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2001年12月03日(月)23時55分までのKumanolifeGuestbookへの書き込みです。


min-min <http://homepage2.nifty.com/TUBA/> - 2001/12/03(月) 22:40<

RE:太平洋を渡った倭人(縄文人)

みなさん、こんばんは。min-minです。

ヤゾーさん、
>エクアドルのバルディビア遺跡などから 
>縄文土器にそっくりの土器や装飾品が出土しているそうです。

南太平洋のど真ん中のバヌアツでも縄文式土器が発見されておりますね。

>寄生虫のコウチュウ感染の研究が 有力な裏付けとなってきているという話しがあるそうです。

以前テレビ番組で観た記憶があるのですが、このコウチュウ感染者が凍てついた北のベーリング海
を渡るとこの寄生虫は生存し得ない。したがってコウチュウを含む人糞の化石が発見されたことに
よって、南米に船で渡ってきたモンゴロイドがいた証である、と。
チリの海岸から近い洞窟からこの人糞の化石が発掘されたとのことですが、洞窟の壁面にはいくつ
もの古代の船の絵が描かれておりました。
いずれにしても、このモンゴロイドが縄文人であったか否か、是非解明してほしいものです。

さんかうぶさん、
>これ、もっと知りたいですね。インドヨーロッパ系との混血?、南海の原住民も根基はモンゴロイド
>でしょうが?

さぁ、このあたりはどうでしょうか?私には残念ながら分かりません。

>貴州雲南のカレン族、まったく日本人ですね(容貌、文化とも)、娘さん綺麗、
>私の{タ、イ、プ、}です。

あはは、そうですか、タイプですか。
カレン族はビルマにも存在し、長らくビルマ族の政府に対し独立抵抗運動を行なっていましたが、
とうとう力、尽きたといったところでしょうか。
今から十数年前、ビルマのラングーンに当社のプロジェクト・オフィスを開設した時のコックは
カレン族の妙齢の女性でした。
さんかうぶさんご指摘の通り、カレン族の容姿、物腰はとても日本的なものを感じました。
余談ですが、当時かかわったビルマ人の中には、「ビルマ人、日本人同根」説を唱える人々が
おりました。
昔々、はるか北の大地から東に移動したのが日本人で、南に下ったのがビルマ人だと。。。
ま、確かに似通った部分はないわけではないですが・・・。

min-min@横浜でした。

*(-..-)*ngly - 2001/12/03(月) 21:31<

美人は濃厚

さんかうぶさん
ほー高梁川ぞいですか。川魚系は川の傍でなく川から離れた高所に居
つくそうです。広島河内川上流で知人に教えられました。田圃も無く
少し畑がありました。今年ヤゾーさん、とんちんかんさん と訪れた
吉野川沿いの町にも居付きさんがいましたね。ここの地名は恐らくサ
ンカ語からでしょうかすぐ分りましたから、規模のがきいか、集落が
古いのでしょう。
 数年前吉井川を通った時も青空市場があって、焼いたハヤ(ハエと
も?)を手指状に串刺して売ってたので、冗談を言いながら男に話し
掛けたら逃げられました。相手が女性なら警戒しなかったかもね。
川沿いにある場合も外見で当りをつける事ができますね。美人がおれば
疑い濃厚でしょうか。呼び名=地名アプローチなら誰でも出来そうです。
 やはり野外のほうが面白そ。

きょうかい - 2001/12/03(月) 10:27<

おつかれさま

サクラさん
 いろいろと、ご苦労さまでした。サクラサンとヤゾーさんの
対応が、早かったので助かりました。
今日も、別のが、来てました。
クリップマークがあったので、それを開かずに捨てましたが、
今のところ大丈夫みたいです。

さんかうぶ - 2001/12/03(月) 01:34<
*(^..^)*ongly さん、あおきさん、有難うございます。
皆実あたりは行ったことないですが、NET地図表示させて確認してみます。
そちら、それだけ、多い(かった)のですか、この夏私が訪れた岡山津山にも竹細工専門商店
が市内に存在、又、高梁川沿い高台にイツキの村複数個存在で川魚漁専門だとか、
尋ねてみる価値有りと思うのですが、冬なので来春以降にでもと。矢野さんも居るかなあ?

MIN−MINさん、前後してしまって、レス遅れまして、失礼しました。
NHKの番組『日本人はるかな旅』第四週「イネ 知られざる一万年の旅」、視るのをてっきり忘れて、
年末年始一括再放送に委ねます。ちょっとアカデミックすぎで、もっと俗っぽい話題も入れて欲しい
と不満有るのですが、{裏版}も製作してくれんかなと思ったり。
>潜水漁労に励む一族は明らかに漢人の仲間ではなかったといわれ、その後忽然と姿を消す事になります
これ、もっと知りたいですね。インドヨーロッパ系との混血?、南海の原住民も根基はモンゴロイドでしょうが?
>明人と倭人の混血のことをチョアンツー(串子)と呼ばれ、明人のあいだでは蔑まされた存在であったようです
と言う事は、両手に余る以上の数だったのですね、その後、どちらへ居ついたのか興味あります。
貴州雲南のカレン族、まったく日本人ですね(容貌、文化とも)、娘さん綺麗、私の{タ、イ、プ、}です。

ヤゾ− - 2001/12/03(月) 00:03<

太平洋を渡った倭人(縄文人)

みなさん こんばんわ。

サクラさん 修復できて よかったですね。
サクラさんの 相手を思い遣る気持ちのお陰で
被害が最小限で済んだのかも知れません。

さんかうぶさんもDonglyさんも夜更しですね。
風邪など召さぬよう ご自愛下さいね。

あおきさん もしタナボタ式にヨットが手に入ったら
その時には手ほどきをよろしくお願いしすね。
サンカに興味を持つと いろんなことが見えてきて 
ちょっと怖かったりすることもあって
ほんとうに面白いですね。

min-minさん 流石にいろんなところに行ってますね。
知人が新婚旅行にグアム・サイパンに行って
零戦の残骸かなにかを見た時に
チャラチャラした浮かれた気分が無くなったと言っていたのを思い出しました。
それを聞いた時に 結構マトモな奴だったんだと思ったりしたことがありました。

ヤナさん 自分の子供を釣ってどうするんですかぁ(笑)
みなさんも画像掲示板見て下さい。
笑わさしてもらいました。

エクアドルのバルディビア遺跡などから 
縄文土器にそっくりの土器や装飾品が出土しているそうです。
そのことから コロンブスがアメリカ大陸を発見する遥か以前から
縄文人が太平洋を渡ってアメリカ大陸と交流を行っていたという
アメリカの人類学者で考古学者でもあるメガース・エバンス博士夫婦の論文も発表されていて
その説を 寄生虫のコウチュウ感染の研究が 有力な裏付けとなってきているという話しがあるそうです。
堀江謙一さんの 小さなヨットでの大平洋横断も その説の裏付けになっているのかも知れませんね。
なんせ 19フィート(6メートル弱)の 装備も貧弱な船で横断したのですから。

min-min <http://homepage2.nifty.com/TUBA/> - 2001/12/02(日) 13:31<

南海の楽園

みなさん、こんにちは。min-minです。

きょうかいさん、
>ポナペ、トラックは、25年前に行ったことあります。
>とにかく、妙に帰りたくなかったです。島の娘は綺麗で
>トップレスで若い私には、とても刺激でした。

トラックは上空を、ポナペは給油で降りただけですので両方とも行き損ねております。
ポナペで約一年間働いた人達(日本人とフィリピン人)は異口同音に『素晴らしい島です!』と
言います。
その連中とパラオで一緒に仕事をしたのですが、女性は絶対にポナペの方が美人だと主張してました。
パラオの手前にヤップがあり、グアムからの便は必ず寄ります。ここの女性達は完全にトップレスで
お過ごしなのですが、あまり魅力的とは言い難い感じです。(^^ゞ
それでも、日本の某道路工事会社がここで道路をつくった時、土地の長老が嘆いたそうです。
『あんた達は道路をつくりに来たのか、子供をつくりに来たのか、どっちじゃい?』

僕は幸いにも仕事でコスラエ(前回書きました通り、ハワイに向かう航空路のポナペの次の島)まで
行ったのですが、驚いたことに一部住民は流暢な日本語を話します。そうです、ここコスラエが
旧日本帝國海軍の最東端の支配地域だったわけです。ここは現在世界中のダイバーのあこがれの地と
なっており、潜水透明度は世界でもトップクラスとのことです。まさしく“最後の楽園”のひとつ
なのかも知れません。
あ、それとここにはポナペにある「ナンマドール」と同じ巨石遺跡の片鱗(かなり傷んではおりますが)
が残っております。
しかし一方、ガアム、サイパンはもちろん、パラオやヤップ、トラック、ポナペ、コスラエの
ミクロネシアは素晴らしい島々ではあるのですが、ほとんどの島々には過去の戦争の生々しい爪跡が
今でも残っています。
こうしたところを訪れる度、二度と再び同じ過ちを犯してはならない!という強い思いにかられます。

南海の島々を楽園だと思うのは単に旅行者だけではないでしょうか・・・。

min-min@横浜でした。

*(^..^)*ongly - 2001/12/02(日) 10:59<

恋は~..~)

さんかうぶさん
まあ美代子なんて。知人に明治期北海道帰りの広島サンカがいます。その子孫の一
人の、口がやや重いタイプで美人、今「馬場」。北海道から帰省の東京サンカも。
 明治政府の賎民対策は面しろそ。賎民末裔ほど美人が多いですね(^0^@ 。
おおきさん
恋は盲目と言いまして、そうなればそれが全てになりがち。ここはあくまでも冷静
、打算的に行きたいもの。自分の一生は詰まらぬ相手に捧げるとしても、他の人を
巻き込んで名まずい。近世発生説などもやめて、沖浦さんも自分のルーツ調べたら
いいのにね。どうせ分ってますがね。でも人生って、自己確認の繰り返しでしょう。
算数テスト5点(百点満点)の用紙を壊れかけた大正橋の上から捨てた方もいます。
大正橋はその名の通り大正期に架けられたものでしょうか、それまでは川向こうと呼
び合ってたのかもしれません。中心部は夜女の縄張りです。山の麓、多聞院に薬師観
音があると聞きますし,段原は団原でしょうか、原野でしょうか。比治は明らかに卑
地=非地=肱=聖=日出か?。日出は朝日と同じく東日の当らぬ地に多いとか。 
 カ山のペンネームは団で、矢野団左衛門の子孫という説も?。確かあの目つきはね。
 この山の上に原爆投下の爆撃効果を医学的に検証するABCCなる研究所があります。

あおき - 2001/12/02(日) 09:00<

つけくわえ

ごめんなさいその娘は離婚したそうです ぬけてしまいました

あおき - 2001/12/02(日) 08:56<

さんかうぶさん*(^。。^)*ngly さん

皆実高校には 同級生で良い娘がいましたが ことし中学の友人に
離婚したげなと聞いたときは びっくりしました
とても良い子で素直で 学級委員とかやってる娘でしたが・・・
僕が地元にいればこんなことには・・・
と少しまったりしてしまいました 
比治山は別所だったのですか 確かに怪しい雰囲気がありました 比治山口の電停の近くに
今にも崩れそうな木の橋がありましたが 丈夫な橋に架け替えられ
今では比治山にトンネルが出来 平和大道りとつながりました
宇品も海岸には高速道路のため その娘の家もとりこわされ 
思い出だけになってしまいました 
昨日たまたま 部落開放を奥さんが買ってきて 
沖浦さんって サンカは200年くらいしか歴史がないっていってるよ
と驚いていましたが 本当でしょうか?
しかも発祥地が広島県東部だなんて うれしいような かなしいような
なのに地元にいるときは サンカなんて聞いたこともなかったのに・・・
サンカうぶさん 吉田 宅浪は 宇品神田三丁目の果物屋の親父が皆実校時代友人で
同窓会にも良く来るらしいですよ
やぞーさん ヨット乗りましょう みなさんでクルーザーで
一級船舶免許なら 加山 拒mに負けないですよ
後進○と名前を付けますか ちっとも前に進まない

サクラ - 2001/12/02(日) 08:29<

お騒がせしました・・・

本当にお騒がせしてごめんなさい。

ピンクのトカゲさん
  修復してよかった〜♪
      本当にごめんなさい!

私もやっと修復したよ。
でも、2次感染が始まってるの・・私の周りでもグルグルウィルスが渦巻いてます。
トロイの木馬型って、ほっておくとその人のキーの打ち込み情報を外部に発信しちゃうから
その人のPCのっとっちゃうから怖いんだって・・・
アメリカではそれで、何十億も人のお金を使って捕まった人がいたとか・・・
そんなウィルスをメール開けただけで大事な人たちに送りつけるなんて
本当に許せません。

最初メールは普通に件名があり、添付フィルのクリップもなく送られて来ました。
友人の名前だし、何気なく開けてしまいましたが、そのときには手遅れ・・・の感染。
送信者のアドレスの前にアンダーバー_がついているのが特徴だとか・・
そして中身は空っぽで本文はありませんでした。添付フィルマークのクリップはなくても
しっかり、フィルが添付されてます。
その後からエラーメッセージの英文のメールがぞくぞくときました。
これにも手をつけたら同じ結果に・・・なるそうです。

ウィルスとワクチンのいたちごっこが続きます。
本当に皆様も気をつけてくださいね。

やぞーさん
今回のことでの、すばやい対応ありがとうございます。
感謝しています・・・・
                s(*^-^)ノ☆    







さんかうぶ - 2001/12/02(日) 03:31<
*(^。。^)*ngly のおっしゃん、さっそく有難う御座います。
良く判りました。
{>私の先輩}はないですよ、たくさん後輩です、同窓の某男性有名
芸能人のまだ後輩年代です、○○美代子を云々。
たくさん秋波受信しました(周波数は合いました)が、最後の一波を
受け損なってしまって、場越しです(向こうが)。
私は不眠症で結構ですが、夜なべは体に触ります、PCも体もウイルス
の餌食になります、御自愛下さい。

*(^。。^)*ngly - 2001/12/02(日) 01:40<

はば広島い方ね

 さんかうぶさん
 皆実は東京時代に「カイヂと読むの?」と聞かれました。実はカイト地名
と分ったのは十年前。私の先輩かまたは後輩にHANDを出すとは何たることか!
 トホホはないですよ。最近とても掛かり易いウイルスに不◎(^..^☆)もあり
ます。まあ日出町なんて、NHK最初の女アナの出身地ですよ。夏なのに秋波をく
れましたがね。でも周波数は合いませんでしたよ。日出は、日の当らない地か
または聖のいた所でしょう。沖浦先生の聖の解釈は、歴史的には全く逆ですから
注意しましょう。牛飼田から牛〇ができたと柳田国男先生がいってます。ここに
〇枝という旧家(小頭か長吏の家)は遠戚となります。それにしても藤圭子も大
好きでしたが、やっぱし斎藤慶子がおいしそう。藤原紀香も同じ木地師娘で同じ
SKB系ではないでしょうか。まあ金持ちの娘に本当の美人は少ないようですね。

さんかうぶ - 2001/12/02(日) 00:17<
*(^。。^)*ngly のおっしゃん、これも聞いてくんない?
広島弁、これぐらいしか判らんけーネツ。
奇遇にも学生時代のGFが広島で、皆実高校卒、住所が段原日の出町、
今は結婚して(私とではなく、トホホ)牛○新町に住んでいます。
書き込みに懐かしい地名続々で、思わず顔出しました。
旧姓が藤○で、○○○系でしょうか?それとなく教えて。

ヤゾ− - 2001/12/02(日) 00:03<

オーシャンジプシー

みなさん こんばんわ。

>感染しました。

やっぱし・・・(-_-;)
昨日 ピンクのトカゲさんから ウイルスメールが届きましたよ。

にっちょさん きょうかいさん とんちんかん小僧 
今回はサクラさんの連絡によりお知らせしました。
被害がなくて サクラさんも安心していることだと思います。
ピンクのトカゲさんは感染したようですが
修復できたそうです。

今日だけで 5通もウイルスメールが届きました。
もの凄い勢いで増殖しているようです。
ウイルスにはお気を付け下さい。


あおきさんはヨット乗りだったんですか。
それにアメリカずカップのセーラーにお知り合いがいるなんて凄い。
僕は ヨットに3回しか乗ったことがありません・・・(-_-;)

min-minさん きょうかいさん 南の島って なんか惹かれますね。
冒険ガボテン島 モーレツギリガン君なんて大好きでした。

小さい頃から オーシャンジプシーになりたいという夢がありました。
それで 10年くらい前に 時間に余裕があるうちにと船舶免許を取得しましたが
それ以降 ず〜と暇なままです・・・(-_-;)

中国南部(香港が有名)にも 蛋民(たんみん)と呼ばれる漂海民がいます。
日本の家船のように 船を家とし 水上を漂泊しながら漁をし
海産物を生で食べる習慣があるそうです。
その蛋民ですが 一部が海賊として 倭冦をなかだちにして 日本史とも繋がりをもっているといいます。
また 倭冦が蛋海賊だけでなく 福健の明人とも結んで海賊を行っていたそうです。

にっちょ - 2001/12/01(土) 22:27<

連絡ありがとう。

おかげさまで無事でした。
パソコンのパの字も解らない私どものPCが感染してしまったらと・・・
思うだけでもゾッとします。

とんちんかん小僧 - 2001/12/01(土) 21:06<

ウイルス回避

*(-..-)*nglyさん
どうも、ご丁寧な解答有難うございます。また、図書館ででも借りて読みます。

*(-..-)*nglyさん ピンクのトカゲさん
☆ 随分待たせてしまっている資料、来週の水曜にはそちらに着くだろうと思います。
本当に遅れてしまって申しわけないです。
一応、+αになりそうな資料も付け加えておきましたので。

ヤゾーさん サクラさん
どうやら私のPCはウイルスに汚染されていないみたいです。
あー、ホッとしました。掲示板の皆さんのウイルス情報を読んだ時は、どうしたらいいか
判らず、ゾッとしましたが何もなくて本当によかったです。ヤゾーさん、電話有難うね。

ヤゾ− - 2001/12/01(土) 13:30<

今回のウイルス駆除について!

サクラさんが 会社から以下のメールを送って下さりました。

今回のウイルスについての詳しい説明は
http://www.trendmicro.co.jp/virusinfo/default3.asp?VName=WORM_BADTRANS.B
を参照して下さい。

このウイルスはウイルスバスター等で発見できても駆除はできないため、以下の作業を行って下さい。
(ウイルスバスター等は最新版の方が無難だとは思いますが・・)

「WORM_BADTRANS.B」に感染してしまった場合のために自動駆除ツールこのファイルはLHA自己解凍実行形式です。
Windows上で実行し、適当なフォルダにコピーします。そして、FIX_BADT.EXEを実行すれば、解凍して、自動実行されます。結果がFIX_BADT.LOGに記録されます。
 このツールは以下の要領で感染したマシンからウイルス駆除を行っています。

1. ワームプロセスの停止:
 「WORM_BADTRANS.B」が常駐していた場合、そのプロセスを停止させます。

2. システムの修復:
 「WORM_BADTRANS.B」に変更されたレジストリを修復を行います。

3.感染ファイルの駆除または削除:
 「WORM_BADTRANS.B」ワームファイルを検知し、削除します。
 
4.「WORM_BADTRANS.B」対する「免疫」効果:
 Windowsのシステムフォルダに"KERNEL32.EXE"フォルダを作成し「WORM_BADTRANS.B」が活動できないようにします。
 

以下はWinMEの「_restore」フォルダからの削除の仕方が記載されています。
たぶんウイルスバスターで探すとこのフォルダの中からいくつか発見できると思います。
このフォルダ内は削除できないので以下を参考にして実行して下さい。

http://www.zdnet.co.jp/help/tips/windows/w0345.html

全てを終えればウイルスは駆除されていると思いますが、不明な点があればまた連絡して下さい。
Internet ExplorerとOutlook又はOutlook Expressのバージョンアップをおすすめします。
最新版ではこのウイルスが利用しているセキュリティーホールの問題が解決されているようです。


駆除用のソフト(FIX_BADT.EXE)が添付してありましたので 
必要な方にはメールに添付してお送りします。

*(^。。^)*ngly - 2001/12/01(土) 11:12<

標準語で悪りぃーのぉー

あおきさん 昔おったのは比治山の近くで、高校のときゃ比治山の防空郷
にサンカが住んどったげな。貝塚があって石器時代とかじゃが、本当は別所
じゃったんかものー。肱山とも秘事山とも書いたけ−。そう昔の皆実(カ
イト地名)新開でその前は黒鍬者が開発したけーかの黒河新開。今はこー
まい家がよーけ建っとるが、蓮中の頃は蓮田だらけで、腹がへったら乾燥
パンやら蓮の実を盗んで食うた。比治山東の段原はピカにもやられんで、
日出地名もあるし、小信仰宗教もよーけあった昔の宇品と同じ細民窟での、
知合いはザボやらザボチ言よったけサンカがおったんじゃろ。袋小路の新町
は入口に二本石柱があって、カイトみたいな所じゃった。川のモータボート
の管理は市が昔のボート屋や釣具屋に任しとるけー、ウキスが受け継いどる
んじゃろ。中根チエが広島におったら『タテ社会』じゃのーて『横社会の研
究』を書いた位、東京と違うのー。ほいじゃがわしゃ、根性の悪い広島人は
嫌いじゃ。アホらしい、わいや。じゃけー付合わん事にしとるんでー。
 反核と反戦だけからみりゃ、ヒロシマは世界の聖地、21世紀の原点で。
 これだけが誇りで、あとはみな埃だらけよ。情けないでー*(=..=☆)*。

きょうかい - 2001/12/01(土) 10:11<

ウイルス

ヤゾーさん、連絡ありがとうございます。
ウイススバスターの網に引っかかってました。
min-minさん
 ポナペ、トラックは、25年前に行ったことあります。
 とにかく、妙に帰りたくなかったです。島の娘は綺麗で
 トップレスで若い私には、とても刺激でした。
 

もんむー <http://www.reasoning.org/jp/cert/incident_notes/in-2001-14-j.html> - 2001/12/01(土) 09:54<

ウィルスへの注意とその対応策

みなさん、おはようございます。

今回出回ったと思われるウィルスについての注意喚起文書が公開されています。

http://www.reasoning.org/jp/cert/incident_notes/in-2001-14-j.html

min-min <http://homepage2.nifty.com/TUBA/> - 2001/12/01(土) 08:35<

RE:緊急連絡

ヤゾーさん、みなさん、こんにちは。min-minです。

サクラさんのPCがウィルスにやられたとのこと、なんともお気の毒です。
最近はウィルス・ニムダ(W32/Nimda)などの出現により戦々恐々としていたのですが、本当に
狂った世の中でありますね。
昨日、遅まきながらやっと「ウィルスバスター2002」を購入しインストールした直後の
出来事でした。(^^;)
渋谷でこのソフトを探したのですがどこも売り切れ状態、昨夜は近くの町田市内でなんとか
見つけたほどで、皆さんやはりウィルス対策をしているようですね。
サクラさんの早期の復活をお待ちいたします。

>船が好きで 一級船舶免許も持ってます。
>ず〜と ヨットで南大平洋を廻りたいと夢みています。

ヤゾーさん、一級船舶免許お持ちの事、お見逸れ?いたしました。<(_ _)>いや、ホント、スゴイ!
ひょっとして熊野を出て“漂流漁民”となる日が将来やって来るかも???
南太平洋と聞いただけでワクワクしちゃいますよね。
僕はヨットうんぬんは無理ですが、グアムからハワイにかけて飛ぶ「アイランド・ホッパーズ」と
いう路線を実は狙っております。
途中、チューイック(トラック諸島)、ポナペ(ポンペイ)、コスラエ、マジュロ(マーシャル諸島)
を文字通り“島から島へ”飛び移るようにハワイまで行く航路です。
釣り竿片手に一年くらいかけて行きたいなぁ〜(*~~*) 早く来い、定年!ナンチャッテ、アハハ。

余談:
以前、タイ南部プーケットを旅した時、船で海上にある“海上漂流民”の街を訪れたことが
あります。モスクやレストラン街?まであるれっきとした「海上都市」であります。
この辺りの「漂流漁民」はシー・ジプシー=海のジプシーと言われ、相当古くから存在して
いるとのことです。

min-min@横浜



ピンクのトカゲ - 2001/12/01(土) 08:10<

感染しました。

返信を開いたらウィルスに感染しました。
勝手に返信してるみたいです。
今会社のパソコンから書き込みしてます。
駆除し方解ったら教えてください。

バカやろうに一言
手間隙掛けて人に迷惑掛けて何考えてんだ。
同じ暇みんなが喜ぶ事に使え

あおき - 2001/12/01(土) 03:17<

ヤゾーさん

高校時代に ヨット選手でした
同級生に(学校はちがいますが)アメリカズカップに出ているプロセーラーの脇永というやつが
います ヨット航海もいいですねー 高いけど
横浜八景島でたまにディンギーに乗ってます
陸でサンカ 海でエブネの民いいですねー ロマンですねー

あおき - 2001/12/01(土) 03:06<

*(^0^)*ngly さん2カ国語をつかうのは

大変ですよねー さいきんガチンコで竹原が広島弁を連発していますが
まだまだ35パーセントぐらいにおさえてますねー 宇品ネイティブの
わしとしては ききわけのないぼんくらは 頭をにやしゃーげて
根情をたたきなおさにゃー気がすまんぐらい はがええ思いをしていますが
東京ではソフトにしないと 友達ができませんからねー
何事もうまくいきませんからねー 
そういえば 元宇品には 家船と呼ばれるひとが結構いましたよ 小さい漁船のなかにふとんとか
テレビとかつんで 港に係留していた記憶が・・・
もしかして一種のサンカ?竹原もサンカチック?
ヤクザの話もう一つ 公園で野球をしてるといつもピッチャーをやってくれる高倉 健似の
おじさんが 一週間くらいすがたをみせなくなって さびしいなー
とおもっていたら 中国新聞に覚せい剤取締り法違反で 書類送検されて 顔写真がのって
いました 祖母が ”ありゃー xxのxxちゃんが のっとるでー”
とびっくりしていました おくさんきれいでいいひとでした
*(^0^)*ngly さん宇品のどの辺ですか?

