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2002年07月27日(土)19時26分までのKumanolifeGuestbookへの書き込みです。


turukot - 2002/07/26(金) 20:22<

八切氏関係者の方から

八切氏の御著書をお借りしております。読みかけなのにわざわざ貸して下さりました。
晩年作よりは小説の方がお好きとのことでした。
私個人、八切氏の御著書を読むのは初めてでした。
関係者の方から薦められまして大変光栄に思います。
仕事で平日は時間が取れませんでしたので、週末郵送にてお返しすることといたします。
その他お礼状もほとんど宛てていないので、週末です。
帰りの列車の中で食い入るように読んでいました。

私にとって野史研究会は皆さんと違った角度で学ぶことが多く、わざわざ赴いた甲斐が
ありました。しかし、ある面で大変キツくもありました(体力的にでは、なく)。
ま、それも学びの内です。
谷奥の民宿は落ちつきがあり、宿主さんは温厚で落ちついたよき雰囲気でした。

*(@。。@)*ngly - 2002/07/26(金) 10:42<

サンカの皆さん

お疲れさま。前おじょうさま、前若奥様、元おじょーなど野史研究会の
前からのメンバーがさまざまな理由でサンカできず、脇役の私がピエロ役
を演じる事になりました。サンカ者全員に何か話題を提供して頂くのが
本来の形ですが、メンバーがそろわないために報告予定者だけの発表にな
りました。宿主はキリシタン研究をしておられるとかで勉強になりました。
八切氏の関係者もサンカされ知らないエピソードを話されたようです。
「脳が活性化した」「年に二回位やって欲しい」「どうしてもサンカした
かったが残念」などの声があります。「絶対何かをやらねばならぬ」(△
うぶさん)と思われたことが幸甚です。バリ師さんサンカ者にサンカ系が
多かったのにサンカの話題がでず残念でした、「ウルカ地名」もよろしく
お願いします。かいきょうさんの「別所訪問記」は大都会の初心者の心を
もとらえる方法としてすすめて戴きたいです。当分「野史研究」の編集・
印刷・製本の作業に掛ります。しかし、私も「鷹の巣」を追いかけて、酷
暑の中、時々鷹のように車で出かけています。やっぱり歴史を見る枠組み
・実際と現場は色々教えてくれます。資料をあさるぞ!
 ありがとうございました。
 次回は現場調査を主体の会を年内に実行の予定です。

ya(・ε^)na - 2002/07/25(木) 22:32<

けけけけ

こんばんわ・・毎日お暑うございます
ヤナ午年です・・へっへへへ馬の生活たいへんです
 暑いのにがてで、おます
  やなも、みなさんへ・・暑中お見舞い申し上げます

        へへへ

おりょう - 2002/07/25(木) 20:18<

夏バテにやっぱりうなぎくいていな

夏は源内先生も好物だった「うなぎ」で猛暑を乗り切ろう。うなぎの一番の好物は鮎の輪切りらしい。
熟練してくると、鮎の新鮮なのを右手に握り、食指と親指の間から、ほんのすこしばかり鮎をだし、うなぎが集まってきそうな岩間に突っ込んで、上方から下流にむけ、極静かに親指の下で揉み潰すと、鮎の香りで
うなぎが方々から集まってくるんだそうです。鮎の香りは西瓜ににていて、うなぎが敏感に反応してくるそうです。ただし、指を噛まれたり、つつかれたりするそうですたい。
うなぎは奇妙な習性があって、ある時間に、いっせいに、”鎌首”をもたげるんだそうです。何故、そうするのかは謎だそうです。

ヤゾーさん、蛍狩りは予約取り消しになってしまったぞな。勤務表に4人休み希望いれていたのにバラバラ
でそろわなかったのです。至極残念。

tuya - 2002/07/25(木) 10:45<

レスだけです

>やなさん<ほんでから、仲間いっぱい集まったら・・んんんなんや飴みたいなにおいがするから・・ほんで、アメンボってゆうらしいですよん>

それを子どもの頃に聞いて、アメンボを嗅いでみたことあります。独特の甘いにおいだったような記憶があるのですが、子どもの頃の記憶って、事実とイマジネーションがごっちゃになってるので、記憶にある匂いがホンモノかどうか、再度確かめてみたいものです。
でもこのへんのアメンボは、汚い水に棲んでるので、つかまえる気が起こりません。。。

>あおきさん<ママレモン>あの、口をピッと切って使うやつですね^^大きく切ったら、ドボドボ出るんですよね(笑)

バリ師 - 2002/07/25(木) 10:40<

ウナギ

このくそ暑い毎日を乗り切るには「ウナギ」しかないと、知り合いの鰻名人に電話を入れると「おう、ぼちぼち釣れよんど。まかさんかいな。」という心強い返事。早速、揖保川河口に動きました。

しかし待てど暮らせど、ぶっ込んどいた3本の竿につけた鈴がいっこうに鳴りません。名人「今日はあかん。冷凍庫の持っていかんかい。」と、一応、天然鰻とおまけのアナゴの調達に成功(?)いたしました。今夜は蒲焼!ウナ丼アナ丼。精つきまっさ。

あおき - 2002/07/25(木) 07:33<

ママレモン

そういえば 最近でっかいママレモンを見なくなりましたねー
小さい洗剤ばかりでさびしいような 子供のころ重くてよくつるっとすべって落としていたなあ

ya(・ε^)na - 2002/07/25(木) 00:43<

あめんぼ

けけっけけけけけ・・
 ヤゾー、なんでアメンボってゆうかしってはりますか?
なんでも、アメンボには羽があって・・山んなかのみずたまりまで飛んでいくんやてえ
 ほんま!よお見たらブト見たいなからだしてます
ほんでから、仲間いっぱい集まったら・・んんんなんや飴みたいなにおいがするから・・
 ほんで、アメンボってゆうらしいですよん

それから、面白いいたずたやねんけど・・アメンボが泳いでる水溜りにママレモン少しおとしたってみい・・

   アメンボおぼれるんよ!!
     表面張力で浮いてるからそのちからなくなったら・・おぼれるんやてえ

    賢い子供たちは、まねせんといてや!!

          ほなまた・・ヤナでした

nixtucho - 2002/07/24(水) 22:49<
かいぼり漁とカーバイト
子供の頃、私の住んでいた部落には変なおっさんが、よく現れてました蝮ばかり捕る人
みの虫ばかり捕る人、そんな中で一番印象に残ったおっさんが川漁のおっさんでした。
私らに見せてくれるのは、そのへんの小川で、まず流れをせき止め、小さな水溜まりを作り水を半分ぐらい掻き出します、そこに白い岩石のような小石程のものを投げ入れると、白い泡がブクブクと吹き出し、瞬く間に魚が腹を見せプカプカと浮いてきました、子供の私たちはまるで手品でも見ているような錯覚にとらわれ、おっさんがヒーロに見えました。
そのとき、おっさんはこれはカーバイトなんだと言って、毒性が強く滅多なことでは使わないとも、仰っていました。そういえばいつも差し障りのない小川を選んで私たちを喜ばしていたような・・・そうして知らず知らずのうちに、ルールもお勉強させられました。
40年も昔です・・・カーバイトはランプの火種にもなるらしいですね 。

ヤゾー - 2002/07/24(水) 21:02<

河童の想い出

みなさん こんばんわ

バリ師さん △うぶさん 野史研究会の報告 ありがとうございました。
やはり現場で話しを聞くと 体全体で感じるものがあるのでしょうね。
それにDonglyさんたちの話しは きっと面白くて刺激的だったことだと思います。

熊野でも同じように川の袂で大きな網を使って魚を捕る漁があったように思います。
でも それは小さな滝を鮎がジャンプして遡ってくるのを網ですくう漁だったと思います。
つげ義春さんの『ほんやら洞のべんさん』の中に 大きな玄翁でハヤを捕る話しが出てきます。
冬場は岩の下にもぐっているので 岩を玄翁でたたくと魚が目をまわし
そのスキに網ですくうとのことでした。
地元の釣りバカが小さいころに
渓流で岩に大きな石をぶつけて魚を捕ったことがあると言ってましたから
全国的にそのような漁があったのかも知れません。

おりょうさんも夏バテしないようにして下さい。
ホタル狩りはもう行ってきたんですか。

こう暑い日が続くと 奇麗な川で泳ぎたくなります。
中学二年のとき 林間学校で山奥の分校へ行ったことがありました。
夏休みに学校へ行くなんて 根性でも学校をサボることを信条としていましたので
あまり気が進まなかったのですが 山奥で川遊びができるということで行きました。
あのときの 冷たくて奇麗な川で泳いだことが 今でも忘れられない想い出となっています。
冷たい清流の流れに身を任せて 何度も流されては戻り 流されては戻りして
川の中で何かに陶酔していたように思います。
もしかしたら河童の血が騒いだのかも知れません。

おりょう - 2002/07/24(水) 09:11<

おっは

「野史研究会」サンカの皆様お疲れ様でした。
「野史研究会」の本で、今回のテーマ早く読みたく思っています。出来あがるのを楽しみにしています。

おユキちゃん 皆々様 夏バテしないよう頑張ってお励みくださいね。

△うぶ - 2002/07/24(水) 01:07<

林間学校

野史研参加の皆さん、ご苦労さんでした。下界では36度なのに日中もクーラー要らずの
環境は羨ましいかぎりでした。
頂いた資料に再び目を通し、又、頭の中を整理しています(インパクト大きかった!)。
<絶対に何かやらねば!> これを持ち帰ってきました。

バリ師 - 2002/07/24(水) 00:19<

野史研究会

■この土日、揖保川水系公文川奥の村で開催されました野史研究会に泊りがけで参加しておりました。

私にとって、多分に文学的で情緒的で、ぼんやりとしていた「サンカ」像が、歴史学的に社会科学的に、いや野史的に、少しだけ輪郭がクキッとしてきたような感じがいたします。ゾクゾクして面白かったです。

いろんなお話が三分の一も理解できたかどうか分かりませんが、久々に脳細胞が活性化いたしました。

また、公文奥のタタラ跡の残る溝谷という村はすべて小椋姓でありました。

■行きがけ増水した揖保川本流を眺めながら、ふと、昔、二つの漁を見かけたことを思い出しました。

一つは、夏の終わり、怖いような山土色に濁った高水の時、曲里の橋の上でひと一人がスポッと入ってしまうほど大きな網を持って、じっと川を見つめている老人がおりました。話を聞くと「まだまだや」と呟きました。「何がまだなのか」と尋ねると、「まだ出水が少ない」と言います。大水の時、魚は緩い流れや溜まりに避難して集まるらしく、そこを大きな網で文字通り「一網打尽」にするんやという話でした。鮎でもヒラベでも、ハエジャコ・鯰・鯉・イダ(ウグイ)・・・何でも掬えるという話でした。

二つ目は、冬、山崎の少し上流でハエジャコ釣りをしていると、大きな玄翁(トンカチ?)担いでウェダーを履いた男がやってきて、水中の石を思いっきりガチン!と叩き始めました。ジャコが散ってしまうなあと思いながらも面白そうなので見ておりましたら、ジャコが気絶してプカプカ浮いてきました。男はそれを底の浅い網でさっと掬い腰魚篭に入れました。

多分、揖保川では○○漁・△△漁と名前があるんでしょうが、分かりません。その頃は「サンカ」という言葉も知りませんでした。

ヤゾ− - 2002/07/23(火) 20:10<

アメンボ

みなさん こんばんわ

konohazukuさん はじめまして
GAINAさんのお知り合いなんですね。
こちらこそ 今後とも よろしくお願いします。
倭姫命については分りませんです。
熊野地方はイザナミやスサノオの国って感じがしています。

GAINAさん 「楯が崎」ですか。
海上から見た景観は素晴らしいのでしょうね。
また行ってみます。

ヤナさん 面白い話しでした。
ほんとに自然って不思議と神秘に満ちてますね。
むかし 雨が降るとよく水たまりができたりしましたが
その水たまりにいつのまにかアメンボがスイスイと気持ち良さそうに泳いでいて
どこからやってきたのだろうと不思議だったことを思い出しました。

konohazuku - 2002/07/22(月) 23:51<

始めまして〜!

konohazukuと申します。_(._.)_
ヤゾーさんは、玉置神社読本のbbsで時々、拝見させていただきました。
実のところ、GAINAさんから、土曜日に、連絡が取れまして。。こちらのHP
をご紹介いただきましたので、早速お伺いいたしました。
今後とも宜しく御願い致します。
ネットワークのお仲間に入らせていただければと願ってます。

私は、二木島から約60キロほどかな?離れた山間部に居住してます。
「べっぴんさん」がほんと多いですよ〜(*^_^*)(笑)
また〜GAINAさんに連絡しますけど、いま私も個人ホームページを
立ち上げ中〜です!というか〜素材・取材不足で、・・アセッテマス〜!

熊野もお気に入りスポットです。神武天皇様のいわれが・・・多いですね。
「倭姫乃命」のいわれも、熊野には、あるのでは?
では〜また宜しく御願い致します。

ya(・ε^)na - 2002/07/22(月) 23:46<

砂漠の話

今日の日経の夕刊に乗ってたんやけど・おもしろいのでカキコします
アラビア半島にオマーンって国あるんやてーーぇ砂漠の国やねんけども
一年中カンカン照りの国やねんけども・どうしたことか年末に大雨が降ることがあるんやてぇ
雨後、水溜りができるんやてぇ・ほんだら、どこからかビッキがあらわれるんやとう!ほんでから
雨んなかピョンピョン跳ねるんやトゥ・・不思議やねえ

ほんでから、砂漠ドライブしてたら、名も知れない雑草がいっぺんに開花するんやてぇ
雨が降ったら、大急ぎで芽をだし花さかして、種つくる・・ほんでから一年後の雨待つんやてぇ

ふーーーんすんごいねえ

もっとすんごいのが、砂漠の中に池みたいな水溜りがあったんやけど・・
 なんとそこには、魚がおよいでたんやてぇ
  十日まえには、水なんかなかったのに、ほんでから一ヶ月先には水なんて蒸発するのに!!
なんで魚がいてるんや!???やてえ

   ほんま自然って、どないなってるんやろねえ

それだけに、うれしなると思いませんか

  ちょっと・・お口汚しの・・ヤナでした

        ほなまた

GAINA - 2002/07/22(月) 22:45<

二木島を懐かしく拝見!

