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2005年05月01日(日)17時55分までのKumanolifeGuestbookへの書き込みです。


ヨーカン - 2005/05/01(日) 17:07<

樹は語る

   ラジオ聞いてまして ”うーん”言わされました
70才代の現役教授が自然を甦らせようと、今も山に木を植えに行ってるそうです
急斜面に色んな種類の苗木を競わせるように植えるそうです
その場所〃によって合う木は異なり、人間の知恵よりも自然に任せるほうが良いからと言われました
鎮守の森には いろんな種類の木が生えていて最も適合したものが大きく育って古木で残っていますね

「樹を育てるための自然の力は まだ残っている!」とも言われてました
この言葉 言い換えたら まだ間にあいますやろか?
山河 湖 海 生物 そして 人間!
 
 昨年の台風のあとの山の斜面は、杉の倒木と地肌が剥き出しになってます
雨が降るたびに土砂が海に流れ込んで、生態系が壊れていきますね
自然林も倒木は沢山ありますが、それまでに力を蓄えていた若樹が大きくなろうとしてるのが解ります
 大自然の見事なまでの美しい調和を壊すのは もういい加減にやめよう!生きてるだけで充分に幸せや
  子や孫に いいわけ できへん!
大自然を怖れ敬い、恵みを少し分けていただいて暮らした先人達がいた
その後ろ姿に 頭下げて学ぼう 

このセンセいってました「私 この生活を続けていたら 90歳までは 山に行けます!」
    先生”ご教授有難うございました”

ツトッコ - 2005/04/29(金) 06:40<

平家伝説

確か半村良さんの『平家伝説』て小説が銭湯の経営者が石川県の出身が多いのと、平家の財宝の伝説を絡めたのものを題材にした小説だった気がします。

ya(・ε^)na - 2005/04/28(木) 23:23<

湯屋追伸・・

豊中の私の近所のお風呂屋さんはバリ師さんやヨーカンさんのご当地!!
 播州播磨のお人が多いですよう
  だいぶん銭湯もすくのうなりましたが、全盛期には7・8軒は上原さんでした
    ちなみにこの銭湯ですよゥ・・池のあったのわ・へへへ

ya(・ε^)na - 2005/04/28(木) 23:15<

湯屋

おりょうさん、そないゆたら・・・んんんん
なんや、聞いたことおますよう・・
  なんでも石川出身のお人が風呂や始めましたところ
これがえらいあたったんやそうです・
  ほんでもって、みんなを呼び寄せて風呂やはじめたんやそうです
特に、石川のおなごは、よお働いたそうで嫁さんを郷里から迎えたのが
  その理由やなかったかとおもいますよぅ・
 昔の北陸はほんまに貧しかったそうですよぅ・・
これと同じパターンに、大阪豊中の牛乳屋さんに村上さんがおおいんですよぅ
  さてなんででしょうかぁ・・・??

こうへい - 2005/04/28(木) 15:44<

湯屋

大阪高麗橋の会社の二階で住んでた頃、はじめて銭湯ちゅうものに行きました。
会社の周りは証券会社が多く、5時を過ぎると、ひとが居なくなり、夜になると静かで、
お寺の鐘の音が響き渡り、さながらド田舎のようでした。
いつも、同じ所で間違うチャルメラの音がいつものように聞こえていました。
銭湯は遠く、会社の自転車で行ってました。
フルーツ牛乳なんか、飲んだような・・
帰ってくる頃には、冷え切って・・・(^o^)

昔、八丁堀なんかが、女風呂に入ってるのをテレビで見ますが、女風呂の一番風呂なんでしょうか?
床屋、湯屋は、情報交換の場所って言いますねえ。

おりょう - 2005/04/28(木) 14:51<

湯屋

全国のお風呂屋さんの故郷は金沢、新潟だそうですが、なんででしょうか?やなさんしりませんか?

東京の古い風呂屋の建物はりっぱでどこも門構えなど似てますが、風呂屋建築専門の会社があったのでしょうか?

江戸時代の正月の湯屋は年期奉公人の遊山場のごとしで、日暮れから年期者が浴しにきて、その騒がしさ
は半町四方に響き渡り「騒がしきこと無之よう」の張り紙など読む者もなく湯屋は一つの騒ぎ場のごとしで・・・・日本人は昔から風呂好きなんですね。

ヨーカン - 2005/04/28(木) 11:11<

こんなんするのは

 ヤナさんだけやろ”
もっと 吐いてしもて らくに なりなさい!
風呂で蛙およがせたり 
遠足の日に 女先生が入ったの見て 汲み取り口から肥桶で受けて 
校長センセに笑いこらえてオコラれて
気がついたら みんな行ってしもてて 校長先生とワルガキ3人で 貝取りしたんでしょ!

拘る事では ないのですが
 相対性理論(????)とテンノーはん? どうも・・あきまへん
 サトーゆう人とノーベル賞以上に 違和感ありますねんけども
   縄文と未来なら わかるような気が・

私は ここがあかんのやねぇ ”感覚で考える”ゆうのが
皆神さんやクズシリさんのように  キチッと 調べて 実証して積み上げて考える
                        にがてなんです




ヤゾー - 2005/04/28(木) 08:40<

千葉勝浦

みなさん おはようございます。

昨日 蜜柑さんに千葉勝浦へ船釣りに連れて行って貰いました。
どこか紀州の勝浦に似ているような気がしました。
近くに夷隅という地名がありました。

おりょうさんが書くと 説得力があります。
耳だけの方が 集中力があるのかも知れませんね。

いちご麦さん いつも貴重な情報ありがとうございます。
ぼくも いかにもアインシュタインが言いそうな言葉だと思っていたのですが
本当のところは もっと資料が出てこないと分からないのかも知れませんね。

ヤナさん むかしのガキはアホなことをして大きくなったのでしょうね。
阿佐ヶ谷の銭湯は ペンキが剥がれかけた富士山の絵でした。

ya(・ε^)na - 2005/04/27(水) 00:03<

銭湯・・

銭湯で思い出しましたがな・・
 子供の頃、近くの銭湯に池がおまして・・鯉やフナが泳いでいました
悪ガキどもと、釣り竿の穂先に矢引きのテグスと釣りバリにミミズをセット・・
  番台から死角になってましたのでこそこそ釣りしてましたが
 でっかい鯉がかかりまして・・大騒ぎ!!終いに池にはまってさあ大変!!
  ズルズルのどろどろ・からだで鯉掴みましたから、えらい生臭い!!
  えらい番台のおっちゃんにおこられました・・
    そのあと、湯船で大騒ぎ・・
  誰かがフナを一匹隠して持ってきました
  内緒で湯船に放しました・・・
      わるがきは、とんで帰りました・・はっははは

  「おかあさん!・・
    あのときのフナ!!・・・
       どこにいったんでしょぅ・・

             ほらあのときの・・あのフナですがな・・」

いちご麦 - 2005/04/26(火) 23:28<

アインシュタインの言葉

1922年、来日時に残した言葉と きいていますが。
下記のサイトなど読むと、素直にそう取れるのですが。

アインシュタインと日本
http://shupla.w-jp.net/datas/einstein.html

http://members.jcom.home.ne.jp/ochozt-t/ikihtm/EinsteinJpn.htm


スタイン博士の言葉は、次のように載っていました。

『世界は天神垂統の最高貴族たる日本天皇を仰いで王中王と為んといふに一致すべし、日本国已外に統一の天運を有せる国が無いからである、希くば日本の人士は日本固有の文明を発揮すべく西洋文明を以て採ッて装飾の具と為ば足る、決して従前の如く欧化を強ふべきでない。』
http://www.honge-myoushu.or.jp/howa/h13-7.html

おりょう - 2005/04/26(火) 21:31<

盲目の女性

そういえばだいぶん前のことですが、80歳ぐらいの女性で、学校も出ていなくて盲目の旅役者の人がいました。その妹さんも旅役者しているのですが、妹さんが「私は目明きなのに1冊の台本覚えるのも大変だったけど、うちの姉さんは耳から聞いてすぐ覚えるのよね、うちの姉さんは頭がいい」とかいってました。

ヤゾー - 2005/04/25(月) 10:35<

靴下

みなさん おはようございます。
東京に来てから すべての靴下の親指のところが穴開きになってしまいました。
それだけ 歩いているということでしょうか。
それとも 田舎の方が どこへ行くにもクルマなので
普段歩いていないということかも知れません。

アヤタチ様 お答えありたとうございます。

尾張のクズシリさん 文字を持たない知らない人たちの方が 
口伝や伝承により正確に歴史を伝えているようなこともあるのかも知れませんね。

ツトッコさん 毛鉤で蛇を釣ったことがあるんですね。
どこの川も土砂の堆積が進んでいるのは残念なことです。

こうへいさんも石器ナイフを造って バイクに乗ってあちこちの祭りなどを廻ったら面白いでしょうね。
そういう祭りのネットワークがあって いろんな人たちが回遊しているみたいですね。

こうへい - 2005/04/25(月) 09:44<

テキヤとクラフトの行脚

昨日、クラフト展・・・に出店しました。
売り上げ・・4千円
場所代千円
3千円もの黒字(^o^)
おわってから、みんなでキャンプファイヤーの前で、お話を・・
北海道から、九州まで、クラフト展を行脚してる人の多いこと。
まるで、寅さん(^o^)
テキヤと違うところは、自分で作ったものを売ること。

こうへい - 2005/04/24(日) 22:44<

再び断指について・・・

昨日、その道に詳しく、目の前で断指を見たひとに話を聞きました。
健サンが映画でやったような、かっこいいものではなかったそうです。
その人が見たときは、指に刃物をあてがい、他の人が鉄アレイで、思い切りガツンとやるそうです。
こいつは、もうどうしようもない・・っていう人には、親指もやったそうです。
本人は、グッーっとこらえていたそうです。
おーこわ(゜◇゜)ガーン

ツトッコ - 2005/04/24(日) 20:00<

小鳥川

尾張のクズシリさんの「小鳥川」に懐かしさを覚えます。
20年近く前から4,5年前まで、今は飛騨市となった河合村の小鳥川や稲越川に年券を購入するほどよく釣りに出かけました。特に5月下旬のユキシロが収まる前のイブニング時にモンカゲロウのスーパーハッチがあり、でかい毛鉤でワンキャスト、ワンフィッシュに近い状況での入れ食で、尺アマゴや尺岩魚もけっこう釣れました。当時はヤマメだけでなくアマゴも放流してました。蛇の沢山いる川で毛鉤で蛇が釣れたこともあります。特に天生谷はマムシが多いみたいですのでサンカのムシヨケもマムシ捕りに訪れたのでしょうか?そんな小鳥川も年々土砂の堆積が進み、数年前の台風の影響で渓相もまったく変わってしまい最近は訪れていませんが、またいつか訪れたい土地です。

尾張のクズシリ - 2005/04/24(日) 12:13<

「無文字生活」と「記憶力優秀性」

文字の読み書きを知らない方々は、確かに記憶する能力が優れていると、私も思います。

カナダやアラスカ州のイグイット(旧称エスキモー)の方たちは、20年ほど前までは無文字社会でした。

2,3の調査報告書を学んだだけの管見ですが、その記憶力は27年前に現地調査に来た研究者たちの写真を見せただけで、例えば
 「この人は、カツイチ ホンダ。この人はタカミネ フジキ。・・・・等と正確に記憶をしていて、この人はカリブー(鹿)を何頭捕まえた。好きなものは内臓のこの部分だった。家族は4人いた。何日滞在し、いつ帰った・・・」
などなど、後続研究者たちの知らないデーターまでコンピュターの様に覚えていたそうです。後日の帰国後の検証で全てが正解であったそうです。

飛騨の小鳥川上流ダムの水没地区の調査の時のたいけんです。先住者の出来事を聞きますと。5〜7代前の口承伝承を正確に受け継いでおられていました。このときも、話者は全て文盲の方たちでした。この様な方が、まだ多くいましたです。
自分自身、まるで江戸時代の中にタイムスリップしている錯覚になりました。大昔の生活事象の語りでありましたが、発掘してみると、実にそのとうりの遺構が出てきて驚きの連続でした。

記憶力ばかりでなく、文字を知らない生活ですと、視力も3・0など当たり前だそうです。
再度の生まれ変わり出来る人生なら、縄文時代中期を私は望んでいます。

こうへい - 2005/04/23(土) 00:16<

うさちゃんへ

親孝行してきてくださいね(^o^)・・・私文

アヤタチ様 字の読み書き出来ない人は、その分記憶力が鋭いようですね。
ありがとうございました。

ハジメさん、目が治って熊野に来られたらいいですね。
仕事休んで、山小屋に会いに行きます(^o^)

アヤタチ - 2005/04/22(金) 22:10<

サンカ文字を読めた古老の方たち。

永いこと、お待たせいたしました。やっとメーカーからパソコンの修理・部品交換して手元に参りました。今しがた、繋がりました。

設問の「サンカ文字の読めた古老の方々の共有していたコトワケ」記させていただきます。

@この方たち、全てが「文盲のお方」でした。80歳以上の方たちでした。

A文盲率は都会では、限りなく0パーセントですが、田舎に行かれますと、まだまだ高齢なお年寄りの方に出会えます。

Bこれらの古老の方タチと出会えると、特に色々のお話を窺がうように私は心掛けております。

Cその理由は、記憶が大変シッカリトしておられます方が多いです。
ことに年月日、人名、村の事件〜顛末、キタリド(サンカ、乞食などの遊動者など)のことなど、正確に覚えておみえです。

D「サンカ文字」は、象形的な絵文字の一種と思っております。昭和12〜15年頃まで、遊動者的な「フダウリ」や「トベナイ(神官)」の方たちが回村しておりました。私の管見では遠州、三河、美濃、飛騨地方で、文盲の方たちに「絵解きマクリ」などで「御札」の効能を解いてっておりました。

Eその時に、この絵文字を覚えられたようです。「メクラオキョウ」「メクラノリト」なども有りました。今、現品や関連資料を探しております。
 近似した著名なものでは「南部文盲暦」などが知られておりますが、どうやら類似品は中部地域まで分布が観られそうです。

以上の様なことで、正解は「文盲の古老のお方」でした。

本日、掲示板をさかのぼって読ませていただきました。クマノシュウの皆さまの、多彩なご考察を楽しく拝読させていただき、アヤタチは嬉しく思いましたです。

皆神龍太郎さん。さすがですネ!! 大正解です。 但し、本日、私どもの舎弟である、尾張のクズシリさんと久々お話しました・・・・・・・ところ・・・・・
全国区の皆神先生!!・・・・・一昨年尾張のクズシリさんのセブリバ、その後のフクロアライで、この記録資料について共同研究や考察、論議など、なされていたですか??・・・・・
皆神先生は、さすがに幅広いサンカ人脈をお持ちの方ですので、正解者のご褒美はお預けです。

  以上、アヤタチでした。

ヤゾー - 2005/04/22(金) 19:17<

アヤタチ様

みなさん こんばんわ

ハジメさんの目は 弟さんが病院に連れて行っているみたいです。
良くなるのかどうかは分かりませんが
一月後くらいに 蜜柑さんが大家さんに電話して確かめようかと言ってます。

アヤタチ様 そろそろ答えを教えて下さいませ。
ずっと気になっていました。

おりょう - 2005/04/20(水) 23:08<

治療

ハジメさん手遅れなんでしょうか。
蜜柑さんとご一緒にクマノに行って思い出つくれるといいですね。

- 2005/04/20(水) 12:08<

滝廉太郎

大分、日田の古老ならサンカ文字を読める者も居るかもね。

Norton Internet Security
が、いいね。
メールも全てスキャンしてくれる。
PCは安全です。

ヨーカン - 2005/04/20(水) 10:32<

アヤタチ様

まだ PC 調子わるいんでしょうか?
それとも わたしらが イーッ!となるの まって 楽しんでいるのですやろか?
 六人のサンカ文字の読み手の秘密? はよ 教えてほしいな
そういえば クズシリ様も イイ−っとなるまで なかなか 出してくれなんだね
 このイイ−ッ”て感触 楽しいけどね(^0^)

ええ・・[もっと イラつきなさい]ってかいな
                 イイイイイイイイイ!!!!!!!!




あおき - 2005/04/18(月) 18:14<

えー

 そうなんですか はじめさんの目が 
過酷な生活でくたびれたんですね 残念です
東京はまだ寒いですね 今年は冷夏かもしれません

ヨーカン - 2005/04/18(月) 11:22<

アインシュタインの事

なんか シックリこないと 思ってました
皆神さん 納得しました  おおきに!ありがとう
 そうかて・・んんんんN あと変な事書いてしまいそうなんで ・・
             なんせ  納得で〜す (^0^)
ヤゾー兄いが いなかっぺで ホノボノ道中が ええねぇ”
心と心の溶け合いが、わかりますね  人徳や”ゆうたら ええ〜誉めすぎかな


こうへい - 2005/04/18(月) 10:20<

そうなんですか

ハジメさんの目に効く薬、探してあげてくださいませm(__)m

ヤゾー - 2005/04/17(日) 22:11<

ハジメさん

みなさん こんばんわ

こうへいさん 東京に居る二十代の頃から新宿と渋谷は苦手でした。
人酔いするのか 頭がボーとなります。

皆神さん 冗談のような話しですが本当なのでしょうね。
世界の盟主なるものは武力や金力でなく というフレーズが好きなので載せていました。
夢想家なのかも知れません。

今日 蜜柑さんとハジメさんに会いに行ってきました。
残念なことに ハジメさんは目を悪くされ 殆ど見えていない状態でした。
ひとりで外出することができないで とても寂しそうでした。
蜜柑さんと一緒に熊野へ行ってみたいという言葉が悲しく心に響きました。
早く目が良くなることを祈るばかりです。

皆神龍太郎 - 2005/04/17(日) 18:37<

アインシュタインのお言葉

すいません、またお前はそういうことを言うと言われると思いつつ、書かせて頂きます。

精神世界の方々が、よく引用されているアインシュタイン博士のお言葉、

「近世日本の発達史ほど、世界を驚かしたものはない。この驚異的進展、そこには他の国と相違する、何ものかがなくてはならないと思っていた。果せるかな、三千年の歴史がそれであった。世界の文化はアジアに創ってアジアに還り、それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならぬ。天はわれら人類のために、日本という尊い国を造っておいたのである」

ですが、こんなことアインシュタインは言ってないようです。

「よくあちこちで引用されているのに、なぜか精神世界の人しか引用をしていない」
「つねにアインシュタイン博士の言葉とされているのに、いつ、どこで、アインシュタインが公表したのかという、その原典を示している文献をみたことがない」

ということで、常々怪しいと思っていたのですが、最近、この言葉のルーツを探しているという人がいることを知りました。

どうもこの言葉、アインシュタインではなくて、全然別のスタインという博士がおりまして、彼がいった言葉を、アインシュタインだと誰かが勘違いして引用してしまい、あとは孫引きのままに、いかにもアインシュタインが語ったかのように転がって広がっていってしまったもののようです。

山窩研究でも、こういうことのないように、みなさん気をつけましょう!

こうへい - 2005/04/17(日) 08:45<

ヤゾーさん

あちゃー、もと東京人でも迷っちゃうんですか。
いつか、東京にまた行きたいので、寝袋で野宿出来るとこ見つけて来てください(^o^)
ハジメさんとお会いしたときのお話、また聞かせてくださいね。
立ちション、見つからないようにやってくださいませ(^○^)

ヤゾー - 2005/04/16(土) 18:39<

迷子の熊野人

みなさん こんばんわ

色々と飛び回っておりますです。

えべーさん こちらこそ 楽しい時間をありがとうございました。
わざわざ 大阪から参加されたとこのと お疲れさまでした。
主催されているフォーラムにも 熊野に戻りましたら顔を出させて頂きますね。

ヨーカンさん 「鳴けない山鳥の詩」は ほんとうに良い本だと思います。
蜜柑さんが教えてくれた本なのですが
明日 一緒にハジメさんに会いに行ってきます。
アインシュタインのメッセージですが
この国には なにか素晴らしいものが秘められているような気がしていますが
年々 そういうものが無くなりつつあるのかも知れません。

今日 ひとりで新宿へ行ったら迷子になりました。
ビルばかりなので どこを歩いているのか さっぱり分かりませんでした。
途中で おしっこがしたくなり 雑居ビルにでも入ってしようと思いましたが
なかなか適当なビルがなくて焦りました。
田舎なら どこでも立ちションができるのにと
難儀なところじゃ 難儀なところじゃと 独り言を呟きながら歩いていました。
きっと 変な人に見えたに違いありません。

えべー - 2005/04/16(土) 09:38<

サンカOFF 内容

今回は初めての会でした。
皆神さんと“平成のサンカ”中元さんの話を中心にサンカの事をあまりご存知ない方にも解ってもらえるような内容でした。(うそうそ、やっぱり難しかったと、思います。)
基本的には三角寛の著書を全て信じるのも、全て否定するのもおかしなもの。何がおかしくて、何が確実な事なのか検証しましょう。という皆神さんのお話からはじまりました。
起源。文字。いま生活保護を受けてるサンカの末裔。サンカに入った人々。サンカへの差別。太陽信仰だったのか?
組織の実態?小説に書かれてるサンカについての是非論。
などでしょうか。
で、やはり今いらっしゃるサンカの方々からしか、検証はできないのではないか。それすらもしないで、身内の理論の外に出ないというのは考えられない、、、、、、。
次回はお話を伺いに行きましょう。。。。という事で、会はあっと言う間に終電の時間でした。

ヤゾーさん、ありがとうございました。感動しました。。。
ウメガイ持って、竹のこうがい(これも三角寛先生のやらせの小道具!!!)さして、サンカ文字(これも、懐疑的ですよね。)書いたT-シャツ着て歩き、サンカさんに会いたいなあ。。。文字の内容は私の家のすぐそばの「長居公園仲間の会」がいいなあああ。。。。。。

えべー - 2005/04/16(土) 09:19<

サンカOFF会メンバー

メールに質問がありました。
編集をされてるコレコレさん、
現代のサンカに会われて検証を続ける皆神龍太郎さん、
懐疑論者でありながら超常現象を楽しむ、ワカシムさん、
ウンモ星人を愛するペンパルさん、
デザイン事務所をされながら、人と人をつなげちゃう、キャプテンさん、
小学校の頃からサンカの存在をしっていたきけろさん、
よく仕事し、よく遊び、よく、食べよく飲むしーなさん、
まだ、聞きたいですか???
全員で、13人かな?

直接のメールはちょっと、、、ごめんなさいね。。。

ホリバ - 2005/04/15(金) 20:56<

サンカOFF会? どんな会ですか? 

「サンカOFF会」とは、どんな会でしょうか?知りませんでした。お教えください。
フリーライターの方々の「サンカ研究会」という仕事探しの会がありますが、その会の名前が変わったのでしょうか?

ヨーカン - 2005/04/15(金) 12:40<

「鳴けない山鳥の歌」

クマノショッピングのお勧めに ありましたので クズシリさんの考察編と 一緒に 買いました
山鳥は鳴きませんが わたしは涙でボロンボロンに なりました
 やなさん この頃に間違えた軌道修正が有ったみたいですね
便利 派手 銭 物 追いかける生活 ”あかんねん”て あらためて思いました
私みたいなアホタレでも 軌道修正できかけてますよってに、希望はありますわなー?
 学校で サンカ心や熊楠さんの勉強する日が来たら・・・

ヤゾーさん トップページのアインシュタインの言葉「希望は日本に・・」この事なんですやろか?
「大自然に生かされている」の心のことなんですやろか?

「ソニークラーク」聴いてみます 小遣い 使い込んでますので 来月に・・
お返しに 「ダラーブランドのアフリカンピアノ」  いけまっせー 

おりょう - 2005/04/15(金) 10:28<

サンカ文字

アヤタチ様
大変だったんですね。

古老の方がたの共有した「ワケ」
考えましたが、古老の方が6人もサンカ文字が読めたという人数が多いのに、ちよっと以外な気がしました。
もしかしたら、昭和の初期頃に「古史古伝」ブームがあって、その頃の子供たちにも飛び火して、今の
月刊誌「ムー」が取り上げるような世界にはまっていた。
宝島探検などの小説にはまり、暗号文作成ごっこでサンカ文字を覚えた。なーんていうのはどうでしょうか?

こうへい - 2005/04/15(金) 09:01<

ありゃりゃ

ヤゾーさんへの、メール依頼でしたか。
残念残念・・・(^○^)

ya(・ε^)na - 2005/04/15(金) 00:40<

JAZZタイム!!

音量を少し上げて・・へっへへへ
  少しお酒が廻ってますよってに・・JAZZタイムでおますよぅ・・
    今日は・・チェックベッカーのセクシーなボーカル楽しんでおりますです・・
  せや!!ヨーカンさん今度はこんなんどないですぅ
   ソニー・クラークのCOOL STRUTTIN(クール・ストラッティン)
      どこかで聞いたおますよねぇ・・
                 へっへへ

    ヤゾーはどこか遠くの空ながめてはりますよねぇ・・
       そないゆうたら・・・なんですねんけれど
   九州のどこやらの山の中にサンカ文字が書かれた大きな石があるそうです
     何年かに一度その文字を綺麗にしに来るどなたかがおられるそおです・・
 
なんかおますよねぇ・・
 なんなんかは・・んんんんん  わかりませんよねぇ・・
    時代はどんどん進むんやけど・・
       どこかで誰かが軌道修正してくれてるんとちゃうのんやろかぁ

    この軌道修正!!・・
      絶対にこの軌道修正がポイントやとおもいますねんよぅ
       
                      ちゃいますかいねぇ・・ほな

 

ヤゾー - 2005/04/14(木) 21:28<

アヤタチ様

みなさん こんばんわ

アヤタチ様にまで そのような添付メールを送るなんて
嫌がらせをしている人物は 相当な愚か者です。
せっかく 貴重なお話をして下さっているのに 申し訳ない気持ちでいっぱいです。
東京にいる間に 警視庁へ相談に行く予定でいましたので
お手数かも知れませんが できましたら被害届けを出してもらえれば助かります。
ネットには 主に嫉妬からくる嫌がらせは付きものだということと
物語には 主人公を引き立てるための汚れ役を演じる悪人が必要なので
嫌がらせをしている人物が 汚れ役を引き受けていると思ったら
少しは腹も立たないだろうという話を聞いて 寛容に対処してきました。
しかし 実害がここまで及ぶと 毅然とした対応をしなければなりません。
みなさんも 怪しい添付ファイルが送られてきたら
決して開かずに 保存しておいて下さい。

嫌がらせをしても 良いことは何もないと思うのですが
ほんとうに可哀相な人がいるもんです。

アヤタチ - 2005/04/14(木) 20:18<

サンカ文字を読めた古老>>正解、もう少し待ってください。

「kumano //renraku....」という添付ファイルを信用して開けたら、パソコンが壊れてしまいました。すぐに作動がとまり、次には電源が入らない状態です。

メーカーに修復にだしました。ショックで大変困っております。4月18日の月曜日には手元に来るようですが、進行中のデーターがあり心配です。

今、仲間のパソコンから掲示板に、たどり着きました。正解回答もう少し待っていてください。
クマノの皆様。上記のような紛らわしいメールファイルに、くれぐれもお気をつけ下さいませ。

ヨーカン - 2005/04/14(木) 08:21<

ころっと

ねがえって
 やなさんに ヒネクレいわれたら たつせないわ
けども すなおに かんがえて
 6人とも オタカラシュウ 
             これ 正解!
でも ナイショ”の文字で 豊国文字やら 似てるから 読める人は・・んー
                     わからへん 

ya(・ε^)na - 2005/04/14(木) 02:23<

チョットひねくれとるんとちゃいますかあ・・

あはっはは・えらいすんません
  こんなんどないです・・
皆さんが、三角 寛のファンやったり・・
   みんな青年小屋でお友達やったりして・・
        こんなんとちゃいますよねぇ・・

                へっへ    ほな
           

おりょう - 2005/04/13(水) 22:29<

サンカ文字

どさ日記から無断で転載させていただきました。(もう、過去に既出かもしれません)

文字と言語 2001ー1ー15
 ホームレスの人たちを支援するWebページを、検索サイトのLycosで探して読んでいた。「大阪・東住吉区/長居公園・仲間の会HP」というページがあった。そうしたら衝撃的なページが表示された。サンカ文字だ。サンカ文字を書ける人がいたんだ。
 サンカがどのような人たちかは、説明すると長くなるので今回は省く。サンカを知らない人のために、日本列島に暮らすれっきとした日本人である、とだけ書いておこう。
 この画像にはalt文がついていた。Webページを作る人は知っていると思うが、alt文は画像に対するコメント文であり、通常画面には表示されない。表示されないalt文に下記のコメントが書かれていた。
 サンカ文字で長居公園・仲間の会と表記。
 非定住を排する日本国家は支配のご都合と管理しやすい環境づくりを飽くことなく続け、一つの固有の文化・生活形態を古来続けてきた漂泊の民「サンカ」を包囲し、追い詰め、「帰化」・「融和」させていった。
 戸籍支配は定住のみをよしとする、生活形態の画一化を今もって支えており、この国家のあり方、そしてそれを支える個々人が「産業廃棄物」として吐き出した「取り換えられた部品」としての個々人が路上に、公園に、河原に放り出されれば、「身元を明かさない限り」何一つ「住所不定者」には最低限の生きる条件の無い状態を強いる構図となっている。
 かってサンカの民は戸籍支配の前に定住と「融和」を強いられた。当然それは、支配のご都合以上でも以下でもない。 管理されなければ、生きる条件すら奪われる状況はまさに異常である。 …そう、ここは「刑務所列島」。
 このページを作ったのはサンカの人なのか。サンカの人は厳しい排他主義を持っているので、サンカ以外の人にサンカ文字を教えることはないような気がする。(注)
 もうひとつ驚いたことがあった。このページにはいくつか他のページへのリンクが張ってある。そのなかに「大阪‐長居公園・仲間の会HP」というのがある。このページを見ると、エスペラントでも表記されていた。エスペラントは私も少しは知っている言葉だが、こんなところで見るとは。まったく似たような趣味というか行動というか、そういうやつがいるものだと思った。ちょっとぎくっとしたね。

(注) サンカ文字とひらがなの50音を対比させた表がある。しかし、それが妥当なものなのか、サンカ文字は表音文字だけなのかなどについて、私は知らない。

このようにサンカ文字読めたり書いたりする人いるようですね。

古老の方がたの共有した「ワケ」、考えましたけど判りませんでした。

ヨーカンさん
最近、若い人がチンドン屋さん希望者多いそうです。テレビでやってましたよ。


ヤゾー - 2005/04/13(水) 20:35<

花冷え

みなさん こんばんわ

東京は 花冷えのようで 
季節が逆戻りしたように肌寒いです。

住友さん 昨夜の新宿オフ会 とても楽しい時間を過ごせました。
こちらこそ 今後とも よろしくお願い致します。

四季さん 廃校の場所を思い出そうとしているのですが
ちょっと忘れてしまいました。
思い出したら メールしますね。

アヤタチさんの 遠州の古老の方がサンカ文字が読めたという問題ですが
とても興味深い問題なのですが なかなか答えが見付かりません。
すずか@Hさんの答えが 面白いかなと思ったりします。
もう少し 考えさせてみたい気がします。

住友博昭 - 2005/04/13(水) 14:52<

ありがとうございました。

昨日中元さんとお会いでき光栄でした。・・これからもよろしくです。

すずか@H - 2005/04/13(水) 00:05<

さんか文字

通りすがりに、性懲りもなく投稿させてください。

答え 商売で使う「符牒」。

紙屋とか材木屋とか、身内だけに通じる符牒にサンカ文字を流用、
あるいはサンカ文字そのものが・・・。

四季 - 2005/04/12(火) 23:03<

質問です!

はじめまして。こんばんわ。ちょっとお尋ねしますが、2000年11月26日の「熊野ライフ通信」で出てきた廃校は、かつて何という名前の学校だったんですかね?

ヨーカン - 2005/04/12(火) 15:05<

神主さん

また ちがうんかなー? あたったためし ないもんねー
村の氏神さん 代々祭ってきたが もとを辿れば 意外な秘密が・・

皆神龍太郎 - 2005/04/12(火) 13:20<

これが正解だな!

みなさん、違いますね〜〜。

正解は、文盲な方々でしょう!
フィーリングで読めちゃう絵文字ということだと思います。

でもとなると逆に、読めたからと言って、山窩の豊国文字が実際に使われていた証拠にはならなくなっちゃいますけど。

- 2005/04/12(火) 11:56<

サンカ文字読める人

インドのカリンガやベンゲットに住んだことがあれば、サンカ文字が読める可能性がある。

蜜柑 - 2005/04/12(火) 00:26<

サンカ文字の読める理由

答えは簡単です。

「習ったことがあるから」

答えになってないか。

ツトッコ - 2005/04/11(月) 22:19<

サンカ文字読める人

アヤタチさん、こんばんは。
答え:サンカ文字読める理由は旧日本軍に属していたから。サンカ文字が暗号として使われていた。

こうへい - 2005/04/11(月) 21:43<

花冷えですか(^o^)

表で石器作ってると、寒かったです。
石器のナイフは錆びないけど、作ってないと腕が錆びてます(^○^)

こうへい - 2005/04/11(月) 16:40<

サンカ文字の読める理由?

答え:サンカ集団のなかでも、あるレベルより上のヤゾーでした。

こうへい - 2005/04/11(月) 14:33<

アヤタチ 様

お疲れさまです。
アヤタチ 様は、本物のサンカ文字をご存知なんですね。
公開されてる、サンカ文字の表は、本物なんでしょうか?
初歩的な質問ですが、さしつかえなければ教えて下さいませm(__)m

アヤタチ - 2005/04/11(月) 13:00<

サンカ文字を読めた古老いました。

昨日まで4日間、「ポンの会」で静岡方面のサンカの調査〜情報収集に出かけておりました。今、戻って参りました。

不思議です。遠州の古老の方1人。「サンカ文字」で村の名前を書きましたら読めましたです。

美濃地方でも、先月、同じことでテストしたら、2人の古老が読めました。

以前からのデーターと合わせますと、合計6名になりました。

今回、これが問題です。この3人の方、「サンカ文字」読める「理由?」を、共有されていました。

クマノシュウの皆様、この古老の方がたの共有した「ワケ」、お判りになられますか?

   「フミのアヤタチのオビト」>>>「アヤタチ」に、改名しました。

ヨーカン - 2005/04/11(月) 12:42<

黄色い 風が

ほんまに久し振りに解放されて ヒトリボッチに成れました。 北に北にとオンボロ車転がせてますと、杉の森から黄色い噴煙がブワーッと舞い上がって 見ただけで咳き込みますね
 それでも丹波の山奥では、だーれも花粉症ならんそうです なんで??
北向きの山肌には コブシが満開ですね 必ず北向きですねー
以前 誰か書いてくれてましたね こぶし^辛夷^拳 原産は朝鮮半島 北むき んんんんー
 杉がギョーサン倒れてまして、チョイと組んだらテントいらへんね
寝袋入ってジッとしてたら いろんな音聞えますが カメラ!思って動くと おらへんようになりますね

 おりょうさん
こないだ かーちゃんが [風の丘をこえて]ゆう韓国映画借りてきたよ
パンソリの旅芸人の話でしたが バオジャンフー なんか ひっぱられますね
音”もって旅する人 ごぜうた ユパンキ 竹山 越後獅子 虚無僧 ジプシー ・・・・
 なんで こないに ひっぱられるんかいなー?

  

こうへい - 2005/04/10(日) 17:39<

夜勤が明けました

夜勤明け 薄陽のサクラも まぶしけり

赤信号 一年ぶりの レンゲ草

  詠み人知らず(^○^)

しずかさや 岩にしみいる 蝉の声
やったかなあ、松尾芭蕉?

松尾芭蕉って、突発難聴だったらしいですよ。
なんかの本で読みました。
どっちかの耳が聞こえなくって、耳鳴りがしている。
そのことを、詠んだ句らしいですよ。
ボクの右耳は、ニイニイゼミが鳴いてるけど、どんなセミの声だったのかなあ。

ヤゾー - 2005/04/10(日) 07:31<

尾張のクズシリさん おめでとうございます

みなさん おはようございます

尾張のクズシリさん 実証編 考察編の完結 おめでとうございます。
そして 深夜に及ぶ執筆作業 ご苦労さまでした。
次は蜜柑さんの単行本が出るそうですが
新しいサンカ学も 充実してきましたね。
今後の執筆も 楽しみにしております。

ヤナさん だからあの辺りに行くと 
ただのヨモギ餅にしか見えませんが
カッパ餅を売る売店が いくつかあったりします。

こうへい - 2005/04/09(土) 18:40<

これって、暗号ですかあ

難しくって、わかりません。
ねむたいっす。
今日、夜勤三日目、あした明けです。
体内時計、自由に変える方法、ご存知でしたら、教えて下さい。

こうへい - 2005/04/09(土) 11:07<

近露(ちかつゆ)

は、行ったことがあります。
カッパが名物みたいですね。
ヤナさん、近露で昔、池に潜った覚えありませんかあ(^○^)

ya(・ε^)na - 2005/04/09(土) 00:47<

ご近所情報!!

西牟婁郡中辺路町近露。近露の奥山の鴨折という谷には河童が住んでいて、
 昭和になってから炭持ちの子どもたちもこの河童に出会ったということです・・
    杉中浩一郎(和歌山県在住)のお話・・
 ヤゾー!!中辺路には河童もおったみたいですよぅ
    ご近所の木蓮の森もそろそろとちゃいますやろか??
       もしもし!!もしもーーーーし!!

  せやった・・ヤゾー留守なんや!えらいすんません

おりょう - 2005/04/08(金) 22:26<

映画

1時五0分〜3時25分 B2
パオジャンフーとは、歌や踊りなどの芸をしながら薬を売って旅をする人々のこと。この作品は、今やアジアではほとんどその姿を消しつつある彼らの姿を追ったドキュメンタリー映画。3つのグループの本物のパオジャンフーたちの物語を織り交ぜ、その内の1つ、新威殿一座の17歳の息子の成長を軸に、失われつつある文化に賭ける人々の情熱と孤独を描き出す。         
〔製作〕酒井捷八
〔監督〕柳町光男
〔撮影〕田村正毅
〔音楽〕清水靖晃
〔出演〕葉天爽、葉春鴻、黄春蓮、呉天羅、張財明  ほか
(1995年・日本)〔中国語/字幕スーパー/カラー〕

尾張のクズシリ - 2005/04/08(金) 10:23<

有難う御座いました。クマノシュウのお陰です。

ヤゾーさん、拙本のご紹介頂き、有難う御座いました。お心遣いに、痛み入ります。
また、クマノライフの皆さま。色々とパワーとご教導をいただき、そのお陰で「実証編」「考察編」二冊を完結することが出来ました。本当に御礼、深謝申し上げます。

昼間は、オモイッキリ働き(働かされ?)ながら深夜に、資料整理〜実測作業、トレース、起稿など・・・ここ十数年繰り返しの毎日でした。
3年ほど前、東京でヤゾーさんと始めてお会いして、「早くパソコンを覚えて、クマノライフへ早く来てください! 仲間が待っておりますヨ!」、私のような異形者にまで、お誘いをしていただきました。

深夜に、筆が進まない時、覚えながらのパソコンで、このクマノの「掲示板」を読ませていただいておりましたです。
時には、一人で大笑いし・・・、また、何度も泣かせていただき・・・どれだけ、皆さまのお人柄に、パワーを頂いてきたことか・・・・
本当に、尾張のクズシリは感謝いたしております。有難う出、一杯です。
これからも、私のような異端児で、お役に立てることがありますれば、この掲示板を通して、サイギョウのフミを、ご下命下さいませ。
お恥ずかしい、ことを書かせていただきまして、済みませんです。
    尾張のクズシリでした。

ヤゾー - 2005/04/07(木) 14:31<

サンカ・廻游する職能民たち

みなさん こんにちわ
これから 東京へ立ちます。
 
尾張のクズシリさんのサンカ学叢書 「サンカ・廻游する職能民たち」
実証編に引き続き考察編がでました。
くまのらいふ・ショッピングから購入できますので 欲しい方は よろしくお願い致します。

ヨーカン - 2005/04/07(木) 12:45<

こんなん どないです?

まず ヤゾーが いろんな掲示板に噂流します 「やまのおくの池に へんなもん おるらしい」
こうへいさんが 謎の生物探検ツアー 募集します
夕闇せまる能勢の野池で おりょうさんが キップうります

 見分けつかんくらい暗くなったら 
   やなさんが 頭に皿のせて浮かびあがって
   わたしが鏡みて脂汗流して ぐえって鳴いて・・
 (地で いけそう)
たんまり稼いで みんなで やまわけしょうぜ!
 
