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2001年06月17日(日)23時15分までのKumanolifeGuestbookへの書き込みです。


きょうかい - 2001/06/17(日) 21:42<

まむしコリコリ

池袋で食べました。
1、カウンター上のクリップに頭を固定する。
2、そのまま皮をむく
3、確か、ここで首から下だけを切り離す。まるで白い紐
4、10センチ位に短く切断。まるで、動くべったらづけ(こんな気色の悪いもの見たことない)
5、それをミンチに。
6、ニンニクたっぷりのハンバーグの出来あがり。
7、骨コリコリ、目をつぶって飲み込みました。うううう
   
   昭和50年ころ

とんちんかん小僧 - 2001/06/17(日) 14:05<

ネタがいっぱい!

 きょうかいさんへ

>加門七海興味津々です。

 それは、それは私的に嬉しいことです。以前、紹介した本で『大江山幻鬼行』
には、決して詳しくはないですけど、サンカや金山衆についても触れていますし
長編ものじゃないので一気に読めるので、おススメです。


 ヤゾーさんへ

>そんなにがんばって書いたらネタが尽きてしまいませんか?

 いえ、いえ、いいえ。何か、書きたくって、書きたくって仕方がなかった
んですよ。ネタは、まだまだありますし、たまに…って、まだ先のことです
けど忍者ネタ以外の話も書こうと思っているので心配なさらないで下さいま
せ。ネタがありすぎてコワいぐらい!?

おミヨ - 2001/06/17(日) 13:49<

マムシ料理

群馬にマムシ養殖場があり、そこでマムシ料理を出しているそうです。
以前テレビでやっていました。
場所思い出せません。

トウトウ酒 マムシの粉末はいっています。
健康にサカズキに一杯のんで、私は効き過ぎて二日酔いになり、二日酔い止めのドリンクのみました。^^

下谷万年町にも、とうとう酒のお店(?)で以前マムシドリンクとお料理だしていました。
ちいさなお店で地下1階にあり、ちよっと雰囲気怪しげで興味ありましたが、3ヶ月前ぐらいに気に入って
いる古本屋さんの帰りに、あのお店は・・・・・と思い出し探してみましたが、新しいビルになり変り、
見当たりませんでした。残念!
ちなみに私わ、虫類はダメですけん。

マムシは八代亜紀の演歌も好きでしょうか?
熱めの燗で肴はあぶったイカがいい〜〜〜。。♪       イヒッ^^

やなぎむしさん 薬疹大丈夫ですか? お大事にーー。。

 

Dongly <http://www1.odn.ne.jp/cam22440/oma-6.htm> - 2001/06/17(日) 11:55<

山歩きの方で

歴史や民俗も考えた名古屋の山男のサイト。
登山近くの地域の民俗資料を読んで入山してます。
修験、忍者、生地師、サンカ(サンガ)、旧家の話も出ています。
もちろん熊・大蛇の実在も登場。参考文献はありません。

 目次の1,2・・・
  1)大峰山 修験道の山旅 29ページ
  2)白山巡礼   38ページ
  3)南アルプス深南部の山々  28ページ

 本を買うと金と保管場所が必要ですが、これはロハです。

 ヤナギムシさん NA-MIさん おミヨさん ヤゾーさん
蛇の多いような所で、髪毛を焼いて蝮を寄せ集める実験を
しましたが、30分で、30匹位集合したそうです。
人間よりも集合は正確?上のサイトの天竜川流域では、スル
メと髪毛をあぶってその香で蝮を集めるといいます。
 思うに、人毛(それも女性の髪毛ない)とスルメに、更に
酒でも熱燗にすれば、興奮して沢山集まるはずです。
 濃尾平野ではサンカは生の蛇を食べるとあります。
この辺りのサンカ資格テストには当然、蛙と蛇の肉団子、蛇の
生食いが出題されますから、必ずマスターして下さい。

 



   

NA-NI - 2001/06/17(日) 09:28<

蝮談義ですか。

ヤゾーさん。おはようございます。

>実は僕はマムシを食べたことがあります。
>炭焼きを手伝っている時に炭焼きの爺さんが捕まえてきたのを炭火で炙って食べました。
>わりと美味しかったです。

貴重な(?)ご体験を。蛇の類は未だ食べたことがありません。

>それまではマムシを見ても怖いともなにも思わなくて、
>むしろ大人しい蛇で可愛い顔をいているんだなくらいしか思っていませんでした。
>向こうも僕に敵意がないことが分るのか、近付いても逃げることなく、
>むしろ愛嬌を振りまいたりしていました。
>ところが一度食ってからは、マムシを見る度に「美味しそう」と思うようになり、
>近付くと威嚇するようになり、直ぐに逃げるようになりました。
>えらいものです。これは本当の話しです。

私は、シマヘビは割りと好きです。噛まないし、渓流釣りにいって川原の藪を漕ぐと足元で「ガサッ」と音がして彼のヘビが逃げていきます。
さらに私はヘビを食べる岩魚が大好きです。うひひ。

Donglyさま。
>夜這には焼山寺(修験の山です)の頂上まで行った

福岡に八木山峠というのがあります。私は=焼山ではないかと思いますが。あの山塊の南には宝珠山がありましたか。修験の山です。

>(嘘!!。祭の夜の男女のパーティーは愛媛に今でも・いや
>今だからやってます。このために会社を休んでまで参加した若者がいます。
>実に頼りになる青年です。)といいますから、検証したい、「本読んでるだけでは不完全燃焼」。
>いわゆる学者と異なり、「庶民の眼の高さに合わせて」「体を張って」検証していくのが野史研究会です。
>もっと若く、そしてもっともっと好色ならば、と歯ぎしりする夜が続きます。
>民俗学にすぎないのですが鋭い「意欲的な」人妻がいますので「代打」をお願いしようかな。

八切氏のサンカ本とともに何とも刺激的ですね。フィールドワークに欠くべからざるものですか。

おミヨ - 2001/06/17(日) 08:31<

マムシ獲り名人

サンカがセブリを張る時、まずマムシ退治からやらねばなりません。
で、どーーしますか?
マムシ獲り名人は、人間の髪の毛を燃やすのです。
そうすると、藪や草叢に棲んでいたマムシは匂いにつられて、のこのこでてきます。
そこで一網打尽。高値で売れるのです。
マムシは人間の髪の毛の燃えた匂いが、だいすきなのであります。

名人になると、マムシの匂いでその辺にいるかどうかよくわかるそうです。

木地挽きの内職で、マムシを粉にして飴で煮詰めて作るマムシ飴があるそうです。

ヤナギムシ - 2001/06/16(土) 22:50<

それでは!!

それでは、わたしも蛇の話
  いまから、12・3年前の話です
 もう、雪がなかったから5OR6月の頃でしたでしょうか
比良山に登山した時の話です
  私の友人は、日本拳法3段・空手それに中国拳法おまけにボクシングまで
  こなす猛者やねんけど・・!!
蛇と化け物が大の苦手の人です

     山道に入るとチョロチョロ蛇が横切るのです
 友曰く・・いやな道ヤナ!!
  1回が2回5回が6回9回が、10回
   おい・・おれ我慢でけへんねんけど!!
友が言いました
   ほんま蛇多いな!!

  その時初めて、気がついてんけど・・・
  まわりの山の斜面・・
    ガサゴソなんや、音が聞こえるんです





どひゃーーーーーーーーーぁ
   みなさん信じれますか
  山の斜面ぜんぶ・・蛇ですねん!!

  おまけに、蛇のピラミッドができてるんです
     もちろん、生きてます

何千、何万の蛇が(すこしオーバー)でも数千はいました
  こんな、経験したら・・大金持ちになるんやと
    土地のひとがゆうてました

  ともは、今日はとっても無口
   なんでかな??


        それと・・この話ひとにしたら・・・・


  金持ちになられへんねん・・やて


        一昔前のおはなしでした

   やなぎむし・・ヤナギムシ

Dongly - 2001/06/16(土) 20:27<

虫にも色々

アレルギーの方、同情します。私もアレルギー体質です。ところが昔は
身体に回虫を飼っていた人が多く、回虫の御蔭でアレルギーがなかった
そうです。あおばな垂らしててもアレルギーではなかったのです。
回虫は、人間→回虫の卵→人糞→野菜の肥料→漬物→人間の循環です。
 回虫の卵入りの人糞を家庭菜園の野菜にかけて育て、それをサラダか
漬物で食べるとよいのです。薬代は0。熊野あたりでこれを実施すると
間違いなく、アレルギーの人が多く集まり、格好の「村おこし」になる
かも。国も医療費削減でいつかは取り組むでしょう。
 都会でやると保健所がやかましいので、アレルギー医療用で実施です。
 ただ感心しないのは「虫」地名。「むしょ」→「刑務所」ですから。
山歩きで猪の糞を踏まないようにしましょう。猪の糞には蝮の骨が入っ
てる事があり、「糞」づけて蝮に噛まれたと同じ状態になるそうです。
 植物では虎杖の模様が蝮の縞模様ですが、この模様が体に現れ、目に
見える色はすべて青色だそうです。いいかえれば蝮と同じ視界になるわ
け。蝮は小さくても向かってくるそうです。20匹位に襲われた方がい
ます。もっと恐ろしいのは赤色を持つ「山かがし」で、普通は彼から逃
げ出しますが、噛まれると脳が腐りまもなく死ぬそうです。
 私へび年ですが、大〜丈夫です。

もんむー - 2001/06/16(土) 16:54<

黒猫・白猫

エミール・クストリッツァ監督作品「黒猫・白猫」をビデオで見ました。

日本ではあまりなじみのないユーゴスラヴィアのコメディー映画なのですが、
これがすこぶるおもしろい映画でした。ドナウ河畔に暮らすジプシー達のは
ちゃめちゃな生活を描いたストーリーです。

この映画ではジプシーの人達が自ら出演しているのですが、これがバイタリ
ティーあふれるいい演技をしていて小気味いいです。というか演技とかじゃな
くて、そういう人達なんだろうなと思いました。

映画「ガーディアン・エンジェル」(自警団とは無関係)ではユーゴのジプシー
の子供達が貧困故に人身売買の対象とされている現実が描かれていて、彼らの
生活も実際はたいへんなんだろうなと思うのですが、一方でそこぬけのバイタ
リティーの持ち主であることがわかって、なんとなく親しみがわきました。

でわでわ

ヤゾー - 2001/06/16(土) 14:00<

マムシは勘が鋭い?

たなまさん、はじめまして。
失われた民とその謎に満ちた文化を一緒に探究いたしましょう。
今後ともよろしくお願いしますね。

ヤナさん、利田ヤゾウ、釣りバカが誘いに来たので今から大崎へ釣りに行ってきます。
大きなイサキを釣ったら写真で自慢するから楽しみに待っててね。

NA‐NIさん、きょうかさん、Donglyさん、実は僕はマムシを食べたことがあります。
炭焼きを手伝っている時に炭焼きの爺さんが捕まえてきたのを炭火で炙って食べました。
わりと美味しかったです。

それまではマムシを見ても怖いともなにも思わなくて、
むしろ大人しい蛇で可愛い顔をいているんだなくらいしか思っていませんでした。
向こうも僕に敵意がないことが分るのか、近付いても逃げることなく、
むしろ愛嬌を振りまいたりしていました。

ところが一度食ってからは、マムシを見る度に「美味しそう」と思うようになり、
近付くと威嚇するようになり、直ぐに逃げるようになりました。
えらいものです。
これは本当の話しです。


KEIJUさん、ノートパソコンとデジカメを使って旅先から写真日記をアップすれば
みんな喜ぶと思いますよ。きっと沢山の人が見にきます。

Dongly - 2001/06/16(土) 12:06<

蝮酒は女心

 一本持っています。地元産のオリジナルで義理の父が割竹に挟んで捕まえ
焼酎に入れた20年もの。ただしプロの「蝮除:むしよけ」(サンカ)は
一度漬けた焼酎を捨てもう一度新しい焼酎に漬けます。漬っぱなしは蝮毒が
当る事があるそうです。下戸の私、蝮酒美味いと思います。
 我が町昔、法蓮草と蛇、繁華街へ出る路地商人の多い所と聞いていますが
、我家裏山に猪が出てくるので、彼の大好きな蝮は殆どいません。

 東洋一(何でか忘れました!)の温泉徳島神山町に資料購入で行きました。
資料がなく、ホテルは止め民宿に泊まりました。何かないかと眼をギラギラ。
同じ宿の、広島からきた八十八ケ所廻りの先達(守り本尊は不動)をやってる
人と20分話した後、「君サンカだろ」と追及しました。もちろん、彼は真実
を徹底追究する熱い思いの敵ではなかったのです。また「山姥」が「口を赤く
塗って出てきた」といいますから鉱山があった事は間違いなく(また一般に
「山配」名の酒や和菓子名産もあります)、山老女でなく、山姥=山女郎の
私説を証明・補強する事になりました。夜這には焼山寺(修験の山です)の
頂上まで行った(嘘!!。祭の夜の男女のパーティーは愛媛に今でも・いや
今だからやってます。このために会社を休んでまで参加した若者がいます。
実に頼りになる青年です。)といいますから、検証したい、「本読んでるだ
けでは不完全燃焼」。

 いわゆる学者と異なり、「庶民の眼の高さに合わせて」「体を張って」検
証していくのが野史研究会です。もっと若く、そしてもっともっと好色なら
ば、と歯ぎしりする夜が続きます。
 民俗学にすぎないのですが鋭い「意欲的な」人妻がいますので「代打」をお
願いしようかな。

KEIJU <http://www.geocities.co.jp/Hollywood/7353/> - 2001/06/16(土) 09:52<

ただ今徳島です!

昨日山の中の町 神山町へ行ってきました! それはすばらしく美しい田舎の風景!!
またおどろおどろしい ところも! ここにはあるでしょうねえ
サンカのにおいが!!!   何か神山関係の面白い情報誰か知りませんか??
ヤゾーサン live情報出してくれてありがとう!!

きょうかい - 2001/06/16(土) 09:51<

まむしプカプカ

  やなぎむしさん
>北島酒造の御代栄
         できれば大吟醸・・しぼりたてのひやおろし

  ありがとうございます。行ったら探してみます。

やぞーさん NA‐NI さん
 まえに、マムシ酒の造り方聞いたことあります。
 あれは、わざと空気を少し残して生かすんだそうです。
 それでマムくんは、つねに頭を上にしてプカプカと・・・
 そのわけを聞いたのですか、忘れてしまいました。
 ちなみに、そのかた九州出身で名は、山梨県の旧名。
 誇り高き人でした。

NA‐NI - 2001/06/16(土) 05:51<

マムシ

やぞー様

>>飲むときに噛まれることがままあるとか聞いています。
>命がけのマムシドリンクですか?なんだか面白いです。

私は怖いですね。皮をひんむいて、枝に巻きつけて焚き火に炙って喰う人の心境がわかりまへん。
これって食べ過ぎると蛇のギトギト油が目に蓄積されて油が瞳を覆っちゃって見えなくなるとか。。。
 
おっと、マムシドリンク?エキス?のお話でしたね。ごぞんじでしょうが、大瓶に漬けられているマムシは実は生きているんですわ。時々顎をアウアウ動かしていたりして。どうか細心のご注意を。

ところで、八切氏は三角氏を「体制側べったりの人間」と批判されていたようですね。三角氏の東(関東)のサンカの研究にたいして西(東海)の研究とか対立しておられたようですね。記憶の紐解きなので違っていましたらご指摘を。

また、サンカ語を体系的に編纂した文献というのはあるのでしょうか?断片的に単語は少し学べるのですが、曖昧もこもこでよくわかりません。

たなま - 2001/06/16(土) 03:51<

初めまして

以前からサンカに興味を感じていていた者です。
でも慌ただしい日常に追われてるせいか書店周りもままならず、
多くの文献にも目を通さずにいままで来てしまいました。
そして偶然このHPを発見し、興味深く拝見しています。
失われた民とその謎に満ちた文化は人工的環境に埋没しきった
僕にはとてもロマンチックな気分にさせてくれます。
以前はサンカにまつわる地をドライブがてら訪ねたりしたもの
ですが、知識不足が足を引っ張って遥かな過去を概観出来ない
自分に敗北感を覚えたりしたもんです。
所詮は死に絶えた者、なんて勝手な理屈をつけて遠ざかったり
したこともありましたが、結局舞い戻って来てしまいます。
出来ればまた再び近江の里を訪ねてゆったりした時を過ごして
みたいと夢想しています。

ではでは突然の書き込み失礼いたしました。
また寄らせていただきます。

ヤナギムシ - 2001/06/16(土) 01:16<

追伸

きょうかいさん・・・近江の旅きょうかいな!(くさーーぁ笑)

    近江のうまい酒・・思い出したので書いときまっさ

   好みもおますやろけど・・北島酒造の御代栄
         できれば大吟醸・・しぼりたてのひやおろし〔まだ早いか!?)
           純米吟醸クラスでお楽しみください

                   いらんことを・・やなでした

ヤナギムシ - 2001/06/16(土) 00:57<

薬は恐い

こんどの薬・・ステロイド系だって!
   まえに、おやじが飲んでいた同じ類のくすり・
    そおや・・ムーーンフェースとかに・・なっていた・・あれや!!
  すこし・・こわいやつや!!
  そやから2日分しかくれへんかった
   
  きょうかいさん・・お心使いありがとうございます
   ヤゾー・海の魚逃げへんわい!!
          ・・・・・と・・おもうんやけど?

  きょうかいさん・・近江の酒・・ええ酒が多いです(飲みすぎに注意)
    確かあの辺り・・鉄砲鍛冶でも有名でなかったかな??

  楽しんできてください
             やなでした

やぞー - 2001/06/16(土) 00:07<

ぼくも ねむねむ

NA-NIさん、こんばんわ。

>飲むときに噛まれることがままあるとか聞いています。

命がけのマムシドリンクですか?
なんだか面白いです。

ヤナさん、風邪も薬も気をつけてね。
早く元気にならないと、魚さんが逃げてしましますよ。

とんちんかん小僧さん、そんなにがんばって書いたらネタが尽きてしまいませんか?

おユキちゃん、僕も里美八犬伝の映画を見たことがあります。
そういえば忍者みたいでした。
タヌキは見てると優しそうなので、犬の子でも猫の子でも育てそうですね。

きょうかいさん、こんばんわ。

>来週、土日、奥琵琶湖の隠れ里マキノへ旅行します。

そうですか。
それは楽しみですね。
気を付けて行ってきて下さいね。
また面白い発見でもありましたら教えて下さい。

眠り姫のサクラさんですか?ぷっ(笑)いや失礼。
僕もここのところ眠くてしょうがないです。
この季節は夜更かしせずによく寝た方がきっとよいのでしょうね。

眠り姫 - 2001/06/15(金) 23:29<

ねむねむ

気持ちのいいビデオみたせいでしょうか?
      心地よく雨が降っているからでしょうか?
             世の中の事件に疲れてしまった為でしょうか?

眠り病のように夜は寝ている、日々が続いています...

ここはロムしてるのだけど、すぐにねむねむ

          くらべれば タヌコにまけぬ 寝る子のサクラ
    

ねむねむ   お・や・す・み・な・さ・い                         

きょうかい - 2001/06/15(金) 17:02<

こんどは加門七海

 とんちんかん小僧 さん
加門七海,興味津々です。
今度読もうとねらってます。
網野氏の『蒙古襲来〜転換する社会』も読んでみたい。
網野さんのは、足掛け10年くらいざっと目を通しているので
なんとなく、想像してます。
 紹介ありがとうございます

とんちんかん小僧 - 2001/06/15(金) 15:47<

忍び者伝達者

>忍者のお話、いつも楽しく読ませて頂いてます。

 おユキさん、ありがとうね。
 忍び者については、何故か他人事に思えないので、皆さんに
ちゃんと知ってもらいたくて書いてます。
 サンカについては、好きだけれど、よく知ってる人が語るの
が筋だから、忍び者伝達者として、これからも見守って下さい。

きょうかい - 2001/06/15(金) 13:20<

酒と車窓と近江

 昨日、隆慶一郎初めて読みました。
「時代小説の愉しみ」です。おもしろくって
また他のを探してみます。どなたか、紹介してくれた人
ありがとうございました。
小林秀雄たちとのエピソードなど笑い転げました。

「日本酒は一期一会、うまかったらとことん飲むべし」隆慶一郎

 来週、土日、奥琵琶湖の隠れ里マキノへ旅行します。
 あの辺は初めてです。
 京都→湖西線マキノ→泊→長浜→米原→帰路の予定
 どこかおすすめの処があれば、教えてください。

 ヤナギムシさんへ
 大変同情いたします。
 私の家族にも喘息もちの薬アレルギーがいて、以前アレルギー発作で
 病院に行き、もらった薬で呼吸はよくなったのですが、副作用で
 不整脈を起こしました。呼吸困難か心拍ドキドキかという、二者選択は
 つらいものです。彼女は、結局、いわゆる「健食」で自分に合うのを
 見つけてきて、強くなりました。ただ、科学物質には弱く、喘息までは
 いかないけど、よく目が痒くなるといいます。(家具の塗料のホルムアルデヒドなど)
 早く良くなるよう、お祈りいたします。
 
 

おユキ - 2001/06/15(金) 12:55<

里見八犬伝

タヌコちゃんたちは相変わらず少しおバカさんなんですか(笑)
なんだか私みたいで親しみを感じます。

ヤナギムシさん
夏風邪は拗らしたら厄介ですのでお大事にして下さいね。

とんちんかん小僧さん
忍者のお話、いつも楽しく読ませて頂いています。
私は忍者と聞くと里見八犬伝を連想してしまいます。
映画の影響かも?

伏姫と飼犬八房との間に八つの玉が生れ、それぞれの玉を持って生まれた八犬士たちの物語。
伏姫は拾ってきた犬・八房(やつふさ)をとてもかわいがりました。
この八房は昔捨てられタヌキに育てられていたそうです。
だからタヌコちゃんも少しはお利口さんなんです。

とんちんかん小僧 - 2001/06/15(金) 01:41<

忍びの実態と幻想(おまけ)

 みなさん、おこんばんは!(もう寝てるよね)
  
>とんちんかん小僧さん、楽しんで読んでます。

 おミヨさんにそう言ってもらえると、とても嬉しいです。
 はりきちゃおっと!

 min-minさんも、加門ワールドにはまったようですね。
 加門七海本どれも、良いので皆さん買って下さい。

 ここからは、少し頭の中を真っ白にして、読んでいただきたい。
 これから書くことは、以前私が、ヤゾーさんに、教えていただいた時に、
冗談だと思っていたので完全に否定してしまった事を“ある本”の中から
見つけてしまったことが始まりである……。

 かつての忍者は、奇怪で、不気味で、そしてたいそう楽しいものだった。
 “かれ”は一見してそれとわかる忍者装束で登場し、九字を切ったり、
呪文をとなえたりして、たちまち煙とともに消え失せ、あるいはヘビや
ガマなどに化身してくれた。近頃、そんな“かれ”にめったにお眼にかかれない。
 しらじらしくも、煙は火薬であり、小動物は化身したかに見せかける
道具にすぎないと解釈され、目立つように、忍術伝書や忍具を発表され
たりするので、“かれ”はきっと恥ずかしがっているのだろう。それゆ
え“かれ”が、映像であれ、舞台であれ、活字であれ―もっともそのほ
かに出ようがないのだが―ふと見せる顔は、ひどく憂鬱で、なにか人間
の深淵みたいなものをのぞかせるばかりである。
 この上の文は、どの本からの記述かは、教えられないですが、この著
者もまた、服部氏(次回、書きます。)の系統の家柄の方です。
 やはり、これを見つけた時、本物の忍者っていたんだなと思うと体の
奮えがとまらなかったです。
 

ヤナギムシ - 2001/06/15(金) 01:23<

ヤクシン

咳が止まらず・・またDRへ・・
  フームフム・・薬を変えましょう!!
酒を、控えて喉の消毒もそこそこに・・薬はきっちり飲みました
  流石名医・・見立てはバッチリや!!

今日は、眠れそうや・・と思ったのは昨日の夜やった!
  なんや?かいいねん(痒い)・・今日はおかしい!!
   と・・思たんわ・夕方のこと
 お昼のやきめし・・こぼれたん食べたからかいな?
  手首がかいい・・
   口元も・・背中も足首も・・ひやーーーぁ・・かいいのん
なんでや・・薬の本でそのくすり・・調べたら

      副作用ありました・・薬疹

            むりな釣り行きが・・まだ祟ります


         かいかいい・・ねん
                    やなでした

NA-NI - 2001/06/15(金) 00:37<

サンカ

紀伊国屋で復刻三角寛氏著作集があって、6集を見たら武州のサンカの写真が載っていて、今更ながらイメージとしてきちんと捉えることができたきがいたします。本日、図書館書庫に八切止夫氏のサンカの本を発見、借りて参りました。氏の本はこれが初めてになります。

>被差別部落でも、「普通の」農民も、昔は竹細工したこともあります。
調査する限り、
>竹細工しながらの川魚漁師、竹細工しない藤蔦細工・

竹細工といえばハヤトもそうです。エミシ同様に強制移住されたハヤトはしばしば、竹の密生地付近に置かれました。竹細工を盛んにしていた彼らは大和王権からもその生産を望まれたようです。

>各地に兼業の蝮取り中には「蝮ドリンク」にも売るものあり

岩手県紫波町(大迫町に近い地区)の直売所で一升びんのマムシ漬けを見たことがあります。秋田でもよくされていて、飲むときに噛まれることがままあるとか聞いています。

ヤゾー - 2001/06/15(金) 00:10<

光れ! 泥だんご

Donglyさん、こんばんわ。

>彼らは「金」以外何を考えているのだろう。

心のどこかでお金や名誉よりもセブリ生活を求めていたりして?
サンカって本当の豊かさを知っていたような気がすることがあります。

おミヨさん、とんちんかん小僧君、こんばんわ。
笛師銀兵衛の話しは面白いですね。

>タヌコちゃん、ヤマガラさん元気かなーーー。

タヌコちゃんたちは相変わらず少しおバカさんです。
いつまでたっても同じことに驚いたりしています。

min-minさん、こんばんわ。

>いよいよプロバイダーの変更を検討しなければならんでしょう。(^^;)

やはりそうでしたか。
サーバーのパンク状態も大変ですが、
ハードディスクのトラブルはもっと悲惨です。
今、僕は泣きそうになりながら、そのトラブルと戦っています。
日頃のバックアップはこまめにしておきましょう。


テレビのドキュメンタリーで、子供に光る泥だんご作りを教えて、
子供が夢中になる心理を研究している学者の話しをしていました。

番組の中で、学者が作った光る泥だんごを、泥だんごを作っている最中の幼児に渡して、
その反応を見る実験が行われたのでした。
面白いことに、光る泥だんごを渡されたすべての幼児が、
貰った光る泥だんごを手放して自分の泥だんご作りに精を出すのでした。

僕も小さい頃、泥だんご作りに夢中になったことがありましたが、
その時の無心で作っていた記憶が蘇りました。

要は自分で作ることに意味があり、自分で作ったから愛着もあるのです。
只の泥だんごなのですが、何日もかけて手塩にかけて丸くて光るまでに仕上げた泥だんごは、
大人になれば忘れてしまいがちな価値観があるのかもしれません。

そんなこと言ってどこではありません。
ハードディスクをなんとかしなければ。

min-min - 2001/06/14(木) 23:21<

RE:繋がらない

ヤゾーさん、みなさん、こんばんは。min-minです。

繋がらない、といえば我がHPは@nifty(ニフティー)がサ−バーなのですが、
一昨日の夜(11時以降深夜まで)、昨夜、そして今夜ともほとんどパンク
状態で繋がりません。
いよいよプロバイダーの変更を検討しなければならんでしょう。(^^;)

とんちんかん小僧さん、

加門七海の『東京魔方陣』を買って読み始めたとたん、ぶっ飛びました。
うわははは。あれは通常のσ(^^)は手を出さんカテゴリーですが、何故か
面白い!どうしてもこうしてもkumanoが絡む・・・。

おミヨ - 2001/06/14(木) 21:26<

みなさま おばんです(オバンと読まないでね)

とんちんかん小僧さん 楽しんで読んでいます。
出雲鉢屋の笛師銀兵衛は笛師であり、その名が銀兵衛すなわち銀(しろがね)ノ兵衛で鉱山師
でもあつた。この笛師たちは、諸方の戦場での謀略戦にかり出されていた。敵を欺くための
歌舞音曲や、虎落笛に似た一種の警報合図としての笛で、それは、山の峰峰にひびき渡り、
谷間や山麓に呼応し、森や村にも共鳴音を呼び合って行くという無気味なものであったと。
虎落笛は、季語が冬であるように、冬の烈風が柵や竹垣、電線などにふきつけて笛のような
音をたてることをいう。(杜山悠)銀兵衛さんで思いだしたので書いてみました。



