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2001年05月21日(月)23時55分までのKumanolifeGuestbookへの書き込みです。


Dongly - 2001/05/21(月) 22:25<

印地打ちは

1)印地は秋田エミシの強制移転地。別所よりもなおいっそう条件の悪い場所を
当時の政府は選んでいるようです。
2)官戸や奴百姓と河原などで五月五日にした石合戦。相手は非農耕騎馬系の
河原者。「祇園御霊、晩に及べば白川よりの鉾が京に入って来るとの風聞。印字打の
石合戦ならんと六地蔵党の者らも、慌しく喧嘩仕度致し穏当ではなく、侍所は河原を
警固す」『新札往来』。「新治郡安食(あじき)の者へ土浦下軽部の者が押し寄せ石
投げする。古来よりの例ときく」『楓軒偶記』。信長も安倍河原にいた家康も、幼少
の頃から好んで見物したそうです。
 六地蔵党の者とは京への出入り口警備を割り当てられた別所の者の流れです。
また印内・陰内や院地・隠地・引地は別所と同類の地名とみられます。
京都印地は「白川」「山科」「桂」「大原」「深草」とあります。
 以上八切説・菊池説の抜粋(野史呼び名辞典)から。
 地蔵は焼場や墓場の番人の如く随所にありますが、古い六地蔵は別所のシンボル
です。後に分散される事もありますので注意が必要。文献に無くとも御坊・穴掘
人・墓堀人・墓番が必要で、居た事はあきらかでしょう。
 広島県北の江川河原近くの被差別部落に住んだ時、背高アワ立ち草生い茂る河原
で部落の子らと石合戦した事があり、親にこっぴどく叱られました。石が悪い頭に
当たって、普通並となり、なんとか野史に目覚めたのかもしれません。
 ありがたい事です。
世界や政情をみると、石礫は千年後の今も相も変らず庶民の武器、の思いです。

きょうかい - 2001/05/21(月) 21:03<

見付の城砦と印字打ち坊?

ヤゾーさま 
早速のお返事、ありがとうございます
飛礫は、義経の時代までさかのぼれるのですね
多摩川は、鎌倉幕府の外堀に
多摩丘陵の先端は、見付けとなっています。
このそばには、今若全成がいたとされる威光寺や
畠山重忠の子重保や稲城三郎重成の居館があり
みな、見晴らしの良い見付のような場所にあります。
もしかしたら、影向寺には湛海坊、鬼一法眼のような
人がいて飛礫を武器に防衛していたのかと、
想像がふくらみました。また勉強してみます。

中沢厚さんて、面白い人ですね。新一氏のおとうさんが、
学者だとは知っていたのですが。
それと、たしか網野善彦さんも親戚だったと思うのですが。
研究テーマも関連がありますね。
 ありがとうございました

ヤゾー - 2001/05/21(月) 17:50<

Re : つぶて

つぶてについては殆ど何も知りませんが、
なんとなく『カムイ伝』などのマンガ等から、
賤民とされた人たちと関係が深かったのかなというくらいの認識しかありません。

そこで少し調べてみました、

『つぶて』について民俗学者の中沢厚という人の本によると、
一揆、打ち壊し、騒動などにおける石礫、銭形平次」的な裏の世界の飛礫の名手によるものなどがあるそうです。

興味深いのは、義経記に登場する京都北白河の湛海坊、その舅の鬼一法眼という「白河印地の大将」のことで、
白河に拠点を持ち、祇園社と関わりを持つ飛礫打ちの「職人」集団がはっきりとその姿を現しているのであるが、
湛海坊の一種異様な鬼のごとき服装が「歌舞伎の大将」につながる一方で、
一条今出川に住む鬼一法眼は安倍晴明宅や一条戻橋との関連から、
陰陽師、唱門師ではないかといわれているそうです。

民俗学者として道祖神を研究していた中沢厚さんが、「つぶて」に心を奪われるようになったのは、
その当時首相だった佐藤栄作さんの台湾訪問アメリカ訪問を阻止すべく空港に集った
デモ隊の投石模様をテレビで見た中沢さんは、「つぶてとは一体何だ」という問いにとりつかれます。
中沢さんの少年時代、山梨は笛吹川での石合戦の記憶が蘇ったそうです。
その「つぶて」に対する思いが、その名も『つぶて』という本を書くに至ったそうです。
その中沢厚さんに「どうして父さんはそんなに石が興味があるの」と問いかけたのが、息子の中沢新一さんです。

ふぁる - 2001/05/21(月) 13:34<

難しくてどこからつかみましょうか

Dongly殿はじめ、わたくしめの拙き言葉にお付き合いくださる皆様へ。

「サンカ」ルーツは難しいですね。
極東アジア地域は、ある程度音から判断できる継承がなされているのではないかと思います。
微妙な音は表現が難しいので、表記上間違っているかと思われますが、雰囲気だけ。
[ saga, sannga, sannka, samuga, shanka, shamkwa, samka ......]
山を(ヤマ)と呼ぶようになったのは、比較的近年だと思います。

職業的な継承は、生活手段として選んだ「実」生活的な行動様式の継承であり、
思想的なものではないですね。
こっちに飛んじゃうのは、結構嫌なんですけど、思想的な継承は何か特徴的なものがあるのでしょうか?

サンカ研究は日本が欧化を始めた頃に本格化したと同時に、歪められているので、
逆に「インナー」からのカウンタービヘイビィア、或いはカウンターカルチャーがあったはずで、
いずれにしても、純粋な「ルーツ」は追い辛いでしょう。

わたくしめは、現状ではギブアップです。

きょうかい - 2001/05/21(月) 11:36<

つぶて?

ヤゾーさん、早速のお返事ありがとうございます。

ついでに、もうひとつ引っかかっていることを質問させてください。
今年の3月ごろ、川崎市の野川の影向寺の旧小字別所の道端で、変わった石を3つ拾いました。石の種類は不明。色はほぼ黒に近い灰色。扁平で形は、2つは、台形でもう1つは三角形です。どれもぴったり手の平にはまり、とても投げやすそう。かたちが、もともと扁平岩だとしても角の丸みは、自然にできたとは、思えない滑らかさがあります。また厚みは、それぞれ5mm、7mm、8mmでほぼ均一です。もしかしたら
つぶてではないかとも思いましたが、そんな資料みたこともないので全く比較不能。何かご存知でしたらお願いします。

Dongly - 2001/05/20(日) 15:19<

辛夷咲くあの岡 故里の

あ〜北国の〜春。蝦夷討伐後東北から以西に強制移住や流刑にされ、奴婢とされた全国の末裔
(別所の者)に根強く愛唱されてます。千正夫もエミシ・エビスの宮城別所の末裔でしょうか。
別所集落では太陽の東光で朝日観音を照し西光が夕日観音の背に隠れるまで、コブシがよく北
(東北)を向いて、真っ白に咲き乱れています。
 北の方角・白色は別所を暗示することがしばしば・たびたびです。
辛夷の代りにオシラ様とはいわず(いえず?)蚕を神としたり、子安神を祀る別所もあります。
方言では辛夷=蚕もあります。明治期不思議と絹の原料となる蚕を養殖した別所も多く、土蔵壁
に(龍)の字を残し当時の繁栄を印しますが、また絹の価格が暴落して東南アジア・北海道・南
九州へ、国の棄民(移民・殖民)政策に泣く々従ったのも別所の近代史の見逃せぬ一面です。
 サンカは山蚕(やまこ)から絹を作りますが、広島市北部に山蚕絹業の伝統は有名です。
兵庫と鳥取の国境山の氷ノ山つく米別所では、嫁入先から安産の名目で里帰させ実家の産土・
子安神にお参りさせたそうです。「エミシ・別所の血と地を忘れるな!」です。この地では
他の別所と同様、必ず女は米作地帯に下女奉公です。東北ではエミシの末裔が近年まで、
娘は泣く々女郎へ売り、稗や粟作地から米作地へ下男や杜氏として、また3K以外何者もでも
ない地下鉄・ダム・ビルの土木作業員や原発被爆労働者として家族と別れての単身赴任です。
 広島双三郡比和町に「別所・田鋤に長者原 親にも子にも別りょうじ」の里詞があります。
 辛夷=辛い歴史を背負い、悲しい定めの夷(えみし・えぞ)でしょうか。
隠されたエミシ・エビス・別所の歴史を筍の皮をはぐようにする事は私たちの崇高な仕事です。
以前は漫画家の小林ヨシノリ?と同族の小林旭が歌う「北帰行」が流行しました。

ヤゾー - 2001/05/20(日) 07:45<

福岡正信さん

クミコさん、ありがとうございます。
懐かしい名前を聞きました。
随分前のことですが、
福岡さんのところに住み込んで教えを受けた知人がいて、
いろいろ話しを聞きました。
色々な種を入れた泥団子爆弾かあ・・・いい事を思い出させてくれました。
今度、試してみます。

で、もし金太さんからのメールが届くようなことがあったら、
敏速に対応できるようにと、誘われた釣りも断って家に居ましたが、
なにも来ませんでした。

カゴ釣りでイサキが釣りたかったあ〜

利田ヤゾウ、肩の荷がおりて良かったですね。

クミコ - 2001/05/20(日) 00:17<

1周年おめでとうございます!

ヤゾ−さん たぬきの写真ありがとうございました。
井上さんからの連絡楽しみにしています。
私もあせらずにがんばります。
今 福岡正信さんの自然農法に夢中です。
肥料もやらず、もちろん農薬もやらず、水さえあげない。
色々な種を泥団子にまぜてばらまくだけで、素晴らしい農法です。
私みたいなずぼらには、最適かも・・・
ヤゾ−さんもぜひ試してみては?

利田 - 2001/05/20(日) 00:10<

ダイオキシンと辰ヤゾウ

そろそろ、時効なので告白します。
「Nステ所沢ダイオキシン報道」は
僕の取材した特集です。

自然をダイオキシンから守ろう!というつもりの特集が
「所沢の野菜は危ない」という方が強調されて、裁判ザタになってしまった

所沢の汚染地帯のすぐ近くに辰ヤゾウが瀬降っていた弁天池があります。
急激な環境変化があったのです。





ヤゾー - 2001/05/19(土) 19:00<

一周年記念

>「昨十九日の合戦にて、ハチヤ掃部ら鉄砲をもって敵を討ち取りし段は神妙に候」

1年前の五月十九日、この掲示板に始めて投稿してくれたのがおミヨさんでした。
だから今日は掲示板の1周年記念です。
ちなみに母方の祖母が島根の人で掃部(かもん)という姓です。

おミヨ - 2001/05/19(土) 15:43<

再び鉢屋 捕り物もやっていた

「因幡志」に
「伯キや因幡にては、元日、盆の十三日にはハチヤが唱門師のごとく各戸を廻り米穀を貰いうく。
平時は御目付役宅に出入りし、棒や十手をもって警邏をなし、軽罪はハチヤ預けといいて、彼らに
歳月をかぎってハチヤの奴僕とされた。
また、出雲では「文化四年(1807)松平出羽家書上書」の公儀へ挺出の公文書に
「当家が雲州を拝領せし後、各郡ごとに「郡廻りハチヤ」をもうけ郡牢を一個所ずつ置き、このハチヤ
の頭は尼子時代の牢人の素性ゆえ、「屋職(やかた)とよばれ、その下に「村受けハチヤ」があって、
これが各村ごとに数戸ずつ配置され、担任区内の村民の非違を司っていた。これは天領の大森町も同じ
で、他に一定地ごとにハチヤのしゅう落居住地があり、ここでは常時、抜刀、柔術、棒術を修練。
山陰地方にて名ある武芸者はみなここの出身なり」と堂々と書かれている。しかし明治七年に、
警察制度が変革してからは、「島根県分布一覧」に「ハチヤ186戸、長吏173戸、番太56戸、得妙3戸、
茶筅30戸、計448戸」とある。また尼子の残党が、村受けハチヤや郡代ハチヤになったことの裏付け史料
としては、「昨十九日の合戦にて、ハチヤ掃部ら鉄砲をもって敵を討ち取りし段は神妙に候」
「ハチヤ、かもんら永ながと籠城のところ、このたびも敵勢取りかかり押しよせし時も、おおいに
力戦奮闘、武辺をかざりしは神妙也」といった永禄八年四月二十日、同十月一日付の尼子義久の花押の
ある感状が、ハチヤ衆かもん衆頭の河本左京亮宛で今も現存している。  矢切

おミヨ - 2001/05/19(土) 00:51<

「歴史民俗学」bP7と18号も読んで見てください。

歴史民族ふあんの方と 金太さん始めまして。
サンカに並々ならぬ愛情をもっておられる、我らの利田ヤゾウと、ヤゾー(管理人)あるいは
「歴史民族学」のメンバーの方々、Donglyさんなどにお話を託してください。
心から韓国のサンカの末裔(?)の方々に接する事ができるとおもいます。

やぞー - 2001/05/19(土) 00:33<

山の神

きょうかいさん、こんばんわ。
ご先祖さんが九度山の出身なんですね。
九度山といえば、真田昌幸、幸村父子の他に日本一の富有柿の産地と、
確か大きな丹生神社があることぐらいしか知りません。
九度(くど)の由来については、誰か詳しい人がいたら聞いておきます。

NA-NIさん、白山信仰についてありがとうございました。
ところで、一向宗と白山信仰の間には何か関係があるのでしょうか?
ふと思ったものですから。

>山に生きる人は
>どこの国でも心やさしいのだなと思う今日このごろです

富士山は「木花咲耶姫」白山は「菊理姫」高野山の地主神は「丹生津姫」、
山の神がすべて女性なのは何故なのだろう?
また同性を激しく忌む傾向が強いことから女人禁制の山が多いけど、
それは東アジア一般の山岳観と習合しているそうです。
今ひとつ意味の分らない話しではあります。

サクラさん、こんばんわ。
ここにとってサクラさんの存在が山の神というか新宿の母みたく
なってきました。

サクラ - 2001/05/18(金) 23:47<

あははっけん...

利田やぞーさん おひさしぶりです。
          5つのw....利田やぞーさんらしい(^^)
                又、何処かの島へリベンジしに行ってらしたのでしょうか?

もんむーさんの
         行きたい生きたい...うーん、気持ちが文字に現れてますね...
                岩波に現れるのも時間の問題かとご推察いたします

そして,donglyさん
         はっけん...改行が成功しています。
                とっても読みやすくなって,donglyさんの
                     お話に惹かれていってしまいます。


東京の白山神社では、もうすぐ季節の風物詩となった、
           あじさい祭りの時期になります。
                  いろいろな歴史を経て、あじさいは色鮮やかにたたずんでいるのでしょうね。

さわやかな、初夏の風がふく今日は
           やっぱり、久しぶりにやぞーさんの元旦の写真見に行こう!!!

               

もんむー - 2001/05/18(金) 21:14<

山の郵便配達

岩波ホールに行きたい生きたいと思いつつ月日は流れ、
結局、原作を買ってきて読んでしまいました。

山の郵便配達
彭見明(ポン・ヂエンミン)
集英社

以前ここに書いたインドのハーカラと同じような生活が
中国にもあったのですね。
国家公務員だろうが、山岳民族だろうが、山に生きる人は
どこの国でも心やさしいのだなと思う今日このごろです

わたしのこころは初夏の陽光輝く山々を通り越して
岩波ホールにむいています。

でわでわ

NA-NI - 2001/05/18(金) 13:56<

続・白山信仰

こんにちは。「東北学 vol.3」(東北芸術工科大学 東北文化研究センター)という本に、辻本正教氏と赤坂憲雄氏との対話が記載されています。「ケガレと差別」という題ですが、部落差別の起源を対話・考察しております。そのなかで、宮田登氏が白山信仰と部落との関連についてシンポジウムで教わった、と辻本氏。
また、おしら様との繋がりもあるのではないかと。赤坂氏は、東北の白山神社は被差別とストレートに繋がるかというと疑問で、山形県内では関係なく分布していると指摘しています。

関東以西でもすべてがすべて被差別と繋がっているかというとすべてではないものもあるという指摘もきいたことがあります。
東北の場合は、奥州藤原氏が天台系とともに積極的に導入して領域(白河関から外が浜まで)に配置し、教化支配を図った経緯があります。総鎮守となっているのもありますし、また中尊寺にも境内社としてあります。菊池山哉氏によると、加賀の総本山の金の観音像は藤原氏が寄進したものだとか。

きょうかい - 2001/05/18(金) 13:51<

九度山

みなさまのあたたかい、お迎え ありがとう
早速ですが
わたしの父方四代前は、明治期に和歌山県九度山から上京してこちらで繁殖しました。ご存知の通り、真田
昌幸、幸村父子が謹慎していた所です。謹慎にて人を流すような場所ですから或いは別所であったのではと思っています。それと、わが一族は、下あごが、がっしりしていて明らかに縄文系の顔立ちです。ご存知の方は、教えてください。
九度(くど)の由来?
その他

おユキ - 2001/05/18(金) 12:50<
もんむーさんにサクラさんに桜ん坊さん、ほんとうにありがとう。
みなさん思いやりがあって、
人の気持ちを大切にする人ばかりで大好きです。

利田 - 2001/05/18(金) 12:12<

??????

下2つの書き込みの意味、全くわかりません。

いつ、どこで、誰が、何を、なぜ、どうした?