ヤゾ− - 2001/12/01(土) 01:31<

緊急連絡!!!

サクラさんからの伝言です。
サクラさんからの最近のメールは 
ウイルスに感染していますので開かないで捨てて下さいとのことです。

ヤゾ− - 2001/12/01(土) 01:05<

ウイルス!!!

最近 ウイルスが蔓延しているようです。
知人からのメールでも 添付書類が付いたのもは危険みたいです。
ここ一週間で ウイルスメールが 知らない方からのが6通 知人からのが3通ありました。

ya(^ε・)na - 2001/12/01(土) 00:54<

緊急連絡!!

今サクラさんより・・連絡です
  サクラさんのPCが、ウイルスに感染されたようです
 
  おかしな・・横文字のメールは・・開かないでください
   とのことです・・

     とりあえず・・連絡まで

                ヤナでした

ヤゾ− - 2001/12/01(土) 00:05<

漂泊漁民

みなさん こんばんわ。

マグロやカツオを突く ツキンボウの歴史は相当に古く
縄文前期まで遡れるそうで 骨角で作られた銛が発掘されているそうです。
それは 縄文時代には 沖に出なくても 沿岸近くに回遊していたからだといいます。
対馬や五島列島にいるツキンボウ漁師は  小さな船に2、3人乗り込み
沖に出るだけでなく 暖流に乗り回遊するマグロを追い
紀伊半島から伊豆半島 三浦半島 さらに三陸沖 ときには北海道まで行ってたそうです。

僕が 小さい頃には 家船に暮す人たちの姿が垣間見られました。
船の上で 子供を背負って 洗濯物を干している女の人の姿を 今でも何故かよく覚えています。

min-minさん お久しぶりです。
そうですか。
ぼくは 山に暮していますが 海がとても好きです。
船が好きで 一級船舶免許も持ってます。
ず〜と ヨットで南大平洋を廻りたいと夢みています。

広島の言葉 妙に好きだったりします。
方言がキツイ方が 心に響くものがあるからでしょうか。
ヤクザの世界で 話しをもとに戻すことを「山にかえす」などと言うそうですが・・・

min-min <http://homepage2.nifty.com/TUBA/> - 2001/11/30(金) 23:30<

さんかうぶさん

さんかうぶさん、みなさん、こんにちは。

最初にさんかうぶさんのご発言の引用の順序を変えたことをおことわりしておきます。

>(縄文)倭人を日本、半島、大陸と区分けする事は{?}と思います。
>当時の半島南部は日本と同じと考えて良いと思いますし、

>福建省沿岸部の人は香港あたりの船に住む人種(びん種)
>の流れで、日本の海人族の親戚でして、遠くはマレー
>ベトナム、インドネシアでしょう。

約2週間前の日曜日の夜に放映されたNHKの番組『日本人はるかな旅』第四週「イネ 知られざる一万年の旅」をご覧になった方も多いと思います。
この番組の中で中国大陸南部で「水田」が始まったのはBC5500年頃。朝鮮半島まで達したのがBC3000年頃といわれております。
半島の南端にサンチョンチョン(対馬からわずか50km)という所の遺跡に縄文式土器が発掘されたそうです。このことは当時ここに縄文人の往来があったことを意味し、当然、「水田」の技術を持ち帰ったのではないかと想像され、その日本での最初の水田の遺跡が佐賀県・唐津で発見されております。BC2600年頃と推定されるそうです。

一方、イネそのものの発生期限、そして発生地は何処だったのでしょう?
それはBC12000頃、今の中国大陸、長江中流域にある湖南省といわれておりますが、長江の下流に達したのがBC7000頃。
浙江省の長江河口近くの湿地帯に「河姆渡遺跡」が発見され、そこから得られたイネのDNA鑑定を行なったところ、「熱帯ジャポニカ」と称されるイネの種類でした。
そして、縄文時代の晩期に伝えられたというイネのDNA鑑定を行なったところ、同じく「熱帯ジャポニカ」であるとのこと。このことからイネは長江河口流域からダイレクトに日本へ伝わったもでは?という可能性が出て来たとも言えます。
更に、この時代、河姆渡でこのイネを育てていた人々は一方では漁労採取をしていた人々であった、と言われております。いわゆる「半農半漁」の人々であったわけです。
そして対馬で発見された人骨は河姆渡の人骨と「ある共通点」を持っているそうです。それは「外耳道骨腫」と呼ばれるもので水圧の為軟骨が隆起した症状だそうです。双方の人々は潜水漁労を行なう『海人』であったわけです。
また現在も多くの対馬に住む住民は「半農半漁」を生業とし、赤いイネ(現地では古代米という)=熱帯ジャポニカを栽培しているそうです。

後藤明著『海の文化史』(未来社)では上述の「共通項」を潜水漁労【銛漁】の類似性で見出しております。この共通性は更に熊野灘まで達しているようですよ > ヤゾーさん!
ハワイ大学のブラスト博士はこれらの『海人』の起源を「オーストロネシアン」=オーストロネシア語を話す人々、としております。ホームランド(源郷)は日本に近い台湾付近?だそうです。これを聞くと、かの伝説の『ニライカナイ』を想起しますね。(ちょっと眉唾ですけど・・・)
とにかく長江の河口でイネを栽培する傍ら潜水漁労に励む一族は明らかに漢人の仲間ではなかったといわれ、その後忽然と姿を消す事になります。


>(国姓爺で呼ばれる鄭成功は日中のハーフであり、父は鄭芝龍、
>母は平戸の日本人(ミンミンさんが詳しそうですが)。

さて詳しいわけではありませんが・・・。鄭成功の母は平戸の商人の娘ともいわれておりますが、私が読んだ小説、高橋和島著『朱帆』の中では、父親は名を田川七左衛門、平戸藩主松浦鎮信に使えた通詞であったそうです。
母親は鄭芝龍と共に明へ渡り、後に清朝軍包囲された時、捕虜となり生きて辱めを受けるより自刃して果てたという「武士の妻」ような女性として描かれております。
さて、余談ですが、当時、明人と倭人の混血のことをチョアンツー(串子)と呼ばれ、明人のあいだでは蔑まされた存在であったようです。

長々と失礼致しました。

min-min@横浜でした。

*(^0^)*ngly - 2001/11/30(金) 23:12<

ほーよ、わしゃ、そーなんよ

あおきさん  あんたもあの宇品か 和子いうての〜好きな娘がおって
のー県病院辺りにいった事もあるで。懐かしいのー。風の便りじゃ神戸ヤ
クザの女房になっとるげな。広島のヤクザにゃサンカが多いいうのは大坂ヤ
クザ関係やら、解放同盟の研究者からも聞いとるで。解放同盟もサンカを入
れりゃ組織が大きになるんじゃげな。自民党の仲間を脅かして改革すりゃ、
××なんかは一発よ。何ちゅーても県の幹部にも多いけん、郷土史の人が市民
講座で「サンカが・・」と言うたとたん校長上がりの公民館長が「やめ!」ゆ
たげな。お好みは美味いが、詰まらん者を校長にしとるよの。広島市の古地図
に被差別部落の地名がのっとる言うて教育委員会がその地名だけ消して生徒に
見せたら、生徒から「何でここだけ地名が消してあるんかいのー」いうて先生が
困ったげな。教育委員会は馬鹿な事をするもんよのー。が何言うても頭が古いけ
ん、どーしようもない奴らで。ヤクザにも人物がおるけーこの際、教育委員会を
そっくりヤクザに入れ替えたらどうかーの。毒消しにわしもなってもえーで。
 秩父サンカ出身の大臣が死んだ時はアキガラは行っとらんいう話じゃげな。
 

あおき - 2001/11/30(金) 19:54<

*(◎。。◎)*ngly さん広島に住まれていたんですか

過去ログを地道に見ていたら 広島についてくわしいみたいですね
やっぱりやくざが多いのも サンカが多いからでしょうか
僕の実家は宇品で 小学校1年かその前ごろ 隣の隣にあった組の親分の息子が
朝刺されて亡くなってしまう事件がありました それはもう大騒ぎで
親父が中国管区警察局の役人だったので うちが連絡所みたいになって
大変でした その後仁義なき戦いの本に その事件のことが載っていました
実名で組の名前も載っていました
その組長は小さいころ 駄菓子屋と貸し本をやっていた祖母にせわになっていた関係で
祖母の言うことは良く聞いていました 子分を連れてお好み焼きをたべたり
ぼくらに たこ焼きをおごってくれたり 地域の人にはやさしいのですが・・・
他にも やくざ関係のエピソードはたくさんあります 小出しにしないと
書ききれないので またにします

*(◎。。◎)*ngly - 2001/11/30(金) 11:53<

おだに売僧なる陰陽師・山伏

とんちんかん小僧さん
 近江蒲生郡北比都佐村、寺も堂も待たない陰陽師・山伏が多く住む。
六角定頼の時に、この輩を使い諸国の情勢を窺わしめ、代償として彼
らを領内に住まわせ布施物を収得させた。以前はその数千人に及び、
後には各村に分散して住む。『柳田国男集7』P.116,『近江與地誌略』
など。・・・・スパイをせよ、そうすれば領内に住んでもいいし、乞食
する権利もやろうと為政者は言ってます。まるでどこかの公務員みたい
。いやだねったら〜いやだね〜。この者達は、いわゆる院内や産所に住
んだ賎民で元は別所の者で,その前は俘囚、エミシ・エビスと呼ばれた
と考えます。従って別所をも追求しないと三角のサンカ物語の世界です。
 地名で跡付けや検証を心がけています。

トマト - 2001/11/30(金) 08:11<
「利休の墓が朝鮮灯篭」ですか。。。大変興味深いですね。
あと茶器も実は、朝鮮で庶民が日常的に使っているものを利休が茶器にまで昇華したものだ、ということを聞いたことがあります。

はっきり言って家元制度などの体質は嫌いで、茶道のすべてが好きというわけではないのですが、何か言い知れぬ奥の深さを感じるのですよね。


ピンクのトカゲ <http://www.joy.hi-ho.ne.jp/atabis/> - 2001/11/30(金) 07:57<

「当時の堺には、朝鮮人町があり、i-hyu=利休の韓国音の母は、××、父は、○○」等の具体的証拠の提示が出てくるのを期待してたのですが...
さんかうぶさんも言ってるように国境の概念は、国家が形成された後のものであり、縄文には、当てはまらないものです。
また、海人や遊牧民等、土地そのものに執着のない民は、そもそも国境という概念と国という概念に日だ足りがあります。
さて、神社の造りと韓半島の家屋の共通点は、先に書きましたが、
列島と半島の分化の決定的な違いが現れるのが、室町期であります。
韓国、中国などの儒教国家では、先祖を大事にすることから
結婚しても決して、姓を変えません。
源頼朝の妻は、源政子ではなく、北条政子ですし、応仁の乱の引き金になった女性も足利富子ではなく、日野富子です。
さて、北条政子が出たついでに言えば、今年の大河ドラマにも藤竜也演じる海人・佐志房、北大路欣也演じる博多商人・謝国明がでてきます。
利休の家系は、祖父ぐらいまでは、堺あるいは京都にいたことが確認できるわけです。
仮にその前に日本に渡ってきているとしても、祖父が既に大河ドラマの謝国明の息子・謝太郎的な感覚を持っていたことになります。
こうなれば、利休朝鮮人説云々の問題ではもはやありません。
宋からの亡命者・謝国明が出たついでに
蒙古襲来より時代は下る南北朝
やはり南宋より一人の人物が日本に渡ってきます。
林浄因です。
林浄因の息子・浄員は、我母方縁の冨永氏の娘を娶り、奥三河の地に住居を構え、その地(鳳来町塩瀬)を姓にします。
塩瀬饅頭として有名な日本で最初に饅頭を作った塩瀬氏は、この塩瀬氏です。

さんかうぶ - 2001/11/30(金) 01:47<
(縄文)倭人を日本、半島、大陸と区分けする事は{?}と思います。
当時の半島南部は日本と同じと考えて良いと思いますし、
又、倭寇の構成人の一方(主か?)で、
国姓爺で呼ばれる鄭成功は日中のハーフであり、父は鄭芝龍、
母は平戸の日本人(ミンミンさんが詳しそうですが)。
福建省沿岸部の人は香港あたりの船に住む人種(びん種)
の流れで、日本の海人族の親戚でして、遠くはマレー
ベトナム、インドネシアでしょう。海岸に行けば、南方の船(アウト
リガー)が漂着しています。古く国内で目撃された髪赤く顔黒く
肉食で言葉通じない異邦人(鬼)は彼らでしょう。
ユーラシア大陸沿岸に沿って移動した人々、それと大陸内部
を移動した{客家}の人々、欧亜を股にかけた蒙古、アジアを
語るときの必須でしょう。
瀬戸内海の海賊で思い出しましたが、元々蝦夷を移住させた
地域(島々)と関係大です、特に、広島愛媛の間と、今の
瀬戸大橋西部あたり、、、、、を警護させたとのこと。

ヤゾ− - 2001/11/30(金) 00:05<

和冦って なんだかわかんない!?

みなさん こんばんわの時間です・・・(^_^)v

>だからといって、利休を帰化人と結びつけるのは早計

ピンクのトカゲさんの仰っていることも分りますが
最近の研究によると 大徳寺の聚光院にある利休の墓が“朝鮮燈籠”ということも分り
単に趣味趣向や商売だけでは説明できないように思います。
僕も 茶道の精神には縄文的な感性を感じますし
この国独自の文化は 縄文をベースに 渡来の人 文化が重なり合って出来たものだとの思いもあります。

また 大陸 半島からの渡来人であっても 
縄文的感性を持った人たちがいたのではないかとの思いもあります。

ある方からのメールの一部ですが 紹介させて下さい。

朝鮮半島の被差別民である白丁と呼ばれた人たちや
済州島の人たちやが海人系ではとの話しからの返事の一部です。
------------------------------------------------------------------
とうとう、海人系の話が出てきましたね。

あの海域を中心に栄えたり滅んだりしていった文明の歴史は、
日本史のみならず、アジア全域に関わる重大な鍵を握っているのではないか、
といった話を、最近ことによく耳にします。

また、そうした歴史の中で、
白丁の人たちを、誰が、どのようにして、日本に呼び寄せたのか?

日本や半島の奥深い歴史を感じずにはいられないですよね。
------------------------------------------------------------------
そこで南北朝時代頃から、中国や朝鮮半島の沿岸を荒らしまわった
九州や瀬戸内海の海賊である倭寇についてですが 次のような話しがあります。

倭寇には、済州島などを含む現地勢力の参加もあり、
半島の住民、「禾尺」「白丁」と呼ばれる賤民階層が
参加していたという研究も増えてきているとのことです。

倭冦(倭人)という多国籍集団が存在したことを伺わせる話のように思います。

海人族(縄文系倭人)サンカ 白丁 繋がるような気がします。

>茶碗出たついでに言えば、織部なんか縄文的です。

感性がないとか言っておきながら 立派な感性だと思いますが。

日本の有名な窯元の多くが朝鮮半島からの帰化人により始まりましたが
無理矢理連れてこられて焼き物を造らされたようなことを言う人もいますが
初期の作品を見た限りでは 強制的に造らされた物ではないと思います。
僕には 自主的に日本に来て 焼いた作品のように思えるのです。
また そういう説もあるようです。

>ヤゾーさんが私の考えていることと同じことを書かれているので

トマトさん なんだかとてもシンクロ二シティしてますね。

>ごめんなさい途中で

おミヨさん いいのですぢゃ。。。

ピンクのトカゲ - 2001/11/29(木) 22:46<

ヤソ=癒し????

おミヨさん
日本語の癒すと同語である。
ってどういう意味?
癒すは、キリスト教伝来以降の言葉っていう意味?
癒しって日本語としてそんなに新しい言葉だったんですか?
薬師もですか?
薬師は、どう考えたって、もっと古い言葉だけど

おミヨ - 2001/11/29(木) 21:08<

ごめんなさい途中で

誤字脱字お見逃しを・・・・。

おミヨ - 2001/11/29(木) 21:05<

耶蘇

アングロ・サクソン人等はHealend 即ち治療者と訳してしているが、すべて耶蘇なる名は治療を意味する
ことは明瞭で、ギリシャ語ではこれをIasis(イヤシ)、Iaso(イヤソ)といい、日本語の「癒し」「医やす」と同語である。また「イヤス」は「安」と同語で、耶蘇が人に安きを与えるというのはこの意味でであって、畢竟するに耶蘇の精神はこの「癒す」と「安」とを肉体と精神とにおしひろめて与えよというのだそうです。クリスト「薬師(クリスト)」の事で、耶蘇は「癒す」とあるのと同じである・・・・・と
耶蘇は人の病を癒し、人に安きを与えることが重要な仕事である。メク等に者を見させ、癩病を直し、
中風の者を立たせ・・・・・・云々

turukot - 2001/11/29(木) 19:07<

そうかなぁ〜

>コンセント作らない国なんです。ミエがすごい。

おいらの家に韓国で使っているプラグ&コード、それから200V-100Vの変圧器があるが、
変圧器は韓国製だったなぁ。
コンセントは日本のとデザインが全然違いますですぢゃ。。。
調べてみよっと。

DONGLYさん、

>例えば、石井良助『関東の被差別部落』これは自己規制が少なく貴
重な本です。
>江戸期も現在も人間の「質」は余り変わっていないのでは?

図書館にて見つけました。今よんでいるところです〜。
最初少しですが、驚きですね。
現在社会(人間)の形成は江戸期の支配体制の影響大では、と改めて思いました。

とんちんかん小僧 - 2001/11/29(木) 13:28<

即身仏 〜ミイラ巡礼〜(下の2)

F天照教本社【人魚】(静岡県富士宮市杉田)
富士山の麓、明治時代には全国70万人の信者を擁したという天照教本社に人魚のミイラは秘蔵
されている。その由来は聖徳太子の時代にまでもさかのぼると言われており、従来は不幸をよ
ぶミイラと言われていたが天照教教祖・徳田寛豊がその霊を鎮め、今では本社の社宝となって
いる。

G松浦一酒造【河童】(佐賀県伊万里市山代町)
佐賀県は伊万里市郊外、創業正徳6年(1716)という古い造り酒屋・松浦一酒造に河童のミイラ
は祀られている。約40年前、改造中の母屋の天井で見つかったというこのミイラは、全長40セン
チ。手足は長く、手の指は4本、足の指は3本しかなく、指の間には水掻きが見えているという。

H大乗院【鬼】(大分県宇佐市大宇四日市)
この寺の亡くなった住職の親戚が、借金のかたに大正14年(1925)11月、手に入れたのがこの鬼
のミイラ。当時の金額で5500円(現在の金額にすると約2500万円)。立った時の身長は約2.3メ
ートルと、かなり巨大なミイラである。学術調査の結果によると、骨は女性の人骨であるという。

I瑞龍寺【人魚】(大阪府)
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/3111/youkaiten/ningyo.html
上のHPに写真と解説ありんすよ。
 
この他にもあるかもしれないですけど、気分が悪くなってきたのでおしまいにしたいと思います。


*(-..-)*nglyさん
>近江蒲生小谷の売僧は陰陽師で商人。重要なのは六角(佐々木)氏
>の忍び・斥候役
どういった本にそう書かれていたか詳しく教えて下さい。

*(-..-)*ngly - 2001/11/29(木) 12:15<

ド田舎好き

ピンクトカゲ、ヤゾーさん
 ヤゾーが子分を引き連れ入信したからヤソ教は爆発的に肥大化?
とかく日本人は集団主義ですからネ。ヤソ教の語源はどうなんで
しょうか?
 おおき、ミス蜜柑さん
三次は東京に比べればド田舎。霧に覆われる盆地。写真は美しいが、
布団や洗濯物が乾かず昔は肺病が多かった。どうも昔は別所か。日本
外史の頼山陽は鍛冶屋・紺屋の流で、三次の奉行をした事もあります。
三つ巴の川に立地する商・工・交通の要衝で、戦前は馬尺の多かった
地で、サンカ系の捕る夏限定の鮎寿司は無二一品です。美波羅川沿い
に大小数千の円墳があり、神武東征の途上の地?とも。出雲と大和の
古墳の混在地。今も居付き竹細工(箕作り)が二軒以上あります。
それ以上に多かったのは鍛冶屋サンカでしょう。
 頓珍漢小僧さん
 近江蒲生小谷の売僧は陰陽師で商人。重要なのは六角(佐々木)氏
の忍び・斥候役もしておりました。高野聖の類で、当時の下人。
 

トマト - 2001/11/29(木) 07:05<

利休朝鮮人説

実は利休=朝鮮人?のことも実は前回の書きこみで書こうと思ったのですが、長くなるのでやめたのです。
ヤゾーさんが私の考えていることと同じことを書かれているので、うれしくなって再度書き込みします。
ずっと以前ですが、NHKの特集で、利休の茶室そっくりの韓国の民家を探し当てて撮影したそうです。(私は残念ながら見ていませんが)私もお茶の先生から「むくげ」がお茶では重要な花と聞いて、もしや、と思いました。利休の切腹の一因とされる、秀吉の朝鮮出兵反対も、「自分が朝鮮の血をひいているから」と考えれば納得いきます。

ヤゾーさんのおっしゃる通り、朝鮮とサンカ、両方の血をひいているかもしれませんね。

ピンクのトカゲ - 2001/11/29(木) 06:49<

Chon I Hyu とお好み焼き

利休の茶会でお好み焼きが出されたと何かの本で読んだことがある。
俺の子供の頃は、今みたいな関西風のカンラン(キャペツ)とか入ってなくて葱と竹輪に削粉(ごつぉお焼きっていってた。ごつぉお=ご馳走)
今のパジョンに近いヤツ
当然、I-HYUが茶会で出したのも、パジョンみたいなものであろう。
しかし、yazoo
だからといって、利休を帰化人と結びつけるのは早計
紹介した本にも書いてあるが、利休は、売僧(マイス)
茶人であると同時に商人の貌を持っていたことも忘れちゃならない。
井戸茶碗なんて当の朝鮮じゃ見向きもしない日用品
金儲けなんだよ。
茶室と朝鮮家屋
確かに内に入るとノペっとしてて共通点ある。
日本と朝鮮の違い→障子の貼り方
日本は、桟が内側に来る。韓国は逆 だからノペっとする。
韓国人の口からもよく聞く外華内貧→内より外
日本みたいに「ボロは着てても心は錦」こんなの通用しない。
だから、侘びとは、全然違う。
因みにこの障子の貼り方で思い出すのが、神社の蔀戸

パソコン作ってもコンセント作らない国なんです。ミエがすごい。
工作機械できても、刃物が作れない。
タップとかダイス OSG(本社 宝飯郡一宮町)です。そういう国なんです。
これ考えても、(韓半島の)帰化人と製鉄、安易に結びつけるのも早計。

茶碗出たついでに言えば、織部なんか縄文的です。
織部自体、縄文土器の存在知る由もないけど
血のなせる技か?

ミス蜜柑 - 2001/11/29(木) 02:00<

広島、三次

あおきサン
始めまして。ミス蜜柑こと利田です
以前、広島の三次に行った時に、あまりの「ド田舎」ぶりに驚きました。
かねてから、山陰と山陽の間の山地は最後の秘境であろうと考えていた通りの
集落でした。
今度ほんやら洞で飲みましょう。

サクラさん!!
草津温泉〜鬼押出し
しょっちゅう行ってます。
我が家の飼い犬「フラニー」はそこで15年前に拾ってきた犬です。

今度、一緒に行ってハタムラを破りましょう。

ヤゾー!
瀬降り物語の意味不明なシーン
連絡係りのような人が紙切れを持って走るシーン
ようやく、意味が解りました。

Ya(^z^)oo - 2001/11/29(木) 00:05<

利休サンカ説

みなさん こんばんわ。

トマトさん はじめまして。
なんだか「ガボテン島」のトマトちゃんを思い出してしまいました。(古い!)
僕も利休はサンカに近い人のように感じていました。
小さい頃からお茶を習っているなんて素敵ですね。
今後とも よろしくお願いします。

あおきさん 寄寓ですね。
利田ヤゾウの写真 去年の10月の熊野ライフ通信にありますよ。
因に 甲賀や伊賀は地図上では熊野に近いですが
実際は熊野より東京からの方が近いかもしれません。
熊野は何処へ行くのも遠いです。
でも こちらへ来たときには 遊びにきて下さい。

ピンクのトカゲさん 利休サンカ説の本があるなんて 知りませんでした。

*(^。。^)*ngly さん この顔文字 おもしろ過ぎます。
「ヤソ教←ヤゾー」は よく分りませんが
ヤソ教とサンカには なんらかの関係があったような気もします。

利休がサンカに近い人として 朝鮮半島との関係を どう解釈すればよいでしょうか。

利休が作ったとされる妙喜庵の茶室(国宝)“待庵”は 朝鮮半島の民家の作りとそっくりだと言います。
侘茶では一井戸 二萩 三唐津といい 李朝前期に焼かれた“井戸茶碗”を最も尊びます。
萩焼も唐津焼も朝鮮半島からの帰化人が始めたものとされています。
また 韓国で国花とされる“むくげ”が茶道でよく使われています。
日本独自の感性であり文化だとされる茶道の中に
朝鮮半島からの人や文化が大きく影響していたことは間違いありません。
千利休は サンカと帰化人 両方の血をひいていたのでしょうか?

ya(^ε・)na - 2001/11/28(水) 23:24<

評価

ひゃひゃひゃ・・
  おこんばんわ・・やなどすえーーぇ
 へへへへへ・・人を評価する・・って
   どんなことなんかいなあ・・
    あんたは、わたしのことどないに・・評価してはるんかいなあ

  娘の彼氏がわたしのこと・・どないに・考え見てるんやろか?
  言いたいこと、腹いっぱい詰めてはきだす・・おっさん・・かねえ?