とんちんかん小僧 - 2001/06/14(木) 19:08<

鉢屋衆 (後編)

 笛師銀兵衛(ふえしぎんべえ) [生没年不詳] 
 
 彼は、笛師を表稼業とした、鉢屋忍群の忍者である。中編と重なりうることも
ありますが御容赦を。
 文明18年(1486)正月、三河万歳に変装した鉢屋一党が、尼子方に属して、
塩冶掃部介(えんやかもんのすけ)が守る、出雲(島根県)月山富田城を攪乱
(かくらん)工作の奇襲攻撃で落城させた。
 この時、尼子経久から月山富田城奪回戦に際し協力するように求められた鉢屋
一族は、相談の結果、忍法にすぐれた笛師銀兵衛が当面の責任者と決まった。
 銀兵衛は、笛師の祖先である、天香山命[あまのかぐやまのみこと]=(石凝
姥命[いしこりどめのもこと]を祀(まつ)っていた。代々が、笛師を表稼業と
する鉢屋衆だった。
 笛師とは天照大御神が天の岩戸にかくれた時に、天香山の竹をとって吹いたの
がはじまりだという。古い家柄である。
責任者を引き受けた時の席上、銀兵衛は、
「サムライの家に騒動が起こり、ためにサムライの家が、興廃しても、鉢屋は
知らぬことだ。鉢屋に大切なのは、それによって、国中に鉢屋の力を漲(みなぎ)
らせる事が出来る」 といっている。
 月山富田城は尼子氏のものになったが、銀兵衛は早々に城下を退いたという。
 経久が期待した尼子への忠義など、鉢屋一党にはなく銀兵衛は、笛師にもどった
だけである。

とんちんかん小僧 - 2001/06/14(木) 17:11<

鉢屋衆 (中編)

 鉢屋弥三郎(はちややさぶろう) [生没年不詳]

 出雲の尼子氏の庇護を受けた鉢屋一党は平安末期から忍びを駆使した
窃盗団だった。 
 江戸時代初期の仮名草紙作家である浅井了意の『御伽婢子(おとぎ
ぼうこ)』に「ひたちのくに秋津郡より名誉の窃盗(しのび)の者来れ
たり」とある。「名誉のしのび」という文字に注目すると、忍者も盗賊
も同等としているのだろうか。
 尼子経久が毛利氏から富田月山(とだがっさん)城奪回を狙っていた。
 当時、庇護されていた鉢屋弥三郎、笛師銀兵衛(この人は後編で)ら
一党は、文明18年(1486)正月に、三河万歳に化けて、月山城大手門前
に集合した。忍びが専門の連中にとって、三河万歳に化ける事など容易
い。陽忍の一つ、妖者(ばけもの)の術といい、むさいものや、非力な
下賎ものに姿形を変えるまでもないのだった。毛利方では、例年のこと
で、もう万歳が来たかと城内へ招き入れた。これを狙っていたのが鉢屋
一党だ。毛利方の油断をみて放火し、これを合図に決起した尼子方は少
ない人数だったが攻め入った。首級はこの時、450ほどあったという。
圧倒的な勝利である。
 尼子氏の再興をかけた山中鹿之介らの奮闘むなしく、尼子氏が滅ぶの
はずっと後の事である。

Dongly - 2001/06/14(木) 15:41<

おしえてサンカ

 って何でしょうか?三角寛の箕作りだけでしょうか?サンカでない
被差別部落でも、「普通の」農民も、昔は竹細工したこともあります。
調査する限り、竹細工しながらの川魚漁師、竹細工しない藤蔦細工・
秋田角館が有名な桜皮細工、四国山中に山蜂取り、各地に兼業の蝮取り
中には「蝮ドリンク」にも売るものあり、今は鉄工所か金物屋昔はブリ
キ屋さんの野鍛冶、堤(池)番・今は河川で不法係留取締役兼の貸ボー
ト屋・釣具屋・えさ屋・釣具メーカー、昔春駒や紅勘やチョンガレで今
は××プロダクションや芸能人・政治家への紹介業、昔山番・野番・店
守で今警察官・警察幹部、昔ニガテで今薬屋・薬剤師・××薬メーカー
、いかだ師は製材所・木屋で今は建材屋・建築メーカーか、などなどに
サンカ系あり。会社社長・高級官僚・政治家にも多いといわれる。
彼らは「金」以外何を考えているのだろう。
もちろん大多数が「社会」や「世界」を忘れた会社人間で、時々思い出し
たような自然志向・自然食志向だが、思考だけが多く、気質は争えない。
 環境運動や住民運動の一つでもすれば能力を発揮するかもしれないが
惜しいことだ。
サンカとサンガは同類異種。鉢屋(飯母呂)とサンガも同類異種。
みなさん自分なりに系統を少しづつでも分類・整理してみませんか?

おミヨ - 2001/06/14(木) 12:23<

雨が降ってもGood after-noon.

「火田民」について
NA-NIさん ヤゾーさん Donglyさん有り難うございました。
2チャンの金太さんの「サンカだそうです」の話し「火田民」と関係はどうなんでしょうか?
と思ったもんで聞いてみました。

ヤナギムシさん、あの事がトラウマに??? 何????
春之助君は元気ですか?

きょうかいさん「・・民俗学」もうナンバ8までお読みになったんですか?進んでますねーーー。。
「・・・・火ダルマ・・・」ワタスも注文しましたよ。

タヌコちゃん、ヤマガラさん元気かなーーー。。
犬娘も元気かなーーー。。

ヤゾー - 2001/06/14(木) 00:23<

繋がらない

きょうかいさん、こんばんわ。
ゾロアスター教なんて、凄く日本に影響を及ぼしているかもしれませんね。

ヤナさん、こんばんわ。
イサキが釣れているので土曜日に雨でなければ大崎へ釣りに行きます。

Donglyさん、こんばんわ。
「××首相はサンカ出身、サンカと客家は酷似する」という内容で宇野正美氏が講演を行います。
東京は6月19日18:00 JAビル9階ホール 2100円、予約不要
大阪の日程は、お問い合せ下さい。
0795−52−7082リバティ情報研究所
との情報をメールで頂いたことがあります?
>ただ天皇一族の人種だけは知りたいです。
時代時代で人種も入れ代わっている気もするのですが?
案外、国津神の血が濃いような気もします。


あちこちのサーバーが調子が悪いのか、それとも僕の使っているサーバーが悪いのか、
繋がらないところが沢山あって困っています。
みなさんはどうでしょうか?

Dongly - 2001/06/14(木) 00:03<

天皇家のことや

古代は判りません。唯一の誇かもしれませんが、私は天皇家と全く無縁です。
 ただ天皇一族の人種だけは知りたいです。どなたかヒントをお願いします。
というよりも庶民の事で手一杯。人種については古事記や日本書紀やその解
説本を勉強しないとダメでしょう。八切止夫の本が判りやすく、彼の場合は
時代小説ですら人種を意識していますし、関連地名や呼び名が重要でしょう。
 八切本サンカの部分は信憑性を感じますが三角寛の焼き直しが多く、もっと
重要なのは彼の史観の方だと考えます。ただ引用文がない所があり残念です。
 楠木は新羅か百済系?の散所の者、畠山は・藤堂は確か別所の者(元は東北
在住のエミシ)の筈です。十年位前に読んだので覚えていません。記憶の良い
人に確認してみます。芸能人・スポーツ人・高級官僚・大会社社長・政治家の
うちの巨悪犯や、凶悪犯ならその素性をBBS上で記してもよい(ただし仕返し
の危険は大あり)と思います。その他の方の事は書かないのが常識でしょう。
例えば、考古学の森浩一氏は熊襲末裔、「隠された十字架」の著者はアイヌの
混血をそれぞれ公言し、民俗学の宮本常一氏は彼の著作を精読すれば家船末裔
の推定は出来ます。中国では背の高かったあの毛沢東は漢人ではなくロロ族
(鳥居龍三説)、トーショー平は漢人を自称していますが八家(はっか)族。
もちろん八家=漢人もありますが。そして在日の華僑の会は大部分は八家だ
という説もあります。
 もちろん中国では八家を調べたり、研究したりすると、目を白黒する
だけではすまず、じきに目は白くなるそうです。
 ただ一般に「藤」がつくのが藤原氏関連は偽りが殆どで、藤原氏は
伊勢以西では少なくとも公家筋ではないようです。三重県ならば藤原町を
詳しく調査すればわかります。

ヤナギムシ - 2001/06/13(水) 23:26<

けけけけ・・け

やーー・・暗闇、わたしの友よ!
  語り合いにまた・・わたしは訪れてきた
    静かな沈黙の世界へ・・・


   あの事がなかったら・・沈黙と暗闇は素適な世界だった
        なぜか・・今・・明かりのない世界で
          眠れなくなってしまった

            TORAUMA・・・って本当にあるんや


    酒・・そして音楽・・
       しとしとと降る雨!・・・・・

     外を走る・・・ドップラー音・・・

            ・・・・・・ヤナギムシ
  

きょうかい - 2001/06/13(水) 14:58<

拝火教

おくめさん こんにちは
日本書紀 孝徳白雉654四月の条
「吐火羅國男二人女二人舎衛女一人被風流來于日向」
トクヮラ国の男二人、女二人舎衛の女一人が風に遭って日向に漂着した
斉明天皇3年657
「覩貨邏國男二人女四人漂泊于筑紫。言、臣等初漂泊于海見嶋」
トクヮラ国の男二人、女四人が筑紫に漂泊した。彼らの言うには
『私どもは、始め天見嶋(奄美)に漂泊しました』
トクヮラとは、
1、 トカーレスターン説(アフガニスタン北部)
2、 東南アジア説 井上光貞(タイのメナム川下流)、竹内理三(ビルマ)
3、 伊東義隆(ゾロアスター教徒説)ペルシャ文化渡来考 岩波書店
 とりあえず、正史?の既説を並べました。
                     つづく

ヤゾー - 2001/06/13(水) 00:08<

おくめさん、はじめまして。

三重の人なんですね。
昨日、七里御浜の辺りへふら〜と遊びに行ってきましたよ。
鬼ヶ城も見てきました。

>ササン系渡来人−−坂上田村麿−楠木正成/北畠氏/後醍醐天皇−忍び−藤堂高虎−忍び−???

僕には詳しいことは分りませんが、坂上田村麿は百済系に間違いないように思います。
それと坂上田村麿は原住民系を征伐した人で、後の人は渡来系であっても原住民系と融合した人のように思います。
今夜は眠いので、明日にでもササン系渡来人について調べてみます。
donglyさんはじめどなたか助けて下さいまし。

おくめ - 2001/06/12(火) 19:41<

初心者です

全部読んでませんし、読んでも判りませんが、以下は初心者の勘です。

ササン系渡来人−−坂上田村麿−楠木正成/北畠氏/後醍醐天皇−忍び−藤堂高虎−忍び−???

私は鈴鹿山麓の村落の出身です。なんか大柄で顔の濃い人が多いです。私の父、祖父、祖父まで
も男は身長180以上、女も160以上は当たり前でした。名前は古市といいますが、これは
百済系という説あり。

なんか、滅茶苦茶書いてますね。ごめんしてくださいまし。

ヤゾー - 2001/06/12(火) 19:27<

タイ亡命中ギタリストKEIJUライブ情報


6月20日(水)和歌山市内新和歌浦 BAGUS  HATTA&KEIJU DUO 
6月21日(木)京都 タクタク DUO 075−351−1321
6月23日(土)京都 拾得 服田洋一郎バンド  075−841−1691
6月24日(日)長野市内 GAO 服田洋一郎バンド 026−232−1854
6月25日(月)名古屋市内 TOKUZO 服田洋一郎バンド 052−733−3709

ヤゾー - 2001/06/12(火) 19:25<

遠足

みささん、こんばんわ。
きょうかいさん、ぽんさん、お久しぶりでした。

今日は少し遠出して、鬼ガ城、花の窟神社、ウミガメ公園、リス公園、え〜とそれから、
徐福公園、阿須賀神社、神倉神社を見てきました。
写真を沢山撮ってしましたので、これから整理してページにします。



>わが愛するタヌコちゃんに化かされに行ってみたい...

愛する余り、姿まで似ないでね。
ゴメンナサイ。もう言いません。

>『神皇正統記』畠山親房は別所出身といわれています。

南朝を支持した北畠氏は系図偽造により村上源氏の子孫ということになっていますが、
実は北畠の党という万歳師からでた一族だといわれているようですね。

>「サンカ民族のメッセージだ」

当初、ペトログラフを解読するのにサンカ文字を解読コードにしたら、
結構読めたという話しは面白いですね。

とんちんかん小僧 - 2001/06/12(火) 18:27<

とんちんかん・ブック・コレクション・Vol,2

 きょうかいさんもチェックされていたようですね。
 見落としていました、すみませんです。よかったら、買って下さいませ。
 
 今回、紹介する本は、
 一冊目は、『幽』『妖』『怪』『奇』の四字がキーワードになってます。
 荒俣宏著『本朝幻想文学緑起』 工作舎 2800円+税

 次の本は、『呪』『闇』『陰陽師』等です。
 二冊とも豊島泰国【とよしまやすくに】著の
 【図説】 『日本呪術全書』 3200円+税
 『安倍晴明読本』      1500円+税 ともに原書房より出版。

 その次の三冊は、『妖怪』がキーワードです。妖怪好きの人なら
もう既にチェック済みかもね。

 日本怪奇幻想紀行 妖怪/百鬼巡り 一之巻 1700円+税 角川書店
   同      妖怪/夜行巡り 五之巻 1700円+税  同

 上の本の主な執筆者は、多田克巳氏、加門七海氏、村上健司氏、
諏訪春雄氏、藤巻一保氏他。読むにつれ、単なる妖怪本とは、異なるもの
だと実感するでしょう。
 
 最後は、京極夏彦氏の『百鬼夜行−陰』 980円+税 講談社
という、妖怪小説です。
 また、良い本があったら、随時紹介しますので。
     

とんちんかん小僧 - 2001/06/12(火) 14:53<

加門七海

 サクラさんにmin-minさん、レスありがとう。
 網野氏の『蒙古襲来〜転換する社会』は、一家に一冊必要不可欠だと、私思いました。

>ところで加門七海さんてどんな作家なんですか?

 加門七海…東京生まれ。多摩美術大学大学院修了後、美術館の
      学芸員として勤務。92年『人丸調伏令』で小説家と
      してデビューする。日本の風水を独自の視点で研究、
      都市に仕掛けられた結界を解き明かした『大江戸魔
      方陣』『東京魔方陣』などで、熱狂的な読者を得る。
      主な著書に『くぐつ小町』『うわさの神仏』『晴明。』
      『呪(しゅ)の血脈』など、多数。

 min-minさん、加門さんの本は、ノンフィクションものにしろ、小説にしても
まるで、自分が本の中に入り込んでるかのような、一体となれる本です。
 加門ファンになって、丸5年です。どれも、いいですよ!

利田 - 2001/06/12(火) 14:22<

サンカ文字?

山之口の六字岩

 位山と岩伏せ山には、暗い原生林のなかに、人家ほどもある大きな岩が群がって岩肌を重ねるように露出し、訪れる人を驚かせます。それぞれ“位山巨石群”
“岩伏山巨石群”と呼ばれ、この一帯は神仏の宿る地として、地元の人たちからあがめられているのです。
 岩伏山の巨石群の一つに、“六字岩”と呼ばれる切り立った大岩がありますが、この岩のことを地域の古老たちは、
「あの岩は“阿弥陀岩”と呼ばれておるが、小学生のころ、大岩の切り立った面に“南無阿弥陀仏”の字が現れる─といってな、受持ちの先生と見に行ったことがある。字は、はっきり分からなんだが、そこんどこだけ苔が生えて、何か書かれているように、黒ずんでおったの覚えとるな。その“南無阿弥陀仏”の六字から“六字岩”とか“阿弥陀岩”とか、名前をつけたんであらまいか」
 と、岩伏山を指さして、その大岩の姿を思い浮かべるようにしていました。
(萩原町教育委員会・編「はぎわら文庫」第12集「萩原の民俗信仰と芸能」より)
 平成8年9月24日、「南飛騨古代文化を語る会」(舩坂長樹会長)のメンバーは、日本ペトログラフ協会の代表者と共に、この神秘のベールに包まれた六字岩の調査を行いました。巨石の上面の腐葉土の下から、数多くの盃状穴や山窩文字などが現れ一同を驚かせました。
 「流星と宇宙直列では?」「サンカ民族のメッセージだ」「春夏秋冬の太陽の方向を示したもの」・・・・と悠久の時を超えて超古代へのロマンがひろがります。
(平成9年 夏号 第5号)

dongly - 2001/06/12(火) 12:50<

間違えて

すみません。訂正します。畠=白+田 ではありませんか!近視+
遠視=私の目のせいです。私に責任はありません。
 白には1)長崎キリシタン語で神仏を奉ずる者、2)盗賊・女盗賊
とあり、「白波三人男」で知られます。多いのは」3)別所関連で、
白山(しらやま)、白峰、白子など枚挙にいとまなしです。白衣は
八十八ヶ所参りの死装束と死の直前お世話になる方の衣、明治期まで
の喪服で、褌も腰巻も汚れてても白、奴豆腐も白(坊主の作るゴマ豆
腐は黒色)、車も白色が多く、奥様だけが「しろない」と白のエプロ
ンをかなぐり捨てました。別所心の深層心理でしょうか。
 どっちにしても庶民に土地所有権なるものが出来たのは明治期以後
で明治以前の土地所有(権)について、歴史や法律の専門の方に聞い
ても関心なしか無知の場合が多く、不明です。
 だから 自分の田→畠 はありえないと思います。
 畠山みどり 緑といえばば白波と同じ意味もあり、何かやって
ますか?『神皇正統記』畠山親房は別所出身といわれています。

ぽん - 2001/06/12(火) 10:47<
ご無沙汰しております。
古いレスですが、ぽんは、子だぬき養育中のメスです。

ところで、私の旧姓は、畠が付くんですが、そういう違いがあったのですか。
私は、秦氏と関係あるのかなあなどと考えていました。
畠の字を使う名字は、裏日本(この言い方使っていいですか?)に多いみたいですよ。
関東では、たいてい「ああ、畠山みどりの畠ですね」(今は通用しないねえ)とか
「北畠親房」を思い出す人が多かったです。
思う人が

min-min - 2001/06/12(火) 08:39<

本の紹介ありがとう

とんちんかん小僧さん、こんにちは。本の紹介ありがとうございます。

>>サンカ、海の民、飛礫(つぶて)、賎民etc…
>>キーワードになるものが、いっぱい。

もうやたら“そそられる”キーワードで思わず買いに走りました、この本を。(^^)/

 網野喜彦著『蒙古襲来〜転換する社会〜』小学館文庫 1000円+税

ところで加門七海さんてどんな作家なんですか?

                    min-min@横浜

Dongly - 2001/06/11(月) 22:52<

分けの分らないとき

は漢字で感じて見たいな!はたけには畑と畠の2字あり。
皆さんお得意の算数で考えますと、
  火+田=畑 
 で焼畑です。これ日本に意外に多く、地名でも人名でも
判るし、蕪(かぶら)・小豆・蕎麦などいっぱいの食物が
あります。大豆というよりも、ビールの恋人枝豆も。
本来、火田民=畑民といわれる山岳農民。火遊びの大好
きな方はこの筋かもしれません。
  畠=自+田
 で農耕民は自分用の食料は、畠でまかなった事が判る。
 田は水を張り作物を作る所で、米作農民の口に入らな
かった米です。日本の奴隷制度はこの水田から始まった
の説があります。水田にホト・クボと同じ意味あります。
昔農民は田圃のクボにホトホト手を焼いたともいいます。
非農耕民に、なぜか「田」の付く苗字が多いようです。
という風に学校で教えてくれたなら、自分のことだから
大学入試で日本史を勉強してたのですが・・・。

サクラ - 2001/06/11(月) 22:46<

きゃ!ゲストハウスですか...

いいですねぇ
ぜひ、kumanoの河童のげんさんになってください。
ここ何百年か、かぼちゃの馬車に乗ってないので、
かぼちゃ・大根・人参で飾ったブルドーザーで
お出迎えなんていうのも魅力的!!!

わが愛するタヌコちゃんに化かされに行ってみたい...

とんちんかん小僧様さ〜ま
>これも、加門さんの本ですけど、大江山の鬼について書かれたものです。
>加門七海 『大江山幻鬼行』 祥伝社文庫 381円+税

なんか気になる本ですねぇ...読みたい!

きょうかいさん
同感...まぁ気になったところから、ぼちぼち行きましょうか?
やぞーさんが、ここに出てくる本の名前はリストアップしといてくれるでしょうから...

フーテンのkeijuさん
今度は何処まで飛んでいくのかな?
東京に飛んできた時のkeijuさんのライブを聴けて、ほんと良い時間もらった。
アジアの風とkumanoの風を聴けたような気がします。

きょうかい - 2001/06/11(月) 21:43<

入力過多

おミヨさん
やっと、「鳴けない山鳥の詩」読みました。舞台の場所は、
学生時代にスキーで行った所の近くでした。あんな物語が
あったのですね。しかし本の中で、サチは、あまり心中を
語りませんね。それで余計に読後に重さが残ります。
 また、おもしろい本教えてください。
 でもこの掲示板見てるだけで、情報過多になっています。
 これカキコしてるそばから、とんちんかん小僧さんが、
 おもしろそうなのを紹介してる!
 昨日、遅ればせながら「朝日と読売の火ダルマ時代」を
 注文しました。
 ヤゾーさん
 以前、お聞きした クドのことが、歴史民俗学8号に 
竃と境界[クド・ホド・ホトを中心に]狩野敏次という方の
論文で出ていました。クドは、竈の煙だしの穴の意と竈自体を
指すようです。神を、どんと焼きのごとく煙で送り出すことから
神聖なものであり、かつ女陰も意味するようです。
 九度山、保土ヶ谷・・な、なんて素敵な名前

とんちんかん小僧 - 2001/06/11(月) 20:57<

とんちんかん・ブック・コレクションより、お知らせ。

最近、購入した本ですけど、サンカ、海の民、飛礫(つぶて)、賎民etc…
キーワードになるものが、いっぱい。

 網野喜彦著『蒙古襲来〜転換する社会〜』小学館文庫 1000円+税

次に紹介する本は、将門、紀伊(熊野)、天海、呪術師etc…。

 加門七海三部作 『平将門魔方陣』 500円
         『大江戸魔方陣』 580円+税
         『東京魔方陣』  540円+税  all,河出文庫

 これも、加門さんの本ですけど、大江山の鬼について書かれたものです。

 加門七海 『大江山幻鬼行』 祥伝社文庫 381円+税

 どれも、私的には、最高に面白い本でしたので、本屋さんで、読んで
みて気に入ったら買ってください。

NA-NI - 2001/06/11(月) 18:35<

2ちゃんねるで。。。

見つけました。サンカ系のスレです。
文字傍点の状態でENTER1回押しただけなんですが、送信されてしまいました。
すみません。

NA-NI - 2001/06/11(月) 18:32<

2

http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=min&key=991634884&ls=50

ヤゾー - 2001/06/11(月) 18:25<

夢を語りましょう

seburiさんが投稿してくれると、
僕だけでなく喜ぶ人が沢山いるのです。
もし何かの間違いで、僕が超ゴージャスヨットを手に入れた暁には、
みんなで南大平洋の島々を巡りましょう。
兎に角、なんでもいいかか夢をみないといけない、語らないといけないと言われたので、
好きなことを言ってるヤゾーなのでした。

>「火田民」についてご存知のかた、おしえてください。

おミヨさんのご期待にそえるように調べてみましたが、
焼き畑をやり地力が落ちて来るとまた別のところに行くといった人たちだというくらいしか分りませんでした。
また日帝の支配下で土地を失った農民たちは深い山の中に入り火田民となったりとありましたから、
サンカとはまた違った人たちのように思います。

>僕の場合コンサートだったりするのだけど

そのうちに山の中でコンサートしましょう!
その時は、タヌキは葉っぱのチケットで勘弁してあげてね。

>吉田松陰・西郷隆盛

う〜ん、さすがにDonglyさん、説得力が違います。
ある本には山陰の“えた”を“はちや ”というとあります。
また明治維新では、その“はちや”の人々が忍者として暗躍したとありますが、
その場合の“はちや”とはサンカのことなのでしょうか?
本当にこの国の歴史は訳が分りません。

Dongly - 2001/06/11(月) 16:04<

吉田松陰・西郷隆盛

 つぎは状況証拠です。1)安政の大獄で投獄、江戸の骨ヶ原?で処刑されましたが
、彼の片手を鷹がくわえて弟子の所に持ち帰った話。出来すぎです。刑吏か死体処理
に仲間がいたと見るのが常識でしょう。2)福岡藩に有名な学者・亀井南冥がいまし
たが、その娘も学者です。彼女は賢すぎて貰い手がなく放浪。松陰は優秀だという
理由で塾に入れようとしました。ところが塾生は事で大反対。八切止夫は男ばかりの
塾生には褌をかう金も無く見せたくない部分が見えるからを理由にしていますが。一
説には彼女が被差別部落出身ともします。とにかく、彼女を歓迎した松陰は偉大だっ
たと部落史にあります。
 広島の××代議士は全く関係の無い、別系統です。
 明治の元勲、伊藤や桂なども別所系の賤民出身である事は間違いないようです。
 西郷に関連した事実としては、彼の配下の益満が江戸総長吏・矢野家に密使とし
て訪問し、「同じ仲間だから」と薩長側への加担を要請しています。親分の素性も
いわなければ迫力はないと思いますが・・・。益満も鹿児島の谷?町の出身です。
 また西郷は台湾か朝鮮を侵略して、被差別部落や雑多な賤民を移送しようとした
という説もあります。
 明治維新は「解放思想」をエネルギー源としたとしても、少なくと生き残った連中
の生き様は「NOBLILITY OBLLIGATION」ではなく、今の政治屋も継承していますが、
成り上がり思想にもとづく、差別の再構成と己の懐肥大化です。
 蛍の覧舞。蛍の多い所は、アルカリ土壌で別所が多いような気がします。町にいる
蛍を新潟出雲崎では「街娼」や「私娼」の事です。この「乱撫」も楽しい!!?。
天狗。新潟出雲崎では山伏頭(親分)です。江戸期の役割は山岳警備で、天狗岩とか
修験場で天狗面を被り見張・番人です。関ヶ原前後には「白本尊」として家康に加担
し、また藩によってはその勢力を背景に家老まで上りつめています。江戸期はニセ
山伏以外の御用山伏には各藩とも触れを出し優遇しています。

NA-NI - 2001/06/11(月) 04:00<

バッタリー水車

おミヨさま
>日本のサンカに類するもので、朝鮮の「火田民」があると本に書いてあったのですが、
>「火田民」についてご存知のかた、おしえてください。

火田民については知りませんが、岩手県山形村にあるバッタリー水車は火田民も同じような物を使っているとか聞きます。焼畑農耕を主な生業とする民と思われますが、いかがですか?
ちなみに東北においては2種類の焼畑方式があるとも聞きます。
レスになっていなくてスンマソン。

seburi - 2001/06/11(月) 01:00<
こんばんわ
またまた久しぶりにカキます
最近やっと三角寛サンカ選集第四巻“犬娘お千代”を
買って読みはじめました。
この間まで、鈴木光司さんの「シーズ ザ デイ」を読んでました
鈴木光司さんといえば御存じだと思いますが
リング、らせん、ループ、バースデイの4部作の作家です
この4作とも僕は、とても好きです。
映画の影響で、オカルトと思われがちですが、けっして違います。

この新作「シーズ ザ デイ」は、船(結構ゴージャス)で
生活を始める主人公の偶然とはいえない
人間のドロドロ、グチャグチャのつながりが出てきます。
おもしろかった!
すこしサンカを感じますよ!!

でも三角寛サンカ選集は、おもしろいですね〜
以前図書館とかで見たものより
メチャクチャ読みやすい!
僕は勉強不足なんでやっぱり現代仮名づかいはうれしいです
なんか取り留めもない文章ですみませんでした。

フーテンのKEIJUより - 2001/06/11(月) 00:50<

良いねえのサンカ アナログネット!

MINMINさんの言うような 空間すばらしいと思いますねえ。 やはりこのネット上だけの仮想空間
だけでは やはりなかなか表現しきれない 部分がありますよねえ。
あの達磨さんがした 以心伝心じゃあないけど 会って 感じて 初めてわかる部分と言うのが
ありますから。 まあ出てくるのがいやな人もいるでしょうが、まずネットの広い広い空間でひかっかた同士 アナログにねえ!! 僕の場合コンサートだったりするのだけど 
あのせわしない都会であっても 音楽が手伝ってくれるのだけど
熊野の山の静寂の中 酒を傾けて何かを感じあったりしたら ええと思いますねえ!!!
いけいけyazoo!!!!

