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2003年10月29日(水)18時55分までのKumanolifeGuestbookへの書き込みです。


NON - 2003/10/29(水) 10:37<
紋次郎さん節,ついひきこまれてしまいます。語源と私たちのルーツ。これに関心のない人は少ないでしょうね。だからこうやって多くの人たちがクマノライフにつながっている。

何にも発言できない私ですが。

それとコーヒーなんて出されるとついついお話をしたくなってしまいます。

この飲み物は人類にとって特別な飲み物ではないかといつもいつも思っています。

夜寝る前に飲んだってな〜んともない。どころか,心へのいいお薬。
パートナーもそんな一人と知って毎晩寝る前に格別の一杯を楽しんでいます。

自家焙煎やっていますが,(器具3種もっていますが,)紋次郎さん開発の物はそれは優れものです。奥が深いので熟練を要しますが,うまい! の一言につきます。皆様にもご縁がありますことを。

それといつの日か 5万円ためたら,あの 「箕」 を買いたい。それまで頑張って作っていて欲しいナ。

今年ももうすぐ収穫した稲がお米になる。嬉しい,有り難い,感動の秋。

尾張の国知 - 2003/10/29(水) 10:03<

サンカの地理的な知識の件

ヤゾウさん。皆さんご無沙汰です。
武蔵の国知・蜜柑さん。先日のサイギョウの件+武蔵ハジメさんの“往時の、広範囲の地理的ルートを非忘却”の件、僕達から見るとスゴイ記憶力と思います。しかし、これはサンカの方々、特に農民型のオタカラシュの人々に共通しています事ですよね。どうやら、コツがあります。仮称“遠近景観判定法”のルート記憶術のようです。
スゴイ美人の、サンカOB“ノリちゃん”と、2回ほどデートドライブしました。岐阜〜下呂、山の中の道、カーナビよりも“ノリちゃん”ナビのほうが正確でした。
今度の『歴民・23号』に載ります。

こうへい - 2003/10/29(水) 09:40<

茶粥と初恋と

近くの食堂に、茶粥があったので、久しぶりに食べてみました。
むかし、へっついさんに載った、チャン袋の入った大きな釜の茶粥をおもいだします。
病院の白い粥は、ダメですが、茶粥はうまいです。
紀州の特有の食い物なんかな。

初恋の人が見に来てくれました。
椅子を並べて座ってると、なんだかドキドキしています。
見送ってから、外に椅子を出して、流れていく雲を眺めていました。
ボクと同級生だから、いい年なんですが、いまだにドキドキさせる、初恋っていったい何者なんだ
って、考えていました。
20年近く、初恋の時間があったのですが、手一つ握ったこともなく・・・
女は、若いと言うだけで、抵抗し難い魅力がある・・とは、トモダチの弁ですが、
これは、いったい何なんだろう・・・
カミサンが、ちょうどメシにいってたので、よかったのですが(^_^;

△うぶ さん、紀泉高原へ、トライアルに通ったことがあります。
北の方も、可愛がってやって下さい(^o^)

焼尻紋次郎 - 2003/10/29(水) 08:47<

 ....バ カ に な れ る ク ス リ ....

エリカさん、アマカネ。
 あ、アマカネはニューギニア高地石器時代人の挨拶、イミシンにしてべんりで
すのでアマカネ。おれ、一人でほっつき歩いた時間が長かった紋で、「封印」と
いうことばの意味がピンときません。
 先日もだれかさんに教えてもらったのですが、いまだにピンボケです。
 「わからなくなった」ということとは、またひと味ちがう意味があるのでしょ
うか? いずれお教えアマカネ……ねッ べんりでしょ。

蜜柑さん、アマカネ。
 オレの独断と偏見によれば、サンカは出雲帝国時代に4道に散って 物資のSar
(移動)の任にあたった人びとだ……それが出雲帝国崩壊のあと4道のハジメに
連帯・分離して至る現代……という偏見です。
 でもおカキコ見てその辺を「ほっつき歩くひと」……かもしれん思念が浮上。
 いまでも九州弁では「歩く」とも「さるく」ともいいますが、この二つともネ
パール語にあって、“表・サイト”に掲出すみです。

おりかべしゃん、まいどあが。
 そうですね、魚のホッケをわすれていました。
 「トドとホッケ」の村……だったかナ? でも、ホッケ魚はどこにもいたで
しょうから“土地の特徴”としては採用されないんでは……もでますね。

 魚の名前の語源……ともなったら、いよいよわからなくなりますが、ナニかで
ませんか。それこそ「そのへんをいつもホッツキまわってる(魚)」だとか。

 日本の魚の名前は超古代を写しています。ワカラン名前だらけです。
 しかし、面白いのが、その名前が比較的に地方差が無い〜少ないことです。
 これは氷河期からの“倭人”の分布がものすごく広範囲で、単一民族みたいに
なっていたことを意味してるんではないか……これも偏見かなあ。

こうへいさん、先日は鹿の肉についてだんだん(出雲弁;あが)。
 きのふ、TVみていました……ら、満州では赤い鹿は警戒心も薄く、その肉は
あんましおいしくはないので、土地のひとは赤い鹿を「ウマ・鹿」……すなわち
「バカ」と呼んでいるそうです。これ「馬鹿と“カ(鹿)”」の語源たらめ。
 赤い犬は比較的にオイシイんですがねぇ。こんなこと考えるのは、犬と鹿を
ごっちゃにしたバカ発想ですね。
 
 講談社α新書から『40歳からの「バカになれる脳」の鍛え方』\740 が出
ました。
 おれ、若いときに我流で「バカになる神経」の涵養にはげんだので、オカシな
人間になりました。必読々々!!

蜜柑 - 2003/10/29(水) 02:17<

驚くべき行動範囲

先日、ハジメさんを助手席に乗せてドライブしました。ハジメさんは免許持ってません。にもかかわらず非常に道に詳しい。それも、結構遠くの細い道まで詳しかった。「若い頃歩き回っていたから」と言ってました。サンカ恐るべし!!

エリカ - 2003/10/28(火) 18:05<

初めまして。

勝手に覗かせていただいてました。
まるっきり、未知で不案内な世界であるなと・・・
でも、だんだんに誰かが、いつからかに封印してきた日本の生の歴史なのであるなと気付き始めました。
私自身の魂のシッポも、どこかに引っかかっているようです。
内容が濃すぎて、なかなか過去ログも読み進めませんが、時々、質問させていただいたり教えていただけたらとおもっておりますので
よろしくお願いいたします。
まずは、ご挨拶まで・・・・・・・m(_ _)m

おりかべ - 2003/10/28(火) 12:58<

訂正

>>輸入物はいわゆるホッケとは似て非なるものみたい。

すんません。同じホッケの仲間でした。

おりかべ - 2003/10/28(火) 12:55<

トド・ホッケ

紋次郎さん、こんにちは。

>とどを食べたとき、とどの睾丸とか陰茎について、なにか特別なハナシは聞かれなかったでしょうか。

話は直接聞いていませんが、私が食べた羅臼市外地内の飯屋には、おっしゃるモノのホルマリン漬けが
置いてありました。昔TVでも放映されたみたい。

>でも、函館の北に椴法華(トドホッケ)村ってありますよね。オレ、このホッケは陰茎じゃなかろうかと
>カンぐって同町の社会教育課に問いあわせたことがありますが、ハッキリしません。

函館の東の恵山町の隣にある村ですね。私は真っ先に魚の「ホッケ」を思いつきました。
ホッケは北海道の海で獲れて、焼いた白身が美味いです。脂ものっていて。
最近、日本全国の居酒屋に見られるようになったようですが、輸入物はいわゆるホッケとは
似て非なるものみたい。
http://www.fishexp.pref.hokkaido.jp/exp/wakkanai/hokke/hyoushi.htm

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2003/10/28(火) 12:07<

「かいと」いただきました

こうへいさん、やりましたね。おめでとうございます。
 今朝、ここの写真の部を初めてあけてみました。チラとだけ画風がうかがえますが、澄み透った
なかなかのセンスじゃないすか。
 オレなんざ暮らしの垢によごれて、“美”がこの目に写らなくなりました。
 それでも、いまごろはサザンカの花で目を洗うことができて、毎日楽しんでいます。

 どんぐりしゃん、『一覧表』上で 「かいと」をいただきました。有り難うございます。
 けふアップの「第二表、終わりちかく」に出ています。

△うぶ - 2003/10/28(火) 01:30<
JR和歌山駅から南が本当の和歌山。北は和歌らねー山、、、、でしょ。
盛会の写真拝見、UP感謝。最後と言わずに何回でも、、、、新作期待。

こうへい - 2003/10/27(月) 21:13<

紀州よいとこ

ああーあ、がっくり・・いや、これは、別のはなし。

ya(・ε^)na さん、重ねてありがとうございました。
紀州は、陸の孤島・・でも、面白いこと、いっぱい。
また、一緒に楽しみたいです。

ヤゾーさん、かたじけない。
ありがとうございました(^o^)

ヤゾー - 2003/10/27(月) 13:10<

芸術と温泉の秋

みなさん こんにちわ

昨日は ヤナさんとこうへいさんの個展を見に行ってきました。
二時間ほど絵を見て談笑したりして楽しく過ごしました。
でも あまり長居したら こうへいさんや他の来客の人に悪いので
個展を見にきていた友人の画家のアトリエへ行って絵の話しを聞かせて貰ったり
田舎道を走って山奥の温泉へ行ってきました。
ヤナさん 楽しいお話し また聞かせて下さい。
こうへいさん ドングリ拾ってきて絵の前にさりげなく置くなんて素敵でした。
やっと昨日の写真を知人のパソコンを借りて 風の王国にアップできました。

ya(・ε^)na - 2003/10/27(月) 10:28<

どないなってるねん?

あはーーぁ・・
こうへいさん、素敵な作品の集った個展ほんまに満喫させていただきました。
おおきに!!最高!!
 それに、ユニークなお友達・・んんんん
画家の東先生のおはなしもおもしろかったです
  ヤッパリ、土地柄なんやろねぇ・・おおらかやわ・・ん

 それとあのミカン山・・・すごいですねぇ
  道路にミカンころがってましたねぇ

  空気は、旨いし・・温泉もええし
   もう!!和歌山最高

  しかし問題あり!!・・・
   JRの電車すくないねぇ・・
 JR和歌山までは、そこそこあるのになんで海南まではすくないのん??
   「ズルッ」へへっへ・・湯冷めしてしまいますがな
  ヤゾー・こうへいさんはじめみなさんおおきに!!
    たのしませてもらいました
またいかせてもらいますよん・・そんときも  よろしく

焼尻紋次郎 - 2003/10/27(月) 08:39<

...サイトの群がお役にたちそうです....

 どんぐりしゃん、アマカネ。
> 云いたくない
★ わっかるよなァ〜。
 オレの場合は子供のころからの口ぐせで、なにかというと「チ・メ」を連発していたので、
70近いヂヂイになってもついつい出ます。
 でも、そのクセのお蔭で八重山〜薩摩〜西長崎〜津軽のアラビア・コロニーを抉りだした(…
…と思ってる)んですから、ハク(ネパール語;権利をもつこと)がついちょろうかと。

※ 下のおカキコミの中だけでも、カマ、横目付、出作などのことばに「オヤ」と、あっしの目
が光りやす。
 おらは今、『ネパール語と日本語・アイヌ語』の類似語彙一覧表』サイト立ち上げにケッケム
クリになっていまして、ちょうど中ほどにさしかかったところです。あと10日で完成します。
 
 日本の重用語は西洋語からの流入・借用によるものが多いので、なにかのときには一覧表をめ
くって見てください。KUMANOLIFE の方にかぎり無断持ち出しも O.K よ。
 対比表の群れ;www.you-i.org →

 すでにベトナム語、アラビヤ語、タジク語、トルコ語、クルド語などを並べていますが、ネ
パール語が終わった次には、20日間ほどかけて朝鮮語、バスク語、ギリシャ語、ウイルタ語な
どを出す予定です。これらはワープロ専用機フロッピーに入っていて、パソコンと互換性がない
ので、いっちょいっちょ苦労してまんねん。
 できあがったら、誰ぞがリンクで総合索引機能を造ってくれるんじゃないだろうか、と、期待
しています。このへんキカイ・オンチの特権です。

 「イマド(今戸)橋」というのが有名ですね。
 ここの川原ではカワラを焼いていたそうです(ただし、山手樹一郎情報)。
 「i-mat-o」……「土を○○する場所、または男」。
 「土を○○する」とは、土をこねるにしかならないんじゃないでしょうか。

こうへい - 2003/10/26(日) 23:06<

椋鳩十の本 第二巻山窩物語 鷲の唄

って本、ネットで買いました。「若い月」がなかったので。

*(O..O)*ngly さん、サンカと農耕・・ありがとうございました。

*(O..O)*ngly - 2003/10/26(日) 22:06<

竈、出作、東浅草

おりょうさん
 竈。あまり言いたくはないのですが、この観点がないと野史にならないので
 お許し下さい。竈は女性の部分を何か連想させるようです。江戸時代の竈祓い
という祈祷師も女性のようです。近所に竈神社があり、I氏が祭っています。
I氏は別所姓なのですがサンカにもある姓です。地名からは裏稼業は横目付のような
気もしますが。

こうへいさん
 被差別部落の人達は一部の幹部を除けば、土地を持たないか、あるいは持っても猫
の額ほどの広さでした。従って普段は農民ではなかったようです。ただ実際は田植や
稲刈など農繁期には雇われて、重労働に従事したようで、彼ら無しには農業は不可能
だったはずです。現在の大企業の季節工や流通業のパートのような存在です。
 猫の額ほどの田圃を借りれた場合は、鍬も籾も「鍬貸」「籾貸」親分から借りて農耕
したようです。そのほか新田とか開作とか新に農業用に開発した土地に入り小作的農業
をしたようです。
 愛知のサンカの場合は、多分無宿狩で出作に強制連行され農耕を強制されたそうです。
出作という地名がありますのでそこの歴史をしらべると検証できるでしょう。本来の
サンカは「一畝不耕」で、二時大戦中農業に動員されたサンカは草むしり一つ出来なか
ったそうです。農村で農業のやり方などを良く観察すると、サンカと本来の農民とでは
相異があるのかもしれません。
 竹製品製造販売と鳥追い・水番・畑番などが米作り農業への主な貢献でしょう。

東京出張で少し東浅草を廻りました。南千住の首切り地蔵、橋場、今戸神社など元
別所、弾左衛門の関連土地です。山谷の労働者を支配しているのは弾左衛門配下の
筋なのでしょうか?今戸神社は源頼勧進の岩清水神社に千葉胤あつ創建?の白山姫
(菊理姫)神社ですし、やはり人形焼の産地・今戸は人も焼いてたようですね。
 今戸神社の近辺はお化けがでるそうです。歴史的怨念がこもっているのでしょう。

 今度は深川を歩きたい。仮説:深川=俘囚の地を確認したいです。七福神巡り
や成田神社の分室がありますから間違いないでしょう。
 言門橋の在原業平伝説は本当でしょうか?ナリヒラは癩病の平癒の喩えなのですが
別所の人間に関連しているのでは。

こうへい - 2003/10/26(日) 19:10<

ヤナさん、ヤゾーさん

きょうは、遠いところからありがとうございました。
ヤナさん、お会いできてうれしかったです。
懐かしいひとやら、一杯来てくれて、びっくりしています。
ちょっと、寝てから、夜勤に行きます。では、では。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2003/10/26(日) 06:55<

... 骨 ブ ト 政 策 ....

 おりかべしゃん、とどを食べたとき、とどの睾丸とか陰茎について、なにか特別なハナシ
は聞かれなかったでしょうか。オットセイはみんなから狙われて食われました。
 でも、函館の北に椴法華(トドホッケ)村ってありますよね。オレ、このホッケは陰茎
じゃなかろうかとカンぐって同町の社会教育課に問いあわせたことがありますが、ハッキリ
しません。むろん、「ホトケ」の語源探索にからんでいるんです。
 回答は「日蓮宗の人びとが来ていたので、そのホッケではないだろうか……」でした。

  はつせさん、オハヨ。コーヒー・ナマ豆のジカ焙煎は不肖が開発した遠赤外線を放出する
ホーロクでやるにかぎると思うんでアリマス。なも、NON さん。
 ヤゾー親分さんも遠くまでコーヒー飲みに行かなくっても、その場所で喫茶店よか遥かに
ウマいのが飲めまっせ。詳しくは『ユー・アイ商品と活動』で。……コマーシャルでした。

 野獣の肉は、冬場で1週間、夏場で二日ほど肉を裸のままヂカに30CM ほど地下に埋め
ておけば、肉は軟らかくなります。クサみにはお茶の葉が有効です。

 ワタチ? 犬の肉なんざ、食ったことないヨ。

 トドホッケと犬で想いだしたのがペニスの軟骨です。
 ご存じのとおり、馬には軟骨がないので挿入のとき、ひとが手伝っています。
 人間にも軟骨がない人種があることが判明しました。
 革命家に軟骨がないときには、女性関係で革命の遂行がオカシクなるといわれています。
 毛沢東にも軟骨がなかったそうです。

 ホーロクのサイトは;http://www.you-i.org/you-i_co.html

はつせ - 2003/10/25(土) 23:26<

炭火焼き

皆さん、ご無沙汰してます。この間、多摩川の土手でBBQに呼ばれました。羊、鴨、鮭などを細かに切らずに炭火で焼きましたが、なんとうまかったこと。コーヒーも鍋で煎って引いた直後のうまかったこと。また、土手の下に自然のまま住んでおられる一家が炭の火を分けてくれました。ナイフはこういう生活で必需品であることを実感しました。

おりかべ - 2003/10/25(土) 14:04<

いろいろな肉

わたしも、北海道のシカ肉やトド肉を食べたことがあります。
シカ肉は生でもおいしく食べられるのでは、というくらい美味かったですね。
トドは生臭かったです。でもまぁよかったです。

ヤゾー - 2003/10/25(土) 13:51<

みなさん こんにちわ

それにしても 皆さん色んなもの喰ったことあるんですね。
こちらに暮らし始めた頃に 猪肉が手に入ったら頂戴って言っておいたら
3キロくらいの塊をいただいて 煮たり焼いたりして食べてみたことがありましたが
それほど美味しくはなかったです。
臭くて癖のある肉で 煮過ぎると固くなって ゴムを喰っているみたいでした。
上手に料理すれば美味しいのかも知れません。
お年寄りが言うのには 今は食べたら罰されますが
カモシカの肉がとても美味しかったそうです。
明日 こうへいさんの個展を ヤナさんと一緒に見に行ってきます。

焼尻紋次郎 - 2003/10/25(土) 09:40<

 サンカク視野でガンバロー...

yana の哥兄さん、まっぴら。
 オレが食った肉でいちばんウマかったのはペンギンにござった。アリャァ〜うめえ!
 死因がよくわからんかった象を食ったあとの心配は「おっかねぇ」ということばがピッタ
シざんした。あの心情は「恐ろしい」とはひと味ちがうんですナ。
 食ったあとになって、象はよくウイルスみたいなのに冒され、食ったヤツにとり憑く」と
いうことを知ったんです。

 ウッス姐さん、高遠にはもういちど行きなせえ。
 こんど行ったらザザ虫くうべし。練習にゴキブリ……じゃァ可哀想だ。まあオケラぐらい
にまけとこか。
 箕輪谷筋に「大タギリ・小タギリ」という地名があります。これも高遠と同じような柱切
りにかかわる地名では?

