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2004年02月25日(水)15時05分までのKumanolifeGuestbookへの書き込みです。


PIKKI <http://mypage.odn.ne.jp/home/hide71> - 2004/02/25(水) 12:26<

*冬の楽しみは酒粕や甘酒やドブロク作り!

冬の鍋は酒粕を入れることが多いのだけど・・石狩鍋など、酒粕を入れると月とスッポンの違いです。是非お試しを!
 栄養的にも点滴とほとんど同じ成分だそうで、ほぼ完全栄養食品で、ビタミンB1やCが不足しているくらいなので、フルーツサラダでも食べれば完璧です。
そういえば、ビタミンB1のない点滴による脳障害をTVでみた覚えがある。僕もビタミンB1不足でないべか?疲労回復や脳・神経に特に効果があるとか。
新鮮な酒粕にはビタミンB1も多いと思うんだけど・・どうなんだろうか?ビタミンB1は特に、豚肉・玄米・ウナギ・大豆に多いそうなので。
 それでいて安いのがなんとも嬉しい。先日も約200円の酒粕で大鍋いっぱい甘酒を作って計算した結果・・一杯が5円程度で、一週間くらい楽しめたもんです。麹の甘酒は、上品な味ですが、一杯10円と割高です。
 日本人や米国人が週5回の肉食を1回減らすだけで救われるという・・約10億人という・・世界各地の飢餓線上の人々にこそ栄養豊富な甘酒や酒粕を!と思うのだけど・・難点は冬季にしかできないことだ。南半球でも日本酒を作ってはどうなんだべか?
自衛隊派兵よりも、こういう分野・・日本人が一番得意な物作りや発酵醸造文化などで、世界に貢献してもらいたいなと思う。

じげもん <http://www.d-b.ne.jp/~dee/> - 2004/02/25(水) 10:54<

神代文字岩

大分県国東にある神代文字岩をアップしました。
ご意見お待ちしております。

こうへい - 2004/02/25(水) 09:12<

トゲトゲの木

GAINAさん おはようございます。

>いちばん上の芽を残しておくのがいいでしょう
いくつか芽が出るということですね。ありがとうございます。見たことないので・・(^o^)

紋次郎さん 挿し木が出来ると言うことですね。
木の生えてたところへ、差しておくと・・これは栽培物なんでしょうか、半野生もの??
栽培物なんやろね、やっぱり。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2004/02/25(水) 07:31<

....貝 ・ 舟 ・ タラ ....


      あれは和歌山県の人だと思いますよ。昭和43年頃です。
      公民館などで貝細工の技術をおしえているひとがいました。
      そのころ、おれ夜光貝とかメキシコ貝でつくった装身具を商っていました。

      そのころ聴いたハナシです。
      生きている貝がピンク色になる注射打った人が警察に検挙されたという
      事件がありました。
      ナァ〜〜ンデカ? ホンモノのニタリ貝には毛ェまで生えているんです。

      舟の種類で荷足(ニタリ)というのがあります。tar は運ぶという意味です
      ので、その名前聞いただけでニタリしちゃオエンとばい。

      こうへいさん、ありがと。これならワカリやすいあるか? 
      直系 3 CM ぐらいのタラの木の枝、幹を 30CMぐらいにぶった切って、まと
      めてでもいいので、上下をまちがえないようにしてちょっと掘りさげた土の
      なかに挿しておけば、1本に 1ヶのタラの芽がえられます。

GAINA - 2004/02/25(水) 02:08<

トゲトゲの木はデリケート

ヤゾーさん、みなさん、こんばんは。

こうへいさん、トゲトゲの木はデリケートですよ。
芽を全部摘み取ると、次の年には芽が出なくなります。
いちばん上の芽を残しておくのがいいでしょう。
あの、アクと苦味がいいです。
スーパーなどで売っているのは、ほとんど栽培。
野生のは、一味違いますよ。

アクと苦味がいい、こんな風に感じるのは歳だそうです!

こうへい - 2004/02/25(水) 00:58<

トゲトゲの木

いたい! ヤナさん そうでしたか。
じつは、今日食いました。食堂で、カミサンの頼んだ天ぷらの中にありました。
聞いて知ったのですが、苦みが無く、やわらかかった。
野生のは、苦いのかなあ。自分で採って、食ってみます。

紋次郎さん こんばんわ。
ぼくは、個人的な意見ですが、わかりやすいのが好きです。(^o^) 

ya(・ε^)na - 2004/02/24(火) 23:18<

トゲトゲの木

こうへいさん、山小屋のとこの階段の上り口とちゃいますか??

  紋次郎さん、ナニ・・のはなしですかぁ??
   ナニ・・んんんん・・へっへへ
 なんや難しい話の後・・
  ナニのはなししたら・・だれでもみーーーんんな・・
     ニタッってします
  ニタッってした後・・・・・もう一度難しいお話してごらんなさいよ
   あんなに難しかった・・・・・話が嘘みたいに・・解決したりして・・
         
      人々と・・出会いの微笑み!!・・
   
     あはっははは私も・・だーーーぃ好きですよぅ
      

          

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2004/02/24(火) 18:42<

....空の星 と ほほえみの美しさ....

                 > 人口が密集してる地域に住めば住むほどココロがスレて冷たくなっていく
                 ★ バスク語に「気候が暖かくなったら人のこころは冷たくなる」ということ
                   ばがあります。夫々が勝手なことを始めるからでしょう。
                   そのとき、人びとはナニを優先的に選択するのか‥‥、ここの基盤を衝い
                   て、そのメカをグワッとひっ掴めば「ほほえみ」は甦るのでは?
                   コンチキ号でオセアニアを冒険したハイエルダ−ルさんが、いちばん忘れ
                   られないこととは「夜空の星の美しさと島々で出会った人びとのほほえ
                   み」だったそうです。

                   人びとにそれを現実のものとして取りもどしてやれないか。

                   近況報告ばい。おら、そげなんこつ考え考え暮らしよります。

こうへい - 2004/02/24(火) 16:32<

粕汁?

粕汁って、食ったことありません。
昔、酒粕に板をかじったことが・・

ヤナさん、今年タラの芽を食ってみようと思ってます。
このまえ、トゲだらけの木を見つけました。
ところが、どこの山だったか、思い出せない。山小屋の上だったのか、近所の山だったかさえ、分からん。脳細胞活性の方法考えなきゃぁ。

こうへい - 2004/02/24(火) 16:24<

カッパくん?

トンちゃん、寝込んでたんですか。
それは、知らずにどうも、どうも・・
復帰できて、良かったよかった。(^o^)

とんちんかん小僧 - 2004/02/24(火) 01:27<

カッパも・・

野史研究会大阪大会(!?)では、皆さんからの大変興味深いお話を聞くことができて幸せでした。Donglyさんに皆さん、遅ればせながらお世話になりありがとうございました。
あの日、最初に真田幸村の大阪城の抜け穴として知られている、三光(さんこう)神社に行き、次に様々な神社を奉った、生魂(いくたま)神社に行き、次に○○○岩(伏せ字でゴメンなさい)がたくさん奉られている,高津(こうず)神社に初日行って来ました。こんな岩、生まれて初めてみたのでかなり興奮しました(*^_^*)
僕とこうへいさんとヤゾーさんは日帰りトリオでしたが深夜何時頃か忘れましたがいろんな紙面に出来ない話題が飛び交いラッキーな一日でした。
でも、あれから数日して体調を崩してしまい昨日のお昼頃まで寝込んでいました(>o<)
長期寝込むことになるのもかなりの驚きでしたが、クマノライフ掲示板の50万件突破の早さにはもっと驚きました!!

さっき、新しい標語をふと思いつきました。
「カッパも風邪を引く」「カッパも寝込む」・・採用されないかなあ。

ya(・ε^)na - 2004/02/23(月) 23:05<

粕汁・・

バリ師さん、だんだん近くなってきました・・
 山が大笑い!!・・
   なん?? ヤナの坊主癖に大笑いやてかぁ!!・・ふん!!
       そのうち、すんごいのんUPしたるわい!!

    でも今はまだ・・へっへへですよん

きのうは、えらい雨でした、トユがあふれてお店の床濡らしました・・
     あちゃーーーぁ、えらいこってすぅ

 暖か過ぎる南風は・・・
   梅の花をあーーーっと言う間に
  満開にしてしまいました
 そんな大阪、ところが今日は一転!!
  ドピューーーの北から冬将軍のお帰りでした
   サブーーーぅ!!

    そんな日には、粕汁ですがな!!
 我が家の粕汁は、塩鮭の頭やこんにゃく、人参・ゴボウ・
大根・小芋・レンコン・うすあげ・・・よおさんはいってますよぅ・・・・
 それを、味噌味で整えてできあがり!!
  青ネギ刻んだのと、清水さんの七味をパラパラ・・・
   東沢さんとこの具はどんなんなん??
    みなさんとこは、ブリの頭・・OR・・お肉なん??

     いただきまーーーす・・へっへへ・フウフウ・・
   ウマーーーーーぃ
     どんぶりに2杯もいただきました・

    おなか満腹!!耳たぶもまっかっか!!


       山笑う・・春はまだまだ・・遠いですよね!!
         バリ師さん・・コゴミ・ふきのとう等の写真ばっかりのUP期待してますよう
           へっへへ・・釣り師はおかしいねぇ!!

         ほなみなさまも、良い汁を・・良い釣りを!!へへ

                              ほなまた

         

ヤゾー - 2004/02/23(月) 11:05<

飯笊

みなさん こんにちわ

こうへいさん 雨の中 墓参りご苦労さまでした。
今度 ユンボでどこか石器が出そうなところを掘り返すときに
一緒に付いて行けば何か見つかるかも知れませんね。

通りすがりさん 白樺についてありがとうございます。
立里荒神さんは荒神岳の近くにありましたね。

東沢さん ありがとうございます。
ほんとうに心象風景が浮かぶような素晴らしい文章でした。
僻地へ行けばいくほど 人が暖かいというか親切なところがあるようですね。
おっしゃるように 人との繋がりを大切に思う古からの良いものが残っているのかも知れません。
何年か前に 熊野地方でも三重県側の僻村を散策したときに
縁側によくできた竹細工が置いてあったので
そこのお婆さんに話し掛けてみたことがありました。
なんでもその竹細工は 飯笊というものだそうで むかしは炊飯保温ジャーなどなかったので
炊いたご飯を その笊に入れて天井から吊るして保存していたのだそうです。
もう使わなくなったものの 捨てるに忍びず 縁側に置いて 色んな物を入れるのに使っているということでした。
その飯笊は 北陸から来る竹細工売りのおじさんから 随分とむかしに買ったとのことで
もう何十年も同じ人が その村を訪れては竹細工を売り歩いていたそうです。
竹細工を買うだけでなく 何時間もお茶を飲みながら世間話しもしたそうです。
もう竹細工のお爺さんが来なくなって随分となるようでしたが
竹細工売りのお爺さんのことを話すお婆さんの目が 遠くを見つめるようで寂しげであったのが印象的でした。

PIKKIさん 関東以北に部落差別が少ないということについては同じように考えています。
また十年くらい前に 部落の歴史に詳しいお年寄りから
儂らの先祖は 東北と南九州から連れてこられたのではないやろかとおっしゃっていました。

東沢さん ウィルス対策についての文章ご苦労さまです。
大きな組織から嫌がらせでも受けているのかという問い合わせがありますので
誤解のないように少し訂正させて下さい。
KUMANO LIFE周辺というより 
こことはリンクもしていない歴史民俗系サイトに問題があったようで
そこから派生して 色んなところに嫌がらせが続いているみたいです。
東沢さんは そのことについてとても憂慮され
犯人の尻尾を掴もうと努力されています。
いくつか犯人に繋がるものを掴まれているようです。

PIKKI <http://mypage.odn.ne.jp/home/hide71> - 2004/02/23(月) 08:06<

↓の訂正!山之内獏ではなく山之口獏でした・・

  改作 『隠れ家』

どんな暗い夜のあとにも
すがすがしい朝が
やがてやってくるように
誰もが みんな
自分だけの隠れ家を持っている
そんな隠れ家なしには
ぼくらは生きていけない

だからたまたま それが
虐めや虐待から逃れるための
逃避行為だからといって
別に君の方が
優れていたという訳ではない
たまたま君の方が 
ちょっとだけ
運がよかっただけにすぎない

子供の頃の僕の隠れ家は
町の北側の
ポプラ並木やその先の落葉松林
春のカタクリの群落以外には
なんにもない森なので
いつもたったひとり
チュルチュルとカケスのように
源流地帯まで小鳥の鳴きまね

風が荒らしていった
開拓地や市街地やさいはての浜沿いの
墓地や屠殺場や
傾いた漁師の家や
隅っこに追い詰められた
アイヌの家々を揺らして
サワサワ サワサワ
駆け回っているのは
虎杖の原野で迷子になった風たち

そんな灯りゆく湾の
浜茄子の群落を指差して
「浜茄子の紅い実は、ね・・」
とつぶやくとき
きみの奪われた山河は 
ぼくの快復まじかの吃音でもあったから
波をすくうきみの指先から
こぼれ落ちてゆく銀のしずくが
ぽたり ぽたり
波だけがなぞってゆく
永遠のアイヌ紋様

PIKKI <http://mypage.odn.ne.jp/home/hide71> - 2004/02/22(日) 23:23<

沖縄の放浪詩人山之内獏と宮沢賢治

東沢美史さん 感動的な話をどうも有り難うございました。僕の先祖も岩手県なのですが・・東北以北に部落差別がないのは、東北以北全体が強制収容所のようなものだったせいではないでしょうか?そして関東以南では、蝦夷などの戦争捕虜収容所が、部落差別やサンカの最も大きな部分ではないかと思うのですが・・違うでしょうか?
表題の二人のどっちもが、関東大震災がその文学の出発点だとは驚きでした。獏の場合は、命の危険もあったようです。関東大震災では、どもりや動転した日本人や、アクセントの違う沖縄人も、かなり朝鮮人に間違われて撲殺されたそうです。詳しくはぼくの日記や「電子伝言板」をご覧下さい。

『隠れ家』

どんな暗い夜のあとにも
朝がやってくるように
誰もが みんな
隠れ家を持っている
そんな隠れ家なしには
ぼくらは生きていけない

だからたまたま それが
虐めや虐待から逃れるための
逃避行為だからといって
別に君の方が
優れていたという訳でもない
たまたま君の方が ちょっとだけ
運がよかっただけにすぎない

子供の頃の僕の隠れ家は
町の北側の
ポプラ並木やその先の落葉松林
春のカタクリの群落以外には
なんにもない森なので
いつもたったひとり
チュルチュルとカケスのように
源流地帯まで小鳥の鳴きまね

風が荒らしていった
開拓地や市街地やさいはての浜沿いの
墓地や屠殺場や
傾いた漁師の家や
隅っこに追い詰められた
アイヌの家々を揺らして
サワサワ サワサワ
駆け回っているのは
虎杖の原野で迷子になった風たち

そんな灯りゆく湾の
浜茄子の群落を指差して
「浜茄子の紅い実は、ね・・」
とつぶやくとき
きみの奪われた山河は 
ぼくの快復まじかの吃音でもあったから
波をすくうきみの指先から
こぼれ落ちてゆく銀のしずくが
ぽたり ぽたり
波だけがなぞってゆく
永遠のアイヌ紋様

こうへい - 2004/02/22(日) 20:03<

心が洗われるようなお話です

東沢美史さん こんばんわ。
いいお話、ありがとうございます。失われかけてる心象風景が浮かんで来ます。(^o^)
飾らない、本当の笑顔っていいですねえ。

顔文字は、はやらないって言わないで下さい。顔文字・命・・(^^)

>漢字の「西」と「竹カゴ」は「鳥の巣」と同じ意味・・そうなんですか。
>白樺からはシロップが出るそうです・・その話聞いたことあります。
 ウルシやゴムのような集め方するそうですね。
 でも、ボクがもらった白樺の木は、すでに切られてるので、シロップは無理ですね・・・。

東沢美史 - 2004/02/22(日) 18:10<

祝祝・ゲストブックの500.000アクセス突破!!

ヤゾーさん。
このまえ、TOPページが100万件!のアクセスをカウントしましたが、ゲストブックのほうは今朝(?)50万件!!突破したんですね。凄いことです。
十津川の熊さんのお出迎えはございましたか?。冬眠中の熊さんに代わりお慶び申し上げます。

関西にそれほどに、ひなびた地域があるとは想像できてませんでした。
私の地方には何箇所かあります。写真の人家のある路地の風景と良く似た場所も北上山地から太平洋側へ山越えするところにあります。そういうところを1軒も残さずに声をかけて廻るんですよ。山沢に住む人は里の人々より平均してていねいに応対してくれるし、平野部では聞けない山の様子などそこの世間話もたくさん聞けます。山のほうでは竹細工する人がとっくにいなくなってるからカゴ屋さんいつ来るかとおもって待ってたとかって私らをあてにしてくれてる人もいるんです。

自分が小学3年生の1969年頃ですが父に連れられて北上山地に門付けに行ったとき山村の同世代の子供たちの笑い顔がきれいで印象深かった思い出があります。見慣れない父と私にたいしてとても恥ずかしがる表情を見せる小学生もいてなんかそこの山村の集落が大好きになってしまったんです。その頃、米価が高く豊かだった平野部の農村では消えかかっていた素朴で底抜けに明るい子供たちの表情でした。

それより後年のことでしたがそこの山村でお昼頃になり農家の主婦が「弁当もってきたべげっとウチでお昼ごはん食べでいがいん」って強引に茶の間に上げられてお昼をごちそうになったのですが麦ご飯でした。平野部ではふつう、人様には白ごはんをごちそうするし、麦ごはんしか釜にない家では出さないか、出す場合でも「麦ごはんしかないんだげども」ってすまなさそうに事前に告げ、麦をよけてなるべく白米が多くなるようによそって差し出したものなんです(とうぜんですが客を受け入れた家の人は麦が多めのご飯になるんですね)。それが常識とばかりおもってたので麦ごはんであることを遠慮しないでお客さん(客というより竹細工売りの身分なんですが)に堂々と出されたことは意外でした。

1972年頃、私の住む平野部の豊かな農村部では学校に継ぎはぎした服とズボンはいて麦ごはん弁当持って通ってたのは学級で私と1人2人くらいしかいなくなってたけど、同時期の山村ではそれがまだあたりまえでした。お社北脇に江戸時代に建てられた萱葺きの小さな私の家よりも貧乏そうな家が山村にあるのはなかなかにショックなことでありました。ただしお金持ちそうな家でも貧乏そうな家でも多くが麦ごはんでしたし、ほとんどが継ぎはぎの服を着てたけど子供たちの笑顔が良かったです。

人間は経済的に豊かになればなるほど、人口が密集してる地域に住めば住むほどココロがスレて冷たくなっていくという見方があります。戦後、日本が高度成長していくにつれ素朴できれいだった人々の笑顔も列島から消えていったか?。でも、それだけでは説明がつかない、山沢に住む人々の心を真底から明るくささえていた、民俗的だけど目に見えないなにか大きなものがあったような気がしてます。

夢の街で撮った風景を今夜、寝静まった頃に「念写」で夢の中に送ってください(^_^)。(顔文字はもうハヤらないですね)。

東沢美史 - 2004/02/22(日) 18:03<

大祝・KUMANO LIFE掲示板の50萬アクセス突破!!

