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2001年10月02日(火)00時00分までのKumanolifeGuestbookへの書き込みです。


クミコ - 2001/10/01(月) 21:10<

仲秋の名月

お月様 よく見えていますよ。
お団子とすすき買うの忘れてました。

とんちんかん小僧 - 2001/10/01(月) 12:50<

秀吉に関わった忍び者 (8)

杉之坊明算(すぎのぼうみんさん) [生没年不詳]

☆ 紀州根來流忍法を創始

 根來(ねごろ)流忍者の祖。俗名、津田明算監物(けんもつ)。兄は津田算長監物。代々
伝承された古忍法を元に根來流忍法を創意した。根来寺の不動堂に祭祀の、きりもみ不動尊
は根來忍者の心像だという。
 開山の興教大師覚鑁(こうきょうだいしかくばん)が、高野山の密厳院(みつごんいん)
で、暴徒(反覚鑁派の僧)に襲われたが大師の姿が忽然と消え、一体の不動尊がニ体になっ
た。いずれが大師か、と矢じりで錐(きり)をもみこむように膝を突いたら血が流れだした。
これこそ大師と担ぎ去った。大師が難を免れたのは、秘密の法を修めたゆえで暴徒らには不
動尊が二つに見えたという伝説がある。
 真言密教にはかような幻術をはじめ不可思議な秘伝が多く、根來流忍法にも伝承されている
といわれる。
 明算の兄の津田算長監物は、密貿易で渡航中、暴風雨に遭い、種子島に漂着した。領主種子島
時尭(ときたか)の娘と結ばれ、鉄砲伝来より射撃術、製法術も取得した。妻が死んだことから
、天文十三年(1544)三月、鉄砲一梃を譲り受け紀州に戻り、根来寺門前町に住む鍛冶職人に
鉄砲を製造させる。
 明算のいる根来寺の僧兵衆や、雑賀(さいか)党に射撃の技術を教えた。明算を長とする根來
衆が鉄砲の数量とその射撃術を誇り、精鋭鉄砲集団として武将の間でも怖れられるようになる。
明算の射撃技術は百発百中だという。
 天正十二年(1584)、尾張の小牧・長久手戦の際、豊臣秀吉から根來衆に出兵を要請してきた
が応ぜず、北畠(織田)信雄・徳川家康連合側について秀吉軍と戦った。この折、明算は夜中ひ
そかに忍者をひきいて大坂を焼き打ちした。秀吉と家康の両者は和睦するが、秀吉は根來衆を許
さなかった。翌十三年三月、秀吉は、根來征伐をするのに二万余の大軍をもって紀州に攻め入る。
『根来寺焼き打太田責記』に、〈豊臣勢二万五千騎、根来寺に押寄せ、どうとわめきて柵際に押
寄せ、無二無三に攻め立てれば、泉戒坊をはじめ、多聞坊・蓮化坊・雲海坊・範知坊・蓮達坊・
侍大将津田監物少しも恐るる色なく、寄手したがい多勢なりとも何ほどのことあらんと、その勢
五百騎の猛勢城戸を固めて待たりける〉と。
 文中の津田監物とは杉之坊明算監物。根来寺は焼かれ、明算監物は奮戦したが増田長盛と戦い
討死。
 津田算長が監物と称するのは、室町幕府十二代将軍足利義晴に鉄砲を献上して、小監物に任ぜ
られたからだという。また明算や一族に監物の名が伝わる。津田算長監物は、永録十年(1567)
に死亡。津田流砲術の祖として歴史に名を残している。                 終

サクラ - 2001/10/01(月) 01:46<

ps・

そうそう
おユキちゃん、栗は沢山拾えましたか?

お腹がすいてきたので、ちょっと気になっちゃったんです!!!
あと、昨日テレビで見た東京湾のイイダコ釣りも、やっぱり子供たちが
大喜びで、そしておいしそうでした。

サクラ - 2001/10/01(月) 01:24<

あらら、

なんか、みんな秋の風に誘われて、
           山や川辺や海にSeburiしにいっちゃったん?

ヤゾーさんがそうだからって、あなた!
              まねっこしなくたって....!!!

どんぐりころころ、どんぐりこ
         山からそろそろころがって
               はーやく一緒にあそびましょ〜!

春之助君も良いお休みだったみたいですね。
     エネルギー貯えて、明日からも頑張ってくださいね。  

もう、神無月です
      出雲では、八百万の神々が豊穣と国の行く末を語るとか...
kumanoでは
      八百万の民たちが、ガヤガヤとにぎやかしかな、神無月
           

春之助 - 2001/09/30(日) 20:20<

ミキちゃんへ

ただいま、ミキちゃん
お父さん約束どうり
つれってってくれました
でも朝すこし、仕事の残りがあるから
待っててねって。
お姉ちゃんも好きなCDたくさんもって10時に出発
雨降ってなかったのに
出発の頃からシトシト

お父さん、どこ行くの??
ねえちゃん、すげ!コスモス街道、コスモスたくさん咲いてます  
秋やねって!!

行く先は、奈良橿原の考古学研究所付属博物館
到着ーーウ
すっかり雨
僕雨大嫌いです

お父さん、ほんま好きやねえ
解説のおじさんと、お話3時間は、長いよねーーェ
でも、本物の展示には、感激
卑弥呼の時代より前に、日本が朝鮮半島何十回も攻めていたなんて
知りませんでした
あの金印うけるべくして
受けてたんですね
太安万侶の墓碑もあんなにはっきりしてたなんて
驚きでした
また来ようねって

また連れてきてね
晴れたら、雷丘なんかも歩いてみたいな

県立万葉文化館の日本画も最高でした
でも、近くの軽食やさん不味くて高くて最悪なんて言ったら、おこられるかな

ほんとたのしい、一日でした
ジャーネー

また書き込みますね
バイバイ

ミキ - 2001/09/30(日) 14:40<

春之助君

わたしもコスモス街道だいすきよ

でも私、車がきらいなのよー

ガソリンの匂い、あれがいやなの。

でもこのまえ、車で海にいって海岸はしりまわったのよー

波がすこしこわかったけど誰もいない海っていいよね・・・・・

素敵だったわ。

温泉もいいよねー。




ヤナギムシ - 2001/09/30(日) 00:48<

けけけけけえけ

秋やねーーェ
   なぜか、さわやかな風
     どこで、咲いてるんだろう
        この香り
       金木犀の香りやないか!

         コスモスもええですねぇ
          すすきの、咲く奈良曽爾高原もええかなぁ

             秋・・柿もええね・・ブドウも

           えへへへ  秋すきです

春之助 - 2001/09/30(日) 00:35<

ミキちゃん・

こんばんわ
みなさん!
ミキちゃん、お元気ですか?
このところ、お父さんどこもつれってってくれないんです
なんか、暇やのに、いそがしいんやてぇ
明日の日曜、姉ちゃんも暇やから、おとうさんといっしょに
どこかへ、つれってってもらいます
お姉ちゃん、お風呂に入ってええにおいやったから
ぼくも、同じシャンプーつこたりました
うーーーん、いいにおいです
ヤゾー兄ちゃんの言ってた
あの、温泉なんかも、ええのんちゃうかね
トロッコの温泉です
秋やから、コスモスのたくさん咲いてるとこもええかな?!

おとうさん、あしたつれてってね
たのしみにしてるからね
ミキちゃん、おとうさんうそつきやから、どこもいけへんかったりして!
でも、すこしたのしみにしてるんです

出かけたら、また書きますね
それじゃあまた

サクラ - 2001/09/30(日) 00:34<

ざまぁみやがれ..

今日、出雲大社のTVを見た。
大社の関係の方が、古代より宮司のもとに伝わる「金輪造営図」の柱を3本金輪で束ねた
ものが昨年出土したとき「ざまぁみやがれ!」ておもったって。
出雲大社16丈(48m)が伝説ではなく、そのとおりに出土した時に、永くそんな建築は無理
といっていたことが、伝承のほうが正しかったと...

世の中がすすんでいるとは、幻想でひょっとしたら退化してるんじゃないかなぁ?
なんて思ってしまうほど、古代はすぐ昨日のことなのかもしれない。
それにしても、伝承が、本当だとすると、歴史の闇の埋もれた数々の物語も
一つの掘り起こしから、真実に近づけるものなんだと...
その、伝承を大事に語り伝えられたことに、感謝したくなっちゃった。
そして、サンカの伝承のなにか一つでも掘り起こせたら...なんて!

とんちんかん小僧さん、ピンクのトカゲさん

いろは歌から始まるなぞ解きに、
以前によんだ「水底の歌」「いろは歌の謎」が出てきて、なつかしい.
柿本人麻呂と柿本猿(佐留)が同一人物なのか?
そんな時、ピンクのトカゲさんの猿橋伝説、小野の猿のお話に
うーん、猿...猿...猿...謎がふくらむ。

ピンクのトカゲさん
むかしは罪の報いに猿や動物や汚い文字に名前を変えられたって言うけれど
猿女・猿田彦なんかはどうなんでしょうか?

謎にわくわくしているのです...
         

とんちんかん小僧 - 2001/09/29(土) 14:18<

秀吉に関わった忍び者 (7)

サクラさん
一度読破して解けるものじゃないので頑張って暗号を解いて下さい。
私も最初全く自分で答えを弾きだす事ができませんでした。今もですが。

山中山城守国俊(やまなかやましろのかみくにとし) [生没年不詳]

 甲賀流忍者。五十三家中の一家。豊臣秀吉に仕え、小田原北条氏征伐にも活躍。有名
な秀吉の醍醐の花見には奉行として秀吉の身辺警護にあたったという。
のち、祐筆(ゆうひつ)としていつも秀吉の側にいた、と。坂本西教寺に所蔵されている
秀吉の肖像画は、山中の描いたものといわれている。
〈山城守文学に達し能書にて御朱印(ごしゅいん)の祐筆なり〉
 と、甲賀者の書いた『淡海(たんかい)温故録』にある。

山岡景友(やまおかかげとも) [天文九〜慶長八(1540〜1603)]

 甲賀流忍者の名門、伴氏の一門。別名道阿弥(どうあみ)。はじめ三井寺、光浄院の僧。
将軍足利義昭にしたがい、近江堅田で信長勢と交戦、敗退後、信長に仕えた。天正十年(
1582)本能寺の変では、近江国(滋賀県)の勢多を守り、その後、秀吉に属し御伽(おと
ぎ)衆。秀吉没後、家康に仕え、関ヶ原の戦いで家康の命により鳥居元忠の守る伏見城に、
弟景光はじめとする甲賀勢を派遣、西軍の石田三成により落城で戦死。のち、家康は景友
を甲賀百人組の統率者としている。

ピンクのトカゲ - 2001/09/29(土) 01:29<

小野の猿丸

サクラさん
幻視考、小野の猿丸ですよね。
前から気になってます。
クサカベの猿
砥鹿神社の縁起
草鹿砥氏と猿橋

サクラ - 2001/09/29(土) 00:24<
とんちんかん小僧さん

今日、会社の帰りにふらっと入った古本屋で「猿丸幻視行」見つけたので
思わず買っちゃった!

久々の推理小説がちょっと楽しみな夜なんですよ!

とんちんかん小僧 - 2001/09/28(金) 14:06<

折口信夫

本の紹介

『猿丸幻鬼行』 井沢元彦 講談社 S 55/11/17
 主人公は若き日の折口信夫、伝説の歌人・猿丸大夫の秘密を探ってる。そこに
起きた悲劇的な殺人事件 <江戸川乱歩賞受賞作>

『箸墓幻想』 内田康夫 毎日新聞社 H 13/8/30
 今、話題の作品です。読まれた方もいると思います。私もまだ購入したばかり
でパラパラとしか読んでませんが、キーワードとしては当麻寺、二上山、卑弥呼
、折口信夫に興味があれば読んで、買って損はないと思います。

『高野山―超人・空海の謎』 百瀬明治 祥伝社黄金文庫 H 12/7/25
 密教と錬金術の関係、「遁世聖(とんせいひじり)」とは何かについて興味が
あって購入しました。また、『秀吉に関わった忍び者』の8回目(終)にも書く
予定ですが、この本の前半部にある、高野山最初の分裂に関わってくる人につい
ても真実を書いているので、私としては最高にオススメな一冊です。

さんかうぶ - 2001/09/28(金) 03:52<

すみません!

学童は同行していたグループもいました。

さんかうぶ - 2001/09/28(金) 03:43<

結論出なくてもいいです

<ピンクのトカゲさん>
詳しい評論して頂きまして有難うございます。
まだまだウブな私でして、軽薄な言葉遊びの域を出ない質問
でした。しかし”瀬”と”津”は水辺を意味する事は衆知の事です
ので、”織”がポイントだと思い、”降”とも言えるし、又、”居る”
つまり”あまねく所在する”とも考えられ、又、体制側から都合悪い
存在で抹消された事実もかんがみ、結び付けたくなったわけです。
今後とも宜しくお願いします。

<みなさん>
連休に南宮大社と足見田神社と椿大社へ見学に行ってきました。
ぶらぶらと軽い気持ちでの参拝と見学でしたが、それまでに
読んだ由来を確認出来て、それなりに有意義でした。
南宮大社は現在修繕事業中でして、来るフイゴ祭りまでには
終了すると思います、しかし見学や参拝には問題ありません。

サンカの人々が里にやってきた時期が、農閑期と重なるとか
で、彼らも人知れずの地で農業していたのではないかとの
説も有ります。ただしその土地は山奥すぎて、所有権の
及ばない所ですが。 移動や場越し中の
里人との商いは副業や現金収入の為かも知れません。
学童と老人が同行していない事もヒントですね。

もんむー - 2001/09/28(金) 01:57<

山に生かされた日々

ふぁるさん、みなさんこんばんわ。

難しい問題ですネ。里人と箕つくりの人との間の機微とか、彼らの社会的な立
場などを考えだすと、いつまでもまとまりません。日本社会の変化をふまえな
がら想像するよりないようです。

ただ明治以降になって山林に地権者が設定されるようになってから、それまで
自由に採集ができた山林に地権者があらわれ、地権者の権利を尊重しなくては
ならなくなり、その後、里と距離を置くようになったと考えられないでしょう
か。

僕はたとえサンカのように人でも、自然と社会の狭間にあって、環境にうまく
適合しながら生活していたに過ぎないと考えています。そして数代にわたって
工芸技術を全国に散らばる仲間達に普及させたということが、彼らの歴史の古
さを示しているように思います。

また彼らにとっての最近の変化はやはり明治維新だったと思います。山林での
行動に常に法の網が張り巡らしてある状況では、山を降りる以外になかったので
はないかと想像します。

でわでわ

サクラ - 2001/09/28(金) 01:11<

単純なんかな?

ふぁるさん,クミコさんおひさしぶりです!

最初がやっぱりあるんだよね..

サンカ=山の隠れ里に棲む人
なんて、考えてもいませんでした。
サンカの人々は当然、漂泊の民だと考えていましたもん。
そうですよね...ものごとの最初は単純に山に逃げ込んだ人だたのかも?
ゲリラ潜伏するのにも、隠れ住むにも山は最適だったのかも知れませんね。

三角氏は「サンカ物語」の中で、
但馬田地火(但馬のまむしとり仲間のやぞー)の伝承として、
縄文以前からあったまむしとりの頭領が火明命。その流れをくむって書いている
その後、一条天皇の時に乱破道宗が父に丹波の山奥に捨てられたのが箕作りの
社会と融合してサンカ中興の祖になったというが...

ほんとうに始まりは何処なのでしょう?
テンジン・ウメガイ・神代言葉に至るまで、何処までさかのぼれるのでしょうか?
それとも、それはつい最近のこと?

本めくっていたら、
セブリの意味が、セはセイ(勢)いっぱいの心で、ブリはまっすぐな態で、
ただただいのちを欲しがる意味で、タツキ(生活)するところの表意とわかった。
要するにセブリとは、勢いっぱいに、ひたぶるに、生きる為のところと言う心で
さらにそれが理念進展によって、やわらぎをおさめるところということになり、
漢字で表現すると、修理固成をするところと理解させられた。
セブリは瀬踏みの意味もあり、世探りという意味もあるとかで、
瀬降りではなくて瀬振りかな?ともかいてある。

ついでにページめくっていたら、池を泳ぐサンカ娘の名前がサクラだった。
あはは、もうさむそー!!!あはは、はだかで泳いでいたよ!

書き込みに久々「サンカ物語」取り出してみたサクラでした(^^)

GAINA - 2001/09/28(金) 00:32<

祟りと崇め

皆さん こんばんは。
ピンクのトカゲさん ありがとうございます。

崇神天皇は「神を崇める」ではなしに「祟り神」と診ています。
以前にも掲示板で発言しましたが、
崇神天皇の時代になって、
先住民族(出雲族・土蜘蛛など)の偏見・差別への不満と人権回復要求が高まり、
その矛先を大神神社(シンボルを祀る)創建で鎮めた、
また、常に先住民族の祟りを恐れていたのではと思っています。
まあ、勝手な考えですけど。
また、いろいろお教えください。

クミコさん
一度、岐阜県垂井町の「南宮大社」を調べてください。



クミコ - 2001/09/27(木) 23:27<

はじまりは?

はじまりは?超複雑な思考回路の後に
突然シンプルに表現されるのでは?
私、はじまりは?って考えてみるのが大好きです。
ここのところ金属を初めて形にした人というのはどんな人?
どんな状況?なんてずっと思っていました。
はじまりはいつも愛と喜びに充たされていたはず。
楽して利権を横取りする人がいつも禍を恐れるのだと…

みなさん、こんばんわ のヤゾ−さん早くまた帰ってきてくださいね!

とんちんかん小僧 - 2001/09/27(木) 13:53<

秀吉に関わった忍び者 (6)

おユキさん
御心配しなくても大丈夫ですよ!昨夜、ヤゾーさんと電話で話をしましたが、
久しぶりにいい仕事がきたので忙しいとは言ってはいましたが、今までに
も山小屋をあける事あったでしょ。だから、心配なさらなくてもいいですよ。

仙石権兵衛(せんごくごんべえ) [生没年不詳]

 伊賀とも甲賀とも不明。豊臣秀吉が使っていた忍びという。信長の死後弔い合戦とし
明智光秀を破り、柴田勝家を破り、信長の後継者としての地位を確立後の天正十五年
(1587)秀吉は薩摩(さつま、鹿児島県)の島津氏を攻めて平定している。その準備
として二年前の天正十三年、仙石権兵衛は秀吉の命を受け、商人に化けて九州に潜入、
地理すべてを絵に描き、攻め入る地点を書き送ったという。これは『常山(じょうざん
)紀談』にある。

竹内虎之助、弥藤次(たけうちとらのすけ、やとうじ) [生没年不詳]

 流派名不詳。土佐国(高知県)の長宗我部元親に属した忍者の兄弟である。力量強く
、謀に秀で、忍者では達人級といわれた。天正十三年(1585)、豊臣秀吉の四国征伐の
折、豊後(大分県)竹田の岡城攻めで、要害堅固なればと元親は二人を呼んで策を聞い
た。「まともに攻めては困難な城ですが、ただし、城続きの裏山は山肌が急で摩天嶺と
いうほどですが敵の虚をつき決死で忍び入れば、落城は可能だと思います」と進言した。
これで落としたという。

ふぁる - 2001/09/27(木) 13:32<

はじまりは素朴なのか

サンカ=山の隠れ里に棲む人
とするならばよ、わざわざ、山暮らしを選んだのはなぜなのか、と考えるのが普通。
何かから逃げて、と言うならば定住すると言うのはどうだろう。
そこで定住してしまうのは、力無い庶民しか考えられませんな。そして、細々と里との
交流を避けて生きる。機会があれば、里にもどるはず。

好き好んで棲んでいた、とするならば、山のほうが住みやすいという価値観、世界観を既に持っている、
文明(をっと、文明範疇はポリスのみか)ではなく、行儀を備えた集団がいて、里人とも適当にお付き合い
するもよし、しないもよし、と言う程度になるかと思います。

実はトテツモナイひ・み・つがあったりするのだろうか。
いろんな言葉で説明、飾りをつけようと、結局上のお話に行き着いてしまう。

この話、気が向いたら、お付き合いして下さい。

おユキ - 2001/09/27(木) 12:55<

少し心配です

なぜかヤゾーさんが、急にここを止めちゃうような気がして少し心配してます。
私の考え過ぎだとよいのですけど、長く続けて欲しいと心から願っています。
早く帰ってきて、また書いて下さいね。

サクラさん、いつも心にかけて下さってありがとうございます。
秋の清々しい青空を見ると、憂鬱な気分もふっとんじゃいますね。
今度の土曜日に栗拾いに行ってきます。

ドングリの好きなおミヨさんは、お元気にしていますか。

ピンクのトカゲ - 2001/09/27(木) 07:35<

答になっていませんが

さんかうぶさん
難しい問題です。
瀬織津姫の名前は、壬申の乱で斬首される中臣金連により創作された『大祓祝詞』に出てきます。
瀬織津姫を祭神とする佐久奈土神社の由緒によれば、『大祓祝詞』は、大津宮御宇8(669)年に創作されたと言うことになっています。
瀬織津姫の名は、記紀には、まったく登場しないわけですから、『大祓祝詞』が創作されてから記紀成立までの50年弱の間に瀬織津姫の名は消されたことになります。
太陽神は、洋の東西を問わず、男神であり、このアマテラスの祖神である男神・アマテルノオオカミを女神・アマテラスに変更したのは、女帝・持統の意思であることがわかります。
さて、瀬降→瀬織という問題ですが、この瀬降という言葉がいつごろから使われるようになったかという問題にも関ってきますが、瀬降→瀬織という等式が成り立つのなら、『大祓祝詞』の成立以降ということになります。
ご承知のように、サンカは、太陽信仰を持っており、また、火明命をその祖とします。また、サンカは水の民でもあります。そのように考えれば、水の民サンカが縄文の水の女神・アマチカルミズヒメに淵源を持つ瀬織津姫との関係も考えられ、瀬降→瀬織という等式も成り立つのではないかと思います。
GAINAさん
神奈備さんの資料で調べるのが近道だと思います。また、神奈備の瀬藤さんに聞けば、即座に答が返ってくると思います。
井沢説の「崇」→「祟」で崇神については、井沢氏は、保留してますが、崇神について言えることは、崇める神の名に反し、特に縄文の神を崇めていないということです。
菅公→天神から考えれば、当然、(縄文の)神を崇めないミマキイリヒコを崇神とする等式は導かれるわけですが、なぜか井沢氏は、ペインディング。
無念の死を遂げた戦死者→靖国の英霊なんていうのも井沢説から導かれるはずですが、なぜかこれもペインディング
逆説の逆説は、通説にならずに大逆説(大逆事件を意識)になるんですよね(笑)。

GAINA - 2001/09/27(木) 03:43<
みなさん こんばんは。

お教えください。
大和(日本)民族の宗教感は「祟り」を意識して、
その生き方まで影響された と言っている作家もいますが・・・。
「祟り神」と記す
第10代崇神天皇が創建したと伝えられる神社を探しています。
奈良県桜井市三輪「大神神社」、奈良県十津川村「玉置神社」の2社は判っているのですが
他にもありましたら教えてください。
出雲族に関係がある神社が多いかと思います。

バリ師さん、ヤナギムシさん
熊野では「ウツボ」を干物にして食べています。
魚屋さんにもぶら下げて売っています。
アトピーに効くということで、一時ブームになりかけたんですが・・・。

あの鋭い歯で噛まれないようお気を付けください。

さんかうぶ - 2001/09/27(木) 01:22<

降る

”降る” (ふる) は ”降りる” (おりる) とも読みますので、
”瀬降り” (せぶり) は (せおり) と読める。
”瀬織” と関連あるのでしょうか?

バリ師 - 2001/09/27(木) 01:00<

タコテンヤ

この時期、周りでは「アオリ・アオリ」と餌木師がうるさいのですが、バリ師は少し天邪鬼なとこがありまして、周りでそないに「イカ・イカ・イカ」と騒がれると、「うんにゃ、わしゃタコじゃ」と、もともとタコ食いなもんで、タコテンヤでイイダコを狙っております。

ま、子どもらとキス釣りに行ったおり、外道にイイダコがたんまに掛かってくるので、ほな専門に狙ろてみよかと言うまでのことですが。釣り味といたしましては、そないにおもろい釣りではないのですが、子どもらにも簡単に釣れて、「タコや!タコや!」言うて何やえらい喜びます。

イイダコは煮付けたのもええですが、天ぷらがうまいですな。しかしタコテンヤといい、餌木といい、いったい誰が考えついたもんでしょうか。魚釣りのノーベル賞もんですな。

えっ、ウツボはタコの天敵かえ?

ヤナギムシ - 2001/09/26(水) 22:45<

くえくうぇ

あはっははは・・呑んでます
  酒飲むな、さけのむなーーーーぁの
   ごいけんなれーーーーどーーーーぉ

  かかっかかか・・けけけっけけ

      あはははは・・ほんま酒って・・ええもんですね

   いつでも、当事者でなく・・第三者の扱いでむかえてくれます

             なはhっはははああは

        きょうは、れろれろですね??!!

  うつぼのおはなし・・

     うつぼって知ってはりますか

       オオカミウオみたいな、あれですわ
           珍味や・・その一言で・・持って帰りました

   ハニー今日は、お手手けがしてるので・・あんたサバキヤ・・との事
     えええええええ・・わしがさばくんかいな??

     うつぼ・さばきました・・気持ち悪ぅ
       ほんま、蛇みたい・・
     手の感触ほんま・・蛇やがな

   ところが、少し小骨おおいけど
         旨い・・旨いです・・皮もゼラチン状でうまかった


         あはははっは・・わしは、ゲテモン好みかいな・・

                  あはははっは      

    まあ、ええうまいもんは・・旨い


                けけけけ


                     やなでした

サクラ - 2001/09/26(水) 21:23<

空たかく!

空がたかくなってきました..
今ごろ、熊野の空も高くなっているのでしょうか?

ミス・蜜柑さん
熊野の木挽唄なんかいいなぁ〜
秋の空に朗々と木挽唄がこだましたら...
あの、巣立っていったヤマガラ達のさえずりが伴奏となり、
タヌコの腹づつみがリズムをうって...そんな夢見ました。
どんな旋律の唄だったのでしょう?
熊野よながれ木挽たちは...瀬振る川沿い、アマゴつり
濃い緑に覆われているだろう熊野の山々が、なにか懐かしくなってしまいます。

きょうかいさん
調布市布田は前に住んでいたところのすぐ近く
やっぱり、今もハケがありハケにそって道が細く続いています。
あの、多摩川も「岸辺の家」で有名になるように、
台風の時には全く違った顔見せました。なっつかしい〜
瀬織津姫が祭られる、東京では数少ない神社も
調布のとなり、府中市に鎮座ましますとかとか...

熊野の千枚田には稲穂が黄金色に輝き
たくさんの案山子が、がんばって収穫を待っています。
浜の真砂が尽きないように、世に食いしん坊の種も尽きまじ。
じゃなかったっけ?

おミヨさん、おユキちゃん、元気ですか〜!!!

きょうかい - 2001/09/26(水) 19:24<

布多天神

ピンクさん
 布多天神の事があったので紹介します。
 木綿のことが少し載ってました。
  きょうかい
    http://www.ne.jp/asahi/hon/bando-1000/tama/tam/t037/t037t.htm

ミス蜜柑 - 2001/09/26(水) 01:52<

サンカ新資料

昭和18年発行の「熊野民俗記」(松本芳夫著)三教書院刊
に「木挽きうた」と言うのが載ってます。

随分、長い唄なんだけど、その一部です。

木挽きァひけひけ
杣人ははつれ
わしのとのごは
さまやまぢや

木びきさんかよ
国はどこ
くには熊野の
よながれ谷



という唄です。
熊野はサンカの国らしいです。

ヤナギムシ - 2001/09/26(水) 00:54<

へへへへ・

ヤホー    ヤナでーーーす
  画像掲示板、見てくれたいかいな?!
     のほほほほほ

  ほんま、釣りってたのしいでんなーーーぁ

 PEライン5号、ハリス10号・・それさえもぶっちぎり・・

    ほんま、うれしいいいいい・・ヤナでした

  ヤゾー・・諸事情ってなんや?
    はははは、場越か?
      時は、秋・・錦秋・・ほんまにええ季節や

           楽しんできて・・待ってるで!