 △うぶさんもウッス、ウッスとは蒙古語で水のこってす。ほんとうはウス。
 日本語の「うぶ・おぶう」=タジク語 ob (水)。水=いのち、じゃモンネ。

>  結局何だか訳が判らなくなりました。
★ 万象は似いちゅうと思えば似いちゅう。似てないと思えば似てないという様相を呈しま
  す。サンカ(ク)視野もこの範疇内かな?
  定見というのは、最終的には個による決断によって得られるのではないでしょうか。

  わが初孫、10ヶ月め。半月にいちどぐらいの割りで挨拶にきます。来るたびに、じつ
 にいろんなことを教えて帰ります。
  最初はだれでも、環境の具象や具象に内在している条理のとりこみ作業は、その個がう
 まれながらにセットされている実力でやるんですなあ。
  あとはことば覚えたら、他人が集積したものを言葉だけで取りこみやってらぁ。
  それでも未確定事項がワンサと残っている。結局は独断……と、こうなる。
  独断ができない個は宗教とか主義とか、他人が構築した虚構へはしる。

△うぶ - 2003/10/25(土) 02:28<
紋さん、みなさん、早速SAKURAについて色々と有難う御座います。
昔、土手の袂に埋められた人柱が、塞の神→サエ→小夜(さよ);女性名で、「sait」に継がるみたい
です。    「斎」もサイですが、こちらはイツキですね、、、、、???。
又、ヒンズー教の女神に「サラスバティ」が居ますので、調べたら以下の如しです。
>最高の母、女神中最上の女神と謳われる川の女神でした。
>その後、作物を実らせ、富をもたらす川の女神としての信仰に昇華され、
>祭祀儀礼における浄化を司る女神として崇拝を集めていました。
で、サンスクリット語。 「chakrabarti(玉座)」と「sait」の混成の様な?。「chakra」は「輪」とも有り、
三重県に茶倉の地名が有り、地形が川の蛇行地点の中州を言っています。
日本では「桜」「佐倉」共、元々「(人々が)群居している場所」の意味とも聞いています。
それぞれが細い線で全部継がっている模様、、、、、、結局何だか訳が判らなくなりました。

おりょう - 2003/10/25(土) 00:24<
ya(・ε^)na - さんこんばんわ。
長野はいいところばかりですよね。そういえば、去年高遠にいって馬肉の乾燥させたのを
かってかえりました。とても美味しかったです。
鹿の肉を、もみじというんですね。始めて知りました。
上高地は3回いきましたが松本はいつもす通りです。ゆっくり歩いてみたい地です。
熊もたべたんですか?いのししも?やっぱり食通ですね。

ya(・ε^)na - 2003/10/24(金) 23:23<

ボタンにもみじ・・ほんでからさくら!!

私の大好きな県・・それは長野です・
 信州 松本の駅前のお肉屋さん・・んんんん
なんてゆうたかねぇ・・・せやせや・高橋さんや
そこの馬刺し最高です!!醤油にんにくでいただいましたら・・
   んんんんほっぺた・・ポロリもんですよん
        さくら肉!!・・・

  モミジは鹿肉・・・・なんやあっさりした味わいやったように思いますヨン

  ぼたんは、いのしし・・少し臭みあり・・んんんん山椒でにおい消し・・
   キノコたぷりの美味しいあじわい・・

  クマのお肉は、ボタンより少しにおった記憶がおます

     川原で鉄鍋でグツグツ・・うまいやろねぇ

             へへっへへへ

おりょう - 2003/10/24(金) 20:27<
訂正 液体→エキス

おりょう - 2003/10/24(金) 17:47<

本、鹿肉、馬肉、さくら

蜜柑さん
「サンカ学入門」礎川全次 批評社 2000円 今日買ってきました。
表紙のセピア色の写真とてもいいです。
次回には「サンカ写真集」の出版を、ぜひ御願いしたいですね。
ハジメさんにも古い写真などお持ちのようならお借りして。

鹿の霜降り肉は柔らかくて美味しいときいたことがあります。
さくら肉は美味しいんでしょうか?

桜の花がきれいなのは、桜の木の下に屍体がうまっているからだそうです。腐った
屍体の液体を桜の木がすいあげているんだそうな。最近の桜の白っぽいのは養分が
たりないそうです。
さくらちがいの話でごめんなさい。


こうへい - 2003/10/24(金) 08:59<

鹿の肉

は、うまいです。
焼肉定食シカ食ったことないですけど。

鹿は、夜、目の前に飛び出しますね。ボクも、見ましたが。
地元の人は、フルブレーキングのみ、当たれば30万っていいますね、修理代。
本土の人は、ハンドル切るから大事故になるって、言ってました。

焼尻紋次郎 - 2003/10/24(金) 06:12<

....鹿 と さくら....

こうへいさん、まえまえからお聞きしたかったんですが、鹿の肉はオイシイんですか?
 阿寒コタンに入る300M ほど手前に、たったいまクルマからハネられたばかりの大きな鹿が寝てたんですよ。
 オレ、クルマ停めて、それを拾って行こうと二三歩近寄ったんですが、すぐやめた。
 コタン近くの肉屋の売り上げに迷惑がかかったり、オレのクルマの中へ、故郷を見限ったノミやダニがうじゃうじゃ這いだすんじゃないだろうか……と思って。

 鹿はネパール語の sikar(狩り)が語源だと思います。マタギの頭領はシカリと呼ばれていますが、これは sikar-i(狩人)というネパール語からだと思います。
 むかしのひとは鹿のことを「カ」と云い習わしたそうです、これは「シ」という音が「死ぬ」に通じるからでしょう。「支笏(シコツ湖)」は「死ぬ・骨」に通じるので「千歳(市)」という縁起のいい名前になりました。

 △うぶさん、「さくらの語源」……よう訊いてくだすった! じつはきのふ解決したばあ(岡山〜土佐方言)でした。
 昔の人びとは、なにかにつけ、バクチをさかんにやってました。
 で、吉兆、幸運という意味の語彙がいろいろあります。バクチそのもののなかに、恵まれない人びとへの協同募金みたいな内意が察せられます。さいころのサイやサイの神なども吉兆という意味の sait が語源だと思います。

 ふうてんの寅さんや香具師さんたちの売り上げアップを援助する「サクラ」は、小生が張っているアラビヤ語かトルコ語のサイトに出ていますので、御確認ください(どっちだったか忘れた、ガハハ)。
 
 オレ、長いあいだ見落としていたんですが、ネパール語に sagun(吉兆)というのがあったんですよ。これは第二子音濁化のクセで g になったもので、元々は sak という語形だった。
 これが別語彙の chakrabarti(玉座)に似いちゅう。
 よく、ヨガなどでチャクラということばが遣われるんですが、お聞きになったことありません? 「神経叢」と訳され、添えられている図をみると、中央から八方へ拡大する放射線があります。
 -ra は強調末尾辞です。

 √♪ サクラ咲いた咲いた ブギウギ チェリー チェリー チェリオ〜 ‥‥

 この歌ほど悦びをそのままぶちまけている歌は、ほかにはないでしょう。あります??
 おれ、花見にいったら、いつも最大限の声だしてこの歌をぶちまけます。200M 先のひとがこっち見ますよ。

 また、来年の春にはサクラが咲いてくれます。それまでなんとか生き続ける! ガンバリましょう。

焼尻紋次郎 - 2003/10/24(金) 05:24<

...akiraさん、ヤッタァ〜〜ッ!!

.akiraさん、ヤッタァ〜〜ッ!!
おいどんたち、庶民文化の大勝利にごわんど!

 これで、八重山〜薩摩〜西長崎〜津軽がアラビヤ勢力のコロニーだったことが、いよいよ確定。
 まだ探せば、この八重山〜薩摩〜西長崎〜津軽固有の方言がみいだされることが見込まれます。
 イエメンあたりから船乗りさんを呼んで、八重山〜薩摩〜西長崎〜津軽連合でお祭りやったらドギャンふうにござんしょうけぇ。

 それにしても、これは日本列島が貨幣経済に巻き込まれたことを証拠づけるもの。
 通過が一般にひろまったのは、通説ではたしか鎌倉期からではなかったでしたか? 
 鎌倉期 ./.武士階級./.アラビヤ勢力‥‥ムムムッ!!

 オレの着目点はサンカとは多少ずれていることもありますが、こんごとも、宜しゅうお引き回しください。
 

△うぶ - 2003/10/24(金) 01:23<

すいすい葉

イタドリ{板取}(虎杖、スカンポ等とも言う)。花弁がマムシの歯に似ている故、多遅(田治、田地)の
花とも言う。多遅比瑞歯別、「瑞;みず」が大切、瑞→水→みつ、で。
「虎」と聞くと「五」が浮かび、田治、みつ、と聞くと、、、、、、、、♪有りそで無さそでウッフン♪。

紋さん、お願いです。お決まりの解析方法でもって、日本語の「SAKURA」の由来を教えて下さい。
起源はどこでも結構、アジアに入ってからの経過を知りたいんです、低頭。

こうへい - 2003/10/23(木) 22:57<

居つきサンカ

の、一つの形態。
流浪をやめ、近代農業のため箕作りでは食っていけず、自ら米作りしているっていうのが、
あってもおかしくないと思うのですが、ドングリさん、どうでしょうか?

こうへい - 2003/10/23(木) 22:39<

akira さん

これは、現存する貴重なサンカの村じゃあないんでしょうか。
凄い情報と思うのですが、みなさん。

akira - 2003/10/23(木) 21:59<

マンジュー

女性の大事なところのことを「マンジュー」って言ってたそうです。
お金のことは「ダラ」、小銭のことを「ジャラ」
自分のことは「ワイ」相手のことは「オイ」、さつまいものことは「からいも」
醤油は「むらさき」だったそうです。


まむしなんかは、当然のごとく自分で捕まえてきて、毒だけ抜いて、
焼酎につけて飲む、これ、取り立てて言うこともなく当たり前で
血だけ抜いて飲んだりもしてたそうです。

近所の人が来訪したときは、家の人が留守にしてても必ずもてなし、
特にお酒を飲む人には、焼酎とべったら漬けをだす、というようなことを
お姑さんから厳しく言われて、大変面倒くさかったそうです。

焼き芋も枯葉を集めてしょっちゅう、正月にはたんぼで竹とか集めて
どんど焼きみたいなこともしてたそうです。

山の中腹に掘った洞穴のなかに、大きいかまが置いてあって、
以前は石焼で風呂に入ってたそうです。

皆さんの情報と妙に一致するのは偶然とは思いにくいんですが、どうでしょうか?

焼尻紋次郎 - 2003/10/23(木) 19:39<

..あとは 斬られぬ みょうと松 ....

 オレは日本語とネパール語とのあいだに、ただならぬ関係を見い出したつもりになって
います。なんでもかんでもネパール語と関連づけるので、ハタ目には見苦しいことではな
いかと、自省の念シキリでもありやす。

 そこでドングリしゃん、「イツキという発音=サンカの地方土着化」の、そのほかに考
えられる内意をちょと……。

 √ 関の五本松 3本切りゃ2本 あとは切られぬ夫婦末

 ってぇのはいかが? 樹木が5本ありゃイツキになる。
 青森県のへじ駅前の川周辺で、民家もなにもない土地の名がイツキ。

 オレ思いますに、おれの婆さまがやったような個人規模の「めんどうみるところ……
(ネパール語 dukh^;世話する、かまう)」もイツキになりそうな気配です。
 また、昔の村や港の入り口には柱が建てられ、旅人はそこで行儀よく寝る……という風
習があったと思います。これ、ゼッタイあったと思うんです。その柱は rukh(木)なんで
すが、これが日本語のなかに入ってきていないのはオカシイ。

  rukh などいう発音は日本人も朝鮮人も発音できないので、語頭にイをたててイジュクと
かイツクとかの日本的な発音と内意が固まっていた時代があった……と思うんです。
 柱を建てたところも、イツキになってもよさそうな気配です。

 宿場役人とか、「たてば」とか、ワクワクなりそうな名前が今に残されています。

 柱から八方に縄を張り、そこにたるきや蘆葦萱で屋根をつくり、旅人は雨つゆをよけて
寝たんだろうと思います。
 寝ころびながら、洩れくる星の光で「さあハッタ・ハッタ」とやったのが繩目のアミダ
籤だと思うんであります。

 空気いっぱい吸えて、わ(津軽弁;吾)アズマし(爽快)じゃ。

 おりょんさん、けっきょく「食えそうな情報を求めてウオウサオウしたんでしょうナ。
 昔の人は、現代人がビックリするほど街道にあふれていたっちゅうじゃありませんか。
自分の眼、耳で取りこめる正確な情報に飢えていたんだと思います。

おりょう - 2003/10/23(木) 12:29<

竈屋

おはようございます
*(O..O)*ngly さん お答えいただいてありがとうございます。
日本には火を炊くお祭が各地にありますが、サンカが竈屋を別にするのも、火を崇拝するような
なんらかの意味があるのじゃないかとおもいまして・・・。

布切れに焼酎をひたして燃やすとヒュードロンドロンと青白い幽霊火ができるそうです。
皆様、夜中に実験して驚かしてやりましょう。

こうへい - 2003/10/23(木) 08:19<

*(O..O)*ngly さん

おはようございます。
「癩病」に関しては、話は何も残っていないですね。
俚諺もありません。
昔話にも出てこないですね。

柿は、平たい渋柿を焼酎であわせて甘くしたもので、「ひらたね」と言います。
いまは、焼酎を使わないのが多いそうですが。
もうすぐ、ふゆがき(富裕柿?)が出てきます。
つるし柿もうまい。

*(O..O)*ngly - 2003/10/22(水) 23:46<

伊月という地名が徳島にあり

おりょうさん こんばんは
山中のサンカの居付きの家では、主やと竈屋は別で、人の寝起きするところでは炊事はしない
 これは宮本常ー全集『山の人々』にあります。宮崎の高千穂町近くの五ケ瀬川沿いの
蘇陽峡の集落調査にもとづいているようで、この本の見返しに居付きサンカの萱葺き屋根の家
の写真があります。竈を大切にする文化はサンカの近代や近世発生説をふきとばすものかも
しれません。2〜30年前までは東北の俘囚の建築、曲屋が残っていたようですが今では稀に
なりました。独自の間取りが残っていれば見学してみたいです。

 べったら漬けが温石と共にサンカの文化であることを八切は強調しています。
べったら漬けはごはんのおかずというより、酒の肴ではないでしょうか?
ただ漬物とか酒はサンカが年中回遊する竹細工師などするのは小説の世界の話で、
幾分か定着居住をもつ証拠になるかもしれません。二次大戦前後ドブロクの密造
で名をはせたのはサンカの集落で、警察の巡回が来たときの警戒警報は隠語だった
そうです。ある本では茨城県下です。

焼酎はまだわかりません。焼酎は九州産が多いことや「達磨焼酎」がありましたので
このルーツに何かあるかもしれません。

昨年「天下一」は「大丈夫」の意味の隠語とある本にありました。
「天下一」と記入した石をどこかの神社で見付けた事がありましたが、当時は
何かの圧勝(まじない)かと思い、深くは考えていませんでした。

こうへいさん
柿はお美味いですね。私も好物です。「柿を食べ過ぎると癩病になる」という俚諺
はないでしょうか?長野に「こんにゃくを盗むと癩病になる」があります。

紋次郎さん、これくらいでどうですか?

焼尻紋次郎 - 2003/10/22(水) 19:55<

曲ったキューリを食おう..

