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2003年08月28日(木)18時25分までのKumanolifeGuestbookへの書き込みです。


こうへい - 2003/08/28(木) 11:35<

瀬降り物語

みなさん おはようございます 久しぶりによく眠りました。
朝から、ヤゾーさんにお借りした「瀬降り物語」のビデオ見ました。
ありがとうございました。

△うぶ - 2003/08/28(木) 03:03<

「もぐら」さんへ

以前ほんの少しだけ覗きに行った「〜研究所」でしたが、山窩の論文が最近出てたのですね。
一瞥してみましたところ、解析方法は難解ですが、結論は理解可能範囲でした。
じっくり読んでみたいと思います、紹介有難うございます。
(結論だけを参考にさせてもらう事からスタートして、逆向きに上達して行けば良いのではない
でしょうか?)

没義道通行人 - 2003/08/27(水) 21:05<

わたしもそう思います

武士の原型は「俘囚」だと思うのです。日本は、世界史でも珍しい
「侵略民族が先住民族を同化し繁栄させた」国だと考えています。
問題は後世支配階級化した「縄文戦士子孫」が、
仏教や朱子学を曲解して、新たな身分制を作ったことです。

蝦夷の子孫? - 2003/08/27(水) 17:20<

蝦夷はけっして抑圧される一方ではなっかた、その血は、中世、近世日本を影で支配した。

 ネイティブアメリカンとは違い、蝦夷はけっして抑圧される一方ではなっかた。むしろ、その血は、中世、近世日本を影で支配した。
足利、新田(含む徳川)両家の祖義国の母は俘囚の長奥州阿部氏出身。
関東最大の武士団武蔵7党児玉党は藤原北家であるが、武蔵権の守として赴任してきたものが有道氏の女と婚姻しその家督を
引き継いだといわれるが。有道氏は俘囚だという説がつよい。
 また、俘囚は武勇に秀でていたため軍事、警察に動因され一般国民より免税等の点でかなり優遇されていた。
武士団の男系の祖先は都の皇族、貴族といえども、その姻戚、基盤にはかなり蝦夷、俘囚が関与しているのはあきらか。
 支配者としてのヨーロッパ人との最大の違いは一夫多妻である。大和朝廷の時代から地方の有力者はそれを利用し娘を
中央の家柄のよい権力者や赴任した官吏、軍人に娘をさしだし、その間に生まれた男子を集団のあとつぎとするのが当たり前
だった(内孫はその家臣にする)。それにより、地方豪族、俘囚の家系から皇族、貴族の子孫の家系となり、
安定した権力も保障されるのである。(一夫一妻なら相当ちみどろのたたかいになったのではないか。) であるからして、なにも存亡をかけてあらそったり、よにげする必要もなかった。  武士たちが皇統につながるにもかかわらず、都の貴族からアズマエビスといわれたのはそのへんにも理由があったのではないか。  武士こそ蝦夷の正統な子孫と言うアメリカ人学者の説もある。 ・又、日本人の遺伝子プールに占めるアイヌ・沖縄型ミトコンドリアの割合は3割程度まで占める。 ・古事記大和武東征の記事ではアルプス(信越)以東の住民を蝦夷としているし、甲斐はもともと蝦夷と書いたらしい。 ・関東甲信越を中心とした他地域の国民を東北に入植させ、日本海側の国、1つおきに俘囚を配した事と日本海側の県  一つおきに美人(やや白人ぽい)が多いのは関係しているのか。 ・西日本はともかく関東甲信越では新型モンゴロイドと蝦夷(縄文)との融合はわりと穏便に進んだようである。 ・太平洋戦争では大陸の現地人、ゲリラと日本兵を見分けるのに縄文人の特徴である体毛の濃さで判断した。   西部劇の影響のせいかもしれないが、ネイティブアメリカンと、蝦夷アイヌを哀れむべき対象として同列に扱うのは間違いである。 むしろ、勇猛なる、われわれ日本人の祖先の1種族と、その伝統を色濃く受け継いだ集団として敬意を払うべきであるとわたしは思う。

こうへい - 2003/08/27(水) 17:04<

ゆきこ展

みなさん こんにちは うーん 眠いです。
私事ながら、娘が生まれてから、年に一枚は娘の絵を描いています。
今年、20才になるのを記念に、多分10月頃、はじめて個展やろうと思います。
ローカルで、あれなんですが・・
ヤゾーさんのご厚意で、ちょっと風の王国 掲示板にアップさせて頂きます<(_ _)>
捜せば、20枚はあるはずなんですが、下手なところはご容赦下さい。

こうへい - 2003/08/26(火) 22:14<

所有するということ

若い頃、車で生活して、富士山の前に泊まれば、富士が自分の庭。
太平洋の前に泊まれば、太平洋が自分の庭。
そんな生活に憧れました。実現はしなかったけど。
アイヌ、ネイテイブアメリカの人々は、土地は所有の対象ではなかった。
土地を所有することから、争いが始まり、人は自由を失った?
昔は、みんな神だった。
山で木を切るとき、山の神に酒をささげて祈る。いまでもそうするらしい。
動物も自然もみんな神であった時代があった。
人間が、自分が神であると思った時から、すべてがが狂い始めたように思います。

おりょう - 2003/08/26(火) 21:41<
皆神さん、こうへいさん みなさまこんばんわ

吉見の百穴がサンカの住まいになっていたなんてサンカの生きていく知恵というのは素晴らしい。

もぐら - 2003/08/26(火) 19:35<

山窩の論文

はじめまして。
いきなり質問ですが、
どなたか「日本古族研究所」の論文「山窩試論」と「山窩を倭」
の理屈をもっと簡単に説明できないでしょうか?

こうへい - 2003/08/26(火) 08:33<

コロボックル

おりょうさん おはようございます。今朝は、星が見えなかったです
>コロボックルはネギ一本を運ぶのに10人でかついで歩くそうな。
じゃ、やっぱり、ちっちゃいんですね。関西のネギですか・・・
昔、アイヌは、日本中に居たそうですから、いっしょに居たコロちゃんも、関西のネギも運んだかも??

皆神さん こんにちは
>コロポックル=山窩なのかな?
ボクも、前にそうかなと、ちょっと思いました。

△うぶ さん どこに行くか、本人の希望は聞いてくれるのでしょうかねー?

△うぶ - 2003/08/26(火) 05:34<
>、、、、、、様子がみられるんです。行ってみたい(^o^)
こうへいさん   私も貴殿も、もうじき行けます、御安心下さい。

△うぶ - 2003/08/26(火) 04:36<

木地師 藤原

とんちゃん、きょうかいさん こんにちわ 大河内ではどうも、、、です。
木地師の、姓と民族とを対比すると「小椋」では不都合ですね、第3行目の「ふ」の方が妥当
ですね。もう一つの「筒井」姓は妥当ですね。「むく(椋)」が本来ではなかったか、と
思いますが、如何でしょう?

皆神 - 2003/08/26(火) 00:37<

コロポックル=山窩?

ちなみに人類学者の坪井正五郎がコロポックルの住居説を取っていたのが、吉見の百穴。
今では横穴墓という墓穴であって、住居跡ではないということになってますが、実は、ここには山窩のみなさんが一時期、住み込んでいたことがあるそうなのです(といっても、そんな昔じゃなくて、昭和になってからの話しですが)。

てことは、コロポックル=山窩なのかな?

熊野ライフらしく、話しがやはり山窩にまた帰ったりして。

GAINA - 2003/08/25(月) 23:56<

須の意味

ヤゾーさん、みなさん、こんばんは。

おりょうさん、一つのご意見ありがとうございました。
「須」は意味も含め、中国から入ってきた字なんでしょうね。
スサノオと須の関連にも興味をもっているのですが・・・。
東熊野には江戸時代以前の古文書が残っていないので、
地名や伝承からさかのぼる以外に方法がありません。
このことが逆に、独説可能です!?

おりょう - 2003/08/25(月) 23:02<
ネギも東京のネギではなくて関西の細い薬味につかうネギです。

おりょう - 2003/08/25(月) 22:53<

コロボックル

コロボックルはネギ一本を運ぶのに10人でかついで歩くそうな。

こうへい - 2003/08/25(月) 22:27<

こんなのも

    ファハン 《Fahan》  出身地:スコットランド
 スコットランドの怪物。目、足、腕がそれぞれひとつずつしかなく、髪の毛も一房しか生えていない。
 片目片足の怪物は、中国のキ、日本の山人、一踏(ひとたたら)、雪入道など、山にまつわるものが多い。これは、山の民が鍛冶術を外に漏らさないためと言われている。

こうへい - 2003/08/25(月) 22:18<

コロポックル

 コロポックル 《Koropokkuru》  出身地:蝦夷
 アイヌの小人の精、あるいはカムイ(神)。「フキの下の人」という名の通りフキの下に棲み、石器を用い、動きは素早く、隠れるのが上手いと言われる。大変おとなしい性格で、清らかな心の持ち主であった。当然、いたずらなどもしなかった。彼らはアイヌの人々と仲良く暮らしていたが、ある男がコロポックルの美しい娘をかどわかしたことを非常に悲しみ、その姿を消したとされる。
 人類学者坪井正五郎のコロポックル説は有名。それによると、日本の縄文文化を残したのはこのコロポックルであるという。
 アイヌの人々が北海道にくる前から住んでいた種族だとも言われている。

あるサイトで見つけたのですが、コピーしたあとそこが判らなくなりました。
眠たいので、失礼します。

こうへい - 2003/08/25(月) 21:53<

うわー、ありがとうございます

きょうかいさん
夜勤の巡回で楽しみ見つけました。ちょっと、高台ですから、星きれいなんです。
6500万光年離れた星に行って、望遠鏡で地球を見たら、恐竜が絶滅してる様子がみられるんです。行ってみたい(^o^)

きょうかい - 2003/08/25(月) 20:47<

共鳴

>朝3時、東の空に、冬の星座オリオン座が上っていました。なんや・・それだけかい。うん。

 うまく言えないけど、わかる、わかる。・・それだけではない。
 遠い、遠い昔・・・人間の前の生物の前のもっと前の無機物だった時の
 記憶が、かすめるのだ。
 
 

こうへい - 2003/08/25(月) 18:47<

オリオン座

朝3時、東の空に、冬の星座オリオン座が上っていました。なんや・・それだけかい。うん。

きょうかい - 2003/08/25(月) 12:42<

こんにちは

>小椋姓って元は藤原氏だったんですね
 とんちゃん、大河内町ではお世話様でした。
  
 藤原姓をもらったことは、どこかで読んだことあるけど
 あの藤原氏とは、直接は違うと思うけど、どうだろうか。

△うぶ - 2003/08/24(日) 05:08<
皆神さん  貴重な体験談御披露有難う御座います。
全くその通りが現実でして、多くの方々(日本人)からも同様の体験談をよく聞かされました。
私も躊躇が有って、霧社までは二の足踏んでいましたが、その後誤解である事が判りました。
高雄近くの塀東県大武郷を頻繁に訪れている日本人の方から聞いた話に依ると、
(この方澎湖生まれで海軍関係だった) 今でも入村すると現地の人が一列に並んで、当時の
軍帽をかぶって敬礼されるのが常らしいのです。 聞かされた私は唖然として暫く頭の中が真っ白に
なってしまい「ああ!−−−−」の一言しか出ませんでした。
そして、「ああ!十二分に分かりました分かりました、、、、もう、よいではないか、、、、、」
と(現地の人に対し)言ってあげたい気持ちにかられました。まあしかしソットしておいてあげたほうが
良いのかな?  、、、、、、、、とも思いました。 
いまだカケダシで、間違い投稿しがちは自覚ですが今後とも宜しくお願いします。

とんちんかん小僧 - 2003/08/24(日) 00:31<

「木地師」の謎

今月になって初めて本屋に行ってきました。
そこでなんとなくですが月刊ムーの目次を見ていたら上記のコトについて6ページ程度だったんですけど書かれていましたよ!この記事を読んで初めて知ったことですけど、小椋姓って元は藤原氏だったんですね。僕は、一番最初の河童のミイラの特集も気になったので購入してしまいました。他の記事はほとんど心霊特集でとても寒い思いをしました。

おりょう - 2003/08/23(土) 21:41<

一つの意見、お答えになっているかどうか

海や川の水辺や中州にみられるように、水流や波の作用で堆積した砂地を州処(すか)から須賀の地名とも
なり、砂漠を不毛の地というように、人間が余ほどの努力しないかぎり田畑の耕作に不向きな土地で、河原地といい、州処に追いやられたひとを河原者というそうです。スカ(カス)の語源にもなるようです。
全国的にみられる須賀神社の祭神はスサノオ神で、書紀・神代上第七段に神逐いされたスサノオが、笠・箕の姿でこの世から追放されたとあり、カサやミノはスゲ(菅ースガ)を材料として作られ、スサノオが
州か・須賀の地に遂われたことを、スゲのミノ・カサに象徴していたらしいです。
州かの者は海辺や山に遂い遣られた河童でもあり、サンカにつうじるのかもしれません。
鍛冶の職業病である目の悪いひとをスガメなども同じ意味らしい。

皆神 - 2003/08/23(土) 19:39<

霧社事件の思い出

△うぶさん、

ああ、霧社、懐かしいですね。

いまから25年ほど前、私も学生時代に、霧社事件のことを聞こうと、霧社を訪れたことがありました。当時は霧社事件を生き抜いた二人の男女が夫婦に夫婦になられて、霧社で旅館をされておりました。高さんというご夫婦で、私も2週間ほど長逗留をさせて頂き、お二人が涙ながらに語る、自分たちタイヤル族の滅亡と虐殺の話しを伺いました。

霧社事件というのは、1930年に、台湾のほぼ中央にある霧社という高地で、高砂族が抗日蜂起し、当日運動会を準備していた周辺の駐在所や日本人宿舎を焼き払ってそこにいた日本人134人の首を苅って殺した、という事件です。日本はただちに軍隊を霧社に出動させ、叛乱した高砂族を弾圧、ほぼ皆殺しに仕返しました。高さんの奥さんほうは確か、霧社事件の当時は、事件の首謀者の一人である、花岡二郎の妻でもあった方でした。

 でも確かに言われてみると、みなさん、サンカのように、どこか純粋な大変気持ちのいい方々でした。

 自分らの一族タイヤル族を虐殺した末裔である私のような日本人が、物見遊山の好奇心だけで、ひょこひょこと遊びに行っても大変歓迎してくれました。

 今でも強く心に残っている言葉があります。旦那さんの高さんが霧社事件の悲劇を一通り、お話ししてくださったその後に
「私は歴史の目撃者なので、自分が見聞きし、体験したことを後世の記録のために正確に伝えておく義務がある。だがもし台湾政府が私の発言を、記録のためではなく、反日のために使おうとしたりするなら、私は証言を一切拒否する」
といわれたことを、昨日のことのように思い出します。

この発言を聞いたとき、「ああ、日本人は彼らの国土は征服できたのかも知れないけれど、この人々の心中まで征服することはできなかった。もしかしたら、本当は負けていたのは我々日本人のほうだったかもしれない」
とさえ強く感じました。

 高さんの奥さんは、「私たちには高い文明なかったけれど、心の気高さだけは誰にも負けなかった」ともいわれてましたね。

 でも霧社のみなさんって、全然、日本が嫌いじゃないんですよ。
「日本語の聖書使ってます」といって寄ってきたり、「学校や列車が今、台湾にあるのは日本のお陰」とか「太平洋戦争の時、日本の兵隊さんと一緒に南洋で戦って、食べ物なくて大変だったけど楽しかった」とか言われたり、酒飲んでは日本の軍歌歌ってみんなで盛り上がっていたりして。

 挙げ句の果てに「平地の人々(高砂族でない台湾人のこと)は好きじゃない。次は、いつ日本が治めに来てくれるのですか」と聞かれてしまい、答えに窮することさえありました。
 教科書の勉強での知識は、実際に見るのとは大違いと、そのとき実感したものです。











GAINA - 2003/08/23(土) 18:14<

須の意味

ヤゾーさん、みなさん、こんにちは。
いま、独りよがりの「独説・熊野学」なるものをまとめていますが、
「須」という言葉が避けて通れなくなっています。

東熊野には「須」の付く地名がたくさんあり、
スサノオの須から始まり、
出雲、縄文人(土着民)、鉄の精錬、鬼、修験道、サンカ?などとの関連がうかがえます。

本来「天津神」であるはずのスサノオはどうして「国津神」となったか?
「須」の語源は何であったのか?
「須」で結ばれる出雲と熊野の関係は?
伊勢神宮の20年に一度の遷宮に納めるトキの羽を使った太刀に
「須賀利(美しい)太刀」と銘打っているのは?

