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2003年07月23日(水)23時31分までのKumanolifeGuestbookへの書き込みです。


こうへい - 2003/07/23(水) 23:12<

ナイスタイミング さん 失礼しました

なぜか、三重県に帰省されるって、インプットされていまして<(_ _)>

天目一箇神って、一つ目の竜、竹で片目を突いた神、ニワトリに片目をつつかれた空飛ぶ女神とか、いろいろあって、言ってる割には、自分でも良くわかっておりません(^_^;)

ナイスタイミング - 2003/07/23(水) 22:30<

波動

こうへいさん、こんにちは。

>ナイスタイミングさん(突然のご指名で失礼します)

これを読んで私はどきっとしました。
(野史研究会・全員集合写真を見た後でしたから。(-◇-;) 
 マフィアと評判のヤゾーさんをはじめ、ド迫力の方が何人もいらっしゃる
 写真を妻に見せたら「どういう方達?」と・・・(^^;) )

》故郷は、三重県でしたっけ?違ったら、ごめんなさい。ん?別宮?

すいません。私、東北の生まれです。(^^;)
(近くには鷹巣や薬師山があります。野史研究6号はとても参考になりました。)

アメノマヒトツノカミ。御神体は蛇体でしたっけ。

(最近、美内みすずの「アマテラス」というコミックを読みました。
 最初はデムパの内容かな、と思いましたが、なかなか面白かったです。
 蛇=波動をあらわしている、世の中の物体は全て光であり波動であるとのご説。
 諸星大二郎の女性版という感じか?その前に船井幸雄の「波動に生きる」を
 読みました。船井幸雄はキライになってたんですが、十年ぶりに復活しました。
(親友・深野一幸氏の著書の内容に「さすがの私もちょっと・・・という内容が」
 という船井幸雄さんはお茶目だと思いました。)

最近、この手の内容に心が同化しているのか?
(どうかしている、ともとれますね・・・・(-◇-;))

「神の波動を感じて生きる」
http://www5c.biglobe.ne.jp/~izanami/kaminohado/001miuchi.html

おりょう - 2003/07/23(水) 20:13<

訂正

マフィヤ→マフィア  さしずめ チャイナストリートのヤンさんかな?


こうへいさん教えるなんてとんでもありませんわ。
こうへいさんの精力的な活動に書き込み楽しみにしています。

こうへい - 2003/07/23(水) 19:55<

おりょうさん

また、いろいろ教えて下さいネ!!
ダレカさんのおかげで、ヤ○ザに昇格させて頂きました(^_-)-☆

きょうかいさん、詳しい資料ありがとうございました。
原料が、ミ○○とは、ちょっと驚きました(^o^)

おりょう - 2003/07/23(水) 18:57<

写真

フィリピン帰りのヤ○ザのご一行様、今、また、写真しげしげとながめてしまいました。
後方にチャイナマフィヤもまぎれこんでいました。

きょうかいさん こんばんわご無沙汰していました。
こちらこそよろしく御願いします。
きょうかいさんの書き込みも、みなさまの書き込みもとても楽しみにしています。
同じ趣味のつながりというものは、格別なものがありますね。

きょうかい - 2003/07/23(水) 13:41<

みなさん、ありがとうございました

*(@..@)*nglyさん、幹事、レクチャーその他ありがとうございました。
また、ヤゾーさんをはじめ、ごサンカのミナサンお世話になりました。
昨日は疲れがでて、1日ボーとしてました。
 前回もそうだったのですが、ターくさん聞いて、その時は「ふむ、ふむ」と
しているのですが、帰ると忘れてしまってます。今回もやはりメモしておけば
良かったかなと、後悔しています。
 しかし、みんなクセモノだし、恐そうだし、色々背負ってそうだし(レイではない)、
でも、それなのに、何だか太いキヅナで結ばれているような・・・
とても不思議で誇らしげな集団なのでした。

 おりょうさん
 お久しぶりです。また時々寄りますのでヨロシク。
 クマノ仲間の集合写真は、日常のとは違って
 格別のヨロコビが、あります。
 おりょうさんも次回いかがですか。

こうへい - 2003/07/23(水) 11:00<

9〜8万年前の石器

岩手県金取遺跡の石器が見直されてますね。捏造事件から、ひっくりかえった考古学ですが・・。
旧人の埋もれたうえに、モンゴロイドが渡ってきたのでしょうか?
その頃、勿論国境は無いわけですから・・・

ダ・ヴィンチという雑誌の8月号に、謎の超古代文明っていうのが、紹介されてます。
神代文字なんかも、ちょっとでてます。無視されてる分野が、見直されてるのでしょうか?
単なる、編集者の興味かも知れませんが。

こうへい - 2003/07/23(水) 08:49<
ミミさん、無事ご生還よかったですね(^o^)
 まったく言われる通りですねー。
 それにしても、トンちゃんと同じ能力があるって、驚きです(^o^)
△うぶ さん、
 そうなんですか・・じゃ、じゅうぶんですね。

△うぶ - 2003/07/23(水) 01:39<

怪しいなあ

ヤゾーさん
仕事は警察官か?、、にはマイッタ。、、、、、競艇場ファッションで決めてみました。
こうへいさん
所有権を気にしないのは○ン○の流れらしい。おめでとう、晴れて仲間入りですね。

ya(・ε^)na - 2003/07/23(水) 01:08<

ええな!ええな!!

みなさんこんばんわ・・
  野史研究会の皆さんの良き旅が無事に終わられた由・・
   およろこびもうしあげます・・

    そんな雰囲気を感じさせていただけるカキコ・・

      よろしおますねぇ・・

   サンカできなかった者にも・・素敵な風が感じれました

    でもフィリピン000は的をえてますねぇ・・へへへへ

ミミ - 2003/07/23(水) 00:51<

不思議の国から来た人々

研究会参加された皆様、たくさんのびっくりするような、フツーに生活していたらまず知り得ないだろうと思われる、体験をさせていただきありがとうございました。
こういう物の解釈の仕様もあるのか、と世間に疎いわたしは、ただただびっくりの連続でした。
なんだか、社会の見方が変わったように思います。
幅が出来たように思います。
多くの方々と、意見の交換をすることって大切なこと。
独りよがりな物の見方は、自分を狭くする。
そんな、自分だったな、と感じました。
お会いできて楽しい時間をいただきました。ありがとうございました。
またまた、楽しみが増えました。
とんちんかんさん、無事にお帰りでほっとしました。

こうへい - 2003/07/22(火) 22:03<

不思議の国から来た人々

研究会参加のみなさま、有難う御座いました。
なぜ、みなさん、そんな事ご存じなんでしょう?

○○○○構内で拾った、大小7個の石ころは、水晶、銀色、金色の小さい粒の入ったのが、5個もありました。暗闇での、ド○○○は、ドキドキするものがありました(^o^)

>ナイスタイミングさん(突然のご指名で失礼します)
斉部広成という人が、家に伝わる鉄冶の記録を、「古語拾遺」の序に、
「令 天目一箇神 作 雑刀斧及鉄?」と残していて、
この、天目一箇神という神は、現在三重県桑名郡多度村にある多度神社の別宮に、和鏡を多く蔵し、雨乞いに霊験あらたかといわれて祀られている。(たたら研究第一巻)と出ています。
故郷は、三重県でしたっけ?違ったら、ごめんなさい。ん?別宮?

ヤゾ− - 2003/07/22(火) 21:00<

妙見信仰

みなさん こんばんわ

ニルスさん お久しぶりです。
「炎立つ」と「琉球の風」どちらも見た記憶があるのですが
同じ年に放送されていたことは忘れていました。
この国が多様な人と文化から成り立っているということを
もしかしたら意図的に知らしめたかったのかも知れませんね。
NHKの番組には 結構良いものがあるような気がしています。

あおきさん △うぶさん
確かに後ろ側の人 特に僕が怪しい顔してますね〜
自分で見てもそう思いました。
△うぶさんも けっこう怪しい雰囲気が漂っていますよ。
二日目の夜はどうされたのですか。

おりょうさん 誰が誰なのか想像するのも楽しいでしょ!
きょうかいさんは 想像していたより若くて美男子でしたよ。

とんちんかん小憎くん 運転ご苦労さまでした。
帰りには随分と上達していましたよ。

野史研究会では お互いに貴重な話しを交換することができました。
今回初参加で サンカの末裔ではないかと思っている方の話しに
先祖が妙見信仰の神主だったというものがありました。
正確な話しは分りませんが とても興味深いお話しでした。

ニルス - 2003/07/22(火) 05:59<

ご無沙汰してます

いつも見せていただいてます。ほとんど「通りすがり」しておりますが、
ご無沙汰しております。
さて琉球とアイヌ(包括的に蝦夷といってもよいですか?)について
ですが、以前93年の大河ドラマが半年づつに分かれて、「炎立つ」
奥州藤原氏=エミシの末裔、「琉球の風」が放映されたのは何故なん
でしょうか、なにか意図的なものがあったのでしょうか?
日本史の脇にあった歴史と言うか、渡来人と混じらなかった原日本人
の歴史と言ったところでしょうか。

△うぶ - 2003/07/22(火) 04:11<

その後も元気です

研究会サンカの皆さん、面白かったですね。皆んな個性的でケッサクでした。
コーディネートして頂いた、どんぐりさん有難うございました。
{  }山県の凸凹トリオさん、無事に帰宅できたの?、途中でハンドル抜けなかった?
あおきさん
>まるでフィリピン帰りのヤ○ザ?、、、、、、
言い得て妙!。  前列も含めて、香具師御一行様。

とんちんかん小僧 - 2003/07/22(火) 00:59<

夢見心地

この二日の間、雨と湿気が余りにも無くて、野史研究にとって爽やかな日々でした。
ドングリさん、八切氏のご子息さんを始めとする野史研の皆さんに当掲示板の住人の方々に出会えて僕は最高に夢見心地でした。
活字にするには、伏字を使わないとイケナイ裏情報(!?)をたっくさん聞くことが出来て嬉しかったのですが、ちょっと僕には全てを理解するには難しい内容もあり途中で頭の中がこんがらがっていました。
実は僕もヤゾーさんも欲しがっていた「サンカいろはコトツ唄」をご子息さんから直接譲って頂いた時には興奮と緊張で一杯一杯でした。個人的にもいろいろとご教授して頂きました。ホント夢を見てるような貴重な時間を過ごすことができました。
△うぶさんもきょうかいさんもミミさんも想像していた以上に爽やかで素敵な人達でした。
きょうかいさん、腰巻きありがとうございました。

こうへいさん、生きて帰れてヨカッタね。

ヤナさん、驚かしちゃってごめんなさい。
まだ運転技術は発展途上ですが日々進化していくように心がけようとしています。。

おりょう - 2003/07/21(月) 18:25<

野史研究会

お疲れさまでした。

写真拝見しました。
ドングリさん 八切さん ヤゾー こうへいさん とんちんかん小僧さん きょうかいさん(なんとなくそうかな?)わかりましたが、あとの方はわかりもうさん。

あおき - 2003/07/21(月) 18:20<

後ろにいるのは

 まるでフィリピン帰りのヤ○ザ? コワイ人研究会だったりして

ヤゾー <http://www.kumanolife.com/Topics/7..20.html> - 2003/07/21(月) 14:15<

野史研究会報告

みなさん こんにちわ

あかりさん お久しぶりです。
「乞食の子」という本の紹介 ありがとうございます。
凄まじい境遇にありながら うらぶれることもなく生きてゆけるのは
偉大な魂の人に与えられた試練のようなものなのかも知れませんね。
なかなか出来ることではありませんね。

昨夜 兵庫県神崎郡大河内町での野史研究会から戻りました。
文章でしか知りえなかった人と会うというのも
なかなか味わい深いものがありました。
それにしても 味わい深い(濃い)人ばかりで
話しをするのに時間が足りませんでした。
熊野ライフ通信に野史研究会に参加している全員の写真をアップしています。
さて 掲示板に投稿して下さっている方が僕を入れて7人いますが
誰が誰なのか想像してみて下さい。

http://www.kumanolife.com/Topics/7..20.html

あかり - 2003/07/21(月) 12:24<

ショッキングで感動的な本

日本に阿信(おしん)があり、台湾に阿進がある。というキャッチフレーズで台湾でベストセラーになった「乞食の子」という本ご存じですか、頼東進さんが乞食の子として生まれ育った苦難に満ちた半生をつづったものです。ショッキングなタイトルにひかれて読んでみましたが、内容も本当にショッキングですが、感動を呼ぶものでした。彼は盲目の父と重度知的障害の母のあいだに、乞食としてしか生きていくすべのない家に長男として生まれわずか3、4才の時には一家の重要な働き手として家族を支えていました。盲目の父の目となり、知的障害の母や弟がどこかに行ってしまわないようにつないだ鎖を持って人々から食をこうため、流浪の生活を続けたのでした。その精神的肉体的苦難は想像を絶します。10才の時彼にも転機が訪れ、心ある人達の説得により、父親は彼を学校にやることにするのですが、それは支え合い励まし合って生きてきた姉を女郎屋に売ってのことでした。そして、3〜4時間の睡眠をとりながら学校では優等生、夜は乞食と家族の世話という生活を姉のことを思いつつ耐え抜いたのでした。
台湾の1999年度の十大傑出青年に選ばれた方だそうです。

こうへい - 2003/07/20(日) 21:44<

野史研究会から、無事帰りました

掲示板でしか知らない人と出会えるって言うのは、すごくドキドキするものですね。
みんなと会えて、楽しかったです。
トンちゃんの運転も、最初はヘルメット持って来なかったことを後悔しましたが、後半安心して眠ってました!??
ニイニイゼミの羽化するところに出合いました。写真、掲示板にアップします。
それ以外、電池切れでした。

はつせ <http://www.ne.jp/asahi/songshang/hatsuse/> - 2003/07/20(日) 16:40<

アイヌと沖縄の人々

ヤゾーさん、
>人類学的にも遺伝子の分析でも 1万2千年以上前には別の集団として存在していたそうです。
 私が前に紹介した一万二千年前から始まった海岸線上昇にまた傍証が・・・などとほくそえんでます。確かにこのころは日本列島は大陸と繋がっていたそうです。

ya(・ε^)na - 2003/07/20(日) 00:40<

どおでもええけど・・

とんちゃん・・まぁきいつけていってきてよね・・
 あたいは、明日また田辺です・・夜釣りですヨン
  コロちゃん・タマちゃん明日は必ず・・かかってよね!!

なにぃ・・運転が不安やてぇ
 なに甘えたことゆうてるねん・・
   わっぱ握ったら、みんなの命あずかってるねんでぇ・・
     シャキッとせんかい!!

  ハッハハハ・ヤゾーもこうへいさんも心臓バクバクやねーーぇ

     みなさん 良い旅を!!     へへっへ

とんちんかん小僧 - 2003/07/19(土) 11:19<

前言撤回

ホントはとても不安で不安で一杯です・・だって県外に行くのは初めてですし、外国に出るような気がするので先行き不安です。運転も・・不安だ。

とんちんかん小僧 - 2003/07/19(土) 10:30<

たぶん・・大丈夫っぽいかな!?

運転そのものには自信はあるけど、高速はかなり久しぶりです。
まあ、魂を込めて運転をして行こうと思います。
あはは、ヤゾーさん気楽に行きませう。。
と、いうわけでけふは兵庫県神崎郡の山奥村に行って参ります。
雨あんまり降らないで欲しいなあ。

ヤゾー - 2003/07/19(土) 09:50<

大丈夫かな?

