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2003年05月28日(水)10時55分までのKumanolifeGuestbookへの書き込みです。


こうへい - 2003/05/28(水) 08:37<

わかりました

ニルスさん、すみません。
理解力の問題です(^o^)糸の出る側を横にしてました。これでも、滑りながら動いたので。
弧状の木をロープで捲きながら、4面に取り付け(つまり石の周りに円形の木組みを作る)
ロープを捲き終わった後で、横倒しにするんですか?まだ、わかってないみたい(T_T)

ニルス - 2003/05/28(水) 08:12<
こうへいさん、すんません。
お家にある裁縫箱から糸(もちろん巻いてあるもの)を出してきて下さい。
糸の出る側を上にして、テーブルに置いてみて下さい。糸を引っ張れば
引く側に転がりながら、糸は解けます。

図に書いて説明できないのが残念ですが、表現力の問題ですか?

皆様の想像力に御期待致します。

こうへい - 2003/05/27(火) 16:55<

釜中村 その???

天一神社の屋根の銅板の張り替えは、村人がお金出し合ってやったそうです。
どこでもそう?
神社の名前知らない人が多いけど、自分たちの神社という意識は、とっても強いようです。
村人が、全員 神主って言うのもユニーク(順番制だけど)。

こうへい - 2003/05/27(火) 14:01<

釜中村 その??

今日、9時に神社に出勤。フクロウは、撮影後姿見せません・・・足上げたので怒ったのかな?
今日、色々聞きました。通りがかりのばあさん、山椒畑のおばさん、鬼の金棒の家のおじさん。

鬼の金棒は、息子さんの奈良土産・・裏に「根性棒」と書かれてました(^o^)
おじさん夫婦は、山椒畑に居たのですが、金棒の話で、山椒の袋急いでトラックに積んで、荷台に乗せてもらって家に行きました。おじさんは、山椒の栽培を始めた人で、金屋は、今や全国一だそうです。息子さん本人から聞きました・・・。

釜中村は、上から開けた村で、神社から一軒目家の上のミカン畑が、お寺で、今でも掘ると地蔵さんが出てくる。
その上の、山椒畑に、何軒も大きな屋敷があった。村の家は皆大きいので、大きな屋敷と言うので、かなり大きかったと思われる。
神社は、宮司が居なくて、村人が、一年交代で、神主になるそうで、七五三も神社でやる。
その年の神主(神主の衣装みたいなものは無い)は、イチロクの日(1、6,11,16・・・)
に、灯明をあげに行く。祀りの段取りから皆やるそうで、鯛とか野菜とか今は車で運ぶ。
無理に白岩丹生神社の氏子にされた?が、宮は二つも要らん・・と言うわけで、天一神社だけ。

海南に抜ける街道は、お寺や、屋敷のあったあたりから、ずっと横に下って糸野に出る。
この道が、昔の街道(今も、車で抜けられる)。だから、メイン道路は村の上方から出てる。

ヤゾーさん、箕のあった家は、質屋だったそうで、今、湯浅居住で、時々やって来る・・廃屋じゃなかった。なぎなたや刀や古いものが一杯あったそうです。見た茶碗も値打ち物?

ヤゾーさんが駆け込んだ、豪華絢爛なトイレの東急カントリーのクラブハウスあたりまで、村の水田があったそうで、金にものを言わせる横暴さが、ここでも村人に多くの影響を与えてるようです。
買い取って、オートバイの遊び場にしてやるー!!
ハウス横に、地蔵さんがあり、今でもちゃんと参るそうです。
地形って、すぐ変わってしまいます。昔となると、想像も出来ないですねー。
きょうは、腹へって、目がかすみました(◎-◎;)

それにしても、調べれば色々出てくる村のようです。

こうへい - 2003/05/27(火) 12:57<

すいません

ニルスさん、こんにちわ。
すいません、難解です。ボクの頭の中で、石がその場で、くるくる回っています(^o^)
ロープは、一本なんですか?

こうへい - 2003/05/27(火) 12:45<

進歩

進歩って、なんでしょうね。
進歩してるっていう幻想のように感じます。
子供みてると、何処に行っても、メールか、ゲームしてます。景色なんて見てないですね。
ぼくらが、山の中を走り回っていた頃より、豊かになってるとは思えないのは、年のせいだけでは無いと思うんですけど。自然は、求めれば限りがない。ゲームにそんなものがあるんでしょうか?

ボクは、感動して生きることが、幸せ?と思ってるので、今も昔も多分変わりないと思ってます。

土に帰るまで、感動していたいなーとおもいます。

ミミ - 2003/05/27(火) 10:04<
出されているメールを見て、感じたこと。

進歩、って何だろう、、、?
進化、ってどういうことなんだろう、、、、、?
文明、ってどういうことをいうんだろう。

人間、ってなあに?
なぜ、人間に生まれてきた?

人間に、生まれてきたかったような気がする。
人間として今、生きていることが、嬉しいから、、、。

万葉の時代、今、、、。
人間の感情は、ちっとも変わらない。
風を感じ、雲の流れ、水の音、そこに自身の思いを重ね合わせる。
喜び、悲しみ、嫉妬、ねたみ、、、、、。
素直に歌に謳いあげてる。

命の循環を考えた時、土に返りたいなあ、って思います。
今は、かないませんけど、、、、。

徒然なるままに、書いてしまいました。

ニルス - 2003/05/27(火) 08:43<
 こうへいさん今日は、大阪科学技術館でピラミッド等の巨石を運ぶための
ユニークで画期的な展示がありました。
 
 それは四面体の巨石の各面に弧状に組んだ木をロープで巻きつけながら
四つ順番にとりつけます。つまり巨石を木製の糸車の中心に位置させるわけ
です。そしてロープを解きながら引くのです。(ワカリマスデショウカ?)
この方法だと修羅等による運搬とは比較にならない労力(人間の数、方向転換
スピード・・)で、巨石を運搬させることができる様です。

 このような方法が人類の歴史にあったのか否かは別として、この方法は
実証実験のよって、その効力は確かめられております。

こうへい - 2003/05/27(火) 08:06<

天一神社 追記

天一神社の中に祀られてるのは、吹いた鉄の塊か・・・期待したんですが、
たまたま、近くにきた村人に聞くと、古そうな鏡だったそうです。ちょっと、ガッカリです。
2年前に、屋根の銅板を葺き替えた時に、見たそうです。
宮司が居ないので、あちこちの宮司が持ち回りで、やってるそうです。
なにやってるのか、聞き忘れたけど・・・

こうへい - 2003/05/27(火) 07:31<

石の時代

はつせさん、おはようございます。
巨石を自由に扱う時代があって、加工・・特に穿孔に至っては、現在でも無理っていうのがあるみたいですね。
おととい、明日香村に行きましたが、石舞台の蓋は70トンとか、60トンのが乗っていますね。
上の花崗岩の石切場から、シュラに乗せて滑らせてきたという話ですけど、どうやってシュラに載せたの?ってのもあるし。時代が、新しくてもこうですから。
時代が古い程、技術が凄いですね。
プレインカの石垣とか、死ぬまでに一回見たいです。
石を運ぶのにも、特別なやりかたが、昔はあったように思います。

△うぶ - 2003/05/27(火) 01:50<

(××);

すみません。試しにサーチしてみたら全国に一杯有りました。

△うぶ - 2003/05/27(火) 01:31<

千と○○〜〜〜、、、、、

みなさん こんにちわ。 少しご無沙汰しています。
欠かさず覗いていますが、スランプ気味なのと課題山積状態で<鬱>しています。
最近見つけたのですが、某所に「三ヶ所」と言う地名が有り、調べてみたいのですが、
再度訪ねる必要が有り、先々になりそうです。誰か既に調査しているかも知れないし、
他の地にもたくさん有るかも知れませんのであまり期待は出来ないのです。
全国に存在する「一色」地名にも興味有りますが、これは簡単そうです。
ヤゾーさん
覚えていてくれて有難う。やっぱりそうでしたか。原住系(出雲系とも?)、
横棒が「封じ」を意味するものと解釈しています、てんそんけい(敢てヒラガナ)の陰謀だと
勝手に思っています、宗教関係全く詳しくないんです。

はつせ - 2003/05/27(火) 01:09<

れ:海底遺跡と失われた大陸

こうへいさん、ムー大陸もアトランティスも12000年前の「変動」の記憶ではないでしょうか?でもいっぺんに起こったのではないから記憶に残ってるんじゃないでしょうか?いっぺんにおこったらみんな死んでますよね。文字が残ってない事例もあります。エジプトのギザの3ピラミッドです。クフ王が作ったことになってますけど、この時代の落書きでそうなったようです。一番大きなピラミッドの中は全て滑らかな壁で文字は一切無いということです。閃緑岩でできた石棺があるのですが、やはりすべすべに穿ってあって、現代の工具では閃緑岩をそこまで細工するにはドリルが幾つあっても足りないそうです。
 ニルスさん、武寧稜の高山槙棺は樹齢300年と本にありましたので、現代のものと違うかも知れません。出直して来ます。

ニルス - 2003/05/26(月) 21:44<

高野槙

 はつせさんコンバンワ、高野槙について特に詳しくはありません。
親戚に花屋がいるのですが、そこの情報では高野山で売っている槙の多くは
黒滝村が産地であったり、遠くは長野県から陸送されたものと聞きました。

 奥高野とは高野山の南の野迫川村や十津川村西部、道で言えば竜神スカイライン
のあたり、山で言えば護摩壇山や伯母子岳周辺、神さんで言えば立里三宝荒神、
もっと南の熊野とは果無山脈を境としている・・・
のではないかと思いますが。

ヤゾ− - 2003/05/26(月) 15:25<

千木と箕

みなさん こんにちわ

ニルスさん やはり「ニルスの不思議な旅」を よくご存知だったんですね。
なんとなく ハンドル名から そんな気がしていました。
神社の注連縄は 雌雄のヘビが交尾している姿だと聞いたことがあります。
何度か そういう場面を見たことがありますが
それはそれは 濃い交尾でございました。

はつせさん GAINAさん 高野槙といえば
腐りにくくて水に強いみたいで
高野槙で風呂桶を作って欲しいと
知り合いの木工所に注文があったような気がします。
なんでも檜よりも水に強いのだそうです。

ヤナさん 愛犬と夜の散歩で自然を感じるなんて風流ですね。
なんだか公園で 風にざわめく木を見上げている
ヤナさんと愛犬の顔が浮ぶようで ほのぼのとしてしまいました。

こうへいさん この間は ふくろうの神社へ案内して頂いて ありがとうございました。
むかし 失われたム−大陸の文明は 日本に息づいているみたいな本を読んだことがありました。
大平洋上に 文明が発達した大陸があったことは 与那国島の海底遺跡などから
かなりリアリティのある話しになってきましたが
ムー大陸が海に没した頃に 縄文時代が始まっているというところが面白いです。

この前の土曜日 少し時間があったので こうへいさんに案内して貰って
天目一箇神を祭る天一神社へ行ってきました。
残念ながら ふくろうは留守でしたが
なかなか面白いところでした。
△うぶさんが千木について 風の王国掲示板にて質問がありましたので確認してきました。
出雲神社と同じ 以前 おりょうさんが書いてくれていた原住民系の神社の千木とされるものでした。
天一神社の近くの廃屋に 箕がありましたので
千木と箕の写真を撮って風の王国掲示板へアップしています。

こうへい - 2003/05/26(月) 11:06<

海底遺跡と失われた大陸

最近言われませんけど、12000年前、大陸が沈んだと言う話です(ムー大陸)。
12000年前以前、海水面が今より100メートル低かった。最寒冷期が終わって、雪が溶け
海水面が上がり、海抜100メートルまでにあったものは、全て沈んだ。これは分かるんですけど。与那国島の海底遺跡は、これで、説明出来る。

