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2003年09月28日(日)18時30分までのKumanolifeGuestbookへの書き込みです。


こうへい - 2003/09/27(土) 21:53<

焼尻紋次郎さん

がつろについては、 2003/05/30(金) 19:07<から、カキコミしています。お暇な時に見て下さい。

鹿の角は、おっしゃる通り水でふやけます。作るとき、水をつけてふやかしながら加工します。
表面のコンマ何ミリかがふやけます。釣る時は、時々、水からあげて乾かすと思いますが、実は、釣ったことがありません。糸は知りません。

石器ナイフも果物を剥いた位で、肉なんか切った事がないので、実験考古学としたら、片手落ちです<(_ _)>

焼尻紋次郎 - 2003/09/27(土) 21:10<

「チ・メ」のことばは珠玉の言葉  

 珠玉のことばがどんどん流れていっています。

 ナイスタイミングさん、おれ「しかへる」でおぼえていましたので0.5秒でわかりまし
たヨ。*sik- はネパール語では学校で「教える・習う」となって定着してるようです。
※ 「ぬたばる」は解らなかったです。でも、しかへられたお蔭で「ねばる、ねまる(坐
  る)と同根語かな」と30秒あとに気付いたような次第でした。
※ マタギ……そうです。ミナシャンも北に行ったらヒタチナイ・松橋旅籠ぞな。
  cf. 紋次郎旅籠連名 
※ > 3キロ離れたらことばが微妙にちがってくる。
★  むかしはもっとちがっていたのでしょうね。東のほうの山奥にはテナガ・アシナガ
  族が住んでいるというハナシは聞かれませんでした?
  2m近い長い男の人骨が発掘されたと聴いています。

 こうへいさん、いわば『実験考古学』ですね。
 オレ「アラブと沖縄の3母音 +マ ンジュー」のことを石巻の楠本正助先生にも封書を
だしましたが、出戻りになりました。去年から患っておられたのですが、悲しいです。
 鹿のツノで作った釣り針は、水の中ではすぐにフヤけるのでは? と思えるのですが、
実際は何分間ぐらい利くのでしょうか? ミチ糸の繊維は何でしょうか。竹だった可能性
はありましょうか?
 “網”は大発明だったと思いますが、ここんとこも続けてアマカネ(あ、これニューギ
ニア高地石器時代人の挨拶、イミシンにして至便ですのでアマカネ)。

 「カツロ」は男根でしょうか? どこで喋られた語彙でしょう。惟ふに*ghat-(減る)
から発達した金属精錬の「片目」だと睨んだのですが、スガ目だったかナ。末尾の lo に
フクロのような道具?を表す末尾辞がありそうなあたりにも大いに興味を覚えます。

こうへい - 2003/09/27(土) 20:37<
ナイスタイミングさん こんばんは

>熊野神社の中に地元の若い人間がクマの人形を
>  飾っている・・・困ったものだ」と嘆いていました。

「熊の神社」と思って、で、熊の人形を・・ 素朴で良いのでしょうか(^o^)

そんなことがきっかけで、いつか祭神が変わってしまう・・ってことも無いでしょうが...

ボクも、寝不足のまま今夜、夜勤です。爆睡したい・・・

方言の問いあわせ、かたじけない(^^)

ナイスタイミング - 2003/09/27(土) 18:50<
こうへいさん、こんにちは。

えっ?来月・・・・・・・・・・ (」゜Θ゜)」 ←寝不足

す、すいません。大変失礼いたしました。
頭の中が10月になっていました。

》「がつろ」、「かつろ」に近い方言はないですか?

さっき電話で聞いてみました。
「思い当たらない」ということでした。少し期待していたのですが・・・・

@この前、熊野神社の祭礼があったようで中を見に行った先達。
 「熊野神社の中に地元の若い人間がクマの人形を
  飾っている・・・困ったものだ」と嘆いていました。
  猿や熊のトーテムを持つ渡来してきた民族はあったと思いますが、
  この場合、非常に単純、ストレートに「熊だからクマだろ」となっていることが問題です。

こうへい - 2003/09/27(土) 12:18<

ナイスタイミングさん

「がつろ」、「かつろ」に近い方言はないですか?

こうへい - 2003/09/27(土) 12:09<
ナイスタイミングさん うわーありがとうございます。
なによりです。
ただ、展覧会は来月です。すみません。(^_^;

ナイスタイミング - 2003/09/27(土) 11:13<
こうへいさん、こんにちは。

今、祐紀子展が開催中ですね。
風の王国のハガキを見て、なぜか涙腺が緩みました。
とおりゃんせ館という会場名、海南という駅名が
とても安心できる世界での展覧会という感じがしてなりません。




焼尻紋次郎さん、こんにちは。

》津軽……といえるかどうか……ですが、下北半島では「ヘッペ、エッペ」が普通です。

男女が愛撫しその後の行為を「エッペ」とある流域の地帯では言っていました。
小学校の時から煙草を吸い、中学の時には神社の中で下級生を孕ませてしまうというのがいました。
中学の先生は「農業をしていると農作業で大人と一緒に働くので社会的に早く大人になる
からなのかなあ・・・」と言っていました。

》★ すぐ近くに「マタギ」と聴いただけで目の色変える夫婦がいるのですが、その奥さんが湯田のご出身で

「マタギ」は鉄砲担いでいるマタギでしょうか?(・Θ・)
「ダンベ」・・・分りません。
なにしろ3Km離れると日常単語が微妙に違ったりしている地域です。
出生人口減少で学校が統合されたりして山奥の方から通学してくる
連中の言ってる事が分らなかったりしていました。

分らなかった例1
「どうやって道具をしまっていいのか?しかひれ」
 「はあ??(゜Θ゜)}
 「しかひれ」
 「??????(゜Θ゜;) (な、なんだってえ?)}
(しかひれ=教えてくれ、という事が分ったのは20分後ぐらいでした。)

分らなかった例2
「そこにぬたばってればいい」
 「はあ??(゜Θ゜)}
 「ぬたばれ」
 「??????(゜Θ゜;) (ど、どうすればいいんだあああ?)」
(ぬたばる=横になって休む、という事は1分後ぐらいに分りました。)
 我が土地では「ながまる」と言っていました。)

こうへい - 2003/09/27(土) 07:42<

変わり者の功績

山口県のトモダチが、表札形の石をいくつも持って来てくれたので、サンドブラストで彫ってみようと思います。「縄文の風の工房」・・・

漁労用の網を編む竹で作られた道具があります。学校で一度、編む実習をした覚えがあります。
機織りで使う左右に滑らして使う糸を巻いた道具・・名前知らない。あれに似ていて、うすく削った竹の板をロケット形に削って、内側に一本の串のようなものを削りだしていて、糸を巻いて、網の中をくぐらせながら、一目づつ結びながら編んでいく道具です。説明って難しい・・

あれが、縄文時代に全く同じデザインであったらしいのです。見つかったのは随分前らしいのですが、鹿の角を削って作られていました。これ一個見つかったお陰で、昔これがあったと分かったのです。実用のものは竹で作られていたと想像できますが、何千年も経って腐って全く残っていません。
どこかの変わり者が、作りにくい鹿の角を削ったお陰で、これだけが残ったというお話です。
変わり者バンザイ(^^)

一万年あった縄文時代で道具というものは、殆ど完成されていたように思われます。
材質が違ってるものもありますが。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2003/09/27(土) 06:22<

...氏族割拠を写しだすチンポ・メメコ...

 yanaさん、なにかいっぱい知ってはるみたいやなぁ。ご存じだったらおせえてぇな。
 空想たくましくしたら、yana さんがいつも酒屋さんで合うオッチャンは、むかしベトコンの戦士だった……、それというのも……、超美人さんにふられたかぁ〜ら、ヤケクソまわして義勇兵になった……カナ?

 ベトナム語でチンポ・メメコを何というかは、あるご仁に頼んでいますが、オレ、ひとこと余分なこと注文つけっちゃったんで返事が遅れてま。すなわち、「できるだけ多くの呼び名を」と、やっちゃったんです。

 方言にしろ、日本でガモコという地帯があって、これをベトナムに同根を求める所作は、なにもメチャクチャな手段ではありません。
 津軽……といえるかどうか……ですが、下北半島では「ヘッペ、エッペ」が普通です。これはフィリピンのぺッペに連なります。また、下北の人びとの喋りぐちをきいていたら、一音節づつを区切ったように発声します。これはグワムに走ったチャモロ語(フィリピン・タがログ語の系統)と同じだとオレは断定してます。

 東南アジア〜ニューギニア〜中国少数民族地帯には、「ひと山、または小さな川を越えると、ことばがメチャ違っている現象」がめだち、この現象を解決できないままに西洋流の手法を踏襲したので、「語源を中心とした言語学」はここ150年以上も世界規模で足踏みして発展していないのです。
 この停滞を突きやぶる残された唯一の方法が、刻明な「チンポ・メメコの追跡」だと云っても過言ではないのでアリマス。

 ナイスタイミングさん、いつもナイスタイミングに有り難うございます。

> 秋田のガモコ、県内では濁らずにカモという地域もあります。
> ところで津軽では木の股などを「マッカ」といいます。
> 秋田県北部では人間の股も男女の区別なく「マッカ」と呼称。
★ すぐ近くに「マタギ」と聴いただけで目の色変える夫婦がいるのですが、その奥さんが湯田のご出身です。やっぱ、ここも「奥さん・ダンナ」のセットですので、訊きづらくて訊いていません。秋田の北のほうの山手ではナンというのか御存知でしたらお教えください。
 秋田には「ダンベ」があるはずですが、まだひっかかって来ていません。/ アイヌ語 tambe(→ マタタビ)。

 yana さんは「チンチン・もがもが」とおっしゃったが、オレが育った筑豊の筑では「チンチン・カモカモ」でした(秋田といっしょやなぁ)。意味はハッキリはしませんが、これを喋るときはなにかこう「気分すっきり」みたいなときに、高らかに放言してるみたいデシタ。
 「モガンポ」や「チンチン・カモカモ」のなかに、超古代語が脈々だったんですね、

ナイスタイミング - 2003/09/27(土) 00:00<

久々に思いだす

おひさしぶりでございます。
風の王国の画像などを拝見していると日常の忙しさの中に
オアシスを感じるこの頃です。

焼尻紋次郎さんのおかげで忘れていた言葉を思い出しました。
秋田のガモコ、県内では濁らずにカモという地域もあります。

》ところで津軽では木の股などを「マッカ」といいます。

秋田県北部では人間の股も男女の区別なく「マッカ」と呼称。
使用例:跳び箱をなかなか跳べない時などの叱咤激励
「もっと、まっかを開いて!」

焼尻紋次郎 - 2003/09/26(金) 10:29<

...mat-sak-e にも ko-mat(小町)った、コマッタ....

こうへいさん、有り難うございます。お影さまで大いに目が覚めました。
 mat は女であり、この場合は女陰でしょう。
 sak-は一般にいわれるのは「開墾」ということで、空間をネライ通りに開くことです。sak も syak も同じことです。

 「マンジュシャゲ」があろうとは、ゆめ気がつきませんでした。
 そうすると、マンジュシャゲを全国の呼び名にしたのは、中央に進出したアラビヤ語勢力で、そこから金属精錬士(坊主や神官、ドサまわりなど)たちの手にバトンタッチされた……が言えるようになったかと思います。

 秋田のガモコを教えてくれたひとは、小野小町の出身地といわれている雄勝の人です。
 小野小町については「アレがない」とか「アレできない」という風聞がついてまわっています。……なぜか?
 komat の mat は世界的に女で、こうへいさんのお教えで目が開かされた「女陰」でもあります。
 ところが、この日本列島で反・非・不を意味する「 ko 」の使用例が極めて少ないんです。
 
 世界的には「コアラ(水飲まない)」みたいに広がっているのですが、日本語では寡聞にして知りません。
 あるのはアイヌ語の ehange-no(近づく)/.ehange-ko(避ける)ぐらいなもんなんです。
 
 いままで、オレ、日本語の「困る」はネパール語の golmal(困る……mal は事物)と同根だと踏んできました。だが、ここはもいちど考えなおしたほうがいいみたいになってきました。
 
 ところで津軽では木の股などを「マッカ」といいます。 ka はネパール語で「股」のことです。
 でも、このマッカを使用するたびに、おとななら「 mat-カ(股)」を連想していたこと……これマチガイなし。

 「困る」は「ko(反・非・不)mat 」……「アレできない」からなんだろうか。

やなぎむし - 2003/09/26(金) 09:48<

やっぱり・・はははは

紋さん、ちゃいますよう・・
  やっぱりそっちにきましたね・・
ははは・・ちゃいますよう・・
   辞書開くことの少なくなった今
    一度調べてみてくださいね・・

美人先生ですか・・おまけに超がつくんですか・・うううう
  うらやましーーーぃ・・
 超美人でなかったら・・
  きっと、静かに丁寧にお勉強すすむんでしょうねぇ・・けけけ

焼尻紋次郎 - 2003/09/26(金) 09:24<

...超美人の先生にはマイッタ・マイッタ...

 yanaさん、いやらしいワァ〜。
 そねぇなこと、オットン・オッカンがやらはって、わえら生れたん。
 「イヤダァ〜」は「好きやワァ〜」とおないことネ。

 ありゃ、yanaさんから、ついつい釣られちゃった。
 みんなで仲ようやっていかなならへんさかい、チンチン隠した。
 隠さなくっても、仲良うやっていける自信のある氏族は隠さんかった。
 アマゾン上流のコルボ族はこのごろTVによう出てくるようになった。
 オーストラリア・アボリジニは陰部の前に2〜30センチの房をぶらぶら垂らしてる。

 ピグミー族の近くにいるアフリカのある種族(名前わすれた)もノーパンですら。
 ここの人びとはサバンナに棲んでいる。いつも一本足の椅子を杖がわりに持ち歩いてい
ます。歩き疲れたら、その椅子で休むんですって。
 というのも、ここら一帯はイバラ地帯なので、もしかしたら、なまじっか布とか房を身
につけていたら、トゲトゲが風に吹かれて集まってくるので「アイタタ・アイタタ」にな
るからじゃなかろうかネ。

 カキコミが少し遅れたは……、秋田のガモコに同根を探していたら、ベトナム語に Gam
があったんですヨ。訳は「下部」となってま。下部じゃワカラン、これ“陰部”じゃろう
と思うて、更なる追求を思いたったんです。
 ところがコマッタ。
 オレはここ12年間、一級身体障害者なんですが、去年の夏から二度、ベトナム語を教
えている超美人の大学先生がダンナといっしょに訪ねてきてくれたんですよ。
 「ベトナム語に関することなら、なんでも訊いてください」とは言うてくれましたヨ。
 でもねぇ、超美人でなかったら……。ダンナといっしょでなかったんだったら!!