                         ヤナギムシ

とんちんかん小僧 - 2001/09/25(火) 11:23<

秀吉に関わった忍び者 (5)

石川五右衛門(いしかわごえもん) [?〜永録三・文録三(?〜1560・1594)]

☆釜ゆでになった伊賀流忍者

 石川や浜の真砂(まさご)はつきるとも世に盗人の種はつきまじ

と、釜ゆでにされ、死ぬ前に詠んだとか、京都南禅寺の山門上で市中の景色を眺め、
「ああ、絶景かな絶景かな」
とかいわせるだけで、実にその生涯は脚色されすぎている。
『慶長見聞集』には、
〈石川五右衛門という大盗人、伏見野のかたわらに大きな屋敷をかまえ、館を作り、国大名
にまなんで昼は乗り物にのり、槍長刀弓鉄砲をかつがせ街道を行きめぐり、おし取りし夜は
京伏見へ乱れ入りぬすみをして諸人をなやます〉 という。
 伊賀(三重県)石川村の生まれ、幼名五郎吉、長じて臨寛という異人に忍術を学んだと
される。伊賀の上忍、百地(ももち)丹波に仕えた下忍、とか色々いわれる。
 京都に出て盗賊になったという。秀吉の生命も狙った。京都所司代、前田玄以(げんい)
に逮捕され、一党二十数人と三条河原で処刑されたという。

ピンクのトカゲ - 2001/09/25(火) 07:24<

柳の下にはいなかった

味を占め今日も早起きしたけど、今日はいませんでした。
裏の川、結構いますよ。スッポン。
三年に一度ぐらい浚渫工事来ると、100bぐらいで30匹ぐらいとれるみたいで
日給よりスッポンで儲かるって工事来た人言ってますから
ヤゾー
うんやっぱりポン系の呼び名だよ。
マムシもちょくちょく顔だすよ。
これも捕まえたら蛇屋に売りに行くよ。
オレ子供時分、マムシで小遣い稼いでいたからね。
やっぱり血かな?

サクラ - 2001/09/25(火) 03:30<

な、なんと!

やぞーさん
場越ですか?何処ぞに瀬振りでも?

まぁ、サンカは、竹を求め、ポンスを求め、タジヒ求めて
漂泊してたから、やぞーさんがお休みしちゃうのも血のなせるわざかな(^^)
箕のあるおやすみにしてちょうだいね!

やなさん、
子供の巣立ち、自立って難しいね。
でもね、親ってわがままでわからずやでも良いと思う。
きっと、子供にとって矛盾した社会識る第一歩が親だから(^^)
すぐに乗り越えてくれますよ。(がんばれ、おやじたち!)

ただ、むすこがたちが戦争で苦しむのも、自然破壊で苦しむのも
親の責任なのだから、今何かしなくちゃいけないって考える。

ん、まず出来ること!
おいしいご飯作って食べること!
だって、お腹すいてたら、良い考えが浮かばないじゃん!

バリ師さん、にせ松露で残念でしたね〜
ピンクのトカゲさん、亀ってやっぱりスッポン鍋になるんでしょうか?
両方食べられたら、良い考えが浮かぶかも!
きょうかいさんの紹介してくれた、加藤さんのメールのように...

うーん、でもやっぱりお腹いっぱいになって、頭そのままだったりして?!
ん、反省...自分が食べることじゃなく、食べさせることでした!

アフガンでは600万人が飢餓の恐れとのニュースあり

ヤゾ− - 2001/09/25(火) 00:01<

しばらくお休みします

みなさん、こんばんわ。

サクラさん、とても良い時間を過ごせて良かったですね。
街の魅力とは、そこにいる人の魅力なんでしょうね。
魅力のある街が随分変わったなんて聞くと、少し寂しい気がしますが、
巣鴨の刺抜き地蔵は、老人がいる限り大丈夫そうですね。
「越後奥三面」の映画見て、もんむーさんとお茶したなんて、青春してますね。
サクラさんも、後数十年したら、よいお年寄りになりそうですね。

ピンクのトカゲさん、そんな大きなスッポン捕まえたんですか。
そんなのが近くの川に居るなんて、自然が残ったところなんですね。
捕まえて売り飛ばすあたり流石です。
どんな顔してスッピンを捕まえたのか、見てみたかったです。
その辺りでは、やはりサンカのことを、スッポンを捕るところから、
ポンと呼んでいたのでしょうか。

ヤナさん、釣りの方はどうでした?
バリ師さんは釣りを兼ねたキャンプだそうです。
子供を育てるのも、人を育てるのも、一番大切なことだと思います。
誰かの言葉に、お金を残した者は三流で、名前を残した者が二流で、
人を残した者こそが一流だというのがありました。
子育てを疎かにすれば、社会は必ず乱れ疲弊すると思います。
子育てより、お金儲けを優先されるような価値観は、
愚民化させる為の罠かも知れませんね。

諸事情により、しばらくネットから離れますので、
後はよろしくお願いします。

ヤナギムシ - 2001/09/24(月) 22:03<

子育て

子育て・・いくつになっても・・むつかしいものです
 安易に、いいよ・・もう大人なんだから
   自分の責任においてなんでもすればいい・・・

  あはははは・・まちがいなんですね
     子供は、いつでも、親の顔色伺っていたんですね

       物分りのいい親・・ほんとは・・
  面倒だから、いいよ・・おまえたちの事・・信頼してるから!!!!・・・て

  本当は、逃げてたんですね、・・・・・・本当に信頼してたんやろか???

以前と違う・・親の発言・・・
  戸惑う子供!!!・・・

  その時の・・発言・・何故前とちがうのか・・!!!??

       忙しさにかまけて・・ちゃんとした意見出さなかった・・罰


         いつも、子供は親を信頼していたんだ!!

       本当に、手はぬけない・・

          手抜きの罰は・・受けなければならない!!


                       やなぎむし

ピンクのトカゲ - 2001/09/24(月) 12:10<

早起きは

けさ、工場の裏の川に二キロクラスの鼈二匹いて、捕まえたよ。
料理屋電話してとりにきてもらったよ。
臨時収入なりました。
サクラさん
俺昔巣鴨にいたよ。懐かしいね。
バリさん
松露残念でした。
潮見坂で見つけたことあるよ。
あれ松茸より高級だもんね。
ロウジも松茸より美味いね。
アズキマス(アコウ)美味しかったですか?

サクラ - 2001/09/24(月) 03:10<

おばあちゃんの原宿

23日は秋分の日、昼と夜の長さが同じなんだって!

もうすっかり、秋のそれになった東京の青空と白い雲見ながら
お墓参りのあとに、巣鴨の刺抜き地蔵さんに行ってきました。

ほんとうにお祭りのようなにぎやかさ
おばあちゃん達が何と沢山詣でていたことか..
そして体の不自由な人も沢山目に付いた。
沢山のひとがいるのに、みんなゆったりしていて、せかせか焦られることもない
ゆったりとした時間と老人パワーがあふれんばかりの空間がそこにあった。
知らない同士が、世間ばなしをする空間がそこにあった。
傷痍軍人という老人や、車椅子を押す母親が自然に世間話が出来る空間が
何故か懐かしく、多くの人がたびたびお参りに行きたくなるのもわかるような気がした。

土曜日は楽しみだった「越後奥三面」のドキュメント映画見てきたよ
もちろん、その後はどっきり充実コーヒータイム。
お疲れ様でした。素敵な若者のもんむーさん!

映画は美しく、厳しい越後のやま奥の山人達の四季を淡々と映し出す
その中の村人たちの語りが、今はダムのそこに在る村の存在が
なんと多くのメッセージを発することか

この映画を作られた姫田忠義さんは民族の文化を映像で記録することを
長く続けられてきた方です。たくさんの記録映画を撮影されて送り出しています。
日本の民族記録を自分自身の足元を見詰め直す作業として、そして人類の共生への憧憬と
模索の途として作り続けていらっしゃいます。
だから、一つ一つの映画に胸打つものがあるんですね。
そしてそれは、普通の本当の普通の人々の暮らしのなかにあるように感じます。

記録映画の中にも残らないサンカ...
サンカの記録映画作れたら、すごいよね...うーん!夢なんだろうか?
やぞーさん?

ヤゾ− - 2001/09/23(日) 00:03<

千枚田ナンマイダ?

みなさん、こんばんわ。

トモダチが遊びにきたので湯の口温泉へ行ってきました。
しかし残念なことにトロッコ列車はGAINAさんがいうよに、
事故の為に運休していました。でも点検整備してから再開されるそうです。
それでクルマで行って入浴してきました。
帰りに少し足を伸して、丸山千枚田という日本最大規模の棚田を見てきました。
里山の道、ホタルの道という畦道を歩いてみましたが、
途中でバテてしまい、千枚田というよりナンマイダぶつと言いたい気分でした。
(しょうもないシャレですみません)
汗をかいたので帰り道の途中にある川湯温泉の公共温泉に寄って汗を流してきました。
それで無茶苦茶眠いので、おやすみなさい。

丸山千枚田の写真は画像掲示板にあります。

バリ師 - 2001/09/22(土) 02:34<

にせ松露騒動

先日、居組でキス釣りした帰り、浜坂の松の湯温泉に嫁はんと子どもらをほりこみ、私は海岸近くの松林を歩いておりました。

すると松の木の根元にジャガイモみたいなキノコがモコモコ生えているのです。ええ加減なキノコの知識しか知らん私の脳細胞は、とっさに「松露」という単語をはじき出しておりました。

風呂上りの嫁はんに「松露いうて知っとうか?フランスで豚が探すトリフの仲間や。高級キノコやで。ほらええ匂いやろ。」と言いつつ両手いっぱいのキノコを自慢げに差し出したのです。

家に帰って、天ぷら用にキスを三枚におろしたあと、いよいよ例のキノコに包丁を入れました。「ゲゲッ!」 中が真っ黒なんですな。とても見た目、食えそうにありません。

念のためにネットで調べると「ニセショウロ」というキノコが出てきました。嫁はんは「もう今後一切あんたのキノコと山菜の知識は当てにせんからな。魚のことだけにしとき!」ときつく申し渡されました。

トホホホ・・・父ちゃん、評判ガタガタ。と言っても別に「ニセショウロ」と名づけられたキノコが悪いわけでもなし、「ごめんな」と庭の土に埋めました。

どこかの空に再びキノコ雲ができんことを祈ります。ひとつ頼んまっせ。

とんちんかん小僧 - 2001/09/22(土) 02:10<

秀吉に関わった忍び者 (4)

ピンクのトカゲさん
よく判りました。 どうも有難うございました。

稲田九郎兵衛(いなだくろうべえ) [生没年不詳]

 永禄〜天正(1558〜91)頃、蜂須賀小六正勝と同じく美濃尾張辺の透破大将といわれ
た戦国忍者ゲリラの一人である。
 戦国乱世の頃、尾張・美濃方面、盗賊殊に甚しく、
〈――盗賊等其党を相率いて村里を掠(かす)め女童(わらべ)を掠め……〉
 とあり、人びとはそれに対応して防策の限りを尽くしたと『正説砕玉話』にあるよう
に、当時は野武士も乱破(らっぱ)、透破もけじめなく金次第で傭兵となったり盗賊と
なった。
 
小野銀八郎(おのぎんぱちろう) [生没年不詳]

 美濃の透破。野武士で美濃透破大将で羽柴(豊臣)秀吉の配下にあった蜂須賀小六
正勝に属した。銀八郎は火遁の術に優れたことから、通称、野火の銀八。
 天正十三年(1585)、秀吉の四国征伐で、羽柴秀長は長宗我部元親が阿波(徳島県)
の拠点、一宮城を包囲。水源を断つ決議により、正勝は銀八にその任務を命じた。貯水
池の側まで忍びながら銃弾に遭い、自らの胸を刺し貯水池に飛び込み血に染め、使用不
可能にし任務を果たした。

渡辺天蔵(わたなべてんぞう) [生没年不詳]

 永禄〜天正(1558〜91)時代の忍者。蜂須賀小六正勝の従弟である。 透破の蜂須賀
党は、美濃、尾張、近江と渡り歩いた戦国ゲリラ集団だったが、その後、羽柴秀吉の部
下となった。
 天蔵も小六とともに、甲斐の武田家へたびたび潜入して武田滅亡に貢献、天正八年(
1580)秀吉の毛利攻めにも大活躍した忍びだったという。

さんかうぶ - 2001/09/22(土) 02:10<

気になる一節

最近、気懸かりな言葉を見つけました

1) 「古来、我が国の祭りは 宵に始まり、未明には終わった」

”天照る”ではなくて”海照る”の証拠か?
拝火信仰に繋がる所以か?
昼間に祭りを行うようになったのは、途中で信仰対象
変更が(強引に)強行されたのか?

2) 「縄文人は、気が弱く、暗示に掛かりやすかった」

感化されやすい人々なので、”憑き物”に憑かれやすかった。
静かに山奥で暮らしていた所へ突然(初めて見る)修験が
現れ、妖術を振り回したので、(可哀相にも)驚き、怖れ、
おののき、感化されてしまって、狐憑き等にされてしまった。

3) 「”けがれ”には、赤と白と黒が存在した(する)、そして
縄文人は黒けがれに対して割に無頓着だった」

所謂”青”の理念か?

ヤナギムシ - 2001/09/22(土) 00:18<

のほほほほ

けっけけけ・・
  今日は、アジの塩焼き・・むむむむむむ
    かんにんな!!・・ええまだ・・あんのん・・ 
  ちょっと、こげてへん??・・パサパサやん

   ええ・・文句ゆうなて!!

   とほほほほ・・黙って食べなさい・・はーーーーーーぃ

    ほんま、だれやこんなにたくさん・・アジもってかえったんわ!!

          すんません・・

あれ・・グレの冷凍あるけど??・・・・

んんん・・それまえの釣りの時のグレやで?!!!
      えええええええぇ・まだあったんかいな

       とほほほ

                 ヤナでした

ヤゾー - 2001/09/22(土) 00:05<

宮沢賢治が生きていたら?

みなさん、おばんでやんす。(ワンパターンなので、少し変えてみました。)

>曽呂利新左衛門(そろりしんざえもん)

面白い話ですね。

>こんばんは、ミス蜜柑ことビンリーデンです

ん? どっかで聞いたような・・・もしや時の人ではないですか?
鈴木甲子夫さんの「筑波の箕作り」は、なかなか手に入らなさそうな本ですね。
読むことができて、よかったですね。

>渥美郡田原町に車神社があり、また、旧八名郡にも車神社があります。

はじめて知りました。
フーテンの寅さんの名前が車寅次郎であることは、山田洋次監督の初期の作品を見ることで、
非人頭・車善七を意識したものであるということは、なんとなく感じていました。
でも、渥美清さんが車寅次郎を演じ続けていたことは偶然?
それとも不思議な縁によるものなのか? いずれにせよ面白い話しですね。

バリ師さん、きょうかいさん
聞いた話によると、イスラム諸国の人たちの中には、日本を敬愛している人がとても多いそうですね。
報復に加担しなければならない日本の立場もあるにせよ、日本にしかできない役割もあるのだと思います。

もし宮沢賢治が生きていたら

中東で報復や戦争があれば、つまらないから止めろといい。
世界からデクノボーとよばれ、ほめられもせず、苦にもされず、
そういう国に、わたしは住みたい。

というかもしれません。

PS 転送メールはバリ師さんからのものです。
   書くの忘れてました。

きょうかい - 2001/09/21(金) 14:08<

現在のルールでは

 複数の経路で届いた加藤尚武氏の見解です。ご参考まで。

「連続テロに対する報復戦争の国際法的な正当性は成り立たない
1、国際法上の「戦争」とは、単に軍事行動が行われたという時点では成立せ
ず、主権国家もしくはゲリラ団体が戦争の意思表示をすることで成立します。ゆ
えに、今回の連続テロは犯罪であって、戦争ではありません。犯罪として対処す
べきです。
2、国際法では、いかなる紛争にたいしてもまず平和的な解決の努力を義務づけ
ています。ブッシュ大統領が、連続テロの今後の連続的な発生の可能性に対し
て、平和的な解決の努力を示しているとは言えないので、新たな軍事行動を起こ
すことは正当化されません。
3、国際法は、報復のために戦争を起こすことを認めていません。したがって、
たとえ連続テロが戦争の開始を意味したとしても、現在テロリストが攻撃を継続
しているのでないかぎり、報復は認められません。
4、連続テロに対する報復戦争が正当防衛権の行使として認められるためには、
現前する明白な違法行為に対しておこなわれなくてはなりません。予防的な正当
防衛は、国際法でも国内法でも認められていません。連続テロに対する報復戦争
を正当防衛権の行使として認めることはできません。
5、国家間の犯人引き渡し条約が締結されていないかぎり、犯人引き渡しの義務
は発生しないというのが、国際法の原則です。「犯人を引き渡さなければ武力を
行使する」というアメリカ大統領の主張は、それ自体が、国際法違反です。
 以上の理由によって、私は連続テロに対する報復戦争は正当化できないと判断
します」

ピンクのトカゲ - 2001/09/21(金) 07:38<

ちょっと勘違い。

由緒書きではなく、一般に流付している非人頭・車善七についての出自でした。
初代、善七は、改名前は、車善七郎といい、その父・車丹波守義照は、常陸国佐竹藩の家老であった。
義輝は、藩主・義宣に関が原の合戦では、西軍につくように薦めた。
西軍は、敗北。佐竹藩は、出羽に減封になり、義照は、磔刑。
善七郎は、庭師になって江戸城に入りこみ、隙をうかがって、家康を狙った。
一度目は、家康の温情により事無きを得た。再度の仇討に挑むもまたしても失敗。
家康が事情を聞くと、善七郎は父の話をし、父の敵と同じ天を戴くわけにはならぬと応える。
それに対し、家康は、あくまでもわしの命を狙うなら、親族をみな死刑にすると
善七郎は、これには困り、人界を辞して乞食の群れにはいると応える。
家康は、憐れみ、ならば、乞食の頭になり、名を車善七とせよといい、善七郎を放免した。
以上が、車善七の出自について一般に流付されているものです。
一方、天保10(1839)年に提出された千代松由緒書(千代松は、何代目だったかの車善七の幼名)では、先祖・車善七は、三河渥美村の出であると記載されています。
渥美郡田原町に車神社があり、また、旧八名郡にも車神社があります。
これらと関係があるのではと思っているものの、調べたことはありません。
あしからず
ヤゾー とんちんかんコゾー
こんなもんでいいか?

バリ師 - 2001/09/21(金) 05:46<

釣れもせず・・・

■私らは政治家でも軍人でもなく一庶民として、テロ攻撃を受けたアメリカの、そしてこれから報復攻撃を受けようとしているアフガンの同じ庶民の声に静かに耳を傾けるべきなのです。

あれどんな時代のどんな体制の国家でも、政治とか軍部のトップの口や制服からは同じ匂いが漂うてきまっせ。

■飛行機が2機飛んできて、背たかのっぽの2つのビルにぶつかり、たくさんの人が亡くなりました。今度はたくさんのミサイルが飛んできて、たくさんの人が亡くなろうとしています。

大雑把に言えば、中国や天竺などの大陸や半島経由の東洋的な思想や物を漢字で、アメリカやヨーロッパなどの西洋的なもんをカタカナで受け入れ、そもそも本来の大和ことばをひらがなで表してきた日本人が、共通する「愛」と「ラブ」と「やさしさ・いたわり・おもいやり」の心を世界の人に独自の方法でアピールできるはずやと思うのですが・・・。

これも大雑把に地球儀を見て、東洋と西洋の境目には日本とイスラエルがあるような気がいたします。勿論、宇宙空間には東西南北はございません。

敏・利田 - 2001/09/21(金) 03:05<

ビン・リーデン

こんばんは、ミス蜜柑こと
ビンリーデンです

ようやく「筑波の箕作り」を読む機会に恵まれました。
著者・鈴木甲子夫さんの、サンカに対する執念。すごいですよ。
最期の小田箕作りの、相田さんの若かりし頃の写真とかあって、
古本屋で見つけたら即ゲットの本です。


とんちんかん小僧 - 2001/09/21(金) 02:22<

秀吉に関わった忍び者 (3)

ピンクのトカゲさん
>非人頭・車善七の由緒書
それって何何でしょうか? 詳しく教えて下さい。

曽呂利新左衛門(そろりしんざえもん) [生没年不詳]

☆ 秀吉に仕えた頓智に長けた忍び

 流派不明。豊臣秀吉に仕えた。口が軽い、頓智話(とんちばなし)が上手である。堺(
さかい、大阪府)の鞘師(さやし)だった。とくに、彼の作った刀の鞘には、刀がソロリ
と入ることで、“ソロリ”の新左衛門として有名になった。
 その上、呪術、手品、万歳がうまい。これらはいずれも名人芸で人をそらさなかった。
〈一説によれば、“そろり”は呪術、傀儡(くぐつ)、手品、琵琶法師、万歳、猿回し、
細工師、皮革師などを本業とした漂泊集団で、それが戦国時代に野盗と化し、忍びの者に
使われた。乞食非人などを支配した風魔一族と同様の種族であるといってよい〉
 と宮崎惇著『秘録戦国忍者』はいう。
 秀吉の少年時代、蜂須賀党にいたが追われていたとき、闇夜を幸いに機転で大石をそば
の井戸に放りこんだ。
「小僧は井戸に落ちたぞ」
 という声だ。秀吉は逃れたわけである。秀吉はたくまずしてこれを使っていたわけだ。
これを“忍史学”では井戸投石を「夜半の嵐の術」というらしい。
 そんな秀吉であった。曽呂利との関係が判るだろう。

ヤゾー - 2001/09/21(金) 00:05<

みなさん、こんばんわ。

>無知な私が偉そうなことを書いてすみません。

ほんとうに気持ちの重い日が続きますね。
おユキちゃんのような気持ちはとても大切だと思います。
ただ安易に平和を訴えるのでなく、一人ひとりが自分で考え、物事を見極めようと努力し、
世の中のことに対して責任を持って行動してゆくようにしてゆけば、
少しずつでも前進してゆくのだと思います。
ネットの中には、精製度の高い情報もあると思いますので、
情報に振り回されたり、不安を煽られたりしないように、それらを参考にするのも良いのかもしれません。
しかし、最後は自分で考えて判断することが大切だと思います。

>湯ノ口温泉トロッコ列車の脱線事故があったそうですが、

えっ、ほんとうですか。
土曜日に、トモダチと一緒に行こうと思ってました。
ううう、確かに脱線しそうなくらい振動の激しい列車ではありましたが、
それはそれで面白しろかったので、再開されることを願います。
GAINA さんの言われるようなことを、漁村に暮すお年寄りから聞いたことがあります。
台風などによる高潮被害を防ぐ工事のために、それまで家から見えていた浜辺の替わりに、
コンクリートの壁しか見えなくなって、味も素っ気も無くなってしまったと嘆いていました。
数十年に一度の災害で被害がでるのなら、それも仕方がないのかもしれませんが、
百年に一度くらいの災害を防ぐ為に、自然との触れ合いを遮断していまうような防災工事はどうかとも思います。
一人ひとりが自分のことや社会のことに責任を持って行動できるようになれば、
無闇矢鱈に規制されたり管理されたりしないのかもしれません。

>非人頭・車善七の由緒書思わせますね。

ピンクのトカゲさん、その由緒書って、おせーて下さい。

サクラさん、ありがとうございます。

「越後三面山人記」のよい話しを聞かせて頂いたので、
なんだか、今夜は気持ちよく寝られそうです。
映画見てきたら、また、お話して下さい。

サクラ - 2001/09/21(金) 00:00<

眠れない夜に秋風がみにしみまする

おユキちゃんおひさしぶり!
          おミヨさんはお元気ですか〜!
ほんとうに、涼しくなってきたのに、
この、重苦しさと寝苦しさは何なのでしょう...ね

この間、読んだ「越後三面山人記」田口 洋美
今はダムの底になっている三面(みおもて)村に住んでいたマタギの
人々の四季をえがいた本ですが、熊やカモシカを狩り、山の自然の中に
生きてきた人々のなんと、心豊かなくらしぶりでしょうか...

「山っていうのは、草だの木だのが腐るんださがで、虫だの動物だのも
死んで腐るんだものな、その養分すって次の木だの草だのが成長するもんなんだから
あんまり奇麗なもんではねぇと思うんがなぁ。山の中はいつでも生き死になんださがでな」
そんな、生き死にの生活の中で村人は山に自然に半分我慢してもらい、自分たちも
欲を半分我慢して、未来の若木を残し、実りの2.3割を動物たちのために残したという。
山の神様の贈り物を、決して我がだけのものとせずに、獣や自然のなかまの人間として
精いっぱい生きてきていた...

いったい、自然の中で自然に死ねることさえもままならず
私たちは何処に行こうとしているのでしょう?

明日天気になーれ!
       天気を喜べる明日になーれ!

         土曜日に「三面山」の映画見てきます(^^)

PS・やぞーさん
箕や篭の写真よかったよ〜

ピンクのトカゲ - 2001/09/20(木) 23:24<

車丹波守

とんちんかんコゾー
駿府城に忍びこみ家康暗殺なんていうの
非人頭・車善七の由緒書思わせますね。

とんちんかん小僧 - 2001/09/20(木) 22:45<

秀吉に関わった忍び者 (2)

石川頼明(いしかわよりあき) [?〜慶長五(?〜1600)]

☆ 秀吉に仕えた丹波忍者

 丹波忍者は、最初、丹波地方(京都、兵庫)一円に勢力があった豪族の波多野(
はたの)氏の支配下にあった。織田信長暗殺を企てたが、のち、豊臣秀吉に仕え
謀報面で活躍した。頼明もその丹波忍者の一人である。一宗(いちむね)ともいった。
身の軽さは驚くべきものがあり、立ち木、柱や壁を縦にするする上るなど平気だった
という。秀吉の危機をたびたび救ったともいわれている。
 天正十一年(1583)に千石、慶長三年(1598)には六千四百五十五石加増となり、
同五年には一万ニ千石で掃部頭(かもんのかみ)。慶長五年、石田三成の挙兵で西軍
につき、伏見城、大津城攻防戦に参加、敗戦後に自刃(じじん)したという。一説に
豊臣滅亡後、家康暗殺をと駿府城に忍び込み、打ち首という説もある。丹波七化けを
奇書『上忍定本奥忍秘帖』に、〈――世に丹波七化けといふ丹波焼の諸国国焼に似せ
たる巧者、唐津(からつ)、瀬戸、志土呂(しとろ)、曽田懐(そだかい)、伊賀、
高取、備前、それぞれに劣らぬ作風の如く言ふは誤り。丹波の国老坂王子(おいさか
おうじ)の宿より医王野(いおうの)、年谷(としたに)にかけて講中する忍び館
(やかた)三波多野(さんはたの)、三鬼一族の忍風巧みなる事観世音菩薩の応身
(おうしん)の如くにて……〉と。

GAINA - 2001/09/20(木) 22:42<

どうなるんでしょう?