こんばんは。

二木島の写真、懐かしく拝見しました。
二木島も随分変わりましたね。
昔は、中央の魚市場はなく、紀勢線の駅があっただけでした。
神武東遷の際に上陸したと地元でいわれている「楯が崎」が
写真の中央の外海に面したところにあります。
そそり立つ柱状節理の断崖は見事なもので、二木島から渡し舟が出ています。
それに今度は、二木島の手前、熊野市木の本側に秦の始皇帝の命を受け、
不老長寿の薬草探しにやってきた徐福にまつわる神社(墓)がある「波田須」にも立ち寄ってください。

ヤゾー - 2002/07/22(月) 19:45<

二木島の写真

みなさん こんばんわ

turukot(-,.-)さん それは良かったです。
でもトンボ帰りは大変でしたね。
hideさん 祇園祭についてのお話し ありがとうございます。
おりょうさん いつか参加できると良いですね。
おユキちゃん 鳥好きの優しい気持ち よく分かります。

この間 二木島へ行ってきたときの写真を熊野ライフ通信にアップしました。
暑い日が続いていますが
気分だけでも海水浴へ行ったつもりになって頂けたら幸甚です。

おユキ - 2002/07/22(月) 12:55<

(^。^)


ぴぃーちゃん、どこかで元気にしてくれていたら良いですね。

おりょう - 2002/07/22(月) 08:01<

おっは

turukot(-,.-) さん、おかえりなさい。お疲れ様でした。
(^。^)ngiyさん turukotさん 矢留楯夫さんのお話もお聴きしたいです。

hide - 2002/07/22(月) 03:25<

祇園祭

GAINAさん、皆さん今晩は。ホームページの立ち上げ楽しみにしています。
祇園祭のことに触れられていましたが、祇園祭は私の産土神社の祭りです。祭りの期間は7月1日から31日までです。一般には山鉾巡行がメインの祭りと思われているようですが、あれは京都に厄病が蔓延した際に、町衆が厄病退散を祈り行ったもので、町衆の祭りです。他所の人は、山鉾と言えば、山も鉾も混同されているようですが、山と鉾は別のものです。鉾は車輪がついて、引っ張って動かすのが鉾です。鉾にはお囃子(祇園囃子)をする人が乗っています。重厚の日には、四条烏丸を出発して四条河原町へ向かいます。その延長上に八坂神社があります。そこまではお囃子もゆっくりで、したテンポで、、四条河原町で厄疫を八坂神社に納め、後は一気に各町内へ河原町を北上し、御池通を西に向かい戻ります。このときの囃子は戻り囃子といってテンポが速くなります。山は、原則人が担いで巡行します。鉾も山も、日本や中国の故事などにちなんだ飾りつけなどがしてあります。山の中にも、3基だけ曳山と言って鉾と同様囃子をして引っ張って巡行するものが有ります。今は巡行も7月17日ですが、昔昭和40年ごろまでは17日が先の祭り、24日が後の祭りと分かれて行われていました。また、巡行コースも今とは違っていました。幼少の頃別々に祭り尾が行われていた記憶がうっすらと残っています。神社側の祭りは、7月17日、山鉾巡行の夜に八坂神社から3基の神輿が出て御旅所まで来ます。そして24日夕方から氏子の町内をそれぞれ別コースをたどり神社に帰ります。本当は神輿の巡行のほうが祇園さん(京都では八坂神社のことを一般的に祇園さんと言います。八坂神社と言うほうが少ないと言うか、ほとんど有りません。)の祭りです。神輿は中御座、西御座、東御座とあり、それぞれスサノオの命、八柱の御子、櫛稲田姫がお移りになり渡御されます。私の町内は西御座になります。また、山や鉾の懸装品には国宝や重要文化財も多く、動く美術館と言われています。中には、中世ヨーロッパで作られた織られたタペストリーの一部のものが有り、残る2つの部分がヨーロッパに残っていて、つなげると1枚の絵になるものもあります。山鉾巡行は、岸和田のだんじり祭りとか、早田山笠巡行に比べれば、どちらかと言えば静的な祭りです。この時期の京都は結構蒸し暑く、天然のサウナにいるような状況ですが、一度見に来てください。

turukot(-,.-) - 2002/07/22(月) 00:34<

野史研究会行って参りました。

私も野史研究会行って参りました。
わざわざ行ったかいがありました。
仕事の関係で早く帰ったのですが(非常に残念)
まだいまも現地にいらっしゃる方々がおられるので
帰ってこられてコメントされた後にコメントするかもしれません。

では、取り急ぎです。

ヤゾー - 2002/07/21(日) 06:18<

二木島は遠かった!

みなさん おはようございます

昨日 二木島へ行ってきました。
思ったより遠かったです。
それに対向車を交わすのに難儀するような細い道が多くて疲れました。
途中の新鹿海水浴場は大勢の人で賑わいでいました。
GAINAさん 二木島では若い美人は見かけませんでしたが むかしの美人はいましたよ。
ヤナさん 二木島周辺は 良い釣り場がいっぱいありました。
とんちゃん 二木島は尾鷲市の近くにある小さな漁村です。
tuyaさん 美人が多いということは 血が濃いというより
いろんな血が混ざっているからかも知れません。
水軍のあったところは美人が多かったとの話しもありますが
それは美人を掠奪してきたからだそうです。

△うぶさん 尾呂志神社へも行ってきましたが
不思議な感じの神社でした。
応神天皇を祀った神社でした。

これから用事で出掛けなければならないので
二木島と尾呂志神社の写真は明日にでもどこかへアップします。

おりょうさん ぴぃーちゃん 残念でしたね。
きっと どこかで生きていますよ。
いつか生まれ変わって また  おりょうさんのもとへやってくるかもしれません。

紋次郎さん 様々な階級の人間に接する世間師的生き方をして
人相骨相を極めたと言う観相家の水野南北みたいですね。

焼尻紋次郎 - 2002/07/21(日) 04:52<

  ほい、しまった

 眉間の下がペシャンコで、小鼻があぐらかいているのは、おらのお
ふくろのことです。
 
 人相のハナシは掲示板には向きやせん。
 Eメールしか方法はないでしょう。
 tuya さん、Eメールおくれ。

 人相学とか人相の本も、成立しないのではないだろーか。
 階級社会出現の前には、そんなこと誰ぁれも必要としないし、階級
が出現したあとでは、極めてモノが云いにくい。
 ここは階級でできた意識を払拭しようとする趨勢のつよい掲示板で
しょうが、それでも(それ故にこそ?)あちこちでトゲトゲしいひっ
かかりが生じそう。

 人相のことは、個人が額に汗しながら掴むしか方法はないと思いや
す。幸か不幸か、おらはとびこみセールスでそれを掴まざるをえませ
んでした。

おりょう - 2002/07/20(土) 20:12<

ぴぃー

豆腐の大好きだったピィーは、今は、もういない。ある日の朝ベランダの鳥籠が倒れていて一番可愛がっていたピィーの姿だけがありませんでした。原因は猫でした。隣との境界の隙間からはいってきたんです。その日の昼頃再びやってきたので猫の仕業とわかりました。
ピィーは悧巧な鳥だったから逃げ延びて、今ごろ誰かに大事にされていると信じています。
卵から孵えった時から育て、洋服のポケットに潜り込んで遊ぶのが好きで、ポケツトから小さな(^○^)を覗かせてはまたもぐったりして、卵産む時も、吊るしてる洋服のポケットの中にうんでました。本当に愛らしい鳥だったんです。

バリ師さんちのすずめさん元気に育ってるんでしようか。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2002/07/20(土) 19:04<

両極端を考えてみりゃ、いいのでは?

 本多勝一さんは、アマカネの里・ニューギニア高地石器時代人を取材したときに
彼らがどんな美人の類型を持っているのかを調査しました。そこの現地のオバンや
娘さんたちにいろんな写真を見せたのですが、美人というイメージがわれわれとは
かなり違っていたとの報告でした。
 
 しかし、おらは思う。アフリカ、アメリカ大陸インディアンはシランが、ユーラ
シアでの美人タイプはおおいに共通したとこがあるのではないだろーか。
 なにせ、眉間真下でペシャンと窪んでいて、小鼻が左右にひらいて胡座かいてん
なぁどう見ても、美人たぁ思えねえ。

 容認できる美人のタイプとは階級の産物である。

 とくに、うしろアタマに剛直な毛が集中している遺伝形質はおらんやろかね?
 熊本にはおるよォ〜〜。
 

tuya - 2002/07/20(土) 17:54<

長州っぽ?

紋次郎さん>おひさしぶりです。ははは〜、じつは私は長州なのですよ〜♪しかし、そんなイイ男いたかしらん???記憶にないな〜・・・支配階級じゃなかったからかな(笑)。

冗談はさておき、人相骨格の種類にはものすごく興味があります。
前に「ヤゾーさんが、うちの父方の家系の男の顔なので驚いた」という話をしましたが、私の顔はヤゾーさんのおばあさんの顔にそっくりなんだそうです。で、聞いてみたら、父方の祖祖父母が住んでいた地域と、ヤゾーさんの母方の出身地がどうやら同じ地域(もしくは近隣)のようなのです。ちなみに私の出身地(祖父母の代からこの地域)は歴史の古い町で、同姓が非常に多いのですが、うちの姓はうち一軒だけでした。
子どもの頃、うちは流れ者だ、という話を祖母から聞いたことがあり、その流れ者だったご先祖さまのことを、どうやら祖父母たちは恥じているようでした。そしてそのせいかどうかはわかりませんが、姓も途中で字を変えています。もともとの字は、サンカの末裔に多い姓だということです。やはり何らかの縁があって、私もここにいるのでしょうね。
しかし、私は親族や先祖という存在に対して割合淡々とした感情しか持っていないので、「血」というものをあまり意識するほうではありません。自分が末裔であるかどうかにかかわりなく、興味深いものは興味深い、というスタンスでサンカを見ています。

とんちんかん小僧 - 2002/07/20(土) 14:18<

モンゴル800に感動した!!

昨日とうとう購入してしまいました。
ここ数年、インディーズでメガ・ヒットしたアーティストがモンゴル800、
略して「モンパチ」、僕より、ずっと若い世代の子に人気のあるバンドだが
彼らの歌をカラオケで歌う若い奴等を見ていて、すごく気になっていて中古
で探していたのですが、まだメジャー・デビューをしていないということもあり
結局新品で購入しました。値段は安価で助かりました。
まあ前置きは、このぐらいにしますよん。
彼ら(3人組)は沖縄出身のアーティストで、まだ年齢も20代前半(多分ね)と
若いが、日本人(限定するわけではないが)に伝えようとする心の詩には、すごく
心の芯まで奮えました。
例えば、

琉球愛歌

泣かないで人々よ あなたのため明日のため

すべての国よ うわべの付き合いやめて

忘れるな琉球の心 武力使わず 自然を愛する

自分を捨てて誰かのため何ができる


日々あなた思い一生が終わればいい

日々の暮らしの中 間違いだらけ この世の中


責任たらい廻し 子は親を殺し 平気な顔

貧しい国民見殺し 無力な自分 くずれる今


日々あなた思い あなた思い 一生が終わればいい

日々あなた思い あなた思い 一生が終えてもいい

日々あなたと僕 一生を終えようか


まだ心に訴えかけてくるような詩が多いんです。
浜崎あゆみにしても詩が好きで彼女の音楽を聴くようになりましたから。
やっぱ、心に問い掛けてくるような音楽はイイですよね。

焼尻紋次郎 - 2002/07/20(土) 10:59<

  おとこぶりなら長州っぽ

 tuyaさん、アマカネ
 オトコっぷりなら、まんず、長州ざんしょう。
 それも、支配階級。あっしゃ14年前だったかな、山口市役所でひる休みに天○甘△
の即売をしたとき、シゲシゲと人相を観察しました。
 なるほど、美男が多い。しかも方向性をもった偏りがある。
 だが、女性はサッパリで、まったくヨソと変わりばえしない。
 長州っぽのオトコは津軽のオトコに共通するところがある
 (例;管直人さんとイナカッペェさん)。
 ばってん、津軽のおなご衆は全員美女でブスはおらん。

 ※ 日本では、同じ地域に8〜10種類の人相骨格が雑居しています。

 ところで、『古代資料篇』として新しい掲示板を発足させました。
 http://www.you-i.org/treebbs/1/1_all.html
 古代へ誘う資料や感想の板としてお役に‥‥立てるかな?

tuya - 2002/07/20(土) 09:03<

男前の多い島は?

うちの故郷の市に属する離れ小島にも美人が多いと言われていました。なんでも昔は、陸から遠い島の人は、血の濃い人どうしで結婚するから美形の遺伝が濃く出るのだと、まことしやかに言われていましたが、ほんまかな?
ところで「美人の多い地域」というのはよく聞くけど、男前の多い地域の話って、とんと聞かないですねぇ。だれか知らんかぁ〜?(笑

やなさん>ここんとこ、うちにも毎日ウイルスメールきます。また流行ってるのかな?

△うぶ - 2002/07/20(土) 02:28<

祇園、おろし、など

ヤゾーさん
祇園精舎と言うくらいですので、起源はインドでしょ。確か牛頭天王はインドの宗教上の
神から来ているはずです。ネパールもインド系ですのでそっくりのが存在しても当然ですね。

おろし→オロチ→竜→竜神=荒れ狂うと風雪雨雷を伴い民衆に災いをもたらす。
尾呂志神社のご神体は何でしょう?  外見の写真も見せて欲しいです。

ya(・ε^)na - 2002/07/19(金) 23:59<

GAINAさん

雪ーーーが山から落ちてくる♪
 ・・うちわぁー♪・・比叡おろしですねん♪
  あんさんの、こころを♪雪にしてしまいますエーぇ♪

   もおんなじですかいねえ

とんちゃん、二木島は、串本周りやったら勝浦、宇久井、遊木、二木島となります
 磯釣りでも有名な梶賀のおとなりです・・串本と尾鷲のあいだくらいかな

    あーーーーー釣りに行きたいよーーーぅ

        だれか、ヤナを釣りに連れてってーー!

           すんません・・やなでした

あのーーーAERAどないなったんかいねえ?
 お知らせください・・よろしく
  

とんちんかん小僧 - 2002/07/19(金) 22:17<

紀和鏡さん

ヤゾ〜さん、皆さん、こんばんわ。
>「気」は「狂」からって聴きましたけれど
↑のって本当の話なの?
本名だと思ってました・・。
ご本を見つけるのかなり苦労しています。
半端じゃないッス!
何処に売ってるんやろ。
この際、八切さんの本と同じように再発行して欲しいくらいです。
どこか良い出版社ないかなあ〜。

紋さん復帰おめでとうございます。

話変わりますが、多分、サンカマニアのヤナさんあたりならご存知かと
思いますが、
http://www.dandl.co.jp/yamanotami/yama1.html
にサンカの事が紹介されていたよ!

GAINAさん
大変、ご無沙汰しております。
えっ!それ本当!?
今も可愛い子がいるの?行きたいッス。
二木島って何処にあるのでしょうか?

Tuyaさん
あの本、実はまだ半分ぐらいしか読めていないけど、池波正太郎や
松本清張の本と同じぐらいハマるよ!
面白いし、勉強になるからね。

GAINA - 2002/07/19(金) 21:42<

美人の多い二木島

みなさん、中上健次作品の映画タイトルありがとうございました。

部落差別に関して・・・。
昔、郵政省の仕事で東海地方の絵はがきを作ったことがありました。
有名画家の描いた伊勢の盆踊りを使用しようと思いラフを提出したところ、
描かれた踊る人物の手が親指を中に折った状態だったことにクレームがついたことがありました。
部落同盟の方から抗議されるからというのが理由でした。

郷里には、友達に部落出身者がいましたが、そんなことを意識したことが皆無だったので、
驚いたことを憶えています。

中上健次の名を聞くだけで今もその時のことが甦ります。

祖父が部落民の方をいつも接待していたことから、
それほど意識することがありませんでした。

ヤゾーさん、二木島は美人の多い所です。
高校時代に二木島出身のクラブ部員のいる木の本高校と試合をするのを
我がクラブは楽しみにしていました。
一度、行ってみてください。納得される?でしょう。
尾呂志は、六甲おろし、伊吹おろしと同じ語源だそうです。
風伝おろしでしょうね。

tuya - 2002/07/19(金) 19:24<

見逃すとこでした

東沢さんの籠、アップしてあるのにずっと気付きませんでした。やなさんが教えてくれなかったら見逃すところでした。東沢さん、あんなに値打ちのある画像、ちゃんと宣伝してくれないと!^^v

ヤゾ− - 2002/07/19(金) 19:05<

ネパールの祇園祭り

みなさん こんばんわ

△うぶさん 松坂にも祇園祭りがあるんですね。
つい最近 NHKで祇園祭りとよく似たネパールの祭りをやっているのを見ました。
どなたか同じようなことを書いてくれていたと思いますが
実際に映像で見ると 本当にそっくりでした。
山車に乗った生き神でクマリと呼ばれる少女の方が
京都の祇園祭りのお稚児さんよりも神秘的で素敵でした。

hideさん はじめまして
GAINAさんのホームページを楽しみに待ちましょう。

GAINAさん 二木島にはまだ行ったことがないので 近い内に行きたいと思ってます。
それと紀和町と御浜町の境にある風伝峠の近くに尾呂志神社というのがありますね。
不思議な名前の神社なので行ってみたいと思っています。

ヤナさん 見ました。
東沢さんの文章も良かったですが
ヤナさんのコメントも良かったです。

>実際に身近で起きた事件が素材で、この映画には路地の青年が抜擢され出演しているそうです。

おりょうさん 知りませんでした。
夏といえば 自分の頭ほどある豆腐を平らげるセキセイインコのピーちゃんは元気にしてますか。
豆腐を食べている写真を見てみたいです。

《火まつり》

監督・柳町光男 脚本・中上健次 音楽・武満 徹 
撮影・田村正穀 美術・木村威夫 制作・清水一夫

キャスト

北大路欣也 太地喜和子 中本良太 宮下順子 
安岡リキヤ 森下愛子 菅井きん 三木のり平

1985年 カンヌ国際映画祭出品作品

おりょう - 2002/07/19(金) 13:52<

そうです、やなさん

「火まつり」です。実際に身近で起きた事件が素材で、この映画には路地の青年が抜擢され出演しているそうです。まったくのトウシロウだそうです。ヤゾーさんが一番詳しいかな。

最近、中上健次の娘が雑誌にのってましたよ。

△うぶ さん
あちこちで夏まつり酣わですね。羨ましい。

*(@..@)*ngly さんと矢切さんとは親戚関係のような気がしているんです。



ya(・ε^)na - 2002/07/19(金) 06:19<

お見事!

