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2002年11月30日(土)17時30分までのKumanolifeGuestbookへの書き込みです。


△うぶ - 2002/11/30(土) 00:43<
蜜柑さん、あおきさん、レス有難うございます。

「海窩」の言葉は確かに存在するみたいです、何かで昔読んだ覚えが。しかし「家船」が
それなのかどうかは知りません。無理に結びつける気は毛頭ありませんし細心の注意が
必要です。単に単語しか知りません。昔の百科事典あたりには載っているかも知れません。

家船の件は最近少々読みました。陸地へ嫁ついだ娘さんが夜、天井の板が気になって
眠れなかった、、、、、との逸話も有ります。
中国南部沿岸(香港、福建、台湾)の「蛋」民と同系のはずです。同じ家船生活です。
日本では綿津見系海人と系統付けされています。今興味を持っています。
あおきさん写真撮れたらUPお願いします、しかし、現地でもUPでも、
くれぐれもプライバシー侵害をしないように注意してお願いします。

下に書き込んだ文章は単なる一考察ですので、ミスや誤解や間違いもあるかも知れません、
一個人意見程度にしておいて下さい。

あおき - 2002/11/29(金) 08:02<

家船いましたよ

僕の実家は広島市宇品という港町で 瀬戸内沿岸でした 元宇品にヨットハーバーがあり
高校時代に倶楽部でかよってました 湾には洗濯物を干した船がけっこういて 夫婦で船の中でテレビを見たりしてました その当時は“へー船の中で暮らしてんだ”と普通に考えてました
それが家船とはしりませんでした 正月実家に帰るので写真とってきます 今でもいると思いますよ
あと砂利採掘船とか似島にたくさんいたり 山田洋二が映画にしたりしてました 前田吟や倍賞千恵子が出てました 

蜜柑 - 2002/11/29(金) 05:57<

海窩

すばらしい!
海窩とは。いたのかな?
海の漂白民は瀬戸内海を中心にいました。写真集もあるよ。
タイトル忘れたけど、図書館で見ました。
海の漂白民の子供達のために寄宿舎が作られて、両親が海で漂泊している間、学校に通っていた。
でも、「海窩」という名称ではなかった。

「家舟」「家船」というキーワードで調べてみてください。

サンカ同様、「家舟」出身者の著名人もいます。たくましく生きてるよ。

つげ義春も「家舟」のことを素晴らしい漫画に書いてます。

以上、知っていること全てです。

△うぶ - 2002/11/29(金) 02:16<

なんとか生きています

異議有り!
「原住民が弥生人に強制的に山中へ追いやられた、、、、、」論ですが、私は異論です。
勢力関係だけでは無く、経済論理(=食料事情)も重要だと思う。縄文人も多少の耕作はしたと思います(陸稲か粟稗の類)、
海上から渡来した原住民、初期には海辺で漁労と畑作、中期には山中の川沿いや湖沼での漁労と畑作、晩期には完全に山中へ入り焼畑狩猟生活。ではなぜ平野に住まなかったか?、、
水稲耕作が伝来するまでは少量(=自前分)生産だった、
つまり、少量しか生産できなかった穀類では交易できないので、いくら自前分だけ穀類生産出来ても副食が手に入らない、いずれの地で生活するにも主食と副食が必要、当時それが満たされるのは水辺か山中だけだったからと思う、
食料事情ゆえ平野には住めなかった、との説です。自発的に平野を通り越して即、山へ入ったと思います。後々山中にも交易経済が浸透して来て、木地師や金属精錬師や竹細工箕作りが出現したと思います。
当然多くの原住民は水辺にも住み留まっています。ポッカリ空いていた平野部へ弥生人が入り込み、交易経済を駆使して繁栄増加したと思います。    
海彦山彦がいるのに原彦がいない、、、、、は冗談ですが。
蝦夷が狩猟民と言われる所以はここにも存在すると思う、当然ユーラシア大陸北部では稲作出来ない事もありますが、しかし彼らも渡来当時は一時的にしろ漁労民だったのではないかと思う。

別所として区別差別された所以は、狩猟的本性と製鉄精錬技術を採用されると同時にその威力を恐れるあまり「封じ」られたからでしょう。役立って欲しいが凌駕されても困る、、、、
というところでしょう。

ところで、「山窩」と同時に「海窩」の単語も存在する(した?)のですが、その差異が知りたいです。

とんちんかん小僧 - 2002/11/29(金) 00:15<

申し訳無い事

二日前になりますが、あるモノを捜していまして、あるトラップに引っ掛かり、ウイルスに犯されてしまいました。PC、今週中には必ず復旧・復帰しますのでレス暫しお待ち下さい。Donglyさん、紋次郎さん、皆さん迷惑をかけまして誠に申し訳ないです。

ヤゾ− - 2002/11/28(木) 19:05<

白山と白丁

みなさん こんばんわ

桐生 慎さん 紋次郎さん *(*..*):*nglyさん とんちんかん小僧さん
白山信仰と別所について 『史疑 徳川家康事蹟』の村岡素一郎の孫で
八切止夫氏の友人でもあった直木賞作家の榛葉英治氏の『異説 徳川家康』の中に面白いことが書かれています。
過去の掲示板から抜粋してみました。
蜜柑さんが紹介してくれた『鳴けない山鳥の詩』にも
白山信仰について興味深いことが書かれていたように思います。

昔から「散所」もしくは「別所」といわれる地域に住む民は、古い時代に、農耕を主として仏教を信じた文化的な種族のために、
山中に追いやられた先住の種族で、狩猟や山仕事を主にして、白山を信仰する神徒系である。
田畑を耕す民に使われ、差別された人たちで、住む土地は「別所」として区別された。
竹細工の簓などを作って売ったので、「ささら者」とも呼ばれた。
源応尼とお大は、このささら者の一族であった。
「白山神社とはな。白山ヒメ命、菊理媛を祭神として祀る神社だよ。それだけなら、ふつうの神社だが、それとは違う。
隠された神社で、信仰するのは、別所とか散所に住んで差別される白山信徒さよ。おみゃあのお婆さまも、この系統だに・・・」
農耕をしない縄文文化の先住種族は、田畑を耕す弥生文化の種族に抑圧されて、山に追いやられた。
彼らの住むところは、別所、散所などといわれて差別されるようになった。
日本の原住民は神話以前の「国津神」すなわち白山を信仰し、農耕して平地に住む文化族は「天津神」を信仰し、
大化の改新以後は伝来した仏教が勢力を占めるようになった・・・

確かに 白山神社は非農耕系の人たちの村に多いような気がします。
神社の氏子が祭などのときに着る白装束のことを白丁というようですが
律令制で 諸国から徴されて神社などの雑務に従った無位無官の者も白丁と呼ばれていたようです。
また 朝鮮半島の被差別民に白丁と呼ばれる人たちがいるそうですが
竹細工を作り漂泊の生活を営んでいたともいい
日本のサンカの人たちと共通したものを感じさせます。
倭寇のときには 済州島などを含む現地勢力の参加があったといわれていますが
半島の賤民である白丁も参加していたということも研究されているみたいです。
高麗時代に「我々も倭人である」として
白丁と呼ばれる人たちが契丹軍と共に高麗と戦ったともいわれているようです。
白山信仰と朝鮮半島の白丁は なにか関係があるのでしょうか?

*(@..@)*ngly - 2002/11/28(木) 00:24<

もう一つ追加を

紋次郎さん
 カイト地名は何か?柳田國男が「カイトが分からねば日本は分から
ない」として池田末則(地名研究家)に課した宿題です(『地名の研究』)
 どこまで研究が進んだか不勉強で知りません。それより私の書いた唯一
の論文「カイト地名の字源的研究」(野史研究4号)が絶対のお勧めです
(不充分な点が多いので奨めたくないが)。
 野史ならではの論文で、これ以上の論文は余りでないでしょう。
 仲間にはこれ以上は書かないでと言われました。なぜなら
「生きてはおれないから」と言ってました。
 ただ私のこの方法論を真似るなら論文はいくらでも書けます。

*(@..@)*ngly - 2002/11/28(木) 00:13<

寒いし忙しい

紋次郎さん
 そういうわけで簡単に、別所を紹介します。別所を菊池山哉は
「エミシの牢獄」と言ってます。野史研究会女性会員の論文には
兵庫県千種町西部の別所について野史研究1号(1994)で

「『別』の古字(異字体)は八八(八を上下に重ねた漢字)であり、
火ー焼畑との結び付きが考えられる。『所』はところ、『府』はとじ
こめる、あつめる。『俘』は「とりこ・捕虜」とあり、別所・別府・
別俘・俘囚、これ皆同意であり、「どじこめられた民族の住む所」を
意味するようだ。「別所」の一般定義は、勧進聖が社寺の造営や修理
のための勧進を請け負ってさかんに各地を徘徊するようになるが・・・
・・・勧進聖のたむろする「別所」が成立するようになる。これが別所の
本質でなく、なぜ、どうしてそれらの場所が別所となったのか、それ
以前はどうであったのか、もう一歩も二歩も掘り下げて、野史の面から
挑戦・・・。「鷹の巣は隠された別所の地」−別所に関する一考察より。

 別所の定義ー勧進聖の屯する寺の地ーは柳田國男の説で部落史家も、相
変わらずこの説を踏襲しています(換言すれば研究が進んで居ない事か?)。
 野史研究会は菊池や八切説と同じで、別所・印内・散所・カイトの本質
を「当時の権力が強制的にある人達を囲いこんだ・封じ込めた地」としま
す。しかも実地調査で私達は確認します。言うまでもなく直接的には漢字
地名は中国語起源で、その方が政治的に明確な解釈ができます。
 例えば「印」の本義は「上から押さえ付ける」事ですし、「垣」は「周り
を取り囲む」の意味です。印内・院地・因内・陰地・垣外・柿内・改地・貝
戸・海渡・ケ市(五日市・廿日市)は、中国語として漢音・呉音に共通項が
あるし、政治的には同意です。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2002/11/27(水) 15:01<

平泉 藤原蝦夷の正体

あんぐりしゃん、辞書 と相談してみた……ら、ゲットーは ghetto と出ていました
が、これナニ語ですカネ。 gh など英語、ドイツ語じゃないみたい。
 ユダヤ人の場合は強制収容所ですが、アメリカ下町のゲットーは自然発生的な集落
みたいですね。
 別所ちゅうなぁナンですカネ。3年前訊いたがそのままじゃけぇの〜。辞書と相談
したけど、別ショ(ショは野の下に土)が別荘、別宅と出ていました。
 おらが知ってる別所は上田市内で温泉もある。たしか生島足島神社がある。
 ここが日本の中央じゃ言うて、地べたが御神体。ここも大地べったり派でんな。

 平泉の藤原さんは「わしら蝦夷じゃがね」と、三代続けて言いなすったとか。
 さてこの蝦夷を何と発音するかで、評価がガラリ変わる。
 エゾであれば安藤、安東につらなる遮光器土偶の童神文化だと、おれ惟ふ。
 だがエミシだと、中大兄皇子とともに大化の改新をやり遂げた中臣鎌足が、死後に
贈られた“藤原”姓を冠していて、蘇我エミシのエミシでもある。こうなると、あん
ぐりしゃんが大好きな“キシさん”と同格の支配階級ということになる。

 そもそもエミシとは……。エは中大兄皇子の“兄”であり、エデン語の *je(格上
の、尊敬すべき)を写した古代日本語です。エミシのミシは、さっき出た「箕子(キ
シ & ミシ)」でなくてナンだろう?

 み〜〜んな、少しでも良い身分になってラクしたかったんダワサ。
 世の中、時間が経つにしたがって、勝者の末裔よか敗者の末裔のほうが圧倒的多数
になるに決まってるヨ。そして言うことにゃ「おらの先祖は武士じゃった」。
 それでもやっぱり、キチガイのところには娘は嫁がせたくない。自分の子供だけは
良い身分の家柄の子供と結婚させ、姻戚関係を結びたがる。
 これ優性遺伝の法則たらめ……のっしィ(野っ史矣?)。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2002/11/27(水) 11:14<

黄色でも (紀の)くに造り のれそれ のれそれ 2(完) 

 古代シナには心霊がらみの偏執(文化)があります。ニルバーナ(涅槃)にはいれば誰でも
感受できることらしいのですが、それはトンナンシャーペーに出ています。東……青龍、南…
…赤雀、西……白虎、北……黒亀 です。
 これら青赤白黒の中央に置かれる色が黄色です。この“中央”が誤解されて、黄色は“地上
〜この世の一切”になり、皇帝、道士、僧侶の着物の色となって定着しました。
 しかしベトナム語 hien hien(顕現する) hien(濃い黄色)に残っているように、黄色とはこの世の意識をかなぐり捨てて到達できる心境……が、基本概念だったと想われます。

 サイババさんが言った「ひと皮(むく)」とはトンナンシャーペーのことでした。因みに青
は肉、赤は共産党や宗教のしゃべくり叡智、白はドッチラヶの経済、黒は情・ロマンの自然で
す(詳しくはおらの“価値観”で)。これらの皮を剥き捨てると黄色がでるというメカです。

 黄は平原ではフアング、呉音でクワゥですから、「キ」という発音は hien を中心に、エジ
プト発のキナ(蘆葦)などを母胎にして生まれたものでしょう。九州では「黄色い」をキナイ
と言いますし、また鬼無里もありました。標準語にも「キナくさい」が残っています。

 吉川英治描くところの三国志は黄布のランから始まります。
 国造りに“黄色”を旗じるしにするなんざは、ブタ・ニンゲンに真珠を与えるに等しく、理
想に走りすぎた思弁哲学です。
 でも、この傾向は日本列島に「日ノ川」となって、あちこちに残っているようです。ここで
は“日”を充て字していますが、この黄色勢力は白勢力に滅ぼされたため、黄をそのままナマ
で用いるのは、過去の敵対関係を再起させることなので、差し控えねばならなかったことと見
受けられます。
 出雲に見られるとおり、ヒは日や火を避けて「氷川、簸川、斐川」の文字を遣っています。
この主原因は敗戦でしょう。カワ(川)とは「 ka(の)wa(人)」という意味が起源です。

 理想郷をこの世に出現させようとする願いは、濃密に宗教的です。
 戦争・政争に敗れたとはいえ、その思い入れ強い理想郷を出現させようとしたのが、ゴトビ
キ岩をメッカにした“紀のくに”だったにちがいありません。

 “紀”の字義は「曲がって起き立つ」という意味です。曲がった……とは戦争・政争に負け
たことでしょう。紀のくにの枕ことばは「あさもよし」です。「あさ」は第一義的には“馬”
ですが、そこには「アカサ(黄)」という古代日本語が懸け言葉されていると診れます。

 アカサの ka が「の」だから、外されたのでしょう。アサモの MO は「くに」です。
 アサモヨシのヨシとは葦のことで、蘆葦を燃やして鉄を得るという遅れた製鉄法を言うので
しょうが、スクナヒコナ神が「住居(これがタジク語 sukunat)」とする柱を謂っています。
 蘆(ヨシ)というのは、葦(アシ)が「悪し」に通じるので、新しく造語されたものです。

 また、紀の読みは呉音で ko です。この ko には古代共通の XO(聖なる空虚)が内包され
ていると見るべきで、ここに「ほのくに(愛知方面)」との文化重層が察知されます。

*(*..*):*ngly - 2002/11/27(水) 11:09<

菊理姫・白山は別所

焼尻紋次郎さん
桐生さん
とんちんかん小僧さん
 別所ぬきには日本原住民が語れません。菊理姫=イザ波(女の方)と
してる所もあり、十一面観音と白山をセットにしてる地方もあります。
菊理姫=白山ひめが高句麗系とか白山は西域から新羅経由とかを歴史学
や民俗学ではいっていますが、奥州藤原氏(俘囚長安倍?)が白山に寄
進したように別所と関連のが強い。民俗学に蚕神(オシラさまの代用)
とか、地名の白峰なども白山の代りで山を崇拝する信仰があったようで
遥拝所や伝承が残ってるかもしれません。
 とんちんかん小僧さん
標高856mの高根山頂にある高根白山神社は、静岡県で最古の社。
祭神は、イザナギ命・イザナミ命・菊理姫命です。
 これこそ別所の証明のようなものです。近くに千手観音か十一面観音
があり当時の俘囚長の居住地かもしれません。うまくすれば古式と伝承
の豊かな被差別部落があるかもしれません。とにかくどんどん調べない
と老人が減り日本の歴史が失われています。
 寒いですが本を読むのは最小限にして外で調べて下さい。お願いです。
 別所は菊池山哉の研究が詳しいです。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2002/11/27(水) 10:56<

黄色でも(紀の)くに造り のれそれ のれそれ 1  

 桐生 慎さん、お教えに従って http://www5.ocn.ne.jp/~furindo/yawa1.html をぶっ叩い
てみました。
 なれど菊池さんが出てきてハヤチネ峰を喋っていましたばい。菊池さんはてめぇの名前(菊
池)とかハヤチネの語源なんざ、凡そ知っていなさらねぇらしいハンデ、草々に逃げてきました。

とんしゃん、あがあが。白山さんたちの殆どが菊理ヒメを祭っている……シ〜ラナンだ、知らな
んだ。でも、国造り……ドンピシャですねぇ。

 前の記入に、少し舌足らずがありました。
※ 紀記が「菊理」をどう発音しなさいと言うたかどうかは、関係ないことです。それを読む
人が「キク」と受け取ると、各派閥の統一を惟ふだろうし、ククと唱えると国と水と菊を連想
したことでしょう。朝鮮人が聞いたら「国と菊」だけでしょうネ。
 ところが、これをククリと発音するときには、まったく別の「剣を持って暴れまわる武力集
団の統一」を想ったことだろうと思います。このとき、菊の花びらは剣だった筈です。

※ 白山は初期日本人はシロヤマと発音していたことでしょう。山は土や岩が盛り上がった山
ではなく「人びとの集まり(N;jamat)」が基本概念だったと思います。
 日本語の「白い」は「イチジロシ(著)」という語彙に、最高にイチジロく出ているかと思
います。これはネパール語の jhilikka(閃光)や jhiljhil(明るい)jhilko(火花)に、更
にイチジロく出ています。
 しかし、「しろやま」のシロは“明るい”とはちょと違って、これは日本列島で各種氏族が
揉み合いの中で造語された「シロシメス(支配する)・ヒジリ(日・聖者)」系であるはずで
す。
 イラン・イラク戦争のとき、双方から発射された弾丸が飛び交う下にいたのがクルド人。
 そのクルド語に ZIRI(長老、叡智)があります。SIR というのが、もともと頭なんです。
 「岩頭」という考え方がありますが、これが北のほうにくっついたのが、sir-etok-o の
知床です。岩の頭が巨大な岬の先端にピョコンと出ているのです。シレトコは決して地の果て
ではありもはんのでアマカネ。

 脱線修復。白山とは「白(叡智・支配の O……男 or 神)の集会」と解釈するのか基本で、
その場所を山の上か、肩(丘とは山を人体に見立てての肩)に置いたのでしょう。

★ 小生が白とか黒とか言うのは、その偏執(文化)の中心概念の“極点”を、別のことばで
把握しやすくしているだけで、説明の方便のひとつと想っていただいて構いません。
 でも、当時の人びとに「あんた、白が好きか、黒が好きか」と訊いたら、明快な決断のもと
にどっちかを選んだはずです。

  漢音 bak(呉音 byak……白)のもとに、鴉を押しのけて hak(ベトナム語、朝鮮語で鶴)
が掲げられ国が造られました。これを推進させたのはシナにいたネパール語系と中央アジアか
ら南下したタジク語系の勢力ですが、そのひとつ前に黄色を掲げてケッケムクリ(豊後;いっ
しょけんめい)頑張ったのが南方の越系勢力……というところまで判ってきました。

とんちんかん小僧 - 2002/11/27(水) 10:30<

怪獣アシラ

ヤゾーさんのUPしてくれている「アシラ」見てしまいました。
滅茶苦茶怖い顔してる・・すごいモノを創造したもんだ。
ホンマにぞっとするほど怖いワァ、夜見なくてよかったです。

とんちんかん小僧 - 2002/11/27(水) 10:17<

みなさん、こんにちは!

ya(・ε^)naさん
>あるもので・・物を作ったり遊んだりする・・創造の世界・・なぜか今の子供たち・・
>いや大人たちでさえもなくしつつある・・こんな思いもあるんですよ・・そんな思いでUPしました・・
今現在の生きている人々が過去に忘れてきた大切なモノ(=創造の世界)なのですね。
そう言えば、私もあまり子供の頃に比べると、あるもので物を作ったり遊んだりすることが無くなってしまいました。
ただ、いつ実現するのか判らないですけど、常に頭の中では、ある創造の世界で頭が一杯です。

アシラって怪獣だったのね。葦で作った怪獣・・ウフフ、面白いなゴジラみたい。

>自然のこと、大切におもてくれるんとちゃいますやろか!
>大人は、子供の前でええパホーマンスせなあきませんよね・・
はい、僕もそう思います。自然の大切さを思えば、兵器の必要性の有無も世界の子供達に判ってもらえますし、戦争の空しさも判ってもらえるんちゃうかと僕は思っています。
そのためには、大人が態度に示して話し合いでの解決を呼びかける必要性があるように思えます。

桐生 慎さん
はじめまして。
私も、ふとした切っ掛けから菊理姫の名前を知りました。
その白山神社の静岡県藤枝市北部に位置する、標高856メートルの高根山の山頂付近にある高根白山神社は、静岡県では最古の神社だそうです。
祭神は、イザナギ命・イザナミ命・菊理姫命です。

紋次郎さん
どうやら、他の白山神社でも例外なしに菊理姫が祭神になっているようです。
ただ、この二つの組み合わせが何故密接に関わっているのかは、サッパリ判らないのです。

>「かまもの」のカマは龍派から抑えつけられた蛇(族)だろうと思います。大地べったり派です。
>「かまもの」のモノは“者”かもしれませんが、ここは“種類”と診ます。「へびの類い」です。
蛇の語源のご説明ありがとうございました。
大地べったり派・・思わず、ナマケモノ(動物です)を想像してしまいました。

>昔のシナの国“殷”の紂(チュウ)王のおじさんの箕子(キシ)は、その後、周国の王
>に迎えられて朝鮮に封じられたということです。

話の内容には関係はないですけど“殷”の紂(チュウ)王の関係者の古墳が見つかりましたね。とても興奮してしまいました。司馬遷の『史記』(前145?−前86?)の世界が本当にあった証しだったから余計に大興奮しちゃいました。

●朝鮮 (ちょうせん:chosen)

1)箕子朝鮮。周の初、箕子が建てたとされる国。少なくとも、秦末漢初には実在し、衛満によって滅ぼされた。
2)衛氏朝鮮。衛満が亡命先で朝鮮王準から国を奪って建国。漢の武帝によって滅ぼされた。
(HistoricalのHPよりhttp://www2.odn.ne.jp/~cbe66980/)

>金属精錬士は“黒”偏執でした。それに取って替わったのが“白”偏執。
“黒”偏執とは?“白”偏執とは?これってどういうもの(意味)なのか判らないので教えて下さい。

桐生 慎 <http://homepage2.nifty.com/musou-ann/> - 2002/11/26(火) 13:01<

レスありがとうございます。

 焼尻紋次郎さん、レスありがとうございます。
 白山と菊理姫の関係は私も上手くまとめられません。
 紋次郎さんの知識の豊富さに唖然としております。
 ククリ姫は太古の東南アジア圏で信仰された神なのかもしれません。

>>http://www5.ocn.ne.jp/~furindo/yawa1.html

 ここにククリ姫についての興味深い記述があります。
 ご参考になれば幸いです。

 ご主人様、レスありがとうございます。
 あいりん地区には私も良く行きます。
 良い人が多いのに何故? と思ってしまいますね。
 未熟者ですが、宜しくお願いします。

ヤゾー - 2002/11/25(月) 19:18<

エンジンと格闘するホームレスのおっちゃん

みなさん こんばんわ
金曜から用事で留守してました。
ヤナさん 今日山小屋に帰る途中にアシラを写してきました。
雨が降っていたので アシラは閉じ込められていましたが
画像掲示板へアップしました。

sabaさん はじめまして
こちらこそ よろしくお願いします。

これだけ内緒さん はじめまして
この可能性を秘めた国が 素晴らしい国になるように頑張って下さい。
今後とも よろしくお願いします。

桐生 慎さん はじめまして
白山信仰の菊理姫についてはいろんな説があって面白そうですね。
今後とも よろしくお願いします。 

親しい人が ボランティアで月に何度か 大阪のあいりん地区の公園で 
ホームレスの人たちに おにぎりやタオルなどを配っているので 
お願いして連れて行って貰い 少し手伝ってきました。
それから ホームレスのおっちゃんと話しをしたり
街をぶらついて 露店に並んだガラクタなどを見て廻ったりしました。
公園でホームレスのおっちゃんが一生懸命にエンジンをバラしていたので
おっちゃん これどうするん?と話しかけたところ
エンジンブロックには質の良いアルミを使っているので
余分なものを外して 売りに行くんやと
エンジンの部品に引っ付いたゴムを丁寧にドライバーで外しながら教えてくれました。
ところがクランクを外すのが 持っている道具では とても難儀するのだそうです。
完璧にアルミのブロックだけの状態にしたら1000円にはなるそうです。
しかし 余分なものが付いていたら二足三文にしかならないとのことでした。 
こないだV8気筒のエンジンを 見事アルミブロックだけにできたと嬉しそうに話してくれました。
そんなエンジンどうやって持ってくるのかと訊ねたところ
自転車に積んで持ってきたのだそうです。
もの凄い労力だと感心しました。
それにしても ホームレスの人たちは犬が好きなのか
公園内だけでなく いろんなところに犬がいました。
首輪に繋いでいるのもいれば 放し飼い状態の犬もたくさんいました。
どの犬たちも幸せそうな穏やかな顔をしていましたが
ホームレスの人たちは 自分たちの食べる貴重な食料を 犬と分け合っているのだと思いました。
ブルーシートで作った小屋の中で ネコを大切に飼っている人もたくさんいるそうです。
中にはホームレスのおっちゃんにお腹を撫でられている犬が
嬉しそうに足でおっちゃんのお腹を蹴飛ばしていて 
こらぁ〜蹴るなぁ〜と犬と楽しく戯れているのを見掛けて
思わず笑顔がこぼれて そのおっちゃんの顔を見たら
おっちゃんも笑顔で答えてくれました。
ちょっとヤバそうな顔をした人もいましたが
ほんとうに人間の良い 気持ちの良い人たちも多いように感じました。
これから寒くなり 過酷な生活だとは思いますが
なにか不思議な魅力を感じさせる街でした。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2002/11/25(月) 18:20<

のれそれ、のれそれ 国づくりの“菊・白” 

桐生 慎 さんアマカネ(これニューギニア高地石器時代人の挨拶、イミシンにして至便です)。

 ギエ‥‥、菊理・白山だってェ〜〜。そう聞いちゃスッこんではいられねぇ。
 そんなアホな‥‥と、お思いでしょうが、白山と菊理とはなにか密接な関係があるのでしょうか?
 ホンマ知りませんので、お教えください。
 ただし、おらは、ククリ、白・山に含まれている古代の意味はいささか‥‥です。

これらはシナ語とベトナム語で割れました(と、偏見独断です)。
 九十九里海岸に行くとやたら“白”がつく地名が目につきますよね。
 “百”から一ひいたら“白”ですよね。

 ベトナム語 khuk は野菊で cuc は菊です。ククノチ、タケノウチに含まれている「ノウチ」
は「水・国」です。形容詞後置形です。
 百はモモですよね。“MO”は一方では「くに」ですので、くにぐにがモモ(あちこちに群小
ポリス国家群だあったんでしょう)。
 
 朝鮮語の kukhwa は国の花という意味ですが、内実は菊の花(既述)。
 シナも南越(ベトナム)も朝鮮も、そして日本も、古代中東文化の風をうけて、国づくりに
忙しかったときに、これらの言葉ができて、現在に伝わっていたのでした。

 インドの通貨の数えかた‥‥50paisya で1MOHAR ,2MOHAR で1 RUPIA 。
 アイヌ語で rup は「沢山」。-HAR は複数とか表情をいいます。またネパール語では“百”は SAE。
 sae はまた幸せ。 sa1 は蒙古語で「良い」、ネパール語で sait は「吉兆」。
 それでさかんに古代には「五十」が顔をだしますよね。五十・五十が百の幸せ。

 くくは九九……八十一じゃないよ。「くく」とさせたには「くく(菊)」が絡んでいました。
  いや、タジク語系・大地と水の守り神「ぐく(蛙)」も噛んでいました。

 菊は多くの分派を統括するという意味があります。
 日本列島へさいしょに来た金属精錬士は“黒”偏執でした。それに取って替わったのが“白”偏執。
 どうも、うまく纏まりません。桐生 慎 さん、も少し上手に纏めていただけませんか?

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2002/11/25(月) 17:13<

かまもの と 福箕

  日本にやってきた名だたる蛇には *PEAM 系、nag系 MOR系と、それに SAR系があるようです。

 諏訪の御柱まつりのとき、人間が希望する樹木を柱(ご神体)として貰うときには、まずその樹
の幹にナギカマを打ち込んで祝詞を捧げます。
 ナギは蛇神で、カマも peam の変形した語形で XAM は開音(母音づけ)化したものと見受けます。
 で、ナギカマは、形容詞後置形で「へびのへび神」ぐらいの訳でいいでしょうか。もしかしたら
当時すでに「薙ぎ切る」刃物があったのかもしれません。
 いずれにしろ、このナギカマ打ちの儀式によって、ただの樹木が大地のまもりの蛇神の承諾をうけて、
集落を守る柱神へと変身するわけです。
 「かまもの」のカマは龍派から抑えつけられた蛇(族)だろうと思います。大地べったり派です。
 「かまもの」のモノは“者”かもしれませんが、ここは“種類”と診ます。「へびの類い」です。

 ところで……、福箕はなんと発音するのでしょうか? そういえば、mi も蛇でしたね。
 昔のシナの国“殷”の紂(チュウ)王のおじさんの箕子(キシ)は、その後、周国の王に迎えられ
て朝鮮に封じられたということです。
 キシといえばあんぐりしゃんの大キライな筈のキシ総理。百済でキシといえば王族です。
 この“箕”はシナ古音では ki∂g 〜 ki-tsi で、どこにも M など入り様もないのですが、なぜか
日本ではこれを“MI”と発音しました。そして意味は穀物を手で一種の「篩い〜風撰」する箕。

 この MI とはナンだろうと、追いかけてみたら、どうも朝鮮語の MIL(小麦)らしい。
 MIL といえば水車小屋の MIL だろうし、脱穀ということでひっかかります。
 しかも、そのまえはネパール語の MIL-(調節する)みたい。MIL はネパール語で工場。

 福箕さんが○・×△という発音なら、「金属精錬士(イフキ)のタクミ」と置きたいところです。
 み〜〜んな昔はいい思いをしてたんだべ。
 自分が凭りかかってるモノや組織や仲間が、そのうちなんとかしてくれるだろうと思いながら
時間が経ち、ハッと気がついたときには、イス(田畑)取りゲームに遅れを取った……のかナ?
 神官、貴族、武士だったかも。
 いずれにしても、昔日の優性遺伝の法則によって、シッカリしたものを受け継いでいらっしゃる。

桐生 慎 <http://homepage2.nifty.com/musou-ann/> - 2002/11/25(月) 16:59<

はじめまして

 はじめまして。
 桐生 慎と申します。
 白山の菊理姫追いかけてこのHPにたどりつきました。
 面白いHPですね。
 じくり読ませて頂きます。

ya(・ε^)na - 2002/11/24(日) 23:22<

すびばせんねぇ・・

しょうもないこと・・UPしました
アシラですね!!・・葦で作った怪獣でアシラやねんけども・・
 その作者さんがあまりにも、ユニーーークやったので・・!!
UPしました

あるもので・・物を作ったり遊んだりする・・創造の世界・・なぜか今の子供たち・・いや大人たちでさえもなくしつつある・・こんな思いもあるんですよ・・そんな思いでUPしました・・

そんなUPにも、donglyさんお答えいただき・・すみませんです!!