      評価・・って・・ほんま・・なんなんやろか?
   ほんなら・自分でする・評価・・てのもなんや・・変やおもいませんか・・

      ひとは、ほんまに・・私の事わかってくれてるんやろか?

   へへへへへわかったような・・わからんような?

右向け・・左・・ははっはは
  
    なんかわからんけど・・

                   へへへ・・

ピンクのトカゲ - 2001/11/28(水) 19:57<

ヤゾーは、やっぱり親造

Mr.dongly
宗教活動の一環としてライ患者の看護等をしたことは解ります。
真実かどうかは別として、古くは、光明子あたりも非田院においてライ患者の看護にあたっています。
さて、親方を意味するヤゾーがどういう繋がりでヤソと結びつくか
問題は、ここです。
子供心に親造のオをとったものだとすんなり理解できる以上の論があれば、別ですが
ヤソ教→ヤゾーでは、論理の飛躍があります。
これは、ライ患者をヤソ教が看護したかどうかとは別の話です。
さて、利休サンカ説で盛り上がってるようですが、
新泉社刊 渡辺豊和著「異人・秀吉」に載ってます。 

あおき - 2001/11/28(水) 19:12<

ほんやらどう知ってます

 ヤゾーさん僕の変な夢の話 見ていただいて ありがとうございました
またまた うれしい話があります 過去のログを見ていたら 利田さんと言う方が
近所にいらっしゃるではありませんか 僕は友人のやっている 鷹の台のココア堂
に毎週飲みに行くのですが そこに大石さんという印刷屋のおっさんが ほんやら堂で
飲んだ帰りに ときどき立ち寄って サンカの話とかしています もしかして 大石さんと
利田さんは 顔見知りかも
中山ラビの話も良く聞きます はらっぱ祭りも去年行きました なんだ利田さんがサンカの
話をしてたなんて 残念です このホームページは びっくりしっぱなし
ココア堂の店主が はらっぱ祭りで鰯サンドとか売ってました
あと 高田 渡がココア堂でライブやったりしてます 僕PAとかやって手伝ったりしてます
彼もとってもサンカっぽい人です
歴史民俗学に論文を書き 本物のサンカに話をきいたなんて うらやましい
機会があったら いろいろおしえてください よろしくお願いします
熊野には 甲賀や伊賀も近いし 空海の寺も近いし 近々長旅をしたいと思っていた所です
ヤゾーさんお邪魔してもよろしいですか?
ユングがシンクロ二シティはあると言ってるのは 本当ですね 類は友を呼ぶと言うのも
怖いくらい当たってます ではまた

とんちんかん小僧 - 2001/11/28(水) 16:44<

即身仏 〜ミイラ巡礼〜(下の1)

@海向寺【即身仏】(山形県坂田市日吉町)
この寺には、2体の即身仏が安置されている。一体は忠海上人、もう一体は円明海
上人。忠海上人は宝暦5年2月21日に56歳で、円明海上人は文政5年5月8日に55歳で、
それぞれ即身仏となった。

A南岳寺【即身仏】(山形県鶴岡市砂田町)
出羽三山を下って日本海に向う途中にある南岳寺には、即身仏・鉄竜海上人が
祀られている。明治元年8月8日に入定、と比較的新しい即身仏である。尚、
この寺には、丹波哲郎の『死者の書』にも紹介されている明治時代の有名な
女性霊能力者、長南年恵(おさなみとしえ)を祀った淡島大明神の祠もある。

B大日坊【即身仏】(山形県東田川郡朝日村大網)
この寺に安置されているのが即身仏・真如海上人。真如海上人は地元の出身者で、
この地に寺を建て、社会福祉につくし、生き仏として尊ばれていたが、さらなる
衆生済度のため即身仏を志し、天明3年、96歳で即身成仏をとげた。地元に愛され
続ける即身仏である。

C注連寺【即身仏】(山形県東田川郡朝日村大網→大日坊の近く)
森敦の小説『月山』の舞台となった寺である。その本堂の片隅に眠っているのが即身仏
・鉄門海上人。当時はやっていた眼病退散を祈願して自らの目をくり抜いたり、修行の
さまたげになると睾丸を切り取ったり…(ぞっとしますね)と、伝説の多い人物である。
その伝説の通り、このミイラの左目は空洞になっている。

D西生寺【即身仏】(新潟県三島郡寺泊町大字野積)
現存する日本最古の即身仏・弘智法印が安置されているのがこの西生寺。弘智法印は
貞治2年(1363)の10月2日、三千日におよぶ厳しい修行を経て、66歳で即身成仏を
遂げた。今では多くの団体観光客が物見遊山でこの本堂を訪れるが、実は由緒正しき
古寺なのだ。

*(^。。^)*ngly - 2001/11/28(水) 12:29<

わらは、竹か、皮か

桃色トカゲ、ヤゾーさん
「ヤソ教←ヤゾー」この考え未練がましく捨て切れてません。
いつも捨てられるバッカシなのにネ。なしてか?
 中世の動乱期ライ病者や非人など社会的弱者はヤソ教会に庇護
されたようです。勿論教会は布教(日本の宗教支配)のためでし
ょう。社会保障は今でも不十分ですし、寺社の大建築には大金を
費やしていますが、その領域(床下・境内・院内・寺内・寺前・
寺田・宮田など)に住める者は、寺社に隷属する者のみです。
 四国でも被差別部落でない被賤視集落が、ポルトガル語の館の
意味?で残っています(地図地名にはなく俗称)。隠れキリシ丹
を研究する人は関心を持っているのでしょうか。ある市の竹屋町
には保険所があり、関が原以後にライ病集落があったといい、
当時の藩主は一時期キリシタンだったようです。
 ヤソの語源、藁をもつかむ思いで待っています。
>竹皮草履の裏に牛皮を張りつけたもの
 草履も皮製ならエタ、竹皮製ならサンカ、藁製なら「一般民」
の縄張の時代があったとか。一般民は非エタを呼ぶエタ側からの
呼称です(四十万川流域)。そういえば藤倉修一アナは・・・・。

トマト - 2001/11/28(水) 11:57<

利休とサンカの関係

こんにちは。いつもHPを興味深く見させていただいています。
利休とサンカの関わりについてヤゾーさんが書かれているのを見て
思わず書き込みをさせていただきました。
私は小さいころからお茶を習っているのですが、茶道の成り立ちに関心をもっています。
実は知人から「利休はサンカの出ではないか」という言葉を聞いてから、私はサンカに興味を持ち始めました。茶道の道具では、茶せんや茶杓、蓋置き、花入れと多くの竹細工が使われています。私も徹底して装飾をのぞいて必要最小限のものだけで茶室を作る侘茶の精神はサンカの精神に通じるものがあると感じます。
利休とサンカのつながりを調べたらおもしろいことがわかりそうですね。

ヤゾー - 2001/11/28(水) 00:05<

侘茶とヤソ教

みなさん こんばんわ。

滋賀県信楽町にある天体観測所でオーロラが観測されたり
例年捕れる魚が全く捕れなかったり 逆に大漁になったり 
沼津の浜に深海魚リュウグウノツカイが打ち上げられていたりと
少し地震のことが気にかかるニュースが多いようです。
備えあれば憂いなしです。

>MR.Dongly
>ヤゾーとヤソ教を関係づけて考えているようですが、

少しお茶をかじったことがあるのですが
侘茶というものに キリスト教的精神を強く感じたことがありました。
茶碗が聖杯のような気がして 一服のお茶を飲むことが 神聖な儀式のように感じたことがあります。

宣教師として日本にきたルイス・フロイスなども 利休をはじめ多くの茶人と親交をもったとされています。
また 利休の高弟の中にはキリシタンも多く 利休七哲といわれる
古田織部 高山右近 蒲生氏郷らは すべて敬虔なキリスト教信者でした。

それと侘茶には サンカの匂い 感性も感じます。
サンカと近いとされる鉢叩きは 茶筅を売り歩いたと言いますし
利休は好んで 竹の茶杓を作ったり また竹細工をお茶の道具として用いています。

利休の師承である武野紹鴎の出自は賎民であったされ
また雪駄は「竹皮草履の裏に牛皮を張りつけたもの。千利休の創意という」
と広辞苑にあるように 利休もそれに近い身分の人だったのかもしれません。

そういえば とんちんかん小僧に借りた黒須紀一郎著『鉢屋秀吉』には
サンカの大ヤゾーと利休が繋がっているようなことを書いていた気もします。
ヤゾーとヤソ教との関係 まんざらではないのかもしれません。

s(*^-^)ノ☆     - 2001/11/27(火) 22:11<

鈴鹿山

祇園祭りの紹介文には
鈴鹿権現を祭る。伊勢国鈴鹿山で道行く人々を苦しめた
悪鬼を退治した鈴鹿権現(瀬織津姫尊)を、金の烏帽子を
かぶり手に大長刀を持つ女人の姿で表している。
後ろの山には赤熊で象徴した悪鬼の首が置かれている。
とある。

華やかな山車が多い中で静かに赤い傘さして
鈴鹿権現はすっくと立っている。

鈴鹿の山で瀬織津姫はなに思ったのだろう
 時の流れに、京都の祇園祭にくるまでに・・・
  どんな、涙を流したのだろうか・・・
   赤熊の首をどんな思いで見てござるのだろう・・・
祇園囃子のコンチキチンの流れる中で

とんちんかん小僧 - 2001/11/27(火) 16:42<
あおきさん
>ここの投稿にある 青木 善左衛門一党に引っかかり このホームページを知りました 
初めまして!青木善左衛門一党の子孫ですかー、それはまたスゴイですね。
私も自分で書いたとは思ってもいなかったので誰が投稿したのだろうと気になって過去の
掲示板を調べてみると自分の文だったんで2度ビックリしました。
今後ともよろしくお願いします。

とんちんかん小僧 - 2001/11/27(火) 16:06<

即身仏 〜ミイラ巡礼〜(中)

◎色々なミイラ

 さて、ミイラといえば全国には、河童、人魚、鬼、竜などのこの世には存在しない
はずの生き物たちのミイラも多く現存している。(本心としては、絶対いた存在だと
思っています) その大半は猿やヘビなどの様々な動物の身体の一部分をつなぎ合わせ
たものである。かつて中国には、東洋の神秘にあこがれるヨーロッパに向けて想像上
の生物を生産し輸出する産業があったらしく、その一部が日本にも流れてきたという
のだ。しかし、そのことを知ってか知らずか、そのほとんどは神社仏閣に祀(まつ)
られ信仰の対象となっている。
 なかには、説明をつけることのできないものも存在するかも…。
 水木しげる著『妖怪たちの物語』(ちくま文庫)の[妖怪 魍魎(もうりょう)の
巻、死人つき]にも紹介されている、新潟県柏崎市妙智寺に保管されている人魚のミ
イラは有名です。(たぶん)過去に『ムー』という雑誌にも掲載されていたような気
がします。
この人魚のミイラは元来は上杉謙信に献上されたものだという。
妙智寺のミイラについての紹介文がありんすよ。ミイラの写真(非公開)もあります
が、ちょっと影になっているので見えにくいかも。
http://www.asahi-net.or.jp/~NI8K-NKID/nikari/2-5myouchiji.html


もんむーさん
レスありがとう。根来寺のこと、また調べてみて下さい。
秀吉に滅ぼされた経緯についての真実も調べてみるのも面白いですよ!

サクラさん
寒いより気持ちが悪くて気分が悪くなるかも…。
(写真を)見る度にビビリまくりながら書いています。

ヤゾーさん
断食は、デキンよ!ラマダン中のイスラム教徒でさえ太陽が出ていない間に食事を
しているんだもん。人間が原始に戻ったら、やっちゃうかもね。(いつの日だろうか)

ピンクのトカゲ - 2001/11/27(火) 07:27<

鈴鹿権現

さんかうぶさん
もちろん鈴鹿権現の話しですよ。
真実は、改心させられたのじゃなくて
騙し討ちにあって、それで祇園祭の山を用意されたってことです。
鎮魂のために

おミヨ - 2001/11/27(火) 06:10<

ヤナさんに

福神漬けのネタ元「カムイ伝」でした。

ヤナさん大当たりぃ〜〜。。

さんかうぶ - 2001/11/27(火) 03:05<
>坂上田村麻呂は姑息と卑怯の権化うんぬん
ピンクのトカゲさん
アテルイを売った事知っています、又、時代の流れに乗って要領よく出世した事も
知っています(承知の上ででして)私、ちっとも田村麻呂賛美なぞしていませんぞ、
早とちりしないで下さい。事は田村麻呂ではなくて
鈴鹿御前の話ですよ。(勉強不足は常に十分自覚しています、だから{うぶ}なのです)

ヤゾ− - 2001/11/27(火) 00:03<

夢の不思議

あおきさん はじめまして。

勢いのある文章に圧倒されました。
それにしても とてもリアルな夢を見たものですね。
夢は不思議なもので 鮮明に未来を見せてくれたり
自分の前世なのか 遺伝子に刻まれた記憶なのか
そういうものを リアルに見せてくれることがありますね。
でも そこまでの夢を見ることは珍しいと思います。
きっと 深い意味があるのでしょうね。
絵師や文人などの雅号に やけに何とか山人というのが多いですが
それは 自らの出自を意識したものなのかも知れませんね。
今後とも よろしくお願いします。

にっちょさん 今度 神津島に釣りに行ったら 
是非に写真撮ってきて見せて下さい。

とんちんかん小僧も穀物断ちや木食行してみよう!
断食して 粗食の生活を続け 毎日 山を駆け巡ったら どんなに気持ちがよいことか。

もんむーさん 沖野岩三郎は隣村の美山村寒川というところで生まれた人です。
「宿命」は親友大石誠之助をモデル にした処女小説で、
小説の中で 熊野川に瀬降るサンカを描いていると聞いたことがあります。

サクラさん 草津よいとこ一度はおいで へ行ってきたんですね。
よい保養になって よかったですね。

ヤナさん 歴史民俗学20号は 利田ヤゾウが 
追加注文の電話したら1週間ほど待たされると書いていたよ。

※明治時代の山刀の写真を歴史民俗資料館に追加しました。

ya(^ε・)na - 2001/11/26(月) 23:34<

おかしいなぁ

おこんばんわ・・
  今日・・沖浦せんせいの本来ました
    その前に注文した・・歴史民族学20号まだきません・・ねんよぅ
   どないなってるんかいね

  あおきさん・・はじめまして・・
   ヤナです・・今後ともよろしくおねがいします・・

  さくらさん・・お肌ツルツルになりはったかいなぁ

おミヨさん、フクシン漬けのはなし・・白土三平のカムイ伝の団左エ門のあたりであったように思いますよん


     けけけけ・・

        

あおき - 2001/11/26(月) 22:58<

つづきです

あまりに鮮明で 不思議な夢なので 半開きの目で書きとめ とにかく忍者のことを図書館で調べようと
朝一で小平図書館に行きました
図書館には調べたい本が見当たらず パソコンで検索すると 見たい本はすべて閉架になっていたので
職員にこれを見たいとたのむと 倉庫から取ってきてくれました 
その本の名前は今わからないので 後日また調べますが 甲賀忍者 伊賀忍者 すっぱ とっぱなどあらゆる歴史が書いてありました
その内容には 甲賀忍者と伊賀忍者は仲が良く 渡来系の伊賀忍者などに軽業を教えてもらった現地人が
甲賀忍者ではないかと書かれていました これで夢の中で甲賀忍者の僕と伊賀忍者の服部半蔵が仲良くしているシーンに合点がいきました いままでは伊賀と甲賀は敵対しているとテレビなどで見ていたぼくはすこしわくわくしてきました 忍者は日々肉体を鍛錬して常人では考えられないような動きをしていたとも書いてありました これで琵琶湖のほとりを走るシーンに合点がいきました
 甲賀六人衆などと書いてある中に僕の苗字 青木をみたとき鳥肌がたちました 薬関係にも詳しいと書いてありました 僕の実家は広島ですが 父方の祖父は富山出身の人でした
もしかしてこの夢はとんでもない夢じゃないかと思いました 忍者が戦国時代が終わるにつれて 収入がなくなり これまで身につけた教養を生かして 絵師や能 茶の湯をたてる人になったりしたと書かれていました 最後に踊っていた能の訳がわかりました 当然その当時忍者と狩野派の絵師 能を舞う人とのつながりなんて僕は知りもしませんでした ただ武蔵野美術大学を卒業していた僕はもっと絵師の歴史を知っていてもいいのですが 無知でした
その本の中に 忍者とサンカのつながりも書いてありました サンカ?なんじゃそりゃー
あまりくわしく 書いてなかったので サンカについての本と 能の本を借りようとまた調べると サンカの本は一冊しかなく また閉架 すぐさがしてもらい ふるえながら読みました 古い破れた本に白黒写真で夢で見た あの変なテントと放浪する人々が映っていました 三角寛の本でした 驚きでした 椅子から
立ちあがりました 能の本も調べました 風姿花伝 能の極意は花にありなどといきなり書いてありました鳥肌が立ちました 心臓がどきどきしました 知らずに唄ったあの唄は ちゃんと存在していました
それから 友達 知人 両親に聞きましたがサンカのことはだれも知りませんでした
インターネットを98年からはじめ片っ端からサンカのことを調べましたが 三角寛の本以上の情報は目に入りませんでした ADSLを導入し長い時間ネットサーフィンできるようになり 青木の系図を調べているとき
ここの投稿にある 青木 善左衛門一党に引っかかり このホームページを知りました しかも ゼンザエモンは隠密だったうんぬんには またびっくり やっぱり僕の家系はその系統なのかとつくづく思いました

もうひとつこのホームページのリンク先に広島県三次のうんぬんという漫画を書いている方のホームページがありますが 実は母方の家は三次にある神社の神官の家系で 小早川の子孫で堀江と言います 母の妹が
霊能者に仕方なくさせられ 今でも大変苦労してます 偶然ではないなと思いました
あまりに不思議な夢なので 誰に言っても真剣に聞いてもらえず ナカモトさんならわかってもらえると思い 長いのですが すべて偽り無く書きました 僕も中央線沿線 武蔵小金井利用してます 他人とは思えません サンカのDNAは間違い無くあります かなり強いです 前世がしゃしゃりでてきます サンカと忍者はっきりしませんが かなりつながりがあると思います 夢が証明してますまた投稿します

 

あおき - 2001/11/26(月) 22:56<

私がサンカを知ったのは・・・

いやーびっくりしました ここまでサンカについて詳しいホームページは初めてです ありがたい いろんな情報を見せていただきました 僕がサンカを知ったのは 1997年5月 自分の見た夢でした当時僕は チベットのラマ僧が 夢を記録する修行をしていることを NHKで見たのを真似て逐一書きとめる癖をつけていました 幼少の頃からの霊体験の謎を探る為 あらゆるスピリチュアルな書物を読んでいる時期でした もちろん そのころは サンカのサの字も知らず 親 友人 知人 本 新聞 テレビなどからもいっさい 聞いたこともありませんでした 夢の内容は 囲炉裏を3−4人で囲むシーンから始まります 向かい側に座っている男が ”それでは 頼んだぞ”と言いました そして立ち去りました 僕は何の事だかよくわかりませんでしたが 相手は何故か 服部半蔵だと感じました そして 自分は甲賀忍者だという認識だけが 強く残りました 隣に座ってる男に ”おれは何なんだ?”と聞くと”おまえカゲロウだろう” と飽きれた顔で答えました ここで急にシーンが変わりました 僕は湖のほとりを 自分では考えられないようなスピードで走っていました でも何故かそこは琵琶湖ではないかと 感じていました そして今度は船に乗っていました 何人かの行商人が乗っている大きな朱印船のような船でした なぜか薬の行商人になっていました 陸地で行商しながら歩いていました まるで富山の薬売りみたいでした そして今度は川原で焚き火をしながら ワラをあんで何かを作っていました そばには 木で三角に組まれた骨組みに A型テントの様にシートがかけられた小屋がありました 僕は小学生からボーイスカウトをやっていたので 夢でテントを見るなら もっとちゃんとした ものを見てもいいはずなのに なぜか変わったテントだったことを憶えています  またシーンが変わり 今度は能を踊っていました ”花をやー花を−” などと聞いたことも無い歌をうたって 舞っていました そこで目が醒めました

サクラ - 2001/11/26(月) 22:42<

大寒 小寒

おおさむ こさむ
  やまからこぞうがとんできた♪

草津温泉に行ってきました・・
  秋の色とりどりのもみじの中の長瀞の川くだりも
    浅間山の鬼押し出しの澄んだ空気もとっても気持ちがよかったよ!
      草津は今夜あたりには雪がちらつくって言ってましたよ・・
        本当に冬がもうすぐですね。

やぞーさんて
 親ぞうさんのおがとれて、やぞーさんになったんだ!
  サクラの名付け親だもん、ますます実感?!s(*^-^)ノ☆   

とんちんかん小僧さん
  あはは、寒くなりそうなお話・・あったかいお酒が欲しくなっちゃうよぅ・・
    興味シンシンですよ!
     そういえば、にっちょさんの怪談話もあったよなぁなんて思い出しちゃった。


    
 

やぞー - 2001/11/26(月) 19:25<

おじゃる丸

>その鬼側の職業を持った(鬼側の)人までも襲われたからでは?

そうかも知れませんね。
鬼側の人の中にも 裏切り者もいたでしょうし
鬼を追い払う側の人の中にも 心優しい人もいたことでしょう。

>坂上田村麻呂なんていうのは、姑息と卑怯の権化だぜ。

坂上田村麻呂はどんな人かはしりませんが
坂上おじゃる丸は なぜか憎たらしいのです。
えらそ〜に なにが やんごとなき お子ちゃま なのだ!
わがままで 贅沢で 怠け者で アニメの中に入って 張り倒してやりたい!
それに比べて 子鬼のなんて健気で意地らしいことか。
実直なアオベエ おきゃんなアカネ ひよこのキスケ(おら ヒヨコじゃないっピー!)が好きです。
ええ歳して 真剣に幼児番組に見入るヤゾ−でした。

確かに 大和朝廷の「夷をもって夷を征する 」ような腹黒いとことはあるかも知れませんね。
しかし それも時代が求めたことだったのかも知れません。
そういうことがあり 複雑に民族が重なりあって この国ができたように思います。

もんむー - 2001/11/26(月) 18:19<

葉山嘉樹「凡父子」と沖野岩三郎「宿命」

沖浦和光さんの著書にサンカの登場する小説として「帰国」と共に葉山嘉樹
「凡父子」と沖野岩三郎「宿命」が紹介されているのですが、気になったので
図書館で調べてきました。

「凡父子」は私小説的な短編小説でサンカが主人公ではなく、作品の
冒頭に主人公の少年時代の記憶としてサンカの人々と交流した思い出が綴られ
ています。箕などの竹細工や川での漁などを生業とする彼らの姿に主人公が羨
望の眼差しで見ていたという話が描かれていました。

「宿命」は大正9年頃に著された長編小説でキリスト教をベースにした作品ら
しいです。この中に「山窩」と題する章があります。ここでは野原で暮らして
いる一組の夫婦と主人公との交流が描かれているのですが、この夫婦は川で鰻
や鮎を捕り、魚が捕れない季節には辻占売りをしています。また夫婦そろって
博打が好きで、各地の賭場を渡り歩いています。

どちらも小説なのではっきりしたことはわかりませんが、大正頃に目撃された
サンカの姿をそれなりに事実に則して描かれているように思われます。

葉山嘉樹「凡父子」葉山嘉樹全集第4巻(筑摩書房)所収
沖野岩三郎「宿命」近代日本キリスト教文学全集第5巻(教文館)所収

とんちんかん小憎さん

根来寺は戦国時代の歴史の流れに大きな影響を与えていたようですね。関東に
暮らしてるのでそこらへんのことはあまり気をかけなかったのですが、おもし
ろそうですね。こんどいろいろと調べてみたいと思います。

とんちんかん小僧 - 2001/11/26(月) 16:18<

興教大師覚鑁(こうきょうだいしかくばん)

もんむーさん

吉村昭の小説「破獄」、もしかした父の数ある蔵書の中にあるかなーと探しましたが
見つからず…。また古書店へでも行ってみます。でも別にイイ本を見つけましたよ。
少し前に、『秀吉に関わった忍び者 』というのを書いたときに紹介した人物で杉之坊
明算という根来流の創始者について書かせていただいたときに冒頭で覚鑁(根来寺を開
いた人)についての本を見つけました。

津本陽さんの『大悲の海に 覚鑁上人伝』(新潮文庫)です。

少しでも興味があるならば手に取って読んで見て下さい。私は個人的に覚鑁さんの生き
方が好きです。でも49歳で此の世から去りたくはないけどね。

とんちんかん小僧 - 2001/11/26(月) 15:52<

即身仏 〜ミイラ巡礼〜 (上)

寒い季節になってきましたので、もっと寒くなるものをお届に上がりました。
(写真で即身仏を何度見ても馴れず、度々「ワォー!」と声をアゲながら)


   即身仏を拝み
      人魚に驚き
        河童をながめ
          鬼にため息をもらしながら
                    ――――合掌。


 ◎即身成仏の方法とその過程

 飢饉や災害に際して、民衆救済を願って自ら仏〔ミイラ〕になるというのが即身仏で
あるが、志はともかく、並大抵の努力では人間、ミイラにはなれない。肉食・妻帯をせ
ず、穀物断ちや木食行(木の実や草の根などを食べること)を重ね、漆を飲みながら修
行を積むこと千日〜ニ千日。贅肉を落とし体を衰弱させたところで土中に入り成仏。
(詳しくは、手塚治虫著の『火の鳥』6巻[講談社 昭和57]を見てちょ!)
 その後、一旦掘り出され姿勢を整えられたあと、再び木の桶に入れられて土中に埋め
られ3年3ヵ月、人はやっとの思いで即身仏〔ミイラ〕となれるのである。或いはそこ
までして即身仏となるのである。

ピンクのトカゲ - 2001/11/26(月) 11:57<

甘い

さんかうぶさん
古事記及び六国史の読みが足らない。
大和朝廷が先住民を征服するにどれだけ姑息の手を使ったか
坂上田村麻呂なんていうのは、姑息と卑怯の権化だぜ。
こりゃぁ騙し討ちにしたんですぜ。
改心なんて思ってるようじゃ為政者の思う壺
だから功績じゃないんです。
そのままにしとけば祟るから
鎮魂で用意したんです。

さんかうぶ - 2001/11/26(月) 04:14<
ヤゾーさん
その鬼側の職業を持った(鬼側の)人までも襲われたからでは?
坂上田村麻呂が鈴鹿御前(鬼女)を改心させたらしいです、体制側に傾いたみたいで、
その功績でか祇園祭りに山車が用意され、祭りあげられていますが?
JR関西本線や名阪国道沿いは、{わけ有り}の場所多いです。物部や神武軍や忍者が
行き来したからでしょうか。関町に羽黒山、坂下、加太(鹿伏兎)、柘植、阿山郡、伊賀、
、、、、、味が濃いです。鹿伏兎=加太の{カブト}って一体何でしょう?鹿深と関係
有るのかな?