ノアの洪水伝説は、もっと後だから関係ないとして。

ムー大陸があったとして、海抜マイナス100メートル以下の大きな棚が海底になかったらおかしいですよね。ところが、海底地図にない。
海底600メートルから、ゾウの化石が出てると言うから、地殻変動と思われますよね。
温暖化での、海水面の上昇と、大陸の水没が重なってると言うのは偶然とは、思えない。
どちらが、先か?と言うのもあります。
今の海水面をゼロとすると、最寒冷期で、マイナス100メートル。12000年前からの縄文時代の一万年間が、プラス10メートル。それからは、現在までゼロですよね。
ムー大陸の核戦争で、温暖化が起こり、同時に地殻変動を誘発して大陸が深く没した。
どうでしょう(^o^)

海底遺跡から、磨かれた黒い石版が発見され、記号がいっぱい書かれていた。
今は、話題に登らない神代文字に似ている。
それを、解読した人がいるんですよ。
神代文字の研究者ではない・・・。
じつは、九州山民連合の親分だったんですよ。
かれらこそ、歴史が始まるはるか昔の、日本列島を含む壮大な大陸の古代人に末裔だった・・・。
巨石を自由に扱ったばかりでなく、文明も現在のレベルまですでに達していました。

ロマンがあって、面白いとおもうんですけど(^o^)

やなぎむし - 2003/05/25(日) 23:22<

ゴーーッとゆう、音と共に大きく木々が揺れた!
 木々のざわめきがしばらくの間私の周りでつづいた
  ザワザワ・ザワザワ新緑の若い枝はしなやかだ!!
   ひとけのない夜の公園
      私と愛犬は、立ち止まり木々を見上げていた
     しばらくぶりで、自然の風を感じることが出来た・・・

  また強い風が来て、木々を大きく揺らした・・
        落ち葉が大きく舞った
         かすかに若葉の香りがした
 
   

GAINA - 2003/05/25(日) 21:11<

高野槙

ヤゾーさん、みなさん、こんばんは。
はつせさんが仰っている高野槙ですが・・・。
高野山に参詣するときには、
生花や仏花にではなく、高野槙を用います。
ご参考までに。

はつせ - 2003/05/25(日) 01:42<

奥高野

ニルスさん、もう一つ質問です・・
奥高野とは高野山のことですか?高山槙というものをご存じですか?高山槙は高野町のシンボルになっています。百済の武寧王稜(532年没。母親が日本に来る途中に各羅嶋で生まれた)の彼の棺は日本の樹齢300年の高山槙で作られたと同定されているそうです。

はつせ <http://www.ne.jp/asahi/songshang/hatsuse/> - 2003/05/24(土) 15:53<

うわあ!殯・・

ついに殯(もがり)の話が出てきました!本来の殯は鳥葬ではありません。古代の天皇は全て殯のあと埋葬されてます。ある一定の期間遺体を棺に入れ近親者がそれを守ります。火葬の風習が出来るまで行われていたようです。中国でも清のあいしんかぐら溥儀が最初の火葬された皇帝だったので「火龍」と呼ばれています。これは中国の溥儀の伝記の映画のタイトルにもなってます。
 奥高野の葬送は本当に殯だったのか、興味があります。

ニルス - 2003/05/23(金) 23:14<

困ったな

写楽保介さん、すいません。
私は修験者(山伏)ではありません。真言や呪文も少ししか知りません・・
神社やその歴史的背景についても詳しくはありません、すいません。
ただ山が好きで大峰に通い積める者でございます。
山野を駆け、谷を遡り、岩を攀じているといつしか行者の様な気分になります。
ある時、山で会った人が私を見て「役行者が現れたようだ」などと世辞をくれた
のを嬉しく思ったりする調子者です。

大峰の蛇神信仰はしりませんが、蛇神のイメージでまず浮かぶのは大神神社ですね、
最も古くから崇められている場所のようですが・・

立山や白山、御岳、戸隠・・等の山岳信仰は、「大峰との交流」というより
「修験道という自然信仰の方法」が各地方に伝播し、元々地元にあった山の神を
崇めるという習慣がさらに発展していったものではないのでしょうか?
と私の勝手な解釈ですが・・

天川については私も大好きなところですが、近年聖地として色々もてはやされている
ようですね.奥宮の弥山もよく行きます。野迫川村にも弁天さんを祭っているところが
あり、こちらもなかなかアリガタイ所だと言われております。

奥高野で思い出しましたが、この地方で昭和の初期まで「モガリ」?だったかな
死んだ人をしばらく山に祭るという習慣があったそうです。
これは南方(確かボルネオかインドネシア・・)の部族に見られる習慣で
あることから、紀伊半島に黒潮にのって移住した南方系の民族のなごりでは
ないかと言う話です。どなた詳しい方はおられますか?

ヤゾーさんこんばんわ、「ニルスの不思議な旅」について言及していただいて
有り難うございます。
ちなみに、この話は今から100年前に作られたものです。
スェーデンのセルマ・ラーゲルレーブという女流作家の作品で、
ノーベル文学賞の対象となったと言われております.
児童文学ですが、ヨーロッパの有名な思想家らも少年期
に影響を受けたと言われおり、大江健三郎氏がノーベル賞の受賞の挨拶で
「私はニルスの不思議な旅が好きで・・」と切り出したのは有名ですが・・

以上、とり止めもない話ばかりになって失礼いたしました。

ヤゾ− - 2003/05/23(金) 21:35<

こんばんわ

みなさん こんばんわ
用事で少し遠出してました。

ニルスさん はじめまして
サンカと金剛蔵王権現についてのお話し ありがとうございました。
話が逸れますが 二十年程前 NHKで放送されていた
「ニルスの不思議な旅」というアニメを思い出してしまいました。
魔法で小さくなった少年のニルスが 空飛ぶガチョウに乗って旅をするという
印象に残るアニメでした。
関係のない話しですみません。

きょうかいさん ほんとうにお久しぶりです。
以前 お送り下さったギックリ腰用のゴムベルト愛用させて頂いてます。
ギックリ腰の痛みが 男女で左右の違いがあるなんて面白い現象ですね。

こうへいさん フクロウの写真 お見事でした。
天一神社の追加の画像も良かったです。

とんちんかん小僧くん やっとネットができるようになったみたいですね。
良かったです。

写楽さん 新しい社殿が建つ前後に よく天川へ行きましたが
ほんとうに色んな人たちが来てました。

こうへい - 2003/05/22(木) 22:42<

天一神社の追加映像

こんばんわ
天一神社の追加の映像、風の王国掲示板にアップしました。
内訳:神社の社紋、秋葉神社、荒神さん、社殿に彫刻された波模様、両頭の龍の錠前

荒神さん・・素朴でいいです。産鉄の神様って、本当?

写楽保介 - 2003/05/22(木) 18:20<

ニルスさんへ

大峰修験には以前から興味をもっていました。そこで2,3お聞きしたいことがあるんですが、よろしくお願いします。出雲神族は竜蛇族だそうです(龍神、蛇神を拝める)出雲族の役の行者が開いた大峰にも龍神信仰蛇神信仰の跡が豊富にあるんでしょうか?
その2大峰修験と立山修験には交流がないんでしょうか?
3天河弁財天社は、インドから僧や、宗教学者がやってきたおり、彼らが方位地形などからみて、ここはまさしくサラスヴァティーの聖地だと断言したそうです。(サラスヴァティーとは弁財天のインドにおける原形神)また天河弁財天で瞑想すると、他の場所より倍以上の効果があるといいます。修験の行者としてこの点につき、ニルスさんのご意見はいかがでしょうか?

とんちんかん小僧 - 2003/05/22(木) 15:29<

蔵王権現

ニルスさん、はじめまして。今後ともよろしくお願いしますね。
僕もにっちょさんや写楽さん等の投稿を読んでいるうちに蔵王権現像とは、どういうものか知りたくなってきましたので、ネットで調べてみましたら、いろんな種類の像が出てきました。
その幾つかをご紹介しますね。

その1http://www.butsuzou.com/jiten/zaougongen.html
その2http://www1.kcn.ne.jp/~yosikatu/syonara/zaou.htm
その3http://gfi58.hp.infoseek.co.jp/ma015.htm

また、下記のHPによりますと、吉野大峯山に安置されている秘仏金剛蔵王権現像は、
>今年、役行者1300年大遠忌法要を記念して、15年ぶりに、広く公開されるところ
>となりました。期間は5月12日から6月7日までの27日間です。
ということなので、僕もチャンスがあれば見に行こうかと思います。
http://www.ayus.net/enno/enki/hibutu.htm

ニルス - 2003/05/21(水) 19:22<

はじめまして

はじめまして、ニルスと申します.サンカを調べていてここに来てしまいました.少し共鳴を感じましたのでお邪魔致します。  まず私の父は三重県熊野市出身なのですが、祖父の時代にサンカらしき民がいたそうです。普段はめったに姿を見せないのですが、時折物々交換に山から里を訪れてきたという話を聞きました。    このBBSはたまたま見せていただいたのですが、偶然にも私は先日図書館で「役行者伝の謎」銭谷武平という本を借り読んでおります。ここでの話題となっている蔵王権現、役行者について僭越ですがこの本から少し補足させていただきます。  金剛蔵王権現は役行者が感得したものと伝えられています。山上ヶ岳で人々を救う守護神の示現を願って厳しい修行を重ねた結果、ついに蔵王権現を感得したと言われております。  守護神の示現は釈迦、弥勒、権現もしくは弁天、地蔵、権現の順に現れたとされておりますが、いずれも静寂尊の後に憤怒尊が現れ、役行者は憤怒尊を選んだとされております。荒々しい修験道の守護神には、このような恐ろしい憤怒尊が、最もふさわしい神であるとのこと・・  なお無畏十力孔菩薩などがモデルになっていると言うお話もありましたが、それ以外にチベットの憤怒尊なども、とてもよく似ております。またチベット「死者の書」において人間が死に際してまず静寂尊が現れ、続いて憤怒尊が現れると言います。  次に役行者についてですが出雲の分派、賀茂氏に使える身分であったとされております。賀茂氏は製鉄や鍛冶に深い関係があるそうですが、役の小角の小角という名前も製鉄・鍛冶にまつわるものと考えられるそうです。  私熊野(父)とヤマト(母)の血を受け継ぐものですが、登山をライフワークとして大峰を道場としております。役行者に敬し、熊野に親しみと憧れを持つ者でございます。

とんちんかん小僧 - 2003/05/21(水) 19:11<

きょうかいさんへ

いやー、うわー、ホント・・お久しぶりです。お元気ですか?昨夜、寝しなに「アンメールヨコヨコ」(小林製薬)を塗りたくって寝ました。今も少し右側の腰に痛みがありますが、ギックリ腰もどきのような気がします。心配して下さってありがとうございました。また、いろいろと教えて下さい。

きょうかい - 2003/05/21(水) 11:56<

ヤゾーさん、みなさんお久しぶりでございます

 とんさん久しぶりです
私の経験では、ギックリ腰の場合は、痛みの中心が左右どちらかに
ずれている様です。男は、左が多い。
原因
運動不足、筋肉の衰え
   ↓
仙腸関節が、何かの弾みでずれる
   ↓
坐骨神経が、伸びる
   ↓
腰の筋肉の異常緊張
   ↓
腰痛、下肢のしびれ
 
 ひどくなる様でしたら、専門家へ行くことをお薦めします。
 
 

とんちんかん小僧 - 2003/05/21(水) 01:21<

ギックリ腰?