やぞー - 2001/06/10(日) 21:45<

こんばんわ

>事実は小説より喜なり
>龍馬は賎民「坂の者」出身と考えます。

明治維新の大きな原動力の一つに賤民の解放思想あり、
吉田松陰のルーツも賤民であったという話しは聞いたことがあります。
また西郷隆盛は南朝方菊池家の末裔でやはり被差別者ではなかったとの話しもあるようです。
結局、一部の賤民が維新の元勲として支配階級となり、
差別政策はそのまま変わることがなかったというのが明治維新の一つの側面なのかも知れません。

>蛍の乱舞は、一人で見たい!!

南紀の地磯で夜釣りをしていると、たまにホタルを見かけることがあります。
最初はなんで海にホタルがいるのだろうと不思議に思いましたが、
山からいきなり海となる土地柄なので普通のことなのだそうです。
一度、磯へ続く山道を歩いていたら、沢山のホタルが乱舞していて、
自分は今なにをしているのだろうと不思議な錯覚に見舞われたことがありました。

>天狗の相撲とり場

自然のものなのか人工のものなのかは分りませんが、
山の天辺が平らになっているところはよく見かけます。
聞いたところによると大昔の祭祀跡や護摩を焚いた跡も結構多いようです。

>そして大切なのはネットワークなのです。

そういったネットワークやコミューンって日本で言えば70年代が全盛期だったと思います。
20代の頃にとても憧れました。
また違った形でそういうものが生まれてくるといいですね。


Keijuさん、東京でライブするんだったら、
次回から、ここでも宣伝してみてはどうですか。
ここは半分以上が東京からのアクセスなので、
少しは宣伝になるかも知れませんよ。

とんちんかん小僧 - 2001/06/10(日) 15:07<

鉢屋衆 (前編)

 鉢屋角兵衛石念(はちやかくべえせきねん) [生没年不詳]

 鉢之屋流の初代。 飯母呂(いぼろ)石念の長子。 幼名を大二郎という。
 大陸から日本に移住し、同化した一種族といわれている。京都あたりに住み、
多彩な職業についたが、軽業(かるわざ)の才がありまた弓馬、格闘技、諜報、
ゲリラ戦等の忍びに優れていました。
 平将門の謀反に与(くみ)した山陰飯母呂一族は、関東の筑波山に安住の地
を与えられたようです。しかし、天慶(てんぎょう)3年[940]に平将門が
敗死すると都を追われた。角兵衛は父石念の指示に従い、一党とともに都の北
八瀬(やせ)の岩屋に隠れ住んだが生き延びるために忍びの術を役立て、強盗
団となっている。
 だが、ある時、名僧空也上人[平安時代の天台僧。903〜72]の住まいに
忍び込み諭されて、四条あたりに苫屋(とまや−苫とは、すげ・かやなどを編
んで作り、家や舟の屋根をおおうむしろの事。)を建てて住むようになった。
 それで苫屋鉢屋とも呼ばれる。上人の教え通り、念仏を唱え、托鉢で(たく
はつ)で生計をたてた。鉦(かね)のかわりに、鉢を叩いて歩いたことから、
“はちやもの”と呼ばれるようになる。鉢屋の語源である。
 鉢屋をたばねていた者を代々角兵衛といい、石念の名を継いでいった。
 そののち、山陰地方(因幡、伯嗜、出雲、石見)にも鉢屋一党は流れて
いったようです。

min-min <http://homepage2.nifty.com/TUBA/> - 2001/06/10(日) 14:31<

kumano network の構築を

ヤゾーさん、こんにちは。

>サンカを通して知り合うことのできたかけがえのない人たち。
>そんな人たちと一緒に自然を楽しんだり、過ごしたいと思うことがあります。
>一緒に釣りに行ったり、夜中に

十年ほど前から北海道の友人と似たような構想を練っております。以前はサンカの存在
など全然知りませんでしたので、先ずは自分たちの周りの友人達(けっして仕事仲間で
はありません。遊び仲間のことです)に持ちかけようか、というものでした。
候補地は大体決めています。北海道でも暖かい土地のひとつである余市近辺。
リンゴの北限ということは、やはり暖かいのです。
離農農家を山ごと買ってしまい、建て増し可能なログ・ハウスを建てるという計画です。
自分達もゲストも含め、ありとあらゆる趣味、娯楽を享受できるよう考えています。
それも自然の中で遊ぶことを大前提に。
例えば、裏山での山菜取り、渓流釣り、海での磯釣り、船釣り、スキューバ・ダイビング。
冬のスキー、スノボー、スノー・モービルも忘れてはいけません。

アウトドアーばかりではなく、友人と今までに集めた内外の書籍(両人とも冒険小説大好き
人間なので、蔵書の中味はやや偏向ぎみか)の公開。その為の読書室の確保。
そしてミニ・コンサートができる音楽ルームも是非ほしいところ。
などなど、構想はふくらむばかりで未だに現実化はしておりませんが、常に志だけは忘れず
に!と思ってます。

そして大切なのはネトワークなのです。全国に、いや全世界に似たような「こころざし」で
ハウスを持ち、互いに交流できればなんと楽しいことでしょう。
年に一度はkumanoで「フクロアライ」なんて持てば最高ですね。(^-^)/

最近思うことは、こうしたインターネットを通して今までに知り合うことが出来なかった
方々の“めぐりあい”があり、常時こうした情報のやり取りが可能となったこと。
しかし、これはあくまでも「仮想空間」でのお付き合いであり、別の表現ではデジタル的
交流なわけです。
一方、ときに実際にお会いして親交を深める昔ながらのアナログ的交流も大切にしていき
たいと思います。「ゲストハウス」構想はまさしくこのアナログ交流の本場となり得るで
しょう。

                                 min-min@横浜

もんむー - 2001/06/10(日) 00:07<

天狗の相撲とり場

東日本の山中には「天狗の相撲とり場」などと呼ばれる場所が多く点在してい
るそうです。「天狗の相撲とり場」とは山の頂上付近にある平らな土地のこと
を言います。まわりは林の中なのに不思議とそこだけがいつも綺麗で平に整っ
ているそうです。

奥羽山脈の中に黒森山という小高い山があります。そこにも「天狗の土俵」と
呼ばれている場所があったそうです。昭和の初めころ、山口村の後藤運太郎氏
は松茸狩りに出かけたおり、その近くで得体の知れない大男に遭遇したそうで
す。声をかけても無視され、そのうちいなくなってしまいました。運太郎氏は
彼を天狗だと思い、恐くなって夢中で家に引き返したそうです。

他にも月山、白髭山(天狗の栗畑)、荒神山、二口峠、醍醐村慈恩寺の裏山、北
村上横山村向川寺の裏山などにもこうした場所が存在し、天狗にまつわる伝承
が伝わっています。
(宝文社刊 日本山岳風土記「天狗の相撲とり場」丹野正より)

山中の平たい場所なら、キャンプにも好適地である可能性もあり、実際そんな
こともあったのでは、と想像してしまいました。

でわでわ

ヤナギムシ - 2001/06/09(土) 23:10<

桜が咲いて60日

ほたる・・です
  蛍の乱舞の見れるのが・・です
   蛍の乱舞は、一人で見たい!!

    ひと気のない川原にセブリ・・・眺めていたい
      
          桜の乱舞は、狂気に似たり
              ほたるの・・乱舞は・・・??


               ・・・・    

Dongly - 2001/06/09(土) 22:35<

事実は小説より喜なり

 「必殺仕掛け人」にはそれなりの相通ずる「もの」があったようです。
信長死の直後、徳川家康は同人種の伊賀者の手を借りて逃げ帰りましたが
、関が原の戦の後に彼らはが家康から江戸に土地を与えられ町乙名など町人
階層の取締役を任されたそうです。それが江戸町人の中心です。明治に入っ
ても彼らは徳川家さま々だったようで、薩長の人間への反発は相当なもの
だったようです(これが江戸っ子の持つ特有の伝統的保守性を生み出す源の
一つかも知れません)。その謎の一端は競り人伊勢長日誌「やっちゃば伝」
にあります。商売人としての隠語がその証拠です。どの商人も江戸期は多く
は幕藩体制の走狗となり情報収集・密告役を果たしました。
 もしかしたら芭蕉の俳句も隠語では何か別の意味を持ものかも。
四国でもブームで坂本龍馬を担ぎ上げてます。高知梼原町で龍馬の脱藩ルー
トを案内して貰ったことがあります。この町内ではメイン通路を通り、愛媛
に入ると肱川に出て川舟に乗り、瀬戸内に面した長浜で舟から下りたといい
ます(少し記憶違いがあるかも)。冗談でしょう。小説ならともかく、江戸
期の治安体制からはとても不可能です。各村境には番人がおり、国境(藩境)
には番人が「鷹の目」で、川舟は肱川沿いに「鵜の目の」舟番所があって、
なお舟頭もまた犯罪人や指名手配人に関する密告は義務だからです。
で脱藩は無理です。
唯一の可能性は龍馬が番人共の仲間で、そのネットワークに頼った事しかない
のです。仲間なら脱藩の手引きも当然、指名手配の情報もすぐ手に入りますし、
夜は番小屋で女は兎も角、酒の一杯はでたでしょう。南愛媛ではいくつかの町
が「わが町こそ龍馬脱藩ルート」と争っていますが、各町の中には「わが祖先
が龍馬を泊めた」「誰々の娘が夜の世話した」という方はどなたもないようで
す。今の三菱の創立者・岩崎との関連を考えるなら、なお思いが深くなります。
龍馬は賎民「坂の者」出身と考えます。京都にある同じ墓地に龍馬・中岡真太
郎(土佐北川村出身)の墓がありますが、古代からの思想の如く、龍馬墓は最
左翼で真太郎墓は最右翼です!!。地獄では金は通用しなかったようです。

やぞー - 2001/06/09(土) 18:25<

ほんやら洞のべんさん

>芭蕉の立ち廻り先を調査すれば、完全な証明に接近できます。

江戸時代くらいまでは、初対面でも同じ仲間(民族)だと分れば、相互扶助みたいなものがあったのでしょうか?
つまり江戸時代くらいまでは、それぞれ民族の違いを意識していたということがあったような気がするのですが?

>河童のげんさん

う〜ん、他人とは思えないような名前です。
僕はよく河童に似てると言われたことがありました。
そして、げんさんというあだ名もありましたのです。

でもどちらかというと『ほんやら洞のべんさん』に近いです。
“分る人は笑って下さいませ”

べんさんの好きなSeburiさん、元気ですか?

私事ですが、最近、理解を遥かに超えた体験をいたしまして、
細胞の一つ一つから脳味噌まで少し混乱していますので、
しばらくはまともなレスがつけられそうにありません。
ゴメンナサイ。

KEIJU - 2001/06/09(土) 16:14<

ゲストハウス計画!!

それいいですねえ!! 大賛成!
四国の山の中 河童のげんさんという 変わった方の話を聞きましたが
すごい広大な土地と そこにでかいゲストハウスを持っているそうで
最寄の駅に着くと トラクターで作った ゲスト用運搬車で 太鼓をたたきながら
迎えにきてくれるという話を聞きましたが!
ヤゾーも見習って やってみますか???

とんちんかん小僧 - 2001/06/09(土) 15:15<
 Donglyさん
 レスありがとうございました。
 お返事遅れてすみません。


 おミヨさん
 レスありがとうございます。
 
 
 次回は鉢屋一党について書く予定です。
 忍者話、まだまだ続くような感じがしますので今後ともよろしくお願いします。

おミヨ - 2001/06/09(土) 13:23<

「火田民」

とんちんかん小僧さん、Donglyさんの忍者の話し面白いです。
楽しんでいます。

ところで、
日本のサンカに類するもので、朝鮮の「火田民」があると本に書いてあったのですが、
「火田民」についてご存知のかた、おしえてください。

min-min - 2001/06/09(土) 08:59<

訂正とお詫び

みなさん、こんにちは。

五木寛之氏のデビュー作は『海を見ていたジョニー』ではなく、『さらば、モスクワ愚連隊』でした。訂正してお詫び申し上げます。
また、先に掲げた同氏の著作のほかにも多くの傑作がありましたがそれらは割愛させていただきました。
他のお勧めしたい初期の作品としては、
『蒼ざめた馬を見よ』
『男だけの世界』
『狼のブルース』などでしょうか。

ところで、昔のバンコクといえば、今や「仮想戦記もの作家」みたいになってしまった谷恒生が、まだバリバリの海洋冒険小説を書いていた頃、ちょっと毛色の変った半分・ドキュメント風小説『バンコク楽宮ホテル』という小説を出してます。
その中でKEIJUさんが住み付いた頃のバンコクで有名をはせた“旅のつわもの”達のエピソードが語られていたと記憶します。残念ながらその本が今手元にないので確認できないのですが。

話題は更に横道へ・・・
僕が最初にタイに足を踏み入れたのは1975年6月。バンコクはもちろんその当時より大都会でしたが、片や今じゃリゾート地で有名なパタヤはまだ一介の漁村のようでした。
この片田舎の漁村がまたたくまに急成長した理由はベトナム戦争当時、米兵の休憩地となったからです。
僕が最初に訪れた時はまともにホテルと呼べるものは唯の一軒だけでした。あとはいわゆる「バンガロー」と呼ばれた簡易宿泊施設でした。
そんな簡易宿泊施設を現地で除隊した米兵のひとりが買い上げ、経営していたところに転がり込んでいたのですが、それはそれは毎日種々雑多な人々が出入りし、楽しかったものです。
こんにちパタヤを訪れるとそこには当時の面影の片鱗すら見出せません。(^^ゞ

KEIJUさんの書き込みを拝見して、とんでもない昔のことどもを思い出してしまいました。

でわ、でわ。min-min@横浜

KEIJU - 2001/06/09(土) 01:41<

青年は荒野を目指す

で主人公が往年の有名JAZZMSICIANに会うくだりがありましたねえ
ぼくも BKKで生活しはじめた直後 とある イタリア人シンガーに誘われBANDに参加しましたが
かれはイタリアで60‘にTEOREMIというすごいBANDのリーダーだったのですね
カンツオーネをバックグラウンドにもつ彼は いわば今のヘビメタの歌い方の元祖みたいな存在だったのです。 しかしマネージャーにだまされ 破産宣告を受け 当時ベトナム戦争のさなか 逃げるようにしてベトナムのキャンプに歌いにきたと言う人なのですが この小説とストーリーが重なってしまい
なんか この主人公になったような気がしたことがありましたねえ。
PAGANと言うアルバムを一緒に作った SAMははやはり そのナホトカ経由のヨーロッパ行きで
向こうに住み着いた人だったのですよねえ! もち年は一回り上ですよ

そういえば、当時BKKのチャイナタウンにJULYHOTELという長期滞在の日本人のたむろしている安HOTELがあって
そこには60‘の左翼崩れの人がたくさんいましたね! まあ変な人ばかりだったのですが
一人 一空さんと言うおじいちゃんがいたのですが そのほうではかなりの大物だったと そのHOTELの住人に聞きましたが とっても僕には優しい人で 色々ないいはなしを聞かされました。
とっても変な場所でしたよ!! あのころのBKKはいえ

夢織のヤゾー - 2001/06/09(土) 00:05<

夢題

みなさん、こんばんわ。家出ヤゾーが帰ってきました。

昨日、用事があって根来寺の近くまで行ってきました。
そこで最近、何度か根来衆のことが話題になっていたので、
少し足を伸ばして根来寺の写真を撮ってきました。
最新情報にアップしています。

最近、感情の起伏が激しく、些細なことで自分を見失った行動をとってしまう、
そんな状態の人が多いようです。
明るく、楽しく、朗らかに生きたいものです。

ゲストブックからゲストハウスへを計画中

サンカを通して知り合うことのできたかけがえのない人たち。
そんな人たちと一緒に自然を楽しんだり、過ごしたいと思うことがあります。
一緒に釣りに行ったり、夜中に河原の温泉へ行ったりと......
また綺麗な河原を見つけてセブリごっこをしたり、
焚き火を囲んで話をしたりと......

それで、その為のゲストハウスを建てたいと思っています。
できれば今僕が住んでいる掘建て小屋程度のものではなくて、
台風が来ても傾かない(そんなの当たり前か)、部屋も沢山あって、
立派な風呂もあるのが理想です。

いつでも好きな時に来て、好きなだけ居れて、
身の回りのことはメンメシノギというのはどうでしょう。

今の僕にはお金もなければたいした仕事もありませんが、
何人かの人が真剣にそうなったらいいなって願ってくれたなら、
何年か先に実現するような気がします。

Dongly - 2001/06/08(金) 23:09<

松尾芭蕉は目付

この説に賛成です。野史呼名辞典から引用しますと、1)伊勢で元「村里の有名な家の者」
で、伊賀者や旧郷士であり、平時は農民だが変事には農兵と化す。勘定奉行の配下で、
一般には無足人の状態。2)サンカ伊賀者、伊賀北の服部党、伊賀の百地氏。この流れに
能楽の観世氏、百地丹波は大和猿楽の太夫元。1)2)から見ると、百済系かつ別所系で、
当時諸国を平気で廻れるのは官許の証で、百済系徳川家にご奉公の「隠し目付」でしょう。
また芭蕉自身にいての例証を3つ。
「ばしょう」とは佐渡ケ島で弓張提灯を意味です。皆さんご存知の言葉に「提灯持ち」が
あります。また山形と宮城の国境にある旧家に立ち寄った時、この家を「ぼー人の家」と
名づけています(過去のスポーツ新聞)。「ぼー」は人偏+棒のつくりの漢字を使ってい
ます。すなわちこの峠の旧家も道番・往還番であることが分ります。
「俳句」はこの漢字からも元々明らかに非人文化です。
 芭蕉の立ち廻り先を調査すれば、完全な証明に接近できます。
 

ヤナギムシ - 2001/06/08(金) 22:05<

桜が咲いて

桜が咲いて60日・・・
  何のことか判りますか?
レフトアローンわたしの、大好きなJAZZ・・の1曲
  真っ暗な山の夜道・・小川の水音のする橋の上にそーーと車を、止めた
     ハザードを、点けてボリュームをあげた!!


      桜が咲いて60日の答えが・・見えた!!・・・!!!!
                    
             やなぎむし・・ヤナギムシ

           

きょうかい - 2001/06/08(金) 21:39<

ぼくの新宿は「木馬」

新宿といえば、高校3年のときはじめて行った「木馬」を思い出します。
リクエストは、ワンパターンのジャッキーマクレーン+マルウォルドロンのレフトアローン。
いまでもこの曲を聴くと思考停止します。JBLの馬鹿でかいスピーカーとニッカの水割りを
思い出します。かつて、木馬は有名なライブハウスだったと聞きましたが、ご存知の方はお話聞かせて・・
 しかし、ヤゾーさんの漂泊話は、酒やりながら聞きたいですね。
 顔が痛くなるほど笑えそうな気がします。ぼくのまわりには、
 そんなエライ人いなかったから

 五木寛之は、風の王国と廣松渉との対談を読みました。廣松渉の
 物象化というのに興味があって読んだんですけど、漂泊ということと
 深くつながりがあるように思います。
 物象化;本来、現実でもモノでもないことが、人々の集団的思いこみによって
     現実化、モノ化してしまうこと。例えば、狭義には、国家、歴史など
     広義には、意識を含むこの世のものすべて。

とんちんかん小僧 - 2001/06/08(金) 20:22<

俳聖松尾芭蕉は忍者の出だった!

ヤゾーさんと皆々様へ
>芭蕉が忍者と近い関係にあった話…

 この話は、いまにはじまったことではない。芭蕉の不明の部分を含む足跡をみれば、
不審に思わざるをえないからである。
 芭蕉が故郷の伊賀(三重県)から江戸に出て来たのが29歳のころで、俳壇の地歩を
得つつも、水戸家の上水道工事の監督(土木技術の心得があった)などをして、やが
て旅から旅の暮らしを送り、46歳になって『奥の細道』の長大な行脚(あんぎゃ)に
出ている。
 当時の感覚でいうならば、老人に近いだろう。自らも、早くから“翁(おう)”と
称していたぐらいだが、紀行記述によると、約半年の間に15ヵ国を回遊している。
総行程は600里(約2400キロ)にのぼり、1日10数里もの山野跋渉(さんやばっしょう)
もあった。
 考えられない健脚であり、スピードである。ここから、芭蕉は漂白詩人の仮面をかむ
って、本当は諸国探索を行っていたのではないかという憶測が生まれた。
 じつのところ、芭蕉の生家は、柘植(つげ)村[現、伊賀町]在住の無足人だった。
 明治初年の“伊賀無足人取調帳”には、同村に、松尾姓のニ家のあることが認められる。
 芭蕉の生母はまた、忍家百地(ももち)氏の娘だといわれています。
 これは、百地氏系図には別説があって、百地伝左衛門保次(やすつぐ)という人の子が、
「藤堂新七郎様御家来へ養子に参り、芭蕉と改名」
とある。芭蕉を百地家の出身としている。真偽は不明だが、いずれにしても、高名な忍家
とのつながりがあるのだろう。
 しかし、あくまで、出自においてであって、ただちに忍者とよぶには躊躇(ちゅうちょ)
せざるをえない。なぜなら、何者が、何を、どう探れ、と芭蕉に命じたかどうかが、不明
だからである。そのことの不確かなものは、忍者とはいえない。
 多分、忍者としてではなく、情報伝達者として全国を行脚したのでしょう。

min-min - 2001/06/08(金) 18:20<

五木寛之

KEIJUさん、こん**は。

>>五木寛之 独特の漂白感がある 小説ですよねえ 
>>僕みたいな いわゆるヒッピー的な 生活をしている 者にはかなり影響を与えた
>>小説家と思います

KEIJUさんより一回り上の世代の僕ら、あるいは更に上の世代はもっと彼の影響を受けたかも知れません。
デビュー作は確か1967年の『海を見ていたジョニー』。翌年の『青年は荒野をめざす』で当時の若者達
に衝撃を与えました。
引き続き1969年の『デラシネの旗』、1970年の『白夜物語』が上梓されました。これらの作品に触発されて、一体どれだけの若者がナホトカア経由のシベリア鉄道でモスクワ、そしてスカンジナビア半島へ抜けて行ったことでしょう。このヨーロッパへの格安ルートは一部のものたちは知っていましたがこれらの作品群ですっかり有名になってしまいました。
70年安保の敗北的終焉と相まって、その政治的空白を海外に求めた当時の多くの若者達はデラシネ(根無し草)となり世界を漂白したのです。
五木寛之氏自身もこうした海外を漂白する若者達に共感する傍ら、次第に視点を国内に、己自身に向け始めたと思います。自らに関しては『青春の門・筑豊編』を上梓したのが1970年。これより10年を越える長きに渡り『青春の門』シリーズは続くことに。自立編では早稲田に入学した頃の著者自身がみずみずしく描かれておりますね。
その後、どうした経緯か不明なのですが、1979年の『鳥の歌』で“サンカ”的な存在を意識し、翌年の『戒厳令の夜』で一挙に「山窩の世界」を登場させました。そして5年後の1985年にはあの『風の王国』を発表し、以降ぷつりとこの「サンカ的世界」から遠ざかったような気がいたします。
これ以降の同氏の著作はあまり読まないのですが、より宗教的な精神世界に入ってきた感じがしますね。


ヤゾーさん;
>>田舎で育った人間にとって歌舞伎町で野宿して過ごした半月間は、もの凄い貴重な体験であり、
>>よい経験だったと思っています。

>>以上、『青年よ家出は楽しいぞ!』でした・・・(^_-)☆

これって何時頃のことでしょうね。年代が違うかも知れませんが、’71年には寺山修司の『書を捨てよ町へ出よう』なんてぇのもありましたね。ご存じですか?ひょっとしてこの言葉通り実践しちゃったのかな。

でわ、でわ。min-min@横浜



とんちんかん小僧 - 2001/06/08(金) 15:42<

楠木正成と観世父子

 やぞーさまとみなさまへ
>楠木正成と観阿弥、世阿弥親子が血縁関係にあり、共に忍者(サンカ)と
>深い関係にあったこと

 何百年かのちに、あらゆる芸能を集大成する天才が現われた。猿楽(能楽)
の観世父子である。
 観世父子が歴史に登場する以前に南北朝時代がはじまる。
 そのころ、猿楽はそれぞれ、<座>と称する芸団組織で、独立繁栄をめざしていた。
 独立といっても、元来、座衆相互の横の組織であって、本所領主と座衆との縦の組
織でもあり、具体的なかたちとしては、神社の祭事組織と深い関係をもっている。
 ようやく本題に入りますが、これが真実であるか、虚実であるか分かりません...。
 上野市に保管されている、「上島氏文書」によると、

 一、観阿弥は伊賀杉の内の服部信清の三男で、のち長谷の猿楽師のもとへ
   あずけられた。
 ニ、観阿弥の母親は、河内国玉櫛庄楠入道正遠の娘である。
 三、観阿弥の妻は、伊賀小波多の領主、竹原大覚法師の娘である。
 四、観阿弥の伯父は、服部行心入道で、所領が大和結崎にあった。

 これによると、母親が楠入道正遠の娘ということである。
 楠正遠は正成の父親と伝えられている人物である。古来、正成ほど有名で、
正成ほど素性のわからない人物はいない。
 しかし、僅かに伝えられている『楠木氏系図』によれば、先祖は橘諸兄で
橘氏、正成の父は正遠とある。
 とすれば、観阿弥は楠正成の甥ということになる。個人の伯父、甥関係のみ
ならず、楠一族と服部一族とは婚姻関係にあったということになる。
 ただ、まだこの文書を証拠づけるものはないとはいえない。
 楠木正成について、よく<悪党>という言葉をきく。しかし、この場合の
悪党は山賊、海賊、強盗の類いではなく<本所敵対者>といい幕府の敵では
なく寺社領に対する反発から、この時代、何度となく悪党の横行があったと
される。
 また、楠木正成は伊賀忍者四十八人を召抱えていたといわれている。神出
鬼没の活躍は正成自体忍者的である。

おユキ - 2001/06/08(金) 12:57<

今年もツバメが来てくれました

みなさん、こんにちは。

今年もいつもの場所にツバメが巣を作っているのを見たら、
なにかほっとします。

ツバメの子育てが始まって、ヒナが巣立ってゆくのを見ると、
もうすぐ夏がくるんだなって思います。

そんな季節感を感じさせてくれる生き物が周りから減ってきているのが悲しいですね。

サクラ - 2001/06/07(木) 22:38<

かたつむりのように...

とうとう東京も梅雨入りしましたね。
アジサイの咲き掛けた花を覗きながら歩いたけれど、
カタツムリは見つけられませんでした....カタツムリもいなくなったのかなぁ...
それとも、ゆっくりみもしないので、きっと見つけられないのでしょうね。

NA-NIさん
レスありがとうございます。
いろんな角度からのお話に、耳傾けたいと思います。
喜怒哀楽の日々の中、迷いながらもかたつむりの歩みのごとくに、
歩いてみたいと思っています。
NA-NIさん、またいろんなこと教えてくださいね。

ふぁる - 2001/06/07(木) 20:21<

異聞


>楠正成と世阿弥・観阿弥親子が血縁関係にあり、共に忍者(サンカ)と深い関係にあったことや、

北方謙三の南北朝シリーズの佐々木道誉を描いた「道誉なり」では、芸能と世情の間に漂う雰囲気が
見事に描かれていました。この中でも、芸能民と山人との関係がほのめかされていました。
今手元に無いので原典が何か書けませんが、細部の史実はおいといて、彼の歴史描写は魅力的です。

KEIJU - 2001/06/07(木) 19:34<

新宿家出少年へ!

ほうほう!!歌舞伎町に家出????
僕の高校のときの通学路は ゴールデン街を通っていくのですが
もしかしたらあの時の??????・
どこかですれちがっていたかもねえ!
さらに僕の幼稚園のころまでは 退役軍人の手足のない方が ハーモニカを吹いていて 
路上に立ていたりとか それはそれは あらゆる人の坩堝でしたよ。
懐かしい空気を思い出します。

NA−NI - 2001/06/07(木) 18:05<

こんばんは。

>NA-NIさん、こんばんわ。
>お気持ちはよく分りました。
>臆することなく投稿して下さい。

お心遣いありがとうございます。このbbsはここの雰囲気、勝手があると思うので、
変に攪乱するようなことがあってはいけないとおもったので、私なりに気を遣っていますが、
基本的には述べるスタンスはそのままです。

このことは私にとって極めて重要な課題ですので、もうちょっとこだわります。

<サクラさん>
>コインの裏表には裏でもなく表でもない中間が厳然として存在し、
>長い年月に裏が表に、表が裏に、まつろわぬものがまつろい、まつろう者がまつろわぬ者になった
>歴史の変換が何度もあって、複雑に入り組んできたのではないでしょうか。
>人の心の記憶にも、陰と日向が入り組んで、
>縄文も弥生も何もかもの記憶が一人一人に刻み付けられているのではないのかと...
>そんな記憶の糸口が陰で在るならばそこから記憶の糸をたどってみよう...
なにか、みえるかも知れないから...