風の王国に東沢さんの籠作りの写真、報告がのってますよん
 おりょうさん、GAINAさんのゆうたはる映画・・あれですよね
んんんんんなんやったかいねえ、キタオウジキンヤ主演の「火祭り」やったかいねえ??

GAINA - 2002/07/19(金) 02:12<

タイトルが浮かびません!!!

こんばんは。

先日から、中上健次の話題がありましたが・・・。
中上健次作品の映画化されたもので、
確か、最後に猟銃自殺をはかるものがありました。
熊野市二木島がメインロケ地になっており
紀勢線開通シーンや新宮神倉山のお灯祭りが収められていました。
キタオウジキンヤ主演だったように思いますが、タイトルが思い浮かびません。
ご存知の方、お教えください。
差別問題を取り上げたものが大半を占める中上健次作品ですので、
どの作品がどうだったか、よく思い出せません。

hideさん、WEBページの立ち上げが遅れています。
自然を謳いあげるページにしたいと考えています。
もうしばらく時間をください。

hide - 2002/07/19(金) 01:20<

玉置山四方山話

皆さん今晩は、突然ですが7月10日頃から別の掲示板で継続されるとのメッセージがありましたが、指定されたアドレスでは検索されません。どうなっているかご存知の方はお知らせください。

△うぶ - 2002/07/19(金) 01:14<

祇園祭りに行ってきました

みなさん、こんばんわ。
行ってきました、祇園祭り。  、、、と言っても三重県松阪の祇園祭りです。
最近ここでの話題の一つの、スサノオ、牛頭天王、出雲に関係大。
八雲、愛宕、御厨(みくりや)、の三社からの神輿が競り合い、
太鼓も勇壮でした。完全に庶民の祭りですね。人々の顔つきも海洋渡来系や
原住民倭人系ばかりが目に付きました。大昔に、先頭の御旗の下、太鼓鳴らして
ぞろぞろと海沿いや西方から集団移住してきたシーンが目に浮かび、感動しました。
今年もまだ各地で祇園祭催されます、京都の祇園祭りなんかより小都市のの方が
ずっと本来的意義残存しているみたいです。

ヤゾ− - 2002/07/18(木) 19:32<

野史研究会

みなさん こんばんわ

兵庫県宍粟郡での野史研究会には八切止夫氏の御子息も参加されるそうです。
お近くの方は7月21日(日)、22日(月)のうちの一日でも参加すれば
えげつなく 透明そのもので 刺激的な話しが聞けるチャンスです。

詳しくはDonglyさんのホームページにて問い合わせ下さい。

http://www7.ocn.ne.jp/~iyasi/

*(@..@)*ngly - 2002/07/17(水) 22:43<

いよいよ野研はじまる

 皆様のお蔭で野史研究会を週末20日より開き
ます。といっても10人前後のささやかな集い。
話される内容はとてもネットでは出せないような、
えげつなく、透明そのもので、刺激的なもの。
刺激をもろに浴びるのは参加した者だけの特権かも
しれません。各自の報告の中には
 八切止夫の伝え
 伝承と聴取と資料から 鷹の巣は何者か?
 画像と資料で訪問 東京にある別所
 などがあります。
 古参から知識と調査法を学んで、本の読み手から
 発見者へ一歩前進しましょう。
 

ヤゾ− - 2002/07/17(水) 19:25<

中上健次・紀和鏡

みなさん こんばんわ

にっちょさん こちらではお久しぶりです。
紀和鏡さんのペンネームについて 何かの本にそのような説が載っていました。
紀和鏡さんは『マージナル』の編集者としてサンカファンなどには知られていますが
小説家としては不遇だったのかあまり知られていないようです。
紀和鏡さんの小説に一時はまり込んだことがあって
苦労して殆どの小説を集めましたが
サンカやシノガラ的なものに興味を持って読むと
とてもリアリティーを感じさせる面白い小説がありました。

東沢さん 感動しました。
中上健次さんへの熱い想いが伝わる素晴らしい文章だと思いました。
僕はあまり読んでないのですが 
『千年の愉楽』のオリュウのオバが好きでした。
また自然主義的なところも好きです。
悪い意味での近代的なものに対して
「熊野の自然をかえせ 人の情をかえせ 魂をかえせ」
と訴えるような文章がありましたが妙に感動した覚えがあります。

そのNHKの番組は僕も見ました。
紀伊半島の被差別部落を取材したときの話しや
中上健次さんが主宰して行われた部落青年文化会などの様子を放送していたと思います。
それが熊野大学の前進だったようです。
確か 手弁当で石原慎太郎さんなんかもゲスト講師として駆け付けてきたとか聞いたような気がします。
また他の中上健次特集では 北野武さんや原田芳雄さんたちが
中上健次さんについて話しているのもありましたね。
もしかしたら中上健次特集は録画してどこかに置いてあるかも知れません。
出てきたら 見たい人にはお貸ししますよ。

紋次郎さん とても良い話しを聞かせて頂きました。
旅人への一番のもてなしは火を分け与えることだと言いますが
野宿して火のない寂しさは筆舌に尽くしがたいものがありますね。
聞いた話によると 若い官僚が家族で設備の整ったキャンプ場で焚火をするのに
丸太に直接ライターで火を付けようとして この丸太燃えないじゃないかと文句を言ったとか・・・。
紋次郎さんの「ムスネックの火」とはえらい違いですね。
また若い頃の旅の話しなど聞かせて下さい。

映画『火まつり』のパッケージから一部抜粋した言葉です。

「海には海の神が居た。山には山の神が居た。そこでは、まだ神は人間と一緒だった。」

焼尻紋次郎 - 2002/07/17(水) 17:14<

  訂正 MUSLO です

 やっぱ、名前の部分は明るい赤色……暖色がいいすなぁ。

 MUSKLO と書いてしまいましたが、MUSLO なんです。慎んで訂正します。

 ついでに……、あの頃はマジック・ペンが出たばかりでした。
 あっしのトレード・マークの「4本ゆびの足跡」はそのときからです。

 親友Sとの二人旅でした。Sが「栄養を考えねばイカン」というのです。
 ゴム消しみたいなチーズを5日間ぐらいに分けてたべました。
 でも、花咲半島の牧場で、このときとばかりに牛乳をガブ飲みして……お腹こわして……。
 

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2002/07/17(水) 17:00<

  ムスネックの火  

 東沢さんの「火」を横取りするようで申しわけないです。

 昭和29年、あっしゃ二十歳を記念して北海道へびんぼう旅行をしたことがあります。
 あのころは、食糧事情もわるく、折からでた黄変米を飯盒で焚きながら、ビキニでとれた
原爆マグロの缶詰めを食べて、どこに行くのもドン行列車を利用しました。
 北海道にはまだカニ族(ザックを背負う若者)も出現していない時で、冷害が続いていま
した。

 ひと晩めは松島の……どこか近くの小学校校庭のロクボクの下で野宿しました。
 そのころ、ビニール布というのが出たばかりで、「これなら雨露は安心だ」とばかりに
寝袋に掛けて、ヂベタにごろ〜んとなったのでした。
 ところが、このビニール布、文化の匂いだけは立派だが、すぐに湿気が体中を被い、べと
べとしてカナワン。

 翌々日、洞爺湖畔にたどりつきました。
 貸しテントがあるというので、一夜5円で借りました。
 湖畔をうろつきまわったら、すぐに焚き火用の薪‥‥それも丸太が入手できました。
 それで、知識だけの「ムスネックの火」という焚き火をしてみました。
 背もたれ椅子の足がない形状を想定してみてください。凭れ部分は少し傾斜があります。
そこへ薪を椅子状の形に積みあげます。背凭れ部分はテントの口にむけ、2M ばかりテント
から離します。そして椅子でいえば「坐る部分」で火を燃やすのです。
 すると、いちど上まで燃えた薪が、こんどは下のほうへ向けて火力が移ってきます。

 少量の薪が、ひと晩じゅうテントの内部を暖かく照らし、それはもう、ごきげんでした。
ミナシャンご存じとは思いますが、未だの方もあるやも……と思って書いてみました。
 ところで、ムスネックというのは登山家かなにかの名前でしょうか?
 ネパール語の MUSKLO は炎なんですが……。タカミムスビ!!

東沢美史 - 2002/07/17(水) 01:50<

高く評価し続けたい中上健次(2)


映画「火まつり」は一般に評価はいまいちでしたが、私ら中上フリークにしてみれば彼が原作(脚本)を書いた作品だっていうことだけで重要な意味があります。
管理人さんであるヤゾーさんもお気に入りのようで嬉しいです。
この作品で山の神様をとても大事なものとして描いてたようですが、吉本隆明との対談で天皇陛下のことを話すときは敬愛のこもった敬語で堂々とお話しが出来る人でもありました。そうかといえば(鎌田東ニによれば)熊野の猿田彦に万感の思いを寄せてもいたそうです。皇室にたいしても、対立する国津神に対しても猿田彦に対しても等しく熱い思いで語る事のできた彼から人間の心の広さ深さは想像した以上にあるものだということを少しだけ勉強できたような気がします。

NHK番組で放映したのですが、熊野でケモノの皮を剥がすナメシをしてる集落へ行き、その獣皮を頬に当てて嬉しそうにしてたという中上健次。
やさしい情感に溢れる人です。
私達だけでも彼の功績は高く評価し続けたいものです。

東沢美史 - 2002/07/17(水) 01:48<

高く評価し続けたい中上健次(1)

文学に目覚める少年期を1970年代におくった私なんかの年代にとって、70年代後半中上健次にTVや雑誌でメグリ会えたっていうことは、今思うととてもラッキーな世代だったんだなって、おもってます。

1970年に三島由紀夫の自衛隊総監部での自殺、続いて72年のガス管加えての川端康成の自殺という列島を覆った純文学界に対するショックを意外と冷静に覚めた感じでやり過ごした小学生の私にとって、10代後半に出会う村上龍、三田誠広らのデビューはとてもポップなものに感じました。

でも、最初は難解そうだなって思った同時期の中上健次が後々村上龍らを超えて、私らを一番明るい気分にさせてくれる真にポップで文章のカラフルな作家だってことに気付いていきました。
1980年代を東北で竹細工売りしていながらも、常に無意識に気になってた小説家で、テレビ、雑誌、週刊誌に出てれば必ず買ったり見てたりしてました。とうにつまらなくなってた80年代の文芸誌も彼が出てれば高くとも仕方なく買ってました。複数冊買う事は稀でしたが1度だけ「文学界」「新潮」「群像」「文藝」「すばる」「海燕」と主要文芸誌全誌を買わなければならなくなったのは残念ながら彼の追悼号が出た1992年だったとおもます。翌年の追悼1周年特集以後、私は文芸誌をまったく読まなくなりました。私の読解力で言うのは間違いですが、中上健次が死んで以降、90年代の日本の文学の世界は花が散ったようにつまらなくなったとおもってます。

70年代頃はまだ日本で活躍する朝鮮人作家である事実だけが、作品の内容よりも人々の耳目を集めるような時代だったかとおもいます。「枯木灘」はそれとはチョット違う土方の小説ということで当初、私達に知られていったのは事実でした。私の地方でも中上健次を真似、夏休みなどのアルバイトに土方をして真っ黒くなって、かと言って土方してることをオーバーには自慢せづクールに話してココロの中で自慢してるってのが私ら含め1、2年上の世代に流行りました。中上健次の書いた「路地」というのは噂では被差別部落のことを言うらしいよというのが、東北の農山村の少年達に目覚めてきたばかりの社会性というか義侠心(笑)というか、そんなものを大いに揺さぶってくれる刺激的な「路地」という場の設定でありました。

それにしても亡くなったあとの追悼特集の作家たちの評価は冷静でどちらかというと
吉本隆明にしても出身であれだけ書けたのがスゴイっていうくらいの評価でしかなく拍子抜けしました。

彼は旧態依然とした文壇の権威にしがみついてる、作家先生らを傷つけないように上手く立てたり、逆に権威に歯向かう新進気鋭の無名の若い作家らはなんとか発掘し育てようと頑張ってました(佐伯一麦、松浦理英子とか)。元新左翼の活動家らと対談して先週、盛り上がったかとおもえば、今週セゾングループの堤オーナーと文学話しで盛り上がれるという幅広い思想と付き合える本当に懐の深い稀有の人だったとおもいます。
その偉大な感性を備えた中上健次の才気を偉大なもの、真に価値あるものとして理解、感受できる好奇心を持ち合わせ評価できるのは、中上健次全集を編纂されてるような大学や立派なとこにお勤めの偉い先生方だけでは決してなく、部落に生まれ育ち生業に励んでる人々、在日朝鮮人の方々、そして山窩の末裔にあたる者たちにもいると言うことです。
むしろ後者の人々の方が中上の著作を深く読み込み、あるいは真似てより深く彼を解釈してたり出来てるとおもいます。

にっちょ - 2002/07/16(火) 23:07<

ペンネーム

みなさん おひさでございます。
ヤゾ−さん。紀和鏡さんのペンネ−ムって 「気」は「狂」からって聴きましたけれどホントですか?
どうゆう深い意味があるのだろうか、だれか おしえて。

ヤゾ− - 2002/07/16(火) 21:25<

天河大弁財天社

みなさん こんばんわ

写楽保介さん 16年くらい前から天川へは何度か訪れていますが
一時期 世界的な音楽家や有名芸能人 沖縄やアイヌの霊能者などがお参りしていたようです。
始めてお参りしたときには辺鄙な山奥の静かな神社でしたが
何度かお参りするうちに他府県ナンバーの高級車が並んでいたりして
あれよあれよと言う間に豪華な社殿が建ち 大勢の人が参拝に訪れるようになりました。
天川は南朝や修験道 忍者や能などと深い関係にあるところですから
サンカとも関係があるのかも知れません。
吉田大洋さんという方の本で 弁財天や天川について書かれた『謎の弁財天女』の中で
サンカという言葉がよく出てきたように記憶します。
中上健次さんの奥さんで小説家の紀和鏡さんが書いた小説に天川を舞台とした話しがありました。
確か『鬼神伝説』という題名だったように思いますが とても面白かったように思います。
天河弁財天に祀られている八臂弁財天像と同じものが
玉置神社の奥の間に祀られているのを見たときにはハッとした感動がありました。

写楽保介 - 2002/07/16(火) 09:05<

天河弁才天とサンカ

サンカの子孫だという月海黄樹氏によると有名な天河弁才天社はサンカと縁が深いそうです。
ここは大勢の霊能者が訪れているし、著名人も数多く参詣しているようですね。強力なパワースポットなんでしょうか。

ヤゾ− - 2002/07/15(月) 21:15<

火まつり

みなさん こんばんわ

蜜柑さん あおきさん 僕もその七人の刑事を見てみたいです。

昨夜 暇だったので中上健次脚本の映画『火まつり』をひっぱり出してきて見ました。
映画の中で 大きな荷物を担いできて 漁港の前の広場に座り込んでコウモリ傘を立て
山仕事で使う刃物や包丁などを並べて売るおじさんが出てきます。
映画の中で何度もそのおじさんのシーンが出てくるのですが
刃物を研いでいたり ノコギリの目立てをしていたり コウモリ傘が束で置かれていたりします。
また「ワシは電車には乗らんのじゃぁ」というセリフもありました。

夜半の台風は嫌だなぁ。
海も見に行けないし。
風がそろそろ強くなってきました。

あおき <http://www.asahi-net.or.jp/~uy7k-ymst/tv4/min16.htm> - 2002/07/15(月) 20:38<

それは七人の刑事

ネットに色んな情報があります ストーリーの情報もあるみたいです

蜜柑 - 2002/07/15(月) 14:45<

三角寛が出ている

 1970年前後の話です。三角寛がテレビか映画に出たそうです。刑事モノのドラマで「サンカ」も登場したそうです。タイトルは「七人のなんとか」。
ご存知の方いますか?