ふえ - 2003/09/26(金) 09:05<

面白かったー

 はじめまして。熊野古道を検索していて,偶然ティピーの写真が目に入ってきました。
都会に住む者にとっては、“なんとうらやましい生活をしているんだろー”と子供の頃時間を忘れて野山をかけ回り、自然にひたっていた生活を久々に思い出しました。
 でも,いざ生活してみると、今の私では静けさや淋しさに、人恋しくてたまらなくなりそうです。
 最近なんとなく山歩きを始めたのはエネルギー不足を本能的に知ってるからでしょうねェ

 自然の写真を,楽しみに見させていただきます。

  

ya(・ε^)na - 2003/09/26(金) 00:52<

ちんちんもがもが・・

もんさん・・これ何のことか知ったはりますぁ??
  知らないあなたぁ!!・・やらしーーーーぃっておもてはりませんかぁ
  ほんまに、やなさん、やらしいわぁ・・
そないおもたはりますやろ・・
  わたしら、子供の時からみんなで遊びました
    そんな遊びが、はやってたんですよね・・
 tuyaさんもおりょうさんもしませんでしたか??
     紋さんしましたよね・・ヤゾーもしてたよね・・

        はははは・・今度こうへいさんとみんなでしましょうね・・

  この遊び知らない人は、広辞苑でしらべてみてね・・

             あはっははははっは

ya(・ε^)na - 2003/09/26(金) 00:15<

紋さん・・

まんじゅう・・しゃげ・・やてぇ!!
  これには、・・なんかおまへんのん
 まんじゅうさげて、どこいくのん??・・
 へへへへっへ・・

 こうへいさん、日曜もおますんやねぇ・・
  開催時間はなんじからなん??・・
     メールおくれやす・・へへへ

ヤゾー・・ブツとどきやした!!

こうへい - 2003/09/25(木) 20:28<

彼岸花

こちらでは、「マッサケ」と呼びます。なぜか分かりませんが、子どもの頃からそう呼んでる。
この茎をポキポキ交互に折って、首飾り作ります。あとで、指をなめたら苦い。
稲刈りの終わった田圃の畦に一面咲いてるのはきれいです。
この花、根気がないと描けません。ぼくは、仕上げたことがありません。

ヤゾー - 2003/09/25(木) 14:57<

彼岸花

みなさん こんにちわ
こちら熊野では 今大雨が降っております。

ヤナさん いきなり秋ですね。
こないだまで Tシャツとパンツ一丁で過ごしていたのに
夜になると寒くなってきました。
栗の実も大きくなり 柿も赤くなってきました。
彼岸花も咲き始めました。

こうへいさん 個展のはがきが出来たんですね。
文句も素敵でした。
見に行きます。

咲き始めた彼岸花が雨に濡れ
乳白色に靄った景色の中で
よりいっそうに鮮やかな赤い色していました。

ya(・ε^)na - 2003/09/24(水) 22:39<

へへっへへ

夜風を感じて酒を呑む!!
 秋だ!!・・
  肌に感じる風は、冷たく冷酒はもういらない・・
人肌よりも熱い燗酒・・
  くーーーぅ・・鼻からぬける・・この香・・
    大き目の杯を・・
     へへへへ・・キューーーーっと空けた!!
   へっへへへへ・・・・空の胃袋に・・・へへっへへ
       きました・・へっへへきましたよ!!!

   窓からながめた・・曇り空!!


      
      だらりと左腕がおちた・・窓から雨のしぶきが入ってきた・・
              また雨だ!!

           もう一杯・杯についでみた・・
              へへっへへ・・

               すこしシャレた気分で乾杯!!


           へへっへへ・・酔いがすこし・・窓から流れてきた・


             流れてきたみたい・・

こうへい - 2003/09/24(水) 01:13<

展覧会の葉書

作りました。風の王国 掲示板に載せました。
私事ですみません。
ありゃ、実名出してしもた。

やなぎむし - 2003/09/23(火) 22:46<

仮面・・

そのひとは、年老いていた・・・・
 その白髪・・・
   皮膚は、長い人生を刻んでいた・・
 手の皮膚にはしみがみてとれ・・た
    後姿は、少し前かがみになっていた・・
      歩幅は短くチョコチョコとしているのでは??・・・見た目の思いと・
   その違い・・・・
      その違い!!!

       しかし・・しかし・・

  その人の目の輝きは・・・
     若者よりも・・輝いていた・・
   着ている衣服は、原色の赤が眩しい・・
      見落としてしまったかもしれないが・・
    きっと素敵なマニキュアもしていただろう事が想像できた・・

     目の輝き!!!
      若者たちに、その輝きが・・・
        見つからない!!・・・
         
      なぜ・なぜいま・・・年配者なのか・・

           ニュースステイションに情熱の目を見つけた

              人生も芸術も・・爆発だ!!
     
    

ヤゾー - 2003/09/23(火) 19:15<

ミニ箕の販売を再開しました

みなさん こんばんわ

こうへいさん 縄文時代の釣り針の話し
なかなか興味深いものがありますね。
釣り針の返りのある方が 進化している訳ではないんですね。
返りの無い針は 魚をばらしやすいのですが
小さな魚が釣れたときなど 針を外すときに口がグチャグチャになったりして大変です。

紋次郎さん 小さな子供の方が
その地方の言葉をよく喋りますね。
特に 家に爺さん婆さんが居る場合には 
笑ってしまうほど 昔の言葉を使ったりします。
テレビを見出すと 言葉も少し変わるのかも知れません。

ミニ箕が届きましたので販売を再開します。
サイズ大が 少量ですが出てきました。
今までの物とは少し違い 桜皮が入り
一枚一枚 記されている文字の大きさも形も違いがあり
判子ではなくて あきらかに手書きによるサンカ文字が記されていました。
今までの物より 古くに作られた物なのかも知れません。
また サイズ中と小には サンカ文字が記されていないものがありますので
公平に販売できるように 大中小のセットのみの販売となります。

こうへい - 2003/09/22(月) 22:40<

縄文の釣り針

某博物館から、縄文の釣り針の製作を頼まれて、鹿の角で作ったことがあります。
遺物を見ると、返りのあるものと無いものがありました。
返りの無いものから、有るものに進化したと思ってたのですが、同時期に両方出てるものも有ります。
一説では、浅い釣りには返りのない釣り針で、深い釣りでは返りのあるハリと、使い分けたのではないかと言われています。
浅ければ、エサが落ちることも少ないし、サカナを外すのが早い。
深ければ、エサが落ちるおそれがある。勿論サカナが外れるおそれもある。

現在でも、浅い釣りで、数を釣る時は、ペンチで返りを潰す人が居るそうです。
素人がこんなこと言うのもあれですが、縄文時代から使い分けてたのかも・・・

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2003/09/22(月) 05:42<

...秋田方言 ガモコ...

 yanaさん、お待たせ‥‥
 だがね。ケツ論からいうと、あんましパッとは発展しないんでアリマス。
 昭和30年ごろ、医者が本職の安田徳太郎さんが、この領域を書きまくったんですナ。
 曰く『性の風俗(尻ズもの)』。ここに世界各地のほとんどが収録されているはずだ
し、その本持たぬので、紋チャンはあんまし乗り気はしないんです。

 でも、当時は辞書が整備されてなかった。学者さんたちがネパール語を見落としたのは
この言語が西洋語として組みいれられたことと、ひとつには辞書がなかったからだと思っ
ています。

 八重山〜薩摩〜西長崎〜津軽にある特殊なイントネーション地帯にマンジューが乗っ
かっている……この現象は八重山〜津軽がアラビヤ勢力のコロニーだったのではないかと
思ったオレ(この語もアラビヤ語だそうで)は秋田の方言……それも陰部の……を訊きま
くったんでした。
 すると秋田に、標準語でいえばチンポコに相当する幼児語みたいな表現で、「ガモコ」
があることを知りました。ガモコなんてぇのは初めてしりました。

 ちょとハナシを飛ばさせてもらいます。
 長男がまだ3歳ぐらいのとき、おへまと二人でおへまの里へ行かせたんです。
 その後10日ほどしてオレが行ってみると、もう長男のヤツ、山奥のことばに馴染んで
いて、「外に行ってアチョバム(遊ぼう)」と云うんです。
 4歳ぐらいの子供ってぇのは、ものすごい吸収力があるんですナ。

 オレが子供だった頃、ツララのことを「モガンポ」とよんでいました。おれ、つい最近
まで、これは「もがむ(もぎたい)po」だろうと考えていたんです。「コリコリ噛んで冷
たい歯の感触を楽しむために“もがむ”」だろう……と。
 だが、ちがった! モガンポの最初の mo はチンポの po と同じの称愛辞だった。別の
表現をすれば「小さなチンポコ」。
 観音様を「オガム」という……。少しハナシは続きそうです。


 トンチンさん、もう出かけたかナァ。オレも蜜柑さんがおっしゃるように、長距離をひ
とりで歩くことをお奨め申しあげますタ。
 初孫ができてよう判ったヨ。一切の概念のとりこみは初めは自分でやるよかシャァねぇ
んだ。それが並みにことば覚えたら自分以外の“他人”が歴史経過のうちに取りこんだ概
念‥‥“常識”をとりこんで急成長をとげる。
 その過程のなかで、「おれが……」という領域が変形をうける。ーー悲しき14歳ね。
 こんなこと(・)考えながら歩いちゃイカンぞな。

こうへい - 2003/09/21(日) 19:43<

「坊主クラブ」入会

バリ師さん ありがとうございます。
名誉あるクラブへの入会感激です(^o^)ヤナさんよろしくです(^^)
名人に「郡上職漁師のアマゴ釣り」という本借りました。
カゲロウの毛鉤手に入れて、その時を待ちます。
四月には、一匹は、ぜひ食いたい・・

ヤゾー - 2003/09/21(日) 18:37<

こんばんわ

みなさん こんばんわ

蜜柑さん お陰さまでミニ箕を目にすることもできましたし
お役に立つこともできました。
自分の分も販売してしまい
残りの箕を送ってくるのを待っている状態です。

こうへいさん 楽しい時間を過ごせました。
こちらこそ ありがとうございます。
僕が帰ろうと言っても ねばろうとするあたりは
結構な釣りバカになりそうな予感がしております。

バリ師さん まぐれで釣れただけですから
僕も「坊主クラブ」に入れて下さい。
風の王国の写真では立派なアマゴに見えますが 
実際には小さかったです。

テンさん お久しぶりです。
えーと えーと すみません どなたか分かりません。m(_ _)m
残りのミニ箕が 今週中に届きますので また通信販売します。
引き続き 民芸品店「かなかな」でも販売していますが
残りが少なくなってきているそうです。

テン - 2003/09/21(日) 14:23<

完売おめでとう

ヤゾーさん
お久しぶり 箕・籐・籠 本当に温かみを感じますね
竹の性質は、陽性で最近建築にも 竹製のフロアーが
あるそうですね アジア人の生活の知恵大事にしたいですね
サンカの皆さんも見ていると思います 頼もしいですね!祝杯

バリ師 - 2003/09/21(日) 04:54<

坊主クラブ

こうへいさま、それはまことに残念でしたね。また来年の4月5月、カゲロウがいっぱい乱舞している季節にまた毛鉤を振ってみて下さいませ。

それまではこの前のヤナさんと私と三人で「坊主クラブ」に所属して頂きます。アマゴを2匹も釣り上げたヤゾーさんは入会資格がありません。アハハ!

