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2001年07月12日(木)00時05分までのKumanolifeGuestbookへの書き込みです。


ヤナギムシ - 2001/07/12(木) 00:03<

けけけけけ

にっちょさん・・病気に注意してください
  ここに足踏み込むと・・抜けれなくなります
  お気の毒に熊野病です・・ワクチンおません・・自然になれてください

  釣れませんかーーぁ
   残念ですね・・やなは・・5回行ったら3回ボウズです
     でも・懲りません

 donglyさんのHP見たいけどURL見つかりません
   ヤゾーに聞いてみせてもらいまっせーーぇ

    むつかしいながら・・ヤナなりにみさせてもろてます
        おおきに!!

         へへへ

にっちょ - 2001/07/11(水) 22:30<

釣れませんでした

専門的な知識も無い、私のような者が何故この板に足止めをされているのか?
自分でも理解できません。
何か、惹かれる内なるものが有るのは否定できません。
煩悩だけで生きてきた過去を(現在も少し)悔やみ反省のさなか、通りすがりで過ぎて行くところでした。
最も私の生い立ちを考えたら、まんざら無関係とは行かないまでも、無関心でも通せる事でした。
学者の方々及びヤゾーさんそして他の方たちの専門的な知識には正直敬服致します。
あくまでもシロートの目でこの先も見続けて行きたいと思っております。

サカナは気まぐれですね。
釣れませんでした、あーーー疲れた(遊んで疲れたなんて言ったら、はり倒されますね)
私が長年通い続けてる、この船宿の裏に古代の遺跡があります、遺跡と言ってもきちっと管理されているわけではありません。

以下船長さんのお話<昔(と言っても3,4年前)家の裏に要壁を作るので、山の、のり地を削っていたら
洞窟が現れたそうです、削ってしまった残土と共に人骨が見つかって大騒ぎになりました。
警察やら、役所やらで調査の結果縄文期のものだったそうです、(船長さんは、縄文も弥生も室町も一つの古代でとらえております、私もにたようなものですけどね 笑)

その時に、簪<と言っておりました、が出土したそうです。
今、其処はあまり手も加えられず、ごく普通にそのままの状態になています。
もう一度調査をするとは、言っておりました。
この情報って価値ありますか?それとも普通?それとも、てーしたことネーーよ。てなもんですか。


きょうかい - 2001/07/11(水) 14:41<

ヤゾーさん、サクラさん、NA-NI さん、とんちんかん小僧さん今日は
 小石川植物園には、4年前に行きました。あそこに白山神社があったのですか。
 すぐそばに氷川神社がありましたが、関係ないのかな・・
 あの辺は三崎町といってかつて本当の岬だったそうですね。
 いつ頃までそうだったのか興味があります。水運が便利で大きな石を運ぶのに
 都合よさそうです。またこの辺は、あの赤ひげの新出去定が闊歩したとこですね。
min-minさん
 HP見ました。小学生の頃、何も知らないでシューマンの「流浪の民」合唱部で
 歌ってました。『ラッチョ・ドローム』見に行きます。
うみ さん
 はじめまして。情報ありがとうございます。あしたは、うたた寝しないぞ。

  昨日は、9時から11時までうたたね。3時まで読書。6時までうたたね、でした。
  眠いし、腰がイターです。

とんちんかん小僧 - 2001/07/11(水) 11:29<

続 黒鍬之者 (6)

 黒鍬之者はそして、彼らと表裏一体をなしていた。
 総合土木事業のあらわれは、築城に見ることができるが、
石積み・番匠・鍛冶・壁塗り・屋根葺きなどの専門工員の
土台として、黒鍬之者の働きがあった。
 隠密的役割もまた、石工に見るように、ごく自然に発生
してくるものだったし、幕藩時代にも引きつがれている。
 さきの山口泉処は、公儀隠密を目付支配下の御小人目付
であると述べ、変装して他国に入り込むことができようか、
という問いに対し、こう述べている。
 「御小人目付などは出来ますとも。黒鍬あたりから上へ
 挙げられた者は出来ます。人物によっては、上のことを
 させておいたのもあります」
 黒鍬から御小人―御小人目付というふうに累進したよう
な者なら、(隠密仕事が)できるといっている。その素養、
実力はあったのであろう。
 ただし、
 「黒鍬などにどんな人物がいるか、目付は知りませぬ」
 という。遺憾ながら、誰かに見出してもらわねば、出世
はできなかった。それが幕藩下の黒鍬之者の位置だったの
である。維新前、これら黒鍬之者は三百人いたという。
                         終

NA-NI - 2001/07/11(水) 01:47<

本郷白山社

白山神社の創開は古く、天暦年間(947〜57)に加賀一宮白山神社を
現在の本郷1丁目の地に勧請したと伝えられる。
サクラさま。こんばんは。

>後に元和年間(1615〜24)に2代将軍秀忠の命で、
>巣鴨原(現在の小石川植物園内に移ったが、
>その後5代将軍職につく前の館林候綱吉の屋敷の造営のため
>1655年現在地に再度移った。
>この縁で綱吉と生母桂昌院の厚い帰依を受けた。

確か、菊池山哉氏も「500年前の東京」にて触れていらっしゃったと思いますが、
2度移築されていたんですね。植物園に移ったというのは知っていたのですが。
創建が10世紀とは意外に遅いなと思いました。100年くらい。

うみ - 2001/07/11(水) 01:21<

「プロジェクトX」よかったぁ〜!

 市民運動の話になるのかな?と思って実はあまり期待せずに観たのですが・・。
よかったぁ〜。知らぬ間に涙がこぼれておりました。
言葉少なに語る、その言葉が・・・(ヤナギムシさんも書いておられますが)
見逃した方、木曜深夜12時頃から(金曜になってますが)再放送がありまする。

ヤゾーさま
>7代遡れば先祖が128人
ん〜、そうかぁ。128人居たら、どんな人が居ても不思議じゃないですね。
自分がこの世に生まれることで点ができ、また子どもが生まれることで
点から点へと線が繋がる・・・。私の中ではそんなイメージがあります。
直系になると線ですが、それ以外も範囲に入れると・・・。
あやとりの箒のようになりますな。

過去ログ、まだ全部読んでなかったのですが読んでびっくり!
実は私も、保久良山の麓で育ちました。
小学校の頃から短距離の遠足といえば保久良山−金鳥山コース、
もしくは芦屋ロックガーデンコースでした。中距離は六甲山。
海、山、川が遊び場でした。
その頃はカタカムナのことなぞ、さっぱり知らぬ小学生でしたが。
なんの因果か、神戸を離れてから知りました・・・。
おミヨさんと、クミコさんだったでしょうか、今後も宜しくお願いします。

min-min <http://homepage2.nifty.com/TUBA/> - 2001/07/11(水) 00:22<

映画『ラッチョ・ドローム』

という映画を今日(あ、もう昨日か)観ました。
ジプシーの映画です。インドからスペインまで。全編これ、旅する彼らの歌と踊りです。
ストーリーは有りません。いや、要りません。歌が全てを語っております。
メチャメチャ血が騒ぐ映画です。“ロマ”族、西へ行ったのが「ジプシー」ならば、
東へ来たのが「傀儡一族」です。(ウソ)
とにかく西の「流浪の民」と東の「漂白の民」のDNAは一緒です。こんなに
血が騒いだのは久し振りでした。
関東在住の方でご興味のある方はσ(^^)の拙HPに詳細及び上映館の案内を載
せてますのでご参照くださいませ。

min-min@yokohama

やぞー - 2001/07/11(水) 00:13<

夏バテかな?


にっちょさん、こんばんわ。
これから石鯛を釣りですか。
気をつけて行ってらして下さい。
こちらの地磯でもよく石鯛を釣りをいているのを見かけます。
そうは簡単には釣れないみたいですね。
ウニのトゲをハサミで切ったり、サザエを割ったりしていますが、
それを食べたほうがよいのではとも傍目には思ったりもします。
でも、一度釣ると病気になるようですね。
ヤエンでアオリイカを釣っても病気になるようです。
石鯛釣行記、楽しみにしています。

サクラさん、こんばんわ。
白山神社のお話、ありがとうございました。
本郷にある白山神社が思っていたより古くからあるのに驚きました。
それにしても歯ブラシ供養なんて珍しいですね。
房楊枝を奉納したからといって歯磨きを手を抜いてはいけません。
おっと、僕も歯を磨きましょう!

とんちんかん小僧君、岡山へ行こうね。

ヤナさん、プロジェクトX 楽しみにしていたのに、
うたた寝してしまいました。
この暑さでバテたかな?

ヤナギムシ - 2001/07/11(水) 00:10<

ハタムラ・・・

今日のプロジェクトX
最高だった・・仲間に見てもらいたく
   ハタムラに反する行為・・ご迷惑お掛けした方にお詫び!!

  わが心のヒーロー・・マタギの方がでられてた!!
    時たま、言葉が通じない!!・・・
  

        ・・・でも
心は通じた・・・
     ジーンと込み上げる・・何かを!!!感じてしまった!!

  ヤナも歳だ・涙腺がゆるい!!
 弱い者に、手を上げる者に対して・・
  許し難い怒りを、感じるのは私だけだろうか・・そんなはずはない
 正々堂々・・美しい言葉だ!・・・
  でも・・正義を守るのに・・きれいも・・汚いもない

         でも・・捨てたものじゃない

努力する人に・・・・・・

     ・・・・胸が熱くなる

    山と喧嘩しちゃなんねぇ・・
      

             一度なくした自然・・どんなに大金積んでも

               取り戻せない・・・・

                ありがとう・・


  

サクラ - 2001/07/11(水) 00:02<

本郷そして白山神社

本郷黒鍬屋敷跡からすぐ近くに
あじさい祭りの有名な白山神社がある。
また、すぐ近くには八百屋お七のお墓もあったりします。

白山神社の創開は古く、天暦年間(947〜57)に加賀一宮白山神社を
現在の本郷1丁目の地に勧請したと伝えられる。
後に元和年間(1615〜24)に2代将軍秀忠の命で、
巣鴨原(現在の小石川植物園内に移ったが、
その後5代将軍職につく前の館林候綱吉の屋敷の造営のため
1655年現在地に再度移った。
この縁で綱吉と生母桂昌院の厚い帰依を受けた。

この神社のあじさい祭りで、出会ったのは、歯ブラシ供養
	
歯槽膿漏は、はくさと言ったその昔。
白山神社ははくさの神と呼ばれ、江戸時代より庶民の信仰を集め、
歯痛の祈願に房楊枝を奉納した。
と神奈川歯科医師会のHPに書いてあるのを見つけた。
	
きょうかいさん、ピンクのトカゲさん、NA-NIさん、そしてカムイの子さんお元気ですか?

とんちんかん小僧 - 2001/07/10(火) 20:39<

続 黒鍬之者 (5)

 そこでうかがえるのは、知識・情報の交換である。
 東国に青木善左衛門という石切りの棟梁がいた。甲州浪人で
駿河田中郷にいたとき、北条早雲に見出され、配下の石切衆を
使って、小田原城をはじめ、八王子城・鉢形城・津久井城・
天神山城などの石垣を構築している。
 小田原落城ののち、子孫は家康に仕えた。家康は善左衛門の
造った塩硝蔵を見て感心し、“石屋”の屋号を与え、関八州の
石匠棟梁に取り立てている。宅地は日本橋にあったが、一帯は
善左衛門にちなんで、小田原町と称された。
 この善左衛門一党が、北条氏に属していたとき、隠密働きを
していた。諸国諸地方には、配下の石工が配置され、城など
機密に属する仕事にたずさわっている。石切りは石を求めて
山々に入り、山の漂泊者と交渉をもち、情報を得る、といった
具合で、いながらにして情報がわかった。
 それに、彼らは山々の険易を心得ているし、間道も知ってい
る。戦いに際し、こんな都合のいいことはない。家康はそんな
一面を含めて、重用したのである。        −つづく。


 春之助さん、“凄いもの”ありがとうございます。
 また、凄いもん見つけたら見せて下さいな。

にっちょ - 2001/07/10(火) 20:37<

石鯛釣り

ヤゾーさま。
これから石鯛を釣りに行って来ます。(釣れたらいいな)
私の後輩にアオリのヤエン釣りにはまってるのがいます、某有名観光温泉地の堤防へ毎週末出かけています。
釣果もそこそこ有るらしく(小型ですけれど)誘われているので、今度チャレンジしてみようかな。
とても面白そうですものね、

石鯛釣行記 後日報告しますね。
小暑に入るも大暑のような、暑さ厳しき折、お身体大切に。

ヤゾ− - 2001/07/10(火) 20:17<

7代遡れば先祖が128人

うみさん、はじめまして。

>ワクワクするんです。なぜかもう亡くなった母方の祖父の顔が浮かんでくるのです。

そうですか。
血が騒ぐんですね。
末裔だからなのかも知れませんね。
僕はサンカに興味があったり惹かれるというのは、
その血をどこかに感じているからだと思えて仕方ありません。
7代遡れば先祖が128人もいることになりますから、
そういった人がもっとたくさんいても可笑しくはないように思っています。

「瀬降り物語」を観たら、もっと好きになること間違いなしです。
今後とも、よろしくお願いします。

>春之助くん・やなとちゃいますよ

なにをアホなことを・・・(-_-;)
『春之助くんです』と僕にメールを出しておきながら(笑)
春之助くんって脱皮する蝉を見つけた犬の名前でしょ?

>それにひきかえヤヌコは...........アホです。

ヤヌコ?=タヌコ=タヌキのことです。
アホは僕です・・・m(_ _)m

うみ - 2001/07/10(火) 13:56<

はじめまして

 はじめまして。先週あたりからこちらをROMらせていただいております。
なんだか、興味を持っていることがほぼ同じ方々がいらっしゃるようでとっても嬉しいです。
といっても、難しい話、古文書の類には興味はあれど読む気力がなく、
ひたすら皆様の博識を「ほぉ〜〜」っと感心しながら眺めているのですが・・・。

サンカについては、つい最近知ったばかりですが、なんつーかこの〜。
ワクワクするんです。なぜかもう亡くなった母方の祖父の顔が浮かんでくるのです。
母の田舎(兵庫県と岡山県の堺の山間部)がすごく好きだったもので。

随分前から、「権力に従わぬ人々」が今の世の中において差別される側になったんじゃ・・
と漠然と考えていました。神話関連の○○退治しかり。
そのあたりのことを話せる相手が居なくてもどかしい思いをしていたのです。
このHPに出会えてありがたやありがたや・・・。
ヤゾーさん、感謝です!

「瀬降り物語」は過去ログにもありましたが、近所の某大手ビデオショップTSU○○には、
ありませんでしたぁ。今度、古いビデオばかり置いてるところで探してみます。

今日、夜9時15分からNHK総合「プロジェクトX」でマタギの話が出てくるようですね。
楽しみ〜。まぁ、番組の性格から考えてプロジェクトに焦点が当たるのでしょうが。

では皆様、これからちょくちょくお邪魔するかと思います。
よろしゅうに。

ヤナギムシ - 2001/07/10(火) 00:37<

ちゃいますよ

まいど・・やなです
 ヤゾーちゃいますよ
春之助くん・やなとちゃいますよ

  でもみんな・・なんか注目してますね
    カキコ少なくなってるもんね

あはははは・・・
  こんな熊野の風の吹き方もあるんや・・
       
       
   

やぞー - 2001/07/10(火) 00:03<

ねむねむ

ボケナスさん、はじめまして。
マムシ酒の詳しい作り方をご存知なんですね。
毒のあるものって身体によいみたいですね。
大スズメバチも蜂蜜に漬けたりして身体によいそうです。
また、来て下さい。

min-minさん、お久しぶりでした。
これからヤマガラが時折戻ってくるのではなくて、
次ぎの子育てまで、四六時中小屋の廻りを飛び回ることになります。
また少しヒナが増えてみたいで、賑やかさを増しています。
それとそれぞれ巣立っていった巣箱を覚えていて、
巣箱にたかって変な鳴き方をしています。

おユキちゃ〜ん。
ヒナがいっぱい帰ってきましたよ。
日に日に色んなことを学んで賢くなっているようです。
それにひきかえヤヌコは...........アホです。
餌を使っていない赤いホーローの鍋に入れると何故か怖がって食べません。
お陰で僕の使っている鍋を使って汁物の餌をあげました。
アホかちゅうねん。

春之助君&ミキちゃんへ
とんちんかん小僧君から春之助&ミキさんって誰ですか?とメールが届きました。
それはヤナさんです。
春之助君とミキちゃんがなんなのかは分りません。
で公園で見た凄い物ってなんですか?

>端柴売りのひえ吉、読みましたよ

randyさん、こんばんわ。
『鉢屋秀吉』は面白い小説でしたね。
小説の中では、自分たちのルーツを役小角と深く結び付けていましたね。
『風の王国』でもそんな感じでした。
同じ著者の『役小角』も読んでみたいです。

春之助 - 2001/07/09(月) 23:49<

こんばんわ  ミキちゃん

ミキちゃんこんばんわ
 見てくれてたんやね
すごいの、今日も探しに公園へ、行ってきました
ええ!!、今日も散歩に行くの!!?
 お父さんいやがってたけど

お願いして、誘い出しました
おとうさん、きょうはデジカメ持って行ってね  て言ったら
いいよ、て     ありがとね


  見つけました・・・
  やった    ミキちゃん後で送るからね
 ヤゾー兄ちゃんにも送っとこーと

ミキちゃん、お母さん大変だね
お母さんがんばってるんだから、ミキちゃんもお母さんのこと
応援してあげてよね

   寂しいとき、僕にメーールちょうだいね
  お返事書くから   ね!

それじゃ又    バイバイ

randy - 2001/07/09(月) 22:52<
端柴売りのひえ吉、読みましたよ。面白いですね。強固なネットワークがあったのだろうと
想定していましたが、ピッタリはまった感じです。家康が名前を変えたとこで、信長がなんか
一言いってましたね。史○説が入ってくるとまた面白いでしょうし、本能寺の展開も楽しみです。
年末が楽しみだあ。本を紹介してくれて、どうもありがとうございました。(^^)

おユキ - 2001/07/09(月) 12:53<

ピーちゃん

おミヨさんちのピーちゃん達の話しおもしろ〜い。
冷や奴が好きなんて可笑しいですね。
どんなきっかけで冷や奴を食べるようになったのでしょう。

ヤゾ−さんちのヤマガラのヒナも無事に戻ってきてよかったですね。
ふわふわしてまだヒナの面影が残っていてとても可愛いです。
甘えん坊のヒナちゃん達は見ていて楽しいでしょうね。

ミキ - 2001/07/09(月) 08:23<

春之助君ありがとう

ミキのかあさんは、最近、店2軒目、お父さん(倒産)にしてしまいました。
母さんは重い身体でやっと働きにでている。ミキは、毎日一人でお留守番。
表に車の止まる音がする度に、玄関(あるかないかの)に走って迎えにいくけど
足音は遠のき、後のシーーンとした静けさが空しいー。こんな毎日だったけど、
最近、捨て子を連れて帰ってきて、あたしに姉妹ができ、心の空洞は、なんとか
うまってきたの・・・。今度は二人で首ながーーーくして母さんの帰り待ってるのよー。
春之助君、すごいものみたって、何みたのーー??
それじゃーまたね。






ボケナス - 2001/07/09(月) 04:27<

マムシ酒について

このようなホームページがある事を始めて知りおどろいています。私も多少のアウトドア派です。蛇は気持ちが悪く嫌いですが出会うものは仕方が無い。過去に捕まえた事もあり食べた事もあります。
マムシは深い山奥に居ると思われていますが意外と近くの野山にも居るものです(念のため)しかしこの掲示板に出ていた髪の毛を燃やした匂いとかスルメの焼いた匂いに集まるとは思いもよらなかった一度試してみたい。
山の土木作業員に聞いた話:冬期にユンボで山の斜面を掘り起こしていると時々、冬眠中の蛇の巣を掘る事がある。蛇は元々低温動物ではあるが、かたまって団子状になって冬眠しているとので沢山出てきて気持ちが悪いとか、スズメバチの巣をうっかり誤って掘り起こした時は、さすがに危険だったとか。
マムシ酒:私たちはマムシが恐くて、それを殺して焼酎に漬けていた。この製法は誤りでよいものは出来ない。先ずマムシを生かした状態で一升瓶の中に入れる。そこに水を半分以上入れる事により何日かの間にからだの汚れが取れる。それから胃の中にある食べたものが糞として水の中に排出される。水を何回か取りかえる事によりすっかりマムシが奇麗になる。水を捨てそこに焼酎をビンいっぱい入れる。マムシは呼吸が出来ず苦しむ。その時苦しさの余り焼酎の中に毒を吐き出す。透明な焼酎がカゲロウのようになり確認できるとの事です。この毒成分として値があるとか。しかし私は効いたとは思えなかった。
この掲示板に群馬県でマムシの養殖・・・・とありましたが一度見てみたいものです。一年でどれくらい卵を産むものなのかとか。。。。。。。。。。

とんちんかん小僧 - 2001/07/09(月) 01:04<

続 黒鍬之者 (4)

 サクラさん、こちらこそ、ありがとうございます。
 調べれば調べるほど、奥の深さに驚きました。
 いい勉強させてもらっています。

 Donglyさんが書かれた内容と重複しますが…。
 最後まで書きませう。


 また、石切り、石積みを業とする石工も、黒鍬の名でよばれことが
ある。石工といえば比叡山東麓の穴太(あのう)衆が有名だが、彼ら
も黒鍬として働いた時期があるし、げんに北陸の海岸筋や四国吉野川
流域の一部で、石垣築(つき)を黒鍬と称している。
 石工はまた金山衆と働きの場が交差する。金掘り技術はそのまま石
波(いしば)の工法であり、石材丁場は金掘り場に重なっている。
 さらに、石切丁場で石を切り尽くすと、石を求めて別の山へ移動す
るが、金山衆も動く。同じような山の漂泊者だといっていい。この山の
漂泊者に、木地師があり、山伏があり、流浪の芸人も含めることができ
るだろう。                      −つづく。

春之助 - 2001/07/09(月) 00:39<

こんばんは

みなさんこんばんは
  きょうは、おとうさんもみんな朝から居なくて
兄ちゃんと二人きり
その兄ちゃんも、バイト、夕方から留守    
寂しいなぁ   ふとミキちゃんの事思い出したので
メールかわりに、ヤゾーさんとこに書いてみました
お元気してますか
 あのすてきな目思い出しました
さっきお父さんが帰ってきて   家にばかりいたらあかんと
 近くの公園に散歩にいきました
  そこですごいもの見ました
年に3度くらいみるので、こんどお父さんにたのんで
デジカメに撮ってもらいます
 変しい変しい        ミキちゃんへ

min-min - 2001/07/09(月) 00:32<

ヤマガラ有情

ヤゾーさん、こん〇〇は。

ヤマガラの親子(どれがヒナやら親なのか?)の写真拝見しました。
こうして親子でヤゾーさん家に時折戻ってきて遊んでいくんですね。

いや〜、ヤマガラ有情だなぁー(T_T)。

min-min@横浜

ヤゾ− <http://www.kumanolife.com/Topics/7_8.html> - 2001/07/09(月) 00:20<

八切止夫氏の愛猫タヌコの話し

>冷やっこを食べながら待っております(でも、頭の大きさもたべられないなぁ...

いんや、サクラさんだったら食べられます・・・(-_-;)
ゴメンナサイ、二度と言いません・・・m(_ _)m
本郷は如何でしたか?

>ヤゾーさん、“時”がきたら購入しますよ。まだまだ、先のことだけども。

人に買わして読もうなんて甘かったか・・・(>_<)

>ほんま・・わしも偽善者やね・・ぇ
          けけけけ

みんな偽善者。自覚しているだけ立派だと思います。
せめて気づいた人だけでもゴミを捨てなければ、
それだけで随分違ってくるのかも知れませんね。

>昔敗者自称するヤゾーさん、今や志はHight者!!皆さんハイ!

なんだか分かりませんが、なんだか嬉しいです。
前にDonglyさんが仰っていた、お金の要らない生活を目指してがんばります。

誰が名付けたかはしらねども、我が家の野良タヌキをタヌコと呼ばれて、
その名前を何処かで聞いた気がして気になっていました。
分りました。
それは、八切止夫氏が20年間飼い続けた愛猫の名前であったのです。
さすれば、名付けたのは八切止夫氏の本を殆どお持ちのおミヨさんに違いありますまい。

八切止夫氏の著書からタヌコに関する箇所を抜粋しました。

自滅する時には殺さねばと案じていた20年11ヶ月のタヌコが、
本書の脱稿時に老衰で自死してくれた。一日18時間は座っているので、生涯一度も
抱いてやらなかった猫だが、唯一私のファミリーだった。後顧の憂いをなくしてくれ
た猫に本書を捧げたく、寂しさに涙して前書きとす。

ヤマガラのヒナが少し大きくなって帰ってきました。
そのヒナの様子をページにしています。

Dongly - 2001/07/08(日) 13:44<

隠語ありがとう

にっちょさん。有難うございます。どの業界語でしょうか?
「天切」サンカ語で屋根を破って侵入する盗人。ですがこれだけでは
不足。天は目で見える最上部、天=あめ=飴=雨で、桐=切り=断つ
=立つと通じて、「霧」は最上者の務め果たす者。「天切」殺し屋兼
ねた見張になります。可児才蔵・霧隠才蔵に「才」が入り殺しを強調
します。才の神・幸の神は柳田民俗学とは違うのが実相のようです。
きょうかいさん。ヤゾーさん。
歯医者は江戸期に、弟子が傍らで小刀もてあそび客寄せし、太刀振
り廻す「居合抜」や「独楽廻」で盛り上げ、「膏薬売」「歯磨粉売」
する準賎民と、阿部弘蔵『日本奴隷史』にあります。美空ひばりの
「七変化」はこの事実を漫画化したものですが、かかる七変化の
特技からすれば素性は「いぼろ」「蜂屋」かもしれません。
 昔敗者自称するヤゾーさん、今や志はHight者!!皆さんハイ!
サクラさん。
 八屋=八谷=蜂谷は皆同じ。大名でない小名の蜂屋は、秀吉検地の
最高責任者。美濃の蜂屋柿はとっても、うま〜い。
向ケ丘の黒鍬屋敷→写真館+弁士→銀行とか。臭いますね。法務局の
土地台帳や課税台帳がにおいの元を教えてくれます。
とんちんかん小僧さん。
黒鍬師は石材(石工)、石垣職人、材木(筏師)、竹材(竹屋)、大工
、金物(鍛冶屋・たたら)とも関係ありです。このためこれら職種に
居付サンカや「渡り」も多いようです。御用黒鍬頭は、江戸期作事奉行
下で被差別部落で土木工事の頭。甲州金山師には目付役伊賀者の上位に
あって被差別部落の目付も。関連苗字に含む漢字に「覗く」の意味が
あり、「除く」対象を「覗き」続けていました。信州では里で馬の蹄鉄
作りの鍛冶屋稼業もしてました。「覗いた」ために「除かれる」のでは
なく、「除く」ために「覗く」のです。
 7月13日からの探訪会では但馬黒鍬師「但馬者」の息遣いが大地
から聞こえる「木の葉積み」を見ることができるます。都会はゴミが
「野積み」で、公園では青テント・サブリの「野住み」が世相です。
ヤナギムシさん。夏です。紺碧の海をHPで紹介します。

ヤナギムシ - 2001/07/08(日) 03:09<

どないしたんや!!

ううう・・・
  喉でも詰めたんかいな・・よう噛んでたべなあかんよ!!

   梅雨の切れ間の・・晴天
    空気も乾燥していて
     サラサラ気分で、ええ感じです

あすは、映画でも観てきます
  邦画やけど・・観たかったんで
   ほたる・・てやつです

  なぜか・・・経験したわけでもないのに
   わだつみ世代のはなし・・・
     忘れてたら・・あかんのですね

   回りの人が、忘れてないのに
    なぜかこの国のひとだけが・・・

    今の若者を・・育てた者の責任・・・・・・

     責任・・自然は、もろい・・・
      人の心のようにすぐ傷つく
       釣り人のゴミ問題・・・今は紺碧の海だけど・・
      美しくみえる海だけど・・
        回れ右したら、ゴミの山・・せめて・・自分だけでも・

  気が付いたら・・メスばかり・・環境ホルモン・・
   自然のしっぺがえし・・
           人類だけが、例外そんなことありえない
            毎日毎日ギシギシ・ハブラシ
              カビがはえたら・・カビキラー
           下水がくさいぞパイプマン
       真っ白洗濯きもちいい・・
  そんな水・・流して流して・・どこいくの??

   ほんま・・わしも偽善者やね・・ぇ
          けけけけ

                 いやな性格の・・ヤナでした

とんちんかん小僧 - 2001/07/08(日) 02:39<

続 黒鍬之者 (3)

 7/6/13:04の最後にも触れたが、信玄は土木工事をおおいに
行った武将だった。川の堤を築き、棒道(ぼうみち)を造るなど
、知られた足跡がいくらでもある。いずれも手慣れた黒鍬之者の
力がなかったらできない。
 むろん、戦争にも参加している。
 二俣城攻撃にあたっては、大きな材木で筏を組んで流し、天竜川
に突き出た井楼を打ち壊した。敵はまもなく開城した。
 武蔵の松山城を攻めたとき、城の横脇から掘り進み、半分以上も
崩してしまい、降伏させた。
 三河の野田城攻めでも、この手を使った。同城は本丸、二ノ丸、
三ノ丸がそれぞれ連繋(れんけい)していたので、その間を掘り
崩したうえ、本丸の真下に何本ものトンネルを掘り、水脈を断った。
 城はまもなく開城した。
 これら知られた話は、いずれも甲州諸金山で働く金山衆によって
達成できたといわれる。彼らの堀削技術は、当時もっとも優れてい
たはずだった。金山衆はそうした金山で働く黒鍬之者にほかならな
かった。                     −つづく。


>理解するためには、同じ著書の『役小角 異界の人々』『続
>役小角・神の王国』を読まなければなりますまい。

 ヤゾーさん、“時”がきたら購入しますよ。まだまだ、先の
ことだけども。

サクラ - 2001/07/08(日) 01:55<

ううう...

八谷→鉢屋です

涙....

サクラ - 2001/07/08(日) 01:52<

夜風涼しく...

とんちんかん小僧さん、donglyさん、
黒鍬者の話ありがとうございます。

本郷(駒込)肴町、今は向丘二丁目と名を変えた黒鍬屋敷跡
江戸から明治に入り、活動写真館になりギター片手に弁士が語っていたそうな..
それも今は消え、かたい銀行の建物に現在は変わっています。
でも、明日、いってみようと思っています(^^)


>とんちんかん小僧君へ
>『鉢屋秀吉』をより理解するためには、同じ著者の『役小角 異界の人々』『続 役小角神の王国』
>を読まなければなりますまい。そして読んだら貸して下さいませ。

そうですそうです。
そうして、やぞー様、「八谷秀吉」を含め、わらわにもかしてくだされませ。
冷やっこを食べながら待っております(でも、頭の大きさもたべられないなぁ...
ぴーちゃん,あなたはえらいです!)

