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2003年12月27日(土)10時35分までのKumanolifeGuestbookへの書き込みです。


焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2003/12/27(土) 10:20<

...クズシリさん、アイアイ....

 尾張国知さん、武蔵国知さん、アイアイ。「アイ」はサンカの挨拶の「アイ」。
 魏志倭人伝にも現れ、アイヌも「アイ・アイ」言うて挨拶しました。
 そして全国のミナシャァ〜ン、オメデトウございまぁ〜〜す。

 おれ、最近まで「国知」は「クニトモ」と発音するのかと思っていました。
 これは「クズシリ」と発音して、サンカの地方長官、いまの知事にあたります。
 きのふ、『古代エジプト語・中エジプト語辞典』がとどけられました。
 さっそくのめり込むようにしてみました。‥‥バンザァ〜〜イ sr に地方長官
の意味がありました(母音をつけない表記です)。

 行政組織や高官の名前、軍隊用語は国際的に同じ発音で普及してゆきます。
 会社などには「服務規程」がありますが、この「服務」は表(漢字)むきで、
内実は「命令」なんです。そんなことは辞書をいっぱい読めば“案内”されます。

 クズシリを国と書くのでオカシくなります。やっぱ、少しムリでも国楢と、
昔どおりに書いて、クズと読ませたほうがよかったんじゃないかとオレ思います。
 クズはアラビヤ語(にもある)qutr( t の下に・あり、∫に近い音…国、地方)
から流れてきて、末尾の r が消え、∫ みたいな t は s と受け入れられ、第二子音
濁化のクセでクズと濁ったのです。これらは自然な音転です。
 釧路については13CM ぐらいの『釧路の語源』というぶ厚い本がありました。
 アラビヤ語を見ないかぎりは、それくらい入り込んだ混迷を誘う地名だったんです。

 シリはクルド語に残っている zir(知能の高い、賢い、賢明な)からzir-i(そう
いう賢い人びと)となり、日本では塩尻や聖となっているかと思います。
シラス(統治する)やシロシメスはこれからの派生語だと見受けられます。
 「県知事」に「知」の文字が入ったのは、けだし当然で、ciz にはどこかの言葉
で「事物」という意味がありました。わがサイトで捜せます。

 “国”と“クズ(国楢)”……いちおう、当分間は同根関係を考えるべきではな
いでしょう。
 
 あとはわがほう言語篇; http://www.you-i.org/treebbs/0/index.html で。

PIKKI <http://mypage.odn.ne.jp/home/hide71> - 2003/12/27(土) 08:10<

今日はきょうかいさん、飛んでる詩人なもんで仕方ないのです

    「侵略戦争」

人間だけが なぜいつも
こんな地獄を作りだすんだろうか
石さえもが怒りのために
叫びだしそうと発熱し
古代遺跡が激情のために身震する
砲弾が地表のすべてを抉り取り
子供が 年寄りが
家畜が 樹々が
身悶えしながら
焼け焦げてゆく

人間だけが なぜいつも
こんなに愚かなんだろうか
地獄の炎があかあかと
侵略の軍のひとりひとりを
照らすしだす
なぜこんなにも故郷から遠く離れて
逃げまどう人々を
撃ち殺さねばならないのか
地獄の業火に痛いほど
焼かれつづけねばならないのか

いまや発狂寸前の
軍産複合体の兵たちよ
君らのほんとうの敵は
有り余ったドルやオイルを
さらにいっそう
哀れな貧者たちから
奪いつくそうとする
ワシントンの悪魔たちではないのか

殉教者達の眠る
モスルの上にこうこうと
研ぎ澄まされた半月が
昇りくるとき
川のほとりの日本軍よ
君らのいるべき場所は
こんな侵略の軍の旗の下では
なかったはずだ
君らのいるべき場所は
戦場であっても
ましてや
侵略の軍の旗の下であっては
ならなかったはずだ
6500万人の前世界大戦の死者たちや
40万人の原爆被害者たちに誓った
あの誓いは みんな
口からの出まかせだったととでも言うのか

未来までも抹殺してゆく
日本低国の兵や官や政治屋たちよ
物言わぬ奴隷の国の
利に目がくらんだ哀れな奴隷たちよ 
また ふたたびび
言論の自由なき独裁国家として
あの血生臭い過ちを
体験したいとでもいうのか

ya(・ε^)na - 2003/12/27(土) 01:48<

そないおもいますかぁ・・

ぜったい・・でったい!!・・
  来年こそ大漁ですよね・・・へへっへへ
     期待しとってくらはいませ

メバルのシーズンですよね・・グレのシーズンでもおます・・
   画像のリストつくらねば!!!

  そないゆうたら・・風力発電や太陽光発電ってなんや・・エコやおませんか?ぁ

       しってやしらずや・・原子力の恩恵・・

         受けてしまってるんよね・・・・

       そないゆうたら、温排水のところに・・
          カンパチやメジロがおったりしたりして・・

              バリ師さんも良い釣りなさってくらはいませ

  

    

とんちんかん小僧 - 2003/12/27(土) 01:13<

紋さん、過去の掲示板で気長に探してみて下さい。
僕も全く覚えていないのです。

バリ師さん
>♪あるう日、森のなか、クマさんに出ああった♪という童謡ほど恐ろしい歌詞はないと思っております。

今、バリ師さんの投稿を見て歌ってみて「ああっ!なんちゅう恐ろしい歌だ」と改めて実感しました。クマにあった割に明るい調子のメロディーなのはおかしいですよね。普通は全力で逃げ帰ったり、ヤナさんのように威嚇して追い払うので疲れる歌でもいいのになあとは思いません?僕の勝手気ままな考えですけど。

がっちゃんさん
初めまして。
誰もでしゃばったって感じる人はいないと思いますから、何度でも投稿して下さい。言いたい事を素直に言えるというのは大切なことです。僕も過去にも今もですが言いたい事は何でも言ってきたつもりです。
争いがないことがベストだけど、どうしても議論する中でそういうことが起こってしまう。過去にも何度もあったことだけど・・。

今年ももうすぐ終わりだし、このまま暗い調子でいるより明るく行きましょう!争いはストップです。僕だけじゃなく他のみんなもみていて空しいだけだから。

臥遊人 - 2003/12/26(金) 17:24<

我真想…

言葉は生活の場で常用している当事者の文化です。
血の通った感覚を知ってもらいたい発信に、所在を教えるよう圧されれば、
怖いから哂って退くしかありません。
ヒエラルキーのワクの中で、小さくまとまり生きる小心者は、嘆息して諦観です。

ガッチャン - 2003/12/26(金) 12:53<

思いやりに満ちた和みのある場でありますように

管理人さま、皆さま、はじめまして。
私は、かれこれ三年に及びこのサイトを拝見させて貰っている者です。
上記の言葉は、この掲示板のソースに書かれている言葉で、管理人氏が自ら書かれたものだと思われます。
ここの板は素晴らしい掲示板です。
斬新にして過激でもあり、それでいて暖かいものが感じられる貴重な場所だと感じておりました。
常連さんも、それぞれに魅力があり、知識も豊富で、
それでいて調和がとれていたような気がいたします。
自分の考えを一方的に晒す人は何処にでもいるものですが、
そういう人というのは孤独なのでしょう。
もののけ姫の映画解説の番組にて、管理人氏が非常民とされた我々の歴史を、
映画と重ね合わせて見事に解説されていたのを偶然に観たことがありました。
しかし、ここでは一切、そのことについては触れられていなかったと記憶しています。
そういう奥ゆかしさが大切なのではないでしょうか。
でしゃばった投稿、お許し下さい。

- 2003/12/26(金) 10:35<

私のハニーは何処だ!


「ナヒトハハニ」・……
 
目に入れても痛くない人の意かな! と、思い気がそうでもなさそう。
美人もその中に入るのかもしれないが、魔性が恐い。

ng hito hahanip。
と言う expression に成っているとおもう。
これ、とっても面白い。
hito(人)は鯰(なまず)が語源という説を風はとっています。
hanip てのが傑作中の傑作で、蚤(ノミ)の親類のような奴ですが、
人の生き血を吸うのではなく、植物にへばりついて葉を食べちゃうですよ。
言うなれば害虫のことですが、風のバラの木もhanipにやられて全滅しました。
桑の木に住み着いて葉を食べちゃう害虫がhanipです。

超美人と言うのは、男に寄生して男を駄目にする。

その様に言われる名前を戴いている天皇もいます、
が誰だったか忘れてしまいました。(笑。

「ナヒトハハニ」… ng hito hahanip. 
意は人に寄生する害虫で 超美人が言葉の解釈。

バリ師 - 2003/12/26(金) 09:56<

森のなか

アハハ!私は、♪あるう日、森のなか、クマさんに出ああった♪という童謡ほど恐ろしい歌詞はないと思っております。

ヤナさん、これは何かの吉兆だっせ。来年は大漁間違いなし。

焼尻紋次郎 - 2003/12/26(金) 09:09<

....ナヒトハハニ(超美人)....

                 そういえば、この記述方法も会話のキャッチボールには不向きみたいな
                 スタイルかナ?
                 ここのカキコミでの説明不足の部分は下(↓)で補註しています。
                  http://www.you-i.org/treebbs/1/index.html 

 《ハバキ(妻)・ハハアレ(地震)》……原義原音;*XaXa(へび)
 
 どこのことばでも「蛇・大地・母・女」がセットになって同じような
発音で表されます。日本地名で造船所や船着き場らしいところに「イナ」
があるのは、フィリピン・タがログ語の ina (女、母)との接近をみせ
ているようです。
 ハハキの「キ」は国際的な目では「エンキ様(大地の守護神)の「キ」
となります。
 スネ当ての「はばき」はべびから噛まれたときに、被害が少しでも少な
いような対策としての「ハギ・佩き」で、転倒した語義解釈ではハバキを
履いているのが“女”だと、こうなります。おりょんはん,フーッ

 サンカは蝮のキモ汁を乳首に塗ったり、蕗の繊維に含ませたりして嬰児
に呑ませて免疫をつけさせました。
 「荒れる」「嵐」の ara は周辺言語にはありません。恐らく……ですが
「荒」は江南諸語の谷間に眠っていることと思います。

 ハハの変化音に「カカ」もあって、アイヌ語に kakapo(姐さん)。
 あるいは……、垣根の「カキ」もこれか?  地名;足利、加賀、芳賀、

 《ハニ(嫁)》
 日本書記だったかに超美人を表現する「ナヒトハハニ」があります。
 na- は「○○ではない」。ni は尼のように女性をいいます。
 「ちょっとヒトとは思えない(超美)ni 」。いずれもネパール語です。

ya(・ε^)na - 2003/12/26(金) 00:48<

山登りの最中に!!

おりましたがな・・
  クマちゃん・・・・・
   私も死にたないから・・
     ナイフ出しました・・・
          
    大声出して、牽制しました・・・
         やっぱり、相手も死にたないから・・・争いごと好めへんから・・
             どこかにいってしまいました・・・
   私も争いごと好みません・・・

       クマちゃんもやっぱり、争いごと好めへんみたいですねぇ・・
         
                     へへへっへへへ

きょうかい - 2003/12/25(木) 19:24<

こんばんは

PIKKIさん
 言葉のキャッチボールができるような
 書き方がいいと思います。

こうへい - 2003/12/25(木) 12:42<
言っても、届かないのは、実に、はがゆいですね。

PIKKI <http://mypage.odn.ne.jp/home/hide71> - 2003/12/25(木) 08:25<

イラクとパレスチナの人々のために

最悪の夜が終わって
最悪の朝が明けてゆく
ぼくのクリスマスは
むしろいつもより息苦しい
スモッグの道のジョギング
星も都会の浮かれ騒ぎも見えない
ほんのり明るいドームのかなた
夜中燃やす焼却場の煙や
もぐりの産業廃棄物業者の煙にまみれ

あんまり息苦しくて頭にくる時に 
せいぜい 遠目のヘッドライトで
そいつらを照らしては逃げ出すばかり
見渡す限りの禿山や
農薬を使い放題のゴルフ場をみれば
それを野放しの腐れ役人どもには
言うだけ時間の無駄だろう

世界一美しかったモシリと
アイヌの文化を徹底的に破壊しつくし
影でコソコソと原発を作った北海道や
世界一美しい珊瑚の海を埋め立てては
農薬まみれのゴルフ場やホテルを
次々と建てては
なんら恥じる事のない沖縄よりも
まだ偽善的ではないかもしれない
誰がどう見ても 
ここいらの山も空も人間も
すでにずたずたに
破壊されつくしているからだ

だから
山登りの最中に もしも
熊や猿や猪やマムシに襲われても
仕方なく殺されるしかないと思う
日本人のおごりなんかは
たかだか明治の欧米仕込みで
たかだか百年間のあいだに
世界一美しかった自然を完膚なきまでに破壊し
動物たちのすべてを
抹殺一歩手前まで追い詰めてしまった

それは「テロ」も一緒ではないのか
先祖代々受け継いできた土地や財産ばかりでなく
民族の誇りも命も
子供たちの未来さえも奪いつくされて
殺されてゆくべきだと
君は言うつもりだろうか
どうやってパレスチナ人やイラク人が
生存可能だと君は言うのか
侵略者を追い出す「テロ」しか
もはやかれらには
残されていないのではないのか

先住インディアンとのすべての約束を破り
数千万頭のバッファローを虐殺しつくし
選挙権などあらゆる権利を奪って
ゲットーに閉じ込め
そこにまたウランが出るからといっては
その土地をまた取り上げ
ほったらかしの残土で
先住民を被爆させ続けているのも
日本低国の原子力発電のためだ

自称「民主主義国家」の
アメリカと日本よ 
お前達は
いったいどんな権利があって
ベトナムをアフガンを
そしてまたイラクを
破壊しつくそうというのか
なにゆえに
劣化ウラン弾の放射能やプラスター爆弾を
地球上のすべて生き物の上に
ばらまいて恥じることがないのか

なんの正義ももたず
侵略者へと変貌しつつある日本人よ 
地獄の底まで
米国の軍産複合体の悪魔どものために
基地や戦費や後方支援や
悪魔の軍の旗の下で
奴隷の血を流そうというのか
彼らイラクの真の愛国者たちを
殺しつくそうというのか

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2003/12/25(木) 05:13<

....タラチネ と ほぞ・へそ....

            この本(三角寛著)のサンカことばは、紀記が書かれた時代の古い語彙とか、それ以前
           を彷佛させるものもありますが、「このごろ、誰かがでっちあげたような、隠語」みたい
           なのもあります。
            サンカ……といえば、まず「清浄なこころを持った人びとだ」との思いを持ちますが、
           中には「蔵破り」などもあって、「どうなってんだー」と考えさせられるのもあります。

            △ウブさん、われわれは蓮の葉の上にジーッとしてると、水の中に沈んでしまいますが
           そこは要領! ひとはこの上を走って30M ぐらい先の対岸に濡れずに行けます。
            ウメガイとサンカだけを睨み続けると、水に浸かって前進はありません。走ろう!!
           固有名詞はすべて何らかの意味を持っている。普通名詞に還元されるのが原則です。
           だから、固有名詞は辞書にはのっかっていない。そんな関係での、仮りの4800語彙です。

 《 タラ(母) 》
 とんしゃん、覚えてないだろうか? とんしゃん提示のヒントで、オレ、タラチネ
の語源がわかったような気分になったことがある。あれ、いつごろのことだっけ?

 《 タレベソ(乳頭)》
 ネパール語 pos(栄養)と O(緒)から「ほぞ(臍)」が造語されているのだが
これがいつまにか「へそ」になっていた。このナゾが解らなかったが、いま判った。
 「タル、タレ」は、おこのみ焼きのタレ(溶液)の部類で、オッパイ液も *tar と
言う習わしがあったのだ。
 pes は、まず「下」だが、phes(賜与)がある。
 写真が載ってるので見たが、サンカは赤ん坊がかなり大きくなっても乳をやっている。
「母から体液を受けているんだ」、「ありがたいことだ」との思いが「へそ」の意味で
はないだろうか。
 pes (下)があるので、山手樹一郎の小説では「おまえさん、へそ狙われるぞ」などと
陰部のことを遠回しに表現している。

△うぶ - 2003/12/25(木) 03:16<
紋さん
>サンカが成立したときには、もう、ウメガイがあった、、、、、、
と、断定なされる根拠を(簡潔に)教えて下され。
>その6分の5とは、、、、、、、
固有名詞もたくさんござる(ハズ)。

とんちんかん小僧 - 2003/12/25(木) 00:16<

あおきさん、ありがとう。

遅れレスです。ここ数日またネットから離れていたんで気付きませんでした。すみません。

>酒を飲む前にヘパリ−ゼという肝臓に効く錠剤

これは市販で売られているお薬ですか?
一度服用した上でお酒を飲んでみたいです。
実はかなりお酒に酔いやすいタイプですので是非服用してみたいものです。

ヤゾー - 2003/12/24(水) 12:10<

みなさん こんにちわ

PIKKIさん なかなか ご質問にお答えできなくて申し訳ありません。
五木寛之さんの対談集に 中沢新一さんとサンカについて話しているのがあったように思います。
過去の掲示板をキイワード検索して頂くと いろんな情報が書かれていると思います。

臥遊人さん お心使い ありがとうございます。
アララト山といえば ノアの箱舟が上陸したという伝説のあるところですね。
また実際に それらしい跡が発見されたという話しを聞いて驚いたことがありました。

*(O..O)*nglyさん 野史研究会の準備 ご苦労さまです。
また参加させて頂きますので よろしくお願いします。
地元のヤナさんも 是非参加して下さいね。

紋次郎さん 今年の夏 湯布院に行ってきました。
どこか懐かしさを覚える とても良いところでした。
竹細工が素晴らしかったです。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2003/12/24(水) 06:05<

...サンカ用語、分析はじまり・はじまりぃ〜〜...,

           きのふ、風呂からの帰りにわが本屋さんに立ち寄ったところ、三角寛著
          『サンカの社会資料篇』がありました。
           みると巻末ちかくに「サンカ用語」が約800語彙のっています。
           シマッタ! 800とは朝鮮 ./.日本語間の類似の6倍、アイヌ語と日
          本語間の倍以上のボリュームです。
           もちろん、これだけではサンカもイノチキできない。サンカが成立した
          ときには、もう、ウメガイがあったのですから、少なくとも、あとこれの
          6倍の語彙があったはず。その6分の5とはナニなんだ?
           そういうことも横目で睨みながら、ここの語彙分析にはげみたい。

 《 イノチキ 》
 フツーの「暮らし」のこと。「イノチ・生き」の約まった語形。
 オレ、このことばを、子供のとき〜成長過程でおふくろから何十万回
聞かされたことだろう。
 おふくろの里では女性なら全員、竹細工に長けていた。オフクロの
家系は代々 susu(パーリ語;子供)竹伐採を請け負ってきたそうです。
 おふくろの里は豊後湯布院から駅で三つ西です。
 だれぞ、湯布院に出かけるひとがありましたら、調査してもらいたい
こと、これあり……なんだがナァ〜。

 susu は「童神」とか、「いのち」などにも意転していると思います。
 アイヌ語 susu ni は「やなぎ」 jan はネパール語で「いのち」。
 オヤジは「いのちき」は云わなかった。でも名前は「一(はじめ)」です。

PIKKI <http://mypage.odn.ne.jp/home/hide71> - 2003/12/23(火) 21:48<

秦氏・古代キリスト教・中沢新一を追跡中

さっき日記に今日の検索結果をアップしたところ・・どうして上記の本格的なサイトが見つからんだべか?
中沢新一や南方熊楠なども、サンカについて何か書いてなかったでしょうか?どっかで読んだような記憶があるような・・中沢新一は、彼が称賛していたオウム真理教事件以来だったけど・・こんなに面白かったかとびっくりした。
なお、↓で言及したサイトはー「第二掲示板」
他にも、二つ掲示板があるのでお見逃しなく!

*(O..O)*ngly <http://www7.ocn.ne.jp/^iyasi> - 2003/12/23(火) 11:02<

失礼しました

 野史研究会実施日は
  2004年来春の
  2月14日(土)
  2月15日(日)
  です。参加希望の方は上記メールまで
 連絡下さい。決まり次第詳細や後に資料を
 送ります。

*(O..O)*ngly - 2003/12/23(火) 09:56<

野史研究会発

寒くなりました。皆様にはお変わりありませんか。
さて寒空を衝いて野史研究会は現地探訪会を開催します。
 ◎参加ご希望の方は上記までメール下さい。
 ■テーマ「原住民と渡来人の古里・大坂を行く」
  ‐‐‐‐見えないサンカの痕跡を追って
 ■集合場所:大阪市内(後に連絡します)
 ■集合時刻:14日午後1時頃
 ■計画:14日ミーティングと晩餐
    15日現地調査、解散は16時頃 }
 ■寺社と旧跡巡り
  北野天満宮、裁判所(江戸時代は虫所)、四天王寺、エベス神社、
  千日前(竹林寺)、昔の府庁、難波の宮、津守神社、生玉神社
 ■大坂ガイド:野史研究会員
 ■有料
この数年は以下のように探訪会をしました。
2003「湯川別所と生野銀山」兵庫県大河内町
 2002「吉野川流域の別所とサンカ地名」岡山県作東町
2001「長良川のサンカと円空」岐阜県美並村(歴史民俗研究会協賛)
 2000「修験の後を追うーー粟倉と大原」岡山県・兵庫県

臥遊人 - 2003/12/23(火) 09:54<

たまさん気分転換しましょう!

血気盛んだった頃、中東を少しプラついたことがありまして、
トルコに行った際、山の頂上のことを『テッペン』老人のことを『モーロク』と言っていました。
変な類似性に吹き出し、事情を呑み込めるはずもなくけげんな表情で笑い転げる日本人を見つめる
顔を今でもはっきり覚えています。
アララト山麓のエリ村はクルド人の集落だったので、これがトルコ語なのかクルド語なのかは
解りませんし、当方の誤解かもしれません。でも、想い出という誌的真実として焼き付いています。
池田先生がおっしゃられたアラビア語の「アジャバー」も本当のことかもしれませんね。(笑)
伴淳の舞台裏は初めて知りました。てっきり山形の一地域で日常使われているものと思っていました。

昨日の激しい雨で、スキー場の雪もすっかり消えて関係者は蒼くなっています。(苦笑)

焼尻紋次郎 - 2003/12/23(火) 08:56<

....異形のこころを持つこと の お奨め....

 日本を知ろうと思ったら日本を離れてよその国を見るにかぎる。
 常識をじぶんの中核に取り込んだら、流されるだけでロクな人生は展開しない。
 少しまえ『異形にされた人びと』というサンカを扱った本があった。異形になった
分だけ別の人生を味わえたと思う。

 オレは日本ヒエラルキーのワクの外で生きてきました。どこの誰かさんにもブラ下
がっちゃいねぇ。おまけに「ひとのこころをオモチャにするセールス」で、若いとき
一剣を磨いた。
 セールスの時間をはやく済ませるには、ケンカふっかけるにかぎる。
 ので、たまげ(tam……こころ・消え)て tam(剣)ふりまわす神経もわかる。

※ おれはそれら学者さんたちから、すでに6册の辞書と100ページぐらいのコ
ピー綴り辞書二つをタダでもらってる。トップになればなるほど、ハナシはわかる。
 異形の人間を身のまわりに引きつけておくのが得策だ……は、動物的嗅覚のなせる
ワザならむや。

 人間には知情意のほか、宗教、思弁哲学、政治、経済……と、いろんな意識をもつ
ことができます。
 
 「自分のこと」という中味は「偏った自分の目」で見てはイカンよ。
 総じてーーー覆面効果というべけれんや。

たま - 2003/12/23(火) 04:05<

焼尻紋次郎さんへ

少し迷いましたが、ここまで来たら勇気を出して言います。
焼尻紋次郎さんおかしいですよ、あなたはご自分のことしか考えていませんね。

>たまさん、池田先生から次の辞書、購入方法を訊いていただけないでしょうか?
>マハリ語、バトハリ語、ハルスーシ語、ギッバーリ語、コソトラ語の5種で、どれでも
>いいのですが……。叉は2册。おれ、命がけなんです。
普段は日本の言語学者一般を口汚く非難し、時には誹謗中傷も辞さなかった(取り消せば済むというものではありません)焼尻紋次郎さんが、ご自分が欲しい辞書を手に入れるためにはその「日本の言語学者」の一員である池田先生に頼むのですか?
そして、その仲介を私にやれと言われますか?

もちろんキッパリとお断りします。

PIKKI - 2003/12/22(月) 20:10<

いまもっとも熱い議論のHP!

僕が毎日訪れて書き込んでいる沖縄の独創的な思想家のHPが、いまカンカンガクガクの議論の真っ最中です。
喜名昌吉さんたちと、天皇陵の発掘調査を求めて投獄覚悟で古墳の上で歌って踊ろう!とか・・行動性も満点のHP主催者です。掲示板が三つあって、どれもがとても面白いものです。アドレスは上記。

焼尻紋次郎 - 2003/12/22(月) 16:07<

....アテコスリじゃなかとばい....

