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サンカの資料展示会「サンカの手仕事展」が台東区の民芸品店「かなかな」にて開催中との情報を得て、最初にもんむーさん、少し後で皆神龍太郎さんと蜜柑さんが同行して見に行きました。もんむーさん、皆神龍太郎さん、蜜柑さんの投稿文と投稿写
真を纏めてみました。もんむーさんが店の方に聞いたところによると、雑司ヶ谷にある「ステーキハウス寛」で保管していた茶箱の
中から見つかった小さい箕1000個ほどと、三角寛所蔵の普通の大きさ
の箕2個が展示されていて、小さい箕は4タイプほどあり、その多くに サンカ文字とおぼしき文字が書かれていたとのことでした。また、小さい箕は1200円、1000円、800円の
3タイプが買うことができるということです。※上の二枚の写真は蜜柑さん撮影のものです。 |
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皆神さんの考察によると、ミニ箕の入っていた茶箱には昭和37年の封印があり、三角寛が東洋大学から博士号を取った年に当たることから、取得の記念品として作成し、配ったものではないのかとのことでした。後で調べたところ、1962年4月27日の朝日新聞の「青鉛筆」というコラムで、有楽町のアラスカで開かれた三角の博士号を祝う会の様子が書かれていて、その中に
「各界名士の拍手のなかで三角氏は、セブリから贈られたタケ製ミ(箕)に書いた“セブリ言葉”を読んでみせたが」
という記述があることを見つけたそうです。 「箕にサンカ文字が書かれていた」というのですから、これはやはり今回発見されたサンカ文字付きの箕のことを指している、と考えるのが妥当というのが、皆神さんの考察でした。またミニ箕に書かれたサンカ文字はイヒハ
シカナで、つまり「祝いな菓子」で、やはり博士号取得の祝賀会などで、参加者に菓子を上に載せて配ったものなのではないでしょうか?とのことでした。「青鉛筆」というコラムには、サンカ文字をなんと読んだとまでは載っていなかったそうです。また、尾張のクズシリさんの見解では、「サンカ文字の横読みもあったとは、はじめて知りました。
私は、「イ」をサンカ文字の「ア」ではないかと考え、縦読みで「アハナ カ アヒシ」(会わな か 愛し)と、三角の一期一会の句と思っておりました。
この『祝い箕』は、精・粗の2類ある内の、精製箕(飾りの品)ではなく、粗製の部類(一過的な消耗品)になるものであることから、恐らく人世座で当初の頃の販売していたという、芋版刷りの“サンカ土産品”であると推定しております。製作年代は、昭和23・4年と考えています。」
とのことです。※上の茶箱の写真は皆神さん、箕の写真はもんむーさん撮影のものです。
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蜜柑さんの考察によると、おそらく、久保田辰三郎・松島ハジメ・大山藤松の手によるものではないかとのことでした。店の人の分析によると、箕は数人の作り手によるものだそうです。
また、店に来た「竹細工の専門家」は箕を見て、「これは、タダモノデハナイ。竹の一番外側の皮と2番目の外側の皮と藤と桜を使っているプロの職人の技」で「竹のいいとこどりをしている」と言ったそうです。蜜柑さんによると、民芸品店「かなかな」の女主人と女店員は、とてもいい人で、お茶まで出してくれたとのことでした。※ミニ箕のサンカ文字に見入っている皆神さんは蜜柑さん、箕に見入っている蜜柑さんは皆神さん撮影のものです。
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