ヤゾ− - 2002/07/14(日) 19:25<

ユサバリのススメ

みなさん こんばんわ

紋次郎さん お久しぶりでした。
お元気そうでなによりです。
ユサバリの語源について ありがとうございました。

サンカに強烈に惹かれ始めたキッカケがユサバリ 
つまり河原でのテント生活にあったように思います。
川のせせらぎを子守唄に 大地に密着して寝るということが
こんなにも心やすらぎ落ちつくものなのかと深く感動し
自然に溶け込むような恍惚とした喜びを感じたことにありました。
大地を素足で歩くことで 眠っていた生命力が蘇るような快感を覚え
焚火で焼いた食べ物の美味しさに驚いたりもしました。
朝靄の中 ヒグラシの鳴き声を合図に始まる小鳥たちの合唱や
夜露が朝日の陽の光りを受けて七色に輝く世界に身を置くと
朝と共に 自分自身も新しく生まれ変わったような
新鮮な気持ちにもなれました。
ユサバリ生活 一年に最低三日間くらいはしてみたいものです。

焼尻紋次郎 - 2002/07/14(日) 11:40<

サンカのテント、ユサバリの語源    

 ミナシャァ〜〜ン やっとかめ。流れを止めるようで申し訳ないです。
 
 サンカの「ゆさばり」の語源について、途中報告をしようと思います。
 が、そのまえに前提事項が三つ四つあります。

※ 嬉野温泉は広島県三次(みよし)市から出雲へ峠をこえたところにもあります。
 「も、あります」といったのは、嬉野で有名なのが佐賀県の嬉野温泉だからです。
  三重県の小字にもウレシノがあります。
  このウレシノの語源を追いかけ廻したとき、朝鮮語方面にたしか「SIN =休む」
 があったと記憶しているのですが、調べなおしたところ??なんです。
 アイヌ語には SINI (休む)があります。
 ついで……;URE は極東語の“手足”です。
 
※ 神奈川県山奥に、渓流へ張り出した岩場に「ユーシン小屋」があります。「ゆ」
 はアイヌ語でも温泉となっています。その前、すなわちアイヌ語へ流入する前は、
 やはり「休む」という意味だったと思われます。

※ 沖縄に顕著に残っている「○○サ」という造語法があります。日本語のカラス、
 ウグイスの「SU(鳥)」は、朝鮮語では S ae (シャに近い音)です。
  沖縄には石スーサーという鳥がいます。石の上にちょんと乗って鳴く鳥という意
 味です。
  屋根の上に乗って、やってくる悪魔に睨みをきかしているのかシーサーです。
 これは「シシとシムハ系のライオン」がいちどに入ってきたために、「シ‥‥そう
 いうもの」の造語です。
  ネパール語のたけのこは TUSA です。この TU がアイヌ語の CHUCHU(芽)や日
 本語のツワリの TU です。ついで; WAR も芽が出るという古代日本語です。

 さて、本題‥‥。
 Юrt は遊牧民のテントです。「イュルツ」に似た発音です。Ю と r の間には母音が
 ありません。日本人には発音できないので「ユサ」と言い直したのでしょう。
 ユサバリの「バリ」は「張る」と考えられていたかもしれませんが、起源はこれも
 テントです。それはネパール語 PAL(テント)に残っていました。

 出雲にはまず、沖縄系の人びとがやってきました。
 そこへタジク語系の高文化が入ってきました。出雲の古い神のそほど(風神)、ぐ
く(蛙)、スクナ(住まいの神)はタジク語に残っています。
 出雲帝国は琵琶湖、近畿地方を大和に禅譲しましたが、まだまだ巨大勢力が XO の國
に残っていました。その後、ネパール語、パーリ語系勢力に冒されることのないタジ
ク語系勢力が。おもに栃木県方面に侵出しています。

 ところでミナシャン、津和野という地名のひびきに猛烈なノスタルジーを感じませ
ん? とにかく、あっしには日本一のいい名前に思えます。それがまた、日本一の芽
でたい名前だったんですねぇ。
 ナニもなくても、宣伝しなくても、観光客は津和野にあつまります。

 はじめての発表ですので、おらの掲示板 http://www.you-i.org にも載っけさせてください。
 『ユー・アイ掲示板』は三日前に復活。こんご 語源をいっぱいだします。

ヤゾー - 2002/07/13(土) 12:31<

どっひゃ〜

みなさん こんにちわ

おりょうさん 「ミミズにおしっこかけたら腫れる」の因果関係について
ミミズのいるようなところにはバイ菌が多く
そういうところでおチンチンを触ると腫れることがあったからと
下等生物に対しても思いやりを持たすために
そういう迷信が生まれたのだと聞いたことがあります。

山小屋に暮すようになってから いろんな生き物と接してきて思うのですが
一寸の虫にも五分の魂という言葉は本当なのだと痛感することがあります。
アリと僕との戦いは 正にパレスチナ問題化してきており
こちらが圧倒的な力で制圧しようとしても ゲリラ的に出没して捨て身で噛みつかれます。
当初 アリが這っていても気にせず殺すこともありませんでした。
しかし 友達にアリがパソコン内に入ったら壊れることもあると脅されてからは
見付けたら殺すようになり それから頻繁に噛まれるようになった気がします。
つい最近 アリの巣を見付けたので毒ガス攻撃で全滅させてやりました。
それからというものはアリが這っていないのに妙に体がムズムズすることがあります。
アリの祟りかも知れません。
平和共存の道を模索中です。

tuyaさん 山小屋に出没するタヌキは気の良さそうなおバカな顔してますが
タヌキによっては なかなか狡猾で妖気漂う顔をしたのがいます。
そういうのをむやみに驚かすと化かされるかも知れません。
80歳以上のお年寄りの中には 
タヌキに化かされたことがあると話す人が結構います。
僕も化かされてみたいです。

ヤナさん そうです 写真は小石の鼻です。
昨日 釣りバカに誘われて釣りに行ってきましたが
まだうねりが残っていて 危うく土左衛門になるところでした。
早めに切り上げて白浜の牟呂の湯へ行ってきましたが
がらがらでゆっくりと入れて気持ち良かったです。
この辺りの公共温泉には珍しく夜11時までやっていますので
釣りの後に少し足を伸ばして行ってみて下さい。
釣りの後の温泉はまた格別に気持ちが良いですよ。

ya(・ε^)na - 2002/07/13(土) 00:26<

ねえねえ・・

ねえねえ・・ヤゾー・・台風のうみって小石の鼻なんやろかいねえ・・
 なんやそんな風にみえるんやけど!!
 以前もおんなじ、場所の写真やったけども・・なんや墨絵みたいでした
    あの場所からの水墨画ええのんちゃいますか!!??
  ヤナ大好きです・・荒れた海って!!

おりょう - 2002/07/12(金) 19:44<

下につづく

何回も書きこんですみません。遠慮しようと思いながらついついですねん。
宮本さんの「わすれられた日本人」何年か前に全部読んでましたが、内容ほとんど忘れてました。今、記憶が蘇りつつあります。「ミミズ」の話しも、子供の頃から不思議に思っていましたので興味深く読んだのを
すっかり忘れてました。その時も「ミミズにおしっこかけたら腫れる」ことの因果関係の謎が解けないまま
でした。で、最近、また「螻蛄」の話しから思いだしまして、これが事実と言うことがとても不思議で、どなたか解明していただけませんか?でないとこれからも悩まないといけませんので。
この「・・・・・・日本人」土佐源氏の檮原村のこととか、内容が興味深い事ばかりなのに、何で忘れるのだろうか。もう一回読みなおしてみようっと。

tuya - 2002/07/12(金) 19:27<

タヌキ

おりょうさん>タヌキの死んだふり、一度見てみたいです。驚かすやり方は、何か考えたら思いつきそうですが、木にのぼらせるにはどうしたらいいのでしょう?やはり、おだててみるべきかな〜♪

とんちゃん>「徳川・・・」読んでみます。おもしろそう。「成吉思汗の秘密」も読んでみてね。これもハマります。

おりょう - 2002/07/12(金) 15:13<

宮本さんと豆狸とミミズ

あはは・・・ヤゾーさん、今、本探し出してきました。「ミミズ」と「マメダヌキ」の話し、のってました。ミミズ」の迷信話しは全国的にあるものなんでしょうか。迷信じゃなく、これ、前にも書きこみしましたが事実です。近所のビクは、畑などなかったから、泥溝におしっこをして腫らしたと言ってました。
それから、この本で、宮本さんも、夜になるとジージーないているのは「ミミズ」と思っていたらしい。私も所の「螻蛄「の番組見るまで、ずーと「ミミズ」が鳴いてると思ってました。りっぱな民俗学者と同じ事を考えてたんで、なんだか幸せ。
この本、途中までしか読んでなかったみたい。
狸は吃驚すると死んだ振りをするし、木にもよくのぼるんだそうです。実際に見た事ありますか?
昔は、フイゴの革にされていたそうです。

やなさん、サンカにはまりこんで30年ですか。超ベテランのサンカマニヤだったんですね。
今となっては貴重な葉書ですね。ずーと残しておいてください。

ヤゾー - 2002/07/12(金) 10:45<

マメダと『忘れられた日本人』

みなさん こんにちわ
朝から暑いです。
セミが五月蝿いほど鳴いてます。

台風の影響で雨が続いた数日間というものは 
タヌキは穴の中にでもすっこんでいたのか姿を見せませんでした。
それで少しは心配していたのですが
台風が過ぎ去った日の夕方に まるで濡れ鼠のような惨めな姿で
のそ〜と ボケたような顔して三匹のタヌキが現れました。
濡れて一回り小さく見え なんだか惨めで 
あまりにも情けなそうなアホ顔していたので
思わず  アハハハ マメダだ! マメダだ! 
という言葉が口をついて出ました。

あれっ マメダって何の本で読んだんだっけ?
ということで宮本常一さんの『忘れられた日本人』とうい本の中で
祖父の思い出を語るところに書いてあったのを思い出しました。
「マメダというのは豆狸のことである。マメダは愛嬌のあるもので、
悪い悪戯はしないし、人間が山で寂しがっていると出てきて友達になってくれるものだと教えてくれた。」
という文書を記憶していて飛び出した言葉だったのかも知れません。

他に黒犬や亀との心暖まるエピソードや 
おチンチンが腫れたときなどには
祖父から「ミミズに小便をしたな」といわれ
ミミズを畑から掘り出してきて 
丁寧に洗って元に戻すことを教えられた話しなどがありました。

「こういう人たちは 一般の動物にも人間と同じような気持ちでむかいあっており、
その気持ちがわれわれにも伝えられてきたのである」 という言葉が
その時代の 心の豊かさというか 心の余裕を感じさせました。
と書きながらも 体に這い上がってくる蟻を
せっせとひねり潰しているのでした。

とんちんかん小僧 - 2002/07/11(木) 14:52<

ようやく

気持ちの整理が終わりました。明日、戻ります。混乱させてスミマセンでした。 話変わりますが、八切さんの作品社から刊行されている『徳川家康は二人だった』購入して読んでいるところです。強烈すぎて言葉に出して表現するのが難しいけど頭を柔軟にして読めば、これ程ハマれる本ないのでは!ってな内容なので皆さん読んで下さい。

ヤゾ− - 2002/07/11(木) 09:00<

台風一過

みなさん おはようございます

目にしみるような雲ひとつない青空です。

ヤナさん 台風で山小屋が傾くという怖い目に遭ってからというものは
台風が来ると憂鬱になったりするのですが
それでもワクワクしながら海を見に行ったりしてしまいます。(^-^;)

遅ればせながら 画像掲示板の写真見ましたよ。
三角寛のサンカ本を注文したときの母念寺からのハガキなんて
筋金入りのサンカファンですね。

ふぁるさん 何ごとも決めつけはよくありませんねぇ。(^^)/~~~
今後 蜜柑さんたち研究家の努力により
いろんなことが明らかになろうとしていると感じています。

さっ 布団を干しましょう!

ふぁる - 2002/07/11(木) 00:14<

矯正

すっごく前の意見へのレス。
サンカって、社会を形成する能力がない(あるいは維持できないから放棄して逃げた)から、
権力を持つ機構なんぞを組織する力なんてまったく無かったのにさぁ、なんか、へんな幻想とか
勘違いなのかなぁ。
結構、うんざりするよね。あの「朝日ジャーナル」ねた。

やな - 2002/07/10(水) 22:59<

だーーーいすき

ヤゾー・・不謹慎なヤナをお許しください
 なんや・・強い風とか嵐とか聞くと・なんや・・わくわくするんですよう
風の王国の写真見てもなんやワクワクするやなです・・
 なんや・・絵になるしゃしんですねえ・・

    不謹慎のやなでした

ヤゾー - 2002/07/09(火) 19:35<

台風です

みなさん こんばんわ

turukot(-,.-)さん こちらでも思ったほど水に恵まれていません。
こちらに暮らし始めたころは沢水を塩ビのホースで引いてきたものを飲んでいました。
大雨が降ったときなどは少し濁ったりしましたが、
とても美味しい水でした。
でも沢水の水量が減ったとのことで、
川の伏流水を貯水タンクにポンブアップした簡易水道となりました。
その水も水質が悪くなったとのことで、
本格的にボーリングし、より深い伏流水から水を引いてきて、
その水を濾過装置に通したものを飲んでいます。
でも 都会の水よりは少しだけ美味しいです。

台風が来てますねぇ。
ここのところ こちらでは沢山雨が降りました。
そのうえに まだ300ミリも降るそうです。
今も激しい雨が降ってます。
昭和28年ころ 紀伊半島では大水害がありました。
丁度 7月の今ごろだと聞いています。
爺さんに聞いた話では 上流から牛や馬が沢山流れてきたそうです。
流れてきた家の屋根に人が掴まっていたのも見たそうです。
僕も流されないように何処かへ避難することを考えとこ。

*(*。。*)*ongly - 2002/07/09(火) 12:29<

やってやりまくれ

前向きなとんちんかん小僧さん
 事情は良く分かりません。一度始めた事はやはり最後までやっ
た方がよいと思います。人間の一生は一回限りで次に生まれて来
る時は、仏教(全く信じていませんが)では虫とか蝿とかだそう
です。生きてるという事は何か他人がしない違うよい事に、しか
も他人のためにもなる事に、典型的には野史のように現在は忌
み嫌われても後世の人が泣いて喜ぶ事に、うちこむ事だと思い
ます。そのような事を全く考えない方も多いです。
 ただ常に巧く行くように実行すべきですが、すべしとは私は
言いません。成功(字が違います)によって人は生まれますが、
失敗によってのみ人は人らしくなりますので、1)失敗の経験
が多くあり、2)それから学び、3)人生の教訓にする事が肝要
でしょう。いくら頭が良くても悩みの無い人は全く成長しない人
です。全くこれが出来ない人を精神障害のパターンに入るようで
す。例外もあり、私は2)3)が出来ず1)の多さが自慢です。
 また自分でやり始めたらある地平までは全うしようではあり
ませんか。自己決定と自己責任の履行が貴方能力を引出します。
 ここで失速すれば一時的な自己崩壊です。再び体制を構築し
新たな課題に挑戦する馬力が出せそうなら、安心して自己崩壊
して下さい。若いから潰れてもまたやれます。

turukot(-,.-) - 2002/07/09(火) 03:11<

なるほどなるほど。。。

NONさん、遅れ馳せながら玄米炊きのご教示ありがとうございます。
土鍋ですか。。。実は私に玄米食を勧めてくださった食養カウンセラーの
方が大学時代に実践されていたとかで土鍋で炊いておられたそうです。
NONさん式だと火元を離れにくそうですね。私の様式はズボラなヒトか多忙な
ヒト向けです。また、私の炊き方の味は私にとってはそこそこ旨い(だから続く)
って程度です。

ところで、有機玄米、金属鍋不使用などなど→身体のため ということですが、
水も、肝心かなめですよねぇ。ヤゾーさんのところは良質の水が手にはいるのでしょうけど、都市では
至難で大き目の浄水機のお世話が必要でしょうか。
身体にいい食材・食生活を構築するのはホント難しい!(ほとんど欺瞞 苦笑)

さて、とんちんかんさん、逃避を動機に行動するとそれ自体がご自身の足かせに
なってしまうように感じます。事情を理解していない野郎が僭越ですが、tuyaさんの
全くおっしゃられるとおり、耐えることで前進しますし、何か学びますよ。まさに
自信も得られますよね。
あと「状況」とご自身の「心理」は密接にかかわっていることも頭の片隅に置かれ
てみてはいかがでしょうか。「状況」を創造するのは自分自身 とは聞きますが、
至言です。ご自身の心構えが変われば状況もきっと変わりますよ。

とんちんかん小僧 - 2002/07/09(火) 02:04<

皆さん、ごめんなさい。

・・子供みたいにダダこねてしまってゴメンなさい。

明日、寺の方へ勇気を出して戻ります。

ヤゾーさん、あおきさん、Tuyaさん、おりょうさん、ヤナさん励ましのメール

ありがとうございました。

ya(・ε^)na - 2002/07/08(月) 22:37<

んんんん・・

男にとって!!・・大切なこと
 信念を持つこと!
今は、出たのなら・・じっくり考えてみるのもええのんかもしれませんねぇ
今後、自分の進む道に、本当に必要だと考えて入った世界なら・・なおのこと!!
 ここは、思案やろねえ・・
  高ーーーぃところに上がって・・広い世界みてみてください
   うごめく人間たち・・
    どんなに偉い人かて、所詮人間です・・
      そんなもんです・・すごいとおもたり
     なんや、ショウモナ!!
なんて・・おもたりね!!!