 ふうしゃん、ナンのことかと思うたよ。
 おら、アテコスリではモノいわんばい。

 たまさん、臥遮遊さん、錦地では「イナマス(愛する)」はいいま
せんか?
 例の『つものくに』掲示板で分析してみました。
 http://www.tcup5.com/501/masahiro.html
 タガログ語も出したでよオ。

 叱られ叱られ突進してま。

PIKKI <http://mypage.odn.ne.jp/home/hide71> - 2003/12/22(月) 10:26<

「またら神」の検索結果

僕の日記に書いたところです。まるで玩具箱のような賑やかさで、誰か解説してもらえないでしょうか?
日本史最大の謎の秦氏や聖徳太子については・・かなりユーラシア的な背景があるみたいです。
シリア系のグノーシス派とはフェニキア人のことかな?その他ポリネシア語や、騎馬遊牧民系だったらしいので日本の支配者層から抹殺されたと思われる聖徳太子一族や没落した秦氏一族・・サンカもいつも腰に小刀を見につけていたと言われていますが・・やっぱり、騎馬遊牧民の方ではなくて、マタギやアイヌの方に近いのでしょうか?

- 2003/12/22(月) 09:40<

アバ〜!とアバヤァ!


フィリピンでは、
ビックリしたり意外だったりした時の expression は aba! ですが、
この aba! に kabayo を繋なぎあわせたexpression、
aba−kabayo ! が流行ったことがありました。
特に女性が主力に成って使用していたようだ。
kabayo とは 馬(ウマ)のことなのですが、このexpressionは馬のチンチンの大きさに驚いたと言う思念で作られたようです。
それでは、aba は何処からやって来たのでしょうか?
kabayoはスペイン語なので aba は英語の組み合わせで aballon か?
aballon はアワビのことですがデカイアワビをみたら男も女もさぞ驚くでしょう。
馬とアワビは吊り合いがとれそうです。

kabayoはスペイン語なので、タガログ語ではありませんから、
このような言葉遊びも許されるのでしょう。

日本の餓鬼供の言葉遊びには往生するが。 

アバヤァ!

ヤァは方向を表す副詞が残ったものでしょうか?
驚く主体と驚かす主体のブリッチ(橋)に成っているようないないような。

「ちんちんかもかも」が
平安の頃からあったのならば
かもかもは ka mo ka mo 
のように思われます。
ka は 「貴方は」 mo は「貴方の」 
貴方は(息子)はちんちん。貴方のちんちん、
と、
ちんちんの係り結び。 

タガログ語のちんちんは
titi です。


焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2003/12/22(月) 09:36<

...イミシンな「しごと」....

 探していた「ガマ……(品性下劣な、卑しい)」の語形は ghamar でした。
 そうすると、 mar は「悪い」ですから、gha は人とか人格ということになります。
 gha の原形は*ha(=ka……人)でしょう。mar はまた「男」です。
 もう少し周辺を責めないと何ともいえませんが、秋田のガマ(男根)はどうもこの
へんでトグロまいてるらしい。

 -wra は道具や物をいう接尾辞ですが、 ghamawra(発疹)があります。
 鏡に写ったオノレの姿をみて、冷や汗をかくという……ガマの油売りの口上はこの
へんから出たセリフでしょうか。

 「あれするな、コレするな」と、このごろの宗教はぺちゃくちゃ喋ってウルさいの
ですが、そうなる前、ちんちんは神さまでした。
 サンカの親は、嫁入り相手の婿さんに「娘の性器はコレコレだから……」と、形状
などをハッキリ告げていたと、何かの本で読んだことがあります。
 
 ガマコ(敢えて -ko をつけます)がなぜ kam ではなく、濁音の g から始まってい
るか……にも秘められたなにかがありそうです。
 この語形の初めは √イ・kam-O だったと思います。第二子音濁化のクセで i-gamo
になったあとで、語頭の i が落ちたとみるべきではないでしょうか。ダテは
「伊達=√イ・dhatu(金属)+ e 」が始源です。で、上の kam-O とは「神・男」。

 でも kam は神さまだけではなく、これを喋った人びとの意識の半分ぐらいには
「 kam(しごと)」があったはずです。「神あり月」のカミです。
 サンカのトップも「しごと人」です。

 √i-kam と置いたことで、 「下り坂を運転していたらオカマ掘られちゃった……」など、など。

 臥遮人さん、平井堅、“大きな古時計、その伊藤さん‥‥オレじぇんじぇん知らんとですばい。
 秋田はことのほか、方言が入り組んでいるので、所在をバッチリ教えてください。
 
 たまさん、池田先生から次の辞書、購入方法を訊いていただけないでしょうか?
 マハリ語、バトハリ語、ハルスーシ語、ギッバーリ語、コソトラ語の5種で、どれでも
いいのですが……。叉は2册。おれ、命がけなんです。
 
 パーは朝鮮語の「ばか」です。原義は五(本の指ひらいた……)。パンジャブ(五河地方)ね。

たま - 2003/12/22(月) 04:36<

Re: アバヤァ

>当地では、ビックリしたり意外だったりした時の第一声は、「アバヤァ」です。
>これはかつて伴淳三郎がギャグに使っていた「アジャパー」とつながりが
>あろうと思われます。彼は山形出身ですので。

そうですね、山形市近辺では驚いたときに「アジャジャー(標準語の「アララ」の変形?)」と言いますよ。山形出身の伴淳三郎がこれをギャグに使う時に、「アジャジャー」に当時流行の「クルクルパー」の「パー」をかけて「アジャパー」にしたそうです。
昔、外大でアラビア語を教えていた池田先生が、アラビア語にも「アジャバー(驚く)」があるぞ!と冗談をいってました(笑)

臥遊人 - 2003/12/21(日) 23:09<

アバヤァ

ちょっと前、平井堅をパクった秋田弁の“大きな古時計”がありましたが、
当方はその伊藤さんと同じエリア内です。
そこの老人ホームの食堂に居た人達に、【けの汁】について訊いて廻りましたが、知る人は
居ませんでした。おそらトン汁同様、名詞のような雰囲気がします。△うぶ さん、お役にたてず
すみません。

当地では、ビックリしたり意外だったりした時の第一声は、「アバヤァ」です。
これはかつて伴淳三郎がギャグに使っていた「アジャパー」とつながりがあろうと思われます。
彼は山形出身ですので。

それから、昔(雲のじゅうたん)で全国区になった「ヘバ」ですが、当地では「シェバ」です。
同様に、“少ない”という意味の「ビャッコ」も「バッコ」になるので、山ひとつ越えると
すべて微妙に変化します。

また、“ガモコ”ですが、岩おこしさんも指摘されていますが、“コ”には元来「カワイイ」
や「小さい」いう意味が込められ、英語のlittleと似ています。
唱歌にもあるように、フナやドジョウは成魚にも“コ”は付きますが、鯉やナマズは稚魚の
時期しか付きません。ですから、成人男子のモノに対し、「ガモコ」などと言ったりしたら
大変失礼になってしまいます。

紋次郎さんよろしく!

こうへい - 2003/12/21(日) 23:02<

シマフクロウ

朝日で、シマフクロウやってますぞ!

PIKKI - 2003/12/21(日) 22:19<

懐かしい地球交響曲第一番

おばんです。いぜんここのHPに、鯨・鯱の声が聞けるHPを聞いたこと。
ケルト文化はほんとによく日本文化に似ていると思う。とても植物偏重文化でストーンサークルや巨木文化もそっくり。たぶんユーラシアのステップの道のせいで、ギリシャ・スキタイ(今のキジル共和国付近に東征)神話ともそっくりだし、口琴は北欧からアイヌまで、ケルトの樹の紋様はアイヌ紋様とそっくりで永遠に繰返し可能な点が今はやりのフラクタル図形やF分の一のゆらぎの風などにそっくりです。現代科学の成果は、無限小の原子や素粒子の世界も、無限大の宇宙の世界も類似的だと証明しつつあるし、宇宙の要素も遺伝子の文字も恒在する素粒子も4つだそうです。
アイヌ神話ではどうしてか、もっとも恩恵があり当然神になるべきな三つの動物・・鯨と鹿と鮭が違っていて、何か特別な歴史的理由があるのではと思う。鹿は鹿をトーテムにする氏族への恨みか?
スクナヒコが種(精子)という説があるように・・古代日本列島人にとっては死んで再生をもたらす種などがもっとも信仰されたのではないでしょうか?勾玉の中に丸があるという形式も再生にかんけいあり、魂というものもあの世へ行ってまたこの世に戻ってくるものとして考えられたのでは? 

ヤゾー - 2003/12/21(日) 21:31<

地球交響曲 第一番(GAIA SYMPHONY No.1)

みなさん こんばんわ

こうへいさん もう少し波が高かったら 頭だけ溺れて死ぬかと思いました。
目あき帽にフード付きの防寒着と 厚着をしていたので
軽い打ち身だけで たいした怪我はありませんでした。

ヤナさん それにしても寒いですね。
熊野の山の中も寒いですが
大阪の街の中も とても寒かったです。

今日 大阪城公園にある ピースおおさかというところで
地球交響曲 第一番(GAIA SYMPHONY No.1)の無料上映会があるというので行ってきました。
機会がなくて まだ一度も見てなかったのですが なかなか見応えのある映画でした。
メインは日本橋で パソコンを品定めすることだったのですが
映画を観たら 別に来年でもいいやという気になってしまいました。 

PIKKIさん 映画の中で音楽家のエンヤがケルトの文化について語っていましたが
縄文の文化と とても近いものを感じました。

おりょうさん 日高山伏というケチンボウの話し
落語の「饅頭恐い」みたいな話しで面白かったです。

はつせ - 2003/12/21(日) 21:17<

ガモコ

ガモコから連想しました。「ちんちんかもかも」とは先頃町内会の飲み会で聞いた言葉ですが、平安時代からあることばの様です。古い言葉は伝搬し周辺に残る、と言われますが、どうでしょうか?

おりょう - 2003/12/21(日) 18:53<

酒は飲むべかりける

むかし、日高山伏というケチンボウのかたまりのような人がおりました。実在の人物です。
日高山伏は、ある晩、知人の宴会によばれた。ただのものなら、馬の糞でも拾うという山伏、今日は,
ただ酒をうんと飲んでやろうと大喜びで出かけた。
だが、客人たちは、山伏がどんな具合にして酒を飲むであろうかとジロジロみていた。ふと、その事に
気づいた山伏は「ふうむ、俺が手しゃくで、ただ酒を飲むのを見て、彼奴等は袖を引き合って笑うつも
りだな。何の、その手を食うものか。ケチンボウケチンボウと、世間は俺を見て笑うが、ケチンボウも
大家になるには、学も入用、智惠も必要という事を彼奴等は知らぬのだ。一つケチンボウ精神を利用して
もうけるには、どのように頭がよくなければできないかと言うことをしめしてやろう。」
こう考えた山伏は宴会がはじまっても、客人が酒を飲み出しても、じっと腕を組んで考えていた。
「おやおや今日の山伏はめずらしいことだ、はて、どうしたんだろう?」と客人はジロジロみている。
それをみて山伏は給仕の女をそっと呼び「これは、ほんの志だがとっておいてくれ」と紙につつんだも
のを手渡したのである。女は大きさからいって小判一枚ぐらいは入っていると考えて押しいただいた。
「わしはのう、めっきり近頃心臓が弱って酒が一番苦手じゃ。それだによって、杯がまわってきても、
わしの側についていて、あまり酒をつがぬようにしてもらいたいんじゃが。」「はいはい、私におまか
せください。そのへんの要領はこころえておりますから」
給仕女は祝儀をもらったので、ほくほくして、廊下に出てそっと包みをひらくと黄色い物がひとつはい
っていた。なんだろうと灯りにすかしてみると、なんとそれは、ひからびた馬の糞であった。
女はくやしがった「えい、いまいましいケチンボじじぃめ、この敵をうたずにおくものか」と決心して
座敷にかえると山伏の側にぴたりとすわりこんで、そして、弱った心臓を爆発させてやれと「いやいや、
もうかんべん もうかんべん」というのもかまわず、山伏の杯の、かわく間もないほど、つぎつぎに酌
をするのであった。
こうして山伏は、がつがつしたところもみせず無理じいに、しいられている形で、なによりも好きな酒
を、久し振りに、たらふくご馳走になるのであった。          おわり

このケチンボウ物語は、椋鳩十さんが、昭和5,6年頃、め良群加治木町反土田中に住んでいた80歳前後
の老人からききあつめたものの159節の中の一節です。このおじいさんは若い頃加治木鎌を売り歩く行商
をしていて全県くまなくまわりあちこちの部落で、語り聞かされたのを、おしえてくれた話だそうです。



- 2003/12/21(日) 18:51<

ガモ・…ビンビン・・…

>コはつけないで ガモともいうよ。

gamugamo(ガムガモ)は蝶のお化けのような 蛾 のことですが、

gamu だと、救済法とか療法の思念になります。
其れなりのイメージ範囲にあるようです。
ついでだから、
ビンビン(binbin)という言葉、いってみましょうか。

膨張して延びてビンビンに成って初めてお役に立ちそうですが、
binbinとは延びる延ばすと言うタガログ語です。

ガラスを延ばして作った物にはビン(瓶)があります。
鉄を延ばした作った物はテツビン(鉄瓶)と呼ばれ、
土を延ばして作った物はドビン(土瓶)と呼ばれています。


あおき - 2003/12/21(日) 18:09<

そろそろ忘年会架橋ですね

 とんちんかんさん 酒を飲む前にヘパリ−ゼという肝臓に効く錠剤を
飲んでおくとわりと悪酔いを避けられますよ あと水をたくさん飲んで
糖分補給 そろそろヤバイかなとクラクラしてきたらやってみるといいですよ
ヘパリ−ゼはちょっと高いけど

岩おこし - 2003/12/21(日) 17:46<

秋田弁

>秋田のガモコ(男根)。

コはつけないで ガモともいうよ。
男根とは限らないで・・・タマもさおも全部だよん。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2003/12/21(日) 16:00<

...寝ゴロ衆 と デバガメ ....

 とんしゃん、サケ呑んで死んだやつは多いが、サケ呑まないことで死んだヤ
ツはいねぇんだ。
 いまでもイスラームの男のほとんどは酒のまないし、禁酒法が施行されてい
た頃のアメリカ人は呑まなかった。
 ウンジュの体質は酒を受け付けないほうだから、生涯5シャク(勺)の酒だ
と決めてしまうのも √♪ ても △×○□ のんきだよ ♪  ウイィ〜〜ッ

 多くの言語では「めまい」と「酔う」はいっしょです。
 5勺のんだらタンコぶし歌う必要ナカと。寝ゴロ衆をきめこんだほうがヨカ
ばい。

 ふうしゃん、ネパール語の辞書に「 deb(神)」があって、クルド語の辞書
に「yazdan(神)」があるとですよ。
 ギリシャ語 iasis(治療 → いやす)等、氏族民族のカベを叩き割ってる。
 このごろ紳士になったナァ〜。おら癒されたばい。
 マニラにはパソコン喫茶なんちなかとですか? あってもおEメールはダメ
なんかナ? 「ことばがスンナリ通じる領域」をつづけて語りたい。
 デバガメの「 gam 」……秋田のガモコ(男根)。ネパール語の「ガマ系」に
「品性下劣な」という意味がありました。改めて探すとなったら、これがなか
なか出てきません。

ビッキどん、おりょんはん、ビンロウジュ・イクオール・アジマサだったでしたかね。
 これがホントーだったら、お歯黒は「神木」につうじる。
 北アメリカ原住民は玄武岩のあいだから、頗る小さな鉄餅みたいな塊を拾っている。
 この文化は西洋のヘテ人〜ヒッタイト人よりも早いだろうと……。
 縄文土器はインド洋のナントカ列島にもみられるそうです。

おりょう - 2003/12/21(日) 14:06<

縄文人 お歯黒

PIKKI さん
「皇帝カルタゴンのー」興味深い話題が満載で、読むのが楽しみになってきました。一つ一つゆっくり
読ませていただきます。ありがとうございます。
縄文人は我々が考える以上に文明的な生活をしていたのでしょうね。
今から四百年前、アメリカ北西部の太平洋岸のインデアン部落オゼットで、炭疽の含有量が非常に多い
鋼鉄でできた鑿と小刀を発掘。この鋼鉄製の道具の炭疽含有量は、その当時の日本でつくられていた綱の
組成とにているとワシントン州立大学文化人類学のリチャド・ドリティー教授などの話など、ほんの一例
ですが、遠距離交易もさかんにおこなわれていたのでしょうね。

今から1000年ほど前までの太平洋沿岸にパサードスという裸族がいてウイトの木の実で歯を黒くそめるの
だそうです。


三益 <http://freett.com/rumo/index.htm> - 2003/12/21(日) 12:27<

オリオン座は 田の神様

また書き込みです。

オリオン座は 田んぼの神様として
しられているそうですよ。

とんちんかん小僧 - 2003/12/21(日) 01:57<

まだまだ・・これからです。

ヤナさん、紋さん、皆さんへ

僕は、まだまだ酒飲みモドキにすぎないですよ。
でも「酒を呑んだら飲まれるな」という鉄則は守っています。
二日酔いはまだまだとれないから、もっと修行しなきゃね。
大学時代は酒を呑む度に周りの友達に迷惑をかけまくっていました。
そして何度も家まで送り届けてもらったりトイレに連れて行ってもらったり等々、世話のかかる奴でした。
今は反省して絶対に飲まれるまでには止める習慣をつけるように心掛けています。
ジンジャエール(ショウガでできてるらしい)にウーロン茶もしくは緑茶等お茶とミックスさせて飲んでもかなり美味しいですよ。
ファミリーレストランに行ったらセルフで何でも飲み物は飲み放題(酒は除いて)だから、
よくミックスで飲んでます。

こうへい - 2003/12/20(土) 23:06<

あれま!

ya(・ε^)na さん、そうなんですか。
全部、中村雅俊が歌ってると、今まで思ってました。
30年間、思ってたんですかあ(^o^)なんとまあ。

今日、奈良(香芝)へ、車で息子を送る予定でしたが、雪が心配で電車で行かせました。
スタッドレスタイヤですか、ちょっと買えないなあ・・

ya(・ε^)na - 2003/12/20(土) 22:26<

こうへいさん・・ホイホイ

そうですがな・・中村雅俊が歌ってるばかりとちゃいますよう
  ほとんどが、小椋 佳みたいでしたねぇ

  なかでも、「しおさいの詩・さらば青春」がお気に入りです

  おおおおさぶぅ・・・なんや、昨日と今日ははんぱやおませんねぇ・・
   さっき、ガレージの車凍ってましたよう・・
    明日竿納めしたろとおもとったんですけど・・だめみたい・・へへへ
 うまいこと、仕事サボったろって考えとったのになぁ・・
   甘かったみたい・・
  残念!!・・無念!!
    
  吉野の高見山は、エビのしっぽがみれるらしいですねぇ・・

    ヤゾーんとこは、さぶいやろねぇ・・
     風ひかん様に、皆様も氣つけておくれやすね・・
      もう遊ばれへんやろねぇ・・
           もう少しやよってに、年末まで仕事がんばってくらはいませ!!

  今日、鴨肉がとどきました・・
    熱燗で鴨鍋よばれます・・・・

         へへへっへへへ・・・・・HAPPY!!

                       ほな

こうへい - 2003/12/20(土) 19:49<

三益さん ありがとうございます

太陽が真東から昇り真西に沈む春分と秋分の二日だけ、
それも春分の夜明けには真東に、秋分の日没には真西に、しし座が姿を見せると、
オリオン座が、ピタリ子午線上に姿を現したのです

これは、知りませんでした。

三益 <http://y464637.hp.infoseek.co.jp/> - 2003/12/20(土) 18:19<

オリオン座みつけましたので・・・

こんなものをみつけましたので
書き込みさせていただきました。

- 2003/12/20(土) 12:54<

deb−ヤス・マダラ神・坂野明神……


砂漠の船
 1991年12月21日。アメリカとエジプトの考古学者が砂漠で12隻の巨大な木造船を発見した。船は15メートルから18メートルで5000年前に建造されたものと見られる。
 ファラオの魂を運ぶためのものではないかと言われているが、この艦隊は外洋の激しい荒海をも乗り越えられる高度な設計が施してあり、長期にわたって蓄積された航海技術に基づいている。エジプトの歴史の初期に、すでに長い蓄積があったというのは矛盾している。この艦隊のものより1500年ほど古い最古の壁画にはこの艦隊と同じような流線型の大型船が水の上を進んでいる様子が描かれている。『神々の指紋』より。

5000年+1500年=6500年
6500年前といえば日本列島ではカルデラの大爆発があった年に一致します。

埴輪の船も本物は可也の高速船であったようです。

>魏志倭人伝の中の黒歯国や裸族の国も南米ではないか・…
同意します。
月読尊たちがアメリカへ渡った可能性は充分あります。
まさか、イカダに乗って太平洋を渡ったとは考へられないので、其れなりの船と航海術はすでにあったと思われる。

古田氏の資料は殆んど目を通して居ますが、
海の古代史
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tokouj.html
も、興味を引きます。

>まだら神(拝火教?)

紋サンが言っていた、
deb−ヤス という東北の神は、
私的には 火の神 だと結論ずけています。

deb−ヤス と まだら神 と 邪馬台国の児玉宮の坂野明神が
一本の線で繋がりました。

安 邪馬台国の 安とはヤスです。
やすやすとこなすのやすです。

ヤスとは yasuyas で木と木を擦りつけて 火 を 起こす事を言います。

タガログは凄いですね(笑。

テダ石については
http://6556.teacup.com/shugyo/bbs で、
極楽トンボが書き込みをしています。(流れが早いので過去ログに入りました。
坂野明神に付いては児玉さんが書き込んでます。

 

焼尻紋次郎 - 2003/12/20(土) 12:38<

....サ ケ の 呑 み か た ....

 最高の美味に恵まれているんだ……という意識が肝要。
 やっぱ焼酎にかなうアルコール類はない。
 平皿……それも素焼きでないとダメ、直径10ぐらい……少しあたためる。
 これに6分目ぐらい焼酎を満たす(割ってはダメ)

 正座し、背骨をのばし、あごを引く。
 4〜5M さきの虚空をキッと睨んで呼気を整える。

 やおら、左手でカワラケをとり、くちにはこぶ。
 このとき、左の肘は最大限に胴から離す。

 少しづつ ゆっくりと唾液で割って これを呑む
 酔っぱらったら炭坑節うたう。これでどな、yana さん。


 とんしゃん、寒さは肛門にき易い。
 冷たいモノの上に腰掛けるのが一番イカン。このわるいオコナイの悪影響は肛門
だけではなく、全身にひびく。
 小便のとき手間どるが、紙おむつに従来の木綿ムツキ3〜4枚入れて保護するぐ
らいのご用心を。
 しょうが湯をしばしばネ。

 ミナシャン、宴会が続くシーズンです。呑むまえ、呑みながら煎茶をどうぞ。
 胃袋やられたときは、吊るし柿がいいと。きのふのミノモンタ情報です。

 mut……ネパール語;しょんべん。

こうへい - 2003/12/20(土) 11:47<

中国のシナドオクリ?

前にテレビで見たのですが、中国の川沿いの高い崖にいくつも四角い穴が開いていて、
それに、木を差し込んで、棺桶を載せてる映像がありました。
どうして運んだのかと思われるすごい高い位置にありました。
セブリ物語にあった、樹の高いところに棺桶を置くというのが、とても
似てるなと思いました。

PIKKI <http://mypage.odn.ne.jp/home/hide71> - 2003/12/20(土) 11:07<

船、縄文式土器、ポリネシアン、まだら神

ヤゾーさん、ヤキシリさん、風さん、その他の皆さんこんにちは。雪がすごいので、今日はジョギングをどうしようかと思案中です。
おりょうさんこんにちは。縄文人が太平洋を渡ったことは確実です。その証拠は、縄文式土器とほとんど同じ土器がポリネシアのボツアナや南米で発掘されているので確かです。東南アジアから新モンゴロイドに圧迫されて船出したといわれるポリネシア人は、右脳・左脳の働きが日本人ととても似ているそうです。アジアではインドと沖縄・九州とアイヌ・東北太平洋岸にしか見つからない血液の癌も、ポリネシアの島と南米でしか見つかっていないようです。詳しくはー僕のHPのリンク集の「皇帝カルタゴンのー」をご覧下さい。
魏志倭人伝の中の黒歯国や裸族の国も南米ではないか・・そして行き来があったのではないかという説がありますが・・縄文時代の早期から、三宅島(式内社が12も!)や八丈島をはじめ多くの島から縄文の遺跡が発見されるのは(現在、最古の土器は約9000年前のが大島・神津島・三宅島から)
黒潮の分流で伊豆七島を南下する流れが、ポリネシアの真ん中へと流れてるせいでしょうか?
そうそう、中国で見つかった古代船は、竜骨のある構造船なんでしょうか?
それと、誰かまだら神(拝火教?)と、沖縄の洗骨や鳥葬に似たアイヌの昔の葬儀法について・・日本列島内や東南アジアで似たような例をご存じないでしょうか?どの本で読んだかわからなくなってしまったのですが・・

こうへい - 2003/12/20(土) 09:53<

ya(・ε^)na さん 教えて!