今日、深くかがんだ拍子に腰にビクっと嫌な音がしました。これって、もしかして噂の『ギックリ腰』なのかなあ?今も背中を丸めたり、腰をひねるとイタイです(>_<)

こうへい - 2003/05/20(火) 18:22<

森のフクロウ

みなさん、こんばんわ
某所、某森のフクロウ・・「風の王国掲示板」にアップしました。
画像、大きくてすみません。

ヤゾー - 2003/05/20(火) 11:36<

三面大黒天

みなさん こんにちわ

にっちょさん お久しぶりです。
蔵王権現が一面三目二臂の憤怒形だなんて知りませんでした。
一緒に玉置神社で見た 八臂弁財天を思い出します。
弁財天も八臂が忿怒形のようですね。
お仕事の方 忙しいのに ありがとうございました。

こうへいさん 500ミリで狙ったフクロウの写真を
楽しみにしています。
今度 一緒に ふくろうを撮影に行きましょう。

ヤナさん あきませんでしかた。
それに竿まで折ってしまっては踏んだり蹴ったりでした。
次ぎは良い釣りができたら良いですね。

写楽さん 以前 大黒さんの古い像を見たことがありましたが
それは恐ろしい顔をした忿怒の像でした。
忿怒の神が福の神に変わってゆく辺りにも何か隠されたものがあるのかも知れません。

四国八十八ケ所の一つ焼山寺に 空海作と伝わる三面大黒天があります。
大黒天・弁財天・毘沙門天が一体になった姿のものです。
その三面大黒天の江戸時代くらいの版画の掛軸がありますので
風の王国掲示板にアップしてみました。

写楽保介 - 2003/05/19(月) 19:13<

出雲族と蔵王権現

にっちょさん貴重な情報ありがとうございます。吉田大洋氏によれば役行者は出雲族先住民系の出身で(ついでにいうと空海もそうらしい)出雲族の血をひく富家の家伝によれば、「渡来系の人々が、天下を握ろうと仏教を国教化した。日本古来の神道は圧迫され存続があやうくなったとき、役の行者は、出雲神道を仏教に習合したように見せかけ、これを守ろうとした。行者は神武天皇の東征以降、各地の山中にひそんでいた出雲族を従え、修験道を確立した。彼は天孫族に侵略され、怒りにもえた大国主を不動明王や蔵王権現にみたてて、これを守り本尊とした」そうです。
したがって不動明王や行者の手になる三宝荒神の憤怒形は、渡来人や天孫族に向けられたものだそうです。
わたしがクナトノ大神をもちだしたのもそこからです。
ついでにいうと弁財天信仰も出雲族の宗教を守るためっだったようです。吉田氏は弁財天は呪詛(出雲族の天孫族に対する)神としての役割を持っていたと考え、有名な天河弁財天社でも呪詛がおこなわれていたと推測しています。観阿弥がしばしば天河を訪れたのも足利将軍家に対する呪詛が目的だったようです。
弁財天信仰の発祥地インドでも弁財天の原形となった神はアーリア民族に侵略された原住民の神がルーツだったそうです。吉田氏の推測では弁財天の大本はシヴァ神の妻であるドルガーやカーリー女神だったとしています。
役の行者が大国主を不動明王や三宝荒神に見たてたのならば、出雲族の祖神である、クナトノ大神も修験系の仏に習合して祭ったのではないでしょうか・

にっちょ - 2003/05/19(月) 17:00<

蔵王権現

熊野ライフの皆様お元気ですか。ご無沙汰しております、出戻りの嫁みたいに、そんな懐かしさと感動とが気持ちを引き締めています。写楽様の書き込みに蔵王権現についての情報を・・ということで参考になるかどうか分かりませんが、書いてみました。

蔵王権現は雑密の執金剛神や純密の金剛童子などに範をとり、日本で作り出された忿怒尊のひとつで、「眷属」(仏、菩薩につき従うもの)もあるようです。
蔵王権現が釈迦如来の「教令輪身」(仏が通常の姿では衆生を教化しがたいため、別の忿怒の姿となって命令をもって教化する)として忿怒形で表されているそうです。
蔵王権現の祖形の一つにあげられるのが無畏十力吼菩薩だそうで、これを含む五大力菩薩の大幅が高野山の有志八幡講十八箇院によって護持されているようです。
これらは高野山金剛峯寺の前身である興山寺に秀吉が納めたと伝えます。(なんか、ややっこしい菩薩様ですね。)ご存じのとおり蔵王権現は一面三目二臂の忿怒形で表され、髪は逆立ち、右手は金剛杵をもって振り上げ、左手は腰に剣印を結び、片足を蹴り上げている。なんでそんなに怒り狂ってるのっ?て思います。これらとは別に本地として、とてもバラエティ〜に如来、菩薩 、明王などに表現されてます。金峯山におけるメイドインジャパンの、神、仏ですので垂迹神にあたるものが見あたりません、やはり先住民族系の神、仏と思われます、豊臣秀吉がでてくるのもうなずけます。
以上あまり難しいことは分かりませんが、手元に資料らしきものがありましたのでお知らせします。

こうへい - 2003/05/19(月) 08:07<

森のフクロウ2

ヤゾーさんあたりがですねー、身体に木の枝、葉っぱ、いっぱい付けて森の奥側に居てもらってですねー、そうすれば、羽根広げたところ撮れるかも知れない。
でも、あいつ、頭良さそうですからねー。

こうへい - 2003/05/19(月) 07:39<

森のフクロウ

声は、やっぱり バゥ・バゥ・・・・バゥ・・でした。バッファゥ・・なら、犬と間違いませんもの。飛ぶとき、ゆっくり向こうに向きを変えて、向こうに落ちるように飛びます。
こっち向いて羽根広げてるのは、むつかしいなー。・・・言い訳でした。

やなぎむし - 2003/05/19(月) 01:07<

毎度のことです

ヤゾー・こうへいさんこんばんわ・・

 田辺の釣りはいつもどうりの、気合だけです
   糞坊主です・・しかしなんですねぇ なんじゃこりゃこの餌取りは!!
 こんなけおったら、釣れる訳ないわなぁ!!
いつもどうりの言い訳です  おまけに大切な釣竿折れちゃいました
ウキも流しちゃいました・・とほほほほ
   もうやめです、磯釣りなんかやめです
しんどいばかりで、日焼けしてヒリヒリするし、眠たいし・・
   もう今週は行きません
 来週にまたさそてくださいね・・よろしく

こうへいさん、バッハゥ・バッハゥ180度回転の頭・・
 大きな目玉・・止まったときには想像できない翼を拡げた大きさ
バッチリとってくらはいませ・・よろしくーーぅ

こうへい - 2003/05/18(日) 20:39<

木の上で鳴く犬

やなぎむしさん、バゥバゥです。
今日、2時半頃、某山中に着きました。ところが、居ないんですねー。朝で無いと駄目かー?
で、500ミリレンズ付けたカメラ、セットして、タバコ休憩してると、頭の上で犬が鳴いてるンですね。バゥバゥ・・・バゥ・・  ワンワンじゃないんですね。いくら捜してもわからない。下の村の二軒目に、毎回ほえる犬が居るんですよ。その声が、反響してると決めて無視してました。
しつこく鳴いてます。3時のオヤツのサイレンが・・下の犬が遠吠えしてます・・重なってバゥ、バゥが・・・。なんじゃー、と奥の森を見ると、いました。フクロウくんが。
カメラを合わせました。こちら見て鳴いてます。ホーホーじゃないんかい。
同じ顔10枚位撮って、飛ばそうと思って手を振ったりしたけど駄目。ファインダー覗くと眠ってるんですね。しばらく寝かしといて、口笛で起こして、足上げたら飛びました。
2〜3日中に写真アップします。

ヤゾー - 2003/05/18(日) 13:00<

こんにちわ

みなさん こんにちわ

ミミさん はじめまして
ミミさんも その方のように思いやりに満ちた
素敵な人なんだろうなと感じました。
アドレスを見たら 以前に優しいメールを下さった方ですね。
今後とも よろしくお願いします。

こうへいさん 風の王国掲示板に投稿して下さった
新しい天一神社の写真ですが
雰囲気が漂っていて良いですね。
地図にも載っていない珍しい神社など
これからも どんどん見付けてきて教えて下さい。
とても期待しています。

はつせさん 里の人たちにとって 
山を切崩して金属を生み出してゆく産鉄民とは
自分たちとは まったく違う世界の人間(鬼)のように感じたのでしょうね。
朝鮮半島には はげ山が目立つようにあるそうですが
日本では ほとんど見かけることがありません。
それだけ 森林の再生能力に恵まれた国なのかも知れません。

写楽保介さん お久しぶりです。
和歌山県北部にある 北辰妙見神社のあったかつらぎ町の山の上にも
葛城蔵王権現というのがあり 役小角と深く関係したところのようです。
弁財天は先住民の神々と結びついた
呪詛性の高い神様というのが 本来の姿のようですね。
おっしゃるように出雲族の祖神クナトノ大神とも結びついているように思います。
弁財天について 少し解説したページもあります。
http://www.kumanolife.com/History/benzaiten.html
 
ヤナギムシさん 田辺ので磯釣りはどうでしたか?
この前 船釣りをしてきた人から
イサキを貰って食べたら とても美味しかったです。
早く 地磯でもたくさん釣れるようにならないかと心待ちしています。
何が釣れたのか 気にまります。

写楽保介 - 2003/05/17(土) 18:14<

蔵王権現について

蔵王権現についての情報をおもちの方教えて下さい。この神への信仰は役小角が始めたようにおもわれますが、それゆえ修験道と関係がふかいようです。役小角は先住民系、出雲系の人物だったので、出雲系の神を蔵王権現にしたてて祭ったのかもしれません。出雲族の祖神クナトノ大神あたりと関係するのでは?
弁財天への信仰も先住民と深い関係がありそうです。弁財天は先住民にとって、侵略者(天孫族)への呪詛神的役割を果たしたのではないでしょうか?

はつせ - 2003/05/17(土) 17:55<

禿げ山の高炉

司馬氏も鉄を作るのに大量の木が必要だった旨書いてますね。古代朝鮮の南端の国、伽耶とその併合者、新羅の鉄作り達は製鉄の為、豊富な森林を求めて日本に渡ってきたのではと書いてます。ある本では(見てきたみたいに)周りの木が切り倒された山の頂で、何日もの間夜天に赤々と燃え続ける蹈鞴の炉の描写をしていました。何か恐ろしいことが行われているような感覚を部外の人々に植え付けたのではないでしょうか?

こうへい - 2003/05/17(土) 09:15<

木になりたい人

ミミーさん、はじめまして。
木は、いいですね。何千年も生きてて世間を見続けてる木もありますね。
木になりたいって、いい人なんですね。そんな人を素晴らしいと見てるあなたもいい人ですね。
ぼくは、ちょろちょろしてるので、木にはなれません(^o^)
オヤジの生きてる頃は、田んぼもミカンもやってて、有機農法をとボクは考えていたのですが、
自分のとこだけって、出来なかったです。その点、彼は偉いと思います。

ミミ - 2003/05/17(土) 00:34<

とっても楽しく、拝見させていただいています。
木、に反応して、つい出したくなってしまいました。
友人で合鴨で米作りをしているんですが、その彼は、今度生まれ変われるとしたら(木)になりたいんですって。動物は動き回れるけど、木はそこから生涯生きている限り動かない。動かないけれど、生きていくための必要なものはすべてそこにある。手に入れる。人間のように争いもせず、文句も言わない。自分が切られても、焼かれても、何をされようとすべてを受け入れて、文句を言っているのを聞いたことがない。木は素晴らしい。、、、彼も素晴らしい人です。地区でただ一人、有機農業をしています。彼の名刺の肩書きは「農民」です。

こうへい - 2003/05/16(金) 23:16<

ヤゾーさん、いつでも行けます。願成寺から15分位走って、山道15分歩くだけです。
釜中村は、坂ばかりの急峻な村です。
はげ山になれば、大雨一回の鉄砲水で流れてしまうかも知れません。
大量の木、いくら紀州木の国といえどもねー。どうやったのか。

ヤゾー - 2003/05/16(金) 21:28<

みなさん こんばんわ

こうへいさん 有田川流域の神社は結構廻りましたが
金屋に そのものずばり鍛冶神である天目一箇神を祀る神社があったなんて知りませんでした。
今度 案内して下さい。
神社もさることながら その大きなフクロウに会ってみたいです。
天一神社とフクロウの写真に感動しました。
ありがとうございました。

