉があります。 同じ意味の言葉に mahhu があります。muhhu は『マホ-ロバ』とヤマトタケルの歌にありますね。

このzabbuが坐坊(ザボ)ではないかと思われる。

八切氏はザボを『新加入者と客人』と2つの使い分けをしているようです。
八切氏はバビロニア語を調べていたようで、イラクではサンカ語で結構通じるとも言っていしたね。バビロニア語はアッカド語です。

zabbu・mahhuが何を意味する言葉かは、表意文字のシュメール語を対比させればよいというのがtomboのやり方。
で、対比してみると、シュメール語も2語有りました。

一つは、『客人』に当てはまりそうです。
文字構成が『人+自身+取り換える(場所)+名声・高名』の4文字です。
『高名であった人が何らかの事情で居住地をかえた』その移り住んだ人を『ザボ』と呼んだ。
今一つの『新加入者』に当てはまるだろうと思われる言葉の文字構成を見て唖然とした。
『目と復讐』・『完壁・完全と柳』・『乱用と牛』が文字構成です。
『目と復讐』と言う文字は通常は『オ〜〜〜!』という気勢の掛け声です。
『復讐と柳と牛』何んともサンカらしい組合わせにみえる。

 No.:40   やなぎむし  - 2006/04/10(月) 22:24
天神
昔の遊郭での順位、太夫・天神・端女郎なんて言うてたそうですよぅ
 この天神は何か意味がおますのんやろかぁ??ねぇ

 No.:39   ツトッコ  - 2006/04/10(月) 21:29
5セブリ1天人
tomboさん、五(いつ)セブリ一天人は三角も言ってますね。

おりょさん、「坐」ですけど「サンカの社会」なんかだと「ハラコとザボ」の次に「坐分け」と説明が続くので単に座る順番のことかもしれませんけど、なんとなく販売の特権的な意味もあるような気がします。

蜜柑さん、昭和37年のセブリ、衣装は三角が持込んだものなんでしょうね。戦後の写真でも昭和37年以前のものは意外と普通の服をきているのが突然おそろいの衣装になるのは不自然ですよね。よくみると、上着なんかきちんと折り目が入っていますしね。この時、女性の内1人だけモンペを履いているのですが、「この女性はザボ(坐坊)だから、赤ネル生活に耐えてゆけない」と三角は説明しています。三角は昔のサンカの服装を再現したかったのか、捏造したのかどちらなんでしょうか?

 No.:38   おりょう  - 2006/04/10(月) 20:09
無題
tomboさん呼び捨てになってしまってすみません。

やぞーさん、字体が変わって読みやすいし柔らかい感じでいいですね

 No.:37   おりょう  - 2006/04/10(月) 20:05
うめぼし、天神、座坊、整数 その他
ツトッコさん坐坊ってなんでしょうか?座とは、鎌倉時代頃、寺社の保護を受けて特定の商品の生産や販売の特権をもち、組織化されていたところで、現在では、東京の銀座が残っていますが、金座、銭座、朱座、秤座とか座のついた地名が、昔はいっぱいあったそうです。それが時代が流れて、織田信長時代から楽市座政策によって、座は盲法師や猿楽や田楽法師などの中世芸能集団によっても組織された。そして、その名残が近世以降の浄瑠璃、歌舞伎興業における座にかわっていったそうです。座頭とまたちがうんでしょうか。

tombo 紅白カラーで赤バケサンカ、白バケサンカは八切説ですね。
サンカの五家族で一テンジンは纏まり易くて、いざの時でも行動がおこしやすいとありましたね。
「古代は生きている」の本に、整数と整色が古代史を解くカギだそうで「ちはたふる」の「ち・は」はペルシャ語の15の意味で「ちはやふる」は15の整数をほめたたえた言葉だそうで、太陽、月、星だそうです。
七五三とか、成田山の祭が一、五、九の月で、ともに15の整数だそうです。

梅干の種がテンジンさんなんですね。
梅干の酸って身体にいいばかりでなくて偉大な力があるんですね。

三角寛さんは写真撮影の時など多少は演出していそうですね。そんな気がします。
はじめさん家のウメガイ、テンジンどこにいってしまったんでしょうね。三角寛さんが持っていったといってましたけど。

 No.:36   こうへい  - 2006/04/10(月) 14:11
原チャブレーキ 消費者センターの巻
2005/10/27(木)11:44 に投稿した分の続きです。