「俺たちの旅」の小椋佳の歌って、一杯出てきた歌は、みんな中村雅俊 なんでしょう?
小椋佳の作曲なんですか?
声が似てるから、ボクの勘違いかと思って・・

ya(・ε^)na - 2003/12/20(土) 00:07<

あらまぁ・UPしてしもたがな・・

PCになかなか慣れてませんねぇ・・
  えらいすんませんねぇ・・・へっへへへ
途中でUPしてしまいました・・
  とんちゃん、なんですねぇ・・まだ酒飲みの仲間になってませんよね・・
     酒飲みの心得!!
   酒飲みは、酒を呑んでも飲まれてはあきません・・よう!!
    飲みすぎで、二日酔いはあきません・・
     いつでも笑って
      ええさけのんでくださいませ・・

   酒を呑むこっとって・・んんんんなんや・・
  修行ににたりってとこおますよね・・

              へへへっへ

 

こうへい - 2003/12/20(土) 00:06<

ヤゾーさん

そんな状況でよく助かりましたね。
ま、今生きてると言うことは、助かったと言うことでしょうけど(^^)

ヤゾー - 2003/12/19(金) 23:45<

逆流する河口

みなさん こんばんわ

今日 有田川沿いの道を通ったら
強風で まるで川が逆流しているみたいに波立っていました。
河口はうねりと強風で白波ができて 見るからに寒そうでした。

あれは十年くらい前の ちょうど今ごろの話しです。
河口で1メートル級のスズキが釣れるというので ルアーでのスズキ釣りに凝ってしまい
毎朝5時前に起きて有田川の河口に通いました。
真っ暗な中 頭に付けたヘッドライトを頼りに 
寒風の中 防波堤を越えてテトラポットの上を歩いてポイントまで歩くのでした。
そんな朝を一週間ばかり過しましたが 釣れるのは何故か太刀魚ばかりでした。
今日みたいな寒風吹き荒む身も凍りそうな寒い朝でした。
スズキは白波がたって荒れていた方が良いと聞いていたので
今日こそはと防寒着をいつもより多く着込み勇んで釣りに出掛けたのでした。
しかしえらいもので そんな寒風吹き荒む早朝の河口に すでに釣り人が何人も来ているのです。
クルマを止めているところには 遠くは神戸ナンバーのクルマまで置いてありました。
50メートルくらい離れた一番良い場所でルアーを投げている人が
何か釣れたようで必死に格闘しているのが 向こうのヘッドライトの明かりで分かりました。
同じ釣り人としては 釣れた獲物を玉ですくうなりギャフをかけてあげるなり 
手伝ってあげようと近くまで行ったのですが
テトラポットの上は歩きにくくて時間が掛かり 着いたらすでに自分でギャフで取り込んでいました。
獲物を見せて貰うと 大きなメジロ(ブリの小さいやつ)でした。
有田川の河口でメジロが湧いていると聞いて 大阪から釣りに来たとのことでした。
僕はそんなことは知りませんでした。そもそもスズキとメジロではヒットするルアーが違います。
くそ〜 ワシも釣っちゃるとばかり 勇んで自分の場所まで引き返す途中で
足を滑らしてテトラポットの中に 頭から逆さまにもんどり落ちてしまったのでした。
人間いきなり逆さまになったら 一瞬何が起こったのか理解できません。僕は夢を見ているのかと思いました。
なんとか脱出しようともがきましたが ちょっと無理っぽい気もして
だんだんと不安になってきて すみませ〜んと大声を出して助けを呼んだのでした。
それ以来 有田川の河口での釣りには行ってません。

こうへい - 2003/12/19(金) 23:40<

赤玉

昔、赤玉ポートワインって、甘いワインありましたね。
あの味がワインって思ってたので、渋いのは、これでもワインかって思いました。
昔の話ですけど。

ya(・ε^)na - 2003/12/19(金) 23:18<

赤玉はサントリーですがな!!

まあどおでもええねんけれど・・赤玉はサントリーですがな!!

とんちんかん小僧 - 2003/12/19(金) 22:46<

キテレツ胃を持つ男

紋次郎さん、最近は外食が多くなってしまったこともあり毎日飲んでいるわけではありません。
でも飲まないと体のキレが悪いような気がします。
ただ体調を崩していたり疲れているときなどは飲まないことにしています。
スクリュードライバーにジン・トニックにカシスソーダ他々・・。
今でも名前が変わる事無くコンビニや居酒屋等で飲む事がありますよ。

>ショーチューをタカラの赤ダマワインで割ると最高ですばい

早いうちに僕もそれを味わってみたいと思います(^^)

こうへい - 2003/12/19(金) 22:28<

寒い一日

海は、すごい波で、堤防にすごい波しぶきが上がっていました。
カメラ忘れた。
この海でウエットスーツで遊んでる若者が居ました。
こっちは、バッティングセンターがせきのやまです。

焼尻紋次郎 - 2003/12/19(金) 06:10<

....あらま ワイン ....

 オンリョ〜! 姐さン へば(津軽弁 秋田;せば)姐さンの控えにはナニが詰
まってるか……ここも宝の山だな、コリャ。

臥遊人さん、オレ津軽弁の本を少し読んだだけです。
 でも、殿様が移動したせいか、秋田と津軽は似いちゅう。その秋田弁も地域ごと
に4種に大別されるといわれていますが……、臥遊人さんの本拠地はどこですか?

 九州北部では、びっくりしたときには「オンリョ〜!」といいます。
 秋田でも「オンロ〜」はいわないでしょうか? 津軽はいいますね。
 標準語(?)アンレェ〜、アンリャァ〜だと思っていてまちがいなし。
 強調の末尾辞「 ro 」があるのではないか と私案投げ首ちゅうです。

 津軽ではびっくりしたときにはワイハ〜とも「ワイン」ともいいます。
 秋田弁な どげんふう ですと?
 「ワイハァ〜」は……アラビヤ語にあり。

とんしゃん、またまた変わったことカラダに詰めこんで、奇病併発してもオラシラ
ンばい。平明なことばでいうと、「ふれあい野(ヤ……意識)」で「肉そのもの」
を攻撃してるんや。
 正月明けあたりに  √ダカラ云ったじゃないの♪ にならんごつタノムばい。

 でもショーチューをタカラの赤ダマワインで割ると最高ですばい。スクリュー・
ドライバーなんちゅうことばも古うなったつかの? メッチェン攻めたい。

△うぶさん、おらも「紀と黄」にもちゅういはしてますが、なにせ単音節.固有名詞
 ですので、もう少し傍証の堆積がほしいところです。 居る→いる もね。
 でも「これらはみ〜〜んな同じだ」という姿勢こそ、未来を開発しますよね。
 チバリョ〜(沖縄弁)。

△うぶ - 2003/12/19(金) 01:52<

鹿 黄 ケ

おりょうさん
>鹿は洲処に通じますね、、、、、、、スキタイですね。
紋さん
>シナを含む極東国家群形成には「濃い黄色偏執」があった、、、、、、
神戸市東部辺りから東に向かい、大阪湾岸を経て和歌山の紀ノ川に至るまで(と、その域から各川沿いに
かなり内陸部へ入り込んだ部分)を 「キーさんの国」と八切は言い切っています。
黄=紀=木=貴=畿=来、、、等全部一緒だと思います。○ノ川、○船、○ノ本、○ノ瀬、○ノ国、○山
などの地名が一杯、、、、、、、古代「来た人」が一杯居たんです、、、クダもクリもコマもシキもシラも含め。
臥遊人さん、 「けの汁」(ケノスル)は、つまり「食につきものの汁」との意味でしょうか?

臥遊人 - 2003/12/18(木) 22:46<

究極の秋田弁“ケ”

おりょうさんさん、とんちんかん小僧さん、書籍の情報ありがとうございます。
風さん、出典の件は大変失礼致しました。

紋次郎さん、すでに御存知かもしれませんが、
秋田弁の“ケ”には、異なる意味で3通りの使われ方があります。

 【食え】【来い】【痒い】
いずれも発音が省略されて至った形です。
それぞれ具体的にアレンジしますと…

1)ハデド・ママ・ケ  早く・ご飯・食べなさい

2)ドシメデ・ケ  大至急・帰って来て

3)ミズムシ・ケ  水虫が・痒い

東北を扱ったドラマなど、台詞をただズーズー変なイントネーションで
濁らすだけのものを見ますと、しょうがないと思いつつ、どこか愚弄されたような
気になってしまいます。

おりょう - 2003/12/18(木) 22:21<

焼尻紋次郎 さん


返事おそくなりました。留守してましてすみません。
コピーしてとってあったんですが、どの本からコピーしたのかわからなくなてしまいまして
わかったら、又、書きこみしますね 。

古代帆船の研究家エドウィン・ドーランは、コロンブス以前の時代にアジア人が太平洋を横断した確立
はきわめて高いと。

「ダカラワイン」ネーミングがおもしろいですね。


焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2003/12/18(木) 09:48<

...イラク救援活動 と 古代造船技術....

 おりょんはん、ふ〜〜。コ−フンして書いたのでへたな質問となり、「読売だと云ってん
デショ〜!」と、お怒りを招いたのかもしれません。
 こういう巨大情報がなぜ25年も眠っていたか、知らなかったのはわれわれが愚民だから
だろうか? そういうことが根になって、『その読売記事』をいまごろ呼び醒まさせたキッ
カケは何だったのか……を知りたかったンです。
 文字や情報伝達手段が発達した現代でも、こういう“隠れのメカ”があるんですねぇ。
 これが5年前だったら、パソコン時代ですので大衆はゼッタイに忘れなかったろうナァ。

 前3世紀にこのような造船技術があった……ということが、アラビヤ勢力の到来を安心し
て考えさせる基礎をつくります。アラビヤ勢力到来を推測させる事項を整理しておきます。

※ 八重山〜薩摩〜西長崎〜津軽の固有イントネーションに「マンジュー(女陰)・ダラ」
  がのっかっている。 
※ 3母音とは宗教大革命によって普及した北アラビヤ語である。
  ウチナー(沖縄)はその後「3母音が高文化だ」との意識に支配された。
※ タマトタケルが √やまとは くにの まはらば と詠んだが、その「まはらば」は南
  アラビヤ語らしい。
※ シナを含む極東国家群形成には「濃い黄色偏執」があった。
  濃い黄色に偏執を示すのがアラビヤで、797年に征夷大将軍に指定された坂上田村麻
  呂の名前にはその「黄色」がバッチリ内包されている。
  黄布のラン、ククノチ、菊(朝鮮語 kukhwa)密教などにも、この黄色偏執がある。
  16弁菊の天皇家の紋章もアラビヤにある。

 ここの掲示板はサンカや差別を扱いますが、それら階級支配は日本だけに目を向けること
なく、世界のうごきのなかで捕らえられてこそホンモノではなかろうか。

 文化の流れを作った指導層の意識が途中からオカシくなって、「東は東、西は西」となった
が、そういうこともわれわれ大衆は許しちゃいけねぇとおら惟ふ。

とんちんかん小僧 - 2003/12/18(木) 01:50<

新聞記事を読んでの感想

毎日新聞の夕刊にあったイラク人の運転手さん、自分の命が風前の灯だったことを判っていたのだろうか?それでもなお大使館の運転士として前向きに25年もの間、日本人とともに働き、仕事をすることに楽しみと誇りも持っていたことに対し、僕は記事を読んでいて思わず目頭が熱くなり夕食を食べながら涙が絶えまなく溢れてきてしまいました。
二人の外交官の死の報道に隠れ、一人の勇敢なイラク人がいたことを忘れてはいけない。


臥遊人 さん
多分、まだすべて本屋さんで取り寄せることができるかもしれません。
全部、集英社から出版されています。
値段は全て700円〜800円です。
もし無ければ古本屋で探してみて下さい。
もう一冊ご紹介するのを忘れていたので紹介しますね。
これも諸星大二郎さんの作品で妖怪ハンターシリーズの「六福神」(集英社)。
ここでは、「産女」や題名で判断するには難しいけど蛭子神社についてなど漫画と
自身の言葉で(稗田礼二郎=諸星大二郎)書かれています。

ヤナさん
夏前から、飲料水「ダカラ」をワインで割って毎晩飲んでいます。
結構ウマイですよ。僕はダカラ7割、ワイン3割の「ダカラワイン」が今マイ・ブームです。

こうへい - 2003/12/18(木) 00:22<
ツルでかごを編んでる人の所に寄ったら、土日はハンターが一杯で、山に入れないらしいです。

こうへい - 2003/12/18(木) 00:16<

弥生人の脳みそ

が、見つかりましたね。奇蹟ですね。
ずっと湿ってる泥の中は、腐敗が進行しないで、遺物を永く保存してくれるようで。
渡来人のものらしいですが・・

- 2003/12/17(水) 19:47<

サンカの一考察・・…


応神天皇の頃から呉越が列島の主権者として歴史を動かす動力になります。
この頃が西暦300年で呉越勢力に対峙する反勢力の存在は当然考えなければなりません。
反発し合う最大の力として挙げなければならないのは宗教問題が有ります。
応神稜の次の仁徳稜も前方後円墳です。
方墳は月の文化の継承であり、円墳は太陽の文化の継承であります。
方墳と円墳における決定的な違いは石室が挙げられます。
方墳は横穴式石室で 円墳は竪穴式石室です。
横穴式石室は山の民の慣習の現れであると思います。
円墳は仏教へと継承されていく事になり、方墳はピラミットに比定が可能でありユダヤ、キリストの西洋的哲学の根源へとつなげます。
サンカは山の民の色濃く方墳の慣習を持つ先祖に繋がっているのではないか、
と思えるのです。この点がサンカの出発点であったが、やがては多種のサンカが誕生していったように思えるのです。根来衆の宗教は密教だと思いますが密教には五陰世間は説かれていますが十如是は説かれていませんから同じ仏教でも方墳に比定可能なのです。
十如是が解かれて初めて卑弥呼の獣鏡の継承の意が現れ、獣鏡が前方後円墳に継承されていると言う事が明らかになります。人間の思考のバージョン・アップの最たるものでしょうか。現在でも方墳と円墳の継承は連続しています。
本願寺の阿弥陀仏は方墳、法華経の釈迦佛(日蓮)は円墳。
サンカは阿弥陀系が主力にあると思います。
例え日蓮系密教であっても法華経は受け入れていと思われます。

歳差運動を根本に据えています。

こうへい - 2003/12/17(水) 16:54<

昔の船

>「華南の広州で、このほど大規模な造船工場の遺跡が発見、遺跡の年代は
秦漢時代(紀元前三世紀末から三世紀)
弥生時代ですか、もうすでに巨大船があったんですね。
思ったより、海上交通は進んでいたんですね。

焼尻紋次郎 - 2003/12/17(水) 14:33<

...股旅々々の渡り鴉にござんす..

おりょんはん、うふ〜〜。
 古代の船の情報、びっくらです。
 ひとに尋ねて、そんな情報もとめて『帆船6000年のあゆみ』ちゅう本を取り寄せて
カッカァ〜〜リこいたばあなんです。
 股々々資料の根拠アマカネ。
 アラビヤ勢力はやっぱ日本の中枢に来ていたと思うヨ!

おりょう - 2003/12/17(水) 14:02<

海のサンカと古代船

八切さんの説によりますと、竹細工や箕作だけでは食べていけないので、海にでて藻や昆布、貝をひろったりして穀類と交換したのではないか。「七変化部落」とよばれるように鋳掛、祈祷、祭文語りとなんでも
やる人もおおい。山稼ぎという人達も木を倒すだけでなく筏にして川へ流すのも彼等であり、山窩の当て字のような穴居暮らしだけしてただけではないであろうという。
丹沢にかくれていたサンカが女房の事をキャハンと呼ぶのも、相模湾は足を刺す海のサソリがおおいので、脚に布をまくのだそうな。岩魚のような川魚だけでなく干鰯や鯵の骨が焼き石の下からでてくるのも、盗んできたものでもなく、サンカも山海者とわかれば不思議はないと。

△うぶ さん鹿は洲処に通じますね。

昭和52年2月27日の読売に「華南の広州で、このほど大規模な造船工場の遺跡が発見、遺跡の年代は
秦漢時代(紀元前三世紀末から三世紀)で、遺跡の中心部分には、並行して三つの造船台があり、舟台
の滑走道の長さ八十八メートル以上にたっする。
この船台からは幅六〜八メートル、長さ三十メートルの巨大な木造船が、建造されたとみられる。
遺跡からは鉄鋳物、鉄釘、鉄棒、砥石も発見されているが、船場の構造は現代における造船所の船台
や滑走道からの進水の基本原理と一致している。」
この頃以前から大きな船が往来していたんですね。

ヤゾー - 2003/12/17(水) 11:40<
みなさん こんにちわ

徳田雅彦さん はじめまして
お役に立つのでしたら 引用してもらってかまわないのですが
職人歌合絵巻については 賤民を理解するうえで必要と思い
批評社から出版されている「弾左衛門とその時代」 塩見鮮一郎著から引用させていただきました。
サンカや人権問題についての書籍も多く出版している批評社さんへ一言お断りした方が良いと思います。

http://www.hihyosya.co.jp/

PIKKIさん お心使い ありがとうございます。
サンカ文字については 言語学者の吉田信啓氏の本の中に
山口の彦島で発見されたペトログラフ(古代岩刻文字)が古代シュメール文字であったことが研究調査で確認され
吉田信啓氏を中心として調査した当初 サンカ文字の解読コードを使って
いくつか解読に成功したというようなことが書かれてあります。
また 神代文字 豊国文字(サンカ文字と類似)の原点だったペトログラフ
オーガム文字は日本の山窩縄文学から誕生というようなことも書かれていますから
相当に古い文字の可能性があると感じています。
このサイトと相互リンクして下さっているサイトに
家に伝わるサンカ文字が彫られた石の話しがありますが
参考になると思います。

http://www.d-b.ne.jp/~dee/teda.htm

>(ここは言語専門ではないので……この処置、差し支えないやろ?、ヤゾー親分さん)
紋次郎さん 正月も近くなってきましたが
餅は餅屋 賢明な処置だと思います。

>サンカの歴史は私が想像していたより浅かったようです。
>西暦300年代にはサンカが居たのではないかと思っていました。
>サンカは東洋的歳差運動思考を基本とした思想に逆らって生きた人たちのようです。
>彼等の生き方は西洋哲学に近いでしょう。

風さん どうようなところから そのように思われるのですか?

ヤナさん こうへいさん 十代の頃「俺たちの旅」真剣に見てました。
オープニングで歌舞伎町の噴水に入ってゆくシーンに触発されて
高校に入って三ヶ月目に 意気投合した奴と一緒に東京へ家出して
歌舞伎町でしばらく過ごしたことがありました。
そういう馬力(アホなエネルギー?) もうなくなりました。

いちご麦さん 三冊も持っているなんて きっと面白い本なんでしょうね。

PIKKI <http://mypage.odn.ne.jp/home/hide71> - 2003/12/17(水) 11:32<

みなさんこんにちは

ヤキシリさん、今はちょっと忙しいので・・HPをリンク集にリンクさせてもらいたいと思います。
イチゴ麦さんおはようさんございます。僕も日本列島は縄文時代以来の「交易列島」と言うべきではないかと思います。そしてその理由は、1万年前に終わった氷河期に・・東シナ海にあって海底に沈んだ大陸と、その後に流れ出した黒潮という2本の海のハイウエーのせいではないかと思っています。このスンダ大陸とも似通った・・東シナ海からあちこちに避難した旧モンゴロイドの共通の文化のゆえに・・日本文化が東南アジアやチベット・ネパールやポリネシアなどの太平洋諸民族や華南とも共通した要素が多いのではないのでしょうか?そのような人々のなかでも、とりわけ海洋交易的な氏族を全部ひっくるめて倭人と考えれば、何故倭人が中国にも満州や朝鮮半島にもいたかが説明可能だと思う。
それと、黒曜石の交易などがかなり広範囲だった縄文以来の交易の伝統が、江戸中期くらいまでは盛んだった事が、サンカなどがつい最近まで健在だった理由ではないかと思う。
中世の荘園などをみると・・米で年貢を収めるのはむしろ例外です。美濃以東はほとんどが繊維製品だし、瀬戸内は塩だったり、鉄や金や絹や・・瀬戸内を例にとると、米を平民に貸して、その代わりに塩を年貢として出させるというような交易(「酒手」の「手」という言葉の意味の交易・交換)が日本中で盛んだったようです。
中世のかなり早い時期、平安時代の後半にはもう船着場や川原などの「市庭いちば」で、日常生活に必要な鉄器・日常品・塩・魚介類・農具などがすべて市庭で交易されていて、これは縄文時代以来のかなり長い歴史であり、この点が日本人の同一性の原因ではないかと思う。そして、それを可能にんしたのは、日本海と太平洋の黒潮の道・・特に地中海のような日本海や東シナ海だと思う。
これだけ、山がちの島が多い恐ろしく長い日本列島には、本来はもっともっと色んな文化や民族がいないと・・おかしいんではないかと思う。

おりょう - 2003/12/17(水) 10:01<

童謡の謎

焼尻紋次郎 さん 臥遊人 さん  皆様おはようございます。

「童謡の謎」1,2 祥伝社 合田道人 各1500円 平成14年

ずいずいずころばし、花いちもんめ 赤トンボ カゴメ その他、30曲以上、
童謡に秘められた謎を解き明かした本です。
値段高いから古本で探してみてください。

いちご麦 - 2003/12/17(水) 08:40<

気になる本

私が、ずっと気になって、著者にもお手紙を出してみたいなーと思いつつ、果たせずにいる本があります。
安東到著「もともと日本は国際国家であった」(1988年刊 徳間書店) です。
商社マンとして、世界各地を巡った著者は、
「日本人ほど非公民的な生き方を指向する国民はいないと思えた。そこに私は、政治制度の外で共同体間の交易に生きた商業民の伝統を直感したのである。
日本が島国であることからすれば、航海商業民の伝統が日本にあるのではないか。
日本人の心の深層に沈潜していると直感される、あくまで制度外に生活圏を広げて生きようとする商業民的な伝統意識、その成り立ちと展開の姿を歴史的な時間の中に構想してみようというものである。」
と、“はじめに”に書いています。

気になるのが高じて、手元に三冊ありますので、関心をもたれた方は、メールください。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2003/12/17(水) 06:41<

....東北弁こそ秘められた古代史を再浮上させる....

臥遊人 さん、古代はそこに使われている用語がわからないでは、まえにすすめな
いことだらけですよね。
 こんかいは直接の援助交際ができずに残念でした。
 でも、急がばまわれです。お足下には宝の山がうじゃうじゃです。

小田正博の部屋『つものくに』掲示板
 http://www.tcup5.com/501/masahiro.html 
 においでくださって、秋田などの方言をお教えください。

 この掲示板でも、オレ毎日楽しませてもらっていますが、紹介してくれたご仁は
どんぐりしゃん(ここでよく書くひと)でした。
 (ここは言語専門ではないので……この処置、差し支えないやろ?、ヤゾー親分さん)

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2003/12/17(水) 06:19<

...ボッカ と サンカ と コメ作....

 おりょんはん、あが・うっす。
 松本市・(民族)学会……山中襄太先生。塩の道……ゆかりの地ですなぁ。
 ボッカということばは西南日本でも使われているはずですが、なぜかくだんの塩の道と
尾瀬に偏って残されています。ネパール語 bok-(運ぶ)が語源だと思うヨ。
 現代ではかえって、キリスト教の「牧師(神を運ぶ人)」に顕著です。

 わらべ唄……というのもいいですなぁ。
 母音E. Oがないのがウチナーぐちといわれていますが、沖縄のわらべうたには十分に
E. Oが確認できました。

 ジンム東征のとき、ただの水先案内人だった人物が、奈良を抑えたあと、重要なポスト
を得ています。これには学者さんたちが不思議がっています。
 でも、日本文化は海から開けた……すなわち、「海賊だらけだった」と置いてみれば、
この間の事情はスッキリします。

△うぶさん、コメなんざを作っていたら、海賊から襲われていのちがなんぼあっても足り
ない……が弥生の到来を遅らせたんだと思います。
 で、日本列島でコメ作が進んだ地帯とは天然の要害に囲まれた盆地で、大きな川のほと
りではない……と、出る。
 サイトバルの奥の人吉盆地が日本のよあけを呼びこんだと、オレはみてるんです。
 そのデンでいえば、山を囲むようにしてる五つの流域(津山西部)が、コメ食って急激
に人口が増えた。

 “川筋”は気質を作って張りあう。シナ文化も渭水(いすい)から興っている。

 弥生初期の舟人は、50%以上の人口比を占めていたのではないでしょうか。
 そこを考えないと、くぐつも香具師もサンカもその中核本質は把握できないのでは?

