蜜柑さんから封書が届き、その中に写真とそれに関した解説が入っていました。 写真は、三角寛氏が持っていたというお寺の母念寺だそうで、今は廃寺となっているそうです。三角寛氏は十歳で仏門に入り十七歳まで西本願寺派の最乗寺で過ごし、小さいころからお寺を経営するのが夢だったといいます。1962年に自宅の一部を寺にして孝養山母念寺と称したとマージナルに書いています。その母念寺の庭にテンジンを使った跡が残っていたそうです。サンカが訪ねてきては、庭でテンジンを使ってフクロアライをしたのかも知れません。