みなさん こんばんわ

こうへいさん 奥義ですかぁ〜 ありがとうございます。
でも どちらかといえば難儀を極めているみたいな気もします。

通行人さん 日本人は原住民系(縄文人)と渡来系(弥生人)“どちらも多人種”の二重構造の中で混血があって
その混血が今でもまだ続いているといいますね。
その縄文人に近いとされているアイヌと沖縄の人々ですが
人類学的にも遺伝子の分析でも 1万2千年以上前には別の集団として存在していたそうです。
つまり1万2千年前にほ 同じところから来たということになるのかも知れません。
こうへさんが言うように 与那国島の海底遺跡を作った人たちなのかも知れませんね。
武士の性質と 原住民系の血の濃度には なにか因縁がありそうな気もしています。

写楽さん お久しぶりです。
権現と明神について 詳しく書かれた本があったような気がするのですが出先なので分かりません。
秀吉は確か豊国大明神で 家康は東照大権現でしたね。
神の位としても権現の方が上位だと思います。
いずれにしても 天海という謎の黒幕が大きな影響力をもっていたみたいです。 

これから兵庫県神崎郡を目指して行ってきます。
当初 僕のクルマで行くことになっていたのですが
いつも僕ばかりが運転するのは変だ!
年少者のとんちんかん小憎くんも運転するのが常識だ!
と言ってやったら 自分以外のクルマは運転できないし
ましてヤゾ−さんのクルマは大きいからできないと言うので
とんちんかん小憎くんのクルマで行くことになりました。
こいへいさんは 僕のクルマで行くとばかり思っていたので
とんちんかん小憎くんのクルマで迎えにいったら驚くかも知れません。
まだ自分のクルマで一度も県外に出たことがないらしいので
きっと良い経験になることだと思います。
ちょっと不安はありますが・・・

こうへい - 2003/07/19(土) 07:51<

触法通行人さん 追伸

印刷出来るようになりました。
これで、地図買いに行かずにすみます(^o^)

こうへい - 2003/07/18(金) 22:58<

触法通行人さん

この地図は、スグレモノですね。
好きな所、プリント出来れば、もっと良いのですが。
ありがとうございました。

触法通行人 - 2003/07/18(金) 22:00<

別所等検索について

皆様すでにご存知とは思いますが
http://mapbrowse.gsi.go.jp/mapsearch.html
に地形図検索システムがあります。
日本全国、二万五千分の一地形図が地名で検索できるすぐれものです。
ここのキーワード検索に
別所 鬼 夷 産所 白山 東光寺 伏尾 節
などと打ち込み、各地の地図をたどっていくと、それらしい地名にたどり着きます。

写楽保介 - 2003/07/18(金) 08:31<

権現と明神の違い

どなたか権現と明神の違いを教えてくれませんか?権現という言葉は山王一実神道からでて、一方明神は吉田神道に由来するんですかね?また権現のほうが明神より格が上なんでしょうか?家康の例からするとそうじゃないかと考えてしまうのですが。

こうへい - 2003/07/17(木) 20:52<

原住民と先住民

考古学では、シベリアでマンモス等を追っていたモンゴロイドが、ベーリング海峡を渡って、北米、南米のネイティブ・アメリカになった流れと、北海道に渡ってきた流れがあり、それは、旧石器時代。日本列島では、大型石槍から石刃文化が発達してマンモス、ナウマン像、サイなどを追っていた。
気候が温暖になり、森が発達して、大型動物が居なくなり、飛び道具の弓矢の発明と同時に、木の実の煮炊き(あくぬき)貯蔵に土器が発明された。
弓矢の発明は、世界同時的に起こっています。
アイヌでは、土器が随分遅れたようです。
弓矢の発明と、熱による化学変化を発見して土器を作り始めたのが、縄文時代の始まりで、
旧石器時代から、縄文の間で、途切れているかどうかは、わかりません。
先住民は、与那国島の海底遺跡を作ったひとかも知れないし、モンゴロイド系渡来人の旧石器人と、海底遺跡を作った人々とは、同一かも知れないし、先住民は、どこまでさかのぼるか、まだまだ分かりません。

俘囚は、もともと、少人数で互角に朝廷軍と戦った位だから、軍事的素養は、十分に合ったはずですね。鉄文化に支えられていたせいかは、わかりませんが。

不逞通行人 - 2003/07/17(木) 20:04<

原住民と先住民

文化人類学において、その地に先に住んでいて、今は絶滅するか四散した民族を先住民
今も存在する集団を原住民、と言うようです。
わたしにとって「日本原住民」は、多分プロトモンゴロイド系新石器時代人>縄文人です。
菊池説とはちがうのですが、アイヌ人は縄文人の直接の子孫と考えてます。
地域によって濃淡はあるものの、我々本土日本人は原住民縄文人と渡来弥生人の混血。
ではないかと。

まだ証拠はないのですが、
別所民=俘囚放免→俘囚軍、または「もののふ」「さぶらう人」→独立自衛農民→武士
と言う図式を「妄想」しておりますです。
武士道は、朝廷に屈指つつもその矜持と気概、なによりも狩猟民としての誇りを捨てなかった
俘囚放免が、弱体化した朝廷軍にかわって、我が国の防衛をになった。
蔑視にまけず、日々鍛錬にあけくれ、中央軍事貴族の庇護を受けつつ、武士団を形成。
やがては自分たちを侵略した「律令朝廷」すら支配し、「日本文化」の根幹を築くにいたった。
こう考えると、なんか愉快ですが、まあまだまだ「妄想」の域を出ません。

こうへい - 2003/07/17(木) 16:35<

ヤゾーさん

ボクなんかより、随分奥義を極めてるようにも見受けられますが・・・(^_-)-☆

出雲地方の彷徨は、ボクたちをこっちに降ろしてからにして下さいね。
なんとなく、そのまま行ってしまうような危機感を憶えます・・(¨;)

ヤゾー - 2003/07/17(木) 14:05<

漂泊モード

みなさん こんにちわ

こうへいさん *(@..@)*nglyさん ya(・ε^)naさん
おじさん達のやり取りには 味わい深いものがあります。
僕なんど 遠く及ばない世界を醸し出しております。

今日からしばらく 山小屋を留守にして 漂泊モードに入ります。
野史研究会で兵庫県神崎郡に行って 
そらから出雲地方を彷徨ってみたいな〜なんて考えています。

こうへい - 2003/07/16(水) 23:54<

ya(・ε^)na さん

問題と、耳鳴りの周波数が同じなんでしょうね・・
問題と、奥さんの声とが周波数同じ?・・・失礼なんかな。
答えが、またべつの周波数なんでしょうね・・

ニイニイゼミと、腕時計の機械音、周波数が同じみたいです。

五木さんは、随分なものを背負ってるみたいですね。
でも、穏やかに見えます。
人って、何かしら引きずって、背負って生きてるとおもいます。
五木さんの言葉って、妙に心のなかにしみこんできます。

こうへい - 2003/07/16(水) 23:32<

願成寺

*(@..@)*ngly さん、ありがとうございます
願成寺 最古というだけあって、すごく味があるお寺ですね。
それだけ調査されるっていうのもすごいです。
鉄や鍛冶関連の遺跡はない・・俘囚移配は、その技術を利用するのでなければ、意味がなく、それ以外は、すでに、殺されていたと単純に思うのですが、古代の製鉄跡は、殆ど見つからないそうですね。
こっちの願成寺の上に三滝があったそうですが、今は、見当たりません。
東隣の村には、十一面観音があるそうです。
八十八カ所のある薬師谷をずっと登ると、別所の上の茶屋跡に出て、別所にも、東隣の村にも、釜中にも、六川にもいけます。
東となりの村は、他の村とは、婚姻がなかったそうです。昔ですが。
でも、その村から、別所に嫁にきてるし、別所から、おばさんが、薬師谷の上に嫁に来ています。
交流は、ありますね。釜中が、済んだら、こっちも調べなきゃと思います。
別所移配の地図を見ると、紀伊半島は抜けてますね。
そのわりには、紀ノ川筋にもありそうだし、禰宜もそうだし、いっぱいあるように感じます。

性行為については、昔から、随分こだわりがあって、そろそろ、それから解放してやろうって、このごろ感じてます。そうなれば、*(@..@)*ngly さんのお話も素直に受け入れられると思います。

五木寛之さんが、出ています・・・

ya(・ε^)na - 2003/07/16(水) 23:19<

へへっへ

こうへいさん、あのね・・ある種の周波の音だけ聞こえないなんて
 淋しいですよね・・・・

  うちの奥さん・・ようしゃべります・・
  クイズ番組がはじまったら・・・問題読まれると、しゃべりだします
      またうまいこと、問題読み終わるころ黙ります
          答えだけがわたしの耳に入ります・・・

  第二問、読み始めたら・・・またしゃべりだします・・
       問題読み終えるころ・・また静かになります・・

      そして、TVで答えが流れます・・

      これってなんや???
          こうへいさん、とおんなじなんかいなぁ???

    んんんんんん



          へっへへへっへ・・私事ですみませんでした

                        やなぎむし

*(@..@)*ngly <http://www7.ocn.ne.jp/~iyasi> - 2003/07/16(水) 22:49<

願成寺のこと

こうへいさん
私が調べた願成寺は元天台宗で、竹林寺の子院で、この郡では最古の寺です
。現在は画像のような小堂や古い墓石と碑があるだけです。行基が創建と伝
え、行基関連とする石碑もあります。久芳字押谷にあり、昔は十一面観音を
祭り、すぐ裏の山は鷹の巣山です。この寺は鷹巣を守る(結界)ともいうそ
うです。この谷で行基は身障者達を土木工事に従事させたそうです。行基集団
独特の敷葉工法を使用した疑いのある構造物が明治頃まではあったようです。
広島県福富町久芳の願成寺、鷹巣山、押谷峡、××の画像は以下です。
 http://www.town.fukutomi.hiroshima.jp/
 鉄や鍛冶関連の遺跡は
なさそうです。この久芳には別所地名はありませんが、この願成寺から派生
した正覚寺の軌跡は行基の意図を受け継いだような歴史があります。押谷に
は大門橋という地図に無い小橋があります。古くは押谷が、戦国時代以後は
湿地帯の××が別所です。また全体が別所と思われる隣町には祖先が鷹巣山
頂にがいたという伝承があり薬師を祭る東光寺が小堂として残ります。ここ
は平安時代に乞食と解釈できる意味の地名です。鷹巣山から鬼が虚空山に移
動したという伝承が南隣町にあります。鬼とは多分俘囚の流れ=別所の者と
考えます。この伝承を伝える人の中に俘囚の流れがいると思います。この調
査により押谷が別所である事が判明しました。
 この町が町史をだせない理由は財政難ばかりではないようで、別所の枠組を
持たぬ郷土史と歴史学は自らの歴史の解明に役立ちそうにないのは残念です。
詳細は『野史研究6号』です。
 性行為は現在でも社内や屋内や車内に限られません。太陽があたる砂浜でも月光
が降り注ぐ芝生もよいものだそうです。「瀬降り物語」はその典型的な光景が出ます。
昔は木小屋、廃小屋や馬小屋も使われました。いきてるだけの庶民の最大・唯一
の楽しみですから重大です。
金もかからず厭きの来ない「生きがい」なのではないでしょうか。

こうへい - 2003/07/16(水) 17:58<

*(@..@)*ngly さん

そう言われてしまうと、まわりは、別所ばかりですね。
そういうのって、普通なんでしょうか?
重根って、昔は、重禰と書いたようです。ここも、もし別所なら、ボクの先祖は別所の者ということになりそうです。蝦夷のものなんでしょうか?

別所という地名が、そのまま残ってるのは、「願成寺が別院だったことから、別所と言われた」という、説明がつくことから、安心して残した結果でしょうか?

「姫ヶ滝」は、地形的に、女郎屋が近くにあったとは思えません。
美しい話を捜してみます。
女が付けば、皆、女郎屋って言うのは、ちょっと、寂しいんじゃないでしょうか。

ya(・ε^)na さん、今日昼に、ニイニイゼミないていました。
姿もみました(^o^)
ぼくは、15年前に、突発難聴になって、その後、奇跡的に聴力が随分戻りました。
でも、右だけ、ニイニイゼミの声と同じ耳鳴りがしています。
今日、発見したのですが、右耳、車の音とか普通に聞こえるのに、ニイニイゼミの声がきこえないのです。ある周波数の音だけ聞こえないってよくあるそうですが、耳鳴りの周波数が、実は聞こえない周波数だって、今日、発見しました。
私事で、失礼しました。

ヤゾー - 2003/07/16(水) 12:30<

『私はあきらめない』

みなさん こんにちわ
今日は天気が良いです。日向に居ると頭が焼けるように暑いです。
もしカッパなら お皿が乾いて死んでしまいそうなくらいです。

こうへいさん 通行人さん Donglyさん こんにちわ

兵庫県神崎郡でおこなわれる野史研究会の資料として送って頂いたもののなかに
菊池山哉さんが別所について書かれたものがありました。
その中で 自分が面白いと思ったものを少し抜粋してみました。
全国で二百カ所以上も同じ名前の地名が残っているということには
なにか共通した性格があるに違いないこと。
奥羽六カ国の蝦夷と大隅薩摩の隼人国 
他国と異なるといわれた飛騨の国には別所という地名は見えないこと。
武蔵の大岡 金谷別所 下総の木下別所には 最奥の山の頂上に祭られていた石棒を
今は部落で祭っており 武蔵尾久別所では中世の大きな貝塚があり
なにか縄文時代からの直接的なつながりを思わせるとありました。

今夜 NHK総合11時15分放送『私はあきらめない』に
サンカ文学の傑作『風の王国』『戒厳令の夜』の作者・五木寛之さんが出演するみたいです。
良いお話が聞けるかも知れません。

*(@..@)*ngly <http://www7.ocn.ne.jp/~iyasi> - 2003/07/16(水) 01:18<

続いて失礼します

こうへいさん かなり前の話題で失礼します。
 南北朝期から、畑川、畑河、幡川と呼ばれる村に寺(真言宗)があり、奈良時代に聖武天皇
の勅願で、唐僧の為光が開創とされて幡川寺、幡川の薬師堂とも。
金堂、宝堂、地蔵堂などが南北朝期期に焼けてますが、境内社に「熊野、吉野、白山」があり。
幡川谷一帯に諸堂、諸院があったと書かれています。(海南市史)
 ここにかかれた条件は菊池山哉にいわせればほとんど別所のそれを満たしています。さらに
八十八ケ所もありですから重い別所です。北隣も別所地名のようです。熊野、吉野、白山社は
明治期に合祀したものようですが、皆別所の要素ですし、元どこにあったかが重要です。また
別所の花・辛夷の花(私のサイト画像あり)は今年も咲いたようですね。
 これだけの規模の別所があったのなら、俘囚の頭=後に長吏か太夫か博士の家柄があって鎌
倉期あたりは長者と呼ばれ、クグツを抱えたりして大金を稼ぎ、白南天の木の下に黄金や漆を
埋めたという伝承があるかもしれません。また武士(中国語で非人の意味、したがって漢人は
軍人や官吏を蔑視し、ならない。その間隙をついて八家が中国を支配したとされる。殺人を職
業とする者)になったか。夷の頭と解される苗字の方もそうです。長者の家は当時の往還沿い
にあって子分に鍛冶屋などをやらせてる場合があります。また才の神(道祖神)や傍示がある
かもしれません。
 原住民の定義は相対的ですから、いち早く列島に漂着・土着した人種、すなわち先住民族と
考えるべきでしょうか。先住民もまた多人種です。別所も多人種でそれを利用して流刑地でも
同じ土地の出身は分散配置したのでしょう。近隣の別所同士が付き合いが無いなどで分ります。
この意味で地名の研究は方言の研究とあいまって重要です(残念ながら既成の研究は皆無)。
>姥が滝」って言うけど、「姫ヶ滝」とも。
 民話ではいちおう美しい話にはなっていますが、本当は女郎=女老=姥、女郎の事を隠語で
姫。昔この滝の近くに山伏の妻の比丘尼がいて女郎商いをしていたので「姫ヶ滝」の名前にな
ったのでしょう。昔会社の先輩から「姫買いにいこう」と誘われました。あの美味しい大分の
姫貝かと思いましたが、そうではなく貝もやはり隠語です。隠語の貝に赤貝のほか蛤と蜆があ
ります。姫と英語のヒーメンは同一語源とは有名な説です。