 自然が大切そんな思い、かたいばっかりでは、子供たち理解してくれません・・
  小川で網をふりまわしながら・・野山はしりながら・・そのこと感じてくれるんやと思います

子供の教育は親が率先しなあきません・・成功も失敗も・・
 親は危険以外静かに子供のこと・・口ださんとほっといた方がええのんでしょうね!!
ただ見せるだけ・・判断は・・子供の心から沸きあがってきたもんだけ・・

   もし間違った判断したとき・・もう一度も二度も見せる!!

そんなんもええのんちゃいますやろか!!

  イージス艦こっさえるよりも、油の回収船こっさえるほうが・・世界の子供たち
日本のこと絶対にええイメージもってくれるんとちゃうやろか?!
  自然のこと、大切におもてくれるんとちゃいますやろか!
  大人は、子供の前でええパホーマンスせなあきませんよね・・

          へんら へらへら・・・やなぎむし



とんちんかん小僧 - 2002/11/24(日) 22:21<

死語か?

NONさん
≫人間はボディ、マインド、スピリットから成る存在
良いキャッチフレーズですね。
私も近場であったら行きたいですが、何分遠方なんでごめんなさいね。
近場の方、奮って応募お願いします。

ya(・ε^)naさん
そう言えば、僕も仕事仲間から中辺路って町のことTVでやっていたって聞いていたのですが、アシラってアザラシの一種ですか?GAINAさんも夜も眠れずに答えを待っているかもしれないので、アシラについて早く教えて欲しいです。お願いします。

佐噌利と書いて「さそり」って読むんですね。
「さみそ」と読むのかと思い、一人で味噌の雑種かと想像していましたよ。

これだけ内緒さん
ということは、政治家の方ですよね?
やはり、どの世界にも居る可能性があるということですね。

*(*..*):*nglyさん
>1930年代の東京における細民の一つで、小屋住まいの乞食総称して【かまもの】の部類に入ります。
【さぶり】には、そういう意味が隠されていたのですね。言葉の一つ一つには、いろんな意味があるんですね。いつも、タダで勉強させて頂きありがとうございます。

>福箕という苗字
見た目での判断は良くないと思うんですけど、何故か最大級の幸せを運んでくれそうな苗字に思えました。サンカの作った箕って、どこかで今も販売されているんでしょうか?
実は、幾つか欲しいなと思っています。

こけももさん
>ところで何故いま生きているのかを知りたいのは何故?
“生”に対し、魅力の感じなくなることがあった時に、“死”が自分の近くに感じたために、そう考えたわけです。
実際問題、10代の頃に比べ未来に対して全てにおいて魅力を感じなくなっています。
それは、現実に直面してでの結果です。
本当に痛い思いをして死にたいとは、コレッぽっちも考えていません。自殺は現実逃避の最悪なパターンと考えていますから。
今は新たな仕事場で頑張っているところなので、気持ちの上で充実感で一杯一杯なので、全てのストレスが消え癒されています。忙しいけど、同年代の仲間と話していることに幸せを感じることができるからかなあと思っています。

>人と人との関係って、お互いが相手を理解し尊重し合いたい気持ちがあるかどうかで、
>いい関係が築けるかどうかが決まるんじゃないでしょうか?
そうだと思います。私も仕事場で今日初めて顔を合わせ話をする方が、3,4人いましたがこけももさんがおっしゃる通り、お互いが相手を理解し尊重する気持ちがあったから、直に話をすることができました。その反面、できない方は、やはり誰とも話し合いを持つ事ができないし、特定の友人もイナイみたいです。私のいる仕事場にも数人そういう方がいます。

あおきさん
>サンカの末裔はこの国のことを良くしようと真剣に政治にたずさわっているのか
僕もずっと気になっていることでした。果たして、日本国をより良い、元の経済大国に戻して頂けるのか、今の政治体制では不安だらけです。

>政治家はなにも生み出しません 人々が喜んで買ってくれる有用な物を隠れた英雄たちがこれから作って>行くことでしか日本の経済発展は無いと思います 
隠れた英雄・・田中さんのような方は、日本には沢山いるような気がします。日本人が誰も気づかない、スゴイ研究家ってかなり居そうに思います。憶測にすぎませんが・・


上記でも書いた仕事仲間と昼休みに話をしていると、R君(10代校半)がD子(10代半ば)にある写真を見られそうになって「お前みたいな、こわっぱに見せれるかー!」ってたんかを切ったのに対し、聞いていた僕等数人とD子は言い方が可笑しかったので大声で笑ってしまいました。
僕自身、20何年か生きてきて本でしかお目にかかったことのない言葉だったので、吃驚した反面、僕よりずっと若いのに「おっさん」やな〜と思いました。
皆さんは【こわっぱ】って言葉を過去に使ったことがありますか?

*(@。。@)*ngly - 2002/11/23(土) 23:56<

うっかりでした

これだけ内緒さん
 お仲間はどこにでもいます。ただ熊野ライフには箕作り・セブリツキ
ばかり追いかけていますが、大臣、国会議員、社長、平社員、スポーツ選手
、タレント、泥棒にもいれば県警本部長や警察庁にも多くのサンカ系がいま
す。ただ彼らに夢がないのでしょうか、相手にしてもらえません。
 でもノーベル賞受賞者にもいるかもしれません。
私の身近の若い娘達にもかなりいます(仕合せです)。彼女らは何も知り
ませんし、大学でも教えないでしょう(これ仕合せか?)。

ya(・ε^)naさん
 サソリですか?私がうっかり者でした。すみません。
 でもサソリは隠語でしょうか、意味があるのでしょう。
 ただ同じ地方に漢字は分かませんがサブリ地名があるそうです。昔
佐分(さぶり)信という俳優がいた記憶があります。
 サブリは小屋住い(セブリ含む)とドヤ住いの中間形態と柳田國男は
いってます。山住い、岩穴住い、神社・祠住い、寺の床下住い、舟住み
のサンカは分類していないようです。
 福箕という言葉が気に掛り手もとの電話帳を調べたら、立花町に福箕と
いう苗字がありました。ビ作り(驚き)です。

ya(・ε^)na - 2002/11/23(土) 22:24<

ヒャホー・・へっへへdonglyさん

こんばんわ・・donglyさん
 ヤナのしょうもない発言におこたえくださいまして・・ありがとうございました
発言には、気を付けねば!!
  すみません・・ヤナかってでしょ!!
そやのに、みなさん真剣に答えてくださる!!
ありがとうございます
  ヤナ決して悪気おません!!からその点だけでもご理解くださいね!!


  どんぐりさん・・サブリとちゃいます・・サソリです!!
 これは、地名なんですヨン
ヤナなかなか・・いろんなことまで理解できませんけども・・

  一生懸命・・努力します!!

     懲りずに・・おせーーーてくださいね!!

あおき - 2002/11/23(土) 18:39<

これだけ内緒さん

もっと僕もいろいろ知りたいです サンカの末裔はこの国のことを良くしようと真剣に政治にたずさわって
いるのか それとも自分の周りの人々に利益誘導することに躍起になっているのか?
確かに日本は不景気になりました でもこれは先進国になるにつれて起こる自然現象だと思います
かつてのイギリスがそうであったように・・・
日本の過去の好景気はすべてアメリカの戦争特需によって外的に起こったもので 自力で経済復興したとは思えません 今こそ本当の日本の力が試されるときで 先日ノーベル賞を獲った田中さんのような プロジェクトXにでてくる隠れた英雄たちが経済復興をするのが自然だと思います 政治家はなにも生み出しません 人々が喜んで買ってくれる有用な物を隠れた英雄たちがこれから作って行くことでしか日本の経済発展は無いと思います 

こけもも <http://www.ztv.ne.jp/yjqs3s63/kokemomoland/> - 2002/11/23(土) 11:38<

ヤゾーさん、初めまして。

ヤゾーさんは草刈り、そんな調子でも周りの人と上手くやっていけてるんですね。
僕の住んでいる土地の人も親しくなってしまえば親切なようですが、誰にでも親切という訳でなく、自分達の価値観に合う人だけに限られるようです。
仕事も地元の人との血縁関係の有無が大きく左右するようですし。

今仕事を通じて親しくなった人に声をかけていろいろ情報を募っているところです。
僕は熊野の自然が本当に大好きなので、周りに気を使うことなく伸び伸びと暮らせる場所を見つけたいと思っています。

>おおらかというか いい加減というか そんなところが気に入っています。

僕も車を修理してもらってすぐに支払いが出来なかった時、
「いつでもええよ」
と言ってくれたりしたことがありました。
反面、「周りの目を気にしながら暮らしている」という状況もあるように、僕には見えます。
何か、人と違う事をする事に抵抗を感じる人が多いように思うのですが。

kokemomo <http://www.ztv.ne.jp/yjqs3s63/kokemomoland/> - 2002/11/23(土) 11:25<

とんちんかん小僧 さん、初めまして。

>私の住んでいる場所も他の土地から住みついた人に対して風当たりが昔から強いです。

ここ以外にもそういう場所はあるんですね。
「草刈り」について自分の考えを説明したのですが、
何だか「逆らった」という風に受け取られてとても悲しいです。

ここはその昔銅山があり、罪人が集められて労働させられていたそうで、
戦時中はイギリス人の捕虜も銅山で働いていたようです。
よそ者に厳しいのも、そういった歴史の名残りかもしれない、
とか思います。

一度悪いレッテルを貼られるとそのレッテルだけを見て、
その人そのものを見ようとしない。
そういう人は沢山居るんだと改めて思い知りました。

太陽は照らす人を選んだりしない。
水だって飲む人を選んだりしないのに、人間ってどうして?
って思います。

>よく、何故いま生きているのかと考えることがあります。
>初めて生きていることに面倒になったのが10歳の頃で、今まで何度も自分の中で自問自答するのだけども答えが出ないのです。

その事については僕もものすごく考えました。
そして生きていることは面倒だとよく思います。
ところで何故いま生きているのかを知りたいのは何故?

>軽く言った言葉・気持ちのこもった言葉、様々な解釈の仕方によって良くも悪くも捕らえられる。
>決して、誤解のないよう発言したつもりが読み手により、深く傷つく方もいたり、

僕も最近土地の人とのすれ違いを経験したので同じような事を思っていました。

言葉でなく、ハードディスクのデータを転送するようにお互いの気持ちをそのまんまやり取りできれば、どんなに楽だろうな〜。
人と人との関係って、お互いが相手を理解し尊重し合いたい気持ちがあるかどうかで、
いい関係が築けるかどうかが決まるんじゃないでしょうか?
・・・僕の場合は土地の人は僕の暮らし方を理解したい気持ちがないようで、とても悲しいです。

*(*..*):*ngly - 2002/11/23(土) 11:18<

さぶりですか

ya(・ε^)naさん
1930年代の東京における細民の一つで、小屋住まいの乞食
総称して【かまもの】の部類に入ります。住居形態を下から
みれば、【るんぺん】>【おかん】>【さぶり】>【部屋者】>
【どや者】とあり、下位からは三位です。続巻にのせますが
サンカの場合は樹木間に紐でテントを吊るすので【せぶり】
よりも上位です。その他東京では「蒲鉾小屋」「ミノ小屋」
「掘立小屋」に住んだそうです。野史呼び名辞典p.421.
 高度成長に乗れなっかた地方都市には残っているかも。
被差別部落の”巾半間”の民家は見たことがあります。
金閣寺にまさる庶民の残したい文化財だと思います。
 職業は雇人夫・道路人夫・下駄歯入・あんま・菓子行商
・あめ売り・札売り焼き鳥屋・特許品外交・火災保険の
勧誘・などで、これらの老舗は重要かもしれません。

これだけ内緒 - 2002/11/23(土) 01:00<

サンカの末裔

サンカの末裔
議事堂で補正予算の討議しています。
インターネットでクマノライフの投稿読んだりもしています。蜜柑さんへ。

GAINA - 2002/11/23(土) 00:26<
こんばんは。

ヤナさん、アシラって何ですか?
よう判らんかったよって、お尋ねします。

ya(・ε^)na - 2002/11/23(土) 00:21<

PART2

佐噌利・・なる地名があります
 なんでも西宮エビスの福箕作りの里やったそうです

 丹波とも近いこの地・・・・
  
    大阪の今宮エビスの福箕は奈良のどこかやって聞いてます

  サンカ末裔は、いまでも箕作りや正月飾り作りしてはるんとちゃいますやろか??

ya(・ε^)na - 2002/11/23(土) 00:12<

あははははぁぁl

ヤゾー・・中辺路町にアシラおるんやてーーーぇ
  某TV番組でたった今やってました
 なかなかおもしろかったので・・一度確かめて来てください
自然の中やさかいに、こんなこと考えられてんねぇ・・
 本当に・・街中やったら考えられません・・

   あはっははは・・ヤナまたあほなこと・・UPしてしまいました

NON - 2002/11/23(土) 00:00<

ごめんなさいね。案内です。お近くの方へ。

主催者から転送を依頼されました。お近く(富山県)で,興味のある方是非!
百姓料理の案内です。

> 2002 12月 2日(月)「百姓屋敷わら」の船越さん来県!!
> ☆料理講習会 大地のエネルギーを体内に入れて命の
> エネルギーを高めるための料理の基本を解かり易く
> 楽しく指導頂けます。
>
> 13:30より 県民会館 6F料理室にて
> 会費 3,000円(定数有 申し込み要)
>
> ☆講演会「おいしく楽しくありがたく」
> 人間はボディ、マインド、スピリットから成る存在。それら
> を養う日常生活の様々な角度からのヒントが一杯!!
>> 12月2日(月) 18:30〜  富山 市民プラザ 4F ホール
> 入場料1,000円   
> お問い合せ パセリの森 Tel 076-420-2388 まで

とんちんかん小僧 - 2002/11/22(金) 23:24<

考えこと

sabaさん
はじめまして。
何か自分が日常的に感じた事、悩み事等なんでも書いてみても良いと思います。
ここにいる方々は私にとっても人生においての先輩ばかりですから。
今後ともよろしくお願いしますね。

蜜柑さん
お久し振りですね。

>サンカの末裔って、今何していると思いますか?

田舎の方で農家を営んでいるように思います。
そして時々、箕直しや竹細工の製作をして生活をしていると思います。
サンカの子孫は、まだまだ沢山生きておられると思います。

紋次郎さん

>* 皮をむくのは、他人(グル)ではなく、自分のこの手ではないでしょうか?

そうです。自分自身が子供から大人に成長するには、自分が己のために努力するように心がけなければ、幾ら身体だけが大人になったとしても精神(心)が子供のままで、危なっかしくて任したい事も不安を抱えながら任さざるを得ない。
普通かどうか判りかねるが、上記のような人物は、100%重要な責務を任されることはないだろう。努力次第で人は、「皮をむく」ことを何度だってできる。

奇妙なことを書くようですが、まさに今の私自身にも当てはまることでもあるのです。
本当にやりたい事は、もはや今の日本の状態では無理に近い・・。
とても未来に不安があります。でも、今できることを精一杯やることが今の私できることのすべてなので『今をどう生きる』かが当面の私のテーマです。

よく、何故いま生きているのかと考えることがあります。
自殺願望はコレッぽちもありませんが“死”についてよく考える機会があります。
初めて生きていることに面倒になったのが10歳の頃で、今まで何度も自分の中で自問自答するのだけども答えが出ないのです。そうこうするうちに“もう少し頑張って生きよう!”と自分に語りかけてあげることにしています。
話がごっちゃになってすみません。

軽く言った言葉・気持ちのこもった言葉、様々な解釈の仕方によって良くも悪くも捕らえられる。決して、誤解のないよう発言したつもりが読み手により、深く傷つく方もいたり、
その発言により疎遠になったりと互いの見えない世界でのやり取りというものは大変難しい。今、すごく悩んでいることです。そういう場合、話し合うしか道はないと思う・・でも、未熟な私の言葉・発言が全面的に悪いことは理解している。要は、自分自身が「一皮むける」ように自身を成長できるよう努力するしかない・・少しイバラの道を歩く必要性が出てきたようです。
悩み多き青年の話でした。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2002/11/22(金) 09:04<

自我現象 と アクロバット 

とんしゃん、言うちゃならねぇ質問したかな? おれが発した質問は有毒だったのでは?

 安保闘争のとき、自分(高橋稔)がけしかけた多くの学友が警棒で殴られたて痴呆に
なったり、自殺したのでした。負けておおやけ代表の権力からは犯人扱いされて、高橋稔
は「自分・責任」を純粋に追求したあげく、言語意識が展開している価値観というものを
バラし、まるごと捕らえることに成功しました。
 
 われわれの日常意識は世界観と「次(1〜4)を優先選択すること」で事物の本質を
(自分勝手に)捕らえ、いろんな必要判断に対処していますよネ。
1 肉の世界・意識・領域(慾)…… 眠気 食い気 色気
2 自然にかかわる世界・意識・領域(慾)…… 情 ロマン ふれあい 義理人情 ヤ
  オヨロズ 
3 叡智にかかわる世界・意識・領域(慾)…… 主義主張 論理体系 集団形成 組織
4 経済にかかわる世界・意識・領域(慾)……ゼニモ−ケ (消費だけは消極的経済)
 この1〜4の優先選択基準が多様化を示す価値観というシロモノでした。

 そんなもの(1〜4)じゃハナシにならん。グワバァ〜ッとかなぐり捨てっちまえ……
という声が、自分のどかからか上がってくる。どこだろうと捜してみたら、それは 0(ゼ
ロ)からだった。「0 = いのち」ね。

 サイババさんをインチキ呼ばわりするひとも大勢出てきましたが、そのサイババさんが
「人間はひと皮むけば、みな同じだ」といいました。
 なんと言ったか・ダウン症みたいなDNA異常で、剥け易い状況を呈している皮(1〜
4)を持って生まれた異常者(霊能者)もいます。

 * 皮(1〜4)むいたら病気がよくなった……草創期の創価学会。
 * 皮をむくのは、他人(グル)ではなく、自分のこの手ではないでしょうか?

 おらの枕頭には密教・仏教で修行した加藤喜八郎さんが遊びに来てくれて、二人でよく
ショウチュウを呑みます。共産主義が大好きです。H.Pあり。
 加藤喜八郎さんは群馬県上流の藤原湖の水を念波で浄化し、いま琵琶湖の水を念波で浄
化できるとハリキッています。
 病気治しなどのとき、まずナントカ観音様を呼び、続いてカントカお経を唱えます。す
るとあ〜〜ら不思議(本人がそういうのです)、願いが叶うそうです。
 加藤喜八郎さんはグルについて指導して貰って、霊性開発に磨きをかけました。

 でも、おらには、どうしてもアクロバットみたいに見えます。
 価値観については http://www.you-i.org/treebbs/3/ で、も少し詳しく。

 おれ? おらは神風特別攻撃隊ですじゃ。ズボラな選択ときた紋だ……かも。
 されど欣求“おまえ”、in 風(1〜4)。

蜜柑 - 2002/11/22(金) 05:04<

サンカの末裔

サンカの末裔って、今何していると思いますか?
僕は少し前までは浮浪者になっていると思って、上野や隅田川沿いのホームレス集落に詳しい人に「竹細工」「箕直し・箕つくり」の出来るホームレスっていますか?と聞きまくってました。
でも、皆「そんな奴知らん!」でした。
いったい何をしているのでしょう?
皆さん推理を働かせてください。


saba - 2002/11/21(木) 23:47<

おはつっす

はじめまして。ちょっとした縁でここの存在を知ったさばといいます。
よろしく〜

とんちんかん小僧 - 2002/11/21(木) 23:43<

一家に一冊、野史呼び名辞典。

紋次郎さん
>27代続いた秘法を(我流で)継承した……というのは解せません。
>また、我流を伴わないこの世界の開発なんて、ありえましょうか?

27代続いた秘法を全て完全に極めたのちに、それらを自己の中で古いものを削り落として、より判りやすいもの(=新鮮なもの)にしたという風に解釈した(=我流)と考えられないでしょうか。全く別なものへ転換させているわけではないと思います。
我流を伴わないこの世界の開発、今の私には、どういう風に答えていいかかなり考えてみたのですが答えが出てきませんでした。では、ありえないという理由をお聞かせ願えないでしょうか?質問を質問で返すことになって申し訳ないですが・・

>イタゴとイタコのちがい

フィリピン語のITAGO(降霊をする)がそのままの状態で日本でも同じような意味合いを持っているなんて、こんな事ってあるんですね。
今まで、紋次郎さんが教えて頂いていた事を総合して想像してみました。
日本って元々は太古の昔、世界の中心都市だったのかもしれないですね。
あくまで僕個人の考えですが。
でないと、今居る日本人の北や南によって異なる顔つきの違いについての説明が成り立たせるのは難しいと思いますので。

京さん
はじめまして。
管理人ヤゾーに代わり、管理代行をさせて頂いている者です。
ヤマガラを飼っていたなんてスゴイ羨ましい話ですね。
私も和歌山の中辺路町の山々でヤマガラを初めて見てから、ヤマガラのファンになりましたよ。スズメとは、また違う愛くるしさがあって大好きです。

*(@。。@)*nglyさん
以前、購入させて頂きました、野史呼び名辞典は僕にとっては今では<マイ・バイブル>です。いろいろと調べものがあったりしたら、いつも開くことのできるように机の近くの本立てに入れています。今現在の大げさかもしれないですけど、日本人が忘れてしまった記憶が詰まった大変貴重かつ重要な「言葉辞典」と私はとらえています。

ヤゾーさん、いろいろとすみませんでした。m(_ _) m 
なるべく自分自身で成し遂げれるように一層努力していきます。

tuyaさん
今年の異常な気象状態やこの先に来るであろう大地震の予兆ではないでしょうか。
いずれにしても、恐ろしい出来事の前触れかもしれませんね。

tuya - 2002/11/21(木) 19:12<

最近動物たちが変?

最近、山の動物たちの行動が変だという話をよく聞きます。イノシシや鹿が平年に比べ異常なほど里に出没するとか、普段めったに出くわさないような動物が現れた、とか。
私は先日、熊野地方にドライブに出かけましたが、一日に何頭ものタヌキの屍骸を見ました。車に轢かれているんです。生きて国道を歩いているタヌキもかなりいました。昼間です。今まであんなことはありませんでした。
一体何事だろうと思います。

ヤゾ− - 2002/11/21(木) 13:35<

ほんなこて!

みなさん こんにちわ

京さん はじめまして
ほんとうにヤマガラは好奇心が強くて 人をあまり怖がらない可愛い小鳥ですね。
ヤマガラとの触合いが とても生活に潤いをもたらしてくれているように思います。
良いヤマガラの写真が撮れたらアップしますね。
今後とも よろしくお願いします。

GAINAさん 原生林が残る森林公園を案内してくれる人はいません。
役場の案内書によると 遊歩道を歩く お薦めコースで約4時間だそうです。
その山を詳しく知る人によると 遊歩道だけを歩いただけでは本当の素晴らしさは分らないと言います。
公園面積が78ヘクタールあるそうですから 遊歩道のないときには迷う人もいたそうです。
平日でしたら おそらく誰も入山していないので ひとりで歩くのは気持ちよいですよ。

紋次郎さん カスタネダの本は何冊か読んだことがあります。
難解な本ではありましたが なかなか面白い本でした。
五木寛之さんの対談集の中にも 中沢真一氏とのやりとりの中で
なぜかサンカの話しのときに カスタネダのドンファンのことが出てきていました。
どこまでが本当の話しか分らないようなところがありますが 大きな力を持った本だったと思います。
我流こそが 最短・最善のこともあるのかもしれませんね。

*(@。。@)*nglyさん ほんとうにそうだと思います。
真実の歴史の上に この国の国体を築かなければならない 
ということが 何かの本に書かれていましたが 
そうしないと いつまで経っても 差別や逆差別がなくならないのかも知れませんね。
中・韓・朝の歴史教科書には 度を超した偏向教育による日本像の歪曲があるそうですが
東アジアの有志が集まって 共通の歴史を作るくらいでないと そろそろヤバそうな気もします。
野史呼び名辞典を拝見させていただいていると
この国の民衆が敗残者にたいして寛容だったり
敗者の美学を求めたりする判官びいき的な精神的風土がわかるような気がします。

昨日歩いてきた原生林の森の写真を熊野ライフ通信にアップしました。
写真だけで文章はありません。
最後の写真は 原生林が残る森林公園の尾根の向こうを写したものです。
原生林が残る森を歩いてきた後に 丸坊主にされた山の風景は考えさせられるものがありました。
ほんなこて!尾根の部分だけでも自然林に戻せばいいのにな。

*(@。。@)*ngly <http://www7.ocn.ne.jp/~iyasi> - 2002/11/21(木) 02:00<

宣伝させて

 皆さん紹介します。野史呼び名辞典。
 真実を知りたい子供さんと貴方、真実に近づいてあの世に行きたい人へ。
 この辞書を編集したお蔭で、専門以外は「何も知らなかった」私が「××さん
 は新聞にもエッセイを書く物識り・博学」との評判になりました。何と言っても
「分からない時は辞書をひく」ことですが、私の秘密もこの野史呼び名辞典です。
 「英語を上手になるには?」と英語の専門家に聞きましたら「髪の長い辞書を
連れて歩く事」とかわされました。髪の短い私の髪の長い辞書は今は野史呼び名
辞典だけです。カキコする時もちょっと見るだけで、知ったかぶりができます。

 自分の知りたい事がのってる辞書なんてありません。死語や廃語となってると
称して辞書にはのらないのです。しかし地名や苗字に見事に残って、元気で生き
てるではありませんか。しかも「美味しい」意味をたっぷり含ませて。

 貴方が知りたい事とは「日本人自体のこと」「貴方自身のこと」でしょう。
歴史学や民俗学は正面からこれに答えようとしませんでした。はっきりいうと
差別だとか人権だとかいって、「真実からも、自分からも逃げ出しています」。

 歴史のプロに「なぜ呼び名辞典を編集したのか?」という質問を10回以上
してきた人がいます。かつてこのような辞書がなく余程衝撃だったのでしょう。
 また日本原住民の歴史的実像を、空想や物語でなく呼び名を通して明確にし、
調査と地名で検証するという強い意思と信念は感じられたのでしょう。

 「地図で地名を観察すると近隣には類似地名はないが範囲を広げると全国に
似たような地名があり、巧妙に漢字を変えている」「中世史で賤民地名とされる
別所、散所、印内、垣外、穏地などは非常に多い」。従って地名は「政治、換言
すれば差別の産物」(この精神を欠如した民俗学は歴史学からもあえなく敗退
した)、「誰がそこに居住してるかを示す・筈だ」「地名の由来は人的な呼び名
であろう」「奈良や平安時代天皇家は地名用に呼び名マニュアルを作った筈だ」
「それを教育した証拠が職人歌合せなどである」と答えたと記憶します。
 古代天皇家の?地名作成用のマニュアルの再現が野史呼び名辞典です。

本当のことを直接発表できる時代ではありません。また再び闇の時代が来そう
です。偽りが支配したとしてもいつかはそれが亡びるという信念が味方です。
 百年、二百年先の長いレンジで研究成果をみていく積もりです。いつかは真
実を知る必要が出てくる。それまで得た民衆の文化財を子孫に残そう。
 これが野史呼び名辞典です。
 
 

- 2002/11/20(水) 18:58<

はじめまして

野鳥がすごく 好きで とくに ヤマガラ!
ずっーと昔、親父が 飼っていたそうです。 

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2002/11/20(水) 15:06<

訂正 と 質問 

 とんしゃん、カスタネダさんのとこ、ちょっと覗いただけです。すんません。
 小生が興味を覚えたのは「カスタ」が KAS(タジク語で人)ta(これも人〜神と
いう意味も)みたいだったからです。
 カスガの局。春日井など、古代日本語に出てくる KAS は出雲を制圧していたタ
ジク語系白人で、ghar は家柄なとをいうときの「家(人)」かと思います。
 タジク語での KAS は「ひと」ですが、その KAS が古代日本で喋られたときは
「ああ、あの人びと(貴人)のことか」と、なっていたのだと‥‥。

※ 小生は菊の語源に関してミスをしていましたので、訂正し、お詫びします。
  まず、小生は呉音の KIKU(菊)や、シナ音の KIOK(菊)を見落としていまし
  た。また、「鬼(キ)+ KUT(降霊神事)」への配慮は不要のことでした。
  しかし、このミスで小生の本名“生田”が割れました。
  永年捜していたんです。ここの BON 茣蓙のお蔭です。

※ イタゴとイタコのちがいを『ユー・アイ掲示板 2 言語篇 』
  http://www.you-i.org/treebbs/0/index.html に書きましたので、興味
  おありのかた、お読み頂きたいです。

※ ところでとんしゃん、我流で修行したカスタネダさんが、27代続いた秘法を
  (我流で)継承した……というのは解せません。
  また、我流を伴わないこの世界の開発なんて、ありえましょうか?
  印象で結構ですので、お聞かせください。

  我流でない、グルから教えてもらったやり方は、なんだか頼りにならないみた
  いな……。

とんちんかん小僧 - 2002/11/19(火) 23:28<

自然とのふれあい

ヤゾーさん
いいな、いいなー。

>大形動物の気配と物音がしたときには

実は忍者が森林で訓練中だったりして!?
でも原生林で横になり、鳥の声を真似るだけで、小鳥が集まってくるなんて想像するだけで興奮します。山々と一体化する心地よい“時”が刻めそうですね。
今度連れて行って下さいヨ!