ウィルス対策について。
購入したセキュリティーソフトをインストールしても世界では新種のコンピューターウィルスが悪意の人間により絶えず開発されてますから、そのセキュリティーソフトの会社にネットから無料登録し、連絡がくる都度にそれを更新しています。マカフィーの場合は1週間に一度くらいです。更新しないと新しいタイプのウィルスを検知できなくて悪さをする新種のウィルスに侵入されてしまう可能性が出ます。大型家電店のセキュリティーソフトは価格が一万前後で高いときがあるけど定期的に大売出しがあり昨年は7800円が3800円、2800円と下がったので大売出しのある新学期シーズンは買い替え時期かなとも考えています。ただしネットからフリーシェア―というんでしょうか無料でダウンロードできるセキュリティーソフトも結構あるのでそれも検討してみます。それと、KUMANO LIFE周辺の歴史民俗学系サイトの掲示板に外国のプロバイダを経由して犯罪である不正アクセスソフトを使用したとみられる他人のPCを踏み台(偽装)にした事件が昨年夏にありました。また、世界的なコンピューターウィルスの発生に乗じ意図的に自分の使用してるPCにウィルスを感染させKUMANO LIFEの仲間周辺にウィルスメールを送信してるとみられる信じられないような事件も確認しています。でも、こんなのに負けず、ネット生活たのしみましょうね。

NONさん。
犬によって個性の違いがハッキリ出るんですね。雪穴から助けてくれるなんて・・・犬に助けてもらえる安堵感。
>うちの犬は大体人懐っこいですが。
たくさんの愛情をそそいで飼われてるからそうなるんでしょうね。

こうへいさん。
HDDの無事帰還おめでとうございます。漢字の「西」と「竹カゴ」は「鳥の巣」と同じ意味だと先祖から聞いてたので漢和辞典で調べたら出ていました。
白樺からはシロップが出るそうですが上品そうな味でいいなあっておもいます。

PIKKIさん。
掲載されてる詩はKUMANO LIFE及び周辺の仲間で話題になってます。高いところで完成してしまってるのでしょうね、隙がなくとてもコメントできない。けどサイトを含め注目させていただいてます。

こうへい - 2004/02/22(日) 13:42<

通りすがりさん、こんにちは

白樺の情報ありがとうございます。
行ってみたいですが、ちょっと大変そうですね。検索して、こんなところみつけました。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Hanamizuki/3836/nosegwa/kanaya.htm

通りすがり - 2004/02/22(日) 12:57<

白樺

時々見る者です。白樺は、立里荒神さん(奥高野)の近くに自生してます。

こうへい - 2004/02/22(日) 12:37<

雨の墓参り

朝からの墓参りは、雨の中でした。雲を分ける念力を送りましたが、言うこと聞かない雲でした。

ヤゾーさん、そうでしたか、禰宜貝塚でも、たんぼ一枚離れると、何も出ないですね。(^o^)

仙人風呂の上の木は、照明の具合で白樺のように見えました。
北海道の友人に、夕べ白樺について聞きました。

白樺の木の特徴は腐りやすいということです。
荒れ地に最初に根づき、そして、最初に腐り次代の土になる木です。
献身的な木です。
腐朽菌のつける独特の色模様が、北欧では珍重されています。
ちなみに、白樺はチップの原料、マッチの軸、アイスのスティック、爪楊枝などに利用されています。

だそうです。(^。^)

ヤゾー - 2004/02/22(日) 11:26<

夢の街

みなさん こんにちわ
こちら熊野では 未明から暖かい雨が降っています。
花粉症が怖い季節になりました。

△うぶさん 護摩壇山は和歌山県の最高峰の山で
平維盛が平家の興亡を占って護摩を焚いたことが名の由来だと聞いています。
龍神村の奥地には 平維盛に関した伝説が多く残っていて
愛人のお万が飛び込んだというお万が淵というところを見に行ったことがありました。
護摩壇山(ごまだんざん)と言いにくいので つい護摩山(ごまざん)と言ってしまいます。

こうへいさん 昨日 土建屋の親方が遊びに来て
色々と話しを聞いたら 歩いたところとは違うことろから石器が出たみたいです。
熊野古道沿いに側溝を設置する工事をしたときに
古銭やら色んな物が出てきたそうですが
そういう物に興味も欲もない人なので 人にあげてしまったそうです。
HDDが返ってきて 良かったですね。(^o^)

AJさん はじめまして
はるばるドイツから ありがとうございます。

どこかの街を旅している夢を定期的に見ることがあります。
目覚めたばかりで まだ意識が朦朧としているときは
その夢の街が現実にある街で 実際に行ってきたような感覚が残っていることがあります。
その街のことを思い出すと なぜかいつも胸がキュンとしてしまうような
懐かしさのような なにか大切なものを忘れてきたような そんな不思議な気持ちになります。
今朝も同じような街の夢を見て 夢の中でその街の写真を撮りました。
目覚めてから その写真をどこに保存したのかと真剣に考えて
ああ やっぱり夢だったのかと気づくと寂しくなりました。
夢は不思議です。

こうへい - 2004/02/21(土) 19:21<

帰ってきた、ハードディスク

CDドライブ修理に出して、ついでに交換されてしまったHDDを返してもらいました。
早速、交換してみると、ちゃんと動きました。(^o^)
いやー、ホッとしました。

修理に出す前に、HDを空にするのが常識らしい(情報読みとられ防止)ですが、バックアップとるもの持ってないボクなんか難儀です・・・。

AJ <http://www.llogin.com/interlinks.html> - 2004/02/21(土) 14:14<

Germany

It's a nice site,
Congratulation and my best wishes!
Thank you and greetings from Germany.

こうへい - 2004/02/21(土) 09:19<

高地性縄文遺跡?

高原(地名)の、熊野神社周辺の畑で、昔、学生が石鏃を見つけたらしいのですが、何もみつかりませんでした。
所々、昔何か建っていたのか、広い平らな所が、いくつかありました。標高400メートル位?
イーデス・ハンソンさんの大きな家がありました。

道中、突然、雪を見つけると、何でやねん・・と思いますね。
やはり、そういう所があるんですね。
雪が深く、溶けにくい理由が、なにかあるんでしょうね。不思議です。

△うぶ - 2004/02/21(土) 04:19<

また季節が戻ってきた

ヤゾーさん>無料と聞いて嬉しくなりました、行ってみたい、でも高野までもがかなり有る。
護摩壇山って名前がロマンですね、山容から?修験関連?、将来キット行くでしょ。
以前から四畳半移設可能の山小屋が欲しくて仕方ありません。
こうへいさん>京都北部花背峠辺りの鬱蒼の杉木立の中では、5月連休頃でも雪残ってました、
(標高も低いのに)。一瞬何だか分かりませんでした、理科の勉強になりました。
遺跡で何か見つかりましたか?石が好きなんですね、「科学」の付録の鉱石セットはまだ持っています。

こうへい - 2004/02/20(金) 19:35<

そういえば、龍神十津川線の所々に雪が残っていました。
雪のかたまりですが。標高がたかいんでしょうか?

谷がすごく深くて、道のそばに、新築の大きな家がありました。
こんなところで、新築するんやなあ・・・・
町から遠いので、ふーんと思ってしまいました。

ヤゾー - 2004/02/20(金) 18:35<

高野龍神スカイライン

みなさん こんばんわ

マテバシイさん よく行く木工所の廻りにシイの木がたくさん生えていて
北風が強い日なんかに行くと バラバラと屋根の上にシイの実が落ちる音がします。
そこのオヤジさんは それを拾い集めて 自家製の鉄板薪ストーブの上で炙ってよく食べていました。
山小屋の周辺にはコナラはあるのですが クヌギはあまりありません。
夏にはコナラにカブトムシやクワガタの姿を見ることがありますが
ほんとうはカブトムシやクワガタは クヌギが一番好きみたいです。
山歩きしてドングリ拾ってきて 図鑑で調べるなんて なんだか素敵ですね。

△うぶさん そうですね その辺りを走っているのが龍神十津川線です。
去年の秋頃に 高野龍神スカイラインが無料開放されました。
一時期 龍神村でも一番奥まったところにある
高野龍神スカイライン内の集落にあった廃屋を借りて暮らしていたことがありました。
その時には住民ということで 顔パスで通ることができましたが
引っ越してからは 結構な料金を払わないと通れなかったので
長い間 枝道から入ってスカイラインを走り また枝道へ抜けるという使い方しかしませんでした。
高野龍神スカイラインは有料道路なのですが どういう訳か林道と繋がっているところが何ケ所もあって
山仕事や渓流釣りをする人にとっては 料金所を通らなくても利用価値のある有料道路でした。
という事で 去年の秋に無料開放されたというニュースを聞いて
懐かしさから龍神村から料金所を通って護摩山にある展望台まで行ってみました。
ところが行ってみてびっくり 無料になったら こんなにも人が来るのかというくらいに
護摩山の駐車場に入りきれないバイクやクルマが道にまであふれ出ていました。
ちなみに 3月までは雪の為にバイクは通行止めで クルマもチェーン規制されていたと思います。
渓流釣りの解禁日に 護摩山近くの林道で 積雪が50センチ以上もあって驚いたことがあります。

△うぶ <http://map.mapion.co.jp/m/k?mp=33%2F55%2F48.929%2C135%2F37%2F17.171&grp=all&uc=1&scl=1000000&icon=map_icon_11%2C0%2C01%2C0%2C0%2C&amap=3012182800215880098&fi=0&el=135%2F37%2F15.170&pnf=1&size=500%2C500&nl=33%2F55%2F47.269> - 2004/02/20(金) 01:30<

竜神十津川線

ヤゾーさん
地図で確認してみたくて探し出しました、国道425の少し南の谷川沿いですね(↑URL)。
ところで、高野龍神スカイラインって最近無料開放されたみたいですね?

マテバシイ - 2004/02/19(木) 22:30<

食べられるドングリ

みなさん、今晩は。
>マテバシイさん マテバシイはこちら熊野にとても多い木です。
>実(ドングリ)も食べることができて好きな木のひとつです。

食べられること、ご存知でしたか・・・。 数年前に山歩きしていて、久しぶり
にドングリを拾い、それ以来ドングリの図鑑や関連書籍を色々と読みました。
タンニンが多くて渋いドングリを、縄文人は加熱したり水にさらしたりして、食料
にしていたそうですね。でもアク抜きせずに食べられるドングリがあることを知り
ました。スダジイ・ツブラジイ・マテバシイ等。まだ種類の見分けが出来なかった
ので、色々なドングリを拾ってきては齧ってみました、やはり渋いです。愛知県
はほとんどがコナラやクヌギでたまにカシの類があります。
しかし、マテバシイという名前にしながら、私はマテバシイを見たことがありません。
すごーく残念です。今年は拾ってみたいですね。熊野がウラヤマシイ。

>素晴らしい解説に 思わず読みたくなりました。
(^o^)(^o^)(^o^)

 蜜柑さんはじめまして。
>「鳥の唄」は僕は図書館で借りましたよ。近所の図書館に無くても県内のほかの
 図書館から取り寄せてもらえます。

図書館はよく行くのですが、今まで古本屋ばかり探していました。
あちこちの図書館を利用した方がよさそうですね。アドバイスありがとうございます。

ヤゾー <http://www.kumanolife.com/Topics/2._18.html> - 2004/02/19(木) 18:49<

秘境・龍神十津川線

みなさん こんばんわ

昨日 十津川から龍神へ抜ける県道龍神十津川線を走ってきました。
地図上ではすぐに行けそうに思っていたのですが
40キロ以上続く曲がりくねった細い道は 思っていたより大変な道で時間もかかりました。
秘境・龍神十津川線の様子を熊野ライフ通信にアップしています。
こうへさん 運転お疲れさまでした。

http://www.kumanolife.com/Topics/2._18.html

こうへい - 2004/02/19(木) 08:28<

熊野の湯

念願の仙人風呂にはいりました。
川をせき止めてるので、広い。
暗い中で、湯気が水面(?)にずっとひろがって、時々風にながされて、ちょっと幻想的です。
星が見えるし、こりゃ最高ですわ。
眼鏡が、星を見るだけになったのは、ちょっと残念。なんのこっちゃ。(^o^)

朝、散歩した山小屋の上の山で、木の皮が背丈くらい、剥がされていました。
熊がいるのかなあ。
木の密集した林を風が渡るとき、いっせいに木のてっぺんが揺れて、ザーと音がします。
しばらくして、顔にかぜがヒューと来ます。
森林浴しながら、トトロの世界に浸ります。(^o^)

NON - 2004/02/19(木) 07:11<
東沢さん。>メールにウィルスが入ってるという連絡メールがメールサーバーから届いた場合は安全なネ ット生活の役にたつとおもうんで内容を読んでみるくらいはいいのではないでしょうか

そうですね。そうします。

>でもなぜ、ウィルス対策のソフトを入れてるのにそういうメールが来るのだろう

そうなのです。そのソフトは毎朝,毎夕,パソコン立ち上げの一番に挨拶してくれます。「おはようございます。ウイルス安全,不正侵入安全,漏洩安全。」というものです。

昨今は効果が今ひとつわからなくても,手をださざるを得ない商品が多いです。なんだかしてやられているような気にもなります。


犬のこと。<しかし、またこの次ぎにとかってあいさつして帰るときに後ろからおもいっきり吠えてくるんですよね。どうもここらあたりがいまひとつ犬になじめない理由みたいなんですが

これはね,犬の言葉では「帰らないで。ちょっと遊んでってよ!」です。間違いないです。うちの犬達も同じです。一匹は顔にキッスさせてくれて,声をかけてくれるまで,ジャンプ飛びつきを繰り返します。迷惑な話ですが,みんな表現がちがいます。一匹は雪穴に落ちたりしたら,あわてて掘り起こしてくれます。(漫画でみるように犬の体から汗が飛び散っているような時の顔になる)猟犬ならずとも飼い主と共に生きようとする(単に素直に従って,ではなく)気持ちがとっても強いです。一日に何度出会っても,長い間会っていなかったような嬉しくてたまらない顔をします。うちの犬は大体人懐っこいですが。

村でもかつては多くの犬が飼われていたのですが,老人になって一人住まいになると,世話ができなくなり,飼うのをやめてしまいます。かつての犬との生活を懐かしがって,時々えさをやりにきます。それを「もっとくれ!」と吠えています。

ヤゾー - 2004/02/18(水) 09:46<

秘湯巡り

みなさん おはようございます
こうへいさんが昨日から泊まりにきています。
昨日は石器拾いで山の上の畑を歩かされました。
夕方からは川原の温泉に浸かりながら星を眺めていました。
今日は今から十津川の上湯温泉と龍神温泉など秘湯巡りに行ってきます。

*(O..O)*nglyさん 野史研究会の準備ご苦労さまでした。
大阪のT氏にも 大変お世話になり ありがとうございました。
熊野で野史研するなら 温泉巡りと焚き火を囲んでの話し合いがベストと思われます。

マテバシイさん マテバシイはこちら熊野にとても多い木です。
実(ドングリ)も食べることができて好きな木のひとつです。
>その土地の逃れ難い因習にとらわれた人間のもがきが聞こえてくるような作品です。
素晴らしい解説に 思わず読みたくなりました。

東沢さん アハハ 残念なことに熊野では熊が減ってしまい(なんたることか!)
日本ミツバチの巣箱が襲われることは滅多にないそうです。
でも十津川の方では熊に襲われることがまだあるみたいです。

東沢美史 - 2004/02/18(水) 00:42<

番犬

NONさん、しばらくです。いつか画像掲示板に掲載された手作りの品がなぜなのか、ときどき無意識に頭の中に浮んでいました。

メールにウィルスが入ってるという連絡メールがメールサーバーから届いた場合は安全なネット生活の役にたつとおもうんで内容を読んでみるくらいはいいのではないでしょうか。

でもなぜ、ウィルス対策のソフトを入れてるのにそういうメールが来るのだろ。2002年の春頃まではウィルスメールが来てメール開いて不審者かどうか確認しても添付ファイルさえ開いて見なければ感染しなかったけど、それ以後はプレビューというんでしょうか受信して自動的に封を開けた状態になっただけで感染するタイプのウィルスが世界の一部で確認されてからは、受信してタイトルや送信者の名前を確認してから開けると安全といわれるようになったので、私も遅まきながら去年からそうしてます。
導入されてるウィルスソフトで一度、ウィルスが潜んでいないかチェックしてみるのがいいかもしれませんね。ちょっとヤゾーさんの更新が滞ってるけど私はウィンドウズなので、この掲示板上の「セキュリティーの基本」のところにもあったマイクロソフト社のサイトでセキュリティーの更新をときどきしてます。当たり前すぎることだそうですが。それと、ウィルスメールを事前にカットして報告してくれるメールサーバーと契約すると、料金が少しかかるけど、かなり安全度が増すそうです。

犬の後々の幸せまで親身に心配されてるなんて。そこまでの気持ちになったことはないなぁ。
山村の民家を廻ってると人家同士がかなり離れてるせいかわりと多くの人が犬を飼っています。吠えられても口笛とか声をかけかけワンちゃんをなだめながらお家の方と話すんですが、警戒心をあたえないよう自然に振る舞ってると玄関のそばに飼われてる犬なんかは結構すぐにじゃれてきてくれたりすることが多いです。

しかし、またこの次ぎにとかってあいさつして帰るときに後ろからおもいっきり吠えてくるんですよね。どうもここらあたりがいまひとつ犬になじめない理由みたいなんですが、去年の秋に竹薮の山をこいでるとき、なんかイヤな気配がして熊出没のニュースを聞いていたので、もしやっておもった日があったのですが、そのときは鉄砲撃ちのハンターの犬みたいに自分になついてついて来てくれる犬がいたら安心でいいのかなーってはおもいました。

ヤゾーさん。

本州中から噂を聞きつけた熊のぷーさん達が蜂蜜ナメに集まって来たら危険ですから、このさい犬を飼われてはどうでしょうか。
それとも、ポン吉君が命がけで親分を守ってくれるから心配ないでしょうか?。

