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2002年09月28日(土)19時25分までのKumanolifeGuestbookへの書き込みです。


焼尻紋次郎 - 2002/09/28(土) 17:35<

まがたんつ は ワカランつ

メン玉ぐるぐる・あんぐりしゃん、まがたんつは初めてききました。
 わからんつです。どういうことで知られましたか?
 一般的にいうと「ん」は「の」、「つ」も意味は「の」です。
 よそのひとが“自分がたんつ”を持ち出そうとしていたら「おばさん、そら、おれがたんつバイ」
ち、言いますだ。

 おりょんはん ウッス 
 ペンタゴン……あがあが。これとパンドラの箱が、なにか関係あらへんやろかと、ヤッキになって
います。なにかありましたら、お教えアマカネ(これ、ニューギニア高地石器時代人の挨拶、イミシン
にして至便です)。
 

おりょう - 2002/09/28(土) 14:58<

ウッス!

尾張の国知 さん
>3・おりょうさん「おりょう の サンカ文献・斜め読み・・・第1回」(仮題)
ワァッ!感激!こんな事書いていただけるだけでとても嬉か。でも、私は「歴民」と「クマノライフ一族」の応援団長でもあり、かつ、ファンであります。「歴民」サンカ特集」22号なにより楽しみにしています。
それに、飯尾恭之さんの「尾張サンカの研究」1冊となって早く出版されるのを楽しみに待っているんです。本当にサンカって奥が深い。飽きないでんです。

焼尻紋次郎 さんウッス!
“東洋の鬼” は敵に対しても”鬼畜米兵”といっていたらしい。
牛頭天皇(スサノオ)の「ゴ」は数詞の5と同じで、アメリカの統合参謀本部の建物がペンタゴンで、ペンタは「五つの」意味、ゴンは「角」の意味。ですって。

>ケツのところの骨にパチンコ玉ぐらいの大き
>さのツノが三つほど生えています。
おらもボールペンのタコできているずらー、角になるのはいつかな。





木乃葉木菟 - 2002/09/27(金) 22:30<

補足

ヤゾーさん今夜は、「栗ご飯」ですか?私は夕食は、カレーライスでした。こちらただいま「土砂降りの雨」です。

「伊勢神宮の神さん」はもうひとつ、難題な説があります。それは・・・「伊雑宮」(イザワノミヤ)が本当の元「アマテラス」だとの説です。その当時の「伊雑宮」の神官たちは、資格を剥奪されたり、追放されたりで、現在あまり古文書としては、伝えられてないので、定かではないのですが「天照大神」が「天照座皇大神」に変化してるのに、着目していただくと少しは、説明になるでしょうか?朝日に手を合わせ崇敬していた民が、各地に点在していた頃は、「天照大神」だと思うのです。中央主権になった頃、から「天照座皇大神」に変わったのだと思います。サンカ一族も朝日に手を合わせて崇敬していたのですよね?また「秦氏族」との関わりも十二分にあるようですし
「天照大神」の御神体の威力は縄文時代すでに知れ渡っていたのかもしれませんね。その時の、御神銘はどのように?呼ばれていたかはわかりませんけれど、
「元伊勢」23箇所(+1)には必ず「秦氏」の存在があり、天照大神の御魂が宿る「御杖代」としてその御魂を扱えるのは、「秦一族」しか出来なかったことも、考えると・・・やはり祀っていたのではと言いたかったのです。重大な事柄を任せる時、血族の濃い部族に伝え伝え渡すのが常道だとも考えられるのではないでしょうか?

*(@..@)*ngly - 2002/09/27(金) 21:37<

そうでしょう

ヤゾーさん
 やっぱし天皇制に行くのでしょうか?直感的にはそう思います
が、世紀が変ったのにこの部分を明確にする人が、未だにでてこ
ないというこなのでしょう。重要な事は「史実」などと逃げ口上
をいわず事実でそれを検証する事ではないでしょうか。
 事実で仮説を検証しない古代史や考古学は学問の対象とは言い
難いと思います。その意味で検証が難しい古代史の勉強はしてお
りません。古代史で不明な点を質問すると「そのような話は信じら
れない」とびっくりするような答えが返ってくる「権威ある」サイ
トもありました。信じる・信じないの回答では話になりません。
 正解は分らないとか、文献で見た事がないと正直にいう事です。
文献だけで検証というのもかなり危うい限りです。本来の歴史学
は総合的な学問のようです。以前の紋次郎さんの言葉のように、
考古学がしっかりすれば科学的に古代を解明できます。ただ学閥
や権威にとらわれない学問は今世紀中にも実現しないでしょう。
 日本人が多人種であったり、誰の墓か、とか系図の是非などは
遺伝因子法を使えば真偽を明らかに出来る時代になっています。
 この方法を使えば例えば「天皇の出自」「邪馬台国論争」など
は決着がついてる筈です。ただ決着がつかないほうが、崩壊しない
イデオロギーがあったり、本の売上や印税が増えるという事情も
あるのかもしれません。

ヤゾ− - 2002/09/27(金) 19:00<

嵐のお陰で栗拾い

みなさん こんばんわ

*(@。。@)*nglyさんの仰りたいことは良く分っております。
行き着くところは天皇という存在になってくるのだと思いますが
正直なところ 僕にはよく分からないので具体的には何とも言えません。
確かに追いやった側の代表的・象徴的な存在ではあると思うのですが
逆に追いやられた側の代表的・象徴的な要素も持ちあわせているような気もしています。
そのどちらかが端的に現れたのが南北朝時代ではなかったのかと思ったりもしています。
折口信夫によると 古代天皇の后となるには 二つの家系に限られていて
それは天皇家と丹波地方に勢力を占めていた丹比氏出身の女性に限られていたと言っています。
その丹比氏出身の女性のことを折口信夫は水の后とも呼んだとも言います。
暦で見る限りは艮の方角は鬼門と同じだと思います。

写楽さん その国常立命ですが
中世には 豊受大神を国常立命を同一神であるとして
外宮の地位を内宮と対等としようとしたことがあったそうです。  
豊受大神と国常立命を同一とする説が昔からあったようです。
丹波の真名井原には ニギハヤヒが降臨したと言いますから面白いですね。

木乃葉木菟さん 秦氏についてのお話し ありがとうございます。
確かに多くの神社の創建に秦一族が関わっていたという話しがあるようですね。
また 猿楽や忍者なども秦一族をルーツにしているという話しがありますから興味は尽きません。
>伊勢神宮の神さんも本当は、秦氏が祀っていたものだと思います。つまり「サンカ」の神さんなのです。
について もう少し具体的にお話しして下さると有り難いです。

こちら熊野では嵐のような風が吹いています。
夕方前に いつも誰かに先に拾われている栗の木の下にゆくと
栗の入ったイガが五つばかり落ちていました。
それで今年始めて12個の栗をゲットすることができましたので今茹でてます。
明日は早く起きて栗拾いにゆくと たくさん拾えるかもしれません。

木乃葉木菟 <http://www9.ocn.ne.jp/~kyousi> - 2002/09/27(金) 00:13<

秦氏

スサノオノミコトはイタケルノミコトを伴だって、「新羅の国に」植林に行かれたとか?しかしどうも、芳しくなく「大日之本」に戻られて植林し現在の日本が森林豊かになったとか?秦氏はその「新羅」におり、豊かな文化を身につけて、いたらしいです。秦氏と関係の深い「弥勒菩薩半跏思惟像が新羅様式であることも現在わかっています。エルサレムの「契約の聖櫃アーク」も秦氏の末裔と深い関わりがまつわりついてきます。伊勢神宮の神さんも本当は、秦氏が祀っていたものだと思います。つまり「サンカ」の神さんなのです。あまりにも威力があるために、時の権力者が、これは使えると考え、自分たちの神に置き換えたことも、示唆できますね。「契約の聖櫃」の「黄金比」は、現在の神社の「唐櫃」や「お賽銭箱」の「吉寸天星尺」に類似してます。秦氏は森羅万象の極意を取得していた崇高な氏族です。秦氏の別名は「ユダヤ〜イエフダー」と称するものだそうです。私も「コラム」のページに、ニギハヤヒノミコトの事を、少し付け加えました。

写楽保介 - 2002/09/26(木) 23:02<

国常立、大本、富士王朝

先に富士の名前は「封づる」に通じると書いた人がいましたが富士古文献(建前上万世一系に書いてある)日本で最初に即位した神皇は国常立神だと書いてあるそうです。国常立神は富士高天原の主権を弟の国さづちの尊にゆづりみずからは丹波の真名井原に都を築き、兄弟二神で日本を分割統治したそうです。
出口王仁三郎はこの富士古文献を大変重視しました。たしか八切止夫も富士王朝の存在に言及していたと記憶しています。富士文献が発表された時代が皇国史観絶対の時期だけに一応万世一系にしてありますが富士王朝と大和朝廷は違った王権だったのでしょう。だから封殺されたのだと思います。

*(@。。@)*ngly - 2002/09/26(木) 22:50<

おせーて

紋次郎さん
 そうすると、九州弁「まがたんつ」は、やはり人誘いなのでしょうか?
ヤゾーさん
 >神代の時代に「悪盛んになって天に勝つ」
ではいつの時代か不明です。私は満足できません。そろそろ具体的に
言ってもいいのではないでしょうか?それともまだなのでしょうか?
またまだとすればなぜなのでしょうか?
うしとらの方向と鬼門とは同じ方向なのでしょうか?

ヤゾー - 2002/09/26(木) 10:30<

こんにちわ

みなさん こんにちわ

*(*。。*)*onglyさん ほんとうに鋭いですね。
誰が呪いの言葉を吐きかけたのかは 
宗教的な解釈では 神代の時代に「悪盛んになって天に勝つ」という状態に至ってしまい
八百万の神々の神謀りによって 艮の方角に封じ込まれてしまったとのことです。
また天照大神の天戸開きについて大本では 嘘と暴力によるものであったために
それ以後は世の中に嘘と暴力がはびこるようになってしまい
その時に出てきた天照大神は偽神であると言っています。

木乃葉木菟さん こちらこそ いろいろとお気遣いして頂いて ありがとうございます。
秦氏については 行く先々の神社に痕跡(稲荷神社や地名など)があったりして気になってはいました。
元伊勢と呼ばれるところにもそのような痕跡があるみたいですね。
南北朝時代の南朝の勢力図と 秦氏一族の拠点となっていたところが重なっているという話しもあるようです。
水銀との関係も深いと言われている高度な技術者集団であった秦氏が
なぜか古代王朝には疎まれていたという話しも気になります。
もしかしたら サンカのハタムラのハタとは秦氏のハタと関係あるのかな?なんて思ったりもしています。

紋次郎さん お久しぶりでした。
悪いものに手を貸したものは罰を受けるのは当然ですが
関係のない人にまで害が及ぶことは許されませんね。
そういうことのない社会であるように しっかりしなければなりませんね。
それにしても 鬼の角が親方からカナヅチで殴られたコブだというのは傑作でした。

尾張の国知さん 歴史民俗学についてのサイギョウ ありがとうございます。
そろそろ がんばって書き始めさせて頂きます。
でも その(仮題)が怖いです!(笑)
利田ヤゾウのリポートと論文も大変楽しみですが
なんと言っても尾張の国知さんと沖浦和光教授の対談があるとのことで期待しています。

昨日 用事で南紀の海岸線をクルマで走っていると
60歳前後のおじさんが自転車に寝袋から銀マット
それに釣り道具などを山のように積んで走っていました。
南紀の海岸線を走っていると 自転車に乗っているホームレス風の人は良く見かけたりしますが
そのおじさんの格好は釣り用のベストを着て いかにも釣り人という感じでした。
行きと帰りに二度そのおじさんを見かけましたが 
帰りには自転車を止めて海に沈む夕日を眺めているようでした。
それにしても いったい何処からやって来たのだろう 
もしかしたら わだつみ族の末裔なのかも知れないと 話し掛けたい衝動に駆られました。
今日は雨ですが あのおじさんはどうしているのだろう? 

尾張の国知 - 2002/09/25(水) 17:09<

こんな夢を見ました

ヤゾウさん一家の皆様

またまたハタムラ破りのサイギョウで、済みません。
昨夜、素晴らしい夢を見ました。今、職務をフケまして、忘れないうち・・・・と、記しました。

1・(大)ヤゾウさん「熊野の山からサンカ・ネツトワークを発信する・・・現代サンカ人(ヒト)考」(仮題)

2・東沢さん「北のサンカとウメガイを考える・・・竹細工師の視点から」(仮題)

3・おりょうさん「おりょう の サンカ文献・斜め読み・・・第1回」(仮題)

4・広島の野史ヤゾウさん「サンカ筋の・サンカ筋の為の・サンカ野史の・覚書のーと」(仮題)

5・一家の勇士さん「サンカ の いろいろ論 〜 」

以上のような・・・・【クマノライフ一族コーナー】が掲載された『歴民』22号・・・・・が書店に並んでいた夢でした。
う・・・・ん  これは正夢かも? と早々サイギョウノフミを、お願いのお届けに参上した次第です。
コラムでも覚書でも、論文でも何でもあり。1000字〜4000字ぐらい。図版、写真1〜3点入れればビジュアルで最高・・・・10月中旬〜20日頃を希望です。
是非お気軽に、ご寄稿戴けますれば・・・編集子兼、雑用係兼、クマノライフ応援団長として、嬉しい限りです。
利田ムサシヤゾウさんからは、素晴らしいサンカ レポートと論文・・・すごい内容です。入稿済みです。
楽しみにしていてください。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2002/09/25(水) 07:28<

 日本人は戦争中には“東洋鬼”と呼ばれていた  

 60年前、夕方おそくまで炭坑住宅で遊んでいる子供たちには、近くのオバチャンが「おお
マがときにはひとさらいが出るとバイ……」と真顔で注意してくれました。
 太古の鉱山には、かっさらわれて集められた子供が、逃げないように片足切られて神と讃え
られていたんじゃねぇだろーか。
 「おおマがとき」……、やっぱ大きな目、すなわち片目の金属精錬士のことだと思えます。

 「日本人はどれくらいの人びとを朝鮮半島から神隠ししただろうか」と友人と話したところ
“約35万人”ではなかろうか……と、なりました。
 今でも樺太には、生まれ故郷に骨を埋めたくても、帰郷できない朝鮮系老人がワンサといます。

 そんなこと、ケロッと忘れて10人殺されたからといって、またまた陰湿な在日朝鮮人攻撃
が心配されています。やっぱ太古の日本大衆は海賊だったとしか思えません。

 おりょうはん、うっフ。
 おらには、どうしても“鬼”とは、ただの金属精錬士だとしか考えられません。
 二つの俚諺があります。『つのを矯めて牛を殺す』、『おため ごかし』。GO は牛です。
「HAT = 殺す」がありますが、日本では「KAS =殺す」となっているみたい。この二つを
ジーッとみつめていたら「O =ツノ」が出てきます。NI はニン(人)でしょう。
 (善意から出た忠告でも、伸びようとした芽とともに、本人そのものをもダメにする…)。

 金属精錬に集まっていた青年は仕事に失敗したら、親方からカナヅチでひたいの同じところ
をゴツンと叩かれる。トランプ・ゲームでも負けたヤツのオデコを指で弾いてやると、初めの
3回ぐらいは耐えられるが、5回めともなったら転げまわって苦しむ。
 そしてホントーにツノが生える。
 オレ、ベッド生活10年。寝返りできまへん。ケツのところの骨にパチンコ玉ぐらいの大き
さのツノが三つほど生えています。

※ ナチ(滝)……立派な、気高い、高貴な
※ ハクヌシ……ハク=くに、国土。言語種は言わぬがハナやろ。
        turukotしゃん、つの村の“加来さん”やろカネ。カク姓は秦の高官名にもあ
        りました。

木乃葉木菟 <http://www9.ocn.ne.jp/~kyousi> - 2002/09/24(火) 22:48<

式年遷宮

ヤゾーさん!先日は有り難うございました。皆さん今後とも宜しく御願い致します。
ヤゾーさんが元伊勢「籠神社」に詣でられたので、少し伊勢の神さんのことを、考えていました。
式年遷宮1993年10月2日に61回目が行われましたね。遷宮は神さんの屋移りのことで20年目ごとに行われます。なぜ?そのような、面倒で無駄なことをしなければならなかっいたのだろうか?疑問がありますが、どうも伊勢の神さんは、同じ場所にとどまるのが、嫌いなようですね。私は「笠縫の地」に足を踏み入れた時から・・・伊勢との繋がりを濃厚に感じたことがありました。朝7時ごろ東の方角に、桧原神社の丁度真上辺りに太陽が昇りそれはそれは神秘的な感じと共に、ここも古代から・・祭祀が執り行われいたのだろうと思ってます。御杖代を「豊鍬入姫命」が年老いて、「倭姫命」に託した、頃のことが純粋に感じられて心の中から離れない時がありました。やがて三重県の斎宮に(資料館)行き納得しました。そこには、古墳があり玉垣が朽ち果てるまでのドラマがあったことも、記録されているからです。時折神社の創建がまだ浅いですが、「倭姫宮」に詣でますが、御祭神はお慶びになられているのか・・・時々御神意をこそっと!知らせていただいたような記憶も最近あります。でもこれは、多分自分の想像がそうさせたのかもしれませんね。

「天照皇大神」また「撞賢木厳之御魂天疏向津比賣之命」また「天照大日霊之命」の名
と申す伊勢の神様が「常世の波の重波帰すなり、傍国のうまし国なり、この国に居らむと思う」
と最終的に今の伊勢の内宮に御鎮座された経路23社(+1社)を調べてみました。

神社めぐりをされている方々もいらっしゃるとか?参考までに・・
「笠縫邑」「吉佐宮」「伊豆加志本宮」「名久佐浜宮」「吉備名万浜宮」
「弥和乃御室領上宮」「宇太乃秋宮」「佐々波多宮」「隠市守宮」「穴穂宮」
「敢都美恵宮」「甲可日雲宮」「坂田宮」「伊久良河宮」「中島宮」「桑名野代宮」
「鈴鹿小山宮」「阿佐加藤方片樋宮」「飯野高宮」「佐々牟江宮」「伊蘇宮」「瀧原宮」
「伊勢神宮」・・・・(伊雑宮)
です。また元伊勢は「秦氏」の(畑氏・畠氏・波多氏・幡氏・秦野氏・服部氏・島津氏)
と直結の繋がりが在るそうです。

*(*。。*)*ongly - 2002/09/24(火) 22:07<

煎豆より生豆がいい

ヤゾーさん
>鬼と豆に。大本教では 節分の日に国常立神は艮の方角へ封じ込まれ
>。
>その為に大本教では 節分の日を重要視しと唱え
>ながら煎豆ではなく 生豆を撒く。
やっぱ、そうですか。工学系の直感も本に負けないですね。煎豆を撒くの
なら鬼はますます、人間の事になります。豆自体が貴重な食料であるだけで
なく、薪を使い煎るとなると燃料代も馬鹿に成らず、腹をすかせた人間相手
となります。急いで武器にするなら生の豆でもいいし、かつて60・70年
の戦闘では礫と木の棒とモロトフカクテルが良く使われました。そのときの
人間の相手を「鬼頭隊」と揶揄してる人がいました。
 大本教(サンカが元丹波藩家臣団になって背景にいると八切止夫はいう)
も「福は内 鬼も内」ですか。
 ところで、煎豆に花が咲くまでは出てくるなと呪いの言葉を吐きかけたの
は何者ですか?