GAINAさん
こんばんは。
今度、原生林に一緒に行けたら良いですね。
このまま緑が失われることないよう保存できたら幸いです。
最近ニュースで、山の木が減少してしまったために野生のシカが電車に跳ねられたりして死ぬような報道があったりして森林も泣いているように思えましたので、今ある自然を自然のままで保存できないだろうかと思っています。

まだ読んだことがない本ですけど『分離したリアリティ』『イクストランへの旅』の作者である、カルロス・カスタネダ(最近まで知らなかった・・)は、呪術師になるため俗世間から足を洗ったために彼の写真は発表されていないそうです。
何か取り止めの話ですみません。
自然を連想したら、カスタネダが浮かびましたので・・

カルロス・カスタネダについて書かれたサイトです。
http://www.sustainedaction.org/Japanese_pages/Japanese%20Pages.htm

GAINA - 2002/11/19(火) 22:20<
こんばんは。

ヤゾーさん、殆ど人が入っていない原生林は、熊野では貴重なものでしょうね。

大台ケ原も天空の回廊のように遊歩道ができて、
森やクマザサよりも先に目に飛び込んできます。
環境を維持するには、踏み荒らされないために遊歩道も必要なのでしょうが、
もうちょっとやり方がなかったのかと考えさせられます。
問題になっているのが判ります。

原生林は
役場で申請すれば、誰かが案内してくれるのでしょうか?
当日の当日では無理なのでしょうね?

ヤゾー - 2002/11/19(火) 20:31<

原生林の森を歩いてきました

みなさん こんばんわ
ここのところ レスがおろそかになり 申し訳ありません。

こけももさん はじめまして
草刈りですか とても耳が痛いです。
ぼくは草刈りに行く気はあったんです。
一度目は コロっと忘れてしまい行けませんでした。
二度目は 地元の人に夜釣りに誘われて 帰ってきたら草刈りは終わっていました。
三度目も 遠方から友達が釣りに誘いにきたので 泣く泣く(嘘つきました)すっぽかしました。
そんな ロクなもんではないのですが
近所のおばあさんは たまに畑でとれた野菜を持ってきてくれたりします。
ぼくが知りうる限りでは 熊野は排他的ではないところだと思います。
おおらかというか いい加減というか そんなところが気に入っています。
地元の人と 本当に親しくなれたら また別の顔が見えてくるのかもしれません。
借家を探すのも 土地を求めるのも 地元の人と親しくなることが一番のような気がします。

今日 地元役場が管理する森林公園を歩いてきました。
入山許可書を申請して ゲートの鍵を借りなければ入山できなくなっている山です。
ツガやモミが多く ブナは5%くらいですが
樹齢300年以上の大木も多く ほとんど原生林の状態を保っているといわれています。
しかし 訪れる人は殆どなく ひとりで行くと行ったら
熊が出るでぇ〜と 地元の人に脅されました。
途中 大形動物の気配と物音がしたときには
熊だったら これはクマったなぁ〜などと呑気な洒落を言ったりしながら歩きました。
ふかふかの落葉の絨毯の上に ごろんと仰向けになり ひと休みしたら 余りの気持ち良さに
熊が出てきても 別にいいや という気がするほど安らかな心境になれました。
小鳥の鳴き声を 口笛で真似て遊んでいたら
たくさんの小鳥が集まってきて ちょっと感動しました。
森林公園内の写真を 風の王国掲示板へアップしています。

とんちんかん小僧 - 2002/11/18(月) 23:01<

心配しなくていいですよ。

GAINAさん 
質問に答えて下さってありがとうございます。
菊理姫命についての解説及び白山・熊野神社についての話、面白いです。

>死者の国と関係が深い山の神・菊理姫命はイタコの先祖のような存在であるということです。

とても驚嘆しました。声が出ないくらいです。今度は、今現在もいるイタコが一体何時の時代から存在し、その女性らはどのような状況からイタコとして生きていくことになったのでしょうか?やはり山の民と密接な関わりもあったのでしょうか?

紋次郎さん おユキさん
僕には、何の権限も無いですから、削除はあり得ないことですよ。
面白いし、勉強にもなりましたから。
おユキさん、ホントお久し振りでございました。
ヤゾーさんも、もう暫く休養が続くと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

>21世紀初頭人の選択

はい、それが良いと思います。
国も然り・・かな。
どちらかしか選択肢は無いのですから。

>菊(ククノチ) と 刀(ククリ)
素晴らしい解説ありがとうございました。
とても勉強になりました。
スゴイ、凄すぎて「へ〜、ハァー、ホー」と、溜息しか出てきません。

にっちょさん
ホントすごいお久し振りでした。
もう暫く管理代行致しますので、よろしくお願いしますね。

>「家畜人ヤプー」

中学か高校時代に読んだことがあるような気がします。
訳の判らないタイトルでしたので覚えていますが、中味はスッカリ忘れました。
また手に取って読んで見ようかと思います。


まだこんな時間ですけど、もう睡魔が・・おやすみなさい。

GAINA - 2002/11/18(月) 18:50<

白山信仰

とんちゃん、
全国の白山神社が2717社と記しましたが、
ちなみに「熊野」と冠がつく全国の神社は、神社本庁によると2608社余り、
他に熊野権現を祀る神社に至っては、かなりの数に上るということです。
この数からみても白山信仰の裾野はかなり広いようです。

熊野比丘尼や鈴木姓に代表される熊野権現信仰の布教にみられるように
白山信仰にも修験道による全国行脚、比叡山延暦寺別院などの歴史があったようです。

ご参考までに・・・。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2002/11/18(月) 17:41<

菊(ククノチ) と 刀(ククリ) 

おユキさん、にっちょさん、常識を疑わせてすみません。
 でもそのうちノーヘル章が俟ってるかも……。

GAINAさん、とんさん、お役に立つかどうか……香焚きのつもりぞな。
* 古代語解釈では発音がちょっと違うと、アチャラカの意味を掴むことになります。
  こんかいは菊理という漢字とククルが出てきました。
  おらがおぼえていた発音は「ククリ・ヒメ」と「ククノチ・ヒメ」でしたので、
  あんまし自信はありません。
* おらがよく遣う金属精錬士ということばは、農民以外のすべての職業階層に適用で
  きる広い概念です。
  金属精錬士はもちろん窯から窯を渡り歩きますが、窯だけでなく城から城へ、ヤマ
  (鉱山、修行場……とにかく人びとが集まっている場所)からヤマへ渡り歩きます
  ので、金属精錬士たちが共有していた文化語はシマや国境を容易に越えて各地に伝
  播されます。
  仮に日本語が楚や越の地方で喋られていたものなら、南越(ベトナム語)も、かな
  り参考にできるわけです。

※ ヒメとは女性(姫)とは限らない……小生の根強いヤブニラミです。
※ ククリはヨミのくにから穢れいっぱいで逃げてきたスサノオにみそぎのしかたを教
  えましたよね。また、○○(またミョウナこと書くので……)の上には抜き身の刃
  物を置き悪魔祓いとしますよネ。KHUKURI は刀です(但し、ネパール語)。
※ 朝鮮語;KUKHUWA が国花、その内実は菊の花。……いつごろ、どのような経緯で
  これが朝鮮に定着したかは、要調査。
  ベトナム語;CUC(菊)+ NUOC(水・国)=ククノチ。
  ベトナム語は形容詞後置です。また KUK には国もありえます(シナ音は ku∂k)の
  でククノチは「水の国」とも解せられます。すなわちシキシマみたいな国。

 ここの推論ではなぜ KUK が KIKU に音転したか、その原因は何かを摘出提示する必要
がありますが、小生の力の及ぶところではありません。
 ただ、熊本県菊池郡が匂います。シナ音鬼(ku∂i)から出た「キ(鬼道)+KUT(朝
鮮語;神おろすしの巫女行事)」あたりではないか……が考えられます。
 このへん、あんぐりしゃんのほうが、ようけ知ってござろうばい。

★ 水源(MUL + A)は炉のトップ、ムラゲのように金属精錬士の“強執”です。
  ミクマリは「水・少女神」から。クマリを“配”と書くは後世の府会。サンカもさ
  かんに“配”を用いていますネ。
★ ヤーマはサンスクリット語で死人の神です。意味がわからなくなると、当るをさい
  わい“ことだま”で適応させるンです。

 いいこと(BENE)言う(DIKT)た、ベネディクトしゃん、なも。

にっちょ - 2002/11/18(月) 15:15<

私も・・おひさしぶりです。

熊野ライフの皆様お久しぶりでございます。
とんちゃん管理代行大変ですねがんばってね。忙しいヤゾーさんのサポート役に適任と思います。
永く掲示板も覗かずいたのでチェックがなんぎ(ヤゾーさん風)してます。

紋さんの書き込みで、昔読んだ変な小説を思い出しました、これは奇書の部類でしょうと思われます
書かれた方が不明で噂では法曹界の人ではないかと言われています。
「家畜人ヤプー」とかの題目と記憶します。はっきりいって頭のおかしくなりそうな内容でした。

なぜ私がこれを購読したのか今は少し理解します。
自分を含めた本質に近づきたくてうわべの自分から逃げたかったのではないかと思います。
この本の内容も書かれた方の隠された本質だったと思います。

話が横道にそれてしまいました取り留めのないお話で失礼いたしました。

おユキ - 2002/11/18(月) 12:55<

お久しぶりです

紋次郎さんのお話し、とても良いことが書かれているように感じています。
削除しないで下さいね。

ヤゾ−さん、お忙しいようですが、
無理して体を壊さないようにして下さいね。


焼尻紋次郎 - 2002/11/18(月) 07:52<

21世紀初頭人の選択 

ミナシャン、とかちんさん、ワァ〜るかった。適宜削除アマカネ。
 本人も大いに反省しています。MAPHI(許すこと)RA (強調末尾辞)〜ね。
 アレ……も少し突き詰めて下記のように「言わねばならないこと」になっちゃった。

 大きな概念になればなるほど、いろんな主要〜末節の附随概念を伴って成り立っているか
と思います。宗教とか神とか、自由だとか……それらが個のなかで結節するまでの推移を具
さに辿ろうとしたら、そのひとの「生い立ちから現在にいたるまで(睡眠中もさかんに概念
調節をやってるしィ)」と同じ時間がかかるのではないでしょうか。
 いっぽう、人間は「あんなもんだ、こんなもんだ」と、漠然さを纏った概念で処理してい
ます。しかもそれらが暮らしの中で定着してくると、錯覚を錯覚とも気付かなくなります。

 病気になって「コリャ・イカン、治りたい」と強力に願うとき、まず、普通の雑念を取っ
ぱらった状態を「眠っていないときに」作ってやったことが、功を奏した……と、言えるの
ではないでしょうか?
 すなわち、なんらかの形で健康むきでない錯覚状況が病気を作っていた。
 結核で死の寸前まで追い込まれていた娘さんの場合は、乗っかっていた板が一瞬のうちに
底うごきして、新品と取り替えられたようなことになったのでは?

 21世紀初頭人には、「それは神とかホトケの発動によるものだ」といえば、そういうこ
とにもなるし、「だからと言って、そんなもの神でもホトケでもないヨ」といえば、そうい
うことにもなる。
 おらは、ここには、できるだけ神とかホトケとか天などの概念は導入したくない。

 心臓が一つで、頭が二つあって、このままではその嬰児は数ヶ月後には死ぬことが明瞭な
奇形児を、どう神やホトケの名において「一方の頭」を取り払えるのか……。
 ここは21世紀初頭人らしく、悩みのうちに二者択一を敢行すべきだと直感します。

GAINA - 2002/11/18(月) 02:53<

菊理姫命について

こんばんは。
とんちゃん、菊理姫命について判っていることを簡単に・・・。

菊理姫命(別名・シラヤマヒメノカミ)。
日本書紀の一場面に少しだけ登場します。
黄泉の国から逃げ出そうとするイザナギとそれを追ってきたイザナミが黄泉平坂(よもつひらさか)で言い争い。そこに黄泉の国に通じる道の番人である黄泉守道者(よもつもりみちひと)と一緒に菊理姫命が現れてイザナギ、イザナミの言い分を聞いて執り成し、イザナギが黄泉の国から脱出できた。と記されています。
菊理姫命は古来より「いのちの親神」と崇敬されてきた女神ですが、一説に白山神はオオヤマヅミ神ではないかといわれ、その菊理姫命は山の神の神格を持ち、山は水源であることから農耕の神でもあるといわれます。

日本の民俗信仰では、山は先祖の霊が宿る他界であると考えられ、山の神は生活を守ってくれる神。
死者の国と関係が深い山の神・菊理姫命はイタコの先祖のような存在であるということです。

白山信仰の白山ヒメ神社の末社など系列神社は、2717社ということですが、
愛知・岐阜県のほとんどの市町村には白山神社が存在しています。

とんちんかん小僧 - 2002/11/17(日) 21:40<

食後はダメっすよ、グェグェグェ!

紋次郎さん
タンの話は・・食後は気持ち悪いっすよ。
キタナイ話と宗教の布教繋がり深いとは・・変な気分になってきました。

らむねさん
何かしら、色々な事柄が符合してきたら怖いものがありますが、ミクロの針にミクロの糸を通すような作業の中で、積もり積もった資料に何らかの繋がりが見えはじめてくると面白いですね。

>空海は2年の間行方が分からず

私も加藤精一氏の『弘法大師空海伝』、安達駿氏の『空海と心霊密教』において、6、7年の空白期間があると知りました。
それを学生時代に教授に質問したことがありましたが、満足のいく回答が得られませんでした。空海が『三教指帰(さんごうしいき)』を著作した797年〜804年の間の記録が、どの資料にも無かったように思います。
その間、山岳修行等をしていたとも言われているそうです。


尾根について結局自分の手で調べて見ました。
とても美しい景観でしたので、この二つのサイトご紹介します。

浅間尾根のHP
http://www.alternative-tourism.com/Japan/Mountaineering/Day_walks/Okutama/Sengenone.html

尾根路をゆくのHP
http://www6.airnet.ne.jp/ryotaro3/onemiti.html

少し前の中上健次さんの生涯についての番組のなかで私生児であった事の紹介があった時に後に小説の中でも書いたと言われていたのが、とても気になりました。ですが本の題名が判らなくて、とりあえず古書店に行って見たところ最初に手にした本がまさに求めていた本でした。吃驚したのと同時に一瞬誰も近く居なければ「やったぜ!」って大声で叫びたくなりましたよ。で、今『鳳仙花』を熟読しているところです。

質問があります。
↓に投稿した白山ヒメ神社の祭神の菊理姫命(別名:ククル姫)について教えて下さい。
ククルは、白山神社の祭りが九月九日にあるため、そう名づけられたそうです。
それと、白山神社は、2700社もあるそうです。これって多いのですか?
その白山神社総本部を中心に全国にまたがるネットワークを駆使して何か目的を持って行動していたと思われますが具体的な事等がお分かりでしたら何方か教えて下さい。調べていて不思議に思いましたので。

とんちんかん小僧 - 2002/11/17(日) 20:26<

最近、BoAの歌にハマッています。

らむねさん
僕もカニが大好きなんです。深夜、越前カニの事で、一人自分の世界に浸ってしまいました。何故か大岡越前守を連想してみたり、○○連隊とかいう兵隊さんが頭の中に浮かんでは消え、本物のカニは全く頭に浮かびませんでした。

烏帽子山の近くではありませんでしたが思い出しました。同じ静岡県の焼津市に、虚空蔵(こくうぞう)山(正式には当目(とうめ)山という)があります。それと同県の瀬戸川辺りにある、ビク石山は古代ピラミッドだったのではないかと言われているそうですね。
ビク石山の由来は、高さ10メートルの巨石で、魚を入れるビク、または比丘尼にたとえたものといわれているそうです。
また、烏帽子山と虚空蔵山は白山神社とも何らかの関係があるようです。

白山神社の総本山:白山比メ(口へんに羊)神社のHP
http://www.shirayama.or.jp/

紋次郎さん
勉強になります。シナの金持ちのところにいる娘の話って>仕事を与えてやっている」……のだそうです。
非人間的な事が、昔からあるのですね。気分が悪くなりました。
今もあるのかもしれませんが・・

ヤゾーさん
>“あがら”
そう言えば、祖母や母の姉がよく使っていたのを思い出しました。

*(@。。@)*nglyさん
「沢名の意味」についての一つ一つのご説明ありがとうございます。
たいへん、勉強になります。

あおきさん
>痰壺小僧というのがあって駅の痰壺をストローで吸うというギャグ
食前食後に読んでいたら、気分が悪くなりそうですね。
でも、龍宮の使いの顔を見るよりマシかも。

こけももさん
初めまして。
当掲示板にて、管理代理している者です。
私の住んでいる場所も他の土地から住みついた人に対して風当たりが昔から強いです。
多分、自分達が今まで築いてきた秩序みたいなモノがここでは全てだと誇示したいのだと思います。それで、喧嘩を繰り返して出て行かざるを得なかったことも度々ありました。

>そういう生き方が出来る場所、熊野にはないのでしょうか?
>もしそんな暮らしが出来る場所をご存知でしたらご紹介頂けないでしょうか?

管理人のヤゾーさんなら何らかの考えがあるかと思いますので、お待ち下さいませ。

―つづく。

らむね - 2002/11/17(日) 18:42<

こんばんわ

イシカミのような ジャイアントハートな方ばかりです。ハートは でっかいほうがいい!ということで 水の中の3本足の鳥居を少し 貼り付けさせて下さい。ここも調べていました。ヤゾーさんの 稲荷のことが出ましたので・・・水の中の赤い3本足の鳥居・・・・広島県宮島http://www.hiroshimacdas.or.jp/miyajima/jinja/annai/annai.htm イシカミと出ています。滋賀県の白髭神社 http://www.tatsu.ne.jp/spiritual/spot/shirahige/ ここは 猿田彦が祭神です。(空伝に出てくるノアの息子では?)
また木嶋神社の<池があり賀茂社の元の地ということで「元糺の池(もとただす)」と呼ばれる。池の中央に京都三鳥居の一つとされる石製三柱(みつはしら)鳥居がたつ。この三柱鳥居は日本で唯一のもので景教の影響を受けていると云われる。>
ヤゾーさん ありがとうございます!ここは 賀茂(かつらぎとも関わり?)一言主=イシカミ=土蜘蛛族=ヤマタイコクと つながっていて?よって 祭神に大国主が居るのではと思いました。それに景教というのは 空海と関わりがありますね。景教はキリスト教を含んだアラーの神で 空海は2年の間行方が分からず 景教を学んだのでは。。と書かれた本を読んでたことがあります。それで 空伝の情報ですが アラハバキ=アラー&ハバキ=流星=オニの想念を流すという意味と 出ていました。また こちらの情報にある渡来人であるノアの子孫を大和は封じ込めたと出ています。それで その霊を癒すために空海は 福井の若狭に寺を建てたと出ていました。これが つながると 空海が景教を学んだ謎が解けるように思いました。また 稲荷といえば 赤い鳥居ですが 以前イシカミとの関連も調べていました。神呪寺も山に向かって赤い鳥居がありました。(ソラジンとして封印したが 祟られると怖いので 寺の隅に祭った?)それで 荒○巾・荒墓・荒波婆キ・・・・・・まだ あったのですが あて字が多く忘れてしまいました^^:
<真名井神社も秦氏と関係が深いみたいです。熊野三山の奥宮 玉置神社には三柱神社という古い稲荷神社がありますがその稲荷信仰は秦氏と深い繋がりがあると言われています。確か島津家の氏神も稲荷神でしたね。>
↑ワクワクしてしまう情報ですね。島津家も稲荷・・・秦氏についても ハタという言葉の成り立ちからユダヤ関連と出ているサイトもありました。キリスト関連ですね。また ニュージーランド、コンウォール地方のキリスト教のクルスは何故か ○に十でした。テレビの取材の人も珍しいと言っていました。これを見てて 島津家の家紋に似てる!と思いました。この地方は 大きなストーンサークルがあるので有名で、ダウジングによって高い磁力があることが分かっています。。
<でこまわし”という人形遣いが来て なにやら面白げな“まじない”のようなことをしていたそうです>
このお話 興味深いものがありますね、また 口づてならではのものです。このような 不思議な神事は いろんなところに残ってるようですね。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2002/11/17(日) 15:23<

“そいつ”に名前をつけることができたら‥‥  

あおきさん、キッタねぇハナシをして申しわけねぇっす。
 とちかんさんが喜ぶようなハナシをお詫び旁々一発‥‥。
 
 これは実話です。創価学会草創期、いちばん偉い人は牧口さんといいましたカネ、二番
目あたりに偉かったのが、たしか戸田さん。
 牧口さんが「いちばんいいお経はホケキョウだ、病気とか困っている人にはナムミョウ
ホ−レンゲッキョを何ベンも唱えさせなさい」みたいなことを言うたを、印刷屋で忙し
かった戸田さんはなにか意味はわからんバッテン、そのまま信じて周辺のひとに「とにか
くナンミョウホウレンゲッキョを何ベンも唱えなさい」奨めてまわったんです。

 すると、効き目があるってんで、信者が2000名ぐらいになったとき、軍部がちょっ
かい出してきて、「戦争するには、仏教ではなく神道がいいので切り替えろ」と圧力をか
けてきたのでしたが、それに従わなかったので二人とも牢屋に入れられたのでした。
 戸田さんは、その牢屋に入れられて、やっとヒマになったので、そこで初めてホケキョ
ウを読んだそうです(読んだら、とても有り難たかったそうです)。

 するってぇと、どうなってるんですかねぇ。戸田さんさえ知らなかった「ホケキョ−」
の効き目が2000名に出たんです。
 病気や運まわりがよくなる仕掛けがノドの仕組みやナムミョウホ−レンゲッキョという
発音に含まれている……のかナ? アフリカのピグミー族が病気したときでもナムミョウ
ホ−レンゲッキョを喋り続けたら病気がよくなるんだろうか?

 これも実話で天理教の「ようぼく(布教活動家)」のハナシ。
 そのようぼくは、結核で死にそうな娘さんがいる家に何ベンも行くが、いつもケンもホ
ロロに追い払われていました。それでも行くので、アタマにきたオヤジさんが、「そんな
に病人の枕元で拝みたかったら、娘の吐いた痰がタン壺にたまっているので、そいつをお
まえが飲んだら、入室を許す」と告げたのでした。
 
 ようぼくは座敷に上がるなり、タン壺にたまっている液体をずるずるずると呑込んでし
まったのでした。
 それを見ていた結核患者の娘さんが「!!!ッ」と思った。いや、感じた。
 それからというものは、みるみる病状がよくなって完治した……ということです。

 2000名の患者さんや、この娘さんのどこにナニが起きたのでしょうか? そいつを
掴みだして“名詞”にできたら、人類は大きく飛躍にめぐまれるのではないでしょうか。

 あおきさん。すまねぇ。またキッタねぇこと書いっちゃった。おえオエおえ〜。

こけもも <http://www.ztv.ne.jp/yjqs3s63/kokemomoland/> - 2002/11/17(日) 15:01<

貸家を探しています。

初めまして。
僕は田舎で新しいライフスタイルを模索したくて相方と二人で3年前、京都から南牟婁郡紀和町に移り住んできました。

実は近々、今借りている家を出て行ってほしいと言われています。
原因は僕らが「草刈りをしない、自治会に参加しない」という暮らし方をし始めた事にあります。

自治活動は本来は、
「一人の力ではなかなか出来ない・・・でも実現すればみんなが喜ぶ事を、みんなでお金を出し合ったり共同で作業をして実現しよう!」
っていう目的で行うことになったものだと思うんです。
ですから「必要だ!」と思う人が参加すれば良いと僕は思った訳です。

で、僕らは活動内容を確認して、自分にとっては必要ないと感じたので参加しない事を選択しました。

その事が地域の人にとっては
「調和を乱し、周りに迷惑をかけている」
と言うのです。
で、「出て行ってもらうしかない」
と言う事になったのです。

草刈りや自治会の必要性を尋ねたのですが、必ずしも必要だという理由は見出せませんでした。

地元の人達は、僕らに自分達の価値観に合わせて暮らす事を要求して、
「言う通りに出来ないのなら出て行け」
という訳です。

いろんな価値観を持った人同士が共存して行く事はとても有効だという事、
画一的な価値観の中だけで暮らすと新しいアイデアや文化は生まれにくいという事
を説明したのですが、理解してもらえませんでした。

暮らしてみて分ったのですが、このエリアは血縁関係優先主義があるようで、新しく移り住んだ人は、周りに気を使って細心の注意を払いながらでなければ暮らして行けないようです。

僕達は本当にこの熊野の自然を愛し、敬意を表して暮らす事を望んで移り住んできました。
「草を雑草といって刈ることを止めろ」と言うつもりはありませんが、自分自身が本当に必要だと感じなければ草の1本でも刈る事に抵抗を感じるのです。

そういう生き方が出来る場所、熊野にはないのでしょうか?
もしそんな暮らしが出来る場所をご存知でしたらご紹介頂けないでしょうか?

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2002/11/17(日) 12:47<

当らんでも ハッケイヨ〜〜イ!!

あんぐりしゃん、挑戦された判断とその集積された資料……当る当らんもあるもんか。
現代最前線・第一級のレベルであること、紋ちゃんが太鼓判を捺しますばい。

 今んとこ、パシュトゥン語、ポナペ語、アラビア語など予定がつかえていますが、その
資料の元・『野史呼び名辞典』は読ませてもらいまっせ!
 日本語は筑紫でできて、王族の移動に伴って近畿から日本全国に広がったのでした。
 野史辞典になんぼボキャブラリーが掲載されていましょうか? それらはワカラン沢名・魚名
とともに筑紫の王族が動く以前の「各地の旧日本語」であること、これマチガイナシ。

 会話とはまさに“弁証法”の別名でありつったです。
 ヤゾー親分さン、BON 茣蓙の味しみじみですばい。

あおき - 2002/11/17(日) 00:14<

痰壺少女なんて・・・

そんな仕事してたらたちまち病気になってしまう うーそんな歴史があったんですねー
調べときます スネークマンショーで痰壺小僧というのがあって駅の痰壺をストローで吸うというギャグ
がありましたが 現実に似たような話があったとは・・・

*(@。。@)*ngly <http://www7.ocn.ne.jp/~iyasi> - 2002/11/16(土) 20:59<

当るも八卦

紋次郎さん
 正解かどうか責任は持てませんが「沢名の意味」について、これでは?
と思われる意味を提示します(出典はすべて野史呼び名辞典です)。
 ヨッタカ 酔っ払いでなく夜鷹の訛では?関東なら辻君の住地?です。
 コビツリ コビには子供の意味があり、調査ではコビソは目の不自由な
  人の住地があります。「媚び釣」なら私娼の縄張りですが。
 ゴッコ− ドモリ(口の不自由な人)の住地では?神篭・神籠とも書き
 「神のいた、神々しい場所」と解説したゴロ合わせした歴史家がいます。
 ワミ  私自身という地方があります。
 ソラアゲ ソラには上流の意がありますが、女陰の意味もあり私の希望
  は後者で考えたい。
 ヨケド  余慶という姓があります、この関連で余計奴かも。
 サッサヌキ サッサは葬式人夫の意味があります。
 スパッ  スバには妾の意味があります。男ならイタツキ(板
  付)・カマボコ(蒲鉾)といいます。
 ベットロク  ベットは寝台でなく別当で神主の意味があります。
 ゴザッ原  ゴザには乞食や病人の意味もあり。かかる人がいた所。
 ナダムロ  ナダは海辺の人、海人族。彼らの村がある所でしょうか。
 ドロミ  ドロミコミは事前に潜入して深夜に盗む者の意味です。
   もしかしたら稲荷をまつった泥棒集落が近くにあるかも。サンカ
  にもこの手の泥棒がいました。
 アンバ 1)老婆、2)馬鹿者などの意味があります。これは現地
  でアンバイよく確かられるでしょう。
 ク−ドン 宮殿からなら宮殿師という職人でしょうか。本人はやたら
  と「××御用」と威張ったり、近くに有力者の土地か山がある筈。
 ヤゴヒド 野虞(やご)は野番人です。なら野守りの住地。これも
  サンカに多い職種です。
 ヘイソン 平僧(ヘイソー)なら下級山伏に多い無学の僧の棲家。
 ビン 娘や幼女の意味もありますが見張巡査(江戸期は非人)か
 、貧乏人でしょうか。地蔵があったりして調べやすい筈です。
 シブトビラ シブトはシビトと同じ死人でビラは平の意味でしょう
  。焼場はなくても死に関連の地名や御棒などの痕跡がある筈です
  。別所からの伝統で六地蔵を置いている所が多いようです。
 デンポー 伝法者が語源。嘘吐きか、風来坊、薄ばか者、乱暴者か。
 ヒヨロシ ヒヨは1)日雇い、2)紀州でカリ川人足、3)紀州で
  木を伐採・集材・筏流・搬出する者。また4)鉱山の雑用掛り。
 ソウリンバ リンバは製材所・木挽場です。木挽の棲家か。
 トヤド浅間(頂) トヤといえばまず鳥屋で、鳥を捕まえる小屋や
  その番人。チョウシという地名に多い。また刑務所(留置場)の
  意味もあります。山頂き近くなら鳥屋でしょうか。サンカも多い
  地区です。岐阜県小坂町のサイトがよく出来ています。
 グンナリ 陰保の人ではなく足の不自由な人の住地。 
 マンナイ マンはあの「満」なら独身者の住地かもしれません。マン
   ナリの訛なら別の意味です。
 カカイ 居候の棲家。カカエの訛なら農業奴隷=農奴、小屋つき非人
  奉公、貧乏人の住地かも。××などの地名があるかもしれません。
  以上は候補の1つです。現地で条件や状況を調べて確認して下さい。
  確認されたらこっそり教えて下さい。

ヤゾー - 2002/11/16(土) 19:32<

失われゆく言葉

みなさん こんばんわ

紋次郎さん 痰壷の代わりを若い娘がしたなんて
インパクトのある話しでした。

*(@..@)*nglyさん 紋次郎さん 両先生のやりとり勉強になります。
子供の頃に ガラが悪いので使ってはいけませんよ
と 学校で注意された言葉がいくつかありました。
その中に 自分たちのことを“あがら”
自分のことを“うら”相手のことを“おんしゃ”というのがあったような気がします。

らむねさん 島津家も三本足の鳥居で有名な木嶋神社
また 真名井神社も秦氏と関係が深いみたいです。
熊野三山の奥宮 玉置神社には三柱神社という古い稲荷神社がありますが
その稲荷信仰は秦氏と深い繋がりがあると言われています。
確か島津家の氏神も稲荷神でしたね。

今日 漁師の家に生まれた人と世間話をしていたら
昭和40年代始めころまで 新船を海に降ろす祝い事のときなどには
“でこまわし”という人形遣いが来て なにやら面白げな“まじない”のようなことをしていたそうです。
どこから来ていたのだろうかとの問いに 奥(山の方)から歩いて来ていたのと違うやろか という話しでした。
なにか子供心に 不思議な光景として記憶に残っているとのことでした。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2002/11/16(土) 13:59<