おりょう - 2004/02/17(火) 19:44<

「山妣」

ちよっと検索して「山妣 」の解説読んでゾクゾクしました。
私も購入です。

きょうかい - 2004/02/17(火) 18:38<

手配

>風の王国」以上に面白い
 この言葉で迷わず購入申しこみしました。
 楽しみです。。

蜜柑 - 2004/02/16(月) 23:46<

やまはは

マテバシイさん始めまして
「やまはは」今、佳境に入ってます。ストーリー展開が素晴らしく、ページが進むごとに悶絶しています。
「風の王国」以上に面白い。残り50ページ位、楽しみです。

「鳥の唄」は僕は図書館で借りましたよ。近所の図書館に無くても県内のほかの図書館から取り寄せてもらえます。

マテバシイ - 2004/02/16(月) 23:38<

はじめまして、こんばんわ

皆さんはじめまして。今晩は
ヤゾーさんありがとうございます。
『鳥の唄』もう少しさがしてみます。本探しも面白いかも。

私は山歩きと小説が好きで、以前にとりあげられていた、
『山妣』を読んで以来すっかり、坂東真沙子に惹かれ、ほとんど
の作品は読みました。 『狗神』 『桃色浄土』 『曼荼羅道』 『死国』
どれも時代の雰囲気が濃密に描かれ、その土地の逃れ難い因習
にとらわれた人間のもがきが聞こえてくるような作品です。
因みにジャンルは、土俗ホラーらしいです。

こうへい - 2004/02/16(月) 21:03<

野史研究会 大阪に参加して

大阪・・都会・・古いものは残っていないだろう・・と、思っていました。
ところが、町のあちこちに、昔の名残がずいぶん残っていて、例えば掘跡が町の中に崖?を作っていたり、長屋がむかしのままの面影を残していたり。
聞かなかったら、見逃しちゃうとおもいますが。

神社も、聞いて解ってくると、ずいぶん歴史を物語っていて、発見がすごく多かったです。
都会でも、随分歴史のわかるものを残してくれています。
これから、神社の見方が随分変わると思います。(^o^)

面白い話もいっぱい聞けました。ICレコーダー持って行ってたのに、使うの忘れて、聞いた話、
随分忘れてしまってます。(^o^)

久しぶりにお会いした皆さんが元気そうで何よりでした。
いろいろ案内していただいて、ありがとうございました。
なにからなにまでお世話になりました。<(_ _)>

補足よろしくお願いします。(^o^)

*(O..O)*ngly - 2004/02/16(月) 20:52<

おつかれさまでした

野史研究会参加の皆様へ
 お疲れ様でした。今回は従来の野史研究会のメンバーの出席が
非常に少なく残念でした。仕事や予定がありますので仕方ない
と思います。
 野史の会に参加されて2回目の方の案内で、大阪サンカの痕跡
を地図や寺社の調査で確認するという会でした。文献にはまず
載っていないし、サンカの居付き実証研究としては納得できるも
のと思います。多分このような研究はなされていないはずです。
 残念ながら掲示板や活字には出せない部分があります。
 文字どおり野史の世界ですから、参加された方だけが「お持ち
帰りのお土産」です。
 ありがとうございました。

ヤゾー - 2004/02/16(月) 19:29<

みなさん こんばんわ

あごさん 改めて初めまして
去年の九月頃に一度 投稿されていたので
挨拶を省いてしまいました。
そうですね 山の民も元々は海の民でもあったのでしょうね。
“やまなみ”なんていう言葉は そうした名残りなのかも知れません。

東沢さん 心より御礼申し上げます。
警鐘のためにも投稿はそのままにしておいて下さい。
東沢さんは 歴史民俗学系サイトの守護神的存在だと思っています。
ご苦労だとは思いますが 僕もできるだけのことはしますので
引き続き御尽力をお願い致します。m(__)m

NONさん お久しぶりです。
犬が幸せそうで良かったですね。
ネットを上手に生かせば 素晴らしいツールなんですよね。

PIKKIさん ほんとうは派遣しないにこしたことはないとは思っていますが
大義もなしにイラクへ赴いた
自衛隊の皆さんの心意気を聞いて 立派だと頭が下がる思いもしています。

PIKKI <http://mypage.odn.ne.jp/home/hide71> - 2004/02/16(月) 14:43<

『世界の合言葉は』

世界の合言葉が まだ
目覚めゆく小鳥の囀りや
焚き火よりも熱い きみのささやきや
透明な水で書かれた 
預言者の啓示であったのは
いつの時代までのことだろう

人間だけが なぜいつまでも
こんな地獄を次々と作りだして
恥じることがないのか
石さえもが怒りのために
叫びだしそうと発熱し
古代遺跡が激情のために身震いする
砲弾が地表のすべてを抉り取り
子供らが 年寄りが 家畜が 樹々が
身悶えしながら吹き飛ばされてゆく

砂漠の古代都市群は
風のように息をひそませ
砂丘を一列に行くのは
すべての理想から見放された
軍産複合国家の哀れな奴隷の兵たち
新たな利権獲得の戦争へと駆り立てられてゆく
アメリカの若者たちの哀しみが見える

戦争を起こすために
どんな嘘をも思いつくブッシュ共和党は
もちろん許しがたいが 
それを数十年間もの間
陰で支え続けてきた
奴隷の低国もまた同じくらいに
罪が重いのではないのだろうか
ヒットラーを歓呼の声で迎えた民衆のように
日本人もまた
そんな民衆の一人一人ではないのか

地獄の炎があかあかと
侵略の軍の顔を
ひとつひとつ照らすしだす
いまや発狂寸前の
軍産複合体の奴隷である新兵たちよ
君たちのほんとうの敵は
有り余ったドルやオイルのうえに
さらに哀れな貧者たちから
それを奪いつくそうとして
罪なき民衆に無差別殺戮爆弾を振り撒く
ワシントンの悪魔たちではないのか

涸れ川のほとりを進軍する
日本低国軍隊よ
君らのいるべき場所は
こんな侵略の軍の旗のもとではなかったはずだ
6500万人の前世界大戦の死者たちや
約40万人という原爆被害者たちや
数百万人という沖縄戦などの死者たちに誓った
あの誓いは みんな
口からの出まかせだったとでも
世界に公言しようというのだろうか
目先の利益に目がくらんだ
日本低国の支配者たちは

世界の合言葉は・・
「平和」だと 
ささやき交わす死者たちの声がする
武器の代わりに 花を武器とせよ!
という沖縄戦の死者たちの
鎮魂歌が聞こえる

NON - 2004/02/16(月) 07:19<
みなさんお久しぶりです。こちらは雪の生活なので,暖かそうな熊野や南の方々の暮らしぶりが羨ましいです。写真も時々みせてもらっています。

犬の件ではお世話になりました。ネットのお陰で神戸,大阪,金沢と各地に散って行った子犬たちもその飼い主も皆とても幸せになっています。1匹だけ残した子犬もスクスク成長し,親子3匹そして私もパートナーも,村人も,とても幸せに暮らしています。

東沢さん私もネット生活は生きがいです。支えです。多大な恩恵を受けています。最近私の発信するメールにウイルスが入っているというメールを受け取っています。これ自体が嫌がらせなのかとゴミ箱へ捨てるだけで放置していました。 「ウイルス○○○−」というソフトを入れてはいるのですが。

私は心やさしい者ではありませんが,おっしゃることはよくわかります。どうぞ一日だけで削除などと言わないで。東沢さんの文章を読んだ人の心に共感と自分の足場であるネット生活がいつまでも気持ちよく続いていくことを願う気持ちが生まれることを心から祈っています。

東沢美史 <http://www.kumanolife.com/Wind/bbs.cgi > - 2004/02/16(月) 01:48<

イヤなことがあっても「河口の夕景」を眺めてるうちに・・・・( ̄ー ̄)v

じつはこの2,3日、ここの掲示板のお馴染みの投稿者の方のうちお二人が深刻なネットトラブルに遭遇されてて力不足ながらも協力するつもりで原因や対策について勉強していました。しかし残念ながら、原因はもちろん犯人を特定することは出来ていません。

いまの日本では経済的にも精神的にも恵まれ幸せな生活をおくりながら日々ネット生活もできてる人は多いかとおもいます。でもなかには、人には話せない理由で不幸せな苦しい日々から逃げオアシスを求めるようにKUMANO LIFEに来てる人だって、いるのではないかとおもってます。すくなくとも私はそうです。

しかし、エンターテイメントなどの派手なサイトの掲示板でさえ滅多に聞かないPCのクラッシュを狙った嫌がらせや、無実の罪に陥れられてしまうウィルス送信の被害がここの投稿者には多すぎます。地味で真面目で社会常識をわきまえた人が多いと一般に認識されてるはずの歴史民俗学系のサイト全体が異常といえる状態になってます。

自然や歴史民俗学に関心の有る人々は誠実で大人しく、やさしい人たちだから罪をナスりつけても反撃してこないと犯人に読まれ狙われているのではないでしょうか。これでは人によっては唯一の生き甲斐さえ奪われてるようなもので人権問題以前の命の存亡に関わる許しがたい犯罪と言えます。もしそのことが原因で被害者から自殺者が出ても犯人に責任を取らせることも償いをさせることも出来ないネット犯人に有利なネット環境にある現在の日本です。

でも、難しいからこそ、ネット犯を摘発しづらいならなおさらヒルむことなく警戒し、さらに仲間のみなさんと連絡を取り合うことも忘れず楽しいネット生活にしていきたいと強く思っています(今回の投稿文は今日中に削除の予定です)。

野史研究会ではどこの神社に行かれたのでしょう。楽しそうで、うらやましいです。

夕闇が海で見れるというのは日本海側に住んでる人にはチャンスが多いけど、太平洋側の場合は半島の西側にでも住んでいない限りなかなか見れないんではないかなーと画像を見ながら考えてたんですけど、そんなこと思いながら見てた人間なんておそらく・・・私だけですね。

有田川はおもってたより川幅が広いなぁ〜。心をすう〜と落ち着かせて安らぎを感じてしまうっていうのは共感できます。無意識に浮んでた西方浄土の入り口のイメージに近いからかな。
見慣れた風景とおっしゃいますけど、いつにもましての力作じゃないですか。
敬服して、壁紙にさせていただきますm(__)m。
http://www.kumanolife.com/Wind/bbs.cgi 

あご - 2004/02/15(日) 21:26<

そうそう

勝手にべらべらとすみません。^^;
 
神社に残る大阪の秘められた歴史というのは、何か奥行きの深そうな話ですね。
大阪も海が近いし、大和盆地も近いのでいろんな文化要素が混じった土地柄ですから。

あご - 2004/02/15(日) 21:21<

そうですね

ヤゾーさん、はじめまして。^^

ぼくは関西生まれなので、関西の部落差別の風土を聞いて育ちました。
ぼくの世代には部落差別という感覚はないのですが、親の世代にはまだ強く残っています。
教育というのはとても重要ですね。

日本人は、差別がある一方、何でも融合する不思議なところがあります。
この民族性は「海」に由来するのではないかと思います。
海というものは、母であり、全てを包容し、境がありません。
もともとの日本人は海の民の性格を強く有していたのではないでしょうか。。。(盆地に移ってから陸の民・山の民の性格が色濃くなっていきますが。)
最近、日本文化の中の「海の要素」に、もっと眼を向けて生きたいと思っています。

ヤゾー - 2004/02/15(日) 20:20<

みなさん こんばんわ

マテバシイさん はじめまして
日本ミツバチを飼っていたことがあるんですね。
アドバイス ありがとうございます。
五木寛之さんの小説『鳥の歌』が見つからなかったら
余分に持っているのがありますのでお送りしますよ。

あごさん 出雲 倭 大和について読ませて頂ました。
この国は吹き溜まりのようにして 多くの民族が寄り集まってできた他民族国家なのだとは思います。
征服支配や確執などを繰り返しつつ この国土というか風土が 
長い年月の末に 融合させ 独自の民族性を育んでいったのかも知れません。
古代の征服支配の問題を 差別をいう形で現在もなお引きずっているのは残念です。

昨日 大阪で行われた野史研究会へ行ってきました。
新たな視点を通して見た 神社に残る大阪の秘められた歴史を体感し
興味深い話しを伺うことができました。

あご - 2004/02/15(日) 20:10<

記紀について

古田史学によれば、
○古事記は近畿天皇家(大和王朝)系の家伝。
○日本書紀は、古事記を基にして、九州王朝などの歴史書(日本旧記等)からの引用(書紀内の「一書に曰く」の文)や借用(景行の九州遠征、神功の三韓征伐など)によって編成したもの
だという説を立てられています。
上記は、氏が、古事記と日本書紀の内容が異なる場合、天皇家に不利になるような改ざんをしたとは思えず、有利になる改ざんをしたであろうという道理から導いた結論です。

ぼくは上記の氏の立論は正しいと思います。

特に日本書紀は、その編纂された律令時代という時代背景を考えると、公地公民制を定着させようとしていた時代です。
この時代に「公」というのは、近代国家の「パブリック」と同じ意味とは思えません。
おそらく「天皇による秩序」という意味があったことでしょう。
書紀の内容は、中国の春秋、史記、各正史に比べれば幼稚とも言えます。神話の域を出ません。律令制導入当時の史官たちは中国の史書に通じてたでしょうから、当然、その内容が神話の域を出ないことを分かっていたことでしょう。
教科書では、中国に日本の正史を示すために書紀を編纂したようなことが書かれてましたが、上記の考察からすれば、これは大きな誤りであろうと思います。書紀の内容は笑われるような内容です。
では何のために書紀を編纂したのでしょうか。
ぼくは「公地公民制」を定着させるためだと思います。
どういうことかと言いますと、公地公民とは、豪族の土地と領民を一旦「公」に差し出させ、それを再び下賜するという思想に基づきます。
この「公」として「天皇」というものを確立しようとしたのが、編纂者の意図であり、時代精神だったのではないでしょうか。農耕社会において「土地」は富の基でもあります。これを天皇という日本の土地の総覧者を媒介することによって再配分するというのが日本型公地公民制の根本思想だと思います。
当時、「土地」というものは、国民の素朴な感情からは「土地の神」と密接に結びついたものでした。だから、長い年月をかけて書紀を編纂して、日本の土地の神の総覧者としての天照大神とその子孫としての天皇というイデオロギーに貫かれた歴史書(思想書)を編纂する必要があったのであろうと思います。
ゆえに、そのイデオロギーの障害となる史書は禁書にされ、その史書を有していた者は弾圧・迫害を受けたであろうと考えられます。もちろん、出雲王朝や九州王朝があった(あるいは関東王朝の存在も考えられます)などというのは、全く書紀の編纂イデオロギーからは卒倒するようなテーマであり、これ(諸王朝の痕跡)をいかに消すかということに意が砕かれたと確信します。

あご - 2004/02/15(日) 19:43<

サンカ

場違いな掲載をしてしまってたらすみません。
ぼくには以下のような日本の古代における紛争と消された王朝(出雲や九州)がサンカの成立と深く関わっているように思えます。
神武が大和盆地に侵入したときとか、祟神・垂仁の親子がヒボコ族と共同して出雲族を圧迫したときとか、あるいは九州王朝を滅ぼし、その歴史を奪ったときなどの歴史のターニングポイントで、体制外の人々が深い怨念とともに発生したように思えます。
もちろん、律令制の導入も、国民の自由をかなり制限するものですから、窮屈に思った人々がサンカに身を投じていったという推測も成り立ちます。

あご - 2004/02/15(日) 19:38<

年表

以上の説は古田武彦さんの史論をベースにした全くの試論です。
雑記を年表にすれば以下のとおりです。(【出】は出雲関連、【九】は九州関連、【大】は大和関連)

紀元前3世紀   【出】開闢(スサノオ)・・・倭とともに呉越から渡来
紀元前2世紀前半 【出】オオクニヌシの治世
         【出】【九】国譲り(出雲⇒九州王朝(倭))
紀元前2世紀半ば 【九】ニニギ即位
紀元1世紀半ば  【九】光武帝、倭王に金印授与
紀元2世紀半ば  【大】神武東侵(大和盆地入り)、出雲族を惨殺。謀殺。
         【出】ナガスネヒコが摂津に遷都。
紀元3世紀半ば  【九】卑弥呼の治世。魏への入貢。
         【大】【出】祟神の治世、大和盆地外への進出。四道将軍、神宝奪取など覇道。 
紀元3世紀末ごろ 【大】ヤマトタケルの東征。
紀元4世紀末   【九】高句麗との激戦。
         【大】応神王統によるクーデター。
紀元5世紀    【九】朝鮮半島南部でのヘゲモニー争い。南朝から大将軍の称号。
         【大】応神王統の王位継承抗争激化。内乱頻発。渡来系氏族の台頭。
紀元6世紀初頭  【出】【大】大和王朝で継体大王(出雲系との説)即位。
紀元530年     【大】【九】継体、高句麗と通じ、九州王朝の磐井大王を奇襲。
紀元531年     【九】磐井大王、太子、王子が戦死。
         【大】欽明大王即位。背後に百済系氏族蘇我氏暗躍(大和王朝の二王並立。その背後に高句麗VS百済)
紀元532年     【九】任那の金官加羅国、新羅に降伏。
紀元562年     【九】新羅、任那のほぼ全土に自治を認めつつ統合。以後、新羅の興隆。
         【大】任那から多くの人材が大和に亡命。以後、大和王朝の興隆。
紀元663年     【九】【大】白村江の役。⇒百済の滅亡。倭の没落へ拍車。

あご - 2004/02/15(日) 19:09<

雑記

@からCのそれぞれの年代比定は以下のとおりと考えています。

【@関係】
出雲開闢:紀元前3世紀ごろ(弥生時代の始まり=縄文時代から弥生時代への移行期)
大国主の治世:紀元前2世紀前半

【A関係】
出雲から倭への国譲り:紀元前2世紀前半
倭の対馬から筑紫への遷都:紀元前2世紀半ば(吉武高木遺跡)
金印授与:紀元57年
卑弥呼:紀元3世紀半ば
倭の五王:紀元5世紀

【B関係】
継体による倭の奇襲攻撃:紀元530年ごろ
磐井大王の死:紀元531年
新羅の国政改革:紀元500年ごろ〜
新羅による任那征服:紀元531年から562年
白村江の役:紀元663年

【C関係】
神武東侵:紀元2世紀(半ば?)ごろ
祟神・垂仁による大和盆地進出:紀元3世紀半ばごろ
ヤマトタケル:紀元3世紀末から4世紀
仲哀:紀元4世紀末
応神クーデター:紀元4世紀末
継体即位:紀元507年?
継体の筑紫奇襲:紀元530〜531年(磐井を書紀の百済本紀引用文による)
欽明の即位:紀元531年(上宮聖徳法王帝説による)
宣化の崩御:紀元540年
大和における二王統並立期(継体王統と欽明王統):紀元531から540年(並立の理由:@大和盆地の豪族間の抗争、A継体の即位の正統性の薄さと欽明の母が前王朝(武列まで)の血統であること)