う〜ん。私が思うには、「中間」というものがそもそも「裏」や「表」に対するものではなくそれはそれとしてただ存在してきているんだと思うんです。「中間」ということでおっしゃる「糸口」になるのでしょうが。。「それ」は「それ」としてあったものを何かと対比して比較して「下位」に不当に置かれてしまっている。それが歴史的事実としてあるいえ、今もって現在する問題だと私は思うのです。
ところで「記憶」というところに私は注目しています。
記憶は意識・認識であり、系譜でもあると勝手に思っていますが、それは現在してときに衝動として突き上げてきます。その衝動を元に、あらゆる人に発信して状況がどう展開していくか見ています。少なくともその衝動・記憶は偽りではないかな、という手ごたえです。しかし、課題はまだまだあり、今は力をそがれている、または、しっかりした足場に立ちきれていない状態です。

もんむー - 2001/06/07(木) 13:12<

鳥の会

KEIJUさん、こんにちわ

僕自身、廃刊の経緯はよくわかりませんが、作中でサクさんが模索していた伝
書鳩による通信や鳥形文字などの自由なコミュニケーションというものは現代
においてインターネットがそれを実現してしまっており、いまさらこの作品を
封印する意味などほとんどないように思います。

また人手不足の地方の人達を手伝う活動もボラバイトという形である程度結実
しているように思います。もちろんこの活動が公安当局の興味をひくとは到底
思えません。

ボラバイトについて
http://www.sankanet.co.jp/

ただ興味深いのは、ひと昔前のこの作品に「インターネットのようなもの」へ
の希求が感じられることです。もっとも登場人物達が感じていた閉塞感がイン
ターネットが普及した現代においてますます増大していることは、注意すべき
ことかもしれません。

「鳥の会」のような活動が当時、実在していたのか興味深いところです。

でわでわ

ヤゾー - 2001/06/07(木) 10:21<

おはよう、KEIJUさん。今日は良い天気です。

『鳥の歌』の廃刊については信頼している方から次ぎのメッセージを頂いています。
真相は僕には分りませんが、僕の周辺でも結構評判の良い『鳥の歌』が廃刊になったことには、
やはり何らかの理由があったのではと思っています。

まさか文庫版も廃刊になったのですか?
だとしたら問題ですね……。
他に五木さんの著書で廃刊になったものはあるのでしょうか?
圧力かな……。
それとも、五木氏の意志、なのかな……?
圧力のかけ方にも、いろいろとありますからね……。
つまるところ、この事態を五木氏がどう思っているかですよ……。

以下は過去の掲示板を見て下さい。

>僕の子供のころは いわゆるさんかてきな 人がたくさん新宿にはいましたねえ。

昔の新宿って不思議な魅力がありましたね。
僕は学校嫌いの家出魔でしたので、高校入学一月余りで家出して新宿でしばらく過ごしたことがありました。
独りではなくて、高校に入学してから知り合った奴と一緒にです。
そいつとは今でも親友なのですが、
当時体重140キロ、それも筋肉質で、おまけに人相が無茶苦茶悪かったので(今では仏様みたいな顔をしてますが)、
流石にその筋の人に捕まってタコ部屋にも入れられることもなく、無事に親や先生に保護されてしましました・・・(-_-;)
ホームレスみたいな人と仲良くなって食べる物やタバコをよく恵んでもらいました。
田舎で育った人間にとって歌舞伎町で野宿して過ごした半月間は、もの凄い貴重な体験であり、
よい経験だったと思っています。

以上、『青年よ家出は楽しいぞ!』でした・・・(^_-)☆


>行方不明の「三角寛」のオリジナル資料が発見されたそうです。

メールでは現在交渉中とありましたが、利田ヤゾウも関わっているんですか?
是非、利田ヤゾウの手で表に出して頂きたい。
なんだか大きな流れを感じます。

では、今からお出かけしてきます

KEIJU - 2001/06/07(木) 05:31<

HI!! YAzo-

鳥の詩 楽しく読ませてもらいました! 僕もMIN MINさんと同じく 
これが当局の手によって発禁になったと考えるのは 考えすぎと思いますね。
五木寛之 独特の漂白感がある 小説ですよねえ 
僕みたいな いわゆるヒッピー的な 生活をしている 者にはかなり影響を与えた
小説家と思います。 僕のようなものの見方(五木さんの小説に対する)といわゆる
YAZO=さんの見方にはずいぶんと 違いを感じますが。
この漂白感は そういう生活をしたもので ないとわからない部分があるのでないでしょうか??
固定されたところから見る 場合と 移動しているとこから見るねえ。小説の相対性理論のような???

彼は僕が唯一はまった 
日本人の小説家です 彼の青年は荒野を目指す に触発され
日本を出た部分もあります。 また彼の描く舞台は 僕の育った新宿がよく出てきてね。

僕の子供のころは いわゆるさんかてきな 人がたくさん新宿にはいましたねえ。
個性的な顔をしたねえ。実に良い顔をしていましたよ 今思えば!

利田 - 2001/06/07(木) 03:35<

うちの犬娘は元気です

おミヨさん。始めまして
何時も貴方の博学さに敬服してますです。

その読書量のパワーを分けてくださいませ。

トンチンカン小僧様。
「川に沿って」最高ですか?最高です。
以前、番組のBGMに使いました。自己満足だけですが。

マラソンランナーの中山竹通の父が殺された。スポーツ新聞に父の顔写真出ていたけど、
「サンカ顔」でしたね。新聞見て「オオオオオオオー」と思いませんでしたか?

小×首相がサンカなんだって。
だから、田×××子と仲が良いのかな?ハンセン病に同情的なのかな?

今日、ビッグニュースが入りました。行方不明の「三角寛」のオリジナル資料が発見されたそうです。
ワクワク

ヤゾーです - 2001/06/07(木) 00:05<

情報時代とは

NHKのお昼の番組を見ていたら、
五木寛之さんが金沢から生放送で出演していました。

番組の終わりに、今の日本人は心も魂もカラカラに渇いていて潤いが必要であり、
情報時代の情とは、愛情や友情の情が伝わる時代であって欲しいというようなことを仰っていました。

明日は山田洋次さんが山口から出演するそうで、
五木寛之さんがアナウンサーに山田洋次さんへよろしく伝えて下さいと言ってましたが、
お二人にはどこか共通したもの、同じ匂いを感じていました。
小説と映画という世界は違いますが、なにか共通したテーマを感じることがあります。


ぽんさん、こんばんわ。
とっくりぶら下げてるタヌキは雄タヌキですが、
ぽんさんはどちらなのでしょう?

おミヨさんはとても優しい女性に違いないと、
うちのピー子とポン太が申しております。(^>^)(^*^)

とんちんかん小僧君へ
楠正成と世阿弥・観阿弥親子が血縁関係にあり、共に忍者(サンカ)と深い関係にあったことや、
芭蕉が忍者と近い関係にあった話しなどありましたらお願いいます。

とんちんかん小僧 - 2001/06/06(水) 22:44<

御礼

 min-minさんへ
本、教えていただきありがとうございました。 
また、探して読みます。


おミヨさんへ
またもや、貴重な情報ありがとうございます。

>忍者の闇に溶けこむ衣装の色は真っ黒じゃありませんね。
>なに色でしたっけ?

以前、質問されてましたね。答えを書くのが、送れてごめんなさい。
 
 たしかに、闇の中で黒色は溶けこんで見えないかというと、闇の色は
真っ黒ではなくて、黒は溶けこまず、はっきりと識別されます。
 着物は、茶染、ぬめり柿、黒、紺、花色です。これらは、世の中に数
多く存在するので紛れるのに都合のよい色のようです。


 利田ヤゾーさんへ
 ヤゾーさんより、お借りしたラビのテープ最高によかったです。
 特に、『川にそって』という曲が大好きになりました。
 MDへ、この曲だけ3回録音しました。今も聴きながら書いてます。
 いいッスね。感動しました。ありがとうございました。

おミヨ - 2001/06/06(水) 20:01<

無題

おユキちゃんにそういわれると恥ずかしいんだけど
私も「季節のない街」と「青ベカ物語」しか読んでいないんです。(^0^)

マンガで「浦安鉄筋家族」浜岡賢治 は「青ベカ物語」の人物達の体臭が色濃くでているとか。
これも読んでいません。(^0^)


歴史読本スペシャル”87−11 「日本史 有名人の子孫たち」に根来衆がでています。
根来伝右衛門正成が牢死して根来風がふいたと・・・・。

6千年前の漆すごいですね。



とんちんかん小僧 - 2001/06/06(水) 14:47<

忍者とは何か  (その1)

 戸部新十郎『忍者の謎』より抜粋。

 わが国では、聖徳太子が、“志能備(しのび)”を側に置いたのがはじまりと
され、諸流の祖として源義経、楠木正成(くすのきまさしげ)、甲賀三郎、
伊勢義盛らの名が並ぶ。また『孫子』の兵法をもととし、山伏修験から起こった
ともいう。
…また、諸藩に設けられた忍者団の名称に、“偸組(ぬすみぐみ)”[加賀藩]や
“黒脛巾組(くろはばきぐみ)”[仙台藩]など、盗賊を思わせるものもある。
 忍者の行う忍術が偸盗術(ちゅうとうじゅつ)と異なるのは、命令者により、
ある目的のために偸盗術を使うところにある。これに対して盗賊は、偸盗のため
に忍術を使う。…結局忍術と偸盗術の違いは、命令者のあるなしにかかわること
なのである。
 たとえば、相洲ラッパを率い、小田原北条氏のために働いた風魔小太郎、
甲州スッパを率いて武田氏に尽くした高坂甚内(こうさかじんない)らは、
それぞれ主家を失うとともに、新興地江戸を盗み荒らして、単なる盗賊と
化してしまった。

ぽん - 2001/06/06(水) 12:05<

タヌキの写真ありがとうございました

ヤゾーさん,タヌキの写真ありがとうございました。
タヌキって、本物は鋭い顔つきですだなあて、いつも思います。
やっぱり、私に似ているのは、とっくりぶら下げてる方です。
私もご飯大好きです。

ヤゾー - 2001/06/06(水) 00:05<

縄文うるしの世界

NA-NIさん、こんばんわ。
お気持ちはよく分りました。
臆することなく投稿して下さい。

おミヨさん、昨日、トンチンカン小僧に会いました。
忍者の本のことをとても感謝していましたよ。

おユキちゃん、僕は『季節のない街』しか読んでいないのです。
だからこれから『青べか物語』を読もうと思ってます。

min-min、こんばんわ。
トンチンカン小僧がmin-minさんの読書録をプリントアウトして持っていまいた。
雑賀鉄砲衆がゆく(上・下)を最近手に入れたそうです。

ということで、3、4日山小屋を留守にします。


縄文うるしの世界

縄文の遺跡から鮮やかな赤色の漆や朱の物が多く出土しています。
それは漆の利用が縄文時代前期から始まり接着剤としても使われましたが、
主に塗料として赤色や黒色の顔料を溶かして使用されていたからです。
中でもベンガラ(酸化鉄)や朱などの赤色顔料が好まれ、
土器・弓・櫛・皿・籠などに用いられました。
鮮やかな赤漆は太陽の力を現したともいいます。
漆塗りは漆の木の栽培や樹液の採集と精製、塗装などがからみ合う
高度な技術が必要だといわれています。
石川県三引遺跡で出土した6千年前の日本最古の漆塗りの櫛には、
現代と同じ重ね塗りの技法が使われていたそうです。

min-min - 2001/06/05(火) 23:48<

“事故”レス

とんちんかん小僧さん、こん**は。

根来衆でもどちらかというと「根来忍者」の方に
ご興味があったようですね。早とちりでゴメンな
さい。
ということで、先のσ(^^)の発言は適当に“見流して”?
くださいませ。

min-min - 2001/06/05(火) 22:42<

RE:根来衆(根来忍者)について

とんちんかん小僧さん、はじめまして。min-minと申します。

亀レスになってしまったのですが、根来衆についての関連書物ということで、
一冊だけ紹介させてください。と言いながら実は僕も未読なのですが・・・。

題名:『鉄砲無頼伝』
著者:津本 陽
発行:角川書店(文庫) 2000.2.25
価格:\590
内容:種子島に鉄砲が伝来したと聞き、さっそく種子島へおもむき入手。
   それを根来寺に持ち返り量産を開始した津田監物の波乱万丈の生涯
   を描く。

ということで、僕も入手して読むつもりですが、もしもとんちんかん小僧
さんの方で先に読まれましたら是非感想をアップください。m(__)m

min-min 横浜

とんちんかん小僧 - 2001/06/05(火) 16:41<

忍者<陰の一族>  (その2)

 戸部新十郎『忍者の謎』より抜粋。

 上古では、 
<鬼>
だった。畏れられ、疎外されたにちがいないそれは、折口信夫説によれば、
「おにとは大人(おおひと)のことであり、征服された先住民のこと」
であり、柳田國男説によれば、
「国津神が二つに分かれ、大半は里に下って常民に混同し、残りは山に入り、また
は山に留まって、山人とよばれるもの」
である。
 それぞれニュアンスは異なるものの、畏れられ、疎外されていた神、または人で
あることがうかがえる。
 たとえば、天孫族によって征服された出雲族などが想定されるが、意識するしな
いにかかわらず、体制反抗の姿をもって示される。そうでなかったら、直接、反逆
や盗賊のかたちで現われる。
 羅生門の鬼、大江山の鬼、茨木童子など童子を名乗るもの、鬼同丸などの丸を
名乗るもの、雑多な鬼たちの横行である。
 童子たちの素性は、衰亡した土地神の末裔(まつえい)で、比叡山に奉仕する
もののなれの果て、という所説がある。
 童子という呼称はまた、江戸時代の“なんとか小僧”を名乗る盗賊につらなる
ものかもわからない。
 それはさておき、彼らは肩まで垂れる大童(おおわらわ)の髪をしていた。これを、
<四方髪(よもがみ)>
といった。これは後世の忍術における変装術の一つでもある。
 もっと明確な、先住土着民のグループをさすよび名もある。
<土蜘蛛>
である。
 そのイメージは、能や歌舞伎で表わされるように、塚にこもり、良民に仇なす
〈敵対して害を加える〉妖怪でしかない。事実、良民に仇なすといわれても仕方
のない所業を繰り返していたのだろう。
『常陸(ひたち)風土記』には、こう書いてある。
「茨城の国栖(くず)、俗称土蜘蛛。または八束脛(やつかはぎ)、山の佐伯、
野の佐伯と称し、土窟に住み、服従せず。茨を土窟につめ、ここに追い込み殺す」
 国栖は『神武記』に登場する吉野の国栖と同じものだろう。彼は神武帝に対し
、土着神の末孫、石穂押別命(いしほおしわけのみこと)と名乗ったという。
 八束脛は身体強大を思わせるし、佐伯は“塞(さえ)ぎ”の意味で、体制勢力
をさえぎり、従わないことの象徴ととれる。

おユキ - 2001/06/05(火) 12:55<

山本周五郎

『青べか物語』と『季節のない街』を文庫本で買ってきました。

勤め先の人に山本周五郎さんの話しを向けると、
普段から優しくて憧れていた先輩が山本周五郎さんのファンで、
沢山読んでいたことが分りました。

その先輩が山本周五郎さんを読むようになってから人に対して優しくなった気がすると言います。
おミヨさん、ヤゾーさんから優しさを感じるのがよく分った気がしました。

おミヨ - 2001/06/05(火) 12:30<

色の民族学

Donglyさん有り難うございました。
「さいか」が「雑賀」なら隠語ではありませんね。
なにかの隠語ととらえていました。

赤色は清めの機能と非常に関係あるのではないかと、また、火事の時、赤い腰巻を振回すのは魔除けの
意味があるんだそうで・・・。
山の民は柿色の衣装で、藤布を柿渋で染めるのが山間部の仕事の一つで、この為に山伏や悪党は柿色の着物をきて、一つのグループの標識になっている。馬借が一揆をおこした時もみんな柿色の帷子と着物で、近世
には渋染め一揆があり、柿色の着物を着るのは何らかの意志表示があったのではと・・・。

サンカの衣装はどこからきているのでしょうか?

とんちんかん小僧さん
忍者の闇に溶け込む衣装の色は真っ黒じゃありませんね。なに色でしたっけ?

歯のはなし
職場で右翼大好きな韓国の○さんが、いつも右翼の話しのお相手していたら、「○○さんは赤でしょう?」
と問われたので「いえ、私は無色で無派です」と答えたら、すかさず自分の歯を指さして「無歯?」って
きかれて爆笑したのを思い出してしまいました。

NA-NI - 2001/06/05(火) 09:32<

承知いたしました。

>>次回、資料を提示いたしましょう。訴訟は有名なはず。
>いいえ、その必要はありません。

承知いたしました。

>>あと、アイヌ関連サイトで「更科源蔵」氏(北海道の詩人でアイヌ研究家として有名。故人)のサイトを発見し、感慨深く拝見させてもらいました。
>と、僕が書いた「感慨深く」という意味は郷里・札幌市で小・中・高と同窓生であった同氏の息子さんと、
>その父上に関する極めて個人的な思い出に浸ったからですので、敢えてこの場で故人が生前訴訟された内容を掲げられる必要はありません。

このようなことを思って、min-minさんに対して申し訳なく思い、心苦しかったのですが、名誉をきずつけられたアイヌ民族の人たちも多かったと思います。アイヌ民族に関連して、看過すべきではないことと思いましたのであのような発言をしました。これも「裏」のお話とも関連してくるかとも思います。

なお、前々回で改行なしでの書き込み、失礼いたしました。字数オーバーで投稿できませんでしたので。
以後、読みやすい投稿心がけます。

やぞー - 2001/06/05(火) 00:23<

赤米とタヌキの好物?

赤米とは、縄文後期に大陸から伝わったといわれる米で、
稲の原種である野生稲の特徴を受け継いでいる生命力抜群の米です。
白い米が作られるようになっても、結婚式等お祝い事には赤飯を炊く風習は現代も生きており、
神饌米として受け継がれてきたことには何か秘められた理由があるのかもしれません。

ところでタヌキの好物はなんでしょう?

1 ドッグフード 2 パン 3 ご飯

なんとご飯が一番好きなようです。
ご飯を見つけるとえらい勢いで走ってきて、
ガバッと大口を開けて銜えこんでは、
少し離れたところへ持って行って美味しそうに食べています。
おかずをあげたくなります。


>私自身はおっしゃる通りの辺りです。

Donglyさん、分りました。

>TOSHIDAさんへ それは偶然ではないと思いまーす。
>利田ヤゾウの「歯が疲れた」にのけぞり。

6月4日は虫歯の日。
歯医者へ行って治りましたか?

>ヤナギムシさんは、素敵なおじ様!

クックックッ........

min-min - 2001/06/05(火) 00:17<

RE:更科源蔵氏

NA-NI様

>次回、資料を提示いたしましょう。訴訟は有名なはず。

いいえ、その必要はありません。

>>あと、アイヌ関連サイトで「更科源蔵」氏(北海道の詩人でアイヌ研究家として有名。故人)のサイトを発見し、感慨深く拝見させてもらいました。

と、僕が書いた「感慨深く」という意味は郷里・札幌市で小・中・高と同窓生であった同氏の息子さんと、その父上に関する極めて個人的な思い出に浸ったからですので、敢えてこの場で故人が生前訴訟された内容を掲げられる必要はありません。

min-min@横浜

NA−NI - 2001/06/04(月) 22:03<

更科源蔵氏

次回、資料を提示いたしましょう。訴訟は有名なはず。

NA-NI - 2001/06/04(月) 22:00<
きょうかいハトさん、min-minさん、こんばんは。ご返信どうもありがとうございます。

きょうかいハトさん:>Aのためには、@の方法で迫るということは、特に矛盾してないように思えますが、いかがですか。
もちろん@だけでは、十分ではないと思いますが。
min-minさん:>確かにコインの裏表の関係でしょう。しかし、「コインとは何か?」と問われた場合、表側だけがコインだ!
と言われ続けるならば、いや、裏も見よ!と叫んでも当然なのではないでしょうか?
―お二方おっしゃるとおりのプロセスを経ることは大変意義があると思います。
しかし、多くの場合、「『裏』に光を当てる」と言いながら、依然として『裏』のままに位置付けているケースが多いと思います。
違いますか?その最初の段階にとどまり続け、どうどう巡りをしてはいませんか?エミシの場合、
現状の多くそんな気がします(少しづつ歩を進めていることは認めるけど)。
何のために「光を当てる」のでしょう?『裏』に位置付けることで実は『裏』を満喫したいと思っているのかもしれない。
非日常的ですし、好奇心がかき立てられますし。
『裏』と位置付けられてきた民や社会の実状や歴史的過程などをきちんと理解することはとても重要だと思います。
しかし位置付けられてきた当のものは本来、
『裏』でも『表』でもないと思いますがいかがでしょうか? 支配者の概念の領域でない、
本来の位置付け(少なくとも傍目の人間は再認識)ということが実は大事なことではないのでしょうか? 
当の民や社会は日本の下位や辺境に位置付けられてはいても、実相は下位でも上位でも辺境でも中央でもないはず
(と差し出がましく言う前にご本人方の自意識はあるかも。
エミシは欠落していると思う)です。どうかお二方、お気を悪くなさらずに。
私はエミシの復権に関して私なりの問題意識を持っているところから来る発言です。
自分自身考えを深めたいとの願いもあります。その意味でも、レスをつけてくださったことにはとても感謝いたしております。

>僕はエミシに対して特別の思い入れを持つ人間ではありませんが、「辺境」からのベクトルでの取り組みが何故「罠」になるのでしょうか?
―その取り組み方に終始する限り、「中央」側の発想・概念に囚われ続ける、ということです。
確かに意義はあるのですよ。しかし、「中央‐辺境」図式自体から飛び出さなくてはいけない、と思います。

きょうかいハトさん: >@ によって目からうろこが落ちて→A、B、Cとなっていくこともあるように思うのですが。 
生意気言ってすみませんが、ご教授を
―わたしもあると思います。

min−minさん: >ここで何をおっしゃりたいのか理解できません。少なくとも近代国家が形成されてから、
各国間の国境を無視しようとしてもそれは無理というもので、間違いなく現存するものです。
そうした国境を全て無視して「現代日本人」のアイデンティティー云々という仮説はどのような意味をもつのでしょうか?
―無視するという意味ではありません。それはそうおっしゃる通りで、それを踏まえての発言でありましたが、舌足らずでしたか。すみません。
私がいいたいことは指標として、「グループ」と「国民」を弁別できるか否かというところです。
日本人というグループで、日本国民と、いうのは日本人=日本国民と違います。
現在、現状は後者ですが。何を申し上げたかったかご理解できますでしょうか。もし、不に落ちませんでしたらご指摘ください。

Dongly - 2001/06/04(月) 21:41<

どうでしょうか?

おミヨさん★隠語というより「陽語」でしょうか。
サイカは1)「雑賀」で古は「左日鹿」「狭日鹿」と記し、討伐された騎馬民
族系で、日本原住民の末裔、2)足利時代「参賀」で石山本願寺の鉄砲隊。と
野史呼び名辞典にあります。
南愛媛に多い「清家:せいけ」姓は東北・俘囚長の清原氏由来だとの調査報告。
建築業界は建設省を中心に、非人系・狭義同和系に分れ、談合の歴史を固持して
る事は世界的に有名。何と五洋建設なんてイヤ!米国では日本の住宅建材費半額、
工期も短く、納期が遅れたら罰金の契約で金をくれます。今の住宅政策では金有
者だけが対象。リストラになれば家族と別れ、青シートのサブリです。石垣以外
の護岸工事を辞め(××君と同類のセメント××君ご免ネ)、川を綺麗にし、
誰でもセブれるようにするが本来(の瘡生会)の政策(思い)でしょう。
外国では和風建築も検討してる模様で、住宅・公共工事の貿易自由化が待ちます
「既知街」は2チャン的です。建設省国土地理院認可の地図では、安房・阿波・
久留美、柿、苔、扱、新家、半家などを推奨してます。
なお同じく別所関連ですが、一字の「吉」も手ごろです。

サクラ - 2001/06/04(月) 21:14<

あはは、利田やぞーさん

心の広い利田やぞーさん、
  サンカを愛し、釣りを愛し、ラビを愛する利田やぞーさん
    うーん、心の広さに敬服!!!あはは!

きょうはとっても良い天気
アノさんに、利田やぞーさんが今日は25分でカレーライスが食べられますように!
ってお祈りしました。(やっぱり20分ってお祈りしたほうがよかったかなぁ??)
それから、やなさんの風邪も早く治りますようにって...
次は大漁になりますようにって...

donglyさんさっそく赤米の話ありがとうございます。
私も興味しんしんで、紀和さんの世界に入っています。
本では赤米は山間部の水が冷たいところでも栽培できるので、
山辺の民も食していたのではないかと書かれています。
もちろん、東北地方でも遅くまで栽培されていたのではないかと思います。
私の食べた古代米は新潟県南魚沼郡塩沢町産のものでした。赤米と称していましたが、
見た目は真っ黒ですね。白米に混ぜてたくとお赤飯そっくりの色と香りになりました。

コインの裏表には裏でもなく表でもない中間が厳然として存在し、
長い年月に裏が表に、表が裏に、まつろわぬものがまつろい、まつろう者がまつろわぬ者になった
歴史の変換が何度もあって、複雑に入り組んできたのではないでしょうか。
人の心の記憶にも、陰と日向が入り組んで、
縄文も弥生も何もかもの記憶が一人一人に刻み付けられているのではないのかと...
そんな記憶の糸口が陰で在るならばそこから記憶の糸をたどってみよう...
なにか、みえるかも知れないから...

おミヨ - 2001/06/04(月) 19:34<

すみれの種

ヤナギムシさんは、素敵なおじ様!
釣りは丸坊主でしたのね。ご苦労様です。
送って頂いた「すみれの種」明日ごんべぇさんやります。
花が咲くのが楽しみです。
★の牧場その他も明日ゆっくりみますね。。
そしてサクラさんにかけまく!!!

Donglyさんおせえて!
過去ログの三越とさいか屋の「さいか」の隠語の意味がわかりません。
三越は分かるんですが。ずーと気になっていました。御願いします。

建設業界もサンカしのがら系統。裏でがっちりつながっているとか。

「既知街部落」やはり並木座でみました。最初のナレーションだけ覚えていて、あと忘れっちまった。

利田ヤゾウの「歯が疲れた」にのけぞり。

Dongly - 2001/06/04(月) 17:41<

正視できぬ正史

ヤゾーさん★日本原住民の定義の議論は会でもしていません。論客の方の議論もぜひ
お願いします。私自身はおっしゃる通りの辺りです。八切止夫の著作や大田竜『日本
原住民序説』を年頭においていますが、研究会では古代史をやる者がいないせいで、
平安期エミシ・エビス以後を対象にしています。しかも、ガックリ・ビックリ・ヤッ
パリの事多く、冷静さを失わぬ庶民のレベルです。勿論、知的=痴的な事も追求。
現地調査では、目に見える・手に取れる・匂いのする高さから追求しています。
縄文系はa.眼窩が窪み・b口元美しく・c顎の鰓張・d一重瞼・e雑食、とされますが
私はb以外は縄文系みたい?民族研究用にと人種判定具(既製品は数十万円なので
、低頭・高頭を計る器具)を竹で作ろうと思いましたが、未開発。
 サクラさん★我家では黒米で「赤飯」を作りますが、小豆入りより美味い。入歯
でも詰まりません。赤米は出雲銅剣の出た所・愛媛宇和町、黒米は比婆郡高野で作
っています。赤しゃぐま・平家の赤旗・ライ病者看護人の赤い服・赤前垂・赤手拭
・赤鍋・赤札・北海道赤平・サンカ赤腰巻・・なぜ赤なのでしょうか?
 MIN-MINさん きょうかいはとさん★「正史」の用法には正否の判断(価値観)が
あり、何か正悪の基準がある事になります。権威ある学会の通説に従う、公権力の認
可した歴史ともいえます。ただ権威・通説は意味あるもので、自己崩壊か・破壊の対
象とみる事・する事が可能なら、小気味よい存在です。あれだけ雁首・金・時間・労力
をかけて熱心な歴史ファンに答えられないのは困ります(読売ジャイアンツ?)。
自然科学ですらテーマ決定・方法論の上で限界があるとシステム論者はいいます。
例えば、産業化された医学ではライ病研究は学問上マイナーです。
裏表も主体が決めるもので、庶民からは裏が表です。史料がない(当然です!あれば
学者が飛びついて、独り占めし門外漢を排除します)ので職業的専門家よりも難しい
(高度?だから震える!)事になります。
「裏」を正視・凝視し、乗り越え、金銭が主人公となる時代に終止符をうつことが
21世紀最大の課題だと、いう思い込みからは大きな仕事でしょうか。

min-min - 2001/06/04(月) 17:28<

NA−NIさんへ

NA−NIさん、こんにちは。min-minです。レスどうもありがとうございました。

>「正史」と称される歴史は常に権力を掌握したものが捏造したものと言っても過言では>なく、我々は常>にその裏面史、あるいは「叛史」ともいえる歴史に光りを当てる必要が
>あるのではないでしょうか。

>>「裏面」「叛」とはすなわちコインの裏に過ぎないのではないでしょうか?