ヤゾー - 2001/05/18(金) 01:09<

歴史民俗ふあんさん、はじめまして。
そして、どうもありがとうございます。

僕自身では何ができるという訳ではありませんので、
もしメールが届くことがありましたら、
利田ヤゾウやDongly さんに相談して、
然るべき処置をとらして頂きます。

少し前に外出から戻ってきたばかりなので、
この件は、もう少し考えてから書きます。

歴史民俗ふあん - 2001/05/17(木) 15:55<

ということで

94 名前:天之御名無主 投稿日:2001/05/07(月) 17:54
まずは金太さんお帰りなさい。
これは大変な事実ですよ。日本史を始め近隣諸国の歴史が
ひっくり返る可能性があります。
こちらで書き込みしてみて下さい。
あなたのことはみんな知ってます。
http://www.kumanolife.com/

134 名前:金太 投稿日:2001/05/15(火) 01:51
これ以上は意見が出ないと思いますので(いろいろ意見を探った結果)、
下記にここのURLと現地の詳細場所をメールしようと思います。
ここはやめた方がいいと言うところはありますか?(3日程待って返事がなければ実行します。)

新聞:毎日、読売、日経
研究者:五木寛之
民間団体:
http://hihyosya.co.jp/
http://www.kumanolife.com/
http://www.minpaku.ac.jp/

それで、五木寛之さんの連絡方法はどうすればいいのか解る方は、教えて下さい。

返事が戻ってきたら、ここにアップします。アップがなければ、返事が来ていないと思ってください。
ネタかどうかは、引き続き調査する(と思われる)上記の所に判断をゆだねます。
では。

135 名前:天之御名無主 投稿日:2001/05/15(火) 02:06
>>134
楽しみにして待ってます。

136 名前:天之御名無主 投稿日:2001/05/15(火) 02:10
>>134
集英社の五木寛之 さんの担当者あてにメールしてはいかがでしょうか?

137 名前:名無しさん 投稿日:2001/05/15(火) 09:39
上から二番目の熊のライフは眺めるには良いが、調査であてにするのはどうかな
どこかに連絡してからも、やり取りをこのスレで上げてくれると幸いです
(具体的な地名、人名などは伏せて)。

138 名前:名無しさんといつまでも一緒 投稿日:2001/05/15(火) 12:59
>>137
相談するぶんには一番いいんじゃないかな?
逆に民博はどうかな?と思います。
国立でしょ?当然国家よりなんですから。
潰される可能性が、なきにしもあらずって思うのは僕だけ?

139 名前:在日3世 投稿日:2001/05/15(火) 13:30
金太さん、熊野ライフは信用できる人たちだよ!
在日の学生のHPとリンクしてあったので熊野ライフは前から知ってるけど、
あそこの管理人は批評社やマスコミの人とも繋がっていると思うな。
過去ログ読んだら分るよ。

\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
ということでログを読んでみて納得しました。
もし金太さんからメールが届いた暁には、必ず活かしてあげて下さい。
影ながら応援させて頂きますよ。
それにしても素晴らしい世界を醸しだしていますよ、ここは。
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\

Dongly - 2001/05/17(木) 14:10<

山越はサンカ?

もんむーさん ふぁるさん 漢代の山越はサンカルーツの1では?
「三越」海洋民族でない騎馬(四つ足)系サンカで、デパートの三越とさいか屋。と八切は記します。
 例によって出典不明ですが、サンカの伝承でしょうか。やま=山=さん=三=産=散=算=桟=讃で
しょう。平安貴族は漢字発音を母国発音に変えた上に、枕詞・掛詞がこそーーめ位、大好きですから。
「知ってるのはマロだけ」まさか後世の下々の末裔が漢字を読めて「分るはずはあるまいの〜〜」だった
でしょう。よもや清少納言ならぬ女子がサンカチーズかじりながら難しい漢字入り本を読むなどとは。
 松山市山越は、昭和40年頃愛媛の山岳・森林地帯から「這い出してきた」生地師やサンカを含む山子
系の人達が多いと言われます。以前は牧場か畑だったそうです。神社の行事での子供勧進にその伝統の
香りがします。山子衆ーやまこし=山越で、舟子衆→舟越=船越 と同様の古代から変わらぬ地名の命
名法です。やたらと古着屋が多かった時代がありく、恐らく次はパン小売(取次)屋、
 最近はクリーニング(取次)屋の乱立です。またプロ精神が不足してるのでサービスは下手です。
決して自分で加工せず、また規模が大きくならないのが目立つ特徴です。山子で山番をしてた者は
故あって、山番配下=古着行商→古着屋、一部は更に→呉服屋とか呉服問屋に成長する場合があり
ます。親戚の山サンカ系O家は呉服問屋です。

おミヨ - 2001/05/17(木) 12:52<

つづき

Keijuさん
KeijuさんのMANTRA CD サクラさんから送っていただいて聴かせていただきました。
熊野の古代の鼓動を聴いているようで、しばし、熊野の古代に想いを馳せていました。
安らぎ系ですね。

サクラさん Keijuさん 有り難うございました。


おミヨ - 2001/05/17(木) 09:20<

マブサンでキスガ!

境界さん始めまして。よろしく御願いします。
私も、紀伊国屋で初めて求めた矢切さんの一冊の本、「日本古代史」を読んで目から鱗、
それからです。マージナルな世界を追い求めはじめたのは。

とんちんかん小僧さん ヤゾーさんの書きこみで、お名前は存知ておりました。
よろしくおねがいします。
根来忍者について・・・
近畿の葛城(昔は「くずき」と呼んだ)山系の奥深く、山岳民俗の国栖人が太古から棲息していた。
剽悍な人種で、険を攀じ谷をわたり樹間を翔び、弓矢も巧みで狩猟をなりわいとする。
年を経て奥(山)衆と里衆にわかれ、奥衆の屯するところろを国栖城(くずき)という。
この国栖城が転かして楠木をあてたのが忍者の遠祖である。
津田算長、杉之坊明算の兄弟は、楠木正成から八代目の子孫にあたるといい、代々伝承してきた
古忍法を根幹とし、根来流忍法を創意した。・・・・と
根来にいまに伝わる子守り唄
  ねんね根来のようなる鐘はよぅ
      一里きこえて二里ひびくよぅ
  ねんね根来のお寺は焼けてよぅ
      坊さんかわいそ丸焼けよぅ
秀吉の根来攻め(焼き討ち)で伝統四百五十年の法燈と蟠跡していた根来忍者集団はは忽然と
姿をけした・・・。
石川五右衛門は伊賀の乱の後、紀州の根来寺に潜伏していて焼き討ちにあったが逃げのびていた。
                          炎の終焉 富永滋人より抜粋
Donglyさん
サンカチーズ、バター焼き討ちにしても美味でした。
朝倉光太郎コラムは古本S57版の別冊「歴史読本」謀略!戦国合戦影の一族からです。
光太郎コラムいろいろあり面白いです。よかったらおみせします。

うふふのふの桜ん坊はヤナギムシさん?
サンカチーズ カモシでミケル ナガムシ便でカケマク!
まっててくらさい。







やぞー - 2001/05/17(木) 00:35<

こんばんわ

境界さん、はじめまして。
矢切止夫に菊池山哉ですか、楽しみです。
今後ともよろしくお願いします。

もんむーさん、サクラさん、僕に代わってのレスありがとうございます。
これからも僕の至らないところを補って下さいね。

桜ん坊 =ヤナギムシさん、こんばんわ。

>おミヨさん・・・もっとやさしく・・おねがいします

本当に優しいおミヨさんをつかまえて
誤解を招く書き方ですよ〜だ。

夕方、外出の際にポストを覗くとおミヨさんからチーズが届いていました。
も〜ほんとに人がいいんだから。
おミヨさん、donglyさん、ありがとうございます。

桜ん坊 - 2001/05/16(水) 23:48<

うふふのふ

さくらさん・・おひさです
   とんちんかん小僧さん久ぶりですね
  この頃、ニューフェースの方々のすてきな書き込み
    楽しみです・・でもわたしの学力では、付いて行けないかも!
      そんな私でも、熊野の風は許してくれるんでしょうか!!??

おユキさんにおすてきな声・・楽しみにしてます
  おミヨさん・・・もっとやさしく・・おねがいします
      

サクラ - 2001/05/16(水) 22:38<

うふふ

始めまして、とんちんかん小僧さん、
境界さん、na-niさん!
これからも、いろんなこと教えてくださいね。
おユキちゃんと一緒に真摯に気負わず聞いていきます。

おひさしぶり おゆきちゃん、声を聞くとほっとします...なんでかなぁ?

浪花の黒豹ふぁるさん、おひさしぶり!!
なんでか、ふぁるさんの書き込みにインパクト受けてるのは私だけ?
ちょいちょい書き込み待ってます。
だって、なんか...ふぁるさんの声...いいんだなぁ

そして、素敵な人からの贈り物
donglyさんのサンカチーズいただきました。
お正月以来家では飲まない日本酒の肴に最高でした。
思ったより、おいしくて、さすがdonglyさんお勧めのことがあると
妙に納得してしまいました。
ありがとう...おかげで今宵も...

なんか一人一人の方にレスつけたくなって、
うーん、まどろっこしい...やぞーさんよろしくお伝え下さい。お願いいたします。
私は今のところ、神代文字にこころ惹かれているのです。

もんむー - 2001/05/16(水) 21:12<

いろいろ

境界さん、とんちんかん小憎さん
はじめまして、いろいろお話を聞かせてください。

ふぁるさん、やぞーさん
歴史とか民族の地域的な括りかたって難しいですね。一夜漬けで、勢いで書き
こんでいるので、時々配慮のない書き方になってしまいます。お気づきになっ
たら、またご教示ください。

おユキさん

読んでいただいて、ありがとうございます。あまり苦労は感じてないです。こ
のままの状況だと、この作品は完全に埋もれてしまうと思ったので、電子テキ
スト化を思い立ちました。青空文庫にも収録される予定です。

でもこの作品については僕自身、情報不足です。誰か知ってる情報があれば教
えてください。

でわでわ

境界 - 2001/05/16(水) 20:06<

はじめまして

はじめまして。5年くらい前、矢切止夫の本と出会い、はまってしまいました。後に菊池山哉で別所を学びました。以来、古本などで悶々と独学しておりましたが、このサイトを知って大変喜んでおります。ときどき、参加させてもらいます。
  

やぞー - 2001/05/16(水) 18:34<

おユキちゃん、ありがとう

誠実な人もそうでない人もいて、
誠実な人と触合うことができたなら、
それはとても幸福です。

おユキちゃんの事情はなんとなく分るような気がしますが、
もし宜しければ住所等を教えて下さい。
駄目なら駄目でいいんです。
そんなことは気にしませんから。
どこの誰だか分らなくても、深いところで確かに通じ合っているのですから。

クミコさんも宜しければメール下さい。
僕の知人が何か伝えたいことがあるそうです。

いつもながら色んな情報をもたらしてくれる
もんむーさんに感謝です。
中国にもやはり縄文系の人がいたのだと勝手に思ったりしました。

ふぁるさん、こんにちわ。
突然現れてはいつもの突っ込みありがとうございます。
どこの国も何故に正しく歴史を認識したがらないのでしょうね。

ようこそ、トンチンカン小僧さん。
どうか皆さんもトンチンカンな小僧を宜しくお願いします。
本気でサンカに惹かれているようですので、いろいろと教えてあげて下さい。
それにしてもローカルな話しでした。(笑)

とんちんかん小僧 - 2001/05/16(水) 16:17<

はじめまして

はじめまして、とんちんかん小僧といいます。
私は,2年ほど前にヤゾーさんよりサンカについて教えてもらい,はまった者です。
きっかけは,紀楽屋という和歌山の海南市にある古本屋さんで,たまたま話をした際,私の名字について問いただされ,「サンカと関係ある」なんて言われまして,私もサンカに興味をもちました。
それから,五木寛之さんの「戒厳令の夜」「風の王国」「鳥の歌」,三角寛さんの「サンカ物語」,「歴史民俗学」,「歴史はマージナル」等の本を読みました。
それで,今分からない事があるので質問します。
1.八切止夫さんについて
2.天孫族とサンカの関わりについて
3.根来忍者とサンカについて
分かる方,教えて下さい。
これからも皆様宜しく。

ふぁる - 2001/05/16(水) 13:58<

中国のみなみ

「山越」の一部は後漢末に、「呉」組み入れられましたね。山岳民と言う事になっていたけれども、
現在のベトナムにかけての海域までを行動圏としていたようです。

中国の場合は、地域も時代も「中国」という括りかたは不可能であり、ナンセンスなので、
日本との比較をするならば、一時代の一地域になりそうですね。

ようやく最近になって、揚子江圏発生の文明の存在を容認するようになりましたが、「現在」の中国は
異常に狭量なので、遺跡が抹殺されない事を祈るばかりですね。

おユキ - 2001/05/16(水) 12:48<

恐縮です

それはヤゾーさんをはじめとした皆さんの文章から
真摯で誠実な態度を感じるからだと思います。

もんむーさんの帰国も読まさせて頂きましたが、
随分苦労されたことだと思います。

そんな方の書いた文章なのですから、
読むほうも心して読みたいと思いました。

もんむー - 2001/05/15(火) 23:28<

山越(さんえつ)

大林太良「山の民 水辺の神々」大修館書店

六朝(りくちょう)は中国の222年から589年までの時代を指します。日本では弥
生時代から古墳時代にあたります。そのころ志怪小説といわれる文学ジャンル
が栄えました。これらの作品から当時の民俗を読みとろうというのがこの本の
眼目です。

この中に江南地域の山地住民の話がでてきます。著者はこれらの人々を史書に
登場する山越(さんえつ)かその末裔であると推測しています。山越は独自の言
語と風俗習慣をもち主に農耕で生活していました。呉の国はかれ等を征服しよ
うとしましたが、反抗して租税も収めませんでした。結局兵糧責めにあい、投
降して漢民族に同化していきます。

しかし小説に出てくる山地の住民の生業は狩猟、採集、樹木伐裁です。この本
には小説の内容の一部が紹介されているのですが、それが柳田國男の「山の人
生」を彷彿とさせて興味深かったです。

中国の山地の民俗と日本のそれを比較してみるとおもしろいかもしれません。

でわでわ

ヤゾー - 2001/05/15(火) 18:15<

鉢屋と芸能

鉢屋についての話しが続いたので、
ご存知の方も多いとは思いますが、

『鉢屋と芸能』

鳥取藩の歴史を調べてみると、他の藩と同じく身分制の底辺に穢多・非人がおかれているが、
とくに注目されるのは鉢屋の存在である。彼らは、時宗の流れを引き、京都の極楽院空也堂を本山とする
「空也僧」の一派とされる賤民であった。西国を中心に空也念仏僧が分布しているが、とくに山陰地方に多かった。
そこに住居する念仏聖が鉢屋と呼ばれたのだ。彼らは「百姓町人と対等の交渉はなく、町村の端々に群居し、
竹細工を業とす。根帳・五人組・宗門改など穢多に同じかりき」と『藩史』に出ている。

彼らは、鉢を叩きながら念仏を唱えて門付けして歩いたので、鉢叩き、鉢ひらきとも呼ばれた。

その彼らの村のかなりの部分が一座を編成し、歌舞伎や人形浄瑠璃の旅芸人の一座として、
各地を巡業したとのことです。

『天皇の国・賤民の国』 両極のタブー 沖浦和光著より

おユキちゃんは偉い。
真摯な気持ちで何かを学ぼうとしているのが伝わってきます。
僕も言うほど分ってないように思うので見習いたいです。

Donglyさん、サンカチーズは不思議で懐かしい味がして美味しかったです。

祝 勝利 利田ヤゾウ、おめでとうございます。

おユキ - 2001/05/15(火) 12:55<

元気に見てます

おミヨさん、こんにちわ。
お気にかけていただいて、ありがとうございます。

ここのところ私には難しい話が多くて、
読むのに一生懸命で書き込みをすることを忘れていました。

私にはよく分りませんが、なにか重要なことが書かれている気がして、
少しずつですが、自分なりに勉強しながら読んでいます。

Dongly - 2001/05/15(火) 11:36<

鉢屋は別所の者

おミヨさん ありがとうございます。朝倉光太郎のコラムは何にあるのですか?
 失礼ながら「野史呼び名辞典」から抜粋させていただきます。
a.拝火宗(ゾロアスター)系の原住民。2)別所・散所・印地・院内に封じ込まれた原住民。
【鉢屋】【八屋】【蜂屋】と記す。大名蜂屋は秀吉の検地の中心人物。
b.【千秋万歳】は平安期の祈祷と祝福芸に関する【唱門師】と呼ばれる【下級陰陽師】。
 寺の雑用係で法師・比丘尼姿で芸能を保った者。祈祷・願い言葉・歌を中心とする動作より
 演芸部分を強調したものが【曲舞】。
c.【散所】【山所】1)【別所】【院内】と同類。2)【谷の者】【野の者】【峡の者】の類で
 不定住の【山家】【サンカ】とは異なる定住の【山の者】。3)関西で【守戸】。
 【鉢屋】鉢×室?の伝説、【唱門】は契丹系とあり、異人種の混成でしょうか。
 江戸期に出雲鉢屋はエタ=番田の役をする【牢人】で、大正6年島根県の記録では186戸と
 あります。出雲鉢屋は我が家と同じ、丸に橘の非人家紋です。
  飯母呂は蜂屋だから、サンカチーズは正しくはシノガラか、古くはイボロチーズでしょうか。
 朝倉氏の出典は「因幡志」「本朝蜂屋由来記」でしょうね。

やぞー - 2001/05/15(火) 00:45<

南北朝時代

>もともと天皇御陵を守る番人であった。

鉢屋一族が五色の賤のひとつである陵戸だという話しは始めて聞きました。
おミヨさんの幅広い知識と読書量には頭が下がります。

>私もなんて・・でも丸ぼうずアオリいてませんでした

今度はアオリイカ一本でがんばって下さい。
今、結構アイゴが釣れているみたいですね。
あれに刺されると物凄く痛いはずなんですが、
地元の野生の人なんかは、酒飲んだら治ると言って、
屁のカッパみたいな顔してます。


ご存じの方も多いと思いますが、
南北朝の時代は、その後の戦国史や現行の天皇制、明治維新、大戦にまで大きく関わっていると思います。
またサンカや被差別部落の歴史にも深く関係していると思われます。
その南北朝の時代についての話を集めて、コンテンツとして追加してみたいと思っています。
南北朝についてのお話があれば何でもよいですのでお聞かせ下さい。

ヤナギムシ - 2001/05/14(月) 23:37<

やなぎのした

二匹目のどじょう・・探してきました
  ふーーむ・・やっぱりあきませんでした
   ヤゾーんとこ・・またまたGETしてたから
  私もなんて・・でも丸ぼうずアオリいてませんでした

イサギの瓜坊クラス10匹とカツオ30CMクラス1匹のみ・・12時間ガンバッたわりに
  だめ・・おとうさん・・1本イットク!!??