 ドングリどん、どこがわるいんへ?
 矢掛町でも疑問詞の「へ」をいいやす、アイヌ語にも。
 とにかく心臓だっきゃァ〜ついいみたいでんな。

 下のように、もう少しスキマ風入れてくれんへ

     ……………………

akiraさん「サンカの人の食文化には伝統的な特徴」に興味があります。
三浦(三角寛)は彼らの好む「酒、漬物」でもてなしたといいます。

「懐石料理、石焼、うどん」は専売特許と八切留夫はします。清火屋
など煮売屋(お惣菜や)は彼ら独自の商売といいます。四国の讃岐うどん
も非米作り・一向宗地帯のそれが美味ですからまちがいないと思います。

 「石焼き〜い〜も 石焼きいも」は番多の内職から発しサンカの出職に
なったようです。またフレンチドッグやハヤシライスは香具師(やし)
グループが開発したと知られています。

      ……………………

 おら、運動せん紋きに心臓が弱おうなりもした。
 心臓病の初期治療で特別に注意せなならんこつは、呼吸の一回あたりのボリュームが減ってい
ること……。
 ヘッタ呼気量をグワッと増やすにはリンゴがいちばんだそうな。
 そこでオラ、ことしこそ、風落ちリンゴ(乃至、ジャムリンゴ、ジュースリンゴ、虫食いリン
ゴ、傷リンゴ :‥‥その他いろいろでの「級外品」を食うことにしました。

 もう、25年も前かな? あそこの、一面のリンゴ農道をクルマ飛ばしていたんです。する
と、前を不景気な顔したオッチャンがリンゴ積んでトコトコトコトコ走ってる。
 そこでオラはクルマさ、前に停めて「それだけ全部でナンボやァ!!」言うた……ら、オッ
チャンは「クズだ、なんぼでもいいハンデ……」いうた。
 とにかく、その当時は木箱と籾柄があったハンデ、ほとんど「中味ひと箱300円ぐらいの支
払いで、5箱ぐらいを持ち返りました。
 オイシイのなんのったてェ〜、そりゃもう〜アンタァー!!
 中味は「カッコいいヤツ」よか、はるかにオイシイとですばい。

 15年前、「B級リンゴ」を職域販売にかけようと、思いたちました……ら、「もつけ」が出て
きてせっかくの企画をハチャメチャにした。そのもつけも死んで、もう7年ぐらいになりやす。
 ことしも風が吹いて大量のリンゴがおちました。
 
 アンタも風落ちリンゴに宗旨がえせんカネ。おEめーるくれたら、メチャ特価でおくってあげ
まっせ。
 リンゴは形のいい一級品食うこた、おれ許すばってん、キューリだっきゃぁ、曲ったのを食お
うぜ、なも。

ヤゾー - 2003/10/22(水) 19:25<

椋鳩十の山窩物語(2)

みなさん こんばんわ

こうへいさん 「鷲の唄」の続編「若い月」という本です。
昭和二十二年 光文社発行となっています。
これから柿くいさんと呼ぶことにします。

おりょうさん 椋さんが生まれたのは伊那の方だったんですね。
自序の中で 祖父を訪ねてくる山窩の人の話しがありましたが
伊那の方での話しだったのかも知れません。

始めて椋鳩十の山窩物語を読んだときに
本能のようなものが刺激されたようになり
いろんな意味で興奮しました。
十余りの短編の中で 本の題名となっている「若い月」から
冒頭の部分を抜粋してみました。

「女は十日ばかり前に彼女の親父と共に俺達の幕に来た。」
「彼女は十三だった。」
「しかし、すらりと背が高くて、尻には丸味が出来て、女になって居た。」
「女が側に来ると、生瓜のやうな匂いがした。なんだか俺達は、
この新しい女の匂いを嗅ぐと気狂ひになりそうな気がした。」

おりょう - 2003/10/22(水) 19:25<

いつきサンカ

こんばんわ

*(O..O)*ngly さん
山中のサンカの居付きの家では、主やと竈屋は別で、人の寝起きするところでは炊事はしないそうで、
主やと竈屋の入口は別々で、そういうところからもサンカの子孫ということがわかるんだそうですが、
そうなんでしょうか?

べったら漬けとか芋飴もサンカの考案した食べ物とききましたが、芋焼酎等もそうでしょうか?

紋次郎さん満州へ入植した人達は、今はどうなっているんでしょうか?

*(O..O)*ngly - 2003/10/22(水) 12:14<

サンカの食文化

akiraさん「サンカの人の食文化には伝統的な特徴」に興味があります。
三浦(三角寛)は彼らの好む「酒、漬物」でもてなしたといいます。
「懐石料理、石焼、うどん」は専売特許と八切留夫はします。清火屋
など煮売屋(お惣菜や)は彼ら独自の商売といいます。四国の讃岐うどん
も非米作り・一向宗地帯のそれが美味ですからまちがいないと思います。
 「石焼き〜い〜も 石焼きいも」は番多の内職から発しサンカの出職に
なったようです。またフレンチドッグやハヤシライスは香具師(やし)
グループが開発したと知られています。
 東京先住民は醤油をムラサキといい、サンカ語だそうですから
サンカが東京に多かったのでしょう。九州は宮崎県高千穂の竹筒入りの
燗酒「カッポ酒」も神楽と共に本来彼らの文化でしょう。
 「坂の者」に由来する大阪では酷似してるからでしょうかうなぎを、
彼らの好物だったマムシといいますから、やはり本場の証明でしょう。
名古屋でもマブシと呼びご飯にまぶすからといいますがマムシの訛かも。
 東京のモンジャ焼きや広島のお好み焼きは謝礼に米など貰えなかった
野鍛冶か鋳掛屋グループの考案ではないでしょうか?
 ところで今人気のビビンバ、クッパは朝鮮料理とされるますが元来
サンカ料理とする説がありますが、どうなんでしょう。
 ほかの日本人と同様、サンカもまた多人種からなる「賎とされた原住民族」
(菊地.八切説)ですから、食文化も多様であるのは当然でしょうか。

焼尻紋次郎 - 2003/10/22(水) 05:56<

...コメ作へのタカリの構造...

 AKIRAさん、その町の社会教育課へ行かれたことはおありでしょうか? 役場としては立場
が微妙なので、いわゆる地方郷土史家というひとを紹介してくれるはずです。
 その方々は退官後に趣味でぼつぼつ研究してるひとが多く、考え方は現役の官吏同様の紋切
り型だと思います。しかし、碁とか釣りなどの別の趣味でくっついたら、意外な個人的な視野
や情報を洩らしてくれるのではないでしょうか。
 まあ3〜4回はムダ足運ぶつもりでぶつかったら、きっと成功すると思いますが……。

 鹿児島では「おかね」のことはダルとかダラなんぞは云わないでしょうか。
 先日、八重山〜薩摩〜西長崎〜津軽が同一イントネーションをもっていて、そこだけにマン
ジューが聞けることを申し上げたかと思いますが、沖縄と津軽がダル、ダラをいうのです。な
にかありましたら、ぜひお教えくださいますよう。

 まえまえから出雲のイントネーションとか、マンジューを云うかどうかが気になっていたの
で、きのふ、出雲の先輩に電話したおりに、そのことをきいてみました。
 出雲では「マンジュー」は云わないそうです。
 出雲はヅ−ヅ−弁‥‥すなわちウル「マ島(沖縄本島)の系統」ということで締めくくって
もいいかと思います。

 ……ということは、3母音のウチナー(沖縄)ぐちが発生したのは、タマトタケルなどが活
躍したあと、第二陣としてのアラビヤからの渡来だったと置いていいようです。

 √ やまとは くにのまはらば たたなずく青垣 やまとし うるはし 

 このウタは、亀山市能褒野で白鳥になって昇天する直前にタマトタケルが詠んだとされてい
ます。
 
 この能褒野地区では、「かなり強制的に神社祭礼の寄付金を取りにくる‥‥」と、クリス
チャンの友人がフンガイしてました。もう30年もまえのことですけど。

 おりょんはん、ウッス。
 喬木村は飯田市の対岸だがね。川のわきに生田というアザがあるのでおぼえています。
せんじつ紹介した「たご蛙」もこの近く。木地師で売り出している里もこの周辺ですね。
 この近くでは村を挙げて満州へ入植したことで有名です。TV放映でみました。
 山がせまっている割りには人口が多い。
 なにか昔日の金属精錬士の巣だまりを想わせますね。コメ作へのタカリの構造ですじゃ。

おりょう - 2003/10/21(火) 21:24<

こんばんわ

椋さんは下伊那群喬木村の生まれで、42歳ごろ鹿児島に移住し、50年あまりを過ごし、
鹿児島は第2の故郷のようです。
種が島で教師の仕事をみつけたが、信州生まれが南国の島にいったもんんで、暑さに
耐えられなくて越中フンドシひとつで授業をし、3ヶ月で首になったんだそうです。
豪放磊落な人のようですね。
私は椋さんの本で伊那の地がすきになりました。行った事はないのですが。

こうへい - 2003/10/21(火) 21:22<

子供の頃、山のてっぺんの親戚に行くと、突然ボクが居なくなるのだそうです。
あんまり遅いので、捜しに行くと、柿の木の下で、気を失ってケイレンしてるのだそうです。
柿の食い過ぎ。大人に担がれて、長い坂道を下りて病院に運ばれたことが2回。
ボクは、記憶に無いのですが。

今日、親戚から柿をもらいました。一人で、みんな食ってしまいました。
バアチャンにちっとはあげたか?一人で食ってしもて。
「オレの前に、柿を置くのが、まちごてる」
幼稚園の子でも、そんなこと言えへんわ・・・と、怒られました。
ええ年して・・が、付いてました。

こうへい - 2003/10/21(火) 20:35<

椋鳩十の本 第二巻山窩物語 鷲の唄

っていうのがありました。
これですか、ヤゾーさん。

こうへい - 2003/10/21(火) 20:26<
うわあ、すばらしい文章です。
読んでみたい。

ヤゾー - 2003/10/21(火) 18:15<

椋鳩十の山窩物語

みなさん こんばんわ

「祖父は 若い頃 山窩の群に投じて居たと云う」・・・
「祖父は鍛冶屋で・・・私はその側で、仕事の合間合間に、
山の話しをしてもらったものである。」という自序から始まる
山窩物語の著者 椋鳩十は確か鹿児島の人であったように思います。
自然の描写がとても素晴らしくて 山の草や木 朝霧の匂いまでもが漂ってきそうな小説でした。
サンカの生きることに対して純粋で野性味溢れる姿が
自然や動物を通し また食べることや性を通して強く伝わってきました。
物語りの中に 捕まえた雉を焚き火であぶり 
塩をふりかけて美味しそうに食べるシーンがありました。

akira - 2003/10/19(日) 07:46<

みなさん

いろいろなご意見ありがとうございます。
なにぶん、彼女本人もそことは縁が完全に切れているもので、新しい情報を収集するのは難しくなっています。語彙に関しても鹿児島弁ともまったく違い、理解できず、ほとんど覚えてないとの事です。
ただ、野草や薬草の知識がかなり豊富だったということです。馬肉や鶏肉の食べ方にもかなり特徴があったということです。サンカの人の食文化には伝統的な特徴というのはあるのですか。
機会があれば一度足をはこんでみたいと思っています。

△うぶ - 2003/10/19(日) 03:00<
akiraさん、みなさん、
鹿児島と聞いて思い出す事があります、昔、もう30年程前のTV番組で、鹿児島出身の某歌手
の家を訪ねていましたが、里山の山中の木立の小川の奥で、「アツ!」と思った覚えが有ります。
それに、最近発見したのですが、○○県出身の某女性歌手、芸名からソノ筋と思われます、
こちらの方は自信有ります。「アツと 驚くタメゴロー」。ミーハーで申し訳無いです。

こうへい - 2003/10/19(日) 00:37<

akira さん

はじめまして。
現在もあるっていうのは、すごいです。
もし、機会があれば調べて、教えて下さい。

蜜柑さん、三冊程、新聞に載ってました。面白そうです(^^)

焼尻紋次郎 - 2003/10/18(土) 19:36<

....╋ の 顔 ....

  akiraさん、初めまして。
 まさか……小生の「マッキントッシュ出張家庭教師」の akira さんじゃないでしょうね。
 鹿児島を故郷とする人びととは15名さん以上も友人ができてごわんど。


 いま、藤井さんがイジメられています。
 紋チャンのセールス感覚でできあがった偏見による人相術によれば……、
 あのテの顔(額がひろく、アゴへ先ほそり)とつきあうときは、「愛情」とまでは行かなくってもいいのですが、少なくとも「親密感」を周囲に、十分に漂わせてあげることが肝要ですね。
 あのテの顔の友人も一人いましたが、攻撃みたいなことをするとダメです。
 藤井さんご本人も、あっちべっとり・こっちべったりと、眠らずに気遣いをしまくったそうですね(今日の朝日新聞・天声人語から)
 ご自分がそうだからってんで、その裏返しがでたんでしょう。

 Akira さん、いま世界規模で言語種が根絶されようとしています。
 中学校の先生がいちばんいいのですが、そこ出身の先生はいないでしょうか?
 そんな方に語彙の拾集をやってもらう必要が急がれます。

 たった一語ですが、オレ(これはアラビヤ語)、特殊部落のことを書いた本の著者から「mak-i(一族・一族の人びと)という言葉を教えてもらいました。なんとこれが「マグワイ」という古代族際語に通じていたんですヨ。

 ╋は小生の独断と偏見によれば、女陰をマンジューという「アラビヤ勢力のコロニー」の一つです。
 いまでも、歴史の層が十分に露出してるはずです。

 この、お持ちになったテーマは、かなり世界や人生の本スジを衝いています。こんごとも宜しくアマカネ。

蜜柑 - 2003/10/18(土) 16:30<

連絡

批評社からサンカの単行本が出ました。
表紙は、これまで見たこと無いサンカのセブリ写真でびっくり。100年位前の写真のようです。

ヤゾー - 2003/10/18(土) 12:02<

蜘蛛と蝶

みなさん こんにちわ

akiraさん はじめまして
貴重なお話し読ませて頂きました。
サンカと関係のある村なのかは僕には分かりませんが
もしかしたら五木寛之さんの『日本人のこころ2』に書いてあった
薩摩の隠れ念仏「カヤカベ」と関係のある村なのかも知れません。
宗教的な結びつきから秘密を共有し 結束も強かったといいます。
また なにかありましたらお聞かせ下さい。

おりょうさん 僕の場合は美味しそうな話しだけで
口にしていないので悲しさがあります。
ここのところ おやつといえば拾った栗ばかりです。

△うぶさん 秋の夜長ですから 
いろいろと思いを巡らせて下さい。

今朝 蜘蛛の糸に片一方の羽が引っ付いてもがいている蝶を見つけました。
黄色と黒の縞模様の蜘蛛が 今にも襲いかからんとしていました。
何も考えずに木の枝を拾って蜘蛛の糸を切って蝶を逃がしてあげました。
そのときに あきらかに蜘蛛が怒っているのを感じました。
良いことをしたのか いらんことをしたのかと少し悩みました。
結論は蜘蛛が嫌いで蝶が好きだということにしました。

akira - 2003/10/18(土) 09:56<

はじめまして

僕もどういうわけかさんかに興味がありここに来ました。
ところがちょうど僕の友達で、鹿児島のとある部落とよばれるところにお嫁にいってた人がいて(今はX1ですが。。。)そこは山を二つ三つ越えた奥深いところにあり、聞いたこともないような特有の言葉を使い、今でも自給自足に近いような生活をし、山の中腹に洞窟みたいなのを掘って、そこでしめなわや草履なんかを作っては山を降りて物々交換をしたり、また、お葬式なんかも現在では浄土真宗の形式はとってはいるものの、土葬の習慣などもあり、元来は宗教的伝統も特有のものがあった様子で、自分たちの身内の結束が強く、集会のようなものも大変重視し、嫁といえども外部のものはそこには立ち入れてもらえなかった、というような話をしている人がいます。顔立ちも市内の人とは明らかに違い、限りなく南洋系の顔立ちだということです。
その割には自分たちの土地もあり、農業地も持っているようで、関西の被差別部落とはまた様子が違うようです。
僕も彼女もさんかに対する知識は今までありませんでしたが、ここのサイトを見ててひじょうに気になりました。
何かご意見がおありでしたら、また聞かせてください。

△うぶ - 2003/10/18(土) 01:52<

「新羅隠し」どころか、むしろ「新羅化」か?

古代史研究家の鹿島昇氏は次のように言う。「日本書紀が白村江後の、新羅人による
日本列島侵略隠し、という歴史偽造を行い、、、、、、、、、、ウンヌン」。
菊池山哉等に拠ると「天之日槍」は「新羅の王子」どころでは無く、原日本人であると言うし、
八切止夫は「天」だから海人、つまり「八」の原住系種族と言っている。
銅鐸が土中から出てくる=急いで土中に隠さなくては殺された=権力者の交代
=ニギハヤヒ(物部)系からニニギ系への交代。
ニニギ降臨の道案内したのが(新羅系)猿田彦となっているが、これもアヤシイ、
無理に新羅系と仕立てている?。地名の信貴、一色、新城、、、、等も新羅系地名と言うが
、、これもアヤシイ、本来の日本地名である「磯城」からの派生と考えるべきではないか?。
やれ「伽耶だ」「新羅だ」「高麗だ」「百済だ」と押し付けられているが、疑ってかかる事も
必要、、、日本原住系こそが隠され、変えられてしまっている可能性を考えてみる事も
重要と、、、、、、、、今日ボンヤリと考えていました。(唐突な話題で申し訳ない!)

おりょう - 2003/10/16(木) 23:34<

秋の三角(みかく)

こんばんわ

なんだかみなさま美味しそうな話していますね。

紋次郎さんウッスです。
紋次郎節読ませていただいてます。

ヤゾー - 2003/10/16(木) 22:05<

マツタケの季節になりました

みなさん こんばんわ

尾張の国知さん おりょうさん お久しぶりです。
北海道にそんな話しがあったなんて知りませんでした。

紋次郎さん 鳥は大きな目玉が苦手みたいです。
物部の先祖神「イカカシコオのみこと」が案山子の語源は面白いです。

こうへいさん 鹿の肉喰って猪の牙もらって 
なんか縄文人みたいですね。

何年か前に地元の高校で
生徒にマツタケ持ってこい アワビを持ってこいと教師が強要して問題となり
全国ニュースで流されるということがありました。
そのニュースをたまたま見ていた都会に暮らす友人から電話があり
なんというところに住んでいるんだ そんなに簡単にマツタケが採れるなら送ってくれと言われました。
紀伊半島南部は 山奥からいきなり海というところなので
午前中にマツタケを採りに行って 昼から磯に行くということができますが
マツタケもアワビも管理されたところにあるので採れば怒られます。
マツタケ山のほとんどは 入札してマツタケを採る権利を買わなければなりません。
しかし地元の猛者は どこで採ってくるのか知りませんが 毎年マツタケを採ってきます。
一昔前は マツタケを食べ過ぎて腹を壊したこともあるくらい採ってきたそうです。
こちらに暮らし始めた頃にマツタケの小さいのを三本貰って 
マツタケご飯にして食べたら 香りといい歯触りといい それはそれは美味しかったです。
マツタケ採りの上手な人は 匂いと雰囲気で あるところが分かると言いますが
僕はまだ自分で採ったことがありません。

こうへい - 2003/10/16(木) 19:54<

イノシシの牙

久しぶりに、いつも、絵を一枚掛けてもらってる喫茶店に行きました。
鹿の焼き肉定食を食いました。ここのマスターが、イノシシを撃つ人で、牙の上下もらいました。
下の牙が鋭くて、犬の腹でも切り裂く。上の牙は空洞で曲がりがきつく、片側すり減ってます。
上の牙で下の牙を研ぐのだそうです。向かってくる時、カチャカチャといでるのだそうです。
けっこう鋭いです。新聞のチラシが切れますねえ。これは、コワイ。

焼尻紋次郎 - 2003/10/16(木) 11:59<

...案 山 子 の 語 源 ....