はつせさん ナイフがお好きなんですね。
カスタムナイフといえば日立ATS34とうい素晴らしい鋼がありますが
最近では パウダー状にしたのを固めた金属が良いみたいですね。
今でも 安来の方では 日本刀用の玉鋼を
昔ながらのタタラで造っているのを 何かで見たことがあります。

とも美さん 大塊2トンに対して 薪が100トンですか。
ほんとうにもの凄い量の薪が必要なんですね。
樫類などの常緑広葉樹の森なら 伐採しても根が生きているので
30年もすれば元通りに再生するでしょうが
当時は何の薪を使っていたのでしょうね。
火力の強い松を使っていたのなら 伐採した松林はそのまま禿げ山になって
山崩れなど 里に被害をもたらしたのか知れませんね。

山小屋周辺の森の移り変わりを 10年ばかり眺めていますが
雑木林だと 伐採しても一年で緑に覆われます。
植林してある場合は 条件が悪ければ 再び植林しないと
表土が流れ出したりして 長い間禿げ山の状態です。
条件の良いところなら 伐採しても その場所に本来適した自然林が生えてきます。
山小屋の周辺は 10年くらい前に植林してある檜を伐採して
そのまま何も手を加えていませんが
常緑広葉樹のシイや樫類 それに栗などの木が勝手に生えてきました。
落葉広葉樹のコナラも多いです。
夏には 葉が茂り 日を遮ってくれて助かります。
そして秋には山栗が食べれます。
木が無かったら鉄も出来なかっただろうし
なんか木は有り難いなという気がします。

こうへい - 2003/05/16(金) 20:02<

天一神社

みなさん、こんにちわ。
今日も、たたらの神・だいだらぼっち・を祀ると思われる神社にいきました。
写真、風の王国掲示板にアップしました。ぼんやりした、ふくろうも。

とも美 - 2003/05/15(木) 22:59<

参考

はつせさんの書き込みが興味深かったので、
父の書庫から「砂鉄の道」を取り出してきました。
読んだことがない方の参考に少し引用しますね。

p.211
「安来(日立金属安来工場)で作られた鋼はYSS(ヤスキハガネ)とよばれて珍重されているが、とくに鋼材としての硬さとねばりを必要とする切削用の工具や電磁気材料または刃物鋼としてつかわれ、また原鋼の半分はアメリカのジレットに買われて、カミソリ刃になっている。1トンで百万枚の刃がとれるという。・・」

一枚に1グラムの割合です。

p.241、冶金学の桶谷繁雄氏の著書「金属と人間の歴史」(講談社刊)からの引用部分。
「・・・昔の人がやったタタラ一回で得られる大塊を2トンとすれば、砂鉄は24トン、木炭は28トン必要となる。木炭28トンのためには、薪は100トン近くを切らねばならなかったに相違ない」

すさまじい森林破壊!

はつせ - 2003/05/15(木) 21:17<

安来鋼

ナイフ関連のネットサーフをしていたらこんなのにぶち当たりました。
http://www.misuzu-hasami.co.jp/yasukikou.html
そして「日立金属安来工場」を見つけました。ここは司馬遼太郎の「砂鉄の道」に出てくる出雲の蹈鞴の血を引く炉を近世まで使っていたそうです。ご存じでしたらすんません。世界の鋼(はがね)のかなりのものは安来鋼を使ってるそうです。ナイフや包丁の宣伝を見てもみんな「安来鋼」の白紙・黄紙か「ダマスカス鋼」ですよね。

こうへい - 2003/05/15(木) 21:04<

失礼

製鉄の原料は砂鉄でした。

こうへい - 2003/05/15(木) 20:48<

天一神社

ヤゾーさん、海南高原の有田東急ゴルフクラブがあります。
そのすぐ下に釜中滝があります。そこから西に山道を15分程歩くと、釜中村のてっぺんに出ます。そこにあります。山の中です。地図見て〜。
天目一箇神=だいだらぼっちを祀る神社なんですよ、本によれば。たたら場でっせ・・多分・・
金属探知器で、鉄の溶けたのみつけます。
釜中村でも一番下あたりは、生石村(うぶいしむら)から、釜中村に変わったそうで、ぼくの勘では、産石村で、鉱石を産出した場所ではないかとみています。

ヤゾー - 2003/05/15(木) 18:30<

玉鋼(タマハガネ)

みなさん こんばんわ

こうへいさん 少し前に その辺りの神社を巡ったことがあります。
地名に 丹と付くところが多かったような気がします。
白岩丹生神社へも行きましたが天一神社は知りませんでした。
なんだか面白そうですね。祭神はなんでしょう?
少し吉備よりのところに祇園神社が二つあったのも気になりました。
明恵上人縁りのお寺の近くでした。

tuyaさん 僕は気弱ではありませんでしたが虫がとても苦手です。
当時 そんなことをされたら 
お返しにハナクソをなすり付けたかも知れません。

やなぎむしさん 奥飛騨いいですね。
温泉旅行へ行ってきたんですね。
温泉でのんびり過ごすのが 一番素敵なことなのかも知れません。

GAINAさん 丁度 紀伊半島で中央構造線が走っている辺りに
丹生神社が結構ありますね。
かつらぎ町辺りが 廻ってみて面白いところだと思いました。
北辰妙見神社というのもありました。
有名な丹生都比売神社もあります。

タタラ場とは 砂鉄を採る人から 木を伐採して炭焼きする人
そして炉で鉄を造る人まで
いろんな職種の人たちが集まった共同体だったといいます。
その人たちの技術が如何に高かったかは
古刀によく顕われているといいます。
今の技術を酷使しても 古刀を再現することは 遠く及ばないといわれています。
それはタタラ製鉄でできる玉鋼(タマハガネ)の質が とても高かったからだそうです。
下らない話しですが・・・
34歳の男性が 海水パンツを穿いているように
素っ裸の下半身に 黒いペンキを塗って公園のベンチに座っていたら逮捕されたとニュースでやってました。
その姿と どんな思いで下半身にペンキを塗っていたのかと想像したら
笑いのツボにはまってしまいました。
美術系の大学を出ており イラストには自信があったそうです。
きっと愉快な人なんでしょう?
玉鋼の話しとは関係ありませんでした。

こうへい - 2003/05/14(水) 22:57<

在田郡石垣荘釜中村

GAINA さん、今日、天一神社を探しに釜中へ行って来ました。村のてっぺんで見つけました。
神社には、神社名がどこにもなく、村に下りて聞きましたが、一人は、知らない、2人は、天日神社と答えました。それ以外の情報は得られませんでした。テンイチが、テンニチとなったと思われます。宮の統一?で、周辺の村は、全部白岩丹生神社の氏子になったそうです。
一応、テンニチ神社が、氏神さんなので、皆、正月は詣るそうです。
坂の多い、えらく急な村でした。
おかしかったのは、神社のすぐ下の廃屋の入り口の左側に、銅板製の小さい鬼の金棒が、釘で留められていたことです。早速、鬼伝説が・・と喜んだのですが、他の家には全然無くて、土地の人に聞くと、そんな習慣はなく、大阪の人が、買ってしばらく住んでいたが、そのうち居なくなったという事で、がっかりしました。
神社の大木に大きなフクロウが居るので、今度カメラに納めようと思ってます。
フクロウずいぶん大きくて、子供位あったような。フクロウ見るの初めてです。
ばあさん見つけて、だいだらぼっちのこと聞いてみようと思ってます。

GAINA - 2003/05/14(水) 19:21<

丹生から・・・。

ヤゾーさん、みなさん、こんばんは。
水銀や鉄を丹生と呼ぶようになったのは、いつ頃からか解りませんが・・・。
丹生と呼んだのは、水銀が先か、鉄が先なのか、
それによって古代史も面白くなりそうです。
こうへいさん、「中央構造線を辿る旅」というのも
いろいろな発見があると思いますよ。
それに、「空海の若い頃の足取りを追う」というのも・・・。
丹生という地名や神様が水銀や鉄だけでなく
縄文人と弥生人、蝦夷、サンカを考えるうえの
重要な手がかりになるように思います。

こうへい - 2003/05/14(水) 11:09<

丹生

GAINA さん、丹生は、水銀のことをさすが、酸化の進んだ鉄も真っ赤なので、丹生の語源であ
る・・と、「鉄と俘囚の古代史」に書かれてます。
田殿丹生神社の丹生は、丹生津姫御一行が、紀ノ川から有田川に移動して、またはるか北の地に行ってしまわれたそうで、水銀だとおもうのですが、鉱物に詳しい技術者集団だったらしいので。

ボクが行く、禰宜貝塚の禰宜も別所だそうで、上に銅の鉱山か、精錬所があったらしくて、毒の水が流れるので、別に川を作った・・と、土地の人が言ってました。

金屋町の金屋も製鉄に関係ありそうで、釜中の釜も中国で、溶鉱炉の意味だそうで、これはもうタタラ場でしょう。流れてる川も玉川で、産鉄のメッカ、出雲の玉から来てる・・と、ここまで来たら、こじつけもいいところで。

ya(・ε^)na - 2003/05/14(水) 00:25<

へんでしょうか??

はい!!・・十分変です・・
 それに、チョットくらい変な方が面白いとおもいませんかぁ・・
 tuyaさんもへんですよぅ・・(よかったねへへっへへ)

ダイダラボッチとゆうたら、大台ケ原の教会のおっさんのおはなしやおませんでしたかいねぇ
なんや、そんな記憶がおます・・

バリ師さん、きんの新穂高温泉に行ってました
ちょうど平地と奥飛騨では一ヶ月の気温差がありました・・桜が満開!!
  コゴミがたくさんおましたよ
   たらの芽袋詰めでうってましたので、ようさん買うてきました(ずぼらです)
     水量はことのほかでした・・ほんま!!山はええですねぇ

  山や!・・山や!!いつでもこの自然味わえる方々に・・嫉妬です!!
    
     「くそーーーぅ!!・」
   「思いっきり・・この空気すうたる!!・・」

             ゲップ・・ごっとうさんでした

                          やな

tuya - 2003/05/13(火) 23:12<

私の場合は

気弱な男子に、虫をホレホレとやるタイプの女子でした

こうへい - 2003/05/13(火) 19:30<

へんじゃありません

好きな子だったんでしょうね。
ボクの場合、あばれてるとき、○○ちゃんに言うでーと言われると、すぐ、やめました。
夢の中でも、遠くから見るだけ。一度、肩ならべて金色に輝く雪山を眺めてる夢みました。
朝、とても幸せでした。うれしかったです。夢くらい、好きに見れればいいのに。

ヤゾー - 2003/05/13(火) 18:40<

変な夢の話しですみません

みなさん こんばんわ

二十三歳ころに国分寺で一夏過ごしたことがあります。
トモダチがしばらく田舎へ帰省するので 国分寺にある自分の平家長家のアパートを
避暑に使えばと貸してくれました。
なんせ当時暮していた阿佐ケ谷の四畳半のアパートは
とても暑かったので それを知っての温情でした。
国分寺のアパートの回りに畑があって 良い湧き水が近くにあったような気がします。

蜜柑さんの話しはとても面白いので 是非にオフ会したら良いと思います。
それに「ほんやら洞」は オフ会としては最高の場所だと思います。
おりょうさん seburiさんも来てくれたら楽しいですね。
せめてクルマで5時間くらいで行ける距離なら翔んでゆくんだけどなぁ。
でも 日にちが決まったら教えて下さい。なんとか考えてみます。
ナイスタイミングさん はつせさん そんなに遠いところでないような気がしますので
是非オフ会に参加してみて下さい。
とも美さんも宜しかったら参加して下さいね。

こうへいさん トンチンカンくん フォールドワークは楽しいですね。
十一面千手観音を祭る願成寺ですが
役の行者の古い石像だけでなく 大津絵を描いた瓦を幾つか飾っていましたが
住職が鬼好きなのか それとも鬼と縁が深いのか
なにか感じるものがあるところでした。

小学生のころの夢を見ました。
ガラにもなく 歴史に興味を持ち始めたのは
小学6年生の頃の担任の先生と相性が良かったからだという気がします。
その先生が考古学や歴史の好きな方で
どういう訳か 近所の畑などから 須恵器や土師器等の土器がよく拾えるたので
それを拾ってきては先生に見せたら これは須恵器 これは土師器と 
いろんな事を教えていただき とても可愛がって下さったように思います。
調子に乗って トモダチと色んなところをスコップで掘っては
弥生土器や縄文土器のカケラまで拾ってくるありさまで
しまいには 山の崩れた斜面を掘っていたら 古い骨が幾つか出てきました。
アホな僕たちは なにかの動物の骨だとばかり思っていて
その骨を嬉しそうに学校に持ってゆき 少し気のある優等生でノーブルな顔立ちの女子に
これ人間の骨やでぇ〜と言っては 嫌がる女子にホレホレと無理やり押し付けたりして遊びました。
その骨を先生が見たところ 数百年は経過しており
人間の腕の骨と 頭がい骨の上の方の骨だということが分かりました。
それを聞いても 僕たちは何とも思いませんでしたが
その骨を押し付けられた女子は 相当にショックな様子でした。
明くる日 目を腫らしたノーブルな顔立ちの女子に
怖くて眠れなかったじゃないのと えらく叱られました。
その女子に叱られ にやけている時の夢を見ました。
妙に嬉しいような楽しい夢でした。
やっぱり変でしょうか?