△うぶ - 2003/12/17(水) 02:18<

砥 日生 ボッカ

風さん} 砥と祝の解説有難うございます。私はどちらかと言うと「はふり」に傾いています。
>〜〜持つ人たちがいた事は史実でしょう。〜〜〜の御三家はそれなりの要で、、、、、、「なるほど!」
紋さん} 偶然にも原本を夕方読んでしまいました、、、それほどの御気遣いなされるな。
仰る通り、本邦での漢字は当て字(借り物)であって、意味だけを採用するは誤りの元、輸入されたは
後世と言えますので、古代を漢字で解析するのは危ない事は自覚しています。
日生は星(北斗)で(了解)、、、、、、、津山の西、五河地方とは一体なんぞや?塩辛好きの地ですか?
おりょうさん} 「〜街道」「〜街道」などポッカの仕事+筏流し+み作り+鍛冶屋=全部備えている地域
が結構存在しますね、有名な長い河の中下流域に。
製塩にも箕笊使用で、、、「水辛別け(ミカラワケ)」でしょか?(半分冗談です)。
椎葉と言えば矢張り神楽ですね、ここの神楽は縄文の色濃い部類です、鹿の生肉掲げたりします。
平城平安から遠ざかるほど神楽が増える事実にも考えさせられます。○○○神楽。

蜜柑 - 2003/12/17(水) 00:52<

なるほど

>風さま
有難うございます。
九州の、竹細工にかんしては
ヤゾーも詳しいんですが
サンカとの関係がいまいちなんですよ。

宮元常一の本なんかでは、椎葉や諸塚なんて山窩の本場みたいなことかかれてますから、
十分ありうる話しとは思ってました。

こうへい - 2003/12/17(水) 00:43<

俺たちの旅

30年たって、なお変わらないもの。
今の自分とダブらせて、夢を持って生きることを改めて感じさせてくれたもの。
しみじみと見る歳になった?

ya(・ε^)na - 2003/12/16(火) 23:48<

しこたま・・酒を呑んで・・!!

はーーぃ・・ヤゾー・・
  はっはは・・今日もしこたま酒を呑んでます!!
 なんや、わたしは・・・・・
  へへっへっへ・・
   
  へへっへへへっへへへへっへえ・・・・

    すこし・・・

   いいい一杯・・・・呑んでます・
       
      酒を呑んでる時・・そんな時自分を感じれるんです・・

                    おかしいねぇ・・おかしおますねぇ・・

ya(・ε^)na - 2003/12/16(火) 23:32<

俺達の旅!!



30年後やてぇ・
  今の若い人と・・んんんん
発想がちがうんやろねぇ・・・・・
   小椋 桂の歌・・
     懐かしく聞きました・・
         今でも、その時の気持ち忘れないでいるのんは・・・
   わたしだけやないやろか???

  そないおもてたら・・・・なんや・・うちのハニーも・・・

       おんなじやねんてぇ・・・・・

         昔の人間って!!!

             今でも・・同じなんや!!


  へっへへ・・おんなじなんや!!
           同じなんや!

        


--------------------------------------------------------------------------------

- 2003/12/16(火) 23:28<

△おりょう さん
葛飾でしたかね青砥は隣が白石。
青砥には何か謂れがあるのでしょうか?
もし無ければ 祝 の思念は遠くなりますね。
砥ぐと言う裏に 祝 がある。
その祝を隠して置きたいが故に祝を用いず砥を置くと言うのは可也センスが高いと思われるのですが。

「天草」「海草」も可也古い地名のように思えます。
思念は『自由人の父』と言いたいところです。

天草は一度行った事が有りますが、海賊やサンカにとっての天然の要塞
というロケーションですね。

「ブリ街道」「サバ街道」も魚の名前じゃなさそうですね。
多分ブリは通り抜け易いがサバは狭く通り抜けが難しい街道という
感じのようです。

△臥遊人 さん
出典は私の頭の中ですから、出す事は出来ません。
秋田のようですね。
族長アテルイは英雄ですよ。
アテルイの意味は多分『我々の輪の要』だと思います。

△ヤゾーさん
サンカの歴史は私が想像していたより浅かったようです。
西暦300年代にはサンカが居たのではないかと思っていました。

△PIKKIさん
又、遊びにうかがいます。
その時は宜しくお願いします。
サンカは東洋的歳差運動思考を基本とした思想に逆らって生きた人たちのようです。
彼等の生き方は西洋哲学に近いでしょう。

臥遊人 - 2003/12/16(火) 21:07<

“唄の歌詞の意味”に応えてくれた皆様

 ご教示くださった皆様、ありがとうございました。
 当方の頭脳では奥が深過ぎて、まるで異界の話を聞くようでクラクラします。
 おりょうさんの【山国のわらべうた】、とんちんかん小僧さんの【…妖怪ハンター】は、
探してみようと思います。風さんの私見元となった出典も差し支えなければ教えていただけ
ないでしょうか?!

 ya(・ε^)na さんは大阪の方のようですね。関西の人達は自分達の言葉に、自信と誇りを
持って使っていらっしゃるので羨ましいと常々思っています。
 秋田には“将軍野”という地名がありますが、これは坂上田村麻呂が陣を張ったことが由来と
なっているとのこと。その相手となった蝦夷(エミシ)の族長アテルイは、勝者中心の歴史の中、
<逆賊>とされ、蝦夷は辺境の民として蔑視の対象でした。
 東北の言葉が嘲りの対象にされやすいのは、そうした歴史的なものが影響しているのかもしれ
ないと個人的に感じていましたが、最近ようやくそうした歴史観が見直され、22年間も朝廷軍
の侵略進攻を迎え撃って戦ったアテルイは、東北の英雄として再評価されています。
 地元の劇団が上演した<アテルイ>を観ましたが、歳のせいか涙が止まりませんでした。
 舞台のアテルイは絶叫します…「聞け!俺たちは何も望んでいない。都の衆と同じ心を持つ人間
だということを示したかっただけだ。蝦夷はケダモノでも鬼でもない!妻や子や親を愛する当たり
前の人間だということを…」。突然アフガニスタンやイラクにおいて、誤爆で死んだ子どもたちの
理不尽が脳裏をよぎり、嗚咽が加わりました。

おりょう - 2003/12/16(火) 20:54<

山国のわらべうたと塩、砥、椎

紋次郎さん 
「山国のわらべうた」松山義雄 社団法人信濃路 昭和47年 600円 とてもいい本ですよー
飯田 天竜 伊那谷などのわらべ唄を採集したものです。作者は学会の所在も知らず、独りで伊那谷の民俗調査に従事され、主な著書「山村動物誌」「山の動物記」「猿・鹿・熊」「山国の神の人々」などがあります。

サンカは山海者でもあり、塩からや干物、若布といった保存物などで、塩をたく薪やヒエやアワと交易し、「ブリ街道」「サバ街道」などポッカの仕事もサンカにはうってつけのようです。
木場の材木流しは古くからあるんでしょうか?
塩擬はシオコリです。

△うぶ さん 風さん
藻塩は塩づくりの原点ですが赤穂のは天然の荒塩のようです。
「天草」「海草」の地名も天の古代海人のようにおもえますが、製塩の関係はちよっとわかりません。

「砥」は石工と関係あるのでしょうか?「砥用」という地は石橋の宝庫のようですし、東京、神奈川にも
青砥という地名がありますが、青砥とは砥石のことのようです。

椎茸、椎屋 ドングリさんの事典では盗語になってますが隠語でしょうか?
椎の意味がわかりません。

徳田雅彦 - 2003/12/16(火) 20:44<

貴HPの引用について

はじめまして、私は亀山高校で人権・同推の係をしている徳田雅彦といいます。
現在人権学習資料を作成しておりまして、サンカの部分と職人歌合絵巻について引用したくご許可頂きますようお願い申し上げます。
メールアドレスが見つからなかったのでここへ書き込みさせてただきました。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2003/12/16(火) 20:36<

...「舟サンカ」!! ....(再掲出)

おりょんはん、うっふ。やまい(時間の経過)煌々カネ。
 御カキコミの全部が“「山国のわらべうた」松山義雄より”を資料とするもので
しょうか? 出版社お教えアマカネ。ビンボーにんのために価格も。
※ 「米良」……あっしがときどき出すおふくろの里、現九重町、旧東飯田(ハン
 ダ)村は、「メラツ」といわれていたらしい。
 「メ(川)ラ(の)ツ(湊)」かな? と思ってきましたが……。 

> かって海のサンカ
★ ……と、ここまで「海のサンカ」という呼称が成りたつものだろうか?
  成りたつものならば、16世紀にきえた海・川の舟運搬、舟大衆との接点の一
  つがイデー(当分は、だが)として浮上しそう。 
> 塩擬
★ 「シオコリ」と発音するのでしょうか……? 
  あのへんの「塩の道」は津山ルートだと思えます。湊はヒナセ(日生)ではな  かろうか。塩の大消費地帯は津山の西、あっしがいう「五河地方」かと。

△うぶさん、いちどオレ「ト」に押し寄せる古代語の「内意」をズラリ並べたこと
があります。16とおりばかりありました。
 「地名(固有名詞)には内意が附随していない」とみるべきでは? 現代日本人で地名を完全にコナせる実力を持ったひとは皆無だと思います。
 それよか「発音・内意」を兼ねそなえているフツーの一般語彙をアマカネ。
 とくに、一音節の固有名詞はあぶない。

ピッキどん、どうぞどうぞ。
 Ininu info での『アイヌ民族の成立』も入れてくれはったら、おれウレシ。
 なお、あっしが出している『諸国語と“日本語・アイヌ語”との類似語彙一覧
表』その他は、持ち出し自由です。
 これらの辞書はだれが読んだって同じ結論になるはず。

PIKKI <http://mypage.odn.ne.jp/home/hide71> - 2003/12/16(火) 19:14<

歳差運動と易・陰陽五行道、古代文字

ヤゾーさん、説明が足らず申し訳ありませんでした。
歳差運動については風さんがとても詳しいのですが・・僕のHPの「風博士伝言板」の風さんの説明がとてもまとまってわかりやすいかもしれないです。何故ここに書いたかというと・・風さんは、縄文時代やケルトのストーンサークルやストーンヘッジや巨木遺跡に歳差運動を見ているのですが、僕は易や陰陽五行道に関係ないだろうかと思っているのです。でも易は難解で挫折中です。
 その時代で最も高い建物が、その時代を最もよく説明する物であり・・現代はビジネスビルが、ある時は城や神社や教会が・・そして縄文では、三内丸山遺跡の四本の柱や巨木遺跡が・・
僕も北海道にいたとき余市や小樽の古代文字を見に行ったことがあるのですが(手宮のSLたちに会いにゆくついでに)・・古代文字はサンカとは関係ないのでしょうか?詳しくはー「古代文字」

ヤゾー - 2003/12/16(火) 18:05<

米良・椎葉と菊地氏

みなさん こんばんわ

臥遊人さん はじめまして
興味深いお話し ありがとうございます。

PIKKIさん 歳差運動についてあまりよく分からないもので
どうお答えしてよいか 申し訳ありませんが分かりません。

何年か前 古本屋で「日本残酷物語」平凡社・昭和35年発行の端本・第二部を安く売っていたので買いました。
監修に宮本常一さんや山本周五郎さんの名前まであって なかなか面白い本です。
それに山の騒動という題で 吉野・熊野の北山一揆 五箇庄・米良・椎葉の騒動 
加賀白山の南麓・石徹白(いしとしろ)の騒動のことが書かれてあります。
口碑によると 米良・椎葉に人が住みはじめたのは 壇ノ浦で滅びた平家一族とそれに属する人々で
肥後の菊地氏の心からの援助であったとあります。
源平合戦のときには平氏につき 南北朝の時代には南朝として北朝と戦った菊地氏の先祖は
関白道隆の子で 政争にやぶれ左遷された太宰大弐藤原隆家に発するといいます。
サンカ伝承には サンカの最高権力者である乱裁道宗の初代が
関白道隆が下賎の女に生ませたかくし子で 丹波の山奥に捨てさせた神童であった道宗であるという話しがあります。
サンカと菊地氏は近い関係にあったのかも知れません。

- 2003/12/16(火) 08:57<

「砥」の考察・・…


「砥」の一文字を惣利遺跡の字名の砥上から思考していました。
砥上には刀を砥いだといわれる挿話ありましたので、この砥ぐから探りをいれてみた。砥上も とうわ と読ませ towa で 『 祝賀 』と導きました。
勿論 towa はタガログ語です。

「砥ぐ」に 祝 がなぜ付帯するのかを探りました。
砥ぐ はタガログ語では hasa という言葉になりますス。
この hasa を砥石で砥ぎ削るとhが削り落とされ asa となります。
asa は日本語に直すと希望です。

砥上には未来大和という希望の 祝 が見えてきます。
砥用には未来の「山窩」の里=天領という希望の 祝 が見えてきます。
砥が下級神職を意味するなら上級神職の登竜門としての希望の 祝 が見える。
このように考えると 砥 には 祝 が張り付いているようです。

天領には「山窩」の里があったのではないか?
幕府や天皇家の庇護のもとに情報の収集を受け持っていたと思う。

イば には接頭辞だけではなく接尾辞が付いて
イば らぎ 茨城てのもありますね。
いばら の城というのが面白い。
本々は、常陸の国であり 常陸多賀があり畿内とは異なった起源を持つ人たちがいた事は史実でしょう。
水戸、尾張、紀州 の御三家はそれなりの要であったはずです。

△うぶ - 2003/12/16(火) 01:40<

椎葉 砥 海塩

椎葉; 私も別の観点から注目しています、以前ここにも少しだけヒントを書いたこと有りました。
以前ドングリさんだったかが、昭和50年代に九州の某地方で警察山狩りが有った事の話されてました。
NHKのラジオ深夜便では時々椎葉からの便りを放送しています、他は愛知県の弥富などです。
風さん、
「砥」の地名は意味深です、私の近所にも「砥○」が存在し、矢張り「山神の斎」に関係有ります。
神社の下級神職関係とも言えそうです、「祝」を裏読みするなら「砥」は他の漢字が該当しそうです。
ここのHPに「砥」の字の話が出現するのを待っていました。
>椎葉にも他とは違うと言う意があるようです、、、、、
「千葉」(○イば)、「椎葉」(○イば)、、等で→「違場」でしょうか?
おりょうさん、 海草を焼いて残る塩=藻塩 と言うのもそうですか?
「海草」地名や「天草」地名も有りますが?

- 2003/12/15(月) 21:53<
「げたかくし」の蓑笠の着用は・・…

その様な神格にふれる話があったんですね。

熊本の阿蘇神社は孝霊天皇が祭神ですが、名前に子犬を頂いているようです。更に孝霊天皇は阿波の金毘羅とも関わっています。
因みに タガログ語に aso が有ります。
日本語に直すと犬です。
aso には今一つの意味がありまして煙を吐いている状態をasoといいます。
活火山の阿蘇山を思い起こさせます。

ゲタかくしカンザシボー

弱気を隠すために子犬に獣指を塗るつける。
との訳がまともに当たっていたようです。



おりょう - 2003/12/15(月) 21:08<

海のサンカ

塩といえば赤穂の天塩が有名ですが、兵庫県赤穂市御崎に、かって海のサンカといわれる人々がおり、彼等は竹筒に塩擬をつくり、これを山のサンカとの交易品にしていたという。
製塩は一昼夜かけて海水をたき、つぎつぎ海水を汲みたしていかなければならない労働は過酷で、縄文時代から海人の仕事としてうけつがれ、つくられた塩は「塩の道」のルートで運搬された。
塩づくりもやはり賤民視されていたのでしょうか?
奈良時代の塩一升の値段は、米二升に相当するぐらい貴重品だったそうです。

米良・椎葉など宮本常一さんの「山の道」や「山に生きる人びと」にでてきますが、「サンカの大集会」の
話は、いまのところ不明です。

「げたかくし」の蓑笠の着用は、人間が神になるためになくてはならないもので、蓑笠は、古代人にとって、ひとつの変装服装で、笠をいただき蓑をまとうことは、人格を離れて、神格に入る手段であった。つまり、蓑笠をきるのは鬼の姿に扮することで、身体をかくすことを条件とする鬼は、かくれ蓑をつけて、その
姿は人間の視界からきえるといった理由から、鬼ぎめの場合、蓑・笠をきたものが鬼にえらばれる。
秋田の「なまはげ」なども「遠い国から、旅してくる神の服装」であろうと・・・。
               「山国のわらべうた」松山義雄より

- 2003/12/15(月) 19:07<

蜜柑 さんへ


『昭和36年に九州の椎葉の砥用山の麓で最後の「山窩」の大集会があったって土地の古老の話を何かで読んだことがある。その近くに「山窩」が定住した村があるらしい。』

この話は本当の話のように思えますね。
椎葉は元は天領の日田に入っていたと聞いています。
現在は宮崎に成るようですが。
可也昔から椎葉は「山窩」の里であったと思われる。

椎葉にも他とは違うと言う意があるようです。

もう一点「砥用山の麓」に砥という文字が使われていますが、

邪馬台国の惣利遺跡は字名は砥上になり砥という文字が使われています。

神武がここから東征したとされるかわらけ(盃)が畑10アール一面くらいに密集して割れずに出土してイワレヒコの東征に関連して祝杯があつた場所としています。

同じ大会合の場所に「砥」の文字を置いています。

砥上は「祝杯」の意になりますが、
砥用は「蔦の密集」の意になります。

- 2003/12/15(月) 18:40<

臥遊人 さんへ

臥遊人 さん はじめまして!

ゲタかくしカンザシボー
イドの中のチャワンボー           
ミノ着てカサかぶってあぶないぞ           
神様の言うとおり           
ショッパイショ
神様の言うとおり 

東北か北海道に残されている歌なのでしょうか?
神様の言うとおりにしなさいよ、焦ってはいけません。
と、戒めながら機の到来を待っている様子を歌にしているような気がします。(私見ですが)

ゲタかくしカンザシボー
は、
弱気を隠すために子犬に獣指を塗るつける。
と言う感じで始まっているようなのですが、戦いの時の顔への絵付けを言っているように感じますね。

イドの中のチャワンボー           

子犬もやがて成犬となり人気も出てくる時がくる。

ミノ着てカサかぶってあぶないぞ

年が至らないのに組織を組むと危ないぞ。

神様の言うとおり

神様もその様に言っている。

ショッパイショ

expressionみたいなもので、猫が逃げていくと言う意がありそうです。

神様の言うとおり

それも神様の言うとおり。

ネコを名前にしている天皇が4人いるはずです。
なんか、月読尊に係わりのある人たちの歌のような気がします。

臥遊人 さんの地域の方の出自が安房か阿波なら、
この様な意味にとれそうに思われますが、
あくまで私見であるということで宜しく。


こうへい - 2003/12/15(月) 16:31<

冬の大三角の変身

オリオン座のペテルギウスと、シリウスを含む冬の大三角の上に土星があり、十字星ともダイヤともとれる形になっています。
月が傍にいても、皆明るい星なので、良く見えます(^o^)

蜜柑 - 2003/12/15(月) 13:10<

山中40年 加村一馬のスレッドに

307 :       :03/11/22 01:59 ID:R+9kCg9a
つい昭和30年代まで、日本にも「山窩」っていう 山岳民族がいたんだから
そんなに難しいことじゃないだろ。 今では一般住民に混じって定住してる
けど、それまではセブリっていう独特のテントを持って山地を移動して生活
してる特殊民が20万ちかくいたんだとか。映画「背振り物語」のあれだよ。

昭和36年に九州の椎葉の砥用山の麓で最後の「山窩」の大集会があったって
土地の古老の話を何かで読んだことがある。その近くに「山窩」が定住した村が
あるらしい。

という書き込みがあったけど、椎葉の話初耳です。
聞いたことありますか?


PIKKI <http://mypage.odn.ne.jp/home/hide71> - 2003/12/15(月) 09:01<

紀伊も彩色古墳や歳差運動と関係あるのでしょうか?

ヤゾーさんどうもありがとうございました。
「資料室」を読んだら、サンカ関係の本が多くてとても参考になりました。
モンジロウさんしばらくですがお変わりありませんか?書き込みは読んでいたのですが・・
僕が書き込んだ内容は、梅原猛氏の説というよりは・・藤村久和氏(「アイヌの霊の世界」)や田中勝也氏(「エミシ研究」)の本で説かれていた説です。
なお、モンジロウさんの書き込みをまだ「漂流者列伝」「続漂流者列伝」としてHPにのっけていますが・・よろしいでしょうか?
とても面白い内容なので、是非多くの人に読んで欲しいと思っています。

焼尻紋次郎 - 2003/12/15(月) 08:33<

....強盗をはたらく警察官の人権....

 たまさん、皆さん、どうもすみませんでした。
 あの文面は慎んで削除しました。ビッキどん、見てなかったら御連絡を。

 消防士が放火したり、警察官が強盗をはたらくのとは ワケがちがうと思った
ので、ついつい……でした。

 小生の責任で開いている『哲学篇』で続けましょうか。少しあとになります。
 http://www.you-i.org/treebbs/3/ 

とんちんかん小僧 - 2003/12/15(月) 00:15<

まずは深呼吸しましょう

最近、読んだ本の中でとても面白い言葉遊びがありました。
これは、ある落語家のコラムで紹介されていたものです。
曜日の覚え方(対象小学生)
以下抜粋。
小学校に面白い教師がいてね、曜日を一発で覚えたよ。黒板に月、火、水、木、金、土、日と
書いて、順に曜日を指さし、こう教えてくれたんだ。
「月(つき)夜の晩に、火(か)事があり、水(すい)道の水で消したらば、木(もく)さんの、金(きん)玉、土(ど)ろだらけ、日(ひ)っ日っ日」と。

くだらないようにも思うけど、僕はこれを読んで思わず笑わずにはいられなかったです。一定の
リズムと下ネタが調和することによってこれを覚えた人たちも記憶が鮮明によみがえることでしょう。他にも幾つかありますが、どれも下ネタありです(^0^)

臥遊人さん
初めまして。お役に立てるかどうか判りませんが、諸星大二郎さんの『稗田礼二郎のフィールドノートより「天孫降臨」 妖怪ハンター』(集英社)の中で「天神さま」という話の中でわらべ
うたについての解説を漫画にして書いています。また他の著作で「海竜祭の夜」に収録されている「花咲爺(はなさかじじい)論序説」や「黄泉からの声」では童謡「ずいずいずっころばし」に
ついて独自の解釈で漫画で謎に挑んでいます。そして、ところどころに筆者自ら調査したことも
紹介されているので読んでいて頭の中が混乱しそうになりますが考えれば考えるほどにわらべうたには謎がたくさん隠されていることが多いですね。一体、誰がどういう目的で作ったんでしょう?とても興味深い投稿でしたので少し参考になれればと思いからんでみました。

ya(・ε^)na - 2003/12/14(日) 23:11<

大阪では・・

あはぁーーぁ・
  子供の頃のあの唄やぁ!!
  ちょっとちゃいますかねぇ??
でもなんや似てますので・・

   下駄隠しシュウレンボウ♪
    橋の下の、鼠が草履をくわえて、チュウチュクチュウ♪
   チュウチュク饅頭は誰が食た ♪
    だーれも食わない、わしが食た ♪
     おもての看板三味線屋 ♪
       ♪ 裏からまわって三軒目!! ♪

      こんなんでおましたよん・・

たま - 2003/12/14(日) 22:27<

誹謗中傷はやめよう

>梅原猛はそういう歴史の実体を知らぬ軽薄野郎です。ヤツは哲学者の
>仮面を悪用する卑劣漢です。信用してはダメ!

焼尻紋次郎さん、ここは開かれた掲示板ですよ。
他人を誹謗中傷するのはやめてください。

臥遊人 - 2003/12/14(日) 20:42<

唄の歌詞の意味

 はじめまして
 以前から気になっていたことを綴ってみます。
 当方が子どもの時分は、かくれぼやおにごっこのオニを決める際、各自片方の靴を出して
横一列に並べ、一人が唄のリズムに併せて靴を左右に踏みながら移動し、唄が終わった時点で
踏まれている靴の持ち主がオニになるという決まりでした。
 その歌詞ですが…

           ゲタかくしカンザシボー
           イドの中のチャワンボー
           ミノ着てカサかぶってあぶないぞ
           神様の言うとおり
           ショッパイショ
           神様の言うとおり

っというものでした。40年以上経っているのによく忘れずにいたものだと自分を感心して
います。同窓会などでこの話題を出しても、誰も覚えていないし関心も示してくれません。
 当方は北東北の住人ですが、当地の言葉は最も縄文の言葉の痕跡を残していると聴いた事が
あります。が、今の子ども達は、土地語を理解はできても話す事ができません。
 我々の世代が居なくなれば、言葉も上記の唄も消えるのかと思うと寂しい気がします。
 それにしても、改めてこの唄の歌詞をかみしめてみると、意味が分かりません。
【かごめ・かごめ】などの童謡には、深い秘密が隠されているというような事も何かで見た
覚えもあります。このような伝承にくわしい方のアドバイスがいただければ幸いです。

        


焼尻紋次郎 - 2003/12/14(日) 19:01<

....踏んづけたイバラは痛かった....