ヤゾ− - 2001/07/08(日) 00:03<

役小角 異界の人々

にっちょさん、こんばんわ。

>でも一番の猛ドクを持っているのは人間だと思います。

南紀の磯は本当に綺麗です。まだ魚もたくさん泳いでいます。
でも残念ですが時間の問題かもしれません。
釣りに来ている人の6〜7割りの人が平気でゴミを捨てて帰りますし、
環境ホルモンとやらの原因なのか貝が異常に減ってきています。
劇的に人間が変わらないと、自然も人間も汚れる一方ですね。
まだ綺麗なうちに釣りに来て下さい。案内しますよ。
隠語、お詳しいですね。

>歯医者にサンカ系が多いようです。
>大体、開業医などは、ほとんどよそ者で形態的には、イツキでしょう。

Donglyさん、きょうかいさん、こんばんわ。
その話しはもの凄く思い当たることがあります。

こうなると白状しなければなりますまい?
そう僕が小学1年の頃でした。人並みに初恋とやらをいたしましたのです。
町医者の娘でございました。と、それはほっといて、サンカに関心を持ち始めてから、
どうもその町医者の一家がサンカの流れを汲んでいるような気がして仕方ありませんでした。
今では、ほぼ間違い無いのではと思っています。
ちなみに親戚にも歯医者がいますが、僕の場合は只の敗者だと言われております。

とんちんかん小僧君へ
『鉢屋秀吉』をより理解するためには、同じ著者の『役小角 異界の人々』『続 役小角神の王国』
を読まなければなりますまい。そして読んだら貸して下さいませ。

【内容】

修験道の開祖にして日本の古代史上最大の呪術者=役行者の実像を、伝説から解き放ち、
緻密な考証と大胆な想像で描ききる書き下ろし長編史小説。 白村江での大敗から壬申の乱へ、
動乱の倭国を背景に繰り広げられる賀茂(神)の民たちの怒りの戦い。
天下二分の計により天武と結んだ小角は、山の民のカスミを駆使して賀茂の民の自立を目指す。

とんちんかん小僧 - 2001/07/07(土) 15:11<

続 黒鍬之者 (2)

 昨日は、目付の下にある下部組織であると述べました。
 ここに、当時の証言がある。
 
 幕藩時代に目付や町奉行、作事奉行を歴任した山口泉処
(元駿河守直穀)という人が、目付の配下系列につき、
 「部下と申しますのは、御徒目付・火の番・御小人目付・
御中間・黒鍬・御小人等(中略)。その他たくさんあります」
 と述べたあと、黒鍬はなんですか、の問いに対し、
 「あれは小使のような者です。僕(しもべ)ですナ」
 と、至極そっけない返答をしている。
 (『旧事諮問録』より)。

 次回は、もう少し、Donglyさんも納得するような話の
展開にもっていきたい。今回までの2回は、あくまで
黒鍬之者についての一般論である。お楽しみに!!

にっちょ - 2001/07/07(土) 14:45<

ドクあります

海の生物は自分を守るドクを体にすべて持つそうです。タダそれが相手に対して致死量になるかならないか
だそうです。(ちなみに箱フグは表皮) でも一番の猛ドクを持っているのは人間だと思います。
食べ物の話に戻りますけれど。なめろう とか 焼きさんが も美味しいですよね。
>釣りバカ日誌
すてきな磯ですね,海の碧さが目にしみます、私の住む関東の海は汚れに汚れてます、首都圏は人間も海も
汚れちゃうのかな?(私も含めて)
>隠語
スグロク=ひよこ テンキリ=見張り カンメ=格上 少しですけれど くだらないカキコミでもうしわけありません。
まずはお知らせまで。  かしこ

きょうかい - 2001/07/07(土) 12:58<

漂泊からイツキへ

Donglyさん
 尾道久保町に「久保町逗留願控」が残っています。これは文化15年から
 天保11年まで13年間の宿泊者名簿です。この中の職業には、
 練薬小売、按摩、医師、売薬、もみはり、入歯細工、口中療治などが、
 記録され、平均1ヶ月くらい逗留して、商売をしたようです。
 漂泊商人といったところでしょうか。
 大体、開業医などは、ほとんどよそ者で形態的には、イツキでしょう。
 白衣という印をつけて区別されています。

ヤゾ− - 2001/07/07(土) 11:45<

緊急報告

先程、テント生活をしながら竹細工をしているという老人の調査を依頼していたトモダチから電話がありました。
今、 老人の所在を確かめて、家の前にいるとのことでした。
噂ではテント暮らしとのことでしたが、どうやら違うようです。
そして竹細工も籠とかではなくて玩具のようなものらしいです。
家には誰もいなくて直接話を聞くことが出来なかったそうですが、
どうも違うような気がするということでした。
でも、な〜んか老人の事を訊ねた人がみんな何かを隠しているような気もするそうです。
とりあえず、住所と電話番号は後でメールで教えてくれるそうなので、
届き次第、利田ヤゾウに報告しておきます。

おミヨさんちのピーちゃんの話し、可笑しくて楽しいですね。
冷奴に夢中のピーちゃんも可笑しくて可愛いけど、
身体が何倍も大きいのにセキセイのピーちゃんに遠慮しているオカメのピーちゃんも可愛いですね。

おミヨ - 2001/07/07(土) 09:23<

Donglyさん皆様おはようございます。

いつもご丁寧にレスしていただいて有り難うございます。

ヤゾーさん おユキちゃん
うちのピー娘(セキセイインコ)は夏バテ気味、だから冷奴で夏バテ解消してあげてる。??
冷奴だーーーいすきインコ、自分の頭の2倍ぐらいの冷奴ペロッと!!
杯に冷奴いれ籠に入れると「あッ冷奴だーー」といったかどうだか知らないが、視線はまっすぐ冷奴に
とまり木の上で左右ウロウロ、やおら下りてきて食べ始め、オカメインコが食べたくて近寄ってきても
キキィと威嚇して一人占めーー。。そういえばサンカチーズ食べさせてあげなかったわいん。

ヤナギムシ - 2001/07/07(土) 00:26<

はこふぐ

はじめまして・・にっちょさん
      箱ふぐほんまに、毒おませんのんかいな?
    皮のぬめりに毒があるなんて聞きますけど??!!
わたしの、釣り仲間・・ほんまにおかしなもんが好きです
極めつきが・・ゴンズイ・・釣れたらもってキテッテ・・
  あほけ!!刺されたらどないすんねん!!

     クサフグも食いよるし

   磯で鍋した時、だまってクサフグ食わしよった
    なんちゅうやっちゃ・・ほんま・・まだ死にたないのに!!

   そや・・おミヨさん・・丹波の黒豆の枝豆あれはうまい・・
  もんさん、山から下りたら・・ううううんビールやね!!

  Donglyさん・・たまには・・むつかしい本おいといて
     ジョッキも凍らして・・グビグビいってください

 ピンクのトカゲさん・・あなたは・・テスト無事にすんでから
    おもくそやってね・・

    あはははは・・

       うまいこと・・言うて
          また・・飲んでます

     おこちゃまは、呑んじゃだめ!!
           
           けけけけけ・・・

         

Dongly - 2001/07/07(土) 00:25<

六十六部+黒鍬師

おミヨさん。
「六部」は備後で巡礼。広島双三郡で、菅笠を被り前へ袋を下げて、鉦を
叩いて経を読んで門に立つ者。観音開きの厨子に観音を背中合せに背負い
庭の入口で経を読む。とありますが、三次市辺りではサンカの業でした。
 乞食の渡世とされる「六十六部」の事です。
 六十六部とは法華経の文書で、各霊場に一部づつ納める事を名目とする
もので、「六部」の「六」と殺傷・死は関係ないようです。
 彼らが里の者達から「いえにえ」とされた歴史は「六部殺し」として、
さまざまな町村史民俗編によくでてきます。
 とんちんかん小僧さん。ありがとうございます。
 大阪夏?の陣で、後に「石見百姓」と呼ばれる石見銀山黒鍬、後に「但馬
者」とされる生野銀山黒鍬が、競って大阪城落城のために地下トンネル工事
をして、予定3ケ月の工事を3週間?で完成したそうです。確か石見黒鍬の
勝ち。黒装束と黒覆面をしてようです。この土木工事の黒鍬技術はサンカの
「うぐらもち」「もぐら」「天切」「腰巻破り」「耳切り」「娘師」などに
受け継がれたと予想します。
 この黒鍬頭は北陸で「のノ字の者」と呼ばれます。歯医者にサンカ系が多
いようです。江戸期は黒鍬師も医者も賎民です。江戸期太田川の流れを変え
て藩の米の飛躍的増産を達成した黒鍬の子孫に歯医者がいます。歯をドリル
(業界語ではエンジン)で削りながら「私はどうせ土方みたいな者ですから
・・」と言ってました。かつては開拓地に広大な土地を持っていたようです
から黒鍬頭筋でしょう。

 
 

ヤゾ− - 2001/07/07(土) 00:07<

香具師の隠語

玉置神社広報の会さん、はじめまして。
こちらこそ、なにか面白いお話があれば教えて下さい。

にっちょさん、はじめまして。
魚のことにお詳しいんですね。
なんだか美味しさが伝わってきました。

ピンクのトカゲさん、合格をお祈りしています。
それにしてもハンドル名の由来には驚きました。
その当時の写真があれば見てみたいような怖いようなそんな感じです。

確か、おミヨさんって花火が好きなんですよね。
話が飛びますが、ピーちゃんたちは元気にしてますか?

>ヤゾーさん。自分の事を「あ」「わ」と言ったのは山口県だそうです。
>最近愛媛県南部の数箇所、松山市砥部町あたりでも老人の中に、
>自分を「あ」とか「わ」と言い、相手を敬語的に「おまえ」というそうです。

Donglyさん、阿波の国とか淡路島は関係ないのでしょうか?
ふと思いまいた。

とんちんかん小僧君に借りた『鉢屋秀吉』は面白かったです。
まるで、ここの掲示板を参考にして書いたのではと思うくらい、
今まで話題にしたものが出てきます。

しかし、鉢屋や信長のルーツを渡来系、しかも百済とするのには納得ができませんでした。
百済といえば仏教をもたらした支配者層の人たちだとの思いがあり、
何ゆえに賤民となったのか理由が分りません。
原住民と融合したというのなら、その理由も理解できるのですが。
それとも渡来してきた百済人の中には倭人に近い人たちが別にいたのでしょうか?

香具師の隠語
 
ゴラン=子供、ケズむ=貶む、ガイキチ=きちがい、バタコウ=乞食、バイ=商売、タンカバイ=口上商売、バイネタ=商売品、
ロク=仏、ビタ=旅、ロクマ=易者、ブショウシ=賭博師、高市(タカマチ)=祭祀、タレこむ=密告する、ゲソマツバ=靴修繕針、
ムショ=刑務所、サマバア=婆様、パイオツ=乳房、ドエ=東京、ヘギバ=寝場所、ネリ公=シラミ、スイバレ=雨降、ゾウヨ=炊事、
キスグしてる=酔っぱらっている、タチケン=立見、ガツ=正月、ネタ=材料、ジン=人、ノリサマ=汽車賃、ランパリ=服、
タンカ=口上、モンモン=入墨、トハをおる=サクラになる、バイナマ=売上金、サンズン=三寸台、コバイ=汽車で商売、
アイクチ=仁義、ベテン=頭、ハクい=良い、 ゴロ=喧嘩、 ゴト=いかさま、 ナシ=話、 タク=口上、 トモ=元、 ニワバ=縄張り、

面白いですね。

おミヨ - 2001/07/06(金) 20:52<

夏だ!枝豆 ビール スイカ 花火大会・・・・・・

ピンクのトカゲ様、試験頑張ってください。
そして三河の花火師の世界を楽しみにしていますので書きこみしてください。

Donglyさん
駿河町の越後屋呉服店は元来は大衆向きで「上物なく。上物は本町にてととのえることなり」とあり、
その後、大丸屋、白木屋が勃興し、現在の三越、大丸、つぶれた東急(横井秀樹乗っ取りで東急に)
と発展していくが、上物のお買い物は二本橋の本町で呉服店の発祥地。家城太郎次という者が、
寛永6〜7年頃京都より初めて江戸にくだり、常磐橋にて、腕に呉服物をかけて振り売りしていたが、
だんだん買い手が増え、腕の変りに竹馬を作り、これに呉服物をかけてあきなった。其れ以来、京、
大阪から呉服商人が集まり、この、家城が江戸の呉服商の元祖で、竹馬あきないの創始者で、本町は
呉服一式の町筋を現出するようになった。が、時代とともにデパートに押されていったと。

6部殺しってなんでしたか?そんなものありましたっけ?符牒の6と関係ありましたでしょうか?

とんちんかん小僧 - 2001/07/06(金) 17:02<

続 黒鍬之者 (1)

 Donglyさん、サクラさんへ

 黒鍬之者についての追記があります。忍者ではないといいました
が、そうもいいきれない事が分かりました。
 ですが、御庭番ではない事はたしかです。江戸幕府役職一覧によ
ると、若年寄の配下の役職である、目付の支配下組織に、
 
 先手与力――先手同心
 徒目付組頭――徒目付
 火之番組頭・西丸火之番組頭――表火之番
 御貝役・押太鼓役
 黒鍬頭――黒鍬之者
 浜吟味役
 掃除頭――掃除之者・桜田御用屋敷掃除之者・紅葉山掃除之者
 徒押
 挑燈奉行
 中間頭――中間目付・中間
 小人頭――小人目付・小人
 駕籠頭――駕籠之者
 台所番
 目付支配無役世話役
 桜田御用屋敷門番人
 (これらは、天保[1830-44]末年頃の状況を示したものの一部である。)
                                −つづく。

Qongly - 2001/07/06(金) 15:02<

忍びと符牒

 サクラさん。とんちんかんさん。
 実は江戸期からある集団は、特に工・商・芸関係は幕藩体制維持のための
「忍び」「目付」「必殺」などの仕事を役として持っていたいたと考えられ
ます。被差別者も下層は番太(警察官)・目明(刑事)ですが、「お役人様
」と頭を下げざるを得ない歴史でした。各県警内部では今でも多数派ですが、
先進国のうちで「警察官労働組合」のないのは日本です。
 警察の腐敗と堕落をなくすためにも是非、強い組合を作って欲しい。
TVでは刑事とヤクザや悪漢の使用する語が同じのような印象です。符牒を
使うからといって元、忍びとは限りませんが、呉服屋(といっても古着屋。
番太→古着屋→呉服屋が圧倒的に多いみたい)の符牒で使用頻度の高い数
字ですので、示します。Eを除いて明治期です。
   1  2  3  4  5  6  7  8  9  10
A  俵  笑  酒  中  如  才  事  敷  蔵
B  元  千  夕  吉  大  才  末  平  川  上
C  元  千  原  勇  吉  大  才  末  平  川
  材木屋・大工の符牒
D  本  ろ  つ  そ  れ  た  よ  山  き
E  はん ろ  つ  そ  れ  た  よ  やま きわ
 AとBは異なる系譜、Bは太物(反物)や足袋を売る呉服屋でCも同じ系統。
Eは2チャンから収録したペンキ屋符牒で、Dと同じ系統でしょう。数字の
うち1と6は「暮ムツ」や東京六本木(近くに青山という葬儀場と墓場まで
準備されています)の如く「殺す」「死」の意味ですから、この系統の忍者が
「必殺」指令を受けた時は、1と6を示す符牒が使われたと推測します。
 私娼「饅頭舟」の縄張りだった葦茂る湿地帯・浅草に「治安のために便利
です」と売込んだのは、新羅系か置部系の賎民とされる「てて」「てて筋」
の庄司甚内でした。政治献金で幕府幹部を動かし、安くて直接交渉可能な、
小×君より人気のあった「夜鷹」は、目明(岡引)を使い弾圧・捕縛して
吉原永代奴に。「亡八」や伊賀者崩れの「町乙名」どもが「会所」で女郎
候補の人身売買に関与。男は「高いものを買わされました」。
吉原は華やかな所でしたが、女にとって、そこは「生き地獄」でした。
吉原遊女の「投げ込み塚」の上で国技の相撲をやって喜んでいます。
それゆえ、私は相撲を「酷技」と記します。

にっちょ - 2001/07/06(金) 14:57<

美味

箱ふぐ
こんなに、美味しいサカナは他にございません。
調理方法
腹を裂き内臓を取り出す(ほとんど腸と肝)
味噌、長ネギ(刻む)、酒(少々)を加え分量は好みで
箱ふぐの空になった腹に、内臓共々戻します

磯などのたき火の残り火に、くべます。逆さまに丸焼き。
見た目真っ黒でグロテスク。でもクセになる美味しさ。
一度お試しあれ。(箱ふぐは内臓を食するものです)

とんちんかん小僧 - 2001/07/06(金) 13:04<

皆さん、レスありがとうございました。

 Donglyさん

>ここの餡餅は美味!!

 私、甘党でモチ好きなので、この言葉が目に焼き付いてしまい
ました。うまそうですね。食べたくなってしまいました。

 おミヨさん
 京都の西陣の織り元等の呉服屋系統もですか。
 色々な情報網によって知られていない事が、わかっていく
事は、すばらしいことですね。

 randyさん
 
>網〇史観を使ってみたら、いかがでしょうか

 今すぐにって、使用するのは無理(難解)でしょうから、
もう少しレベルアップしてから、ガンガン使いますので。

 サクラさん

>江戸城の御庭番をしていたとかの黒鍬屋敷というのが
>在りますが、やっぱり、忍者だったのですか?

 黒鍬之者…ルーツは戦国時代の土木集団ですが、元々は農耕の
     日雇い人の称である。それが戦争で城を築いたり、
     濠を掘ったり、道をつけたりなど、土木作業にたずさわ
     って功を立てたので、いつしか土工集団―工兵の代名詞
     になった。(『軍法極秘伝書』より)
 
 忍者では、なさそうです。武田信玄が作らせた釜無川の堤防
(信玄堤)は彼らの足跡を現在に残す有名な遺跡です。

ピンクのトカゲ - 2001/07/06(金) 07:33<

イッテキマ―ス。ガンバリマース!

一週間、仕事から離れるって事で、この一月、仕事・受験勉強とも多忙でした。ふと息抜にと思って、『サンカ』で検索かけたら出てきたこのサイト。試験直前のイライラ解消できました。スミマセン不純な動機で・・・
Dongulyさん
あなたのサイトから『俘囚』経由で『風琳堂』のサイトと繋がってるんですね。去年は、二次試験終わって一月ぐらい風琳堂主人の『女神』探索に付き合わされました。
サクラさん
何でピンクかって?
それはですね。私が高校生のとき、バイト先で知り合った憧れのおねさんがいましてね。
もともと爬虫類ぽいって言われてたんですが、私が二十歳そこそこの頃、ピンクに紫が混じったバティックのシャツにラルフローレンのリザードのタッセルを履いていまして、それで『ピンクのトカゲ』って言われるようになったんですよ!
さぁ午前中に、残りの仕事回して、昼から試験受けに上京しますか。
じゃぁ皆さん一週間ご無沙汰します。これからもピンクのトカゲChanを宜しく!!

玉置神社広報の会 <http://www.ne.jp/asahi/network/tamaki/> - 2001/07/06(金) 07:07<

霊峰 玉置山・玉置神社読本

玉置神社はいかがでしたか? 玉置神社広報の会という私的なページで玉置神社を紹介させていただいています。残念なことに玉置神社のかなりの古文書が流出してしまっており、殆どが伝承となっています。
僅かながら天理大学や奈良在住の方が所有していることが判っていますが、古文書、伝承、なんでも結構ですのでお教えください。

やぞー - 2001/07/06(金) 00:35<

カメツリ

みなさま、こんばんわ。
ホントに暑いです。
3日ほど山小屋を留守にして、昨日戻ってきましたが、
閉め切った小屋の温度がハンパではなかったです。
ロフトで50度もありました。
多分、ダニも死に絶えたのではと期待しております。

おユキちゃんの名前が涼しさを感じさせてくれます。

きょうかいさん、ご丁寧なメール、ありがとうございました。
前にチャットにてサクラさんとの会話で、
僕が「きょうかいさんって好き好んで自ら賤民に出自を求めていて面白いね(ここの人の殆どがですが?) 」と言うと、
「それは本当に自分のことを大切にいている方だからだと思う」というようなことを言っていました。
メールを読ませて頂き、本当にその通りだと思いました。
お返事は明日にでも書かせて頂きます。

>出自を由緒正しい所に繋げるのは常套手段です。

自分に自信がないからでしょうね。

おミヨさん、サクラさん、夏ばてしないようにね。


10年ほど前に和歌山県の飛び地である北山村、奈良県の下北山村の辺りをうろついたことがありました。
その時に妙にサンカの匂いみたいなものを感じていました。
それから随分月日が流れて、サンカを取り上げたHPを運営するようになってから、
図書館で北山村・上下北山村村史(誌)を調べてみたことがありました。
その時のことを2000/08/18(金) 00:29 の掲示板にも書き込んでいますが、
下北山村村史にはサンカのことを、『カメツリ』と呼んでいたことが書かれてありました。
そして割合に詳しくサンカのことや村人との交流みたいなものが書かれてありました。
今まで、色んな村史(誌)に目を通してきましたが、
サンカのことを詳しく書いてあったのは下北山村村史が一番だったかも知れません。
一度、探して読んでみて下さい。

サクラ - 2001/07/05(木) 23:51<

夜中お見舞い申し上げます

きゃーおミヨさん!
      おひさしぶりです。
          元気そうでよかった...

おユキちゃんも声聴けて...ほっ!
      ほんとうに、皆さんの話はその人その人の想いが伝わって
          読むのに一生懸命になってしまいますよね。         

あのね、
きょうかいさんの「風の大国」に
     自分のおなか見てはっとしてしまった..
       あはは、違うって...安心安心(^^)
           ここって、一字訂正できないんだもん..ね

ここのBBSの風の王国はおとずれる人もなく...
     でも、ひょっとして、一つのテーマを語るのに
           適してるようにもおもいました。
               真夜中の会議室もいいのかも?

それにしても、ピンクのトカゲ様
     なぜにピンクなのでせうか?
        ブローチにしたらかわいいかも!?
             なんてしょうもない事考えているのは
                  この暑さのせいでしょうか?

今宵も、インターネットカフェのPCの前
  自宅のPCの前の貴方に
     そして、和歌浦で哲学している犬たちにも
         ドイツで音楽している貴方にも
               夜中お見舞い申し上げます。
                     皆様、ご自愛下さいませませ...  

PS・とんちんかん小僧さん
    我が家の菩提寺の近く、東京の白山に、
    江戸城のお庭番をしていたとかの黒鍬屋敷というのが在りますが、
    やっぱり、忍者だったのでしょうか?

ヤナギムシ - 2001/07/05(木) 23:24<

day after day

来る日も、来る日も・・
  日は繰り返される

    なんにも、語らない人々
     だまって・・ただ見ている・・
      真実・・・は、・・

    ただ、黙ってみているしかない
        インデアンの長老のように・・

  深いシワだけが、真実を見つめようとしている

       day after day

          

randy <http://www12.freeweb.ne.jp/sports/randy2/> - 2001/07/05(木) 22:18<

無題

>とんちんかん小僧さん

思い切って網○史観を使ってみたら、いかがでしょうか
商売人や専門業種の民のカテゴリは自由民なわけで、それに別角度か具体性が入れば。。。
ある意味、寺社仏閣との繋がり(神供人など)がわかればキッカケになるような。。。
なんて上手くいくかなあ???

おミヨ - 2001/07/05(木) 22:13<

皆様 おあつーございます。


とんちんかん小僧さん
薬種商や呉服店も、忍びの情報網として利用されていた。
隠密が諸国み向けて出発する時、千代田城から直接、大丸呉服店や越後屋呉服店の奥座敷に入り、
そこから任地に出発したという。呉服屋の系統にある織り元、染物、古着屋なども、忍びに関連
した家がおおいと。「万川集海」その他の忍び関係の古文書を伝承する、忍びの家系で大原家
京都西陣の織り元、大原勝井家などが一例である。名和弓雄「忍びの者、流転の系譜」より

やぞーさん
調査 取材ご苦労様です。

ヤナギムシさん
北海道でも動物の虐待・・・・・・・・・・・言葉がでない。

Dongly - 2001/07/05(木) 21:22<

なるほどTHE風月堂

とんちんかん小僧さん。
 老中水野の探索御用隠密元締が風月堂!!昔、その選挙のバイト応援
された方からの話ですが、候補者は代々風月堂の庭子だった、という話。
『朝日と読売の火ダルマ時代』の正力松太郎と同じコースで、ミエミエ
プレーで有名。風月堂が「上忍」ならこの方は「下忍」となりますが。
 しかしどう見ても・聞いても世論の95%は「下品」といいます。
 紀州からサンカ大名浅野(八切説)についてきた三河屋。老主に郷
土史屋が聞取りしましたが、1970年代でも教えなかった筋金入り。
間違いなく隠密系。三河屋家紋は菱形の中に沢山の菱形がある「別所」
家紋で、サンガ屋とも読めます。ここの餡餅は美味!!
 とにかくお御用「菓子屋」は「おかしい」となります。
 *忍びの仕事は「必殺」もありますので、甘い物は武器です。

ふぁる - 2001/07/05(木) 17:12<

もろもろ

よくある系図の捏造と同類だと思うのですが、出自を由緒正しい所に繋げるのは常套手段です。
信用できる継承は、唯一、行動様式、もっと判りやすく言うと、習慣に現れる独自性です。

ある集団が、大昔から山で暮らしていて、遠隔地との交流手段を持っていたのであれば、それは
ひとつの文明を形成していたに等しい、揺るぎの無い生活をしていたと言えるでしょう。
それは、交流手段の符牒を維持できている事から、そういえると思うのです。

交流が薄まった時、全く別の集団との交流が生まれた時、以前から持っていたその符牒を使うでしょう。
それが変形していくでしょうが、目的は同じ筈、また、孤立してしまった集団にとっては符牒が特別な
意味を持つ振る舞いとして保存されていくでしょう。

今、その中からくみ出せる要素は集団にとっての「意味」あるいは「価値」であって、時間的なものは
物証が残っていない限り、よほどの事件と結びついていないと、推測する事さえ赤面ものです。
(今浮かんだ例としては、ゾロアスター教の初めと、皆既日食の関係とかは、何年何日までわかる。)

在野の研究者による昂揚感に支えられた研究成果が重きを置かれないのは、この辺を忘れているか、
思慮の外にあるか、だからでしょう。
無形の習俗を取材する記録自体が希少になっています。せめて考証だけでもちゃんとありたいものですね。


そう言えば、すふぁらでい、アシュケナージ・ジューの話、アーサー・ケストラーの事とか出てましたね。
あれの訳本が問題です。だって「宇野正美」ですよ。私も持ってますが(「ユダヤ人とは誰か」)、文脈は
まともそうなんで、不安です。

正統ジューは今やリビア、アルジェリア、エチオピア国内で細々としてます。
パレスチナを占拠している輩は迷惑な盲信者しかいませんね。あれは決して「選民」の資格なし。

ヤナギムシ - 2001/07/05(木) 16:43<

いやな話

大阪で・・
  つながれた犬の両目にエア・ガンの玉
   手術で玉をとりだした
  もちろん失明・・
    言葉がない・・・

  言論・表現の自由をいいことに・・
    少年雑誌にあふれる、暴力・・
  だれか・・止めてくれ

マタギが山に入る時・・山ノ神に祈る
  命を奪う行為に対する・
  気持ちの整理のため・・・か?

 つながれた動物の気持ち・・・・
  そんな動物を撃つなんて

     ほんとうに許せない

             情けない・・涙

きょうかい - 2001/07/05(木) 15:55<

タオルをくびに巻きつつ暑中見舞

黒須紀一郎の「元禄蘇民伝」が、菓子屋の話ですね。
黒須小説の描く、くノ一は、なかなかです。
そういえば、「風の大国」の女の人(名前失念)も超カッコよかった。
みな、知と愛と自由の象徴なのだ。
小説の女に負けない、いい男にならなくては・・

とんちんかん小僧 - 2001/07/05(木) 14:18<

忍びの者たちのその後は? (3)

 副題: 菓子屋が忍び?

 流転という言葉の範疇(はんちゅう)にははいらないが、忍びの者
に関係深い職業の一つに、菓子屋がある。なぜ、菓子屋が?と怪しむ
人も多いと思うのではあるが、昔の菓子屋は、その材料になる砂糖の
産量が少ないために、全国組織をもっていて、砂糖の産地から、一年
分を各自が買い占めてしまうのである。一年分一緒に買わないと、生
産されて品物のだぶついている時は安くても、端境期(はざかいき)
になると値が高くはね上がる。少しずつ砂糖を買っていては、菓子の
値段が一定せず、端境期になって高くするわけにいかないので、一年
分を確保するといわれている。
 このためには全国的な組織をもつ組合(?)が必要なのである。この
全国組織は、そのまま情報網として利用できるから、菓子屋の元締めを、
幕府をはじめ各大名は、忍び御用に使うのである。菓子はその当時は、
高級品であって、菓子屋の主人は、お城に出入りしたり、宮中や貴族の
邸にも自由に出入り出来るという便利さもあったからである。
 老中水野越前守の探索御用隠密の元締めは、風月堂菓子舗のご主人で
あった。
 また、東京都文京区本郷三丁目の近くで、有名なお菓子屋「ふじむら」
は加賀百万石、前田家お出入りの高級菓子店で、赤門(御守殿門)で有名
な前田家下屋敷近くに昔から店を構えていた。これは、御用商人という
つながりだけではなく、「ふじむら」の主人は、前田家の諜報を司る忍者
の頭であったからである。
 ある雪の日、お城から退出してきた「藤村」の主人は、敵国の忍者が、
雪うさぎの術を使って、お城に忍び込むのを見破り、一対一のはげしい
斬り合いになった。苗字帯刀御免の藤村の主人は、前田の殿様から賜った
佩刀(はいとう)[藤島在銘]を抜いて、はげしく斬り合う中、佩刀は二つ
に折れて、敵の忍者をとり逃がしてしまった。家に帰ると、かじかみこご
えた右親指が斬り落とされているのに気がついた。夜が明けるのを待って
城近くの昨夜の斬り合いの現場で、斬り落とされた指は回収されたが、氷
のように凍りつき、うす紫の美しい色になっていた。藤村はその、うす紫
色を羊羹(ようかん)に用いた。前田公は別の刀を与えたのはもちろんで
ある。
 ……しかし菓子と忍者のかかわりあいは、まだまだ解明できない謎の一つ
である……。           
                              終わり。

おユキ - 2001/07/05(木) 12:35<

暑いですねぇ〜

やっと花粉症の季節が終わったと思ったらもうこの暑さ。
人間が自然に優しくなかったので、自然も厳しくなったのでしょうか?

サクラさん、すぐにお返事できなくてごめんなさい。
読むのに一生懸命で書くのを忘れていました。

職場の冷房はそうでもないのですが、
休み時間に利用しているお店の冷房がきつくて、
外に出た時の温度差がこたえまする。

新しい方の書き込みが増えて、私には一層難しくなりましたが、
とても大切なことが書かれている思いがして、
がんばって読んでいます。

Dongly - 2001/07/05(木) 02:12<

野鍛冶サンカか?

ヤゾーさん。自分の事を「あ」「わ」と言ったのは山口県だそうです。
 最近愛媛県南部の数箇所、松山市砥部町あたりでも老人の中に、自分を
「あ」とか「わ」と言い、相手を敬語的に「おまえ」というそうです。
カムイの子さん。
 近所の神社秋祭に山県郡の神楽団がきます。オロチが出てくると「頑張れ」と
声を掛ける老人が幾人かいます。島根出身の片でしょうか?それにしてもです。
また菅原道真の段では、道真が京に舞い戻り復讐するという筋もありました。
 三次市に住んだ事があります。「サンカの里」はワイナリーで有名な「×若」
辺りでは?戦前、箕作りが来て、別の日に六部(六十六部のこと)が来たそうで
すが、良く見ると同一人物だったそうです。「1,2,3・・」を「ひーふーみ
ー」と数えた祖父(百済系)も黄幡池(タタラ用でしょう)の傍に黄幡祠を持ち、
正月に餅を供えてたと聞きますし、江戸期末に世羅西町長田から来た野鍛冶のよ
うでしたが。一段と高い所にあり本家とも言われますが隣家を苗字にかこつけてか
「かみ」と呼び鍛冶屋をやってたらしく古文書があるそうです。
この町には祖父と同姓が多く、町長をやった者がいます。私の祖父は他人を嫌がる
ような態度は微塵も見せない男でしたが、なぜかサンカだけは嫌ってたようです。
 以前この町に町史を購入に行った際、同和関係の管理職が出てきたので色々尋ね
たのですが、せせら笑うような対応がド頭に来て、言ってはいけない事ですが!
ついつい「あなたサンカでしょう」とやりました。

とんちんかん小僧 - 2001/07/05(木) 01:16<

ピンクのトカゲ様

 本当に、こちらこそ、今後ともよろしくお願いします。
 
>ワガママで申し訳ございませんが、

 いえ、いえ、また、じっくり教えていただけるのを待って
います。国家試験、合格を願っておりまする。

NA-NI - 2001/07/05(木) 00:40<

やぱり休憩を⇒そうですね。

Donglyさま。

実は私にとって、非常に関心深いことなのです。
ですから書いてくださったご返信のような内容を聞きたいと内心願っておりました。休憩をとおっしゃっていましたのに引っ張ってしまってすみません。

私の申し上げているのは、赫々然々のケースがあるから採用すべきではない、ということではなく、
あらゆる角度からのアセスメントという意図があります。
場面と「種判別法」をもちいる人々同士の信頼関係、それから。。ちょっと発言を控えますが(出すぎているかもしれないので)、ま、あえて一言で言えば「当事者自身がが向き合える状況」ということを踏まえるということが実現には必要ではないかと自分なりに思うのですが、どうでしょう?