頭つかってもうける おもったけど            
         また ここ汚してしもた! すんません 
                           しごと します

こうへい - 2005/04/07(木) 09:55<

「山の民」の中の「縄文人の末裔」

ルソーさん おはようございます。
縄文の遺跡は、各地の川の側、河岸段丘(川の浸食で、元川だったところが干上がって出来た見晴らしの良い、場所・・でいいんかなあ?)に、多いです。
山は猟の場所だったのでしょう。
弥生でも、山の上・・高地性遺跡があります。
戦争のために山に住んだと言われていますが、温暖化で低地が海になったとボクはおもっています。
縄文人と弥生人の融合もあり、
縄文人の末裔は、現在のどの人達か、っていうのは、いろんな説があって、定かではありません。
ですから、「山の民」の中の「縄文人の末裔」っていうのは、限定すると、分からないっていうのが、現状なんじゃないでしょうか?
ルソーさん 研究して、それを明かしてくださいませ。

じげもん <http://homepage2.nifty.com/deestyle/> - 2005/04/07(木) 08:45<

ルソーさん

「山の民」の中の「縄文人の末裔」となると難題やなぁ。
それぞれの地域の縄文遺跡を調べると、縄文人の足取りは想像できるけど。
たとえば甲州なら海から川沿いに移動したことがわかりますです。

ソルー - 2005/04/07(木) 02:45<

追伸

すいません。
山の民(縄文人の末裔)熊野、甲州(南アルプス)、信州(秩父)、土佐(四国山脈本川村)
の4地域だとどこに住んでいた可能性が高いでしょうか?

ya(・ε^)na - 2005/04/07(木) 02:24<

思い出した・・

そや・・もうずいぶんと昔のことや
 能勢電で山下駅の次に笹部って 駅があったんよぅ
 今思うとほんまに小さな駅やった
   駅のホームが枕木だけで、車掌が切符回収してました・
駅を降りて左を妙見の方に歩いていくと・・
  小さな溜池があった・・だあれもいてへん・私・・たった一人・・
   暑い夏やったから・泳いで見たくなりました・
        パンツ一丁で泳ぐと溜池の水はえらい上と底では温度がちごてました
  ぷくーっと水面から目から上だけ出して浮かんでましたら
  なんや変な感じ・・足に金魚藻が絡んでほんまにおかしかった・・

誰か遠くから私のこと見てるひとがあったら・・・
     きっと・・カッパに見えとったかもしれませんねぇ

                     

ソルー - 2005/04/07(木) 01:17<
こんばんは。質問わかりずらかったですね。
山の民(縄文人の末裔)は熊野、南アルプス、信州(秩父)の3地域だと住んでいた可能性が高いのはどこでしょうか?

こうへい - 2005/04/06(水) 21:05<

おりょうさん

タンカ売の解説、かたじけのうござるm(__)m
なんでも、お詳しい(*^^)v

タンカ売って、田舎には来なかったですね。

子供の頃・・自転車に青い箱積んだアイスキャンデー屋、紙芝居、チンドン屋、一番人気のポンポン菓子・・蓋を開けるときのドキドキ感、天秤棒の金魚屋、チャルメラ吹きながらやってくるラーメン屋、水飴屋、
祭りのときは、もっといろいろ出てたけど、思い出せないなあ
お面屋、アメ細工、綿菓子・・・

おりょう - 2005/04/06(水) 20:05<

タンカ売

タンカ売は「タンカを切る」のタンカで口上の意味だそうです。
蝦蟇売りのタンカは「追い詰められました蝦蟇は、初めてみるおのれの顔、おのれの姿、その醜さに、根が小心者の蝦蟇なれば、体内からはトローリトロリ、流れいでる油汗、これを21日の間、柳の箸は一尺寸、
弱火にかけてじっくり、ていねいに、いたわるように煮詰め固めましたるものがここにあるこの蝦蟇の油だ、さーてお立会い」とこのあともつずききます・・本当のところ蝦蟇の油の薬の中身はなんでしょうか?

上野当りでは似顔絵書きとか多いですね。
骨董屋、ヤキソバ、たこ焼き、やきとり、お面屋、アメ細工、ラムネ屋、缶ビールなどなど。
古典的なタンカ売にめぐり合いたいです。

天才「コンコンおじさん」は名古屋版仙台四郎ですね。
尾張のクズシリさんはユニークな人探し天才。

ヤゾー <http://www.kumanolife.com/Blog/> - 2005/04/06(水) 19:31<

山小屋日記

みなさん こんばんわ

ソルー さん はじめまして
質問の意味が少し分からないのですが
熊野には 日本固有の犬で紀州犬というのがあります。

尾張のクズシリさんの「コンコンおじさん」の話し
なんだか日本むかし話しのようで よい話ですね。
変な人だからと 邪険にしてはいけないという教訓でした。
特殊能力でなく 本当に商売として演じているのなら
天才的かも知れません。

東京に居たころに 頼まれて骨董屋の店番したことがありましたが
そのときに ヨレヨレの格好で それもYシャツのボタンを一段ずらして留めていて
ボサボサ頭の見るからに冴えない初老のおじさんが来たことがありました。
なんか場違いなおっさんが来たなと思いました。
話をしてみても なんかチンプンカンプンなことを言うし
それでも丁寧に対応したことがありました。
後で店の主人に話したら 偉い先生だとのことで
人は見かけによらないと痛感したことがありました。

密かに最近流行のブログ 山小屋日記を始めました。

http://www.kumanolife.com/Blog/

こうへい - 2005/04/06(水) 19:22<

頭を使え!!

金のないひとは、頭を使え・・
頭の悪い人は身体を使え・・って言いますねえ

頭を使うって、頭突きやるってことじゃないですよねえ(^o^)
目方で男が売れるなら・・♪

尾張のクズシリ様、ありがとうございます。
元気が一番・・生きてるだけで丸儲け・・

えつこさんでしたか、下津町は、4/1から、海草郡下津町から、海南市下津町に変わりました。

買い物から帰ると、テレビで川井郁子さんが出てました。
最後の、レッド・バイオリンだけ聞けました。
前に、一度だけコンサートに行ったんです。
泉の森なんとかいう会場でした。
隣のオッサンは、最初から、最後まで双眼鏡で見てました。
ちょっと貸して・・とは言えなかった(^o^)
CD買って、サインしてもらいました。
テレビで見てましたが、あんなに近くで見れて、ほんま、ドキドキしました(*^_^*)
その時のこと、思い出しました。
レッド・バイオリンのCD買いに行こうっと。

尾張のクズシリ - 2005/04/06(水) 13:16<

ホームレス?乞食?天才「コンコンおじさん」のこと

名古屋の通称飲み屋街「女子大小路」の【コンコンおじさん】のお話しです。

こうへいさん。元気が宝です。気力が一番です。人生、毎日リセットです。【本日、ただ幸せ】です。

頭が狂った? 1人のヨボヨボな歩きの、乞食のオッチャンがいました。
夕方4時ごろから、飲み屋街の開店準備に忙しい下働きアンちゃんたちに、大きな独り言で

「コ〜ン コン コ〜ン〜  コンコン コ〜ン・・・・コンコン コ〜ン コンコン・・・」

、どこで失敬してきたのか? 汚いお稲荷様の、陶器のキツネ人形を胸に抱き、持ち歩いていた乞食がおりました。
玄関前に立ち、掃除中のアンちゃんタチに、「コンコン コ〜〜ン〜・・・」をやるものですから、水を掛けられ、
「こら! オンドら! 乞食の来るとこでない!! あっちにイケ!! ぶっ殺すぞ!!」
などと、各店店で言われ、追い払われていましたです。

ところが、早出の55歳ママさんが、ちょうどその場面を見ていて、言いました。
 
 「毎日アリガトさん、明日も来てもイイよ。これ気持だけの御礼 うけっとてネ」

と、その乞食に千円札、1枚上げたのです。店のアンちゃん達は「ママ。困ります!!」と抗議をしました。ママは「私も施設で育ち、誰もいないの。乞食になっていたかも・・・」と店の中に消えてゆきました。

ところが、バブル不況でお客が、ガタ減り。なのに、不思議に、ママの店だけその日は大入りになり、両隣のお姉さま達にも急遽応援を頼みお客のモテナシに追われましたです。

また翌日も、その乞食が「コンコン コ〜〜ン ・・・・」と来ましたので、若シュウたちがママから預かっていた千円札をあげました。
そしたら、またまた喜んで、キツネを抱いて、今度は踊り始めました。しかし注意もせず、そのまま、放おっておきました。不思議にその日も、大入りで昨夜と同じになりました。

それが瞬く間に、同業者に伝わり、他の店でも競うように、その乞食に小銭を渡すようになりました。客呼び神様「コンコン乞食」と呼ばれております。

尾張のクズシリは、今、取材を申し込んでおります。
世の中、無一文でお金を稼ぐ、遊動生業者【世間師】の先生おります。この先生の面談聴き取り、出来ましたら、そのノウハウ、研究したいと思っております。

こうへいさん。ヨーカンさん。ヤナさん。ワタシ自身。生きてるうちに「アタマ」使いましょう!!
そうそう。あの香具師の先生のつづきあります・・・・・
万有動力の法則、ブンブン虫式「原子力ダルマ」の先生は、一年のうち2ヶ月働いて、後は好きな釣りしてました。そして、子供さん皆大学だしていましたです。
教えを乞いたい先生は、【 職場にオラズ 世間師に学べ 】 これ、今、考えた私の格言です。
 この掲示板みた指導上司、怒るだろうな!! ワタシ クビ になるかも?

      尾張のクズシリ でした。

ヨーカン - 2005/04/06(水) 10:47<

無念じゃー”

原・始・力? ブイブイだったのですね  残念無念! 元手かからんわなー(^^)
最近クズシリ博士にクスグラレて 頭つこうて儲けたろ思ってんねけども すぐに眠たくなってしまって あきません
 あ!やなさん そっちまで 匂いとどきましたか?それは どーもです お礼はいいですよ!先祖代代からタヌキばっかり食べてたんで、特製のが濃縮されてますねんわ
 春米から関宮の氷ノ山越の途中に 木地師跡の立て札ありまして何度かテント張りましたが今度行ったら小椋さんの表札探してみます 木の細工物どっかに売ってたような記憶あるしね
 木地のちゃぶ椀 そろそろ替え時になってますし・・

やなさん! わたしら だんだんに取り残されて 前世紀の遺物、ガラパゴス島の亀さんに?
そいでもね まだまだ消え去れんと思いますねんよ
 自然に育まれ 生き抜いてきた先人たちの知恵や勇気を・・
        あれえ?? 私 なにしたらエーノンですかいな??  プー!!



 


ya(・ε^)na - 2005/04/06(水) 01:55<

木地師・・

ずーーと以前のこと・・
  北ア白馬・雪倉の蓮華温泉・山旅の帰り
   木地師の皆さんの作品が飾られていた・・
     小椋の名前がよおさんおました・・・??
  よおさん??・・まちがい!!ほとんどが小椋でしたねぇ
     琵琶湖の近くのなんとかゆうところ・・
         おましたねぇ・・
 今でも彫り物の上手な方が大勢いてはりますねぇ・

    信州や南アやてかぁ・・山並みはどこまでも遠くまで続いてますよぅ


         ソルーさん・・・ガンバレ!!



     東北のマタギさんはなんでも比良あたりどころかもっと遠くまで・・

  上高地のカモンジや・・喜作・・
      ほんでから、山ノ神・・・んんんんん
   山の民の匂いがプンプンしてきますねぇ・・
       
     んんん・・ほんまに臭いなぁ

        んんん・へ・・ ヨーカンさんおならしたらあきませんがな・・ははは・

     サンカのウメガイ・マタギのナガサ・・

     わたしは民話の世界からナデシの匂い嗅いでます

   残念ながらすごいスピードで夢の世界は消え去ろうとしていますよぅ
     ほんまに、ほんまに残念ですねぇ
       


 

△うぶ - 2005/04/06(水) 01:47<

原子力だるま

「ハラコちからダルマ」(納得!)、って ブンブンだったのですか、、、現物見た事は無いけど。

名詞;「カタヤ」も 、、、、、意味深で、、、、、、納得しました。

こうへい - 2005/04/06(水) 00:14<

尾張のクズシリ 様

外れはしましたが、面白いお話ですね。

ソルーさん、はじめまして。
日本の犬と山の民・・良く知りませんが、マタギのことなんでしょうか?

こうへい - 2005/04/05(火) 23:55<

(財)日本ナショナルトラスト 

紀州田辺の天神崎、日本ナショナルトラストのはしりである・・とか読んだことがあります。
行って、潜ってみました(^o^)

わが母校の校歌に歌われる「亀池」の上にゴルフ場造るってときに、立木トラストっていうのをやりました。
予定地の真ん中の山の木をみんなで一本千円で買って、名札を付けて・・
ボクも一本買いました。
で、結局ゴルフ場は出来なくて、雑木林を売った山主達は金持ちになり、立木トラストの山を提供してくれた山主だけ恩恵を受けなかった。最初から、金儲け考えてない山主だったけど。なんだかなあ
 

こうへい - 2005/04/05(火) 23:34<

おりょうさん

タンカ売というのは、寅さんみたいに口上を述べて売る人ですか?
ガマの油売りとか・・

- 2005/04/05(火) 23:18<

熊野御幸

http://9009.teacup.com/cojimagu/bbs2
に、

後鳥羽上皇は、譲位したその年にさっそく熊野御幸  
熊野御幸は終焉は何があるのか
投稿者: 児島  

があります。


おりょう - 2005/04/05(火) 19:05<

香具師

香具師は元でをかけないで、アイデアとタンカと意外性で勝負しているので当れば儲けも大きいようですね。
だいたい香具師が10人いれば2人の天才と悪が2人と普通の人が6人だそうです。
これからお花見シーズンで香具師の出番ですね。骨董品なんかが人気ありそうですよ。
タンカ売というのはあまりみかけませんね。

「夜店で見て、動いているのが不思議で買って帰ったらちっとも動かないので中を見たら虫が死んでいた」蜜柑さんの書きこみで、上記の文章が記憶の底から蘇りましたので寝返りましたんよん。

こへいさん
最近友達もアルバイトしたら朝8時半〜夜8時半までとかで、12時間勤務残業代なしのポッキリとかいってました。

クズシリさんの本、最新号「自然と文化・77号」(財)日本ナショナルトラスト 面白そう。

ソルー - 2005/04/05(火) 18:10<

追伸

何度もスイマセン 熊野にも山の民は住んでいたのでしょうか?
この熊野、南アルプス地方、信州(秩父)だと可能性はどこが高いでしょうか?

ソルー - 2005/04/05(火) 18:04<

はじめまして

はじめまして。こんにちは。
栃木在住の中学生です。日本の犬についてしらべているのですが山の民は南アルプスと信州のどちらに住んでいた可能性があるかわからないでしょうか?

尾張のクズシリ - 2005/04/05(火) 17:41<

「原子力ダルマ」を売捌いた天才香具師

クマノシュウの皆さま!!  大変お待たせを致しました。

昭和27年の7月某日。 岐阜市の金華山麓にある「名和昆虫博物館」に、異様な人が入館してきました。
坊主頭に鉢巻、ダボシャツにサラシ腹巻、七部の紋々・・・よく見ると英文を交えた刺青・・・・館内にいた見学者も皆、退散して(させて)しまいました。
熱心に昆虫標本を見て、ゆっくりと説明版にも目を通しながら・・・・コーナーの1コマずつ、じっくりと見学していました。

早く追い出そうと職員が、シビレを切らして・・・「タイショウ!! オツトメご苦労さんです!」と声を掛けにいきました。ところ、
『アンさん、アンタガ、館長さんか?』 「いえ私は手習いの者です」
『館長を呼べ!アンさんではワカラン!』 「ハイイ ス、、スグ、、、ヨビマスデス」

そこに立派な名和館長が静かに、堂々と現れました。「私が館長の名和です。ご来館頂き有難う御座います」と挨拶されました。そしたら、

 『失礼致します。私は大○組○鬼○一家、桑○組総代をさせて頂く、○原○雄です。
  先生、このムシの説明文、漢字が多く私、読めません。もっと知りたいです。
  私は、学校に入った事がないケチな男で無学な者です。先生どうか教えてくださいませ。』

その説明版【甲虫類は生物界の一番力持ち】の内容を名和先生は、優しく講義をされました。

「硬いからだのムシ、コウチュウと言います。・・・・
 ・・人の体に例えると、○原さん。そうですね戦車1台くらい
  軽々と、持ち上げます。。。。6月から9月まで身近に沢山います・・・
   カブト、クワガタ、コガネ、ブンブン・・・みな、仲間です。・・・そして、
  えさを食べなくても、そうですね5~6日は生きられます。・・・・昆虫の世界
   から、私は教えられています。私の先生が虫たちですハハ・・ハ 」

答えは、【雑多な、ブンブン虫】でした。蜜柑さん大正解です。オメデトウ御座います。

この話しの顛末を、詳しく知りたい方は、最新号「自然と文化・77号」(財)日本ナショナルトラスト。の拙文をお読み頂けましたら有り難いことです。
 拙論は、ペンネーム「飯尾 恭之」で書いております。  
    本名、尾張のクズシリでした。

ヨーカン - 2005/04/05(火) 12:19<

密柑様 どうもありがとう

うーん セル瓶方式だったのですね  一番簡単で沢山とれる・合理的ですね
因みに うちらの、もう一つの方法は笹を束ねて入れといて、大きな網で底から掬いあげます エビもよく入ってます
 これが違うとなって・・磁石説も うー・・あぶないかな?
ヤゾー説も結構説得力がありますね
   クズシリさん やきもきさせんと はよう おせてーな

蜜柑 - 2005/04/04(月) 23:42<

ヨーカン様

うなぎをとる方法をサンカに聞いたことありますよ。
そのサンカは「ガラスのビン」を使ったと言ってました。
ビンの中にミミズ入れて沈めておくそうです。
いくらでも捕れたそうです。

ちなみに、これを教えてくれたサンカは
ヤゾーのマブダチのハジメさんの妹のハツコさんです。

ヤゾー - 2005/04/04(月) 18:38<

カタカタおもちゃ

みなさん こんばんわ

空魚さん はじめまして
綺麗なブログですね。
流行に疎いので 最近よく耳にするブログってよく分からなかったのですが
お蔭様で どういうものか分かりました。

尾張のクズシリさんの問題ですが
磁石と虫の他に思いつくのは
空洞のハリボテの中に
鉄の丸い玉を入れておいて
少し傾いたところに置いたら
カタカタと動くおもちゃが むかしあったような気がします。
僅かな傾きでも カタカタと動いたように思います。

ヨーカン - 2005/04/04(月) 10:20<

なんべんも すんません

尾張のクズシリ様に 質問です  へへへッ
 サンカ衆は 鰻とりの名人でしたそうですが どないにして とってたの?
魚は竹とんがらかせて 突いてとれますが うなちゃんはヤスでもナカナカささりませんね
私らは 川の中にガラ石積上げて 2、3日してから網で囲み、石を隣に積替えます
あみの下手に一箇所モンドリ入れて追込んだら・(^0^)
石に苔ついたら あきませんので 新しい石にかえことしてました
 同じやりかたでしたら わたしのサンカ度かなりアップなりますね!
 

ヨーカン - 2005/04/04(月) 08:05<

おりょうさん

ねがえったのね!(^0^) ジシャク説 不安になってきたがな
きのうの うちのかーちゃんの 長電話きいてたら やなさんのが あたってる!
こうへいさん ひよっとかして ・・わたしらのときはA定食 きらいだったコウコのひげまで食べて皿舐めて お茶であらってそれ飲んで 休みにはチキンラーメンの汁にパンの耳入れて これ合うよ(^^)
 やなさん これ ツブ鍋の一種やろか? 

こうへい - 2005/04/03(日) 22:59<

あ、そうそう

前の、海南市と下津町が合併するって話だけど、4月1日から正式になってます。
海南市下津??・・海南市下津町??

こうへい - 2005/04/03(日) 22:06<

ん?大阪市大!!

たしか、17才の頃、杉本町の大阪市大で、学生相手に定規、コンパス売ってたことがあるぞ・・
ニイチャン、コンパスこうてって・・
生協のトンカツ、安くてうまかったの覚えてるなあ・・

こうへい - 2005/04/03(日) 21:59<

今帰ってきました(^_-)-☆

ねむたいっす。
5日後、晩8時から朝8時っていうのが3日続きます。寝てまいそうやがな・・
ヤナさん、メシは食ってますよお(^○^)
高速で動くもん見てたら、動体視力がようなります。
あしたのジョーってかあ・・

おりょうさん、確か磁石言うてたような気がしますが、答えはいくつでもいいんですかぁ・・
カブトムシの幼虫入れときます。
えどじだいってかい(◎-◎;)

おりょう - 2005/04/03(日) 11:04<

おはようございます

あ!私も蜜柑さんに1票とします。

1日12時間の勤務!?
だんだん江戸時代に逆戻りやね
そのうち薮入りとか復活するかも。

空魚 <http://blog.goo.ne.jp/nomoscab/> - 2005/04/03(日) 01:22<

はじめまして。

「古史古伝」の検索結果からお邪魔致します。よくお調べになっていますね。ビックリしました。ときどき覗かせてください。

ya(・ε^)na - 2005/04/03(日) 01:10<

蜜柑さん・・

あたいもそないおもいます・・
  先に言われてしもたがな・・

ya(・ε^)na - 2005/04/03(日) 01:07<

せやねんなぁ・・・

こうへいさん・・12時間の仕事ですかぁ
  いてまいまっせぇ・・
 体力つけなあきませんよゥ・・
   ごはんもよおさんたべなぁ・・
   チョットやったらあきませんよぅ・・ええ!!
       なんですぅ・・よおさんたべてるって・・
      どんなくらいごはん炊いてますのん??
        ええ・・ニゴウタイてるてかぁ・・はっははは
    えらいすんません・・しょおもないことを!!

 たしかにそうですねぇ・・
  解るわぁ!!だれや!貧乏のすすめっていうたんわ!!
   確かに服も買われへん・・
       貧乏人は着たきりススメや!!

はっはははなんやよう解りませんけど
  大阪市大のHPの山の写真でも見て、ガンバッっておくれやす

 せや!!クズシリはん・・
   あんなかに大阪のしゃべりのおばはん入れときはったらどないです
   ほんま!!なかなかとまりませんよぅ・・

                ほな      
     







蜜柑 - 2005/04/03(日) 00:58<

尾張のクズシリ殿

>ピンポン玉や、こけし人形、ダルマ・・・など、の“カタハリコ”を机に並べ・・・・
 それらが、みな動いているのです・・・

って、多分、カタハリコの中に虫を入れてたのとチャウカ?
カナブンみたいな虫を。




おりょう - 2005/04/02(土) 22:55<

こんばんわ

尾張のクズシリさん  香具師の偉大なる知恵!!「万有動力の法則」?
なんでしょうか?私も「じしゃく」に一票。

香具師の世界研究している本ご紹介です。
川瀬考二「祭の商人 香具師」昭和62年 日本経済新聞社
朝倉喬二「芸能の始原に向って」1986年 (株)ミュージック・マガジン

香具師の世界も面白いですね。

大阪市立大学山岳会
やなさんシャングリラなどこの世の桃源郷、素晴らしい写真のってます。

http://www.happy.net/OCUAC/index.htm

松谷みよ子さんの「狼・山犬」の聞き書き興味ふかい話もりだくさん。

パソコン調子悪くてスムースにかけなくなってしまった(+_+)

こうへい - 2005/04/02(土) 21:47<

狼の遠吠え

って、大地を震わせるような、聞くと髪の毛がピューっと逆立つような声って言いますねえ。
田舎のじいさんの中には、まだオオカミは居とるゆう人がいるようですねえ。
オオカミの糞をくすべて、のろしを上げると、まっすぐに上がるって言いますね。
狼煙(のろし)ってここから来てるのかな?

ヤナさん、こんどの仕事って、ジュース工場なんですわ。
高速で走るお茶のペットボトルなんかが相手です。12時間の二交代。
孤独は何でもないのですが、自分の時間が無いって言うのが致命的(^o^)

貧乏は要らん、金ほしい(^o^)
だれですか、貧乏の薦めって・・気持ちは豊かで居たいのですが、生活のために自分の時間の殆どを、金稼ぎに費やすっていうのがねえ・・情熱とか感性とか、年と共に衰えるとすれば、今のこの時間、大事に使わないと・・って言うのが正直なところですねえ。
愚痴を言ってしまいましたが。
自分が、自分であるように生きるって、簡単じゃありませんねえ。
宝くじが当たれば、すべてが解決しちゃうんですが(^○^)

じしゃく - 2005/04/02(土) 16:21<

よーかん

え?    なまえと たいとるが はんたいやがな
けんど ここここれは いったですよ!
 くずしりさん どないです? 我ながら みごとやと おもいますねんけどな
敷板の上面は+ そいでからにダルマさんのおしりも 下が+
  どど どないだす?

ya(・ε^)na - 2005/04/02(土) 00:13<

両手を掲げて!!

春ですねぇ・・
  木蓮の白い花が咲き出しました・・
この花・・皆さん逆光でアノさんを花びらの向こうにおいて下さい・・
  両の手を合わせたかく掲げその花びらをすくうように眺めてください・・
  そして何かを感じてください・・

    雪柳の白い花も咲き出しました・・

       なんじゃこりゃぁーーーー
          花粉もまだ残ッとるがなぁーー
            
 こうへいさん今度の仕事も・・孤独なんかいねぇ??
       
  ヨーカンさん・・せやろぅ・・
    その感覚やがな・・・
   
        焚き火が似合いますやろーーー・・
           狼の遠吠えと風の音やろねぇ・・

  おりょうさんどない思います!!・・
         
                へへへへへへ

こうへい - 2005/04/01(金) 22:20<

「万有動力の法則」???

ハツカネズミを、一匹ずついれてある・・あっはっは ンなわけないか(^○^)

ヤゾー - 2005/04/01(金) 21:15<
みなさん こんばんわ

ヨーカンさん ぼちぼちと自然にやってゆきましょう。

少し忙しくて 投稿がおろそかになりますが
よろしくお願いします。

尾張のクズシリ - 2005/04/01(金) 20:10<

香具師の偉大なる知恵!!「万有動力の法則」?

尾張のクズシリです。
先日、「カタヤ」が話題になっておりました。カタヤ=は、サンカ的なグループ? サンカくさい? ・・・・・

実は、私も【カタヤ】さんOBを身近に面談して、取材させていただいております。
その中でも、一番天才的な【カタヤ】さんが、おられましたです。

ピンポン玉や、こけし人形、ダルマ・・・など、の“カタハリコ”を机に並べ・・・・
 それらが、みな動いているのです・・・

「 エ〜〜イ このダルマちゃんたち! ヨ〜〜ク見てやってチョーダイ!!
    ど〜だい!  ミ〜ンな 動いているダロ! どうだい!! 
  これを発明したのは ワタシだけ!!・・・
    でわ?・・・・どうして動いているかって??  そこの姉エ〜サンいい質問ダ!!
  チート難しいが、これを 「バンユウ動力のホウソク」と云うんだ!!・・・・     」

カタヤのなかで、カタモノを自由に動かした天才的な先生がおりました。

クマノシュウの皆さま。どのような原理で、カタモノに動きをだしたか?? お解りになられますか??

この原理を無事に説かれた方は、テキヤとしての素養をお持ちです。
ご希望ならば、代紋入りの幹部として推薦し、転職のお世話を致します。
  クマノシュウのナガレのウカラ・・・・・久々に知恵をだして下さいませ。

それから、ツトッコさん。
「箕」の資料、この調子で集めていってください。オタカラシュウの箕、必ず発見できますヨ!!

おりょうさん。
 ヤナギムシですか? サイギョウのフミ、掲示板で待っています。

ヨーカン - 2005/04/01(金) 12:56<

はじめてみた 夢

ひねくれヨーカンですが ここでは乾杯!いわれたら すなおに うれしなりました
  乾杯!!
はなしは五十数年前にさかのぼります 多分まだヨチヨチ歩きの頃だったでしょう
一人で夜の田圃のあぜ道にたっていました
満天の星が水を湛えた田に ふりそそいでいました
蛙が澄み切った声で ないていました

 ふと気がつくと 爺様が私を覗き込んで「ほーほー ゆめみとったか」笑いながら語りかけました
次の夜 
同じ田圃の中を 親父が山伏姿で歩いてゆきます(足が悪いのに この時はスタスタと・)
一生懸命ついてゆこうとしますが どんどん はなれてしまいます
私たちの様子を 蛙たちが 私をジッと みています

 気がつくと 母が笑いながら 涙をふいてくれてました

初めてではなかったかも知れませんが これは夢とゆうものであると 知りました

それから すぐに 爺様は屋根から落ちて 他界しました
親父は今は なにゆーてるのか よーわからん(^0^)
    ”いろんな話 聞きたかった”
こないだ 丹波のド山奥の 爺様の生家と思われる所に 辿り付きました
 まだあの夢の続きの中にいるような錯覚に陥りました

やなさ〜ん ホリーコールの「コーリング・ユウ」聞きましたよ
先祖たちが 月祭りしてて まわりを 山犬の群れが取り囲んでいるイメージです
(歌詞とぜんぜん違うけども)
                  さんきゅーです




 

 

こうへい - 2005/03/31(木) 23:57<

五日まえから違う仕事に行ってます

ミニスカートに見とれてけつまずくのも、もうおしまい。
食堂の窓から見ると、桜の花が咲いていました。
あしたは、四月ですね。
3月生まれが多いのは、なぜか訳でもあるのでしょうか♪ 
ヨーカンさんに乾杯\(^O^)/
                 

ya(・ε^)na - 2005/03/31(木) 23:19<

三月生まれの多いこと!!

ひな祭りに始まって・・
  んんんんほんまに三月生まれ多いですねぇ
 にぎやかな三月も今日でおしまい・・・・・・
ええええっ・・
     なんやてぇ・・トラヒゲあんたもかいな!!
  あんたも三月生まれなん!!
 最後の最後にへばりついてるんかいな・・しゃあないなぁ
   でもおめでとうさん、あなたが生まれて来てどこかの誰かが喜んでくれてますよぅ
 きっとクマノの仲間も拍手してくれてますよぅ
 にぎやかな、おっさん・・
   解った!!
      えええええ・・やなさんなんて言わんとって下さい
    わたしはもっと上品でおますよぅ・・こりゃましつれい・・
  はっははは・・今年は覚えてますけど来年は・・きっと忘れてますねぇははっは

  さあ・・みなさん・・乾杯の準備お願いします
      わたしは泡盛のお湯割りで・・
         乾杯の音頭とらせてもらいます・・ケケケケ


 
     明日のクマノのおっさん・・

            ヨーカンさんに乾杯!!
                 
                ケケッケケ

ヨーカン - 2005/03/31(木) 12:54<

しばらくの お付き合いを

クマノライフと出会って はや一年がすぎました
自分探し(ここどこ?? ぼくだれ??)のモドカシくも楽しい旅は ますます私を 引き込んでいきます
旅の指針は まずは網野善彦さん 最近は「野史呼び名辞典」です
 いったい私の これまで持たされていた歴史認識とは なんであったのか?
「日本」は多民族が興亡、共存 制圧 抑圧 打ち寄せる大波の中で 為政者の都合の悪い真実は隠蔽されほとんどの人々が その誇りを否定され 大切なものが破壊された歴史・・
 その厳しい現実にめげず 人間の尊厳を保とうと抗いぬいた人々もいた
「自分が何者であるかを知る人は豊かであり 知らぬ人はたとえ恵まれていても貧しい」

ほんまに 目からウロコの 一年でありました

ここどこ?は ちょっと わかってきました
ぼくだれ?は これからの わくわくするけど ちょっと不安なテーマです 


 

ヤゾー - 2005/03/30(水) 21:57<

花粉症

みなさん こんばんわ

今年の花粉は強烈なのか
マスクをしている人の姿が目立ちます。
自分も花粉症に悩まされていますが
花粉症の人が 連続クシャミをすると
なぜか可笑しくなってきます。
自分も 苦しみながら連続クシャミをすると
情けなくも笑ってしまいます。
サルや犬が花粉症になった姿をテレビで見ると
妙に嬉しかったりします。
仲間意識が芽生えるからでしょうか。
書くことがなかったので しょうもないこと書きました。


 

ツトッコ - 2005/03/27(日) 18:34<

今日、愛知県北設楽郡設楽町に住んでいた祖父の法事がありまして、子供の頃に見た記憶がある箕を探してみたら米をしまっていた倉庫に五枚ありました。あまり光のあたらない部屋なので保存状況はかなりいいと思います。(風の大国掲示板に掲載してます。)

手前右側の箕が一番新しいもので箕の背の部分に42.11.26新と書き込みがありましたがとても37年前のものとは思えない状態のよさです。5枚の箕は購入した時期はたぶんバラバラで手前の右側から2列目左側に向かって古くなると思います。

尾張のクズシリさんの「サンカ・廻游する職能民たち・(1)・実証編」P76の写真Bの竹箕(タケミ・チーミ)とそっくりな作りで箕の角の部分が少し太い竹で補強して作ってあります。
驚いたことは購入した時期は違っても形と大きさが同じなので重ねて運べることです。これなら行商する時もかさばることなく運べますね。

この5枚の箕が祖母が「ミツクリから買った。」と言った箕だと思うんですが、サンカが作った者か一般の竹細工職人の物かの区別は解らないですね。

けん - 2005/03/26(土) 23:45<

こんばんわ

密柑さん。テント式のセブリやったと思います。自在鍵までは気がつきませんでした。焼き湯してたのも知りませんわ。なんせ小学低学年でしたので。ただ僕らも、川で水浴びしてるの見たのが暑い頃ばっかり(春から夏)やったのかも知れませんね。
バリ師さん、ヨーカンさん。近くの人いるもんですね。よろしく。

ヨーカン - 2005/03/26(土) 17:43<

けんさん こんにちは

私”ヨーカン爺”は 河口近くの(高砂)に住んでます。 けんさん、バリ師さん、よろしく(^^)
お話の所はジョギングコースにしてましたが、大堰が出来て随分変ってしまいましたね。 
ここ半年くらい近辺でいろんな人にサンカ情報きいてみましたが、河口近くでは成果なしでした
 美嚢川合流点あたりが雰囲気ありますね! いそがないと!!
台風の時 お父上たち消防団が気遣い心配されたとの事、胸熱くなりました
昨年の台風の増水も尋常でなく、震災以来の橋梁下の住人が気になって行ってみましたが濁流で近寄る事さえ出来ませんでした・が・ うまくかわしていて数日後には復帰してました
 河原の木々は根こそぎ倒されてゴミがひっかかってますが、川柳が斜めになった枝に若芽をつけています

昨夜の妻とのウォーキングは思い出に残ります
”けんさん”の居られるあたりから 浮かんできた満月が川面を金色にきらめかせ 柳の影がわずかにゆれうごいて この世のものと思えぬ美しさに しばし足が動きませんでした
  久し振りに手を握り合ったりなんかシチャッテさ♪∝♪(^0^)

  

ヤゾー - 2005/03/26(土) 12:22<

自然と文化

みなさん こんにちわ

少し忙しくて しばらく山小屋を離れています。
これから またリフォームのバイトへ行ってきます。

けんさん はじめまして
貴重なお話 ありがとうございます。

にっちょさん お久しぶりです。
様々な経験を経て 四国八十八箇所を二度も巡礼されたことに敬意を感じております。
四月に東京の方へ行きますので またお会いしましょう。

東沢さん 青い影は そういう背景のある曲だったんですね。
今度 聴いたら もっと好きになりそうです。

山小屋の近所の陶芸家に郵便物の管理を頼んでいたのですが
尾張のクズシリさんから.「自然と文化 No.77」日本ナショナルトラスト という本を贈って頂いたようで
「原始力ダルマを売ったおっちゃん」(大須の露天で学んだ偉大なる香具師の知恵)という
クズシリさんの論文が載ってあったそうです。
陶芸家は地元の自然保護運動をしているメンバーなのですが
日本で最初の 地元田辺天神崎のトラスト運動の親元が 日本ナショナルトラストだったとのことです。
日本ナショナルトラストを調べると 興味深いことが浮かび上がってきそうです。

こうへい - 2005/03/25(金) 22:03<
オリオン座が、ずいぶん西に傾いています。
冬の終わり、春・・・

バリ師 - 2005/03/25(金) 04:47<

昭和二十八年の箕

■ブラブラちょいと調べもんをしとって、こんなページがありました。
http://www.asahi-net.or.jp/~BQ9T-TKHM/mi.html

■けんさん、バリ師は姫路在住です。身近な話だけにゾクゾクしました。播州・美作、サンカ彷徨。

△うぶ - 2005/03/25(金) 02:24<

唄だ引かる

東沢さん
「ヤマハ」なのが面白いところです。
「山窩ブルース」は過去40年程前に既に存在していた模様です。

東沢美史 - 2005/03/25(金) 01:05<

山に篭もって出来上がったプロコルハルムの『青い影』

ガキの頃、ヤマハが出版していた「ライト・ミュージック」というROCK雑誌の付録の楽譜の説明書きを読んでたら、プロコル・ハルムの主要メンバーがしばらく山に篭もったまま仙人のようになって作った曲だと紹介されてたのが印象に残っています。当時はいちおうプログレッシブ・ロックのカテゴリーで把握してたけど、山窩好きの皆さんに愛好家が多いのも無理からぬ誕生秘話といえますね。ボーカルの旋律よりも伴奏のオルガンのほうがイカしたメロディーを持つという珍しい曲だとおもいました。

私の希望としてはヤゾーさんに熊野をイメージした音楽とかを、もしできたらでいいのですが作曲していただきたいです。たとえば「山窩ブルース」とか「スサノヲ参上」とか「熊野・千年恋人」とかというようなタイトルでなんか良い詞やメロディーは浮ばないでしょうか。それとも常連投稿者をイメージして、やなさんのワルツとか、こうへいさんのマーチとか「東北の変わり者・東沢」とかでもいいですから、それぞれの皆さんにテーマソングを作ってはいただけませんでしょうか。そういうのを演奏して録音したカセットテープかCDをいつか販売してください。

蜜柑 - 2005/03/25(金) 00:30<

けん様

いやー、実に価値のある話ですね。
もっと詳しく知りたいです。
住まいは、いわゆる「テント式」のセブリだったのでしょうか?
テントの前には自在鍵はあったのでしょうか?
焼き湯してたのかな?

ya(・ε^)na - 2005/03/24(木) 00:15<

ビッグ・ガン

にっちょさんお久です・・・お帰りなさい


  私も強烈にあの時代と思いがよみがえりました・・

      かたゆで卵が旨い時代・・
    
        今の日本が無くしてしまった大切なもの・・・

      すべてがそこにあったような気がします




        
            
     

けん - 2005/03/24(木) 00:13<

昔の思い出



みなさんこんばんは、クマノライフに出会ってから1年くらいです。
いつか投稿しようと思ってました。私は今46才ですが、40年くらい前に近所の河原に、サンカの人が住んでいました。(瀬降り生活) 場所は兵庫県の加古川市です。私の家は河口から10キロくらい上った所にあるのですが、そこの河原に、もの心ついたころから3年生くらいまで住んでいたと記憶しています。当時の河原は、今のような整備された河川敷緑地ではなく、昔からの風景が広がるだっだ広い場所でした。私達子供はその人たち(2名いて、女性)をオクレのおばはんと呼んでいました。なぜそう呼んでいたかは、たぶん親たちも呼んでいたからだと思います。学校に行く時間頃にいつも街道を三木方面に歩き、夕方帰ってくるのを見かけました。服装は着物姿で背中に袋を背負っていたと記憶してます。ある年、(たぶん昭和40年)台風で川が増水し、当時消防団員だった親父たちが、「オクレのおばはん大丈夫やろか?」と言いながら、川へ捜しにいったこともありました。その時はちゃんと逃げてたみたいです。私達悪がき共が、河原に近所の酪農家の人が放牧していた牛を、2B弾で脅かしているとオクレのおばはんに「牛が暴れると、こわいから花火はやめてくれ」と注意されたこともありました。いつも夕方になると川にはいり体を洗っていました。
当時はものすごくおばあちゃんだと思ってましたが、もうちょっと若かったかもしれません。40代後半?
でもいつの年からか姿を見る事がなくなりました。どこへ行ってしまったのか分かりません。
最近、親父に「昔、河原に住んでいたオクレのおばはんはサンカの人やろ」と聞くと「あれはサンカと違う、世間師や」と言ってました。

にっちょ - 2005/03/23(水) 22:36<

青春の門

クマノライフの皆様こんばんは。
ヤゾ−さん、それと他の皆様お久しぶりです。
昨夜のテレビで二日に渡り「青春の門」が放映されましたので
感慨深く拝見しました、私の思いではドラマのバックミュージックに
ながれた「青い影」と共に強烈な少年期の思い出がよみがえりました。

当時差別と貧乏の中で育った私ですが、そのころは日本全体が貧しかったので
さほど貧乏が苦ではございませんでした、私の育った部落にはあまり外部の人
は訪れる人もいなかったように記憶します。部落に出入りしてた人々を思い出しますと
蓑虫捕り、ホルモン売り、粘土細工、万年筆、どぶろく屋、ヒロポン屋など・・・
部落にはケシ畑がありまして、腹など痛くなると「ケシ坊主」と呼ばれる所を傷つけて採った黒いかたまりをよく飲まされました。警察は毎日私服できてました。

十二、三歳のころ、とっても仲良くしていたテキヤのお兄さんがいまして、いつも
若い衆を何人かつれていました。いろいろなことを教えてくれました、アメリカ軍  
のPXからの横流しモノ、きれいなお姉さん、ヒロポンの打ち方、ハジキ(当時チャカ
とは言わなかった)の撃ち方、モンモンの入れ方、・・・スゴイ時代でしたね。
でも・・・精神は皆さま清らかで澄んでおりました。殺伐としてる現代社会からわずかに四〇年程の前のことなんですね。

ヤゾー - 2005/03/23(水) 20:28<

青き影

みなさん こんばんわ

少し忙しくて ご無沙汰しております。
プロコフィエル? プロコルハイム? バンド名を忘れてしまいましたが
青い影という 随分と昔に流行った曲がありました。
銀座でウエイターをしていたときに 閉店間際になると 生バンドがよく演奏していました。
今でも たまに ラジオやテレビから 青い影が流れると 
その当時のことが 走馬灯のようによみがえります。

十代のころ 隣町で大きな祭りがあると どこからともなく大きなテキヤ集団がやってきました。
早めに祭りに行って 準備する様子を見ているのが好きでした。
若頭らしき人が 大きなアメ車からパリッとしたスーツ姿でおりてきて
てきぱきと指図をしてから 自分もだぼシャツに着替えて焼そばを焼いたりしている姿を見て
なんとなく 憧れたりもしていました。
二十代のころ 東京で露天商のようなことを数年間したことがありますが
丁度 テキヤの人たちが排除されてゆく時期でした。
それでも 場所によってはテキヤの人たちと触れ合うことができました。
カタギではないけれど 気持ちのよい人も多かったように思います。
PTAや地元の婦人会などが作る 恐ろしく不味いタコヤキや焼そばを食べる度に
テキヤのいない祭りなんて 祭りじゃないと感じていました。
凶悪な暴力団ではない ヤクザやテキヤが適当にいた方が
健全で潤いのある社会だったように思います。
それにしても テキヤの作る焼そばは 不思議なほど美味しかったです。

こうへい - 2005/03/23(水) 12:09<
 忘れていた血が・・少しめざめた!!
      今なら・・今なら間に合うかもしれない・・・

 この言葉は大きい・・・

  時間・・意欲・・じっとしてる自分・・あせり・・たたかい・・歩き出すのは・いつ
  野に咲く花なら・・前のめりになりながらも・・すすむ・・そうしたい自分がいる・・・・

ヨーカン - 2005/03/23(水) 09:46<

う うおー!