アマゴは播磨ではヒラベと呼びます。本来は鮭と同じように海に出てサツキマスになるトラウト(鱒)です。赤い点々がないのはヤマメかも知れません。これはサクラマスになります。東北・北海道ではイワナも海に降り、アメマスになるそうです。

こうへい - 2003/09/20(土) 19:56<

幻のアマゴさま

バリ師さんの言いつけを守りましたが、ビギナーズラックはありませんでした。トホホ・・・
おまけに、滝壺で毛鉤二つも取られてしまいました。
2.3メートルの竿では、アマゴの魚眼レンズには、ボクがバッチリ見えていたと思います。
ヤゾーさんがミミズで2匹も釣ったので、その美しい姿を見ることが出来ました。
昔、トモダチが目の前で食ったアマゴドンブリのんは、赤い点々が無かったですが、
今回見たのは、赤い点々が鮮やかで実に美しかった。
焦って、河原に走ったので、山の神、川の神にお祈りするのを忘れた。
来年、四月リベンジです。

山小屋で、久しぶりに8時間爆睡しました。ヤゾーさん、ありがとう。

熊野の帰り、車の前を真っ黒なサルが横切りました。ゴリラか?

tasyy <http://lovingtassy.hoops.ne.jp/lovingtakakouehara.mpg> - 2003/09/20(土) 11:33<

婚姻夫婦を守ります

拝啓
時下益々御清祥の段、御慶び申し上げます。
日頃は格別の御引き立てを頂き、有り難く御礼申し上げます。
地球各国の政治と経済と産業と商業と警察と教育と全ての国の国民全員に
読まれて理解されたい。プリントアウトされて最もふさわしくよろしい
場所に保存及び送付下さい。センスと自然の摂理と風紀と憲法で届けて差し上げて。
掲示板への転載とメール転送の許可を致しますので宜しく御願い致します。
以下のふたりの婚姻夫婦を守りますので上記の御金で夫婦の
心をひとつにして意思の疎通(会話)を優しく守ります。
〒901-0241沖縄県島尻郡豊見城市豊見城122-1 上原多香子(父・いち)
〒362-0076埼玉県上尾市弁財2丁目8番8号 田代広義(父・ひろし)
田代広義タシロヒロヨシAB型
生年月日1970(昭和45年)8月14日
テアトルアカデミー合格証書授与
文部科学省生活体験講座感謝状
校内音楽会職員合唱表彰
自由民主党一般党員
国土建設省 国家資格所有
特許庁 特許申請中・商標取得
埼玉県 地域カウンセラー資格授与
株式会社三洋 医科一般医療事務
日本体育協会 スポーツ少年団認定員
ノーベル賞授与者 広中平祐氏から表彰授与
http://www.takakouehara.com/hiroyoshi.mpg
http://www.takakouehara.com/prize.html
http://www.takakouehara.com/hiroyoshi.html
http://www.takakouehara.com/mp3.html
http://www01.netweb.ne.jp/~tassy/portrait.html
http://www01.netweb.ne.jp/~tassy/promo.swf
http://www.takakouehara.com/marriage.html
http://www.takakouehara.com/humility.html
http://www01.netweb.ne.jp/~tassy/fine.swf
http://lovingtassy.hoops.ne.jp/lovingtakakouehara.mpg

Disease body setting & spirit setting exept completeness.
cancer & sickness all,realize intelligence ideals.
realize health ideals.Illegitimate is a capital offense.
a person of a thing rob sense & feeling & human rights.
obey the law. accede to a demand of law.
your country person exist rob illegitimate.
crackdown completeness & capital offense.
a dispatch goverment & ministry & police.
present this message many people.
we send post & mail.all helping situation.We know.
Takakouehara & Hiroyoshitashiro
marriage & a relative & the bereaved family.

国家褒章と感謝状を授与されたいので皆様からも推薦を宜しく
御願い致しますと共にあなた様も褒章されたいので畏敬に想います。
幾つもの御寺に献上された謙譲物が今日も地球文明向上続けます。
国宝殿堂や教会や御寺建設は私の中の最高のセンスで建設し続けて下さい。
銀河系で歴史で一番の素晴らしい婚姻と知名度を未来永劫に誇り続けましょう。 敬具

蜜柑 - 2003/09/20(土) 00:25<

ミニ箕

ミニ箕完売おめでとうございます。
我が家では、玄関先に飾ってあります。なかなか風情があっていいですよ。
死んだとき、棺おけに一緒に入れてもらう予定です。

トンチンカンへ。
NONさんのところへ行って、子犬もらって来なさい。
で、帰りは歩いて帰りなさい。
サンカのように野宿しながら、犬と一緒に。
僕がもう少し若くてフリーターだったら
絶対やってます。
シェルパ斉藤の「いきあたりばっ旅」という本に同様の体験談が出ていまして、
非常に感動しました。

<お知らせ>
本日、「サンカ研究」という本を書いた田中勝也さんから電話があり、
サンカ話をネタに一杯やりたいとの事です。
以前、皆神さんと僕と3人で飲みに行ったことがあり、大変有意義な、
心地の良い時間を過ごせました。
日程は未定ですが、
サンカしたい方は、メールください。
メルアドは、風の王国を探してください。


ヤゾー - 2003/09/19(金) 09:51<

渓流釣り

みなさん こんにちわ

ya(・ε^)naさん 風の王国の写真見ました。
クエの子を貰ったんですね。うらめしい。
高級食材として有名なクエですから くれるものなら僕も貰いたいです。
あの魚とは思えない鳥肉にも似た食感といい 
コラーゲンたっぷりのプルプルした皮にして淡泊な味わいで
鍋で食べたら最高ですね。

▼うぶさん イシダイをやる人も
サザエやウニなどの高価な餌を使いながら坊主ということも多いそうです。
擬似餌(ルアーや毛針)を使うという技を習得して下さい。

バリ師さん 釣りに行ってヒヨコを拾ってくるなんぞ
並みの釣り師には出来ません。
大きくなったヒヨコの毛を使って毛鉤を巻いたら ものすごく良く釣れたりして
平成番テンカラ釣り師のヒヨコの恩返し物語になるかも知れませんね。
鶏もヒヨコの時から育てると良く懐いてカワイイものですから 大切に育ててやって下さい。 

もうすぐこうへいさんがやってくるので
一緒に渓流釣りに行ってきます。
餌のイクラを買うのは勿体ないので
僕はこれからミミズを探して用意しておきます。
久しぶりの渓流釣りで 少しワクワクしています。
でも坊主の予感がしる!

こうへい - 2003/09/18(木) 08:56<

バリ師さん

ありがとうございます。
忘れないように、プリントアウトしておきます。
川の職漁師の仲間入りですか(^o^)
釣れたら写真撮っときます。
明日が楽しみ・・ワクワクしてます。
バリ師さん ありがとうです(^^)

バリ師 <http://www.geocities.co.jp/Outdoors-River/5093/> - 2003/09/18(木) 01:53<

最初の1匹

■こうへいさん:まずポイントには静かに近づいて下さい。アマゴに先に覚られるとまんず釣れません。

@落ち込みの白い泡の消える辺りに毛鉤を打ち込みます。Aすぐにラインを立てて毛鉤を流れなりに流します。B次の落ち込みギリギリまで流してピックアップ。毛鉤が見えても見えなくても、魚の出るのが見えても見えなくても一向にかまいません。Bでここで食うと思って合わせます。

季節柄、朝夕のまずめか、曇った日和がよろしいようです。これで子どもでもテンカラで釣れます。最初の1匹、グググッと掛るとええですね。テンカラの練習には、本流でカワムツ相手に毛鉤を振って下さいませ。これはよく釣れます。テンカラは元々川の職漁師(サンカ含)の釣りでありました。

播磨テンカラ会HP→釣り日記→2003.7.12蕎麦畑のテンカラ教室を参照して下さいませ。
http://www.geocities.co.jp/Outdoors-River/5093/

■ヤゾーさん:ヒヨコはすくすく育って、翼が産毛から白い羽根に生え変わりつつあります。ご近所の手前、「ピヨピヨピヨ」が「コケコッコー!」に変わるとどないしょうかと少し悩んでおります。これで毛鉤でも巻きましょうか。

■ヤナさん:こん前、日本海で子どもがキスのチョイ投げしとったら、25センぐらいの赤エイのこんまいのを釣りました。あれ尻尾に棘がありますな。煮て食べたらエイの鰭のゼラチン質と軟骨はヌルヌル・コツコツしとってなかなか美味でした。

■▽うぶさん:そらまあ竿の長短もあるし、軟調、硬調もありまっせ・・・まだ言うとる。アハハ!私はいっぺん釣られてみたい。

▼うぶ - 2003/09/18(木) 00:43<

”FISH”も有るよ。

バリ師さん、ヤナさん、ヤゾーさん
親友ですが、おフランス製で「LV」マークの高額な餌(だけ)食い逃げされよりました、しょげてます。
ナカナカ利口な魚だったらしい。{浮き}はかなり揺れたらしいのに、、、、、、、、。
その轍だけは踏まぬ様に気をつけませう。

ya(・ε^)na - 2003/09/18(木) 00:10<

バリ師さん・・

ケプラーですか・・・
  うちのメンバー、石鯛仕掛けでもねろてるんですよ
    12時間以上仕掛けもってたら・・明くる日・・身がはいってるんですよぅ

    同じ日、メンバーが大物かけてるんですよ・
    それは、たたみ一畳はあろうかという、エイちゃんです・・
           さすがに、水面を切ることはでけへんかったそうですが・・
       すんごく、興奮したそうです
  それとほかにも、おいしいオトト3匹もゲットしよりました・・

      はずかしながら、その味にほれまして・・へっへへへ
         一匹ちょうだいしてきました・・(なさけなーーーぁ)(風の王国にUP)

  △うぶさん、餌なんぼ撒いても・・口の肥えたオトト・・
         掛かりませんねぇ・・・・・・・・・・・いや!ほんま

ya(・ε^)na - 2003/09/17(水) 23:26<

女陰のよびなやてぇ・

ぼぼどこでも、おんなじですよねぇ 
 私の為にフォーミイ・・にまんじゅうおくれやす・・
  ほとほとつかれますねぇ・・
    このてのおはなし・・
      なーーんちゃて・・
  おとこはだ!・・ん・・こんなはなし好きですよねぇ

ヤゾー - 2003/09/17(水) 20:40<

ミニ箕の販売報告!

ミニ箕の在庫が無くなってしまいましたので
発送にはしばらく時間がかかります。
サイズ中と小はまだ残っているそうですが
サイズ大の箕はあるかどうか分かりません。
民芸品店「かなかな」でも サイズ大は展示用の一枚しかないとのことですが
三角寛氏の娘さんの家を探せばあるかも知れないとのことです。
見つかり次第に 大中小のセット販売を再開します。

匿名希望さん 女陰の呼び名について
ありがとうございます。
確かに おっしゃる通りだと思いました。

匿名希望さん - 2003/09/17(水) 20:32<

呼び名

やぞーさん
>男根の呼び名は比較的にどこでも同じみたいですが
>女陰の場合は どうして地方によって違いがあるのでしょうね
女陰の場合、名称であると同時に行為の呼び名でもあります。
お○○○する・・とは言いますが、ち○○する・・とは言いません。
そのちがいではないでしょうか?

ヤゾー - 2003/09/17(水) 19:22<

カワイイ子ワンコでした

みなさん こんばんわ

NONさん お久しぶりでした。
子犬の写真見ました。
アザラシみたいで可愛かったです。
こういう話題 大好きです。
里親が見つかると良いですね。

はつせさん 僕も基本的には食べて美味しい魚を釣りたい方です。
残された自然の中で むかしから生息している純血種の魚を釣ることにロマンを感じます。

とんちんかん小僧くん 一人旅にでも出てみたらどうですか。
そうすれば 少しは自分の中に変化を感じるかも知れません。

▽うぶさん 釣りというのは不思議なもので
餌よりも毛針やルアーの方が釣れることもあります。
○釣りに応用してみて下さい。

バリ師さん カムルチー(朝鮮ナマズ)といえば
つげ義春さんの漫画の中に出てくるのがありました。
なんでも 朝鮮では食用薬用として おめでたいときに食するそうです。
なかなか 味わいの深い漫画で印象に残っていました。
それはそうと 釣りで拾ってきたヒヨコは元気にしていますか。

こうへいさん アマゴは飯粒では三年しても釣れません。
僕もアマゴ釣りは 最近ご無沙汰なのであまり自信がありません。
雨の後はミミズが良いときもあります。
ビギナーズラックで まぐれで毛針で釣れたら
渓流釣りに 狂いそうな予感がしてます。

紋次郎さん どうぞお書き下さい。
あまりマトモなレスは付けられませんが
勉強させていただきます。
かねがね不思議に思っていたのですが
男根の呼び名は比較的にどこでも同じみたいですが
女陰の場合は どうして地方によって違いがあるのでしょうね。

NON <http://www.cty8.com/yoka/index.htm> - 2003/09/17(水) 18:25<

子犬生まれました。

いつもROMで楽しんでいます。
なかなか発言ができることがなく失礼しております。

すみませんが,子犬のことでアップさせてください。ヤゾーさん適宜削除してくださいね。

合計5匹生まれました。父親にも母親も玄米菜食犬です。時々,卵,魚,牛乳やっていますが,
お肉は全くやっていませんでした。

父親はラブラドールの黒,母親はシェットランドと雑種のあいのこ
の黒。生まれた仔は5匹とも真っ黒です。親の方は両方とも人懐っ
こくておだやかで,噛む心配を全くしないできました。

子供達も5匹ともみんな健康で可愛いです。実は全部一度里親が決まったのですが,オスが一匹キャンセルになりました。その時ここのネットには流さなかったので,ここにも声をかけてみようと思いました。

近くの方で飼ってみたい方,いかがですか。色々聞いたり,見に来たりしてくださいね。11月から12月上旬にお渡しできます。

画像は
http://www.cty8.com/yoka/yoka2/gazou1.jpg

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2003/09/17(水) 18:16<

...宮崎では全面的にマンジュー?...