アメリカの報復攻撃もそうですが、
ヤゾーさん 湯ノ口温泉トロッコ列車の脱線事故があったそうですが、
これからの営業はどうなるんでしょうね?
今の社会は安全第一とかで、当分の間営業を停止するのでしょうね。
ところで、どこの温泉の露天風呂も「滑る」「怪我したら・・・」とかで、
コンクリートで固められた
情緒薄れた「露天風呂」ばかりになるのではと
奥飛騨の温泉管理人が嘆いていました。
危険を察知する経験も、能力もだんだん薄れて行くのでしょうかね。
いい世の中なのか?どうなのか考えさせられます。

おユキ - 2001/09/20(木) 12:54<

聖書の言葉

罪のない大勢の人たちの命を奪った卑劣なテロ行為は許せませんが、
同じように大勢の人が犠牲になったり、大きな戦争につながるような報復に対しても、
心の深いところが拒絶しているようでとても気分が重いです。

アメリカ大統領の就任式では、聖書に手を置いて宣誓するんですよね。
その聖書には次ぎのような言葉が書いてありますよね。

「右の頬を打たれたなら、左の頬も向けなさい」
「敵をも愛して、自分を迫害する者のために祈りましょう」

聖書の言葉通りにはいかないことは分かってますが、
お猿さんに笑われないように、人間もしっかりしないといけませんね。
無知な私が偉そうなことを書いてすみません。




とんちんかん小僧 - 2001/09/20(木) 00:55<

戦国忍者伝:人物編−秀吉に関わった忍び者(1)

蜂須賀小六正勝(はちすかころくまさかつ)[大永六〜天正十四(1526〜86)]

☆ 野武士あがりの透破大将

 尾張(愛知県)、美濃(岐阜県)辺の野武士、夜盗の透破(すっぱ)大将である。
はじめ美濃の斎藤道三に、その後、尾張岩倉の織田信賢(のぶかた)に、また犬山の
織田信清(のぶきよ)に属し、のちに織田信長に仕えた。
 永正年間(1588〜70)、豊臣秀吉に属して、美濃墨俣の一夜城城づくりで功績が
あった。翌年の永禄十年(1567)、斎藤道三の居城稲葉山城攻めにも子六ら美濃透破
が百姓、山伏、乞食などに化けて放火【鉢屋衆みたいですね】、また夜陰に難路急崖
から城内に潜入、ゲリラ戦法で稲葉山城陥落に働いた。越前(富山県)の天筒山城、
同金崎城、近江(滋賀県)の横山城攻めにも働き、長島の一向一揆でも活躍をみせた。
 天正元年(1573)、近江長浜内に領地を受け、同七年、播磨(兵庫県)の三木城
攻めで、谷大橋の砦をとり、鳥取城、淡路の岩屋城も攻略、同九年、播磨の竜野城主。
備中(岡山県)高松城攻めでは黒田如水と開城に努力。
 同十二年の小牧・長久手(愛知県)戦にも従軍、十三年の四国平定戦では阿波国(
徳島県)の木津城をくだし、戦後、子の家政に阿波一国を貰い、十四年没、六十一歳。

ヤゾー <http://www.kumanolife.com/History/mi.html> - 2001/09/20(木) 00:05<

布多天神

みなさん、こんばんわ。

きょうかいさん、それは残念でしたね。
乾燥に5〜6時間もかかるのでしたら買い替えて下さい。
そんな訳にもいきませんね。

バリ師さん、ほんとうですね。
なにが万物の霊長なんだか情けない限りです。
猿の惑星になりかねない昨今ですね。

あかねさん、お久しぶりでした。
でっかいハマチは、メジロかもしれませんね。
以前、間違ってツバメと言って注意されましたが、
どちらにせよ、養殖とは違って美味しいですね。
天然もん食べたら養殖ハマチは食えません。

クミコさん、その話しはテレビで見て知ってましたよ。
ボス猿が、お気に入りのメス猿にふられて、
そのメス猿が若いオス猿の方へ行ってしまったときの、
あのボス猿のなんともいえない顔は忘れられません。
女が強いというのは平和のシンボルなのかもしれません。
良い村はどこでも女が元気だ(強い?)みたいなセリフを、
もののけ姫の中でアシタカが言ってたような気がします。

>布多天神について詳しく教えてくれよ。

ピンクのトカゲさん、教えてくれよと言われても、
布多天神の境内社に瀬織津姫祀ってあることを知ったのは最近なんです。
布多天神には二年ばかり、毎月25日の縁日のときには通いました。
よくお神楽を奉納していたのは覚えてます。
今、思うと、露店を出していた人たちや、ガラクタを買いにきていた人たちは、
どちらかというとサンカっぽい人が多かったのかもしれません。
なんていうか、そういう人たちが落ち着くような雰囲気のところだったように思います。

歴史民俗資料館に箕と篭の写真を追加しています。

http://www.kumanolife.com/History/mi.html

クミコ - 2001/09/19(水) 18:20<

猿のボスはどうやって決まる?

この質問には大抵の人が、「喧嘩に一番強い猿」と答えますが、NOです。
猿のボスはメスザルの人気投票だそうです。
メスザルが選ぶオスザルはとても優しく、
何かあった時に身をていして仲間を守ってくれる猿だそうです。
猿には1〜100まできっちりヒエラルキ−があり、
その順を理解させられない母ザルはダメな母であるらしい。
よく、サル山で餌を与えて人が襲われたりしますが、
それも順位の低い猿に餌を与えてしまっているためだとか。
猿の間でもめごとが起こるとそれを仲裁するのもボス。
猿にも平謝りがあり、身を投げ出すようにして謝ると許され喧嘩も終るらしいです。
                        (高尾山 猿山の飼育人さんより)
さて、我々は何を見習うべきでしょうか?

あかね - 2001/09/19(水) 18:07<

諸々

さんかうぶさん
本の名前、教えていただいて有難うございました。PCを数日触れなかったので、お礼が遅くなって
ごめんなさいm(__)m。どこに載ってるか、さっぱりわからなかったので嬉しいです。

ピンクのトカゲさん
青玉の話題、教えていただいて有難うです!ご主人のお話を読むことができて嬉しかったです。
お話の続きが楽しみで、つい、さいそくしちゃいました(笑)。

バリ師さん
何日か前、もう一人の釣キチの叔父が、福井かどこか忘れましたが、日本海ででっかいはまちを釣ってきて
(5本)、そのお裾分けにあづかりました。丸々一本!家族でわけていただきました。美味しかったなぁ。
こんな時、釣好きが身内にいるってとっても素適、と思います。さばくのは大変だけどなぁ…。
釣といえば、がまかつのある西脇市の釣針の由来ですが、やはり京都の鮎毛鉤の技術を天宝年間?
(忘れた)に受けついだ事に始まるそうです。

未だ眠れないバリ師 - 2001/09/19(水) 09:14<

釣りをしている場合ですが・・・

■昨日、福井の高浜で竿を出しとりました。ほなら海上保安庁の船が湾内に浮いとって、昼と夜の二回、パトカーが来て魚釣りに来とう車のナンバーを控えとりました。どっちも今までなかったことです。ここには高浜原発があるんで、「テロに対する一応の警戒やろ」と釣り友達と話しとりました。

■猿と人類の祖先は近いようで、遥か昔まで遡らないっしょにならんらしいて、人類の方の遺跡とか骨からは、昔から戦争をした痕跡や武器が出てくるけんど、猿の方にはそれがないという話を聞いたことがあります。「猿にも劣る」と言うのは人類のことやったんですな。

■さて釣果の方は、秋のバリコいっぱいと頬っぺたの落ちるアコウが1匹釣れました。

ピンクのトカゲ - 2001/09/19(水) 05:24<

布多天神

ヤゾー
布多天神について詳しく教えてくれよ。
あそこ、境内社に瀬織津姫祀ってあるよな?
三河から木綿が云々って伝承あるみたいだけど
三河―東北ルートの中継点
主祭神・スクナヒコっていうのもあやしい
菅公前なのに天神って言うのも
天神→雷神→風神&水神って考えられる。
地形どんなところだ?
滝とかないか?
何でもいいから、書きこみお願い。

きょうかい - 2001/09/19(水) 02:19<

懐かしいです

ミス蜜柑さん
>こんな話 
新座市野火止に青々若きころ、仕事で5年位いました。懐かしい地名と
サンカ話のドッキングには、不思議な気持ちがします。
平林寺の山門前の鬱蒼とした森の清々しさが、思い出されます。
ヤゾーさん
>【洗剤のいらない洗濯機】
 今年洗濯機を代えました。乾燥もできるやつです。でもあれは
 ウソです。コインランドリ−で20分で乾くのが、5〜6時間もかかります。
 あのCM見てたら、きっと誤解します。
 その時はまだ、洗剤なしの機会は売ってなかったです、ちょっと残念。
 以前は、出前で食べた後の、どんぶりを洗わないで返しました。
 お店でも洗うのだから、重ねて洗剤をばらまかないようにと。
  今は、諸事情により軽くは、洗っております。
 常識はときに難しいです。
   おやすみなさい

ヤゾー - 2001/09/19(水) 00:05<

洗濯機

みなさん、こんばんわ。

>こんな話発見

そのまんまサンカの話しですね。
しかも、とても興味深い内容の民話でした。
そして悲しくて綺麗な話しのようにも感じました。
ミス蜜柑さん、紹介ありがとう。

【洗剤のいらない洗濯機】

僕は洗濯が嫌いです。
なぜなら洗剤を使った水が、
そのまま川へ流れてゆくのが目に見えるからです。
アマゴのいる川に洗剤を流すのは忍びないので、
主にコインランドリーを利用しています。
結局、下水道の普及していないところなので、
同じことなのだとは思いますが、
その方が精神衛生上よいのです。

ところがどっこい!!!
なんと洗剤のいらない洗濯機があることを今日知って驚きました。
超音波や電解水を利用して、洗剤がなくても汚れが落ちるのだそうです。
そういう物を考えた人は偉い!と感心しました。
また、少し高価ながら、よく売れているそうです。
う〜ん、少しは明るい未来を感じる話題でした。

http://www.senzai0.com/index.html

ちなみに僕は電気屋の回し者ではありません。

ミス蜜柑 - 2001/09/18(火) 23:40<

こんな話発見

http://homepage2.nifty.com/hal15/minwa/koi.html

ヤナギムシ - 2001/09/18(火) 22:15<

レロレロ・・テロテロ

アメリカのテロ・・ひどいこちゃ・・
  そらから、人が腕が生首がふってきたらしい
   なんて恐ろしい・・地獄や・・誰もテロ、憎しみで一杯です
      いってもおたれ!!・・アメリカ人の気持ちようわかります

  でも、こんな話もあります
   パキスタン政府が、アフガンに入る食料等の輸送を、停止したため
  今後、同国の食料の備蓄は2週間ほどで底をつくそうです
   その後、数百万人規模の餓死者が出る可能性があるそうです

        リビアの、カダフィー大佐曰く
     米に復讐の権利は、あるが!!
      復讐からは、なにも生まれない

     あわれな、はらぺこの・・人達に・・
      アメリカから・・すんごい破壊力のミサイルが飛んでくる
        逃げ惑う人達・・

          アメリカさん、そんな報道、TVでながしていますか?
         憎しみだけが、残らない事を
           世界の警察官に、慈悲の心を・・
               
        小泉さん、飢餓の国に食料を・・
            やっぱりむりかな・・

  せめて・・アメリカのTVに今の、アフガンの現状をほうえいしてほしいもんだ・・・・お願い


                      やなでした

                        

ふぁる - 2001/09/18(火) 19:58<

のーぶる、いいグル


みなさんこんにちは。
ここは、世相も映す板であることがうれしいです。あほくさい意見も書かれないし。まさに「のーぶる」。
司馬遼さんもしばしば話題にしていた「日本武士」、あれは形而上的読書階級の産物という意味のこと
言ってましたが、まさに世の中の「余剰」やわらかく言い直すと余裕の結果ですね。
今の世じゃ、そんな人は国政レベルには望めませんね。日本からは1兆円くらい出しそうな勢いですね。
おれにくれとはいわないが、貸して、と言いたい。


とんちんかん小僧 - 2001/09/18(火) 14:16<

−甲賀忍び− (10)

 彼ら特別任用された名もわかっている。

  望月兵太夫  六十三歳    伴五兵衛   五十三歳
  望月与右衛門 三十三歳    夏見角介   四十一歳
  芥川清右衛門 六十歳     鵜飼勘右衛門 五十四歳
  芥川七郎兵衛 二十五歳    岩根勘兵衛  四十五歳
  山中十太夫  二十四歳    岩根甚左衛門 五十六歳

 この十名は、いずれも甲賀五十三家に列する名門である。すぐに気づくと思います
が、年配者というより、年寄りが多い。子孫のために、老骨を投げ出すという覚悟だ
ったのだろうか。
 その活躍のさまを、忍者の一人、鵜飼勘右衛門が手記として残している。それによ
ると、堀の深さ、道路の高さ、狭間の形状を測定し、図面にして江戸へ送付された事
をはじめ、城内へ敵と同じ服装をして潜入したりした。なんでもない報告のようだけど、

 敵の食糧は海草と芝ばかりなり。

 という事が、たいそう役立った。松平伊豆守の兵糧攻めが、効を奏しつつある証拠なの
だった。
 こうして、甲賀衆は最後の実戦で、申し分のない働きをした。ただし、恩賞登用につい
て、詳らかでない。きわだった恩賞を得たとは思われない。功はただ、大将松平伊豆守
一人に帰してしまったようである。

 寛政年中(1789−1801)にいたり、甲賀衆の代表大原数馬は、忍術復興と甲賀衆の窮乏
救済の陳情に出府している。請願先は寺社奉行松平右京亮であった。
 この時、将軍への献上品として、杯と『万川集海』、『軍要秘記』をたずさえた。これ
が現在内閣文庫の所蔵本といわれる。
 結果はしかし、芳しくなかった。僅かに一時金が下賜されたにすぎない。
 天下は泰平で、もはや忍術も甲賀衆も必要としなかったのである。        終 

ピンクのトカゲ - 2001/09/18(火) 07:22<

鯖&青玉

サクラさん
鯖稲荷って鯖大師と関係あるんですかね?
馬の腹痛が治ったっていうのが変容したのではと、珍しく直感的なことを考えてます。
あかねさん
風琳堂主人が、宗像絡みで青玉書いてますよ。
...わざわざ言わなくても、多分チェックしてるか

ヤナギムシ - 2001/09/18(火) 00:23<

異常潮位

この二三日、海では、異常潮位らしいです
  わが友・またまた・夜釣りです

磯場についたわが友・・いつもの釣り場へ・・
  でもすこし飛ばんとならない場所有り(1M)ほどやねんけども
    いつもなら、チョイと飛んだらいけるけど
  きょうは、すこし水の中からのジャンプ・・抵抗わからんかったんやね
     
    ・・・・・ジャンプ・・・
      ハイみなさんの期待どうり・・
        
                   首までつかったそうです・・・お気の毒

         その後、満潮時には、しっかり、あたままでの海水のおみあげ・です

             それでも・・50CMまでのコロ4匹釣ってきよりました

                             負けた・・とほほヤナでした

 
         バリ師さん、やっぱり釣ってる場合いですね・・!!
                      

ヤゾ− - 2001/09/18(火) 00:05<

動物の恩返し

みなさん、こんばんわ。

バリ師さん、Love and Peace! の話し、面白かったです。
今は Give Peace A Channce ! と言いたいですね。

にっちょさん、特別参拝、お疲れさまでした。
それにしても往復900kmの日帰りは凄い!

きょうかいさん、カラスに報復されて大変でしたね。
カラスは鳥の中でも相当高い知能を有している上に、
執念深いそうですので、お気をつけ下さい。

それとは逆の動物よる恩返しの話しって結構ありますね。
民話では、「鶴の恩返し」や「亀の恩返し」なんかがよく知れれています。
中には綺麗な女性に変身して、最後は破局を迎えるというのもあります。

なんでもいいから、タヌキもたまには綺麗な女性に変身して、
訪ねてこないものかと思ったりもしますが、
タヌキ顔の綺麗な女性って、どんな顔してるのだろうと考えたりします。
う〜ん、どちらかというとキツネ顔の綺麗な女性の方が・・・ 贅沢か?
でもイノシシはやだなぁ?

とんちんかん小僧 - 2001/09/17(月) 20:58<

−甲賀忍び−(9)

副題:島原の乱への参戦―甲賀忍者最後の戦

 江戸へ行く事を拒み、甲賀に残った衆は、どちらかというと不遇だった。大坂の
役では、従軍を志願したが、許されなかった。
 もう戦争の形態が変わっていた。武士は軽輩でも武士だが、郷士は名家でも百姓の
重だった者にすぎなくなっている。要するに、兵農分離がはっきりと進んでいたわけ
である。
 将軍秀忠は、彼らに江戸移住をすすめた。これには在郷の甲賀衆がやはり同意しな
かった。だいたい、甲賀の地に残った者は、名家が多い。墳墓の地を捨てたくなか
ったのだろう。
 寛永十一年(1634)、将軍家光が上洛したおり、甲賀衆役二百人が近江の野洲まで
出迎え、松平伊豆守を通じて、機嫌をうかがっている。このとき、ツグミ五竿を献上
しているのが、なかなかひなびた風情である。家光は宿泊所の膳所城へ、代表十人を
召し出し、永禄以来の忠節軍功をねぎらった。帰りにはまた、水口で一同は出迎えた
が、家光からトリモチ二十桶を賜わった。
 ツグミ五竿に対するものである。このあたり、徳川氏と甲賀衆との親しみがうかが
われる。
 このときの記録では、甲賀衆のことを、<甲賀古士>としてある。全くその
名が相応しい。
 彼らはしかし、忍者として、最後の実戦に参加している。それは、三年後に
起こった島原の乱である。
『徳川実記』寛永十四年(1637)正月の頃に、江州水口駅より、甲賀忍び者
具すべき旨命ぜらる。
とある。 −つづく

ピンクのトカゲ - 2001/09/17(月) 20:08<

見破られた

きょうかいさん
俺板前って直感?
おじいさん香具師辞めてから板前やってたんです。
だから、俺も門前の小僧で
できるんですよ。
スタンドバーkumanoでもいいですよ。
昔、Yokohamaの某ホテルでシェーカー振ってましたから

きょうかい - 2001/09/17(月) 19:46<

報復(抱腹)

 先週の金曜日、ゴミ袋つついて散乱させている二羽のカラスに意地悪して
 つつけないように、その袋を奥の方へ隠し、おまけに出勤する時に
 そこを車で通る際に脅してやりました。
 昨日の朝、車に乗ろうとすると、なんと車は、屋根、ボンネット、
 窓全部、鳥の糞まみれになっていました。両隣の車は何ともないんです。
 
 にっちょさん
>往復900km日帰り行
 な、な、なんとすごい事を!
 お疲れさんでした。

 サクラさん
 日比谷神社のこと初めて知りました。セオリツヒメも出てくるのですね。
 あと、日比谷の大塚山(古墳?)も引っかかります。
 江戸名所図会でも見て調べます。
 サバと歯?、直接つながらないですね。当時の庶民の食卓の代表で
 そこまでがまんして願掛けした、というようなことですか?
 江戸初期、日比谷は、海でしたから海人の神様だったのかもしれませんね。
>新橋駅を出て、小料理屋や赤提灯
 なんか、椎名誠の小説思い出します。赤ちょうちん「くまの」でも行きたいです。
 焼き方はヤゾーさんで、板前は、ピンクさん?
 看板娘は、サクラさん てな具合で・・
 魚は、つりキチの皆さんお願いします。
 

にっちょ - 2001/09/17(月) 15:17<

平和祈願

往復900km日帰り行。
ア〜つかれた 『正宮』特別参拝終えてきました。
三重県は遠い−といつも思う。

眠れないバリ師 - 2001/09/17(月) 02:22<

どーゆわけ?

20年ほど昔、ふらふら旅をしていた頃、当時のソビエトやハンガリーでよく「お前は共産主義か?」と聞かれた。即座に「違う!」と答えると、「ほな社会主義か?」と来る。「それも違うなあ」と言うと「それなら帝国主義や」と決め付けるので、仕方なく二本指突き出して「Love and Peace!」と笑っておりました。

シリアやヨルダン、インドやネパールでは「日本人ならお前は仏教徒か?」と聞かれ、ま、家には仏壇はあるけど胸張って仏教徒と言えるほどのもんでもないし、「うーん、違うな」と言うと、「そんじゃクリスチャンか、それともモスリムか?」と問い詰められ、これも仕方なく「Love and Peace!」でハイ・チーズ。

自分の政治的な立場も宗教的帰属もはっきりしない情けない日本人でありましたが、日本では政治青年(右も左も)と宗教青年(西も東も)は、少し浮いてしまう存在でもあります。日本に来る外国人には「とにかく日本では、右手を振りながら“どうもどうも”と言うとったらええさかいに。その“どうも”がどんな意味なんか、アリガトウかコンニチハかスミマセンか、日本人が勝手に解釈してくれるから」と話しておりました。家庭も町内も学校も会社も国会もみんなそう、「どうもどうも」の世界です。そんな日本がパレスチナや今のアフガンへ、右手を振りながら「どうもどうも」と出ていけるわけないわな。

今日の新聞によると『イラクは今度の同時多発テロについて、「邪悪な政策の結果である」(フセイン大統領)と米国の神経を逆なでした唯一の国である』とか、フセイン大統領は公開書簡で『「米国に必要なのは武力より常識だ」と述べ、武力報復を行わないよう要請した』とあるけど、これが一番フツーの意見やないかと、これはいったいどーゆわけ?と眠れない夜が続きます。

ヤゾー - 2001/09/17(月) 00:15<

捨ててこそ浮かぶ瀬降りかな???

みなさん、こんばんわ。

体内に生命を宿せる女性こそが、一番深刻に平和を望んでいるのだと思います。
お腹を痛めて育てた子供たちが、殺し殺されてゆくのを見るのは忍びないことだと思います。

話しは変わりますが、過去に通算で180日以上、テント生活をしてみたことがあります。
地べたに寝るというのも、あんがい気持ちの良いもので、とても熟睡できました。
秋の爽やかな風に誘われて、無性にテントで寝てみたくなりました。

『風の王国』から、印象に残っていた言葉を拾い集めてみました。

「・・・私は生態系の無計画な破壊とか、そういうむずかしいことを言っているんじゃありません。 ことは簡単です。
いかに一族の独立自主のための企業活動とはいえ、海や、山や、森や、川を傷つけるようなことは許せない。
これは遍浪先生の遺された教えです。また一族の最も重要なおきてでもあります。われわれはかつて海から来た。
谷をつたい、山にすんだ。森をかよい。川に生きた。《フタカミ講》は、山を降りて世間を流れる暮らしにはいった後も、
常に山河をふるさとと思い慕う一族の集団です。自然と共生しようという志は、どのような時代でも、われわれのおきてです。
集団のおきてが崩れたとき、その一族もまた亡びる。私はそう教えられてきたし、そう信じています。 」

「彼はそれなりに真剣に答えを探したのです。そして得た結論は、強い経済力こそ国家を越える、という信念でした。
たしかに世界経済は国境を越えて存在する。多国籍企業という化けものもある。冥道さんは、それを考えたにちがいない。
物も、資本も、生産手段も、技術も、たしかに固定されることを嫌い、流動する性格をもっている。冥道さんはそこに未来の《ケンシ》
の生きる道を打ち立てようと考えた。そのために国家と官僚の力を利用することさえ、あえてやろうとした。・・・」

「わたしたちは、本来、無一物の生きかたを大切にしてきた一族ですもの。ふり出しにもどって、メンメシノギで最初からやりなおせばいいのよ。
大きくなりすぎた体を、自分たちの手で切り捨てる。前進をやめて、意志的に後退する。権力に頼ることをやめ、無力の民として生きる。
わたしたちは一所不住のケンシなんだわ。取ることでなく、捨てることを知っている素晴らしい一族よ。・・・」

サクラ - 2001/09/16(日) 20:54<

日比谷神社

日比谷神社は
いつもお世話になってる[TUTAYA」さんの程近く...
新橋駅を出て、小料理屋や赤提灯、果ては韓国エステなんていう看板
見ながらあるいて5分程のところにこじんまりと鎮座されています。

縁起には、御祭神は
豊受大神
祓戸四柱大神(瀬織津比売大神・速開都比売大神・気吹戸主大神・速佐須良比売大神)
天津神・国津神

当社ノ御祭神 祓戸ノ大神様ハ人ヤ家ヤ不浄 罪 穢レヲ祓イ清メ下サル
修祓ノ神様ニシテ神社数多クアレドモ主祭神トシテ奉斎スルハ当社一社デアリマス。
                                                       宮司
とありました。
そして別名「鯖稲荷」(古名は日比谷稲荷明神・旅泊(サバ)稲荷明神)
虫歯・虫封じに苦しむ人々は、霊験あらたかな稲荷に鯖断ちして祈ったそうな..
慶長年間に江戸城日比谷御門造営の折り、神社氏子と共に日比谷公園の大塚山
から新橋に換地になり今にいたっているとか...

なんで、歯痛と鯖なのかなぁ?
それにしても、きょうかいさん、どうも私、はくさの神様に縁があるみたいです(^^)
またまた、神奈川歯科医師会のHPに行っちゃいました!!

男の方々の釣り談義...
いつまでも、平和の中で聞きたいものですね。
人間の智恵が追いつかない中でも
人が人と共生出来る、自然と共生出来る世の中が来ることを
願ってやみません。

ピンクのトカゲ - 2001/09/16(日) 18:35<

くやしい

今日は、氏神の陰祭(旧祭)
惜しくも二番金
三番落とし、射上げ落としてるから実質「金皆中」だったのに
氏神に扁額また上げれませんでした。
悔しい
※金皆中→役弓全部あたったことを言う。金的だけのときは、金的中

没義道法主 - 2001/09/16(日) 17:37<

「ノーブルイーグル」作戦ですか。

いやはや、歴史が急展開してついていけない。
混乱してます。

ぜんぜん関係ないのですが、今日は「茨城童子」の出生地、稲野郷は富松へ行ってきました。
幼少の頃遊んだ富松神社は周囲に住宅がせまってました。
創建は不明。戦後伊勢神道にくみこまれ、本来は「スサノオ薬師」というのだそうですが、
不思議な薬師です。しかも末社の一つが「白山ヒメ神」。
鬼すなわち先住系鉱山技師なら、なにか意味深ですね。

さんかうぶ - 2001/09/16(日) 07:08<

追加

西の人が慈悲の態度を現すのは、
弱者強者の関係が成立した時点からスタートします。
なぜ、その前に出来ないの? 不器用なのか?

きょうかい - 2001/09/16(日) 01:13<

宗教か理性か

 人の脳が、神を創り、その脳は世界(自然)が作ったのであり、
 決してその逆ではない、
 とある解剖学者が言ってました。
 でも宗教が人間のうぬぼれ、思いあがりを歯止めしているのも真実だと思います。
 よく、ユダヤ−キリスト教批判の文脈で、
「神−人間による自然の支配、自然破壊という人間中心主義」
 というのがありますが、村上陽一郎氏のいわく、
 神が不在になってから自然科学の暴走が始まった、
 というのも当たっていると思います。
 またこんな言葉を思い出します。
 「狂気とは、理性以外のすべてを失うことである」
 何事も、「ほどほどに」という、日本語が好きです。

ピンクのトカゲ - 2001/09/16(日) 01:03<

一神教

いうまでもなく日本は、八百万の神々の国した。
これが明治以降の国家神道と現在に続く神社本庁及びヒロヒトにより天皇崇拝教というべき一神教に変容されてます。
いまこそ戻しましょう。天皇制を解体し、日本古来の八百万の神々を肯定する国に

ヤゾー - 2001/09/16(日) 00:05<

ふじこさん、GAINAさん、みなさん、こんばんわ。

司馬遼太郎さんが死の直前に、日本人の持つ世界に類例の見ない宗教感や潔さに未来を託くす
といったような発言をしていたのを聞いたことがあります。
また、日本的感性が世界に貢献できるのは、やすらぎの芸術や工芸的なものではないかとも仰っていました。

ヤナさん、少しうねりが出てたので気をつけてね!

GAINA - 2001/09/15(土) 22:41<

「変わり者」ではない「変わり者」

バリ師さんの指摘通りアラーとキリストの
宗教戦争の色合いが濃くなってきましたね。
その点日本は、自然崇拝から始まり、八百万の神、仏教などなど
一人でいくつもの神様を同時に信心する。
いくつもの違う価値観を知らぬうちに身に付けているのでしょうか?

宗教に対しての日本人独特の寛大さがあれば
異文化に対する差別意識も生まれてこないのでは と思うのですが、
「サンカ」「部落問題」いまや職業に至るまで・・・・・。
まあ、いろいろな事に対しても選択の幅が狭くなって来ているのでしょうなあ。

やっぱり、
自然の中でのんびりと時間を忘れて釣りをしているのがいいなあ。 
などと思う今日この頃です。
こんな事言ってると「うらやましい」より、やっぱり「変わり者」にされるのでしょうな。
この世の中は!

ヤナギムシ - 2001/09/15(土) 21:54<

のほほほ

あーーーいそがし・・
  12時に、友達が釣りにいこおぜ!!・・やて


    はよ、用意せな・・

      バリ師さん、小浦です・・

  みなさん・・また報告します・・ああああーーいそがし

          ん・・えらい雨やんか!!