ヤゾ− - 2002/09/24(火) 19:00<

神隠し

みなさん こんばんわ

おりょうさん 皆瀬神社が“わだつみ”の歴史を語りつたえていたという話しがあるんですね。
実は東京から最初にやってきたのが竜神で テント生活と廃屋を借りて生活したのが
竜神でも最奥地の竜神という地名の元になったというところでした。
その皆瀬神社は竜神温泉から少し川を遡ったところにあり 甕星神の香香背男命も祀っていたと思います。
そして 前に紹介した星神神社も竜神の深い山の中にあります。う〜ん 繋がっていますね。
鬼と豆について こういう話しがありました。
大本教では 節分の日に国常立神は艮の方角へ封じ込まれ
煎豆に花が咲くときまで出てくるなと呪いの言葉まで吐きかけられたと言われているそうです。
煎豆から花が咲くことがないことから永遠に出てくるなとの意味です。
その為に大本教では 節分の日を重要視し 「福は内 鬼も内」と唱えながら
煎豆ではなく 生豆を撒くのだそうです。

写楽さん アマテラスについては 同じようなことを感じていました。
なにか本来の姿で祀られていないような 上手く言えませんが そんな感じを受けていました。
おりょうさんが前に書いてくれた 「アマテル・スサノオ一対神を引き離し大日本国王の断種をはかった。」ということもあるのかも知れません。
霊能者とは少し違った人のようですが 言霊を勉強している知人の先生という
極く普通の主婦の方が言霊を唱えたところ 大江町の日室ヶ嶽から天照大神が雲として姿を現し
その姿を写したという写真を頂いたことがありました。
その時には 龍の姿も現れたそうで その龍は角の無い 知恵を意味した龍であったとのことでした。
民俗学や歴史学の範疇からは逸脱したものもでも 参考となるものには耳を傾けたい気がしています。

tuyaさん とても貴重な神事に遭遇したお話し ありがとうございます。
やはり何か縁があって そういう神事を見ることができたのかも知れませんね。
とても美しくロマンチックな神事を想像してしまいました。
それが本来のスサノオとアマテラスの関係であり姿なのかもしれません。
それにしても出雲の熊野神社の近くに「奈智(那智ではないです)の滝」があるなんて知名相似ですね。 
少しニュアンスは違うとは思いますが 宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』の中で
ハクという少年が龍体となり ニギハヤヒコハクヌシという
本当の自分の名前を取り戻し そのことで呪縛が解けるという話しと
もとは名のある川の神であった神が 人の行いでクサレ神となり
千の奮闘により本来の姿に戻るというシーンを思い出してしまいました。
本当の名前を奪われるということも もとは名のある神がクサレ神になるというのも
神隠しという意味では スサノオやニギハヤヒ 国常立神も同じことが言えるのかもしれません。
それらの隠された神々が本来の姿を取り戻したときに 鬼と蔑まれた人たちの本当の意味での解放があるのかも知れません。
『千と千尋の神隠し』が大ヒットしたり 神社巡りが静かなブームとなっているのは
そういう意味が込められているような気がします。

tuya - 2002/09/24(火) 00:02<

出雲の日御碕神社

せんだってより神社の話題、それもアマテラスやスサノオの話題が続いているので、若い頃立ち寄った出雲の日御碕のことを思い出しました。
日御碕神社は、出雲大社よりさらに奥、半島の最西端にあり、アマテラスとスサノオを祀っています。おもしろいことに、なぜかここでは、スサノオのお宮のほうがアマテラスのお宮よりも高い位置に祀られていて、これにはさまざまな解釈があるようです。

さて私は20歳のころ、バイクで山陰地方を一人旅したことがあるのですが、松江から出雲に抜けるのに国道の混雑を避けるため、宍道湖の北側の道を走りました。そしてそのまま道に迷い、迷ったついでに海を見ていこうと思い立ち、日本海をめざして適当に走っているうちに、偶然日御碕にたどり着いたのです。
おりしもその日は日御碕神社の神幸祭(別名:夕日の祭・8月7日)の日で、私はちょうどその祭が始まる時刻に、呼び寄せられるように?(思い込み)そこへたどり着いたのでした。

お祭りは、地元の人々と少数の観光客だけが集まる、おごそかなものでした。陸側にひとり、そして海に浮かぶ小さな島にひとりずつ神官が立ち、これら二人の神官が向かい合って、日没の時刻に拝します。夕日を背景に行われる儀式はとても美しく、別世界に迷い込んだようでした。
あとで調べてみると、小島側は海→高天原の象徴→アマテラスの統治、陸側はこの世の象徴→スサノオの統治を表すのだということです。もともとアマテラスはこの小島のほうに祀られてあったのが、陸側にも宮が置かれ、スサノオと並んで(というより格下?)に祀られるようになったのだとか。
なんだか想像力をかきたてられます。

最近になってもう一度日御碕を訪れたくなり、きのう地図帳を広げてみたら、出雲近辺にはおもしろい地名が点在しているので見ていて飽きませんでした。立ち寄りたくなるところがたくさんです。
松江から南に下ったあたりに、「鬼の舌振」「熊野神社」そして熊野神社に並んで「奈智(那智ではないです)の滝」なんてのも見つけました。

おりょう - 2002/09/23(月) 21:55<

竜神

ヤゾーさん 写楽保介 さん
和歌山県に竜神温泉があり竜神を姓とする旧家があり、氏の神をまつる皆瀬神社があり、その鳥居は渓流に面してたっていて、海から日高川を上ってきたワダツミの遠い歴史を語りつたえているそうです。
いったことありますか?

写楽保介 - 2002/09/23(月) 21:07<
大本教の主神国常立神は竜神だという説があります。一部の神道行者の間では日本列島そのものが国常立神の竜体だとのことです。国つかみ天津神の区分は非常に恣意的で天津神の中にも本来先住民が祭っていた「国つかみ」が混じっていることその最たるものはアマテラスでしょう。アマテラスについても蛇神であるという説が民俗学者から出ています。
以下の話はもはや民俗学や歴史学の範疇からは逸脱したものですが、山本白鳥という児玉神社宮司が下関の布刈神社のわかめを刈る神事に参加した折、いざなぎの尊、といざなみの尊が関門海峡をはさんで出現し二神の間に巨大な竜体が顕現したそうです。いざなぎ、いざなみも最初は金竜、銀竜として現れたそうです。
どうも竜神というのは先住民族(わたつみ族)が祭っていた神じゃないんですか?それがだんだん天孫族とやらに圧迫されて東北地方に押し込められた、東日流三郡誌の「東日流」とはその歴史をシンボライズしたタイトルだと思います。
現在でも一部の霊能者は神事の奥に竜神の顕現を見ることができる。(山本白鳥宮司のように)
なお布刈神社の「めかり」とはいざなみ、いざなぎ両神の妻離(めかり=離縁)を現しているという説があるそうです。
ついでにいうと布刈神社の対岸の九州博多湾には安曇の磯良神という神を祭った神社があります。この安曇の磯良という神も名前のごとく海人族が奉ずる神だったのでしょう。

おりょう - 2002/09/23(月) 20:02<

鬼さんのはなし

かっては鬼をカミと読むように神だった時代があり、山の神は鬼ヶ城で豊かにくらしていたのでした。
鬼ヶ城の館は、扉や門は金銀ではなくマガネ、コガネ(粉金といわれる砂鉄のこと)といわれる鉄の材料で造られていました。古代においては金や銀より鉄が貴金属のトップだったのです。金売り吉次もキンではなくカネと言う話しもあります。本来、鉄という字は金の王成る哉という意で、鉄の需要がおおかったのでしょう、鉄を制するものは天下を制すが常識だったのです。タケツミカツチ神やフツヌシ神が、星神のアマツミカボシを討伐した神話も、王権勢力が鉄収奪を目的で、反王権の神々を滅ぼしていったのです。また、王権の神々に追放された金精神のスサノオ神、サルタヒコ神、三輪のオオモノヌシ神、あめのマヒトツ(天目一個)神など産鉄神ゆえに悲運を担わされた神々だったのです。丹波の鬼が酒を飲まされて首をとられたのも、ただの悪い鬼だけなら、汚い策謀を弄してまで躍起とならなかったはずである。桃太郎の鬼退治もやっぱり「夷をもって夷を制する」のたぐいの話しとおもわれます。

ヤゾー - 2002/09/23(月) 19:55<

わだつみ族

みなさん こんばんわ

おりょうさん 写楽さん 先日お参りした籠神社では 火明命を主祭神として 
豊受大神と共に海神(わだつみ)系の天乃水分神(あまのみくまり)が祭つられているという話しです。
また 木の葉木菟さんから頂いた 石神さんと呼ばれている三重県の珍しい神社の資料には
天乃水分神と共に国常立神を水神として祭っているとのことです。
最近 人から頂いた戦前の民族論の本には 国津神には三つの流れがあって
それは第一が“おほわだつみ族”第二が“おほやまづみ族”第三が“天津神系国津神”とし
“おほわだつみ族”の中には豊族 豊ノ国族というのがあったとのことです。
サンカ文字と殆ど同じ神代文字の豊国文字は そこから来ているのかもしれません。
また 豊受大神は天照大神とは別の系譜であり 伊勢外宮の祭神を国常立神とする説もあることを紹介していました。
わたつみ族・△の山信仰・国常立神・豊受大神?・サンカ・王仁三郎 なんか繋がっているような気がしてきました。

*(@..@)*nglyさん 
>旧名火の山の富士山も前王朝を「封じ」に由来という説もあります。
う〜ん なるほどと唸りました。
富士山は もともと浅間山と呼ばれていたという話しもありますし
その名残りが富士山にある浅間神社だともいいます。
それに富士山麓には高天原王朝があったという宮下文書は古史古伝の中でも有名ですね。

ユニヴァーサル・フォーラムのご紹介 ありがとうございます。
カタカムナには興味がありますので 近くだったら行ってみたいです。

ユニヴァーサル・フォーラム - 2002/09/23(月) 17:02<

石川博昭「カタカムナの世界〜秘かに伝承された超科学的健康法」講演会

          ユニヴァーサル・フォーラム11月例会講演会
とき:11月10日(日曜日)13:30〜16:30
ところ:かながわ県民センター403会議室<横浜駅西口5分、三越の手前を右折、橋を渡る>
講師:石川博昭(科学評論家、代替医療研究家、「健康の世界」論説委員)
テーマ「カタカムナの世界〜秘かに伝承された超科学的健康法」
参加費:一般3000円 会員&初めて参加される方で事前に申し込まれた方&学生2000円
申込み&問合わせ先:TEL.&FAX.045-584-0281(杉浦)
          e-mail:universal_forum@yahoo.co.jp

*(@..@)*ngly <http://www7.ocn.ne.jp/~iyasi> - 2002/09/22(日) 22:19<

閉じ込められた民

写楽さん
>出口の姓,出口鬼(王仁)三郎の出自,先祖には丸山応挙がいたり、
>子孫には古代史の上田正昭がいます。出口家や大本教は鬼と縁が
 そうですか。全国の地図帳を開いて、入口地名を探して下さい。
そうです、不思議な事に出口はありますが、入口はまずないのです。
 なぜか?隔離・封じ込めた人間を出さないようにする事が重要だ
からです。出入りを自由にしておいたのでは分散・分断配置の意味
がありません。川・山・堀・竹藪・土塀で区切り、木戸や関を造り
番人を置き管理したものです。不自由や藤生などの別所や印内の地
名には、そのような所が多かったようです。すなわち出口は別所関
連といえます。菊池山哉は西出・東出も別所地名とします。
 藤・富士・不二が封ジに通じる事は明らかで、京都に封ジ町があり
ます。封筒と同じで入れる口は一つで後は出ないように糊付けします。
 旧名火の山の富士山も前王朝を「封じ」に由来という説もあります。
もちろん賤民にも名門がありますし、賤民の系譜でしょう。
 サンカ歴史学はかかる地にサンカ系が多い理由を明らかにします。

おりょう - 2002/09/22(日) 16:42<

いろいろ

あれっ、東沢さん(3)削除しませんでしたか?ゆっくり読もうと楽しみながら帰ってきましたが、気のせいだったでしょうか。
いつも東沢さんの文章興味深く読ませていただいていました。そうです2チャンからのファンでした。
体験してこられたお話「歴箕ン」に書いていただけるのを熱望しております。
門付けのお話、ゆっくり読ませていただき、ご自分の仕事に、自信と誇りをもっておられるのがとてもよかったです。2チャンで攻撃されていても誠意をもって答えておられたので、素敵!なんて思ってましたが、門付けの時も、きっと、この姿勢でお客様に接しておられるのだと思います。それにしても、お父様は相手を穏やかにさせてしまうような、そんな方の、いい所を学ばれてこられたように思いました。

*(@..@)*ngly さん そうですよねー 野生の動物に被害にあうと可愛いなんていってられないですね。
鬼や桃太郎の話しも、ただの昔話しとだけうけとっていては真実の歴史がみえてこないということでしょうか。みんなたどれば鬼の子孫。

丹波はスッパやサンカの本拠地。

古本まつりいってきましたが、探している本にはおめにかからなかったすよ。グスン。
おユキちゃん本みつかりました?

*(@..@)*ngly さん ヤゾーさん ピラミッド信仰の△の山についてこんなんありました。
ニャンマ人である彼等ワダツミには、例外なく竜王尊崇の思想があり、その竜宮は海底の堆(根、根の国、底の国)にあると考えられていた。堆は三角錐を形成する海底山である。ワダツミのニャンマ人がニャンマ堆国をこしらえた時、彼等は陸上にも竜王の座すその堆の姿をもとめ、そこに氏の上をまつってきた。正三角形の山や、二等辺三角形の山、あるいは双耳峰を成すニ上山、三つ峰の三上山が、古から神体山と崇められてきたのは、日本全土に散っていったワダツミが、それぞれの地にこうした山容を見だし、彼等の上をまつってきた。また、三上山は三根山とも表現された。山のピークを「御根」「美根」に、ワダツミの堆を想う心情が篭められていたからであると。

鮫のヤナさん 月のあかりでなに思う。





ヤゾ− - 2002/09/22(日) 09:36<

おはようございます

みなさん おはようございます

写楽さん 王仁三郎の出自について「朝日と読売の火ダルマ時代」という本の中に
王仁三郎はサンカの出身であり 丹波はサンカ文化にとっては重要なところ・・・云々と書かれていたと思います。
大本教をモデルにして書かれたという 高橋和己著『邪宗門』にも 少しそのようなことに触れた箇所があったように思います。
しかし それがほんとうのことなのかどうかは分りません。
この国の文化 特に芸能や芸術、宗教などは 賤民とされ人たちが生み育てたものが多いように感じていますが
いつの時代にも その上澄みだけをすくい取られて さも支配階級がそれらを作り出したようにされてきたように感じています。
おそらく神々にも同じようなことが言えるのかも知れません。
すべての人は同じように それはサンカの末裔であろうが エタ・ヒニンの末裔であろうが 在日韓国人・在日朝鮮人であろうが
悪いことをした者はその罪を負い 良いことをした者は正当に その出自をも入れて評価されることが大切なのだと
不等な扱いをされた神々を祀った神社を巡っていて 強く感じたりしています。

熱は下がったけれども 雨が今にも降りそうなので 釣り行くのを諦めました。
ううううう ヤナさん 蜜柑さん 釣れましたかぁ〜

写楽保介 - 2002/09/22(日) 08:05<

元伊勢と出口家

ヤゾーさんトヨウケ大神と元外宮についてですが、出口王仁三郎はトヨウケ大神は綾部の本宮山に最初に祭られていたといってます。峰山町の比沼真名井神社はそれが後に移ったものだそうです。そして比沼真名井神社の神職は出口家がつとめており、伊勢に外宮が移った際出口家の分家がつきそい代々外宮の神職としてつとめてきたそうです。伊勢外宮の禰宜は渡会氏ですが、一般には出口の姓を持ってます。この綾部にいた出口の末裔ナオに丑寅の金神がかかったのは不思議な因縁ですね。大本では「綾部は世界の神都にすべき」と主張してます。
出口家や大本教は鬼と縁が深いですが、王仁三郎の先祖はサンカではないでしょう。先祖には丸山応挙がいたり、子孫には古代史の上田正昭がいます。王仁三郎の代には落ちぶれていたとは言えそれなりに名家と言えたんじゃないですか?

ヤゾ− - 2002/09/21(土) 22:28<

ネットの不思議

みなさん こんばんわ

おりょうさん *(@..@)*nglyさん 鬼と豆の話し 興味深く拝読させて頂きました。
>豆を投げてくれた人に感謝した筈です。なぜなら鬼が豆をぶっつけた人に襲い掛かった話がないからです。
う〜ん とても深い話しで感心いたしました。

写楽さん 王仁三郎って不思議な魅力のある人物ですね。
いろんな逸話が残っているようですが サンカ説もあるみたいです。

ヤナさん がんばっていっぱい釣って下さい。
そしてアオリイカとイサキをお土産に持って帰ってね。

東沢さん その場面に遭遇したような素晴らしい文章を ありがとうございました。
人との交流を通して 物を売るという行為には 奥深いものがありますね。

今日 木の葉木菟さんという方が遊びに来れれて一日中話しをしました。
メールや掲示板でのやり取りは殆どなかったのに
不思議なくらい興味や意見が一致して驚きました。
ネットの縁というものは不思議なものだと つくづく思いました。
昨夜から風邪気味だったのが 夜になってからどっと熱が出てきました。
明日 約束している釣りに行けるのかなぁ。
みなさんも 季節の変わり目には 風邪にお気を付け下さいね。

東沢美史 - 2002/09/21(土) 00:59<

郷愁の鬼死骸部落(2)

でも結局は家業の門付けをそのまま続けていくわけですが、後に私が一人で歩くようになってもやはり何度か怒鳴られることはありました。でも私も意外にというか何人かには結局買っていただきました。初めて門付けした私に警戒して威嚇する民家の方がいても、この人は怒っていてもどこか買いそうだな-って気がするときは、荒声で話す言葉に上手く返して少しお話をしてみます。威嚇するだけで絶対に買わない人ってのはなんとなく分かるからスグ退散しますが、買いそうな人はそれでも対話だけは進みますので、むしろ説明の機会が出来ていいのかもしれません。怒るお客さんにはなぜか私もハッスルするというかファイトが余計に出るんです。・・・でもそれも大正期生まれまでの元気の良い世代の方達がいた10年くらい前まででしたね。
最近はどこの、民家のかたも受け答えが平均して大人しくなったし、若い人は都会風のクールな受け答えばかりが上手くなって、本気で私達を怒った赤瓦の家の御主人のような方は年とともに消えていってしまって・・・寂しいです。

岩手では民家を廻る「ザル売り」は鬼の仕事と云われ民俗学者らもそう書いているようです。ザル売りに来る鬼の撃退法としては玄関にザルをぶら下げておくことだそうです。鬼がザルの縦数を数えて失意のうちに帰るとの説明でしたが面白いです。作るとき必ず縦数を数える私達ザル作りの習性をここまで知ってるということは本業はザル作りだからであって、門付け訪問された家も実は鬼の家だということになります。

でも宮城の私の家ではザル作り、ザル売りを鬼の仕事とは言いません。宮城では鬼神と表現する場合は良い意味で使うことがありますが、単に鬼と言う場合はやっぱり災禍や疾病をもたらす悪いものであると考えていたからだと思います。でも岩手では鬼にまで良い意味を見出してる地域が多くあります。

ザル作りザル売りはザルを買ってもらって各家に福をもたらすものが本来の役目です。確かに鬼って金や銀をたくさん持ってそうだし、もしかしたらやっぱり鬼が岩手の皆さんに福をもたらしていたのかもしれませんね。平和で繁栄する鬼の国を武力で潰し、それがバレルのが怖くて貶めるために鬼と言ったのが権力者側、朝廷側の軽蔑の意味を込めた表現だったとすれば、福を運ぶ大黒様=鬼、同じく恵比寿様=鬼でも決して矛盾してないのかもしれません。

全ての訪問販売はどんなものを売るのであれ、押し売りは絶対に許してはいけません。もちろん脅しやシツコイのも。私の場合の竹細工品ももちろん同じです。ですが、民家の皆さんもその辺は用心し心がけて対処はしてるようです。でも、私が竹細工売りに行ってもあまりほとんど警戒はされません。何を売りに来たのかと心配そうな顔をする人も「またカゴ売りに来たよ」と言うと安心した表情になることが多いです。そこは他の商品を扱うセールスマンの人達よりはわかりやすい昔ながらの竹細工で不審におもわれることも少なくとても恵まれてます。魚篭(ビク)やザルなどはかつて門付けで廻ってた恵比寿・大黒様の持ち物だったというのも人々から警戒心が起きにくい理由かもしれません。

鬼死骸という馴染みの地名を見て嬉しくなりました。
ご紹介、ありがとうございました、おりょうさん。

東沢美史 - 2002/09/21(土) 00:57<

郷愁の鬼死骸部落(1)

赤瓦屋根が印象的な鬼死骸部落のある一軒の民家には思い出があります。ここは岩手県最南端の一関市の南、つまり岩手の入り口にあたる部分にあるとも云える場所なんですけど、岩手へ門付けに行くとき通る道すがらということもあり父母は1970年代半ば頃から好んで毎年のように訪問していました。

私も免許をとりたての1980年頃、父と一緒に初めて行きました。今でもその赤瓦屋根の民家のことが忘れられないんですが、お見受けしたところ明治生まれに見える御主人が顔を真っ赤にして私達を怒鳴ったということがあったんです。

その頃はワゴン車にたくさん竹細工を積んで後ろが見えないくらい積んでいっても帰るときには売れたおかげでバックミラーで後ろがよく見えるくらい売れた時期でした。私は人様にザル買ってくれなんてまだ恥ずかしくてとても言えなかったので運転だけして父や母が民家の人たちと世間話しながら売ってました。私は交渉しなくてもいいのですが、他人の家に行って竹細工を買ってくれと言うこと自体が私にはこの上なく恥ずかしいことで、最初は「竹細工(たがざいく)要りんか」と平気で交渉してる父がなぜ恥ずかしくないのか不思議でした。
またこの頃は家族で農業に従事してる家が多く、家にいる人全員が外に出て竹細工を見てくれるので、中には私達を怪しいと思う人もいるのではなんて考えすぎたりして気になって精神的になんかいつもぴりぴりしてました。怒られたときもまさにそんなときで、やっぱり来るべきものがきたかなとそのときおもいました。

最初、その赤瓦の民家ではそこの奥さんが庭で竹細工を見て選んでくれてたのですが、ちょうどそのときそこのご主人が車で帰宅されたのです。ところが竹細工を積んだワゴン車と、庭に並べてたザルやカゴが屋敷の車道を塞いでたせいで御主人の車が通れなくて止まったんですね。人様の家に行って庭を竹細工いっぱいに並べてたのですから私達を叱るのはある程度、当たり前でもあるんです。そもそも頼まれもしないのに人様の家に竹細工売りに勝手に門付けてるわけですから叱られても本来は文句なんて言えない立場ではあります。

かなり激しく怒るので一瞬、これから私達はどうなるのだろうと思うくらい怖かったです。顔を真っ赤にして怒るご主人に奥さんがたしなめるように話してくれたんですが、怒りが収まらないようでした。この頃はまだ女性が買い物するときは前もって主人の許可が必要という時代でした。ところが父は全然平気な様子で「毎年来てるかご屋ですゥ」と静かに挨拶して何かを御主人に語りかけてました。そんなことしたって許してくれないとおもったのですが、しばらくして御主人が「かご2つ買ってやれ」と機嫌が直ったような元気な声で奥さんに言ってくれたのは意外でした。
なんでご主人が機嫌が直ったか不思議でしたが、それより怒られた父がビックリして帰えるとばかり思ったのに変に普通でいつもどおりというかかえって熱心に話をしてる様子が理解できませんでした。

また、竹細工売りをこのまま一生続けていけばこれからもこのように何度も怒鳴られる場面があるだろうと予想出来ましたので、こんな人様の家に行って竹細工を買ってもらうような以外の別な職業になんとか就けないかなーってそのときは強く思いました。

ya(・ε^)na - 2002/09/21(土) 00:40<

酒飲みヤナさん

いつもの・・ホリーを聞きながら・・昔の話を思い出しました
 豆の話・・鬼に投げつけた豆は煎ってあった
鬼に投げた豆が、芽を吹いたら私のこと連れて行っていい・・
 人じちに取る約束を履行できなくするための知恵やった話やおませんでしたかいねえ

   いつだって・・誰が正しいのかわかりませんねぇ

 んんん松谷みよ子さんの昔話にあった気がします

 へっへへへんらへらへら

   ヤゾー・・・また連休やねーーーぇ
  けっけけけ・・ヤナどないすると思います・・

  っへへへへ・・また・・行くことにしました

    田辺の夜釣りです・・ホリーのホーリング・タウンがGOODですよん・・♪


今日は、あおおおおおおおおおーーーーーーーう
  中秋の名月・・
    おっ月さん・・
   サメの私に静寂を・・

        近くのアパーーートの一室でトーートランヒッチ

              弱い人間は、あなただけやおませよ

     でも・・なんやねーーー

             少しのアルコーーールで頭の中真っ白!!