 ヤゾー親分さん、放火犯は必ず現場に立ち戻るといいますよね。あれ、罪の意識に
さいなまれているんでしょうネ。

 「宮崎でもマンジュー‥‥」は、知りませんでした。有り難うございます。
 秋田でも全県的に「マンジュー」が喋られていることを確認できました。
 これは津軽での安藤・安東の殿様が南下したことによるものと見受けられます。

 学術的にはもう少し煮詰めなければならないでしょうが、八重山〜薩摩〜西長崎〜津軽
のイントネーションとマンジューの一致は、この地帯がアラビヤ勢力のコロニーであった
ことを物語っている‥‥と、断言したいです。
 日本歴史には200種ぐらいの「藩」が出たり消えたりしたのでしょうか? そこにいた
底辺の民衆は、1万年前の時点では大略同じもので、夫々の特徴を出しているのは、大陸で
の「強い軍隊」を持って、日本列島にやってきた「各地での支配階級」……という公式がい
えるのじゃないだろうか‥‥です。

 また、ときどき書かせてもらってもいいですか?
 でも「おまえの母さんデ・ベ・ソ」だっきゃあ、いただけないんですがねぇ〜〜。

こうへい - 2003/09/17(水) 09:34<

釣りと魚

バリ師さん おはようございます
ぼくのもらった毛鉤は例えばカゲロウの様な羽虫シリーズなんです。
22本あるのに、みんなそう。台紙にはフィッシング・フライって書いてます。
買った竿は、テンカラ用やとヤゾーさんが言ってました。
テレビで、今、川の中に何が居るか知らないと釣れないと言っていたのは、水中昆虫のことかな?
メシ粒、ミミズの方がましと言ってヤゾーさんが帰って行ったので、意地でも釣ったるって気分です。かわいそうやから一匹やるなんて言われるの耐えられませんからねー。

わが母校の校歌にも歌われている、亀池の真澄の水にもブルーギルがいっぱいです。
大きな鯉はいますが。大きなシマウマ亀もいるし、キャッチアンドリリース禁止なんてやってもおっつかない。特別に池作って、純血種だけあつめて他と隔離しないとダメと違いますか。
ちょっと悲観的になりましたが。山奥の池で、フナではなく海の魚のようなブルーギルの群れ見たときショックだったのは確かですが・・・

バリ師 - 2003/09/17(水) 07:57<

釣れてよし釣れなくてよし

ヤナさん:釣れなかった釣り人を慰める言葉は聖書にも書かれていないとか。同類相憐れむ。私なんか坊主慣れしてしまって屁とも思わなくなりました。しかしごっつい仕掛けですな。ハリスに石鯛に使うケプラーの糸はどうでしょうか。

こうへいさん:私のテンカラ(和式渓流毛鉤釣り)の師匠は、昭和20年代、市川のサンカに毛鉤釣りを教わったと話しておりました。ぜひ毛鉤で1匹掛けて下さい。吉報を待つ。

はつせさん:ブラックバスの前に雷魚が日本に入っておりまして、これは台湾経由と朝鮮経由と二手あるようです。日本史の年表と絡めるとこうなります。
1895年(明治28年)日清戦争後、清国から台湾を譲渡
1906年(明治39年)台湾ドジョウ移植
1910年(明治43年)日韓併合
1923年(大正12年)カムルチー(朝鮮ナマズ)移植

▽うぶさん:その○釣りは撒き餌が足らんのとちゃいますか?アハハ!

▽うぶ - 2003/09/17(水) 01:49<

釣り;頑張ろうネ!

釣りて難しいんですね、ヤナさんほどの用意周到でも×でしたか。釣り技術の事全然判らんのですけど、
○釣りも難かしいです。大概坊主ですので、魚屋のお世話になりっぱなしです。
餌無しで、毛針だけではやっぱり無理なんかなー?。

とんちんかん小僧 - 2003/09/17(水) 01:23<

心の浄化

一昨日、大阪市立美術館へ<特別展『円山応挙展』>を、ザ・シンフォーニーホールへ憧れのヴァイオリニスト、イツァーク・パールマンの演奏会を見に行ってきました。
日本では、一般的に幽霊には足が無いらしい(!?)それを知るきっかけを作ったのが応挙の「幽霊図」。実物はどこか寂しげなお顔でしたよ!
応挙の作品の多くは兵庫県香住にある別名応挙寺ともいわれている大乗寺にあります。
大乗寺の障壁画は応挙一門の手で全て描かれたそうです。
応挙の手によるものは「山水の間」「郭子儀の間」「孔雀の間」です。
どれも今現在展示されています。
山水の間にある絵は正面から見た時と左右から見た感じでは大分違って見えるので面白いです。
鯉の滝登り「龍門鯉魚図」(寛政元年秋)も本当に良かったです。
影になる部分の描写が素晴らしいです。
子犬の絵も可愛かったなあ。

それからメインのイツァーク・パールマンの演奏を聴いてきました。
登場するまで全く知らなかったことですが小児麻痺で両足がまるで動かないとは知りませんでした。CDのジャケットには演奏者の下半身が載ることがなかったので・・。
しかし最初の音を聴いた瞬間、感動のあまり目頭が熱くなりました。
そして、聴き進むうちに身体に何ら不自由の無い僕自身が恥ずかしくなってきました。
僕もまだまだ若いんだから猪突猛進することもイイんじゃないかとフト思いました。
パールマンの演奏を聴いて変化を怖がっている自分に活を入れてもらった気がしました。

はつせ <http://www.ne.jp/asahi/songshang/hatsuse/> - 2003/09/17(水) 01:03<

魚の話

NHKでブラックバスの話をしてました。外来種のブラックバスが日本古来の生態系を崩壊させるので、各自治体が「キャッチアンドリリース」を禁じたところ、バス釣り人がめっきり減って今度は観光収入に依存している人が災難になっているという話です。私は「釣り人」とは「食べられる魚」しか釣らないものだと思ってました(私の信条がそうです)。生態系を崩壊させる魚を「駆除」するために一役買う、という人は少なく、それなら釣らない方がいいや、という人が多いそうです。みなさんはどう思いますか?魚を容赦なく食べている私にとって「キャッチアンドリリース」が釣り人の道と思っている人がいるとは思ってませんでした。食べられる魚の稚児を将来食べられる様になれよ、とリリースするのは肉食動物の人間として「自然」と思うのですが。ちょっと過激でした。

ヤゾー - 2003/09/16(火) 19:33<

魚とて・・

みなさん こんばんわ

ヤナさん あきませんでしたか。
鉢植えの花を植えつけるのに・・ブルトーザーは傑作でした。
釣りバカのトモダチも 普段の仕掛けでは話にならない当たりを何度も経験したあげくに
一番細いワイヤーを使って挑戦しましたが 魚とてアホではないので
そういう仕掛けでは喰いついてくれませんでした。
僕も竿ごと引ったくられ 強烈な当たりを経験していますので
普通の仕掛けでは無理だという気持ちはよく分かります。

こうへいさん カワセミが虫や虫みたいなものを使って
魚を誘き出して捕まえるというのは知ってました。
カワセミも喰うために必死なのか 
それとも少しは遊び心があるのかもしれません。
魚とてアホではないので そう簡単には釣れませんが
一緒にがんばってアマゴを釣りましょう。

こうへい - 2003/09/16(火) 13:41<

予想発表です・・なんのやねん

熊野の渓流釣りでんがな。
トモダチが、むかし毛針をくれた。最近千円の竿を買った。竿買ったので糸買った・・・

カワセミって知ってますか。
暇なトモダチが、池でボウッとしていたら、カワセミがおったと
そいつは、先ず虫を捕まえたと・・
見てると、しばらくホバーリングしておってから、水面に虫を落としたと
水中から、魚が急に上がって来たと
カワセミは急降下して魚くわえたちゅうわ。

カワセミ戦法で、アマゴ三匹は焼いて食うねん

ya(・ε^)na - 2003/09/15(月) 22:43<

結果発表です・・なんのやねん

田辺の夜釣りですがな・・
 魚釣り仕掛けって本当は、釣る魚に対して竿のバランスやとか考えるんですけど・
なんせ南紀の夜釣り、なにがくるか、わかりません!!
自分の取りたい獲物に併せなしょおおませんがな・・よって!!
 PE14号・ハリス12〜14号・グレ針13号・磯竿5号なる大仕掛けとなりました
目的はタマミとコロダイの60CMオーバー!!
この二匹の馬力はものすごうおまして、釣りと言うか格闘にちかいものがおます
 以前他の人が、掛けた時、竿が立たず一人が竿をおこしながらの釣りとなりましたけど
結果は、ばらしとなりました
それとこの仕掛けには、大きな欠点がおます・・
  なんせ最大の大物、和歌山がおます。
 この和歌山は、はんぱやおませんよう、引くことはおませんが掛かると外れない
  仕掛けのハリスは切れにくい!
   これを、10数回くりかえしますと・・ほんま疲れます

      そんでから結果ですけど・・・・

  あのねぇ・・実を言いますと・・えええっと・・
   そうですねぇ・・鉢植えの花を植えつけるのに・・
    ブルトーザー用意するようなもんですよん
     情けなーーーーァ
    おまけに寝不足・・
        もうしばらく釣りやめます

    今度行くまで、絶対にいきませんよう・・???
       
        

                お粗末さまでした・・  ほなさいなら

ヤゾー <http://www.kumanolife.com/Topics/9..15.html> - 2003/09/15(月) 14:29<

三角寛所蔵のミニ箕が通信販売で買えます!

みなさん こんにちわ

故三角寛氏が かつてサンカに作らせたといわれる小さな箕が通信販売で買えるようになりました。
実物を目にして 小さいながらとてもよくできており こんな貴重な物が手に入るなんてと驚きました。
サンカの手による貴重なミニ箕を 広く多くの方に保存しておいて欲しいという趣旨からの販売となりました。

http://www.kumanolife.com/Topics/9..15.html

http://www.kumanolife.com/Shop/minimi.html

ヤゾー - 2003/09/14(日) 20:22<

大滝ダムに沈む神社と遺跡

みなさん こんばんわ

紋次郎さん お久しぶりでした。
宮崎県出身のおばあちゃんが 小さい頃に川で泳いでいたら
まんじゅうが見えたと 近所の小僧にからかわれたと むかし話してくれました。
まんじゅうが何を意味する言葉なのか
知ったのはずっと後のことでした。

あおきさん こうへいさん 地震を予測するというのはなかなか困難なことのようです。
地震関係の掲示板を読んでいたら 携帯電話の誤作動というのが結構ありました。
それと ここ最近モーレツな睡魔に襲われたというものがありましたが
知人や僕にも そういうことがありました。
それらが 今騒がれている地震と関係があるのかどうかは定かではありません。

ヤナさん おもしろいわ!
それだけの仕掛けなら 磯にへばりついたタコでも
上げられそうですね。
とんでもない大物か変なもん釣ったら教えてね。
大ウツボとか?