 キャプテン・クックなどの船に初めてやってきたオセアニアの原始人は、まず
彼らが履いていた靴に驚いたんですな(坂本竜馬もハカマつけながら靴を履いた)。
 さらに驚いたのが、船の中には靴の整理棚まであった。
 何度も、なんども神に願いを捧げたのだが、われらの神はこのような恵沢を授けて
はくれなかった……。
 この共通の思いがオセアニア全域をキリスト教カソリック派にしました。

> 信じるというだけでなく利用するということも多かったような気もします。
★ 宗教のことなどで、ついつい「信じる」とやりました。
  底辺はけっこう即物的だったと思いますよ。

 宗教にからみついている「迷信・伝承」の部類なんざは、どうとでも処理されますからね。

ヤゾー - 2003/12/14(日) 14:05<

魂・スピリット

みなさん こんにちわ
良い天気が二日続いたので 
今日は遊びに行くのを我慢して布団干しと掃除してます。

PIKKIさん はじめまして
サンカ伝承(穴居払い)からしても 母体となっているのは縄文のような気がしています。
そこへ伝承にあるようにスサノオのような存在
原住民・先住民を征服支配しようとしたのとは違う価値観の渡来人と融合したのが始まりだったのかも知れません。
日本人が多民族国家であるように サンカの人たちにも色んな系譜があるように思います。
系譜というより 自然を敬い感謝し大切にするという縄文の魂・スピリットを強く継承していたのが
サンカの人たちのような気がしています。
アイヌの人たちや琉球の人たちも そういう魂を強く継承している人たちだと感じています。

紋次郎さん
>征服したほうが征服されたほうの宗教を信じる…
なんとなく分かる気もするのですが
信じるというだけでなく利用するということも多かったような気もします。
いかがなものでしょうか?

PIKKI <http://mypage.odn.ne.jp/home/hide71> - 2003/12/14(日) 07:40<

はじめまして

へっぽこ詩人PIKKIです。
サンカは縄文直系と言ってもいいんでしょうか?信仰などはどんな内容なんでしょうか?
木地師などは、焼畑農業と兼業で・・アイヌの火のカムイや、秋葉神社へも繋がっているのではないかと思うのですが。
信仰に関する言葉はアイヌ語と日本語でほとんどすべてが同じ起源の言葉です。
カムイと神、イノッと命、ピトと人、タマと魂、オンカミと拝む、祭ると言う意味のinomiやkamuynomiの語根のnomiもまた、日本古語のノミ(祈ること)と同語です。
そのほか、アニミズム的な信仰内容もイナウという日本での御幣も同じです。
これは、縄文文化という基層文化を共通に持っているからだと思うのですが・・

はつせ - 2003/12/13(土) 15:14<

ポリ容器漂着

最近の新聞に、朝鮮半島から大量の「ノリ養殖用有機酸処理剤」とハングルで書からたポリ容器1万6千個が、日本の長崎から北海道までまんべんなく漂着していた、とありました。
 面白いことに青森、秋田にそのうちの五千個ほど流れ着いたことです。
 つまり、漂流していても日本に来れるのです。半島からこのように降ってくる人達はやはり新開地を求めて来たと思います。
 「流されて」到来したという想いが自分たちを「天から降りてきた」という比喩に置き換えたのではないでしょうか?
 また、航海技術が発達していない時期に漂着した人は東北に多かったという感じもします。

△うぶ - 2003/12/13(土) 02:45<
ヤゾーさん、確かに韓半島北部だった辺りの人々は造船技術も(当時)幼稚で、我が倭人
の方しか渡海船を作り得なかったと聞いています。「里帰り渡海」は十分可能性大ですね。それと、
(以前ここにも投稿しましたが)何かの理由で(強制か自発か知らないが)縄文倭人が韓半島系や大陸系
だと仮装された(した)可能性も有ると最近思っています。例えば急いで銅鐸を土中に埋めてしまって
自ずからの銅鐸文化を隠蔽してしまった事実なんかを思ってみてもね。なにか、玉置神社に埋まっている物部の神宝の話にも関連有りそうな?。それに余談ですが、この大戦期の植民地
体制下でも同様の事(人種上の錯綜混乱)が有ったのではないかと空想したりしています。
天ノ朝の概念は仮説かも知れませんが、宗像、え船系から継がる海洋渡来の大グループが太古存在
した事は事実で、その後の各豪族に分化している。それからすると記紀なんか昨日の如しですね。

GAINA - 2003/12/12(金) 22:55<

物部氏系列は石上神宮だけはでない!

ヤゾーさん、ありがとうございます。

今なお、神道の大いなる謎。
邇芸早速命に遣わされた「十種神宝」が
玉置神社に埋っているといわれていますが、
このことからも物部系の神社でしょうね。
火の気のない所に煙はたたず といいますから、
何らかの関連性があるのではと勝手に解釈しています。
ちなみに、新宮の速玉大社も物部系とか・・・。

ヤゾー - 2003/12/12(金) 18:05<

秋の夜長の空想

みなさん こんばんわ
あ〜日が暮れるのが早くなりました。
夏だったら これから釣りにでも出掛けようという時間なのに
あたりは真っ暗で 町では想像もできないくらい
まるで深夜みたいです。

GAINAさん お久しぶりです。
「霊峰 玉置山・玉置神社読本」の復活 おめでとうございます。
そういえば玉置神社も物部氏と深く関係した神社ですね。

△うぶさん
>この先住民とは「天の朝」の人々(=海洋渡来系)の事だと思います。
その海洋渡来系の天の王朝の人たちですが(確か天の王朝は菊池山哉の用語でしたね)
優れた航海者でもあった縄文人の末裔という可能性はないのだろうか?と秋の夜長に空想してみました。
遥か古代に縄文人が各地に移住し 混血を繰り返しながらも故国の伝承を持ち続けた一部の人たちが
何かをきっかけに里帰りするように渡来してきたという可能性を想像してみました。
そういう渡来人なら たとえ原住民が軍事的に劣っていたとしても
精神性などに敬意を払い 支配するという形ではなく
友好的に融合するということがあったのではないかと思いました。
とは思ったものの 何系だからどうだとか 何でも一括りに考えるのも愚かなことのようにも思えてきました。

ロフトの窓の出っ張りに ヤマガラの餌にヒマワリの種を置いてあげています。
風が強く吹いてヒマワリの種が散らばって下に落ちてしまうので
ジャムの空き瓶にヒマワリの種を入れてみたところ
すぐに瓶から餌を取ってゆくヤマガラが殆どなのですが
数羽 どういう訳か瓶ごしに餌を取ろうとするのがいて
瓶を突いては頭を傾げてキュッキュッと怒っています。
そのスットンキョーな顔が面白くて可愛いです。

GAINA <http://www.ne.jp/asahi/net/tamaki/> - 2003/12/12(金) 16:55<

お知らせさせてください。

ヤゾーさん、みなさん、こんにちは。

ヤゾーさんのご好意で
新しいサイトのお知らせをさせていただきます。

1年半の間、休止していた「霊峰 玉置山・玉置神社読本」を復活させました。
この間、多くの方から復活の要望や励ましをいただき、ありがとうございました。
URLも新たになりましたので、開かれたサイトを心がけていきたいと思っています。

内容は主に一般の方を対象に考えましたので、詳しくは踏み込んでいませんが、
追々、充実、また、掲示板を通して・・・。
来年には玉置山、玉置神社も世界遺産に登録?予定ですので、
熊野と修験道の奥駆道についても掘り下げていければと思います。

URL http://www.ne.jp/asahi/net/tamaki/
今後もよろしくお願いいたします。

こうへい - 2003/12/12(金) 11:47<

スダレ君

>寛永ニ年(1974)に、一揆がおこり、三百四十五人が捕らえられ、市川川原でおおがかりな処>刑がおこなわれた。首謀者はスダレとおもわれる。
やる人だとは思っていましたが、やはりやりましたか。

なぜか、チェ・ゲバラを想います。最後の言葉「撃て、怖れずに」。

こうへい - 2003/12/12(金) 11:16<

遅寝オソ起き

3時か4時に寝て、10時に起きました。
長い夢見てました。11時過ぎても、まだボーっとしてます。
今日行こうと思ってた2カ所には、行けそうもないなあ・・2000円くらいの損?

夕べの寒い雨がウソのように陽がさしています。やったね(^^)

年賀状がプリントゴッコからプリンターに代わって、2回目かなあ。

焼尻紋次郎 - 2003/12/12(金) 07:05<

....早起きは二束三文のトク....

 おりょんはん、ウッス
 早起きしても、三文の得にしかならんとです。二束三文ね。
 ばってん、このごろの体調はイカガシコオの命ですか?
 たしか、おりょんはんの持病は血圧でしたよね。
 永いあいだの暮らしのクセが病気作ってんだから、それ抜いて、永い間かから
んと“本来”は取りもどせない。
 夜は十時には寝ていますか? 十時に寝れば朝は4時に起きてもヨカと。
 やっぱ、早寝ハヤ起きやると、三文以上トクするかと惟ふよ。

 いまごろ、ミナシャンは年賀状書いてんかナ?
 オレは毎年「一念(年)果たし状」書いてました。
 でも3年サボった。今年出すなら「4年果たし状」になる。

 でも、やっぱことしもヤメにした。
 ツーカーの友人が260人おる。紐暮しタイヘンだ……というよか、そろそろ
死に仕度です。サヨナラ云うたってシャーあんめえシィ♂

おりょう - 2003/12/11(木) 13:01<

おはようございます。

>『三百年のベール』のことですよね。
そうです。それで、なにが言いたかったのかといいますと、カムイが、家康の出自の秘密をにぎりヒットマンに追われるというストーリも、白土三平さんが「史疑」を意識してのことといいたかったのです。
銭5銭は訂正です。失礼しました。
村岡説では「銭5貫」が真実と・・。

紋次郎さんいつも朝早いですねー。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2003/12/11(木) 06:32<

....堕落を嫌うサンカ と XOアカリのみこと....

 先日どんぐりしゃんが「サンカのトップは構成員の堕落防止に腐心していた」旨
の書込みをしてくださいました。
 そして、きのふ、ヤゾー親分さんは
> 『日本のタブー』を読んだら 面白いというより 人は権力というものを手にし
> たらろくなことしかしないのかと暗い気持ちになりました。
 ですって。そして続けてサンカの始祖神が、天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命で
あることを教えてくれました。

 その結果、ここに永い間、小生の懸案だった疑問が氷解するところとなりました。
 小生は「人間は放っておいたら、食糧があるかぎりどこまでも堕落する」と思っ
ています。
 サンカという社会現象も階級闘争史観で捕らえられ易い。
 さいきん、北京で日本の大学生がふざけた演出をやって、シナ全土規模で猛烈な
総スカン反発をくらいました。
 唯物史観とか共産主義のなかでセックスへの冒涜を極度に嫌う… →、セックス
神聖視の気構えがあるということは、現象として不思議なことです。

 共産主義の、今のシナ事情の細部については、小生はほとんど何も知りません。
しかし、ここを総合して考えるとき、シナに初期の「国みたいなもの」が出現する
遥か以前から、“一種の固有の精神的伝統”が貫かれていたとの結論がえられたみ
たいです。

 それを抽きだしてくれたのが天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命です。
 就中、『火明』の部分です。
 akar というのは「姿を現す(顕わす)こと」です。XOの解釈は氏族により、
時代によっていろいろと内意がちがったかもしれませんが、詮じつめると原意は
「神聖な空虚」になります。

 考えてみると、今の科学の世でも、自分という現象を含めて、一切が不思議に
満ち満ちています。
 それをそうあらしめた“超がつく力”を惟ふとき、ひとは徒食徒寝徒交には走ら
ないはず。‥‥ウマく表現できません。
 でも、やっぱ。チンポ・メメコを連発するのはイケナイことだったんやろか。
 
※ とんしゃん、オラ、裏んこたナァ〜〜ンもシランとばい。

△うぶ - 2003/12/11(木) 04:38<
ヤナさん、横レスです。詳しくはDさんにお任せしますが。
着物(紋付)の紋には「男紋」と「女紋」が有ると聞いています、男紋の方は家系本来で、
女紋(桐が多いみたい)はオマケ(象徴)みたいです、男尊女卑の伝統か?ファミリーの
詳細を悟られないが為(=安全保障)か?それとも他に理由が有る?かは知りません。

ヤゾーさん
>彼らが騎馬民族とは限らなく むしろ逆で物部氏や海部氏は先住民であったとありましたが、、、、、
この先住民とは「天の朝」の人々(=海洋渡来系)の事だと思います。
ニギハヤヒ(=宗像系?)は長脛彦系と、海部氏は尾張氏(海洋系)と、関係有りで、天火明命は
海洋渡来系で子孫は原初海沿い、その後山中へ移り、山民となった、、、(山海族)、、、のでしょ。
親潮系と黒潮系。       韓半島騎馬系だけに囚われると間違うので最近自制ぎみです(私)。
一部の学者は天ノ日矛は新羅王子では無くて、天の朝の人だと言ってます(時代が合わないらしい)。

とんちんかん小僧 - 2003/12/11(木) 01:51<

RE:日本のタブー

おりょうさんもやはり購入していましたか。
ほんとは個人的にメールにてお知らせしようと考えていたのですが、
いろんな方々に知って頂きたいと思いこちらに載せることにしました。
噂の真相があと4冊で休刊のようですね。

>南條範夫さんの家康が5銭だかで売られてきた本、
『三百年のベール』のことですよね。

興味ある方、批評社より出版されていますので読んでみて下さい。
村岡素一郎氏の『史疑 徳川家康』も面白いですが、こちらも読みごたえがある本だと
僕は思っています。

紋さん、なにやら裏の情報をお知りのようですね。
『日本のタブー』はいろいろな情報満載なので一度目をとおしてみて下さい。

おりょう - 2003/12/10(水) 19:45<
たびたびすみません。

下の、お酒の話は、一般の話ですので念のため。

おりょう - 2003/12/10(水) 19:27<

つづき

「日本のタブー」に、外務省首になった甘木直人さんの投稿がとてもよかったです。

おりょう - 2003/12/10(水) 19:10<

汗だすとサッパリ!

蜜柑さん、これからも野箕会のシーズンが笛、胃腸のなかのお酒、ウイスキー、ビール、焼酎、ドブロク、
ワイン、ウオッカなどの水分を吸って便のかさが増えて、その他の余分な水分とカロリーが体にとどまって、それが体重の増加となって・・・みたいなこともあるかもしれません。
サウナ、温泉で汗だすと身も心もさっぱりして
サイコウですかー? サイコウでーす。(ふるいかなー)

「暴力の日本史」読んでみたい。日本の各地でおこった農民一揆のパワー。
今は、こうへいさんがおっしゃるように怒りも忘れてしまったんでしょうか。
南條範夫さんの家康が5銭だかで売られてきた本、題名忘れましたが、おもしろかったです。

ヤゾー - 2003/12/10(水) 18:00<

読書の晩秋

みなさん こんばんわ

こちら熊野も 例年のように寒くなってきました。
夜に布団に包まって本を読む時間も増えてまいりました。

紋次郎さん ありがとうございます。
ストーブがあるので大丈夫です。

『日本のタブー』を読んだら 面白いというより
人は権力というものを手にしたら ろくなことしかしないのかと暗い気持ちになりました。

物部氏に関する特集があったので  久しぶりに月刊誌『ムー』を買ってきて読んだら 
元伊勢神社の籠神社宮司の話しがあって ちょっと難解だったけど面白かったです。
籠神社の主祭神はサンカの祖神ともいわれる天火明命ですが
正式名は天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命と とても長い名前で
天照は天照大神 国照彦は猿田彦 櫛甕玉は大物主神(大国主命)という
独立した神を含んだ名前であるというようなことが書かれていました。
天乃日矛が渡来してきた新羅系伽耶人の象徴敵な存在であるとして
イササワケ命=ツヌガアラシト=天乃日矛=天目一箇命=天御影命=天火明命=ニギハヤヒ命で
新羅系伽耶の騎馬民族の大王であった応神天皇も同一ではないかとありました。
(この辺りは難しくてよく分かりませんが)
物部氏の祖神がニギハヤヒ命 海部氏の祖神が天火明命だからといって
彼らが騎馬民族とは限らなく むしろ逆で物部氏や海部氏は先住民であったとありましたが
それについて説明らしいものは書いてありませんでした。
つまり先住民と友好的に融合した渡来系の人たちの話しであると解釈しました。

なかよきことは うつくしきかな です。

もうひとつ海を渡った縄文人という記事がありましたが
1996年に 日本から6000キロも離れた南太平洋のバツアヌ諸島で
正真正銘の青森で焼かれた縄文土器が発見されているとう話しもありました。

こうへい - 2003/12/10(水) 15:09<

なぜ、植民地にならなかったの

縄文後期か知らないけど、半島の産鉄民が、本国の木を切ってしまって、列島に新天地を求めて、
やって来た。その後、半島から、いろんな民が入ってきて、縄文原住民は、奴隷にされるか、山に逃げ込んだ。
どうして、列島は、半島、中国の植民地にならなかったのでしょう。
日本名に改名してまで、日本人?になったのは、なぜ?本国から追われた?
一国一城の主のほうが、魅力があった?

こうへい - 2003/12/10(水) 12:48<

運動量と体重

一ヶ月程前、表を作りました。
腹筋・・・何回、腕立て伏せ・・・何回
書いてるのは、一日だけ・・あとは空白
一日坊主です(^o^)

テレビを見て、歯ぎしり噛んで・・何ミリグラムか体重が減ったはずなんですが、奥歯がすり減った分・・・

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2003/12/10(水) 08:13<

.... 香  典  ....

 とんしゃん、いい情報アマカネ。
 Tが死んだから休刊にするってぇこっちゃねーだろうか、Tが死んだかどうか確
認の電話かけようとしたんです。……が、やめざるをえなかった。
 借金かかえてココロザシ半ばで倒れ、おへまの紐になって暮らしてる身分を思
い知らされたばい(品性下劣だから奴隷にされた……のではない! エタとは貴
人ちゅうこってす)。
 T……出版のとき、くちきいてくれた。3年前から奇病患っていた。
 
 価値観メカは、やっぱ簡単に述べるのはむずかしいです。
 『オカネもダイジだよ〜』のミナシャン、続きは
 http://www.you-i.org/treebbs/3/
 で模索しますハンデ、見てね。

 価格と価値とは似いちゅうが、ちがうヨ。
 でもオレの模索読んだら『カムイ伝』を割高で買ったら、ナンでえらァ〜く損
したような気持になるのかもワカルと惟ふ。

 「国」だからこそ、国際の義理にいのち捨てねばならない。このきもち(価値
判断)は、戦後60年間に培われた「個人」の目のままじゃワカランと惟ふよ。
 ワカル……ということ、それはスジを辿れるっちゅうこってす。
 そのスジは24種もあるが、24種しかあんもっはん。

 今のシーズン、寒さぶちくらってヂヂババがどんどん死んで行ってます。
 体温が落ちたとき、潜在してた病気がド〜〜ンと出るんですナ。
 ヤゾー親分さんもからだ冷やさないようにネ。
 秋山郷の麓に死人がでて、おへまは葬式参列にでかけて、不在。

たま - 2003/12/10(水) 02:17<

bilao(ザル)

風さん
>ザルのことをタガログ語では bilao と言いますが、

bilaoの他、いろいろなザルの写真です。
アバカを使ったものとかも真中あたりに。

http://www.onevillage.co.uk/baskets.htm

注意
ページが重いので、ダイアルアップの人はキツイかも?

蜜柑 - 2003/12/10(水) 00:47<

運動量は減ってますが、
ウンコウ量は増えてるのに、
体重増加
????

ya(・ε^)na - 2003/12/10(水) 00:43<

まちがい・・

竹富・・
  竹トヨでしたねぇ

ya(・ε^)na - 2003/12/10(水) 00:40<

そらァ・・運動が!!

そらぁ・・運動量がへったからですがな・・
  
   いずれ・・なんですねぇ・・

           白塗りのカバですがな!!

              ご注意くださいませ・・

蜜柑 - 2003/12/10(水) 00:35<

カムイ伝の小説版

カムイ伝って、後半になるにつれ「正助伝」っぽくなりますが、
カッパブックスで「暴力の日本史」(南條範夫)っていいうのがあります。
これ、百姓VS武士の一揆に関して、結構面白く読めます。
カムイ伝が事実に基づいた話だということが分かります。
昭和45年の本ですが、図書館にありました。

**食べた以上にウンコが出ているように思えるのだが、日々太っていくのはなぜだろうか?**

ya(・ε^)na - 2003/12/10(水) 00:33<

よーーーーおく考えよぅ・・お金も命も大事だよう

ねぇねぇ・・どんぐりさん!!
 きんのの小泉さんの演説の時、あの台!!桐の紋がおましたよねぇ・・
  うちのおばあちゃんがお嫁に来る時、実家には家紋があるのになんでか??
    鏡や着物の紋が桐やったように思います・・なんでやねんやろかぁ???

  まあどうでもええことやねんけど・・
    菊・あげは・ 九曜桜・九曜星・違い鷹羽・下りの藤・竹富・数えたらキリがおません
      なんやようさんの家紋がおますねぇ・・
  でもなんや??桐だけが別格なような気がしますよう??
     
         おせーーてくらはいませ・・よろしく!!

おりょう - 2003/12/09(火) 11:38<

とんちんかん小僧 さん

「日本のタブー」昨日おらもかいましたよ。
「真相」は10日発売だから待ち遠しい。
あと何巻かで休刊するそうです。とても残念ですね。

- 2003/12/09(火) 10:49<

またまた不思議な事です・・・・・


丸山三内(緯度 40.?度, 経度 140.?度)を
緯度・経度とも10度移動した位置が

竹崎(種子島) (緯度 30.37 度, 経度 130.97度)

です。

種子島・馬毛島町(現在は無人島)には鹿が生息しています。

宇佐神宮の鹿です。
タガログ語で 鹿 を usa (ウサ)といいます。

神武は宇佐の女を迎えています。・・…

緯度40度には米国独立宣言の地であるフィルデァフィァ、北京、ノアの箱船漂着地のアララト山があります。

アララト山を緯度・経度を10度ズラスとピラミットが有ります。

丸山三内の三本の柱は 生命の樹 ではないだろうか?・…

世界は一つ・・…

とんちんかん小僧 - 2003/12/09(火) 10:42<

日本のタブー

紋次郎さん、ごめんなさい。
今は携帯電話のメールアドレスしか生きていないです。
また、すぐにではないですけどPCメールもできるようにしておきますので。


噂の真相別冊『日本のタブー』は購入されました?
過去の焼きまわしだったけど初期の事柄を知らなかったから、僕にとってとても興味深い
読み物です。ダークサイドJAPANに続いて日本の暗部にスポットを当てている書物が消える
のは寂しいことです。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2003/12/09(火) 06:43<

....円滑な会話のために 価値観をつっつく 1

 かけ算の九九の声をおぼえるガキのころ……いろんな文句を唱えました。
√♪ がッコがえりに重箱ひろた あけてみーたら ほやほやマンジュ  
 いっしょに帰っていた子と別れたあとには
√♪ サヨナラ三角 また来て四角 四角はとうふ とうふは白い 白いは兎‥‥

 われわれは一つのことから、次から次にいろんなことを連想するようにできてい
ます。これは地域や時代が同じなら、大略おなじような連想をする傾向をもってい
るようです。
 
 一つの概念はいつもその中に3〜4ヶの「連想しやすい“一ケづつの塊としての
副小概念」を内包し、それを取り出し易いようにしているらしいです。われわれの
大脳とは、そのような概念連結網の集大成組織だともいえます。
 すべての概念は、赤ん坊のとき「しげしげと眺めた母親の顔やじぶんの手」……
すなわち原初体験……へ繋がっています。

 ・ ですから、原初体験に繋がっていない想念はウソッパチです。
   ウソツキやペテン師はその概念連結網をくぐりぬけるためにあがき続ける。
 ・ 幼馴染みは無条件で深いむすびつきができています。
 ・ 「てめぇしょうごくと発しまするは……」とはそういうことでした。

 母親の顔やじぶんの掌……から始まったこの世にはじつに多くの現象がありま
す。いろんな現象とは把握できる概念の区別とか類同のことで、われわれはそれに
一つひとつ名前をつけて区分を明確にしています。
 その名前や(名詞)うごき(動詞)は、ちょっとした大きな辞書には10万語も
載っています。パソコン時代に入っただけで、パソコン用語が1万個増えました。
 名詞と動詞が織り広げる複合概念は、じつに無数・無限大といってよいでしょ
う。でも、それらは大脳内部では数十億の部分で区分け、整理されているらしいで
す。数十億とはあんがい少いんじゃないでしょうか。

 そしてわれわれが会話をしたり字を読んだりしているときには、われわれの大脳
内部では、これら数十億の点の一つひとつに電子が走りまわって点検作業をやって
います。それは「一瞬々々のうちの全点検」で、一瞬とはよくはわかりませんが、
すくなくとも数百分の一秒ではないでしょうか。でないと会話なんざが成りたたな
いからです。

 討論会などのときの喋り手の頭の中では、もうメチャクチャに電子が走りまわっ
てるんでしょうね。
 碁会所に扇子をもってくるキザな野郎がいます。訊くと実際にあたまが熱くなる
といいます。考えて分るもんだったら碁などという遊びはなくなってるはずなんだ
がなぁ〜。
 いま思うと、今の脊髄腫瘍が伸びている初期だったんですなぁ〜。どうもおもわ
しくないので「ヨシ! ここで囲碁の 3段になってやろう」と思ったんです。そこ
で“勝つ”ことをこころがけてトーナメント戦に参加しました。
 26連勝したとき、親友のユワ公が死にました。その情報が入ったとたんに負け
ました。26連勝‥‥スゴイ記録なんですよ、これ。

- 2003/12/08(月) 21:13<

不思議だな!