⇒九州王朝と大和王朝は本家と分家の関係にあり、その並立期間は、紀元2世紀半ば(?)ごろから紀元7世紀半ばの約500年間とみなしました。

あご - 2004/02/15(日) 18:19<

出雲、倭、日本(大和)C

倭王の分流・神武、東侵し、大和の出雲王を攻む。河内湖にて敗北し、熊野より北上す。侵略の様、策謀多く、酸鼻なり。出雲王・長脛彦、摂津に本拠を遷す。
其の九代後、祟神、日矛と共同し、四道将軍を定め、大和より各地に領土を拡大す。多くの神宝を奪う。
其の子、垂仁、摂津にて出雲国王佐保彦を下す。
景行の時、大和健、東に領土を拡大し、房総に至る。
仲哀の時、勢を駆って筑紫を攻めて死す。
其の妃・神功及び臣・武内宿爾、穴門に於いて応神を立てて仲哀の太子に反逆し、此れを攻め滅ぼす。
応神の王統、即位に際して相攻伐すること多し。上乱るとき下乱る。故に大和の諸氏族、上を習いて内乱し世乱る。百済、新羅、高句麗の氏族、是に乗ず。世益々乱れ、武烈の後、遂に王統を絶つ。

茲に大伴・物部、越より継体を擁立す。継体、高句麗と通じ、高句麗と敵する倭を攻む。或者曰く「継体は此れ出雲王なり」と。出雲王は元、倭の君なり。継体の攻めにより、倭の磐井大王・太子・王子死す。
然るに、大和の蘇我、百済に通じ、武烈の甥・欽明を擁立す。茲に大和、二王並び立つ。
継体の王統、安閑、宣化で絶つ。欽明の王統、後の天皇なり。代々、百済と好を通ず。
高句麗及び新羅強くして、百済及び任那の諸人多く倭及び大和に移る。秀でた人多し。茲に大和、漸くにして興隆す。
先ず蘇我及び聖徳太子、国制を改む。律令の端緒を開く。仏教を篤く信奉す。

白村江の役の後、百済の諸貴族多く大和に移る。天智、百済人等を多く用いて国制を改め、公地公民を定む。
時に百済人重用への怨嗟多し。天武、天智の太子を攻め、即位して国制を改む。
藤原不比等、国史を定め、公地公民の基を固む。また、国制を改め、律令を改変し、太政官の位を上げて中臣を就け、蔭位を生かして公地公民の例外を定め、天皇の外戚となる。もって藤原の栄華の基を開く。

あご - 2004/02/15(日) 18:17<

出雲、倭、日本(大和)B

然るに後、大和の継体の奇襲の為に磐井大王を殺され、以後衰退す。
時に新羅、国制を改めるとともに倭から任那を奪い、鉄及び強兵を得る。以後、新羅興隆す。
倭、白村江の役の後、大和に滅ぼさる。

あご - 2004/02/15(日) 18:17<

出雲、倭、日本(大和)A

倭は元、出雲の重臣なり。対馬に拠る。出雲・倭、倶に呉越の末なり。風俗同じくして、礼を重んじ、農耕、漁撈を能くす。
後、出雲、倭の臣となる。出雲、大和に本拠を遷す。
倭、拠る所を筑紫に遷す。
倭王、後漢光武帝より金印を授与さる。
筑紫に発して、任那、肥、豊を領有す。後、熊襲を攻伐す。また、周防、土佐を領有す。強国なり。
倭の女王・卑弥呼、筑紫に拠りて魏に入貢す。
其の子孫・倭王、代々歳を違えず、南朝に入貢し、また高句麗と戦う。一進一退。韓の雄なり。高句麗、倭のために韓を得ること能わず。
倭王、勇名を万里に馳せ、南朝の大将軍となり、百済を除く韓・倭の治安を委ねらる。

あご - 2004/02/15(日) 18:16<

出雲、倭、日本(大和)@

古田史論やウエツフミをもとに古代史を漢文調で書いてみました。

出雲、国土を開闢す。
その開闢する時、土人、山野に食を得ること多し。服さぬ土人、鬼と為りて里人を襲う。出雲王、時には放伐し、服せば此れを里人の奴とす。
出雲王・大国主、民の為に国土を開拓し、医薬を始む。

マテバシイ - 2004/02/15(日) 01:29<

日本蜜蜂

初めて投稿します。マテバシイと申します。
1年以上前から毎日、掲示板を楽しみに拝見しています。
15年程前に公開され、ずっと気になっていた『瀬振り物語』を、偶然
ビデオショップで見つけて数年前にようやく見ることが出来ました。
その後熊野ライフに辿りつき、『戒厳令の夜』や『風の王国』を読み
サンカという文字がインストールされると、自分にとって今までとは
異なる視点が一つ出来たように思え、名前や地名や職業に由来や
歴史のようなものが見えてくるような気がします。(ちょっとだけ)
それにしても五木寛之の『鳥の唄』がどこを探がしてもないですね。
ところでヤゾーさんは蜜蜂を飼われるそうですね。私も以前に偶然
分蜂して、家に飛来した日本蜜蜂を捕まえてしばらく飼っていた事が
あり、運良く蜂蜜を一升程採蜜できおいしく頂きました。市販されて
いる蜂蜜は精製されていて本来の滋養は減少しているそうです。
自家製は貴重ですね。もし不用になった巣があれば加熱して溶かし
巣箱の中に塗っておくと蜂が入りやすいらしいです。蜜蜂ってかわいい
ですよ。滅多に刺しませんが、刺されてもあんまり痛くないです。
春は分蜂の季節です、蜜蜂が入るといいですね。

ヤゾー - 2004/02/13(金) 19:00<

夕景

みなさん こんばんわ

僕は夕景が好きです。
通りかかった有田川に架かる橋から見た夕景に ふと心を奪われました。
これといって珍しい夕日でもないし 見慣れた風景なのですが
なぜかその夕景が 心をすう〜と落ち着かせ 安らぎを感じさせるので
河口まで寄り道して クルマを止めて見入ってしまいました。
日之出は陰と陽でいえば 陽で動的な勢いを与えてくれ
夕日は陰で静的な安らぎを感じさせてくれるものなのかも知れません。
どこにでもありそうな河口の夕景ですが
デジカメを持っていたので写して風の王国にアップしました。

とんちんかん小僧 - 2004/02/13(金) 01:15<

真田幸村

やなさん もんじろうさん
ありがとうございます。川魚のことでしたか!
生で見たことも無いので知りませんでした。

しばらく掲示板を見なかったら、いろいろあるものですね。
PIKKIさん、桃の話とても興味深く読ませてもらいました。
おりょうさんお体大切にして下さい。
蜜柑さん頑張って下さい(^o^)
結果がどうあれ猪突猛進してみて下さい。

最近、古書店で購入した本に「歴史法廷」(世界文化社刊)という一風変わった名前の本があります。
その中で、小林久三という作家が「異説の日本史」と題して何ページか連載を組んでいたもので、たまたま僕が購入した回が最終回でした。
ここで山の民についての記述があったので紹介しておきます。
以下抜粋。

秀吉の出自は、山の民であった可能性が高い。秀吉のルーツは、古代に木曾川河口付近を拠点として、砂鉄をつくった一族だったと私は考えているが、彼らも安曇(あずみ)族と同じツングース系の北方民族だった確率がきわめて高い。・・(略)・・真田館と呼ばれた屋敷は、真田本城の南西下の深い松林に囲まれた場所にある。そこから、大日向(北御牧村)、鳥居峠を経て上州の吾妻を抜ける古道を上田道あるいは真田道と呼ぶが、ここが真田氏を支える山の民の拠点であった。・・(略)・・峠は、四阿(あずまや)山と角間山との鞍部にあり、四阿山頂には白山権現の奥宮がある。真田氏の氏神である白山権現は、産鉄にかかわる人々の信仰も集めていた。
 秀吉系の山の民の協力依頼をうけた幸村は、断り切れなかったのではないだろうか。天下を取った秀吉は、山の民のサンカ出身であり、その出世頭である。

※この「異説の日本史」は間違っていなければ、1995年の9月に大幅に加筆・訂正され単行本化して既に発売されているはずです。
僕も今探している本です。
他にも特別企画として「闇に蠢く 忍者伝説」というのがあり僕は購入できてすごくラッキーだったと思っています。

ちょっと遅くなりましたが、こうへいさん、おかえりなさい。

ya(・ε^)na - 2004/02/13(金) 00:57<

ダチョウ・・だっちょとちゃいますよーーぅ

なんや・こんどは、・・・・・んんんんん
 ダチョウやてぇ・・・
  ほんま消費者なめてますねぇ・・・
 いったい私らなにを、食したらよろしおますのん!!
    所詮、戦後の日本人・・糞のお国のしたで好きなようにされとって・・
  マアエエか!!なんておもてるんやろねぇ・・

  BSE・・エエ機会やねぇ・・
    知り合いの農家平均年齢60歳・・
      十年後のその農家・・平均年齢70歳・・
 へへっへっへ・おおこわぁ・・
          

こうへい - 2004/02/12(木) 23:10<

蜜柑さん

和歌山の空から、強力な念力を、送らせていただきました。(^o^)

最後の、牛丼食ったひと、カメラマンに囲まれて、食った気がしなかったのではないでしょうか。
大騒ぎでしたねえ。

蜜柑 - 2004/02/12(木) 02:41<

お勧め本

先に、紹介した、坂東真砂子の「やまはは」。
途中経過です。
主人公?妙の姉は何と「盲目のゴゼ」なんです。
「流れマタギ」なんていうのも登場してきました。面白い本です。

>こうへいさん
とりあえずは、念力送ってください。いざとなったら、お力を借ります。

雪山遭難関西大学生のインタビューで笑ったのは
「食べ物の話をして、励ましあってました」「下山したら牛丼食べようと話してました」

って、これから食べるなら、手遅れです。

ya(・ε^)na - 2004/02/12(木) 00:37<

天邪鬼のおっさん!!



BSE・・アメリカ農務省のおっさん・・なめとるねぇ・・
 全頭検査したらええのんちゃうん・・
  ほんなら、喜んで買わせて貰いますよぅ!!  お肉!!

 日本のマスコミもなんですねぇ・・一部の企業が牛丼止めた位で、天地がひっくりかえったみたいな報道してからに!・・・あはははは、あほちゃうか!!

  いずれ糞アは、ブッシュにいわしてから・・強制的に
牛肉、日本に押し込んでくるやろねぇ・・

  日本の消費者、負けたらあかんよぅ
消費者さえしっかりしとったら、おかしなもん輸入せんでもええねんから!!

 アメリカは、肉、輸入せえへんねんやったら、ほかのもんも売ったれへん!し・・買うたれへん・・なんて大人気ない事必ず・・
    言うてきますよぅ・・

首相は、そこそこで妥協するかもしれませんが・・そこで
 消費者がしっかり考えるエエ機会がやってくるんやろねぇ
       アホな消費者になるか賢明な消費者になるかの選択やねぇ

  だれが、無検査ビーフ、たべたるかい!!・・ふん

 へそ曲がりの天邪鬼・・ヤナはそんなこと思いましたよぅ

       えへへへへへ

ヤゾー - 2004/02/11(水) 20:30<

イノシシの恋は蜜の味?

みなさん こんばんわ

GAINAさん それは嫌な思いをさせられましたね。
サイト管理者として 一番大切なのは使う側の人間性なのだとつくづく思うことがあります。
僕も相当に嫌な思いをさせられたことがあって その度に止めてしまおうと思ったりもしたのですが
ネットを通して 良いことも沢山あったでしょうと ある方の言葉で思いとどまって続けました。
粘着質の嫌がらせに対して 無視するという姿勢で対応していましたが
偽装メールにウイルスを仕込んだり ハッキングなどに対しては証拠を集めておいて
しかるべく対応をとった方が良いと思います。
セキュリティの基本に 対応の方法が少し書いてありますので
宜しかったら参考にして下さい。

△うぶさん 各地を転々として蜜を採取して生活する
養蜂家に真剣に憧れたことがありました。
この辺りには梅を栽培している人が多いのですが
梅の花が咲く頃になると 一箱幾らとお金を出して
養蜂家からミツバチの入った箱を借りてきて
梅畑に置いて受粉させるみたいです。
養蜂家はミツバチをレンタルして蜂蜜を採取して
その上お金も貰えると聞いて 羨ましく思ったことがあります。

>ボクなんか、夜中に山を走り回って、崖から落ちて、けがをして、結局治らなかった。
こうへいさんの恋は まるでイノシシのようだと笑いすぎて泣きました。(^o^)
それにしても HDまで交換されていたなんて 有り難迷惑もよいところでしたね。

こうへい - 2004/02/11(水) 12:34<

パソコン帰ってきました(T.T)

CD−RW修理で送ったのに、ついでにHDDも交換されてしもた。
画像も数千枚消えた・・デジカメ映像も・・なにもかも消えてしもた・・ううううう・・
くそ、痛いぞ・・・

紀伊半島の寅さんから言わせてもらうと、恋患い・・骨折すれば、骨が強くなる。
恋患い・・何回やっても、免疫はできないのです。
毎回、苦しい・・新種のウイルスのように。
ボクなんか、ズタズタで、岬の分教場でキーをそっとたたいた古いピアノの弦のように、
あと一回弾かれると、すぐ切れそうな糸が、胸の中にあるのです。
ビール飲んで、「別れ歌」聞いて、涙ぼろぼろ流して、・・涙は心を癒してくれます。

あいたい人には会いにゆけ・・
会いに行って、ぼろくそにふられて、ぷっとへをこかれて幻滅して、冷めるほど、恋患いはかんたんなものでは、ありません。
酒も別の女も役に立ちません。
ボクなんか、夜中に山を走り回って、崖から落ちて、けがをして、結局治らなかった。
「妙」さんの、写真住所携帯教えてください。一肌脱ぎましょう(^o^)

△うぶ - 2004/02/11(水) 01:41<

「みつ」、とは意味深な、、、、、

ヤゾーさん
はちみつ採り、は私もその系だと思っています。25年位前にそのハチミツ採り出身の美人
女優がいました(TV女優)、私のタイプで、大きな写真(ポスター)大切にしてました、
今でも探せば有る筈です、きっと皆知っている人です。
やっぱ、蜜よりローヤルゼリーでしょ!。山芋や山椒魚も食べて頑張って下さい。

GAINA - 2004/02/11(水) 01:36<

人間性によってPCは・・・

ヤゾーさん、みなさん、こんばんは。
このところ嫌な思いをしています。
こちらのメールアドレス(GAINAではない他のアドレス)を悪用して、
ウィルスメール(MYDOOM)を発信しているようです。

メール送信もしていないところから、
発信者へ、ウィルスメールが発信されました というメールが届きます。
その度に、関係がないことを知らせています。嫌な思いと・・・、疲れます。

以前、ヤゾーさんが、
パソコンやメールの便利さや情報開示の利点とモラルについて
この掲示板で語っていたことに、改めて考えさせられています。
ファイル添付のメールには、くれぐれもご注意を!!!

ya(・ε^)na - 2004/02/11(水) 00:32<

福井の関西大ワンゲル遭難事件で!!



多くの非難はあるかもしれない!
 が・・・彼らの話を聞いて感じたこと・・
それは、下級生に対する上級生の思いやりと、大勢の人に迷惑を掛けるのではないだろうかとの遠慮・・
 自分の力の限界を認める心・・
低体温症と凍傷の恐怖がまじかに迫った時のリーダーの決断!!
   なぜか涙が流れた・・
 記者の質問「こんなことがあってもまだ、山に登りますか?」そんな質問に、・・・
   私の期待どうりの「はい!」の答え・・・
 岳人の卵に、無事生還の拍手を贈りたい!!

タヌコ - 2004/02/10(火) 22:31<

人生の妙

シンクロしてますね〜
これこそ、人生の妙・・・・>蜜柑さん

ヤゾー - 2004/02/10(火) 13:09<

日本ミツバチの巣箱

みなさん こんにちわ

山小屋に暮らし始めてから 毎年のように日本ミツバチの巣箱を仕掛けてやろうと思いつつ
巣箱を作るのが面倒で なかなか実行に及ばなかったのですが
昨日 巣箱を貰ってきたので 今仕掛ける準備をしています。
巣箱は直径50センチくらいある杉の丸太の中をくり貫いて
中を一度火で焼いて 木の匂いを飛ばしてから
少し細工すればでき上がるのですが
丸太の中をくり貫くのが 先の細いチェーンソーがないと難しいので作って貰いました。
今でこそ 日本ミツバチの生態が口コミなどで多くの人に知られ
巣箱を仕掛ける人が増えてきましたが
昔はそういう知識を持った人は限られていたみたいです。
日本ミツバチは 日本古来の野生のミツバチで 山野の木の洞などに巣を作り
気に入らない巣は すぐに放棄してしまうという神経質なことろがある小さくて大人しい蜂です。
巣の場所として 前が開けていて 目印になるような木や岩があって 朝日があたるところが良いとされています。
サンカに魅せられたお爺さんの話しでは サンカと思しき人との出会いの切っ掛けが
戦後の食料難の時に 日本ミツバチを飼おうと思っていたところに
詳しい人がいると聞いて 知人から紹介して貰ったのが サンカと思しき人だったとのことでした。
もしかしたら サンカの人たちは そういう知識にも長けていたのかも知れません。
うなくいけば 夏ころには採蜜できるかも知れません。
日本ミツバチのお尻って アヒルのお尻みたいで可愛いのです。

おりょうさん 手首は長引きそうですからお大事にして下さい。
むかしバイクでこけたときに 手首をついて強烈な捻挫をしてしまい
手首に違和感がなくなるまで数年かかりました。

蜜柑 - 2004/02/09(月) 23:06<

神はいるのか?

>オリョウさん、たった一度の人生。お体を大切にね。フィールドワークは体が資本です。

恋の病のウイルスは「妙」っていう女の子なんですが、寝ても覚めても「妙」が頭から離れなくて、さすがにこれはイカンと思い、
日曜日に図書館に行って、
かねてより「この小説サンカがでてくるよ」と言われていた
坂東真砂子の長編小説「やまはは」を借りてきました。
(サンカがでてくるかどうかは定かではない)
で、読み始めて、吃驚!
最初の登場人物の名前が「妙」なんですね。コリャ参った。また、頭の中が「妙」だらけです。
神の存在を悟った瞬間でした。
赤い糸?