昨日、カミサンの原チャリ整備していて、前ブレーキ分解したら、ブレーキシューのライニングの両端一センチ以上を、サンダーかなにかで削り取ってありました。

新品に交換したとのことでしたが、ブレーキがロックしないように、ライニングの面積を小さくしてました。
メーカーはわかっとるんやないか・・まったく

写真を撮って、今朝、早起きして、和歌山市の消費者センターに出かけました。

ブレーキの欠陥で、転倒するっていうのを、センター長と、もう一人の若い人に、一時間もかけて説明しました。けが人がこれからも出ますよ・・

結果、メカに詳しい人が居ないので、メーカーと話が出来ない・・って言います。
で、メーカーと連絡取ってもらえれば、ボクが説明します・・って言ったら、
悪徳商法なんかは扱いますが、そういうのは、扱いませんって言われました。

早く言ってくれ・・です、まったく(`ヘ´)

2時間以上、無駄にしました。

帰り、バイクやに寄ったら・・メーカーは欠陥は認めんゾー、けが人出たら尚更や。
              下手すると、紀ノ川か、海に浮くゾー

 カミサンの敵討ちや・・討ち死に覚悟じゃ〜

言ったものの・・・???


 No.:35   蜜柑  - 2006/04/10(月) 00:31
昭和37年のセブリは
三角が持って来た布で張ったそうです。(BYはじめ)

 No.:34   tombo  - 2006/04/09(日) 23:55
4・8と5・10のサンカ
『民族別には紀元前からの[姓の最初発音が]エ系列[の人々の祖先]、それに「源・平]と後にはなる[民族カラーが]白赤系と雑多なので、「一セブリ」として一家族単位に分かれて自由に行動させ、五つを一単位として天神と称した。」
は、三角氏の言葉ですか、それとも八切氏の言葉ですか?

此処で言う処の『エ系列』の『エ』とは『君主又は箕』のことです。
エ系君主が黄昏て君主のエは箕と捩れ、捨て置かれると言葉にまで捩れる。
(No.1143954333.18のシュメール文字の画像を参照)

天津(アマツ)と天神(テンジン)が重なるとすれば、上記の『五つを一単位として天神と称した』というところではないでしょうか。

白赤を4と8で八切氏が展開していましたね。
この4と8は田和山の4本・8本の柱跡で明らかです。
此れが、種族的一つの大きな流れです。
いま一つの種族的流れが5と10です。
これは、真脇の10本柱の円環木列です。(5は10に内存しています。)
菅原道真は5・10の流れです。
梅鉢紋は5弁の花びらと花びらから出た足が10本あります。梅鉢紋に、5・10が刻まれています。

原初のサンカは、クロスした二本に乗せ掛けた1本、計3本の神結びの天津吊鉤(アマツツリカギ)の4・8の流れであったと思われる。5・10のサンカの流れが現れ、二つの流れのサンカが存在し二者が合流して5つのセブリを1天神と呼ぶようになった時に、天津吊鉤(アマツツリカギ)が天神棒とも呼ばれるようになったのではないか。

三角氏も八切氏も4・8の流れの調べは進んだが、5・10の流れの調べは殆どされていなかったように思われる。

 No.:33   こうへい  - 2006/04/09(日) 22:23
ウメボシと天神さん
昼飯の時に、九州生まれの人が、ウメボシの種を口の中で割って、
中にある芽みたいなのを、テンジンさんとか言って、食ってました。
食ったことがないので、味は分かりませんが・・・

子供の頃、水田で唐鋤を牛に牽かせてました。
結構なスピードで、操るオッサンを、感心しながら見てました。

家に牛を飼っていて、ワラを押しきりで細かく切って、麦とか混ぜて食わせるのが日課でした。
でも、この牛は別に何もしませんでしたね。
大きな目が、きれいでしたね。

十円玉をピカピカにするのに、「ギシギシ」っていう草でこすりました。
食ってみると、酸っぱい草でした。


 No.:32   東沢美史  - 2006/04/09(日) 20:50
ウメガイと天神信仰
Mailhokusin7@fine.ocn.ne.jp
牛や馬が灌漑工事や田畑で活躍するときは「犂・唐鋤・からすき」を牽(ひ)かせられる。
しかし信仰の山へ行くのに牛や馬に何の用があるのだろうか。どうしても疑問なので仲間の鍛冶屋の一人に「からすき」を注文して本格的な大型の実用のものを打ってもらいました。
以前に幅の狭いウメガイも打ってもらったのですが、今回の「からすきの刃」は
ヤゾーさんのより幅広で大きい、そしてもちろん両刃の立派なものに仕上がりました。製作に数日を要したこの「からすき」は当然、牛、馬が牽くものです。