にっちょ - 2001/11/26(月) 01:10<

釣り師

釣りに行けずに 少々欲求不満の釣り師です。
神津島からのお電話は 人の神経を逆なでさせる情報ばかりであります。
グヤジ−−−−

そういえば神津島の黒曜石は縄文晩期の北谷遺跡で出土した石鏃の素材だそうな・・・

ヤゾ− - 2001/11/26(月) 00:25<
>何がおもろい言うて、人が坊主くろた話と竿を折った話ほどおもろいもんはない。

おもしろ過ぎます。
昨日 釣りバカが釣れなくて 苛々しながら竿を仕舞う時に 竿先を折ったと聞いて大笑いしてやりました。
かく言う僕も 最近釣りに行かないのは 同じようにして 竿先を折ったのを直してないからなのです。

バリ師 - 2001/11/26(月) 00:19<

太公望

何がおもろい言うて、人が坊主くろた話と竿を折った話ほどおもろいもんはない。

釣り師は姑息な人種であります。

ya(^ε・)na - 2001/11/26(月) 00:10<

ああああああ・ぁ

ちゃちゃっ・・ちゃちゃっちゃ・・ちゃちゃ・・うんちゃうんちゃ・・
  なあみを、かきわけかきわけかきわけて・・チャプチャプ

  おこんばんわ・・やなどすえ

そろそろ・・秋も深まりましたねえ
 ぽかぽか・・エエ気分・・小春日和ってのは・・こんなんですよね
   おミヨさん・ええ・・雰囲気やがな!・・

近くの和菓子屋さん、箕のなかに・・菊の花をそえて
  店頭を、飾ってはります
   エエ感じですねって・・お話しました
  あの箕は?って聞いたら・・自宅が農家とのことでした
   なんでもサンカにひっつけるの・・問題ありやねぇ

     一杯飲んで、エエ調子・・・

今日釣り仲間・・へへへへへ

   坊主やねんてぇーー

       へへへへ・・

            江須崎まで行ったのに・・
                 坊主やってんてぇ・・

                          へへへ

ヤゾ− - 2001/11/26(月) 00:07<

瀬織津姫と鈴鹿御前

みなさん こんばんわ 若造のヤゾ−です・・・(-_-;)

鬼伝説(鈴鹿御前)で有名な鈴鹿に その鬼退治をした山の神を祀る鈴鹿明神があるそうですが
その山の神である鈴鹿明神は瀬織津姫のことだといいます。
鬼の側の瀬織津姫に 鬼退治の伝説があるのが不思議です。

ピンクのトカゲ - 2001/11/25(日) 23:13<

親造

MR.Dongly
ヤゾーとヤソ教を関係づけて考えているようですが、
もっと単純なものでは、
ゾーは、小僧、若造などのゾウと理解してました。
親造の「お」がとれたもの
まったく、当たり前のように理解していたことですから
恐らく、子供の頃、祖父から聞いたと思います。

ヤゾー - 2001/11/25(日) 00:15<

リサイクルと北枕

みなさん こんばんわ。

リサイクルで しばらく生活していたことがあります。
山小屋にある殆ども物は 粗大ゴミで拾った物か 
友人や知人がいらなくなった物です。
壊れたら 自分で徹底的に直します。
バブルの最中の話しです。
当時 高率の良いアルバイト感覚で ガラクタ屋から美術品商のようなことをしてました。
同業者で 僕より一つ年上のやり手の人がいました。
26才で 裸一貫から 赤坂にマンションを所有して 高いベンツにも乗っていました。
その人が よく言ってました。
明日から一文無しになっても な〜んも怖くない いざとなったら物を拾って回っても
日に3万くらいは簡単に稼げるもん って・・・
それくらい 物が捨ててあった時代でした。

僕も 22歳頃から1年間くらい 友達と物を拾って回ったことがありました。
最初は 高級住宅地なら きっと良い物が捨ててあるものだとばかり思い
そういう場所ばかり回りましたが駄目でした。
お屋敷が並ぶ町では 粗大ゴミを出さないものなんです。
家が広いので 慌てて捨てる必要がないのと 
あまり自分の家のゴミを人に見られるのが嫌みたいで 
纏めておいて 取りに来てもらうことが多いのです。

それで 一番 物を捨ててあるのは マンションでした。
1年くらいしか使ってない電気製品や殆ど新品の衣服が山のように捨ててありました。

深夜 高級住宅地のファミレスで 一服したときに
同じくらいの年頃のおにいちゃん・おねえちゃんたちの華やかな会話と
僕たちの 今日はあまり良い物が拾えなかったねという
会話のギャップに苦笑した思い出があります。

>「北枕は駄目」は仏教思想。

死人を北枕に寝かすというのは
もともとは 些細なことでポックリ死したときなど
北枕に寝かせたところ よく生き返ることがあったからだそうです。
それは 体を地球の磁力線の方向と同じにすることで 
体内に磁力を吸収しやすくして活力を与える事で生き返ることがあったからだそうです。

>セブリ地

うわ〜い 瀬降り場だ〜い・・・\(^_^)/

おミヨ - 2001/11/24(土) 13:27<

フクシン漬け

江戸時代のお話
お盆時に飾り終えたナスやキューリを川に流しますが、それを川から引き上げてきて刻んで醤油漬けに
して売ったところ大当たりしたのが今に残るフクシン漬けらしい。

          ☆。・★ 。・・☆ 。・★・。
     
                    
               ×   
              / \
             /   \
            / | | \ セブリ地

     〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
         〜 〜〜      〜
     〜〜    アラ!川!    〜〜〜 〜〜
     〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


今でも売れ残りの商品リサイクルしています。
はっきりいえませんが・・。
    
   

*(^0^)*ngly - 2001/11/24(土) 10:54<

サイクル再び

さんかうぶさん
>昔からリサイクル事業なんて存在していたみたいで、限り
>有る資源を活用する事は世の為です。
 阿部弘蔵は『日本奴隷史』で江戸期に「準賎民」とする我らの祖先が
雑多な「リサイクル業」で生きて来たことを紹介しています。
 明治期には軍隊学校の残飯目当てに都会へ大量の細民が集まり、物拾
い・乞食・車力などで暮らしました。江戸っ子の「前身」です。たとえば
残飯は、拾い屋→残飯回収業→づけ屋→細民で、売れ残った米は乾燥し、
しにせの?菓子屋で「雷おこし」に化けたという話もあります。
>「小川から海までをとりもつ」→「水が小川から海までつつがなく流れ
るよう」→同時に「屍が小川から海まで無事に到達するようにとりもつ」
  それで紀州の「ほだらく渡海」に関係とか。聞いた覚えがあります。
>福島県会津辺りの古伝習俗として新婚の新枕は北枕
 「北枕は駄目」は仏教思想。地球の磁力線の流れからすれば北枕こそ
安眠と健康によいとか。北枕で横たうと新婚でなくても「死ぬ〜死ぬ〜」
と言いそう、確かに一気に失神(間違い!寝こみ)します。
これが「縄文」思想。私は北枕で寝ますが、ついつい「横枕」になり
ます。いけませんね地名の横枕や枕。だって枕は「頭や首を置く台」
の恐ろしい意味の地名のようですから。
 書き損じを失礼します。

:(^0^)*ngly - 2001/11/24(土) 09:43<
昔からリサイクル事業なんて存在していたみたいで、限り
有る資源を活用する事は世の為です。

さんかうぶ - 2001/11/24(土) 02:20<
みなさん、こんにちわ。
*(^0^)*nglyさん 
>御坊筋は金持ちとされます。あの世に行く前に遺体から予め衣服を
>頂いたり、入歯から金を発掘したからとは聞きました。
そう言えば、市内で、○蟻屋から職業替えして七屋になった人が
あります。昔からリサイクル事業なんて存在していたみたいで、限り
有る資源を活用する事は世の為です。気に入ったら、後々、
呉服屋でも時計屋でも宝石屋でも、道はたくさん有りますね。

十津川で昔、水葬がされていたとの事、少々考えてみました。
山中に埋葬すれば良いものを、なぜにわざわざ河川に流したか
ですが、やはりここには古くの、{海の彼方に魂は帰る}の理念が残って
いるのだと思います。そして瀬織津(姫)です、つまり
「瀬を織り成して津とする」又は「瀬から津まで織り成す」、→「小川から
海までをとりもつ(とりしきる)」→「水が小川から海までつつがなく流れ
るように」→同時に「屍が小川から海まで無事に到達する
ようにとりもつ」でして、ここには後の仏教で言う、観世音菩薩の源流
みたいなものを感じます。又{山の谷川}からは{屍を葬った所}の
「長谷川」を思い出し、これも結局、海まで通じている事を想定している
と思い、又、聖なる山と聖なる海の両理念のMIXであり、理念の変遷
の過程を感じさせます。その後渡来した道教仏教とそこから派生した
神教はこれらの習俗を大変変化させました。
<以下は他人よりの引用>
結婚も大きな生まれ替わりと見れば、その前提として死があっても
不思議でない。福島県会津辺りの古伝習俗として新婚の新枕は北枕
だったという伝承がある。宮城県で聞いた話では婚姻は一度死ぬこと
だと言う。詳しくは聞くことは出来なかったが、結婚式の前に一度死ぬ
ような儀礼があったのに、縁起でもないから早くやめてしまったらしい。

ヤゾ− - 2001/11/24(土) 00:01<

安倍清明と☆の話し

みなさん こんばんわ。

連休 いかが お過ごしですか。
釣りに行ったら 人でいっぱいで釣り場所がなく
温泉に行ったら 人でいっぱいで 落ち着いて入浴できなかったと
釣りバカのトモダチがボヤきたおしていました。
それで その釣りバカは 今 イビキをかいて山小屋で寝ています。
午前一時に起きて 再び 釣りに行くのだそうです。
僕は 人が休日の時にこそ がんばって 仕事するのです。

陰陽師・安倍清明は謎につつまれた人物だといいます。
清明の父親の阿部保名がキツネを助けたことから
そのキツネが妻となり 生まれた子供が清明だという話しも残されています。
そうなると 僕が タヌキを助けて もし子供が生まれたら・・・(・_・?)
う〜ん・・・考えたくもないです・・・(-_-;)

s(*^-^)ノ☆さん おミヨさん ☆についての話しです。

その陰陽道と関係の深い神社に 星田妙見宮というのが生駒山系の北西 妙見山の頂上に鎮座しています。
星田妙見宮は通称で 正式には小松神社というのだそうです。
本殿はなく ご神体は『影向石』という霊岩であり
太古より生駒山系は盤座(いわくら)信仰が盛んなところで
現在残る数少ない盤座信仰のひとつだそうです。
境内には「稲荷宮」や登竜の滝(竜神社)もあります。

もんむーさん 『幻の漂泊民サンカ』の目次 ありがとう。
第五章 発生期は近世末の危機の時代か 
は 読む前から それは違うよ〜と声が出そうです。

もんむー - 2001/11/23(金) 20:58<

幻の漂泊民サンカ

沖浦和光さんの「幻の漂泊民サンカ」(文芸春秋)が発売になりましたね。
まだ読んでいませんが、目次だけ、、、

序章     サンカとは何者だったのか
第一章   近世末・明治初期のサンカ資料を探る
第二章   柳田國男のサンカ民俗誌
第三章   サンカの起源論をめぐって
第四章   サンカの原義は「山家」だった
第五章   発生期は近世末の危機の時代か
第六章   三角寛『サンカ社会の研究』を読み解く
第七章   今日まで残ったサンカ民俗をたずねる

おミヨ - 2001/11/23(金) 17:02<

しし座流星群と笠森お仙

ある寺の小僧さんが、夜中に長い竿をもって庭のあちらこちらを振回しながら歩いていた。
住職がそれをみっけて
「お前はいったい何をしているのじゃ」
「空の☆がきれいだから☆いのじゃ」
「さておまえは愚かな奴じゃ。そんなに頭が悪いことでどうするのじゃ。そこからでは竿がとどかぬだろう。屋根へあがれッ!」

あかねさん
かいかいかいかいィーの平癒祈願の神様は東京台東区谷中にもあります。「谷中の瘡守稲荷」、宝永年間
に攝津芥川(大阪府)からいらしたのだそうです。その瘡守稲荷の門前の茶屋で茶汲み女をしていたのが
笠森お仙、手まり唄にもある「向こう横町のお稲荷さんへ・・・・・之以上ちとわかりません」のモデル
だそうです。江戸一の美人で、その美しさは「ひとたび見れば人の足をとどむ。再びみれば人腰をぬかす」
程の美人だったそうです。


s(*^-^)ノ☆     - 2001/11/23(金) 00:26<

いつの世も・・あは!

浜の真砂は尽きるとも世に釣り人の種はつきまじ・・

   縄文のころから、やっぱり逃がした魚は
        こーんなに大きかったのでしょうか?

バリ氏さん、やなさん、蜜柑さん
   やぞーさんのこんな話に、なんかムズムズしてませんか!

あかねさん
>播磨に多かった民間陰陽師(法師陰陽師)や、その一人
>である蘆谷道満とも、もしかすると交流があったりして…と、想像が膨らんでます。
うんうん、私にも膨らんだ想像分けてね!

ヤゾ− - 2001/11/23(金) 00:03<

釣りニュースの時間です

みなさん こんばんわ。

なな なんと 地元の釣りバカが 地磯で98センチのカンパチを釣り上げたそうです。
僕の耳に入った頃には もう捌いてバラバラの状態だったので
写真に撮れなくて残念でした。

さんかうぶさん 本宮大社について ありがとうございました。
その中州の大斎原(おおゆのはら)には 
一遍上人直筆の「南無阿弥陀仏」の神勅名号碑が建っています。

あかねさん 小屋には風呂がありません。
だから たまに痒いです・・・(-_-;)
乙丸・若丸が湯釜を持って来てくれる代わりに タヌキが湯釜に化けたら ブンブク湯釜だ〜い。
年間に80回以上は 温泉に行きますが それは風呂がないからで
贅沢なのか 貧しいのか よく分らない話しです。

ピンクのトカゲさん 確かに 熊野って破れた者の亡命地ってところがありますね。
縄文についてですが 遺伝子の解析からも窺えるように
朝鮮半島南部や中国南東部にも 縄文人と共通した人たちがいたような気がしますし
交流があったのは出土品などからも 明らかになってきていますね。
ですから 渡来人の中には 縄文系の人たち それに近い人たちのグループもあったのかも知れません。 

もんむーさん 山嵩弥十郎って サンカのことみたいですね。 
もしかしたら僕みたいに 漢字 知らなかったもかもしれません。
それにしても いろんなもの見つけてきますね。

もんむー - 2001/11/22(木) 22:51<

山嵩弥十郎、弥十郎嶽

北摂丹波地方には弥十郎嶽(弥十郎ヶ嶽)という山があるそうです。その中腹に
は洞窟があります。これを「山嵩弥十郎の洞窟」と呼んているそうです。
「山嵩」は「山窩」誤記ではないでしょうか。

山行記のページにいくつかレポートがあがってます。

http://www.asahi-net.or.jp/~RP3M-NGOK/report/yajuhrohdake.htm

http://www.asahi-net.or.jp/~jn2m-kntk/yajuurou9906.htm

http://isweb13.infoseek.co.jp/sports/mtchari/yajurou.htm


でわでわ

ピンクのトカゲ <http://www.joy.hi-ho.ne.jp/atabis/> - 2001/11/22(木) 08:34<

南朝&明治天皇

yazooのいうように南朝→明治天皇っていう流れは、あると思います。
なんで考明天皇の子なら北朝なのに、明治入ってどうして南朝持ち上げるんだって
楠正成なんて、ほんとに考明天皇の子なら、先祖の敵ですぜ。
mr.donglyが、いうように、伊藤の子分の大××之助(南朝傍流)が、明治天皇の正体って言うのも納得できます。
戦後になって東三河から、熊谷天皇とか三浦天皇とか名乗り上げるんです。俺の方が南朝の正統だって
東三河もそうだけど、熊野って言うのも、ある種の亡命地だと解釈すればいいんじゃないですか
大陸とか半島じゃなくて、破れた者の亡命地って
だから、縄文も残ってる。

あかね - 2001/11/22(木) 02:43<

恵心の弟子

おミヨさん
だいぶ前の話題ですみません。恵心のお話で、平安中期、儒学の大家慶慈保胤(よししげのやすたね)が、
恵心僧都源信の門をたたいて比叡山で修業し、寂心上人となった話を思い出しました。
寂心は、念仏の功徳を説き廻って、中播磨・神崎郡香寺町の「八徳山」へ来山し、谷々峰々は八葉のハチスの
花さながら、非常に仏にご縁のある山やと、「八葉寺」と名付けたと伝わります。
「八徳山八葉寺」は、天平8年(736)、行基上人が開いた古刹で、寂心が入山し、堂舎等を建立。当時は、
大乗院・宝寿院等五院十三房の建物から成り立っていたそうな。天台播磨六山の一山です。

「八徳の寂心上人はな、体にかゆいものがでけて、お友達の書写円教寺の性空上人が、そりゃ難儀な
こっちゃろ、言うて、乙丸・若丸に大きな湯釜を持たせてやったそうや。そんで、今でもその湯釜が、
厨子に納まって残ってるんや。その釜をなでたら、まずいとこのかゆみも治るそうやで」。 
…お下品で、失礼m(__)m。おそまつさまでしたぁ

この寺では毎年1月7日、播磨路では一番早い「鬼追い式」が行われ、息災・延命・五穀成就祈願のために、
多くの参詣者で賑わいます。寂心は陰陽道−天文暦数家の生まれですが文才に富んでいたので、
菅原文時(道真の孫)から文章道を学び、内記(詔勅等の起草職)として仕えた人。その師事・交友も空也・
性空・源信と豪華です。時代も合うみたいだから、播磨に多かった民間陰陽師(法師陰陽師)や、その一人
である蘆谷道満とも、もしかすると交流があったりして…と、想像が膨らんでます。

で、八徳山にあるかどうか知りませんが、香寺町には滝はあったように思います。確認しときます。
さらに同郡の確か神崎町には、鉢貸し伝承も残っています。ちなみに辺りは銅山がいっぱい。
生野銀山が近いので、古代から銅をメインに、銀や錫、砒素?なども古代から、産出したようです。

さんかうぶ - 2001/11/22(木) 02:22<

何かの参考になるかな?

<ある処に、こんな事が書かれていました>

本宮大社はもともと熊野川(十津川)の中州にあった。そこは十津川に流された水葬の死骸が寄り着く場所であり、死骸は強い霊力を持つために「素戔嗚尊」に見立てられたのだという説もある。旧社殿は明治二十二年の大洪水で流失。
日本書紀で、スサノヲが熊成峯から根の国に下ったと伝えられるように、熊野は古くから死者の世界への入り口だった。荒ぶる魂が繰り返す死と再生のサイクルの始点と終点に位置する、冥(くら)い霊地。硫黄臭のけぶる河原に、まだ来ない再生の時を待つ餓鬼阿弥(注;癩患者)たち<うんぬん>
一遍上人は、鎌倉新仏教開祖のなかでは唯一比叡山に登っておらず、熊野本宮への参籠の際、「熊野権現のお告げ」で、時宗を開いた特異な経歴の持ち主<うんぬん>

ヤゾ− - 2001/11/22(木) 00:05<

みなさん こんばんわ。

>明治、南朝などという短いスパンで考えるのではなく、

ピンクのトカゲさん そうですね。
でも サンカや現在の体制を考える上で 
南北朝時代から明治維新への流れは 
なにか重要なものが隠されている気がしています。

>白鳥由栄の脱獄の話、なんか聞いたことがあるなあと思ってたら。

もんむーさん 緒方拳が演じる「破獄」を見たことがありますよ。
味噌汁を手錠に吹き付けて 錆で壊したり
独房の天窓まで 壁をヤモリのように登る訓練をしたりして
その能力と執念と 他に生かせたら・・・と 思ったりしました。
脱獄することが生き甲斐だったのでしょうか。

クミコさん パソコンなおって よかったですね。
「歴史民俗学20号」も買えて よかったです。

とても よい天気だったので 小鳥の巣箱を掃除して熱湯殺菌しました。
巣箱を地面に置いて乾燥さしているのが ヤマガラにとって不思議なのか
時折 巣箱にとまっては 首を傾げていました。

おユキちゃん 今が巣箱を仕掛けるのに丁度よい時期ですよ〜。

もんむー - 2001/11/21(水) 23:13<

山窩ノ研究

歴史民俗学の中の警察が作成した「山窩ノ研究」ですが興味深く読ませていた
だきました。サンカと警察の機微がうかがわれる資料ですね。

警察としては彼らが悪事を働くのをやめさせ、定住し定職につかせることを望
んでいたようですが、なかなか難しかったようですね。

犯罪者としての要素を除けば、彼らは自然にかこまれて楽しい人生を送ってい
たようにも読めるのですが、現実は厳しかったのでしょう。

全体を通してみると警察と彼らのコミュニケーションがそれなりに成立してい
るようです。それが私には意外でした。

みなさんの感想も聞いてみたいです。

でわでわ

クミコ - 2001/11/21(水) 21:28<

歴史民俗学20号 今日買いました!

星降る夜は、パソコン壊れて泣いていたけれど
「歴史民俗学20号」 買ったら元気になりました。

歴史の本がだんだん増えてきました・・・

もんむー - 2001/11/21(水) 17:55<

破獄

おミヨさん、とんちんかん小憎さん

白鳥由栄の脱獄の話、なんか聞いたことがあるなあと思ってたら。吉村昭の小
説「破獄」(新潮社)のモデルの人だったんですね。小説の方は読んでないので
すが、以前NHKでドラマ化されたのを見たことがあります。

その時は緒方拳が演じてました。彼の脱獄にかける執念たるや、すさまじいも
のがあったようですね。

でわでわ

ミス蜜柑 - 2001/11/21(水) 17:54<

好評発行中

歴史民俗学20号
好評につき、重版中だって、
追加注文の電話したら、1週間ほど待たされるということです。

ピンクのトカゲ - 2001/11/21(水) 16:28<

木を見て森を見ず

熊野は、三社権現といわれるように
本宮、新宮、那智をあわせてみるべきであり、
本宮だけをとって、見るべきではないのでは、
三社を一体として考えれば、伊勢の二社三宮説とも関ってきます。
川ということを考えれば、那智は、滝神として瀬織津姫を祀っており、
また、橋のない中州ということになれば、淀川の橋姫がまた瀬織津姫です。
そもそもが、禊の神であり、穢れを祓うということを考えれば、白山信仰とも容易に結びつきます。
また、人柱等についても考えるところが出てくるでしょう。
因みに、三河一宮は、奥宮・本宮から真南に位置し、
本宮から見て冬至の日没方向にあたる宮路山から真東より若干北にずれています。
ちょうど真東だと、創建当時(大宝年間)の豊川の流路にあたるからです。
明治、南朝などという短いスパンで考えるのではなく、神社というものを考える場合、もっと悠久の時の流れの中で考えるべきでは

とんちんかん小僧 - 2001/11/21(水) 16:14<

おミヨさんへ

>青森・秋田・網走・札幌と4度の脱獄に成功
あっ!その人の話知ってるー。
高校の時、修学旅行で北海道へ行った時に網走刑務所(元あった場所→今は博物館に
なってるよ)を見学しました。日本で最初で最後に脱獄した唯一の人でしょ。詳しく
は忘れてしまいましたが日本のアルカトラズ刑務所(城でいうと難攻不落の)といわ
れる網走を脱獄した脱獄王:白鳥由栄は有名ですよね。誰もが考えもつかなかった方
法での脱獄(パンフレットを何処に置いたか全く覚えていないので詳細はわかりませ
〜ん!)は当時の刑務官も驚愕したという。

忍びだったとしたら面白い存在ですよね。今、新潮日本人名辞典で調べましたが残念
なことに罪人の名前は載せていないようです。

とんちんかん小僧 - 2001/11/21(水) 15:05<

min-minさんへ

>「名取党」というキーワードも使われておりました。
ああ、そうでしたか!それならば、紀州流ではありません。
その名の通り【名取流】というのがあります。

● 名取流(=新楠流)
 甲州流からの分流。流祖は甲州先手の士、名取余市丞正俊。元和(げんな)五年
(1619)、信州の真田で病没。二代目の三十郎正澄が楠不伝に楠流軍学を習い、
さらに島田潜斎などに諸流を学び、余市丞のものを新楠流と改め紀州藩に仕えた。

*殆どの流派は名のみ伝わっているだけなので、どういう流派なのか見当もつかない
ものが多いです。

ついでに、
●甲州流
 信玄流、武田流、甲陽流などともいい、兵法から斥候(=忍び)部門が独立したもの。         
   武田氏では忍者のことを“三ツ者”といった。
● 甲陽流
流祖、武田信玄。信玄の命により、山県三郎兵衛・武藤喜兵衛(ともに『武田二十四将』)
らが合議して山本勘助(同)ら若干の者に伝授。甲州流より分派。信濃松代領真田家の禰津
数馬に伝承して幕末に至る。

● 南木流
 楠不伝正辰の系統。寛文十二年(1672)、尾張徳川家臣、木村奥之助久康が称した。久康
の前身は甲賀の山伏。久康の弟、木村久種は遠江横須賀藩で五十人の小頭として仕えた。

おミヨ - 2001/11/21(水) 12:11<

とんちんかん小僧さん

白鳥由栄の証言「脱獄王」斎藤充功 最近読んだのですが、この方、忍者の生き残りじゃないやろか?
明治40年〜? 青森・秋田・網走・札幌と4度の脱獄に成功し、脱獄の手口がアッと驚く事ばかりで、
斎藤充功さんが主人公を生前に取材したルポルタージュ、迫力満天で、一気に読ませます。

おミヨ - 2001/11/21(水) 00:34<

内海桂子

ミス蜜柑さん
内海桂子さんは日暮里で何回かお見かけしました。荒川区でお住まいなんでしょうか。
荒川区といえば、ムレコ荒川一(はじめ)の縄張りだったところだからこのあたりサンカの居付き地かなー
隣の下谷(したや)万年町には下谷田地火のトケコミ地でマムシ屋さん結構多い。上野駅の側にも赤マムシ
の大きな看板だしている漢方屋さんもあります。(田地火の流れかは不明)
落語家もおおく住んでいます。上野駅近くに話し家長屋があり(今?)、格子戸の風情ある2階屋がならび
こんなとこに住んでみたいと思うようなところです。万年町に今もお住まいの○○さんサンカだそうです。
(落語家がサンカであるという話しではありません。念のため。)
開発されてコンクリートばかりの建物のなか、少しでも昔が残っているところにひかれます。

「歴史民族学」12に血液醤油なんてのってました。

サクラさん
ありがとう。

Ya(^z^)oo - 2001/11/21(水) 00:07<

南朝ってなんでちょう?

