そもそも、ハタムラというのは、
「破りたくない」などいう感情レベルの戒めではなく、
もしも「破らざるを得ない」場合、
「破滅」を覚悟で望むような掟のことだと思います。

その掟は、自己の存在意義そのものと言い換えてもいい。

それだからこそ、掟を破るということは、

自己の存在を否定するに等しい。

ですから、掟を破った者の結末は 、ひとつだと思うのです。

さて、この次には何が“来る”でしょう?

さらに、そのあとには何が“待ちかまえ”ているでしょう……?

ケンシは、いかなる存在にによって、何を奪われたのでしょう?

ケンシが護りたかったものとは、いったい何だったのでしょう?

明治の新政府が強いた『住民登録』に背を向けた者たちは、
野に散り、山に入り、いつしか『住民』たちからは『山窩』と呼ばれました。
そして、『山窩』をつくるきっかけとなった『明治維新』は、
日本を『封建主義社会』から『資本主義社会』へ移行させるために、
膨張主義思想(マニフェスト・デスティニー)を掲げるアメリカから、
《奴等》が派遣した『ペリー』の黒船によって始まったのです……。

それから百四十七年が経ちました……。
《奴等》が仕掛けた『資本主義』は、日本の隅々にまで浸透しました。
『住民』たちは生きるために『カネ』を追い、
『カネ』のために生きる時間の多くを費やし、命を費やしています。

『住民登録』は改正され、すでに『国民総背番号制』が布かれています。
今や『住民ICカード』のような物まで準備されていますね……。
この“現実”を、 【住民登録から背を向けたものたち】が見たら、一体、どう感じるでしょう……?

【サンカ】サイトの存在意義とともに、 今一度、出来れば皆さんで、お考えください……。

ちょっと大雑把すぎましたね(^^;)

ただ、『明治維新』というのが、 それまで瀬降っていた人たちや、
管理社会に対して反発を抱いていた人たちに迫った決断は、 非常に大きかったと想います。
(戦前戦後という考えより、明治を転機に日本を振り返るべきときに来ているようにも想うのです)

この時、 幕末の思想家たちは、 海を渡ってきた奴等による『陰謀』を見抜き、
多くの書物を書き残しています。 (これが『陰謀論』の始まりだと思っています)

そして、有史以来、最も熾烈な《奴等》との総力戦を経て、 日本は占領下になり、
同時に、 『山窩』と呼ばれた者たちは“狩られ”、 『陰謀論』も表舞台からは葬られていくのです……。

殺伐とした時代ですが、ケンシな笑い話をひとつ。   

ある少年に武道の手ほどきをしていた方が言いました。  
「米なんか食べてると強くなれないぞ」  少年は、そういうものかと思い、  
なるべく米を食べない生活を続けることにしました。  

それからしばらくたったある日……  
少年は、用があり、  武道を教えてくれている方のアパートを訪ねていきました。  
やもめ暮らしのその所帯には、なんと日本酒の一升瓶がおいてあったのです。  

「先生、日本酒って米からつくるんだよね?」  

武道を教えている先生と呼ばれた男は、きょとんとし、  

「……これは特別だ……濁り酒だし」   

と訳のわからない言い訳をして、照れくさそうに頭をかきましたとさ(^^;)

> 『鳥の歌』を何人かの人に勧めた後に、
> それぞれが本屋に注文したら文庫版も廃刊になっていたとのことを聞きましたが。

まさか文庫版も廃刊になったのですか?
だとしたら問題ですね……。
時間があれば調べてみるのですが……。

他に五木さんの著書で廃刊になったものはあるのでしょうか?

差別糾弾団体からの圧力かな……。
それとも、五木氏の意志、なのかな……?

> 小説の内容からいっても、
> 差別糾弾団体から圧力がかかる本ではないと思いますし、
> また、そんな箇所もなかったと思います。

圧力のかけ方にも、いろいろとありますからね……。
つまるところ、この事態を五木氏がどう思っているかですよ……。

> たぶん、国家や巨大企業、放送メディア等が手を組み、
> 巨大コンピューターによって民衆を管理しようとする動きに対し、
> 主人公たちが嫌悪感を覚えるような内容が問題だったのかも知れません。

そこは最重要ですね。
あの小説のあとがきなんて、そのまんまですから(^^;)

あの頃の五木氏は、 たっぷり時間をとって取材をしたり、
何か意を決した力強さがありました。
その作品が今、闇に屠られようとしている……。

もっと問題なのは、 主人公たちが感じた「そういった感情」さえも、
今まさに闇に葬られようとしていることです……。

これはおそらく五木氏が、 「大きな流れにしたがった」ためだと思いますが、
あまり遠慮するのも、逆境を愛する氏はよろこばないでしょう。
氏も文筆で何十年と活躍されてきたのですから、
こういう時こそ、自分の作品に責任を持つべきだと思うのです。

それに五木氏は、何を言われようと、
それに見合うくらい、もう充分いい思いをしてきましたから(^^;)

そして、さらなる問題が目の前に迫ってきています。

そういう視点がないと、 熊野ライフも「ミーハー・サンカ・ページ」だと、
【深いところにいる方】からは笑われると思うのです……。

 

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