 ♪ ヌモリ(野守り)は見ずや 君が袖振る  

 シナの金持ちダンナ様が碁を打っています。
 どっちかが、のどをガハハンと鳴らすと、脇にひかえていた小娘がつつつと寄ってきて
のどを鳴らしたダンナ様の顔の下で、くちをアングリ開けます。
 ダンナ様はその娘のくちへ ゲロッ・ペッ と痰を吐き出すそうです。
  ※ この場合の「ダン」はネパール語にみられる「感謝・財産→布施」ではなく、
    ベトナム語の「事業や経済で大成した人、大成する人」のダンだと思います。
  ※ アングはあちこちの極東語で「くち」です。
  ※ ダンナに言わせると「食えなくなっている小娘とその家族に仕事を与えてやって
    いる」……のだそうです。

 ♪ 野守り(ヌモリ)は見ずや 君が袖振る
 畑や田にはカラス、猪、鹿、兎、タヌキ、がやってきて荒らします。
 どこの発展途上国の街にも、なんにもしないでボ〜〜ッとつっ立っている人びとを見か
けます。
 こういう人びとを拉致してきて、逃げないように片足切って田畑の見張り(昼夜)に仕
立てあげたことは容易に想像できますね。太古の鉱山では、片足切りはまちがいなくあっ
たと思います。→ 一本足、柱(神)。
  ※ ベトナム語でも NU には野原と田畑の二様が認められます。
  ※ タヌキの語源……おらワカラン。あと、4〜5年待っちやっちおくんなせぇ。

ところで、あんぐりしゃん、あの渓流地名の群……5回ばかり注意して読みなおしたので
したが「ビクニ(沢)」が見当たらんとですがねぇ。ガハハ。
 こういう現象も文化(偏執)を推し進めるんでしょうなァ。

とんちんかん小僧 - 2002/11/16(土) 01:59<

奇妙な一日

らむねさん
全てのご紹介して下さったHP、すみずみまで見させてもらいました。
海神(かいじん)神社って長崎にあったんですね。
物珍しい感じが、まるで自分が浦島太郎になった気持ちで楽しく読ませて頂きました。
あ、でも和田津見神社の方は見ることは不可能でした。
だけど、らむねさんの撮影写真と丁寧な解説がありますので、いつの日か現地に行った時に生で観察しつつ、確認のための資料として使わせて頂きたいと思いますが良いでしょうか?三本柱についても、紋次郎さんの的確なご説明もありましたので、それに沿って自分の目で和田津見神社と向かい合いたいと考えています。

う〜ん、思い出せないのですが、確か「烏帽子山」の近くにもう一つ奇妙な名前の山があったように思うのですが・・思い出せないんですけど、何故か双方の山の形が私の頭の中にカラー写真で残されています。仏教系の仏の名前に近い山の名称なのですが、また思い出せたら書こうと思います。
それと昨日レス漏れがありました。
和田津見神社の画像のうちの一つに全体が白っぽい奇妙なカニがありましたが、あの辺りは海に近い場所ですか?木登りしているカニが妙に珍しく映りました。


========================================
*撤回するつもりは全く無いですが昨日の、和歌山弁の方言で私の発言に適切ではないものが含まれていて和歌山県民の方に、クマノライフ掲示板を読まれている方、投稿されている方に誤解を与えたことについて謝罪したいと思います。大変迷惑をおかけしました、すみません。

(話変わって)
朝方、自宅の電話に出ること五回、これは特に自分に関係無し。
だが午後、外出から戻ってからの五回は、私にとって大変良い電話内容でした。
内容は言えない内容で申し訳無いですけど、外出してから可笑しなことにツキが戻ってきました。
自分に皆に神に先祖に感謝したい。訳は言えないけど、ありがとう。
今とてもハッピーな気持ちです。

らむね <http://www.asukanet.gr.jp/umayado/zakkicho/mimeguri/mimeguri2.html> - 2002/11/15(金) 15:51<

いろいろ書きました

<奈良の吉野山も吉野山という山はなくて、吉野から大峰山に向かう方向に伸びる
いくつかの山を吉野山というようです。

吉野山ですね。吉野山は 昨日 空伝のサイトのホシさんも話題にされていました。吉野山という山は無く 連山となってるのですね。この吉野は以前 調べていましたが 古代には 池があったと出ていました。吉野の盆地辺りです。この周辺には信貴山(仏教に封印されてしまったと見ています)など聖徳太子が建てた寺などが 密集しています。また この辺りは 金魚の産地のようです。。意味は分かりませんが 気になりました。

三囲家との関わりが書かれてあります。全国の3本足の鳥居を集めたページ⇒ http://suzuki-t.hp.infoseek.co.jp/pdf/3hasira.pdf があったのですが 表示されなくなっていましたが 三囲家との関わりのことは そこにも書かれていました。このページの下にキリスト教のことが書かれていますが 以前 最近家宝が紹介されるという島津家の家紋もクルスで興味があるところですが 昨日の展示会に出てた家紋は菊でした。これと同じように家紋を隠した神社は 沢山ありますが真名井神社は 掘り起こした神紋は六ぼう星となってるそうです。
それと ↓こんなんなりましたけど・・・
マンナイ山・・・・マナイ・・・真名井 ヨッタカ・ヨサンノ・・・・ヨセミテ  ゴロブ滝・・・ゴロン・・・岩っぽいですね。ネコブ・・・ヤコブ   ウ・・・鵜(のつく名前・地名)・・・宇(のつく名前・地名)   ボッチ・・・デェダラボッチ・・・巨人・・・イシカミ    

とんちんかん小僧さん サイトを見て下さっているのですかっ!嬉しいです。
<あまり釣れなかったから、わけてあ。魚をスパッと切って、クードン(食べる)。
楽しそうでいいですね!タンシチューていうのもあったような・・・タンビョウ、シチュー
後 釣りといえば 原子力発電所の側の海水は 暖かいので そこには沢山の魚が集まると お聞きしました。入ってはいけない場所なので 実際には釣りたくてもムリのようですが(笑)そのせいとは 限りませんが クラゲなどが 巨大化してるようです。この記事を見ました。200gと2mのクラゲが発見されたそうで ここは福井の越前町なので 越前カニが打撃を受けるのでは・・と心配されていますが・・越前カニなんて 食べたこともないので 関係ないですが^^:でも カニは おいしいですよね。 http://www.asahi.com/science/news/K2002100700058.html この場所は 原子力発電所に近いのは近いです。
それと<わだつみを普通に変換ボタンを押すと『海神』となりますが、和田津見神社との関わりの中に海の神さまの話等あるのでしょうか?>

http://www.genbu.net/data/tusima/watatumi_title.htm ←和多都美神社です。
http://www.genbu.net/data/tusima/kaijin_title.htm ←海神神社です。どちらも 鵜茅草葺不合命が祭ってあって これは イシカミと思っています。 それまでの民衆の神と 後から 創作または支配した神の両方を祭ったのが神社なのではと思っています。また 私が行きました 和多都美神社は山の麓にありまして 頂上は 写真に撮っています「烏帽子山」です。この烏帽子岳とか山ですが これは アンテナの役目をしていた または 重力を調節していた?ものなのでは と思っています。まだ調査中です。イシカミは 宇宙いて座に帰るために 苦労していました。それに関連して 地球上では体が重く 海を泳いでいたイシカミも居ると出ていました。この神社は 地上に這い上がりやすいように 境内近くまで 満潮時には水が溢れるようになっています。そのようにして イシカミの霊を呼び込んだ?と想像しています。上に三囲神社の三本足の鳥居を貼り付けました。

とんちんかん小僧 - 2002/11/15(金) 02:19<

ニュース・ステーション

紋次郎さん
釣り場のための渓流の沢の名前、面白いですね。
>ワケテア、スパッ、ク−ドン、シラン、小沢コポラ、ボッチ、イヨ山。

上の沢名自分的に面白いなと思ったので挙げてみました。
あまり釣れなかったから、わけてあ。魚をスパッと切って、クードン(食べる)。
あれ、おらの魚食ったのだれじゃ!?シランぞな。そういう私の名前は、小沢コポラといいます。あだ名は、ダイダラボッチ。出身地は、イヨ山。

↑意味は無いですけど、言葉の遊びができそうです。

>おへまの里では、葬式のことはチーン・ジャラン・ボーン言いますだ。子供用語か?
失礼ですけど、見た瞬間笑いが止まりませんでした。
方言って面白いですよね。和歌山弁の語尾は必ずと言って良いほど「ね」が付きます。
「あのねー、今日はねー、ボンドのねー、スタジオ・ライヴがねー、ニュース ステーションでねー流れたんよね」と。(ほんの一例ですが)
僕はあまりコレ以外はなるべく使わないようにしていますが、たまに「からだ」のことを「かだら」と読むことがあって笑われたことが多々あります。

らむねさん
画像全て見ましたよ。
日本って狭いようで広く美しい場所ってたくさんあるんですね。
和田津見神社は、とても奥床しいところですね。
僕もまた近いうちに行きたくなりました。わだつみを普通に変換ボタンを押すと『海神』となりますが、和田津見神社との関わりの中に海の神さまの話等あるのでしょうか?
三本足の鳥居って、確か京都の方の神社にもあったような気がします。どこか忘れましたがTV番組で見た記憶があります。

*(@。。@)*nglyさん
地名にサンカが関わっている地名があるなんて知りませんでした。
話か変わりますが、
昨日、古書店で購入した本なんですけども、宮本常一氏の『生業の歴史』(未來社刊)によりますと、昭和の一ケタあたりまで農村において子供の人身売買というものがおおっぴらに行われていたそうです。「えーっ」と唸ったあと言葉が出なくなってしまったのですが、この件に関して何かご存知でしょうか?また、この本には、少しだけですがサンカについての記述がありましたよ。


毎度思うのですが、ニュース・ステーションは僕の音楽の好みを把握しているかのように僕が良いなと思うアーティストが毎度ゲストで出演することが多くて吃驚しています。
来年の2月にまたボンドの日本ツアーが開催されるそうです。
2/14の大阪のライヴには行く予定です。

*(@..@)*ngly - 2002/11/15(金) 01:16<

鬼の末裔は鬼である

> 比丘尼の沢★渓流名はニンゲンよかタヌキのほうが多いようなとこ。山伏相手の
商売もあったかも。
妻が夫相手にその時ゼニを取るのは現在の風潮かもしれませんが、比丘尼(妻)は
山伏(夫)相手に商売はしません。佐渡ケ島を見ても「かあーちゃん、鉱山には男が
多いバッテン稼げるぞ」と九州からも呼び寄せたといいます(柄杓地名のルーツ)。

 洗浄用のコーラがない時代ですから柄杓で「事後処理」をしたか、柄杓にゼニを入
れたかで野史研究会では数年前徹夜して議論したこともあります。伊勢講や神子屋敷
をよく観察すると神子さんと御師(神主)も似たようなペアだったようです。地名は
勝負しないのに菖蒲や気持ちは「天国に行ける」のに地獄となる場合があります。

 温泉しても沢にしてもタヌキや獣が地名をつけたとは柳田國男先生も言ってません。
 タヌキを擬人化してるのでなく、人間をタヌキ化してると考えたいです。先日渓流
釣人が猪か何かと間違えられて鉄砲で打たれたことも聞きました。気をつけて下さい。
 
 民俗学が成立するには鬼を様々に解釈する必要があるようですが、一般に自己と異
なる人種を鬼、すなわち民族学観点から見た方が「正解」が得られるでしょう。
東北では鬼=エミシですし、八切止夫のように東北以外でも鬼は人間とみる方が真実
の歴史が分かるのではないでしょうか。鬼についてはまだ現地調査が可能の筈です。

 狸は「山+里」でなく漢字分解では「里+獣」ですから見方によっては里に寄って
くる獣の如き「人間そのもの」(サンカそのもの!)でしょう。

 タヌキは田抜きからといっても間違いではないでしょう。西洋の奴隷制度は牧場から
日本の奴隷制度は田圃からと言われます。田圃の番人=奴隷を拒否した先住民がいたと
すれば、それはサンカのようです。田がつく苗字が多いのは、「×太」として蔑んだか、
田に縛り付けたい支配者階級の願いだったのでしょうか。
 

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2002/11/14(木) 19:17<
ミナシャン、ことば濃密の連続にして申しわけねぇっす。でももうちょっとだけアマカネ。

らむねさん、おれ、感想は言えても“教える”こたできもはんよ。
 永いあいだワダツミは朝鮮語の pata , pada(海) と関連づけて考えられてきました。
 でも、ちょとだけ考えた結果をhttp://www.you-i.org/treebbs/3/ に出します。

あんぐりしゃん、アガアガ。さ〜〜すガァ、毛が生えちょる。
 どだい、あの文字群みたらぜんいんその場で投げ出すもんな。

※ おへまの里では、葬式のことはチーン・ジャラン・ボーン言いますだ。子供用語か?
> 山伏世界では突き落として殺す「谷山行き」(これが請負仕事)ことをコロビとも
★ おかげで73%解明ね。千葉県養老渓谷に「オセン・コロガシ」という沢名があります。
  センは瀑流、滝。北海道に二つあるオシンコシンの滝とつながるか?
> 川水をせき止めるセギ(関)があったのでしょう。シュクセギはその関連かも
★ あがあが、なにごともひとり(おれのこと)よがりはイケません。
  ネパール語 rukh(木)が入らなかったわけがないと……。それで「宿場」をねらみつけ
  てんです。ここは、あんぐりしゃんのほうが、ようけ知ってござろう。
> 比丘尼の沢
★ なにせ、渓流名はニンゲンよかタヌキのほうが多いようなところばかりでんがな。
  でも山伏相手の商売もあったかもしれんぞォ〜、こりゃ。夏場だけの時限開帳ね。

> 周辺の伝統産業・地形・位置・宗教・住人などを調べれば確認できるのでは?
★ この件については三重の鏡山さんに訴えたことがあります。
  いまはまだまだ学者さんたちに、こんなフシギな地名の塊があることすら知られてない現
  状です。 
  でも先日、ナントカ協会とか、どこかの出版社あたりで関東甲信越のこの部分だけでも特
  別に保存しようとするうごきがあるとか、鈴野さんが言っておられました。
  まだ、岐阜〜木曾谷、福島、山形、岩手、秋田など未調査です。4年前、鈴野さんに調査
  費用がナンボかかるかを訊いたところ「1000万」とのことでした。
  わずか一千万がないために、民族の宝ものが未来永劫に亘って伝えられないのです。

  ニッポンはビンボーな国なんですネェ〜〜〜 発想に於いて。

*(@。。@)*ngly - 2002/11/14(木) 15:51<

沢れない言葉

紋次郎さん
>フシギな渓流名を披露。末尾に「沢」がつきます。
 外国語源は紋時郎氏の世界です。沢に名前をつけたのは土着して定住民と
なった者の命名で、方言や訛などがあるのかもしれません。
 サンカが命名に噛んでいるような地名もありそうです。魚釣人か地元の方
に聞いたほうがよいのでは。いずれにしろ命名理由はあるようです。
 例えばジャンボは確か方言で葬式では?換言すれば死に関連した地名では
ないでしょうか。また山伏世界では突き落として殺す「谷山行き」(これが
請負仕事)ことをコロビともいいます。私娼・芸者世界での「遊んで転がし
て・・・後であっさり捨てる気か・・」とは意味は異なります。
 山の神(女)を祭り、昔から伐木や管流しがあった所なら川水をせき止め
るセギ(関)があったのでしょう。シュクセギはその関連かもしれません。
 ビク二沢なら比丘尼が旅人や山稼ぎを相手に体で稼いだ地で、女神などを祭
っていることがあります。しかもその地の女は今なおその匂いが致します。
 周辺の伝統産業・地形・位置・宗教・住人などを調べれば確認できるのでは?

らむね <http://jp.y42.photos.yahoo.co.jp/bc/wind6jp/lst?.dir=/%c2%d0%c7%cf/%cf%c2&.src=ph&.order=&.mobile=&.view=t&.done=http%3a//jp.y42.photos.yahoo.co.jp/bc/wind6jp/lst%3f.dir=/%25c2%25d0%25c7%25cf/%25cf%25c2%26.src=ph%26.view=t> - 2002/11/14(木) 10:20<

お写真

忘れました!こちらです。対馬の和多津見神社です♪紋次郎さん この「わたつみ」というのは そんな意味になるのですか?教えて下さい。対馬は この他にも 海神神社と書いて これも たしかわたつみと 書いてありました。

らむね - 2002/11/14(木) 10:15<

紋次郎さん、前の書き込みのレスです

紋次郎さん 3本足の鳥居の説明ありがとうございます。その情報は こちらの情報と バッチリ合います。3本足の鳥居は 私も追っていました。今年の8月に対馬に行って参りました。上に 和多津見神社の3本足の これは 変わった鳥居(祭事用?)を 見つけましたので 写真を撮っています。よかったら見て下さい。
この神社は 入り江に向かってあり 満潮時には 入り江から 3体の鳥居が 何メートルかおきにあるのですが その全部が水に浸かるそうです。これに似た鳥居は 隠岐島の由良姫神社も こんな感じです。で、写真の3本足は 真ん中に石が 祭ってあるので 祭事用かなと思いました。また 境内の奥の カニさんが居る場所にも 同じような3本足の石を囲ったものがありました。後 土俵がありますが これは イシカミに関連するとの見方をしています。また この3本足の鳥居の意味は イシカミの教えの 三位一体を意味すると出ています。
それと< この×印も神のマークぞな。秋田〜津軽では、今はどうかしらんバッテン(×)、弔事のあった正門には板でこのバッテンが打たれます。その秋田〜津軽でデブヤスという暴れ者の神がいます。その×とはヤスであることが伝えられています。 deb はあちこちの言語で神です。>
わー・・これも 以前 調べたものと だぶっています。諏訪大社の千本木や 祭事用の柱に この×の印をつけるんですよね。。それと たしか この場所で出土した剣にも この×の印がついていました。そういえば 物部氏の家紋が この×や ×に棒のものがありました。。この神社は 四国ヤマタイコク説を言っています「ユダヤ日本建国の秘密」という本に 四国を隠すための カモフラージュのための神社の中の一つと出ていました。

やなさん 植林に興味を お持ちなのですね。山は よく行きますが植えたことがなく・・・
昨日 早速セブンイレブンに ムーを買いに行きましたが なかったですね・・。今日は本屋さんへ行ってみます。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2002/11/14(木) 09:43<

走り尾根 と 渓流地名  

yana さん、ア〜〜らヨッ!
 尾根筋はサンカの通路じゃなかったのかナァ〜。
 いや、サンカに限らず、古代人はどこでも、尾根筋を足音たてて踏み鳴らしながら、
1日40キロぐらいを走るみたいに歩いたらしい(本多勝一さん;ニューギニア高地石
器時代人)。
※ 足を水につけたが最後、もう歩けまへん。
※ 虫も水もないので狼やトラは尾根にはいない。
  狼にはドンドンドンと響く人間の足音は、100メートル先からでも聴こえていた
  ことでしょう。ところがヤツらはけっこう警戒する。「なんだろう?」と、かなり
  長時間迷ったあげく、「襲って食っちゃおう」と決断したときには、人間はもう、
  遠くに去ってしまっている。
  とらつぐみ、とらばさみ、猛毒のとらふぐ……トラとは「恐ろしい」という意味。
  「キトラ(古墳)」とは語源がちがっているとおもひけらくも。

  尾根筋は後世になっても、軍隊の移動に使われたのでは? 武田信玄が遺している
  軍用道路……何メートル巾だったか、結構広い。

 関東甲信越には、キミョウな渓流の名前が大量に見られます。そのことをあっしが
知ったのは、民俗学者の鈴野藤夫さんが書いた『関東甲信越釣り場事典』からでした。
 コ−フンしたあっしは、元日なのに鈴野さん宅に押しかけたことがあります。
 そのとき、鈴野さんは「内陸の文化は山頂から開けた」と、高らかにおっしゃった。

 フシギな渓流名を少々ご披露。ごく一部ぞな。末尾に「沢」がつきます。
 ワケテア、ジャンボ−、ヨッタカ、シュクセギ、コビツリ、ゴッコ−、フテ、オッパ
タ、ゴロブ滝、ワミ、シゲデ、ソラアゲ、ヨケド、サッサヌキ、スパッ、ドンビン、
ベットロク、ゴザッ原、ヤビゾ、ポクリ、ナダムロ、キギ山、ウ、ドロミ、アンバ、オ
オジャク、ク−ドン、ヨサンノ、シラン、ナベフウシ、ヤゴヒド、メイナイ、ヘイソン
リボン、タンビョウ、シチュー、サップキ、ビン、チャオチバ、ドロブ、ニグラ尾根
シブトビラ、ピツル、ピツウ、小沢コポラ、ネコブ山、デップ、ロンレの滝、ジッピ崖
ニゴリ、ボッチ、デンポー、ヒヨロシ、カンウン、ジュロサス、モンワタ、ソウリンバ
ケ、ヒライヨ、トヤド浅間(頂)、グンナリ、マンナイ、カカイ、イヨ山。

 ※ 意味がわかる人、ぜひお知らせください。アングリしゃん期待してまっせ。
   一茶チャン、頭脳のいいところで、一発ぐれぇは蹴っとばしちみちょくれ。
   turukot しゃん、ロンレ(龍拝み)の滝はここにあったよ。
 ※ シュクセギ……山超えしてこっちの領域に入った人びとや邪悪なものを咎めだて
   する「柱のサイの神」が立ててあった関だと思える。→ 宿 
 ※ ベットロクはタジク語の沼地だった。

とんちんかん小僧 - 2002/11/14(木) 01:36<

尾根とは一体?

紋次郎さん
>ウソと解りつつウソを書く“もの書き”はいない
>文明の担い手は大衆なのら

うんうん、ありがとうございますの一言に尽きます。
私が心許無いために、紋さんのヤゾーさんへの心遣いには感謝したいと思っています。

ヤナさん、GAINAさん、ヤゾーさん
>ヤナさん 少し前に ぼくがGAINAさんのところへ投稿した話しですね。
>むかしの人は 尾根にまで杉や檜を植林したら 
>その山の保水力が失われてしまい(他にも理由があるようです)
>山が痩せてゆくということを知っていたという話しです。

ご三方をまとめてしまってすみません。話題が同じ方向でしたので一緒にしちゃいました。
不毛の大地への植林であったとしても同様の結果になるのでしょうか?
ところで、尾根とは何なんですか?残念なことに根本的なものが判りませんのです。

らむねさん
いろいろとありがとうございます。
あのHPの管理者だとばかり思っていましたよ。
勘違いでしたか・・すみませんでした。
あれから「ソラからの伝言」をずっと見ていますよ。
四国ヤマタイコク説またジックリと読ませてもらいますので。

tuyaさん
僕は、今でも雲を見ながら、アーダ、コーダと雲に向かって言っています。
今まで見たのでスゴイなと思ったのは、龍ですね。
カメラに写そうと思ったんですがあまりに巨大だったので諦めたよう記憶しています。
他に翼竜とかブロントサウルスやとぐろを巻いた蛇(ウンコにも似てたかな)も見たことあるよ。雲を観察するのは楽しいことです。


丑三つ時にはちょっと早いですけど・・
今、僕の家に五つか六つぐらいの着物を着た子供がいるみたいなんですよ。
二日前に参りに来たお坊さんが教えてくれて、仏壇に向かって帰ってもらえるように祈ってあげて下さいって言われているんですが、僕は何もしていません。よく無風で人がいないところで、「パタパタッ」って何かの音がよく聞こえますし、「ドン」とかいう音が聞こえたり楽しいですよ、今はね。変な実話でごめんなさい。

ムー12月号、『天皇と忍び―聖と闇の血脈』まだ、ちゃんと読みきっていませんが、歴史家のねずまさし氏の『孝明天皇は、病死か毒殺か』、鹿島昇氏の『裏切られた三人の天皇』『防長における南朝の系譜』、
村岡素一郎氏の『史疑徳川家康自蹟』等の本が参考文献として使われていましたよ。
今度、『防長における南朝の系譜』を探そうかなあと思っています。時間が掛かりそうです、おそらく。
私にとっては真新しい情報がありましたが、上記の本を持っている方にとっては、さほど良い内容には思えませんでしたよ。

やな - 2002/11/13(水) 23:14<

みなさん・kんばわん

はははあは・・こんばわん・・やなですぅ
 尾根筋に植林しないことによって、道ができますよね!!
人知れず尾根筋を進む民あり・・!!
 松明を明かりに進む民あり・・・
   遠く眺める人あり・・狐火と・・!!

     狐火は一つ二つ三つと多く見られる・・!!

      尾根筋を進む民あり!!!

ヤゾー - 2002/11/13(水) 19:25<
みなさん こんばわん

ヤナさん 少し前に ぼくがGAINAさんのところへ投稿した話しですね。
むかしの人は 尾根にまで杉や檜を植林したら 
その山の保水力が失われてしまい(他にも理由があるようです)
山が痩せてゆくということを知っていたという話しです。
それが戦後 国が植林を推進する為に補助金を出したこともあり
少しでもお金にしようと尾根にまで植林してしまったそうです。
むかしの知恵もお金には勝てなかったということですね。
悪いことだと分かっていても 経済優先や便利さの為にしてしまっていることって
身の回りにも結構あったりするので 誰も責められませんが。

らむねさん ありがとうございます。
まだ しばらくは忙しいので 不定期な投稿となります。
アボリジニの人たちって 不思議な人たちだと思います。
なにか 神(自然)が特別に見守っていたかのような気がすることがあります。
ほんとうの意味での 知恵というものを古代から継承しているのかもしれませんね。

GAINA - 2002/11/13(水) 18:46<

尾根筋のこと

こんばんは。

尾根筋には植林しない話ですが・・・。
檜の産地の私の田舎では、20M幅程は植林されていないところが多いです。

旧熊野街道の伊勢道難所の峠、八鬼山というのがあります。
そこからは延々と野原のように十数KMは続き、眺望も抜群です。
山火事の際に延焼を防ぐ防火帯でもあると聞いた覚えがあります。

ヤゾーさんのところは保水の面もあると聞いていますが、昔からの山林管理の知恵でしょうね。

tuya - 2002/11/13(水) 17:55<

雲の遊び

らむねさん>雲の話で思い出しました。
 子供がまだ小さかった頃、空を眺めながら、よくこんな遊びをしました。どれかひとつ小さな雲を決めて、「雲さん雲さん、消えて見せてください。お願いします」と唱えます。小さい雲ですから、見ているに少しずつ風にかき消されていくのですが、それがいかにも、こちらが魔法をかけて消えていくように感じられるのです。小さい子供は本気で信じます。こころやすらぐ、楽しい遊びです。

らむね <http://www.hoshinet.jp/sora> - 2002/11/13(水) 15:59<

レスが遅くなりました

ヤゾーさん おかえりなさい。紀和 鏡さんのテレビ 見損なってしまいましたが ネットで調べてみました。それと月間ムーの話題ですが 空からの伝言より今年の8月号に 下の豊田(名古屋)のクロップサークルが掲載されました。その資料をお持ちしました。よかったら見て下さい。この頃 仙台にもサークルができていますが ズームイン朝で ちょっと取り上げられただけでした。
http://www.f3.dion.ne.jp/~sinrei/CCO25ToyotaJ.htm ←豊田のクロップサークルです。

ところで とんちんかん小僧さん そうですね。雲は 見る人によって いろんな形に見えますよね。たぶん 写真のことと思いました。私は ちょうどシルクロードのカエルを見ましたので カエルかなと思ったんです。でも カンガルーは別のことで 気になっていましたので これも偶然ですね。オーストラリア先住民が住んでたというカンガルー島です。この島は200年くらい前に アボリジニという先住民が住んでいましたが その後 イギリスのフリンダースという人が渡ってきています。それで ここにはフリンダースという山があります。その山を調べていました。ちょうど とんちんかん小僧さんから イシカミって なんなのか よく分からないという ご質問を受けていました。私も最近やっと 理解できるようになったくらいですから、理解しがたいと思うのは よく分かります。空からの伝言のサイトは 私のサイトでは ないです。分かりにくくて ごめんなさい。このサイトを元に 歴史を追ってるんです。で、上に貼り付けました。このページの 左側に 「フランスアニメぼっちくん「という webアニメを見ることができます。イシカミとは こんな感じです。是非 見て下さい。バックに流れてる楽器は アボリジニの楽器 「ディジュリドゥ」で アニメ製作者ひこさんってが 演奏なさっています。不思議な音です。http://www.mammo.tv/natural/02_SAustralia/2-2.html ←カンガルー島
それと 取りあえず 四国ヤマタイコク説を書いたページを貼り付けさせてください。他にも保存してたようなのですが 見つからなかったので また ゆっくり見てみます。http://www.m-n.com/medianetjapan/sinobu/kenzan.htm ←四国ヤマタイコク説です。
また 参ります♪

ya(・ε^)na - 2002/11/13(水) 09:45<

山の植林

ねえねえ・・ヤゾーおせーてくらはい・・
 山の植林のとき尾根筋に植林はしないって話
  なんや・・んんん
メチャ興味おますヨン
 勝手な想像・・膨らみますねぇ
 東沢さんやGAINAさんとこなんかでもおんなじなんやろか??
  
    

焼尻紋次郎 - 2002/11/13(水) 08:14<

シロート、キチガイの発言はチョ−・ダイジ  

 阿寒の山本多助エカシを初めて訪ねたのは、今から39年前の5月でした。
 そのころ、毎年北海道に行っていましたので、北海道に行ったたびに山本多助
エカシのところへ遊びに行きました。

 山本多助エカシは釧路アイヌ酋長の血をひく人物で、孤立無援のなかで、コツ
コツとアイヌ語彙を集めていました。
 行ったたび、山本多助エカシは「何でもいい、アイヌ語について思ったことを
新聞雑誌に記事として掲載しなさい」と言いました。

 と言うのも、アイヌ出身のアイヌ語学者である知里真志保が、キンピカの金田
一京介の威信をバックに、群がる論敵をくち汚く片っぱしから薙ぎたおしたの
で、その頃はどこの新聞社も雑誌屋も、ことアイヌに関することは記事として採
用しなくなっていたのでした。

 風が吹かなくなったら進歩もヘッタクレもあるもんか……。
 続いて山本多助エカシは、いつもこうつけ加えました。
 「みんなが声をあげ続けるうちに、ウソは淘汰され、しだいにホントーのこと
だけが、社会の底に民族の宝ものとなって残っていくモンダワサ」と。
 「ウソを書くことを恐れるな」とも言いました。

 おらはこう思う。
 ウソと解りつつウソを書く“もの書き”はいない。
 アイヌ語にしろ日本人にしろ、微細にわたってのホントーのことは誰も知らな
いのだ。そこを、どんなシロートの発言であれ、その発言を圧殺することが一番
イカン。

 更にひとこと言いたい。
 文明の担い手は大衆なのら。
 うす穢く、貪欲に暴れまわる農民(一揆〜戦争)の姿にアイソーをつかし、王
侯貴族、新興実業家と手を結んだルッター(宗教革命家じゃと!)と、そのスタ
ンスを踏襲して理論づけをしたカルヴィン……!
 その結果は神や宗教の名において利潤追求を許したこととなって、これが帝国
主義〜世界戦争のくち火役と化けこんだのだ。

 シロートの発言ならばこそ、ダイジせなあかんが、もひとつ、キチガイの発言
もダイジにして貰いたい紋ダワサ。

とんちんかん小僧 - 2002/11/12(火) 22:19<

皆さん、ムーを見ましたか!?