こうへい - 2003/05/13(火) 17:59<

神社

ヤゾーさん、とんちゃん、願成寺の上の神社の名前わかりました。
大衣笠持神社です。読み方不明。住民は、熊野権現社と呼んでいたそうです。

有田川の平安時代の呼び方わかりました。在田郡  丹生神社あたり・・田殿荘
                        金屋あたり  ・・石垣荘
天一神社のあった 在田郡石垣荘釜中村 は、やはりあの、金屋町の釜中みたいです。
だいだらぼっちの伝説があるかも。楽しみです。

こうへい - 2003/05/13(火) 08:40<

オークション

おはようございます
宮崎駿・著/風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡・・・・落札しました。
933円。他に入札者がいなかったので・・定価1600+税 なので、まあまあです(^o^)

蜜柑 - 2003/05/13(火) 03:11<

追伸

中元ヤゾーも来てくださいね。
人生一回しかないんだから。
たまにはババンと。オフ会やりましょう!

蜜柑 - 2003/05/13(火) 03:10<
ほんやら洞でオフ会。
いいですね。
「最高ですか?」
「最高です」

以前も、書きましたが、
ラビさんの昔の彼がサンカマニアだったそうです。
関東でオフ会やるなら、ほんやら洞しかないでしょ。

首を長くして待ってます。

とんちんかん小僧 - 2003/05/13(火) 00:21<

別所と六部行者

一、二週間前から、ある本を購入するかどうか手に取りながら毎度のごとく迷っていました。それがまさか掲示板で少し前に話題になっていた宮崎駿著の『風の・・』とは・・。とても嬉しい偶然一致した出来事でした。今日は、こうへいさん達と願成寺に行ってまいりました。願成寺は、別名「あじさいのてら」といい、所狭しに紫陽花の花が一杯ありました。例の観音像を拝むことは叶いませんでしたが、幾つか風変わりな碑と像をデジカメに収める事が出来ました。【六部行者】と書かれた碑に【役行者】像。別所と六部行者には何かしら繋がりはあるのかなあ?

あおき - 2003/05/12(月) 19:22<

引っ越せばいいじゃないですか

 国分寺は変な奴らが 怪しい店に集って夜な夜な変な盛り上がりをしてる街ですよ
公園もたくさんあるし はらっぱ祭りとか妙な祭りとかやるし
ラビも住んでるし いいことずくめ そのうち居付きサンカとかにでくわしたりして
昔野川でサンカやってましたとか・・・
 でも蜜柑さん仕事で夜遅いから 帰るの大変だしなあ
ほんやら洞行きましょう蜜柑さん とも美さん
ほんやら洞でオフ会

蜜柑 - 2003/05/12(月) 18:26<

僕は見そこねた!

ボブディランの番組、ダビに付した人貸してくださいな。
「ほんやら洞」にはその昔、seburiさんと飲みに行きました。
あおきさん今度一緒に飲みに行きましょう。

僕は、中山ラビ狂で、国分寺に住むことを本気で考えた事もありました。
家が近所だという、とも美さんが羨ましいです。
 

あおき - 2003/05/12(月) 07:25<

僕も見ました

 村上龍もムサビだったので おそらく国分寺近辺はうろうろしてたでしょう
でも昔の国分寺北口は今みたいにきれいじゃなかったし 椎名誠の本で有名な
国分寺書店のおばばもいたし 
 その後 関東で地震が2度ありました やっぱり地震雲と関係が・・・

とも美 - 2003/05/12(月) 03:20<

中山ラビ

おヒサで〜す!

ここのところ忙しくてバタバタしていました。
ヤゾーさんの書き込みにあった中山ラビさんのお店が家の近くにあります。
東京の国分寺駅南口から歩いて5分、下り坂の途中にある古っぽいムードの
「ほんやら洞」というお店で、お酒も飲めるしカレーもおいしくて何回か
行ったことがあります。
私はラビさんの音楽についてはよく知らないのですが、昔からのファンで
お店はいつも賑わっているみたい。ラビさんは今でも少女の雰囲気を漂わせて
いる不思議な方で、カウンターの中にいる娘さん(か?)と良いコンビです。

はつせ <http://www.ne.jp/asahi/songshang/hatsuse/> - 2003/05/12(月) 02:07<

ボブジラン

ヤゾーさん、私は武道館で遠くからディランを見ました。謙虚な姿勢でギターを持ち、でも他のシンガーの何百倍もの歌詞を綴れ織ってました。ディランがガットギターをエレキに持ち直して囂々たる非難を浴びたなんて夢の様です。もうあんな吟遊詩人は出ないんでしょうね。ドノバンが新作を出しました。超アンプラグです。最近、ジェフバックリーという夭折したシンガーを聞いてます。

ヤゾー - 2003/05/12(月) 00:35<

NHKアーカイブを見て

25年前 ボブ・ディランが初来日したときのことをドキュメンタリーでやってました。
美空ひばりも武道館に聴きにいったなんて始めて知りました。
実に懐かしい人たちがインタビューに登場してきて
中山ラビも村上龍にインタビューされていました。
多感な当時 バイクで走り回るかレコードばかり聴いていたころで
ボブ・ディランもよく聴いていました。
それにしても 25年前というのは もの凄く昔に感られました。
25年で 人の顔の雰囲気も随分と変わってしまったように思いました。
インタビューされていた ほとんどの人たちがヒゲ面だったのには笑ました。

こうへい - 2003/05/12(月) 00:23<

トライキングの写真

こんばんわ。
宮崎駿の乗ってる?三輪車の写真、風の王国掲示板にアップしました。

ヤゾー - 2003/05/11(日) 22:15<

トンネルにシカが・・・

みなさん こんばんわ

少し忙しくて やっとネットに繋ぐことができました。

こうへいさん 宮崎監督はただ者でありませんね。
作品に込められた情報量は 知れば知るほど 奥が深くて驚かされます。
風の王国掲示板へ投稿して下さった写真 マックでは見れませんでした。
ジャンルを問わず 面白いものは なんでも投稿して下さい。

ナイスタイミングさん 闇の世界をかなり深く描いた作家として
紀和鏡さんなんかも好きなんですが
ナイスタイミングさんが 八切史観等をベースに
何か書かれたら面白そうな気がします。
是非に書いて下さい。

蜜柑さん フィールドワーク続けているんですね。
近くだったら 魚を手づかみで取る写真の現場へ連れて行って欲しいです。
そろそろ磯タコの美味しい季節ですね。

あおきさん 素敵なところが近くにあって良いですね。
田舎は自然は豊かですが
そういう施設がえらくつまらなかったりします。

はつせさん 洪水伝説は世界各地に残されているみたいですね。
インカの伝説は 少し有名みたいです。
沖縄・与那国の海底遺跡も 12000年前くらいに没したものらしいですね。

昨日 二キロくらいある長いトンネルを通ったら
子ジカがトボトボと歩いていました。
クルマに轢かれたら可哀想だと思い
一旦クルマを止めて 外まで導いてあげようかと思案しましたが
お節介なことをしたら 余計にクルマに轢かれそうなので
仕方なく そなままにしてトンネルを出ました。
シカを見ることは珍しくありませんが
トンネルの中で見たのは始めてでした。

蜜柑 - 2003/05/10(土) 00:17<

はつせさん

ヤゾーに僕のメルアド聞くか、風の王国掲示板で探して直接メールください。
そっと教えてあげます。

はつせ - 2003/05/09(金) 22:35<

セブリ

蜜柑さん、なんと!そこはどこでしたか?(今手元に資料集がない・・)東京の近場なら・・

洪水伝説については、前にグラハムハンコックの業績を紹介しました。イギリスのダーレム大学で1万二千年前から海岸線の迫り上がっていく様をシミュレーションしたということです。それまで都市が在ったところが殆ど海の底に沈んだのは全く事実らしいです。九州大学の教授が悲しそうに「今までの考古学者は海に潜れなかった・・」と行っていた映像が印象的でした。

こうへい - 2003/05/09(金) 19:40<

追伸

宮崎駿って、クマノライフに出てくる話、随分好きみたいですね。

こうへい - 2003/05/09(金) 19:37<

大混乱

ナイスタイミングさん、早速大量の資料ありがとうございました。
情報源がすごいですね。感心してしまいました。

待ち時間に、車で「風・・」を読んでました。宮崎駿の欲しい車が、ボクが宝くじ当たったら買う車と同じだったんですよ。思わず本放り上げてしまいそうでした。トライキングって言う、モーガンスリーホイラーの現在版みたいなやつ。もう、乗ってるのかなー?
飽きたら、安く売ってくれるかなー?

ナイスタイミング - 2003/05/09(金) 19:26<

思い出したのですが・・・・

 以前から、八切史観をベースにした伝奇小説や冒険譚などが
あってもいいのではないか?と思っていました。
宮崎監督的なエンターティメントにすることによって、某放送局の
その時歴史が動いた的ではない観点を世に広める事も可能かと思います。

 作品社の復刻によって八切氏もメジャーになってきた感があります。
(といっても神田三省堂などは新書判のコーナーが隅にあるので、多くの
 人の目に触れにくい。大型書店でないと店頭在庫も見かける率・少。)

 例えば横田順彌氏のような押川春浪ら天狗倶楽部が登場する明治物SFと、
高橋克彦氏の東北や世界を舞台にした伝奇物をミックスしたような世界
を描くことは、表現に留意すれば不可能ではありません。
 そろそろ世に出てきてもおかしくないのではないか、と最近つくづく
思います。(それなりの構想はポツポツ頭の中にあり。作家宣言して
自分で書いてみるのも面白いかな、とも思ってます。)

 八切氏が「著作権を放棄する」とその著書で明らかにしていても
復刻を手がける出版社もご家族に了解等は必要だったと思います。
ご家族がお元気で、復刻も進行中であるここ数年がチャンスではないの
でしょうか。

ナイスタイミング - 2003/05/09(金) 17:39<

大洪水

》洪水は、地球的規模だったのか、特定の地域だったんでしょうか?