ふじこ - 2001/09/15(土) 19:42<

やっかいですね一神教

バリ師さんに同感です。全く一神教に属する方々の考え方というと、自分のみが正義で他は全て邪として排されるもの、今度のテロ事件もその延長線上にあるように思えます。今回の事件で最初に思ったのは、「おごれるものは久しからず」「因果応報」といった言葉でした。もちろん犠牲になられた方々やその家族の思いを思うとたまりませんが、アメリカは今まで、正義の名の下で無辜の人々を苦しめすぎたと思います。地球環境保護の運動をしている高木善之さんは20年前に交通事故で臨死体験をしたとき、10年後のソ連の崩壊20年後のアメリカの崩壊を見たそうです。もしかするとその通りになるのかもしれません。

ヤゾー - 2001/09/15(土) 12:30<

みなさん、こんにちわ。

竹取の翁さん、はじめまして。
シンポジウム『竹取物語』のお誘い、ありがとうございます。
今後とも、よろしくお願いします。

バリ師さん、ふぁるさん、GAINAさん、こういう時だからこそ釣りは良いですね。
僕は何も釣れませんでしたが・・・(;_;)

クミコさん、じいじさんは見て下さっていると思います。
時折、顔を見せて下さると、とても嬉しいですね。

ヤナさん、人間が自然から離れてゆくとロクなことがないと、
今回のテロ行為と、それに対しての反応を見ていて、何故か感じてしまいました。
人間が勝手に創った神が存在する遥か昔から、すべてのものを育み進化を司る大神が存在していたように思います。
そのような神は人間だけのものでなく動植物すべての神であり、人間の都合のよい神とは違うように思います。
書いててなんのことやら分かりませんが・・・(・.・?)


昨日は遠方のトモダチ2人と釣りをして、それから川湯温泉へ行ってきました。
それで山小屋に戻ったのは午前3時を過ぎていました。
午前中は雨が降ったり止んだりで、今にも雨が降りそうな空模様だったので、
行くのに大変ながら絶好の釣り場には、人がそんなにも入っていないだろうと目論んで行きましたが、
考えることはみな同じで、人で一杯で釣る場所がありせんでした。
中にはテントを持ち込んでいる猛者もして、こりゃ駄目だと、また戻って違う場所を探して釣りをしました。
トモダチの一人は魚を釣る前に足を吊ってしまい、おまけに土砂降りに見舞われて難儀な釣り行でした。
釣果は一人だけ、38センチのチヌ(クロダイ)を一枚上げただけでした。
12時頃に釣りを終えて川湯温泉へ向かいましたが、
いつもなら土曜日以外の夜中だと殆ど人が居ないのに、
あちらこちらで、河原に掘った湯舟に浸かっている人の気配がありました。
自然の中で癒されたいと感じている人が多いのかも知れません。

曇り無きまなこで見定め、判断するには、
いろんな意見や情報に耳を傾けるのは大切なことだと思います。
それで、こういう意見をみつけましたので紹介しておきます。

http://www.gyouseinews.com/foreign_prospect/sep2001/001.html

ヤナギムシ - 2001/09/15(土) 01:35<

クエクエクェ

ヤナひまです・・メーールくらはい

ヤナギムシ - 2001/09/15(土) 01:28<

あばば

アババラビビタデ、パアカラニア、レパパラビビデシ
  ははははは・・ヤナの秘密の呪文です

 鳴けない山鳥の本、再読してまたまた・感じてしまいました
  seburi物語またまた・・見ました
  テンビンの詩もまたみました

    おんなじもん・・また何度も何度もみなおして
      初心・・の方向性を再確認しました
        いや・・自分に言い聞かせました

  けけけ・・最初の雰囲気・・なぜか忘れてへんかいな?
   
        さくらさん仕事に追われてへんかいな?

         ヤゾー・・たくさんの人に惑わされてへんかいな?

          おミヨさんけけけけけの心感じてね!

  もんさん・小僧さん・seburiさん・ミス蜜柑さん・まだまだたくさんの人達みなさん

    みなさんのサンカ感ってどんなんです??

     ヤナは、難しいことわかりません

      でも、自由えのあこがれ、そして自然への畏敬の念

          わすれない、そんなサンカに憧れているんです



             ヤナのサンカ感・・かわりません

                       変えません


                     けけけけえ・・おお酒呑んだヤナでした

バリ師 - 2001/09/15(土) 00:17<

Oh My God!

■「Oh My God!」という言葉の通り、ユダヤ教を母体に生まれた500年ほど年の違うキリストとイスラムの兄弟の跡目争いちゅう解釈はどないでしょうか?

神は唯一で「Gods」と複数にはならんですな。古代エジプト・古代ギリシャ・インドのヒンドウー・日本のやおろずの神々はGodsですし。

後の仏教は「Gods」やけど、キリストさんより更に500年ほど年上の釈尊その人は宗教というより哲学に近いですな。釈尊は、悟りの境地もしくは悟りに至る道を説いたけど、神や仏を置いてないし、奇跡物語もない。但しこの「悟り」ちゅうのがややこしい。

■ヤゾーさん、釣れましたか?

GAINAさん、私もメバルよりガシラの方が釣るのも食うのも好きです。

クミコ - 2001/09/15(土) 00:07<

敬老の日

じいじさん、今でも早く起きて見にきてくれてるかな?

日本中のおじいちゃん、おばあちゃん ありがとう。
いつまでも元気で、みんなに昔のお話し聞かせてくださいね!

GAINA - 2001/09/14(金) 23:12<
外道だとバカにするな。
こちとら、好きなときにブラーと釣りに出掛けるのが好きでねー!
何と行っても魚市場で拾ってきたイワシで誰でも釣れる「ガシ」
関西で言う「ガシラ」東紀州で言う「ガシ」の煮つけは旨いのだ!
誰が何と言っても「旨いーのだ!」
薄味の煮つけ最高なのだ!

高級魚?そんな魚、自分で釣った憶えもあまりないからねー。
まあ、釣った魚は食べましょう。それが供養というからねー。

竹取の翁 <http://hb3.seikyou.ne.jp/home/koizumi/> - 2001/09/14(金) 22:52<

「竹取物語シンポジウム」の開催

シンポジウムテーマ 『竹取物語』〃かぐや姫の里〃京田辺

開催日時  2001年9月22日(土)  午後1時〜4時 (開場12時半)
場  所   京田辺市中央公民館 大ホール  定員300人
         資料代300円  (当日会場受付で徴収)
       京田辺市田辺丸山214 0774-62-2552 (京田辺市役所 南側)
        (車は市役所北側の体育館駐車場をご利用下さい)

パネラー  花園大学教授  曽根誠一氏 (専門分野:国文)
       岐阜経済大学教授 梅山秀幸氏  (専門分野:日本文化)
       竹資源活用フォーラム会長 内村悦三氏(専門分野:農林)
シンポ司会 京田辺市郷土史会理事 小泉芳孝氏(専門分野:民俗・郷土史)

主催 京田辺市郷土史会
後援 京田辺市教育委員会 京都新聞社 竹資源活用フォーラム
一般広報予定  『広報京田辺』  市広報掲示板 新聞各社  NHK  KBS京都
                     
◎申込方法 「往復葉書」

(現在まだ席がありますので電話または当日受け付けでもOKです。)

 京都府京田辺市田辺80番地京田辺市教育委員会社会教育課
                 「かぐや姫シンポ」係
  郷土史会 西川氏 (0774-62-9550)までお申込下さい。
  

ふぁる - 2001/09/14(金) 14:56<

水平線またり

釣りはいいよにゃ。
沖縄の海が呼んでいる。
でも今行くと低気圧と熱い海にゲベッ。

また、船長のさばいた刺身食いたいなぁ。内臓は捨てるのね、海に。さばが寄ってきてる。入れ食いよ。
あっ、吸殻まで。タンカー洗うよりはいいかな。
回想しかできないなんて寂しい。

とんちんかん小僧 - 2001/09/14(金) 14:53<

舫 鬼九郎(もやい おにくろう)

最近、読破(読んでる途中)した本で最高に面白かった本を紹介します。

高橋克彦著  『舫 鬼九郎』  
       『鬼九郎鬼草子』[第二部]
       『鬼九郎五結鬼灯(ごけちほおずき)』[第三部] 新潮文庫より

話の内容的には謎説きに近いかなあ。登場人物は、皆さんが知っている名前もあるかと
思います。鬼九郎、天竺徳兵衛、幡随院長兵衛、柳生十兵衛、根来衆、左甚五郎…etc
興味があったら読んで下さい。とても、面白いので一気に読めてしまいます。

もう一冊も高橋克彦著の『黄昏綺譚』(角川文庫) エッセイ集です。
一部は幽霊の話(実体験話)
二部は史料や神話にある不思議な話
三部は宮沢賢治はゴッホの生まれ変わり!?
各部には20数個ずつ、面白い話、怖い話、不思議な話がいっぱい。
守護霊、前世、シバ神、UFO、六部殺し、鬼、八百比丘尼伝説、お岩さんの呪い…etc
柳田國男のことも書いてます。面白いと思うので読んで下さい。

バリ師 - 2001/09/14(金) 13:24<

加川良「教訓」・・・

「釣りしとう場合か?」
「場合です。」

たとえ日本が戦争に巻き込まれても
「釣りしとう場合か?」
「場合です。」

ヤゾ− - 2001/09/14(金) 13:04<

重くて暗い空模様

で、雨もシトシトと降ってきたけれども、
そんな天気に負けないで、
カッパを持って釣りに行ってきます。

ヤゾ− - 2001/09/14(金) 00:15<

犬神一族の陰謀 !!!

D.Godot.Sさん、はじめまして。
そして、お心遣い、ありがとうございます。
『犬神一族の陰謀』は、まだ読んでいません。
もし、読める方法があるのでしたら、是非にお願い致します。
今後とも、よろしくお願いします。


※ 『犬神一族の陰謀』(坂口義弘作/白土三平画)とは、
  『歴史と現代』(歴史と現代社発行/新國民社発売)に連載されていた小説で、
   シノガラに迫った内容だとの噂があります。
  

サンカとテキヤのつづきです。

タカマチ(神社仏閣の祭礼、縁日)には、テキヤの間に独自の掟があるといいます。
それは、タカマチのニワバ(ナワバリ)を仕切る庭主は、
他所からやってきた人間が、それがトモダチ(テキヤ)である限りは、
ショバ(売り場)の世話をしなければならないそうです。
そのような場面はフーテンの寅さんでも見た覚えがあります。

D.Godot.S - 2001/09/13(木) 20:07<

はじめまして

はじめまして。今日、「坂口義弘」でサーチして、このHPの存在を知りました。
どうやら、去年の今ごろの掲示板への投稿らしいですが、「犬神一族の陰謀」は見つかりましたか?
もしもまだお探しなら、聞いておきます。坂口義弘本人に。
では、また。

おミヨ - 2001/09/13(木) 19:54<

すれちがい

サクラさん もんむーさんすれ違いで残念でした。

太郎さんとジロー君銀座で大道芸やっているところ見ましたよ。
ジロー君結構おおきかったので吃驚しました。
友人は大道芸などに興味がないもので「早くいこうよー」なんていわれて
ゆっくり見れなかったのが未だに心残りです。
”上下ゆき”さんも旅から旅への生活だったのですね。

とんちんかん小僧 - 2001/09/13(木) 19:18<

−甲賀忍び−(8)

ここでは五十三家しかあがっていないが、甲賀武士と称される者はもっと
多かった。六角・京極両氏の被官名簿である『江州佐々木南北諸士帳』には、
八十五人の名がある。庶流が増えたということもあるが、長享の乱以降に新た
に名を表す者もいる。磯貝、大賀、大塚、葛木、富永、葛岡、甲賀、山岡氏
などがある。甲賀武士の発祥当時は守護職の六角氏の秘密軍団として活躍するが、
戦国たけなわのころは、六角氏や京極氏の随兵となる。そのほか、池田信輝、
山岡景隆、和田惟政、滝川一益などは早くから織田信長に属して、甲賀武士の
名を天下にとどろかせている。
そして信長が永禄十一年(1568)九月、近江侵攻をした時点で、戦国時代の甲賀
忍者軍団はいったん衰退するが、天正十年(1582)六月の本能寺の変のとき、甲賀
武士は団結して徳川家康の伊賀越えの危難を救った。それ以来、甲賀武士は徳川家
の隠密団として、再び活躍することになった。 −つづく

とんちんかん小僧 - 2001/09/13(木) 18:36<

−甲賀忍び−(7)

さんかうぶさん
ああ、そういう事でしたか。それでも末裔らしき人物が近くに
いるというのは羨ましいです、私としては。

副題:守護六角氏の秘密軍団

 甲賀武士が世に名を表すのは、長享元年(1487)の長享の乱のときからだ。
 つまり足利九代将軍義尚が、近江守護の六角高頼を討伐するために栗太(くりもと)
郡鈎(現・滋賀県栗太郡栗東町)に本陣を構えた時に、甲賀忍者軍団が夜襲を仕掛けて
本陣を焼いて軍功をあげたことから、全国的に名を知られることになる。『甲賀ニ十一
家之由来』によると、この乱で活躍したのは、甲賀士五十三人のうち二十一人が軍功著
しかったため、それ以来、ニ十一家と称するようになったとある。その五十三士と二十
一家を『甲賀古士之事』にもとづいて列挙する。(下参照)◎印が二十一家。この二十
一家は、それぞれ柏木三家、南山六家、北山九家、荘内三家に属していた。

柏木家 橘姓  ◎山中 十郎     柏木家 菅原姓  ◎美濃部源吾
         嵯峨 越前守              針  和泉守 
         宮島 掃部介    荘内家 藤原姓  ◎鵜飼 源八郎
         倉治 右近介        藤原姓   小川 孫十郎
         平子 主殿介              山上 藤七郎
         葛城 丹後守              八田 勘助
         杉谷 与藤次    北山家 惟宗姓  ◎神保 兵内
北山家     ◎土山 鹿之助       多々良姓   青木 筑後守
北山家 源姓  ◎望月 出雲守             小泉 外記
    平姓   鳥居 兵内     北山家      ◎大河原源太
         杉山 八郎     北山家      ◎大久保源内
    夏見姓  夏見 大学     北山家 平姓   ◎佐治 河内守
    藤原姓  多羅尾四郎兵衛   南山家 伴姓   ◎上野 主膳正
荘内家 丹波姓 ◎三雲 新蔵人              饗庭 河内守
南山家 伴姓  ◎大原 源三郎              高野 備後守
南山家 源姓  ◎和田 伊賀守    北山家 源姓   ◎隠岐 右近太夫
    伴姓   牧村 右馬介    北山家 藤原姓  ◎頓宮 四方介
南山家 藤原姓 ◎池田 庄右衛門             上山 新八郎
    平姓   服部 藤太夫        橘姓    岩室 大学介
         中山 民部丞              野田 五郎
         高山源太左衛門   荘内家 藤原姓  ◎内貴 伊賀守
柏木家 伴姓  ◎伴  左京介        藤原姓   大野 宮内少輔
北山家 源姓  ◎芥川 左京亮        伴姓    岩根 長門守
         宇田 藤内               黒川 文内
         上田 三河守    南山家 平姓   ◎高峰 蔵人
    藤原姓  長野 刑部丞        藤原姓   新庄 越後守
南山家 伴姓  ◎多喜 勘八郎         (以上、五十三家)−つづく

さんかうぶ - 2001/09/13(木) 00:19<

御二人さんへ

<とんちんかん小僧さん>
否、本物の忍者が知り合いと言う訳ではなくて、当時の末裔らしき
人を何人か知っている、と言う訳です。
その1) 昔からの友達のF氏、一族で(忍者の薬だと言う)薬を
作っています、漢方薬の粒ですが、ガマの分泌物等も含んでいる。
その2) B氏、姿形が現代でも、もろに忍者です。猫背ぎみの
姿勢で、片目が不自由。 片目を塞ぎぎみで下から見上げる
猫背の好爺です。 白土サンペイの劇画そのまま。
又、気になる事見つかれば、書き込みします。

<あかねさん>
赤松啓介氏の 「差別の民俗学」 を御読み下さい、図書館
でも借りられるかも知れません。
中程に、(行商道、峰道、官憲の及ばない山道、茶店)等
の事が書かれています。東播磨や福知山から神戸大阪
方面へ出る”隠れ道”です。表現が少し抽象的ですので
地図を睨んで再確認が必要みたいです。
東播磨御出身との事、私より詳しいと思いますので、
詳しく判明したら、逆に、教えて欲しいです。

ヤゾ− - 2001/09/13(木) 00:03<

サンカとテキヤ

みなさん、こんばんわ。

アメリカの政府関係者やマスコミが、
世論を戦争へと向かわせるように発言しているのを聞いていると溜め息がでますね。
せめて日本は戦争に巻き込まれないよう賢くありたいものです。

マージナル1号にサンカとテキヤについて興味深い話しが載っています。

五木寛之インタビュー 聞き手 紀和鏡 朝倉喬司

朝倉 ・ 私の推測なんですけども。『山窩の瀬降りを訪ねて』というNHKの放送のときに、
新聞記者が現場まで行ってて、三紙ぐらい記事になっているんですね。
それによると、藤倉アナウンサーが三角寛からレクチャーを受けて、
奥さんのことをキャハンていうんですか、と聞くんですよね、
そのお父さんの方に。そしたら、キャハンじゃなくてバシタというんだ、と答えているんですよ。
バシタというのは、テキヤさんの隠語なんですよね。そうしますと、恐らく近代になってテキヤの組織と
相当重なって生きてきた部分があると思うんです。サンカという純粋種みたいな人がもしいればの話しですけどね、
その人たちがテキヤにとけこんだという図式が一つ考えられる。
ただ、純粋種というのがちょっと怪しいと思うんです、僕は。

五木 ・ いや、純粋種というのは、どんな社会にもないよ。

ピンクのトカゲ - 2001/09/12(水) 19:25<

その通り

ふぁるさん
まったくおっしゃる通りです。私も同感。

ふぁる - 2001/09/12(水) 17:52<

こもごも

まあ、犠牲になった人はかわいそうでしたね。

しかし、同じように「アメリカの正義」のために、いままで犠牲にされてきた人に対しても
「かわいそうだね」くらいの反応が善良なアメリカ人のもっともまともな反応の部類だ。
(アメリカの正義のためには...というひどいのもいた)

だから、ようやく自国の一般人が殺されるという事の経験が積めて、他国を思いやる気持ちも芽生えようと
いうものだ。あの国じゃ無理か。なにがパールハーバーだ。一晩で20万人殺された国のこと考えた事なんか
無いはずだよあれじゃ。

いままで、アメリカによって尊い命を奪われてきた人々に合掌。
そして、今度の事件で死んだ加害、被害者に合掌。

統領が偉そうに何を言っても、所詮は過激派を買ってる筆頭の国だから。

=====
犠牲者を多く出す目的でもない、人種的な特定地域を狙ってない、テロのためのテロではない。
トマホークの報復というだけであればラディン氏だけれども、これは政府機関と経済中枢を狙ったと
言う点においてかなり有得そう、頭いいから彼は、だからやり過ぎない。
反政府ってだけで、人種偏見や原理派はちがうような気がしますね。
=====

にっちょ - 2001/09/12(水) 12:07<

テロ

あまりに悲惨で・・
人間ほどおろかなモノほかに見つかりません・・
話す言葉がみつからない・・

もんむー <http://plaza6.mbn.or.jp/~minneiken/> - 2001/09/12(水) 08:28<
やぞーさん、おはようございます。

僕も奥三面のことを調べていたときに、調べてみたのですが、とくにビデオと
してリリースしていないようです。現状ではフォーラムや各地で行われている
自主上映会などで見るしかないようです。関西方面のことはよくわからないの
ですが、民映研に問い合わせてみてはいかがでしょうか。

おミヨさん、
「周防猿周しの記録」に登場していたのは、現在もよくテレビに出演しておら
れる太郎さんでした。おさるさんのほうは何度か代がわりしているようです。

でわでわ

バリ師 - 2001/09/12(水) 07:58<

!・・・・・・?

■歴史というのは、年表みたいに何年に何があった、何年に何があったと縦割りやなしに、いろんな因果関係が絡まりながら、横に時間が連綿と続いているものと認識しております。ナチス・アウシュビッツ・真珠湾・南京・原爆・イスラエル建国・朝鮮戦争・・・。けっして縦割りやないんですな。今回も、多分、アメリカは報復措置に出るでしょうが、結局はそれもテロと同じ力の論理やと思います。その犠牲者もその辺のおっちゃんやおばちゃん、そして子どもたちです。

■文明が進化して、機械もんの中身が複雑になっていったように、人間関係や親子関係・国と国の関係もややこしなってったような気がします。このままでは人類、もたんで。

ピンクのトカゲ - 2001/09/12(水) 06:50<
昨日は10時前に寝てしまい、今朝、テロ知りました。
それにしても、傲慢なブッシュの声明。
ハーモナイゼーションという言葉があれほど似合わない米国がテロ云々言う資格あるんですかね?
日本政府の見解あれなんですか?
沖縄で米兵及びそれを管轄する米軍がやってること、あれは卑劣じゃないんですかねぇ。

GAINA - 2001/09/12(水) 01:45<
何たることだ!
本当に世の中狂っとるよ!
一般社会を巻き添えにするテロ。
また、ヤナギムシさんのいう通り、
それを賛美する者や国があること自体狂っとる!
それにしても、9月11日はいろいろあります。
昨年は名古屋の水害。
自宅の200m程の所で堤防が決壊して丸4日も水浸し。
幸い4階だったから直接の被害は無かったけれど・・・。
紀州熊野の尾鷲で生まれ、育ったから災害には多少慣れてはいたけれど・・・。
その昔、57年前の東南海地震の津波で
実家が完全に流されたこともあったし(まだ生まれる前)、台風や大雨も度々のことだったし・・・。
9月11日は来年からいい日であって欲しいですね!


きょうかい - 2001/09/12(水) 01:23<

ああ

 何か、何かはわからないけど、今日でぷっつり
 終わってしまったという感じがする。
 昨日までの日常性が、今日から変わると思う。
 仕事も、学校も・・

ヤナギムシ - 2001/09/12(水) 00:51<

やめといてえな!

テロの世界では、テロで命落とした者は神のごとくにあがめられるとか?
  冗談や無いで・・なかには、家族のため子供のために働く
 とおちゃん・かあちゃんがいてるんやぞ

              涙・・涙

                    やなぎむし

サクラ - 2001/09/12(水) 00:43<

ショックです

マージナルNO.5の 村崎氏のところを読んでいた時の
アメリカのテロのニュース

世界中のひとが家族を思い愛する人を想い国を思い
平和を望んでいるのは、確かなことなのに...
嫌な方向に進まないように祈ります

愛も智恵も平和を望むことも
戦争の前には無力になってしまうのでしょうか...

多くの犠牲者がでたようです

合掌



ヤゾ− - 2001/09/12(水) 00:05<

猿曳きとサンカ

マージナル 道ゆく芸能者たち 村崎修二 より

このあいだ『マージナル』と送っていただいて、
三角寛さんのことだとか、さまざまな人たちのサンカに寄せられるいろんなことを読ませていただいたんですが、
西のほう、中国地方や四国、九州のほうでは、もちろんサンカという形態は近世や中世かあったわけです。
徐々に定住させられて、明治以降に移動の自由ができたときから、
もう一度中世にさかのぼった。腕前だけで生きていくといいますか、川でウナギをとったり、いろんな漁をする、
あるいは、河原に生えているものを使って細工をして、生活の大半は漁と細工とするという人たちは、
たいへん歴史が深うございます。実はその中から猿曳きも出てくるわけなんです。


もんむーさん、そのへんの記録映画はビデオで見られないのでしょうか。
確か箕作りの記録映画もあったと思いますが、是非、見てみたいです。

おユキちゃん、お久しぶりです。
そういえば、反省サルはジローという名だったような・・・?
おミヨさんのウサギの話しは、場面が浮かんでくるようで、とても悲しかったです。

ホントに大変なことになりましたね。
アメリカにとっては真珠湾攻撃以上の出来事だと思います。
穏やかな世界が訪れますように祈りたい気分です。

ヤナギムシ - 2001/09/11(火) 23:23<

どひゃーーー

アメリカどうなってるんや!
  えらいことになってるやんけ

    ろ講橋事件から始まった支那事変みたいなことにならへんやろな
      経済からみて、明日株価動きますね
       ここまで、低迷した経済たてなおすのに戦争が一番なんてかんがえる
 政治家や経済人がいてもふしぎでないかも・・


                   心配性のヤナギムシです

       

あかね - 2001/09/11(火) 22:37<

教えて下さいませ

さんかうぶさん
>赤松啓介氏の言う、東播磨の多くのサンカ道も絶対に確認してみたい所です。
 恐れ入りますが、上記の東播磨の各サンカ道について、ルートなどを教えていただけませんでしょうか。
 もしくは氏のどの著作を読めばいいのか是非、ご教示下さいませm(__)m。
 私は東播磨出身でして、割合に山の位置関係とか、土地感がありますので、是非、知りたいです。
 といっても、尾根やらまでは、特定の山々しか、あんまりわかりませんが…。お願いします。

とんちんかん小僧 - 2001/09/11(火) 14:58<

さんかうぶさんへ

レス有難うございます。
>現実に知っている人も何人かいます。
それは、スゴイ!! 本物と知り合いとは羨ましい。 
忍びの話は実話です。(たぶん)歴史を曲げてまで創作してるようには思えないから。
判りやすく興味をひいて貰えるように、ほんのちょっぴり努力しています。
これからも、よろしくお願いします。

おユキ - 2001/09/11(火) 12:55<

凄い雨風です

皆さんは大丈夫ですか。
職場の人が、外出から戻ってきたら、
可哀想なくらいびしょ濡れになっていました。
パンツまで濡れたって言ってました。
あまり被害が出ないといいけど。

おミヨさんの文章、気持ちがとても伝わってきて、
ウサギの話しはとても悲しかったです。
フラニーちゃんは犬なんでしょうか。
元気になってよかったですね。

サクラさん もんむーさん 
「周防猿回しの記録」はテレビによく出演していた方のものなんですか。
確か反省サルの方ですよね。
間違っていたらすみません。

きょうかい - 2001/09/11(火) 11:05<

やっぱ、すっごーいです

 ただ今、こちら川崎、世田谷は、すっごーいです。
 台風の右側ってすごいとヤゾーさん言ってたけど
 当たってるみたい。いま、なんかサイレンの音が聞こえました。

ピンクのトカゲ - 2001/09/11(火) 01:33<

こっちは、大丈夫

ヤゾ〜
こっちも、大丈夫だったぞ。
関東の方お気をつけて

もんむー - 2001/09/11(火) 00:59<

周防猿まわしの記録

サクラさん、みなさん、こんばんわ。

実は僕もその会場に来てました。
アルマーニのスーツでタケコプターつけてたのが僕です(ウソ)

この中にサクラさんがいるんじゃないかなあとは思ったのですが、僕もあそこ
では新参者なので、あまり目立つことがしづらかったのでそのままになっちゃ
いました。

映画では最初、言うことを聞かない猿が容赦無く殴られたりしてヘビィだった
けど、やがて人と猿の信頼関係が成立すると、親兄弟以上に親密な仲になって、
双方にいっしょに生きてゆこうという覚悟ができるところは感動しました。

姫田さんのお話は、姫田さんのこれまでの経験からくる奥の深いもので、聞き
ごたえがありました。

次回の「奥三面」も楽しみです。次回は会えるといいですね。
次回は巨人のユニフォームに浮輪をかぶって待ってます。(ウソ)

でわでわ

ヤゾ− - 2001/09/11(火) 00:05<

変な夕焼け空でした

みなさん、こんばんわ。

こちらでは、それほど台風の影響はありませんでした。
東海、関東地方の方はこれからのようですので、ご注意下さい。
ピンクのトカゲさんのところは大丈夫ですか?。

ミス蜜柑さん、よくわかんないけど、フラニーが元気になってよかったですね。

サクラさん、面白そうな映画みて、温泉へ行って良かったですね。
村崎義正さんの身内の方だと思いますが、
村崎修二さんという方のサンカの話しがマージナルにありましたが、
とても良い話でしたよ。
今度、読んでみて下さい。

ヤナギムシさん、こちらでも変な夕焼けを見ましたよ。
雨が降っているのに、西の空があまり見たことのない色に染まっていました。
しばらくしたら今度は黄色がかった色になりました。
外の風景がセピア色に染まって変な感じでした。
関西の広い範囲で同じような夕焼けが目撃されたみたいです。
その二重の虹の写真、見たかったです。

サクラ - 2001/09/10(月) 23:36<

映画と日帰り温泉に行ってきました

もんむーさん、おミヨさん
「周防猿回しの記録」の映画土曜日に見てきました。
あの有名なタローさん(18歳当時)と、お猿のジロー君のデビューするまでの、
そうです。さるまわしが復活されるまでの、記録映画です。
タローさんの若くてアイドルみたいにかわいらしかったことにびっくり!
(あはは、今は中年なんだもの)
そして、猿に芸を教えるということ...
周防猿回し...これを復活させた村崎義正さんは、
「自分たちの親のやっていたことを、差別されるからといって、
闇に葬るとことは出来ない」とおっしゃていて、映画作りを思い立ち、
その思いに打たれて監督はこの記録映画の制作を決められたとか...
いろいろと考えさせられ、教えられるものがありました。

そして、昨日は雨の中、友達と日帰り温泉に...
朝から晩まで、久々の友達とおしゃべりしながら
どしゃ降りの雨にけむる滝を見ながらの露天風呂も風情あるものでした。
でも、そこは晴れ女のこと、外にいる時には雨は降らなかったのです。

でも、今日のニュースではその温泉近くの吾妻線が不通とのこと、
渓谷近く山の中...
宿の皆さんは大丈夫でしょうか?
これから、まだまだ台風被害は続きそうです。
台風の進路にあたるみなさん、お気を付け下さい。

ヤナギムシ - 2001/09/10(月) 23:14<

あははははは・・やっほーー

台風15号接近・・愛知から東のみなさんご注意ください・・

  少しそれた大阪の夕方・・こんなんはじめてや!!
   おもてが、異様に明るく黄色に染まりました・・みんな、なんや、なんやと
                           表に出てきました!
  東の空には・大きな虹・それも二重にかかっていました
       きんのから今日にかけて、なんか蒸し暑かったのが、乾いた秋風・・
         大阪は、ほんまにそれたんやな・・と思いました

OOさん、まだ恥ずかしさが、あります
  もっと、自分を投げ出してください
     
  自分を、投げ出すってなんなんだろーぅ
   それで、自分の事受け止めてくれる人いるんだろーか??
    だれも、いなかったら・・・!
      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・!