      とんちゃん・・ファイト

          いろいろ考えたり、喜んだり悲しんだり・・人生いろいろやね

     いつでも、応援してますよ

ヤゾ− - 2002/07/08(月) 22:00<

成吉思汗の秘密

みなさん こんばんわ

高木彬光著 『成吉思汗の秘密』面白いです。お薦めです。
これを読むと成吉思汗が義経であったとしか思えないくらいよく書けてます。
小説の域を超えた説得力を感じました。
義経サンカ説を加味して読むともっと面白いかも知れません。
文庫本で出ていますので読んでみて下さい。

つや@母性<父性 - 2002/07/08(月) 19:18<

負けるな!とんちゃん

説教くさいけど、ひとまわり上のおばちゃんより言わせてもらいます。
最初から自信のある人はいない。人は皆、迷いのうちにスタートし、やりぬいた後に自信を手に入れます。自信のある人とは、成功体験を重ねた人のことです。
クソみたいな場所でも(言葉汚くてごめんね)、区切りがつくまでやり抜くことで、自信がつきます。そうすれば、今よりよい場所に移動することができます。
今やめれば、必ずこの次は、今よりひどい場所に移って行くことになるでしょう。
今経験していることは、経験する必要のあることなんだと思います。
闇を知らずに、光の値打ちはわからない。
人間の汚い部分を見てはじめて、美しく生きることがいかに尊いかを学びます。
だから、とんちゃんは今、すでに前より前進してるんです。わかりますか?前より進んだ位置にいるんです。さらに前へ進んだら、いろんなものが見えるし手に入る。
負けるな、とんちゃん!
地獄も見ないで、人生を語るな!

おりょう - 2002/07/08(月) 17:07<

とんちんかん小僧さん

頭冷やしてゆっくり落ちついて冷静に考えてね。

折角、今まで頑張ってきたんだから、2、3日ゆっくり休んで気合を入れなおして

乗り切っていってほしい。

とんちんかん小僧 - 2002/07/08(月) 15:57<

現在、京都駅前にいます。

・・・いわゆる、インターネット・カフェってところにいます。

初めて入りました。何故この時間にいるのか不思議に思う人もいることでしょう。

凧の糸がとうとう切れてしまいました。情けないけど、そういうことです。

暫く、何処かにいるつもりです。

ここにもまたサンカできればいいけど・・・。

人間関係って本っ当に難しいなあ。

でも、これを乗り切らないと成長しないと頭では判っていても、あそこの世界には・・

もう戻るの○○だなあ。でも解決にはナラナイし・・。

今、心も脳味噌もパニック状態です。もうリセットするしかないのかなあ・・。

おユキ - 2002/07/08(月) 12:56<

七夕馬

お年寄りから聞いた話しです。
旧暦の7月7日の七夕の日に草で馬を作り、
それを子供が曳くという風習があったそうです。
そのことを七夕馬と呼んでいたそうです。


△うぶ <http://homepage2.nifty.com/dento-geino/index.html> - 2002/07/08(月) 03:17<

外へ

涼しい所での読書もいいですが、夏こそ、「祭り」です。肌で直に民俗を学び感じたい。
(http://homepage2.nifty.com/dento-geino/index.html)ここに全国伝統芸能および行事が
有ります。サンカするなり、参加するなり、傘下するなり、惨禍するなり、しましょう、
テキヤ(香具師)の兄ちゃんも待っています。
ちなみに私、去年は盆踊りシリーズでしたが、今年は伝統芸能民俗シリーズで行く積もりです。

*(@。。@)*ngly - 2002/07/07(日) 21:52<

信州、佐久の鯉太郎

あおきさん
 ご存知でしょうか。橋幸夫のこの歌。
 続きは「とてもうぬら(お前ら)の腕じゃ無理(わいに
かなうまい)」。なぜなら、わいは首切り役人で毎日慣れ
ておるからじゃわい?
 佐久=古代は柵=中世は木戸=江戸期は番所か関所と
みればその下級役人(帳外かも)で刀(正確にはドスです)
を勝手に振り回すことのできる賤民と、予想できます。
 上州赤城山の国定忠治も国定=国(藩)が定めた(指定
した定雇いの)忠治(使い走り)と読めば、ヤクザの素性
が分ります。義理人情が絡めば許された時代もありました。
しがらみの語源は柵(しがらみ)でしょうか?。
 己斐は川の側の山に食いこんだ沢地形。康牛新開という
開拓地も広いです。東外れの山上には朝鮮人学校や墓場、
それにノートルダム清心女学園までありますから、
連想はお出来でしょう。

ヤゾ− - 2002/07/07(日) 20:55<

七夕はいつも曇り空

みなさん こんばんわ

こちらでは朝からずっと土砂降りの雨でした。
夜になって雨は上がりましたが 曇り空で お星さまキラキラは見られません。
小さいころにはよく竹を切ってきては願い事を短冊に書いて結び付けたりしましたが
七夕の日は曇り空の方が多くてがっかりした思い出があります。

星神神社は外部の人がお参りすることはないようでした。
野史研究会で星神神社などを見学してから
天の川を眺めながら河原の温泉に浸かるというのも楽しいかも知れませんね。

とんちんかん小僧 - 2002/07/07(日) 20:38<

今年は晴れましたね

皆さん、こんばんわ。 今日は七夕の日。短冊に願い事を書きました?僕は、上がり症が少しでも改善できるように書きました。織り姫と彦星さんも無事に会えてよかったなあ〜 (^_^)v

おりょう - 2002/07/07(日) 19:21<

七夕

星神神社みました。崖作りのようになっていて、樹木が鬱蒼とし隠れ里にふさわしいような雰囲気ですね。
ひっそりしていて、立て札もないのは氏子以外御参りする人もいないからでしょうか?

七夕というのは、今のような、星祭とはちがって、7月にはいると「盆うち朔日」という言葉があって、庶民にはロマンチックな話しとは縁が遠く、お盆の準備に朔日からかかるということだそうです。7月15日の先祖祭りを前にして7日の日は、水浴びを7回して、お盆を前にして子孫のもの達が身を潔める日、水神
様を祭りながら水の清めを受ける、そういう日だそうです。水神の精霊は河童で、その供え物は胡瓜だそうです。知識人の行事と庶民の行事とはズレがあったということらしいです。

あおき - 2002/07/07(日) 09:58<

己斐と言えば

己斐峠とか結構怪しい雰囲気ですよね 市内でわりと街に近いのに道路とか結構整備されてないし
市営住宅とかたくさんあるし あの辺はどんな所なのか教えてください*(-..-)*ngly さん

*(-..-)*ngly - 2002/07/07(日) 01:01<

寝ようと思ったが

 研究会用の資料準備で夜更かし。
 おりょうさん
 「天の古代史研究」は見ました。具体的には何なのかです。
 どこからか売られてくるのか、それとも自ら売りにでるのか?
 東北出身の物書によりますと、東北型と瀬戸内型とかいいます。
 でも気をつけたいのは「恋」と「愛」。
  恋ケ浦、恋ケ浜、恋ケ窪、皆カイト地名だという説がありま
 す。私は確認していません。もちろん鯉も己斐も、よい意味は
 ありません。あてずっぽーで言えば、乞いに通じるからかも。

おりょう - 2002/07/07(日) 00:43<

今夜は夜更かし

やなさん生駒って生駒山しかしらないんですけど・・・そんな街の雰囲気ですか? 生駒の街は。
いこまいか〜〜♪♪
照る照る坊主ぶらさげてね。

*(-..-)*onglyさん 八切さんの「天の古代史研究」にのってた。コピーしてお送りしましょうか?
生駒は悲しいおんなまち・・・という演歌があるらしいんです。「垣内」の話題から思い出したもので、つい書いてしまいましたよん。

三角寛原稿「探訪秘聞 秘毛録」ペン、60枚完。毛研究家の怪事件。封筒付き 戦前 4万円
ちょうと変った本がのってました。

ya(・ε^)na - 2002/07/06(土) 23:46<

生駒は、悲しいおんなまち・・ん!

おりょうさん、んんんん・・なんや・・ふむふむ
 ヤナわかりましたヨン・・♪♪♪

どないなってるん・・ほんま!!
  週末ばっかり・・なんで天気悪いねん!!
    また今夜も・・とほほほですがな・・

早起きして、晴れとったら・・ちょこっとだけ
  行きますね・・

  釣りのことですヨン!!

*(-..-)*ongly - 2002/07/06(土) 21:46<

すみません訂正します

やなぎむしさん
 訂正します。池田末則氏『地名の研究』は間違いで、新人物往来社
 『古代地名発掘』昭和53年発行。古本屋で見かけた事もあります。
 ヤゾーさん
 いいですね、熊野。夜の露天風呂、最高!!お姉・お嬢さん達にお願い
 しておきます。何年か前に、研究会で、那智・本宮・巌や・下北山村・
 丹生大社とか、サンカ禊場に見学に行きました。禊場付近で聞いた家も
 その筋のようでしたよ。丹生大社と言っても完全に鉱山事務所の印象。
 一番ショックだったのは、修験の本拠=熊野本宮=別所の本山を自分の
 目で確かめた事です。
 △うぶさん・おりょうさん
 〇〇ですか。何か分るようでわかりません。今でも何かあるのですか。
 今はなくてもかつて何かあった事が確認できれば、満足ですが。
 いろいろ ご都合もあろうかと思います。チャンスがあればよろしく
 お願いします。
 

おりょう - 2002/07/06(土) 21:16<

とっておきの話し

△うぶ さん お答えいただいて有り難うございました。

竹田高校の鳥飼先生って、以前、蜜柑さんのメールで(メールコーナ)紹介されていたように 覚えていますが、ちがったかな。

バリ師さんの文章に爆笑。

ヤゾーさん *(@。。@)*ngly さん 夏休みは、みんなで集まって「サンカ対談・とっておきの話」をしてそれを小雑誌にしてください。皆でカンパして、どうでしょうか。
サンカマニヤのベテラン揃いばかりだから、面白い話しがいっぱい飛び出しそうな気がします。

私の職場で、昔、池袋の人世坐で勤めていたという女性がいたんです。70歳ぐらいの女性です。
私は有頂天になり、これは「とっておきの話しが聞けるぞー」と、この時ばかりは(^o^)が輝きました。
私   ね、ね、で、で三浦社長(三角寛)ってどんな人だったの?
女性  20歳ぐらいの時に半年ぐらいしか勤めなかったからよく知らないのよ。いつも着物を着ていて
    スラーとした人だったわよー。お給料良かったのよー
私   で、その三浦社長、サンカ小説書いてたの知ってる?
女性  えっ!サンカって何??
これだけの話しなんですが、いつもこの「えっ!サンカって何??」と、いつも吃驚して聞き返してくる
人の顔の表情が、なんだか似通ってるのです。

東京は蒸し暑い一日でした。

ヤゾ− - 2002/07/06(土) 18:00<

ゲストハウスと昼寝

みなさん こんばんわ

山小屋の向かいの山に卯友人の別荘があります。
その別荘はもう何年も使っていなかったので かなり荒れているのですが
手入れして管理する代わりに使わせて貰うことになりました。
それで休日に 持主や友達を呼んで作業することにしました。
お盆くらいには使えそうになりそうです。
ロケーションは最高で 朝早くには雲海が目の前に広がり
遠くからも写真を撮りに訪れるほどです。
寝袋を持参すれば7〜8人は泊まることができますので
利用したい人は遠慮なく言って下さい。
Donglyさん 次回 野史研究会は熊野地方というのはどうでしょう。
蜜柑さん オフ会をして夜中にみんなで河原の温泉へ行くというのはどうでしょう。 

昼寝をしたら夢をみました。
パンツ一丁で川遊びをしてたら気持ちよく海まで流されてしまうのです。
海からパンツ一丁で電車に乗って戻ろうとするのですが
よく考えたら住んでいるところには電車なんて走ってません。
それで電車の中で降ろして下さいと叫ぶのでした。
気持ち良いやら恥ずかしいやら変な夢でした。

△うぶ - 2002/07/06(土) 01:27<

>生駒にはそのような伝承があるのでしょうか?
*(@。。@)*ngly さん、伝承ではなくて○○ですよ。
おりょうさん、先に言ってしまって申し訳ない!。
ヤゾーさんも、如何ですか?

ya(・ε^)na - 2002/07/06(土) 00:27<

おーーーんぶらざーーぁ・・

天はわれを見離したか・・ぁ
  おおおおお・・なんと悲しいことや・また
またもや、週末・・とほほほほほほ・・
   天気悪そう!
・・
  午前中・・友より通達あり・・
  ヤナさん・・はははははは・・ウネリがあって・・海あれてるよん・・って!!!
      今運転ちゅうやから・・ほなね・・やてーーーぇ

     ううううううう・・悲しい・・淋しい・・とほほほほほ


      山の神さん・・なんで天気悪いのん??

      ひょっとしたら・・オコゼおるかもしれへんのに!!



    淋しいーーーーーーぃ・・
                       やなでした

蜜柑 - 2002/07/05(金) 23:26<

そこです

引用のやり方教えてください

もんむー <http://www2u.biglobe.ne.jp/~thropus/note23.htm> - 2002/07/05(金) 22:10<

ここですか

ここですか?