もの凄く遅いパソコンでネットサーフィンしてたら
あまりの遅さに途中で寝てしまいました。
まあ テレホーダイタイムだったからいいけど。

少し前に 大滝ダムの話題がありましたが
大滝ダムの工事によって沈む国津神を祭る神社と縄文遺跡のページを見つけました。

丹生川上神社
http://yasaka.hp.infoseek.co.jp/niukawakami.htm

宮の平遺跡
http://www.kashikoken.jp/from-site/miyanohira.html

ya(・ε^)na - 2003/09/13(土) 23:20<
へっへへっへへ・・明日!!
  田辺です・・
    うまいこと台風・・行ってしまいました・・
        明日また行ってきます・・
今畜生!!・・PEライン60kg  OKなんよ!!
   ハリスも12号なんよ・・

      和歌山釣ってもOKなんよ・・へへっへへ

 ははっはははっは・・天下無敵や!!
            いてもおたる!!
  わくわく・・

                  結果をお楽しみにぃ・・

        はははっははあは・・

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2003/09/13(土) 07:07<

タマトタケル は アラビヤ人 だった

 みなシャン、やっとかめ なも(名古屋弁)。
 あっしゃ、あい変わらず国際古代語やってます。
 8月4日に、沖縄とアラビヤ語とが共にE.Oがなく A.I.Uの3母音であることを
あらためて気がつき、アラビヤ勢力が日本史にのっぴきならぬ大影響を与えていたこ
とに思いあたってオタオタしていました。

 √♪ ハ・ア・ル・ノ・オ・ガ・ワ・ワ (さらさらゆくよ) ♪
 から「ハルガ」の部分を差し引いて「♪ アノオワワ」と歌ってみてください。こ
のメロディーが八重山〜薩摩〜西部長崎(五島)〜津軽に、語りだしのところで共通
なイントネーションです。
 このアノオワワ族と殿様が移動した秋田だけが女陰をマンジューと云ってるんで
す。
 第二子音濁化のクセというのがあります。マンコは「マンゴ」となります。
 ところが果物の「マンゴ(マンゴー)」には O があるので、アラビヤ人たちはこ
れが発音できません。ついつい manju 、manjyuu となったのでした。
 
 そこへこのほど、ヘルプさんという方が「まほろば、まはらば」は南アラビヤ語で
あることを教えてくれました。これはほんとうだと思いますのでお報せします。
 タマトタケルが能褒野で白鳥となって昇天する直前に詠んだ『やまとしうるはし』
のなかにありますので、これで、アラビヤ勢力が日本建国の中心にいたことが確定し
たかと思います。

こうへい - 2003/09/13(土) 01:23<

関東特有の現象

きょうかいさん こんばんわ
仕事で中断して、失礼しました。
ヤゾーさんのカキコミの関連です。

あおき - 2003/09/13(土) 00:36<

ぼくもこの記事みました

 去年の秋ごろから妙に地震雲を見るなーと思っていたら 宮城に大地震があったりしたのでそろそろ
関東に来てもおかしくないですよね 風の王国掲示板にも写真アップしましたよね
 覚悟できてます サンカの知識が役立つかも

ヤゾー - 2003/09/12(金) 17:25<

ご存知の方も多いかと思いますが・・・

みなさん こんばんわ

こうへいさん そちらでもカミナリが凄かったんですね。
カミナリで電気製品などが壊れたりするのは聞いたことがありますが
携帯電話が誤作動するというのは珍しいかも知れません。

ヤナさん 積乱雲とカミナリと雨から
そういう詩がうまれるなんて
やっぱり詩人ですね。

おりょうさん ススキが食べられるなんて知りませんでした。
それに栄養豊富なんて
一度 試しに食べてみようかな。

△うぶさん 小さな頃 山奥から引っ越してきた一つ年上の友達がいて
彼と山に遊びに行くと 食べられるものを実に良く知っていました。
みんなは 彼のことを尊敬の意を込めて 山猿と呼んでいました。

きょうかいさん それは不思議な現象でしたね。
ご存知かもしれませんが・・・備えあれば憂いなしということで
次のようなページがありました。

http://www.ashisuto.co.jp/corporate/rinen/totten/ow_text.php?A=1&B=600

きょうかい - 2003/09/12(金) 14:34<

こうへいさん こんにちは

>今、問題になってる関東特有の現象では?
これはどんな現象ですか

こうへい - 2003/09/12(金) 13:45<

超常現象

きょうかいさん こんにちは

面白い現象ですね。
うちも、電話関係は無いけど、
玄関があいて人の声がして、行ったら誰もいないっていうのが、昼夜を問わずあります。

電話の関係は、今、問題になってる関東特有の現象では?

きょうかい - 2003/09/12(金) 10:37<

誤作動?

@先輩の家の居間でのこと。そこには先輩夫婦と友人1人の計3名。
テーブルの上には先輩本人の携帯電話。
その時、家の電話が鳴りました。電話にでると、無言電話。
 ただし、着信記録は残っている。発信先はなんと、テーブルの上の
携帯電話・・・。
A同じ日のこと。3人で居間にいるとき、3人同時に
 「○○さん(先輩の名前)」という声を同時に聞いている。
 皆で不思議がっていた。
Bこの日の数日前に、相当可愛がっていた愛犬死亡。
 まだ弔わずに家の中に安置していた。

 @ABは、何れも事実。
 ただし、それぞれの関係は、不明。

こうへい - 2003/09/12(金) 08:34<

子ども参加の食い物

△うぶ さん
>モチモチしていて甘くて美味しかった
それって、つんばな(つばな)では。ぼくは、田圃で見つけてたべました。

△うぶ - 2003/09/12(金) 04:48<
>これは、きっとサンカの協力があって出来た本にちがいない(独断的)なんて思いました
おりょうさん、 きっとそうでしょう。山野の物全ては原住民系の管轄とのことです、餌取りとも。
薬草も修験や原住系に行き当たりますね。小学生の時に校庭の隅っこの草の鞘の中の穂を食べた事
有ります、モチモチしていて甘くて美味しかった。名前は忘れました。(歳がバレバレ)

ヤナさんはエロスに身を任せても、、、、、堪能して、余裕有り有り。
台風のお陰で暑くて雨、本州直撃なさそうでホッ!、いつも申し訳けないですね、木の国の人、
雨雲の盾になってもらって、、、お陰でこちらはいつも少雨で済んでます。

おりょう - 2003/09/12(金) 00:58<

みなさまこんばんわ

仲秋の名月の、お月様と金星のランデブーの写真をみたら、ススキの話を思い出しました。
自然研究家の、大海淳さんが書いておられたのですが、ススキの穂をテンプラにして食べるとおいしんだそうです。
片面だけコロモをうすくつけ、パリッと揚げ、塩をパラパラとふってたべると骨センベイのようでオツな味とか。
やなさんご存知でした?
昔、旧日本軍の軍医が食糧難に備えて食用野草の研究した本があるそうです。
これは、きっとサンカの協力があって出来た本にちがいない(独断的)なんて思いました。
ちなみに、ススキの乾燥葉には、100グラム中 ビタミンA B1が豊富で粉にして保存しておけるそうです。

ya(・ε^)na - 2003/09/11(木) 23:58<

おんなは、官能に生きる!!

暖かい日の光に・・・・・
  少女は官能に目覚め・・
おとこは・・諦めに似た・・風を感じていた!!!!

 すさまじいまでの、風・・・・を・・・
   わたしは、感じていた!!!・・・・・・・・・

今日はすんごいきれいな、入道雲を眺めていた!!
      稲妻と雷鳴!!!
  そして、大粒の雨!!
    男であることと・・女であること!!
   そんなことどうでもええことやねんけど・・・・・・・・!!
               国の一員であること・・!!

    そして・・人であること!!・・・
              まあどおでもええねんけども・・・

                そんなことどおでもええねんけども・・・


           小心者の私やから・・


                 ほんまにどおでもええことなんです・・

   そやねんけど・・・


        大粒の雨が・・ベタベタと降りつずけました

                降りつづけました・・・・

こうへい - 2003/09/11(木) 00:52<

かみなりさん

昨日の夕方、東の空に凄く大きな積乱雲があって、凄く明るくなったり、クネクネの稲妻が走ったり、カミサンの買い物の間1時間程見とれてました。東なので、行ってしまうと安心してました。、
夜中、思いっきり来ましたね。一分くらい停電もしました。
あんな凄いのめったにないね。ドッカアーン バーリバリバリ、ダアアアーン 寝るどころではなかった。
雨もすごくて、増築半年も経ってない天井から雨漏りが。

大きなカミナリは、電線に落ちなくても、電線の表面を走るらしいよ。
誘導雷とか言って。会社のパソコンがよくイカレました。

ヤゾー - 2003/09/10(水) 21:21<

カミナリ

みなさん こんばんわ

副会長さん ドノヴァン・ファンクラブの紹介 ありがとうございます。
映画「ブラザー・サン、シスター・ムーン」の記憶が蘇り
とても新鮮な気持ちになれました。
映画の中で ドノヴァンのラブリーデイという歌を聴いて
その美しい詩に涙したのが懐かしいです。

△うぶさん むかし兵隊アリにたまりんこを噛まれました。
最初は何が起こったのか分からず あまりの痛さに走り回りました。 
兵隊アリに噛まれたことが分かってキンカンを塗ってしまい また走り回りました。

こうへいさん バイクやカメラは古くても 味があって素敵だったりしますが
古いパソコンこそは使い物になりません。
そちらでは 未明のカミナリはどうでしたか。

和歌山県北部に暮らす友人から聞いた話です。
今日 深夜から未明にかけてカミナリが凄かったそうです。
3時半ころが特に激しくて カミナリの音で家族全員が目を覚ましたそうです。
そんな中 消している蛍光灯が何度もついたり
着信していないのに携帯電話が光ったりして
結構 怖いものがあったそうです。
近所の人たちも同じような体験をしたそうです。

こうへい - 2003/09/09(火) 21:44<

朗報です

みなさん、こんばんわ

「かなかな」さんでの「サンカの手仕事展」に出てました”小さな箕”ですが、ヤゾーさんが、販売総代理店??をやってくれることになりました。
 数が多くてかなかなさんでは対応しきれないと言うことで、ヤゾーさんが代行してくれるそうです。
 今日、本物を見てしまいました。数が多いおかげで、ボクの所にも来たっていうのが、実感です。とても、細かい仕事で、感激です。

 ヤゾーさんのパソコンが壊れて、古いパソコン引っ張り出してきて、悪戦苦闘してる様です。
 落ち着いたら、本人から発表があると思いますので、
それまで、欲しい人は貯金しておいて下さい(^^)
 以上、連絡でした。

△うぶ - 2003/09/09(火) 03:09<

ガツロ

こうへいさん
さっそく有難う。寝る前に戻ってきましたが季節が涼しくなって来て、今、猛烈に眠たいので
今晩はもう寝ます、、、、×、○、▽、*、!、+、%、&、、、、、、、Z Z Z Z。

こうへい - 2003/09/09(火) 00:57<

ガツロ

△うぶ さん 近づいてるかも知れませんね。
鷲ヶ峰は、吉備や金屋の境ですが、なぜ、釜中の上側にガツロがあるんでしょうね。
釜中を見張る?でも、鷲が峰に登る道はあと二つあるようです。
たまり場の可能性はありますね。石垣が何段も上に続いてる。山賊でしょうか?

釜中から糸野に下りる街道は、もともと狭く、質屋の向かいの山椒作りの名人が、ブルで広げて石垣を積んだと言ってましたから・・・山椒の名人は石垣積みの名人でもあるようです。

△うぶ - 2003/09/09(火) 00:32<

〜たむろしています、御注意!

ヤゾーさん、○んちんでなくて残念です。

こうへいさん、釜中調査の「ガツロ」のその後です。
1) 「山がつ」−−−山中で稼ぐ人の事    2) ーーー山賊の事
等が有りましたので「ガツロ」は「山ガツがたむろしている場所」か?
「ろ」は 呂(溜まり場)、路、櫓(見張り)、炉(精錬)のどれかでは?
恐喝、カツアゲ、ガツガツ、の語源? 勝(新)もこれか?     天一神社は妙見社ですか?
こちらでは、釜中もどきで 「通せんぼ」と言う地域を見つけました、
近い内に調査します、三ケ岳と言う山が有り、  らしきです。

副会長 <http://www.cwo.zaq.ne.jp/bfakp907/network.htm> - 2003/09/09(火) 00:12<

突然、失礼します

突然の来訪、失礼いたします。
こちら、ドノヴァン・ファンクラブの副会長です。
「コレクション」に「ブラザー・サン、シスター・ムーン」の情報を
入れてあります。よろしければ、お出で下さい。
かしこ。

ヤゾー - 2003/09/08(月) 20:45<

蟻ありアリ

みなさん こんばんわ

おりかべさん 尺ヤマメを釣ったことがあるんですね。
僕も源流域で尺アマゴを釣ったことがありますが
鼻が少し曲がっていて 貫禄ある顔していました。

ヤナさん 秋の虫の声を聞きながら犬の散歩ですか。
ヤナさんにとっても犬にとっても
素敵な時間なんでしょうね。

こうへいさん 山の奥の奇麗な渓流で釣りをして
そこで焚き火をして釣った魚を炙りながら夜を迎えて
深い谷間から星空を眺めるというのも良いものですよ。
原チャリを復活させたんですね。
それを使ったら もっと行動半径が広がりますね。

まれびとさん 奥さん 大したことがなくて良かったですね。
そのNHKのクローズアップ現代 僕も見てました。
地滑りの危険があることを無視して
強引にダム造りを進めた国のことをボロクソに言ってましたね。
そこに貴重な縄文遺跡を擁した丹生神社があったなんて知りませんでした。

とんちんかん小僧くん カラス天狗のミイラは
今でも御坊のどこかで見学できると思いますので
一度見に行ってはどうですか。

ニルスさん 大峰の方の源流域は
こちらの源流域より水温が低いのでしょうね。
う〜ん やっぱり一度はキリクチを喰ってみたいです。

毎年 蟻には悩まさせていますが
今年は今ごろになって蟻がすごいです。
蟻はなぜかティッシュペーパーが好きみたいで
よくティッシュペーパーに群がっています。
なので 一枚目のティッシュは使わずに捨てることになります。
今日うっかり 蟻が群がっていることを知らずに
口が汚れたのでティッシュで拭いたら  口の周りが蟻だらけになってしまいました。
わしゃ アリクイか!