おりょう - 2004/02/09(月) 18:21<
蜜柑さん
月刊現代3月号に宮島英紀のルポ「山中彷徨四十三年」加村一馬さんのことがとりあげられていました。
加村さん曰く、今は幸せだけど、家の中に暮らすようになってから、風邪もひきやすくなったのと、布団がふわふわ柔らかくて眠りにくいそうです。

ヤゾーさん
蜜柑さんのところにいらっしゃるんですか?楽しみでいいな。
私は、昨年の暮れに、椅子から滑り落ちて変な風に手をついてしまい、左手首の骨1本、橈骨の方ですが、骨折していて今シャーレつけていて不自由の真っ最中で片手で仕事してますよん。痛くともなんともないのですが、リハビリ終えるまで半年かかりそうです。レントゲンではきれいに骨に線がはいっていました。
そんなわけでとても残念ですがいけそうにありません。
蜜柑さんと仲がよくていいな。

メダカの学校の廃校に笑ってしまいました。

こうへい - 2004/02/09(月) 15:54<

ギギとオイカワ

3年ほど前、貴志川の水が無くなったので、ギギをとりにいきました。
オイカワも水溜りに、いっぱい居ました。
昔、川で泳いでいたころ、オイカワのことを、アカンバリと呼んで、フナやハヤより値打ちがあると、ボクラは言ってました。ノッコ(カジカ)は、別格・・・

PIKKI <http://mypage.odn.ne.jp/home/hide71> - 2004/02/08(日) 18:59<

バレンタインが近いので、不老長寿の薬=桃

中国ではずっと、女性が男性に桃の実を贈るのは、バレンタインデーのチョコレート以上に積極的な意味があって・・「あなたの子供を生みたい」という意思表示というのが中国の常識らしい。うらやましい!
 その理由はどうも、崑崙山の山頂の石室に棲み絶世の美女といわれた仙女西王母(八重歯で尾がありなど西域人の印象で・・騎馬民に多い狼先祖氏族や、呉越・東南アジア・チベット・隼人・沖縄八重山・アイヌに多い犬先祖や犬重視氏族に関係ないのか?)が、漢の武帝の宴に招かれて、三千年に一度実る不老長寿の仙桃を贈ったという・・紀元前三年頃盛んになった西王母信仰が関係あるのではないかと思う。古代鏡にはこの西王母や東王父を彫ったものが多いそうだ。
 その他ににも、孫悟空が天上界の仙桃を奪って大暴れしたり・・記紀神話で、イサナキが冥界から逃げ帰る時、追いかけてきた黄泉醜女に投げつけた物が桃の実であった。
 桃は、「詩経」にもうたわれている薔薇科の植物で、東洋系とペルシャ系のものが分類されているが、もともとの原産地は黄河上流あたりではないかと言われている。
 「桃太郎」で桃を食べて若返ったり、子供が生まれたりというように・・古代から回春や月経閉鎖をなおしたりと、とりわけ若返りや血液関係を中心にして、ほとんどあらゆる薬効が述べられている。
 なかでも注目すべきなのが、「ふるさと」のつつがなしや〜♪と歌われているように古代から最も恐れられていた「ツツガ虫病」の治療法(枝で全身を擦ったり、桃の木で作った針でほじくり出す)が・・様々な民間伝承の起源ではないかと思われる。
それは例えば、五行の精の仙木で、邪気を伏せ百鬼を殺す力があると信じて、門に桃の木の符を用いたり、地上に桃の木で作った杭を打ちつけて家宅の鎮めとしたり・・東北の「かまくら」の雪洞に水神を祀り、桃の枝をそえたり・・
 なお参考・引用したのはー「日本昔話と古代医術」(槙佐和子、日本書籍)。現在も国宝の「医心方」を翻訳中の槙氏だが・・これは世界的文化財と言われる貴重な本で、宋代以前の中国の二百以上の文献から選集されているが、その引用書のほとんどは、すでに唐時代以前に失われたものも多く、現代中国に存在しない文献が大半だという。(秦始皇帝の焚書坑儒などが原因で・・)

ヤゾー - 2004/02/08(日) 11:51<

メダカの学校

みなさん こんにちわ

あれは小学一年生くらいのことだったと思います。
住宅地を流れる まだコンクリート護岸になる前の石積みの護岸だった川を 
小さな橋の上から無心に眺めていたことがありました。
特別奇麗な川ではなかったのですが 何種類もの藻が川面を覆っていて
その藻のすき間から メダカが群れで泳いでいるのが見えました。
メダカの学校は 川の中 そっと覗いて見てごらん みんながお遊戯しているよ〜
と習ったばかりのフレーズが 何度も繰り返されて頭の中に聞こえてくるようでした。
なぜか 今でもその時の記憶が鮮明に残っていて
メダカの学校を聴く度に 川面をゆらゆらと揺れる藻とメダカが群れで泳ぐ姿が蘇ってきます。
あんなにどこにでもいたメダカが 田舎でもあまり見なくなったということは
メダカの学校も廃校になってしまったのかも知れません。

もんじろう - 2004/02/08(日) 09:56<

オイカワ アカハラ

オイカワ…きれいな川魚ですね。
30年近く前は手づかみでとれました。(広島の田舎です)
何しろあの綺麗な色が錦織のようにびっしりと上流に鼻を向けているのです…
もはや獲るしかない、という気分でした(笑)

アカハラですが…
これは私はウグイのつもりだったのですが、よく考えるとイモリのこともアカハラ
といってましたね(笑)
これは食えません!!

ドンコやオヤニラミ、モクズガニ…すべてなつかしい狩りの対象です。
あー!アノ頃の川はどこにいったんでしょうね。
30年近く前、でっかいなまずをとった川を見ると、3面護岸に変わってました…

ya(・ε^)na - 2004/02/07(土) 23:55<

オイカワ・・

オイカワにムギツク・ギギにドンコにハヤにウグイ・・みーーんな川魚です
子供の頃水中眼鏡つけて・・川ん中のぞくと・・
  たくさんのさかなたちが泳いでいきます
  流れの速い場所にたっていますと・・おおおおおこそばぁ!!
    足の裏になんやもぐりこみましたよぅ・・

     小さな堰堤なんか・・・
      エイヤーとばかりにアユやオイカワが飛んでいきます!!

  砂地の川底にはカマツカが!!
       
       でもそんな風景・・・・いまでも見れるんやろか??
          昔よく泳いだ鶯の森辺りの水質・・んんんんんん
  あかんやろねぇ・・・・あんなに住宅が増えてしもたから・・・
        その頃の能勢電たんせんやったもんねぇ・・・
   
    へへへっへへ・今は昔のおはなしでおます・・

                       ほな

*(O..O)*ngly - 2004/02/07(土) 22:12<

ひばもの

はつせさん
 >羽島神社があってその神社の檀家は「ひばもの」
当ってるかどうか分りませんが、野史呼び名辞典に
「ひば」と呼ばれる呼び名はあります。
寺なら「檀家」で、神社ですから「氏子」ではないの
でしょうか。
 理由なき差別や区別はありません。その理由の正悪は別に
何か理由があるはずです。それから歴史の解明が始ります。

*(O..O)*ngly - 2004/02/07(土) 19:42<

まちがってました

とんちんかん小僧さん
四男は元清でしたね。まちがってました。
申し訳ありませんでした。

とんちんかん小僧 - 2004/02/07(土) 12:30<

温泉に休みの日があるとは・・吃驚!!

*(O..O)*ngly さん
『天の朝古代史』という作品が作品社から再出版されていると良いですけどねぇ。。
僕も四男の元清(穂井田氏 1551〜1597 死因不明)さんの八切本での詳細が知りたいです。

おりょうさん
「フエ」と読むのですか。全く判りませんでした。ありがとうございました。
あとで音も聴いてみます。

やなさん
オイカワって何ですか?魚類かな、両生類の類いかな(?_?)
興味津々です。

はつせ - 2004/02/07(土) 01:42<

ひばもの

三重の友人が語ってくれたことには、賀扶加(ちょっとあやしい)「こうが」と読む、という所に羽島神社があってその神社の檀家は「ひばもの」と呼ばれていたということです。村の冠婚葬祭には「ひばもの」は「出てくれるな」といわれたそうです。ご存じの方はおられますか?

もんじろう - 2004/02/06(金) 22:05<

ヤゾー様

拙作お読み頂きありがとうございます。
サンカの具体的イメージは、ほとんどこのHPで得たものばかりで、
あとはなんとなく、父母や祖父母に聞いたそういった人たちの
イメージですね。
あとは犬捕りっていうのがいて、川で犬の皮を洗っていたとかよく
聞いたりもしてました。

また寄らせていただきます。

ヤゾー - 2004/02/06(金) 20:03<

お灯祭り

みなさん こんばんわ

もんじろうさん はじめまして
「ぼくらの根っこ」を楽しく読ませて頂ました。
野山や海で遊び狂っていた少年の頃の記憶が蘇ります。

ヤナ様(^_^) 山の中の池で一度だけ泳いだことがありますが
足に何かが触れる度に うぉぉぉ〜気色悪る〜と叫んでいました。
山の中の池って 妙に不気味な雰囲気を醸し出していました。

おりょうさん 近いうちに蜜柑さんの家に遊びに行って
ハジメさんに会いに連れてって貰います。
一緒に行きましょう。

今日は 熊野は新宮のお灯祭りの日です。
急な石段を松明を持って駆け降りる姿は
離れたところから見ると 山から龍が降りてくるように幻想的で
近くで見たら 歩くだけでも恐ろしい不規則に並ぶ石段を 先を争って駆け降りる勇壮さにビビります。
中上健次さんの対談集か何かに お灯祭りのことを縄文三大祭りと称していました。
後のふたつは青森のねぶた祭りと諏訪の御柱祭りだったと思います。
どれも開放的で 他所者が参加できる祭りなのだそうです。
そういうことで 久しぶりにお灯祭りを見に行こうかと思いましたが
ひとりで見に行くのは寂しいし 寒いので止めました。軟弱な!

中国では 空を飛んでいた大量の鳥が 次々と地上に落ちて死んだらしいです。
ベトナムのハノイでは 豚から鳥インフルエンザが検出されたそうです。
ちょっと心配なニュースです。

こうへい - 2004/02/06(金) 14:08<

蝦夷の別所移配

金属精錬、たたらに、蝦夷の人が関係した伝承が無いのはなぜなんですか???
時の権力者の権力そのものが、鉄=武器であって支配の要。
それを、他の勢力に横取りされることは、もっとも避けたいことであって、タタラバそのものが、極秘事項であった。近くの村人も、流された恐い噂で近づかず、労働者も家に帰されることはなかった。
権力者の書類にも、生産量等の、具体的な証拠を残さなかった。
と考えるのが、自然と思うのですが・・・・・

映像載せられないのが、残念ですが、それは贅沢と言うものですね。
ねむたい・・・・

もんじろう - 2004/02/06(金) 09:57<

ya(・ε^)na 様

ありがとうございます。

>山んなかの池って表層だけがぬるくって、中層からは冷たいんですよね!!
  藻がはえてたりして・

これ、私も身体感覚で覚えてますよ!
ちなみにこのあいだ、ハヤ釣って食べました(笑)
もっともから揚げですが。

たまにこの掲示板にも寄せてもらいますのでよろしく
お願いします。

PIKKI <http://mypage.odn.ne.jp/home/hide71> - 2004/02/06(金) 07:26<

危なく池ポチャであの世行きに・・

一面の雪野原のうえに、強風で路面凍結していた。橋は特にご注意下さい!
いま、日本人とポリネシア人だけがどうして右脳・左脳の使い方が一緒なのかで悩んでいるのですが・・どなたかご存知ないでしょうか?
詳しくはー「都母の国」
なお、以前紹介した「摩多羅神」は、1〜9章まであって、アドレス最後の数字を変えるとぜんぶ見られるのですが・・どこで見つけたのかや、ホームページがどこだったかは不明です。
こっちの方はー「摩多羅神」

ya(・ε^)na - 2004/02/06(金) 00:34<

フエー参った参った!!

しかしなんですねぇ・・どこに行っても休みとかなんとかで・・・んんんんん
へへへついてませんねぇヤゾー・とんちゃん!・・ははっは
  でも温泉がたくさんおますことは・・よろしおますねぇ・へへへ

    おりょうさん、フエですか!!
 いったいなんて読むのんかわからへんがな!っておもとったんですよぅ
   よかったよかった・・喉の奥にささったさかなの骨がとれたような・・おもいでおますよん

もんじろうさん・・おはつです・・へっへへ
   そうですよねぇ・・・
    なんや・・目に見えるような世界が流れて行きますねぇ・・
先程もうちのばあちゃんとはなしてたんですわ・・
   まだ子供の頃・山の中の小さな池でだあれもいないそんな池でひとりで、
    泳いだそんなはなししたんですよぅ・
  山んなかの池って表層だけがぬるくって、中層からは冷たいんですよね!!
  藻がはえてたりして・・すこしきもちわるいもんでしたよん
「ほんまかいな!!あんたそんなことしとったん!」・へっへへ
      子供の頃、親は仕事ばかり・・子供は好きなように遊んでました・・
 かえるの皮むいてザリガニ釣ったり・・
  亀の卵ピースの空き缶で煮付けたり・・
  椿の蜜すうてみたり・・
   オイカワのオスの綺麗なこと・・へへへへなんていうたかねぇ産卵期のあれですがな・
       串にさして焼いて食べました
  半焼けの内臓にがかったなあ・・
      アカハラは、串にさして焼いたけど・・
 あははははは・・さすがに・・よう食べへんでしたわ

         そんなこと・・思い出しました・・もんじろうさん2・・今後もよろしくね!

もんじろう - 2004/02/05(木) 20:22<

はじめまして

こんばんは
実はずっと興味深くROMしておりました。
そしてサンカについては、本当に会ったことがあるはずはないのに、
まるで親しく言葉を交わしたかのようななつかしさを覚えている者です。
そんなサンカへの憧憬を短歌にさせていただきました。
その際、このHPをずいぶん参考にさせていただきましたこと、あつくお礼
申し上げます。

なお作品については、
ポプラ社「作品市場」
http://www.sakuhin-ichiba.com/index.php
詩その他の欄にて「ぼくらの根っこ」というタイトルで発表させて頂いております。
よろしければご感想などいただけると幸いです。

ヤゾー - 2004/02/05(木) 19:08<

塩の湯

みなさん こんばんわ

昨日 とんちんかん小僧くんを白浜温泉へ連れて行きました。
すぐ目の前が海の露天風呂 崎の湯がグレードアップして
無料だったのが入用料300円になったとのことで是非に入ってみたかったからです。
しかし 定休日でした。定休日があったなんて知りませんでした。
おまけに駐車場の入り口にクサリがしてあって Uターンできずに
細い路地をバックで戻らなければなりませんでした。
バックで太い道まで出るのに 次から次ぎへと崎の湯目当てのクルマが入ってきて
すれ違うのも大変でした。せめて定休日なら路地の入り口に書いておいて欲しかった。バカタレが!
露天風呂が駄目なら 近くにある歴史のある公共温泉 牟婁の湯へ入ろうと思って行きましたが
今度は床の補修工事とやらで その日だけ臨時休業でした。なんちゅう間の悪いことか!
それで他の公共温泉を探して 松の湯というところへ入ってみました。
まるで古い公民館のような建物で 受付に人は居ず 入浴料200円を箱に入れてと書いてありました。
浴室に入ると 小さな湯船に爺さんがひとり黙々と浸かっていました。
牟婁の湯は 飲むと丁度よい塩梅で 塩スープのように美味しいので
ここもそうなのかなと思い少し口に含んだら 強烈に塩辛い温泉でした。
今日 なにげに腕を嘗めたら少し塩味が残っていました。塩の温泉恐るべし!

PIKKIさん 物部氏と秦氏には どこか同じ匂いのようなものを感じています。
物部氏の方が より原住民よりな存在だと思いますが
もしかしたら ルーツに共通したものがあるのかも知れませんね。

おりょう - 2004/02/05(木) 19:08<

再び簫についてー

とんちんかん小僧さん
「フエ」と読みます。
簫とは中国の尺八だそうです。
http://www.chinamusic.gr.jp/syou.htm
簫で検索するといっぱいでました。
上記アドレスは簫の音色が聞けます。しびれますですよ。
太平簫の方は、朝鮮からの伝来で「テビョンソ」といい、本管の先にラッパの形に広がっていて葦でつ
くるんだそうです。古代にはイスラーム、中央アジア、インド、中国、東南アジア、さらに朝鮮半島に
広がり日本には中国の鎖吶が清楽の楽器として沖縄や長崎に伝来したそうです。日本では何故かポルト
ガル語でチャルメラとよばれているそうです。

ヤゾーさん山登りは身体にいいんでしょうね。坂道など、神経が集中している爪先などに力がはいるの
で五臓六腑にいいのかもしれません。

「カサとクマ」「徐福」あとで読ませていただきます。

PIKKI - 2004/02/05(木) 08:47<

再び徐福についてー

僕の推理では、倭人や秦氏も物部氏も、徐福と深い関係があるのではないかと思う。
山東半島を出発した徐福船団は、新羅などの朝鮮半島にも拠点を築きながら、最終的には大和の丹の産地に一大拠点を築いたのではないかと思う。富士山麓にも・・
そう考えるとー倭人が中国大陸や朝鮮半島にもいた理由や・・それより少し後に、何故わざわざ中央アジアから逃れて来た秦氏の先祖達を出迎えに朝鮮半島へまで出兵したかの理由や・・後代の卑弥呼や聖徳太子や秦氏などの百済・新羅以外の中国系の勢力が、何故正史から巧妙に抹殺されてしまったのか・・という訳が理解できるのではないだろうか?記紀の頃に盛んになった朝鮮半島主身氏族の民族意識のせいでは?
 《徐福らがどこに定住したかは、伝承はたくさんある。しかし、五代後周のとき、(紀元951〜)、義楚六帖に、「徐福らは日本の富士山麓に住み、今子孫は秦氏と言っている」と、記載がある。「富士山をまた蓬莱山とも言う」と、入唐した日本僧、弘順が語ったことを、義楚はそのまま書いたとされる。富士山麓では、「富士古文書」、別名「宮下文書」なる古代を記した古文書がある。麓の秦氏は江戸時代末期、羽田(はだ)と改名し、正次郎という人が山中湖村字新畑の田から徐福が使ったのではないかと言われる古印を発見した。富士山が東海上の名山であり、神仙の青山になったのは徐福以来のことなのだろうか。》
上記のより詳しい内容はー「摩多羅神4」

*(O..O)*ngly - 2004/02/04(水) 20:22<

毛利元就の四男

とんちんかん小僧さん
>4人目は播磨高砂の奉行をして、日本人を奴隷として輸出する責任者だった
>と八切は記しています
 それは、八切さんの何という作品なのでしょうか?
 分りませんが、名前は「清四郎」だったと思います。記憶によれば毛利が
戦に用いる火薬などを入手するため、他の大名もしていた人身売買をしてた
というもの。もちろん引用は書いてありません。『天の朝古代史』だったかも
しれません。
 八切本の読者でご記憶のある方は、教えて下さい。

ヤゾー - 2004/02/04(水) 19:45<

山歩きのすすめ!