みなさん こんばんわ。

>熊野本宮を明治中期に山の中腹に再建したのはなぜ?力は何でしょうか?

もともと川の中州である大斎原(おおゆのはら)にあった本宮大社は 
上流にあって差別されていた村の山が大洪水で崩れ
川を塞き止めたことによる鉄砲水で流失しました。
そして明治になってから建立された今の本宮大社の森の上に
その村は移されたと言います。

そういえば 玉置神社に睦仁親王(明治天皇)の書いたものが飾っていました。
歴史学からいえば 矛盾したものなのでしょうが
南朝と関係が深い玉置神社にあっても不思議ではないものなのかも知れません。
詳しくお話を伺わなかったのが残念です。
それと社格からいうと郷社なのに とても立派なのも不思議ですね。
玉置神社に末社として白山社が祀られているのも興味深いです。

南朝とサンカや賤民とされた人たち 
それに明治維新で活躍した人たちって
何かの線で繋がっている気がしますね。

min-min - 2001/11/20(火) 22:54<

RE:紀州の忍び

とんちんかん小僧殿、どもっ!

>すごく久しぶりですね。
>また、バスク人の話を書いて下さいよ。毎回興味深く読んでいましたのでお願いします。

ほんとにお久しぶりでした。バスク人の話は今手元に集めた書物をもう少し読み込んで
からじゃないと無理ですねぇ。そのうち、ということでお許しを・・・。(^^ゞ

>紀州には忍びの流派として、雑賀(さいか)流、紀州流、根来流の三流が知られています。
>その中で、熊野に関わりをもつのが紀州流です。

お、紀州流というのがありましたか。
小説の中では大道で“奇術”を良くこなす様が描かれております。また、「名取党」という
キーワードも使われておりました。
ま、いずれにしても伊賀からの流れと考えるのが妥当でしょうね。ありがとうございました。

min-min@横浜

turukot - 2001/11/20(火) 22:00<

こんばんは。

DONGLYさん。

>例えば、石井良助『関東の被差別部落』これは自己規制が少なく貴
重な本です。

ご本ご紹介ありがとうございます。いろいろ捜し出して読むことにいたします。

>江戸期も現在も人間の「質」は余り変わっていないのでは?
>いくら高度な知識をえても、物質的豊かさに比べて相対的に「退化して
る」ようにすら感じますが。

おっしゃる通りでしょうね。
正に「退化・退廃」です。
「物を持つゆえに暗くなる。」とはある人道活動家の方の言葉ですが、そうかも知れない。
特に現代は「系譜の断絶」がよりいっそう加速されているような気がします。
それに伴い無秩序も。。と感じるのは妄想でしょうか?

とんちんかん小僧 - 2001/11/20(火) 19:38<

紀州の忍び

min-minさん
すごく久しぶりですね。
また、バスク人の話を書いて下さいよ。毎回興味深く読んでいましたのでお願いします。

 星の数は、カウンターはないので普通に声にだして「いち、にー、さぁーん…」って
数えてましたよ。百回数えて区切りをつけて、また一から数えつつも、でかい流れ星が
きたら願いごとを言ってましたよ〜ん。まあ、家の中からの観測だし星を見るのが好き
なので別になんてことないですよ。

>紀州の「かまり」と呼ばれた忍者集団につき過去言及されましたっけ?
>紀州の忍者の「流れ」みたいなものでも分かれば教えて
いいえ、書いていません。初めて知った名前です。紀州の忍びについては、あまり詳しい
資料もないので(今も)いろいろ書くことはできないです。
紀州には忍びの流派として、雑賀(さいか)流、紀州流、根来流の三流が知られています。
その中で、熊野に関わりをもつのが紀州流です。

 熊野三山に入った白雲流(養和年間〔1181〕に白雲道士が創設、名のみが伝わって入る)
が、修験者によって紀州流になったという(『戸隠流口伝書』)。また、天正九年の伊賀の
乱に敗れた伊賀忍者が紀州の根来(雑賀)に逃れて称した流ともいう。

紹介して下さった本また探してみますね。

ヤナさん、サクラさんも流れ星見ましたー?
今年はまだ風邪さんと運良く出会ってませんので、ご心配なく。

*(^0^)*ngly - 2001/11/20(火) 11:56<

だからか

さんかうぶさん
 御坊筋は金持ちとされます。あの世に行く前に遺体から予め衣服を
頂いたり、入歯から金を発掘したからとは聞きました。タタラで骨が
必要ならもっと豊かになれます。〇〇という青年が「自分の祖先は
何者?」と聞いてきました。いろいろ話を聞いた後に「君の家は本来
金持ち?」に対して、備後の人なのに「尾張に鉱山をもってた」と言
います。本来「百人一首」に由来する「姓」で、やっぱしでした。
 皮発色に●味噌を使い、皮なめしは0しっこを使用したのでは?
江戸期道頓堀には、しょうべんたご(小便回収用の桶)があり、通行
人が愛用し、その桶に因んだ「正弁丹牛」?という有名店があるそう
です。廃棄物利用の優れた形ですね。私自宅では野菜や木の根っこに
やさしく・はげしく振りかけています。
 turukotさん
 例えば、石井良助『関東の被差別部落』これは自己規制が少なく貴
重な本です。江戸期も現在も人間の「質」は余り変わっていないのでは?
いくら高度な知識をえても、物質的豊かさに比べて相対的に「退化して
る」ようにすら感じますが。ただし明治期には上層部は政変で「民治」
から「官治」に変わって、社ショクの思想が大事という方もいます。
ショクは賤民用のキビで、黍は上流階級用のキビ。
y(^z^)ooさん
>南朝と北朝は半島系と大陸系の代理戦争!熊野は南朝と深関に
同勘です。明治政府は山伏廃止令をだし、川の中州=別所
地形にあって荒廃してた、熊野本宮を明治中期に山の中腹に
再建したのはなぜ?力は何でしょうか?「南朝小唄」を復活
させている地域もあります。

ヤナギムシ - 2001/11/20(火) 10:32<

あはははは

ほんま・・あはははは・・ああぁ

  11月18日のかきこみ・・まちごおてました

東の空みてて・・なんで・・南南西やねん・・そんなんみとったら


     あははははぁ・・ひっくりかえってしまいますがな・・


         えらいすんません

さんかうぶ - 2001/11/20(火) 02:30<
タタラ場と「アホな人」
*(.^|0^)*nglyさん、{お湯の中に入ってもらった、うんぬん}
実は、私も、この一件で以前から疑問になっていたのですが、
「炉の中に人○を入れると、鉄がよく沸く」、そんなに臨機応変に材料が
有るわけがないので、ひょっとすると、その場で調達したのではないか
と推測していたのでした。なんせ山内、犯罪者、戸籍無い者、流れ者、
鬼、大歓迎、三食、傾城行き小遣いつきですからね。
只、安部某は先祖の墓を掘り返しに行き、○○を山内へ持ち帰り、柱に
据え付けた、とは、ものの本には書いてありましたが、全て持ち帰った
のではないかと思ったり。
それと、以前、牛の○みそを皮なめしに使ているらしい、と書きましたが、
色の発色に使う様で、詳しくは知りませんが、タンニンが媒染剤となる
模様です、カルシウムも関係有るかも? こんな黒色話お好き?

Ya(^z^)oo - 2001/11/20(火) 00:06<

南北朝は代理戦争!?

みなさん こんばんわ。
今朝4時近くまで しし座流星群を見てました。
綺麗というより 不思議な感じがしました。
ひとりで しんみりと 星を眺めるのも 寂しいもんです。
サクラさん 風邪よりも寝不足で〜す。

ヤナさん それ面白いです。

『箕 破れて サンカあり』 面白くないか。

南朝と北朝は 半島系と大陸系の代理戦争であったと 
ある本に書いてありましたが なんとなく そんな気もしました。
熊野地方は南朝と深い関係にあるところですが
朝鮮半島からの渡来人の影響も色濃く残り
スサノオを朝鮮半島(経由?)からの渡来神だとする話しもあります。
また 熊野は縄文的なところでもあり 
半島系の人たちと融合したところなのかも知れません。

サクラ - 2001/11/19(月) 23:46<

あははは

こんばんわ!
     やなぎむしさん、面白〜い・・・
         座布団、一枚差し上げます。

min-minさん、
お久しぶりです!相変わらず読書家ですねぇ
私は「歴史民俗学」は東京駅前の八重洲ブックセンターで買いましたよ・・・

おユキちゃん
巣箱完成、おめでとう!
どんな、小鳥が来るのか楽しみですね。

やぞーさん、とんちんかん小僧さん
星見て、風邪引かないようにね。

   星流れて サンカあり  

おミヨさん
     だーいすき! 

ヤナギムシ - 2001/11/19(月) 23:01<

あはっははは

国・・破れて・・山河あり


     くくくくくく




   ショウジ・・破れて・・サンがあり


                やてぇ

           はははっははは

*(.^|0^)*ngly - 2001/11/19(月) 22:42<

一体どうなってるの

さんかうぶさん
>タタラ場である山内、「アホな人」が訪ねて来ると鉄が調子良く沸いた
 聞き間違いかもですが、「湯の中に」入浴して頂いたのでは?
 となると江戸期は人間の「全体利用」となります。
紺屋が御坊から人骨を仕入れ、色だしに使い、「よい色」い染め上げたと
あります。化学的根拠はあるのでしょうか。それでオワイ思想から差別
されたとか。現在は人骨は皆さんご存知のXXXに入れるそうです。
 明治の醤油屋も、同じ理由で醸造組合に入れて貰えず、の社会運動家
努力で、組合加入とは、その社会運動家の子孫から聞きましたが。
実際は、酒醸造よりも醤油醸造の方が大いに儲かった事で、差別を吹き
飛ばしたみたいですが。戦後労働争議では千葉県野田の醤油メーカーが
ストライキ破りのためだけに、普段雇用しない部落の人を採用したと、
何かの本にありました。一体、どうなってるの。

min-min <http://homepage2.nifty.com/TUBA/> - 2001/11/19(月) 20:16<

星のシャワー

をたっぷり浴びたとんちんかん小僧殿、願い事がたくさんかなうと良いですね。(^^)/
ところで751回も数えたよし、カウンター(よく日本野鳥の会とか交通量調査で使っ
てますよね)を用意してたんですかぁ???

さて、最近読んだ本の中で紀州・熊野の忍者(かまり)が登場し大活躍するのです。
この忍群は作品中では徳川家康の第10子、紀州藩主徳川頼宣が飼っていたという
設定なのですが、わけあって明にいる「鄭成功」軍に加勢することに。
他の作品、例えば津本陽著『天翔ける倭寇』や神坂次郎著『海の伽[イ耶]琴』で雑賀
の鉄砲衆が中国や朝鮮に出かけて活躍する小説は知っていますが、熊野の忍者が大陸
や台湾に渡って縦横無尽に大活躍する小説は始めてであり、内容の面白さに大いに
貢献していると思います。
さて、ここで登場する紀州の「かまり」と呼ばれた忍者集団につき過去言及されまし
たっけ?とんちんかん小僧殿の書き込み量が現在かなりのものになると思われ、過去
ログを全てチェックするのが正直きついです。(^^;
紀州の忍者の「流れ」みたいなものでも分かれば教えてたもれ。<(_ _)>

ところで前出の作品は、
題名:怒帆(どはん)
著者:高橋和島
発行:海越出版社 1994.4.28初版
価格:¥1500(当時)
内容:鄭成功一代記の後半生を描いたもの

ということは前半生を描いたのがあるはず。同じ出版社で出している『朱帆』
(しゅはん)という作品があります。


でわ、でわ

min-min@横浜でした。




turukot - 2001/11/19(月) 19:12<

Re:幕藩体制

DONGLYさん。

>2)幕藩体制や公的秩序維持の力であった事を隠さなければ世間から忌嫌われます。
>恐らく幕藩体制は民衆を抑圧し搾取するためにサンカも旧被差別部落も動員しています。
>中小企業の保守性などや、マスコミ・タレント・スポーツ・警察・官僚の世界の、
>おぞましいばかりの後進性・封建制は、またその歴史と、組織も受け継いでいます。
>同じ政界が自ら「政治改革」断行は至難業のでしょう。

サンカや被差別部落の方の動員はあったかどうか知りませんが、東北においても特に江戸期前半
幕藩体制は庶民の生活形態を大きく変容させてしまったようです。
領主権力の系譜の「編纂」、神社の沿革の「整備」、奥浄瑠璃、神社の縁起による田村麻呂征伐伝説の
跋扈など。。。

一説によるとマタギは税制によって現在伝えられる姿に変容されたとの指摘があり、江戸前期以前は
異なる様相だったとかききます。

東北のある歴史学者が幕藩体制による歴史的呪縛を無視はできないと述べていた方が
いらっしゃいましたが、
私も同感です。私からいわせれば大きく影を落としてしまっているように思えます。

とんちんかん小僧 - 2001/11/19(月) 16:56<

星見観測の結果発表

最初、1時半すぎに北東の方角を窓から見ていましたが全く見れず…。
再度、場所と時間をずらして南東の方角を2時32分から肉眼で観測をはじめました。
全身を2枚の毛布にくるんで、熱いお茶をすすりながら流星を見てました。すると、
矢継ぎ早に流星を見ることができました。それも、一つ一つがでかいのなんのって。

一人星に向って、「ブラボー!ブラボー!」って声援を送っていました。(^〇^) 
初めて気づいたんですけども、流れる星の大きさ・長さによって色が違うんですね。

全て白色と思っていましたが、黄緑色の光をもつ星もあれば赤色っぽい光を出す星も
ありました。私は、4時32分までの2時間で751回見ることができました。時々山の
近くを通ったりして山全体が光っていましたよ。冬の大三角・オリオン座の場所から
、少し左側から流星群が数多く見ることができました。

う〜ん、星々に感謝しなきゃー!
願いごともいっぱい言えたしね。今日も見れるんかなー?

おユキ - 2001/11/19(月) 12:55<

歴史民俗学20号 買ってきたよ!

昨日、歴史民俗学20号を買ってきました。

巣箱も完成して嬉しいことがいっぱいです。

バンザーイ \(^o^)/

*(~o~)*ngly - 2001/11/19(月) 12:25<

というと

幾つか理由があるようです。
1)知らない。分らない。知る必要がない。
 香川県で聞いた時には、お母さんやお婆さんがどこで
生まれたかも知らないケースがありました。競争社会では
管理するため・管理されるため、兵隊として動員するため
相互信頼よりも戸籍など「公的文書」を信用します。また
大きな政府や大事(公共工事や戦争)のためには必要です
 自然や他人との共生が、私たちの引かれる「実像」です
2)幕藩体制や公的秩序維持の力であった事を隠さなけれ
ば世間から忌嫌われます。恐らく幕藩体制は民衆を抑圧し
搾取するためにサンカも旧被差別部落も動員しています。
目明・番太・目付け・忍びなどで一部上層部をのぞけば
雑業との兼業のようです。中小企業の保守性などや、マス
コミ・タレント・スポーツ・警察・官僚の世界の、おぞま
しいばかりの後進性・封建制は、またその歴史と、組織も
受け継いでいます。同じ政界が自ら「政治改革」断行は至
難業のでしょう。俗にいう「理由なき差別」というのは
やや疑問に思います。
 ほかにも訳がありそうですが。

*(^0~)*ngly - 2001/11/19(月) 11:59<

nasiteka

サンカ出身の人が何故、過去を脚色する必要があるのか?

ピンクのトカゲ - 2001/11/19(月) 11:48<

筒男神

バリシさん
住吉の筒男の神ですね。
船名に住吉丸って多いのも、住吉=航海の神

バリ師 - 2001/11/19(月) 05:20<

星の和名

「星の和名」言うのが日本各地、方言みたいにいろいろあったそうですな。スバルさんとか三つ星さんとか。

サンカの人たちも星を見ていたのでしょうが、それは農村とか漁村に伝わる星の和名に準じて良いのでしょうか?

この時期、おのころ島でメバルやガシラの夜釣りをする時、オリオン座の三つ星さんを勝手に我が守り星とし(これしか分からんもんで)、波止で竿を伸ばす前にまず「ひとつ頼んまっさ」と豊漁を祈願いたしております。

http://www.aa.alpha-net.ne.jp/starlore/mingu.html
箕の写真に過敏に反応するようになってしまいました。さしずめこの箕星がサンカ星ということになりますか。

Ya(^z^)oo - 2001/11/19(月) 03:01<

しし座流星群見てました

みなさん こんばんわ。

早めに寝て 2時前に起きて しし座流星群を見ています。
あまりの寒さの為 銀マットを2枚ひいて 寝袋にくるまって見てました。
空全体が明るくなるような 大きな流れ星が 広範囲で頻繁に飛んでいます。
あまりに寒いので ココアを飲んで 山小屋の中で 一服しているところです。
それにしても 昔の人が これ程の流れ星を見たら なんて思ったのでしょうね。
昔の人は こんな夜更かししないか。
後 少し見てから寝ます。

ミス蜜柑 - 2001/11/19(月) 02:14<

内海桂子

どうも、彼女はサンカらしい。
歴史民俗学20にも、それをほのめかす記事が有ったが(気付いた?)
例の、伊豆高原の合宿の時に出た話で
古い、古い「木賃宿」の台帳に彼女の名前が発見されたという話が出ました。

多分、旅芸人の一座であったのでしょう。(三波春夫同様)
だが、彼女は有名になってからは、過去を脚色しているようです。サッチーみたいに。

サンカ出身の人が何故、過去を脚色する必要があるのか?
長州力も自叙伝では自分の出自を明らかにしています。
何故、サンカの人は出自を隠すのか?
これがどうしても解りません。

とんちんかん小僧 - 2001/11/18(日) 22:53<

Re獅子座流星群

さてさて、先にヤナさんがお知らせしたように明日流れ星がいっぱい見れそうッス!
実は、珍しいコトに今年まで20数年間、流れ星を見たことありませんでした。
夏場、夜海辺で大の字で星を見ていると「すぃーっと」星が動くのを見て、横にいる従弟に、
「あれUFOかー!?」って言うと「流れ星やで〜、見たことなかったん?」って言われました。
その日、三回も見れました。嬉しかったです。(∩.∩) v 流れ星ってなかなか見れないものと
思っていましたが、見たことのない人の方が珍しいことに後で気づきました。(*^_^*) 夜釣り
に行ったらよく見れるらしいですね。実は、釣りもやったことが無いんです。生きているうち
にチャンスがあればやってみたいと思っています。
それはさておき、明日の星の軍団とのご対面は楽しみな行事ですね。Ya(^z^)ooさん家から
じゃあかなりキレイに見えそうですね。私もワイン片手に星見でもしようかと思ってます。

おミヨ - 2001/11/18(日) 09:35<

ジャーンひかり輝く「歴史民俗学」20号

「サンカの最新学」読んでいる最中です。
「歴史民族学会」のメンバーの方々の”頭をコツンと叩けばサンカサンカの音がする”と思える程に
一人一人のサンカに対する熱い想いが読むこちら側にも伝わってきて、内容も充実、本の重さの何千倍以上のズシンとした感覚でした。
「三角寛ワールドを学問する」の対談などでも裏情報等も知る事ができて、もっといっぱい聞きたい気持ち
で読みました。
飯尾恭之さんの「尾張サンカの記録」が単行本として出版されるのが待ち遠しい。待ってたんだもん。
批評社さん 利田敏さんの「最後のサンカ」 立田浩之さんの「異見 三角寛サンカ説サンカの別称」も
一冊にして出版してくださればいいなぁと思ったりして。一ファンとしてだけではなく今後の「サンカ研究」としても貴重な研究資料として残っていくのではとおもったりしました。
それと「三角寛のひととなり」の本が出ないかしらん等など。
クマノライフのスター達も全国的に有名になってしまって・・・。
今度はテレビデビューですね。

  お☆ミ・。・ヨ☆のひとりごと 


min-min <http://homepage2.nifty.com/TUBA/> - 2001/11/18(日) 01:35<

歴史民俗学no.20

σ(^^)も買って読んでます。

>利田ヤゾウの『加藤今朝松一代記』
&
>Dnglyさんこと立田浩之教授の『異見 三角寛サンカ説とサンカの別称』

についてはYa(^z^)ooさんが感じた部分に共鳴いたします。
それとDonglyさんはいつもの「ドングリ節」がやっぱり出ていて嬉しかったです。

それにYa(^z^)oo の『熊野から見るサンカの世界』も良かったよん♪
なんかいつもの仲間がカキコしている内容もさることながら、ヤマガラのヒナとか、
あげくはタヌコまで登場して、いつもはWEB上でお馴染みのものが雑誌上で眺める
のも妙?な感覚ですよね。

ところで『歴史民俗学no.20』は会社近くの國學院大学生協でやっと手に入れました。
最後の一冊でした。

サクラさん、何処で手に入れたん???

min-min@横浜でした。



ヤナギムシ - 2001/11/18(日) 01:32<

19日 2:31

けけけけけ
 けけけけけ
   おこんばんわ・・
    19日AM2:31と
        AM3:19・・

   お告げがあります・・東の空御覧くらはい

            アホなにゆうてるんや!・・お叱りの弁・・けけけけ

  しし座流星群の一番きれいに見れる時間やそうです
   昼寝して準備セナあきませんなぁ

        10時ころ・・愛犬りの字と散歩しとったら・・
          東の空45度あたり南南西から北まで・・ながーーーい・・流れ星

     夜釣りのとき・・ほんまよく見るんやけど・・
       あんなに長い流れ星・・久しぶりやわ・・・ほんまぞな!

     こらなんや、明日の夜中楽しみやわー-ァ

              (なんや18日PM7:30ころにも、小ピークあるようにも?)
        きいてんけどもなぁ

    みなさん・・よおおけ・お願いしてや・・
       神さん明日・・たいへんやで・・がんばってくらはいね

                    y(^ε・)naでした

Ya(^z^)oo - 2001/11/18(日) 00:15<

歴史民俗学 サンカ最新学を読んで

みなさん こんばんわ。

もう 歴史民俗学 サンカ最新学は読まれましたか。

僕は ミス蜜柑さんこと利田ヤゾウの『加藤今朝松一代記』の最後に書いていた

「自然の恵みの中で地元の人に迷惑をかけないようにひっそりと暮し、
人から受けた恩を決して忘れることなく、いくらお金に困っていても決して悪いことはせず、
お金を拾っても警察に届ける等、まさに「名も無く貧しく美しく」
「清貧」という言葉がぴったりの人物であったようだ。 」

というところと

Dnglyさんこと立田浩之教授の『異見 三角寛サンカ説とサンカの別称』の最後に書いていた

「現政権を担う方々も晴れて「野に下る」時期は近いようです。
私は彼らに相応しく、本来の「野・山・川に生きて」、
そして『風の王国』時代の好機として、その能力を発揮されるように祈ります。
高級料亭の密室での贅を尽くした宴会よりも、野山での自然そのままの質素な
「袋あらい」の何とさわやかな事か。過疎や不況はこの意味で絶好機です。」

という箇所が 心に残り好きです。

とんちんかん小僧 - 2001/11/17(土) 14:10<

世鬼一族  下

 弟義包は一家の確執から諸国を巡る。義包の子、政久は京の山名宗全家に客分として
滞留。応仁の乱中の文明元年(1469)三月、細川勝元の大軍が山名の営を包囲する。こ
の時の政久の戦いぶりを見た高橋某によって安芸(広島県)に移る。
 政久にはニ子あり、長男の政親、二男正長、武術に長(た)けていた。政親は領主に
認められ仕官。高田郡の宗利村世鬼の地を給領され世鬼姓を名乗る。この政親にニ子が
あり兄の政棟は織田信秀(信長の父)に、弟の政時は毛利家に「忍びの兵」として仕え
る。政時には三子、長男政定、二男政矩、二人とも忍びに巧みとして三百石を給され、
末の娘は毛利の家臣、市来家に嫁す。が、懐妊後、離別され世鬼家で男児を産む。これ
が政任で以後、代々一系して毛利家に仕える。離別の因は、くの一だったからといわれ
ている。世鬼を世木に改姓するのは政任から三代目政利からである。
 毛利元就は戦略・謀略に富んだ知将。四分五裂の動乱の十六世紀、家臣三千に満たぬ
小豪族から大大名になったのには、謀略戦の裏に、「忍びの兵」の働きが大きく、世鬼
家は領内六ヵ所に一族を散在させて忍びの役に徹した。世鬼一族は忍びの士、二十五人
の内という。服部半蔵のように江戸城に半蔵門の名を遺す者もいるが、忍者とは陰の
存在である。世鬼家が家譜を出したのは、一国一城の主の裔という誇りが意識させたの
では、と古川薫著の言。奇兵隊の世木騎六の他に世鬼一族の末裔が今も存在するのかも。

さんかうぶ - 2001/11/17(土) 01:53<

ついでに、も一つ

タタラ場である山内、「アホな人」が訪ねて来ると、鉄が調子良く沸いたとの事。
ご馳走を出して丁重にもてなし、幾日も居てもらった。
ド真剣だけでは駄目で、たまにはテンション緩めるのも必要なのかも?