こうへい - 2003/09/08(月) 17:15<

釜中調査隊 小屋の谷、といしはら

原チャリで、釜中へ
天一神社への、山道の途中谷川があり、といしわら(砥石原?)と呼ばれると聞きました。
岩ばかりの谷川と杉林のみ。谷川を登ると、白岩ではない田圃に出るという。
「といしわら」と呼ばれてると言うだけで、伝承はありません。岩は、緑泥片岩で、砂岩でも泥岩でもありません。砥石が取れたのか、刃物を研いだ場所なのか?谷川は急斜面で、原っぱはありません。

小屋の谷は、池の上に山椒畑があり、土を見ると、元水田でした。
その上にまた池がありますが、堤まで登れませんでした。
昔、落人が移り住んで、芋など植えて住んだと言われていて、小屋があったんだろうと言うことだけでした。

こうへい - 2003/09/08(月) 10:16<

山の神の祭り

毎年11月7日と2月7日は、山の神の祭りで、山仕事は休業するそうです。

武住の人の話・・
  霜月の七日には要害ノ森へお月さまが毎年二ツ出るのです。
 この日は武住の人はみんな集まって、餅をついて、お月さまのように丸い形ににぎって、
 中へ小豆のあんを多く入れて、お月さまにそなへて拝むのです。

     「熊野本宮の民話」より

ニルス - 2003/09/07(日) 07:42<

続キリクチ

ヤゾーさん、キリクチは一般登山道から見る事も出来ますし、別の場所でも
林道から15分程度の所で確認できます。もしかして交雑種かもしれません
が,見るのも釣るのも簡単ですよ.奥高野では絶滅しつつあるらしいけど、
大峰では幻の魚などではありません。私にとって天然のキリクチより、天然
のオオクワガタを見つける方がはるかに困難でした。

とんちんかん小僧 - 2003/09/06(土) 23:59<

恵みの雨

皆さん、こんばんは。
ついさっきまで、こちらでは久しぶりに雨が降りました。
暦が去年までとは違って一ヶ月ずれてしまっているみたいですね(☆V☆)
八月中は狼の手を借りたいぐらいに忙しくて、こちらにお邪魔することができませんでした。もちろんネットを開くのも時間の都合でムリでした・・。
その間にいろんなサンカ情報特に箕の展示会(生で見たかったなあ!!)に鴉天狗のこと、他にも興味深い内容が盛りだくさん・・。どれも自分が絡むことが出来なくて残念でした。

そう言えば、△うぶさんにきょうかいさんレス頂いたのに返レスまだできてなくてすみません。もうちょっと自分なりに調べてみてからレスしますね。もう少し待って下さい。お願いします。

まれびと - 2003/09/06(土) 22:45<

先日は

ご丁寧な便りをありがとうございました。
ミミズ薬、参考にさせて頂きます。

ところで湯布院での写真、愉しく拝見しました。
むかし----もう20年近くも前!!----友人らと夜行列車で大分へ行き、湯布院もそのときに一泊したときのことを思い出しました。現地でレンタカーを借りて、国東半島の石仏巡りをしたのがメインの野郎三人の色気ない旅でした。

昨夜はNHKのクローズアップ現代で川上村大滝ダムの一件をやっていましたね。
貴重な縄文遺跡を擁した丹生神社を沈めてまで作ったダムがあんな有様とはじつに馬鹿げた話です。

こうへい - 2003/09/06(土) 21:58<

郷愁

水中にただよってると、優しさに抱かれている感覚がある。
それは、昔むかし、ぼくらが海に生きていたという遠い記憶。

それから、ながい進化の過程で、人間だけが未知の生物との接触があった。DNAのなかに彼らのそれが残ってる。ボクらの、脳の領域が十分使われていた時代があった。
星を見上げるときに感じる郷愁。あの星々のなかの、どこかから来たという、遠い記憶。

ya(・ε^)na - 2003/09/05(金) 23:22<

秋の気配2

げーーーー・・ほんまにお暑うございます・・
 まだ、蝉ないてますよう・・
どないなってるんかねぇ・・
  大阪は今が夏みたいです・・

でも・・さきほどワンコの散歩にいきましたら・・
  りりりりり・・
    りりりりりりり・・
      
  おぼろ月が・・しずかに・・
     秋を感じさせてくれてます・・・・・

  お昼と夜では・・やっぱ ちゃいますねぇ

おりかべ - 2003/09/05(金) 21:35<

私は・・・

うらやましい・・・
私はキリクチとヤマトイワナとゴギとニッコウイワナはまだ釣ったことがありません。
所謂エゾイワナとアメマス(?)とオショロコマとヤマメとアマゴを釣ったことはあります。
降海型ヤマメ(サクラマス)もまだかなー。ダム下流の種沢を遡上している尺ヤマメ
を釣り上げたことがありましたが、ひょっとするとサクラマスだったかも。
婚姻色で、頭がドス黒く、鼻が曲がって貫禄ある顔つきでした。

かつて職漁師が温泉旅館などに安定した供給をするためや、種の保護目的でに魚止
滝上流に放流したりする話を聞いたことがありましたが、職漁師のサンカっている
のですか?

ヤゾー - 2003/09/05(金) 21:11<

秋の気配

みなさん こんばんわ

ニルスさん キリクチを食べたことがあるんですね。
それは羨ましい。
人知れず ひっそりとキリクチが生息しているところが 
まだあるなんて嬉しいですね。
釣らなくても食べなくても良いから
生息する姿をそっと覗いてみたいものです。

日が暮れるのが早くなりました。
7時にもなると 外は真っ暗です。
日中は暑くても 夜ともなれば涼しい風が吹いて
秋の虫が鳴くようになりました。
もう秋はすぐそこまでやってきているようです。

ニルス - 2003/09/05(金) 08:09<

キリクチ

 キリクチは天然記念物になっていて、M川の源流(禁漁)などに生息しますが、
それ以外の谷にも案外いるようです。滝の上や水の枯れた谷の上流でも,僅か
な水量のたまりに生息していたりします。文献によれば、山に暮らす人々(サンカ?)
が、あちこちに放流した結果であるとのこと・・とにかく食してみると肉のような
濃い味で絶品です、骨は硬いですけどね。

ヤゾー - 2003/09/04(木) 20:30<

落雷

みなさん こんばんわ

ゐをさん こちらでは始めまして
イノシシと毒蛇についてのお話し ありがとうございました。
今後とも よろしくお願いします。

山村 裕さん こちらこそお電話をいただき ありがとうございました。
早速 メールアドレスをお送らせていただきました。
民芸品店「かなかな」では 引き続きミニ箕を販売しているとのことです。

おりかべさん お久しぶりでした。
イワナはかなりの悪食みたいですね。
腹から出てきた蛇の魚拓とは なかなか面白いお話しでした。

ニュースで国会議事堂の塔に雷が落ちる瞬間の映像を流していました。
外壁の石が 真っ赤になってはがれ飛んでいました。
避雷針は役にたたなかったのかな?

おりかべ - 2003/09/04(木) 19:59<

イワナ

ご無沙汰しております。

イワナは大きいのになると、淵を泳ぎ渡ろうとしている蛇を、
水中に引きずり込んで食べてしまうようです。
昔、大イワナとその腹から出てきた蛇の魚拓を見たことが
ありました。
また、台風などで、極度の飢餓状態になると小さい岩魚を
食べるようです。昔カラー写真で見ました。

参考までに、以下のURLを見つけました。少々グロテスクでは
あるので、好きでない方はちょっと遠慮されたほうがいいかも
しれません。
http://tokuzo.fc2web.com/seitai/iwana.htm
http://tokuzo.fc2web.com/seitai/iwana2.htm
http://akitagenryu.hp.infoseek.co.jp/new2000/newpage2000-26.htm

山村 裕 - 2003/09/04(木) 12:50<

アドレス教えてください。

「かなかな」です。先日は大変お世話になりました。どうも、ありがとうございました。「かなかな」の写真お送りしたいのですが、アドレスがわかりません。教えてください。

ヤゾー - 2003/09/03(水) 19:05<

イワナとサンカ文字

みなさん こんばんわ
昨日も暑かったですが 今日はもっと暑かったです。
関東地方では 大雨で電車が止まっているみたいですね。

こうへいさん イノシシはミミズもよく食べるみたいです。
だから元気なのかも知れません。
イワナはアマゴより上流に棲む魚で
紀伊半島ではキリクチと呼ばれていましたが
今では殆ど見ることはありません。

はつせさん 今城塚古墳の番組は面白かったですね。
特に巫女団や力士のハニワに興味をひかれました。
オオカミを神として祭る神社が 熊野(三重県の方)にあるみたいです。

東沢さん 番組紹介のメール ありがとうございました。
今城塚古墳の番組 興味深く見させて頂きました。
笹の話しを読んで 大台ケ原で鹿が美味しそうに笹を食べていたのを思い出しました。
これからの季節 猟師にとってイノシシは最高の獲物になりますが
耕作するものにとっては 収穫の前に農作物を食い荒らす やっかいな害獣となります。
東沢さんの東北の奇麗な空気が伝わるようなお話し 楽しみにしています。

イワナの話しから ふと あることに気が付きました。
イワナとは岩の魚と書きますが
サンカ文字では ナは魚の格好をした文字で表されています。
う〜ん なんか面白い!

こうへい - 2003/09/03(水) 11:30<

渓流釣り

ヤゾーさん 突然、教育テレビのお知らせありがとうございました。
初めてみましたね。イワナとアマゴってどう違うん?大きかったですね。
二匹も食えば、十分ですねー。
毛針出てきましたー。今、川に居る虫を知らないと釣りが出来ない?むつかしこと言ってるなー。
近々、糸買って、熊野にとりあえず行きます。塩持っていったら良いんですかー?
そういう話はメールでやれ? すいません、ねむたいもんですから。理由になっとらんなー

こうへい - 2003/09/03(水) 10:50<

山に登る

ヤゾーさん
>しかし 山に登る人にとっては 難儀な思いをしてまでも山に登りたいのですね。

ぼくの、20代の頃の詩?が見つかったので紹介します。自作、盗作は定かではありません(^^)


    山  

 山に登る
 本当の休息を得るために

 陽の当たるえん側で 椅子にもたれての休息

 汗にまみれて くたくたになって
 登り遂げた山頂で岩の上にバッタリと倒れ込むときの休息

 夜行列車の寝台のデコボコが気になって眠れなかった身が
 寝袋を通して岩のデコボコが痛むような所でさえ
 深い眠りに落ちる

 そんな 本当の休息を味わうために

こうへい - 2003/09/03(水) 09:58<

動物神

東沢美史さん 面白いお話ありがとうございます。
イノシシは、昔から芋を掘って食うと思っていたのですが、稲、蛇、果ては鹿までとは思わなかったです。
日本人は、幕末に肉を食う人が出てきたようですが、縄文の禰宜貝塚の最下層は鹿とイノシシばかりです。内陸に入り込んだ海だったので、イルカはさすがに出てきませんが、その上からは、貝殻、魚、鹿、イノシシが混じって出ています。
ガラスなんか、弥生か古墳時代に鋳造されてるのに、江戸時代南蛮渡来のガラスに小判を払っています。面白いですね。
2年間、宮の役をしましたが、エベッサンの笹も竹ですし、地鎮祭の四隅も竹ですね。
笹は、子どものとき笹舟を流した位です。
笹は、竹と違うのに、竹の葉っぱは笹なんですね。
桜の桜皮を食うので、鹿を駆除するなんていうのは、愚の骨頂ですね。
純ニホンザルを守る為に、外来種を安楽死させるっていうのも、最近の話しです。
オオカミが居なくなったので、イノシシが増えて困っています。
生態系を壊すのは、いつも人でしょう。何かやる前に、生物専門家と将棋名人に相談したらどうでしょう。大分先の手が読めるでしょうから。

神とされる動物を年一回殺す儀式ってありますね。アイヌの熊祭りみたいに。
インドだったかな?牛を食わない所、年に一回殺してくうのでしょうか?