                 優しい人の話で・・・・・涙

                   けっけけけけ


                       けっけけけけ

*(@..@)*ngly <http://www7.ocn.ne.jp/~iyasi> - 2002/09/20(金) 23:10<

別所研究の鬼

ヤゾーさん おりょうさん
>*(@。。@)*nglyさんちはウリ坊が尋ねてきてくれるなんていいですね。
現実は逆なのです。いかに被害に会わないようにするか。まだまだと思
ってるうちに意外な結果になります。
 ところで子供は、どこかの家と同じで四匹でした。今日はまだ来てない
ようです。きたら警告だけはしておかないとナメラレルと思います。
 既に報告済みですが、知合いのK君、「正月の雑煮はするの?」と聞きま
すと「豆を食べる」「炒ったのを食べる」と申しますので、「君の家は
もしかしたら鬼の血筋か?」と半分真顔で答えました。実はKという姓は
ある地方ではサンカであるようです。八切説の桃太郎話の鬼とは原住民の
サンカの祖先で、桃(唐人。例えば藤原氏)、猿(新羅人)、雉(百済人
)、犬(高句麗人)が束になって討伐した対象です(だったら鬼は出雲
サンカか)。また鬼は節分には豆を投げて追い払う対象のようですが、
お説の通り「福は内」「福は内・鬼も内」という地方も結構多いですし、
マスコミや絵本を通して、一面的な歴史的立場である「福は内・鬼は外」
が今でも喧伝されているようです(これは日本人史欠如が原因です)。
豆は昔重要な食料ですから、他人に投げる・与える事のできる人も少ない
時代、無闇と与えるものではない筈です。鬼を追い払うのではなく、食物
を乞いにきた貧者・非人に同情して与えたものと思います(地獄草子のよ
うに)。ではなぜ投げたか?
貧者が貧しい故に不潔で、伝染病患者も多かったようですから、投げたの
です。または勧進聖のように乞食袋に入れて貰ったり、比丘尼のように柄
杓で受けたり、袖乞なら長袖の袖の上に物を置いて貰ったようです。
 なぜ豆をなげたのか?
米や上等の粟は貢物として上納したので、常食の豆しかなかった筈です。
 豆を投げられた鬼はどうしたか?
豆をぶつけられても痛さを我慢して必死で豆を拾ったでしょう。豆を投げ
てくれた人に感謝した筈です。なぜなら鬼が豆をぶっつけた人に襲い掛か
った話がないからです。餅まきの時の餅拾いの様子と同じです。
 群馬鬼石や奈良吉野は、野史研究ではずばり別所地名です。東北ではエ
ミシが、東北以外では別所の者が「鬼」とされた筈です。これが多分、鬼
ケ城山の語源ではないかと調査しています。別所に多い「祖霊?」である
荒神様は「鬼の如く恐ろしい顔」をしているとされます。
「鬼の研究者」に足りない概念は別所とエミシの歴史です。それと自分が
鬼の末裔である事の自覚の欠如です。
 だからこれはという鬼の研究がでてこないように思います。

写楽保介 - 2002/09/20(金) 22:12<

出口鬼三郎

大本教の当主だった出口王仁三郎は丑寅の金神に「鬼三郎」と名乗れといわれたそうです。
それではあまりにひどいから鬼を王仁にしたそうです。
九鬼家には古史古伝のひとつ九鬼文献が保存されていました。九鬼家の当主だった占いの大家もやはり大本教と関係をもってます。
なお九鬼文献にはスサノオが主神と書かれているそうです。

おりょう - 2002/09/20(金) 20:27<

こんばんわ

*(@。。@)*ngly さん やぞーさん
鬼の唱歌さがしてみたらありました。そこでひとつ
     おにはそと ふくはうち
     ぱらっ ぱらっ ぱらっ ぱらっ
     まめのおと 
     おには こっそり にげていく
昭和6年この一番だけです。何故鬼に豆なんだろうか
中国の伝説では、昔、高陽という人がいて、政治の争いごとに巻き込まれ、高陽の3人の子供がこの世に恨みを残し死んだ。その子供らが疫病の鬼になり、この世におりてきて子供達を病気にするという。そこで、子供たちは豆でなく桃をなげつけたという。桃には邪悪なものを退散させる力があるそうです。イザナギが死者の世界の者に対し、桃をなげつけて追い払うというのがある。それが日本の寺社の間で邪気を払う儀式の”豆打ち”があり、それが豆にかわってきたんではないかと。
地方によっては”鬼は内 福は内 富は内”といって豆をまくところもあるそうです。たとえば、九鬼、鬼頭家などは鬼が祖先とか。また、群馬県鬼石町とか奈良県吉野では、節分の日は、全国から締め出された鬼を迎えいれるそうです。吉野は山岳修験の聖地で、今も鬼の子孫がいるそうです。

「天狗草紙」のナかに出てくる天狗は、南都(興福寺)、北嶺(比叡山)の僧侶をはじめ、禅宗僧などが、朝廷や幕府の保護のもとに驕慢になり、天狗道におちいった悪徒・悪鬼として非難の対象になっていると。

*(@。。@)*nglyさんちはウリ坊が尋ねてきてくれるなんていいですね。裏山は秋でいっぱいなんですね。

とんちんかん小僧さん元気?秋休みはないの?


ヤゾ− - 2002/09/20(金) 19:10<

秋ですねぇ

みなさん こんばんわ

おりょうさん 鬼は悲しいですね。
その鬼もいつしか浮ばれるときがくるのだと思います。
こうやって鬼の話しをするだけでも浮ばれているのかも知れません。
もともと修験道は山の民の鬼たちにとっては征服者であったともいいます。
しかし 時間と共に山の民化してゆき 修験道の中興の祖である役小角が現われて
鬼たちに慕われる存在になったともいいます。
修験道は朝廷に対して反抗的な性質はもっていましたが
表面上は朝廷の手先のような存在でもあったみたいです。
*(@..@)*ngly さんの書かれたいた 鎮圧(鬼退治?)に天狗(修験)が出動したというのも
“夷をもって夷をせいする”的なものだったのかも知れませんね。

*(@..@)*ngly さん 緊急ニュースは笑いました。
山に食べる物がないので 仕方なく里に猪や猿が下りてくるのでしょうね。
そういうことを思うと 笑えない話しです。
山小屋のすぐ近くにも栗がありますが
山に食べ物が不足すると 猿がやってきて枝ごと持って行かれます。
自然環境を考えた生き方を 動物たちに迫られているような気がします。

朝夕めっきりと涼しくなってきました。
近くの栗林では 近所のおばあさんがバケツと火ばしを持って栗拾いを始めました。
ぼくの食べる栗も置いといてくでぇ〜

*(@。。@)*ngly - 2002/09/19(木) 23:47<

天狗が鎮圧

おりょうさん
 この旨の語りは兵庫県南光町の瑠璃寺の八手の葉を持った天
狗像の側の看板にあります。東に乱あれば武器をもって赴き、西
に反抗の気配あれば急遽出動して鎮圧した、とかの一文が添えて
ありました。これで知らなかった天狗の正体みたりのような気分
になったものです。
昔研究会で訪問したのですが、急な坂を一時間位登って頂上に着
きました。まるで山砦です。確か頂上に薬師堂があり、多分播磨
地方の治安維持軍の拠点だったかもしれません。
 緊急ニュース。五分前自宅裏庭に猪が四匹(犬くらいの大き
さの子供が2匹)、小屋の前の土留めの木と根っこにいるクワ
ガタの幼虫を漁っているようです。灯りを点けると親は坂を上
って行きましたが、子供は逃げなかったそうです。この調子で
は、 裏山の栗の実は今秋も私の口に入らず、来春の筍の芽も
出ないかもしれません。無花果と柿で我慢します。

おりょう - 2002/09/19(木) 22:03<

大江山の鬼

ヤゾーさん 大江山のグッドレポート読ませていただきました。写真も何枚か拝見しました(残念ながら全部でてこなかった)。山伏姿に身をやつして鬼退治したというところを読むと、*(@..@)*ngly さんの書かれている、別の地方では鎮圧(鬼退治?)に天狗(修験)が出動したというところが、なにやら意味深な感じをうけます。唱歌がよかったです。
大江山で討ち取られた酒呑童子の首は山陰道の老いの坂に葬られているとか。この首塚は△形に石積みしただけの形状の古い塚だそうです。
正義であるはずの王権サイドに、いつもだまし打ちが多くフェアでないところに真実がかくされているような気がしますね。「鬼に横道なし」鬼は道にはずれた不条理なことはしないのであります。

*(@..@)*ngly さん 鬼の字を辞典でみたら、ムの転音キが音を表す鬼字の下半分の儿が人で、上は頭に大きな面をかぶっている形。昔、死人の顔に似せた面をかぶらせて、その人がいきているようにして祭った。キの音はまねるの意の語源からきているとあります。なまはげとか関係あるんでしょうか?

>轆轤師も木の椀(御器:ごき)作るから、俗に五鬼や後鬼が誤解して鬼になったというのが面白いです。







ヤゾー - 2002/09/19(木) 19:16<

むかし丹波の大江山

みなさん こんばんわ

おりょうさん やっと大江町を訪ねたときのページが出来ました。
むかし丹波の大江山 鬼ども多く籠りいて・・・という唱歌も紹介しています。
冷静にその詩を読んだら やっぱり卑怯で残酷なのは鬼退治した方だと思いました。

あおきさん タブーとして あまり語られることがなかった人たちには
不思議な魅力があったりしますね。
国民的映画のフーテンの寅さんの姓が車だというのも興味深い話ですね。

*(@..@)*nglyさん 丹波は大江町を訪ねてみて
丹波大江山は鬼たちにとって 重要なアジ−ルだったような気がしました。
大江山という唱歌にも 山伏姿に身をやつして鬼退治したという箇所がありました。

鬼の里・大江町の元伊勢神社と宮津元伊勢・籠神社を訪ねたときのことを
熊野ライフ通信にて写真と拙い文章で紹介しています。
むかし丹波の大江山は 鬼たちの一大アジールだったのかも知れません。

*(@..@)*ngly - 2002/09/18(水) 23:39<

鬼蛇考一つ

おりょうさん
 鬼が鷹巣山から虚空蔵山、それから他の山に移動した昔話です。
大きな鬼が鷹巣山から虚空蔵へ一跨ぎしました。次の日はそこから
桐山に移りました。また白鳥山に逃げました、という伝承です。
桐山には鬼の足跡と称するものが大きな岩にあるそうです。
 ここで大きな鬼とは、女子供老人や病人を抱えた、もちろん半身
裸で腰の辺りに布切れをまとっただけで、言語も風体も道筋の者と
は異なる集団でしょう。健康な壮年なら4時間の移動になります
ので、一日掛るとするなら上のような集団でしょう。
 次に一時間位で移動できる距離を一日掛けて移動したのは、食料
が入手できなかったか、護国兵にとの交戦があったために多くの時間
を要したのでしょう。ここで護国兵は古代の行基(弘法太師)関連の
寺を基地とする主に百済兵で轆轤師(後の木地師)をなどの産鉄を職
とする者でしょう。別の地方では鎮圧(鬼退治?)に天狗(修験)が
出動したとあります。この基地となった地を鷹巣と呼んだようです。
動員された轆轤師も木の椀(御器:ごき)作るから、俗に五鬼や後鬼
と当て字されて、鬼と誤解されたものでしょうか。
 鬼が逃げ込んだ白鳥山には大蛇もいたそうですから、ここが鬼の一
大アジ−ルだったのかもしれません。古文書には大和尊とか景行天
皇伝説もありますので、以上のような推定ができるのでは。
 

あおき - 2002/09/18(水) 21:59<

弾左衛門はすごい

ヤゾーさんが書いてた弾左衛門 おもしろそうなので調べてみたら 出るは出るは面白い話
エタ非人には凄い歴史があったんですねー 車善七という非人頭がいたりとか またひとつ
勉強になりました

おりょう - 2002/09/18(水) 20:40<

*(@。。@)*ngly さんのお顔も鬼マークですね。
鬼の付く地名といえば、鬼ケ城、鬼沢、鬼石、鬼岩、鬼ヶ岳、青鬼、鬼ヶ島、など結構多いですね。変った地名としては、鬼死骸(一ノ関)、鬼峠、鬼首(鳴子町)、鬼面山(い苗代町)、鬼怒川、青鬼(鬼無里村)、まだまだ全国的にいっぱいあります。場所が地名から想像できそうです。修験者、産鉄民、サンカ、山男等、鬼は異界の人として恐怖されていたんでしょうか。本当は隠(おに)だったのに。
ヤゾーさんのいう「お酒を飲まされて騙されるぐらい」に人が良かったのです。

写楽保介さん お返事ありがとうございました。面白そうなので探して読んで見ます。
わたしの友達に安川という九州の人がいます。サンカかなー。

ヤゾ− - 2002/09/18(水) 20:18<

銅鐸

みなさん こんばんわ

おりょうさん 大江町の話し もうしばらくお待ち下さい。
写真を選ぶだけでも結構時間が掛かってしまいました。
鬼のいたところは 鉄や銅などが多く産出したところなんて興味深いですね。

*(@。。@)*nglyさん 鬼の伝承は面白そうですね。
鬼の里の大江町に かつて大きな銅山があったというのは
銅鐸文化を担っていた人たちとの関係もあるのかも知れませんね。

写楽さん ぼくは霊能者でもなんでもないので そういうことはありませんでしたが
真名井神社はとても神聖な感じのするところでしたよ。
熊野に帰ってから 日室ヶ嶽の夢は見ました。

大江町に大きな銅山があったことが分かってから
銅=銅鐸という単純な発想から 銅鐸について少し調べてみました。
銅鐸については謎の部分が多いみたいですが
物部氏が銅鐸祭祀に関わっていたことや
出雲と深い関係にあったとされているみたいです。
白山をご神体とした田殿丹生神社の近くからも
銅鐸が出土したという話しを聞いた覚えがあります。

写楽保介 - 2002/09/18(水) 18:17<

真名井神社のこと

ヤゾーさんこんばんわ。籠神社に参拝されたとのこと。真名井神社ではある霊能者(三雲龍三だったかな)が参拝した折霊動を発し神示を受けたとのことです。ヤゾーさんもなにか神示を受けましたか?
おりょうさん
月海黄樹氏について 著書で自分がサンカの子孫だと言ってます。姓は安川といいこれはサンカに多い姓だそうです。本を5,6冊出版しており「秀吉の正体」「空海は古代ユダヤの錬金術師だった」(いずれも徳間書店刊)が面白いです。
「秀吉の正体」では秀吉サンカ説勧進聖説を展開してます。

*(@。。@)*ngly - 2002/09/18(水) 01:41<

鬼の末裔は鬼になれ

おりょうさん ありがとうございます
白石といえば団七踊りが有名です。侍でない者の娘と弟が
親の敵を見事に取る話です。宮崎諸塚・大分津久見・高知
室戸・徳島宍喰などに残ります。
 ヤゾーさん
>密造酒を買いに
すると密飲買といっていいのでしょう。
 鬼の伝承を調べています。鬼ケ城なる山が幾つかあります
が、不思議と鬼が攻めてきた話はなく、鬼が逃げた話が多い
です。逃げる鬼を追う者がいたのでしょう。東北では明確に
中央政府に反抗するエミシのようですが、中国地方でも東北
から移配されたエミシ・別所の者の痕跡のような気がします。
「お話の鬼とは貴方か私の祖先では?すると祖先を追い掛け
回したのはどこのどいつでしょうか?」と聞きますと、一瞬
真顔になり「鬼なんているはずがないですね。人間ですね」
と言う方が多いです。桃太郎話の鬼はサンカのこととか。
 この鬼は先住民族の出雲系サンカと考えています。

おりょう - 2002/09/17(火) 21:19<

どぶろく

みなさまこんばんわ
*(-..-)*ongly さん 白石市鎌崎温泉の弥治郎部落で、酒を密造してかくす側と見つける側の知恵くらべが、とても面白く書かれた本を読んだ記憶があります。この部落では密造酒を水で薄めて売っていて、酒
というものはとてももうかる商品らしい。
この鎌崎温泉500年前からある古い温泉とか。

ヤゾーさん
鬼のいるところは産鉄などの宝の山で、収奪されたところとして鬼の伝承となってのこっているんでしょうね。昭和40年まで河守鉱山という大きな銅山があったのですか?興味深いですね。
お話楽しみにしています。


ヤゾ− - 2002/09/17(火) 19:08<

酒呑童子の言葉

みなさん こんばんわ

野村さん はじめまして
そういうことに詳しそうな人が10月に掲示板に復帰するそうなので
楽しみにして待っていてやって下さい。
今後とも よろしくお願いします。

おりょうさん “うかれびと”は同じ人が書いた文章だったんですね。
大江山山麓には 昭和40年ころまで河守鉱山という大きな銅山があったそうです。
鬼の里に銅山というのも 興味深いですね。

*(-..-)*onglyさん ぼくの知人が小さいころ 昭和30年代の話しです。
紀ノ川の河原にバラックが20戸ばかり集まったところがあって
そこへ酒呑みの父親に連れられて密造酒を買いに行ったことがあったという話しを思い出しました。

tuyaさん 始めての釣りで14匹も釣れて良かったですね。
ぼくも始めて大きな魚を釣って それを自分で刺身にしたときには
美味しいんだけど なんだか喉につかえてしまいました。でも直ぐに慣れましたよ。

ヤナさん 大きなザリガニが釣れて良かったねぇ〜
高い高速代を使って釣りに来て ボウズだと可哀想だから 素直に嬉しいです。
でも そういうことがあるから ボウズでも足繁く通うんだよね。

おユキちゃん 新しい出会い(本)がありそうで良かったですね。
本を読んだら もっと星にまつわる神社を巡りたくなるかも知れませんね。
随分前に投稿していただいた 箕作りを伝えたという“おせんさん”の話しは良く覚えていましたよ。

鬼の博物館に“まつろわぬもの”退治される鬼という酒呑童子について書かれたものがありました。
酒呑童子は毒の酒を飲まされて討たれたと伝わっているそうですが
最後の言葉に「鬼に横道なきものを(鬼は人をだましたりしないぞ)」という叫びをあげたそうです。
その文章を目にして ジ〜ンと胸が熱くなりました。
どっちが鬼やねん。

野村 - 2002/09/17(火) 16:30<

鬼のミイラについて!!!

こんちは〜!!今、鬼のミイラについてガンバって調べてまっす!!!ンで、どんなことでもいいので(まじでどんなことでも!!!!)おしえてくださ〜〜〜〜〜い!!!!!よろしくお願いします!!!!

おユキ - 2002/09/17(火) 12:55<

消された星信仰

わぁ〜 おりょうさん、ありがとうございまする。
おらも「消された星信仰」買って読みますだ。(#^.^#)

Tuyaさん、神社と人にも相性があるみたいですね。
あまり天気が良くなかったのですが、お参りしてみて気分がスッキリしました。

ヤゾーさん、私の投稿を取り上げてくれて嬉しかったです。
八日市場に箕つくりを伝えたおせんさんは、東北から流れてきた人と伝わっています。

ya(・ε^)na - 2002/09/17(火) 08:37<

おはようさんです

おはようございます
 tuyaさんお久です
釣って面白いでしょう・・
  以前は南港・北港それに神戸港にもよく出かけていました
    でもあの虹の海は、ドキリってしますよね
   一度あの海で釣り糸を垂れると釣り糸が油まみれになってしまうからです
    でも、大阪湾内のほうが遥かにチヌやハネはよく釣れます
   なんでやろねえ?????