通行人 - 2002/07/05(金) 20:21<

引用するなら

すぐ下の蜜柑さん、せめて引用元ウェブサイトのアドレスくらいは書かなきゃまずいですね。

蜜柑 - 2002/07/05(金) 20:00<

こんな書き込み発見

グーグルで「山窩 発見」で検索したら



いまからちょうど四半世紀前、1977年の春、私を含め数名の学生で続けてきた大野川流域の遺跡分布調査でたまたまこの地を訪れたのでした。本来の目的は当時まだ十分明らかでなかった大野川流域の旧石器時代遺跡を確認し、そのカタログ作成と遺跡分布と火山灰層の関係を明らかにすることなどでした。この流域は本当に遺跡の宝庫で、丘陵上の畑地などを少し歩くだけで必ず数カ所の遺跡を発見することが出来ました。若いエネルギーで一日中歩き回り、ひたすら遺物をみつけ、観察・記録することを続けました。また、地元の方から昔話や土地土地にまつわる開発話や伝説などを聞く楽しみもありました。今回はその過程にあった幾つかのエピソードのうちひとつです。

 さて、ようやく霜が解け始めた頃、私達は野宿も出来るような荷物をリックに詰め込み、吉野のとあるバス停から歩き始めました。
 ある農家の畑まで来ると、麦藁帽子を被った農夫がこう言いました
 「おや、さっきのサンカがまた戻って来たのかと思ったよ。」
 聞くと、「サンカ」と呼ばれる人々が先ほどまで竹細工のカゴなど背負い行商にきていたとのことでした。
 振り返って自分達をみると、お世辞にもきれいと言えない服装、長靴姿で、リックや寝袋を山のように背負い、表面採集用のビニール袋をもった怪しげな一団でした。

 しかし、その農夫の言葉に、私は浮遊感を伴いしばし愕然としました。
 「サンカ」って…。
 そう、サンカとは「山窩」と書き、戦前まで日本の山中に住み遊動生活をおくっていたといわれる人々のことです。主に戦前活躍した大分県竹田市出身の作家三角寛氏の著作や論文などで広く知られるようになりました。私の好きな藤森栄一氏の著作にも登場しますし、柳田國男氏の山の民と重複して自分かってにイメージしていたものです。十数年前に「瀬振り物語」という映画が上映され、萩原健一扮するサンカが風のように山中を移動するのが印象的に描かれていました。

 しかし、その実在や歴史性、性格には不確定要素も多く、民俗学的には疑問視する見解も多くあります。大分県では昨年逝去された竹田高校の鳥飼先生が聞き取りや追跡調査をされたことがあると聞いていました(これは近年著作集に含まれ刊行されました)。

 でも、こうした話は既になにもかも過去の産物だと思っていたのです。
 それが、ついさっきまでここに居たという事実に私は仰天しました。でもこれなら近いうちにめぐり合うことができそうという想いもふつふつと湧き上がりました。遭ったら、聞きたいことや確かめたいことがたくさんあったのです。
 ところが、それから数年間大野川流域を歩きましたが、二度と彼らと遭遇することもなく、彼らの話を聞くことすらありませんでした。
 あれは、幻だったのでしょうか。
 実は「サンカ」なる集団ではなく、小売の行商人を農夫がそう呼んだのかも知れません。あるいは、先の農夫がかつて三角寛の大ファンであって、そう言う言葉を使ったたのかもしれません。何れも今となっては確かめようがないことです。
 ただ、九州山地から臼杵−八代構造線に沿った祖母傾山系の険しい山並みの山麓にある、小さな集落で聞いた「サンカ」という言葉が、ごく日常的に用いられていたことに、驚きと微かなめまいを感じたことを今でも鮮明に思い出します。(2002.2.25)

*(@。。@)*ngly - 2002/07/05(金) 11:21<

貝ばかりで甲斐の国

やなさん カイトはどこにでもありますが、「何も分ってない地名」みた
いです。カイトは垣内・垣外・垣戸が多いですが、漢字の母国中国でも垣
の字は故あって使いません。広島市外の海田は昔垣田と記し、中心は東海田
で、三迫や焼場何ケ所かあり(だから六地蔵もある)、古文書なくてもほぼ
確定的です。古文書があったとしてら偽りを書いているでしょう。
 江戸時代に海渡をウトと呼ばせて世間を欺こうとした地方があります
が、古文書によれば郡役所は漢字は変えず読みだけを認めたようです。
 これに女性の秘部用のカーテン布を作れば、会社名のエトワール××
になります(昔セクハラで名をなしたのも歴史的背景があるのかも)。
松山市繁華街の大街道は明治時代につけられたもので古代からの為政者の
執念を感じます。大街道を見て「何という酷い地名!」と京都から来住し
た年配の女性はことるごとに言ってたそうです。
 カイトにどのような人が住んでたか?
 八ケ岳にサンカの多かった山があるのに山梨の明治時代「甲斐」が分り
やすいです。貝は蜆や蛤のように女性秘部の隠語と掛詞になってる場合
もあります。カイがつけばカイトの代用もあるようです。
 そのような方が人知れず牡蠣(貝)ばかり食べててたのが東京日本橋
蠣殻町と八切止夫が菊池山哉説を紹介しています。
 おりょうさん
 虚空蔵の使い・鰻はサンカ関連のようです。
 生駒にはそのような伝承があるのでしょうか?
ヤゾーさん
 どんどん臼切り女の写真も入れて下さい。
 

ヤゾ− - 2002/07/05(金) 07:59<

隠れ里探訪☆星神神社の写真

みなさん おっはようございます

星神神社 熊野ライフ通信にてページにしています。

ya(・ε^)na - 2002/07/05(金) 07:53<

おっは・・ぁ

donglyさん、ふーーーん・・そおなんや!おおきに、勉強になりました

おりょう - 2002/07/05(金) 06:22<

おっは

生駒は悲しい女街・・・・だって

△うぶ - 2002/07/05(金) 02:11<

垣内便乗

みなさん、こんにちわ。
つい、最近知った事ですが「〜街道(かいどう)町」も垣内地名だそうです。驚いて
目から火花が出ました。   そうすると、北海道も「北の垣内」!?!?。
日本漢字で「北」が付けば東北系(出身者)に間違い無いらしいです。

<↓>なになに!、イアン用女性収容と!?、、、、、、(行かねば!)。
   生駒は蘇我の末裔女性がムニャムニャ。

*(@..@)*ngly - 2002/07/05(金) 00:59<

おーカイト(大垣)

やなぎむしさん
地名研究所の池田末則氏『地名の研究』?に奈良県にはカイト地名は数万
もあるそうです。「カイトを解明しなければ日本は分らぬ」から池田君「
君が研究して」と柳田国男氏から命令されたようです。奈良では村落の意味
に「堕落してる」ようですが、柳田先生はお上品にも「有力者の支配した土
地」のたまうてます。柳田先生だから許されるのでしょう、私などが主張し
たら「歴史上有力者が支配しない土地があったろうか!このばか者!」と非難
罵倒されるでしょう。また八切止夫氏は群馬の貝戸は慰安用に別所の女性を
収容した地とも言います。古代近畿の生駒と同じ意味の地名とか。生駒は生
きた駒(馬・高麗?)系の慰安用女の隔離地とか。
 貝・海・会・回・改・飼・買・垣・柿・掻はカイで、トには内・外・戸
・渡・度が使われてるみたい。野史研究誌は非文献的方法でカイトが何で
あるかを分析しています。この結論はまず間違いないでしょう。
 そう柿本人麿は世界初の人間宣言?柿の下にいる賤民(又は柿の賤しい
番人)だが、麿(男の私)は人だと、解釈(人麿の暗号)しています。
 名(ミョウ)は荘園の土地制度からの場合と「別所」関連からの面があり
うるようです。どんな字を使ってもミョウガは別所です。東京の御茶ノ水
女子大のある所も茗荷谷です。茗荷がいっぱい生えてたのでしょうか?
 ショウガも別所です。なぜならショウガない奴らだと言わせたのです。
 そういえば私、茗荷も生姜も大好きの別所者末裔でしょうか。
 

バリ師 - 2002/07/05(金) 00:19<

クマゼミ

■ヤナさんとこ、もうクマゼミが鳴き始めましたか。子どもらは、去年の古い釣り竿を使こたセミ獲り網を修理してスタンバイしとんですが、姫路はまだですな。

私が子どもの頃はアブラゼミとニイニイゼミがたんとおりました。大きなクマゼミは珍しく、「ガーマ」と呼んでおりました。今、子どもらが公園で捕まえてくるんは、ほとんどクマゼミばっかです。何でなんやろなあ?

■いよいよ暑い夏。遠山川のとある釣り師にお聞きした話。

『寒狭川の辺に生まれた父から聞いたこんな話を思い出しました。昔、知恵おくれの青年がこんな詩?をうたったとか。「夏は暑いし チンボは臭い 川にはポンスが立っている」』 

今年の夏はこの詩を口ずさみながら渓流釣りをしたろと思とります。ほんま、ええ詩ですな。

やなぎむし - 2002/07/04(木) 23:44<

tamakinn

へへへへへ・・やなです
以前にもカキコしたことおましたんやけど
垣内について!!
もお20年以上も前の話しやけど・・奈良の名張の山に登った時の話です
奥河内・のなんやゆうたかねえ
そや!!!、曽爾高原・・後光山と倶留尊山やったかいねえ・そのときの地名が垣内(かきうち)やとおもとったんですよぅ
その後、知り合った人の名前が・・大垣内・・ヤナはオオカキウチさんって呼ぶと・・
  いいえ・・オオガイトなんですよ・・って言われました
垣内は、ガイトって読むんやね!!
 そうして、地図みてみたら・・あれれれれ・・なんやよーけおますがな・・
垣内地名・・オオガイト・ハガイト・ミョウガイト・・奈良県にはなんやよーけおますねえ
どんぐりさんの好きな別所・・なのかいねえ??なんて・・おもっていたら・

なんや、深い意味があるみたい・・誰か知りませんか・・

 この場を、かりて誰か・・ヤナにおせーてくらはい

なんや・・名(ミョウ)ってのんもあるらしいですねえ

   へへへへへへ・・ヤナでした

おりょう - 2002/07/04(木) 21:44<

こんばんわ

日曜日の朝、所の「目が点」という番組がありますが、東京に螻蛄(オケラと読む、虫偏の字は難しくてほとんど読めないです。)がいなくなったというタイトルで番組くんでいましたが、夜になるとジージー鳴いている声は、私は、ずーと蚯蚓が鳴いているんだと思っていたのですが、あれは螻蛄らしい。声はすれども姿はみえずで、そういえば最近ジージーと鳴く声が聞かれなくなりました。それで、思い出したのですが、小学あがるびくの頃、近所のタロちゃんの家に遊びにいった時、タロちゃんのお母さんが「タロウが蚯蚓におしっこかけておちんちんが張れて寝ている」と答えたのですが、「蚯蚓におしっこかければ張れる」ことの因果関係が、今だに不思議で、果たして蚯蚓にそんな智からがあるもんなんでしょうか。

ヤゾーさん 星信仰は物部系の信仰で、全国で8万社ある神社のなかで星信仰関係の神社は400社に満たず、また、書かれた物もすくない。まして日本古代史、とくに弥生時代から古墳期時代にかけて活躍した物部系の星信仰については皆無といってよい。だが、奇妙な星神社の分布の偏りと、その祭神をつぶさに調べると、星信仰の実体が浮かび上がってくるのである。それは大和朝廷成立以前の古代部族、すなわちホアカリを祖とする物部系が持っていた信仰であった事がわかってくる。大和朝廷の正当性を主張した「記・紀」の、創作された神話の神系をまつる神社にまったくあらわれないか、ことさらに歪められている。以下略
(消された・・・)より
香香背男は神の輪郭を示すアダ名
ヤゾーさんの質問と違っていたらごめんなさい。

ヤゾ− - 2002/07/04(木) 19:25<

アリ〜の恐怖

みなさん こんばんわ

おりょうさん クルマで一日で行って帰ってこれるとこなら迷うことなく何処へでも行きます。
行動力があるというより単に暇なのかも知れません。
本やネットで少し調べてみましたが
星神神社のある村に香香背男を祀った神社が二つありました。
それも県内では香香背男を祀った神社があるのは星神神社のある村だけでした。
ということはどういうことなんでしょう?

ヤナさん 夏ですね〜
夏になると困ることがあります。
それは外と同じように小屋の中でも蟻が我が物顔で跋扈することです。
頻繁にアリが体を這い 時にはチクッと噛まれます。
むかしは噛まれると腫れたりして何時までも痒くて難儀しましたが
この頃は免疫ができたのかどうということはありません。
でも ときおりタマキンを噛まれることがあり
そのときは けっこう タマりません。
アリさんよ どうしてそんなところを噛むかなぁ〜 とほほほ。

ya(・ε^)na - 2002/07/04(木) 16:33<

暑いねえ!!

うわーーぁ・・雲の切れ間の大阪の空
 夏空やおませんか!!今朝は、今年初めてのクマセミの声聞きましたよ

さっきは、クマゼミもみつけました

いよいよ・・
   夏本番やねえ!!

おりょう - 2002/07/04(木) 09:22<

おっは

ヤゾーさんのいってらした星神神社も古代部族、物部系の信仰していた星神だったのでしょうか。
星神を悪神にされ、抹殺、黙殺されようとも信仰は根強く残っていて、現在も「古代は生きている」という。「消された星信仰」と「古代は生きている」この二冊面白いですよ。
妙見神社はアマテル神で金星に対する北極星で、つまり北辰信仰で、お使いが亀。一方の虚空蔵は金星を
祈り、使者がウナギ・・・・・・。ややこしい。
それにしてもヤゾーさんは地図を見てすぐ現地に飛んだり、あとで地図を見て確かめたり追求の仕方が違
いますね。行動的で・・。

NONさんの土鍋での炊き方も参考にさせていただきます。

あてのない一日・・・・・。


NON - 2002/07/04(木) 03:50<

玄米炊きの水の分量

すみません。大切なこと忘れてました。この炊き方の場合、お米の容量の1.25倍〜1.3倍です。

ヤゾ− - 2002/07/03(水) 21:15<

星神神社と山の神

みなさん こんばんわ

turukot(-,.-)さん NONさん 玄米の炊き方について参考になりました。
それにしてもいろんな炊き方があるものだと目からウロコが落ちた思いがします。

おりょうさん もうすぐ七夕ですね。
星の話しが続くなんて季節感があっていいです。

もの凄い山の中の集落に星神神社というのがあることが分ったので行ってきました。
星神神社のある集落へ通じる道は その少し先で行き止まりになっていますので
外部の人が訪れることは殆どないようでした。
その集落はほんの僅かに耕地があるだけの深い谷間で
それぞれ距離を取るようにして十件足らずの民家が点在していました。
まさに隠れ里といった感じのところでした。
星神神社は小さな川に架かった橋を渡った山の斜面にあり
不思議なことに神社の名前も何を祀っているのかも何も書いていませんでした。
唯一 小さな祠に山の神と書いた石が祀ってあるくらいでした。

おりょう - 2002/07/03(水) 19:15<

こんばんわ

あらっ、NONさんも4日に1度は玄米食ですか?私も健康美めざして玄米とりいれてみようと思っています。まだ、実行にいたってませんが・・・・・。でも、玄米は買ってきましたよー。


柳田國男展 平成14年7月1日(月)〜7月30日(火)
      午前10時〜午後7時
      源 吉兆庵 銀座店6階ギャラリー 入場無料
      資料提供 (財)柳田國男・松岡家顕彰会
            成城大学民俗学研究会

三角寛展もあればいいですね。

NON <http://www.cty8.com/yoka/index.htm> - 2002/07/03(水) 11:22<
あらら。URLに あ が入ってる。最近カーソルが勝手に飛び,どこにでも入力する。

NON <http://www.cty8.comあ/yoka/index.htm> - 2002/07/03(水) 11:19<

玄米炊き

余談ですが,私のhomepageはwindowsでwordが入ってないとどこかに狂いが出るようです。2割ぐらいの人から苦言が…
さて
玄米炊きが出てきて久しいのでついにアップしちゃいます。私は4日にいっぺん土鍋で炊いてます。金属のお鍋はお料理に必ず金属の成分が溶け出して,体にいいものはほとんどありません。比較的安心な鉄でも,そのまま置いておくと金気が移ります。その点土鍋は放置しても安心です。又圧力鍋のようにモチモチにならず夏でも重くなく,さっぱりと食べられます。(実は同じように炊けば薄手の金属鍋でも炊けますよ。)
炊き方
@水につけなくてもよい。(固い皮なのでほとんど吸水しない)
A沸騰するまでは弱火(炎が鍋の底につかない)→中火(炎が鍋の底につく)で。大体20分ほどかかる。
B沸騰がはじまったら強火を3分。(強火は炎が鍋の底全体にあたる←大きくはみだす必要はない)
(3分より多いとこげるし,少ないと水っぽく,ふっくらしない。うまみもない)
C弱火(炎が鍋の底につかないが蓋の穴からほんの少し湯気が常に出ている)で45分
D仕上げは強火で5秒
E10分むらす
蟹穴がきれいにあいてつややかに仕上がります。よくかんでたべましようね。

turukot(-,.-) - 2002/07/03(水) 01:58<

突き抜けるしんどさと玄米炊きの考察

*(-..-)*ngly さん
>やはり客観的歴史というものは学問の世界にしかないのでしょう。
>そうすると学問としての歴史学は生気・精気を失うものでしょう。
>自らのルーツや現状に足を取られつつ、それを突き抜けるしんどさ
>は宿命でしょうか。その中に真の客観性があるのかもしれません。
 