             ・・・・・・!

      考える前に・・あたって砕けろ・・

                 だれかいますよ・・

                   だれかが、見てます、聞いてます

             やなぎむし・ヤナギムシ
    
   

ミス蜜柑 - 2001/09/10(月) 18:52<

ウサギの泣き声

>その時初めてウサギの鳴き声ききました。
>3匹めは叔母の家の犬メチヤメチヤ吠えまくります。御用聞き、洗濯屋さんのズボンの裾咥え、ビリビリ
>にしてしまい弁償です。散歩の時は口にワッカ(?)をつけていましたよん。これは、野生が残って
>いたからでしょうか。

ウサギの泣き声??
カワイソー。

フラニー元気かなー

フラニーは無事手術成功して,元気です。

昨晩、夢に「ピンクのトカゲさん」が出てきました。


kumano豊橋支局(ピンクのトカゲ) - 2001/09/10(月) 16:35<

台風情報

まだ、こっち大丈夫だぞ。
時折横殴りの雨降る程度。
工場の周りも冠水なし。
でも、これからだよな。
とりあえず、八時ぐらいまで、工場にいるつもりだけど
周りの道路冠水しそうになったら帰るよ。

ヤゾー - 2001/09/10(月) 15:03<

台風警報

みなさん、こんにちわ。

ふぅ〜、少し前に台風に対する備えを済ませたところです。
こちらでは、少し雨が降る程度でしたが、これから雨風が強くなりそうです。
今度のは、この前のより大変な気がします。
特に台風の進行方向の右側に入ると大変なので、
名古屋のピンクのトカゲさんや関東の方はお気をつけ下さい。

さんかうぶ - 2001/09/10(月) 02:08<

サンカ道

おミヨさん 貴殿の投稿、いつも興味深く読ませて頂いています。
飛脚、忍者道の紹介有難う御座います。
一度地図でなぞってみることにします。実は、私、MTB(自転車)が趣味でして、
鈴鹿山脈や台高山地東部の山中を走る事が多いのですが、是非”サンカ道”を
辿ってみたいととみに思うようになりました(既に、気が付かずに、サンカ道
走っていた事も有るのでしょう)。
特に鈴鹿は、列島でも狭い部分なので、東西のサンカ等が絶対に行き来頻繁だったと
のロマンが一杯の場所です。鈴鹿の戦前のサンカについての情報もひとつ有ります。
赤松啓介氏の言う、東播磨の多くのサンカ道も絶対に確認してみたい所です。

それから、とんちんかん小僧さんの忍者の話も興味津津です、特に最近の甲賀忍者で
出てくる姓は、殆どが現在も実在の姓です。現実に知っている人も何人かいます。

おミヨ - 2001/09/10(月) 00:13<

大山積神社

伊予国三島大明神の祭神は百済より渡来、その大社は三島神社で、大山積神社ともいい、大山積神をまつる
一名を和多志大神といい、仁徳天皇の御世、この神百済より渡来、津国御島に坐き、故にこれを三島大明神といい云々とあります。狼神でしょうか。

ヤゾ− - 2001/09/10(月) 00:03<

温泉巡り

みなさん、こんばんわ。

GAINAさん、ほんとうにあのトロッコ列車はガタガタとよく振動しますね。
でも、またトロッコ列車に乗って湯の口温泉に行きたいです。
イギリス人の紀州鉱山での強制労働は、わりと友好的なものだったそうですね。

さんかうぶさん、こんばんわ。
畿内の竹細工のルーツは隼人によるものが大きいようです。
湯の口温泉へ行くのでしたら、前もって予約して泊まられることをお勧めしますよ。

きょうかいさん、その二人の英国人女性の話しを、何かのテレビで紹介していたのを見た覚えがあります。
検索で調べたところ、宣教師のハ ンナ・リデルとエダ・ライトという方たちのようです。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~takeko/mini-2001.htm#ridel

ピンクのトカゲさんが、
千と千尋を真剣な顔して見ていたと思ったら、なんだか可笑しいです。
そういう解釈ができるというところも、凄い映画なんだと思います。

おミヨさん、こんばんわ。
そういえばクルマで一時間くらいの距離で行ける温泉が幾つもあります。
白浜温泉、椿温泉、龍神温泉、湯の峯温泉、川湯温泉、渡瀬温泉、十津川温泉、
湯泉地温泉、湯の口温泉、美山温泉、熊野川温泉、鮎川温泉、乙女の湯、翡翠の湯・・・
まだ知らないところがあるかもしれません。

もんむーさん、それ面白そうですね。
NHKのドラマって結構面白いのをやるんですよね。
なんていう題名のドラマなんでしょう。

もんむー - 2001/09/09(日) 23:16<

恩田睦「光の帝国〜常野物語」

今日、本屋でこれを見つけて立ち読みしたのですが、なにげにサンカっぽい話
のようです。

恩田睦「光の帝国  〜常野物語〜」(集英社文庫)

「常野」から来たといわれる彼らには、みなそれぞれ不思議な能力があった。
穏やかで知的で、権力への指向を持たず、ふつうの人々の中に埋もれてひっそ
りと暮らす人々。彼らは何のために存在し、どこへ帰っていこうとしているの
か?
amazon.comより

それからこの作品はドラマ化されて11月にNHKで放送されるそうです。

でわでわ

おミヨ - 2001/09/09(日) 22:12<

こんばんわ

きようかいさん ありがとうございました。

忌詞と言霊関連あるでしょうか?

さんかうぶ様 サンカ道かどうかわかりませんが、こんなんありました。
飛脚、忍者道
秘密裡に江戸から加賀へ連絡する捷路、柳田が「東国雑誌」に「加賀様の隠し道」書いた推理は、江戸から
秩父ー万場とルートをとり、あとは武州街道ともいわれる十国峠街道を佐久へ走り、千曲川左岸の山地を
望月ー丸子ー別所ー青木ー修那羅峠ー麻積(おみ)へ出、さらに犀川を横切って大町をめざし、針ノ木峠
から黒部川の平をへて富山へ向う。富山から高岡ー石堂ー倶梨伽羅峠超えをして金沢へは北国街道である。
この隠し道は江戸から富山まで北西に一直線につづく道で、この捷路300キロぐらいで忍者や飛脚なら
5日で飛んだかもしれないと・・・。柳田があるいてみようと思いながらはたさなかったらしい。

狼神社は埼玉の三峰の雲取山、大口の真神と恐れられているお犬様が横行する聖地で盗難、火難よけ。
火事を知らせる犬の実例も結構おおいです。遠山谷の八重河内では、山住様をお迎えする時は、4月17日
の春祭りに狼のお札を借りて帰り11月17日の秋祭りにはお返しする。この遠山谷は猪などの害獣除け。
かっての焼畑地帯では猪等の被害が多かったのでしょう。
静岡県周知郡の山住神社のお札もお犬様で盗難火難除け。

気軽に温泉はいりに行ける距離がうらやましい。

ピンクのトカゲ - 2001/09/09(日) 16:34<

映画見てきました。

その前に大山積→狼について
天竜水系の水窪の山住神社のお札は、「お犬」です。あと、作手あたりにあったような記憶が、あのあたり(作手)、狛犬明らかに狼みたいなのありますよ。
天竜川について補足しておけば、奈良時代には、麁御魂川(あらみたま)、平安時代には、広瀬川、鎌倉時代には、天の中川、室町以降に天竜川と呼ばれるようになりました。まさに瀬織津姫ワールドです。
映画、湯屋は、国枝史郎の「神州纐纈城」を思い出しました。
ハクが、丸薬を飲ませるとき、千尋の中にある風の神、水の神云々の台詞、竜田の風神、広瀬の大忌神を前提としているのでは...
蛙が出てくるのは、スクナヒコの正体を訊ねる場面を思い浮かべました。
ハクが琥珀川ということですが、名古屋を流れる天白川とすれば、瀬織津姫と言うことになります。
天白川の源流は、天瀑山にあり、天の滝、滝の女神・瀬織津姫となるからです。
ハクが男であるというのも、天照大神が女神にされたのと逆の意味があるのでは...
白山ということになれば、龍は、九頭竜と言うことになります。
上記の天竜川なども意識していたのではないかと思います。
それと、沼底などというのもヌナキイリヒメを連想しました。

きょうかい - 2001/09/09(日) 04:53<

昨日聞いた、いいはなし

 昨日の朝、TBSラジオで永六助が取り上げた話
 大戦前、二人の英国人女性、ライトさんともう一人(名前失念)が、熊本に英語教師として
 来日していた。彼女らは、当時の現地のハンセン氏病患者の差別に心を痛め、救済施設の建設に
 奔走した。その後、不幸にも戦争が始まり、鬼畜米英の矛先とされ大変酷い目に会い、やむなく
 オーストラリアに逃れた。戦後、彼女たちは、酷い目にあったのにもかかわらず、再び来日し
 施設の運営にまい進し、熊本に骨をうずめたそうな。
  ときどき、永六助の番組を聞くのですが、いつも感心しております。
  あのじいさんの今回の話のような目のつけ方や、
  差別に関する微妙な問題に対する彼の語り口を尊敬しております。
  前にも「橋のない川」の住井さんに対して、「あの方は、男を差別してるんですよ」
  と笑いながら語れる彼の身の置き所は、不思議な魅力です。
 先の熊本の話ですが、聴き覚えで、失礼にも名前忘れてしまってます。どなたかご存知の方
 フォローしてください。

さんかうぶ - 2001/09/09(日) 03:15<

国栖

GAINAさん、ヤゾーさん、 きょうかいさん フォロー有難うございます。

古事記、日本書紀等の神話の分野は勉強不足でして、参考になりました。

”今も宮中に伝わる「国栖の舞」うんぬん” 今もって行われていたとは
驚きました。
”タヌキの尻当て” きっとそうでしょう!尻尾の件。昔の人が誇張したの
ですね。 角の話や一つ目の話等もその類。
”蝦夷、隼人、国栖 の同一時代での地域性” ですが、谷川健一氏
に拠りますと、畿内大阪平野にも蝦夷の人が居たらしいのです、これも
伝説の神話からの推測ですが、ほぼ確定的みたいです。
当時、日本が成立していなくて、九州北部の渡来系だけ(ヤマタイ国説)
がホットポイントでしたので、その他地域は皆原住民系。
九州北部が壁となりますので、当時隼人は中南部より北へは大挙移動は
無理(捕虜として少数の押し込めは可能ですが)、九州北部から東や北は
四国も含め本州北海道全て混在状態ではなかったかと思います。
蝦夷と国栖、それと出雲蜘蛛族、アイヌも含めて。ロシア系民族も。
九頭竜、久須の地名が福井県に堂々と残っていますので、やはりここ辺り
も居住の証拠。 兵庫西宮に有名な夷神社が存在するのも何かの縁。
故に厳密な区分は不可能と思います。(隼人は別として)
それよりもっと昔には隼人も蝦夷も国栖も日本国土上の根源はひとつ、
、全く同一だった、と、思います。 所謂縄文人!、陸系、海系、共。

サンカ道、他にも情報ありましたら、宜しくお願いします。

紀和町、湯の口温泉、昨年ぐらいから一度行ってみたい所でした。
いかんせん、私の所からでは、余りにも距離が。
来年の目標にしておきます。
何かにつけ大雑把な”O型”の さんかうぶ でした。

GAINA - 2001/09/09(日) 02:36<
ヤゾーさん、湯の口温泉行きのトロッコ列車で頭を打ちませんでしたか?
私も乗ったことがありますが、尻の皮が剥けそうになるほどのガタガタさですね!

戦時中に捕虜となったイギリス人が紀州鉱山で強制労働、
この地で亡くなった捕虜の墓を紀和町の人々が今も世話し感謝されており
慰霊祭には遺族や大使なども紀和町を訪れ合同で行われているとのことです。

ふじこさん、大山積神社(大山祗神社)で狼を神様のお使いとしている神社は、
調べたところ判りませんでした。
大山積神は日本の山の神の総元締めですが、
瀬戸内の水軍が信仰したことから海の神、武門の神の性格が強まったということです。
また、山の神は里に降りて田の神になり、穀物の実りをつかさどる神に変化、
穀物から作られる酒は、山の神の分身ということになり、
酒解神と呼ばれて(コノハナサクヤヒメを酒解子神と呼ぶ)
酒造の祖神としても祀るようになったようです。

ちなみに秩父の三峰神社(イザナギ・イザナミが祭神)のお使いは、狼ですが、
「大神」と付いている神社も「狼」に関連があるといわれています。
また、狼を神のお使いとしている神社を調べておきます。




ヤゾー <http://www.kumanolife.com/Topics/9_8.html> - 2001/09/09(日) 00:09<

トロッコ列車でゆく温泉

みなさん、こんばんわ。

クミコさんも天川へ行ってたんですね。
あの時の賑わいは、いったいなんだっとの?というくらい、
今では、ひっそりとしているみたいです。

きょうかいさん、黒須さんの小説は面白いですね。
黒須という名前が国栖からきていたなんて知りませんでした。

ふじこさん、ごめんなさい。
オオカミが大山積の神様のお使いかどうかは、僕には分りません。
大山積神社は別子銅山と関係が深いようですね。

昨日、産銅量では国内では屈指の銅鉱山であったという、
紀州鉱山が閉山になった後にできた湯の口温泉へ行ってきました。
鉱山の坑内をトロッコ列車に乗って目的の温泉まで行くという、とても風情のある温泉でした。
そのトロッコ列車と温泉の写真をページにしています。
近くにあった紀和町鉱山資料館へも行ってきました。
う〜物凄く眠いです。

http://www.kumanolife.com/Topics/9_8.html

ふじこ - 2001/09/08(土) 20:39<

眷属

お稲荷様にはお使いとして、動物霊として狐が水神様にはへびが、大山積の神様のお使いはやはり狼なんでしょうか。

とんちんかん小僧 - 2001/09/08(土) 15:07<

−甲賀忍び− (6)

ヤナさん
宣伝ありがとう!和歌山県立自然博物館で『ニホンオオカミ』の展示会、まだ
やってると思いますよ。

クミコさん きょうかいさん
間にあいませんでしたが、私は完璧主義な所もある典型的なB型です。歯並びは
最高に良いです。(歯医者さんに誉められた事があります。)

 実際に活躍した記録がある。寛永十五年(1638)の島原の乱の時。十人の甲賀衆が
松平信綱(通称、“知恵伊豆”)に随行し、敵城内部を調べ、兵糧米十三俵を分捕った。
 これらの恩賞として、徳川家では甲賀武士に与力の家格を与え、江戸中期には旗本に
列する甲賀武士も多く出た。文政十年(1827)の『国字分名集』によれば、次のとおり
である。

二千石    青木 熊三郎    六百石     武島四郎左衛門
六百五十石  青木 五左衛門   五百五十石   伴  五兵衛
八百俵    上野 鉄吉     六百五十石   三雲 万之助
千六百三石余 黒川 八左衛門   五百一石六斗  三雲 施薬院
五百石    篠山 甚右衛門   七百十四石九斗 美濃部彦左衛門
千石     武島 三左衛門   五百石     美濃部 主水
千五百石   滝川 三郎四郎   八百石     美濃部 勘兵衛
千五百石   谷  主殿     五百十一石五斗 美濃部 八蔵
二千石    谷  主計     五百石     美濃部 六郎
五百石    多羅尾三郎四郎   七百石     山口 藤左衛門
七百石    山口 伝五郎    千石      山中 平吉
八百石    山口四郎左衛門   六百石     山岡 彦五郎
五千七百石  山林 甚兵衛    五百石     山村 甚十郎
二千石    山岡 十兵衛    八百九十石五斗 和田 伝右衛門
千石     山岡 五郎作           (以上、二十九家)

(詳しくは石川正知著『忍の里の記録』翠楊社、参照して下さい) −つづく

次回は書き忘れていた事があるので、時代を逆行する事をお許し下さい。再び近江鈎の里
の合戦について書こうと思います。それと、島原の乱で活躍した忍び十人衆についても。

きょうかい - 2001/09/08(土) 14:45<

国栖と地域

 さんかうぶさん、GAINAさん、やぞーさん、こんにちは
 蘇民伝を書いた黒須紀一郎氏が自分の姓を調べていったら国栖にたどりついて
 一連のサンカ小説を書くきっかけになったと聞いたことあります。
 国栖という呼び名は、蝦夷、隼人という呼び名ができる前の言葉だったのでしょうか、
 それとも九州の隼人、あづま以東の蝦夷、畿内周辺の国栖というように同時代で
 地域性があったのでしょうか?
 おミヨさん
 歯の質は、遺伝するように思いますが。特に形質は、頑固だと聞いたことがあります。
 他の顔のパーツも同様に頑固でそれで日本人は個性的なのだと思います。
 なんでこんなに顔や体躯が違うのかといつも感心しております。
 歯の色は、人種では、変わらないのではと思いますが、ちゃんと調べた人も
 いないでしょう。

ヤゾ− - 2001/09/08(土) 10:39<

尾の生えた人?

みなさん、こんにちわ。

さんかうぶさん、GAINAさん、国栖の話とても面白いです。

古事記の中で、ヤタガラスの案内で神武一行が吉野川の上流にでたところ、ヤナをしかけて魚ととっている人物に合い、だれかとたずねると「わたしは国津神で、名はニヘツモの子といいます」(鵜飼いの祖先だといわれているそうです。 )という。次ぎに井戸の中でピカッと光るもあり、そこから尻尾のはえた人間が出てきて「わたしは国津神で、イヒカといいます」(吉野オビトの祖先だといわれている)といい。今度は山の中で、また尻尾の生えた人が岩石をおしわけながらあらわれて「わたしは国津神で、イシオシワク」の子という。(吉野国栖の祖先だという)

その国栖の末裔がサンカの一派だという。

まさかサイア人ではあるまいに、ほんとうに尻尾の生えた人なんているはずがないのに、
なんで国津神には尻尾が生えていたのだろうと考えていました。

少し前に磯釣りの時に使う尻当てを買いに行って、思ったより高価だったので買わずにいました。
そのことを地元の釣りバカに話したところ、タヌキを捕まえて尻当てを作れと言います。
昔はタヌキの毛皮で尻当てをよく作ったものだと言うのです。
そういえば、猟師や山伏が毛皮の尻当てを使っているのをよく見掛けます。
毛皮の帽子に尻尾が付いたのがありますが、
そういうものを始めて見た昔の人だったら、
頭に尻尾を生やした人と表現したのではないでしょうか?
古事記では、川漁をしている人にだけ尻尾が生えていると書かれていませんが、
川漁をする場合には尻当ては必要ありません。
アウトドアにおいて、何処にでも座れる尻当てはとても重宝するものです。
そうだそうだそうにちがいない。
尻尾の生えた人とは毛皮の尻当てを付けた人たちを表しているのに違いない。
そういうところからも国津神=縄文的だと思った次第です。
そんなこと常識で誰でも知っていたらゴメンナサイ!

クミコ - 2001/09/08(土) 10:38<

血液型アンケ−トありがとう御座いました。

血液型アンケ−ト、ありがとう御座いました。
きょうかいさん
しょうもない質問で恐縮、すみませんでした。
欧米では(白人)O型が大半をしめ、血液型占いは成り立たないそうです。
ゆえに、自分の血液型を知らない人も多いそうです。

おミヨさん
私も犬の思い出いっぱいあります。
初代ロビ、ペロ、現在タキ(17才)
ロビとペロに育てられ、
三度も心臓麻痺を起こしながらも、なお健在なタキには
老いを教えられている気がします。

大台ケ原、100年かけて修復しなければ元に戻らないと聞いた時には、
日本の自然は死んだのだ。と涙が出ました。
でも、そこに山犬が生息しているというニュ−スは大変な喜びです。
山の神もまたご健在であろうと…
釣り好きのみなさま、まだまだ魚も釣れますよね。
この秋、山に登る時にはどんぐり植えながら登りたいです。
虹の戦士は私達一人一人だと思います。

ヤゾ−さん
私もあの時期天川に行ってしまったひとりです。
あの時期のあぁいう土壌がオウムのような存在を産み出した気がして
行ってしまったひとりとして、反省しています。

やなさん
みんなに血あげられますね!

ピンクのトカゲさん
穂の国、頑張って下さいね!

サクラ - 2001/09/08(土) 07:50<

おはようございます

きょうかいさん、おミヨさん
内なる控腸生物に打ち勝って、今おいしい朝ご飯食べました。
むふふ..おいしくて全部身になりそうですよ〜

あはは(^^)

歯磨きもしっかりせねば...

おミヨ - 2001/09/08(土) 06:05<

はぁ〜〜

きょうかいさん おはようございます。

歯の質って遺伝するのでしょうか??

人種によって歯の色は違うのでしょうか??

GAINA - 2001/09/08(土) 04:59<

吉野の国栖

さんかうぶさん こんばんは!
「国栖」は奈良県吉野郡吉野町にあります。

「古事記」によると、
神武東征の折、吉野・丹生川のほとりの大きな岩を押しのけ出て来た尾がある人で
その名を「国津神、石押分之子」。これが国栖の祖先とのこと。
その住んでいた所を国栖と呼ぶようになったようです。

「日本書紀」では、
穴から出てきた後、土で作った御神酒瓶を丹生川に沈め、
魚が浮いてくるかどうかで神武の東征の勝敗を占い、見事に魚が浮いたので
喜んだ神武は榊で神々を祀った。これが神にお神酒を供える習慣の由来。
丹生とは水銀、この地方は水銀の豊富な地で魚が浮いたのは水銀を川に沈めたといわれ、
石押分之子は鉱山系の技術集団という説が有力のようです。

一方「常陸国風土記」は
国栖を土蜘蛛(脛・すねが通常より長く八束脛・やつかはぎ とも呼ばれていた)といい、
土の穴の中に住み、盗み、殺しを常とし、いばらで路を塞ぎ退治されたと記されています。

「日本書紀・応神天皇の条」では、応神天皇の吉野行幸の時、
国栖が酒を持って訪ね朝廷との交流が深まり、奈良時代の大嘗祭に捧げものをして歌笛を奏でたのが、
今も宮中に伝わる「国栖の舞」の始まりとのことです。
この交流から吉野の国栖は土蜘蛛という蔑称で呼ばれなかった一因でもあるのです。

日本列島大地溝帯が三重県松阪市の櫛田川から高見峠、吉野川、紀ノ川を貫いていますが、
この近辺は水銀の産地が多く、江戸時代には白粉・おしろいで莫大な財を成しました。

それにサンカ道のことですが、紀伊半島は「神武東征のルート」を調べてみてください。
大和と熊野を結ぶ尾根道があったといわれてます。




きょうかい - 2001/09/08(土) 03:43<

夜更かし3

 サクラさん
 だめですよ、内なる控腸生物に負けてはいけません。
 でも、もう遅かったでしょう。
 人って、「口」から「○門」までが、本当の主役でおまけとして
 神経の吹き溜まりの頭がついてるのだと思ってます。
 誰かが言ってたんですが、人間とは、「・・袋」だと。
 さて・・とは、なんでしょう。
  ヒント 「目・・、鼻・・を笑う」
    

きょうかい - 2001/09/08(土) 03:28<

今日の思い残し

 血液型って答えるの、けっこうコッパズカシイです。こういう性格も
 多分血液型関係してると思います。だから、「・・型にみえない」
 なんていわれると、うれしかったりして。
 これが私の血液型です。
  登録押すのをためらいつつ・・・(この性格嫌い)
  おやすみなさい

サクラ - 2001/09/08(土) 03:20<

夜更かし2

ぜんぜん、霊感も直感もない私は...
  そんな体験してみたいと憧れます。
    守護霊さまもいらっしゃるのかいらっしゃらないのか。      
      
バリ師さま
  秋につりする時って、釣り人たちも詩人になるんだってわかりました。
    今度釣りしてる人見かけたら、バリ師さんの言葉思い出しちゃいそうです。

でも、こんな時間まで起きていると
  美しい言葉もきれいな音楽も遠くなり、
    おなかの欲求を受け入れるべきか、受けいるべきでないかの判断の
      岐路にたたされてしまいます。      

さんかうぶ - 2001/09/08(土) 03:00<

国栖のはなし

こんにちわ。
ここではあまり話題に登らない”国栖”について少々。
隼人や蝦夷と同様の国栖(くず)と言う人々が昔居たらしい(特に大和紀伊半島に)。

山中で縄文式生活をする人々であったらしい。(まつろわぬ民でした)。
大嘗祭に参加して歌舞音曲を披露したらしい。

土蜘蛛、国巣、国主、国津、来栖、栗栖、楠、久須、九頭竜、久津、葛、久斯
、黒石、葛城、井光、尾張 等の別名別呼称。

「国主」→大国主命→大国→大黒
「楠」→楠木正成
「九頭竜」→頭九個→間隔八個→八股→ヤマタノオロチ
「黒石」→黒=国
「葛城」→葛の城→葛が一杯居る→カツラギはサンカと修験の大聖地のひとつ
「井光」→井戸の中が光る→水銀鉱山師→精練関連
「尾張」→(クズには尾が生えていたとの伝説)→尾有→おあり→尾張→犬→
犬飼→犬養
「くす」→くすし→薬師→隠密
等が推測出来そうです。

ちなみに”くず”に関する地名は

○坂、別○、○尻、石切、染、○田、河原、坂○、○山、胸突、長瀬、垣○、○泉、
多○、○野、茶屋、鉾立、府中、梶、○岡、明神、神領、大原、陶、砂場
などが見られます。
即ち
坂の者、石切屋、藍、河原者、河川山岳、カイト、サンカ道、鍛冶屋、古墳、砂鉄
、産、タタラ、神社 などに繋がるのが多いですね。

ところで、ヤゾーさんの住所近辺の地名を邪推してみました。

葛→かつら→かつうら→勝浦
くず→くじ→くし→串→串本
蜘蛛→クモ→クマ→球磨→熊→熊野

チョット荒っぽ過ぎるかな?この投稿は屑かも知れない。

何方か山奥の”サンカ道”に関する情報御持ちでしたら、是非とも披露して欲しいです


きょうかい - 2001/09/08(土) 02:21<

夜更かし

ピンクのトカゲさん
 憑依は、二重人格説、あり得ると思ってます。座禅の経験はないのですが、憑依と座禅は、
 一見関係なさそうですが、同じ土俵で考えられそうに思ってます。
 想像なんですけど、深く深く瞑想していくと、「わたし」が消える瞬間があるのではないですか?
 前に、芸術大学出身の人の聴いた話ですが、彼の学生時代の友人が、静物画を書いてて、何人も
 発狂したそうです。多分、目の前のモノの意味が分解してしまって、元に戻れなくなってしまった
 のだと思います。漢字が、分解してしまう事あるでしょう。「怒」が「女」「又」「心」に見えて
 しまうような。天才ゆえの悲劇かも。
  でも二重人格とかスキゾという問題に対して、禅やってる人の意見がないように思います。
 きっと何かつかんでる人がいるように思うのですが。
>俺、理屈で説明つかないこと納得しないんです。
 ある心理学者が、目の前で血だらけの女の「幽霊」を見ながら、「これは、たまたま無意識のうちに
 感じた臭いから自分が想像した映像なのだ」と記述していたのを思い出しました。でもその人は、
 二度とそこには泊まらなかったそうな。

 おミヨさん
>狼は、忌み言葉で
 動物の名前って不思議だなあと思ってます。ねこ「寝子」?、うさぎ?、うま「ま」の訛り?、とら?
 たぬき?、きつね?、狼「大神」?
 私の「ねずみ」の仮説
 ネズミは、柳田國男の本では、恐れ多い動物だったみたい。それで、もともと「?」という名前があった のだけど、忌み語となっていた。それで、その代わりに方位に当てられていたのを取ってきて「子角」(ねのすみ)と呼んでたのが、いつのまにか本名になってしまった???