みなさん こんばんわ

△うぶさん おりょうさん 天然の山芋は粘りがあって味も最高ですよ〜
それに山芋採りの名人の元気なこと元気なこと
60歳近くなのにイノシシ並の体力でした。
山芋を食べるから元気というより 
山芋などを採りに よく山歩きするから元気のような気もしました。
僕は半日付き合っただけでも その晩はバタンキュー状態でした。

医者から末期癌で余命半年と宣告された人が
山野に自生している薬草を煎じて飲むとう民間療法を試みて
無我夢中で薬草を探し求めて山野を歩き続けて
半年後には すっかり治ってしまったという話しを聞いたことがあります。
薬草の効果もあったと思うが 無我夢中で薬草を探して山を歩いたことが
なによりも効果があったのではないかと言う話しでした。
藤の瘤や池などに浮かぶヒシの実などは 初期の癌には効果抜群なのだそうです。

いちご麦 <http://www.palfan.co.jp/old_2002/contents/saint_topology/03/03.htm> - 2004/02/04(水) 11:24<

ふたたび、森の熊さん

上記アドレスの「カサとクマの話」が、とっても面白かったので、紹介させてください!

とんちんかん小僧 - 2004/02/03(火) 23:31<

温泉日よりです。

今日からまた寒気が産声を上げたかのように昨日に比べて寒い一日でした。
今また山小屋に来ています。川湯温泉に行ってきました。さすがに屋外の温泉に入っている人はわずか数名。。僕らも屋内の温泉に浸かりました。
頭の中から全身に至るまで、すぅっとした感じがします。

*(O..O)*ngly さん
>4人目は播磨高砂の奉行をして、日本人を奴隷として輸出する責任者だったと八切は記しています

それは、八切さんの何という作品なのでしょうか?教えて下さい。
先の「毛利元就考」の作者は広島出身の人で毛利一族の死因について詳しく記していました。名前は手もとに本を持ってきてなくて判りません。

おりょうさん、望月千代女といえば「歩き巫女」ということで有名な方ですよね。詳しくはおりょうさんが書いて下さったので重複することは書きませんが、信玄が千代女を使って日本最初の女スパイを育成し全国に情報収集のために派遣したそうですね。信玄さんって当時としてはかなり先見の目があったようですね。
ところでタイトルの漢字はなんと読むのでしょうか?

おりょう - 2004/02/03(火) 22:12<

こんばんわ

やぞーさん自然薯は山のうなぎだそうです。栄養万点。消化もいいそうですよー。

*(O..O)*ngly さん
大坂に、てんのじ村(天王寺)という漫才師とか落語家など芸人ばかり住んでいた村が昔あり、今は高速道路になってしまったそうですが、ここ出身の芸能人はテレビで顔が売れ出すと、てんのじ村に住んでいた事をかくすようになったそうです。

猿楽なども簫をつかいますね。中世から近世にかけては、大和における結城・外山(とび)・坂戸・円満井
を猿楽四座と称し、これがのちの観世・宝生・金剛・金春と改称され、中世以降は次第に演劇の色彩を強め
能、風刺、狂言にわかれていったそうです。「猿楽は庭の者。舞々は縁の者」といわれ身分は賤だそうです。
三角寛のサンカ小説に・・・・遠い祖先の明の国の、太平簫(チャルメラ)の家元みたいな由緒の家で、明から朝鮮の李朝にあの簫の秘曲を伝授にきたまま朝鮮に何代かつづいた者の子孫で、それが、日本に渡って帰化してから五六代もたち、その簫は、昔軍楽に使ったとかで、勇ましくふけば百万の軍が進み、雅楽の曲をふけば木魂にひびく美音になる・・・・。
チャルメラの口のところは竹でつくるそうです。
ラーメンのチャルメラも同じなんでしょうか。
捕り物で呼子笛なんかもありましたっけ。
過去ログに、とんちんかん小僧さんが笛師銀兵衛さんのことを書いておられました。


千代女は信玄没後、鉢屋衆率いる盗賊の親分に襲われ命をおとしたそうです。




△うぶ - 2004/02/03(火) 02:32<

鴨、芋

はつせさん
蒲生の名前が何時ごろ命名されたか知りませんが、がもう→かもう→鴨、で鴨族なので出雲系、もっと
言えば、海人系で、百済人渡来よりはずっと古いですから、ぱっと見、直接関係は無さそうです、それに
鬼室氏族が定着したのは細い桜川流域だけで蒲生氏族地域の一部分ですから、これも証拠かも?
やぞーさん
山芋は抵抗力(免疫力)つくのでSARSをはじめ、ウイルス関連病の予防になりますよ!華名山薬。
「○」も付きます{^h^!}。栽培ものより天然ものは十倍くらい良いはずです。

ヤゾー - 2004/02/02(月) 19:25<

山芋掘り

みんさん こんばんわ

△うぶさん はつせさん
>スサノオは新羅から{来た}」と言うより{帰ってきた}なのでしょ?

このページに 辰韓(新羅)人は皆短頭で男も女も倭によく似ており入れ墨をしているという話しが載っていて興味深いです。
              ↓
http://www.mekong.ne.jp/column/eguchi/eguchi30.htm

牛頭天王という呼び方は スサノオのルーツをインドや中東の方へイメージさせます。

遥か古代 この国に失われた文明の記憶が残っている時代
海を渡り遠く旅立って行った幾つかの一団がいて
居着いた土地で新たな文明と出会い育みはしたものの
自然から搾取するのではなく 自然を敬い共生するという
豊かな文明を育んだ母の国に対する敬慕の念を持ち続け
その母の国へ長い年月をかけて里帰りしようとした
一団のリーダー的存在がスサノオではないのかと夢想したりしています

昨日 地元の山芋掘りの名人に山芋掘りに連れて行ってもらいました。
前もって 山芋の在り処に目印を付けてあったそうなのですが
数カ月も経つと 季節と共に山も変化するので すぐには見つかりませんでした。
イノシシのように急斜面を駆け上がり イノシシのように固い地面を 
人がひとり入れるくらいの穴を掘るのですから それはもう大変な山遊びでした。
山芋掘りの名人とは 根気強く穴を掘り続けられる人なのだと思いました。
穴を無心に掘り続けている名人を見ていたら 人ではなくイノシシのように見えてきました。
山芋掘りの様子を風の王国掲示板へアップしています。

こうへい - 2004/02/02(月) 15:56<

幡川の鏡石

を、探しに行きました。
昔の、旧道を求めて、竹薮、林の中を川沿いにうろうろしましたが、見つからずでした。
「紀伊国名所図会」(文化9年{1812})には、飴色なる大石にて、高さ三丈、めぐり一丈ありて、万物を写すこと銅鏡にまされり・・・と、あります。
 「続紀伊風土記」になると、江戸時代末期には一箇所わずかに輝いていたが、葛や蔓草が岩のほとんどを覆っている・・となってます。

明治には、輝きも消えて忘れ去られ、やがて砕かれて、川の石垣になっているのかも

*(O..O)*ngly - 2004/02/02(月) 00:09<

えらぎ、いぼろ

おりょうさん
千代女はいぼろですか。
九州のいぼろの系譜は大分・宮崎・鹿児島にもあるようで、
山伏とか神楽に関係しています。福岡にもイボロ地名はあり
ます。詳しくは民俗学者・永松氏の本にあります。もちろん
民俗学ですからイボロなどとは解明していませんが。
 鹿児島藩では修験の親玉が藩の家老となり、戸籍の肩書きに
特別のものがついていたと聞きます。
 神楽に笛がつきもの……気になります。
大阪のある所では、エラギ>在日朝鮮人>蝶理>平民
の序列で、エラギが最下層だそうです。マスコミに登場する
芸能筋だそうです。最上位の平民は元来サンカで、いち早く
居付いた者らしいとの報告があります。その地名は多くの
地方でサンカ関連の人が多いようです。
 大阪出身の医者で太陽を意味する苗字(自称)の方の話です。
大病院の院長になったはずです。二次大戦で日本が負けたのを
聞いて、皆でとびあがって大喜びしたそうです。

おりょう - 2004/02/01(日) 22:35<

望月千代女 いぼろ

*(O..O)*ngly さん 皆様こんばんわ
望月千代女についてですが、彼女は、武田信玄の甥にあたる、信州北佐久郡にあった望月城主、望月盛時 、永禄4年の9月の川中島合戦で、上杉謙信に敗れ討死、望月盛時の妻千代女は未亡人となり、信玄に
見込まれて、くノ一の養成に努めた。もともと望月家は、天慶3年平将門の乱後、近江国甲賀郡で、甲賀
を姓字とした忍法の流祖、望月三郎兼家を始祖とする、甲賀流忍法の名家で、千代女も生まれながらに忍
法名家の出自だそうです。(名和弓雄より)
その、女忍者養成所「甲斐信濃巫女道修練道場」があったのは、今の信越線の田中駅から軽井沢で普通
列車に乗り換えて30分程のところだそうで、奈良田とのつながりは不明。

作家の岩崎正吾さんは奈良田の出身で奈良田地の研究家だそうです。
http://www5.ocn.ne.jp/~bunko/

いぼろ一族の仕事も多種多用で、弓削師、笛師、竿師、研磨師、簓師、などで、裏の仕事は諜報、偵察、
襲撃といった兵士で、のちの鉢屋でサンカ族。
大坂のある部落では、笛の名人ばかりが住んでいて、夜も笛を吹いて楽しんでいる人達がいるといった話もあり、佐治芳彦さんの「三つのけち(区分)」というのは、箕作り、フキタカ(笛づくり)、エラギ(遊芸関係)というのがあります。

いちご麦 - 2004/02/01(日) 20:52<

楽しいな!

中矢伸一著書に、・・・『天言鏡』の原文に時々混じる形で、サンカ文字が記されている。・・・とあったので、『天言鏡』を検索してみました。楽しい神示だなーと思いましたので、ひとつ書き写してみます。

うぐひすが使となりて
 山に行き琴のかけ橋
渡りそめ音をひびかせて
 大山小山日の出の神の
  みひかりを山にうつして
畑守りの清き心に
     作り上げ
  かよふ廣道みち作り
水のみたまに
    みをつくし
冠のとれた其時ハ
  みごと(神言)成る畑
       実を結ぶ
ヤットコセ コレワイショ
   ガクリ(学理)ガクリで冠が
          オチル
   落ちて目出度き
      廣道だ

        昭和二十二年六月十五日

PIKKI <http://mypage.odn.ne.jp/home/hide71> - 2004/02/01(日) 15:11<

徐福についてー

今朝寝ぼけながら佐賀県の大内町・鳥栖市への旅番組を観ていて思ったのだが・・景色が中国の山水画とそっくりの上に、昔から富山のように売薬で有名だったそうだ。
 秦の始皇帝の非情な命令で、不老不死の霊薬を求めて東海の神山へと向かって出航した徐福が最初の根拠地にした地が、この大内町・鳥栖付近ではないかと思う。
 そしてここから、徐福の命を受けて幾方向かに数十船の船団がわかれていったのではあるまいか?
始皇帝の残虐さをよく知っている徐福はできるだけ、その始皇帝からの追っ手があった場合に安全といえる距離のところまで行きたかっただろうと思う。
 もちろんこの大内町付近で十分情報収集をしてこの列島の様子は十分わかったはずだ。(縄文時代の中頃には、日本の現在の領土はすべて縄文人が行っていた)
 もしも僕が徐福の立場だったら、富士山というこの列島一の霊山と、その頃すでに列島の中心の観のある畿内と琵琶湖に大いに関心を持ったのではないかと思う。 前者の単純な好奇心や医学的な関心と・・後者は、いざという時に日本海へ逃げらるためという事のためと、北方への関心ーこの列島を隅々まで探検して、自分達の支配領域にしたいという野心があったのかもしれない。
もしもそのような野心が強かった場合は・・徐福自身は、この最初の根拠地の大内町にしばらくいて、沖縄や畿内や日本海側の情報を集めさせてから、熊野から畿内に入って、今度はこっちに情報を集めさせたのかもしれない。
 それゆえに,
世界で最も古い内容の医学書「医心方」(国宝)や、各地の神社や氏族の医学療法などを集めた「大同りゅうじ方」というような・・本国の中国のも残っていない医学書や知識が、中国文明の辺境地帯といってもよいこの列島各地に残ったのかもしれないと思う。富山の売薬なども徐福と関係ないのだろうか?
詳しくはー「徐福と古代医術」

はつせ - 2004/02/01(日) 12:41<

高句麗と百済

ヤゾーさん、鬼室家のその後を追うのも興味深くなりました。蒲生氏に関係があるのでしょうか?

 高句麗は百済と同族(扶余族)で方言も似ているといいますが、その分同血同士の軋轢も深かったのかもしれません。百済の遺民、前高句麗族、後高句麗族、それに新羅派が加わり複雑な模様になりますね。
 日本の武士集団の発生もそれに関わっているのかも知れません。
 高句麗と新羅も、北と南で温度の差分と征服民との混合で気質も異なっていったかも。
 捕虜といっても騎馬民族は服従する武将は召し抱えますので、一つの「家」として渡ってきたと思います。多数の「捕虜」を管理するにはそれ以上の人数が必要ですよね。

 ところで遅ればせながら映画の「英雄」をビデオで見ました。この脚本、なかなかです。秦の軍の行軍の映像も良かった。新羅、百済、唐はどんな姿で戦ったのでしょうか?想像するだけでわくわくします。

△うぶ - 2004/02/01(日) 01:58<

昔っからグローバル

ヤゾーさん
神戸市兵庫区内の町名はすごいですね、そのまま民俗学ですよ、牛頭天王の神社を頂にして、
やれスサノオ町とか祇園町とか有って、。去年夏、牛頭天王神社へ行った時には感心しました。
ただ、普段の行いが悪いのかドシャブリの雨で、祭りも殆ど中止でした。
「スサノオは新羅から{来た}」と言うより{帰ってきた}なのでしょ?、神さんが行き来してるのなら、
民衆は当然、、、、、で、す、か、? 、、、、加賀白山のククリ姫なんてのも有りますね。
はつせさん
鬼室氏のその後ですが、唐(新羅連合)から派遣されて来ていた「郭」将軍、その実、唐では無くて
唐に亡命していた新羅人らしいですね?、、又同時に連れてきた兵隊も全て高句麗人捕虜だった
らしいです。。。それが鬼室氏側と暫く対峙していたらしい、、、。古くに来た高句麗人と後で来た
高句麗捕虜兵、、、その関係は現代には如何に反映してるのか?興味あるところです。
郭将軍兵は日本のカイト形成の根元、、、、、、、は八切説で読みました。

*(O..O)*ngly - 2004/01/31(土) 22:24<

戦国時代のサンカ

おりょうさん
「甲斐信濃巫女道修練道場」の話ありがとうございます。
やはり望月姓。千代女は奈良田の出身でしょうか?
信州天馬峡というマンガがあったと記憶しますが、これも
てんば(転場)者に由来する地名でしょうか?江戸時代
には伊那の勘太郎、これもサンカを称えた唄のような気
もします。
 戦国時代サンカはハチヤのように集団戦に動員された
場合と三国(見国)などの地名があるように物見に動員
された場合もあるようです。江戸時代のサンカ運びや集落
やボッカ・万屋はその名残でしょうか。大友と島津の戦では
恨みの大友に復讐するために延岡あたりでサンカは島津軍の
先頭にたったようです。大友に仲間を千人殺され、サンカ文字
を含む文書を盗まれたとの主張の傍証になります。
ハチヤは平将門の時代はるばる出雲から将門援軍で筑波山
辺りに集団移動したという説も(千葉県か茨城県小川町か)
あります(伊藤博文もこの流れか?)から、サンカの定義に
よっては近世や近代以前にサンカがいたことになります。
方や奴隷として島原の白銀海岸(口の津)から輸出された者
(サンカ)も多かったと矢切止夫は書いています。
 ハチヤの変種のイボロは秀吉の時代朝鮮侵略時に偽軍とし
て活躍した記念の踊りが大分・宮崎・鹿児島に残っています。

とんちんかん小僧さん
 毛利には10人以上子供があったようです。4人目は播磨高砂の
奉行をして、日本人を奴隷として輸出する責任者だったと八切は
記しています。末子は二宮という木地師(家紋からみたら産鉄民)
の養子にやっています。作事奉行だったその末裔が近所にいます。
 故鹿島氏が毛利=忍者集団説を主張していますが、最近それの
根拠ともなるような神社舞踊芸能がありました。毛利の家紋はなぜ
か忍者の家柄の家紋に類似しています。このような裏政治的な
歴史は自称・専門家は取り組まないでしょう。

おりょう - 2004/01/31(土) 20:47<

甲州サンカ

「甲州サンカ」にひかれていますので、もちさんの奈良田も興味深い気持ちで読ませていただきました。

奈良田とは関係あるかないかわかりませんが、信玄は、兵法や諜報技術に長けていたんですね。
四辺山岳に囲まれた地形を利用して、居ながらにして狼煙通信で、数時間後には、その全貌を捕らえて
いたという。
もちろん狼煙だけではないのですが、信玄のつかっていた乱波の役割など、敵地に忍びこんでの情報収集
や騒擾を先導したり、なかでも、信玄が養成していたのが「甲斐信濃巫女道修練道場」と呼ばれ、全国か
ら戦災孤児、迷い子、捨て子、かどわかしなどで集めてきた子供たちを”歩き巫女”にしたてあげる。こ
れがいわゆる「くの一」、これらの巫女諜報員の頭領が望月千代女であった。
また、乱波・担猿などは、山の民サンカで、戦争のない普段は箕作り、竹細工などの二重生活であったと
いいます。これら戦国時代にはサンカもおおいに活躍していたのでしょうか。

秘境部落で5歳の男の子が自分の父親を「くまぞうー」と呼び捨てにしていた話などもありますが、敬語
を使うようになったのは、身分制がとられてからのことでしょうか。

はつせ - 2004/01/31(土) 17:34<

鬼室と気質・・・・

うぶさん、
>百済末期(大化の改新直前頃)には亡命政権らしきも日本に来ていた模様

百済の猛将、鬼室福信の子が亡命して700人の遺臣とともに蒲生郡に封じられたことですね。
 百済王子・豊璋を斉明天皇・中大兄皇子は送り百済王を再興しようとしますが、豊璋は福信を反逆の心ありとして手の甲に縄を通し投獄し殺します。正に愚王と言わねばならないでしょう。義兵として戦った遺臣はもうこういう王の為には戦わなかったのではと思います。
 でも福信の血が守られたのは素敵です。

*(O..O)*ngly さん、
 百済気質・新羅気質については具体的には私も分かりません。でも大阪人と京都人の違いはよく聞く話であります。関東人は関西人とも違います。東京で電車の中で大阪弁の二人(知らない人)の話を聞いてましたが、まったく吉本なみの飽きない会話でありました。
 日本では「新しい者は常に西から来る」とも言います。大阪のおばちゃんはドハデとも言われます。
 こんな調子で違いがあるということはなんとなく分かりますが・・・

ヤゾー - 2004/01/31(土) 12:51<

スサノオの神さんが好き!