どうでしょう?最近の哲学や文化人類学、心理学では「客観」を認識する
「主観」のあり方を問う―「現象学・・・フッサールとかメルロ・ポンティ
などいろいろあるようですが」―いえ、主観―客観の構造自体を問うといい
ますか。・・・ちょっとここのところもうすこし考えて改めて述べます。
「突き抜けるしんどさ」についてもう少し拝聴したい気がします。

>修験とサンカの関連のにおいは
>http://iswebs24.infoseek.co.jp/school/drhnakai/sub1-23.html
に少し出ています。
>真言宗が渡来人空海の開祖とし、多分別所の警備・監察・目付け役を
>担った修験組織との「私見」ですから、体制の走狗ながら、僧兵などで
>都の寺社警備にも部隊を投入したりの熊野勢力(水軍を含む地で
>熊野神社のある・あった所)の痕跡は無視できません。

サイトじっくり拝見いたします。ところで、空海は讃岐國の佐伯部の戸口
だから、別所系というかエミシ系ではないのでしょうか?族外婚していれ
ば「渡来系(あんましこの呼び方好きではない・・大陸移民系とでも(笑 )」
私の居所の地域の辺りの別所はなんとなくそのような視点を持ち始めています。
寺社領(修験・国幣社)の別所海浜や離島の別所(離島はもれなくあったのでは?)、
防人→水軍化など。

おユキさん
>>このBBSでは時折感じているのですが。
>turukotさん、そのお気持ち私にも分かります。
ヤゾ−さん
>そうですね マイノリティーの人には勘の鋭い人が多いような気がします。

私は、サンカの方々やマイノリティーグループ、または先住民族グループ、その他の
自意識やそれらの現象などを洞察したり、比較したり、エミシにフィードバックを試
みています。
この辺り、Donglyさんのおっしゃる「突き抜けるしんどさ」「真の客観性」とかかわっ
てくる気がするのですが・・・・

おりょうさん
>玄米買って来ました。30分水につけてから普通に炊いていいみたいですよ。
まだ炊いてません。

水につけることで、炊飯の時間は短縮できるのかもしれません。
私は事前浸水はしたことがありません。
あ、電気釜でタイマー設定したときは実質しちゃっていますか。
炊きあがりは別に変わりませんね。

私が言う「2時間炊き」も結局浸水させながら炊いているようなものです。
私の感覚では「うまく炊きあがるまで炊く」という感じ・・・いや、炊きあがったら
2時間たっていた・・・という感じが正しいですか。
「うまく炊く原則」を踏まえれば、いろいろやり方がある気がしますね。
皮を被っているので白米に比べ、浸水に時間がかかるということですか。

そうそう、肝心なことを忘れていました。
私は玄米だけで炊いています。白米を混ぜて炊くときはよく分かりませんが、
私だったらそのまま炊いちゃいますね。

おりょう - 2002/07/03(水) 00:16<

いろいろ

*(-..-)*ngly さん
「消された星信仰」榎本出雲・近江雅和共著 採流社 1900円です。
香香背男(カガセオ)について
・・・・ここにおいてニ神がもろもろのしたがわぬ鬼神を誅した。あるいは云う、二神ついに邪神および草木類を誅し、みなすでに平らげたが、星神香香背男だけが服さなかった。そこで倭文神・権葉槌命を遣わして服さしめた。・・・・・「日本書紀」
天津甕星(又の名をカガセオ)とは巨星のことで、地球の北半球における最大の星は明けの明星、宵の明星といわれる金星である。金星は金精・金神と考えられた。金気を掌る神・鉱山神であるが、その金神は牛頭
天皇すなわちスサノオ神のことでもあった。
反王権の巨星・ミカボシをどうにかおさえこんだあげく、ミカボシに与えた名前がカガセ男(王権に屈服し、背を屈めてちぢこまった男)と増悪をこめて王権が与えた名前で、成れの果てが「かがし」にまでおとしめられてしまった。
犯人を「ホシ」と呼ぶのも金星は王権にとっては凶星の最たるものであった。

スズメがなれると庭で遊んでいても「ちゅんちゃーん」と呼ぶと飛んでくるんだそうです。
鳥も野生が残っているぐらいの方が可愛くて面白い。

turukot(-,.-) さん 玄米買って来ました。30分水につけてから普通に炊いていいみたいですよ。
まだ炊いてません。

歴史民俗学21号 『検証・八切止夫』
出たんですね。
八切さんの本、今日、古書店で二冊でていたので、値段みたら420円のが3000円でした。吃驚。

とんちんかん小僧さんお元気だったのね。

とんちんかん小僧 - 2002/07/02(火) 21:18<

イヤッホー!

携帯からの投稿です。皆さん、お元気でしょうか?僕は元気ですよん!
ヤゾーさん、歴民21号、ぼちぼち読んでますよん!また、ゆっくりした自由な時間に投稿します。それでは、ばいちゃ!!

ヤゾ− - 2002/07/02(火) 20:45<

歴史民俗学21号 『検証・八切止夫』

みなさん こんばんわ

turukot(-,.-)さん そうですね 
マイノリティーの人には勘の鋭い人が多いような気がします。

おユキちゃん つい最近 テレビでスベリ台で遊ぶカラスを見ました。
なんのテレビで見たのかは覚えていないのですが
人懐っこいカラスで 人が近づいても逃げずに
おはようと声を掛けたら おはようと喋っていました。
嘘のような本当の話しでした。

まれびとさん とても良い文章を紹介して下さいました。
イザナミは大地母神であり縄文の女神のようなイメージがありますが
そのイザナミを想って泣いたスサノオが祀られているのが中州の大斎原だったというのも面白いですね。

*(-..-)*ngly さん 歴史民俗学21号はまだ少ししか読んでいませんが
飯尾さんが生前の八切止夫氏と電話でやりとりした話しがあって
八切止夫氏が加藤という他人になりすまして喋った内容がありました。
その話しがインパクトがありすぎて面白かったです。
また礫川さんの記事にあった久米邦武氏の
「歴史学はイデオロギーを退けよ」という箇所も良かったです。

歴史民俗学21号 『検証・八切止夫』 はまもなく発売されるそうです。
詳しくは批評社のホームページでチェックしてみて下さい。

http://www.hihyosya.co.jp/

*(-..-)*ngly - 2002/07/02(火) 15:03<

稗でも麦でも

turukotさん
>サンカ組織ってシノガラ?
>修験との関連と。
 修験とサンカの関連のにおいは
 http://iswebs24.infoseek.co.jp/school/drhnakai/sub1-23.html
に少し出ています。真言宗が渡来人空海の開祖とし、多分別所の警備・
監察・目付け役を担った修験組織との「私見」ですから、体制の走狗なが
ら、僧兵などで都の寺社警備にも部隊を投入したりの熊野勢力(水軍を含
む地で熊野神社のある・あった所)の痕跡は無視できません。ついでに
頼政の妻とか菖蒲の前とか後とかの伝説で修験の連れ・熊野比丘尼の石を
廻る痕跡も多く残っています。
 別所とサンカと修験の結節点の1つが熊野ライフです。
まれびとさん
 法蔵館なら確か寺社関係の出版社。藤原成一も上手い表現をし
てますね。風水学絡みでしょうか。私には賎しの地形学に見えます。
 卑地を非地と書くなら分かりますが、比事・日出・肘・肱・聖・
小童・七と書くと字面に囚われる方が出ます。特に秘事と記すと何
やら歴史以外の空想に走り勝ちです。国語学では『賎と聖』と対比
的に用いますが、庶民歴史上では賎=聖=卑のみ。米麦など出来ず、
当然食えない所は、稗を食いました。麦だけでも出来て頂戴の地は
麦地で、博士や白地かも。バクチで稼ぐ所でしょうか。稗地ですが、
冷・日枝・日吉・日吉津などと地図に出ると、大いにしびれます。

まれびと <http://homepage1.nifty.com/marebito/> - 2002/07/02(火) 13:58<

古い話題ですみません

先日図書館でこんな一節を読みました。
「川は合流してエネルギーをたたえた穴、深い淵をつくる。巴が淵である。ふたつの川は女体の左右の肢で、肢の合体するところは女体の秘所である。山中の霊気をたたえて流れ下って合体したところ、大地母神の子宮から生命がほとばしり出る。そこに中州が生まれる。中州は山水の霊の生み出した聖なる御子、聖なる島である。島は川に挟まれ、さらに外縁と緑の山々にすっぽりと囲まれて、こもりのムロを形作る。そのムロをふたつの清流が洗い、二川は合体して本流、母体となって島を守護する。その中州が大斎原として聖化される。そこは風水思想でいう山水の気の合体する龍穴である。」(癒しの地形学・藤原成一・法蔵館)

遅ればせながら、あおきさんのサンカ・レポート、拝見しました。
ヤゾーさんの最後のコメントに共感します。かれらの「天然」の生き方を排除していった、私たちの棲む社会的なシステムのあり方に改めて思いを馳せています。

玉置神社のサイト閉鎖は、私も愛読していたので残念です。再開を待ち望みます。

おユキ - 2002/07/02(火) 12:54<

スズメも喋るのですって!(≧▽≦)


今朝、テレビで喋るスズメを紹介しているのを見て感動しました。
7年程前に、弱ったスズメを誰かが持ってきて、
三日三晩寝ずに看病したと言っていました。
手の中で撫でられて気持ちよさそうに、
はっきりと分かるようにチビちゃんと喋っていました。(^◇^)

>このBBSでは時折感じているのですが。
turukotさん、そのお気持ち私にも分かります。

*(.O・・O)*ngly <http://homepage1.nifty.com/shoumu/> - 2002/07/01(月) 22:33<

ありがとう。お返しです。

おりょうさん
「消された星信仰」の話面白そうですね。ぜひかって読んでみます。
 二つの物部(ものべ・もののべ)はおっしゃるような歴史的背景が
 あるのでしょうか。香香背男は何と読むのですか?
turukotさん
 やはり客観的歴史というものは学問の世界にしかないのでしょう。
 そうすると学問としての歴史学は生気・精気を失うものでしょう。
 自らのルーツや現状に足を取られつつ、それを突き抜けるしんどさ
は宿命でしょうか。その中に真の客観性があるのかもしれません。
 我社のシノガラ娘は今日はご出勤でした。
ヤゾーさん
 来ました・読みました。歴史民俗学。
 八切氏は「考古学は・・・・見えてくるものまで見えなくしまってる。
他の学問をした方がよい。」と若き考古学者の飯尾さんに語って
いるのが印象的です。ただお宝衆とは乞食サンカのようです。
 廃品回収業者は今でもゴミの山を「お宝の山」といいますから。
 万葉集を寓喩で解いたサイトには、高麗・物部系が天武天皇系で
、松・蛇をシンボルとし、季節で言えば夏で、出雲・高良・三輪大社
を作ったとあります。http://homepage1.nifty.com/shoumu/

turukot(-,.-) - 2002/07/01(月) 20:37<

おりょうさま〜

玄米に関して意外と先入見か多いかな?
と感じていました。 炊き方は別に何でもいいとは思いますが。

半信半疑ながら試される…
実に意義深いと思います。
指第一間節と申しましたが
要は白米炊く分量と同じでOKです。
2時間じっくり炊いてください。
不安になって水の量を増したら…あぁ〜!
玄米炊いたら芯が残ってうまくない?
難しく考えすぎでしょう〜〜。(^^)/~~

turukot(-,.-) - 2002/07/01(月) 20:14<

いろいろ興味深いです。

DONGLYさん、シノガラに関するご体験話ありがとうございます。
私の尊敬する在日2世の兄様が
昔職場の被差別部落の方と
お互いの背景や素姓を感じとった
ことがあると私に話してくれました。
境遇が似ている故ですか。
それから境遇・背景のみならず、
系譜や心理的要因がからんで
いることを示唆していると感じます。
このBBSでは時折感じているのですが。

ヤゾ− - 2002/07/01(月) 20:05<

北辰妙見神社

みなさん こんばんわ

tuyaさん 助けたスズメがお礼に来てくれたのかも知れませんね。
鳥というのは 人の優しさに対して
敏感に反応する生き物のように思えて仕方がないことがあります。

ヤナさん ありがとうございます。
みんなで育てたのだと思っています。

おりょうさんの香香背男の話しで思い出したことがあります。
12年くらい前に 高野山の周辺 伊都郡かつらぎ町や高野町の辺りをうろついていた時に
高野山の麓の方で 八坂神社というのを見付けて参拝したことがありました。
その神社にはスサオノと共に香香背男が祀られていて
香香背男ってなんて読むんだろう?変な名前だなあと印象に残っていました。
かつらぎ町というところには有名な丹生都比売神社があり 
何度か参拝に出掛けたことがありますが そこへ行くまでに星山という地名があります。
帰ったら地図を眺めるのが習慣になっていましたから かつらぎ町周辺の地図を調べてみたら 
星山というところから紀ノ川を挟んだ真北に北辰妙見神社というのがあり
なにか気になったのか その後 北辰妙見神社へ参拝に出掛けたことがありました。
その北辰妙見神社には妙見さんと共にスサノオが祀られていました。
やはりここでもスサノオが出てくるのでした。

※ 物部にもいろいろとあるんですね。
  一遍上人が出た河野氏というのも水軍だそうです。

おりょう - 2002/07/01(月) 11:22<

いろいろ

*(@..@)*ngly さん ヤゾーさん
・・・・天に悪神あり、名を天津身甕星という。又の名を香香背男・・・
この通称「香香背男」は、古くは北方からの渤海系海人族や、南方からは東南アジア系海人の船乗りと漁民
が、まず九州にやってきた。その一派は日本海側を北上し、あるいは太平洋側を北上した。太平洋側を東上した船族は四国の土佐に定着。土佐からさらに東進した一派は紀州に移動し、次いで東国の利根川と那珂川の河口に進出し、さらにこの両河川を遡って定着した。時代は弥生から古墳期にかけての頃であろう。これが千葉、茨城、栃木の先住系部民となったのである。そして部族的には「物部」である。また、、東京湾にはいった一派は江戸川、荒川を遡って定着した。これは「出雲系」の人達である。
次いで時代が下って紀元後三百年代になると、いわゆる応神・仁徳朝の人々が朝鮮の百済から難波・大阪湾にやってくる。この軍事担当部族が大伴氏・物部氏と呼ばれ、このニ集団が東国に進出した。弥生以来の産業人集団・職人集団であった物作りの人達の一派を「物部」と呼び、次にやってきた「物部氏」とは区別して考えねばならない。
物部氏の伝承といわれる「先代旧事本記」には、二十五部の物部集団がかかれている。支配者としてその上にのった後発の「物部氏」と従来からすんでいた「物部」の人達とは系統がちがい、これら後発の氏族を「擬制氏族」といい血統的には繋がっていない。
さらに時代が下がり、五八七年に物部守屋が蘇我馬子に滅ぼされるが、これは物部総本家の守屋だけで、その他一同は蘇我氏の支配下にはいってしまう。
次いで、六四五年になると、今度は蘇我入鹿が新勢力の天智一派にやられ、このあたりから中臣・藤原氏が台頭してくる。この新興勢力の藤原氏が忌部を従えて常陸の国を征服する。それが六○○年代後半の頃で、この戦いの相手が星信仰部族の物部系であり、香香背男がその代表として「日本書紀」にかかれた。云々
「消された星信仰」より抜粋 この本面白いです。

*(@..@)*ngly さんは先住民の末裔だったのですね。

スズメは、野生が強いから、目が開いてしまっている雛は人間が与える水さえも拒否し、死を選ぶという誇り高い鳥だそうです。でも、愛情かければ家族の一員になってくれるとおもう。
>私は内心、「毛鉤の羽根が取れればええなあ」と思っているがおくびにも出さないし、出せない。
もしも、人間に頭の中を読み取る術が備わっていたとしたら・・・どうなるんやろう・・・。


 turukotさん
玄米ご飯、指で量ってたいてみます。実験成功すれば玄米食に切り替えます。

カーンはよく頑張った。


ya(・ε^)na - 2002/07/01(月) 01:41<

ありゃーーーぁ

30万番ゲット失敗しました
  ヤゾーおめでとうさんです!!
   へへへへへへへ

tuya - 2002/06/30(日) 20:14<

スズメが無事育ちますように

バリ師さん>スズメ、無事育つといいですね。私もスズメには、ある思い出があります。小学生の頃、家の近所で弱って動けなくなっていたスズメを拾い、一晩介抱したことがありました。そのスズメは翌日元気になって飛び立ちました。そのスズメは片目が悪かったのですが、数日後、同じく片目を悪くしているスズメが、私の教室に迷い込んできました。偶然そっくりのスズメに出会っただけのことかもしれませんが、まるで助けたスズメが学校まで挨拶に来てくれたような気がしました。
バリ師さんちのスズメが無事育ち、子供さんの素敵な思い出となりますように。