*(@..@)*ngly - 2003/07/15(火) 22:26<

私もやったインジウチ

 通行人さん
 私も小学校二年生ごろ田舎に居り、江の川河原で
石合戦をしました(既報)。自分の身長より高い
セイタカアワダチ草の陰に隠れて相手に石を投げる
危ない遊びです。場所は昔の被差別部落です。
 多分インジウチの名残です。なおこの集落では子供
達が足腰の不自由な老人を石を投げたりしていじめ、
「ヒカ」とからかっていました。非人手下の省略形で
しょうか?恥ずかしながら私も加わっていました
 五月五日といえば菖蒲(勝負)の節句で川の中州
に住んでいる人を襲撃して、河原者が飼っていた鯉を
強奪して、竹槍の先に突き刺して持ちかえったのが
「鯉幟」のルーツと矢切止夫が書いています。
 勝負はもちろん非農耕賤民地名です。
 インジウチに近い響きを持つ石内は特定の民が住んで
いた地名といわれます。

こうへい - 2003/07/15(火) 20:53<

通行人さん

アルテイの率いた、蝦夷のエミシは、原住民なのでしょうか?
アイヌの模様と縄文土器の模様は、とても良く似ています。
アイヌと、沖縄の人は、濃い顔をしています。
エミシ、アイヌ、琉球の人は、原住民なのでしょうか。
日本に、昔から居た人を、原住民というなら、一つに絞る必要はないと思いますが。
単一民族から、ほど遠い日本ですが、なぜか、原住民は、何者か・・気になります。

職質受けた通行人 - 2003/07/15(火) 20:23<

前にも書いたかも知れませんが

是非この板の皆様にお聞きしたいのです。
アラブ辺りで、投石反乱をインチファーダと言いますが
日本でも河原の石合戦を「インチウチ」などと言うております。
菊池説によると、院地院内は原住民収容地。嫌な説ですが、五月五日の国府祭に
この院地に石礫を打ち込んでインチ打とか。
ま、偶然の一致かも知れませんけど、なんか気になります。

こうへい - 2003/07/15(火) 19:54<

姫が滝

不動の滝、「姫が滝」とも言うんだって。
田角(たずみ)のは、「姥が滝」って言うけど、「姫ヶ滝」なにか、お話があるのかも知れないね。
この滝、昔は、それは綺麗だったんだそうですよ。
できれば、そういうとこ、元に戻したいと思うじゃないですか。
まー、無理と思いますけど。

ヤゾ− - 2003/07/15(火) 19:15<

カップラーメン

みなさん こんばんわ

こうへいさん ゴルフ場が出来たお陰で 
釜中の自然が こんなにも破壊されているんだと役場にメールを送ったんですか。
すごい行動力ですね。

通行人さん 立ち止まったり けつまづいたりして面白いです。
いろんな温泉へ行ってらっしゃるのですね。
秋山郷屋敷温泉 一度は行ってみたいと思っております。

高校生のときに 郡部の山奥から
学校の近くに下宿して通ってくる友達がいました。
とても素朴な奴で なんと家にはテレビも電話もない!とのことでした。
カップラーメンを食べさせてあげたことがありましたが
世の中に こんなに美味しいものがあったのかと えらく感動していました。
なんでも大層に驚いたり喜んだりするので
いろいろと悪いことも教えてあげたのでした。
バイクの免許を取ってから その友達の家に遊びに行ってみたことがありましたが
な〜るほど ザ 山奥 というような辺鄙なところでした。
あの素朴さというものは 今思うのに とても値打のあるものであったように思います。

けつまづいた通行人 - 2003/07/15(火) 05:55<

なつかしの渡瀬温泉

何年か前行きました。「ささゆり」ではなく本館の方に泊まりました。
温泉で思い出深いのは、十年以上前に友人と訪れた秋山郷屋敷温泉。
大雪警報の日でしたが、きちんと除雪してあって驚きました。
菊池説と出会う前でしたので、秋山郷の何たるかを知らなかったのです。
思い返すと残念です。
確か、雑貨店のばあさんがBS見ていたような気が。
昭和三十年代まで、畳がなかったとは信じられない、「おしゃれな秘境」でした。
、まく交通手段のないころ、里との交流がなかったのもうなづけます。
確か戦前までは「義務教育免除地」だったはずです。

こうへい - 2003/07/14(月) 19:07<

インターネット・セキュリティ

ヤゾ−さん、ありがとうございます。
参考にします。

きょうは、警備員の講習だけだったので、楽チンでした。拳銃の撃ち方とか・・・。

「釜中滝(不動の滝)の怪」の全文、金屋町のHPの、掲示板がなかったので、メールに送りました。
うんこの所は、強調して書きました。
ボクが、海や川に浮いたら・・・・うーん、ボクの負けですわ。

ヤゾ− <http://www.kumanolife.com/Wind/security.html> - 2003/07/14(月) 18:45<

インターネット・セキュリティの基本

みなさん こんばんわ

こうへいさん あれっ もうお勤めからお帰りですか。
精力的な聞き取りの報告が
頻繁に読めなくなるのではと心配していたのですが安心しました。
なにはともあれ良かったですね。
お体に気をつけて がんばって下さい。
引き続き 釜中やランパンさんの報告を楽しみにしております。
僅か15年くらいで 自然がそこまで破壊されてしまうなんて悲しい話しです。
豊かな自然環境は お金では買えないということを知らんのか!と
ゴルフ場の豪華なトイレでウンコはしましたが
節操もなく あちこちにゴルフ場を作った愚か者どもに言いたい!
それにしても 人がウンコちびりそうになった話し しぶとく好きですね(^^;)

ヤナさん 注意して聞いていたら
こちらでもニイニイゼミがよく鳴いています。
朝夕鳴く ヒグラシの鳴き声は とても情感があって好きです。

何かと物騒な今日この頃
ネット上でも さまざまな騒動が
あちらこちらで起こっている模様です。
ということで インターネット・セキュリティの基本というページを作ってみました。
是非 ご一読をお願いします。

http://www.kumanolife.com/Wind/security.html

さ〜ご飯作って食べよ!

こうへい - 2003/07/14(月) 18:03<

釜中滝(不動の滝)の怪

釜中でも、下の方の家の奥さんのお話です。

「釜中滝の上は、ヤゾーさんの飛び込んだ東急のクラブハウスあたりに、地蔵さんがありました。
そこが、水源地で、またげる程の流れがあり、それが白岩(シライワ)、蒸炉火(ムシロビ)の水田の間を流れ、滝の上では幅5メートルの川になっていました。
流れには、エビがいっぱい居て、よく茹でたのを食べました。
水は、おいしく、たんぼ仕事の合間によく飲みました。
子どもは、泳いだり、ハイジャコをつかまえたりそれはきれいな所でした。
滝には、行者さんが、滝にうたれに、よく来ていました。
わずか、15年前までの風景です。

東急が来て、コースの下に、大きな土管を埋めて、砂防ダムに流れてくる水は、いつも茶色く、
川は、茶色の水垢だらけで、滝も汚れています。
滝の石は、なぜか真っ黒。

釜中は、沢ガニが多く、山道、村の中でもよく見かけます。
沢ガニって、普通、赤いでしょう。
滝の沢ガニは、全身真っ黒なんですよ。
甲羅も、ハサミも足も、真っ黒け。
なんででしょうか?

ズガニってあるでしょう、灰色っぽい、足に毛が生えた大きいカニ。
これも、滝のんは、全身真っ黒なんですよ。
気持ち悪いでしょう。
前は、黒いカニなんて居なかった。

水は、手ですくったら綺麗なんですけどねー。
昔は、野菜でも何でも、川で洗ったもんです。
いまは、川の水は、気持ちわるくて、何にも使えません・・・・。」

こうへい - 2003/07/13(日) 22:20<

別所、釜中 追伸

今日、偶然にも東畑村と釜中の八王子を見つけました。
風の王国 掲示板に、アップしています。

こうへい - 2003/07/13(日) 17:27<

別所、釜中

聞き取りに都合よく、雨でした。でも、雨だから家に居るよいう人は、少なかった。

ランパンさん、黒松、釜中にもひんぱんに来ていたことがわかりました。
キセル入れは、爺さんが死んだとき一緒に焼いてしまったという家ばかりで、見られませんでした。
釜中では、てっぺんから、一番下まで降りたら、戻れなくなりました。
迷って、滑ってこけるような坂を登って疲れ切りました。
詳しい話は、また今度。

一年半に渡る自由な生活も今日で終わり。
明日、初出勤です。メデタシめでたし(^o^)

ヤゾー - 2003/07/13(日) 16:15<

くた〜

みなさん こんばんわ

まれびとさん 山小屋に遊びにくるのを 楽しみにしていますね。

ミミさん ヤナさんの文章は楽しいですねぇ きっと顔も面白いと思います。

ヤナさん 手が痒いでしゅ 魚さんは釣れませんでしゅた。

こうへいさん こちらではミンミンゼミとヒグラシが多い気がします。

夜釣りでは 何も釣れませんでした。
汗でベトベトになり その上 餌のアミエビの汁(とても臭くて気持ち悪い!)が付いた手で
蚊に喰われたとこを掻いたりするので気持ち悪いことこのうえなしでした。
手を見たら 十ケ所は蚊に喰われてます。
顔と首筋も五ケ所くらい喰われています。
これがヤナさんがいうように しぶとく後が残り痒いのです。
雨にも見舞われて散々な思いをしました。
温泉が開く時間を待って 天然露店温泉では日本一の広さだという渡瀬温泉へ行ってきました。
温度差のある 露店風呂が五ケ所ほどあって
温泉に浸かっては外で涼むということを二時間ほどくりかえし
渡瀬温泉の食堂でご飯を食べて帰ってきました。
山小屋に戻ってきてからは 久しぶりの爆睡です。
その後は 心地よい気だるさだけが残ります。
そういう心地よい気だるさの状態のときには 
くた〜となって へらへらとなってしまいます。(なんかヤナさんみたいです)
この心地よい気だるさが味わいたくて 釣りに行くのかも知れません。

こうへい - 2003/07/12(土) 23:49<

ya(・ε^)na さん

あららー、ニイニイゼミの声聞きましたか。良かったですー(^o^)
今日、米の精米に行ったのですが、突き終わる迄の間、近くの神社に捜しに行きましたが、鳴いてませんでした(;_;)
絶滅したのかなって、心配してました。
よかったですー。

岸和田自然博物館のトモダチに電話して聞いてみたんですよ。
全国的にいなくなってるって言ってました。
ここんとこ、日本の土が乾燥してるためだそうです。
子どもの、昆虫の標本に、ニイニイゼミが入って無いって言ってました。
いやー、よかったです。

こんど、もし見つけたら、写真とっとこ。
まえは、見向きもしないセミだったけどねー(^o^)

ya(・ε^)na - 2003/07/12(土) 23:47<

あはーーーぁ

あらっらのら・・ミミさんとばしてましたすんません!!へへっへ

  あらまぁ・・またまた・・わたしのファンがでけてしもたやん!!
      ヤゾー堪忍ね・・へへへっへへへ

ところで・・ヤゾー・・
   勿論きょうは・・大漁やったんやろねぇ・・
      大きなイサキが釣れたとか
  大きなコロが釣れたとか・・へへへ
         その報告が、んんんんんん・・たのしみです


              なん?????・・わたしが他のこと期待してるってかぁ??


     へへへっへへ

ya(・ε^)na - 2003/07/12(土) 23:18<

こうへいさーーーーん

ねぇねぇ・・こうへいさん!!
  今日・・ニイニイゼミの声聞きました
他の蝉の声もなく・・ただニイニイゼミの声のみ・・聞きました
  ことしは、クマゼミの声未だ聞こえません・・
ニイニイゼミの本人さん探すべく桜の木にしがみつきました

  アノ懐かしい木の皮膚に同化するセミのからだ・・
        木の側面から眺めたときに突起のような・・セミの影・・
     なんだか懐かしく眺めました・・・

          皆さんニイニイゼミやアブラゼミ・チッチゼミ・・ヒグラシにクマゼミ
                 ツクツクボウシ・遠くから眺めるだけやなく・・
            本物もみつけて・・確認してくらハイ

    キリギリスやクサキリ・オケラのジーーーーーーーって言う声
        こんど・・土手で・・茂みでこんな声聞いたら・・・


   一度正体しらべてみませんか?!!・・
          へっへへへっへへあなたの知らないなんかやったら・・へっへへっへ

       ええのにねぇ・・


   クエクエクエ・・ケッケケケケ・・ケッケケケケケ

        正体見たり・・・・はははははっはははは

                       やなぎむし

こうへい - 2003/07/12(土) 15:40<

ヤゾーさん

ya(・ε^)na さんが、書かれてましたが、ニイニイゼミが、居なくなりクマゼミが一気に鳴き始める所が、多くなってるそうです。都会ほどそうらしいんですが、うちでもそうですから、都会なんでしょうか。
ヤゾーさんのところで、大合唱してるのは、ニイニイゼミなんですか?
まだ、寝てるのかなー(^o^)

こうへい - 2003/07/12(土) 01:29<

まれびとさん

わかりました(^o^)
今度、いっぺん見せてもらいます。
ありがとうございました(-_-)zzz

まれびと - 2003/07/12(土) 01:12<

こうへいさん

ご丁寧にありがとうございます。
場所はだいたい目星がつきました。
ぜひこんど訪ねてみます。

長寿岩は「山添村イワクラ紹介」のページ説明では、「台座らしきもの」といっしょに地中から掘り出されたとあるだけで、果たしてそれが台座であったのか、「台座らしきもの」と球状の長寿岩が真実人の手によって加工され、そのように据えられたものであったかどうかは、私には判断がつきかねます。
「昔、600トン近い石の台座に、600トンの石の球体が載せられていた時代があった」ことを空想することはとても愉しいことだし、その可能性を否定するわけでもないんですけどね(^^)

ミミ - 2003/07/12(土) 00:08<
ヤナさん、さいこう!
もう、声を上げて笑ってしまいました。
いつも楽しい、幸せなひと時を、ありがとう!
なぁんて、あったかい人なんだろう、、、って、、、、、。

ya(・ε^)na - 2003/07/11(金) 23:21<

平日に夜釣りとわ!!

だれですか・・平日に夜釣りするのんわ!!ぇぇぇ
  ヤナは、次の連休までいかれへんのに!!
 そうですねぇ・・・磯の蚊、はんぱやおませんねぇ・・
こいつに噛まれたら10日はかいいいですよね!!