 案山子についての存念は、やっぱ書いておきましょう。
 「カカ」がついているので、ここでも「xaxa(へび……大地の護り神)」が解釈の上で
は顔をだすのですが、オレ思うに、案山子の語源はモノノベの先祖神のひとつの「イカカシ
コオのみこと」が起源だと思うのです。

 最初の ik はペルシャ語を含むインド全域と、トンガ、ハワイ、マオリに共通の ek(1…
…一)です。ek が ik となるのはタジク語から東のほうで、このかぎりではシナ語もこの範
疇内です。
 akha とは目のことで、ankha という語形にもなっています。si は日本語では薬剤師、測
量士などにみられる「人」です。
 で、イカカシとは「ik(ひとつ)akha(目)si(人)」……すなわち金属精錬士だとい
うことになります。どうしてひとつ目が金属精錬士なのか……、それはキュプロス島にあっ
た象の頭蓋骨を「ひとつ目の巨人」だと思って畏れたからだと思います。
 イカカシコオの「コオ」は ko(の)o(神)です。金属精錬士の神がイカカシコオ。

 案山子というのはアテ字ですが「山を案ずる」んだそうです。山とはなにかというと、
「黒山のひとだかり」というように「人びとのあつまり」です。
 だから、お寺も鉱山もヤマと呼ばれました。

 板子一枚の船乗りも危険なしごとですが、鉱山はいつも落盤事故がつきもので、その危険
度は船乗りの比ではありません。
 ルスをしているおっかあたちは、小さな(?)丑の刻まいりみたいな人形を作って、父
ちゃんに持たせたり、作業場に飾ってもらったのではないでしょうか。

 時代がくだって稲作が導入されたころ、あんまし雀が来るので、かみさんたちは、こんど
はその人形(サイの神?)を田んぼの畦に立てた……と思います。
 そしたら効果てきめんだった。カラスも雀もイノシシも寄り付かなくなった、なぜなら、
その案山子の顔には巨大なひとつ目が描かれていたからァ〜〜ア、オ・レイ!!

 やってみる価値は十分にあると思うんですが……。やってぇな、なも。
 いま、案山子の上にカラスがとまるのは、人びとが「鳥が寄りつかなくなったのは、鳥た
ちが案山子を人間の姿だと錯覚したからだ」と、錯覚したからだと思いますが……。

焼尻紋次郎 - 2003/10/16(木) 10:05<

....大楠伝承はどうです?....

 GAINAさん、オレ(これはアラビヤ語だそうで……)、三日ばかり「伝承と実証」について無い頭を絞ったことはタシカなんですよ。でも、やっぱナンニモでなかった。
“伝承”にしろ“実証”にしろ、わたしらシロートとプロの考える内意には雲泥の差がありましょうが、実証という概念には科学が関与しているのではないでしょうか? その伝承が科学の手法に照らして合理かどうか……だと思いますがちがうのかなぁ。
 伝承を受け継いだ人びとの意識には「科学はなかった」と、いっていいのでは? 素朴な。自然とふれあうロマンとか情念での生活感情が基本で、教条をふりまわす宗教は天理教とか大本教などが出る江戸末期までは、借り物の仏教か原始宗教みたいな「飛び越えたリクツの場」しかなかった……と思うンです。
 そのへんに「伝承./.実証」に関しての乖離がある……、そこを衝いたらオモシロイ観点にめぐまれる……との直感を得たのでしたが、すみません、やっぱポンコツ頭はなんにも産出しなかったンです。

 そこで、実験考古学(どうなってるんだ?)。
 こうへいさん、ヤゾー親分さん、人間の大きさの案山子つくって、顔に大きく1ヶだけ目玉描いて、カラスとか鳥たちがどんな反応をするのかを観察していただけませんか? 理由は長くなるのであとまわしでアマカネ。

 GAINAさん、ここでも2〜3度書いたことがあるのですが、豊後森町には大楠伝承があります。周辺一帯が玖珠郡というのは、この楠から取ったそうです。森町には大楠が急成長した「切り株山」があって、ここでオレのオヤジが生まれたのですが、オヤジは「オレの時代では、もう切り株の跡はなかった」といいました。
 でも、ここは紀伊半島から四国を経て西に走る大地溝帯上にあって、周辺の山は平均800〜900M ですが、この切り株山は150M ぐらいかナ? 地底からいろんな物質を含んだ水……温泉みたいな……が湧きだし、盛り上がったような感じです。今では「美人の湯」とかだそうです。
 地球ができるとき、分子になりきれなかった素粒子は圧力をうけながら水に溶けた状態になっています。
 この地底深くから湧き出すユは、三つの火山帯が交差する群馬県の磯辺温泉にもみられて、若返り効果がナントカカントカ云われています。
 この切り株山に急成長をとげた大楠があってもオカシくはない……科学の根拠はありうる、と、思ってもいいのではないかと、我田引水デシタ。

 ここで水……おりょんはんウッス!!

蜜柑 - 2003/10/16(木) 00:04<

尾張一様

さすがですね。精力的な取材。
偶然ですね、フィールドワークの時期の一致。

今度、一緒に東北に行きましょう。
タマコさんの子供がいることが分かりました。
きっと、美人なんでしょうね。

そうそう、ハジメは最近「酒」を控えているため、非常に健康的になっていました。
ミニ箕の作者はハジメ、辰さんを含む複数ということも判明しました。
で、文字は「石で彫ったものに墨をつけた」いわゆる判子だそうです。

おりょう - 2003/10/15(水) 22:10<

北海道の炭坑

みなさまこんばんわ

尾張の国知さんの精力的なご活躍ほんとうにお疲れ様です。
北海道の炭坑、他人の山を一生懸命掘っていたらしいですね。
北海道の山おくで娯楽もなにもないところだからと、東京から映写機をかついでいって坑夫の人達に映画をみせていたらしいですね。
「サンカ小説」読んでいても、三角寛の”やさしさ”はとても感じます。

尾張の国知 - 2003/10/15(水) 20:59<

三角寛の騙された炭鉱が判りました。

10/6〜昨日まで、北海道ヘサンカ調査に行ってきました。
謎に包まれたままの、サンカ北海道集団移住事件の調査でした。
三角寛が見事にだまされた炭鉱開発と、そこに動員されたサンカの方々がいたことが判りました。
知られていない「ミサカ炭鉱」という名前を付けていて、坂田さんと名乗る人物との共同事業であったようです。関係書類も入手できました。
意外に“やさしい”三角寛の顔と、経営感覚の“未熟”であった時代の三角寛が見えてきました。

こうへい - 2003/10/15(水) 01:12<

眠たいけど、読みましたがな

今帰って、今メシ食って、ねむたいじょー!!
ya(・ε^)na さん、映画よりおもろいがな!
こんなマンガみたいな人、他にいてへんのとちがいますか(^o^)
もうちょっとで、ドザエモンやがな。ドラエモンちがいまっせ。よう似たもんか・・
よう生きて帰りはりましたなー。
まえのんより、10倍おもろいわ。
腹の出た人うらやましいなあ、ホンマ。
わろたとこで、風呂はいりま。また、きかしとくんなはれ。
んんん、わし、大阪生まれか?

ya(・ε^)na - 2003/10/14(火) 23:33<

えへっへへ・・公平さん・・もう一つおますねんよ!!

ヤゾー・・ビリビリですかぁ・・
 もうすでに経験おますねんよ・・遠くで稲光があったとき、手元の釣り竿に帯電・・
    「へへへへ・・しいびれちゃった・しいびれちゃった・しいびれちゃったよぅ♪」
   ほんま、思わず釣り竿はなしましたよう・・

こうへいさん、きんのの釣りの面白いお話PART2ですよん
  大雨のなかの釣り!!
  「うひゃーーぁ、怖かった・・」
退散です・・迎えの渡船がやってきました・・ところが・・・・んんんん
  ところがです・・朝6時過ぎは、満潮です
船に乗り込むためには、船首のタイヤに足をかけてよじ登らなあきません・・
  しかし・しかしです・・・船首の甲板までの高さが私の身長より高い
おまけにオーバーハングの船首のタイヤに足掛けてんけど・・・
  あはーーぁ・・えらいこっちゃ・・のぼられへんがな・・
 釣り馬鹿の釣友に、けつ押してくでーーぇって言いました
お腹半分登った時に、「げーーー!!」タイヤから足がはずれて、宙ぶらりん!!やがな!!
  「オオオオオーーーーィ・引っ張ってくれ!!」
   船首におなかがひっかかって・・動けませんがな!!
「ひえええええぇ・なんとかしてくでーーぇ」
  お腹モゾモゾやって・・やっとの思いで上がれました
  釣り馬鹿の友人曰く!!・・」「はっははっはあ・・トドやがな!!・・トド」
 ふん!!・・ほっといてんか・・

帰ってから・西田敏行のドラマやってました
  お腹出してる場面をみて・・
     「ふん!!・・大きい腹だしおって!!」
    そないゆうたら・・家族がんんんん・・・エエ勝負や・・てぇ

    ほっといてんか・・
       とほほほほほほ  やっぱり痩せんとあきませんねぇ

                 情けなぁ・・・やなでした

ヤゾー - 2003/10/14(火) 18:30<

子供のような人たち

みなさん こんばんわ

連休中は急に蒸し暑くなったと思ったら
今日は朝から冷たい雨が降り 
寒くてストーブを出そうかと思ったくらいでした。

よい年をして 子供みたいな人がいますが
ポテトチップを兄弟で取り合っている方が
親の財産を巡って骨肉の争いをするより無邪気で好きです。
ヤナさんの雷がゴロゴロで思い出した話しがあります。
地元の釣りバカ二人が夏に磯釣りに行ったときのことです。
幼なじみの二人はよく連れだって釣りに行きます。
普段仲が良くても釣りともなるとライバル心を燃やして
場所取りや釣果を巡って争うことがあります。
その中の一人から聞いた話です。
今にも雨が落ちてきそうな雲行きになり
遠くで雷がゴロゴロ鳴りはじめ ときおりピカッと光っていたそうです。
まだ大丈夫だろうと気にせずに竿を持っていたところ
向こうで雷が光ったと思ったら静電気のパチッよりも強い衝撃が手にきたそうです。
これは怖いとすぐにピトンに竿をかけて
少し離れたところで釣っている幼なじみを見たら平然と釣りをしていたそうです。
普通なら よい年をした大人なのだから
その幼なじみに注意してやれば良いものを
子供みたいに「おもろいさか 見ててん」と言うのです。
そしたら案の定 ピカッと光ったと思ったら
持っていた竿を投げ捨てたというのです。
それも最近買った高い竿をです。
かなり強烈な衝撃があったみたいで もう帰ろと言ったそうです。
それを楽しそうに話す 50を過ぎても子供みたいな釣りバカの話しでした。
ヤナさん 遠くであっても雷がゴロゴロ鳴りだしたら 竿は仕舞うかピトンにかけておきましょう。
 
紋次郎さん 弁才天は観音の分身だともいうそうですね。
また 江ノ島の弁才天は女陰の部分がもっとも精巧に彫刻されているという話しです。 

こうへい - 2003/10/14(火) 11:23<

イノシシは猛獣です

って、タイトル盗用しましたが、生きたイノシシ間近で見たことがあります。
釜中へ、神社を捜して山道を歩いていたのですが、途中二股に分かれていて、下の道を選んで進むとだんだんと薄暗くなってきました。暗い中に機械がひっくりかえっていたり、立ち入り禁止の看板も出てきました。ちょっと不気味と思いながら歩いていたら、突然ドッカアーンという轟音が。
うわ、と飛び上がりました。
よくみると、頑丈な、どでかい金網の箱?が道の下にあり、中に4匹ほど、イノシシが暴れ回っていました。下に降りてみると、大きなイノシシが鉄格子の壁にガンガン体当たりしています。
こんな山中で誰が飼ってるのか。
イノシシはまっすぐ走るので、向かった来たら寸前で避ければいいと誰かが言っていましたが、こいつを避けるには、よっぽど素早い俊敏な人でないと、ちょっと無理なような・・・(^_^;

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2003/10/14(火) 07:23<

...「開く」に込められた深甚なる意味....

 窯をあけたあと、その余熱の暖かさを楽しんだのは子供たちばかりではなかったでしょ
う。むかしのトルコ‥‥じゃなかった、サウナ風呂でもあったことでしょう。
 khula というのは、もともと劇場などが「あ(開)いている、開催されている」という
意味だったので、これが雪洞のカマクラに適用されてもオカシクはないはずです。
 ですから、雪洞のカマクラには「窯開き」というワクワク・ムードもいっぱいです。

 諏訪の御柱まつりは、神さまから柱として戴く樹の幹に、へびの頭部をかたちどった
「カマ(鎌)」を打ち込むことから始まります。「カマ=へび」です。
 へびは大地の護り神です。そのカマという発音はエデン語「 *P∽(a +e)M……パ
ム」の変化態の一つだと思えるのです。
 鎌倉幕府とは「大地の護り神」という地名がそこにあったから、そこを中心部としたの
か、或いは新しく地名をそのように名付けたのか……のどっちかでしょう。

 ところで漢字オンチの小生は、弁天さまと観音さまの異同については、まったく知りま
せんが、どなたかお教えくださればアマカネです。
 両方ととも「開く」ということで、庶民にはワクワクです。

 「あく(開かれている・あける)」で同根を示しているのがトルコ語の at∫ です。古
代日本語では「ひらく」は「あく」でもよかった。そこに Hir が前置されてできた語形が
「ヒラク」でした。せば(秋田弁)、Hir とはなんでしょう? 
 これはひとつには、神庫と書いて「ホクラ」と読ませる XO(神聖な虚空)でもありま
すが、起源的には太陽だったはずです。
 「ヒラク」ということばそのものに岩戸開きの原点があったのでした。

 ところが、世の中、そうカンタンに行くもんか。
 ヒルには Bir という音が絡みついている。クチビルのビルです。

 むかしのひとは、身体のあちこちをひっぱって、それが長いのが高貴な人とか美人のシ
ンボルにしました。ビルマの奥地では、首に7本も8本もワッカ重ねてロクロ首みたいに
なったのが美人でした。
 金属精錬士たちのあいだで流行ったのは「耳ひっぱり」です。
 徳川家康さんなんざは、どうひっぱったのか巨大なぐちゃぐちゃ耳になっています。
 ミズラというのは、小さな耳を隠すのが主目的のヘアスタイルだ……と思います。

 流行とあれば股にイガグリはさむといいます。これが嵩じてくると女性たちは自分の小
陰唇の bir-a bir-a をひっぱり伸ばすようになるんですな、これが〜。
 ウソじゃありません。台湾プユマ語に pirat という語彙があるのです。意味は挿入のま
え、指で小陰唇をひろげることです。

 鎌倉市を挟むようにして弁天島があり、逗子市があります。逗子の「逗」はどっかでま
ちがったアテ字で、本来は「厨子」です。厨子とは聖なる空間のハコの「観音開き」のこ
とです。
 あ、鎌倉のクラは「座」です。「タカ(神……天皇)ミクラ」のクラです。
 先日、TAK(神)はトルコ語だと書きましたが、アラビヤ語でした。慎んで訂正しま
す。takat は権力で、takat-oli が最高権力(鷹)になるんですな。

こうへい - 2003/10/14(火) 00:41<

ya(・ε^)na さん

釣りバカ日誌・大雨の巻き 実に楽しく読ませていただきました。
人を嬉しくさせる天才・・笑いはしません
笑いはしませんが・・おもわず・プッ・・へをこいたのではありません(^o^)

ya(・ε^)na - 2003/10/13(月) 23:18<

私は、まぬけなロバ!!

ヤゾーこんばんわ・・ものすごい雨でしたねぇ・
 ゆうてはりましたねぇ・・釣りはむりやねぇって・・
  おいおい・・人の話きかんかい!!ええ!!
  人がしんせつにゆうたってるのに・・
    そやから、こんな目にあうんや!!・・
  とほほほほほ・・・・・


   とりあえず・・行こか!
    雨やでぇ・夜釣りしてる間ズーーット雨やねんでぇ
     たいしたことないって!! ほんまかなぁ
       しゃあないなぁ・・ほんなら・・いこかいねぇ・・
     渡船屋に着いたときはまだ、降ってませんでした・・
    だいじょぶや!!・・

   おいおい・・渡船屋もやめときって、言うてえなぁ
     今日みたいな日にくるのん、あんたらだけや・・って・いわんといてぇ

 磯の上で、釣り始めた頃、熊野の山のほうから・・んんん
  しーろい、カーテンがながれてきましたよん・・
  同時に風がドッパーーーァって吹いてきた・・やばーーぁ!!
   雨具付けへん内に、ドバーーァのザザザザーーァでおます・・
 でも神さん、ようしたもんで、6・7時間はたすけてくれはりました・・でも
   深夜3時すぎやったかなぁ・・雷がゴロゴロ言い出しました
  稲妻がビリビリ・・そのあとは、皆さんの知ってのとうり・・
   どしゃぶりの3乗・・・・

  みなさん、天気予報とかは・・んんん
    一応信頼して、あほな釣りはやめときましょうね!!