もともとサンカもこの流れの中に在りはしないかと思っています。
須について、みなさんのご意見を!

あおき - 2003/08/23(土) 09:38<

そうですね

 ぼくは サンカ近代発祥説がいまいち信用できないですねー
クグツや木地師マタギは昔からいたので同じように昔からいたような気がするんですが

東沢美史  - 2003/08/23(土) 05:32<

「笹採り」

「風の王国」に掲載された小さな箕の画像を見ておもったことなどを、しばらくぶりに書かせていただきますが、批評社の歴史民俗学NO22から少しだけ引用させていただきます。

私は、日本のサンカ研究家によってなされてる山窩研究に対しては戸惑いがあり、いまひとつなじめずにいるものです。三角寛や八切止夫などが書いた山窩像は、よくこなれた文章で書いてありとても読みやすいのですが、そうそう、そういうことってあるよねっていうような実感にはいま一つ欠け、どうしてもココロに一定の距離を置きハスに構えてしか読めないできました。話しとしては面白いけど。

しかし、今年発行された歴史民俗学「サンカの最新学2」のなかで、利田さんや飯尾さんの取材に答えていたハツ子さんの生のお話は、とても自然で真実に間違いなく、また私なりに実感できるものもあり、たいへんありがたく読ませていただきました。

かつて三角寛がサンカの子供だと紹介してたハツ子さんのお話のなかで、特に興味をもってしまったのは「竹取り」についての発音でした。私の住む陸奥の国では女竹がたくさん生えてる「箆岳(ののだけ)」という低い山が存在しますが、「の竹切り」などと太古からの言い方と推測してしまいたくなるような「竹取り」を意味する発音も残っているのですが、それを彼女は「笹採り(ささとり)」と発音していました。
これを読んで、もしかして関東のほうがより古い発音かもしれないなーっておもってしまいました。

箕に使う女竹(目竹という漢字の意味でも考察したい)は「笹の葉」の部分は使わず、節のある「竹」の部分を割り、皮を剥がして使うのですから「竹」の部位のほうを指して一般に「竹取り」と言うとばかりおもってました。でも彼女が「笹採り」と発音してるということはホントは女竹の植物学的な部位の問題ではなく、なにか神事など信仰の面を意味し、女竹全体を表した発音のようにおもえてきました。

そうするといままでイマ一つわからなかった「の竹」、「のの(箆)」という主に野原ではなく河岸や山に生えてる女竹の発音の意味も何となく、うなづけてきます。
熊野ライフ通信や風の王国に載った「サンカの手仕事展」のミニ箕に編まれてる女竹を見ながら、ふと雑誌「歴史民俗学」のインタビューのことをおもいだしてしまいました。

他にも、もしかしたら彼女の話しには古代史の様相を裏付けてるかもしれないとおもえるものがまだまだありそうです。
太陽のことを「オツキサマ」と呼んでたと彼女が言うのは、福島のおしんめいさま(オシラサマ)を拝む口寄せのおがみさま(巫女)が旭日(あさひ)を、東空にたなびく雲を昇る「月とお日様」をセットで把握してたのとよく似てるなあーっておもいました。

また掃除のとき用いる「竹ほうき」を「ササボウキ」ではなく「ササバキ」という発音で答えていたのには感激しました。
私の所はかつて亘理氏の所領地で、この氏族の信仰の源流を辿ると上総国の佐倉とか佐原あたりを推測するのですが、亘理伯耆(ほうき)守とは、館(城)主のことを指し、呼び捨てではしつれいにあたるので「ほうき」を「はぎ(ぎ、は濁音)」と言い変えて発音しなければなりませんでした。掃除機でお掃除するのが普通の現在も、この発音を頑なに守ってる地区が多いです。

サンカ研究家による真実っぽい「山窩研究」と、真実の話しとの遠い距離を感じました。
もっともっといろいろ、お聞きしたいです。

△うぶ - 2003/08/23(土) 04:54<
こうへいさん、そのとうりだと思います、当時は構造船はまだでしたので、竹を束ねた筏程度ので
岸沿いを行き来したと思っています、「竹」に対する思い入れがここに有る所以、との自論です。
将来、帰る為、又は再び航海に出る為に竹を絶やさない事が民族の義務だったろうと。
他民族との葛藤対立も有ったのと、住環境の適不適で、飛び地(モザイク)が出来たのかも。
「山窩」の呼び名は警察サイドからの命名(柳田氏、三角氏も関与)だったはずですが、しかし
そのヒントになる言葉(例えば「三」「水」とか「坂」「酒」とか、、、、、)は以前から関係
した模様ですので、まんざらゼロからでも無い様です。勿論他称オンリーで自称する言葉は
ショケンシとかケンシとか色々有り、どうも職種に関係してるみたいです。
「〜ヤオヨロズノモノハコビ」ですので第2次第3次産業の先駆けでしたね、移動職業の出現
が人口増加の原因となっています。

こうへい - 2003/08/23(土) 02:40<

原住民飛び地

△うぶ さん 日本の原住民・・縄文人の海人は、半島、大陸を行き来して、勿論国境はないですから、飛び地みたいな所が随分あるみたいですね。
渡来系と言われる人の中にも、もと縄文人がいたでしょうし、里帰りみたいなもんですか?
縄文にはっきりと、山人と海人の区別があったのかは知りませんが、山窩と海窩があってもおかしくないですね。もっとも、山窩の人は、自分が山窩とは呼ばないようですが。
どうなんでしょうか? 

△うぶ - 2003/08/23(土) 00:52<
ヤゾーさん、「海窩」の単語は八切すら仮定の段でしたし辞書にも載っていません、しかし巷では
使っている人が複数存在します、私もこの世界たかだか3年ですが、20年程前に耳にしてました。
台湾では民族間抗争が日本のそれと大変似通っています(過去に於いて)。征服側と被征服側の
関係を学ぶには好適な場所です。日本時代は高砂族(現在は原住民と言う)を日本人の警察が
「オイ!こら!」と言って高飛車に統治。そのくせ混血児が一杯生まれています、
日本では奈良平安時代に行われた悪行を60年ほど前に繰り返してしまっています。
これ以上は他言をはばかりますので口、チャックです。牡丹社事件、霧社事件、辺りをNet内で
捜して読んでみて下さい。{アテルイ}そっくりな人もいました。
今でも日本語しか使わない村が存在するとの噂です(容易に想像付きます)し、前総統の李登輝氏
家では夫婦間の会話は日本語100%です。台湾のメジャーは倭人です。

とんちんかん小僧 - 2003/08/22(金) 22:36<

最高にうっまいなァ〜!!

この間はお久しぶりでした。
今年は冷夏とはいうものの最近、こちら和歌山でも残暑が厳しい日が多いです。
今日は急に休みが取れたこともあり買い物に行きました。
まだまだ夏を満喫していたいなと思っていたので、かき氷をと思ったのですが氷擦り機が行方不明・・!急いで近くのコーナンへ行って購入してきました。
電動式のもありましたが、やっぱり自分で削って食べたい願望が強くて普通のものにしました。値段わずか398円。シロップははちみつをかけるだけでしたが最高級に美味かったです。毎年これを食べないと夏って感じがしないです。実は、このあとすぐ入浴後に作ってまた味わうつもりでいます。

たかし - 2003/08/22(金) 12:00<
誰か、この俺様に、東北の農地改革について、教えてくれ!

こうへい - 2003/08/22(金) 10:56<

縞亀

ヤゾーさん こんにちは
亀は、黒い縞が真ん中から放射状に近い形でくっきり出てました。首の横に緑か黄の点々がありました。外来種かも。でも、3匹も集まっていたので・・ ちなみに、池の名前は、亀池といいます。
ブーメラン、2つ作りましたが、一個は真っ直ぐ行ってしまい、一個は、S字に飛びます。
顔面に来たら、スズメバチを避けるように、反射的に逃げます。飛び方、なかなか予測出来ない。

ヤゾー - 2003/08/22(金) 10:35<

ブーメラン

みなさん こんにちわ

GAINAさん そうですね。
取材を受けてくれるかという問題がありましたね。
代々 娘しか生まれてこないという家系の話しですが
飲んでいる井戸水に原因があるのではないかとの噂もあったようです。
それと 三代続けて婿さんを迎えている家系というのも結構あるみたいですね。

△うぶさん 海窩という言葉があったんですね。
以前 信仰の対象になっている三角形(ピラミッド型)の山に興味を持ったときに
もともとワダツミ(海人系)の人たちが信仰したものだという説がありました。
この間 ちょっとした興味から 台湾の先住民について少し調べてみました。
『熟蕃(じゅくばん)』『生蕃(せいばん)』と呼ばれていた人たちで
日本の統治時代には『高砂(たかさご)族』と呼ばれていた人たちです。
なにか日本の先住民と共通したものを感じました。
台湾だけでなく 大陸や半島にも そういう人たちがいて
彼らもワダツミ系の人たちなのかも知れませんね。

こうへいさん 池で見た40センチ位の亀ですが
もしかしたらスッポンではないですか。
でも黒の縞模様なんてスッポンにはあったかなぁ?
今年はスイカがあまり売れなかったので
捨てられたスイカを食べ過ぎたスッポンなのかも知れませんね。
ブーメランを自作したんですね。
子供のころ ブーメランが流行ったことがありました。
友達たちと 野原に行っては 日がな一日 ブーメランを投げて遊んでいました。
上手に投げると 自分のところまで戻ってきて
掴みそこねて もろ顔面に当ったりする友達もいました。
こうへいさんも ブーメランを顔面で受けたりしなよう気をつけて下さい。

こうへい - 2003/08/21(木) 14:33<

シマ亀

良い天気だったので、自作ブーメランを母校の運動場で飛ばしてみました。十分太陽を浴びたので、この前のシマウマ亀を捜しに行きました。デジカメは、常に持っておかないといけませんね。
心得その一・・・です。

>きょうかいさん、ご紹介のクリール・・・のお試しを試しましたが、6日で無くなりましたが、足の先から頭のてっぺんまで、癒されたような感覚があります。
身体中、スムーズに機能してるって感じがとてもあります(^^)

△うぶ - 2003/08/21(木) 02:55<

海窩の考察

(副題):「み(つ)+いつ(つ)  ペア地名から浮かび上がり来る海窩」

暫く前から気になっていた「み(つ)」「いつ(つ)」のペアですが、調べてみると山中と海辺に見られる。
山中は西国のド山中、海辺は本州太平洋沿い。(ペアで無くて単品でも言える事だが今は無視)
両者共、どうもサンカ関連の予想がつく→つまり、「み」は既出、「いつ(つ)」は「居つき」→「五木」→
「いつ」。                             余談だが「伊都」も「いつ」、派生して「糸」。
やはり山窩は山中だけでは無い!、の結論に到達。  聞けば「山窩」の当て字は柳田氏か三角氏が
関与したとのこと。  むしろ「山海者」と言うべきは明らか。 海窩の言葉がいよいよ現実味帯びて来る。
1)海洋渡来原住矢津系  2)北方騎馬民族そがげんじ夜津系  3)半島渡来しらぎこくり系
4)その他andその後、系   、、、、、、、、、、とバリエーション豊富。
海窩は砂浜で貝や蟹採って自給食料や商品としていたらしい(ここで、箕か笊を使用)。
東京の縁日では今でもアサリ売りの屋台が出るらしい(これは余談)。
とすると、「みからわけ」は一般には「実殻別け」と当ててるが「水殻別け」とも解釈出来るではないか。
宝船に乗って来た七福神の「エビス」、海から渡来なのに箕が付きまとうのも、これだな。
8=4+4 と以前言ったが  8=3+5 の方が重要だった。
                                    

GAINA - 2003/08/21(木) 00:59<

いろいろとありがとうございます。

ヤゾーさん、みなさん、こんばんは。
いろいろな情報をありがとうございます。

ヤゾーさん、
娘しか生まれない理由と家系図や過去帳があれば何とかなりますよね。
ただその家の人が協力してくれるかどうか?
都合の悪いことだったら取材拒否でしょうね。

やっぱり、ヤナさんは行間の魔術師ですよ。
今からでも遅くはないと思いますが・・・。
間を語る落語家、行間を語る小説家として売れっ子になっていたかも!

まだ隠れた情報があったらお教えを!

ヤゾー - 2003/08/21(木) 00:01<

なんだか懐かしい「口裂け女」でした

みなさん こんばんわ

GAINAさん 面白そうな番組ですね。
代々 娘しか生まれないという家の話しを聞いたことがありますが
そういうのは駄目ですよね。

蜜柑さん 牛久沼といえば 
その辺りで生まれた小川芋銭という日本画家がいて
河童の絵が有名でした。

ya(・ε^)naさん とても面白かったです。
それにしても ノミとかシラミとか痒くなりそうな話しでした。
愛犬にノミでもうつされましたか。

皆神さん 実に興味深いお話しですね。
当時「口裂け女」が怖くて 一人では塾に通えない子供たちが大勢いて
多くの子供たちが「口裂け女」を目撃したとの話しを何かで読んだことがありました。
また 100メートルを3秒で走るとか
わたしってきれい?と聞かれたら こういう返事をしなければならないなどと
面白い話しが山盛りだったそうですね。
子供の想像力なのか 時代背景なのか 実際に何かがあったのか
そういう話しが子供たちの間で 瞬く間に全国的に広まったことが不思議でした。
カッパ→座敷ワラし→口裂け女と変身する理由と
女性が「口裂け女」となって夜道を歩いた理由の
続きの話しを聞かせて下さい。
気になって一人では寝られません。 

こうへいさん ああいう文章を書かせたら
ある意味 ヤナさんは天才なのかも知れませんね。
味があるというのか 面白いです。

ya(・ε^)na - 2003/08/20(水) 22:37<

けけけっけ・・

こうへいさん・・やっぱり・・二番煎じはあきませんなぁ・・
  えらいすんませんでした・・

    いつでも・・へんらへらへら・
        だらだらしていてすんませんですねぇ・・

    でも・・こんなんが・・へへへっへへ
          すきなんですぅ・・・・よん・・へへっへ

     

   

こうへい - 2003/08/20(水) 10:34<

ya(・ε^)na さん

next one を期待して、寝てしまいましたが、3作目ないですね。
ya(・ε^)na さんの、すぐ作ってしまう、才能には敬服します。
フォローになったかなー(^_^;

こうへい - 2003/08/20(水) 02:06<

わた、わた・・水

までは、よかったんやけど・・・・はじめのんがよかったなあ

GAINA - 2003/08/20(水) 02:01<

ありがとうございます。

みなさん、ありがとうございます。

蜜柑さん、同業の立場からの情報痛み入ります。
牛久沼の話、いけそうですねえ。どんどんと話が膨らむといいのですが・・・。
現地の下調べをしてみます。
ありがとうございます。
それに朝日新聞社の件、友達がいますので一度連絡をとってみます。

みなさん、実証できるものを ぜひ!