   そおですか・・釣れませんか・・なんでやろねぇ・・
  わざわざ・いってるのに・・
    釣れませんか・・あきませんか・・残念ですねえ
   へっへへそおですか、釣れへんのん・・なんでやろねぇ・・
      あかん・・またこんな性格でてしもたがな・・

いっぺんコロ・タマちゃんねらいませんか!!
   餌取りの魚のお肉着けまして・・底にはわせてくらはい・・
         ぶったまげるかもしれませんよう


         へへっへ・・朝までがんばってくださいませ・・
            ほなまた

ヤゾー@磯釣り中 - 2003/07/11(金) 22:42<

釣れません(T_T)

小さな餌取りが数匹釣れただけで しばらくは当りもありません。おまけに蒸し暑くて汗が滲み出てきます。なにが辛いかって 風がないので蚊に嫌というほど喰われました。手が痒くて堪りません。それでも潮騒の音を聞いていると心が和みます。蚊さえいなければな〜 書いている最中にも三ヶ所ほど喰われました。あ〜痒い( ̄〜 ̄)ξ

こうへい - 2003/07/11(金) 20:01<

まれびとさん

昔、600トン近い石の台座に、600トンの石の球体が載せられていた時代があったということですよね。
台座がもう無いのは残念ですが、一度みてみたいです。

K市の古本屋さんは、きらく屋から「周五郎」に屋号が変わっています。
小さく書かれているので、車からは見えません。
電話は、ありません。
夕方、開いてることが多いです。大きな荷台の、三輪の、白いミニバイクが表に置かれてるのが、目印です。
JRのK駅の前を北に走り、大きくカーブするところに信号があり、そこを過ぎて10〜15メートル行った左側にあります。よっぽど気を付けないと、見逃します。

まれびと - 2003/07/11(金) 17:57<

ありがとうございます

実家のS町近辺はだいたい見尽くしたので、この間は有田川の方をひとり車でうろついてきました。
そういえばヤゾーさんととんちんかん小僧さん(でしたか?)が逢瀬を重ねていたというK市の古本屋さんは、なんて名前でしたかね。いつもK市を通るときに寄りたいと思っているのです。電話帳でみたら3軒くらい載っているようですが、地名がいまいち分からなくて。
ポロ車を買ったので、そのうちヤゾーさんのビンボー生活をきっと覗きに行けると思います。ただし山道がちょっとしんどいんですけど(^^)
このごろはシュタイナーの幼児教育についての本などを読んだりしているのですが、そんな話もヤゾーさんとしたいなとふと思うことがあります。

>こうへいさん
600tの巨石は、村の説明版ではマグマの中でそのような形に固まった、みたいな説明がしてありましたが、私もそのへんは素人なので、あれが人工的に加工されたものかどうかは判じかねます。
ただ神野山というのは、だいぶ古くから祭祀的に特別な場所として扱われていたようですね。
山頂近辺はなかなか雰囲気があるので、機会がありましたらぜひ一度、お立ち寄りください。
感じるものがあると思います。

ヤゾ− - 2003/07/11(金) 16:45<

夜釣りに行ってきます

みなさん ちょっと早いですが こんばんわ

まれびとさん お久しぶりでした。
と言っても 毎日のように まれびとさんのサイトを読ませて頂いています。
この前 奥様の実家へ来られていることを掲示板で書かれていましたが
ちょうどその時に 僕も実家に居ましたので
クルマで20分も走れば会えるんだけどなぁ 
でも奥様の実家を知らないしなぁと思案したことがありました。
そのうちに お会いできることを楽しみにしています。
山添村の巨石群について とても興味深い情報を ありがとうございました。

釣りバカが もうすぐ釣りに誘いに来るので
これから夜釣りに行ってまいります。
地元の釣りバカの情報では あまり釣れていないとのことですが
釣れるまでネバルしぶとい男と行きますので
明日の昼ころまでは磯の上で過ごすことになりそうです。
夜中 釣れなかったら 携帯電話からでも 実況投稿でもしてみます。
久しぶりの夜釣りに 少しウキウキしています。
ウキが沈んでくれて 大きなイサキがたくさん釣れると嬉しいな!

とんちんかん小僧 - 2003/07/11(金) 11:42<

本気で間違えた・・!

ヤゾーさんの指摘どおり、シークレット・メッセージの間違いでした。
あはは・・わざとではないだけに少し恥ずかしいです。
ついシャーロック・ホームズの気持ちになってしまっていました。
こうへいさんありがとうネ!
ナイスタイミングさん、へーそんな飛行機があったのですね。ご紹介のHPで確認しましたがイタリアのほうのページなのか、あまり良く判りませんでした。
それが正しいのかとは思いますが、それでも、やっぱり僕はセブリの隠し言葉だと思います。

こうへい - 2003/07/11(金) 10:24<

隠し田 4

この前、トモダチから聞いたのですが、どっかの、実際の田と検地の面積を比べると、実際の面積の方が、随分広いのだそうです。ふーん、と聞いてたのですが、
百姓にやさしい、代官だったのでしょうか?少な目に検地結果を出せば、年貢も少なくて済んだように思えます。
代官と○○屋の、「おぬしも悪よのー」関係が、現在も全く変わっていないようなので、現在を参考にすれば、二重帳簿?っていうのが思い浮かびます。
百姓には、実際の面積で年貢を摂って、殿には、少な目の検地結果を提出する。
その差は、私腹を肥やすのに使われた。
と考えると、田角の里の隠し田も、公にされたとは思えません。代官にとっては、これ幸い?
でも、藩に対する圧力も大きかったことを考えると、代官個人ではなく、藩ぐるみの、藩を守る
為の策だったのかも・・と思うのですが。考えすぎでしょうか?

こうへい - 2003/07/11(金) 08:29<

まれびとさん

山添村ってすごい所ですね。特にこの 地中から出たという、直径7m、推定重量約600tの見事な球体っていうのは・・・。花崗岩の切り出し、運搬、球形加工を思うと、あいた口がふさがらないって感じですね。
昔、オーパーツで紹介されてたコスタリカ?の石球を思い出しました。

まれびと <http://www.geocities.jp/marebit/> - 2003/07/11(金) 01:30<

話題のニュースステーション

見逃しました。残念!!

先日、奈良の山添村にある神野山というところへ行ってきました。
山中に点在する巨石群が天の川などの星座を模して人工的に配置されたものではないかという説があって、最近注目されているらしいです。

山添村の聖石文化
http://f1.aaacafe.ne.jp/~megalith/yamazoe0sousetu.html

山添村イワクラ紹介
http://www.vill.yamazoe.nara.jp/iwakura/iwakura.htm

ヤゾ− <http://www.kumanolife.com/Topics/7..10.html> - 2003/07/11(金) 00:25<

田殿丹生神社宵宮花火大会

みなさん こんばんわ

不逞通行人さん
>なんと言うか別所の歴史的使命と言うか……まだまとまらないなあ。
上手く言語化できないのですが その思いとてもよく分ります。
もしかしたら ニュアンスが違うのかもしれませんが
ライオンが子を谷に突き落とすような
とても奥深いものが隠されているような・・・そんな気がしています。

昨夜 偶然にもピラミッド型の白山という山をご神体にした
田殿丹生神社宵宮花火大会にでくわしました。
デジカメを持っていましたので
写真を撮って熊野ライフ通信にアップしています。
少し早いですが 田舎の夏祭りと花火大会の雰囲気が味わえました。
この神社の奥の方(北)に釜中があります。

とんちんかん小憎くん 
>ダイニング・メッセージ
シークレット・メッセージと間違いましたね。

う〜ん 眠たいです。

こうへい - 2003/07/10(木) 12:37<

ジブリ

ナイスタイミング さん
>イタリアの偵察機・ギブリ=サハラの砂漠に吹く熱風。
宮崎さんが、スタジオの名前に使った気持ちが わかるような気がします(^_^)

ナイスタイミング <http://www.luftfahrtmuseum.com/htmi/itk/k3.htm> - 2003/07/10(木) 11:22<

ジブリ

発音は宮崎監督の勘違いらしいです。GHIBLI、ギブリが正しいようです。
が、とんちんかん小僧さんの投稿を見て、意図的なのかもしれないな、と
思いました。

イタリアの偵察機・ギブリ=サハラの砂漠に吹く熱風。
(その他、マセラッティにもギブリ。)

こうへい - 2003/07/10(木) 09:02<

スタジオ・セブリ

トンちゃん、久しぶりのヒットですね。
宮崎 駿さんが、ばれたかって、頭かいてるかも知れません(^o^)

不逞通行人 - 2003/07/10(木) 06:27<

ありがとうございます

ヤゾーさま、*(*..*):*ngly 様(な、なんとお読みするのでせう)
行くも留まるも地獄、まさに「別所」か。
でもその別所の人たちが俘囚軍、さぶらう人、武士になったのなら、
なんと言うか別所の歴史的使命と言うか……まだまとまらないなあ。
わたしは「大伴門→応天門」となったように
「俘囚」の嘉字表現が「武士」では、とこっそり思ってます。
ただ、平安の発音では「ふじゅ」だったかも知れませんが。

あ、ジブリのアラブ風発音は「ギブリ」と聞いたことがあります。
ただ登記上は鞄ソ間書店ジブリ事業部、とかになっているはずです。

トクマが来たりて笛を吹く……

とんちんかん小僧 - 2003/07/10(木) 01:14<

スタジオ・ジブリ

宮崎 駿さんの映画には、毎度のごとく何らかのダイニング・メッセージが隠されてはいるが僕が知るのは何時も後手に後手にまわることが殆どだ。
だけど、それ以上に僕には気になる事がありました。
これも判る人には「わかっていた」ことの一つかもしれないことですけど(!?)スタジオ・ジブリの「ジブリ」とは「セブリ」を指しているのではないかと僕は思う。

こうへい - 2003/07/10(木) 00:39<

幡川と東畑

*(*..*):*ngly さん
うちの隣の幡川ですが山麓から山頂にかけてある、南北朝期から、畑川、畑河、幡川と呼ばれる村ですが
禅林寺(真言宗)があり、奈良時代に聖武天皇の勅願で、唐僧の為光が開創とされて
幡川寺、幡川の薬師堂とも呼ばれています。
金堂、宝堂、地蔵堂などが南北朝期期に焼けてますが、境内社に「熊野、吉野、白山」があります。
幡川谷一帯に諸堂、諸院があったと書かれています。(海南市史)
ミニ八十八カ所があり、ボクが23番の手入れをしてます。

東畑は、別所の東1q位にありますが、山村で、アカヒ、上平野、白カシ、クワ原、六地蔵、アマ池の小字があり、中世の城跡があります。 

*(*..*):*ngly - 2003/07/09(水) 22:23<

こういう考えは?

通行人さん
別所は、律令体制が実質的に崩壊する鎌倉期、次々と自壊してもよかった
と思います。それが中世の散所、院内などにつながっていくとしたら、
移配された俘囚子孫は、何故そこからの脱出をしなかったのでしょうか。
 つぎのような理由はどうでしょうか。
 可能性は@別所と他は人種が異なる事。別所は本来非農耕系で米なしでも
生活できます。異人種よりも同じ人種のほうが気楽でしす。Aまた言語が
異なる事。これは方言の相違として現れる。マスコミや公教育あげての単一
民族化政策にも拘らず鹿児島人や秋田人とは他県人はそれぞれの言語でしゃ
べったらまず通じないと思います。B本来相容れない固有の信仰があり。
貧しさが別所の者を僧兵や兵力として動員する理由になった。
C別所は賎民制が支配し、里は奴隷制が支配したと単純に考えると分かり
やすいでしょう。前者は親分子分の関係が強くなかなか仲間から出られま
せん。また結婚すら同じ集落内部でないと村八分になる場合があります。
 命令に忠実であったり上下関係の強さは軍隊や警察への動員に最適です。
日本の警察に組合がないのも別所の流が多いからかもしれません。D
農村の自作農の多くが寺社奴隷の末裔と言われますが、その寺社奴隷の
多くは別所の流といえます。庄屋など村役人の多くは元上層山伏とされ
ます。別所からでても農村で農奴になるだけです。Eそういったシガラミ
は封建的な親子関係、親類関係が補強しました。その総仕上げが天皇制に
あるのではないかと思います。家族天皇制という事をいう学者もいます。
日本の法体系では親子関係を律する法律がありません。子が親に従うこと
だけです。残念ながら親が子供を殺す前に法律的に防ぐ事はできないそう
です。戦後にもあった「尊属殺人は当然死刑」の精神は今でもあるのでは?
Fその結果「自己」を持たない日本人、考えない日本人が増えたのでしょう。
残念ながら現在も変わりませんから、個性の尊重、とか個人主義とかいって
も確固たるものはないのでは。Gそいう意味でサンカですら「集団主義」な
のはなぜかが興味があります。
 残るも地獄。去るも地獄だったのでしょうか。

こうへい - 2003/07/09(水) 22:22<

顔立ち

実名出して失礼なんですが 昔 「トアエモ○」っていう歌手がいました。
女性の方も 男性の方も 実にスッとした美形でした。
最近 久しぶりにテレビで見たら 男性の方が実にイカツイ顔になっていました。
顔立ちで判断するのは 何歳位の人を対象にしたら良いのでしょう?

ヤゾ− - 2003/07/09(水) 21:19<

思い出しました!

立ち止まった通行人さん 思い出しました。
過去に面白い投稿を何度かして下さった方ですね。
>たとえば顔立ちが立体的であるとか。
僕がまだ高校生くらいのときに耳にした話しです。
随分と田舎の方に住む友人の家にバイクで遊びに行ったら
もっと山奥のある小さな集落の人たちのことを
あそこの人たちは顔も雰囲気も違うのだということを話していました。
それでどういう風に顔立ちが違うのかなと
興味があったので後日道に迷うふりをして その集落まで行ったみたことがありました。
その集落は深い谷に囲まれた袋小路になっていて 本当に小さな集落でした。
そのときの印象ですが 濃い顔立ちのお年寄りを何人か見掛けたような気がします。
今では その集落の先にトンネルが開通し 袋小路ではなく
通過点にある小さな集落になってしまい 昔の雰囲気はなくなってしまいました。 

ヤゾ−@出先から - 2003/07/09(水) 20:55<

みなさん こんばんわ

今日 とんちんかん小憎くんと一緒に こうへいさんの家にお邪魔しました。
楽しい話しに あっという間に時間が過ぎてしまいました。
こうへいさんとは ネットを通じて知り合ったのですが
縁があったのか 共通する知人が二人もいました。
ひとりはナイフ造りの師匠で もうひとりは画家の方でした。
こうへいさんも絵を描いていて 入選したこともあるそうです。
縁とは不思議なものです。

ミミさん こうへいさんは少年の心をずっと持ち続けている
素敵なおじさん(ゴメン)だと感じました。

立ち止まった通行人 - 2003/07/09(水) 20:49<

かねがね思っていたのですが

第一次(と勝手に思っている)別所は、律令体制が実質的に崩壊する鎌倉期、
次々と自壊してもよかったと思います。
それが中世の散所、院内などにつながっていくとしたら、
移配された俘囚子孫は、何故そこからの脱出をしなかったのでしょうか。
全くの推測ですが、中世にいたっても、別所の者は、「常民」とはことなる
明白な肉体的特徴があり、容易に一般社会にとけこめなかったのかも知れません。
たとえば顔立ちが立体的であるとか。
または、敢えて征服者たちと同化することを拒否した人々もいたでしょう。
いろんな説話を洗っていくと、そのあたりの事情のヒントがあると思いますが、
想像を絶する作業だなあ。

ところで、「歴史民俗学21」に、過去の私のネットコメントが引用されており、
懐かしくも汗顔の至りでした。

こうへい - 2003/07/09(水) 20:26<

山に住む人 まとめの訂正

「山に住む人 まとめ」で、重大な誤りがありましたので、訂正します。

>ボクが目撃したのは、昭和45年くらいだから、少なくとも31年間は、山に住んでいたことにな>ります。
ボク・・・・・・・・昭和35年・・・・・・・・・・・・21年間・・・・・・・

が、正解です。

単なる足し算の誤りで、ヤゾーさんご指摘のような、年齢をさばを読んだわけではありません(^o^)

こうへい - 2003/07/09(水) 12:22<

山に住む人 まとめ

この人が、別所の山に住み始めたのは、昭和14年頃らしい(昭和6年生まれの人が、分校に行ってた頃で、分校は、7〜9歳まで通う)太平洋戦争突入が昭和16年だから、その前です。
ボクが目撃したのは、昭和45年くらいだから、少なくとも31年間は、山に住んでいたことになります。年齢は不詳です。いつの間にか来なくなって、死んだんやろかと心配したそうです。

別所の上に茶屋街道があって、茶屋を挟んで、南方、岩城、岩城、南方と4軒の家があり、昭和9年頃、4軒とも下におりて、茶屋だけ残ったらしい。下に降りた家の残した柴屋(柴、薪を貯蔵する小屋)に住んでいたそうです。あるとき、この柴屋が燃えて、ランパンさんの火の不始末とされたそうです・・いつ頃か分かりませんが、山生活の後半らしい。

ランパンさんの、格好は、顔中ヒゲだらけ、ボロをまとい、布のカバンをいくつもぶら下げ、腰には、ハンゴウ、皿等、いっぱいぶらさげていたそうです。
身長は、170センチ位、体格は良く、痩せてはいなかったようです。
川で洗うのか、汚くはなかったそうです。
また、木で作ったキセル入れ、竹の根で作った細工物を何本も腰に差していたそうです。
キセル入れは、カズラが巻き付いて螺旋状になった木を細工して、キセルを回しながら入れるもので、食い物をもらったお礼にくれたそうです。
聞き取り6人中、5軒が、これを貰っていて、家の爺さんが、長いこと大事に使っていたと言ってました。竹の根っこの細工は貰った人は無く、詳細はわかりません。
家にやってきて、「残飯ないか」と言うことから、ランパンと呼ばれたようです。
犬は、3匹連れていて、自分はちょっと食べて、殆ど犬に食わしていたそうです。・・6人とも同じ証言。
冬、寒いので犬と寝た。
山で何をしていたかは、誰も知りませんが、行動範囲は広くて、別所も願成寺の下の田津原あたりまで、隣村の汲沢、東畑、六川まで行ってたそうです。格好は気にせずに歩いていたそうで、まあ田舎ですから。
どこからやってきた人かは、誰も知りませんでした。
以上、お年寄り6人から聞いて、なるべく共通の所をまとめました。
聞き取りは、願成寺と、願成寺から別所のてっぺんに向かう旧道に沿った家で行いました。

こうへい - 2003/07/09(水) 00:38<
いえいえ、気にかかっただけですから。
こちらこそ、ありがとうございます(^_^;

ミミ - 2003/07/09(水) 00:24<
こうへいさん、自然博物館にまで聞きに行かれたんですね!
ありがとうございました。
感動に近い感覚があります。この、行動力!
少年の、エネルギーに満ち満ちてる、って感じてます。
石器作りといい、こうへいさんの周りにいる人は、こうへいさんのきらきらした生き生きとしたエネルギーを受け、みなさん、若いのではないですか?
ステキですね〜!
私も、いただけるような気がして、嬉しいです。
ありがとう!