     わたしは、まぬけであほなロバです・・
         とほほほほほ
    

あおき - 2003/10/13(月) 08:38<

ポテトチップをお土産に

 一箱こんどお土産にもっていきましょうよ 一箱食ったらさすがに口の中がシオシオになって
飽きるかもしれないし・・・ でもはじめさん死にそうになるほど酒飲んだりするからなあ
うすしおにした方がいいかも

GAINA - 2003/10/12(日) 22:38<

明日は熊野です。

ヤゾーさん、みなさん、こんばんは。
久しぶりの雨、熊野では、まだまだ降り続いているのでしょうか?
明日13日、玉置神社の本殿すぐ下の重要な鳥居の竣工式(くぐり初め)に
参列することとなり、これから出発します。
文化財の関係上、経費負担や手続きなどで、
やっと修復にこぎ着けたのが実情です。
玉置神社境内、建築物、周辺の奥駆道も世界遺産登録対象になるとのことで
手続き上、難しいことが多くなってきたようです。
一度、お出かけください。歓待するよう話しておきます。

紋次郎さん、その地方の伝承を実証する というのがテーマです。
伝承といえば歴史的な価値が・・・とお思いでしょうが、
庶民の生活に根ざした、その地方独特のものがふさわしいと考えています。
その実証を通して、地方文化、その当時の思考などが見えてくれば
いいかな と・・・・・。
いい情報がありましたらお願いします。

おりかべ - 2003/10/12(日) 21:37<

カミアシ

紋次郎さん、こんばんは。

>おりかべしゃん、アイヌ語のカミアシ(毒蛇)とアシカガのアシとはどげなんふうになっ
>ちょるとでっしょうか?

カミアシ(KAMIYASI)は「化け物、魔物」の意味と聞きます。
昨年亡くなられた、葛野辰次郎氏著の「キムスポ」という本の中で(トンコリ奏者 
加納沖さんの1stアルバムの中に引用されている歌があります。)、
このような文があります。以下引用です。

シ フシコ テータエカシ コペプカキワ オカイペネ 
(古き 昔 祖父     語られて    おりますもの)
ホイヨ カミアシ・ウタリ エィ ヌプル キ オヨヨネ 
(妨害する化け物たち    自分で 偉ぶり  恐ろしい)
ルカニスルク パナ カル キ ア コラク
(猛毒     の素  製造して)
ウコイキ ロルンペ エィホシキプ サンケ キイ カネ 
(いざこざ 戦争   先駆け    いたしながら)
エィパケ サラ キィ ア コロカ イケムヌキ
(自分を誇らしげに 致しましても  哀れむ)

アシカガはどうか知りません。 

蜜柑 - 2003/10/12(日) 18:46<

一人旅

サンカの松島はじめに会ってきて、「焼き湯」の撮影現場に案内してもらいました。
今日の、最高傑作話はお寺の住職から聞きました。

タマコさんがなくなった時に、
ばらばらに住んでいた、はじめ、マサコ、ハツコ、サンジなどが
お寺に集まったそうです。で、住職がお茶とポテトチップスを出したら、
兄弟で「取り合い」が始まって、タマコの夫の親族一同ビックリしたそうです。
焼き湯の場所 風の王国にUPします。

焼尻紋次郎 - 2003/10/12(日) 13:47<

...へび と おっかあ...

 GAiNAさん、はじめまして。
いわゆる「ドキュメンタリー」みたいな放映ものでしょうか? だったら、日本の中のネ
パール文化みたいなのを考えていただけませんか。視覚化できる項目を並べてみたことがあ
るのですが、20ぐらいはすぐでます。シリーズものも可能ではないかと思えます。

 ヤゾー親分さん、xaxa(へび)はよく出てきますね。
 古代語の領域では「へび・母・舟・女・乳・大地」がセットになっているようですから、
この目でにらみつけられたら、そのうちボロを出すでしょう。
 母、嬶あ、ババ(婆)……。足利とか加賀とかはそれかもしれません。
 おりかべしゃん、アイヌ語のカミアシ(毒蛇)とアシカガのアシとはどげなんふうになっ
ちょるとでっしょうか? カミアシの kam は P∽(a +e)M系の「へび」かな?
 親分さぁなオロチも云わっしゃったバイ。こうなると「オリカベ」のいわれも披露せなな
らんごつなったばい。「oli(最高)ka(の)bhed(階級)」の解釈を捧げます。

 チチカカ湖の東、大平洋岸にはニワトリを飼って縄文土器を用具とし、へびをオロチとい
う氏族がいるそうですので、満州(東北)にいるツングース語を洗う必要があります。彼ら
は自称他称でオロチョンとかオルシがあります。
 語彙の中にある r や l は促音をおこしますので、あんがい「おっかあ」とオロチは繋がる
のかもしれません。

ヤゾー - 2003/10/11(土) 23:15<

300キロは傑作でした

あおきさん そんなたっかいベンツには乗ったことはありません。
東京に居たころに 乗ったことのある人から 600SELのトルクの凄さを聞いただけです。
それにしても勇ましいですね。
思わず「仁義なき戦い」を思い出してしまいました。
「300キロだしちゃるけえ」は傑作でした。
蜜柑さんのフィールドワーク 楽しみです。

あおき - 2003/10/11(土) 21:17<

えーヤゾーさん

 600SELなんて乗ってたんですか わたし一昨年600SELにクラクション鳴らしたら
ヤ○ザにストップさせられて襟首つかまれて 組へくるかなんて言われました
でも東京のヤ○ザは広島の普通の海運労働者よりも怖くないので “ドコの組なら 連れてってみいや
おー わしにベンツを運転させてみい 300キロだしちゃるけえ”とかいってたら
後ろから渋滞してる車にクラクション鳴らされたのでさっさと立ち去りました
600SELの怖い思い出

あおき - 2003/10/11(土) 21:08<

あした蜜柑さんが

 昨年はじめさんと対面した埼玉の嵐山に行くそうです 私引越しの準備でいっしょに
行けないのが残念ですが 例のミニ箕をはじめさんに見せたら “俺がつくった”とか
言うかもしれないなんて電話で言ってました
 しかし 昭和6年ごろはサンカがうじゃうじゃいて 嵐山村長が小学校の近くでうろうろしないで
ちょうだいと 瀬ブリに酒持って頼みに行ったくらい たくさんいたそうです
 嵐山はほんとに川の水もきれいで 絶好の瀬ブリバですね
焼き湯跡も調査に行くそうです 私も行きたい でも奥さんに怒られる

ヤゾー - 2003/10/11(土) 17:30<

イノシシは猛獣です

みなさん こんばんわ
熊野地方では ときおり強い風が吹いています。
ヤナさん 釣りは無理っぽいです。

GAINAさん お久しぶりです。
そうですか 何かお役に立てる情報があるとよいのですが
お年寄りに不思議な話がないかあたってみます。

紋次郎さん クルマの中でラジオを聞いていたら案山子の話しをしていました。
なんでも案山子には山の神という意味もあるとのことで
蛇のヤマカガシもそこからきているとのことでした。
もともとはカグチ?と言ったそうで
オロチのチというのも関係あるそうです。

昨夜 月明かりが奇麗だったので 山小屋の周りを散歩してみました。
そのときに 裏山からガサゴソガサゴソと何かの動物の気配がしていました。
きっとタヌキなんだろうとそのときには思っていました。
寝る前のことです。山小屋の近くを何かの動物が走っている気配がしました。
タヌキにしては迫力のある音だし なんだろうと窓から外を見たら
ぬぁ〜んとイノシシでした。
近くまでイノシシが来ていることは足跡から知っていましたが
実際に山小屋の中から見たのは初めてです。
夜に怖くて外で小便ができなくなるではありませんか。
夜に山道をクルマで走っていると
野うさぎなんかが飛び出してきたりして
ヘッドライトの照らす方へ方へと
しばらくクルマの前を逃げ惑うことがあります。
まさかクルマと競争している積もりでもなさそうだし
パニックを起こしているようで可愛そうなので
そんなときには クルマのスピードを緩めて
ヘッドライトを消してあげると道から外れて逃げていきます。
一度 真っ昼間にクルマで山道を走っていたら
イノシシと鉢合わせしそうになりクラクションを鳴らしたことがありました。
そのときのイノシシの逃げっぷりを見てから
イノシシの見方が少し変わりました。
そのイノシシの逃げっぷりというものは
トルクパワーが有り余っていた頃の大排気量のアメ車か 
アクセルワークを少しラフに扱おうものなら
すぐにホイルスピーンしてしまうというビックトルクを有するベンツ600SELのような感じで
足に火がついたように足を空回りさせながら地面を蹴って猛ダッシュするのでした。
なんか面白かったので クルマで追いかけたところ
流石のイノシシとて クルマには勝てないと観念したのか
道を外れて急斜面の崖を物凄い勢いで駆け登ってゆきました。
それはもう筋肉の塊のような バネのある見事なパワーでした。
あんなもんに突撃されたら死ぬかもしれんと そのときにつくづく思いました。
それからイノシシは猛獣だと思うようになりました。

GAINA - 2003/10/11(土) 16:36<

報告、遅れました。

ヤゾーさん、みなさん、こんにちは。
不思議の伝承を追う 某テレビ番組制作の話でが、
報告遅れました。

実は伝承が実証されないものばかりで困っています。
蜜柑さんに紹介いただいた話も
河童伝承だけに終わってしまいました。
薬の材料からも追ったのですが・・・。
来春の放映なので、
今年いっぱいは、じっくりといろいろなことを追っかけていこうと思います。

 焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2003/10/11(土) 14:40<

長野のタゴ蛙 と 熊野のタジク文化...

 けさの9時06分、N.H.Kが「長野県根羽村のタゴ蛙」を紹介していました。
 みると濃い茶色で、ほとんど黒。皮膚がぬれぬれと光っていました。
 アナウンサーは「鳴き声はなんのへんてつもなく、ただ“ぐぐ・ぐぐ”です」と解説し
ていましたが、この「ぐぐ・ぐぐ」もおれに言わせたらとんでもない古代性を露呈してい
る……と、こうなります。

 古事記にでてくる出雲のカエルは「たにぐく」です。世界広しといえど、カエルのこと
をグクなどという民族はタジクだけです。「たに」は身体のこと、ビキタン(九州弁;
蛙)のタン。沖縄の男根「たに」との関係はオラシラン。
 また、古代中央アジアではカエルは神様でした。
 水も神です。また、悪魔は湿りっけのあるところには近づきません。
 そのカエル崇拝の念が凝縮されたのが、熊野の「ゴトビキ岩」でしょう。ビキ(蛙)も
タジク語です。

 おれ、3日まえにTAK(神)をトルコ語に見い出していささかコーフン気味です。
 トルコ民族も10世紀ごろにはタジキスタンとかソグでィアナなどの中央アジアにいた
のですから、そのへんの言葉がトルコ民族の支流一派の言葉として、日本列島にはいって
きても、ちっとも不思議ではありません。
 また、シナ語がシナ大陸に蔓延する前には、彼の地もいろんな民族氏族がモザイク状に
割拠していたのですから、「ぐく(蛙)」ということばも、揚子江河口周辺で500年ほ
どあぐらをかいたあと、日本列島に入ってきた……も、十分にありえます。
 千葉県に多胡町、青森県南部に田子(たっこ)町がありますが、これらはTAKを写し
たものと見受けられます。
 「第二子音濁化のクセ」でTAKはTAGとなり、開音(母音づけ)されると TAGO
(Oは、また神)になります。タゴ蛙とは「神蛙」のことだと思います。

 日本では柱も神でしたが、水の柱はすごい神様だったことでしょう。
 那智の滝の「ナチ」もタジク語の nat∫ib(立派な、気高い、高貴な)以外には考えら
れません。瀧とは「TAKーI(神さま・ものごと)」だと、ことばそのものが謂ってい
ます。ベトナム語の thac(瀧)とも何らかの関連があることでしょう。

 後世、江戸時代に屎尿くみとりのコエタゴが日常一般に出てきて、TAK(神)は使わ
れなくなったんだと思います。
 おれが書くと,どうしてこういつも、下品に落ちるのか……ガハハッハ

ヤゾー - 2003/10/10(金) 17:35<

ヤマガラの朝

みなさん こんばんわ
ほんとに日が暮れるのが早くなりました。

hanajanさん はじめまして
十津川へ行ったときに 栃餅を売っていたような気がします。
今でも 十津川の方では栃の実を沢水に浸けてアク抜きをして食している家もあるみたいです。

今年は冷夏で山にも食べ物が少ないのか
例年より早くからヤマガラが餌をねだりにきています。
寝ている枕元にある窓の出っ張りに 
明け方になるとヤマガラがとまってチィーチィーと鳴き始めました。
ほとんど耳元で鳴いているくらいにやかましいので 
すぐに目が覚めてしまいます。
今年もヤマガラが来てくれるんだなと
嬉しいような眠いようなで 拾ってきた栗の実を砕いてあげてみたところ
少し食べるのですが 後は見向きもしません。
ヤマガラがよく食べている猛毒のシキミの実などに比べれば
栗の実の方がよっぽど美味しいように思うのですが口に合わないようです。
栗の実もおんなじ木の実やいしょ 人間が生で食べても美味いんやで
贅沢なことゆうててもヒマワリの種はないで〜とヤマガラにぼやいたところで食べてくれません。
仕方がないのでヒマワリの種を買ってきてあげました。

焼尻紋次郎 - 2003/10/10(金) 12:17<

... 野 草 雑 感 ...

 縄文人の平均寿命は35才といわれているんでしたか。おれ、数字オンチで叶いません。
 おそらく、母親の胎内にいたころから栄養失調で、生まれおちたあとも、ロクなもの食わな
いのでハラヘって、ついつい毒草食ったり、腐ったもの食って下痢したりしたんでしょう。
 それでも、平均寿命は13才以下にはならなかった。なぜか……そんなに若くては子種が続
かんから。

 火を自由にあやつるようになって、寿命が大幅に伸びたことはいえるでしょう。
 今でも、木の葉のハリギリやコシアブラの葉はかなり固くなっていても、山菜の風味がして
イケる味です。
 カナダでは毎年、トゲのあるイラクサの早やぐい競争があるそうです。
 ケネディー大統領から最高の尊敬をうけた米沢藩の上杉鷹山殿様は、飢饉対策としてウコギ
を生け垣に植えることを奨励したそうです。

 焼いたり焙ったりしたら食える木の葉は、探せばもっともっとあるのではないでしょうか。
 「あかざ」など、なぜ食べなくなったのでしょう。やっぱ「だれも儲からんから」だろうな
あ。それと……お百姓さんたちは、そこまで、とことん忙しかったんやろか。
 サンカさんたちは、だれも見向きもしなくなった野草を七草として問題提起したのかな?
 七草を売りに行ったとき、いろんな薬草情報も教えたのではないでしょうか。

 レプチャ語が喋られているヒマラヤ南麓のある谷に、対照的な二つの氏族がいることが注目
されました。片っぽうはナァ〜〜ンも知らぬ低文化ですが、もう一つの氏族は草や植物の効用
を微細にわたってテテテキに熟知しているそうです。

 戦争が終わって6年めごろ、「こんど戦争がおこったら、おれは塩とイリコをもって山の中
に逃げるヨ」と、生物の先生が云っていました。

こうへい - 2003/10/09(木) 20:49<

アク抜き

hanajan さん はじめまして
ありがとうございます。
アク抜きですが、渋いのを除くと思うのですが、普通は、水にさらして、
アクの強いのは、水に灰を放り込んで、その上澄み液を使うらしいです。
ドングリは、どっちだったのでしょうね?

hanajan <http://www.hanajan.com/> - 2003/10/09(木) 20:07<

「ヨシノガリ」遺跡

随分前に、ヨシノガリ遺跡のことをTVで放映(NHK)していました。

稲作が取り入れられる随分前のことであり、ヨシノガリでは、住居区の外側に栗の木を植樹して林を作っていたことが分かったそうです。
農耕以前のことであり、いわゆる「採取生計」ですか、このような事が何百年も続けられていたとのことです。
そのような中、栗を植林する手立てを知らない部族は、ドングリ(樫の実)を主に食べていたようです。

さて、栃の実ですが・・・(栗と樫のアイノコのような格好/クヌギに似ています)
ある種の「漫画」の中で「栃餅」の作り方を説明していました。

アク抜きをするには、甘皮を剥いた栃の実を、水を張ったカメに入れて数日間置いておきます。
カメの中の水を定期的に交換しますが、頃合いを見て石臼を用いて粉にします。
縄文時代だと、此所で恐らくアク抜きの工程は終わりだと思われます。
加えて、現在での栗の実を処理する方法も、ここまでだったと記憶しています。
さしあたり、出来た粉を練ってから火を通すことを通じ、「ある程度食べ易く」なると考えます。
粉にしないで実のまま食べるのであれば、バイセンと云う方法が在るのでしょう。

ここからは現代の方法、すなわち「売り物」になる栃餅の作り方となります。
粉にしたモノを日本手拭いに入れて、水流を使って、と云うか、水流と「手のシゴキ」を利用してアクを抜いて行きます。
この作業を何度も繰り返す訳ですが、現在は、そのようなコトで人件費が嵩むこととなりますので、栃餅は、かなりの高級品であることは間違いないでしょう。

以上

こうへい - 2003/10/09(木) 20:04<

灰汁抜きって

アク抜きです。念のため(^^) 漢字に変換するとこうなります・・・

こうへい - 2003/10/08(水) 16:52<

灰汁抜き

栃の実って、見たことがありません。
ドングリやカシの実は知っていますが。
乏しい知識で言いますと、縄文時代に入って、温暖化したため、大型動物も居なくなって、狩猟も獲物から離れて攻撃でき、相手の動きに迅速に反応出来る弓矢が発明されました。広葉樹の森が発達したため、クリ、ドングリが主食?になります。ドングリは、そのまま食べられないので、土器が発明されました。灰汁抜きをして、食べられるようにしたのです。
とまあ、縄文の一般説です。灰汁抜きのためだけに、土器が発明されたのではないでしょうが。
石器、漁労具(釣り針、銛)を作っただけなので、実験はしてません。

焼尻紋次郎 - 2003/10/08(水) 11:37<

...煮て食おうと、焼いて食おうと‥‥..

 ヤゾー親分さん、新栗なんざをナマで食うと、植物が放出しているフィトンチッドに当
てられてジンマシンが出たり、呼吸困難になったりするそうですので要注意。

 ことしは寒いので、おへまも一昨日から天津甘栗の販売、開始です。
 おへまの里のすぐ南の山手がかなり有名な秋山郷です。
 秋山郷については江戸時代の民俗学的な記述がのこされています。それによると、ここ
では、米作に適した平地がないので、秋になると全員総出で、朝から晩までとち(栃)の
実を拾いまくったそうです。
 
 ところで、こうへいさん、栃の実は砕いて袋にいれて小川に曝しておけばタンニンが抜
けて食べられるようになる……まではわかりますが、細かい繊維の布がなかった時代では
どうしていたんでしょうね。
 やっぱ、壺に入れて水を加え、これを5〜6回取り替えたのでしょうか?