  忘れていた血が・・少しめざめた!!
      今なら・・今なら間に合うかもしれない・・・
う うおー!
  ヤゾー兄いが ながむしの酒 みせて
  クズシリのアニイが ドロウリさそって
う うおー!
  まらっかの海賊が ワシラはコージャー”ゆうて
  ヤナ爺が マサイやの ベドウインやのと 
う うおー!
  たどり着いた約束の地には 犬神の巨像が・・

こんどの満月の夜 おいらのDNAが 突然に 目覚めてしもたら・・・・
(毎年 木の芽立ちころには チョッと おかしなるけども)
もしも新聞に「ヨーカン 逮捕」と出たら 上記に名前出た人・・
せめて アンパンくらいは さしいれ たのむで〜(^0^)
  

ya(・ε^)na - 2005/03/22(火) 23:18<

青い影・・・

十代の終わり頃・・今の若者にない・・草いきれ!!
  団塊のおしまいの小僧にも残された思い!!
   若者の思いは民族をも越える!!
     己の心は崇高だと思っている・それ以上の思いもあったろうが・・
  そんなこと何にも考えられなかった・・

    己が一番!!・・・
  自分の思いを成し遂げるためのみ・・ただ歩く・・

  忘れていた血が・・少しめざめた!!
     今なら・・今なら間に合うかもしれない・・・

おりょう - 2005/03/22(火) 22:12<

皆様こんばんわ

あは・・尾張のクズシリさまは職場では虐げられているんですね。

台東区立下町風俗資料館で売っています。50〜100ページぐらいの薄い本です。1冊500円ぐらいだと
思いますが最近いっていないので不明です。
検索ですぐでます。

「古老がつづる台東区の明治・大正・昭和 T U V〜 」
「古老がつづる下谷・浅草の明治・大正・昭和 T U V〜」
「台東区の歴史散歩」
「下谷根岸」
「浅草橋場いまむかし」
などがおいてあります。
歴史の証言者で貴重なお話いっぱいです。
下町の職人さんの子供の頃の話とか「凧買うのも、一日2銭のお小遣いだからね。4銭だといい凧がかえてね・・」といったような話が満載、「凧屋2代目」「刷毛製造」「唐木細工」「ガラス屋奉公」「甘粕屋」「ろうそく屋」「上野動物園で黒ヒョウが逃げたはなし」「安来節」「浅草六区」などなど。

「 的が浜はサンカ集落」 最近どっかで読みましたけど、どこで読んだのか忘れてしまいました。
すぐ近くに水平者の人達がいたがなんの手助けもしなっかったとか・・・うろおぼえです。

尾張のクズシリ - 2005/03/22(火) 20:33<

おりょさん 深謝です 泣き出しそうです。

おりょう様から・・・
  「尾張のクズシリさまお疲れ様です。」
・・・職場でも・・・ こんな・・・やさしいお言葉・・かってないです。
尾張のクズシリ・・・指導上司がこんな言葉くれたら・・・もっともっと頑張ちゃいますです。

おりょうさん、勉強家で、博学で、すごいです。

【・・本に台東区の塙卯三郎さんという人が、万年筆の正札売りが売れなくなって・・・考えたのが「火事場の万年筆」・・・ドロが乾いてくると「いかにも火事場から掘り出した」という感じが出てよく売れ、サラリーマンの1ヶ月分を1日で稼ぎ出し・・・】

これこそが、まさにテキヤ様の知恵ですネ!! 見習って学ばせて頂かなくては と思います。
ヨーカンさんも ご一緒に弟子入りしましょうか?
ヘビ売りより、もう少し知恵だすほうが・・・イイと思いますが・・・
ヨーカンさん 乞う、ご一考!

ところで【「古老がつづる台東区の明治・大正・昭和 U」昭和57年・・・この本古老の話いっぱいで面白いです。】
この本、探しましたがありません。出版社を教えてくださいませ。

尾張のクズシリ - 2005/03/22(火) 19:55<

ツトッコさんの聴き取り、これが野の民俗学です。

ツトッコさん。すごい聴き取り資料です。これこそがまさに“フィールド学”“現場民俗史学”と思います。
資料をこの調子で集めて、一度、レポートにまとめて見ませんか? 『歴史民俗学』に是非とも掲載して下さいませ。
以下の@〜Cの「ポンスケ」の聴き取り、「サンカ・箕つくり」との違い・・・これは貴重です。

@・・・奥三河の祖母から聞いた話で・・・ポンスケと呼ばれる魚を取る人がいて魚を売りにきた。ポンとは呼んでないかと聞いたら、ポンとはいわずポンスケと呼んでいた・・・

A箕は箕作りと呼ばれる人から買った・・・「箕作りの人とポンスケは違う人だ、ポンスケは魚取りのことだ」・・・川で遊んでいると「ポンスケになるとかポンスケのようだ」と言われた・・・ポンスケは魚を取る人だそうです

B村はずれの薬師堂にはいろんな人が泊まっていった・・・母親の話ではその中に竹の棒を沢山もって多くの荷物を背負っている人がいた・・・家に泊めたことのある人がお礼に恵比寿・大黒の掛け軸を書いてくれたことがある・・・

D・・・鋳掛屋は30年位前まで来ていた・・・鍋底の穴をリベットみたいなもので埋め叩いていた・・・ふいごのようなものも積んでいたみたです。

宜しければ、フィールド調査の事例を集め、纏められる事をお勧めします。

じげもん <http://homepage2.nifty.com/deestyle/> - 2005/03/22(火) 19:02<

蜜柑さん

当時の別府的が浜はサンカ集落というよりは、サンカも含めたホームレス達の集落だったようですよ。
現代のダンボールハウスと同じようなものですわな。
さまざまな事情を抱えたものが辿り着いた場所だったんでしょうな。
そのなかで定住を決めたサンカは竹細工の講師のようなこともしていたそうで、
別府の竹工芸の発展に一役かったのではないかと思います。
警察側の発表では、集落が大きくなって治安に問題が生じたことと、観光への悪影響を考えて
退去勧告に従わなかったものを強制退去すべく、テント代わりのムシロを焼き払ったとのこと。
目撃していた地域住民も、「焼き討ち」というほど大げさなものではなかったと聞いております。
真相はわかりませんがねぇ。

蜜柑 - 2005/03/22(火) 13:18<

的が浜はサンカ集落

「部落問題とハンセン病問題」という真宗大谷派が作ったパンフレットの中に

水平社創立大会直後の3月末、大分県別府の的ヶ浜集落が
警察の手で焼き払われるという事件が起きた。そこは
サンカの集落で4人のハンセン病者が住んでいたという。

という記述がありました。

ヨーカン - 2005/03/22(火) 12:44<

抑爪害ンも?

沙漠の民ベドウィンは? どないなんですやろ?
「俺達は 負けたら 砂漠に帰るのだ!」いいながら 突進する姿に 「男はこうじゃ!」と思いつずけておりましたが 
ヤナさん もうそのあと いわんといて おくんなはくれ!!
ゆめが あこがれが  とと とんでいって しまいそう(”0”)



 

ya(・ε^)na - 2005/03/22(火) 00:11<

今時の・・・

マージナル10号よんでましたら・・・んんんんんんん
 感じました・・
子供の頃、図書館に置いてました・・毎日グラフとかに載っておりました
  冒険物、ニューギニヤの首刈族や首なが族、唇にたいこ饅頭くっつけたような原住民
    アフリカの戦士、槍でシンバやっつけるマサイ族・・ほんまに夢がおました
 きんのやったかねぇ・・TVみてましたら桂南光さんがマサイの部落に行った映像がおました・・
   なななんなん!!???
  なんと携帯電話つことるやないか!!
  腕にはなんとデジタル時計・・
     挙句に原野には自転車で行くんやてぇ・・
  台湾のタカサゴ族はどないなんやろかぁ??
     おかしなことになってへんやろねぇ
  インドも昔のまんまなところと
       ITのインドの違い・・・んんんんんん

       そんなこと見てからマージナル読んでましたら・・んn

    ホリエモンは新しいけど・・フジの体制は古すぎますねぇ・
         でも新しすぎる情報の開示は・・・んんんんんんん

 ほんま夢がおませんわんなぁ
       愛知の万博・・んんなんやえらい映像がきれいなんやてねぇ・・
   映像見るより、自分の両足で本物みたほうがエエのんとちゃいますやろかぁ
    本物が開拓でつぶれて・・映像だけが残る・・
         本末転倒・・
  電子マンガのことなんていいましたやろかぁ・・せや
  コンピューターグラフィックやがな・・なんぼでも偽物の映像が出来てプロパガンダに使えたり・・・んんん

 アナログの白黒の良さ・・スローライフにスローフードの面白さ・・んんんんん
  
  努力してコツコツためた自分の地位や銭が、いとも簡単に若者たちの勇が抜き去る・・
   
  ほんま!!おもしろがっとったらあきませんねんけれど

    どんなんやろかねぇ・・・わたしらおいてけぼりやろかいねぇ・・




 一杯さけ呑んで、花粉症で鼻ズルズル言わしとったら・・お目目がかいーーなって
  わけわからんようになってきました・・・

   「やかましい!!・・ドロガメ!!」・・「えらいすんません・母ちゃん堪忍」

     ほな

蜜柑 - 2005/03/21(月) 23:19<

はまサンさま

そうですか!!
やっぱり、サンカ疑惑ですね。
佐伯修さんのマージナルに連載していたサンカの大山藤松も
粘土に詳しかったそうですから。
1 住所不定、移動は徒歩か自転車
2 竹、魚、土、石など自然のものを商売に使う
3 現金商売でしかも小額
4 路上で商売
これらすべてが当てはまる人って非常に魅力的です。


こうへい - 2005/03/21(月) 21:57<

よっちゃん様

ちょっと?ふざけた書き込みで失礼しました。
また、面白いお話ありましたら、教えてくださいませ。m(__)m

じげもん <http://homepage2.nifty.com/deestyle/> - 2005/03/21(月) 21:09<

そういえば・・・

むか〜し、昔、20代前半の頃、
激しくロックをやってた頃がありましてなぁ〜
髪も背中まで伸ばして、色も赤やら青やら・・・
オジから「河原乞食のまねごとをして・・・」などとからかわれておりましたなぁ。
当時は気にもかけませんでしたが、
「河原乞食」ってのはやっぱサンカなんですかねぇ。
でもってなにかしら芸を売ってたんですかねぇ。
ちなみにオジの地元は熊本です。

よっちゃん - 2005/03/21(月) 20:59<
こんばんわ〜。企画が進まないままウダウダしてたら、またまた日にちが過ぎてしまいました。
こうへいさん、やなは、知ってるけどこの辺じゃしてませんよ。大又川も北山川も鮎のシーズンが過ぎたら
ふつうに網で捕ってると思います。知識がなくてすみません。
皆さんサンカのことが詳しいので驚いてます!! でも、読んでいると楽しいです。私の親戚のおじさん(現在79歳)が子供の頃に数回サンカを見かけたと言ってましたが、子供心に不思議な存在だったそうです。でも、70年前の事だからほとんど記憶にないそうです。そのおじさんが住んでいた所は、ダムに水没してしまった集落なんです。また、知り合いの年配のおっちゃんとかにきいてみます。
 

ツトッコ - 2005/03/21(月) 15:06<

ポンスケ

最近、身内からですが聞き取り調査を始めてみました。

@明治40年代生まれの奥三河の祖母から聞いた話では子供の頃(大正の頃?)ポンスケと呼ばれる魚を取る人がいて魚を売りにきた。ポンとは呼んでないかと聞いたら、ポンとはいわずポンスケと呼んでいたそうです。何処から来て、何処に住んでいるのか、どのようにした魚をとったのかは
分からないそうです。

A箕は箕作りと呼ばれる人から買ったそうです。何処に住んでいたかは分からないそうです。壊れた箕は自分たちで当て布をして直したそうです。「箕作りの人とポンスケは違う人だ、ポンスケは魚取りのことだ」と言っていました。いとこから聞いた話では子供のころ川で遊んでいると「ポンスケになるとかポンスケのようだ」と言われたみたいです。いとこのイメージでもポンスケは魚を取る人だそうです

B村はずれの薬師堂にはいろんな人が泊まっていったが、どのような人かは分からない。母親の話ではその中に竹の棒を沢山もって多くの荷物を背負っている人がいたそうです。そのような人の中で家に泊めたことのある人がお礼に恵比寿・大黒の掛け軸を書いてくれたことがあるみたいです。

Dいとこ、母親の話ではリヤカーを引いた鋳掛屋は30年位前まで来ていたみたいです。鍋底の穴をリベットみたいなもので埋め叩いていたみたいです。また、ふいごのようなものも積んでいたみたです。

尾張のクズシリさん
聞き取り調査、とっても面白いですね。ここでは書けないですけど興味深い話が色々と聞けました。身内の話でも知らないことが一杯あるんですね。

ヤゾーさん
ウメガイはそのダマスカスのやつです。結構、高価でしたのでもったいなくて使えません。ヤゾーさんみたいに自分で作る技術があればいいんですけど、どうしても欲しくなってしまい買ってしまいました。後、あの形状だとキャンプとかで使うと回りの人の退かれそうで・・・




こうへい - 2005/03/21(月) 10:35<

似たような人がボクの田舎にも

ボクの小学校は、急坂の上の丘のてっぺんにありました。
坂の途中に、駄菓子屋兼貸本屋があり、子供向けの破れかけのマンガがならんでました。
その坂の下です。
おっさんが、白い石膏製のドクロに夜光塗料塗った小さな顔や、セルロイドの小さな板の後ろに樟脳(多分)をはさんで、小さなタライの中でくるくる回ってるのを売っていました。
ボクらが見てると、「銅線か鉄を持ってきたら交換するぞ」っていうので、金のないぼくらは、調達してきた磁石に紐を付けて、それを腰に付けて引きずって歩き回ったり、変電所の柵を乗り越えて、銅線捜して、交換してもらいました。
鉄、銅線は、重さを計る訳でもなく、結構いいかげんでした。
変電所の侵入は、とてもスリルがあって、おもしろかったです。
あのオッサンの正体は不明です。

はま - 2005/03/21(月) 00:43<

蜜柑さんへ

粘土屋のおっさんの事ですが 私の子供のころ 時折 町内に やってきました。路地裏や小学校の門前で お店を広げていました。粘土型の絵柄は 富士山、相撲取り、役者絵だったように思います。型から粘土を出した後 金粉、銀粉、赤や青や緑の色粉を刷毛で塗って仕上げていたように記憶しています。おっさんは確か ニッカーボッカーに 脚絆を巻いていて 子供たちの作った作品に 金賞、一等賞、二等賞と賞をつけていました。型や粘土は売り物ではなく貸し出して 粘土遊びをさせる商売ではなかったかと思いますが なにぶん 遠い遠い 昔のことで はっきりとは 思い出せません。粘土遊びは しなかったのですが お店の前で お昼も食べずに 眺めていたことがありました。家に帰って 粘土屋のおっさんがいったいどこから来るのか 父に聞くと 「ああ あの人は サンカだな! サンカには 決まった家がないんだよ」といわれました。切ない思いが胸に残りました。

おりょう - 2005/03/21(月) 00:00<

古老の話

尾張のクズシリさまお疲れ様です。

「古老がつづる台東区の明治・大正・昭和 U」昭和57年
上記の本に台東区の塙卯三郎さんという人が、万年筆の正札売りが売れなくなってきたので、何かいい方法がないかと考えたのが「火事場の万年筆」、最初は売れなかったが、ドロが乾いてくると「いかにも火事場から掘り出した」という感じが出てよく売れ、サラリーマンの1ヶ月分を1日で稼ぎ出し、全国を渡り中国までいってしまったそうです。
万年筆の印もパイレットといった調子だったらしい。
香具師の挨拶は昔流の「お控えなさい」の挨拶から始まり、「手前こうこう・・・」と続くらしいです。
この本古老の話いっぱいで面白いです。

http://homepage2.nifty.com/huni/INDEX.HTM
上記の古本屋さん古い雑誌が多くて見てるだけでも面白い。三角寛さんの出てる雑誌何万もするので吃驚。

「カタ」なんて初めてききました。

蜜柑 - 2005/03/20(日) 23:08<

サンカのサイドビジネスか?

「カタ」と土粘土を子供たちに売って、商売しているオッサンが
子供のころいました。
サンカのにおいプンプンします。

http://www.onda-honpo.com/kataya/kataya_g.html

尾張のクズシリ - 2005/03/20(日) 20:53<

タツキフチョウ(世間師言葉)の成立語源

 本日、「香具師一家」元ワカイモンガシラ様(87歳)と面談取材させていただいて、先ほど帰ってまいりました。符丁のこともお聞きしてまいりました。
また、ヨーカンさ〜ん!! 第2の才能を生かすため、ツナギイレをしておきました。「ナガムシヤ」は現在募集していないとの事でしたヨ! 

「問題です。次のタツキフチョウ(世間師言葉)の成立語源、解りますか?」の答えですが、色んな集団間の差異もあり、語源も定かでないことも多いそうです。

@フダサイ(ばくち打ち)、=「花フダ」+「さいコロ」こうへいさん正解ですヨ!
 
Aドロウリ(偽物行商)、=「ドロン・逃げる」+「ウリ・売り」売り逃げすることとのこと。
 
Bナガムシヤ(蛇捕り)、=蛇の符丁を「ナガムシ」、こうへいさん正解!
 
Bヤクバイ(売薬商)、=「売薬」符丁で逆さ読み「ヤク バイ」
 
Cシコダシ(ストリップ)芸者、=腰出し・コシダシ と思っていたら・・・・
    ツチヤのバアーサマいわく「シッコダシ」だわ!なも!とのこと。
 
Dオガミヤ(神主)、=「天照・大神」「オオカミ」だそうです。(「拝み」ではないとの事)

Eドロマン(万年筆売り)=3月19日のおりょうさま回答、大正解。さすがお詳しい。

「ドロマン」売りは、卸元からの「バイニン用のセット」があり・・・・・多く台本は
 『・・・・これを見てください・・・・私の会社は「東京 ダイトウク アサクサ オーム万年筆カブシキ会社 この写真 ヨーク 見て下サイ・・社員の集合写真です。 ココニいるイイ男 コレガ私です・・・』
  男女の社員全員が会社の正門前で集合写真を額に入れて、縁台に飾りますそうです。
  この写真には、確かにバイニン「本人」を移しこむため、横浜の某所に撮影用のセット
  とスッタフがあり、年1回会費を払いながら、撮影と台本講習を受けていたとの事。

じげもん <http://homepage2.nifty.com/deestyle/> - 2005/03/20(日) 14:38<

震度6

大分も結構揺れました。
福岡では被害も出ているようで心配ですなぁ。
現在、携帯が不通です。(ドコモ)

こうへい - 2005/03/20(日) 12:03<

福岡、佐賀で地震があったようです。

被害が少なければ良いのですが。
トモダチも無事でいますように

こうへい - 2005/03/20(日) 02:12<

ナイスタイミングさん

おひさしぶりです(^o^)
ボクも、大阪に行って間もない頃、大阪城でサクラがさわいだので、万年筆とドライヤー買ってしまいました。
万年筆は、メッキが三日で剥げましたよう(^o^)
おっと、はよ風呂入らんと寝る暇ないわ(◎-◎;)

こうへい - 2005/03/20(日) 02:06<

おりょうさん

早く寝ないと、あしたおきれませんよう
ボクは、これから、ロフに入ります。
朝風呂なんかなあ @:#$&・・・

ナイスタイミング - 2005/03/20(日) 02:01<

「万年筆工場が火事で」

この話、私は池袋の土着民から約25年前に数回聞いていました。

昭和30年代にはいつも同じ場所にいて同じ口上、同じサクラがいたといいます。
「勤めていた万年筆工場が火事で○○○○○○○」
と、焼け残った万年筆を退職金替わりに貰った等の身の上話をしばらく述べてから
(もちろん書き味も上々と品質保証的な事も説明)
「その万年筆がこの桐の箱入りで、なんと○○○○円!」

それをひとごみの中で聞いていたサクラがやおら
「おおっ、ホントかい?そりゃあ買い得だ。」と切り出し、
聞けばなんと可愛そうな身の上だ、人助けにもなるし、これは買わない手はない、
と買っていく事を繰り返していたそうです。

@最近、大変興味深い発言が相次ぐGuestbook、見逃せません。

おりょう - 2005/03/20(日) 00:19<

こんばんわ


やなさん灰は泣きませんようー
ドロマンの万年筆作っていたところ東京の日暮里にあったらしい。
テキヤってなんでも逆さまにいうみたいね。万年筆をネンマンとかバンソロとか。

みんなさんテキヤさんからかってワルガキね。


私も三角寛は多少の嘘があっても事実だと思っています。
そうでなければ、10年もサンカを追い掛けるなどしないでしょう。



こうへい - 2005/03/20(日) 00:16<

やなさんって・・

竹を編んだヤナで川を下る鮎捕らえるって、仕掛けありますが、
やなさんは、その仕掛け作って生計立ててるんですかぁ
サンカの人はヤナ使わなかったんですかぁ

よっちゃん、熊野でもヤナって使うんですかぁ

安い焼酎のんで、頭ぼけてます
もう、朝ですかあ・・・

あんまし、おもろないか・・しつれい(-_-)zzz

ya(・ε^)na - 2005/03/19(土) 23:04<

追伸

また言葉足らずで終わったら・・
   ご批判メールきますがな・・・
     大四郎さんの話やねんけど・・

 信用するとかそんなんやのおて・・・
       身近におった人の話は聞いて損わないってことなんやけどなぁ

            へへ

やな - 2005/03/19(土) 22:43<

半身半着・・パンツはいてますよう!!

へへへのへ・・
 >ya(・ε^)naさんは「サンカ社会の研究」半信半疑なんですね?

 おりょうさん!!
   30年以上前に雪の六甲で出会ったあの人、ん!!絶対にサンカやおもてますよう
  そやさかいに!「サンカ社会の研究」は大きく信用してますよう
  でも、チョット手入れてるって感は・・んんんおますけどね・・へへ
   「泣き売」でおましたんですねぇ「泣き灰」やとおもてました
  昔UPしましたけど・・あの万年筆売り火事場から持ってきたと言うとったさかいに
  灰やおもてましたんですよぅ
      ほんまですねぇ・・売が正解なんやろねぇ・・
   
みなさん、 ya(・ε^)naやのうて・・やなでよろしいですよぅ・・おきずかいなく・・へへ

ヨーカン - 2005/03/19(土) 16:54<

よろしくおねがいします

尾張のクズシリさん 私いま目が覚めました メカラウロコです
今のタツキノミチは「オイマワシ」ですが なんかしら自分には合ってないと思ってたんです
ドロウリもいいけど ナガムシヤに魅力感じます「たくさんいるとこ しってますねん」(^0^)
ヤナさんは シコダシのパシリがええかなー?
 あ!もうこれぐらいにしとかんと せっかく来てくれた よっちゃんが 「なにここ?どないなとこなん?」ゆうて 行ってしもたら みなに どやされるがな””

 よっちゃ〜ん おげんきですか〜♪♪ 
 



尾張のクズシリ - 2005/03/19(土) 14:35<

閉話休題・クマノシュウは・・・ハハ〜ハ〜エラギシュウ

ヨーカンさん。△うぶさん。(ya(・ε^)naさんも含む)。こうへいさん・・・・・
皆さま。みんな陽気で・・・うれしくなりましたヨ!!

結構、笑わせてくれますヨッテ、おかげさまでで楽しく、笑いながら・・・・・
今日は、いい仕事できそうで〜す。朝からタツキヤド“土屋のバ〜サマ”の聴き取りノート、忘れんうちにと、ゆっくりと整理してます。

尾張のクズシリは、久々の余裕のヨッチャンを味わっておりますです!
ヨーカンさん。△うぶさん。ya(・ε^)naさん。こうへいさん・さすが“イイスジ”してますネ!
むしろ「タツキノミチ」変えられた方が、第2潜在才能が爆裂しそうで・・・・・

サンカシュウでも、「箕作り」ではなく、ぜひとも「エラギ」道へ・・・特に、ヨーカンさんは「ドロウリ」業に“才”あり、明日、元「I」一家のワカイモンガシラと対談取材予定ですのでツナギイレいておきます。

ヨーカン - 2005/03/19(土) 12:39<

祭りになると

うぶさんは落語の「鋳掛け屋」にでてくる少年?「おっさん こんな火ションベンで けしたろか・・」
 祭りには頭の二つあると白蛇?を袋に入れて人集めて ホクロ取れる薬10個売れたら見せると子供に膏薬貼って 待ってるあいだに 自分の腕に出刃で傷いれて一発で血止めて 見せてました
 ホクロ取れたの見てたくさん売れたら「ドイタどいた!」いいながら どっかに行ってしまいました
エエ?蛇は??
 これ ドロウリ?

トラック走らせてたら 峠で対向車が 手をふって止まれって言います 「ちょっとわけありで 安くするから時計ナイショで買ってくれ」   これドロマン?

 社員旅行で 温泉に 四股どころか もう アータ!!!
これ シコダシ?

あ! 私勘違いしてました 成立語源やがな! 語源!!
                    わかりませんでした(^^)

こうへい - 2005/03/19(土) 11:53<

尾張のクズシリ さま

>セブリ移動と宿移動がいたです。
そうですか、ありがとうございます。
セブリ物語のビデオで、生活のイメージが出来上がっていたもので(^o^)

△うぶ - 2005/03/19(土) 04:32<

夜店の風景

小学校の(悪?)ガキの頃、夜店のドロマンをカラかって、怒られてフリーズした経験有ります、
今更、、、謝ります。沢山の焼け焦げの山の中に綺麗なのを3〜4本含ませて売っていた。
大橋巨泉のTVCM万年筆は元々竹筆だったらしいです、「♪葉っぱ踏み踏み」って何でしょう?
「山吹鉄砲」も”疑い無し!”の竹製品、「七味売り」はヤクバイの一種でタンカバイ、
、、、、昔が懐かしい。

おりょう - 2005/03/19(土) 01:00<

赤味噌焼きと木曽アンネ

尾張のクズシリさん 皆様 こんばんわ
味噌焼きおいしそうだし簡単につくれそうなので、赤味噌買ってきて作ってみようとおもっています。
先日は、初めてですが焼酎かってきて蜜柑酒もつくりました。4ヶ月後の楽しみです。

いろいろ本を読んでいても確執・怨念のようなものを私も感じます。

尾張のクズシリさんの対談でしたでしょうか 木曽アンネ(?)のことチラッといっておられましたね。
”むむむー”と思ってその木曽アンネのことが記憶にあります。

問題のEドロマンの答
万年筆工場が火事で会社がお父さんで給料がもらえない。給料の変りに万年筆もらったがこれじゃ飯がくえないといって、いかにも火事場から万年筆をもってきたように泥で汚して売る、いわゆる”泣き売”からだとおもいますが、ドロウリのドロとドロマンのドロは偽物という意味ですか?
ちよっと問題の意味と答えちがいますか?

ya(・ε^)naさんは「サンカ社会の研究」半信半疑なんですね?
フミのアヤタチのオビトさんのグループや尾張のクズシリさん達が、 資料がいっぱい出てきているようですのでこれからいろいろ解明してくれそうなので私は楽しみにしています。



こうへい - 2005/03/18(金) 23:52<

答え

@フダサイ・・・花札とサイコロを扱う・・ばくち打ち
Bナガムシヤ(蛇捕り)・・・長虫って、蛇、マムシのことだそうです。
以上、単純すぎますが(^o^) 

尾張のクズシリ - 2005/03/18(金) 19:48<

クマノシュウのナガレの皆様へ・・・問題も有りです。

私のわかる範囲での、資料知識、私見で述べさせて頂きます。今後訂正を要すこともあります。

おりょうさん へ
@【オタカラシュウはグルメですよね。赤味噌焼き、川魚の石焼・・・・・赤味噌に春の山菜刻んで入れて焼いたら美味しそうですね。・・・・】

   「家庭で簡単に作る、セブリ・グルメの一品例を紹介しておきます」
 素焼きの皿(瓦のかけらのほうが良い)に、八丁ミソ(赤ミソ)を5ミリほどの厚さで平らに
 貼り付け、ゴマ粒をまばらに散らして押さえ、直火でミソの表面が黒く焦げる程度に焼く。
 それで出来上がり。お酒のつまみ〜お茶付けに大変にあいます。今では私の定番品です。

A【三****さんは三角寛さんのことは否定されておられて「サンカ社会の研究」も親父の頭の中でつくられたものだといっておられます。】

    「一言だけ、言わせて頂きます。」
  確執・怨念は怖いです。三角寛のサンカ資料の集成と論文は、そんな室内作業では
  成立しません。今後、この件に関してアヤタチ様のグループから、重大な三角資料が
  出てくるはずです。

    「勝手な独り言です」
  三角寛は親密なシノガラの女性が各地にいたようです(京都は女性の大幹部です)。

ツトッコさん
【サンカが持っていたウメガイは誰が打ったものなんでしょうか?・・・】

  私も探っていますが、名古屋に1軒、岐阜に1軒ありました。探せば各地に関係した
  鍛冶屋さんまだ有ると思います。

こうへいさん
【「ドヤツキにならんと、入籍が出来んかったでよー 」って、なんでしょうね。ドヤ→ヤド(宿) 宿付き・・・住むところを持たなければ、正式に入籍できなかった。・・・】

  セブリ移動と宿移動がいたです。現住所を定めてから、出生地を申し出る方法で戸籍を
  作るやり方で、納税義務が生じますが、代りに行商鑑札も得れました。

  「問題です。次のタツキフチョウ(世間師言葉)の成立語源、解りますか?」
 @フダサイ(ばくち打ち)、 Aドロウリ(偽物行商)、 Bナガムシヤ(蛇捕り)、 
 Bヤクバイ(売薬商)、 Cシコダシ(ストリップ)芸者、 Dオガミヤ(神主)、
 Eドロマン(万年筆売り)、

こうへい - 2005/03/18(金) 00:40<

尾張のクズシリ 様

「ドヤツキにならんと、入籍が出来んかったでよー 」
って、なんでしょうね。
ドヤ→ヤド(宿) 宿付き・・・住むところを持たなければ、正式に入籍できなかった。
戸籍がないと、入籍できない。
戸籍を作った人が、「ドヤツキ」なんでしょうか?
居つきサンカの人のことでしょうか?
しろうと考えですが・・・

よっちゃん - 2005/03/18(金) 00:26<

熊野人

こんばんわ〜!仕事で明日(日付変わったから今日になってしもたぁ・・・)提出の500字くらいの文章がまとまらず、現実逃避してこちらにおじゃましてしまいました。
私、生まれも育ちも熊野人なんです。学生時代と社会人4年程していた頃は、大阪にいたけど都会の生活は、ガラじゃないと思って熊野に戻って生きかえりました。
結婚して、3年ほど熊野を離れていたけど旦那より熊野の方が魅力的で、またまた吸い寄せられるように熊野に戻ってきて・・・今は,猫と気ままに暮らしてます。
我が家にスゲで編んだ貴重な蓑があるんですよ。なんと編んだのは、私の祖母!
多分60年以上前に編まれてるって、いとこや姉が言うのですが、いったい誰に習ったのか・・・
我が家の謎なんです。

ヤゾー - 2005/03/17(木) 23:45<

ウメガイ

ツトッコさん 佐治さんのウメガイナイフ持っているんですか。
もしかして ダマスカスの奴ですか。
結構高価なものだと記憶していますが
それだとナタのようには使えませんね。
眺めているのも良いですが 佐治さんのナイフは丈夫そうなので
使い込んでも 味が出てきて より愛着がでると思います。
使う場所があまりないという問題はありますが。

ツトッコ - 2005/03/17(木) 23:37<

ウメガイ

ヤゾーさん、尾張のクズシリさん色々教えていただいてありがとうございます。佐治武さんの作った幅広タイプのウメガイを持っているのですが樋はありません。両方の刃の角度が違い、用途を変えて使うみたいですが自分は眺めているだけです。実際、サンカが持っていたウメガイは誰が打ったものなんでしょうか?

以前、古書の検索サイトで三角寛の書物を探していた時、あいまいな記憶ですが「同和文献資料サンカ社会の研究」?がよくヒットしました。京都で行われた会合と関係あるものなのでしょうか?

ya(・ε^)na - 2005/03/17(木) 23:08<

そこやがな!!

>三浦大四郎さんは三角寛さんのことは否定されておられて「サンカ社会の研究」も親父の頭の中で>つくられたものだといっておられます。

  まえのUPみてくれはりましたかぁ・・
  そこですがな・・三角寛はなんや・んんん
     破天荒な生涯送ったはりますよってに大四郎さんそないに感じたんやも知れません


         が!!!・・・・

       火のないところに煙は立ちませんねぇ・・
         
         みなさんそないおもいませんかぁ・・

                          ほな

おりょう - 2005/03/17(木) 21:21<

尾張オタカラシュウ朝田矢三郎爺

「サンカ・廻游する職能民たち」まだ半分しか読んでいないのですが、オタカラシュウはグルメですよね。
赤味噌焼き、川魚の石焼、キノコ、山菜、それに山椒やショウガなどの薬味で、まるで懐石料理にでてきそうなお料理ですね。
赤味噌に春の山菜刻んで入れて焼いたら美味しそうですね。
朝田矢三郎爺もご機嫌そこねたりして聞き取り調査もなかなか大変だとおもいました。
次の本も楽しみです。

フミのアヤタチのオビトさんよろしかったら次回もお願いします。
 >9・21伊勢湾台風、三角へ手紙出す。三角、京都へ動く。・・・・34年?
尾張のクズシリさんの本の35ぺーじに、 朝田谷助氏が京都へいった時、三角氏から「サンカ社会の研究」の原稿渡されたというのが伊勢湾台風の次の年35年と、ちよっと一年のづれがありますが、なんだ
か少しずつサンカシノガラが解明されていきそうで興味津津です。
それにしても・・・・・ダ3箱未解析といったノートいっぱいあるんで吃驚とともに楽しみです。

ya(・ε^)naさん
浅草河童橋は台所用品ばかり売っている商店街ですが、そこのお寺に「河童の手」が保存されていて、予約いれると見せてくれるそうですよー。
昔、何かの工事で人手がなくて困っていたとき河童達がきて工事の手助けをしてくれたらしいです。
そんなようなお話がのこっているらしいです。

三浦大四郎さんは三角寛さんのことは否定されておられて「サンカ社会の研究」も親父の頭の中でつくられたものだといっておられます。


ヤゾー - 2005/03/17(木) 19:18<
みなさん こんばんわ

よっちゃんさん はじめまして

尾張のクズシリさん 聴き取り調査ご苦労さまでした。
五木寛之さんの鳥の歌という小説にもありましたが
アンダーな人たちが居てこそ 豊かな社会だったのかも知れません。

>日本刀、槍にもこれらの凹みスジが有りますよね? 
>この線は、なんと呼称され? その機能?など、お調べ願えませんでしょう?

ウメガイの溝についてですが 日本刀でいうところの樋(ひ)だと思われます。
日本刀にも 刀身に溝(樋)のあるのとないのとがあります。
樋のことを 血抜き溝だという方もいましたが
樋を入れることによって 曲がりぬくくするのと衝撃を和らげるという意味があることを
日本刀に詳しい方から教わったことがあります。

尾張のクズシリ - 2005/03/17(木) 18:10<

ツトッコさん深謝です。ウメガイ・・などのこと。

@
【「サンカ・廻游する職能民たち・(1)・実証編」読まさせていただきました。民族考古学の手法、尾張のクズシリさんならではで大変に興味深く、・・・考察編も楽しみにしてます。】

  ツトッコさん。絶大なエ〜ル 有難う御座います。本来ならサンカ文字で、サンカノリト
  を私がサインして、謹呈させて頂きたいのですが・・・
  販社〜流通優先で、私の手元には未だ3冊しかきておりませんですので、お許し下さいませ。

A
【ウメアイの形態の変遷について自分は逆に古墳の副葬品のように呪術、祭祀的なものから実用的なものに変化したと思っていました。・・・】

  あくまで、考古学的な物質文化の変遷では、「実用タイプ」>>>「呪術、祭祀的タイプ」
  のようです。しかし、これはあくまで学説ですので、ウメアイの集成研究が必要と思います。

B
【ヤゾー以上の人のウメアイが幅広なのかとも想像してました。やはり自分には幅広のウメアイがインパクトが強くウメアイの形のイメージとなっています。】

  M一家「ムレヤゾウ」の「クボタツ」さんのウメガイは幅広タイプで、三角寛メモを見ますと
 「斬り焼き刃」が有ったことが記録されております。実用刃器を兼ねた「儀具」であったと思います。

C
【幅広のウメアイについての質問ですが、八切止夫のシェル出版の「サンカの歴史」の裏表紙の写真のウメアイもそうなんですが、刃の両側の半分位から下にある窪みみたいな線は何のためにあるのですか?】

  日本刀、槍にもこれらの凹みスジが有りますよね? この線は、なんと呼称され? その機能?など、お調べ願えませんでしょう?

尾張のクズシリ - 2005/03/17(木) 16:52<

「ドヤツキ」と呼ばれたサンカシュウ

昨日〜本日、1泊2日で、ある病院養護施設での聴き取り調査をしてまいりました。

名古屋市の南はずれの鳴海で、昭和30年まで、商人宿を代々されていた土屋ハツ様(89歳、仮名)とお話させていただいてきました。

お客様は、テキヤ(露天商)、エンコウサン(猿回し芸人)、フダサイ(ばくち打ち)、ドロウリ(偽物行商)、ナガムシヤ(蛇捕り)、ヤクバイ(売薬商)、シコダシ(ストリップ)芸者、オガミヤ(神主)、ドロマン(万年筆売り)、オフダサン(札売り)・・・・・など、いかにもアンダーではないでしょうか。
一般旅行者の方たちではない、いわゆるタツキヤド(商人用の安宿)、俗称「木賃宿」の一つです。私としては、自分のテーマと重なり、面白い一昔前の「タツキシュウ」の話でした。

   【質問対談の一例】
 私「サンカは、来ませんでしたか?」

 土屋さん「ドヤツキは、いつも常連さんでありゃータハナモ」

 私「ドヤツキ? って?・・・セブリサンカではない、サンカですか?」

 土屋さん「結婚をされてら、みんなドヤツキになられ、籍をもったでよー 」

 私「セブリサンカの人、結婚されたら、ドヤツキになるんん・・・ですか?」

 土屋さん「ドヤツキにならんと、入籍が出来んかったでよー 」

この質疑と対談、どうでしょうか? 土屋さんの話。宜しければまた続き書きます。

こうへい - 2005/03/17(木) 02:26<

よっちゃん様 ようこそクマノライフへ

ここは、サンカの憧れてるだけのボクみたいなオッサンや、真面目にサンカ研究されてる人等、様々な人がおります。
「自然のなかへ、心の中へ」でもありますので、何でも書き込んで、遊んでくださいね。
おじさんに聞かれたお話、良かったら教えて下さいね(^o^)
知りたいこと書いたら、誰かが教えてくれるかも知れません。
なんでも、いっぱい書いて楽しんで下さいね。

よっちゃんって、ボクの○恋いの人と同じ名前です(*^_^*)
だれや、公私混同してるのは・・ははー すみませんm(__)m

ya(・ε^)na - 2005/03/17(木) 00:56<

こんなんどないだす

http://www.siff.jp/siff99/dis-meiga01.html#名画座のはしり、「人世坐」と三浦大四郎

  ちょこっと三角寛の風、感じれますよう
   むちゃくちゃな人っていてはりましてんなぁ

    

よっちゃん - 2005/03/17(木) 00:33<

やっと、みつけました!