椿裏の方がええのかいな??

   友達が、アイゴの毒で泣きました・・亀がイタイイタイと鳴きました
毒・・動物が自分自身を守るため、うまく利用するんですね
  わたしの、毒はなんなんでしょうかね

       日焼けでヒリヒリのヤナでした

ひ 

おミヨ - 2001/05/14(月) 19:21<

鉢屋一族

もともと天皇御陵を守る番人であった。それが独特の閉鎖性から群盗と化した。平安の末頃には
忍びの技をつかって大掛かりな夜討ち、強盗、辻斬り、追剥を働き、洛中洛外はおろか畿内まで
その名が知られた。
文明十七年十ニ月晦日の夜半、経久は近習・旧臣の小部隊を率いて月山城に潜入、時を待った。
一方、鉢屋の一党は万歳師・鳥追いに変装、着込みの腹巻に赤い素ほう(庶民の常服)を羽織り、
武器を隠し持つと、翌年元旦、笛・太鼓を鳴らしながら月山城の大手門に近づいて行った。
城中の兵は、これを本物と思い「千秋万歳、千秋万歳・・・」という囃子詞に気を許して、三三五五
集まって来た。
笛・太鼓に兵士が見入っている間に、城中に忍んでいた経久たちは、この時ばかり討って出、大混乱、
その時には、すでに扮装をかなぐりすて、武器をとり出した鉢屋一党も城内に乱入,刀槍を手にする
暇もない敵兵を無二無三に斬りたてていた。
この鉢屋一族がみせた、変装して敵陣に近づき撹乱、攻撃する法を忍術では”妖者(ばけもの)の術
と呼ぶ。       (朝倉光太郎コラムより)

「サンカ資料編」の写真見ていると、映画「瀬振り物語」が重なってきます。

来月号「歴史民俗学」はサンカ特集。うれしいーーー。
利田ヤゾウさん 楽しみにしています。

ヤゾーさんは意識朦朧、寝不足ぞな。

Donglyサン お手数とらせました。有り難うございました。

おユキちゃん お元気?        





やぞー - 2001/05/14(月) 01:10<

意識朦朧

NA-NI さん、どうも2度目の書き込みありがとうございます。
言いたいことがなんとなく分りました。
心情的にはどうしても偏ってしまいがちになるので、
たしなめてくてたのかなと勘違いでした。

>あのヤマタイカ 僕のイメージを一気に広げてくれました!

Keijuさん、それは良かったです。
あの劇画は祭によって現在に縄文を蘇らすのが大体のストーリーなのだと思います。
自分自身も含めた大多数の日本人が縄文より弥生の血の方が濃いのだとは思いますが、
心情的であれ、思い入れであれ、芸術家や自由人などの人は自分の中の縄文の血を意識し選択するような気がします。

>パラグアイに住みたい。

利田ヤゾウ、こんばんわ。
本当に自然の恵みは偉大ですね。
磯の上を3時間歩いたので疲れたのか知らないうちに寝入ってしまいました。
それで今は意識朦朧としていますが、とても気持ちがよいのです。
次ぎはなんとしても磯タコを捕獲しなければなりますまい。

利田 - 2001/05/14(月) 00:37<

パラグアイに住みたい。

Dongryさん
文章の段落ごとに
改行して下さい。
読むの大変です。

素敵な宇宙船地球号
見ましたか?
パラグアイの人々の生活ぶりでした。
自然の恵みに感謝して、
先祖代々変わらない生活。

私が望むのは
と言うラビの曲そのままのままの生活ぶりでした。

サンカの生活そのものッポカッタ。




NA-NI - 2001/05/13(日) 20:47<

情的理解という私の考え。

やぞーさま。はじめまして。

短めに。

>適格なお言葉、痛み入ります。
>やはり、思い入れや心情的なものは精妙に歴史を理解するにはマイナスなのかもしれませんね。

確かにおっしゃることに注目することは大事です。しかし、私が先に申し上げたものはその意味ではなく、理解は理屈・論理だけではだめで、情的レベルで理解するということが大切ではないかと思います。

例えば、日本人と一括されている者同士が対話していて、一方が「私は日本人ではなく、OOという人間だ」といったとします。他方の人が耳を傾けて「わかりました。」と答えました。しかし、数分後「私たち日本人は。」というのです。

情的に深く理解するとき、おそらく、自分自身や身の周りの状況、または社会の変容がおこるような気がいたします。
情的理解 即ち 変容です。情的理解が深まるには自分自身の不断なる洞察(先の例にのっとって。なにゆえOOという人間でなく日本人たらしめているのか。なぜ、他人は私を日本人といい、否定しさるのか。など。なにゆえ自分は本来のアイデンティティを気づかずに否定してしまっているのか、など。)が必要と思われます。

keiju - 2001/05/13(日) 14:08<

ありがとう

あのヤマタイカ 僕のイメージを一気に広げてくれました!
今まで困っていた 作品のイメージ もうすデにあるのですがね これがどうして出てきたのか_
わからず 困っていたのですが このほんで わかりました 
結果 が先に出ていたようで  どうしてこうなっていたかがこのヤマタイカで かなり判明しました!!!

ヤゾー - 2001/05/13(日) 13:45<

穴貝捕り

もんむーさん、サクラさん、こんにちわ。
Dongly さん、いつも突っ込んだお話をありがとうございます。

いろいろな考えや、突っ込んだ話しは大歓迎です。
人の意見に耳を傾け、自分の認めたくない話しなども受け止めて、
曇りのない感性で新たに歴史を認識することに大きな意味を感じています。

一様管理人の僕はケツの穴は痒いですが、小さい人間ではありませんので、
臆することなく、いろいろな意見をお待ちしております。
(ちなみに検索サイトから色んなキイワードで飛んできますが、
前に花粉症の話しで『肛門が痒い』という話しをしましたが、
その『肛門が痒い』というキイワードで飛んできたのには笑ってしましまいた。)

ということで、穴貝(トコブシのような小さいアワビのような貝)を捕りに、
今から磯に行ってまいります。

Dongly - 2001/05/13(日) 12:13<

人種問題と地名

古代の把握法として奴隷史では『日本奴隷史』阿部弘蔵の区分は上世甲・孝徳天皇以前〜645まで、上世乙・孝徳天皇から鎌倉幕府645〜1185です。『古事記』、滝川政次郎『日本奴隷経済史』などにも奴や袋かつぎなど奴隷の記述はありです。賎民の歴史→部落発生史解明文献は菊地山哉『俘囚と特殊部落』で彼は『東国の歴史』などで現地踏査をしており文献にない歴史を発掘しています。ご質問の「人種間」由来するは『古事記』『続日本紀』『三代実録』『和妙類じゅう抄』ですが八切止夫が分り易いでしょう。八切は日本の支配階級は唐と百済系で明治期まで同族(同一人種間)結婚で、現在までその人類学的特長を残す場合は確認できます。これは大枠ですが、目や瞼による判別法は『シーボルトと日本』。新羅と高句麗が支配階級の薩摩は百済が支配層の琉球を支配。本を読むだけでは納得いかぬので私は古代史勉強を中断です。「賎民か奴隷になるか」しかない歴史はどうやら蝦夷討伐の後、俘囚が全国に流刑され別所に封込まれた時期から蝦夷地一部を除く全日本に拡大(後彼らの一部は侍や大名になります。我々の殆どがその末裔です。偽系図で誤魔化しても無駄。武士とは公然の殺人者・中国語では非人です)。平安期には酷い政治に耐え兼ねて人民の3分の2が濫僧(乞食)姿で逃亡と報告書にあります。全国に2文字漢字地名を強制しましたから「地名による歴史研究」はこれ以後の限界があります。地名変遷もありますが相当検証できます(『鉄と俘囚』柴田氏は別所・数百としますが改名した地名を入れると何十万)。どこに配置したかを知る必要があるのは政府。これに「職人歌合わせ」で教育しておけば上層役人の仕事はできます。政府は「負の歴史」として地名を禁視・改竄(歴史の隠匿です)します。誰が命名し、保存し続けたのか?時の政府とそれに従う僧侶などですが、学校史・郷土史では英雄や有名坊主・御用学者としてカラー入写真で称えます。そこには庶民抑圧の二千年史を反省し責任をとる兆が微塵もなく、負の歴史を単に差別する個人に負債を転化してます。トンデモ八分です。以上は私個人の視点です。野史研究会は非政治・「学術」庶民団体です。

サクラ - 2001/05/13(日) 01:15<

あっ、Keijyuさんだ!

あはは、なんかよく分かんないけど、
おっかしい...楽しかった昨日が見えるようです。

夜中になると魔物はさわぎだし...
ミステリーのせかいならぬ、ここに来てしまう...

今夜はホツマツタエが何処に私をいざなってくれるのか...(^^)
ちょっと覗きにいってきます。

何故か今夜はビートルズの曲聞いてるの
ホツマツタエとあうのだろうか???
どう思う?




もんむー - 2001/05/12(土) 21:29<

失礼

>明るくない

舌たらずでした。
私があまり知らないという意味です。

ところで夕日の写真、見とれてしまいました。
旅心がくすぐられます。

でわでわ

もんむー <http://www.hotsuma.gr.jp/> - 2001/05/12(土) 19:33<

ホツマツタエ

こういうのあまり明るくないんですが、、、
なんがすごいですね。

ヤゾー - 2001/05/12(土) 12:07<

印象的な夕焼けでした

昨日、磯で見た夕焼けの色は印象的でした。
辺り一面がサーモンピンクに染まって不思議な感じでした。

釣りの方は、知人が先に目当ての磯に来ていて、
明るいうちから2キロクラスのアオリイカを2杯も釣ったので、
今日はもう駄目かなと思っていましたが、
一番釣らしてあげたかった人が、2キロのアオリイカを釣り上げることができて良かったです。
それに帰りに川湯温泉へ行ったら湯も良かったし、
(自然の温泉なので、時には熱すぎたり冷たかったり泥臭かったりする)
万々歳の釣りでした。

最新情報にその時の様子をアップしました。

>それでタッキュウ便で送っていただけないでしょうか???

友人にお願いして和歌浦まで届けて貰うことにしました。
多分、昼過ぎにでも届くと思います。

ケイジュ - 2001/05/11(金) 20:11<

昨日はありがとう!

で見事に 上着を忘れました!
財布が入っていると思いますが、それでタッキュウ便で送っていただけないでしょうか???
こっちへ!!! すいませんがお願い致します!

やぞー - 2001/05/11(金) 12:14<

接待イカ釣り

NA-NIさん、はじめまして。
白山についての貴重なお話、ありがとうございます。

>ここのところは、特に情的レベルで理解するのは困難です。

適格なお言葉、痛み入ります。
やはり、思い入れや心情的なものは精妙に歴史を理解するにはマイナスなのかもしれませんね。
今後とも、ご教授お願い致します。

ということで、僕は今から熊野に帰ります。
接待ゴルフならぬ接待イカ釣りの為に。

NA-NI - 2001/05/11(金) 11:36<

はじめまして。

はじめまして。NA-NIと申します。ついぞ最近ここを知りまして、皆様のスレッドを少しずつ拝読いたしております。私も別所に関して研究をしている者です。Donglyさんのご文に注目いたしております。

まず、白山について話題が挙がっておりますので、私の方からも述べさせていただきます。
白山信仰は加賀国白山を総本山として全国に神社、お宮が散らばっております。関東以西は「別所」と密接な関連があり、教化目的で薬師、十一面観音などとともに配置されているようです。私の記憶が正しければ、関東〜近畿の白山社は、被差別部落と関連があり、そこの方が神事に関わっているとか聞いたことがあります。(後日資料にて補足します。)東北地方にも分布しておりますが、東北地方においては奥州藤原氏が教化支配のために天台系とともに導入したもので、被差別部落の分布とは関係なく、また鎮守社にもなっております。中尊寺にも境内社にあります。また、本山の金のお像は藤原氏の寄贈です。(何代目か失念、後日補足)。関東以西の白山ですが、全ての処が被差別部落になっているわけではないという言もあります。
また、移転もあります。

>1万年続いた縄文時代や縄文人とは、
>建国200年あまりのアメリカにとっての、
>ネイティブアメリカン(インディアン)のような存在なのでしょうか?
>僕は、この国の独自の感性や文化は縄文からのものが大きいように感じています。
>これって幻想でしょうか?

私たちは、検証なしの前提として、現在ある国境の枠で、歴史を見、今ある民族概念で過去または現在のわれわれや隣人を「一括して」見ます。「日本人」「縄文人」「アメリカ人」「インディアン」等等。。。「一括して見る」ことで実相が見えてくるのでしょうか。現在の国境が元からあるがごとく、または思考の産物なのに太古からある古杉のようにみることで精妙に理解できるのでしょうか?

ここのところは、特に情的レベルで理解するのは困難です。

やぞー - 2001/05/11(金) 00:32<

縄文幻想

唐と百済が日本の支配階級であり、特に唐が己の手を汚すことなく、
支配者階層を占めていたことを、文献からではなくて、
感性により感じていました。

そして、その支配者達がお家(出自)を隠したことや、
先住民に対しての略奪行為を正当化したことが、
この国の歴史をややこしくしているように思います。

>孟子や孔子など中華思想のみが優れた思想

その思想が諸悪の根源のようにさえ感じることがあります。

で、1万年続いた縄文時代や縄文人とは、
建国200年あまりのアメリカにとっての、
ネイティブアメリカン(インディアン)のような存在なのでしょうか?
僕は、この国の独自の感性や文化は縄文からのものが大きいように感じています。
これって幻想でしょうか?