皆さん、こんばんは。

紋次郎さん
はい、×の中央のカエルちゃんの画像も太陽とカラスの画像もちゃんとファイルに保存しましたよ。
僕が言ったのは、雲の方ですよん。あれは、どうしてもカエルには見えないです。
勘違いさせる発言すみません。

*(*..*):*nglyさん
軽はずみな発言に反省しています。失礼しました。
自分自身を磨かないと子供に、今のままでは、すぐに悟られそうです。

ヤゾーさん
紀和鏡さんの名前って、本当に気が狂うからきていたのですね。
あと、『ムー』の情報ありがとうございました。

縄文人さん
初めまして。
管理人代理の者ですが、わざわざ情報ありがとうございました。
あの投稿記事読ませて頂きました。
特に心配する内容ではありません。
そもそも、あれはNHKでの放送していた内容をそのまま拝借したものですし、
ヤゾーさん個人の研究資料ではないので何ら心配しなくても良いですよ。
情報の提供どうもありがとうございました。

メリーポッポさん、お久し振りです。
管理代理をやらせてもらっている者です。
誰も責任をとる必要はございませんよ。
ご心配して下さっての発言、大変痛み入ります。
どうもありがとうございました。
また投稿して下さいね。


『ムー』の置いてそうな所を何ヶ所か見廻りましたが、ゲットできず。
明日また探そっと!

メリーポッポ - 2002/11/12(火) 18:59<

Re:本州日本人とは?

縄文人さまへ
それがどうしたん?
説明なんかする必要が、どこにあるんですかっ!
この発言の責任は、メリーポッポあるいは山子に。

縄文人 - 2002/11/12(火) 16:12<

本州日本人とは?

政治討論の情報室で、一茶という人が
あなたの表を批判しています。
私には何のことやらさっぱりです。
是非説明を
http://www.njd.com/artview.cgi?id=info&mode=view&page=0&num=5683&sort=1&back=tree

ヤゾ− - 2002/11/12(火) 11:30<

情報いろいろ

みなさん こんにちわ

今日 NHK教育テレビ 午後10時から
「妻が語る昭和の男達」 (02) 作家中上健次の壮絶な人生を支えた妻
紀和 鏡・中上建次(作家)夫人というのを放送するようです。

それから今月号の月刊誌ム−の特集が面白いそうです。
なにやら南朝をキイワードにして
明治天皇や徳川家康の出自に迫ったものらしいです。

*(*..*):*ngly - 2002/11/12(火) 11:08<

マニュアルはあなただ

とんちんかん小僧さん
>自分の将来の<必勝マニュアル>の一つにしよう。
>巧く使いこなせれば*(-..-)*ongly先輩のような家庭が築ける。
 我家は理想的でしょうか?疑問です。夫婦は各自が強力に
「自分の方向のベクトル」を持っていて、子供という求心力があ
ってももっと遠心力が働くならバラバラでしょう。「奥さんに会
わせて」「奥様と別れて」や「好きにして!」などの台詞は遠心
力の源にはなります。「家に居たのでは(過激な)親に殺される」
と家出して帰らない積りの子供ばかりで求心力も減少中。生活費
よりも高額な仕送を見るたび「何のために」の思いも過ぎります。
 そのときは自分の責任だが、子供は赤の他人と考えます。

 貧しいながらも「親子が身を寄せ合って暮らす」時代ではない
ようです。家父長制度は天皇制、男女差別と姓名としてなおしぶ
とく生き続けていますが「共同体」としての働きは弱体化し、個
人が問われています。自らとの対決を通して自己を向上させねば
ならないようです。大変な時代ですが「誰も助けてはくれません」
から、癒しのみを求めたり投げ槍になる方がでてくるのでしょう。

改憲論者の国を他力本願先とする奴隷思想に代わり、自らとの対
決をし続ける者が自力本願の「共同体」をつくると思います。
 マニュアルとは自己との対決の中から産まれるものが最も有効
でしょう。
 敗戦の惨禍と飢餓を知る私の世代は幸運にも2つの安保闘争の
烈火で自らを鍛錬「自力本願」し、敗北してもなお社会との連帯
意識を失わず「他力本願」、新興宗教や愚かな組織に身をゆだね
ずに済んでいます。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2002/11/12(火) 06:44<

極東で国という概念が固まるとき 

とちかんさん、おら追いかけたおぼえはないモンネ。
 らむねさんが指定したボタンをぶっ叩いてみなせぇ、×の中央に蛙ちゃんが描かれてま。
らむねさん、お手数かけましたがナットク、腑に落ちやした。
 この×印も神のマークぞな。
 秋田〜津軽では、今はどうかしらんバッテン(×)、弔事のあった正門には板でこの
バッテンが打たれます。その秋田〜津軽でデブヤスという暴れ者の神がいます。
 その×とはヤスであることが伝えられています。 deb はあちこちの言語で神です。

 昔むかしの大昔、いちおうの“国”みたいなものができたとき、東のほうにシキシマの
くにがある……というウワサが流れたんですナ。
 そのころシナ自体も一つではなかったし、17世紀になるまではシナという統一された
呼び名もなかったんだが、シキシマ列島地方へ自分らのイメージをおっ被せてみると、やっぱ、
一つの国みたいな概念で収まるし、それでいいと思った。

 どだいムリだったんだが、とかなんとか国みたいな体裁をえた日本人から見ると、北海
道にいる十余の氏族の群は、やっぱ一つの名前(アイヌ)で呼ぶのが都合がよかった。

 16世紀になって毛唐が極東にやってきたときから、NATION という確固とした概念がこっち
側でも固まったんだと、思う。

> 某番組で、鬼(おに)という苗字は日本で一家しか無いそうです。
  35万余の苗字もあるなんて、暇つぶしに覚えるのに苦労するナァ。
★  「O・ni(人びと・ごと)」という、鬼とは別の意味……たとえば機織業とか麻にか
  かわる人びとをオニと言い習わしたのではなかろうか。OL(最高)もあるしヨォ。
  35万種の苗字……ダウン症の患者さん(一部の)なら、ペロッと覚えるひともある
  そうですよ。電話帳なんざヘッチャらだそうです。
  蔑まれた人びとや変人をダイジにしませうネ。

> 3本足のカラス、 これって、ヤタガラスではないのですか?
★ 柱のことをどこかで、あるとき、アシと言い習わした時代があったのでは?
  三本柱……これが tri-i(三位一体・鳥居…… i は坐)じゃと、これわしのヤブニラミ
  なんだがナァ〜。
  ヤタガラス……反物の ta(長さ・単位)も族際的にあるが、 yas にも似いちゅう。

とんちんかん小僧 - 2002/11/12(火) 01:22<

夢のまた夢か・・

眠りの世界で夢をみていたわけではないですが、風呂の中で夢の世界にはまっていると、たまたま宝くじに当選しました。賞金額は一億円。使い道はいろいろあったのですが、何故かしらないけど、いろんな人に追いまわされて一時も自分の時間がもてなかったです。
            ↑
平和な日本だから、こんなアホみたいな夢の世界に浸ることができるのだと思います。
春之助くんやミキちゃんなら、当たったら何をするのかな?

でも・・いつ、この平和なときが失われるのかもしれないという危機感をもっているのは私だけだろうか。
何をしでかすか判らぬ国があるから・・

とんちんかん小僧 - 2002/11/11(月) 18:06<

ありがとうございます!

*(-..-)*onglyさん
ご丁寧に詳しく「家庭の在り方」についてのご説明ありがとうございました。
自分の将来の<必勝マニュアル>の一つにしようと思っています。
どれも、巧く使いこなせれば*(-..-)*ongly先輩のような家庭が築けるんですから、これからの人は参考資料としてもってこいです。本当にありがとうございます。

紋次郎さん
あのすごい字の解説ありがとうございました。
やっと夜悩まずに寝れそうです。

太古の昔って陸続きだったと、日本史で習いました。
その頃から、日本人はいろんな部族から成り立った国だと思っていました。
だから単一ではなく、いろいろな国と地域からの人間が日本には、『いる』という認識は一部の人を除いて誰もがもっているはずです。
もう、このクマノライフに書き込みされている常連の方や長年ROMされている方の中でも、単一民族ではないということには気づかれているように思います。
少し前に、とある政治家が「日本は単一民族である」と発言した。
その記事を某新聞で見た時は、開いた口が塞がらない程に呆れました。

>日本人の特徴の一つは、姓が35万もあることです。

某番組で、鬼(おに)という苗字は日本で一家しか無いそうです。
35万余の苗字もあるなんて、暇つぶしに覚えるのに苦労するナァ。

らむねさん
あれは、カエルにはちょっと程遠いかなあ〜。
樹齢200年より上の可能性もありますよん。
はっきりした誕生日は知らないのです、誰もね。
当時の人は何も残していなくて口伝のみだから・・
一つイマイチ判らない事があります。
らむねさんのHPで読んだのですが、<イシカミ>という意識体(なんと表現したらいいか判りません)は、地球外生物であり、世界にある山々に進化する以前の「人?」を示してるようですが、イマイチ理解不能です。
ですから私信でも結構ですから、<イシカミ>について、もう少し詳しく教えて欲しいです。頭の中が???が一杯なのです。判ることができればいいのですが・・
一種それは、自動書記というものではないでしょうか?
作家コナン・ドイル氏の「コナン・ドイルの心霊ミステリー」という本(ノン・フィクションです)の中でも、何の前触れもなく急に手が何か文章或いは楽譜を霊に書かされる、もちろん自分の意思とは関係なく・・。
↑これとはまた別のモノなんですか?

邪馬台国四国説、ロマン広がるファンタジックな話ですね。
紀和鏡さんの本みたいな内容ですね。
本にしたら購入してしまいそうです。
サンカ・マタギ・傀儡師・アイヌ民・隼人らが一同に登場・・
(勝手な想像ですが)壮大なスケールのある物語ができそうですね。

>3本足のカラス

これって、ヤタガラスではないのですか?


もう一年以上口にしていない「ポテトチップス」って、某雑誌の記事によると排気ガスを吸うより身体に悪いものだと記されていました。
心の底から、ぞっとしました。
只今、ヴィヴァルディの「四季」夏・最終楽章『TUONA E FULMINA(雷鳴と稲妻)』のギターリスト、ウリ・ジョン・ロートによるギターによる編曲ヴァージョンに身も心も預けているところです。ヴァイオリニスト四人による四重奏も、そこそこ良いのだが、ギターによる再現は普通はあり得ないことらしいが、彼はいとも簡単にこなしています。

らむね <http://jp.y42.photos.yahoo.co.jp/bc/lunacity6/lst?.dir=/%a5%b7%a5%eb%a5%af%a5%ed%a1%bc%a5%c9&.view=t > - 2002/11/11(月) 11:39<

昨日は三日月が綺麗でしたね♪

うわー!とんちんかん小僧さんは カンガルーに見えます!?そうですかぁ。他で そんな風に言ってらした人がいました。それと 樹齢200年の柿の木が やっぱり気になってしまいました(最近他で ♪〜この木なんの木 気になる木♪という CMも気になってて この木は ハワイの木のようですね)200年とは すごいです。それで 柿の木について書かれた部分を貼り付けます(空からのメッセージ 空辞典から柿ノ本人麻呂さんについての項目です)
☆星延べのものに柿はイシカミが与えてくれた物だと教えられ、そこから柿ノ本人麿呂と言う意味のある名を付けたと言われる。
菅原道真の友人で、文字のことを追求したために出雲に流されるが、途中星原に寄り、柿の木を植えたと。出雲で亡くなる。☆
それと ヤマタイコクについて 少しだけ貼り付けます。

今 見ると はっきりサンカのことが書かれてありました。。。それで 調べてることが つながってるのかな・・・それに 最初は 少しだけ お邪魔して いろいろと教えて頂こうと 写楽さんの書き込みで ここへやって参りましたが みなさんの書かれる どの単語も気になるものばかりです。
☆ヤマタイコクは 「山台国」と書き、四国の高原にあったと言われる。
大国主とヒミコが土着民の少ないこの地に住み着き、イシカミからいろいろな食べ物や知恵を授けてもらって、集まって来た多くの人々と平和な国を築いていたが、後に、ある者に攻められ焼く尽くされてしまう。ヤマタイコクの子孫が、今日まで虐げられてきた被差別部落の人たちや、サンカ
と呼ばれる人たち。☆これに 関する資料は また 別で貼り付けさせてください。

それにしても とんちんか小僧さんの貼り付けられたサイト。。。。石切神社やナガスネヒコのことが書かれていましたね。。(゜∀゜)!

紋次郎さん 何やら 専門的なカエルさんの説明ありがとうございます。なんか 通じてしまったとっですね。嬉しかぁ〜♪(笑)

では 改めて画像を持って参りましたので 見て下さい(上に貼りつけています)網み靴もあります。風通しがよさそうで結構 オシャレです。このデザインは いいですねぇ〜それと やはり原始宗教でしょうね。オレンジ色に 太陽とカラス、オレンジ色の月にカエルさんです。可愛いですし ほのぼのとしています。また 封印についてですが そうですねぇ。抹殺ともいえるかもしれませんね。昔の人は 祟りとかには とても敏感でしたし 封筒に×を書く感じでしょうか。。それと たとえば オニギリですが オニを切る・・・これは 庶民の ささやかな封印に思います。
http://www.hoshinet.jp/sora/ ←空からの伝言です。ここから歴史を追っています。

今 見ると はっきりサンカのことが書かれてありました。。。それで 調べてることが つながってるのかな・・・それに 最初は 少しだけ お邪魔して いろいろと教えて頂こうと 写楽さんの書き込みで ここへやって参りましたが みなさんの書かれる どの単語も気になるものばかりです。

東沢美史さん 始めまして!緯度や経度って何か重要のようですね。教えて頂いて ありがとうございます。これは 他で調べていました。
空からのメッセージで このキトラについて 黄色の虎と 出ていました。たしか最強に強いというような意味だったと思います。それにしても 今年 奈良のキトラ古墳で今まで見つかってなかった3本足のカラスが発見されました。どうも この鳥は崇神天皇の時代 勝ち星の鳥とされたいたようですね。ちょうどこの頃 Jリーグの勝利の旗が この3本足のカラスでした。元々は自然信仰のものであったカラスなのに 戦いの神となったのでは。。と思いました。

焼尻紋次郎 - 2002/11/10(日) 19:41<

200の氏族の群れが日本人  

 とかちんさん、あの字は長い白髭はやして、日ごろみんなから尊敬されていた爺さん
が、ある日おごそかに酒飲んで酔っぱらって、この字を書いたとたんに心臓マヒおこし
て死んじゃった。それを記念してこの字を後世に遺すことになりました。
 これ読めても、和歌山県知事からヒコーキは来ませんので、詮索やめちょこや。

 アレェ? それってカエルじゃない可能性もあるのですか?
 らむねさんのカキコでは、最初に「蛙らしきもの」とあって、次に「蛙」と、蛙が二
度でてきました。また銅鐸にもたしかカエルがあったはず。
 銅鐸には、あめんぼう(ボウは虫)やシカなどが描かれているので、焦点ボケしてい
ました。
 らむねさん、シルクロード関係のイラストでは“蛙”とは断定できないのですか?
 
 「日本人はどこからきたか‥‥」、こういうときミナシャンはだいたい、日本人は単
独一種ぐらいのノホホン判断してるらしいでんな。中曽根さんも、これで失言した。
 古い古墳からはネックレスやピアスが出てきますが、ある時からそれがパッタリ出な
くなりました。
 古墳ができ始めて、橿原神宮みたいなところで「いまから、これでも国だべェ〜」と
宣言するに至るまでの間だけでも、この日本列島にはいろんな言語を喋る200ぐらい
の氏族がいた……。これあっしの方法仮説ざんす。

 沖縄にはそのころ30の氏族がいた。朝鮮には150の氏族がいた。北海道ではアイ
ヌという集団がアイヌという一つの名前で呼ばれるようになるまでには、10ぐらいの
氏族がいた………と、惟ふ。
 日本人はどこから来たんでしょうネェ〜。

 日本人の特徴の一つは、姓が35万もあることです。シナや朝鮮には、ほんの少しし
かありゃへんがな。
 これはインドのカースト制をそのまま持ち込んだからだと想います。
 インドの階級区別は2000種に分けられるそうです。シバ神の別名も2000あります。

*(-..-)*ongly <http://www7.ocn.ne.jp/^iyasi> - 2002/11/10(日) 19:22<

子供も人間

とんちんかん小僧さん
>子供のいる家庭の人はどうやって子供と接しているのだろうか?
 我が家の場合を紹介します。レアケースかもね。

1)ある程度の年齢の子供になると親と子の間に年齢と経験以外に
差はないと考える。いいかえれば親がどれだけ経験したか、読書を
通してでも経験を学ぶか、また経験ない場合知人や友人から学ぶ(
また学べるような人物でないと交際する価値はない)が重要な背景
になる。換言すれば親が「無駄な交際」はしない。

2)本当に善い所があれば子供を誉める。信頼できる親から心から
誉められてやる気を起さない子供はいない。十個誉めておくと、一つ
の叱りの効果は抜群である。ある時若い女性を誉めたとき誤解されて、
強くアプローチされたが、断るのに苦労した。
 歯の浮くような誉めは自らの品性を落とし逆に相手を傷つける。

3)親がどれだけ「勉強してるか」が大切である。職業や社会的地
位と人間性の水準はあまり関係ない。子供から質問があったら一生
懸命答える。分からなければ辞書や辞典を調べて説明する。

4)叱らない。決して殴らない。これで私の親からは「(殴らない
と)善い子にならない」と相当非難を受けた。近年分かった事だが、
私自身が親による半殺しや幼児虐待を受けていたそうである。軍人
だったから当然と今でも主張しているので「戦後は終わっていない」
海軍棒の暴力で奴隷にされた兵士と思えば同情の余地はあるが。

5)なぜ悪いか、良くないか強制的でなく徹底的に説明する。上下関係
を前提にする親は言う事を聞かない子には軍隊のように暴力を振るう。
 暴力でなく説明が人の話に耳を傾けることができる人間を育てる。
人からも学ぶこの姿勢のない教育は必ず失敗する。これに失敗すると本
来自己本位・我利我利亡者の性格の人間は成人して世間から嫌われつま
はじきされ、他人を不幸にして、自分の人生も貧しい悲惨なものにする。

6)話し合いができない親が意外に多い。夫婦で話し合う、といっても
夫婦間の落差が大きいと上手く行かない。昔若い女性を妻にして喜んで
いた友人が、数ヶ月後「メイド兼娼婦と同居しているようなもの」と嘆
いていた。我が家では問題によっては徹底的に話し合うので「親子の話
し合いがない」と子供から苦情がきた。その上、子供が難しい話に関心
を持ったり、話し合いで智恵を出すとか協力して問題解決策を考える人
間を作る。子供には夫婦はどうあるべきかを身をもって教える事になる。

 「夫婦の体をなしていない」「家庭の形をなしていない」夫婦が実に
多く、多くは女が「別れたら食えないから一緒にいる」とか考えて、
男に隷属しているようだ。

 重要な事だが親子の間を律する法律・ルールというものが日本の社会に
ないと法律の専門家は言う。「親子という無法地帯」が日本社会を特徴付
ける大要因であると思う。
人間とか人権とかを日本の社会は本当には理解していない根源だから。
 ただサンカ社会の親子のルールは非常に参考になる。

とんちんかん小僧 - 2002/11/10(日) 14:14<

日本人はどこから来たのか!?

らむねさん
木の写真拝見させて頂きましたよ!
太陽と木の交差加減で面白い写り方するもんですね。
亀雲もイイね。上は紋次郎さん曰くカエル(!?)なのかな。
僕は、人間の顔をしたカンガルーかと思いましたが。
それか、バッタとカエル足の混合種に見えましたよん。
邪馬台国四国説楽しみにしています。

*(@..@)*nglyさん
>その意味では「誰々がこう言ってる」と本からの引用が無難です

そう、そのとおりです。
僕も本からの引用や言葉使いを本から学びとっているので、なるべくなら引用でとは思うのですが、本当の自分の意見を言うときに限り引用は避けて本音で語ることにしています。
引用に継ぐ引用というものは、薄っぺらい感じがしますし真剣味に欠けますから。

日本は自由があるのか無いのか本質の判らない国ナンバー1の国なのか・・

紋次郎さん
ごめんなさい。
雲が縦に二つ次の段に雲があってすぐ下に龍があってその下に龍が二つ並んでいる字なんですが、何度送信しても、あのようにしか出来なくて何書いているか判らなくて申し訳ないです。あれ〜、なんでやろ?紋次郎さんが、もし判らなければ何方でも結構ですので教えて下さい。

東沢美史さん
「キトラ」という名前は、東沢さんのおっしゃるとおり、この付近の地名の北浦からきているそうですが、本当の由来というのは不明だそうですよ。
>同緯度の仙台のほうが高い可能性もありと
その可能性もあると思いますよ、何故なら学者らも真実を述べているわけではなく、まだあくまでも憶測に近いものですから。
直接比較できる対象図がこの世に存在しないそうなので、このナゾが解けるまで時間がかかりそうですね。

何気にキトラのことを追っていたら、面白そうなHPを見つけました。
↓「日本人はどこから来たのか」という題目で書かれた文章です。
興味おありでしたら読んで見て下さい。
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r12-63.htm

昨日、ボーっとTVを見ていたら、ある音楽番組で、「チャイコフスキーの国際コンクール」で見事に優勝された、ピアニストの上原彩子(21)さんの演奏がやっていた。
この年齢で、ここまでの演奏力ってつくものなんですね。何事も『努力』せなあかんと思いました。彼女も先生に誉められるのが嬉しくて誉められるように努力したと、インタビューで話されていました。今、学校や親が子供の事で悩んでいますが、“もっと誉めてあげることが大切なこと”って言うてましたよ。それが、伸びる子の条件かもしれないと勝手に解釈してしまいました。子供さんのいる家庭の人はどうやって子供さんと接しているのだろうか?まだ私には未開の領域だが・・

東沢美史 - 2002/11/10(日) 00:37<

推察、キトラは北極星周辺か

らむねさん、焼尻紋次郎さん。
キトラは日田村、下村を連想します。宮城では北浦、北村です。竜馬好きの皆様よくご存知の東北の北斗七星信仰(妙見様)でよく知られています。俗っぽく言わせていただければ北極星信仰を表す北辰紫微宮、平泉中尊(寺)となります。皇帝の命を一刺しで奪うウメアイにも直結しそうです。漢音の北辰紫微宮を訓読みで「きたむらさき」と言ったのが原因か?

キトラ古墳の星宿図を文部省や学会はピョンヤンにしていますが、同緯度の仙台のほうが高い可能性もありと私は思ってます。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2002/11/09(土) 17:18<

キトラは星

> カメのような雲の上に カエルのような雲が映っています。・シルクロード展・
  そこにもカエルがあしらってありました。
★ アガアガ。大発見ですぜ! やっぱありましたか……ァァァ しばし絶句。
  そいつァ「たに・ぐく(蛙)」にまちがいないでしょう。
  日本語となったタニは tan(身体)が原意。グクはタジク語で蛙です。ビキタンの tan。
  このタニグクがネパール系支配階級の前に、旧出雲を支配していたタジク系神々の一つで、
  ほかにソホド(案山子と訳するは誤り、風の神)と sukunat(住居の神)が確認できます。
  これで、もひとつ、熊野のゴトビキ岩に hak(経験があること)がつきました。
  顔ンぐりしゃん、湿っぽいところは神さんがおらすとばい、やっぱこりゃ。

※ 極めて素朴な質問をアマカネ。
  * 封印とは何ですか? 税務署の差し押さえとは関係なかろうと思うとバッテンが……。
  * 空伝とは人の名前ですか?

> この神というものが 実は 怪しいものがあると思ってるのですが・
★ 人間の capacity を超えて影響を人間に及ぼす神(カミナリ起源)と、人間が冥想したりして
  ことばの限界を超えたことも知らずにデッチあげた神 ……の、2種類がありそうで‥‥。
  ここんとこ、現代人の視野を適用したらハチャメチャにしかならんデスばい。

※ SITRA……、タジク語で星。S を C に置き換えたらキトラ。TARA はあちこちで「星」。 

※ 顔ぐるぐりんしゃん、おれ、「仮に」というた。“サンド”なんざは、思いつきだけです。
  シナ語の影響は甚大ですヨォ〜〜。 
  シナ語とベトナム語と朝鮮語の絡みで古代日本語が割れるメカ……ここにも書きましたよネ。

*(@..@)*ngly - 2002/11/09(土) 16:49<

さんじょ下がって

紋次郎さん
>ことばも3世紀以来、この日本列島で醸成がくりかえされ、多くの変
>化態が派生し、同じ日本語でいろんなゴロ合わせが可能となった。
>たとえば、サンジョという地名の本当の意味は、仮に「三男坊の処」で
>サンドが原意原音としても、san には「身分が下がっている」「研究
>する」「些細N(の)」などの意味がこもっているので
前半部分はお任せします。ただ朝鮮や大陸あたりから来た連中には中国語
の影響がもっとも強いのではないか」。サンは語源は紋次郎さんの言う通り
かもしれない。なぜなら次のように使われている意味もそうだから。
 三品・三助・三下(奴)・三度(笠)・山谷・三等重役・三等列車・サン
カなど「身分が下」の意味を含む。ただし算所・産所・散所は柳田國男の「
易者・陰陽師の溜まり」も「お産をする不浄な所」も木を見て森を見ていない
見解である。また林屋辰三郎「役に立たない者がいる所」というのもおかしい
。同じ著者は散所は農耕はしないが、商・工業・運搬業・芸能・文化の発祥の
地ということに気付き主張しているから。
 賤民系列の癖に(否だからこそ)天皇家との結び付きを今でも唯一のプライ
ドにしている者もいる。なぜか?その謎の中に三の意味があると思う。
 私は産所の語源は中国語から由来すると断定している。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2002/11/09(土) 15:52<

なぁ〜るほど そうか 

 ぐるぐりんぐしゃん、アマカネ
 胸に手をあて考えてみたら、顔ンぐりしゃんのおっしゃることも、なぁるほ
ど、そうかと解りはじめたばい。
 この日本列島には、早くて3世紀ごろから、民間レベルで仏教みたいな(顕教
かもしれん)が入り始めていた。
 8世紀になって、初めて手前で鉄をイフキすることができた。
 ハッキリしないが、地域的には10世紀ごろから農村での新田開発も限界に達
し鉄の需要が飽和状態となって、農村が受け入れることができないハミダシ者の
群があちこちで出始めた……というこってしょう。

 だから、ことばも3世紀以来、この日本列島で醸成がくりかえされ、多くの変
化態が派生し、同じ日本語でいろんなゴロ合わせが可能となった。
 たとえば、サンジョという地名の本当の意味は、仮に「三男坊の処」でサンド
が原意原音だとしても、san には「身分が下がっている」「研究する」「些細
N(の)」などの意味がこもっているので、それらを勝手に解釈した。
 また、DO と言えない人びとも多く、これはシナ音の「場(ジョウ)」と考えら
れ、音が変わった‥‥とナ。

 そしたら、言語追求レベルではアチャラカでも、民俗追求の面では、なんら支
障はないと……こいうこってすカネ。

 まいど、おサガワせして……。

※ ネパール語 OSILO(湿っぽい)……ーilo は「その傾向が強い」 ./. アイヌ
  語 niossi(木のこころ)……古く大枝が折れたりして水がたまっている木の
  穴などではないかと思われる。ni = 木。
  アイヌ語 tennep(あか児)は terne(湿っぽくある、なる)P(者)で、
  悪魔が近寄らないことを希って、こう呼ばれた。水は神・いのち ネ。
  湿っぽいところは神が護り賜う神聖な場所ではないのかナァー。
  OS . / 蒙古語 us(水……ウッス! なも)

※ ネパール語 anartha(不可解な)。a- は反・非・不なので「なぁ〜るほど」
  tha はよくはワカラン、とにかく形容詞を作る。

*(@..@)*ngly - 2002/11/09(土) 11:33<

自由よ!来たれ!