 おさかなさんが、釣れすぎること??♪
  そんな心配したいですねえ・・・・
   何ぼよく釣れても、釣り下手の仲間(ハイエナ)が同行するので
    すぐなくなってしまいますよん
      それでも残ったら友達んとこへ行きますよん

 そうそう・・磯の上に釣った餌取りの小魚は残します
  すると私たちが離礁したら、トビが何羽も何羽もやってきます
    冬はカモメですよ!
     鳥たちよくご存知ですね・・釣り下手またこいよ!!ってゆうてますよん

   本日の釣果は・・・・へへへへへ
    すごいんよ・・伊勢海老・伊勢海老ですよん・・
     一匹だけやけど初めて釣りました
      これは、誰にもあげません・・今日いただくことにしました
  お刺身と、味噌汁にします・・ううううううよだれが!!

tuya - 2002/09/16(月) 23:53<

本日の釣果

>ヤナさん〜♪
田辺の釣果はいかがでしたか?
私は今日、息子と南港の釣り公園に行ってきました。釣堀以外で釣りをするのは初めてです。
まったくの初心者なので、技術なしでもできるサビキつり。小アジが一時間たらずで14匹釣れました。5匹くらい鈴なりにかかったときは、わ〜いわ〜いと喜びました。
でも釣りをする時間より、指にひっかかる針を取ったりもつれた糸をほどいたりで、往生しまくる時間のほうが長かったです(-_-#
もっと遊びたかったのですが、3時ごろから急に波が荒くなってきて、頭から波をかぶるくらいになってきたので、一時間程度で切り上げたのです。
でも小アジとはいえ、14匹は一晩では食べられません。南蛮漬けにして二日かけて食べるつもりです。
味はおいしいのですが、南港のあの黒々とした海の色と、針を抜くときの血だらけのアジの姿が瞼に焼き付いてしまって、どうも喉につかえてしまいます(笑。今日に限って、近所の仲良しさんは晩までお出かけで、味見してもらうこともできませんでした。明日も南蛮漬けや〜。。。

みんな魚が釣れすぎたときは、その魚、どうしてはるんですか???

*(-..-)*ongly - 2002/09/16(月) 23:39<

またありました不老山

おりょうさん やぞうさん 「 蟻の街の奇跡」 松居桃棲著
 浮浪者ありがとうございました。
貴族の「平安」時代に庶民の3分の2は、酷政治でやっていけない
ので濫僧(らむそー:乞食僧)になり、漂泊して重税を払わなかっ
たと三善某が当時の政府に危機感を持って報告しています。また
税金の掛る壮年男子は戸籍上いない事にした地方もあるといいます。
いかに浮浪・不老・不労の者が多かったことか。
 現在ある地方の小堂の調査結果を整理していますが、その中の多
くは古に寺だったものが多く、寺の山号に「不老山」とつくもの
すらありますから、往時をしのばせるに十分ではないでしょうか。
 字は異なりますが風呂も、金属関連の別所地名のようです。
 茨城のサンカ集落では戦後も酒の密造をして、察の手入れがあった
時には、符牒で仲間に知らせたそうです。大丈びの時は「天下一」と
記したのでしょうか。そういう石をある神社で発見した事があります。
 サンカの大好きな酒もサンカ研究の着眼点でしょう。

おりょう - 2002/09/16(月) 21:02<

こんばんは

*(-..-)*ongly さん ヤゾーさん
「浮浪者の歴史と蟻の街」20ページ程ですが同じ松井桃楼という人でした。裏ページ、今、みたら、
本名 松井桃太郎 明治43年、東京生。劇作、演劇、舞台装置研究。主著「市川左団次」「蟻の街の奇蹟」と著者紹介にありました。

宮本常一さんの本の中に、大分県に周囲から犯罪の巣と周囲から冷たい目で見られている漁業部落があって、戦後ヤミばかりやっていたという。そういうところでは漁業開放がどんな形で影響しているか聞きた
いとおもつていったんだそうです。周囲から「あんな所にいったら、まともにもどってこれない」と反対
されたが、いって話しをきくと、「どっかからなにか持ってこなければ生きていけないじゃないか」とい
うことで、警察に見つかった時に、誰が捕まるか順番にきめていたという話がのっていましたが、「こう
でもしなければ生きていけない」という事はいくらもあったんでしょうね。

大江山の話し楽しみにしています。

ヤゾ− - 2002/09/16(月) 19:00<

鬼の里は良いところでした

みなさん こんばんわ
鬼の里 大江町へ行ってました。

写楽さん 籠神社と真名井神社へも行ってきました。
籠神社は思っていたより賑やかなところで 神社の駐車場には観光バスが何台も止まり 連休中ということもあり凄い人出でした。
お参りというより 籠神社を通り抜けたところからケーブルに乗り 天橋立を眺められる展望台へ向かう人たちのようでした。
しかし 籠神社から10分ほど歩いたところにある奥宮の真名井神社には誰も居なくて静かなところでした。
カゴメ紋が彫ってあったという石碑も見てきましたが 比較的新しいもので 削りとられた後に三巴の紋がはめ込んでありました。

おりょうさん 浅草の近くにあったバタヤ部落と 蟻の街のマリアと呼ばれた北原怜子さんの生活を記録した
「 蟻の街の奇跡」 松居桃棲著 にも “うかれびと”について 同じようなことが書かれてありました。
この本の中ではサンカという言葉も出てきますし サンカ語とも思えるような言葉も出てきます。
大江町は町というより 静かな山里でしたが 至る所にいろんな鬼の人形が置いてあって面白いところでした。
夜中に山道をひとりで走っていて 鬼の人形がライトに照らされて浮び上がったら驚くかも知れません。

*(-..-)*onglyさん 「 蟻の街の奇跡」 松居桃棲著 より抜粋です。

「浮浪者」という言葉は、天智天皇の時代から、「戸籍」という言葉とともに、公の政治用語として使われはじめたもので、そのころは「うかれびと」と発音していた。その意味は、今のような「一定の住所も職業もなく働く意欲もない人生の落伍者」ではなく、貴族たちよりも、逞しい生活力をもち、堂々と広大な田地や山林を所有していた人々だった。そういう人々を、なぜ、時の政府が「浮浪者」の烙印を押して追放しようとしたか? そこが大事なところだ。そのころ、天智天皇と藤原鎌足を中心とする政府は、まず「戸籍」を作って自分たちの仲間だけ登録しておき、つぎに例の「班田収受の法」によって戸籍に登録していない、政敵や異民族や賤民たちが開拓した土地を「浮浪者が不法占拠している土地」と称してどんどん没収した。こうして、山に追いこまれたのが山窩となり、河原の荒地に追われたのが河原者、すなわち穢多になった。穢多は田畠を作ることができないから、瓦焼きや、皮革工業を専業とするようになり、その結果 、逆に莫大な経済力をもつようになった。その最大の実例が、浅草を中心とする江戸の穢多部落だった。穢多は一般 の寺にも神社にも詣ることを許されなかったから、彼等は、彼等だけの力で、彼等自身の寺や、神社を作った。それが浅草寺と「おとり様」である。この新興勢力を最初に利用したのが源の頼朝であり、最大に活用したのは徳川家康だ。家康は浅草財閥とタイアップするために江戸をその本拠とし、浅草財閥の力をもって、大阪財閥をバックとする豊臣家を打倒した。だから大阪の陣が終ると、家康の旗本たちよりも威張ったのは穢多部落の代表、花川戸の助六であり、番随院の長兵衞 だった。同時に、家康から最大の信頼を受けたのは、穢多財閥を紹介した、無名の穢多僧天海だった。家康は天海の功績にむくいるために、東叡山寛永時を作って浅草寺をその傘下に入れた。

ヤナさん 昨夜の電話には驚きました。
ヤナさんが暮す豊中の辺りを走っていて ヤナさんって都会に住んでいるんだなぁなんて思っていました。
そしたらヤナさんから 田辺で釣りしてますと電話があったのでびっくりしました。
田辺の磯まで遥々と 頻繁に釣りに通うなんて やっぱり釣りバカです。
高速道路を何時間も走って釣りに来た限りは 何か釣って帰って欲しいと少しだけ願いました。

大江駅・鬼瓦公園→元伊勢外宮→内宮・天岩戸神社→鬼の交流博物館→大江山・鬼嶽稲荷神社
→天橋立→籠神社→真名井神社のコースを巡ってきました。
近い内に写真と文章でご報告します。

*(-..-)*ongly - 2002/09/15(日) 22:45<

ふろう山と海賊

おりょうさん
>浮浪者
そうですか。私も過年、鳥取県出雲大社の北側の日本海沿いにある
鰐淵別所を訪れた時、別所の中心にある鰐淵寺(がくえんじ)の山号
をみて驚いた事があります。
 不粮山とありました。粮はかて、ロウ・リョウです。
 もちろん本尊が飛んできたと称する行基がらみの寺です。
 また鰐淵寺は皇族専用の入口があり、「いかなる質問にも答えない」
とあります。ここの別所は海岸から2kmばかり入った所にあり、防人
として流されたエミシとみられます。海岸縁の人も、最初の15分は
会話が通じましたが、あとは出雲ズーズー弁?でチンプンカンプンで
した。話しかけてきたこの婆さんは50年間鳥取の山奥まで行商にでた
事が自慢の、被差別部落の者でした。
 また近くの浜町は、嵐の日に海岸で焚き火をして船を誘い込み浜岸で
皆殺しの海賊で有名でした。「お前の所は海賊してるんだろ」と近隣の
者が問うたところ、「お前の所もやってんだろ」。何やら雪印・日本ハム
や東京電力の社員の会話を彷彿とさせるものがあります。
 舟もなく漁労もしない別所の民の生き様は、最近の企業行動と一緒に
されてはたまりません。別所の民は、舟のない海賊にもなったのです。
 

おりょう - 2002/09/15(日) 20:57<

こんばんわ

尾張の国知さん「歴民」22号楽しみにしています。

写楽屋保介さんサンカの子孫といわれる月海黄樹さんについてくわしく教えて下さい。

浮浪者とサンカ
「浮浪者」とは終戦後に出来た軽犯罪法によると「一定の住居ももたず、一定の職業ももたないもの」をさすので、たとえ不法占拠の掘立て小屋でも、本人が一定のところに居住する意欲をはっきり示しているものは浮浪者ではない。
軽犯罪法ができる前は、警察犯処罰令の中に「浮浪罪」という悪法があって、定職のない学者や、家を失った労働者が、それだけの理由で、どしどし逮捕された。ところが、今日では、バタヤを浮浪者とよべないことを一番よくしってるはずの警視庁や都庁の役人たちが、わざと「浮浪者対策」とか「浮浪者の実体調査」とかいう言葉を濫用するのは「バタヤはいつでも浮浪罪で処罰できるのだ」という「錯覚」を一般都民にいだかせる魂胆らしい。
この「浮浪者」という言葉の起こりは、政府の苛斂誅求に抵抗する良民を、無理やりに罪人扱いにするために制定された法律用語で、この言葉が記録にあらわれるのは、今から約千三百年昔、天智天皇が皇太子時代に藤原鎌足などといっしょに、蘇我入鹿の暗殺や、大化改新によって、今まで貴族が勝手に私有していた膨大な田地を悉く政府がとりあげ、改めて国民の一人一人に公平に分譲することになった。これを班田収授の法という。これを国民がが喜んだかというと逆で田地をもらうのはいいが、もらった人は過大な税をおさめなければならない。それよりは、田地を貰わない方がいいという人間が多くなってきた。政府はあわてて、戸籍を厳重にしらべ「戸籍にのっていないものは、”うかれびと”とみなし厳罰に処する」ことにきめた。貧乏人は”うかれびと”として罰せられるのもつらいが、重い税も払うのはもっとつらいということで仕方なしに夜逃げをした。こうして山奥に逃げ込んだ”うかれびと”はサンカとなって炭焼や箕作りをやり
生計をたてざるをえなくなった・・・・・・・と。昭和30年「浅草」から抜粋

写楽保介 - 2002/09/14(土) 19:02<

水銀と丹生氏

周知のように日本の中央構造線上には水銀鉱脈がひろがっている。この水銀を無害化して使う方法を知っていたというのが丹生氏だ。(もちろん山人である)丹生都姫というのも彼らの神であり空海とも関係が深い。空海の出自である佐伯氏もこうした山人の一族である。
東北地方出身の神道家山本白鳥女史によると、山中の金属は動きまたその埋蔵場所には虹などがでるという。丹生氏とはこうした金属の動きや埋蔵場所を察知する霊感のようなものを持っていたのだろう。
山人にとって山とは神の身体そのものであり、その身体から金属を採掘するにはその返礼として特殊な宗教儀礼を行わなければならなかったそうである。(月海黄樹氏による)

ヤゾ− - 2002/09/13(金) 20:21<

出先から こんばんわ

みなさん こんばんわ
昨夜の投稿は慌てていたので変なことになってしまいました。

東沢さん 綺麗なハンドル名だと感じていましたが そういう意味が込められていたのですね。
僕なんか 漢字も言葉も知りませんし もっと柄ではないので 勿体無い気がしています。
今度とも 東沢さんの投稿を楽しみに そして深く噛み締めて読ませて頂きます。

あおきさん ぼくもヘビの夢って たまに見ます。
誰にも夢の話しをしなかったら良い事があるって話しもあるみたいですね。
もし夢の中でヘビに噛まれていたら飛び起きるのかなぁ?

おりょうさんにも いつか何か書いて欲しいです。
蜜柑さんもそう思っていると思いますよ。
タマちゃん なに食べているのか心配ですね。

写楽さん 秦氏=ユダヤ人説なんてのもあるみたいですね。
今のユダヤ人とは あまり関係があるようには思えませんが
原ユダヤ人やシュメールからの流れはあったのかも知れませんね。

尾張の国知さん 隠されていたことが表面化してゆく透明化の時代にあって
尾張の国知さん Donglyさんたち諸先輩たちの活動には 敬意を覚えると共に重要な意味を感じております。
こちらこそ よろしくご指導お願い致します。
それから大ヤゾウなんて呼ぶのは冗談でも勘弁して下さいませ。
気が重くなってしまいます。

尾張の国知 - 2002/09/13(金) 13:00<

東沢さん 大ヤゾウさん 皆さまへ

先日は、突然にお邪魔をさせていただき、失礼をいたしました。ハタムラ破りでの参加で済みませんでした。
私は、小学生の時に土器を拾い、考古学が好きになり、身近な学問であることを感じました。その後は、土器編年の研究ばかりに熱中し、物質遺物を中心とした、つまり『人』のすがたがみえない学問に異論を唱えた一人です。・・・随分、ようりようのワルイ人生を過ごしている『世間師』です。
専門化された学問と学問の間には、隙間がありすぎます。その隙間を埋める学問は、いつたい誰がしているでしょか・・・・・ それをタブウとか、臭いものには蓋 とかいつて逃げている身近な仲間もいます。
『歴民』は、そんな要領のワルイ、連中が集まりました。しかし、いずれ近いうちには正論になることと私は思います。ぜひとも、東沢さん、ヤゾウさん、クマノライフの皆様、今後とも宜しくご教導くださいませ。

写楽保介 - 2002/09/13(金) 11:52<

元伊勢と大本教

丹波には元伊勢神社がいくつかある。大江町の元伊勢皇太神宮は出口ナオが神示により参拝しました。あと比沼麻奈井神社は元外宮で祭神は豊受大神です。例のダビデ紋があった籠神社に属する真奈井神社も元外宮です。
出口王仁三郎が伊勢に参拝した折外宮の祭神について大本の主神国常立と名前が違っても同じ神だと説明したそうです。大本教は日ユ同祖論で有名でした。
サンカの子孫だという月海黄樹氏の本によると元々神道というのはユダヤ教だったが朝鮮半島から渡来した馬賊の一派(皇室の祖先)が日本をのっとってからユダヤ神道も朝鮮神道になったと書いています。
今でこそ伊勢神宮は皇室の祖廟となっているが元は先住の海人族がその神をまつったところだったそうです。
月海氏によると空海も海人族の子孫だったそうで、空海が水銀鉱脈の上に高野山を開いたのは錬金術、不老不死の丹薬をつくるためであり、空海の死因もこの丹薬の摂取による水銀中毒だと月海氏は主張してます。

おりょう - 2002/09/13(金) 10:37<

「民歴」

「民歴」のファンとしては、広島のヤゾウさん(ドングリさん) 名古屋のヤゾウさん(飯尾さん) 熊野のヤゾーさん 東京のヤゾウさん(蜜柑さん)とともに宮城のヤゾウさん(東沢さん)是非サンカについて何か書いていただけるのを22号楽しみにしております。
「民歴・サンカ特集」埼玉のサンカ少年一家(当時)の事も早く読みたいのです。
はやく出してくださいませね。

あおき - 2002/09/13(金) 07:37<

昨日蛇の夢を見ました

蛇がじっとしてるので 死んでるのかなーと思って近づくと カーっとにらまれてびびってしまいました
変な夢
東沢美史さん すごく勉強してるとおもいます いつも書き込みの内容を読むだけで楽しみにして満足
してるので 最近掲示板読み専門になってます またいい話書いてください

東沢美史 - 2002/09/13(金) 00:43<

尾張の国知さんへ

家のオシラ様をまつる境内の大欅のこずえには「クチハピ」「クチハビ」などと地元で発音(ハ音はカスれる)されてる蛇が蛇を祭った館からも出て毎朝昇り大集合してました。宮城のオシラ様の神社ではかつて多く見られた光景なんですが、このおそらく蛇をも意味する「神」を宮城では「加美」「賀美」と表記する地域がありますし沖縄の「ハブ」と同祖音でもあろう蛇の「ピ」「ビ」を「美」と東北では漢字表記してます。目覚めた蛇(美)は太陽光を求めて東沢(東山もOKです)に集まり鎌首持ち上げて朝日の昇るのをオカミ様(口寄せ巫女)と一緒に待ちます。山窩の歴史と重なる蛇(美)の歴史が有ったことを肝に命じ掲示板用の名前にして謎解きしてます。

はじめまして、尾張の国知さん。以前の風の王国掲示板ではお名前を勝手に書いてしつれいいたしました。私は民俗学は読み始めてまだ2年半の者です。日本史に至っては全く興味関心の無い者だったのですが2チャンネル「山窩だそうです」でDonglyさん、turukotさんらのご指導を受け、というかそれ以上にお二人がそれぞれ持っておられる個性に好奇心が惹かれて頑張って今、勉強しています。また三河のピンクのトカゲさんの御祖父様のお話には真実が有るなと直感してからはこの熊野ライフ掲示板を強く信頼するようになって今は参加させていただいてます。ただしこのような山窩と同じ仕事に私が就いてるのは山窩の素晴らしい歴史を守るためとかと言うような理想の高いロマンチックな理由からでは無く、頭が悪くて大学にも就職試験にもおちて続けて困ってしまい仕方なく代々の家業であった竹細工の門付けを選ばざるを得なかったというのが真実のトコロなんです。でも禍が福と転じたのか身近に祖父や父の竹細工の仲間がたくさんいて話がきけるのと、古いしきたりや風習が残ってる東北という恵まれた民俗学的環境のお陰でそれらを参考にここへ書くことができています。

そういうわけで現在は東北の山窩、歴史についてはkumano life掲示板とリンク先の「穂国幻史考」掲示板に書くことを至上の喜びとしておるような状態です。それも面白い個性豊かな書き込みができる方々に惹かれて書いてるだけで、純粋に学術的な論文を書くということには全く関心がありません。というかそれ以前に私は漢字は読めるけど基本的に字が書けません。中学、高校とホントのビリ、最下位で卒業した人間でして、とてもそういう柄でないんです。でもこの掲示板ではヤゾー氏が許してくださる限り東北の山窩に関する報告をして行くつもりですので引き続き掲示板を読んでくださるとありがたいです。新しい歴史民俗学が発売されましたならばまたそれを参考に何か書かせていただく予定です。今回はせっかくのお誘いに乗れなくてたいへん申し訳ございません。東北の山窩や竹細工のことであれば解かる範囲でご説明いたしますのでどうぞこの掲示板でおっしゃってください。

でも、これからも歴史民俗学とkumao life掲示板や野史研究会などがさらに刺激、交流しあって、その研究成果の力で、ホントは高度で輝かしい文化を所持してた真実の山窩の歴史をさらに深く探り、証明し提示していけたらいいなーっておもってます。

ヤゾ− - 2002/09/12(木) 21:19<

うっ

名前とタイトル勘違いしてしまいました。

タマちゃん - 2002/09/12(木) 21:18<
みなさん こんばんわ
用事が今出先からなので手短にレスさせて頂きます。

写楽さん 吉野から熊野にかけての大峰山系の奥駆けは
修験道にとってはメッカともいわれていますが
その中でも重要な拠点の一つに熊野の奥宮ともいわれている玉置神社があります。
その玉置神社の主祭神は国常立命で 王仁三郎も参拝に訪れたといいます。
修験道と国常立命は深い関係にあるのかも知れませんね。
その王仁三郎が重要視した元伊勢神社は 籠神社より大江の方の神社だったと聞いたことがあります。
古代遺跡などが 戦前に軍部の手により破壊されたという話しは耳にしますが
天皇家がやったというより 天皇を担ぎ上げている人たちの仕業のような気がしています。