Dongly - 2001/05/10(木) 23:33<

江戸期在日は

紛れもなく特権階級です。鎖国時代唯一国交ありの朝鮮でその通行路の瀬戸内では、朝鮮通信使の接待に気苦労した日記があります。吉宗実母の母国からの超賓客ですから。長崎で中華・朝鮮向に特別の接待女性(被差別部落が多いとか)。孟子や孔子など中華思想のみが優れた思想(故?中華系は今でも尊重)。サンカの得意技・蓬など和薬よりは漢方薬が幅を利かし、今は和薬<漢方<新薬です。土器でも萩焼・備前焼・有田焼が瀬戸物より上位です。唐子町はどこでも在日の居留地。松山では北京町は中華人、小唐人町は朝鮮人の居留地、今繁華街です。昔の茶碗は唐子模様です。中国地方の新聞社所有者は江戸期の在日。それが伊藤博文ら別所者の明治維新後の富国強兵・棄民・朝鮮大陸侵攻政策で、それからの渡来は強制連行で、皇国史観で蔑視と賎視の対象。オープンに古墳発掘にコーフンできたのはやっと戦後です。
 寅さんは車。多分江戸期総長吏・矢野弾左衛門配下の非人頭「車善七」からの名付でしょうか。ただ酒も飲まず、ヌキミで女性の中をフラツクのでは、働き者サンカがホケにします。サンカならもっと美人女優の筈。あの足では女は捕まらず女から逃げる事も絶対無理では。やはりヤシでしょう。人気があるのはあの顔なら女がその気になっても、枕を高くして寝る事ができる男どもが多いから、メロドラマより許せるのか。
 三重の丹生大社は完全に鉱山現地本社。今でも水銀が小川にあり、水藻も水草も魚もいません。天台宗の寺院ある山には必ずといっていい位金属関連です。白山はその鉱山で働く別所者に関連で、▲山は信仰対象で、伝説かそれを拝む遥拝所跡がどこかにある筈です。min-minさん 明日仕事終了後カキコします。

Dongly - 2001/05/10(木) 22:08<

日本の支配人種

ヤゾーさん 硬い話で失礼さま。岩手・青森を除けば唐と百済が日本の支配階級を近年まで構成の模様。
ミクロならば中世期武士・江戸期の大名配置・県知事・苗字・天皇家への対応の分析が必要でしょう。沖縄は百済、薩摩は特殊に高句麗と新羅、愛媛は高句麗を巻込んだ百済、山口・広島は百済などが歴史的に支配層が多いと聞きます。特殊に福岡は済州島経由の渤海系が目立ちます。運転手の話では最近韓国からの観光客は福岡を嫌い愛媛を好むとか、百済系の血を引く息子は福岡で視線が集中します。山口柳井付近では「我らは朝鮮王族の末裔である。お前ら倭の者とは違う」と今でも述べてます。柳=楢=簗=百済ですが、空海は当時の唐や百済の居留地・楊津に十一面観音を置いたといいます。瀬戸内では宮島さん(高句麗)が雉(百済)に追われた伝承が島々に残っています。別所の地名研究では、雉=鷹に見えます(文献は未見です)。庶民を鶏・蜘蛛・鬼・椋鳥・ひよ鳥・雀・翡翠に例えます。日本で不在の人類学的観点からは、平安期以来支配層の唐や百済系が明治まで同族結婚を繰返してますので特徴が残るそうです。未分析ですが愛媛の地場企業幹部には百済系が多いようです。勿論、唐や百済系も最下層民や被差別民の末裔もいます。西部氏は自分自身の事か?非農耕非漁労の土地を待たぬ民の渡世は多様な職を持つ七変化ですから、否応なく頭を使います。彼が全学連委員長になったのは優秀な幹部が皆拘留され、東大ブランドでは彼しかいなかったのが真相。後聞ですが私の知人が候補No1だったそうです。現在も分限者の子弟は敢えて一流大学に行かずとも豊な生活が可能です。賎民層からの血というのは実際的でなく、江戸期から成金賎民、庄屋となった賎民層の金目当てです。(古い町村史にある勲章をぶら下げた有力者の写真を見て下さい)。従って母親の実家と絶交の名門もあります。『記紀』の他、単一民族説の歴史屋の憎悪の的ですが八切止夫の著作は人種分析の観点から重要です。松山の方が韓国へ行った時、日本の苗字だけで人種を教えてくれたそうで、帰って近所の表札を見てビツクリしたそうです。西尾・藤岡さん達もルーツ探しで訪韓すると、もっと韓国よりの教科書を作るようになるのでは、と大いに心配しています。ナンタッテ歴史修正主義者だから。

やぞー - 2001/05/10(木) 20:44<

ちょっと一服、軽い話しです

今日、寝過ごして予定が狂ったので、
Keijuさん、謡子さん、トンチンカン小僧を乗せてミステリースポット巡りをしました。
山の中のおどろおどろしい秘密の霊場や清々しい丹生神社を見て廻りました。
その秘密の霊場での写真をKumanolife Photo Galleryにアップしています。

帰りに寄った丹生神社にはピラミッド伝説があり、
ご神体である山がピラミッドのような形をしています。
そして、その山の名前が白山であり頂上には白山社があります。
昨夜丁度白山の話しをチャットでしましたが、
丹生神社と白山にはどんな関係があるのでしょうね?

min-min - 2001/05/10(木) 00:34<

丁寧なレスどうも。

Donglyさん、こん**は。丁寧なレスどうもありがとうございます。

>部落問題の歴史的根源は人種問題で、政治説や職業説はその亜流と見ます。古代政府は自分達以外を雑類・異類・草と呼び、世界に冠たる五色の賎という奴隷制度があった事はテキストにあります。

とのことですが、上述の「人種問題」とは何人種と何人種のあいだの問題になるのでしょうか。また「古代政府」とは具体的にどのあたりの政府を指すのでしょうか。
野史研究会のHPを見れば分かるのでしょうが、お教えください。

やぞー - 2001/05/10(木) 00:09<

フーテンの寅さんはサンカだった?

>藤吉郎の犬顔は紛れもなく百済系。

どちらかというと原住民系だと思っていましたが、
百済系でも朝鮮出兵は納得できる話しですね。
百済は本国で新羅に滅ぼされていますので、
意識的か潜在的なのか分りませんが、民族的な恨みが原動力だったのかもしれません。
でも日本では百済系が支配者側で新羅系が被差別民側だと思っていましたが?

>非常に場違いなレスですが、御免なさい。

とんでもないです。非常に有意義なお話を聞かせて頂きました。

>部落問題の歴史的根源は人種問題で、政治説や職業説はその亜流と見ます。

まず人種起源説が最初にあり宗教起源説と続き職業起源説といったところでしょうか。

僕は、この国の差別のもう一つの側面に興味があります。
某掲示板なんか見ていても思うのですが、(意図的なやらせとの話しもありますが?)
やはり根強い部落民や在日の人に対する差別がありながら、
方や国民に圧倒的支持をされる人を多く輩出しているというところにです。

随分前に、朝まで生テレビで部落差別問題を放送した時に、
西部氏が、同じ資質の民族が差別者と被差別者に分かれた場合、
被差別者側からは時として素晴らしい人格者や能力者が生まれるものであって、
そういったことも・・・と途中で尻窄みな発言をしたのが印象に残っています。

>江戸期に紀州から御用商人文左衛門(別所者)らが漁師を連れてきて初めて漁業開始です。

紀伊国屋文左衛門と吉宗について研究している人に聞いた話しでは、
どうも紀伊国屋文左衛門は吉宗が将軍になる為に存在していたのではないかとのことでした。
吉宗の母親がサンカかそれに近い忍びの出身とのことですが、
そのことを忍び筋の間ではよく知られており、よって親身になって護衛等の働きをしたのだそうで、
文左衛門もおなじような存在であったのかもしれません。

成り上がりも3代以上続くと、いつしか名門と呼ばれるようになり、
そのかわりに生まれてくる子供は何処かひ弱で人間的魅力に乏しいので、
賤民層から新しい血を入れて活性化させるといった知恵があったとの話しです。

>サンカについても同様の復権が求められます。急がなければなりませんがっ。

フーテンの寅さんはサンカだった気がします。

>そして地球は青かった

サクラさん、こんばんわ。
青は癒しの色であり、浄化の色でもあるようです。
たまには早く寝ないと身体に良くないです。

>ヤゾーさん タヌコ毎日偵察に来ているんでしょうか。

タヌキ、おもしろいでしょう。
そのうちに捕まえて、後ろから前足を持って腹づつみをしてやろうと思ってます。
おミヨさんちのピーちゃんの写真もたまには見たいです。

おミヨ - 2001/05/09(水) 22:05<

山猿は犬顔

九十九 端芝秀吉について有り難うございました。

作家杜山悠
雑誌・新聞の仕事から作家になった方で、地道にコツコツと自分の脚で調査して書いておられる
作家です。以前からファンで本を探していますがあまり見かけません。
「忍者の系譜」がほしいと思っているのですが・・・・・・。

ヤゾーさん タヌコ毎日偵察に来ているんでしょうか。
写真有り難うございました。
興味津々の様子でヤゾーさんの事を観察している様がおかしい。

Dongly - 2001/05/09(水) 19:43<

超えねばならぬ葛藤

min-minさん 研究途上ですから発言はしない積りですが真剣なご意見を聞くと、一言。部落問題の歴史的根源は人種問題で、政治説や職業説はその亜流と見ます。古代政府は自分達以外を雑類・異類・草と呼び、世界に冠たる五色の賎という奴隷制度があった事はテキストにあります。またエゾ討伐なる原住民エミシ対政府(軍の指揮官は百済人)の内戦がありました。従って歴史家は日本人の九割以上は奴隷か賎民の末裔なる説に異論を挟みません。またある時代からは山伏・「同和」など賎民組織内での階層支配が厳しかった事は、山伏に石子詰の刑での存在で肯首されます。近年までこの残酷刑はあった模様で各所に遺跡があります。江戸期は賎民・百姓などの治安対策で同和はフルに活用されました「いわれある差別」の源です。幕藩体制への憎悪は同和に向けられました。歴史学者も幕藩体制を未だ十分総括していません。明治維新と戦後の農地改革は部落差別を生産しました。家庭環境の劣悪さと教育条件の不備は人間としての成長への大きな障害で、部落外からの蔑視・賎視の源でした。戦前の軍隊は輜重や工兵隊は同和に限られました。部落側に警察・自衛隊などに強い労働組合を作る事を期待します(先進国で警官組合・兵士組合がないのは日本だけ)。そして腐敗した組織を内部から改革して欲しい。現在の理不尽な差別に対しては、差別する民自身の歴史を明らかにする事ですが、研究も稀(野史研究会だけ??)で教育は0です。「差別する民が己の歴史を知る時差別はなくなる」「差別は自分事」になります。生徒も受験勉強でなく「人間の勉強」になり後進国並に目が輝いてきますし、厭な道徳教育も政治家だけは必要です。野史呼び名辞典はそのためにも編集しました。新たな憎悪を喚起するため無理ですが「地名や苗字をタブー視」は歴史の抹殺ですから、「差別を掘り起こす」事です。民が「自己の負の歴史」を含めたアイデンティティーを知らぬのは国際化などチャンチャラ可笑しい「奴隷国家」です。非常に場違いなレスですが、御免なさい。サンカについても同様の復権が求められます。急がなければなりませんがっ。

Dongly - 2001/05/09(水) 13:41<

九十九、端芝秀吉

おミヨさん 藤吉郎の犬顔は紛れもなく百済系。民俗・歴史学では人種を問題にせぬのが最大の欠点です。八切止夫説で羽柴稗吉からですが、はしば=端葉売りで、鳩椋十の鳩と同じ、山の芝(木枝や葉から作る薪)を売り歩くサンガ(山稼・山家)で、忍者の筋。九十九はつくもと読み、百ー一=白で別所者を意味します。九十九谷はネット検索では千葉にありますが、九十九左衛門の本貫地?九十九里浜は江戸期に紀州から御用商人文左衛門(別所者)らが漁師を連れてきて初めて漁業開始です。それまでは海藻や貝を取る別所で、銚子では鳥を捕っていた模様。秀吉が大量虐殺したのは仲間の木陰族でしょうか?さすれば伝承は信頼できます。兵庫県郡家町隼神社で十年前見たのは「天下一」と墨書した丸い温石石。一説で「大丈夫」の意味とか。サンカ文字がどこかにある筈ですが未発見。この神社今でもある種の通信所と見るのが野史の常識。民俗学では信仰施設ですが、ボケ!!(税金返せ)。智頭町を南に山越えすると神社がある地は大呂です。信州八ヶ岳麓にサンガの集落あり(ここでは質素な服装)、東京で高級クラブを経営している者もおり、小海線沿線の?に高級別荘を持っていると、聞きました。また小海線沿線の温泉宿を親族が経営してる千葉の方(サンカ系です)は私の親友です。蒲冠者は雷病者では?九十九源衛門の隠家は京浜急行沿線のカマリヤでは?近くは確か別所です。

サクラ - 2001/05/09(水) 02:23<

そして地球は青かった

今ごろの、熊野の山々は新緑におおわれてきれいでしょうね。
       いろいろな、営みを内包して、みどりなす山々の美しさが懐かしい
           そして、その山々を内包する地球は、青く美しい星であると...

うわさでは九州の山々も深く深くたたずんでいたとか...
        心地よい風がkumanoにも、そしてここにも.....

やぞー - 2001/05/09(水) 00:07<

風葬と愛惜の情

サンカ共同体では、明治7年頃まで風葬が多かったといいます。
その風葬が沖縄諸島に最近まで残っていたそうですので、
古代習俗を伝えていた可能性が強いのかもしれません。

僕もできたら有り難くもない生臭坊主のお経なんかより、
山の中で小鳥やタヌキのもとで自然に還っていきたいです。
それを人は野たれ死にというのかなあ?


利田ヤゾウが来た時に、絶滅した20メートルもある一角獣の話しをしてくれました。
確か北海のほうに100年程前までいたそうです。
ツチノコの話は掲示板でも書いてくれていましたが、
そういった存在が好きなのかもしれません。
そういえばおミヨさんも絶滅した日本オオカミに興味があったような気がしますが、
サンカの好きな人に共通したものに、
失われたもの、失われてゆくものへの愛惜の情みたいなものがあるのかもしれません。

ということで、日本オオカミの骨の写真を画像掲示板にアップしました。

おミヨ - 2001/05/08(火) 22:49<

つづき

「帰国」の解説読ませていただきました。
有り難うございました。
文章に、もんむーさんのお人柄がでていてとても良かったです。

2チャンネルの金太さんのお話
明治時代の「棄民政策」の話を思えばありうるような気もします。
あの話が事実としたら、現代の世の中まで「棄民状態」のままの生活をしている事に衝撃です。
    

おミヨ - 2001/05/08(火) 18:56<

広重の辞世の句??

Donglyさんとサクラさんの文章読んでいたら
以前強烈に印象に残った句を思い出しました。

われ死なば 焼くな 埋めるな 野に捨てて
飢えたる野犬の 腹を肥やせよ

Dongly - 2001/05/08(火) 13:50<

風葬・鳥葬・土葬

のうち我家では夫婦とも土葬するよう子供に伝言。焼いた後(本当は焼かない方が安上がり。自宅裏の木を
使えば只なのですが)裏山に埋め、猪や狐が出ますので漬物石でも載せるようにと。理由は「お寺族=お寺賊」に設けさせてなるものかとか、経済的なこと、です。野史研究会には、長年、坊主や檀家の「法事はいかが」には「結構でございます。自宅で十分、お弔いさせて頂いております」とかで撥ね付け、墓の手入れせず、しがらみの強い田舎で頑張る教師の家族もいます。最近はこれを真似る風潮も出てきたとか。ご愁傷さまです。
広島市安佐北区高揚町狩留家の調査では大谷という所の上に、江戸期に白髪の老女が居たの記録があり、大きな石が沢山あるそうです。未踏査ですが、真言宗関連の地名もあり、一説では風葬の地とも言います。
 死んだ兎を烏がつつき(鳥葬)、残った骨を青大将が丸呑み(蛇葬)で自然は清潔で安上がりです。

やぞー - 2001/05/08(火) 00:50<

誰だろう?

さっき2ちゃんねるの『山窩だそうです』をチェックしたら、
ここのリンクを貼った投稿がありましたが誰だろう?
ここの掲示板のことを思って貼ってくれたのだと思いますが、
あそこのリンクは生きないと思います。
過去に何度かリンクされていたことがありましたが、
一時的にアクセスが増えることがあっても、
書き込みはありませんでした。

サクラさん、こんばんわ。
それにしても色んな本を読んでいますね。
そういえば少し前に隣の村の資料館へ行った時に、
日本オオカミの骨が展示してあって、
写真を撮ってもかまわないというので写してきました。
見たかったらメールで送ります。

サクラ - 2001/05/08(火) 00:38<

朽木

椋 鳩十の「朽木」

目を覚ましてみると今年初めての霜が降りていた。

と始まる椋 鳩十の「朽木」の中の婆を思い出してしまいました。
山の中で生き、オオカミに食べられて死んでいく婆がなぜか心に残っているのです。
貧しく、歯もなく醜い婆のいきざま(死にざま)がなんとも、自然のような気がして、
心惹かれたのです。

やぞーさん、だからオオカミに食べられたいのです。どうせなら....

seburiさん絵本見ました。
      とっても、影のせんがきれいで、むねきゅんものでした。
          好きです。この絵本も...

もんむーさん、
     帰国さっそく読ませて頂きました。
        すがすがしい、気持ちになれました。
またまた、いろんなお話してくださいね。

おミヨさん
「野ざらすの北」 「北・まぼろすの」
相沢史郎の詩集「悪路王」すごくインパクトのある詩ですね。
おミヨさんから教えてもらった、友川 かずきの中也の歌を思い出してしまった。
あの、心にずしんと来るような歌い方を思い出してしまったの。
私も、読んでみたくなりました。

silkyさん、濃尾平野ですか...
       いいなぁ...緑が多そうで...
             あは、でも熊野病には御用心。伝染力が強そうですよ?

やぞー - 2001/05/08(火) 00:09<

おユキちゃん、こんばんわ。
連休中に山へ行って小鳥の巣は見つけることができましたか?
ヤナギムシさんは、街の中でヤマガラの巣を見つけたそうです。

おミヨさん、「鷲の唄」が再版されているんですか。
知りませんでした。
僕も注文しようっと。

silky さん、こんばんわ。
重複していても情報を書いてくれるのは嬉しいもんです。
また何かあったらお願いしますね。

もんむーさん、帰国の解説を読みました。
う〜ん、凄い。
とても良い解説で感心しました。

Donglyさん、僕の持っているのは『鷲の唄』ではなくて、
その続編の『若い月』という本でした。
少し珍しいかも知れません。

Dongly - 2001/05/07(月) 20:25<

鷲の唄

注文しました。もんむーさん、ヤゾ―さん有難うございました。
あの「若鷲の時代」では鷲の唄を発禁にするでしょうね。今も変わ
らないのは検索しても、鷲の唄2−3件に対して若鷲の唄は100件
以上ですから。何を時代から学んだか、学なばなっかたか分ります。
「帰国」など何も害が内容に思いますが、自然の中でシンプルに、
のびのびと自由に生きるのがけしからぬということでしょうか。

もんむー <http://members.jcom.home.ne.jp/mommoo/article/article_001.html> - 2001/05/07(月) 18:49<

解説のようなもの

おミヨさん、みなさん、読んでいただきありがとうございます。

>やはり、そのすじの方なんですか?