こうへい - 2003/07/08(火) 21:50<

石器作り 追伸

名人のホームページ紹介します。
   http://www.h2.dion.ne.jp/~isi/

こうへい - 2003/07/08(火) 21:33<

石器作り

石が好きで、小、中学の時は、鏡石山に水晶を採りに行ってました。それから、化石です。
湯浅、吉備、金屋(鳥屋城山)って、中生代白亜紀の化石が出ます。
5年程前に、吉備町へ5人でアンモナイトを捜しに行ったのですが、一人が、池で見つけたヤジリを持ってきて、見せてくれたのです。2センチ足らずの石のヤジリは、とても丁寧に作られていました。一目で魅せられて、見つけた化石はひとにやってしまいました。
次の週から、石器捜しと、図書館通いが始まりました。縄文のヤジリは、真ん中まできっちり剥離してあります。飛ばしてしまうと、壊れる消耗品をなぜここまで丁寧につくるのかと感心しました。人に話すと、「暇やったんやろ」と言う答えばかりです。
こいつは、作って見ないとわからない・・でも原石も無く、道具もわからない。
カメラ屋で、ガラスの塊をもらったり、ビンを割ったりして、ドライバーの先でやってみましたが、欠けるばかり。アルミに替えてやっと剥がせるようになりました。自由に加工が出来るのです。不思議でした。鹿の角が良いと、聞いて梅田のナイフ屋に買いに行きました。
ナイフ作りのトモダチにサヌカイトの原石をもらって、やっと本格的にやりはじめました。
マイナーな世界で、仲間がいません。分からないことが一杯出てきます。
たまたま、北海道の白滝遺跡の発掘資料を送ってもらって、黒曜石もくれた発掘の責任者に聞いて見たんです。北海道で、一番の石器作りの名人は誰ですか?
次の年ですか、北海道に行きました。白滝駅で展示品の作った石器を見て、作者を訪ねました。80歳のじいさんでした。石器作りの一人目です。置戸町で石器ナイフ作りに会いました。2人目。
名人の居る、上士幌町へ。着いた日に、原石捜しに連れってくれました。大雪山の熊の巣と言われる所で、沢の傍で早速、熊に食われた鹿の死体と対面しました。ビビりながらの黒曜石採取でした。晩は、たき火を囲んで、ジンギスカンを頂きました。初めて会った人とは、思えない不思議な感覚でした。翌朝、石器作りです。黒曜石の原石を初めて贅沢に使いました。この名人との出会いが、自分には、宝です。で、今に至ってます。たまに、石器作りを教えに行ってます。
ながくなりました<(_ _)>

ヤゾー - 2003/07/08(火) 19:25<

みなさん こんばんわ

おユキちゃん お久しぶりです。
どうしているのかと心配していました。
久しぶりの投稿 とても嬉しかったです。
それぞれ事情も 話題によっては投稿しづらいこともあるのだと思いますし
また飽きるということもあるのだと思います。
ネットって不思議な世界で 発信する側にとっては
書き込みもなく メールのやり取りもなかったりすると
妙に心配になったり 寂しく思ったりします。
面識もなく また やり取りをしていなくても どこか繋がっていると感られる人がいて
そういう人の気配がないと寂しいものです。
ネット独特の情の世界なのかも知れません。
seburiさん 元気にしているのかなぁ。
Rainyさんも元気にしているのかなぁなんて思ったりします。

こうへいさん わざわざ自然博物館にクマンバチのことで
聞きに行って調べてくるなんて なかなか律義者ですね。
聞き取り調査といい その積極的な行動力には感服しています。
こうへいさんが北海道まで行って
石器の作り方を学んで来たという世界も素晴らしいと思いますので
また みなさんにもお話しお願いします。

おユキ - 2003/07/08(火) 12:32<

ニュースステーション見ました

ニュースステーションに出演されていたのは、やはりヤゾーさんだったのですね。
職場の環境が変わってから、しばらくここを覗くことができなくて、とても寂しく思っていました。
嬉しくて、目頭がジーンときちゃいました。

あおき - 2003/07/08(火) 11:00<

ありますよ蜜柑さん

 親に言って 白戸三平の単行本は パラフィン紙をかけて当時のまま残してあります
カムイ 忍者武芸帳 サスケ ありますよ たぶん子供のころ サンカのことなんか知らないで
読んでいたかも でもサスケもカムイもテレビでやってましたね

こうへい - 2003/07/08(火) 10:17<

ミミさん!自然博物館で聞きました

クマバチはささないの?・・・ ですが、刺すそうです。
でも、人が触りに行かない限り、刺すことはないそうです。

くまばちは学名で、くまんばちは、正式な学名ではありませんが、くまばちのことだそうです。
すいません、ぼくの間違った思いこみでした。
元理科部の名折れです(^o^)

蜜柑 - 2003/07/08(火) 09:57<

あおきさん!

実家が貸し本屋!!??
うらやましすぎます。
当時の貸し本漫画とってありますか?
絶対、捨てたり売ったりしたら駄目ですよ。
記録に残っていないサンカ漫画があるかもしれません。

とんちんかん小僧 - 2003/07/08(火) 08:56<

ゴロゴロゴロ・・ドッカーン!!!

真夜中、カミナリ様の腹の音のでかさに思わず飛び起きてしまいました。
おかげで少し寝不足です。

こうへいさん、ヤナさん
>くまんばちは、スズメバチの俗称で、本来、クマンバチという名前は無いのだそうです。
>クマンバチとクマ蜂は同じもんや思います
 全体はまあるっぽくて、頭とおいどのあたりは黒!!3・4CMくらいの大きさで
  一生懸命採蜜してはります 胴の部分はたしか黄色やったかなぁ

ずぅ〜と、別の種類の蜂同士だと思っていました。
スズメバチは、クールで残忍なイメージがありました。
クマンバチは、獰猛で突撃してくる危ない奴というイメージ(何度も襲われた経験あり)があったから同じ種類の蜂とは思ってもいませんでした。
お二人の投稿を読んで、ようやく別個のものであると判りました。
ありがとうございました。

ヤゾ− - 2003/07/07(月) 22:38<

爆笑

あおきさん 面白過ぎます。
怖い顔したおじさんが アメのことでおばあさんに叱られて
“ごめんなさい ちゃんとやるけえ”と謝っている姿を想像したら・・・笑わずにおられません。

あおき - 2003/07/07(月) 21:09<

良く誤解されるんですよ

 ぼくの実家の近所に競輪場があり そこをうろうろしてるおじさんなんか ヤクザよりこわーい顔して
ことばはもろ広島弁ですが 以外に怖くない所もあります
 昔 僕の実家は駄菓子屋と貸し本屋をやっていて 競輪ですったオヤジや勝ったオヤジが帰りに店に寄ったりしてました ある日 ひものついたイチゴのアメをひもからひっぱらないで でっかいアメを直接ひっぱているオヤジに うちの祖母が“あんたー なにしょーるんね ちゃんとひもひっぱりんさい”
と怒鳴ったら 怖い顔のオヤジは 子供のような声で “ごめんなさい ちゃんとやるけえ”
なんていってました でも広島のオヤジは 確かに怖い顔が多いっすねー

ヤゾ− - 2003/07/07(月) 19:32<

軽自動車で犬と一緒に漂泊するなんて

みなさん こんばんわ

通行人さん 僕なんかと比べたら ずっとお詳しいと思います。
また 起こし下さい。

ミミさん 生き物はみな どこかで繋がっていて 心が通じるものがあるのかも知れませんね。
こちらに敵意がなく また向こうを信じきれるようになれば
どんな凶暴な生き物でも危害を加えることはないのかも知れません。
でも あのムツゴロウさんでさえ ライオンに噛まれましたから
やっぱり 凶暴な生き物は怖いです。
>きちんとした、事実を知るこ
素晴らしいお言葉だと感じました。

こうへいさん はつせさん ヤナさん 熊ん蜂の羽音はなかなか迫力ありますが
経験上 あまり攻撃性はないと思います。
クマンバチが飛んできた〜という歌をNHKでやっていましたが
最後に掃除機に吸い取られちゃって ちょっと可哀想でした。
山小屋に暮し始めた頃 大スズメバチがやたらと飛んできて
安心して外に出れないことがありました。
それで あまりやるたくなかったのですが
ペットボトルの大きめのやつに 三センチ四方の穴を開けて
中に梅酒を入れて木の枝に吊るしておきました。
そうしたら 入るは入るはで 大きいもので7センチくらいある大スズメバチを
20匹くらい捕まえました。時期的に女王蜂だったと思います。
それ以降 山小屋の外で大ズズメバチを見掛けることはなくなりました。
このスズメバチ退治の方法は 養蜂をやっていた人に教えて貰いました。
なんでも スズメバチは西洋蜜蜂の天敵だそうで 襲われると全滅することもあるそうです。
その大ズズメバチに勝つことができるのが 日本蜜蜂だけなのだそうです。
西洋蜜蜂が 一匹づつ向かって行っては あの大きなキバで殺されるのに対して
日本蜜蜂は集団で大スズメバチを包み込んで 布団蒸しのようにして やっつけるのだそうです。

とんちんかん小憎くん 確かに黒は悪で 白には善というイメージがありますが
これからは 黒も良い光りを放つようになる時代になるような気がしています。
三島由記夫さんの『仮面の告白』少しだけ読んだことがあります。

昨日 南紀白浜で 広島ナンバーの軽乗用車に これでもかと生活道具を満載し
プードルの雑種と一緒に漂泊している人を目撃しました。
一見強面でヤクザっぽい感じの50代半ばの坊主の人がクルマの中に寝ていました。
軽自動車の箱バンで旅をしている人は何度か見掛けたことがありましたが
軽乗用車で寝泊まりしているのは始めて見ました。
それはもう 狭い室内に 創意工夫が随所に見受けられました。
どうしても話しがしたくて 思いきって話し掛けてみました。
見た目は強面でも とても人の良い心の優しいそうな人で
広島弁がとても暖かく感じられました。
犬はボロボロになって捨てられていたのを拾って
目が悪かったのを 毎日子供用の目薬をさして直してあげたそうです。
白浜にある無料で入浴できる露店温泉が気にいったので
しばらく白浜で過ごしているとのことでした。
僕は 河原の温泉はもっと気持ちが良いし
白浜の場合は夕方になると入浴できなくなるので
是非に河原の温泉へ行って下さい そして山小屋にも寄って下さいとお話ししました。
もしかしたら また会えるかも知れません。
カメラを持っていたら その軽自動車と犬とおじさんの写真を撮れたのにと悔やむほど
強烈に惹かれるインパクトがありました。
しばらく熊野地方で過ごすようなので もしどこかで出会って写真が撮れたら絶対にアップします。
本人には了解済みです。
ちなみに その人はヤクザではありませんでした。
何があったのかは知りませんが 元公務員だったそうです。

ya(・ε^)na - 2003/07/07(月) 10:13<

クマンバチ

クマンバチとクマ蜂は同じもんや思います
 全体はまあるっぽくて、頭とおいどのあたりは黒!!3・4CMくらいの大きさで
  一生懸命採蜜してはります 胴の部分はたしか黄色やったかなぁ
   そおですねぇ,こうへいさんのゆうてはるみたいに体系はミツバチですねぇ

スズメバチは、アシナガバチの超特大って感じ!!
  宇宙人みたいな目が怖い!!
   攻撃的・・・・・おおおおおおおおおおこわーーぁ

こうへい - 2003/07/07(月) 09:54<

熊蜂と熊ん蜂4

クマバチ  ミツバチ科
くまんばちは、スズメバチの俗称で、本来、クマンバチという名前は無いのだそうです。

とんちんかん小僧 - 2003/07/07(月) 01:41<

イメージ

今日、昼過ぎ頃のことです。妙に腕がムズムズするなあと思っていたら右腕の上を白い蜘蛛が散歩していた。周りに人がいたから声を殺して彼を追い払いました。
久しぶりに、ぞっとした。白ってイメージ的には「良いもの」或いは「神々しい」気が僕はするのですが、蜘蛛は恐怖の象徴にしかすぎないです。
白山や白蛇やお稲荷さん(たまに朱色の狐もあるけど)は、他いろいろとあると思いますが今挙げた分は神々しい気がします。

先月下旬より、『ぴんぽんぱん ふたり話』という瀬戸内寂聴と美輪明宏の対談集を読んでいます。その中で、三島由記夫について触れている個所があって読み進むうちに今までのイメージが吹き飛んでしまいました。気の狂った可笑しな人ではなかったんですね。身近に接した者にしか明かしていない顔は、世間一般の人やマスコミも知る事がないから悲しいことだ。僕もようやく真実を知ろうとしています。まだ、彼の作品を読んだりしたことはないですけど近いうちに『英霊の声』『仮面の告白』『鏡子の家』等を読んでみるつもりです。

こうへい - 2003/07/07(月) 01:33<

熊蜂と熊ん蜂3

頭がこんがらがってきました。
クマバチが、刺すかどうかは、ちょっと置いといて、

とりあえず、藤の花のまわりで、いっぱい飛び回ってるのが、クマバチなんですよ。黒い、丸っこい大きいの。

蜂で、最も恐れられてるスズメバチが、クマンバチなんですよ。

ところが、ネットでみると、「熊蜂の飛行」って曲名がどっさり出てる。
これは、「くまんばちの飛行」ですよね。熊蜂と書いて、クマンバチと読まれてしまうと、
クマバチは、どう書けばいいんでしょうか。
「くまんばちの飛行」の、クマンバチは、スズメバチでしょうか?
あの、めまぐるしい曲は・・・スズメバチは、めまぐるしく飛ぶって感じじゃないと思うんですけど。
クマバチもすばしっこい訳じゃないし。
もう、寝よ・・・