 くみこ さん
 出雲の人は、明らかに全国平均よりA型が多いらしい。
 歯並びと血液型
 O型の人は、歯並びがいい。歯並びの良いタイの人はO型が多いのでは。
 O型で歯並びが悪い人いたら、お返事を。
 歯並びの悪い人は、A型が多い。親知らずで苦しんだ人は、A型が多いのでは?
 B型の人にも歯並びが悪い人がいるが、A型ほどではない?よく分からない。
 
 
  

ヤナギムシ - 2001/09/08(土) 00:59<

クァクァクァ・・

和歌山の自然史博物館に今、日本オオカミの剥製があるんやてぇ
  お近くの方・・ごらんあれ・・へへへへ

ヘヘヘヘクァクァクァ・・おミヨさん・・でたなーーーぁ
  やっと、妖怪に変身なされたようじゃのう

  ヤナギムシなかなか、成長せず変態やけど、変態しません・・0型血液緑色・・
         
   回覧板・・今ごろどこらへんにあるんかいなseburiさんもおまわったかいな?

    糸トンボ・・居るのか居らんのか、わからん位小さなトンボ・・
           その透き通ったきれいな、羽・・
            なんやその、ちいさな目玉は、
          ちゃんと、みえてるんかいな?
      
           ありゃりゃ・・生意気に二人連れですか?!
             あんたらみたいな、ちびちゃんでもタマゴ生んでヤゴになるんかいな?
            そんなに小さな連でどこまで、飛べるやら・・

              ほんまに赤い・赤とんぼ・・秋アカネが、酒呑んだみたいやね

        りりりりり・・ほんま虫たちのコンサート・・

           のんびり、聞いたろかいな・

             ・・・ けけけけ妖怪ヤナでした

ヤゾ− - 2001/09/08(土) 00:03<

停電怖いよ〜

みなさん、こんばんわ。

さっきしばらく停電してました。
本当に停電の多いところです。
なんでだろう?
オーメンの映画見て、怖くて夜眠れなかったことを思い出して、
停電嫌だなあって思っていました。
ノートパソコンって結構明るいです。

あかねさん、いつも貴重なお話、ありがとうございます。
昔、山奥の山村には野鍛冶がやってきて、
刃物やいろんな鉄のものを作ったり修理していたみたいです。
その彼らは、もしかしたらサンカだったのかもしれません。

おミヨさん、僕も犬の思い出がたくさんあります。
一番は、物心ついてから一緒に大きくなったシロという名の紀州犬です。
気性が荒くて人をよく噛みましたが、家族にはとても懐いていて忠誠心の強い犬でした。
小学6年くらいの時に死んでしまいましたが、
中学2年くらいまで、その犬のことを思い出したら泣いていました。

フラニーって誰ね。ミス蜜柑さんところの犬?
名前からしてゴールデンの立派な犬みたいな感じがしますが、
野良犬だったら大笑いだ〜い。

ピンクのトカゲさん、こんばんわ。

>一番リラックスした状態になるんです。普段以上の力が出る。

忍者から伝わった武術に体術というのがあって、偶然、その体術を知る機会がありました。
もともと格闘技に興味がありましたから、その体術の話しを聞いたときには、これは凄いなと感じていました。
その体術を学んだアメリカの警察官が、アメリカで行われた何でもありの格闘技でプロを相手に優勝しています。
その体術でも、基本は脱力状態から本能的な力を導き出すことにあるみたいです。
下手にウエイトトレーニングなどをすると、それが難しくなるみたいですね。

>だから、磁場強いとこが聖地とか磐座になったんじゃないかって

昔、天川に惹かれて集まって来た人たちの多くが、
天川で瞑想すると、高い段階まで達するみたいなことを言っていたようです。
それは、天川の土地の持つ磁場の影響により気が上がりやすいのだそうです。
そういうことを感じるのも感性のひとつだとは思いますが、
あまりそういう方向へ行き過ぎるのも危険な気もします。

クミコさん、こんばんわ。
僕は、O、BのO型です。

>呪術を素直に受け入れる民族的な感性に共通点があるようにも思えます。

もんむーさん、そうですね。
ジプシーやケルトまたインディアンとか、日本では沖縄とかアイヌとかの人って、
そういう感性が強い気がしますね。
サンカの人にも、そういう感性の強い人が多かったような気がします。
古い時代のアニミズムと関係あるのでしょうか。

もんむー - 2001/09/07(金) 23:46<

呪術の民

きのうの書きこみ、つめが甘かったです。ごめんなさい。

最近、ジプシーとバスクの映画を見て気付いたのですが、映画の中によく呪術
のシーンが登場するんですよね。当然のように超常現象が実現してしまいます。

「ジプシーのとき」では主人公のお母さんが手かざしで子供の病気を直します。
さらに主人公の少年も超能力者でフォークを空中浮揚させて人攫いの男に刺し
てしまいます。

「黒猫白猫」では主人公の二人が望んでいない結婚式を阻止するために、呪文
を唱えて自分の体を仮死状態にしてしまいます。

「エル・スール」ではお父さんが振り子で地下水脈を発見してしまいます。

これらはすべて寓話的な映画の中の出来事なのですが、これらの場面で共通し
ているのは、こうした呪術的な行動が周囲の人達から理解されているというこ
とです。これは監督の感性がたまたま同じだったといえばそれまでなのですが、
呪術を素直に受け入れる民族的な感性に共通点があるようにも思えます。

でわでわ

ピンクのトカゲ - 2001/09/07(金) 23:12<

血液型?

しらべたこたぁねぇけど
俺とそっくり(?俺がそっくりか)だった祖父さんがRHマイナスだったから、俺も多分そうだと思おうよ。
トカゲのくせに赤い血出るから、血液型は、エチルアルコール型だと思うよ。
クミコさん
俺も最近、トカゲらしくないと怒られますよぉ〜。
また、いろいろ 教えてねぇ〜
弁天様も、大分整理できてきたよ。
三河の分だけだけど
またねぇ〜
ちゃんと調べてみますよ。血液型。

クミコ - 2001/09/07(金) 22:34<

A型

みんなの血液型、知りた〜〜〜い!
ダメですか?

ちなみに 私はA型です。
みんなにA型らしくない!と怒られます。
たぶんA‐O型だと思います。

ピンクのトカゲ - 2001/09/07(金) 20:43<

守護霊?

俺、理屈で説明つかないこと納得しないんです。
あまり、いい例じゃないけど、技術と技能の違いみたいな?
※技術は、第三者に伝達できるもの、技能は、個人の能力によるものであり、第三者に客観的に伝達できな いもの
とか言いながら、俺自身除霊とかできないけど、何回か立ち会ってるんです。
強い悪霊だから来てくれって。そのときも言われてるんです。強い守護霊がついているって
俺は、悪霊じゃなくて、いまいうところの多重人格だと思ってます。

しかし、ありえるとは、思ってますよ。
昔、格闘技とかやってたし、寒稽古なんて、あれ、毛穴閉めて、血管(筋肉)弛緩させるためにやると思ってます。これ、一番リラックスした状態になるんです。普段以上の力が出る。
俺、行ってた高校、宗教学校(母体が豊川稲荷、在学中にかのウィークエンダー出場)だったから、座禅とかやってました。
あれ、腹式で呼吸して、丹田でためた『気』ビテイ骨から背骨に抜いてくんです。
その呼吸使うと、毛穴閉めて、血管弛緩できるんです。
仏像とかの光背、背骨(頭蓋骨)から抜けた『気』具象化したものと思っています。
それに血管弛緩させてるから、身体ぽかぽかしてくるんですよね。
血液の循環よくなるから
血液、鉄分だから、そう言う意味で、磁場とかに関係すると思ってます。
だから、磁場強いとこが聖地とか磐座になったんじゃないかって
ところで、ヤゾー
こう言うの感性ってゆうんか?

おミヨ - 2001/09/07(金) 20:21<

こんばんわ

ふぁーるさん
オーメンに出てくる霊犬(?)ランランと光る目といい強烈に印象にのこっています。

狼のことを別名”山犬”と呼んでいるようです。
狼は、忌み言葉で、地方によって狼につけられたときは狼といわず「”むすめ”がつけてくるととか」
「”山のおっちゃま”がつけてくる」と呼び、狼という言葉がオオカミの耳に入ると、あとの祟りが恐
ろしかったそうです。犬狼交配などでオオカミの血が入っているのは「漂泊の牙」のなかにもありまし
たが「オオカミ犬」というようです。犬狼の交配犬の優秀性は伝説的領域をでず、学問的には逆に犬
の能力が退行するといわれているようです。

やぞーさん
私も過去に3匹の犬の思いでがあります。
子供の頃に、捨て犬ひろって飼っていた犬が、また、迷子にさせてしまって2度と帰ってこなかった
悲しい思いでと、2つめは庭でウサギを遊ばせていたら、ゴンが縁の下まで追いこみ殺してしまった
あげく、咥えてどこかえ持っていってしまったのです。その時初めてウサギの鳴き声ききました。
3匹めは叔母の家の犬メチヤメチヤ吠えまくります。御用聞き、洗濯屋さんのズボンの裾咥え、ビリビリ
にしてしまい弁償です。散歩の時は口にワッカ(?)をつけていましたよん。これは、野生が残って
いたからでしょうか。

フラニー元気かなー
春之助くんも元気かなー。。





あかね - 2001/09/07(金) 15:29<

山内は定住

ピンクのトカゲさん
 大人になってからは全然、弱いですよ。気配や音等ぐらいです。あ〜よかった。
 私も何となく、強い守護霊さんに守られてらっしゃる気がします。

ヤゾーさん、皆様
 山内では村落を形成して、多くは先祖代々そこに定住し、蹈鞴に従事してきたものが多かったそう
 です(日立金属HPより)。中世に千軒の地名がついてる所などには、そういう山内もあります。 
 中世、数人踏みの往復動足踏み吹子が登場し、足踏みを行う番子に、渡りや流れ者が多かったそうで、
 彼らと村人との摩擦を防止するために、厳しい法度があったそうです。
 こういった村内で、サンカへの差別がなかったのは多分、彼らは番子などに従事したのではなく、何か
 技術を提供していたためかもしれませんね。鍛冶の長である大工(今でいう大工職の事ではなく、職人
 なら親方はみな、大工と言った)や、タタラ場の村下などには扶持がついてたので、定住者でなければ
 なりません。だから、即戦力の職人のプロとして一定期間、村にいた、なんて事かもしれません。
 或は竹・蓑細工、狩・漁のプロとして村と交易があったりしたのかな。
 互いに職能集団とも言えますもんね。腕、第一!

ヤゾ− - 2001/09/07(金) 13:07<

大雨

みなさん、こんにちわ
こちらでは、朝からときおり激しく雨が降っています。
今日いちにち雨が降るみたいです。

バリ師、毛鉤師ニ豹変スさん、面白いです。
釣り師の独り言みたいなエッセイ読んでいるみたいでした。
テンカラ(和風毛鉤釣り)はあまりしたことがありませんが、
餌釣りに比べて、飲み込まれることが少ないようですから、
魚にとってはダメージが少ない釣り方かもしれませんね。

おミヨさんの御犬様の話で、実家で飼っていた犬(シーズー)のことを思い出しました。
とてもユニークな犬でした。
大きさも普通のシーズー犬の倍くらいありました。
座敷き犬だったのが、あまりにも野性的なので外で飼っていました。
僕が釣ってきた、まだ生きているガシラやハゲを見せると、
パクリと銜えて小屋の中に持って行ってバリバリ食べてしまいました。
そこで下手に手を出して取り上げようもんなら、僕の手も食べてしまうような犬でした。
この前、磯にいたネコに、釣ったアジをあげても食べなかったのに、
犬が生きている魚を食べるんです。
手の平サイズの生きたガシラやハゲを食べるのでさえ驚きなのに、
一番驚いたのは、50センチ程のハマチを三枚におろした残りの骨とはらわたを、
外の流しのところに置いていたら全部食べてしまっていたことでした。
姿形が随分違っても、どこかに狼と同じ血が流れているのですね。

ふぁる - 2001/09/07(金) 13:04<

オーメン

狼ってあの狼じゃなくて、山犬のことでしょうか。

おミヨ - 2001/09/07(金) 10:27<

御犬様

私にとって生きているということは「重い」「暗い」ことで、ピンクやブルーで私の世界は表せないですね
色はなくてもいいって思ってます。        福島瑞穂 1936〜   芸術の秋です。

やなさん ケケケの妖怪おミヨです。お元気ですか?
再び狼(お犬さま)出没ですー
遠野物語にもいくつか狼の話しがありますが、そのなかの一つ
佐々木君幼き頃、祖父と二人にて山より帰りしに、村に近き谷川の岸の上に、大なる鹿の倒れてあるを
見たり。横腹やぶれ、殺されて間もなきにや、そこよりはまだ湯気たてり、祖父曰く、これはオオカミ
が食いたるなり。この皮ほしけれども御犬は必ずどこかこの近所に隠れてみておるに相違なければ、
取ることが出来ぬといえり。

狼が仕留めた鹿等の獲物を食べのこしたものを”犬落とし”といつて、これを人間様が喜んで持ち帰ろ
うものなら、狼は人間様が猫ばばしたとばかりに、夜、その家に必ず返却を迫りにいき、一晩中、その
家の周りを徘徊し、吠えたり唸ったりして騒ぎたてるそうです。どうして鹿泥棒の家がわかるかというと
昼間、山中の見晴らしのいいところで、自分の食べ残した鹿肉を、じいっと監視しておるんだそうです。
”犬落とし”を拾った場合には、狼の恨みを買わないように、その場に狼の大好物の食塩やあずきめし
をおいてくれば、夜になって騒がれなくてすむんだそうです。また、“犬落とし”を授けてもらいたい
時は山住様ー狼神様にあずきめしを進ぜると丸々一頭落としてくれるそうな。

何世紀頃かのフランスで狼に街全体占拠された話し(事実)読んだことがあるような記憶があるのですが、
どなたかご存知ありませんか?

エル・スール
バスクの村や家族の情景が浮かんできそうな文章、ビデオ探して観たくなりました。

バリ師、毛鉤師ニ豹変ス - 2001/09/07(金) 00:54<

秋の風に背中を押され・・・

毎年9月の渓流釣りは何か気が重い。

このまま釣らずに、年末に無事、産卵させてやりたい気持ちが湧くのだ。キャッチ・アンド・リリースするにしても、身重のアマゴ母さんを毛鉤でガツン!と掛けると、腹の子に差し障らないかと心配なのである。そんな魚を本心、釣りたくないのだ。

だから出来るだけ大きな毛鉤を使う。まるでコオロギかクモみたいだ。そしていつもの魚が出そうなポイントではなく、流れの急な白泡の中とか、アブラッパヤやイダ・ムツがおりそうな緩い流れ、そしてたいていは飛ばしてしまう大淵などに「釣れないでくれ、ポチャン」「掛かるなよ、ポチャン」と落としていく。

しかしそんな渓流師のやさしい心根を知ってか知らずか、うつけものの大きなアマゴやイワナが飛び出してくるときがある。

私は「アチャ」と舌打ちして、魚を寄せてくる。そしてこの時期だけ、フライマンのようにやさしくキャッチ・アンド・リリースしようと携えているタモですくい上げる。

傍のカジカに聞くと「ケケケ・・・。ま、ええやん。持って帰り」と鳴く。9月の渓流、私の活かし缶の中には「矛と盾」がいっぱい詰まっている。

この活かし缶には説明がつかない。

もんむー - 2001/09/07(金) 00:33<

エル・スール

エル・スール見ました。

スペイン内戦をめぐって、バスク人達の分裂で生じた父親と祖父との確執を背
景にした映画です。傷ついた父親は家庭では娘をこよなく愛するよき父であろ
うとします。しかし自分の苦悩を誰にも話そうとはしません。ただ娘だけこっ
そりとそんな父をじっと見守っていたのです。

父は不思議な力の持ち主でした。地下水脈を振り子を垂らすことで見つけてし
まのです。村の人々は彼を称賛します。しかし娘にとってはそれがあたりまえ
のように思っていました。

やがて娘は父とある女優との関係を察知します。この女が父とどういう関係な
のか、娘は父に問い質します。しかし父はまともに答えてくれません。

やがて父の苦悩はさらに深まり。過去の女性の幻影の仕業のように、ピストル
自殺を遂げてしまいました。

バスク地方の美しい空と大地は暗く沈んだ家族を静かでひんやりした空気でつ
つみ込んでいます。父の死は娘に悲しみと旅をもたらしました。病気になった
娘はあたたかい南の町へ転地療養に行くことにしたのです。そこは父と祖父が
生きた町。娘ははじめてこの村をでるのだ。

でわでわ

ヤゾー - 2001/09/07(金) 00:07<

宮崎アニメとサンカ

みなさん、こんばんわ。

GAINAさん、こんばんわ。
画像掲示板のコメントから、同じ熊野に住む方かなと思っていましたが、
尾鷲で生まれ育ったのですね。
尾鷲の国道42号から奈良県下北山村へ通じる道は何度か走ったことがあります。
狼除神社なんて珍しい神社があったなんて知りませんでした。
また農耕文化と狩猟文化についての話しなど聞かせて下さい。

>お前には、強い守護霊ついているから見ないんだって、

ピンクのトカゲさん、なんとなく、そんな気がします。

宮崎アニメを何本か見てから直感として、
宮崎駿監督はサンカのことを深く知る人に違いないとの思いを持っていました。
というより、氏の作品の根底には、
サンカ等の歴史から排除された人たちに対する熱い思いが隠されているのではないかとさえ思っていました。
もののけ姫を解説したものには、山の民などの非定住者を描いたものだとの話しは結構ありましたが、
もと関係者の方の意味深な発言を書いたものを見つけました。

「そうですね。これはおそらくプロ的な見方だと思うんですが、よく見ると声優の方はしゃべりが終わっているのに、
画面ではそのキャラクターの言葉がこばれているような感じを受けました。
つまりセリフにまだ先があるような感じがするんですね。おそらくエボシ御前のタタラ場にはサンカとか、
そういう人たちが出入りしていたんじゃないか。もちろんあの時代に彼らが差別されていたとは思いませんが、
それで彼らを語るセリフがカットされたんじゃないかとね。」

とんちんかん小僧 - 2001/09/06(木) 14:13<

−甲賀忍び− (5)

副題:旗本に列した甲賀武士たち

 本能寺の変が起こったとき、泉州堺を遊覧中であった徳川家康は、帰路についた
飯盛山(いいもりやま)付近で、駆けつけた茶屋四郎次郎の知らせで信長の死を知る。
当初、明智光秀と戦って討死の覚悟もしたが、近臣の説得に応じて道を転じ、伊賀越え
をして三河へ逃避する。
 宇治田原から信楽へ出ると、多羅尾光俊の出迎えを受け、馳走を得て一泊した後、
光俊の集めた甲賀忍者に案内されながら家康は加太(かぶと)越えをして、伊勢白子浜
に到着した。その数、伊賀衆と会わせて三百余人だったという。
 家康一行の伊賀越えに協力した甲賀武士は、『神祖泉堺記事』には、伴(ばん)、西尾、
平岡、武嶋、美濃部、和田氏らの名がある。家康はこの危機を救った甲賀武士をすべて雇
い入れ、関ヶ原合戦での甲賀武士の活躍を見て、家康は山岡景友に命じ、慶長八年(1603)
十二月に、甲賀百人組を結成させた。これを母体として、大阪の陣では鉄砲隊と間謀団が
大いに活躍し、家康の天下統一に貢献した。 −つづく

おミヨ - 2001/09/06(木) 08:48<

おはようございます

ボルネオの「オラン・イカン」様は「おらーイカン」とおっしゃりながらも、しっかり北海道に
いらしておったという・・・・過去ログに「北海道で半漁人をみた人がいる!?」と書いて
おられた方がいたような記憶がうっすらとあるのですが???・・・・・・・。
その「オラン・イカン」様は、なにかおしゃべりになるんでしょうか?北海道なまりで・・・・。

GAINAさんおはようございます。
明治以前の頃は狼を殺すことを忌む風習は全国的(?)であつたようで、その理由として、狼が農作
物を荒らす猪鹿を退治してくれる益獣とみられていたことと、その他には、山神の使い(お犬さま)として
崇められていたからという。それが近代になって害獣視されるようになる一番の原因は、山に猪鹿等の獲物が少なくなり、空腹にたえかねて里に降り馬や家犬を襲うようになり、人間とのトラブルが絶えなくなり絶滅に至るようになる。獲物が多く棲息していた頃には病狼でないかぎり人間を襲うことはなかったという狂犬病の伝染も絶滅に加速していったようで、その原因も家犬を食べるようになってからのことらしい。人間に近ずきすぎる昨今の熊もそのうち絶滅に至るようで・・・。。
なぜ、動物(熊・猿など)が里におりてくるのか?
下記のやぞーの書きこみの「山鳥の歌」の文章につながりますね。

ピンクのトカゲ - 2001/09/06(木) 07:32<

霊感・・・

あかねさん霊感強かったんだ。
俺なんか全然
いまから20数年前、
大学入学直後のこと
ある下宿で五・六人で酒盛りをやることになった。
駅に近くて、日当たり良好、でも妙に家賃が安い下宿。
午後四時ごろ、その下宿に行く。上述のように日当たり良好の割になんかジメジメした雰囲気。霊感ない俺でもそれは感じる。
入ってきたときは、裏口から来たんだけど、酒を買いに行くとき、出口からいったんです。
そこには、すりガラスに受付の打ちぬきの文字
その下宿、元、病院だったんです。
深夜まで酒盛りをやり寝静まったころ、出たらしいんですよ。
俺以外みんな見た。
その中で一番霊感の強いヤツ曰
お前には、強い守護霊ついているから見ないんだって、
それ違うんです。感性ないから霊感もないんです。
因みにその下宿の主、夏ごろまでにノイローゼになりました。
さくらさん
オランイカンは、日本に来て、八百比丘尼に食べられちゃうんです。

GAINA - 2001/09/06(木) 04:08<

狼他

日本で最後といわれる
日本狼の死体が発見(日本最後の狼)されてから95年が経ちましたが、
どこかで種の保存が継続されていると信じている一人です。
私は大台ガ原の山々に通じる尾鷲で生まれ、育ちました。
ちょうど50年前に田舎の家の裏で冬の夜9時過ぎに、狼の遠吠えを聞いた経験があります。
その頃、私の家には犬がいたのですが、
何かあると必ず吠えていた犬が狼の遠吠えで、
尾を巻いて小さくなっていたのをはっきり憶えています。
その後、高校生の秋、友達2人と大台ガ原への登山中に目の前20m程のところを
犬のようなものが2頭横切り、登山を止め逃げ帰った経験もあります。
こちらは狼かどうかは判りませんが・・・。
そんな経験から狼に興味を持ちいろいろ調べました。
尾鷲の国道42号から奈良県下北山村に通じる道路のそばに、
「狼除神社」がありました。
今は移転したようですが、江戸時代に創られたものと思われます。
狼との遭遇を避ける、狼の被害から身を守る神社です。
江戸時代に各藩から狼を射殺するようオフレが出していたようですが、
尾鷲では殺すことなく狼を除けるという消極的とも取れる行動をしていたのでしょう。
その頃の尾鷲は狩猟(海も含めて)を生業としていたはずですが・・・。
今でいう、自然と共生・動物保護?に通じるものがあります。
食べないものは殺さないという風習は確かにありました。
熊ですが、熊野では熊は神様の使いとして食用にはしません。
人に害が及んだときに射殺するくらいです。
それと同じで、狼も殺すことをしなかったのでしょう。

話は変わりますが「サンカ」への差別ですが、
神武東征後の土蜘蛛への侮辱、差別と共通性が感じられます。
神武東征は稲作文化の本格的流入と考えています。
神武体制強化の意味合いもあったでしょうが、
異文化への差別(農耕文化と狩猟文化)・(縄文文化と弥生文化)が行われたのは確か。
今も、完全に農耕文化のみの地域では差別意識が高く、
狩猟文化の残る地域では低いのではないかと思います。
その後、土蜘蛛(先住民族)の不満が高まり、
第十代崇神天皇の代にその不満を押さえ切れず、
人権復権と不満をそらす目的もあって
国津神を「大神神社(三輪)」に祀った。
独断?と偏見?でしょうか?
これについては、またの機会に!!!





サクラ - 2001/09/06(木) 00:27<

冗談かと思ったら

ミス・蜜柑様

ひょっとしたらと思って、検索かけたら...な・な・なんと!

インドネシアのカイ諸島に昔から現れるという、半魚人のような怪生物のこと。
マレー語でオランは「人間」、イカンは「魚」を意味する。

太平洋戦争中の1943年3月、
オーデルタウン監視隊の軍曹としてカイ諸島に滞在していた堀場駒太郎氏が、
島民たちに捕らえられた奇妙な生物オラン・イカンを目撃したという。
...以下はHPにて...

http://www.jomon.ne.jp/~iccan/uma/sekai_uma2/uma_b13.htm

立派な、名前ある方だったのですね。ヒットしました。

この半漁人さんは黒潮に乗り、にほんに来たら、なんていう名前になったのかなぁ?
おら〜いかん...きてませんか!?

ヤゾー - 2001/09/06(木) 00:05<

ムカデに噛まれた!

>なりふりかまわず、お涙頂戴の茶番までやったとは、脱帽です。

その辺を、どう感じるかは感性としか言い様がありません。

>やはり決め手は【森林の復活】であったとのこと

min-minさん、こんにちわ。
“魚は森につく”という言葉のとおりですね。
利田ヤゾウお勧めの『鳴けない山鳥の詩』の中に次ぎのような文がありました。

この針葉樹のマツ、カラマツ、ヒノキなどの山から出る水が、小魚や川虫を絶滅させたのも、
近年になって人が人工林にしてしまったからだ。植物にとっては毒性の強い水なのである。
またこれらの樹は他より貪欲に光を欲しがり、早く背伸びをする習性も分かった。
人間はこの競合性を逆に人工林として利用したのである。
昔、秋田で、このことで大失敗があった。冷害のときの生活手段として天然林を伐り、
早育ちのスギを植えた。ところがこのため、河川には鮭が遡上してこなくなってしまった。
森は海の恋人であり、川はその仲人役だったのである。森からの自然水と違って、
スギ林などの水には鉱物分(ミネラル)がない。この水が海に流れると、海草は育たない。

>天正伊賀の乱

戦国のタブーを破り、比叡山の焼き打ちで僧を皆殺しにし、石山本願寺を攻め落とした信長は、
天正伊賀の乱の二年前に、一万をこえる大軍で伊賀攻めをするが、
僅か数千の伊賀衆の闇討ちに合い、全滅に近い敗北を喫していた。
その二年後、前回を遥かに上回る軍勢をもって伊賀征伐を命ずる。
その戦闘は二ヶ月にも及び壮絶を極めたというが、
鉄砲隊から大砲まで用意していた信長軍が勝利をおさめた。
神社仏閣を焼き払い、僧俗男女を弁えず殺害し、寺社の記録、民間の家譜等も焼き払ったという。
信長の執拗までの伊賀に対する破壊には、なにかに対する恐怖があるのだろうか?
比叡山も一向宗も雑賀も伊賀も闇の世界の眷族ともいえる住民たちの拠点ではなかったのか?
真の天下人になるのには、その闇の住民たちを完全に支配することが必要であり、
支配できなかったら根絶やしにしなければならないとでも思ったのだろうか?
結局、信長は闇の住民と関係が深かったとされる明知光秀により滅ぼされ、
闇の住民から出たとされる秀吉が天下人となっていく。
といったような文章を読んだ記憶があります。

>私は「トトロ」が好き。お姉ちゃんと台詞で出て来ると、妹の小さい頃を思い出してうるうるします。

僕もトトロが大好きですが、未来少年コナンが一番好きだったりします。
あかねさんは、優しいお姉さんなんですね。

>「オラン・イカン」の半漁人って何ですか?