稲荷山古墳の鉄剣の象嵌や仏像の金メッキには大量の「梅酢」が使われるとか。
三角縁神獣鏡など鏡を磨くのにも梅酢を使った可能性はないのだろうか。
梅といえば紀州か水戸ですが
東北では一関市山の目、阿漕(あこぎ)付近の安倍一族の居た日高見も梅に関わりが深いです。対岸の舞草(もくさ)刀も有名ですが、なにより京都に引き連れられた安倍貞任が貴族に花名を質門され「梅」と軽く答えたほど梅に馴染み深い山がありました。配志和(へすわ・はすわ)神社のある蘭梅山。
安倍は「塩梅・あんばい」にも通じる。安倍氏は黄金の阿弥陀信仰でも知られる。はては牛に牽かれて善光寺参り。
幅広のウメガイの刃が付いた唐鋤を牽く馬牛。「J」型の木(藤?)の柄先に付くウメガイ型の刃。孝謙(称徳)天皇が正倉院に納めた唐鋤。
ここに私は「天神(てんじん)信仰」の一端を見てるような気がしてなりません。

 No.:31   tombo  - 2006/04/09(日) 19:34
太陽と月と箕
5角形は月と太陽を意味していたか?

http://adam.olug.gr.jp/~nesu/img-box//img20060409191931.jpg

 No.:30   ツトッコ  - 2006/04/09(日) 18:17
坐坊
おりょうさん、ありがとうございます。
坐と座の字の違いにはそんな意味があるんですね。色々と想像してしまいます。
自分は、この坐坊という字から後藤興善のいう「ヤコモン」と「ラコ」の関係から、何となくハンセン病患者との関連を思い浮かべていました。

去年の12月25日に京都の北野天満宮の終い天神に出かけ大福茶を買ってきたんですけど、それは乾燥した梅干で、正月に若水でいただきました。「テンジン」と「ウメガイ」ともに梅に関連しているのは何か関係しているのかもしれませんね。

以前に歴民のハツ子さんのインタビューの中で太陽のことを「オツキサマ」と呼んだというのがあるので、サンカの太陽信仰は、アマテラス、ツキヨミ、スサノオをひっくるめての信仰であったのかもしれませんね。

 No.:29   おりょう  - 2006/04/09(日) 17:46
天神 2
八切さんの本に、サンカのもつウメガイに菅原道真の紋を山刀に焼印をしたとありますね。それでウメガイとよばれるようになったと・・・。

花札は200年も前に作られ、それ以来絵柄がかわっていないそうです。

 No.:28   おりょう  - 2006/04/09(日) 13:36
天神
菅原道真が梅が好きで、梅干のことを天神とよぶくらい梅と天神はきりはなせないもののようです。サンカの天神も菅原道真からきたものだと私も思っておりましたが、梅が、わが国に渡来したのは奈良時代のことで、そう古いものでもないようです。万葉集にも後期になって梅に関する歌が突如としてでてきているようです。
ですので、天津吊鉤(アマツツリカギ)→天津人(アマト)→天人(アマツヒト)→天人(テンジン)というのが、ほんとなのかもしれません。
天空は古語でソラ即ち天(あま)だそうで、太陽信仰につながるんでしょうか?

人生坐の「坐」というのは「人が生れる」を人生と書きます。それを「人の世」と書いて、「坐」もマダレのない動詞の「坐る」と書いて「人の世を守る」という「坐」には「守る」という意味があるそうです。それと、河原乞食は河原で芝居をするので屋根をとったという意味でもあるそうです。

 No.:27   ツトッコ  - 2006/04/09(日) 10:54
天神
おりょうさん
八切止夫がウメガイと梅鉢紋のことを書いてたりしたから、テンジンは菅原道真の神号が「天満大自在天神」だから自在鉤と掛けてテンジンと呼ぶようになったのかもと想像してました。

三角寛がこの本で「ザボ」のことを「坐坊」と漢字を当てているのですが、三角寛は「坐分け」なんかでも坐という字を使っていますし「人正坐」なんかもそうですが、どんな意味で使っているのでしょうか?