ちょっと本を開いてみました。(こういうことでもないと読まないという・・・)

ジョージ・スミス(銀行紙幣原板彫刻師から楔形文字補修士)がアッシリアのニネヴァ
から出土した粘土板に、ニジール山に打ち上げられた舟や、その舟から飛び立ったもの
の、一面水ばかりで降りるところを見つけられなかった鳥にまつわる話を発見。
彼が手元に集めた内容はギルガメシュの叙事詩に関するものであったそうです。

1872年。スミスはロンドンにてこの発見の講演を行いセンセーションを巻き起こしました。
翌年、スミスはイラク北部のニネヴァに発掘に赴き、17行の楔形文字の断片を発見。
検査結果で、そこにはノアの洪水伝説の欠落箇所が記されているとされました。

1914年、大洪水伝説はシュメールに起源をもつことが南メソポタミアでの調査団に参加し
たアルノ・ベーベルによって立証された、とされています。

1920年代、レオナード・ウーリー卿を団長とするウル発掘調査団がウルの王墓の下層発掘
調査を行い、「洪水によって流された泥の層」に到達したと発表。しかし、学会の一致した
承認を得られなかったそうです。

メソポタミア人が運河を掘ろうとして襲われた洪水の一つが大洪水伝説を生んだのか?
そして誇張されたのか?古代メソポタミアからの出土される資料は、神話か事実か、どちら
なのかを見極めることが難しいそうです。

シュメールは戦前はスメラと称されていました。
遥か離れた地への発掘・調査を行っている国士舘大学イラク古代文化研究所、
出光美術館の数々の所蔵品、やんごとなきお方に連なる亡くなられた方が会長をしておられた
文化センターなど、日本と縁が深いようです。

あまりKumanolifeから外れると叱られそうなので、一つ関連的な事を。

ギルュガメシュ叙事詩には、洪水伝説から7と7を重ねる奇跡で助かったと記述されて
いるそうです。

なんのことでしょう?7月7日のことでしょうか。(と、一旦しらばっくれる(・Д・))

復刻された野史辞典を見ると(私は作品社の回し者ではありません、という使い古された
フレーズを入れたく思います)、色々と仙台七夕の事などが載っています。
北条氏が繁栄させた小田原も七夕で有名なようです。

あおき - 2003/05/09(金) 15:01<

宮崎 駿のアニメ原画

 千と千尋のアニメ原画や絵コンテを小金井公園内の江戸東京博物館展示してますよ
公園内の建物に モデルになった銭湯とかありますよ
まだやってると思うので 近い人はどうぞ すごい量でおどろきます
 あれ?蜜柑さんその人達と幼なじみでしたよね 

こうへい - 2003/05/09(金) 08:47<

ギルガメシュ叙事詩 追伸

方舟に、動物を乗せるのは良いとして、すべての銀、すべての金を積んだところが面白いですね。
みんな沈もうとしてる時に。
洪水は、地球的規模だったのか、特定の地域だったんでしょうか?

こうへい - 2003/05/09(金) 08:37<

ギルガメシュ叙事詩

ナイスタイミングさん、おはようございます。
叙事詩はじめて読ませてもらいました。
方舟の話、ノアとにてますね。神がノアの方舟も残ったことを知らない訳ないから同一なんですかね。
この、神って万物を創造した神でなくて、人間くさい神みたいですね。
聖書の神も、こと細かく材料を指定して通信機らしきものを作らせたり、方舟を作らせますね。
ロトに逃げろと教えたのもね・・。
むかしは、神は宇宙人だと言った人がいました。ぼくも、そう思ってました(^o^)そうしてしまえば総て解決?
縄文時代から(もっと前から?)世界中にいっぱい神がいたみたいですね。

蜜柑 - 2003/05/09(金) 04:19<

はつせさん

三角寛の本にある「瀬降りの子供達」は気になりますね。
彼らはどうなったのでしょうか?
っと
気になって10数年。
魚を手づかみで取る写真の現場、間違いなくアソコという場所見つけました。
一緒に行きますか?

ナイスタイミング <http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm> - 2003/05/09(金) 00:51<

もののけ姫関連

こうへいさん。「風の帰る場所」とはなかなか面白そうな本ですね。

ヤゾーさんがおっしゃるとおり、宮崎駿監督はかなり歴史に詳しい
人だと思います。
作品のそのものを楽しめることはもちろん、物語の背景への想像を
かき立たせられます。(といっても私などは全く力不足)

批評社の「『もののけ姫』の秘密」になにか違和感を感じていましたが、
もののけ姫のモチーフは「ギルガメシュ叙事詩」という話もあるようです。

こうへい - 2003/05/08(木) 22:42<

風の帰る場所

ヤゾーさん、おもしろいです。
まだ、1/3も読んでませんが、宮崎駿って、ただ者ではないですね。
12年間に渡るインタビュー集です。考えがはっきりしていて、一層好きになりました。
オークション絶対オトしますので、お貸ししましょう。

アシタカのナイフやはり黒曜石でしたか。
「アシタカのナイフ」って、画像盗用して付けて、売ってみようかな。
ジブリの目も、こんな田舎まで届かないでしょう(^o^)

ヤゾー - 2003/05/08(木) 21:45<

宮崎駿監督

みなさん こんばんわ

こうへいさん 「風の帰る場所」面白そうな本ですね。
この前の日曜日 NHKアーカイブで 
宮崎駿監督初期のテレビアニメ「未来少年コナン」をやっていました。
とても好きな作品なので 思わず見入ってしまい感動してしまいました。
宮崎駿監督は 歴史に対して研究熱心な方で
サンカのことも詳しく知っている人だという気がします。
もののけ姫関連の本に アシタカが村を出るときに娘から手渡されたナイフは
黒曜石のナイフだと書かれていました。
縄文時代中期 黒曜石文化が各地を覆っていたとも書かれていました。
こうへいさんに頂いた黒曜石のナイフを見ていたら
刃の部分がガラス状で透明感があって奇麗です。

こうへい - 2003/05/08(木) 20:49<

風の帰る場所

みなさん、こんばんわ。
昨日、市民会館へ歴史書を捜しに行きましたが無くて、しょうがないので、宮崎駿の「風の帰る場所」を借りました。これが良くて、古書捜しても無く、オークションに出ていたので、登録して初めて入札しました。新しいの買う方が安い?

そのなかに、
旧約聖書に・・汝の尽くせる限りのことを尽くせ、黄泉の国には何もない。
       権謀も術策もないけど知恵も知識もない。
       だから、お前の空なる人生のあいだは自分のパンを喜びをもって食い、楽しみ        ながら酒を飲んで、額に汗流して尽くせるだけのことを尽くして生きるのは、
      神様もよしとしてる・・・・・と言うようなことが書かれてるそうです。

生まれ変わりや、あの世を信じてるボクは、少々焦り気味。

心入れ替えて、生きねば・・・。

こうへい - 2003/05/07(水) 22:40<

大斎原

ヤゾーさん、大斎原ってそういう場所ですか。
オバケ大好き人間には、たまりませんね。

ヤゾー - 2003/05/07(水) 18:54<

フィールドワークのすすめ

みなさん こんばんわ

こうへいさん 大斎原で寝たことがないので何とも言えませんが
随分昔には 上流の十津川の方では水葬だったそうで
大斎原は 死骸が累々と集まってきたところなのだそうです。
寝たらきっと 楽しい夢を見ることでしょう。
それにしても 随分と熱心にフィールド調査をしているんですね。
これからも 写真と文章を楽しみにしています。

GAINAさん お久しぶりでした。
紀和町には 日本一の鉱山博物館がありましたね。
南北朝時代には あの辺りで南朝の武器の多くを造っていたそうで
立派な刀やヤリを展示してあるのを見たことがあります。
銅と鉄 この国の歴史を知る上でのキイワードなのかも知れません。

*(-..-)*ngly さん 本宮大社の宮司は
代々丹波の九鬼家が勤めるということですし
スサノオを祭っていることからも
なにやら深いものが隠されているのかも知れません。

はつせさん 三角寛氏が残された写真は
やらせの部分もあるのかも知れませんが
とても貴重なものだと思います。

ここ十年余りで 田舎の風景も随分と変わってしまいました。
少し奥地へ行けば 時代から取り残させたような 
情感のある風景を見ることができて
それはそれはワクワクさせてくれました。
そういう風景が年々無くなってきましたが
それでも 時にはハッとさせてくれるような風景に出会ったり
アッというような発見があったりします。
そういう思いが出来るのは やはりフィールドワークならではだと思います。
 

*(-..-)*ongly - 2003/05/07(水) 11:13<

ミスです。すみません。

はつせさん
ミスですすみません。
 ×:三角全寛の写真→○:三角寛全集 です。
こうへいさん
 別所の写真ありがとうございます。
 死に至る病(レプラ)の苦しみから逃れ(死を求めて)安楽に成るように
願うことから、行基や空海あたりが願成寺とネーミングしたのではとも
思えます。あるいは成はレプラとみればレプラになることを願うとも取れる
のは八切史観ではなく原住民族(私)のヒガミでしょうか。願就寺、安楽寺
長楽寺なども上述のような先住民史観から予断的な解釈できます。

こうへい - 2003/05/07(水) 10:13<

別所の写真

「風の王国掲示板」に、別所の写真アップしました。中州でもなく、普通の山里です。

*(-..-)*どんgly - 2003/05/07(水) 10:02<

三角全寛の写真

はつせさん
 おっしゃる通り写真も大切です。『全集』にある子供の顔
写真を『シーボルトと日本』で参照すると「日本原住民の瞼」
とあります。この視角で言うと身の回りには原住民系が最多で
朝鮮系よりも中華系が多いのにはびっくりします(この数年
統計データをとって分析しています)。これに顔形・頭形の要
素を加えると「人種判別」が相当できますし、さらに苗字分析
など加えると精度が上がります。

とんちんかん小僧 - 2003/05/07(水) 08:28<

自分で調べてみます。

山、川、寺等の名称の変更について、少しずつですが自分なりに調べてみようと思います。

はつせ - 2003/05/07(水) 00:50<

三角寛の写真

特に三角氏の本は読んではないのですが、「資料集」にある山窩の家族の写真は皆様、どうお考えになっているのでしょうか?ウメガイ、ミ、テンジンなどの写真や、熱した石をいれた風呂、特に女性の裸ですらりとした足と膝の形は(変な意味でなく)非常に興味深く、私の小説の主人公(山窩出自の透派)の足の形容に使ってしまったぐらいです。現在の正座をしなくなった若い女性の膝の形と同じです。足でイワナを追い込み岡に上げて捕る写真もありました。里人なら梁(やな)などを使いますよね。
 蹈鞴:私の知ってる表現で「たたらを踏む」という言葉が確かあったと・・

*(-..-)*ngly <http://www7.ocn.ne.jp/~iyasi> - 2003/05/06(火) 22:28<

べっちょ見学会を

ヤゾーさん
 >現在の本宮大社の直ぐ上の方へその別所は移転した。
大斎原すなわち川の中州地形にあった本宮大社自体が「別所」
(べっちょ)地形です。ここでは地形が古文書以上の意味を持つ
と思います。大社の絵図を見れば移動後も頼病者専用の風呂を持つなど
「別所」の要素を色濃く残しています。
岡山県大斎原村に行きましたがここには確か別所地名はなく、村全体が
別所のような印象でした。調査はしていません。
『野史辞典』も大変面白いです。『サンカ生活体験記』『サンカの歴史』
『サンカ民俗学』『サンカいろはコトツ唄』も復刻ですか。私も八切氏
の「サンカシリーズ」に触発された者です。やっぱり日本人には八切史観
が必要なのでしょう。残念ながら三角寛には史観がありません。
皆さんの中から研究者がでてきて欲しいです。野史研究会はお手伝いし
ます。7月下旬には関西で「別所見学会」をやろうの声も来ています。
野史研究6号には、東京目黒の目黒別所を紹介した画像文があります。

こうへい - 2003/05/06(火) 21:41<

アカ

GAINAさん、こんばんわ。
ありがとうございます。東熊野のほうですか?
「丹」は、熊野のほうでは、鉄なんですか。「丹」と言えば水銀と思っていました。
こちらでは、最近まで、銅のことをアカとよんでいました。熊野では、鉄なんですね。
地元の海南、有田から調べようと思っています。すぐに行けますので。
なんせ、しろうとですので、一人騒いでいるみたいです。
気が付いたら、掲示板をノート代わりにしてるのに気が付きました。
大変、ご迷惑をおかけしています。

GAINA - 2003/05/06(火) 20:30<

タタラは鬼?