不思議だな!

ザルのことをタガログ語では bilao と言いますが、
木の皮などは balat と言います。
竹紐も balat であることもフィリピン人から確認しました。
日本人は バラ と発音するように成るでしょうね。

種子島では驚きの声は あば〜〜〜! と言います。
フィリピン人も驚きの声は あば〜〜〜! です。

タタラ・・…
多良岳も聖山のようですが、その麓に太良町が有りますが、
タタラと太良は関係がないのでしょうか?

tala というタガログがあります、日本語に直すと 民族 と言うことになります。
また、母音のイントネーションの違いで 大きい星 という日本語になります。現在のタガログ語には tatala という言葉は存在しません。
が、タガログ語文法上から判断すると tatala というum−動詞の未来系が存在した可能性もあります。民族の成長を意味することに成るでしょう。

ヤゾー - 2003/12/08(月) 18:36<

ザルのことをバラと呼ぶ地域

みなさん こんばんわ

うみの狼さん しょけづくりどんさん はじめまして
そして貴重な情報を書いて頂き ありがとうございます。

うみの狼さん 『義経と山の民(サンカ)の陰謀』佐治芳彦著によるとタダはタタラの縮小語であり
多田源氏の系譜は清和源氏の流れではなく タタラ集団のボスではなかったかとあります。
また そのやりくちのあくどさから タタラはタタラでも先住民系(縄文系)のタタラではなく
野心をもち 富みをもち 王朝の政権に関わろうとしたところから
渡来系のタタラのボスではなかったかとあります。
多田鉱山で力を蓄え 丹波は大江山の酒呑童子(山の民系のタタラのボス)を
藤原氏と結託し 鬼として退治し大江山も手にしたとあります。

しょけづくりどんさん「日置の箕」という名称があったなんて驚きました。
南北朝時代に 南朝側について島津と最後まで戦った一族が 
賤民に貶められ山深く隠れ住んでいたときに 
その困窮ぶりをみたサンカの人たちが親切に竹細工を教えてくれ
それ以来 竹細工を生業としているという『竹の民俗誌』沖浦和光著の中に書いてあった話しは
とても印象深く良く覚えています。
南九州から種子島にかけてザルのことをバラと呼ぶ地域もあり 
それらの地域が古代隼人居住地区と重なるという話しも印象に残っています。
宜しかったら 飯尾さん(尾張の国知さん)の研究にご協力をお願い致します。

こうへい - 2003/12/08(月) 12:51<

紋次郎さん

こんにちは
熊野に居を移したのは、ボクではありません。遊びには行きますが(^o^)
草は、伸び放題もいいけど、ヘビや虫がはびこるので、近所から苦情が来ます。
むしるより、短く刈り込むのが好きです。遠目には芝生に負けない?

焼尻紋次郎 - 2003/12/08(月) 10:49<

....短いことばで価値観いえないかなぁ....

 赤んぼうは、息ひとつするでもフーフーとロからアワ飛ばすみたいに力んでい
ます。
 この世の物をいろいろ見ても、フツーの人間は感覚やられているので、ケロッ
としてナニも感じませんが、そこはひとの差で、美しいと感じるボルテージもま
たいろいろです。
 同じように美しいと感じても、フツーのひとならそのままで終わりますが、こ
れまたひとの差で、道具を揃えたり、手を動かしたりする煩わしさをモノともせ
ずに、それをとにかく一幅の繪にまで仕上げないと気が収まらない……という人
もあります。
 
 そういう生命体に備わったボルテージのちがいも、価値観をみる上では重要な
要素だと思います。

 こうへいさんではなかったかなぁ。記憶ちがいだったらご免シャイ。
 田舎が好きだから、住居を熊野に移した。
 伸びほうだいのほうがいいので草刈りはやらんほうがいい。だが地域社会との
間に摩擦がある……とおっしゃったのは……。
 地域社会は、除草よりも「みんなで共同作業をすること」に、最優先の基準を
おいているのではないでしょうか? ここは趣味やボルテージのことではなく、
価値観ということで捕捉したほうが、適当かと思われますが……。

 人間は長い理屈はついてゆけないし、理解しようとする気力さえ失いがちにな
ります。ここのテーマも、できるだけ短いことばで解説されなければならないと
思います。
 あっしの私案では、締めくくりの理屈を短くできる方法は、「価値観が構造的
にできあがっている」……との見方が可能なようなので、それをまとめたら……
というところまで来ています。

 ヤゾー親分さん、わるいが、もう少し価値観について書かせてください。
 きょうかいしゃん、お力添えアマカネ。

△うぶ - 2003/12/08(月) 04:31<
紋さん
>サンカの中核とは「sar(移動 → 運び)カ(人びと)」だと仮説し、、、、、、、、
サルka→サルta で納得! やっぱり、二々木さんをガイドした「道知り」さんだったのですタイ。
(私、戦後派です)
他にも「sa○+○a」が有るか、早速探してみまひょ!

こうへい - 2003/12/07(日) 18:42<

天下太平300年

というなかで、搾取される農民、虐げられた非人の生活は、気の遠くなるような、長いながい300年だったでしょう。

今年、「近つ飛鳥」という、博物館に行って、昔のえらい人の像が並んでいました。
よく見ると、中国人様の人物ばかりで、なんじゃこりゃって出てきました。
矢切古代史を読むと、縄文のおわりから、朝鮮、中国の侵略、占領の歴史で、そうだったのかと納得しました。ウーム・・・・・・

おりょう - 2003/12/07(日) 18:12<

農民一揆

日置城、日置村の舞台は何処か定かではありませんが、あの劇画の悲惨さは、あながち誇張でもないような

 高き城にのぼりてみれば名残り惜しや民のかまどにまだ金がある

寛永ニ年(1974)、播磨においても、農民一揆、打ちこわし、その処刑のくりかえしで、大凶作にもかかわらず、相次ぐ搾取。ついに農民は耐えに耐えた怒りが爆発。寛永元年の大水害と姫路藩主・松平明矩の
突然の死が引きがねとなって一揆がおこり、竹ヤリとムシロ旗と怒声のウズは播磨平野をなめるようにして
姫路城下を迫っていく。鎮圧にでかけた藩の目付役や代官所の役人も、あまりの人数と武装のすさまじさに
足をがたがたふるわせたとあり、やがて、三百四十五人が捕らえられ、市川川原でおおがかりな処刑がおこなわれた。この翌年には、幕府が農民の「徒党逃散強訴」を厳禁にした。
首謀者はスダレとおもわれる。

その下の非人はもっと悲惨だったんでしょうね。

こうへい - 2003/12/07(日) 10:09<
同じ道をくぐって来ても、感性っていうか、感じ方の違いで心の成長の形が違います。
まして、違う歩き方をしてきた者どうしでは、同じ言葉で語っても、お互い心に描くイメージは違います。
まして異性が相手だと(^o^)

でも、それを孤独であるとみるか、面白いと感じるか・・・・

永遠のテーマですね・・・

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2003/12/07(日) 09:02<

....わがボケ頭にも前進のおめぐみあれ...,

△うぶさん、> 八州夜須方面(ヤの民)!
 ムムム! お主進んだナ。「ya., yas(運ぶ)」の根拠はナンジャらホイ。
 オレはサンカの中核とは「sar(移動 → 運び)カ(人びと)」だと仮説し
てま。……出雲帝国の運び屋(半分軍隊)さんです。

yanaしゃん、価値観の多様化は悲しいですヨね。
 価値観の多様化はモノゴトの「コト」で発生しちょるとオレ惟ふ。
 戦争中は神道で世界観は決まっていた。
 優先選択順位は(1)天皇第一主義 (2)八紘一宇・大東亜共栄圏(経
済)のために (3)いのちを犠牲にすてて (4)建設(科学・技術の向上
その他)に励む‥‥という大方針に貫かれていました。

 オレも価値観の多様化が悲しいので、我流で「とうぶん間の方策はこれでよ
かっぺ」という価値観を模索してま。お智恵お貸しアマカネ。

 おれも『カムイ』読んだ組ですじゃ。
 あそこに横目ってぇのが出てきますよね。
 どんぐりしゃんの『呼び名辞典』みたら体勢派官僚らしい。
 その yoko も「一家の長」とか、父ちゃんの呼称から出ていた。だから一家
の主人が座る炉の位置を「横座」という。
 その「yoko =主人」が出ている外国語があったのですが、今朝立ち上げて
るサイトをなんぼ調べてもナニ語だったのかヨウとしてワカリマセン。
 ボケてくると、いつもこんなことバッカスですじゃ。
  rok = yok だったかな? アイヌ語 roroun(炉の上座で)。
 アラビヤ語 loca(劇場などの)特別席……まではこぎつけました。「マスラオ」もこんな関係でしたよ。

しょけづくりどん - 2003/12/07(日) 08:34<

飯尾恭之さま

こんにちは、はじめまして。
私は九州で竹籠作りをしているものです。
一般に箕と竹籠は縄張りが違って作る人達が違っており、
私の作る箕なんかは手箕といって、泥や土などを運んだりする、
真竹だけで簡単に編んだものです。
一方彼等の作る箕は、桜の皮、山びわ、つづら、蓬莱竹等、多数の
植物を使って編まれた、穀物などの選別に使われる、いわゆる「箕」です。

仕事柄の付合いで現在でも作っている鹿児島の箕作りの人を
二人ほど知っていますが、
一人は腕はイマイチ・・という気がしていますが、
もう一人の方はかなり上手です。
私は地元の方から箕の注文を受けた時には(時々
おばあちゃん達から農作業用に注文があります)
その方にお願いして分けてもらっています。
九州内の一般の竹細工屋さんに行けば箕は販売していますが、
できればその方から直接に分けてもらった方が安心かなという気はしてます。
その方は日置の方で、多分先祖代々箕を作ってこられた
方でしょうが(鹿児島の箕は被差別部落の方の仕事といわれます)、
しかしその方とはつっこんで話をしたことがなく、彼の箕つくりの
起源がサンカとどのように関わっているかなどは全く知りません。
(昨年亡くなった方とは何泊か泊めてもらったりしてフランクに
色々話を聞きましたが・・・)
いずれにせよ在庫があればすぐにでも分けてもらえるとは思いますが、
無ければ今から作るということですが、そろそろ竹などの切り時の
時期が悪くなってくるので、注文するなら早めの方が
いいかなとは思います。

何かお役に立てばとは思いますが、管理人さんまで連絡を・・と
ありますが、どうしたらいいでしょうか(メールアドレスとか
どこかに書いてあるんでしょうか・・・すみません、よく分からなくて)

個人的なやりとり、掲示板にて失礼しました。

ya(・ε^)na - 2003/12/07(日) 02:41<

癒しの森・・

話を、する時・・
  必ずしも、自分の意思は相手に通じているとは限らない!!
    一生懸命、語っても、相手には自分の意思が通じているとは限らない
    たとえ、家族であろうと互いの価値観が一致しているとは限らない
          とくに現代の若者と、自分の意見が一致するはずもなく・・・・



  ところが・・・
       時に・・・意見の一致する人が現れたりなんかする・・・


              熱く語ったそのあと・・・
                     
                やっぱり、一致してなかったことに気が付く・・

     世代の違いと性別・・・
              やっぱりだめだ・・
               
                    価値観の違いに驚く・・
                        
                      明日を・・憂うのである・・・


                             憂うのである

△うぶ - 2003/12/07(日) 02:03<
紋さん、ヒョットコ(ヒョッコセ)は、お見事!です。火男止まりは私です。
>「ヒョク」はヒオキ(日置)の朝鮮なまりだと、、、我が国での朝鮮なまり的変化、と解釈させて下さい、
(「日」は「イル」ですから)。
>車力村、、、、八州夜須方面(ヤの民)ですね?  「〜モノハコビ」屋さん。

「千疋屋」と言う果物屋さん(カフェ兼)が銀座に有ったような?

飯尾 恭之 - 2003/12/06(土) 09:34<

“しょけづくりどん”さん 箕は未だ入手出来ますか?

貴重な情報拝見いたしました。深謝申し上げます。

私は、サンカ箕の調査をしている者です。

鹿児島の日置郡の“桜の皮の箕”ぜひ現品を研究のため入手したいのですが、ご高配頂けますれば大変助かります。

入手方法・必要手続き・価格など、お教えいただけましたら幸甚です。

私への連絡先は、管理人「ヤゾー」さんまで、お願い致します。

現在、サンカの方々の製作した 箕・いかき・しょうけ 等は、広域な範囲での共有要素が検出されつつあります。三角寛さんの各学説の正・誤を、物質文化の分析から検証していく方法を、私は進行中です。

こうへい - 2003/12/06(土) 08:37<

またも、カムイ伝

実に、おもしろいです。
実は、番太杭や非人番とか言っても、実像が浮かばないので、欲求不満気味だったのです。
「瀬降り物語」で、実態が見えたように、形が見えてきました。
今度、天石非人番の場所に行ったら、ちょっと想像できそうな気がします。
昔は人が多かった?今は、過疎化のせいでしょうか・・人影が少ない・・・

焼尻紋次郎 - 2003/12/06(土) 07:13<

 ....訂正 と 追加....

パスワードつけるのを忘れました。

 『 初代新羅も 』 → 初代新羅王も
 『 ok も目 』 → ok は目

 有名なひとが多くの別名をもっているということは、いろんな人物や氏族の神が、
「そこに寄せられている」ということでしょう。インドのシバ神は2000もの別名
を持っています。これは2000もの氏族や氏族の神が統合された姿だと、思われます。
 インドの階層がこれまた2000だそうです。

 デカン高原中央部にいるアディバシーという狩猟民が、代々シバだといって拝んできた
偶像は、車力村を中心に出土している遮光器土偶そっくりです。

 インドとか日本などという国名にひっかかって、ミナシャンサッカクしてると惟ふ。
 シナ大陸で国花統一の戦雲が吹きすさぶ前、国境なんざあるもんか。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2003/12/06(土) 06:49<

.....ヒョッコセ と ヒョットコ

 初代新羅もオオナムチ、オオクニみたいに多くの別名を持っています。
 オオクニヌシの命がいちばん皆に親しまれていますが、いちばん知られている名前はヒョッコセでしょう。

 この「ヒョク」はヒオキ(日置)の朝鮮なまりだと、小生は思っています。

 「ヒ」は hir や 日 火 陽 を懸け言葉にした「一つ」を謳いだしたもの、ok も「目」です。
 すなわち、一つ目……金属精錬のセ(セニョ〜ル)」だとの結論を得ています。
 多くの辞書を読むと、ワカランのも多いのですが、「これっきゃない」部類も出てきます。
 ヒョッコセは「コレッキャない」のひとつです。

△うぶ - 2003/12/06(土) 01:09<

日置

日置は古代では新羅系地名です。信貴、磯城、比企、疋、、等も。古代渡来技術集団(天文系)の縁
が有ります、日本と言う国名が太陽と二上山と磯城の地の縁で作られた(日の下)との説です、
各地では東に開けたところに存在するはずです。この意味では薬師堂並み。
日置での春分秋分の日に、方位に注目して調査考察してみて下さい。
大江、秋篠、土師、、、等に継がるので、カムイで夙谷と出るのも納得出来ます。

しょけづくりどん - 2003/12/05(金) 22:58<

関係ないとは思うけど・・・

私もいつも拝見しているだけですが、知っている地名が出てきたので私も一言。
鹿児島県の薩摩半島にも日置郡というところがあって、そこでは「日置の箕」といって、
桜の皮を使った箕がよく生産されていました。箕作りは被差別部落の仕事と言われ、
私の知る限り今現在で作っている人は二人くらいしかいません。(私がよくお世話になった
一人の箕作りのおじいちゃんがいたのですが、その方は去年亡くなりました・・・・。
その方曰く、箕の作り方はその昔先祖がサンカに教えてもらったとか。沖浦和光著
「竹の民俗史」にも紹介されています。)
私はカムイ伝を読んだとき、日置藩のくだりを読んで、鹿児島の日置郡を思い出し
そこから名前を取ったのかなぁなんて勝手に想像してました。(ま、でも
関係ないでしょうね。)

うみの狼 - 2003/12/05(金) 22:11<

日置は丹波にたしかにあります

 いつも拝見してるだけですが、知っている地名が出てきましたので書き込みさせていただきます。
日置は丹波の篠山市にあります。京都の亀岡から兵庫の姫路に至る国道372号線と大阪の池田から兵庫の川西、猪名川を通る旧「篠山街道」が交わるところです。昔は大きな欅の木があったのですが今はどうなっているのでしょう。篠山街道は昔、丹波杜氏が池田や伊丹(清酒の原産地)に向かうのに利用していたそうです。その篠山街道を少し南にいったところに「後川」と書いて「しつかわ」という小さな温泉もあります。猪名川町には清和源氏から豊臣秀吉の財源になった「多田銀山」も・・・
 何の参考にもならないと思いますが・・・

ヤゾー - 2003/12/05(金) 12:58<

日置

みなさん こんにちわ

あまりにもカムイのことが話題になっているので
久しぶりに引っぱり出して読んでみました。
そこでカムイの舞台となっている 畿内の山間部のとある小藩「日置藩七万石」というのには
どこかにモデルとなった土地があるのだろうか?と考えてしまいました。
カムイが生まれたのは日置領内の僻地「夙谷」の非人部落となっています。
そういう地域のある山間部の小藩って いっぱいあるようにも思えます。
熊野地方にも日置川町というところがあり日置という地名が存在します。
名作には重要な情報が隠されているに違いないと思い
日置というキイワードで検索してみたところ
丹波に古くからある地名ということや古代の太陽信仰と関係した地名であるなど
カムイの系譜を想像するのに 面白い情報が出てきました。

こうへい - 2003/12/05(金) 12:12<

カムイ伝第二巻

夢中で読んでしまいました。お陰で2時の巡回忘れてしまいました。・・内緒
貧しい知識でも、あるだけで面白く読めます。都度の解説が親切です。
2巻にてカムイの首が飛びました・・もう終わりかよ(?_?)
今朝の最低温度2℃でした。

- 2003/12/05(金) 09:57<

勘弁の山羊さん!

>村上天皇、村上海賊の mul-a も「父ちゃん」からでていた

mul-a はわざわざ分けなくとも mula と言う言葉がありますよ。

日本語に直すと安い(物価・物の価格など)と
今一つ、
・・・・から(出発するの意)つまり起源の意味も有るのです。

人の集まることに因って最初の出発は 村 からです。
日本語の 村 は この mula が起源です。

文字を積み木にして遊ぶのも結構ですが、
中々、上手く積めていないように思えます。

積む時はしかり積んでくださいね。

ヤゾさん
削除されて結構です。
山羊尻さんから発射される臭い屁に追いかけられて参っています。

山羊はタガログで カンベン と言います。
勘弁して欲しいものです。

色々書き込みしました。読みたい方は
風博士伝言板
http://8124.teacup.com/bikki/bbs
へどうぞ。

- 2003/12/05(金) 09:30<

山羊尻の笛さま・・・・

『アヤタチ:全国に一人きり。最高の権威者。乱破(らっぱ)ともいう。
 ミスカシ:No.2。透破(すっぱ)ともいう。
 ツキサキ(ツキサシ):No.3。突破(とっぱ)ともいう。』

アヤタチ、ミスカシ、ツキサキ(ツキサシ)
に付いて解釈はしていません。
何故なら、その言葉はタガログにないからです。

全て、後ろの言葉で解釈しています。

味噌と糞を一緒にしない様にne。(笑。

焼尻紋次郎 - 2003/12/05(金) 08:42<

...アヤタチじゃったらフィリピン・タがログ語の「太陽・父」じゃろモン....

 日本語の y は元をたどると r とか l(エル)の場合が多い。
 フィリピン・タがログ語の araw はアヤとなる。tatay は日本語「テテなし子」の「父」。

 ここに出てきてる Pa は各地(国語)では「父」から転じた首長です。
 村上天皇、村上海賊の mul-a も「父ちゃん」からでていた、
 秋田でのパッチは「夫、総領」。アイヌ語では nispa(だんな)がある。

 ネパール語 pahil-(まっ先に選択する、取る)には、「先端」概念がある。

 ひとつだけの言語から一切を言おうとする気持、ワカランでもないが、それは
昭和32年ごろに日本ジャーナリズムが迷わされなくなった「マタヤス」現象です。

 25年前の大野晋教授の『タミル語起源説』もマタヤス現象を踏襲したまでのことです。

こうへい - 2003/12/04(木) 21:37<

ルーツ

ボクのルーツ調べは、別所から始まっていますが、国の歴史がはっきりしないと、
これまた、はっきりしない。別所も単純に、蝦夷移配だけではなさそうだし。
歴史の時間、何をしてたんだろう?
小四の女性の担任が、歴史の時間、雨は宮本武蔵の話、天気が良ければ裏山に登って自由時間・・・
年号暗記学習より、気が利いていたのかも知れないなあ・・・

- 2003/12/04(木) 19:02<

誰も信用しないと思うけど・・・・・

タガログ語で読むとサンカの三役は

『アヤタチ:全国に一人きり。最高の権威者。乱破(らっぱ)ともいう。
 ミスカシ:No.2。透破(すっぱ)ともいう。
 ツキサキ(ツキサシ):No.3。突破(とっぱ)ともいう。』

らっぱ は raha ラージャのことでしょう。王と言っても間違いないでしょう。
すっぱ は supang で (貴族の)子孫と言う意味みたいね。
とっぱ は tupad  (約束・義務)を遂行する。

と言う言葉の意味になりそうです。


- 2003/12/04(木) 18:41<

ここ読んだこと有りますか?



閼伽出甕 論考集「旧版・山窩」

http://members.at.infoseek.co.jp/Accord/BIGLOBE/sankaji.htm

こうへい - 2003/12/04(木) 00:36<

ya(・ε^)na さん

うちは、初版42年5月10日初版第1刷発行
    初版51年9月15日初版第19刷発行
 となってます。
    うちのんが、新しいんやろね。
  全15巻と全21巻とがあるんやね。21巻は、「滄海の巻」です・・
  こんなこと書いてたら、いつまでたっても、終われへんなー(^_^;)

ya(・ε^)na - 2003/12/04(木) 00:22<

こうへいさん!!