GAINAさん>新しい場所で、またお世話になります。よろしくお願いします。

ヤゾ− - 2002/06/30(日) 19:25<

一遍上人も物部氏の末裔

おりょうさん turukot(-,.-) さん tuyaさん みなさん こんばんわ

GAINAさん いろいろとご苦労様でした。
また新しいサイトでのご活躍を楽しみにしております。
今後とも よろしくお願いします。

バリ師さん なんとか無事にスズメが育ってくれたらよいですね。
スズメも懐くと とても賢く可愛いそうです。

Donglyさん 最近なるほどと唸ったとこがあります。
それは踊り念仏 時宗の開祖 一遍上人の出自を調べていたら
物部氏から出た伊予の豪族河野氏だと分ったことでした。
物部の祖 ニギハヤヒはスサノオの子であるとの説もありますから
自らの遠祖であるスサオノ所縁の熊野大斎原でお告げを受けたのもなにか頷ける気がします。

踊り念仏の実質的創始者空也上人と鉢屋衆

平将門の謀反に組した山陰飯母呂一族は関東の筑波山に安堵の地を与えられるが
5年後に 将門が追討されてしまう。
関東を離れ山陰へは向かわず京の都に留まり 洛北八瀬の山奥の岩屋(ほら穴) に隠れ棲み
畿内のあちこちで夜な夜な集団強盗を働いていた。 その後 名僧空也上人の住居に押し入ったが
逆に諭されて四条・五条 河原辺りに苫屋(とまや・萱葺きの小屋)を立て居住するようになったという。
そして 空也上人の教え通り念仏を唱え托鉢で生計をたてたが 
托鉢で使う鉦がなくかわりに鉢を叩いて歩いたので
「鉢屋者(はちやもの)」 あるいは「苫屋鉢屋(とまやはっちゃ)」と呼ばれるようになった。

バリ師 - 2002/06/30(日) 17:41<

スズメの雛

梅雨のしとしと雨の合間に、近くの天神の公園へ遊びに行っていた子どもらが息せき切って帰ってきた。「とーと、スズメ獲ってった!」

見ると手のひらに小さなスズメの雛が震えていた。巣から落ちたのか、巣立ったばかりなのか、地面を1mほどしかよう飛ばんかったらしい。

早速、鳥の図鑑やWebでスズメの飼い方を調べるも、雛を育てるのはなかなか難しいらしい。口元が黄色いのは幼鳥の印であるとか。

ここは、昔、台風の後に巣から落ちていたキジバトの雛を育てあげたことのある嫁はんの出番である。私は内心、「毛鉤の羽根が取れればええなあ」と思っているがおくびにも出さないし、出せない。

さあて、うまく育つかどうか、二人の子どもらは目を輝かせて見守っている。

GAINA - 2002/06/30(日) 01:01<

みなさん、ありがとうございました。

こんばんは。

霊峰 玉置山・玉置神社読本サイトを訪問してくださった
ヤゾーさん、tuyaさん、にっちょさん、はじめ多くの方々 ありがとうございました。

諸事情から本日6月30日をもって、
「霊峰 玉置山・玉置神社読本」を閉鎖いたします。
KUMANOLIFE掲示板をお借りして御礼いたします。

霊峰 玉置山・玉置神社読本 管理人 GAINA

tuya - 2002/06/30(日) 00:22<

成吉思汗の秘密

先日ここで「義経=ジンギスカン」説が話題になっていたので、高校生のときにハマッた小説「成吉思汗(ジンギスカン)の秘密」高木彬光・・・を再び読みたくなり、ネット販売のを手に入れました。これ、おもしろいです。娯楽小説なんですが、多感な時期に読んだせいでイメージが定着してしまい、いまだに私の中では義経=ジンギスカンです(笑)。
最後のオチなんて、もう最高です。よくこんなオチを思いつくものだと思います。(ネタバレになるので書けないのがツライ)

*(@..@)*ngly - 2002/06/29(土) 13:11<

何者か?

 turukotさん
 シノガラは以外と多いようです。勤務先にもその系統の方が
おりまして、若い女性の場合は分りませんが、年配の男性なら
何かそれらしい雰囲気を感じます。私がそのような目でみなくて
もそのような目で見ているとして嫌がられます。伝承や歴史が消
え忘れられても、その人の血に、気質に受け継がれるようです。
 私のルーツが賤民である事を、日常の立ち振る舞い以外に自ら
確認できるようになり、やはりの絶望的な気分と共に、いささか
焼糞ですが賤民出身としての誇りと勇気が湧きました。自らの血に
潜む負の部分とのしんどい闘いが続きます。庶民史としては偽りの
歴史学や民俗学などを研究せず野史にうつつを抜かしてよかった。
 ヤゾーさん
 1)移動性がある。2)貯蓄しない。3)戦には参加せず。
4)信仰・信心はない。5)氏姓は問わず。6)逃げ足早し。
7)リーダーもルールもなし。8)南北朝のいずれにも組せず。
9)物部と運命を共にした。10)九州・岡山・千葉・茨城にも
仲間がいる。11)紋は十五の菊紋、ある時は大内の花菱紋を
使う。12)自分の祖先は隠密?で殺し屋。腐敗した藩の代官
を幕府命令で「行き違いや喧嘩を理由に」暗殺、その後自害し
た。職業柄刀や槍は使えず、仕込杖と金輪の鎖が武器。 
 以上は郷土史家(この仲間)からの聴き取りです。
 近くにゲットー入口の意味の地名もあり、古代は別所のようで
別所系サンカ(竹櫛作り)もあり、山腹にあった別所から土居(
賤民垣戸)への移動と垣戸(関・柵・旧番人)もあったようです。
中世期厳島神社の領地で平家の勢力圏で神戸(ごーど)という地
名もありました。この仲間は表向きは山人や神人(こーど・ごー
ど→かんべ・じんにん・じにん)のようですが、
 どうも出雲系サンカのようで。
 ただ丸い古墳が物部氏の古墳といっていますが。

turukot(-,.-) - 2002/06/29(土) 03:25<

こんばんは。

みなさん、こんばんは。

サンカ組織ってシノガラということなのですか?
修験との関連ということに関心があります。
エミシも修験からみのネットワークがあった/あるのではないかと
思うのですが・・・・

玄米はウソのようで、白米感覚(指の第一関節)でおいしく炊けますよ。
まるで相手にされてないみたい。実際試してみればわかること。
おいしく食べられなければ玄米食なぞつづくわけがないと思います。

個人的にはヒエ食を定着させたいのですが、こっちは挫折(ToT)
あんましおいしくかんじないもんなぁ〜〜
たまに故郷の伝統食でヒエケェ(ヒエ粥)なぞ食いますが。
ヒエも自家栽培してみたい(温暖すぎるなぁ)。

おりょう - 2002/06/28(金) 21:40<

ああ栄枯盛衰

かっては、全国の山人をたばねるとサンカ王朝をつくるぐらいの力があったが、果せず、影に徹して現在は
瀬ブリも消えていこうとしている。

九州地方に盆の月に現れる迷い船、月の明るい夜、風に逆らって進む帆船、何も見えないのに人の話し声が
聞こえたりする。その方角をさぐって進んでいくと、必ず難破する。また、暴風雨の夜、海上に現れる怪火
を迷い仏。これは暴風雨で見殺しにされた難破者の人魂とつたえられ、迷い仏の怪火は夜漁に出かけた時でも、しばしばみかけたという。




ヤゾ− - 2002/06/28(金) 18:32<

吉宗とスサノオ

みなさん こんばんわ

写楽保介さん 隠れ里ともいわれるマヨイガ(迷い家)のことはあまり詳しく知りませんが、
オフロードバイクで熊野の山々を巡っていたときに
これでもかと言う程辺鄙なところで 割り合いと立派な一軒家に出くわしたことがありました。
それがまったく人気がなくて かといって廃屋でもないようでした。
不思議な感じと なにか怖い気もして 足早に通り過ぎたことがありました。
後で何度か探して行ってみましたが見付かりませんでした。
マヨイガに違いありません。
と地元の人に話したところ クルマが入れないような不便なところは行政上都合が悪いし
またお年寄りだけの家が多いので 村営住宅を建てて移り住まわせるようにしているのだそうです。
残された家はそのまま廃屋となり朽ちてしまうこともあれば 
持ち主がたまに訪れて手入れをして奇麗に残っている場合があるそうです。
だから 僕が出くわした山の中の一軒家もそのような家だと言われました。

蜜柑さん 面白い話しですね。
お庭番という忍者のような役職は 吉宗が紀州から根来忍者を連れていったのが始まりだと言われていますが
その根来衆は修験道から発し 畿内のサンカと融合して生まれたものだと伝わっているという話しがあるそうです。
父の光貞が風呂炊女を側女として源六(吉宗)を生ませたと言われていますが
その母親が大和葛城の忍び(サンカ)の出で同族だという認識が
吉宗側近の隠密たちにあったとの話しもあり
そういうこともあって特別親身になって働いたのかも知れません。
様々な障害を乗り越えて将軍の座に就いたことを考えると
闇の者とされた忍者集団やサンカ共同体の見えない形での働きがあったのかも知れません。
吉宗の剛胆さや庶民性 下々の者に対しても分け隔てなく接し
卑賎とされる者をも登用したとの話しも分るような気がします。
そういえば 吉宗はどこかスサオノに似ているような気もします。

蜜柑 - 2002/06/27(木) 20:51<

朝日ジャーナル

[ところで乱裁道宗といえば山窩の最高権威者である。つまりこれは、まつろわぬものと朝廷の戦いなわけだ。某将軍吉宗はこれらの人々とつながりがあり、その力を使ってに将軍となり善政を敷いたという説がある。山窩は、昭和40年代の朝日ジャーナルに写真が掲載されているようにかなり最近まで現存しており、今でもその組織は健在である可能性は高く、修験道との関係も深い。]
という情報がありました。
誰か朝日ジャーナル持ってますか?

ヤゾ− - 2002/06/27(木) 20:33<

螢の歌

みなさん こんばんわ

turukot(-,.-) さん コッヘルや鍋でも玄米が炊けるなんて達人ですね。

tuyaさん 圧力釜で炊いた玄米の美味しさは やはり圧力釜でないと無理なんでしょうね。

△うぶさん 病蛍なんて言い方 なんとなく風情がありますね。

おりょうさん ホタルにそんな秘められた話しがあったなんて知りませんでした。

螢って 卵も幼虫も蛹も一生を通じて光っているのだそうです。
小いさい螢を平家螢 大きいのを源氏螢と呼ぶみたいですが
滅んだものの怨霊と結びつく虫なのかも知れません。

農薬を使わなかった昔 螢売りというのが夜店のはずれに出没していたそうです。
曲げ物に使い古した麻や絽を張って 数匹の螢を入れて 螢籠として売っていたそうです。
はてさて どういう人がそういう商いをしていたのか 想像しただけで風情があります。

『川ばかり 闇は流れて 螢かな』  加賀の千代女

写楽保介 - 2002/06/27(木) 20:29<

マヨイガって本当にあるんですか?

柳田国男の遠野物語で山中に迷った人が偶然にマヨイガというものにいきあたりそこから何か物をもってくると富貴が得られるという話があります。
このマヨイガって本当にあるんですかね?サンカは山と縁が深いのでこういうものに出くわしたという体験を持っていそうな気がします。
また東北地方以外でも似た話が伝えられているのをご存知でしたら教えて下さい。

おりょう - 2002/06/27(木) 10:46<

火垂る と 食生活

蛍はロマンチックなばかりでないようですね。隠語では星・星影を蛍というそうです。「死」と「星」(反王権の神)に関わってきたと考えられ、蛍は捕ってはならぬ。捕ると病気になる。また、蛍を潰すとデキ物を患う。蛍の多い年は凶作や伝染病がはやる等と伝承されたのは、星神の死霊であるというその正体に、王権に追放されたスサノオ神(七夕星も、農耕民の俗信で、この星が七夕に契ると凶作・伝染病をもたらすと嫌われたという。)の影をみていたのではないかと。「ほ・ほ・ホタルこい」の童謡は星の末裔の寝返りを誘ったのがこの唄ではなかったのか・・・・と。そしてアメとムチのマツリゴトに、その精神が継承されていった。愛媛地方に、小正月にホタル括りという行事があるんだそうですが、どんな行事なんだろうか?
そういえば、もうすぐ七夕ですね。

身体を健康にしておくには手を抜いていてはダメですよね。
お米は身体が「どろくさる」そうですから、サンカのように自然食が一番いいのでしょう。
血液をサラサラにするには、やっぱり食生活の改善からですね。

△うぶ - 2002/06/27(木) 00:18<

蛍、玄米

梅雨時の蛍は「病蛍(やまいぼたる)」と、良く母親が云っています、意味は深くは
知りませんが、梅雨時の蛍狩りは体に良くないようです。
玄米一晩ジャーに入れて熱湯か水かを満たし放置後、炊いたらうまくゆきそうですが
いかがでしょう?  赤飯炊く時、小豆を一晩ジャー内で浸して於いてから炊くと
柔らかくフヤケテ、とってもおいしいですので(ここからのヒント)。

turukot(-,.-) - 2002/06/26(水) 23:00<
>>たまに皮がついたまま →たまに皮がついたまま・・・というのもご愛嬌〜
でした。

tuya - 2002/06/26(水) 22:23<

ときどきこんなのもいかが?

手巻き用の海苔に、炊き立ての玄米を薄くのばし、それをロール巻きにして、おしょうゆをチチッとつけながらかじると美味しいです♪
本当は、圧力釜などで炊いた玄米のおこげの部分でこれをやると、香ばしくて最高に美味しいのです^^

turukot(-,.-) - 2002/06/26(水) 21:16<

よくそのようなお話がでますが・・・

ヤゾーさま〜 こんばんは。
>なんとか電気釜でも美味しく炊けないかと工夫しています。
>炊く前に一時間でも水に浸けておけば
>少しは美味しく炊けるようです。

私は、電気釜(昔はコッヘルや片手鍋)で白米と同じ水の割合で普通〜〜に炊いてます。
(指の第一関節・・・)
そのかわり炊きあがるまで2時間かかります。それで白米と同じ柔らかさで炊けます。
ちなみに有機なので(たまに減農薬・・・ホントは胚芽に濃縮されているので完全有機が
好ましいとのこと)とがずにそのまま炊きます。栄養を逃したくないので(*^^*)

前もって浸しておく・・・そのようなお話もうかがいますが、私は一回もしたことがありません。
工夫などしなくてもそれでおいしく炊けると思います。
たまに皮がついたまま
だっておいしくないと思ったことないもんね。だから続くのです。
白米なんか食ってラレナイヨ、と思いますよ。

あと、電気釜で炊く場合の注意点を1つ・・・
中と噴出し穴の辺りとフィルター(綿状の部品)は茶色に汚れます(苦笑

コッヘルや鍋では、弱火でじっくりです。

管理人ヤゾー - 2002/06/26(水) 19:25<

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みなさん こんばんわ

turukot(-,.-)さん 自炊で玄米を炊いてるなんて偉いです。
玄米に慣れたら白米はなんだか頼りない気がすることがありますね。

おりょうさん 玄米はお米と混ぜずに炊いています。
玄米食を最近復活させましたが
圧力釜で炊くのは面倒なので
なんとか電気釜でも美味しく炊けないかと工夫しています。
炊く前に一時間でも水に浸けておけば
少しは美味しく炊けるようです。

僕が小さいころは 近所の小川にもホタルがたくさんはいませんでしたが
それでもちらほらと草の中にまたたいているのが普通に見られました。
日が暮れて ひとりでホタル狩りにゆくときには
親によく 間違ってヘビの頭を掴んでくるなよと注意されたものです。
夜になるとヘビの目がホタルのように光るからなのだそうです。
郊外の川からホタルが消えてゆくようにして
瀬降りが消えていったのかも知れませんね。


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