いろいろ調べてみたのですが、この作品について言及している資料をみつける
ことができませんでした。

それでも、ない知恵をしぼって、解説らしきものなぞを公開しました。よろし
ければご覧ください。

ピレネー山脈にすむ謎の民、、、ヨーロッパ方面の放浪の民も、興味深いです
ね。スコットランドにもアイリッシュ・トラベラーという種族がいることを、
先日テレビで知りました。かれ等はいろいろな見聞をバラードとして歌い継い
でいるそうです。一度聞いてみたいです。

ではでは


silky - 2001/05/07(月) 18:23<
こんにちは!
やぞーさん、覚えてて下さってありがとうございます。ここのところ、ここの掲示板見てなかったので
あんなこと書いてしまって申し訳ありませんでした。過去ログ見るべきでしたね。

このあいだ、久しぶりに町の図書館に行ってきました。
で、矢切止夫の「サンカ 瀬降り物語」ってのを借りました。
挿絵の中に戦前、ウチの近所の城跡に来てたところのスナップ写真がありました。
ウチは濃尾平野で昔は水郷地帯なんですよ。サンカも船に乗ったりしてたんだなー
と感慨深く書を進めました。しかし、彼の文章は読みづらいですね。
また遊びに来ます。では!

おミヨ - 2001/05/07(月) 13:37<

椋鳩十

鳩十が武蔵小山の家に賊がはいり、調べに来た警官が柱の刀きずをみて「こりゃ秩父サンカの仕業だ!」
と叫ぶ。で、聞いてみると、柱のきずの三日月形は、サンカだけが持つ山刀によるものだという。
その事件以来、彼はいっそうサンカに興味をもち、一方では、ヨーロッパにおける放浪の民、バスク族
をテーマにして書いた、ピオ・バローハの小説にひかれる。鳩十がサンカ小説をかくようになる
きっかけがピオ・バローハの影響とか。
スペイン作家、ピオ・バローハは、ピレネー山麓にすむ謎の民、バスク族の出身で、その自由に生きる
人々の姿をえがいた「バスク」「マドリード陋巷図会」などの作品で、日本のサンカに思いをいたした。
子供の頃にも長野の実家の近くの川原でサンカの父子に出会い衝撃をうけたと。
「鷲の唄」は発売一週間で発禁処分だったそうです。
「椋鳩十の世界」「鷲の唄」「山の恋」理論社出版

「帰国」読ませていただきました。有り難うございました。
やはり、そのすじの方なんですか?



おユキ - 2001/05/07(月) 12:52<

もう朝からうるうるでした

ヒナの巣立ちの写真と文章、
そしておミヨさんのメールを読んだらうるうると泣いちゃいました。
鳥好きだからでしょうか。
あんなに可愛いヒナだったらずっと手元に置いておきたい気持ちは痛いほどわかりますし、
自然の中では無事に育ってくれるとは限らないことを知っての巣立ちは複雑な気持ちだったと思います。
おミヨさんのメールには鳥への愛があふれていてまたうるうるしてしまいました。

donglyさん、こちらこそよろしくお願いしますね。

やぞー - 2001/05/07(月) 00:05<

心にしみたメール

性懲りもなく釣りに行ってました。
11時に戻ったところです。
ふ〜疲れたび〜

seburi さん、絵本見ました。
絵が良くなりましたね。
表現の仕方がいい感じです。
次ぎは、あの絵でどこか不思議で胸がキュンとするような物語りをお願いします。

Donglyさん、鳩椋十「鷲の唄」の本を持っていますので、
なんでしたらお貸しします。

もんむーさん、いつもご苦労様です。
そのページは僕も何度が検索で見つけて読みました。

おミヨさんにもらったメールを読んだら、
なんだかジーンときてグスンときて優しい思いに包まれたような気がしました。
そして心が楽になりました。

メールの一部だけでも紹介さして下さい。

近くに住んで居ればヤマガラとヤゾーさんに
大事に育てるから飼わせてーと
お願いしたかもしれない

でもね
やはり、ヤマガラの幸せは、たとえ短い命であったとしても
家族とともに、熊野の大空、山、川を飛び、遊び、囀りして
人間に幸せをくれているのです。

あんなに我が子をいとおしく大事に育ててきた
ヤマガラの親の気持ちを考えたら
とても籠にいれて飼う気にはなれません。

もんむー <http://www4.justnet.ne.jp/~sinado24/index.htm> - 2001/05/06(日) 23:47<

鷲の唄

Donglyさんの所望のサイト、気になって、必殺Googleで検索してみたのですが、
みあたりませんでした。けれ、こんなサイトを見つけてしまいました。まさか、
ここの関係者ではありませんよね!?

Dongly - 2001/05/06(日) 23:05<

教えて下さい

鳩椋十「鷲の唄」のサイト。印刷したのですが行方不明になりました。
 また彼のことをかいたサイトがあれば、教えて下さい。
「江戸期に代々飛脚の本番宰領の勤めた奈良も物屋・・・本姓・薮野椋十・・・」
 が何処かにありましたが。田山カタイ「帰国」大変面白かったです。やはりの
 その筋の方の作品はナンタッテ、迫力が違いますね。「鷲の唄」はもっと
 ド迫力です。

seburi <http://www4.plala.or.jp/seburi/> - 2001/05/06(日) 22:45<

巣立ち

巣立っていく姿、自然の中の強さを感じました。
人間は、巣立つまで長いです。
仕事をやっても、まだまだ半人前なんていわれてしまいますからね
僕の会社には新入社員はいませんが、そろそろ職場になれてくるころですかね
まだ研修というところもあるみたいですが

話しかわって、ヤゾーさんのところのタヌキは
よっぽどヤゾーさんのことが気になるんですかね〜
うらやましいです。

絵本、新しいの作りました。みなさんHP見てみてください!
ちょっとくらいかも

おミヨ - 2001/05/06(日) 12:51<

「野ざらすの北」 「北・まぼろすの」

相沢史郎の詩集「悪路王」

「野ざらすの北」
さらす 野ざらす しゃれで腐れたブススドゲ
蒼じゃれで さらされで 北さ
風ぬなって 毛たでで とんでぐ悪路王の
首 吠えで 歯むで 毘沙門の腕(けな)かぶづぐ
見ろ 吹ぎっつあらすの 白木峠こえで つる 帰(け)ってぐ
夜明げなど来ねぇって なぎながら 帰(け)ってぐ
そのはるが下で 脚もげで ぶっ転がった 馬の骨
しとりで おれ 反乱
雪 来る

ブススドゲ=とりかぶと  

「北・まぼろすの」
役場がらもらった銭っこで モッキリ飲んですまて
ガガァ泣がれで ぶっ叩えだども
行ぐどこねぇくて 街道端(けどばた)の石さ 尻つえでだけば
公民館の上の しん曲った火の見がら だらーっと ぶらさがった 黒久影
出稼ぎで 片輪ぬなって 西日の中で ボロボロどなってぶらさがた おれの影
アオーン アオーンど 遠ぐがら叫ぶのぁアグロの声
斯られだ首た 北さ向げて叫ぶ アグロの声
ほろびで よれよれど 吹雪(ふぎ)の リンドウ
平(でら)ニ久で 泣久で 追われで おれの 血の中の 冬
こ汚ねぇぐ めめえすて 吐えで まぼろすの手刀 ふるって 世界さ ぶつかる

サクラさん 私は津軽のこの詩集さがしてるぞなー


 

サクラ - 2001/05/06(日) 02:16<

感謝!2

もんむーさん、ありがとうございます。「帰国」大変だったのでは...

このところ、興味あるサイトの紹介が続き、あっちにこっちに、忙しい!!

でも、とっても感謝しています。
ゴールデンウィークの素敵な贈り物です。

やぞー - 2001/05/06(日) 00:03<

感謝!

もんむーさん、帰国の公開、ご苦労様でした。
後でゆっくり読ませて頂きます。
HPも楽しみにしています。

ヤナギムシさんの釣ったアオリイカの写真を画像掲示板にアップしています。
見た感じでは2キロ近くはありそうです。
利田ヤゾウも一度釣ったら絶対にはまること間違いなしです。

もんむー <http://members.jcom.home.ne.jp/mommoo/library/kikoku.html> - 2001/05/05(土) 20:41<

田山花袋「帰国」

田山花袋「帰国」

田山花袋の「帰国」を暫定的に公開しました。
このテキストは私がウェブサイトを開設するにあたって、コンテンツ
のひとつとして入力しました。でも他のコンテンツはまだです。(^^;

チャットでいいふらした手前、あんまりお待たせしてもあれなので
「帰国」だけ公開します。作品の解説などはおいおいしようと
思っています。

お気づきの点がありましたらお知らせください。
でわでわ

ヤナギムシ - 2001/05/05(土) 20:04<

うれしいアオリイカです

へへへ・・
  うれしい経験です 
 初めて、はじめてアオリイカ釣りました
ものすごいパワーでした
   こりゃだれも、はまるはずやわ
あの目玉淡い緑が印象的、腕が痛くなるまでの引き・・ワンダフルです

  みなさんご存知ですか
 イカは、忍者だったんです
  音もなく獲物に忍び寄り触手をのばす
   体の色の七変化これがすごい
    透き通った体が1秒もかからず
  変色するんです
      そして、しめるとき
   空手チョップの一撃・・ひゃーー
    一瞬で真っ白になってお陀仏です

   そして、なんとおいしいの・・最高です
     アオリさん、おいしく食べてごめんなさい

          HAPPY・・ヤナギムシでした      

やぞー - 2001/05/05(土) 17:45<

布衣さん、はじめまして。
Dongly さんのところにリンクしてあったので見せて頂いています。
この国の隠された歴史や被差別民の存在は奥が深いですね。
宜しかったらここのHPともリンクして下さい。
今後ともよろしくお願いします。

silky さん、お久しぶりでした。
そしてありがとうございました。
その情報は少し前にここの掲示板で教えて下さった方がいて、
それ以来頻繁にチェックしていました。
リアリティのある話しで、もし本当の話であるならば、
今後『歴史民俗学』等の研究対象になることを期待しています。

Dongly さん、いつも核心に迫ったお話で感服しています。
『汝自身を知れ』『天国はうちにあり』ですね。

クミコさん、今年の正月の最新情報に載せた写真は大江山から沸き上がった雲だそうです。
よかったら一度見て下さい。

min-min さん、僕も文章を書きながら泣きそうになりました。
あのヒナは本当に可愛いかったです。
もし自然淘汰されたなら、自然(神)に文句言いたいです。

min-min - 2001/05/05(土) 17:05<

感動的巣立ち

ヤゾーさん、とうとうヒナ達が巣立っていきましたね。
画像とヤゾーさんの文を読んでいたら、不覚にも涙だ出そうになりました。(^^ゞ

>しばらくハラハラしながら見ていると親鳥がそのヒナに餌をあげて、やはり鳴きながら誘導して山の中に
>消えていった。無事に育ってくれて、また会えることを祈った。

親鳥か彼らの子供たちが成長したら、絶対、再び、ヤゾーさんの古巣へ戻って来ると思います!

min-min@横浜でした。

silky - 2001/05/05(土) 14:51<
久しぶりに来ました。
皆さん覚えていらっしゃらないと思いますが。
実は、サンカについて興味深いところを発見しました。
なんと、サンカ発見の事実です。しかも場所は韓国。
真偽のほどはわかりませんが、まずはご覧下さい。

http://mentai.2ch.net/min/index2.html#2

布衣 <http://www2.odn.ne.jp/~caj52560> - 2001/05/05(土) 10:48<

八切史観です。

始めまして、八切史観を紹介している布衣と申します。サンカについての考察もしております。
このHPのような形態をあえて取らず、紹介と私の考えのみを書き連ねておりますが、
一度覗いてみて下さい。さすればこの国の隠された歴史が見えてくるでしょう。

Dongly - 2001/05/05(土) 01:10<

己を知る

ことに弱いのが日本人の特徴です。昨年朝日新聞で歴史修正主義に関してのライシャワー研究所の教授が書いた文を読まれましたか。私のやってる事は彼の要請に日本から答える多分唯一の物でしょう。これ驕り。
ヤゾーさん 利田さん サンカなど「自分の外部の見果てぬ恋人」をいっています。悲しいけど、いつかは別れる定めです。本当に身も心も捧げたいのは「自分内部にいる恋人」です。
クミコさん 熊野BBSでいうとヤゾーさん。ぬれわらじは身元引受人です。その時貴方は、来り人・走り人。恐らく入君と呼ばれるはずです。
min-minさん 江戸期まではオロッコ・アイヌ・和人など。明治期以後は東北諸藩からの流人・屯田兵・網走番外地・狭義の同和部落・サンカなどが北海道史の核心です。市町村史は蔭の歴史のりませんから、何も知らぬ道産子です。地名漢字の実地調査をしてみましょう。アイヌ語源はお茶のみ話の話題としては最適です。ご存知の通り、囚人という意味の炭鉱も閉山しました。Time紙も不正確です。現在では、社会の端など、飛んでも八分彼女に接吻で、ど真中、新聞の一面の主流中の主流、サンカ系○○が正しいようです。
サクラさん 七福神のサイトを見ても何も分りません。占いだけは当る部分もあるかもしれません。クイズだけは、何か当るかも知れず、もっとメリットがあるでしょう。

やぞー - 2001/05/04(金) 23:48<

ヒナが巣立ちました

みなさん、こんばんわ。
少し前に釣りから戻りました。
今日の釣りはヒナのことが気になって全然楽しくなっかったです。
釣れるのはウツボばかりだし、そのウツボをみて余計にヒナのことが心配になったりして。
詳しくは明日にでも写真と動画を交えて報告します。
なんだか疲れたのでもう寝ます。

クミコ - 2001/05/04(金) 20:38<
donglyさん 濡れ草鞋を探がして下さい の意味良く解らなくて・・・

クミコ - 2001/05/04(金) 20:27<
ヤゾ−さん、おミヨさん覚えていてくれて嬉しいです。
私自身も、まさかこんなに早く仕事やめられるなんて思ってもいませんでした。
少しここのHPのお陰かもしれません。

大江町は以前日帰りでしたが行ったことがあります。確かに気になる土地です。
大江山のふもとに、皇大神社があり、元伊勢神社とも言われています。
なんでも アマテラス大神の魂が各地を流浪したと言う伝説があり、伊勢におちつくまで、霊域を転々としたそうです。
この神社のそばにもやはり磐座があってかなり古くからの霊域だそうです。
この時の旅も本当に不思議で始めは出石に行く予定にしていたのに、ついたのはこの神社だったのです。
今度は自分の意志でもう一度行って見ますね!

min-min - 2001/05/04(金) 09:17<

事故レス

みなさん、こんにちは。min-minです。

昨夜の発言、
>彼女にとっては小さな甥や姪たちにあたるわけです。
で            
小さな「甥や姪」じゃなくて「弟や妹」の間違いっすね。ごめんなさい。<(_ _)>


ヤナギムシさん、釣果はいかが?
アオリイカ、40cm級!スゲェなぁ〜。。。

サクラ - 2001/05/04(金) 01:26<

そして、やっぱり熊野病

やぞー大家さん、
危険に敏感なはずの野生動物は、優しさにも敏感なのかもしれませんね。

利田やぞーやおミヨさん、やぞーさんたちのレスを見てて、こんなに重い病にかかりました
でも、この病はやせないねぇ。

この病に七福神まわりが利くとは知りませんでした。
でも、七福神回りをしたら、ますます重くなったりして...(^^)
どうも、keijuさんの曲もますます熊野病には拍車をかけるみたいです。

おミヨさん、そこに飛びますか! 続、情報お待ちしています。

min-min - 2001/05/04(金) 01:18<

RE:Social Outcasts

Donglyさん、こん**は。

>3月2日付けです。英文の好きな方読んで見て下さい。
>http://www.time.com/time/asia/news/printout/0,9788,104138,00.html

記事は「TIME Asia」の5月3日(水)付の記事ですね。
英文は全然好きじゃありませんが、読んで見ました。いや〜、驚きますねぇ。
ある程度メジャーな英字雑誌に「部落民」のことが載るなんて。たいして英字紙
を読むわけではありませんが、初めての経験です。

僕自身は札幌生まれの札幌育ちをしていますので、身近に「同和問題」なるもの
が存在するのはこちらに出て来て初めて見聞きしました。北海道だと先住民族で
ある「アイヌ差別問題」だけでしたから。
記事の中でかの巨大掲示板である『2チャンネル』についても紹介しており、
「部落民」を差別・被差別、双方の側から公に論じている(中味の程度は別にし
ても)のはここだけか、とも述べてますね。
僕が2Chを知ったのはつい最近ここのBBSのおかげ?ですが、正直いって全く
“知性”と“品性”にかける論争と呼べない論争にウンザリしてしまいました。
匿名でなければこの問題を敢えて語る日本人は少ないということでしょう。

古今東西、民族同氏の差別というのは“似たものどうし”の場合が一番陰鬱で
激烈に行なわれるのが常です。
最近に事例でいくと、アフリカはウガンダのツチ族とフツ族の問題。あるいは
コソボ紛争によるアルバニア系とセルビア系住民との衝突。これらの人々は
我々外側から見るものには見分けがつきません。

そして「部落民」問題なんていうと民族問題どころか同族内問題。誰が何故、
どのように差別するのかすら分からない差別。だからこそ更に執拗な差別が
なされるのでしょうか?これ以上近いもの同士の差別はこの世に見出せない
でしょうから。。。
                         min-min@横浜 

min-min - 2001/05/04(金) 00:40<

やっぱり大家さんだ!