はじめまして! 今日、仕事中にこのサイトを知りすご〜〜〜く感激しました。
五年くらい前に図書館で三角寛のサンカ物語を読み、それからずっとサンカの事が
気になっていたのですが、まわりの誰に話しても無関心で、親戚のおじさんが
子供の頃にたまにみかけたことがあるといったくらいしか、情報を得られず現在に
いたっていました。これからは、毎日の楽しみにすこしずつ全部に目を通させてもらいますね。

- 2005/03/16(水) 21:10<

チョコレートヒル


http://www2.ezbbs.net/17/philip/img/1110707938_1.JPG

特徴は「山の部分だけ植生が違う」事です。
麓の平地には木も生えていますが、山の部分には「草」しか生えていません。
この草が乾季に茶色に変色するのが「チョコレートヒル」と呼ばれる所以です。
はげ山の部分は相当硬い岩石のようです。
高いものはクフ王のピラミッドに匹敵する高さがあるようです。
山の数は1268。この数字信じられますか?
八は神の所有とする円墳に。六は人の所有のDNA。十二は十二星座で歳差運動と関連し、方形の方墳。偶然なる天然の芸術です。
人間界に降りないはずがありません。完璧の神の作品です。
日本の歴史はフィリピンと深く係っているでしょう。

ヨーカン - 2005/03/16(水) 15:05<

ケーヶヶヶケツ!

ヤナさんが 私の頭連想しながら 書いてるのみたいなので ちょっとだけ失礼します

子供の頃に 川で溺れかけた時に なんか”引っ張りこまれるような?”感覚ありました
ばーさまが「くろーなったら ガタロが出るゆーたやろが!」 えらい怒られました
 多分深みで水流が 巻いていたんだと 思いますが

学校でて 大阪にでて ドヤのめしやで「ええしごとあるで ガタロや ちょっときついけど かねになるで〜」言われまして 箸が しばらく・うううごかんように・・・なりました

きのうネットで頼んだ(歴史民族学 カッパ特集)もう着きました おもしろいけども こないにはやく?
時代についていかれへん  カッパやのうて ガラパゴスの亀に なりつつあります

  

ya(・ε^)na - 2005/03/15(火) 22:25<

なんや・・んんん・・

なんや難しいことはわからへんねんけども・・
  おりょうさんから、松谷みよ子さんのお話があったから
      松谷と鈴木のファンであります・私めが・・UPします

  松谷みよ子は聞き取りで多くの伝承を集めたはります
    ご存知の「日本昔話」にもよおさんのお話をのせたはりますよぅ

    たしか三角 寛の本にもおましたねぇ・・・山和郎(ヤマワロウ)
  昼間と夕暮れの境を移動する人影!!・・・・
    遠くの山の稜線・・を走る人影・・国境なんやろかぁ・・
       深夜の狐火が稜線を走る・・・

    松谷みよ子の収集のはなしに・・・河童の話が載ってます

  水辺にて・・一
   わしは、この目で何べんも見たんじゃ!!
  人間の赤ちゃんそっくりので、川の中にある岩棚にちょこんと腰掛けて、
   わしのことをジーっとみておった。
  人間とちがうとこちゅうたら、頭に皿みたいなもんをのせとるだけで、髪の毛も
   赤ちゃんそっくりやった。あいつ、今頃どこで暮らしとんのやら。
     昭和三十六年頃まではよく見たのだが・・・・福井県・三島重馬・談

   深夜の沼地に響く・・あの声なんやろかぁ・・おとなんやろかぁ
     
          ケッケケケケ・・・・・

              へへへへへ・・・

       ケケッケケケケ・・・

ツトッコ - 2005/03/15(火) 19:08<

尾張のクズシリさん

「サンカ・廻游する職能民たち・(1)・実証編」読まさせていただきました。民族考古学の手法、尾張のクズシリさんならではで大変に興味深く、広範囲に及ぶ聞き取り調査もすごいですね。考察編も楽しみにしてます。

尾張のクズシリさんや蜜柑さんたちの研究、調査により、三角寛の「サンカ社会の研究」に書かれているサンカの実態も、私の生涯と共に絶滅して、私の死後においては、まったく記録することが不可能となる・・・の部分は履がえされたとおもいます。やはり、何よりもフィールドワークが大切ですね。

ウメアイの形態の変遷について自分は逆に古墳の副葬品のように呪術、祭祀的なものから実用的なものに変化したと思っていました。また、ヤゾー以上の人のウメアイが幅広なのかとも想像してました。やはり自分には幅広のウメアイがインパクトが強くウメアイの形のイメージとなっています。幅広のウメアイについての質問ですが、八切止夫のシェル出版の「サンカの歴史」の裏表紙の写真のウメアイもそうなんですが、刃の両側の半分位から下にある窪みみたいな線は何のためにあるのですか?

尾張のクズシリ - 2005/03/15(火) 14:14<

僭越ながらの拙著本の紹介・・・など

このたび『サンカ・廻游する職能民たち・(1)・実証編』を、刊行することが出来ました。
すでに、ヤゾーさん、おりょうさん、ヨーカンさんに紹介していただき、心から深謝申し上げます。
手前ミソなことで、恐縮致しておりますが、読んで頂くに参考になる点などを、僭越ですが@A書き込みさせていただきました。

@【サンカ】と呼ばれてきた方たちの研究や検証には、考古学的な考え方や技法が有効で、それを民俗学に応用する方法をとりました。

A出来るだけ多くの写真や図版で、ビジュアルにすることを、心掛けました。
活字ばかりの論文ではなく、各ページに資料類〜モデル図などを入れまして、図解でわかる【サンカ論】に致してあります。

【難題・難題を、やさしく説く】これが、私の『サンカ・廻游する職能民たち・(1)・実証編』の基本思想“熱い思い”でした。

このような、サンカの人々へのエ〜ルもこめて、このたびの【サンカ論】をまとめさせて頂きました。

今月、3月28日には『サンカ・廻游する職能民たち・(2)・考察編』が発刊になりますが、こちらの方でも“熱い思い”【難題・難題を、やさしく、ビジュアルに説く】は同じです。

【考察編】題名は難しそうですが、むしろ、それ以上に“見る論文”を目指しました。
クマノシュウのナガレの皆様には、出来る限りの身内サービスに、心掛けて参りたく思います。

質問などにも、お答えしながら、また逆に、お教えを頂きながら、この「クマノライフ掲示板」で【サンカ論議】が出来ますよう・・・・・尾張のクズシリは、思っております。

- 2005/03/15(火) 11:55<

文字の混血!

↓の書き込みは風です。間違えて登録を押してしまいました。^^

文字の混血! - 2005/03/15(火) 11:51<

ギリシャ Proto-Sinaitic  800 BCE to Present
ギリシャ文字で現在のアルファベットの th に当たるthetaと呼ぶ文字は
 ○に×、○に+、○に・ の三文字の合成です。
×を横切りにしたものはフェニキアに現れましたが、×を縦切りしたものはインドに現れています。紀元前2200年頃。
○ に・ はカリンガに見えます。カリンガはオリヤ文明ですが、ブラハミ文明に吸収されています。ブラハミにも○に・があります。
以上のの事柄から、フェニキアとインドの文字の混血がBC800年頃にあっただろうことが読み取れます。
亦、シナイとアラビヤの文字の混血の流れがあり、この種の文字は阿比留文字の流れになるようです。
カリンガ地方の出来事で興味が引かれるのは、源平合戦が始まろうとするAD1000年頃に
ナガリという文化が興っていることです。
ナガリとかナガレとかの レ とは人々ということでしょう?
つまり、ナガの人々 ということでしょうか?

サンカ文字の タ は、三文字の合成になっていると書き込みましたが、
前例はギリシャにありますから、サンカ文字の タ は イとバとカ のカリンガ文字の合成になっていると考えます。
イ- バカ、 イバ - カ、 カ - イバ と組み合わせても全て意味を成します。

血の混血で列島に於いても重要と思われるのは、シュメールの粘土板のイシュタルでしょう。

こうへい - 2005/03/15(火) 11:43<

最後に一言

たたら場に祀られる、金谷子姫だったかなあ、女性がきらいで、近づくのを拒んだそうですね。

釜中の、天日神社に祀られる神は、同じく女性神ですが、にわとりに片目を突かれた空飛ぶ神です。
「天日神社は、女性神ですが、女性でも自由に入れて、産後でも、生理の日でも自由に入れるんですよ」・・って、村のご婦人がおっしゃってました。

こうへい - 2005/03/15(火) 11:19<

おはようございます(^o^)

私事ですが、27日に、オヤジの法事がありますので、これから、パソコン 撤去とあいなりました。
どなたも、ご免!!

ヤゾー - 2005/03/14(月) 20:20<

千木

みなさん こんばんわ

少し話が遡りますが 千木についての話がありましたので 聞いた話をひとつ。
以前 ×に−の千木は国津神系の神社のもので
屋根から直接飛び出している千木は 天津神系だとの話がありました。
確かに 色んな神社を見て回りましたが その通りになっていたように思います。
それで 近くの木工所の爺さんが 近くの小さな社を修繕したときに
×に−のタイプの千木を作っていたので どうしてそのような形にしないと駄目なのかと訊ねてみました。
そんなこと言うても 元々そういう形やったから 真似て作っているだけやとのことでした。
そしたら そういう形を作るのは面倒だから 直接屋根から飛び出している千木にしたら
誰かが文句言うんかなぁと とぼけたことを言ったら そりゃ小さな社の屋根くらいで誰も文句は言わんやろけど
神さんが怒るかもしれへんなぁとの答えが返ってきました。
う〜ん 深いような 当たり前のような 木工所の爺さんの話でした。
ハジメさんに 神社のことを色々と質問したときに
父親の辰三郎さんは 神社の屋根の形や方角を見て 
好きな神社と そうでない神社を決めていたようだとの興味深い話がありました。


フミのアヤタチのオビト - 2005/03/14(月) 15:19<

シマッタ!! 「その8」編集途中で掲載・・・

まだ、パスワードを入れてないのに・・・・・・なぜか?

掲載になってしまいました。お見苦しいママですが、「その8」としておきます。

この30年代初頭の三角寛氏には、シノガラシュウとの絡みが多いです。

次回にでも、補遺を致しましょうか?

      フミのアヤタチのオビト

フミのアヤタチのオビト - 2005/03/14(月) 15:10<

サンカ文献ガイダンス その8 転載禁止

昭和32年
5月10日 三角寛「放浪の民・山窩の生態探訪」、
三角寛「九重山麓の旧蹟」、
開真「警察を笑う影なき怪盗」、藤沢衛彦「日本の妖怪たち」
8月25日 「山窩言葉の盗用と福田欄童氏を訴う著作権侵害で作家の三角寛氏」
7月15日 三角寛「巻頭グラビア 山窩は生きている」『探偵実話・8月号・第8巻第』叶「界社。
7月15日「ダイナマイトを喰うサンカ」P202〜『別冊小説新潮』
3月15日 氷川心作「日本の秘境“山窩地帯”」『別冊 実話特報・第2巻第2号』双葉社。
【資料】S32・6・20〜S33・7・20上映PRチラシの切り抜き張り込み帖NO・2〜1冊
三角 寛 『昭和三十二年 在京大分県人会員名簿』、三角ダ3箱未解析。

 昭和34年
12月1日 三角寛「つけもの随想(1)たくあん」P96〜P97、『家庭全科・VOL1・No1創刊号』
12月10日 三角寛、三谷祥介『探偵実話・10巻2号・性欲犯罪実話集』
9・21伊勢湾台風、三角へ手紙出す。三角、京都へ動く。
1・29人生坐系の4館無期限ストに突入(みぞれの降る寒い夜であった)
【資料】@人生坐ガリ、手書きメモ、ノート、、、ダ3箱未解析。
A三角ノート、メモ、、、、ダ5箱未解析。

 昭和35年
3月10日 週刊文春「記者・文士から大事業家へ 三角寛」
7月1日 三角寛『瀬降の天女(第1部)』p310、日本週報社。
9月1日 三角寛『瀬降の天女(第2部)』p308、日本週報社。
11月三浦大四郎、人生坐を去る。

1960年 昭和36年
2月10日 撮影本誌カメラマン「グラビア生きている歴史 山窩」P13〜P17、「生きている歴史A日本のジプシー“山窩”」P154〜P161、『歴史読本・第6巻第2号』叶l物往来社。
2月16日 夕刊産経「記者・どっちが勝ったか人生坐争議始末記 「春闘の騎士は全滅 三角寛さん」「労組はいぜん健在 安達弁護人」
 夕刊読売「三角寛・文化・人生坐始末記 赤に同情しなければよかった」
5月16日 東京タイムズ「記者・あの人は いまどうしている 三角寛氏 池袋名所に人生ビル」

フミのアヤタチのオビト

おりょう - 2005/03/14(月) 12:40<

サンカシノガラ

蜜柑さん
>矢野絢子の「てろてろ」
>っていう唄聞くと、サンカの子供を思い出します。
>場越したいような、
ジュンク堂で、三浦大四郎さんのトークショウ午後6時半開演、三角寛どうたらこうたらと看板が出ていたのでサンカしたいと思い予約申し込んだ時、矢野絢子さんの名前ありましたよ。サンカ色の濃い方だったんですね。

ya(・ε^)naさーん
毎日小さく稼いで、どなたかに大きくプレゼントしていたらダメダメですよ。(^o^)
ya(・ε^)naさんの影響で松谷みよ子さんの古老の話を集めた「猫」先日買ってきました。
猫は不思議な行動をとる生き物なんですね。おもしろかったです。
狐つき、狐火、タヌキやキツネが化かす話とか昔は本当にあったんですね。

尾張のクズシリさんの「物質資料 紹介と検証」のところの「サンカ社会の研究」の原稿本の本文の字が三角寛さんの字と違ったり、「サンカ研究」発表の二年前とか、また「京都にて三角先生が出席した同和関係組織の会合・・・」等の話はフミのアヤタチのオビトさんの話と重なり興味深かったです。

「サンカが世に出るまで」も読みかけですが、これも、やっぱり三角寛は「サンカシノガラ」なんだと思いながら読んでいると興味が増します。






こうへい - 2005/03/14(月) 03:03<

吹雪

の中を歩きました。仕事ですけど。
雨よりましです・・八甲田山より楽です、都会ですから
フィールドワーク・・野山を歩くだけじゃありませんね。
先人の、今は聞く術のない聞き取り調査が、活字になって残ってます。
ありがたいことです。
ヤナさんが格好良く登場したところで、寝ます。オヤスミなさいませ(-_-)zzz

ya(・ε^)na - 2005/03/14(月) 01:10<

日々・・感ずるおもい・・

あーーー・・また騙されてしもた・・
  毎日毎日・・小銭稼いでがんばっとったのに・・
  大きなお金は・・・んんんん
     ひょいとのおなってしまいますなぁ・・あははっはは


 今日、以前より覚えたいなぁ・・やりたいなぁっておもとりましたことがおまして・・
  はじめました!!・・
 久しぶりに大阪梅田を歩きました
   西梅田周辺変わりましたねぇ  中央郵便局の近く大きなビルがいっぱいです
     ブルーノートもこの前のビルに引っ越してきたんやったねぇ
    綺麗なおねーちゃんが大勢歩いたはります
        ぷはーーぁ・・エエ匂いがながれてきますよぅ
      こうへいさん・ヨーカンさんもお好きでっしゃろ・・へへ

    三月もなかやなのに、雪が舞ってます
   高いビルばかりや!!
  明治安田のビルの前に立ってるのん・・私一人!!
    うわーーーぁ・すんげーーぇ!!
       すんげーーぇ!!
     わしは!!・・田舎もんや!!・・はっはははは
       おもくそ雪が舞っている!!うれぴー・・
 

       おもてたみたいに、右手が昔みたいに細かく動かへん・・
    小さなゴミが見えずにいれこんでしまう・・目もあかんようになってきた・・
             ほんまに、あかんなぁ・・とほほ

    帰りにK書店のいつもの所で1時間すごした

    好きな松谷みよ子の本が出ていた(ちくま文庫)・・
     堅い話も大切やけれど・こちらも大切や思いますよぅ
  もともと昔話の中にサンカの姿見え隠れしてます

  ・爺さんばあさんの話はいつまで聞き取れるかわかりませんねぇ
        そやさかいに、近くに居てる爺さんばあさんの話きいとかなあきません
      なにかにつけて、そない感じます

 年寄り一人の知識は図書館一軒分あるそうですなぁ・・
  フィールドワークとか言いますねぇ・・へへちゃいましたかねぇ
    

    あああぁ・・フーーーーッ・・なんやため息がながれますねぇ
      なんでやろねぇ・・ふーーっ・・
     
     ヤゾー・・わかるーーぅ・・へへへへへ

蜜柑 - 2005/03/13(日) 23:18<

誰かに怒られそうですが・・・

矢野絢子の「てろてろ」
っていう唄聞くと、サンカの子供を思い出します。
場越したいような、したくないような
そんな気持ちを歌ったようで。・・・・

下の下記込みは失敗作です。ヤゾーさん消して置いてください。

- 2005/03/13(日) 14:55<

釜中 神社 ガツロイ !

こうへいさんの神社の写真の千木の型はあれで間違いではないようです。

あの千木は V と言う文字を表しているようです。
バール神の V です。

フェニキア文字の ○に× の the を 横に切り裂いた文字が V です。
千木もその様に成っています。
何故、その様に言い切れるかは、ガツロイ がそれを語っています。

ita には 別名が有りました。(風も昨日初めて知りました)
別名 は baluga と云います。 bala-ga です。 バール神です。
更に、ga と言う文字は ta と言う文字に簡単に変換できるのです。
カリンガ文字の図象は、 ga も ta も同じ図象で、ただ向きが違うだけです。
サンカ文字の ワ であり、それを拝み合わせた ル でも有ります。
ですから、
ガツロイの ガをタに入れ替えるて タツロイ で ツロイタ。
ツロは指し示している、とか漏れているが、その義でしょう。

止まれ、バール神は,横一文字と V の合わせで千木として屋根の上に留まっている。

ガツロイと釜中神社はセットでしょう。


 

△うぶ - 2005/03/13(日) 02:37<

アタマ悩まします

中世の(E)(H)のその後を考えるに、(H)は不動産が無かったから土地に縛り付けられない
ので拡散希薄してしまったが、(E)は土地と固定職が有ったので縛り付けられて、逆に後世まで
差別が残ったの解釈も存在する模様です。(E)が土地無しとは出郷した者だけ、もっと言えば
スラム化した箇所だけではないのだろうか?、と思ったり。
私の地方でも固着している(E)は個人の土地持ちで農業もやり、金持ちも多いです。
「田圃を持ちながら」とか「隠し田持ちながら」で、季節を限って異郷を漂白した者達も居たみたい
ですが、これらの「サンカもどき」も、いかに判断するか悩みます。
済みません、主題から少々ズレました。

こうへい - 2005/03/13(日) 00:22<

訂正します

飛行機の書き込みで・・
 「陸軍向け・・・ 武蔵製作所」は、武蔵野製作所の誤りでした。

こうへい - 2005/03/13(日) 00:03<

ya(・ε^)na さーん(^o^)

クマノライフのマドンナ おりょうさんがそう言ってますよう(^o^)

おりょうさん、いや、ボクはピンボケなことを、いっぱい書いたような、そのう・・そういうことを言ってる訳で・・はい・・
と言うわけですから・・いっぱい書いてくださいね ^_^; 

おりょう - 2005/03/12(土) 23:45<

こうへいさん

こうへいさんこちらこすすみません。
私も途中から入ってきて毎日いっぱい書きこんでしまって申し訳けなくおもっています。
ここの常連だった皆様もごめんなさい。
常連だった方々、ヤナさん、ヨーカンさんたちの書きこみも楽しみにしています。

こうへい - 2005/03/12(土) 22:56<

おりょうさん

ありがとうございます(^^)

おりょう - 2005/03/12(土) 21:34<

「サンカ・回游する職能民たち」これから読みます。


尾張のクズシリさん「サンカ・回游する職能民たち」買ってきました。とてもりっぱな本で、表紙の写真
なんかいいですね。中味はこれからです。
第八巻「山窩が世に出るまで」も買ってきました。表紙の絵は何方の絵なんでしょうか?

こうへいさんお気を使わずいっぱい書いてください。楽しみに読んでいますので。

サンカ文字のあぶり出しの文字を撮って三角寛さんに提供した石嶋刑事は何処に!

戦国時代に華々しく活躍した忍者たちは何処にきえてしまったのでしょうか?
歴史に名を残す忍者の子孫のとんちんかん小僧さん答えてください。

フミのアヤタチのオビトさん
三つのケチ(区分)とは、タツキの為、お互い領域を侵さないように「箕作」「フキタカ」「エラギ」に区分されたといいます。
清水精一さんの乞食は、この「フキタカ」にはいらないでしょうか?
「フキタカ」は竹の尺八や横笛を吹奏して菰を身にまとい物乞いする稼業で、夜は菰にくるまって野宿していたので「菰僧」といわれ、それが「虚無僧」にもなり、江戸期では「フキタカ衆」とよばれていたと矢切さんの本にありますが、時代の流れで取り残され乞食稼業だけの生活になってしまったような気がするんですがどうでしょうか。


こうへい - 2005/03/12(土) 16:34<

お詫び

ボクの書き込みで、皆さんのやりとり、中断してしまったようです。すいません。
どうか、再開してくださいませm(__)m

「風の王国 掲示板」に以前載せました飛行機のことですが、今日、元中島飛行機に居て、実践で整備していた人に会い、聞き取りしてきました。
大正14年生まれ、17〜18才まで、中島飛行機でエンジンの整備をしており、その后各地でエンジン等の整備をする。

中島飛行機のエンジン制作は、海軍向け・・・ 多摩製作所(東京都北多摩郡保谷町新田)
              陸軍向け・・・ 武蔵製作所
    機体は、群馬県の小泉と大田で造っていたそうです。
写真に写っていた尾翼のマークは、中島飛行機ではなく、飛行師団のマークだそうです。
飛行機 10機以上集まったら、「第○○航空隊」のような部隊が出来たそうです。
飛行場わかりません。
以上、遅ればせながら・・・

ヨーカン - 2005/03/12(土) 11:37<

その天海さんが

光秀の変身だったとの説 どこで見たのやったかいな??
勢いにまかせて 手当たり次第に本読んでたら 混乱してしもて あきませんネ
 クズシリさんの本読ませてもらって 物事への「オサエカタ」ゆうとこが すごい思いました
 対極に「極楽トンボ」の私が ボーッと位置してて んんーーー焼かな 直らんしなー!!
  やっぱり教えてもらう方に おりますわ(◎−◎)

こうへい - 2005/03/12(土) 01:51<

「蟻の街の奇跡」読ませて頂きました

単純ではないですね。
家康の最大の相談役 天界と言う人が、無名の穢多僧天海だったとは、初めて知りました。

ヤゾー - 2005/03/12(土) 00:55<

班田授受の法

こうへいさん 「班田授受の法」についての補足です。
以前 蜜柑さんとサンカの起源について話をしていたときに
班田授受の法について言われ それなに?と訊ねたことがありました。
それで よ〜く考えたら サイトの初期の頃に
「 蟻の街の奇跡」 松居桃棲著 より抜粋して隠しページとしてアップしたことを思い出したことがあります。
サンカの人たちにも歴史にも ロマンはあります。

http://www.kumanolife.com/guestbook/spare.html

サンカ文字 - 2005/03/12(土) 00:31<

↓がへゴの外皮の紋です。
http://www.tamagawa.ac.jp/GAKUBU/NOUGAKU/agronomy/biology/minami/syllub_system/plant_sys/todays_plant/images/04fern4.jpg

下部の双曲線を見てください。 
y = xの二乗。 三億年の生命力。完全です。
此処から、サンカ文字の ワ が誕生したのでは。

へゴの木から誕生したサンカ文字は フ ヘ ノ も挙げられる。(次回に書きます)
更に、タ の文字の黒点三点は上部の三点が使われている。
黒点三点はカリンガ文字では イ という音です。

反論をどうぞ。^^


こうへい - 2005/03/12(土) 00:31<

はい

ヤゾーさん ありがとうございます。
そうですよね、弊害の方が多すぎますし・・たしか、そう書かれていたと記憶していたもので。

蜜柑さん ありがとうございます。
ロマンチックに考えていたようです。

蜜柑 - 2005/03/12(土) 00:21<

サンカの起源

コウヘイさん、
サンカの起源は
クグツ説とか、幕末の山に逃げた困窮農民説とか色々ありますが、
僕が今のところ納得してるのは
「班田授受の法」をきっかけとした、
そんなものイラン説です。
時の権力者が「お前らに田んぼやるから、動くな!」に反発した人が
山で漂泊生活するようになったというもの。

ヤゾー - 2005/03/11(金) 18:11<

サンカ・廻游する職能民たち

みなさん こんばんわ

尾張のクズシリさんが書かれた「サンカ・廻游する職能民たち」ですが
お蔭様で このサイトからでも多く売れているようです。
サイト上のリンクから またお近くの本屋さんからでも 是非買って読んでみて下さい。
民俗考古学という 新しい手法によるサンカ研究は
リアリティがあって とても読み応えがあります。
オタカラシュウの老人と出会ったときのやり取りやデッサンは傑作です。
尾張のクズシリさんが 老人から見せて貰ったというウメガイですが
自分が見たことのあるウメガイと ほぼ同じものだと思いました。
ただ自分の見たウメガイは 日本刀でいうところのハバキがあって
それも特徴のある凝ったものでした。
後に三角氏のウメガイを持つ福知山のサンカという写真を見て
そのウメガイと まったくと言ってよいほど同じものであったと気付くことになります。
外観は明治時代くらいのキセル入れのような拵えで
紫檀のような堅く色の濃い木で作られていました。
鞘から抜くと やはり肉厚で 切っ先が鋭く 鎧通しのような感じがして
道具というより凶器という印象が強くしました。
また日本刀のような造りではなく ナイフのように全体がハガネであるように感じました。
それにしても 鉄味が大変素晴らしかった印象があります。
あれだけの独自の刃物が造れるということは ウメガイひとつとっても
サンカの人たちの奥深さが伺えるのかも知れません。

こうへいさん 何かの本に 純血なんてものは もはや存在しないということが書かれてありましたが
古い家柄ほど 純血になんの意味もないことを知っているように思います。
新しい血を入れることによって 存在し得たということもあったと思いますし
それはサンカの人たちにしても同じことだと思います。
縄文的なスピリットは強く受け継いでいるような気がしています。

ここのところ忙しいので 知人に変な投稿の削除依頼をしていたのですが
変な投稿を削除した際に ひとつ下の投稿も一緒に消えてしまったようです。
申し訳ありません。

- 2005/03/11(金) 17:21<

へゴ


http://kasuga.web.infoseek.co.jp/comment/maruhachi.html

短音なら ヒゴ(肥後)
ヒ ならイタ、 へ ならヤオ。
それとも 屁呉 か?

ヘゴは3億年も生きているので自然界の一種の象徴ともいえる、人間界に降ろされないほうが不思議。

イタが用いて、
ヒゴ(肥後)なら ヒコ コ (hiko ko)で 私の彦。(肘鉄砲)

ヤオが用いて、 ヘゴ で heko ko
へこ 【褌・フンドシ…越中ふんどし】、へこ 【兵児…私の兵の児】、へこ‐おび 【兵児帯】
色々出てきますね。
http://shofu.pref.ishikawa.jp/shofu/shirayama/japanese/life/wits/1-aguricult07.html

比国では tigdig と呼ばれているようで、幹は空洞であり水が溜まっているようです。
外皮の模様は、慶長大判、小判にそっくりさん。


こうへい - 2005/03/11(金) 03:14<

ん?

三角寛の聞き取り調査形式で、驚くべきサンカのまぐあいの数・・・っていうのがあります。
仮名で書かれていますが、意図は何なんでしょう。30才仮名XX一日20回?みたいに・・・

「サンカの起源」で、セックスは純血種を増やすためにさかんに行われ」と書きましたが、生物学的には、何度まぐあいをしようと、誕生には、十月十日かかり、生まれるのは通常一人。
サンカのハタムラでは、夫婦となったものは、以外の人とのまぐあいを禁ず。
三角寛がことさら、高齢に至までの数を発表した意図は、どこにあるのでしょう?

もう、寝よ(^o^)

岐神米子 - 2005/03/10(木) 22:59<

出雲の穴場

 イザナミの神陵は各地に色々伝承がありますが、古事記に明記され
た神陵古墳があるのは旧出雲国安来の比婆山久米神社になります。
島根県安来市には古墳時代前期では最大級の方墳である造山古墳
や大成古墳などもあり、原出雲王国の首都とする説もあります。更に
は弥生時代の製鉄遺跡なども発掘されており考古学的にまだまだ
発掘の余地がありそうで、考古学ファンには行ってみたい場所ではな
いかと思います。神代の話も豊富な地域で、それを裏付ける遺跡の
発掘はシュリーマンを思い出させるためだろうとおもいます。

こうへい - 2005/03/10(木) 12:50<

フミのアヤタチのオビト 様

サンカの起源について、教えて下さい。
よろしくお願いします。m(__)m

こうへい - 2005/03/10(木) 11:43<

サンカの起源

サンカ研究、闇の歴史に一生を捧げた先人や、三角氏によれば、サンカは、純血を守るために、トーシローとの結婚を許さず、サンカ内では、セックスは純血種を増やすためにさかんに行われ、ある年齢に達すると結婚させて独立させ、少数民族存続に必死になった。

純血というからには、縄文(これももともと外来には違いないけど)人であり、弥生に入って半島、大陸から渡来して日本国を造った人々に対してのものである・・とボクは思います。
ですから、サンカの起源は、縄文人の生き残り以外にないと思うわけです。

直感ですから、全く間違ってるかも知れませんm(__)m

こうへい - 2005/03/10(木) 11:04<

ありがとうございます

ヤゾーさんありがとう。
一つ、年とりましたね(^o^)
風さん、東沢さん、うぶさん、どうもです。
庚申講は、金屋町で広く行われてるって読みました。みんな集まって朝まで眠らないで話しをする日でしょう(^o^)前にでてましたよね。
△うぶ さん、サンカ文字表は、三角氏作ですか?
ヤゾーさんが、自作のウメガイに彫ってますが、ロマンはありますね。そんなのって、好きです(^o^)

△うぶ - 2005/03/10(木) 03:16<

済みません、又しても、へそ曲り解釈で、独り言です。

「けつけひまち」が、「げっけい待ち」と聞こえるんですが、、、、、「赤火(お光)待ち」なのでしょう、
庚申講?、旧暦で7月12日は「赤口」です、タタラ製鉄(釜の火口)だからでしょう。釜中。
「ケツ(尻)+け+火+待ち」。東北製鉄製刀系の匂いが。月経とは「ケツけ火」だと判った。

豊国文字とサンカ文字の類似が平仮名とカタカナで、その由来が漢字だから、平安以降の制作。
サンカ文字の存在を言い出したのは後にも先にも三角寛だけ。
どうも、三角寛には、昭和の御世に世間のサンカ常識をイジクル必要が有ったように見える。
それは、単なる名誉欲?、、、はたまた事実の捻じ曲げ?、、とすると誰かの指示?、、何か
が三角を操っている様にも思える。義憤からだけでは、そんな行動には出ないだろう、、と?。

ツトッコ - 2005/03/09(水) 22:59<

吉見百穴

ハジメさんたちがセブリバとして使っていた吉見百穴にも神代文字が壁に彫ってあるみたいでね。サンカ文字とは違うようですね。http://a-mist.hp.infoseek.co.jp/saitama/yosimi/yosimi.htm
このサイトにでてくる坪井先生が尾張のクズシリさんの「廻遊する職能民たち」に出てくる「ツボイセンセ」のことですかね?ちょっと時代が古いですけど。

東沢美史 - 2005/03/09(水) 22:26<

けつけひまち

こうへいさん

「きつけひまち」の「ひまち」が「日待ち」ならば、近所の結婚式やお葬式ときに互いに手伝う仲間である講中の人達の行事ではないですか。いまは信仰の色合いが薄まり都会でいう互助会とか隣組に役目が似てきてしまっているとおもいますが、神社や掛け軸の神様を拝んでお膳が用意された宿当番である講中のメンバー宅で夜が明けるまで話しをしながら飲み食いをするというようなことが、そちらでも行われているのではないでしょうか。

ヤゾー - 2005/03/09(水) 21:59<

花粉がいっぱい

みなさん こんばんわ

花粉が物凄く多くなってきました。
クルマのフロントガラスに薄っすらと積もった花粉を
ワイパーで拭うと 驚くほど花粉が集まります。

こうへいさん 一日遅れですが お誕生日おめでとうございます。
各地に残存する巨石群ですが
常識的な観点からでは計りきれないものがありそうですね。

フミのアヤタチのオビトさん サンカ文字(豊国文字)が彫られた硯石ですが
再び 聞き取りと探訪を再開しようと思っています。

- 2005/03/09(水) 20:41<

あくまで私見で・・・・

こうへいさん
”けつけひまち” は深く寝っている先祖霊を起こそうとする儀式行事ではないでしょうか? 
太鼓とか鐘の音とかを鳴らして。


3.ウツハワ(器は)
  は、
  精神病の感染(稲作の虜に成った人達の意)

4.ホノアカリノミコト/コレノアメノイワト(火明命が天の岩戸)
  は、
  ホノアカリ ノ グホ ノ アメノイワト
  天の岩戸のホノアカリの崩壊。
  

  

こうへい - 2005/03/09(水) 17:25<

度々の投稿失礼します

釜中の神社の最初の行事は、7月12日。この日は、”けつけひまち”と呼ばれているみたいですが、どういう意味なんでしょう?

こうへい - 2005/03/09(水) 15:14<

釜中探検隊 散歩

天気が良かったので、釜中に行って来ました。
天日神社の扉の鍵が開いていたので、見よとの天の声が聞こえたようで、見てみましたが、すだれが掛かっていて、それ以上見れませんでした。
早速、区長にその件をお知らせして、ついでに、今期の神主さんところで、祝詞を見る許可をもらいました(^o^)
なお、釜中では、天日神社が他の神社に合祀されてるため、実質、中央に認められていない?
神主も、村人が一年交代でやるため、(素人で)行事で祝詞をあげることはないとのことです。

こうへい - 2005/03/09(水) 11:04<

ヤゾー様

>ここに投稿されたものは 携帯電話へメールとして送られてくるようにしてありますので
>嫌がらせ投稿の殆どは 携帯電話が操作できる環境の場合 即座に削除しています。

管理人さんが、そこまでやってくれていると言うことに、驚きとともに感謝いたします。m(__)m
遅ればせながら・・・

ヤナさんの投稿してくれた、ナマズ岩ありましたよね。六甲の巨石文化の一部でしょうか?
震災のとき転げ落ちた来た大岩。その表面に書かれた記号、文字?
上の方に、落ちてこなかった大規模な巨石群が存在するのかもしれませんね。
それにしても、ある時代に巨石の運搬、精度の高い加工技術を持った人々が、世界規模で存在した・・・いったいどんな人々だったのでしょう、そして何処にいってしまったのでしょう・・・

こうへい - 2005/03/09(水) 03:43<

3月8日もすぎて・・・

3月8日は、ボクの誕生日でした・・・パチパチ  って、自分で言っとこう(^^)。

サンカが縄文のナガレとすると、弥生時代の渡来系の人々の国作りや、縄文には無かった戦争というものをきらった人々が、国というものを否定して、そのうちの服従しなかった集団が定住せずに山野をめぐり、サンカの起源となった。
漢字伝来のはるか以前ですから、神体文字のように、当時はサンカ文字も古代文字であって、ゴクムスなわけでは無かった。
それを、近代サンカが、暗号のように使用したので、ゴクムスとなった。
それは、もちろんセブリ生活の残ってる時代に公表するわけはありえず、三角寛がサンカ文字があるということを、知ってもらうために、豊国文字などに似せて公表した。
暗に、文字があるということをリークしただけで、真実の文字ではない。

「戒厳令の夜」の九州山民連合の存在のように、その正体は一般人の前には、永久に出てこないのではないか。
サンカナガレ衆秘密結社のような存在があるとすれば、真実のサンカ文字について明かされることはない。
とすれば、ムスでなかった時代の文字を辿って、それを解読する方向から攻めるしか無いように思われる・・・とまあ。ボクの私見ですが、どないなものでしょう?

フミのアヤタチのオビト - 2005/03/08(火) 21:02<

日本一の最前線レベルのクマノシュウのサンカ学

クマノシュウのナガレの皆様。風さん・ヤゾーさん・ヤナさん・おりょうさん・いちご麦さん・JTさん、そして以下のナガレシュウ・・・色々な新しい情報や資料や見解を、掲示されて「フミのアヤタチのオビト」は、びっくりしてます。
ここ数日は、学ばせて頂く事ばかりで、少々、怖じ気ずいております。
非礼ながらの、コメント〜私観と、お願いなどを今回は記させていただきます。

ツトッコさん
【・・・いとこが扁桃腺をはらした時に、祖母が・・・さすり石をもってきて何か呪文を唱えながらのどをさすっていた・・・祖母は95歳と高齢ですが聞き取りができる状態でしたら一度聞いてみます。】

サンカの方たちの「さすり石」数例の報告があります。これは貴重な事例資料になります。是非とも聴き取り調査と、出来れば現品の記録を採っておいて下さいませ。


こうへいさん
【サンカ文字って、ゴクムスなんでしょう?・・・それとも、儀式的なものでしょうか。・・・古代文字を参考にねつ造されたものでしょうか?ちょっと、わかりません。】

現状は、本当にそのとおりだと思います。三角寛の研究で、一番の難解課題です。この疑問、一刻も早く解明したい重要項目です。


やぞーさん
【明治十年の西京新聞に 和歌山県の田島なにがしの報告によるとという形で当県南部の仙人谷に 土人が仙人の硯石と呼ぶ石があり、その石の サンカ文字(豊国文字)が刻まれている・・】

貴重なご教示、深謝です。フィールドでの関連した比較資料の集成をしていけば、「サンカ文字」の逆探知に繋がりそうな予感がしてきました。


尾張のクズシリさん
サンカ学叢書【サンカ・廻游する職能民たち・前巻】を拝受、御礼申し上げます。
これからゆっくりと読ませていただき、コメントのヤリトリが出来たら・・・・と希望します。


ツトッコさん もう一度
@【「高千穂古文字伝」の蓋石の字は石から拓本したもの・・・もサンカ文字に近くレの字はサンカ文字は不明です。・・・サンカ文字に似てる似てないは私の主観です。・・】
A【「高千穂古文字伝」もう一つ気になる記述があり・・・「尾平山の山子が家の秘文」で・・・山子に一子相伝で伝えられている・・・ちなみにこの山子は字の読み方は知らなかったみたいです・・・この山子はサンカくさいですし三角寛の生まれたのと同じ大野郡も気になります。】

大変、学術的な視点で敬服です。特にAは、礫川全次氏とも異なる捕え方で、最前線の奥深い見解だと思います。一度仮題「サンカ文字の周辺論」として纏められる事をお勧めいたします。期待致しております。


じげもんさん
【大分県上津江村の鯛尾金山にも、神代文字で書かれたお札があるそうですぞ。・・・】

出来ましたら、お札を入手・採集しておいて下さいませ。
そして、それの成立由来を聞き取り調査して、是非とも紹介くださいませんか。

- 2005/03/08(火) 10:53<

越文字を採用して!

イタとエタは種族が違うのではないかと想像していたが、
やはり、イタはイタ族でエタはヤオ族かも?

宮下文書では豊阿始原之世(トヨアシハラノヨ)・地神(クニツカミ)5代の、
初代は大日留女尊(天照大神)オホヒルメノミコトで第五代がフキアエズ初代となっている。
イタ族は神家でヤオ族は王家であろう。

ミケ ミカ トモ ホ エ コ リノ
mike mika tomo ho e ko rino.で mikmik-e mika tomo po e ko rin-o.

e はエタ族でヤオ族。
o は王。王の王が漢
(韓、干も同意。 寛はどうか?^^ Kanyao と言う部族もいる。Kanyao の居住地はkaringa と言う)。
tomo は歴史・シリーズの一部を生成する。
ho は po で 敬語を意味し、ハイ, Yes,sirと言う語に同じ。
rin は同様。
Ko は私の。

mikmik-e mika tomo po e ko rin-o.
は、
ヤオのとっても小さな巫女は私のヤオの王と同様(同格)歴史・シリーズの一部を生成する。

古代から王家は武力持ち、神家は民衆を引き連れ、
逢い争ったことは確かでしょう。

じげもん - 2005/03/08(火) 07:17<

神代文字のおふだ

ツトッコさん
大分県上津江村の鯛尾金山にも、神代文字で書かれたお札があるそうですぞ。
行こう、行こうと思っていてなかなか行けませぬ。
ところで「会員制掲示板」ってのは、どこにあるとですか?
すんません、教えて!