みんさん こんにちわ

子供のころ 悪名シリーズはよく見てました。
梅にウグイス 松にツル 浅吉ゆうたら この清二でんがなぁというセリフ覚えています。
勝新と田宮二郎のコンビは絶妙でした。
ああいう八尾の浅吉っちゃんのようなタイプの人を見ていると
スサノオみたいだなぁと思ってしまうのです。

*(O..O)*nglyさん お答え頂き ありがとうございます。
はつせさん △うぶさん(三角が元に戻ってる) ご意見 ありがとうございます。
そこで思うのですが どちらかというと原住民系やサンカなどの被征服者側の信仰を集める
スサノオという神さんについてなのです。
日本書紀では スサノオは新羅から渡ってきたことになっています。
紀伊田辺には 朝鮮半島の新羅はソシモリから木の種を持って上陸したという伝説が残る
古くは牛頭天王社と呼ばれていた須佐神社があります。
また石見にも上陸の伝説が残る スサノオを祭る韓国新羅神社という神社があります。
和泉の旧家に秘蔵されていた 被差別部落の二百年にわたる闘いを記録した古文書には
被差物部落では極めて珍しく鎮守社を持ったときに祭神を牛頭天王にしたとあります。
また サンカ伝承には 仁徳陵の工事に従事した新羅人のエタチヒトが3000人いて
そこから後世に エタという呼称が生まれたという興味深い話しもあります。
新羅や百済の奥には もっと深いルーツが隠されているのかも知れませんが
朝鮮半島とこの国は 複雑にリンクしているようなところがあるので
そう単純には何系がどうとかは言えないのかも知れませんね。
朝鮮半島の賤民とされた人たちと 日本の賤民とされた人たちの間にも
不思議な繋がりが 今も生きているような気さえすることがあるのです。

参考資料として 3年くらい前にアップしたものです。
《遺伝子・DNAから日本人のルーツを考える》
www.kumanolife.com/History/dna.html

酒豪といえば 松方弘樹さんが どこかの漁師に頼んで釣りに連れて行って貰うときに
前の晩に漁師が集まって 松方弘樹さんを囲んで酒宴をひらいたのだそうです。
そのときに漁師たちは たかだか役者ごときに酒では負けんと思って
グデングデンに酔わせてしまったら 明日の朝は釣りに乗せて行かなくても良いと思ったとか。
しかし ぐでんぐでんに酔ってしまったのは漁師たちの方で
おまけに明くる朝は 二日酔いと荒れ模様で船にも酔って散々だったとか。
松方弘樹さんの方は シャッキとして船にも酔うことがなく釣りを楽しんだそうです。
漁師いわく あの人はただ者ではない!参った!と脱帽したという話しを聞いたことがあります。

とんちんかん小僧 - 2004/01/31(土) 02:31<

毛利元就考を読んで知ったこと

おりょうさん!ほんと昔から大酒豪という名の豪傑がたくさん居たものなんですね。おりょうさんの投稿文を読んでいて笑いが止まりそうにありませんでした(^O^) カムイ伝、無茶苦茶一杯あるんですね。集めるのに苦労しそう・・。

毛利家の逸話として、歴史的にも有名な「三矢の訓」が歴史家によって存在を否定されているそうです。僕は、この本を読むまで信じていたから吃驚しました。

※「三矢の訓」とは・・元就が死に臨んだ時に三人の子供を呼び寄せ、一本の矢では簡単に折れるが三本を束にすれば折れない、三人が協力すれば毛利家は永続すると教えたという訓示。

その理由というのは、長男隆元は元就の死ぬ九年前に急死しているし、次男元春は出雲に出陣していて、病床で看病していたのは三男隆景と孫の輝元だったことが明らかとなっているから・・何故か僕はそういう理由も何となく知っていたのに信じてしまっていました。ただ、元就は、それより14年前の六十一歳の時に三子に対して教訓状に「元就十四カ条の御書」を記しています。それが後に逸話として話の内容が変化したのだと思われます。(とんちんかん小僧説)

△うぶ - 2004/01/31(土) 01:06<

望月、新羅、百済など

@「甲賀望月、伊賀服部」と言う言葉が存在し、隠密の名門で、信濃滋野氏が源流らしいです。
@関西は東に行く程に新羅色が強くなる、との意見を読んだ気がします、百済本拠が大阪東部や
大和であり、新羅本拠が山城やカドノで、平城から平安への遷都はそれも一因とも思っています。
勢力地図のみならず、時間軸も関係大ですが。
@ヤゾーさん、横レスですが、良きポジションに居た百済も、唐と新羅が連合を組んだ時からは劣勢の
始まりだったと思います。百済末期(大化の改新直前頃)には亡命政権らしきも日本に来ていた模様
(=鬼室集斯氏)、天智の時代になるはず?。、、、、どんなもんでしょ?
@四国では確か今治あたりの北海岸沿いが半島系色濃厚みたいですね、岡山の吉備勢力を
迂回しているのだと思っていますが、、?。

*(O..O)*ngly - 2004/01/31(土) 00:11<

日本は多人種の島

ヤゾーさん
>百済の末裔が どうして古代王朝から追いやられたのか
 権力争いで、唐と組んだ新羅の勢力によるのでは。俗には
豪族争いとしますが、国際的な背景を持つ人種対立です。
『記紀』を読み勉強していないので断言できません。
南北朝対立で言えば、南朝=百済、北朝=唐 と考えています。
この方が後の歴史の展開がよく説明できるからです。
 日本が多人種であるという「事実」は多くの歴史・民俗学者は
口では認めますが、研究ではすべて単一民族説によっています。
三角寛のサンカ研究も若い原住民の瞼を乗せながら「単一民族説」
です。これが研究の前提を誤る元になる可能性があります。
 実は日本における人種構成を少し統計分析しています。
 シーボルトの説を仮説としてデータを集め分析しました。
四国だけですが数百名のうちで、原住民系が40%、中国系が25%
、朝鮮系が10%位で、残りは南方系でした(記憶によりますので数字は
概数です)。やはり原住民系が多く、四国では意外と朝鮮系が少ないの
でびっくり。四国に原住民系が最多であるのは流刑地だった歴史のせいかも。
後者は朝鮮から入る時の中継地だった可能性が高いようです。

*(O..O)*ngly - 2004/01/30(金) 23:40<

百済と新羅

おりょうさん
>ふるさとの日本の言葉に出てくる奈良田言葉、これ位個性的ならば
 どこの人種の言葉か分るのではないでしょうか。分らなければ
言語学研究の意味がとわれると言ってよいのでは。
 Webに奈良田=隠密集団説がでてましたが、これが正しいようで
す。深沢と望月の二姓しかないそうですが、これらの姓の中に旧隠密
があり江戸時代に入ると不用になった戦闘=斥候集団は「昇格し」
被差別部落の目付け(刀を差しても正式の侍ではない)などになって
います。望月姓は知人にもいますがどうも金山師だったようで、長野県
にも同じ町名があります。金山師ですから経済的な力の源泉として各大
名は大事にします。
 有名なのは甲州猿楽師(集団の棟梁?)大久保長安で、徳川の金銀山
の経営者としては抜群の者です。島津や伊達と組み、スペインのアルマダ
(無敵艦隊)を金で雇い徳川政権を打倒しようとしたという説が石見銀山
に残っています。

いちご麦さん
>天平勝宝四年(752)に、聖武の譲位を受けた孝謙(称徳)女帝の手
 聖武帝となると東北の俘囚を全国に強制移住した時代です。関西なら
これに念珠信仰の行基が加わればまず別所の地の疑いが出てきます。

>血族結婚  明治まで完全に血族結婚だったのは唐や百済人といわれ
ます。私達は調査の際にこの歴史的事実を利用する事もあります。しかし
その下層階級は木地師のように他の人種との交流もあったのでしょう。
なぜなら彼らは奴隷でよいのですから。血族結婚の痕跡は文献なくとも
容易に検証できます。

はつせさん
>大阪気質は「百済系」で京都気質は「新羅系」であり
 面白い観察だと思います。具体的にはどのような事項になるのでしょ
うか?東大坂は斉州島の渤海系も多いと聞きますが。
松山の支配層も百済系が多いように感じます。例えば、小説「ぼっちゃん」
の主人公を苛める、少し頭が良いけれど頭が高く誠実がないタイプがいる
ようです。夏目漱石自身は自覚してませんが彼自身も百済系とか。
 私の母方は百済系、父方はどうも新羅系だそうです。

ya(・ε^)na - 2004/01/30(金) 22:46<

今今こんでこんばんわ・・

今登校・・あはっははは
 今和尚ってゆうたら・・八尾のアサキチさん・・
    大きなナメクジ御酢につけて・
毎日一匹ずつのんではりましたねぇ・・・
  ゲーーーーー遠慮させてもらいますよう・・
    お顔は、なんや生臭OOみたいはっはあっは・・すんません!!

 とにかく坊主に、まともな相談したらあきませんよぅ
        ほんま困ったもんです
    
     そんな人ばっかりやおませんって・・言いたいねんけれどもねぇ

               知ってる範囲では・・いえませんねぇ・・とほほほほ
        

はつせ - 2004/01/30(金) 21:31<

百済系新羅系

前にも書いたかも知れませんが、ヤゾーさんのおっしゃられた反対のことも可能性があるのでもう一度。
 私の友人の韓国人は徴兵のあと京都大の大学院で納めた後、私の同僚となり、ソウルの実家と東京を行き来してます。彼が関西時代に得た実感は、大阪気質は「百済系」で京都気質は「新羅系」であり、仲が悪いはずだ、ということでした。
 天智は確かに百済のシンパでしたが、天武は新羅のシンパであったというのは歴史の本で読みました。とすると百済の遺民はちゃんと関西の商人パワーを中心に気勢をあげていたことになります。
 現代でも百済と新羅の確執はちゃんと朝鮮半島に残っていて、金大中が初めて百済の地(光州でしたか)から出た大統領ということは新聞でも取り上げられたことです。国は滅んでも民は残るということです。
 日本の場合は血が混じり合い、反逆と服従が繰り返されたのではないでしょうか?

もち - 2004/01/30(金) 21:25<
>*(O..O)*nglyさん
百済の末裔ではないか、とのお話でしたが、地元に残る言い伝えでは「平氏の落人村」というものがあります。しかし、この言い伝えにさしたる根拠はなく、逆に日蓮宗総本山である身延山の影響が強い土地でもあり、坂東武者に信仰者の多い日蓮宗と鎌倉の関係を考えるに、早川が平氏の落人村というのは無理があると思われます。
次に血族結婚についてですが、これはかなり極端に繰り返されてきたようです。早川の住民八割(代々続いてきた家はほぼ十割)が深沢氏と望月氏の二氏に連なります。(本当に苗字が二種類に分けられます。学校などでは苗字で呼ばずに、下の名前、もしくは屋号で呼ばれます)
最後に言葉についてですが、奈良田には岩塩が存在し、外界から塩を得る必要がなく、僅かな時期を除いて、人の出入りはないに等しいものでした。学者たちはこれが原因で奈良田には古語に類するものがそのまま残ったのではないかと考えているようです。

PIKKI - 2004/01/30(金) 20:09<

◆秦氏、ギリシャ神話、両性具有神、鍛冶の神、

 地蔵菩薩が女性だとは知らなかった。地獄へも赴いて地獄の責め苦も身代わりになってくれるという・・菩薩さま。
アイヌの火のカムイも同じような「取次ぎの神」の一種である。
ギリシャ神話の両性具有神ディオニソスやヘルメスも・・
 もっとすごいのは、男根がご神体の日本の鍛冶の神・金山彦神と、ギリシャの鍛冶の神ヘパイストスだ。彼が人類最初の女性パンドラを作ったとは知らなかった。
後半部はすごい内容です。
詳しくはー「摩多羅神」

きょうかい - 2004/01/30(金) 19:59<

そうですよん

懐かしい、週間プレイボーイの毒舌人生相談でした。
いやらしくて、申し訳ない。が、今和尚のは
もっともっと露骨でした。 んじゃ

ヤゾー - 2004/01/30(金) 19:35<

みなさん こんばんわ

蜜柑さん あっあっあかん 重傷や!
恋の病は 草津の湯でも治らんと言いますから
自分でなんとかして下さい。

*(O..O)*nglyさん 
>古代王朝から追いやられた百済の末裔のような気もしますが。
僕の拙い知識では 白村江の戦いで百済が破れ 新羅に支配されるのを嫌い
百済に肩入れしていた当時の日本に百済の支配者階層が多く渡来し 
朝廷でも重要な地位にあったという思いがあります。
実際は それぞれが複雑に絡まっていて 日本の権力闘争は 
唐 新羅 百済 高句麗の代理戦争みたいな状態だったのかも知れません。
そこで どちらかというと朝廷で力を持っていた百済系の人たちに
本国の恨みとばかり疎まれていたのは新羅系だと思うのですが
百済の末裔が どうして古代王朝から追いやられたのか教えて下さい。

いちご麦さん 熊野にも色んな人たちが漂着したという話しがありますが
有名なところでは 秦の徐福なんてありますが
インドのお坊さんが流れ着いたという話しも聞いたことがあります。

おりょうさん つげ義春さんの「貧困旅行記」僕も持ってます。
猫町紀行の挿し絵が好きです。鳥好きにとっては 
ヤマガラなどの野鳥にまで鳥インフルエンザが流行するようなことがあったらと心配してます。

きょうかいさん なんか響きがいやらしい〜感じもするのですが
今東光さん むかし週間プレイボーイで
人生相談してませんでしたか?

こうへいさん お久しぶりです。
と言ってもまだ四日ぶりやないかぁ〜
それだけ存在感が大きかったのでしょう。また書いて下さい。

おりょう - 2004/01/30(金) 18:52<

すみません。間違いでした。

奈良田集落
http://nomnomk.cool.ne.jp/03datebase-page/yamanashi_data/naratafile.htm

きょうかい - 2004/01/30(金) 16:12<

焼蜜柑

>あっ、あっ胸が苦しい。。。。
 昔、今東光さんが、雑誌の相談でまじめに答えてました。
「カイテカイテ、カキマクルしかねえだろう」
  
   焦げませぬ様に

こうへい - 2004/01/30(金) 15:40<

みなさん こんにちわ

がははは、ヤナさん 心理学者ですか。

去年あたりまで、あちこちでパソコンを無料で一般開放していた所があったのですが、、今は殆ど閉鎖になり、必死で探していたのですが、ありました!!
K市役所の市民課の前の隅に一台パソコンがあって、自由にお使いください・・と書かれています。
今、見つけたんですけどね。
でも、後ろをいっぱい人が通るのと、特に新しいこともないので、また、投稿いたします。
じゃあ、またね。

蜜柑さん、恋の病ですか、無理もないですねえ。
苦しいですねえ・・・くっくっく

おりょう - 2004/01/30(金) 14:17<
ふるさとの日本の言葉
http://www.nhk.or.jp/a-room/kotoba/25yamanashi/25guest2.html

すみません 貼りつけの使い方がわかりませんでしたので分かれてしまいました。

つげ義春さんの「貧困旅行記」読むと山梨の僻地とか秘境温泉がよく出てくるのですが、奈良田はいって
ないのかのってませんでした。でも、本の中の写真は、いつみても心引かれる風景ですね。もう、こんな
風景のようなところは残ってないんでしようね。

蜜柑さん恋の病のサンカ特効薬ですか? う〜〜ん??
もうすぐ、花の三月になったら出版デビュウで、かの有名な礫川さんの横に、蜜柑さんの本が店頭に並ら
びますね。とてもとても楽しみにしています。一家に1冊です。夜明は近い。

ヤゾーさん鳥インフルエンザはやく治まってほしいです。今、中国は凄い勢いで発展していますから、鳥
インフルエンザも、やがては飲み込んでいくことでしょう。
鳥インフルエンザも今のところ源はわからないようですね。渡り鳥が拡大させる場合もおおいとか。





おりょう - 2004/01/30(金) 13:38<
奈良田集落

http://www.nhk.or.jp/a-room/kotoba/25yamanashi/25yamanashi.html

おりょう - 2004/01/30(金) 13:34<

奈良田

奈良田に最恵待遇を与えた戦国の名将 武田信玄
http://www.salps.net/user/shiranekan/shingen.html

いちご麦 - 2004/01/30(金) 12:57<

「称徳天皇様を祭るとか。」

という、nglyさんの言葉に惹かれて「称徳=孝謙天皇神社」を調べてみました。
http://www.ten-f.com/doukYoujiken.html
また以前、次のような文を読んだとき、称徳=孝謙女帝の名が印象に残りました。

大仏開眼は、金メッキがまだ完了していない天平勝宝四年(752)に、聖武の譲位を受けた孝謙女帝の手で、行なわれた。インド人僧ボディ・ゼーンナが開眼供養師となり、中国人僧隆尊・道睿・景静
が主導した。さらに、西域胡人・ベトナム僧なども参加するという国際的なイベントであった。
  (後略)                 〔「もともと日本は国際国家であった」安東到著〕

*(O..O)*ngly - 2004/01/30(金) 01:18<

奈良田in菊池山哉

 雲山万里人里離れた山奥へ流された俘囚ありとすれば、それは奈良田であろう
と『別所と特殊部落』。奈良田は平処の意味。この地だけが5,6千坪緩傾斜
であるから。産土神(女神)をなら王と言い、称徳天皇様を祭るとか。
40戸密集部落でこれ以上は家は立てられぬ。割に民家が大きいのですから
家と家の間は6尺位で家の中で話ができる。各戸戸締りなし。部落民同士の
会話に全く敬語はなく、大きな声で喧嘩でもしてるような有様。女は三味線
を弾く。学者は木地屋が祖先とするが、ありえない。採取経済だろう。
永い間の血族結婚。などと実地報告しています。
 まだ調べたら何かの痕跡は残ってるのでは?
 信仰、言葉、血族結婚や地名からは古代王朝から追いやられた百済の末裔
のような気もしますが。新潟の三面や富山にも百済人集落がありましたね。
 白装束は昔の山伏の流れで、サンカと関係があるか、少なくともサンガの
影響を残してるのではないでしょうか?早川にも意味がありそうですね?