休憩ですね。いやぁ、すみません。あともうひとつ言わせてください。
「判別」もさることながら「癒し」も必要です。「癒し」とはここでは例えばやぞーさんがおっしゃった、

>自分の中のサンカ的(それはアイヌであっても同じことで)なものを、
>蘇えらそうというものなのかもしれませんが

のあたりでしょうか。

やぞー - 2001/07/05(木) 00:03<

只今、調査中

みなさん、こんばんわ。

只今、利田ヤゾウのお達しで、面白い話しを調査中です。
それは、テント暮らし(所謂、ホームレス) の老人がいて、
仕事があるときには建設現場で働き、 余暇には竹細工をして、
作ったものを安く近所の人に売っているとの噂で、
もしやサンカでは?ということです。

僕のところからも結構、離れたことろなので、
その近くに住むトモダチに、その老人の所在を確かめて貰っていましたが、
昨日、確かに竹細工をする老人がいたことを確認したと連絡がありました。
老人の所在が分り次第、利田ヤゾウと相談して取材なり聞き取り調査を開始します。
その時には、Donglyさんにもご協力をお願いするかも知れません。


>考えたらねられへん
>            貧乏くさ

笑った

ピンクのトカゲ - 2001/07/04(水) 23:20<

とんちんかん小僧様こちらこそ宜しく

こちらも穂の国の古代史調べた範囲でしか知識はありません。煙火については、穂別の祖・朝廷別王=本牟津別(火内別)の関係から、大伴細人については、母方祖父の登美那賀(富永)伝承との関係から(富永氏は、系図上は、三河大伴氏。富永氏と甲賀平松氏は、同族とされる)調べたに過ぎませんが、こちらのワガママで申し訳ございませんが、詳しくは、二次試験終わってからでよろしいでしょうか?

ヤナギムシ - 2001/07/04(水) 23:04<

・・・

日本もそろそろ・・独立してもええのんちゃうやろか・・糞野郎から
 中国の元も値上げしたらええのに

しかし・・不景気やね・・
  ふぐの肝・ロープ・・どちらが楽かいな
  
   若い人は、リストラでのこって・・忙しい
    忙しいひとに・・暇な人の気持ちは、わからない・・

  むかしの人達・・みんな乗り越えてきた!!
    友よ・・君だけじゃない

     また・・安酒をあおろうじゃないか
           たまには・・おごるから

麒麟カップ優勝・・おめでとう・・??
  ビール1年分・・いったい何本なんかいな・・

        考えたらねられへん

             貧乏くさ

とんちんかん小僧 - 2001/07/04(水) 21:19<
 ピンクのトカゲ様へ

 ごめんなさい。
 私、ホント、本からの知識からだけなので語りあう
なんて事は…できないかもしれません。
 知らない事ばかりなので、よろしければ、三河煙火
の淵源、大伴細人等について、より詳しく教えてもら
えないでしょうか?

もんむー - 2001/07/04(水) 20:28<

追伸

件の対談は「風の王国」(新潮文庫版)の302ページで引用されています。

また、税所厚による、仁徳天皇陵の鳥の糞掃除(発掘?)については、

森浩一「巨大古墳の世紀」(岩波新書)に詳しいです。

でわでわ

もんむー - 2001/07/04(水) 19:47<

「風の王国」中の対談

五木寛之「風の王国」の中で、昭和2年7月の文藝春秋に掲載された柳田国男、
尾佐竹猛、芥川龍之介、菊地寛による対談が引用されていましたが、その全文
を古本屋でみつけました。

「柳田國男対談集」(筑摩叢書26)昭和39年11月15日初版発行

この中に件の対談が「銷夏奇談」という題名で36ページにわたって収められて
いました。

当時堺県令であった税所厚による古墳の不正発掘及び出土品の横領疑惑に触れ
たこの対談ですが、五木氏はこの疑惑に触れた部分の全てを作品中で引用して
おり、新たな事実は残念ながらありませんでした。

その他の内容について列挙しておきます。

怪談の型と時代
お札の降る話
本所の馬鹿囃子
日本人の想像力
天狗と神隠し
憑霊と発狂
河童・○(むじな)・狸
宝探しと文化奇習・蕃習さまざま
島を買う話
殺された人に会う
役立った探偵小説
因果はめぐる五十年
事実は小説より奇

このように民間伝承、文学、裁判、事件、裏社会など広汎にわたって語られて
います。特にとある金融機関の破綻をめぐる疑惑については伏せ字が多く、具
体的なことがわかりづらいのですが、かなりつっこんで語りあっています。

でわでわ

利田 - 2001/07/04(水) 16:18<

かめつり

「かめつり」という言葉にピンとくる人いませんか?
「亀を釣る人」という意味らしいのですが、

利田 - 2001/07/04(水) 16:15<

やぞーへ

下の馬鹿な書き込み消してください。
すでに、回答は書いてありました。

ピンクのトカゲ - 2001/07/04(水) 12:41<

とんちんかん小僧様

7日から13日まで東京で国家試験受験しております。終わりましたら、三河煙火の淵源、大伴細人等、語りましょう。では、来週末まで

とんちんかん小僧 - 2001/07/04(水) 11:59<

ピンクのトカゲさんへ

 そうですか。
 私は、あくまで文献をもとに書いているだけですので、
それが真実であるのか、虚偽であるかは分かりません。
 ただ、今は忍者に関することについて勉強中なので。

Dongly - 2001/07/04(水) 09:48<

やぱり休憩を

どうでしょう。NA-MIさん。
 私の「種判別法の確立」は法律ではなく、判別技術です。
 目的は「自分とは何か?」に応える事、および「単一民族説」に抗して
「学術研究」に役立てる事です。現在は日本人の多くやマスコミはが単一
民族と考えています。私が「低頭」「高頭」の測定道具を借りた時も体育
・健康研究者からは「人種判定」などはその学会でも「差別」と言う非難
があったと聞いています。彼らはこの差異を飯の種にしているのに。人種
により体力に差異があるのに、また体力の差異を無視したスポーツはあり
えないのに。シノガラやイボロの末裔が活躍してるではありませんか。
 現実の運動に「思い入れ」をすると、「自由な研究」は進みません。
 部落史研究に解放運動の制約がある事をお気付きでしょうか。「新しい
教科書運動」も政権を担う側の思想の貧困さを補う最後の役割でしょう。
運動について言うならば、例えばアイヌ運動の主体になるのか、心の中で
支持しながらも現実の差別の前には運動主体を迷惑と考え非難するのか、
現状を打開する目的ならば当然前者です。後者からは何も生まれません。
一般化できるかどうか分りませんが、世界地各地のゲリラと民衆(非戦闘
員)の関係をよくみれば明らかでしょう。
「現実」は別の日には異なる「現実」になるから、「現実」と一応別個に
研究を進めねばならないと思います。柳田國男も時代に制約されました。
もっと制約の少ないこの時代に生きていたならもっと凄い成果を彼は残した
と思います。また研究はいつの時代にも、その時代よりも先を見た研究が
必要でしょう。私の場合、20年位先か?の日本における歴史的・思想的ペレ
ストロイカを意識しています。一言では「日本人とは何か?」です。そのた
めに後の世代が使えるデータベース作りが私個人の、本業以外の仕事です。
もちろん時代の制約を十分考慮しながら。

ピンクのトカゲ - 2001/07/04(水) 07:59<

花火師=忍者?

トンチンカン小僧さんが、三河の花火師には、忍者の子孫が多いとの話。東三河に生まれ育った私ですが、はじめて聞く話です。東三河平野部及び遠州の東部に掛けて現在も祭礼で奉納される手筒煙火は、自分の揚げる煙火は、『竹取』、『油抜』、『縄巻』、『火薬の詰』の全工程を自分の責任でやるのが原則です。もっとも現在では、警察許可の関係で社務所等で行われた作業は、火薬取扱の許可を受けた煙火工場で行われていますが・・ 昔から東三河では、煙火製作は、一般人がやっているわけですから、東三河の平野部は、みな忍者の子孫ということになってしまいます。むしろ、三河地区で煙火が盛んになったのは、家康との関係が考えられます。この東三河、遠州の一部、それに、西三河の額田、足助を加えた地域では、いわゆる『勧進的』=お祭り弓が盛んな地域です。詳しくは、私の弟弟子(日置流雪荷派)のサイト『弓祭り』に譲りますが、該地域には、「元康」名義の「弓の許可書」が伝えられています(家康のお膝元と去れる岡崎には、許可書がないことに注意)。彼のサイトの中の『神事におけるお祭り弓の考察』という項目では、サイトの趣旨から外れるため言及は、していませんが、岡崎を抜かした抜かした該地域を家康の勢力範囲としています。最初の話から話がズレましたが、家康の出自の謎の鍵の一つとなるのでは

NA-NI - 2001/07/04(水) 01:17<

気が進みませんが。。

やぞーさま

>それに、例え人種判別法が確率されたところで、暴力的で差別的なことにはならないと思います。
>宮崎駿さんなんかでしたら、もし人種判別法が確立されたら、きっとアイヌ人に近いということになるの
>かもしれませんが、
>同じように隣のおじさんがアイヌ人に近いということになったからって差別するでしょうか?
>まして人口の約50パーセントの人が中国人や韓国人と共通の遺伝子を持っているのですから、
>その他の場合も同じだと思います。

ここで気が付いたのですが、「法」というのは「法律」ではなくて「方法」の意味ですか?
しかし、何のために確立させるのかわかりません。
人種・遺伝子と民族・部族・社会的集団は別個の概念ですからね。
ルーツを調べるためならいろいろな手法が考えられると思いますが。
日本人に限って遺伝子さまざまだといいますが、
アイヌ民族だって韓国人だってウイグル人だって遺伝子的には単一ではありません。
ある集団が遺伝的・人種的にある特徴を有し、単一である、というのは一種の偏見ではないでしょうか?

それに違う問題点をあげましょうか?
ある遺伝的特徴で民族集団を判別しようとすると、系譜をもっているのにその集団への帰属意識・アイデンティティを他者が不当に否定したりすることには繋がらないでしょうか?
例えば、カナダのハイダ族だけど、見てくれは白人にしかみえないとか、チェロキー族だけどコーカソイドだという人は世界に結構いるのではないでしょうか?
エミシの末裔だと誇りに思っている人が、大陸系の顔立ちということで「お前はエミシではない。」なんて言われるケースも出てきたりして、脅威に思うエミシ系もいるだろうな。

カナダの学者さんが先住民の問題のひとつとして、このような人たち(北米先住民)のアイデンティティの確立の問題もあるのだ、と話してくださったことがあります。

やはり私が思うにはこの仕方はいろいろな立場、境遇のかたがたの意思への配慮に欠けるのではないかと思いますが。
これは私の考えですが。

それから私はDonglyさんの休戦のご意思を受けて、この件はそろそろ語りたくないのですが。。

やぞー - 2001/07/04(水) 00:09<

ピンクのトカゲさん、はじめまして。
それにしても、とても重要なお話を聞かせて頂きまして、
ありがとうございました。
例え一部であれ、香具師の親方をヤゾウと呼んでいたことや、
香具師の場割にサンカ文字(豊国文字)が使われていたとのお話は、
とても重要な証言だと思います。
また、生業を桶屋としていたというお話も納得できるものを感じます。
今後とも、よろしくお願いします。

>ヤゾーさんが被差別部落とサンカについて親密な関係があった旨書かれていましたが、

実は、匂わしたことは書いてはいましたが、ハッキリとは書いてはいませんでした。
サンカと被差別部落が重層していることは確実にあると思いますが、
被差別部落とは関係なく賤民視されている場合や、
全く、被差別民ではない場合も結構あるように思います。
色んな意味で力を持っているのは賤民視された側だとは思いますが。

カムイの子さん、はじめまして。
これまた、非常に重要なお話です。

>なぜ差別を受けたか小生が思うに他民族国家の中でもっともバランスとれてたんでしょう。

全く同じことを考えたことがあります。
日本人特有の遺伝子の割合が約5パーセントで、
サンカと被差別部落人口が占める割合も概ねそれくらいになるのではと考え、
バランスがよいから、マイノリティということだけではなく、
差別されていても、国民から圧倒的な支持を受ける人を輩出するのではとも思ったことがありました。
問題は縄文人をどう捉えるかだという気もします。
今後とも、よろしくお願いします。

NA-NIさん、こんばんわ。
主旨としては、賤民と言われようが、なんと言われようが、
サンカの生き方の中に、今僕たちが失いつつある何か大切なものを感じ、
自分の中のサンカ的(それはアイヌであっても同じことで)なものを、
蘇えらそうというものなのかもしれませんが、
なんの末裔であろうが、その意識も誇りもない人にまで、
そのことを強制する積もりはありません。
それに、例え人種判別法が確率されたところで、暴力的で差別的なことにはならないと思います。
宮崎駿さんなんかでしたら、もし人種判別法が確立されたら、きっとアイヌ人に近いということになるのかもしれませんが、
同じように隣のおじさんがアイヌ人に近いということになったからって差別するでしょうか?
まして人口の約50パーセントの人が中国人や韓国人と共通の遺伝子を持っているのですから、
その他の場合も同じだと思います。

みなさん、こんばんわ。
今日も暑かったですが、早くから夏ばてせぬよう気をつけて下さいませ。
利田ヤゾ〜ウ、おミヨさ〜ん、顔を出してくれないとさみしいぞな!

ヤナギムシ - 2001/07/03(火) 23:39<

kekekeke

ええやないか・・・!!
 むかし・・わたしたちが・・
   こんなええ時代に・・生活できるようねごた・・人が居たこと
    自分を投げ打ち・・後世に夢を残してくれた人がいたこと

         感謝しています・・

               本当の日本とは!!


                     ・・・・・・?  



                   

カムイの子 - 2001/07/03(火) 23:27<

本当の日本とは?

初めまして小生は日本民族学を研究しているものです。
DONGLY先生のホームページを拝見し、ついついボードを叩きたくなり
叩いています。小生は本当の日本についての隠蔽された真実を探求する旅に出発した者です。
そこで、出会ったのが、セブリでありサンカであり古事記でした。
昔々、日本は大和朝廷以前は、他民族国家でポルネシア・華人・アイヌ・騎馬民族・百済・オロチ族
(朝鮮北東からソ連のアルタイ山脈に住みアルタイ語族に属す)などから、形成された島國でした。
だが、オロチ族は鉄を製鉄する技術に長けていました。そこで、古事記の登場です出雲に大和のオロチ(大蛇)が出雲の人々を苦しめてイザナギ・イザナミの子であるスサノオがクサナギの剣でオロチを退治
したことになっていますが朝鮮系のオロチ族が出雲の民や女に対し乱暴さに見かねオロチ族に酒を飲ませ
たのちにスサノオがクサナギの剣でオロチ族を退治した説があります。(山本 建造先生)
研究の為、島根県・鳥取県・広島県・山口県の日本海側で小生なりに調査したところ、4県の方言の中に
ハングル語によく似た言葉が数多く混じってきます。又、現在でもとても部落問題に力を入れています。
広島県の三次市にサンカの里と名がついた場所があります。山の尾根づたいに生活して独自の文化やシャーマニズムでの価値観で生活をしていたと思います。では、なぜ差別を受けたか小生が思うに他民族国家の
中でもっともバランスとれてたんでしょう。よって大和朝廷を納めた中國系の藤原氏が恐れたのではないかと小生は考える又サンカのネットワークが日本中に張られてたと思うし本当はもっとも高貴な種族(イザナギ・イザナミ)の子孫なのかも知れない・・・・・・・・ と小生は考える。
次の機会に四国についてメールします

とんちんかん小僧 - 2001/07/03(火) 21:36<

忍びの者たちのその後は? (2)

 甲賀地方には製薬関係者が多く、全国に向けて薬販売の行商を
行っている。なぜならば、忍びの者は製薬と薬品の使用はお手の
ものではあるし、家伝薬を伝承している家も多い。
 しかも行商していれば、全国に顧客をもっているから、製薬と
販売は最も容易な転職ではなかろうか。
 次に転職可能なのは花火師である。忍びの者にとって火術は表
芸である。
 特に黒色火薬を基礎にした合図用打ち上げの狼煙(のろし)な
どは火術の中に数十種あるし、伝書をもっている家が多い。現在
、三河地方は、花火の盛んな地方であるが、三河の花火師には、
忍者の子孫が多い由である。
 各地の呉服屋・古着屋は、忍びの者に関係のふかい職種である。
 小田原北条氏に仕えていた忍者、鳶沢甚内は、現在の富沢町(
旧町名は鳶沢町)で古着屋をひらいて名主となり、配下の忍びに
江戸中に古着屋を開かせ、その頭取りになった。
 やはり北条氏に仕えていた忍者、庄司甚内は吉原遊郭をひらいた。
 群馬県高崎宿の、慈上寺と清海寺は虚無僧寺であるが、世上では
風呂寺とよばれていた。この風呂寺の開祖は忍者の風車といい、相模
国三浦郡から移住してきて、風呂寺をひらいた。同様に江戸の風呂屋
の経営者も、忍びの者や、町奉行関係が多かった。
 というのは幕府の政策の一つであった。つまり、物騒な忍びの者を
、懐柔して、犯罪の摘発と防犯に利用するため、古着屋、宿屋、遊里
などの職種を、忍びの者に優先的に許可し、交換条件として密告によ
る協力を義務づけた。
 戦国から江戸にかけて、忍びの者は造園師(庭師)に化けて、大名
家や貴人の邸宅に入り、庭つくりや、庭の手入れをしながら、情報を
収集するという方法を、好んでつかった。
 その技術と顧客を生かして、庭師に転職した忍びの者もあったそう
である。
 思いきって転職できなかったり、資金のない忍びの者たちは、虚無
僧になったり、遊芸人、奇術曲芸師になったり、香具師になったりし
たといわれている。
 維新後、忍びの者たちの中には、その情報収集の技術と、探索や逮捕
の技術を生かせるというので、警察関係に入った者が多いと伝えられる。
 また、生活に困った忍びの者たちが、江戸城の堀に潜水して、鯉を手
づかみにして見せ、通行人から見物料をとっているのを見たという、老
人もいるという。

ピンクのトカゲ - 2001/07/03(火) 13:07<

Donglyさんへ

今まで両祖父の伝承をもとに郷土史の再構築を試みてきました。7日の金曜日から工業所有権関係の国家試験の論文二次試験があり、息抜にパソコンをいじっていたところこのサイトに出会いました。これからもいろいろご教授願います。ヤゾーさんが被差別部落とサンカについて親密な関係があった旨書かれていましたが、実体験として同感できます。私も中学高校とワルやってまして、そのときのツレが部落出身でそのスジではかなりの名門のようです。彼も今は、40そこそこで年商10億の会社の社長に収まり、今も一緒に飲んだりしています。実際彼と一緒に部落出身者と飲む機会も多いのですが、家がテキヤだったということもありみな身内のように付き合ってくれます。そこで、彼の周囲から聞いた話を一つ。菅江真澄の『えみしのさへき』に牛窪村の喜八なる人物が登場します。私は、その牛窪(現在は牛久保)に住んでいるのですが、真澄はこの喜八を我が父母の住むところの近くの人だといってます。喜八家は、当時の宝飯郡牛窪村中代田(現在の豊川市代田町あたり)にあり、ここから友人の部落までは、一キロほどです。また、真澄の学問の師といわれる植田義方は、吉田札木(現在の豊橋市札木町)のひとですが、札木から南へ500メートルほど行ったところに白山神社があり、彼の部落の飛び地がありました。また、真澄の死亡を伝えた地として三河國渥美小国入文がしられていますが、渥美郡には、該当する地はなく、三河國八名郡入文とすると直ぐ隣がやはり被差別部落になります。このことを彼の母方の銅鐸と被差別部落の関係について一言ある伯父(彼の母方の実家は、遠州引佐郡で銅鐸出土地としても知られる被差別部落の白山神社の禰宜)に訊ねたことがあります。真澄の本名・白井姓が上記三部落にないということについてです。そしたら、彼の伯父は、そこまで解っててなんで解らんのといい、東三河の電話帳をもって来て、○○市に白井姓があるだろうといいました。目から鱗が落ちた思いをしました。東三河の真澄研究者に問い合わせたところ、顔面蒼白になったことを思い出します。それと、渡来系の反主流派ということも、やわりワルをやっていた時分のツレで在日でゾクの頭をやっていた(現在は司法書士)のが、いましたがヤツラとも今でも仲良くさせてもらっています。これからも宜しくお願いします。

Dongly - 2001/07/03(火) 12:17<

やっぱしサンカ関連

ですか。三河の国。ピンクのトカゲさん。地図をざっと見ても設楽郡あり、御作、
箕直、三ヶ、蒲郡、串原、阿蔵、藤岡、刈谷、小田木など別所・サンカくさい
地名、豊明、豊根など新羅くさい地名がある事、三河は「サンガ」と読めるしと
言いますと文献主義の名古屋の研究者(在日三世)に聞いたところ、「根拠も
ないことぬかすな!」といきなり怒鳴られました。初対面でしたが、ぐーと我慢。
今に見てろの気持ちでした。
丹波と三河の縁、日下部氏、狭穂彦の件、ありがとうございました。
中国地方では、アラハバキは客神・門神でしょうか熊野関連神社に、捨てられた
ように祀られています。

ピンクのトカゲ - 2001/07/03(火) 10:23<

始めまして

『山窩を考える』拝読しました。サンカの核になったのは、縄文系の人々であり、そこに渡来系の反主流派(例えば、新羅系)の人々も加わったとの説、私も同様に考えています。実は、私の家は、曾祖父の代まで愛知県の豊川流域(東三河)の香具師の親方(祖父は、親方と言わず、ヤゾーといってました。)祖父(1903年生)は、香具師と博徒が一緒くたになり、暴力団化するのを嫌い香具師から手を引きました。幼いこと祖父から寝物語に聞いた話の具体的内容までは、今となっては、思い出せませんが、大学の一般教養で民俗学の授業で異形の人々の話になったときに、幼い頃聞いた亡き祖父の話が蘇りました。その後、サンカについての文献等でサンカ文字をはじめて目にしたときは、驚きに変りました。私が文字を覚えたか覚えないかのときに祖父が香具師が高市(タカマチ=縁日で店を張ること)の場割に使う文字として教えてくれたものだったからです。これが香具師全般に言えることかどうかは今は確かめようもありません。香具師をやっていた曾祖父の代までは、生業を桶屋としていたようで、タガ等、竹細工の要素があるからです。ただ、朧気な祖父の話から香具師と薬屋は、『神農』を祀ること、『蟇の油売』等、大道芸と香具師との繋がり、甲賀に対する滋賀、伊賀に対する四日市、飛騨に対する富山のごとく製薬と忍者は関係が深いこと等から香具師とサンカが何らかの関りがあったと思います。また、祖父は、テキヤを香具師と書くのも『かぐや姫』との関係からであり、『かぐや姫』とは、丹波の大県主・由碁理の孫の事(古事記の記載では、由碁理の曾孫の大筒木垂根の娘・迦具夜姫)だと言っていました。丹波・竹取翁等サンカとの関係を示唆させます。また、私の住む東三河は、律令制以前は、『穂國』と呼ばれ、穂の国の開祖は、古事記開化条で丹波道主王の息子・朝廷別王とされています。古事記開化条は、崇神を正当化するため、丹波道主家の系図を改竄するために編まれたとの仮定、及び垂仁条の狭穂彦の乱の狭穂彦の子孫(日下部氏)が記載されているのに丹波道主王の子孫は、朝廷別王を除き記載されていないこと、それに、祖父が皆が『出雲の話』としてるのは、丹波の話だといっていたことから記紀の崇神・垂仁条の出雲の記事を丹波と仮定すると、丹波道主王は、実は、狭穂彦であり、古の東三河・穂國の祖・朝廷別王は、悲劇の皇子・本牟津別王ということになります(この件については、郷土史会等で発表したこともありますが、いずれ、ホームページを開設し、開示するつもりです)。東三河の特殊性ということもありますが、丹波との繋がりは深かったと思います。一方、母は、八人兄弟で四番目が男、あとは、女(母は五番目)で、伯父が家を出てしまったため、一番下の妹が跡を取りました。五年ほど前に亡くなった母方の祖父(1896年生)が亡くなる一年ほど前から母の実家に伝わる伝承を私に聞かせてくれました。母の実家は、豊川下流域の戸数70軒ほどの集落でそのうち、30軒ほどが冨永及び富永でこの冨永及び富永の本宗家ということです。富永家は、南北朝から信玄最後の城攻の地とされる1505年城主・富永千若丸夭折まで野田の城主であり、菅沼家に乗っ取られ、城主の近親者は首を刎ねられた事から城主に近かった者は、富の『テン』を取り冨永としたこと、野田城主となる以前は、石座神社(読みは、「いわくら」式内社、新城市大宮鎮座)の神官であり、富永の名は、トミノナガスネヒコのトミナガに由来すると話していました。石座神社の祭神は、天御中主ということになっていますが、山一つ隔てた額田郡石原の分社の祭神は、天照国照日命とニギハヤヒを思わせます。なお、富永氏が城主だった野田垣内城は、富永氏没落後、豊川の流れが変り海倉淵と呼ばれ、『椀貸伝説』が残っています。東北の『安日伝承』を記した最古の文献・藤崎文書が、富永氏没落の翌年・1506年に書かれたこと、石座神社をはじめ、古の穂國には、三河一宮・砥鹿神社(世襲神官は草鹿砥(日下部)氏)及びその奥宮・本宮山、竹生神社(新城市)、北設楽郡豊根村の熊野神社とアラハバキ神が末社に鎮座すること等、東北との繋がりも強いと思われます。

ヤナギムシ - 2001/07/03(火) 00:29<

宇宙船

なんか?・・・場違いなのかな・・
  へへへへへ・・
箱ふぐってご存知・・
昨日二匹釣りました
   カニのような?外骨格なのかいな??
スペイス・ワアー・・スターウオーズの宇宙船みたいなあれです
     そして、あのスピード・・はよ逃げんかいな?
  ほんま・・かわいいです・・
 皮の粘膜に毒があるそうですが・・内臓には毒がないとのこと!!
     肝が、思い切りうまいとのこと!!
  それに、あの文様・・着物の模様にしたら最高ですよ
   亀甲模様です・・

    潮風に打たれ・・
      梅雨の雨にもうたれながら・・
        自然と会話する・・

  夏の日差しの中・・1時間・磯の上で眠る
     手も( ̄ー ̄)も、赤く焼けている・・ヒリヒリ・・

      なぜか・私にはこの方が合っている

     ああああああーーーーぁ

どんぐりさん・・NA−NIさん・・とんちんかん小僧さん・・
    熊野の風・・
     熊野の風って


      本当に気持ち良く吹いてますよね
       いつまでも、この風が感じれますことを!!

   箱ふぐ・・無毒かどうか確認してから食べてね!!

                       ・・・ヤナギムシでした

NA-NI - 2001/07/03(火) 00:26<

趣旨から外れるのですか?[2]

やぞーさま。
>NA-NIさん、よく分る話だと思います。
>これからは、それぞれのルーツに誇りをもち、お互いが尊重できることを目指したいですね。
>その為にも、Donglyさんのいう人種判別法の確立が必要なのかもしれません。

常に差別に置かれてきた人は名乗れる状況が生まれない限り、脅威に感じるんだと思うのです。
また、曖昧なアイデンティティにいて、ボーダーラインにいる人々に取っては自分がアイデンティティを勝ち得るという意思を持っているのならいいのでしょうが、他者がいたづらに持ち上げたりするのは不遜だと思います。
マイノリティの方が自分の出自を他者に取り上げられて、言われて「俺も日本人だよ。」というのはそこの心理があるからではないでしょうか?

名乗れない状況というのはもっと様様でしょうけど。そこを他者によって暴かれるということになれば、それは暴力的で差別的になりえないでしょうか?

そう、ある意味この場で話をするのは不適切かもしれませんね。

>それにしても、NA-NIさんも、夜更かしですねぇ...
>あはは、人のこと言えない...サクラでした

私は仕事帰りにインターネットカフェで書いています。
この方が時間がとれますので、最近忙しいのです。今日は仕事早く終わりましたが。

サクラ - 2001/07/03(火) 00:06<

こんばんわ...

donglyさん、min-minさん、NA-NIさん、こんばんわ
      今日もあつくなりましたけど、いかがお過ごしでしょうか?
           温泉で一風呂はこんな季節には気持ち良いでしょうね。
                 温泉じゃなくっても、お風呂上がりのいっぱいが楽しみ...
                     でしょう?やなさん!

こんなに暑くても、やぞーさんは山の中の小屋で、
      木々に囲まれて、さわやかな風を楽しんでいるのでしょうか?
         タヌコもヤマガラも元気でしょうか...kumanoの山で...
            タヌコは夏ばてでやせるなんてないんでしょうか?やぞーさん

それにしても、
       NA-NIさんも、夜更かしですねぇ...
                   あはは、人のこと言えない...サクラでした    

PS.おミヨさん、おユキちゃん...夏ばて、冷房病にかかってませんか?
    ゆりかもめはききすぎていて、寒いよ〜    長袖が離せない季節になりました...(^^)

やぞー - 2001/07/03(火) 00:03<

亀ケ岡文化と荒吐(アラハバキ)信仰と五右衛門風呂

歴史では、6世紀頃に漢字が伝わってくる以前には日本に固有の文字がなかったことになっています。
が、しかし、バット(ちと古かった)、縄文晩期である亀ケ岡文化の土面に刻まれた入れ墨のような文様は、
アヒルクサ文字で解読すると内容のある文章になるといいます。

それは「吾(あれ)をばまつれ 饗(あへ)をばまつれ」と読めるそうです。

2001/06/30(土) 17:59  Donglyさんの
>倭は分りません。敢えてなら自分を「あ」「わ」と呼称する人達の意では。
の書き込みに関連していますね。

亀ケ岡文化とは、西日本に弥生時代が始まった当時もなお、遮光器土偶文化を守り続け、
その範囲は紀元前200年頃まで、今の兵庫県の辺りから北海道にかけて、
日本列島の3分の1を占めていた文化だといいます。

また偽書とされている東日流外三郡誌に登場する荒吐(アラハバキ)信仰は縄文人の信仰が色濃く投影され、
荒吐神の姿は遮光器土偶であるといいます。

また、江戸時代までは氷川神社にアラハバキを祀っていて、
アラハバキをスサノオの別名とする意見もあるようです。

>まとまりがない文章ですが、ナーバスな部分です。

NA-NIさん、よく分る話だと思います。
これからは、それぞれのルーツに誇りをもち、
お互いが尊重できることを目指したいですね。
その為にも、Donglyさんのいう人種判別法の確立が必要なのかもしれません。

>こらまた失礼しました

植木等さんみたい!

一年間、谷水を薪で沸かす五右衛門風呂に入りましたが、
それだけで天国のように気持ちが良かったです。
お湯が柔らかく良く暖まり爽やかでした。
それに引き換え、湯がチクチクヒリヒリ刺激的で、あまり気持ちよくないなと感じたのは、
太陽熱を利用したお湯でした。
お湯の質は、薪>重油、灯油>ガス>太陽熱でしょうか。
これは僕だけでなく同じことを感じている人が結構いて、
だから五右衛門風呂を未だに使っているのだと言います。

NA-NI - 2001/07/02(月) 21:45<

趣旨から外れるのですか?