こうへい - 2003/07/06(日) 23:32<

熊蜂と熊ん蜂2

熊蜂のブンブン飛ぶ中で長時間いたことがあるので、凶暴ではないって言うのは知ってますが、本当に刺さないのかっていうのは、実は知りません・・スイマセン。
調べておきます。
どなたか、ご存じでしたら正解をお願いします。

ミミ - 2003/07/06(日) 23:18<

熊蜂と熊ん蜂

こうへいさん、スズメバチのことを熊ん蜂っていうのは知りませんでした。
我が家に出勤するのは熊蜂なのね。これは刺さないの?
そしたら来年はもっと仲良しになれそう。


先月、住井す恵 生誕百年記録映画 〔百歳の人間宣言〕をみました。
お嬢さんの増田れい子さん(七十四歳)のお話の中で、母は覚悟のできた女でした、と言われていました。「橋のない川」読み直してみようと思っています。
ただ漠然としたもやもやしたものの見方が、今、すっきりとしてきています。
差別が消えていくにはどうすればいいのか、、、、。
きちんとした、事実を知ること、これに尽きるのではないでしょうか。
あまりにも、無関心すぎました。
私も、少し変わったように思います。

今の私に出来ることは、自分の、心の中を、見つめること、、、です。

はつせ <http://www.ne.jp/asahi/songshang/hatsuse/> - 2003/07/06(日) 17:12<

熊ん蜂

ミミさん、熊ん蜂との共生とは驚きです。都会で巣が出来よう物なら大変な騒ぎになり駆除に消防車や保健所が来るでしょう。私自身は危害を加えなければ大丈夫と思ってますが、何もしなくても刺されたという話も聞きちょっと怖いです。きっとにおいや声などで共生しようとしている人を覚えているのですね。

こうへい - 2003/07/06(日) 17:03<

熊蜂と熊ん蜂

ミミさん、こんにちわ。
蜂でも、犬でも、確かにそういうのがありますね。
子どものころ、理科部だったボクが、ちょっと書かせてもらいますと・・・

熊蜂は、藤の花に群がる大きな蜂ですが、腹が黒くて、丸っこくて、人には向かって来ないようです。
名前は良く似ていますが、熊ん蜂は、こちらでは、ドングリ蜂、一般にスズメ蜂と言うやつで、凶暴で、攻撃的です。腹が、オレンジと黒の縞になっています。
先週、釜中で出合ったやつは、7センチもありました。知らん顔していれば、刺されることはないのでしょうが、顔に向かって来る奴は、頭をさげて、避けないとあぶないです。
カブトムシを捕りにいくと、必ずと言って良いほど、います。
先ず、これの居ないことを、確認してから、クワガタなどを見に行くくらいです。
こわいです。

すいません、もと理科部としては、説明する義務のようなものを感じてしまうものですから(^o^)

ミミ - 2003/07/06(日) 10:24<

生き物の、感覚の素晴らしさ(蜂)

恐怖、恐れ、不安、怒り、、、そういったものに反応するようですよ。
藤の花が咲く頃、我が家の藤棚には、熊ん蜂が朝早くからご出勤。
多い時は、八匹ほどが、ぶんぶん大きな音を立ててホバーリングしながら、耳元をかすめて、あるいは顔の前をすれすれに威嚇します。
怖いのと、自分の持ち物の藤棚って言う気持ちがあって、変な人間の理屈ですけど「なによっ!どこのうちの藤棚だと思ってるのよ!」っていう感覚があったんです。
変でしょう?おかしいでしょう?ばかみたいでしょう?
で、親子で、熊ん蜂と戦っていましたけど、人間が、根負けして。
玄関から外に出るには藤棚の下を通っていたのを、人間が裏を廻ることになりました。
「自分の家なのに、何で自分が、裏を廻らなくちゃならないの!」
あるとき、おかしさに気が付いて。
共生することにしました。
藤の花がそこにあって、命を繋いでいくのに必要な蜜をとる、それだけのことなのに。
「熊ん蜂さん、おはよう。今日は早いのね。下を通るわね。」
不思議なことに、ホバーリングしていても襲ってきませんでした。
それからは、ずっと、下を通らせてもらっています。

以前に、ここに書きましたが、町でたった一人で有機農業をしている彼も、蜜蜂に刺されまくっていたそうですが、対立心をなくしたら一度も刺されなくなったそうです。

わかるんですよ、、、、ね!

こうへい - 2003/07/05(土) 22:27<

貧乏?

近くに、「江戸村」という、芝居小屋が出来ました。
家族ら4人で見に行きましたが、芝居は、慣れたら、それなりに面白かったのですが、合間の座長や出演者の話、面白かったです。
最後に、舞台に出演者が10人程並んだとき、客が5人で、いつ給料もらえるようになるんやろと、思いました。
座長は元役者らしいのですが、あとは歌手やらが全国から、入れ替わりでやってるそうです。
劇場が消えていくなかで、こんな田舎に出来た芝居小屋、また、来てみようかなと思いました。
芝居が、好きなんやねーって言うのは、充分伝わってきました。

通行人 - 2003/07/05(土) 21:05<

いろいろと勉強させてもらってます。

みなさんの真摯な探求にくらべ、わたしなんぞトーシロゆえ、「通行人」を名乗ってます。
(昔は別のHNでした)
また機会があればいろんなことに参加したいと思っております。なんせこのところ仕事が……。

ここでは充分既出と思いますけど、異界歴程と言う本が読ませます。
作者は「地の利」をいかして図書館へ通い、「多摩史談」を全部読んだとか。

わたしも地道に、お役にたてそうなことを調べてまいります。

ヤゾー - 2003/07/05(土) 12:58<

みなさん こんにちわ
これらから用事で月曜まで留守します。

通行人さん はじめまして
別所について とても真面目に勉強されているように感じました。
そこで提案なのですが *(-..-)*onglyさんを中心に活動されている
野史研究会が七月中に兵庫県内で開催されます。
△うぶさんも参加されると思いますし 
僕 こうへいさん とんちんかん小僧くんも参加する予定になっています。
宜しかったら このサイトからリンクしている野史呼び名辞典のページにアクセスして
*(-..-)*onglyさんにメールを送ってみては如何でしょうか。

ヤナさん 蜂の威嚇の音は怖いですね。
一度 大スズメバチに威嚇されたことがありました。
こちらを向いて ホバリングしながら あの大きなアゴをカチカチ鳴らすんです。
も〜それは 黒塗りの高級外車にオカマして
中から「われ なんしとんじゃ」と怖いお兄さんが出てくるよりも恐ろしいものがありました。

あおきさん 南斜面の山林 約3000坪を所有しています。
飛行機を使えば 都心まで2時間ほどで行けたりします。
敷地内には 何本か電柱があって
数年に一度 僅かですが電力会社からお金を頂いたりします。
山小屋は5年も住めれば上等かなと思って建てましたが
8年近く経った今でも 天災で壊れない限り まだまだ暮せそうです。
土地代と山小屋を建てるのにかかった費用ですが
多分 あおきさんの年収だったら 随分とお釣りがきそうです。
あおきさんも どうですか。

ナイスタイミングさん こんにちわ
そんなページがあったんですね。
たまには 僕も写真を撮ってアップしますね。

ナイスタイミング - 2003/07/05(土) 11:42<

残念無念

ニュースステーション、見逃しました・・(ToT)
あと10分早く気が付いていたら・・・・・
(ヨメさんも「見たかった!」と)


■写真ライブラリ「熊野古道を世界遺産に!!」を久しぶりに
見てみました。心静かになる風景。
http://www.mykiss.org/kumano/

*(@・・@)*ongly - 2003/07/05(土) 10:59<

差別はきえず

通行人さん
>さて後世、別所の名に侮辱的な意味が薄れ「一般化」したあと
 俘囚も「えびす」と蔑まれて「秋田の乱」が起きたと文献にあります
し確か俘囚の裏切り者が殺されたのもこの時です。また別所は訓読みで
官(体制側)がつけた蔑称であり、俘囚側は好んで受け入れなかったと
いいます。別所の名づけは明らかに仏教の地獄思想の影響があることは
ミニ八十八ケ所があるところが昔の別所であることからも言えます。
 既出ですが、亡くなった仲間が昔、巨人軍の別所・青田の両氏とある
高級クラブで近くに席をとったことがあり、別所氏の声の大きいのにへき
えきして、「別所さん。あんたはどこの別所出かいな」と尋ねたところ顔
色を変えて後は声を潜めるようになったとか。代って青田氏が例のような
態度なので、頭に来て「青田さん。あなたは××の青田か」と質したたら、
これも沈黙したそうです。相手が清原でなくてよかったと私はいいましたが。
この友人はプロ中のプロですから別所や青田の意味も知っていました。古代
から続いてきたきた別所への蔑視・賤視が背景にあるのでしょう。
 俘囚の歴史は、「天皇軍の侵略に抗して戦うか」それとも「天皇軍に
敗北し華風になびいて賤(奴隷か賤民)になるか」の選択ですから、天皇制
が残る現在でも、原住民(俘囚や別所)への差別が残るのは当然でしょう。
 東北でいまなお原住民差別があるのに、解放団体がないのが不思議です。 
 別所にせよ被差別部落にせよサンカにせよ、被差別以外に共通要素があ
ります。したがって別所やサンカを「きれいごと」で扱うような、柴田弘武
氏や三角寛氏は真実の歴史(政治・差別)から遠ざかっていくようです。
 竹細工サンカと毎年あっている親戚から「サンカは同和か」と問わました。
また別所の痕跡を調査しましたが、旧被差別部落にはサンカの要素があること
を確認しました。部落とサンカを同一視問題できない部分がありますが、サン
カ大衆の考察には旧部落と貧民窟を射程にいれねばならないようです。
>各地の郷土史研究者が手をとりあって、古地図をたよりに字名などを調査し、
>本来の別所を探るしかないでしょうね。
 町村史を編集者からも「別所って何ですか?」と聞かれる事があります。郷土史家は
よくて歴史学者や民俗学者のマネですから、枠組みや方法論が貧困すぎます。古文書が
読める者が序列の最上位ですから。枠組みが貧しいために古文書や生きた情報がどれだけ
失われたかを想像すると残念でたまりません。もちろん郷土史家がもつ情報は拝借します
が、なお「新たな角度から」聴き取り調査が肝要です。
別所に興味をもつ数少ない郷土家は、例えば俘囚鉄製作の炉(ほと)を再現してる方
もいます。

あおき - 2003/07/05(土) 10:37<

あー僕も見たかった

 最近ちょっとバタバタしていたのでネットも見れなかったから
ちょっとタイミングを逸してしまいました ヤゾーさんあんないい山小屋に住んで
しかも山の地主なのに貧乏とは ほんとかな

ya(・ε^)na - 2003/07/05(土) 09:26<

蜂の針

ブーーーン・ブーーンあの蜂の羽音怖いです
  ヤゾーおはようさんです・・

  貧乏臭いはなしですんません・・
 子供のころ、蜂蜜を味わおうと花で採蜜中のミツバチを捕まえまして
 ちょっと押しますと、蜜をだします
 しかし、ミツバチとはいえ、毒針をもっております
 この反撃も強烈でおもくそ痛いです
  指先に毒針も抜けて突き刺さったままです
   ミツバチは針が抜けると死んでしまうらしいです

 巣ごと蜂蜜食べてる姿は・・・貧乏どころか・・
    豊かな熊みたいだったですよん

通行人 - 2003/07/05(土) 06:50<

やはり

各地の郷土史研究者が手をとりあって、古地図をたよりに字名などを調査し、
本来の別所を探るしかないでしょうね。
山哉のように全国歩きまわるのは、常人には困難です。
しかし行政は頻繁に、実に安易に地名をかえてしまいます。
○○一丁目とか、はなはだしきは「カトレア町」「平和原」「へっころ谷銀座」……
別所が俘囚移配置だ、との認識が広まれば、それこそ燎原の火のごとく
「別所地名抹殺事業」が広がるかも知れませんね。

△うぶ - 2003/07/05(土) 02:47<

通行人さんの文章を読んで思った事

「第○種別所」との区分分けは初耳の概念でして興味深いものが有ります。
継続的に俘囚料が必要であった地域と、早々に自立出来た地域の差には人口と生産性と
(従順度もか?)が関係しているので、所為分化分割の度合いにも地域差が生まれると思います。
、、、「ミニ門前町」については、以前ここで*(-..-)*ongly さんが仰っていた「宮」「神」に続き、私は
「寺」も追加すべきだと思っていますので、そのようだと思います。
「ふせう」については俘囚からと、も一つ「布施」からも想像つきます、最近某県に「かゆ」が有るのが
判り、地形的には自然院内でして、(布施>かゆ)から想像付きます、又私の住所の近所の「ふせ○」
は職業が、極初期河原で焼いた事を職業としていますので、根拠のひとつと思っています、
又苗字も別所姓が多いです。

こうへい - 2003/07/04(金) 23:24<

釜中便り

釜中滝と、祀られてる不動明王の写真、風の王国 掲示板に、アップしました。

フクロウ、今日もいませんでした。写真撮ってから、見ません。
悪いこと、しちゃったかなー。
久しぶりの良い天気だったので、村の家は、留守でした。
上谷さんという家の犬、2匹のうち一匹は、ガツロの林の入り口上にいつも繋がれています。
凶暴です。
訳を聞くと、イノシシ除けだそうです。この山には、イノシシが異常に多く、百合根、いも、米を食いまくるので、繋いでいるそうです。イノシシも恐れる凶暴な犬です。
太い鎖が、切れそうで、横を通れませんでした。
その上に、落ち武者が住んだと言う、「小屋の谷」と呼ばれる所があるらしいのですが。

山椒畑で、上谷さんと話をしていて、なにげなく、山椒の実、また噛んでしまいました。
家に帰っても、まだ口がしびれていました。辛いと言うより、痛かった。

*(-..-)*ongly - 2003/07/04(金) 22:59<

yokuaru枝郷と本郷

通行人さん
>本郷に対する枝郷、別符によって安堵された所領と言った意味で、「第三種別所」が
>生まれたのだと思います
 あなたの枝郷と本郷の議論は間違っていると菊池山哉は主張しています。「別符によって
安堵された所領」(確か柳田説)は、行基や空海などと別所の関連を明確にしないと断定で
きません。広島県では本郷といってる地は実はもと別所の地のようです。江戸期の枝郷は
それにふさわしい地名がついているようです(部落史にもよくでてきます)。

*(-..-)*ongly - 2003/07/04(金) 22:46<

地名を変えることも

通行人さん
>別所総てが「俘囚移配置」とすると、五百箇所と言うのは多すぎる。
 多寡が問題ではなくそこが別所か否かを調査・検討することが重要でしょう。
 東北から東北以外に大量の人間を強制連行し、反抗しないように小人数
づつに分散配置したものでしょう。あるいは、連行拠点から別所の者や夷俘
(いふ)が移動して、増殖し分散した結果五百以上になったと思われます。
 分散は彼らを監督・支配してた有力な寺が弱体化した時代に始まったもので
しょう。俘囚といっても地方差があるので言葉の違う集団を組合せたようです
。これは調べれば分ります。また所々に放免を置いてより分断を確かなものに
したのでは。松山市内の俘囚の配置地?近くに放免地名が3ケ所あります。
 放免とは俘囚出身だが俘囚の目付けをする、江戸時代で言えば岡引です。
 また別所以外にも「別所」地名はあります。@別所は時代が変ると院内、産
所になりうると菊池山哉も言ってます。A調査では中国地方では河内もカイト
地名で別所と同様のようです。B岡山県下には鎌倉時代に別名に変ったという
別所があります。C私の説では熊野も別所です。まだ検証は完全には行っていま
せんが、まず間違い無いでしょう。仮説を検証する方法を発見するのも学問です。
>既存仏教から飛び出した
 柳田説の意味ではありませんがそうです。これに対応する地名もあります。
 発見法は文献による方法や地図で探索する方法のほか、学者のしない
方法ですが現地で「総合的に」観察・探索する方法があります。
 別所近隣の地名をよく観察すれば、特有の地名が必ずあります。
 兵庫三木市別所には近くに「こじき」地名がありますので、これ
との関連も考える必要があります。この地名があるということは別所と
サンカを結ぶ結節点かもしれません。

とんちんかん小僧 - 2003/07/04(金) 22:30<

おりょうさん、ありがとう!