 また、熱を加え(煮る)と有効性分が出ることは一般に考えられるところです。
 栃の実を砕いて5〜6回水をとりかえた時点で煮たら食べられるのでしょうか?
 このへん、実験考古学ではどな。

 もいっちょ‥‥、どんぐりも食べなかったわけがないと思えるのですが、これどうなん
でしょう?
 あわてて食って、フンヅマリになったときにはご一報のこと。そこは焼尻の紋次郎ね。
 
 「ナマで食ったらダメ、煮たらいい」という食い物はいっぱいありますが、「煮たり焼
いたりしたらダメ」という動植物……ありましたかね。
 このごろはジャガイモやリンゴ、トマトも焼いて食べるのが流行ってるそうです。

ya(・ε^)na - 2003/10/07(火) 23:32<

うひゃーーーぁ・・なんダニこれは!!

うひゃーーぁ・えらいこってす!!
  なんだんねんこれは!!・・
 カイカイカイカイーーーノ・・・・夜中に目覚めました!!
 んんんん・・なんなん!!ひだりてに、テンテンテン・・
どひゃーーーぁ・・ダニや!!ダニに食われました・・
  あわてて、服脱いだら・・んんんなんや小さな黒い点!
 爪で押さえたら・・んんんん・・プチッっていいました・・
  ギョエーーーー・・プチプチプチプチ・・
   掃除機でおもくそ吸い取りました・
    でも!!・・んんん・・かいーーーーの
 こんなこと・始めてやおません・
    二回目です・・
    明日は、バルサンの日になりそうです
          ヤゾーんとこは、大丈夫ですか・・????


         んんんんんん・・カイーーーノ!

おりかべ - 2003/10/07(火) 21:50<

お晩でござんす。

こうへいさん、ご無沙汰しておりました。

>テレビのツキンボ、狙ったやつ皆捕れてましたね。
>ええんかいと思う半面、水冷たかったと思いますね。

夏でも沢の水はとても冷たいですね。
私がテレビ放映で問題に思ったのは、今の渓流事情では非合法ではないかと
思うのですが、テレビでは何の補足や注意喚起がなかったところに疑問を
感じました。

紋次郎さん
>orikabeしゃん、訂正有り難うございます。MAR(死ぬ、殺す)のほうでした。
>カンちがいしてました。マレップがほんとうです。TUTU しむで訂正します。

MARという意味合いがあるかどうか私は知りませんし、アイヌ語でMAR(死ぬ、殺す)と
いう言葉は聞いたことがありません。RAY(死ぬ)やRAIKE(殺す)はきいたことが
あります。marepは「泳がせる・物」でmaは泳ぐ-reは使役の意の接尾辞のようです。

>ところで、turu-kot はどんな意味でしたかね? 

この掲示板限定で前のHNで用いていましたけど、これは地名「鶴子」
からとっています。
盛岡市と滝沢村にある地名ですが、所謂アイヌ語系地名で、かつて
川の流れがあった所ではないかと私は考えています。
tu-ru-kot(古い/旧・足跡/跡/道・窪み/沢/谷間)ということで、
北海道のアイヌ語ではフシコ・ペッ・ルコチ/huskot-pet-ru-kochi
(古い、旧=tu・川・道・窪み)という表現があるようです。
「鶴子」地名の辺りは元々氾濫原または湿地帯のようで、付近に
「谷地」「谷地中」「二タ又」「川久保」などの地名があります。

>隠岐の島にあるクユミヅルという地名を、山本多助エカシが「あなたと私がつるんだ処」
>と解釈して雑誌に発表したことがありました。

釧路アイヌの山本多助エカシが隠岐島を訪ねられたお話を聞いた事があります。個々の地名
解釈は存じませんが、エカシが訪ねられる前に、隠岐の地名をアイヌ語で解釈されて、
その地名の場所がどのような様相であったかということを指摘されて現地に行かれたら、
その通りの様相だったそうで、地元の方々が驚いておられたという内容です。

>アイヌ語に you(あなた)があるわけでもな

「あなた」に該当する語ありますよ。
アイヌ語の文法の大きな特徴として、人称接辞というのがありまして、これが
動詞、名詞にくっついて、主に主語、所有語、目的語を表します。
また、人称接辞があるゆえ、頻繁に使われませんが、人称代名詞もあります。
いずれも、2人称の「あなた」の語―それぞれ e-、eani があります。

こうへい - 2003/10/07(火) 19:51<

紀州の山々

 生石山に登りました。
南を眺めると、山ばかりです。
オオカミや一本タタラやヤマネコが居ても不思議ではないように思えます。
熊野までは見えませんが、紀州木のクニ、山のクニです。
手付かずの山々に見える・・近くに行くと人の爪痕?がいっぱいなんだろうな。

ヤゾー - 2003/10/07(火) 19:21<

栗に泣かされた

みなさん こんばんわ

アシタバは高血圧にも効果があるそうです。
以前 南紀の海辺に自生しているアシタバがあると聞いて採ってきたら
良く似たハマウドという毒草でした。
本物のアシタバを採ってきて 山に植えてみたことがありました。
生命力が強いのか 根付いて数年間は生えていました。
その後はどうなったのか 植えた場所が草ぼうぼうになったので分かりません。
もしかしたら 今でも生えているのかも知れません。
おひたしにして食べたら 香りが良かったように思います。

栗の実が落ちていたので拾い集めました。
茹でて食べるのに中途半端な数だったので
もっと拾おうと木を蹴飛ばしたところ 
三つばかりイガのまま落ちてきて
避けきれずに背中に命中しました。
あまりの痛さに泣きました。

こうへい - 2003/10/07(火) 16:04<

アシタバおじさん

ありがとうございます。
いっぺん植えてみようと思います。テレビでやってたの内容完全に忘れてましたので。
食べられるまで、3年かかるんですか。

>もういっぺん立って歩くこと
陰ながら祈っております。
アシタバってどんなん・・から始めてみます。良い名前ですねえ。
ありがとうございました。

焼尻紋次郎 - 2003/10/07(火) 13:54<

...へんなとき、ところで竿が立つ....

 こうへいさん、またスミマセン。答えられないんでふゥー。
 これは医薬品ではなく、自然食品なので発売者は効能が言えないんです。
 でも、ムショ入り覚悟で大サービスよ。

 アシタバはまんず肝臓にいいと云われてきました。すなわち抵抗力とか解毒力のある体質にす
るんですナ。
 このアシタバが注目されたのは後藤迅幟(ハヤシ)という人がガンを治すと言ったことからで
した。その頃は植物性ゲルマニュームがなんとかかんとか云われていました。
 その後、医学関係者の追求の結果、毛細血管を拡張させるに威力があるとも云われています。
 ですから、あらゆる成人病の治療はアスコルビン酸(ビタミン C)とコラーゲン(煮凝り)を
摂りながら、アシタバを摂取するのが最低基本じゃないかと思うんでアリマス。

 オレ個人の体験をいいましょう。3〜4ヶ月かかる原稿を書いていたときのことです。そのと
きは「まだあと1ヶ月半はかかるナ」と思っていたのです。
 ところが、ある夜の9時ごろ、ふと考えたら「ナァンだ、それくらいならあと5〜6時間かけ
ればやってしまえるじゃんか」と判断できたのです。
 さっそくとりかかろうと体を動かしはじめたとき、「このやる気はナンデダロ?」と思って、
そこで思いだしました。6時ごろアシタバのオヒタシを茶わんに半分ぐらい食べていたんです。

 アシタバは神経にもとてもいい結果をもたらすんではないかなぁと思っています。
 じつは、おれ、もういっぺん立って歩くことを狙って発売したんです。
 おととい、福田さんがやってきて「難聴が改善された人が出たよ」と云ってくれました。

 でも、ひとつだけ難点があります。成人男性が摂取しすぎると、思わぬとき・ところで竿が立
つんです。ーーーバイアグラを飲むなんざは気高い佇まいじゃないと思うがなあ。

 播種から始めると、実際にバンバン食べられる大きさになるまでには、翌々々年の6月ごろから
で、その秋にはトウが立ってきます。冬場は食べられません。で、粉末 → 顆粒にしました。
 30年前、沖縄から宗谷岬まで、どこでも育つことを確認しました。
 オレは富良野では「アシタバおじさん」なんです。

 こうへいさん、オレ、いちどムショに入りたいと思ってるんですから気にしないで下さいね。
 でも、オレを入れたムショはどうなるんダロ。ションベンは出っぱなしやしぃ。ガハハッハ‥‥

こうへい - 2003/10/07(火) 08:54<

あしたば

焼尻紋次郎さん
>オレ、このほど「アシタバ顆粒のふりかけ」
このまえテレビでやってましたが、アシタバって何に効くんでしたっけ。

焼尻紋次郎 - 2003/10/07(火) 07:54<

... 竿 を た て る ...

 orikabeしゃん、訂正有り難うございます。MAR(死ぬ、殺す)のほうでした。
 カンちがいしてました。マレップがほんとうです。TUTU しむで訂正します。

 ところで、turu-kot はどんな意味でしたかね? 
 隠岐の島にあるクユミヅルという地名を、山本多助エカシが「あなたと私がつるんだ処」
と解釈して雑誌に発表したことがありました。アイヌ語に you(あなた)があるわけでもな
く、オカシイ・オカシイと思ってきたのですが、ここにきて kuyu にかなり正確な意味がで
たみたいです。turu は「雪だまり」だったデシタカ。

 こうへいさん、オレはいつも単独行動で釣りをやってましたので、常識がないんです。
 4本のタコ足みたいなひっかけハリをなんといいましたかね。錨を二つ合わせたような
かっこうしています。
 5月の末でした。その針がなかったので、おれ大きな針を5〜6本繋いで、アカハラの
ひっかけをやっていました。蘭越町の30mぐらいの高いダム壁の下のほうです。
 ブル・スコップが掘った溜まりがあったので、そこへ抛りこんでみた……ら、来たんです
よ。巨大なヤツが。
 思わず、オレ、「ウア〜オ」とかなんとか喚いて後ろ向きになった。その直後、猛烈な力
でグワッと腕が身体が、そのまたウシロへひっぱられた。
 そいつはそのまま、背中に波をたてて糸を切って逃げていきました。一瞬、魚体の黒っぽ
いカタマリが見えただけです。
 ひとに話したら、アメマスだろうということでした。
 礼文では1m半もあるのが釣れている頃でしたので、そいつらの類いだったかも。

 あのとき「竿を立てて頑張る」ということが、少しでもアタマにあったら……と、今でも
悔やまれます。
 
 話は別ですが、オレ、このほど「アシタバ顆粒のふりかけ」を発売しました。ガハハッハ

こうへい - 2003/10/07(火) 01:10<

さむかったです

ヤゾーさん、亭主が帰ってきて、窓から出て、靴やらズボンやら持って裸足で逃げる・・
西部劇でよくあるヤツいっぺんやってみたいですね(^^)
熊野って、動物しかり、人間然り、いろんなのが集まってきたところなんでしょうか?
まあ、ヤゾーさんも、その一人でしょうけど(^^)
アオリイカ連れて行って下さいよ。着てるもの頭に乗せて、海の中歩くっていうのは遠慮したいけど。

おりかべ さん、お久しぶりです。テレビのツキンボ、狙ったやつ皆捕れてましたね。
ええんかいと思う半面、水冷たかったと思いますね。

紋次郎さん
>魚突きのモリやアイヌ語のモレ(先端がはずれるヤス)
燕尾式離頭モリってありますね、こっちでは、ヤジリって名前で釣り道具屋に売ってました。
確かに、棒から離れて反転したモリは、抜けないけど、どうやって外すのかな?
ヒモの端をほどいて、モリを引っぱって、ヒモごと抜くのかなあ。
サケなんか、突いて見たい。

おりかべ - 2003/10/06(月) 20:03<

魚突き漁とツキンボ

こんばんは。だいぶ涼しくなってきましたね。

ya(・ε^)naさん (2003/10/03(金) 00:06)
>おりかべさん・・ツキンボってゆうたら・・
>土佐の一本突きを、わたしは想像しますんよ・・
>毒流しは・・なんやったかいねぇ・・鬼○○○やなかったかいねぇ・・
>バシバシたたいてしいろいしるながすんやったかいねぇ??

土佐の一本突きというのは、マグロかカツオぼ漁法ですか?
魚突き漁は伝統的漁としてあちこちで、対象魚も様様な漁かと存じます。
毒流しは、煤かそのようなものだったかと思いますが(違っていたらすみません)
文字通り川の魚を毒死(窒息死?)させて一網打尽にしてしまう漁法で、岩陰などに
隠れている魚までも捕ってしまいます。
よってひどく荒れます。ビリも同様です。

紋次郎さん (2003/10/04(土) 07:36)
>魚突きのモリやアイヌ語のモレ(先端がはずれるヤス)もこの同根語。
>“ as ”というのはアイヌ語でも「立つ」で、日本語では「風が起つ」などといいます。

大変ご無沙汰しておりました。ここのところ音信不通ですみません。
アイヌの伝統的漁に鮭を突いて捕る漁がありますね。名前はマレク(marek)または
マレプ(marep)と呼ぶようです。(中本ムツ子、中川裕著『エクスプレス アイヌ語』白水社、
萱野茂著『萱野茂のアイヌ語辞典』三省堂) 
アシ(as、ash)は雨が降る、雪が降るという表現でも使われます。

ヤゾーさん (2003/10/06(月) 18:03)
>おりかべさん バッテリーや毒流しは絶対にしては駄目ですが
>こちらではあまりツキンボはうるさく言わないみたいです。
>子供くらいしか やなないからかも知れません。

ツキンボは例えば、カジカ突きのような伝統的なのもありますね。
ヤスは釣具屋などでも売っているのを見たことがありますが、今のご時世は
少なくとも渓流魚に関しては、免れた魚も怯えてしまい荒れてしまうという
のでタブーという話を聞きます。ツキンボも隠れている魚を捕るので。
尤も、30年ぐらい前では支障なかったかもしれませんが、今は渓流も荒れ、
個体数も減少していて、漁協の養殖放流があるから維持されているのが現状
と思いますので、あまり好ましくはないと思います。

ヤゾー - 2003/10/06(月) 18:03<

寒くなりましたね

みなさん こんばんわ
古いパソコンがあまりに遅く またモニターが見にくくて使う気になれず
ここのところ携帯電話から投稿を読ませていただいてました。
こちらでは 朝からシトシトと冷たい雨が降り とても寒い一日でした。
そろそろ衣替えをしないと 風邪ひいてしまいます。

*(O..O)*nglyさん 退院 おめでとうございます。
検査入院とはいえ 一月あまりご苦労さまでした。
若い看護婦さんとも楽しい会話があって なによりでした。

こうへいさん 地元で数年前にあった本当の話です。
よい年をした町会議員が 亭主の留守中に浮気相手の家に間男しに行ったところ
早く亭主が帰ってきてしまい 慌てて押入れに隠れたそうです。
半日隠れたそうですが 見つかってしまったそうです。
どんな気持ちで押入れに隠れていたのでしょうね。

紋次郎さん ご心配して頂き 忝ありません。
僕の場合は 誕生日が弥生の月の三日なので(桃の節句です(*^^*)) 
弥造ではなくて弥三となります。
たまには パソコンから開放されるということも
必要なのかも知れませんね。

おりかべさん バッテリーや毒流しは絶対にしては駄目ですが
こちらではあまりツキンボはうるさく言わないみたいです。
子供くらいしか やなないからかも知れません。

ya(・ε^)naさん 昨日 磯釣りに行ってきました。
僕は美味しいアオリイカを狙いましたが駄目でした。
ここのところ 防災無線のテストやら訓練で 頻繁に津波警報を流されているので 
いざとなったら五分で非難できる場所で釣りをしような と言うのですが
磯に着くと そんなことは忘れて釣れるところまで歩いて行ってしまいます。

△うぶさん >或るHPに「縄文人はズーズー弁」
紀伊半島でも 僻村(山間部)なんかで 地元の人同士が喋っているのを聞いたら
ちょっとズーズー弁に近いものを感じることがあります。

蜜柑さん 有田川の「徒歩(かち)漁法」では 
愛情を込めて育て訓練した鵜を 漁が終わったら海に放してしまうそうです。
有田川沿いから少し入ったところに 日本最古のひとつともいわれる須佐神社があり
そこから数分行くと磯が続く海になっています。
その磯によく チヌ(クロダイ)狙いの紀州釣りに通いましたが
放されて間もない鵜が 人恋しさなのか近づいてきたことがありました。
紀州釣りは ヌカ団子を使い ハリスを海底に這わせて
寝かしウキにでるとても繊細な当たりを合わせるという集中力のいる釣りです。
その寝かしウキに神経を集中させて凝視しているときに
ウキの近くからとぼけた顔した鵜が ウッと鳴きながら飛び出してきたときには
思わず おまえはウッ〜マンボかと突っ込んでしまいました。
鵜もなかなか剽軽でカワイイ鳥です。

焼尻紋次郎 - 2003/10/06(月) 06:19<

...山 手 樹 一 郎 ...