私の方は・・・これから謝礼品の企画に取り組みます。
こりゃ、大変だ〜!

ya(・ε^)na - 2003/08/20(水) 01:45<

あはーーーーぁ・・うけましたぁ

ほんだら・・即興でもおひとつ・・・・



  嵐の夜・・船は難破し・・見知らぬ島に打ち寄せられていた・・

  気がついたとき・・・見知らぬ白人が取り巻き・・
   私を見つめていた・・「うううううう・喉が渇いた・水水・みずおくれ」
    私は、海を指差しうめいた・・
  しかし、誰も言葉を理解していない・・
        白人は、船の荷を指差していた・・
  少し、恐怖を感じた私は、積荷は・・「綿だ!!・・わた・わた」
   と叫んでいた・・
       しばらくして・・
     白人がコップに冷たい水を持ってきてくれた
  なぜか解らなかったが、ラッキーだった・・
      そうか、綿がこの国では、水のことなんだと気がついた・・
   きっと、英語圏なんだ・・・・

     気が落ち着くと、今度は腹がへってきた・・
       こんどは・・「飯・めし」っといったが通じない・・
    わたしは英語のことがあんまりわからない

そうだ・ライスだ!!
    「ライス・ライス・・ライスくでーーぇ」
         この島では食文化の違いで米をくわへんのんかも!!・・


          不安がよぎった
             わたしは、なおも叫んだ「ライス・ライス」・・

       困った白人は、薄汚い小屋に入ると・・
        皿にてんこ盛りの・・ライスを持ってきた・・

    発音の違いを、わたしは・・理解できなかった・・
       次にくる恐怖・・あああああああぁ


         皿に盛られた・・・・ライス(SIRAMI)を
       

こうへい - 2003/08/20(水) 01:15<

ya(・ε^)na さん

めちゃ面白い、即興で作ったんですか?  天才です。

皆神 - 2003/08/20(水) 01:14<

「恐怖の妖怪三段活用」

 カッパの軟膏で思い出しましたが、岩手県田野畑村猿山というところには、座敷ワラシの正体は、実は、カッパだったという伝承が残っています。

 それで、その近くの藪川村新家ではさらに話しが進化しまして、家に現れた座敷わらしを墓場まで追いかけて行ったら、墓石の影から現れてきたのは、なんと口裂け女だった、という「実話」なんかも載ってます。

 これはまさに、カッパ→座敷ワラし→口裂け女という「恐怖の妖怪三段活用」と申せましょう。

 この「実話」がいつの時代の話しなのかは、はっきり分からないのですが、たぶん明治期頃のことかと思われます。いわゆる「口裂け女」伝説が全国に広まったのが、1978年頃の話しですから、岩手県岩泉町の口裂け女は、全国の流行を100年くらい先駆けていた存在だったのかもしれません。

 座敷ワラシだけで十分嘘くさいのに、それが墓場で口裂け女に変わるなんて、いくら昔話だってあるわけねぇだろと思われるかもしれませんが、これがなんども書いているように「実話」なんですね。なんでこんな奇妙なことが起こりうるのか、ちゃんと「合理的」な種明かしがあるんです。これ聞いて、まことに感心致しました。

岩泉横道にお住まいの工藤真一郎さん(明治39年生)も、昭和の初め頃、夜中に歩いて宮古に用足しに行く途中、道中で「口裂け女」と出会い、会話を交わしたといいます。やはり、岩泉村には、戦前から「口裂け女」がいたのです。

 それで、その「口裂け女」は、ビックリしてしまった工藤さんに向かって、驚かしてしまったことに対して「おかんにんめさってくんさい」とやさしく謝ったそうなのです。

 つまり、その女性が「口裂け女」となって夜道を歩いていたことには、当時、ちゃんとした理由があったそうなのです。

 その理由とは果たして何なのか? また、座敷ワラシが口裂け女に変身する合理的理由とはなにか? 知りたいでしょう!!! お安くしときますので、謝礼を蜜柑さんの倍ください。

ya(・ε^)na - 2003/08/20(水) 01:09<
GAINAさんへ・・


  昔・雨に降られた旅人が貧しい村に立ち寄り雨をしのいでいた・・
     明くる日も、明くる日も雨は降り続き・・
  旅人はもう我慢できずに・・その村を出ることにした
     雨よけに、旅人はミノを求めた・・
  貧しい村人は・・旅人にその村の仲間からこましなミノを見つけ・あたえてくれた

     そのミノは、綺麗とは言えなかった・・・
        感謝の言葉を述べると・・旅人は村を後に道をすすめた・・

         雨は・・容赦なく降り注ぐ・・
             すごい雨だ!!!

  旅人が、ミノをひっくり返して・肩に掛けた瞬間から・・
       異様な感が・・身体を襲った・・

       背筋をなにかが・・つきぬけた・・

   「 どうなってるんだ」・・「いったいこれは!!」
      なんともいえない・・かゆみが・・

  「かいかいかいかい・・かいかい・・」

      そうです!!ミノをひっくりかえして・・・背中に背負ってしまったのです

               おおおおおおおおぉ・・・こわーーーぁ

蜜柑 - 2003/08/20(水) 00:37<

サンカ文字

アラスカのパーティーに出席した人がいれば
答え一発なんだ。
アラスカっていうのは朝日新聞御用達のレストランだから、
朝日新聞のOB当たればビンゴがでるかも。
どなたか朝日新聞の知り合いいませんか?

蜜柑 - 2003/08/20(水) 00:25<

河童に教えもらった軟膏

GAINAさんにそっと教えます。
千葉県牛久沼近辺のある農家に先祖代々伝わる「河童に教えてもらった軟膏」と言うのがあります。
この軟膏、何に効くと思いますか?
作り方は一家秘伝だそうです。
なにしろ、ご先祖様が河童を助けた御礼に調合方法を教えてもらったものですから。

正解は
「トゲ抜き」です。
ある雑誌で読んだときに、僕はこれは番組になると直感しました。

さらに、さらに、
牛久沼近辺には「河童に教えてもらった秘薬」を作っている民家が他に数件あるそうです。
これ、絶対イケマス。

謝礼品下さい。



GAINA <http://www.ne.jp/asahi/network/gaina/> - 2003/08/19(火) 22:41<

情報をお寄せください。

ヤゾーさん、みなさん、こんばんは。

サンカ手仕事展の話題で盛り上がっているときに
お願いで申し訳けないのですが・・・。

日本テレビ系(企画・制作を名古屋の局が担当)放映の
日本全国不思議伝承を実証しようという番組の企画に参加しています。

番組内容は 例えば 
猫にノミがつかない村、 弘法大師の恩恵で蚊に刺されない一家 など
を現地で実証して、その不思議に迫るというものです。

このような不思議な伝承がありましたら、
ぜひ情報をお教えいただきたいと思っています。
現地での録画は9月中旬を予定していますので、
そのタイミングで実証できるような不思議がベストなのですが・・・。
それ以外、季節を問わず、なんでも結構ですのでお願いいたします。

このKUMANOLIFE掲示板、
mailto:gaina@network.email.ne.jpか
URLの掲示板にお寄せください。
よろしくお願いいたします。

ヤゾ− - 2003/08/19(火) 19:45<

サンカ手仕事展の箕とサンカ文字の考察

みなさん こんばんわ

尾張のクズシリさん 三角寛の日記を手に入れることができて良かったですね。
当時の箕や日記が出てきたりするのには なにか意味があるのかも知れません。
続報を楽しみにしています。

おりょうさん 日記の存在を知っていることも凄いです。
谷中に暮していたこともあるんですね。
サンカの手仕事展 早く見れたら良いですね。

皆神さん 箕やサンカ文字の考察 それに写真まで
ありがとうございます。
当時のコラムを探し出してくるなんて流石ですね。

△うぶさん ぬらりひょんさんに場所を教えてもらい良かったですね。
セブリ跡地調査の報告を楽しみにしています。
「墓場の鬼太郎」は白黒で放送していたやつでしょうか。

こうへいさん お年寄りの話しは面白いですね。
もしかしたら 本当にそういう生き物がいたのかも知れませんね。
僕が小さいころでも 天然記念物のカブトガニを普通に食べていたくらいですから。

サンカ手仕事展の箕とサンカ文字についての
もんむーさん 皆神龍太郎さん 蜜柑さんの投稿と投稿写真を纏めて
熊野ライフ通信にてページにさせていただきました。

http://www.kumanolife.com/Topics/8..19.html

皆神 - 2003/08/19(火) 12:58<

やっぱり博士号記念の箕?

 千駄木の「かなかな」で開かれていた「サンカの手仕事展」で展示販売されたミニ箕の正体ですが、やはり三角寛の博士号取得記念の引き出物のようです。

 1962年4月27日の朝日新聞の「青鉛筆」というコラムで、有楽町のアラスカで開かれた三角の博士号を祝う会の様子が書かれているのですが、その中に

 「各界名士の拍手のなかで三角氏は、セブリから贈られたタケ製ミ(箕)に書いた“セブリ言葉”を読んでみせたが」

 という記述があることを見つけました。
 「箕にサンカ文字が書かれていた」というのですから、これはやはり今回発見されたサンカ文字付きの箕のことを指している、と考えるのが妥当と思います。

 しかし残念ながら記事には、なんと読んだかのということは載っていませんでしたが。




こうへい - 2003/08/19(火) 08:23<

海ネコ

△うぶ さん おはようございます
>そのバアサン、老人ボケ違いますか?
こいつ鳴くんやでー・・て言って、鳴き真似してくれたときは、さすがにオカシイナーと思いましたが、どうでしょうねー。
昨日、池で40センチ位の亀を見ました。白っぽい灰色に、黒い横縞入ってました。見てるうちに3匹になりました。ずっと、浮いて泳いでいました。白昼の幻覚?

△うぶ - 2003/08/19(火) 03:11<

海寝子?

こうへいさん
そのバアサン、老人ボケ違いますか? 20回も同じ事言うなんてね。
現実と空想が混沌、自分もいずれ、そうなると思うと自他共に、可哀相で、情けない。
それとも、鼓膜が変な直り方した?→楽しいですね→LSD鼓膜でしょうか?
今後も奇妙な事聞こえたら披露して下さい、、、「天狗を見た!」とか。

こうへい - 2003/08/18(月) 13:49<

海ネコ???

にいちゃん、ウミネコしってるか?
・カモメみたいなやつやろ?
ちがうちがう、海のなかに居てるンや。若い時分この裏の浜で毎日泳いだんや、今埋め立てちゃあるけどなー。 波が引いて泳ぎに出るとき居てへん、潮差してきて浜に帰ってくると、目がピカーってひかってるんや。砂に潜ってたんやろな、何匹もこっち向いて目がピカーって光ってるンや。
・どんなヤツなん?
クラゲみたいなヤツやな、手のひら位で、目光りもて、波でワサワサって動くんや
・クラゲみたいに透きとおってるん? 目光るンか? 見たこと無いなー
にいさん、海で泳いだことないんか?まー、若いよってなー、 この裏の浜に特に多かったなー
たまに、わさわさって、陸に上がってくるんや・・コワかったでー
・見たこと無いなー

80歳くらいのバアサンで、病院で順番待ちしてる間、20回くらい聞きました(^_^;
なんやろなー

△うぶ - 2003/08/18(月) 01:36<

セブリ場跡調査前夜

ヤゾーさん、さっそく”ぬらり”さんに詳しい場所教えて戴いたので、週末にでも行ってみます。
先ずは現地俯瞰、その後スコップ長靴持参で土方しにネ。以前そちらの現地調査記事見ましたが、
何かコツでも有れば教えて下さい。(何も出そうじゃないですが)

僕の時代では「墓場の鬼太郎」と言ってました、ご存知?。
僕も箕欲しいなあ(ロハで)。

皆神 龍太郎 - 2003/08/17(日) 17:07<

ミニミニ箕の作成年代の謎

ヤゾーさん、尾張のクズシリさん、みなさん、お久しぶりです。
尾張のクズシリさん、今回の展示会、来られなくて本当に残念でしたネ。数日前には、会場にはあの沖浦さんも来られたそうですヨ〜〜。

私は「サンカ文字の大御所」でもなんでもないので、今回の読み下しについては、山窩文字と同系統文字である上記文字の専門家である知人に、これで読みが正しいのかどうかを尋ねてみました。

> 解読は御指摘のとおり
>  イ
> ヒハ
> シカナ
> としか読みようがありません。

という返事でしたので、(縦か横かは別にして)読み下しはたぶんこれで正しいと思います。

箕の作成時期が、昭和37年か、昭和23、4年かということですが、「かなかな」の女性店主の仲川さんの話しでは、文芸坐の開館祝いに配ったものらしいです、と言ってました。それが本当だとすると、作成年代は昭和30年代初めということになります。

あと気になることとしては「風の王国掲示板」にアップした茶箱の写真をよくみていただくと分かるのですが、蓋と茶箱が入れ違っています(店の印が(二)と(中)と違いますよね)
会場には二つの茶箱があったので、互いに入れ違っているのかもしれないと思うのですが、その時にはそこまで気が付かず、調べませんでした。

それと茶箱には「大根」とも書いてあるので、たぶん三角寛お得意の漬け物用の大根入れにも使っていたんじゃないでしょうか?

この箕の作成時期が気になるのは、これが昭和37年以前のものだとすると、世に山窩文字が出現する時期の上限が速まると思えるからです。
いまのところ、サンカ文字が世に現れた一番最初は、昭和三七年の三角の博士論文だと言われているからです。

そういう意味で、このミニミニ箕は、大きさはとてもミニですが、サンカ研究上は、結構大きな存在なのかもしれません。

おりょう - 2003/08/17(日) 17:06<

三角寛の日記

お久し振りです。
三角寛の日記の出てくるのを待望してました。
鳥肌です。
続報すごく楽しみにしています。

暇みつけて「なかなか」に行って見たいと思っています。
谷中は以前の瀬ブリ場なのですごくなつかしい。

尾張のクズシリ - 2003/08/17(日) 16:18<

三角寛の日記資料落札しました。祝い箕の件など。

ヤゾウさん・皆様こんにちわ。また、皆神さんオヒサです。
@ご存知の方もあるかと思いますが、「明治古書入札会」で“三角寛の日記類ほか一括”が出品されました。三番札まで勝負という大決戦でしたが、代理委託のA書店さんが、最後までガンバッテ頂けて、無事手元に参りました。ぞくぞくしながら、ざっと見ました。中にこんな記述がありました。「・・最近・(サンカの先生・・)大塚大索氏と散歩をする日課になっている・・」「・・サンカの****が訪問あり・・」など。また別のノートには、聴き取りや、図書館での資料調べ?がギッシリ書いて有りました。また続報でカキコミ報告していきます。
A「サンカの手仕事展」の情報、いろいろ紹介していただき、大変参考になりました。サンカ文字の大御所の、皆神さんの読解「イ ハヒ ナカシ」さすがですね。サンカ文字の横読みもあったとは、はじめて知りました。
私は、「イ」をサンカ文字の「ア」ではないかと考え、縦読みで「アハナ カ アヒシ」(会わな か 愛し)と、三角の一期一会の句と思っておりました。
私の方、この『祝い箕』は、精・粗の2類ある内の、精製箕(飾りの品)ではなく、粗製の部類(一過的な消耗品)になるものである事より、恐らく人世座で当初の頃の販売していたという、芋版刷りの“サンカ土産品”であると推定しております。製作年代は、昭和23・4年と考えています。

箕がいっぱい! - 2003/08/17(日) 11:01<

ヤゾー

みなさん こんにちわ

ぬらりひょんさん はじめまして
貴重なお話し ありがとうございます。
それにしても不思議です。
この間から “ぬらりひょん”という言葉を よく口にしていました。
大台ケ原を歩いたときなど “ぬらりひょん”が出てきそうだとか
友達をつかまえて “ぬらりひょん”みたいな顔しているとか言っていました。
新「ゲゲゲの鬼太郎」の中で 名前とキャラが面白い妖怪だったので 印象に残っていたのでしょうね。
今後とも よろしくお願いします。

皆神さん お久しぶりです。
ミニ箕と それに書かれたサンカ文字についての考察は流石だと思いました。
今後とも よろしくお願いします。

こうへいさん 耳に目薬さしてしまいましたか。
笑ってしまいましたが お体 ご自愛下さい。
渓流釣りは はまったら怖いですよ。

きょうかいさん おっしゃるように
かの国の有り様を見ていると
民衆の絶望感が戦争を引き起こしそうで怖いですね。

蜜柑さん 「サンカ手仕事展」出撃 ご苦労さまでした。
蜜柑さんともんむーさんの写真 そして皆神さんの考察と蜜柑さんのお話しは 
貴重なのでページにしようと考えています。

△うぶさん ぬらりひょんさんに
詳しく場所を教えていただいたら良いかも知れませんね。
セブリ跡地の検証と写真を期待しております。

あおきさん そんな貴重な箕を手に入れることができるなんて
サンカファンにとっては すごいチャンスなのかも知れません。
いつか サンカ文化資料館のようなものができたら良いですね。

あおき - 2003/08/17(日) 09:38<

ミニ箕たくさんありますね

 結構貴重なミニ箕を安い値段で売ってますね 残しておいたほうがいいような気がします
どこか博物館とかに保存しておくとか もったいない

△うぶ - 2003/08/17(日) 01:30<

セブリ場

ぬらりひょんさん
すごい情報有難うございます、近じか、そちらの方面へ行く予定が有りますのでデジカメ手にして
訪ねてみたいと思います。
40年も経っているのですが、何か痕跡でも残っていないものか?。囲炉裏跡、焼き湯跡、ユサバリの穴、、、、、、想像するとゾクゾクします。

蜜柑 - 2003/08/17(日) 01:18<

出撃してきました

おそらく、久保田辰三郎・松島ハジメ・大山藤松の手によるものでしょう。
貴重な箕ですね。店の人の分析によると、箕は数人の作り手によるものだそうです。
また、店に来た「竹細工の専門家」は箕を見て「これは、タダモノデハナイ。竹の一番外側の皮と2番目の外側の皮と藤と桜を使っているプロの職人の技」と言ったそうです。「竹のいいとこどりをしている」と。
風の王国に写真上げました。

艮神 - 2003/08/17(日) 00:14<

「サンカの手仕事展」に出撃

どうもヤゾーさん、お久しぶりです。クマノライフのみなさん、初めまして。
本日、蜜柑さんと「サンカの手仕事展」に、出撃してきました。

ミニ箕が入っていたという茶箱を「サンカの手仕事展」が開かれていた「かなかな」さんのところで見せて頂いたところ、昭和37年の茶箱だった、ということがわかりました。

昭和37年というと、三角寛が東洋大学から博士号を取った、その年に当たります。ということで、「サンカの手仕事展」に出品されたミニ箕は、三角寛が「博士号」取得の記念品として作成し、配ったものではないのか、と思えます。

あと箕に書かれているサンカ文字なのですが、

 イ
ヒハ
シカナ

と読めます。つまり「祝いな菓子」で、やはり博士号取得の祝賀会などで、参加者に菓子を上に載せて配ったものなのではないでしょうか?