確かにコインの裏表の関係でしょう。しかし、「コインとは何か?」と問われた場合、表側だけがコインだ!と言われ続けるならば、いや、裏も見よ!と叫んでも当然なのではないでしょうか?

>>東北のエミシの末裔、またはエミシに思いを馳せる人々は「中央」‐「辺境」の図式に>>囚われているこ>>とに気づかず、「辺境」からのベクトルでの取り組みを展開しようとし
>>ています。それは罠だと思います。

僕はエミシに対して特別の思い入れを持つ人間ではありませんが、「辺境」からのベクトルでの取り組みが何故「罠」になるのでしょうか?

『国家の矛盾は「辺境」にこそ顕著に現れる』とも言われます。例えばお隣の中国の「辺境」である新疆ウイグル自治区やチベット自治区で何が行われているか。そして中東の更なる「辺境」であるイラク北東部のクルド民族に何が起こったか。アフガニスタンのタリバンが世界中の非難を浴びながら何故「石窟立像」破壊に走ったのか。
これらは全て世界の「辺境」で起こりつつある事象で、「中央」からの視座ではけっして「真実」が見えてくるものではありません。
したがって「辺境」からの情報発信、「辺境」からの反逆の狼煙が意味を持たない理由はないはずです。

>>歴史と系譜における認識が深まれば、アイデンティティに変化が生じると思いますがい
(長いため中略)
>>これは大和日本との密接な拘わりを捨象・否定するという意味ではありません。

ここで何をおっしゃりたいのか理解できません。少なくとも近代国家が形成されてから、各国間の国境を無視しようとしてもそれは無理というもので、間違いなく現存するものです。そうした国境を全て無視して「現代日本人」のアイデンティティー云々という仮説はどのような意味をもつのでしょうか?

>あと、アイヌ関連サイトで「更科源蔵」氏(北海道の詩人でアイヌ研究家として有名。
>故人)のサイトを発見し、感慨深く拝見させてもらいました

>>この方、チカップ美恵子さんはじめ、アイヌ民族サイドの訴訟と猛烈な抗議によって発
>>狂してなくなったとか聞きましたけど。

すみません、勉強不足でアイヌサイドから何を訴訟され、抗議を受けたのかは分かりません。ただ、同氏が「発狂死」したかどうかは同氏が享年84才であったことから推察しますと、発狂云々以前に老衰または病気で亡くなられた可能性も十分ありますね。

min-min@横浜

とんちんかん小僧 - 2001/06/04(月) 15:07<

忍者<陰の一族>  (その1)

 戸部新十郎著『忍者の謎』より抜粋。

…一口に忍者といっても、天地造花の神ごとき存在から、ちゅう盗の姿まである。
けれども、忍者に対して反応する言葉は、おおむね一致している。
<怪奇、不気味、暗黒、冷酷、非情、秘密性、閉鎖性、異種、徒党、邪悪、下賎>
などといったものがある。
 これらをひっくるめていえば、
<陰>
 ということになるだろう。“陰に生きる者”あるいは“陰の一族・一党”といういい方もある。
字義通り、暗くて、不気味である。
 陰とはしかし、元来、光を受けてできたものである。どこかに光があたれば、どこかが陰になる
理屈で、相対的に不幸な部分と考えていい。
 その意味では、彼らは“陽の目を見ない”あるいは“世に入られない”連中だということができる。
 この陰の発生について、あらかじめ考えておきたい。
 まず、俗に、
<隠れ里>
 とよばれるところがある。たいがい深山幽谷に位置し、容易に人を近づけない。
 合戦に負けたか、圧政から逃れたかした一族・一党が、外敵を防ぐにも、食糧を得るにも便利な村里を
設け、独特の風俗習慣を育て、ときには厳しい掟やら、優れた技芸やらを保って、ひっそり暮らしたとこ
ろである。
 始終そうやって、外界と交渉を断って暮らすことが可能なら、それはもう一種の桃源郷のようなもので、
とくに“陰”とはいえない。事実、近年までそれに近いいくつかの秘境を数えることができた。
 が、ある日突然、あるいは徐々に、外界社会が入り込んできて、隠れ里が隠れ里でなくなることになる。
 住人たちは、余儀なくそれまで断ってきた外界と交わるようになるが、彼らには長年なじんできた自分
たちの習俗がある。
 一般社会からいえば、
<異風> 
 である。そんなものを身につけて現われれば、疎外されるようになるのも、自然の成り行きである。つまり、陽の目の下で、陰の生活を強いられることになる。
 そこで彼らのある者は、下層に置かれても一般社会に溶け込もうとし、またある者はむしろ異風を守って、団結しようとする。復権を願う心と、
 少なからぬ怨念が入り混じり、暗く、陰湿な生態が生まれる。これが陰の一族・一党といわれるものの一つの発生経過を示している。

きょうかいハト - 2001/06/04(月) 13:27<

アイデンティティ

NA‐NIさんへ
>@我々は常に>その裏面史、あるいは「叛史」ともいえる歴史に光りを当てる必要が
  あるのではないでしょうか。
>A歴史と系譜における認識が深まれば、アイデンティティに変化が生じると思いますが
  いかがでしょう?
 
   Aのためには、@の方法で迫るということは、特に矛盾してないように思えますが、
   いかがですか。もちろん@だけでは、十分ではないと思いますが。

>B歴史と系譜における認識が深まれば、アイデンティティに変化が生じると思いますが
  いかがでしょう?
>Cそれらを認識したうえで、…・・というアイデンティティを選択するという
  のもあるのでしょう。
 
@ によって目からうろこが落ちて→A、B、Cとなっていくこともあるように思う 
    のですが。
  生意気言ってすみませんが、ご教授を

Donglyさん、いつもありがとうございます
>「播磨国揖保川沿いにて昔石を売り歩く者ありけり。里人この石を購い、手でつるつるになでなでし、痛む所・疼く所・走る所に押し当て、治しとぞなむ。今も数多の年寄
り持ちけるなり。すなはち病を治すに用ふなり」
 これもっと知りたいのですが、「野史研究会」購入できますか。

TOSHIDAさんへ

  それは偶然ではないと思いまーす。

NA‐NI - 2001/06/04(月) 04:30<

こんばんは。

みなさまこんばんは。

>「正史」と称される歴史は常に権力を掌握したものが捏造したものと言っても過言ではなく、我々は常に>その裏面史、あるいは「叛史」ともいえる歴史に光りを当てる必要があるのではないでしょうか。

ひねているようにとられるかもしれませんが、私は異なる考えです。「裏面」「叛」とはすなわちコインの裏に過ぎないのではないでしょうか?東北のエミシの末裔、またはエミシに思いを馳せる人々は「中央」‐「辺境」の図式に囚われていることに気づかず、「辺境」からのベクトルでの取り組みを展開しようとしています。それは罠だと思います。
歴史と系譜における認識が深まれば、アイデンティティに変化が生じると思いますがいかがでしょう?
もっとも、それらを認識したうえで、「現代日本人」というアイデンティティを選択するというのもあるのでしょう。私は後者はとりませんが。
私は国境・県境などを発想として(政治的とは別)取っ払ってしまうことを前提に考えたほうがいいと思います。日本という国があるなしにかかわらず、サンカやエミシ、アイヌはそれとして存在してきているのではないでしょうか?(アイヌモシリは少なくとも現在の日本国とロシア共和国とに跨っている)。
これは大和日本との密接な拘わりを捨象・否定するという意味ではありません。

>五世紀の大和地域における百済人と日本原住民との関係は、大航海時代以降のイギリス人とオーストラリアのアボリジニ、
>あるいはイギリス人と北アメリカのインディアンと同じものだといってよかった。
日本の原住民には満足な衣服もなければ文字もなく、
>まったくの原始状態にあった。そのような野蛮な未開地へ、
高度かつ大規模な
>先進文化をもった百済人が集団移住をはじめたのである。
>それが五世紀のはじめころ、そこから本格的な日本列島の開拓がはじまったのである。
その開拓は、宗教・技術・政治などすべての分野での開拓であり、
>いくつかの分野に限定された開拓ではなかった

私はオ・ソンファ女史に一目を置いていましたが、大変落胆してしまいました。
彼女はジョン・ヨノク(田 麗玉)女史の従軍慰安婦の発言へのご批判で何を述べられたのでしょう?
人のこといえませんね。まったく支配者側の視座の一方的な見方です。
また、百済人=現代韓国人ではないのにどこかそれを前提にしているというのも見え隠れするというのは言い過ぎでしょうか?ルーツがあるのはいうまでもありませんが。

>本をよく見たら(よく見なくても)アイヌモシリでした。
>阿呆な僕の勘違いでした。

普通、アイヌモシリ/AINUMOSHIRと表記すると思いますが、RはRでRIではないのです。
確か名詞に二種類あって、接尾辞 -iが付く場合があったかな?アイヌ語のRは前の母音の影響で、Rに同じ
母音が後置されているように聞こえますが、実際はRの音の特徴で、母音は実際ついているわけではないという内容を知里真志保氏著作集で読んだ記憶があります。

>あと、アイヌ関連サイトで「更科源蔵」氏(北海道の詩人でアイヌ研究家として有名。故人)のサイトを発見し、感慨深く拝見させてもらいました

この方、チカップ美恵子さんはじめ、アイヌ民族サイドの訴訟と猛烈な抗議によって発狂してなくなったとか聞きましたけど。
和人の偏見と差別が、どれほど書籍・マスメディアその他を通じて世に跋扈しているか見直さなくてはいけないと思います。これらの状況を告発されているアイヌ民族の方がいらっしゃいましたね。

とんちんかん小僧 - 2001/06/04(月) 02:40<

根来衆(根来忍者)について

根来衆について、もっと知りたいんですけど何か良い本ありませんか?
私がもっている本(下に順に記す)以外で忍者本及び根来衆について書かれた書物があれば
教えて下さい。

『どろんろん』−最後の忍者−  藤田西湖  日本週報社  s33/10/20
『最後の伊賀者』        司馬遼太郎 イースト・ブックス  s40/6/10
『虚像の英雄』=忍者と盗賊=   戸部新十郎 日本書籍   s53/10/15
『歴史読本』<特集:戦国陰の一族>     新人物往来社 s54 3月号
『別冊歴史読本』<謀略!戦国合戦陰の一族>    同    s57秋  第24号
『真田風雲録』−“巷説”紀泉の戦乱とその豪族たち−  
自費出版  津 登武  s60/3/10
『忍者の履歴書』        戸部新十郎 朝日文庫   h元年/4/20
『歴史読本スペシャル』<忍の達人−影の奥義書−> 新人物往来社 h7 8月号
『忍者と忍術』         戸部新十郎 毎日新聞社  h8/4/25
『忍者の謎』          戸部新十郎 PHP文庫   h12/1/19 
『別冊歴史読本』<忍びの者132人 データファイル> 新人物往来社 h13/5/12
                                                                     の以上です。
       






 

TOSHIDA - 2001/06/04(月) 01:19<

歯が抜けた

サクラさん、愛してます。

「赤米」の話、興味深深
明日調べてみます。

信じられない偶然を、昨日経験しました。
前歯のサシバが抜けた、4時間後に奥歯のブリッジがとれました。
おかげで、ろくに食事が出来ません。
カレーライス1杯食べるのに30分かかって、食べ終わった後は「歯が疲れた」

晩御飯は「ウドン」20分かけて食べた。

最悪の1日でした。

サクラ - 2001/06/04(月) 01:05<

赤米.白米

やぞーさんにお借りしている、紀和鏡さんの本「黒潮殺人海流」に
赤米のことがモチーフとして出てきます。

赤米は古代の早い時期に日本中に広まり、ある時点で組織的に消滅せられたと...
何処にでも実をつける野生種の赤米は、白い稲よりも強く、赤米と混じれば白い稲は負けてしまう。
それが、神事ように一部で栽培されただけで、日本中から徹底的に駆除されて、白米の稲作が根づいたのは、
赤米が長く長く忌み嫌われ、排除され排除された結果だと..

稲作文化の広大とは、それに伴う農奴が必要で、軍隊と言うなの組織を持った者たちの文化を意味するところだと...
赤米はそれに抵抗したニギハヤヒ、土ぐも荒蝦夷、ヤツカハギ、熊襲などのまつろわぬ者たちの食べ物だったのではないかと...

いま、神社の神事ようにのみ残されてきたという、赤米が観光土産として売り出され、
手軽に手に入ろうとしているのを見ると、赤飯の記憶と共に、大事なことが赤い米には隠されているような気がしてくる。赤白の戦いに....

神事に赤米を用いた記憶とはなに?
  祝い事に赤飯を炊く記憶とは何?
  
本の途中のふとした想い...
    続きを読めばわかるでしょうか?
        そして、なお闇の世界が広がる古代に夢馳せてしまう今宵...

やぞーさん、又睡眠時間が短くなっちゃうよ〜

keijuさんのライブに行ってきました。遅刻して...
       かなり、気持ち良いものでした...
           ギター弾いてるkeijuさんはやっぱり『』よかったです(^^)
今日はルンルン、ニライカナイのCD聞いて...
           またまた、夜更かししています!!

ヤゾー - 2001/06/04(月) 00:11<

日本原住民

Donglyさん、こんばんわ。
いつもながら貴重なお話を聞かせて頂き、ありがとうございます。
そこで初歩的な質問があります。
Donglyさんの書かれた『野史研究』を読ませて頂きますと、
日本原住民に対する愛情のようなものを感じるのですが、
百済系サンカ、新羅系サンカといわれるものは、
あくまでも日本原住民をベースとしてのことだと考えてもよいのでしょうか?
日本原住民のことを藤原天皇制に従わぬ(中華風になびかぬ)人種だと書かれていますが、
それは広い意味で縄文人(多民族としての)の末裔と考えてもよいのでしょうか?
自分自身では、直感として日本原住民をベースに新羅系の血が濃いのではと勝手に思ったりしていますが?

呉善花さんという方の本の中に次のような記述があります。

五世紀の大和地域における百済人と日本原住民との関係は、大航海時代以降のイギリス人とオーストラリアのアボリジニ、
あるいはイギリス人と北アメリカのインディアンと同じものだといってよかった。
日本の原住民には満足な衣服もなければ文字もなく、まったくの原始状態にあった。そのような野蛮な未開地へ、
高度かつ大規模な先進文化をもった百済人が集団移住をはじめたのである。
それが五世紀のはじめころ、そこから本格的な日本列島の開拓がはじまったのである。
その開拓は、宗教・技術・政治などすべての分野での開拓であり、いくつかの分野に限定された開拓ではなかった。

日本の歴史観も可笑しいと思いますが、こういうのもどうかと思うのです。

Dongly - 2001/06/03(日) 16:05<

サンカいろいろ

ヤゾーさん★中世非人(山伏・僧兵・神人・坂の者など)の共通項は癩者、
狭義の被差別部落とサンカの共通項も同一という仮定を持っています。
従って狭義被差別部落やサンカが、同じ悩みを持つ癩者を庇うのは自然で
しょう。四国でもわざわざ「お接待」をするのは無理からぬ、よい事だと
思います。『三角寛サンカ選集』表紙に癩病が原因で足が不自由となった
サンカの挿絵があります。関東平(関東の者)が大量に香川の金毘羅に詣
で、大阪から毎日何本もの「金毘羅丸」が出ていました『金毘羅詣絵図』
。千葉の成田大社が出来てからでしょうか、関東平の金毘羅詣では減少し
ました。方言「いくべいー やるべいー」を使う人が関東平(べい)。
しかし江戸期の方が明治期以降より癩者は恵まれてた事は確かです。
『俘囚と特殊部落』によれば、平安期以来、癩者への神仏(薬師、金毘羅、
成田など)へもすがりたい気持ちを上手に政府が利用してる事が分ります。
勉強すればする程、佛教など薬師以来宗派は民衆の生き血を吸い続けたとの
印象が深まります。江戸期に漢方薬の輸入量から癩病者数十万?の推定をし
ていますが『日本疾病史』、金銭を出してまで治療できた人は高々二十分の
一?です。また癩病者を「お大名」という位、大名にも多かったのです。
地名と信仰の統計的な分析をすれば、地域によってはクニサズチ、ミズハメ
の命や応神天皇を祀る地に多いようです。
 とにかく癩者系が非常に多い事は間違いないと思います。
近年の癩者への史上例のない隔離政策は皇国史観の下、医学・宗教・行政な
どが実施した国策です(『医療とファシズム』。過去に遡り徹底的に責任を
追及しないと、再び理不尽な差別を国が繰り返す恐れがあります。
「帰化人」のうち明治までに列島に来島した者(唐や百済系)は天皇や支配
者になり優遇されましたが、富国強兵政策を採用後の来島者は理不尽な差別
を受けています。「中国へ帰れ!」「朝鮮に戻れ!」と叫ぶのは皇国史観の
亡霊に囚われた、前者です。歴史学者『帰化人』には『記紀』に従って、百
済・新羅・東漢・高句麗人に天皇が「日本」の苗字を与えたとあります。
吉野ヶ里を作った伽耶族、任那、唐よりも交流の多かった渤海や唐人などが
記してないのがミソですが、重要な事は、列島が多人種から成立している事
の証明と確認、当時与えられた苗字が現在でも生きている事です。
 私母方は百済系癩病系の野鍛冶(サンカ?)のようです。

ヤゾー - 2001/06/03(日) 11:45<

サンカとハンセン病患者

ハンセン病に冒され、血縁者からも社会からも見捨てられた癩病患者に、
手を差し伸べたのがサンカの人たちであったといわれています。
サンカは彼らの面倒をみながら国内を漂泊したともいいます。

「はんまにラコ(癩病患者)は可哀想なもんだっせ、」
「ああいう可哀想なもんに善根を施すと、きっとええ報いがあります。そら妙だっせ」

とのサンカの言葉が『叉鬼と山窩』の中にありますが、
サンカの末裔と噂される総理の人気をアップさせた理由のひとつが、
癩予防法判決の控訴を取り止めたことにあるということを思うと、
なにか因縁のようなものを感じたりします。


Donglyさん、その新羅サンカ系と百済サンカ系というのは、
どういう意味なのか説明して下さいませんか。

おミヨさん、タヌキが美人に化けたのより本物がいいぞな。
きだみのるの『気違い部落』は松竹で映画にもなっているみたいですね。
どんな良い映画でも題名で放映できないというのも考えものです。

さて昼からカメラでも持って磯遊びにでも行ってこようかな......

Dongly - 2001/06/02(土) 23:32<

そういえば鳩姓で

おミヨさん ある北海道選出の政治家は、吉田茂とも関連あるとされ、祖先は
津山藩の大学者・箕作某の末裔だそうです。そういえば目つきがソックリ。
津山藩の所在地を美作(箕作りと読める!)です。野史研究会はその東の吉野
川流域の粟倉・東粟倉村・作東町を奥様グループで調査しています。もちろん
吉野川がありますので、別所がテーマです。宮本武蔵の家が川側にポツンと
ありますから、番太か川番だったのでしょうか。
そういえば明治期北海道に移住し、山口萩市にUターンした?新羅サンカ系の
○○ミヨという女性が知合にいます。もちろんガッチリ夫所持。この○○姓
北海道に多いそうです。現在安芸郡熊野町川角の団地に居住。因縁ですね。
身近にもサンカ系の方は多いのです。

おミヨ - 2001/06/02(土) 21:40<

温じゃましますみなさま、Donglyさん

椋鳩十の名前は「サンカ調」を自費出版する際に、作品の素材が木地屋やサンカだから小をとって
椋にし、鳩十は、その頃すんでいたワラ屋根のてっぺんに、鳩がきて、毎日クークー鳴いていたので
たわむれにつけたらしい。そして祖父はサンカであるとのふれ込みで、祖父の話しをまとめて自費出版
したとの話しにほとんどの人がころりとだまされたが、評判上々で現在の毎日新聞が出版したとの経緯。
鳩姓ってめづらしい名前ですよね。「鳩の飼」「護摩の灰」に関係しているのでしょうか?
「護摩の灰」というのは泥棒ではなくて、真言宗の坊主上がりが護摩をたいたあり難い灰と称して、
それを丸薬にして病人にのましたり、灰のまま振り掛けて災難よけとして、怪しげな灰を授けて歩いて
いたのをいうんだそうです。。いろんな商売があるもんですね。
「青ベカ」今回読みなおして見て、読後観は面白くてなんだかもの悲しい。こまちゃくれの長に笑う。です
今東光の河内者、きだみのるの○○○○ぶらくシリーズも読んでみてください。

利田ヤゾウ もんむーさん
「・・・火ダルマ・・・」情報ありがとうございました。
難しいところ飛ばしてでも読みたいので注文します。

ヤゾーさん
タヌキが美人に化けて尋ねてきませんか。
タヌキの恩返しの前兆です。きっと。。

やぞ〜 - 2001/06/02(土) 17:30<

タヌキに化かされた?

Donglyさん、お手数をおかけして申し訳ありませんでした。
昨夜、手違いにより、Donglyさんの貴重な投稿を削除してしまいました。
それで、もう一度投稿をお願いしていました。

近い内に、謎の掛け軸の鮮明な画像を送ります。
僕も、藤(葛?)のような腰巻きから、
役行者かサンカの大ヤゾウのような気がしています。

NA-NIさん、本をよく見たら(よく見なくても)アイヌモシリでした。
阿呆な僕の勘違いでした。

昨日、車で走っている時に、とても喉が渇いたので、
自動販売機を見つけ、車を止めて500円を入れました。
そして、お釣だけポケットに入れて缶ジュースを取るのを忘れてきました。
少し走ってから、あれ何か可笑しいなと気付きましたが、
可笑しいのは僕でした。

これはタヌキに化かされているか、何かの前兆に違いありません。
とボケボケなのをタヌキの所為にしてしまう僕なのでした。

min-minさん、アイヌ料理店なんてあるんですね。
はじめて知りました。さすがに東京です。
それにしても本当に音楽が好きなんですね。

Dongly - 2001/06/02(土) 15:09<

音じゃまします

きょうかいさん★石の件は1)礫に使用。2)合図に使用。の他に
 3)本にある説ではなく事実です。播磨国揖保川沿いにて昔石を売
り歩く者ありけり。里人この石を購い、手でつるつるになでなでし、
痛む所・疼く所・走る所に押し当て、治しとぞなむ。今も数多の年寄
り持ちけるなり。すなはち病を治すに用ふなり。「野史研究会」速報。
利田さん★ヤマキ族その後をお願いします。山+木=木+山=さんき
さぬき?でそま族と思います。一般に、板=木+反=木=漂泊の人・
非土着民(勿論非農耕系)でしょう。なぜなら徳島板野郡・神戸板宿
広島板木、(東京板橋は知りません)、野史呼び名辞典からは、板頭
・坂東・板さん=板前さん=真さん、法師=星=日生、と考察です。
寿司屋さんで聞いてみて下さい(知らないはずです)。
もんむーさん★山梨北巨磨郡高根(旧:村山北側)は別所です。明治
期避病院が多い所で・・・頼母子講(たのもしこー)が多いのです。
調べてみて下さい
おミヨさん★「椋鳩十全集ーさんか物語」を三分の一読みました。
この本サンカに関係なく「木地師」物語ではないのですか?正しくも
「サンカ調(ちょう)と記してますし、「鳩」ならサンカの姓ですが、
「椋・小倉・小黒」は木地師の姓ですネ。椋鳩十が握り寿司が大好き
なら、海→川→山へ移動の、元海人族「掠」かもしれません。
「鷲の唄」「朽木」は「若鷲の唄」が盛んな当時の世情からすれば
トンデモ八分でしょう。後に若鷲はグラマンに皆食われましたから。
ヤゾーさん★頼まれて広島藩のサンカ文献を探したついでに、広島
高田郡「鉢屋文献」がありました。出雲鉢屋文献とは違うようです。
ヤゾーの祖先(鉢屋カモン??)に関連かもしれません。またHPの
画像は直感的には、役行者・山家・山賊・癩病者・山サンガのイメ
ージですね。まだ調べないと分りません。
「青ベか物語」「かもしか道」も借りました。前者は千葉幕張海岸
近くの海サンカ(八切)も居るみたいだし、カモシカ道は越後秋山
別所の民俗・風俗がのってるみたい。藤森さんが別所史の枠組を
もってたらもっと何かを見出したと思いますが、残念です。
まだ読みかけですが、失礼します。

min-min <http://homepage2.nifty.com/TUBA/> - 2001/06/02(土) 10:11<

アイヌ

の話題が沢山出てまいりましたね。

ヤゾーさんが発見されたトンコリの聞けるHP、僕もみつけました。ついでにアイヌ関連のウエブサイトがいろいろあって久し振りにアイヌのことをたくさん考えてしまいました。
そんな中で、トンコリはアイヌ料理店『レラ・チセ』(7年前、都内・早稲田大学の近くに開店、今は移転して東京都中野区新井1−37−2  phone&fax 03-3387-2252 )のライブでも時たま聞かれるようですね。
このお店、開店当初から行きたいと思いながら未だに行ってませんが。(^^;)

それと加納沖さん関連のHPで分かったことなのですが、やはりアイヌ民族音楽と台湾の原住民音楽とは交流していたのですね。あの「921台湾大地震」のチャリティーで台湾の原住民アーティスト・グループが来道してジョイント・コンサートを持ったようです。互いの音楽が共鳴するさまを是非聞きたかったですねぇ。

あと、アイヌ関連サイトで「更科源蔵」氏(北海道の詩人でアイヌ研究家として有名。故人)のサイトを発見し、感慨深く拝見させてもらいました。
僕は小・中・高と札幌市の西端、円山の麓で育ち、学んだのですが、当時更科源蔵氏の息子さんと同級生で何度か同氏のお家にお邪魔したのを思い出しました。ちなみに小学校の校歌の作詞も同氏によるものです。

NA-NIさん、こんにちは。アイヌに関してもとっても詳しいんですね。

>>収奪してきた側の我々も本来(祖先は)、収奪された側ではなかったのでしょうか?
>>その系譜を伝えることを忘れ、最初から奪う側の系譜ばかりと思い込んでいるところ、
>>大きな過ちのひとつでは、と考えます。

というご発言はとても“含蓄”が深いものと考えます。
「正史」と称される歴史は常に権力を掌握したものが捏造したものと言っても過言ではなく、我々は常にその裏面史、あるいは「叛史」ともいえる歴史に光りを当てる必要があるのではないでしょうか。

でわ、でわ。 min-min@横浜でした。


yazoo - 2001/06/02(土) 08:05<

NIRAI KANAI

いや〜Keijuさん。

なんだか掲示板では久しぶりですね。
頂いたCDは気に入ってしょっちゅう聴いていますよ。
タイに帰る前に是非、熊野へ遊びに来て下さい。

>ヤゾーさん。アイヌモシル (AINU-MO-SHIR)です。

本には“アイヌシモリ”とありましたが、
正確には違うのですね。
勉強になりました。

NA-NI - 2001/06/02(土) 05:04<

おはようございます。

おユキさま。はじめまして。

>朝、掲示板を読んで、今、投稿しようとしたら話題が重なっていて驚きました。

そうですか。関心持たれている方は多そうですね。トンコリは、旭川のシンリッ・エオリパク・アイヌ(川村兼一)さん‐川村カ子ト記念館‐あたりで購入できます。ウェブ上でも注文ができたはず。ちなみに氏はオキさんの従兄弟で、上川地方の総リーダー、クーチンコロのご子孫です。
また、他でもトンコリを製作・販売しています。

ヤゾーさん。アイヌモシル (AINU-MO-SHIR)です。アイヌ(人間)が住むところはどこでもアイヌモシリです。とりわけ北海道はヤウン・モシリといいますが、我々の土地という意味で、土地の人間が「オラホの
土地」といったに過ぎません。

OKIさんのアルバムは KAMUY KOR NUPURPE(カムイ・持つ・力)と安東ウメ子さんとの合作の HANKAPUY(ヘソ)があります。VIRGINレコードに置いてあるはずですし、ウェブ上で注文もできます。

それから、チカル・スタジオに申し込めばおそらくメルマガみたいなのも送ってくれます。

私は以前、オキさんに個人的に住所やメルアドを教えたのですが、ご本人から直接こなくて、メルマガのようなメールが来ました。
ちなみに再会したときに話したら、すっかり忘れておられたようです(ご本人はかろうじて思い出したとおっしゃったけど。そうは思えなかった 苦笑)。

>国連では、1995年から2004年までを世界の先住民の国際10年に定めているそうです。
>これまで先住民は土地や言葉を奪われ、いわれのない差別を受けてきました。
>そのための権利の回復にむけて、北米先住民族なぞの働きを受けてできた国際条約なのだそうです。
>先住民族の国際会議には、日本からはアイヌや沖縄の人々が参加しています。
>世界各地から集まった彼らは、国や言葉が違っても、お互いに何を考えているのか分るそうです。
>それは、自然を尊び共に生きるという共通した哲学をもっているからだと言います。

このような哲学は何もいわゆる先住民だけが持っているというわけでもないのでは?と思います。
また、収奪・同化・排斥を受けた過程・境遇が似通い、アイデンティティのボーダーに否応無しに立たせられている、先祖代々の土地を奪われ、生活とともに根こそぎ破壊されたり、というところで共感をもっているのではないでしょうか。

収奪してきた側の我々も本来(祖先は)、収奪された側ではなかったのでしょうか?
その系譜を伝えることを忘れ、最初から奪う側の系譜ばかりと思い込んでいるところ、大きな過ちのひとつでは、と考えます。

KEIJU - 2001/06/02(土) 02:26<

元気???