 No.:26   あおき  - 2006/04/08(土) 08:09
おひさしぶりです
 新しい投稿私も試してみました
変なメールが自分にもたくさん来るので大変です
気をつけてくださいね

 No.:25   こうへい  - 2006/04/08(土) 02:15
テスト
テスト・・お試し・・投稿・・・・・・・・(~0~)ネムイ・・・(-_-)zzz

 No.:24   とんちんかん小僧  - 2006/04/08(土) 00:38
新掲示板に2番乗りー!!
お試し投稿です。
今週末、和歌山県は最高の桜日和ですね。
僕も根來寺に行ってきまーす。

 No.:23   管理人ヤゾー  - 2006/04/08(土) 00:15
新しい掲示板になりました
みなさん こんばんわ

セキュリティ強化のために投稿方法が変わりました。
投稿の際には 上の投稿ボタンを押して書き込みをお願いします。
自動投稿システムにより 一日に酷いときでは10件以上の悪質業者による
ワンクリック詐欺の投稿があります。
また 海外のプロキシを経由した嫌がらせ投稿もあり
こまめに削除するのも大変なので
やむおうなく慣れ親しんだ掲示板から新しい掲示板へ移行せざるをえなくなりました。
でも これで管理が楽になりそうです。

こうへいさん 昨日は何件か削除して下さったみたいですね。
ありがとうございます。
悪質投稿のデータをスクリプトに登録するまで
しばらくは削除する必要があると思いますので
引き続きお願いしますね。
管理のパスは以前と同じにしてあります。

ネットで悪質業者による投稿被害を調べていたら
悪質投稿者に対して刑事もしくは民事にて法的処罰を与えた場合
懸賞金100万を支払うというところまでありました。

おりょうさん 花札はカルタから生まれたと聞いたことがあります。
そしてカルタはポルトガル語からきているそうです。
そこまではむかし骨董屋のオヤジから聞いた話なのですが
そうなると平安時代の貴族の優雅な遊びのカルタってなに?って思ってしまいます。
調べてみると平安時代のは カルタではなく貝合せでした。
いずれにせよ 花札のデザインは日本独自ののものでなかなかのものだと思います。

 No.:22   おりょう  - 2006/04/07(金) 21:39
テンジンと花札
ツトッコ さん 
三角寛の残された貴重な資料、手に入れられて 内容などご報告してくださりありがとうございます。
三角寛の資料、ポツリポツリでも、まだまだ出てきそうですね。
最近、本から長い間離れていて久し振りに「サンカ社会」出してきてテンジンのところ読んでみま
した。
テンジンはサンカのシンボルだから、サンカ以外の使用を禁じていたととありますね。

サンカの世界での頭は”ちゃん”(天皇)のようなものであったんでしょうね。セブリの張り方も
ちがっていたりして。


tomb -さんテンジンの写真アップしたかったのですが、私のパソコンうまくいきませんでした。
花札の絵柄は日本的ですね。花札っていつ頃できたんでしょうか。


 No.:21   tomb  - 2006/04/05(水) 13:49
訂正!
絶対温度0度は摂氏273度。
温度は273度以下には下がらない、全てに限界がある。

絶対温度0度は摂氏マイナス273度。
温度はマイナス273度以下には下がらない、全てに限界がある。

に訂正。

マイナスが落ちてました。
マイナスが落ちるなって洒落にもならない。 へ〜!



 No.:20   tomb  - 2006/04/05(水) 12:54
ウメガイは鶴の嘴か?
梅に鶯、松に鶴。
花札にあるお馴染みの絵柄。

梅に鶯の1セットは仁徳。
仁徳は大雀尊で雀、スズメ目ウグイス科のウグイスもいる。
◇第11代 垂仁(スイニン) が父崇神(スジン)に『お前は何が出来るか?』
と尋ねられ、『スズメを追っ払う事が出来ます』と答えて第11代天皇に即位した。この時代に既にスズメの大雀が飛び交っていたのでしょう。

梅はシュメール語の um-e か? um は鳥、e は隠している。
大雀は、ウグイス(鳥)を隠しての意が梅。

松は matu と言うアッカド語。鶴のシュメール語は、gambi ・ gai 。
matu を松と置き、木と木を対峙させるなら、gambi は白樺の木ですから、松と白樺になる。gambiが正体を現せば鶴。故に、松と鶴。
gambit は鶴。 鶴は gai ともいう。
回って、
ウメガイは um-e gai で、鶴と言う鳥を隠して『ウメガイ』
ウメガイの形状は、鶴の嘴。


