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大隅半島に残っていた!?サンカ人の残映幻想
<投稿者> 南風人 <投稿日> 2010/Jun/07(Mon)01:14
<Message-Id> 1275840899.6uAjTMq2dG73Q |削除|
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管理人さん 早速のレス有難うございます。

>大自然のリズムと共感できる魂、人格、理念、そういったものが根底にない限り、
どんなハイテクを有していても、砂上の楼閣にしか過ぎないのだと思う<
全く同感です。
さて、小生の郷里鹿児島大隅の地にかって残っていたと感じた残映についてですが、
それが縄文古人来の証左というわけではありません。多分に小生の夢想です。
大隅半島には昭和20年後半までは戦後の残映が色濃く、特に中央都会で喰い炙れた人たちが列島を流れ流れてやっと辿り着いた地の感がありました。近隣には川漁労の匠みな一族や、やっと一家が雨を凌ぐ小屋を得たかと思われる文盲ながらも竹細工(箕)木工品(樽)作りの上手い人がひっそりと暮らしており、小生など一日中その手さばきの見事さに見惚れていました。近年まで陸の孤島と言われた大隅半島にはそうした人々を受け入れる豊かで明るい自然と土地の人々の心の暖かさがまだ残っていたかと思います。
最も印象的な体験は、昭和38年夏友人三人と大隅半島太平洋岸の内之浦から佐多岬まで3日掛けて歩いたことがありました。途中大浦という十数戸の集落は僻地も僻地、通常内之浦側の隣集落から1日以上かけて遠回りしなければ行けない所で小生らは獣道の山越えで着いたのですが、その集落から先、戦争時の軍用として作られたかと思われる左は太平洋に落ちる断崖右は数百m以上の山迫る壁岸の道を行くこと2、3里、ふと見上げると30m高位の山肌に人影が。それはまるでターザンかと思える半裸体の大男とその子供二人で、樹幹に木を渡した草吹き屋根小屋を背に小生等を見下ろしていた。小生等は怖くて急ぎ足でその場を逃げ去ったのでした。
あれはサンカの一家ではなかったか!とは後年の小生の思い込みですが、
あの一家は当時水や朝晩の食料はどうしていたのだろう?子供達は学校など無縁な存在だったろう?陽光の眩しい茫洋たる太平洋を何を思いながら日永眺めていたのだろか。多分戦後の社会生活に馴染めず人里を忌避して山間に逃れてきた一家だろうが、彼等こそ山の民サンカ以来の大自然に抱かれ生活する知恵を感性を有し、彼等こそ「神」を知り得る人たちではなかろうか!古代人は現在人のような文字言葉など必要としなかった。「知」に迷走しとっくに失ってしまった我々には想像もつかない、豊かな「感性力」と「知恵」を有していたのではないだろうか!

 

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