ヤゾー - 2005/03/08(火) 00:03<

取り急ぎご報告!

みなさん こんばんわ

尾張のクズシリさんのサンカ学叢書
【サンカ・廻游する職能民たち】が
くまのらいふ・ショッピングにて買えるようになりました.。
読ませて頂きましたが とても面白くて読みやすい
今までにないサンカ研究書だと思います。

あおきさん ありがとうございます。
HPで 月に5000円稼げたら 大したものだと言われましたが
その意味が痛いほど分かりました。
とりあえず サーバー代を浮かせれば上等なのですが
もう少し試行錯誤しなければ それも無理っぽいです。

いちご麦さん お久しぶりです。

販売ページを始めてから 有難いことに
本や雑貨など買って頂いた方が 多く居たことが分かり
心より感謝しています。

- 2005/03/07(月) 23:17<

私的解釈!

ソネミキミカミトミカ

ソノミキミカミトミカ と読むのではないでしょうか?
so no miki mika mito mika.
は、
suso nuno mikmik-i mika mito mika.

so はsuso でデンデンムシ。
(背中の螺旋を追いかけると18万年前迄遡り巻貝の蓋を右手で握り締めていたアフリカの少女の白骨にたどり着く)。
no はnuno で先祖。(ノの音は沖縄ではヌです)。
miki は mikmik-i でとても小さい夷(イタ)。
mika は 巫女のこと。
mito は民属伝承。(水戸、ピラミットは粘土の伝説)

ソノミキミカミトミカ

巫女の民属伝承は、とても小さい夷の巫女の先祖はデンデンムシです。


いちご麦 - 2005/03/07(月) 21:58<

蓋石

みなさま、こんばんは。
私が見ていたサイトは、http://www.sky-net.or.jp/miao/huuin/hutaishi.htmlでした。

(スナフキンさんの“三角山”のサイトにヤゾーさんのお名前があり、さっきまで拝見していました。)

ツトッコ - 2005/03/07(月) 21:46<

高千穂古文字伝2

「高千穂古文字伝」もう一つ気になる記述があります。それは「尾平山の山子が家の秘文」です。これは豊後国大野郡尾平鉱山の金堀(カナホリ)人に海部郡金谷で上記研究家の幸松葉枝尺が会った時書いてもらった字です。これは鉱山に金属が有るか無いかを見分ける方法でそれはその山子に一子相伝で伝えられているそうです。書いてもらった字は会員制掲示板にアップしておきます。読みは「カヌヤニヒコヒメミコト」だそうです。突然、振ってすいませんが、以前、東沢美史さんがサンカと金鉱脈の関係をどこかに書き込みされていた記憶があります。ちなみにこの山子は字の読み方は知らなかったみたいですが隠していたのかもしれませんね。この山子はサンカくさいですし三角寛の生まれたのと同じ大野郡も気になります。

ツトッコ - 2005/03/07(月) 21:08<

高千穂古文字伝

フミのアヤタチのオビトさま
「高千穂古文字伝」の蓋石の字は石から拓本したもので先に紹介したサイトの字とは違い字に太さがあり少し分かりにくいです。田近長陽は以下のように読んでいます。ソヂ御酒甕水御食甕登覚(ミキミカミツミカミケミカトヲホエ)2番目のキと最後から三番目のヲは豊国古体文字よりサンカ文字に近い気がします。此乃器者(コレノウツハワ)最初のコの字もサンカ文字に近くレの字はサンカ文字は不明です。火明命此乃天岩戸ニ(ホノアカリノミコトコレノアメノイワトニ)。幽居時之遊之備ニ奉留(コモリマストキノアソビノソナエニマツル)。一箇之大鏡者(ヒトツメノオオミカミワ)最後のワの字はサンカ文字と同じ。皇大御神之御魂登為テ(ハメヲヲミカミノミタマトシテ)。天岩戸ニ遺志持出志々有ヲ(アメノイワトニノコシモチイダシシナルヲ)最後から2番目のルの字はサンカ文字に近いがカタカナのルにもっと近い。天岩屋戸之此方乃岸ニ(アメノイワヤドノコチノキシニ)。岩以四枚ニ立テ隠置也(イワモテヲヒラニタテカクシヲクナリ)2番目ワの字サンカ文字と同じ。だそうです。サンカ文字に似てる似てないは私の主観です。拓本ですから分かりにくく例えばワの字でも豊国文字のように○の字もあればサンカ文字のように○が切れているのもあります。

あおき - 2005/03/07(月) 17:50<

久々です

 久々に御邪魔したらなんとYAZOOショッピングなんか始まってるじゃないですか
ヤゾーさんまたベンツでブイブイいわしてくださいよ
ポルシェなんか良いですね−はじめさんもびっくり ポルシェで背振り場探しなんておしゃれ
ですよねー 楽しみ

- 2005/03/06(日) 22:10<

巫女と巫男!

おりょうさん
モーモー(桃)は牛と関係があるでしょうね。^

バール神が馬の頭なら、シュメールのウルは牛の頭でしょう。
牛の頭のウルは牡牛座の時の象徴ですね。(古イスラエルの偶像も金の子牛でした)。
牡牛座が終わると、牛の頭も冥界に追いやられ神の交代と成ります。
サンカ文字では、三匹のモーモーが居ますから三度冥界に送られ二度は復活している、とに取れそうですね。

ツトッコさん
興味津津のホームページの紹介ありがとう。

1. ソハ/ミキミカミシミカ(それは、みきみ神し御神)
は、
so ha. miki mika misi mika.
と区切るのではないかとおもいます。

此処での、mika という言葉ですが、実は以前から捜していた言葉なのです。
miko(巫男)が男で mika(巫女)が女であるから、必ずkika と言う言葉があるはずだ、
と思っていました。
止まれ、甕に入っていた骨は、女性の骨ですね。
甕に骨が入っていた証拠はmisi と言う言葉です。misiは骨を意味しています。

アマテラスが女性であることの証明として捏造された物か、
民属伝承があり宮下文書の大日留女尊(天照大神)オホヒルメノミコトの血筋のことだとすると、驚かされますね。

ヤゾー - 2005/03/06(日) 18:15<

マムシ酒もろてきたですじゃ

みなさん こんばんわ

JTさん はじめまして
背振山の山頂にある小さな神社ですが
なにを祭っているのか興味深々です。

フミのアヤタチのオビトさん 明治十年の西京新聞に 和歌山県の田島なにがしの報告によるとという形で
当県南部の仙人谷に 土人(当時 熊野の人は土人と呼ばれていたのか?)が仙人の硯石と呼ぶ石があり
その石の サンカ文字(豊国文字)が刻まれている拓本のようなものが載ってあります。
会員制掲示板に 写真をアップしておきますね。

金曜の昼過ぎから 泊りがけでリホームの手伝いに行ってました。
木工をやっている知人の親戚のお婆さんの家の台所の床が腐ってきたというので
内装工事の経験があるので 頼まれて行ってきました。
辺鄙な山奥のお婆さんの家に泊まりこんで 二日で床を直してクッションフロアーを貼り終えてきました。
とても感謝されて日当を貰って 死んだ爺さんが浸けたというマムシ酒まで頂いてきました。
山奥の僻村では 病気になっても町の病院まで出て行くのが大変だったので
マムシ酒や薬草を煎じたりして 対処してきたそうです。
十年以上浸けたマムシ酒の写真を 風の王国掲示板にアップしています。

JT - 2005/03/06(日) 15:16<

はじめまして

初めて投稿致します。個人的にサンカに興味を持ち始め、ネットで検索してみたところ当ページを発見しました。大変興味深く読ませて頂きました。

私は佐賀県の佐賀市に住んでおり、北方には背振山(せぶりさん)という山がそびえております。麓の背振村には何人か知り合いもおりますので、村の古老のような方に何かご存じないか(名前の由来など)伺う予定です。

ちなみに背振山の山頂には小さな神社があり、たいしたものではないのですが、山自体には何か神秘的なものを感じます。

じげもん <http://homepage2.nifty.com/deestyle/> - 2005/03/06(日) 12:14<

HP引越ししたじゃ

ご無沙汰です。
ホームページを引越したけんど、リニューアルしちゃったらこれがなかなか大仕事です。
ま、ぼちぼちやっていきます。
この冬はフィールドに出る暇がなく、ストレスたまっとります。
そろそろ気合入れて、不思議探索がんばります。

ya(・ε^)na - 2005/03/06(日) 04:51<

戯言・・・・と

人には人としての・・・
 場所、居所、居場所が必要だ・・・
   感情と気・感性・・・その場の空気・・
       なにかに、徹すること・・
     厳しさと優しさ・・
  痛み辛さ・・・それを感じること・・
    協調とその中での批判・・・・・
      自信・・信頼・・そしてその中での笑顔
                ええなぁ・・


    わたしは四季の中で冬が好きでおま
      冷気で凍える廊下を素足で歩いた時の緊張感・・それがたまりまへん!
       コタツに両の足を突っ込んで、両の手で包むようにして呑むコーヒーまた旨い
     この味は・・・・・・・冬しか味わえまへんでぇ
       寒くていゃんなっちまわんとってくらはい
        わたしゃ、花粉でいやんなっちまってますねんよ
          こいつは・・・んんんん
           なんとかなりませんかねぇ・・・とほほ

                          
     春三月、節句の日によばれます・ん・チラシ寿司・・
       おりょうさん今年もちゃんとよばれましたよ・・へへ
                      
                     ほな

おりょう - 2005/03/05(土) 14:43<

寒くていゃんなっちまう。

みなさまこんにちわ

尾張のクズシリさん 風さん
乙益重隆さんの興味深い話が一杯で面白いです。
「列島の文化史」2 昭和60年1月 日本エディタースクール出版部 tel 03-260-5891
乙益重隆さんは考古学者で熊本県球磨郡の免田町でお生まれだそうです。
乙益重隆さんの教え子の源島精也さんという人が、県の林務課の管理職にある人で山のことが詳しい人で、
その人の話によると、変なマークを彫りつけて困るらしいんです。それは、何のグループでどういう人が
皮をむいたというしるしじゃないだろうかと、営林署の山回りの人たちや県の林務課の第一線を回る人達
はこれを非常に嫌っていたとあります。
箕を作るときに、竹の編み込んだ下地や、曲げ物をとじつけるには必ず桜の皮を用いますから。そのトレ
ードマークみたいなものを全部集めてみたら面白いとおもうのですが、その後、源島君は本庁勤務になっ
てしまい、話を聞くてがかりがなくなりました。とあります。
この、乙益重隆先生は子供の頃狐火もずいぶんとごらんになったそうです。他に狐が化かす話、インガミ
(犬神)、ヤマワロ、ヤマンモンとか面白いです。

モーモー(桃)は 幽霊の意です。
牛じゃないんですね。

^




こうへい - 2005/03/05(土) 12:09<

サンカ文字

単純なことですが
サンカ文字の表がありますよね。
サンカ文字って、ゴクムスなんでしょう?
読まれては、いけないことをサンカ文字で書いたのでしょうか?
それとも、儀式的なものでしょうか。
ゴクムスなら、サンカ文字表の存在って、なんでしょう?
古代文字を参考にねつ造されたものでしょうか?
ちょっと、わかりません。

ツトッコ - 2005/03/05(土) 12:08<

すいません

間違えました。天岩戸神社蓋石こちらです。
http://www.p-shock.com/rekishi/c_00-b.htm

- 2005/03/05(土) 11:55<

幾何学図形

幾何学図形は何処での出来事でしょうか?
大分でしょうか?

□ は 音は バ で、義は 馬。 
○ は 音は サ で、義は 目。
△ は 音は エ で、義は 戸。
Y は 音は タ で、義は 釘かフック。

バサ エタ ・・・エタを読め(エタを調べなさい)?
目が馬を閉じ込めた(家の戸を釘で打ちつけて)?

目は左目か?
馬はウマシマ氏のことか?

刻まれた文字は外にもあるのでしょうか?
四文字だけでも意味は成しているようですが?

それにしても、Y を用いてるのには驚かされる。
Y はサンカ文字の モ と言う字にあたります。
モーモー(桃)は 幽霊の意です。

ツトッコ - 2005/03/05(土) 11:52<
フミのアヤタチのオビトさん
天岩戸神社の蓋石こちらのサイトが参考になると思います。http://www.pshock.com/rekishi/c_00-b.htm
マムシ酒について、残念ながら祖父は数年前に亡くなってしまいました。ただ、ふやけてはいましたがマムシはとぐろを巻いて瓶に入っていたような記憶があるので、普通のマムシ酒だと思います。マムシ酒で思い出しましたが、同じ頃30年位前ですが、いとこが扁桃腺をはらした時に、祖母が隣の家で借りてきたのか自分でもっていたのか忘れましたが、剣道の竹刀の鍔のような形と色をしたさすり石をもってきて何か呪文を唱えながらのどをさすっていたのを思い出しました。関連して色々な記憶がよみがえってくるものですね。祖母は95歳と高齢ですが聞き取りができる状態でしたら一度聞いてみます。去年のお盆におじと会ったとき生前の祖父の以外な一面を聞かされて驚いたことがありましたがやはり元気なうちにもっといろいろ話を聞いておけばと悔やまれます。

尾張のクズシリ - 2005/03/05(土) 09:54<

三角批判の根源思考についての私考

蜜柑さん。ご無沙汰です。
三角寛サンカ研究に関して、私の知る限り「インチキだ!」している方は、4名ほどの人です。
この方たち3人は、私も会ったことがあります。
不思議なことに、全て共通した特徴を持ってみえる研究者?です。

@主に机上だけの研究で継続したフィールド活動をしていない「インドア型」。
A情報の交換出来る人脈や、目的型研究会などをご自身でされていない「孤立型」。
Bあくまで私観ですが、ご自身への最新の情報断線に対して「ネタミ、ヒガミ型」。

これらの方たちは、こちらの資料などを見せてお話ししていきますと、だんだん顔色が変化して言ったのを覚えております。
そして最終的に「究極の切り札」を根拠に挙げられてみえます。
それは、アヤタチ様の今、問題提起されてます「サンカ文字」を、三角批判の根拠に出してきます。
その意味でもこの「サンカ文字」の件は、私も重要なキーだと思います。
蜜柑さん。セブリバのヒバチ石探し出して、こすらずに、まずそのままよく見てくださいませ。
私もこちらで、その調査を開始しました。明日、ポンの会で飛騨川第7地点セブリの調査します。

おりょうさん
最高のサンカ・三角寛など・・・のヤリトリ。本当に勉強になります。
尾張のクズシリは勉強不足で、おりょうさんの書き込みの・・・・・
「乙益重隆さんという方が、ヤマンモンたちが桜の皮をむいたあと、三角形とか四角やY字形、丸とか、変な幾何学図形のようなマークを彫りつけていくそうです。それで山の持ち主が木が枯れるので嫌がったと書いてありました。」
  この掲載文献を教えてくださいませ。遅まきながら読ませていただきます。


- 2005/03/05(土) 09:11<

サンカ文字

ア は kha というカリンガ文字でしょう。

このkhaに、例の母音 ウ(u)を刺し込むと kuha となる。
kuha には「取り上げる、ぶん取る」と言う意がある。
誰が何を「ぶん取った」のか?
このテーマーはサンカ文字の ウ という母音と係わりが有るようだ。
ウと言う母音はカリンガ文字だけではなくフェニキア文字であれシナイ文字であれ、
見つけることは出来ないかもしれません。
ウ と言う音が最初に現れるのはシュメールの神 ウル のようです。
ウルは神としてあるのですが、その義は 頭 のようです。
何故、頭になるかはバール神からの引導です。。
バール神の ba は 馬 で ru  は 頭 であるとういう分析結果がでています。
馬の頭という義がバール神と言う神に昇華されているようです。
このbaru のru に u が冠されて(uがba に置換) ウル という神に
なっていることが見えます。いずれにしても頭である。
これは、gaya に u を冠して ugaya となっているのと同じ処方であり、
興味津津です。
gaya とは「真似る」ということですが、ウ を冠して神と見るなら、
「物真似の神」 が ウガヤと言うことになります。
何を真似たかは、一目瞭然 フキアエズ を真似たということに成りそうだ?

蜜柑 - 2005/03/05(土) 00:46<

フミノさん、尾張のさん、・・・さん

「三角のサンカ研究インチキ説」が世間に根強く残っていますが
根源は何なんでしょう?
あえて、シノガラ一派が流したのでしょうか?
それとも決定的な証拠があるのでしょうか?

・・・謎・・・・・

おりょう - 2005/03/04(金) 20:36<

セブリィー

フミのアヤタチのオビトさん 
>それと「・・裁判覚悟で書く必要あります。・・」は、私の表現が悪かったと思います。
そんなことはありません。
そのような経緯だということはよくわかりました。m(__)m

魑魅魍魎 ちみもうりょう 
>すごい教養熟語で、 
そうではありませんで、妖怪の本ばかりよんでいたら、こんな字使うになってしまったんです。大汗(*_*)
使い方ちがうかもしれない。すいませ〜ん。(^o^)

「おねしょうの薬セブリィー」
>厚生大臣が薬剤製造認可を正式に許可
よく聞いてみないとわからないものですね。寛子さんの本で誤解していました。
昔は薬の販売というのはそんなに簡単にできるのかと疑問だったのですが、今、ようやく謎がとけました。
>陸軍医学研究所の薬品分析データー当時の厚生省に提出しました。
ちゃんと研究されたお薬だったんですね。
それにしてもフミのアヤタチのオビトさまは、すべてにおいて把握してらして、凄い方だと思ってしまいました。
少しずつ、私なりの謎を解決していただいてありがとうございます。


乙益重隆さんという方が、ヤマンモンたちが桜の皮をむいたあと、三角形とか四角やY字形、丸とか、変な幾何学図形のようなマークを彫りつけていくそうです。それで山の持ち主が木が枯れるので嫌がったと書いてありました。

フミのアヤタチのオビト - 2005/03/04(金) 19:29<

クマノシュウの総合力に期待します。

ヤゾーさん。
『明治初期頃に書かれ「古代文字考という本」・・サンカ文字が掘られた石碑のことが載ってあります。・・何度か探しに行ったのですが 未だに見付かりません。』
この本、ぜひとも一度みたいです。機会がありましたら探してくださいませ。

おりょうさん。
『・・・裏の社会は魑魅魍魎としていて・・』すごい教養熟語で、どう読めば? お恥ずかしい限りです。お教え下さいませ。

それと「・・裁判覚悟で書く必要あります。・・」は、私の表現が悪かったと思います。
その経緯は、過去に資料コピーをお送りして、設立など関連した人の出自、産業組合との経緯など・・・お教え願いたい、と返信封筒でお送りした機関と、個人事務所のことです。
すべて返答を頂きました。
(一例)「弊行では、そのような商業組合、経歴者との過去の経緯は御座いません。・・・推察としてでも公に発表などしないで下さい。もしその様な事態になれば、法制度に従って対処させていただきますことをご了承下さい・・・」。この様なことでした。
  「セブリイ」のこと
三角寛さんが陸軍に卸していた「おねしょうの薬セブリィー」は、実は皇国薬草研究所の医学博士所長(三角寛は上から2番目の地位です)が、陸軍医学研究所の薬品分析データー当時の厚生省に提出しました。数ヵ月後、厚生大臣が薬剤製造認可を正式に許可した、立派な販売薬です。
娘の寛子さんは、試薬材料集めの過程の作業を、あのように表現されたのではないか?と考えられます。解毒、冷え性や風邪の予防、肌荒れにもよく効いたのは事実「厚生大臣認可薬」であったからです。
おりょうさんの言われるとおり、三角寛は、出鱈目ではなくそういったサンカ薬草の知識が下地にあったのは事実です。

風さん。
【それくらい複雑なのでサンカ文字の義の解明は困難を要します。・・・風は遊び心でじゃれついているだけ。・・・】
今、三角寛の謎の重大項目が、「サンカ文字」です。もしこの成否検証が出来れば、その結果しだいで日本史を揺るがす凄いことになります。もっと教えてくださいませ。

ツトッコさん。
蒸マムシ酒 、もう一度、「・・小学生の時、母方の祖父から」教わって、ぜひ復元してください。
また、【田近長陽「高千穂古文字伝」・・・この本じつは入手はしているのですが・・・】
サンカ文字の多角的検証のため、なんとか解説でもして頂けましたら有り難い事です・・・

風さん。△うぶさん。サンカ文字の実態解明にむけ、知識やお力を出してくださいませ。

      フミのアヤタチのオビト

- 2005/03/04(金) 17:59<

サンカ文字


狩野氏の解読した竹内文書
http://www.interq.or.jp/www-user/fuushi/5-anc/5h-genngo/5h-amatu-1.htm

を見てもらうと此処にもサンカ文字と共通文字があります。
カリンガだけではなく、フェニキヤやシナイ文字もあるようです。
それと、古タガログ文字もあるようだ。
それくらい複雑なのでサンカ文字の義の解明は困難を要します。
風は遊び心でじゃれついているだけ。

止まれ、面白くて飽きがこない。
例えば、サンカ文字には ア は無かったというが、存在している。
ア は kha というカリンガ文字でしょう。
そして、この kha と ×× の ゑ は深い関係があると思われる。

ha は ハ と ワ の二種の日本語手法があり、 kha のハがワなら、
kha は kwa で kuwa との意にとれる。 クワはフキアエズであり子狗のこと。

X は、ギリシャ、イオニア系で、khi → kahi で 甲斐 が見える。
カイ には子狗が歩んだ道のりの意がある。

フェニキヤでの X は taw と言う発音になり、tawa と母音を附加すると
田和山の田和が現れる。 タワ とは 笑う ということです。

X の拝み合わせは、ヤオ族からの支点では
田和山でイタ族と共に笑い合った事の意が込められていると解釈できるが、
ア とう母音もって最初にフキアエズを置き、且つ 無い とする意は可也強烈です。

おりょう - 2005/03/04(金) 14:01<

「セブリィー」

フミのアヤタチのオビトさん 皆様こんにちわ
いろいろご丁寧にお答えいただいて有り難うございます。裏の社会は魑魅魍魎としていて危険の伴うこともあるやもしれません。でも、陰でこそこそ囁かれていることこそが真実ですね。
いろいろお聞きしてすみませんでした。
無難な範囲で、またよろしくお願いいたします。

「おねしょうの薬セブリィー」
三角寛さんが陸軍に卸していた「おねしょうの薬 セブリィー」は、蜜柑の皮やナスの皮を干して粉にしていたといいます。
中国の漢方では蜜柑の皮を乾燥したものを「陳皮」と呼ばれ高級品だそうで、健胃、咳止め、解毒などに用いるそうです。
また、冷え性や風邪の予防、肌荒れにもよく、ご家庭では、食べた蜜柑の皮を天日干してお風呂にいれると身体も温まるそうです。
三角寛さんの「おねしょうの薬」として軍に卸していたのは出鱈目ではなくそういった薬草などの知識が下地にあったのかもしれません。
蜜柑さん ツトッコさん こうへいさん
風邪には蜜柑酒もいいそうです。
実と皮両方を焼酎につけておくと美酒爛漫、ビタミンCも豊富です。
健康美と風邪には最適。

ヤゾーさん
メール削除してしまったのかもしれません。いろんな広告のメールがはいるので、読まないでどんどん削除してしまいます。すみませんでした。
もう一度よろしくお願いします。

ya(・ε^)naさんちの3月3日のご馳走はチラシ寿司ですか?



△うぶ - 2005/03/04(金) 01:45<

SPOTです

オキは「息」、ナガは「長い」、タラは「垂ら」、ウガヤとは「烏伽耶」、鵜飼(屋)、、、、。
息長は神功の家系、息が長い潜水系で、宗像海人系で日本海若狭系、瀬戸内系とは日本の臍で
対峙、和邇氏(鰐)、因幡の白兎苛めたワニが、出雲半島にも鰐淵村が、隠岐(息)も。
タラシヒメは海から上がり全身から水滴が垂れている状態の女性、(セクシー)。
兵庫の垂水、垂れ耳か?、長田までは陸から来た人、垂水から明石赤穂にかけては海から来た人。

△山登ると、遥かに、立憲せいゆう海、大政よくさん海、が見える、、、、景色抜群の山。

ヤゾー(弥三) - 2005/03/03(木) 18:12<

雛の日

みなさん こんばんわ

参田三太さん はじめまして
ご丁寧な挨拶 恐れ入ります。
今後とも よろしくお願いします。

尾張のクズシリさん 「ターザン事件」面白かったです。
少々悪さをしても 愛嬌があったのでしょうね。
ハジメさんと接していても 愛嬌のある方だと思うことがあります。
人から好かれないと サンカ生活は難しかったのかも知れませんね。
本 届きました。 よい誕生日プレゼントになりました。ありがとうございました。

フミのアヤタチのオビトさん 明治初期頃に書かれた古代文字考という本があって
その中に 多分熊野地方だと思うのですが サンカ文字が掘られた石碑のことが載ってあります。
何度か探しに行ったのですが 未だに見付かりません。

おりょうさん 10日ほど前に 
会員制掲示板へ入る方法をメールしたのですが
届いていませんか?

ヤナさん こうへいさん ありがとうございます。
それにしても 勝手に50歳にせんといてくでぇ〜と言いたいです。
まだ40歳前半です。という辺りがセコイかも知れません。

雛の日

喜田貞吉博士の論文に「ミヤコは即ち宮處で 天皇の御膝元の義であり 
イナカは即ち 夷處(ひなか)で 異民族住處の義である。
異民族を古語にヒナ又はヒダと称し “夷”の字を當てて居る。
ヒダ人の住處 これをヒダカと称し 或は日高見の國などと云った。」 というのがあります。
そして 雛の日は 追いやられ無念のうちに死んでいった 
原住民 先住民を供養した日ではないかとの説があるようです。


ツトッコ - 2005/03/03(木) 18:10<

マムシ酒

おりょうさん、フミのアヤタチのオビトさんお気遣いありがとうございます。体は大分楽になってまいりました。マムシ酒ですけど小学生の時、母方の祖父から昼間、とぐろを巻いたマムシの入ったのを、お猪口一杯飲まされたんですけどその夜はなかなか眠れなかった記憶があります。蒸マムシ酒とありますがサンカ秘伝のマムシ酒はマムシを蒸したものなんですか?

三角寛の朝日新聞関係のですと、後の朝日新聞社長、全日空会長の美土路昌一氏が出歯亀事件の時に犯人をサンカと思いサンカ関連を続きもので書いているみたいですね。なんだか三角寛と説教強盗の関係と似てますね。

三角、サンカシノガラに関してですと三角は母親の言うことには「へい」、「へい」と実におとなしくしていたのは「目上ウワズミ」のハタムラに従っていたように思います。

サンカ文字に関しては「山窩の話」にでてくる、へのへのもへじや、マークみたいなものしかなかったのでしょうか?フミのアヤタチのオビトさんの「セブリバの石に刻まれた・・・のコトツゲ有りますので」の部分大変気になります。サンカ文字に関しては田中勝也さんがされたように「上紀」の豊国文字からのアプローチしかないのでしょうか?天岩戸神社の甕の蓋石に書かれた豊国文字が破壊されずに残っていれば何か分かったかもしれませんね。この蓋石と上記について書かれた田近長陽「高千穂古文字伝」なんか参考になるのかもしれません。この本じつは入手はしているのですが無学の私にはちょっと読み辛くなかなか読み進められません・・・

こうへい - 2005/03/03(木) 16:33<

そういえば

ヤゾーさん 誕生日、ひな祭りの日でしたよね。
おめでとうございます(^o^)
いやー、めでたいめでたい  パチパチパチ

ちなみに、ボクの誕生日 国際婦人デーです。
国際的に、ご婦人を好きな人の記念日だそうです。ぴったしやなあ(^o^)
よそでは、言わないように・・・ゴクムス・・・・です(^○^)

あほなこと、いうてんとサンカの勉強せい  ははーm(__)m

フミのアヤタチのオビト - 2005/03/03(木) 12:50<

おりょうさん、尾張のクズシリさんツトッコさん、クマノシュウ・・・・

尾張のクズシリさん。ターザン事件のその方、その後、たしかN県の国体陸上で、ダントツの走り幅跳びでの優勝者と違いますでしょうか?・・・・・個人の問題ですので掲示板ではマズイ?、裏の方でも・・・・

ツトッコさん風邪には、サンカ・蒸マムシ酒で一発で直ります。ナガレの市販ルート有るようです。お大事にしてください。そしてサンカ論議に早く加わって下さいませ。

おりょうさん。 の【 キーワード 】、私たちの出来る範囲内での書き込みを@〜Fに致しました。ご叱正下さいませ。
 
@【the key to the mystery はG一家にありそうですね。】
  k、S銀行が、表に出すこと嫌がており、裁判覚悟で書く必要あります。

A【ナガレの中の能力のある人を押し上げていく陰の力があった。】
  T、O、S、M・・・こちらも表に出すことは、裁判覚悟で書く必要あります。(TはOkかも)

B【皇国薬草研究所設立 セブリィー 陸軍に納入】
C【人世坐建築にさいし未知の人から130万円もの寄付があり人世坐が一挙に建った。】
D【ひとよの弁財天像の持っている短剣はウメガイ???似照る】
   間違いなくB〜Dも、三角寛のシノガラ人脈の力だと思います。

E【伊藤盛一     熊本  
  朝日新聞社会部長 尾坂与一 博多田川の川筋で暴力関係に強かった。
      三角家の仏壇に尾坂与一の位牌がずーとかざってあった。なぜ?
  朝倉文雄     竹田市 三角寛と同じ故郷
  九州出身多い。シノガラメンバー??・・・・・・・・・・・・・・・・・・】

   三角寛は先ず東京で「在京九州県人会」なるものを一番はじめにに作りました。
   その「伏せ名簿」が、ナガレの方の三角資料の中から、一昨年に発見されました。
   この名簿。表に出して公表しても良いものでしょうか?如何しましょう。いま考査中です。
    (ただし、研究者のおりょう様には、直接ならお見せます。)
    
【三角寛はサンカシノガラに思えてきました。】・・・私たちもそう思っております。

F【三角寛はデタラメ、インチキとかいわれていますが、博士号の肩書きがほしいが為に「サンカ社会の研究」という嘘本を出すなどといった虚しいことをするのだろうか?という疑問がずーとあるんですけれど、これからいろいろなことが分かってきそうですね。】
  私たちもそう思います。一番調べにくい問題が「サンカ文字」です。
  セブリバの石に刻まれた・・・のコトツゲ有りますので、クマノシュウの総合力で調査しましょう。
  風さん。△うぶさん。力をお借りして「サンカ文字」の解明出来れば・・・・
  と、願っております。
  「サンカ文字」もっと調べる、いい方法や資料ないものでしょうか?
  クマノシュウのナガレの皆さん!! お教え下さいませ。

          フミのアヤタチのオビト

ヨーカン - 2005/03/03(木) 10:44<

”ターザン”読んで

自分が 捕まって 村の人たちに 救ってもらった気持ちになってしまって・・
またしてもウルウルに・・ 「アンタまた泣いてんのかいな!」いわれて
 尾張のクズシリさん 泣かせてくれたネ 有難う!

おりょうさん ごめんね! 久し振りにヤナじーさんが出てきたので 思わずのってしまいました
(勉強してから表にと 思ってたのですが ついつい!)

参田三太 <http://www.geocities.jp/santasanda2000/> - 2005/03/03(木) 10:30<

御礼

こんにちは。リンクしてもらっている倉敷の「頑固親父」参田三太です。相互リンクのマナーに反し、こちらの表示がおくれて申し訳なかったです。もう爺で技術の習得に時間がかかり、今日やっと出来ました。
 「頑固親父」の「裏古事記」ロビーにバナーを貼っております。WEB及び野史については、大先輩の貴公には、いろいろ触発されるところが多かった。熊野は1月に訪問、4月にも予定しております。「裏古事記」のきっかけの地じゃもの、これからも何度か訪問します。よろしければ倉敷へもどうぞ。宿は提供できます。 四国、山陰、神戸・・・どこも車で2時間の至便の地です。なお、バナーで紹介の部分に不適切な表現がありましたれご指摘ください。先ずは、御礼と報告まで。

ya(・ε^)na - 2005/03/03(木) 01:23<

ハッピィーバースディ

おだいりサーマにお雛さま・二人ならんんですまし顔♪・・
   
  みなさんもう一人すまし顔のお兄さんが居てますよう・・
    今日は確か・・んんん
  クマノライフの管理人さんのお誕生日とちゃいましたかいねぇ??
    いつもごくろうさん・・
      これからもよろしくお願いしますねぇ・・

   パチパチパチ・・おめでとうございますぅ・・

         昭和30年生まれの人は・んんんんと50歳ですねぇ

             ははのは

こうへい - 2005/03/03(木) 00:46<

ターザン事件

とても、面白かったです。
村人に愛されたターザンが釈放されて、本当に良かったです\(^O^)/

おりょうさん おっさん達の交信は、バカのたわごとですので、無視してください(^o^)
ヤナさん、ヨーカンさん、おっさん代表で書いてしまいました。お許しをm(__)m

- 2005/03/02(水) 23:23<

オキナガタラシヒメ

オキナガタラシヒメ(神功皇后)が武庫まで侵攻し、此処で応神が産まれたようだ。即位は何故か雀の仁徳。
武庫と言うのは現在の兵庫県で赤穂もその中に入るでしょう。
神功の出自は大分の宇佐でしょうね。

オキナガタラシヒメの 
オキて何を意味しているの?
ナガはなんですか?
タラとはなんでしょう?

大分に12000年前に刻まれたといわれる 53文字。
Shi Fukiaezu Netsugi yodai, Temuda
と、ある。古代文字できざまれており、ウエツフミとサンカ文字をもとに分析されたらしい。
ここの刻みに、ウガヤという文字は見つからない。
ウガヤとはいったい何なのか?

サンカ文字のウはカリンガ文字のマである、と書き込んだが、
カリンガ文字の母音はアイエオでウと言う母音がないのです。不思議ですね。
ウガヤとサンカ文字の間に何らかの関係がないだろうか?
サンカ文字はウガヤではなくマガヤと云いたいのではなかろうか?

兎に角、サンカ文字は超面白いですよ。

最乗寺にサンカ文字が保存されていた何てことはないでしょうね。^^

おりょう - 2005/03/02(水) 20:18<

再び 三角寛

ヤゾーさん会員制ですか?
秘密結社支部 熊野シノガラ の立ち上げですね。
尾張のクズシリさん何お書きになったんでしょうか。

ターザン事件本当にほのぼのとしていて笑えます。
寝込み襲うより捕まえることができなかったんですね。刑事の負け。
 >初めの行に「ターザン捕らわる  残念・・・・ターザン応援団」
これがきいてます。
私も断然応援団の一員になったことでしょう。
楽しいお話ありがとうございました。

フミのアヤタチのオビトさん お答えありがとうございます。
ツトッコさん風邪いかがですか?お大事にしてください。
フミのアヤタチのオビトさん ツトッコさん
三角寛をサンカシノガラとして視点を変えてみると、三角寛の「不思議な人」というのがとれてくるような気がしてきました。
キーワード  
the key to the mystery 謎を解くてがかりはG一家にありそうですね。
親の代から相互扶助のつながりがあり、三角寛のような能力のある人を押し上げていく陰の力があった。
皇国薬草研究所設立 セブリィー 陸軍に納入
人世坐建築にさいし未知の人から130万円もの寄付があり行きなやんでいた人世坐が一挙に建った。
ひとよの弁財天像の持っている短剣はウメガイ???似照る^_^;(人世坐35年史85ペジ)
伊藤盛一     熊本  
朝日新聞社会部長 尾坂与一 博多田川の川筋で暴力関係に強かった。
         三角家の仏壇に尾坂与一の位牌がずーとかざってあった。なぜ?
朝倉文雄     竹田市 三角寛と同じ故郷
九州出身多い。シノガラメンバー?? 
ちよっとこれだけ,今、本から拾いだしたんですが、三角寛はサンカシノガラに思えてきました。

三角寛はデタラメ、インチキとかいわれていますが、博士号の肩書きがほしいが為に「サンカ社会の研究」という嘘本を出すなどといった虚しいことをするのだろうか?という疑問がずーとあるんですけれど、こ
れからいろいろなことが分かってきそうですね。

フミのアヤタチのオビトさんいろいろ質問ばかりしてすみません。
本が出るのを楽しみにしていますので、お答え無理のないかたちでいいですので。

ya(・ε^)na さん たちの会話謎謎みたいでさっぱりわかりませんです。

ツトッコ - 2005/03/02(水) 12:32<

三角寛の空白時期

おりょうさん、フミのアヤタチのオビトさん、B型インフルエンザに感染してボーとした状態です。三浦寛子さんの「父・三角寛」によりますと「赤穂の塾では、毎朝、廊下の雑巾掛けが大変だった」いったいどんな塾だったんだしょうね。三角寛がサンカだとすると両親ともサンカだったのでしょうか?三角の母親は野草に詳しく、箕作りの人もよく回ってきたそうですのでツナガリはあったんでしょうね。三角の父親は三角が幼い頃に亡くなっているみたいですね。

フミのアヤタチのオビトさん
三浦寛子さんが書かれていますが、最乗寺とは後も親戚のような付き合いをしていたみたいですので、本当に紹介状をもらって出て行ったのかもしれませんね。

尾張のクズシリさん
ターザン事件、いかにも三河山間部のほのぼのとした事件ですね。木から木へ飛び移るなんて本当にできたんですね。自分も子供の頃は身軽でジャングルジムやうんていの上を走り回っていました。ある時、うんていの棒から棒にぶら下がりながら飛び移ろうとした時手が滑って地面に落ち後頭部を強打しました。それからは怖くなって身軽じゃなくなりました。

ターザン事件の話で豊田の仙人さんを思い出しました。たまにテレビにも出ていらっしゃったので見たことのあるかたもいるかもしれませんねが、この仙人さん竹製品なんかも販売してサンカぽい人です。以下、仙人さんのサイトです。http://heiseisennin.hp.infoseek.co.jp/

フミのアヤタチのオビト - 2005/03/02(水) 11:12<

三角寛の謎の空白時期について

おりょうさん。 本当によく調べておられ感心します。これからもご教導下さいませ。
ヤゾーさん。ツットコさん。ホリバさん。クマノシュウ。宜しくお願いします。
今回は、おりょうさんの書き込みの前半部分について、予察的なコメントを僭越、微力を省みず私見予察のコメントをさせて頂きます。
根拠は、私たちナガレの調査情報〜資料で、何とか解り始めてきた事があります。
その範囲で、私見や推察をまじえて記させていただきます。

@コメントの1
【三角寛が17歳で最乗寺飛び出し上京までの期間、本人は「黙して語らず」で謎の空白期間があります。娘の寛子さんも知らないという。
大分を出て上京するまでの間、数年間は赤穂にいた。】

 この期間、京都ではないか? と思われる節があります。
 大分県竹田、最乗寺にて紹介状を授かって、師匠から
 「お前は優秀な能力を持っている。
 もっと上級の素養、学識を得て自分の世界に進め!」
  これが、実態ではないかと推察してます。
 三角氏は、寺ではなく華道家の師匠へ修業手伝い住まいした可能性が出てきております。
 ここでは、山から自然の木枝〜山野花〜奇石を採集し、持ち込む人たちと出会いました。
 この商売人たちは、山入り鑑札を持っております。これが「G一家」です。
 三角寛は、このG一家には自分の人生の最後の最後まで、属していたようです。
 頭のいい三角は、このお陰で色んな得をしていく事になります。
 このグループは・・・・・【これ以上は、今は伏せておきます。】・・・・

おりょうさん。ツトッコさん。クマノシュウの皆さん。

「三角寛のサンカ」や、サンカの人たちをめぐる「サンカ学」は、暫らくすると・・・・

えらい展開になるかもしれませんです・・・・・

          フミのアヤタチのオビト

こうへい - 2005/03/02(水) 11:04<

えーya(・ε^)na さん どうぞ

毎日のように、刺激的なメール一杯きてます。
最近は、親切な写真付きもどっさり着てます。
うれしいかぎりですが、最終的には、相も変わらずサイトの勧誘です。
思わず、クリックして、携帯番号入力手前で、なんとか止まってます。
ヤゾーさんに、いつも怒られるんですが・・・燃え尽きる前のロウソクでしょうか(^o^)
あっはっは、微妙な?年齢でありますので、日夜、悶々と過ごしております(^○^)
もったいない、時間の使い方してるって、自覚はあるのですが・・・・・・・・・あ〜あ

ヨーカン - 2005/03/02(水) 10:43<

今夜も来ましたよー!!

ya(・ε^)na 爺ー!ひさしぶりじゃのー!!元気でおったかー??
わたくしのとこは、最近おねーちゃんメールきませんが(チト サビシイ  へへッ)

かわりに こないだから オシゲちゃん(本名 鈴木重子)が 忍んできてますよーっ!!