>min-minさん、親鳥にはとっくに見つかっています。
>でもあまり気にしていないようです。

ということは、ヤマガラもヤゾーさんのことを大家さんと認めているんですね。

普通、野鳥の子育てって、自分の巣に近づくものに対してはどんな相手にも
立ち向かうはずですし、ましてや巣をイジラれたら子育て放棄しません?

不思議な気持ちですねぇ。ヤゾーさんて「Something special」な“波動”
をお持ちなのでは?

>どうやら、ヤマガラのヒナの面倒をみているのは、つがいの2羽だけでないみたいです。
>4羽くらいで面倒をみているような気がします。

もしもこれが事実ならば、まるでキタキツネの子育てみたいですね。
キタキツネの場合、先に生んだ子供、特にメスが面倒をみるんですね。彼女にとっては
小さな甥や姪たちにあたるわけです。
そういえば、シャチの家族が同じような行動をしてましたっけ。
でも、こんなことが鳥類でもあるなんて・・・。

                           min-min@横浜


利田ヤゾー - 2001/05/03(木) 23:59<

コンナ具合にナッチャッタ

>サンカの存在を知った時に、魂も細胞の一つ一つも震えるような喜びを感じました。
>それでこうなっちゃいました。

僕は、何か「使命」のような物を感じました。
「お前も、このような生き方をしろ!」あるいは
「サンカを埋没させてはならない」

の様な感覚です。

で、こんな具合にナッチャッタ。

やぞー - 2001/05/03(木) 23:40<

吉報

今さっきヤナギムシさんから電話がありました。
南紀の磯で胴長40センチのアオリイカを釣り上げたとのことです。
とても嬉しそうで、聞いている僕まで何だか嬉しくなりました。
明日の明け方まで釣りをするそうです。
これでまたイカ釣りバカが生まれました。

ヤゾー - 2001/05/03(木) 23:24<

新しい発見

>バリバリの$#(’”!=&$だったら

またまた気になって仕方のない話しです。
21世紀と向かい合っている?
う〜ん分った。バリバリの宇宙人でしょ。
えっ違う。では○○○○○教の信者というのはどうでしょう。

>大江山の鬼←別所者←俘囚。鬼は時の政府にまつろわぬ別所の者で、大拠点は中世まで熊野です。

その鬼で有名な大江町が日本で一番清浄な土地であるとの話しを信頼できる方から聞いたことがあります。

>利田さん 己は何者か?多くの日本人がそれが知りたがっています。
>それを知れば皆、身も心も震えて、必ず変わります。

サンカの存在を知った時に、魂も細胞の一つ一つも震えるような喜びを感じました。
それでこうなっちゃいました。
いいんだいいんだ、ぴーちゃんもタヌコもいるから。

>差別と逆差別の優れた温床になっている事に無関心です。

差別をするから逆差別が横行し、それを見てまた差別するという悪循環。
結局、得するのは誰だろう?

>Social Outcastsの記事

Donglyさん、凄い情報網ですね。
2ちゃんねるは、
なんらかの意図があってあのような差別ネタをだしているみたいですね。

おミヨさん、いつも貴重なお話をありがとう。
なんだかとってもリアリティのある話しですね。
戦国時代だけでなく、すべての時代で、
賤民とされた人々の底辺と成り上がった者を描くことができたら、
それこそ真実の歴史なんでしょうね。

>辞める辞めるといいながら勤めている私はオオカミ少年。

おミヨさんが仕事を辞めたら誰がピーちゃんの面倒をみるんだっちゃ。

今日、新しい発見をしました。
どうやら、ヤマガラのヒナの面倒をみているのは、つがいの2羽だけでないみたいです。
4羽くらいで面倒をみているような気がします。
兄妹が親鳥の助けをして面倒をみているのかな? そんなことってあるのかな?
誰か詳しい人がいたら教えて下さい。

Dongly - 2001/05/03(木) 19:56<

Social Outcastsの記事

があります。3月2日付けです。英文の好きな方読んで見て下さい。
http://www.time.com/time/asia/news/printout/0,9788,104138,00.html

おミヨ - 2001/05/03(木) 13:26<

「サンカと源氏武士は同祖同類」

木陰衆の謎と木下藤吉郎の素性
木陰弥衛門ー木陰は因幡の忍び、素破者の集団である。その伝説的来歴によれば、建久四年(1193)
八月十七日、伊豆修善寺において悲惨な最期をとげた源範頼ー源義朝の六男で蒲冠者と呼ばれた彼は、
平氏討伐後九州にとどまり、その経営に苦心したが、のち、兄頼朝に疑われ、伊豆へ閉じ込められた末
自殺したか、あるいは暗殺されたと、といわれているが、範頼は死の直前、鎌倉の”隠れ里”の素破頭
九十九源兵衛の手で救われていた。
源兵衛の娘ヒエン(飛燕)とその弟トギリ(戸切り)らが範頼を連れ出して因幡へ走った。因幡国
八頭群河原と郡家とにまたがる霊石山の最勝寺が範頼の隠れ家であった。和銅三年(710)行基上人開基
と伝える最勝寺は霊石山の中腹にあり、山頂には天照大神が西征の途次しばらく住居した跡と伝えられる
草原があって、いつの頃からか「伊勢ヶ平」と呼ばれ、そこにある三個の巨石を「皇居石」と称していた。
その伊勢ヶ平は九十九源兵衛ら”渡り素破”の祖が衛士をつとめたといわれている聖地で、いわば源兵衛
らの第二の故郷であった。
範頼は最勝寺に入り、教頼法師と名乗った。
ヒエンは範頼の子を生み、男子はひそかに源氏を称し、表向きはヒエンの住む土地の字名、木陰を姓として
用いた。
これが因州スッパの持つ伝説で、この木陰衆から木下藤吉郎秀吉がでたという噂。
九十九源兵衛の祖は信州八ヶ岳のサンカ首領十弥放士(トミオジ)の一族であり、九十九は関東一円、
九十九谷からとったもので、その九十九谷のそま族の長をつとめていたという。
しかし、源兵衛が出生したところは、大和葛城山の西域に広がる茫々たる沼沢地ー河内の一隅だった
ともいう。いわゆる河内サンカの棲息地域で、その地域から「河内売薬師」とよぶ素破者が出、散所
の長といわれる楠木正成がでている。つまり、木下秀吉は河内素破と因幡素破との血をひく純然たる
素破者であった。木下姓も木陰がてんじたものであろう。杜山 悠(戦国合戦陰の一族のなかより抜粋)

クミコサン しばらくです。
不言実行、じぶんの信念にしたがって行動されるなんて凄いですね。
辞める辞めるといいながら勤めている私はオオカミ少年。
                             

dongly <http://hb3.seikyou.ne.jp/home/h-tatsuta/> - 2001/05/03(木) 12:56<

皆さんもう食べました?

おユキさん 「ヒナちゃん可愛い」 ヒナ=鄙=田舎者=私?! よろしくお願いします。
おミヨさん ちゃん=1)佐渡ケ島北岸・栃木・鹿児島開聞町で父。2)近世後期下層語で父。3)大阪都島橋下の乞食集落の親方。ドラ焼とオデン屋を営業。4)徳島板野町で金持の娘。5)大正期に巡査。津軽弁で5)の意味が最古かも。大五郎の場合は2)か3)でしょう。私のQの隠された意図は別ですが。
クミコさん 候補地は沢山ありますがシガラミも必ずあります。若者が「江戸へ東京へ草木(庶民=賎民のこと)もなびく」理由です。田舎の金持はシガラミの上でのんびりです。まず濡れ草鞋を探がして下さい。
ヤゾーさん 大江山の鬼←別所者←俘囚。鬼は時の政府にまつろわぬ別所の者で、大拠点は中世まで熊野です。東大にある古文書を活字に変換完了まで百〜二百年所要といわれ、素直に公開しても日本成立歴史はその後です。『一人ひとりの日本人史解明』の最速・凄速の方法は、野史呼び名辞典からのスタートです。
 八切止夫が言うように温石はサンカに関連する場合があります。 
利田さん 己は何者か?多くの日本人がそれが知りたがっています。それを知れば皆、身も心も震えて、必ず変わります。被差別部落の歴史的研究も、同和教育も、差別と逆差別の優れた温床になっている事に無関心です。研究の思想とパラダイムの貧困さにあるようです。また同和政策が意図に反して、そのような事態を増幅してきました。微力ですがNonアカデミズム野史研究会は、かかる研究をしています。  

利田 - 2001/05/03(木) 02:19<

どうしますか?

結婚を考えていた彼女が
バリバリの$#(’”!=&$だったら
どうしますか?

私のためらいは爆発しそうになり、
いかにも21世紀と向かい合っているようだ。

「在日」「箕直し」「箕作り」だったら大歓迎。

「部落」「シノガラ」なども気にしない、気にしない。

でもね、チョット、待ってよ!!

と言う出来事に最近遭遇して滅入っています。

「歴史民俗20」みんな買えよ。


やぞー - 2001/05/03(木) 00:05<

懐石料理と温石

クミコさん、お久しぶりでした。
う〜ん、凄い。
僕はまだ行ったことがありませんが、
大江町には何かがありそうです。
これからもよろしくお願いします。

>差別という形の関心を日本人史への知見に引上げるべきです。

そうですね。
アジアの平和の為にも日本の成立等の歴史を明らかにするべきだと思います。

おユキちゃん、min-minさん、こんばんわ。

おユキちゃんも見れるように最新情報に新しいヒナの写真を追加しました。
min-minさん、親鳥にはとっくに見つかっています。
でもあまり気にしていないようです。

おミヨさん、新しいヒナの写真の短い尾羽がなんとも可愛いでしょ。

利田ヤゾウ、たまにはここにも顔をだしてほしいぞな。

茶席で出される料理のことを懐石料理といい、もともと懐石というのは寒さをしのぐため、
禅僧などが熱した石(温石=おんじゃく)を布でくるみ、これを懐に入れたことに由来します。
それで懐石料理とは腹を温めるほどの軽い料理という意味です。

クミコ - 2001/05/02(水) 22:01<

ついに自由の身になれました

以前 2回ほどお邪魔しました。クミコです。
古代に導かれ 自然に憧れながらもなかなか世間のしがらみから離れられないでいましたが、とうとう仕事を辞める事が出来ました。これから なんとか魂の故郷を探しにでたいのですが、全く手がかりがつかめません。いわゆる、就農という感じでもない。できれば仙人のような暮しをしたいのですが、・・・
地域は今のところ、奈良から和歌山三重岐阜あたりか北へ向かうならば、丹波 丹後あたりかしら?
どなたか ヒントになる地名(できるだけ具体的に)教えて頂けませんか?

おミヨ - 2001/05/02(水) 21:12<

こんばんわー皆様

Donglyさん
大五郎が父親のことを「ちゃん」とよび、我々が○○ちゃんとよぶ、この「ちゃん」と何か関連が
あるのでしょうか?
うちのインコは「ぴーちゃん」の一言だけ覚えていて、朝から晩まで自分の名前を呼んでいます。
しかも東北なまりです。なぜだ!!

温石という石があるのですか?ただの石を暖めてホカロンがわり使うのを温石と思っていました。

シノガラ・チーズと「未知との遭遇」果したい。後ほど注文します。その時はよろしくお願いします。
ちなみにラーメンは北海道より九州好みですー。
よっそー「吉宗」の長崎ちゃんぽん、茶碗蒸しも美味しい。

ヤゾーさんは今日も巣箱のなか覗いたでしょうか。

上高地も車ははいれないようになっています。
どんどんこんな所が増えるといいですね。

サクラサン、謡子さん、おユキちゃん、GWはお出かけですか?
GWのGはごろごろのGWの人もいらっしゃるかしらん?

利田ヤゾウは頭に鉢巻して頑張っておられるでしょうか?









min-min - 2001/05/02(水) 17:32<

メロメロ

の大家馬鹿、ヤゾーさん、こんにちは。

ヒナ達の可愛らしい画像ありがとう。(^^)/
画像を見てもこの可愛らしさがひしひし「と伝わるんですから、実物を見たら
一体どんなに可愛いことでしょう!

日に何度も覗きたくなる気持ちは分かりますが、これもほどほどにしないと
ヤマガラの親に見付かったら大変っすよ。こりゃ、やっぱ親馬鹿やぞー!(爆)
いつころ巣立ちするんでしょうね?その時が来たらヤゾーさん、泣いちゃいそ
うだなぁ〜。でも、しっかり育って巣立ちしてほしいですよね。

            でわ、でわ。 min-min@横浜、まだ会社でした。

Dongly - 2001/05/02(水) 13:41<

アレが入りました

おミヨさんの大好きなアレ送ります。頭の黒い鼠にやられました。頭は天然茶色ですから私鼠ではないのです。野史研究ご注文のアドレスを保存してませんでした。もう一度お願いします。サンカチーズはイボロ・チーズか鉢屋チーズの方が古くて歴史を食べてる感じ、近年ではシノガラ・チーズの方がよいかも知れません。福岡久留米市の公務員Kさん宅は、本陣でも大商人でもないのに、なぜか20近くの部屋があります。シノガラの可能性があるといいます。今年久留米に博多ラーメンより絶対美味い本場とんこつ(屠殺場)ラーメンを食べに行きますから、Kさんあのサンカ温泉で秘密こっそり教えて下さいネ。

おユキ - 2001/05/02(水) 12:54<

山に行って

ごぶさたしてます、おユキです。
ヤマガラのヒナちゃん、本当に可愛くて何度も写真みました。
姉妹サイトの写真もとっても可愛いくて大好きです。
連休中に近くの山に行って小鳥の巣を見つけて観察してみたくなりました。
見つかるといいな。
Donglyさん、やっぱりヒナはちゃんの方が可愛いです。

Dongly - 2001/05/02(水) 02:00<

お元気そうですね

Seburiさん 石ですが温石(おんじゃく)の産地ご存知たったら教えて下さい。故小渕首相の出身地秩父には温石が出たという話があります。保温用の石ですが、一回焼肉に使ってみたい石です。
謡子さん 癒す=賎し=卑し 成る程、いい得て妙です。それは働き過ぎの者の特権です。確かに山子さんの言うように毎日感動してれば癒しは必要がないのかも。やっぱし完全燃焼してこそ人生。不完全燃焼なら「熊野病」。文献には未見ですが「熊野病」はサンカ筋に多い×病で、程度により七福神参りが有効です。
もんむーさん 2chでしょう。印象では年配の者も参加してる様子で、やはり社会教育の必要を感じます。リーダーなき現代社会の反映では。人権版を見ましたが差別よりも、同和教育の思想・枠組みの貧困さが混乱と差別を助長しています。差別という形の関心を日本人史への知見に引上げるべきです。二千年来の差別史を、民主主義や平等概念で乗り切る事は不可能です。その鍵は差別する側の知られざる歴史です。
ヤゾー・おミヨ・さくらさん かわゆい花や動物の事。「ちゃん」付けでよびますか?旦那は君づけで。

やぞー - 2001/05/02(水) 00:07<

大家馬鹿

ここのところヒナちゃんに首ったけ状態です。
巣箱を覗くのを1日に一度だけにしようと決めていたのに、
あまりにも可愛いので何度も覗いてしまいます。
せっかく生まれた可愛いヒナが蛇やネズミに襲われないかと気になって留守もできません。

あの無垢でつぶらな瞳をパチクリさせながら見つめられると、
なんともいえない幸せな安らぎを覚えます。
思わず脚立の上で寝てしまいそうになりました。
(子供の頃に子犬や小鳥と遊んでいると何故だかよく寝てしまった)

本当に可愛くていつまでも見ていたくなります。
そんなことで、ついヒナの写真を写してしまいます。
あかちゃんが生まれて執拗に、「どうだ可愛いだろう」と写真を見せる親馬鹿の心境でしょうか?
僕の場合は親馬鹿ならぬ大家馬鹿だ〜い。


>私は昨日、「目玉オヤジ」みたいな花を見ましたが・・。

へぇ〜、どんなんか見てみたいです。
ちなみに僕はカマキリが怖くて苦手です。

>今時の若い連中は車で横付けできる所でなけりゃそうそう行かんですから、
>未来永劫、道路なんぞ造らないで結構。

世の中が便利になるにつれ、人は本当に、多くのものを失いましたからね。


姉妹サイト【Kumanolife Photo Gallery】がようやく繋がるようになりました。
更新して新しい動画を追加しています。

min-min - 2001/05/01(火) 16:57<

縄文杉

みなさん、こんにちは。min-minです。GWいかがお過ごしでしょうか?