>NA-NIさん。 ちょっとこのBBSから外れそうなので、この話題は休戦に
しませんか。

私は論戦する意図で申し上げたのではないのです。私としては重要だと思われたので話したのですが、
本来の出自・系譜と、社会的に「日本人」にされて(しばしば排斥されて)、ボーダーを彷徨う人々はマイノリティグループに限らずいると思われるのです。
このことは避けては通れないと思います。いろいろな意味で。サンカなどを取り上げるのでしたらサンカの方々も同じようにナーバスなところがあるのではないのでしょうか。おっと、休戦ですね。
確かに重い話ですね。

とんちんかん小僧 - 2001/07/02(月) 21:31<

忍びの者たちのその後は? (1)

 伊勢の神宮文庫所蔵の古文書の文中に、「右の者共段々に困窮に
仕り、術などの心掛け、等閑(なおざり)に相成候。この他、二軒
改没(離散し亡ぶ)仕り候」 と、寛政初年の記録がのこされてい
るが、忍びの者の流転の系譜ほど謎につつまれ、調べにくいものは
ない。
 なぜなら、「私の家系は何々藩の侍で……」という昔話はよく耳
にするが、「私の家は代々、忍者でして……」という自慢話はあま
り耳にしない。
 もっとも伊賀、甲賀の忍家で、名家の人の子孫は先祖を誇りにし、
昔ながらの惣(そう。同名の者が集まり組合をつくる)を組織し、
一年に一度集まることもやっておられる。
 忍者の子孫だという人には、忍術を売り物にしているタレント、
香具師(やし)、軽業師、法術家などが多いようである。
 忍びの者が、驚天動地の活躍を見せ、日本の歴史さえ転換させた
のは、何といっても、戦国時代末期までである。
 戦国乱世が忍びの者の檜(ひのき)舞台であった。泰平が続けば
、忍びの者の必要はなくなり、その威力の影もうすれるのである。
 忍びの者は、毎日の訓練が必要であり、常日頃からの布石が必要
、地理地勢の研究、方言の研究など必須事項である。泰平がつづき
忍びの者の必要度が減ってくると、このような用意は、馬鹿らしく
てやってはおれぬ、ということになる。毎日毎日血のにじむような
訓練も、お呼びがなければ無駄骨折りで、家族も養わねばならず、
野良仕事だけでは貧困にあけくれるだけである。
 徳川家や、諸大名に仕官して扶持をもらっている忍びは、内職で
もすれば、どうやら食べられるが、在郷の忍びの者は、段々飢えて
くる。種々な職業に転出して何とか生活して行くことになるのであ
った。

dongly - 2001/07/02(月) 20:33<

こらまた失礼しました

お許しください。MIN MINさん。
NA-NIさん。 ちょっとこのBBSから外れそうなので、この話題は休戦に
しませんか。白旗でも、赤旗でもない、サンカの旗(茜色です)あげて。
ヤゾ−さん。サンカ関連文書では「小屋」でなく「小舎」となっています。
 少々の間違いは、というズボラ人間です。間違いを正してるうちに人生が
THE END です。
 ところで全く読んだ事ない平岩弓枝の人気小説『御宿かわせみ』。読まれた
方は感想教えて下さい。読まないで書くのもいけないのですが、この宿への人
の出入りからすると、公事宿かサンカ宿の実話を反映してるのではないでしょ
か。この御宿の人物配置などを見ると考えさせられます。
 どこかのBBSで見たのですが京都にあった公事宿・小川家の使用人は伊賀者が
多く、この公事宿を利用した訴え人は裁判に負けなかったそうで、かつこの家に
は抜け穴があったそうで小川家がサンカと疑われてるようです。
 「公事宿(くじやど)」は、訴訟のため地方から来た当事者を泊め、訴訟の
 補佐もした宿屋。一般客も宿泊できる。【江戸宿】ともいう。大阪で料理屋
 も兼ねたを【郷宿:ごーやど】という。 野史呼び名辞典より。
 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  ◎暑くなりました。どこかサンカ(的)温泉はないでしょうか?
  入って一汗流したい。瀬降風呂みたいな谷水水沸かす宿を一個所だけ知って
  います。湯舟は山を削った穴で湯は「臍の下」までしかなく変わっていました。

min-min - 2001/07/02(月) 18:23<

???

Donglyさ〜ん、

>>>外れそうなので中断(休戦?)しませんか。MIN-MINさん。

             人違いじゃないでしょうかぁ??? 

Dongly - 2001/07/02(月) 16:37<

BBSの趣旨から

 外れそうなので中断(休戦?)しませんか。MIN-MINさん。
 いかがでしょうか。

もんむー <http://www2u.biglobe.ne.jp/~REKISI/index2.htm> - 2001/07/02(月) 11:51<

失礼しました

ここです。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~REKISI/index2.htm

でわでわ

もんむー - 2001/07/02(月) 11:49<

八切止夫作品集

八切止夫作品集が公開されていますね。

まだ読んでませんが。

でわでわ

NA-NI - 2001/07/02(月) 02:26<

難しい問題です。

>人種判別法の確立を

私は、これには異議があります。もし、確立されるのが是でありますなら、
それは様々な民族、集団の人々が自意識としてカミングアウトをして、「これこそ必要だ」という、世論ないし、コンセンサスでも出来ることが必要ではないのかと思います。
いずれにせよ。今の社会的状況・心理的状況などをきちんと学んで自発的な変容を見守り(語弊がありますが)、変に干渉しないことが一番大切ではないかと考えるこのごろです。
同じグループでも人によっては、個人的人間関係その他の状況で話せる場合があるのでしょうが。

傍の人間が進めていくとしたら、良かれと思うことでも、それは一種の強制・差別になってしまうのではないのでしょうか?
また、自分自身のルーツがわかっても、人によってはアイデンティティを勝ち得ることは大変困難です。
「日本人」の生活・文化様式で生活してきていると、自分の出自にそのまんまアイデンティファイしようとしても、そう簡単に出来るものではありません。
また、民族・種族と周りが持ち上げても「私は日本人として同じ日本の住民として生きているのに困る。」と思う人もたくさんいます。

かくいう私もあるアイヌの方に叱責を受けたんです。「自分のルーツへの誇りは大切にすべきだと思う。しかし、おれはアイヌだからっていつもアイヌアイヌ言っていないだろ?俺は日本人として生きているし今住んでいる土地の人間としていきている。お前のその態度(私のルーツを殊更に話題に持ち上げたりすること強制的で差別的でもある。俺の言っていること間違ってないだろ?経験を踏まえて言っているんだ。」と。

また同族で名乗れない人が名乗れる人に対して名乗れなかったり、自分の子供に出自を悟られるのを恐れて、名乗れる同胞に絶縁状を送ったりするという現実もあります。(これは民族名を挙げる必要はないでしょう。アイヌ民族ではありません。)

まとまりがない文章ですが、ナーバスな部分です。

ヤゾ− - 2001/07/02(月) 01:17<

鉄鍋もって何が悪い!

>鍋釜・合羽・油紙・竹小屋などを持っています。
>別の文献で藩側は「鉄鍋など持って生意気だ」とほざいています。

アハハハ、ほざいていますは傑作でした。

僕はサンカの作る箕や竹細工にその能力の高さを感じます。
その立派な生産者であるサンカが鉄鍋もって何が悪いちゅうねん。プンプン。
そっちこそ偉くもないのに偉そうに刀なんかさして、どっちが生意気だと当時抗議したら張付け獄門ですね。

Dongly - 2001/07/01(日) 22:46<

サカント唱無宿非人

 共近年所々数多罷在、食事用鍋釜等其外合羽・桐油之類 等不当之
 品所持、何所に而も竹木取合小屋掛いたし桐油等を以雨風を防候故
・・・・・・盗賊召捕相役候内サンカ之者毎々在之、非人袖乞之者者
 不具者又ハ多病二而人之働不成、・・・・・・・・・
 
 卯十月
  賀茂郡御役所
             割庄屋頭取
             割庄屋御苑 
 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 という1855年(安政二)の古文書が、現在の所「最古」とされ
ているようです。これは東広島市八本松の旧造り酒屋竹内家(旧割庄
屋筋)にあったものです。竹内古文書から神代文字ノ−ト(私のHPの
最期のページに展示中)や高杉晋作の書などがあります。
 最初の「サカント」は広島県史・資料編ではサンカと「偽造」してい
ます。1)当時の役人はサンカとサカンの区別できなかった?。2)サ
ンカは無宿(宿がないのでなく戸籍がない)非人に分類されます。江戸
期は古文書で無宿非人を探がせばサンカが出てくる筈です。3)鍋釜・
合羽・油紙・竹小屋などを持っています。別の文献で藩側は「鉄鍋など
持って生意気だ」とほざいています。3)彼らを革田(庶民は四ツ呼称
が多い)に取締まりさせよ、と命令してます。革田が公用語である事が
分ります。4)サンカは文献に出てこなくても江戸期に定着民の中では
通用してた語である事が分ります。明治期島根の警察官が文書で「山窩」
としたのが始めとされてました。5)すべての賎民を非人とエタに部類
したのは江戸期ですが、これで少なくとも江戸期からはサンカと後の被
差別部落(明治には特殊部落、後には同和)とは区別してた事が分りま
す。◎サンカ不在説を支持する方がいますが、不在説者がそうであるよ
うに文献や本だけの知識です。戯言です。愛媛で実地調査する方はサン
カに当る事が多いので何か文献はないかといいます。現実や実際を見る
べきでしょう。
 他に山県郡や竹原市にも「サンカ」が出てくる公文書があります。
各県で県の古文書館で調べるとサンカ文献があるのではないでしょう
か。まず県史資料編です。手分けして調べてみませんか。近年では地元
新聞を捜しましょう。

やぞー - 2001/07/01(日) 18:00<

出雲

>このウガヤ族含む出雲王朝と『日本原記』に、確かありましたが。

そういえば、サンカ(山窩)という名称は出雲地方が発祥ですね。
しかも、出雲地方(中国地方)にはサンカの資料も多いと聞きます。
偶然なのでしょうか?

利田ヤゾウ。
資料読みました。
貴重な資料だと思います。

例え、どんな意図があって書かれた文章であっても、
その中に僅かでもサンカの実相を伝えるものがあったなら、
サンカに対する想いは強くなるばかりです。

Dongly - 2001/07/01(日) 00:23<

サンカのルーツは

このウガヤ族含む出雲王朝と『日本原記』に、確かありましたが。
そうですね、メールでまたご教示下さい。

やぞー - 2001/07/01(日) 00:21<

うおおおおお(ヤナさんか!)

魚釣りから帰ってみれば利田ヤゾウから50ページほどの資料が届いていました。
どうして、なんで、このようなものが手に入るのか......
やっぱりあなたは偉大でした。

きょうかいさん、こんばんわ。

>ハザール帝国の謎」アーサー・ケストラーですか。

いいえ、もっと分かりやすそうな本でした。
スファラディとアシュケナージについてはそんな感じで書かれていたように思います。

>多分参考にはならないでしょうが、おもしろかったので紹介します。

もんむーさん、こんばんわ。
それ結構、笑えました。

Donglyさん、こんばんわ。
少し前にNHKの番組で、百済に倭人を葬った古墳があると、
韓国の研究者が言っていたように思います。
もっと真剣に見ておけばよかったですね。
メールの返事、明日書きますので御容赦を。


randyさん、こんばんわ。

>これ以上は管理人様のご迷惑になると思いますので、メールにしたいのですが、
>いかがでしょうか?

アハハ、ダイジョウビです。

今日の釣りはキツカッタです。
重い荷物を持って行きづらい磯まで歩きました。
おまけに2回も魚さんにもてあそばれ仕掛けもろとも引きちぎられました。
だから坊主でした。
もうバタンキューします。

randy - 2001/06/30(土) 22:17<
>Donglyさん

ありがとうございます。実は全てではありませんが、大体読んでいるか、概略は掴んでいました。
唐は藤原(とうばら)だと思います。過去ログでの質問も拝見しました。白村江では唐と新羅の連合軍が
百済・倭に対して勝ったわけで、支配者側は多分その両者でしょう。唐だけが支配者というのはいかにも
片手落ちだと思います。これ以上は管理人様のご迷惑になると思いますので、メールにしたいのですが、
いかがでしょうか?

もんむー <http://www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/language/zoku.html> - 2001/06/30(土) 19:30<

多民族国家日本

多分参考にはならないでしょうが、おもしろかったので紹介します。

http://www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/language/zoku.html

でわでわ

Dongly - 2001/06/30(土) 17:59<

不勉強ゆえに

古代史は主張できません。randyさん。歴史素人の私が購入して眼を
ざっと通した本名の紹介でお許し下さい。他に積読が一杯あります。
八切止夫『日本列島原住民史』『天の朝古代史』
角林文雄『倭と韓』学生社
鹿島昇『ニギハヤヒ渡来の謎』新国民社
澤田洋太郎『カヤは日本のルーツ』神泉社
金達寿『古代文化と「帰化人」』新人物往来社
学者シンポ『カヤはなぜほろんだか』大和書房
網野善彦/川村湊『列島と半島の社会史』作品社
朴○植『日本原記』情報センター などで後は契丹古代史。富士宮下文書
戸上駒之助・鹿島昇の難しい本ばかりで、読めても、こなせません。
 日本での(古出雲族+ウガヤ)VS(荒カヤ+百済)は『日本原記』にあり
、個人的にはこの仮説の流れで話をすすめますが。
ただ神武以前に王朝があった事は『記・紀』にもあるようだし一番隠したか
ったのはカヤ系王朝でしょう。
 倭は分りません。敢えてなら自分を「あ」「わ」と呼称する人達の意では。
 それにしても孝明までの天皇家の人種知りたい!!
 一時期百済人が在位したは明瞭だが、他は新羅、突厥、唐の漢人?記紀では
平安以前は新羅で、その前は神話化され、平安以後は唐や百済でしょうか?
「単に豪族争い」とする学者もいますが、それにしても出自をはっきりするの
が仕事の筈です。歴史の重要性を真剣に認識してるのか、疑問に思います。
中国人は漢人が天皇家に入ったなら平安期で、中国に帰国の研究者は爛(ただ)
れた『源氏物語』の世界は完全に<唐の風俗>と論文でいいます。



きょう - 2001/06/30(土) 13:51<

訂正

西方ユダヤ人→東方ユダヤ人
 スミマセン

きょうかい - 2001/06/30(土) 13:33<
 やぞーさん
>イスラエルにおいて原ユダヤ人といわれる人たちは差別されていて、
一般的には新ユダヤ人が政治的にも経済的にも優位にあるそうで、
しかし、ユダヤを支配するロスチャイルド家は原ユダヤ人なのだという話しを何かで読んだ記憶があります。
 「ハザール帝国の謎」アーサー・ケストラーですか。
 ホロン革命で有名なこの著者は、この本を出版してから謎の自殺ととげました。
 ハザール帝国 8〜10Cころの国 政治的理由によってユダヤ教に改宗
        後のアシュケナージ(西方ユダヤ人)の祖となる。現在のイスラエルの主流派

  鹿島 昇「裏切られた3人の天皇」入手しました。ゆっくり読もうと思います。

randy - 2001/06/30(土) 12:11<

ご回答ありがとうございます。(^^)

>とんちんかん小僧さん

近所の本屋を回ってみましたが、ありませんでした。これから注文しようかと思います。

>Donglyさん

小生にはちと難しいレスでございました。無学の風来坊ゆえお許し下さい。(^^;A
ただ倭人と百済人が対立した構図があったという点がわかりませんで、宜しかったらもう少し教えて
下さい。問題があるならばメールでも構いません。【和訓栞】に「神功紀に百済をくだらとよめり。
旧多羅(くたら)の養成るべし。多羅は韓国の地名なり。」とありますが、某書によれば多羅国は
熊本にあって、倭国連合の領域内にあったとされます。そこで倭と百済は結構親密な関係だったのでは
ないかと思っていました。

ヤゾー - 2001/06/30(土) 10:45<

獅子亭さん、はじめまして。
インドネシアからの書き込みありがとうございます。
とても面白いお話を聞かせて頂きました。
とてもお詳しいようで、また何か教えて下さい。
今後とも、よろしくお願いします。


>単一民族?? わかりきった嘘をつきとうす この国は いったいどうなっているのでしょうか?
>いわゆる先進国と言われているのに このタイとどっちが 原始的なのか

KEIJUさん、こんにちわ。
分かりやすい言葉で、それでいて本質にせまり、心に訴える文章ですね。
どうやら単一民族?などと無理矢理言い出したのはそう古くないようで、
明治時代に伊藤博文が、天皇を『万世一系』とした帝国憲法を定めてからのようです。
それで、特に賤民とされた人と関係が深いと思われる、政治的・軍事的敗者側の歴史が抹殺されたようです。
悲しいことは、それらの首謀者の殆どが賤民から出たと思われる伊藤博文を始めとした明治の元勲たちのようです。
今でも大きな被差別部落のあるところからは、一握りの実力者を出し、市町村のポスだったりすることが多いです。

とんちんかん小僧さま、『鉢屋秀吉』貸してくだされ!

30年近くサンカに興味を持ち続け、山を愛するヤマギムシさんの文章が好きです。

Donglyさん、
サンカとサンガ、「縄文土着系」と「渡来半島系」がいたとして、
お互いにどんな関係にあったのでしょうね。

ふと書いてて思ったのですが、
イスラエルにおいて原ユダヤ人といわれる人たちは差別されていて、
一般的には新ユダヤ人が政治的にも経済的にも優位にあるそうで、
しかし、ユダヤを支配するロスチャイルド家は原ユダヤ人なのだという話しを何かで読んだ記憶があります。

関係ないですか?

心はお魚さんのもとに飛んでしまっているのでもう駄目です。
雨も降らなさそうだし昼からヤナさんの分も魚さんと遊んできます。

Dongly - 2001/06/30(土) 10:03<

人種判別法の確立を

randyさん 
 光仁が百済人とすれば自称南朝系の大室寅之祐(明治天皇、妻も柳原姓?!)百済系。
柳井市石城山は百済工人を招いて築造、墓は百済部(くたなべ)にあり、田布施には奈良
地名あり、90年台末でも当地で「お前ら倭の者と我ら百済の高貴な者とは」は迫力満点
です。柳井←揚津は百済人(柳がシンボル)居留地で、空海は別所(田布施には別府あり
)支配の観音像を彼らに管理させました。百済番人を「キジ」→木地、と呼んだ筈です。
 岸・佐藤の兄弟首相が日本原住民系を見下した歴史的・文化的背景が見えてきます。
別の意味でやっぱり正しかった「安保粉砕!岸(キジ)を倒せ!!」という方もありや。
 質問ですが関東・王磯・入間郡辺りの高麗系は別所・産所に入ったのでしょうか?有名
な高麗系H姓「サンカ説教強盗」大工で出てきますが。また徳島県H町に日本三大薬師(こ
れ何で三大?)の1があり、他は島根平田市の一畑薬師、群馬の浅間薬師といいます。
隠れファンさん 
 出典があれば教えて下さい。このBBSで既出ですがサンカも多人種。調査(文献では未
見)によればサンカとサンガに区分できます。前者が箕作・すなどり系(目印は笹や竹
?)、後者が山稼・鉱山・芸能・宗教系・飛脚(茗荷・椿が目印?)。組織性から後者
は修験形で戦闘団・スパイ団・殺し屋・薬行商にもなったようです。地図の国見・三国
・三坂・晴海・物見・三見・三春・山見に中世期に配置の後者でしょう。江戸期は城下
外れ・鉱山や藩境地名に再配置のようで、山に残った治安部隊員は、天狗=山伏=山岳
警察隊。誘拐・嘱託殺人・道案内なども必修仕事です。また山奥か城下僻地に旧殺し屋
集団と思しき異職種集落の痕跡があり、「必殺仕掛人」のモデルでしょうか。末裔が
TV出演する事もありえます。 ただサンカとサンガの違いと共通項や接点が不明です。
keijiさん 賛成。多人種といっても証明は後廻にして、まず判別法を確立しましょう。
「人権」なる概念は高々50年前導入で、ちいとも根付いていません。「正史」に代り
二千年来の人間史解明(同時に本格的人権回復です)なる大事業のためには不可欠で
す。法によっては、従って現在の行政や公教育によっては人権尊重が実現できません。
歴史の真実のみの力で、「心」から達成しようとするのが野史研究会です。
商社勤務の方が書いた「顔で人を見分ける法」がありですが自宅で紛失中。まず眼から
いきます。シーボルト文書「シーボルトと日本」第×巻にある原住民・中国人・朝鮮人
・南方系の区別あり。若い内なら潤んだ眼でも、血走った眼でも判別できそうです。
 ただし学者のように「異形」「常民」のような非科学的判別は止めましょうね。

KEIJU - 2001/06/30(土) 03:58<

タイに戻って

ふっと思ったのです! この国はいろいろなところから 人種が混ざっている国でして そのルーツも何もかもはっきりわかっているのですね。顔見てもはっきりわかるし。
でも日本の場合 まったくそう言ったこと うしろに隠されていると言う現実! 
顔見てもやっぱわかりますよねえ   
単一民族?? わかりきった嘘をつきとうす この国は いったいどうなっているのでしょうか? いわゆる先進国と言われているのに このタイとどっちが 原始的なのか とても単純に疑問に感じてしまったわけです!  

とんちんかん小僧 - 2001/06/30(土) 02:37<

鉢屋秀吉 Part3

 randyさんへ

 『鉢屋秀吉』は、今月の6月15日に発売されたばかりなので、大きな
本屋さんに行けばあると思います。価格は税込で1890円です。内容が
内容だけに決して高くないと思いますよ。


 Donglyさん、長い間お待たせしました。
 次回からは、忍びの者たちのその後について書きますので、お楽しみに!

獅子亭 - 2001/06/30(土) 01:20<

傀儡発祥の地

はじめて書き込みます。
西宮神社の西にNTTの建物があり、その敷地の一角に「傀儡発祥の地」としての像が奉られています。

西宮神社の宮司さんは、伊勢の猿田彦神社の縁者の方です。
蛭子、猿田彦、傀儡、百太夫、白拍子、何かヒントになりそうです。

傀儡舞の伝承者が現在筑紫舞として伝えています。
また機会があれば書き込みします。
現在インドネシア住で、資料が手元にありません。

ヤナギムシ - 2001/06/30(土) 00:41<

ピピピノピ

おもいでぽろぽろ・・
  宮崎 駿さんのTVやっていた・・
   同年代のわたしも・・あの時代に帰って一言・・

   パイナップルの場面で思い出しました

  死んだばあさんに連れられ・・市場に行ったときのこと
    なんか、買うたろか?
     うん、あれこおて・・
   指差したのは、マスカット・そおですあの・・青いぶどうです
     それまで・普通のしか見たことのないわたしは・・興味津々!!

  どんな味やろか?・・ワクワク
    ばあさんが言いました・・止めときいつものんに しとき・・・

 いやや・・あれが食べたいんや!!
  ほんま・・しゃあないな・・!!
   そんなゆうねんやったら・・こおたろか

ばあちゃん・・おおきに・・新聞紙につつんでもろて
    急いで家に帰った・・

   はよあろてぇな!!(ワクワク)
ひとふさの中から、一番大きいのを、むしりとるや
  ひとつぶを、すかして見た
 なんて、神秘的な輝きなんやろー

   初めてのものに対する・・子供の心わかりますか!!?
皮を、少しむいた・・!!
 指に汁が・・
    流れた・・
     もったいな・・・ぁ

  あわてて・口をもっていった

     やった・・最初のひとくちや・・

      ムムなんか・・チャウ

  想像した味とチャウ・・
   思い切り口にほうばった・・チャウ
  チャウやんこんなんチャウ
     おもわず・ばあちゃんの顔をみた!!

 なぁ・・せやから・止めときゆうたやろ・・
      市場のおっちゃんにたのんで・・かえてもらおー・・と

      デラウエヤー・ベリーAがやっぱりくちにおおてる

            やなでした

          

やぞー - 2001/06/30(土) 00:03<

嬉しい出来事

>天皇制のしばりがあるために歴史学者や民俗学者は「真実の歴史」から遠ざかり、
>民族学が日本で育たないと思います。

そうですね。
天皇という個人と天皇制を分けて捉えていました。
今後とも、ご教授お願いします。

>西宮(にしのみや)の“エベッサン”では、百太夫という神が登場する。
>これが百神で、文楽や阿波・淡路の人形の神でもある。

西宮神社の末社である百太夫社をサンカのエラギである傀儡や白拍子が信仰したとのことですね。
百太夫社の祭神は男根型の道祖神であり、オシラ神とも関係しているそうです。

>気楽にやっていこうと思いまして、最近HNを改名しサイト名も変えました。

はい、分りました。
これからはrandy さんでいきます。

>サンカにも「縄文土着系」と「渡来半島系」がいるとの文を読んだ
>ことがある。前者はみづくり・鉱山開発(砂鉄・砂金・鉱業)などに
>たづさわり、後者は芸事・略取などの方面に特化していったとか。

この話しは面白いですね。


今日、嬉しい出来事がふたつありました。

ひとつは、夕方、小屋の外で空を眺めていたら、
近くの木にヤマガラが飛んできました。
チ〜チ〜と甘えた声で鳴くので目で追うと、
巣箱から巣立っていったヒナが少し大きくなって帰ってきていたのです。
嬉しくなって、おいでおいでと口笛を吹くと、
僕を目掛けて飛んできて頭にとまりそうになりました。
嬉しくて泣きそうになりました。
今年の秋には再び、ヤマガラが懐いてくれて幸せな時間が過ごせそうです。

もうひとつは、
とても信頼している方から久しぶりにメールが届いたことです。
本当に大切に思っている人からのメールは嬉しいものですね。
その方のメールの一部を紹介します。

PS
 Donglyさんの『小×』『眞×子』評は、
 かなり的を得ているのではないかと感じました。

 いたずらにサンカを賛美するのではなく、
 おかしいことはおかしいという、こういったDonglyさんのような視点が、
 これからは必要になってくるのではないでしょうか?

 今一度、ご考慮ください。

隠れファン - 2001/06/29(金) 23:19<

韋駄天掲示板にこういうのがありましたよ。

------------------------------------------------------------------------
[18248] Re:[18247] 2ちゃんから投稿日 6月29日(金)18時43分 投稿者 八神邦建 削除

サンカにも「縄文土着系」と「渡来半島系」がいるとの文を読んだ
ことがある。前者はみづくり・鉱山開発(砂鉄・砂金・鉱業)などに
たづさわり、後者は芸事・略取などの方面に特化していったとか。
 その辺を混同するとまずいことになるんでは? 田×元首相がサンカ
系の支援を受けていたのは、そっち方面を研究していれば、まずぶち
当たる情報だから、とりたてて驚くにはあたいしない。

------------------------------------------------------------------------
[18247] 2ちゃんから投稿日 6月29日(金)16時18分 投稿者 傍観者 削除

部落・サンカは影の支配者か?

1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2001/06/29(金) 12:42 ID:OzcniClc
また戦後の財界は「番×会グループ」というサンカ系!の財界人が私腹を肥
やすために政治を牛耳る(角×もその駒の1つ)とあります。この本に出て
来る財界人の多くがサンカ系○○のようで、直接は部落出身、イツキサンカ
となります。関西財界の黒幕・小×中(こばちゅー)の本姓は「関×」だそ
うです。それで分りました、サンカ系の中に天皇制を担いだり、保守的・右
翼的な方が多い秘密が。大阪在住伊藤君ちの48代続く家系図を未だに返さ
ない伊藤博文の真似がしたいのでしょうか。
老人ホームで人生の幕を閉じようとしている「取り残された」サンカ系はなお
「角栄は我々の仲間だった」「前首相は・・・」と誇りにしていますのに。
 して見ると小×首相(恐らく別所系)は、田×××子(シノガラの娘だか
らか熱烈人気?)を猿回しの猿の如く扱い、天皇制を残す事で私腹を肥やす
腐敗した一部サンカ最期の期待の星のような気がしてきます。

http://www.kumanolife.com/guestbook/index.htm

これは必読だと思います。

------------------------------------------------------------------------
http://www01.netweb.ne.jp/~kimura/cgi-bin/minibbs.cgi

randy - 2001/06/29(金) 22:55<

ちと追記

>Donglyさん、管理人さん

HP拝見しました。たい○ちさんのとことリンクされてましたね。実は史疑を掲載している関係上、
よく存じ上げております(リンクと一部抜粋引用の許可を得ております)。
関東の別所散所については新羅系ではないか?と考えております。これは新羅武士団の「源花」や
「花郎道」の系統とよく似ているのではないか?と思えるからです(中国史でいう墨家の遊侠派?)。
当然その頭領というと金ユ信。。。かな?桓武時代に立場の逆転が起こっているのではないでしょうか?
類従国史には光仁を南朝天皇と記すとされます。

randy <http://www12.freeweb.ne.jp/sports/randy2/> - 2001/06/29(金) 18:20<

割り込むようですみません。(^^;A

管理人様、皆様、こんちわ。熱い談義の最中で申し訳ないです。

>とんちんかん小僧さん

「鉢屋秀吉」って、現在書店で注文して購入可能なものですか?
価格は幾らでしょうか?それとも古本屋を回らないと無理ですか?
宜しかったら教えて下さいまし。

>Donglyさん

はじめまして、そうなんですよね、南朝の系譜なんですよね。
根拠資料は手元にはありませんが、指摘される書籍はいくつかあるようですね。

>管理人様

気楽にやっていこうと思いまして、最近HNを改名しサイト名も変えました。
でわでわ。

とんちんかん小僧 - 2001/06/29(金) 13:24<

陰の系譜・傀儡とは?(3)

 西宮(にしのみや)の“エベッサン”では、百太夫という神が
登場する。これが百神で、文楽や阿波・淡路の人形の神でもある。
 彼らのうたうものとしては、
 「今様[いまよう]、古川様、足利片下、催馬楽[さいばら]、
 黒鳥子、田歌、神歌、悼歌、辻歌、満固、風俗、呪師[のろんじ
 ]、別法師の類」
 と列挙してある。いろいろだが、見当のつくものもあれば、
全く分からないものもある。彼らはこうして、漂泊をつづけ
たらしい。が、たしかに異種のような気がする。
 「この連中は、一般日本人と全然生態が違う。異民族である
 ことは明瞭です。ヨーロッパのジプシーとそっくりです。同
 じものかもしれません」(『史談うらおもてから』)
                         終わり

Dongly - 2001/06/29(金) 13:18<

戦後のサンカ狩り

利田さん 
 昭和53年頃のサンカ狩は、豊前川崎町「藤ケ瀬の者」に対してでなく、
熊本県下で行われたようです。販売ルート沿いです。恐らく矢部町・清和村
蘇陽町・高千穂町・五ケ町・諸塚村・椎葉村あたりの箕作りが検束された
ようで、12・3名だったと思います。恐らく「不当逮捕」でしょうか?
今どうされてるのか、国家賠償はきちんと取ったのでしょうか。
直接の出典は熊本大学の研究者の論文です。探していますが未発見です。
 当時の新聞は、まだマイクロフイッシュ化・データベース化されてな
く、縮刷版の虫にならねばならず、負けてはいませんがお手上げです。
 熊本の新聞だったら確実にのっているはずです。
 私目が四ツ(身分は八ツの系譜)ではとても追いきれません。
 お手数ですが、よろしくお願いします。
ヤゾーさん
 天皇制のしばりがあるために歴史学者や民俗学者は「真実の歴史」から
遠ざかり、民族学が日本で育たないと思います。関西の有名な右翼(彼も
サンカです)を師匠とした仲間も中学生の頃訪ねてきた国立大学の歴史学
教授(東大?)から「学者のやってる日本史は嘘だらけ」と聞かされ、
高校時代から歴史書と現地調査にのめりこんだそうです。
彼の卒業論文は「日本奴隷史」と聞いたのは死後。何とセンスのよい事、
江上波夫の親分・岡氏がやりたかったのも「奴隷史」でしたが。
彼はサンカらしく、死後数百冊の本だけ残しました。また無縁仏にして呉
れとの遺言だったのですが、意に添わず原住民の敵・坊主の世話になった
ようで、土地私有制度が邪魔をして「無縁」にも出来ずです。仲間にも2
・3重の偽名だけを教え、本名は調べても分らないのです。
 刻一刻木箱に近づくだけの私ですが、若い方に何かショックと興奮を
させてあげたいですね。でも自分だけでエキサイトしていますが!!。

とんちんかん小僧 - 2001/06/29(金) 12:55<

陰の系譜・傀儡とは?(2)

 だいたい、この傀儡という言葉が、もっとも古く出ているのは、
『列子(れっし)』[中国の春秋戦国時代の書]らしい。
 周の穆(ぼく)王の時代のことで、王が西方へ巡狩(じゅんしゅ
)[=巡視]に行ったところ、人形を献上された。その人形は、内に
肝、胆、心、肺などを蔵し、外には筋骨や皮、毛髪、歯などをそな
えているというたいそう精巧なものだったそうだ。
 人形の精巧さはさておき、西方へ巡狩におもむいたところから、
西方伝来であろうことがうかがわれる。
 高野辰之氏(大正・昭和期の国文学者)の『国劇史概観』には、
 「我が傀儡(くぐつ)は、ジプシー、すなわちチゴイナーと
 同一種族なのではあるまいか。傀儡はインドから出たものと
 して、西洋学者も立論しているが、チゴイナーは黒髪暗膚で、
 身の丈低く、どうやらインド北西部から出たらしいという。
 これが西域(さいいき)地方を経て、中国北西部のウラルア
 ルタイ語族の地帯に入り、同語系の我が国へ入り込んだもの
 と考えたい」
 と書いてある。
 こうなると、すぐ隣の半島や大陸から渡って来たとしても、
その源ははるか西域にあったと考えねばならない。
 定住せず、したがって家もなく、丸い天井のテントを張り、
水草を追って移り歩く。
 男は弓馬が巧く、狩りを行い、剣や玉(ぎょく)を投げ、
人形を生きている人間のように舞わせ、砂や石を金銭に交え、
草木を鳥獣に化かすなどの芸を見せる。女は化粧して歌をうた
い、春を売る。
 一畝(ひとうね)の田も耕さず、一枝の桑もつまず、つまり
生産的なことは何一つせず、だから役人の差配も受けることが
ない。上は王公を知らず、神を恐れず、一生を楽しんで暮らす。
 夜は夜で“百神”というものを祀り、鼓舞喧そうを極めて騒
ぐというのだ。
 百神とは、塞(さえ)ノ神、道祖神(どうそじん)であり、
また、辻の神であり、性神である。 −つづく。
 

利田 - 2001/06/29(金) 11:47<

サンカ狩

>昭和53年頃九州ではサンカ狩で機動隊を出動させています。

これって、もしかして「白昼堂々」のモデルとなった田川郡川崎村(××政調会長の地元)のことですか?