 オレのパソコンも、これまで2〜3度入院したことがあるんです。
 するとフシギなことに、パソコンから解放されてポーッとしていると、ヒョイと素敵な
アイディアが出てくるんです。
 最初と次にでたアイディアなんざは足が立てなくゼニのないあっしには、巨大すぎて実
行不可能です。こんなアイディアが30才の初頭に出ていたんなら、おれ、いまごろは大
統領ぐらいにはなっていたんだがナァーと空想してま。

 そこで、実行できるアイディアを出すためにはどうすりゃいいんだろうと考えました。
 答えはカンタンでした。
 おれは現役バリバリのころには、考えてもシャァねえものにブチあたったとき、いつも
山手樹一郎のお江戸チャンバラ小説を読んでいたんです。
 むかし読んだ古いものを引っぱりだし、新たにパソコン通販で新本を買ったりで、去年
からことしにかけて、計35册ぐらいを読みました。

 するとどうでしょう。あれほど難攻不落だと考えてきた団地のドアをあけるアイディア
が、うまれたんです。続いて希望する優秀アイテムが50ほどもバラバラバラバラと出て
きました。ま、天下とったような紋です。
 むかしから「ヘタな考え休むに似たり」といいますが、アレほんとうだったんですね。

 山手樹一郎は栃木県の生まれで、昭和初期に活躍した人ですが、読んでいてじつに色々
なことを知らされました。
※ むかしの日本人は嫌悪の情をあらわすときには、耳をこすっていたんですって!
※ 厄払いには両肩を手で払っていたんですって。

 ちょっと前の日本語が、現代とはかなりちがうことも教えられました。
 春陽堂文庫;NO23『鉄火奉行』(例の遠山の金さん)のP67に
 「親玉はなれた足取りで、左手を弥造にきめこみながら…」とあるのですが、この弥造
にきめこむとは、ヤゾー親分さぁ、どういうスタイルなんじゃラホイ。

 あ、パソコンが入院中……か、いいアイディアに恵まれますように。
 ドングリしゃんも入院しておらすとですか?

蜜柑 - 2003/10/05(日) 19:09<

いろんな仕事があるもんです。

【編注】写真、海南発、和歌山注
意              

 鵜匠(うしょう)がウと一緒に
川に入り、歩きながらアユを捕る
全国唯一の「徒歩(かち)漁法」
と呼ばれるウ飼いで知られる和歌
山県有田市の有田川で五日、アユ
供養が行われ、今年のシーズン中
に捕獲したアユのめい福を祈った
。。             
 河川敷に建てられた供養塔前に
、、鵜匠や有田川鵜飼協同組合の
関係者ら約四十人とウ一羽が「参
列」。僧侶が読経する中、参列者
が次々と焼香。この後、来年の豊
漁を祈願してアユ約五百匹を同川
へ放流した。         
 組合によると、今年は六月一日
から九月六日までのシーズン中、
京阪神などから約四千百人が訪れ
、、にぎわった。       

蜜柑 - 2003/10/05(日) 18:38<

ツツモタセ

テレビ局のアナウンサー、特に美女のひとは
みな、ツツモタセです。
美人局アナだから。

焼尻紋次郎 - 2003/10/05(日) 09:40<

..ワカランでも考えてみる……ra 、そこに前進があら  

.ら  ドングリしゃん、ネパール語で考えてみた……ら(この ra もネパール語にある……意味は「そし
て」)、tar に「渡る」があったんです。古い日本語にWA(徒渉する)がないだろうか。牛を追うと
きに「ワワ」いいますよね。
 「渡る」は上の二つの合成語かな? 一般ロンとしては WA には「人・そこらあたり周辺」。
 「邊・辺・なべ」にはタジク語の NABERA(孫)がピッタシやと思うんやけどなあ。サムエルソ
ン、ニクソン、孫文などにも関係あるゥ?
 NABERA の末尾の -ra は、 -ai とともに強調末尾辞(意味はない)ですら。NABERA のこころは
「スプリンクラーで放射した……」。off-spring ? ガハハ
 あ、ra にはもいっちょ、「おいら」のように「こっち側(→ 身内?)」もありやす。
 ワタライは「渉 r + -ai」かな?

 カイトって何でしたっけ?  ゲットー垣根に囲まれた下級神官だったでしたか?
 カイには一般ロンとして雷神は知っていましたが、このほど、「源」を知りました(→ 甲斐)。

 「モタセは『キノコの事』」……△うぶさん、貴重な情報をあがあが。
 「モタセ=きのこ」は古語辞典にはなく、山形、富山、岐阜、栃木にあるようです(方言辞典)。
 英語の moss(こけ)が適用できるんなら、栃木で云ってるとあるので詳しいタジク語辞典があれ
ば、或いは「こけの立ったもの」がいえるかも……ですね。toz∫ は王冠。ほかのア−リア系言語で
は *to∫ ですが、栃木にはタジク語を彷佛させる有力地名があるのです。
 タジク人は熊野のゴトビキ岩指定の基盤を据えた文化ヌシです。

 ミナシャンも遠くの他の辞書読んでぇな。キュプロス島のことばなんざも「岩戸びらき」なんでっ
せ。読んだら、いろんな答えが書いてあるってぇ!!

焼尻紋次郎 - 2003/10/05(日) 06:33<

沖縄でもこのとおり、モザイク割拠  

 √♪ マタ ハ〜リ ヌ ティ〜ダ ラ カヌ シャマ ヨ〜〜

 yana さん,ざぁ〜〜んねんデシタ。これエロではないぞえ。安里屋ユンタの囃し言葉ぞな。
 △うぶさん、きのふ、おれ「シナ語というのは、ついさいきん、彼の地の戦雲にのって渭水
(いすい)発の「もとを糺せばただの方言」が、広大なシナ大陸に蔓延した」ということを書
き忘れてました。
 そのことを証拠だてるのが「五胡十六国」であり「百越」ということばでっしゃろ。
 で、大陸規模の戦乱がおこる前は、オセアニア語もあったし、トルコ語、ヒッタイト語、ロ
シア語などチャカポン・モザイクのジグソー割拠状況だったはずです。

 その状況をもひとつ証拠だてるのが安里屋ユンタですタ。それを書かせてもらいます。
 その前にひとつだけ強調して訴えたいのが「ヒッタイト」のことです。
 沖縄と台湾にはグシケンさんがいらっしゃいますが、グシケンとはヒッタイト語で「金」の
ことです。だから沖縄にはカナグスク(金城)さんがワンサといらっしゃる。

※ マタハリ……いちおうサンスクリット語で太陽。だが、これは天目一箇神のマタ(目)ハ
  リ(天)と分析できるので、サンスクリット語以外でもマタハリはありえます。
  南米のどこでしたか、女スパイのマタハリさんが話題になったことがありました。
※ ヌ……タジク語で「nur = 光、光輝」。 from 太陽。沖縄に庶民英雄のヌルハチさんや
  満州のアイシンカクラヌルハチさんにもこの太陽が。pati =頭、かしら。
※ ティーダ……沖縄で「てだ(太陽)。台湾アミ語 tsilar(太陽)/ .新羅、おしらさま。
※ ra……朝鮮方言、ネパール語で ra , rabi(太陽)。
※ ハヌ……朝鮮語で今は xanul(天)だが、ha(神)nur(光輝)……即ち太陽。
※ シャマ……シャムという国名は from アラビヤ語 sham(太陽)。sham が開音(母音づ
け)されたら「シャマ」となる。
※ ヨ……「○○さんよ」という呼び掛けのことばとも受け取られるが、これにも太陽という
  意味がある。ネパール語の suryo-dae(日の出)の sur が → Sun 。これに yo が加わっ
  たのが ネパール語の surya(太陽)。ya となったのは ya(神)を意識したから。
  ベンガリー語では太陽は su:rjo と、末尾は o となっている。y = J (イ)。

 ここ浦和で仲良くなったシャー・カラム・アリ君は、パキスタンで税務署に務めていまし
た。あの周辺の5ヶ国語を喋ります。5つぐらいのことばを話せないと、官庁務めができない
そうです。いまじゃ英語も日本語も……で、7ヶ国語を喋ります。
 こっちで英語の家庭教師でもやるといいのですが、のっけからのSが発音できず、ストー
リーをヒストリーみたいにしか発音できないのです。
 いまじゃ、N県で中古自動車の輸出業をやってるようです。

△うぶ - 2003/10/05(日) 03:24<
紋さん
筒が男根は、住吉の三男神(=○筒)ですから容易に想像付きますね。中を流れるのは
気、火、水で、鞴風、手筒花火、男根という処でしょうかね。
或るHPに「縄文人はズーズー弁」が有りますので、越の国論も納得。しかし今や越前では消えて
いるのは淘汰されたのか?。ただ、出雲は然り、石見は広島系。「モタセ」の「セ」は「〜〜背男」
(〜〜セオ)故、「男」でしょう。、、が、モタセは「キノコの事」とも?
*(O..O)*ngly さん
「度会」や「みわたり」の姓が有るのは知りませんでした。流石。
唐や百済の系統でない(=きーさんの系統ではない)、ならば、半島でも海沿いや
三重県側に多い事が想像できそうですし、(被)カイト系の証拠にもなりますね。
呉越や徐福系?、八切止夫の得意分野かも。御(み)渡り=水(み)渡り と考えました。

*(O..O)*ngly - 2003/10/04(土) 21:50<

わたらい

うぶさん
「度会」姓は確か紀伊半島に多かったのではないでしょうか?
熊野修験の幹部に度会氏がいたはずです。この姓の女性が
大柄だったので記憶にあります。「みわたり」は御渡りで大陸
方面からの渡来人とは聞いていますので、「わたらい」も同じ
でしょう。でも「渡海」からかもしれません。印象としては唐
や百済からの系統ではないように思います。
 海渡はカイト地名から由来してるようです。

焼尻紋次郎 - 2003/10/04(土) 17:16<

日本先祖の主要一派の原郷

 △うぶさん、日本語は多くの氏族がこの列島に入ってきて、混成の結果できあがったことは
タシカですが、その主要構成一派(数派?)が、“越”のくににいたことはまちがいないと思
うんです。
 というのも、日本列島の表(いまの裏日本)に“越のくに”があるからです。
 揚子江の河口(呉)からベトナム(南越)にいたるまでには、七つの有力なシナ語方言があ
ります。それらはいずれもトップに中央(渭水)べったりの貴族が居すわり、傘下庶民がその
貴族語をまねて現代を迎えたのだ……と思います。
 ですから、日本列島に入ってきた主要一派のことばは、それら七つの有力言語に抱きかかえ
られたみたいな形で、とか、少数氏族語のなかに眠っていると思います。

 小生は「上記」を「ジョウキ」と読み、あとで「ありゃ? ウエツフミかな」と考えてもワ
カラン始末です。ホントホント。
 原郷さがしの焦点は定まっているのですが、だれかやらんかなぁ〜と思っています。


 どんぐりシャンの『野史呼び名辞典』に「けやく(津軽;仲間)」が載っています。
 小生は現地発音で「けやぐ」とおぼえていました。
 ところが、けふ、「けやく」のほうが起源に近いことがわかりました。なんと、トルコ語で
した。言語篇 http://www.you-i.org/treebbs/0/index.html で書いていますので、興味おあり
のかた、アマカネね。
 ツルコットしゃんも、オリカベしゃんもお見逃しなくゥ〜〜。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2003/10/04(土) 07:36<

..ツツモタセ(美人局) 語源考....

 √♪ 砲筒(ほづつ)のひびき 遠ざかる あとには虫も 声たてず
    吹きたつ(起つ)風は なまぐさく 紅そめし 草の色

 ご存知、赤十字のうた。
 不謹慎だとそしられようが、ここは“学問”。ドングリシャン、アマカネ。
 なんで砲筒(ほづつ)をホヅツというのか……。
 現代人のだれに訊いても、ツツが男根だと答えるひとはいません。が、大砲や銃がはいって
きて、それを日本語式にうけいれて名前をつけるときには、まだ男根のことをツツと云ってい
たことがわかります。
 
 いつウイルタ民族が TUTUを自分らのことばとしたのかは、わかりません。
でも、日本にはもっと古くからTSUTSUがあったことは「ツツモタセ」の一語がること
で、ハッキリとそれを知ることができます。

 山手樹一郎の小説にでてくるシーン……。
 雨宿りで軒先に佇んでいたら内側から戸があいて、色っぽい姐さンが「哥兄ぃさん、そこで
は濡れましょう。暖かいおぶうでも差し上げましょう。どうぞお上がりなさって‥‥」と招じ
いれる。
 雨はなかなか止みそうもなく、世間ばなしをしながら女は男ごころをくすぐってくる。
 女が「あれえ、哥兄ぃさんやめて……」と声をあげたとき、襖がサッと開けられて、「やい
やい、オレのいろをどうしようってんだ」といいながら人相のよくねぇ野郎が顔をだす。
 これがツツモタセ(美人局)というハメ手。

 この場合、ツツモタセの「TSUTSU」が男根なのは、状況からいって、まずまちがいは
ないでしょう。
 だが「モタセ」のところの分析がむずかしいです。「セ」には背の君とあるように「夫」の
意味があったことでしょう。このセにひっかけて「モタス」という古い日本語があって、それ
との絡みあいで造語されたのではないかと、オレは考えました。
 「モ」とは釣り針のモドシの「モ」で、逆方向を意味します。「戻る」でも、「もどく(反
対する → だます)……ガンモドキ」でもあります。
 サカモギとは竹の枝を利用した「おしめ掛け(いまの十本足)」ではなかったでしょうか。
 魚突きのモリやアイヌ語のモレ(先端がはずれるヤス)もこの同根語。
 反動を意味する「MO」はベトナム語にもあります。このへん、△うぶさんアマカネ。

 “ as ”というのはアイヌ語でも「立つ」で、日本語では「風が起つ」などといいます。こ
の as / .tat は近似をみせながら世界に広がっています。「as・tatsu」はひとつのうごきが
興ること。で、モタスとは、それまでのうごきとは反対の動きが生じることでしょう。
 このへんから「もたつく」という日本語々彙が定着したと思います。

 「モタセ」は以上の分析でいいだろうと思いますが、よの中には不思議な一致があるので、
気になるので書いておきます。
 それはネパール語 mot-(太る)です。MOT の古形として BOTがあることは可能で
す。これが「HUT(ふと)」へ音転することも自然なことです。
 「モタセ」は「太ら・セ」だったか??

 ブタん子、太と(ふと)なれ。

△うぶ - 2003/10/04(土) 00:46<
*(O..O)*ngly さん
今日読んでいた本に拠ると、三重県度会郡の「度会」も「わたらい」と読むんですね、サンスイ無くても
です、こちらは遠方より来た系か?、飛沫飛ばない故”ワタシ”や”正弁丹後”とは関係無さそうな?。
紋さん
単に、たまたま知っていた事でして、言語スペシャのお鉢はソチラ、、、は皆認めています。
日本の「上記」なんかの由縁は、どちら系?でしょうか。

*(O..O)*ngly - 2003/10/03(金) 14:49<

べっちょに襲われて

こうへいさん
 病院で夜歩き(散歩)を毎日してました。一番若いナースに「気をつけてね」
といわれましたので、冗談で「襲われたらどうしよう」といったら、彼女曰く
「今晩襲いましょうか」。
 うぶさん
 つくづく病院は病人の入る所で私程度の病なら確実に病人になりそうな
ところです。入院棟はもちろん注射器を持ったべッチョだらけの世界です。
 八切止夫は渡辺姓を渡辺党といってます。渡邊をワープロで渡辺と打つと
「渡辺ではありません」と抗議を受けました。ワタナベの漢字姓にもランク
があって、下位から「渡辺」、「渡邉」「渡邊」であって最上位は「渡部」
だそうです。そう、平安時代では良民と賤民の中間に位置します。また渡邊姓
の女子に聞いたら昔「渡辺」だったそうで、お父さんの時代に漢字を変えて格
上げしたようです。まるで中華思想です。ワタナベ姓は悪い姓だから苗字を変
えたと若い女性から聞いた事があります。そういえば読売社長も渡辺ですね。
やはり正力松太郎と同じ警察系の方なのでしょうか。
 マラソンの末続?選手のことが気になります。マスコミでは「忍者走法」
とか。水泳の北島選手もサンカ姓ではないはずですが。

焼尻紋次郎 - 2003/10/03(金) 11:08<

...縦ワレメの片目をもった坊主あたま....

 <font=6>けけけ
 √♪ エンヤラヤの エンヤラヤの エンヤラヤの エンヤラヤの
    エンヤラヤの声聞きゃ 気が勇む
    ムスメ ジュウシチハチャ お寺でござい

※ yana さん、ぼぼにはクルド語 bob(門)が待っています。
  英語の broad (巾)にはハレンチなという意味があります。どうしてでしょうね。
※ 「ズンドッコ」……ズンにはあんまし自信ないのですが、どんぐりしゃん、御存知で
したら、イマイチつっこみアマカネばい。「ヅン(語形は dun?)」……<「*千dur」
& 「つるむ」あたりかな?
 ドコはウイルタ語に見られる tok(片目)だろうと、これにはかなり自信があります。

 皮をはがれて痛い々々いうてた兎に「ガマのホ綿にくるまれ」と云わはった大黒さん。
 gam(チンポ) の毛は先祖からずーっと拾集されたツマゴメ用羽毛だったのでは?