やぞー - 2001/11/17(土) 00:07<

福虫

商家などでは 少し足らない子(精神薄弱者)や身体に障害のある子を
家に福をもたらす“福虫”として 大切にしてきたと聞いたことがあります。
福助や仙台四郎も そんな福虫なんでしょうね。

Ya(^z^)oo <http://www.kumanolife.com/History/kenshi1.html#Anchorsankaron> - 2001/11/17(土) 00:05<

インターネット・“サンカ” 案内のリンク集

みなさん こんばんわ。

礫川全次さんが 「歴史民俗学20号 サンカの最新学」の最後に
インターネット上に飛び交うサンカに関したホームページを解説と共に紹介してくれています。
その中には 知らなかった大変興味深いホームページもありました。
アドレスを入力するのが面倒だったので そのリンク集を作りました。
http://www.kumanolife.com/History/kenshi1.html#Anchorsankaron

バリ師 - 2001/11/17(土) 00:04<

秋深し・・・

■先週、「社長さんおってですか?」と電話があった。話を聞くと、えらいドスのきいた声で、▲▲○○のもんやけど、部落開放運動の何とか言う本をお薦めしとると言う。値段は6万5千円。ご丁寧にお断りした。

今週、またもや「社長さんおってやろか?」と電話があり、これも押しの強い声で、今度は●●△△いう右翼団体で、何とかヨシオ先生の書かれた「憂国」いう本をお願いしたいと言う。値段は5万円。今度もご丁寧にお断りした。

今日、本屋で「歴史民俗学20号」を買う。1800円也。これは安かった。

一読後、ふと、竿師やったバリ釣りの師匠が「昔は竹竿の穂先ばっか専門に作っとう職人がおってな」言うて、根元に一本一本、銘の入った穂先(!)とその人が使ことった穂先を削るカンナ(!)を譲り受けた日のことを思い出しました。

■言うとくけんど、わいは社長やないで。嫁はんが電話番しとう家内制手工業(マニュファクチャー)や。職人はな、夜明けにミルク紅茶を啜りながら、絶望したりはせえへんのや!と何や訳のわからん文章になりました。

y(^ε・)na - 2001/11/16(金) 23:20<

のほほほほほ

拳・・三角関係・・
 やっつく、やっつく、やっつくな・・
  けんなんかいな??
なんやったかいな・・ビリケンさん・・なんやどこかがいこくのデザイナーのつくったもんやとか??

  幸運の神さんらしいですな--ァ

     ああこそば・・足の裏なでてあげてや!!

   ほんなら・happy・・・・ヤナギムシになるんやて

                  へっへへ

おミヨ - 2001/11/16(金) 23:03<

サクラさん

のところに仙台四郎がちょこんとすわっていたなんて唖然!呆然!
きっと「福の神」を呼んでくれているわね。

東京上野にも清水観音堂があります。
比叡山恵心院の恵心僧都の作と伝える千手観音を本尊として、京都の恋愛祈願とちがって、子育て観音で子供が丈夫に育つようにと人形をもってお礼参りにいくそうです。

サクラ - 2001/11/16(金) 21:01<

仙台四郎

おミヨさん
仙台四郎・・・我が家にもちょこんと座っています。
仙台のお土産やでふと目に付いた仙台四郎

福を運んでくれるかしらと・・(^^)

s(*^-^)ノ☆    

おミヨ - 2001/11/16(金) 20:02<

ヤナさん ピンクのトカゲさん

天通閣に行った事がないのに「ビリケンさん」が記憶にあるのは、「ビリケンさん」のコレクターが「お宝鑑定団」に出ていて印象にのこっていたのかも。「ビリケンさん」はアメリカ生まれまれなんですか?

「仙台四郎」は「福助」とは関係ないようですよ。
銃砲商の裕福な家庭の四男坊として江戸末期から明治35〜6年位まで生きたようです、この仙台四郎の立ち寄る所、どこも店が繁盛し、生きている頃から「福の神」とよばれていて、「うちにも来てくれ」と呼んでも自分の好きな所しかいかなかったらしい。小さい頃は大変に賢い子供だったが、ある時から町を徘徊するようになり、いつも縞のドテラ姿で歩いていて、デップリとしたスタイルでいつもニコニコし、町の誰からも愛されたらしい。いまでは「福の神」として仙台の老舗の2軒に1軒は神棚に写真を飾っているんだそうです。その写真も本物と偽物があるそうですよ。

turukot - 2001/11/16(金) 19:26<

ロマと千手観音

おミヨさま。
>そうですねロマを用いるべきでした。配慮がたりませんでした。
>ナチの絶滅政策はすさまじいものだったようですね。

ちなみにロマはROMAと書くようですが、イタリアの都市とごっちゃにならないかな?なんて
しょーもないことを考えたりします。
ヨーロッパとインドのロマは到底同じ民族とは思えません。(ご本人方はどのように意識されているのか
知りませんが)族外婚をしてきたのでしょうね。

あかねさま。思わぬご教示ありがとうございます。
そうそう渡海というのがありましたね。

信仰厚き人は溺れて死ぬかも知れないというのに敢行したひともいたとか。
観音様も無条件に救いの手を差し伸べるわけではなく、実践的懺悔的行為をすることを
条件としている場合があるとか聞きます。その一つの実践が渡海とか。

>真言宗『補陀洛山総持寺』(仁和2<886>年、中納言藤原山蔭が創建)も思い出します。
>本尊は十一面千手観世音菩薩で、確かここには、藤原山陰が子供の頃、義母によって川へ落された?
>際、亀に乗って表れた千手観音に助けられた、とかいうお話があったと思います。

なるほど、総持寺で十一面千手観音菩薩ですか。
藤原山陰さんは存じていなかったのですが、包丁式は有名でしたか。。

GAINA - 2001/11/16(金) 16:48<

冬の玉置神社のいいものです。

みなさん、こんにちわ!

ヤゾーさん、にっちょさん、微力ですがお役にたてて嬉しく思います。

これからの極寒の玉置神社もいいものです。
氷点下20度にも気温が下がりますが、
ダイアモンドダストがキラキラと輝いて
幻想の世界に誘ってくれます。
神社にも風習があり(各神社で違うと思いますが・・・)
玉置神社では、獣の肉(四足の動物)は食べません。
玉置山の上で生活している神官たちにとって、
下界での焼肉などは、それは、それは盆と正月と祭りが一緒に来たようなものです。
狂牛病など、どこ吹く風でしょう。

みなさんも玉置神社に参拝の折はご一報ください。
少しでもお役に立てるかもしれません。

極寒の玉置神社へは、
4WDの車、スパイクタイア、予備チェーン、寒冷地用の不凍液をお忘れなく。

ピンクのトカゲ - 2001/11/16(金) 11:47<

仙台四郎

仙台四郎って福助人形のモデルになった人物でしたっけ?
ちょっと関係ないけど
豊川稲荷(妙厳寺)、平八狐が来てから繁栄するようになったって言ってるんですよ。
この平八狐、実は、鈴木平八っていう実在の人物がモデル。
本来の豊川稲荷は、今の妙厳寺じゃなくて、西島稲荷(豊川市西島町)。
鈴木平八は、西島稲荷の社司をやってた。それもやり手
それで妙厳寺が今で言うヘッドハンティングしたんです。

にっちょ - 2001/11/16(金) 11:46<

シ−ナ

あやしい探検隊初期メンバ−に・・・

確か・けんかっ早いそんなのもいたと思い出す・・

隊長はシ−ナです。

ピンクのトカゲ - 2001/11/16(金) 11:05<

ビリケン

オミヨさん
ビリケンは、たしかアメリカじゃなかったですか?
最初は、なんかのキャラクターみたいなモノだったと記憶してます。
1930年代ごろじゃなかったですか?

オミヨ - 2001/11/16(金) 10:08<
ヤナさんのお顔変にしてしまった。ごめんさ〜〜〜〜い。。

おミヨ - 2001/11/16(金) 10:04<

y(^εー)naさん

カキコがしばらくなくてどうしたのかなーと思っていましたよ。

「ビリケン」って通天閣にいたんですかぁ?
頭のとんがった顔の輪郭だけ覚えがあるんですが、商売繁盛の神様(?)なんでしょうか?
ついでに福の神「仙台四郎」なる人物も実際にいた人らしんですが、仙台では商売繁盛の神様とか。
「ビリケン」もやっぱりモデルがいたんでしょうか?大阪人かな?変な事ばかり思い出す昨今ですだ。

あかね - 2001/11/16(金) 02:51<

総持寺

turukotさん
あ、補陀洛渡海なぁ。有難うございます。
千手観音と補陀洛といえば、大阪府茨木市(北摂)にある、西国33ヶ所第22番目札所、
真言宗『補陀洛山総持寺』(仁和2<886>年、中納言藤原山蔭が創建)も思い出します。
本尊は十一面千手観世音菩薩で、確かここには、藤原山陰が子供の頃、義母によって川へ落された?際、
亀に乗って表れた千手観音に助けられた、とかいうお話があったと思います。
滝はないはずですが、亀池ならあります。
この寺は、奥の院が山門を入ってすぐの所にあるのです。不思議な造り〜。
毎年4月18には、鯛や鯉等を真魚ばしと庖丁だけでさばく「庖丁式(山蔭流)」が行われ、これは山蔭
中納言政朝が御本尊を彫る仏師のために、千日間にわたって自ら料理をしたことにちなんだものです。
山陰はうろ覚えですが、膳部を置き、大伴・阿倍(安倍かどちらか失念)、東国の笹原・高橋・安達(足立)
などと関りあったようです。山陰も、不思議がいっぱいですね。
この寺は阪急総持寺駅から北へ300mほどの所にあります。

y(^ε・)na - 2001/11/16(金) 01:47<

ここにいてはるよ

おミヨさん
  ビリケンさん、天王寺通天閣〔大阪〕のどこやったかに・・
     座ってはりましたで・・

にっちょ - 2001/11/16(金) 01:14<

玉置神社

みなさまこんばんわ。

今月に入り二度玉置神社へヤゾ−さんの迷惑も考えず参拝の行動に出てしまった。

まったく忙しい最中申し訳有りませんでした、ヤゾ−さんとGAINAさんの

ご厚意に感謝いたします。

改めてインタ−ネットの存在を認識しつつ少し考えさせられました。

感情の真意が探れない会話と肌の接するような暖かみのある会話との違い

やはり人間は機械とか機器には感情とか思いは通せないと思いました。

想像の世界と、現実を直視して息吹の感ずる世界の違いを思いつつ後ろ髪

ひかれるおもいで熊野を後にしました。

ヤゾ−さんの仕事が一段落したら今度はサクラマスを釣りに行きたいと思いました。





Ya(^z^)oo - 2001/11/16(金) 00:07<

玉置神社の八臂弁財天(はっぴべんざいてん)

みなさん こんばんわ。

またまた玉置神社にお参りしてきました。

道中 にっちょさんの従姉のあきこさんが 
まったく無意識に 今までに聞いたことのない不思議な旋律で
心身を優しく包み込むような歌を口ずさんだのだが強く印象に残りました。

GAINAさんの御好意で 神社に連絡して頂いていたので
社務所に名前を言うと 築250年の建物に案内され
重要文化財のふすま絵を見せて頂いたり いろんな部屋を案内されてお話を伺ったり
手厚いお持て成しを受けました。
GAINAさん 玉置神社の平岩さん ありがとうございました。

一番上座の部屋に八臂弁財天がお祀りしてありましたが
玉置神社に天川神社と同じ八臂弁財天がお祀りしてあったなんて始めて知りました。
あの 不思議な旋律の歌は弁財天の歌なのかも知れません。

おミヨ - 2001/11/15(木) 21:22<

こんばんわ

turukotさま
そうですねロマを用いるべきでした。配慮がたりませんでした。
ナチの絶滅政策はすさまじいものだったようですね。

seburiさんしばらくです。
seburiさんのユタンポを思い出しました。なつかしい〜〜〜。。

「歴史民族学」やっとでたんですね。




turukot - 2001/11/15(木) 20:44<

千手観音

DONGLYさん、ピンクのトカゲさん。

清水寺は千手観音でも有名なところですね。
ちなみに千手観音は山岳寺院と海岸寺に多く見られるのだとか。
また修験との関連があります。

千手観音で有名な寺といったら、那智と中禅寺。
なぁんだ、いずれも有名な滝がある。滝信仰と密接な関連がありそうですね。

千手と別所の関連を探っていますが、補陀洛(落)というキーワードが。。
補陀洛といえば大原別所のそれを連想します。

また、九州甘木の古処山は白山で上下宮が秋月にあり、北(嘉穂町)と南(甘木市)に千手(せんず)が
あり、甘木側には近隣にたしか安養寺の字名が見られます。

おミヨさま。

>ジプシーについての、ふるーい記録では1427年の夏パリにあらわれた集団は、男は色が黒く、頭髪

今のご時世は自称のロマ(人間)を用いたほうが好ましいでしょう。
(インド製のジムニーは今も「ジプシー」でしょうが。。)

ナチスドイツ下のロマの人も、ユダヤ人と同様、強制収容所送りにされ、虐殺された人もおられるようです。中には児童も。

それから以前の宿題のひとつですが、明治前期時点の香椎村の字名に別所、別所ノ浦が見られます。
香椎宮の界隈と思いますが。。

とんちんかん小僧 - 2001/11/15(木) 15:03<

世鬼一族 [室町期〜江戸末期] 上

☆ 毛利家に仕えた忍び軍団

 流派不明。長門、周防(山口県)毛利家の「忍びの士」として代々仕えた一族である。
幕末(江戸末期)、毛利萩藩では藩体制側と反体制側との抗争が激しかった。高杉晋作は
反体制側である。高杉は奇を以て兵を動かす、の趣意から奇兵隊を結成。元治元年(1864
)十二月、功山寺で挙兵した。翌慶応元年(1865)正月、藩内大木津口(川上口)で激戦
となる。
 この激戦で討ち死にした奇兵隊士は七人と『防長回天史』の奇兵隊戦闘日録中にある。
七人のうちに世木騎六(せき きろく)の名がある。世木騎六は斥候、つまり忍者的役割で
あった。
 徳川幕府は、寛政十一年(1799)諸侯以下に家譜その他の資料を提出させた。『寛政重
修諸家譜』である。
 萩藩に『萩藩閥閲録』として家臣の家譜を収録したものがある。それに世木家の家譜が載
っており、これは世木太郎兵衛が藩に差し出したという。
〈私家の儀は今川の末裔、駿州(静岡県中)久野坂の領主遠州(静岡県西)佐野郡に城を構
え、世木と申す所に居住仕り候。領主世木但馬守義房の弟修理大夫義包、その身勇気抜群の
者也……〉とはじまる。


*(~0~)*nglyさん
円空さんの話有難うございます。
>位牌ありなら、戒名ありの筈。でもお坊さんなのは確かでしょう
>が、次には髪のある坊主か髪のない坊主かです。
御免なさい。位牌じゃなくて、過去帳に書かれていた方です。これ自体何時の頃のものかは
判りません。戒名はまたメールでお教えします。公では、ちょっとね…。
でも、それが戒名かどうかは疑問です。根来寺ではなくその系列の寺の住職だったみたいで
す。多分、ツルツル坊主だったかもしれないですね。

ピンクのトカゲ - 2001/11/15(木) 07:29<

セッカチなトカゲ

seburiさん
年賀状既に完成し、書き損じまで交換してきたセッカチなトカゲです。
まだ餅つきは済ませていませんが、
餅つきもありますよね。29日につかなきゃいけないとか、否や30日だとか

seburi - 2001/11/15(木) 00:26<

今日買いに行きます!

歴史民俗学20号、本日買いにいきます!
18号までは、買ってたんですが、19号も買うつもりです。

話し変わって、もうそろそろ年末なんですね〜
年賀状の季節ですね〜
今年の案をそろそろ考えなくっちゃと思いつつ
結局ギリギリになってしまいそうです。

seburiひとりごと

Ya(^z^)oo - 2001/11/15(木) 00:05<

歴史民俗学20号 サンカの最新学

みなさん こんばんわ。
 
ピンクのトカゲさん 
熊野には『いが饅頭』のような 凝った食べ物はなさそうです。

サクラさん あかねさん ガマガエル 面白い顔してたでしょ!
眠そうな目が なんともいえません。
そういえば 手の形が 写楽の役者絵みたいですね。

あかね さん ゴウラの話し 読みましたよ。
ゴウラというと 日本蜜蜂の巣箱のことを この辺りでは ごうら と呼びます。

夕方 批評社から歴史民俗学が届きました。
随分と立派な本なので 驚きました。
なんと 今までの倍くらいの厚さになって カバーまでついていました。
バンザ〜イ  \(^o^)/

少し前まで にっちょさんと従姉の方とお話していました。
歴史民俗学 まだ 少し目を通しただけなので これから読もうと思います。
利田ヤゾウ Donglyさん の文章もあって楽しみです。 

サクラ - 2001/11/15(木) 00:02<

サンカの再新学

利田やぞーさん、donglyさん、やぞーさん
「歴史民俗学」20号買ってきました。
最初から最後までのサンカ特集は、どこを見ても宝の山です。

両やぞーさんやdonglyさんたちの熱い思いも伝わってきます。
ここも活気あふれる熊野ライフと礫川先生に紹介されていました(^^)

待ちに待った本を手に入れて、
  うふ、しあわせs(*^-^)ノ☆   

それはもう、ぜったい愛蔵版の一冊です! 

*(~0~)*ngly - 2001/11/14(水) 20:38<

戒名と△

あかねさん・とんちんかん小僧さん
>赤松氏の直系の子孫は途絶えて、幕末の直系の子孫は蜂須賀家の分家。
 「偉い方」や「著名人」の歴史に余り興味がなかったので、詳細は質問
してません。聞いてた方に聞いておきます。ただ家宝の話や家の伝承から
は「本物」みたいです。家宝とその所在は、差障りありです。
 自家の元本願地の福島県喜多方市のS家を尋ねた話や、祖母の伝承で、
人柱とは人間を直列に三人埋める事だとは、聞きました。
とんちんかん小僧さん
 円空の出生地は美並村ふくべ山麓の粥川(旧名:大谷川)です。
 粥川には昭和年代までマンガン(刀物を作るに必要)鉱山があり
、鰻が禁忌で、雉を嫌う地、です。神社は・・ノートにあります。
 後代に付いたから間違ってるでしょうが、カイト地名らしく、
よくて粥が食べられたからの地名でしょうか。昔は米が食べられな
い所(別所に多い)に米とか麦とか粟・稗(日吉)の地名がつくと
いいます。名古屋はキシ麺ですが、流域では現在も昼夜食はうどん
だそうです(山民は蕎麦と一応決め付けてます)。讃岐へ行けば三
食とも美味なうどんのようです。
 位牌ありなら、戒名ありの筈。でもお坊さんなのは確かでしょう
が、次には髪のある坊主か髪のない坊主かです。上層階級かもしれ
ませんから、家紋に意味があるでしょう。
一般に位牌を〇〇(忘れました)と呼ぶなら、漂泊系だそうです。
 ただ位牌待持ちは漂泊系のような気がしますが、どうでしょう?
 江戸期の私方の墓は、苔生した石で、自分の山にあります。
>ガマガエルと蛇とナメクジの関係
 △関係でしょう。相姦関係でもないし?!その前に各々何(人)
の例えでしょうか?私は「蛇」ですが。

おミヨ - 2001/11/14(水) 20:33<

*(~0~)*nglyさん

コッソリかきこします。小さい声でいいますがDum族についてはこれから勉強します。
ジプシーについての、ふるーい記録では1427年の夏パリにあらわれた集団は、男は色が黒く、頭髪
はちぢれていて、女も色が黒く、ふためとみられないほど不器量だそうで、だれもが顔に波状の傷があり、衣服は細い布か紐で肩にかけた一枚の被布で、その下にはわずかシャツかブラウスしか着ておらず、耳には
穴をあけて銀の環をつけていた。この中に手相を見て未来や過去を占う女トランプ師がいた。野外に宿営
したあと2日で消えてしまい、いつも風のように現れて風のように消えていったとあります。
また、イランのふるーい記録には、紀元420年頃ペルシャのバーラム王は、過重な労働に苦しむ人民の
ために、税金を安くするかわりに、音楽を聴かせてたのしませようとインドの東部のカノージュのシャンカル王に、リュートの演奏の巧みな男女1万名のルリ族を要請し、この1万名に牛とロバと小麦の種を与えた。つまり、彼らが百姓で生計をたて、音楽を人民のために無料で演奏させようという目論見であったが、
ルリ族は、百姓をいやがり牛と小麦を食べてしまったためペルシャの王に追い出されてしまう。ルリ族は、ロバと楽器をもってたちさった。しかし、百姓をしない彼らは1箇所にとどまれず、流浪の民になった。
サラサーテ「チゴイネルワイゼン」、シューマン「流浪の民」、「ツィガーヌ」、ラロ「スペイン交響曲」
リスト「ハンリア狂詩曲第二番」等と美しい曲は多くありますが、Dum族の音楽については暗くてみえません。

あかねさん「妙見さん」について有り難うございました。

Donglyさん「妙見さん」と関係ないのですが連想で思い出したのですが「ビリケンさん」とかいうのは
いなかったでしょうか?




あかね - 2001/11/14(水) 17:25<

ぷっ

ヤゾーさん
十津川のゴウラのお話、読んで下さいました?ご存知だったかなm(__)m
それにしても、ガマガエルの顔ったら。ぷっ(^.^)。よっぽどねむかったのね。

ピンクのトカゲさん
いが饅頭って、知らないのです。播磨も広いからどこかにあるのかもしれないけど…。
あるのかどうか、気をつけて探すよう、心掛けておきますね。
それから、お正月の注連縄はやっぱり、松ノ内が終れば外しますです。

とんちんかん小僧さん
そうなのです。赤松家本家は、嘉吉の乱で確かに滅んでいるので、蜂須賀分家の子息が養子に
入られた幕末のそのお家は、赤松本家ではありません。
しかし、赤松本家の血筋の直系自体は、野間城などの城主だった家系として残り、このお家の総本家は、
昭和20年過ぎ頃までは家宝とともに連綿と続いていたことから、この時点まで直系は途絶えていなかった
と見なす方もあるようです。ま、本家が滅んでいる事は間違いないです。

とんちんかん小僧 - 2001/11/14(水) 13:40<
*(~0~)*nglyさん
≫深空と寂空 >これだけでは分りません。円空のように出生不詳で漂泊人ならば
>、粥川(別所地名)出生とすれば
そうですよね。出生が分っていて位牌もあり所属する寺ありの人とは違うんですね。
漂泊人かあー。私も深空と寂空上人については、位牌でしかもっていないので本当
にどういう人物であったかは判りません。

あかねさん
やはり赤松氏の直系の子孫は途絶えているというのが正当的な解答ですね。
幕末の直系の子孫は蜂須賀家の分家だもんね。

サクラさん
>ガマガエルと蛇とナメクジはみすくみの関係だったよね
へー、そうなんですか?
初耳です。どんな関係でしょう?
彼らは幼少の頃、足がない(成人してもない方が多数)からみすくみの関係だった!?
思い付くままに書いてみましたが、本当の所お手上げで〜〜〜す。┌|∵|┐└|∵|┘

ピンクのトカゲ - 2001/11/14(水) 09:22<

いが饅頭

うちの掲示板で「いが饅頭」の話書いたら、
サクラさんにはじめて聞いたってかかれちゃいましたけど、「いが饅頭」って、全国区じゃなかったの?
雛祭りにあげるやつ
柏餅みたいな透明っぽい皮に餡子が入ってて、上に赤とか黄色とか、緑とかに染めた米が乗ってて、蒸したやつ
針間とかありそうだけど、ないのかな?あかねさん
熊野もありそうだけど、やっぱりないかな?
それと、正月のしめ縄、一年中張っておくもんだと思ってたけど違うんですね。
ほかの地方じゃ

サクラ - 2001/11/14(水) 02:17<

写楽

やぞーさん
  ガマガエル
    あの顔、あの手・・・
      写楽おもいだしたぞな

そういえば、ガマガエルと蛇とナメクジはみすくみの関係だったよね
とんちんかん小僧さん
どんな関係なんでしょうか?
変な質問でごめんなさい。だって・・
やぞーさんがガマガエルなんかのせるから〜

皆様も寝ぼけたs(*^-^)ノ☆は無視してくださりませ・・

Ya(^z^)oo - 2001/11/14(水) 00:00<

寝惚けたガマガエル

みなさん こんばんわ。

僕も冬眠モードに入ったのか 10時頃になるととても眠いです。
でも 我慢して12時を超えると 今度は3時頃まで眠れません。
なんででしょう。

こんな処に タヌキがウンコしてる〜 と思ったらガマガエルでした。
半分冬眠しているのか 足でツンツンしても動きません。
なんだか寝惚けているみたいでした。
顔が面白かったので 寝惚けたガマガエルの写真 画像掲示板にあります。

おユキちゃん 巣箱の入り口の穴を開けるのは難しいです。
誰か 日曜大工の得意な人を見つけて 開けて貰うという手もあります。
無理に開けようとして 怪我しないでね。

ミス蜜柑 - 2001/11/13(火) 23:59<
20号でました。
これまでと違って、全編「サンカ」に関係する文章です。
この、HP、も
管理人の名前も紹介されています。