ヤゾー - 2001/06/29(金) 11:00<

天皇について

少し前、チャットに来て下さっていた方に、
僕は昭和天皇が好きだったというようなことを発言したことで来なくなってしまったことがありました。
そのこともあり天皇に対しては何も言わないでおこうと思っていたのですが、
やはり自分には嘘はつけないので書きます。

僕は思想的なものでも、勿論、政治的なものでもないのですが、
サンカが何か重要なものを継承しているように感じると共に、
天皇という存在に対しても同じようなものを感じていました。
それは誰の影響でもなく感性というか直感みたいなものでした。

以前、陰謀王国という、ある方とのメールのやり取りを記録したページがあり、
そのことは書いていました。でも僕にとっても大切なページであったのですが事情により削除してしまいました。
それであらためて僕の思いを書かせて頂きました。
Donglyさん、そのことで嫌いにならないで下さいね。

東京で道具屋のようなことをしている時、師匠のような存在の方が仰っていました。
本物というものは得てして『らしく』ないものだ、 と。
ドングリさんは大学教授でありながら、そんなことなはおくびにも出さないし、
また感じさせないところに本物さを感じます。
真摯な研究態度が伝わってきます。
僕たちにとっては本当の意味での先生です。

とんちんかん小僧君、良い出会いがあって良かったですね。
夜更かしのサクラさん、早起きのおミヨさん、こんにちわ。
ところで、タヌコと呼び出したのはおミヨさん?

Dongly - 2001/06/29(金) 09:41<

伊藤博文はハチヤか?

旧姓、林某で茨城出身の賎民出身と野史研究5にあり、気にはしてました。
明治維新は「賎民が実行し、成上り・・、その後の政治は」(歴史学者・
石上堅)滅茶苦茶。自称南朝天皇系大室寅之祐を明治天皇にすげ替え・・。
 大室寅之祐は伊藤の子分で柳井市石城山で力士隊(屠者集団)で訓練。
するとエミシ末裔、別所の者が天皇制を破壊するのでなく、乗っ取りです。
その後「天皇制の有効利用」。伊藤博文は確実に別所の者、そしてサンカ
の疑いはありですが。北朝支持の佐幕派大名「有馬範顕一代記」には伊藤
は長州忍者組織「ハチヤ」の下忍(上忍は配下)とあるではありませんか。
大室明治天皇BBSでは、この忍者組織は「黒手組」、頭は吉田松蔭とあり
ます。本当でしょうか?ハチヤはイボロとして平将門の時代筑波山近に領地
ありとされますので、調査すれば何かあるかも知れません。
原住民組織に「戦争終結に協力すれば5・6世紀の倭にして政権を渡す」の
連合国軍からの密約があっても、戦後に原住民組織(サンカ?)が天皇制
存続可否を廻り「割れた」とする事も可能。なぜなら戦後にも公教育・納税
戸籍ベースの延べ10万?人(左翼や労働運動とは別個の)反対運動があっ
たようで、昭和53年頃九州ではサンカ狩で機動隊を出動させています。
紹介して頂いた「朝日と読売の火達磨時代」に維新後の政府高官は東北サン
カが多く、新平など九州サンカは始末されているようです。田山花袋はサン
カ「帰国」先を福島か山形の模様ですが、三角寛は関東以北にサンカなしと
。この辺はもっと分析する必要ありです。
また戦後の財界は「番×会グループ」というサンカ系!の財界人が私腹を肥
やすために政治を牛耳る(角×もその駒の1つ)とあります。この本に出て
来る財界人の多くがサンカ系○○のようで、直接は部落出身、イツキサンカ
となります。関西財界の黒幕・小×中(こばちゅー)の本姓は「関根」だそ
うです。それで分りました、サンカ系の中に天皇制を担いだり、保守的・右
翼的な方が多い秘密が。大阪在住伊藤君ちの48代続く家系図を未だに返さ
ない伊藤博文の真似がしたいのでしょうか。
老人ホームで人生の幕を閉じようとしている「取り残された」サンカ系はなお
「角栄は我々の仲間だった」「前首相は・・・」と誇りにしていますのに。
 して見ると小×首相(恐らく別所系)は、田×××子(シノガラの娘だか
らか熱烈人気?)を猿回しの猿の如く扱い、天皇制を残す事で私腹を肥やす
腐敗した一部サンカ最期の期待の星のような気がしてきます。
 今度の選挙どうしようかナ。20歳頃からの0記録を伸ばすことにするか。
小×・鳩×抜の真×子中心の反自民サンカ党ができれば、入れたいのですが。


おミヨ - 2001/06/29(金) 06:53<

安来節

泥鰌掬いの動作は
竹笊と泥鰌でサンカをイメージしておりましたが、川砂と砂鉄をよりわける動作だったのですか。
そういえば、川で砂金掘りしている人も竹笊で掬ってより分けていますね。

いくぞみなさん あの山越えて
かんな七里に 炭3里
「たたら」の仕事も大変だったようですが羽振りもよかったようで、播磨の昔話しで
「金山世帯」給金ためても親方にとりあげられるので”鉄山者”は立派な着物を買ったり絹布団を
買ったり。子供の宮まいりも派手で「金山世帯」といわれカネを荒使いしていた。
「鉄山者」は衣装持ちで、村方の人達が祭りや祝の時衣類を借りににきた。
「鉄山者」は一日に男は一升、女は6合、子供は3合の割で米をもらい、男の子は生まれると、すぐ
3合もらえたが、女の子はもらえなかった。
竜野や三日月の殿様が度々見物にきた・・・・ 。  えとせとら
宮崎駿ノ映画「もののけ姫」にたたら衆がでていたような・・・・・・・・。。

サクラ - 2001/06/29(金) 02:10<

梅雨明けまじかでしょうか...

やぞーさん、紀和鏡さんの「鳥人記」読み終わりました。

「猿楽の翁と申すは芸にあらず。伝へ事なり。
  神代の昔、茫漠たる原野に降りし、日彦・月彦・風彦といふ三人の翁あり。
  これすなわち人の親にして裔の者なれば、果なき歳月の流れを車輪のごとく巡らいて
  冥府より現れいでぬ...」

で始まる小説に飛鳥にペルーのナスカに、そして那須にも連れていってもらいました。
近未来の危機的状況も加味されていて、
紀和さんが何をこの小説で伝えたいのか...何を考えているのか..と面白い筋に
夢中になりながら考えました。

そして、読み終えた後、未来は無数にある中で、どの未来を選択するかは、ただの人の心だとの
作者の声にさわやかな気持ちで今います。
こんなに素敵な本を教えてくれたやぞーさん。ありがとう...

今日は雨もなく、さわやかな風が吹いています。
夜風が心地よいころになりました。
カセットから流れる曲に心ゆくまで酔いながら...
タヌコを思い出している今宵...

とんちんかん小僧 - 2001/06/29(金) 02:03<

続・鉢屋秀吉

 Donglyさん、古賀政男は違うと思います。九州に昔から多い名字です。
 例えば、古賀逸策(いっさく)[1899-1982]、昭和期の電気通信工学
者。古賀穀堂(こくどう)[1777-1836]、江戸後期の儒学者。古賀峯一
(みねいち)[1885-1944]、大正・昭和期の海軍軍人。古賀良彦(よしひ
こ)[1901-67]、昭和期の放射線医学者…etc(新潮日本人名辞典より)



 
 最近、Donglyさんやおミヨさんからの影響で鉢屋衆が、
根来衆と同じくらい好きになりました。
 ありがとうございます。

ヤゾー - 2001/06/29(金) 01:16<

サンカとは?

サンカのルーツを縄文に求める考えや、インドを起源とする者、朝鮮半島の白丁との関係を指摘する人、
はたまた近世起源説を唱える人などがあり、諸説紛々としていますが、
もう一度ここでサンカについて考え思ったことを書いてみました。

まず縄文人や先住民とはどういう人たちだったのかを簡単に考えてみました。
随分と簡単に書きましたので、間違っているところや足らないところは誰か後で補足して下さいませ。

縄文人(原住民系の人々)とは、1万年以上に渡り自然と調和した精神性と霊性の高い生き方を実践してきた人たちであり、
また、それは人も自然も差別することのない生き方であり、それを選択した人たちだと思っています。

先住民とは、縄文後期から弥生時代、古墳時代?に渡来してきた人たちであり、
新しい文化を持ってはきましたが、縄文的な生き方を尊重し、その魂(心)を受け継いだ人たちのような気がします。

渡来系征服民とは、どちらかというと人も自然をも支配し、または差別しようとする価値観を持ち、
高度な軍事力と政治力で日本という国を支配統一した人たち。

渡来系被征服民とは、渡来系征服民と極めて近い存在でありながら、
価値観・宗教の違いか、または軍事的・政治的に敗者になったことで原住民・先住民の人々と融合した人たち。


遺伝子の解析技術の進歩により、本州の日本人の約四分の一の人が中国特有、韓国特有の遺伝子と一致することが分ってきています。
また、中国や韓国にも縄文人に近いとされるアイヌや沖縄の人たち特有の遺伝子を持った人たちがいることも分ってきています。
日本人という民族が多民族がら成り立っているようにサンカもまた多民族なのだと思います。
だからサンカの中には縄文人、先住民、渡来人の血も当然流れているのだと思います。
ではサンカとそうでない人たちと何が違うのかというと、
ここに集まって下さっているサンカの好きな人たち、またサンカの末裔も何人かはおりますが、
そういったみなさんに凄く共通したものを感じることがあります。
それは自然や動物に対する想いであったり、弱者に対する想いであったり、純粋なひたむきさであったりするのですが、
その共通したものとは、自然と調和し、人も自然も差別することのない生き方を実践してきた魂を受け継いだ人たちのように思うのです。
ですから、サンカとはそういった精神や生き方を尊重し継承してきた人たちだと思いたいのです。
甘いですか?
う〜ん、書いてる途中でヤナさん、サクラさんとチャットをしてしまったので、
しまらない文章になってしまったかな?


>倭とティンカー

NA-NI さん、こんばんわ。

国境を超えて原住民・先住民と征服民族に分けて考えると不味いですか?

NA-NI - 2001/06/28(木) 23:50<

倭とティンカー

>和かってます。すいません、洒落でした。
>白丁のルーツはもともと日本であったの日本とは、
>多民族であったであろう原住民のことを言いたかったのでした。
>勿論、今の国境は関係ありません。

う〜ん、言い回しとしては難しいですね。
ただ、ある言葉を用いたとき、それに伴う感情、情的理解、無意識的連想・理解などに注意すると、
実際、意識的・知的理解が十分としても、なかなか払拭できない事実を認識してしまうと思いますが
どうでしょうか?かくいう私はまさにそんな感じです。

>『アイルランドの漂泊民ティンカー』
>アイルランドには『ティンカー』と呼ばれるサンカとよく似た漂泊の民がいるそうです。

昔、ある民「族」学の本で写真付で詳しい説明があったのを読んだことがありました。
(書名失念。くそー!)
記憶を辿れば、確か定住せずに馬車での移動生活をしているのではありませんでしたっけ。
で、日本におけるさまざまな被差別民の状況に似ているような気がするのですが。病持ちであったような。。

日本においてもヨーロッパのごとく民族学をきちんと当てはめたら、日本人・在日・アイヌ民族・ウチナンチュウ・ウイルタだけではないだろうに、と思うのですが。。。

ヤゾー - 2001/06/28(木) 23:30<


Dongly さん、おユキちゃん、こんばんわ。
サンカと芸能は関係が深いですね。
芸能界などではサラブレッドなのかもしれませんね。


おユキ - 2001/06/28(木) 12:52<

サンカは芸能の担い手でもあったのですね

Donglyさん ヤゾーさん。
エラギについての質問に答えて頂いて、
ありがとうございました。

サンカと芸能がとても深い関係にあることがよく分りました。

高さんの話しの続きを楽しみにしています。

Dongly - 2001/06/28(木) 00:59<

伊賀・簸・エラギ

とんちんかん小僧さん 有難うございます。当分、伊賀=百済系で参ります。
  ところで「酒〜は 涙か ため息か」の古賀政男もコーガ系でしょうか?
おユキさん お名前を間違えてすみません。女歌舞伎の出雲の阿国は、サンカ
 本にはエラギ頭の名としてでてきますが。阿国の墓は出雲大社北側の安養寺
 の一角(鬼門?)にありますので、別所の者に繋がりがありそうです。
おミヨさん 島根の安来節の「泥鰌掬い」は川砂に混じる砂鉄をより分ける
(サンカ語でヨナゲと)作業から由来してる物で、この作業者が流子です。
 安来の側の川砂鉄は鋼成分が多く、尼子氏がこの川の上流に富田城を作っ
 た理由だ、とも郷土史家はいいます。有名な「月に祈る」サンカ山中鹿之
 助(尼子配下)は八屋秀吉に播磨「三日月」付近で見殺しにされました。
 炭焼と共にタタラ近の下層農夫(居付きかも?)の日雇で、タタラが閉鎖
 されると困るので何とかしての願いが、江戸期の文書に残っています。
 地名では「流越」(←流子衆!)があります。元々は、簸伊川でも砂鉄を
 篩ってました。簸は読みはヨナゲ、笊で砂と砂鉄を選り分け。元々は笊(
 地名では猿とする場合ありと柳田國男)は竹製ではなく、蔦や蔓で編んだ
 物を使ったようです(研究中)。東京夢の島の廃棄物処理業者を以前は
 ヨナゲ屋と呼んでいました。
高さん ヤナギムシさん 中年ですかお若い!!老年からも質問させて!
 何か売りに来たのでしょうか?漬物など好んでましたか?地名が分れば
 教えて。今までの情報では出作地名も同じような所みたいですが。
 ヤマセがそうならカワセもとトンデモ連想します。

ヤゾー - 2001/06/28(木) 00:25<

アイルランドの漂泊民

高 さん、ありがとうございます。
ヤマセについてはとても貴重な話しのような気がします。
お母上様の思い出と共に、ママセを思い出されたのもなにか感じるものがありました。

>母は「ヤマセ」の子供に着物のハギレで作ったお手玉をあげたら、
>とても喜んでくれて嬉しかったと言ってましたね。

とても優しいお母上様であったことが伺えるお話だと思います。


>もう一つは、横浜の港北茅ヶ崎のBOOK-OFFで購入した。

とんちんかん小僧君、お帰りなさい。
忙しい合間にでも古本屋へ行くあたりは流石です。

おミヨさん、ヤナさん、こんばんわ。
今日もとても暑かったですね。
お身体大切にね。

>なんですかその“タヌキと遊ぼうポンポンチン”というのは!?

ポンポンチンはポンポンチンで意味なんかはありません。
別に笑わす積もりで作ったページではありませんが、
この殺伐とした世の中にあって、笑って頂けると幸甚です。

は〜 笑う門には福きたる です。


『アイルランドの漂泊民ティンカー』

アイルランドには『ティンカー』と呼ばれるサンカとよく似た漂泊の民がいるそうです。
彼等はブリキ細工や各種の修理、遊芸、行商、馬喰等で旅の生活をしているみたいで、
映画などにその姿を見ることができるみたいです。
チャップリンの放浪者はそのティンカーを描いたものではないかともいわれているそうです。
個人的なことですが、僕は非常にアイルランド系の人に惹かれます。
今まで強烈に好きになった西洋人はすべてアイルランド系の人でした。
ケルトと縄文には共通したものがあるからでしょうか?
純粋なケルト人に近いのは、アイルランド人やスコットランド人よりもウェールズ人とブルトン人とする意見もありますが、
アイルランドの中でも漂泊民ティンカーがより純粋なケルト人に近いのかも知れません。

ヤナギムシ - 2001/06/27(水) 22:43<

今日は・・です

高さんこんばんは!ヤナです
  わたしも、きっと同年代です
   中年なんて、言わないでください
山を歩く時・・大切なのは・・経験です
     すてきな、体験談すごーーーく楽しみです
自分のことばで、こころでお話ください
  消え去るまえに・・残してください・・みなさんに話してください
            時にヘラヘラ・・時にまじめに・・時に酒の力を借りて・・
    ヤナお相手させていただきます・・よろしくお願いします

          ・・ヤナギムシでした

- 2001/06/27(水) 21:00<

ヤマセについて

ヤゾーさん こんばんわ。 こんな中年の昔話にお付き合いいただいて恐縮です。
ここでお返事のようなものがいただけるとは考えてもおりませんでした。

「ヤマセ」の話は何分私も幼い頃の話なので、断片的にしか思い出せないのですが
母の郷里が冬は少しは雪積もるところでしたので、
冬の間はどこかへ移動して雪が解けた頃に戻っていたようです。
何時頃までそこにいたかは不明ですが、
「いくさが始まって憲兵が来るから、駐在さんがヤマセと話し合って立ち去らせた」
というようなことを言ってましたので、多分母の話からすると昭和12、3年頃の事じゃないかと。
母は昭和4年生まれですから、実際はもう少し後かも知れませんが。

私も先日ここを初めて読んで、もっと生前にこの話を聞いておけば良かったと。
この夏に母の13回忌で親族が集まりますので、叔父や伯母に訊ねてみようと思っています。

とんちんかん小僧 - 2001/06/27(水) 20:51<

鉢屋秀吉

 おミヨさん、こんばんは。

>戦国時代、先陣の先頭になってホラ貝をふける呼吸の強い者が
>ラッパで、ホラ貝を吹いてもならない者がスッパと区別されて
>いたと。

 そうですか、全く知りませんでした。面白いことですね。
 また、いろいろ教えて下さいませ。

 もう知ってる人もいるでしょうが、スゴイ本を見つけた
ので紹介します。
 黒須紀一郎著『鉢屋秀吉』 第一部 陰の一族  作品社 
 
 まだ読んでいないので内容は分かりませんが、カバーに
ついてる帯に
―秀吉は八の者にて候―
 安国寺恵ケイ(漢字は知ってるけど出せませんでした)
の手紙に隠された秀吉出生の秘密。諸国流浪の技能者達の
総力を結集して駆け登る天下人への道。『太閤記』に纏わ
る謎を解く瞠目の書き下ろし歴史長編。

 もう一つは、横浜の港北茅ヶ崎のBOOK-OFFで購入した
本です。
 赤坂憲雄著『漂泊の精神史』−柳田国男の発生−
 小学館ライブラリー
 
 こちらの本のキーワードは、イタコ、木地師、毛坊主、
阿弥陀聖、サンカ、オシラ遊び。
 上の言葉にピンときた方、読んでみて下さいませ。

★流☆星★ - 2001/06/27(水) 20:04<

ポンポンチン!?

なんですかその“タヌキと遊ぼうポンポンチン”というのは!?
あまりにバカバカしく且つ無邪気さに笑ってしまいました ★〜☆
ヤゾーさんとやら、あなたなかなか面白い人だね!☆ !

おミヨ - 2001/06/27(水) 18:07<

ドジョウすくい

Donglyさん有り難うございます。

ところで、ドジョウすくいというのは、サンカ職ですか?
遊芸人のうちなんでしょうか? イツ守のうちですか?
安き節がありますが・・・・・。

とんちんかん小僧さん
ラッパ スッパで面白いのがのっていました。
戦国時代、先陣の先頭になってホラ貝をふける呼吸の強いもがラッパで、ホラ貝吹いてもならない者
がスッパと区別されていたと。ご存知でした?



ヤゾー - 2001/06/27(水) 15:00<

日本の原住民組織(サンカ?)

>エラギって雑芸能に従事した人達のことですか。

おユキちゃんへ
エラギについてはDonglyさんが殆ど説明して下さっているので、
後は補足としまして、エラギとは『遊芸』または『楽器』を意味し、
上代語と共通しているみたいです。
また、ある本によるとクグツや白拍子をサンカのエラギ族とし、
えびっさんで知られる西宮神社を信仰し、そこからエビスまわしが生まれ、
クグツの人形使いから、後の文楽の人形浄瑠璃が生まれたということです。

>倭=和ではありません。

和かってます。
すいません、洒落でした。
白丁のルーツはもともと日本であったの日本とは、
多民族であったであろう原住民のことを言いたかったのでした。
勿論、今の国境は関係ありません。

>一説に日本帝国の戦争を中止させるため連合国が日本の原住民組織(サンカ?)に
>「協力してくれればワの国にして君らに日本を渡す」と約束したそうです。

とDonglyさんの投稿にある日本を意味した積もりであったのですが、
言葉足らずでした。

とんちんかん小僧 - 2001/06/27(水) 14:10<

Donglyさんへ

 Donglyさん、こんにちは。

>伊賀姓は応神祀るから、やはり百済系ですか?

 伊賀と甲賀(こうか)両地域の住民は古代(推古朝以前)から平安時代中期
まで焼く400年以上、伊賀の国に共生したいた同一の氏族だったという伝承が
伊賀の国には残されている。それが平安時代の中期、荘園主(貴族)の交代に
よって、甲賀三郎兼家が藤原氏の荘官となった時点で、北辺の甲賀地域が伊賀
の国から分割され、近江の国に編入されることになったが、もともとは伊賀の
国であった証拠として、伊の原字甲をとって甲賀と名付け、郡として、近江の
国に編入されたというのがその伝承の根拠だといわれています。
 ですから、この際、伊賀姓だけではなく甲賀姓も同じ一族として考えていた
だきたい。
 私的にも、先住の伊賀・甲賀忍者の先祖は、朝鮮半島の百済人が帰化したので
はないかと考えられる。現存する甲南町竜法師(りゅうほうし)の「忍者屋敷」
の仕掛けなどは、いまでこそ幼稚なものだが、これが千数百年の前から伝承され
たものだといえば、相当の科学的な技術で、むろん大陸文化の高度な知識だった
といえないだろうか。
 天智8年(669)のこと、近江朝を創設した天智天皇が、旧百済人を700余人ば
かり蒲生郡に移住させているが、その一行の中に鬼室集信(きしつしゅうしん)
などの学者がおり、漢方療法を伝えたとあるが、これらの一族が薬草の豊富な甲
賀郡に移住した可能性も高い。また鬼室らと同時に、木素貴子(もくそのくひし
)などの兵法家も渡来しており武術を伝えたとある。彼らが中国兵法の孫子(そ
んし)の兵法、とくに忍術の大本である「用間」の術を伝授したとも考えられる。
 それは、甲賀には古代から製薬技術と忍術が、秘伝として伝えられているから
である。
 いま一つ、伊賀・甲賀の帰化人説を裏付ける根拠がある。
 それは天智治世より100年ほど前の敏達(びだつ)13年7月に、百済人の鹿深臣
(かふかのおみ)が渡来してきて、甲賀を開拓したというのだ。『日本書紀』の
記事にあるのだが、甲賀の古い呼称が鹿深であり、それが甲可、甲賀に推移した
となれば、この説も捨てがたい。
 伊賀姓も甲賀姓も百済人ということで正解でしょう。この上の文を覆す文がな
い以上は。

NA-NI - 2001/06/27(水) 01:12<

倭(WAE)

ヤゾーさま。
>騎馬民族が侵略してくる以前の朝鮮半島にはどんな民族がいたか『山海経』によると、
>北には鉅燕(きょえん)、南は倭だと書いてあるそうで、
>そういうことから朝鮮語の一つである百済語には基層的に和語が含まれている結論に至ると
>古田武彦氏が対談形式の本で発言しています。
>また高麗時代に「我々も倭人である」として白丁が契丹軍と共に、高麗と戦ったと言われていますので、
>白丁のルーツはもともと日本であった可能性はないだろうかと考えています。

そもそも「倭」というのは列島弧におけるいくつもの部族単位で社会構成していた先住民の一括した他称であって、
倭=和ではありません。

後に「倭国」とかというように意味合いに変化が起きますが、「倭国」という言い方も変な言い方だと思います。
「倭」の集団には、部族的、広義的に同一といえる集団ばかりではなく、言語も異なり、習俗も異なる集団も
含めて(古代中国などが)一括した可能性もあるのではないでしょうか。

また、私たちは罠に陥りやすいのですが、現在ある「民族」の概念・定義でもって、ある集団(現在、過去)を推し
量ろうとするとそこに多くの誤解が生じえるのではないかと思います。
北米の先住民をbandでもって分かれているとするのは聡明とおもいますし(当然のことですが)、
今は「民族」でまとまっているアイヌ民族も、かつてはいくつかのBandに近い社会的集団に分かれていたのです。
そこには確かに系譜と文化の継承はされてきているけれど、今の「民族」は和人の侵略・同化政策と和人との
対峙によって形成されてきたものと思われます。

ヤゾー - 2001/06/27(水) 00:55<

ウメガイ

ヤナさん、こんばんわ。

>清いせせらぎに、歩くアカハラ

小鳥?それともヤモリ?
どちらも渓流に行けば歩いています。
でも小鳥の方ですね。
それはそうと風邪はよくなりましたか?


Dongly さん、こんばんわ。

>サンカ鍛冶は野鍛冶が多く、
>フイゴ祭が他の鍛冶と違います。刀鍛冶の名門姓はサンカ本にでてます。

一度だけ懐剣サイズの本物のウメガイを見たことがあります。
一時、日本刀に少し懲ったことがあり、また自分でナイフを制作したこともあったりして、
刃物や鉄味については少しは知識がありましたが、
見たウメガイは刃物としては相当立派なものに見えました。
また包丁や日本刀のようなものというより、
全身がハガネのナイフに近い刃物であったような気がしました。

Dongly - 2001/06/26(火) 23:49<

エラギには

おミヨさん。サンカの遊芸人とイツモリ(力仕事)があるようです。
遊芸職は「うずめ」「小法師踊」「榊振り」「獅子舞」「たまい」「俵転し」
「てるつく踊」「四つ竹舞」「猿舞」「さるめ=猿楽」「梅坊主」で下位に
は更にヤシナあり。五守でなくイツ守(とは自説です)が「いけす=池番」
「うきす=舟番」「のもり=畠番」「かもり=川番・川漁師」「かわんど=
漁夫」「やもり=家番」。しかしみもり=水番、ひもり=樋番などもイツキ
系で、団左衛門配下になり易く狭義同和系に組込まれてる可能性あり。また
「鍛冶」「作刀」「するど」「めあけ」「臼目切り」などもあり多様です。
四つ竹舞は木・竹・小皿でカスタネット代りで踊るヨサコイ、テショー踊り
が引継いでるかも。北海道で高知よりヨサコイが流行るのも因縁でしょう。
神主でもないのに代り出来る方は「榊振り」の血筋かも。梅坊主は「かっぽ
れ」です。ウズメ命祀るは娼婦筋か踊芸人筋で、昔のストリップ。サンカ鍛
冶は野鍛冶が多く、フイゴ祭が他の鍛冶と違います。刀鍛冶の名門姓はサン
カ本にでてます。みもりは、変換ミスで三森・水森・光森・満森とされます。
 サンカ本は民俗的ですから近世以後で古い職種はでていません。
 佐々・笹・篠がつく苗字があるのに分らないのはシャクの種ですが。

ヤナギムシ - 2001/06/26(火) 22:48<

kekekeけけけ

きょうかいさん・・お帰りなさい
 琵琶湖の旅楽しまれたようですね
  私の目に浮かぶようです
高島の町にも、足を運ばれたのでしょうか?
  佃煮の香り私も、あの町で体験しました

  真夏・・ミンミンゼミを、まじえたせみ時雨・・山に踏み込むと
          ひぐらしのカナカナと、もの悲しい響き

       清いせせらぎに、歩くアカハラ
          ほんま・・これからええ、季節でんな・・

  でも今は・・梅雨・・・静かに流れる雨雲・・
   ひさしから、つたう・・雫を・・
  感じながら・・呑む冷酒

        一人やるのもよし
          友とやればなおよし

            000とならなお・なおよし

               ・・・・ヤナギムシ
               

ヤゾー - 2001/06/26(火) 01:35<

Re: ヤマセ

高さん、はじめまして。
なんだかとても美しい話しですね。
宜しければもっと詳しくお聞かせ下さい。
寝る前に子守唄のような話しが聞けてよかったです。
今後とも、よろしくお願いします。

- 2001/06/26(火) 01:15<

はじめまして

初めてここにお邪魔した40代の中年です。全編非常に興味深く読みました。

私の母が子供の頃住んでいた田舎の山間部には「ヤマセ」と呼ばれる人々が春から秋にかけてのみ
集落を作っていたと昔よく話を聞きました。
年に一度の村祭りの時には彼らも呼んで、歌や踊りでおおいに盛り上がったそうです。
母は「ヤマセ」の子供に着物のハギレで作ったお手玉をあげたら、とても喜んでくれて嬉しかったと言ってましたね。あの人たちは山の神の子孫だから・・・と何度も私に言いました。

ここを読んでいてそんな昔話をふと思い出しました。

ヤゾー - 2001/06/26(火) 00:03<

白丁は倭人か?