オラ、行かんとごねている半人前の漁師のことではないですか?(^^)


太ももの裏側をムカデに噛まれました。
蟻でも這っているのだろうと思い、手で叩いたら小さなムカデでした。
痛いです・・・(>.<)

おミヨ - 2001/09/05(水) 20:10<

「オラン・イカン」ってナニ???

ミス蜜柑様 始めまして (^^)

「オラン・イカン」の半漁人って何ですか?
教えてください。

オオカミがまだいると主張している話しも聞きたいのですが。

よろしく御願いしますだ・・・・・。。

あかね - 2001/09/05(水) 19:08<

混在の実感

ピンクのトカゲさん
  へへへ。いいでしょ。直感強いぞ〜。カンが先に来て、そこから調べると正解だったりします。
 でも共同幻想、相対幻論とかも、昔々読んだぞー。って、もう殆ど覚えてないけど…
 それにしても、子供の頃は結構、霊感強かった(変なもん見る奴)んだけど、今はさっぱりだぁ。

ヤゾーさん、皆様
  まだ「千と千尋…」観てないので、早く映画館へ行きたいな。もののけ姫は、決して嫌いではない
 ですが、好きというほどでもありません。普通かなぁ。観ながら、色々思うところもありました。
  例えばあの蹈鞴女は、姫蹈鞴が蹈鞴を踏み、五十鈴姫が加工する命の美称や、石こりどめなんか
 から来てたり、庶民の鍛冶では妻が作業に協力した事などから来てるんだろうけど、女性のみとして
 描くのなら、「掘子」のような格好だけに限定させて欲しくはなかったな、なんて思います。
 蹈鞴場では若い健康な女性が歓迎された場合もあるようですが、これは「おめでたい作業」でも
 あるので、彼女らはもう少し、整った衣服を着る事もあったろうなぁと。

  たたら女だって、「普段は農村や山村の婦人」です。舞台の山々や麓の自然は豊かだったでしょうし、
 染料の草を栽培・採取し、染織だってしたかも。養蚕も少しは行ったかもしれません。神楽歌には
 「たたらめが紫の色好む」、なんてうたもあると読んだ事もあるし。農繁期には、田が荒れるのを防ぐ
 ために、精練作業を控えたかもしれません。実際、そんな例もあるようです。
  炭坑で坑夫をする女性たちは、更なる重労働の世界で、独特の閉鎖的な炭坑世界、地の底での
 暗がり仕事ですので、タタラ場とは事情が異なるかもしれないのに…、と思います。

  山際のまちや、特に1,000m級の山の麓で見事な段々畑を造って暮す人々などは、一概に、非農耕民、
 農耕民と分かれて生活していたとは言えないと思います。それは谷のまちに暮すとよく実感できます。
 混在してて当然だと。それは少なくとも播磨や丹波・近江等では、どんな山合の村落でも同じでは。

 私は「トトロ」が好き。お姉ちゃんと台詞で出て来ると、妹の小さい頃を思い出してうるうるします。

min-min <http://homepage2.nifty.com/TUBA/> - 2001/09/05(水) 12:16<

群来

やぞーさん、こんにちは。

>min-minさん、サーモンハンター駄目でしたか。
>それは残念でしたね。

本当に残念でした。でも3年もの長旅を終え、故郷の川にやっとたどり着いた
サケやマスにとっては、多くの人間どもが“坊主”になってくれると嬉しいの
でしょうねぇ。なははは。
ところでこの釣りは数年前から行われている「忠類川」の“調査釣り”などでは
なく、一般河川(一部規制あり)の河口部で合法的に行われている礒釣りで、
こういった情報はなかなか“内地”には伝わってきませんね。

>でも雄大な北海道の自然と触れ合ってきただけでも羨ましいです。

今回、一番嬉しかったのは、ここ2,3年でニシンの群が戻ってきた、という
ことではないでしょうか。
今年も日本海の一部で『群来』(くき)=[ニシンが産卵の為岸寄りし、海岸が
オスの白子で真っ白になる]が見られたとのこと。
これは宗谷支庁水産課などによるニシンの稚魚の放流などの努力のほか、やはり
決め手は【森林の復活】であったとのこと。
ちょうど地元の番組で“ぶなの木”の植林を地道に続けたある地方の婦人達の記録
をやっていたのを見ましたところ、この森林の復活こそがニシンを再び北海道に呼
び戻した原動力であったと強調しておりました。
北海道経済は日本の他の地域に比べ一段と厳しいものがありますが、そうした中、
故郷の自然の復活を目指す地道な努力を続ける人々がおられ、頭が下がります。

たま〜に、「大自然」とま正面から向き合うのって、イイッスねぇ、ホント・・・。

min-min@昼間は渋谷
P.S.
タヌキのポン吉、本当にマヌケづらしてるなぁ。でもホラ、よく言うでしょ。
バカな子ほど可愛いって・・・(爆)> やぞー殿。いつも楽しい画像ありがとう。


とんちんかん小僧 - 2001/09/05(水) 12:15<

−甲賀忍び− (4)

 天正九年九月、伊勢の北畠信雄(のぶかつ、信長のニ男)と対立していた伊賀を、信長が
四万六千の大軍を投じて総攻めにした。いわゆる天正伊賀の乱である。このおり甲賀郡信楽
(しがらき)城主であった多羅尾光俊(たらおみつとし、?−1609)は、数百の甲賀衆とと
もに多羅尾口から伊賀阿閉郡に侵攻し、得意の放火術で焦土化作戦を展開した。これが成功
して、織田軍を大勝利へ導く。翌年の天正十年六月、本能寺の変が起こったとき、光俊は子
光太(みつとも)とともに、堺から三河へ戻る徳川家康一行を自邸へ案内し、わが子と、甲
賀武士らに警護させ、無事に伊勢の白子浜まで送りとどけた。その功績で、子孫は信楽代官
を世襲することになる。
 京の本能寺の変において織田信長を討った明智光秀は、変が起こった六月二日の夕刻、
安土城奪取の、勢多橋(瀬田唐橋)を守護する勢多城主の山岡景隆(かげたか、1525−85)
へ使者を送り勧誘させたが、景隆はきっぱりと断った。数日前に、信長が勢多橋の確保を
景隆に依頼したばかりであったからである。
 投降を断った景隆は、弟の景佐(かげすけ)と景友に命じて徳川家康の護送に当らせ、自分
は明智軍の侵攻を阻むために、自ら勢多橋と勢多城に火を放って、出身地の甲賀郡毛枚(もび
ら)に退却した。江戸時代、景隆の弟景友が近江で九千石を与えられ甲賀組を預けられ、景隆
七男景以(かげもち)が水口城番になるなど優遇されている。
 ここに列挙した滝川一益、和田惟政、多羅尾光俊、山岡景隆らは、立派に上忍に相当する人物
だったと考えてよい。 −つづく

ピンクのトカゲ - 2001/09/05(水) 11:37<

したたか

好き嫌いは、主観。
歴史認識は、客観。
それにしてもしたたか
記紀成立以来1300年の歴史を感じます。
なりふりかまわず、お涙頂戴の茶番までやったとは、
脱帽です。

ヤゾ− - 2001/09/05(水) 09:55<

曇り無きまなこで見定め、きめる!

ピンクのトカゲさん、分りました。

『曇り無きまなこで見定め、きめる。』と、
もののけ姫でのセリフではありませんが、客観的な認識は大切ですね。

天皇制については、明治から戦前までのものは明らかに異常なものだと感じています。
一部の人たちの権力欲を満たし、悪行を正当化し、
賤民といわれた人たちをより虐げるために悪用されたものだと感じています。

それとは別に、終戦後、各地を訪れて人を励まし、植林と植物学を続けた昭和天皇には、
親愛の情というものを感じていました。

あの権力や権威に対して何とも思わなかったような南方熊楠が、
戦前に昭和天皇を田辺の神島に案内した時の話しが残っています。

お互いが深々と頭を下げて、熊楠が頭を上げると、
天皇がまだ頭を下げていたので、再び自分も下げたところ、
今度は天皇が頭を上げたら熊楠がまだ下げているのを見て、また頭を下げというふうに、
コメツキバッタのように二人で何度も頭を下げたとのことです。
また戦後、天皇が南紀にきたおりに、熊楠を偲んで詩を詠んだものが残っているそうです。
天皇が個人を偲んで詩を詠んだのは珍しいとの話しです。


>やぞーさんは何に食べられたいっていったんでしたっけ?

好き好んで、なにかの動物に食べられたいとは思いませんが、
あえていうなら、カバがいいです。バカだから?

>山犬飼いたい!!

タヌキならいるんだけどなあ!

あかねさんはやっぱり、タタラを描いた『もののけ姫』が好きなんでしょうか。

ピンクのトカゲ - 2001/09/05(水) 07:21<

無題

ヤゾー
怨恨とかじゃないですよ。
これ客観。小説とかは、主観。
共同幻想論でしたか、自己幻想、対幻想、共同幻想って
自己幻想、対幻想って言うのは、主観の世界です。
相手の思いやり。これは必要です。
ただ、その上に、確たる客観の世界がなければ、単なる傷のなめ合いになります。
それと、素敵なお兄さんより、嫌われ者の親爺になりてぇって願望もあります。
あかねさん
そうですよね。ヤマノカミっていいますもんね。
一度読んでみます。
最近物事が頭の中で単純化されてきてます。
原理ってのは、元来、単純なものなんですよね。
原理に直感で辿りつく人間羨ましく思うこのごろ

ミス蜜柑 - 2001/09/05(水) 02:15<

山犬

飼いたい!!
「オラン・イカン」
という半魚人がボルネオにいるらしい。

オオカミはまだいる、と主張している人が言ってました

ヤナギムシ - 2001/09/05(水) 02:01<

たべたろかーーーぁ

ブッタの話の中で(ブタとちゃいますよ)

  バラモンの高僧が飢えて倒れた時、動物たちが食べ物を、

 持ち寄る話がありましたよね・・なにももってこれなかったウサギ?は、

  自ら火に飛び込みバラモンのたべものになる・・そんな話だったカナ?

   そのときの、ウサギの心ってなんなんやろね

    バラモンのこころってのもどうなんやろね

                   ・・・へへへ

          ヤゾーの食べられたいのんは・・若い姉ちゃんやんか!!

      あははは・・やっぱ高尚な話・・ヤナには、むりみたいけけけ

サクラ - 2001/09/05(水) 01:42<

ニホンオオカミ

ずーと前にヤゾーさんさんたちと、チャットで話していた時、
何に食べられて死にたいか...って話になった...
多分、星野 道夫さんが熊に襲われてなくなった話からだったとおもうけど?

一人は犬に食べられたいっていいました。
犬を食べた訳ではないけど、犬にはお世話になったからって。

そして私は、オオカミに食べられたい...どうせなら

椋 鳩十の「朽木」を読んでから、なんとなく、自然に身を任せる、
老婆の姿が心に焼き付いている。
場越しすることも出来ぬ老婆は、ひとり残り、残された食べ物を口にする。
その、どうしようもない自然の姿に、忍び寄るのはオオカミの声...
それが、自然のおきてなら、素直にそのこと受け入れられたいと..
なにか、心に染みている。

ニホンオオカミが山で生きていますか?!
オオカミに食べられるより、オオカミ育てた方が楽しいかも??

やぞーさん
やぞーさんは何に食べられたいっていったんでしたっけ?

あかね - 2001/09/05(水) 00:06<

オオナムチ他

ピンクのトカゲさま
  「オオナムチ=大地女神説」、見つかりました!「松前健」氏(専攻日本神話伝説、古代文学の神話学
 ・民俗学・歴史学的研究等)の説で、『出雲神話』(講談社現代新書444/ISBN4-06-115844-9)の
 「5−オオナムチの神話」の項に書かれてます。面白いですよ。
  説の概略は、『フォークロアでは、古くからの山の女神である大汝(オオナムチ)=狩りの神・動物
 の主・山神としてあらわれ、もともとは「大地の生成力の神格化」なのであろう。堀田吉雄氏も説く
 ように(「山の神信仰の研究」)、日本の山の神は本来、山の鳥獣虫魚から一木一草にいたるまでの、
 万物の繁殖を掌る生成母神であった(→本来の意味でのウブ神)』『この繁殖の女神にともなう男神は
 この眷属神であり、またこれに従える狩人(山の女神へのお産介助等)の神格化であろう。オオナムチも
 もともと彼自身の母としての繁殖母神の名であったろう』。
  この項では他に、オオナムチの異名や人間性、その原像や生立ち、海洋との関わり、スクナヒコと
 常世、八十神による迫害、根国への試練、スサノウとの出逢い、色好み、出雲平定と統一があります。
  私、最初、民俗学者の宮田登氏の説と勘違いしてまして、それはこの山の女神説、故であります。

もんむーさん、見ていただいて嬉しいです\(^o^)/。
  大工は元来、産鉄民やその地域から出ている場合が結構、多いようですよ。
 例えば、日本最初の金物の町と言われる兵庫県三木市のHPには、“鍛冶の発達とともに優れた技術を
 持つ大工職人を数多く輩出。平城京・平安朝の時代から国宝級の建物を手がけてきたのは『日原大工』
 と呼ばれるこの地方の大工でした”とあります。後には刀鍛冶が大工となる場合も多かったそうです。
  これは思うに、鍛冶が優れた大工道具を造るために大工の仕事を掴んでいた事と、鉱山では「樋大工」
 があり、排水用の樋製作にあたった事に関係するのでは。また、鉱山でのみと槌で手堀する掘子は、
 明治10年迄は堀大工と呼ばれていたそうな(鉱石を運び出す人夫は大工に含まれません)。尚、この大工
 たちを指揮したものは、寸方(スンポ)頭などといい、これは工事の設計(監理・管理も)等技術的な指導者。

  ちなみに、三木金物の起源は5c中頃、天目一箇命を祖神とするこの地方の大和鍛冶と、百済の王子恵
 が丹生山へ亡命してきた時に連れてきた技術集団、韓鍛冶が技術を交流。先進技術を持つ韓鍛冶が三木
 に定着して鍛冶を行ったのが始まりだそう。鉄の道が通り、三宅もあった事と関係するようです。
 大和鍛冶の起源地は更に北の、加古川の上流(支流)にあります。こんな話ばっかでごめんなさい。

ヤゾー - 2001/09/05(水) 00:05<

マンモスとオオカミ

みなさん、こんばんわ。

ピンクのトカゲさんのお気持ちはよく分ります。
そういったお気持ちを、権力者、権威者への怨恨へ向けるよりは、
弱者や虐げられた歴史を持つ人たちへの愛情に向けられた方が、
より素敵な兄さんのような気がするのですが。

クミコさん、お久しぶりです。
大台ケ原に野生の山犬がいるんですか。
それも猟犬が放されたものではなくてオオカミの血を引くものがですか。

おミヨさん、寄寓でうね。
つい最近、その本が古本屋に並んでいたので買ってきました。
まだ読んでいませんが、後半部分に結構サンカのことが書かれていましたね。

そういえば、去年の暮れ頃に九州中部山域でニホンオオカミとおもわれる山犬が撮影されたとのニュースがありましたね。
九州にいるのなら大台ケ原にいても不思議ではない気もしますが、小説のように誰かが繁殖させたのかもしれませんね。

没義道法主さん、お久しぶりでした。
僕も昨日、再放送されたものを見ました。
マンモスハンターがマンモスを威嚇するCGを見た時には、
思わず太地のくじら踊りを思い出しました。
なんか雰囲気が似ているのです。

min-minさん、サーモンハンター駄目でしたか。
それは残念でしたね。
でも雄大な北海道の自然と触れ合ってきただけでも羨ましいです。

min-min <http://homepage2.nifty.com/TUBA/> - 2001/09/04(火) 22:51<

RE:「漂泊の牙」

おミヨさん、こんばんは。min-minです。

過去ログでこの本を紹介していたのはヤゾーさんです、今年の春先でしょうか。僕が樋口明雄著『狼は瞑らない』を紹介したとき、この本はなかったけど『漂白の牙』という本を書店でみかけたとおっしゃっていましたから。

で、この作品、僕も7月に読みました。その時の感想を書いたのが下記です。けっこうおもしろいですよね。

   

35.『漂白の牙』  熊谷達也著 集英社 2000.5.20第2刷  \1700+tax
★★★☆☆
宮城県のどの辺りの山の中か分からないが、母子が住む奥深い山の中の家に近づく2頭の茶褐色の生き物がいた。母子の飼うコリー犬を襲い、一旦逃げ去ったかにみせかけこの人間を狙っていた。
姿形はまるで狼。ニホンオオカミははるか以前に絶滅していたはずでは?
妻を食い殺されたオオカミ専門家の城島郁夫は急遽ヨーロッパの調査行から帰国し、謎の生物を追い始めるのだが。
幻のオオカミと山に伝わるマタギとサンカ伝説を織り交ぜながら進行するサスペンス仕立ての冒険小説。
「サンカ」に関する記述が興味深い。「山窩」という言葉の由来は戦前の警察組織が使い始めたものと明言している。警察にとって「山窩」という存在は戸籍がない、というやっかいな存在であったが、同時に“スケープゴート”として都合が良かった。つまり凶悪犯罪や迷宮入りの事件などでの、警察の失態をカバーする存在として利用した、という。
一風変わった冒険小説だ。


没義道法主さん、

NHKの番組とは去る8月19日(日)に放映された【日本人、はるかなる旅】ーマンモスハンター、シベリアからの旅立ちーを指しているのでしょうか。
次ぎは9月9日(日)9:00pmからですねぇ。没義道法主さんの説もなかなか面白いです。(^^)

実は私、先週末はマンモスハンターならぬサーモンハンターとしてオホーツク海を最北端の手前90kmまで北上したのですが、見事に“返り討ち”にあいました。(泣)
ひたすら身も心も懐も寒かったです。いやぁ、気温は朝方15度くらい、本当に寒かったのも事実です。
“御先祖様御一行”がマンモスを追ってがあの辺りを南下したのかと思うと、感慨深いものがありました。

min-min@横浜

おミヨ - 2001/09/04(火) 20:47<

「漂泊の牙」

過去ログで熊谷達也「漂泊の牙」どなたかが紹介していたような記憶があるのですが・・・・・。
動物行動学者の妻が幻のオオカミ(?)に惨殺され、追跡していき、最後にサンカ人が東北の山奥で
オオカミを密かに存続させていたというストーリ・・・・・。。
つい最近読み終えたばかりのところえクミコさんの書きこみ、興味しんしんですね。

没義道法主 - 2001/09/04(火) 20:19<

注目のNHK

PC環境の劣悪さから、時折にしかのぞけないのが残念。
で、NHKの番組、その結末に不安まじりで期待しております。
縄文系、すなわちエミシ系先住民族が「寒冷地適応以前にしべりあから移動した原モンゴロイド」
と言う説は、前からきいておりました。最新科学でそれが立証されるのでしょうか。
縄文人南方説については、当の小山先生ご自身もそれを支持していると、ご本人から伺いました。
私は半分ジョークで、「プロトモンゴロイドが北にのぼって、寒さに追われて日本にきたのが縄文人。
ネオモンゴロイドが寒さにおわれ、いったんな南下してから日本にきたのが弥生人」と
言っておりました。ひょっとしてこれがまあ妥当な線なのでしょうか。
まだまだこの世界、奥が深いです。

クミコ - 2001/09/04(火) 18:08<

山いぬ

昨日、夕方のニュ−スの特集で、大台ケ原に山いぬが生存している。というのを
画面途中から見ました!
誇らしげに鹿の頭をくわえている姿!カワイイのです。
なんでも日本狼の血を引いているとか言っていたように思ったのですが、
家事の途中の出来事で、よく分りませんでした。
どなたか、全部見られた方おられませんか?

大台ケ原、100年計画で修復予定とも以前聞きましたが、やはりすごい所ですねぇ。
みなさん、あまり行かないようにしましょうネ!

とんちんかん小僧 - 2001/09/04(火) 15:42<

−甲賀忍び− (3)

 永禄十一年九月、信長が足利義昭を奉じて上洛するおり、六角氏に仕えていた和田惟政
(?−1571)は、いち早く信長のもとへ駆けつけ義昭を擁護した。義昭の兄十三代将軍義輝
に仕えていた恩義からだった。その後、惟政は信長の使者として、信長上洛を阻もうとする
六角承禎を説得したり、得意の調略をもって六角氏の十八支城の主に投降をすすめるなど
大いに活躍した。結局、承禎は抵抗したが、十八武将は惟政の説得に応じ、近江侵攻の翌日
の九月十三日にことごとく降伏している。
 承禎父子を追放した信長は、ただちに畿内の掃討戦を行ったが、惟政は芥川城下に侵攻し、
市場に放火して総攻撃のきっかけをつくり三好勢に圧勝した。この軍功により惟政は芥川城
主に任ぜられた。のちにキリスト教に傾倒し、宣教師ルイス・フロイスを誰よりも擁護した
人物として有名である。
 信長に追放された六角承禎は、浅井長政と手を結び、元亀元年(1570)五月、再興を図り
甲賀郡の石部城へ入城した。そのおりに承禎は甲賀五十三家[またの機会に書きます]の一人
で、鉄砲の名手である杉谷善住房(ぜんじゅうぼう、?−1573)に命じて、千草越え(ちぐさ
ごえ、現・神崎郡永源寺町甲津畑)に待機させ、京から岐阜城へ戻る信長を狙撃させた。
しかし一発目が、信長の小袖の袂を貫通しただけで、失敗に終わる。善住房はその場から逃亡
したが、高嶋郡に潜伏していたところ、三年後の天正元年(1573)、小川城主の磯野員冒(か
ずまさ)に捕えられ岐阜の信長のもとへ送られた。信長は狙撃された憎しみと世間への見せし
めのために、善住房を生きながらにして土の中に埋め、通行人に竹鋸(のこぎり)で首を挽か
せ、六日間でなぶり殺しにしたという。〔まるで、北斗の拳の世界ですね〕  −つづく

あかね - 2001/09/04(火) 14:12<

オオナムヂ

ピンクのトカゲさま
  レス遅くなって大変失礼しました。先日から、オオナムヂ大地母神説が載ってる本を探してる
 のだけど、本棚がわやになってて、どなたの説だったか、どこへ入れたのか迷子状態ですm(__)m
  でも確かに、そう載ってたのは覚えてる。頭の中の状態が部屋に現れるってほんまやわ。
 うち、見かけは片付いてるけど、中も綺麗に整理できてんのは、仕事机廻りだけじゃ〜。
 
 青玉近くの禁足地の場所を調べました。縄文かも!またお話しますね〜

ピンクのトカゲ - 2001/09/04(火) 12:57<

イメージ

サンカだろうが、エタだろうが、百姓だろうが、いいヤツもいりゃあ悪いヤツもいる。
反体制のマイノリティだから甘んじて受けなければならないってことです。
ただ、権力握るヤツにロクなヤツはいねぇ
奢る××久しからず...

ヤゾー - 2001/09/04(火) 00:05<

竹細工と香具師

みんさん、こんばんわ。

以前、ある山里で竹細工の話しを老人に向けたところ、
戦後になってからは、竹細工の殆どを祭の縁日で購入していたことを聞いていましたが、
今日、別の老人から、竹細工をしていた香具師の人がいたように思うという話しを聞きました。
また、地元で竹細工をしていた人がいないかと尋ねたところ、
身体に障害のある人が、どこかで竹細工を習ってきて作っていたとのことでした。
問題は何処で誰に習ってきたかですが、そこまでは知らんと言われました。
そういった話しが聞けるのは、本当に後数年なのかもしれません。


>白山神社や別所で「瀬織津姫」祀ってるところもあります。
>無理やりって言うより、そのように追いこまれたっていうのが私の認識です。

そうですね、僕も無理やりではないように思います。
最後まで何かを守り続けたとも言える気もします。

>刀については、ヤゾーさんやこちらへお見えになるナイフ造りのプロの方がお詳しい分野の一つだと
>思います。また、色々教えて下さいね!古代刀の素材や刀味など、未だにちんぷんかんぷんです。

それにしても、あかねさんはいろいろとお詳しいですね。
こちらこそ、いろいろと教えて頂きたいと思っています。
刀に関しては知識というより、感覚として良いものかどうかが少し分かる程度です。
そういえば、刀だけでなく古い釜や鉄瓶なんかも妙に好きでした。
ちなみに、九州出身の祖母曰く、九州の刃物は切れ味が違うとよく言います。

>あほが、田辺で、タマミ73CM釣り上げたそおです

ほ〜、それは凄い。
今度はヤナさんが釣って自慢してくらはい。

>木地屋は天皇の許可を得て働いているが、サンカはつまり泥棒なんだな

実際にサンカと接した人からは、律義な働き者が多かったとの話しを聞いたりしますが、
そのようなイメージをうえつけられたところが悲しいですね。

もんむー - 2001/09/03(月) 23:17<

大工道具

あかねさん、こんばんわ。
大工道具のページ見ました。私も昔ちょっと木工をやってたの興味深かったです。木工の勉強をしていたころ、大工道具の形態の合理性やメンテナンスのしやすさ、職人さんの作業の効率の高さに感動したことを思い出しました。彼らを支えていたのは世界的にも優れた鋼を生産していた産鉄民ということなのでしょう。

先日の旅行で地蔵峠に行ったのですが、山中に散在していた木地屋の墓が集められて道路沿いに安置されていました。例によって墓石には菊の御紋の変形が刻まれていました。喬木村の民俗資料館の職員と話をしていたときに、職員さんに「木地屋とサンカは混同されてるケースもあったのではないか」と話すと職員さんは木地屋とサンカは明らかに違うのでそういうことはないだろう」とおっしゃいました。

「木地屋とサンカの違いはなにか」と尋ねると、職員さんは、「木地屋は天皇の許可を得て働いているが、サンカはつまり泥棒なんだな」という答えが返ってきました。それ以上の議論はしませんでしたが、サンカの社会的な立場を目の当たりにしたような気がしました。

ちなみに喬木村は椋鳩十の郷里で、少年時代に猟師からサンカの話を聞いたということだったので、職員の方に実際にサンカの話は喬木村に伝わっているのか聞いてみたら、その職員さんは椋鳩十の本でしか知らないとのことでした。

でわでわ

あかね - 2001/09/03(月) 22:24<

難しいからこそ、惹かれるのかも

きょうかいさん、皆様
 すみませんm(__)m。「姫路村の鍛冶屋さん」と「日立金属のたたらの話」のアドレスは、
 「竹中大工道具館」のインデックスのアドレスでして、そこからこの2つへ行けるのでした。
 村の鍛冶屋さんの鍛冶屋リンクからは更に色んな所へ行けます。わぁ〜。どんくさい奴です。

ヤナギムシさん
 以前お話されてた、丹波ではお葬式の際、故人の蒲団や着物等を川で洗う、という話ですが、私も
 おミヨさんと同様に、聞いたことがないです。親に聞いてみても同じでしたが、但し父は
 「物が不足していた時代には、亡くなった方の遺品を再度使うために、遺品類を川で浄めて祓ったの
 ではないかな」と言ってました。地域によってはこれが残ってた?りする形があるのかもしれませんね。
 確か故人に近い遺族がお葬式の後、白い衣のまま裸足で川に入り(足元のみです)、そのあと川端に
 まいた塩を踏んで川を出る習俗なら残ってると思います。でもだんだん見かけなくなってるかも…

とんちんかん小僧さん
 本のご紹介、有難うございます。中でも宮崎氏を是非、読みたいです。探してみます。みちのく燃ゆ、
 は以前実家で見かけたのですが、整理された後、どこへ行ったのやら…。読んでないのに残念。
 司馬氏も色々、産鉄からみの話が出て来ますね。網野氏との対談も面白いです。ご紹介の著作も実家で
 みたぞ。読んでないです(父の本…司馬ファンだから持ち帰れず)。
 黒鍬之者、拝見しておりましたよ〜。興味津々です。金売吉次も面白いですよ〜。