以上、あくまで状況証拠からの推理ですが。

ぬらりひょん - 2003/08/16(土) 23:27<

近江の参加

私は、福井県武生市に住むものです。
今日、父(昭和9年生まれ)と共に、かつて山窩のセブリのあった場所にいってきました。
むかし武生の街中でも、何人かの山窩を見かけたと父は言います。
武生の町は、漆の集積地で彼らが良く上質な漆を運んできたといいます。また、旧上市町には「モンジャ屋(四足の獣を売ってた店です。)もあり、彼らはいろいろなものを卸していたとのことです。
そんな彼らの居場所について、幼い父が祖父に聞いたところ
「湖北の静ヶ岳の麓にセブリしている。」と言われた。
『静ヶ岳』そう、羽柴秀吉と柴田権六が戦ったあの『静ヶ岳』の麓に数名の山窩が住んでいたのです。
父は、仕事の関係で良く大阪に行っていたのですが、昭和30年中期まで国道8号線から山窩のセブリを良く見かけたと言うことです。

場所は、敦賀方面から木之本に向かって国道8号線を南下して、木ノ本町に入って『静ヶ岳』の看板に沿って左の山道に入り(この道が旧国道8号線です。)その途中から谷が見えるところにセブリがあったそうです。

父が聞いた話では、彼らはその後国の保護により県民住宅に移り住んだそうです。

きょうかい - 2003/08/16(土) 15:55<

食えるということ

 戦争や暴力は、痛いこと、身体に悪いこと、友や肉親を失うがために悲しいということを
 いかに、宗教やイデオロギーの上位に持っていくか。
 我々や比較的食えてる人々は、痛いことや体に悪いことをわざわざしないのだと思う。
 問題は、身体に悪いことを分かったうえで、挑発せざるを得ないような
 絶望感なのだろうと思う。

こうへい - 2003/08/16(土) 14:53<

耳に目薬

耳かきしながら歩いていて、ドアに当たって鼓膜に穴が開きました。1〜2週間でふさがるそうです。朝、ねぼけて、耳に目薬差してしまいました。最近、エネルギー残量10パーセント位?

もの作り展見に行って、ホテイ竹の根っこでつくった釣り針外しが、ナイフのハンドルに面白いかなと見ていたら、つい、毛針トモダチにもらったと言ってしまい、渓流釣り竿2本買わされてしまいました。しかたなくアマゴ釣りを趣味の一つにいれることにしました・・・

ヤゾー - 2003/08/16(土) 00:05<

初盆と西瓜

みなさん こんばんわ

Tomさん はじめまして
アインシュタインの日本に対するメッセージですが
始めて知ったのは二十年くらい前になります。
確か月刊誌ム−だったと思うのですが
なにかの特集のときに載っていたのを
感じるものがあって手帳に写していました。
なんでも 日本から帰国する際に 船の中で発したメッセージだとか書いてあったような気がします。
その後 いくつかの本に そのメッセージのことが書かれてあったのを見たことがありましたが
なんの本に書かれてあったのかまでははっきりと覚えていません。
お役に立てなくて申し訳ありません。

告白する通行人さん 逆子という表現は面白いです。
八切氏の本は 主にサンカ関係の本しか読んだことがなく
菊池山哉氏の本は極く一部しか読んでいませんので
勉強不足の僕にはなんとも言いようがありませんが
両氏の本を熟読したから言えることなのかも知れませんね。
八切氏の魅力は 胡散臭さも含めた人間そのものにあったのかも知れません。

とんちんかん小僧くん 今日は終戦記念日でしたね。
戦後も58年ともなると 戦争があったことさえ知らない若者が増えるのも仕方がないことなのかも知れません。
子供の頃 今ごろになると よく戦争に関した番組や映画を放送していましたが
最近では少なくなったような気がします。
忘れてはならないことなのに。

こうへいさん 今日は ありがとうございました。
釜中で譲ってもらったという南野文書は
江戸時代に書かれたものが殆どで とても貴重なものだと思いました。
そういうものが こうへいさんの手元に来るということは
こうへいさんと釜中には 不思議な縁があるのかも知れませんね。

△うぶさん そちらも雨でしたか。
今年の夏は ほんとうに雨が多いです。
それにしても 93mの素麺流しは凄い。

今年のお盆は 爺さんの初盆でした。
親類が集まって よく口に出た言葉は 今年の夏は雨が多くて涼しいという話しでした。
西瓜が幾つもあるのに 誰も食べたいというものがいないので
冷蔵庫で何日も西瓜が眠っていました。
西瓜の大好きな僕でさえ 食べたいと思わないほど涼しいお盆でした。

△うぶ - 2003/08/15(金) 23:54<

素麺流し、やて

こんにちわ。 昨日からの雨でどこへも出かけられなかったので腐ってます。
NHKラジオに拠ると、福井県ミヤマ町三万谷別所では今日、長さ93mもの素麺流しが
行われて、普段40人の村なのに帰省の100人以上の人々が楽しんだ、、、、との事です。
竹切って100mもの溝作るの大変ですが、山中で野趣豊かに食べる素麺、美味そうです。
(耳にした季節の風物詩)

Tom - 2003/08/15(金) 13:55<

アインシュタインのメッセージ

はじめまして。おじゃまします。
実は、アインシュタインのことをちょっと調べていたらこのホームページにたどり着きました。このページにのっている「アインシュタインのメッセージ」は何かの本に載っているのでしょうか。その本の名前がわかったら教えていただけませんか。ぶしつけなお願いですが、よろしかったらお願いします。

こうへい - 2003/08/15(金) 13:27<

久しぶりです

トンちゃん、久しぶりです。まったくそうですね。さっきまで、ヤゾーさん来られてました。
この前、広島の爆心地付近に居た人の、描いた絵を見ました。原爆のあと自分の目でみた死んでいく人を、自分の生きてる間に絵で残そうと描かれたもので、それは悲惨でした。
死んだ人も苦しく、見た人も辛く・・・

サンカ文字の写真、ありがとうございました(^^)

とんちんかん小僧 - 2003/08/15(金) 12:06<

全国戦没者追悼式のTV中継で、皆が国歌を歌っているところを見ていて自然に涙がでてきた。改めて、多くの怒り・悲しみ・後悔を生む戦争を2度とやってはダメだと思いました。

告白する通行人 - 2003/08/14(木) 22:49<

皆様にはご不快かも痴れませんが

告白します。わたしは逆子です………
い、いやいや、そう言うことではなくて、八切先生のことです。

実は「この世界」に入ったきっかけは、二十数年前。父に次々と本を贈呈してきた
八切先生の諸作からなのです。
納得できる部分と、到底信じられない部分が雑多にまじわり、
ほとんど読み返してないのかと思われる文体とあいまって(わたしも人のこと言えんが)
大変魅力的な説でした。
その後長じて、自分でいろいろ調べるうちに、とんでもないことに気づいたのです。
八切説のうち、信じられそうな部分は、ほとんどが山哉の剽窃、及び恣意的曲解だったことを。
八切説から山哉説をとりのぞけば、あとはトンデモの部分だけ。
埋もれていた山哉説を世に知らしめる役割は果たしたものの、八切氏の為したことは、
人生の大半をかけて足で稼ぎ眼で確かめた、山哉の結論を、非常に胡散臭いものにしたも同然では
ないでしょうか。
非常に残念な気持ちであります。

ヤゾー - 2003/08/14(木) 19:05<

サンカ文字の書かれた箕

みなさん こんばんわ
 
こうへいさん 本物のサンカ文字が見れましたね。
なんて書いてあるのでしょうね。

もんむーさん 早速「サンカの手仕事展」を見てきたのですね。
そして小さな箕を買ってきたなんて素晴らしいです。
サンカ文字の書かれた箕の写真 本当にありがとうございます。

尾張のクズシリさん サンカに魅せられたお爺さんが
付きあいのあったサンカらしき人から
自分はこういうものだと 掌にのるくらいの箕を見せられたとのことですが
サンカの人たちが 祝い箕という小さな箕を作っていた事実があったのですね。

箕に書かれたサンカ文字はなんて書いてあるのでしょう?
一番上のが解りずらいですが“え”か“を”という文字なのでしょうか?
真ん中の段は“ひ”と“は”ですよね。
下の段は“し”“か”で 金魚のような文字は“な”でしょうか?
なんて書いてあるのか解ったら 教えて下さい。

尾張のクズシリ - 2003/08/14(木) 15:24<

三角寛のサンカ文字箕のサイギョウのシラセ入りました。

谷中の「サンカの手仕事展」のスズメのシラセが、二名より届きました。
@三角寛宅の木箱(1.1*0.7*0.6M)に、約900個の「箕」が収められた状態で見つかった。
A箕は全て、『祝い箕』(手のひらの1/2位の物と、拳大の2種類が有る)。
B箕の主素材は、「シノざさ」の肉味〜表皮のソメンヒゴ、縁巻き材は山藤の鬼皮裏使い。
Cサンカ文字は、手のひらサイズ(大)のほうに見られる。
Dサンカ文字は、書かれたものでなく、スタンプで押されている。
Eどうやら、三角が「人世座」で、お土産用に販売をしていた物と同一であるらしい。
F尾張サンカ・美濃サンカの『祝い箕』に比べ、極めて粗雑な造りである。
G尾張スズメと美濃スズメがデジ写真を、多く撮っていますので、まもなくこちらへ届きます。
以上が、サイギョウのシラセの一報でした。

もんむー - 2003/08/14(木) 15:22<

行って来ました

「サンカの手仕事展」に行って来ました。
雑司ヶ谷にある「ステーキハウス寛」で保管していた茶箱の
中から見つかった小さい箕1000個ほどと三角寛所蔵の普通の大きさ
の箕2個が展示されていました。小さい箕は4タイプほどあり、その多くに
サンカ文字とおぼしき文字が書かれています。お店の人の話では三角寛が
おみやげ用としてサンカの人たちに作らせたものではないかということでした。
で、小さい箕は買うことが出来ました。1200円、1000円、800円の
3タイプが買うことが出来ます。買った箕を風の王国掲示板にアップしておき
ました。
でわでわ

こうへい - 2003/08/14(木) 13:57<

サンカ文字

鉛筆書き写しでも紹介頂くと、ありがたいのですが・・・・

ヤゾー - 2003/08/13(水) 07:45<

お盆

みなさん おはようございます

蜜柑さん やはり行きますか。
恨めしい いや 羨ましい限りです。

尾張の国知さん 祝い箕にサンカ文字が書かれているんですか。
とても貴重な資料なんですね。
それにしても 流石にお詳しいです。

はつせさん △うぶさん ここの過去の掲示板検索と
プラウザの検索機能を併用したら早く検索できるかも知れません。

お盆になると キュウリとナスビに割り箸をさして
仏さんを迎えるという風習があります。
なんでもキュウリが馬でナスビが牛を表していて
仏さんが 馬や牛の背に乗って 帰ってこれれるようにという意味があるのだそうです。
実家の方では そういう習慣はありませんでしたが
田舎道を走っていて そういう光景を見たりすると
のんびりとした 安らぎのようなものを感じました。
お盆は田舎がよく似合います。

△うぶ - 2003/08/13(水) 00:25<

横から口はさみ、ですが

はつせさん、「突破」「素破」で検索掛けたら出るはずです。
一般検索エンジンでも、ここでの過去ログ検索でもOKのはず。

はつせ <http://www.ne.jp/asahi/songshang/hatsuse/> - 2003/08/13(水) 00:10<

トウハ〜スッパ?

尾張のクズシリさん、はつせです。もうしわけありませんが、「トウハ〜スッパ」とはどういう意味か教えて下さい。もし、過去ログか書籍がありましたらご教授を。すいません。

尾張のクズシリ - 2003/08/12(火) 14:20<

サンカの手仕事展 = 必見サンカ文字あり!

ヤゾウさん!みなさま。今回の三角寛の秘蔵していたという 『祝い箕』=(飾り用途の箕) には、サンカ文字が書かれていますこと、ごぞんじでしたか?
ムサシのハジメの蜜柑さん 展示品に書かれていると言う、サンカ文字も必ずよく観察してきてくださいネ!
私も、行きたいのですが、尾張国のクズシリとしての業務が立て込んでいまして、今現在は未定です。
私の代わりとして、尾張・美濃・遠州から、トウハ〜スッパのクラスのスズメ各1名をサイギョウでトオノリさせました。そちらからの情報入りましたら、連絡します。

蜜柑 - 2003/08/12(火) 10:46<

サンカの手仕事展

に、16日(土曜日)夕方出撃します。

ヤゾー - 2003/08/11(月) 18:06<

阿修羅とイザナミとウンコ

みなさん こんばんわ

もんむーさん ほんとうにお久しぶりです。
「サンカの手仕事展」なんて 凄いですね。
行けるものなら谷中まで見に行きたいです。
どなたか見に行ったら どういうものが置いてあったのか
また買えるのか教えて下さいませ。
もんむーさんの面白い情報が 久しぶりに見れて嬉しかったです。

こうへいさん カラス天狗のミイラですが 面白い顔してました。 
睡眠不足を解消してから一度見に行ってみて下さい。
休館日が二三日あったように思いますから 
前もって調べてから行ったほうが良さそうです。

はつせさんがおっしゃるように 
カラス天狗のミイラを担いだまま 山伏が行倒れたという話しを聞いて
その厨子に入ったミイラを見ていると とても感じるものがありました。

△うぶさん 山小屋のご心配 ありがとうございます。
それにしても いろんなところへ行ってますね。
また どこか面白いお祭りの写真 お待ちしております。

あの美しい姿をした阿修羅が もともとはウンコの神だと何かで読んだことがあります。
阿修羅はウンコを固めて城壁を築いて仏法の守護神たちと戦い
最後には便所の神に化身した不動明王がウンコを喰い尽くして降参させ
仏法を守護する側の神になったとかいう話しでした。
征服される側の神というものは ウンコと結びつけられるのでしょうか。
スサノオが思い続けたという 縄文の大地母神的女神のイザナミの神話にも
カグツチを生みホトを焼けどして苦しみながら死ぬときに
ちびったウンコから神が生まれるという話しがあります。
女神なのに ウンコやオシッコをちびったりさせるなんて
あまりといえばあまりの扱いなのかも知れません。

こうへい - 2003/08/11(月) 11:03<

サンカの手仕事

明治になって、仕事のなくなった刀鍛冶が、鹿角や黒檀で、根付け細工などを始めたそうです。
                                   (骨董屋主人談)
黒檀で作られた実物大の銭亀の細工は生きている様でした.

サンカの人々は、農家の機械化で箕の需要が無くなったとは言え、器用さを発揮して、他のものを作るほうに、行かなかったのでしょうか。
これは、二次的なもので、漂白の民でいることそのものが、困難になったのでしょうか?