CDで聞くNIRAIKANAIはどうでしたか??
 感想を聞いてみたいですねえ!!!!
     又来るね!

ヤゾー <http://www.tonkori.com/index.html> - 2001/06/02(土) 00:52<

アイヌシモリ

加納沖さんのHPを見つけました。
リアルプレイヤーでトンコリと歌が聴けるようになっています。

そういえば、前におミヨさんから『アイヌシモリは滅びず』って本を送って頂きましたが、
まだ読んでいません。ゴメンナサイ! 後で読みます。
アイヌシモリとは(人間の静かな大地)という意味だそうです。

ヤゾー - 2001/06/02(土) 00:22<

国際先住民年

>私は2回ほど、彼の生演奏を拝聴させていただきました。

NA-NIさん、それは羨ましい。
加納沖さんはアイヌ語で詩を作り歌うそうですね。
生で聴いたらいいんでしょうね。

>芸能や芸術というものは、何処か泥臭くて原始の魂を持ちつつ

おユキちゃん、それは人類共通の懐かしい記憶を呼び起こす力なのかも知れませんね。
どんなに近代的なものでも、どこか自然で懐かしくて癒すものがなければ駄目なのかも知れません。
おユキちゃんの上司って素敵な人なんでしょうね。

>きのう書き込んだ本について、いくつか図書館で調べてきました。

いつも貴重な情報に感謝します。
サンカと酒呑童子の関係について論じたものって読んでみたいですね。
『朝日と読売の火ダルマ時代』も届いたら面白いところをお願いしますね。


国連では、1995年から2004年までを世界の先住民の国際10年に定めているそうです。
これまで先住民は土地や言葉を奪われ、いわれのない差別を受けてきました。
そのための権利の回復にむけて、北米先住民族なぞの働きを受けてできた国際条約なのだそうです。
先住民族の国際会議には、日本からはアイヌや沖縄の人々が参加しています。
世界各地から集まった彼らは、国や言葉が違っても、お互いに何を考えているのか分るそうです。
それは、自然を尊び共に生きるという共通した哲学をもっているからだと言います。

Donglyさん、お元気ですか? 
ここのところドングリ節が読めなくて、みょ〜に寂しいです。

もんむー - 2001/06/01(金) 22:49<

ちょっと気になる本

きのう書き込んだ本について、いくつか図書館で調べてきました。

中野久夫「日本歴史の精神分析」はサンカと酒呑童子の関係について論じたも
のです。(7章「お伽草子」と山人または山窩)

西木正明「流木」所収の「山窩の女」は小説作品なのです。この作品中、主人
公は山の中で出会った女を山窩の裔だと思い込むのですが、結局それは勘違い
だったというお話でした。

中山正道「島尾敏夫論他 」はその中に椋鳩十「山窩調」の批評が含まれてい
ました。いわゆる山窩小説を真正面からとりあげた批評はめずらしいのではな
いでしょうか。

でわでわ

おユキ - 2001/06/01(金) 12:55<

原始の魂

min-minさんとヤゾーさんの高砂族のお話を読んで、
以前、勤め先の上司がお酒に酔って熱弁していたのを思い出しました。

芸能や芸術というものは、何処か泥臭くて原始の魂を持ちつつ、
それでいて凄く洗練されたものが本物として残ってゆくんだって。

サクラさん、元気でよかった!
おミヨさん、女たちは孤独ではないは素敵な詩ですね。

NA-NIさん、はじめまして。
朝、掲示板を読んで、今、投稿しようとしたら話題が重なっていて驚きました。

NA-NI - 2001/06/01(金) 11:22<

トンコリ

私は2回ほど、彼の生演奏を拝聴させていただきました。
トンコリの音色は実に美しい。
記憶が正しければ、常呂のサハリンアイヌの方からトンコリを学んだのが端とか、独特の旋律です。
時折三味線臭い音色にも感じ取れるのですが、三味線の弦を流用しているからで、本来は鹿の腱を使うとか聞きます。また、ギターの弦も流用しているような気がする。。
彼いわく、原始的であるといいます。

>自分の中にアイヌ人の血が流れているのを知り、自分の中に筋が一本通った気がして、
>自分はアイヌで生きたいと感じたそうです。

親御さんの世代が日本人による差別の背景があり、
アイヌであることを隠す傾向が強いのでしょう。
アイデンティティを勝ち得るのが大変で、私の知る他のアイヌの方も、
日本を出て、北米先住民の方々との交流・学びを通じて勝ち得た、と話してくださりました。
(日本にいたら勝ち得なかっただろうとも。)

ヤゾー - 2001/06/01(金) 10:15<

トンコリ

NA-NIさん、こんにちわ。

>アイヌ民族のトンコリ奏者、加納沖氏などが盛んに交流しているようで

何度かテレビで加納沖さんがトンコリを演奏しながら歌っているのを聴きましたが、
歌も演奏も魂に響く素晴らしいものでした。
トンコリはどう見ても単純にして音階も固定されている弦楽器なのに、
とても豊かな表現力に驚きました。トンコリは加納沖さんが自作するそうです。

加納沖さんがアイヌの血を受け継いでいることを知ったのは、
東京芸大在学中の24歳の時だったそうです。
実の父であるアイヌ人彫刻家、砂澤ビッキの存在を知り、(幼い頃に両親が離婚して神奈川で育った)
自分の中にアイヌ人の血が流れているのを知り、自分の中に筋が一本通った気がして、
自分はアイヌで生きたいと感じたそうです。

今度の日曜美術館(教育テレビ確か午前9時?午後8時)で、
加納沖さんの父親である砂澤ビッキ(彫刻家)さんを特集するのを、
秘かに楽しみにしています。

NA-NI - 2001/06/01(金) 09:30<

Baek-cheongですか。

ヤゾーさん、ご教示カムサハムニダ。

>朝鮮半島にはサンカと同じように竹細工を作り漂泊の生活を営んでいた
>楊水尺・白丁(ペクチョン)と呼ばれる人たちがいる(いた?)そうです。
>そのことについては簡単にページにしています。
>http://www.kumanolife.com/History/kenshi1.html#Anchorpekuchon

有名ですね。日本語訳された本(書名を失念)で知りました。屠殺解体業・精肉業を営み、包丁をお家のお宝にしている方々ではありませんでしたか?いや、白丁もいろいろかもしれない。韓国における下位集団(と、いうのは適切だろうか?)も日本のごとくいろいろという印象です。話は脱線しますが、イギリスかアイルランド辺りのティンカーをも連想します。

>一般的には“九族”あるといわれ、中には“十三族”あるとも言う人もいます。
>台北市からちょっと離れた所に『九族文化村』なる観光施設がありますので、
>政府筋では“九族”という捉え方をしているようです。

他者認識と自己認識(または実状)とは一致しない場合がほとんどなのかもしれませんね。
マジョリティや上位マイノリティグループの一員と表向きで隠している場合もあるかもしれませんし、あえて発信しようとしないが、定義・分類のされ方に違和感と落ち着きのない人々はごまんといるのかもしれません。

台湾先住民といえば、アイヌ民族のトンコリ奏者、加納沖氏などが盛んに交流しているようで、ジョイントコンサートが日本にて以前催されたという話を聞いたことがあります。

東北系様

初めまして。私は岩手県出身で、九州在住です。
九州も東北から波状的に東北移民が入っています。以前、奥州藤原氏滅亡時に眷属の佐藤氏が九州に落ち延びて玖珠(?)辺りに住み着いた、という末裔の方に実際あってお話したことがありました。ほか、エミシ系豪族も多く台頭した地域でもあり、安倍氏関連の祭事も結構なされていたりします。

話がはしょってしまいましたが、東北という地をルーツとして、それなりの自負やアイデンティティを持つのは他でもない、ご自身のご特権であると私は思います。私は差異(東北在住者も多種多様です)を認めつつも親近感がなんだか沸いてくるのですが。。(この気持ちで同郷者に近づくと冷たくあしらわれるので少し怖い。)

やぞー - 2001/06/01(金) 00:51<

みなさん、こんばんわ。

>利田さんが紹介してくれた本をアマゾン(http://www.amazon.co.jp/)で

そうか、アマゾンで注文すればよかったんだ。
僕も注文しよう!

>もうすぐ夏なのに、ウエストも元気に大きくなっていきます(^^)

元気でなりよりでした・・・(-_-;)

>ほんま・・不釣り合い・・やなあーー

そんなことはないです。
勢いがあって潮の香りがするような素敵な文章です。
僕も釣りに行きたくなってきました。
それより身体、大丈夫ですか?

ではおやすみなさい。

ヤナギムシ - 2001/06/01(金) 00:21<

ううううう

むつかしい事は、わからんけど!
  喉の奥・・はなの穴の出口のとこ
   なんや・・痛いねん!!

首のとこなんやら・・・あつうて・・変な感じや!!

   耳がほてってるけど・・・家のもんにゆうたら・・
  週末・・逃げられへんかもしれへんから・・内緒にしとかなあかん・・

        また土曜12時・・行きまっせーーーえ

       イサキちゃん・・コロちゃん・・タマミちゃん・・・まっててやーーー

    ほんま・・不釣り合い・・やなあーー
        このおっさん・・・

       まあご勘弁の程・・熊野のかぜ
                 ひいたのかもしれません

                   ヤナでした

サクラ - 2001/05/31(木) 23:26<

夏まじか、その前に梅雨

おユキちゃん、おミヨさん、気にかけてくれてありがとう!
    元気に本読み過ぎて、ここで一息...
          もうすぐ夏なのに、ウエストも元気に大きくなっていきます(^^)
  
ぽんさん、間違えてごめんなさい。
  何故か私の古典的パソコンはぼもぽも同じように表記されちゃうのです。
    懲りずに続報お願いします。

東北系さん、なぜか昔から、東北の景色にひかれ、民話にひかれた私には、
  北のまつろわぬ民の話も聞きたいのです。

もうすぐ、梅雨になりますね。
  雨に濡れたアジサイを見られるのも、もうすぐ...
    雨のなかに楽しい事も有りそうで、心待ちしているこのごろ...

もんむー - 2001/05/31(木) 17:53<

アマゾン

先日、利田さんが紹介してくれた本をアマゾン(http://www.amazon.co.jp/)で
注文したのですが、ついでにそこの検索で「山窩」関連の書籍を調べてみたら、
私の知らない本がいくつかヒットして、ちょっと驚きました。

ちょっと気になる本
*日本歴史の精神分析 中野久夫
八ケ嶽の魔神 国枝史朗
*流木 西木正明
異形にされた人たち 塩見鮮一郎
闇史 太閣記 霧島那智
漂白の民俗文化 山折哲雄他
*島尾敏夫論他 中山正道

*印は間違ってヒットしてるのかも。

でわでわ



やぞー - 2001/05/31(木) 13:45<

>脱線し長々した駄文失礼いたしました。

いえいえ、min-minさん、とても良い話しを聞かせて頂きました。

>日本がかって台湾を50年間に渡って統治した時代に日本サイドから勝手に命名した言葉なのです。

そうでしたか、始めて知りました。
征服者や歴史的勝者が、敗者である人たちの歴史や神を奪うだけではなく、
その人たちの誇りある呼称をも奪うというやり方には怒りを覚えます。

>先住民出身の音楽関係の優れたアーティスト達が出現したことによって

何度かテレビで紹介しているのを聴いています。
彼らの声、音楽は本物だと感じました。
大自然(神)と直結した魂の音楽だと感じました。
何処かの国の、魂を悪魔(商業主義)に売り払ったアーティスト達とは、
比べること事態が愚かしいことだと思います。

今後、受け止める側の感性が高くなれば、芸術のあり方も大きく変わるのかもしれません。
稚拙であろうが、アポリジニの描く絵には、
号数百万する権威に支えられた画家の絵より、
確かによいものが伝わる気がします。


東北系さん、興味深い話しをありがとうございました。
宜しければ引き続きお願いします。

『朝日と読売の火ダルマ時代』、確かに凄いかもしれません。
http://www08.u-page.so-net.ne.jp/rb3/dappan/fujiwara/books/asahi.html
まえがき読んだだけでもチビリそうになりました。

おミヨさんも未来の文明の夜明けを告げる女性のような気がします。
ほんとぞな。
ピーちゃんたち、元気ですか?

 

min-min <http://homepage2.nifty.com/TUBA/> - 2001/05/31(木) 12:22<

『高砂族』の表記について

ヤゾーさん、みなさん、こんにちは。min-minです。

ヤゾーさん、『高砂文字』パート2、どうもありがとうございました。ま、確かに活字になっているからと言って鵜呑みにはできませんね。でも興味深い内容ではあります。

さて、『高砂』という表記についてなんですが、やはり気になりますので一言。この高砂、特に「高砂族」について語られる時に用いられる言葉なのですが、これは正式名称ではありません。日本がかって台湾を50年間に渡って統治した時代に日本サイドから勝手に命名した言葉なのです。
台湾の先住民族全部の総称として「高砂族」と表現したのですが、実際は「高砂族」という部族は存在しません。現在台湾では「原住民」と表現しています。かっては「山地同胞」などと欺瞞的な呼称をしていたのですが、これに比べたら今の方が素直な表現で良いでしょう。
それでこの原住民なのですが、一般的には“九族”あるといわれ、中には“十三族”あるとも言う人もいます。台北市からちょっと離れた所に『九族文化村』なる観光施設がありますので、政府筋では“九族”という捉え方をしているようです。
その九族とは、アミ、タイヤル、パイワン、ブヌン、ルカイ、ツォウ、ピュマ、サイシャット、ヤミの九族をさしています。かって台湾全島に居住していた彼らは、漢族の移住に圧迫され、次第に平地から山地へと追いやられ、今では有名な阿里山の周辺や主に島の東部に住んでいます。

彼らも世界の多くの他の少数民族のさだめの通り、各時代の征服者によって“被差別住民”にされてきました。
しかし、この十年間、先住民出身の音楽関係の優れたアーティスト達が出現したことによって、彼らは彼らの本来の民族的誇りを自覚し始め、ポップスのみならず民族音楽、伝統芸能そのものへの関心を高めております。
このように音楽は時に民族のアイディンティテーをも自覚させる素晴らしいものです。
台湾先住民の有名な歌手としては、真っ先に張恵妹(愛称は阿妹・アメイ)を挙げましょう。日本では彼女を捕まえて“台湾の安室奈ちゃん”などといいますがとんでもない。
東南アジア全体で安室奈美恵の数倍も人気、知名度が高いスーパースターです。
その他男性デュオで「動力火車」なんかが有名で、現在は陸続と先住民出身歌手がデビューしておるようです。

なんか『高砂文字』から脱線し長々した駄文失礼いたしました。

おミヨ - 2001/05/31(木) 11:38<

ふるーーーいニュース

S31年の「歴史読本」に
「和歌山新聞」和歌山県那珂郡岩井町の旧家から「根来軍記」四巻がみつかり、郷土の歴史研究家から
「国宝級の価値ある文献だ」と折り紙つき。
この「根来軍記」は、同町曽屋にある公務員桃井直明さん方の土蔵から発見されたもので、桃井家の先祖
は、戦国時代信州戸田の城主だった。桃井近江義胤が、戦いやぶれ戦死、その子左近将藍源正義が、紀州
根来寺の開祖であり、根来僧兵の頭領である覚鑁上人を頼って、この地ににげてきて、現在の直明さんで
28代目・・・・・・・・云々・・・。。
この本には矢切さんもでていますが、この頃は、トップで活躍していたんですね。

6月のカレンダ
女たちは孤独ではない。多くの人々と共に過去の文明の廃墟からあらわれてきて、未来の文明の夜明け
を告げるのである。                     高良留美子
サクラさんお元気ですか?

東北系 - 2001/05/31(木) 02:25<

四方山

再見。
わかっている範囲での一族の流れは
土着の郷氏のようなものに鎌倉期にはなっていたようです。
葦名氏について伊達家に破れ、落ち延びた先で更に破れたとのこと。
(弱い・・)

うん?和田さんのお話に遠い記憶がひっかかりました。
水利権がらみで曾祖父の代に東北電力の創設に一族がかかわったとの
話が伝わっています。水利権を握っていたのか、握っていた存在との
間に交流があったかのいずれかでしょう。

姓はかなり変わっているので親戚以外では逢ったことがありません。
私どもの一族は3文字の姓、と、読みは殆ど同じ「音」ですが
漢字の違う2文字の姓の家があります。
もう一氏の一族は「星」のつく2文字。神官職です。

利田 - 2001/05/31(木) 02:05<

電力会社が民営の理由

は、
日本で電力事業がデビューしたころ、
「山筋」「川筋」はサンカに押さえられていたからだそうです。
自分で書いて(ホンマかいな?)と思いますが、
当時、山道に詳しい人といったら、そうですよね。
詳しくは「朝日、読売の火ダルマ時代」参照。





ヤゾー - 2001/05/31(木) 00:07<

『高砂文字』パート2

きょうかいさん、min-minさん、こんばんわ。
実は僕も高砂文字については殆ど何も知りません。

その石碑を地球文化研究所で分析した結果、紀元前8世紀頃に刻まれたと推定されたそうです。
そして、記されている内容は、「国つ神と ウカラの船は 戦い ついに 大いに あ(吾)勝てるを祝い 彫りける」
というもので、その石碑を伝えたのが高砂族であることから、高砂族が西の方から台湾に移り住み、
先住民との戦いに勝利したことを意味するのではないかとのことです。

『古代日本人の大航海と謎の未解読文字』別冊歴史読本 特別増刊 の中にはそう書かれていますが、
活字になっているからといって何でも真に受けることは出来ません。疑ってかかった方が得策だと思います。
只、高砂族と日本人、サンカの間には、なにやら共通したものが多いという人もいるようです。

小鳥の好きなおユキちゃんらしい、
人の心を思いやる細やかな優しさですね。

min-min <http://homepage2.nifty.com/TUBA/> - 2001/05/30(水) 22:29<

『高砂文字 』?

ヤゾーさん、こんばんは。min-minです。

『高砂文字 』ですか?初めて聞くお話しです。「天理大学参考館」で検索してみましたが、該当する記述がみつかりません。もう少し詳しい資料、記事なんかあったら教えてください。

>>以前、北海道出身のmin-minさんが台湾の先住民族の伝統音楽や伝統舞踊をみていると、思わず身体の底からわき上がり、噴出するような“なつかしさ”と“親近感”を覚えるというような書き込みがありましたが

残念ながら僕はアイヌの血を引いているかどうかは疑問(祖父、祖母共石川県出身で北海道へ移住)なのですが、アイヌでなくとももちろん感じることが出来ました。それは単なる一民族とか、一部族とかの感覚ではなく、もともっと深い“同種同根”同志のシンパシーから湧きあがる感情なのでしょう。
ちなみに今、『Voice of Silence』-The most beautiful vice from taiwan-というCDアルバムが日本でも市販されているのですが、これは台湾先住民アーティストたちによる彼ら自身の民族の歌声を集めたものです。
このアルバムの数曲は極めて我々の感性の“琴線”に触れるものです。
皆さんの中には、1曲目「老人飲酒歌」(郭英男、現在80才)は、エニグマ「リターン・トゥ・イノセンス」で世界的にヒットした曲の原曲、といったほうが分かる方がおられるやも知れませんね。
解説書には【アメリカやカナダのネイティヴ・アメリカン、オーストラリアのアボリジニ、あるいはハワイやタヒチなどの環太平洋先住民の音楽には,歌詞のない歌など台湾の音楽と雰囲気が似ているものが少なくないので、聞いてみると興味を持たれる方が多いのではないかと思います】とあります。

ご興味のあるかたは一度ご試聴してみてください。

でわ、でわ。min-min@横浜でした。

PS:もんむーさん、
地図を見ながら本を読むのって、とっても良い方法だと思います。(^-^)/

きょうかい - 2001/05/30(水) 18:59<

日本語の起源

みなさんへ
やぞーさんの高砂文字に触発されて、日本語の起源を
検索してたら、なかなかなかなかなHTTP見っけました。
大野晋氏の魅力的な日本語南インド起源説と
それに対する執拗な論駁以来、話題にならなかった
日本語起源説に新たな視点がでたようです。
とりあえず、オリエンテーションを読んだのですが
興味しんしんです。
http://www.biwa.ne.jp/~ichhan-j/index.htm#kigen
http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/orient.htm#オリエンテーション篇
この方も学者でなく在野のヒトです。
「いまさら何を、みんな知ってらー」
だったらごめんなさい。

ふぁる - 2001/05/30(水) 13:38<

聞いてもわからなかった

東北系殿:
わたくしめの母方は東北は伊豆沼の辺りで、その辺一帯同姓の出自ですが、そこの長老が今月薨去し、
ついに何事も聞き取りが適わなくなりました。度々会えるわけでもなかったし。

何聞いても言葉がついに通じなかったし、家系図も判別が利かないところがあり、なかなか惜しい事をしました。
あの一族に歴史好きがいなかったのが不思議ですが、短期的には目先の事で揺れてしまう小物、或いは、
田舎権力に靡いてしまう小国民であって、性根はきれいではなかったため、戦争で変わってしまったということか。
なかなか、つまらない話しか残っていない。(満州に戦前に住んでいた事とか..馬賊かあんたら)
そんな人たちだから、近在の独自な家系があったとしても、その独自性に気付かず、自明のもの、普通の事として、
接してしまっていた事でしょう。
地元の有名人のような顔をした独自仕様な人々って、実はまだ結構いるのでしょうか?

とんちんかん小僧 - 2001/05/30(水) 13:26<

感謝、感激で胸がいっぱいです。

 おミヨさんありがとうございます。
やはり、自分の先祖についての記述には目がないというか無我夢中になるようです。
 Donglyさん、一つ一つ詳しく解説していただき誠にありがとうございます。
私は、自分の先祖が表舞台(1585年)にでる以前の事が今一番知りたいです。でも、名字出さないと、Donglyさんでも分からないでしょうからメール送ります。
 利田さん、私のことを覚えていらっしゃるとは本当にうれしい事です。
歴史民俗学20号、楽しみです。サンカに関する良い本ありませんか?教えて下さい。

おユキ - 2001/05/30(水) 12:55<

サクラさん

本当になんだか元気がないような感じがします。

気遣いと母性のサクラさんに元気がないと私も寂しいです。

なにが原因か知りませんが、早く元気になって下さいね。

きょうかい - 2001/05/30(水) 11:33<

もっと、教えて

やぞーさん、高砂文字もう少し教えてください。検索→ヒットゼロでした。

ヤゾー - 2001/05/30(水) 10:09<

ニギハヤヒノミコト

東北系さん、はじめまして。
なんだかとても気になるお話ですね。
もっと聞かせて下さい。

>年寄りは我々は「物部氏」の末裔と伝えますが

物部氏の祖といえば抹殺された神であるニギハヤヒノミコトですね。
紀和鏡さんの小説『邪星記』では過激宗教ニギハヤヒ教壇の教祖がサンカの末裔という形で出てきます。
邪つながりの『邪宗門』高橋和巳著は大本教をモデルにした小説で、
初期の信者が虐げられた人々だということになっていました。

サクラさん、なんだか元気ないですね。
ちなみにボンさんではなくてポンさんです。

とんちんかん小僧!!
利田ヤゾウの言葉を心して聞くのじゃ!!!

熊野は朝から梅雨のような雨です......

東北系 - 2001/05/30(水) 03:14<

一族

東北系の一族の末席です。
出自は奈良と口伝にあります。
現在の地には鎌倉以降に定住したとされてます。
従って厳密には仲間ではありませんね。
町には2つ、同じ系統がありますが、
お互い以外はそのことは知りません。
私どもではない一族
(といっても知る限りでは血縁は明治以降ありません)
が本家筋のようです。
町に伝わる祭りでは2家だけが入れる建物があり、
そこで意味のわからない呪文を年寄りが唱えます。
年寄りは我々は「物部氏」の末裔と伝えますが
真偽のほどは定かではありません。

利田 - 2001/05/30(水) 00:50<

目覚めましたか?

とんちんかん小僧!!
君もようやく自身の中に流れている血が生き生きしてきたようだね。
ヤゾーはやなぎむしぞな。
(おらは本当にうれしいげ)
君の使命は分っておるな。
根来衆の復活じゃ!
若者よ!体を鍛えておけ!
君の身体じゃ忍術はちょい無理じゃ。

ほんやら

やぞー - 2001/05/30(水) 00:45<

高砂文字

うわっ、みなさん、こんばんわ。
本を読んでいたら寝てしまっていました。
で、寝ぼけてま〜す。

Dongly さん、こんばんわ。

作者は不明です。
サインはなく落款がひとつあるのみです。
資料として写真の鉄仏と一緒に僕が引き継いだ物です。

ポンさん、宜しかったらメールを下さい。
うちに出没するタヌキの写真等の熊野写真たよりを不定期にお送りします。
NA-NIさんも宜しかったら教えて下さい。

トンチンカン小僧君、少し図々しい気もしますが、
優しいおミヨさんに感謝しましょう。
おミヨさんにメールして住所を教えて下さい。

『高砂文字 』

台湾から出土し、現在、天理大学参考館が所蔵する石碑には高砂文字と呼ばれる碑文が刻まれているそうです。
その文字が研究者によってアイヌ文字、出雲文字、アヒルクサ文字、はたまたフィリピンのタガラ文字などが
組み合わされたものであることが分ったそうです。

以前、北海道出身のmin-minさんが台湾の先住民族の伝統音楽や伝統舞踊をみていると、思わず身体の底からわき上がり、
噴出するような“なつかしさ”と“親近感”を覚えるというような書き込みがありましたが、それを裏付けるような話しだと思いました。

サクラ - 2001/05/30(水) 00:43<

「今日もまた、鬼と仏のふたり連れ」

ぼんさんの教えてくれたHP読みました。
以前に読んだ説教強盗とは違った切り口に何かしら感じるものが在りました。
そして、板橋の話...も続いて読みました。

哀しくも鬼にもなれば蛇にもなる
        そして仏にもなる不思議さよ...

おミヨさん、今夜はカザルスのチェロが物悲しいよ...

おミヨ - 2001/05/29(火) 21:00<

とんちんかん小僧さん

こんばんわ
「本」即、お送りします。
ヤゾーさんの所にお送りすればよろしいですか?