ナイスタイミングさん、はじめまして。
これからも時々は顔を出して下さい。
今後とも、よろしくお願いします。

おユキちゃん、おミヨさん、こんばんわ。
本当にカリコボーズのホイホイは面白くて可愛いですね。

>鹿島昇「裏切られた・・・」も面白そうですね。読んで見たい。

http://www.ctk.ne.jp/~knagao/meiji.htm

このページ、なかなか面白いです。

>どこからか立ちのぼる佃煮の香が思い出になりそうです。

きょうかいさん、おかえりなさい。
情感のある文章ですね。

>やぞうさん>最新号です。
>ナイスタイミングさんの仰る通りたいしたことなかったです。

silkyさん、ご丁寧にありがとうございました。

>批評社に問い合わせてみたのですが、夏頃になるそうです。

もんむーさんの情報は有り難いです。
これでイライラしないで気長に待てます。

>谷川氏はこの中でサンカについて朝鮮半島の白丁との関係の可能性について指摘しています。

騎馬民族が侵略してくる以前の朝鮮半島にはどんな民族がいたか『山海経』によると、
北には鉅燕(きょえん)、南は倭だと書いてあるそうで、
そういうことから朝鮮語の一つである百済語には基層的に和語が含まれている結論に至ると
古田武彦氏が対談形式の本で発言しています。
また高麗時代に「我々も倭人である」として白丁が契丹軍と共に、高麗と戦ったと言われていますので、
白丁のルーツはもともと日本であった可能性はないだろうかと考えています。
大陸から一方的に人や文化が日本に伝わったのではなくて、
日本から世界に向けて人や文化が流れた可能性はないのか、偽書とされた古史古伝や、
あちらこちらで発見されているペトログラフ(古代岩刻文字)に刻まれた、
世界に共通した古代文字を通して新たな歴史が展開してゆく気がします。
少し飛躍してしまいました。

silky - 2001/06/25(月) 22:34<
やぞうさん>最新号です。
ナイスタイミングさんの仰る通りたいしたことなかったです。

 ●中国地方で見つけた「山の民」の生活ルポ
は結局被差別部落の問題だったんですけど、最後の文章で
この先にサンカの末裔が住んでるトコがあって、機会が
あれば行きたいと書いてありました。
簡単に流していい文章ではありませんでした。
「こっちへ先行け!」などと、一人ツッコミしてました。
またオジャマします。



きょうかい - 2001/06/25(月) 20:05<

琵琶湖

 ヤナギムシさん、みなさん
 昨日、琵琶湖旅行から帰ってきました。坂本をまわって、北上しマキノ泊。
 あいにく大雨だったけど、カタツムリもいて、なかなか情緒ありました。
 ヤナギムシさんに教えてもらったお酒、あいにく見つからなかったけど
 ほかの地元の酒で盛り上がりました。
 マキノは、班田収受をした北端だそうです。どうりでマキノより北は、
 山続きです。やや東の長浜までたった七駅なのにむちゃくちゃ交通が
 不便で午前中に二便しかなく結局長浜はあきらめて、彦根城を見て帰りました。
  地図だけで日程を決めるのは、だめですね。反省
 今回わかったことは、近江の東と西は、北の山塊に阻まれて、昔時は全く違う
 地域だったのだろうということ。
  湖畔に並ぶ家々は、みな立派で品があり、どこからか立ちのぼる佃煮の香が
 思い出になりそうです。
  次は、湖南から甲賀、伊賀、信楽に行ってみたいです。
ふぁる さん
 丁寧な説明ありがとうございました。
>じつは(単純化しますが)日本の2重構造
(平地−山地)の成立とかなり関連があると思います。
 もしかして、これは、経済史と関係がありますか。
 日本の2重構造(平地−山地)と媒介項としての、市場、商人(椀貸し、神社の供え物)等
  また、古代の「交通網の整備事業」との関連や
「渡来系とかの別なく、この島はかなり外に向かって開かれていた訳です」などとは、
 考えたことなかったので大変参考になります。
 またよろしくお願いいたします。
 

もんむー - 2001/06/25(月) 17:17<

柳田国男の民俗学

谷川健一「柳田国男の民俗学」岩波新書

この中で、柳田国男のサンカ研究について言及しています。谷川氏はこの中で
サンカについて朝鮮半島の白丁との関係の可能性について指摘しています。

でわでわ

もんむー - 2001/06/25(月) 15:28<

歴史民俗学20

批評社に問い合わせてみたのですが、夏頃になるそうです。細かい日程はまだ
決まってないようです。

でわでわ

おミヨ - 2001/06/25(月) 14:59<

紫陽花

花屋さんを覗くと紫陽花も色が豊富できれい。
ほしいなぁーと思う紫陽花は結構高価です。

「歴史読本 未解決事件の真相」に「偽史源流行 越字とサンカ字の出所を疑う」藤野七穂
がのっていました。まだ読んでいませんが。

「ダークサイド」たまに買って読んでいます。ちよっと突っ込みが足りなくて物足りないところ
もありますが、でも、おもしろいです。

傀儡について
中世の傀儡師から香具師に移行し現在のテキヤの祖先?
忍者と香具師の関係は同じ流れでしょうか・・・・・?
守り神は「飯綱権現」「神農さん」ともに中国の帰化人?

カリコボーズのホイホイ面白い。
鹿島昇「裏切られた・・・」も面白そうですね。読んで見たい。

サクラさん 頂いた「栞」喜んで使ってます。(^ー^)


ナイスタイミング - 2001/06/25(月) 13:37<

横からすいません

やぞーさん、はじめまして。こんにちは。
たびたびROMさせて頂いております。

silkyさん、横からすいません。

出版社の営業妨害をしようという意志は全くないのですが、
「ダークサイドJAPAN」の記事の元は
杉浦清石氏のホームページの内容と同じです。
http://homepage2.nifty.com/seiseki/index.htm

期待して買ったのですが、いささかガッカリです。
が、
■ダークサイドJAPANに掲載
■その捉え方に疑問符が付くが毎日新聞朝刊に掲載。
■三角寛・復刻版の書店平積み
■有名掲示板でサンカの板が立てられる。
という風にインターネットの普及でサンカ情報は増加している傾向にあると
感じています。
(今までの文部省的正史が否定されるのでは?という淡い期待があります。(^^;))
「千と千尋の神隠し」もどういう解説がなされていくのか楽しみに思っています。

》僕も読みましたが凄い内容でこんなの書いて大丈夫なのかな?と思いました。

こちらの掲示板の情報を得て、同書を購入しました。
(以前、藤原氏の著書・オリンピアン幻想を読んだ時、こんなの書いて
 大丈夫なのかな?と感じたものです。)
藤原氏は海外在住ですが、現在の国内マスコミの情報収集方法、大資本による
広告収入の現状を考えると小田実氏同様、海外在住の方でなければ書けない内容
なのでは?と思いました。
分かりやすいやら情けないやら、変な話だと思っております。

おユキ - 2001/06/25(月) 12:45<

カタツムリには紫陽花が似合います

カリコボーズのホイホイ君見ました。
とても可愛くて、上手く言えないけれども懐かしい感じがして大好きです。

Donglyさん、エラギって雑芸能に従事した人達のことですか。
サンカ系の女性に美人が多く、もともと芸に対する資質も高いので、
芸能界に進む方が多いのかなと思いました。

ヤゾーさん、玉置神社の写真と文章を見せて頂きました。
神秘的で幽玄な感じが伝わってきてとても良かったです。

サクラさん、気にかけて下さってありがとう。

やぞー <http://www.vill.nishimera.miyazaki.jp/kariko.htm> - 2001/06/25(月) 00:51<

カリコボーズのホイホイ君です

流石はDonglyさんですね。
カリコボーズから貴重な話しを聞かせて頂きました。

カリコボーズのホイホイ君を見つけましたので紹介します。
なんだか妙に可愛いいです。
ホイホイ〜

http://www.vill.nishimera.miyazaki.jp/kariko.htm

silkyさん、お久しぶりでした。
そして貴重な情報、ありがとうございました。
『サンカの美少女に遭遇!? 』とは妙にそそられます。
また、読んだら教えて下さい。
ちなみに「ダークサイドJAPAN」の最新号ですか?

>「大室天皇=明治天皇」

「その中で特筆すべぎ革命的なタブー破りは、
鹿鳥昇の『裏切られた三人の天皇』(新国民社)であり、
これだけ強烈な内容の本に私が接したのは、遇去10年において記憶がないほどである。 」

http://www08.u-page.so-net.ne.jp/rb3/dappan/fujiwara/books/asahi.html

僕も読みましたが凄い内容でこんなの書いて大丈夫なのかな?と思いました。

Dongly - 2001/06/25(月) 00:12<

明治期にも忍者?

おミヨさん 一文字では拙いので、波の女としましたが、波+女=波/女。
とんちんかん小僧さん 勉強させて頂いています。伊賀姓は応神祀るから、やはり百済
系ですか?百済系家康を鈴鹿峠?で救援したためか、忍び・猿女一族のように全滅され
ず、江戸城下では町乙名、地方では筏師への目付や被差別部落への目付等をしておりま
す。そのおかげで近年に県知事になった者もいます!!。
 2チャンの「大室天皇=明治天皇」から。周防は百済系の強い所。山口田布施町麻郷
で「天皇を出した」大室家を監視するため、明治期でも黒手組(忍者組織)の暗躍を示唆
しています。この事件後に大室家近く徳川柳生系忍者集落(地名がのってます)を被差別
部落としたそうです。野史研究5では、伊藤博文(林利助:茨城の賎民出身)、桂小五郎
は吉田松陰が頭の忍者としていますが。江戸期東北では黒頭巾装束は被差別部落の特徴。
2ちゃんさん ふあるさん 被差別部落内でも「山のもの、サンカ・ホイトと差別され・
・」で、「部落」内部でも「融和」がない事が分ります。大阪でも、エラギ系が最も差別
され、エラギ>在日系>新平民(同和系)>平民の序列で、調査したら「平民」とは昔の
居付きサンカの模様です。このあたり「上田さん」重要な研究テーマですね。
今でも「集落ある所・・差別(区別)あり」です。近所でも住居形態で、アパート(横長
屋)>貸しマンション(縦長屋)>大団地アパート>私有マンション>個人住宅(洋風)
>個人住宅(和風)の住人序列意識があり、関東で借家住人を「顔のない人」というそう
です。
 silkyさん 確かにサンカ系女性美人が多いようですね。「北国の春」の頃、知人の一
人は飯野直子にそっくりさん、「樵夫の娘」でした。二人目は有吉佐和子の若い頃に似て
いたようです。例外もキットあると思いますよ。例外なきこと祈ります。

silky - 2001/06/24(日) 21:41<
ご無沙汰してます。昨日本屋へ行ったら気になる雑誌を
見つけました。その報告です。雑誌の名前は「ダークサイドJAPAN」
と言う名前です。で、二つの興味深いルポが載ってます。
●山の民の名残を訪ねて
 埼玉・長瀬でサンカの美少女に遭遇!?

というのと、
●中国地方で見つけた「山の民」の生活ルポ
です。
まだ呼んでません。まずは報告まで。
またおじゃまします。

Dongly - 2001/06/24(日) 20:22<

かりこぼーず

ヤゾーさま かりこ坊主かも。1)「列卒」で漁・漁師の類.『和名類しゅう抄』
2)「猟子」「狩子」で猟夫・狩人.3)木材を山から搬出し河川により下流に運搬
する人夫.「川狩」とも.4)「狩子」猟の時鳥獣を追い出す役の夫.5)奴隷など
の意味あり。3)にサンガが多い事は知られています。『野史呼び名辞典』引用。
 カリコボーズは山伏兼任のサンガかも。非米作り系には「七変化」が多いから。
「かりこぼ」山の怪物。声のみして姿を見せしもの今だ有らず、「ホイゝゝ」と狩の
セコの如く声を出だすなり。もしこのものを謗り、またその通る峰筋に山小屋を誤り
て建つる事あれば、木を倒し、岩をくやす音、響き渡り、また小屋をゆする事甚だ怖
るべき・・。「夕頃川より山に声を出しつつ入り、暁山より川に入る事顕著なり。
「セココ」「セコ」「カリコボーズ」。S48『西米良村史』より。
 多くは山番を兼ねていますし、自分の猟場を荒らされるのは嫌ですから、立ち入り
させない工夫がいります。サンカは早朝から川漁をはじめます。岡釣り以外の釣りも
そうだと聞きますが。この村史を概観しただけですがサンカ系がリーダーシップをと
っていますね。
 春に山下りは川魚漁とそれと穀物交換、農繁期手伝、秋に帰山りは穀物を蓄えた後
、山での狩猟が始り大忙しです。川魚は米作り農家の重要なオカズでご馳走です。
里とのかかる関係がありますからイザ食糧難の時は、お得意を廻り物乞いできます。
宗教知識あれば修験や祈祷師姿で営業で、だめでも札配りはできます。近年は木材
商人が山の木に眼をつけたなら、「先山」「樵夫」、「木曾のナ〜ア〜〜の「中乗」
さんや「筏師」の仕事が増えました。その後は林野庁の役人(公務員)。東京では
「木場」でしょう。
 これがサンガの生活でしょう。春に下山し秋に帰山する神を祀る傾向があります。
これで特異な風体をしたり、疾病を患っている場合は「河童」「セコ」だとします。

やぞー <http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Himawari/8952/panerurten/oita/matogahama.html> - 2001/06/24(日) 17:53<

山ん太郎・川ん太郎

宮崎県西米良村では、村のキャラクターにホイホイ君というのがあるそうです。
九州の山岳地帯で実在が信じられている『山ん太郎』の西米良での名前をカリコボーズといい、
山を移動するとき「ホイ、ホイ」と叫ぶのでホイホイ君なのだそうです。
山ん太郎は春と秋の彼岸を節目として山と川(海)のあいだを回帰しますから、
西米良のカリコボーズ君も夏のあいだは『川ん太郎』になって一ツ瀬川の住人になるようです。

山ん太郎伝説がサンカ(山窩)の生活形態と強い関連をもっているとされ、
カリコボーズ君の「ホイ、ホイ」の声は、
森の中を移動するサンカたちのコミュニケート手段と考えられているそうです。

メルヘンのようなお話しの後ですが、
悲しい史実“的ヶ浜事件”についてのページを見つけました。

サンカ狩りとして称してハンセン病患者への差別的取締りであったことなどが書かれていまいた。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Himawari/8952/panerurten/oita/matogahama.html

とんちんかん小僧 - 2001/06/24(日) 01:20<

陰の系譜・傀儡とは?(1)

 おミヨさん、レスありがとう。今、眼を輝かして読んでるところですよ。
 この津氏は、自分の足で調べられているので信用のある本です。

 
 “陰の系譜”の流れには、渡来者の存在を抜きに語れない。具体的には、
大陸・半島からの帰化人だが、重層的にやって来たそのすべてを指すわけで
はない。
 問題はその遅速であって、早い帰化人は選良となり、遅れてやって来た者
は、陰に逼塞(ひつそく)する。
 たとえば、早期にアメリカへ移住した白人のアングロサクソンが選良とな
り、遅れて移住したイタリア系が、暗黒街を形成せざるをえなかった、とい
うようなものである。黒人問題もまた、無縁ではない。
 ところで、この渡来者たちは、技術や芸能をもたらした。
 金掘り、医薬の技術や、歌舞音曲(かぶおんぎょく)、軽業(かるわざ)
手品の類など、多種多様にわたるが、公に取り入れられたもの以外は、集団
をつくって山に篭もったり、あるいは諸国を流浪した。

 「ぼくは忍術と音曲とは、きわめて密接な関係があると思っているのです」
                          (by海音寺潮五郎) 

 「日本の固有の音楽があったとしても、それはないに等しいものでありま
 したから、日本はあらゆる音楽を、きわめて素直に受け入れています。今
 日残っている宮内庁の雅楽(ががく)の中には、シナの音楽もあれば、安
 南(アンナン)の音楽もあるし、ペルシアあたりの音楽だってあります。
 (中略)。 こんなわけですから、初期に向こうから日本に渡ってきた楽
 人を、朝廷がみんな収容しました。遅れて来たやつは、もうそんなにいら
 ないというので、召し抱えられない。仕方ないので、その連中は賤民(雑
 戸)になりました。 この遅れて渡来したために、朝廷に収容されなかっ
 た連中が、音楽とともに、忍びの術をもってきたのではないかと思うので
 す。忍術といっても、そのころのものは、観客相手の奇術だったでしょう
 。それなら、音楽とともに、もってきても不思議はないでしょう」
                     (『史談うらおもてから』)

 「忍術と音楽、この二つの技術が、もっとも密接な関係があることの証拠
 は、クグツです」(上同)

 クグツは“傀儡”と書く。この一見して不気味な文字には、いくつかのイ
メージがある。
 一つは人形回しであり、二つは雑芸人であり、三つは遊女である。遊女は
雑芸の合間に春をひさぎ、やがて宿場(しゅくば)あたりに住んで、遊女そ
のものを生業(なりわい)とするようになったのであろう。−つづく。

サクラ - 2001/06/24(日) 00:17<

このところ...

Donglyさん、面白いです。dongly節もこのごろとっても読みやすく、
分かり易く書いてくださっていて、楽しみ興味深く読ませて頂いてます。

ふぁるさんの書く一言一言がなんかふむふむ気になります。
外三郡誌は中央に近い存在かも...もう少し詳しく教えて頂けますか?

このごろは、濃い書き込みが多いので毎日楽しみ、楽しみ!
とんちんかん小僧さんも続き楽しみにしてますからね...

おミヨさん、おユキちゃん元気?

ヤゾー <http://www.kumanolife.com/Topics/6_23.html> - 2001/06/24(日) 00:10<

玉置神社

>昨日、古書店で、津 登武(つ のりたけ)著の
>−巷談− 丹波&足立一族異聞 という本買いました。

その本、何年か前に紀楽屋で買いましたよ。
なんの意図があって書かれたのか不思議な本でした。

>「歴史民族学」20号の利田ヤゾウ Donglyさんのレポート楽しみにしています。

それはとても楽しみですね。
それで何時になったら出るのでしょうか?

昨日、玉置神社に行った時の写真と文章をアップしています。
流石に早朝からの釣りから帰って温泉へ行き、
そのまま玉置神社へ行って山歩きをして、
また帰りに違う温泉に入ってきたので眠いです。
こうして書いていると贅沢な暮らしのようですが、
そうでもないのです。

おミヨ - 2001/06/23(土) 21:22<

こんばんわー

Donglyさん、
「歴史民族学」20号の予告でDonglyさんのお名前本屋で拝見してきました。
Donglyさんのレポート「三角寛サンカ記」楽しみにしています。
利田ヤゾウから情報いただきましたので、本屋さん覗いてきました。

「歴史民族学」20号の利田ヤゾウ Donglyさんのレポート楽しみにしています。

とんちんかん小僧さん
>丹波&足立一族異聞 
興味大、面白そうですねー

とんちんかん小僧 - 2001/06/23(土) 20:12<

丹波&足立一族異聞

 ヤゾーさん、レスありがとうございます。
 さすが、主だけに臨機応変ですね、感服しました。
 
 昨日、古書店で、津 登武(つ のりたけ)著の
  
 −巷談− 丹波&足立一族異聞 という本買いました。
 
 これは、前半を丹波ノ国の由来について書かれており、もちろん
サンカについての説明書きも20ページ足らずですけど書かれています。
 後半は、足立一族についてですが、ここにも、サンカ衆について書い
ているので見逃せません。“テンジン(自在鈎・自在鍵)”については、
写真付きの説明がなされていますし、この本では、忍び(乱破[らっぱ])
=サンカ集団と書かれていたのも、私的にグッとくるものがあったので
購入しました。

ヤゾー - 2001/06/23(土) 18:20<

大漁にして巨木を見に行く?

朝早、雨の降る中、釣りバカに強引に釣りに連れていかれたと思ったら、
ホンの数時間でイサキ5匹、グレ1匹、アイゴ3匹を釣る久しぶりの爆釣でした。
9時には小屋に戻り、魚を冷蔵庫に入れてから温泉へ行きさっぱりして気分が良かったので、
そのまま玉置神社まで足を伸ばして行ってきました。
雨にむせぶ玉置神社も結構よかったです。
釣果と玉置神社にある大木写真を画像掲示板にアップしています。


もんむーさん、いつも貴重な情報ありがとうございます。

油屋 康 さん、はじめまして。
噂では聞いたことがありますが、それ以上のことは分りません。
ごめんなさい。

Donglyさん、いつもにも増して核心に迫ったお話ですね。

>憎悪の対象は、サンカの歴史とアイデンティティと見ます。

もうそろそろ真実の歴史を表に出してもよさそうなもんだと思います。
また、そういう時代でもあるように思います。

あまりサンカとは関係ないような話しですが、
10代の頃に憧れたアメリカという国も歳を重ねるごとに冷ややかな目で見るようになりましたが、
少し前にアーミッシュについての記事を何かの本で読んで思いました。
1万人くらいの人が機械文明を拒否し、徴兵されるより牢獄を選び、
相互扶助の精神で悠々と生活しているということは凄いなって。

1時間ほど前に戻ってきたばかりなので、
また後で書きます。

Dongly - 2001/06/23(土) 15:44<

再びサンカとは?

 が大きな問題です。村里に竹製品を売りに来る者だけの民俗で論じれば、売らんが
ためのサンカ像です。この民俗調査なら「近世末期発生説」に陥ります。『サンカ社
会の研究』『八切止夫サンカ』を見れば古い歴史を伝承しています。平安期に遡れば
「山ケの類」「山賊:やまがつ」「鉢屋」「クグツ」なども別所の系譜のようです。
サンカの伝承では日向三神(ウガヤフキアエズ・ヒコホホデミ・スクナヒコナ)を祀
っている点から見れば(真とするなら)更に遡ります。山家者のうち、生地師は××
親王を担ぐ本来百済系、鉢屋は新羅・高句麗・渤海系を含んでいるようで、ウメガイ
サンカは契丹系(八切説)ともいいます。サンカ自体も多人種ですから、サンカ歴史
を紐解く場合、歴史学や民俗学と異なり、人種を避けて通れません。
 毎年サンカから竹細工の購入を頼まれている方から「サンカは同和か?」と問われま
したが被差別部落とは異なるです。厳密には同和とは被差別部落とは?が必要です。
 九州・南愛媛・兵庫でサンガは天台宗白山信仰などで否応なく別所や修験と密接な
関連があり、鉢屋系は平時は目付け集団でも、戦時の精鋭兵団のような印象です。
多分この居付きグループがサンカ組織の中核みたいです。薩摩や伊予では修験集団の
形で藩の重臣になったものがいるようです。この強固な組織性は三角・八切小説にも
表れるのでしょう。2次大戦前・後に私有権・徴兵・公教育・住民登録などの拒否運
動があり、政府も日本の根幹に反する勢力として差別・弾圧したのでしょう。この
すさまじい思想性に興味があります。「人類はみな兄弟」には納得できません。一説
に日本帝国の戦争を中止させるため連合国が日本の原住民組織(サンカ?)に「協力
してくれればワの国にして君らに日本を渡す」と約束したそうです。勿論マッカーサ
ーは天皇勢力の根深さを知り約束を破りました。トンデモみたいですが、発見した状
況証拠が2つあります。90年代も千戸単位で戸籍のない集落があったそうです。
 政府は列島改造・東京オリンピック・米穀通帳制度・機動隊によりサンカ狩をしま
したが、憎悪の対象は、サンカの歴史とアイデンティティと見ます。

 

もんむー <http://www.mainichi.co.jp/eye/kishanome/200106/22.html> - 2001/06/23(土) 15:06<
毎日新聞の記事、ちゃんと公開されてました。

http://www.mainichi.co.jp/eye/kishanome/200106/22.html

でわでわ

油屋 康 - 2001/06/23(土) 13:54<

××首相はサンカ?

はじめまして。
油屋と申します。
ある方から××首相はサンカ出身と聞きましたが、本当でしょうか。
もしご存知でしたら教えてください。

もんむー - 2001/06/23(土) 13:46<

毎日新聞

毎日新聞6月22日朝刊を今日読みました。この記事を書いた記者のように被差
別民としてとらえるのは一面的すぎるように思います。記事を読む限り、証言
者が差別されたというのは融和住宅に定住してからの話のようです。

私自身、五木氏の本で彼らを知った口なので、彼らの生活に憧れも抱いている
のですが、一方でそもそも平地人がサンカと呼んだ集団を、一つの固有の集団
として捉えたことが妥当であったのかを見直す必要も感じます。

おそらく調査の詳しい内容は秋に出版されるという沖浦氏の本で明らかにされ
ると思うのですが、彼らが定住に至る経過や、それ以前の生活について明らか
になることを期待しています。

でわでわ

ヤゾー - 2001/06/23(土) 00:05<

僕はサンカが好きです

じげもんさん、はじめまして。
サンカには何か秘められたロマンがありますね。
HPを少し見させて頂きました。
僕もニガウリが大好きです。
今後ともよろしくお願いします。

>空海自筆とされる神代絵図の天照→白蛇、春日神→蛇神、
>ならば古蛇を神とする人種が大勢いたことになりますね。

この国の歴史を分かりにくいものにしているものに、
支配階層を占めていた唐や百済などの渡来勢力がお家(出自)を隠したことと、
被征服者である縄文系の人たちが思っていたより、
強い勢力を持っていたことで常に権力闘争があり、
そのことでより複雑にこんがらがって分かりにくくしているような気がします。

>吉田文庫は吉田神道ですか?

参考にした本『謎の弁才天女・吉田大洋著』には、
天理図書館蔵『吉田文庫』のことを吉田神祇管領家の神道書類と書かれていました。


>忍家の源流−服部氏族と氏神

中世に造園芸術家として活躍した石立僧の中には大陸に留学した者も多かったといいます。
その造園の下働きをしたのが山や河原をたずねあるいては
石や植木を探し集めていた山水河原者と呼ばれていた賤民でした。
やがて彼等の中から優れた能力者が出てきて、
エリートである石立僧を押し退ける作庭の天才が出てきます。
それが善阿弥だといいます。
当時の高僧、景徐周麟は、最近の僧侶は屠者の出たる又四郎(善阿弥三代目)に及ばない、
と嘆いたと記録にあるそうです。
忍術も元は渡来のものだったと思いますが、
開花させたのは山水河原者と呼ばれていた人たちか、
それに近い人たちだったように思うのです。

>ロマンに潜む虚像の怖さ

その話しは、今日、利田ヤゾウから届いた資料にある話しと同じです。
というか、尾道市に住む公務員、Aさん(59)が本名で出てくるし、
その新聞の元になった記事だと思います。少し驚きました。

その話しは一つの側面として大変よく分る話しで共鳴もできます。
ですが、それがサンカのすべてだとは思えません。
「近世末期発生説」も納得できないものがあります。
テンジンやウメガイをどう説明するのでしょうか。
言葉やサンカ文字もフィクションだというのでしょうか。
と誰に言っているのか分りませんが、
僕はサンカが好きです。

ヤナギムシ - 2001/06/22(金) 22:59<

けけけけけ

友よ・・感じてくれ!!
  あの山を、目指した事を!!
   あの時の君は、あんなに輝いていた!!
山々の風が、自然があんなに私たちを、迎えてくれたのに!!
  今の自分は・・・どうだ・・??
      なぜか・・違う道に進む君を見て・・少し悲しい・・私は・・私は・!!!

    君と進むべきなのか・・
     
          遠くで輝く・・君が遠くなる・・・遠くなる!!

              ・・・・・やなぎむし

ふぁる - 2001/06/22(金) 21:20<

職業的差別について

大昔から集落がある所、個々人のなりわいに対して差別(区別)はあったようですが、
差別する傾向としては、差があるのではないでしょうか。
例えば、ギリシアのポリスが乱立する前、ヘシオドスなんかがタユタッテた頃は
農業とか、無職の夢想家なんかが尊くて、職人の地位が異常に低かったらしいです。
考える事、神事に通じる事を職業とする人はエライということだったようです。
さてニホンは。



もんむー - 2001/06/22(金) 20:50<

春秋山伏記

藤沢周平「春秋山伏記」新潮文庫

この作品中の「人攫い」には箕つくりの人達と箕つくりの村が登場します。山
伏大鷲坊一行が箕つくりの夫婦にさらわれた村の娘を追って、朝日連峰の大鳥
池のさらに奥にあるという箕つくりの村に行く話です。

でわでわ

2ちゃんから - 2001/06/22(金) 19:08<

ロマンに潜む虚像の怖さ

◇差別された窮民の子孫

 「私たちはサンカ(山窩)と呼ばれていました」。広島県東部に住む男たちが、
目前で語り出した。サンカとは、かつて日本列島で箕(み)作りや竹細工、川魚
漁などを生業とした漂泊民のこと。1950年代末に消えた。虹のような幻の民
としてロマンチックに語られてきたが、実像は被差別民だ。より学問的に解明し
ようと桃山学院大学名誉教授(比較文化論)、沖浦和光さんがこの5月、部落解
放同盟の人たちの案内で聞き取り調査をした。それに同行し、最後のサンカと言
われる人たちから生の声を聞いた。「3歳のとき、父が亡くなり、隣のおじさん
と10歳のころまで川魚漁をして回った。とにかく魚を食べられるのがうれしく
て……」。尾道市に住む公務員、Aさん(59)は懐かしそうに語り出した。両
親は、大正時代に被差別部落内にできた「融和」住宅に入って定住。「地区内で
も『山のもん』とか『サンカホイト』と差別された。中学のころから、何をして
いいのか分からなくて、暴れていましたよ」 サンカといえば、三角寛(190
3〜71)の名を思い出す古老は少なくない。朝日新聞記者を経て、昭和のエロ
グロ時代に猟奇的なサンカ小説を書きまくった人気大衆小説家だ。昭和の初めに
現れた説教強盗を、その犯行の特異さから「サンカの仕業」と考えた警察の見方
にのって「伝奇ロマン」ものや荒唐無稽(むけい)な物語を生み出した。戦後、
三角は約30年にわたる研究成果をまとめた「サンカ社会の研究」で文学博士を
取得したが、学問的に信頼できないとして柳田国男などの民俗学者からは無視さ
れた。沖浦教授も「三角のサンカ像は奔放な想像力の所産であり、虚構の部分が
少なくない」と指摘する。だが、一方でサンカのイメージはよりロマンチックに
なる。私がサンカの世界を知ったのは「戒厳令の夜」「風の王国」など五木寛之
の作品からだ。国家の規制を超えて独自の文化をもち、管理社会の下で閉塞(へ
いそく)した状況に風穴を開ける集団として登場し、痛快だった。中島貞夫監督
の映画「瀬降り物語」(85年)では、山々を流浪する孤独な生活を萩原健一が
好演した。作家の椋鳩十は、自然に生きる漂泊民として詩情豊かに描き、自由に
生きる人間の原風景を呼び起こした。昨年末から刊行されている「三角寛サンカ
選集」(全7巻)が今、予想以上に版を重ねている。版元の現代書館編集長、村
井三夫さんは「もう読めないとあきらめていたが、よく出してくれたと喜ぶ高齢
者が多かった」と語る。社会の窒息感が昭和初期のころと似てきているのだろう
か。だが、サンカの実像はいったいどうなのか。サンカに関する初出史料は安芸
国(広島県)の庄屋文書(1855年)とみられる。三角がサンカ発生の地とし
て「雲伯石の三国」(島根・鳥取両県)を示唆しているが、「それに広島県を加
えれば、その指摘は当たっている」と沖浦教授は語る。ただ、サンカが古代国家
成立前の山人という説に対して、「近世末期発生説」を提起した。当時の度重な
る大飢饉(ききん)で農山村が荒廃し、餓死を逃れて山へ入った窮民が山間川辺
を漂泊する流民となった。サンカは漢字では「山家」「山窩」という字があてら
れるが、「山にひそむ盗賊」の意味だそうだ。文明社会から置き去りにされた漂
泊民をあたかも犯罪者集団と見た名残がある。そのサンカは明治初期から次第に
被差別部落や都市部のスラム街に溶け込んでいったというのである。「学校があ
るから、と私を残して両親はあちこち仕事に出かけ、寂しかった」とサンカの古
老、Bさん(83)は話した。聞き取り調査の後、Aさんたちが川で代々伝わる
「はえなわ」の仕掛けを教えてくれた。「車や冷蔵庫がなかったころ、山間地の
人々にとって川魚は貴重なたんぱく源。農家でよく米などに換えてもらいました。
この川魚漁は私たちの生活文化として子供たちにも伝えたいですね」。そのにこ
やかな表情には、差別に屈せず生きてきたサンカの人たちのたくましさが息づい
ていた。漂泊へのあこがれと、隠された差別の実態。サンカの人たちの話を聞き
ながら、ロマンに彩られた虚像の怖さを改めて思い知らされた。
(毎日新聞2001年6月22日東京朝刊から)

http://ton.2ch.net/test/read.cgi?bbs=rights&key=991105856

とんちんかん小僧 - 2001/06/22(金) 16:48<

忍家の源流−服部氏族と氏神(11)