もんむー - 2003/08/11(月) 09:40<

サンカの手仕事展

やぞーさん、みなさんお久しぶりです。

サンカの資料展示会「サンカの手仕事展」が台東区の民芸品店「かなかな」にて開催中らしいです。

民芸品店「かなかな」のホームページ
http://www1.ttcn.ne.jp/~kanakana/

17日までだそうです。(11日は休み)

インサイターより
http://home.att.ne.jp/delta/insighter/

△うぶ - 2003/08/11(月) 05:38<

天狗、風、猿田彦

ヤゾーさん カラス天狗、見学ご苦労さんでした。共同通信系地方紙に写真入り記事が有り
開催前既に見ました。    山小屋無事で良かった(ヤゾーさんとは”セット”ですからね)。

猿田彦の鈴鹿椿大神社は近所で、環境良いところに有り、好きな処ですので良く行きます。
隣には(悪)妻のアメノウズメノミコトも祀られていて、芸能タレントの参拝も多いです。
山を背にしている神社で、遥か100km後方には白髭神社(比良明神)、更に1000km後方
には旧新羅の地が控えています、(考えさせられます)。果たしてそれでは前方はいったい
どちらを見据えているのかが気になります(東向きです)。
例に漏れず おりょうさん 遠方の筈なのに詳しいのには驚かされます。

はつせ <http://www.ne.jp/asahi/songshang/hatsuse/> - 2003/08/10(日) 14:05<

みなさんご無事そうで

東京は一時雨が水平に降っていましたので心配しておりました。
山伏がミイラを背負ったまま行き倒れたというのは、民間信仰の実態として興味深い(山伏さん、すみません!)ことと思います。
興福寺の脱活乾漆の迦楼羅王(かるらおう)の写真を↓で見れますが確かに鴉の顔をしてます。ガルーダが語源のようです。私の好きな阿修羅王の眷属ですね。
http://www.kohfukuji.com/kohfukuji/01_index/f_main_d.html

こうへい - 2003/08/10(日) 13:21<

カラス天狗

カラス天狗とフクロウの顔の関係は、見たところはどうだったんでしょう?
極度の睡眠不足が解消すれば、ミニ行こうと思っていますが(^^)

ヤゾー - 2003/08/10(日) 11:35<

カラス天狗を見てきました

みなさん こんにちわ

こうへいさん 山小屋はなんとか無事でした。
心配していただいて ありがとうございます。
ボイラーの煙突 修理がんばって下さい。

△うぶさん 物凄い渋滞の中 
御坊へカラス天狗を見に行ってきました。
実物は なかなかシュールな雰囲気が漂っていました。

おりょうさん 猿田彦が椿大明神という名で祭られていたんですね。
また 猿回しと椿油売りが一緒に歩いたという話しは
とても興味深いものがありました。

あおきさん 台風の中 通勤したんですね。
ご苦労さまでした。
自然の驚異を体感できて 少し楽しかったかも知れませんね。 

昨日 御坊市立民俗資料館へカラス天狗のミイラを見に行ってきました。
30センチほどの小さなミイラが 山伏が背負うような厨子の中に入っていました。
カラス天狗のミイラは 仏教の八偉人の一人の迦楼羅王(かるらおう)だとされていたそうです。
江戸から明治にかけて そのカラス天狗の入った厨子を背負った山伏が各地を巡って
迦楼羅王の由緒を口上し 御利益を説いてまわったのだそうです。
その山伏が幕末か明治の最初ころに御坊で行倒れになり 
旧家の人がカラス天狗の厨子を引き継いでいたものを
市に寄贈し現在に伝わっているみたいです。
カラス天狗の厨子を背負った山伏が 海と山ばかりの紀伊半島の僻村を巡り
厨子を開けカラス天狗を見せて 由緒と御利益を説いている姿を想像したらワクワクしてしまいまいた。
当時の子供たちなら 目を輝かせてカラス天狗のミイラの姿を眺めたのかも知れません。

蜜柑さん 写真は撮っちゃ駄目と言われました。
マスコミ各社にも写真は撮られていないようです。
資料館が撮影した写真を使っているとのことでした。
そのかわりに まだ台風の影響で荒れていた
近くの煙樹ヶ浜の写真を風の王国掲示板にアップしました。

あおき - 2003/08/09(土) 22:33<

すごかったー台風

 去年の関東直撃台風はちっともすごくなかったのに 中心が北陸にある今回の台風の風と雨
は東京に来て初めてくらいの凄い奴でした 傘の骨は全部折れ ぼろぼろ 周りの人もみんな同じ
身体はびしょびしょ 雨は横からたたきつけて痛いし 木はボキボキ折れるし
明日小金井公園に行ったら 桜の木はぼろぼろだと思います 
あー凄かった 

こうへい - 2003/08/09(土) 14:03<

台風一過

朝帰ってくると、風呂のボイラーの煙突が飛んで、思い切り変形してました。
それだけなので、近くを通ったわりには幸運でした(^^)ヤゾーさんちはどうか、ちょっと心配。

ヤゾ− - 2003/08/09(土) 09:22<

台風が過ぎて

みなさん おはようございます

実家の方では 夜中の二時くらいから
雨風が激しくなってきましたが無事でした。
山小屋の近くに住む友人からの電話では
風よりも雨が凄かったそうです。
隣村へ続く国道が 土砂崩れのために全面通行止めになっているそうです。
また 昨夜の夕方から今朝まで ずっと停電していたそうです。
さて 山小屋がどうなっているのか 昼からでも戻ります。
山道からの方が早く戻れるのですが 
海岸線を走って 烏天狗と海を見てから山小屋に戻ることにします。

こうへい - 2003/08/08(金) 17:17<

椿

おりょうさん こんにちは
椿にも、古い言われがあるんですね。
猿田彦と椿大明神の関係を、猿まわしと椿油売りが伝承してるのでしょうか?
知りませんでしたが、不思議なお話ですね。
ご教授ありがとうございます。

落ちた椿の花が好きで、何枚か描いたことがあります。
幼児体験からだと思うのですが。
おりょうさん、なんでも、よくご存じですね(^^)

おりょう - 2003/08/08(金) 16:19<

椿の木のたたり

椿の花は首からポトリと落ちるところから縁起がよくないと忌み嫌われていたそうですが、謀殺された
猿田彦が椿大明神としてまつられたことに関係しているのではないかと・・・。
三重県鈴鹿市山本町にある椿大神社(つばきおおかみのやしろ)垂仁天皇の二十五年に倭姫の神託によ
り創建され祭神は猿田彦、また同市一ノ宮町にもあり、こちらは都波岐神社だそうです。

猿まわしが全国に門付けに旅する時、椿油売りも一緒に歩いたそうです。男は猿回しとして女は油売り
として同根であることをさとられずに歩いたそうです。
縁起がよくないといわれるのも根源は差別からきているのでしょうか。

こうへい - 2003/08/08(金) 09:14<

台風と椿の木のたたり

子供の頃、家の前の小川の対岸に椿の大木がありました。一重の藪椿?
その枝はうちの家に覆いかぶさり、
家の前の小径は、落ちた椿の花でいっぱいで、女の子は紐を通して首飾りを作り、ボクらは蜜を吸いまくっていました。いまだに一重の椿が好きです。

ある日、この木が切られてしまいました。
それから何年かして、第二室戸台風ってやつが来ました。豪雨の中、椿の木の在ったところが大きく崩れました。
川は埋まってしまい、怒濤のような水がうちの家の中を流れたのです。大人が、家の壁に大穴を開け、水を出しました。家の中が川になりました。
椿の木のたたり?  木を切ったのはうちじゃないのに

こうへい - 2003/08/08(金) 08:51<

烏天狗

おはようございます
ヤゾーさん、普通では、体験出来ないことですね。うらやましいっす。
一振りの名○、ウメガイその他、穴をほって埋めておいたらいいかも(^^)
小屋が飛んだら、デジカメ持って鑑賞に行きます。
烏天狗 粘土で型どりして、複製して小屋に貼り付けると、一生安泰かも・・・

△うぶさん お詳しいですね(^^)

△うぶ - 2003/08/07(木) 23:58<

>その一派?

その一派がハシリらしいです。ミカン前に江戸までの街道警護に同族関係者が増えた事(バタ)、
ミカンで儲けた大金では寺の首振らせるのなんか簡単だった(買収)。両方押さえりゃ移住は
簡単、、、、、、、、、、らしき事が書かれていました。

ミイラ>誰かさんに皆の無言の期待圧力かかってきていますね、近い人?暇な人?豆な人?

ヤゾー - 2003/08/07(木) 23:45<

台風

みなさん こんばんわ

1998年の台風のときには最大瞬間風速が50メートルを超える強風で
山小屋が傾くという怖い思いをしました。
おまけに土砂崩れなどで電柱が倒されて
村全体が一週間近く停電するという事態にもなりました。
そのときの台風では 樹齢数百年の大木が多く倒されて
国宝の室生寺の屋根も壊されたと思います。
その台風が荒れ狂ったのは昼でした。
山小屋の窓から外を眺めていたら
木々が信じられないくらい曲がり 大きな枝が折れて飛んでいきました。
うおぉ〜 これは凄いぞ〜 と少し怖くなってきましたが
まだまだ余裕がありました。
そのうちに 山小屋の裏に置いてあった洗濯機が
風の力で倒され ズズズッズ〜と表まで飛び出してきました。
こここれは ちょっとやばいかもしれん。
と思っていたら ゴゴゴゴゴォ〜と大きな音がして
四阿の屋根のトタンが バリッ パランパランパランと飛んでしまいました。
わちゃ〜 えらいことになってしもうた これは山小屋もやばいかもしれん
とビビりだした途端 またゴゴゴゴゴォ〜と大きな音がして
山小屋がフワッと持ち上がったようになり バキッと傾きました。
これは下手をすると 山小屋もろとも飛ばされてしまうと思い
山小屋を捨てて避難したのでした。
そのときの台風では 荒れ狂ったのが一時間ほどと短かったのと
明るい昼間だったので まだやり過ごすことができたのかも知れません。
これからやってくるであろう台風10号は 明日の夜に荒れ狂いそうなので
この際 烏天狗(からすてんぐ)のミイラ見物をかねて
明日の昼から実家へでも避難することにします。
みなさんも 台風には充分にお気を付け下さい。

こうへい - 2003/08/07(木) 20:49<

烏天狗のミイラ

誰が、早いかな(^^)

蜜柑 - 2003/08/07(木) 18:18<

和歌山で天狗のミイラ公開情報

「烏天狗のミイラ」公開   
  和歌山・御坊市であすから 
   

 和歌山県御坊市の歴史民俗資料
館で九日から、「烏天狗(からす
てんぐ)のミイラ」が公開される
。。             
 厨子(ずし)に収められたミイ
ラは“身長”二五 cで、丸い頭に
鋭いくちばし。一緒に伝わる巻物
には、平安時代に日蔵上人が大峰
山の洞くつで修行中、光り輝く谷
で見つけたと記されている。  
 江戸時代末から明治時代ごろに
山伏が担いで回り、厄よけや安産
などの御利益を説いたらしい。十
数年前、所蔵する地元の神社が同
資料館に寄贈したが、これまで一
般公開していなかった。    
 久貝健館長は「フクロウを基に
作ったのでは。山伏の生活を知る
貴重な史料。楽しんで見てほしい
」」と話している。      
 公開は九|二十四日が同資料館
、、二十六|三十日は同市立図書
館で。いずれも入館無料。   

と言うことです。是非写真撮ってきて下さい。  

こうへい - 2003/08/07(木) 09:03<

8歳

△うぶさん おはようございます
うーん、江戸移住説ですか。
寺の人別長は、一見戒名のようなものをつけるんでしょうか?姓がないので、付けたのでしょうか。寺が発行したパスポートの発行控えですか。
8歳の子は、末っ子ちゅうことですよね。
江戸へ移住した人は、ミカンの組合を作って流通を確保して、送られてくる有田みかんの販売をスムーズにやった(独占的に)って読んだことがあります。その一派?
とにかく、8歳がキーワードですね。
ありがとうございました(^o^)

△うぶ - 2003/08/07(木) 01:13<

8歳になったら

今日、紀伊国屋文左衛門の一節を読んでいたところ、思い当たる節が有りました。
文左衛門は有田湯浅の蜜柑商は衆知ですが、江戸の手前の島田港辺りで蜜柑を処分して
しまって江戸へ移り住んだらしいのですが、同時か以降か、有田湯浅の人々を江戸へ呼んで
移住を促したらしいのです。その時代移住するには人物の証明に値するのが寺の人別帳であって
出所不明ならば移住できなかったらしいです(特に「べちょ」ならば)。どんどん江戸へ向かったらしく
江戸の人口は大変増えたらしいです。故に、子供も8歳?になったら即人別帳に登録して、親と共に
移住したのではないか?。身の回りの物は質屋で処分して現金(関西だから銀か)に替え資金とした、
と推測しました。、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、どんなもんでしょう?こうへいさん。

こうへい - 2003/08/06(水) 21:02<

早朝のヒグラシ

3時頃、空見たら、天の川がボオッと見えました。珍しいっす。
早朝明るくなってきた5時に、なんとヒグラシが鳴いてました。猛暑を予測して、涼しいうちに鳴いたのかな?

こうへい - 2003/08/06(水) 14:26<

一本タタラ

この写真、ばあさんに見せましょうよ。こんなんやったって言われたら、アリャーですね(^o^)

ヤゾー - 2003/08/05(火) 23:23<

大台ケ原を歩いてきました

みなさん こんばんわ
まりさん はじめまして
昨日 一日かけて大台ケ原を歩いてきました。
熊野ライフ通信に大台ケ原の写真をアップしています。
こうへいさん 一本タタラの写真を風の王国掲示板にアップしておきました。

こうへい - 2003/08/05(火) 19:57<

大台ケ原

ヤゾーさん 一本足さんに逢えましたか?

こうへい - 2003/08/05(火) 10:51<

南野文書

浄土真宗の住職に聞きましたが、8歳で特別なことって、ないそうです。
なんかの事件で、死んだ子どもか、年が、3人8歳っていうのは、そうでも無さそうだしと言うことで、
しばらく預からせてくれと言われたので、なにか分かるかもしれません(^^)
村独自の事情、習慣かも知れません。

こうへい - 2003/08/05(火) 09:36<

南野文書

△うぶ さん、おはようございます。
ありがとうございます、そう言う人と思えば、気にならなくなると思います。
時間が、勿体ないって言うのもあって、突破口を見つけるつもりです(^^)

南野文書、習字を教えてるトモダチに助けてもらいました。そのトモダチのトモダチも巻き込んで、悪戦苦闘しましたが、難しいですね。前後関係で、わかる文字もあり・・
崩し文字辞書も見せてもらいましたが、読み方わからないと使えないんですね。確認用ですか。
これ以上、トモダチに頼めないので、突破口考え中です。
あと、100枚以上あります。質草関連あれば、多少質屋の実体が見えてくるとおもうのですが、
村の歴史の見えるものもあって、それはそれで面白いと思います。

△うぶ - 2003/08/05(火) 04:47<

武○

武士と武家と根底が違うので分けて俎上論議すべきと思います。
人斬りの職業集団(渡り型)と、対し定住型の武家。
精神主体生活、儒教などの教養、地元農民に対する気配り、西洋のマナーハウス的。
ただ、矢張り上下階級社会の因果は温存せざるを得なかった。

>こうへいさん
仕事で苦労していますね。どこの社会にもそんな奴一杯居ますので私だって日々被ってます。
自分の立場を階級社会の中の一点に固定したい、しざるを得ない人々ですね。
それでもって一生を始終するのは勿体無い話です。囚われない発想で人生を燃焼して
より有意義な日々送り、優越してやりましょうや。

こうへい - 2003/08/05(火) 00:24<

8歳の子

はつせさんこんばんわ
ありがとうございます そうなんですか
釜中は、上半分が浄土真宗で、その道場がありますから、そこに預けられたのかもしれませんね。
全く、違うかもしれませんが、8歳で特別なことがあったようなんですが??