僕も『縄文杉』のテレビ番組みました。もう圧倒的な存在感でしたねぇ。実物を前にしたらどんなんでしょう?と思っていたら会社の同じフロアーにいる女の子が“新婚旅行”で屋久島へ行き、くだんの縄文杉も見てきたよ〜って今日会社に出てきて言っておりました。残念ながら写真は未だ出来上がってないということで見ることはできませんが。
彼女曰く、縄文杉のある場所までかなりきつい道程なんで若い人が多いのかな、と思っていたら自分達以外は年輩の方々ばかりだと驚いておりました。
ま、今時の若い連中は車で横付けできる所でなけりゃそうそう行かんですから、未来永劫、道路なんぞ造らないで結構。

それにしても秀吉の時代から本格的に屋久杉の伐採が始まったとは知りませんでした。江戸時代の過酷な“年貢取り立て”に代わる杉の伐採。屋久島の人々の無念さがわかりますねぇ。だって川を渡るときだって山の神様を驚かさないように「こほん」と小さく咳払いするような信心深い人々なんですから。
「辺境にこそ社会の矛盾点が噴出する」と喝破した作家、船戸与一が言う通り、屋久島も“収奪される者達”の運命に逆らうことは出来なかったんですね。

でわ、でわ。min-min@横浜でした。会社に出てきたものの、電話もかかってこないなぁ。

謡子 - 2001/05/01(火) 08:15<

妖怪

動物もヘンだけど、昆虫とか、草花にも う〜ん と唸って見入ってしまうようなヘンなのが何気にありますよね。
私は昨日、「目玉オヤジ」みたいな花を見ましたが・・。
カマキリなんかも、あの顔と動きが不思議で見ていて飽きませんし、そういえばサクラさんとドライブしてるとき
不思議なサボテンのお化けみたいな木をみつけたので、いきなりガガガっとバックして助手席のサクラさんに 「なにこれ?」 と
指差して尋ねたんですが、物知りサクラさんもご存知なかったのでした。
見回せば、かなり変てこりんで面白いものたちに囲まれてますね。人間もだけど??
こういうこと考え出すと、水木しげる の妖怪の本とか読みたくなるんです。えっ??ちがう?

やぞー - 2001/05/01(火) 01:00<

絵本みたい

ここにいるタヌキは僕がパンを持っているのを知ると、
のそ〜と近付いてきます。
それで、つい『お手』と言ってしまいますが、
その声で逃げてしまい、また直ぐにのそ〜と近付いてきます。
最近では、明るいうちからその辺を飛び回っています。

Seburiさんの『絵本』もっと見たいです。

seburi <http://www4.plala.or.jp/seburi/> - 2001/05/01(火) 00:50<

HAPPYになりたい

ヤナギムシさんお久しぶりです。
NHKなる放送局でマタギの出た番組見たかったです。

みなさん、「愚人の草庵」におこしいただき
ありがとうございました。
あんまり更新できませんがこれからもよろしくお願いします

ヤゾーさんのとこのタヌキかわいいですね〜
僕が今住んでるところにも、ときどき出ますよ
ジーっとこっち見ていているんで、友だちになろうと近づくと
パーっと逃げてしまうんです。(;。;)
ヤゾーさんのとこのタヌキくんたちは、どうですか?
僕は、本当に友だちになりたいんですが…

やぞ〜^^ - 2001/05/01(火) 00:29<

皇帝ペンギンは面白かった

テレビで皇帝ペンギン見たけど、なんか変。でも凄い。
地球には色々な生き物がいるんだなあ〜と感心しました。
動物を見てると頭ではなくて本能に訴えるものがありますね。
ヤマガラやタヌキばかり見てると、
なんていうか難しいことを考える気がしません。
というより考えられません。
ということで難しい話はふらないでね。

おミヨさんが書き込むとなぜか賑やかになるなあ。

ヤナギムシ - 2001/04/30(月) 23:02<

熊野病

ええ薬・・・効きますのかいな・・
   効きます・・熊野病にええ薬は・・・チャットキク
             夜寝る前に、少量のアルコールで服用ください
         いやな思いもすべて、忘れさせてくれます

       副作用・・・なんども・なんども飲みたくなり
              寝不足になります
               

謀・・NHKなる放送局でマタギの出た番組がありました
    AM8:30からでした
   久しぶりになんか、HAPPYになりました
     みなさん、GWどこえもいかず・・ですか
       お気の毒・・ですね・・

もんむー - 2001/04/30(月) 22:44<

場の力ふたたび

おとといの私の書きこみはちょっと舌たらずでしたね(^^;)

というのもここ2,3日、某低俗掲示板の過去の書き込みなぞをチェックしていたら、
ほとほとうんざりして、なんとなくここを見たらなんかほっとして、思わず書
き込んでしまったのでした。

たしかに有用な情報はあるけれど、あの場所の精神衛生の悪さはどうしようも
ありません。

現代のリアルな情報のあり方って、ホントにあれなんでしょうか?

山向こうからやってくる行商人とのおしゃべりとか、旅籠の囲炉裏端で語られ
るよもやま話とかで、人生が学べるのなら、絶対そっちのほうがいいと思うの
です。

「ひじろ(囲炉裏)にゐて焚火の燃えるのを見つめてゐると何か話してゐるやう
だ。うれしい時も切ない時も焚火をかきたててゐれば心がやすまるもんだ。
わっしは小学校にも上らなんだ。なんにも知らんぞい」

ある山人の言
長尾宏也「山の隣人」より

謡子 - 2001/04/30(月) 21:22<

癒し・・

おミヨさん、seburiさん サクラさん こんばんは。

>どんな安らぎの言葉をならべたてても、このヤマガラの子育てや、タヌコの一枚の写真ほどの
> 癒しにはならないとおもう。

同感。私もそこに本当の癒しがあると思います。癒しブームのこの頃、巷では「癒し」の大売り出しですが、
ひねくれ者の私は、どうもナナメに見てしまいます。作為された癒しはなんだかこわいです。うさんくさいっつーか。
でも動物とか自然とか、自然を内包した芸術には確かな癒しの力があると思います。
山折哲雄さんが、『今やたらと癒しを求めることが多いが、「癒し」 は 「卑しい」 につながる、大切なのは他に癒しを求めることでなく、
自ら感動すること、一人称で感動することだ 』 と言っておられたと思います。これよねぇ。やっぱ。

昨夜、遅くまでseburiさんのHPにひたってました。ステキですねぇ。佳き時間でした。ありがとうございました。
私も石が好きです。握れるような小さな石ですが・・。
そして「無能の人」という映画を思い出しました。好きな映画です。

さくら - 2001/04/30(月) 20:18<

いつの世も

大本教4代教主、死去の記事あり。
5代目は紅さんとか...

明治ならぬ昭和も遠くなりにけり...

でも、
縄文杉も、
ヤマガラの子育ても、タヌキさんの愛らしさも、
変わらないものもが心を安らげてくれますね。

seburiさんのHPのぞいて、なんか絵本に見入ってしまいました。

おミヨ - 2001/04/30(月) 19:28<

一枚の写真

どんな安らぎの言葉をならべたてても、このヤマガラの子育てや、タヌコの一枚の写真ほどの
癒しにはならないとおもう。
動物すべての子育てには感動するものがありますね。
タヌコの動画もころころ太っていて可愛いー
ヤゾーさんの愛情に育まれている感じがします。
いまさらながらに、自然に囲まれた生活が羨ましいぞな。

seburiさんしばらくでした。
屋久杉私も見てました。
樹齢7200年の縄文杉、根回り43メートル世界最大最古の杉とか、また、樹齢3000年の紀元杉
1000年を超える杉ナドナド自然の脅威ですね。ヒョイと古代人でも出てきそうな雰囲気があります。

ここの方達の情報や書きこみ
毎日最低一回は開かないと、いまや落ち着けない程の存在になってしまいました。
魅力とは、他の人に具わっている特質で、これにふれると、自分自身がいっそう満足できるような
気持ちにさせてくれます。








ヤゾー <http://www.kumanolife.com/realsystem/index.html> - 2001/04/29(日) 23:45<

ヤマガラの子育て

ヤマガラの子育ては大変です。
雨が降ってもヒナには関係ないので親鳥に餌を頂戴と催促します。
親鳥は雨の中を飛び回って虫を探してヒナにあげなければなりません。
雨の日は虫を探すのが大変なのか、晴れている日に比べて餌を運んでくる間隔が長いようです。
なんだか親鳥の毛艶も悪いし疲れているみたいです。
あげられるものなら栄養ドリンクでもあげたいと思いました。

タヌキの動画が見れなかったとサクラさんに教えて頂いて、
手直しして見れるようにしたものの、あたらしいHPのサーバーの調子が悪いようで繋がりません。
それでこのサイトでもタヌキの動画が見れるようにしました。
苦労して写したタヌキの動画を是非に見て下さい。
でないと愚れてやる。

ということで『愚人の草庵』見ました。
なんだか立派に見えて石も喜んでいることだと思います。
小鳥もタヌキも好きなSeburiさんも是非にタヌキの動画を見てね。

>しかるべき人や情報を招き寄せるということは、なんとなくわかるような気がします。

もんむーさん達の貴重な情報等の書き込みが呼び水となっているのだと思います。

seburi <http://www4.plala.or.jp/seburi/> - 2001/04/29(日) 22:09<

ヤゾーさんの石

こんばんわ
ここは、久しぶりです。seburiです。
ヤゾーさんメールありがとうございました。
先週、「世界ふしぎ発見」で屋久島で生活していた人々をやっていました。
生活をするために木を切り、決して森に対する敬いを忘れなかった人々の
歴史の話をやってました。
とくに僕がおもしろく思ったのは、昔から屋久島の人たちの間では
川は、神様のひと休みする場所だと信じられていたため
川を渡るときは、「今からここを渡りますよ」と神様をびっくりさせないようにと
小さい咳払いをしてから、川に入ったそうです。
なんとも、ほほえましい神様に対する心配りだと思いませんか

ヤゾーさんの送って下さった水石の画像を「愚人の草庵」の迷石のページに
掲載させていただきました。迷石ではなく水石ですがお許しください。

愚人の草庵
http://www4.plala.or.jp/seburi/

もんむー - 2001/04/29(日) 00:12<

場の力

あまり超常現象とか信じないほうなんですが、場の雰囲気とか力が、しかるべ
き人や情報を招き寄せるということは、なんとなくわかるような気がします。

そんなことを思い期待しつつ、日に何度もここを覗いてしまう私なのです。

ヤゾー - 2001/04/28(土) 07:23<

裏面史

といってよいのかどうか分りませんが、
釣りから帰ってみれば、とても重要な書き込みが2件。

はじめまして、名無しさん。
そして貴重な情報をありがとうございました。

もし、その話が本当のことでしたら、とても悲しいことであり、
そんな事実を、そのまま闇に葬っておくことは、この国の為にも良くないように感じました。

利田ヤゾウはどう思われたのだろう?

それと名無しさん、あなたにサンカに対する愛のようなものがあるように直感しました。
名無しさんではなくて、これからもサンカして下さい。

Dongly さん、つい昨日、遊観さんという方から神代文字のことやら本居宣長の話をチャットで聞きました。
Dongly さんもいれば面白かったと思います。
遊観さん、是非に掲示板にもお越し下さい。

夜釣りには少し早かったみたい。
寒かったです。
では、おやすみなさい。

名無し - 2001/04/28(土) 00:12<

山窩関係の情報

http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=kokusai&key=988376739

上のURL一度アクセスして下さい。
韓国で山窩の末裔と会った人の話です。

削除パス:1234

Dongly - 2001/04/27(金) 21:37<

神代文字・秀真文書の

フィルムが富士銀行地下金庫に保存、のニュースです(1998年「ホツマ」)。昭和44年頃東北岩瀬郡二俣の大丸旅館の八百年来の開かずの棟から、宮内庁が漆塗りの大櫃に入った大量の古文書を持ち帰り、四千米のフィルムにした。宮内庁役人の他、京大・奈良女子大やある工業大学の教授達が立会あるいは解読とあります。当主の佐藤家は千二百年前からの木地挽の家柄。宮内庁殿、情報公開の対象です。
http://asyura.addr.com/sora/bd/msg/123.html
広島藩で見つかった和紙6枚綴りの神代文字文書。神代文字を本居宣長は否定、しかし彼の弟子が携帯した逸品、6種類の神代文字の一覧表です。否定しながらも研究する価値があったのでしょうか?
http://hb3.seikyou.ne.jp/home/h-tatsuta/


やぞー - 2001/04/27(金) 16:41<

ゴンやぞー海に行きます

性懲りもなく『はじめ人間ギャートルズ』のごとく、

今から海に狩猟に行ってきます。

はじめ人間ゴゴゴ〜ンて!

謡子 - 2001/04/27(金) 00:08<

ふむ・・・

ヤゾーさん・・
奇遇ですね。私も今日、友人の家で出してもらったお茶の・・切り株みたいなコースターに
『はじめ人間ギャートルズ』に出てくるご馳走・・マンモスの足をひとり思っておりました。

ヤゾー - 2001/04/26(木) 23:30<

神代文字

ヤナギムシさんサクラさん昨夜は遅くまでご苦労様でした。
昨夜、久しぶりにヤナさん、サクラさんとチャットをしていたら、
初めての方が入室してきて神代文字のことなどの話しを聞きました。

そこで下関の彦島で古代文字『ペトログラフ』を発見した
吉田信啓氏の本の裏に書いてある文章の中でサンカに関係したものを紹介します。

◇神代文字、豊国文字の原点だったペトログラフ
◇オーガム文字は日本の山窩縄文学から誕生

岩刻文字『ペトログラフ』が発見された当初、
解読を試みた結果、サンカ文字で解読できたとのことです。

謡子さん、お神楽情報ありがとうごさいます。
椎葉村・尾手納神楽というあたりが惹かれます。

>現代にこぼれおちた「はじめの世界」というか・・。

『はじめ人間ギャートルズ』の

なんにもない なんにもない まったくなんにもない
うまれた〜、うまれた〜、星がひとつ〜
くらい宇宙に〜小さな星が〜うまれた〜
星にはよるがあり〜そして〜あさがおとずれた〜
なんにもない大地にただ風が吹いてた〜吹いてた〜

の歌を思いだしてしまいました。

謡子 - 2001/04/26(木) 08:52<

お神楽情報

京都で秘境の神楽がみれるらしいです。神楽はそりゃ、現地でみるのがいちばんだと思いますが
九州の山奥まで、そうそうみにいけませんよね。これは魅力的です。
ちょっと古代の時間を感じることができるかもしれません。現代にこぼれおちた「はじめの世界」というか・・。
興味のあるお方はぜひぜひ。

●5月12日(土)14:00, 13日(日)13:00 ●仁和寺・観音堂 
●出演/椎葉村・尾手納神楽(宮崎県)
●内容/尾手納神楽(国指定重要無形民俗文化財)の実演・解説
■料金/無料(事前申込制・100人) *当日参加は立見席。

謡子さんは仕事の都合さえつけば、もちろん行きます。
しっかし私、最近かなり遊び方が変わってきたなぁ・・・。この頃は ひきこもり状態でイベントもLIVEもなんにも行かなくなっちゃって・・。
っで、たまに出かけたら神楽かい?おばんくさ〜。
・・・ でも、神楽は究極のスピリチュアル・ライブかも。

サクラ - 2001/04/26(木) 01:15<

とりアラカルト

はとと とんびと やまどりと きじと かりがねと うぐいすが いっしょになけば
ククピン ククピン ピンカラショッケン ソーラケンケン ケンチキチノ
チンチロリンノ ホーホケキョ

子供のころに、でんでらりゅうば でてくるばってん とおなじように
くちずさんでいたうたをおもいだしました。

いまごろ、私たちの知らない自然の奥深く、とりたちは鳴き、子育てに
命を張っているかのかも...
いえいえ、きっと命を張っているなどという気負いもなく
自然の営みとして、子育てしている事でしょう。

遠き弥生や縄文と、私たちの知り得るのは本当にかすかな断片だけ...
たった、100年前のことさえも、知り得る事の少なさに唖然とするおもい...
でも、そうだよね。
我がことだって、よくわからないもの..いまの世の中の事だって、
何にもわかってないわたしがいるもの

きのう、かの国営放送で「阿倍野清明」なんか見てしまった
かの昔、人間はもののけの存在を信じて生きていたという。
人の心のありようが、今より力をもっていたのかな?
縄文文化、弥生文化の記憶が現代まで活きづいているとしたら
いったい、何処にいきづいているのだろう...

ヤナギムシ - 2001/04/26(木) 00:41<

チューリップ

ヒナ鳥の開いた口・・チューリップみたいやね!
  我先に、餌おくれ!!
  目も開かないのに、親鳥の声に反応する、ヒナ鳥たち

  カッコウ鳥を、思い出した
 カッコウの親鳥は、ほかの種類の鳥巣に卵を産み付ける
  孵化の早く大柄のカッコウは、居候のくせにほかのヒナや卵を
  巣から放り出してしまう
 居候とも知らない養鳥は、せっせと餌を運ぶ
   いつしか親鳥よりおおきくなった、カッコウの子供は・・・

  巣離れして、飛び去ってしまう
    養鳥は、首をかしげながら・・・・????