しばらく振りですね。僕は元気にやってますよん。
また気楽にクマノライフで楽しみましょう。
今、僕の中で密かに「エレメント」という言葉がマイブームです。
自然界の四代要素である「地」「水」「火」「風」を表す意味があるらしくて、あるアーティストの歌詞を読んでいて素敵な響きの言葉だなと即気に入ってしまいました。

蜜柑さん
貧乏特集、ビデオに撮りながら見ましたよ!
好きなことしながらも目標を持って何らかの仕事に打ち込む姿・・僕も彼等に負けないようにやらないといけないなと改めて思いました。

ヤゾーさん、今度河原の温泉に連れてってくだちゃいませ!
鉢の巣もデザートに食べてみたいな(^o^)

通行人 - 2003/07/04(金) 21:12<

たとえば

兵庫県三木市の別所は、今でこそ繁華の地ですが、
昔は相当な山中と思われます。隣には「エビス」と言う駅もあります。

おりょう - 2003/07/04(金) 21:02<
ヤゾーさん あたたかいお言葉ありがとうございます。

とんちんかん小僧さん しばらくですがお元気ですか?

通行人 - 2003/07/04(金) 20:56<

「別所」三段階?

新著の対談で谷川先生もおっしゃってましたが、
別所総てが「俘囚移配置」とすると、五百箇所と言うのは多すぎる気がします。
最近図書館で、山哉が「不明」としていた兵庫尼崎の別所を明治の地図で見つけましたが、
自然院内と言うよりも水田でした。思うに
平安期俘囚、または放免を囲い込んだ「第一種別所」があり
やがてその桃源地にあやかって、既存仏教から飛び出した「僻地布教拠点」を別所と称したのかも知れません。
その意味は「この世の果て」「人外の地」。あたかも遊行の僧が自ら「乞食」と称するごとく。
この小堂の周囲の「ミニ門前町」が「第二種別所」と言えるかも知れません。
さて後世、別所の名に侮辱的な意味が薄れ「一般化」したあと、
本郷に対する枝郷、別符によって安堵された所領と言った意味で、「第三種別所」が生まれたのだと思います。
この頃には一種も二種も区別が曖昧になり。やがて一般地名になった。
別所以外にも「ふせう」「ふしう」「いふ」「ひな」「えびす」と言った地名は、
公的あるいは非公式に蝦夷を集住させた地域かも知れません。
別所地名を地形図、古地図などで詳細に検討、本来の地形自然院内地を探し出すのは、
まさに至難の業でしょうね。

ヤゾ− - 2003/07/04(金) 18:56<

和蜜

まだ蝉が大合唱していますが
みなさん こんばんわ

ヤナさん 日本蜜蜂の蜂蜜 美味しそうだったでしょ!
遊びに来たら 特別に食べさせてあげます。
でも 自分で巣箱から取って下さい。

こうへいさん ランパンのお話し 引き続き聞き取り調査を楽しみにしています。
そして歴史民俗学に発表して下さい。
釜中の調査の方は Donglyさんのところの野史研究に発表したら良いかも知れません。

尾張の国知さん 流石に目の付け所が違いますね。
そういう人たちが存在したということを
できるだけ記録に残こしておきたいものですね。

おりょうさん 時には文章を書くのが億劫で仕方がないこともあると思います。
気の向いたときで結構ですから 以前のようにお願いしますね。

蜜柑さん 番組見れませんでした。
山奥の場合は 協同アンテナ組合に加入しないと民放は写らないのです。
BGMに「瀬降物語」の音楽を使ってるんですね。

番組を見ていたトモダチから
和蜜(日本蜜蜂の蜂蜜)を食べるシーンを見たらしく
なんだあれは 旨そうだから今度食べさせろと電話がありました。
和蜜(日本蜜蜂の蜂蜜)とは 日本在来種の蜂蜜のことで
山の木々から蜜を集めてきます。
現在 蜂蜜を呼ばれているものは
その殆どが西洋蜜蜂の蜂蜜のことで
和蜜は とても貴重な蜂蜜とされています。
和蜜の巣箱を見せるだけの積もりで 木工所の直ぐ近くの山に上がったのですが
とても気の良いカズオさん(木工所の人で まだ子供のように純真なところがあり
一緒に釣りなどに行くと 心から笑ったりできる間柄です)が蓋を開けたら
巣の中に蜜が見えたので いつもの調子で カズオさん それちょっと取ってと言ったら
普段は大人しくて 刺すことは滅多にない日本蜜蜂なのですが
流石に 蜂を追い出さずに いきなり巣を取られたら怒るので
怒らせたら怖いさかいなと言いながらも取ってくれたのでした。
それで 少し離れて見ていた僕は その巣を貰って食べたのでした。
カズオさんは 目の上を蜂に刺されて 後で僕が針を抜いてあげました。
スタッフの人にもお裾分けしましたが 美味しいと絶賛していました。
高価で取引きされる和蜜を巣のまま食べられるということは
地元でもなかなか出来ない贅沢なことだったんです。

こうへい - 2003/07/04(金) 08:45<

NHKしか写らない日本の秘境?

撮られる方も、作る方も随分大変なんですね。
天下のニュースステーションだから、もう、全国的有名人ですね。
貧乏志願者が、殺到するかも(^o^)

蜜柑 - 2003/07/04(金) 01:33<

見ていないの?

ヤゾーの話の続き

で、本日夕方5時過ぎに、スタッフが収録テープを持って戻ってきて、
手分けして、VTRのチェックして、ナレーション原稿を書いて
7時過ぎに編集室に突入。
この日のために取っておいた「瀬降物語」のCDからBGMを選んで、編集して、
終わったのが10時17分くらい。
で、放送が10時20分。
嵐のような1日でした。

こうへい - 2003/07/04(金) 00:08<

ビデオとってます

・・・・

ヤゾ− - 2003/07/03(木) 23:51<

あ〜恥ずかし

みなさん こんばんわ

貧乏のヤゾ−です。
おりょうさん やっと戻ってきてくれたんですね。
ほんと河原の温泉は最高ですよ〜
民放が写らないので どんな風な番組だったのかは分りませんが
友人知人から何本か電話がありました。
あまり見たくないような 見てみたいようなそんな気がしています。
ま〜しかし今回の取材は強烈にハードでした。
いきなり昨日の夕方前に 蜜柑さんからの電話で取材要請があり
断る間もなくその日の夜10時過ぎにスタッフを最寄りの駅まで迎えに行き
民宿の手配をしてから河原の温泉まで走りました。
昨夜から今日にかけて200キロ近くクルマを走らせました。
取材を受けていたというより運転手をしていたという感じです。
そして今日の午前中に撮影を終え 後数分で乗り遅れるというギリギリで
スタッフを駅まで送り届けることができました。

河原の温泉でのことです。
幸い河原の温泉には誰もなくて カジカの音をバックにこれから撮影というときに
暴走族風の少年たちが バイクの爆音を轟かせてで5、6人やってきました。
スタッフが残念そうな顔をするので
静かにするように言ってきましょうかと スタッフの人に言いましたが
スタッフの人が率先して暴走族風の少年たちに すみませ〜んと声を掛けたのでした。
結局 その少年たちとはとても和気あいあいになり
僕を中心にして 少年たちが囲むように一緒に入浴して撮影したのでした。
なんでも新宮からバイクに乗って来たとのことで
自分たちもテレビに写るから 誰々にも電話して教えよ と えらく喜んでいました。
別れ際には 丁寧に挨拶はするし 可愛い言葉も掛けてくるわで
見かけは暴走族でも 中身は純情な少年そのもので
スタッフはえらく感動し なんと可愛い奴らだと
帰りに車中でも話していました。
あの茶髪にピアスをした少年たちが 目を皿のようにしてニュースステーションを見て
自分たちが写っていなかったことで
ガッカリとしている姿を想像すると なんだか可笑しくなってきました。

おりょう - 2003/07/03(木) 23:14<
こうへいさん 皆様しばらくです。

タヌコちゃんお行儀がよくて可愛かったですね。

満天の星を仰ぎながらの温泉もいいですね。

「せぶり物語」イメージしながらみてました。

こうへい - 2003/07/03(木) 22:55<
いやー、よかったです。貧乏が主題なので、そういう説明になるのでしょうね。
タヌキ君、よかったです。タヌキ君と、一緒にテレビ見たんでしょうか?
河原の露天風呂、あしたを気にしないで、豊かな気持ちで星を見ながら深夜に入りたいなー。
夢のために、貧乏してる人がいて、執着を捨てて、豊かに貧乏してる人がいて。

じゃんけんして、自衛隊より先に行ってきてやろうって言う、豊かな政治家がいたら、いいだろうなー。

蜜柑 - 2003/07/03(木) 22:54<

執着心を捨てれば楽

サンカそのものですね。
BGMが冴えていましたね。

ya(・ε^)na - 2003/07/03(木) 21:30<

あはっはっは

わーーい・・貧乏!・貧乏!
  まずしくないから・・へへっへへ

     貧乏!・・貧乏!・・都会にいたらほんまに貧しくなってしまいます

        貧しい自分にならないように・・

          今日の雨が・・
           降りつずきます・・

             

こうへい - 2003/07/03(木) 21:28<

お元気でしたか?

おりょうさん、お久しぶりです(^o^)
もうすぐですね。楽しみです。

おりょう - 2003/07/03(木) 21:20<

お久し振りです

優雅な貧乏生活はやくみたいです。

蜜柑 - 2003/07/03(木) 20:44<

貧乏のすすめ

山奥で貧乏生活している青年が紹介されるらしいです。いったいどういう生活をしているのか楽しみです。

こうへい - 2003/07/03(木) 19:08<

ゴルゴタの丘

キリストがのぼったのは、エルサレムのゴルゴタの丘でした。失礼しました(^o^)

「貧乏のすすめ」いいタイトルですね。すすめてるンですか(^o^)

蜜柑 - 2003/07/03(木) 16:35<

お知らせ

本日、ニュースステーションを見ましょう。「貧乏のすすめ」という面白い特集がある。

こうへい - 2003/07/03(木) 11:18<

尾張の国知さん「山に住む人 」追伸

尾張の国知さん、おはようございます。
「山に住む人」ですが、もう40年以上前のことです。
職業は、持っていなかったと思います。
格好が、里に下りて行く格好ではないからです。
頭も顔もぼうぼうで、ナザレの坂を登って行く、キリストのような・・年月がイメージを脚色することがあるので、・・・とにかく、人里を歩けるスタイルではないのです。
長身で、真っ直ぐ立って、毅然とした様子なんですね。
ぺこぺこして、残飯をもらう雰囲気ではないんです。もらって、当たり前ということでもないんでしょうが。
なにか作って、米と換えていたようでもないんです。でも、なぜ、山で生きられたかですね。
里の人の情けだけで、生きられたのでしょうか?
ボクは、夏休みの何日間だけでしたから、里の人に聞けば、詳しいことが分かるかも知れません。
あてにしないで、お待ち下さい。

尾張の国知 - 2003/07/03(木) 10:31<

こうへいさん情報「昔、山に住む人がいました」コメント

7月1日の、こうへいさんの記事、たいへん興味深く読ませていただきました。
山中生活者・奥山にての自立生活〜半非接触の民の方々の、貴重な存在事例の報告と受け取りました。
柳田國男の『山の人生』に集成されている幾多の事例を、髣髴と感じました。また、加藤博二『深山の棲息者たち』(日本公論社)刊の内容と重層ラップする資料事例の追加と思います。
私の知るフィールド採集例で、30件ほどあります現代版“山間彷徨生活者”リストに加えさせていただきます。飛騨・木曾川、長良川の中流域には、まだ現存者も方々も数名おられます。フダ売り・渡りドコウ・ナカノリサン・芸人・・・・・・等など、職歴もいろいろでした。
こうへいさん、更なる“ランバンさん”情報を聞き取りして、資料的なカタメをしていただけたら有り難いです。『歴民』へ紹介レポート待ってます。

こうへい - 2003/07/03(木) 02:31<

ツクツクボーシ

ya(・ε^)na さん、こんばんわ。
最近、にいにいぜみ鳴きませんね。なんでですかね。
ボクも、ヒグラシは、夏休みにオフクロの田舎に行ったときだけ、聞きました。
夕方、悲しい響きで鳴いてました。一回だけ捕まえたことがあります。
透き通った、とても、細い蝉でした。最近、近所でも鳴いていたような。
ミンミンゼミは、山奥で鳴いていました。去年、幻のミンミンゼミが家に飛び込んできました。
生まれて初めて姿を見ました。

ツクツクボウシは、おもしろいやつで、ツクツクボウシ・・・・・ツクイヨーシ(2〜3回)ジーで終わるんですけど、この一連の鳴き方を最後までやらないと、仲間に恥ずかしいのか、こだわりなのか、気が済まないようです。
鳴いてる途中で、近くに小石などをぶつけると、ちょっと声が止まりかけますが、すぐ続きを鳴きます。ツクイヨーシまで、早口でもっていって、ツクイヨーシを急いで2回鳴いてジーもちょっと言って、飛んで逃げます。
大きな石が飛んできたりして、よっぽど身の危険を感じないと、途中で逃げませんね。

ya(・ε^)na - 2003/07/03(木) 01:23<

へへへへへ

へーーーぇ・・
  熊野ではヒグラシが鳴き始めましてんねぇ
   私の住む大阪では、そろそろなにが鳴き始めるのかたのしみなんですよう

 私の子供のころは、ニイニイ蝉が鳴き出し
     次にアブラゼミ・・つづいてクマゼミ(稀に)
       もっと稀にミンミンゼミが・・

 そしてお盆もすぎるころツクツク法師が鳴いて夏が去っていきました

でもこの15年くらい・・ニイニイゼミの声聞きません
  クマゼミばっかり・・
  クマゼミは・・侵略者なのかも・・その数もはんぱやおませんよぅ!!