とんちんかん小僧さん
>確かに。回りくどい言い方をして場を誤魔化すより、本当のことをそのまま
>自然に言うことが大切ですね。時には言えぬことも多々あるでしょうけど・・

 前者はたてまえ(紋次郎さんによれば嘘前か)、後者は本根でしょう。会社の
勤務経験がある方はご存知の「物言えば唇さみし秋の風」「壁に耳あり障子に目
あり」。言葉といえども一旦口から出た後わが身をも傷つけることがあります。
 建前と本根を「うまく使い分けてる」(と本人が思ってる)間に、全体が嘘に
なるという意味では紋次郎さんのいうように建前=嘘前となっています。
 ネット社会もこの企業社会の中にあることに注意すべきです。

 日本は権力への密告や垂れこみの多い国では先進国中No1とか。最近は余り
な不正と腐敗が多いため、内部告発が歓迎され法律で保護しようとしています
が、職を失い身を捨てる覚悟がないとなかなかできるものではありません。

 本当のことを公然と通知することはできず、残念ながらまだ「奥歯に物を詰
めたような」言い方をしなければならない場合もあるでしょう。

  その意味では「誰々がこう言ってる」と本からの引用が無難です。

らむね <http://jp.y42.photos.yahoo.co.jp/bc/lunacity6/lst?.dir=/%a3%b1%a3%b1%b7%ee&.view=t> - 2002/11/09(土) 10:26<

キトラなど

とんちんかん小僧さん 木と お話されてるのですね。。木といえば 最近 「木に触れると 心がリセットされるよ」・・・という話を聞いていました。私の家の朝陽の昇る窓を開けると一本の木があって いつも朝陽をさえぎるので 邪魔だなとしか思ってなかったのですが 突然 気になりだして・・・で、昨日 擦りガラスに強いオレンジが映っていまして なんとなく窓を開けてみました。木に挟まった太陽が 私には オレンジの目に見えましたので カメラに修めていました。 ↑木の写真です。よかったら見て下さい^▽^)写真の一番右の カメのような雲の上に カエルのような雲が映っています。これは お友達が昨日シルクロード展に行かれた お写真を下さいましたが そこにもカエルがあしらってありました。それまでの自然信仰から 突然 そこにも四神獣が現れたようです。下の話に 続きます。
ヤマタイコク四国説は また 改めて書かせてください。
それと紋次郎さん 空伝独自の 調査を書かせてください。
<それと水はいちど大地の神(へび)のもとに還り、そこからわれわれに恵みとして出てくる。雨あがりにおてんとさんの光で、木の枝に残った雫にこめられたのいのちが輝く。これを神と思えなくなった現代人はバチアタリです>

この神というものが 実は 怪しいものがあると思ってるのですが・・・封印されてるということは本物と偽者が同居してると思っています。なので 人を慈しむ神とそうでないものというのがあるというのが これまでの調べで出ています。神社は 由緒を見るかぎり おどろおどろしいものばかりです。時代は 中国5000年の歴史にさかのぼってしまいますが・・・
それまでの神を封印するためには それなりの力を必要としたと考えます。
日本の平安時代には 陰陽師などが出現し 風水という力を使っていたと思われます。
この風水は 中国から渡ってきたと思われ 日本には 遣隋使などによって やってきたものと思われます。起源は いん(変換が無いので・・)と思われます。それまでの 自然信仰と打って変わって この国に 四神神獣というものが 現れています。。青磁器などに それをあしらったものが 登場します。そのことによって この国は 争いごと 侵略を繰り返し 生贄として 2500人(忘れてしまって さだかではありませんが)も神に 捧げられたとあります。これは 水に関する祭事なのでは・・・?と思うのですが・・・

この四神獣について 空伝では 「恐怖の想念をエネルギーとする、プレアデスやシリウスなどの地球に近い大きな星のグループで、強い力を持ち、星の戦争後から1998年まで地球を支配していた。」その想念や、これに支配されていた人間の事も示す言葉で宇宙の大元がつけたのを「オニ」と言います。」
ヘビ、ワニ、龍神などに象徴される。イシカミのように彼ら自身は三次元の生き物として地球に降りてきたのではなく、それらの生き物を地球に送りこみ 戦いを楽しんでいた」となっています。
それで これまでの オニとされたものは 実は逆ではないか・・と。。オニと呼ばれた人々は オニではなかった。。四神獣の中で 唯一 へびに 巻き込まれたカメが居ます。これは カメ=山=巨石=イシカミ=いて座から降りてきた巨人・・・と なります。
先住民の石の崇拝や ひいては インディアンのストーンサークル 世界中の あらゆる山や巨石は イシカミの体・・ということになります。
そこから 歴史を追っているところです(言葉が思い切り足りないと思いますが・・)

とんちんかん小僧 - 2002/11/09(土) 02:32<

柿の木

NONさん、お久し振りです。
先月下旬より、ヤゾーさんより管理代理を任されてもらっています。
初霜がですか。やはり冬がそこまで来ているのですね。
私は、心も身体も南国的な環境にいるので、寒さに弱いので春や夏が恋しいです。
でも、山が近くにあるので景色を眺めているだけでも心が落ち着きます。
私の家には古くからの友人がいます。
祖母のまた祖母が言うには「私が子供の頃から、既にそこに根付いていたよ」という。
だから、樹齢200歳(たぶん)かな。
彼と何度か対話をしていますが、いつも彼の心の広さに驚かされています。
ごくたまにですけど、どうしたらいいか判らない事があった時、
いつも彼を心で思い対話することにしています。 「変な奴」です、僕は。でも彼いや彼女は私にとってはかけがえの無い“友”なのです。
今年は、異常気象で七月中に葉っぱがすべて抜け落ちたそうです。
だから、この季節なのに落ちる葉っぱがありません。
今ごろは普通ならば、焚き火をやったりするのですが今年は何時できるのかなあ〜。
自然が人間の手によって滅びてしまうのも時間の問題かもしれないですね。

*(-..-)*onglyさん
>真実は具体的である(レーニン)
確かに。回りくどい言い方をして場を誤魔化すより、本当のことをそのまま自然に言うことが大切ですね。
時には言えぬことも多々あるでしょうけど・・
サンカ関連の話とても楽しく読ませてもらっています。
またいろいろ教えて下さい。
野史呼び名辞典を久しぶりに読み返してみましたよ。
地名に政治的なものがあったとは・・長年、国が差別を生んできた“実行者”なのかもしれないですね。

紋次郎さん
今日TVのある漢字の問題で、「たいと」という漢字の意味は何かというのが番組の最後に紹介されて
いたそうなんですが、別の番組を見ていて見そこなってしまったんで意味が判らないんですが意味判り
ませんでしょうか?
この漢字は、全角84画で漢字の中の帝王だそうです。
下に書きますね。

    雲 雲
     雲

    龍 龍

     ↑これで、一つの漢字ですって、何時如何なる時に使用するのかナゾです。
      もし、手紙を出すときに使ったら相手の人、どんな顔するか楽しみだ。

地名と言えば、東京の浅草付近の地名と紀伊和歌浦(わかうら)近くの地名の多くが一致しているようです。
それについては、加門七海さんの著書『東京魔方陣』(河出文庫)の方で詳しく書かれていますよ。

Turukotさん
あちゃ〜、恥ずかしいです。
裏表を作らないようにしているので、メールでの内容を書かれると・・照れてしまいますよ(*^^*)
たまに、メールで書いた事のほうが投稿する文より良いこと書いたなあと思うことが多くなってきたんで、
本物の自分自身が表に(掲示板)に登場しているかのように思ってしまい恥ずかしいというか照れてしまいました。

らむねさん
僕は、考古学にハマッてから今もずっと九州説です。
四国にあったなんてとても信じられません。
何か物的証拠でもあるのでしょうか、もっと詳しく教えて欲しいです。
出雲の国も怪しいとはにらんでいるのですが、四国地方に邪馬台国があったなんて説事態初耳です。
何故そうなのか教えて下さい、お願いします。

*(-..-)*ongly <http://www7.ocn.ne.jp/^iyasi> - 2002/11/08(金) 21:36<

あーそうかからなるほどへ

紋次郎様
>カキコ見ていたら、高名な研究家の言うたことを踏襲してる様子。
>そういう人びとも、外国語は見てはいないのではないかと、思われます。
>地名というものは発音はあっても、内意は伝えられていないものばかりです。

 地名の本来の語源を探求する方法としては紋次郎さんの方法が重要でしょう。
また超古代から言語学的に日本が多人種から構成された国家であることの証明
になるという点でも期待しています。
ただ教養も外国語力もない者にとっては追求は無理で、申し訳ないけど見守る
しか方法がなく、ましてやそれが妥当か否かを検討する力を私にはありません。

 地名の重要性は<誰がそこにいたか>を示すという極めて政治的な点です。
自由なき時代の柳田國男『地名の研究』はその点を詭弁的に避けています。
地図をよく観察して地名の分布のし方を観察すると何かの必然性があることが
「見えて」きます。地名学者はこの点を避けている方が多く「地名が歴史=政治
の産物」であることを無視して、極端に言えば「遊び」になっているようです。
 したがって地名学者や郷土史の地名研究は歴史の解明に役立たず、「いいかげ
んなものが多い」と言われるのでしょう。調査でも確認できることがあります。
シリーズ『××県の地名』の編集に携わった教授達に聞きますと「本当のことは
書けません」といってました。それが野史呼び名辞典編集の契機となりました。

 1個の主張があったとしてそれを裏づける「証拠」ないし検証することがなけ
れば、「あーそうか」で終わってしまいます。野史研究会は「なるほど。やはり
そうか」と「基本知識があれば誰でもが確認できる」ような方法をとっています。
そして本に書いてあることが偽りでのを発見する事も多いのです。
また遺された古文献が利用できたり、検証する材料が転がっている事が多いのです。


らむね - 2002/11/08(金) 16:37<

名前ですね

*(-..-)*ongly さん<雑多な要素が混入しているから寺などの水に関する行事は観察してもなかなか分からないのではないでしょうか。追求しやすく分かり安いのは地名でしょう>ほんとに そうですね。あれやこれやとなってしまって 少し混乱しそうでした。水に関することは また宿題としまして 名前についてだと分かりやすいですね。名前といえば 「ユダヤと日本建国の秘密」という本に書かれていましたが 死国とされたことから・・・四国となったと書いてありました。
この部分は 空からの伝言と一致するものでした。ヤマタイコク四国説です。空伝では 四国と岡山辺りは 昔 陸続きで(対馬も九州と つながてったとされます)
この辺り一帯が ヤマタイコクだったというものです。この点に関して 空伝の情報に一番近いと思われるのが このユダヤと日本建国の秘密という本になります。
四という数字を忌み嫌う風習は 昔からあります。。お名前にもありますが。。この本では 奈良の大和が死国にしたというものです。そして その後 四国となったということです。。 岡山から四国に広がっていた ヤマタイコク(空伝では 山台国となっています)を抹殺したということです。そのために 地名などを見て見ると 吉野・・・など 四国と重なる名前が 奈良には多数あります。。このことも 封印したことのカムフラージュのため 奈良が行ったものなのでは・・と書かれてありました。それで いろいろ調べていくうちに 先に出ました 鵜・・・ですが 鵜茅草葺不合命 という神が 祭ってある神社がありますが これは人ではなく イシカミという巨人だったと空伝では出ています。土蜘蛛・・・葛城・・・一言主=鵜茅草葺不合命=イシカミ・・・そして ヤマタイコクに つながってるという空伝独自の調査結果です。
それで まだ他に つながってそうな気がして ここに飛び込んで参りましたが どれもこれも気になる書き込みで 今まで調べたことと一致しています。
それと*(-..-)*onglyさん 私の家の近くの不入道ですが *(-..-)*ongly さんが言われるように 21面ではなく11面でした。昨日 確かめました。
ほんとに じめじめした場所で言われる通りの雰囲気で 見てきたようにご存知で 驚きました。
<椿と不動尊は下級山伏のシンボルと御本尊となっています。>椿というのは 気になっていました。
紋次郎さん 上を書いた後 (爆笑)(レスが楽しいですね)紋次郎さんのレスがありました。
そっか・・水も重要で、私も それも感じております。長くなりそうなので 次に書かせて下さい。
とんちんかん小僧さん 沢山ありがとうございます。ゆっくり見させて頂きますm( _ _ )m

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2002/11/08(金) 16:05<

地名はむずかしい、水のほうが見易いバイ

シバたき目ン玉のアングリしゃん、地名は見易いデスカネ。

 いまから30年ほど前に吉田茂総理大臣によく似た名前の地名研究家がいて、よく本を出し
ていました。見ると、朝鮮語も台湾語もアイヌ語も、外国語の援用は一切考慮してなく、ただ
ひたすらに日本語の内部だけで考察しようとしています。
 そこで、そのご仁に、「日本人の多くが海外からやって来てるんだから、外国語の援用なく
しては地名の正解は得られないのではないか」の旨、手紙をだしました。
 すると、「外国語を採用するなど……、そりゃぁ大変なことです」という返辞が来ました。

 たいへんでもなんでも、周辺諸氏族・国のことばを顧みることのない地名考察は、凡そ雲を
掴むようなもので、方法的にまちがいであることが、いよいよハッキリしてきました。
 東京堂出版というところから、『古代地名語源辞典』というのが出ています。4人の学者さ
んたちが書いた本です。
 これも外国語はぜんぜん見ていないらしく、結局は夥しい“崖”という地名を自分ら勝手に
造って、日本中にバラ撒いただけで、失敗に終わっています。

 語源は《1 》そのことばができるときに直接にかかわった内意と、《 2 》その後その語源
が解らなくなって人びとが暮らしのなかでゴロ合わせして解釈し、それがその当時の社会に定
着していたものとの、ふた通りがありましょう。
 そして、もう一つダイジなのは、蘇我も物部も同じ金属精錬士たちの文化から出ているとい
う視角かと思われます。すなわち、天皇様、公家、サムライ、坊主たちの一つ前の姿は金属精
錬士だったのです。

 おカキコ見ていたら、高名な研究家の言うたことを踏襲しておられる様子が伺えますが、そ
ういう人びとも、外国語は見てはいないのではないかと、おらには思われます。
地名というものは発音はあっても、内意は伝えられていないものばかりです。
 高名なお方がたは、上の《 2 》を、優れた経験と洞察力で見抜いておられるのかもしれん
ばってん、だいたいが「燕の子安貝」を取りに行って、「燕のウンコ」を握った結果になっと
んのとちゃいますやろカネ。
  
※ 水は天皇様にとっても、サンカにとっても、とてもダイジなものでした。
  清水は朝鮮語と共通した文化語で、泉は和人という概念が固まったあとにできた語彙だと
  思われます。だから和泉っちゅうワイの。
  
  古代人の世界観では「水には神やいのちが溶け込んで」いました。
  水はいちど大地の神(へび)のもとに還り、そこからわれわれに恵みとして出てくる。
  雨あがりにおてんとさんの光で、木の枝に残った雫にこめられたのいのちが輝く。
  これを神と思えなくなった現代人はバチアタリです。
  立った柱(脊柱)を持っている生き物は人間だけです。その柱を神の通過みちとしてイノ
  チをキンタマに凝集させ、とき至ってこれを虚空蔵(ボサツ)に放射すれば子宝となる。
  外国のことば見てたら、しぜんと、こんな古代人の宇宙観・生命観に思い至りました。

turukot(-,.-)v - 2002/11/08(金) 15:16<

こんにちは。

turukot@仕事しばし休暇中です。

とんちんかん殿、ゆうべは私信をありがとうございました。
個人的にとんちんかん殿の印象として、素直で純粋な方とお見受けいたしております。
私信にていろいろお話しましたが、公的な掲示板ではありますので、少しレスを。

>迫害する側もされてきた側もただ単に、いがみ合うのではなく、絶えず話会いの場を開いて、
>お互いを知るべきだと思います。そしてお互いを尊重し会うべきと思います。
>そういう関係を保っていけば、平穏なる互いの同調による新たな歴史が生まれるように思う。
>私の方こそ、知ったかぶりな発言があったこと本当に申し訳ないです。

申し訳ないなんてとんでもない!私自身このような話をするのは僭越かと、欺瞞に陥っていないか
他意を含んでいないか自問しながらです。
知ったかぶりとは私は感じませんでした。それよりも第3者的で当事者からの学びなくして「悲しき
民」といわれるのはどうかと。その点だけ違和感を感じました。
上記の引用ですが、私も同感です。しかし、自らが背負っている歴史性と意識についての自問と洞察
・理解も大切と思います。
言うことが繰り返しになってきたのでこの辺で。。

えっと、ヤゾーさん、お返事が遅れました。

MTBですが、20代前半は日夜MTBで明け暮れていまして、大学の長期休暇には一ヶ月くらい旅にでていま
したし(現代的セブリをしながら 笑)故郷には未舗装(だいぶ舗装されてしまっていますが)の林道が
あちこちあるので山奥言ったり、かつぎ・押しで堰堤を巻いたり、藪コギしたり、雪の低山帯の林道に
入って峠越えしたりしていました。

ここ何年もしていないなぁ。。というか福岡に移ってから愛車がことごとく盗まれ、いいMTBを買うのに
まわす金がないものでして(苦笑
あ〜、晩秋の九州を走ってみたい・・・

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2002/11/08(金) 11:46<

 タカリの構造 と 蝦夷の俘囚

シバたき目玉のアングリしゃん、アマカネ。
 お蔭で「見よう!」という気がようやく湧いてきたばい。
 こうして覗けるようになってみると、ナァ〜〜ンだ、やっぱ コメにたかる虫とたいし
て変わらぬ「弥生このかたの人間史〜日本史」だったワケだ。

 イス取りゲームで、気がついてみたら、イス(開拓可能な田んぼ予定地)には、農村の
父ちゃん母ちゃんの子供たちが、お寺の和尚さんとかサムライ官僚の暴力をバックにして
入植し、イニシヘの金属精錬士たちが農村に入植する余地がなかった。それら浮遊人たち
が自己防衛のために生活協同組合を作っていた。……それも何種類もあった、というこっ
て‥‥。

 いまの不景気と同じ構造ですよコリャ。735年かかって実現させればよかったリッチ
な暮らしを、所得倍増とかで30年でやり遂げ、加えてゼニさえ持てば……と、バブルを
造った。“指数”が右肩あがりから、下向きになるのはアタリマエだ。
 農村の一軒には鋤が2ヶ、鍬が6本、鎌が4本あれば、それで鉄(その前は銅)の需要
がアタマ打ちする……などは見えてなかったワケだ。
 土地の値段だけせいあげたら、どうなるか、ワカランかったワケだ。

 金属精錬にかかわる人口だけがあぶれ者として残って、オニとなってワルサをする。
 更に農村が吐き出す次男三男(もちろん女性も)があぶれ出した。
 「旧体制のタカリ屋(シシミ……修験・神道・密教)を殺して、権力体制派の農村系を
新しいタカリ屋(坊主)に据えようとしたのが、蘇我 . /. 物部戦争の本質たらめ。

 蘇我と物部が咬み合ったらどうなるか……。おにぎり持ってないヤツのほうが、腹へっ
て負けるにきまってらァイ。
 物部系の○○丸さんたちはメッチャメッチャに殺された。
 しかし、皆殺しにするには及ばぬ。北のほうで、ヒエ、アワ、キビと牛馬で国造りをし
ながら、マツロわぬヤツらがいる。その国を取ってしまって、自分達の属国にすべぇ。
 物部残党を組織兵にしたてて、北へつれて行って、征夷大将軍だけがこっそりと都へ
戻ってきた。それも数十波。

 これが蝦夷の俘囚が形成された骨子でしょう。こんなこと、どこにも書いてないはず。

*(-..-)*ongly <http://www7.ocn.ne.jp/~iyasi> - 2002/11/08(金) 00:15<

真実は具体的である(レーニン)

バリ師さん
>「釣竿を使うから歴史的には非サンカ的漁法」と断罪された可哀相な
 確か八切止夫は「サンカ漁法はで道具を使わない」といってます。
 その意味では沖浦氏の本の場合は多分非出雲サンカと解釈できます。
 しかし三角寛の本ではサンカの子供がその辺りから切り出した竹を
使って魚を釣っています。中国地方では竿を使う漁法はトージンボ
(唐人坊?蕩尽坊?)とよばれる魚取りサンカも同じです。

 バリ師さんは”別の筋”でなく、真性のサンカ系と野史研究会では
認定しているようです。枕を高くしておやすみなさい。

らむねさん
 雑多な要素が混入しているから寺などの水に関する行事は観察して
もなかなか分からないのではないでしょうか。追求しやすく分かり
安いのは地名でしょう。水関係では水分、清水など。水分と追分は
似ているようです。追分は八切説が面白そうです。私の近所の水分
は別所のようです。別所を探索すると必ず清水にぶち当たります。
別所は東北に居た日本原住民の移配先(ゲットー)の地名です。

 また豆田は多分、狸田から由来してるの筈です。
野史呼び名辞典によるとマミ・マメは北陸方言でサンカです。
筑後川沿いにある久留米市西端には豆津という地名があります。

>滝があり そこは本尊が21面観音だったか とても奇妙に思い
>それは 祭ってあるものは巨石なのに 
 このような地形は不動・程・久保と呼ばれます。行き止まりの谷沢
になっていて陽があたらず、じめじめして・・・まるで女の・・・みたい。
 そうです柳田國男流にいえばホト(女陰)地名で、谷の者・矢の者
の住地です。八切はダル神を祭るとか、久保の民とかいいます。もち
ろん非農耕の民の地で産鉄族が関連していることが多いです。
 したがって元は山伏のアジ−ルで観音などを祭っていますが、紀州
熊野の大斎原のレイアウトと本質的に同じで、本来は別所なのです。
 椿と不動尊は下級山伏のシンボルと御本尊となっています。
 

NON <http://www.cty8.com/yoka/index.htm> - 2002/11/07(木) 21:36<
お久しぶりです。ようやく収穫の秋の一区切りがつきました。二年目の田んぼでしたが,今年は畑も手を広げ,地獄を見ました。
今日は1週間ぶりの晴れで,冬の間に食べる,大豆,小豆,さんど豆,さつまいも,八つがしら,ずいき等を,シートに広げ,干しておりました。
今年は冬が早そうです。今朝は初霜がおりました。

皆さんの会話は全然わからないのですが,人間を見つめる暖かいまなざしに惹かれ,ついROMしております。門前のおばん習わぬ…で,そのうち急に目が開けるかもしれません。

月1回,自家栽培の米,野菜で菜食喫茶をやっています。味は全くたいしたことはありません。物々交換可です。やることが色々あるので平日は対応しておりませんが,お近くの方は是非どうぞ。大体多くても7〜8人の御来店です。2〜3人ってこともあります。山に居ながらにして色んな人と出会え,お話ができるのが嬉しいのです。では又お元気で。

とんちんかん小僧 - 2002/11/07(木) 20:55<

「目に見えるものは、存在しない」

turukotさん
どうもすみません、また変に勘違いしてしまったようですね。

>サンカを迫害してきた側の方から同じようなことを言われたらどう感じられますか?

うーん、正直難しいことです。やっぱり、(迫害される側)一方の事しか考えていませんでした。
迫害する側もされてきた側もただ単に、いがみ合うのではなく、絶えず話会いの場を開いて、お互いを知るべきだと思います。そしてお互いを尊重し会うべきと思います。
そういう関係を保っていけば、平穏なる互いの同調による新たな歴史が生まれるように思う。私の方こそ、知ったかぶりな発言があったこと本当に申し訳ないです。

バリ師さん
丁寧なご報告ありがとうございます。お久し振りでした。
ときに、バリコって一体どのような魚ですか?ブリの仲間ですか。
教えて下さい。
実は、魚を食べるのは好きなんですが、自分の顔より大きい魚が怖いんですよ。
だから、“水族館恐怖症”です。幼少の頃より苦手としています。
それなのに、NHKの魚の生態についての番組好きなんです。
たまにデカイ顔の魚類を見て、「ウォー!」「うっぎゃあ〜」と奇声をあげたりしていますが・・

らむねさん
精力的なご投稿には大変痛み入ります。
昨日は、和歌浦の雑賀崎の方へ所用で出かけていました。
ここの町は、三十年ぐらい前までは、とても栄えていた町だったと言われています。
僕自身は、その頃のことは何も知らないので、ここに和歌浦についてのHPを幾つかご紹介しますね。

http://www.wakayama21.com/ ←和歌浦案内のホームページです。参考にして下さい。

http://www.nextftp.com/hitomi/wakaura/wakaura.htm
→このページには、和歌浦についての画像が幾つか判りやすく掲載された文章が載っています。

http://osaka.yomiuri.co.jp/otikoti/020924.htm
→このHPにも和歌浦の各名所の画像と解説が短いながらも丁寧に説明されています。


二、三日前に購入した『三途の川の渡り方』(光文社)という本があります。
書き手が水木しげるだったから即購入したのですが、ちょっと気になる重大な言葉がありましたのでご紹介することにしました。
以下本誌抜粋
<出典は忘れてしまったが、ぼくの好きな箴言(しんげん)に「目に見えるものは、存在しない」という
ものがある。網膜とちっぽけな脳ミソだけですべてが見えると思うのは人間の自惚れだ。第二次世界大戦で、日本は民間も含めれば三百万人を超す被害者をだしたのをわずか十年ほどでケロッと忘れ、昭和三十一年に『経済白書』で「もはや戦後ではない」と言いだした頃からおかしくなったとぼくは思う。>

目に見えるものは、存在しない・・随分前から、私のまわりで、そういう話題が成されていましたので抜け書きしました。
最初は、その話してもらった時、何て声をかけたら良いのか言葉が詰まってしまいました。
サンカももしかしたら上記の境地に早くから慣れ親しみ広い大地で、ノビノビと生活していたんでしょうか。

らむね <http://210.189.72.236/0016/1015/kazuma8.html> - 2002/11/07(木) 12:41<

こんにちわ

yanaさん 山の神神社ですか・・・福岡にも この地名があって以前 調べたことがあります。何も出てきませんでしたが・・
日本海にもあるのですね。。。そのような名前の神社が。。ここですか?ここは 何処でしょう。。これしか見つけられませんでした。。。
http://gifu.cool.ne.jp/kaore/meisho/meisho5.html

とんちんかん小僧さん 沢山ありがとうございます!見せて頂きました。<円空は生涯に12万体の仏像を彫刻したといわれているそうです>これは すごいことですね。。最初に作ったのは 阿弥陀如来のようですね。

それと サンカは ふとヤマタイコクに つながってるのかなとも思っていますが。。。それと ヤゾーさんの代理 お疲れさまです。何処かへ お出かけなんですね。
帰って来られて あまりの書き込みの多さに 驚かれるのでは・・・今日は少なめにと思いましたが・・・
良かったら 石のことについては カズマさんのサイトに いらして下さい。写楽さんも 時々 みえています。上に貼り付けます。

!('-'*)ngryさん<封印されたと思われる場所には何かの印が残ります。こちらでは鷹ノ巣山があり、結界となる(「鷹ノ巣を守る」と地元ではいいます)地には行基が・・・>
行基さんは いたるところで見かけますね。それと 夢想国師、役行者も かなりの。。。と感じています。そういえば 私の住んでる場所にも 心辺りあります。
川は 重要なポイントのように感じています。昔は水を支配、封印することで その土地の人々を行動を制約していったのでは。。。と思います。
東大寺の お水取りなんかは 青葉山から近江街道を通って 遠敷川(おにゅうがわ と 呼びます)の水を 12日かけて 流し東大寺で 水を取るという奇妙な祭事があります。水を封印することで 人々を支配することができると 信じていた・・または 知っていたものと思われます。
最近 水にも意識があるということが 言われていますので。。
後 近くの不入道と呼ばれる場所には 滝があり そこは本尊が21面観音だったように思いますが とても奇妙に思いました。それは 祭ってあるものは巨石なのに その巨石に観音が宿ったということで お祭りしてるのですが、、、、
やはり 川、小さな滝があり その滝の側には 沢山の仏像があります。
巨石を封印したと考えると あれっ・・変だなと思うことが いとも簡単に解ける気がしています。
それと 岩屋は そうだったのですね。。それで 気になったのですね。よく分かりました。ありがとうございますm( _ _ )m
それと<日田の豆田町はサンカ集落から発展したと予想します。>日田温泉の近くですね。川も沢山あります。。

バリ師さん はじめまして?バリは 最近 食べていませんが 背ビレが 刺さったら痛い魚ですよね

バリ師 - 2002/11/07(木) 10:55<

トホホホ・・・その2

「釣竿を使うから歴史的には非サンカ的漁法」と断罪された可哀相なバリ師でございます。

とんちんかん小僧さまへ最近の釣果報告。
10月27日居組バリコ6匹。
11月3日諸寄バリコ3匹。
11月6日揖保川ハエジャコ1匹。
釣れない釣り師、黙して語らず。以上

turukot - 2002/11/07(木) 05:23<

未明です・・・

とんちんかん殿、お返事ありがとうございます。

>記のように捕らえれば良いのですが、まだまだ曖昧にしか対応できていません。
>でも、それが生きている全ての人間の大きな課題に違いないと思っています。

私の言い方が抽象的で分かりにくかったですね。すみません。

 2002/11/04(月) 02:17 :とんちんかん殿
>悲して、苦しい歴史を背負って生きている民なのですね。
>サンカやインディアン同様に先住民というものは斯くも悲しき運命に弄ばれる
>しかないのですね

引用大変恐縮ですが、とんちんかん殿がサンカであるとして、サンカ以外の、とりわけ
サンカを迫害してきた側の方から同じようなことを言われたらどう感じられますか?

このように考えたら分かりやすいかもしれません。

私、偉そうなことを言っているようで落ち着きがありません。
が、自己を自らの系譜に繋げる試みの一つとして逆説的かもしれないけど、
このようなことを考えるのも大切ではないか、と思います。
実際背負っているあるがままの歴史性を軽視できませんから。

とんちんかん小僧 - 2002/11/07(木) 00:24<

失礼レス・遅レス

GAINAさん、ごめんなさい。
ずさんな管理人で本当にすみません。
紀和鏡さんの本の主人公の丹鶴姫のHPのご紹介ありがとうございます。
さっそく拝見させてもらいました。
へー、ちょっと驚きました。
僕は、源九郎義経と同じくらい彼の叔父にあたる行家(このHPでは、新宮十郎行家)が個人的に好きな人物なんですが行家と丹鶴姫が姉弟だったとは全く知らなかったっす!
うわぁ〜!紀和鏡の本を早く読みたいよ〜う!

turukotさん
世に広がりある物事のうちの身近に感じる出来事さえ、>他人事として捕らえるのではなく、自己の意識のあり方に問い掛けたらといいたいのですが・・

↑記のように捕らえれば良いのですが、まだまだ曖昧にしか対応できていません。
でも、それが生きている全ての人間の大きな課題に違いないと思っています。

らむねさん、Donglyさん
全国を行脚といえば、行基菩薩もそうですね。
空海とは、時代的なズレはありますけど

>木堀りの名人の円空さんと空海さんの つながりを調べてる途中なのですが 何か ご
>存知ないですか?・・・円空さんで 気になりますのは やはり岐阜の美並村なのです
>が・・・・

その事ですが、円空について、あまり知らなかったので調べてみました。
つながりは、僕もまた個人的に調べていきたいと思っています。
ごめんなさい。

この下のHPは、北海道にある円空仏の紹介がなされているところです。
http://www.hakodate.or.jp/hiyama/enku/default.htm

ここも少しだけですけど、北海道の円空仏について解説されているページです。
http://www.hakodate.or.jp/kaminokuni/history/enku.htm

ここは、らむねさんやDonglyさんが指摘された岐阜県美並村のHPです。
http://www.vill.minami.gifu.jp/minami4.html
↑のところにある、暦年表図によると、これまたDonglyさんの言っていますように、円空は寛永九年(1632)に美並村瓢が岳山麓で木地師の子に生まれたと書かれていました。

次に紹介するHPは、村国の郷歴史資料館です。
http://www.city.konan.aichi.jp/rekisi/enku.html
ここには、円空が音楽寺に寄進された仏像(十二神将像、荒神像、日光菩薩像、月光菩薩像)があるようです。ここに書いている解説で吃驚したのですけど、円空は生涯に12万体の仏像を彫刻したといわれているそうです。
64年の短い人生で、それだけ多く仏像を本当に製作しているとするならば、『何か』円空が探している或いは目指している何かがあったように思えます。単なる仮説ですが・・。

↑記のHPの中に、らむねさんやDonglyさんの求める答えがあれば幸いです。
無かったらすみません。

ヤゾーさん、至らない点がありましたら、また指摘して下さいまし。
“両面宿儺”が円空作だったのか〜、奇抜なモノを作る人ですな。
生で拝見したわけではないですけど、頭の中の記憶室には、カラー画像で記憶されていますよん。見れば見るほどに見事な出来映えですね。

紋次郎さん
すみません。全く言いつけを守らずに毎日夜更かししています。
昨日は、少しばかりハードなことが続いたので、12時には寝ちゃいましたが・・
まあ、最近のバカ(=アッポ)は風邪引かないって言うでしょ!
それにかなり変人なので、もう何年も風邪とは無縁ですよ。

ya(・ε^)naさん
アイタァ〜〜!な出来事ですね。
笑えない事故です・・釣り人にとって竿は命の一部ですから(言いすぎかな?)。
毎度思う事ですが身が無事ならば、おっけーだと思いたいです。
釣り道具とともに波に呑まれて竜宮城へ行って帰ってこれたらいいけど、現実的に難しいことですもんね。あー、無事に投稿するヤナさんがいてヨカッタですよん。

*(-..-):ngly - 2002/11/06(水) 13:59<

封印をあかす

紋次郎さん
 日出生台ですか。薩摩西郷軍と明治官軍の戦闘があったとか、今
陸上自衛隊の演習場ですね。椎谷も天満も関連地名でしょうか。
もしかしたら的ヶ濱事件関係の人が居住地かもしれませんね。
そいえば高久野というおもろい姓がありました。
 らむねさん
封印されたと思われる場所には何かの印が残ります。こちらでは
鷹ノ巣山があり、結界となる(「鷹ノ巣を守る」と地元ではいいま
す)地には行基が盲人・身障者・頼病人を集めて土方をさせたと伝
える「押谷」があります。信仰面は十一面観音が受け継がれ、地名
は小字の大門があります。一般には、石柱・鳥居・溝・堀・竹薮・
屋敷・川・関所・木戸・柵・山などで「封印」しています。または
留浦・積・関・封じなど番人地名が残ることもあります。
 最近考古・古墳学者にもこの観点から論じる人が出てきました。
すなわち環濠の外側に土塁ある作りは、矢切や菊地のいう別所や
三女のようなものではないか?と次のサイトで主張しています。
 http://www.komakino.jp/totteoki/okamoto-sotodorui/okamoto-sotodorui.htm
 

*(*..*):*ngly - 2002/11/06(水) 10:11<

空海と別所

らむねさん
日田の豆田町はサンカ集落から発展したと予想します。
九州サンカは日田代官所の走狗だったという説もありま
す。古い商店と代官所の関係を精査したり、広瀬タンソ−
に要注意です。交わった文化人に被差別部落関連が多いよ
うです。
周りにもサンカ・ユフイン・ノヤなどサンカ地名らしきも
のがあります。
 空海のことよろしくお願いします。空海は本来は行基と
同様文殊信仰の徒で、土木事業家で布教家でしょう。百済
人のようです。調査をして歩くと別所地名に関連してよく
出てきます。文殊は頭の良くなる仏だそうですから「頭の
悪い人」の信仰でしょう。稗粥をだしに仏話を聞かせ、
貧民・重疾病人を勧誘し、土木作業(土運び・石運びなど)
に雇用したために人気が出てきたようです。失業と飢餓の
時代に食を提供すれば効果抜群です。何時の時代も日本の
宗教は弱者を食い物にした冷厳な事実があります。

 岩屋は別所地名です。薬師堂のあった岩屋山を見て暮らし
ています。部落史を見ると被差別部落になって地方があるこ
とからもうらずけられます。

岐阜美並村の円空は乞食サンカ(お宝衆)です。調査に行っ
て分かりました。証拠はあります。地元では母が木地師娘だ
から息子もといいますが、私は母も息子と同じだと思います。
地元のその筋やファンが同族が多いのでしょうか、円空博物
館を建設中とか。

ya(・ε^)na - 2002/11/05(火) 23:09<

とほほほほほ

強風波浪とか高潮注意報とか・んんんん
 そんな予報でたら・・釣りなんか行ったらあきませんよ!!
危険が危ない!!ですもんね!!
こりんやっちゃねーーーぇ!!・・
  風裏にまわったら・・OKや・・
そんな、言葉に騙されたらあきませんよーーぅ
   そんなときは、おうちでのんびりTVでもみといてください!