ヤゾーさん、みなさん、こんばんは。
タタラの話、興味深いものがあります。
熊野のタタラ伝説(民話)は
熊野古道の雲取越、玉置山、東吉野街道の上北山村伯母峰峠に残り、
これらの全ては奈良(中央)に向かう街道沿いにあります。
精錬所のあった地域ではタタラ(人物)は普通の存在であったでしょうが、
中央に向かうタタラを他の地域では特異な存在として捉えていたのでしょう。
熊野では2世紀には精錬技術が確立されていたともいわれ、
日本書紀の神武天皇東征の際、気を失い、高倉下に助けられたことも
精錬から発生するガス中毒ではなかったかと思えます。
熊野には紀和町などに銅の鉱山は最近までありましたが、
鉄に関する鉱山が記録から落ちています。
熊野では「丹」をアカと呼び、鉄を指すものだそうです。
熊野市付近に鉄に関する地名が多く残っていますので、
こうへいさん、一度調べられたらいかがですか?

私も東熊野の鉄、タタラ=鬼、修験者などについて調べていますので、
そのうちにホームページにUPします。
何か情報がありましたらお教えください。

こうへい - 2003/05/06(火) 19:40<

タタラ=踏鞴

知りませんでした。
タタラって、踏鞴って書きますよね。鞴はフイゴで、風を送るやつ。
溶鉱炉に、大量に風を送るのに、大きなフイゴを大勢で踏む。
これが、タタラなんですね。
「もののけ」で、女のひとが大勢で大きな板を踏んでましたが、あれなんですね。
今、やっと解りました(^_^;
真っ赤に溶けた金属が、たらたら流れるのでそう言うのかとおもってました(^o^)

ヤゾーさん、大斎原で寝ると、なにか起こるんですか?

ヤゾ− - 2003/05/06(火) 19:19<

八切本・出版情報

みなさん こんばんわ

はつせさん お祖母さまのご冥福をお祈りさせていただきます。

こうへいさん その一つ目で一本足の奇妙な木彫りのお土産が熊野にあったりします。
タタラとうい言葉には フイゴという意味もあるそうですが
そのフイゴにはタヌキの革を使っていたと聞いたことがあります。

バリ師さん “山笑う”は いい表現ですね。
僕は連休中に岩場で貝採りしました。
あくる日は 膝が笑いました。

Donglyさん 大斎原にあった本宮大社は 明治の水害のときに
少し上流にあった別所の山が崩れて川を塞き止め 鉄砲水により流されたそうです。
そして現在の本宮大社の直ぐ上の方へ その別所は移転したといいます。
不思議な因縁ですね。

ヤナさん 棟方志功展見てきたんですね。
作品もさることながら 本人も国宝級の人なのかも知れません。

ナイスタイミングさんから 八切本・出版情報のメールを頂きましたのでお知らせします。

「野史辞典」〈八切意外史〉第1期全12巻完結記念出版。
奇才・八切止夫の渾身のライフワーク 八切史観の決定版日本史辞典、待望の復刊!
http://www.tssplaza.co.jp/sakuhinsha/book/jinbun/tanpin/5472.htm

さらに『サンカ生活体験記』『サンカの歴史』『サンカ民俗学』『サンカいろはコトツ唄』
の四冊も全て2800円(税別)刊行予定だそうです。
http://www.tssplaza.co.jp/sakuhinsha/book/kinkan-info.htm


ナイスタイミングさん ありがとうございました。

はつせ - 2003/05/05(月) 20:30<

みかんの花

こうへいさん、みかんの花の手向け、有り難う御座います。祖母も蒲刈の夏みかんが好きでした。

こうへい - 2003/05/05(月) 09:58<

 天目一箇神

一踏鞴(ひとつたたら)
一踏鞴大力無双にして、雲取山に旅人を劫かし、或は妙法山の大釣鐘を奪い去りなどしたために、三山の衆徒大いに苦しみ、狩場刑部左衛門といふ勇士を頼んでこれを退治して貰った。色川郷三千町歩の立合山は、その功によって刑部に給せられたのが根源であって、後にこの勇士を王子権現と祀った。
となっています。
一踏鞴(ひとつたたら)は、タタラの親分でしょう?鬼は、タタラ衆でしょうか。人をさらって労働に使ったり、まわりの金属を取り上げて武器につくりかえたのでしょうか?
別の勢力が、たたら場を奪うために話をでっちあげて、彼らを殺しまたは、捕虜としたのかも。

鉄は、弥生中期以前より作られたらしい、銅は?
西暦2〜300年ころ、秦氏、辛嶋氏、紀氏が日本にきています。
紀氏は、紀伊半島で勢力が強く、大和朝廷からは、独立した存在だったらしい。
古いタタラ衆を、紀氏が奪ったのでしょうか?それとも、ずっと昔の話?

 天目一箇神はタタラ製鉄の溶解した鉄を片目で長期に渡って見続ける事により、熱により目が見えなくなって、片目になってしまう、と言う事から来た神とされる。相当古い神格かと思われる。
  伊勢忌部は天目一箇神の裔とされる。近江の御上神社の祭神を「天之御影命」と言うが、天目一箇神の別命とされる。

古い歴史に詳しい人なら判るかもしれません。

こうへい - 2003/05/05(月) 09:10<

みかんの花

ほつせさん
お祖母さまの、ご冥福をお祈りいたします。
みかんの花が咲き始めています。
近づくと良いにおいがします。
すぐに、まわりは良い香りでいっぱいになります。

はつせ - 2003/05/05(月) 00:48<

一蹈鞴

皆様、こんばんは。連休はありませんでした。祖母が往ってしまいました。98の大往生でした。
・・・一蹈鞴という凶賊の如きは・・というのは面白いですね。何故、蹈鞴衆が「凶賊」なのでしょうか?「退治」されたらもう鉄・銅は作れませんよね。当時としては一子相伝(?)に近い技術だったのでは?それともその秘密を狩場氏が受け継いだということでしょうか?いつ頃の話なのでしょうか?片目というのはその必然があったと思います。熱の為なのか、はたまた頭領はそのような儀式を受けたのか・・・?

やなぎむし - 2003/05/05(月) 00:33<

連休

みなさんこんばんわ・・
連休とゆうことでのんびりされてることでしょうね・・
昨日は棟方志功展を見てきました
  ”大和し美し”と御郡鯉図”が素敵でした
棟方と仏とのかかわり、
 土臭さ!!
人々の信仰と恐れ・ねぶたの武者絵そして風土・
 厳しい自然との共存の中から棟方の作品が出来ているように感じました
倉敷の大原美術館からの出展のようです
  5日が最終日ですのでおすきなかたでかけてくださいね
  会場は大阪なんば高島屋です

こうへい - 2003/05/04(日) 09:58<

だいだらぼっち

はつせさん、だいだらぼっちの伝説ありましたよ。天目一箇神と呼ぶそうです。
「熊野の山中に昔住んでいた一踏鞴(ひとつたたら)といふ凶賊の如きは、一眼一足の恠物(怪物)であった。」が、狩場刑部左衛門と言う人に退治された。
以下、引用・・・
  和歌山県 牟婁郡色川村樫原には、狩場刑部左衛門をまつる王子権現というのがある。ところで、この話のある色川村のはじまる辺りが、妙法山であり、有名な妙法鉱山のある所で、昔は紀州家のドル箱といわれた銅山。現在でも、妙法山の下は至る所、坑道になっており、その先は那智の滝の近くまで達しているといわれている。これに続く、口色川、大野、籠、阪足、樫原の各集落一帯は、至る所に古い銅鉱の跡があり、色川村の地名は、鉱石により色がついたから色川とつけたという伝えもある。殊に鬼退治をした樫原集落の辺りになると床という名のついた小規模の野タタラ跡が無数に見られる。

銅の精錬のだいだらぼっちみたいです。

ところが、天目一箇神を祀るといわれる神社があります。
天一社 名草郡多田郷本渡村・・別所の願成寺の本院?の在所。
天一神社 在田郡石垣荘釜中村 ・・在田郡は、今の有田郡とおもわれるが、石垣荘が分からない。釜中村は、金屋の山中にも同地名があるが、寺も神社も地図にない。行ってみないとわからない。

こうへい - 2003/05/03(土) 08:28<

大人の食い物?

バリ師さんの、書かれてる山菜の名前、全部知らないです。
子供の時は、山が遊び場でしたが・・・。
田んぼにあるツンバナという草の芽の中の綿みたいなもの、山の赤紫の5ミリ位の実、ケンポンという食える木の枝、ニッキという木の根、コンパチ、野いちご・・・子供の食い物だったのかな?
鳥用のクイシメという罠、雀を捕る煉瓦落とし、オナゴ竹で作る杉鉄砲・・これも、子供の遊び。
大人と、採ったのは、ゼンマイ、ワラビくらいです。

地名が変わる・・寺の名前もかわりますね。
最勝寺(サイショウジ)が、地図捜してもないので、帰って「和歌山の歴史散歩」よ言う本買ったら、のってました。浄教寺(浄土宗)・・前身は、神谷寺あるいは最勝寺(真言宗)とありました。丹生神社の対岸にありました。

とんちんかん小僧 - 2003/05/03(土) 01:31<

最近、疑問に思った事。

山の名前についてですけど、二上山は、一昔前まで(!?)「フタカミヤマ」と呼ばれていたのに、今現在は「ニジョウザン」。全ての山々ではないと思いますが、ヤマからサンに名前を変更する事になったのは何故でしょうか?地名にしても変更されたために昔の言い伝えとは、程遠い名前に変更された例も少なく無いと思いますから・・。皆さんのいろいろなお意見をお聞きしたいです。バリ師さん、山での体験記、とても勉強になりありがとうございました。シカの糞話、何時か自慢気に語れる日が近い未来にありそうです。山菜取り師にも目覚めそう・・。

バリ師 - 2003/05/02(金) 00:21<

山笑う

今日は山菜の師匠と一緒に大屋川の天滝付近の山道を走る。

まずタラの芽を採る。標高差があるので、ちょうど今が採りごろだ。皮手袋で棘のあるタラの木をつかみ、次から次へともいでいく。もちろん余して採る。

次にコシアブラ。師匠が幹に登り木をたゆませる。私が曲がった枝をつかみ手ごろな新芽をもいでいく。一本見つけるとたくさん採れる。

「あんたエビネ踏んどうで」と言われ、「えっ」と足元を見ると地エビネが蕾をつけていた。

「これがクロモジ。爪楊枝作る木や。全部、芽を鹿が食うてもとる。」今度見てもわかるかなあ・・・。

「この白い蕾が仲良く二つずつついとるのがニリンソウ。たんまに蕾が三つついとうのもあるけど、それはフリンソウやな。」

「これがシャクで、あれがミズや」もうあかん、頭がこんがらがってきた。

いったん揖保川筋に出て、また山道を走る。途中で車を停め、山の斜面を駆け降りる。「熊の生態調査用の檻注意!」の看板に少しびびる。

この場所はきつかった。山菜を見つけるどころか、師匠の後を追いかけて行くだけで精一杯である。息は切れるわ、顎は上がるわ、膝が笑うわ・・・もう大変、大変。

しまいとめに「あんた、この辺でモミジガサでも採っとき」と言われ置いてきぼりを食らう。師匠は土手を駆け上り、ウドを採ってきた。こんな斜面を上がって行けるんは、猿か天狗か師匠ぐらいやで。