おりょうさん 「消された星信仰」について ありがとうございます。
海人系物部氏の地に星神社が多く存在しているという話しは興味深いものがあります。
とても面白そうな内容の本みたいなので読んでみたいです。
田舎では古本で見付けるのは難しいので新刊で探してみます。
アザラシのタマちゃん 今度は横浜の川で目撃されたみたいですね。
生きてて良かったぁ〜

turukot(-,.-) - 2002/09/12(木) 16:20<

駄レスですが。。。

東沢さん

>韓国語では「マイ」と発音すると

「メ(Mae:梅)」と発音します。もっとも韓国語においては二重母音 ai、oi が
縮約されて短母音 ae、e と(ハングルのつくりを見るとそうです)なっている
場合が少なからずあるので、かつては梅=「マイ」だったかもしれません。

あ、あの件についてのメールを差し上げます。大した資料ではないですが。 

おりょう - 2002/09/12(木) 11:04<

おはようございます

ヤゾーさん おユキちゃん
星神は全国的には非常にすくなくて、関東地方では、群馬県、東京都、神奈川県には全くなく、とくに集中している地区は栃木県の184社を筆頭に、高知県の67社、千葉県の59社、茨城県の16社が集中しており、あと大和朝廷系の中心地には1社もなく、群馬なども大和朝廷系の支配下にあったから1社もないそうです。茨城の16社と少ないのは、実際には藤原氏に討伐されたとかかれている星神・香が背男を祭る祠が百ちかくあるという。現在、茨城県日立市の南に大甕神社があって、そこには香香背男の巨石がまつられている。カカセオを祭神とする星の宮が茨城県に多いのは、要するに、藤原氏の常陸制圧戦で一応勝ったことになっているが、実際は妥協したという事を物語っている。というのは、この戦争で東国の物部は潰されずにのこっているからである。星信仰系の勢力は香取神宮として残り、八日市場の生尾部落にある生尾神社は式内社としてのこっているからだそうです。
生尾神社は継代天皇の頃、物部小事(おこと)が関東に乗り込んで作った匝瑳国の名残で、香取社の齋主は物部の母だったといわれる。
利根川をはさんで、東側は香取神宮の分社が上流に向って続いており、、また、八日市場には星の宮が9社あるなど、海人系物部氏の地に星神社が多く存在しているとか。ナマズ信仰とも関係があるようです。
千葉県八日市場の市街中心部の八重垣神社の祭りは参拝者全員が竹の葉のついた枝を持ってきて神社でもやすそうです。ヤゾーさん、おユキちゃん上記のような興味深いおはなしが「消された星信仰」にはいっぱいつまっていて、これが面白いのです。古本屋でみつけたら買ってよんでね。

藤崎慎吾 最新刊「ストーンエイジ 」(光文社 880円)の作中の少年山賊たちは、昔日本にいたサンカをモデルに、逃げる者たちの象徴として登場させた2030年代の首都圏を舞台に、失われた人間関係の再生を試みる近未来警察エスエフ小説。おもしろいかどうか、おらはまだ読んでません。

「あい」=ある方角から吹く風の呼称で「あいの風」は東風の事で、「あい」は風の方角でなく、別の意がひめられている。とか。




写楽保介 - 2002/09/12(木) 09:59<

国常立の神

国常立神についてですがどうも修験道と関係の深い神のようですね。ということは先住民族の神、埋没神、に通じるのでは。御嶽教の主神も国常立ちです。明治以降国常立ちを大々的に宣伝したのは大本教でした。
江戸時代のどの神道でも国常立ちを重要視しているのに明治以降とりあげたのは大本ぐらいしかも国家権力に大々的に弾圧をくらってます。天皇家や天皇を頂点とする国家神道からは異質な神触れて欲しくない神なのでしょう。
大本では丑寅の金神=国常立ちとなってます。太古に悪神としていみきらわれる丑寅の方向に封じ込まれた神ということになってます。しかし陰陽五行説が渡来する前は当然丑寅の方角が不吉とされていたわけではないはずです。
私見ではこの丑寅の艮神は卑弥呼、海部氏、ついでにユダヤとも関係が深いはずです。
籠神社の海部穀定宮司と大本の出口王三郎仁三郎は親交がありました。この元伊勢だったという籠神社の奥宮真名井神社の紋はダビデ紋でしたが最近それが無理に変えられたそうです。無論皇室の手先による仕業でしょう。こういう薄汚さは実に天皇家的ですね。

△うぶ - 2002/09/12(木) 01:36<

あい

教えてください。「あい」には漢字を当てないのでしょうか?
藍染の「藍」なら、昔、虫を使う必要上から(うんぬん)、、、仏教思想渡来以降に。
それとも<あ>は「阿」「吾」、、、、<い>は「葦」「夷」「揖」、、、、等でしょうか?
(あいうえお)の替わりに(いろは)を使え、とは、どんな場合に、でしょうか?

核心に近そうな時に、興醒めな質問で申し訳ないですが。

しかし、ね。もしサンカがウガヤフキアエズの時代からの流れと仮定すると、(我国では後々から
使用開始された)漢字で解析して良いものかどうかの疑問も存在すると思えませんか?

*(-..-)*ongly <http://www7.ocn.ne.jp/^iyasi> - 2002/09/11(水) 22:47<

「あい」、そうですか

東沢さん こんばんは。
>オシラ様を信仰する人達が「アイ」という発音を使うことは反天皇を意味し、
>信仰を通すには「命を狙われてもいい」という必死の覚悟が必要でした。
あいは実は別所やその流れを汲む被差別部落関連の語ですから、すなわち
東北へ侵略した天皇族に抗した古代エミシや俘囚と関連があるようです。
その意味なら少し理解できます。それ以外の理由が私には分りません。
 サンカ歴史学の核心に出雲系や別所の存在がみえ隠れするようです。別所
の研究はともかくとしても、サンカが東北にいないとした研究者や民俗学
周辺の虚偽と限界をここらでドカンと突破して下さい。この間調査した地点に
別所がありましたが、旧被差別部落と共に、サンカ系が多いのにたまげました。

ヤゾ− - 2002/09/11(水) 20:15<

いろいろ

みなさん こんばんわ

尾張の国知さん ご無沙汰しております。
蜜柑さんの結婚式では 楽しくお話させて頂き 感謝しております。
文章が書けるかどうか分りませんが
折角お声を掛けて頂きましたので考えてみます。
東沢さんにも お願いしてみますね。

tuyaさん いえいえどう致しまして
お陰で面白い発見もありましたよ。
丹生津姫と水銀 それに弘法大師 面白いですね。
高野山が大きな水銀の鉱床の上にあるという話しは聞いたことがあります。
そして弘法大師がその水銀を採掘した財力に支えられていたとも言いますね。

GAINAさん お久しぶりでした。
GAINAさんが仰るようなことを 古くからある神社にお参りすることで感じて
>鳥居も拝殿もなく 自然そのままの状態が本来の(神社の)姿のような気もしています。
という発言になったのだと思います。
サンカの人たちが朝起きてまっ先に アノさん(太陽)に向かって
アーと唱えて手を合して拝んだという話しがあるようですが
もしそれが本当ならば とてつもなく深くて豊かな精神世界を持っていた〈継承していた〉ように思いました。
それが本来の神の道(神道)のようにも思いました。

△うぶさん お気遣い 痛み入ります。
しかし いろんな視点からの いろんな意見というのは勉強になりますので
お気になさることなく いろんなご考察をお聞かせ下さい。

seburiさん それって無茶苦茶貴重な話しではないですか。
隠れ念仏のなかでも〈カヤカベ〉は特に珍しくて
すべてがサンカのように口伝でしか伝えられなかったと五木さんの本に書いてような気がします。
九州の隠れ念仏や東北の隠し念仏 それに隠れ切支丹
それぞれが根底では繋がっているような気がします。

東沢さん 長文の投稿 ありがとうございます。
東沢さんの「五角形の箕は北極星を意味するのではと」という言葉や
おりょうさんの話しにインスパイアされ
また 実際に譲って頂いた五角形の箕を眺めているうちに
その美しさには何か深い意味が込められているに違い無いと思い
星神信仰の神社にお参りし その地で感じ 少し調べてみました。
その結果 星神信仰や五角形の箕には 古代からのものを受け継いでいるように強く思うようになりました。
先日のおユキちゃんの投稿からも 星神信仰と箕には 何か関係があるような気がしています。
僕も直感的なものですが 星神信仰や三角山〈ピラミッド〉信仰は繋がっていて 
どちらもサンカと関係があるような気がしています。
最近知ったことなんですが 岩木山を中心とした星神信仰とピラミッド信仰があり
それらを結ぶと北斗七星の形になるのだそうです。
柄杓の柄の端っこにあたるのが モヤ山という綺麗な三角形をした信仰の対象となっている山だそうです。

紋次郎さん ジャックナイフなんて 懐かしい響きですね。
ハンドルに付いたロックを解除すると
物凄い勢いでブレードが飛び出すのでビビりますね。
知能的にやっつけたというあたりが面白いです。
古事記では スサノオがヤマタノオロチから取り出した剣をツムガリの太刀というそうですが
そのツムガリ(トンガリ)が転訛してウメガイになったのではと「サンカ研究」田中勝也著にありました。

尾張の国知 - 2002/09/11(水) 19:40<

訂正です。

済みません。東沢さんのお名前、間違えて記してしまいました。
東山さんの一連の研究レポート興味深く読ませて頂いておりました。特に、ウメアイ・ウメガイの実験的検証は、頭が下がります。『歴史民俗学』22号に、ぜひ寄稿いただけたらと熱望しております。

tuya - 2002/09/11(水) 19:20<

ありがとうございます

GAINAさん、東沢さん、レスありがとうございます。

東沢さん>大間→白馬・・・なるほど!一度そのセンで探してみます。ありがとうございます。

GAINAさん>弘法大師は水銀を手にすることで何をしようとしていたのでしょう。
・・・水銀は昔、不老不死の薬と信じられていて、弘法大師様もそこから水銀に関心を持っておられたと何かで読んだことがあります。もし丹生津姫関係の歩みも、不老不死を求めての人々の巡礼の旅だったとしたら、ロマンがありますね^^

尾張の国知 - 2002/09/11(水) 17:46<

中元大ヤゾウさん ご無沙汰.してます。

利田ヤゾウの、フクロアライ以来失礼ばかりしております。時々,クマノライフの掲示板を読ませていただいております。それぞれ、皆さんが大変勉強されて、やり取りをしておられまして、学ばせていただいております。最近、サンカのことが少なくなつてきたようで、寂しいですネ。
次の『歴史民俗学』22号は、サンカ特集のパート2 です。今、原稿をかきながら、またお願いをしながら、編集の準備に取り掛かりました。中元ヤゾウさん、何か原稿をお願いできませんでしょうか・・・。また、東山さんにも寄稿のお願いの、ツナギをしていただけたら大変有難いのですが・・・。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2002/09/11(水) 14:02<

シェイシュンの門へ チンコンカンコン   

 東沢さん、お忙しいところを、貴重な資料の数々有り難うございます。
 テキはなかなかガンコのようです。
 むかしの言葉のなかには、多くの懸け言葉が含まれていて、そのことばができた
初めには枝葉末節だった概念が、いつのまにか中心概念になっていたりすることも
あるのではないでしょうか?
 ウメガイを追い回していましたら、そんなことを考え始めていました。
 
 けふはレクイエムの日だとか。レクイエム……ベロ噛みそうな、妙なことばが流
行るもんです。意味はチンコンカだそうで。
 でも、シェイシュンの紋チャンは国民学校1〜6年生の間、おらとケンカ一番を
張りあった梅永広太へチンコンカンコンしたいです。
 彼は6年生ごろからジャック・ナイフをケンカ道具に携帯しはじめたので、いち
ど知能的にやっつけた後は、ヤツとはケンカしませんでした。
 ヤツは二十歳の春、青春の真っ盛りにドスで刺されて死にました。

※ 東沢さん、二つの同じ概念を並列させる造語法はいっぱいあります。
※ マイから「メ」への移行は自然な音転ですよね。
※ 不思議なことに「馬」をシナでは、どこか極地的に MBA と云い。どうもこれが
  ウメに絡んでくるらしい……?? ウメのことをアズマびとが「ムメ」と云っ
  た記録をなにかで読みました。
※ 「ガイ」がウイルタ〜蒙古で大略のところで割れています。
  そこで気になるのが出雲と氷(ヒ・蒙古語 MES)です。氷という字をさかん
  に使っていますよね。あのヘンから来た人びとを「ウメ××」と呼んでいたの
  ではないか?
※ 今では「生む」といえば、赤ちゃん産むことだけですが、 UM には「生産」と
  いう意味が強かったんです。やっぱ、“ウメ”はこれに惹かれます。
  じつは、ネパール語 UM にネパール語強調末尾辞をつけた語形が UM-E です。
 東沢さん、決まったわけじゃありません。急ぎませんので……また。

東沢美史 - 2002/09/11(水) 04:57<

ウメガイと天磐樟船とは同じ意味か?

ヤゾーさん、今回「ウメアイ」の語源のこと改めて考えながら手作りの「ウメガイ」を想起して驚きの連続でしたよ。五角形の箕は北極星を意味するのではとは私自身の推測だったんですが、父らは北斗七星の柄杓(ひしゃく)の水が入る4角の杓、斗升の部分を指してます。そこで今ごろ私は気付いたのですが、大阪府交野市磐船神社の巨石で出来てる天磐樟船は、ウメガイその物と同じととっくにお気づきになってたのですね?もし万が一、お気づきになられていないとしても、無意識のヤゾー氏は気付いてるのではないでしょうか。霊感が働いたりして。

私が熊野通信の大阪磐船神社のリポートを見ていま思いついたのでは、ウメガイ=天磐樟船=不動明王の剣=5角形の箕ということです。この磐船を真上から見た形がウメガイとそっくり、つまりウメガイも置いて上から見れば船形をしております。解かりやすく言えば岩船は神や御霊の乗り物でしょうから、ウメガイも天樟磐船と同じ意味の霊がつく依り代のようなものかもしれないとおもいました。岩船については船形山のそびえる宮城では最近も話題の出版物が出され紹介されてるほど知られてます。ただしウメガイのことは書いてはいませんが、木で彫る船の依り代はウメガイとだいたい同じ大きさで全くウメガイの剣先の形をしています。また船の依り代が全くウメガイと同じ形ってのまでもあるんですよ。その写真を見て衝撃をうけたんですが、でもまだ船形山の研究者の方々はウメガイの存在には気付いてはいないようです。考えて見れば5角形の御霊を乗せる箕は天樟磐船に似てるし間違いないなって直感ですがおもいました。この宮城の船形山は奥羽山脈の山窩とウメアイで私が報告した「薬莱山」の背後に控える山です。大阪交野市の磐船神社のリポートに刺激をうけてたどりついた推測ですが、少しいけそうな気がしますが、邪推で終わるかな、(>_<)。

tuyaさん。私がかつて調べたののなかに中世にあった「白馬の池」と言う大船が着くほど水の増える神様をさすらしい信仰の地がありましたが、「大間」の発音から白馬(おうま)神社の可能性を少し考えました。

東沢美史 - 2002/09/11(水) 04:54<

ウメアイの語の分析について(>_<)

ウメアイの発音は最近まで聞いたことがなく、意味の聞き込みもしたことがなくて自信がありません。宮城では「山刀」が一般的な発音でしょう。

でも「梅」から派生した言葉であるという前提条件付であれば少し考えられることはあります。講談社の事典は「梅」を中国語では「メイ」、韓国語では「マイ」と発音すると書いてます。この中国、韓国の発音は「ウメアイ」の「ウメ」でなく「アイ」の部分に発音が似てることになります。日本での音読みは「バイ」ですよね。なんとこの場合、梅が関わってるのは「ウメ」+「アイ」の両方、つまり「ウメ」も「アイ」も共に「梅」の意味を持ってしまい「梅」+「梅」になってしまいます。同じ意味が連続するとは・・・あくまで駄推に過ぎませんが。

また最近TVによく出演してる京都大学の阿辻哲次氏の本を夕方、立ち読みしたんですが、そのなかで彼は「梅」の元の漢字は「某」と記していました。「某(ボウ)」はなんか変な言葉ですよね。「某○○」って、知ってるけどあえて名前を伏せるときとかに便利なんでよく使いますが、聞かされたほうはその某がついた人や組織になんらかの怪しい含みを感じながらすぐ正体を推測したりします。つまりこの場合「ウメアイ」=「ウメ」+「アイ」=「梅」+「梅」=「某」+「梅」=「某梅」となります。ちなみに「桜」の「サクラ」も客の振りをすることを意味する怪しげな言葉です。


さらに宮城の場合ですが、オシラ様を信仰する人達が「アイ」という発音を使うことは反天皇を意味し、信仰を通すには「命を狙われてもいい」という必死の覚悟が必要でした。でもそれは戦前までの天皇絶対の時代だったのではないかと前から疑問だったんで七夕祭りの盛んな仙台で口寄せ巫女らが通ってた社堂の守り主さんに去年に改めて聞いてみたんですが、天皇絶対主義の人が平成の今も脅迫しにやってくるそうです。でも、脅しだけで実際に武器や暴力をふるわれたことは全くないようですが。彼らの言い分は「皇室は伊勢神宮だから、ひらがなは、「い」から始まる、いろはにほへと、と言え!。「い」の上に「あ」が有る、あいうえおと言ったり使ったりしてはならない、皇室に盾突く気か!」との主張で脅します。※男女2神のオシラ様と同じ男女の七夕様は元々同じだとの解釈があるようです。

「ウメアイ」は「梅」+「梅」=「梅梅」、上の例に習えば発音が「アイアイ」との可能性もあります。「アイ」と言うことは平成の今でさえ心ない方々から脅しをかけられてることを考えれば、伏せて「某」を使い、「某梅」で「ウメアイ」、まだ後ろに「アイ」があるから「アイ」を「ガイ」にして「ウメガイ」と発音するようになったのではないでしょうか。・・・セイシュンの紋次郎さん、やっと、こんなのデマシタ。ただし、当たってる確率は殆どないでしょう。「口寄せ巫女」の意味があるとした「鹿島」の語源は私なりにかなり自信があったのですが。

seburi - 2002/09/11(水) 02:03<

カヤカベ

こんばんは
ちょっと、僕の実家におもしろいものがあるんで
報告します。
家の裏山に、小さいほこらみたいなものがあります。
表には「天照大御神」と彫られているんですが
裏を見ると「南無阿弥陀仏」と彫られているんです。
ウチも含めて周りの親戚は、神道なんですが
これは、「かくれ念仏講」「カヤカベ」ということなんですかね〜
本当は違ったのに、今はそれも忘れ去られ神道になってしまったのかな
と推測しています。今度親戚から探ってみようかなと思ってます。

△うぶ - 2002/09/10(火) 23:37<

ちょっと訂正

書き込みにミス発見しましたので、訂正させて下さい。
本居宣長も平田篤胤も江戸時代末の人でして、明治維新時期にはその門下生や派生した学者が
活躍したのでした。
ヤゾーさん、長々と論を書き込み申し訳ないです、ただ最近の私の書き込みで、アオッタような
気がしたもので、責任を感じて、修正がてらに書き込みしました、適当に読み流しておいて
ください、単なる一考察です。

GAINA - 2002/09/10(火) 22:45<

お久しぶりです。

こんばんは。
ヤゾーさんが問いかけている「神社って何だろう?」なのですが・・・。

自然の中で何かの現象が起きたり、感じられるところであったと思われます。
神はそういう現象が起こるところに存在するものといわれてきたはずです。
それが、いつの間にか社を建てて神社となり、
今では、「神を管理するのが神社だ!」となってしまったようで・・・。
神を含め自然を人間が管理する。そんな時代なんですかねえ。
そのうちに、自然からのしっぺ返しがあることも知らないで・・・。

先日、最終回の「北の国から・遺言」を見ましたが、
五郎さんが森の中での遺言シーンで、
「この自然をこのまま残しさえすれば、死なない程度に自然は養ってくれる」という言葉がありましたが、
なるほどこういう表現もあるなあ!と妙に感心しました。

tuyaさん、中央構造線上には、「水銀(丹生)」を産出する所が多くあります。
その関係で「丹生津姫」を祀る神社が多いのでは?
それに丹生に一番関心を寄せていたのが「空海・弘法大師」ではないかと思っています。
和歌山や三重の丹生近くには高野山など弘法大師ゆかりのものがたくさんあります。
弘法大師は水銀を手にすることで何をしようとしていたのでしょう。
意外に革命家だったかもしれませんね。

tuya - 2002/09/10(火) 21:53<

ありがとうございました

ヤゾーさん>どうもお手数おかけしました。
神社の分布はたしかにおもしろいですね。わたしも先日インターネットで、丹生津姫をまつる神社が中央構造線に分布していることを知り、興味深く思いました。

おユキさん>神社ってそれぞれ個性があって、自分の波長に合うところやそうでないところがあって、おもしろいですよね。おユキさんは、とても相性の良い場所を見つけられたのですね。星といえば私も、大阪府交野市の妙見さんにお参りしたことがありますが、とても清浄な気持ちの良い場所だったと記憶しています。

ヤゾー - 2002/09/10(火) 19:15<

地図って面白い

みなさん こんばんわ
朝夕めっきりと涼しくなってきたました。
日が暮れるのも早くなり 外は真っ暗で 秋の虫が賑やかに鳴いています。

tuyaさん 和歌山県の詳細な地図も使って調べてみましたが 
本間も大間も それらしい神社を見付けることが出来ませんでした。
それにしても 地図で神社を探していると いろんな発見があって面白いです。
思わぬ山の中に 金毘羅神社や厳島神社を見付けたり
珍しい神社の名前があったりと 飽きることなく1時間近く眺めてしまいました。
熊野にある小さな川沿いの村では その河口から上流にかけての川沿いに 
諏訪神社が点々と四つもあり 川沿いから少し離れたところに二つ
合計六つの諏訪神社を見付けることができました。
諏訪神社を信仰する人たちが移住してきたのかも知れません。
地図には鳥居の印だけで 何の神社なのか記載されていないのが幾つもありましたから
そんな中に その本間か大間神社があるのかも知れませんね。
遠慮などしないで なんなにとお書き下さい。