ニルス - 2003/08/05(火) 00:02<

陽明学

 大塩平八郎や三島由紀夫についての話題が少し出ていたようですが、
ともに陽明学に傾倒し、その思想を実践して死んだそうです。理屈だけ
ではなく実行することが大事なのだ、と言う事をまさに実行し命を捧げ
たわけです。

はつせ <http://www.ne.jp/asahi/songshang/hatsuse/> - 2003/08/04(月) 23:42<

RE:南野文書

こうへいさん、浄土真宗のHPでちょっと見てみましたが、生前戒名あるいは法名は「釈尊」の「釈」がつくと書いてありましたが、「釈」は無さそうですね・・・?八歳は働き口として登録される年齢なのでしょうか?あるいは稚児に出されたとか。フロイスかの記録に「日本人の子供は全て寺に預けられ読み書き計算を習った」とあるのでこれかも。悪筆だけど字を書ける人は多かったかも。

こうへい - 2003/08/04(月) 16:43<

釜中調査隊 南野文書

浄土真宗は、8歳になったら、戒名を決めるという決まりがあるのでしょうか。
詳しい人、お願いします。(文書2枚目)

こうへい - 2003/08/04(月) 10:45<

怒りの壷

今、某大学の研究所の警備をやっていますが(見習い)、警備って全く底辺ですね。
先生、教授から、いろいろ言われる事務方が、警備に対して、いかにも細かく見張り、いやがらせをやりますね。
改善を提案しても、見当違いの反論が帰ってきます。
彼にとって、警備が唯一の弱者ですか?
まったく、笑ってしまう程です。
本題とは、違いますが。

夏ばての通行人 - 2003/08/04(月) 07:03<

階級社会の流動性

武士道の話ですが、
わたしはもともと俘囚軍、俘囚放免→さぶろう人→武士
てな流れを漠然と考えておるわけでして、
その考えで行くと「武士道」に「階級固定」「弱者抑圧」と言う考えは
はいってこないはずなのです。大前提が間違っているかも知れない。
徳川体制は、武士道に朱子学や堕落した仏教の教えがまじり、
為政者にとって都合よく構築された「支配の論理」ゆえ、武士道とはちょっと
別物かな、とも考えてます。
また徹底的なアパルトヘイト社会のように見られていますが、先に出た新撰組のように
百姓町人が「将軍家親衛軍」のようになったり、幕臣勝安房の祖父が百姓検校だったり、
けっこう「身分流動性」があったみたいですね。
「江戸の下層社会」読んでも、いろいろと考えさせられるところがあります。

余談ですが、新撰組の有名な「局中法度」が、全くの創作と言う説もありますね。
ありゃキビシすぎます。

こうへい - 2003/08/04(月) 03:29<

美学、理想

まりさま、
ちょっと、話はそれますが、百姓、浪人、その他、雑多なものの集団である新撰組が、ほんものの武士があっと驚くような局中法度を作り、「士道に背くまじきこと」なんて言う項目を並べ、違反したら、切腹または斬首で、それで死んだ隊士が、戦闘で戦死した数より、はるかに多かったといいます。
雑多な集まりの結束を、強固にする目的もあったでしょうが、武士でない故に激しい程の武士へのあこがれが、理想像としてそういう集団を作り上げようとしたと思います。
「燃えよ剣」の新撰組しか知りませんが(^_^;)

理想、美学は、武士に限ったことでは無いとおもいます。
押しつけられた、各階級層でも、理想、美学を持つ人は居たと思います。
「葉隠れ」にしても、覚悟の一面が見られます。
なにを書こうとしてるのか、わからなくなったので、この辺で失礼します<(_ _)>

まり - 2003/08/04(月) 01:31<

ありがとうございます。

こうへいさま

>武士でも、感じるひとは、思いやりをもって接したと思いますよ。

確かにその通りですね。
少し極端なことを記してしまいました。ただ、当時人口の約5%を占めたという武士階級が、自身の立場は武断政治による被支配者層からの搾取により成立しているという事を忘れ、「葉隠れ」等高邁な大義名分を云々していることに、少し疑問を感じたので、つい一本調子の記載をしてしまいました。今後とも皆様の博学な投稿を楽しみにしています。

こうへい - 2003/08/04(月) 01:09<

はじめましてさん

はじめまして
家の前に水道のポンプ場があって、よく故障して異常があったら、近くに住む担当者に連絡に行ったものです。うるさいからです。が、担当者が替わって、ある日大きな配管から物凄く水が出ているのです。さっそく、市役所に電話しました。
当直者が出て、うるさいんですかと聞くので、それもあるが、水が勿体ないって言ったら、それは、市役所の問題ですといわれました。税金という一字の意識の欠如でしょう。
政治家でも、会議も予算も、税金でまかなわれてるって何人が、自覚してるとおもいます?
そういうのは、今も昔も、変わらないんじゃないでしょうか。

武士でも、感じるひとは、思いやりをもって接したと思いますよ。主旨が違ってたら、すみません<(_ _)>

まり(8/3/23:55投稿) - 2003/08/04(月) 01:08<

ありがとうございます。

はつせさま 御教示頂き誠にありがとうございます。

自身でも大塩平八郎の乱について見てみます。おそらく当時、武士階級が、被支配者層の置かれている立場に義憤を感じるとは、それはそのまま体制への批判につながり、もしそのような事が表立てば、体制からの厳しい弾圧を受ける事になっていたのでしょうね。つまり体制として、そのような義憤を感じることを許さないシステムが形作られていたのでしょうね。武士階級でさえが、体制の被支配者階級であったとも思われます。もし「サンカ」の人々が、この「体制」の外側に、あの封建社会の中で自身の位置を確保できていたのなら、それはある種この時代の奇跡のように思えます。

はつせ <http://www.ne.jp/asahi/songshang/hatsuse/> - 2003/08/04(月) 00:12<

義憤

はじめましてさん、(でしょうか?)
 義憤で一つ思い出すのは「大塩平八郎の乱」です。NHKかどこかで以前解説していたのを覚えてますが、キーワードは「義」の為に立った、と思いました。どなたか詳しい方がいらっしゃればお願いします・・・

はじめまして - 2003/08/03(日) 23:55<

はじめまして

ひとつ思うのですが、江戸時代の武士階級はいわゆる被支配者層の置かれている過酷な実態を
見て、義憤を覚えなかったのでしょうか。あるいは自身の階層とは、農民層からの搾取のうえ
に初めて成立しているという事実に対し、何ら疑問を覚えなかったのでしょうか。

確かに「武士道」や「葉隠れ」は精神性の高い思想かも知れないですが、その精神性の高さで、
被支配者層の窮状に思いを馳せた者はいなかったのでしょうか。

はつせ <http://www.ne.jp/asahi/songshang/hatsuse/> - 2003/08/03(日) 16:39<

RE:葉隠れ

こうへいさん、私もどうして「葉隠れ」とつけたかは、分かりません。作者の想いがあったのでしょう。でも戦いに行けば誰しも少なからず「武人」になるのでしょう。書かれているのは「何も考えずにXXの為に死ね」ということでしょうが、XXが「主」か「大義名分」か「家族」かは人の納得の問題ではないでしょうか?(納得出来ずに死ぬというのは本当に悲劇でしょうね)。「武士道」とか「武士」という概念はあまり気にしてません。外国にも歴史上、「侍」はたくさんいます。
 西郷隆盛が東海道を下って(まだ都は京都でした)江戸に向かったとき、幕府軍が箱根かどこかで迎撃していれば、歴史は変わったかも知れないと言われていますが、それはもう指導者の甲乙の問題です。やるべき事をやらなかったのでしょう。

こうへい - 2003/08/03(日) 14:19<

葉隠れ

はつせさん、こんにちは
はつせさんは、武士に精通されてるとおもいますが、そもそも葉隠れって、何でしょう?
言葉の由来とか・・・
武士としての、侍じゃないですよね。
武士道とは、死ぬことと見つけたり・・ですか、そういう意志は残っていたようですが。
天下太平のおかげで、幕末、幕府軍の人数では負けることのない闘いに負けていますね。
会津みたいな藩もあったことはあったようですが・・・

はつせ - 2003/08/03(日) 13:44<

葉隠れ・・・

こうへいさん、「葉隠れ」は私は江戸時代、もう武力だけでは生きられなくなった「下級武士」の心得と取ってます。本来の侍の意味が無くなって、抽象的な「武士」を云々していると思います。本来の武士は、「土地」に固執し(一所懸命)そこと領民を支配し己が家の利益を守る非常にダイナミックな集団だったはずです。その意志が上(主)から下(下人)まで徹底されていました。だから戦国時代は熱い時代だったと思うのです。その上、民衆も負けていなかった。「物資の流通」という重要なことを「意識」していたからだと思います。だから、戦場に食料や武具を売りにのこのこ出かけたのです。「七人の侍」のように侍を「やとった」ぐらいの知恵と行動力があったと思います。
 それにしても国家的経済経営力のない江戸幕府が300年持ちこたえたのは、ある意味の「連邦制」をとったからだ、とどなたか言ってましたが、それでもよくぞ、という感じですね。「葉隠れ」武士の涙のお陰でしょう。

こうへい - 2003/08/03(日) 10:14<

TAKEN

ゆうべ、録画したけど、UFOの動力を作動させるのが、意志の力っていうの、昔読んだ「青い宇宙の冒険」と同じだった。

こうへい - 2003/08/03(日) 08:42<

三島由紀夫

葉隠れ入門っていう本、大昔読みました。忍者の本かと思ったら、侍の心得みたいなもので、
勤め人の心得みたいなものが、細かく書かれていました。
「疲れて、顔色の悪い日は、口紅を塗って出勤しなさい」みたいな・・・
そのなかで、ボクの気に入ったのは、
 恋でも、一番美しいのは・・忍ぶ恋である 恋してることを相手に告げず・・・

とんちんかん小僧 - 2003/08/03(日) 01:05<

気分は爽快!

今日は朝から大阪の南港の方へ<サマーソニック2003>を見に行ってきました。
僕は、特にこれといって好きなアーティストがいたわけではなかったのですが前々から一度は行ってみたいなと思っていました。都合良く一緒に行ける友人がいたのでチャンスを生かすことにしました。
最初に見たのは、HYという沖縄出身の若手のバンドでした。過去に一度、WOW WOWの方でプロモーション・ビデオを見ていただけでしたがとても気分良く音楽に酔いしれることができました。それから食事をとり午後からも見たい聴きたいアーティストを重点的にしていたこともあり最終的に4アーティスト分だけしか見ることができませんでした。
でも全然問題はありませんでした。最初は回りの人に呑まれてしまっていましたけど・・。
初めての野外ライヴは身体全体で音楽にのれることができ自分なりにアーティストと一体化ができたことが収穫です。
疲れてフラフラになったけど、今日はとても充実した一日を過ごすことが出来て良かったです。
かなりたまっていたストレスも一気に吹き飛んじゃって魂も抜けでちゃうぐらい弾けることが経験できて一石二鳥(!?)でした。おやすみなさい。

とんちんかん小僧 - 2003/08/03(日) 01:04<

へえ〜知らなかったです。

ヤゾーさん
>銅鐸に描かれた模様に トンボ カメ カマキリなどの生き物や
>シカやイノシシ狩りをしているものがありました

初耳でした。あんまり注意深く見ていなかったから気づかなかったのかもしれないですけど、
そんなのどかな文様が施されたものが太古の時代からあるものなんですね。
少しネットを通じて探してみようかな。おもしろそうだから。

こうへい - 2003/08/03(日) 00:37<

不思議なモノを見るお年寄りたち

そりゃーもう聞きに行かなあきまへんわ。
デジカメで証拠写真とらなあきません。

ya(・ε^)na - 2003/08/03(日) 00:05<

っはははは・・はぁ

はっははは・・
  今日もまた・・はっははっは・
   たくさん・・はっははは・・よばれてますよーーぅ  お酒!!けけけ
さきほどまで・・三輪明宏さんの番組みてました・・はははっは・・
  自衛隊の青年に・・思いをはせた・・三島由紀夫!!!
憂国・・素敵な言葉!!
  ほんま・・憂国感じてはたったんは!!・・森田やなかったやろか??

  残される残党の思い!!
   先立つ人には、きっとおもいおつかったんやろねぇ

    っへっへへまあええかいねぇ・・


ヤゾー - 2003/08/02(土) 15:30<

不思議なモノを見るお年寄りたち

みなさん こんにちわ

はつせさん トンボとつき合う方法なんて ほのぼのとして良かったです。
オニヤンマ 昨年どこかで見まような気がします。
あの大きくて黄色の縞模様のやつですよね。
近くにきてホバリングされたら迫力がありました。
とんぼとり きょうはどこまで いったやら なんて詩がありましたね。

こうへいさん こちらのお年寄りは 不思議なモノを目撃したことのある人が多いみたいです。
大きな人間の足をした 一本足の化物を見たという話しを聞いたときには
なにをバカなことをと思いましたが 本気で見たという人が何人もいるのですから
なにかそのような形を イメージとして感じるのかもしれませんし
そういうものを感じさせる歴史的背景みたいなものがあるのかも知れません。
こうへいさんのICレコーダーを持って聞き取りしてみますか。
極く狭い範囲では 小馬ほどもある白いキツネを目撃したという話しも多いです。
地元でも人格者だと誉れ高い和尚さんも目撃したそうです。
その白キツネの姿を木像で造った人さえいます。
もしかしたら こうへいさんがこちらに遊びに来たときに
国道沿いの空き地でその白キツネの木像を見ているかも知れません。
確か 熊楠の話しで アイルランドでは妖精を感じることのできる子供がたまにいて
そういう子供は将来 学者になったり詩人になったりするので大事にされるが
日本では変人扱いにされてしまうので残念であるとう話しがあったような気がします。
こちらでは お年寄りが変なモノを感じるみたいです。
これから一本足のタタラの伝説が残る大台ケ原へ行ってきます。

こうへい - 2003/08/02(土) 00:56<

“ゴラ”

“ゴラ”って、昔、出たんですか?
一本足の何かを比喩したんじゃなくて、そのものが居たんですね!
それって、すごいじゃないですか。
各地に残ってる話も、そのものが居たんじゃないですか?

昔(江戸時代?)、富士山麓で、山の大火事があって、最初いろんな動物が逃げ出して来たけど、
そのうちに、一つ目入道や、とにかく異形のものが動物に混じっていっぱい飛び出してきたっていう記録が残ってるって、何かで読みました。
熊野の一つ踏鞴っていうのも、本当に居たのかも知れないね。
いまでも、どっかに住んで居るのかも。コロボックルな爺さんなんかが、知ってるのかもしれない。

はつせ <http://www.ne.jp/asahi/songshang/hatsuse/> - 2003/08/01(金) 23:34<

とんぼとつき合う方

オニヤンマはこの?10年見てません。ギンヤンマの小さいのはこの神奈川でみたことがあります。この方法は大きなトンボに効くかは分かりませんが、シオカラや赤とんぼには絶対効きます。でも私の様な善人で無いと駄目かも・・・(汗)
 トンボが近くに留まったら真正面から人差し指を差し出します。トンボが指先をじっと見ます。どんどん近づけます。トンボの目の先に来たらゆっくりと、でも移動を止めないで。そうです、遂に指はトンボに当たります。乱暴でなければトンボは逃げず、前足2本を指先に掛けてくれます。残りの足も掛けさせてやって下さい。呪文を唱えます。I'm not gonna hurt you...(アイム、ナットゴナハーチュー)トンボは飽きるまで指先に留まってくれます。そっと胸につけてペンダントにもなってくれます。

ヤゾー - 2003/08/01(金) 17:06<

銅鐸の模様

みなさん こんばんわ

こうへいさん 興味を持ったら何処までも行くという行動力は
若いころからのものだったんですね。
それが今でも持続しているのですから尊敬してしまいます。

きょうかいさん 戦後に多摩で目撃されたという
縄文人らしき人の話しは興味津々です。
何か分かったら教えて下さい。

没義道通行人さん 国会図書館に関西舘というのがあったんですね。
それにしても菊池山哉さんの古いのから新しいのまで
随分と揃えているんですね。

はつせさん 地元のお婆さんが真剣な顔して
若いころに 山の中で一本足の化物に出会ったといいます。
その化物のことを“ゴラ”と呼んでいました。

にるすさん 以前にも 糸を使って
巨石を運ぶ実験の説明をして下さっていましたね。
なんだか夏休みの実験コーナーのようで楽しいです。

とんちんかん小僧くん ヤナさん
以前 銅鐸(レプリカだったのかも?)を見たことがあるのですが
銅鐸に描かれた模様に トンボ カメ カマキリなどの生き物や
シカやイノシシ狩りをしているものがありました。
それらの模様を見ていると のどかな気分にさせてくれました。
また造られたのが弥生時代でも どこか縄文的な匂いを感じさせました。
トンボの話しで なぜか銅鐸の模様を連想してしまいました。