 はじまりはしかし、上古、伊賀の大族だった安倍(あべ)氏の祖、
大彦命だけだったと思われる。ところが、機織(はたおり)をつか
さどる少彦名とカナヤマの両外来神をかついだ服部氏が、敢国神社
に進出した。
 ある時期まで、神社は氏族の中心として、政治・経済・軍事の拠点
として、一国の観があった。服部氏は勢力が強大になって、一ノ宮
をも勢力下におさめたというわけである。
 源平時代に、服部(伊賀)平内左衛門家長(へいないざえもんい
えなが)が出る。平家に従い、六条院のとき弓で名をあげたか、新
中納言知盛と乳兄弟だったので、平家が西海で滅びるまで、近侍(
きんじ)して働く。
 『源平盛衰記(げんぺいせいすいき)』では、壇ノ浦で平知盛と
ともに果てることになっている。が、ひそかに帰って、予野庄の千
賀地(ちがち)[上野市]に隠れ住んだという。
 それ自体、忍者的だが、平家の一家人(けにん)ながら、なかなか
勢威のあった人とみえ、「服部平内左衛門家長、武術の名誉多かるゆ
えに、庶疎盛りて、府内に蔓延す」(『伊乱記』)
 という。
 この家長の直系を称し、とりもなおさず宗家を名乗る子孫が、名高
い半蔵正成(まさなり)である。千賀地に生まれたので、千賀地ノ半
蔵ともいう。
 しかし、『寛政重修諸家譜』で見るかぎり、おおむね徳川家康の忠
勇な家来にすぎない。
 父の保長(やすなが)は、“煙の末”といわれた上忍(じょうにん
)だが、はじめ足利義晴に仕え、その後三河に来て、松平(徳川)
清康・広忠・家康の三代に仕えたというから、早いうちに伊賀を出国し
ていたものらしい。
 半蔵もしたがって、父に次いで家康に仕えたのである。 
                             終わり。

Dongly - 2001/06/22(金) 16:02<

蛇のメリット

おミヨさま
 動物でありかつ植物であるのが粘菌。英国人の黄色人種差別にも負けないで
 熊楠が発見したようです。分り易く言えば女に会えば男になり、また男に会
 えば男になる、人間で言えば「七変化おかま」。
 以下は蛇についての唯物論的?な説です。
1)蛇は人間の大事な蛋白源。尾張・美濃・三河サンカは生で常食しました。
 でなくとも戦争中や戦後は食糧難のため、好んで食べた話はよく聞きました。
 昔中国の揚子江に鰐が大量にいたそうで、雨の気配をきくと雷のような声で鳴
 いたそうです。美味ゆえに皆捕まえ食べたため絶滅寸前。今生き残りの増殖を
 しているとTVで報告してました。その味が忘れられぬ渡来在日中華系は、龍お
 めでたい、蔵壁に火除け字として描き、最近は丼の龍印までなめるように頭を
 突っ込んでラーメンを食べています。龍は中華渡来系のシンボルでしょう。
2)鼠よけの無賃のガードマン。青大将などを好んで食べます。広島三良坂の
 蝮養殖場では鼠を餌にしており、鼠の霊を弔う立派な石塔があります。
3)いい難いのですが、吐いてしまおう。女性の好む形・感触です。サンカの
 「蛇女」は数匹!!の蛇を秘部に出入れして観客から銭を取り見せてました。
4)憑き物筋のツールです。南蒲原郡「蛇神」、延岡「蛇神持ち」は憑物筋で
 す。他人に憑かせて、仲間に憑きを落とさせるカラクリで立派な収入あり。
 猿・鳥・犬・猫に限らず手なずけ上手なのは原住民系サンカの特徴です。
5)異論があるのは承知之助。ある人種に固有のシンボルでしょう。古墳の前に
 ある「犬」「馬」など動物の埴輪の意味はトーテムなり、の説があります。
 日向鵜戸神社の「蝙蝠」「河童」、日吉神社の「猿」、気比・摂津神社「白
 鷺」、厳島・春日神社の「鹿」、阿蘇神社の「鯰」など。
ヤゾーさま 空海自筆とされる神代絵図の天照→白蛇、春日神→蛇神、ならば古
 蛇を神とする人種が大勢いたことになりますね。吉田文庫は吉田神道ですか?
 俵唐太退治で有名、かつ龍が最も嫌う「百足」は産鉄・山岳民族のシンボルで
 、それゆえ職業神としても鉱山で祀られています。(神社彫刻にある牙のない
 龍は、蛇かムカデです!!!。更に鱗なければ鯰では。岩の下に入る蛇→百足
 としてもよいか?、それなら百足を鶏がみな食べてしまうという事実はどう考
 えたらよいのか?)
 それゆえ学者の「信仰説」はせいぜい5)でしょうか。それよりも、素直に、
 ストレートに考えて、1)〜5)全体が、野史の分析・主張です。
 

とんちんかん小僧 - 2001/06/22(金) 15:52<

忍家の源流−服部氏族と氏神(10)

 そして、“酒ノ君”という者が、これらをつかさどったとしてある。
 『伊乱記』では、
 「しからば、服部氏の祖というのは酒ノ君なり」
 といっている。
 酒ノ君とはおそらく、秦酒公(はたのさけのきみ)のことだろう。
能楽の始祖とあがめられた秦河勝(はたのかわかつ)の祖で、かつ
景教をもたらしたかもしれない人物である。『新選姓氏録』では、
服部氏と秦氏を峻別(しゅんべつ)してあるが、所伝では一体だ。
一体といえば、
 「諸家生出各別にして、混然として一統の如く、みな服部となる」
(『三国地誌』)
 と、伊賀服部氏は混然一体となったことを伝えている。国内に
断然、勢力をもったと思わなければならない。
 勢力をもってきたことの一つのあらわれは、伊賀国一ノ宮であ
る敢国(えくに)神社の奉仕であろう。
 この神社の祭礼は、12月初卯に行われる。花園河原(佐那具【
さなぐ】)に神輿(みこし)が出座して、7日間神事が行われるが
、俗に“クロトウ祭り”という。そして、
 「これを勤むる族(やから)は、たとえ凡下なりというとも、
 賤種を除き、服部氏を免許せること、古法なり」
 という。つまり、服部氏でなくては、奉仕できないのだ。
 クロトウとは、経費が千石もかかるので“苦労当”とあて、
あるいは参加者みなが黒装束にするので、“黒党”ともあてる。
 黒装束はいうまでもなく、忍者を象徴するものである。
 祭神はいま、大彦命(おおひこのみこと)、少彦名命(す
くなひこなのみこと)ならびにカナヤマヒメノミコトの三神
である。『三国地誌』では少彦名、カナヤマのニ神であると
している。 −次回につづく。

ふぁる - 2001/06/22(金) 14:58<

転回

きょうかい殿:
結論から言いますが、私的には何とも言えません。
なので、周辺事情の見解のみ書きます。

始まりの頃は殆どの場合、定かでないので、その後の展開。
関東からは武士団が海外に傭兵として赴く事が極普通の事としてあったようです。
それは、江戸期に身分の固定している人間については「人頭」として生まれながらに
行動範囲を押えられるようになるまで続いていたようです。
ということは、島の外に出ることに躊躇していないということです。
渡来系とかの別なく、この島はかなり外に向かって開かれていた訳です。

そして「武士」についてですが、中央政界を中心とする立場からは、平清盛の登場まで武士は
下っ端扱いとみられ、そう教科書的に教えられていますが、実は中央とは無関係に生活する人の方が
圧倒的に多いわけで、「武士団」はかなり有力な勢力であったはずです。

エミシ討伐等でしか武士団の行動は歴史に現れていませんが、じつは(単純化しますが)日本の2重構造
(平地−山地)の成立とかなり関連があると思います。なぜなら、大和朝〜平安朝にかけての列島内の
交通網の整備事業は、比較的住み易く中央と繋がる所と、辺境という位置付けを行うと同時に、
政治と武力の移動を容易にしたからです。

関東圏の古日本の勢力ですが、同時代の吉備、出雲、能登半島、紀伊と同列に「??〜大和」からは
異質な存在と見られていたはずです。
「外三郡史」を生んだ勢力は、私的には「外三郡史」を生んだ勢力は中央かそれに近いところの者では
ないかと思っています。(列島の括り方などから。まあ、偽書というのはその辺の事情もあるのでは)

じげもん - 2001/06/22(金) 14:53<

残念ながら中世人。しかし・・・

はじめまして。
先日、旧石器時代の遺跡とされていた大分県の聖嶽洞窟の再検証がなされていたのですが、
結果は残念ながら旧石器時代の遺跡とは認められないとのことでした。
40年前の調査では、石器とともに人の頭骨が発掘され旧石器人の骨とされていました。
しかし、最新の測定法では中世の人骨であるということです。
旧石器人でなかったのは残念なのですが、
「この人骨は中世、山々を渡り歩いて生活していた人の遺骨である可能性が高い」
という見解を見て、別の方向に想像が膨らみました。
サンカの祖先の遺骨と同時に発見された石器は散在したかたちではなく一箇所に固まっていたとのこと。もしかしたら彼(彼女?)の持ち物だったのかも・・・

とんちんかん小僧 - 2001/06/22(金) 14:52<

忍家の源流−服部氏族と氏神(9)

 副題:伊賀服部氏は渡来人だった!

 前回までの話と重複こともありますが、より分かりやすく書きますので
許して下さいませ。(諸事情により、3,4部合体させましたので)

 さて、服部氏は、応神(おうじん)朝前後の渡来人であった。ちょうど、
畿内政権がまとまり、氏(うじ)と姓(かばね)による支配組織がかたち
づくられるころである。
 『永閑(えいかん)伊賀名所記』によると、
 「応神天皇の御代(みよ)に、呉(ご)国よりも漢(かん)よりも、緒
 を縫いなどし、または糸綿もつみひくものを渡せしに、呉国より渡るを
 呉服(くれはとり)といい、漢より来るを漢服(あやはとり)といいけ
 り。ともに秦(しん)の始皇(しこう)または後漢の元(げん)帝の子
 孫なるゆえ、それを姓とするとかや」
 という。
 ここでは、あえて、呉は高句麗(こうくり)、漢は伽羅(から)、安羅
などの朝鮮半島南部の国家群、という説をとらずに彼らが長い年月をかけ
、そこかしこに留まり、混在しながら、はるか西域からやって来たものと
考えたい。
 同じ意味で、始皇ないし元帝の子孫というのもとらないが、要するに、
二流あったことがうかがえる。その二流はまた、神別・蕃(ばん)別とい
うことにもなる。
 『三国地誌』では、
 『呉服部は蕃別にして、子孫、猪(いのしし)の爪を紋とす。猪の爪
 とは機(はた)のおさなり。服部連(むらじ)は神別にして、その子
 孫、矢羽を紋とす」
 とある。『新選姓氏録(しんせんしょうじろく)』では、呉服部造は
百済(くだら)国人阿漏使の末で、服部連は妙な名だが、ホノハヤヒノ
ミコト12世、麻羅宿禰の末だとしている。 −次回へつづく。

おミヨ - 2001/06/22(金) 13:13<

蛇信仰

Donglyさん お答え有り難うございます。
>波の女が多かったようですが・・・・・
月の輝きに照らされたような月下美人はいなかったんでしょうか?(^0^)

ヤゾーさんは動く広辞苑みたいな方ですね。もっとかな・・・。。
どんな話しにも受け答えがお出来になられて・・・・・。。(^0^)

粘菌といえば南方熊楠さん
1匹の粘菌は、一個の細胞でできていて、動くごとに形をかえる。動物?植物?
なんだか、けったいな生き物らしい。みたことないですが魅力あるんでしょうか??

蛇は、脱皮する生態や水陸両棲の習性から、世界中の多くの民族の間で崇拝され、蛇は山に
棲むことから山の神としての観念、あるいは、水辺に棲むことから水の神様としての観念、
蛇が昇天し竜になる姿から想像される雷神の観念がうまれ、農耕民にとって、生産活動と水
とは深く関わっていたから、水の神、豊穣の神として蛇を神格化し、蛇信仰が広がっていった。
「蛇婿入り」の話しは各地にあるようです。



とんちんかん小僧 - 2001/06/22(金) 02:32<

忍家の源流−服部氏族と氏神(8)

 そして、時定自身、ちょうど平家系の家長一党が、屋島、壇ノ浦に転戦し、
“生死不明”の奮闘をしているころ、伊賀にいて、鎌倉の頼朝のために働い
ていた。
 
  「義憲(頼朝の叔父に当たるが、木曽義仲【頼朝の従兄弟】についていた)
  暫く、伊賀国を経廻の間、頼朝卿、当国住人服部六郎時定に仰せつけられ、
  かの国千戸寺において誅せらる」(『大系図』)

 しかし、伊賀ではなぜか家長の誉れが高く、「源家服部六郎時定の末葉と、平家
服部平内左衛門家長の族門と、源平ニ流あるべき」(『伊乱記』)なのに服部一党
はことごとく家長の流れに移ったらしい。
 それゆえ、『古老茶話』に「これ(時定)当代服部武士の祖なり」というけれど
、『寛政重修諸家譜』によるかぎり、時定を祖とする家は一つもない。
 ちなみに、寛永『1624−44)から延亨年間(1744−48)にかけて、旗本御家人を
一覧してみると、服部姓を名乗る家は、三十家に及ぶ。
 石高のもっとも高いのは、三千五十石、寄合の服部保旧(やすひさ)で、これは
“仲”を名乗っているから“中服部”の末だろう。呈譜上の初代は、小平太保次で、
信長に仕え、桶狭間のとき今川義元に槍をつけたという男だ。
 西目付、千四百石の服部貞勝は、あの“伊賀越え”のおり、家康を誘導した呉服
明神の神職、美濃守貞信の末である。
 半蔵の長兄、保俊の末もある。大番頭、千石の式部保斎である。次兄保正の末は
小普請組、三百五十石、保嘉である。
 ほか、これらの庶流や“伊賀越え”の功で仕えることになった者の末が並ぶ。家
紋は、源氏車、八ツ葉車など、多少の相違があるものの、服部家の矢筈なのだった。
                2部完。−次回へつづく。 

やぞー - 2001/06/22(金) 02:25<

雨の夜

>三枚の鱗・・・・・・・・北条氏系

北条氏といえば弁財天信仰で、
弁財天の紋に三枚の鱗紋が多いですね。
その三枚の鱗(三角紋)は、龍神系の大地母神のシンボルともいわれ、
マレーシア、フィリピン、台湾、沖縄などの海人系原住民の多くは
三角紋の入れ墨をしていたといいます。
また八幡神社の神紋である三巴紋も龍神系の紋であり、
隼人族の楯には巴模様があり龍神系だといわれているようです。

>ほんま・・粘菌は、おもしろいんですわ

芝生の上にワカメが?
あれっ 何で芝生にワカメが落ちているのだろう?
手に取ってみると寒天のような手触りで見るからにワカメがふやけたみたい。
それも日によって移動します。
粘菌なんですね。

本当によく雨が降ります。
僕の身体にも粘菌が生えたらどうしよう。

うたた寝したので眠れなくなりました。
外は雨が激しく降っています。
雨の音を聞いていると子守歌のようによく眠れるのですが、
あまり降り過ぎると不安な音になります。

ヤナギムシ - 2001/06/22(金) 01:38<

まいど

もんむーさん、訳のわからない書き込みでご迷惑を、お掛けします
  きょうかいさん・・もんさんにお答えいただきました
    どちらの書も、それでOKです


    ・・久しぶりに現れました
         奴は何者なんだろう

   今日は
    同時に3箇所に現れた
        なんと早いんだろう・・・
     おととい奴を、見たとき1箇所だったのに
        ひろがるスピードも速い

    色もきれいだ、発光色の黄色だ!!
     這っていた奴はサンゴのようなひろがりをみせた!!


    粘菌なんですよ・・なんだと思いました??
      また・・ヤナのアホなんか・かいとるとおもたやろ・・
  ほんま・・粘菌は、おもしろいんですわ
 知ってはりますか粘菌??!! 奴 、移動するんです
  植物なんやろか・・動物なんやろか・・きのこなんやろか
   今は、一箇所に固まって枯れたようになっている

  今度は、いつ動き出すかたのしみだ
    

          ヤナギムシ・・・でした
   

やぞー - 2001/06/22(金) 01:25<

人頭蛇神

みなさん、こんばんわ。

>ヤゾーさま 民族と信仰につて まず引用します。

ありがとうございました。

宇賀神は人頭蛇神の神とされ、
梵語にて白蛇を意味することから渡来の神のように思われていますが、
天理図書館蔵『吉田文庫』の中にある円智筆の神代絵図には、
イザナギ・イザナミ以前の天神六代はすべて人頭蛇神として描かれているそうで、
また弘法大師筆と伝えられている絵図では、アマテラスを白蛇、春日神も蛇神、
八幡神は龍神として描かれているとのこともあり、
宇賀神を日本古来からの神とする人もいるそうです?

また宇賀神は稲荷神や弁財天と習合していますが、
秦の始皇帝の末裔ともユダヤ系だともいわれる秦氏の氏神が伏見稲荷であり、
秦氏の末裔である薩摩の島津氏は領内のあちこちに祀ったともいいます。

訳が分かりません。

>古事記・日本書紀(記紀)はウガヤ朝を隠すのが最大の眼目であるとみます。
>記紀にない吉野ヶ里、三内丸遺跡の存在は、「偽書」といわれる文書の記録から学ぶ
>事が重要でしょう。私には無理ですが・・・・・。

そんなこといわないで今後ともウガヤ朝をもっと分かりやすく説明して下さい。
お願いします。

Dongly - 2001/06/22(金) 00:25<

馬鹿に出来ない

 蛇祖伝説ですね、おミヨさん。伝承が正確だとすれば(地名だけは地図で確認可能
です)、呼び名辞典的には以下のような「見当」をあらましつけます。
 南蒲原=南神原・・・・・別所系非人系
 五十嵐←磯嵐・・・・・・原住民系別所系
 笠堀・・・・・・・・・・別所系非人系
 吉ケ原・・・・・・・・・別所系非人系
 雨生池・・・・・・・・・サンカ系
 強力・・・・・・・・・・修験系配下サンカ・持子
 栃尾・・・・・・・・・・サンガ系(山家者)
 三枚の鱗・・・・・・・・北条氏系
 全体ではどうなるでしょうか?その説話の意図は?と考えます。

 この近くに栃尾又温泉ありですね?。邪魔な目上の被り物をとり、鼻歌交じりで
30メートルもの長い廊下を進んで、入った大浴室。湯煙の向うに見えるは、何と
・確・か・混・浴・で・は・あ・り・ま・せ・ん・か!!。
間違えたのではの思いで廊下を何回か往復するたびに、興奮はますばかり。
眼上の被り物外して入浴した事、今でも悔んでいます。
 ただ、波の女が多かったようですが・・・・・。 

Dongly - 2001/06/21(木) 22:43<

ウガヤと白蛇

ヤゾーさま  民族と信仰につて まず引用します。
 天野信貴「宇賀神」『塩尻巻四』、喜田貞吉「宇賀神考」『民族と歴史三ノ一』、
『神祇辞典』から引用した、中山太郎(S16)『日本民俗学辞典』梧桐書院に、
「宇賀神は仏教による神名で、梵語で白蛇を宇賀耶(うがや)と言い、財施と略す。
これにより福神として祀る。後に稲荷神に付会。神道名目類しゅう抄に、福禄幸を神
事を宇賀神祭という。考えるに宇賀神の白蛇と財施から弁才天にも付会。宗庵のたん
海(巻十一)に、弁天の頂きに坐(いま)す白蛇は宇賀神で、天女の夫なりという。」
とあります。
 以後は、文献名を忘れましたので本を再発見した時点でご紹介します。
 手元に見えるのは91年シンポ『カヤはなぜほろんだか』大和書房2800円。
加耶などの国(後に荒カヤ、ウガヤに分れの本列島に流入します。後の新羅と同類。)
の民をカヤ族と呼びますと、白蛇、白蛇つき弁才天は、このウガヤ族の信仰でしょう
。ウガヤフキアエズの命は「記紀」にもあり、「神武」以前のウガヤ朝ありの説もあ
り、八切止夫は前藤原王朝とします。藤原は唐から来た者の意味です。
 広島に特に多い黄幡社はこのカヤ(ウガヤ)族関連と見ています。宇賀の地名も結
構あり研究の余地があります。また地方によっては黄幡社ある所は被差別部落であっ
たという報告もありますので、このような地域の古記録や伝承は見逃せません。
 福神や福禄神など七福神は江戸期に疱瘡神とされた事は以前紹介したHPにあります。
また野史調査では弁財天など女神を祀る所、娼婦の存在と相関ありともいいます。
 古事記・日本書紀(記紀)はウガヤ朝を隠すのが最大の眼目であるとみます。
 記紀にない吉野ヶ里、三内丸遺跡の存在は、「偽書」といわれる文書の記録から学ぶ
事が重要でしょう。私には無理ですが・・・・・。

もんむー - 2001/06/21(木) 21:37<

喜作新道

ヤナさん、、、

>>途中で登録してしもた!!
>>   ・・驚きです

何を登録したのだか、わからないのですが、なんかおもしろいです。

ヤナさんの紹介してくれた本が気になったので、今日図書館に寄ったのですが、
「喜作新道」というのは

山本茂実「喜作新道・ある北アルプス哀史」朝日新聞

のことでしょうか?まだちょっとしか読んでないのですが、日本登山史のかな
り泥くさい部分に光を当てた本です。

宇江敏勝「山びとの記・木の国 果無山脈」も借りてきました。読むのが楽し
みです。

でわでわ

きょうかい - 2001/06/21(木) 19:58<

追カキ

ふぁるさん
古田さんは、その辺どう考えてらっしゃるのですか。
また、ふぁるさんのお考え是非ご教示ください。
よろしく、お願いします。

きょうかい - 2001/06/21(木) 19:36<

古代の関東

ふぁるさん
 金達寿、坂口安吾あたりの説はご存知ですか。
 見解というほどのものは、持ち合わせませんが
 関東の武士の出自は、ずっと気になっていて
 アンテナを張っているところでです。
 基本的には、東山道を通って碓氷峠から北関東に殖民した
 古い渡来人(5〜7世紀ごろ関東に古墳を作った人たち)
 (多胡碑は有名)と、8世紀にたぶん畿内殖民を断られて
 仕方なく大磯から入植した高麗若光王の流れに大別できると思います。
 若光王は、50年ほど相模に繁栄して箱根や大山の鉱山を開発し支配して
 なぜか、北上して秩父を通り飯能、高麗川に殖民します。
 この北限は、先の古い渡来人の勢力圏だったと思われます。
ヤナギムシさん
 喜作新道ってどんな作家ですか。
 良かったら教えて下さい。

とんちんかん小僧 - 2001/06/21(木) 16:14<

忍家の源流−服部氏族と氏神(7)

 だが、伊賀守保長は『三国地誌』によると、服部村に住し、天文七年(1538)
正月25日、63歳で死んでいる。かれの所有していた呉道士の観音の像は佐々木
義秀に遺贈されたが、義秀は箕作山に一宇を建てて、この画像を安置し、新観
音寺と称したという。
 しかし、この佐々木義秀という人物は、有名な偽書作りの、江洲人沢田源内
の筆の先から出現したとされている。
 六角佐々木氏は、高瀬の長男氏綱に子がなく、氏綱の弟定頼から義賢(よし
かた)−義弼と続いているが、源内は氏綱−義実−義秀−義郷というふうに作
り上げたばかりか、かれ自身、義郷の流れだといって、水戸家へ仕官しようと
した。
 これを六角氏の正系と目される旗本佐々木義忠によって見咎められ、近江に
ひそんでいたが、ひそんでいる間に、
<義実−義秀−義郷>
が六角氏の正統で、とりもなおさず観音寺城の城主であり、
<定頼−義賢−義弼>
は後見役で、箕作城主にすぎなかったということを裏づけるため、今度は天文
六年(1537)から元和七年(1615)までの六角佐々木氏の日記を偽作した。
 これが、よく諸書に引用される、<江源武鑑>である。
 ところが近年、義実、義秀、義郷の実在を示す証拠が発見されているのだと
いう。第一、信長による六角攻めで、観音寺城が健在であったということは、
そこに義秀がいたからではないか、という疑問が出ている。
 こういうしだいで、あまり強調できないが、近江の名門との交際が伺える。
 伊賀の守護というのは大げさではあるが、この六郎時定の子孫は、なかなか
の有力者だったと思わないわけにはいかない。 −次回につづく。

とんちんかん小僧 - 2001/06/21(木) 15:07<

忍家の源流ー服部氏族と氏神〈6)

 このことについて『古老茶話』の説が簡明である。同書は柏崎永以の著とされ、
主として戦国期から江戸中期にいたる武家事績をしるしたものだが、なぜか服部
氏に関し、何個所も触れている。

  「一、伊賀の服部に三種あり。
  漢〈あや〉の服部は平内左衛門相続す。紋矢筈二本。ただし、惣領・庶子
  にて違いあり。 呉の服部は六郎時定相続なり。紋一巴、ただし、ニ巴
  、三巴、左右の違いもあり。 敢国服部は、伊賀一ノ宮の神事相勤め候
  服部なり。八つ矢車の紋といえども、郷々によりて違いあり」

 その根拠は不明ではあるが、これまで忍術が諸豪の“なりわい”であったこと
をくどくどしく眺めてきたのに対し、これは諸家の中心服部氏のありようについ
て、いともあっさりと核心に触れているものだった。
 もう少し同書で、家長と時定についてみることにしよう。

  「一、新中納言知盛卿の乳母子、服部平内左衛門家長は、服部郷の産にし
  て、清涼殿の弓場殿にして弓矢の名誉あり。二条院〈『伊乱記』では六条
  院)叡感のあまり、真羽の矢一千手を車に積ませ、これを下されて候より
  して、矢筈車(やはずしゃ)を家紋とす。その子平内兵衛家清(これまで
  に、保清、光長というふうに倅の名がでている)とともに、主君に従いて
  入道して没す。家長が弟に十郎兵衛家員も知盛の臣として、那須与一扇の
  的を射てのち、家員が船中を徘徊するを射殺したり。
   源太盛継(げんたもりつぐ)が後胤、服部六郎時定、当国服部郷の産に
  して、頼朝の家来なり。これ当代服部武士の祖なり。天正のころ、その旧
  館の跡に服部主水(もんど)居住す。もっとも時定苗胤なり。
   天文年中、服部伊賀守保長(やすなが)、義晴(足利氏)将軍の臣なり。
  当国の守護と云う」

 家長の項については、家員が船中を徘徊していた、という表現が面白いほか、既
述通りだが、印象としては、そこでいったん断絶したかの感がある。とくに、時定
をもって「当代服部武士の祖なり」としているところが注目される。
 人物も、ニ、三出てくる。時定の先祖や子孫と思われる源太盛継や服部主水につ
いてはわからない。   −次回につづく。

ふぁる - 2001/06/21(木) 13:11<

古地図はどこまであてになるか

「外三郡史」の話題から。
古田武彦氏と話す機会が以前ありました。
その時彼の使っていた古日本の構成を示す資料のでは、丁度関東圏をカバーする勢力が
抜け落ちていたので、その時は勝手に、関東圏は他文化圏にあったんだと受け取っていました。
意外と現在でも交通の要衝となる場所を境にしても、昔の勢力分布にプロットしなおせる事が
判りますが、関東圏の古い時代(その頃の近畿は渡来系とちょっと古め系の勢力争いの時代)に
ついての見解をお持ちの方はいますか?

さらに私事。「木場」の研究が若干進みました。

とんちんかん小僧 - 2001/06/21(木) 02:03<

忍家の源流−服部氏族と氏神(5)

 第2部
 重複する点があるが、もう少し、家長に関する事項を列記してみよう。

  「按ずるに、服部村に住す。故に服部とも称す。子五人あり。一、竹野屋某、
  服部に住す。ニ、宮田某、丸柱に住す。三、高畠某、高畠に住す。四、杉本
  某、湯舟に住す。五、小泉某、依那具に住す。また荒木、高畠に家長が子孫
  歴世の宅しあり」(『三国地誌』)

  「家長は屋島敗戦ののち、保長と名を改めて伊賀に隠れたが、嫡子平内兵衛
  保清は頼朝に服従して、服部郷に住んだ。保清に三人の子があり、長男は平
  太郎忠行、次男は平次郎康頼、三男は平十郎安則で、それぞれ上服部、中服
  部、下服部と称し、この一族が伊賀一円を所領し、同族は拡がった。半蔵は
  上服部、つまり嫡流である」(『伊賀者大由諸記』)

  「鞆田(ともた)荘の村中に伊賀盛景の諸子、山尾、鷹山、中谷ら諸氏の宅
  しあり。盛景は家長に同じ」(『三国地誌』)

 こういうわけで、たいそう混乱混雑している。ことさら家系調べをやっている
わけではないので、これ以上詮索してもはじまらないが、どうやら服部系のだれ
もかれも、平氏として有名な家長を先祖にしたがっている節が、うかがえないで
もない。

  「たびたびの乱逆のために、昔の種姓をわすれて、服部一党はことごとく
  家長の流に移りけり」(『伊乱記』)

 同書によると、家長系以外に、二流あることをあげている。一つは、源氏系の
服部六郎時定の系統であり、いま一つは、敢国(えくに)神社の神事をつかさど
る系統である。 −次回につづく。

ヤナギムシ - 2001/06/21(木) 00:30<

山から

途中で登録してしもた!!
 ・・驚きです
昔読んだ・・喜作新道・又読んでみよう
  山びとの記(中公新書)も熊野の話も入って面白かった(P200に注)
      どちらもs55年に読んでいる

  あの頃と考え方・・変わっていないだろうか?
        たのしみ!!・・やなぎむし

ヤゾー - 2001/06/21(木) 00:05<

清姫伝説

磐井さん、はじめまして。
ネット古本屋さんとのことで、なにかサンカの本が入りましたら、
ここで宣伝して下さいませ。楽しみにしてます。

おユキちゃん、貴重なお話し、ありがとうございました。
『青べか物語』、白蛇、弁財天、お稲荷さんと不思議な縁を感じます。
信仰と民族については興味深いものがありそうです。
Donglyさん、解説お願いします。

>ヤゾーさん、20号は、まだみたいです。

きょうかいさん、ありがとうございます。
「日本奥地紀行」も貴重なお話でした。
日本の四季に会わせた純和風住宅は素晴らしい建築物だと思います。
でも、昔はそんな家に住めたのはほんの一握りの人たちだけみたいですね。
僕の理想の家は大きな縁側のある和風ログハウスです。

とんちんかん小僧君、毎日ご苦労様です。

ヤナさん、風邪治って酒飲み過ぎないでね。

>まだまだ〜〜〜

そういえば僕の住んでいるところには清姫伝説があります。
つまり道成寺縁起絵巻の安珍・清姫の清姫が生まれたところなのです。

妻に先立たれひとり暮らしていた清重は、ある日、黒蛇に飲み込まれそうな白蛇を助けます。
その白蛇が女巡礼の姿になって宿を乞い、清重と夫婦の契りを結び生まれてきたのが清姫だといわれています。

物語りとしては、皆さん、よくご存知だと思いますが、簡単に説明しますと........