△うぶさん ご意見 ありがとうございます。
論ではなくて 感じたままのことなんです。
古い神社を巡っていて ふと そう感じてしまいました。

紋次郎さん 大変面白いお話しでした。
若い頃から山仕事に従事し 殆ど字も読めない老人が
大雨が降ったら山のどこらへんが崩れるだとか
風の通り道だからここに家を建てたら台風の被害に遭うかなどを
実に正確に言い当てた老人が居たという話しを思い出しました。
また ひとりでようけ歩いたときの話しなど お聞かせ下さい。

以前 おりょうさんが紹介してくれていたように思うのですが
「消された星信仰ー縄文文化と古代文明の流れ」という本
どういったことが書かれているのでしょうか。
もし お読みになったのなら 教えて下さい。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2002/09/10(火) 09:53<

  柱と塔 と 神社仏閣  

 おらの考え−−ちゅうか、まだ夢想の段階ですが、神社とか仏閣が所定のスタイルとなる
に至るまでのなりゆきは、いちどまとめてみたいと思っていました。

 なにごとも、できてしまった後からでは見えにくいと思います。
 因果といいますが、因が結果したあと、ふたたびその果が因となるからです。
 だから、吾人は須らくまず歩け歩け。歩きながら周辺に目につく人家や道路、ひとの手で
植えられた樹木などを片っ端から消す。少なくとも1日に15キロばかりを歩く。自転車
乗っちゃだめだヨ。できるだけその途中に峠を一つか二つ入れる。
 そうすると、とりたてて“風水”などを他人様から教えて貰わなくっても、吾人は大地や
地底に流れる水を身体で知るだろう。
 そして、大地を讃えるなら、その“くびれ”部分にナニかをやる気持が分るようになる。
 あっし? 十歳から二十歳までの間、ひとりでようけ歩いたんだワさ。

 「まつり」とは「集団形成」が中核となります。まつりの主催者にとっては、なにが一番
イヤなことかというと、その集落構成員が家にすっこんでテレビをみることです。なんでも
いい、なにかみんなでワイワイやれることをやることです。
 どういうイキサツかはわかりませんが、中央アジアで集落の中心などに柱を建てる風習が
発生しました。ア−リア人が南下したとき、支配地の象徴として柱を建てたと思います。
 その最たるものがオーパーツといわれるクトブの鉄柱です。

 シッダルタさんの骨を、はじめ150ヶ所に分骨したのがモリヤ氏族(諏訪にも親戚がい
るよナ)でした。それを見たアショカ王が500ヶ所に分骨して「まつり」に役立てたので
したが、これは柱ではなく石を築いて造った塔でした。この塔のスタイルがシナに来ていま
すが。シナでは TAP とか TA と呼んでいます(「たたなずく」はこれか?)。
 インドでは卒塔婆というように STUPA の語形があったことはタシカですが、その前の柱
は *thVmb (V は o か u ,a の母音)にまで祖形を追い求めてゆけると思います。
 親ゆび姫ね。
 だれか南米のサンバの語源は知ランカネ。
 おへまの里(秋山郷ちかく)では一連の出し物が始まるまえ、主催者である村びとの唄お
どりのことをサンバいいます。これ柱祭りのなごりだと想っています。

 この石積みの塔が基礎意識となって神社仏閣となったんではないか‥‥、オソマツ。

tuya - 2002/09/10(火) 06:40<

訂正です

本間神社でなく、大間神社だったかもしれません。。。

△うぶ - 2002/09/10(火) 00:55<

神社や神道

基本的にはアマテラスの伊勢系とオオクニヌシの出雲系(スサノオの場合も有る)と天皇との
三つ巴の攻防と思えそうです。明治維新は即ち神道の復活復古の始まりで、徳川の江戸城
の空家に天皇が納まった、同時期に神仏分離が強調され、神社の純粋化が開始され、本居宣長や
平田篤胤やその他が論戦を張合い、いろんな形の神道(国学)が浮かんでは消えました、それは
終戦で一段落しましたが、今だに靖国神社をどう解釈するかで尾を引いています、つまりいつも
(祭り)と(政治)をどれが引き受けるかの解釈論のようです。
伊勢系は現実の世界(政)を、出雲系は幽界(祭)を担当するようにとの国譲り以来の了解と
されているみたいですが、そこに天皇が絡んできます。出雲系にも天皇の新嘗祭以上とも思われる
伝統儀式が存在する(した?)らしい、、、、事は余談です。
伊勢=天皇と誤解されがちですが、天照は海照の解釈の仕方の内のひとつだと思います。
どちらを採るかで、(政)の伊勢系をとなったので{必然}、それが主流みたいに
思われているだけみたいです。ニニギが降臨する前から神社(又は、類似のもの)は存在した
はずで、元来のその役割は、祖霊の里、山の象徴、民衆の心の拠り所、等いろいろ。だが後々に
生臭い役割を持たされてしまったと云えそうです。(ヤゾーさん、怨念とか封じとかの論に
必要以上にとらわれる必要は無いと思いますよ)。

{書き込んだ、私自身には何のイデオロギーも有りませんので誤解されないようにお願いします}

tuya - 2002/09/09(月) 23:04<

質問なのですが・・・

久しぶりに出てきて質問するというのは失礼かなと思いつつ・・・神社ネタが続いているので、ご存知の方があれば教えていただきたいと思いまして。

和歌山に「本間(ほんま)神社」という神社があると聞いたのですが、どなたかその場所と、どういう神社かをご存知ですか?なんでもその神社は有名ではないが、知る人々はとてもその神社を大切にしているらしく、わざわざ三重の方からも禊に来られるとか。

日曜日に出先である知人から、前後の脈略なしにいきなり、「本間神社って知ってます?」と切り出されたのですが、ちょうど神社めぐりに興味を持ち始めた矢先にそんな話をされると気になって仕方なく、昨日もネットでいろいろ検索してみたのですが、どんな情報も見つからなかったのです。

名前も変わっているし、どんないわれの神社なのか、興味津々です。
もしご存知の方ありましたら、よろしくお願いします。

ヤゾ− - 2002/09/09(月) 20:00<

神社ってなんだろう

みなさん こんばんわ

おユキちゃん 興味深いお話し ありがとうございます。
おユキちゃんがお参りすることで 星宮神社の神様もお喜びになったことだと思います。
神社に祭られている神々が 本当の意味での神だとは思ってはいないのですが
ある共通した背景を持つ神々の神社にお参りすることには
なにか特別な意味があるように感じています。
それにしても 香香背男を祭る星宮神社が幾つもあって
箕作りが盛んなところというのも興味深いです。
また 何か分ったら教えて下さいね。

BUNBUNさん はじめまして
お誉めに預かり ありがとうございます。
拙い管理人として 恐縮しています。
なんなりと 思い感じになられたことをお書き下さい。
よろしかったら自動登録にて相互リンクでもしてやって下さい。
今後とも よろしくお願い致します。

古い神社のあるところは 縄文時代においても特別な場所であったところが多いと言います。
神社巡りをしていて 何の為に神社が建てられたのかと思うことがあります。
それは怨念を鎮める為のものだったのか
なにかを封印する為のものだったかのように感じることがあります。
神社へ行くのは そこに大きな木や磐があったり 山や森が気持ち良かったりと 
好きな場所であるということもあるのですが
それ以外に何か深い意味があるような気がしています。
その意味を自分なりに知る為に神社巡りをしているのかも知れません。
鳥居も拝殿もなく 自然そのままの状態が本来の姿のような気もしています。

BUNBUN <http://homepage1.nifty.com/designb2/nazosampl.html> - 2002/09/09(月) 17:09<

閃き共有発展の模範サイト

自由闊達な意見、勝手気ままな投稿が出来る雰囲気が面白い!。僕の理想とするHPです。みなさんの色んな考え方をさりげなく伝える掲示板、謎解きのヒントを紹介したり、その素材を提供したり・・閃きを共有して発展していくホームページですね。僕もこれから何か感じていることを投稿させて頂きたいと思います。よろしくお願い致します。とりあえずこんなHPを紹介します。

「なぞとき工房」 http://homepage1.nifty.com/designb2/nazosampl.html 何か感想などお待ちしています。ではでは、

おユキ - 2002/09/09(月) 12:57<

星宮神社を探して秋の風を感じてきました!

八日市場市に星宮神社が幾つかあることが判り、探し歩いてきました。
畑や丘陵の中の道を歩いていると、ちょっぴり秋の風を感じることができて気持ち良かったです。
聞いたところによると、市内には香香背男命を祀る星宮神社が七つばかりあるみたいなんですが、
その多くが地図にも載っていなくて、 三ケ所で星宮神社を確認することができました。
中には神社の名前が何も書いていなくて、地元の人に教えて貰い、やっと星宮神社だと判ったところもありました。
なにかひっそりと埋もれるようにして佇んでいるといった印象でした。
今まで存在すら気付かなかった神社にお参りさせていただいて、
上手く言葉にできませんが、心が鎮まってゆくような不思議な気持ちを覚えました。
市内には八重垣神社もあって祇園祭りが少しだけ有名です。
そして箕つくりも盛んなところなんです。

ヤゾ− - 2002/09/08(日) 19:30<

こんばんわ

みなさん こんばんわ

ya(・ε^)naさん 朝早くから珍しいですね。
むかし読んだマンガって 妙に懐かしいです。
小学生の頃 マンガ雑誌の夏休み特大号みたいなやつで
トイレット博士のマンガで「ウンコールワット」というのがありました。
それを思い出したら トイレット博士が無性に読みたくなりました。マタンキ!

紋次郎さん むかし知人から わりとチャラチャラしていた奴なんですが
サイパンの方へ遊びに行って 綺麗な海に残る零戦?などの残骸を見て
なにかチャラチャラした気分が吹き飛んでしまい 
思わず手を合わせてしまったという話しを聞かされたことがありました。
その話しを聞いてから その知人のことを見る目が少し変わったことがありました。

*(^..^)*nglyさん めんめシアターに書かれていた(http://www7.ocn.ne.jp/~iyasi/theater.htm)
「別所と仏  薬師は俘囚向けの仏なり(吉田神道の極秘中の極秘)」という文章についてです。
その吉田神道が最重視している大元神と呼ばれている神があるそうです。 
その神とは幕末明治の大本教などの新興宗教が正神として復権復活させようとした
艮の金神と呼ばれた国常立命のことなのだそうです。
その艮の金神とは国津神の系統だといわれています。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2002/09/08(日) 14:30<

文章が上手いとほめられた

ya(・ε^)na さん、あっしの文章がウマイと褒めてくれて有り難う!!
 あっしにはことし80のお爺さん……の先輩がいます。このご仁、おれの文章での表現が
へたくそだと言う用件だけのために、10回以上も足をはこんでくれました。
 中学1年のとき、「四人の弟妹を遺して死んだ母親」のことを、綴った学友がいました。
 みんなはそれを見て、「文章が上手だなぁ〜」と感嘆の声をあげました。
 ま、テーマがそういう思いを呼び込んだんでしょ。
 でも、褒められたので、下へその一部をのっけさせてもらいまっさ。

      ……………………     …………………

 生き残った神風特別攻撃隊だった人々は全員、死ぬよりつらいめに遭って戦後の

 混乱を乗り切った方々ばかりだった。その苦しみはとうてい、言葉では言い表すこ

 とはできません。

  おしまいに鶴田浩二さんが歌った歌を。

   赤 と 黒 の ブ ル ー ス (敵銃弾で飛散る機体と血肉!)

   √ 夢をなくした  奈落の底で  なにを喘ぐか  影法師

     カルタと酒に  ただれた胸に  なんで住めよか  なんで住めよか

     ああ  あのひとが

  鶴田浩二さんは、いま、日本の精神文化発祥の地、熊野・那智の滝の奥に静かに

 眠っていらっしゃるとのことです。

  英霊の皆様、鶴田さん、安らかにお眠りください。過ちは繰りかえさせません。

  靖国神社の英霊……神風特別攻撃隊は別扱いで祀りましょう!!

ya(・ε^)na - 2002/09/08(日) 06:53<

せや2

  「せや」は紋次郎さんの・・HPの神風特別攻撃隊を読んで!思ったことです


中途半端な発言は、誤解のもとなのかもしれませんねえ
  掲示板に書き込みするとき、今後注意したいと思います・・すんません



話は、前後しましたがこのところ
 突然なのですが、何度も何度もマンガのキャラが頭に浮かびますねんよ
頓珍漢小僧さんと手塚治虫の話がでたためやろか?
お茶の水博士の鼻とワタリの髪型そんなキャラ・・
 気になりだしたら・・ホンマ・のどの奥に刺さった骨みたいに気になって
   しかたおません
それを、また何の拍子か思い出したんですわ
 その思い出した瞬間ってメチャクチャ気持ちよろしいですねえ
 たいしたことやないのにねえ

それが、白土三平の「死神少年キム」やったんですわ
もう35年よりも前のことやのに次々にいろんなキャラが思い出せるんですわ
 四貫目・赤目なんてのもあったなぁって


  このところ、硬い話が掲示板でつずいてるので
 
    しょーーもない話いれてみました



   

ya(・ε^)na - 2002/09/07(土) 23:26<

せや!!

こんばんわ・・
 思い出しました・・
白土三平の昔の作品で・・
ワタリの髪型でお茶の水博士の鼻のキャラクターは・・キムって名前でした
死神少年キムって題名だったような気がします





  紋次郎さん・・ほんとにおもいますよね・・
   すばらしい文やと思います
    憂国・今の若者に託せるもの・って!!
  本当に日本の為に散って逝った人たちを思うと・・もう一度

  いや、何度でも何度でも・・語るべき!!
   恥じること恥ずべきこととは・・!!
    同胞の思いを知らずに・・裏切りに近い思いのなさ!!!!なのかも知れません

ヤゾ− - 2002/09/07(土) 19:30<

天岩戸蓋石

みなさん こんばんわ

*(^..^)*nglyさん 秋はスズメバチによる被害が最も多い季節ですね。
ハチは黒いものや 揮発性の香水などに強く反応するようです。
もし 運悪くスズメバチに襲われそうになったら
ハチは動くものにしか反応しないので
木になったつもりで じっとしているのも良い方法のようです。
僕はスズメバチに 一度に三ケ所刺されたことがあります。
山歩きの際には ハチにはお気を付け下さい。

△うぶさん 丹波はもともと海人系の豪族が支配したところで
古代出雲とも深い関係にあったとの話しもあるようですね。

紋次郎さん 新宮と古座川に御船祭というのがあることは知っていましたが
舳に少年神(これがクマル)を立て舟を動かす神事(祭り)もあるんですね。 今度 調べてみます。
紋次郎さん 何も気になさらずに投稿して下さいね。

戦前の本にあった 神代文字と伝わるとあった
サンカ文字(豊国文字)が彫られた石のことが少し分りました。
天岩戸蓋石というそうで 高千穂にある天岩戸神社の天岩戸窟から出土したものだそうです。
磐船神社にも 天岩戸に関した石碑が幾つかありましたが
丹波の元伊勢にも天岩戸神社があります。
岩(大石)に なにか重要なものが封印されているような気がする今日この頃です。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2002/09/07(土) 17:20<

Eメールを

ロムオさん、おれに関しては悪いようにとっていただいて構いません。
 でも、悪意はゼロ。
 ああ、そうか「ウメガイ抱えて」を、「自殺寸前状況」と解釈されたんですね?
 この内意は「みんなに約束したウメガイの語源解釈というモンダイを抱えて」です。
 また、小生は真夏でも上下の電気毛布を使い、コタツは放せません。

 Eメールください。 
 

ロムオ - 2002/09/07(土) 16:54<

驚いた

>焼尻紋次郎さん
>家人(ケニン)が「ロミオさんとおっしゃる方がおいでになってますよ」と告げたときに
>は、小生はウメガイもって、アタマかかえてコタツの中にもぐりこんでいました。

「アタマかかえてコタツの中にもぐりこんでいた」?・・・
アラ探しが乗り込んで来たみたいなことにしていますね。「ご足労願いたく」と言っておきながら。
「三筒男之命」の「三=3」が「ワレメちゃん」!などといわれたので一言助言しただけです。
それがなぜか「ヤゾー親分のコケンにかかわる」から今後は「場所を変えろ」、つまりここではやるなという。
わかりました、もう焼尻さんの書き込みには一切反応しません。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2002/09/07(土) 15:05<

 クマノ ・ ゴクゾ−  

 小生は熊野の語源は、これまで「クマル神」と考えてきましたが、「NO(の)=神」の用
例があまりにも少ないので、少し不安になってきています。
 熊野には舳に少年神(これがクマル)を立て舟を動かす神事(祭り)がありましたよね。
 「の・のう」には舟が考えられますので、いまの小生の空想では「クマル(少年神)ノ
(舟)」が起源かな? といったところです。

 アイヌ語をもってくるなら、断然、例のまつりのときのクマ(アイヌ語;轟音)が注目さ
れるところでしょう。クマは日本語では「カしマし娘」のカマになっています。むかしは
「あなかま・あなかま』と言って耳をふさいでいました。
 カマもクマもネパール語から出ています。
 破裂、噴射、火薬などのネパール語は、日本語よりもアイヌ語のほうに似ています。

※ 神さまの名前そのもののなかに、本質が語られている……は、紋ちゃん流ヤブニラミ
 のヤリクチです。
 ゴクゾ−(虚空蔵)とは「ア−カーシャ・ガルバ」というサンスクリット語が起源だと偉
 いひとから聞きました。意味は「ア−カーシャ(空虚)ガルバ(母胎・胎児)」だとか。
 「(無尽蔵の)智恵がうまれてくる・ナニも無い空間」が基本だそうです。
 山里を歩くと、巨木が作るウロには、必ず線香や花が供えられています。あれが、虚空ダ
 イジ意識の原点であることマチガイなし。その空虚を古代人は XO とか KO と言いました。

 シャックリ止めの神さんにしたり、カミナリさんの妹にしてみたり……は、後世のヨッパ
 ライ・ヂヂィが創作した領域だと、おら思うてま。

△うぶ - 2002/09/06(金) 23:11<

変なところに在る

元伊勢神社にしろ、本伊勢神宮にしろ、大神の三輪神社にしろ、大和の中心から離れた処
、僻地とか忌地に存在する。スサノウの大斎原も道より低い処に存在、出雲大社も遥かな、
大和が直接管理出来ないような処に在る。
国粋を云う若者連が本伊勢神宮に参拝するは道理ですが、彼等果たして了解してるんだろ
うか?。20年ごとの遷宮とか云って皆有り難がっているが、客観視すると、ホッタテ
小屋の連続とも言える。海辺へ(本来の海照るの地へ)先祖帰りさせられている、
と思うのは考え過ぎでしょうか?