耳元で私にだけ そっと 歌ってくれますねん  二人とも しあわせですねんよ

この前 春一番の夜に年なし一匹もらいました 毎年沖から強風吹いて底の砂かき回したら餌がまいあがって 入れ食い なりますねん    (”あほでもつれる”??)
 薄造りして 塩氷で 洗いにしたら サイコーです!!

やなさん アシモトだいじょーぶかー?はまったら まだ つめたいでー  (歳 自覚してやりやー)




 



ya(・ε^)na - 2005/03/02(水) 00:16<

来ませんよーーぅ!!

ヤゾーこんばんわ・・
 来ませんよーぅ・・メール!!
  でも、来んでもええ・メールはよおさんきますんよぅ
    なんでやろねぇ??
    ほんでから・・そのタイトルが・・んんんん・・へへへ
  なんや・・おっさんの心をくすぐりますねんよぅ・・
     子供に見られたらおこられますねぇ・・・へへへへ
    こうへいさん来てませんかぁ?・・
       ヨーカンさんとこはどないです??(毎日見てるてかぁ!!)
               ありゃま・・・・
     あきませんよぅ・・そんなん見とったら・へへ
         えらい目にあいますよぅ・・


  テレビ見てましたら、和歌山南部から梅の花のたより
      春がちかづいてきましたねぇ・・

    そろそろチヌのノッコミ・・
       ウズウズしますねぇ・・・
      「チヌ釣れたら要るぅ?」・・・そないにたずねましたら
            んんん
          「チヌはいらんわ!!」やてぇ・・とほほほ
     なんでやねん、なんでいらんねん!!
       「鯵・ガシラやッたらよおさん持ってきて!」やてえプンプン!!

    ほんま!チヌもなめられたもんです・・・・

 言うときます!!・・
    チヌいらんと言うたひと!!・・・もっと料理の腕みがきなはれ!!・・んん

       なにぃ!!!!グレ頂戴やてかぁ・・・なんと生意気な!!

         わかりました夏になったらあげますよぅ夏になったらね・・
                        へへへっへ

                     ほな

尾張のクズシリ - 2005/03/01(火) 20:56<

ターザン事件・・・その2、お待たせしました。

お待たせいたしました。随分と時間をおきましたので、再度、前の記事も掲載します。

  「ターザン事件」
昭和28年後半〜30年代に、愛知県作手の豊根村周辺の山村地帯で、山仕事に出かけた山家に侵入しては、食べ物と小銭だけを盗んでいたこそ泥がいました。
人や、その他のものには、決して危害を加えることはなっかた。むしろ、可愛げのある泥棒でした。
ただし、見つけられても、逃げ足が速く、あっという間に山の中に逃げ込んでしまう機敏で、忍者のような、身軽い技能を身につけていました。
何度も見つけられ、各村の青年団や駐在が追いかけて、挟み撃ちをされました。
そんな時には、すばやく木に上り、木の枝からに枝に身軽に飛び移りながら、逃げていきました。
これが「ターザン事件」です。
三角の、説教強盗事件を彷彿とさせる、山村を舞台にした奇怪な事件でした。

【ここからが続きです】
昭和33年8月22日、愛知県豊根村下黒川の駐在所の前に、戸板が立て掛けられ、そこに大きな紙が張られました。

 「  ターザン捕らわる
  作手のターザンを捕えました。
   長い間、村民の皆様にご迷惑をかけた
    ターザンを捕えましたからご安心下さい。
        愛知県警 下黒川の駐在所    」

この張り紙を見て、喜んだ村人は、いなかったそうです。
そして、あくる日の朝、その掲示板に朱書きの筆で、落書きがされておりました。

  初めの行に「ターザン捕らわる  残念・・・・ターザン応援団」

村人は、こそ泥をしていた盗人「ターザン」を、大きな慈愛の目で見ていたのでした。
その後の調べで、ターザンは山奥の谷間に小屋掛けして住まいとしていた放浪者で、あちこちに仲間もいると語っていたそうです。警察では「サンカ」であろうと判断されたそうです。
捕えられたきっかけは、樵人に成りすました愛知県警の尾行班が、山中を歩き回り、先ほどの小屋を発見しました。
数日、張り込んで出入りを確認してから、本部の応援団が夜中、寝静まったところを囲んで逮捕したそうです。さすがのターザンも、逃げられなっかたとの事でした。
その後の顛末は、村人に被害届を撤回されてしまい、2泊3日で釈放されました。

これが、三河の「ターザン事件」です。
言うまでもなく、私も「ターザン!! 頑張れ!!!」派です。
      

ヤゾー - 2005/03/01(火) 18:21<

補足

みなさん こんばんわ

蜜柑さん ハジメさんたちを見付けてきてくれて
ほんとうに感謝しておりますです。
そろそろ出稼ぎを兼ねて そちらにお邪魔するかも知れません。

山海幸彦さん そうですね。
長いこと ページを更新していませんでした。
この間から 少しずつ手を入れていますので よろしくお願い致します。

おりょうさん 一度会員制の掲示板に来て下さい。
尾張のクズシリさんが 興味深いお話をしていらっしゃいますよ。

風さん インドにシャンカ文字という古代文字があったり
サンガニ族というのがあったみたいですが
もしかしたら どこかで繋がりがあったのかも知れませんね。

昨夜 ある方に用事があって電話をしたところ
あらし行為についての話に及び 知らないことも色々と教えていただきました。
それで 少し前回の補足として 付け加えさせて下さい。

嫌がらせについて 何を管理人が一人怒っているのだろうとお思いの方もいるかと思います。
ここに投稿されたものは 携帯電話へメールとして送られてくるようにしてありますので
嫌がらせ投稿の殆どは 携帯電話が操作できる環境の場合 即座に削除しています。
ですから皆さんは その嫌がらせ投稿をあまり目にするこはなかったと思います。

心優しい良心のある人ほど 傷つきやすいというか
自らを叱責するような傾向があるようで
管理人の書いたことを 気にしておられる方もいるのかも知れません。
ここに投稿して下さっている常連の方たちは 
本当に心の優しい良心のある方ばかりだと思いますし
新しくこられたフミのアヤタチさんにしても その文章は礼節を重んじ
人柄の良さを感じさせる方だと感じています。

嫌がらせをしているを思われる人物というのは 
そんな優しさや良心のかけらもないような人間のようで
その人と関わって 死ぬほど嫌な思いをした人が ネット上には多いという話を聞いています。
また 嫌がらせを繰り返され 自殺寸前にまで追い込まれた人や
サイトを閉鎖してしまったところも幾つかあったようです。
もはや そこまでくると犯罪行為そのものだと思います。
そういう人物と関わって 嫌な思いをしないためにも
普通の投稿を装い投稿してくる人の中に その人物が紛れ込んでいる可能性がありますので
管理人が無視しているような投稿は 念のために皆さんも無視して下さい。
それと新しく投稿され続けられる人は 一言管理人にメールをいただけると有難いです。
以前 心優しい詩人の方が そういう人は病気だからと おっしゃっていましたが
確かに 可哀想な病気なのかも知れません。
そういう行為を繰り返せば繰り返すほど 人から疎まれ離れてゆき
自分を一番傷つけることになっているからです。
ほんとうの意味で頭の良い感性の良い人なら 少し話しただけでも
そういう人は すぐに見透かされてしまいます。
その人の為にも 早くそういう行為を 改めることができるように願います。

ここのページにメールアドレスを入れて 
ウイルスやアダルト広告メールを送られた人も多いかと思いますが
今後 そいうことがあったなら 一応 データだけでも保存しておいて下さい。

それと 僕にメールを送ったのに返答がこない場合にも
掲示板上で お知らせ下さい。

とと - 2005/03/01(火) 11:11<

サンカと言うのは知らなかったが

初めまして、ふらっと立ち寄ってふらっと書き込みです(ぉ

今でも山深い所の町なんかじゃ半分町で半分山での生活の人居ますね。
槍の穂先みたいなナイフも目にしたことあります。
実際に槍の穂先として使うこともあるとの話でしたが。

ちなみに、全ての地域なのかは知りませんが元々山人は天ツ神とは敵対する立場です。
田舎にも征夷大将軍がやってきたとかそういう話も有るほどだしなぁ。

- 2005/03/01(火) 10:58<

私見ですが!

尾張のクズシリさんお疲れさまでした。

ヤゾーさん
ス が鏡であると言う事に異存はないのですが・・・
デンデン虫が何時鏡に変ったか?
「天照大御神、忌服屋に坐して、神御衣織らしめたまひし時、その服屋の頂を穿ち、天の斑馬を逆剥ぎに剥ぎて堕し入るる時に、天の服織女見驚きて、梭に陰上を衝きて死にき。」と有ります。
此処でのシマウマはウマシマ氏のことでしょう。
これと同じ現象がサンカ文字の中にも見えています。
それは、母音の ウ と エ の文字の逆立ちです。
更に、このウとエはデンデンムシの顔ではないか?
この逆立ちの時点がデンデンムシから鏡への転換期と睨んでいます。

処で、フミのアヤタチのオビトさん
この ウという文字は インドのカリンガ文字の ma なのです。
亦、サンカ文字の タ という文字も カリンガ文字の i ba ka の三音の合成になっているようです。 
そのほか、サンカ文字の中にカリンガ文字が数種含まれています。
この当たりに、三角氏の、「寺」の創建が係っていないかな〜と思っています。

カリンガ国は興味津津です。
沖縄に掘っ立て柱の四本、六本、八本の神アサギと呼ばれる物があります。
この四本柱の神アサギがカリンガのようです。
カリンガはヤオ族の居住地でもあります。
八本柱はベンゲットとよばれ、イフガオ族の居住地でもあるようです。
この四本柱と八本の柱跡は出雲の田和山遺跡にあります。
四本柱は大阪のヤオ(八尾)へ・・・
八本柱は和歌山の熊野へ・・・・

四本柱と八本柱の激突は堺の近くの羽衣かもしれません。

おりょう - 2005/02/28(月) 16:29<

三角寛の謎の空白期間

尾張のクズシリさん フミのアヤタチのオビトさん ツトッコさん 皆々さま こんにちわ

尾張のクズシリさんお疲れ様でした。
本出るのが楽しみです。
ターザン事件も楽しみです。

フミのアヤタチのオビトさん
三角寛が17歳で最乗寺飛び出し上京までの期間、本人は「黙して語らず」で謎の空白期間があります。娘の寛子さんも知らないという。
大分を出て上京するまでの間、数年間は赤穂にいた。
関東大震災(大正12年9月)には東京にいた。
大正15年に朝日新聞社会部記者の伊藤盛一さんの紹介で朝日新聞に入社した。
大正15年頃〜昭和の4年頃まで「説教強盗」追跡、この頃に「サンカじゃないか?」との刑事の発言に初めて「サンカ」を知ったとあります。
三角寛がシノガラだったとすれば、上京までの「黙して語らない」この謎の期間は、サンカシノガラと何か関わりがあったのではないのか?
だとすれば、朝日新聞入社の頃すでに「サンカ」は知っていたのではないのでしょうか?
謎の空白期間は丹波で修業していたなんて。・・・そんなことはないですよね。(^_^)

こうへいさん
仏教伝来で水銀の需要が多かったそうですが、奈良の大仏建立など、かげでは水銀中毒の犠牲者も何百人と出たかも知れませんね。
「戒厳令の夜」読みましたが、そんなシーンがあるのは知りませんでした。

山海幸彦 - 2005/02/28(月) 11:02<
突然の投稿で失礼します。
サンカとアウトドアに興味を持つ都会に暮らす者です。
こう言ってはなんですが、どこの掲示板でもアラシのようなものは付き物で、
嫉妬心からきているのか投稿が活発なところほど強烈なのが居ます。
中でも普通の投稿を装って疑心暗鬼に陥らせるやり方をされると、
どこの管理人さんも嫌がって掲示板を閉じてしまうところもありますが、
そういう投稿は相手にしないようにするのが一番の対応です。
皆様の投稿はとても興味深く驚きと新鮮さに満いていて貴重なものだと思います。
悪意の投稿に惑わされることなく続けて行って下さい。
管理人様もあまり掲示板に神経を使われるより、
コンテンツを増やしてゆかれた方がよろしいかと思います。
都会に暮らしている者にとってサンカの話だけでなく田舎の話しや自然の写真は、
一服の清涼剤のようでオアシスのような潤いがあるからです。

蜜柑 - 2005/02/27(日) 21:56<

・・・さん。当たり前と思うが

>一つ言える事は、三角寛の一連の行動中に特異な事が複数見受けられる、と自覚して
居ります。

エジソンも「霊界通信機」作ったり、二ノ宮尊徳もかみさんほったらかしで、離婚したり、
猪木もたびたびキチガイ的な行動、発言したり、
昔から「天才・キチガイ紙一重」と言われるように、三角もそうでないの?
僕も、昔は三角の研究はインチキっぽいなーと思ってましたが、
自分で検証調査をすればするほど、真実っぽく思えてきました。
三角の研究書に出てくるタマコもハツコもハジメも実在してまして、
本当のサンカでした。

ヤゾー - 2005/02/27(日) 15:15<

お願いと警告

みなさん こんにちわ
今日くらいから花粉が 杉の花粉が 物凄いです。

ホリバさん はじめまして
もしかして 歴民のホリバさんでしょうか。

尾張のクズシリさん ご多忙の中 ご苦労さまです。
「ターザン事件」の顛末の続きを楽しみにしております。

・・・さん 真摯なお答えだと感じています。

風さん スという言葉には 重要な意味が込められているようです。
デンデンムシというより 鏡に近いように感じています。

フミのアヤタチのオビトさまへお願い

もう随分と長い間 ある人物から嫌がらせを受けております。
ハンドル名 アドレス名を変えてまで 人を不快にさせる投稿を繰り返しています。
また 人のアドレスを偽装して ウイルスまでばらまいているようです。
ネットというのは 素晴らしい出合いをもたらしてくれる反面
人格の低い粘着質の人とも関わらざるを得ない
負の部分もあるものだと諦めてきました。

そういう人物とは 関わらない方が良いと忠告され
無視する方向で 小まめに投稿を削除したり メールアドレスを変えたりしてきました。
ところが 善意の投稿なのか悪意なのか 微妙なところの投稿もあって
管理人として神経を使い やる気をなくさせてきました。

今後は 格調の高いフミのアヤタチさんにおかれましては
変な投稿を相手にしないでスルーしてやって下さい。
文章というのは どんなに偽装したとしても その人の人柄のようなものが波動として伝わってきます。
嫌がらせをしている人物の特徴は まず礼儀を知らない 人を不快にさせる 独りよがりの論理を展開するなどです。
今後は 礼儀の知らない 人を不快にさせるような投稿は
嫌がらせと判断して 即刻削除の対象として処理するようにします。

警告

嫌がらせをしている容疑者は ある程度しぼられてきています。
警視庁が調べれば すぐに特定されるみたいです。
平日の昼間から夕方にかけては 勤め先と思われる会社のパソコンからアジアのプロキシを使って投稿しているようです。
それ以外は 自宅か知人のパソコン またはハッキングした人のIDを使って投稿しているようです。
このサイトは これからは収益を生むサイトとしてやっていきますので
今後の嫌がらせは 単なる嫌がらせとしてだけでなく 営業妨害という形で処罰されることになり
警視庁の方も すぐに動いてくれるとのことです。

・・・ - 2005/02/27(日) 03:26<
その一言だけにして置く積盛りでしたが、指名でコールされてい、拙輩としても礼儀を欠きたく無く
、出頭します。先ず、決して世の三角寛研究をどうこう揶揄する積もりは御座いません。
フミのアヤタチのオビト 様の研究成果投稿も楽しみにしていまして、毎回秘蔵させてもらって居ります。
一つ言える事は、三角寛の一連の行動中に特異な事が複数見受けられる、と自覚して
居ります。ただ、当然自説は未完でして、今後も検証必須です。これ以上はどうか御容赦下さいませ。

尾張のクズシリ - 2005/02/26(土) 23:11<

やっと・・・出所して参りました。戦線復帰します。

ヤゾーさん。おりょうさん。ツットコさん。アヤタチ様。△うぶさん。風さん。こうへいさん。クマノシュウのみなさま。

半月ぶりのご無沙汰です。私事の不始末の刑期を終えて、先ほど出所して参りました。今、サンカシュウが集まり出所祝+フクロアライの、只今がマッ最中です。

久々に、掲示板を読ませていただきました。いろんな事が起きてますネ!!  中でも・・・・・

「エマニフェスタ」さん と 「・・・」様 のお二方の連合斬り込み隊に、フミのアヤタチのオビト様が立ち向かっておられますのにビックリです。

斬り込み連合隊のお二人の方・・・・・・コメントは?? ・・・未だですか?? 
  フミのアヤタチのオビト様に、ご返答しないのでしょうか?
これは見ものですので楽しみです。斬り込み連合のお二人さん!!

それと、おりょうさん。ツットコさん。こちらのお二人の最先端サンカ論議・・・入所中・・・あまり無いような・・・?ですので、是非こちらのバトルも続けて下さいませ。楽しみにしております。

そうそう、三河の「ターザン事件」の顛末の続き・・・・酔いが醒めたら、書き込みます〜〜

フミのアヤタチのオビト - 2005/02/26(土) 10:05<

「・・・様」にお願いします。ご教示下さいませ。

・・・様。お教え戴けましたら助かります。

@【エマニフェスタさん   匿名で失礼します。
三角寛、後期には、自分で「寺!」を建てて、そこに落ち着いています、
これは重要な要素です。】

 三角寛氏は、昭和41年ごろ「孝養山 母念寺別院」と称された、お寺を開山されています。
 その後、関連した資料も発見されています。また、蜜柑さんのフィールド調査で、現場確認がさ れ「歴史民俗学」誌に発表されております。

 【質問】です。【「寺!」を建てて、そこに落ち着いています、これは重要な要素です。】

  これの「重要な要素」ととらえられた訳を・・・・を是非ともご教示くださいませ。
  私たちも、「寺」を三角氏が創建した訳が、まだ解らない研究段階です。
  「・・・様」のご教示を、ぜひお願い申し上げます。


A【サンカの(特殊な)一部分だけを披露した事で終わった事にも重要な意味が有ります、又それを「、、、研究」と言い放った意図も重要です。】

   三角寛は、サンカの平常の姿を、むしろ多く開陳されています。私たちの見解では
   「・・・   様」の「サンカの(特殊な)一部分だけを披露した事で終わった事・・・」     等は、決して無いと思っております。

   このことは、現在も資料やフィールド調査、検証的な研究活動を続行しておりまして、
   三角氏の「この部分は間違いない。検証できた」、そして「この部分は、まだ解らない」
   など、学術ベースでの調査選別をしております。

 【質問・ご教示依頼】「・・・様」の、「重要」といわれた意味を、解りたいのですが・是非ともご教示、ご叱正を賜りますれば大変に有り難い事です。

          フミのアヤタチのオビト

クマノシュウの皆様、しばらく「トウノリ」しておりまして、失礼いたしました。
昨夜、セブリに戻ってまいりました。ナガレシュウの情報を採集して参りました。
また、整理しながら書き込みさせて頂きます。

- 2005/02/26(土) 09:02<

デンデンムシ

デンデンムシ
サンカ文字の ス と言う文字は デンデンムシのようですね。

山の すそ の ス。
suso soso susu 。
溜まっている と デンデンムシ の 二意 がある。

スソにのっかて入る山(家)には、渦(螺旋)がある。
竹内文献にもこの文字があるようです。

ホリバ - 2005/02/25(金) 22:05<

サンカ、三角寛の研究・・・期待しております。

静岡からお邪魔します。サンカを調べておりましたら、このサイトと掲示板に出会えました。
これから過去のゲスト掲示板も拝見させていただきます。
静岡では、箕を売りにくる方々が昭和35年ごろまで来ていました。
サンカの方たちの箕は製作も丁寧で、店で売っていたものよりいい品物でした。
浜松でサンカの研究してみえた先生もいました。本も自費出版で出しておられます。ご参考までに記しました。

フミのアヤタチのオビト - 2005/02/25(金) 19:56<

三角寛のサンカ研究の検証的研究の必要性 私見。

エマニフェスタ様  ・・・様

はじめまして。私たちは、「サンカ」「三角寛」の検証的研究しておりますグループです。
以下に、概要的ですが現状における私たちの見解を述べさせていただきます。
どうか宜しくご指導、ご教導戴けましたら幸いです。

@【山窩研究は三角寛から始まっていると理解していますが、】

「山窩」と(表記された人々)の研究は、明治警察の中からその魁が始まり、民俗学者もそれに続いて始まりました。時間軸で見れば三角寛は、むしろ後続の研究者と言えます。


A【三角が亡くなる寸前に論文・小説は全てフィクションであったという遺言を残しています】

その「遺言を残しています」は、本当でしょうか?? はじめて知りましたです。
 
一度その「遺言」資料その「物」を、ぜひとも検証調査したいと希望いたします。資料の在り場所をお教え戴けましたら幸いです。


B【が、それでも研究を続けている研究者がいますが】

「サンカ」「山窩」と言われた人々の、正確な実態や、事実を調べるためには、学術的に行う研究は、今後とも継続して行われる必要があります。
「三角寛の研究」に対する検証調査も、今後も継続していくべき研究だと思います。


C【これはいったいどういう事なのか?と考えてしまう。以上について明確な答えを希望します。】

以上の、取り急ぎの私見ですが、エマニフェスタ様 、・・・様からのご教導、ご叱正を頂けますれば大変に助かります。

           フミのアヤタチのオビト

ヤゾー - 2005/02/25(金) 18:18<

サンカへの想い

みなさん こんばんわ
まだ寒いですが 随分と日が永くなってきました。

なにほどまでに これほどサンカに惹かれるのだろうかという思いから
本来 販売サイトにする積もりで始めたホームパージが
サンカを扱うサイトになってしまい 五年目を迎えるようになりました。
5年間続けてきて 随分と時間とお金を使いましたが
お金では得ることのできない 良い出合いと貴重な体験をさせて頂きました。
そして 自分の中で サンカに対する想いへの 答えのようなものも出すことができました。
サンカの定義に関して 色々な説もあろうかと思いますし
それぞれの思い入れや立場のようなものもあるのかも知れません。
サンカの起源を幕末頃とする説もあるようですが
たとえ それを尊敬する有名作家が支持したとしても
自分の中では その答えは ゆらぐことのないものだと思います。
また有名作家や学者などの影響力のある方は 
本音とは違う立場をとらなければならないこともあるのかも知れません。

フミのアヤタチのオビトさん ご自身のペースで無理をなさらないように投稿して下さいね。

・・・ - 2005/02/25(金) 02:30<
エマニフェスタさん   匿名で失礼します。
三角寛、後期には、自分で「寺!」を建てて、そこに落ち着いています、
これは重要な要素です。
サンカの(特殊な)一部分だけを披露した事で終わった事にも重要な意味が有ります、
又それを「、、、研究」と言い放った意図も重要です。

エマニフェスタ - 2005/02/24(木) 23:53<

三角寛の遺言

山窩研究は三角寛から始まっていると理解していますが、三角が亡くなる寸前に論文・小説は全てフィクションであったという遺言を残していますが、それでも研究を続けている研究者がいますが
これはいったいどういう事なのか?と考えてしまう。以上について明確な答えを希望します。

こうへい - 2005/02/24(木) 18:14<

波打ち際

昨日から、風邪で仕事休んでますが、昨日の昼から砂浜に行って、
波打ち際、はだしで一時間歩いてきました。
ちょっと、汗かきました・・帰ってきたら熱が出ました。
光りのエネルギーもらったからでしょうか(^o^)

- 2005/02/24(木) 09:26<

急所!

老ノ坂考!

老を オイ と読ませるなら ウイ が原型。
ウイ の解釈は、
1. 老ノ坂にいた者がその者の発祥の地へ帰った。
2. 老ノ坂を発祥地とする者が他の地から老ノ坂に帰った。
の二種の意がある。
その上で、帰った因を追及する為には、時間軸を据え史実の解明が必要となる。

△ うぶさん
イタドリ、羽子板、羽衣伝説と追いかけたら何がでてきますか?
私的に、羽衣伝説は 戦場跡 と睨んでいます。
もし、戦場跡ならサンカとの関係も吝かではないでしょう。

はまさん
音人(おとんど)は
「出雲臣族土師氏流(土師本主子)とも伝わるが、後世平城天皇後裔と改むる。土師本主の妻を阿保親王侍女と伝えるため、真実に阿保皇子の胤にして土師氏に養われたか定かでない」とも云われているようですね。
音人(おとんど)が音奴(おとんど)なら?
おとん も うとん で うとん は 乳首 の事。
出雲の女系との係わりも濃厚か?

△うぶ - 2005/02/24(木) 01:56<
「、、、は家に帰ったので、、」、私は矢張り「(追い)返された」の卑説です。
幽界を取仕切る出雲派は丹波は勿論本体で、都にも腕を突っ込んでいます、幽界に温存されれば
、残るは復活再生が。   幽界をタブー視するか否かが、論拠を二分する大テーマでしょう。
太陽の日周を人の生死に擬えるは、南海の地に盛んで、古式の保存は
示唆受けます、ただし闘争淘汰の欠如が短所でもあります。
責任を感じますので、暫く寡黙します。

- 2005/02/23(水) 10:42<

おもいかね!

「西域に事変」が因だったのですね。納得です。
老 オイ は三母音なら ウイ で 上 と言うことでしょう。
虎視眈々と狙っている衆にとっての 上がる という地は衆の家がある地のことになります。
上がるは 帰す、家に帰る と同意でしょう。
とある坂がら衆は家に帰ったので、その地を 老ノ坂 と呼んだ。

杜氏時代の出稼ぎは酒作りでは・・・時代時代それぞれの義あり。
デカンショ という言葉は相当古い言葉ではなかったか?
カンは漢、韓、冠 などがあるように大王を意味しています。
ショは商(夏、殷)スイショウ、ナンショウメの ショ にみえてます。
ショ には 恐怖の意があるようです。
デ は てて親 つまり父親 とも取れますが、稚児に与える母乳も チチ です。
この カンの大王は女王の可能性も推測可。
縄文から弥生の転換時期から語り継がれていた言葉のようにも・・・・

丹波の タ の字をカタカムナで見ると円を横一文字で切り親和を保っていますが、
動きを感得できない物は死ですから、其処からの再生、復活。
亦、サンカ文字では、方形を十字に切り、右の上下に黒点、左下に黒点がある。
アブリダシなら図が反転しますから太陽が地から昇って頂点に達する意を表現しており、是、正しく再生、復活の義。

丹 には水銀という直接の意味は見当たりません。
しかし、辰砂は硫化水銀、丹朱は水銀朱のことです。
言葉はその義を持って意を解すので、丹朱が不老不死の伝説から起こっているといえるので、朱は赤を丹が水銀。

チャン とは 腹 のことです。

△うぶ - 2005/02/23(水) 02:09<

少し訂正させて下さい

「、、、だが都では勢力変化が起こってしまった。」、は真偽不明で、「勢力の故郷では西域に事変が
。」、の方がベターでした。
おりょうさん、レス有難う御座います。出稼ぎで理屈合いそうです、もし、杜氏時代以前にも出稼ぎして
いたと仮定すると何の職業だったか興味そそられます。

タンバがタマ;魂、霊、だとすると、「丹波は”死んでも生きられる”(所)」、、、、らしい。
口丹波には出雲神社も有り、オオナムチ所縁の証拠。
こうへいさん、しばらく水銀は体温計に任せて、十分静養しなきゃダメ。  蜜柑さんも。

はま - 2005/02/22(火) 23:32<

丹波地名由来のある一説

井上夢間さんという日本の地名の由来を研究されている方のホームページからの抜粋です。丹波の地名が話題になっているので ご紹介させてください。

《古く縄文時代の昔、日本列島には原ポリネシア語を話す民族が南方から渡来して住み着き、原ポリネシア語で地名を付けていたと思われます。

 その地名は、昔も今も殆ど変わらない発音で生きて使われています。 

 しかも、古事記、日本書紀などの古典や、日本語の語彙の中にも、多くの原ポリネシア語源の言葉を見出すことができます。

 このホームページは、これまで意味が判らなかった地名や、古事記・日本書紀の中の意味の判らなかった神名・人名や、万葉集の枕詞や、いろいろの言葉の意味を明らかにしようとするものです。

丹波(たんば)国
丹波国は『古事記』では旦波、丹波と、『日本書紀』では丹波と記され、『和名抄』では 「太迩波(たには)」と訓じられています。もとは但馬、丹後の両国を含む国でしたが、天武天皇13(684)年に朝来(あさこ)、養父、出石、気多、城崎、美含(おくみ)、二方、七美(しつみ)の8郡を分けて但馬国を分割し、さらに和銅6(713)年に加佐、与謝、丹波、竹野、熊野の5郡を分けて丹後国を分割し、桑田、船井、多紀、氷上、天田、何鹿(いかるが)の6郡を統括しました。畿内に接し、山陰道最初の国で、早く開化天皇の妃竹野媛の出身地として名が見えています。

 この「たには」は、(1) 主基(すき)田の「田庭」から、

(2) 「タニ(谷)・ハ(端)」から、

(3) 「丹(水銀)」から、

(4) 「タワ(峠)」の転などの説があります。

 この「たにわ」は、マオリ語の

  「タ・ニワ」、TA-NIWHA(ta=the;niwha=resolute,bravery)、「勇者(の国)」

  または「タ・(ン)ギハ」、TA-NGIHA(ta=the,dash,beat,lay;ngiha=burn,fire)、「盛んに・(銅、鉛、錫などの金属を精錬する)火を燃やしている(国)」(「(ン)ギハ」のNG音がN音に変化して「ニハ」となった)

の転訛と解します。

老ノ坂

 老ノ坂は、京都盆地と亀岡盆地の間の分水界の山地および峠を指します。老ノ坂山地(西山)は、ポンポン山(679メートル)を最高峰とする古生層の山地で、山城・丹波両国の境界をなしています。古くは大枝(おおえ)山または大江山と呼ばれ、源頼光の酒呑童子退治の伝説が残っています。

 この「おいの」は、マオリ語の

  「オイ・ナウ」、OI-NAU(oi=creep,crawl;nau=come,go)、「這って進む(峠)」

の転訛と解します。

 

b 大枝(おおえ)

 老ノ坂峠の坂下、南西に進んできた国道9号線(昔の山陰道)が山麓に突き当たって大きく北西に向きを変えて老ノ坂へと登って行く屈曲点に京都市西京区大枝(おおえ)の地があります。

 ここは、『和名抄』にみえる乙訓郡大江(おおえ)郷に比定されており、中国地方を制した毛利氏、そして鎌倉幕府の創設に貢献した大江広元の祖先である大江(大枝)氏の本拠地で、大江氏から出た桓武天皇の生母高野朝臣新笠の大枝陵が営まれた地です。平安時代の学問の名家大江氏は、もと土師宿禰(はにしのすくね)でしたが、延暦9(790)年に桓武天皇から外祖母であつた土師真味の系統に大枝(おほえ)朝臣の姓を賜り、その後貞観8(866)年に音人(おとんど)が奏請して大江に改姓したといいます。西京区大枝の地は、この大江氏が本拠としたゆかりの地です。

 この「おおえ」は、マオリ語の

  「オハウヱ」、OHAWE(bend in a river or road)、「川または道の屈曲するところ」

の転訛(語中のW音がU音に変化してHAU音が「ホ」となり、「オホエ」から「オオエ」になった)と解します。

 なお、全国の「大江」の地名がある地で、字義のとおり「大きな海または広い川に面した」ところは、全く見当たらず、古来疑問とされてきました。『和名抄』にみえる他の大江郷のうち、遠江国蓁原(はいばら)郡大江郷(静岡県榛原郡相良町大江)はそこを流れる荻間川の屈曲点にあり、また、筑後国山門郡大江郷(福岡県山門郡瀬高町大江)は旧国道3号線から瀬高町で分かれて山鹿市に抜ける国道443号線の屈曲点にあります。》


こうへい - 2005/02/22(火) 23:31<

水銀??

「戒厳令の夜」上 p.124に、1944年7月 ドイツのUボートが、金塊5トンと、水銀12トン(時価50億円)を積んで、日本に向かったが、途中攻撃に遭い沈没したとあります。
古来、防腐剤、金のメッキに使われた水銀が、近代なにに使われたのでしょう。

ぼくが知ってる限りでは、なつかしい「赤チン」、水銀スイッチ、計量式分析計のなかで、こちょこちょ動いてる水銀・・・位です。どうも、引っかかっています。

多田に伝わる、「朝日さす、夕日輝くそのなんとかに、黄金千両、朱百貫」の朱は、水銀と睨んでます。
でも、それは昔のこと。

おりょう - 2005/02/22(火) 19:20<

丹波

こうへいさん 断指の話おもしろかったです。

フミのアヤタチのオビトさん △うぶさん 風さん
デカンショって出稼ぎ節だったんですね。私はデカルト、カント、ショウペンハウェルを半年勉強すれば、後の半年寝て暮らせると言う風に覚えていましたが、今、読んで、出稼ぎのほうが本当だと思いました。

丹波は「畿内ならびに近江・丹波・播磨などの国をして茶を植しめ、毎年これを献ず」(日本後記)とあり
茶筅、夙の多い土地だそうで、茶化す、茶をにごす、お茶ひき、茶々が入る、メチャクチャ、おちゃっぴい、茶坊主とあまりよい言葉がございませんです。

丹は水銀原料の産地であり、産鉄民の土蜘蛛族の土地であり、老いの坂には鬼の首が埋められているんでしたっけ?。
サンカのアヤタチミチムネの故郷でもあり、丹波はとても奥が深い興味のある所ですね。
私の先祖がいたところでもあります。

乞食頭「丹波」の「チャン」は御父さんの「ちゃん」という意味でしょうか?

フミのアヤタチのオビトさま
いろいろ答えていただいて有り難うございます。
手のひら、足の裏はツボのあつまっているところですよね。

このページはお偉い先生方々ばかりでいらっしゃるんですね。

>非人系(ツブ系)の組織では、「オオ タンバ」「シマ タンバ」などと呼ばれていた大幹部がいたそうです。

そうなんですか?
当分「丹波」探しおもしろそうです。「シマ タンバ」「オオ タンバ」???

またいろいろおしえてくださいませ。

昔の知恵はほろんでいますけど風邪には
休養と睡眠と栄養 卵酒 マムシ酒、蚯蚓の黒焼き
インフルエンザ  こうへいさんのいうとおりだとおもいます。
お大事にしてください。





坊主



こうへい - 2005/02/22(火) 11:26<

お医者さんに行こう(^o^)

三日ほど、咳が出て寝られなかったのですが、今日医者に、「急性気管支炎である、
三日ほど仕事休んで静養しないと肺炎になるぞ」って、脅されました。
みなさん、おかしいと思ったら早めにお医者さんに診てもらいましょうね(^o^)

- 2005/02/21(月) 19:09<

丹波

【丹波という名前を付けた理由は、昔、豊宇気大神が当国の伊佐奈子嶽に天降されたとき、天道日女命たちは、この大神に五穀と蚕などの種をお願いした。その嶽に真名井を堀り、それで潅漑して水田陸田を定めて植えた。秋には『垂穂八握莫々然甚快也』大神はそれをご覧になって、大喜びされて曰く、『阿那而恵志(アナヱエシ)、面植弥志与田庭』。そして大神は再び高天原に登られた。それで田庭と云うのである。丹波、旦波、但波、など全て、多爾波と読む。】 。・…・丹後風土記残欠より

『阿那而恵志(アナヱエシ)』、はオオアナモチが
『面植弥志与田庭』 は スクナヒコがニニギに追い払われた事をいっているようです。
 タニワ(田庭) とは 倭の耕作地の意。

フミのアヤタチのオビト - 2005/02/21(月) 16:49<

おりょう様 「タンバ」の意味 再考します。 こうへい様深謝です

サンカ学者の おりょう様へ

昨日、A大学のナガレの国弘教授から、清水さんの「タンバ」と「アヤタチ」の関係で、叱正を受けました。

「これは大きな可能性のあるタンバ関連説であるので、再度、検証してみる必要あり」との強いご指摘でした。
私の上司の国弘教授も、実は毎日「クマノライフの掲示板」を楽しみに、読んでおられビックリしました。

非人系(ツブ系)の組織では、「オオ タンバ」「シマ タンバ」などと呼ばれていた大幹部がいたそうです。
新説ですので、ぜひ「被差別部落における タンバ 呼称名考」 をお書き下さい。

こうへい様

お陰で、「小指」にまつわる、奥深い「あちらの業界」のこと参考になります。
有難う御座いました。

ヤゾー - 2005/02/21(月) 16:36<

刺絡(しらく)療法

みなさん こんにちわ

フミのアヤタチのオビトさん こんにちわ
これからは 様ではなく さんで呼んで下さい。
その方が 肩を張らずにやり取りができますので お願い致します。

爪の生えぎわの角を刺激することで 
免疫力を高める刺絡(しらく)療法というのがあって
それが癌をはじめとして 様々な疾患にとても効果があるみたいなのです。
最新の免疫学でも そのことが認められていると どこかに書いていたと思います。
それぞれの指を刺激することで 特定の疾患に効果があって
小指への刺激は循環器に効果があるとのことです。 
やはり サンカの人たちは 古からの重要な知恵を継承しているのだと
あらためて関心させられました。

フミのアヤタチのオビト - 2005/02/21(月) 16:16<

サンカシュウの小指 大事な訳

ヤゾー様 クマノシュウの皆様

サンカシュウが「小指」を大切にした訳。少し長いですが恐縮です。

小指のことを東海地方のサンカシュウは「マグイユビ」と呼びます。

「マグイ」は、三角寛も「マグイノノリ」と表現し詳しく述べております。

「小指」を失うと「マグイ」(性の営み)が出来なくなったり、または極端に減弱する傾向になると、必ずサンカシュウは口承伝言されて育てられます。

オメンアワセの時、最初に小指を並べて水平に見せる挨拶では、
「私は両手の小指を始末しておりません」(私は健康者です・・との意味合いがあります)

このことは、日本○○研究所のナガレの池澤○郎先生が実証されております。1例題記します。

池澤先生は、「ナガレのお爺さんが精力絶倫すぎて、お婆さんでは対応できなく困っていた」が、ついに75歳でお爺さんが倒れ入院しました。お婆さんは喜んでいました。

ところが「○○癌センターでの診察で、超末期です。この患者さん」といわれ、自分のセンターに引き取られ、池澤先生の出番になりました。

先生は両手の5本の指の揉み解し治療をして、不思議に回復させてしまいました。ところが、お婆さんから頼まれていたことを忘れて、丹念に両手の小指まで揉み解し療法をしてしまっていました。

その結果、お爺さんは絶倫に戻り、今度はお婆さんでなく、他の女を作り浮気三昧に走りました。

池澤先生いわく「あちらの業界の人も、小指を始末することは、じつわ大変なことなのです」とよく言われております。

クマノシュウのナガレの皆様。小指は大切にしてください。

   フミのアヤタチのオビト

こうへい - 2005/02/21(月) 12:51<

あはは

ヤゾーさん しし肉入りの山菜御飯には笑ってしまいました。(^o^)
風邪でダウンしています。 が、仕事には行ってるので、瀕死の状態です。
あした、点滴打ってくれる医者捜します。
俺たちに明日はない・・・なんちゃって

ヤゾー - 2005/02/20(日) 15:05<

小指の思い出

みなさん こんにちわ

フミのアヤタチのオビトさん 小指に込められた意味ですが
色々と考えてみましたが難しいですね。
こうへいさんがヤクザの話をしましたが
指を詰めることを 隠語では えんこを飛ばすという言い方をするようです。
えんことは どういう意味なのか分かりませんが
縁という意味があるのかなとも思いました。
あなたとわたしの小指は赤い糸で結ばれているのよなんて言葉もありますから
小指には縁という意味が込められているのかも知れません。
小さい頃に あなたの噛んだ小指が痛いなんて歌が流行っていたのを思い出しました。

今日 隣村で地元のお年寄りなどが
持ち寄った物を売る市があったので行ってきました。
自分たちで作った野菜や餅や食べ物がメインの小さな市でした。
そんな中に しし肉入りと書いた山菜御飯があったので
なんか美味しそうだなと欲しくなって なけなしの500円で買うことにしました。
お金を渡して包んで貰うときに しし肉入りの山菜御飯なんて珍しいなぁと声を掛けたら
そんなもんは入ってないよと婆さんに言われました。
ここにしし肉入りって書いてあるよと言うと 
それかぁ それは「しし肉入りました」と書いた紙が風で飛んだので
山菜御飯のところに挟んであったのやと言われました。
もうお金渡してもたやん それに「ました」のところから曲がってるやん
ただの山菜御飯なんか欲しなかったいしょ
それってどうよ〜と 帰ってから悲しく山菜御飯を食べました。
あっさりし過ぎて味気なかったです。
食いしん坊のヤナギムシさんだったら どうしますか?