カムイ伝、うちのんは初版、昭和42年5月10日になってますよう・

ya(・ε^)na - 2003/12/04(木) 00:15<

カムイ・・カムイでんでん・・

おこんばんわ・・
 どんな作家も同じやねんけれども・・
  第一巻のカムイ伝には、動きが感じられなかってんけれども・
 号がすすむにつれて・・んんん・・
  作画に動きが感じれるようになってきました・・

 やはり第一章は誕生ですねぇ・・

 白土三平はなんでも、それまでの漫画家の原稿の著作権を主張された作家やそうです
  それまでは、原稿は一発モンみたいに処理されてたらしいですねぇ

   作者の原稿プレゼントみたいのんもあったりしましたよぅ

こうへい - 2003/12/03(水) 22:43<

八切作品集 返信

>八切さんは全財産かけて阿修羅のごとく研究に没頭されたようです。
そうなんですか・・・
八切さんは、著作権を放棄されて、息子さんも掲載を承諾してくれて、
影丸さんが、掲載してくれて、金のないボクが、せっせと、プリントして読んでいます。
惜しげもなく・・感謝です。今時、ちょっとない立派な人たちですね(^-^)

おりょう - 2003/12/03(水) 22:30<

八切作品集

八切作品集のページの影丸さんは親切ですね。
「日本古代史」も面白いです。
八切さんは全財産かけて阿修羅のごとく研究に没頭されたようです。

こうへい - 2003/12/03(水) 21:53<

カムイ伝 返信

あれから、ずっと、八切止夫作品集 「サンカ生活体験記」と、日本史にはまっています。
いったい、人間が、一生の間にこれだけのことを調べられるものだろうか・・と、驚いているところです。
カムイ伝は、一巻をちょっとみただけです。少なくとも、動物の描写には惹かれます。
白オオカミでは、「オオカミは、ひとがやった食い物は食わん」と、民話で読んだばかりなので、なるほどと思います。読み始めると、はまる方なので、そのうちわかると思いますけど。
オレは泪橋を、いつか逆に渡ろう・・・というエネルギーとよく似たものを感じます。
「カムイ伝」@の第一章は「誕生」・・は、同じです。

おりょう - 2003/12/03(水) 20:15<

カムイ伝

白土三平さん「カムイ伝」
1964年(昭和39年) 青林堂「ガロ」に連載開始 
1965年(昭和40年)「少年サンデー」に「カムイ外伝」連載
1988年(昭和63年)「ビックコミック」に「カムイ伝第ニ部」連載
以上が、それぞれ文庫本で出版されたものだと思うんですが、
もし、内容が違うなら、古い方の「カムイ伝」も読んでみたい。
ヤナさん 内容ちがいますでしょうか?
私のもっている「カムイ伝」@の第一章は「誕生」になっています。

こうへいさんは「カムイ伝」読まれて、白土三平さんの感性にあいますでしょうか?

「カムイ伝」と「カムイ伝第2部」の絵は違いますね。第2部の画は弟さんの岡本鉄二さん
になっています。

こうへい - 2003/12/03(水) 12:57<

カムイ伝 その後

おりょうさん、
>こうへいさん、おらは1冊980円で15巻、真面目に買ってしまいましたので、すごく損した気分で>す。
ヤナさんは、480円だったっけ?
今日届いたのは、カムイ伝 第一部、全21巻、小学館 ゴールデンコミックス 定価380円。
第一巻は、「夙谷の巻」
昭和51年9月15日初版第19刷発行となってます。
みなさんのとは、ちがうんですか?よくわかりません。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2003/12/03(水) 08:20<

....ちょと先輩ヅラこかせてチョ....

 先輩ヅラこいてのモノイイを赦されよ。
 ふうしゃん、「有ります」などと書くシロートにしては、オグラはできすぎた着想です。百点
満点で83点を差し上げたい。だがカタカムナ臭わせたので20点減点して63点じゃぁ〜。

 でもふうしゃんは「神庫」と書いて「ホクラ」と読ませる事実はシランカットッテンじゃな
かったんカネ? 三河・相模あたりを「ホの国」といってた事実は知ってた?
 中央アジアのア−リア系言語の x はインドに南下すると kh と表記されています。

 そういうことは、オレが造ったサイト……タジク語、ネパール語、クルド語あたりに出してい
ますので、すぐに見てください。
 いままでみたいに、“書いて書いて書きまくる”時間と精力があったら、少しでもよそのこと
ばが書いてある辞書を読んでください。

 オレ、シシリ−島、キュプロス島、フェニキア〜カルタゴ、古エジプト語などの辞書の入手方
法が分らずにムダな時間を過ごしています。どれか一つでも分かったらお教えアマカネ。ここを
見ないと ヒルもヒミコも「推測すらできない」……です。

 
 とんしゃん、10日ほど前におEメール差し上げたのですが、出戻りになりました。
 『自我の中核』みたいなものの発動は感じました? 
 輪島市の中心部から東へ500M も坂を登れば「ネブタ温泉」があります。次のふらり旅は、
ここがトンしゃんに似合っているかと、おすすめ。

こうへい - 2003/12/02(火) 14:13<

サンカ生活体験記

は、「瀬降物語」を読んでるみたいです(^o^)
たびたび、すみません。

- 2003/12/02(火) 13:47<

一本のオクラから・・・・・・


たった一本の オクラの実・・・・

先月28日の夕食に一本のオクラを食べました。
美味しかった、とても美味しかった。
この一本のオクラには八ヶ月も待ち続けた私の思いがあります。

蔵(クラ)とか倉(クラ)は何処から来たか?
これが出発てんでした。

オクラを食べた事は勿論有りますが、オクラが成長していくのを見たことはありませんでた。
オクラが蔵や倉の言葉の起源ではないかと考えたのが運のつきでした。
今年の3月にオクラを植えてみました。フィリピンの3月は日本の8月にあたり熱くてオクラは育ちませんでした。改めて10月10日の意味或る日に二度目のオクラを植えて見ました。
今度は上手く育てることができました。そしてその一本を今日頂いたのでした。

色々解ったことが有ります。
オクラの花は菜の花より薄い黄色ですが茎との付け根が紫色になります。
花びらは 五弁で朝顔 のような形をしています。
花の内側を覗いてビックリしました。
黄色い花びらの下は紫色になり その下には 濃い赤色があるのです。
更に花びらの底は 五角形の黄色なのです。まるで黄色い部屋があるような感じです。
この五角形の部屋からオシベが伸びているのですが、
このオシベの形が仏具の「長首で広口の花瓶」そっくりなのです。

長首は黄色ですが 広がった口のにあたるオシベの頭は 濃い紫色なのです。

その濃い紫色の部分を八つに分ける筋目まで入っているのです。

正しくこれは古事記の大八島のようではないか。

五角形の部屋から柱を立ててその上に八島が乗っている感じです。

オクラノ若葉は五本の指を広げたような丁度 鞍馬山の天狗さん が持っていた団扇ソックリの形です。
オクラノ花が散るとオシベの柱が実に変わって大きく成っていきます。
桜の花も散るとそこに桜ん坊ができるのといっしょです。

聖徳太子の冠位十二階の「冠の色彩」は 紫 青 赤 黄 白 黒となっていますが、
このオクラノ花を見ていたら「冠の色彩」が理解できる気がしました。

さくらは花として世に名を残したが、
オクラはオクラノ容姿の思念を世に残したのではないか。

蔵や倉の文字、「冠の色彩」、大八島の神話、天狗の団扇として。・・・・
五角形の部屋は真脇遺跡、環状木柱列 に模写されている。
10本の柱の内側に五角形を発見する事ができるからです。
これは歳差運動の基本的な考え方です。・・・・

更に仏教を論じれば オクラの実は七角形 をしているから法華経の七文字。
神の国日本からみると 七 は不吉な数字であったような気がします。
七.五.三の七歳は人の最初の厄払いのように思える。
厄が払えて初めてお祝いにかわる。

この子の七つのお祝いに おふだを納めに参ります・・・・・

春の七草のお粥は毒消し・・・・・

人の頭を北に向けて寝る事、
つまり北斗七星の方位に向けることは嫌われている。

このような慣習が生まれたのも
月の文化を土台として太陽の文化が構築されたからでしょうね。

スサノヲも太陽の文化でした。
あのデカパイの土偶はスサノヲを模写しているようです。

誰も信じないとは思いますが・・・・・・

いちご麦 - 2003/12/02(火) 13:36<

あるHPより

HP「土蜘蛛正統記」に次のような文がありました。
(サンカに関心を持ち始めたばかりで、書き写しに終始して、すみません。)

六十万年頃に、上高森遺跡(宮城県) 現時点における原人が残した最古の遺跡が発掘されてから、西暦四世紀頃に、漢字が初めて日本に伝わるまでの永い年代の間に、人も「猿人、原人、旧人、新人」と変化し、知能も発達しているのだから、「ウエツフミ」などの古文書のような「文字」もまた発生する可能性がある。ここにきて、カタカムナ人や「サンカ」人のことが、登場してくる。
「サンカ」については、その運命を次のように知らされた。

「サンカに伝わる伝承として、豊後の大友能直には、仲間を1600人も殺され、濛紊・蕕僚駟・貔擇鮹イ錣譴討靴泙ぁ△修慮紂⊆・・・諒源セ楼貔敞詭・箸覆蝓・膣岼奮阿砲聾・擦覆・覆辰燭箸△蠅泙后」
非定住を排する日本国家は支配のご都合と管理しやすい環境作りを飽くことなく続け、一つの固有の文化・生活形態を古来続けてきた漂白の民「サンカ」を包囲し、追い詰め、「帰化」・「融和」
させていった。」

この「サンカ」の運命は、奇しくも、カタカムナ人も背負わされているのである。

こうへい - 2003/12/02(火) 13:35<

ここです

http://www.rekishi.info/library/yagiri/scrn1.cgi

こうへい - 2003/12/02(火) 13:27<

おりょうさん

八切止夫作品集っていうのがありました。
こんなのが、読めるってうれしいことです。
親切なHPだとおもいます(^o^)

こうへい - 2003/12/02(火) 12:56<

おりょうさん

このHP とても面白いです。
ゆっくり読んでみます(^^)
ありがとうございます。

*(O..O)*ngly さん 
 その通りだとボクもおもいます。

- 2003/12/02(火) 12:15<

サンカの語源



サンカとは 貴方は賢いと言う意味です。

ヤゾさん、
この「・・・さん」 は何処からやって来たのでしょうか?

そうで、サンカの サン からやって来たのです。
賢い人だから・・・・さんと呼ばれるのです。

サンカの語源は

sanay ka です。
そこから ay が外れて san ka と成ったのです。

ay とは日本語の 「私は少年です」の 「です」の意味に置き換えられます。

sanay ka の ay が欠落して san ka になり二語が癒着して sanka の一語となっている。
サンカとは 貴方は賢い と言う意味です。

*(O..O)*ngly - 2003/12/02(火) 11:29<

イランの報道はイラン

はつせさん
>高句麗族
 北陸へ行くと考古学者達は古代寺院の屋根瓦の紋様を
さして「これが新羅系、あれは百済系」などと明確に
のべています。「帆立貝式古墳は高句麗人でしょう」
能登島の二つ穴古墳を高句麗人の物と断言する森浩一氏
も教えてくれませんでした。大三島は雉で代表される百
済の本拠地ですが、雉に虐められた宮島様の話や厳島祠
はありません。同じ島で厳島祠のある上浦町にはない
苗字の管があり、菅でも閑でもみな親類のようです。
大三島は古くは高句麗の拠点のようで宗像という地名
はあります。越智姓の一部が古いリーダーのようです。
 長良川の野研合宿した美並村粥川(これはサンカ的
別所地名)で雉を嫌う伝承がありましたがこれは反百
済の暗喩です。ナミはサンカ語彙という説もあります。
 したがって漂白の芸術家・天空さんは新羅系サンカと
予想します。自画像の人相から見ても百済ではないようです。
地元では「人種不明の」生地師と見てますが、間違いか。
 むろん古くは木地師=生地師は雉氏からきたもので
百済人の専業。(自民党の元首相岸信介はキジ⇒岸との
説もあります)。その以前は轆轤師と呼んだようです。
生地師とサンカは性風俗が違うから判別できます。
 こうへいさん
>やられた側が伝承するのか。
 残念ながら主に伝えたのは侵略した側の話です。
これが絵本になると教育効果絶大です。また庶民は自分の祖
先を鬼としなければ生かして貰らえなっかたからでしょう。
「物言えば唇さみし秋の風」「障子に目あり、壁に耳あり」
 マスコミは先頭に小泉やブッシュの侵略を正義の戦争のよ
うにいい触らして来ました。一方アラブ世界を代表するマス
コミには理不尽な圧力をかけています。米英の巨大な反戦運
動は日本のマスコミにはのらず、庶民の目隠して愚かな庶民を
作る役をします。マスコミも庶民に都合のよい報道はしません。
戦争で死ぬ・大怪我をする・食料にも困る・男は兵隊になる。
イラク(やられた側)の話もアメリカ(やった側)によって
歪んで伝えられます。昔のイラン革命の二の舞になりそうです。
 侵略し占領してきた外国軍にゲリラ戦で戦うのも戦争の形
態の一です。テロではありません。侵略軍の何倍ものイラク
人が殺されてるといわれますし、石油を目指すハイエナのご
とき外国軍とその手先に正義の鉄槌がおりるのは当然です。
そういう筋書きが見えないで日本の国際貢献を論じるのは
愚かで危険です。小泉首相はこれを覚悟で実行しています。
 イラク侵略の尖兵として現地に潜入した非東大出の官僚を
「復興の救世主」のように美化するのは、騙されて持ち上げ
られて南の海の藻屑(もくず)と消えた先輩達の愚かさを繰
り返すのと同じでしょうか。事実を直視したいものです。
 私の叔父も特攻隊で敵艦に突入と伝えますが、もし今なら
敵は「大本営にあり」「千代田区にあり」と説得します。

おりょう - 2003/12/02(火) 10:57<

こうへいさん

藤原肇さんのページで「甘粕・・・・・・」の全文が読めます。

サンカと矢切止夫さんも少しだけ紹介されています。

いちご麦 - 2003/12/02(火) 10:21<

明治天皇替え玉説の・・・・

下記のような論文もあります。
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/s-umano/130601meiji-tenno.html

こうへい - 2003/12/02(火) 01:35<

日本丸の船長達??

*(O..O)*ngly さん
>伝承者がサンカであることからは、鬼=出雲族でしょうか。
> サンカ族の中では鬼=サンカとなっているという話です

やられた側がめでたしめでたしで伝承してるんですか?
続編で、
「鬼の仇討ち」ってないんですかねえ?

熊野でも、鬼=タタラ衆って残ってるようです。
鬼退治の話は、桃太郎に限らずありますね。鬼は酒に弱い・・
宝物は、鉄、銅、金、銀ですか?

おりょうさん  対談読みました。あっりゃりゃー!!ですね。
 タメゴローじゃないけど、あっと驚きました・・あきれたと言うべきか

はつせ - 2003/12/01(月) 23:07<

高句麗族

*(O..O)*nglyさんの書き込みを興味深く読みました。

>瀬戸内の島々には雉=百済に追われた宮島様(高句麗族)の伝承

高句麗は百済の親戚ですが、もっと早くから「穢族」として日本海側の各地に到来していたとすると、領地争いを起こしたというもの可能性がありそうですね。蝦夷の「え」は穢族(いえぞく、またはえぞく)の「え」だったりして。

ヤゾー - 2003/12/01(月) 22:35<

星神と七夕

みなさん こんばんわ

旗野修二さん ご意見 ありがとうございます。
事実は小説より奇なりという言葉もありますから
いろいろと思いを巡らすのも楽しいですよ。

あかりさん お久しぶりです。
>明治天皇は維新の際に別人とすり替えられた。
そう考えた方が納得できることが多いように感じています。

東沢さん 五角形の箕と星神信仰についてのお話しを楽しみにしていました。
昨年 ニギハヤヒが天磐樟船に乗って降臨したという大阪府交野市にある磐船神社や同じ交野市にある星田妙見神社
和歌山県かつらぎ町ある北辰妙見神社へお参りしてから 
うまく言葉には出来ませんが サンカと星神信仰はなにか深く関係があるような気がしていました。
沢史生さんの闇の日本史によると 北辰はアマテル神であり天目一箇神でもあるといいます。
星田妙見神社と北辰妙見神社にお参りしたときに とても穏やかな女性的な波動を感じました。
また今年の夏に出雲の日御碕神社にお参りしたときに スサノオとアマテラスは本来は夫婦神であり
年に一度の神事では スサノオとアマテラスに扮した神職が海を挟んで向かい合って神秘的な神事を行うそうです。
沢史生さんによると 七夕の姫星(織女)は妙見→北辰→アマテルであり 
彦星(牽牛)はアマツミカボシ→スサノオであるとあります。
無理矢理にその仲を引き裂かれた姫星と彦星はアマテルとスサノオであり
まつろわぬワダツミに対する断種政策(別所に男女を分けて封じ込めたようなもの)であるといいます。
そういう星神信仰をサンカの人たちが密かに伝えていたのかも知れませんね。

とんちんかん小僧 - 2003/12/01(月) 20:54<

あー気持ちよかった!!

今、久しぶりにヤゾーさんちに来ています。
今日の投稿は持参ノートパソコンからです(^^)
わたらせ温泉へ行ってきました。
温泉に入っていると時間の観念や世間のしがらみをも忘れさせてくれるし、
体全体を浄化させてくれるから好きです。ヤゾーさん会うのも久しぶりのことだったのでしばし世間話をしていました。<わたらせ温泉>は初めて入るところだったし温泉に入るのもかなり久しぶりだったので温泉を満喫していました。何度も何度ものぼせて倒れそうになったけど、何にも考えずボーっとしていたかったんで出たり入ったりを繰り返して粘っこく温泉を楽しみました。今とても体が軽くなった気がします。

おりょう - 2003/12/01(月) 19:04<

http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/article/ohsugi.html です。

おりょう - 2003/12/01(月) 19:01<

藤原肇氏の対談

「夜明け前の朝日」執筆者藤原肇さんのの対談です。興味深い内容です。

大杉栄と甘粕正彦を巡る不思議な因縁
国際問題コメンテーター 藤原肇 vs 元フランス三井物産総支配人 小串正三
「わが社なら課長止まりの人材ですから、そんな人に首相をやらせるのはかわいそうです」
「小泉首相が三十年前に起こした不祥事と留学経歴の真相」とは…。

 栃木県にも大平山があり、古来からの霊山で「三光山」とも称し、日、月、星を意味しており、
大平山権現は三光天使で、本自仏は虚空蔵菩薩だそうです。





*(O..O)*ngly - 2003/12/01(月) 16:44<

桃太郎の鬼退治話

こうへいさん
何年か前に同僚に新左翼の女性がいて、その話をしていました。
そういえば大田竜のグループだったよか。サンカの伝承とする
八切止夫説の受け売りだと分かったのは10年前です。この話の
伝承者がサンカであることからは、鬼=出雲族でしょうか。
 サンカ族の中では鬼=サンカとなっているという話です。
 鬼=先住民、猿=新羅人、雉=百済人、犬=高句麗人、桃=唐人
として、日本列島の先住民を渡来人諸族が討伐する話です。
瀬戸内の島々には雉=百済に追われた宮島様(高句麗族)の伝承が
各所にありますし、鬼ヶ城山も各所にあります。
 鬼といえば、東北エミシ=俘囚=鬼、たたら族=鬼、生地師=鬼
だったりしますが、根拠のないものばかりではなさそうです。
 今小田(こた)山とよばれる山は以前は大平山と呼ばれ、この山に
は鬼の伝説と足跡が残っているそうです。鬼退治の劇をしてる地域がある
とか(とんでもない民族差別教育です)ですが。未調査です。この山の
北には鬼ヶ城山がそびえており、その麓で陸上自衛隊が訓練しています。
 もちろん鬼ヶ城山の四方には「別所」と思しき地名があります。

こうへい - 2003/12/01(月) 12:19<

怒りを忘れた日本人

ドーメイコクでも、始める前に止めるべきだった。
トモダチだって、親だって、間違いを起こそうとするときは、忠告するでしょう。
イチオクエンあげれば、死んでも、親兄弟が喜ぶだろうって、バカな連中は本気で思ってるんでしょうか。

バカにするにも程がある。これが、高いか安いかなんて討論しているヒョウロンカのオオバカもいる。
自分は、行かないんだから。

カイワレや焼き肉食ってるところをテレビに映させて、俺たちが食ってるんだからっていうのを、思い出します。神にでもなった気でいるんでしょう。バカにするにも程がある。

いつか、何番目かの州になるんじょないかって、トモダチが言ってたけど、なりかねませんね。
怒る日本人が居なくなった。昔からそうだけど・・・・・
今日、ちょっと、怒ってます・・・もう、書きませんが。

こうへい - 2003/12/01(月) 03:18<

異文化迫害の歴史

アイヌも、和人の謀略にあって、だまされて親方がやられて、あとは一方的な迫害でしょう。
マツマエヤの昆布なんて食わないぞ(^^)
サンカも、サンカ狩りにあって、・・常に一般的でないものは、排除、迫害の対象になった。

桃太郎の鬼退治だって、酒飲ませて、やっつけて、宝をいっぱい持って帰って・・ていうのが、推奨されたんでしょう。

謀略、騙し、暴力的優勢側の乗っ取りなんて、インカ、インディアン・・歴史にはいっぱいあります。
いまは、乗っ取り側が批判されてる訳で・・
ところが、今でも、アフガニスタン、イラクでも昔ながら行われてる訳で・・・
大量破壊兵器で戦争を仕掛ける側は正義で、貧しくロバに引かせたロケット砲はテロとして悪とされて、猛攻撃にあう。昔からの繰り返しのように思えます。

はつせ - 2003/11/30(日) 22:56<

差別・・

蜜柑さん、編集者さんのせいではありません。私のほうも特にこだわる必要がなかったこともあります。
 「カムイ伝」は・・・私の小説とレベルが違います・・「アイヌ」は差別用語だという議論があったのでしょうか?

おりょう - 2003/11/30(日) 12:28<

seburiさんと「山窩」用語

蜜柑さんseburiさんお元気そうですね。
つげ義春さんのページいつできるのか楽しみにしていますけどまだかなー

seburiさんお元気ですか?

以前に筒井康隆さんも「断筆宣言」されましたが、特に時代小説など、言葉の使用云々云われては
小説は書けないと思います。「山窩」を「山人」にしてしまったら意味がなさないし、編集者が人
権をビジネスにしている人達を恐れて、「言論の自由」に、自主機制してしまっているところがあ
るんじゃないでしょうか。
こんなことまでとおもうようなものがあり吃驚します。
以前にもこの板で「放送禁止歌」の議論もありましたっけ。

千葉県は、潮の流れからいって先住民が最初に住みついた地であると読んだことがあるような・・・。



蜜柑 - 2003/11/30(日) 00:43<

山窩が差別用語?