蜜柑 - 2004/01/30(金) 01:12<

いやービックリ

もちさん
すごい情報ですね。
>「奈良田」という部落があり、この部落には特殊な言葉が現在でも残っています。
この言葉は山梨で使われる地域的な方言(甲州弁)ではなく、
この奈良田でのみ使われる局地的なもので、同じ早川の人間でも奈良田以外の者にはまったく通じないほど甲州弁からかけ離れ

具体的には、どんな方言があるのでしょうか?
興味深深です。はい。

「恋の病」に効く特効薬探しています。
サンカの秘薬でないですか?オリョウちゃん!!

あっ、あっ胸が苦しい。。。。





ヤゾー - 2004/01/29(木) 19:10<

焼き鳥を喰っちまったぜい!Ψ(`▽´)Ψ

みなさん こんばんわ

もちさん はじめまして
興味深いお話し ありがとうございます。
確か 佐治芳彦さんのサンカ本だったと思うのですが
神戸のサンカ一族が 山梨 会津地方に移動したというようなことが書かれてあったような気がします。
随分前に 人から借りて読んだ本なので定かではありませんが お話を読んで思い出しました。

PIKKIさん ポリネシア人といえば 虫の鳴き声などの自然の音を
処理する脳の使い方が日本人と同じだというのを 何かの本で読んだことがあります。
アジアにあって ポリネシア人と脳の使い方が同じなんて不思議な民族だと思いました。
縄文の力のなせる業なのか それとも与那国にある一万二千年前に沈んだという
海底遺跡と何か関係があるのだろうかと 思ったりもしました。

鳥インフルエンザって いったいどういうことなんだろう?
エイズやサーズは なんとなく人為的に起こされたもののような気もするけれど
狂牛病にコイヘルペス それに今回の鳥インフルエンザはどうなんだろう?
やなり人為的なものだろうか?それとも地球の意志みたいなものなのだろうか?
人間の都合だけを優先し 生産される生き物の意志が起こしたものなのかもしれない。
そんなことを漠然と考えながら 焼き鳥を喰っちまったぜい!
それにしても 加速度的に時間が早く流れているような気がするのです。

もち - 2004/01/29(木) 07:21<

早川について

皆さん、始めまして。 五木寛之著『風の王国』を読みまして、山窩を検索していくうちに、こちらに迷い込んできた者です。 私は山梨の早川町という山奥の出身なのですが、こちらの掲示板に七面山について記述(2000年12月1日もんむー氏)がありましたので、出身者からの追加情報として、書き込ませていただきます。 早川で山窩を思わせるものは、白装束の登山だけではありません。 早川自体が最寄の駅から20kmほどの奥まった場所にあるのですが、それをさらに進むと、「奈良田」という部落があり、この部落には特殊な言葉が現在でも残っています。 この言葉は山梨で使われる地域的な方言(甲州弁)ではなく、この奈良田でのみ使われる局地的なもので、同じ早川の人間でも奈良田以外の者にはまったく通じないほど甲州弁からかけ離れ、方言を研究する言語学者内ではかなり有名なものです。(イントネーションは関西に源を発するそうです) また、早川には戦国時代、武田氏に採掘された雨畑金山もあり、当時全国から採掘にたずさわる職能集団を呼び寄せた記録も残っています。  そんな奈良田も現在ではマニア受けする秘境の温泉場となっていますので、奈良田言葉に興味がおありの方は一度骨休めに訪れてみてはいかがでしょうか。(夏なら、七面山参りの白装束集団が見れますよ)

PIKKI <http://mypage.odn.ne.jp/home/hide71> - 2004/01/29(木) 06:24<

暖かい朝ですね

人類史上最高の冒険家ポリネシア人についてのサイトをまとめることにした。表題については下記のサイトを参考に。
ハワイにメネフネ族伝説というアイヌのコロポックル(蕗の下の人)伝説とそっくりな伝説が残っているし、実際にカウアイ島などには彼らの水路が残っているそうだ。
 このメネフネ人が日本列島からやって来た縄文人と違うんだろうか?。そう仮定すると、縄文式土器とそっくりな南米エクアドルのバルデビア土器(約6000年前から)やポリネシアの土器(下記のカルタゴ皇帝ゴンの世界参照)の説明がつく。
 これを可能にしたのが、黒潮とカルフォルニア海流や反対向きの北赤道海流ではないかと思う。これを大いに利用したのが、1500年代終わり頃からのスペイン人(ガレオン船でメキシコとフィリピン間を往復)や、江戸後期にこの航路を利用して莫大な富を得た加賀藩の豪商銭屋五兵衛(1773〜1852)である。
伊達政宗がローマに派遣した支倉常長もこの航路でメキシコからヨーロッパへ行ったという。
詳しいサイトは(リンクが面倒なので僕のHPからよろしく)−
■「古代日本のパドリング」
■「オセアニア地方の分化史的特徴」
■「片山氏の業績」
■「カルタゴ皇帝ゴンの世界」

ヤゾー - 2004/01/28(水) 18:55<

豆タヌキ再び!

みなさん こんばんわ

おりょうさん 確かに今の若い人たちは 携帯電話ばかり気にして覗いていますね。
それだけ人との関係に飢えているのかも知れません。
そのくせ 面と向かって話しをすると 気を使い過ぎているのか 話しが弾まないみたいです。

とんちんかん小僧くん 戦国時代には 城ひとつと匹敵したという水石もあったみたいです。
有名なところでは 西本願寺の寺宝となっている 末の松山という山水景石の名石があります。
趣味のない人が見れば その辺にありそうな石なのですが なかなかの趣味人が多かったのかも知れません。

ヤナさん リアルタイムで三角寛のサンカ小説を読み 
カムイ伝やワタリの映画まで見ていたなんて
やなぎむしさんは偉い!

PIKKIさん 廻りから強引に東京の大学の相撲部に入れられた友達の話しです。
同級生に鹿児島出身と青森出身の人がいて みんなで酒を飲んで話しをしたら
畿内出身の自分は何を話しているのかさっぱり分からなんだけれど
不思議なことに 鹿児島出身と青森出身の人は
なんとなく通じ合っていたようだったとのことです。

用事があって しばらく山小屋を留守にしていたのですが
今日帰ってきて ふと外を見たら 豆タヌキが山小屋の前にちょこんと座っていました。
ここのところ あまり姿を見せなかったので どうしているのか気にはしていたのですが
久しぶりに姿を見せてくれたタヌキは お腹でも減っていたのか ちょっとみじめそうな顔をして
人の顔を見ては 鼻をクンクンとさせていました。
なんか くでぇ〜 とでも言ってそうでした。
パンをあげたら 嬉しそうに銜えて山に消えていきました。
その豆タヌキをデジカメで撮影できたので 風の王国にアップしました。
なかなか面白い姿してます。

おりょう - 2004/01/28(水) 17:44<

大酒会

とんちんかん小僧さんの、武士の酒盛りについて面白い記事がありましたのでとりあげてみました。
江戸時代文化文政の頃には、よく大酒会とか、大食会というものが行われたそうです。真実の記録で
残されたものに、文化十四年(1817)年三月二十三日、両国柳橋の料亭万屋八郎兵衛方で挙行さ
れた大酒大食会で、驚異の珍記録をつくった人達が記載され残されています。

 三升入盃にて三盃       小田原町  堺屋忠蔵 68歳
 
 三升入盃にて六盃半      芝口    鯉屋利兵衛 30歳
  その座に倒れ、しばらく睡眠の後目を覚し、茶椀で水十七杯飲んだ。

 五升入丼鉢にて一盃半     小石川   天掘屋七右衛門 73歳
  すぐ、帰途についたが、聖堂の土手に倒れ、翌朝七っまでねむっていた。

 五合入の盃にて十一盃     本所石原  美濃屋儀兵衛 51歳
  後で五大力を唄い、茶十四杯飲む。

 三合入にて二十七盃      下谷金杉  伊勢屋伝兵衛 47歳
  後で飯三杯、茶九杯、甚句を踊る。

その他、出席者全員ニ〜三升は飲んだそうです。 
 
人間こんなに飲めるものなのでしょうか。恐るべしフクロアライ。

カムイ伝 一部 二部 カムイ外伝 もってます。




 
 

PIKKI <http://mypage.odn.ne.jp/home/hide71> - 2004/01/28(水) 09:26<

こんにちは、長い書き込みお許しを!

ズーズー弁が残る沖縄ー出雲ー東北はまた、縄文文化や縄文人遺伝子が多く残る地域だ。沖縄からすぐ北の南九州の隼人の地域は、出雲や東北とともに、ヤマトタケルが遠征した古代の製鉄地帯でもある。
 沖縄については、下記のサイトで詳しく読んで欲しい。古代から中世までずっと、「新唐書」で華南に独自の交易活動に来る(室町時代にも市来氏は李朝鮮などと交易)三小王国「ヤク、ハヤ、タネ」の交易圏の重要なメンバーだったのではないかと思う。そして沖縄史の数百年間という空白は、鉄資源がなかったからではないかと思う。日本で鉄器が出土する縄文末期以来、現在まで鉄は最重要の資源であり、これなしには人類文明が不可能だ。
 その点東北は、日本でも最も鉄資源が豊富だったので、百済・新羅からの渡来人主体の古代大和朝廷から、徹底的に破壊され征服されたのに対して、沖縄はそれを免れたのではないかと思う。
昭和63年に発見された鯵ヶ沢町の製鉄遺構をはじめとする数箇所の同町の蝦夷製鉄や、東北各地の製鉄遺跡の存在は、東北の製鉄が新羅から伝えられたという西日本の製鉄とは起源が違うものだと思う。
 その起源は、製鉄の始祖といわれるトルコ・アナトリア地方のチャリブス族(紀元前14世紀前後、イオニア系ギリシャ人の殖民市・・フェニキア人が海洋交易民とするとギリシャ人金属加工民と呼ぶべきではー)の製鉄は、中央アジアの遊牧交易民や突厥などの騎馬遊牧民によって後のシルクロードと、その北のステップの道とで、中国と満州から沿海州まで、製鉄開始からそれほど経たずに伝えられたのではないかと思う。
 何故なら、旧約聖書を読んでもわかるが、その頃の中近東ではとても安心して製鉄などやっていられないし(たぶん奴隷仕事からの逃亡など)・・雨が少なく燃料がすぐ枯渇する自然条件は日本以外では満たされなかったと思う。
 そして中国ではすでに漢代では鉄の専売制度を持ち、それを嫌った製鉄関係者が朝鮮半島や日本列島のその時代の最高の資源の開拓を試みたのではないかと思う。
 なお、ヤマタノオロチで有名なオロチ(オロチョン)族など満州から沿海州の製鉄は、中国とは違った古代のハイウエーと言うべきステップの道をきたスキタイや突厥など騎馬遊牧民がもたらしたものではないかと思う。その理由は、日本神話とギリシャ・スキタイ神話がそっくりなのと・・独自の先土器文化や青銅器文化や土器の伝統(ここの土器は弥生土器とそっくり)をみると、この地域は中国文明とは距離をおいた独自文明圏で、日本海や樺太経由で日本列島にも多くの影響を与えたと思えるからだ。
詳しくはー「赤椀の世直し」

とんちんかん小僧 - 2004/01/28(水) 00:26<

活発な戦国武将たち(2)

また教養として注目されていたのが以外にも(武将の皆さん失礼)音楽だったそうです。薩摩地方の戦国大名島津義久の老中であった、上井覚兼(うわいかくけん)の著わした『伊勢守心得書(いせのかみこころえがき)』によると覚兼の身につけたものとして、乱舞・大鼓(おおづつみ)・小鼓・太鼓・笛・尺八・・そして謡(うたい)とある。しかしまあ、毎日が戦いに明け暮れている大変な時代なのに、現代人も吃驚な時間の使い方をしていますね。これだけの習い事をいつ何処で稽古したのでしょう。驚き桃の木散所の木な境地です。そして、これは室町時代からの武士の教養として、幕府の奉公衆をつとめた伊勢某著『宗五大草紙(そうごおおぞうし)』によると、武士の教養として『包丁』がとりあげられています。毛利氏の中級家臣玉置吉保が『身目鏡(みのかがみ)』という自伝を書いているそうです。それは、今でいう料理本なのですが中級以上の武士ならば、それも当然の習いであった。今でも仕事だけでなく手料理の振舞うことの出来る男性はカッコイイように僕は思っています(←僕はどっちも×)
さきに紹介した『伊勢守心得書』によると、今も昔も同じような気がしました。それというのは酒です。今も何かと飲みに行く機会がありますが、この時代も「珍しい物が手に入ったから・・」とか「狩りをして獲物あった・・」とかでよく酒盛りをしていたようです。で、かなり強かった人は強かったらしいです。本当のところ判らないですが。この時代、「人間の和」が求められたため、傍輩や上下関係の連帯を強める手段として手習いや飲み会が何度となくあったのだろうと思われます。あまり現代社会と変わらない気もします。。

ya(・ε^)na - 2004/01/28(水) 00:25<

こうへいさん・・・

へっへへへへ・・でったい!!
  PC治るまでに・・ははははっは・・
  なんとかして・・へへへへ
    ここクマノライフ覗きに来はると・・へへっへへ
  思いますよぅ・・・・
    みなさんそない思いませんかぁ・・
      ほんでから・・へへっへへ・・覗きにきた時・・あははっは
             なんとかして・・驚かしたいもんですねぇ

  そんなこと思てるのんわたしだけやろかいねぇ・・へへへ

ya(・ε^)na - 2004/01/27(火) 23:51<

影だ!おぼろだ!・・・

んんんんん確かこんな唄やったねぇ・・
 「ワタリ」・・ぽっちゃりの少年ワタリは大きな鉞持ってました・・へへへ
  実写版の映画はおもしろくって・・
東映の映画館・・朝一番から最終まで弁当持込でみてました・・
  あはっはははは・・何回も何回も見てるさかいに・
 次のせりふもなんでも・・暗記状態・・子供は残酷です!!
あはっははっは・・
     次の内容みーーーんんな・・しゃべちゃウモンネ・・
           ほんでから・・・
   犬萬も撒きビシもなーーんでも作ってしまうモンネ!!
          クナイも作りました・・

   だれか・・おぼろ影の証明してくらはいませ・・へっへへ
  
        

とんちんかん小僧 - 2004/01/27(火) 18:20<

活発な戦国武将たち

はつせさん、やっぱり「ワタリ」ご存じでしたか。まさか実写にまでなっていたとは知りませんでした。僕は3年ほど前に古書店で購入して知りました。

おりょうさん、カムイ伝は全部で何部あるのでしょうか?カムイ伝/カムイ外伝、僕も小学生ぐらいの時に本屋で立ち読みやった(たぶん・・全部)だけで、あまりに時間が経ち過ぎていて、どういう話の内容か覚えていないのが痛いです。早期に再度読んでみたいと思っています。古書店に揃ってあればいいですけどね。

話は本題に入ります。
戦国武将は意外なことに教養・娯楽かなり精通していたようです。
戦国時代に当時、山城があったところを発掘すると立派な天目(てんもく)茶碗[茶の湯に使用する茶碗]が出土が多いそうです。また将棋の駒の出土がかなり多くあるそうです。
細川幽斎(ほそかわゆうさい)の歌に、

 武士(もののふ)の知らぬは恥ぞ馬茶湯(うまちゃのゆ)
          はじより外に恥はなきもの

とある。これ、すなわち馬術とともに茶の湯のたしなみが当時の武士の間に求められていたことだったのでしょう。
ほかにも囲碁や双六もあったが双六は賭博性が強いので武将によっては禁止していたようです。

こうへいさん、一か月も離れてしまうのは寂しいですけど、その分、残った僕らが頑張りますね。しっかり充電して戻ってきて下さい。

おりょう - 2004/01/27(火) 12:31<

面白い本があります。

「ケータイを持ったサル」京都大学霊長類研究所教授 正高信男 が話題沸騰で15万部のヒット。
世の中では若者のサル化現象がすすんでいるという。諸外国では見られない日本特有の事象らしい。
サル現象とは一体どういうものか、背景に横たわる問題とは何か、サル化しないための予防策はあるのか、
等の題で「宝島」3月号にのっていてちょっと面白そうなので紹介しました。
立ち読みしてみてください。イラストだけでも面白い。

私はいまや、テレビは必要以外みなくなりましたが、パソコンは必需品になってしまいました。
パソコン壊れるのは恐怖。

ヤゾー - 2004/01/27(火) 07:25<

情報機器

みなさん おはようございます

こうへいさんのパソコンが直ってくるまでは
しばらくは寂しくなりますが
ぼちぼちとやっていくことにします。

去年 パソコンのハードディスクがやられてしまい非常に難儀しました。
正月に 遠方の友達の家に携帯電話を忘れてきてしまい
非常に不便な思いをしました。
パソコンも携帯電話もなければなかったで そう困る生活ではないし
また煩わしさもあったりするのですが
それでもやっぱりパソコンも携帯電話も欲しいと思ってしまうのです。
なんなんでしょうね。

こうへい - 2004/01/26(月) 13:48<

パソコン修理

みなさん こんにちわ

私事ながら、去年から部分的に壊れていたボクのパソコンを修理に出すことにしました。
SOTECは、修理が丁寧なので(^o^)、一ヶ月程かかるそうです。
ボクの活動の止まってる間にと・・

では、またお会いするまで、さらばでござる<(_ _)>  こうへい

管理人ヤゾー - 2004/01/26(月) 09:48<

今までの投稿は過去の掲示板へ移動しました

みなさん おはようございます

こうへいさん やはり近くに弁才天を祭るお寺があるんですね。
今度 探して行ってみます。

PIKKIさん そのオロチ(オロチョン族)とも関係があると思われる神社が
2004/1/19 (月) 風邪の王国掲示板に東沢さんが投稿して下さっている
遠流志別石(おるしわけいし) 神社なんです。

いちご麦さん そうでした カタカムナゆかりの山が金鳥山でしたね。
あの近くまで行ってみたこともあるのですが
なかなかクルマを駐車する場所がなくて歩けませんでした。

はつせさん サンカにエタチヒトという仁徳陵にまつわる伝承があるようですから
それくらい古い可能性はあるのかも知れません。
エタを穢れ多いなどと 人を人とも思わないふざけた漢字をあてたのは中華思想の表れだと思います。 
この言葉で どれほどの人が傷つき疎外され自ら死を選んでいったことかと思うと
そういう漢字をあてた人間こそ 地獄で糾弾されるべきだと思うのです。

こうへさん おりょうさん ヤナさん
正解はヤナさんでした。
浪速の商人は身近に本物を見ているので分かるのかも知れませんね。
芸能界で活躍できるだけの人たちですから
皆さん根性も度胸も並大抵のものではないと思いますが
一流のヤクザという意味で渡瀬恒彦さんをあげたのだと思います。
相当な度胸と根性 それに男気がありそうな面構えはしていますが
組長が言う理由として 目元が涼しい 爽やかというようなことを言ってたと思います。
その辺りが あの世界の難しいところなのだと思いました。


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