*(^..^)*ngly - 2002/09/06(金) 21:29<

よくぞ虚空蔵

おりょうさん ありがとうございます。
>神仏にご利益をすがるとき、人々のたいていは誤解している。子宝と安産を授ける神は、
>実は、自らが何かの理由で安産できなかった神であり、福を授けるはずの神もまた、
>奪われ、搾取されて貧乏になった神で、そうした自分に与えられたのと同じ苦痛から、
>人々を守ってやりたい
なる程よく分ります。歴史的背景と庶民の何かにすがりたい気持が交叉するのですね。
 それらがなければ別所の流れをくむ修験など下層宗教者の活躍があっても、数百年
もの間、一定程度民衆の心を捉えることはないでしょう。コンクリートジャングルで
なく、農村、林村や工村でなければ、宗教と自然と一体とはなれなかったのでしょう。
 また虚空蔵は<頭のよくなる仏>の信仰もあります。それにしても虚空蔵山は龍王
山と並んで各所にあり、電線用の鉄塔が建ってる、修験でしょうか<見張がいたよう
な>見晴しのよい山が多いようです。
 蜂が活躍するこの秋は腰に鈴をつけて、虚空山にできるだけ登ってみたいです。
 そして名のない観音さんや石像にお目に掛りたい。

ヤゾ− - 2002/09/06(金) 19:30<

心に湧く思い

みなさん こんばんわ

おりょうさん 近いうち(九月中)に鬼の里へ行ってきます。
鬼の交流博物館なんてのもあるそうで楽しみです。
お土産に鬼のトラ柄パンツも是非に買ってきたいと思います。似合うかな〜わくわく!
また 元伊勢といわれている神社の近くに ピラミッドともいわれる山があるのですが
2001年元旦の熊野ライフ通信にある写真は その山から沸きあがった雲を写したものだそうです。

紋次郎さん サイタマのお話し 楽しく読ませて頂きました。
熊野の語源について
アイヌ語の Kamuy Nup 神の野 とする説もあるそうですね。

最近 丹波地方に暮すご夫婦からメールを頂きました。
何か清々しさを覚える とても感じの良いメールでした。
同じように神社巡りをしているのですが なにか理由があるのですか?という話しから
明確な意識からではなく 直感的 感性的なものですとお答えしたところ
そのご夫婦からは 心に湧く思いからですとのお答えを頂きました。
丹波に来られるときにはお寄り下さいと仰られましたので
お会いしてきたく思います。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2002/09/06(金) 12:34<

 タムバ と サイタマ

おりょんはん、ウッフ。TAMBA というのはパーリ語で銅という意味があります。
 ネパール語では TAMA となってきます。TAMA となるまえは TAM だったと思います。
 アッとおどろくTAM-E ごろう……だったやろカネ。-E は強調末尾辞。

 708年、秩父の木毛から自然銅がでたことを吉兆(SAIT)とみて、サイタマという広域地
方名ができました。
 浦和、大宮、与野市は「サイタマ市」となったのでしたが、その直前「埼玉市」に決まろう
としていたとき、銘文鉄剣を出土させた「さきたま古墳」がある行田市が「埼玉というのはお
らのところが本場だ、その名前使うな」とイチャモンつけてきました。
 おらは「バカいうな、サキタマというのは『SAK(開く)TAMA(宗教.魂)』という神事
のことだから、別語源だ」と反論したのでしたが、博士号持たぬ男のいうことなんざは、官吏
たちはシガン(ネパール語;鼻汁)もひっかけませんでした。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2002/09/06(金) 11:42<

意外とムズカしかった「ウメガイ」の語源探し  

ロムオさん、せっかくお出でになったのに挨拶もできず、お茶もさしあげることができないま
まになって、失礼かつ残念デシタ。
 家人(ケニン)が「ロミオさんとおっしゃる方がおいでになってますよ」と告げたときに
は、小生はウメガイもって、アタマかかえてコタツの中にもぐりこんでいました。
 あわてて、這い出てみましたが、お会いできたのはジュリエッタさんでした。

 ミナシャ〜〜ン! 簡単かと思うたに、ウメガイの語源突き止めは難しい。ごめんちゃい。
 語彙の末尾に X やその濁音の G をもつのは蒙古語の特徴だから、こりゃカンタンだと思っ
たに、いま持っている辞書で, UM を語頭にもつ蒙古語を探すのがたいへんです。いま、四分の
一までみたのですが、見落としがなかったとは断言できません。
 とにかく、蒙古語では語頭の U も M も少ないです。
 斯うなったら執念です。辞書を買いなおしてでも追求しますので、少し時間をアマカネ。

 ただ、今んとこ、こういうことが出ています。
* ネパール語 UMANG(喜び)に強調末尾辞の -AI がついたらウメガイによく似た語形とな
 る。しかし、これが日本語化されるとき、または時代が経つと、これは UMAGE になるん 
 じゃないかなぁ〜。
* アイクチのアイを追求するまえに、「クチ」を蹴破らねばならない。これはウイルタ語に
 KUCIGA(ナイフ)としてありました。この末尾の ga は「鋼鉄(ハガネ)」ですので、メ
 チャ注目にあたいしますよネ。
* ではアイクチの「アイ」とは、なにか独立した実体を謂っているのでしょうか?
 これもワカランが、アイヌ語の AI(矢)が目立ちます。AI /.YA でこれは日本語と同根。
 アイは「とげ」でもあります。棘は刺でもあります。刺す男が刺客。
 そういうことよか、英語アイロンの「アイ(鉄)」がピッタシ。

 あ、アッチやコッチの似ている語彙を世界中から拾いまくっているおらのヤリクチにはアタ
マにくるひとも多いでしょう。
 しかし、ここは金属精錬士の用語です。金属精錬士のことばは、少なくともユーラシア大陸
で、あっちこっちで共通しているのです。ま、安心してください。

* アイクチをなぜ匕首と書くようになったか? その匕首採用の動機のなかにもアイが匕と
 なった必然があるはず。ここは、なにかで川崎真治さんも書いていました。
 北海道渡島方言で売春婦〜売女を「ナナクビ(匕首)」というのはなぜか? オラシラン。

* ツングースにひろく分布している アイシン(金)ですが、ネパール語の金は SUN です。
 ならば AI だけで「金属」という意味も出るのではないだろうか。

 ちょと長くなりましたので、途中ですが切ります。ワカランままで「ウメ…」はこのあと。
 あおきさん、貴重な情報有り難うございます。またなにかありましたら、お願いしますね。

おりょう - 2002/09/06(金) 11:08<

おっは!

ロムオさんおかえりなさい。
赤といえば以前職場の誰かのおみやげで、赤米酒を飲んだことがあります。「赤い色してないじゃないのー」なんて、みんなでおおさわぎしながら・・。

ヤゾーさん、丹波は興味大です。産鉄民の隠れ里でしょうか。鉄や水銀が取引されるところなので丹波(丹場)市になったとか。
元伊勢の写真早くのせてください。これも興味あります。ついでにヤゾーさんの嫌いな丹波栗、これはちとはやいですね。また、これからは、マッタケの季節ですね。丹波のマッタケは最高級品だそうで高級料亭でしか食べれないそうです。美食家のヤナさんなら口にはいるかもしれませんが。今年は中国産のマッタケは農薬で食べれませんので、ますます高価になるでしょう。

ロムオ - 2002/09/05(木) 22:03<

行ってきました!

>焼尻紋次郎 さん

> あっしの庭でカキコしますので『ユー・アイ掲示板 2 言語篇 』
> http://www.you-i.org/treebbs/0/index.html
> までご足労願いたく。

ご紹介ありがとうございます、行ってきました。
いろんな外国語が出ていてスケールの大きさに感心しました。
わたしは日本と中国の歴史と宗教に少し関心がある程度なので、よく理解できないんですね。
焼尻さん、これからも頑張ってください!

ヤゾ− - 2002/09/05(木) 19:25<

鬼の里にある元伊勢神社

みなさん こんばんわ

おりょうさん とても良いお話しを聞かせて頂きました。
痛みを知るが故に より優しくなれるという
それは人間にも同じようなことがいえるのかも知れませんね。

前々から気になり 近いうちに行ってみようと思っている神社があります。
それは酒呑童子で有名な鬼の里で 古くから丹波と呼ばれた地方でもある
大江町の元伊勢ともいわれている神社です。
鬼伝説で有名な それもサンカにとっても重要な地とされる丹波地方に
元伊勢と呼ばれる神社があるということは とても興味深いことだと思います。
日本書記には 天皇の夢にアマテラスが現われて
丹波が懐かしいと告げたという話もあるようです。

おりょう - 2002/09/04(水) 20:10<

こんばんわ

*(-..-)*ongly さん
虚空蔵さんにおまいりすると女性のおっぱいの出がよくなることについてー
神仏にご利益をすがるとき、人々のたいていは誤解を冒している。子宝と安産を授けるという神は、実は、みずからが何かの理由で安産できなかった神であり、福を授けるはずの神もまた、奪われ、搾り取られて貧乏になった神で、そうした自分に与えられたのと同じ苦痛から、人々を守ってやりたい、それが庶民における本来の神であると。で、その虚空蔵様なんですが、アマテル神とは一対神となるスサノオ神は、記紀神話の中でいち早くアマテル神に暴戻を働いた神ときめつけられ、あらゆる穢れを背負わされて放逐されてしまい、古代天皇王権が謀略によって、アマテル・スサノオ一対神を引き離し、大日本国王の断種をはかった。
日本製の七夕神話に徴すれば、ニ神は姫星と彦星のニ神であり、七夕伝承では、姫星と彦星とは年に一度許されているはずの逢瀬さえ、雨や霧に遮られて逢えないという前提であり、つまり、アマテルとスサノオの契りはなく、その子孫は繁栄しない。繁栄させてはならないというのが、王権の打ち出した強硬政策で、しかも、伝承では姫星は織姫、彦星は牛飼いという設定で、「賎」という穢れの存在におとしめられたのであった。

ヤゾー - 2002/09/04(水) 19:25<

ハンゴウで炊いた栗ごはん

みなさん こんばんわ

写楽さん ドゴン族等のお話し ありがとうございます。
アメリカインディアンのホピ族にも
プレアデス星団についての話しなど 興味深いものがありますね。
この国の古代にも そのような伝説があったのかもしれませんが、
忘れ去られたり 抹殺されたのかも知れませんね。

ロムオさん 三筒男命についての説明 ありがとうございました。

あおきさん そういえば そんな話しが載っていましたね。
これからの季節 キャンプしたらとても気持ちが良いです。
一度 一緒に河原でキャンプしたいですね。

紋次郎さん 僕のコケンなど気になさらないで
いろんなお話を お聞かせ下さい。

今日 山小屋へ続く坂道に栗が一つ落ちていました。
もう 栗が落ちる季節になったんだなあと ある思い出が蘇ってきました。
山小屋を建てる前 丁度 栗が実って落ちるころに
トモダチと一緒に しばらくキャンプ生活をしてみたことがありました。
足場丸太を組んだものにブルーシートを張り(巨大なタープのようなもの)
その下にテントを張って 焚火もできるようにしたので とても快適な生活でした。
この辺りには栗の木が多く 朝早く起きて栗拾いすると 
僅かな間で 小さなバケツ一杯くらいは簡単に拾えたりします。
そういうこともあり 栗ごはんが続いたことがありました。
流石に三度も栗ごはんが続くと(それも栗の量が異常に多い)
もう勘弁してくれってなことになります。
そういうこともあって 僕は栗ごはんが嫌いです。
今思うと ハンゴウで炊いた あの栗ごはんの味が懐かしいです。
 

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2002/09/04(水) 10:33<

お蔭様で、もうひとつの ツツ がでた?

ロムオさん、まいど申し訳ないです。また、はみだしやっちまったみたい。
 でも、いままで TUTU といえば破壊、柱、竹の筒、陰茎しか知らなかったのですが、
胸に手をあてて静かに反省するうちに、ふと新しい大概念の TUTU に恵まれました。
 でも、またまたはみだしたら、ヤゾー親分のコケンにかかわる。

 あっしの庭でカキコしますので『ユー・アイ掲示板 2 言語篇 』
 http://www.you-i.org/treebbs/0/index.html
 までご足労願いたく。ただし、けふ午後3時以降を約束します。

 なお、おんごとも不審に思われたことは、歯にころも着せずに仰せください。
 「反対意見はカネ太鼓で求むべし」ですよね。SEICHO:GEN です。

 ヒント;アイヌ語 RURU(大洋)。

あおき - 2002/09/03(火) 21:16<

ウメガイとウメアイ

三角 寛のサンカ選集第6巻59ページにウメアイは背振りに出入りする香具師たちが ガをアにごまかして刃物の隠語にして 背振り言葉を外部に漏らさないために使った言葉と書いてありました
ウメガイが本語だということを浅草に住んでいた箕作りに教えてもらったそうです

ロムオ - 2002/09/03(火) 20:05<

神様の名前

>焼尻紋次郎さん
私は神道が好きなので一言いわせてください!
底筒男命、中筒男命、表筒男命という三柱の神様を、まとめて「三筒男命」と呼ぶんですが・・・・
多紀理姫、市寸嶋姫、多岐津姫を「宗像三女神」というのと同じ「三という数」を表しています。
それがどうして「ワレメちゃん」なんですか?

写楽保介 - 2002/09/03(火) 18:15<

星辰信仰

大和朝廷成立以前には星辰信仰が盛んであったようです。住吉の神などもオリオン座と関係するようです。シリウス星についての信仰やシリウス星についての正確な専門知識は古代になかったのでしょうか?
アフリカの未開部族ドゴン族やその他はシリウス星系についての正確な天文知識を口伝でつたえていました。その中身は現代の天文知識でやっと確認できるほど高度なものであったようです。

ヤゾ− - 2002/09/03(火) 17:05<

ウシトラノ金神(国常立命)

みなさん こんばんわ
これからお出掛なので ちょっと早めの投稿です。

*(-..-)*onglyさん お久しぶりでした。
残暑の中 野史研究 ご苦労様です。
虚空蔵菩薩といえば 空海が修業して天才的記憶力を身に付けたという
密教(修験道)の求聞持聡明法というのを思い出します。
虚空蔵菩薩の真言を100万遍唱えたら 空海の口の中に明けの明星が飛び込んだというやつです。
虚空蔵菩薩は明けの明星(金星)の化身ともいいます。
と書いたら おりょうさんが先に書いていましたね。
おりょうさん 妙見信仰はキリシタンが信仰していたという話しもあるみたいです。
ウシトラノ金神といえば 祟り神として封印され また抹殺された神々の代表みたいな存在で
国常立命のことだといわれています。
大本教を始めとした幕末明治の新興宗教の殆どが 
その国常立命の復権 復活にあったともいいます。

turukot(-,.-)さん ご指摘 ありがとうございます。
アバウトな言い方は誤解を招きますね。(反省です)
渡来系の中にも 先住氏族の精神や神々を尊重して結びついた
古代史において大きな流れとなった集団があったのではないかとの言葉でした。
スサノオ(渡来系)のイザナミ(縄文の化身)に対する態度や
ニギハヤヒとナガスネヒコとの関係等からの思いです。(やっぱしアバウトですね。(-_-;))

ヤナさん 潮の香りと星空が見えるようで
なんだか自分も夜釣りをしているかのような気分になりました。
この頃 自分には何か足らないものがあると感じていたことが
ヤナさんの文章を読んで気が付きました。
せっかく自然の中で暮しているのですから
そういう文章が書けたらいいなと思いました。

ロムオさん 赤米についてのお話し ありがとうございました。

紋次郎さん 三筒男命について ありがとうございます。
女陰男根的な神だとすると 古くからの神さまなのかも知れませんね。
ちなみに大阪の住吉大社の祭神は 底筒男命 中筒男命 表筒男命と筒がつく名前が多いです。
また千木も置き千木で ×に真中にー本線がはいる型でした。
あそこの池にはたくさん亀がいて 鳩とスズメが人懐っこくて感じの良いところでした。
シュメールの言葉について 惹かれるものがあります。 
ウメガイとウメアイについてのお話しを楽しみにしております。
どちらかというとウメアイの方が古い言い方のような気もしています。 

おユキちゃん そうなんですか。
星神を祀った神社は少ないと思っていましたが
そうでもないんですね。
何かの知識を得ることで 周辺にあるものに対して
興味を持つことは良いことですね。
でも一番に大切にしたいのは心の豊かさだと思う今日この頃であります。

おりょう - 2002/09/03(火) 15:30<

おユキちゃん

星神社と千木みてきたら、また書いてほしいだー

おりょう - 2002/09/03(火) 15:25<

みなさま こんにちわ

ロムオさん、 そうでした紅白は源平合戦からでした。私の頭の中は、歴史の時代がひとつ前進すると、もう前の時代のことを忘れてしまい何も頭にとどまってません。
レスありがとうございました。

虚空蔵菩薩信仰しょうかしらん。

*(-..-)*ongly さん おひさしぶりです。
虚空蔵も妙見も元は星を信仰するところから同一神のようですが、神仏習合で虚空蔵は仏教の堂宇としていまにつづいていて虚空蔵菩薩は知恵と富をあたえてくれる仏だそうです。虚空蔵の信仰する明星の本地仏は虚空蔵菩薩であり、虚空蔵菩薩を本尊とする修法である「求聞持法(ぐもんじほう)」とは「虚空蔵聞持の法」ともよばれ、頭脳を明晰にし記憶力を増大する法だそうで、修行の結果、明星が現れて虚空菩薩に導かれたという伝説があるそうです。日蓮が出家以前に、薬王丸として、四年間を虚空蔵堂にまなんだということです。日蓮の説法は「人間は皆平等」という事に力をそそいでいたと。
弁天様もまたおなじです星神。

沢史生さんの本に吉原を北斗と称したのは、単に江戸城の北に当ったからではなく、異界(あたしところ)の意味もふくまれており、、ウシトラの金神が坐す地を明らかに意識していたと見られ、それを物語るのが「北斗の星」に表示された遊女の格式である。容姿整い、技芸に通じた遊女は格式も高く。そうした高級遊女は北斗の星とよばれ「入り山形に星ひとつ」と表現され、北斗の星にも黒星と白星の二通りあって、遊里では黒星のほうが上位で、それは遊里がこの世ならぬ「あの世」(常世の黒であらわされる)だったからである。

紋次郎さん △うぶさん 
八切さんの本に・・・塩土神は古事記に塩槌神、記に塩土翁、一書に塩筒老翁に作り、土と筒と同語なるが
しられる。が、住吉の筒の神は、筒をもっているゆえ男性で塩筒之男神の略である。・・・と。しかし、その言語からかんがえるとセミチック・バビロニアンの南風神たるシューチ(sunci)の転かで、シューチの神は海上守護神、旅行神である。
つまり、シューチを附記すれば、南風となり、これをつけなければ南方である。というのはバビロニアの地形上北風は豪雨を伴い、南風は清涼で航海をたすけるものとせられたからであろう。神話であるが、火火出見尊が海宮へ向われるにあたり塩土神たる南風神の指導によられた。のち神武東征にも椎根津彦すなわちシュチたる南風神の名称を先導者にたまわったのには訳がある、また、鹿児島神宮の末社隼風宮も塩土神で、シューチたることが符節を合するごとくに一致するのである。御参考までに。

ya(・ε^)na さんの文章読んでいて、そういう状況で自然にむきあっていると、この宇宙空間にただ一人というような無気味さがつたわってきます。

turukot(-,.-) さん 八切 さんの本すすんでますか。




おユキ - 2002/09/03(火) 12:55<

星神さま

ヤゾ−さん、おりょうさんの星神についてのお話し興味津々です。
調べたら、比較的に近いところで、星神さまを祀った神社が幾つかあるんですよ。
今度、お参りに行ってみます。
そして神社の千木も見てきますだ。


焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2002/09/03(火) 10:10<

三筒男のみこと

 ミナシャン、名前に「オモ」がつく池とか沼、沼沢をご存じあるまいか?
 栃木市の東北に「思い川」があります。ですからこの川は栃木市の東南方
に広がる大沼沢のことだということがわかります。
 あ、前後しました。OMO とはウイルタ語で沼沢です。

 ウイルタもこの日本列島の古い文化を吸収して北上した足跡が認められる
ようです。そのウイルタ語で柱は tutu で、陰茎の意味にも用いています。
美人局(ツツモタセ)は、この tutu でしょう。
 mi はエデン語でワレメちゃんです。アイヌ語でもシュメール語でも MI
です。コーヒーの“実”など、そっくりですよね。
 MI-TUTU-O の原義は「女陰男根の神」から興ったと思われますが、後世
になって意味がボヤけたとき、末尾の O へ“男”を宛てたものでしょう。

この掲示板をみるひとはセックス談義で顔を赤らめちゃイケンよ。サンカ
をみてごらんしゃい。こどもにみつかっても「おてんと様から子種もらって
んだよ、ウンセ・ウンセ……」だったんです。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2002/09/03(火) 09:21<

宣言! この掲示板で「ウメガイ」の語源をバラします。

 東沢さんからの援助おエメを読み直していました……ら、なんとなんと、ウメガイの
ことは、東沢さんは「ウメアイ」とおっしゃってるみたい。
 東沢さんが言われる「ウメアイ」とは、一般に言われる「ウメガイ」と同一なもので
しょうか? このへんから、合同研究のハジマリ・ハジマリィ〜〜です。

 もし、ウメガイとウメアイとが同じなら、これは UMWG-AI と、分けるべきであって
UMEG の末尾の“G”が消えたのです。 UMEG ‥‥これは蒙古語には十分にありうる語形
だといえます。

ya(・ε^)na - 2002/09/03(火) 00:04<

深夜の田辺の磯で!!

今年初めての・・田辺の夜釣り!!で思う・・・

  台風と台風の狭間で、釣りきちヤナは、大きな決断をしなければならなかった
行くべきか、行かざるべきか・・!!!

結果は、わがまま、気ままでいってしまった!!

 この日、田辺の磯には私とつれの二人っきり!!
  日が落ちる頃より・・気分はサンカになってきます
   沖の孤島にセブルようなもんですね!!(ヤナてきには)

遠くの沖で、稲光がつずく(雨の覚悟はしていたけれど幸いなことになかった!!)
 それどころか、夜空は満天とまではいかないけれどすんゴイ星空!
夏の大三角・・時折、が流れる!  
 熊野から田辺に流れる風は快く深夜には肌寒をも感じてしまった
 満潮は12時前足元を洗う海水がほんの少しの不安を感じさせる
  今大地震が来たら・・津波で逃げられへんなぁなんてね!