山窩って、カムイ伝にも出てくるし
差別用語って指摘する編集者、頭バカなんじゃないの?
あるいは、教養がないのか。
今の世の中、山窩もアイヌもみな平等でしょ。

東沢美史 - 2003/11/29(土) 23:48<

参☆☆☆觜印のオリオン座三つ星レス

ヤゾーさん&KUMANOLIFE掲示板を愛する皆さん!凄い雨音の中なんですが、こんばんは。
ちょこっとづつレスさせていただきます。

はつせさん。

諸星大二郎の「暗黒神話」は70年代にブームがあったんですね。北斗七星の有名な和名は「四三の星」と云い、柄(え)と杓(ます)を分けて昔の人は捉えていたみたい。東北の発音では「すそのほし」ですから、スサノオ=北斗七星かな?。
ギザの3ピラミッドはオリオン座を表す・・・・アラブは砂漠が多いけど雨が少なく夜空がよくみえるんでしょうね。

きょうかいさん。

ヌート神、はじめて知りました。ヌートの体内を通ってまた東から出るみたいですね。
教えていただきありがとうございます。
このサイトで天井絵が見れました。
http://choju-giga.cside.com/wedjat/photo/02.html
ヌート神に多少性質が似てるかもしれない妙見菩薩は左手にウサギ、右手に3本脚のヤタガラスが入った水晶玉を掌に載せていました。

こうへいさん。

>三つ星をすくっちゃうんですかね。

野尻氏の「星三百六十五夜春」によると
北斗のマス(アルファー、ベータ星)は三光(三つ星)を呑むということだそうです。

>三つ星を囲んでいる、いびつな大きな四角形は、なんでしょうね。

同じく「星座めぐり」では猟師オリオンの両肩、右膝、左足首、中国で「白虎」、インドで「鹿」とみる見方も紹介されています。

>もし、箕の中に、丸い餅を三個並べる・・白い芋でもいいですが・・そんなのが儀式にあったら、面白いですね。オリオン座そのもの・・

それと近いのはありますよ。
面白いのは山形県のある地区で、皆既日食から月がズレテ10分くらいした太陽の丸形と三日月がくっついた楕円形のでお供えの餅が飾られていました。ただし、日食を意識したかどうかはわからないけど。星は上から篩(ふるい)で降りかける片栗粉でしょう(うんうん、ということにしておきます)。

おりょうさん。

星に運をたくしながら・・・・ユーラシア大陸から、あるいは南洋から星座をたよりに舟で列島にたどり着いた勇敢な人々の、私達は子孫のはずだったのに。最近の日本人はいろいろと冒険心不足のような・・・。

バリ師さん。

>時計のなかった時代、やはり星は時を刻んだり、方角を指し示していたのでしょうね。

おっしゃられるとおり昔の人々はオリオンの三つ星の位置(南中など)を目安に夜なべをしてたそうです(星座めぐりより)。
それにしてもずいぶんとロマンチックな宿題を出される先生がいらしたものですね。
桑原昭二先生の「星の和名伝説集 瀬戸内はりまの星(六月社)」、大仏次郎の実弟である野尻抱影氏が序文を書かれてるんですね。

やなさん。

>熊野の深夜・・真っ暗な夜空眺めてたら・・・
>ふーーーーん・・オリオンなんやろね・・真ん中の三ツ星はスバルやったかいねぇ・・

オリオン座の3つ星には他に「竹つぎ星」、「酒桝(マス)星」という和名や「天秤星」というビルマの呼び名があることも紹介されています。竹つぎは竹の釣竿か。
北斗七星を柄の付いた四角の酒マスと見立てると横向きであることになりますが、オリオン三つ星の酒桝は上から見た形を言うようで、三つ星が角マスの一辺で、大星雲が桝の柄みたいです。

鹿児島県枕崎に伝わる昔話し。すばい(すばる)星が酒桝星(三ツ星)の店で酒を飲んだのに酒代を払わずに逃げたので酒桝星が追いかけたら、西に沈むときに追いついた・・・(星座めぐりから)。やなさん、この話し知ってて知らんぷり?
萩原健一の月見酒は良かったけど、三ツ星&昴でも美味しく呑めそうですね。

ミミさん。

根渡神社のほうはいかがでしたか。
わたしは先週、豆轢きのとき畑で実際に箕で吹いてみましたよ。何事も日頃の訓練が大事だとおもいますが、翌日の朝、体が痛い。

箕を逆さにして両手で弓木(輪木)の両端を持って壊れない程度に「バフバフ」して見てくださいね。復元しようとするこの自然の「バネ」、「しなみ」が箕の命かなとおもいます。買われたお客さんんで変った使い道というと、水盤を置いて花を生けるとか、紐で天井に吊るしてモービルにするとかというのを聞きました。

三ツ星の和名「犂(からすき)」の「鋤」の部分がなんか「ウメアイ」とか山神さまの「鉾」みたいに見えるんだけど、両刃だし。

東沢美史 - 2003/11/29(土) 23:19<

「さんか星」は「さんこう星」説

野尻抱影氏は武蔵の国葛西にていう「さんか星」は「三光星」の訛りで「さんこ星」もしばしば聞く名前だと説明しています。

「さんか」は解かりづらかったけど「さんこ」ならわかります。
宮城ではコンニャク、豆腐、油揚げの3種を短冊に切って入れた醤油汁のことをさします。死人が出た家には親戚、近隣の人々が集まり仏式の家はもとよりキリスト教や神道式の家でも作って食べます。また、葬儀でなくともお正月明けやお盆や春秋の彼岸にも隣組の人々が集まって食べます。もしかして、このコンニャク、豆腐、油揚げ、計3種のこの短冊はそれぞれ星、日、月を意味したりするのか。

もうひとつ「さんこ」に似た発音のものに「さんぞこ」という言葉があります。
父と一緒に門廻りをし蒸篭を修理して歩いてた大正世代の方が、いまも現役でいらしてるんですが、古くは竹製だったこの木の「曲げわっぱ蒸篭」の下部を『三底(さんぞこ)』と漢字で記ます。

東北では現在でも竃(かまど、くど)の火で鉄釜の湯を沸かし、蒸気が洩らないように鉄釜の上に輪切りにしたパイナップルの形のようなワラ細工の「月の輪」を載せ、さらにその上に「曲げわっぱ蒸篭」を載せて「もち米」を湯気で蒸かし、それを臼で搗(つ)いてお供えの「日の餅」と「月の餅」を採るという民家が結構あります(柳田國男全集読んで少しづつわかってきたけど、これが1年12ヶ月365日分の本来のお年玉なんでしょうね)。
「曲げわっぱ蒸篭」の底板には穴があり「1つ」でも「4つ」でも「5つ」でも「無数」開いてても私等は「三底」と言います(3穴はむしろ少ない)。穴開けは最後の仕上げで、お客さんの家に言い伝えられてる数を聞いて10円玉くらいの穴を「三ツ錐」を廻しながら開けます。

民俗学の本を見たかぎりでは載っていないようなんですが、関東のお椀型の古い形の竹ザルや箕の知られていない本来の役目は「武具」であることともうひとつ、「曲げわっぱ蒸篭」と同じ餅米の「蒸し器」ではなかったのかということです。
逆さにした箕に似た感じの竹編みの蒸し器がアジア照葉樹林地帯やインドシナ高原に見られます。

「山窩」という造語からは、横穴のイメージを受けるのですが、そんな訳でどうしても「太陽」は大地の下の縦穴から昇って来るっていうイメージを抱いてしまいます。
近くの「月山神社」入り口の巨大な「天照大御神」の石碑の「照」の漢字下部は、同じ意味ではあるけど4つの点ではなく「火」と彫られています。

蒸篭の画像は現在だと「風の王国」過去ログのオレンジ色数字「26」の2002年8月17日(土)21時35分投稿のNo.1029587118.1で見れますんで、よかったら参考までにみてください。

こうへい - 2003/11/29(土) 17:25<

ヤゾーさんからの伝言です

パソコンの不調で投稿できません・・・(◎-◎;)

はつせ <http://www.ne.jp/asahi/songshang/hatsuse/> - 2003/11/29(土) 14:25<

山窩とは差別用語?

 編集者さんに小説のなかで「山窩」という名称は問題があると言われました。研究書などは大丈夫らしいですが。ことの善悪はともかく、出版社に迷惑をかけられないので柳田国男の言うところの「山の人」などの表現に変えました。
 本が出るたびにそういうことを洗い出して金を取る職業の人もいるそうです。オソロシヤ。

あかり - 2003/11/28(金) 22:30<

陰謀史観って、どう思います?

三笠宮には双子の姉妹がいたが、かつて双子は畜生腹といわれ、しかも男女は情死者の生まれ変わり等いわれたことから、そんなことが一人を華族の庶子とし長じては尼門跡とした。大正天皇には同日に生まれた兄がいたが、宮廷内の権力闘争に負けた派である兄のほうを手放した。明治天皇は命じ維新の際に別人とすり替えられた。等といった様様な説があります。前者二つは本当のことらしいと思うのですが、明治天皇のことはどうでしょう?歴史を動かし今でも影で世界を操っている闇の権力の存在があるといった説もありますが皆さんどう思われますか。

バリ師 - 2003/11/28(金) 22:10<

水鉄砲

そらヤナさん、たまには鉄砲も撃たんことには錆びるでな。ありゃ水鉄砲かいな?アハハ!

蜜柑 - 2003/11/28(金) 18:50<

カムイ伝

カムイ伝で一番スッキリ気分が晴れるところは
文庫本ですが、13巻394ページ「朝霧」のエンドで
水無月右近が恩知らずな農民を殺す場面です。
「ウヌら土百姓が!」

蜜柑 - 2003/11/28(金) 18:45<

セブリ発見!!

http://www.d1.dion.ne.jp/~tshim/Common1-14.html

これ、seburiさんですよ。

おりょう - 2003/11/28(金) 18:33<

)^o^(

やなさん (^。^)の意味は、さすがやなさん趣味がひろいわねーと、
キジ鍋にしてたべるんかなーグルメやなーおいしんやろなーの
いろいろいりまじった羨望の(^o^)ですからね。

旗野修二 <http://www003.upp.so-net.ne.jp/ttoriko/ > - 2003/11/28(金) 17:53<

サンカを考えるを見ての感想

はじめて書き込みいたします。東京に住む作家の真似事をしている旗野修二と申します。サンカに興味があり、検索してこのページにたどりつきました。ですから、まだページ全体を観ていません。が、サンカを考えるのページはだいたい読ませて頂きました。非常に面白く興味深いないようでした。ありがとうございます。たま、熊野で自然と暮す理想的な生活を送られているみたいで羨ましい限りです。ただ、一言、サンカが縄文人の末裔とか、サンカは全国的組織であったとか、政治家や有名人にサンカ出身者がいるといった、陰謀めいた仮説は同意できませんでした。研究不足の面もあります。また、東京という大都会に暮し、サバイバルゲームという俗に戦争ごっこを趣味にしている文明に犯された者ですので、思想的にあい入れないところも多々あると思います。つまり反対側の人間かもしれません。ですが、そんな私でもサンカに興味があり、考えている事をお伝えしたく書き込みした次第です。「荒らし」ではない証拠に、私のページのアドレスも表示しておきます。趣味のページで興味ないかと思われますが。それでは、失礼いたします。

ya(・ε^)na - 2003/11/28(金) 17:18<

バリ師さんどないしょう!!

おりょうさん・・あのーーぅ・・・・・
  えええーーーっとぅ・・・
 あのなんて・・お答えしたらよろしいのんかいねぇ・・・んんんんっとぅ・・
  そおですよね・・
  まあ磨くといわれましても・・
   鉄砲みがくだけやおませんねんけれども・・・へへ
  まあ大概の人間は・・・・んんん・・キジ撃ちしますんよ
       オオキジ打ったり単なる小キジやったりしますんやけども

       この(^0^)笑顔はどないな意味なんやろか?????

         かまぼこの原料のことなんやろか???


             まあえええか!!・・へへへ

おりょう - 2003/11/28(金) 12:32<

おはようございます

古代には、星に運をたくしながら始めて日本の土を踏んだ人達、今は、夜空を仰ぎ見ても
星の影も薄くなりましたが、星信仰は脈々といき続いているのでしょうね。

こうへいさん「カムイ伝」落札できたんですね。21巻というのは、最初の出版したものか
も知れませんね。あと、「カムイ外伝」「カムイ伝第ニ部」とかありますが、買っていたら
きりないから、図書館利用するのが一番いいかも。
本は、時代が過ぎると図書館にさえなくなってしまうので、探している本が、古書店などの
隅で見つかったときなど、バンザーイって叫びたくなるほど嬉しい。
興味のない人にはボロ本にしかすぎないんですが、古本の価値とは、そういうことですよね。

やなさん、ハンターもおやりになるんですね。鉄砲はみがくだけではないんですね。(^o^)

バリ師 - 2003/11/28(金) 03:47<

星の和名

高校生の時(30年も昔ですが)、夏休みの地学の宿題が「近くのお年寄りに星の和名を聞いて集めてくること」でした。のちに姫路科学館館長となられた地学の先生は、「星の和名伝説集−瀬戸内はりまの星/桑原昭二」という本を纏められております。

私は有名な「みつぼしさん」とか「すまるさん(すばる)」しか知らんのですが、お年寄りの方が星を「さん」付けで呼んでいたことを思うと、時計のなかった時代、やはり星は時を刻んだり、方角を指し示していたのでしょうね。それ以上のことは私には分かりませんが。ヤナさん、オリオン見て、きじ打ちしとう場合やないで。アハハ!

これから季節、メバルの夜釣りをしていると何故か自然と「みつぼしさん」を探してしまいます。

はつせ - 2003/11/28(金) 01:04<

オリオン座

オリオン座と山窩・・・北斗と熊野。諸星大二郎の「暗黒神話」を思い出しちゃいますね。ワクワク。

ギザの3ピラミッドの配置も12000年前のオリオン星座を映しているとか・・・

こうへい - 2003/11/28(金) 00:19<

東沢さん

おもしろいお話ありがとうございます。

>三陸の漁師には北斗七星の柄杓の「マス(箕の部分)」がオリオン座の「三光(三つ星)」を呑み込んでしまうという言い伝えがある

そうなんですか、知りませんでした。
三つ星をすくっちゃうんですかね。
三つ星を囲んでいる、いびつな大きな四角形は、なんでしょうね。


>オリオン座のなかの三つ星を江戸で「三光」、武蔵の国葛西にては「さんかぼし」という・・

これは、良いですね。
もし、箕の中に、丸い餅を三個並べる・・白い芋でもいいですが・・そんなのが儀式にあったら、面白いですね。オリオン座そのもの・・

それにしても、勉強家ですね・・感心しました<(_ _)>

東沢美史 - 2003/11/27(木) 23:09<

オリオン座と山窩に因果関係はあるか

KUMANO LIFE掲示板で突き詰めたい北斗七星=オリオン座の信仰(二)

こうへいさんの今年8月25日の掲示板、引用させていただきます。
>オリオン座朝3時、東の空に、冬の星座オリオン座が上っていました。
>なんや・・それだけかい。うん。

そこでこれを読ませていただいたときに思いついたんです。北斗七星=オリオン座と仮定してみたらいままで不可解だった事柄がいろいろと理解できてくるのではないかなと。

つまり、やがて太陽が昇ってくる夜明け前ですが、「天帝の車」、あるいは「柩の台」を見送る3人の娘と見る北斗七星を、こんどは見る角度を変え、もし真正面から見たら、4星で構成される「天帝の車」あるいは「柩の台」を背景に、柄杓の柄の3星が3人娘となって横並びに三つ星となれば、そっくりそのままオリオン座に見えるのではないか・・・とおもったのです。
どちらも強い印象を与える形をしてて、よく目につきやすい合計7星で構成されてるし、イコールで結んでもいいのではないかなと。

またオリオン座の左上、赤いベテルギウスの軌道はもうすぐ昇る太陽とかなり近いし、オリオン座の右下、対角線上の白いリゲルは月をイメージできるし、日月が昇る予兆を知らせる役目と解釈はできないか(ちょっと無理がありますが)。

三陸の漁師には北斗七星の柄杓の「マス(箕の部分)」がオリオン座の「三光(三つ星)」を呑み込んでしまうという言い伝えがあることを中公文庫「星三百六十五夜春」で野尻氏は紹介しています。
おもわず余計な(カッコ)を付けましたが、三光といえば岩手千厩の三光青麻の石碑を最近撮影できたのですが、民俗学者の皆さんにはまだほとんど知られていない星日月の神様のことです(天之御中主神(北極星)、天照大御神、月読命)。仙台にもあるようです。
大晦日からお正月にかけて日月の餅を箕に採る行事をなんか連想できるでしょ。
やはり北斗七星=オリオン座で行けそうな気がするな。

さらに、このオリオン座のなかの三つ星を江戸で「三光」、武蔵の国葛西にては「さんかぼし」ということが江戸の方言集「物類称呼」に載ってると野尻抱影氏は「星と伝説」に紹介しています。
???「さんかぼし」だって、−−−‐‐‐‐‐・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(^_^)vイェーぃ。

可能性は薄いかもしれないけど「さんかぼし」から「山窩」の語源が探れるかもしれないですね。それと中国ではオリオン座に「三」を意味する「参」の漢字を当てているなどの説明に加え、オリオンの首から上には「觜」という「角」の漢字が入った「くちばし」を当てています。
宮城では「山窩」の命名者は警察にいた漢学者であるとされています。
東北ではこの三つ星を竹の節(野尻抱影著「星座めぐり」誠文堂新光社より)としていました。
最初は竹が光ってた、かぐや姫誕生の話しを彷彿とさせます。

ここんとこ少し調べただけで北斗七星とオリオン座の類似性を示す言い伝えに出会えました。東北の昔の人々が数百kmにもわたってきれいに北斗七星の形に神社を配置して信仰してきたのですから、もしかしてオリオン座の形にも神社を配置してるかもしれません。
しかし、これがナゼ、なんのためにってことはいまだに解かっていないとおもいます。
それと、この星座の形に神社を配置したことは言い伝えではたくさん残っていますが、これが古文書が残ってて確認できるところとなるとほとんどなく、鎮座の理由までとなるとまるで書いてはいないようなんです。

この岩木山に鎮座する岩木山神社など七つの神社が北斗七星の形に配置されてることを広く紹介したのは荒俣宏氏です。そしてこれが手がかりになるのではと考えてるのですが、このことを書いてた藩政時代の古文書は「熊野神社」にあったそうですから、まったく不案内な熊野信仰のほうを少し勉強して再挑戦してみたいなとおもいました。
オリオン座のほうは紅白に分かれて闘った源平合戦のことなんかもあるし同じく和歌山県の闘鶏神社で、少し調べてみたいです。そのまま突き進んで「かごめかごめ」の理解まで進むかもしれないし。

北斗七星=オリオン座と、イコールでくくってこんなふうに考えてみました。もちろん、この=は私の推測&願望にすぎませが、どうでしょうか。
長く書いて、しつれいしました。ヤゾーさん。

こうへい - 2003/11/27(木) 22:38<

カムイ伝 全21巻 再販

おりょうさん、やっと落札しました。
2200円 + 800円(送料)=3000円
いったい、何巻まであるんでしょうか?
外伝っていうのも有るみたいだし。

この本から、どれだけ読みとれるかですね。それによって、本の値打ちも変わる?

きょうかい - 2003/11/27(木) 12:39<
 東沢さん、星の信仰しっかり学びたく思います。
 期待しております。
>西方に落ちやがて夜空の北斗七星に着き、一晩過ごし夜明けにまた日の出として出てくる。
>かつての人々はそういう宇宙観
 エジプトのヌート神を思い出しました。太陽は朝に誕生し、ヌート神の身体を通って
 西に消えて行きます。そしてまた朝に再生するという信仰のようです。
 ヤゾーさんへのメール経由で画像を掲載します。(うまくできなかった)
 この壁画は、王家の谷のラムセス13世?の棺の天井に描かれています。
 

こうへい - 2003/11/27(木) 11:32<

星の信仰

東沢美史さん おはようございます。

北極星は、北を指す星で、このまわりを星がまわってる。中心?いまは、ちょっとずれてるけど。
船乗りが、方角の基準にする星・・飛行機乗りも・・
砂漠の民もそうなのかな?
南半球は別の星・・いや南極星ってあるのかな?南を基準にする星が・・・

北斗七星は、北極星のまわりを回ってるのが一番わかりやすい星
オリオン座は、東から昇って、西に沈む星

最近、よく星をみるので、オリオン座は特に見入ってしまいます。
昔、遅くまで飲んで、ともだちのアパートに泊まりに行ったとき、
階段を登りながら東の空に、登りかけてるこの星を見つけたとき、なぜかうれしくなりました。
一種の、自分の星信仰かも。

寝不足で、ぼうっとしてます・・

東沢美史 - 2003/11/27(木) 09:31<

星の信仰と竹細工

KUMANO LIFE掲示板で突き詰めたい北斗七星=オリオン座の信仰(一)

竹細工品、ザルやカゴ、スイノウ(そばやさんで使う)や箕などに星の信仰、とりわけ北斗七星の信仰が深く絡まってることは、竹細工の門付けを生業とする家に生まれ育っていたりすれば科学的な知識が身に付くのと平行して子供ながらもなんとなく気付くものです。

でも、竹細工業に関係なく、また地球科学の知識がなかった昔の子供でも、年中行事などを大切に執り行い守ってきた農家や漁師などの家庭に育てば、和名を「四三星」という北斗七星に関わる信仰や行事から無意識にそういった世界観に染まって成長していくものだったはずです。なお、これは東北ばかりではなく千葉県を中心とする関東地方や山口県(テレビで「バウ」の松村邦洋氏が妙見信仰の大内氏について語ってた)、熊本県などの一部の地域にもそう言えるのではないでしょうか。

しかし意外だったのですが、山窩に関心を持ってる皆さんの多くから、私の意見はともかく北斗七星に類する信仰の実態さえも全く受け入れられてはいなかったようなんですね。
学問の無い私ですから物事は謙虚に自分の無知を認めるように心がけなければいけないと常々おもってはいるのですが、これだけはなにか一番大事な本質の核にあたる部分ですので、しつこく何度も書かせていただいています。
かつては日本の何所でも見られ知らない人はいなかったであろうこの星の信仰は、星の信仰に理解のある方でさえ戦後の高度成長の頃には列島からほぼ消えたかのようにお思いのようなんですが、意味が今一つわからなくなってる現在でも根強く東北各地の民家ではとりおこなわれています。
天空を見れば一目瞭然の解かり易い民間信仰でもありますし、山窩の信仰があるとすればきっと良い手がかりとなりますので、竹細工にまつわる星の信仰にぜひご注目くださるようにお願いいたします。

先月からは星座の伝説や神話を調べるべく本屋さんや図書館で辞書や事典をひきまくっていましたが一番参考になったのは中公文庫より復刻が相次いでる野尻抱影氏の一連の星についての著書でした。
これらの本をも参考にさせていただきますが、かつては北斗七星、柄杓(ひしゃく)のマスに当る部分を箕に見立ててる地域がやはり日本各地にあったそうです。
私は今年1月6日、風の王国に神棚または仏前に「日の餅」と「月の餅」を箕に採り並べる宮城のお正月の様子の写真をアップさせていただいています。それになんか似てて連想してしまうのですが、おがみさま(イタコと同じ)が祭祀した夕日(西に沈んだ月もか?)は西方に落ちやがて夜空の北斗七星に着き、一晩過ごし夜明けにまた日の出として出てくる。かつての人々はそういう宇宙観を抱いていたのではなかったかと漠然ととですがそうおもいました。
もちろん、それは自然科学を学べなかった昔の人々の解釈であり、床の間に妙見菩薩様の掛け軸のある家の子供であれば自然に身についた宇宙観だったでしょう。しかし近代の子供達であれば小学校四年生くらいにもなると民俗学、信仰上の宇宙観と科学的な宇宙観とは別物と区別してガリレオ地動説を理解していけるわけですが。

そこで、今年に入ってから私は昔の人々の視点に立ち帰り、夜明けに北斗七星が東の空から太陽と月と一緒に昇る様子を何度もイメージしていました。でも、北斗七星はどの星に化けて昇ってくるのか(形としてはスバルが似てるくらい)ピッタリ符号する星座が見当たらず、ずーっと戸惑っていました。

しかし、北斗七星の外国での呼び名を確認してる最中に、なんかヒントが浮かんで来てるような気がしてきました。中国では天帝の乗る車と見ているのですが、アラビアでは、柄杓のマスの4星は柩(ひつぎ)の台で、柄の3星は柩を見送って行く3人の娘と解釈してたそうです。なかでも私が特に注目したいのはイギリスが北斗七星を「からすき」と見立ててることです。
「からすきぼし」はオリオン座の一番知られてる和名です。

そのときに、こうへいさんの8月25日の掲示板に出会ったんですね。
     (このことについては熊野信仰も含めて続きまた書かせてください)

ya(・ε^)na - 2003/11/26(水) 23:59<

そおやねんよねぇ・・

熊野の深夜・・真っ暗な夜空眺めてたら・・・
 ふーーーーん・・オリオンなんやろね・・真ん中の三ツ星はスバルやったかいねぇ・・
   なんや??よおわかりませんけれど・・渦巻きまで見えるのんわ・・んんんん
やっぱり、空気がすんでるからやろねぇ・・

  なんとか信仰なんてわからへんねんけども・・
         チカチカ輝く夜空ながめていたら・・・
             だれでも・・幸せHAPPYになれるんやろねぇ・・

 うううううさぶぅ・・・さあ、さっさとキジうって、へえこいてねよかいねぇ・・

              へへへっへへ・・やな

こうへい - 2003/11/26(水) 22:07<

六甲の巨石

いちご麦さん、早速ありがとうございます。
六甲の巨石は、昔、本で読みました。
オリオン座は、目に付きやすい以上に、何かの信仰対象なのでしょうか。

いちご麦 - 2003/11/26(水) 21:54<

オリオン座

下記サイトにオリオン座という文字が、ありました。
http://village.infoweb.ne.jp/~hiratsu/mysteryspot/kabuto01.htm

ミミ - 2003/11/26(水) 20:34<

根渡神社

東沢美史さん、ありがとうございました。
明日、テープレコーダー(今はなんと言っているんだろう)を持って、たずねてきます。
どんな写真があるのか、どんな話が出てくるのか、とっても楽しみです。

ついこの間、立ち寄った”道の駅”で、箕を買ってしまいました。
桜皮の、編みこみの立派なものでした。
最近は、目に入るものが変わってきました。
みなさんの、、、せい?
なんに使おーかなぁ、と考え中、、、、です。
その内、輸入がストップして食糧難になったら、出番が来るかな?

こうへい - 2003/11/26(水) 19:33<

オリオン座

オリオン座の星々は、あのピンク色の大星雲から生まれたそうですね。
あのポイントから今の位置に広がったんですね。
最初に覚えたのが、カシオペアやおおぐま座だけど、一番好きになったのは、オリオン座でした。
オリオン座信仰って、どんなのですか?

管理人ヤゾー - 2003/11/25(火) 19:06<

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みなさん こんばんわ

>ヤゾーさん〜 出ましたよ。鉄器の「0000」が。・・・・>今度の『歴民』に、速報のせます(予定)。

尾張の国知さん セブリバ調査 ご苦労さまでした。
次号の歴史民俗学 楽しみにしています。

柳田国男の話しに 深山で三年間父と暮らした少年の話しがあります。
父に小さな弓を作り 鳥や魚を捕ることを教わり 春には色んな木の芽をつんで食べ
冬には草の根を掘って食べたとあり なかにはいたって味のよいものもあり
年中食べ物には苦労しなかったとあります。
なんだか野外手帳のような話しです。


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