蜜柑さん お大事にして下さい。

蜜柑 - 2005/02/20(日) 09:27<

小指の意味

江戸時代、遊郭で身請けしてもらう相手にネーチャンが自分の小指を切って、あげたそうです。
浮世絵に残っています。小指って愛する人にあげるものらしいです。

*インフルエンザにかかってしまい、頭ぼけてます。これ、何日くらいで直るんでしょうか?

すずか@H - 2005/02/20(日) 01:11<

小指

通りがかりですが、謎解きが好きなのでツイ。

印?・・・五感を表す小指。

こうへい - 2005/02/20(日) 01:01<

指を詰める・・について

前回、「指詰めは、ドスを握れないようにするため」と、しろうと考えを書き込みしました。
じつは、そんな単純なものではないそうです。
で、文章推敲中に、あやまって投稿してしまいました。m(__)m

kouhei - 2005/02/20(日) 00:52<
断指は、肉体的苦痛を強制する私的制裁、私刑(リンチ)の自ら自分の指を刃物で切断し、その切断した指を謝罪または誠実の証として、親分等相手方へ差し出すものです。
そこには、苦痛を我慢するのが「男」だという屈折したヤクザの観念が見てとれます。

もともと、指を切る風習は、我が国では、例えば武家社会などでは誓文に血判をするなど比較的広く行われてきていますが、この暴力団社会の断指は、宝永の頃(江戸時代 1704〜1711年)花柳界において遊女が、男客に対する心中立てのしるしとして指を切り、その血で起請(誓いの文書)したり、あるいは、生爪をはいで客に渡す風習が生まれ、これが当時の下層社会や水商売の間に広がったことに起源があるといわれています。

ところで、この断指には、対外的な不始末をしでかしたが、本人が改悛の情を有するとき、本人に責任をとらせると同時にみせしめのための、いわゆる強制された制裁の意味を持つものと、自発的な誠実の象徴、紛争の調停、組からの脱退といったような場合に行うものとがあります。
すなわち、暴力団の社会では、指を詰めることは真実を尽くすことを意味し、指を詰めてはじめて誠実が実在することを認識するわけです。従って、切断した指は必ず相手に差し出す(見せる。渡す)ことが必要であるとされています。
また、断指は初回は小指を詰めますが、2回以上にわたるときは薬指、中指の順で切断します。その場合、第一関節切断よりも第二関節からの切断、また、第二関節からの切断よりも根元からの切断の方が重いとされています。しかし、例え制裁としての断指であっても、親指と示指は、食事だけは許すという意味で断指をしない決りであるといわれています。

△うぶ - 2005/02/20(日) 00:39<

駆け込ませて下さい

今、今日の分を早読したところ故、考える時間無かったですが、締め切りに間に合わせの泥縄です。
指の五本は「イツモリ」の象徴で、一本欠けるとイツモリから離れる事を意味するのでは?。

おりょう - 2005/02/19(土) 19:32<

こんばんわ

フミのアヤタチのオビトさま
サンカ無学者でございますが以後お見知りおきよろしくお願い申しあげます・・・。(^.^)

清水精一さんがいたところは”ツブ”なんですね。ありがとうございました。

おかまちゃんは小指たててコーヒ飲んだり、なにかにつけて小指たてて何かします。
小指をたててコレガ・・・なんていう人もいますね。
小指がなんで女なんかもわかりませんが小指って面白いですね。

>凶状持ちの世界の人・・・・・あちらの職業の方も、「小指」を「シマツ」するのも、
 じつは大変なことなのです。

知りたいですね。考えてもさっぱりわかりませんでした。

フミのアヤタチのオビト - 2005/02/19(土) 17:01<

いい線きてますが・・・・サンカシュウの小指、別にアリ!

ツットコ 様

こうへい様とも違う見方で、竹編職人の技で・・・さすがです!・・これも、一理ありますが。

   サンカシュウの、小指の意味は、また別にあります。

回答発表は、もう少しだけ、お預け・・・・・・

凶状持ちの世界の人・・・・・あちらの職業の方も、「小指」を「シマツ」するのも、
じつは大変なことなのです。

     フミのアヤタチのオビト

ツトッコ - 2005/02/19(土) 15:23<

大事な小指

フミのアヤタチのオビトさま

サンカの主要なタツキノミチである、箕作り、箕直しなどする時、サンカ社会資料編の写真を見ても両手、両足、口まで使って作業していますね。やはり、小指一本でも欠けると作業に支障をきたしたんじゃないのでしょうか?ミニ箕を眺めていますと、色々な材料から作られているのが分かりますが、特に仕上げの縁巻きなどで紐状のものを巻くときは小指に巻きつけて引っ張ってたんじゃないのでしょうか?刃物でものを削る時も小指で微妙な力加減をします。
それとも、タツキの取引相手の農家の方々にナガレの中にそのような人が一人でもいると信用が得られなくなるからでしょうか?

フミのアヤタチのオビト - 2005/02/19(土) 14:56<

こうへい様 いい観察ですが・・・NGです。それと・・・・

こうへい様

さすがですネ!! ドスやバイクの経験学、参考になりました。

しかし、サンカシュウにとての「小指」の大切理由は、残念ながらまだ、正解とはなっておりませんです。


それと、気になっておりますことですが。
ここしばらく、クマノライフにてお目にかかれません。次のような・・ナガレのシュウ
 ヤナギムシですか? お元気ですか?

 蜜柑様  尾張のクズシリ様  ドングリー様・・・・東北と九州での竹細工の先生様・・・・

どなたか、消息をご存知でしたら、掲示板にて、お教え下さいますよう、お願いいたします。

       フミのアヤタチのオビト

こうへい - 2005/02/19(土) 12:45<

何故「小指」を大事にしたか

フミのアヤタチのオビト さま

サンカシュウと関係のないところで、かんがえてみました。
小指の思い出・・じゃなかった、小指はですね

例えば、トライアルでバイクのハンドル握っている時、一番大事なのが小指です。
小指がなければ、握る力が無くなると言っても過言ではありません。
バットを握るときも同じです。
人差し指なんかは、遊んでるも同然。
握るとき、小指は、一番力が入る指です。小さいという外見で見てはいけません。

小指を詰めるのも、ドスを握れなくなるっていう、大きな意味を持ってるのじゃないかと思っています。

フミのアヤタチのオビト - 2005/02/19(土) 12:12<

清水精一さんの「サンカ」は、本当か?

サンカ学者 おりょう様へ

清水さんの「ちゃん」とそのグループは、私どものサンカシュウでは無いと思っております。

私共サンカのナガレは、タツキノミチ(生業)を、必ず持つことがキマリです。

乞食物貰いでのイノチキス(生活維持)は、ハタムラ破りです。

清水さんの記述に、腐った残飯を煮込んで美味そうにすする「かす汁」の話がありますが、あのような、惨めな食生活は私どもサンカのナガレでは決して聞いたことがありません。

清水さんの「サンカ」と表現されている「ツブ」(乞食)は、「ちゃん」を頂点にしたツブ組織の一単位グループと考えております。

このツブの人たちは、煮炊きに三本縛りのヒバチ棒を使っていますので、私どもサンカシュウは「ツブナベ」とよび、使用しないのがキマリでした。

         フミのアヤタチのオビト

フミのアヤタチのオビト - 2005/02/19(土) 12:03<

サンカのナガレは何故「小指」を大事にしたか?

ヤゾー様 おりょう様 ツトッコ様 こうへい様 クマノシュウのナガレの皆様
 ヤナギムシ ヤナギムシ です。

先回の「ナガレのオメンアワセ」に、いろいろと考察〜コメント頂き、クマノシュウの皆様はジモドリの可能なナガレである事がよく解りました。

その中に記しましたが、それでは、

  何故、サンカシュウは両手の「小指」の有るという事を、物凄く大切にしていたコトワケ?

 お解りになられますでしょうか?

        フミのアヤタチのオビト

  

こうへい - 2005/02/18(金) 23:37<

ハンドルダコ

中指、薬指、小指の根本のちょっと下に、マメちゅうか、タコが並んでできるでしょう。
その下、感情線のすぐ上にも出来るんですよ。
まあ言うたら、二段に並ぶんですよ。
人差し指は、クラッチやブレーキ使うから、出来ない。
モトクロスや、トライアルやってたとき、有りました(^o^)

おりょう - 2005/02/18(金) 20:28<

やぞーーさん、ヨーカンさん皆様こんばんわ

宮本常一「山に生きる人々」日本民衆史(2)のなかの「サンカの終焉」に蜜柑山にいたサンカの事が出ています。
蜜柑山は今は陰も形もなくなり、大阪天王寺の西方現在市民病院がたっていたところだそうですが、ヨーカンさんご存知ですか?
名護町は移転して後の釜が崎になったようです。
蜜柑山や新淀川の長柄橋の下の河原にはサンカの集落があり、昼間薄汚くしている娘たちが夕方川で水浴し
た後、浴衣を着て橋の欄干で夕涼みしている娘達は見違えるほど美しかったそうです。(宮本)
「大地に生きる」での蜜柑山の人達は自然的音楽に長けていて、尺八、篠笛、横笛など頗る妙で、月光の下に真に迫る尺八の音に恍惚とさせられるものがあり、また、楽器などはみな各々が製造したりして驚くべきものであったそうです。
ここのサンカの人達は乞食狩りなどにあったりして、のち籍を作り、清水精一さんとともに、自給自足の道を歩むことになるのですが、そこから、また、苦労ガ始まります。

ヨーカンさんは釜が崎に住んでいらしたんですね。
作家の黒岩重吾さん、本が売れ出す前に住んでいたそうです。住み心地よくて自分が駄目になりそうで西成を出たと本に書いてありましたよ。

ヤゾー - 2005/02/18(金) 18:45<

愛隣地区の人々

みなさん こんばんわ

フミのアヤタチのオビトさん おりょうさん こうへいさん
手は口ほどにものをいうですね。
手の機能というのは 遺伝的な要素も大きいみたいです。

ところで こうへいさん ハンドルだこってどこにできるのですか?
自分も散々バイクには乗りましたが たこまでは出来ませんでした。

おりょうさんの紹介してくれた名護町の話ですが
ヨーカンさんの話では 釜が崎のルーツみたいなところだったんですね。
釜が崎愛隣地区でホームレスの人たちと接したことがありましたが
ヨーカンさんがおっしゃるように とても気持ちの良い人が多かったように思います。
勿論 ジャブなんか売っていそうな危ない人もいましたが
心の優しい人が多かったように感じました。
動物の好きな人が多いのか 雨の日には
自分が濡れても 犬を濡らさないように気を配るような光景もあるみたいです。
金にものをいわせて なんでもできるみたいに思っている人たちよりは
地球にとっては 価値のある人たちなのかも知れません。

ヨーカン - 2005/02/18(金) 15:26<

おりょうさん そこ

名護町 長町 いまの日本橋筋あたりですねん   その後整理?されて釜が崎あたりに追いやられて・
40年まえに 田舎から出てきた紅顔の美少年(名はヨーカン)は その地の暴動後に えー??思いながらも(なんせパチンコ屋なんかもうーみーんなメチャクチャなってましたがな!)なんか馴染んでしまって
一年位 住んでました
 お書きのとうりで、味噌醤油からお米の貸し借りまで 女の貸し借りは知らんけど、ちゃんと残ってましたわ
荒っぽいけど やさしい人多かった
 

おりょう - 2005/02/17(木) 20:01<

アヤタチタンバ

フミのアヤタチのオビト様 質問しまーす。
「大地に生きる」の清水精一さんは、ネス(トウシロー)から大阪名護町蜜柑山の乞食の頭「ちゃん」の一家に入り生活を供にした方なんですが、「丹波は無邪気なよい老翁で、いつもニコニコしていて不平のない人間はいつもなつかしいものだ」と書かれていて、この「ちゃん」の名前が丹波なのです。ここのサンカ一家は「おいら達はドロボーができないから乞食をやっているんだ」という人達です。
この「ちゃん」は三角寛さんが書かれているアヤタチタンバと同じ人物なのでしようか?
私は同一人物のような気がするのですが。
この本はいい本ですね。

この大阪の名護町は相当古くからある貧民屈で、多くある長屋には、下駄直し、チンドン屋、泥棒一家、犬
殺し、法界屋、河太郎などいろいろな職業の人が住んでいたところで、大正7年に出版された鈴木梅4郎という人が書いた本があります。下に載せたものがその一部ですが雰囲気がよく出ていて興味深いです。

第19 名護町貧民相互の關係
----------------------------
名護町貧民生活の有樣と其徳義品行の状況とは讀者の已に了知せる處なるが、茲に彼等貧民相互

の關係を尋るに頗る親密の交情あり。善惡ともに相扶け相憐むの義心に富みたる中にも、相長屋の

間は殊に以て厚情ありとす。例へば同長屋中に病者あり、出稼叶はずして忽ち糊口に差閊ゆる時は

長屋中相談して些少宛の飮食物を持ち寄り、丁寧懇切に慰籍して飢餓の憂なからしめ、又其長屋の

中に竊盜、掏模及其他の犯罪にて1朝警察署へ拘引せらるゝ者ある時は近隣相長屋の女房子供まで

之れを弔し拘引者の跡に付き添ひて警察署まで見送るは勿論、拘留入獄等に至れば屡々訪問して種

々の差入物をなし、刑期滿ちて放免の際には最初拘引せられし時の如く、一同監獄署若しくは警察

署まで行きて、之れを迎ふるが如きを手始めとして、出産、死亡、葬式等あらゆる人事には互に力

を盡して其艱難快樂を共にするの跡あり。貧民彼等自身の關係已に斯くの如くなれば他人民に對し

ても自ら1種自他の區別を立て、仲間の爲めには惡事も努めて之れを掩ひ隱くし、仲間の損は我が

損なり、其耻辱は我が耻辱なりとの一致團結心を有し居れり。蓋し彼等仲間の他に對して懷く所の

此感情は、由來久しき慣習にして一朝に出來たるものにあらざれば、定りて或る形を有する賞罰制

裁の儀式なしと雖も、其根頗ぶる強くして勢力あるものなり。而のみならず被害をして常に此の團

結心を鼓舞せしむるものは彼等の仲間にて、竊盜若しくは掏模等に於てするか、若しくは他の道理

正しき商賣に於てするか、兎に角餘分の儲を得る時は、之れを仲間に分ちて樂みを共にするの慣習

あることなり、其代りには若し彼等の仲間にして善惡とも彼等の内幕を他人に話し、苟くも彼等仲

間一體の故障となるを發見する時は一同相集りて散々之れを懲したる上、同長屋に止り住居ふこと

能はざらしむることなり、是等に彼等の密事は如何に機敏なる探偵吏も、容易に之れを察知するこ

と能はずと云へり。

 偖て又彼等仲間の間にて或は男女の關係より或は物品貸借の事より其他種々の原因より、爭論喧

嘩起る時には隨分烈しき打ち合ひとなりて互に負傷すること珍らしからずと雖も、彼等の仲間にも

自ら彼等の尊重する人物あり、此種の人物が喧嘩者雙方の中間に入りて制裁を下し、以て和解する

時は雙方ともに其所説に服して波風靜かに收まり、曾て苦情を殘すことなしと云ふ。兎に角彼等相

互の間は相一致協合して、患難相救ひ喜樂相共にするの實に近きものありと謂つべし。

ツトッコ - 2005/02/17(木) 19:38<

フキタカ

フミのアヤタチのオビトさん
ゴクムスありがとうございます。
自分は根が単純なものですから手のひらを見せるのは「手の内を見せる」、「裏表がない」などと思ってました。
「上記」に、くまぬくずびのみこと、くまぬひめのみことは、天降(あも)りて丹波(たにば)の竹(たか)を取らし、節の合(あわ)ゐに穴貫きて、吹き竹(たか)をつくりまし。とありますが
丹波とサンカの関係なども興味しんしんです。

こうへい - 2005/02/17(木) 09:18<

ムス

フミのアヤタチのオビトさん おはようございます。
オメンアワセのムスのお話、ありがとうございます。
解説、わかりやすくて、うれしかったです。
簡単で、まことに意味深い、挨拶の方法だと思いました。
セブリのなくなった今でも、行われている初対面の挨拶のような気がします。

森の石松が、親分サンに仁義を切るときに、脇差しを後ろに回して、「お手向かいは、致しません」って、意思表示して挨拶をする。
浪曲から得た知識ですが(^o^)
それぞれの世界に、それぞれの流儀があるって、おもしろいですね。

ビデオでマックイーンの手のひらがアップになって、ハンドルだこが見えました。
ボクの手のひらにも、同様のタコがあって、とても近くに感じたものでした。
そういう、感情も、お面会わせの作法には、あったのでしょうね(^o^)

△うぶ - 2005/02/17(木) 04:08<

こりゃ、マジムス

フミのアヤタチのオビト さん 貴重な知識有難う御座いました。
「ほぼ100種類の職歴を観察して、言い当て、、、」其実、五感全てを動員して判断していたのかも
知れませんね。
手前の手なら ヤニっぽく ササクレ立って リウマチ瘤予備軍 で、、、先に入院しろ、、、と言われ。

風さん、「キドラの玄武の謂ですか?」、、、出入り口は南と聞いていますので辻褄だけは。
「若しかして渡来者の罠?」、罠どころか衆目の破廉恥行為、、、、でも皆忘却の彼方へ。
ナガスネ→トンボ足、の解釈でしたか、塩辛トンボ、アメンボー、
塩は清め、寺は砂糖饅頭、製塩は浜衆七福神、ナガレでは塩の道ボッカ程度が。

おりょう - 2005/02/16(水) 21:37<

ムス

フミのアヤタチのオビトさん

非常に興味深いご回答をありがとうございました。
ご丁寧にご説明頂いて理解できました。私の答えは検討ハズレでした。

「手前はこういう者です」と自分の履歴でもある手を、相手側に差し出して同じ箕作り仲間であることを知らせるサンカしか知り得ない儀式なんですね。

職業はその人の手に出ますから、力仕事や、柔らかい仕事によって、硬い、柔らかい、しなやか、荒れている、爪の状態、タコの出来具合、変形等などで、名探偵ホームズさんのように警察取調官の方々も観察されるわけですね。
それにしても100種類の職業を言い当てるとは驚きです。
医者もまずその手を診て健康状態確かめていますから、手はいろいろ語っているんですね。

>@〜Cのことは、どんなことがあろうと、性格上、トウシロウや部外者に、
>公開するわけにはいかないのです。

水上準也さんに抗議できなかった理由とつながるということでしょうか。

貴重な情報読ませて頂いてありがとうございます。
表に出せる範囲でいいですので、また、教えて下さい。




- 2005/02/16(水) 12:54<

多少、場取りました!

セブリカミのカミは「守」では?。
と言うことは、キドラの玄武の謂ですか?
神の正体はDNA【デオキシリボ核酸⇒六角形と螺旋状(染色体)の遺伝因子】。
人は神と呼ばれる存在を内存しているので自らを 守る 能力を有しているでしょう。
先に、八本の柱は神の所有、六本の柱は人の所有と記しましたが、
本来、 八柱(太陽を主体とする銀河系)も 六柱(人のDNA) も 
大きさの違いはあっても同じものだと言うことでしょう。
人はこの地点に行き着いたと言うことのようです。
止まれ、
ナガレの守りは 天神棒 だけのようですね。
穴屋とよばれる八本の柱とその真ん中に天地を結ぶ 一本の柱。
この一本の柱が家を支えている。・・・現在の大黒柱。
欠史八代の八柱 と 神武の一柱。

ヒゴハリ考。
ヒゴハリ → ヒコ コ ハリ → 彦 私の 王。
注連縄 → 張り縄=神。 張り縄 → ハリ ナワ → 王  神 。
縄文土器の縄目紋は神を刻んであると云う意。
ナワ は ワナ 倭の奴。 倭奴国は神の国。・・・若しかして渡来者の罠?

ナガレ考。
カトンボ、アシナガトンボ → ナガ=トンボ 。 銅鐸のトンボ。
キリウジガガンボ は稲の根を食いちぎる。
キリウジガガンボが孵化すつとアシナガトンボ。
http://rms1.agsearch.agropedia.affrc.go.jp/contents/kaidai/mugi/23-3-8-1-7_h.html

ウガヤの長男、五瀬命は、紀国の登美毘古と戦って死んでしまう。
登美毘古=登美能那賀須根毘古 → ナガスネヒコ → トンボ アシ ヒコ 。

アシはアシナツチでクシナダヒメの父。
アシは塩。 ナガレに 塩の道(流通)の歴史がありませんか?

フミのアヤタチのオビト - 2005/02/16(水) 11:18<

ナガレは、何故、両手を見せるのか? ムスの回答します。

ヤゾー様。クマノシュウの皆様。おりょう様。ツットコ様。風様。△うぶ様。
 ヤナギムシ、ヤナギムシです。

私たちのナガレ同士の初対面(オメンアワセ)では、オメンアワセをする時に必ず両手を差し出します。その、答え解説をかきます。
おりょう様、ヤゾー様。なかなかイイトコロまで、きていますです。

  ここからは「ムスのコトツゲ」です。

@まず、左右の手の平側の小指と小指を合わせて、水平にしてセブリヌシのカミの相手に差し出します。
  「小指の揃いを見てください。同じ長さです。その他の指も、見てください。」
  「このとうり、揃っています。」
   小指を始末しているのは、凶状持ちで、あとに記すようにセブリの中には、
   普通は入れません。その他の指は、「マガリ」の癖を観察して貰う為です。
   (マガリは、特に中・薬指に顕著に出ます。永年者は5ミリ位段差、屈折します) 

Aしばらくして、今度は両手の甲側を、親指と親指を貼り付けて、相手のセブリカミに差し出します。
   「私の手甲を見て下さい。全部の指にヒゴダコがあります。(竹網の仲間です)」
   「マガリとタコが、一致した指にあります。(ヒゴハリの間違いのない勲章です)」

Bミスミセンセイは、これをムスにしていました。
   「私は、手の指は竹編をしていませんので、儀式だけいたします。」と、
   この動作をしてから、以前の話のクボタツさんとのメンアワセをしました。
    「…家の、舎弟頭のミスミです・・・」>>>これにはビックリしたそうです。
   (このミスミセンセイの一連のメンアワセの行動は、部外者には
    特にNHKの様な、マスメデアには知られたら困る「ゴクムス」の儀式でした)
   
   
C同じ事を、警察取調官も、ごく最近(昭和33年ごろまで)までしておりました。
   「部外秘・掌鑑識極意票」により、昭和25年まで刑事警察に教育されていました。
   担当官は、掌の両面観察をするだけで、取調べ相手の職業・職歴・前科などを、
   ほぼ正確に言い当てています。
   例「お前も苦労してきたな〜 立派な靴作りのウデなのに 惜しいもう一度やり直せ!」
    など、相手の本人は「……ム…俺のこと、この刑事はみんなわかてくれている・・・」
    この人には、正直に話して俺も出直そう・・・・
    手の裏と表を見せるだけで、ほぼ100種類の職歴を観察して、言い当てていました。

Dこの一連の動作は、非常に重要な“ワケ”がある、ムスにすべき大切なことでした。
   @〜Cのことは、どんなことがあろうと、性格上、トウシロウや部外者に、
   公開するわけにはいかないのです。

クマノシュウのナガレの皆様。ミスミセンセイの伏せていた、この作法のコトワケお解りになられましたでしょうか?

  【注意】この書き込み、@〜Cはクマノシュウのナガレだけのコトツゲの
      「ムスフミ」ですので、あとで消します。

          フミのアヤタチのオビト

△うぶ - 2005/02/16(水) 03:57<

少々、場取ります

子孫は小指、先祖は親指。、、、、唸りました。
あらい、洗いざらい(を捧げる)、現い、現う、現れ、明我。、、、サカナのアラ。
セブリカミのカミは「守」では?。
日本一のトンボなら、ヤンマで、ヤンマタイ、倭、、、(沢説)。ナガレ語発祥の理由が気になります。

- 2005/02/15(火) 19:31<

捧げる 差し出す

あらいの儀式ですね。
あらいとは 捧げる、差し出す、 ということです。
子孫を先祖を捧げて。・…・ 子孫は小指、先祖は親指。
合わせるのは其の証拠を留める ル の文字の意味。

セブリカミのカミは神を含まない我々と言う意。
現在はセブに太陽が沈むが、13000年前にはセブから太陽が昇っていた。・・・歳差運動。
当然、現在のセブリには異なった呼び名があったであろう。
ナガレの歴史の長さを示してセブリカミと据えてあるのでは。

伊豆の伊東は日本一のトンボの生息地です。
此処にナガレと言う言葉の発祥があると思われる。
九州もやはりナガレと言うのでしょうか?

「ムス」・…・有難う。
秘密の秘密があるようです。ただ単にすり潰して粉々にするというだけではない。
解説をしても問題がなければ次回に解説します。
サンカ文字を睨んでも答えはえられる。

ヤゾー - 2005/02/15(火) 18:52<

地戻り

みなさん こんばんわ

ツトッコさん とても貴重な体験をされているようですね。
旅とは 他人に火を借りることであるとと何かに書いてあったような気がします。
地面に直接背中をつけて寝る心地よさは 経験したものでないと分からないのかも知れません。
どこかに行ったら 温泉も良いですが 地元の人が来る銭湯というのも確かに面白いです。
その土地の人たちの雰囲気のようなものが分かり 知らない土地に来ているのだという気がすることがありました。
とある町の銭湯に早めに入ったときに モンモンを入れた人たちが七人ほど入ってきました。
わちゃ〜 一人くらいなら ともかく 
集団でモンモンを入れた人が入ってきたら ちょっと意識してしまいました。
えらい賑やかな人たちで 萎縮してしまいましたが
上下関係とモンモンの完成度の度合いが 少し面白かったかも知れません。
でも 見なれんもんやが どこのもんじゃい という目で見るので
くつろいで風呂に入っている気がしませんでした。

フミのアヤタチのオビト様 またまた貴重なお話を聞かせて頂きました。
自分の手でやってみましたが
とても美しい合図のように感じました。

レンタルサーバー代を浮かすのに バナー広告を貼り付けました。
少し動作が重くなるかもしれませんが ご了承下さい。

おりょう - 2005/02/15(火) 18:50<

シノガラ=秘密結社

フミのアヤタチのオビト様、皆様こんばんわ

中国の秘密結社も、相互扶助の関係で成り立っており結束も固く、ムスごとや自分の素姓がばれないよう
お互い仲間内の合図、挨拶があるようです。
同族なのかどうか知らせる場合、初対面の時は、まず、茶碗やキセル、マッチの持ち方、手の指で字を表
したり、それで相手が気付けばお互い仲間同士であることをさとるらしいです。
そこから、また、上司であるかどうか秘密の会話をしていくといった約束事があるらしいです。
サンカ一族と似たところがありますね。

@ A Dの件は、手の会話なのか何か意味があるのでしょうか?知りたいです。

>Bミスミセンセイは、これをムスにしていました。

警察が事件発表するときは、必ず,犯人しか知り得ない事はムスにしているようです。
サンカと確かめる約束事は他にもあるのかも知れませんが、三角寛さんがこれ発表してしまえば、相手が
サンカかどうか確かめるてだてがなくなるからでしょうか?

>C同じ事を、警察取調官も、ごく最近(昭和33年ごろまで)までしておりました。

警察取調官がこの挨拶をやるのは、相手がサンカかどうか見極めるためで、相手の反応をさぐるための挨
拶ではないでしょうか?

そうじゃないかなーと思う程度で書いてみましたが、全然違っていたりして。
もっと深い意味があるんでしょうね。
なんだか表に出ないムス事いっぱいありそうですね。
少しずつ表に出てきて興味深いです。

ツトッコさんも旅人ですね。
北海道行ったとき、岡山の女性ですけれど沖縄から北海道まで自転車こいできたという人いました。


鳥の楽園 人手不足ですっていきたいわね。







フミのアヤタチのオビト - 2005/02/15(火) 15:15<

ナガレは、何故、両手を見せるのか?

ヤゾー様。クマノシュウの皆様。おりょう様。ツットコ様。風様。△うぶ様。ヤナギムシです。

私たちのナガレ同士の初対面(オメンアワセ)では、オメンアワセをする時に必ず両手を差し出します。

@まず、左右の手の平側の小指と小指を合わせて、水平にしてセブリカミの相手に差し出します。

Aしばらくして、今度は両手の甲側を、親指と親指を貼り付けて、相手のセブリカミに差し出します。

Bミスミセンセイは、これをムスにしていました。

C同じ事を、警察取調官も、ごく最近(昭和33年ごろまで)までしておりました。

Dこの一連の動作は、非常に重要な“ワケ”がある、ムスにすべき大切なことでした。

クマノシュウのナガレの皆様。ミスミセンセイの伏せていた、この作法のコトワケお解りになられますか?

          フミのアヤタチのオビト

ツトッコ - 2005/02/14(月) 21:56<

ヤゾーさん、フミのアヤタチのオビトさん

二十歳から三十代前半まで、バイクにテントと寝袋それにテンカラ竿を積んで、仕事の合間等に、長い時は40日位から短い時は1泊2日で日本全国、津々浦々を旅して回りました。雨に1日降られ寒さに振るえた夜、昔からの仲間と語りあう時、初めて会った旅人と語りあう時、そして一人ぼっちの時、焚き火の炎はそれぞれの場合に特別な時間を与えてくれました。テントの中で寝る時は土に抱かれたような感じで、家の布団で寝るより熟睡できました。そんな旅の中で何回か偶然の再会がありました。いちばん驚いたのは、たまたま再開した大坂の知人と北海道の富良野でキャンプしている時に、町中の銭湯に行き滋賀県の共通の知人のことを話ながら「あいつ今頃何してるかな〜」なんて言っていたら、目の前でその知人が服を脱いでいました。そんな偶然の再会を旅の中で何度か経験しました。きっとサンカの人たちも色々な合図と連絡方法とかあったのでしょうが、それ以外でも自然に引き寄せあう結びつきのようなものがあったような気がします。

一人で人家からも道路からも離れた山中の渓流で竿を振っている時、木々のざわめき、川のせせらぎ、滝の音などのせいかもしれませんが、何度か誰かに声をかけられたような気がして後ろを振り返るような経験をしました。渓流釣りをされる方はそんな経験をされた方は少なくないような気がしますが、そんな時は自然の精霊みたいなものが語りかけているような気がします。自然を愛し、自然に愛されたサンカの人たちはそんな精霊たちと語りあえたような気がします。自分の血の中にはサンカの血は流れていないかもしれませんし、体も一般社会の中に置いても、ヤゾーさんと一緒で、心はサンカの人々と同じの精神を持って生きていきたいです。

ヤゾーさん
死んだヤマガラは自分の死期を悟り、最後にヤゾーさんに合いたがっていたような気がします。

△うぶ - 2005/02/14(月) 04:05<
風さん
八本の柱は神、、、つまり八光でしょうか?、陰陽を取り入れると16で、菊の花弁のアラブ渡来説(太陽関与)。 八又のオロチ、出雲八重垣、八島ヤソシマ、やたらに八神ヤガミが。
六本の柱は人、、、人間の思慮の限界が「36計」ですね、陰陽取り入れでは十二支のエト。

- 2005/02/13(日) 22:48<

神武の二つの流れ



棟上げ

板に「紫微らん駕」という字を棟梁が書き、それを棟にはりつけた。また、紫微らん駕の字の書かれた板に、塩俵(塩を紙で包んだもの)と米俵(米を紙で包んだもの)をセットにしたものを三組ぶらさげたという。
棟上げが済んで後に、棟を拝むという儀礼がある。
その後で、棟の上に米、塩を少量ずつのせる。さらに、棟梁が、塩を屋根(葺かれる以前の)
の四隅に置き、少量ずつ撒くということも行われる。

なお、棟上げの儀礼は、穴屋形式の家屋の場合にはなされず、貫木屋形式の場合にのみおこなわれたという。 (・…・ 沖縄情報)

穴屋形式は二本・…・真脇のクリの木を半割りにした6500年〜3500年前の10本柱の円環木列 → 九州 → 沖縄(木綿原遺跡)まで歴史は辿れる。… 関東は伊豆の伊東の流れがあるかも?

貫木屋形式は一本 ・…・ 関東は千葉と諏訪から・…・インベか?

フミのアヤタチのオビトさん
「ムナモチボウ」ありがとう。
サンカ文字は本物でしょうね。 わ、る(わ の 拝み合わせ)、む→う。
「ツブナベ」は商人的ということですかね?
止まれ、ヤタノカラスの三本足が出揃ったようですね。

ツトッコさん
サンシュユ は断続振動を意味していますが、
スマトラ島沖地震は「M9.3観測史上2番目」 だそうです。
サンシュユのMはどれくらいでしょう。

△うぶさん
「阿は穴でも太陽でも」についてですが、
知性を持った人の歴史は、八本の柱は神(太陽?穴屋形式)の所有、
六本の柱(生命の樹・DNA)が人の所有、
この六本の柱を閉じた形が方形(ピラピッド。貫木屋形式)のようです。

ツトッコ - 2005/02/13(日) 19:30<

ありがとうございます

フミのアヤタチのオビトさん

明快な回答ありがとうございます。
「テンジン」、「ジンタテ」そして「一本」、「二本」どちらも正解だったんですね。「ナガレ」による違いとは思いませんでした。まるで、目の前の霧が晴れていくようです。
棟木のことは「ムナモチボウ」と言ったんですね。「サンカ社会の研究」に、「ヤサバリのチギタケの打ち違いの上の方に、左右とも風穴をあけることである。風が吹くと、この穴が笛になって神韻な音を発して鳴る。」と書いてありますが、いったいどんな音がしたのでしょうか?

「われらナガレの者同士は、セブリバのジンタテボウをみてから、セブリに近づきますが、それからは両手の平を前に出して、見せて挨拶します。」このような、お仲間同士の合図で見分けていたとは、疑問が次々と氷解していきます。

おりょうさんへ
こちらこそ色々教えてもらってありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。重い鍋や薬缶、そういえばそうですよね。鋳物の鍋なんかそれだけで3キロ位ありそうですもんね。

やなさんへ
テンジン「サンカ社会の研究」では、グミかサンシュユの木となっていますね。サンシュユの木にはグミに似た実がなり、薬として使われていたようです。


ヤゾー - 2005/02/13(日) 19:10<

天神

みなさん こんばんわ

フミのアヤタチのオビトさん とても興味深いお話でした。
川原でのテント生活などを通して 火というものがいかに重要なものなのかを思い知りました。
それは 煮炊きする為の火というものを超えた精神的なものであると感じました。
火が消えてしまったように寂しいという言葉のように
例えひとりでテントで生活をしていても 火さえあればくつろぐことも和むこともできましたが
火がなかったら とても寂しくて味気のないものでした。
今でこそ アウトドア用品の進歩で 屋外でも簡単に煮炊きする火を得ることができるようになりましたが
そんなものがない時代では 火を熾し 煮炊きし 火を楽しむということに
サンカの人たちの独自の美学や文化のようなものがあったことだと思います。
ところでテンジンという言葉ですが 天神信仰となにか関係があるのでしょうか?

おりょうさん それは悲しかったことでしょう。
小さな命とはいえ 家族と同じですからね。

ヤナさん グミの木はねばり強いと聞いたことがあります。
斧の柄などにも使うこともあったそうです。

フミのアヤタチのオビト - 2005/02/13(日) 15:53<

私のグループでは、「ジンタテ」「テンジンヒバチ」

おりょう様。ツトッコさん。クマノシュウ様。

私のナガレでは、三角先生の「テンジン」は、「ジンタテ」と言います。炉は「テンジンヒバチ」「ヒバチ」と呼びます。

1本棒の時は、セブリの天井「ムナモチボウ」に「ジンタテ」の先端を縛ります。ジンタテの下は、埋めません。

武蔵シュウは、しばらく移動しないときは、下をドメル時もありますが、その時は「ネカセ」を石か木棒でドメています。
重い鍋を吊るす時は、「ムナモチボウ」に縛るか、藤紐を張ります。

他の多くのナガレでは、2本の木棒や、スス竹を「オガミシバリ」にしているやり方もかなりあります。このほうが、むしろ多いです。
その際は、やや前倒しにして後方へ、藤紐で「ヒキハリ」をします。

3本立ては、「ツブナベ」と言って、どこのナガレも嫌がり、していません。
われらナガレの者同士は、セブリバのジンタテボウをみてから、セブリに近づきますが、それからは両手の平を前に出して、見せて挨拶します。

しかし、おりょう様、ツトッコさん、本当によく知ってお見えで、かなり調べておられます。
ひょとして先代まで、どこかのナガレシュウではありませんか?
もしジモドリが望みなら、ナガレのシュウからサイギョウの「フミ」が届くかもしれません。

      フミのアヤタチのオビト

おりょう - 2005/02/13(日) 13:18<

天人

宮本常一さんの本だったと思うのですが、乞食かサンカか見分けがつくのは、二本か三本かでわかるというような事を読み、その時に「なるほど、そういった区別があるのかと」印象に残った記憶があるのですが、
これははっきりした記憶ではありません。
三角寛以前にサンカに注目した新聞記者の鷹野弥三郎という人が大正三年に大阪朝日新聞日曜付録に載せた「山窩の生活」のセブリのスケッチを見るとセブリ入口正面に二本で絵が書かれています。
私はツトッコさんのおっしゃる「山窩の話」の本は持ってないので「天人の図」は分からないのですが、三角寛の「サンカ社会の研究」「サンカの社会資料」の写真をみると全部一本ですね。
「山窩物語」の184ページに、辰さんのセブリを尋ねた時、三角寛は「辰さんは格は低い親分でも、瀬降も本格で、瀬降の平爐には、本格のシンボルである自在鍵をかけている。これは「一本自在」といって、こ
れは転場物では使えない自在鍵の本物である。・・・とあります。
ちなみに八切さんの本の表紙の絵も一本自在です。
M一家だけが一本自在なのか、それぞれの「ながれ」で違うのか、関東と関西で違うのか、はたまた演出なのか私にはわかりません。
私には一本や二本の枝で何人分かの重い鍋やヤカンがぶらさがるというほうがサプライズです。
フミのアヤタチのオビトさんなら答えてくれるかもしれません。
ツトッコさんはサンカ研究に相当くわしそうでですね。
また、いろいろ教えてくださいね。

やなさん、サンカなら竹つかわないのでしょうか?。
以前、八王子の「ウカイトリヤマ」の資料館にいったときにみた天人はすばらしかったです。

- 2005/02/13(日) 11:30<

天神!

グミ → ククミ (ク クミ) → ク クメ …私の久米

久米 → 押志岐毘古 → 天神族 氏祖は天御中主尊…神武

久米 クニンダ  国 nだ!  …  国引き神話

分捕って個の所有物とした物を 国 と言う。… 小さき物は シマ で、呼び名を 品(ボン)亦は、カワ(川)と言う。


△うぶ - 2005/02/13(日) 03:14<

バトルではなく

イチジク浣腸の役積もりで、、、、ひり出し、、、同時に屁理屈も返し。

オッパイすそ、漢字では蘇曾ですね、蘇はチーズの意味も、蘇る(甦る)、親代からの新生(児)。
そが→曽我、蘇我、の二種類有り、、、関係有りや?。曽は「かつて」、蘇は「エキス」、、、、
つまり「元を辿れば」で共通か。
阿は穴でも太陽でも、、、太陽は地面の穴から昇ってくるの神話で。太陽アラーを阿那と訛った?
、和歌山にこの訛り方有りで、事は重大かも。
三つ目小僧の真ん中の目の位置を「太陽穴」とも。
サンカ文字については他の方、お願いします、、、、、無学です。

ツトッコさん
爪が違うと書いたのは、おりょうさんの仰る、二本三本の事です。
八切さんが書かなかったのはタブーでは無くて、擁護かな?

ya(・ε^)na - 2005/02/12(土) 23:46<

テンジン

ねえねえ・・  テンジンの原木はグミでしたよねぇ

ツトッコ - 2005/02/12(土) 23:35<

天人

おりょうさん
只野潤「サンカ聞き書」には、炉に鍋、土瓶、釜などを釣る時は、天井から自在鍵をつるしているが、普通の小屋では斜状の木を又にして用いる。これにはしきたりがあって、サンカは二本、マタギは三本の櫓を作って用いている。この部分はやはりサンカは二本の木の又で自在鍵をつるしているとのことではないのでしょうか。
前述した「山窩の話」で天神の図で示したセブリの主と「山窩物語」のセブリの主は同じ、サンカ文字に関係する池亀なんですよ。やはり、2本棒が正解なんでしょうか?

△うぶさん
本物の天人は爪が違うのは初耳です。
八切止夫さんのサンカ五部作の中の3作で使われている表紙の絵は一本棒で書かれていますね。
八切止夫さんにしても天人のタブーを恐れて知っていても三角以上のことは書かなかっでしょうか?