Dongly - 2001/05/29(火) 20:27<

根来株・サンカ姓・野史

とんちんかん小僧さん☆関西の根来株は信長・秀吉と戦った根来衆。広島のネンゴー株は
根来株と同じか否か郷土史家が議論しています。熊野修験と同じ東北エミシの流れで、寺
奴・神奴とされ、後に仏教化した者(八切説)で、別所・産所・院内と同類とみてます。
 エミシBBS は http://www.tcup5.com/501/masahiro.html がお勧めです。
○野史研究会(非職業的専門研究の集団)の前に居る後衛ですが、私は素人で年令の割
に新人で、気持ちだけは飢えた少年です。野史研究は1〜3を増刷依頼しています。
○苗字で素性(人種・部族・職業)が分る筈です。野史研究会が日本単一民族説の歴史や
民俗学などの集団とは一線を画す所以です。国は現在でも印鑑・戸籍・住民票などで人
間管理をしてます。国はこの3制度の必然性について情報公開し説明責任があります。
また「苗字」は系図と並んで大阪辺りでは売買されてるそうです。苗字を単に印と考え
る方がいますが、記号は何かの意味を持つのに、人間だけ無意味な記号をつけるのは変
です。人間皆同じでなく、それぞれ個性があり異なるが故に、尊重さるべきの観点から
も苗字は大切で、温故知新ではなく現在から過去を照射する野史の視点では重要です。
○よかったですね!!サンカ姓。おめでとうございます。私など男親旧姓からは新羅系
祈祷師のようで、分る人から(極少)はいわば詐欺師の看板を名刺にしてるみたいです。
ただし苗字からの的中率は、その他の条件を考慮しなければ、高々50%です。
○サンカ姓。サンカヤゾー級以上なら丹波・山城・三河・因幡など中世期非人坊主と同
じように非属地主義的に旧国名を名乗り、その他はそこいらの地名を名乗るか、中世や
江戸期の属人主義的「呼び名」を称しています。本当の苗字が分らない位、サンカはよ
く名前を変えます。でも苗字に拘らぬのが、本来の・本当の生き方かもしれません。
地名からならば「野史呼び名辞典」を使った考証をお勧めします。
○苗字や地名はタブー扱いされていますが、著名人なら兎も角、文献に出てこない負の
歴史や庶民の歴史解明には不可欠です。このような研究を推進して初めて、ペレストロ
イカ(有史以来の初の知的な奴隷解放)が始まるとは、私見です。それまでは金・銭が
日本を支配する時代が続きます。ここで腰をなでながら立ち上り、後世の人達に「負の
つけ」をまわす事なく「何とかしても真実を掴み、ささやかだが後代に伝えよう」これ
が野史研究会の愛言葉のようです。

とんちんかん小僧 - 2001/05/29(火) 16:19<

Donglyさんへ

Donglyさん、質問したい事が多々あります。
過去の掲示板:4月23日分の文章中に<関西の根来株>というのがありましたが、一体何の事ですか?
それと、「野史研究」という本は、まだ注文して手に入れる事は可能なのでしょうか?できれば購入したいです。野史研究会というのは、Donglyさんがお創りになられたのですか?
八切史観のHP上に<サンカ論考>というのがあったので面白そうダナと思い見ていると、その第2部にサンカの姓について名字が幾つか紹介していて、一瞬自分の目を疑ってしまいました。そこに私の名字があったからです。そこで質問ですけど、サンカの名字ってわかってる或いは知られているものなのでしょうか?
サンカ色にも、八切さん色にもハマッテしまっている私、とんちんかん小僧の<質問状>でした。



とんちんかん小僧 - 2001/05/29(火) 15:41<

おミヨさんへ

 ずいぶん前の事なのですが。以前、質問した際に即解答をいただいた時に根来忍者についての本<朝倉光太郎コラムのS57版の別冊「歴史読本」謀略!戦国合戦影の一族>をお貸し願えないでしょうか。最初、家にあったような気がしたのであまり気にもとめてなかったのですが、いざ本棚から出して、よく見ると同じ「
歴史読本」でも<戦国陰の一族>の方でした。一歩もニ歩も遅れてしまって申し分けないです。言い訳はしたくないので、この場をお借りして謝ります。ごめんなさい。

ぽん - 2001/05/29(火) 12:34<

こちらこそ、よろしく。

ヤゾーさん、おミヨさん、サクラさん、こちらこそよろしくお願いします。
ひょー、「ぽん」てそういう意味があるんですか。知りませんでした。
タヌキに似てるから、つけたんですが、。あっ、タヌキも裏の意味があるんですよね。
「田抜き」とか、なんとか。思い違いかもしれませんが。
とにかく、ただ、おなかが出てるから、つけただけです。恐縮です。
先日、書き込むときには、もんむーさんのご紹介のHPにうまくアクセスできずに、
読む前に書いちゃったんです。今、見てきました。よく分かりました。
私の和訳は、ちょいとずれてました。失礼しました。
そのうち、デジカメの要領がわかったら、ククリラムの写真を送ります。
ところで、山窩とは、かするだけ(説教強盗の話)ですが、
http://www.kai.co.jp/way/next/crime1.htmlのHPがおもしろいですよ。
それでは、ごきげんよう。

もんむー - 2001/05/29(火) 07:19<

いろいろ

おミヨさん,ヤナさん
ヤナさんのおっしゃるようにタノモシ講とも呼ばれていますね.地域によって
システムも微妙に違うかもしれません.グループとしてお金を貯めていくとい
うのは,私は聞いてなかったですが,そういうこともしているかもしれません.

無尽講というのは信用に立脚したシステムなのでグループとしての閉鎖性はあ
りますが,住民の生活においてその存在はあたりまえのものになっています.

ヤゾーさん
>ところが街の近くであっても地理によっては凄く山奥に感じる
>ところって結構あるんです

なるほど,やはり現地を見てみないことにはきちんと判断できないですね.思
えば開発の進んだ三浦半島にも,炭焼小屋があるような山村があります.子安
の里といいます.どうしてこんなところに?といつも疑問なのですが,それは
置いといて風景の美しいところなのでたまに歩いています.

でわでわ

おミヨ - 2001/05/29(火) 06:22<

もんむーさん

有り難うございました。
興味深いおはなしで、面白いです。
このお話で「やまぎし」が連想されたのですが、
相互扶助の関係で生活している人工部落とききましたが、
無尽からとかは、関係ないですね・・。

ぽんさでしたか 失礼いたしました。

Dongly - 2001/05/29(火) 01:14<

不思議な掛け軸

 本来誰の所有でしょうか?
 何処にあったものでしょうか?
 作者は誰でしょうか?
 何時頃の作品でしょうか?
 何か印かサインはないですか?
 奇妙で面白そーですね。ヤゾーさん

ヤナギムシ - 2001/05/29(火) 00:23<

無尽講

へへへこんばんわ
  もんむーさん・・無尽講ってわたしらの言う
   タノモシ講のことなんかいな?
なんや昔のことやねんけど・・月に1度みんなが集まり、一定額のお金を出す
   その時、お金の必要な人が・・・みんなのお金を預かるそして、次のとき
お金を返す・・お互いに助け合いながら・・・お金が貯まっていく

    たしかそんなシステムやったような気がします

ヤゾー - 2001/05/29(火) 00:09<

白丁(ペクチョン)

おユキちゃん、こんばんわ。
きょうかいさん、つぶての画像と説明、ありがとうございました。

>原作の本か何かあるのでしょうか?
>これって連続ドラマですか。

NHKで『星の牧場』を観るのは始めてでした。1回きりのドラマでした。
サンカに興味を持ち始めた頃に偶然にテレビの映画で『星の牧場』を観たのですが、
絶対にこれはサンカを意識した物語りだと勝手に思い込みました。

原作は『星の牧場』庄野英二 理論社の名作の愛蔵版って書いてます。

>ぼんさん 始めまして

おミヨさん、こんばんわ。
サンカのことをポンっていうから、
たぶんポンさんではないでしょうか?

NA-NIさん、お久しぶりでした。

>韓国にもサンカがいるとうかがいました。

朝鮮半島にはサンカと同じように竹細工を作り漂泊の生活を営んでいた
楊水尺・白丁(ペクチョン)と呼ばれる人たちがいる(いた?)そうです。
そのことについては簡単にページにしています。
http://www.kumanolife.com/History/kenshi1.html#Anchorpekuchon

白丁(ペクチョン)
戸籍から除外された賤民で、屠殺や行李柳細工をする人々を指す。語源や起源には不明な点が多いが、
白丁の語は元来一般の民の意味。高麗時代は北方民族出身の流浪民である楊水尺(ヤンスチョク)とか禾尺(ファチョク)と言われる人々がいたが、
李朝時代には彼らに対する規制が厳しくなり、その結果彼らは屠殺業や行李細工、または流浪芸人となっていった。
世宗時代に彼らを平民に編入して新白丁と呼んだが、その後彼らを指すのに単に白丁と呼ぶようになったと言われる。
近代になって衡平社が結成され、彼らの差別に対する運動が起こされた。


>無尽講

もんむーさん、おもしろいです。
少し前までは、無尽というシステムはいろんなところで普通に行われていたのかも知れません。

もんむー - 2001/05/28(月) 23:49<

無尽講

利田さんの紹介されてた本は,近所の図書館には置いてなかったです.戦後の
かれ等の同化していく過程については,いろんなところで語られていますが,
確証の得られるものはなかなかめぐりあえません.

先日つぶれた某金融機関についても調べたのですが,あの会社は無尽会社から
はじまりました.創業者の出身が山梨県の高根町で,私も一時期そこで生活し
ていたことがあるのですが,高根町のある北巨摩郡一帯はたいへん無尽講のさ
かんなところで,私も何度か飛び入りで参加させてもらったことがあります.

無尽講というのは地域で数人のグループを作り定期的に会合を持ちます,そこ
にメンバーは一定のの金額を持ち寄ります(グループの所得によっていろいろ
なレベルがある).それはその中の一人が次の会合まで預かります.そしてそ
のお金で次の会合の手配をして御馳走をしなければなりません.たいてい預かっ
た金は次の会合の御馳走で消えてしまうのですが,いざというときは自由に使っ
て構わないことになっています(もちろん説明が必要ですが).いわば地域の相
互互助組織のようなものです.昔からこの地域は無尽のような草の根の金融が
さかんでした.

 中小企業の経営者にもなるといくつもの無尽講に参加している人はざらで,
県内だけでも無尽で動く金は相当なものになると思います.ですからそうした
お金をもっと本格的に運用しようと考えるのも無理はないなと思いました.

某金融機関の問題を考えるとき,この無尽講の地域的なひろがりと,彼等の血
縁的な結びつきをどう考えていいのかわかりません.彼等仲間内の金融活動が
次第に大規模になって,一般の人にも利用されるようになったのでしょうか.

でわでわ
	

おミヨ - 2001/05/28(月) 23:04<

失礼いたしました。

何の解説でしょう?私はエミシのことでしたら少し発言できるのかもしれませんが、サンカなどはわかりません。

名前連ねてごめんなさい。

NA-NI - 2001/05/28(月) 22:17<

ちょっとPCから離れていたら。。

スレッドが沢山で読みきれません(と、いうか私の素養が及んでいない)。

Donglyさん。
>隠地地名は調査しなければ断定は無理です。地図で分ることは山などに遮られて
日陰・朝日がささぬ所が多く、
>このような所は野菜も出来が悪く、野生の動物も
嫌います

その後、広島県東部、三段峡の東南部にもあるのを発見、ロードマップで見る限り、おっしゃるとおりの谷の狭いところのようでした。このような「陰地」と「院地」は掛けていないのでしょうか?

>利田ヤゾウの「朝日と読売の日ダルマ時代」興味大
>難解なのは何回読んでも難解なので、利田ヤゾウ、やぞー、Donglyさん NA-NIさん もんむーさん
>きょうかいさん 解説をまっています。

何の解説でしょう?私はエミシのことでしたら少し発言できるのかもしれませんが、サンカなどはわかりません。

ところで、質問がありますが、日本におけるサンカも単一ではないようですが、韓国にもサンカがいるとうかがいました。韓国のそれは、また異なるのですか(言語・習俗)?

おミヨ - 2001/05/28(月) 21:02<

 こんばんわ

ぼんさん 始めまして 情報有り難うございました。
これからもよろしくお願いします。

利田ヤゾウの「朝日と読売の日ダルマ時代」興味大
難解なのは何回読んでも難解なので、利田ヤゾウ、やぞー、Donglyさん NA-NIさん もんむーさん
きょうかいさん 解説をまっています。

「歴史民族学」の尾張サンカの研究 飯尾恭之 一冊の本にして出版してほしいと思ってます。

「★の牧場」みたかったです。NHK払ってないもんねー

ヤナギムシさんの はーーい だけがおかしかった。

サクラさん おユキちやんの名前みるとうれしい。

これから画像みさせていただきます。

きょうかい - 2001/05/28(月) 14:03<

画像載せました

『最後のサンカ面談記録』を早く読みたいです。
いま、バックナンバー1〜5を読んで6から10号は、
今日とどく予定。この雑誌は、面白いくて
始めから読まないと気が済まみません。
利田さんの文が、待ち遠しいです。

やぞーさん
星の牧場見れませんでした。
これって連続ドラマですか。
写真掲載させて頂きました。

おユキ - 2001/05/28(月) 12:55<

星の牧場を見ましたよ

昨夜偶然に星の牧場を見て、なんだかサンカのことを意識したドラマだなあって思っていたら、
掲示板に星の牧場のことが書かれていたので納得しました。

山のジプシーの仲間で竹細工の人が出てきたときには絶対にサンカのことだって思いました。
そう思うと不思議な物語りでしたね。

満月の夜の日に森でバザールがあって、それぞれ持ち寄った楽器でオーケストラ演奏をするなんて、
まるでフクロアライを彷佛とさせる話しでした。

原作の本か何かあるのでしょうか?

ヤゾー - 2001/05/28(月) 00:05<

雑賀衆と根来衆

サクラさん、利田ヤゾウ、昨夜のチャットは楽しかったです。
サクラさんの文章みれて嬉しかったです。

min-minさん、本の紹介、ありがとうございます。
>このところ雑賀の鉄砲衆に魅せられたように関連小説を漁ってしまった。
とのことですので、雑賀衆について少し書きました。

Donglyさん、届いた「そーき」を衣類入れに使うことにしましたが、
竹の香りがして清々しくて気持ちがよいです。

>意外と豊岡市街に近く、それほど山奥という感じはしません。

もんむーさん、ところが街の近くであっても地理によっては凄く山奥に感じるところって結構あるんです。
また近年になってトンネルが開通したことによって街から僅かのところでも、
少し昔までは随分と遠いところだったりすることもあります。

雑賀孫市を中心とする一向宗の雑賀衆と、真言宗根来寺の僧兵たちからなる根来衆は、ともに固い団結力と鉄砲術をもって、中央政権に反抗する勢力として、また宗教上の理念、鉄砲という媒体を通して常に友好関係にあったとされています。また雑賀衆の鉄砲は根来衆から伝わったという話もあります。その根来衆が生まれる過程で、サンカ共同体との融合があったとも言われています。

ヤナギムシ - 2001/05/28(月) 00:02<

星の牧場

はーーい

やぞー - 2001/05/27(日) 23:54<

星の牧場

今、NHKで『星の牧場』というドラマをしていますが、
サンカがベースになった話しですので観て下さい。

もんむー - 2001/05/27(日) 23:07<

失礼!

ちょっと勘違い。
伊賀同心ではなく、伊賀忍者とは別の
伊賀の里の忍びでした。失礼しました。

もんむー - 2001/05/27(日) 22:59<

鬼麿斬人剣

min-minさん、
僕も読みましたよ鬼麿。地図ひっぱりだして行程を確認しちゃいましたよ。
後半に出てくる伊賀同心の本拠地伊賀谷も気になって位置を確かめたので
すが、小説で受ける印象と違って、意外と豊岡市街に近く、それほど山奥
という感じはしません。

そんな場所をあえて隆氏がチョイスしたというのは、なにかリアルないわ
れがあるのではないかと気になっています。
誰か知ってたら教えてください。

でわでわ

Dongly <http://wb1.sysken.or.jp/Ushijima/yamanotami.html#anchor368334> - 2001/05/27(日) 15:24<

雨の6月サンカ史の月

 九州の山の民の歴史は、獣医?牛島稔さんのHPをどうぞ。
山びとの考察の中の 山の民の交通路 講演者井上清一氏です。
内容は50年間調べたサンカの話。箕作りルートも載ってます。
80歳の井上氏は熊本県矢部町に臥せっておられ聞き取り不能。
 他は山名や神社など地図つき・古代・中世史を九州関連の文献
から要約したもので、読みやすいものです。
 サンカルーツで、九州の開拓神とされる日向三神(ニニギ・ヒコ
ホホデミ・ウガヤフキアエズ)も紹介しています。Donglyの現姓
の祖はウガヤフキアエズ八代の女王で本拠は熊本黒髪でしょうか。

min-min <http://homepage2.nifty.com/TUBA/dokusho_10.htm> - 2001/05/27(日) 12:44<

5月に読んだ本

の中で3作品ほどご紹介いたします。

☆『海の伽[イ耶]琴』・雑賀鉄砲衆がゆく(上・下) 神坂次郎著 講談社文庫 2000.1.15 1刷

先月4月22日にこの掲示板で「沙也可」という村が韓国にあり、そこに秀吉の朝鮮出兵時雑賀衆が住み付いたという月刊誌『歴史街道5月号』の記事内容をご紹介したのですが、記事と同じ著者である神坂次郎氏が同作品を書いております。
この作品こそがあの記事の元になったと言えるでしょう。

☆『鬼麿斬人剣』 隆慶一郎著 新潮文庫 平成10年.6.20 20刷

ここの掲示板に出入りされる方々の中にも隆慶一郎ファンがおられることでしょう。『影武者 徳川家康』以来ハマッた作家です。主人公鬼麿(おにまろ)は山窩に拾われ育てられたのですが、本編中に山窩の記述のくだりが出てきますのでご紹介します。
【山の稜線ぞいに、夥しい男たちが並んでいた。いずれも獣の毛皮に見をくるみ、腰に短い山刀をさしている。全員髭が濃かった。腕を組んでこの場の情景を見下している。山窩たちあった。「奥飛騨のヤゾオだ」】

☆『鳥の歌』(上・下) 五木寛之著 講談社 昭和57.6.30 1刷

これはもうご紹介するまでもない、というかここのヤゾーさんとか他のメンバーに教わってやっと読んだ次第です。主人公謡子の前夫サクが所属する「鳥の会」はいかにも山窩の共同体を想起させます。
この本が「当局」に睨まれ絶版となった、というのはちょっと“穿った”見方ではないでしょうか?
パブロ・カザルスの『鳥の歌』から題名を持ってきたところがキーワードでしょうか。

尚、もう少し詳しい読書感想は我が拙HPの「読書録」に載せていますので、ご興味のある方は覗いてみてください。
http://homepage2.nifty.com/TUBA/dokusho_10.htm
はHPの一部「5月の読書録」へ直接ジャンプしますのでお帰りはブラウザの「戻る」ボタンで。上のURLをクリックしますと行けます。

でわ、でわ。

min-min@横浜でした。




利田”やそう”敏 - 2001/05/27(日) 01:33<

サンカ本見つけた!!!

犬娘には、既にメールしたけど、すんごい本発見。
「朝日と読売の火ダルマ時代」
図書館でゲットして下さい。
目次に、「番町グループとサンカ人脈の秘図」文化人類学の盲点サンカ

しびれるでしょ。

読書が得意な方は読んで解説してください。
文章がヤギリさんのようで、難解です。

ほんやら

サクラ - 2001/05/27(日) 01:04<

ひさしぶり!

もんむーさん、二上山の写真ありがとうございます。
      憧れつつも、なかなか行けない私には嬉しいプレゼント...
                     長嶋の写真なんかもあったら,UPしてくださいね。

きょうかいさんこんにちわ!
         ぼんさん始めまして...
             トンチンカン小僧さん、いかがお過ごしでしょうか?


礫の話、グルカの話、毎日のぞいて読んでます。
                  ほんとうに、みなさんの話が楽しみなんですよ

いま、紀和鏡さんの本にのめり込んでいます。
     「邪星記」三部作...止められない、止まらない...
            新宮や熊野が舞台の話ですけど、もう新宮や熊野にも
                 初夏の気配が漂っているのでしょうね。
                      山に巣立ったヤマガラも元気にさえずっているでしょうか?

うん、タヌコは相変わらずとぼけた顔してやぞー宅に出没してるに決まってますね。

ヤゾー <http://www.kumanolife.com/History/kenshi1.html#Anchorsaigo> - 2001/05/27(日) 00:06<

三角サンカ学を検証する

ぽんさん、はじめまして。
そして『グルカ』についてのお話、ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。

きょうかいさん、こんばんわ。
「日本奴隷経済史」は安かったですね。(たぶん?)
>画像掲載していいですか。
どんどん画像掲示板をお使い下さい。
楽しみにしています。

もんむーさん、二上山の写真、ありがとうございます。
綺麗で軽くするあたりが憎いです。

ヤナさん、なかなかの詩だと思いました。
これからも楽しみにしてますよ。


おミヨさんに送って頂いた彷書月刊を読みなおしてみたら、
『三角サンカ学を検証する』で利田ヤゾウのフィールド調査レポートの重要さを再認識して、
これをページにしないのは勿体無いと思いましたので、
山窩(サンカ)を考えるに『最後のサンカ面談記録』と『三角サンカ学を検証する』を追加しました。
彷書月刊と歴史民俗学を読んでいない人は必読です。

ヤナギムシ - 2001/05/26(土) 22:53<

arima--sita

はははっは・・
  すみれ草・・たくさん花が咲いてるとこ・・ミーーーつけた!!
種もまだ、飛んでない・・
      たのしみ・・さあてまた・・あちこちにまいたるぞ!!

もんむー - 2001/05/26(土) 16:26<

二上山

先日旅行したおりの二上山の写真を画像掲示板にアップさせて
頂きました。

でわでわ

きょうかい - 2001/05/26(土) 14:56<

つぶて 

やぞーさん

『最後の山窩』読みました。わたしの実家は東上線上板橋で長瀞には、遠足で
行った記憶があります。けっこう身近だったのですね。自慢の関東立体地図
をながめながら関心しました。
 おととい、古本屋で「日本奴隷経済史」を発見。定価¥28、000を¥3、500で
 購入。これって見っけものですか。

Donglyさん
ご教示ありがとうございます。今度、石の画像を掲載します。(うまくできれば)

>黒須一郎の「天保××伝」でイボロ
は石の配列で会話してます
 思い出しました。黒須さんの本の飛礫のイメージがわたしの
 頭のどこかにこげ付いているようです。
 三角とか台形とか、しるしとしても読めるかもしれません。
さきほど、たまたま来た岩手県出身の友達に見せた所、彼の実家のそばの貝塚で似たのを
見たことがあるといい、スレートと呼んでいたそうです。
その貝塚は、リアス式海岸の半島の先でかつて島だったそうで、
黒曜石、やじり、縄文土器をゴロゴロ発見できたそうです。
菊池山哉の「500年前の東京」を連想しました。
詳細を調査します。

やぞーさん
 画像掲載していいですか。

 

ぽん - 2001/05/26(土) 11:06<

はじめまして。

いつも興味深くROMさせていただいています。
私は、8年ほど前に、矢切止男さんの著作を読んで以来、山窩を知り、興味を持ちました。
ところで、グルカについてですが、ネパールへいた際、現地で買ったカトマンズの観光ガイドに少々記述があります。
「グルカはKing Prithvi Narayan Shahが統治する王国でした。1768年にネパールのMalla王によって統治されました。」
ポカラのあたりが、本拠地のようです。
とかと、書いてあると思います。(実は、英文なんです。)
ネパールで歴史資料館みたいなのに立ち寄った際、グルカ兵についてのコーナーもありました。
ククリという、グルカ族が使う刀が展示されていました。
それを模したものは、お土産にもなってます。
私たちは、そのククリの形のビンにラムが入ったククリラムをお土産に買いました。
ネパールの観光ガイドをみると、出ているかもしれませんよ。

やぞー <http://homepage2.nifty.com/seiseki/menu01.htm> - 2001/05/26(土) 00:52<

最後の山窩

おミヨさん、Donglyさん、こんばんわ。

>青ベカ物語ぜひ古本屋さんで見つけて読んで見てください。

は〜い、探して読んでみます。
「どですかでん」の舞台は浦安だったのですね。
知りませんでした。

>若い頃女性からボディーランゲージを送られましたが、全く通じなかったとよく文句を
>言われました。私の若気のイタリ(イタラズ?)です。

さりげなく、モテタと言いたいわけですね(笑)
僕の場合はタヌキから熱い視線を送られていますが?

このページにある『最後の山窩』は良い話しです。
読んだ方も多いとは思いますが、
まだの人は是非、一度読んでみて下さい。

http://homepage2.nifty.com/seiseki/menu01.htm

Dongly - 2001/05/25(金) 23:50<

もしかしたら

きょうかいさん 5月21日川崎市内野川の影向寺(旧字別所)で入手された3個の石。
 影向=ようご=余戸、余戸浜=よーごはま=横浜とみて、それ自体別所でしょう。
 柳田國男さん、名著『地名の研究』になくてすみません。
 今のところ1)礫説で話がすすみ・また途切れてますが、2)他にサンカの合図石の可
能性はないでしょうか。置かれた位置や石の種類が問題になります。サンカ関係の本を
みると木に印を付けたり、置き石で合図しています。黒須一郎の「天保××伝」でイボロ
は石の配列で会話してます。実は他に、3)香川県白鳥町で経験しましたがサンカ相互で
の「ボディランゲージ」があります。研究会の仲間の一人が合図を送り、過激な反応をし
た相手は20代の男性でした。月見草がハンドバックを動して「刑事が近来るョ」の合図
と同じ要領です。町村史の踊りの中に異種類似の絵図として紹介された記憶があります。
 若い頃女性からボディーランゲージを送られましたが、全く通じなかったとよく文句を
言われました。私の若気のイタリ(イタラズ?)です。
 読書家のおミヨさん お助けを!!

おミよ - 2001/05/25(金) 14:51<

浦安

もんむーさん min-minさん 即、お答え頂いて有り難うございました。
博学な方ばかりでいろんな勉強できて嬉しい。
困った時のgoogle頼みですね。
もうひとつ突っ込んだ「グルカ兵」のお話min-minさん有り難うございました。

「どですかでん」
古い映画フアンの私は、あの懐かしい有楽町の並木座で「どですかでん」観ましたよ。4,5年前の事だったと思います。それ以前に小説で読んでいたのですが、山本周五郎の「青べか物語」が大好きな小説で、
昭和3年頃、25歳の山本周五郎が千葉県浦安にスケッチに出かけ、風景が気にいってそのまま一年位住みついてしまったという浦安、この町の人情風俗をノートにしたもので、「季節のない街」もその中の一編で、
あの人情おりなす「青ベカ物語(ぶっくれ舟の事)」や「どですかでん」の頃の浦安はどこにいってしまっ
たのか、今の浦安はデズニィーランドの街として賑わっていますが、・・・。
ヤゾーさん、青ベカ物語ぜひ古本屋さんで見つけて読んで見てください。私も探してもう一度読んでみた
くなりました。





やぞー <http://www.kumanolife.com/History/kakejiku.html> - 2001/05/25(金) 00:15<

どですかでん

もんむーさん、いつも面白い情報を見つけてきますね。
>困ったときのGoogle頼み
もんむーさんに検索サイトのGoogleを教えて貰ってから、
検索はもっぱらGoogleばかり使っています。

http://www.google.com/intl/ja/


職人歌合絵巻のページを作っていたら、黒沢明監督の『どですかでん』という映画を思い出してしまいました。
原作は山本周五郎の『季節のない街』で、描かれている人たちは紛れもなく、
職人歌合絵巻に描かれた人たちと同じなのだと思いました。
「どですかでん」とは、六ちゃんという知恵おくれの男の子が自分の住むスラム街を、
空想の電車の運転手になって、走るときに上げる声で、その声が頭の中で鳴り響いていました。
病気でしょうか?