人が恐れる存在ながら、人を助け、人に助けられたら恩返しをし、生きた人を食わず、人を守った
オオカミって存在が、なにか嬉しい。今も、生きてるのかなあ・・・

東沢美史 - 2003/09/03(水) 05:29<

箕に用いられる笹、樺は動物神への捧げ物か

こうへいさんのイノシシとマムシのお話をヒントに、いろいろ考えたことを、連想したまま書かせていただきます。

イノシシが蛇を食うとは、なんとも凄まじい光景を想像しそうです。
西郷信綱氏は著書「古代人と死」のなかで諏訪尖石出土の蛇体把手付深鉢という縄文土器の蛇をマムシとしています。
神の使いである、或いは神そのものかもしれない蛇を食うからイノシシも神なんでしょうか。
イノシシと蛇らしきものがデザインされた青梅出土の縄文土器のサイトを見つけました。
http://www.city.ome.tokyo.jp/topics/2001/20010101/doki.htm

今年の春頃にNHK総合テレビ月曜夜8:00から放映されたベンガルトラやベンガルの動物を取材した番組のなかで、後ろから噛みついたイノシシにお尻を食われていく立ったままの鹿を見ました。ちょっとビックリの映像だったんですが、神を信じてた古代の人々はこの光景を見てなんとおもっただろうかと考えました。宮城では鹿を標準語っぽく発音すれば「しし(実際は、すす)」とイノシシとそっくりに発音します。
隣町の神社では鹿踊りが奉納されます。鹿は人間の身代わりの生贄だったのか。死ねば祟りが起きないように神として祀ったでしょう。そうすると、その鹿を食べるイノシシも神だったのでしょうか。
縄文遺跡からは縄文人が食べたイルカや魚の骨や貝殻が出ますが、蛇の骨は出ないといわれています。蛇は神だから食べなかったのか。その蛇を食べるのだからイノシシはやっぱし偉い神様とおもわれていたのかもしれない。

同じように考えて、動物ではないんですが最近は笹に注目しています。
笹、小竹葉、ササは神の依り代ともいわれます。天鈿女命も伏せた桶の上でササを両手に持ち踊りました。
山の高い所に自生してるササを食う動物を逆に挙げてみると、東北だと木材の伐採作業に来てる馬がまずあげられます。もちろん雑食のイノシシも食べるでしょう。熊もパンダの例を出すまでなく食べます。志波(諏訪)姫が笹で牡鹿を誘う神事もあったようですが鹿は確実に食べています。
それと、今年三陸大谷の肥育牛農家へ竹細工売りで門付けたときに見た光景なのですが、小さな畜舎のなかに差し入れられた大きな真竹を仲良く親子の牛が一緒に、竹の部分だけをきれいに残し笹葉部分を食べていました。このぶんでは、おそらく放牧されてる牛たちも笹は食べてることでしょう。

神の依り代である笹を食べる馬、牛、鹿、猪、熊。今は昔と世の中が逆さまになって、これらの動物をグルメになった日本人が平気で食べています。しかし、かつて東北のおしんめいさま(オシラサマ)がある家では四足は食うものではありませんでした。食生活が洋風化した戦後もしばらくは少なくとも、嫁の立場にある女性だけは、その習慣を守っていました。なぜなのか。食べてはいけない動物は神、あるいは神の使いだったから。さらにその過程に至った理由は神の依り代の笹を食べたからではないでしょうか。
笹の実は「野麦峠」でお腹の空いた女工さんが峠を超えるのに食べるくらい栄養もあるもののようでしたから、きっとお猿さんも食べたことでしょう。

私がこのような単純な考えをもつようになったのにはもう一つ理由があります。去年でしたか奈良県で鹿が桜皮をハガして食べる被害から桜木を守るため、鹿を駆除しなければとかいうニュース記事がありました。
また、歴史民俗学のインタビューでハツ子さんは竹取りと言わず「笹採り」と答えていました。これらのことから、箕に使われてる材料の植物は。これら神でもある動物、少なくとも桜樺と笹が好物の鹿への捧げ物ではなかったのかと、ちょっとおもったからです。

と、まあカナリ妄想モードになってしまいました。でも妄想ですから、怒らないでくださいね。

はつせ <http://www.ne.jp/asahi/songshang/hatsuse/> - 2003/09/03(水) 01:14<

大王稜の埴輪

ヤゾーさん、今城塚古墳のNHKレポートを私も見ました。「継体」という大王の名前の由来を考え合わせるとものすごく重要な発見ではないでしょうか?あぐらをかいた埴輪が登場しますが、「あぐら」は胡座と書きますが、「記紀」にそう書いてあったとは知りませんでした。胡人の座り方という意味で騎馬民族の座り方なんですね。いつも不思議に思うのですが、「そういう大陸の影響があった」と日本の古代史に関しての言い方なのですが、ずばり「大陸から来た」という仮説も立つと思うのです。今、養老孟の「馬鹿の壁」を読んでいるのですが、微妙な言い回して情報をちゃんと伝えていない、という指摘を思い出しました。
 オオカミは白戸三平の漫画には殆ど「尊敬」の眼差しで描かれていますよね。「牙王物語」もよかったな・・

こうへい - 2003/09/02(火) 22:01<

熊野のサンカ

桧葉の人の話・・・
 わたしのところへは周期的にね、サンカが来て、そのへんの竹やぶで竹もらってね、竹細工を作って売り、夜には、つけばりをしてウナギを捕ってね、売り、毎年春には来たんですがね。
 戦後もまだまだ来たわけです。大正6,7年頃までは確実に毎年来ました。
 ただし、ウナギ捕り専門に来たのは、戦後も昭和25年頃まで来ましたわ。
「熊野本宮の民話」より

こうへい - 2003/09/02(火) 21:46<

オオカミとイノシシとマムシ

熊野の方では、オオカミは、氏神さんや、山の神になってるらしい。
イノシシは米を食い荒らすから、オオカミに守ってもらうていうのもあるらしいけど、オオカミとの関わりって言うのが多い。山猫から炭焼きの人を助けた話や、一本ダタラから助けた話。
使いに行って遅くなったら、送りオオカミが付いてきて家まで送ってくれる話。
それなのに、オオカミの遠吠えには、髪の毛が逆立つほど怖れる。犬と違って、下を向いて遠吠えするので、障子がビビるほど凄いらしい。
オオカミはイノシシをやっつけるが、イノシシは蛇が主食と言うほどで、ハビ(マムシ)にあったら、イノシシに頼むと言う意味のマジナイをするらしい。
「熊野本宮の民話」より

ヤゾ− - 2003/09/02(火) 18:35<

ハニワくん

みなさん こんばんわ

きょうかいさん 長嶋さんと挨拶を交わすことができて良かったですね。(^_^)
野史研でも サンカの定義についての話しがありましたが
文献調査だけでなく 地道な聞き取りや証言などを集めない限りは無理なのかも知れませんね。

昨夜NHKで 高槻市の今城塚古墳から
史上最大規模のハニワ群が発掘されたという番組の再放送があるとのメールを頂いて
眠い眼をこすりなが最後まで観ました。
ハニワの姿や配置の謎を解き明かして 古代の日本の姿を探るという なかなか面白い内容の番組でした。
その影響なのか 小さい頃に見ていたアニメ番組『怪物くん』に出てきたハニワくんの夢を見てしまいました。
あの吸い込まれるような無表情な顔が なんとも悲し気で強く印象に残っていたのかも知れません。
そういえば『大魔人』という ハニワが変身して悪者をやっつけるという映画もありました。

きょうかい - 2003/09/02(火) 09:16<

おおきなおじさん

けさ、通勤途中のお不動さんの山門で大きなおじさんとすれ違った。
遠慮気味に「おはようございます」とあいさつすると
はっきり「おはようございます」と
ご返事くれました。
 おじさんは、長島さん
 少々感激してます。

きょうかい - 2003/09/01(月) 13:26<

サンカについて

  こんにちは
 あごさんの文章興味深く読ませて頂きました。
 学者が、サンカを取り上げない以上、そろそろ、誰かが
 「サンカ」を定義しなければいけないかもしれませんね。
 私もそうですが、それぞれ自分のイメージでサンカを語っています。
 それはそれで、ここではいいのかとも思っています。ただし、
 あごさんのご意見を敷衍して議論するとすれば、やはり定義が必要かと思われます。 
  
  サンカの定義ですが、注意深くつめていけば恐らく、
  皆に共通したサンカの本質(とりあえずの定義)を取出せると思います。
  あごさんのご意見を敷衍して議論するとすれば、やはり定義が必要かと思われます。  
 また、時代も縄文から現代まで語るとなると学者と言えども相当腕力がいるかとも思われます。
 ですから、「サンカ」の定義→時代の設定というような限定も必要かもしれませんね。 
 社会、自由、国境、差別、国家などの言葉はおそらく近代以降にできた概念かと思われます。

ヤゾー <http://www.kumanolife.com/Wind/security.html> - 2003/09/01(月) 12:35<

インターネット・セキュリティの基本

みなさん こんにちわ

あごさん はじめまして
貴重なご意見 ありがとうございました。
サンカの人たちについては まだまだ分っていないことがたくさんあるというのが現状だと思いますが
そういうサンカの人たちに なぜもこう強く惹かれるのかと思うことがあります。
サンカの人たちを結び付けていたのは 強制的な掟というより
価値観とでもいうのか信仰?・信条?のような掟によるものような気もしています。
自然の中での漂泊生活には苛酷なものがあったと思われますが
そこからは定着した暮らしからは得られない 価値のある喜びがあったのかも知れません。
話しは変わりますが 難儀な思いまでして登山をする人がいますが
興味のない人たちにとって そんな辛い思いをしてまで
どうして山に登らなければならないのだと 僕の友人の中でもよくそういうことを言う人がいます。
エアコンのきいた部屋でマージャンに興じたり 
高いお金を払ってでも奇麗なお姉ちゃんのいるクラブで遊ぶ方が余程楽しいと言います。
しかし 山に登る人にとっては 難儀な思いをしてまでも山に登りたいのですね。
そこからは何よりも得難い喜びがあるのだと思うのです。
都会での生活を捨てて しばらく山奥でキャンプ生活をしてみたことがありましたが
その当時の思いは 難儀なことはあっても こんな気持ちの良い生活はないというものでした。
また そのときの思い出は 記憶の中で輝いております。
僕は サンカの人たちに惹かれた一番の理由は その価値観 生き方のようなものでした。
もちろん サンカの人たちにも闇の部分はあったと思います。
そういうものからも目をそらさずに ありのままの姿を知ってみたいという思いはあります。
見当違いのことを書いていたら すみません。

△うぶさん 七五三縄についての考察 ありがとうございました。
>サンカと海洋渡来族との何らかかの関係を伺わされる。
そんな気がしますね。
僕が感じるサンカ系の人たちの特徴として
海が好きな人が多いというのがあります。

はつせさん アマゾンの戦国の村を行く」という本のレビューを読ませていただきました。
例え話しで 老婆と隠し田についてのところが面白かったです。

ここのところ ウイルスや不正アクセスによる被害をよく耳にします。
そこでインターネット・セキュリティの基本を更新しましたので
目を通して下さるようお願いします。

はつせ - 2003/08/31(日) 15:03<

古来の職業集団

あごさんの書き込みを興味深く読みました。私は山窩も一つの「職業集団」ではなかったか、との感覚を持っています。古代・中世の民はどこかの職業階層に属していなければ生きていけなかったと考えています。生まれながらの「俘囚」である、という概念と、外部の者を受け入れた「浮遊民」という概念は単純に考えると矛盾しています。時代の変遷があるのかも知れません。「職業」を重視する理由は、浮遊民が逃げ込んだところで役に立たなければ、そこにいることは出来ないでしょうから(個人的な発想ですが、私が集団の長なら服属して働かなければ追い出します)。「サンカ」という民の定義はもっと枝分かれするかもしれませんね。

はつせ <http://www.ne.jp/asahi/songshang/hatsuse/> - 2003/08/31(日) 12:08<

本のレビュー

藤木久志著「戦国の村を行く」のレビューをアマゾンに書いてしまいました。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4022596791/qid%3D1062298988/250-2481533-1411414

△うぶ - 2003/08/31(日) 01:40<

七五三考察

「七五三」注連縄ですが、七五三自体「しめ」と読ませています。そして日本では吉字らしいです。
ところが、重要な事が隠されていて
「七、○、五、○、三」→○の中の「六、四」が意味深です。つまり、
1)  「むし」→「虫」→「蝮(まむし)」→田治火→サンカ
2)  「64」=8×8 →「8」は海洋渡来系を意味する(例;八幡(はちのはた))
注連縄が「封じ」と考えると、その当時の主体制側から封じられたと言える。
1)は全ての系統のサンカなのか、それとも八切の言うところの内の特定系統だけなのか?
特定だけだとすると、各系統間での差や上下や葛藤の存在、が推測される、
或いは、セブリと居付きの違いかも知れない。
1)2)同列とすると「赤化けサンカ」だけと言える。その当時の主体制側が海洋渡来系では無く
大陸や半島渡来系だったので相容れなかったのだろう。

以上は「古族研究」様のHPを参考にさせていただいた上、噛み砕いてみました結果です。
ここでも、矢張り、サンカと海洋渡来族との何らかかの関係を伺わされる。
七五三が「晴れ」で、六四が「ケ」だと親子供を洗脳していたのか?
そうすると、私が以前言った「8=3+5」論で、「8」を封じ、「3」「5」を封じない、となってしまい、
いよいよ袋小路です。「3」「5」が居付きで「8」がセブリと仮定すると辻褄が合う様な?????。