>時代の流れとして、縄文系の神々が名前を奪われたのではないかと.....
>今度は時代の流れとして、その神々の名前を取り戻そうとしているのではないかと.....
>そして、奪われた名前を取り戻すということは、名前を奪った側の神々を貶めることではないのでは
>ないかと.....そう思うことがあります。
そうですね。縄文の血も弥生の血も大抵、個々人に混在する今ですから。どの血を重視するかは、どの血
の歴史を嫌がるか、とは必ずしもイコールではないのではと思っております。
縄文の神々にかなり、魅力を感じつつ、歴史認識はほんにむつかしいなぁと感じる今日この頃です。

ヤナギムシ - 2001/09/03(月) 22:12<

やられたーーーー

あんなに、釣るなゆうたのに・・
 誇らしげに、聞きとおも無いのに・・しゃべるかぁ・・エエ

       記録やからシャーアナイ・・
 あほが、田辺で、タマミ73CM釣り上げたそおです
  ヤナが、スゲーーってゆうたら・・まあな・・やと!!
   うれしゅうてしゃあないくせに・・・くやしーーーぃ

  坊主ゆうとったやん・・
     潮が底ついて、動き出してすぐや!
      ほんま、引き込まれそおやった・・やと!!・・・・・
              聞きとおないわい!!・・ふん

          まあ、記録魚やから、許したる


                   やなでした

あかね - 2001/09/03(月) 18:00<

仕事しろよと言われつつ…産鉄関連を書く

きょうかいさん
 おミヨさんご紹介の沢氏の本とお名前、ちゃんと書かなくてごめんなさいm(__)m。お手数でした…。

 ●2日にご紹介させていただきましたHPですが、桐生市を除く他は、『姫路村の鍛冶屋』さんから、
  リンクされてました。わはは、見てなかったぁ。ぐるぐる繋がっとりますなぁ。
  ↑鍛冶屋さんの「鍛冶屋リンク」からどうぞご覧下さい。鉄関連史では一番のリンク量ではないかな。

 ●↑上記のリンク先で特にオススメなのは、「和鋼博物館」「横田町」、そして『(財)竹中大工道具館』
  等々です。竹中、かなりお気にいりなので↓へアドレス、書いときます。
     http://www1.sphere.ne.jp/tknk-mse/INDEX.htm#index
  ここの「大工道具の歴史」「大工道具の様々」を是非、見て下さい。古代からの大工道具史、聖徳太子と
  曲尺の関係など、道具の画像付きで楽しめます。大工道具と鍛冶、山(鉱山・杣等)道具との関係、
  中央の歴史と大工道具との関わりも見えてきて興味深いです!もんむーさんも見てね。

 ●鉄・銅・水銀等の産地(鉱山)や金物・鋳物・瓦等産地のHP、博物館や考古館のHP、日本の神話や
  神々系サイト(特に系図を記載されてる所)、神社仏閣の公式・私的サイト、各風土記を取上げる所、
  東国系サイト、鬼の歴史関連、鉱山・鉱物専門サイトや山歩きのHP、刀鍛冶や鍛冶関連HP等々…、
  鉱物採掘加工民の歴史って、物凄く色んなHPが参考になりますよね。ネット様様です。
  私は見るそばから忘れますが…(T_T)。時々、参考になるHPを書きますね。
  刀については、ヤゾーさんやこちらへお見えになるナイフ造りのプロの方がお詳しい分野の一つだと
  思います。また、色々教えて下さいね!古代刀の素材や刀味など、未だにちんぷんかんぷんです。

 ●「刀剣史」で特にオススメサイト
  ◎『日本刀剣愛好保存会』さんの「刀の歴史」。刀剣史の流れが一番わかり易いHPだと思います。
   神代〜の刀や支配者の変遷、刀鍛冶史等が掴めます。
   もしかすると古代の剣と、ウメガイを考える意味でも、刀史を見る事は意義あるやもしれません。
      http://www.jttk.zaq.ne.jp/nihontou/rekishi/narajidai.htm
  ◎『日本刀・刀装具の研究』。学術サイト。難しいです…。でも大変勉強になります。
      http://www.mane-ana.co.jp/katana/
 一度にたくさん書いてすみませんでしたm(__)m。フフフ(-_-;)。産鉄ファン仲間が増えると嬉しいのじゃ

とんちんかん小僧 - 2001/09/03(月) 15:30<

金売吉次

あかねさん
名字多いだけですかー、かっなり期待してましたので残念です…。
>更に“金売吉次の集団は、鋳物師が統括・管理していたそうで、各地の農耕や製塩、
>武器などの鍛冶・鋳物関連、馬飼育?等の先進技術も同時に収集していた”らしい
>です。忍びと関連あるでしょうね。
>全国へ移動した河内鋳物師と地域権力との関係って、面白いところです。
過去、BBSにて<黒鍬之者(くろくわのもの)>を書いた時に金山衆や忍び者との関連性
について書きましたので読んで下さい。[2001/07/08(日)〜07/11(水)]

金売吉次については、語れる程知識ありませんので参考になりそうな本を紹介します。

別冊歴史読本『みちのく燃ゆ−奥州藤原一族の世紀−』 新人物往来社 93.7.11.
『義経の野望〜異説藤原四代記』 楠木誠一郎 ニ見書房 92.11.25.(文庫本)

それと、神・鉄の話や以前ふじこさんが弘法大師空海の影響からサンカに興味をもった
という言葉が頭から離れずにいたので、もしかしたらと思って探したらありました。
参考になるかどうか判りませんが読んでみて下さい。彼の本は学生時代何冊も読みまし
たが読みやすくて判りやすいです。

『私度僧(しどそう)空海』 宮崎忍勝(みやざき にんしょう) 河出書房新社
91.1.30. の六章が重要です。

『この国のかたち 五』 司馬遼太郎 文春文庫 99.1.10. は神・鉄の話載ってます。

きょうかい - 2001/09/03(月) 13:50<

ご紹介ありがとうございます

あかねさん
早速のご紹介感謝致します。少しづつのぞいてみます。
ピンクのトカゲさん
瀬織津姫、奥が深そうですね、楽しみです。
>あ、おミヨさんが以前お書きになってる沢氏の本も大変、面白いです
おミヨさん
 過去ログやっと見つけました。沢史生、探してみたいと思います。
 多田の人が、平安京の警吏に使われていて、それを頼朝が、鎌倉に連れて行き
 警吏をやらせた云々どこかで読んだんですが、それきりで、うっちゃってたので
 楽しみです。よろしくお願いいたします。
 検索うまく使えないので探すのに難渋しました。
 それにしても、たった1か月前なのに、なんて量が多いのでしょう!
 

ピンクのトカゲ - 2001/09/03(月) 00:50<

RE:アコウ

バリ師さん
ありがとう。
アレほんと直ぐ根入りますよね。
梅雨どきに渥美半島の赤羽根漁港(表浜)のテトラで尺ぐらいの何回かあげたことあるんですが...
竿は、自作の三尺使ってました(前打ち竿と同様な硬度の)。
ガシラってワガ(筍メバル?)のことでしたかね?
やっぱり、アズキマスあれ最高に美味しいです。
三枚下ろして、骨切りするみたいに身のほうに包丁入れて、皮だけちょっと炙って、冷水つけて
それから、皮とって、造りにして、紅葉卸にポン酢で
どうも俺の釣りは、飲むための肴っていう夢がない実用的な釣りでした。
夕方なるとそわそわして酒が恋しくなって
釣れてても、早く帰ろって
変に縄文の狩猟採取の血が残ってるのかな?
深層に

ピンクのトカゲ - 2001/09/03(月) 00:36<

PS

ヤゾ〜 ヤゾ〜(木霊)
なんか『セブリ・ストーリー』思い出します。
当然、天河弁才天は、瀬織津姫です。
シラヤマビメ様とは、東北のオシラを介してリンクします。
白山神社や別所で「瀬織津姫」祀ってるところもあります。
無理やりって言うより、そのように追いこまれたっていうのが私の認識です。
あかねさんからオオナムヂは、女神って言うすごい説教えていただきました。
考えてみれば、そうですよね。ちょっと下ネタなるけど
大穴持(大きい穴を持ってる)ですよね(笑)。
海照(アマテラシ)やってきて、オオクニヌシ=オオアナモチと協力して国造した大物主(大きいモノの持ち主)っていうこと発見しました。
あかねさんアリガトウ

バリ師 <http://homepage2.nifty.com/TENKARA/index.html> - 2001/09/03(月) 00:34<

アコウ

■播磨ではキジハタ・ノミノクチを称して「アコウ」と呼んどります。そやけど、その実態はトップシークレットみたいでほとんど断片的にしか伝わってきませんな。

■Yさんが大きなアコウを釣り上げた。横で釣りしとったもんが指差して「アコウや!アコウや!」と大声で叫んだ。Yさんは「ちゃうちゃうガシラや、ガシラやがな」と頑と否定しつつクーラーに仕舞い込んだとか。

■Mさんがええ型のアコウを3匹ほど釣っていた。知り合いが「どや、釣れるか?」と様子を見に来た。Mさんは急に竿を持ったまま、こっくりこっくり居眠りを始めたとか。

■私はアコウも波止からのべ竿でやりますな。ガツン!と掛けると、そらもう一気に根に入られてしまうもんで、ヘラ竿の超硬調(コイ竿ですな)で勝負しとります。

ピンクのトカゲ - 2001/09/03(月) 00:18<

etc

きょうかいさん
はやとちりで
あんな説明でよかったでしょうか。
以下、少し補足しておきます。
瀬織津姫の名は、大祓の祝詞に出てくるだけで、記紀には出てきません。
川の中瀬を司る神ということで
イザナギが黄泉の国から返ってきたときの川の中瀬の禊の神
大禍津日神や八十禍津日神が瀬織津姫だとされます(本居宣長)。
記紀からは、記紀編纂者(天皇家の意思)にとってのまがまがしい神の代表というわけです。
高橋靖男さんの説、また教えてください。
にっちょさん
私も勉強は、でぇ嫌ぇいです。
第一、字が悪い。
強いて勉める→いやいややる→身につかないっていう図式ですから
韓国語だとコンブハダ(ハダは、英語のdo動詞、「する」にあたる。因みにハムニダは、ですます調→「します」です。)
コンブは、工夫って言う漢字の韓国読(違う説もありますが...)
いやいややるより、工夫して楽しくやりましょう。
物事プラス思考で

ヤゾ− - 2001/09/03(月) 00:05<

歴史認識の難しさ

みなさん、こんばんわ。

>那智の滝も瀬織津姫だって知ってる?

と云うことは、瀬織津姫というのは大地母神的な神さまということなのですね?
それで、天川の弁財天や白山ヒメとも関係しているのですか?
天神さまとも関係あるのかな?

>僕はGoogleでこんなのが釣れました。

いつも面白い情報を見つけてきますね。
僕は不味い魚しか釣れませんでしたが・・・(;_;)

>早寝、早起き今日だけ良いこのサクラは お掃除、御洗濯〜

うふ、よい子のサクラさんはよい子のお母さんでもあるのですね・・・(^_^)

>他品種のイズスミみたいですけれど大きいのは6kg程になるモノを上げたことがあります。

それは凄い。
そんな大物を釣り上げるということは、
相当な大物仕掛けを使っているのでしょうね。

>この前、TVに出てた学者さんは、沖浦和光さんでいたよね。
>図書館に「天皇の国、賎民の国」があったので、借りて読んでます。

はい、沖浦教授でした。
「天皇の国、賎民の国」に書いてあった、芸能史に関した箇所なんて、
好きで何度も読みましたよ。

沖浦教授の本でサンカに関したものでは、『竹の民俗誌』『日本民衆文化の原郷』『日本の聖と賤』に、
聞き取り調査で得た内容のものがあって面白かったです。


歴史認識について、ある方から次ぎのメールを頂きました。

『闇の歴史から光りへ』で、
「無理矢理国譲りをさせられた出雲地方」という表記がありますが、
これは私の認識では、正確ではないですね。

「無理やり国譲りをさせられた」のではなく、
民衆の多くが『弥生』の『力』を選び、
選ばれなかった『縄文』の血筋は、
自ら望んで、闇へひそむことになったのではないでしょうか?

ですから、流浪の民と化した人々に、縄文の血は濃く受け継がれ、
弥生を選んだ一方の“元縄文人”の血は、
時を経るにつれ、弥生化して薄くなっていったのではないかと考えています。

僕もそういうことを漠然と考えていたことがありましたので、
ずばり指摘されて驚きました。

時代の流れとして、縄文系の神々が名前を奪われたのではないかと.....
今度は時代の流れとして、その神々の名前を取り戻そうとしているのではないかと.....
そして、奪われた名前を取り戻すということは、名前を奪った側の神々を貶めることではないのではないかと.....
そう思うことがあります。
歴史認識は難しいですね。

にっちょ - 2001/09/02(日) 21:39<

注文しました。

ピンクのトカゲさん。サクラさん。こんばんわ。
エミシの国の女神−瀬織津姫の物語、読んでみようと思い注文してみました。
風淋堂の主人(福住展人)の妥協しない本づくり、常識を越えた出版社「風淋堂」の
個性も求めてみます。(正直言って私にはレベルが少々高すぎるカナ)

しかし人生一生勉強ですね(なんで学生のときあんなに勉強が嫌いだったのでしょうかネ?)

あかね - 2001/09/02(日) 19:13<

鉱物関連の民史

とんちんかん小僧さん
  徳岡氏って、単に東播磨奥では結構あるお名前だ、というだけなんですm(__)m。
 でも「岡」は鉱物関連の地に由来する説もありますし、鉱物採掘加工にも何か関係あったかもですね。
 “古墳築造(岡だったりしますね)や、山砂鉄採取または精練に要する溜池造り、土木河川工事技術等は、
 同じ土木技術の流れ上にある”と何かで読んだこともありますので。技術面の事はよくわかんないけど。
 加えてこの名が代々見える地には、「千軒」や「中(ナーガ←蛇説)」が付き、鉱山関連地名ですので。
  そんで赤松氏である得平氏は、後代には徳平と書いたのかもしれません。
 とすると、岡を得る→得岡→徳岡となった、のかもしれない…。なんて想像が膨らんでます。

  それから以前、特に戦国期の播磨でも忍びが重要だったろうと書きましたが、もっとずっと遡って
 大事な役割を担ったのかもしれませんね。書き間違えですm(__)m。極端に言えば、忍びを初めて
 つかった聖徳太子の時代から、重要だったのかも。法隆寺・太子関連の庄園は播磨にもありましたから。

  更に“金売吉次の集団は、鋳物師が統括・管理していたそうで、各地の農耕や製塩、武器などの鍛冶
 ・鋳物関連、馬飼育?等の先進技術も同時に収集していた”らしいです。忍びと関連あるでしょうね。
 全国へ移動した河内鋳物師と地域権力との関係って、面白いところです。

きょうかいさん
 ●まずはこの、『日立金属のHP』↓をご覧下さいませ。タタラ関係では超有名サイトで、
  タタラや砂鉄の種類、奥出雲の鉱山史等について、一番わかりやすいと思います。
    http://www.hitachi-metals.hbi.ne.jp/tatara/
 ●『刀鍛冶』の方のHP。特に「たたら場」を是非々、ご覧下さい。BBSも難しいけど面白いです。
    http://www.sun135.ne.jp/katana/
 ●『鉄と祭り 鞴祭りの由来』鉄文明の発生から桐生市の鍛冶史まで掲載。
    http://www.sunfield.ne.jp/kmm/fuigo/yurai.html
 ●『姫路村の鍛冶屋』さんのHP。特に「夢通信」や「たたら」についてお勧め!鉄の本の図書館を
  つくろうと関連本を収集中ですので、こちらの「鉄の図書館」から本のリストを見る事ができます。
  有名所はほぼ網羅されてます(常民文化系の実験考古学的な本はまだ入ってなかったかもしれません)
    http://www1.sphere.ne.jp/tknk-mse/E.htm

  ご存知だったらごめんなさい。他にもかなり色んな関連HPがありますが、とりあえずタタラ史が
 わかり易いのは、この辺りかなと思います。頭の中同様に、お気に入りがごちゃごちゃですので、
 ちょっと整理しておきますです。中には私が暴れてたりする所もありますが…。お恥ずかしい… 
 稲荷や八幡、天白さんや花祭り、秦とマタラ神、戎、修験等々も関連しますので、また書きますね。
 あ、おミヨさんが以前お書きになってる沢氏の本も大変、面白いです。

きょうかい - 2001/09/02(日) 19:09<
ピンクのトカゲ さん
 紛らわしくてスミマセンでした。この前からの読みかけの本(たくさんある)で
 早池峰だとか、セオリツ姫が、でてたような気がします。
 高橋靖夫?という人のえみし関係の本です。読みなおしたら報告します。
 また教えてください。
ヤゾーさん
 この前、TVに出てた学者さんは、沖浦和光さんでいたよね。
 図書館に「天皇の国、賎民の国」があったので、借りて読んでます。
 差別の淵源をインドカースト制に求め、その移入の道筋は密教系の
 仏教と指摘しています。そこでは、空海を批判しています。
 空海批判してるのはじめてみました。その中から
 遍照発揮性霊集より「・・・魔党は即ち吾が弟子に非ず。吾が弟子は即ち魔の弟子にあらず。我及び仏の弟子に非ざるはいわゆる旋陀羅悪人なり。仏法と国家の大賊なり・・・」
  また、書きます。
 
 
  

とんちんかん小僧 - 2001/09/02(日) 14:09<

−甲賀忍び− (2)

副題:甲賀忍者の群像

 戦国忍者と盗賊を同一視するむきもある。しかし、多くの忍者は正心(*)を第一と
して、謀略と謀報の術を学び、とくに火薬、調略、鉄砲、放火などの術に優れ、仕える
武将の戦略に役立てた。その実例をもって、著名な甲賀武士(忍者)の活躍ぶりを紹介
してみたいと思う。
 織田四天王の一人と称され、のちに関東管領となった滝川一益は、いまの甲賀町の出身
で富永姓(紀美作とも)を称した。
 一益は若いころ六角義賢(よしかた)に仕えていた。そのころの逸話がある。義賢の
家臣の中に伊藤内蔵という豪傑がいたが、実は敵対している江北の浅井家の間者(かんじゃ)
であることが判明した。義賢は家臣に内蔵を討てと命ずるが、あまりの豪傑に尻ごみする。
 そのとき一益が名乗りをあげた。内蔵は毎日、観音寺城下のある神社に参詣する習慣が
あったので、一益はその神社の拝殿の柱に穴をあけ、内蔵が参詣に来たところを、鉄砲で
狙撃して一発で仕留めた。このときすでに鉄砲の名人だった。
 その後、一益は叔父の側室とねんごろとなり、それが原因で叔父を殺めて出奔するが、
甲賀出身の池田恒興(つねおき、信長の寵臣で乳兄弟でもある)を頼り、信長に仕える
ことになる。そのときの採用試験が鉄砲の射撃だった。約五十メートル離れたところに、
約三十センチ角の的を立て、これに百発射ち七十二発を黒点に命中させた。鉄砲好きな
信長は、これに大いに満足する。 −つづく

* 忍術伝書の一つで、延宝四年(1676)藤林保武(やすたけ)の著わした『万川集海(
ばんせんしゅうかい)』〔全二十二巻〕は忍術の集大成ともいうべきものです。
 その内容を整理すると、次の六篇に分かれている。
 一、 正心〔しょうしん→忍者の倫理〕
 二、 将知〔しょうち→指揮者の心得〕
 三、 陽忍〔ようにん→謀略、遠謀〕
 四、 陰忍〔いんにん→潜入、奇襲〕
 五、 天時〔てんじ→天文、地理〕
 六、 忍器〔にんき→登器、水器、火器、諸薬〕

にっちょ - 2001/09/02(日) 10:51<

イズスミ、ショッポ−ム・ム・ム・・

ヤゾ−さん、皆々様こんにちわ。
私もやっと子ども達から解放され(夏休みが終わりましたので)好きな釣りに行けそうです。
いよいよ磯釣りのシ−ズンインですね。もうこの時期になると尻が浮いてしまって・・・
画像掲示板見ましたヨ。大きなイズスミですね(それよりもショッポ−に目が・・)関東でこのたばこ吸う人は・・私も昔吸ってましたが今は酒もたばこもやりません。

伊豆諸島ではこのサカナ喜んで食べます、ササヨ(地元ではボテ、あるいはイズコウ)と呼んで他品種のイズスミみたいですけれど大きいのは6kg程になるモノを上げたことがあります。
引きの強いサカナでヤリトリのおもしろさは青物と比べてもひけをとりませんよネ。
ここの掲示板に合わない書き込みばかりで申し訳有りません、あしからず・・


サクラ - 2001/09/02(日) 07:31<

おはよう!

今日は朝から気持ちが良い..!

夜釣りのやぞーさん、夜中におきてた妖怪さんは
今ごろはまだまだねむねむ...でしょうか?

早寝、早起き今日だけ良いこのサクラは
お掃除、御洗濯〜
おミヨさんのように、クッキー食べて、ラビ聞いて..
頑張っちゃおうかな!

そして、何気ない外の蝉の声、子供の遊び声...
そんなものに浸れる一日過ごしちゃおう(^^)

ピンクのトカゲ - 2001/09/02(日) 02:18<

ヤゾー

ヤゾー
センスねぇな。
オレやってたじぶん(俺はアイナメ狙い)チンタ結構釣ったぞ。でも、ありゃ〜美味かねぇ
アジに繊細さがねぇ
やっぱ美味ぇのは、根魚ですぜ。
間違ってあずきマス(標準語ってキジハタ?バリ師さんお願いします)
あれが一番美味ぇ

もんむー <http://www3.xdsl.ne.jp/~hana/wrk0020.html> - 2001/09/02(日) 00:45<

サンカ 幻の日本漂泊民を追え!

ヤゾーさん、釣れましたか?

僕はGoogleでこんなのが釣れました。

雑誌の記事を転載したもののようです。

http://www3.xdsl.ne.jp/~hana/wrk0020.html

ヤナギムシ - 2001/09/02(日) 00:40<

イズスミ不味いやテーーーェ

夏の、イズスミまずいねんけど・・

  寒くなったら・・旨いんですこいつ!!

  お湯を、沸騰させて、コップ1杯の日本酒をいれる
    そこに、サシミだいの切り身を、湯通しする

  その身を、つかって鍋料理します・・サワラみたいに・・・うまいです

    ほんまやでーーーー

                 ヤナでした

ヤゾー - 2001/09/02(日) 00:33<

へへへ

みなさん、こんばんわ。
少し前に釣りから戻りました。
明るいうちは餌取りばかりでした。
ウミガメとサメが泳いでいるのを何度もみましたが、
大体、そういうものが泳いでいる時は釣れた試しがありません。
日が暮れてからはパッタリ当りも途絶え、人懐っこい海猫と遊んだりしてました。
それも飽きたので携帯から投稿できるか試してみましたが、何とか投稿できるみたいです。
それでも10時過ぎに根性でイズスミの50センチ近いのを一匹だけ釣り上げることができました。
期待していたイサキはさっぱりでした。
イズスミの写真を画像掲示板にアップしています。

ヤナギムシ - 2001/09/01(土) 23:59<

たらった・らたらた・らたらたらたた

いやほんま・・ヤナのつれ、いま田辺の磯にいてます・・

     なははっはは・・坊主やて・・うううううう
    なんか・・うれしいのん・性格悪いんかな・・くくくくく

へへへへへ坊主やねんで!!   あはははは坊主やて
  あははははは      坊主ぼうずくそ、坊主   なははははは
     
     なん


              坊主やて??   なんヤゾーもボウズかいな
     お気の毒に・・坊主ですか・・
      あは、坊主なんや・・・あははははけけけ

   えらいすんません・・

     にっちょさん・・あれとこぶしとちゃいます
        アノサイズやったらあわび・・と言いたいねんけど
         実は、イカ飯ですねんわ・・すんません

バリ師さん、田辺のアイゴ釣り京都放送で今夜見ました
 ビシャゴの磯や思いますけど
  ほんま、あの引きは、嬉しい引きやわ・・ううう釣りいきたい
         ほんま行きたい・・やっかみの・・ヤナでした


     ふふふ・・坊主やて・・くくくく

とんちんかん小僧 - 2001/09/01(土) 23:47<

戦国忍者伝 −甲賀忍び− (1)

滝川一益(たきがわかずます)[大永五年〜天正十四年(1525−86)]

 甲賀流の上忍。鉄砲の名手だったという記録がある。近江国(滋賀県)出身、伴氏の
流れをくむ土豪だった。織田信長に仕え、信長四天王の一人といわれている。永禄十二年
(1569)、伊勢国(三重県)北畠氏を攻めた折には北畠の情報を探らせ、内部の混乱作戦
を謀っている。伊賀に侵攻、織田の長子信雄のもとで北畠氏を滅ぼした。天正十年(1582)
信長の甲斐攻撃では先鋒。
 武田氏が滅ぶと、関東を管領、上野(こうずけ、群馬県)厩橋(うまやばし)城主となる
が、本能寺の変で主君信長を失い、北条氏直と戦い、敗れて伊勢に帰ったが、その逃げ足の
速さは驚くべきものがあったという。
 翌天正十一年、織田信孝、柴田勝家と組んで豊臣秀吉と戦う。桑名城を攻められ、得意の
夜襲で対したが秀吉のその上をいった謀略に敗れた。降伏して、秀吉から近江の国内で五千
石を受けた。天正十二年、小牧の役では九鬼嘉隆と尾張(愛知県)蟹江城を攻略するが、家康
・信雄軍に奪い返された。越前大野に引退、天正十四年没した。鉄砲は名人の名が高く、それ
なりの功績もあるが、晩年はふるわない。   −つづく

ピンクのトカゲ - 2001/09/01(土) 22:06<

済みませんでした。

早とちりしました。
ポン吉さんは、「きょうかい」さんだったんですよね。
かしこみかしこみされてますから、
PS
『高山低山(ひきやま)の末より、さくなだりに落ちたぎつ速川の瀬に坐す瀬織津姫』です(大祓祝詞)。

やぞー - 2001/09/01(土) 20:10<

釣れません

今、磯の上にいます。釣れなくて退屈なので、携帯から投稿できないか試してみました。

ピンクのトカゲ - 2001/09/01(土) 07:32<

面白い本見つけたね。

サクラさん
面白い本見つけたね。
風琳堂主人、俺といっしょで「それ」言っちゃう人だから...
業界紙に図書の流通の寡占の問題いっちゃって、大手取次ぎから妨害受けてるんです。
書店で入らなかったら、直接注文してね。
Donglyさんも「女神の本」読んでるんですよ。
Donglyさんのエミシ=俘囚から視た感想、わくわくしながら待ってるんです。
Dnglyさん早く書いてよ。
ヤゾー
那智の滝も瀬織津姫だって知ってる?
「熊野三書は伊勢太神宮と同体である。本宮並びに新宮は太神宮、那智は荒祭である。」大江匡房「江談抄」
荒祭宮=天照大神の荒御魂→瀬織津姫(トカゲ注)
「3月21日、川中の神供、瀬織津姫ノ神を祭る、那智山滝ノ上の中津瀬に禊祓の式典あり」「熊野市史上巻」(いずれも『エミシの国の女神』から引用)
サクラさん
また、感想書いてね。
感受性豊かなサクラさんの感想期待してますよ。

管理人ヤゾー - 2001/09/01(土) 00:05<

今までの投稿は過去の掲示板へ移動しました

みなさん、こんばんわ。
やっと9月です。
暑い夏も終わり、少し凌ぎやすくなってきました。

ポン吉について少し。
ポン吉にはキャンタマがあったので間違いなく雄です。
子ダヌキというほど小さくはないですが、親ダヌキよりは一回り小さくて、
幼い顔をしているので子供タヌキだと思いました。
誰の子供かまでは分かりません(^_^)

引きが強いのは、チヌ(クロダイ)<グレ(メジナ)<アイゴ<サンノジ<イズスミでしょうか。
食べて美味しいのは、アイゴ>グレ>チヌ>イズスミ、サンノジは不味くて食えないですね。
今日の昼から釣りに行ってきます。アイゴが釣れたらいいな!


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