おとなしく教えてもろたモミジガサを採っていると、「チクッ!」と手に何かが刺さった。後で聞くと「そらイラクサやな。チクチクかぶれるで。」最初に教えとってえな。

帰りに「スズコみよか」と藪に師匠が分け入った。私も後を追うがすぐに姿が見えなくなった。四方、背丈ほどある笹に囲まれては方向すらままならない。「まだ少し早いようやな」と手には三本のスズコ。「ま、持ってかえり」と今年の初物をもらう。

魚釣りも上手な師匠曰く「釣りでも山菜でも、人が入ってないとこ行くこっちゃな」。けだし名言である。

子どもの頃から山を駆け巡り、川に潜り、山仕事をしていた師匠は鍛え方が違う。私の子どもの頃は、デパートの屋上で金魚すくいしとったもんなあ。「山笑う」と言うけど、今日は「山に笑われた」。

最後にもう一つ、鹿の糞は端がどんぐりみたいに尖がったのが雌、四角く切れたのが雄の糞だという話を聞いたので書き止めておきたい。(今後の皆さまの人生に何か役に立つかどうかは分からねども・・・)

こうへい - 2003/05/01(木) 23:51<

だいだらぼっち

はつせさん、なるほど、良くわかりました。
「もののけ」で初めて知った名前です。
地名が変わるのは、確かに多いですね。海の近くの干潟という地名が、日方にかわって全く意味が違っています。ふたかみ山が、にじょうさんになるように・・・二上山が二神山だったかも知れない。白山も江戸時代にシラヤマからハクサンに変わっていたら、今の人が、昔からハクサンだったと思うのも無理のないことですからね。何かにシラヤマって云うのが残ってるかも知れませんね。

はつせ - 2003/05/01(木) 22:37<

だいだらぼっち

こうへいさん、だいだらぼっちは各地にある伝説で片目片足の大入道として伝わってます。その名のとおりたたらに関係した伝説と言われてます。ですから「もののけ」のは姿は間違ってます。一説によると高炉の熱で目をやられたり事故で片足になった多々良衆の姿を写しているのではないかと言われます。炭や薪で火を熾すと遠赤外線で確かに目を開けてられません。目が乾燥してしまいます。薬師如来が祀られるのもそのためと言われます。ゆっくりお読み下さい m。。m

はつせ - 2003/05/01(木) 22:30<

しらやま・・・はくさん

いろいろ教えて頂いて有り難う御座います。でも*(-..-)*nglyさん(なんと読むんですか?)の、昔は「しらやま」だった、ということでやはりと思いました。私は日本の地名は漢字の読みが後代になって変わったり、太秦を「うずまさ」と呼ぶように、もとあった呼び名が当て字として使われている例がけっこうあるのではと思ってます。それを分析することによって地名からそこを本貫にした氏族や部族名が残っている可能性があるからです。荒神山を今は「こうじんやま」と呼んでいますが、本来は「あらがみやま」と呼び、「かや」(昔朝鮮にあった国、「あら」とも言われた)の国に関係がある地名じゃないかとか想像してます。飛鳥を「あすか」と呼ぶなんて当て字に違いないと思います。

こうへい - 2003/05/01(木) 12:30<

田殿丹生神社その?

神社の奥さんによりますと、
白山は、昔からハクサンと呼ぶそうです。
木の根っこは、7.18の水害(何年か聞くのわすれた)のあと、川の中から見つかった楠の木の根っこです。
既に、炭化して、500年以上前のものらしいです。
ここの、楠の木で、焼ける前の東本願寺の天井板を作ったという記録が残っていて、その時の木じゃないか?とも言われてるそうです。
有田川は、もっと西を流れていて、田殿丹生神社の横に大きな寺があって、丹生図という所まで
広がってる、大規模なお寺だったそうです。
お寺の名前は、近くの最勝寺で聞けば分かるそうで、まだ聞いていません。
丹生神社のそばには、大門とかいろんな古い地名があったそうですが、その資料みていません。

有田川流域の縄文遺跡は、殆ど、50年程前の水害で、地表が削りとられて発見されたようです。
ありました、1953年(昭和28)7月18日の台風の風水害となってますから、
その年ですね・・川から寝っこが掘りだされたのは。

*(-..-)*ngly - 2003/05/01(木) 10:28<

油カスとサイボシ、鯉幟

バリ師さん こんにちは。
 研究会のとき持っていったのはセンジガラといいます。多分但馬の油カス
と同じ物だと思います。山陽自動車道では小谷SAと志和PAで1000円で
売っています。ちょっと高い。煮込んでも美味いようです。サイボシは
『被差別部落の文化』のサイとで知りましたがぜひ食べてみたいもの。焼き
カブラやキドフも何とか試したいですね。煎り豆に味噌をつけた物は食べた
事があります、なかなかいけます。
 ヤゾーさん こうへいさん はつせさん
 洪水で流される所といえば、熊野本宮の大斎原のような川の中州でしょう
ならば別所の可能性があります。中島・中州・大洲・大津・須賀・中須賀・
高須賀などの地名なら別所では?(5月の鯉幟のルーツは印字打ちの対象にな
ったこの別所に関連と八切止夫はいいます)。この延長で海の中の大島も別所
とみています。巨木の根があるとか、銀杏の木でしょうか、その集落に人が住
み始めた時代からあるのかもしれません。直径により時代が推定できます。
また寺や廃寺があったとする伝承があるのでは。
 菊池山哉によれば白山はシラヤマと読むのが別所で、江戸時代に江戸の白
山をハクサンと呼んだためにシラヤマもハクサンと呼ぶようになったとか。
ハクサンの語呂合せで歯臭の神→歯の神→歯痛の神の庶民信仰になり、歯痛
に効能ありの南天の木と共に祭られています。中世に白南天の木の近くに
宝物(多くは漆のようです)を埋めたとするのはこの因縁でしょうか?

こうへい - 2003/05/01(木) 07:49<

白山ー追伸

ヤゾーさん、丹生神社は、川の対岸・・・と書きましたが、現在の川の中かも知れません。
70年に一回、大洪水になり、そのたびに堤が切れ、村が流されたそうです。
その洪水の時、大木が流れて来たら、触るな。そいつは山の大蛇で、海に下って龍となり、
空に昇ると昔から言う・・・その、じいさんの話です。

はつせさん、「だいだらぼっち」って、もののけ姫に出てきたやつじゃないですか。
こんど、聞いてみます。

こうへい - 2003/05/01(木) 07:07<

白山

はつせさん、おはようございます。お早いですね。この間はありがとうございました。
うろうろしてるので、まだ全部読んでいません。すいません。
白山は、はくさんと読んでいます。田殿丹生神社は、水銀文化の発祥地と看板にありました。
それ以外は、わかりません。

>別所が多々良近くにあると言うと、
すいません、事実は、願成寺のある所が別所という地名で、一山越えると、金屋町、降りきって川沿いに下ると、田殿丹生神社がある・・・・これだけです。
タタラうんぬんは、あったらいいなという、ボクの願望です<(_ _)>
どうしても、別所を俘囚と結びつけたいので、調べるための、仮説でした。

ヤゾーさん、
>白山をご神体とした丹生神社ですが
>川を挟んだ対岸には古くからの別所地帯があります
前に、地元のじいさんに聞いたのですが、
田殿丹生神社は、もっと前方・・つまり有田川の対岸にあり、水害で、今の場所まで後退した、
と、いっていました。そのとき流された巨木の根っこ?が、置かれてた記憶が・・。
話が、事実なら、その別所地帯に建ってたことになりますね。

バリ師 <http://www3.osk.3web.ne.jp/~blrhyg/bunka.htm#4> - 2003/05/01(木) 04:29<

竹細工と油カス

上記アドレス『ひょうご部落解放』バックナンバーより「連載・兵庫ぶらぶら歩き」に「その4伝承を編む竹細工職人」と言うのがあると釣り友だちが教えてくれました。

「その2但馬のサイボシ」には、去年、公文川で開催された野史研究会でDonglyさんに頂戴した「油カス」のことも載っておりました。油カスをカミカミ・カミカミした歯ごたえを思い出しました。

はつせ <http://www.ne.jp/asahi/songshang/hatsuse/> - 2003/05/01(木) 00:58<

白山

こうへいさん、白山は「しらやま」と読むんですか?スナフキンさんのHPで新羅の鉱山師と関係があるのでは、ということです。新羅は「さろ」とも読まれ、「鉄の国」という意味があったという説で「ぎ」の音はどこから来たかというと、「城」がもとは付いていて新羅城が本当の書き方だったように思えます。
 別所が多々良近くにあると言うと、そこに居たのは俘囚だけではなかったということでしょうか?
 白山には丹生神社の他に薬師如来が祀られているところはありませんか?だいだらぼっちなどの伝説は
どうでしょう?

ヤゾ− - 2003/05/01(木) 00:57<

丹生と稲荷と別所

こうへいさん 白山をご神体とした丹生神社ですが
川を挟んだ対岸には古くからの別所地帯があります。
その地区と丹生神社にどいう関係があるのかは まだ調べていません。
しかし 少し下流の方に 本朝最初といわれている稲荷神社があり
なんでも伏見稲荷より60年ほど以前に創建されたそうで
そのことを朝廷に申し出て 伏見稲荷の地名に紀伊郡という地名とを入れてもらったとのことです。
その稲荷神社から川を挟んだ対岸にも別所地帯があります。
こちらは 約500年ほど前の大水害で川の流れが変わってしまい
もともと稲荷神社の神領に暮していた別所の人たちの住む村が流され
殆どが川底となってしまい 現在の対岸の村に落ち着いたということのようです。
稲荷神社とその別所地帯は 随分と離れた格好にはなっていますが
今でも その別所地帯の人たちは その稲荷神社の氏子となっているそうです。
そういうことがありますから 白山をご神体とした丹生神社と
対岸にある別所地帯とも なんらかの関係があるのかも知れません。
川の流れというものは 時代と共に 随分と変化するようです。

こうへい - 2003/04/30(水) 22:08<

別所ー金屋ー白山

度々、すみませ〜ん。
別所から、熊野古道を通って山を越えると、そこはもう金屋町です。
降りきった所を、左(東)に行くと、金屋町の白岩丹生神社。
右に行くと、ご神体を白山(三角山)とする田殿丹生神社があります。
ここも、別所ではないかと言う人がいます。
そのHPで、ヤゾーさん提供の白山の写真がのってました。これ余談。
金屋の山中に、産鉄の遺跡が眠っているのかも。別所から、たたら場に通っていたのかも。
降りる中程に釜中の地名が見え、そこが4本もの道の集合点になってます。
なんか、クサい。
えーかげんにせんかい といわれそうなので、この辺で。

こうへい - 2003/04/30(水) 16:17<

願成寺その4

*(-..-)*nglyさん
いつもありがとうございます。

別所については、継続して調べることとします。寺にせよ歴史にしろ、知識が全くないもので。
製鉄跡の有無、古い地図、先人の調査本、方言、思いつくままに。
ながなが、失礼いたしました。

管理人ヤゾー - 2003/04/30(水) 15:23<

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みなさまの暖かいお言葉に感謝しております。
田舎の葬儀というのは なかなか面倒なことが多くて後も大変です。
遠方の縁者と顔を合わせたり
長い間 話しをすることもなかった従姉妹たちと話しをするというのも
なかなか面白いものがあり
生きた民俗学のようなところがありました。

この国の差別を考えるとき その根の深さというか
奥の深さというか システムのようなものを感じます。
差別するものも最低ですが 差別を利用してきたものも最低だという思いがします。
*(-..-)*nglyさんのお言葉で 賎民の成り上がりほど程度の悪いものはないという名言がありますが
この国の歴史の中でも そういうところが多々あるような気がします。
被差別民の弱いところばかりに光を当てるのではなく
その持った優れたところ 力の部分にまで光を当てることも
一波乱あるのかも知れませんが
良いものを残しつつ 差別をなくすには必要のように思います。


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