あご - 2003/08/31(日) 01:36<

サンカ社会の変化

続けざまにすみません。
いろいろと考えさせられるHPです。^^

いつごろサンカ集団が形成されたのかわかりませんが、日本の国家形成期であったと仮定すれば、最初のサンカ集団(「原始サンカ」といいます。)は、たしかに縄文時代の文化を持った人々だったかも知れません。
一方、「あなたの先祖は「なに人」か?」(田中勝也他)によれば、サンカは別名ホエトとも呼ばれるとあり、隼人との共通性を見出しています。
サンカとは固定的な出自を持つ集団ではなかったのかも知れません。
その懐の深さにかんがみれば、「原始サンカ集団」に後世、律令社会という管理社会から抜けた流民とか、隼人が混じったりしたかも知れません。あるいは平家の落ち武者の子孫も混入したかも知れません。
また、山で生きる者は何らかの形でサンカと交流を持ったことでしょう。修験者はサンカそのものかも知れませんし、あるいはそうでなくとも、サンカと密接な関連はあったことでしょう。
こうした「混入」「交流」によって「サンカ社会」自体も変質していったことでしょう。
つまり、サンカ社会も不変ではなく、表の社会の変動につれて、変質を余儀なくされたのではないでしょうか。
表の社会が、大和朝廷→律令制→摂関政治→鎌倉時代→室町・南北朝時代→戦国時代→江戸時代→近代戦前社会→現代社会と変遷をたどったように、それよりは変化は急激ではなかったにしろ、その変化に対応してサンカ社会にも何らかの変化があり、その社会、文化にも変化・変質があったのではないでしょうか。
結局は、里社会とサンカ社会とは「コインの裏表」なのかも知れません。

例えば、HPでも紹介されているように「メンメシノギ」という言葉がある一方で、忍者の社会組織は軍隊的な厳格さがあったと言います。それは自由を求めたはずが、皮肉なことです。
これは戦国時代の表の社会の社会変革がサンカ社会にも大きな変革を迫るほど大きかったということでしょうか。それとも、表の社会に生活手段を依存するようになった「結果」でしょうか。そのいずれでもあったことでしょう。
南北朝時代にサンカ達が自らの「力」を自覚して、表社会の一部でもそれが認識されるようになったことが、皮肉にも「サンカ社会」にも大きな変革をもたらすことになったのかも知れません。
また、それはサンカ社会に所属するサンカ達の生業に多様化を生むことになっていったのかも知れません。その一つの道が忍者であり、これは軍隊(武家)と直接的に接することによって生業を営む道ですから、自らも軍隊組織のように厳格な組織にならざるを得なかった・・・。
一方、そのほかのサンカ達も多様な職業を営みながら、自己実現の道を開いていった。
しかし、里社会はなかなか「差別の壁」を乗り越えられなかった。

サンカについて分かっている範囲内で総括するとそういう人間の悲しい姿が浮かびあがってくるような気がするの、ぼくだけでしょうか。
一方、やはりサンカも「もう一つの日本」であるという気が非常にします。「サンカ社会史」の研究は表社会の解明に深みを与えるものであろうと思います。

あご - 2003/08/31(日) 01:04<

サンカから抜ける不自由

はじめまして。
素晴らしいHPだと思います。

いろんなHPとか見ましたが、サンカとは何なのでしょうか?
管理社会にいる現代人はサンカに一種の郷愁や憧憬のようなものを感じるのですが、果たして実像はどうなのでしょう。

サンカといえども「人間」であり、聖人君子ではないですので、里社会と接する中でいろんな欲望が生じると思います。
世に出て認められたいとか、何不自由ない生活を送りたいとか、病苦にわずらわされない生活を営みたいとか・・・。

しかし、「サンカ社会」が近代に至るまで温存されたのは、里の社会の社会規制や差別意識とサンカ社会の厳しい規制(掟)によるものだと仮説を立ててみました。
自らの意思でサンカになった人々(サンカは逃亡者などを抱擁した懐の広さがあったので、表の社会のいろんな背景を持った人々が新たにサンカになることもあったのではないでしょうか)は、サンカであり続けることに、何らかの強いモチベーションがあったことでしょう。
しかしながら、その子や孫達は生まれながらにしてサンカであったわけです。
そうでありながら、里の豊かな生活にも接することになったと思われます。
そうした中で、里の生活への憧憬が少年時代などに形成されてもおかしくないでしょう。
我々がサンカに憧憬を持つように、サンカの側が里の社会に憧憬を持つことは不自然ではないと思われます。
でも、里の社会はサンカとは接しても決して受け入れることはなかったことでしょう。
ここで憧憬は挫折に変わります。
同時に、サンカ社会にも里とは必要最小限しか接することなかれといった掟はなかったでしょうか。
そうであるとすれば、両者の心の壁がこの国の中に「国境」を作っていたことになります。それは不幸な時代です。どちらが先かといえば、里の社会規範と差別意識の方が先でしょう。

しかし、社会動乱期には里の社会規範や差別意識が揺らぎます。同時にサンカ社会の規制も揺らぐようです。
南朝はサンカの力を活用しようとしたと思われますし、戦国時代には実力こそが物をいう社会になっていきましたから、差別意識よりも力を見せれば、サンカでも表に出れる時代になったと思われます。
こうした時代に、楠正成、忍者、豊臣秀吉、徳川家、阿国といったサンカを母体とする者が表の社会に出て行ったのは、価値観の変動や社会規範の変動などで「国境」が曖昧になったからでしょう。
つまり、逆に平時には、心に「国境」があったことを示唆しているように思えます。
同時にサンカと言えども、初期サンカ以外は、「表に出たい」という欲求も持っていたことの現れであるように思えます。

サンカという現象は、不可逆現象ではなかったでしょうか。
サンカになる自由とサンカから抜ける不自由。

サンカとして生きた「人間」をもう少し知りたいです。
彼らは、何を思い、何を信じ、何に喜び、何を悲しみ、何を恐れ、何に安らいでいたのでしょうか。
自らサンカになった人間と、生まれながらにしてサンカだった人間と。

「人間としての共通性」に焦点を当てると、サンカ研究に新たな視点が生じるかもしれないと漠然と思っています。

ヤゾー - 2003/08/30(土) 18:30<

湯布院と別府の旅

みなさん こんばんわ

千田君さん はじめまして
フリチン大魔王とは 思わず笑ってしまいました。
少しだけHPを読ませて頂きましたが
“最初に、この著を読まれるあなたに感謝いたします。”という言葉が素敵でした。
時間があるときに ゆっくりと読ませて頂きますね。

こうへいさん 娘さんの絵 素敵ですね。
個展を楽しみにしています。
映画「瀬降り物語」良かったでしょ!
釜中の金色蛇のお話し 
意味あり気で面白いですね。

ナイスタイミングさん 湯布院と別府の旅のお話し ありがとうございました。
湯布院で宿泊した宿の温泉は コバルトブルー色で 時間によって変化していました。
秘宝館は確か鬼山地獄の近くにありました。
歌麿展をやっていたと思いますが入りませんでした。
湯布院、別府には竹細工のお店がいくつもあって
良い竹細工がたくさん並んでいました。
今度行くときには是非 竹瓦温泉の砂湯に入ってきて下さい。
タオルをきちんと腰にまくのをお忘れなく!

湯布院と別府の旅の写真を熊野ライフ通信にアップしています。
温泉の写真はほとんどありませんが
少しは温泉気分を味わって下されば幸甚です。

ナイスタイミング - 2003/08/30(土) 14:40<

湯布院と別府の観光

砂湯に入ったのヤゾーさんが羨ましい!
私は九州の他の地でも時間の都合で入ることが出来ませんでした。

4年前、別府に行ったときは鉄輪温泉の神和苑というところに泊まりました。
(ここの宿の天井や欄間の細工が素晴らしい。)
キレイなスカイブルーのお湯でした。地獄巡りはしませんでしたが、夜、テクテク歩いて
近くにある「別府地獄地帯に極楽コース・別府秘宝館」を見物に行きました。
入場料¥\1,000なり。

秘宝館なるものを見たのは初めてでした。
(別府に行くなら行ってこい!と強力にお奨めされていました)
入場者は極少で、がらーんとした館内に、酔っぱらったオジサンが2人。
「でぇっへっへっへ」「これは・・・あれか!どぅあっはっはっ」という2人の笑い声が
大きく、大きく響き渡っていました。

ここでは\300で、S○X=生命力=運勢をコンピューターで!!というのを計るものがありました。
「[生命の曲線・リズム理論]に基づきシステム100によって予測します。」
ふんっ!こんなもの!子供だましもいいとこだぜっ(`∀´)と思いましたが・・・
やってみました。(・Θ・)¥300エンソンシタ

(私のほかにも計ってもらった人がいた↓)
http://homepage1.nifty.com/cluricaune/domestic/ooita/oni.html

やまなみハイウェイは無料になっていたので、懐しい、是非もう一度景色が見たいと思い、
別府から湯布院へは金額交渉してタクシーで行きました。途中の展望台では駐車して
記念写真。運転手さんはメーターを止めてくれました。

湯布院の朱竹堂で買い物をいくつかし、宅配便での送付をお願いしたら、別府に泊まってるの?
どこ?その他に荷物があるなら取りに行くよ。一緒に送ったほうがいいよ、とご主人が言いました。
私の心の中では「ん?普通はそこまでしてくれないぞ・・・何故?怪しい・・しかしそんな風では
ないぞ・・・」という思いが回転しましたが、結果、お願いしたらロビーに来て全部手配してくれ
たそうで、こちらはお会いしてお礼の言葉もかけられず、有難いやら恐縮するやら。

由布院で観光スポットを巡回するクラシックバスに乗りました。
http://www.yufuin.gr.jp/kanko/sukaboro001.html
宇奈岐日女神社やハーブ苑を回って由布院駅に戻って、列車で別府に戻りました。

別府駅には、相変わらずこわもてのTAXIが客を待っていました。
運賃3千円で済むところを、色々な所に連れていってくれて、運賃を3万円にしてまうという
すごく親切なまほーつかいと聞いていたので、まほーにかからずに済みました。
今もいるのでしょうか。(フェリー乗り場にもまほーつかいがいました)

こうへい - 2003/08/30(土) 09:48<

釜中の金色蛇

釜中に、金色蛇という大蛇があって、谷向かいの東村に住む時は西村がにらまれるからさびれ、
西村に住むときは東村がさびれ、
山裏の長谷の蛇穴で住むときには東西とも栄えたらしいが、直ぐまた帰ってくるので、またもや さびれた。 と伝えられている。
釜中は滝のある谷で東西に分かれていて、長谷というのは、糸野に下って、ちょっと東にある村。
いつの時代の話かは分からない。どういう意味か、なぞなぞみたいです。

慶長6年の、検地によると、黒松村、釜中村で焼き畑農業が行われていた。

質屋南野文書に、釜中村 願上覚 焼山○○所・・というのがあり、上六、長谷、仁義とかなり広い地名が書かれています。大庄屋、庄屋とあるので、江戸時代のもの。未解読。
「焼山」って、焼き畑かな?  歌にあったように思いますが。

こうへい - 2003/08/30(土) 00:06<

瀬降り物語その2

映画を見て、気持ちを表現するのは不可能ですが、無理して書かせて頂くと・・・
長い歴史を独自の掟に従い独自の生活を厳しくも激しく生き、仲間同志のツナガリがそれを支え、近世になっての弾圧に屈せず、極度の差別に遭いながらも、誇り高く、強い意志を持って、生き抜く実態を、映像を通して教えてくれた、秀作であると思います。何冊の本を読むより、教えられることがあまりにも多く、大きい。
拙文で申し訳ないですが、結果、今までみたいに軽々しく口にするべきものではない・・と自分は感じました。

こうへい - 2003/08/29(金) 18:48<

ヤゾーさん

>えっ 頭にタオルって言いませんでしたか
焦ってる様子が目に見えるようです。
いつも、笑わせてくれてありがとう(^o^)

千田君 <http://bbt888s.hp.infoseek.co.jp/rekisitolifejob.htm> - 2003/08/29(金) 13:08<

歴史好きよりこんにちわ

管理人ヤゾー様、それは大変な経験でございました。気持ちがよろしければ何よりですが、世間様にはそれをも抱擁する大きな心を持っていただきたいものです。私は山に行けばフルチン大魔王ですが、普段は神仏に仕えています。いや、だからこそフルチン大魔王なのかも・・・・というわけですが(どんなわけやねん)歴史好きの友達たちのために僕の研究材料を提示いたします。

大和の三輪の古い寺院で待ってるでごあんど

管理人ヤゾー - 2003/08/28(木) 18:25<

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みなさん こんばんわ

親類に不幸事があったり色々とあって しばらく山小屋を留守にしておりました。
そんな中で 九州は湯布院と別府の観光に行ってきました。
温泉をはしごしたり 竹細工店を見てまわったりしてきました。
別府の地獄巡りもしてきました。
明治12年創業で 屋根を青竹で葺いたことから竹瓦温泉といわれる
風格のある建物の砂湯にも入ってきました。
そこの砂湯のことです。
おばさんが数人中にいて かけ湯してから砂に寝転んで下さい タオルを頭に乗せてと言われたので
タオルは一つしかないし おばさんとはいえ フリチンになるのは恥ずかしいなぁと思いながらも
タオルを頭に乗せて砂湯に歩いて行き砂に寝転んだのでした。
そうしたら おばさんは少し怒ったように 前を隠して下さいと言うのです。
えっ 頭にタオルって言いませんでしたかと言い返したら
砂に敷いているタオルに頭を乗せてと言ったのですと笑われました。
熱い砂を直接かけられなくて良かったです。
とても気持ちが良かったですが恥ずかしかったです。


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