やな・・日本海でえらいめにあいました!!
  釣り道具、強風にもっていかれました・・たいせつな道具・・
とほほほほほ・海に沈んでしまいました・・
             情けなーーーァ

     でも港の神社覗いてきました
        山ノ神神社でした・・

      一応おまいりしときました・・

しかしなんですねぇ・・ついてませんわ!!
  写真もとってきましたよってに・・ちかじかUPしますね

     でもアーーーーーーァ情けなーーーァ

焼尻紋次郎 - 2002/11/05(火) 21:50<

スス竹のふるさと

ミナシャァ〜〜ン、風邪ひいていませんか? 夜10時になったら△△して寝ていますか?

 ヤゾー親分さン、
> 鶏闘が神楽として奉納されているそうです。
★ こういうときの神楽たぁ、どういうことでしょうネ。ニワトリとオロチが格闘するんや
  ろカネ。
  こたえ……、kura は「語り」ざんすぜ!!
 
 日田からの流民(?)……。なぁ〜〜んも言えませんが、あの一帯には年に10日か15
日ばかり、雇われて“すす竹”を伐る季節労働者がいたと思われます。
 忙しいときには、数千人を必要としたでしょう。
 おらの母がたの里は代々飛重台、久住台に生えるスス竹の伐採を請け負ってきました。
 それら労働者のなかには、季節半ばに病いをえて寝付く者も出たでしょうし、不具者にな
る人もあったでしょう。
 おらの婆ぁさんは、いつも30名から50名のカタワ者やルンペンに、離れ間を解放して
「むげねぇのう、むげねぇのう」といいながら世話していました。

※ 今ごろ豊後を訪れると、高原に猫の産毛みたいな、淡い黄色のスス竹の群が見えます。
  スス竹は天子さまの御簾を作るってんで、先祖どもはえら〜〜く××だったらしい。
  一般には、巻き寿司を作る道具になります。
※ SUSU……パーリ語で子供。→童神 かな?
※ むげねぇ(かわいそうだ)……。新潟方言;めじょげ。気仙沼;もぞそがね。

 あっしの生まれ育ちは筑豊のチク(筑紫)。ケンカの巷“飯塚”、シェイシュンの紋。
 血がブンゴ(豊後)ですタイ。
 おらもウンコして寝るだ。

ヤゾー - 2002/11/05(火) 19:25<

両面宿儺

みなさん こんばんわ

らむねさん  飛騨地方ゆかりの漂泊の仏師・円空の代表的な作品に“両面宿儺”というのがあります。
両面宿儺は顔が表裏の両面にあり 手足が四本にして 山野を馬のように早く走り剣術にも秀でていたといいます。
仁徳天皇の時代に朝廷から逆賊として討たれてしまいますが 
飛騨(日田)では英雄とされ親しまれている謎の神さんだといいます。
その両面宿儺を祀り 円空作の両面宿儺も展示している飛騨高山にある千光寺の参道には 
四国八十八ヶ所の霊場の土が順をおって奉安されているとのことです。
飛騨地方には 太古に栄えた文明があったという話しもあり
日本のピラミッドとして また巨石群があることでも有名な位山などがあって気になるところです。

GAINAさん 闘鶏とは天ノ岩戸からアマテラスを迎える神事だったそうですね。
飛騨にある位山を神体山とする水無神社や日輪神社では
鶏闘が神楽として奉納されているそうです。
 

らむね - 2002/11/05(火) 16:55<

お邪魔します§^。^§ ←○○ノミコト

紋次郎さん<島原の乱の敗者が落ち延びた教会のある集 落もあり、サンカの拠点日田方面からサンカが流入したようです。>
九州に お詳しいですね。私も 最近 日田は 気になる場所です。耶馬溪がある場所ですね。
また これとは関係ないのですが 穂の国というサイトに書かれてあったのですが 崇神天皇が居た時代の ”日向”とは 対馬にあたると出ていました。。
そして 崇神は韓国から来た人?と書かれてあります。そうすると 一つ不思議に思うことがあります。。韓国には 五台山という山があるのですが この五台山はなぜか 四国にもあるんです。。これが ずっと気になっています。やはり 仏教の伝来とともに つけられた名前なのかなと。。。勝手に思っています。

それから とんちんかん小僧さん←おおっぴらぁ〜(笑)
岩屋寺・・・この岩屋という名前は 岐阜にも淡路島にもあります。空海さんは 全国を行脚した人ですので その場所は空海さん 縁の地では・・と思ってしまうところです。
また 木堀りの名人の円空さんと空海さんの つながりを調べてる途中なのですが 何か ご存知ないですか?・・・円空さんで 気になりますのは やはり岐阜の美並村なのですが・・・・私が勝手に感じてることでは 彼らが 彫った仏像は 木彫りが ほとんどです。その彫られたものを見ると アイヌの木彫りに似ています。そう感じました。荒削りで豪快に感じます。それで 私の頭の中に 空海さんは 北海道のアイヌの人々と接触、あるいは故意にしてたと想像を めぐらしてもいました。そのこともあって アイヌの出と書いてしまいました。
後 <繋がりないですけど、僕は石が好きで、何処かに行く度に石を持って帰る習性があります。>←繋がっています!めっちゃ繋がっています。。。
石ですね♪私も 歴史を調べだしてから 必ず石を持って帰っています。
空海さんも これまでの先住民の祭った神を封印するため または  奈良に そうさせられたか あるいは隠し温存するため 表向きは石や山を封印しています。
あるいは 先住民の神を封印しようとする意識体と つながった可能性もあり。。。
封印されたと思われる場所は 45番札所、岩屋寺・・・64番札所、前神寺(空海さんのつけてる この手の名前が重要な場所のようで・・・福井にも これに似た名前の寺があります)この場所は 後ろに石鎚山がそびえています。この山を封印 または隠したと思われます。

それと 如意尼とのロマンスに戻りますが 彼は あっちこっちに如意輪観音を祭っています。最御崎寺でも(最近 横浜で この如意輪観音が偶然にも 展示されていました。その他には 琵琶湖の南にある 石山寺という お水取りの行事がある場所(紫式部などを祭ってあります)ここの本尊も 如意輪観音です。 
今 この お水取りの行事に興味が湧いてしまっています(奈良の東大寺が有名です)

<悲して、苦しい歴史を背負って生きている民なのですね。サンカやインディアン同様に先住民というものは

先住民が祭っていた神を知ることが ほんとの歴史を知ることなのでは・・との思いです。それは 権力のために仏教を利用した 権力者の犠牲になったものと思われます。そのために 寺は焼き討ちが あっちこっちで行われました。これは 先住民の ささやかな抵抗だったと思われます。
それで 寺に榊のある場所が 怪しいと 思っているのですが。。。そうすることで それまでの先住民が祭った神を 共存させることで 心を沈めた?

turukot - 2002/11/05(火) 02:19<

他人事ではない

とんちんかん殿
>一方だけを捉えるのではなく、もう一方の体制にも目を向けていないといけませんね。
>ただ悲しむだけでは、ことは片付かないし、その先を見据える事の方が大切ってことですね。
>現実の自分自身にも当て嵌まりそうな言葉です。

当事者の方々は自己憐憫的悲しみにはひたっていないと思う。
逆にそういわれることに当事者の方々は腹ただしく感じたりしないのだろうか?
他人事として捕らえるのではなく、自己の意識のあり方に問い掛けたらといいたいのですが・・
もちろん私は大きなことはいえません。私自身にも向けて述べています。
だれによって翻弄されてきたの?自分自身は翻弄してきた側と無関係ですか?

前のスレッドでおふざけを交えたのはマズかったです。反省

とんちんかん小僧 - 2002/11/05(火) 01:01<

あ、そうなんだ〜!

紋次郎さん
昭和天皇の口癖なんだ。へ〜知らなかったです。
普段から僕もよく使っている言葉なので親しみやすい方だったんでしょうね。
裕仁さんが亡くなった時、自分の爺チャンが亡くなったような悲しさがありました。
崩御された時の新聞は、大事に机の引き出しに保管しています。

らむねさん、ハハハ僕の勘違いでしたか。失礼。
巨石調査を・・なにやら、こちらもワクワクしてきそうな事をお調べになられているのですねえ。また調査結果を発表して下さいね。
繋がりないですけど、僕は石が好きで、何処かに行く度に石を持って帰る習性があります。

turukot(-,.-9モヒモヒ〜さん
モヒモヒ〜には思わず吹き出しそうになりましたよ。

>周囲の先住民を傷つけてきた、またはそのような体制・風潮に加担してきていることか
>ら目をそむけないようにという留意はあります
>今の自分の立場で何ができるか自問したいと考えております。

一方だけを捉えるのではなく、もう一方の体制にも目を向けていないといけませんね。
ただ悲しむだけでは、ことは片付かないし、その先を見据える事の方が大切ってことですね。現実の自分自身にも当て嵌まりそうな言葉です。ご教示ありがとうございました。
大武丸伝承何時まででも待ちますよん。

ヤナさん、バリ師さん、この三連休は釣り行かれたのですか?

turukot(-,.-9モヒモヒ〜 - 2002/11/04(月) 21:28<

とんちんかん殿

>悲して、苦しい歴史を背負って生きている民なのですね。
>サンカやインディアン同様に先住民というものは斯くも悲しき運命に弄ばれるしかないのですね・・

サンカの方々の自意識はよくわかりませんが、私は自分の系譜、または土着の人間であるという意識を
大切にすることは大いに意義があると思いますが、同時にそのような系譜から引き離され、周囲の先住
民を傷つけてきた、またはそのような体制・風潮に加担してきていることから目をそむけないようにと
いう留意はあります(欺瞞に陥っていることは否めませんが)。
それから私は悲しむ・・よりは当事者と交流したり学んだりして今の自分の立場で何ができるか自問し
たいと考えております。

大武丸伝承についてはもうちとまってくらはい。

らむね <http://member.nifty.ne.jp/ttt_ttt/field/kannnoji/kannoji.htm> - 2002/11/04(月) 11:51<

空海さん

turukotさんが 書いて下さった<空海は讃岐の佐伯部の戸口であり、移住されたエミシということでしょう。>この意味で 言ったつもりでした。言葉が足りなかったので訂正させて下さい。 
とんちんかん小僧さん 空海さんについては 私も大好きなんです!彼の軌跡を追って 今年の春、お友達3人と調べておりました。
現地取材ということで 名古屋の方に 神戸の神呪寺に 行ってもらいました。(私は行っていませんが)私が探しておりますのは 巨石で 空海さんが封印されたであろう 巨石調査ということになるのですが。
http://www.ne.jp/asahi/tanba/kirinosato/HANSINgorogorodake-docu.htm#taishi ←ソラジンのことが書かれたページです。
この寺の 如意尼という人は 籠神社の娘の真名井御前が 淳和天皇と結婚し その後 折り合いが悪く 離婚し 空海に帰依、 寺を建ててもらっています。下のページの真ん中辺りに ソラジンという 如意尼と空海が封印した神のことが 書かれてあり 大変 興味が湧いていました。
また この如意尼と空海を調べてるうちに 二人のロマンスも 囁かれていたようで 昔でいう 尼さんと お坊さんというのは 禁断の仲だっただろうなと つらい思いを 想像したり・・・
どちらかというと 霊的な部分や その時 生きていた人の生の心情が 素敵に感じてるところです。
空海さんという名前にしましても 空と海・・・彼は 四国の室戸岬の突端である 24番札所 最御崎寺で 星が口から入るという壮絶な 体験をした後 幼少名”真魚”から 空海という名前に改めています。彼は 空を感じ 海の広大さを感じていた人なのでは・・と想像する時 憧れは尽きないものがあります。
それでも 時の権力者の背景での(奈良の それまでの仏教でしょうか) 仏教という枠の中で 制約もあったものと思います。
それで それまで以前の 民衆が祭っていたものを封印せざると 得なかったのでは・・・・と または 霊的に いろんなものを見ていたとなると 違った意識体とも つながっていた可能性もあると 考えています。 

上に貼り付けましたのは 神呪寺なのですが 甲山に向かって 赤い鳥居(この鳥居の色も気になるところです)があります。山を神とする風習が 寺の中にあり神仏習合となっています。この神仏集合についても 興味のあるところなのですが。。それで 彼は仏教を推進したと同時に神も祭っているという不思議な形態を取っています。〆(^∇゜*)  

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2002/11/04(月) 06:25<

シンゾー病みにつきあわせる

目ン玉ぐるぐるアングリしゃん、気ぃつかわせてスマンなも。
 目づまりクセは辞典作ったときにできたんやろナァー。ワカル・ワカル。
 おらの希望は、下記の如し横でなぐってぇ縦スキマじゃて。希わくば……。

        ……………………

 そして筑後川と連山に挟まれた所にはサンカ系と思われる地域が点在し、被差別
部 落からは強固な運動家を出しています。
 島原の乱の敗者が落ち延びた教会のある集 落もあり、サンカの拠点日田方面から
サンカが流入したようです。

 吉井町には素潜り漁師の川魚料亭があります。山南側のサンカ温泉は湯が膝まで
だったのは強烈な 記憶です。山伏由来の村・星野村には、地名では女郎集落や
イボロ(ハチヤ)ーー軍事・密偵サンカの集落すらあります。
 地名に使われる漢字は当て字、これが原則のようです。漢字は本来日本語でなく、
中国語であることを肝に銘ずべきです。

 サンジョ地名は中世の日本人を考える場合 不可欠です。
 歴史的には別所を通してサンカに関連があるとする文献もありますが、 三条、三朝、
三篠、算所、産所、散所、蚕所、三所、山所、三上、山椒、三女、蒲 所、山城など枚挙
に暇がありません。
 鳥取県で「サンジョ下がってカワヤにかごめ」といわれたように、八切止夫はサンジョ
は別所の流れを汲む、先住民のゲットーといいますし、八切の原住民史観の中核の一つは
このサンジョです。

 昔は歌としてはやった「三丁目三番地」の「意深性」に思いを致す必要があるようです。
地図を見ると他の当て字を使ってるかもしれません。
 どうでしょうか。本の上での嘘か真実か不明の物語にしないで、 自分で確かめて
見ませんか?

       ……………………
※ 古代の国際感覚では「サン」には、ひとつには「修行」とか「修行者」という意味があ
  りゃせんやったやろかァーと、思うちょります。サンシタ、やりくりサンダン、など。
  サンナイ・丸山遺跡のサンナイとは鍛冶屋の下働きの職人だと睨みつけました。
  ですから「サン=下、身分の低い」も派生しましょう。なも, turukot しゃん。
  ネパール語でサンヤーシは修行者です。

  あ、このへんで言うちょきましょう。ネパール語はインドへ侵入した白人・ア−リア人
  の語彙がワンサと入っていますが、そのア−リア人の群は、BC.1500年迄は、らむね
  さんがおっしゃるようにウズベキスタンあたりで、そこらからまっすぐ日本列島に来た
  ご先祖さまたちもいたんです。
  だから昭和天皇のくちぐせ「あ、そう」は英語と同じダッタんデス。うん、そうダヨ。

とんちんかん小僧 - 2002/11/04(月) 02:17<

怖いモノ見たさ

何時の間にやら投稿が・・どえらい増えましたね。
一昨日、映画『リング』を久しぶりにTVで見たら『貞子』の事が頭の中を駆け巡っていて、とても掲示板を見る状況になれませんでした。
らむねさん、先月半ばぐらいから管理人代理を任されていますので勘違いされたのだと思います。ゴメンナサイね、判りにくくしちゃって。ハンドルネームも私自身、とても気に入っている名前なので恐縮なんてしないで下さいませ。
ヤンケシリの解説ありがとうございました。
空海のアイヌ人説はどのような文献から知ったのでしょうか?
turukotさんが言っていた事の繰り返しで申し訳ないことですが、空海は通説によると、宝亀五年(774)六月十五日、讃岐国多度郡屏風が浦において誕生したそうです。
父は、地方豪族で名を佐伯直田公(さえきのあたいのきみ)といい、母方は阿刀(あと)氏という渡来人系の氏族で、その系統から伊予親王の侍講(じこう)を務めた学者、阿刀大足(あとのおおたり)がいます。空海も若い頃、この叔父から学問を教わっていました。
恐らく、何かの本で読んで知っている内容かと思いますが、空海さんについては、ちょっとした事でも噛み付いてしまいます。弘法大師空海という人間が好きなんですよ。それに卒業した大学も空海に最も関係がある学校の一つでしたから。

紋次郎さん turukotさん
質問に答えて下さってありがとうございます。
悲して、苦しい歴史を背負って生きている民なのですね。
サンカやインディアン同様に先住民というものは斯くも悲しき運命に弄ばれるしかないのですね・・(泣)

*(-..-)*onglyさん ヤゾーさん
ああ、やっぱりあるのですね!
確か、初めてサンカについて紹介したのが柳田國男だと思っていたのに、著書が無いのはオカシイなと思っていたのですが、てっきり発禁処分されて柳田以外の人による書物からしか知ることができぬものと思っていました。また図書館にでも行って紹介して頂いたご本読んでみます。Donglyさんの言う熊楠とサンカの関係も調べてみます。
紀和鏡さんの本、また購入せなあかんけどお金ができてからだなあ〜。

四国に狸ならぬ狐の話があるなんて初めて知りました。
狸の話なら徳島県にかなりの数ありますね。
特に、狸vs狸の対決で有名な「阿波狸合戦」が有名です。
その勝負に勝利した「金長狸」の奉っている神社が、日峯山の中腹に位置する金長神社にありますが訪ねる場合、車道が無いようですので、ちょっとした山登りの覚悟がいりますよ・・道中、化かされないように注意しましょう。

GAINA - 2002/11/03(日) 23:38<
こんばんは。

ヤゾーさん紹介の丹鶴姫ですが・・・。
佐藤春夫や中上健次を生んだ和歌山県新宮市の
丹鶴城址と丹鶴姫の紹介ページです。
http://www.city.shingu.wakayama.jp/bungaku4.htm
熊野別当・田辺市闘鶏神社の湛増(武蔵坊弁慶の親)の攻防など
いろいろ紹介されています。

*(@。。@)*ngly - 2002/11/03(日) 22:52<

紋次郎さん

※ ところでオネガヒ。もう少し文字にスキマあけてくれへんやろカネ。
 具体的にはどうしたらよいのでしょうか?
 1)もうやめて!お願い!! → や め る の や め て ! お 願 い ! !
 2)だめ!→だっっめ!  だ〜め!  だ〜っめ!  だあ〜め〜っ!  つだーめっ!
 などいろいろ考えていますが好い案がありません。失礼しました。
 

らむね - 2002/11/03(日) 20:42<

こんばんわ

ヤゾーさん ありがとうございます。ここの掲示板 何故か居心地がよくて・・・管理人さんは ヤゾーさんですね。みなさん 和気あいあいだったので 管理人さんを間違っていました。とんちんかん小僧さんと思い リンクの申し出をした書き込みがありました。ごめんなさいm(_ _ )m

<剣山の近くの東祖谷村には栗枝渡(くりしと)神社という鳥居のない珍しい神社があるそうですね。神社にある由来書によれば 元は栗須戸(くりすと)神社と呼ばれていたそうです

この情報は 私にとって 興味深い情報のように感じてしまいましたので gaiaxで 取り上げさせて下さい。よろしくお願いします。

紋次郎さん 中央アジアですね。私はウズベキスタンが 気になっています。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2002/11/03(日) 17:14<

オタス と サンゲ  

turukotしゃん、ナマのたたきもあったカネ。あがあが。
 洞爺湖の西南、豊浦の M 旅籠がシャケの料理を朝食に出してくれたんですよ。
 そのまま白老のポロト・コタンさ行ったら、アイヌの女傑から「おめぇさん、
シャケのナマ肉くったべ? わが民族は絶対に喰わなかったよ」と言われたことが
あったので、ついつい……デシタ。
 あれ、けっこう臭うので、猟にはジャマだったでしょうネ。
 アイヌが沖の岩の上に寝ているトドを狙うときは、イケマの根を口に含んで次か
ら次に棒を継ぎ足してアクセスするそうです。やっぱ、ナマ・シャケを日頃から
喰っていたんかもしれんよな。
 この「継ぎ足し棒で突くこと」をイクイラといいます。フランスとスペインに挟
まれているピレネーのバスク人は「獣を棒で突くこと」をアクイラいいますだ。

 オタスの杜というのがヒントになって「オタシュツ・アイヌ」という高貴な一族
の出自が中央アジア(アフガニスタンあたり)のタジク人であることがバレたので
した。火のことを「オタシュ」などという氏族はほかにおらんモンネ。
※ 天竜川を縫って走る(旧)国鉄飯田線は、この天才氏族の測量の結果、敷設が
  可能になった。その天才英雄がオタシュツ・アイヌの川村カ子ト・エカシ。
※ オタシュ末尾の“シュ”は何らかの限定詞らしいが不明。されどオタが日本語
  では「アタ」となって、→ 愛宕(火・神)、「火にアタる」、「暖かい」。

 目ン玉ぐるぐるアングリしゃん
 きのふ中央アジア調べで昔のメモ見ていたら、「サガ・サンゲ」なるラクガキを
みて、オヤと思ったところへ貴兄の「サンジョ」でした。
 ♪ 安木せんげ〜〜ん アラエッサッサァーー
 sanga はネパール語で「○○と共に」「○○といっしょに」という助詞(?)
になっていますが、あっちこっちの氏族で慣用されたのち、別の意味になってる可
能性のこれあらむか。「サンカ」もおおいに臭うナァー。
 サガ・サンゲとは「一種の共同体」だそうです。→ シャカ族周辺。
 ※ ところでオネガヒ。もう少し文字にスキマあけてくれへんやろカネ。おらこ
   のごろ心臓がわるくって、見るだけでイキがつまるげな気になるとばい。

ヤゾ− - 2002/11/03(日) 11:33<

夢熊野

みなさん こんにちわ

tuyaさん 素敵なお話を紹介して下さり ありがとうございます。
動物にも仲間を思う感情があるのでしょうね。

朝やけ小やけだ 大漁だ 大ばいわしの 大漁だ はまは祭りの ようだけど
海のなかでは 何万の いわしのとむらい するだろう

という金子みすずさんの詩を思い浮かべました。

:(^0^)*nglyさん 鵜飼いを見たことがありますが
一人の鵜匠が一羽の鵜を操る徒歩漁法でした。
一人が数羽の鵜を操る鵜飼いよりも 鵜に対する優しさのようなものを感じました。
鵜を入れてある籠など 竹細工が幾つか目に付きましたが
川漁と竹細工というのは 深く結びついたものなのかも知れません。
熊楠は 意識的にサンカ等の話題を避けていたような気がします。

とんちゃん 定本 柳田国男集第4巻「イタカ及びサンカ」というのがあります。
熊楠の著作の幾つかは ネットでも読めるようです。

紋次郎さん そういえばギリヤーク尼崎という舞踏家がいますが
一度路上パフォーマンスを見たことがあります。
凄い迫力に圧倒されると共に とても純粋な方だと感じました。
鬼気迫る念仏おどりの後に 地面に大の字になり
子供のように「おか〜さ〜ん」と叫んだときには思わず胸が熱くなりました。

らむねさん 四国とキツネについての話しは聞いたことがあります。
ぼくが知ってるのは キツネが四国に現れることは悪い知らせだというものでした。
四国にはいろんな不思議な話しがあるようですが
剣山の近くの東祖谷村には栗枝渡(くりしと)神社という鳥居のない珍しい神社があるそうですね。
神社にある由来書によれば 元は栗須戸(くりすと)神社と呼ばれていたそうです。
素敵なホームページですね。

turukotさん マウンテンバイクで山めぐり いいですね。
山奥の林道をオフロードバイクで走っているときに
関東の方からマウンテンバイクで旅をしているという青年と会って話しをしたことがありました。
それからしばらくはマウンテンバイクが欲しく仕方がありませんでした。
山村でも マウンテンバイクなら立派な足になるのかもしれません。

紀和鏡さんの新しい本がでたようです。
平家と源氏の栄枯盛衰の時代 いくつもの宿命の糸に操られ 多彩な生涯を生きた丹鶴姫が主人公。
熊野の闇の奥深さは歴史そのものの深さである。
源氏一族と義経らを陰で支えながら 熊野の闇の支配者・丹鶴姫は何を画策したのか? 
戦乱の時代、熊野を中心に新しい視点で描いたドラマチックで壮大な歴史長編だそうです。
『夢熊野』 集英社 四六判 /632頁 3500円+税 です。

*(@..@)*ngly - 2002/11/03(日) 11:28<

サンジョはセブリ

らむねさん
>架空の動物が 山の上で背中を振ったので そうなったと書かれてあるのを最近
>読んだ。穂の国サイトでは、瀬降と背降は、同じという。由来が同じのようです?
 福岡筑後川南に連なる「みのう連山」別名は背振山のこと。架空の云々の根拠は
何なのでしょうか。説明に困った不勉強な学者や郷土史家の語呂合せとみます。
著名人の語路合せが市町村史に平気でのってることもあります。
 背振山の高良山(こうらさん)は読みからは別所という方は凄い人です。
また高良神社には現天皇家と全く異なる天皇の名がかかれた天皇家の系図があると
も言います。そのため驚くべき事に八女にある古墳は昭和39年まで筑紫の岩井(
新羅系です)のものと公言できなかったようです。現天皇制が真実の日本の歴史を
隠蔽するに使われているのです。
そして筑後川と連山に挟まれた所にはサンカ系と思われる地域が点在し、被差別部
落からは強固な運動家を出しています。島原の乱の敗者が落ち延びた教会のある集
落もあり、サンカの拠点日田方面からサンカが流入したようです。吉井町には素潜
り漁師の川魚料亭があります。山南側のサンカ温泉は湯が膝までだったのは強烈な
記憶です。山伏由来の村・星野村には、地名では女郎集落やイボロ(ハチヤ)ーー
軍事・密偵サンカの集落すらあります。
 地名に使われる漢字は当て字、これが原則のようです。漢字は本来日本語でなく、
中国語であることを肝に銘ずべきです。サンジョ地名は中世の日本人を考える場合
不可欠です。歴史的には別所を通してサンカに関連があるとする文献もありますが、
三条、三朝、三篠、算所、産所、散所、蚕所、三所、山所、三上、山椒、三女、蒲
所、山城など枚挙に暇がありません。鳥取県で「サンジョ下がってカワヤにかごめ」
といわれたように、八切止夫はサンジョは別所の流れを汲む、先住民のゲットーと
いいますし、八切の原住民史観の中核の一つは、このサンジョです。
昔は歌としてはやった「三丁目三番地」の「意深性」に思いを致す必要があるよう
です。地図を見ると他の当て字を使ってるかもしれません。
 どうでしょうか。本の上での嘘か真実か不明の物語にしないで、
自分で確かめて見ませんか?