    初めてヒグラシの声を聞いたのが林間学舎で高野山に行ったとき!!
 杉の大木の上でもの悲しく鳴くヒグラシは絶対に鳥やとおもてました

 初めて採集したとき、興奮に手が震えた記憶があります
  ミンミン蝉や玉虫もおんなじです・・

  そんな昆虫たちを、採集できない今の子供たちにはお気の毒としかいえませんが
いまなら、遅くありません
  
   子供の心をもった、あほな大人たちが今なら少し居てはります
      そんな大人たちにパラサイトしてくらはいませ・・

    なーーーんてね・・

            寄生されたみなさん・・がんばっておくれやすね

                          ほなまた・・やなぎむし

ヤゾー - 2003/07/02(水) 19:25<

カナカナ虫

みなさん こんばんわ
こちら熊野では 朝夕ヒグラシが鳴くようになってきました。
もうすぐ夏真っ盛りです。

通りすがりさん はじめまして
そのお気持ち とてもよく分ります。
果して自分は柄にもなく 
どうして歴史に関したサイトの管理人をしているのだろうかと
疑問に感じることが多々ありました。
もともとは 自然の素晴らしさとサンカの人たちの生き方を賛美したいという思いから始まったのですが
いつのまにやらこういうことになってしまいました。
でも闇に葬られた歴史を表に出すということには意味を感じています。
あまり表に出ることがなかった歴史に光をあて 興味を持つ人が増えれば
この国の抱えている差別という問題も
今までと違った見方をする方が多く出てくるのではないかと思ったりもしています。
そのことにより この国の抱えている差別というものによる弊害が
少しでも軽減されるなら とても意味のあることだと思ったりもしています。
原住民系であろうと渡来系であろうと同じ国土に暮す住民です。
それに混血が進んで 殆どの人の中には色んな血が入っているのだと思います。
問題はそれぞれの生き方であり 人間性なのかも知れません。
ネットで知り合った方で 在日韓国人三世の方がいて
余程縁があったのか 何度も遠方から山小屋を訪ねて下さり
その方の従姉妹という方と三人で 掘っ立て小屋に近い山小屋で三日間過ごしたこともありました。
その方たちは在日の方でも 向こうの被差別民である白丁系の人ではなく
(半島の賎民とされた人たちと日本の賎民とされた人たちの間には なにか共通したものを感じているのですが)
どちらかというと名門の出のようでした。(親類には白丁系の人もいるみたいでしたが)
その方たちが この国のことをとても大切に想っていて
この国の為に 何か役に立つことができればとおっしゃっていました。
また人としてとても豊かなものを持った素晴らしい方たちでした。
そういう方たちを 在日というだけで差別するのは
この国にとって大きな損失のように思いました。
勿論 罪を犯す人たちは平等に罰しなければなりません。
被差別部落の人にしても 在日の人にしても おなじ国土に暮す住民です。
素晴らしい方も沢山いますし この国を愛している人も大勢います。
マイノリティーの側にも問題があることは充分承知しています。
育った環境や今までの経験を通して どちらかというとマイノリティーの強いところ
その力を悪用するのを多く見てきました。
それらは差別が生んだ弊害といえるのかどうか分かりませんが
正しい歴史認識が より良い未来に繋がれば良いですね。
サンカの人たちの素晴らしい生き方や文化が
歴史の闇に葬り去られるということに対しての
寂しい想いが一番強かったのかも知れません。
あまりレスになってなかったかも知れませんね。

はつせさん これまたあまりレスになっていませんが。
昔に読んだ 大阪の方の独立した大きな被差別部落に残された資料が本になったのがありました。
その中に 江戸時代では 被差別部落ではお寺を持つということは大変だったということと
鎮守社を持つのも 部落民にとっては大変なことであったと書いていたように思います。
そして自分たちの神社を持ったときに牛頭天王を祀り
やがてそれは八坂神社になったと書いていたと思います。
どういうところから牛頭天王を祀ることになったのかは書いていませんでした。
出雲大社では お参りする作法として 四拍手するというのも
なにか呪文っぽいですね。

はつせ <http://www.ne.jp/asahi/songshang/hatsuse/> - 2003/07/02(水) 00:41<

封印?呪文?

牛頭天皇とは八坂神社、素盞嗚神社の祭神、すなわちスサノヲです。地主貴神とはなんと読むか知らないのですが、大ナムチあるいはオオクニヌシのことでしょうか?注連縄は梅原猛氏が言うように出雲神社にとっては封印なのでしょうか?奇数を使うのは何かの呪文のような気がします。

通りすがり - 2003/07/01(火) 22:09<

注連(七五三)縄、奇数

管理人様、はじめまして。唐突で申し訳ありません。私の手元の資料にはこうあります。
「出雲の○×神社では地主貴神と牛頭天王を祭るが、その縁起書には『注連縄が垂れて
牛の角を形どる事は牛頭天王の象徴たり』という。」
とは申しましたが、歴史的解釈をどうこう加えても、抜本的解決に到らないように思え、
将来に渡って何も変わりがないようにも思え、自分自身に不甲斐なさを感じたりしております。
でわでわ。

ヤゾ− - 2003/07/01(火) 18:37<

なつかしいひと

みなさん こんばんわ

こうへいさん むかしの方が面白い変な人がいましたね。
ランパンという変わった人のお話しを読んで
南方熊楠がロンドン留学中に
やはり寒さをしのぐためにネコを飼っていたという話しを思い出しました。
なんでも抱いて寝ると掛布団が必要ないほど暖かいのだそうです。
それと 僕が小学生の頃に “つーたん”と呼ばれる
少し精薄の人がいたことを思い出しました。
毎日のように小学校のグランドの片隅に来ては
ただ突っ立って何を見るでもなく楽しそうにしていました。
年がら年中 同じ野球帽をかぶっていたのを覚えています。
そんな“つーたん”を見掛けると
みんな親しみを込めて“つーたん”と呼び掛けたものでした。
随分と体格の良い人でしたが 決して悪いことをするでもなく
ただボケ〜と突っ立っているだけの人でした。
そこから“つーたん”と呼ばれるようになったのかも知れません。
小学生の頃から二十五年ばかり経ってから 実家に帰省の際
小学校のグランドに突っ立ている“つーたん”を目撃したことがありましたが
当時と同じように野球帽をかぶり その姿にあまり違いがありませんでした。
まるで“つーたん”だけが年を取らないみたいな不思議な感じがして
とてもなつかしく思いました。
今だったら そういう人がいたら
過剰反応してすぐに警察に通報されたりするのかも知れません。
決して人に迷惑や危害を加えなくても
変な人だというだけで社会から排除してしまったら
世の中を貧しくさせるだけでなく
殺伐とさせてしまうのかも知れません。

こうへい - 2003/07/01(火) 10:43<

昔、山に住む人がいました

母方の実家は、別所でも一番上で、2軒だけ、下と随分離れてありました。ゴルフ場が来るまで、今の、海南ー金屋線の道路はなく、夏休みに遊びに行くにも細い急坂を登っていきました。
そこに、ごくたまに、山から下りてくる人がいました。
顔中ヒゲだらけで、厚手の黒っぽい衣類を身に付け、鎖か紐で、金属製の皿をぶらさげていました。背の高い人だった。いつも、恐そうな犬を連れていました。
上から、坂を下りてくるのを見つけると、ボクらは、ワー、ランパンやー・・と言って逃げました。家にやってくると、おばさんがお粥か飯を皿に入れてあげていました。
このまえ、願成寺の向かいのピザ屋さんの前で、おじさんと話していて、その話が出たんですが、
着てるものも、体も実に清潔だったそうで、鏡石山の山中と、願成寺の向かいの山に、小屋を持っていたそうです。川のそばではなく、山の中。
犬を連れているのは、冬寒いので、抱いて寝るのためだそうです。
どこから来た人かは、誰も知らないそうで、40歳位だったような気がする。
何者かは、知らないけど、未だに思い出す、印象に残る人物でした。
ランパンは、残飯からきた呼び名というのは、ボクとおじさんの共通の意見でした。

こうへい - 2003/06/30(月) 19:48<

不動明王

ヤゾーさん、この前ガツロに行ったとき、車を置いた所があったでしょう。
あの、ちょっと下に「釜中の滝」があります。不動の滝とも呼ばれています。
不動明王が祀られていたと思います。ウインクしてたかどうか、覚えていません(^o^)
冬の寒中に水行者も訪れるそうですが、上流にゴルフ場の砂防ダムがあり、そこの水は常に土色で、滝も水垢で汚れています。ちょっと、滝に打たれる気がしません。
滝の上の、蒸炉火と白岩の水田(今ゴルフ場)は、昔の隠し田ではないか・・と、鳥居勝さんが書かれています。

縄文のビーナスは、国宝になっていますが、縄文時代の傑作ですね。素晴らしいです。
ナイスタイミングさん、楽しみにしています(^o^)

ヤゾー - 2003/06/30(月) 19:01<

片目の不動明王

みなさん こんばんわ

こうへいさん  不動明王は天目一筒神を投影しているというか
共通したものを感じるのですが(焔の中の不動明王が片目をつむっているのがあったりします)
確か釜中に不動の滝とかいう修験の行場がありませんでしたか?

はつせさん 権力者というか為政者にとって
労働力は何よりも重要だったのかも知れませんね。
堺市の百舌鳥古墳群 特に仁徳陵などを見る度に思います。

△うぶさん 大きなお尻の女の人の土偶
確か縄文のビーナスとかいう土偶がありましたね。
大地母神といった感じでしょうか。
どこかイザナミとも重なりますが 
そのイザナミを想って泣いたのがスサノオ(朱砂の王)でした。 

ナイスタイミングさん  兵庫・三重・滋賀には
天目一筒神を祀る神社が多いと何かで読んだ覚えがあります。
是非 帰省して面白いものを見付けてきて下さい。

ナイスタイミング - 2003/06/30(月) 17:23<

帰省しようかな

ヤゾーさん、こうへいさん、こんにちは。

》具体的な話が残っていて、面白そうですね。

ありがとうございます。伊勢堂という字も近くにあり、鉱山開発に随分と
伊勢の人が関係しているようです。(送り込まれている?)父のフィールドワーク
に一役と思いまして、作品社刊の八切・野史辞典を宅配便で送りました。

》タタラといいヤマセといい

ヤナセだそうです。(^^;)(梁瀬、柳瀬?)

》 反りのない刀は古代からの刀かも知れませんし

その家の長兄の方が東京に持っていってしまったそうで、見られないとのこと。
まさか1000年前の刀とも思えません。片刃か両刃か今度聞いてみます。


△うぶさん、こんにちは。

》資料が豊富ですね。この夏も何度か通過予定です。新しい発見の投稿期待します。

ありがとうございます。
伊多波武助は山師から千石の武士にとりたてられたとの説があります。
http://www.akita.mmd.ntt-east.co.jp/ro/kaido/dai2/tasiro/iwa/busuke1.html

伊能忠敬の測量を記念した伊能ウォークというイベントに伊勢から参加の方から
「こちらに私どものほうから来た人の屋敷があったそうですが、どこですか?」と
聞かれ、父が「こちらです」と案内したそうです。

近隣に天照大神を祭った神社、八幡神社あり。
伊多波姓は近隣(約8kmほど離れた地域)にある程度の戸数があるようです。

こうへい - 2003/06/29(日) 08:24<

津呂

△うぶ さん、津呂だけみると、海辺、漁港の名前にありますね。蓑津呂は、山里ですけど。
はつせさん、悲しい話がよけい哀しくなりますね。

△うぶ - 2003/06/29(日) 02:01<
こうへいさん>済みませんでした、近所にお住まいだからすぐに分かると思っていまして
詳しく言わなかったです、蓑津呂。 金屋に津呂姓が有るみたいです。
「神農氏嘗百草,軒轅氏製衣冠,倉頡氏造文字,伶倫造津呂,從此制禮作樂。世界文明
大備 ... 」  或るHPにこの文章を見つけました、(津呂)が出てきますがまだ分かりません。
とんちゃん>僕もそのHP見ました、以前から興味有ったのですが、既に調べて詳しい人が居ますね。
情報少なくて、はっきりしない{賀茂、加茂、鴨}族が抜けてるような気がしますが。
ナイスタイミングさん>多気郡は良く通過します(伊勢志摩方面への抜け道として)。宮川筋は民俗
資料が豊富ですね。この夏も何度か通過予定です。新しい発見の投稿期待します。
知り合いに旗瀬と言う人がいます。旗の上に竹冠が付いています(漢字出なかった)。
ヤゾーさん>大きいケツ、オケツ、で豊ぎょうの神ですよね、コロ(糞)を良く垂れるから製鉄神(?)。
7月第二週はいよいよスサノオの祭り祇園祭りです、今年も京都以外の某地の祇園祭行く予定です、
原住系の匂いたっぷりの祭りです。、、、、、、、、、現代のオオゲツ姫も好きです(豊ぎょうダヨ)。

はつせ - 2003/06/29(日) 01:10<

RE:裏

>むやみに殺さなかったというのは、労働力が減り、年貢が減る・・と言うことはしなかったと・・
 こうへいさん、その通りです。戦国期の記録(「言継卿公記」でしたか・・・公家の領地経営の記録)には、村に領主や僧兵(例えば根来寺)が襲ってきて年貢の代わりに人質を取り、そのために名主・肝煎は将来の収穫を質に交渉に走り回ったとあります。殺すくらいなら奴隷にしたでしょう。労働力は人口の少なく産業もないこの頃には今の何倍も重要だったと思います。

こうへい - 2003/06/28(土) 23:48<

勘違い

>釜中の南麓 吉備町に祇園神社が二つあります。祭神の牛頭天王(スサノオ)は産鉄民の神でもあり河童の親分でもあるみたいです。
あれま、そんな所にもあったんですか。吉備って、出雲と並んで、産鉄の土地ですよね。あっちの吉備と、有田の吉備は関係あると思っていましたが。鉄資源の乏しかった紀州から、吉備に砂鉄を買いに通ったらしいですね?

ヤゾーさん、記憶いいですね・・箕の話覚えてましたか。
実は、奥さんが作ったのは、箕に載っていたビワや野菜の方で、箕は、エベッサンでもらったやつだったんですよ。奥さんと話がかみ合わず、ビワなんか持つまで本物と疑いませんでした。
ボクが指さして、箕のつもりで、これと言ったのを、おじさんは、載ってる果物、野菜と思ったんですね。それにしても、サクランボなんか、食えそうでした。発泡スチロールと粘度で作ってるらしいけど・・・・ドーモスイマセン

こうへい - 2003/06/28(土) 23:10<

うーん、やはりそう思われますか。徳川時代はじめ、紀ノ川筋の打田町に、お上から材木の供出の命令があり、和泉山系は崩れやすく、代々、木や竹の伐採を禁じていたので、先祖からの掟を守り、断ったところ、翌年の秋、突然検地があり、査定が2倍になり、年貢も倍になったという話があります。恨みによるいやがらせ?
この里も、単純に、ばあさんが殺され、年貢を倍にされた・・というなら、殿も納得すると思うのですが。
ばあさん身代わり論では、、姥明神を祀った意味が、感謝から罪滅ぼしに変わってしまいますね。
人を、むやみに殺さなかったというのは、労働力が減り、年貢が減る・・と言うことはしなかったと、いうことなんでしょうか?

管理人ヤゾー - 2003/06/28(土) 22:31<

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みなさん こんばんわ

こうへいさん 箕の作り方を教わったというお話しですが
どういう方から習ったのでしょうね。
小さな箕の写真 アップお願いします。
釜中の南麓 吉備町に祇園神社が二つあります。
祭神の牛頭天王(スサノオ)は産鉄民の神でもあり
河童の親分でもあるみたいです。
身近なところに 隠し田のような悲しい話しがあったなんて
よい勉強になりました。

△うぶさん 倭だつみ(河童)に限りなく近い神々として
前出の『闇の日本史』沢史生著には
オオゲツヒメ→トヨウケ神→ミケツ神→ウカ福神→弁天→稲荷が
根源では結ばれていて 河童に限りなく近い神々であるとあります。
また金山彦は鉱山神 天目一箇神は鍛冶神であり
統轄する神が金神(スサノオ)であると書かれていました。

はつせさん 相互リンクありがとうございました。
ご丁寧な説明文 痛み入ります。
今後とも よろしくお願いしますね。

とんちんかん小憎くん ワダツミ(海神)もヤマツミ(山神)も
もとは同一神であったといいますから

ナイスタイミングさん タタラといいヤマセといい
それに何かの番人の家に伝えられていたという反りのない刀といい 
とても興味深いお話ですね。
反りのない刀は古代からの刀かも知れませんし
もしかしたらウメガイなのかも知れませんね。

七五三縄・注連縄と書く“しめなわ”ですが
出雲大社の大きな七五三縄は有名ですね。
熊野本宮大社にも大きな七五三縄が張ってあります。
三輪神社や諏訪大社にも大きな七五三縄が張ってありますが
伊勢神社には七五三縄が無いのだそうです。
そういえば伊勢神宮へお参りに行ったときに七五三縄を張っているのを見かけませんでした。
七五三縄には 呪縛するという意味もあるのかも知れません。
七五三縄は雌雄のヘビが交尾をしている姿からきているという話しもありますが
どこか縄文的な色彩が強いような気もします。


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