年月が過ぎ清姫が年頃になり、若い修行僧の安珍が熊野詣の際に宿を清重の家にとったところ
清姫が一目惚れしてしまい深い中になってしまいます。
安珍は帰路に今一度立ち寄ることを約束しますが修業の身であることを考えて帰りは素通りしてしまいました。
それを知った清姫は素足のまま安珍を追いかけ日高川に飛び込み大蛇にその姿を変え道成寺で釣鐘に隠れていた安珍を探し当て、
蛇と化した清姫が鐘に巻き付き口から吐く炎で安珍を釣鐘もろとも溶かしてしまったというお話です。
羨ましいようなそうでもないような話しです。

ヤナギムシ - 2001/06/21(木) 00:01<

山から小僧が飛んできた

いま、NEWSステーションでチリで犬に育てられた少年の記事があった
 昔の本、犬娘お千代を、再読中なので・・おおっと思った
穂高の喜作のいぬの乳で育った・お千代・・・
わたしは、喜作はナデシでなく、マタギと思っていたから

おミヨ - 2001/06/20(水) 23:10<

まだまだ〜〜〜

蛇祖伝説

昔、越後国南蒲原郡下田郷・五十嵐川の上流の笠堀村に甚右衛門という名主がいた。甚右衛門には
美しい一人娘があった。ある夏の夕方、若い男が訪れ、宿を願った。其れ以来、男は娘もとに毎夜
泊まるようになったが、素性はかたらない。ある夜、娘は母の教えたとうり、男が帰る時に糸を
とうして衣の裾に刺し、夜が明け娘がその糸をたどっていくと、吉ヶ原の雨生池についた。
男は池の主の大蛇であった。針を刺された大蛇は池の中に姿を消した。娘はやがて男の子を生み、
その子が後に強力となった五十嵐小文治である。脇の下には三枚の鱗がはえており、五十嵐家
では代々この血筋を引いたという。(新潟県栃尾市の伝承)

とんちんかん小僧 - 2001/06/20(水) 17:34<

きょうかいさんへ

>初出の人名と重要な地名のフリガナ書いて下さい。

 きょうかいさん、いつも読んでくれてありがとうございます。
 平内は、へいないです。
 きょうかいさんの指摘はもっとも当然の事です、以後、気をつけます。
 が、しかし、たまに私にとっても手強い漢字があって…なるべくは、
ご意向にそうよう努力します。
 これからも読んで下さい。

磐井 <http://www.chikuho-net.co.jp/~avispa/> - 2001/06/20(水) 14:43<

20年間の空白

 同郷なのであまり読まない五木寛之の「風の王国」を
昨日読みました。「戒厳令の夜」から数えて20年あまり、
そのときも「サンカ」について興味を持ちいくつか調べましたが、
尻切れトンボで昨日「風・・」を読み終えた後無性に知りたくなり、
このHPにたどり着きました。
ここ何年か同姓である「筑紫の君・磐井」のことや、
車で30分の距離にある「英彦山」修験者の住居跡とかもろもろ
気になりだし、自分のやってるネット古本屋のために仕入れた
「風・・・」を仁徳陵うんぬんのところで読んでみようか気になったのが、
何と言うめぐり合わせ!
それならと研究?もかねて「サンカ」関係の本を集めてみまっしょ。
また遊びにきます。

きょうかい - 2001/06/20(水) 13:51<

セブリの功

ヤナギムシさん、全快おめでとうございます。
近江は、今週の土曜日に行きます。月曜日に
報告いたします。

 とんちんかん小僧 さん
服部氏、楽しませてもらってます。
一つお願い。
初出の人名と重要な地名のフリガナ書いてください。
たとえば、平内→ヘイナイ、タイラノウチ?
よろしく

 ヤゾーさん
20号は、まだみたいです。

 「日本奥地紀行」イサベラ・バード 東洋文庫・平凡社
 を読んで思ったこと
この本は、ある英国婦人が、1878(明治10年)6月から9月にかけて東京から日光、
東北、北海道の奥地を旅した紀行文である。
 この中で、当時の田舎の旅館や民家の記載が出てくる。
    「宿の亭主の小さな男の子は、とてもひどい咳で苦しんでいた。そこで私が
     クロロダインを数粒この子に飲ませたら、すべて苦しみが和らいだ。
     治療の話が翌朝早くから近所に広まり五時頃までには、ほとんど村中の人たちが
     私の部屋の外に集まってきた。・・・眼前に現われた。
     痛ましいばかりの光景・・・・
     父親や母親たちは、いっぱいに皮膚病にかかっている子を裸のまま抱きかかえており、
     娘たちは、ほとんど眼の見えなくなった母親の手を引き、男たちはひどい腫れ物を
     露出させていた。子供たちは虫に刺され、眼炎で半ば閉じている眼をしばたいていた。
     ・・・ すべてがむさくるしい着物を着ていた。それも嘆かわしいほど汚くて、
     シラミがたかっている。
     ・・・この地方の家屋は(どの地方でも同じだと思われる)、夏も冬も夜には
     外界からぴったり閉切ってしまう。・・・雨戸がくずれ落ちない限り部屋の空気は
     多くの人の吐く息で汚れ、じめじめした床下からの毒気や火鉢からの炭酸ガスに
     汚されても空気を買えることはできない。」

 なんともすさまじい描写です。
  下は、大正8年頃の農村68ヶ村(14万人)の疾病調査(公衆衛生史)
    1、寄生虫感染  住民の73%
    2、トラホーム  15%
    3、耳目の疾患  6% トラホームを除く
    4、呼吸器    3.9%が呼吸器疾患でことに結核が多い 
     その他略
 
 今まで、田舎の住宅を(近世から現代まで)、純和風の日本の四季に会わせた理想的なものと
 思いこんでいたのが、修正を迫られた次第です。
  村落(中心)定住=快適 ⇔ 山(周縁)漂泊=いばらの道
  ではないようです。もしも、上のような日本の住宅事情で選択を許されるなら、
  セブリを選ぶ人の方が、多いのではないか。ぼくは間違いなくセブります。
  「健康と文明の人類史」マーク・N・コーエン人文書院も参考になります。

   長くてすみません。

おユキ - 2001/06/20(水) 12:53<

白蛇と弁財天

『青べか物語』の舞台になった浦安市には白蛇を祀る清瀧弁財天という神社があります。
由来は、明治44年6月にこの地で白蛇が目撃され、行者がそれを「弁財天のお使いである」としたことにあるそうです。
弁財天のお使いの白蛇(姫ヘビ?)がこの地に現われた日を記念して毎年6月14日にはお祭りもあります。

また浦安には他に稲荷神社 、豊受神社もあり、4年に一度、三つの神社が揃ってお祭りをします。
歴史的にはそう古くなくて大正頃からのお祭りみたいです。
ここでのお話と合わせて考えると不思議な思いがします。

ヤナギムシさん、風邪が治ってよかったですね。

ヤナギムシ - 2001/06/20(水) 00:37<

はーー

こんどの風邪きつかったです
  こころ優しい・サンカの女神たちよ
  ご心配お掛けしました・・

旨い酒が呑めるようになりました
      熊野の女神は、わたしと思ってるあなた!!・・
                   (ちがってるかも?)

   きょうかいさん、近江の旅いかがでしたか?
       カキコしてくださいね

   なんや知らんけど・・外は大雨・・・いよいよ梅雨本番やね


ヤゾー - 2001/06/20(水) 00:15<

弁財天と稲荷神

>利田YAZOU

犬娘って誰?
それはそうと、本屋に『歴史民俗学20号』を注文しているのですが一向に連絡がありません。
もう出たのでしょうか?

>私は、入渓しただけで、風邪・下痢が治ってしまったことがありましたね。一種の瞑想なのかもしれません。

そうですね、渓流釣りは釣りの中でも一番瞑想に近いかも知れませんね。

>なぜ白蛇が尊いのでしょうか?
>白蛇、20何歳かの時にみました。

白蛇はよく弁財天の使いだといわれています。
白蛇の夢を見ても良いことの前触れだとのことです。
だからきっと良いことがあったことだと思います?

>家の中から、ゆうに20メートルはある大蛇が、這い出てきたと祖母から聞きました。

白日夢に違いない!

>アラハバキ

弁財天と稲荷神を同一神とするむきもあるようですが、
稲荷を「異なり」として征夷大将軍の夷をあてれば東北の神であるアラハバキが浮かんでくるようにも思います。
そういえば、この前に行ったイザナミの墓所ともいう花の窟神社にも熊野最古という阿須賀神社にも稲荷神社がありました。

サクラ - 2001/06/19(火) 23:51<

アラハバキ

アラハバキというと、すぐに「東日流外三郡誌」を思い出してしまう。
偽書として、法廷論争がつい最近のことのよう...に思える。

それでも、偽書の中に真実が隠されていないかと、真実を読み取る智恵が
ほしいと願う。

東北に光を当てたと言われた発見当時は確か「三内丸山遺跡」は
発見されていなかったように思うけど、東日流を読んでから、東北も津軽も
ますます好きになっていったし、他の偽書と言われるものにも興味が湧いた。

どなたか、偽書の中にある真実のかけらでも教えて頂けませんでしょうか?

ヤゾー - 2001/06/19(火) 14:18<

地蔵信仰と弁財天信仰

出雲神族の大祖先はクナトの大首長であり、もうひとつ隠された女首長にアラハバキがあったといいます。
軍事的、政治的勝者により出雲族が抹殺されようとしたとき、クナトは地蔵にアラハバキは弁財天へと変身したともいいます。

出雲の裏信仰は龍神の化身とされる弁財天だといわれ、サンカ系のエラギ族とされるクグツや白拍子などは、
通称えびすさんで知られる西宮神社の末社の百太夫社を信仰したそうですが、そこの祭神は男根型の道祖神だそうです。
またアイヌの古語でクナトは男根、アラハバキは女陰を意味し本来は一対のものだったといいます。

とんちんかん小僧 - 2001/06/19(火) 14:16<

大蛇

 おミヨさん、どうもありがとうございます。
 今、書いてる分は、四部に分けてるので、コピーしたら
そうとうな量になるけど…覚悟してね。

 蛇の話題このごろひっきりなしにつづいてるので一つ、
書きます。
 私の住んでいる家を建てる(新築)する前の家を壊し
た時のこと。今から、24,5年前の話ですけど、壊し
ていると、家の中から、ゆうに20メートルはある大蛇
が、這い出てきたと祖母から聞きました。その大蛇は、
すぐに何処へ去ったと私が子供の時に教わりました。

とんちんかん小僧 - 2001/06/19(火) 13:47<

忍家の源流−服部氏族と氏神(4)

 平家西海落ちには、家長の弟も加わっていた。この者の最後は、いくぶん残酷かつ滑稽
である。
 屋島で、かの那須与一が見事、扇を射て、敵味方どっとどよめいているときだった。
 
  「平家侍に、伊賀平内左衛門尉が弟に、十郎兵衛尉家員という者あり。あまりの面白
  さにや、感に堪えずして黒糸威鎧に兜をば著す。引立烏帽子に長刀を以て、扇の散り
  たるところにて、水車を廻し、一時舞いてぞ立ちにける。(中略)与一、また手綱引
  返して、海に打ち入り、今度は征矢を抜き出し、九段ばかりを隔てつつ、能く引き固
  めて、兵(ひょう)と放つ。十郎兵衛家員が首の骨を射させて、真逆に海中へぞ入り
  にける」(同前)

 興奮して舞い踊っていたら、射殺されたというのだ。
 『平家物語』によると、そんなうかれ男を射てしまえ、といったのは義経であり、伝え
たのは伊勢三郎だった。また、同書には家員の名はなく、
 <齢の五十ばかりなる男>
 だというふうに書いている。
 もし、この年齢を信ずるとすれば、兄の家長は当時、五十以上、もしかしたら六十に近
かったかもわからない。
 知盛とはかなり距った乳兄弟ということになるが、それはそれとして、壇ノ浦で死んだ
はずの家長が、ひそかに帰国して、源氏の対捕を逃れるため予野に隠棲したという伝えが
、少々おかしくなる。
 すでにして、かれは上忍であり、忍じゃだから死んだと見せかけて生き延びたという解
釈は、たいそう簡単で便利なことだが、じっさい、壇ノ浦を逃れた平家一族の話がないわ
けではない。

  「平家一門、長門壇ノ浦において、源氏の軍と戦い、敗北して討死するもの、逃ぐる
  もの、捕えらるる者多きがなかに、死を装いて、主上を兵船に遷し奉り、右少弁藤原
  経房卿、門脇宰相教盛これに奉じはべり、大将に伊賀兵内左衛門家長、伊賀兵内兵衛
  光長……」(『平内神社史考』)

 といったもので一行はしかし、暴風にあって、伯き、因幡、但馬の海岸に漂着した。家
長は子息平内光長らと但馬の御崎に着き、伊楽神社の修験寺本坊の厄介になり、のち佐津
庄の奥山の天神山にひそみ、そこで天命を終えたそうだ。
 倅の平内光長は御崎村で死んだ教盛の霊祠を建てたともしるしてある。戦だから、一家
一族のほとんどが出陣しただろうが、戦死しないにしても、他国で一生を終えたというし
だいだ。
 もっとも、生き延びた平家落武者話は、いくらでもあるし、家長そのものも、とくに伊
賀に帰らなくても、幼い子、あるいは孫ぐらいいただろうし、それらが本拠を逃れて予野
へ移ったとしても、別におかしくない。
 それにしても、家長その人の表向きは、半蔵正成が家康の忠実な家臣であったと同じよ
うに、平家のしおらしい家来なのである。 1部完。次回は、2部です。

おミヨ - 2001/06/19(火) 13:47<

白ヘビ

とんちかん小僧さんご苦労様
コピーにしてゆっくり読みますね。

白蛇、20何歳かの時にみました。
職場の本館新築時、引越しでゴタゴタしている時、風呂場のスノコの下に潜んでいたんです。
胴回り3〜5cmぐらいのが3重ぐらいにトグロをまいていました。
あわてて事務の男性、呼びにいっているほんの2〜3分の間に消えてなくなりました。
いまでもあれは、本当に見たのか、幻視だったのか、不思議な夢の中の出来事だったのか
判然としません。その家の主だとききましたが・・。
山でヘビと遭遇してニラメッコしていても、ふと目をそらせた瞬間ヘビは消えていて、まことに
無気味なものだそうですが、そのような時の感じでしょうか。

とんちんかん小僧 - 2001/06/19(火) 11:42<

忍家の源流−服部氏族と氏神(3)

 さて、伊賀平内左衛門家長だが、いままでちょいちょい登場したこの人物は、
これまた不思議である。
 家長は平家に属し、また新中納言知盛と乳兄弟だった。
 そのむかし采女(うねめ)をたてまつって、
<伊賀采女>
 とよばれた山田郡司の娘の話があるが、家長の母親は乳母奉公に上がっていたらしい。
 平家が西海に落ちて行くときも、家長は常に知盛に近仕していた。平家の公達
のなかにあって、純朴、忠実な横顔が想像される。
『源平盛衰記』によると、越中次郎兵衛盛嗣という者が、いま攻め寄せてくる九
郎冠者という男は面長で身短く、色は白いが反っ歯である、身をやつして日々、
物具を替えて着ているそうだ、そんなやつは、会うたなら、片脇に掻きはさんで
、海へ入ってやろう、などというのを聞き、家長は、

  「ああ世は不思議のことかな。金商人(金売り吉次)が従者して、奥州へ下
  りたりける者が、源氏の大将軍として、君に向い進めらせ、矢を放つことよ
  。御運の尽きさせ給う。口惜しきことかな」

 といいながら、はらはらと泣いたという。しおらしい風情である。
 そしてじつは、記述によると、家長は壇ノ浦で、知盛とともに果てるのである。

  「(新中納言知盛は)涙をはらはらと流して、今は何をか見聞くべき。家長
  、 日ごろの約束はいかに、と仰せられければ、いまさら君に離れ奉りて、
  いずちへ行くべきに候わず、御伴なりと申せば、知盛卿さすがに嬉しげに思
  われて、中納言教盛卿と鎧を脱ぎ捨て、西に向い念仏申されて、両人自害せ
  られければ、有国、家長以下侍八人、同じ枕に自害して伏しぬ」

 別本ではこうある。

  「乳母子伊賀平内左衛門家長を召し、いかに家長、約束は、とのたまえば、
  忘れ候まじとて、主にも鎧ニ領着せ奉る。おのれも鎧ニ領着て、主と手を
  取り組みて、一所にぞ入りける」(『源平盛衰記』)

 あわれな最後をとげた平家武者の一人として描かれている。
                        −次回へつづく。

Dongly - 2001/06/19(火) 10:59<

蛇は神の使い

とするのは出雲系信州諏訪神社ですが、山口岩国には赤い目の白蛇が
おり尊い・縁起良いとて客がきます。なぜ白蛇が尊いのでしょうか?
 かつて田舎で家の神棚に青大将がいましたが祖父が「鼠を捕るから、
殺すな。」でした。山梨では葡萄の実を食い荒らす鼠退治には蛇を大
事に飼っていました。蛸の酢物とビールまたはワインをたしなんだ古
代ペルシャでも蛇が神扱いだったのもこの実利的な理由でしょうか。
 梵語でウガヤは白蛇だそうです。広島には黄幡神社が多く、デコやら
石製斧やらありですが本来の神体は蛇のようです。神社の注連縄は蛇が
交尾している様子だと実見した人の主張です(野史研究会で)。それで
黄幡様=ウガヤ信仰と見ています。廃仏毀釈の時代にも木幡・黄綿と字
面をかえて弾圧を逃れたそうです。母方は百済系ですが野鍛冶だったら
しく職業神に黄幡池のそばに黄幡祠があります。森浩一門下生はシンポ
報告会で出雲菅谷タタラは技術的にはカヤ族に由来と発表しました。
 そうです吉野ヶ里(竹原・紫波地名)の遺跡は左巻き7片の太陽家紋
(日本学者は巴形銅器!)が出土していますが、朝鮮の学者は一対の魚
飾りと共にカヤ族固有と考証しています。この太陽家紋は広島でも出土、
愛媛野村町民俗資料館には5片の物があります。
「正史」からは「偽史」とされる古文書は「神武」以前にウガヤ72
代(およそ2世紀間)あったともします。日本書記・古事記などには
出ないこのカヤ族は日本で多数を占めてるようです。また大分『上記』
からだけでなく、サンカやサンガの中にはウガヤフキアエズ尊を祀る
場合があります。サンカ=出雲系と重なりますが。
 各地一宮神社の竜の彫物に牙のない物があります。従来はムカデ説で
したが、蛇説も可能性がありますね。
 この全体真偽の程は判りませんが、一つの仮説ですが。

NA-NI - 2001/06/19(火) 08:58<

蛇談話まだまだつづく。。。

なんと!ツチノコ(小学生のころ、ドラえもんで存在を知った)や10M、20Mの大蛇がいるんですね!
私が出くわしたら、腰ぬかして小便ちびってしまうでしょう。

さて、大牟田市に大蛇山という祭事があるそうですが、地元では大蛇は水神様とされています。
で、荒っぽいのは戦後中止になってしまったそうですが、祭事の最後は蛇の左眼を奪い合うそうです。

ところで、大牟田市には地名こそないのですが、別所のにおいがプンプンします。三池山辺りの山塊はどうも熊野修験くさいですし、普光寺は天台宗で木造薬師坐像や木造慈覚大師坐像が安置、北には白山堂薬師堂があります。近くには玉名市もありますし。大蛇と「俘囚」−エミシとの関係を疑っているのですが。。。

>>私はヘビを食べる岩魚が大好きです。うひひ。
>うひひですか、僕も渓流釣りに狂ったことがあります。源流の滝壷などで釣っているイメージをするだけで、
>気持ちよく眠りに付けた時期がありました。

私は、入渓しただけで、風邪・下痢が治ってしまったことがありましたね。一種の瞑想なのかもしれません。

利田YAZOU - 2001/06/19(火) 02:36<

傷痍軍人

なんか、ぶきみなイメージしかありません。
上野動物園に行く途中でヨク見かけました。
白い着物にサングラス。
今もいるのだろうか?

根本敬の本には「恐山で見つけた、若手の傷痍軍人」の写真が出ていました。

やぞー - 2001/06/19(火) 00:20<

ホタルぶくろ

みなさん、こんばんわ。
やたら蛇の話題が続きますね。
ヘビ年だからかな?
ツチノコはこちらでも見たひとが多いです。
みんな見た時の様子をとてもリアルに話します。
大蛇も見た人が多いです。
3メートルくらいの蛇を見ても一瞬身が凍ることがありますから、
5メートル以上もあれば相当怖いと思います。

今の季節、「ホタルぶくろ」と呼ばれる白やピンクの花が咲きます。
その花の中でホタルが光るとまるでランプシェードみたいです。
漆黒の闇の中で、ホタルが「ホタルぶくろ」の花の中に入って光ると、
どんなに綺麗なことかと想像してしまいます。
この花に「ホタルぶくろ」と名付けたむかしの人はロマンチストだと思います。
画像掲示板に「ホタルぶくろ」の写真をアップしています。

ヤナギムシ - 2001/06/18(月) 23:36<

けけけ・・け

小学生の頃の話・・
  傷痍軍人が、アコーデオンを弾きながら・・寄付金を求める時
    その近くで、ドンゴロスの袋のなかに蠢くなにかを・・売っていた!!minさんならご存知かな!
  
 大きなドンゴロスの袋を覗き込んで・・
  なにかを、取り出した・・はだか電球の光の下に・・

      出てきたのは!!・・
       小学生のわたしは、一番まえで陣取っていました
     
   う・・ひゃひゃひゃあひゃひゃ・・尻餅を付いてしまいました
     おっさんが、取出したのは・・マムシでした

頭を、つかみ・グラスに毒歯をかけて・・毒を絞る
  ウナギをさばくように・・頭に目打ちを、打つ・・!!
   ナイフで皮をはぐ・・
  まだ、生きている腹に卵を、持っていた!!
   今考えたら・・あのナイフ・・ウメガイやなかったかいなぁ!!

  そのタマゴグラスに取って・頭を噛み切り、生き血を注ぎ焼酎をそそいで・・
    
   まあ・・飲んで!!・・
     なんぼなんぼやで!!

         身は焼いて・・さあどおや・・ってゆうとった

   マムシ酒のビン、クルと廻して・・ほら毒が油みたいに酒のなかでうごいてるやろ
    ほんものやで!!
      ほら1本00円やで!!はよこおてや!!

   ぼく・・どないやいらんか?
      げ・・俺にふらんといて!!・・

    足元のドンゴロスうごいてるやん!!・・げげげげげ

         最後まで見てたら・・ぼく・・食べてみ!と

            蛇の黒焼きを・・差し出した

              ぼけ!!  あほんだら!

                おおあわてで・・逃げ出した


            あの時・・食べといたらよかった・・かも

  あのおっさん・・タジヒやったんかも?
          昔のはなしです・・やなぎむし
          

KEIJU - 2001/06/18(月) 18:05<

BKKのいえのちかくで

6Mは越す 馬鹿でかい錦蛇を夜 路上で見かけました!
頭と尻尾が道の両脇の草むらに隠れていまして
翌日その道の幅を見たら ゆうに5Mはあった!!
BKKですよ! いやあびっくり!!!

とんちんかん小僧 - 2001/06/18(月) 17:40<

忍家の源流−服部氏族と氏神(2)

 じじつ、“名木八重桜”がげんに碑とともに立っている。これは
『三国地誌』の編集者である、藤堂元甫の植えたものだ。

  「按ずるに予野村に地名、花が前(さき)、花前川あり。ここ古(いにし)え
  八重桜のありし地ならんか。元甫、そこに南都絵八重桜の遺樹を移し植えて、
  その旧に復す」(『三国地誌』)

 というわけである。
 ところで、この花垣の里千賀地は、半蔵の祖伊賀平内左衛門家長(彼については
次回書きます)が、平家に属して壇ノ浦の敗戦まで見届け、伊賀に戻って隠れ棲ん
だと、いわれている。以来、この系統を千賀地といいならわしてきたのだろう。
 けれども、『伊乱記』の諸士種姓による服部一族の村落は、

  服部、羽根、高畠、寺田、千岩、佐那具、槇山、比土、古都、西村、荒木、
  西明寺、四十九、猪田、神戸、阿保、別府、柏屋、岡田、寺脇、羽根(伊
  賀郡)、河上、諸木、沖、才良、衣那具、市部、郡、上友生、中友生、下
  友生、古山七郡

 で、旧阿拝、伊賀両群の穀倉地帯のほとんどにまたがり、強大な勢力をしのばすも
のの、予野庄は含まれていない。
 この諸士種姓は、ほぼ平家滅亡前後を基準にしてあるようだから、その後に本拠地
服部郷から移り住んだものと思われる。予野はそれまで、大江氏の名張一族の分かれ
が、予野諸族として勢力を張っていたところである。 −次回につづく。

とんちんかん小僧 - 2001/06/18(月) 16:33<

忍家の源流−服部氏族と氏神 (1)

 上野市の南西部の予野に服部半蔵系統の本拠があった。
『三国地誌』によれば、

  知賀地氏堡(知あるいは千に作る)按ずるに、千賀地半蔵則直之を保つ。

 とある。
 予野庄千賀地だが、半蔵正成も千賀地ノ半蔵とよばれていたことがある。この
則直は、半蔵の兄保元の子とされる。その子采女(うねめ)が藤堂姓を許され、
伊賀上野城代となった。
 あたりは伊賀盆地のなかの小盆地といった風情で、なんの変哲もないひなびた田
園が、低い丘陵に囲まれて拡がっている。この一丘陵を負って、屋敷(砦)跡がある。
 ここは、俗に、
<花垣の里>
とよばれていた。

 寛永5年(1008)のこと、一条院は不例の後の上東門院を慰めようと、興福寺の八重
桜を京へ移そうと命じたが、僧徒どもは、たとえ帝の命でも、こればかりは聞けないと
妨げた。一条院は花に名残を惜しむのは殊勝なことだと思い、その八重桜を“吾桜”と
名づけようといい、予野の庄を僧徒らに与えた。
 僧徒どもは恐縮し、すぐさま京へ八重桜を運んだが、残りの枝を予野に植え、花の盛
りには、7日間の花守りをした。その後は京から近衛府の下役人が出向して、花守りす
ることになり、予野の庄一帯は花垣の里とよばれるようになった(『古今著聞集』ほか)。

 上東門院の女官伊勢大輔が、

  いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重に匂ひぬるかな

 と詠んだのはこのときのことだが、このさい百人一首はおいといて、“吾桜”は
“よの桜”と読んで、予野にちなんだのだろう。
 けれども“あが桜”とも読める。この里のある旧伊賀群は阿我(あが)郡といわ
れていたし、“あが”はまた、綾(あや)、安那(あな)、安羅(あら)、加耶(
かや)といった朝鮮半島南部の古代国家郡の名称と、無関係ではないであろう。
 これらは服部族を考えるにつれて出てくる問題であるから、ここでは花にちなむ
ゆかしい土地柄だということをいっておきたい。 −次回につづく。

Dongly - 2001/06/18(月) 11:34<

蛇のまた聞き情報訂正

 間違えました賞金。ツチノコの賞金は、生きたまま捕まえた
ら1000万円(これでログハウス資材を輸入できます!!)、
写真なら100万円(これで内装OKです!)だった。
 これは岡山のどこかです。ついでに愛媛の話。
 北条市に河野水軍に関連した高縄山(恐らく古くは鷹縄か雉縄
でしょう)があり、頂上に寺があります。今は坊主は住み込んで
いません。10年前に軽トラックで出かけた山仕事ベテランが、
山頂付近で遭遇して、青くなって逃げ帰ったそうです。
 寺に坊主が定住していた時期の話ですが、ツチノコを2匹叩き
殺したといいます。詳しく知りたいですね。
 家内が十年位前に塾をしてた時の名はツチノコ教室。
 地名で北九州下関に猿喰がありますが、蛇喰はありますか?

Dongly - 2001/06/18(月) 11:16<

蛇のまた聞き続報

 やはり10メートル大蛇はいるのですね。兵庫県龍野市で昔から噂のある三濃
山?中で大蛇が墓地全体を取り巻いていて、見た人に向って来たので持物を放り
出して必死で走って逃げたそうです(昭和60年頃)。そして道具を拾いに行き
たいが二度と行かぬの話。20メートルはあるのではと。何年モノでしょうね。
 何を食べて大きくなったのでしょうか。生きがいも知りたいね。
 蝮皮は腰痛・肩凝に効くそうで、木の幹に貼付けると葉っぱの青虫がバタバタ
落ちるともいいます。八十八ヶ所参りの店々には蝮酒・蝮の乾物・たらの木の茶
(糖尿に効果)を売ってるようです。サンカ・ニガテの仕事でしょうか。
 ヤゾ−さん蝮の捕り方はお聞きになりましたか?
 蝮はある秋期にはその大群が川を真っ黒に大挙して奥山へ遡り、見た人の話
では震えがとまらなかったとか。どこの川でしょうか、いつ頃でしょうか?
 ご存知なら教えて下さい。
 岡山・兵庫県山地では1000円賞金付でツチノコ探しで人寄せしています。
彼は山の斜面を丸くなって転がり落ちてきて攻撃するそうです。これも蛇の類
のようです。10年前兵庫山奥の研究仲間の家に子供達が飛び込んできて小川
の上流の堤(溜池)近くで、鎌首をもたげて向かって来たと訴えたそうです。
水辺に多く出るようです。またこの町ではツチノコに噛まれた人がいて半年は
寝込んだといいます(その後の事は不明)。
また四国の愛媛北条市でも聞いた事があります。

ぽん - 2001/06/18(月) 11:09<

生血は飲んだことあります

小学生の頃、群馬の藪塚蛇センターというところで、蛇(なにかなあ。やっぱり、まむしかなあ)のハンバーグを父が注文したところ、肝いりの血も出てきました。
肉はあまり好きでないので、ハンバーグはちょっとと、血を食しました。
最近、知ったのですが、注文してから、絞めてくれるそうです。

利田 - 2001/06/18(月) 01:06<

昭和48年頃、長野県下伊那郡天龍村で、当時少学生でした。
僕、見たんです。
「大蛇」を。

5〜10メートルの大きな蛇が、川から上がってきて、田んぼの中に突入するのを。
まるたんぼうのような大きさでした。

そのころの天龍村はのどかで、ツクシ採りをしていて、間違って蛇の頭をつかみそうになった事もあります。



サクラ - 2001/06/17(日) 23:24<

そう言えば...

もう、随分前ですが、都下の団地に住んでいた時、息子が捕まえてきた
しま蛇を、一晩だけとの約束でベランダの虫かごに入れたのが間違いの元
夜中に逃げ出して、どう捜して良いかわからぬうちに翌日、団地は蛇出現騒ぎに...
パトカーが3台もやってきて、おおとりものになりました。
すぐさま、家の息子が蛇と遊んだ事がばれ、おまわりさんに大目玉くいました。
それから、1週間後に引越ししたので、ひょっとしたら団地の人は、恥ずかしくって
転居したのだと思っているかも知れません...(汗)
蛇は多摩川のseburiの名所あたりで、今もお元気でいらっしゃると思います。

管理人やぞー <http://www2.csc.ne.jp/~kumanolife/index.html> - 2001/06/17(日) 23:17<

今までの投稿は過去の掲示板へ移動しました

みなさん、こんばんわ。
昨夜の釣りは見事に坊主でした。
それは潮が悪かったからだということにして、
来週も釣りバカの友達は釣りに来るそうです。
ふぅ〜やれやれ。

>エミール・クストリッツァ監督作品「黒猫・白猫」をビデオで見ました。

題名を忘れましたがユーゴスラヴィアの映画を一本だけ見たことがあります。
洗練されていないぶん、なにか生々しい人間の姿を見た気がしました。

>格好の「村おこし」になるかも。

回虫で「村おこし」は面白いかもしれませんね。
花粉症の僕はまっ先に回虫を飼いたいです。
ちなみにマムシは踏んづけたり、急に近付いたりしない限り向かってこないと思いましたが?

>山の斜面ぜんぶ・・蛇ですねん!!

蛇が団子になって盛っているのを見て驚いたことがあります。
背筋がゾクッとしました。

>名人になると、マムシの匂いでその辺にいるかどうかよくわかるそうです。

達人ともなると、たまたまマムシの大群に出くわしても、
冷静に持てるだけを簡単に捕まえ、生きたマムシの頭を指の間に挟んで、
両手で6匹を家まで持ち帰ったそうです。
そういう人が少し前の山村には普通にいたみたいです。

>私はヘビを食べる岩魚が大好きです。うひひ。

うひひですか、僕も渓流釣りに狂ったことがあります。
源流の滝壷などで釣っているイメージをするだけで、
気持ちよく眠りに付けた時期がありました。

>歴史や民俗も考えた名古屋の山男のサイト。

東海アマさんのサイトですね。
リンクして、よく覗いています。

>ちなみに私わ、虫類はダメですけん。

山で暮らしているけど僕は本当は物凄く虫が苦手なんです。
クモの大きいのが家の中に居たら寝れません。
カマキリが飛んできて身体にとまったら、ふぅ〜と気が遠くなってしまします。

>イヒッ^^ 

ウキャ (^o^)

>ネタがありすぎてコワいぐらい!?

ほうほ。頼もしい限りです。

>7、骨コリコリ、目をつぶって飲み込みました。うううう

ううううですか、実はマムシの他にオオカマキリムシの幼虫も炭焼きを手伝った時に食べました。
多分とても良質な油なんだと思いますが、その幼虫の油の味が3日ほど残っていて唾がよくでました。
ウジュウジュウジュって感じです。


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