       へへへ・・・

  キョトンとした親鳥を、想像しながら・・・
      見るヒナ鳥・・・ほんまかわいいですね

ヤゾー - 2001/04/25(水) 23:30<

焚き火

ふぁる=エムボマさん、沖縄タイムズの記事ありがとうございます。

失われたというか消されたというか、
そんな古い文明の記憶を断片的に、
または何らかのかたちで継承している人たちに興味があります。
古い文明の記憶をまったく持たない人たちとの違いに惹かれたりします。


>ちなみにネアンデルタール人も死者に花をたむけたらしいですよ。

謡子さん、それいい話しですね。
なにか時空を超えて感じるものがあります。

自然に支配された場所で、
漆黒の闇の中で焚き火の炎を眺めているだけで、
結構酔えます。

おユキちゃん、おミヨさん、本当に小鳥の巣って綺麗ですよね。
健気に巣作りして子育てしている様子を見ていると頭が下がる思いがします。
しばらくしたらまた写すから楽しみにしててね。

>手付かずの自然!!古代の日本列島もあのようであったかと思うと感慨無量です。
>再放送の「知られざる北方四島」です。

Donglyさん、こんばんわ。

それ観たかったです。

Dongly - 2001/04/25(水) 23:10<

見ましたか?

皆さん 昨夜寝ようかと思って久しぶりにNHKスペシャルを見て凄い、びっくり。やりますね最近の国営放送!!例の「国後島・択捉島・歯舞島・色丹島」の手付かずの自然!!古代の日本列島もあのようであったかと思うと感慨無量です。ラッコも、大鷲も、丹頂鶴もいる!!またまた年甲斐もなくよだれを垂らして、興奮しました。再放送の「知られざる北方四島」です。日本国の世界遺産でなく世界の貴重な貴重な遺産にしたい。とにかく絶対見て下さい。

おミヨ - 2001/04/25(水) 23:07<

ヤマガラの写真有り難うございました。

ヤマガラのbabyのホカホカのbedみただけで、ヤマガラの子に対する愛情の強さを感じてしまい
感動しました。一生懸命子育てしているのが愛しいですね。
babyの目が開いて、少し大きくなると、巣箱の小さな窓から珍しげに世間を覗きにくる姿は本当に
可愛いですよ。ヤゾーさん、これからますます楽しみですね。

山雀が 
山がういとて里へでて
里でさされて
山恋し。

おユキ - 2001/04/25(水) 12:50<

ヒナみました

インコやツバメのヒナは見たことがありますが、
ヤマガラのヒナは始めて見ました。
やっぱりヒナはみんな似てますね。
巣がとても綺麗で清潔そうなのには驚きです。
もう少ししたら毛が生えてきて、もっと可愛くなりますね。
みんな元気に巣立ってくれるといいな。

謡子 - 2001/04/25(水) 12:02<

ネアンデルタール人の花束

縄文人と比べて現代人はいろんなものを失っているという考え方が多いですが、
「自分たちは古代の人に比べて色々なものを失ってしまった」とロマンティックに嘆くのは、ギリシャ時代からあったと何かで読んで
笑ってしまいました。なるほど〜。

シンクロニシティは現代でも頻繁に起こりますし、火を眺めているときの、あのイキモノのひとつの種としての安堵感、祭りの高揚感や、
好きなもの、愛するものに埋没していきたくなる感情・・その他もろもろ・・がそんなに変化するものではないと思います。
ちなみにネアンデルタール人も死者に花をたむけたらしいですよ。
そういう人間の自然な感情や知恵を受け継ぎながら、単に縄文にたちかえるのではなくて、古代人とは別のテーマで現代人が
新しく何を創造していくか・・かな?
人種、国境を超えてネイティブな世界には当然、共通点があります。宗教では決して為し得ない、『そこそこの平和 』・・を実現させるのは、
根底に流れ続けるネイティブな魂を感じることではないかなぁ・・と思うんだけど?
で、これは人それぞれのやり方で感じていけばええんでないかと思います。楽しみながら・・ね。

ふぁる=エムボマ - 2001/04/25(水) 10:55<

民度、継承

インダスの文明があったことは、発掘されるまで、当地の住民は全く知らなかった。
メソポタミアも然り。トロイ戦争は神話の世界だったし、マチュピチュの遺跡だって
物好きで物欲魔な白人によって「発見」された。

過去の人間の姿は、現在の世界観の枠から外れる事は無い。
説明不能なビジョンを抱いてしまった人は、口にすれば奇人変人か。
自文化中心主義、社会進化論.....。
やはり、近代の市場主義社会で育ってしまうと、かなり毒されるようですな。

おそらく、海底遺跡に連なった生活圏は沖縄周辺にとどまらないだろうね。


=======以下は沖縄タイムズより、そのまま引用===========

出土2点「世界展」へ出品/与那国の「海底遺跡」
未解決の遺物一堂に、木村教授「主催者から招致」

 六月二十一日から三カ月間にわたってオーストリアで開催される世界の未解明の遺物を一堂に集めた国際展示会に、木村政昭琉大教授のグループが与那国の「海底遺跡ポイント」周辺で採取した二点が展示されることが二十三日までに決まった。

 展示会は「未解明のなぞ」をテーマにリンツ市美術・博物館などが主催。ヨーロッパ、南米などの遺物約三百点を展示する。エクアドルのアルデビア土器、ポリネシアのラピタ土器、青森県・三内丸山の遺物も含まれている。同教授によると、展示されるのは「線刻石板(せんこくせきばん)」と通称「イノシシ石」で、約一万年前、縄文時代のものと推測している。

 石板は長さ二十五センチ、幅十六センチ、重さ三キロ。粘板岩質で一九九八年十二月に“出土”した。「十字やV字、円が彫られ、ロゼッタストーンの海底版」(同教授)。

 イノシシ石は長さ六十四センチ、幅二十九センチ、重さ六十キロの丸みを帯びた石で九九年七月に見つかった。「片面にイノシシと思われる動物のレリーフが浮き出ている」

 主催者側から昨年十二月に展示に向けた連絡があった。すでに関係者が沖縄入りしレプリカの作製をしている。二品のほか同遺跡の半分の「模型」も展示される。開催期間中、同教授の現地講演もある。

 八九年から同遺跡ポイントの研究を続けている木村教授は「ヨーロッパの専門家たちの実物および写真鑑定で、人による加工品として展示を許可された」と説明。「その意味で海底遺跡は自然のいたずら説も取りざたされているが、海底にかつて人の気配があったことが認められた意義は大きい」としている。

==========================================================================================

やぞ〜♪ - 2001/04/24(火) 23:45<

ヒナを見たよ〜♪

min-minさん、こんばんわ。

アイヌの人と沖縄の人が人類学的にも遺伝子学的にも近い関係にあるとされていますが、
DNAの文字配列の違いから、少なくても12000年前には別の集団として存在していたといいます。
つまり12000年以上前には同じ集団であったということです。
台湾の海人の人たちも同じ仲間だったのかもしれませんね。
与那国島で発見された海底遺跡が約12000年前に沈んだといわれてますから、
そこから逃れてきたきたのかも知れません。
そこが沖縄でいうニライカナイで、また幻のム−大陸のことなのかも知れません。

ふぁる=浪速の黒豹 さん、こんばんわ。

>縄文とか弥生とかでカテゴライズする事自体が、すでに大問題かもしれない。

それはそうなんでしょうが、縄文という時代が、
また末裔がいろいろな意味で解放されて、
始めていえる言葉のように思います。

おミヨさ〜ん、おユキちゃ〜ん、今日巣箱を覗いてヒナを見たよ〜♪
詳しくは最新情報を見てね♪

ふぁる=浪速の黒豹 - 2001/04/24(火) 18:30<

常識地平

縄文とか弥生とかでカテゴライズする事自体が、すでに大問題かもしれない。
新しいパラダイムが求められているような気がする。

(いかなる人間がどのような世界観の中で生きていたのか。)
痕跡を残す行動範囲が、そのまま狭い地域の文化圏に生きる人の行動力とはならない。
文化圏が広いことも考えられるし、そこには時間の遷移も介在しちゃうんだな。

インド亜大陸には、「君たち日本人でしょ」といえちゃうような人たちも未だに
その生活習慣を維持しながら生きている。
似通った文化、生活習慣、遺伝的特徴......。
それらから何を云うべきか。やはりパラダイムがいるかな。






min-min - 2001/04/24(火) 17:41<

縄文世界

は現在の国境線を引いた世界地図で眺めると、本当の縄文世界が見えてこない、
という考えは基本的に正しいと思いますよ > やぞーさん。

>どうしても現在の日本地図を元に考えてしまいますが、
>縄文時代には海流に乗って広い範囲を自由に行き来していたのだと思います。

あの三内丸山があったころの交流範囲についてはよく“ヒスイ”“コハク”
“黒曜石”の発見された場所によって示されていますが、日本列島の中でも我々
の想像をはるかに超えた地域で発見されているようです。

一方、縄文式土器の発見された地域ははるかポリネシアにまで及び、これは彼らが
計り知れないほどの「航海技術」を持っていたことを示していますよね。

>朝鮮半島の南側にも倭人の国があったとか、また大陸の揚子江付近にも倭人がいたと
>されていることから、渡来系の人たちの中にも縄文系の人たちがいたように思うのです。

学術的に証明されているとは言えないかも知れませんが、十分あり得る話であると思います。
縄文時代が少なくとも5千年以上あったわけですから、この間の縄文人の交流、移動範囲は
相当の広がりを持っていたと考えるのが自然ですね。

以前、台湾の海人、ヤミ族の話をしましたが、その他台湾本島のほうにも8部族の先住民族
がおります。
彼らの伝統音楽、伝統舞踊をみていると、思わず身体の底からわき上がり、噴出するような
“なつかしさ”と“親近感”を覚えるのは、僕が北海道出身者であることも一理あるものの、
やはり我が身のDNAに訴える共有する“なにものか”のせいでしょう。

やぞー - 2001/04/23(月) 23:04<

縄文土器は火山の爆発

>ところで、やぞーさん、ここも削除だけでなく、訂正はきかないのでしょうか?

いろいろやってみましたが訂正は無理のようです。
サクラさん、ゴメンチャイ。

>海の彼方から渡来した朝鮮系の技術者たちが鉄を産し、その鉄を沸かし
>器物を作っていた。その郷名が雑賀なのである。(『和名類聚抄』『紀伊続風土記』)

min-minさん、なかなか面白い話しですね。
紀伊半島と朝鮮半島は古代から深い関係にあったとされています。

最近、僕の中で渡来系の人たちに対する考えが変化してきました。
中国大陸から、また朝鮮半島からの渡来人だから弥生系の人というのではなく、
朝鮮半島の南側にも倭人の国があったとか、また大陸の揚子江付近にも倭人がいたとされていることから、
渡来系の人たちの中にも縄文系の人たちがいたように思うのです。
どうしても現在の日本地図を元に考えてしまいますが、
縄文時代には海流に乗って広い範囲を自由に行き来していたのだと思います。

そこで僕なりの縄文人の感性というか、心情的なものとして、
縄文土器なんか見ていて思うのですが、爆発であり(岡本太郎かい)、祭りであり、火を感じてしまうのです。

弥生人はその点では安定を好むような気がします。
また弥生人の好んだ土地には火山が少ないようにも思うのです。
大和中央国家があった関西というところは火山がありません。

そういう思いから、火を扱うタタラ系の人たちは、渡来系の人でも縄文系ではなかったかと思うのです。

>大釣りしたんかいな?
>        くやしーーーぃ

ヤナギムシさん。
アオリイカの写真見てくれました?
旨そうでしょ。

僕が逃がしたのはあんなもんじゃなかったです。
3キロくらいのやつに違いありません。
ホントぞ、ホントの話しぞ。

Dongly さん。
『野史研究』面白いです。
楽しく読ませて頂いてます。

今から新しいHPに写真をアップしますので、
よかったら見て下さい。

Dongly - 2001/04/23(月) 23:02<

Wanted 孫市

min-minさん 親戚の初代は磯松孫市。江戸期は村の幹部でなお賎民の【ねんごー株】(広島では禁句!)。黒谷が本籍らしく安宿南の草井(臭い?)の川のそば高台に住み、御建山番人?で鉄砲を多く所持してたようで鷹ノ爪入り商標の茶で年貢出し。女系ながら美形。家紋は古代からの非人のシンボル丸に橘。何か分りませんか。サンカの印の雑賀兜はなし、馬の鞍あり。関西の根来株と同じか議論があります。多くの雑賀は四国に避難し、恐らく香川の餡入り餅雑煮と美味いうどんを食う一向宗か。兵庫北〜米子までは、正月雑煮は餡入り汁粉餅雑煮です。うどん常食がサンカならサンガ(山サンカ)の文化でしょうか?

ヤナギムシ - 2001/04/23(月) 00:11<

へへへへ

なになに・・なんなのさ
  大きな銀杏の木・・
    今日、父の墓参りに行ってきました
  そこに、大きな・・巨大な楠木があります
    こんどデジカメで取ってきます
       その時は、よろしく

  むふふふふ・・なに大笑いしたんです
    へへ・・早くおせーーーてください

   墨・・でもかけられたんかいな!!
     大釣りしたんかいな?

        くやしーーーぃ
           早くしてね

ヤゾー - 2001/04/22(日) 23:48<

大笑いした釣りでした

サクラさん、こんばんわ。
早速、新しいHP見てくれたんですか。
それはどうもです。
まだこれから沢山の写真をアップします。
サクラさんの写真もアップしようかな? なんちゃって。

Dongly さん、郵便受けを見たら昨日、野史研究が届いていました。
明日にでも代金を振り込ましていただきます。
一冊サービスしてもらって、ありがとうございます。

min-min さん、その話しドキュメンタリーで見たことがありました。
その寝返った武将の子孫たちが、そのことを凄く誇りに思っているとのことでした。

今日の釣りは楽しかったです。
今、その釣りの様子のページ製作中です。
文章書いたら最新情報のところにアップします。

今度ヤエン釣りに挑戦するヤナさん、釣り好きの利田ヤゾウ、見てね。

min-min <http://homepage2.nifty.com/TUBA/> - 2001/04/22(日) 23:24<

沙也可

という村が韓国の大邱の南20kmのところにあり、そこはかって豊臣秀吉
の朝鮮出兵の軍に従って渡海するも、寝返って朝鮮軍に身を投じて大活躍し
た「謎の鉄砲衆」が住み着いた村とのこと。そして今でもその子孫が住んで
いる・・・。

という興味深い記事が月刊『歴史街道5月号』に載っていますのでご紹介い
たします。記事を書いた方は現在、和歌山在住の作家、神坂次郎氏。

サヤカというのは<左衛門>(さえもん)の誤記かとも言われるそうですが、
これは不明。とにかく沙也可は朝鮮音で発するサイェカを漢字で書き写した
ものとのことらしい。雑賀は普通の日本語読みにするとサイガと濁るが、
紀州ではサイカと発して濁らない。沙也可は雑賀の意味だとのことです。

以下引用
>『続日本紀』(しょくにほんぎ)の養老六年(722)のくだりに、
>【紀伊国韓鍛冶杭田鎧作七十戸】とあるのもその一つであろう。
>海の彼方から渡来した朝鮮系の技術者たちが鉄を産し、その鉄を沸かし
>器物を作っていた。その郷名が雑賀なのである。(『和名類聚抄』『紀伊続風土記』)
>雑賀の雑(サイ)とはサビ、古代では鉄を表す称呼で、賀(カ)とは処(か)で場所
>つまり鉄器を作る工人の住む処という意味なのであろう。この古代朝廷直轄の韓鍛冶部
>の渡来人たちの技術が、やがて戦国の世に高名な、軽量で堅牢無比な雑賀鉢(さいがばち)
>最新火器“鉄砲”となって黒旋風のように暴れまわるのである。

尚、2000年11月、著者及び日本人60名が上述の村を訪れ、雑賀衆の子孫といわれる
人々と親善交流を行なったそうです。
ご興味のあるかたはご一読を!

サクラ - 2001/04/22(日) 22:23<

はやいねえ...

やぞーさん、新しいHPをUPしたり、
春の風に誘われてどんどん丈夫になってくみたい...
健康的なやぞーさんに乾杯!

ところで、やぞーさん、ここも削除だけでなく、訂正はきかないのでしょうか?
一字を直したくて、全部削除しちゃった時のショックは、
けっこう大きいのですよ...

新しいHPには、懐かしいkumanoや写真がいっぱいで、
keijuさんのHPの曲聞きながら、今日はあそばせてもらいました。

またまた、魔女は楽しみにしてるからねぇ....サクラでした

管理人ヤゾー - 2001/04/22(日) 13:06<

今までの投稿は過去の掲示板へ移動しました

地元のイカにも縄文の末裔といった感じの人に、
今日は天気も良いし大潮で貝も捕れるかも知れんから、
イカを釣りに行こうと誘われたので、
これはイカンわけにはイカンので、
ヒノキの花粉がたくさん飛散して鼻水が出て目も痒くて悲惨な状態なのですが、
今から釣りに行ってきます。


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