あかね - 2001/11/13(火) 22:54<

がめ

おミヨさん
こんなんありました。熊本県八代市・八代神社(妙見宮)大祭です。
亀蛇(がめ)って面白いですね。妙見神が渡海してきたときの乗り物だそうです。
http://www.myouken.com/index2.htm

ピンクのトカゲさん
そうなのかも。滝、ありますよ。
播磨地方は全般的に、降雨量はあまり多くないので、溜池がたくさんあります。
それだけ、清水伝承のある地や川、滝は大切にされていたのかもしれませんね。

↓下の上月氏ですが、書いた三郡だけでなく神崎郡などにもありますm(__)m。

ピンクのトカゲ - 2001/11/13(火) 19:48<

清水寺

清水寺あそこも神仏習合前は、絶対、瀬織津姫
俺行ったことないけど、こないだテレビ見てたら、滝みたいのあるんだよね。
それに確か千手観音。
なんか端折った書きこみですみません。

あかね - 2001/11/13(火) 19:28<

ゴウラ

↓奈良新聞さんのHPで、十津川村妖怪話のコーナーがありました。このゴウラって、サンカかしら?
http://www.nara-shimbun.com/ohanashi/p_oha010.html

ついでに、一本だたらも見てね。子供の足とされてるところが面白いです。童子信仰も入ってるのかな。
天目一→天日槍(大人)→巨人→ダイダラボッチ・あまんじゃこ等→一本だたら、天邪鬼…
→一本足唐傘おばけ。 または、天目一・天サグメ→天邪鬼…  
変遷順序はよくわからないけど、こうしてみると、なんかやっぱり、神の零落でしょうね。

 あ、今思ったんですが、鍛冶神天目一もひょっとして元来は女神さんだったりするかも…。
それはないか?世界的にみると確か男神ですよね。でも水銀の神は釜を使うところから、元来は世界中で
女神だし、鋳物の神も女神イシコリドメ(金山彦説も)、金屋子神(こちらも金山彦神説あり)も女神、
清水・酒神の姥神や鍛冶の妻・産婆なども女性…。
 精錬が女神で、鍛錬するのが男神。で、山神自体はもともとは女神で、スサノウ等はその眷属神。
そうすると、鉱物を産する山・精錬の方が行為としては鍛冶よりも先だから、何だか、鍛冶神の方が後に
派生分化した神に思えてきます。または元来は、山・鉱物採掘選掘加工の神全てをひとまとめにした
神格があったような気が…?それが山神の元来の意味?そうすると大物主との関係が気になる…
 トカゲさんちにカキコする話題かな。でも民話話のついでに書いちゃいます(笑)。

とんちんかん小僧さん
>その後の足取りはDonglyさんの話に出ている人が子孫なのかしらん。
 阿波に移った赤松家は、後裔はないという説が一般的ですが、どうなんでしょうね。
 平井城や龍野城城主、旗本大名石野家、野間城等の城主などの子孫の方々は、今に残ります。
赤松36家の一つ、有馬の殿様は、維新直後に三宮神社神主さんとなられ、今も宮司家です。
36家では、上月氏(宍粟郡・加東郡・西脇市)、小寺氏、別所氏等の後裔の方々も、たくさんおられます。
それから、赤松配下も赤松一族となりますので当時、家老職であったおうち等も同様に多く残っています。
赤松滅亡後も代々、同じ地域で住まわれている場合が多く、各地域の歴史書にも名前が出てまいるよう
ですから、おそらく子孫の皆さんだと思います。
 赤松家は全国に約150家あると云われていますが、その本家自体は滅亡しています。
血筋のみで云うのなら、円心の長子の長男のお家が最も、本家に近いと云えるのかもしれませんが、
本来は家を継ぐことに意味があるので、血自体はあまり関係ないでしょうね。
 播磨・備前・美作・摂津…等には赤松の子孫は多いですよ。でも本家に近い家系は、長く喜吉の乱の影響
があって代々、赤松姓を名乗っておられる家は少ないです(江戸中期?や維新後に赤松に戻した場合も)。
 で、播磨人である私にも、一族の家系は色々流れ込んでいます。別所であるなら何か嬉しい(^o^)。
昨日似たことを書いてたけど、あんまりにも私的な内容なので、改めましたm(__)m

*(~0~)*nglyさん
 清水寺について有難うございます。京都の清水寺は、坂上田村麻呂が鳥辺野に積み重なった死体を
供養するため─という話に遡りますね。元来は岩座(今も残る)信仰と、滝信仰の地だったようです。
 東播磨奥・播磨二宮にも田村麻呂と太子伝承が残り、同じ町に、古社らしい?清水神社(道主日女命が
酒を醸した伝承がある)もあります。この辺りは猿太彦・大歳神、天目一、天日槍、宗像女神・住吉神・
戎・稲荷だらけです。妙見・北辰も諏訪神・蔵王権現・愛宕・秋葉などもあるなぁ。
でも白山という山はあるのに、なぜか白山信仰そのものは全くないです。不思議。

*(~0~)*ngly - 2001/11/13(火) 13:28<

コッソリ教えて

おミヨさん
>インドドム族・下層民、その職業は掃除人夫・いかけ屋・鍛冶・薬草の採集・篭細工
>・刑場人夫等、また、職業的な泥棒と思われ、常民とは不通婚、
 この人達の信仰・音楽・踊りは何ですか?男女・親子関係の特徴は?体格・人相は?
また生姜や茗荷を持ち歩いたのはこの人達ですか?でも頭は良さそうーー騙すから。
バリ師さん
>菜も茸も有機・無農薬の最たるものですし。何か山の元気を食らう気
 薊・岩煙草・こごみを取って料理した物を食べました。八百屋・料亭不要です。
この方大学出の癖に実に良く知ってて里人が質問に来てました。鷹巣別所を本貫地
とする赤松後裔自称なのにサンカだったようです。紀州の禊場も行きました。禊と
いっても五十鈴川と同じでH前に入る水浴です。水辺に美味しい山菜は多いようです
ね。岩苔・岩海苔・川海苔、川真珠があったら、私だけにコッソリ教えて下さい。
>清水寺
 高所にあって仁王が山門がいる清水が湧出の古社寺は別所者に関係があるみたい。
エミシ退治の田村麿関係なら確実。京都の「清水の舞台から飛び降りる(傘を持ち飛
び降り命あれば病が治る)」で有名。CM元は死体処理業者でしょう。病によいのは、
鶴・雉・鹿・猿に擬して発見された温泉です。山奥のひなびた天風呂に行きたいナ。
 誰が言ったか忘れましたが、清水次郎長はサンカだったと最近聞きました。
とんちんかん小僧さん
>深空と寂空>  これだけでは分りません。円空のように出生不詳で漂泊人ならば
、粥川(別所地名)出生とすれば、円は〇で「廻って再び帰る」がピタリです。そう
なると渡り木地師ではないことになるでしょう。平安時代開発の、戒名を見れば生き
様(職業と身分)が判明します。寺院は宗派を問わず差別していますから。
私方は山に明治から墓があり、以前は苔生した石があるだけで墓や碑も無しです。
 旦那寺が焼け、差別戒名すら不明です(坊主が隠してるのかも)。
どうせ恋も儚い人生。小ローソクの如く燃え尽きて、死んでも墓無くいきます。

おユキ - 2001/11/13(火) 12:57<

巣箱

サクラさん、殆ど出来ましたが、
入り口の穴を開けるところで止まっています。
穴を開けて、後は組み立てれば完成で〜す。

ヤゾ−さん、穴はどうやって開けるとよいのですか。
教えて下さ〜い。

とんちんかん小僧 - 2001/11/13(火) 00:42<

ピアノコンサート

今日というか昨日、和歌山県民文化会館へピアノコンサートを見に行きました。
ピアニストは、斎藤雅広さんという方ですごくエネルギッシュで曲と曲の間でのトークの
巧みな演奏家でした。笑いの多い不思議なコンサートでした。
最初から最後までこれ程、全身がシビレる演奏をする日本人はないと断言できます。

斎藤雅広氏…NHK教育TV「トゥトゥアンサンブル」のメインキャラクター「キーボーズ」役を
2年間務め、華麗な演奏と喜劇役者顔負けの演技力で幼児から大人までの圧倒的な支持を得て
現在人気沸騰、1999年秋にはNHK教育TV「趣味悠々」に日本人クラシックピアニストでは初の
講師として登場し、さらなる多忙なコンサート活動を展開中。2000年冬、コロムビアよりソロ
アルバム「マイ・ロマンス」をリリースして大きな話題に。

感動のあまり涙が出そうになったり、笑いそうになったりと感情移入しちゃいました。
また凄く力強い演奏だったので、ロックコンサートを見ているようでもありました。
「あっ!」という間の二時間でした。帰り際、CDを購入しサインをもらっちゃいました。
本当に最高に素晴らしいピアノコンサートでしたよ(o^v^o)

ホームページ “MASAHIRO CLUB”
                            http://village.infoweb.ne.jp/~fwhz4049/


Donglyさん
かなり楽しい時を過ごされたようですね。
>円空は名前からして、別所の者らしいのですが
私の先祖にもお坊さんが何人かいるんですが、名は深空(しんくう)と寂空(
せきくう、じゃくくうどっちの読みか判らない)上人がいますが、二人とも
新義真言宗(根来寺)のお坊さんでした。
名が似てる円空は何故別所の者なんでしょうか?場所が関係あるからですか?

バリ師 - 2001/11/13(火) 00:15<

す、すばらしい!

Donglyさま、ごていねいな回答をありがとうございました。サンカは、やっぱ、すばらしい。

川漁のみならず、山菜・薬草・茸について、それぞれ山で実際に教えを乞いたい気分です。これは元気なはずですな。山菜も茸も有機・無農薬の最たるものですし。何か山の元気を食らう気がいたします。

センブリの苦さを、茗荷の新芽の歯ごたえを思い出しつつ、最近、とんとαとβは弱くなりましたが・・・。感謝。

Ya(^z^)oo - 2001/11/13(火) 00:03<

キハダ(黄檗)

みなさん こんばんわ。

知り合いの亡くなった爺さんが 昭和30年代頃に
蘭に凝って 奥山に採取に行き 道に迷って 沢沿いを下っていたら
キャンプしている人たちを見つけて 道を尋ねたことがあったそうです。
でも キャンプにしては 服装や雰囲気がなんか変だったと思っていたそうです。
それで ずっと後になって 彼等がサンカだったということを知ったとのことです。
その サンカの人たちが瀬降っていたところは 人家から離れた かなりの山奥だったそうです。

サンカらしき人を知る人の話しを聞くと
何処に何々の木が生えているとか
何処の沢に魚が多いとかを よく知っていたそうです。 
また 何々の植物が 何に効くかも よく知っていたと言います。
この辺りには キハダ(黄檗)は そんなに生えていないのですが
胃が悪いと言えば 直ぐにキハダの樹皮を採ってきてくれたそうです。
役小角が伝えたといわれる 有名な陀羅尼助もキハダの皮の部分を主成分とした胃腸薬です。
僕も何度か キハダの樹皮を煎じて飲んだことがありますが
胃が荒れた時など どんな薬よりも効くように感じました。

*(~▽~)*ongly - 2001/11/12(月) 22:21<

登りたい白山

とんちんかん小僧さん
>取材の方はどうでしたか?
 円空を研究されてる方の案内による見学と聴き取りです。
案内・夜の交流・石徹白(いどしろ)からの白山は素晴し
かったが、やはり土産物持参の聴取りは駄目ですね。
歴史民俗学研究会と野史研究会。後者は学歴と肩書きなき者
の集まりで、前者は肩書きあるプロの「立派な」集団ですが、
人間史を追う立場からは問題なく野史のようです。やはり人間
は学歴があると「思想的立場」が弱くなり、自分の五感のうち
目と耳だけしか使わなくなるみたい。感性的把握ができないの
です。また門外漢の私でも枠組みや概念の貧困さを感じます。
 円空は名前からして、別所の者らしいのですが、木地師かサ
ンカか、まだ確定できません。案内の方は、円空の母は木地師
の娘で、父は不祥で文献上では「木地士(土)」です。士は下
っ端の意味があり、サンカも・・・ですから。
 

おミヨ - 2001/11/12(月) 20:53<

流浪の民ジプシーの話し

ジプシーのルーツは言語から、ドイツの言語学者グレルマンが、インドの古い言語とロマニー語の間に
似ている単語が400もあり、文法的な類似点も数多く見つけ、ジプシーが日常使う単語のほとんど
3分の1がインド起源の単語である事を見出した。インドにはドム族という下層民がおり、その職業は
掃除人夫・いかけ屋・鍛冶・薬草の採集(あらゆる薬草に詳しい)・篭細工・刑場人夫等にたずさわり、
また、職業的な泥棒と思われていて常民とは通婚しなかった。このドム族がなんらかな理由で分かれて
流浪の民になったのではないかという説。いや、そうではないという説も、また、ありで謎です。
彼らの泥棒には、なんだか愛嬌ばあって笑えます。たとえば、牛の角を切り取ってもちさる。手相みて
いるスキに子供が客のポケットをまさぐる。司祭を呼び出しそのスキに空き巣に入る等など。
ジプシーが子供をさらって来て、得意の薬草で皮膚を真っ黒に染めて、アフリカに売り飛ばす、嘘だか
本当だか分からないような話もあり、ジプシーは天真爛漫。

おミヨ - 2001/11/12(月) 19:20<

妙見さん

妙見神社も面白そうですね。琳聖太子が渡来時、携えてきたという妙見神は北極星と北斗七星の神と覚えているのですが、鍛冶神?河童の神様と記憶があるような?詳しく教えて下さい。


とんちんかん小僧 - 2001/11/12(月) 15:35<
あかねさん
一乗寺ますます行きたくなりました。
それにしても清水寺が京都にしか無いものだと思っていたのに兵庫県にもあるんですね。
まるで安養寺みたい。この寺も全国的に沢山あるようです。

Donglyさん
お帰りなさい。取材の方はどうでしたか?
楽しみにしてます。
明日ぐらいに世鬼一族について書きますので。


赤松氏のその後…
 満祐(出家して性具、嘉吉の乱で自殺。)の弟の義雅から6代目の則房。豊臣秀吉は
四国平定後に徳島県板野郡の一万石(阿波・住吉藩)を則房に授けている。所領は板野
郡内の二十三ヵ村でこれを置塩(おしお)領といった。則房には子がなく、蜂須賀家政
の甥の細山主水正(後に加島政慶と改める)を養子とした。後に政慶は阿波九城の一つ
富岡城に移る。元和元年(1615)、一国一城令により住吉城を廃す。
その後の足取りはDonglyさんの話に出ている人が子孫なのかしらん。

Dongly - 2001/11/12(月) 13:20<

サンカの薬と食べ物

ヤゾーさん
「聖徳太子」と「聖徳大子」とどっちが正しいのですか?大違いが歴史です。
バリ師
>サンカの人たちは、薬草・山菜とかキノコは採ったりは?
 大得意です・サンカの特徴を受け継ぐ?叔母は昔、松茸捜しの名人です。
しかし相続で山がなくなりましたし、人間の茸もいらない年です。
山サンカの<植物性食料>ガマズミ・蕨・笹の実・山の芋・鳴子百合・姥百
合・コゴミ・紅葉笠・薊・ハンゴ草・タラの芽・イラクサ・ウド・筍・蕗・
片栗の根・ハシバミの実・沢胡桃・山椒・毒ダミ・行者ニンニク・山柿・岩煙
草・ウワバミ草・山桑の葉・ゼニゴケ・山わさび・栃の実・栗の実
<薬>熊の肝・蕗・栃の実・蕨粉・ドクダミ・千振・黄檗・片栗・タラの木根・
竹似草・黄肌・三葉オーレン・大雀蜂・長者の樹・千里眼の木・山椒魚・蝮
<茸>サンカの中には食えない茸はない、と言っています。毒茸なしです。
<川糊><岩苔>など。
当然にも地方差があります。また半定着の度合いが強くなると茗荷や生姜
クロ菜などを植えたのではないかと思います。ヤゾーの所ではどうでしょ
うか?何も植えていないのではサンカ系でなく〇〇という事になります。
以上の食料に+α(酒)+β(♂*♀)で袋洗い、OKです。
あかねさん
>喜多方市縁の赤松は、忍の者を重用?。別所関連かな?
>そんで、播磨にいた民間の陰陽師 
播州赤松の本貫地は千種町鷹ノ巣別所。福島の喜多方から来たとも聞きま
す。伊藤や宍戸姓を採用してる場合もあります。また昼間の戦いでは負け
ますが、頑張れるのは夜戦のみです(どこかのとーちゃんみたい!)。
自称赤松の子孫で昭和16年生まれからの聴き取り。家宝は神戸市〇〇に
あるそうです。別所系統ですから配下や仲間が七変化は当然でしょうか。

バリ師 - 2001/11/12(月) 07:39<

素朴な質問・・・

サンカの人たちは、山菜とかキノコは採ったり売ったりしなかったのでしょうか?

川漁の方が、ウナギ・ナマズ・スッポンとなりますれば、川の渓流域ではなく里川であり、ゼブリする場所も、霞食う仙人域や山伏や天狗の闊歩する、そないな山奥ではなかったせいでしょうか。

また漢方薬の方の知識とか採集はどないやったんでしょうか?

(ようやく手許に届いた部落開放11月号「漂泊に生きた人びと」を読み返しながら・・・)

サクラ - 2001/11/12(月) 01:09<

タヌコの喧嘩見物チュー

にっちょさん
なんか、kumanoのタヌコ村はえらいことになってそうですねぇ。
そんな熊野でみんなでフクロアライできたらいいのにねぇ〜

やぞーさん
ゲストハウスはタヌコに占領されないように
作ってね・・(いつの日か・・・)s(*^-^)ノ☆
    

サクラ - 2001/11/12(月) 00:15<

ほんと!いいお天気!

東京も抜けるような青空で気持ちよかったですよ〜

もう、富士山は真っ白に衣替えしてますね。
  かぐや姫のいない世に不死の薬はいらぬと山で焼いて以来
    たなびいていたという煙も今はなく、
白銀に輝く山があるばかり・・・

竹取の翁はサンカにつながるのかなぁ?
  足早く山に分け入りながら竹を編み、末裔の人々は
        富士を見ながらなに思ったのだろう?

Ya(^z^)oo - 2001/11/12(月) 00:02<

天気でチュー!?

みなさん こんばんわ。

とても良い天気だったので 物置きの掃除をしました。
そしたら なにやらカサコソカサコソと音がします。
大きなムカデでもいるのかと 嫌だなぁ と思いながら
その音のする段ボールを突き止めました。
外に出して そ〜と開けてみると ヒメネズミがいました。
枯葉を集めてきて段ボールに中に巣を作っていました。
どうりで 物置きの中にヒマワリの殻が落ちているはずです。
ピーやらポンやら チューまで現われて 嬉しいです・・・(-_-;)
ヒメネズミの写真 画像掲示板にあります。

にっちょさん 夜に写したので暗くて ゴネンナサイ!
でも チューは バッチリです。

もんむーさん 今度の歴史民俗学は やけに遅れますねぇ。
それだけ 内容が 濃いのかも知れませんね。
僕のは HPの紹介だから 面白くないです。

あかねさん そうなんです。
タヌキたち 幾つかのグループがあって 
餌場で鉢合せすると フギャ〜 フギャ〜 と牽制し合ってます。

あかね - 2001/11/11(日) 14:59<

よいお天気

とんちんかん小僧さん
 昨日書きました、東播磨・加東郡社町にある西国25番札所「清水寺」の
檀家さんの話で一ヶ所、間違っておりましたので訂正します。
円心(則村)の長男は赤松姓を継いでいない→継いでいる。円心の長男の子供(長男)が別家をたてた
が、正解でしたm(__)m。満裕はこの家出身です。
 喜多方市縁の赤松は、忍の者を重用してたのでしょう。別所関連かな?
そんで、播磨にいた民間の陰陽師も使ってたりして。
もしそうなら、蘆谷道満のドーマン=九字か?だって九字は兵法でもありますもんね。
(赤松はどんな戦い方をしたのかよく知らないけど)。忍びも九字をきってたりするかも。

Ya(^z^)ooさん
私もどちらかと言えば、ベジタリアン。お肉よりも、お魚の方がずっと好き〜。
画像掲示板、拝見しました。暗闇で、タヌチャンの眼が光ってますね。
なんだか、エサ場として定着してるのかな。

サクラさん
今日の大阪は、とてもよいお天気!
朝からはりきってお洗濯や、お布団干しをしました。ああ、気持よかった〜!
あんまり気持よいので、お昼寝しちゃいそう…。いやいや、これからお出かけしなくては!
そちらもよいお天気ですか?

もんむー - 2001/11/11(日) 09:34<

つけもの大学・味噌大学

みなさん、おはようございます。

きのう東京に用事があったのでついでに書店を何軒かまわってみたのですが、
歴史民俗学はみつかりませんでした。批評社のホームページには11月10日だと
書いてあったんですが、早とちりだったかもしれません。

そのかわりというわけでもないのですが、今日の朝日に三角寛の本の広告がで
てました。


三角寛のつけもの・味噌づくり実践教室

つけもの大学 2500円
http://www.gendaishokan.co.jp/new05.htm

味噌大学     2500円
http://www.gendaishokan.co.jp/new04.htm

ともに現代書館

三角寛はつけものと味噌のマニアだったようですね。

でわでわ	

にっちょ - 2001/11/11(日) 02:08<

冬景色

サクラさんこんばんわ。

いつもは早々床につく私ですけれど今日はおもいっきり夜更かし、してます。

熊野はとても素敵でした春夏秋冬一年を通して素晴らしいと思います。

特に冬は素敵だと思います、静粛さの中に重なる静けさを感じます、私も一度は

冬の熊野を訪ねてみたいとおもいます。

ヤゾ−さん画像掲示板のタヌコ真っ暗で見えません。?(私のパソコンの故障?)

Ya(^z^)oo - 2001/11/11(日) 00:03<

聖徳太子と6匹のタヌコたち

みなさん こんばんわ。
風邪の所為なのか 頭痛のする頭でNHKドラマ『聖徳太子』見てました。
聖徳太子の妻は蘇我馬子の娘で 母親は物部守屋の妹です。
つまり蘇我馬子と物部守屋は義兄弟ということですね。
「和をもって尊しと成す」ですね。

あかねさん ぼくも おギューニク買ってきました。
明日 食べるのでしょう。
でも ぼくは どちらかというとベジタリアンなのでした。

サクラさん ちょっと聞いて下さい。
タヌコたち いったい何匹いるのでしょう?
いつも番いでいる顔白タヌコと人相悪タヌコ
それにポン吉のグループ3匹。
それぞれ仲が悪いくて 絶対に一緒には 餌を食べません。
それとは違う6匹のグループが新たに登場しました。
どうりで 餌が直ぐに無くなるはずです。
いったい何匹のタヌコがいるのでしょうね。
ちょっと怖いです!
6匹のタヌコ 画像掲示板に写真あります。

サクラ - 2001/11/10(土) 23:34<

写るんです!s(*^-^)ノ☆

冬眠って写るんでしょうか?
   昨日は9時にはすでにねむねむ・・・
で、今日はと言うと、げんきでーす!

おミヨさん、ピー子は元気でしょうか?
おユキちゃん、巣箱作った?わたしだったら挫折てるなぁ・・・きっと
クニコさん、うんうん、私ももう一回みたくなっちゃった!
あかねさん
あはは、その調子、いっぱい鬼の話なんかも書いてくださりませませ〜
にっちょさん
私も何にかに導かれkumanoにいったのでしょうか・・・
kumanoの冬も見てみたいなぁ〜

s(*^-^)ノ☆
    

あかね - 2001/11/10(土) 02:15<

おギューニク

おミヨさん
ありがとう(^o^)。私、渦巻きに落ちてるのかもよ〜(笑)。で、鬼さんの渦?へと巻き込もうとしてたり
して。あ、おミヨさんも既に前から、サンカ絡みで鬼さん仲間じゃ〜 ワ〜イ\(●^o^●)/

おギューニクは、スーパーで国産高級品も、やたらとお安くなっているので、心惹かれます。
で、誘惑に負けて先日、ついにステーキ肉を買ってしまいました。美味しかった〜〜!
なんと、新鮮な神戸のお肉さんが半額!どしたのどす。
国産高級肉は、牛骨粉を食べさせていない点では安心だけど…。
但馬牛は、神戸牛・三田牛・松坂牛になる元の牛さん。
丹波牛や黒田庄牛というブランドが、身近にある故郷を持つ者にとっては、畜産家の皆さんが心配です。

とんちんかん小僧さん
ほれほれ、益々、一乗寺へ行きたくなって来たでしょう〜。一乗寺が貴方を呼んでいる〜(笑)
護法堂・弁天堂・妙見堂なんて面白いじゃあ〜りませんか。そうどす。赤松が再興しとるのです。

ついでに前に書いた、加西市の東・加東郡社町にある『清水寺』へも是非行ってね。大きいお寺だよ〜
(前にご紹介した巡礼のHPに載ってます)
以前書いたけど、ここも西国33ヶ所に入っており、法道仙人開基だし、“全国にある清水寺の名を持つ
お寺としては一番古い”のじゃ〜。この清水寺は赤松円心が再興しており、その理由は、赤松氏に
清水信仰があったらしい、せいかもしれません。そして赤松氏範の墓や、その一族が果てた千人切り?の
石も残ります。んで、円心の長男(長男は赤松姓は継いでいません、このおうちの総本家自体はどうも
昭和初期に絶えたみたい、不確定情報でm(__)m)や、氏範の後裔さんたち、金屋子神降臨地にある赤松系
のおうちの別れの方々等も、今でも檀家さんらしいですよ。

播磨には民間の陰陽師はいっぱいいた。蘆谷道満は加古川市生まれの民間の陰陽師。
東播磨は鴨(賀茂)の地。晴明は賀茂に陰陽道を教えてもらった。赤松氏は、この2人が活躍した時代の
村上天皇を祖(ホントは違うけど)としてる…。これって何か、面白いですよね〜。

y(^ε・)n^ - 2001/11/10(土) 00:32<

けけけけ

大樹よ!
  その身体に流れる
    鼓動は、・・・・

        なんなんだ!