 No.:19   tomb  - 2006/04/05(水) 11:365
ツトッコ さん
昭和25年と昭和37年のテンジンの画像をUPしてもらえないでしょうか。

天津風 雲(蜘蛛)の通い路  吹き閉じよ おとめのすがた しばしとどめん

この天津もアッカド語の amatu であろう。
amatu を日本語に置き換えると『言葉・言語』です。

天神菅原道真の天神の天(テン)はシュメール語か。

仏教の影響を受け、霞むテンの意。

シュメール語の ten を日本語に置き換えると、『鎮火・絶滅・消光』です。

絶対温度0度は摂氏273度。
温度は273度以下には下がらない、全てに限界がある。
tenはその限界の現象を刺した言葉ではなかったか?
右渦が限界に達すると左渦となって復活する。

ten(天)の『鎮火・絶滅・消光』は仏教に因って復活し、『猛火・繁栄・輝光』の天となる。

 No.:18   ツトッコ  - 2006/04/05(水) 11:36
テンジン
テンジンについて「サンカ社会の研究概要」の7ページ目の写真の説明には「正しくは、天津吊鉤(アマツツリカギ)で、それをアマトといっている。天人(アマツヒト)で漢字渡来後テンジンと呼ぶようになった。」とかいてあります。
これは、「サンカ社会の資料編」にも同じようなことがかかれていますが、天津吊鉤(アマツツリカギ)→天津人(アマト)→天人(アマツヒト)→天人(テンジン)と呼ぶようになったことが書いてあるんですが目からウロコでした。

昭和25年のNHKの社会探訪の時に比べて昭和37年の東洋大学調査団のクボタツさんのテンジンがりっぱになっているので何か意味があるのかもしれませんね。



 No.:17   ツトッコ  - 2006/04/04(火) 21:25
セブリの張り方
おりょうさん、お久しぶりです。

セブリの張り方ではないですけど、セブリの張り方の順番で「サンカ社会の研究概要」の2ページ目下段の写真のキャプションにこう書かれています。
「きよらかな山川の流れに添った岩根のセブリである。左手が上流であるから、その長であるクズコが最左端の上流にセブリを張っている。ここには三張しかないが、今では三張のセブリは珍しい、既に亡びて、セブリは断末を告げつつある。」と説明されています。
このセブリの張り方の順番の説明も私には初見です。



 No.:16   ヤゾー  - 2006/04/04(火) 18:26
ヒノキ花粉症
みなさん こんばんわ
昼間暖かかったのですが
また冷たい雨が降ってきました。

吊りウメガイの話を読んでいると
またハジメさんに会いに行きたくなってきました。
目が見えるようになっていると良いのですが。

yoshikoさん ありがとうございます。
三月のスギ花粉の時期は 鼻水がニ日間程出ただけで済んだので
今年の花粉は大したことないと思っていました。
ところが やはりというか数日前からヒノキの花粉で山が霞むようになってきたら
鼻水とクシャミでえらいこっちゃです。
クルマに乗る前にはウォッシャー液かけてワイパーでフロントガラスを拭わないと駄目なくらいに花粉の飛散が悲惨です。 
スギに比べてヒノキの花粉はエグイというか
喉もイガイガするし 目もチカチカして嫌になります。
クシャミが出だすと 38回は連続して出て しまいには情けなさを通り越して笑ってしまいます。
山小屋の周辺の木の殆どがヒノキです。

 No.:15   おりょう  - 2006/04/04(火) 00:13
吊りウメガイ
しばらくです。
>「花筒の千木吊りと、吊りウメガイがクズコ(頭)のセブリの標識である」
始めて知りました。
頭のセブリとは別に、サンカ仲間がセブリの張り方をみて、あのセブリの張り方はどこそこの流れだというふうに、流れによってセブリの張り方の違いというものはあるんでしょうか。
「サンカの社会」の表紙のテンジンはりっぱですね。これなんかも、頭のもつテンジンとか、また各ながれ
で、それぞれに特徴があるものなんでしょうか。興味あります。


 No.:14   ツトッコ  - 2006/04/03(月) 22:16
吊りウメガイ
「サンカ社会の研究概要」の1ページ目の写真は田中勝也さんのサンカ研究13Pに使われている写真と同じで、セブリをバックにサンカの少女の肩に三角寛が手をかけている物です。