 日本語も始源的には子音おわりの語彙だらけだったと思います。それが神・天皇名をつ
くるときに一切を母音おわりにしたと思うんです。
 gam が gama になる現象をオレ「パーリ語的開音(母音づけ)化」と呼んでいます。
 -e は強調末尾辞ですので、e とか a が末尾にある日本語彙に遭ったら、この a , e を
差し引くと始源の発音がえられるしくみになっています。

 ウイルタ語で男根は tutu なんです。お蔦・ちからの「tutu i durツ ?」 。
 つぴ(tu-p-i)はアイヌ語で女陰‥‥おつぼね様。

 √♪ ぼうずあたまが 出入りする

 あ、釣果ゼロのボーズは、クルド語 bo:sh(空の、からっぽの)かと。
 坊主はネパール語 bodh(知識)。名僧・知識というワイナ。

 △うぶさん、貴重な chi chi 情報、有り難うございます。
 漢字にお強いんですね。おれ、漢字オンチで、キカイ・オンチで、数字オンチで‥‥。
 gam は北九州に伏在していました。「“これが元々の原始氏族だ”と思った、その氏
族が隠名をいっぱい呑込んでいた‥‥そういうモザイクを辿ると、ユーラシア〜世界が、
いや人類がひとつに考えられるコスモスの花が咲くと思います。→ コスモポリタン。

こうへい - 2003/10/03(金) 08:41<
*(O..O)*ngly さん おはようございます
検査入院から長いので、気に入った看護婦さんが居て、退院したくないとダダをこねてる...っていうウワサが有ったり、なかったりしてました(^^)

△うぶ - 2003/10/03(金) 04:06<

ついでにもうひとつ(紋さん)

現在でも香港では「chi- chi-」と言っています。標準中国語では「チーバイ」。
漢字は「鶏」を当てています。
呉音、唐音より遥か昔に、汎亜細亜の「(源)言語」が有った模様です。

△うぶ - 2003/10/03(金) 03:49<
ワツ! *(O..O)*ngly  さん!? 無事「別所」からお帰りでしたか、、、安心しました。

最近少々気懸かりな事に、ラブホの有る町と住民族系統の関連の課題がぼんやり浮かんで
いたところでした。日本原住系対半島渡来系とで相反する様な気がします。その内にゆっくり
講釈賜りたいものです、夜這いも含めて。

7月の続きですが、大阪の渡辺は堂島では無く、東区が本来とのことです。橋は移動されてしまって
います(名前はそのままなのに)。

「彦根」と同意で、新潟方面?に「つぶろ」(ツーロ)が有ります。

*(O..O)*ngly - 2003/10/03(金) 00:47<

ずん ずん ずんどこ

ごぶさたしています。最近は早寝のためにパソコンからはなれています。
もちろん健康に最も悪いことは「生きてること」だとも聞きます。
 こうへいさん
 野史研究会調査では必ず夜這いについて調査します。女の夜這いがある
地域にサンカのにおいがします。また夜這いをしない地域も調査する必要
があります。赤松啓介の夜這いの民俗はその意味に関心を持ちません。
 さて紋次郎さん。
 アイヌ語のchiは漢字種族により「恥部」になったのではないでしょうか?
10年前まではこの言葉を必死で収集し文学用語以外に120語位集めました。
その収集のため旅に出たときは飲み屋で飲めない酒をあおって酔ったフリして
頑張りましたが、なかなか集まらないので止めました。以前この収集作業をし
た方の話では、同じ屋根に住む夫婦や老夫婦、若夫婦で全部違うので、
「先生どうしましょうか?」。大先生いわく「適当にしておけ」だったとか。
そのような調査はいくら大歴史学者がしても無意味でしょう。
この県の北部には「おおかいす」「こかいす」という女陰を表わすと思われる
地名があります。陰名の違いが人種の相異に関連しそうなことは容易にわかる
はずですが。「日本民族=多人種」の前提を学者は考えないのです。
 陰名の重要性は「くぼ」、「ふど」「ほど」地名が別所に関連してるらしい
ことが調査で分ります。
 最近「ずんずん ずんどこ」と小林旭のずんどこ節がどこかで流れていました。
「ずんどこ」の語感からも感じますが、「彦根」と同じ意味があります。よく放送
禁止語にならないものですね。どこの方言だったでしょうか?

ya(・ε^)na - 2003/10/03(金) 00:06<

ふーーーん??

紋さんこんばんわ・・へーーーーぇ
  ンンなんや難しいことは・・ようわかれへんねんけれど・・
    なんやおもしろおますねぇ・・
 ぼぼ・・とかボンボはどないなんやろねぇ
  ボボは、日本海側や東北方面の陰語なんかいねぇ・・??

おりかべさん・・ツキンボってゆうたら・・
  土佐の一本突きを、わたしは想像しますんよ・・

  毒流しは・・なんやったかいねぇ・・鬼○○○やなかったかいねぇ・・
    バシバシたたいてしいろいしるながすんやったかいねぇ??

          わかりませんよう??

おりかべ - 2003/10/02(木) 19:42<

ツキンボ

こんばんは。今TVで、芸能人が生活費節約のために渓流にて
ヤマメとニジマスとカジカを突いていたのが放映されました。
私は確か、ツキンボは毒流しとビリ(電気を流す捕獲法)ととも
に、違法ではなかったかとますが、記憶していますが、
どうでしょう?

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2003/10/02(木) 18:06<

...√♪ ツーツー レロレロ ツーレロ...

 yanaさん,けけけ。ミナシャン、アマカネ

 √♪ アレワイサ〜 とか、エンヤトット など、一見、意味がないように思われる囃
しことばも、その大昔にはチャンと一定の意味があったと考えたほうがいいようです。
 アレワイサーはわかりませんが「エンヤトット」は、「エン(われわれに)a(水)
kore(与えよ)」という井戸掘りの歌をうけて、「とっと(おっぱい・女房)」を呉れと
いっている。
 「とっと(おっかぁ)くれ」と云う場合はチョンガ〜(朝鮮語で結婚適齢者)のわめき
だが、「サイタロウという架空の童神へとっと(おっぱい)をあげよう」という囃しこと
ばでもあります。

 ところで、アイヌ語は陰部を男女ともに chi というのですが、日本語は chin chin と
なっています。どうしてでしょう?
 こんなところにも疑問をもつのはバカなことでしょうが、ま、バカになってつきあって
ください。
 日本語は神・天皇名をつくるときに大幅に音が変わったのです、できるだけ濁音は少な
くし、促音(ッとはねる音)、長音、拗音(にゃにゅにょなど)をとっぱらったんです。
 そして漢字で日本語の音を表現しようとしたために、文字がないので、撥音(“ン”)
が表現しようもなく、鎌倉時代になるまでミョウチクリンな発音が続いたんです。
 たとえば「かんべ(神戸)」は「かむべ → かふべ」となり、文字はそのままで「こう
べ」と発音されて現代に至っています。

 で、日本語の「ちんちん」は、奈良平安じだいからずーっと続いてきた音だとは、一概
にはいえないのです。いちど別の発音となって、鎌倉時代になって大多数の庶民が支えて
きた音へと復帰した……と考えたほうがいいようです。
 で、その中間はどうなっていたでしょうか?

 曰く √♪ ツーツー レロレロ ツーレ−ロ ツーレラレ ツレラレシャン‥‥

 ちんちんは「ツーツー」だったとオレ思います。また tu は古代国際語で 二です。対の
ツです。レ は「○○する」で、アイヌ語もそのとおり re です。日本語はその後「る」が
動詞末尾辞の終止形として使用されるようにおちつきました。ro は「おれにくんろ」など
の強調末尾辞です。

 ハァ〜〜ッ!  √♪ うちの おやじは きつねかタヌキ‥‥ やめちょこ。

こうへい - 2003/10/02(木) 08:50<

朝の3時

に、東の空にオレンジ色の光体があったんですよ。火星かなあ、違うよなあと思って。
星の数が凄くて、銀河も見えました。こっちでは、珍しいんですが、ちょっとオリオン座眺めていたら、その上を飛行機が横切って、南西の方に飛んで行ったんですど・・・
3:25でした。こんな時間に飛ぶんやなーと。
東の空のオレンジ色はもうありませんでした。飛行機、正面からみたら、あんなに見えるのかなあ。目も頭もボンヤリのきょうこの頃です。

こうへい - 2003/10/01(水) 17:26<

夜這い

っていうのが、金屋や熊野にあって、校長が「君らも夜這いの出来る年頃になった」と、講話をたれることも。
結婚して、里帰りするのは、むらのみんなに、この人と結婚しましたって、お知らせの意味もあったそうです。特に、夜這いに通った若い衆に。
娘や女中と間違えて、家の奥さんとやってしまったときは、仕方がないので、詫び状を書いて主人に持っていった話が、結構あります。けっこう律儀だったようで。
いい時代だったようです。

こうへい - 2003/10/01(水) 16:55<

ピラミッドパワー

って言うのが、昔、はやって、アクリルのピラミッドにミカンをいれたり、切れなくなったカミソリを入れたりしましたが、ミカンはくさり、カミソリの切れ味は変わらなかった。
東西南北がちゃんと合ってなかったのかな。
アルミのパイプの骨組みが売ってあって、中で瞑想する奴もありました。ぼくは、やらなかったけど。

ヤゾー - 2003/10/01(水) 12:45<

むかしの遊び

みなさん こんにちわ

中学生さん はじめまして
僕もちょうど中学生くらいのときに ピラミッドパワーの話を聞いて
段ボールでピラミッドを作ってみたことがありました。
その中に くだものなどを入れて 腐りにくいという実験をしてみましたが
作り方が悪かったのか 今一つ効果を感じることができませんでした。
聞いたところによると ちゃんと作れば それなにの効果があるみたいです。 

ya(・ε^)naさん PCも古くなると 色々と問題が生じてくるようで
3〜4年で買い替えた方が 安くつくのかも知れません。
“けんけん” そういえば小さい頃よくしました。
地面に蝋石で足の置き場を描いて
片足で飛んだり大股開きで飛んだりして遊んだような気がします。
“けんけんパッパ”とはゆうたが“ちんちんもがもが!”とはゆわんかったなぁ。
単純な遊びでしたが 置き石を使って遊びのバリエーションを加えたりして
日が暮れるまで夢中になって遊んでいたように思います。
今から思うと むかしの遊びには創意工夫や想像力があって
そういうことを体を通して体験することができたので
テレビゲームなんかよりずっと面白かったような気がします。
アホな友達とのやり取りが楽しかったのかも知れません。
個性的で傑作な子供たちも多くいたように思います。

バリ師さん アマゴのイクラ針にはモドリがありませんが
それを使うとカカリが確かに良いかも知れません。

こうへいさんもピラミッドを作りましたか。
それもアクリルで作るとは本格的ですね。

紋次郎さん 今でも熊野は性にたいしては大らかなところのようです。
お年寄りほど 堂々と性についての話をしているようです。

おりかべさん 確かチヌ針にも半スレヒネリというのがあったように思いましたが
あれはカカリが良いように作られているのでしょうね。

こうへい - 2003/10/01(水) 01:45<

中学生 さま

はじめまして

>簡単にできるピラミッドの作り方教えてください(>.<)

ボクも、昔アクリル板で作りました。
高さと、角度と、底の寸法が本に出てますから、縮小して、サイン、コサインで、三角形の一辺の長さを計算します。それを、ボール紙でも切って、貼り合わせれば出来ます。
ぼくは、サイン、コサインの時間、熟睡していたので、非常に苦労しました(^o^)

やなぎむし - 2003/09/30(火) 23:54<

けんけん・・

えらいすんません・・
むかしから、案山子の絵かいて・・やりましたよね・・
  けんけん(ちんちんもがもが!)・・
  ははっはは・・あんまり・怒らんとてえなぁ・・へへっへ
  ご批判受けました・えらいすんません!!・・へへへ

ピラミッドですか・・
 あんまり・・好きやおませんよぅ
 会長の下に社長・部長・課長・係長・平・・ほんま・・ピラミッドやねぇ
  あの坊主の世界にもようさんおますんですよね・・

   亜砂利っておましたよね・・
  明けても暮れても比叡の山歩き回って・・やっとのおもいで体得するんやそうです
 ほかには、士農工商もやぱり・・ピラミッドやねぇ・・

    へへへっへ・・一杯呑むとあほいいますよ・・
       えらいすんません・・

おりかべ - 2003/09/30(火) 19:19<

モドリのない鉤

こんばんは。横レス失礼します。
話の本筋からいささか外れますが・・・

>現在、モドリのついてないスレ鉤は、ヘラブナ(リリースするため)・渓流(小さいのをリリースするため>と掛りがよいため)・鮎(友釣りで掛けるため)などで多く使われておりますが、案外、竿をためて糸を張>っているとバレないようです。

渓流針は「アマゴ半スレヒネリ」がそうかと思ったら、小さなモドリがありました。
私の記憶が正しければ、戻りの部分だけ削って使う仕方があったような気がします。

鮎の針は、矢島針ととんぼと2種類あったかと記憶しております。アゴの部分が角張っているか、丸みが
あるかの違いだったような・・・
釣りキチ三平くんが、コロガシ釣り(ガラ掛け)をしているときの針は普通の矢島針だったかと
思いますが、私は口ひげのように2つの針が繋がったような針を使った記憶があります。

中学生 - 2003/09/30(火) 16:36<
ピラミッドについて教えてください

中学生 - 2003/09/30(火) 16:34<

ピラミッド

簡単にできるピラミッドの作り方教えてください(>.<)

こうへい - 2003/09/29(月) 19:47<

コスモス

久しぶりに走ると、そこいら中、曼珠沙華の花がいっぱいです。
コスモスもきれいに、風にゆれていました。茅葺きの家の前の秋桜は、そりゃきれいでしたが、
もう、茅葺きの家は見られなくなった。
バッティングセンターで、ソフトボール思い切り打って来ました。涼しい風が気持ちいいです。

焼尻紋次郎 - 2003/09/29(月) 10:01<

...知らぬがホトケのオシャカシャマ...

 熊野が日本列島の精神文明のメッカであり続けていたころは、セックスはもっと暮らしの表
面にでていて、われら庶民もバシッと決まった「いのちについての考え」を持っていたと思う
んです。
 どだい「人生」なんていうても、やること考えることといえば「いのちごと」と「食うこ
と」の二つしかない。
 現代人は5万の語彙を使って暮らしていますが、その99%以上が「食うこと」で、「いの
ちごと」は毛ェほどもない。
 そして、どっちがダイジかというと「いのちごと」のほうがはるかに重い。
 早いハナシ、難破してボートに乗せるのは子女優先みたいな鉄則が底流れしている。

 で、セックスにかかわる文明がメチャクチャに遅れていて、われわれは「セックス談話」イ
クオール「ワイ談」にしかならない文明の中を生きちょるんじゃ。

 神名の「○○のみこと」は「○○命」と書く。いのちは各方面で神です。
 ところで、インドで発生したことになっている「ホトケ」という語彙はインド語にはない。
 たしかに、蒙古語で「ホト」は女陰のことですが、その元を尋ねるとネパール語の photi
(女陰)に行き当たります。photi という以上、この末尾の i が「女性」を示しますので、語
形 phot-o とは、もともとは男根だったのです。
 「おじさん」が「おばさん」になったり、母と父が入れ替わるのは、ふんだんにみられる言語
現象です。男根だったホトが蒙古に入って女陰となったのです。

 ところが、その前……西暦元年前後のことでしょうか、この極東にひろく「ほとけ」という
言葉がひろがっていて、サンスクリット語発の「ブツ(目覚めたこと)」が、ホトケで代用さ
れた……そうしかなりません。
 ホトケの「ケ」は、まだ断定には至っていませんが、気比神社のように「童神」らしい。
 とちゅう、「毛」だと解釈されて、シュロの木などが聖木になったりしています。その場合
ホトケとは「チンポの毛」です。ネパール語 kes (-s は主格を表す)です。

 シッダルタさんなんざは、インドで捏造された人物みたいな気がしています。
 「この世に二度と生まれたくない」などという脱輪廻の考えなんざは奴隷制度擁護のクソ・
リクツでしかない。
 アミダはアラビヤ語で柱やし、sak-(音価はシャカと同じ)はトルコ語で「目覚めている」
やしィ♂

 いずれにしろ「ホトケ」とは「男根崇拝をめぐっての文化ごと」です。

こうへい - 2003/09/29(月) 08:56<
ya(・ε^)na さん 良かったですね
良い天気だったし。ボクは、朝から寝てました・・もったいない。

バリ師さん おはようございます
鹿の鉤のミミって、糸をくくるところですか?実物は石錐等で穴を開けたものや、端に出っ張りを削り出したものがあるみたいですね。ぼくが作ったのは、後者です。

>旧石器時代(火を使わない)はヤスとかモリで、魚釣りは新石器時代(火を使う)に世界同時発生的>に出てきた文明やとも書かれておりました
そうですか、面白いですね。弓の発明と釣り針の発明が、世界同時発生的だったんでしょうか?

>ま、モドリがついていようといよまいと、魚を掛けんことには話になりませんが・
うわ、グサッと来ましたね。来年のアマゴ釣りまでに、鹿の鉤で釣ってみますわ(^^)

バリ師 - 2003/09/29(月) 01:52<

麻糸

考古学はでんでん知りませんが、何かの本に最初の釣り糸は麻糸ではなかったかという話が書いてありました。(しかし証拠が残っていない) こうへいさん、その鹿の鉤のミミは環◎でしょうか、平打ち□でしょうか?

旧石器時代(火を使わない)はヤスとかモリで、魚釣りは新石器時代(火を使う)に世界同時発生的に出てきた文明やとも書かれておりました。

現在、モドリのついてないスレ鉤は、ヘラブナ(リリースするため)・渓流(小さいのをリリースするためと掛りがよいため)・鮎(友釣りで掛けるため)などで多く使われておりますが、案外、竿をためて糸を張っているとバレないようです。

ま、モドリがついていようといよまいと、魚を掛けんことには話になりませんが・・・ね、ヤナさん。アハハ!

ya(・ε^)na - 2003/09/29(月) 01:01<

あらまぁ!!

ヤゾー大変ですねぇ・・PC病気ですか!!
 お大事に!!
今日、北摂の名山、剣尾山に登ってきました
ほんまに、久しぶりやったので少し筋肉痛です・・
 行者の山ですのでなかなか見所もたくさんあって・・んんん
皆さんにおすすめですよぅ・写真も少しUPしときますです・・ほなまた
 

管理人ヤゾー - 2003/09/28(日) 18:30<

今までの投稿は過去の掲示板へ移動しました

みなさん こんばんわ

ふえさん はじめまして
また自然の写真を撮ってアップしますね。
今後とも よろしくお願いします。

こうへいさん ya(・ε^)naさん 紋次郎さん ナイスタイミングさん こんばんわ
パソコンの調子が悪いので レスを省略させていただきますね。

4年前に買ったパソコンが壊れたので 7年前に買ったパソコンを引っ張り出して使っています。
どちらもノートパソコンなのですが 4年前のパソコンが壊れたのは
たぶん あちこち持ち運んで酷使したためにハードディスクがいかれたようです。
使い慣れた愛着のあるパソコンだけに残念です。
7年前のノートパソコンを引っ張り出して使い始めた当初は
あまりの処理速度の遅さに 窓から放り投げたくなりました。
また 画面の広さが640×480しかないために
作業するのにとても難儀します。
それでも慣れというものは恐ろしいもので
なんとなく使いこなしていました。
ですが液晶が劣化してコントラストが薄くなっており
画面が見えにくいということには泣かされています。
それも日に日に薄くなってきて
抜け始めた髪の毛より悲しいものがあります。
腹を立てて画面を指で押したりしますが
いっちょまえにイカのように色が変化します。
でも釣りたてのイカを指で押したときの方が よほどコントラストがハッキリしています。
イカを釣ってきて液晶に移植してやろうかとマジメに思ってしまいます。
あたらしいパソコンを買ったら その進化に感動するかも知れません。  


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