こうへい - 2003/08/01(金) 09:41<

重力異常2

にるすさん、こんにちわ
この坂がテレビに出たきっかけが、スキーに行く人が、タイヤチエーンを付けようとして、車止めをして替えようとしたら車が坂を登って行ったということらしいです。
一見下りの坂は、水準器をあてると登りになってるのがわかります。坂の手前何メートルかは、水平に近いのです。水準器を当てても、水平にちかいです。ですから、手前から、水平に近い所を歩いて、下りにさしかかると、視覚的には下りだけど実は、登りなんです。視覚的に下りを下りきるとと、視覚的に登りになるのですが、これは水準器をあてると登りです。
長野電鉄の高架下は、下って登るようにみえますが、じつは、登って、登る訳です。
重力異常は、この下りに見える部分だけのようです。じゃ、幅はどれくらいかっていうと、坂の手前の水平なところに経ってる家は、ちゃんと水平に建っています。
一見下りの道の側壁を登って、田圃から、向こうに見える家は、傾いています。
家は、水平、垂直はちゃんととっていますから、水平なのですが、視覚的に傾いているのです。
一見下りをすぎると、家はまたちゃんと視覚的に水平に建ってます。
アメリカにも、車が勝手に坂を登るスポットありますね。
あの、日本版がここなんですよ。
長い登りを車で登っていて、登りのゆるやかな所に来ると、下りに勘違いするってあるでしょう?
でも、ここは、手前が水平に近いのです。水平に近いところを走っていて、下りにさしかかると、じつは、登りになってるのです。各ポイントで、分銅で重さの比較をしましたが、これは違いは見られなかったです。
あれから、誰か調べたのかなーって、ちょっと思って・・・。

近所のおばさんに聞いたら、この坂は、舗装される前の昔から、水が登っていく坂だったと話してました。

にるす - 2003/08/01(金) 08:28<

重力異常について

こうへい様へ、重力異常を調べる方法があります。糸に錘をつけてその場所でぶら下げます。
目の前の糸と周辺の建物(ビルが分かり易い)の鉛直ラインを比較します。通常ならこれは
一致しますが、現場の重力加速度の方向がもし異なるのならば、平行にならないはずです。
 アメリカのオレゴンに有名な重力異常な場所があると聞きますが・・

ya(・ε^)na - 2003/08/01(金) 08:06<

ギンヤンマ

わが町、溜池はすべて埋め立てられ、河川はすべてコンクリートで固められ、
トンボの生息する条件はなくなってしまいました
子供の頃、つがいのギンヤンマ捕まえますと、腰のあたりが青のと白っぽい銀の2種
を確認できます。
そのしろっぽい方のとんぼの羽とハネの間の胴に細い糸をつけて、飛べるよう結びます
 それを持って川原や溜池に行きますと、もう一方の青い種のトンボがさかってきます。
うまいこと、尻尾でくびねっこ掴んでます
それに、一度さかるとなかなか離しませんよう
  そんなかんじで、何匹も何匹もすけべなオスたちを捕まえたもんです
面白いことに、死んでしまったメス(白い方)をグルグル回すだけでも、さかってきます
  ほんまオスは見境がおませんねぇ・・・トンボのはなしでした

                 

とんちんかん小僧 - 2003/08/01(金) 03:13<

このまえ

久々に洗車しました。すると、そこへ一匹のギンヤンマが颯爽と車の方へ近づいてきてドアミラーに停まりました。モノは試しと思ってギンヤンマの目を回して捕まえてみようと思い正面から指をクルクルと回転指しました。すると、まったく微動だにしなくなったので『チャンス!』と思って羽を掴んだら、痴漢されたと思ったのかおもいっきりビクついたので、反対にこっちがおもいっきりびっくりしました(☆δ★)

こうへい - 2003/07/31(木) 14:52<

信州の不思議な坂

確か、信州中野の駅で降りて、湯田中バイパスを行くと、上に長野電鉄が走っていて、道が電鉄の下をくぐるようになってます。
その坂が、下りに見えて実は登りになっています。リュックかついで走りましたが、下りなのにしんどくて、反対に走ると登りなのに楽なんです。コーヒー缶、ゴルフボール、水なんでも登っていきます。高架下がV字になってるのに、排水ポンプが要らないんです。みずが溜まらない。
30年程前、三日かけてトモダチと調べましたが、結論は、重力異常地帯です。
目の錯覚説は、間違いです。
でも、まだあるのかなー。

はつせ <http://www.ne.jp/asahi/songshang/hatsuse/> - 2003/07/31(木) 01:38<

高師小僧と石巻別所

鉄と別所の関係を述べている文献を発見しました。もしご存じでしたらご容赦を。
 ↓のHPにあるテキストに「高師小僧(東三河の古代金属文化を探る)」という文献があります。
http://www02.so-net.ne.jp/~oshimamd/heika.html
 その18章です。「高師小僧」というのは沼地の芦などの茎に形成される管上の喝鉄鋼の析出物です。古くは野蹈鞴にてケラ(鉄片の母)の原料として使われた、俘囚は労働力であった、と書かれております。ただし、「高師」は明治以降に使われ出した地名で、古くは「高足」といったようです(要調査)。茨城の金砂神社で奉納される「一本高足」という踊りに関係があるのでは・・・だいだらぼっちみたいだし・・・などと空想は限りなく。

没義道通行人 - 2003/07/30(水) 23:52<

国会図書館関西館

一度行ってみたいのですが、非常に辺鄙なところろにあります。
しかし、あるところにはあるものです。菊池山哉関係でも
なかなか興味あるものどっさり
1. 五百年前の東京 / 菊池山哉. -- 東京史談会, 1956
2. 天ノ朝の研究 / 菊池山哉[他]. -- 批評社, 1996.12
3. 蝦夷とアイヌ / 菊池山哉. -- 東京史談会, 1947-1952
4. 蝦夷とアイヌ / 菊池山哉. -- 批評社, 1995.7
5. 蝦夷と天ノ朝の研究 / 菊池山哉. -- 東京史談会, 1966
6. 穢多族に関する研究 / 菊池山哉. -- 三星社書店, 大正12
7. 穢多族に関する研究 / 菊池山哉. -- 三星社書店, 1923
8. 大石氏の研究 / 杉山博,栗原仲道. -- 名著出版, 1975. -- (関東武士研究叢書 ; 第2巻)
9. 原住民から観た上代史 / 菊池山哉. -- 東京史談会, 1949-1951
10. 五百年前の東京 / 菊池山哉[他]. -- 批評社, 1992.3
11. 沈み行く東京 / 菊池山哉. -- 上田泰文堂, 昭和10
12. 先住民族と賤民族の研究 / 菊池山哉. -- 温故書屋, 昭和2
13. 先住民族と賤民族の研究 / 菊池山哉. -- 批評社, 1995.2
14. 長吏と特殊部落 / 菊池山哉. -- 東京史談会, 1953
15. 東京史談 / 菊池山哉先生追悼号編集委員会. -- 東京史談, 1970
16. 東国の歴史と史跡 / 菊池山哉. -- 批評社, 2000.9
17. 特殊部落の研究 / 菊池山哉. -- 批評社, 1993.10
18. 登呂遺跡の再検討 / 菊池山哉. -- 東京史談会, 1955
19. 日本の特殊部落. 第2編 / 菊池山哉. -- 東京史談会, 1958
……………
25. 日本の特殊部落 / 菊池山哉. -- 東京史談会, 1961
26. 日本部落史料 / 菊池山哉[他]. -- 日本シェル出版, 1981.3印刷
27. 府中市史史料集. 第1-2集. -- 府中市史編纂委員会, 1964
  ………
38. 府中市史史料集. 第9集. -- 府中市史編纂委員会, 1965
39. 別所と特殊部落の研究 / 菊池山哉. -- 東京史談会, 1966
40. 別所と俘囚 / 菊池山哉. -- 東京史談会〔ほか〕, 1947-1952



きょうかい - 2003/07/30(水) 19:29<

こうへいさん

あの話は、又聞きです。私も気になっているので会ったときに
詳しく聞いて、かつてのその現場に行きたいと思っています。
(1箇所は行きました)
表層土器と言ってたと思います。
もちろん学術用語ではないでしょう。
 

こうへい - 2003/07/30(水) 19:18<

表層土器

きょうかいさん
多摩の縄文さんのお話、もう一度詳しくお教え願えませんでしょうか?
模様は縄文だけど、軽いっておっしゃってましたよね。表層土器とか?
追っかけられたとか・・。某考古館の館長に話したら、戦後、古墳などに住んで、土器を作って生活してた人が大阪にも居て、そんなんと違うんですか?って言われてしまったので。

ヤゾー - 2003/07/30(水) 15:50<

キップを食べる鹿

みなさん こんにちわ
こちら熊野では昨夜から今朝にかけて雨がたくさん降りました。
梅雨明けはいつになるのでしょう。

こうへいさん 若いころに出雲の方もツーリング旅行していたのですね。(^_^)v
釜中の質屋文書 貴重な文献が含まれているかも知れませんね。
崩し字辞典を片手に しぶとく見ていると なんとなく読めてくるかも知れません。

はつせさん 貴重なお話し ありがとうございます。
中国大陸や朝鮮半島の先住民族と この国に居た先住民族の間には
なにか共通のルーツのようなものがあるような気がしていました。
沖縄の南西に沈んだ海底都市と関係があるのかも知れませんね。

きょうかいさん 出雲大社の「爪剥の神事」について ありがとうございます。
なんだか八切止夫さんの本によくでてくる 征服者に犯されていない女を伴って 
山へ河へ逃げた男たちがサンカの始まりであるという
話しを思い出してしまうようなお話しでした。
双方承諾した夜這いなら ロマンチックなのかも知れません。

あおきさん 三次市が縁の地だとは聞いていましたが
吉田村も縁りの地だったんですね。
タタラの村として有名みたいですね。


△うぶさん 肌寒かったので雪が降っていたのかも知れません。(そんなこたぁ絶対にない!)
雨が反射して白く写っているのかも知れません。
写真の神社は島根県は八雲村熊野にある熊野大社です。
 

出雲地方の神社巡りの次の日には 宮島の厳島神社へもお参りしてきました。
宮島へ渡る為にフェリーの切符を買うのですが 片道キップも往復キップも買えました。
宮島の看板には キップなどを手に持っていると鹿は紙を食べるので
食べられた場合には もう一度キップを買って下さいと書かれてあり
誰かが鹿に往復キップを食べられて文句を言ったのかなと少し笑ってしまいました。
宮島の厳島神社の写真を熊野ライフ通信にアップしています。

こうへい - 2003/07/30(水) 03:16<

ボクも、雪が屋根に積もってるのかと思いました。でも、この季節にマサカねー・・・

△うぶ - 2003/07/30(水) 01:34<

びっくりしたあああああ!

ヤゾーさん、下の熊野大社(写真)、屋根に雪が積もっているではないですか!
これ熊野本宮大社ですよねえ?<オバケ見た時みたいに驚いた>

あおき - 2003/07/29(火) 20:07<

なつかしい

 ヤゾーさん 吉田村には母の先祖の神社があり その裏に室町時代から続くでかい墓所があります
竹やぶでたけのこ取ったりしてました 三次峠に幽霊がでるらしいので見ればおもしろかったかも
しれないですね 

きょうかい - 2003/07/29(火) 19:16<

おすすめ

「昭和20年東京地図」文 西井一夫 写真 平島彰彦
「続昭和20年東京地図」 同
 先日、合宿で紹介した本の題名です。どっかから文庫版になっています。
 今、手元にないので「続昭和20年」で検索にかけたら
 1件だけヒット。なんとKumanolife過去の掲示板2001/7/16の私のカキコミだった。

きょうかい - 2003/07/29(火) 18:48<

ご馳走か処女権か

出雲大社の「爪剥の神事」
 この神事は国造家の秘事で、大社に奉仕する神官といえども、特定の家柄の者の外は、どんな事をするのか知っているものは少ない。
 毎年8月14日夜の子の刻というから夜の12時に国造は、特定の家柄の禰宜一人を従えて、大社の本殿に参進する。内殿に参進した国造は、神さげを行って、御霊を御幣に遷し、それを捧持して階段を下り、そのまま国造家のやかたに還る。御霊の憑りしろとなった御幣は、館内の一室に奉安せられ、その部屋には、国造の奥方だけが、明け方まで奉仕される。そして国造自身は、御幣を館に奉安すると同時に、館を逃れて、特定の禰宜の家に行って宿泊し、明け方に帰って、御幣をものの如くご本殿の奉安するのである。
 この神事の内容から判断すると、「爪剥ぎの神事」は借り字で、本当は「妻剥ぎの神事」であるらしい。この晩、大社の御祭神は国造の家に夜這いされ、国造の奥方を奪われたのである。しかしこの神事は、国造がその家から出て外泊するところから、また「逃げ出しの神事」ともいうそうである。この別名から推断すると、国造は妻を剥ぎ取られるのではなくして、国造がその妻を神様に提供するのである。ゆえに『妻剥ぎ』ではなく「妻覓ぎ」(つままぎ)である。妻覓ぎは日本の古語であって、添い寝をする女を求める事である。
 大社で行われる爪剥ぎの神事は、わが上代における夜這いの風習をあらわしているものとして、民俗学者の注目すべき神事である。国造がその奉仕する神に自己の妻を捧げていることは、上代のヤツコ(奴・臣)が、そのヌシ(主、君)に自分の女房をご馳走するのは、ヤツコたる者の当然の義務であり、ウジノカミ(氏上)がその隷属するカキノタミ(部曲・部氏)からこの種のご馳走を受ける事は、ヌシたる者の当然の権利であった事を推測せしめる。
 瀧川政次郎の本より要約したが、少々長くて申し訳ない

こうへい - 2003/07/29(火) 13:53<

釜中調査隊 南野文書

おはようございます。
朝、釜中に行きました。
質屋さんの古い木箱に、古い書き付けが一杯入っていました。
質屋関連の書類なら、質屋の利用範囲がどこまで広がってたのか分かるかも知れないと思って、
コピーさせて!と言ったら
南野さんが、「あげるよ」と言って箱ごとくれました。
あらら・・
コンビニで、無作為にコピーして帰ってきたら、ちょっとした問題がありました。
「ヨメネーヨ」ちゅうやつです(^^)
風の王国 掲示板に二枚、掲載しました。
読める人、解読お願いします。
質屋関連じゃないような気もしますが・・・<(_ _)>
4時から仕事なので、よろしくです。

はつせ <http://www.ne.jp/asahi/songshang/hatsuse/> - 2003/07/29(火) 02:07<

八雲と熊野

ヤゾーさん、出雲への旅、羨ましいですね。
 八雲村熊野とはびっくりしました。八は「穢」(エエ:二世紀後半に興った高句麗に併合された中国東北および韓半島に住んでいた先住民族、虎がトーテム。一部が早くから東へと移動。日本の先住民を形作ったとも言われる)、熊は「貊」(メク、コマとも読む。穢族と同源だが、熊がトーテム。高句麗後に百済を建国か。扶余族にやはり追われ東に移動か。)とすると、彼らが「国津系」として一緒に住んだところでしょうか?言葉は一緒だったというので。写真の鳥居の鳥はやたの鴉・・・?

こうへい - 2003/07/29(火) 01:32<

出雲の旅 お疲れさん

【神魂(かもす)神社】で、滑りこけて、最善の受け身をしたところがとても良かったです。
神主もこける神社・・古びた姿がいいですね(^^)
 
 出雲のヒノミサキの灯台、20歳位の時登りました。
懐かしいです。
 今の頭で、あの頃に戻りたい・・・

ヤゾー <http://www.kumanolife.com/Topics/7..25-1.html> - 2003/07/29(火) 00:55<

出雲の旅

みなさん こんばんわ

ヤナさん 吉田村って厳島神社へ向かう途中で通りました。
確か三次市に抜ける山道の近くにあったと思います。
道の駅に置いてあったリーフレットは貰ってきましたが
それには吉田村には 鉄の歴史博物館と菅谷たたら山内という施設があるみたいです。
う〜ん 時間があれば寄りたかったです。

△うぶさん >ドライブインでは車に施錠しない奇習で、、、、、、唖然としました。
確かにそういう感じのするところでした。
それだけ平和というか 神を意識して生活しているのかも知れません。
とにかく 神社の多いところでした。
ガラにもなく風俗店には 生まれてこのかた行ったことがありません。
今度、良いところに連れていって下さい。

24日から行ってきた出雲地方の神社巡りの旅を
熊野ライフ通信にアップしています。
26日には宮島の厳島神社へも行ってきましたので
そのうちに写真をアップします。
写真がいっぱいありすぎて選別するのが大変です。

http://www.kumanolife.com/Topics/7..25-1.html

△うぶ - 2003/07/28(月) 04:08<

豆ですね

ヤゾーさん、もう帰宅したのですか。てっきり1週間くらい周遊するのかと、、、、。
学生時代に友達が出雲市内から来ていましたので夏休みに4、5日訪ねた事有ります。
ドライブインでは車に施錠しない奇習で、、、、、、唖然としました。
割りごソバ食べましたか?、、出雲の風俗店はよかったですか?

ya(・ε^)na - 2003/07/28(月) 03:20<

おかえりやす・・

ヤゾー無事にお帰りですね・・えがったえがった
  先ほどTVで、タタラ製鉄のはなしやってました、途中からでしたので残念
刃物のはなしで、島根 吉田村の製鉄集落、タタラで作る玉ハガネの映像・・
仕事の前に、神棚に呪文を唱えるとか・・その神様は白鷺に乗ってやってきたとか
砂鉄のはなしとか・・興味ある番組でした(NHK)よん・・

  旅のお話楽しみにしてますよ     ほな

ヤゾー - 2003/07/27(日) 22:55<

出雲の旅から戻りました

みなさん こんばんわ

△うぶさん 出雲の旅 とても良かったです。

Donglyさん 野史研究会では とても有意義な時間を過ごさせて頂き
ほんとうに ありがとうございました。

通行人さん ナイスタイミングさん 『アマテラス』読んでたんですね。(^o^)
奇稲田姫と素戔嗚尊が主人公なのに どうしてタイトルが『アマテラス』なんでしょうね?