そのキャプションの後半部分に、「バックのセブリは二本の千木(チギ)竹を交差して棟竹を神結びにし天幕を張ってある。棟木の接点から上部の竹に風穴がある。魔よけの「罪祓」の風笛である。右の風笛の下に竹筒の花筒を結びつけ梅と川柳を活けてある。またその下部(娘の頬のところ)にウメガイ(双刃)を吊ってある。花筒の千木吊りと、吊りウメガイがクズコ(頭)のセブリの標識である。」と書かれています。

「花筒の千木吊りと、吊りウメガイがクズコ(頭)のセブリの標識である」の部分に注目すると、まず「花筒の千木吊り」については「サンカの最新学2」のP108で堀場博さんが書かれている「中学時代二年生」の写真のキャプションにも同様のことが書かれていいて、堀場さんはこの記述は初見であると書かれていますが、「中学時代二年生」と同年に書かれた「サンカ社会の研究概要」にも書かれていました。

次に「吊りウメガイがクズコ(頭)のセブリの標識」の部分は自分には初見です。このセブリはクボタツさんのセブリですが昭和25年のNHKの社会探訪の時にはムレコヤゾーだったクボタツさんが昭和37年にはクズコになっているので、「サンカの最新学2」のP20に蜜柑さんが書かれているハジメさんの記憶でクボタツさんが一番地位の高いヤゾーになる途中であったのでしょうか?他の写真についてはまた書き込みます。



 No.:13   yoshiko  - 2006/04/03(月) 17:47
ごちそうさまでした
こうへいさん、目と鼻でたっぷり堪能しましたよ〜
ごちそうさまでした!
今日はお酒屋さんに寄って帰ります(笑)

yanaさん、喘息大丈夫ですか〜?
やぞーさん、花粉症大丈夫ですか〜?


 No.:12   こうへい  - 2006/04/03(月) 13:19
yoshikoさん
香り、おくりましたよ〜

ヤナさん、途中で吸い込まないでくださいね〜あっはっはははは〜〜〜〜

 No.:11   yoshiko  - 2006/04/03(月) 10:42
yanaさん
yanaさん、昨日池田の尊鉢さんへ行ってきました。
はじめてちゃんと観に行きました。
小さいけど綺麗なお寺ですねー!
ご近所なのに全然知りませんでした。
雨上がりの夕暮れ時だったので清々しくて幻想的でした。
有難うございました!

 No.:10   yoshiko  - 2006/04/03(月) 10:30
コニャックいいなー
おはようございます。
こうへいさん、コニャックいいですね〜
美味しそう・・・香だけでも送ってください!
yanaさんってお酒にも詳しいんですねー
yanaさんの説明を読んでたら朝っぱら飲酒したくなりました。
ランチタイムにビールを注文しないように気をつけます^^
ウグイスに訛りがあるなんて知りませんでした。
面白いですね!
今年はもっと注意深くウグイスの声を聴いてみます。

 No.:9   こうへい  - 2006/04/03(月) 09:48
天川村
行ったことがない・・って思ってましたが、
昔、大峰山に登ったときに通ってますね。
洞川も天川なんですね。

吉野も、水銀の大産地だそうで、丹生津姫の神社がありますね。
空海も来てますね。
空海は、天川を経て、高野山に至ったそうです。
水銀鉱脈を辿って、鉱脈の真上に金剛峰寺を建てたのでしょうか。
高野山と天川村は、盛んに交流があったみたいです。

磁鉄鉱の出た鉱山跡があります。
朽ちた鳥居が近くにあるそうですが、金属神を祀ってるのでしょうか・・



 No.:8   こうへい  - 2006/04/03(月) 09:09
迷惑メール
ヤゾーさん、ご苦労様です。
うーん、自動投稿システムですか・・それ程、エネルギーは要らないわけですね。
Kumanolifeなんとかってあったので、消して良いのか判りませんでした。

ヤナさん、コニャックって、ウイスキーとか、焼酎とかみたいに、酒の種類と思っていました(^_^;
勉強になりました・・って、もう今後ボクの所にやってくることは無いと思いますが(^○^)

カミサンのオヤジの遺品なので、大事に?飲ませてもらってます・・(^-^)
19000円・・(◎-◎;)