おりょう - 2005/02/12(土) 21:31<

訂正

ツトッコさん
自在鍵のつるしかたと書いてしまいましたが訂正します。
爐を作るしきたりとしてサンカは二本。マタギは三本の爐を作ってもちいる。
これは只野潤「サンカ聞き書き」によるものです。

サンカ社会の研究266ページの「許されない自在鍵の使用」読みますと
サンカだけがわかるしきたりがあるようですね。

 

おりょう - 2005/02/12(土) 13:13<

いろいろ

尾張のクズシリさん
カンヅメ状態なんですね。ということは本が出るのも近いですね。
マムシ酒で栄養つけて頑張ってください。楽しみにしています。

メールコーナに蜜柑さんが書いておられる、大分県立竹田高校の鳥養孝好さんがサンカ研究された「大野川流域に生きる人々」は三角寛の故郷でもあったんですね。

ツトッコさん
自在鍵は、つるし方によってサンカか乞食か区別がつくそうです。サンカは二本、乞食は三本だそうです。
マタギも三本用いるようです。(サンカ聞き書き 只野潤)
「社会探訪」では、瀬降入口正面にワクのない地面を掘り、その爐の上に天人(てんじん)という自在鍵
を傾斜に立てた一本棒を吊下げ、六分目の力場に細引きをむすび、その先に自在鍵をさげてある。・・と
あります。必ずしもサンカの掟(あるのかないのかわかりませんが)どうりでもないようですね。

やぞーさん やなさん
先日、我が家でも10年生きていた小さなインコの野辺送りをしました。なんだか小さな命の憐れさみた
いなものを感じてハンカチにつつんで埋めました。猫がきて掘られると可哀想に思い上に石を置いておき
ましたが、それでも虫がくるんんじゃないかと思ってみたり・・・仕方ないか。






- 2005/02/12(土) 09:08<

文字と言葉

久米は神武の子供。

久米 は久米島では クニンダ と発音する。

- 2005/02/12(土) 08:58<

バトルもどき!

バトルもどき!
○曾とは「○が溜まっている状態」

 すばらしい解釈ですね。デカパイの土偶は稚児のミルクが溜まっている。
 オッパイを すそ と言う。 sosu suso

阿は太陽

 阿 は 穴 では?
 大穴もち、竪穴、横穴。 サンカ文字の ア  。
 太陽は ヒ でしょう。
 サンカ文字の ア は穴です。 と、 ヒ が太陽ですね。

コ は一人称、  カ は二人称、  シャ、イト  は三人称  では?


伊豆の伊東 と 糸島の伊都 は別解釈。

伊東 → イトー → イトト 学ぶ。 マスターする。
イトト を反転させて  トートイ 尊い。

満月ならなんと呼ぶ  
ブランコ 私だけのブ。 この ブ を用いて ブワン bu の子音が落ちて ウワン →オワン(お椀)

ブ 武 無 舞 葡 全て一点に帰すでしょう。

教えてください。

サンカ言葉で ム のつく言葉と ウ のつく言葉を・・・・・ お願いします。
サンカ文字で ウ と ム が入れ替わっているのではないかと思考中。

ya(・ε^)na - 2005/02/12(土) 02:24<

ナーム・・

大きな自然に抱かれ夢見る時・・
 山に憧れ清い死を夢見る・・しかし
  冬の厳しい自然はそれを拒む・・・・
  白い魔人は美しい自然を餌に人を引き込む・・
    自然の中に倒れる人は、美しくもなければなんでもない
   雪解けの頃
     その遺体はウジにまみれ、それは鼓動してるかのように胸は動くとのこと
 町で生活していると・・
   業者が綺麗に人の終末を飾ってくれる・・

     
    ヤマガラの死・・・・
     その屍の匂いを感じて掘り返す輩・・・
      何事もなかったみたいに・・
   夜明けとともに、ヤマガラや小鳥たちのさえずりがはじまる

       自然て・・・・こんなもんやろねぇ

△うぶ - 2005/02/12(土) 02:11<

天仁?

どこで読んだか忘れましたが、本物のテンジンは爪が違うと書いて有ったような?。
八切止夫さんの文章中、御祖母さんとの会話で、幼少の頃駐在所にタムロしていた時見た、
新聞紙に包んだテンジンを提出して、巡査から現金(大金)を貰ってゆく男の話が有りました。
御祖母さんは「そらあ、テンジンだがや!」、、(中略)、、眼に涙を浮かべ、、、、(うんぬん)、と。
もし普通の棒なら、巡査が判断出来る訳が無いですね、きっと普通の自在鈎とは違う、強い特徴が
有る筈で。世の中、テンジンの情報には金石混交しているのではないでしょうか?
テンジンを一見して、真者偽者を判断するらしいです。と言う事はいろいろ存在、の証ですね。
ちなみに、テンジンは強いタブーになっているらしいので、深い詮索しない方が良いかも知れません。

ヤゾー - 2005/02/12(土) 00:36<

ヤマガラの死

みなさん こんばんわ

はまさん はじめまして
サンカの人たちは
縄文の感性のようなものを受け継いでいたような気がしています。

昨日 何かが窓にぶつかる音がしたので表に出てみると
ヤマガラが窓の下にうずくまっていました。
前にも同じようなことがあって
そのときは手の中で しばらくし様子を見ていたら元気に飛び立っていったのですが
今回は手の中で苦しそうに口をパクパクさせながら死んでしまいました。
死んでゆく間際 クリクリした愛らしい目となり 穏やかな表情になって死んだのが可哀相でせつなかったです。
基本的に動物は 人間のことが好きなのだという気がします。
色々と悪意を持った人間も多いですが 動物に対して愛を持って接すると
動物はそのことをよく知り それに答えてくれます。
万物の霊長たる人間なればこそ 動物にとって親のような存在でありたいものです。
という思いを持ちながら釣りはするのじゃ〜 肉も喰うのじゃ〜 矛盾しているのじゃ〜と
いつもヤマガラがとまっている桜の木の下に埋めました。
朝見てみると 埋めたところがタヌキにでも掘られたのか ヤマガラの死骸は無くなっていました。
その方が 自然なことなのかも知れません。

- 2005/02/11(金) 22:43<

サンカ文字

「二本の棒を拝み合わせにした鍋釣を立ててあります。」

当然ですね。
サンカ文字の ル がそれを教えています。

ツトッコ - 2005/02/11(金) 22:35<

疑問点2

はまさん、尾張のクズシリさん、△うぶさん、おりょうさん、いろいろ教えて頂きありがとうございます。

疑問点2はテンジン(ジンタテボウ?)のことです。
三角いわく、テンジンはウメガイと共にサンカのシンボルとされていて、自分のイメージとしては三角の写真のように一本の棒の先端1/3位の所から麻縄などで縛って自在鈎を吊るすものですが、ところが三角は『山窩の話』では、図で示し「二本の棒を拝み合わせにした鍋釣を立ててあります。」、「ちゃんと二本棒を立てて、その入り口に切ってある炉など、多摩川のセブリと寸分違わないものでありました。」とあります。
もうひとつ、鷹野弥三郎の『山窩の生活』のセブリのスケッチも2本棒で鍋を吊るしています。
上記の『山窩の話』での2本棒は『山窩物語』では1本棒にかわっています。
フミのアヤタチのオビトさんの推察ですと写真はM一家からの買い付けとなっていますが、三角の写真以外で一本棒のテンジンの写真はあるのでしょうか?『サンカ学入門』の表紙の写真ではセブリの前に太い棒が写っていますがテンジンかどうかはっきり分かりません。
三宅武夫さんの『ブランコ』の天人のスケッチが書かれていますが、当のサンカと思しき人はテンジン、ウメガイと言ってないと書かれている。後の部分で三角寛と言う人の書いた何かと言う表現から三角寛の書物を読んだ影響でテンジンとゆう言葉を使っていると思われます。また、スケッチに描かれている自在鈎はテンジンとゆうより古民家にあるもののようです。
テンジンは本当はジンタテボウといい、三角寛がサンカに神秘性を持たせるためにテンジンとゆう言葉を作り出し、絵になるように一本棒にしたのでしょうか?





はま - 2005/02/11(金) 18:08<

古語

始めまして 縄文時代に 興味津々の はまです。
サンカの人々の文化は 縄文時代に 深く関係があるのでしょうか。
古語が話題に なっているようですが たいへん 面白いホームページが あります。
ご紹介しておきます。
http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/index.html#ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源

尾張のクズシリ - 2005/02/11(金) 13:58<

恥ずかしい・・・誤字だらけ

強殺力・・・・>洞察力
生還・・・・・>静観

自分の教養の無さと、心の“静”を失った、お恥ずかしい焦りに・・・・・あきれました。

尾張のクズシリ - 2005/02/11(金) 13:52<

ターザン事件・・・その2、 もう少し待ってネ!

クマノシュウの皆様、おりょうさん、ツトッコさん、風さん、△うぶさん、フミのアヤタチさん
本当に、皆様は奥深い知識、教養、強殺力、考察力をお持ちになって、学者様ですネ!!!

私事。
いま納期の約束が守れず、催促をやんやと受け、フラフラの軟禁状態におかれています。
これを、片付けましたら、「ターザン事件」を書き込みします。
そして、おまけのサンカニュースも・・・・ありますので

その間、言語語源学者の △うぶさん vs 風さん。それに、武蔵サンカのおりょうアンネ と サンカ学のツットコさん それにクマノシュウを交えた、強烈なバトル論争を・・・・・

指をくわえて・・・・・・生還しております・・・・

△うぶ - 2005/02/11(金) 02:29<

なんだかなあーーー。

○曾とは「○が溜まっている状態」、木曽、味噌、伊曽、奈曽、、、。
阿は太陽、阿曾は宇宙のエネが充満している状態の山。
ワチ、和知、輪地、倭地、、、、、ヤチなら谷地が。
カヤ、可也(出来る)。
月、肉月(扁)で、革と同様。ブランコも革扁なのですね?、
ワチと呼ぶなら新月で、漆黒では無く薄明かり、、、三日月や満月ならなんと呼ぶ?
月ケ谷越えれば三ケ日の町。
伊都は倭系、イツとも発音、、、伊豆の伊東。
伊都は呉音系では「みんな」の意、カイトは「彼伊都」で「彼等」で、「奴等」。
では?、、、、、、では。

- 2005/02/10(木) 15:24<

ドングリさんの事典


興味津津ですね。
月 は つく が根底にあるようですね。
突っつく、昼は、つくつく法師、夜は夜這い^^
つく とは ノック することです。

わち =@ カイト
薄暗いを指して カイト と言っているのでわ?
カイト とは あなたはそれ ということです。
例えば、 漢委奴国王 を指して 伊都 という。 魏志倭人伝の伊都です。
カイトの イト と 伊都 は同じ言葉でしょう。
わち =A 播磨で物のふち
ふち とは 1.底が深く水がよどんでいる所。
      2.容易に抜け出られない苦しい境遇。苦境。「絶望の―に突き落とされる」
わち =B 莊、 東、 谷
莊 荘園 荘園は何故つくられたか? ・・・・ 財産隠し。
そう とは 賄賂 のことです。

ブランコ と呼ばれる正体は 銅鐸 ではないか?

おりょう - 2005/02/10(木) 13:37<

フミのアヤタチのオビトさんの資料

上垣和三郎
>彼は乞食のK一家の下端の一員。親分には女が何人もいた。
清水精一さん「大地に生きる」のような乞食一家があったんですね。
これは関東の事なのでしょうか、いろいろ資料が出てきているようで楽しみです。

それにしても三角寛は一生の間のどの時点で、御自分が”サンカである”ということを知ったのか、それとも子供の時分からなのか謎ばかりです。
>M一家の外様縁組での舎弟頭を降ろされ、所属は本家の京都G一家のナンバー2に戻った様である。
もともとは本家の組織の人間であったようですが、いつから一員だったのか興味があります。

フミのアヤタチのオビトさんの資料出るのが楽しみです。


おりょう - 2005/02/10(木) 12:55<

月ヶ谷とブランコ

おはようございます。
ツトッコさん 風さん いろいろ教えていただいてありがとうございます。

わちがや”とは読めませんでした。意味も不明、で、ちよっとドングリさんの事典ひもといてみました。
月 = @ 江戸の揚げ代銀一匁の端(はし)女郎
     「大阪の色町、・・陰(ニ匁取)・汐(三匁取)と云う事、少し至らせける」西鶴、がち
    A 付き、明治盗語で強盗の見張り人、ヤシ語の押し売り
わち =@ カイト
    A 播磨で物のふち 
    B 莊、 東、 谷
    C 谷で薄暗いということもはいりますよね。

ブランコ 革秋 韆 (しゅうせん)”しゅう”という字が出せませんでしたが、江戸時代明和年間頃まで
は”ゆさはり”とよませていたらしいです。(樋口清之)
天幕のユサバリも風で揺れることからきているのですね。
ブランコは、ブランドキ(長野)、ブラサンコ(熊本)、ブンガサイ(新潟)、ブラリンコ(高知)と各地で呼び方がちがうみたいです。


 




- 2005/02/10(木) 08:54<

月ヶ谷

月ヶ谷は「わちがや」と読ませるのですね。
ワチとは 薄暗い ということです。
ガヤ とは 真似る、相似 ということです。
もし、
カヤ なら 能力(出来る)を意味します。

- 2005/02/10(木) 08:46<

サンカ文字


島家・松島家の家紋が リ と言う文字につかわれている。
さて、 ア という文字は何処からきたか?
おそらく、ウガヤ王の王冠のトップに置かれた紋章ではないか。
三角はウガヤの王冠を知らないはずです。
沖縄の伊良波家・糸満家の紋章としてもつかわれている。
紋章の起源はクバウであるとおもわれる。
クバウというのは入り口が小さく内部が広くなっている洞穴のことです。・・・人の最古の住まい。
紋章はクバウの内部から外部を見た状態を図象化したものでしょう。

山窩(サンカ)文字と豊国文字をみくらべると面白いです。

ツトッコ - 2005/02/09(水) 21:32<

おりょうさんへ

月ヶ谷は「わちがや」と読みます。月ヶ谷には徳川秀忠の生母愛の方の外祖父西郷弾正左衛門正勝の父正員が月ヶ谷城を築きました。また、月ヶ谷山萬福寺には6世紀中期の古墳があります。嵩山の隣には「エミシの国の女神」にもでている石巻山があります。石巻山山頂には磐座があり見る方向によっては三角錐の形をしていて往年のサンデー毎日か酒井勝軍の日本のピラミッドのようです。また石巻山には石巻山城、麓には高井城がありました。共に南朝方の武将であった高井主膳正の居城といわれてます。南朝といえば石巻には玉川の地名があり南朝の長慶天皇は紀州の玉川ではなく石巻の玉川に御所を構えていた伝説があります。そして石巻山は修験の山でもあり、ダイダラボッチの伝説もあり、なんともサンカの香りがします。
石巻山のもう一つの側面として山腹と麓に石巻神社があり祭神は大己貴神です。山腹には風穴(別名蛇穴、嵩山とは違う穴)があり麓の三口池には竜神伝説。山麓は美和郷と呼ばれ、三輪川が流れ大和の大神神社と三輪山との関係に似ています。偶然とは思いますが現在の大神神社の宮司さんは豊橋出身の人らしいです。

尾張のクズシリさん
作手のターザン事件もっと知りたいです。

ツトッコ - 2005/02/09(水) 19:43<

サンカ文字

尾張のクズシリさん、蜜柑さんやっぱりそうなんですかね〜

三角は炙り出し文字の写真の入手経路を隠すためにこの話を作ったのか、サンカ文字をでっち上げるためなのか解らないですね。「味噌大学」の「くまぬくすびのみこと」は吉田八郎訳著「上つ記」だと熊野葛日之命(くまぬくずびのみこと)の血統、熊野葛日之命、瑞之所明姫之命の御子、測大隈之命 測小隅之命 曾木持多利之命 貫木実之緒之命 屋根境由良志之命。「上つ記」のなかでは味噌を発明した神様は長狭之命となってますが。
「味噌大学」、「ブランコ」、「最後の箕作り職人相田実」とサンカ文字の真偽は闇の中ですか?
お二人の今後の調査を楽しみにしてます。
蜜柑さんの三角寛の妄想の表現ちょっと笑えました。

- 2005/02/09(水) 12:19<

阿曾とは狗


阿曾とは狗と言うこと也。
また、
阿曾とは煙を吐くと云う事象なり。
富士山が煙を吐いていたときは 阿曾山と呼ばれていた。

狗の咆哮を タケ と言う也。・・・御嶽。

>エラギ

ェ とは イタ、エタ 也。
ラギ とは always (何時でも)ということ也。

亀吉の亀は割礼の義也。
鶴吉の鶴は指し示すということ也。

野衾(のぶすま)とは 先祖から純血が保たれている根 ということ。

「ウツリ」 とは 割礼の境界。
ツリはトリとも云う。 酉。
神武は 酉年に即位している。紀元前660年正月元旦。

匿名希望のおっちゃん - 2005/02/09(水) 01:39<

窃盗

ドロボーっていえば、携帯のバッテリーなくなって、公園の障害者用トイレに、電磁弁用コンセントあって、そこに充電器差し込んで、充電したことあるわ。
これって、ミミッチイけど、窃盗やろ?
多分、誰か分かってしまうけど、現行犯やないと捕まれへんのやろ?ちゃうんかいなあ?

こわい話教えてあげよか(^o^)

空き家があってな、けど、電気のメーター回ってるねん。
どこ見ても、電気つこてないねん。
よう、捜したら、コンセントに一個プラグが刺さっててな、その線たどると、庭の土の中に消えとる。

なんや、こりゃ・・って掘ってみたら、大きな冷蔵庫が埋まってて、動いとる。
開けてみたら、死体入ってたちゅう。
腐らん様にしたんかな?って、そんな話やけど、聞いたことあるやろ(^o^)

蜜柑 - 2005/02/09(水) 00:07<

ツトッコさんへ

小説家・三角が色々脚色したのでしょう。
マージナルに載ってる「サンカの足跡を訪ねて」によると、溝口の神社に盲目の妻を持つサンカがいたことは確実なようですから。その、盲目になる過程は「本人は黙して語らず」のところを、三角が想像・妄想を働かせて書いたのだと思います。

フミのアヤタチのオビト - 2005/02/08(火) 20:56<

サンカ文献ガイダンス その7 転載禁止

今回は三角寛の昭和31年文献と、三角に資料提供者の上垣氏について。

昭和31年
4月1日 三角寛『山窩血笑記』赤色表紙、P295、180円、東都書房。サンカ言葉辞典巻末1有
同月同日 三角寛『山刃の掟』黄色表紙、P278、180円、東都書房。   同2有 貴重
同月同日 三角寛『愛欲の瀬降』青色表紙、P294、180円、東都書房。  同3有 貴重
10月25日 三角寛、松野一夫画「山窩秘譚 山刃の掟」P168〜P179、『特集 文藝・十一月号』130円、渇ヘ出書房。

上垣和三郎死去58歳
上垣のことを、少々書いておきます。彼のした主要な事…>は現在資料の解析中。以下は、予察も含んでいる。
彼は、三角にサンカについてのレポート原稿を2回渡す。
上垣レポートの第2回目は某所より発見された。第1回目もバラけているが、某より発見、中味の確認、解析、進行中。
彼は乞食のK一家の下端の一員。親分には女が何人もいた。
彼は、好男色系のホモで金を稼いでいた。
彼は、古典に詳しく、難解な古文を解釈でき、レポートの文字も上手い。
彼は、三角に田路一家(仮名)というマムシ捕りのサンカグループを紹介した。
(田路は正式には一家は組んでいないが、息吹山麓○○郡○○町に法人組長がいた)
彼の仲介で、三角寛は田路組長とも親子杯をした。武蔵M一家は、これに強く反対した。M一家の外様縁組での舎弟頭を降ろされ、所属は本家の京都G一家のナンバー2に戻った様である。
三角の博士論文は、写真はM一家からの買い付け処理、本論は本家の資料提供が多いと思われる(推察)。

3月文藝坐オープン(野上支配人)
【資料】7月15日のボーナス支給の一文。
三角ノート。メモ。バラ資料。

おりょう - 2005/02/08(火) 18:34<

ドロボー

あっ!私も
尾張のクズシリさん尾張にしないでー。
枝から枝え、なんだかカムイみたいですね。
野衾(のぶすま)はムササビの異称で伊豆地方ではサンカのことを云うらしいです。

>三河へフィールド調査に行ったほうが、ベターですネ!
大阪の友人から、「あんたは、あっち行きたいこっち行きたいと、何時も実行しないで風呂屋やね」
「えっ!風呂屋ってなに?」
「湯ばっかりや!」
こんな会話でこの間大笑いしました。

電気代ドロボー
あるマンションの住人が、毎月の電気代が急に嵩むのでおかしいなぁーと思いながらも、そのまま生活し
ていました。で、ある時、ベランダ(ベランダに洗濯機がおいてある)で洗濯していたら、見覚えのない
コードが差し込んであるので、変だと思いそのコードをたどっていくと隣に繋がっていて、その隣の住人
がしっかり電気代盗んでいました。そこの住人のおばぁーさんは電気代払えなくて電気止められていたん
です。これ本当の話です。

ヤゾー - 2005/02/08(火) 18:33<

会員用掲示板

みなさん こんばんわ

尾張のクズシリさん メールを頂いたのに申し訳ありませんでした。
あまりにもウイルスやアダルト広告ばかりくるので 以前使っていたアドレスは切っておりました。
ターザン事件の話 面白そうですから 是非に続きをお聞かせて下さい。

白昼堂々のビデオは蜜柑さんちで観ました。
とても面白い映画でした。
渥美清と藤岡琢也のやり取りも傑作でした。

会員用掲示板を作りました。
住所氏名を明かせる方のみを対象としています。
ご利用したい方はguest@kumanolife.com宛てにメールを下さい。
アドレス 認証用ID パスワードをお知らせします。

ヨーカン - 2005/02/08(火) 12:18<

尾張のクズシリさん

ターザンの事 尾張いわんと もっと 尾瀬戸くれーなもし

尾張のクズシリ - 2005/02/08(火) 10:16<

皆様は博識ですね!!

書き遅れました。
おりょうさんも風さん。こうへいさん。ツトッコさん。皆さん本当に博識です。
学ばせて頂きます。
ツトッコさん。よく調べておられますね!! 三角寛の記述プロセスの解析に驚きました。
おそらく三角寛の記していた「盲目の美人」のこと、それで正解と思います。
おりょう様。三河へフィールド調査に行ったほうが、ベターですネ!

尾張のクズシリ - 2005/02/08(火) 09:59<

ターザン事件・・・ご存知でしたか?

ヤゾーさん。クマノシュウの皆さん。おりょうさん。ツットコさん。フミのアヤタチさん。

  「ターザン事件」
昭和28年後半〜30年代に、愛知県作手の豊根村周辺の山村地帯で、山仕事に出かけた山家に侵入しては、食べ物と小銭だけを盗んでいたこそ泥がいました。
人や、その他のものには、決して危害を加えることはなっかた。むしろ、可愛げのある泥棒でした。
ただし、見つけられても、逃げ足が速く、あっという間に山の中に逃げ込んでしまう機敏で、忍者のような、身軽い技能を身につけていました。
何度も見つけられ、各村の青年団や駐在が追いかけて、挟み撃ちをされました。
そんな時には、すばやく木に上り、木の枝からに枝に身軽に飛び移りながら、逃げていきました。
これが「ターザン事件」です。
三角の、説教強盗事件を彷彿とさせる、山村を舞台にした奇怪な事件でした。

この事件や人のこと。 知って見えますか?
  もしご存じなければ、続きを記します。

- 2005/02/08(火) 09:13<

家紋とサンカ文字


http://www.okinawajoho.net/pc/culture/kamon/pages/s01.html
↑島家紋章                                         
元祖:島袋親雲上親昌二世親重
旧首里士族支流
当主 島 親保
島島門中同門の分家姓は、同じく島で、名乗頭は親である。

1. 表は島家、裏は松島家。
2. 沖縄には島制度あり、氏族と島の者との血の混入は皆無に近かった。
3. サンカ文字の リ が家紋となっている。

リ とは分けるの義。

島家と松島家の図象の角度のズレは90度
歳差運動による90度ズレる年数は6480年。
島と言う構造は 6480年前から存在していた証。

まつしま の古語は まつとしま
まつと とは学ぶと言う事なり。 島を学ぶをまつとしまという。

仙台の松島。 せんだい →しんだい  
しん とは 秦か? 始か? 
第10代 崇神(スジン)の シン に係わり合いがあるのでは?
スジン スシシン スシ(鍵) シン( 始、秦)

まつと → 松戸?

おりょう - 2005/02/07(月) 20:21<

こんばんわ

さすがに蜜柑さんちは何でも揃っていてサンカ資料の宝庫ですよね。

ツトッコさん
窩山がサンカのセブリバなら、奇怪な風評を流して村人を寄せ付けないためのサンカ側の陰謀もあったかも。戦国時代のわざと風評を流して相手側を撹乱(脅す)する戦術かも知れません。
でも、文面から察するに実際に恐そうな所のようですね。
月が谷 松明峠とかサンカっぽい名前もでてきます。

今、空き巣が多いそうですが、古い本に「希代の大泥棒ルパン四世」と名乗る男が昭和58年2月に逮捕、警視庁始まって以来の大泥棒だそうで逮捕されたとき、捜索したマンションには宝石類が5千点、ギフト類3万5千点、白手袋とドライバー一本のみでこれだけ稼いだそうです。生まれは北海道の炭坑で中学のとき一家で上京、葛飾区で住んでいて、不良仲間を通じてM会N一家に入り・・・。
手口はドライバー一本で窓ガラスの合わせの位置にある鍵部分をテコの応用でガラスにひびをいれてピッと斜めに割るそうです。犯行は午後4時〜7時がはいりやすいそうです。始めは石を投げて留守かどうか確かめるそうです。
セコムしてますか?のコマーシャルしていた長島さんちも泥棒に入られてなんだかね・・・・。



ツトッコ - 2005/02/07(月) 20:15<

疑問点1

三角寛の@「山窩物語」の溝口亀吉・お雪、A「山窩を訪ねての旅」の鶴吉・お菊、B「サンカ社会の研究」の池岸亀蔵・お花、C「山窩銘々伝」の池田亀吉・阿花、D「山窩の話」の△△△△・お菊、E「山窩が世にでるまで」の池野清八・お菊、そしてFマージナルvol.2の「究極のフィールドワークA 三角寛「山窩小説」を歩く 其の2」(3)の旦那さん・箕直しの盲目女の人、Gマージナルvol.3の「究極のフィールドワークB 三角寛「山窩小説」を歩く 其の三」の池島さん・盲目の奥さん、これらはすべて同一の夫婦のことであり「山窩社会の研究」のサンカ文字の炙り出し分布表のエラギの一の阿國にまつわる夫婦のことだと思います。

この三人を「山窩社会の研究」の池亀・お花・阿國(お花の育て母)の名前で固定してみて、お花が盲目になった理由として@、Bでは池亀・お花の結婚に対する阿國の介入によりウメガイで両目を切って失明した。Aには盲目の記述なし。C後年淋毒で目を失った。D眼は淋菌がはいって、風眼でつぶれた。Eある事情で急に失明した。F、Gは盲目の証言あり。

疑問点はお花は本当に盲目ではあったが盲目になった理由は本当はC、Dの理由であり@、Bはサンカ文字発見のプロセスを作りだすためため、三角寛一流の創作した話ではないのか?それとも作品の発表時期が戦前、戦後をまたいでいて、その間に三角は@、Bの理由をしったのでしょうか?

こうへい - 2005/02/07(月) 18:20<

蜜柑さん

「実録泥棒大家族」は、買って読みました(^o^)
「白昼堂々」は、事前知識に役立ちますか。
同じ、筑豊ですけど。

- 2005/02/07(月) 16:57<

家紋

松島家紋章

http://www.okinawajoho.net/pc/culture/kamon/pages/m01.html

サンカ 松島一家の家紋かも?

- 2005/02/07(月) 13:14<

富士山頂は浅間大社の土地

徳川家康が富士山本宮浅間大社(渡辺新宮司、静岡県富士宮市)に寄進したとされる富士山8合目以上の国有地約385万平方メートルが、大社側に無償で譲り渡されることになり、財務省東海財務局と同大社が12月17日、譲与に関する文書を交わした。(毎日新聞)

徳川家康・徳川家康・徳川家康

- 2005/02/07(月) 13:01<

嵩山(すせ) 

嵩山(すせ) = 鍵
     す
   /          
すせ          せぶ = sanset(日没)                
   \       / 
    せ → せぶり
           \
            り

すせ とは 鍵 と言う事なり。
せ とは せぶり なり。
せぶ とは sanset(日没)なり。

せぶりば を せぶり場 と取るか、 セブ リバ とするか?
リバ とは 「・・・でしょう」と言う確認を誘発する為の言葉です。
セブ リバ で 「sanset そうでしょう」ということです。

余談
sumi → imus → imu + s
imu は imo で 芋。 s は su で 州  州とは三角州。
三角州で育った 芋 を継承して 角 という。

海に出来た三角州を 倭 という。
陸に出来た三角州を ホウタン(和) と言う。(敦煌)

         

蜜柑 - 2005/02/07(月) 12:33<

泥棒部落

を映画化した「白昼堂々」のビデオ手元にあります。
ロケ地が炭鉱集落で、雰囲気あります。見たい人はメールください。(ヤゾーにメルアド聞いてください)

こうへい - 2005/02/06(日) 23:37<

そうでしょうね

>泥棒部落が消滅したからといって泥棒稼業をしていた人間がいなくなったわけじゃないとか書い>てありましたよ。でも、もう普通の市民として生活しているかも。

そうだと思います。頭が捕まって、もうどうにも・・って状態で本は終わってました。
前科一犯は、執行猶予で帰ってきてるし、刑期終えた人も帰ってきてると思います。
で、その後 何歳くらいになってるかは、本が手元にないのでわかりませんが・・
策はありませんが、何となく行ってみるって事で・・地形も本とは随分変わってると思います
大体のことは、頭に入れておかないと(^o^)

ツトッコ - 2005/02/06(日) 21:37<

セブリバとは驚きです

フミのアヤタチのオビトさま
嵩山の蛇穴がセブリバとは驚いています。昭和16から17年、23年に蛇穴が調査され縄文時代早期の土器が発見されたのはしってましたが、その場がセブリバとして利用されていたとは知りませんでした。近くからは牛川原人、三ケ日原人の骨が出土されていることから太古から人が生活をしていたのでしょうか?想像するに鍾乳洞の中は湿気はありますが冬暖かく、夏は涼しく、すごしやすかったのでしょうか。また、近くには水穴があり水の調達ができ、嵩山の集落からは近からず遠からずで箕作りなどの仕事も得やすかったのでしょうか。また、本坂峠を越えればすぐに遠州なのでそちらの方面で仕事を得ていたのでしょうか?サンカには興味があるのですが実際のセブリバの跡は見たことがないので、今度久しぶりに現場を見てきます。

おりょうさま
心霊スポットとして有名なのは三州と遠州の本坂峠の頂上付近の旧トンネルと「山窩秘帖」のくらやみ祭の神社のモデルとなった浅間神社です。現在は交通量は少ないですが、江戸時代には宝永4年の大地震の影響で浜名湖の今切渡海が危険であったので東海道の脇往還であった本坂峠を含む姫街道を利用する人は多く、嵩山には本陣、脇本陣、旅籠があったみたいです。
自分は怖いもの好きだけど怖がりなのでバイクで一人でそのトンネルを通る時は大声で歌を歌って走り抜けてました。

おりょう - 2005/02/06(日) 16:27<

興味津々なことばかり・・・。 

>「サンカ・シノガラ」の組織解るかも・・・・・乞うご期待。
尾張のクズシリさん 大いに期待しています。待ち遠しいくらいです。
錚々たる名前が出てまいりましたが、他にも大物いっぱいいそうですね。楽しみです。

フミのアヤタチのオビトさん
「サンカの社会資料」の「社会探訪」(1)の(ウヌ、ぶち斬ってやる)と睨みすえたヒロさんの凄みと、その後の鎌を振り上げて追いかけられたカメラマンや記者の修羅場のこの文章読んで笑ってしまいました。
そして、その(2)の方の「社会探訪」の写真に、三角寛の従者の若者が写っていますね。この若者がいわ
ゆる用心棒だったわけですね。

もう一人のサンカ小説書いたかたのイチャモンつけられなかった事情も聞きたいです。
よろしかったらお願いします。

昔、子供の頃、本を跨いだりしていたら、祖母が「本1冊書き上げるというのは大変な事なんだ、本1冊には
その作者の魂がこもっているんだから本を跨ぐんじゃない」と言われたことがありますが、調査、聞きとり
文献しらべたりと大変な作業で「魂がこもる」というのがよく解かります。
なのに、ツンドクだけならまだしも、枕にしてはいけませんよね。

フミのアヤタチのオビトさん ツトッコさん
窩山(スセ)心霊スポットになっているんですか?
水上準也の本に書いているとおり昔から無気味なところだったんですね。

>現在は蛇穴は長さ50メートルほどですが第二次世界大戦前にはもっと長くて村の若者2,3人が埋蔵金>探しに入り1週間後ぐらいしてから穴から出てきた時はみな発狂していて「鎧武者がいた」とか言ってい>たそうです。

「山窩秘帳」に
この山には奇怪な言い伝えがあり、その言い伝えを一笑した村人が山に登っていって、それっきりだったと、また、ある者は生きて帰れたが、何者かに着物もズタズタ、手、足にもおびただしい傷を負ったまま
白痴のようになってまもなく死んだ。等など・・。
現在も心霊スポットになっていてまだまだ奇怪な山のようですね。

こうへいさん
2001年12月号の「ダークサイド」に「泥棒部落」1ページだけ載っていました。
泥棒部落が消滅したからといって泥棒稼業をしていた人間がいなくなったわけじゃないとか書いてありまし
たよ。でも、もう普通の市民として生活しているかも。
でも、写真パチパチもこっそりとね。

やぞーさん やなさんありがとうございます。







フミのアヤタチのオビト - 2005/02/06(日) 15:08<

水上の調査と、蛇穴はサンカのセブリバ

   ツトッコ様に、答えます。

@嵩山(すせ)の蛇穴はサンカのセブリバ
三河一之宮の、あるお寺で「ポン」の執拗なほどの聴き取りの後、水上氏(水上純也と思われます)は泊まらしてもらっています。
もし水上氏としたら、サンカの調査を入念にしていたと思います。
嵩山の蛇穴は私の恩師「K先生」が参加して、洞穴の入り口付近のトレンチ調査を昔やりました。
その時、一家族?の竹細工をしていた乞食がいたそうです。
とても怖い人でしたので、豊橋市民生部の方に来ていただき、訳を話して「明日には立ち退くよう」と石巻駐在さんと説得したとの事。
このトレンチ調査では、上層部30センチほどが混乱層で、縄文草創期の土器片と近代遺物(サイコロ、キセルパイプ、釘、近代コイン・・・)が、共伴した状態で検出されております。
この様な事例は、長年繰り返されてきたセブリバの様相と、一致します。私の経験からして、間違いなくこのすせの蛇穴はセブリバと思います。美濃の九合洞穴の調査でも同様でした。

A水上氏の採集したその他の東海地方のサンカ言葉
さすがに、卓見ですね。
「ウツリ」は尾張美濃三河遠州の「呪う」と意味の、サンカ(オタカラシュウ)言葉です。
他に水上氏は「ナガレ」=世間師、「チドリ」=賭け事・・・など、これも三角寛の伏せていたオタカラシュウ言葉であると私は思います。

    フミのアヤタチのオビト

こうへい - 2005/02/06(日) 12:49<

あはは なんて聞けばいいの?

赤のトライアンフ見せに、田川のトモダチとこに行こうと思ってるんだけど・・
トモダチは、「泥棒部落」に連れてってはくれると思うけど、
むこうで、「まだ、今でも、全国にドロボーに回ってるんですか?」って、聞けるのかなあ。
自分の生業に誇りは持ってると思うけど・・・
あの本、新聞記者が潜入して、話や情報をもらい、記事にして、警察に情報流したんでしょう。で、最終的に部落は壊滅状態になった。
記者は、本が売れて儲かったでしょうけど。
まだ、続いていたとしても、人に話すバカじゃないし。
うーん

ツトッコ - 2005/02/06(日) 12:04<
すみません。一部文字化けしてしまいました。該当部分は「山窩秘帖」の中で嵩山は怪奇な場所と書かれていましたが、現在も心霊スポットとして有名であると書きたかったのでが。

フミのアヤタチのオビトさま「山窩秘帖」の中でウツリ(復讐)とありますがこれなんかも水上準也氏、独自使用の符牒なのでしょうか?

ツトッコ - 2005/02/06(日) 11:27<
実は私は水上準也氏の「山窩秘帖」の舞台となった三州吉田(現豊橋市)に住んでいます。
小説の中の由井正雪の埋蔵金の話の種として、話の中で由井正雪の監禁されていた嵩山の蛇穴には武田信玄の埋蔵金伝説があり、それを置き換えて話を創作したのだと思います。伝説としては嵩山には蛇穴、水穴、新穴等の鍾乳洞があり、武田信玄が野田城攻めのさい傷ついたか病かは忘れましたが、水穴の中に身を隠していた、水穴は甲斐の武田領地まで続いていて、それを利用して金銀財宝を運び蛇穴に隠した等です。また、現在は蛇穴は長さ50メートルほどですが第二次世界大戦前にはもっと長くて村の若者2,3人が埋蔵金探しに入り1週間後ぐらいしてから穴から出てきた時はみな発狂していて「鎧武者がいた」とか言っていたそうです。
現在も、本坂峠、浅間神社(小説のなかでは嵩山黒比鷽声辧砲里△燭蠅録肝逎好櫂奪箸箸靴突k召濃笋癸横虻仭宛紊里海蹐茲・了遒靴砲いC泙靴拭」
また、時代は違いますが、鷹野弥三郎の「山窩の生活」の中に山窩の結婚式の例として「(明治40年前後か?)愛知県宝飯郡下地町(現在の豊橋市下地町)の豊川の畔の森中で80余名が集まったとの記述がありますが、この地点など吉田城から僅かに下流1〜2キロの場所であり街中にも相当多数のサンカがいたようです。
以上のことなどから「山窩秘帖」を読んだ感じとしては、水上準也氏は地理的な描写などから豊橋にきて入念な調査をしてから「山窩秘帖」を書かれたと思います。

尾張のクズシリ - 2005/02/05(土) 15:06<

三角寛の人脈の住所録が発見されました!!

差しさわりのない、大物人名のみ抜粋 そのーT

「あ行」のページ
朝倉文雄 荒垣秀雄・・・・・ 井伏鱒二 伊東盛一・・・・ 
扇谷正造 大下宇陀児・・・・
「か行」
河盛好蔵 香取仙之助・・ 杵屋梅助・・ 久保田???・・・
琴吹千草・・・
   以下 「略」 か又は 「そのU」

おりょうさん。この名簿住所録は戦後22年〜のものです。これから解析していきます。
かなり大きな人物が加わった「サンカ・シノガラ」の組織解るかも・・・・・乞うご期待。

ヤゾーさん。どうしてでしょうか?ヤゾーさんへのメール、みな返ってきてしまいます。
試しに、ヤゾーさんから、私にメールを一度送信下されば助かります。

管理人ヤゾー - 2005/02/05(土) 11:05<

今までの投稿は過去の掲示板へ移動しました

みなさん こんにちわ

辻斬りさん お久しぶりです。
熱心に研究されているようで 嬉しく思いました。
これからも期待しております。

おりょうさんの投稿は ヤナさんがおっしゃるように
穏やかで それでいて内容があって大歓迎です。
充電期間を経て パワーアップしたようですね。

バリ師さん こちらではお久しぶりです。
サンカの人たちは 釣りなどがとても上手だったのでしょうね。
地元の釣りバカに不思議な人がいます。
もう亡くなられましたが その人のお父さん叔父さんは
若いころに各地を転々としていそうで
うなぎ捕りの名人で しかも竹細工が上手かったそうです。
どう考えても サンカではないのかと思うのですが
本人はな〜んも聞いてないと言うのです。
その人は 釣りに関しては天才的なところがあって
関西の釣りバカなら よく知る釣り週刊誌のヒゲの社長が
むかし何度か同じ磯で釣りをして こりゃ参ったというほどのセンスの良さと
釣りに対する執念のようなものがあったそうです。
知人が一緒に磯釣り行ったときに あまりに当たりがなかったので
その人がちょっと底見てくると言って パンツ一丁になって海に飛び込んだときには
さすがに唖然としてしまったそうです。もう六十近くだと思うと凄い人です。

フミのアヤタチのオビトさんがこられてから 
おりょうさんや尾張のクズシリさんが戻ってきて下さり
管理してゆく張り合いができました。


 ※はじめて投稿される方へお願い致します。
 同一人物と思われる人の、何度もハンドル名を変えた執拗な嫌がらせ投稿が続いています。
 最近では判断に苦慮するような微妙な投稿になってきていましたが、
 それでも特定の人や管理人を不快にさせる内容に変わりありません。
 そういう投稿と判断した場合には、削除することがありますので、ご了承下さい。
 またプロキシサーバーを経由しての投稿も(内容にもよりますが)削除させていただきます。
 匿名性の持つ良い部分を維持し、気持ちよくやり取りをするためにも、ご理解お願い致します。
 なお、掲示板が活発化してくると、アダルト広告や、ふざけた投稿が増えてきますが、
 複数の人に削除依頼をしていますので、足跡を残すだけになりますので、お考え下さい。


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