写楽さん 山伏にとって不動明王(蔵王権現)とは 守護神というか本尊みたいなものだと思っていました。
滝行などでは 必ず不動明王の真言を唱えたりします。

こうへいさん 釜中の聞き取り調査 ご苦労さまです。
ランパンさんの話し 上手く纏めて歴民に発表して下さい。


出雲地方は 感じるものがいっぱいありました。
熊野からのお参りですから 八雲村熊野にある熊野大社からお参りしました。
八雲村に着くと 山々は雨に霞み いかにも八雲立つといった感じがしました。
出雲の熊野大社(神社ではなくて大社でした)は
思っていたより立派な神社で とても荘厳で重厚な感じのする神社でした。
雨で始まった出雲の神社巡りでしたが 出雲大社に着くころには雨は上がり
日御碕神社では空は晴れ とても清々しい開放感のある明るい空になりました。
お参りした殆どの神社の祭神は素戔嗚尊でした。
撮った写真を眺めていると 出雲から帰ったばかりですが また行きたくなってきます。
写真を100枚以上撮りましたので どれをアップしようかと迷います。
とりあえず 風の王国掲示板に 熊野大社の写真と日御碕神社の向かいの経島の鳥居の写真をアップしました。

こうへい - 2003/07/27(日) 21:45<

釜中調査隊 停滞中

きょうも、昼から釜中に行きました。滝の手前から、天日神社に通じる山道は、
ヒグラシの大合唱。暗い林を過ぎると、ネムの木の花がきれいでした。
栽培されてる山椒は、ブドウ山椒と呼ばれてるだけあって、実が房になっています。
質屋さんに、改めて入ってみると、門のような倉庫をくぐって、右に二階建ての朱塗りの建物が。
左には崩れかけた土蔵が。
奥に、住んでいた住居があります。
村には、よく吠える、あの犬がいるだけ。

あちこち歩いても、山の斜面の大岩、意味の分からない石垣、昼でも真っ暗な竹藪と化した何か。・・・は、見慣れてしまった。
ガツロ、石垣の段々、幾つかの塚状の盛石は、金属探知器で、金属反応が無いのは、確認済み。
表面だけだけど。
滝の上流の田圃は、所々金気が溜まっていたというから、下流の川の砂鉄を確かめるのも良いかも。 現在、報告することは、ありません。
7月の釜中村風物誌・・風の王国 掲示板に映像載せました(^^)

こうへい - 2003/07/26(土) 10:12<

釜中の地蔵さん

昨日、釜中の地蔵さん、見つけました。東急クラブハウスの西にありました。
写真、風・・掲示板にアップしています。

こうへい - 2003/07/26(土) 07:27<

江種論

初めて知りました。ありがとうございました。
また、揺れてますね。

ナイスタイミング - 2003/07/26(土) 02:42<

世界規模

の情報とーちょーシステムのようです。
カタカナでタイプしないですいませんでした。
私、こういう陰謀系のことは平仮名や当字にすることしばしばな癖があります。
(癖ばかりでどうもすいません。)

詳細については下記のサイトでご覧ください。

http://village.infoweb.ne.jp/~fwgj5057/sub.21.2000.8.13.htm
http://www.mainichi.co.jp/news/kotoba/a/20010528_01.html
http://www.jca.apc.org/jca-net/activity/internet/echelon/

米はネット技術を開放しましたが、防御できる技術開発の目処がついてから
公開したのかもしれません。

こうへい - 2003/07/26(土) 01:01<

絵主論?

そうですか なんとも無ければいいのですが。

こんな時にあれなんですけど、絵主論ってなんでしょう?

ナイスタイミング - 2003/07/26(土) 00:41<

リアルタイム

こうへいさん
私もNHKニュース10見ていました。
やっと取り上げました。米業界では二週間前から深刻な声がありました。

》将来、危ない情報提示の際、必要かも知れませんね。ないか・・(^o^)

絵主論がみんな記録しているんでしょうけれどね。

》あらら、ナイスタイミングさん、地震があったみたいですね。
》リアルタイムです。大丈夫でしょうか?

肉親が震源地近くに赴任していますので、NHKで様子を確認しています。
私は東京にいますが、少しゆら〜っとしただけ。

最近は、岩手山、蔵王、磐梯、浅間の付近が良く揺れています。

@今日、久々に神田に行って大型書店を見てきました。
 サンカいろはコトツ唄、平積みです。野史辞典も増刷されたのか
 再び平積みされていました。
 三省堂では「あさだじろうせんせーの登場ですっ」とサイン会していました。
 「せんせーの自称・頭、デカイはホントか?」と思って観察しました。
 「あれなら私の方がデカイ」と思いました。 (-o-)

こうへい - 2003/07/26(土) 00:20<

個人情報保護

ナイスタイミングさん、
>冷夏です。米の収穫量は今後の天候にかかってきているようです。
さっき、テレビでやってました。深刻ですね。梅雨はいつ明けるのでしょうか?
個人情報保護ですか?
将来、危ない情報提示の際、必要かも知れませんね。ないか・・(^o^)

ヤゾーさん、足跡よくわかります(^o^)

あらら、ナイスタイミングさん、地震があったみたいですね。
リアルタイムです。大丈夫でしょうか?

ヤゾー - 2003/07/25(金) 22:06<

日御崎神社

出雲大社も良かったですが 日御崎神社と その周辺は特に素晴らしかったです。今 ビジネスホテルで魔女の宅急便を見ながら携帯から投稿しています。今日は よく歩いたので疲れました。

ナイスタイミング - 2003/07/25(金) 21:16<

平成5年ぶりの

冷夏です。米の収穫量は今後の天候にかかってきているようです。

こうへいさん、こんにちは。
三重県とインプットされておりましたか。個人情報保護モードがいつもそれなりに
働らいている私の発言が誤解を与えてしまいまして、こちらこそ失礼致しました。
(とは言いつつも、このところ大分地名を出しました・・・(^^;)近隣の人にはバレバレ)
天目一箇神。アマの鍛冶で勢力があった人なのかもしれませんね。


ヤゾーさん、こんにちは。
『アマテラス』、読まれておりましたか。おっしやる通り中途半端で終ってます。
ストーリーの仕掛けも仕掛けただけで発動されていません。(^^;)
野史研究会、オフ会へのお誘い、誠にありがとうございます。条件が許せば是非
サンカさせて頂きたいです。


奇ッ怪通行人さん、こんにちは。色々とご存知なのですね。
イッちゃってましたか(^^;) ↓ここに美内さんに関する事が載っていました。
________________________________
美内さんは常々「アマテラスは自分が書いているのではないの! だから
勝手に自分が書くことは出来ない」とも言っていたのですが……。
ある人に昔よく云われました。
○○さんは地球災害対策委員会の委員に任命されたのね…と
________________________________
http://www2s.biglobe.ne.jp/~osakabe/2001may.htm

『アマテラス』には一つ「いいなあ、見てみたいものだ」という場面がありました。
周囲が波動に揺れ、光が溢れている景色が実際に見えたら感動ものだと思います。

ヤゾー - 2003/07/25(金) 15:52<

出雲大社

やっと出雲大社の駐車場まで辿り着けました。外は 雨は上がって晴れてきました。

ヤゾー - 2003/07/25(金) 11:27<

八雲町熊野から

熊野から出雲は遠かったです。今 八雲町の熊野神社の前に居ます。外は雨です。これからお参りします。

こうへい - 2003/07/25(金) 10:30<

山に住む人 補足

釜中の人にとって、ランパンさんは、白岩、蒸炉火の田圃の小屋に勝手に寝ていた人と、見られていたようです。
釜中の最上部に在る、この水田地には、各家の小屋が建てられていて、昼寝や一服の場所だったそうですが、これに犬と一緒に寝ていたようです。
ここでも、ランパンと呼ばれています。
「残飯ないか」からの、ネーミングは同じです。
ランパンさんは、行動範囲が、別所、汲沢、東畑、釜中、六川、黒松、西が峰とずいぶん広く、
各地の、廃屋の小屋、柴屋、ミカン小屋で、寝ていて、自分で小屋を建てる気はなかったようです。
カバンをいくつも肩から掛けていたのは、生活道具全部持って、移動していたからでしょう。
その時代の年寄りが、木か、カズラで作った螺旋状の煙管入れをもらっていて、細工が良かったらしく、長く愛用していたそうです。
この、キセル入れの細工と、長期にわたる山暮らしが、ほか?と違う所でしょうか?
残飯を食って、20年以上、生きられたのは、薬草等の知識もあったのでしょうか?
どういう経路で、そういう生活に入ったかは、定かではありません。
養老院で死んだという人もあり、どっかの村で死んでたと聞いた人もあり、これまた、さだかではありません。
行動範囲が、ぼくの興味ある村であり、なにか調査していたのかな?とも思いましたが、
タダの乞食や・・・と笑われました。

写楽 - 2003/07/25(金) 09:53<

立山修験について

立山修験に興味があるのですが、立山では立山権現が阿弥陀如来で、不動明王とセットで祭られています。
普通阿弥陀如来というと明王は大威徳とセットになるはずなんですが、どうして不動尊をもってきたんですかね。修験道だから不動明王を祭るのが一般的だからそうしたんですかね?
どなたかご意見をお聞かせ下さい。

こうへい - 2003/07/25(金) 09:37<

俘囚移配の謎

俘囚移配について、俘囚が製鉄に関与したことが、歴史は全く触れていません。
大和朝廷にとって、どんな不都合があったのでしょうか?
扱いにくい俘囚を、農民しようとしたり、警察にしたり、とても手を焼いたことが残っています。
外国の来襲にも、俘囚は、一人で朝廷軍千人の働きをする・・朝廷にとって恥になるような内容は、ちゃんと残っています。
俘囚の技術を借りて、権力の源である鉄作りをしてることが、恥とおもわれたのでしょうか?
だれに対して極秘事項だったのでしょうか?
教科書検定のようなものが、俘囚の製鉄に関する事項を記すことを、全く許さなかったのは、
なぜなんでしょう。
製鉄自体が、極秘事項だったのでしょうか。
俘囚の反乱も心配事であったに違いないですが、朝廷を脅かすものに対して、カナメである製鉄場所を極秘にしたのでしょうか。
各地の製鉄場所・・俘囚移配地を、襲撃、占領されることを恐れたのでしょうか。

こうへい - 2003/07/24(木) 23:35<

たいへんお世話になりました

 *(@..@)*ngly さん、準備から、案内から、大変だったと思います。
 ありがとうございました。
 あきらめていた、銀山に行けて、嬉しかったです(^o^)

 それにしても、*(@..@)*ngly さんの、パワフルさには、感心いたしました。
 何をお聞きしても即答されて、長年の研究の蓄積が身体に満ちあふれてるって、また、感心してしまいました。
 普通でない人の集まりでしたが、自分だけはまともだって皆さん思ってるんじゃないでしょうか?
 蝮食っちゃうと、ダレカさんみたいに、マムシが逃げる体質に変身出来るかも。
 ありがとうございました。

*(@..@)*ngly - 2003/07/24(木) 21:36<

野史研究会お疲れさま

 茨城や東京などから参加の皆さん、ありがとうございました。
今回は初めてお目にかかる方も多く、うまくいくかどうか
心配でした。準備も足りないし、事務局の姉さん達すらこれ
ないのでサービスが足りなかったことお詫びします。
私今日先ほど宮仕えからかえったところです。
 21日は一宮町に移動し、立岩神社の本社伊和神社、川上
別所から流れた人がいる福知に行き文殊様、まほろばの里で
再現された中世期の館を訪れました。
 新婚旅行でもないのに朝4時ごろまで何やら睦言が続いた
りして、極秘情報を交歓・交感されたたようです。
 それにしても野史研究会は普通でない人のあつまりのよう
で、自分もそうなのに我ながら感心しました。やっぱりサンカ
とか別所とかを自己確認したり他人を確認するいい機会でした。
 やめないでよかった。
 蝮をなでなでしたとか、蝮が美味しかったとかありましので、
次回は蝮を食べる機会を作りたいです。次の野史研究会はテーマ
を「都会のサンカ」にしてサンカの本場大阪で申し出も頂いてい
ます。涼しくなってから、報告会と合わせて実行したいと思い
ます。
 ヤゾーさん、とんちんかん小僧さん、こうへいさんありがとう
ございました。

奇ッ怪通行人 - 2003/07/24(木) 17:42<

美内すずえとは懐かしい

結構ハマっていた時期あのました。
確かバブル前、当時「にわか聖地」として有名になった、奈良山奥某村某「マスコミうけ神社」の
問題神主に、「あなたはアマテラス大神の生まれかわりだっっっっっっ!」
と言われ、元々「素質」のあった美内センセイがイッちゃったとか。
マンガを描く為に生まれてきたような方だったのに………

現代地形図だと、中々「本来の土地の様相」がわからないですね。
別所なんて地名があっても、繁華街だったり。
陸軍測地部作成の地図を探してますけど、中々みつからない。
つなぎとして、やや見難いのですが航空写真がありました。
http://mapbrowse.gsi.go.jp/airphoto/indexmap200k/indexmap200k_5235_USA10kKK.html
現代地図とつきあわせると、その市街地の拡散に驚きます。
大阪万博のあった「山田別所」がいかに「陸の孤島」か、わかります。
まだごく一部地域の写真ですが、ゆくゆくは全国版が出るでしょう。

△うぶ - 2003/07/24(木) 03:59<

出雲ケ?

ヤゾーさん、今回は、
「やし」「いやし」「いやしい」「あやしい」の、どれ?

管理人ヤゾー - 2003/07/23(水) 23:35<

今までの投稿は過去の掲示板へ移動しました

みなさん こんばんわ

こうへいさん とんちんかん小憎くんとこそこそやってると思ったら
石ころを拾ってたんですね。(^o^)

ミミさん 遠方からご苦労さまでした。
楽しい一時を ありがとうございました。

ヤナさん 今度はヤナさんも参加して下さい。
もう長いこと顔見ていないので ほのぼのとしたご尊顔を早く拝みたいです。
蜜柑さん バリ師さんを交えて 釣り大会もしてみたいですね。

△うぶさん 見た目は怪しかったですが
固いお仕事されているじゃないですか。

きょうかいさん 昭和になってからも 
多摩に縄文人らしき人が居たという話し とても面白かったです。
帰りの車中でも こうへいさんと あの土器なんて言ったかなと話していました。

おりょうさん 確かに怪しい顔の集団ですね。
でも よく考えてみたら 和歌山から参加した以外の人たちの中には
大学教授や医療関係者が二人 それに会社の社長もいて 結構ハイソサエティだったりしましゅ。

ナイスタイミングさん 美内すずえさんの『アマテラス』読んだことがあります。
なんか中途半端なところで終ってしまったように記憶しています。
確か こうへいさんにお貸しした十数年前に録画した『ワンダーランド』とかいう番組で
失われたムー大陸の特集がありました。
その中で 天川弁財天の場面で 美内すずえさんが何か語っていたような気がします。
大阪の医師で 突然ム−大陸の記憶が蘇った人の話しなど とても興味深い番組でした。
ナイスタイミングさんも 次回の野史研究会に参加してみてはどうですか。
熊野ライフ掲示板でも オフ会をしようとの声が何人かから上がっていますので
宜しかったらサンカして下さい。

この時期 暇なので
明日から出雲地方を散策してこうよと思っています。
宿泊する予定のビジネスホテル(野宿はしないのだ!)では
インターネットも利用できるようですので
写真と文章の投稿など してみます。


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