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【龍神十津川線沿いの集落】 龍神十津川線を十数年ぶりに走ってきました。十津川村といえば、深く切れ込んだV字型の谷の急斜面 に、へばりつくようにして民家が点在しているというイメージがありますが、まさに龍神十津川線は、そういうコースを走る県道でした。以前に走ったときには龍神村側から十津川へ抜けるコースを走りましたが、今回は十津川村側から龍神へと逆のコースを走ったことになります。当時はとにかく、辺鄙なところをほど嬉しいというか、ワクワクするようなところがあって、クルマで入って行くのが無理そうなところへは、オフロードバイクを買ってまでも行かずにおられないというくらいに田舎の辺鄙なところが好きでした。都会から越してきて間も無い頃なので、辺鄙なところに飢えていたのかも知れませんが、熊野に暮らす今でも、何故か辺鄙なところに心惹かれるところがあるようです。そんな僕でも、地図上で見たら直ぐに抜けられそうに思っていたのですが、十数年ぶりに走ってみると、40キロ以上も曲がりくねった細い道が続き、抜けるのにうんざりしてしまうほど長く感じました。実際に抜けるのに二時間近くかかったと思います。その間、龍神十津川線沿いにあった集落といえば、民家が数軒建ち並んだところが五ケ所ほどあって、廃屋となったところが数ヶ所あるだけでした。途中に何ヶ所か枝道があって、それを入ったところに幾つか集落はありそうでしたが、いずれにしても秘境という言葉がぴったりとくる、今どきとしては貴重なところだと思いました。写 真は十津川村側から入った最初の集落で、近くの道から急な階段を降りたところに、出谷温泉という渓流に面 した温泉がありました。また少し行ったところから枝道を山の方へ登ると、神湯温泉という旅館がありました。
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【出谷温泉(上湯温泉)】 先程の写真にあった集落のすぐ近くに小さな駐車場があって、そこにクルマを止め、急な階段を降りたところにある出谷温泉です。上湯温泉として紹介されているみたいで、ずっと上湯温泉だと思っていました。少し前にここまで来て入浴したことがあったので、今回は見送って先を急ぎました。ここ十数年で、こちら熊野も随分と様変わりしてしまい、むかしの風情のようなものが残ったところは年々なくなりつつあります。十数年くらい前までは、少し奥まった村まで行くと、茅葺き屋根の民家が残り、村の雑貨店には昭和30年代の琺瑯の看板(ホウロウ 金属にガラス質の釉薬を焼き付けた看板)が、当たり前のようして掲げられていたりしました。そういう村の多くが廃村になってしまったり、道が整備されて交通 の便が良くなったからなのか、テレビCMで宣伝されているような家が建ってしまうことも多く、どうみても周りの風景と調和してないように感じてしまいます。そういう意味では、龍神十津川線沿いの雰囲気は、むかしの風情が残っているところなのかも知れません。むかしの風情が残っているような集落へ行くと、どこか懐かしさと共に、忘れてしまっている遺伝子に刻まれた記憶のようなものが蘇ってくるような、そんな不思議な錯覚を感じることがあります。今度は枝道を入って、清流沿いの集落や山の上の方にある集落を探訪してみたいと思いました。
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【龍神十津川線沿いの宿】 龍神十津川線沿いで唯一宿のあった集落で、道を挟んで二軒の宿がありました。集落といっても5軒ばかりの家が建っているだけでしたが、一番賑やかな感じがしました。近くには清流が流れていましたから、渓流釣りに来た人が利用しているのかも知れません。この辺りの龍神十津川線には、文ゾーンという文字が書かれてありましたから、枝道を入ったところに集落と学校があるみたいでした。一度枝道に入って、雰囲気のある分校の建物でも残っていないか、探訪してみたいと思いました。それにしても、これくらい急峻な土地に、山にへばりつくようにして民家が建ち、田圃は皆無に等しく、交通 の便も恐ろしく悪いところに暮らすということは、ここにしかない魅力というか、なにか素晴らしいものがあるのに違いないと思ってしまうのは、田舎好きの辺鄙マニアだからでしょうか。 殆ど集落を見ることのない龍神十津川線を走り、雪が残る峠を越えてしばらく進むと、龍神村の中でも奥まった村に入りましたが、不思議と十津川側の村では見ることのなかった猫の額ほどの田圃があったことが印象に残りました。むかしは、山一つ越えれば、そこは文化の違う別 世界だったのかも知れません。 |