らむね <http://free.gaiax.com/home/timeshower> - 2002/11/03(日) 07:32<

空からの伝言

の本がドリームブックから出版化されそうです!見本として電子本となっていますので よかったら ここから読んでください。
それと メンテナンスが充分では ないのですが 空伝より歴史を追った 私のgaiaxのページです。
http://free.gaiax.com/home/timeshower←
turukotさん 浮羽から星野村、私も行きました!山の中の棚田を抜けて 星野村から浮羽へ ぶどう狩りに行きました。それと
<アイヌ民族は先住しているのであって、「開拓」による同化と搾取と生活圏の破壊を強いられたのです。空海は讃岐の佐伯部の戸口であり、移住されたエミシということでしょう。アイヌ・・と断ずるかどうかは慎重であった方がいいのでは?と思いますが・・・

そうでした。。そういえば 讃岐の出でしたよね。ほんとに 言われる通りです。教えて頂いて ありがとうございます。
onglyさん 福岡の背振の名前の由来について 地方紙に書かれてあったのですが 昔からの架空の動物が 山の上で背中を振ったので そうなったと書かれてあるのを最近 読んでいました。また 穂の国というサイトを読んでいたら 瀬降と背降は、同じということでした。由来が同じのようです?

turukot(-,.-) - 2002/11/03(日) 01:36<

補足

紋次郎さん
>アイヌは絶対にサケのナマ肉は食べません。寄生虫がいるからです。

サケのチタタプ(たたき)というのがありますよ。寄生虫は水洗い時に注意して除去してから
たたきます。

>>「開拓」による同化と搾取と生活圏の破壊を強いられたのです

「開拓」以前の中・近世の過程も同様にありましたね。

turukot - 2002/11/03(日) 00:41<

オタスの杜

らむねさんはじめまして。お返事遅れました。
>turukotさん はじめまして。大分ですか。知りませんでした。でも大分は耶馬溪などがあって
興味深い場所ですよね。

数年前、MTBで秋の浮羽町〜合瀬耳納(おうせみのう)峠〜星野村〜前津江村〜日田と晩秋の日田〜本耶馬溪を走ったことがありました。

ヤゾーさん、こんばんは。
>turukot(-,.-)vさん 津江山地の地が抜けていました。
>津江山地にあるのが酒呑童子山のようです。

熊本県菊池市に近い、上津江村と中津江村との村境にあります。

とんちんかんさん
>ニブフ族やウィルタ族について、彼等について個々の歴史、生活、
>現在日本にどのくらいの人が暮らしているんでしょうか?
>アイヌ人とは、全く異なる民ですか?教えて下さい。

2族とも樺太アイヌなどとともにサハリンの先住民(二ヴフの半数位
はアムール河河口域にも)です。
あと、シベリア・満州に広く分布するエベンキ族(キーリン)という
ツングース系の先住民もいます。かつてはウリチ(サンダ―)も。
アイヌ民族とは異なりますが、文化要素的に共通・近似のものが
見受けられます。隣人同士ですから。

1905年日本が日露戦争により樺太南半分をロシアから割譲してから
1945年までの40年間日本領でした。日本・樺太庁は資源を確保する
ための殖民政策を進めていく上で彼らを一定の場所に定住させる政
策をとりました。樺太アイヌとそれ以外の先住民族(大正末にヤク
ート[サハ]も加えられる)と2分して政策を執り行い、樺太アイヌに
対しては領有後すぐ10箇所の集合指定地に部落形成され、やがて北
海道対雁などに強制移住され、創氏改名をしかれました。

ウィルタや二ヴフ、ウリチ、エヴェンキ、ヤクート(サハ)もサハリ
ン中部ポロナイスク(旧敷香)近くのオタスの杜というところに集住
され、やがてオタス自体が「見世物」にされました。
「土人」と差別され民族の尊厳を剥奪しました。
また日本語教育などの同化政策も行われ、1942年に国境50度線の管
理と北サハリン諜報のため召集されました。ソ連侵攻後日本は無条
件降伏し、60名あまりの先住民の「日本軍人」の方々はスパイ容疑
でシベリアに抑留されました。
少数の日本在住の方々は樺太アイヌと同様、日本という国を選択せ
ざるを得ない状況にあって現在も暮らしているとのことです。
差別と偏見と尊厳剥奪への謝罪と解消がない状況下で名乗らない方
もおられるとのことです。
(参考文献:北方少数民族資料館ジャッカ・ドフニ 展示作品集[改
訂版]ウィルタ協会 2002)

ウィルタ:http://homepage2.nifty.com/jakka_duxuni/

狩猟と漁労、トナカイ牧畜を主な生業とする。言語はツングース
・満州語族。伝統居住地はサハリン中北部。

ニヴフ:http://www.raipon.org/Web_Database/nivkh.html

狩猟、海獣猟、漁労、採集を生業とする。言語は孤島状であり、
コリヤーク、チュコト族などとともに便宜的にパレオ・アジア
語族に含められる。

紋次郎さん、おっしゃる闘争伝承は二ヴフでなく、ウィルタと
記憶していますが・・・・

ふたたび、らむねさん
>アイヌの開拓の地であったことは 間違いないようです。
>ちなみに 空海さんは アイヌの出だそうですね。

アイヌ民族は先住しているのであって、「開拓」による同化と
搾取と生活圏の破壊を強いられたのです。
空海は讃岐の佐伯部の戸口であり、移住されたエミシというこ
とでしょう。アイヌ・・と断ずるかどうかは慎重であった方が
いいのでは?と思いますが・・・


*(-..-)*ongly <http://www7.ocn.ne.jp/~iyasi> - 2002/11/03(日) 00:06<

タヌキと翡翠

とんちんかん小僧さん
>柳田國男は著書の中でサンカ名称をズバリ使っていた?
 使っています。柳田國男全集の索引編を引かれると出てきます。
例えば、サンカの明治・大正期の居住形態についてセブリだけで
なくサブリ、サンカ宿、長屋、借家などをあげています。昔佐振
信という俳優がいました。現在は都市の公園にリストラ組が青シ
ートでサブリを張っています。セブリだけでなくサブリの方へ
の熱い思いも欲しいものです。セブリのみをサンカとするのはサ
ンカの歴史を矮小化するものです。実際この熊野ライフに出入り
する熱心なサンカファンの中のサンカの末裔が背ぶったという話
は聞きません。また本来のサンカは賤民ですから、自らの好奇心
を満たすだけの欲望のタメに大衆の面前に身をさらすようなこと
を期待するのも考え物ではないでしょうか。
良く観察すればサンカの特徴は分かるもののようです。私の近所の
その筋の方は、本を読むからその他の方より少しましのようですが
子供もいませんし、働かず何のタメに生きてるのか理解できません
が、お金が要れば「草むしり」へ出ています。下層社会関係の本に
は大正・昭和の時代にサンカの職種に「草むしり」とあるのを見て
愕然としました。
 私の直感からいえば熊楠はサンカでしょう。確かめてみて下さい。
tuyaさん
 タヌキ・マメを芸名に使う芸能人はその関係者といわれます。
また東京のソ連大使館のある狸穴(マミアナ)はサンカ関連地名です。
あの辺り歩いた事はありませんが、ネットで散歩すると、それらし
い形跡があります(歴史民俗学に書きました)。カワセミ(川蝉・
翡翠)も隠語です。もちろんヒスイでも同じです。有名なのは埼玉県
居の河原です。ネットで見ると遊覧舟がでています。サンカの居着き
集落らしい地名もあります。
タヌキとカワセミの共通項は?。そう近寄るととても臭いそうです。
そうなると美人の誉れ高かった鳥追女も臭かったのでしょうか。
 こんど鳥追町の女を調べておきます。

tuya - 2002/11/02(土) 21:23<

レスありがとうございました

>(^0^)*ngly さん<サンカが狐でも熊でも猪でもなく「狸」だと呼ばれていたところがおもしろいと思いました。どういうイメージなのでしょうね?狐だと嫌な感じだし、熊や猪だとこわそうですが、狸ということは・・・。トウシロウにとってサンカ集団とは、どこか異世界の住人のようで、でも親しみがわくような、そんなイメージだったのでしょうか。

らむねさん>はじめまして。その言い伝えのお話も興味深いですね。なんらかの史実を伝えるものでしょうか?興味が尽きませんね。ところで、らむねさんのページに飛んでみました。美しい絵柄のカードですね。あんな空を飛べたら気持ちいいでしょうね。

らむね <http://www.hoshinet.jp/card/menu/013.html> - 2002/11/02(土) 16:31<

こんにちわ

(^o^)*ngryさん 詳しく教えて頂いて ありがとうございます!
四万十川ですね。昨日 本で この時期 四万十川と物部川流域では ドロメ(イワシや白魚の稚魚=ちりめんじゃこ)が 沢山 取れると書いてありました。
九州では この干したものを ちりめんじゃこと言いますが。。この辺りでは 生で食べるようですね。踊り食いですね。

ヤゾーさん 「縄文時代まで遡る漁法であると推測する」のページ 見せてもらいました。すごいですねぇ。。縄文まで さかのぼってしまうとは・・・イメージするだけでほのぼのとしてしまいます。ありがとうございます。

tuyaさん はじめまして!そういえば 狸と四国の話題ですが 私も気になってたことです。
最近 出た ヤマタイコク四国説を唱えた 「古代ユダヤと日本建国の秘密」という本を読んでいましたら 四国に次のような お話しが語り継がれているとありました。
「弘法大師さんは 四国の大事なものを封印なさった。そして瀬戸内海にカネの橋が架かる時 その封印が始めて解ける。また この四国にはタヌキがいっぱいいる。そして瀬戸内海にカネの橋が架かると その橋を渡って キツネが沢山 四国へ帰ってくるのだ 。」

空海は香川県の生まれですが この話は口伝えで 連綿と伝えられてるようです。でも おもしろいことに その言い伝え通り?に 1988年に瀬戸大橋(カネの橋?)が架かり 1999年5月には3ルート(神戸などの自動車道)が完成した。。と書かれてありました。
となると これは 逆の説も 言えるのでは・・・と思いました。

とんちんかん小僧さん←このまま お呼びしてもいいのでしょうか^^:恐縮してしまいますけど。。ところで ヤンケシリのことですが ”シリ”とは アイヌ語で 山という意味で その他に 島や大地という意味があると書かれてありました(参考文献=中学地理です)北海道の島で シリのつく名前の島は レブンシリ・リシリ・イクシュンシリ(奥尻)などがあります。どの島も 動物と植物の共存が すばらしい場所のように感じました。それと アイヌとの関わりですが あまり詳しくなくて ごめんなさい。ただ 北海道の至る所 アイヌ語での地名が残っているようですね。アイヌの開拓の地であったことは 間違いないようです。ちなみに 空海さんは アイヌの出だそうですね。

<らむねさん、アマカネ(これニューギニア高地石器時代人挨拶、イミシンにして至便す)。
 『こころは いつもラムネいろ』……アマカネ。ラムネの色は「いのち」の青でしょうか? ram(こころ)ne(である・のような、指導者)。
(*´、`)ノ"・・・・・・・ うわっ 照れてしまいます。らむね色の空 カードにしてもらいましたので 上に貼り付けました。
<ウラボンのボンの意味はわかりました。でも、ウラがわかりません。なにかあったらお教えください。
分からないのです。ごめんなさい。気にかけておきます。
<ヤギシリ・オンコご覧になりましたか? 昇天の龍(アララギ……鉄文化)です。
いえ 知りません。。。アララギ?・・・アラハハバキについては 独断と偏見で調べています。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2002/11/02(土) 16:13<

 ギリヤーク……ちょとだけよ 

とちかんさん、おらはニブフ(ギリヤーク)もウイルタ(オロッコ)も殆どナン
にも知りません。ただ、語彙集とか辞書を、他言語とつきあわせてみたことがあ
るだけです。とにかく両民族とも人数は、少なく北海道にいるのは1人とか2人
です。あとは樺太やアムール河周辺です。
 北海道にもいろんな氏族がいたのだが、それら氏族が統一言語を得た……、そ
れがアイヌ語ではないかと想っています。
 戦争やユーカラ謡いなどがその統一作業をおおいに促進させたことでしょう。
 
 ギリヤーク語は周辺言語とはヒジョーにかけ離れた言語で、その帰属は永いあ
いだナゾでした。
 ところが、あっしが、さいきんベトナム語をみている傍らで、くるぶしさんが
調べてくれたお蔭で、ベトナム語の周辺には58(この数字は間違い)の少数氏
族語があることが判りました。
 そこで、ギリヤーク語の特徴……語頭につく「NG-」や語尾の「-und」は、そ
れらの人びとと同じ発音クセだとの確信するに至りました(この検討つけは世界
初なんでっせ)。
 江戸、入り江の e や、大井川の i はギリヤーク語といっしょで、入り江、川な
のが注目されます。
 ドイツ人はイタリア人を「スパゲッティ野郎」と蔑み、イタリア人はドイツ人
を「ジャガイモ喰らい」とよんで蔑むそうです。
 夜道を迷って、ギリヤークの夫婦のテントに一泊した若者が、血のしたたるナ
マ肉が夕飯に出たを「侮辱してる」と腹をたて、そこの夫婦を惨殺するという事
件がありました。それ以来、ギリヤークとアイヌは仲がわるくなったとか。
 冬の内陸部に住んだら、血(ビタミンC)をすすることは不可欠なんです。
 森繁久弥はナマの魚肉を喰って死にそこないました。アイヌは絶対にサケのナ
マ肉は食べません。寄生虫がいるからです。
 ウイルタに就いては、またね。

とんちんかん小僧 - 2002/11/02(土) 03:03<

柳田國男

一昨日、正午すぎのFM80.2で、中山ラビの歌がかかっていて吃驚しました。
曲名は判らないですけど、「おじさんのトラックに乗って〜♪」というフレーズを何度も繰り返し歌って
いた事が印象に残りました。これは新曲なのでしょうか?何方か教えて下さい。

紋次郎さん
ワタリ・鴉の詳しい解説ありがとうございました。
ニブフ族やウィルタ族について、turukot(-,.-)さんから教わっていてHP等も見たんですけどイマイチ
判らないので、彼等について個々の歴史、生活、現在日本にどのくらいの人が暮らしているんでしょうか?アイヌ人とは、全く異なる民ですか?教えて下さい。

らむねさん
焼尻島(=ヤンケシリ)という島は元々はアイヌ民族所縁の島だったのでしょうか?
そのあたり教えて下さい。
本当にいろいろなことにお詳しいですね。
冒険心あふれる、らむねさんの話って新鮮味があって良いです。
岡山の温羅伝説も面白い話ですね。

tuyaさん
狸にも人と同じような狸愛というものがあるのでしょうか。
僕も狸が仲間のために、感情を剥き出しになって、葬儀をする習性があると初めて知りました。
とても感動しました。

:(^0^)*nglyさん
ごぶさたしておりました。
毎度の事ながらジョークを交えてのご説明読んでいて思わず笑ってしまいました。
「鵜っかり」だなんて面白すぎます。
抜群のセンスですね。

話変わりますが、柳田國男は著書の中でサンカという名称をズバリ使っていた事あるのでしょうか?
今日まで知りませんでしたが、<『柳田國男 南方熊楠 往復書簡』南方熊楠選集・別巻>には、熊楠
との文通をはじめて間もない頃の書簡のなかに、「サンカ」についてかなり事細かに書かれているのを
見つけました。

:(^0^)*ngly <http://www7.ocn.ne.jp/~iyasi> - 2002/11/02(土) 00:22<

鵜の目鷹の目

らむねさん はじめまして
>鵜飼い。伝説に出てくる鵜も オニとして退治されたという 温羅が鯉になり鯉が
>鵜になるとか。この鵜飼は 平安時代に貴族の観賞用と。鵜という鳥は悪者?。
 調査では地名の鯉はどうも「殺しに関係あり」のように感じます。例えば昔「信州佐
久の鯉太郎」(橋幸夫)という歌がありましたが、佐久=柵=関所で、その配下の処刑
=殺し担当の下級役人(十手持ちの配下)を俗に「鯉太郎」と呼んだと想像します。
 岡山の温羅は百済人という説もあります。川魚漁のうち網や釣竿などを使うのは渡来
人漁法で、先住民サンカは本来手掴みや素潜漁など「道具」を使わない自然漁法です。
 ヤゾーさんやヤナさんの漁法は釣竿を使うから歴史的には非サンカ的漁法です。
前者は九州日田・広島三次・四国大洲・岐阜などでみられ、四万十川流域には徒歩鵜飼
もあります。四万十川では近隣の被差別部落と長らく対立していた所から見ると、やは
り鵜飼集落は百済人のようです。(四万十川の旧名は渡り川です!!)
ただし野史呼び名辞典には柳田國男から引用して「鵜飼」は「川人」「川徒」「川立」
サンカの職とありますが、これは百済サンカかもしれません。ペンディングにします。
(サンカも一枚岩ではなくてサンカとサンガの区別は必要のようだ。民俗の相違は民族
的差異から由来し、サンカ歴史もまた単一民族史観からは論じられないようだ。)
「鵜の目鷹の目で探す」という言葉があるように、鵜のつく地名は、必ずしも川の側に
なくて、地形からも分かる場合がありますが番太(江戸期の警察)地名が多いようです。
呼び名辞典に「刑事」「巡査」とあり、古本屋語で「四」、紙商人語で「六」ですから、
殺しもやってたようです。この手の方々が公務を怠ると「鵜っかり」ではすまされません。
 tuyaさん
隠語の狸はどうやらサンカをさすようです。何が似ているのでしょうか。弔いでしょうか。
既出ですが、徳島県人はなぜか狸を好み・親近感をもっているようです。そいうえば「金
ちゃんラーメン」とかも。しかしサンカ「密度の高い」池田地方の「うどん」はとても拙
いのです。「うどん」主食はサンカの食文化ではないかと考えていますが。

tuya - 2002/11/01(金) 22:43<

狸の葬送

数日前の朝日新聞に、こんな投稿がありました。
ある朝、投稿された方の庭に瀕死の狸がいました。その方は狸が気になりつつも、仕事に向かいました。晩に帰宅すると、やはり狸は死んでいました。屍骸の周りには、数匹の別の狸がうろうろしていたので、その方は「狸が屍骸を運んでくれればいいのに」と考え、一晩そっとしておくことにしました。翌朝になって屍骸が無くなっているので、あたりを探したところ、少し離れた木の下に、こんもりとした場所があるのに気づきました。狸の屍骸に枯葉が載せられてあったのです。それを見てその方はご家族の方たちと、「狸も仲間を弔うのだな」と感動され、そのお墓にお花と線香をお供えされたとのことです。

狸にそんな習性があるとは知りませんでした。

ヤゾー - 2002/11/01(金) 18:45<

こんばんわ

みなさん こんばんわ

あおきさん 更新作業の僅かな間に・・・
先をこされました。

turukot(-,.-)vさん 津江山地の地が抜けていました。
津江山地にあるのが酒呑童子山のようです。

らむねさん あちこち旅に行かれているようですね。
鵜についてのお話し なかなか興味深いものがありました。
ぼくの育った近くでも 鵜飼いをしています。
そこのページを見たら「縄文時代まで遡る漁法であると推測する」とありましたから
鵜飼いの鵜は先住民系を象徴したものなのかも知れません。

http://www2.w-shokokai.or.jp/kanaya/rekisi/ukai.html

伊吹山で病に倒れたヤマトタケルノミコトが 白鳥となり飛んでいったという伝説がありますね。 

まれびとさん そうですね。
過去の影響というのは凄いものがあるのかもしれません。

われわれは現在だけを耐え忍べばよい 過去にも未来にも苦しむ必要はない
過去はもう存在しないし 未来はまだ存在していないのだから
       
というような言葉もありますが
歴史を正しく認識するということは よい未来へと繋がってゆくことなのかもしれません。
アハハ 書いてて自分でもよくわかりません。

紋次郎さん ワタリと博打についてのお話しですが
博打というものはなかなか奥が深くて 人間がよく分かるともいいます。
ワタリ者として 博打を通してお互いを知るという意味もあったのかもしれません。

とんちゃん 出産に立ちあったことのある友人が
その日を境に 恋人・女性という存在から 嫁・母親という存在になったと言っていました。
自分は出産に立ちあうべきではなかったと しみじみと語る友人の気持ちが
なんとなく分かるような気もしました。
夫婦円満の為にも 出産には立ちあわせない旧家もあるみたいです。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2002/11/01(金) 15:40<

こころの指導者(古代語)

らむねさん、アマカネ(これニューギニア高地石器時代人挨拶、イミシンにして至便す)。
 『こころは いつもラムネいろ』……アマカネ。ラムネの色は「いのち」の青でしょうか? ram(こころ)ne(である・のような、指導者)。

 ウコッケイの「ウ」は黒ということでしょうね。“黒”はへび(銅文化)ほどは憎まれなかったのでは? でも、鵜の首しめて喜ぶたぁ、バチアタリですね。
 ウラボンのボンの意味はわかりました。でも、ウラがわかりません。なにかあったらお教えください。あ、サンスクリット語解釈はウソッパチですからね。

 ヤギシリ(焼尻)の語源は 「I-aki シリ(島)」で、童神(……それも嬰児の、目がまだ空いていない遮光器土偶みたいな)だと、うらは解釈してますだ。北の石浜に賽の川原。
 ヤギシリ・オンコご覧になりましたか? 昇天の龍(アララギ……鉄文化)です。

らむね <http://na01.shonan.ne.jp/~asou/okayama3.html#kibitsuhiko> - 2002/11/01(金) 09:51<

鵜についてです

焼尻さん はじめまして。北海道に 焼尻島という島があり アイヌ語で ヤンケシリというようですね。最近 その島を見ていましたが とても綺麗な島でした。
それと 鳥の話題が 出ていますが もう一つ どうしても疑問に思ってることがあるのですが。。鵜という鳥なのですが この鵜という文字を使った地名は 全国いたるところにあります。この間 旅行しました 対馬にも いくつもあって 新潟などにもあります。海岸沿いに多いような気がします。鵜飼いで 有名なのは岐阜の琵琶湖ですが。。。また 岡山の温羅伝説に出てくる鵜も オニとして退治されたという 温羅が鯉になり それが鵜になるといいます。
それから この鵜飼いは 平安時代には貴族の観賞用となっています。このことから 鵜という鳥は悪者にされてしまった感じがするのですが どう思われますでしょうか?教えて下さい。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2002/10/31(木) 06:46<

ワタリ・鴉

 最初、この日本列島に来た金属精錬士には“黒”の偏執を感じます。
 白鳥や鶴、コウノトリは、そのあとです。
 鴉はまっ暗いうちから曙光を知ってギャ−ギャ−鳴き騒ぐので、光を呼び込む神鳥
として、最高に尊敬されました。
 血盟書、重要な契約書にはデザイン化されたカラスがアレンジされています。
 カラスの「カラ」はインド〜中央アジア各地での“黒”。SU はアジア〜シュメール
での“鳥”です。
 「渡る」の WA は動詞を作る接頭辞ともとれますが、小生は「そこら一帯」の WA だ
と思っています。tar はネパール語発の「越える、移動する」で、ドンピシャです。

 あちこちの窯場から窯場へワタリ歩く金属精錬士の群れが、ワタリ・カラスではの
始原概念だと思います。
 この日本列島では、旅から旅へワタリ歩く流れ者が大勢いました。
 ワタリ・カラスたちは例外なく博打が好きでした。博打はなんらやましいことのない
立派な稼業でした。そういうやましくない博打うちが、鎌倉期までいたことはタシカさ
んで……。
 アリューシャンにいたワタリ・カラスは、当然、別のことばで呼ばれたでしょうけど、
意味する所は、流れの金属精錬士という意識に裏打ちされていたのではないでしょうか?

 ギリヤーク(ニブフ)にもウイルタ(オロッコ)にも、レッキとした金属精錬用語が
見られます。  

とんちんかん小僧 - 2002/10/31(木) 02:09<

子供は尊い授かりモノ

みなさん、もう睡眠中ですね。
今日何時ごろか覚えていないんですけど、ある番組で子供が出産するまでのある家庭の様子がTVで放送
されていました。
いつも思うことですけど、分娩室で母親が子供を産み出すまでの踏ん張りから誕生するのを見ていると、
何だか見ている自分も唸っちゃってるんですよ。
だから子供が母親の中から出て産声を上げた瞬間って感動のあまり泣きが入ります。
実際自分が父親の立場に立って、その場でいたら、どういう行動をするか、今からかなりワクワクして
います。まずは、結婚してからのことですけどね。

あおきさん
人見一族の人達も夜目の利くように訓練された人々だったんですね。
まるで忍者のようですね。
でも、生きる道を選択する事の出来ない時代だったから生き残るための手段として、人見一族は、目を
有効に使ったのではないでしょうか。
赤目一族もそういう血走った目を持った人達の集団なのかなあ。

まれびとさん
フフフ、驚きましたよ。「ワタリ」読んだことありましたか。僕も「日本人のこころ」も「ワタリ」も
持っているので吃驚しました。まれびとさんの投稿を見てから久しぶりに全巻読破してしまいました。
赤目一党というのが「ワタリ」に出てきます。
これは、本の中では、伊賀の赤目谷という場所の忍び者が結成した一党です。実際に、伊賀ではないです
けど、赤目四十八滝という場所が三重県名張市赤目町にあります。
で、この赤目の由来は、澄んだ清流のささやきと、激しい瀑布のとどろきが山々に響きわたる赤目四十八滝。赤目という名前はその昔、役の行者が滝で修行をしていると、不動明王が赤い目の牛に乗って現れた
といい伝えられているそうです。

他に、赤目谷の地名の由来には様々な説があり、アイヌ語の「アカマエ」が「水のワクマエ」ということ
で水の湧く所の意味であろうと言う説、谷橋川の上流に「蟒蛇(うわばみ)谷」という場所があり、そこ
にいた大蛇が集落に下りてきて売薬の薬を飲み込んだところ、目が赤くなったという説、また、北条時頼
が諸国行脚(鎌倉の地名をつけたとき)のおり、鳥越(赤目谷牛獄社の上)から眺めたら秋も盛りで真っ赤な柿の実が一帯に実っており、「赤実谷」と称したのが、いつしか赤目谷に変わったという説などですが、どれも定かではないそうです。
 赤目谷集落の起こりは、享保3年(1718年)に幕府へ提出した郷村帳に小谷村の支郷と記載されており、その頃に開村されたものとされているようです。

らむねさん
私もそのページを見ましたよ。
宗教学者の鎌田東二さんが『ヤタガラスはワタリガラスか日本古代神話にみるカラス伝承』
と称した論文調の文章が何枚かの画像とともにありましたね。
写楽さんの赤目一族ってのが気になりましたから。
結果的には、赤目一族って何なのかは、サッパリ判りませんでしたが。
ヤゾーさん同様に物部氏と関係深い事に興味が引かれました。

福田京子さん
私は管理代行をさせてもらっている者です。
今の季節がら温泉三昧ってのは乙なことですから、いい宣伝だと私個人としては感じています。皆さん、
心をリフレッシュさせるために温泉はいかがでしょうか?
ヤゾーさん↓消さないで下さいね。

福田 京子 <http://www.jitakude.com/016> - 2002/10/30(水) 23:39<

【自宅de.コム】

管理人さま、お邪魔します。

温泉の温もりがほんとうにうれしい季節になりましたね。

お湯に浸かってのんびり出来るのも、自宅のPCのおかげです。


 【のんびり温泉三昧が出来るHPご案内】

  http://www.jitakude.com/016


 「道後温泉のとある宿より(旅先de.コム)」

※管理人さま:もしご迷惑でしたら、大変お手数ですが、
削除してくださいませ。

らむね <http://www.hbc.co.jp/nicol/raven/shinwa1.html> - 2002/10/30(水) 16:20<

ワタリカラス

熊野本宮大社に伝わるヤタガラスですが 古事記などに出てくる 巨大カラス・・・これはワタリカラスだったのでは・・ということが こちらのページに書かれてありました。

まれびと - 2002/10/30(水) 00:20<

「日本人のこころ」

仰るように、いまも持続しているその感覚が凄いですね。>ヤゾーさん

そういえば昔読んだ忍者漫画「ワタリ」にも、確か赤目一族というのが出てきたような。
ワタリの保護者である「じい」がその一族であったと記憶しています。
何か作者側の根拠があるんでしょうね。

らむね - 2002/10/29(火) 22:08<

お返事ありがとうございます

あおきさん はじめまして。今時は 目にいいと言えば ブルーベリーですが 今日 食べようかなと思ってたとこです。ビタミンAといえば うなぎでしょうか。turukotさん はじめまして。大分ですか。知りませんでした。でも大分は耶馬溪などがあって興味深い場所ですよね。
写楽さん カズマさんのサイトで写楽さんの書き込みを見て 来てしまいました。こちらでも よろしくお願いします。

ハワイの方にも土蜘蛛一族が居たという情報を最近 頂きましたが まれびとさんや 写楽さんが おっしゃる「目光り」や人見一族と よく似た お話しに思いましたので 貼り付けます。
↓↓↓
先史時代、九州の土蜘蛛などと呼ばれていた人たちがハワイなどに渡りいろいろな遺跡を残していったということです。その人たちの末裔がおそらく溶岩の地下に今でも住んでいるのではないかという話です。溶岩の下の洞窟に光る目をたくさん見たというテレビ局の人もいるらしいですよ。(こうもりではなく)

管理人さん ありがとうございます。すごいです!お話しが どんどんつながっていますね。

<比叡山では八瀬童子といわれ 弥彦山や伊吹山では弥三郎ともよばれたとのことで
実は 最近この伊吹山が気になっていました。私が勝手に思ってることなのですが、何故か頂上に ヤマトタケルノミコトの銅像が祭ってあるんですよね。。。

turukot(-,.-)v - 2002/10/29(火) 19:39<

手短に・・・

ヤゾーさん、こんばんは。

>九州は大分県の津江山にも酒呑童子という鬼がいたという伝説があるそうです。

ここの近くかその山が知りませんが、酒呑童子山て山ありますよ。

管理人ヤゾー - 2002/10/29(火) 19:35<

今までの投稿は過去の掲示板へ移動しました

みなさん こんばんわ
急に寒くなってきました。
ストーブ出しました。

ヤナさん 画像掲示板の釣果見ました。
ハゲ 美味しそうですねぇ!
鍋にしたら肝がたまりませんねぇ!
寒い目したけど 美味しい鍋が食べられて良かったですね。
共食いなんて言わないよ。

とんちゃん 汚いなぁ〜 まったく!
普段から食物繊維を摂って
便秘には気をつけて下さい。

らむねさん  茨木の茨木童子が大江山へ移り住んで酒呑童子になったという伝説があるそうですね。
古い歴史読本を見てたら 酒呑童子について書かれたものがありました。
九州は大分県の津江山にも酒呑童子という鬼がいたという伝説があるそうです。
豊西説話という文献によれば その酒呑童子は紀州熊野で生まれ
比叡山では八瀬童子といわれ 弥彦山や伊吹山では弥三郎ともよばれたとのことで
大江山の酒呑童子とは同一人物?鬼ではないかとのことでした。
鬼の伝説地とは 古代の有力な山岳信仰地でもあり
先住民系の人たちの拠点だったところではないかという話しでした。

まれびとさんも やはり「日本人のこころ」読んでましたか。
その土蜘蛛の一族が埋められているという石について
五木氏が地元の人に尋ねたら
「悪いことをしたやつら」という反応と 
祭りのときには いまだ重箱にご飯を詰めて
供える人もいるという話しが面白いと思いました。

写楽さん 赤目族という人たちがいたなんて始めて知りました。
物部氏と関係があったという辺りが興味深いです。

あおき - 2002/10/29(火) 19:31<

写楽保介さん東京の府中の

多磨霊園の近くにある小高い丘に浅間山という名前が付いていて 鎌倉時代に人見一族というのがいて
街道をやってくる敵を見張っていたらしいのです 近くを走る道路に人見街道と名前がついています
にんじんとかビタミンAをたらふく食わせて夜目のきく人間を作ったのでしょうか 戦時中にはビタミンA
を大量投与された兵隊が潜水艦の上から夜見張っていたという話もあります


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