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【熊野大社】 八雲村熊野というところにある熊野大社です。八雲村のリーフレットには、出雲大社とならぶ古い神社で、出雲族の祖神と崇められるスサノオを祭神としていると書かれていました。最初の鳥居の傍らに、出雲國一乃宮と大きく彫られた石碑がありましたから、出雲地方で一番格の高い神社だったのかも知れません。とても重厚で荘厳な感じのする神社で、和歌山県にある熊野本宮大社よりも感じるものがありました。もっとも、現在の熊野本宮大社は明治の水害により、大斎原から移されたものなので仕方がないのかも知れません。祭神はスサノオ、イザナミ、イナダヒメです。
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【熊野大社】 お参りしようと境内に入ったところに、仙人のようなお爺さんが佇んでいました。その後から、そのお爺さんのお供なのか、何かの宗教団体と思われる人たちがやってきて、その中の中年の女性が、いきなりトランス状態に入ってしまったのか、地面 にひれ伏して、『スサノオさま〜 ありがとうございました〜』と太く 大きな声で叫ぶのでした。わちゃ〜 いきなり濃いものを見てしまったという感じがしましたが、スサノオの神さんを慕う人が、それだけ多いのだという思いがしました。ここで感じたスサノオの神さんと、この日最後に訪れた日御碕神社で感じたスサノオの神さんとでは、まったく違う印象を受けました。ここでの印象は、何か耐え忍んでいるかのような重い感じがしました。単に天気の所為なのかも知れません。
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【須我(すが)神社】 スサノオがこの地を訪れたときに、清々しいと思ったことから須我(すが)神社なのだそうです。また和歌発祥の地とされている神社で、この地であの有名な「八雲立つ 出雲八重垣妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を」という歌を詠んだとされています。この近くに八雲山というところがあり、その山が和歌発祥の地ともされています。和歌発祥の山で和歌山、色んなところで出雲地方と和歌山・熊野地方は繋がっているのかも知れません。祭神はスサノオとクシナダヒメ(イナダヒメ)です。
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【八重垣神社】 八重垣神社は改修工事の最中でしたので仮拝殿の写真です。祭神はスサノオとイナダヒメ(クシナダヒメ)で、出雲の國の縁結びの大祖神とされ、夫婦和合、子孫繁栄の神社として広く崇敬されているそうです。それにしても、どうして神社によって神さんの呼び名が違うのでしょうか。須我神社では稲田姫命(いなだひめのみこと)と記されており、八重垣神社では奇稲田比売命(くしなだひめのみこと)となっていました。少し調べてみたら、日本書記ではクシと付くみたいです。
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【神魂(かもす)神社】 祭神はイザナギ・イザナミで、出雲國造(いずものくにのみやつこ)の天穂日命(あめのほひのみこと)が、この地に天降られ、出雲の守護神として創建されたといいます。本殿は室町時代初期に建立された大社造で、最古の大社造りの社殿として国宝に指定されているそうです。主祭神は縄文の大地母神的な神ともいえるイザナミであるという話しもあります。スサノオは母神のイザナミを想い、妣の国、根の堅州国に行きたいといって山野も枯れるほど泣き続けたといいます。
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【神魂(かもす)神社】 神社の石段を登っていると、神主さんが上から降りてこられ、雨で濡れた自然石の石段に滑って転げ落ちそうになり、僕はウワッと大きな声を出したのでした。危なかったな〜と思っていながら、なんのことない、今度は僕が帰りの石段で滑り、カメラを持ったまま思いっきり滑って転げ落ちてしまったのでした。咄嗟に最善の転び方をしたようで、カメラが少し傷ついて、ズボンと上着が少し汚れただけでした。でも何処か骨折したかと思うほど痛かったです。このとき僅かな時間で、普段ボケた頭が瞬時に最善の受身を計算し、それに身体が反応したといった感じでした。このときの受身で、この日の脳力と体力の半分くらいを消費してしまったような気がしました。
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【出雲大社】 出雲大社に着くころには、すっかり雨は上がって青空が広がり、とても清々しい気持ちでお参りすることが出来ました。それにしても大きくて立派な神社でした。お参りした時間帯が良かったのか、太鼓と笛の神事を見ることもできました。
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【出雲神社】 出雲地方の神社を巡ってみて、どこも七五三縄が大きくて立派だと感じていましたが、出雲大社の七五三縄は特に大きくて立派でした。オオクニヌシになった気分で七五三縄の下で記念撮影しました。
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【日御碕神社】 以前、出雲地方をツーリング旅行したという友人から、偶然にここの神社へ迷い込み、とてもロマンチックで神秘的な神事を目撃したという話しを聞いてきました。また日御碕へ向かうまでの海岸線が、どこか和歌山県の白崎海岸にも似ていて、解放感のある明るい雰囲気のところだと聞いていました。そういうこともあって、出雲へ行ったなら必ず訪れたいと思っていたところでした。ここの神社は少し変わっていて、神の宮(かむのみや)と呼ばれるところにスサノオを祭り、日沈宮(ひしずみのみや)と呼ばれるところにアマテラスを祭っています。日沈宮(ひしずみのみや)は、元は神社の向かいにある経島(ふみしま)にあったそうで、アマテラスが降臨したところであるとされています。
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【日御碕神社】 八月七日の神幸祭は夕日の祭とも呼ばれ、神職もその日にしか経島(ふみしま)に渡ることを許されないと言います。夕日をバックに神職が海を挟んで向かい合い、神秘的な神事を行うそうです。是非、今度は八月七日に行ってみたいものです。日御碕神社とその周辺を歩いてみて、開放的な明るさというか、ほがらかでおおらかなスサノオという神さんを感じることが出来ました。素直で無邪気な子供のような陽気さも感じました。母方の祖父が、この地方に古くから住み着いた一族の者であるということを聞いていましたので、なにか親しみのような懐かしさを感じる出雲の旅でした。日御碕周辺を歩いたときに写 したスナップ写真も良かったら見て下さい。 |