 No.:7   ヤゾー  - 2006/04/02(日) 23:39
アダルト及び英語の変な投稿は無視して下さい!
みなさん こんばんわ
こちらでは大雨の一日でした。
流石にウグイスは鳴きませんでした。

ツトッコさん お久しぶりです。
それは貴重なものを手に入れましたね。
そのキャプションについて興味深々です。

こうへいさんとヤナさんのまったりとしたやり取りは
管理人として とても癒されます。
こうへいさんが ん??と書いて消したのは
英語の変な投稿のことだと思います。
一日に数回は宣伝とも嫌がらせともとれる投稿があります。
こまめに削除しているのですが 少し遅れることもありますので
変な投稿のアドレスは 決してクリックなどしないようにお願いします。
同じような被害にあっている管理人の情報によれば
ある程度アクセスのある掲示板には悪徳業者が自動投稿システムを使って
アダルト投稿を繰り返しているそうです。
また ネット上には 粘着質の嫌がらせマニアも居ますから
そういう投稿は無視してやって下さい。


 No.:6   やなぎむし  - 2006/04/02(日) 23:21
ん??
これ何?・・・って
 これは、高級のブランデーですがな・・
COGNAC(コニャック)はブランデーのなかでもコニャック地方で
製造されたものだけに付けられます・・
その他のブランデーはアルマニャックって言ったと思いますよぅ
 ぶどうを発酵させてアルコール蒸留してできた原酒を木樽に詰めて何年も寝かせます
そしてでき上がった樽の中身をバッテイングさせて瓶詰めします
 ランクでナポレオンやXOやVSOPがラベル記入されます
 価格みてみましたら・・・・およよ!!
  700ml瓶詰めでなんと19000円とありました
  
      なんも知らんと呑んでたら・・
        アチャパ・・口が腫れてませんかぁ

                 あはははは・・ほな

 No.:5   こうへい  - 2006/04/02(日) 22:34
ヤナさん
そりゃあ、残念ですねえ・・

香りがいい、うまい、音がいい・・あっはっは

 No.:4   ya(・ε^)na  - 2006/04/02(日) 21:19
そらうまいやろねぇ・・
あはっははは
  こうへいさんえらい、豪勢やおませんかぁ
    ゴーティエのコニャック ナポレオンではおませんか
 そら美味しいやろねぇ
     味だけでなく香りもお楽しみくださいねぇ
 
  喘息が出まして、ただいま禁酒中のやなでおますよぅ
    ううううううう・・呑みたい!!

 No.:3   ツトッコ  - 2006/04/01(土) 19:12 04:09
サンカ社会の研究概要
ヤゾーさん こんばんは

最近、昭和37年4月25日に発行された三角寛の「サンカ社会の研究概要」というA4版の限定非売品の冊子を見つけました。発行所は人生社となっています。

以前、昆神龍太郎さんが「1962年4月27日の朝日新聞の「青鉛筆」というコラムで、有楽町のアラスカで開かれた三角の博士号を祝う会があった」とかかれているので時期的にみて、その祝う会でミニ箕と一緒に配られたのものでしょうか?

本文は「サンカ社会の資料編」の三角寛論述「サンカ社会の研究」概要の部分とほとんど同じです。

本文の前に8ページ分のモノクロ写真とそのキャプションが書かれているんですが、そのキャプションが「サンカ社会の研究」、「サンカ社会の資料編」の写真と違ったことが書かれていて大変興味深い発見がありました。
写真の部分についてはまた書き込みいたします。

ウグイスは鳴くにつれて段々鳴き方がうまくなってきますね。
三州三河は桜が満開で春真っ盛りです。


 No.:2   こうへい  - 2006/04/01(土) 18:30
Napoleon
Napoleon
COGNAC GAUTIER って、書いてある。
ロックで飲んでるけど、うまい!!
仕事から帰って、酒を飲んでるって、珍しい。
カミサンとこにあった酒・・(^○^)

昨日、カミサンの家、一年かかって整理して、昨日大家に返した。

今、ウグイスは、鳴く練習中だそうですよ(^○^)

 No.:1   管理人ヤゾー  - 2006/04/01(土) 17:55
今までの投稿は過去の掲示板へ移動しました
みなさん こんばんわ

ウグイスが鳴く季節になってきました。
例年のように すぐ近くでウグイスが鳴き始めたのですが
ホー ホペチョと変な鳴き方をします。
ウグイスには住む地方によって方言のように訛りがあると言いますが
なんちゅう訛り方かと笑ってしまいました。

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