   つれが寝て・・一人で夜空仰いでいると、いろんなこと考えてしまいます
    今日の月は、なんて不気味なんだろう・・
     どこかの船から聞こえるゴーーーンという音・・
      稲光はまだ消えない!!
   海面にはボーーーーlと赤いウキのの明かり!
     夜光虫の輝き・・そして海底からの得体の知れない光

          不気味です・・

     熊野の空にオリオンが輝く
      冬の星座が出番をうかがう・・

 季節は間違いなく・・すすんでいますね

   へへへへへ

*(-..-)*ongly - 2002/09/02(月) 22:29<

調査からの虚空蔵菩薩

 おりょうさん 今晩は
 質問です。いま小堂をしらべています。
 その中にお話の虚空蔵菩薩が幾つか出てきました。
 木造や石造りが多いですが、民間の信仰としては頭によい
 とか、女性のおっぱいが良く出るようにとの願いの対象で
 す。野史研究会では別所がらみとはいわれていますが。
 鰻や鯰ならサンカがらみと考えていますが。
 虚空蔵山になると鬼伝説が絡んできますが、これも俘囚と
 勝手に予想しています。
 虚空蔵は権力者と庶民とでは異なるものになるのでしょうか?
 長野の田中知事おめでとう。大政党や大組織を相手にまわして
 「資質のない」議員や役人を一掃する戦いはこれからです。
 それにしてもタフな方ですね。
 

ロムオ - 2002/09/02(月) 22:05<

赤白

>おりょうさん、面白すぎです!
紅白戦の起源といえば「源平」でしょうか。
壇ノ浦の合戦で平家は赤旗、源氏は白旗を掲げて戦ったと書かれています。

>運動会の白勝て赤勝ては民族争いからきているのでしょうか?赤を崇拝する民族は?
赤で面白いのは「赤飯」。今は小豆で色を着けますが昔は赤米を使ったそうです。
「赤」ちゃんが生まれると「赤」飯を炊いて喜ぶ。赤米(インディカ種)のルーツは東南アジアで、日本の対馬や種子島では「神聖な米」として「ご神体」になっているとか。中国の南の少数民族にもお祝いに赤米を炊く風習が残っているし、もともと中国人は自分の国を「赤県」と呼ぶくらい「赤」が好きなんですね。中華街へ行けば納得!。
おりょうさんの説では「白」はペルシャを表す、となれば「紅白戦」「中国対ペルシャ」の戦いの象徴でもある?

>焼尻紋次郎さん
>そのご理解でいいのですが、ただし「日本語になるときに」が前提です。
頭悪くてすみません。日本語になると「カラ、サラ、シャラ」のどれにでもなれるネパール語の文字があるんですね?
どんな音韻か想像もつきませんが・・・、ありがとうございました。

turukot(-,.-) - 2002/09/02(月) 19:51<

つづきです

出自的に「先住民」として「移民系」を排除的に考えたら、
サンカもエミシもイズモも該当しないとういうことになります。
その点については留意して話したのですが。

言葉の表現とは難しいものですね。

説明すれば煩雑になるし、簡潔にまとめれ
ば捨象しているとか不当な定義とか言われるし。自分も言葉尻
捕まえて批判していたりしましたけどね(反省)。

あと、狭義の「先住民族」の中でも(放逐などで)伝統居住地でない
ところにいるグループもいれば、北米のメティスのようにフランス系
移民の系譜を踏まえて独自のグループと成しながら先住民族とされて
いるケースもあるようですよ。

turukot(-,.-) - 2002/09/02(月) 19:22<

回答と補足

ヤゾ−さま

実は前稿で(*)と記入しておいて説明をいれていなかったの
ですが、その件の説明も兼ねてお答えします。
まず「先住民」と私が意味づけているのは、現在、民族権・
自決権を主張している方々に限らず、各々の系譜と歴史的文化
的背景に深くねざした(またはねざそうとする)人々、または
集団ということです。
また、おっしゃられる通り、実際は族外婚している場合がほと
んどではないでしょうか?出自的に「純粋」なんてのは究極的に幻想ではないでしょうか?そこを踏まえていないとしたら、ここで発言する意味ないです

ヤゾ− - 2002/09/02(月) 18:30<

こんばんわ

みなさん こんばんわ

おりょうさん 星神についてのお話しが尽きませんね。
なんでもよくご存知なので 勉強になります。
神社の屋根にある置き千木で ×に真中にー本線がはいる型のものは
出雲大社や本宮大社 それに物部系の神社で見ることができました。
千木にそういう意味があったなんて知りませんでした〜

△うぶさん 紋次郎さん おりょうさん
そういえば スサノオと三筒男命が一緒に祀られていることが多いみたいです。
その三筒男命ってどんな神さまなんでしょうね。
また 妙見信仰は毘沙門天信仰と関係があるそうです。
戦前の本に スサノオのスサは中東のスサという地名からきているとありました。

紋次郎さん 鶴田浩二さんがお好きなんですね。
むかし よく鶴田浩二さんの映画を見ましたよ。

turukot(-,.-) さん 
先住民だけでなく 渡来系と先住民が友好的に融合したグループも入れて下さい。

ヤナさん 釣りに行って昼帰りですか。
ほんまに 釣りバカですね。
アサヒ・コムの【科学・自然ニュース】を見ていたら
「野生カキから「人食い菌」 肝臓悪い人は要注意」なんてありましたよ。
肝臓が悪い人などが感染すると手足が急激に壊死するそうです。
生の魚介類は避けた方が良いとのことです。
特に毎日5合以上酒を飲む人は発病する危険が高いそうです。(ヤナさんのことです!)
釣ってきた魚を刺身に 飲み過ぎには注意して下さい。

今さっき 晴れているのに ゴーと地鳴りがしたので
またカミナリかなっと思ったら地震でした。

turukot(-,.-) - 2002/09/02(月) 16:57<
こんにちは〜。最近ここの板すごいですね〜
とくにおりょうさんと紋次郎ニシパのお話、ついていくのが
やっとです。でも興味深深です。

私はサンカや他の集団など、(発想として)国境・県境など取
っ払らって、賤民というよりは先住民(*)としての位置付けが
あっていいと思っています。
その視点あって見えないものが見えてくる気がしますが
いかがでしょうか?
改めていうまでもないか。

おりょう - 2002/09/02(月) 12:26<
下から二行目が変になりました。すみません。

紋次郎さん うっす! 紋次郎さんの書きこみ楽しんでよませていただいてますー

おりょう - 2002/09/02(月) 12:13<

おはようございます

朝のテレビにて魚の唄で、♪田中 たなか たなか〜〜 たなかがはいると長野がよくなるぅ〜〜のうたに(爆)

運動会の白勝て赤勝ては民族争いからきているのでしょうか?赤を崇拝する民族は?

井筒の「つつ」は星の意味が秘められていて、夕星(金星)を「夕つつ」といい、井は川を表すそうです。
金星は金蕁米餐朕摺・酖追А砲気蕕砲狼軻・傾帳・好汽離・世任△襪函」
スサノオのスサは「スサの男」でスサと呼ぶ地方の貴人の意で星のカガセオの如き、カガセ族の貴人の意であるとの記載している本もあります。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org > - 2002/09/02(月) 11:29<

白と黒のブルース

 昨夜、ひさしぶりに鶴田浩二さんの「赤と黒のブルース」をTVで聴きました。
 
★ おりょうさん、ウッス! サカ族に注目せなあかんと感じたばかりでした。
  デブ(神)ヤスの YAS ……。この母語をわすれてあわてています。YAS が“×”。

★ ガイ……√♪ げにもそうよの げにもそうよの 毛はやっぱ猛烈に関与していた。
  E から AI への移行は、実際にあるんですね。

★ ロムオさん、辞書を読んでいるとギエッと驚かされることバッカスなんですよ。できの
  わるいアタマにも、当然のように記憶になって残るみたいです。
  ほかの趣味よりもゼニはかかりません。おやりになることをお奨めします。
  そのご理解でいいのですが、ただし「日本語になるときに」が前提です。

★ △うぶさん、「ゆっくり走り読み」とはアクロバットなみの器用さ、感心々々。
  シナ語はつい最近(ここ2000年ぐらいに)シナ大陸に広がった言葉だと思います。
  例えば、“香”……。これはシナ音ではチャングとかシャン。そして日本古代語にはカ
  が歴然としてある。どこか、遠くの氏族が持ち込んだんじゃなかろうか。こんなのを
  ピック・アップするのも、また楽しからずや。

※ tutu ……、(創造を前提にした?)破壊。大和の官僚が、チチブヒコをツツブヒコが出
  雲のヅ−ヅ−弁だろうと思って言い直した。ツツブヒコというのがホントの発音。
  tutu-ub は破壊と創造、シバの精神ね。
  古代語に「つつ星」あり。タジク語;PO∫i-(撒きちらす)。
※ 開く……古代発音は SAKU 。空間を目的に合わせて切りひらくこと、→ 開墾。
※ KAG ……光を呼び込む神鳥、カラス(ネパール語)。赤穂浪士の血判書にもカラスのイ
  ラストがありましたね。

△うぶ - 2002/09/02(月) 01:50<
紋次郎さん、おりょうさん、ヤゾーさん、レス感謝。  good responce 。

HVHYのHP見に行ってきましたが、大したものです、後日ゆっくり走り読みしてみます。
漢字の発音、漢音と呉音では呉音(倭人系)の方が日本語のルーツに影響は大みたいです、
しかし南北両系のミックスである事は事実でしょう。
白狄、ペルシャ、白鹿、藤原、鹿島、春日、と面白いルーツです。
「筒」が渤海安曇系海人(=潜水海女)とのことですが、
木地師姓の一方の「井筒」(石積み屋か井戸堀り屋か、と前出ですが)と関係あるの
でしょうか?もしそうだとすると「椋」は逆に宗像(=家船)系?

おりょう - 2002/09/01(日) 20:57<

つづいて ウナギと星神

田中さん当選確実ですって、応援してましたよ。

ウナギは白蛇やナマズとともに、弁天様の使い神とされる、また、虚空蔵様の使い神といわれ、虚空蔵は北辰・太一、さらにアマテル(海照る→天照る)神へとつながっていく。つまり、星神と関わりがふかい。その星神について「日本書紀通釈)は「虚空の中を住処として光を放ち、妖星となりなどして、天下に禍害をなす者をいうべし」と説く。通釈に記される星神とはアマツミカホシのことで、太白。明星をさしている。明星とは金星→牛頭天皇→スサノオと変容する星神である。また、「物類称呼」には「丑寅の年の生まれの人は、一代の守り本尊・虚空蔵菩薩にて、生涯ウナギを食う事を禁ず」とみえる。だが、ウシトラに表現されているのは艮の金神、すなわち太白・明星であり、牛頭天皇・スサノオである。虚空を蔵している神、無一文にされた神という意味で太一と太白ことアマテルとスサノオは共通の星神だったのである。星神の氏子ゆえに、ウナギは絶対に食べないという習俗は、以外に根強くのこっている。ところが妙見信仰の方はおかまいなくウナギをたべるそうです。神社の系統で三つ巴を神紋にしている神社はウナギを食べないで、二つ巴の神社はナマズをたべないだそうです。




おりょう - 2002/09/01(日) 20:02<

星神神社

記紀神話では、星神は王権にまつろわぬ異界の悪神と記載され、星に関する言葉にもホシ=犯人、黒星、ほし・めかす=イヌをけしかける事、ほしゃ=神主(福岡・大分)祈祷師(鹿児島)、乞食(青森)、駄菓子のことをほしゃもの(秋田)、星をつらねる=征服されてひれ伏した星、干す・ほされる=王権から星とみなされたものに「干す」の仕打ちがなされる。等など、王権に逆らう星神として王権からはいかに忌み嫌われていたか、星の言葉からも読みとれます。だが、いかに抹殺されようとも信仰の力はつよい。全国に星神神社となって今にのこっています。
「星神社」のほとんどが「磐裂神」と「根裂神」で、火神カグツチーイワサクーネサク、イワツツオーイワツツメーフツヌシという系譜になり、筒男・筒女の筒がでてくるのは、船族のうちでも宗像系ではなく、次の時代の渤海系海神族の安曇族が関係してくることを示している。カグツチは採鉱冶金部族の信奉する神であるから、北方からの渡来者達の職業神ではないかと・・又、「磐裂」という言葉は、日本古代の山岳信仰と、石屋、鍛冶屋の技術神の性格をしめすようです。星の語源は火石(ホシ)だそうです。
根裂の根は根底、基盤にあるものをしめす「根っ子」のことで、開拓、開墾の作業をする農民の神となっているが、本当の意味は裏側にあり、「岩」でなく「磐」を用いているのは、「天(海)の磐船に乗って天降りた」という物部系の伝承を示すためで、磐船とは内部が空洞状になっているものを意味し、場合によると単なる岩ではなく、洞窟か裂け目のある岩を指しているのではないかと。フツヌシのフツの語源は金属による鋭い響きとか。

ヤゾー - 2002/09/01(日) 20:00<

星神信仰について

みなさん こんばんわ

紋次郎さん 紀伊半島の広い範囲で使われている方言に「ガイな」という言葉があります。
意味は 大きな 大層な たくさん を表す意味で使われています。
あんまし関係なかったですね? 

△うぶさん 白は「吐く」「掃く」「剥ぐ」から生まれた言葉だと
言霊に関した本で読んだ記憶があります。

おりょうさん △うぶさん 星神信仰について少しだけですが分かったことがありました。
前に おりょうさんに教えて頂いた「記紀神話では 星神は王権にまつろわぬ異界の悪神である」という話しや
東沢さんから「五角形の箕が北極星を現している可能性もある」との話しを聞いて
もともと仏教に属する宗教だといわれている妙見信仰ですが
そこになにか まつろわなかった者たちの神が投影されているような気がしていました。
そこでいろいろと星神信仰について調べていたら
歴史民俗学12号「しゃぐじ信仰覚え書き」吉村睦志氏の中に、
サルタヒコ・ミシャグジ・天白神・道祖神は、大和大王とその神以前にさかえたきた先住氏族とその神を象徴したもので、
シンボル世界では同一であるとする記述が見付かりました。
その天白神の起源は、オシラ様と関係があるとする説もあるとのことです。
そして天白神は星の位の神、星神であり、紀国の高野山や粉河に降り、いたるところに天白神が存在するとありました。
写真のかつらぎ町の北辰妙見神社もその一つなのかも知れません。
また諏訪の国津神でみじゃぐじの古態である洩矢神が、代々北斗星を祀っていたとの説もあるとのことでした。 

おりょうさん 神社の屋根にある置き千木は先住系部族のもので・・・の お話し面白いですね。
写真の神社の社務所の屋根瓦に 前にドングリさんたちと野史研究で訪れた岡山美作の
信仰の対象になっている山の近くの民家の瓦に見られたような
大黒さんか恵比須さんの顔をあしらった瓦を見付けました。
その信仰の対象になったという山の写真を確かめたら
諏訪神社が祀ってあるとのことでした。
山の形もなんだかピラミッドみたいな形してました。

http://www.kumanolife.com/Topics/7_14.html

ロムオ - 2002/09/01(日) 16:38<

re: ローマ字の C ・ ウメガイ

ありがとうございます>焼尻紋次郎さん

ほんとにいろいろな外国語の知識をお持ちでびっくりしました。
まとめると、ネパール語の「C」は「カ行、サ行、シャ行」どれでもいいと
いうことですね。
わかりました。

おりょう - 2002/09/01(日) 11:05<

うっす

ヤゾーさんの神社の写真興味深いです。
神社の屋根にある置き千木は千住系部族のもので、×印が基本になってつくられたもので、×に真中にー
本線がはいる型印の置き千木を用いた神社は、大和政権が出来る以前の先住系部族や、物部系のものを指
しているそうです。神社は生きている古墳だそうですが、なかなか興味がつきないものがありますね。ち
なみに、伊勢神宮の神明造りの千木とは全く系統が違うそうです。
×印は五胡系部族、とくに、匈奴・鮮卑系部族のシンボルマークにに由来し、アラビヤ語のsamusaは「肩
に掛ける2重の対角形のショール、またはハンカチ」という意味で、日本でいう襷がけのことで、つまり、
2重の対角線とは×型をしめしており、五胡系部族のいた中国北辺の地は、血液型遺伝子からみてアラブ系
だそうで、×印が日本古代史に始めて登場するのは、出雲の銅剣にも×刻印があり、諏訪神社の御柱は八本
すべてに×印を三ッツつけるそうです。×印は、蒙古、満州に勢力をもっていた匈奴系と係わりがあり、物部系、出雲系に×があるのは渡来経路をしめしているのではないかと・・・・・。

△うぶ さん サカ族は中国の文献では白狄といわれれるが、「白」にはペルシャ系の意味があり、「狄」には鹿の意味があって、「藤原氏は白い鹿に乗ってきた」という伝承があり、「白」が象徴されているそうです。スキタイ・サカ族は「鹿」との係わりがあって、藤原氏に係わる鹿島神宮や春日神社が鹿を神の使いとしているとか。
>「ウルトラ風変わりなオトコ」
ここに書きこみに来る方々は、私のまわりにいる人達からくらべると、はっきりいって宇宙人だべー。

「星」興味あります。

「歴民」の「雑学の冒険」買ってきただよ。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2002/09/01(日) 09:13<

漢字の発音は日本語とかけ離れたものが多いのでは?

△うぶさん、UB とおっしゃる以上、女性の方だとバッカス思っていましたヨ。

* ギリシャ語に PHOS(遠くでチラチラ光る)があります。
* 紀記作成時の星の運行との絡みは、「HVHY・古事記」ぐらいで GOOGLE かけて
  みてはいかがでしょう。数字とむずかしい漢字が出てきますので、おら逃げだ
  しましたじゃ。HVHY の2番目の文字はヴイです。
  屋根葺きの上手なオッチャンです。
* US は蒙古語で水。△うぶさん、たいした直感力の持ち主ですね。
  碓井峠の US かも。
* じぶんという現象……、じつに不思議ですよね。この領域には人類発生以来、
  ことばが入りませんでした。早くなんとか、ここにことばを入れたい紋です。
  でないと、思春期の懊悩が長過ぎます。とくにいろんなこと知った現代では。

* 東沢さんがさっそくおエメで援助交際デシタ。鹿島さままでけっ飛ばし(分析)
  ちゃったヨ、このひと! 

△うぶ - 2002/09/01(日) 00:19<
ヤゾーさんの神社めぐり興味深く拝見しました。
「星」について判った事、又教えて下さい、大和朝以前に関係多そうです、記紀以前、又は
記紀作成に何か引用された可能性もあると思うんです。分解して「日+生」としても何か有りそう
です。(ほし→干し、欲し)、(ひなせ→秘、卑、避、干、、、、なす)???。
私は今「白」と「臼」に興味有ります。話題の○泉さんも「白+水」と分解します。
(しろ)(はく)と使い分ける事が大事とか。
「臼」は「白」から派生しているらしいんですが、その深い意味を知りたいんです、どなたか
ご存知ないですか?
UFOは見たことないですが、わたし自身がUFOで、「ウルトラ風変わりなオトコ」と
世間では評価されている模様です、、、、、、、、ほっとこ。

焼尻紋次郎 - 2002/08/31(土) 15:30<

ローマ字の C ・ ウメガイ

 ロムオさん、またハミだしちゃったかもしれん。
 ただし、ハミダシこそ文明を駆動する原動力ね。

 発音記号ではなく、ついつい便利なので 西洋の学者が便利を感じたローマ文字とか Cと
いう文字を使うからオカシくなるんだと思います。

 アフガニスタンあたりに分布しているタジク語で、目はt∫a∫m チャスムというのです。
 こんなミョウチクリンな目には合ったこともありません。
 そこで気を鎮めて、ふと気がつくと、これはアイヌ社会にあった海難よけの神、atui-sik
kasima kamui
の kasima であることが解りました。atui は海、sik も目です。

 いっぽう、東南アジア〜インドに広く、メガネは casma です。この場合は カスマのスか
ら「ゥ」を抜く。
 ここまでは C はカ、チャに化けることがわかります。 あれ? シャがまだでないなぁ?

 ネパール語 ACAMMA は「驚き」です。これが日本(豊後)ではアッチャマーとなり、古語
では「あさまし(びっくりするような、心外な)」になっているかと‥‥。あさましや。

  やっぱ、また勇み足やったか? でも、サとシャは通音(どっちでもいい)です。
「サ」まで出たので、このへんでアマカネ。

ミナシャ〜ン、ウメガイの語源が割れかかっています。
 ウメは *UM(創造する)が基本で、ここから「物を造る」が出る。
 ブレード(刃物)は蒙古語で HAVTGAY TAL といいますだ。この中に ガイ がある。
 出雲人とバイカル湖南部の人びとはミトコンドリア D.N.A でつながりがあるそうな。
 これ、あんがい脈があるかもしれんです。

 東沢さん、援護射撃アマカネ。

ya(・ε^)na - 2002/08/31(土) 00:36<

はよせんかい!!

もう少し・はよいかんかいな!!
  もう少しはやかったら・・クククク

  イケルンとちゃうのん!!
     またまた・・いけない考えが・脳裏をかすめます

        

管理人ヤゾー - 2002/08/31(土) 00:05<

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みなさん こんばんわ

おりょうさん 僕はUFOを見たことがあるんです。
見てしまったものは しょうがないといった感じです。
ニギハヤヒが乗って降臨したという天磐樟船とは何を意味したものなのでしょうね。
日本のピラミッドといわれている山では 
よくUFOが目撃されているという話しもあるようです。
タマちゃんの出現は なにか自然環境を考えさせられているような気もしています。

ヤナさん そのテレビ僕も見てましたよ。
いろいろと考えさせられる番組でした。
テレビに出ていたお婆さんお爺さんのようになりたいと思いました。

△うぶさん 紋次郎さん おりょうさん 
東北の人の中には 稀に碧眼の人がいるという話しは聞いたことがあります。
エミシの末裔だといわれている安部貞任は身の丈六尺の大男で
色白の美男子であったと記録されているそうです。
柳田国男の遠野物語でも眼の色少しちがへりとか
顔の色きわめて白しなどが書かれていましたね。

ロムオさん 「黒鍬組」について ありがとうございました。

とんちゃん 川湯温泉で見た温泉街を歩くカモの行列は面白かったね。
あんなの始めて見ました。
どこからか流されてきたのでしょうね。

この間行ってきた磐船神社・星田妙見神社・北辰妙見神社・田殿丹生神社の
写真と拙い文章を熊野ライフ通信にてアップしています。


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