ところで不思議な掛け軸を持っていますが、Donglyさん、NA-NIさん、きょうかいさん、
なにを意味したものか判りませんか? 一度見て下さい、お願いします。

http://www.kumanolife.com/History/kakejiku.html

もんむー - 2001/05/24(木) 19:02<

続・八幡縁起

追記です。

「八幡縁起」は講談社文芸文庫の石川淳「紫苑物語」の中にも収められている
ようです。こっちの方が本屋さんで手に入りやすいかも。

石川淳についてはココがくわしいです。

http://www.horagai.com/

あらぶる賊(後の王権)に村を焼かれた石別(いしわけ)は山の岩を穿ち、その中
で木地を作りながら家族とともに暮らしていた。やがて王は山を支配せんと攻
め、家族は山々に散ることになる。

そして時はながれ、
源氏がホニャララ、坂田公時(金太郎)がホニャララ、高師直がホニャララ、、、

でわでわ

もんむー - 2001/05/24(木) 16:49<

八幡縁起

石川淳「八幡縁起」ちくま日本文学全集011(文庫本)所収
昭和33年作品

太古から南北朝までの山の神、山人と王権との確執を描いた作品です。
日本国家の起源にせまった作品として当時は評判になったそうです。

この作品における山人は木地師ですが、王権に追われるように山々を
転々とする彼らの生活は考えさせられます。

でわでわ

ヤゾー <http://www.kumanolife.com/History/shikinin.html> - 2001/05/24(木) 16:46<

賎民視された人々

Dongly さん、こんにちわ。

>当初水平社執行委員会は「仲間ではない」と正しくも!取上げなかったのです。

そうでしたか、なんか悲しい話ですね。

>歴史学としてエタ・サンカ・サンカ系エタ・エタ系サンカの区別が必要です。

とても奥深い話しだと思います。

最新の被差別部落を研究した本には、被差別部落を「日本の前近代社会においてエタ・非人あるいは宿・散所・鉢叩(鉦叩)・隠亡など、
もっとも賎しい存在とみなされて社会的に排除された人びとが形成した地域」と説明しているようですが、
同じ被差別部落といってもそれぞれ違いがあるのだと思います。
また、賎民視された人たちの中には脱賎民化した人たちも沢山いたのだと思います。
僕としては心情的には最後まで瀬降り生活をしていたサンカに、人間として一番純粋な美しさを感じ、また愛情を持っていたりしますが、
同じように賎民視された(されている)人たちに対しても愛情をもって行きたいと思っています。
今後ともご教授お願い致します。

と、いうことで歴史民俗資料館に中世から近世にかけて賤民とされた人々を描いた職人歌合絵巻を追加しました。

Dongly - 2001/05/24(木) 12:47<

焼討ちとたれ込み

利田さん 大分警察による的が浜「サンカ・カタイ」集落焼き討ち事件について
当初水平社執行委員会は「仲間ではない」と正しくも!取上げなかったのです。
 戦後、部落解放同盟がこの件をどのように反省してるかは知りませんが。
歴史学としてエタ・サンカ・サンカ系エタ・エタ系サンカの区別が必要です。
 60〜70年代にかけての頃、広島に天皇が来たことがあります。理髪店で
「天皇が着たら石でも投げてちゃろうかのー」と言った人は予防検束・拘置され
ました。「環境衛生同業組合?」加入者の風呂屋・サウナ・宿屋・床屋などは
江戸期のその筋の気質ミエミエで「指名手配人の顔写真」を掲げています。
当時広島県警察による予防拘禁は3件くらいあったようです。学生・労働者に
よるヒロヒト来広阻止闘争に対して広島県警は全力を傾けました。阻止闘争に
共鳴して反戦派に土地を提供して被爆病院開設に協力したのは社会党(当時)
国会議員の被爆者教師の会・石田明氏です。
 NA-Miさん
隠地地名は調査しなければ断定は無理です。地図で分ることは山などに遮られて
日陰・朝日がささぬ所が多く、このような所は野菜も出来が悪く、野生の動物も
嫌います。サンカがセブリを張るのは朝の太陽光を受ける方向で、出入り口は別所
と同じ北方向で、フジナミと彼らは言います。旭・朝日・日浦・日向などの多くは
朝日の当た土地だとは、柳田國男も述べています。でなくば湿地が多いです。調査
すれば、米作り農家は少なく芸能・宗教・山稼・職人など歴史学者からも見捨てら
れてきた職業の人達が多かった土地、であることが見えます。
 菊地は被差別部落の源を追求するために、文献で三所→別所→俘囚と文献をたど
り遡って行きました。雑色や被差別部落で分り安いのは関守・番田ですから往還沿
いに踏査が限定されます。従って、エミシ・別所の後裔である筈の修験・サンガ・
サンカが彼の著作には登場しません。偉大な優れた研究ですし、職業学者も及ばぬ高い
地平に達していると思います。まだまだ学ばないといけませんが、彼の限界を知り
それを調査と研究で克服する事が、後学の役割でしょう。職業学者が取り組んでくれる
なら野史研究は不要なのです。
 また賎民地名は「京都に続く」傾向があります。特に江戸期は被差別部落が大名の
配置換とセットで行われています。茶道や華道なども京都中心の賎民文化であるとは
八切の説です。印字打ちは江戸期以前にも各地で行われていますから、印字地名との
関連を調べる必要があるかもしれません。
「京都地名の変遷史」(50万円!)は欲しかったのですが専門外で無理でした。

やすい

NA-NI - 2001/05/24(木) 03:48<

また訂正

>>毛越寺の吉祥堂の本尊を模した
  ↓
毛越寺の吉祥堂の本尊は、大原別所の補陀洛寺の本尊を模した

でした。失礼しました。

NA-NI - 2001/05/24(木) 03:46<

訂正と補足

>>中尊寺の本尊は大原印地の補陀洛寺のそれを雛型にした、とも述べていました。

間違いです。

毛越寺の吉祥堂の本尊を模した、というのが正解です。「吾妻鏡」にあるとのこと。
補陀洛寺はどこにあるのでしょう。もしくは現在の何寺なのか。

ここの言及個所では、別所と藤原氏の天台系・白山信仰の導入の関連についてふれていますが(別所と特殊部落の研究)、地図上では、白山社が東北では村の鎮守社となっているという違いはあれ、配置のされかたが、似ている印象を持ったものです。(その時、奥州藤原氏が天台・白山を導入したことを知らなかった。)
地域によっては、江刺市東部など、密度が高いのです。

菊池氏によると、院地は院内地の略で、京都のみ。と述べていますが、岡山県津山市南西部の数箇所に陰地という地名があるのを見つけました。これは院(印)地なのですか。

ヤゾー - 2001/05/24(木) 00:10<

別府的ヶ浜事件

1922年(大正11)3月25日、大分県別府警察署長の命を受けて警官十数人が、
当時別府町的ヶ浜に居住していた部落民の人家を焼き払い、住民を強制的に立ち退かせた事件。
警察側は焼き打ちの理由を的ヶ浜には19棟の乞食小屋がずらりと並んで天下の醜観を呈していた。
それらは前科者、辻占売、白痴(はくち)、癩(らい)患者の類が居住し、町内を押売りや袖乞いし、
浴客に甚だしく不快不安の念を与えているとの理由からであった。
しかし、事実は皇族(載仁親王)の日豊線通過の目ざわりという理由が焼き打ちの動機とみられている。
その後、この事件は全国水平社大会や各地水平社の演説会で事件の真相を訴えると共に、
全水創立直後のこの事件は、部落民の差別への憤激をいっそう高めたと言われている。

『マージナル』vol.03「別府的ヶ浜事件」、には『写真記録・全国水平社六十年史』から転載された
1葉の写真が掲げられているが、それに写っているテントは、まさしく「セブリ」そのものに見える。

 閼伽出甕 論考集より

>過去の掲示板で勉強していたからです。

それで、とんちんかん小僧君がラビの唄を聴きたいと熊ちゃんライフ掲示板に書いていたのが分りました。

min-minさん、お久しぶりでした。

「グルカ兵」のお話は勉強になりました。

Dongly - 2001/05/23(水) 23:42<

七福神と

三病で検索すると、九州大学の研究生の方?ウオルフハング・ミッチェル氏による
大英博物館所蔵のケンペルの日本研究概要が出てきます。熟読して下さい。
七福神・別所・修験・サンカ・同和の歴史研究にも欠かせない論文です。
ぜひプリントアウトしておきたいものです。

ヤナギムシ - 2001/05/23(水) 23:10<

けけけ・・

30年待ちました
   あの本・・きました
でも・・ちがっていました・・・
     私が、あこがれたあの本・・本当はサンカの社会資料編のほうだったんですね
 だって・・あの地図付きのほうだったんです
          若い時に感じたこと・・少し年を食って感じるとき・・
           あまり変わらなかった

       私の思考の年代が今も変わらないからかもしれない
         

           歩くこと・・・無心に歩くこと


        自然に溶けこみ・・歩く自分を思うとき
             人でない・・自然との会話


              思い出します


          ただ・・周りの人だけ
             変わってしまいました

Dongly - 2001/05/23(水) 22:18<

三角とカッタイ

もんむーさん★利田さん★
別府的が浜は広島からのフェリーで早朝6時に着く波止場の近くです。皇国史観と
保護法の名目で雷病者の人生を踏みにじった者の多くが実は雷病(カッタイ)筋とも
いいます。「自分も元来そうであるのに仲間を切り捨てる」。「戦後は未だ終わらず」
「歴史は繰り返す」。明治以後より江戸期の方が雷病者の扱いは「優れています」。
岩波書店「医療とファシズム」を記した藤野豊氏には陰の圧力があるようです。
田山花袋もこの筋でしょうか。
「サンカ狩り」は昭和53?年熊本機動隊により行われました。宮崎北部からの箕作り
サンカが対象です。当時の新聞検索すれば分ります。残念ながら私やってません。
また戦後の「米穀通帳制度」「住民登録制度」もサンカ取締りが狙いです。
日本人の多くが雷病系ですから庶民史確立には徹底解明が必要です。
おミヨさん★
「法度の害」ともいい、人を欺いて金を取る巫祝(宗教者)の類。近世には
「ゴマノハイ」です。この手に係ると「小さな親切、大きなお世話です」になります。
きょうーかいさん★
「あお」について1)古代には青山は墓場。東京では六本木で処分して、青山墓地行です。
2)兵庫県小野市の粟生(あお)はヒントで、阿波=安房=粟と同じ意味でしょう。
ビールならぬ、「泡を食う」の語源の徹底解明が必要です。
古代なら大戸=大東=大頭=小戸で、別所(エミシ系)を管理する柵などの口と推定します。
地図を見ますと「入口」はまずなく「出口」ばかりですから出る事を取締った模様です。更に
ミクロに観察すると逃亡する人間に放った矢が到達する距離で狭間などの地形を利用したと
推定されます。なお江戸期、物資の出入り地名には「口」=管理の意、が付くようです。
音や画数など漢字を自由に操るのは渡来系で先住民系ではありませんから、「大」=「小」
=「三」。三が付く呼び名に「三所」「三ヶの類」「三ノ者」「三助」「三下」「三角」、
他に「三業地」「三等車」「三等重役」などすべてネガティブな共通項がある印象です。
また「原」=人々・者共ですから、臆説では「小原」=「三原」となります。
地名は、実に見事な政治の産物である事を忘れると歴史は分らなくなります。

min-min <http://homepage2.nifty.com/TUBA/> - 2001/05/23(水) 19:22<

グルカ兵

おミヨさん、もんむーさん、こんにちは、min-minです。

なんかここで発言するのも久し振りです。ここの掲示板の話題がかなり“濃い”内容になると僕の知識の枠をはるかにぶっ飛んでフォローできましぇ〜ん(^^;)

さて「グルカ族」ですがもんむーさんご紹介のHPで歴史的に紹介しておりますね。でもグルカといえばどちらかというと「グルカ兵」としての方が有名ですね。「グルカ戦争」以来、英国軍はグルカ族の勇猛果敢ぶりを評価し、以降かれらを一種の『外人部隊』の傭兵として使いだしたんですね。
フランス軍における『外人部隊』同様、自国の旧植民地で発生する紛争を主体に、常に最前線の突撃部隊として重用したわけです。近年においては英国とアルゼンチン間の『フォークランド紛争』でもその獰猛とも言える果敢な攻撃が語り草となったそうです。
また、返還前の香港にも「グルカ部隊」が存在してましたね。
小説でも取り上げられています。これは未読なのですが谷甲州著『サージェント・グルカ』やA.J.クィネル著『パーフェクト・キル』の中で元SAS(英国陸軍特殊部隊)の伝説的なグルカのスナイパー(狙撃手)を登場させています。とにかく戦争のプロフェッショナルなのです。
反面、こうした傭兵稼業でなくては生きて行けなかった(他に現金収入を得る手段を見出す事が難しかった)民族としての悲哀も感じますね。

とんちんかん小僧 - 2001/05/23(水) 17:45<

あらためまして

とんちんかん小僧です。
いきなり質問して、その日のうちに教えていただけるとは、とてもうれしかったです。おミヨさんありがとう、感謝の気持ちでいっぱいです。
それと、今日まで再度投稿をしなかったというかできなかったのは、皆様の事をよく知らなかったので、過去の掲示板で勉強していたからです。
過去を見ることによって、私は、質問した事だけでなく様々な答えに出遭いました。
八切止夫さんについては、布衣さんの文面にありましたHPによって知りました。布衣さんありがとう。
八切さんってすごいっスね。八切さんの本読んだ事がありませんでしたが、目次にありました、『信長殺しは、光秀ではない』の番長書房からの初版本すぐに古書店へ注文しました。この本を読む事によって少しでも八切さんの心が癒されればいいなと思います。
これは、前々からやぞーさんから教えられていて知っていた事ですけど、もんむーさんのHPも見ましたよ。
『帰国』のテキスト最高にありがとうございました。以前から田山花袋さんの著作と存知上げていましたが、サンカの事を書いてるとは夢にも思いませんでした。
これはまだ未読ですが、silkyさんの文面にありました、韓国に住むサンカについての情報。
Donglyさんもサンカについてかなり詳しいですね。勉強になります。いろいろまた教えて下さい。
しかし、皆様は、素晴らしい研究家ですね。
やぞーさん、過去の掲示板を見ていてフト思った事ですが、一年ごとに『Kumanolife ?周年記念集』ってな本にしてみてはと思うんですけど。達筆者揃いだから、研究書として10万部以上は売れるんじゃないですか。私は、真っ先に買いますよ。 それでは、また。








きょうかい - 2001/05/23(水) 17:33<

本棚の中の新品

donglyさん
>大原も、小原も古くは別所地名。大・小は字画数は共に3だから同格でしょう
 なぜ、おおはら、おばら は、別所地名なのですか。
 「おお」は、あお=墓の意と谷川健一氏が日本の地名の中でいってたので
 大原、大戸、青戸 青木などは、なるほどと思いますが、小原がわかりません。
 あと、画数に意味があるなんてはじめて聞きました。そこのところを  
  お願いします。

 もんむーさん はじめまして
 ぼくの本だなにも、レヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」と構造人類学が、
 ほぼ新品で寝ています。マリノフスキーをズズッと読んで力尽きて
 悲しき熱帯は、頁をめくって終わってしまいました。
 「構造人類学」は、開いてもいません。
 マナという目に見えない力が、クラというものを介して人々を結びつけている
 という、内容だったかと思いますが。今でもお歳暮とか、お中元を買うたびに
 思い出します。いろいろご教授ください。おねがいします

 


  
  

もんむー - 2001/05/23(水) 16:42<

いろいろ

おミヨさん
残念ながら私もあまりよく知りません。
で、困ったときのGoogle頼み、、、、

http://www4.justnet.ne.jp/~eden/Hst/dic/gurkha.html

チベットの主要な民族のようですね。

利田さん
http://www.kyoto-seika.ac.jp/humanities/soturon8/yusyu/suetomi/
内容の充実度とともに卒業論文であることにびっくりしました。

敗訴することは十分予測できたのに、どうして控訴期限がせまって、あわてる
ことになるのでしょうか。判決がおりるまで思考停止だったのでしょうか。

国家の弱者に対する態度が問われているのですから、誠実に対応してもらいた
いものです。

ヤナさん
いつになく瓢々度が高いですね。

でわでわ

きょうかい - 2001/05/23(水) 14:32<

りっぱなハトになります

おミヨさんへ

さっそく、検索で探して注文しました。
たのしみです

おミヨ - 2001/05/23(水) 14:15<

ハト

いい加減な人間の事を「鳩の飼」というそうです。
熊野の新宮や本宮の事を言いたてて、そこの鳩の飼料にするという名義で銭をもらう。
その実、ちっとも熊野なんかにいきやしない、実にいいかげんな奴がいるんだそうです。
「我々鳩が利用されて迷惑している」っておこっていました。

おミヨ - 2001/05/23(水) 13:47<

今日も休日 だるだる

「別府的ヶ浜事件」朝からずーと気になっていて、矢野とおるさんのレポート(マージナルbR)をやっと
思い出しました。焼き打ちは「サンカ狩り」だけではなかったのですね。
日本人は、ハンセン氏病の方々までを、石つぶてだけでなく、焼き打ちまでしていた事に対して、暗い気持ちになります。誰もが振り返りもしなかったハンセン病の方々に手を差し伸べ、いろいろ尽力をしてくれたのは外国の牧師さんであったと本で読んだ事があります。控訴するという国のやる事がよく理解できません
それにしてもマージナルはいい本ですね。

ヤゾーさんの猿股ソング(爆)またつくってください。

ヤナギムシさん 今日の東京は雨でした。
松谷みよ子の本読んでみますね。

きょうかいさん 過去ログ読み終わりましたでしょうか? おつかれさまです。
利田ヤゾウ推薦の「鳴けない山鳥の詩」ぜひ読んでみてください。感動します。

もんむーさん ネパールの山岳地帯に住む「グルカ族」についてなにかご存知ないでしょうか?
自然が育てた勇者で、身長も160cmにみたない小柄ながら超人で大胆不敵、険しい山腹の急斜面を
「窓ガラスを滑り落ちる雨粒のごとく」駆け下りるといった、忍者のような民族らしいんです。


きょうかい - 2001/05/23(水) 13:45<

ぼくは、ハトが嫌いだ

昨日、仕事が終わってから、10時ごろまでで
過去掲示板、全部見ました。
きょうは、目がかすんでいます。
たまには、森林浴がしたいです。
ぼくは、都会のハトが嫌いです。
何の疑いもなく人によって来てエサねだります。
「おまえは、野生の心がないのか」とにらみます。
「QUA QUA QUA fn fn」(注)と奴は、答えました。
   
       (注) ハト語 「おまえと同じじゃ」

おユキ - 2001/05/23(水) 12:56<

こんにちは

最近話題になっているハンセン病とサンカの人達に、
そんな秘密が隠されていたのですね。
ショックと共に強い怒りを感じました。

おミヨさん、ヤナギムシさん、ヤゾーさんのユーモラスな文章がなかったら、
暗い気持ちのままで仕事を続けてしまうところでした。
時にはそういうのってホッとします。

NA-NI - 2001/05/23(水) 10:32<

別所関連地名?

Donglyさん、ご教示ありがとうございます。

>大原も、小原も古くは別所地名。大・小は字画数は共に3だから同格でしょう。
>いうまでもなく朝廷への隷属が唯一の誇り故に、他の別所を見下すことでしょう。

糸島の桑原別所(産鉄の遺構が沢山検出された)を流れる川は大原川、白山社(近くの山城から移転)のある津舟崎近くの、河口の浜が大原です。別所には 大原(小原)他、小野、山田など見当たりますが(山田はしばしば隣接しているか、恵比須社を見つけたこともありました)。

ところで、私は民族学をかじっていますが(NA-NIはツングース系諸族の言葉で「土地の人」。)、被差別グループ内の差別、逆差別、権威争いというのはいわゆる先住民族においても問題視されていて告発もなされているのだ、という話を聞いたことがあります。また、被支配下にあるグループ内に下位のグループがいて、被差別と抑圧にあっているというケースも聞きます。

利田さん、はじめまして。
ハンセン病患者と参加の方々の被られた事件、拝読いたしました。さて、目下勝訴となったハンセン病訴訟
で政府は控訴決定の構えですが、とんでもない話ですね。この訴訟からも日本社会の現在がありありと見て取れます。

やぞ〜 - 2001/05/23(水) 00:25<

鼻歌ログ

久しぶりにおミヨさんの鼻歌ログが聞けて嬉しいです。

では僕も鼻歌ログで今日の出来事などを。

今日の天気は嵐のように〜
なんでもかんでも吹き飛ばしたよ〜
四阿に干していた僕のパンツも飛んでしまったんだ〜
嵐の中を探してみたけど〜
一番お気に入りのを一枚見つけただけだよ〜
あとのパンツはサルが見つけてはいてくれ〜
それがほんとの猿股だあ〜

お粗末。

ヤナギムシ - 2001/05/23(水) 00:05<

あはーーーぁ・・くもりだなぁ

仕事に疲れた、おとーこが、ひとりーぃ
  すこし、蒸し暑いです・・サンカチーズで今夜も一杯
へへ・・学問のおもしろさも、ええけど・・・
   夕焼け空の、ヒコーキ雲・・ええ音楽聞いてひと休み
     城さんが、いざなう気だるい午後の道しるべ

  雷雨の後の、山の緑と残雪・・木々のざわめきと
   鳥たちの合唱・・・ナガサのひかりで木をけずり
     松ぼくりの点火材・・パチパチ燃える炎のなかに

      憧れの世界が見え隠れ     
       悲しい世界だけが、わたしの求める世界なんかでない!!

  歩いて歩いて山河を知り、自然の恵みをありがたくいただく
   風と大地にいま自分は・・・なんてね

         ヤナギムシ・・やなぎむし
    

利田 - 2001/05/22(火) 23:34<

話題のハンセン病とサンカ

(I)別府的ケ浜事件(注12)
 「的ケ浜事件」とは、1922年3月25日、大分県速見郡別府町(現別府市)の的ケ浜海岸で、正業を持ち、正規に借地し、納税の義務を果たしている者も含めてかなりの数の住居が別府警察署警察官により焼き払われた事件をさす。
『大分新聞』の報道では60余戸、内務省発表で19戸であった。従来そこは被差別部落であり、近く閑院宮載仁が来訪する予定であった為、目に入ると見苦しいという理由で焼き払われたと説明されてきた。
この問題は、今まで部落問題研究の立場から論及されてきたが近年、的ケ浜の集落は被差別部落でなく、「サンカ(注13)」のそれであることが明白となった。
当時、的ケ浜には1893年設立になる町立の伝染病の隔離病舎があり、そのため的ケ浜付近には定住する人家はなく、サンカ・乞食のような漂泊者が小屋を構えていた。
この事件を通して法律「癩予防ニ関スル件」のもとでなされたハンセン病患者への抑圧の実態が明らかになる。
事件に対し警察側は、「焼き払いは通常の、犯罪者集団の『サンカ狩り』の一環であり、正業を持つもの、納税者は対象とせず、火をつけたのも住民自身であるもの。閉院宮の通路とは無関係という前提でサンカや乞食の不正予防」という認識であり、大分県知事の報告書においても「多くは乞食にして強窃盗の前科者ありまた白痴癩患者も少なくない」というものだった。
サンカのように、漂白する人々を取り締まる法的規制はすでになされており、天皇制国家による戸籍をとおした人民管理におさまらず漂白する人々は、ただそれだけで犯罪者とみなされ、猟奇と蔑視と恐怖の対象とされていった(注14)。
的ケ浜事件の罹災者の中にハンセン病患者がいたことは報道により明らかであり(注15)内務省警保局においても「癩予防法によると一部消毒の代わりにペストと同様に焼却が出来るから若し居住民に斯した癩患者が多数いた為に焼いたものかその辺が判明せぬ」とハンセン病患者の存在を重視していた(注16)。
警察がハンセン病患者の住居を焼き払うということは特異な行為ではなく(注17)天皇・皇后が宿泊したり立ち寄ったりする京都・大阪・奈良・三重・愛知の各府県を中心に徹底した取り締まりがおこなわれ、「大礼」「大喪」時に強化されている。
このようなことから、通常の「サンカ狩り」にとどまらなかった的ケ浜事件と、閑院宮来訪との関係も明白になるのではないだろうか。住居を焼き払うという行為は、住民を二度とその場所へ戻らせない為でもあり、消毒の為でもあった。しかしこの事件が問題化すると、批判が皇族までおよぶことことを恐れた内務・司法両省は、ハンセン病患者への取り締まりを第一の理由とはせず、あえて通常の「サンカ狩り」として事件に決着をつけた。

以上、「ハンセン病」と「サンカ」と言うキーワードで検索したらヒットしました。

ふぁる - 2001/05/22(火) 20:42<

お仕事の合間


もんむー殿
>学問は研究者の生き様や考え方が色濃く反映される学問であるということです。
>こうした状況が文献に文学的な興趣をそえているようで、私にはそれがおもしろ
>かったりするのですが、反面文学的な問題と科学的な問題を混同してしまいがちです。
おっしゃる通りだと思います。
面白い人が研究したり、文筆したりしてくれないと退屈じゃないですか。
個人的な興味の向く方向へ、意思が強く働きかける事で、営みの方向が決まったりする事も
あったのではないでしょうか。
「歴史」「考古学」「人類学」なんていう学問なんかは恣意の塊だし、
「化学」「分子生物学」なんて、ここ最近の画期的な研究は「予感」に導かれたものだと言います。

「りーばい・すとらうす」はいいですね。
わたくしめは、「めるろー・ぽんてぇい」の吐き出した、たった4行が解りません。


印字射ちと言えば、中世ヨーロッパでも石に特別な意味を篭めることがあったようですね。
(詳細は網野先生にタッチ)

わたくしめの会社の近所にあるスパゲッティ屋にはサラダスパゲティというのがありますが、
その名に反した油料理です。ドレッシングでスパゲティ食えるか。

おミヨ - 2001/05/22(火) 15:44<

休日

♪ 午後のひかりにィ〜〜〜〜

けだるい休日の午後、珍しく仕事のべんきょうでーす。

あしたの天気なぁ〜〜〜んだ。 あてましょう。

きょうかい - 2001/05/22(火) 14:36<
過去の掲示板をみてます
やっと、去年の暮れまでいきました
右手と肩がパンパンです
でもおもしろい

Dongly - 2001/05/22(火) 12:53<

京〜都 大ー原 三千院

大原も、小原も古くは別所地名。大・小は字画数は共に3だから同格でしょう。
いうまでもなく朝廷への隷属が唯一の誇り故に、他の別所を見下すことでしょう。
他を見下す気質は百済系に多いようです。これは身の回り調査で確認できます。
 同じ傾向は「御用大工」「御用鍛冶」「御用船頭」「御用新聞」「御用学者」
「御用商人」「御足軽」「御小人」「御用聞き」「御用納め」は、本質はすべて
権力者に隷属・直隷の意です。看板「皇室ご愛用」「皇室お買上げ」に注意です。
 旧被差別部落も、現在の警察機動隊よろしく「御用堤燈」を掲げて「〇〇〇」
と罵られも、白鉢巻に襷がけで、逮捕・取締りです。権力への憎悪が、その末端
に向けられるのは今も昔も変わりません。このとき「故ある差別」です。
 みなさん!!奥さんの「御用」、主人の「御用」を忠実に勤めていますか?

NA-NI - 2001/05/22(火) 04:15<

白山・印地・別所

みなさん、話のレベルが高いですね。

>NA-NIさん、白山信仰についてありがとうございました。
>ところで、一向宗と白山信仰の間には何か関係があるのでしょうか?
>ふと思ったものですから。

実は「俘囚」ということで関係があるような話を聞いたことがありましたが、詳しくは存じません。

>印地は秋田エミシの強制移転地。別所よりもなおいっそう条件
>の悪い場所を当時の政府は選んでいるようです。
>京都印地は「白川」「山科」「桂」「大原」「深草」とあります。

印地は京都における呼称で、他は院内である、と菊地氏が述べていたようです。
また、中尊寺の本尊は大原印地の補陀洛寺のそれを雛型にした、とも述べていました。
ところで、他の地にある「大原」地名は別所と関連があるのでしょうか。

>千正夫もエミシ・エビスの宮城別所の末裔でしょうか。

千昌夫は岩手出身ではありませんでしたか。別所の方は東北、エミシをどう意識していらっしゃるか関心があります。その意味でdonglyさんの「こぶし〜咲く」は貴重です。やはり生の声を聞き取らなくては。別所も我が故郷も。

利田 - 2001/05/22(火) 03:09<

ショウブ

5月5日は「菖蒲」
語源は「勝負の季節」
毎年、河原者と石合戦をした事から。

という話、何かで読んだな。

やぞー <http://www.kumanolife.com/Wind/nattou.html> - 2001/05/22(火) 00:02<

納豆スパゲティー

今日、久しぶりに『納豆スパゲッティー』を作って食べてみましたが、
簡単にできる割にはとても美味しいのに関心しました。
そこでみなさんに作り方をお教えします。
騙されたと思って是非一度作って食べてみて下さい。
2,3度作っているうちに調味料の割合が分かってきて、
覚えておくと便利で美味しいレパートリーの一つになること間違いなしです。

もんむー - 2001/05/22(火) 00:00<

私は旅や探検家が嫌いだ。

最近、レヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」(中央公論新社)を読みはじめまし
た。この本は昔、構造主義をかじろうとして見事に挫折した本なのですが、今
なって素直に民族誌として読めば十分におもしろいことに気付き、我ながら効
率の悪い読書をしてるなあと反省しきりです。

この本の著者はブラジルのインディオの習俗を研究した人類学者で、未開民族
の持つ「野性の知性」を明らかにした人です。

最近、民俗学や民族学の文献に触れるようになって感じるのは、こうした学問
は研究者の生き様や考え方が色濃く反映される学問であるということです。こ
うした状況が文献に文学的な興趣をそえているようで、私にはそれがおもしろ
かったりするのですが、反面文学的な問題と科学的な問題を混同してしまいが
ちです。気をつけないとまたふぁるさんにおこられてしまいそうです。

明治大正期に彼のような優れた観察者が日本列島の山々を調査していたら、山
人が消える運命にあったとしても、今の閉塞的な状況よりは、いくらか風とお
しのよいものになっていたのではないかと思ったりします。

でわでわ

管理人ヤゾー - 2001/05/21(月) 23:57<

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ふぁる さん、話しが難しいです。
>思想的な継承は何か特徴的なものがあるのでしょうか?
自然観でしょうか?

きょうかいさん、こんばんわ。
ヤゾーには『さま』は似合いません。

>石が悪い頭に当たって、普通並となり、なんとか野史に目覚めたのかもしれません。
Dongly さん、おもしろすぎます。
>ありがたい事です。
こちらこそ、いつも貴重な話しが聞けて有り難い事です。


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