         私は・・感じるんです!

   その深い  眠りを覚ます

        あなたの・・   そう・・

            あなたのその・・・深い・深い

                               悲しみを



                              

Ya(^z^)oo - 2001/11/10(土) 00:02<

山本玄峰老師

みんさん こんばんわ。

もんむーさん お久しぶりでした。
そういえば 日本財団の円空に関したページは 
もんむーさんに教えて頂いたのでしたね。
また 面白いものを見つけたら教えて下さいね。
歴史民俗学は まだ届いていません。

にっちょさん 見たこともない果物 ありがとうございました。
三島円通山龍沢寺には山本玄峰老師の書いた絵もあり
玄峰老師とは深い関係にあるお寺だそうですね。

白隠の再来ともいわれた山本玄峰老師は
湯の峯温泉の宿に捨てられていた捨て子であったそうです。
若い頃は山仕事や筏流しをしていて
19歳のときに眼病にかかり回復不可能と宣告されたことから四国遍路に出て 
お寺の前で行倒れていたところを住職に救われ仏門に入った人です。
大変 ユニークな人だったと聞いたことがあります。
なんだか サンカ臭い人ですね。

とんちんかん小僧 - 2001/11/09(金) 17:03<

密教辞典より抜粋

一乗寺… [法華山] 天台宗 
兵庫県加西市。西国二十六番札所。7世紀半ばにインド僧の法道仙人が飛来し、649(大化
5)孝徳天皇の病を治して帰依され、伽藍を建てて所持の千手観音像と仏舎利を納めたのが
起源と伝える。代々行幸があって勅願所となる。1692(元禄5)、赤松氏が諸堂を再興。
 三重塔は、1171(承安元)の露盤銘のある平安建築で、細部まで原材が保存される貴重な
遺構。小形ではあるが、護法堂(鎌倉)・弁天堂・妙見堂・(共に室町)は神社建築。寺宝
の聖徳太子及び天台高僧像・五代力吼像の仏画と、銅造聖観音像2躯、開基法道上人立像や
僧形坐像を蔵し、塔頭6院。山間の名刹がある。

とんちんかん小僧 - 2001/11/09(金) 16:16<

ウホホーイ!!

(*^▽^*)v
バリ師さん、その時はヨロシクお願いしますのデ。
お優しいお言葉身にしみまする。

今日、私的に嬉しいことがあって脳味噌が柔らかくなりすぎて、
アハハ!文に乱れが生じてきているようでござる。忍忍。

にっちょ - 2001/11/09(金) 15:36<

玉置神社

玉置神社への参拝は深く望んでいたことですので実現出来たことは嬉しく思います。

都会のさつばつとした空気の中から大自然の中にとけ込み自然と一体化して思い切り

熊野を躰に感じてきました。ヤゾ−さんにはご迷惑な来訪者でしたでしょう。

今回偶然なことがいくつか有りましたので、そのひとつをお話させてください。

帰路立ち寄りました「湯の峰温泉」で記念写真をと、玄峰塔の前で写した写真

を従姉にみせたところ、臨済宗妙心寺派の山本玄峰老師の塔であり、当地生誕と

聞きました、従姉は三島円通山龍沢寺に於いて指導を受けた身と聞かされ知らず

にその軌跡を追っていた自分に驚きました。

またその中でのヤゾ−さんとの関わりも不思議な導きを感じます。

近く、また熊野詣でが起きそうな予感です、またまたご迷惑をお掛けしそうな・・・







もんむー - 2001/11/09(金) 14:38<

円空

ヤゾーさん、みなさん、お久しぶりです。


以前高山に暮らしてた頃、千光寺へ円空の彫刻を見に行ったことがあります。
彫りが荒々しいのにどこか優しさのある不思議な雰囲気の彫刻でした。

円空自身も当時から謎めいた人物だったようですね。

当時は木地師もサンカも全然知らなかったのでほとんど調べなかったのですが、
今に思えば、あの頃もっと勉強しておけばよかったと思う今日この頃です。

歴史民俗学はいよいよ明日、発売されるようですね。楽しみにしています。

でわでわ。

Ya(^z^)oo - 2001/11/09(金) 00:05<

円空が好き!

みなさ〜ん おこんばんわざんすさいざんす。
ううう  頭も風邪ひいてます。
おギューニク 食べたら治りましょうか?

円空は木地師の出身である可能性が高いといわれていますが、
ハンセン病であったともサンカであったともいわれているそうです。
また伊吹山や白山など全国各地の霊山を巡る修行をしたとも伝えられ 
修験道と深く関係した人だといわれています。
Donglyさん メールの返事のかわりに 下のアドレスのページを見て下さい。

http://lib1.nippon-foundation.or.jp/1997/1085/mokuji.htm

クミコ - 2001/11/08(木) 17:53<

サクラさ〜ん

「陰陽師」私も観ましたヨ!

みなさん また いろいろ教えてくださいね!

おミヨ - 2001/11/08(木) 13:47<

あかねさん

誰にも遠慮する事なくどんどん暴れて竜巻投げ込んでね。楽しく読ませて頂いてます。

皆様は、おギューニクおいしく召しあがってますか?

Donglyさん お返事ださなくて申しわけございませんでした。






ピンクのトカゲ - 2001/11/08(木) 07:50<

ありがとう。待ってます。

とんちんかんkozoo
ありがとう。
大伴の資料待ってるよ。
ところで、人間界では、風邪。牛界(?)では、狂牛病はやってますが、ピンクのトカゲは、このところの寒さで冬眠MODE。眠くて眠くて。

▲▲▲バリ▲▲▲ - 2001/11/08(木) 06:32<

運転手します

「法華山 一乗寺」・・・姫路から西脇抜けて日本海へ魚釣りに行く道中、いつも看板だけ見ております。姫路駅まで来られましたら、後は運転手、いたします。サンカつながりと言うことで、遠慮なしにご連絡あれ。

但し歴史的なことは何ひとつ知りませんので、くれぐれもご質問しないでくださいませ。
渓流に落ち葉の流れるころになりましたね。

さんかうぶ - 2001/11/08(木) 05:37<
東沢美史さんの文章キャッチしました。
コンブを噛む様に読み直してみます。
もっとたくさんの話を聞きたい。

サクラ - 2001/11/08(木) 02:21<

安倍晴明

映画「陰陽師」観てきたよ〜。

闇が闇としてあった平安時代の魑魅魍魎が跋扈する都
晴明と大和蠱道らしい日本古来の土着の力で早良親王を将軍塚から甦させた
道尊(播磨の道萬がモチーフだろうな)の呪の物語

「葛葉伝説」の白狐が母ともいう晴明を野村萬斎さんが見事に演じてた。
早良親王・・・陰陽道・・・平安京・・・人の心に巣くう鬼・・・
いろんな意味で面白く見ましたよ。

野村萬斎演じる晴明はさすがに狂言に裏打ちされた、
動きがすべて見せ場になっているような
ひとつの世界見せてくれました・・・
うーん、この人の狂言見たくなるような・・・舞はすばらしいものでした。

安倍晴明に興味がある方ごらんあれ・・・

映画のサイトはここでした
http://www.onmyoji-movie.com/

とんちんかん小僧 - 2001/11/08(木) 01:29<

あかねさんへ

ワオー!すごいッス!!\(^O^)/
ご丁寧に本とお寺の場所、詳しく教えて戴き有難うございます。
一乗寺ますます行きたくなってきました。
本当に有難うでござる。忍忍。

Ya(^z^)oo - 2001/11/08(木) 00:03<

学び合う豊かな心

みなさん こんばんわ。

ついこの間まで Tシャツで過ごしてたと思ったら
さっき温度計をみたら 外は5度しかありませんでした。
どうりで 鼻水が出てくるはずです。
風邪にはお気をつけ下さい。
ヘ〜クション ( ̄ii ̄) ズズズ〜 

>上古では、渡来してから四代たって、ようやく列島の民として認知され、
>三代までは渡来人だとされたようです。

なんだか サンカが トケコミしてから三代までは
同族としての繋がりを持っていたとの話しに少し似てますね。
それが自然なことなのかも知れませんね。

昨日 在日3世であり いろんなものを抱えて 人の何倍もの人生を歩んできて
在日としてのアイデンティティを持ちつつ この国を想い なにかしたいとの
にっちょさんの心に触れたとき にっちょさんの とても豊かな心が伝わってきました。
大切なのは 国籍やルーツではなく 人や自然を思い遣る心・国を想う心・世界を想う
それぞれ個人の心であり 意識が大切なのだと思いました。
心ある触合いを通し お互いに学び合うことで
多種多様な存在・生き方を認め合うことができたなら
愚かな戦争もなくせるのに なんて 熱のある頭で思ったりしました。

*(~@0~)*ongly さん なんだか面白いです。
10、11日の岐阜での野史探訪会の準備に お忙しそうですね。
みなさんの中で 野史探訪会に興味のある方は
DonglyさんのHPにて お申し込み下さい。
まだ 間に合うと思います。

*(~@0~)*ongly - 2001/11/07(水) 23:36<

秋・み〜つけた

http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/min/9884202/150
この281番以後の東沢美史さんの発言に注目。
  もんむーさん紹介の田山花袋「帰国」は明らかにサンカの東北
南部に居住を示しています(これが当時の発禁の理由ではないでしょ
うか)。それに続いて三角寛は「東北にはサンカは0」と主張するの
も「国策」と考えています。極寒い東北では半定住なのは当然でしょ
う。文献では中世期、すでに西国からサン系が北東北に移住している
模様です(近世発生説は疑問です)。また東北サンカも山伏・ボッカ
馬飼・隠密・番太・箕作り・川漁師・猟師・杜氏と多様な「七変化」
のようです。どなたか確めて下さい。

あかね - 2001/11/07(水) 21:14<

一乗寺

とんちんかん小僧さま
値段・サイズともに一番、手頃な風土記本は、『風土記』(吉野裕訳・平凡社ライブラリー328
ISBN4-582-76328-6 CO325 \1500E)だと思います。この本は、東洋文庫の一書として刊行された
ものを、ライブラリーに収めたもので、常陸・播磨・出雲・豊後・肥前の各風土記を口語訳してあります。
ちなみに小学館のハードカバーにも、「風土記」があります。
ホントは原文のものが欲しいけどなぁ。なにせ高い!

おミヨさん、一乗寺の場所を、代って書かせて下さいましねm(__)m。
兵庫県で一番たくさん、文化財の残るお寺です。

◎西国33ヵ所第二十六番札所『法華山 一乗寺(イチジョウジ)』
■本尊/聖観音菩薩 ■開基/法道仙人 ■宗派/天台宗 ■創建/白雉2年(651年)
■住所/兵庫県加西市坂本町821-17 ■п^0790-48-2006
■交通/JR姫路駅前から神姫バス社行きで35分、法華山口下車、徒歩約30分
■車/国道2号旧加古川バイパスの加古川西から県道高砂北条線を約10km北上、
 三口で左折して国道372号へ入り、すぐ左折して2kmで一乗寺へ。
 中国道からは加西ICから南下して372号へ。 ■拝観料/300円 ■駐車場/門前に駐車場約50台

以上、↓『西国巡礼─西国三十三所観音巡礼』HPより抜粋 よい内容で、分かり易いですよ〜
http://www.page.sannet.ne.jp/y-tanaka/index.html

とんちんかん小僧 - 2001/11/07(水) 15:58<
あかねさん
播磨国風土記は、半年くらい前に図書館で借りて読んだ事があります。古書店で探して
いますが、まだ見つかっていません。手元において置きたい本ですね。
一乗寺は、兵庫県にあるんですか?

ピンクのトカゲさん
大伴氏について書かれた文章があるのでお送りしますよ。
あまり長〜い文章ではないですけど。
しばらく、お待ち下さいませ。

ピンクのトカゲ - 2001/11/07(水) 08:47<

おはよう

yazoo
女神の本、あかねさんもクミコさんも読んでるぞ。
三河の部分の質問なら俺も受けるぞ〜。ほかは、風琳堂主人に任せるけど
とんちんかんkozoo
大伴氏かなりノメリ込んできたみたいだね。
拙稿第二話第二章第一節で保留してある宝甕四(七七三)年に三河国司に任命される大伴宿祢良雄についてなんかわかったら、教えてね。

あかね - 2001/11/07(水) 02:07<

渡来人

上古では、渡来してから四代たって、ようやく列島の民として認知され、三代までは渡来人だと
されたようです。でもオオドノオウは、渡来後、三代で確か即位したと云われてますね。
この辺りも、面白いです。

あ、土蜘蛛のことを、国栖(巣)、「佐伯」などとも呼ばれたようですよ。

>四国の金比羅様に祀られているのは 本当はニギハヤヒであるとの話しもあるようです
ニニギの名に「穂」があるからかなぁ…。

とんちんかん小僧さん
播磨の道臣、播磨国風土記の各所で出てまいります。お持ちですか?
一乗寺は、うちの実家から車で40分ちょっとくらいかなぁ。

Ya(^z^)oo - 2001/11/07(水) 00:05<

ネットの不思議

みなさん こんばんわ。

にっちょさんが こちらに来られたので 一緒に玉置神社にお参りに行ってきました。
お昼前に 宿泊されているところに迎えにいってから帰りの白浜空港まで ずっとお話してました。
玉置神社で 熱心に祝詞をお唱えする にっちょさんの姿が印象的な一日でした。
にっちょさんとは そんなに掲示板・メールで やり取りしていなかったのですが
不思議と通じ合うものを感じました。
にっちょさんの にっちょとは よく釣りに行く神津島で 
漁師の人が魚が釣れる時の潮のことを新潮(にっちょ)と呼ぶところからきているそうです。
そんな にっちょさんは 故大山倍達氏のお身内なのだそうです。
今日は すご〜く貴重な話しがたくさん聞けて 僕の頭が爆発しそうです。

>「エミシの国の女神」気に入ったみたいだね。

にっちょさんも「エミシの国の女神」取り寄せて読んでいるそうです。

とんちんかん小僧 - 2001/11/06(火) 22:57<

思うこと、考えること、学ぶこと。

9回書いてきましたが、私の中では、「中国発生説3」が有力なものと思ってます。
何か理由を言えるわけでもないですけど、ピンとくるものがあるので支持します。
なぜなら、大友村主高聡の大友という名字はイコール大伴を指してるんです。だから、
甲賀五十三家の伴氏が何故、大伴氏の流れを汲むのか…→詳しくはピンクのトカゲさん
のHPをお読みになって下さい。私は高校時代の日本史で習った記憶があり説明もでき
ますが、ピンクのトカゲさんのHPの方が判り易く書いていたのでそっちを参考にして
下さい。あまり適当なことを言うのは混乱をまねきそうなので…。
(高聡が)細人との血縁関係上の方かもしれないですけど資料を持ち合わせていないの
で判りませんが同族でしょう。
実は古代の忍び〜忍術の発生諸説は繋がりをもっていました。次はこれ、その次は…と
話題は豊富にありますが、世鬼一族を書いた後はしばらく忍びの話はストップしようと
思ってます。忍びについての質問は随時受け付けますので、私の答えられる範囲でお答
えしますのでヨロシク!

ピンクのトカゲ - 2001/11/06(火) 07:42<

気に入ったみたいだね。

yazoo
「エミシの国の女神」気に入ったみたいだね。
おれのとこにも書き込みしてくれてありがとう。
でも、やっぱし『エミシの国の女神』のコメントは、風琳堂HPだよ。
主人とあかねさんとオレしかほとんど書きこみしてないから
書いてあげてよ。
布多天神とか天河弁財天、ごとびき岩なんか喜ぶぞ。

とんちんかん小僧 - 2001/11/06(火) 03:27<

間違いに気づきました

ピンクのトカゲさん
何か勘違いしてました。
そうですね『日本書紀』では、大伴氏は武日ー武以ー室屋と続き、武日を遠祖とし、
『伴氏系図』では武以のときに大伴宿禰姓を賜ったという。
古代の歴史は難しいですね。これからは、もっと勉強してから書きます。
混乱させてしまって御免なさい。

バリ師 - 2001/11/06(火) 02:03<

我が約束されし地

私の知る限り、元々、山屋やった人が渓流釣り師になった例は周りに何人かいますが、その反対はおりません。11月4日、そんな人の案内できのこ採りに連れて行ってもらいました。

朝日が紅葉を照らし、眩いぐらいに輝く氷ノ山。前を行く熊除けの鈴の音だけを頼りに歩いておりました。いや渓流師の面目に賭けても必死でついていったと言った方が正解かも知れません。

しばらくして、きのこ採りと言うのは登山道を歩くものではない。ネマガリダケの藪の中をブナやミズナラの倒木・立ち枯れの木を求めて移動する作業であると悟りました。

キツツキの仲間が突付いた虫食いの跡。鹿が剥がした木の皮。何か判らぬ獣の糞。ただもう藪をこいで、藪をこいで、藪をこいで・・・不思議な空間の迷路。

午前中、ヒラタケ・ブナハリダケ・ムキタケとやや乏しい収穫でしたが、昼のきのこ汁の具には十分でした。グダグダと話し込んではなかなか尻が上がりません。こんな時、山の神さんはそっと傍に近づいてきて話を聞いているような気がいたします。

昼から思わず「おお!」と2回、声が出ました。クリタケとナメコの群生であります。ようやく我が約束されし地へ辿りつきました。朽ちていく秋の森からのプレゼント。一人が「これやから止められまへんな」と呟きました。

しかし、疲れたび〜。きのこ採り、心ウキウキ体ギシギシ。やっぱ渓流師には苔むすせせらぎの音がよく似合ふ。

サクラ - 2001/11/06(火) 01:13<

藤代神社

やぞーさん
先日のNHKのスポットで「熊野古道」やってました。

藤代神社からの古道を歩けば、有馬の皇子の終焉の地もすぐそこに・・・
碑の後ろに小さな小さな流れが水音立てていたのが印象に残っています。
少し歩いただけのそんな風景が目に浮かびます。

熊野古道はもう葉も色づいているのでしょうか?

古来人びとはどんな思いをもって、熊野詣に向かったのでしょう?
熊野の山にはニギハヤヒや役小角、磯城県主の娘川津姫、瀬織津姫までフクロアライの紅葉狩り!

ほんと、また行きたくなっちゃいました!
「ほんまもん」の影響なのか、このごろ熊野の映像が目に付きますね。
うふふ・・・うれしいっちゃ!

急に寒くなってりんとした空気が体を引き締めてくれるよう・・・
        秋深し隣は何をする人ぞ・・・

                   s(*^-^)ノ☆
    

ピンクのトカゲ - 2001/11/05(月) 21:22<

書き忘れ

とんちんかんkozoo
物部守屋直系が滅んだということで、物部氏自体が滅んだわけではありません。
河内あたりには、物部氏の直系=ニギハヤヒ直系の子孫が、神職をしている物部系の神社がかなりあります。

Ya(^z^)oo - 2001/11/05(月) 17:55<

役小角と瀬織津姫

葛城山の豪族 賀茂氏の出身とされる役小角ですが
その賀茂氏の祖神も『エミシの国の女神』によると 
ニギハヤヒということになるそうです。(なんだか納得できます)
その賀茂氏ですが 朝廷の命令で しきりに新羅・百済の人を土着させてたとのことですが
だからといって 賀茂氏・役小角が渡来系だというのも違うような気がします。
修験道の聖地(英彦山・伯耆大山・早池峰山)の多くは 猟師(狩猟民)が開山したことになっています。
また 羽黒山・高野山なども 開山に猟師が深く関係していることから
修験道と狩猟民系の人たちとは密接な関係にあったことは確かだと思います。

やはり母なる縄文の心である 自然崇拝や感性を受け継ぎ
渡来の人・文化と融合した人たちが 国津神であり
ニギハヤヒや役小角ではなかったのかと思うのです。

『エミシの国の女神』では 瀬織津姫のことを 
縄文の姫神であり 太古からの水=滝の女神とあります。

「しかし彼女の本姿の性格は水神=滝神であった。したがって、その姿態は、ときに龍として顕現しもする。
たとえ国史の闇の海に沈められようと、龍は死なない。山中や平地においてはお不動さんともなり、
天に上れば雷神ともなるのである。」

修験道では 滝で修行することは 尤も大切なことのひとつとされていますね。
ピンクのトカゲさん サクラさんのお陰で 良い本と出会えました。
ありがとうございました。

ピンクのトカゲ - 2001/11/05(月) 17:06<

大伴氏についての私見

とんちんかんkozooさん
まず、どこをもって渡来人とするかという事です。
記紀の記載から言えば、天孫降臨前にすでに大伴氏は、日本列島に存在していたようです。
私は、渡来人といった場合、倭の五王、以降を持って渡来人と考えています。
また、大伴氏と久米氏は、同族の様に記載されています。
久米という事になれば、琉球さらには、東南アジアに、その源流があるのではと考えています。
一方、あかねさん指摘の佐伯については、常陸国風土記等から蝦夷の亜種というような印象を持っています。
また、大田亮氏は、三河大伴氏の末裔として、甲賀氏をあげています。
拙稿、第二話拾遺にも触れてあり、また、以前メールで回答しましたが、大伴黒主&小野氏等の六歌仙と山人の関係も考慮する必要があると思います。
具体的には、黒主&喜撰は、山住の隠者として書かれている事、これら山住の隠者は、縄文の末裔(yazooが喜ぶかな?)としての色彩を濃残しているのではというのが私の印象です。

とんちんかん小僧 - 2001/11/05(月) 14:17<

道臣命

ピンクのトカゲさんレスありがとう。
まさに大伴氏抜きに忍びの歴史は語れないようですね。
調べていて感覚がぶっ飛びました。
道臣命について知っている人もいますが、大伴氏家系図によると祖となる方
だったようです。○○系(明確な説明ができないので伏せます)の渡来人です。

あかねさん
道臣の播磨での活躍について詳しく教えて下さいな。

おミヨさん
一乗寺って何処にあるのか判らないので場所を教えて下さい。

饒速日命の子孫は物部氏だと『先代旧事本紀』には書かれてましたが本当の事ですか?
物部守屋以降、歴史の表舞台から物部氏の名前は消えましたが(詳しくは知らない)秋田県に
ある唐松神社って物部氏が長年宮司をやっている神社だそうですね。

Ya(^z^)oo - 2001/11/04(日) 23:55<

ニギハヤヒを祀る神社

みなさん こんばんわ。
少し寒くなってきましたので 風邪に気をつけて下さい。
僕は 夜中に磯遊びして 風邪ひきました・・・(-_-;)

そういえば 若い頃のニギハヤヒの名前が 大歳だとの話しがありますね。
そのニギハヤヒを(ニギハヤヒの名前ではなく 布留御魂大神として)祀っているという
石上神宮の祭祀に参与していたのが大伴氏と佐伯氏でしたね。

八坂神社の記録には スサノオの第五子に大歳というのがあるそうですが
ニギハヤヒはスサノオの子という話しもあるみたいです。
また四国の金比羅様に祀られているのは 本当はニギハヤヒであるとの話しもあるようです。

ニギハヤヒの名前が残る神社

京都府宮津市 籠神社 祭神 彦天火明命 

愛知県一宮市 真清田神社 祭神 天火明命

愛媛県北条市 国津比古命神社 祭神 天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊 宇摩志麻治命

兵庫県竜野市 井関三神社 祭神 天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊 瀬織津姫

兵庫県竜野市 粒座天照神社 祭神 天照国照彦火明神

福岡県鞍手郡 天照神社 祭神 天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊

福岡県久留米市 伊勢天照御祖神社 祭神 天火明命

大阪府東大阪市 石切剣箭神社 祭神 饒速日尊 可美真手命 三炊屋姫 石切大神(長髓彦?)


サクラさんにお借りしている『エミシの国の女神』では
エミシの国の女神とされる瀬織津姫を祀る神社で 
静岡市与一の白髭神社というのがありました。

サクラさん 顔文字 気にいって貰って嬉しいです。
ヤナさんの y(^ε・)n^ も 雰囲気が出てて いいと思うんだけどなぁ
とんちんかん小僧の忍者はどう? ( -.-)/〜★

s(*^-^)ノ☆サクラ - 2001/11/04(日) 23:45<

秋晴れで...

s(*^-^)ノ☆
    朝から洗濯日和♪

らんらん、何回洗濯したかなぁ〜
   秋の日差しいっぱい受けて山や河に行くのもいいけれど
洗濯沢山したら
   とってもいい一日になりました。

やぞーさん
   素敵な顔文字ありがとう!

あかね - 2001/11/04(日) 01:31<

大伴2

>道臣も大伴だよな
針間でも、道臣、活躍してますね〜。
大伴と、佐伯連に佐伯直(佐伯直は佐伯連とどうも同祖ではないようですが)。面白いです。

管理人 Ya(^z^)oo - 2001/11/03(土) 23:58<

今までの投稿は過去の掲示板へ移動しました

みなさん こんばんわ。
こちらでは 朝から雨でした。

>「そりゃ、違うよ!」という部分が結構ありました。

蜜柑さんは 本物から
直接話しを聞いているだけに そう思うのでしょうね。

>お(^ミ^)ヨ

エヘヘ 真似してくれたんだ・・・(^_^)v
トニー谷のビデオ 楽しみに待ってます。

>私も連休に巣箱を作ってみます。

営巣してくれるといいね。
おユキちゃん こちらこそ ありがとう!

>ボイントは根の国かなぁ。

金屋子神がですか。
あかねさん また教えて下さい。

ナマコの祟りで 風邪ひいたみたい・・・(;_;)

昨夜 目の前のナマコを見て 玉を用意してすくえばよいものを
もう帰るのだから濡れてもいいかなと 潮だまりの中に入って
濡れたのが良くなかったのか なんだか風邪気味で調子が悪いです。

持ち帰ったナマコは なんとなくまだ生きていたので
今日 川に放してあげました・・・(-_-;)

うひゃ〜 命を無駄にした 罰かもしれましぇ〜ん。


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