あおきさんのサンカ探訪レポート


 


「16日に蜜柑さんと サンカ探訪に行った一部始終を みなさんに報告したいのですが プライベートなこともあるので掲示板には書きにくい事項もあり メールで詳しく伝えたいと思います」 という写真を添付したメールがあおきさんから送られてきました。とても心に響く考えさせられるよいレポートでしたので、お許しを得て転載することにしました。以下、一部イニシャルにしていますが、あおきさんのレポートをそのまま掲載しています。  目的地の橋の近くにある酒屋で調査を始めたとたん 店に集まっていた 60歳前後のおばさん達は 箕直しのことをみんな憶えていて 名前まで知っていました 乳ガンをわずらった 三角 寛の本に出ていた方はとてもお酒が好きでよく子供達をつれて 酒を買いにきていたそうです この橋の下あたりにいたそうです 子供が生まれたら 血まみれのまま見せにきたりしたそうです 子供は学校にいかず 他の子供とは遊ばなかったそうです 川で仕事をしていた農家の人達も 昔からいる人は みんな詳しく知っていました 昭和50年代には まだいたそうです 子沢山サンカの他にも 3世帯ぐらい 別 のサンカもいたそうです

 

この83歳になるおばあさんは 夫婦のサンカとよく話をしたらしく 18年前まで 河原に居付き小屋があったそうです 奥さんが病気になり 養護施設に預けられたあと だんなさんが 風邪で亡くなられたそうです その後 役所が 小屋を焼いたそうです 河原の近くの国道沿いに 古墳があり その中でサンカがくらしていたらしいのですが近所には そのことを知る人はいませんでした

 


写真の左側にいるのが 今回大変お世話になった Tさんです 蜜柑さんと 昔からあった 河原近くの家を 訪ねている時 偶然にも Hさんや M子さんをヘルパーとして 面 倒を看ているということを知り 休みにもかかわらず 現在住んでいる 写真右の 農家のMさん大家の所まで 案内してくれました Tさんの話では Hさんと M子さんは 農家のMさん大家の 河川敷にある広大な農地の敷地内に 3年前まで居付き小屋に住んでいたそうです 昔から Hさん達のことを知っていて すごくやさしいおもしろい方でした 3年前 Hさんの小屋が火事になり 農家のMさんのアパートに住まわせてるそうです 二人は文盲でお金の計算もできず 箕なおしの仕事が減って近所の農家の小屋にお父さんとはじめさんは手伝いをしながら暮らしていたそうです M子さんは 池袋でキャバレーのホステスをしたり 子守りをしたりして暮らしていましたが 最近まで居付き小屋生活をしていたそうです 詳しくは まだ聞いていないので M子さんが話してくれるかぎり 聞いてみたいとおもいます ここが Hさんの小屋があった場所です 消防署にいけば 焼けた後の写 真があるそうです M子さんは少しはなれたところに別の小屋を建てていたそうです この話から平成まで居付きサンカが存在したことになります しかし箕なおしの仕事は無く 日雇いなどをしていたそうです 農家のMさんのアパートに住むまで戸籍がなかったそうです 市役所の人が生活保護申請のため 作ってくれたそうです いまは 二人で同じアパートにヘルパーに世話になりながら暮らしているそうです あまりにすさまじい人生に あこがれだけでサンカを知っているだけではだめだと感じました これが Hさんがおとうさんが亡くなるまで一緒にいた家です この農家一家も次々に住人が亡くなるので Hさんはなんか変なものを感じて出ていったそうです いまではこの土地にだれもいません

 


ひろさんと辰さんの墓です ひろさんは昭和38年48歳で 辰さんは昭和44年77歳で亡くなっています 農家のM大家さんが墓をたててあげたそうです やさしい方です これが H子さん夫婦のいる今にもくずれそうな家です 留守だったので 話は聞けませんでしたが 今度聞きたいと思います 今回初めてサンカ探訪にいきましたが わずか半日の間にこれほど濃い情報に接するとは思いませんでした サンカの足跡を興味本位 で探索している間はまだ楽しいのですが 現実にサンカの末裔の方の悲惨な現状を間のあたりにして もっと歴史的に貴重な存在としてのサンカを僕達のグループの力でなんとかできないか 他にも同じような境遇の方たちがいるのではないかと思うようになりました Hさんはお金を持つと酒しか飲まないので 栄養失調で死にかけたそうです Tさんと農家のMさん大家さんのおかげで僕達は生きているサンカに会うことができました 今回Tさんは Hさんたちの貴重な存在に驚き 三角寛の本に M子さん達が出ているのを知り 自分の生まれた土地にそのような歴史があることを初めて知ったそうです もっとくるしんでいる サンカの末裔のためになにかできないかと考えるこのごろです 戸籍がないと 生活保護もうけれないし 部屋も借りられないし 働くこともむずかしいとなるとサンカには生きづらい世の中になってしまいました       

文章・写真 あおき

今回、このレポートを読んだことでいろいろと考えさせられました。静岡の最後のサンカ松さんや辰さんのお子さんたちの生き様は、今の世の中のあり方を問い質しているようにも思いました。最後までサンカとして、いや、人として純粋なものを持ち続けたが故に貧乏くじを引いてしまったかのような社会では、いつまでたっても本当の意味での豊かな社会とはほど遠いようにも思いました。 蜜柑さんからのメールに「確かに、生活は悲惨の様にみえましたが、HさんもMさんも明るくて救われました。」という一行がありました。






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